立教3
曲禮曰、幼子常視毋誑。小未有知。常示以正事。不宜示以欺誑。立必正方、不傾聽。立必正向一方、不得傾頭屬聽左右。習其自端正也。
【読み】
○曲禮に曰く、幼子には常に視[しめ]すに誑くこと毋かれ。小にして未だ知ること有らず。常に示すに正事を以てす。宜しく示すに欺誑を以てすべからず。立つには必ず方を正しくし、傾き聽かず。立つに必ず正しく一方に向い、頭を傾けて左右に屬聽するを得ず。其の自ら端正なるを習うなり。

曲礼に曰、幼子云々。これまで敎るに右の手を以てすから七十まで押しくるめて敎を云。さて右の昏礼すみてここの曲礼の出たに訳はない。これ曲礼は前の六七年の所に入れたい。なれとも内則と入れ雑へられぬから、せふことなしにここへ出す。
幼子常視云々。さてここの点を直さずはなるまい。平生子ともに敎るはをとなに教るやふではならぬ。をとなには先度の事と云計りて敎はすむ。子ともには一度々々にそれはこふ、やれをじぎと其時々に敎る。とかく油断はせぬこと。そこで若い親などはめんどふがるゆへ敎がぬける。それではとんとならぬこと。そこて幼子常視毋誑の点でなければならぬぞ。立居まで氣をつけて敎ゆることをせ子はならぬ。牡丹ずき菊ずき、百本有ても一本一枝をのこさずに手入れをする。朝夕ゆだんはない。我子へ敎をするの、夜の目も寢さして気をつけ子はならぬ筈。

【解説】
「曲禮曰、幼子常視毋誑」の説明。これは前条の六七歳の所のこと。子供にはその時々に教えなければならず、油断してはならない。
【通釈】
「曲礼曰、幼子云々」。これまでは教えるのに「以右手」から「七十致事」までを押し包めて言った。さて右の婚礼が済んでここに曲礼の出たのにわけはない。この曲礼は前の六七年の所に入れたい。しかし、内則と入り混じることはならないから、仕方なくここへ出した。
「幼子常視云々」。さてここの点は直さなければならないだろう。平生子供に教えるのは、大人に教える様ではならない。大人には先だっての事と言うだけで教えは済む。子供には一度々々にそれはこう、やれお辞儀だと、その時々に教える。とかく油断はしないこと。若い親などは面倒がるので教えが抜ける。それでは実に悪い。そこで、幼子常に視すに誑くこと毋かれの点でなければならない。立ち居にまで気を付けて教えることをしなければならない。牡丹好き菊好きは、百本あっても一本一枝残さずに手入れをする。朝夕油断はない。我が子へ教えをするのは、夜目にも寝させて気を付けなければならない筈。

小未有知云々。子ともには常に正しきことを以て敎ゆる。垩賢になる間地の打出し、寸ん分曲けてはならぬ。づんとここが善悪の追分けで、至極大切の処ぞ。不宜示以云々。小慈に溺れて子とものきげんとることをせぬことなり。得手ももんちがいがてるのすじ。或は飯を喰ふてじきに子ると牛になるのと云は皆誑のじゃ。それより灸をすへるがよい。とかくに欺誑と言てだます。たぶらかすこと、それをせぬことなり。左様なことなんのこともないやふなれとも、恐るへぎの甚しきぞ。立必正方。かるい行義を敎ゆること。不傾聽。人の云付けを首をふりむけてきかぬこと。さてここの語は右云通り、前の七年あたりに載てあらふことぞ。爰へだしたは前へわり込れぬゆへ、せふことなしに載せたとみゆる。
属聽。左り右へ首をまげると心までふらちになる。それをさせぬこと。自端正。大名の若殿行義の能は、初生からはかま上下でしこんだゆへ。足はついになけださぬは、常々端正にたたしくしこむゆへのことぞ。

【解説】
小未有知。常示以正事。不宜示以欺誑。立必正方、不傾聽。立必正向一方、不得傾頭屬聽左右。習其自端正也」の説明。子供には常に正しいことを示す。欺誑してはならない。正しく立ち、首を向けて聴かないという様な軽いことから教える。大名の若殿の行儀がよいのは仕込みがよいからである。
【通釈】
「小未有知云々」。子供には常に正しいことで教える。聖賢になる間地の打出しは、寸分も曲げてはならない。ここが善悪の追分で、至極大切な処。「不宜示以云々」。小慈に溺れて子供の機嫌を取ることをしてはならない。そこがよく門違いが出る筋である。飯を喰って直ぐに寝ると牛になると言うのは皆誑である。それより灸をすえる方がよい。とかく欺誑で騙す。誑かすこと、それをしてはならない。その様なことは何事もない様だが、恐るべぎの甚だしきこと。「立必正方」。軽い行儀を教えること。「不傾聴」。人の言付けを首を振り向けて聴かないこと。さてここの語は右に言った通り、前の七年辺りに載せてあるべきこと。それをここに出したのは、前に割り込むことができないからで、仕方なくここに載せたとものと見える。
「属聴」。左右へ首を曲げると心までが不埒になる。それをさせないこと。「自端正」。大名の若殿の行儀がよいのは、初生から袴裃で仕込んだから。足を絶対に投げ出さないのは、常々端正に正しく仕込むからである。


立教4
學記曰、古之敎者家有塾、黨有庠、術有序、國有學。術、讀爲遂。門側之堂謂之塾。古者二十五家爲閭。閭共一巷。巷首有門。門邊有塾。里中之老有道德者、爲左右師坐於两塾。民在家之時、朝夕出入恒受敎於塾。五百家爲黨、萬二千五百家爲遂。遂、在遠郊之外。國謂天子所都及諸侯國中。
【読み】
○學記に曰く、古の敎うる者は家に塾有り、黨に庠有り、術に序有り、國に學有り。術は讀みて遂と爲す。門の側の堂を之を塾と謂う。古は二十五家を閭と爲す。閭は一巷を共にす。巷の首に門有り。門の邊に塾有り。里中の老いて道德有る者、左右の師と爲りて两塾に坐す。民家に在る時、朝夕出入して恒に敎を塾に受く。五百家を黨と爲し、萬二千五百家を遂と爲す。遂は遠郊の外に在り。國は天子の都する所及び諸侯の國中を謂う。

樂記曰、古之敎者云々。古へ学文所の沢山ありたことを知らせる。とかく沢山なけれは驗はない。ちらりほらりではゆかぬ。古へは学文所が沢山ありたゆへ、よい人も出来た。只今仏法に迷へと云御觸はないが、寺の沢山ある故迷ふ。これが論より證拠なり。又学問をせよと云ことは公儀からも領主からも時々ふれるけれとも、はやらぬはすくない故のこと。藥も一口呑では病はならぬ。医がたっふりとまいれと云が尤なり。多けれは効かある。そこで古天下のをびただしい人をのこらずよくせふとてすることゆへ、沢山学校を立てた。
家有塾。此方郷里の村々にあるはすき次第にしたゆへのこと。あの方では村々に木戸がありて中に道があり、この方の組屋鋪のやふにある。其兩木戸に塾かある。一寸出るとはや塾へゆかるるやふにしてある。そこでこれが物を塾するにえんのある字とみよ。

【解説】
「學記曰、古之敎者家有塾、黨有庠、術有序、國有學。術、讀爲遂。門側之堂謂之塾。古者二十五家爲閭。閭共一巷。巷首有門。門邊有塾」の説明。古は夥しい人を残らずよくしようとしたので、沢山学校を建てた。そこで、よい人もできた。これが、今寺が沢山あるから仏法が流行っている様なもの。塾は村々の両木戸にあった。
【通釈】
「学記曰、古之教者云々」。古は学問所が沢山あったことを知らせた。とかく沢山なければ験はない。ちらりほらりではうまく行かない。古は学問所が沢山あったので、よい人もできた。只今は仏法に迷えという御触れはないが、寺が沢山あるので迷う。これが論より証拠である。また、学問をしなさいと公儀からも領主からも時々触れがあるが、流行らないのは少ないからである。薬も一口飲むだけでは病は治らない。医がたっぷりと飲みなさいと言うのが尤もなこと。多けれは効がある。そこで古は天下の夥しい人を残らずよくしようとしたので、沢山学校を建てた。
「家有塾」。日本で郷里の村々に塾があるのは好き次第にしてできたもの。中国では村々に木戸があって中に道があり、それは日本の組屋敷の様にある。その両木戸に塾がある。一寸出ると直ぐに塾に行かれる様にしてある。そこで、これが物を塾するというのに縁のある字と見なさい。

老有道徳者云々。里中とありても、一生其村て老朽たもののことではない。十五から四十まで中間廿五年の学をつんだものが四十始仕、役人になりて老中までつとめて、七十致事、里中に皈老したものが学校の師となるから如在なことはない。此事礼記にも又經傳通解の学政の内にもこまかにあり。左右の字は徳の高下ではない。元とつとめた官の高下なり。民在家之時。奉公に出ぬまへと見ることではない。業を仕まふて家之内にをるときのこと。冬至から四十五日すぎると農事が始まる。其前の暇まな時のこと。ふだんは大人もをり々々ゆく。小兒の外傅につきたものはつめきりなり。五百家を為黨。今の家居はすき次第にとりたもの。古先王の制は幾内から大名の国まて、すみからすみまて曲尺をあてたやふにしてとりたものゆへ四角になる。割か定てをるなり。日本でも京の町割はよくわりてある。国。大学校のこと。政をとるへきものの兒の学ぶ処なり。田舎向は小学校、天子諸候の城下をは大学校と云。
【解説】
里中之老有道德者、爲左右師坐於两塾。民在家之時、朝夕出入恒受敎於塾。五百家爲黨、萬二千五百家爲遂。遂、在遠郊之外。國謂天子所都及諸侯國中」の説明。塾の師は「四十始仕」から「七十致事」で帰老した人がなる。農閑期に塾で学ぶ。学校は、田舎では小学校、天子諸侯の城下は大学校である。
【通釈】
「老有道徳者云々」。里中とあっても、一生その村で老い朽ちた者のことではない。十五から四十までの間、二十五年の学を積んだ者が「四十始仕」で役人になって老中まで勤めて、「七十致事」で里中に帰老した者が学校の師となるのだから如在はない。このことは礼記にも経伝通解の学政の内にも細かにある。「左右」の字は徳の高下ではない。元勤めた官の高下である。「民在家之時」。これを奉公に出る前と見てはならない。仕事を仕舞って家の中にいる時のこと。冬至から四十五日過ぎると農事が始まる。その前の暇な時のこと。普段は大人も折々行く。小児で外傅に付いた者は詰め切りである。「五百家為党」。今の家居は好き次第に測ったもの。古先王の制は幾内から大名の国まで、隅から隅まで曲尺を当てた様にして測ったものなので四角になる。区割りが定まっている。日本でも京の町割りはよく割れている。「国」。大学校のこと。政を執るべき者の児が学ぶ処である。田舎向きでは小学校、天子諸侯の城下は大学校と言う。


立教5
孟子曰、人之有道也、飽食暖衣、逸居而無敎、則近於禽獸。人之有道、言其皆有秉彛之性也。聖人有憂之使契爲司徒、敎以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。聖人謂堯・舜。契、臣名。司徒、官名。倫、序也。敎以人倫、亦因其固有者、而導之耳。書曰、天叙有典。勑我五典五惇哉。此之謂也。
【読み】
○孟子曰く、人の道有る、食に飽き衣を暖にし、居を逸して敎無ければ、則ち禽獸に近し。人の道有るは、其の皆秉彛の性有るを言うなり。聖人之を憂うる有りて契をして司徒と爲らしめ、敎うるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。聖人は堯・舜を謂う。契は臣の名。司徒は官名。倫は序なり。敎うるに人倫を以てすは、亦其の固有の者に因りて、之を導くのみ。書に曰く、天有典を叙つ。我が五典を勑して五つながら惇くせよ、と。此れ之を謂うなり。

孟子曰、人之有道也。有道也の有の字と無敎則の無の字をはり合せてみることぞ。これが祝義を云たり悔を云たりすることと見るがよい。先一つ拜領を持て居る処で有道也と云。これが仕合せじゃの手柄なのと云ことでなく、木棟子[もくろじ]の里い、水昌の白い、すってもむいてもはげぬことで、凡そ人間とさへ生れは貴賎共ある天の下されもので、性善のことなり。さて目出度いことぞと云てをいて、さてそれには衣食住の養がいるが、それも相応にひだるくなく、さむくなく、天から家居をあてがふてある。みてみれは事のかけた処はない。それに敎と云ことのいるはどふしたものじゃとみるに、敎なけれは折角天から云付られて、人に生れた甲斐がない。教なき時は有道の云訳がたたぬ。
【解説】
「孟子曰、人之有道也、飽食暖衣、逸居而無敎」の説明。人は誰でも天から性善を賜っている。また、衣食住も天から宛がわれてある。それでも教えがなければ、人として生まれた甲斐はない。
【通釈】
「孟子曰、人之有道也」。「有道也」の有の字と「無教則」の無の字とを張り合わせて見なさい。これは祝儀を言ったり悔やみを言ったりすることと同じだと見なさい。先ず一つ拝領のものを持っている処で有道也と言う。これが幸せなこと、手柄なことだということではなく、木棟子が里く、水晶が白く、擦っても剥いても剥げないことで、凡そ人間とさえ生まれれば貴賎共にある天の下され物で、性善のこと。さて目出度いことだと言って置いて、さてそれには衣食住の養が要ると言う。それも相応に空腹でなく、寒くない様に天から家居を宛がわれてある。見てみれば事の欠けた処はない。それなのに教えということが要るのはどうしたものかと考えると、教えがなければ、折角天から言い付けられて、人として生まれた甲斐がない。教えがない時は有道の言い訳が立たないのである。

近禽獸。筭用してみて云口上なり。だたい人と禽獸とは違ふたもの。禽獸は君父と云ことも知らず、羞悪の心もない。人とさえ生れはどのやふなものでも親はいとしい、君は大事と知る。犬や鷄にはそれもない。赤面もせぬ。又人がこれに同し事で、敎と云ことを知ら子ば唯喰たい呑たいと云計りじゃ。すれば其処でいへは近いではないが、此禽獸を叱った口上と見ることではない。叱ったなればまたよいが、敎がないなら直に禽獸とつもりたこと。禽獸も時々あついさむい喰たい呑たいは知て、雞か一日中食をあさる。犬も夏は日かげに息をきって居る。冬は日向に寢ている。人で違ふた処は敎へ計りなり。それがないならは近禽獸と筭用して云ことと云弁がここのことぞ。三宅先生が木曽道中で人足のどや々々するを駕の中に聞ていて、なるほと無敎近禽獸じゃと云れたとあり、あの質朴の岐岨道中のものに、こみ入りたわるさのあろうはづもない。殊に三宅先生の温和な人の口からこふ云れたは敎のひらけぬ故のことで、道理沙汰のはなしはならぬと云ふについて、よく々々感慨あることなり。これがよいあいよみなり。
【解説】
「則近於禽獸。人之有道、言其皆有秉彛之性也」の説明。禽獣も暑い寒いや食いたい飲みたいは知っている。人に教えがなければ禽獣と同じである。木曾の駕篭舁きは質朴で禽獣に近いと三宅先生が言った。
【通釈】
「近禽獣」。算用して言う口上である。そもそも人と禽獣とは違ったもの。禽獣は君父ということも知らず、羞悪の心もない。人とさえ生まれればどの様な者でも親は愛しい、君は大事だと知っている。犬や鶏にはそれもない。赤面もしない。また、人もこれと同じで、教えを知らなければただ喰いたい飲みたいと言うだけである。それから言えば人は禽獣に近いわけではないが、ここは禽獣を叱った口上と見ることではない。それを叱るのであればまだよいが、教えがないのなら直に禽獣だと当てたこと。禽獣も時々暑い寒い喰いたい飲みたいを知っていて、鶏が一日中食を漁る。犬も夏は日陰で息を切っている。冬は日向に寝ている。人の違った処は教えだけである。それがないのであれば近禽獣だと、算用して言う弁がここのこと。三宅先生が木曾道中で人足のどやどやするのを駕の中で聞いて、なるほど「無教近禽獣」だと言われたことがある。あの質朴の木曾道中の者に込み入った悪さのある筈もない。殊に温和な三宅先生がこの様に言われたのは、教えが啓けないからのことで、それでは道理沙汰の話はできないと言うのが、よくよく感慨のあること。これがよい相読みである。

○惟秀於是筆さしをきて歎して云。木曽のかごかきのやふす免ると云へとも、今日の人に利害得喪に目をむき出し、世味経歴にあじをやるもの、今立派に世を交るものは、某を始めとして皆此徒を免るることあたはず。あさまし々々々々。そんなら免れんとせよ。心の奥のをくをさがしてみよ。はきとこのばを免れたか。いや覚束なし。そんならなんでも学に入。此ばをはきと免れぬ内は近くはをや不孝、つついて天地に不孝。圣言を侮り師の云ことをないがしろにするのじゃ。なんと自らこれをきけ。
好色淫乱て人面獣心としかりたことになし。人に道理のはなしをした時に、耳がこちの方へ出ぬは近しではあるまいが、義理のないぜにをやらふと云てもはいと云は、犬が鯛のあたまをなげたにかぶりつくと同じ。利害得喪でさわぎ立てるから、耳が義理の方へ出ぬ。してみれは近禽獣じゃ。天からは歴々にうみたぞ。それがどふしてさふなりた。とかく自らかへりみるべし。

【解説】
惟秀が、木曾の駕籠舁きの様ではないとしても、利害得喪や世味経歴をする者は彼等と同じであると言った。天は歴々になる様に人を生んだ。それがどうして禽獣に近くなるのかを考えなければならない。
【通釈】
惟秀がここで筆を置いて歎じて言った。木曾の駕籠舁きの様なことは免れると言っても、今日の人が利害得喪に目を剥き出し、世味経歴で嫌なことをする者や、今立派に世に交わる者は、私を始めとして皆この徒を免れることはできない。それは浅ましいこと。それなら免れようとしなければならない。心の奥の奧を探して見なさい。しっかりとこの場を免れたか。いや覚束ない。それならどうしても学が要る。この場をはっきりと免れない内は、近くは親不孝、続いて天地に不孝。聖言を侮り師の言うことを蔑ろにすることになる。しっかりと自らこれを聴きなさい。
これは好色淫乱で人面が獣心だと叱ったことではない。人に道理の話をする時に、耳がこちらの方へ出ないのは近しでもないだろうが、義理のない銭を遣ろうと言うとはいと応えるのは、犬が鯛の頭を投げたのにかぶり付くのと同じ。利害得喪で騒ぎ立てるから、耳が義理の方へ出ない。それなら近禽獣である。天は歴々になる様に生んだ。それがどうしてそうなったのか。とかく自ら顧みなさい。
【語釈】
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。稲葉黙斎門下。

聖人有憂之。題辞にある惟圣斯惻のうれへで、ひたひにしわをよせた。氣のうれいではない。同類の人間であのざまとうれへたなり。天地の惣領むすこが弟のかたわを気の毒がりて、御ぬしの足のいたいをば長嵜まてやりても直したいとうれへた。これか垩人の魂の療治なり。魂の療治は甘草肉桂ではゆかぬ。敎以人倫。ここに有の字五つある。圣人の敎の人作でないと云も、この有と云字について、有の字のくるいを直すこと。近禽獣は有の字のからくりの違ふたこと。父子に親みのないは仁のからくりの違ふたこと。君臣に忠のないは義と云からくりの違ふたこと。五倫皆こうなれば、有の字の甲斐がない。中庸に天の命之謂性云々とは、有の字についてつらり々々々とかってを直すことじゃ。こなた衆は大きにくるいがあると聞て、そんならばとて舜の方へ藥もらいにゆくと、いやそふしたことではない、そっちに父子有親と云本と手がある。それをひろげるとよいと云はるる。垩人の敎はあちから進物はない。ありなりの自然、手をつけぬこと。
【解説】
「聖人有憂之使契爲司徒、敎以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。聖人謂堯・舜。契、臣名。司徒、官名。倫、序也」の説明。聖人は人が禽獣にならない様に人倫で教えた。人倫を本来ある通りに直すのである。それは人自身にあること。
【通釈】
「聖人有憂之」。題辞にある「惟聖斯惻」の憂いで、額に皺を寄せた。これは気の憂いではない。同類の人間であの様だと憂えたのである。天地の惣領息子が弟の片端を気の毒がって、お前の痛い足を長崎まで遣っても治したいと憂えた。これが聖人の魂の療治である。魂の療治は甘草肉桂ではうまく行かない。「教以人倫」。ここに有の字が五つある。聖人の教えが人作でないと言うのも、この有という字について、その有の字の狂いを直すこと。近禽獣は有の字の絡繰の違ったこと。父子に親しみのないのは仁の絡繰の違ったこと。君臣に忠のないのは義の絡繰の違ったこと。五倫が皆こうであれば、有の字の甲斐がない。中庸に「天命之謂性云々」とあるのは、有の字について、すっかりと勝手を直すこと。貴方衆が大きく狂いがあると聞き、それならと言って舜の方へ薬を貰いに行くと、いやそうしたことではない、そちらに父子有親という本手がある。それを広げればよいと言われる。聖人の教えにあちらからの進物はない。あるがままの自然であって、向こうに手を付けることではない。
【語釈】
・惟圣斯惻…小学題辞。「惟聖斯惻、建學立師、以培其根、以達其支」。

釈迦が人中の生老病死をいやがりて雪山へにげたは有の字をすりつぶしたのじゃ。なんぼ五倫を迷とみても、とは思へともぬるる袖かなには叶はぬ。釈迦もいとまごいにはちとは泣つらふ。そこが有の字の処。黃蘖が母がはたごやで僧の足を洗ふて、たしかに夕部足をあらふてやりたそうの足にいぼのあるが吾が子ぞと思ふてをっかけたれば、黃蘖が親子の愛情に引れてはなるまいとふり向きもせず、大義渡をわたりてずっといった。こちでは有の字を重宝してこやしをするに、異端はすりつぶすてにえ湯をかける。圣人はこんなもののできるを憂へて、天下中をよくするために家有塾。古は沢山な学校なり。今は学校のない上へに仏者が沢山なり。
【解説】
釈迦は人倫を磨り潰す。聖人はその様な者ができるのを憂えて学校を作った。今は学校がない上に仏者が沢山いる。
【通釈】
釈迦が人中の生老病死を嫌がって雪山へ逃げたのは有の字を磨り潰したのである。どれほど五倫を迷いと見ても、とは思えども濡るる袖かなには叶わない。釈迦も暇乞いには少しは泣いただろう。そこが有の字の処。黄檗の母が旅籠屋で僧の足を洗い、確かに昨夜足を洗って遣った僧の足にいぼがあったが、あれが我が子だと思って追い掛けると、黄檗は親子の愛情に引かれてはならないとして振り向きもせず、大義渡を渡ってずっと行った。こちらでは有の字を重宝して肥やしをするのに、異端は磨り潰して煮え湯を掛ける。聖人はこんな者ができるのを憂いて、天下中をよくするために「家有塾」。古は沢山学校があった。今は学校がない上に仏者が沢山いる。
【語釈】
・黃蘖…黄檗希運。中国唐代の禅僧。百丈懐海に師事。弟子に臨済義玄がいる。断際禅師。~850頃
・家有塾…小学立教4。「學記曰、古之敎者家有塾」。

因其固有者、而導之耳。医者の療治も固有を有にすること。百姓が物を作りだすやふでも、唯麥はむぎにし、黍はきみにすること。別にすることではない。堀さらいも別に水を上へあげることてはない。ほりをさらへて下へ流すことでこそあれ、餘のものはもってこぬ。親に孝、君に忠は固有なり。それが雷雨でひっこむ。それをそふするはづではないと云か敎なり。
天叙有典。典の字、太極とも誠とも云こと。有、つけ字なり。有典は天からけっかうなものを下されたこと。天の字を上へをいて、下て我と云字をうけたは靣白ひことぞ。吾と天と對したこと。小学に天命之性をひくもそれなり。天と云はいつ始りたと云ことではない。大同二年の御草創と云ことはない。昔からはなれられぬ。生れ子には飯はくはせられぬ。生れ子にはいつも乳なり。天叙有典。こまったものと云ことではない。天に父子と云ものがあると、こちに親と云ものがありて、天からよいやふにあてがふてある。向に君臣夫婦云々と五つよいものがあると、こちにも五つそれに合ふよいものがある。それを惇くするが学文なり。

【解説】
敎以人倫、亦因其固有者、而導之耳。書曰、天叙有典。勑我五典五惇哉。此之謂也」の説明。天によいものが五つあれば、人にもよいものが五つある。それを惇くするのが学問である。
【通釈】
「因其固有者、而導之耳」。医者の療治も固より有るを有るにすること。百姓は物を作り出す様でも、ただ麦は麦にし、黍は黍にすること。別にすることではない。堀浚いも別に水を上に揚げることではない。堀を浚って下に流すことでこそあれ、他の物は持って来ない。親に孝、君に忠は固有なもの。それが雷雨で引き込む。それをそうする筈ではないと言うのが教えである。
「天叙有典」。「典」の字は太極とも誠とも言う。「有」は付け字である。「有典」は天が結構なものを下されたこと。天の字を上に置いて、下で我という字を受けたのが面白い。自分と天とを対したのである。小学に「天命之性」を引くのもそれ。天はいつ始まったということではない。大同二年の御草創ということはない。昔から離れられない。生まれ子に飯は食わせられない。生まれ子にはいつも乳である。天叙有典は困ったものと言うことではない。天に父子というものがあると、こちらに親というものがあって、天からよい様に宛がわれてある。向こうに君臣夫婦云々と五つよいものがあると、こちらにも五つそれぞれに合ったよいものがある。それを惇くするのが学問である。
【語釈】
・天叙有典…書経皋陶謨。「天敘有典、敕我五典五惇哉」。
・小学に天命之性をひく…小学立教題下を指す。
・大同二年の御草創…大同二年は807年。神社や寺の建立を指す?


立教6
舜命契曰、百姓不親、五品不遜。舜、虞帝名。五品謂父子・君臣・夫婦・長幼・朋友。遜、順也。汝作司徒、敬敷五敎在寛。五敎謂父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。敷此五敎、以敬爲主、而以寛濟之。命夔曰、命汝典樂。敎冑子。直而温、寬而栗、剛而無虐、簡而無傲。夔、舜臣名。冑、長也。冑子謂天子以下至卿大夫嫡子。直失太嚴、故令温。寛失緩慢、故令栗。剛失入虐、簡失入傲、故敎之以防其失。詩言志、歌永言、聲依永、律和聲。八音克諧無相奪倫、神人以和。聲謂五聲。宮・商・角・徴・羽。律謂六律・六呂。黄鐘・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射爲六律、大呂・應鐘・南呂・林鐘・仲呂・夾鐘爲六呂。八音謂金・石・絲・竹・匏・土・革・木。金、鐘鎛也。石、磬也。絲、琴瑟也。竹、管簫也。匏、笙也。土、塤也。革、鼗皷也。木、柷敔也。詩言志以導之、歌詠其義以長其言。五聲依附長言而爲之。其聲未和、乃用律呂調和之、使應於節奏。八音能諧理不錯奪、則神人咸和。
【読み】
○舜、契に命じて曰く、百姓親しまざるは、五品遜[したが]わざればなり。舜は虞帝の名。五品は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友を謂う。遜は順なり。汝司徒と作り、敬みて五敎を敷き寛に在れ、と。五敎は父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有りを謂う。此の五敎を敷き、敬を以て主と爲して、寛を以て之を濟う。夔[き]に命じて曰く、汝に典樂を命ず。冑子[ちゅうし]に敎えよ。直にして温、寬にして栗、剛にして虐すること無く、簡にして傲ること無からしめよ。夔は舜の臣の名。冑は長なり。冑子は天子以下卿大夫に至るまでの嫡子を謂う。直の失は太だ嚴、故に温ならしむ。寛の失は緩慢、故に栗ならしむ。剛の失は虐に入る、簡の失は傲に入る、故に之に敎えて以て其の失を防ぐ。詩は志を言い、歌は言を永くし、聲は永に依り、律は聲を和す。八音克く諧[かな]いて倫を相奪うこと無ければ、神人以て和せん、と。聲は五聲を謂う。宮・商・角・徴・羽。律は六律・六呂を謂う。黄鐘・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射を六律と爲し、大呂・應鐘・南呂・林鐘・仲呂・夾鐘を六呂と爲す。八音は金・石・絲・竹・匏・土・革・木を謂う。金は鐘鎛なり。石は磬なり。絲は琴瑟なり。竹は管簫なり。匏は笙なり。土は塤なり。革は鼗皷なり。木は柷敔なり。詩は志を言いて以て之を導き、歌は其の義を詠みて以て其の言を長くす。五聲は長言に依り附きて之を爲す。其の聲未だ和せざれば、乃ち律呂を用いて之を調え和して、節奏に應ぜしむ。八音能く諧理して錯奪せざれば、則ち神人咸[みな]和す。

百姓不親。百姓と云は天地中あらんかぎりの人のこと。此百姓には相手がある。それは五品なり。親みのないと云子もないやふなもの。君には臣、夫には妻と云やふに相手がある。五品の交りが敎がないと、われ々々になりてがくそくする。これが土用干に引出しを入れそこのふたやふなもの。別の処へ入るるからぎくしゃくする。五品はしゅっくり入るもの。柯先生の弟子の上田玄叔が柯先生の説を覚へて云はれた。それを迂斎も云た。百姓が不親は五品が不遜のなりの心でみよ。これではやくすむ。点をなをせではないが、こふ心得てみるがよい。五品さへ遜へはみなよい。ほこ々々してをるぞ。
【解説】
「舜命契曰、百姓不親、五品不遜。舜、虞帝名。五品謂父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の説明。人には五品という相手がある。百姓が親しまないのは五品が遜わないからである。
【通釈】
「百姓不親」。「百姓」とは天地中の全ての人。この百姓には相手がある。それは五品である。親しみのない子はいないと言う様なもの。君には臣、夫には妻という様に相手がある。五品の交わりが、教えがないと自分勝手になってがたがたとする。これが土用干しに引出しを入れ損なった様なもの。別の処へ入れるからぎくしゃくする。五品はしっくりと入るもの。柯先生の弟子の植田玄節が柯先生の説を覚えていて言われたことを迂斎も言った。百姓が親しまないのは五品が遜わないからだという心で見なさい、と。これで早く済む。点を直せと言うほどのことではないが、この様に心得て見なさい。五品さえ遜えば皆よい。ほこほことしている。
【語釈】
・上田玄叔…植田艮背。名は成章。字は玄節。別号は動山、因齋。父は淡久。京都の人。安芸広島藩に仕える。享保20年(1735)2月23日没。年85。

遜、順也。この親義別序信さへよけれは云分んはない。圣賢のくろうさるるもこれより外ない。格物究理もみなここへをとすためなり。もも引きゃはんも馬もかごも、みな京へゆくため。格物致知も誠意正心も治国平天下の爲なり。わるく心得ると五倫は重いことゆへこふ云と云はふが、さふしたことではない。よく心得てみよ。どこへ行ても五倫より外の交りがあるか。これがよくないなら、学文もむだ骨をりなり。
【解説】
遜、順也」の説明。親義別序信がよければ申し分はない。これが目当である。
【通釈】
「遜、順也」。この親義別序信さえよければ言い分はない。聖賢が苦労されるのもこれより外はない。格物窮理も皆ここへ落とすためのもの。股引脚絆も馬も駕篭も、皆京へ行くため。格物致知も誠意正心も治国平天下のためである。悪く心得ると五倫は重いことだからこの様に言うのだと非難するが、そうしたことではない。よく心得なさい。どこへ行っても五倫以外の交わりがあるだろうか。これがよくないのであれば、学文も無駄な骨折りである。

在寛。大勢を引受て敎ゆることゆへ、せはしくてはならぬ。この寛の字が人才を成就することぞ。
五敎謂父子有親君臣云々。右同断と云てはすまぬ。目の鼻の間にくわしく云てあり。舜の圣、契の賢をこふくりかへして云た。その意を朱子のうけて委しく注したもの。此中でどれが一重いと云こともないが、先孝が一重いぞ。それに今は孝経にさへうとい。全体をか子るは孝なり。されともこの五つそろうてはなさぬと云が小学の規模なり。親子中はよいが主に不奉公と云とどこにか短い柱がある。それてはあとがぐにゃ々々々とひしける。

【解説】
「汝作司徒、敬敷五敎在寛。五敎謂父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」の説明。五倫全てが揃ってそれを離さないのが小学の規模である。その中でも孝が重い。
【通釈】
「在寛」。大勢を引き受けて教えることなので、忙しくてはならない。この「寛」の字が人才を成就すること。
「五教謂父子有親君臣云々」。右同断と言っては済まない。近いところで詳しく言っている。舜の聖、契の賢をこの様に繰り返して言った。その意を朱子が受けて委しく注をした。この中ではどれが一番重いということもないが、先ず孝が一番重い。それなのに今は孝経にさえ疎い。全体を兼ねるのは孝である。しかし、この五つが揃ってそれを離さないというのが小学の規模である。親子仲はよいが主人に不奉公なのは、それはどこかに短い柱があるのである。それでは後がぐにゃぐにゃに拉げる。

以敬為主而云々。茶をのみたばこをのむにも敬はいる。それはふだんのことなれとも、ここは天下の人を教ゆることゆへ敬を格別に云。尭典にも欽明。圣人でも敬なり。敎と云は兒共の守りをするやふなもの。寛でなければ兒共を引ころばす。人の気質と云は和らかもあり、つよいもせはしいもだらいもある。そこで先つ師の気を和平にして敎ゆる。それで丁どの処へやることなり。敬寛そろは子ばならぬ。今度からくるなの、にくいやつのと云てはすまぬ。そこで寛なり。医者も、心得ぬ咳が一つ出たからもふ藥はやられぬとせりつめてもならぬもの。長い病人にはちとは禁物もゆるし、身もゆたかにもつやふにこちからゆるさ子ばならぬもの。藥も一と口呑んではきかぬ。地黄は久しいできく。
【解説】
敷此五敎、以敬爲主、而以寛濟之」の説明。教えるには敬を主とし、寛で気を和平にする。
【通釈】
「以敬為主而云々」。茶を飲み煙草を喫むにも敬は要る。それは普段のことだが、ここは天下の人を教えることなので敬を格別に言う。堯典にも欽明とある。聖人でも敬である。教えは子供の守りをする様なもの。寛でなければ子供を引っ転ばす。人の気質には和らかなのもあり、強いのも忙しいのもだらけたのもある。そこで先ず師は気を和平にして教え、それで丁度の処へ遣る。敬寛が揃わなければならない。今度から来るなとか、憎い奴だと言っては済まない。そこで寛である。医者も、知らない咳が一つ出たからもう薬は遣れないと迫り詰めることはしない。長い病人には少々禁物も許し、身も豊に持つ様に、こちらから許さなければならないもの。薬も一口飲むだけでは効かない。地黄は久しく飲むので効く。
【語釈】
・尭典にも欽明…書経堯典。「曰、若稽古帝堯。曰、放勳、欽明文思」。

命夔曰、命汝典楽。礼はすこしのこりて三礼と云こともある。樂は丸にたへた。古は礼と云きまったものに樂と云和した丸いもので圣王の治りはなりた。樂はどふ心がよくなると云きまりはしれぬやふなれとも、音楽と云ものでいこふ人の心はとけ々々となるものとみえた。鴬がほんのりと啼くをきけは、心がのひ々々となるもの。又、巨燵もとれず、紙衣などをも着て居れとも、いこふ心はのひ々々とするとなり。年のくれに貧乏ものがしわをよせてめそ々々となりて居る処へ氣よせの友がきて、貴様のやふに貧を憂へてはならぬ、まだ晦日もあるから大方のことはあすでもなる。これから一抔呑ふと云て庭の梅を見ながら二人がほこ々々と和して酒もりをすると、さいそく坐頭も寢てをる。分散滯りの催促の人も来てをれとも、何かわけなしにのび々々となることなり。そこで主人も今日はこなたのかげで貧をも忘れていこふのびたと云。これが酒で心の和したのなり。このいきつまったものもふいとのびると云が楽の妙なり。それからしては、鈍いものもさどくなり、かたつりなものもまんろくになる也。礼と並ぶが面白いことぞ。
【解説】
「命夔曰、命汝典樂」の説明。礼は今も少しは遺っているが、楽は全く絶えた。楽は人の心をゆったりとさせる。
【通釈】
「命夔曰、命汝典楽」。礼は今でも少し遺っていて、三礼ということもある。しかし、楽は全く絶えた。古は礼という決まったものに楽という和した丸いものによって聖王の治が成り立っていた。楽によってどの様に心がよくなるのかという決まりはわからない様だが、音楽というもので大層人の心はゆったりとなるものと見える。鴬がほんのりと啼くのを聞けば、心が伸び伸びとなる。また、炬燵も取れず、紙衣などをも着ていても、大層心は伸び伸びとするもの。年の暮に貧乏者が皺を寄せてめそめそしている処へ、気の合う友が来て、貴様の様に貧を憂いていてはならない、まだ晦日もあるから大方のことは明日でもできる、これから一杯飲もうと言って庭の梅を見ながら二人がほこほこと和して酒盛りをすると、催促座頭も寝ている。分散滞りの催促をする人も来ているが、何かわけなしに伸び伸びとなる。そこで主人も今日は貴方の御蔭で貧をも忘れて大層伸び伸びとしたと言う。これが酒で心が和したのである。この行き詰った者もふいと伸びるというのが楽の妙である。それからしては、鈍い者も聡くなり、片釣りな者も真陸になる。楽が礼と並ぶのが面白い。

冑子。二男はすててをいてもよいと云ことでもないが、家をつぐ、政をとるものじゃから、とかく宗領とものことじゃと舜の仰せられた。直而温、寛而栗。夔に仰付らるる注文なり。直が直ぎりでかたつるときびしすぎる。そこでむっくりとなるやふに温と云うらうちをする。而の字で両がけのはさみばこにしたもの。寛はむ子のひろいこと。こせ々々利屈を云たり、こじりとがめをせぬ。そのかはり寛は自墮落てんべんぐらりになりたがる。そこへ栗と云しっかりとたるみのないしゃっきりとしたものをもり合せる。寛なものは、人にものをかりても幾度かつい忘れた々々々と云やふなもの。ぞれを栗でしめるから、よくかりたものをもかへすやふになる。
【解説】
「敎冑子。直而温、寬而栗」の説明。直過ぎない様に温という裏打ちをする。寛過ぎない様に栗という裏打ちをする。
【通釈】
「冑子」。二男は棄てて置いてもよいということでもないが、家を継ぎ、政を執る者だから教える。とかく宗領共のことだと舜が仰せられた。「直而温、寛而栗」。夔に仰せ付けられた注文である。直が直だけに片釣ると厳し過ぎる。そこでむっくりとなる様に温という裏打ちをする。而の字で両掛けの鋏箱にしたもの。寛は胸の広いこと。こせこせと理屈を言ったり、鐺咎めなどはしない。その代わり、寛は自堕落でてんでんがらりになりたがる。そこへ栗というしっかりと弛みのないしゃっきりとしたものを盛り合わせる。寛な者は、人に物を借りても、つい忘れたと幾度も言う様なもの。それを栗で締めるから、よく借りた物をも返す様になる。

剛而無虐、簡而無傲。上の直と剛は似たことなれとも、直はどこまでもまっすぐなこと。剛はものにめげぬ。こちからはって出ること。隂阳で云へば天の方なり。剛は理のなりのつよいこと。それにまかせるとむごいことになるもの。虐になる。思いやりがなくなる。わるいやつじゃ、じきに首を切れになる。わいらは百姓ではないか、それに年貢を出さぬと云てどふなるものぞと出る。そこをいましめたもの。簡而無傲。今の人はをもくれてよふない。殊に役人なぞが人をまたせたり六ヶ鋪く云立たり。よふないことぞ。簡は易にも乾の徳て、どっと風、どっと雨がくる。むざうさなり。むざうさはよいが、をごりになるものぞ。小用所ではあ御出と云ふ。早く言葉をかけるはよいが、たかぶりになる。高祖などが人を人くさいとも思はぬから、雪隠であいさつした。をごり高ぶりになる。
【解説】
「剛而無虐、簡而無傲。夔、舜臣名。冑、長也。冑子謂天子以下至卿大夫嫡子」の説明。「剛」はものにめげず、こちらから張って出るもの。剛が過ぎると虐となる。簡は無造作なもの。簡が過ぎると傲りとなる。
【通釈】
「剛而無虐、簡而無傲」。上の直と剛は似たことだが、直はどこまでも真っ直ぐなこと。剛はものにめげず、こちらから張って出ること。陰陽で言えば天の方である。剛は理の姿の強いこと。それに任せると酷いことになる。虐になる。思い遣りがなくなる。悪い奴だ、直ぐに首を切れということになる。お前達は百姓ではないか、それなのに年貢を出さないというのであればどうしてくれようと出る。そこを戒めたもの。「簡而無傲」。今の人は重くれてよくない。殊に役人などが人を待たせたり難しく言い立てたりする。それはよくない。簡は易にも乾の徳とあり、どっと風、どっと雨が来る。それは無造作である。無造作はよいが、それが傲りになるもの。小用所で、はあ御出と言う。早く言葉を掛けるのはよいが、高ぶりになる。高祖などが人を人臭いとも思わないから、雪隠で挨拶をした。傲り高ぶりになる。
【語釈】
・簡は易にも乾の徳て…易経繋辞伝上6。「廣大配天地、變通配四時、陰陽之義配日月、易簡之善配至德」。

学文と云はよいものが二つそろは子ばならぬ。そこを天あれは地あり、隂あれは阳あり。だらいものをば早くと云ひ、きつすぎるものをばやはらかにする。これがやはり氣質変化のことなり。これてよいと云裏にはわるいことがある。それをよくするが氣質変化なり。異学の徒はこんなことをしらぬから、礼の心からをこることを知ら子ばわざの上ばかりをするゆへ、木札をかむやふで味がない。九十九里の水、すすきの葉の水、一つことでもわかるが礼のをちをちなり。礼の三千三百も皆氣質変化の道具なり。直而温、寛而栗は礼についたこと。剛而無虐、簡而無傲は楽についたこと。礼楽をはなさぬが垩人の敎なり。夔を楽官にしてこふ異見をせよと云たことではない。音楽ですると、丁度此注文通りにゆくことなり。
【解説】
学問は二つで組になるもの。よいことの裏には悪いことがある。「直而温、寛而栗」は礼についたことで、「剛而無虐、簡而無傲」は楽についたこと。
【通釈】
学文は、よいものが二つ揃わなければならない。そこで、天あれば地あり、陰あれば陽あり。だれた者には早くと言い、引き攣る者は和らかにする。これがやはり気質変化のこと。これでよいという裏には悪いことがある。それをよくするのが気質変化である。異学の徒はこんなことを知らないから、礼が心から起こることを知らずに業の上ばかりをする。それでは木札を噛む様で味がない。九十九里の水と薄の葉の水、同じことでも分かれるのが礼の箇条である。礼の三千三百も皆気質変化の道具である。「直而温、寛而栗」は礼についたこと。「剛而無虐、簡而無傲」は楽についたこと。礼楽を離さないのが聖人の教えである。これは夔を楽官にして、この様に異見をしなさいと言ったことではない。音楽ですれば、丁度この注文通りに行くということ。

直失大嚴。敎と云ものも氣質変化と云も子たをしではないもの。それで、敎を品節之也と注した処もあり、ちらり々々々と直すこと。直の失は親の羊を盗んだをあらはすやふになる。理のかふじたが非の一倍とて、こまりはてたことがあるもの。緩慢。番袋に物を入れたやふにしまりがない。ああよい人じゃがと云ても、あの人の月番に出るとひきつられると云て公事人が出ぬやうになる。防其失。二つの無々がふせぎなり。敎之と云は楽の敎のこと。
【解説】
直失太嚴、故令温。寛失緩慢、故令栗。剛失入虐、簡失入傲、故敎之以防其失」の説明。直が過ぎれば厳、寛が過ぎれば緩慢となる。また、無虐、無傲の無が剛失と簡失の防ぎとなる。
【通釈】
「直失太厳」。教えというものも気質変化というものも根倒しにするものではない。それで、教えを「品節之也」と注した処もあり、ちらりちらりと直すこと。直の失だと、親が羊を盗んだのを訴える様になる。理が高じれば非の一倍と言い、困り果てたことがあるもの。「緩慢」。番袋に物を入れた様に締まりがない。ああよい人だが、あの人の月番に出ると長引くと言って公事人が出なくなる。「防其失」。二つの「無」が防ぎとなる。「敎之」は楽の教えのこと。
【語釈】
・品節之也…中庸章句1の「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教」の注に、「脩、品節之也」とある。

詩曰志、歌永言。詩の始りが自分の心に思ふことを云たもの。今時は藝になりたがる。上手じゃの下手じゃのと云。薛文清か詩は虫のなくやふなものと云た。虫が秋の夜すがら言志たなり。寒い暑い、酒やの丁兒まで云。言志なり。上手の下手のと云さたのあろふはづはない。志と云ものは云は子ばならぬもの。わるいことでもよいことでも、胸の中にをくはわるい。食傷のやふな心得じゃ。とかく吐くがよい。心にあることは云たいもの。があいい子のことを云ひ、又、娵のわるさを婆々がとなりで云ふ。皆あるからして云こと。片貝の弥右ェ門が茄子下さるべくと書て、これがをれが詩じゃと云た。さすがは迂斉の門下なり。これが人をたわけにしたやふなことではあるが、なるほど詩の本意なり。じぎやきを喰いたいと云志なり。
【解説】
「詩言志」の説明。詩は自分の志を言うもの。心にあるものは言いたくなる。今は詩が芸になっている。
【通釈】
「詩言志、歌永言」。詩の始まりが自分の心に思ったことを言ったもの。それが今時は芸になっている。上手だの下手だのと言う。薛文清が、詩は虫の鳴く様なものだと言った。虫が秋の夜すがら志を言う。寒い暑い、酒だの丁稚のことまで言う。志を言うのである。そこに上手だの下手だのという沙汰のある筈はない。志というものは言わなければならないもの。悪いことでもよいことでも、胸の中に置いておくのは悪い。食傷の様な心持なのであれば、とかく吐くのがよい。心にあることは言いたいもの。可愛い子のことを言い、また、娵の悪さを婆々が怒鳴って言う。皆あるから言うこと。片貝の弥右衛門が茄子下さるべくと書いて、これが俺の詩だと言った。流石は迂斎の門下である。これは人を戯けにしたことの様だが、なるほど詩の本意である。鴫焼を喰いたいという志である。
【語釈】
・弥右ェ門…布留川彌右衛門。九十九里町片貝の人。稲葉迂斎門下。
・じぎやき…鴫焼。茄子に油を塗って火であぶり、または油でいため、味付味噌をつけた料理。茄子田楽。

三百篇より体がよいのわるいのと云は藝になる。藝には実がないから考る。そこで来年の歳旦を今年から考てをく。考るには上手も下手もある。そこで万葉より古今は品がをとると云。それは藝から云詞なり。李白も杜子美も藝なり。藝では志の外なことを云なり。藝は役者には叶はぬ。なんぼ学文かよくとも、堺丁ほどにはをどられまい。今の詩人は藝になりくだりた。こふ云と異学から、朱子学が詩を知らぬからの、下手じゃからのと云はふが、詩は下手でもよい。ここは舜の講釈じゃ。こふよま子ば言志のあやがたたぬ。又能因が、秋風ぞ吹く白川のせきの哥をよんで、日にやけて出てきたは言志と云ことをま子ただけばかじゃ。さとりをひらかぬの第一なり。哥人は居ながら名所を知る。そこらでよんでもよいことなり。直方曰、詩は高麗茶碗のわれたやふなもの、と。われたについてはっと云。土器でははっとは出ぬ。どふても言志なり。今の詩人はわれぬまへにはっと云。手まわしがよい。
【解説】
芸は実がないから、芸をするには考えなければならない。そこで、志と違うことを言う。
【通釈】
三百篇より体がよいの悪いのと言うと芸になる。芸には実がないから考える。そこで来年の歳旦を今年から考えて置く。考えるには上手も下手もある。そこで万葉より古今は品が劣ると言う。それは芸から言う詞である。李白も杜甫も芸である。芸では志と違うことを言う。芸は役者には叶わない。どれほど学文がよくても、堺町ほどには踊れないだろう。今の詩人は芸になり下っている。この様に言うと異学から、朱子学が詩を知らないから言うのだとか、下手だから言うのだと非難されるが、詩は下手でもよい。ここは舜の講釈である。この様に読まなければ「言志」の綾が立たない。また、能因が、秋風ぞ吹く白川の関の歌を詠んで、日に焼けて出て来たのは、言志を真似ただけ馬鹿である。悟りを開かないということの第一である。歌人は居りながら名所を知る。そこらで詠んでもよいもの。直方が、詩は高麗茶碗の割れた様なものだと言った。割れたのではっと言う。土器でははっとは言わない。これがどうでも言志である。今の詩人は割れる前にはっと言う。手回しがよい。
【語釈】
・能因…平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一。剃髪して摂津古曾部に住み古曾部入道と称。奥州行脚を試みた。
・秋風ぞ吹く白川のせき…能因。都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関。

歌永言、聲依永。自然音響節族ありと朱子の云はれた。やれも々々々明日は御成とは出ぬ。やれ々々さへたよい月とはいはるる。そこて言を永ふしなり。人の菊や牡丹をみて、よいきくと短く云ては亭主ぶきけん。やれ々々よいきくと云でよい。ごちそふにもああがつく。うまいにもああがつく。声依永。哥を歌ふについて永く云。永く云について人に存した五声がうまく出る。人のもの云も五声の外ではないが、看病のときには五声は出ぬ。藥を呑ふの飯を喰ふのと云と、それ上けろと云と云たぎりのこと。五声は出ぬもの。ものに感して唄をうとふときに永い内にはうまい声が出る。みな自然すくめなり。それを圣人か律て正すに管をこしらへた。五声は自然なもの。それを人作でした管で正すが面白いこと。人身は自然なものなれとも、指び尺ては寸法は立ぬ。人作でしたものさして丁度にする。これも自然なり。丁どにゆくことは人からせ子ばならぬことなり。
【解説】
「歌永言、聲依永、律和聲」の説明。歌は言と声を永く出すもの。それを人作の管で正す。規矩があるのが自然なことであり、人からしなければならないのである。
【通釈】
「歌永言、声依永」。自然音響節族有りと朱子が言われた。やれやれ明日は御成だと言って出はしない。やれやれ冴えたよい月とは言える。そこで「永言」である。人が菊や牡丹を見て、よい菊だと短く言っては亭主が不機嫌。やれやれよい菊だと言うのでよい。ご馳走にもああが付く。うまいものにもああが付く。「声依永」。歌を歌うことについて永く言うこと。永く言うから人にある五声がうまく出る。人がものを言うのも五声の外ではないが、看病の時に五声は出ない。薬を飲むとか飯を喰うという時は、それ上げろと言うだけで五声は出ない。ものに感じて唄を歌う時にに永い内にはうまい声が出る。皆自然尽くめなこと。それを聖人が律で正すために管を拵えた。五声は自然なもの。それを人作でした管で正すのが面白い。人身は自然なものだが、指尺では寸法は立たない。人作でした物差しで丁度にする。これも自然なこと。丁度に行くことは人からしなければならない。
【語釈】
自然音響節族あり…

八音克階。日本にも高麗樂か渡りてある。日光の御規式や釈菜のとき音樂あり。あのやふなは古人の樂ではないではない。其外では四坐なり。一越調でたた高いに方々下ひではよくない。新九郎に惣右ェ門、れき々々がよるとよく叶ふ。無相奪倫云々。一つになりてすじのよくわかること。大鼓計りきこへて皷をけしてはよくない。あの方の重い祭には皆宗廟でするから神か主なり。されとも、そこで祭りに神が喜へは人もいさむことゆへ、神人を一つに云こともあり。祭りには神か主、大名のふるまいには人か主なり。樂の妙では、今までひじをはりいしゅを含んだものでも心が和して忘るるなり。樂て聞た當座は圣人のやふになることなり。それほどに心をよくすると云妙がなくは、圣人がかくをあてにはすまいぞ。詔楽を奏したれは天心に感して鳳凰が来儀した。これを疑ふは、夏の虫疑氷也。あれにかぎらず、伯牙が琴には馬か耳をあげてきいたとある。天心に感ずると云には妙あるものなり。木天蓼[またたび]を焚くと猫がくる。壁に酒をふきかけると蚊かよるなり。大黄を呑むと腹で虫がぐうと云ふ。藥の妙なり。樂一味の妙で天下中のむ子を皆よくする。
【解説】
「八音克諧無相奪倫、神人以和。聲謂五聲。宮・商・角・徴・羽。律謂六律・六呂。黄鐘・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射爲六律、大呂・應鐘・南呂・林鐘・仲呂・夾鐘爲六呂。八音謂金・石・絲・竹・匏・土・革・木。金、鐘鎛也。石、磬也。絲、琴瑟也。竹、管簫也。匏、笙也。土、塤也。革、鼗皷也。木、柷敔也」の説明。楽の妙は天下中の人の心をよくすることである。
【通釈】
「八音克階」。日本にも高麗楽が渡ってある。日光の御規式や釈奠の時に音楽がある。あの様なものは古人の楽ではないということではない。その外では四座である。一越調べでただ高く、方々が低いのではよくない。新九郎に惣右衛門、歴々が寄るとよく叶う。「無相奪倫云々」。一つになって筋のよくわかること。大鼓ばかりが聞こえ、鼓の音を消してはよくない。中国の重い祭は皆宗廟でするから神が主だが、祭に神が喜べばそれで人も勇むので、神人を一つに言うこともある。祭は神が主、大名の振舞いは人が主である。楽の妙は、今まで肘を張って意趣を含んでいた者でも心が和して忘れる。楽を聞いた当座は聖人の様になる。それほどに心をよくするという妙がなくては、聖人が楽を当てにはしなかったことだろう。詔楽を奏じると天心に感じて鳳凰が来儀した。これを疑うのは、「夏虫疑氷」である。あれに限らず、伯牙の琴を馬が耳を上げて聴いたとある。天心に感じるということには妙があるもの。木天蓼を焚くと猫が来る。壁に酒を吹き掛けると蚊が寄る。大黄を飲むと腹で虫がぐうと言う。それは薬の妙である。楽一味の妙で天下中の胸を皆よくする。
【語釈】
・四坐…大和猿楽から出た能の四座。観世・宝生・金春・金剛。
・鳳凰が来儀…書経益稷。「簫韶九成、鳳皇來儀」
・伯牙が琴には馬か耳をあげてきいた…荀子勧学。「昔者瓠巴鼓瑟、而流魚出聽。伯牙鼓琴、而六馬仰秣」。鬼神集説15でも引用している。

○詩言志以導之。これが自然なもので、詩経の詩などが、よい人の言はよく出る。わるい人の言はわるく出る。巧言令色と云はあとからはじまりたこと。詞は心の花で、くさいどくたみも蘭の匂も皆己が色香をあらはしたのじゃ。あんまりじゃ、ひかへやふと云心はない。鄭衛の音などと云は親子の中などではきかれぬことなれとも、あれがやはり本んのことを云たのなり。志を云から、あれより外はない。こふした不行作、ああわるい女じゃと云たぎりのこと。今の詩人はとんだこと。七つになる兒が川中島の懐舊を作りた。巧言令色の一番で、にせぬことじゃ。言志て導くにはならぬ。よいをよい、わるいをわるいと云が導くなり。鄭衛のやふなわるい詩をは圣人がすてそふなものなれとも、そのままをきたは、悪るいをきいてはこり、よいをきいては取ると云で敎になることなり。
【解説】
詩言志以導之」の説明。詩は志を言うのだから、本当のことを言ったものであり、巧言令色ではない。そこで、悪いことも載せてあるが、悪いことを聴いては懲り、よいことを聴いては取るというので教えになるのである。
【通釈】
「詩言志以導之」。これが自然なもので、詩経の詩などは、よい人の言はよく出で、悪い人の言は悪く出る。巧言令色というのは後から始まったこと。詞は心の花で、臭いどくだみも蘭の匂いも皆自分の色香を現したもの。それはあまりなことだから控えようという心はない。鄭衛の音などは親子の中などでは聴けないものだが、あれがやはり本当のことを言ったもの。志を言うからあれより外はない。こうした不行作、ああ悪い女だと言っただけのこと。今の詩人はとんでもない。七つになる児が川中島の懐旧を作った。これが巧言令色の一番で、似せてはならない。それでは志を言って導くことにはならない。よいをよい、悪いを悪いと言うのが導くである。鄭衛の様な悪い詩は聖人が棄てそうなものだが、そのままにして置いたのは、悪いことを聴いては懲り、よいことを聴いては取るというので教えになるからである。

今の詩人は皆うそなり。うその証拠には、いつもよいことのみを云。月や花のよいこと計り作る。うそを導くのなり。ついに人欲のことをは云はぬ。夕部金を三百兩ひろうたとは作らぬ。雪月風花によそへ只よいことを云。よいことの言るる人がらかとみれは、青黛にしゅすびん、長い羽織で形りにも似合ぬうそを云。これでは敎にはならぬ。田植哥、うすつきうたも敎になると云は本のもの故ぞ。つくろいことは敎にはならぬ。昔のは、よいはよい、わるいはわるいと云たで敎になりた。
【解説】
今の詩人はよいことだけを言うから嘘である。それは、嘘を導くのであり、教えにはならない。
【通釈】
今の詩人の詩は皆嘘である。嘘の証拠は、いつもよいことだけを言う。月や花のよいことばかりを作る。それは嘘を導くのである。最後まで人欲のことは言わない。昨夜金を三百両拾ったとは作らない。雪月風花でよそへよいことを言うだけ。そこで、よいことを言うことのできる人柄かと思えば、青黛に繻子鬢、長い羽織で、その姿にも似合わない嘘を言う。これでは教えにならない。田植歌、臼搗き唄も教えになると言うのは本物だからである。繕いごとは教えにはならない。昔のは、よいはよい、悪いは悪いと言ったので教えになった。
【語釈】
・青黛…①青いまゆずみ。また、それでかいた美しい眉。②俳優が舞台化粧に用いる藍色の顔料。
・しゅすびん…繻子鬢。繻子のようにつややかな鬢。江戸中期、安永頃には伽羅油を多くつけて光沢を見せた鬢が流行した。

歌詠其義とくりかへして云。これが哥の歌たる処。武家諸法度に節をつけてよむと早速遠慮閉門。用律呂を調和之。調子違いに音楽するは、鳥のとばれぬ、魚の游がれぬのなり。ものが丁どにゆかぬは樂てない。それではものをたたくなり。下手のゆふた髪をかみゆいがみて、ああつく子たと云。ふくろの鳴に一はい呑ふとはでぬ。八音。階事すれは、鳥のとび、魚のをよぐ。これでは心もたのしむなり。今の俗学が神人以和と云ことを知らずに、只先王は礼樂で治めた々々々と云立るが、それは道具計りにて云ことで、人心へふっくりとくると云ことなぞは子からしらずに云ことなり。人心へふっくとくるが楽の樂たる処なり。花をみるで心をよくするそ。樂が唯一通りに面白いならば、役者なり。道具計りの礼樂ては治らぬ。それは左り甚五郎にのみかんなをかりたのなり。かりても甚九郎でなくてはほれぬ。人は天の子ゆへ自然の音がひびくはづ。そこで、郊則天神格、廟則人鬼響。これが楽の妙なり。
【解説】
歌詠其義以長其言。五聲依附長言而爲之。其聲未和、乃用律呂調和之、使應於節奏。八音能諧理不錯奪、則神人咸和」の説明。節を付け、調和して詠む。丁度に行って楽となる。道具だけの礼楽では、治めることはできない。
【通釈】
「歌詠其義」と繰り返して言う。これが歌の歌たる処。武家諸法度に節を付けて読むと早速遠慮閉門である。「用律呂調和之」。調子違いに音楽をするのは、鳥が飛べず、魚が泳げないのと同じ。ものが丁度に行かなければ楽ではない。それではものを叩くだけのこと。下手な者が結った髪を髪結が見て、ああ捏ねたと言う。梟が鳴いていれば、一杯飲もうとは出ない。「八音」。よく階理すれは、鳥が飛び、魚が泳ぐ。それで心も楽しむ。今の俗学が「神人以和」ということを知らずに、ただ先王は礼楽で治めたと言い立てるが、それは道具のことで言っただけのことで、人心へふっくりと来るということなどは根から知らずに言ったこと。人心へふっくりと来るのが楽の楽たる処。花を見るので心をよくする。楽がただ一通りに面白いのであれば、それは役者である。道具だけの礼楽では治まらない。それは左甚五郎に鑿と鉋を借りたのである。それを借りても甚五郎でなくては彫れない。人は天の子なので自然の音が響く筈。そこで、「郊則天神格、廟則人鬼響」。これが楽の妙である。
【語釈】
・鳥のとび、魚のをよぐ…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵」。詩は詩経大雅旱麓。
・郊則天神格、廟則人鬼響…韓愈。原道。「郊焉而天神假,廟焉而人鬼饗」。鬼神集説31では「郊則天神格、廟則人鬼享」とある。