立教10
孔子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力則以學文。謹、行謹。信、言信。汎、廣也。衆、衆人。親、近也。仁謂仁者。餘力猶言暇日。以、用也。文謂詩書六藝之文。
【読み】
○孔子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて餘力有れば則ち以いて文を學ぶ。謹は行を謹む。信は言に信あり。汎は廣なり。衆は衆人。親は近なり。仁は仁者を謂う。餘力は暇日と言うに猶[おな]じ。以は用なり。文は詩書六藝の文を謂う。

孔子曰、弟子入孝。弟子の身分て国を憂るには及はぬ。何もかもさいおいて孝弟なり。出るとて殿中でない。郷黨、そこへ出るとはや目上につかへる。汎愛衆而親仁。めったなものに近付ぬ。今の人は心の内にとげはりがあるから、あの人の知であれほどなことは知りそもないものと云に、さてよく人の非を見ることが上手なり。これと云が仁氣がないから。人我がつよくて、吾は吾、人は人て居るからぞ。夫故ちとわるいをば、今度からくるなと云。我が正しい方からなれば、さしてわるいことでもないやうなれとも、はてが於陵の陳仲子になる。汎愛衆が温厚なことなり。行有餘力則。上の段々を仕事にしても、そふ一ち日はかからぬを餘力と云。謹而信。謹は万端何にでもあること。たたみざわりのあらいも、はや謹でない。
【解説】
「孔子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力則以學文。謹、行謹」の説明。弟子の身分では、先ずは孝弟をする。「出」は郷党へ出ることで、そこでは目上に仕える。今の人が人と近付きにならない様にしているのは仁気がないからである。
【通釈】
「孔子曰、弟子入孝」。弟子の身分で国を憂うるには及ばない。何もかも差し置いて孝弟である。出ると言っても殿中ではない。郷党へ出ると早くも目上に仕える。「汎愛衆而親仁」。今は滅多に人に近付かない。今の人は心の内に棘針があるから、あの人の知であれほどのことは知りそうもないものだと思うが、実に人の非を見ることが上手である。これいうのが仁気がないから。人我が強くて、吾は吾、人は人としているからである。そこで、少し悪い者には、今度から来るなと言う。自分の正しい方から言うのであれば、大して悪いことでもない様だが、果ては於陵の陳仲子になる。「汎愛衆」が温厚なこと。「行有余力則」。上の段々を仕事にしても、一日は掛からないのを余力と言う。「謹而信」。謹は万端何にでもあること。畳触りが粗いのも、既に謹ではない。
【語釈】
・於陵の陳仲子…孟子滕文公章句下10。「匡章曰、陳仲子豈不誠廉士哉。居於陵、三日不食、耳無聞、目無見也。井上有李、螬食實者過半矣、匍匐往將食之。三咽、然後耳有聞、目有見。孟子曰、於齊國之士、吾必以仲子爲巨擘焉。雖然、仲子惡能廉。充仲子之操、則蚓而後可者也。夫蚓、上食槁壤、下飲黄泉。仲子所居之室、伯夷之所築與。抑亦盜跖之所築與。所食之粟、伯夷之所樹與。抑亦盜跖之所樹與。是未可知也。曰、是何傷哉。彼身織屨、妻辟纑、以易之也。曰、仲子、齊之世家也。兄戴、蓋祿萬鍾。以兄之祿爲不義之祿而不食也。以兄之室爲不義之室而不居也。辟兄離母、處於於陵。他日歸、則有饋其兄生鵝者。己頻顣曰、惡用是鶃鶃者爲哉。他日、其母殺是鵝也、與之食之。其兄自外至、曰、是鶃鶃之肉也。出而哇之。以母則不食、以妻則食之。以兄之室則弗居、以於陵則居之。是尚爲能充其類也乎。若仲子者、蚓而後充其操者也」。

信、言信。人のりっはになるは信。兒ともの時からかりそめにもうそを云はぬとこれになる。ここの仁の字、かるくみること。六德の処の仁と同しこと。詩書六藝。これを学ぶも孝弟をするため。詩書を藝とならへ、わざのやふにしたが面白い。今の人は書物をば讀で見てから孝悌を知る。教あれは詩書が知をみがくことになりて藝とならぶ。弟子職は其まへにある。今の弟子は仕まま仕ぬきをしてとふる。
【解説】
信、言信。汎、廣也。衆、衆人。親、近也。仁謂仁者。餘力猶言暇日。以、用也。文謂詩書六藝之文」の説明。教えがあれば、詩書で知を磨くことができる。そこで、詩書を六芸と並べてある。
【通釈】
「信、言信」。人が立派になるのは信から。子供の時から仮にも嘘を言わなければこれになる。ここの仁の字は軽く見なさい。六徳の処の仁と同じ。「詩書六芸」。これを学ぶのも孝弟をするため。詩書を芸と並べて業の様にしたのが面白い。今の人は書物を読んでみてから孝悌を知る。教えがあれば詩書が知を磨くことになって芸と並ぶ。弟子職はその前にあるもの。今の弟子はそれをせずに通る。
【語釈】
・六德…小学内篇立教7。「六德。知・仁・聖・義・忠・和」。


立教11
興於詩、興、起也。詩、因人情之邪正以示勸懲。其言易曉、而諷詠之間又有以感發而入於人心。故習於詩、則其志意油然有所興起、而去惡從善、自不能已。立於禮、禮以恭敬辭讓爲本、而有節文度數之詳。不可以毫髪僭差也。故習於禮則德性堅定、而得所以自處之正位。成於樂。樂有五聲・六律・八音之節、而其聲氣之和至與天地相應。故習於樂則有以存養其善心、以至於義精仁熟、而自和順於道德。○伊川先生曰、天下之英才不爲少矣。只爲道不明於天下。故不得有所成就。且古者興於詩、立於禮、成於樂。如今人怎生會得。古人之於詩、如今人歌曲一般。雖閭巷草野童稚、皆習聞其説而曉其義。故能興起於詩。後世老師宿儒尚不能曉其義、怎生責得學者。是不得興於詩也。古禮既廢人倫不明。以至於治家皆無法度。是不得立於禮也。古人有歌詠、以養其情性、聲音以養其耳目、舞蹈以養其血脉。今皆無之。是不得成於樂也。古之成材也易、今之成材也難。
【読み】
○詩に興り、興は起なり。詩は、人情の邪正に因りて以て勸懲を示す。其の言曉り易くして、諷詠の間も又以て感發して人心に入る有り。故に詩に習えば、則ち其の志意油然として興起する所有りて、惡を去り善に從うこと、自ら已むこと能わず。禮に立ち、禮は恭敬辭讓を以て本と爲して、節文度數の詳なる有り。以て毫髪も僭差す可からざるなり。故に禮に習えば則ち德性堅定して、以て自ら處る所の正位を得。樂に成る。樂は五聲・六律・八音の節有りて、其の聲氣の和は天地と相應ずるに至る。故に樂に習えば則ち以て其の善心を存養する有りて、以て義精しく仁熟するに至りて、自ら道德に和順す。○伊川先生曰く、天下の英才、少なしと爲さず。只道、天下に明かならざると爲す。故に成就する所有るを得ず。且つ古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今人の如き怎生ぞ會し得ん。古人の詩に於ける、今人の歌曲の如く一般なり。閭巷草野の童稚と雖も、皆其の説を習い聞きて其の義を曉る。故に能く詩に興起す。後世は老師宿儒すら尚其の義を曉ること能わず、怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興るを得ざればなり。古禮既に廢れて人倫明かならず。以て家を治むるに至りて皆法度無し。是れ禮に立つを得ざればなり。古人歌詠有り、以て其の情性を養い、聲音以て其の耳目を養い、舞蹈以て其の血脉を養う。今皆之れ無し。是れ樂に成るを得ざればなり。古の材を成すや易く、今の材を成すや難し、と。

興於詩。自分の心がぶんになって、そや々々とをこり立つこと。人を建立するの第一なり。興ると云も疂をたたいてをこるもあるが、これは何のことなくをこる。こなたは人つかいがわるい人じゃと云て責めずに、なくてぞ人は恋しかるらんと云と、なるほど、有る時は有るのすさみに憎くからじでもありつろうふと、吾れからおこりて人づかいをよくする。そこて氣にいらぬ下女も長年さする。この一事で詩の人心に入るをかんがへてみるべし。興・立・成と云は能書なり。本香丸何によし、何によしと云こと。
【解説】
「興於詩、興、起也」の説明。詩は人心に入る。心がよくなって起こり立つことを興ると言う。
【通釈】
「興於詩」。自分の心がよくなって起こり立つこと。人を建立するの第一である。興ると言っても畳を叩いて怒ることもあるが、これは何事もなく興ること。貴方は人使いが悪い人だと言って責めずに、なくてぞ人は恋しかるらんと言えば、なるほど、有る時は有るの荒みに憎からじでもあろうと、自ら興って人使いをよくする。そこで気に入らない下女も長年使う。この一事で、詩が人心に入るものだということを考えて見なさい。興・立・成は能書きである。本香丸は何によい、何に効くということ。

詩因人情之邪正以示勸懲。孔子が詩書と並へたが面白い。詩は奥方の身もちのことから在郷のはやり唄、むぎつきうた、きかれぬこととももある。書經は二帝三王の政。立派なこと。それに詩をならへたはとり合ぬやふなれとも、そこが名医の方組なり。をこると能からぞ。詩が人情の邪正を云たもの故あたる処でこちへひびくなり。それを興ると云。邪正と云は、二南の文王の奥方の正しいことから、変風の女をつれてにげたと云やふならちもないことまてあるが、どちともに心から出たことなりを云。古人の心から出たことが今日の人の心にもある。そこでこちの情へのってくる。犬の星を見たではない。犬は肴の骨ばかりにのる。邪と正とあるて勸懲になる。
【解説】
詩、因人情之邪正以示勸懲。其言易曉、而諷詠之間又有以感發而入於人心。故習於詩、則其志意油然有所興起、而去惡從善、自不能已」の説明。詩は人情の邪正を言ったものなので、悪いこともよいこともあるが、心から出たものなのでこちらに響く。それを興ると言う。
【通釈】
「詩因人情之邪正以示勧懲」。孔子が詩書と並べたのが面白い。詩は奥方の身持のことから在郷の流行唄、麦搗き唄まで、聞くに堪えられないこともある。書経は二帝三王の政で立派なこと。それに詩を並べたのは取り合わない様だが、そこが名医の方組である。興るとよいからである。詩は人情の邪正を言ったものなので、当る処でこちらに響く。それを興ると言う。「邪正」は、周南や召南の、文王の奥方の正しいことから、変風の女を連れて逃げたという様な埒もないことまでがあるが、どちらも心から出た通りを言ったもの。古人の心から出たことが今日の人の心にもある。そこでこちらの情へ乗って来る。犬が星を見たということではない。犬は魚の骨ばかりに乗る。邪と正とがあるので「勧懲」になる。

ここからは孔子のうけとり前なり。女の口から狡童之狂の、懐布貿絲のと、男をなぐさむやふなことを云た。孔子の是をぬきさふなものを其ままをいたは、毒なことて藥にするなり。毒を戒めるで藥になる。本草に附子が毒草の部にあるが、なんその時にはあぶないことがよくきくぞ。四代の礼楽を示したあとには鄭声は放つと云てありながら、鄭衛をのせてをいたは勸懲にしたものなり。この勸懲と云が氣がつまり、どふやら自然でない故、徂莱から云かへて詩は人情を云なり、と。それは固りのこと。本と莊子も云たこと。それからして南郭などが、詩は人情に通ずるためと云がをかしいことぞ。なに人情にけいこがいろふ。田舎から江戸へ奉公に出すに、氣のついた親は江戸より田舎にをくがよいと云。成ほど江戸へやればをとし咄しも早く笑い出す。人情には通ずる。そこでどふらくにもなる。すれは人情に通ずるに稽古はいらず。又、山奥では人情に通ぜふとしても通せず。
【解説】
悪い詩は除きそうなものなのに、孔子はそれをも載せた。それは、毒を戒めることで、毒が薬になるからであり、勧懲するために載せたのである。徂徠は勧懲が自然でない様に思い、詩は人情を言うと言い、南郭は詩は人情に通ずるためと言った。しかし、人情に通じるのに稽古は要らない。
【通釈】
ここからは孔子の持分である。女の口から「狡童之狂」や「懐布貿絲」と、男を慰める様なことを言った。これは抜きそうなものだが孔子がそのまま載せたのは、毒なことで薬にするのである。毒を戒めるので薬になる。本草には附子が毒草の部にあるが、何かの時には危ないことがよく効く。四代の礼楽を示した後に鄭声は放つと言って置きながら、鄭衛を載せて置いたのは、これを勧懲にしたもの。この勧懲というのが気詰まりで、どうやら自然でない様なので、徂徠が言い替えて詩は人情を言うと言った。それは固よりのこと。元々それは荘子も言っている。それからして服部南郭などが、詩は人情に通ずるためと言ったのが可笑しいこと。どうして人情に稽古が要るものか。田舎から江戸へ奉公に出すのに、気の利いた親は江戸よりも田舎に置く方がよいと言う。なるほど江戸へ遣れば落語も早く笑い出す。人情には通じる。そこで道楽にもなる。それなら人情に通じるのに稽古は要らない。また、山奥では人情に通じようとしても通じない。
【語釈】
狡童之狂…詩経国風鄭に狡童がある。
・懐布貿絲…詩経国風衛氓。「氓之蚩蚩、抱布貿絲」。
・鄭声は放つ…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。
莊子も云たこと

詩はもと人情を云たれとも、孔子の六經に入れられたは勸懲のためなり。今日の詩も人情はある。なれとも勸懲がない。徂莱や南郭が詩は人情を云と云はきこへたが、孔子の六經に入れたわけをは知らぬぞ。其人情をこちのためにするは勧懲に入用なり。この勧懲がないなれは、わるい詩はぬくはづ。籜兮々々風其吹汝と云は、さそふ水あらはのこと。勧懲がないならは知惠のない子に知惠をつけるなり。こらすで敎になる。河豚汁を喰ふて死んだと咄すやふなものなり。喰ふなと云ことぞ。入於人心。耳へさわって聞へるものは心に入か子る。詩はふしのある故すら々々とよく入る。通がよい。そこでよい心がむら々々と出る。中原復逐鹿では效はない。今の詩はげいになりたで能はない。詩經と云尻馬に乘て、願くは作輕羅箸細腰と云。上るり、本よりわるい。
【解説】
今日の詩も人情はあるが勧懲がない。懲らすので教えになる。また、詩は節があるのでよく心に通る。しかし、それも今の様な芸では悪い。
【通釈】
詩は元は人情を言ったものだが、孔子が六経に入れられたのは勧懲のためである。今日の詩も人情はある。しかし勧懲がない。徂徠や南郭が詩は人情を言うと言うのはよくわかるが、孔子が六経に入れたわけを彼等は知らない。その人情をこちらのためにするには勧懲が入用である。この勧懲がないのであれば、悪い詩は抜く筈。「籜兮籜兮、風其吹女」と言ったのは、誘う水があるからのこと。勧懲がないのであれば、知恵のない子に知恵を付けることになる。懲らすので教えになる。それは、河豚汁を喰って死んだと話す様なもの。喰うなということ。「入於人心」。耳へ障って聞こえるものは心に入り難い。詩は節があるのですらすらとよく入る。通りがよい。そこでよい心がむらむらと出る。「中原復逐鹿」では効はない。今の詩は芸になったので能はない。詩経という尻馬に乗って、「願作軽羅著細腰」と言う。浄瑠璃は固より悪い。
【語釈】
・籜兮々々風其吹汝…詩経国風鄭蘀兮。「蘀兮蘀兮、風其吹女。叔兮伯兮、倡予和女。蘀兮蘀兮、風其漂女。叔兮伯兮、倡予要女」。
・中原復逐鹿…魏徴。述懷。「中原初逐鹿」。
願くは作輕羅箸細腰…願わくは、軽羅を作り細腰に著け?

立於礼。礼の作法て、胸中でなく外から守る。立と云は行義のくづれぬ方から我德丈夫になること。礼以恭敬辞讓云々。これが孟子の字なり。告子と公孫丑上と二処にあるを一つに云た。有節文度數之詳。礼はささいなことまで吟味するでなくては礼とは云れぬ。儀礼から周礼三百官まて皆筋々のわかれたこと。朱子の經傳通解は礼記其外まて入れて吟味あり。どふてもよいとなぐられぬこと。様と云字もいろ々々ある。公方様から同輩、それから目下もある。公方様の字を同輩に書てやりては家のつぶるるほどのさわぎなり。はてどれでも様の字でこざると云ふてはすまぬ。礼は今のことで云がよい。周礼儀礼も周公の時代のことを記したもの。白無垢と淺黄無垢は見まがふものなり。似たものじゃからどふでもと云はれぬ。白無垢を一日きても大事なり。礼をこふ云と小笠原のやふになるが、恭敬の心が節文度數の上へあらはれたとみぬと、礼は忠信のうすきにしてともみることになるぞ。節文度數か恭敬辞遜のかたになる。かたは外なれとも、かたの手がらで内がよくなる。外と思ふな。恭敬と云心と辞遜と云心とからきたもの。礼は異端のあじにさとりたではならぬ。親切が十分ありても、公儀御臺へ新しい鯛じゃ、それと云てなげだしてはすまぬ。献上ものと云になりては、臺まてもきっと御臺屋から取ら子はならぬ。魚さへ新しけれはよいとは云はれぬ。臺はすへのことなれとも、内の恭敬のあらわれたのなり。
【解説】
「立於禮、禮以恭敬辭讓爲本、而有節文度數之詳」の説明。礼は外からのことだが、それが徳を丈夫にする。礼では、節文度数の細かいところまで吟味しなければならない。節文度数が恭敬辞遜の形になる。瑣細なことにも恭敬が現われるのである。
【通釈】
「立於礼」。礼の作法によって、胸中でなく外から守る。「立」は行儀の崩れない方から自分の徳が丈夫になること。「礼以恭敬辞譲云々」。これは孟子の字で、告子と公孫丑上の二箇所にあるのを一つにして言ったこと。「有節文度数之詳」。礼は瑣細なことまで吟味するのでなくては礼とは言えない。儀礼から周礼三百官までが皆筋の分かれたこと。朱子の経伝通解は礼記その外まで入れて吟味してある。どうでもよいと疎かにできないこと。様という字も色々とある。公方様から同輩、それから目下もある。公方様の字を同輩に書いて遣っては家が潰れるほどの騒ぎとなる。さてどれでも様の字ですと言っては済まない。礼は今のことで言うのがよい。周礼儀礼も周公の時代のことを記したもの。白無垢と浅黄無垢は見紛うもの。それを、似たものだからどうでもよいとは言えない。白無垢を一日着ても大事となる。礼をこの様に言うと小笠原の様になるが、恭敬の心が節文度数の上に現われたと見ないと、「礼者忠信之薄而」とも見る様になる。節文度数が恭敬辞遜の形になる。形は外のことだが、形の手柄で内がよくなる。外と思ってはならない。恭敬という心と辞遜という心とから来たもの。礼は異端が悪く悟った様ではならない。親切が十分にあっても、公儀御台に、新しい鯛だ、それと言って投げ出しては済まない。献上物ということになっては、台までもしっかりと御台屋から取らなければならない。魚さえ新しければよいとは言えない。台は末のことだが、そこに内の恭敬が現われる。
【語釈】
・礼以恭敬辞讓…孟子告子章句上6。「恭敬之心、禮也」。孟子公孫丑章句上6。「辭讓之心、禮之端也」。
・礼は忠信のうすきにして…老子論徳。「夫禮者忠信之薄而亂之首也」。

毛一すじかへられぬと云て内の心か堅定になる。礼はうそ々々しいもので、心から出ると云を合点せぬは老子になる。老子が禮屋で孔子に教へたれとも、礼の自然を知らぬ。正位てないさまは心がきょ々々する。武士が一本で他行し、町人が二本では心がきょ々々する。紺の大もんなしは中間の正位。只今のやふに衣装法度なとき、下々がちりめんを着ては、形りはりっぱても正位てないゆへ心がきょ々々とする。釈迦は国王の大子じゃに、雪山へにげたは正位でない。
【解説】
不可以毫髪僭差也。故習於禮則德性堅定、而得所以自處之正位」の説明。礼は外のことだが、それは心から出るもの。それを理解しないと老子になる。
【通釈】
毛一筋変えられないと言うので内の心が「堅定」になる。礼ははっきりとしないものなので、心から出るということを合点しないと老子になる。老子は礼屋で孔子に教えたが、礼の自然を知らない。「正位」でないと心が落ち着かない。武士が刀一本で他行し、町人が二本では心が落ち着かない。紺の大紋なしは中間の正位。只今の様に衣装法度があると、下々が縮緬を着ては、形は立派でも正位でないので心が落ち着かない。釈迦は国王の太子なのに、雪山へ逃げたのは正位でない。

成於樂。詩て感発、礼で人品を丈夫にして、樂て成就する。きり々々の処は樂でなけれはならぬ。樂は前に十有三年学樂。児とものときから習はふとも、この成と云は成就のこと。今なるではないが、しあげの処はこうと心得ること。前の徳性堅定まてはまた角かある。その角のとれたかなるなり。たとへは顔子か長いきをしてあたまのはげたと云ことになれは、樂の塲なり。詩礼で一疋になりても、樂と云角のとれたでなくては本の成就でない。茶器も正宗も年数のたちて古びのついた処で直が高い。詩で善心になりてわる心はぬけた。はや悪之欲其死。人を死子かしにも思ふ情はないが、それぎりをこりきりてはわるいのが又くるから、そこをだん々々存養することなり。その存養がとど成就する。
【解説】
「成於樂。樂有五聲・六律・八音之節、而其聲氣之和至與天地相應。故習於樂則有以存養其善心」の説明。ここの楽は成就の場でのこと。詩と礼で一人前になり、楽で成就する。それには存養が必要である。
【通釈】
「成於楽」。詩で感発し、礼で人品を丈夫にして、楽で成就する。ぎりぎりの処は楽でなければならない。楽は前に「十有三年学楽」とあり、子供の時から習うことだが、この「成」というのは成就のこと。今成るということではないが、仕上げの処はこうだと心得ること。前の「徳性堅定」まではまだ角がある。その角の取れたのが成るである。たとえば顔子が長生きをして頭が禿げるということになれば、それが楽の場である。詩と礼で一人前になっても、楽という角の取れた場でなくては本当の成就ではない。茶器も正宗も年数が経って古びの付いた処で値が高い。詩で善心になって悪心は抜けても、そこで早くも「悪之欲其死」である。人を死ねばよいと思う情もないが、興っただけでは悪いものがまた来るから、そこを段々に存養する。その存養で、つまりは成就する。
【語釈】
・十有三年学樂…小学内篇立教2。「十有三年學樂誦詩舞勺」。
・悪之欲其死…論語顔淵10。「子張問崇德・辨惑。子曰、主忠信、徙義崇德也。愛之欲其生、惡之欲其死。既欲其生、又欲其死、是惑也。誠不以富、亦祇以異」。

義精仁熟。義が精くなれば、此方であてやふとせずとも曲尺にあたる。あてやふとする中はあらい。ここは身に成りたこと。精義入神の精の字は工夫になるから上にある。ここは精くした義か義になりたこと。知至と同し。和順於道德。德はもと道を吾身にもったこと。只德と計り語ると何を得たかも知れぬ。かるくなる。道に志し德に據り、道德の字をならへて、道が德と一つになりたこと。只年よりてこなれたと云はちごふ。ただの年老はこ黒のかれたやふなものぞ。伊川先生曰云々。昔ありた詩礼樂が今天下にないと云ことを歎じたこと。それで、天から英才をば折角うむてあらふが、よい人ができぬ、と。且。ましてやと云こと。孔子が興於詩と云ても、むつかしいことをもってきて教へたではない。三んヶ津みなあるはやりうた。兒共までよくわけがすむから古は興起した。兒共に今天地天王秋の田のと云ても興起せぬ。
【解説】
以至於義精仁熟、而自和順於道德。伊川先生曰、天下之英才不爲少矣。只爲道不明於天下。故不得有所成就。且古者興於詩、立於禮、成於樂。如今人怎生會得。古人之於詩、如今人歌曲一般。雖閭巷草野童稚、皆習聞其説而曉其義。故能興起於詩」の説明。道に志して徳に拠ることで、道と徳とが一つになる。伊川先生は、今は詩礼楽がないので、英才はいてもよい人ができないと歎じた。
【通釈】
「義精仁熟」。義が精しくなれば、こちらで当てようとしなくても曲尺に当たる。当てようとする内は粗い。ここは身に成ったこと。「精義入神」の精の字は工夫になるから上にある。ここは精しくした義が義になったことで、「知至」と同じ。「和順於道徳」。徳は本来、道を我が身に持ったこと。ただ徳とばかり語ると何を得たのかがわからない。それでは軽くなる。道に志して徳に拠る。道・徳の字を並べて、道が徳と一つになる。ただ年寄ってこなれたというのは違う。ただの年老は後炭が枯れた様なもの。「伊川先生曰云々」。昔あった詩礼楽が今は天下にないことを歎じた。それで、天から折角英才を生んでもらいながら、よい人ができないと言う。「且」は、ましてやということ。孔子が「興於詩」と言っても、難しいことを持って来て教えたのではない。三都皆にある流行り唄である。子供までによくわけが済むから古は興起した。今子供に、天智天皇の、秋の田のと言っても興起はしない。
【語釈】
・精義入神…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。
・知至…大学章句経1。「物格而后知至。知至而后意誠」。
・秋の田の…秋の田のかりほの庵の苫をあらみ、わが衣手は露にぬれつつ。天智天皇。

老師宿儒。毛萇其外専門に詩經に一生かかりた。むつかしいことになりた。小序などもとりそこのふたでみよ。人倫不明。今は昏礼するとてもすき次第なことをする。前に通りた娘はよいきりゃふじゃからもらわふの、又、金がつくからのと云て大切な人倫を好色や貨らにしてしまふぞ。無法度。はかりなしにするやふなもの。をっつけずいれふなり。圣人のときは礼と云ものさしがあり、何やら首をかたげてをるから何事じゃと云。いや此寸が指尺で五寸とは存ずるが、とくとせぬと云と、圣人がものさしを出して、それ五寸であてて見ろと云るる。後世は礼のない故、あてるものさしなくて不行義だらけなり。
【解説】
後世老師宿儒尚不能曉其義、怎生責得學者。是不得興於詩也。古禮既廢人倫不明。以至於治家皆無法度。是不得立於禮也。古人有歌詠、以養其情性、聲音以養其耳目、舞蹈以養其血脉。今皆無之。是不得成於樂也。古之成材也易、今之成材也難」の説明。毛萇などが一生を掛けて詩経を解いたが、それを明かにすることはできなかった。また、後世は礼がないので、物差しとなるものがなく、人倫も好色や金に取り替えられて不行儀だらけである。
【通釈】
「老師宿儒」。毛萇その外の者が一生を掛けて専門に詩経を解いた。難しいことになった。それは、小序などを取り損なったことでもわかる。「人倫不明」。今は婚礼をするにも好き次第なことをする。前を通った娘はよい器量だから貰おうとか、また、金が付くからと言って、大切な人倫を好色や金にしてしまう。「無法度」。秤なしにする様なもの。押し付け推量である。聖人の時は礼という物差しがあり、何やら首を傾げているから何事だと聞けば、いやこの寸は指尺で五寸だと思うが、はっきりとしないと答えると、聖人が物差しを出して、それ五寸で当てて見なさいと言われる。後世は礼がないので、当てる物差しがなくて不行儀だらけである。
【語釈】
・毛萇…詩経を専門に修め、漢の河間献王の博士となる。

かるいことなれとも、女は夜る出則秉燭。無燭則止む。これがあたりまいなり。処をとぼさずに出る。はや礼が乱るるから、はてはいかふわるいことになる。廣蓋も三千三百の数の内なり。女が羽織をもてきて男に渡すに直に手から手へ取るが心元ないゆへ出きたもの。廣蓋なしに羽織を受取渡しして、それが本になりてむすめが欠落したと云こともあるまいものでもない。そこで、男女あたへとるに不親ときめるが礼なり。養血脉。音樂からのもふけもの。血脉はめぐるものゆへ居づくまりではよくない。血を養ふと自ら氣がどみぬからのび々々となる。これも浩然の氣と同しこととみるがよい。昔は人才が出きよくて今はできぬと云は、昔は鑿鋸がそろふてあるゆへぞ。今は小刀一本て細工をするやふなもの。あつ板にもうす板にも、これより外に道具がない。尭舜の時の人が今生まるるに、なぜよくならぬと云に礼樂のないゆへなり。比屋可封にならぬ。
【解説】
昔は音楽によって血脈を養った。血を養うと気が澱まず伸びやかになる。昔は人才ができ易くて今はできないというのは、昔は礼楽という道具が揃っていたからである。
【通釈】
軽いことだが、「女夜出則秉燭。無燭則止」。これが当り前である。そこを灯さずに出る。早くも礼が乱れるから、果ては大層悪いことになる。広蓋も三千三百の数の内のこと。女が羽織を持って来て男に渡すのに、直に手から手へ取るのが心許ないのでできたもの。広蓋なしに羽織を受け取り渡して、それが本になって娘が欠落するということもありえないことでもない。そこで、男女が与え取るには親しまずと決めるのが礼である。「養血脈」。音楽からの儲け物。血脈は巡るものなので居竦まりではよくない。血を養うと自ら気が澱まないから伸び伸びとなる。これも浩然の気と同じことだと見なさい。昔は人才ができ易くて今はできないというのは、昔は鑿や鋸が揃ってあったからである。今は小刀一本で細工をする様なもの。厚板にも薄板にも、これより外に道具がない。堯舜の時の様な人が今生まれても何故よくならないのかと言えば、礼楽がないからである。そこで、「比屋可封」にならない。
【語釈】
・廣蓋…衣裳箱のふた。もと、衣服などを賜う時はこれにのせた。後にその形に擬して作った、引出物などを入れる盆状の容器の称。
・浩然の氣…孟子公孫丑章句上2の語。
・比屋可封…文選。「尚書大傳曰、周民可比屋而封」。


立教12
樂記曰、禮樂不可斯須去身。言禮樂是治身之具、不可斯須去離於身也。
【読み】
○樂記に曰く、禮樂は斯須も身を去る可からず。禮樂は是れ身を治むるの具、斯須も身を去り離るる可からざるを言う。

楽記曰、礼楽云々。道中の立塲でも礼ははなされぬ。ぜにをとるが商賣じゃからと云ても、亭主の鼻先へ泥足を出してははや合点せぬ。茶店でも、婆々茶をくれと云にも、にっとりとしてさてもよい天氣じゃのと云、しばらく腰かけた中も是が楽のやはらぐなり。礼楽のすがたがこふしたもの。ここでみよ。はなるる間はない。
具と云は今日は身ををさめずともよいと云日はないからは、はなされぬこと。武士が、今日は雨ふりじゃ、一本で登城せふとは云はれぬ。大小は具なり。礼はきっとしたもの。楽はうちとけたもの。此二つを丁度々々にして用ることなり。成程、今日は入らぬと云日はない筈ぞ。

【解説】
礼楽はいつも離せないもの。礼はきっとしたもので、楽は打ち解けたもの。この二つを丁度にして用いる。
【通釈】
「楽記曰、礼楽云々」。道中の立場でも礼を離すことはできない。銭を取るのが商売だからと言っても、亭主の鼻先へ泥足を出しては早くも合点はしない。茶店でも、婆々茶をくれと言うにも、にっとりとして実によい天気だのうと言って暫く腰を掛けている内にもそれがあって、これが楽の和らぐこと。礼楽の姿がこうしたもの。ここで見なさい。離れる間はない。
「具」は、今日は身を治めなくてもともよいという日はないから、離すことはできないということ。武士が、今日は雨降りだ、一本で登城しようとは言えない。大小は具である。礼はきっとしたもの。楽は打ち解けたもの。この二つを丁度にして用いるのである。なるほど、今日は要らないという日はない筈。
【語釈】
・立塲…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。


立教13
子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣。子夏、孔子弟子。姓、卜。名、商。賢人之賢而易其好色之心、好善有誠也。致猶委也。委致其身、謂不有其身也。人之所以爲學大要、不過求欲能是四者。故如是之人、雖或以爲未嘗學、而子夏必以爲已學也。
【読み】
○子夏曰く、賢を賢として色を易え、父母に事えて能く其の力を竭[つく]し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わり言いて信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を學ぶと謂わん。子夏は孔子の弟子。姓は卜。名は商。人の賢を賢として其の色を好むの心に易れば、善を好む誠有るなり。致は委に猶[おな]じ。其の身を委ね致すは、其の身を有せざるを謂うなり。人の以て學を爲むる所の大要は、求めて是の四の者を能くするを欲するに過ぎず。故に是の如き人は、或は以て未だ嘗て學ばずと爲すと雖も、而れども子夏は必ず以て已に學ぶと爲すなり。

子夏曰、賢々易色。立教の終りに此語を引たは、始に弟子学ぶ所を知らしむとあり、こふ云深切でなくては学文の成就はない。学ぶ処をしらせたもの。学文のしやふはこふときめてみせたもの。上の賢の字は賢とあしろふこと。下のは賢人のこと。知れたことなれとも、賢人を賢人あしらいにせぬもの。又、ちと賢を賢とするていなものもあれとも、本んのがないもの。好色の情は表向はないと評判されたいものの、内には一ばいな実があるもの。人にも知らせず実をする。それほと親切に賢に事ること。竭其力。からだかぎり、こんかぎりなり。今登戸まてゆきて返りても、親か草臥つらふ、をけと云ても、くたびれてもさすることはなると云てさする。今日の児共は力を尽さぬから御免勧化のやふに來ぬを仕合じゃと思ふ。親か用を云付子は一日もふけたと思ふ。そんなことではない。竭すと云は、からだの方からおどり出て親につかへ子は、此からだがをかれぬほどに思ふことなり。
【解説】
「子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力」の説明。これは学問の仕方を見せたもの。好色の情は表向きはない様に見えるが、内には一杯ある。その様に賢に事えるのである。「竭其力」は、体の限りに尽くすこと。
【通釈】
「子夏曰、賢賢易色」。立教の終わりにこの語を引いたのは、始めに「弟子知所以学」とあるからで、この様な深切でなくては学文の成就はないと、学ぶ処を知らせたもの。学文の仕方はこうだと決めて見せたもの。上の賢の字は賢だとあしらうもので、下のは賢人のこと。それは知れたことだが、賢人を賢人あしらいにしないもの。また、一寸賢を賢とする体なものもあるが、本物がいないもの。表向き、好色の情はないと評判されたくても、内には一杯な実があるもの。人にも知らせず実をする。それほどに親切に賢に事えること。「竭其力」。体の限り、根限りということ。今登戸まで行って帰っても、親が草臥れただろう、しないでもよいと言っても、草臥れても摩ることはできると言って摩る。今日の子供は力を尽くさないから、御免勧化の様に来ないのを幸せだと思う。親が用を言い付けなければ一日儲けたと思う。そんなことではない。竭くすとは、体の方から躍り出て親に仕えなければ、この体をそのままにしては置けないと思うほどのこと。
【語釈】
・弟子学ぶ所を知らしむ…小学内篇立教題下。「弟子知所以學」
・御免勧化…幕府が認めた勧化。勧化は、仏寺の建立・修復などのために、人々に勧めて寄付をつのること。転じて、金品の寄付を勧めること。勧進。

致其身。やりきりなり。吾身を吾身と思はぬこと。この致すと云心てなくては大事の木口塲をにげぬやふにはならぬ。此の致と云て君の難に死なるる。番日、風雨がつよいと云と、風邪と云てはや番をひく氣になる。旦那の借り米もあまり多いさと云て君をまづく思ふ心では、木口塲をにげるぞ。忠臣義士はやりきりに差上たこと。やりきりにした其内をかりてきて、肉身の爲に茶をのむ。かりてきて飯も喰ふ。喰ふてしまふこの身は君のものじゃ。吾肉のことは君の御為ではないが、飯もくわずはなるまいと云程にみぢんも此の身を我身とせぬが致のぎり々々。差上げたものは君のどふなさろふともすきしだいなこと。殷の三仁も身を上げきりにしたこと。有信。まぢ々々とうそはつか子とも、こまかに念を入るるとうそがあるもの。全体の処にかけごのあるがうそなり。
【解説】
「事君能致其身、與朋友交言而有信」の説明。自分の身を君に差し出し、君の勝手次第にする。朋友には嘘を吐かない。
【通釈】
「致其身」。遣った切りのこと。我が身を我が身と思わないこと。この致すという心でなくては大事な木口場を逃げない様にはならない。この致ということで君の難に死ぬことができる。番日に風雨が強いというと、風邪だと言って早くも番を引く気になる。旦那の借り米もあまりに多いと言って君をまずく思う心では、木口場を逃げることになる。忠臣義士は遣り切りで差し上げた。遣り切りにしたその内を借りて来て、肉身のために茶を飲む。借りて来て飯も喰う。喰ってしまったこの身は君のもの。自分の喰う肉は君の御ためではないが、飯も喰わなければならないだろうと言うほどに、微塵もこの身を我が身としないのが致のぎりぎりである。差し上げたものは君がどうなさろうとも好き次第。殷の三仁も身を上げ切りにしたこと。「有信」。まじまじと嘘は吐かなくても、細かに念を入れると嘘があるもの。全体の処に懸子のあるのが嘘である。
【語釈】
・殷の三仁…論語微子1。「微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・かけご…懸子。掛子。本心を打ち明けて話さないこと。

子夏が、孔門の歴々でこんな人抦があらば、其人の口上には曽て学問せぬと云も、学者じゃと表判をやろふと云た。今の学者は学文すると云ながら此にはづるる。迂斎曰、土井侯でここを讀まれたとき、この章をよむにはこれをひっくりかへしに見よと云た。今の学者は、吾は必学ひたりと云とも、子夏の方から未学云んとなり。親切な云やふなり。易於好色之心。論語にも徳と色とをならべてあり。中庸もそれなり。大学の誠意も好色て云ふ。親切な敎訓なり。不有其身。をどけて弁を死にたい々々々々と云やふなもの。松家や文長をよびにやるも生たいからのこと。身をすてるに何んでも出きぬことはない。浅見先生が忠臣義士を集めた書を靖献遺言とつけたもこの意なり。やすんじて其身を奉ると云こと。是を本んに学ぶ者は学者じゃと子夏の云た。それじゃほどにとて、只あたまを下げることではないぞ。皆学問をするなら此通りがなる魂ですることぞ。
【解説】
「雖曰未學、吾必謂之學矣。子夏、孔子弟子。姓、卜。名、商。賢人之賢而易其好色之心、好善有誠也。致猶委也。委致其身、謂不有其身也。人之所以爲學大要、不過求欲能是四者。故如是之人、雖或以爲未嘗學、而子夏必以爲已學也」の説明。迂斎が、ここは引っ繰り返して読むのがよいと言った。自分は学んだと言っても、子夏には「未学」と言われることだろう。「色」は論語や中庸、大学の誠意でも使っている字であり、これが親切な教訓となる。
【通釈】
子夏が、孔門の歴々でこの様な人柄の人がいれば、その人の口上ではかつて学問はしたことがないと言ったとしても、学者であると表判を遣ろうと言った。今の学者は学文をすると言いながらこれに外れる。迂斎が、土井侯のところでここを読まれた時、この章を読むにはこれを引っくり返して見なさいと言われた。今の学者は、自分は必ず学んだと言っても、子夏の方から「未学」と言われるだろうということ。親切な言い方である。「易於好色之心」。論語にも徳と色とが並べてある。中庸もそれ。大学の誠意も好色で言う。親切な教訓である。「不有其身」。戯けて死にたいと言うもの。松家や文長を呼びに遣るのも生きたいから。身を捨てるのであれば、何でもできないことはない。浅見先生が忠臣義士を集めた書を靖献遺言と名付けたのもこの意である。安んじてその身を奉るということ。これを本当に学ぶ者は学者だと子夏が言った。それだけのことであって、がっかりすることはない。皆学問をするのであれば、この通りのことをする魂ですればよい。
【語釈】
・土井侯…唐津藩主。
・論語にも徳と色…論語子罕17。「子曰、吾未見好德、如好色者也」。論語衛霊公12にもある。
・中庸もそれ…中庸章句33。「詩云、予懷明德、不大聲以色。子曰、聲色之於以化民、末也」。詩は詩経大雅皇矣。
・大学の誠意も好色て云ふ…大学章句6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。
・松家…注に、田間の松家とある。医者?
・文長…注に、砂郷の文長とある。医者?