小学序  己酉七月十六日初会  惟秀録
【語釈】
・己酉…寛政元年。1789年。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

古者小學、敎人以灑掃・應對・進退之節、愛親、敬長、隆師、親友之道。皆所以爲脩身・齊家・治國・平天下之本、而必使其講、而習之於幼穉之時。欲其習與智長、化與心成、而無扞格不勝之患也。今其全書雖不可見而雜出於傳記者亦多。讀者往往直以古今異宣、而莫之行。殊不知、其無古今之異者、固未始不可行也。今頗蒐輯、以爲此書、授之童蒙資其講習。庶幾有補於風化之萬一云爾。
淳熈丁未三月朔旦、晦菴題

【読み】
古は小學、人を敎うるに灑掃・應對・進退の節、親を愛し、長を敬し、師を隆[たっと]び、友に親しむの道を以てす。皆、脩身・齊家・治国・平天下の本と爲す所以にして、必ず其れをして講じて、之を幼穉の時に習わしむ。其の習い、智と長じ、化、心と成り、扞格[かんかく]して勝えざるの患い無からんことを欲するなり。今、其の全書は見る可からずと雖も、傳記に雜出する者亦多し。讀む者往往直[ただ]古今の宜しきを異にするを以てして、之を行う莫し。殊に知らず、其の古今の異なること無き者は、固より未だ始より行う可からざるにはあらざるを。今、頗る蒐集して、以てこの書を爲し、之を憧蒙に授け、其の講習に資す。庶幾わくば風化の万一に補い有らんかと爾か云う。
淳熈丁未三月朔旦、晦菴題す

先づ人と云ものは至てよいもの。其よいも、敎なければよいがよいにたたぬ。さて、其おくればせになると、又教が敎にたたぬ。ここの処が大事なことなり。そこで垩人が、兒供が八つになると今やをそしと待兼て敎と出る。唐土も日本も八つ計りの児と云ものは、凧を上げたり土ほぢりをして居るもの。それゆへ敎と云ははやすぎるやうじゃが、垩人が待兼て教ゆることぞ。これが大切のことで、人の手あてなり。人生れて母の乳で羪ふ。それから飯をくう。誰れもはやすぎるとは云はぬ。からだの方の手あてはこのやうに手まはしがよい。後世はからだの方の手あて計りで魂の手あてがない。からだの方は手あてがよいから、死までは食をくうで無難なり。心の方は手をきがないから、今たんてきよくない人が多い。迂斎曰、敎と云は魂に元気をつけることじゃ、と。だたい親はいとしい、君は大事と云ことは、天からあてがってある。丁度手の捉り足の行くと同じく人についたものなれとも、手をきがないからわるくなる。はやくなければ手をきが手をきにならぬ。仁義の良心あれとも、敎と云ものないと仁義の元気がない。敎は玉しいの人参なり。
【解説】
人は天からよい性を宛がわれているが、それも教えがなければよくはならない。また、教えるのが遅過ぎると教えが役に立たなくなる。聖人のいた時代には、子供が八歳になると教え始めた。しかし、後世は身体ばかりの手当をして、心の手当をしない。
【通釈】
先ず、人というものは至ってよいものだが、そのよいというのも教えがなければよいということにならない。さて、それが遅れ馳せになると、また、教えが教えとならなくなる。ここの処が大事である。そこで聖人は、子供が八歳になると今や遅しと待ち兼ねて教え始める。唐土も日本も八歳頃の児というものは凧を上げたり土穿りをしているもの。そこで、教えるというのは早過ぎる様だが、聖人は待ち兼ねて教える。これが大切なことで、人のする手当なのである。人が生まれると母の乳で養う。それから飯を食う。それを誰もが早過ぎるとは言わない。身体の方の手当はこの様に手回しがよい。後世は身体の方の手当ばかりで魂の手当がない。身体の方にはよく手当をするから、死ぬまで飯を食って無難である。心の方は手置がないから、今端的よくない人が多い。迂斎が、教えとは魂に元気を付けることだと言った。そもそも親は愛しく君は大事だということは、天から宛がわれてあるもの。それは、丁度手で捉まえ足で行くのと同じく人に付いたものだが、手置がないから悪くなる。早くなければ手置が手置にならなくなる。仁義の良心があっても、教えがないと仁義に元気がない。教えは魂の人参である。
【語釈】
・兒供が八つになると…大学章句序。「人生八歳、則自王公以下至於庶人之子弟、皆入小學。而教之以灑掃・應對・進退之節、禮・樂・射・御・書・數之文」。

古者小学。ものはしづけが大事。小学では思はず知らずをしへこまるる。直方先生曰、小学は桑名の夜舩のやうなもの、と。思はずしらず向へすすむ。小学校の教は歴々の子の上品なやうなもの。歴々の兒は、教はなくとも平生の仕付がよいゆへ自然と上品になる。小学も深いあやを云でもなく、小学校で教へ立るゆへ自然とよくなる。三代の古は学校の敎が盛なゆへ、吾れ知らずによくなる。比屋可封もここからなり。習はふより馴れよと云もここ。武士の兒の脇指を忘れぬやうになるは、兒共のときからさす故なり。八歳から小学に入るると云が甚思召あることなり。古は小学校か今の寺や辻番のあるやうにここかしこにあるによって、それに入れて敎へたが、今は学校がないから此小学をよんで兒共をしこむこと。朱子の古へ小兒を敎たことをあつめられた。これを読むで学校のかけが補はるる。
【解説】
「古者小学」の説明。古の小学校の教えは躾によって知らずに仕込まれるもの。昔は小学校がそこかしこにあったが、今はそれがないので朱子が古の小児への教えを編し、小学校の欠けを補ったのである。
【通釈】
「古者小学」。ものには躾が大事。小学では思わず知らずに教え込まれる。直方先生が、小学は桑名の夜船の様なものと言った。思わず知らず向こうへ進む。小学校の教えは歴々の子の上品な様なもの。歴々の児は、教えがなくても平生の躾がよいので自然と上品になる。小学も深い綾を言うことではなく、小学校で教え立てるので自然とよくなる。三代の古は学校の教えが盛んだったので、我知らずによくなった。「比屋可封」もここからのこと。習うより慣れよと言うのもここ。武士の児が脇指を忘れない様になるのは、子供の時から差すからである。八歳から小学に入れるというのが甚だ思し召しのあること。古は小学校が今の寺や辻番のある様にここかしこにあったのでそこに入れて教えたが、今は学校がないからこの小学を読んで子供を仕込むのである。朱子が古に小児を教えたことを集められた。これを読むことで小学校の欠けを補うことができる。
【語釈】
・桑名の夜舩…桑名の七里の渡し。東海道は尾張の熱田から伊勢の桑名までの七里を船で渡る。これを「七里の渡し」と言う。
・比屋可封…文選。「尚書大傳曰、周民可比屋而封」。

灑掃應對。はいたりふいたりすることが教にはならぬやふしゃが、年の相応なり。人はをこたるとわるくなる。人のわるくなるはをごりたかぶりから中の心はみんなになる。今は町人百姓でも、大尽の兒はあたまのはげたものにも平外を云。だたい貴賎の差別は兒共にはなきことなり。歴々の子でも、親のをるあたりをはいたりふいたりするは孝々を習ことなり。大名の兒でも、孝心な人は、近習が十人ありても親の給仕は自身でする。こうでなければ成人の後に、不脱冠帶養ふと云に至られぬぞ。○子どもの返事のしやうがわるくても不孝の本になる。きかぬふりしたり、むむとなまけたり、あれ呼っしゃると、人を呼ついたりするは、ようないことが今の子ともには多いぞ。応。さえた返事をすること。對。こまかにこたへること。たとひ応對がわるいとてわる心でもないが、小兒はあそびにほうけるゆへ、得手わるくする。そこをはやそをせぬものと敎えることなり。わる心ができてからは手がまはらぬ。
【解説】
「敎人以灑掃・應對」の説明。「灑掃」は年相応のことで、これが孝行を習うことになる。「応」は冴えた返事をすること。「対」は細かに応えること。返事の仕方が悪いのは不孝の本となる。人は怠ると悪くなる。小児は遊び惚けるので悪くなり易い。悪心からする様になっては手遅れである。
【通釈】
「灑掃応対」。掃いたり拭いたりすることは教えにならない様だが、それが年相応なこと。人は怠ると悪くなる。人が悪くなるのは奢り高ぶりからで、それで中の心は台無しになる。今は町人や百姓でも、大尽の児は頭の禿げた者にも平外を言う。そもそも貴賎の差別は子供にはないこと。歴々の子であっても親のいる辺りを掃いたり拭いたりするが、それが孝行を習うことになる。大名の児でも孝心な人は、近習が十人あっても親の給仕は自身でする。こうでなければ成人になった後に、「不説冠帯而養」という様になることはできない。子供の返事の仕方が悪いと、それが不孝の本になる。聞かない振りをしたり、むむと怠けたり、あれが呼んでいるぞと、人を呼び付けたりする様な、よくないことが今の子供には多い。「応」。冴えた返事をすること。「対」。細かに応えること。たとい応対が悪いとしてもそれが悪心からでもないが、小児は遊びに惚けるので得手して悪くする。そこを直ぐにそうはしないものだと教えるのである。悪心が出来てからでは手が回らない。
【語釈】
平外
・不脱冠帶養ふ…小学内篇稽古9。「文王有疾、武王不説冠帶而養。文王一飯亦一飯。文王再飯亦再飯」。

進退之節。立ちふるまい。はきさうじもほどらいのあることなり。中庸の中節もここからゆかるるぞ。理に大小のないを知ることぞ。いかにさうじがよいと云ても、足りが一日親の脇をたたき立ると、あんまりじゃと云はるる。返事をはっきりするがよいとこそ云へ、火事塲のやうでは高すぎる。そこで、之節と云。節はほどよいと訓ず。
【解説】
「進退之節」の説明。「進退」は立振舞いであり、それには程度というものがある。その程度というのが「節」である。
【通釈】
「進退之節」。立振舞い。掃き掃除をするにも程度というものがある。中庸の「中節」もここから行くことができる。理に大小のないことを知るのである。いかに掃除がよいと言っても、一日中親の脇を叩き立てると余りなことだと言われる。返事をはっきりするがよいとこそ言え、火事場の様では高過ぎる。そこで、「之節」と言う。節はほどよいと訓ずる。
【語釈】
・中庸の中節…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也」。

愛親。人の忝けなさには、親を大事に思はぬものはない。吾がもちまへにあることなれとも、これを敎の方へはめ子は、有が有るにならぬ。もちまえにあるを、やか上へしこむと云が大切なこと。幼子じゃから親の病気の時も子せてをけと云と、はやはるい。幼年の子でも、吾か親は馬鹿じゃと云と腹を立て石をなげつける。備ったものじゃ。なれともすててをけと云ことはならぬ。其上をしこむが敎也。
【解説】
「愛親」の説明。親を大事に思うのは人の持前だが、教えで仕込まなければ、その持前を発揮することはできない。
【通釈】
「愛親」。人は忝いことに、親を大事に思わない者はいない。それは自分の持前としてあることだが、これを教えの方に嵌めなければ有るが有るにはならない。持前としてあるものを弥が上に仕込むというのが大切なこと。幼子だから親の病気の時も寝かせて置けと言うのは、それが直に悪い。幼年の子でも、自分の親は馬鹿だと言われると腹を立てて石を投げ付ける。それは備わったもの。しかし、備わっているのだから放って置けと言ってはならない。その上を仕込むのが教えである。

敬兄。兄弟と云には、一歳二才のましをとりもある。大身の衆、妾ある上では、兄は今日四つ時生れ、弟は翌日九つ半に生れたと立位い違ふもある。それでもきっと敬せ子はならぬこと。兄弟何気なく幼年の時はをどけさわぐが、敬ふがないとわるくなる。これをやがてと云てのばさぬこと。三つ子の魂百までなり。ゆだんせぬことぞ。
【解説】
「敬兄」の説明。兄弟は幼年の時は何気なく戯け騒ぐが、敬うことがないと悪くなる。三つ子の魂百までである。
【通釈】
「敬兄」。兄弟には一歳二歳の勝り劣りもあるが、大尽の衆で妾を持つ上では、兄は今日四つ時に生まれて、弟は翌日九つ半に生まれれば、それで立つ位地が違うこともある。それでもしっかりと敬さなければならない。兄弟は幼年の時は何気なく戯け騒ぐが、敬うことがないと悪くなる。これをやがてしようと言って延ばしてはならない。三つ子の魂百までである。油断をしてはならない。

隆師。後世には師は拂底なり。今は師ありてもこの師の字へはあてにくい。兒共に師と云は手習師匠が一ちはやいが、そちの師匠の手はよいないと云と腹を立つ。もちまえにあることなり。この隆の字、たっとびとよむも面白い。いこうさかんにすること。古の師と云は本の師で、吾がからたを建立するものなり。隆の字はいこふ尊ぶことで、何事でもにげても、師の字はにげることならぬわけのもの。吾身のこと、皆師から出る。師の云付けは右のものを左りにすることもならぬもの。いこう師でさかんにすること。公方様の仰付のやうにすること。古の字をかふりてをるぞ。昔はこふじゃ、と。
【解説】
「隆師」の説明。師とは、自分の身体を建立する者であり、我が身のことは皆師から出る。師弟の関係は人の持前である。
【通釈】
「隆師」。後世では師は払底である。今は師があってもこの師の字へは当て難い。子供の師と言えば手習師匠が一番わかり易いが、お前の師匠の手はよくないと言われると腹を立てる。これは持前としてあること。この「隆」の字をたっとびと読むのも面白い。大層盛んにすること。古の師というのは本当の師のことで、自分の身体を建立する者。隆の字は大層尊ぶことであって、何事からも逃げることができたとしても、師の字は逃げることができない訳のあるもの。我が身のことは皆師から出る。師の言い付けは右のものを左にすることもならないもの。師で大層盛んにするのである。それは公方様の仰せ付けの様にすること。これは古の字を被っている。昔はこうだということ。

親友。物を成就するには友なくてはならぬ。旅は道づれ。連れではががゆく。友はいこう大事なもの。それには信切を尽してほや々々するでなくてはならぬ。今の人の深切らしくほや々々するは、碁の友、酒の友、あい口なり。この友は、若いものを呑せてさきをよくするなり。それをほや々々すると云はよく々々しこみのよいのなり。
【解説】
「親友之道」の説明。ものを成就するには友がなくてはならない。友とはその人の後をよくする者である。
【通釈】
「親友」。ものを成就するには友がなくてはならない。旅は道連れ。連れで計が行く。友は大層大事なもの。それには深切を尽くしてほやほやとするのでなくてはならない。今の人の深切らしくほやほやとするのは、碁の友、酒の友、合口である。この友は、若い者を呑ませてその後をよくする者。それをほやほやとすると言うのは、よくよく仕込みがよいのである。

之本。応對から大きくなる。上野の中堂や天守の成るは一簣のこぼつから地形になる。親によく返事をするが一と持篭なり。洒掃応對が皆大学の事業の基い本、下地なり。下地を大事にすると云ことは職人も知ったこと。下たぬりがわるければ、蒔き繪はかけられぬと云。天下国家大きいこと。洒掃応對は少いこと。小さいことはどうてもよいとはいはれぬ。大きいことのならぬは、小さいことのぬけからなり。一日に二十里つつあるくひきゃくが、京へもそっとにしても、足のうらに小さいまめができてははやゆかれぬ。只二日路ののこりじゃ、ゆかづともよいとは云はれぬ。小学でなければ大学へは行つかれぬ。学文なしの斉家治国平天下は生壁にしっくいなり。幟兠の雨に逢ふて後はばらばらなり。迂斎曰、天下に賢人賢君のできぬと云も大学のあやではない。小学のないゆへ、と。小学さへあれば、それから大学へゆかるる。小学はぢりり々々々とよくなるもの。三代の後平治のないと云も、小学校のないゆへなり。公家や大名の上品なと云も平生のよいしこみ。よい行作からじり々々と吾れ知らず上品になる。小学はじりり々々々と垩人になること。小学のしこみと云ことなしに大学にならうとするは、百姓が種を持たぬやうなもの。正月から精出して田へ入りづめに精根をしても、いくらこやしがつんでありももやくにたたぬ。世のことわざにも、た子のないしなだまはとられぬやふなものじゃ。
【解説】
「皆所以爲脩身・齊家・治國・平天下之本」の説明。洒掃応対は大学の事業の基本であり下地である。天下に賢人や賢君ができないのは大学のことではなく、小学がないからである。小学の仕込がなければ大学には進めない。
【通釈】
「之本」。応対から大きくなる。上野の中堂や天守ができたのは、一簣の簣からその地形となったのである。親によく返事をするのが一もっこである。洒掃応対が皆大学の事業の基本、下地である。下地を大事にするということは職人も知っている。下塗りが悪ければ、蒔絵は描けないと言う。天下国家は大きいこと。洒掃応対は小さいこと。小さいことはどうでもよいとは言えない。大きいことのできないのは、小さいことの抜けからである。一日に二十里ずつ歩く飛脚が京へもう少しで着くとしても、足の裏に小さい豆ができては最早行くことはできない。只二日路の残りだ、行かなくてもよいとは言えない。小学でなければ大学へは行き着けない。学文なしの斉家治国平天下は生壁に漆喰で、幟兜が雨に逢った後にばらばらになるのと同じである。迂斎が、天下に賢人賢君ができないというのも大学の綾ではない、小学がないからだと言った。小学さえあれば、それから大学へ行くことができる。小学はじっくりとよくなるもの。三代の後に平治がないというのも小学校がないからである。公家や大名が上品なのも平生のよい仕込から。よい行作からじっくりと我知らずに上品になる。小学はじりりじりりと聖人になること。小学の仕込みということなしに大学になろうとするのは、百姓が種を持たない様なもの。正月から精を出して、田へ入り詰めに精根を尽くしても、いくら肥やしが積んであっても役に立たない。世の諺にも種のない品玉は取れないとある。それと同じ。
【語釈】
・た子のないしなだま…品玉も種から。何事をするにも、材料がなければ手の下しようのないたとえ。

講而。わざをならはぬこと。なろうこと。講武と云字もあり。軍のならしをすること。
【通釈】
「講而」。業を習うのではなく、慣れること。講武という字もある。それは軍の慣らしをすること。

其習。習ふと云は藥をのむやうなもの。小学は藥なり。習と云が外からすることのやうでも、さて々々一つになるもの。内の知とともに一つになる。
【通釈】
「其習」。習うとは、薬を飲む様なもの。小学は薬である。習は外からすることの様だが、実に一つになるもの。内の知と共に一つになる。

化與心成。化はいつの間にかよくなること。持藥のきいたやうなもの。化と云は、今の青密柑かいつの間にか黃色になる。○知と心は内、化と習は外なり。外から内と一つになる。上総の者が幼年から京でそだつと京詞になるぞ。これでは誰も知ったことなれとも、敎でこうなることは知らぬ。化与心成はすぐに気質変化のことなり。徂莱や大宰が気質変化と云と、それがどうなるものぞ、とほうもないことを云とてわるく云が、この賈諠が治安の策に書た詞がすぐに気質変化じゃと云ことを知らぬ。そこで賈誼をはちさうして、朱子とさへ云とわるく云もをかしし。これが気質の偏とは云ながら、語の根がらを知らぬゆへのことなり。○この気質変化がよくなる方では誰れも気がつかぬから、まあそうしてをけと云か、悪るくなる方でよく知るる。小兒のとき密柑や喰いものの多少美悪てせり合ふから、はや利心でそれが長じてついてまわる。末はとほうもないことになる。若い息子を堺丁へやってをくと、をのづと道樂になる。気質の敎は交りが大事。山家の人は人交りもすくないから質朴な風になる。都下の人は利に慣ふてわるじゃれになる。敎は気質をなをすもの。それほとよい敎でも、をそいとはやうけぬ。
【解説】
「化與心成」の説明。「化」はいつの間にかよくなること。知と心は内、化と習は外で、外からのことで内がよくなる。徂徠や太宰は気質変化はできないことだと言うが、彼等が賞賛する賈誼自身が「化與心成」と言っていることを理解していない。気質の教えは交わりが大事である。また、教えは気質を直すものだが、遅いと通じない。
【通釈】
「化与心成」。「化」はいつの間にかよくなることで、持薬の効いた様なもの。化は、今の青蜜柑がいつの間にか黄色になる様なもの。知と心は内、化と習は外である。外から内と一つになる。上総の者も幼年から京で育てば京詞になる。それは誰も知ったことだが、教えでこうなることは知らない。「化与心成」は直に気質変化のこと。気質変化と言うと、徂徠や太宰が、それはどうすることもできないこと、途方もないことを言うと悪く言うが、賈誼が治安の策に書いたこの詞が直に気質変化だということを知らない。そこで賈誼を馳走して、朱子とさえ言えば悪く言うのも可笑しなこと。それは気質の偏とは言いながら、語の根を知らないのである。この気質変化がよくなる方は誰も気が付かないから、まあそうして置けとも言うが、悪くなる方でよくわかる。小児の時に蜜柑や食物の多少や美悪で競り合うから、早くも利心が出て、それが長じて付いて回る。末は途方もないことになる。若い息子を堺町へ遣って置くと自ずから道楽になる。気質の教えは交わりが大事。山家の人は人交わりも少ないから質朴な風になる。都下の人は利に慣れて悪戯れになる。教えは気質を直すもの。それほどよい教えでも、遅いと最早通じない。
【語釈】
・賈諠…賈誼。前漢の学者。洛陽の人。文帝に仕え諸制を改革、長沙王および梁の懐王の太傅となった。著「新書」「治安策」「過秦論」「左氏伝訓詁」など。前200~前168

扞挌不勝。桐油に水をかちるやうにはじくこと。それほどよい敎でも、十五六、二十にもなるとはやふせぐを、やが上々と教るとせつながっては子かへす。先軰の弁に、米つきをかこいへ入れ、舩頭を二疂鋪え入れたやふなもの。たへか子ること、と。茶人のせまい処を何共思はぬはしつけたからなり。百姓を朝から晩まで上下でしゃんとしてをくとこまる。かつてならぬこと。武士は兒共のときからなれて、何とも思はぬ。
【解説】
「扞格不勝之患也。」の説明。教えも青年になると切ながる様になって撥ね返す。子供の頃から慣らして置けば、切ながる様なことはない。
【通釈】
「扞格不勝」。桐油に水を掛けた様に弾くこと。それほどよい教えでも、十五六、二十にもなると早くも防ぐ様になる。そこを弥が上に教えると、切ながって撥ね返す。先輩の弁に、米搗きを囲いに入れ、船頭を二畳敷に入れた様なもので、耐えられないとある。茶人が狭い処を何とも思わないのは躾けたからである。百姓を朝から晩まで裃でしゃんとさせて置くと困る。それは全くできないこと。武士は子供の時から慣れていて、何とも思わない。
【語釈】
・桐油…桐油紙の略。桐油をひいた紙。もと美濃紙を用いた。よく湿気・雨などを防ぐので桐油合羽・包み紙に用いる。合羽紙。

欲無。八歳からしこんでふせがぬやうにしたいと、垩人から欲すなり。猫や狆もはやく行義をしこんでおくがよい。客の来たとき計りしかってはならぬと迂斉云り。鼻づらをこするも益ない。子牛の角は若いときからまげそだった上ては、四天王の手ぎはにもゆかぬ。
【通釈】
「欲無」。八歳から仕込んで防がない様にしたいと、聖人は欲した。猫や狆も早く行儀を仕込んで置くのがよい。客が来た時ばかり叱ってはならないと迂斎が言った。鼻面を擦るのも益のないこと。子牛の角は若い時から曲げて育っては、四天王の手際でも伸ばすことはできない。

今其全書雖不可見。小学の書と云は何の書にも書てないが、大学と云書あるから小学もある筈と理からをして云こと。小学大学と云は飯椀汁椀と云やうなもの。大学と云があるから小学と云ことある筈、とみたこと。あるにしても、秦が書をやいたから樂経なともやけた。別して小学をは、それ、はやくやけと云つろう。それゆへ見られぬ。
【解説】
「今其全書雖不可見」の説明。大学という書があるからは、小学という書はある筈である。しかし、秦の時に焚書があったので、特に小学の書などは早く焼かれ、今はそれを見ることができないのである。
【通釈】
「今其全書雖不可見」。小学の書はどの書にも書いてはないが、大学という書があるから小学もある筈だと理から推して言った。小学と大学は飯椀と汁椀の様なもの。大学があるから小学ということがある筈と見た。それがあるとしても、秦が書を焚いたから楽経なども焼けた。特に小学は、それ、早く焼けと言ったことだろう。それで見ることができなくなった。

襍出於傳記者亦多。礼記の中に大中のありたやうに、小学も一部そろうてなしとも、曲礼少儀内則や管子の弟子職など云やうに、ちらほらかれやこれやにありたれとも、読者往々、誰も彼もがちょこ々々々見へても、誰でもよいととりあげたものない。
【解説】
「而雜出於傳記者亦多。讀者往往」の説明。小学の内容は、曲礼少儀内則や管子の弟子職の中にもあったのだが、それを見出すことは誰もできなかった。
【通釈】
「雑出於伝記者亦多」。礼記の中に大学と中庸があった様に、小学は一部も揃っていなくても、曲礼少儀内則や管子の弟子職などという様に、ちらほら、かれやこれやとあったのだが、「読者往々」で、誰も彼もがちょこちょこと見ることができたが、誰もそれをよいものだとして取り上げなかった。

以古今異宣、莫之行。これには同心するものか多い。志のないものの云こと、皆是なり。何んでもしやうと思ふことはさしつかへぬもの。昔さうでも今はさしちかへやうと云は、せぬ気からなり。利口なやつが孝弟忠信はならぬとも云は子ども、こまったことには昔と今とは教のしむけが違ふ、昔は昔、今は今じゃと云。処を朱子のつかまへて、殊不知、其無古今之異者、固未始不可行也。中蕐の住居は鋪瓦、日本のすまいは疂、洒掃々々と云ても、たたみの上に水をうっては以の外なり。唐は牛羊を喰ふ。日本は鯛平目。こんなことこそちがへ、ひだるいとき食をくい、きたない処を掃除するに違ふやうはない。尤、中にちごうこともあるが、それは希じゃ。日本でも、中古はひたたれを着たからと云て今着て出るとあやしいやつと加役に咎めらるるが、親に孝、君に忠か今ははやらぬと云ことはない。敬兄愛親、昔はこれがよく、今は不返事をするで親が悦ばるると云ことはない。
【解説】
「直以古今異宣、而莫之行。殊不知、其無古今之異者、固未始不可行也」の説明。昔と今とは教えの仕向けが違うと人は言うが、それはしようとしない気だからである。中華と日本の間、日本の古今に違いがあっても、小学の教えに古今の違いはない。
【通釈】
「以古今異宣、莫之行」。これには同心する者が多い。志のない者の言うことは皆これである。何でもしようと思うことは差し支えないもの。昔はそうでも今は差し違えるだろうと言うのは、しない気だからである。利口な奴は、孝弟忠信はできないとも言わないが、困ったことには昔と今とは教えの仕向けが違う、昔は昔、今は今だと言う。そこを朱子が捕まえて、「殊不知、其無古今之異者、固未始不可行也」と言った。中華の住居は敷瓦、日本の住いは畳、洒掃々々と言っても、畳の上に水を打っては以の外である。唐は牛羊を喰う。日本は鯛平目。こんなことこそ違え、空腹の時に食を食い、汚い処を掃除するのに違いはない。尤も、中には違うこともあるが、それは希である。日本でも、中古は直垂を着たからと言って、今それを着て出ると怪しい奴だと加役に咎められるが、親に孝、君に忠が今は流行らないということはない。「敬兄愛親」、昔はこれがよく、今は不返事をするので親が悦ばれるということはない。
【語釈】
・加役…江戸時代の火付盗賊改の俗称。

今頗蒐輯云々授之童蒙。今日昔のことをあつめて、古のやうに小学校かないから此本を小学校のかはりにして、昔の小学はこうでありたとしらせること。これが日本では尚更大切なこと。小学校のかはりに是を読むことなり。この書があれは、たとい三代の古へに復せぬとても、風俗のためになるなり。
【通釈】
「今頗蒐輯云々授之童蒙」。今日昔のことを集めて、古の様に小学校がないからこの本を小学校の代わりにして、昔の小学はこうだったと知らせた。これが日本では尚更大切なこと。小学校の代わりにこれを読むのである。この書があれば、たとい三代の古に復せなかったとしても、風俗のためにはなる。

庶幾有補風化之万一云示。君子之徳風なり、小人之徳者草也。上天子から風化と、下を敎へたい思召のあるとき、小学もすこしは御為にもならとなり。
【通釈】
「庶幾有補風化之万一云示」。「君子之徳、風。小人之徳、草也」で、上天子から風化で下を教えたいという思し召しのある時、小学も少しはお為にもなることだろう。
【語釈】
・君子之徳風なり、小人之徳者草也…孟子滕文公章句上2。「君子之德、風也。小人之德、草也。草尚之風必偃」。

さて、小学と云へは人がかるく心得るが、いこう重いことなり。大学の下地なり。某が発明に、朱子の小学を作りたは、孔子の春秋を作りたと同しことと見ようこと。春秋者天子の事なり。乱臣賊子懼る。朱子の小学も風化とあるでもよ。書は小学としても、平天下の事業でやはり天子の敎化になる。大学の下地になる。下地なしに蒔繪はかけられぬ。天下に三代の政のないと云は小学のない故なり。すれは風化の万一処ではない。重いことでなくてならぬことなり。孔子の春秋は王化の衰へ、天下の乱れてから後を見て出来たこと。小学も古の王化の通りに、まだいわけのない子共から教へ立て、三代の教をすることぞ。すれは誰れも文義のすまぬものはない。なれとも、此小学をいこう大切に預ることとみるでなくては学識ではない。とかく小学をばけれことに心得る。大学の格致誠正脩をして垩人になると云の相談は至て大なれとも、吾れ一箇のことを吾心ですることゆへ、却てどうとも相談がなくよい。小学は天下の人をよくすることゆへ、あたり近所の気が揃は子ばならぬ。上の息がかから子はならぬ。風化の字もみよ。下の力には及ばぬこと。
【解説】
小学は大学の下地なので重い。それは孔子が春秋を作ったのと同じである。孔子の春秋は王化の衰えを見てできたことで、小学も古の王化の通りに、まだあどけない子供から教え立て、三代の教えをするものである。天下の人をよくするには、人の気が揃わなければならない。そこで、上の息が掛からなければならないのである。
【通釈】
さて、小学と言うと人が軽く心得るが、大層重いことで、大学の下地である。私の発明だが、朱子が小学を作ったのは、孔子が春秋を作ったのと同じことだと見るべきである。「春秋、天子之事也」。「乱臣賊子懼」。朱子の小学に風化とあるのを見なさい。書は小学としても、平天下の事業で、やはり天子の教化になる。大学の下地になる。下地なしに蒔絵は描けない。天下に三代の政がないと言うのは小学がないからである。それなら「風化之万一」処ではなく、重いことでなくてはならないこと。孔子の春秋は王化の衰え、天下の乱れた後を見てできたこと。小学も古の王化の通りに、まだあどけない子供から教え立て、三代の教えをするものである。それなら誰も文義の済まない者はない。しかし、この小学を大層大切なことに与るものと見るのでなければ学識ではない。とかく小学を仮令に心得る。大学の格致誠正の修めをして聖人になるという相談は至って大きなことだが、自分一箇のことを我が心ですることなので、却ってどうも相談がなくてもよい。しかし、小学は天下の人をよくすることなので、辺り近所の気が揃わなければならない。上の息が掛からなければならない。風化の字を見なさい。それは下の力には及ばないことである。
【語釈】
・春秋者天子の事なり…孟子滕文公章句下9。「春秋、天子之事也」。
・乱臣賊子懼る…孟子滕文公章句下9。「孔子成春秋、而亂臣賊子懼」。

某が今小学をよむは小学校のことではない。学者の格致の一つなり。大学の咄しなり。小学校とは云はれぬ。今日此方で敎をせうものは領主のことなり。さて田舎などて名主か親かなり。小学の敎は浪人の身分ではならぬこと。兒共を仕込には気が揃は子ばならぬこと。一人の親が小学を仕込ふとしても、はやとなりへ行くとわるいたづら、宝引などに誘はるる。書をよんで居れは、となりで淨瑠離三味線を始める。これではゆかぬ。そこで志ある役人が村所にあれば、それと心ある親が同心して、生れをちるからのしこみをすてなる。とかく気がそろは子はならぬことで、書物より前にしこみの入ることなり。小学の講釈が始りたらはせがれを出したいと云はわるいとは云はれ子とも、小学と云のあやを知らぬこと。小学の教と云は小学の書を講釈することではない。小学のしこみは親にあること。そのしこみなしにこうしゃくに出したいと云は、二階から目藥なり。小兒の耳にこのあやがどう聞へようぞ。小兒の敎は小学校でなければならぬ。某がこれをよむは小学の講釈なり。朱子の此書を風化の万一と云も、此書の通りに所々へ敎を仰付らるるやうなれは風化の。浪人か講釈しては役にたたぬ。
【解説】
小学の講義は小学校のことではなく、学者の格致の一つである。また、小学の教えは小学の書を講釈することではなく、親が子を仕込む様なことである。小児には、書物よりも前に仕込みが要る。そこで、小学の教えを実践する者は領主であり、名主であり、親なのである。
【通釈】
私が今小学を読むのは小学校のことではなく、学者の格致の一つであって、大学の話である。小学校のこととは言えない。今日日本で教えをすべき者は領主である。また、田舎などでは名主や親などがすべきである。小学の教えは浪人の身分ではできないこと。子供を仕込むには気が揃わなければならない。一人の親が小学を仕込もうとしても、早くも隣へ行くと悪戯、宝引などに誘われる。書を読んでいると、隣で浄瑠璃三味線を始める。これではうまく行かない。そこで志ある役人が村所にいれば、それと心ある親が同心して、生まれ落ちてから直ぐに仕込みをするので成る。とかく気が揃わなければならならず、書物よりも前に仕込みが要るのである。小学の講釈が始まるのなら、忰を講席に出したいと言うのは悪いとは言えないが、それは小学の綾を知らないのである。小学の教えは小学の書を講釈することではない。小学の仕込みは親にあること。その仕込みなしに講席に出したいと言うのは、二階から目薬である。小児の耳にこの綾がどうして聞こえるものか。小児の教えは小学校でなければならない。私がこれを読むのは小学の講釈である。朱子がこの書を「風化之万一」と言ったのも、この書の通りに所々へ教えを仰せ付けられる様であれば風化となるからである。浪人が講釈しても役には立たない。
【語釈】
・宝引…福引の一種。幾本もの綱を束ねてそれを人に引かせ、胴ふぐり(木槌)または橙の果実のついている綱を引き当てた者が勝で、賞を得る。また、直接、綱の端に金銭や品物を結びつけた。正月の遊戯や賭博として行われた。