小学外篇

十一月二十六日
【語釈】
・十一月二十六日…寛政元年(1789)11月26日。

詩曰、天生烝民、有物有則。民之秉彛、好是懿德。孔子曰、爲此詩者其知道乎。故有物必有則、民之秉彛也。故好是懿德。歴傳記、接見聞、述嘉言、紀善行、爲小學外篇。
【読み】
詩に曰く、天の烝民を生ずる、物有れば則有り。民の秉彛、是の懿德を好む、と。孔子曰く、此の詩を爲る者は其れ道を知るか、と。故に物有れば必ず則有りは、民の秉彛なり。故に是の懿德を好む。傳記を歴[かんが]え、見聞を接[まじ]え、嘉言を述べ、善行を紀[しる]して、小學の外篇を爲る。

小学に内篇外篇のあるはきるものに表と裏のあるやふなもの。裏表のあるて小袖一つになる。それ故どちもすてることはならぬ。然れとも内篇がをもて。外篇はそへたことぞ。それゆへ朱子の最初小学を作られる時、外篇を作くろうと云思召はない。内篇を作てみたれば、是は何であろうと内外とするがよかろふとて外篇をば作られたるなり。委細の言は荅劉子澄書に詳なり。偖て外篇には自漢以来後世のことを載せるが趨向なり。内篇の稽古にある興起をもふ一つ親切にしたもの。惣体近ひことか此方へべったりとくるもの。古の叓と聞とひびきがかいない。此頃と云とひびく。熊坂と云とそうもないが、此頃はぶっそうでこざると云とはや錠の世話をする。そこで兎角近ひことは人の心を動すもの。それゆへ宋朝のことがををひ。尤も漢唐のこともある。近ひことなり。三代のことでも興起すれとも、三代のことは人が分んのことしゃと思。神武天皇の時分と云より頼朝以来より御當家の始と云と、其中にはそなたの高祖父がと云こともあるゆへのっひきならぬ。
【解説】
小学は内篇が表で外篇は裏である。朱子は始めは外篇を作る思惑はなかった。外篇には宋の話が多く、漢唐のこともある。それは、近いことはよく響くからである。
【通釈】
小学に内篇と外篇があるのは着物に表と裏のある様なもの。裏表があるので一つの小袖になる。そこで、どちらも捨てることはならない。しかし、内篇が表で外篇は添えたこと。それで、朱子が最初に小学を作られる時、外篇を作ろうという思し召しはなかった。内篇を作って見ると、これはどうしても内外とするのがよいだろうと思って外篇を作られたのである。委細のことは答劉子澄書に詳しくある。さて外篇には自漢以来後世のことを載せるのが趨向である。これが内篇の稽古にある興起をもう一つ親切にしたもの。総体近いことはこちらにべったりと来るもの。古のことと聞くと響きが甲斐ない。この頃と言うと響く。熊坂と言うとそうでもないが、この頃は物騒だと言うと、早くも錠の世話をする。とかく近いことは人の心を動かすもの。そこで宋朝のことが多い。尤も漢唐のこともある。それは近いからである。三代のことでも興起はするが、三代は特別な人だと思う。神武天皇の時分と言うよりも、頼朝以来より御当家の始めと言うと、その中には貴方の高祖父がということもあるのでのっぴきならないものとなる。
【語釈】
・興起…小学内篇稽古題下。「摭往行、實前言、述此篇使讀者有所興起」。

○詩曰云々。偖て天と云字は誰れも彼れも近付な文字。其天は誰も近付なれども、様々指す塲が多い。蒼々たる天はあのあをそらで云たもの。是は紺屋迠も合点して云こと。そら色と云なり。扨又道理のことを天と云。此天は道理の奥の院を見せたこと。道理の垩作でないことを云。さてもう一つは天道がをそろしいと云ことあり、なんとなくぞっとするやうなきみあるなり。不埒なことをすると上に天が見てござると云。上に何者やら見てをるやうなり。ここで天と云はそのやうな三色の天のことではない。天は物をこしらへる役人。何もかもあらゆる世界のものをこしらへるが皆天也。そこて天のことを造物者とも云。天地の内にあるものは誰がこしらへると云に天なり。此天が形でもなく道理で云天でもない。天道がをそろしいと云でもない。此天は理と云ものと気と云ものが一つになって物をこしらへる天なり。是は天の役分から名付たもの。禽獣草木皆天で出来るが、其中第一重ひものは人なり。
【解説】
天にも色々な天がある。青空ということもあり、道理ということもあり、天道ということもある。しかし、ここの天は全てのものを拵えることで言う。理と気とでものを拵える天のことである。
【通釈】
「詩曰云々」。さて天という字は誰も彼もが近付きな文字である。天は誰もが近付きだが、指す場は様々ある。蒼々たる天はあの青空で言ったもの。これは紺屋までもが合点して言うことで、空色と言う。さてまた道理のことを天と言う。この天は道理の奥の院を見せたこと。道理が聖作でないことを言う。さてもう一つは天道が恐ろしいということがあり、何となくぞっとする様な気味がある。不埒なことをすると上に天が見ておられると言う。上に何者かが見ている様である。ここで天と言うのはその様な三色の天のことではない。天は物を拵える役人。何もかもあらゆる世界のものを拵えるのは皆天による。そこで天のことを造物者とも言う。天地の内にあるものは誰が拵えるのかといえば天である。この天が形でもなく道理で言う天でもない。天道が恐ろしいということでもない。この天は理というものと気というものが一つになって物を拵える天のこと。これは天の役分から名付けたもの。禽獣草木も皆天でできるが、その中で一番に重いものは人である。
【語釈】
・詩曰…詩経大雅烝民。

○此民は歴々も軽ひ者もひとつにこめて云こと。○烝はむすと云字で、天地の間で人の出来るは天地の気がむして出来る。浅見先生の、井籠でむすやうなものと云れた。天子から庻人迠皆天がこしらへさっしゃる。○物は形の出来る処をつかまへて、是は人間に限らず物があると物ぎりてなく、それには道理が存してある。すぐに此のことをは性とも云。○則はどふしたことなれば、何の上にも此の則のないことはない。物は形した上で云。人間の体は物の体ばかりでなく、すぐに其体の中に仁義礼智と云結搆なものをあてごうてをるゆへ、有物有則と云。孟子の性善と云もこれ。中庸の天命之性もこれ。大学の明德もこれ。論語の仁もこれなり。物を物ぎりでとをさず、物の上には理がある。是をこはりに云と、耳と云形があると耳には必聦と云ものがある。目が天地自然に出来たと云てをくてなく、目には必是非黒白を見分ると云ものあり、どのやうな微物でも形か出来るがさいご、道がある。
【解説】
人は天地の気が蒸してできる。「物」は形のできるところで言う。物ができると、それには道理が存している。これを性とも言う。人ができるとそれには則があり、仁義礼智が備わっている。物には理がある。
【通釈】
この「民」は歴々も軽い者も一つに込めて言う。「烝」は蒸すという字で、天地の間で、人は天地の気が蒸してできる。浅見先生が、蒸籠で蒸す様なものだと言われた。天子から庶民までを皆、天が拵えられる。「物」は形のできる処を捉まえて言う。これは人間に限らず、物があると物だけではなく、それには道理が存してある。直にこのことを性とも言う。「則」はどうしたことかと言うと、何の上にも則のないことはない。物は形した上で言うが、人間の体は物の体ばかりではなく、直ぐにその体の中に仁義礼智という結構なものが宛がわれているので「有物有則」と言う。孟子の性善というのもこれ。中庸の「天命之性」もこれ。大学の明徳もこれ。論語の仁もこれである。物を物だけで通さず、物の上には理がある。これを小割に言うと、耳という形があると耳には必ず聡というものがある。目が天地自然にできたと言うだけでなく、目には必ず是非黒白を見分けるというものがあり、どの様な微物でも形ができるのと同時に道ができる。

○民之秉彛を別段に云はわるい。すぐに上の有物有則のことをつつけて云こと。天が人を生み出に則のない人はない。最初の義乎と云に、いやそうではない。天地始まると今日の人迠御定のとをり有物有則なり。相塲が替れば彛でないが、天地始まると今日迠同じこと。中蕐では磐古氏、日本国常立尊の時分からかわることはない。いつでも水精は白くもくろじは黒ひ。天地開けると晝はあかるく夜は闇。其如く人間に仁義礼智を下さるに、ついに間違たことはない。大名で家中へ借米と云ことがあるが、あれは人間のすること。天地に仁義礼智のをかりまいと云ことはない。いつでも万古かわらずあるから秉彛と云。ここに四句あるが、上からまっすぐに棒を引たやうに相替らぬことを云。其相替らぬ彛を秉るから美德を好むなり。親に孝と云人も餘りないが、我は孝行でもなくても、人が孝行と云咄をするとそれは結搆なことと云。そこを好懿德と云。わるいことは好まぬ。どこに人が殺されてをりましたと云と、さて悪ひ奴があるものじゃ、盗人であろうと云。歒討があると云と、それはと乗て咄をきく。これが君子斗り云へは別段なれとも、一文字も知らぬ者もよいことはほめる。なわにもたばにもかからぬわるい者が、よひことはそれは重々と云。その懿德を誰が好ませると云に有物有則がすると、あとへもとすことぞ。偖又其有物有則はだがすると云に天なり。
【解説】
天地が始まってから今日まで、いつも変わることがない。それが「彛」である。人に仁義礼智を下さるこに、一度も間違えることはない。その秉彛から懿徳を好む。人は皆悪いことは好まないもの。
【通釈】
「民之秉彛」を別段に言うのは悪い。直ぐに上の有物有則のことを続けて言ったこと。天が人を生み出す時に則のない人はいない。最初の「義乎」かと聞かれれば、いやそうではない。天地が始まると今日の人までが御定まりの通りで有物有則である。相場が変われば彛ではないが、天地が始まってから今日までが同じこと。中華では磐古氏、日本では国常立尊の時分から変わることはない。いつでも水精は白く無患子は黒い。天地が開けると昼は明るく夜は闇い。その様に人間に仁義礼智を下さって、一度も間違ったことはない。大名には家中へ借り米ということがあるが、あれは人間のすること。天地に仁義礼智の借り米ということはない。いつでも万古変わらずにあるから秉彛と言う。ここに四句あるが、これは上から真っ直ぐに棒を引いた様に相変わらないことを言う。その相変わらない彛を秉るから美徳を好む。親に孝という人も余りいないが、自分は孝行でなくても、人が孝行という話をすると、それは結構なことだと言う。そこを「好懿徳」と言う。悪いことは好まない。何処に人が殺されておりましたと言うと、実に悪い奴がいるものだ、盗人だろうと言う。敵討ちがあると言えば、それはと乗って話を聞く。これが君子ばかりに言うことであれば別段だが、一文字も知らない者でもよいことは誉める。縄にも束にも掛からない悪い者が、それがよいことは重々知っているがと言う。その懿徳を誰が好ませるのかと言えば、有物有則がすると言って前へ戻す。さてまたその有物有則は誰するのかと言うと天である。
【語釈】
義乎…孟子告子章句上4。「長者義乎。長之者義乎」。
・磐古氏…中国で、天地を開闢した神の名。
・国常立尊…日本書紀の冒頭にしるされている、天地開闢と共に現れた神。国土形成の神。

○孔子曰云々。是か孟子の中に出てあり、孟子が孔子の御辞を聞傳て云たこと。孔子か此詩を読んでいかう御感心。さて々々此詩を作た者は道を知たてあろう、道を知らずはこうは云はれまい。是等も孔子の性天道と聞がよい。性理のことは宋朝から云と思が、此章がすぐに性天道なり。道を山のあなたにみると死物になる。客のある時、珎らしい道具を出してつかうよふに思は本道のものではない。ものをつかまへるが垩人の見識。虚無寂滅は高い処に置て、あそこか道と遠くにあるやふに云。此方のは物と云ものをつかまへるが垩人の道。朱子も太極圖説の註に、非有以離乎隂陽也と云はれ、語類に千万年此物を離れぬと云はれた。物の上に道はある。垩人道の大叓は山のあなたを尋ることはない。親と云ものがあれば親には孝と云則がある。ここに故と云字二つある。上はなんのこともない。此詩の全体を云。道を知ったれはこそ、故へに此やうな詩を作たであろうと云のきめなり。いかさま道を知た詩ぞ。詩と云ても中原還とはちこう。さてこれからは孔子が詩経の講釈をさしったことぞ。みちかい註なり。
【解説】
孔子がこの詩経の語を見て、大層感心された。仏は道を高いところにあるとするが、聖人の道は物の上にあって、遠くを尋ねるものではない。
【通釈】
「孔子曰云々」。これが孟子の中に出てあり、孟子が孔子の御辞を聞き伝えて言ったこと。孔子がこの詩を読んで大層感心された。この詩を作った者はさぞ道を知った人だろう、道を知らなくてはこうは言えないだろうと思った。これらも孔子の「性天道」を聞いたことだと思いなさい。性理のことは宋朝から言うと思うが、この章が直に性天道である。道を山の彼方に見ると死物になる。客のある時に、珍しい道具を出して使う様に思うのは本当のものではない。ものを掴まえるのが聖人の見識。虚無寂滅は高い処に置いて、あそこが道だと遠くにある様に言う。こちらは物というものを掴まえるのが聖人の道。朱子も太極図説の註に、「非有以離乎陰陽也」と言われ、語類で千万年この物を離れないと言われた。物の上に道がある。聖人の道の大事は山の彼方を尋ねることではない。親というものがあれば親には孝という則がある。ここに故という字が二つある。上は何事もないもので、この詩の全体を言う。道を知っているから、故にこの様な詩を作ったことだろうという決めである。いかにも道を知った詩である。詩と言っても「中原還」とは違う。さてこれからは孔子が詩経の講釈をされたことで短い註である。
【語釈】
・孔子曰…「孔子曰、爲此詩者、其知道乎」は、孟子公孫丑章句上4と告子章句上6にある。
・性天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・非有以離乎隂陽也…太極図説朱子図解。「此所謂無極而太極也、所以動而陽靜而陰之本體也。然非有以離乎陰陽也、即陰陽而指其本軆不雜乎陰陽而爲言爾」。
・千万年此物を離れぬ…朱子語類1理気上。太極天地上。「只是都有此理。天地生物千萬年、古今只不離許多物」。
・中原還…魏徴の述懐詩。「中原初逐鹿」。

○必と云字と故の字のあるで孔子の詩經を講釈をしたことになる。名人になると藝者の上にもこれがあるものなり。歌もそれなり。小野小町がうちぞゆかしきと云が、ぞの一字できまる。ここも故と云一字できまる。をりふし間違があればあてにならぬが、必と云字は常理を云。仏者はあぶながる。ちと替たことがあると、やれ々々あじきないの無常じゃのと云が見識が届かぬ故なり。必はきめる辞で、道理の丈夫な方から云。何やら知れぬと云ことは天地にはかつふつないこと。有物有則をとっつかまへて本尊にするがら、老子が虚無と云をふが釈迦か寂滅と云をふがな、頓と動かされることはない。彛をつかまへると云が学者の見識。有物有則民之秉彛がいつも替らず有る。其丈夫さが俗に云判を百も押そうと云のなり。今夜も晩には暗と云。必暗理がたしかなものぞ。いこうこれが道体の丈夫なことなり。
【解説】
「必」は常理を言ったことで、間違いのないこと。「有物必有則」「民之秉彛」でいつも変わらない。それを掴まえて本尊とするから丈夫なのである。
【通釈】
「必」という字と「故」の字があるので孔子が詩経の講釈をしたことになる。名人になると芸者の上にもこれがあるもの。歌もそれ。小野小町がうちぞゆかしきと言ったのが、ぞの一字で決まる。ここも故という一字で決まる。折節間違いがあれば当てにはならないが、必という字は常理を言ったこと。仏者は危ながる。一寸変わったことがあると、やれやれ味気ないとか無常だと言うが、それは見識が届かないからである。必は決める辞で、道理の丈夫な方から言う。何やら知れないということは天地には決してないこと。有物有則をとっ掴まえて本尊にするから、老子が虚無と言おうが釈迦が寂滅と言おうが、頓と動かされることはない。彛を掴まえるというのが学者の見識。有物必有則民之秉彛がいつも変わらずにある。その丈夫さが俗に言う判を百も押そうということ。今夜も晩には暗むと言う。必ずで、暗む理が確かなもの。これが道体の大層丈夫なこと。
【語釈】
・うちぞゆかしき…七小町。曇りなき世や雲の上は、在りし昔にかはらねど、見し玉簾のうちや床しき、うちぞゆかしき。

迂斎の弁に、必とはけがにもないと云へり。甘くない砂糖、辛くない唐辛はけがにもない。さてこの必と云字に垩学は一生かかることぞ。朱子の語類文集あれほどあれとも、必の文、必の咄しなり。程子の遺書も必のこと。論吾孟子大学中庸、其外垩賢の書が此必のことなり。釈迦以来の経文、達磨以来の禅録は此必の字の外を云。そこでわるい。銀坐でふいごからころりと出ると、五匁目は五匁目と云。金の出来たがはやいが五匁がはやいが、どちと云ことはない。気のかたまりた上にしゃんと理と云ものがある。物は気についたもの。其気の上に理がある。安産で御男子でごさるの、女子じゃのと云は取揚婆々もみる。そこへ生る否や仁義礼智が頓と離れずある。是は理ゆへとり揚婆々の目には見へず。仁義礼智の人間にあるが、砂糖の甘く唐辛の辛ひよふにある。甚たしかなこと。皆此の必の字から檢地を打て、何でもまちかったことはない。蚊屋を拵る者か寒ひ中からする。必す夏になると蚊が出ると云。必で丈夫。必でないなれば商賣仕入仕込もならぬ。寂滅の虚無のと云は必をしらぬからよこぞっほうを云。
【解説】
物は気が固まったもので、その上にはしっかりと理がある。それは「必」である。聖学はこの必に一生取り組むのである。
【通釈】
迂斎の弁に、必とは決してないことだと言った。甘くない砂糖、辛くない唐辛子は決してない。さてこの必という字に聖学は一生掛かる。朱子の語類文集はあれほどあるが、必の文、必の話である。程子の遺書も必のこと。論語孟子大学中庸、その外聖賢の書がこの必のこと。釈迦以来の経文、達磨以来の禅録はこの必の字の外を言う。そこで悪い。銀座で鞴からころりと出ると、五匁目は五匁目という。金ができるのが早いか五匁が早いか、どちらということはない。気が固まった上にしゃんと理というものがある。物は気に付いたもの。その気の上に理がある。安産で御男子だとか女子だとかというのは取り揚げ婆でもわかる。そこへ生まれるやいなや仁義礼智が頓と離れずにある。これは理なので取り揚げ婆の目には見えない。仁義礼智が人間にあるのが、砂糖の甘く唐辛子の辛い様にある。それは甚だ確かなこと。皆この必の字から検地を打つので、何でも間違ったことはない。蚊帳を拵える者は寒い内からそれをする。必ず夏になると蚊が出ると言う。必ずで丈夫。必ずでなければ商売の仕入れや仕込みもできない。寂滅や虚無を言うのは必ずを知らないからで、それで横外方を言うのである。
【語釈】
・けがにも…怪我にも。全然。決して。

上の故はなんのこともないこと。下のはつか子て取たゆへなり。人に仁義礼智のあるは目や鼻のやふにみへぬ。目や鼻は繪にもかかれるが、仁義礼智は繪にもかかれずみたものもない。いよ々々秉彛かと云時、外に證拠はない。好懿德ところではっきりとしれる。小児が井戸へ落るとはっと云。なぜはっと云に、仁がある故なり。欲をかわかして、それが人へしれると顔を赤くする。内に義があるゆへ赤くする。これで人に仁義礼智あるにきまった。そこで朱子が此語を外篇に引れた。是をえふにして外篇も作られたものなり。学者に垩賢になれ々々と云が天へのぼる様なことはなられぬ。天へ舛るは理のないゆへなられぬ。長崎や松前はあれほど遠くても、一足つつ行くとつい行かれる。学者も秉彛と云えふをもってをれは、箱根も今切も通られる。秉彛があればこそ學問して垩賢にも至られるなり。世の中にわるいものがいかいことあろふと火付があろうと、皆好懿德ぞ。なぜなれは、わるいことはかくす。邪德を好めば盗人御見舞申と云が、好懿德ゆへ夜るくる。好色淫乱もそれ。本心によいと思はぬからかくす。とちから云ても好懿德に相違はない。
【解説】
仁義礼智は見えないものだが、それが好懿徳ではっきりと知れる。人は悪いことをする時は隠す。それは、それをするのが本心ではないからである。人は懿徳を好むものなのである。秉彛があるから学問をして聖賢にも至ることができる。
【通釈】
上の故は何の事もないこと。下のは束ねて取った故である。人に仁義礼智があることは、目や鼻の様には見えない。目や鼻は絵にも描けるが、仁義礼智は絵にも描けず、見た者もいない。いよいよ秉彛がという時に、外に証拠はない。それが好懿徳ではっきりと知れる。小児が井戸へ落ちるとはっと言う。何故はっと言うかというと、仁があるからである。欲を出して、それが人へ知れると顔を赤くする。内に義があるから赤くする。これで人に仁義礼智あることが決まった。そこで朱子がこの語を外篇に引かれた。これを號帯にして外篇も作られた。学者に聖賢になれと言っても、天へ昇る様なことはできないこと。天へ昇るのは理がないのでできない。長崎や松前はあれほど遠くても、一足ずつ行く遂には行き着く。学者も秉彛という號帯を持っていれば、箱根も今切も通ることができる。秉彛があればこそ学問をして聖賢にも至ることができるのである。世の中に悪い者が大層いようが、火付がいようが、皆好懿徳である。それは何故かと言うと、悪いことは隠す。邪徳を好めば盗人御見舞申すと言う筈だが、好懿徳なので夜に来る。好色淫乱もそれ。本心ではよいと思わないから隠す。どちらから言っても好懿徳に相違はない。

太閤記に、何事も替りはてたる世の中にしらてや雪のしろく降るらん。彛が雪の白くふるやうなもの。千変万化にさま々々かわれとも、秉彛にちがいはない。然ればここがつかまへ処なり。それを種にして外篇も出来たものぞ。ここに改て為小学外篇とあれば、初手からつくる気でしたでないがここでしれる。あとからこれもつけるがよいと作られたもの。そこで初めの題下に為小学内篇とはなく、ここに如此記せり。さて此書に漢唐以来のことあるゆへ傳記と云。○見聞は宋朝へかけて云がよい。日本でも王代から保建平氏のことを今日の人の云は傳記て見たもの。見聞は御當家で私高祖父が承りたと云。落穂集がそれ。急度書にもないがどこの家中の者が云たと云類なり。見聞は人の見聞。朱子の見聞ではない。夫故朱子の文は一つもなし。
【解説】
外篇は漢唐以来のことがあるので伝記と言う。「見聞」は人の見聞で、朱子の見聞ではない。それで、朱子の文は一つもない。
【通釈】
太閤記に、何事もかわりはてたる世の中にしらでや雪のしろく降るらんとある。彛が雪の白く降る様なもの。千変万化に様々と変わるが、秉彛に違いはない。それならここが掴まえ処である。それを種にして外篇もできた。ここに改めて「為小学外篇」とあるのだから、初手から作る気でしたことではないことがここで知れる。後からこれも付けるとよいと思って作られたもの。そこで初めの題下に為小学内篇とはなく、ここにこの様に記したのである。さてこの書には漢唐以来のことがあるので伝記と言う。「見聞」は宋朝へ掛けて言うのがよい。日本でも王代から保元平治のことを今日の人が言うのは伝記で見たもの。見聞は御当家で私の高祖父が承ったと言う様なもの。落穂集がそれ。しっかりとは書にもないが、何処の家中の者が言ったという類である。見聞は人の見聞で、朱子の見聞ではない。それで、朱子の文は一つもない。