善行27
○漢陳孝婦年十六而嫁、未有子。其夫當行戍。且行時、屬孝婦曰、我生死未可知。幸有老母、無他兄弟備養。吾不還汝肯養吾母乎。婦應曰、諾。夫果死不還。婦養姑不衰、慈愛愈固。紡績織紝以爲家業、終無嫁意。居喪三年、其父母哀其少無子而寡也、將取嫁之。孝婦曰、夫去時、屬妾以供養老母。妾既許諾之。夫養人老母而不能卒、許人以諾而不能信、將何以立於世。欲自殺。其父母懼而不敢嫁也。遂使養其姑二十八年、姑八十餘、以天年終。盡賣其田宅財物以葬之。終奉祭祀。淮陽太守以聞。使使者賜黄金四十斤、復之終身無所與。號曰孝婦。
【読み】
○漢の陳孝婦、年十六にして嫁し、未だ子有らず。其の夫行戍[こうじゅ]に當る。且[まさ]に行かんとする時、孝婦に屬して曰く、我が生死未だ知る可からず。幸に老母有り、他の兄弟の養に備わる無し。吾還らずんば汝吾が母を養うを肯ぜんや、と。婦應えて曰く、諾、と。夫果して死して還らず。婦姑を養うこと衰えず、慈愛愈々固し。紡績織紝以て家業と爲し、終に嫁する意無し。喪に居ること三年、其の父母其の少くして子無く、而して早く寡となるを哀れみ、將に取りて之を嫁せんとす。孝婦曰く、夫去る時、妾に屬するに老母を供養するを以てす。妾既に之を許諾す。夫れ人の老母を養いて卒うること能わず、人に許すに諾を以てして信なること能わざる、將に何を以て世に立たん、と。自殺せんと欲す。其の父母懼れて敢て嫁せず。遂に其の姑を養わしむこと二十八年、姑八十餘、天年を以て終る。盡く其の田宅財物を賣りて以て之を葬む。終に祭祀を奉ず。淮陽の太守以聞す。使者を使わし黄金四十斤を賜い、之を復して身を終うるまで與る所無し。號して孝婦と曰う。

三月朔日
【語釈】
・三月朔日…寛政2年(1790)3月1日。

○漢陳孝婦云々。これからは夫婦の別なり。婦人は夫を天のやふに思ふより外はな井と浅見先生云へり。凡天地の間に居ては、中蕐へゆかふと天竺へゆかふとも天と云より外はない。婦人はどこへとうまわりても夫より外はな井と云ふことを知るへきことぞ。夫と死して再嫁をするなれば、天の外へ出やふとかかる様なもの。貞女不見两夫は、地はいつも動かずにをりて所を替へぬ。あのやふなものなり。ををきな夫婦は天地なり。地かあのよふな天はいらぬとわきへゆきたことはない。吾黨の学とても固より為学からかかることなれとも、初に道体が出ると云ふもここなり。ただ夫を二人もたぬものと云ふても、どこかもたぬものかしれぬ。天地か夫婦のいちさき。天地が夫婦と云は、地は天をかへたことはな井ゆへ、人間も夫とを二人もたぬはつなり。なれとも源氏伊勢物語を見てそれから好色に導びかれ、この道体なりの本心がなくなる。伊勢源氏はふらちの媒になると浅見先生云へり。
【解説】
「漢陳孝婦年十六而嫁」の説明。天地が夫婦の一番先であり、天地は離れることがない。そこで、婦が再嫁をするということはない筈。
【通釈】
「漢陳孝婦云々」。これからは夫婦の別である。婦人は夫を天の様に思うより外はないと浅見先生が言った。凡そ天地の間にいては、中華へ行こうが天竺へ行こうが天というより外はない。婦人は何処へどう回っても夫より外はないということを知らなければならない。夫が死んで再嫁をするのは天の外へ出ようと掛かる様なもの。「貞女不見両夫」は、地はいつも動かずにいて所を替えない、その様なこと。夫婦の大きなものが天地である。地があの様な天は要らないと脇へ行ったことはない。我が党の学も固より為学から掛かることだが、始めに道体が出るというのもここのこと。ただ夫を二人も持たないと言っても、何故持たないのかということを知らない。天地が夫婦の一番先。天地が夫婦と言うのは、地は天を替えたことがないので、人間も夫を二人持たない筈。しかし、源氏物語や伊勢物語を見てそれから好色に導かれ、この道体の通りの本心がなくなる。伊勢源氏は不埒の媒になると浅見先生が言った。
【語釈】
・貞女不見两夫…小学内篇明倫59。「王蠋曰、忠臣不事二君、列女不更二夫」。

○未有子。子共出来ぬと云へばをちつかぬ塲があるもの。後世の教のな井ときでも、子共出来ればをちつ井て夫婦の間も挌別に手重くなるもの。それはただの婦人のこと。彼陳孝婦なり。まだ子も出来ず娘ばなれのせぬときからこふじゃ。されは未有子の文字も目を付べし。○行戍は今の長崎などの様なことではない。あれは命かけなことはな井。乱世でも日本は嶋国ゆへ大海を他国と隔てをる。それゆへ他邦にこわいことはな井が、中蕐は夷狄と地つつきゆへ、夷狄からちょっ々々々と軍をしかける。漢の世はなをのことなり。そこでここへ行くは命がけなことて、中々たたの在番でなく、すくに軍に出る了簡で出る。○且はいろ々々つかふ文字なれとも、ここらの弁はをしつけ行ふと云そのさきでと云ふ様なもの。○幸は下へかけて云字なり。願はと云様なもの。下へ書く字なれとも、書やふて上へ書ても下へかかる。老母へかける文のなりでない。夫か今在番に行が、をれが兄弟はなし、母をやしな井届けてくれぬかと云ふた。その段を幸にたのむ、子がわくはの意なり。
【解説】
「未有子。其夫當行戍。且行時、屬孝婦曰、我生死未可知。幸有老母、無他兄弟備養。吾不還汝肯養吾母乎」の説明。陳孝婦はまだ子もできず娘離れもしない時だったが、軍に出る夫が彼女に母を養って欲しいと頼んだ。
【通釈】
「未有子」。子供ができないといえば落ち着かない場があるもの。後世の教えのない時でも、子供ができれば落ち着いて夫婦の間も格別に手重くなるものだが、それはただの婦人のこと。あの陳孝婦である。まだ子もできず娘離れもしない内からこうである。そこで、未有子の文字も目を着けなさい。「行戍」は今の長崎などの様なことではない。それは命懸けなことはない。乱世でも日本は島国で大海を他国と隔てている。それで他邦に恐いことはないが、中華は夷狄と地続きなので、夷狄からちょくちょく軍を仕掛けられる。漢の世は尚更のこと。そこでここへ行くのは命懸けなことで、中々ただの在番ではなく、直ぐに軍に出る了簡で出る。「且」は色々と使う文字だが、ここらの弁は追っ付け行こうというその矢先でという様なもの。「幸」は下へ掛けて言う字。願わくばと言う様なもの。下へ書く字だが、書き様で上に書いても下へ掛かる。老母へ掛ける文ではない。夫が今在番に行くが、俺には兄弟はなく、母を養い届けてくれないかと言った。その段を幸に頼む、願わくばの意である。

○婦應曰諾。意得ましたと立派に応へたなり。挨拶を急度したと云も陳孝婦のたまし井へかけて見ることぞ。八寸角を地の内へ根深くうめた様に丈夫なことなり。○慈愛に気を付て見ることぞ。人の婦の姑を大事にすると云ふも夫あってのこと。夫でも死と云ふになっては姑などとは離れ々々になるものなれとも、それはたたの婦人のことなり。陳孝婦がたん々々やか上に大切にした。それから夫か死んて三年の喪をつとめたが、漢の世などは三代のやふではない。三年の喪と云ふも天下中に立てはな井が、陳孝婦なども聞傳へてしたとみへる。喪をこふするほどでなければこれ程なことはならぬはつなり。喪の勤めやふで惣体よのこともしれるもの。これで陳孝婦の殊外あついがみへる。ここらは公法ではない。三代の世で三年の喪をつとめるはその様にほめることではない。漢の世などは喪は勝手次第ゆへ、心ある人は勤めたことなり。○妾既云々。夫に心得たと云って今再嫁するは信と云ふでなし。それでは人に顔は向けられぬ。死のふと云ふた。これがをどしに云ふたことではない。本に自滅しそをな顔ゆへ親も懼れて再嫁のことはやめにした。大抵な婦人ではない。
【解説】
「婦應曰、諾。夫果死不還。婦養姑不衰、慈愛愈固。紡績織紝以爲家業、終無嫁意。居喪三年、其父母哀其少無子而早寡也、將取嫁之。孝婦曰、夫去時、屬妾以供養老母。妾既許諾之。夫養人老母而不能卒、許人以諾而不能信、將何以立於世。欲自殺。其父母懼而不敢嫁也。遂使養其姑二十八年、姑八十餘、以天年終」の説明。陳孝婦は姑を弥が上に大切にした。夫が死んで三年の喪を勤めた。婦の父母が再嫁を勧めたが、それは信に違うことだとして拒否した。
【通釈】
「婦応曰諾」。意得ましたと立派に応えた。はっきりと挨拶をしたというのも陳孝婦の魂へ掛けて見ること。八寸角を地の内へ根深く埋めた様に丈夫なこと。「慈愛」を気を付けて見なさい。人の婦が姑を大事にするというのも夫があってのこと。夫が死んだということになっては姑などとは離れ離れになるものだが、それはただの婦人のこと。陳孝婦が段々と弥が上に大切にした。それから夫が死んで三年の喪を勤めたが、漢の世などは三代の様ではない。三年の喪というのも天下中に立ってはいないが、陳孝婦なども聞き伝えでしたものと見える。喪をこうするほどでなければこれほどなことはできない筈。喪の勤め様で総体他のことも知れるもの。これで陳孝婦が殊の外篤いところが見える。ここらは公法ではない。三代の世では、三年の喪を勤めるのはそれほど誉めることではない。漢の世などは、喪は勝手次第だったので、心ある人は勤めた。「妾既云々」。夫に心得たと言って今再嫁するのは信ではない。それでは人に顔を向けられない、死のうと言った。これが脅しで言ったことではない。本当に自滅しそうな顔なので、親も懼れて再嫁のことは止めにした。大抵な婦人ではない。

○盡賣云々。この婦人の古の葬埋のことも知りてをると見へる。そふであらふ。夫の三年の喪も勤めたゆへ古礼をほぼ知りたであろふぞ。あとで祭をしたと云ふ。前に夫か無他兄弟と云へば外に子孫はなく、自分身一生の気でしたとみへる。あの方て学問ある女と云へば班固か姉の曹大家なとが出るか、これも三年の喪を勤め本道に葬埋をしたと云へば、古の礼に達した婦人とみへる。上からもさて々々貞烈な婦人じゃと云ふて黄金を下された。○四十斤と云ふはをを井こと。この様なことは徂徠の書や新井白石の書を見ればしれることなり。○復之は、上の黄金のこととはぶんなこと。諸役御免作り取りのこと。除と云ふ注がある。なにもかも御免と云ふことなり。世の中で名を云はず孝婦々々と云た。実のあることは方々へひろまるもので、よ井ことわるいことにかぎらず号するぞ。
【解説】
「盡賣其田宅財物以葬之。終奉祭祀。淮陽太守以聞。使使者賜黄金四十斤、復之終身無所與。號曰孝婦」の説明。姑が死んだので、婦は自力で正式な葬埋をした。上がこれを感心して黄金を与え、租税を免除した。世の中の人は彼女を孝婦と呼んだ。
【通釈】
「尽売云々」。この婦人は古の葬埋のことも知っていたものと見える。そうだったことろう。夫の三年の喪も勤めたのだから古礼をほぼ知っていたことだろう。後に祭をしたという。前に夫が「無他兄弟」と言えば外に子孫はなく、自分の身一生の気でしたものと見える。中華で学問のある女と言えば班固か姉の曹大家などを言うが、これも三年の喪を勤め正式に葬埋をしたと言えば、古の礼に達した婦人と見える。上も実に貞烈な婦人だと言って黄金を与えた。「四十斤」と言えば多いこと。この様なことは徂徠の書や新井白石の書を見ればわかること。「復之」は、上の黄金のこととは別なことで、諸役御免で作り取りのこと。除という注がある。何もかも御免ということ。世の中の人が名を言わずに孝婦と言った。実のあることは方々へ広まるもので、よいこと悪いことに限らず号するもの。
【語釈】
・作り取り…年貢を納めず、耕作した所の全収穫をわが物とすること。


善行28
○漢鮑宣妻桓氏、字少君。宣嘗就少君父學。父竒其清苦。故以女妻之。装送資賄甚盛。宣不悦。謂妻曰、少君生富驕、習美飾、而吾實貧賤。不敢當禮。妻曰、大人以先生脩德守約、故使賤妾侍執巾櫛。既奉承君子。惟命、是從。宣笑曰、能如是、是吾志也。妻乃悉歸侍御服飾、更著短布裳、與宣共挽鹿車歸郷里拜姑。禮畢提甕出汲、脩行婦道。郷邦稱之。
【読み】
○漢の鮑宣の妻桓氏、字は少君。宣嘗て少君の父に就きて學ぶ。父其の清苦を竒とす。故に女を以て之に妻す。装送資賄甚だ盛んなり。宣悦ばず。妻に謂いて曰く、少君は富驕に生まれ、美飾に習いて、而して吾は實に貧賤なり。敢て禮に當らず、と。妻曰く、大人、先生の德を脩め約を守るを以て、故に賤妾をして侍して巾櫛を執らしむ。既に君子に奉承す。惟命に是れ從わん、と。宣笑いて曰く、能く是の如くならば、是れ吾が志なり、と。妻乃ち悉く侍御服飾を歸し、更に短布裳を著け、宣と共に鹿車を挽きて郷里に歸り姑を拜す。禮畢わり、甕を提げ出でて汲み、婦道を脩め行う。郷邦之を稱す。

○漢鮑宣云々。ひととをり遠くから妻を呼んだてはない。鮑宣が学でをる。それが目につ井て壻にしやふと云ふた。○清は無欲のこと。貧乏なれともそれをなんとも思はず、それを困苦して心のかわらぬことをあの方で清苦と云。○装送はしたくのことなり。○資賄は仕立こしらへ諸道具衣類なり。○甚盛とは、今云みづし黒棚迠附ひたと云ふやふな支度なり。○驕はわる井字でつ子は呵りて云ふことなれとも、爰ではそふではない。冨貴な者はかさだかになってをるもの。ふところ手でそだったと云ふ様なものなり。○脩德云々。清苦の字をををぶりに云ふこと。儉約な塲にをりても守りを失なはぬと云ふこと。○笑曰は心元な井と笑ふたことではな井。それなればよ井、をれが了簡に合ふたと笑ふたこと。○郷邦称之は、さて々々めつらしい婦しゃとほめたことなり。さて今人、小学にはそうあろふか今はそのようなことは流行らぬと云ふか、今こふ云ふ人かあるとやっはり誉める。ふけらかしてあるくのは、輕ひ者などは我がならぬ方からしてよろこばぬ者もある。婦に来ると、ぢきにその日から水ても汲と云へば誰も誉ることぞ。その筈よ、質素なことは誰か心にも合ふもの。それゆへ小学の善行を聞て今日の人の心にもあることと思へば、小学か今日の受用になるなり。
【解説】
鮑宣は清苦だったので、師が娘を彼に嫁がせた。嫁の家は裕福だったので装送資賄が大層多かったが、鮑宣の言を受けてそれを実家に帰し、嫁ぐと直ぐに水汲みをした。この様な嫁は昔も今も称されるもの。質素なことは誰の心にも合う。
【通釈】
「漢鮑宣云々」。一通りに遠くから妻を呼んだのではない。鮑宣が学んでいる、それが目に付いて壻にしようと言った。「清」は無欲のこと。貧乏だがそれを何とも思わず、それを困苦して心が変わらないことを中華では「清苦」と言う。「装送」は支度のこと。「資賄」は仕立拵え諸道具衣類である。「甚盛」とは、今言う御厨子黒棚まで付いているという様な支度である。「驕」は悪い字なので普通は呵ることに言うものだが、ここはそうではない。富貴な者は嵩高になっているもので、懐手で育ったという様なもの。「修徳云々」。清苦の字を大振りに言ったこと。倹約しなければならない場にいても守りを失わないということ。「笑曰」は心許ないと笑ったのではない。それであればよい、俺の了簡に合うと笑ったのである。「郷邦称之」は、実に珍しい婦だと誉めたのである。さて今人が、小学にはそうもあるだろうが今はそのようなことは流行らないと言うが、今この様に言う人があればやはり誉める。見せびらかして歩くと、軽い者などの中には、自分がそれをできないことからして喜ばない者もいる。婦に来ると、直ぐにその日から水でも汲むと言えば誰も誉めるもの。その筈で、質素なことは誰の心にも合うもの。そこで、小学の善行を聞いて、これが今日の人の心にもあることだと思えば、小学が今日の受用になる。
【語釈】
・かさだか…嵩高。相手を見下して横柄なさま。


善行29
○曹爽從弟文叔妻譙郡夏侯文寧之女、名令女。文叔蚤死。服闋自以年少無子、恐家必嫁己、乃斷髪爲信。其後家果欲嫁之。令女聞即復以刀截兩耳、居止常依爽。及爽被誅、曹氏盡死、令女叔父上書、與曹氏絶婚、彊迎令女歸。時文寧爲梁相。憐其少執義、又曹氏無遺類、冀其意阻、乃微使人風之。令女嘆且泣曰、吾亦惟之。許之是也。家以爲信、防之少懈。令女於是竊入寢室、以刀斷鼻、蒙被而臥。其母呼與語。不應。發被視之、血流滿床席。舉家驚惶、往視之莫不酸鼻。或謂之曰、人生世間、如輕塵棲弱草耳、何辛苦乃爾。且夫家夷滅已盡。守此欲誰爲哉。令女曰、聞仁者不以盛衰改節、義者不以存亡易心。曹氏前盛之時、尚欲保終。况今衰亡。何忍棄之。禽獸之行吾豈爲乎。
【読み】
○曹爽の從弟文叔の妻は譙郡の夏侯文寧の女、名は令女なり。文叔蚤く死す。服闋[おわ]りて自ら年少くして子無きを以て、家必ず己を嫁せんことを恐れ、乃ち髪を斷ちて信と爲す。其の後家果して之を嫁せんと欲す。令女聞きて即ち復た刀を以て兩耳を截[き]り、居止常に爽に依る。爽誅せられ、曹氏盡く死するに及びて、令女の叔父上書して、曹氏と婚を絶ち、彊いて令女を迎えて歸る。時に文寧梁の相爲り。其の少くして義を執り、又曹氏に遺類無きを憐み、其の意阻まんことを冀い、乃ち微しく人をして之を風せしむ。令女嘆じ且つ泣きて曰く、吾も亦之を惟[おも]う、と。之に是なりと許す。家以て信なりと爲し、之を防ぐこと少しく懈る。令女是に於て竊に寢室に入り、刀を以て鼻を斷ち、被を蒙りて臥す。其の母呼びて與に語らんとす。應えず。被を發[ひら]きて之を視れば、血流れて床席に滿つ。家を舉げて驚惶し、往きて之を視て酸鼻せざる莫し。或ひと之に謂いて曰く、人の世間に生くるは、輕塵の弱草に棲むが如きのみ、何ぞ辛苦すること乃ち爾る。且つ夫の家夷滅して已に盡く。此を守りて誰が爲にせんと欲するや、と。令女曰く、仁者は盛衰を以て節を改めず、義者は存亡を以て心を易えずと聞く。曹氏前盛の時、尚終を保たんと欲す。况や今衰亡す。何ぞ之を棄つるに忍びん。禽獸の行、吾豈爲さんや、と。

○曹爽従弟云々。前の陳孝婦はさとの父母かすすめてから存しもよらぬと出る。令女は手前からかんを付て、大方こふしてはをかぬであろふとがてんついた。先つ忌中もあいたゆへたたをくまい。我が操に疵をつけまいと思ふからして、すっはりと髪をきりて再嫁をせぬと云しるしにした。○為信とは、先年溝口侯もこれを疑はれた。しっかりと知れぬことなれども、この時分はあの方も仏法かわたりたゆへ、後家の髪きる意とみへる。○其後家果欲嫁之。これからはかたわになるより外仕方がな井とて両方の耳を切た。女と云ふものは至てよはいもので、鼠が落てもびっくりし、体へふぎてかしても気ををるものなり。耳を断などと云ふことはなりそもな井ことなれとも、貞女の誠からしたもの。この様なことも悪ひことで合点するかよい。悪ひことにかたまれば、牛の時まいりをする。日頃ならぬことをもする。貞女の夫とを二人はもたぬと云ふ一心の誠からして両耳をきりたもの。やはり庾黔婁が嘗糞甜苦たと同じことなり。ちとなめてみやふがなどとて、あれがなることではな井。あとさきなしになめたもの。令女がこれはかなはぬと两耳を切りた。計較安排はない。
【解説】
「曹爽從弟文叔妻譙郡夏侯文寧之女、名令女。文叔蚤死。服闋自以年少無子、恐家必嫁己、乃斷髪爲信。其後家果欲嫁之。令女聞即復以刀截兩耳」の説明。令女が再嫁をしない印として髪を切った。また、夫を二人は持たないという一心の誠から両耳を切った。そこに計較按排はない。
【通釈】
「曹爽従弟云々」。前の陳孝婦は里の父母が勧めた後で、それは思いも寄らないことだと出る。令女は自分から勘を付けて、大方こうしては置かないだろうと合点したもの。先ず忌中も過ぎたのでただでは置かないだろう。自分の操に疵を付けてはならないと思って、すっぱりと髪を切って再嫁をしないという印にした。「為信」を先年溝口侯も疑われた。はっきりとはわからないことだが、この時分は中華にも仏法が渡っていたので、後家が髪を切る意と見える。「其後家果欲嫁之」。これからは片端になるより外に仕方はないとして両方の耳を切った。女というものは至って弱いもので、鼠が落ちてもびっくりし、体へ吹き出物ができて気落ちするもの。耳を断つなどということはできそうもないことだが、これが貞女の誠からしたもの。この様なことも悪いことで合点するとよい。悪いことに固まれば、丑の時参りもする。日頃しないことをもする。貞女が夫を二人は持たないという一心の誠からして両耳を切ったのである。やはりこれが「庾黔婁嘗糞甜苦」と同じこと。一寸嘗めて見ようなどと言ってできることではない。後先なしに嘗めたもの。令女がこれでは悪いと思って両耳を切った。そこに計較按排はない。
【語釈】
・曹爽…魏の曹操の親族。字は昭伯。罪せられて司馬氏に滅ぼされる。
・陳孝婦…小学外篇善行27を指す。
・溝口侯…溝口浩軒。名は直範、後に直養。新発田藩主。寛政9年(1797)7月26日没。年62。稲葉迂斎門下。
・庾黔婁が嘗糞甜苦…小学外篇善行15を指す。

○居止常云々。とかく曹と云ふ字を外へやらぬやふにした。令女が心を書たと云ふにこれより外はない。先年高木甚兵衛が靖献遺言を講するとき、楚屈平と云ふを読に、ををきな声でにぎりこぶしをして、楚た楚だ、この楚の一字が屈原かあたまのぎり々々から足のつまさき迠楚でかためたと云ふた、と。よい弁ぞ。令女もどこ迠も夫とてかためたなり。曹より外とのよふな結搆な国でも嫁く心はない。晋の世になっては曹の者は一人もなく、歒のすへ根をたち葉をからすと云様にみな誅られた。晋の都は梁にあたりてをるゆへ梁と云ふて晋のことなり。○意阻は、ここに手の一つあること。凡そそのことにはまってをるものをつかまへて呵ると、それへなを々々かたまるものなれとも、我方からいやになるやふにした手段なり。
【解説】
「居止常依爽。及爽被誅、曹氏盡死、令女叔父上書、與曹氏絶婚、彊迎令女歸。時文寧爲梁相。憐其少執義、又曹氏無遺類、冀其意阻」の説明。屈原は楚で固めた人で、令女は夫で固めた人。
【通釈】
「居止常云々」。とかく曹という字を外へ遣らない様にした。令女の心を書いたというのにこれ以上のことはない。先年高木甚兵衛が靖献遺言を講ずる時に、楚の屈平を読むのに大きな声で握り拳をして、楚だ楚だ、この楚の一字が屈原の頭のぎりぎりから足の爪先まで楚で固めたものだと言ったそうである。よい弁である。令女も何処までも夫で固めた。曹より外、どの様な結構な国があったとしても嫁ぐ心はない。晋の世になって曹の者は一人もなく、敵の末根を断ち、葉を枯らすと言う様に皆誅せられた。晋の都は梁に当たるので、梁と言うのが晋のこと。「意阻」。ここに一つ手のあること。凡そそのことに嵌っている者を掴まえて呵ると尚更固まるもの。自分から嫌になる様にする手段がある。
【語釈】
・高木甚兵衛…高木毅斎。名は行法。別号は何久(可久)。甚平と称す。伊予宇和島の人。伊達氏に仕える。延享2年(1745)12月15日没。年73。佐藤直方門下。浅見絅斎にも学ぶ。
・屈平…屈原のこと。名は平、字は原。

○風は、人の耳へ風のあたるよふに、しかに云はずとをよそに云たことなり。つまりか再嫁をしろと云ふこととみへる。髪を切り耳を切りた上に云ふゆへ、いかにもといわれた。耳を断てからは自滅てもするかと思ふて番を付たとみへる。挨拶を聞てから少し油断をした。酸鼻は、日本辞で点をしたとみへる。眼病をみるとこちの目もいたくなり、その様に鼻を切りたを見てこちの鼻もいたいと思ふこととみへるが、それはわる井。ああにが々々し井とて気の毒に思ふたことを云文字なれば、やはりこへで上からかへらずによむべし。この前はとふなりとしてかたづけたいと云ふことをしたもの。
【解説】
「乃微使人風之。令女嘆且泣曰、吾亦惟之。許之是也。家以爲信、防之少懈。令女於是竊入寢室、以刀斷鼻、蒙被而臥。其母呼與語。不應。發被視之、血流滿床席。舉家驚惶、往視之莫不酸鼻」の説明。「風」は遠回しに言うこと。「酸鼻」は鼻が痛くなることではなく、苦々しく気の毒に思ったということ。
【通釈】
「風」は、人の耳へ風が当たる様に、直にではなく遠回しに言うこと。つまりは再嫁をしろということと見える。髪を切り耳を切った上に言うので、いかにもと応えた。耳を断ってからは自滅でもするかと思って番を付けたものと見える。挨拶を聞い少し油断をした。「酸鼻」は日本辞で点をしたものと見える。眼病を見るとこちらの目も痛くなり、その様に鼻を切ったのを見てこちらの鼻も痛いと思った様に見えるが、それは悪い。ああ苦々しいと、気の毒に思ったことを言う文字なので、やはり返さずに上から読みなさい。この前はどうしても片付けたい思ってしていた。

○或謂之曰云々。これはひとつ悟りを開かせやふと思ふて云ふたもの。人間の世の中にをると云ふは扨々はかないものじゃ。○輕塵は大工のかんなくつと云ふやふなもの。萩の葉や薄の葉につ井てをる。そこへ風が吹てくるとひょ井と何処へか飛ふ。人間もそれじゃ。五十年六十年は夢のまじゃ。楽をするがよ井。それにその様に耳を截るの鼻を断のと云ふは、さりとは不了簡なことじゃ。○且夫家夷滅云々。これまでは悟りゆへ仏者も云ふが、これからがきたない。或人か凡心を吐き出したぞ。曹氏は夷滅せられて世間にな井。それを守て誰かためにするとなり。これか古今歴々の知惠のある人から下々迠、学問せぬ人は皆何の為めと云ふものなり。董仲舒、正其誼不謀其利、張南軒の一有所為而後為之則皆人欲之私而非天理之所存矣と云ふたが、凡夫は為と云ふことなればなにもかもする。皆はりあいなり。為と云ふあてがないとせぬ。この講席にて学問をすれば豊年になると云ふことならば、来る者さぞををからふ。令女などは何故と云ふことなくみさををたてる。伯夷か孤竹を逃れて首陽山で餓死された。何の為と云ふことなく、ああするがあの人の心もちによい。令女も何の為めと云ふことはない。或人が、さて々々令女にさけすまれることを云ふた。
【解説】
「或謂之曰、人生世間、如輕塵棲弱草耳、何辛苦乃爾。且夫家夷滅已盡。守此欲誰爲哉」の説明。ある人が令女に、人生ははかないものだから楽をするのがよい、耳や鼻を切ったりするのは実に不了簡なことであって、更に曹氏は夷滅したのに、誰のために再嫁しないでいるのかと助言をした。この為というのが悪い。
【通釈】
「或謂之曰云々」。これは一つ悟りを開かせようと思って言ったもの。人間が世の中にいるというのは実にはかないものだ。「軽塵」は大工の鉋屑という様なもので、萩の葉や薄の葉に付いているそれが、風が吹いて来るとひょいと何処かへ飛ぶ。人間もそれ。五十年六十年は夢の間だ。楽をするのがよい。それなのにその様に耳を截ったり鼻を断ったりするのは実に不了簡なことである。「且夫家夷滅云々」。これまでは悟りのことなので仏者も言うが、これからが汚い。或る人が凡心を吐き出した。曹氏は夷滅して世間にはいない。それを守るのは誰のためにするのかと言った。これが古今歴々の知恵のある人から下々まで、学問をしない人は皆何のためと言うもの。董仲舒が、「正其誼不謀其利」、張南軒が「一有所為而後為之則皆人欲之私而非天理之所存矣」と言ったが、凡夫はためということであれば何もかもする。皆それを張り合う。為という当てがないとしない。この講席で学問をすれば豊年になると言うのであれば、来る者はさぞ多いことだろう。令女などは何故ということなく操を立てる。伯夷が孤竹を逃れて首陽山で餓死された。何のためということなく、ああするのがあの人の心持によい。令女も何のためということはない。或る人が、実に令女に蔑まされることを言った。
【語釈】
・夷滅…夷は平。一つ残らず滅すること。
・正其誼不謀其利…小学外篇嘉言56の語。
一有所為而後為之則皆人欲之私而非天理之所存矣…張南軒。

○仁者云々。心にあつい誠を持たが仁者なり。心にきっとしたきれものをもったが義者なり。盛の衰のと云ふて替らぬ。盛衰で替れば、さてたのもしくないことぞ。十五六になる女房もやがてしらがになる。そのときそちへゆけと云ふことは頓とないこと。牡丹が花か落たゆへ截てすてろと云ふことはない筈。盛な時さへすてぬに、衰へたとて捨ることはないはづなり。或人の腹にとんとない云分なり。今迠はさてきいちもつなと思ふたろふが、ここで一句も出されぬ。或人もこまったろふ。○禽獣は鼻の先きばかり。あとさきの了簡はない。肴の骨を出すといつでも尾をふりてくる。あの人の恩にまいなりたと云ふことはない。曹氏が断絶したゆへをれに再嫁をしろと云ふは、禽獣のま子をしろと云やうなもの。我豈為乎なり。
【解説】
「令女曰、聞仁者不以盛衰改節、義者不以存亡易心。曹氏前盛之時、尚欲保終。况今衰亡。何忍棄之。禽獸之行吾豈爲乎」の説明。令女が、仁者や義者は盛衰でも変わることはなく、曹氏が断絶ので私に再嫁をしろと言うのは禽獣の真似をしろと言う様なものだと言った。
【通釈】
「仁者云々」。心に篤い誠を持っているのが「仁者」で、心にきっとした切れ物を持っているのが「義者」である。盛衰でも変わらない。盛衰で変わるのは実に頼もしくない。十五六になる女房もやがて白髪になる。その時に向こうへ行けと言うことは全くないもの。牡丹の花が落ちたので截って捨てろと言うことはない筈。盛んな時でさえ捨てないのに、衰えたとしても捨てることはない筈。これが、或る人の腹には全くない言い分である。今まではさて生一物なことだと思っていたのだろうが、これで一句も出でない。或る人も困ったことだろう。「禽獣」は鼻の先のことばかりで、後先の了簡はない。魚の骨を出すといつでも尾を振って来る。あの人の恩にまいなりたということはない。曹氏が断絶したので私に再嫁をしろと言うのは禽獣の真似をしろと言う様なもの。「我豈為乎」である。


善行30
○唐鄭義宗妻盧氏略渉書史、事舅姑甚得婦道。嘗夜有強盗數十、持杖鼓譟、踰垣而入。家人悉奔竄。唯有姑自在室。盧冒白刃往至姑側、爲賊捶撃幾死。賊去後家人問何獨不懼。盧氏曰、人所以異於禽獸者、以其有仁義也。鄰里有急、尚相赴救。况在於姑而可委棄乎。若萬一危禍、豈宜獨生。
【読み】
○唐の鄭義宗の妻盧氏、略々書史に渉り、舅姑に事えて甚だ婦の道を得。嘗て夜強盗數十、杖を持ちて鼓譟し、垣を踰えて入ること有り。家人悉く奔り竄る。唯姑の自ら室に在る有り。盧、白刃を冒し往きて姑の側に至り、賊の捶撃せらるるを爲して死するに幾し。賊去りて後、家人何ぞ獨り懼れざると問う。盧氏曰く、人の禽獸に異なる所以の者は、其の仁義有るを以てなり。鄰里急有るも、尚相赴き救う。况や姑に在りて委して棄つ可けんや。萬一危禍あるが若きは、豈宜しく獨り生くべけんや、と。

○唐鄭義宗妻云々。珍らしい女でよほど書も読みた。○略と云ふ字も女で書く字なり。中々儒者の様ではないが、女には珍らしい。史記も論吾も読たと云やふなもの。○得婦道は、婦道に欠けたことなく婦道を我か身に持たことなり。○竄は虫などの穴へいること。炭俵の中へはへりたと云ふかこれなり。○姑か腰か立ぬかしてただ一人奥にをりた。そうなくては盧氏も男だてをすまい。姑がをりたゆへ、なんともなしに白刄の中をとをりた。○禽獣は前にも云ふてある。暗に合ふて面白ひ。貞烈がいちずにかたまったゆへ、とかくつよい語が出る。凡そ禽獣之行の人とちくせうとかわるはなどとつよいことを云ふは、胸へ激して出る時のことなり。○鄰邑になんぞあると欠けてゆく。まして姑をすててをく筈はないとなり。
【解説】
盧氏はよく書を読んだ女で婦道を身に持っていた。賊が侵入した時に、姑のために一人で白刃の中を通って姑を守った。盧氏が、人には仁義があるから禽獣とは違うのであって、姑を放って置く筈はないと言った。
【通釈】
「唐鄭義宗妻云々」。珍しい女でよほど書も読んだ。「略」という字も女に書く字である。中々儒者の様ではないが、女には珍しい。史記も論語も読んだという様なもの。「得婦道」は、婦道に欠けたことなく婦道を我が身に持ったこと。「竄」は虫などが穴に入ること。炭俵の中に入ったというのがこれ。姑が腰が立たないかしてただ一人奥にいた。そうなくては盧氏も男伊達はしなかっただろう。姑がいたので、何ともないことの様に白刃の中を通った。「禽獣」は前条でも言ったこと。それが暗に合って面白い。貞烈が一途に固まっているので、とかく強い語が出る。凡そ禽獣の行をする人が畜生と変わるのはなどと強いことを言うのは、胸へ激して出る時のこと。「隣邑」に何かがあると駆けて行く。ましてや姑を捨てて置く筈はないと言った。
【語釈】
・禽獣之行…小学外篇善行29。「禽獸之行吾豈爲乎」。

○萬一怪我てもあったときは自滅せずはなるまい。姑か死子ば生てはをられぬと云ふた。婦人の誠かみへる。さて、善行に夫を持った婦人の操をこれ迠云。今日でも心の拔群にすくれた婦人はまま出ようが、教ないゆへその操か成就せぬ。ここにある貞女皆教のない時なれとも、如此はへぬきなり。垩賢の世の教あるときはあたりかよ井。それで自然にみなよくなる。姑が死子ば生てをられぬ。此一言を今日小学の教にするなり。年寄はいきがけの駄賃と云ふのは、年よりの口から云とも、脇からいかさまと云へば天下の人に不孝不義を教るのなり。垩賢の世は、豈宜獨生なとと云仁義の心が常に耳にはへりてをるゆへ人がよくなる。死ずとよさそうなものじゃと云ふは後世の者の了簡なり。性善は同しことでも教ないとよい人は出来ぬ。凡そ貞烈な女は萬人にすくれたことなれども、これも教があれば大勢出来る。
【解説】
今日でも心の優れた婦人は時々出るだろうが、教えがないのでその操が成就しない。ここの貞女は皆教えのない時のことで、生まれ付きでしたことだが、教えがあれば自然に皆がよくなる。
【通釈】
万一怪我でもした時は自滅しなければならないだろう。姑が死ねば生きてはいられないと言った。ここに婦人の誠が見える。さて善行で夫を持った婦人の操をこれまでに言う。今日でも心の抜群に優れた婦人は時々出るだろうが、教えがないのでその操が成就しない。ここにある貞女は皆教えのない時のことだが、この様な者は生え抜きでのこと。聖賢の世の教えがある時は当たりがよい。それで自然に皆よくなる。姑が死ねば生きてはいられない。この一言を今日の小学の教えにするのである。年寄りは行き掛けの駄賃というのは、年寄りが言ったとしても、脇からいかにもと言えば天下の人に不孝不義を教えることになる。聖賢の世は、「豈宜独生」などという仁義の心が常に耳に入っているので人がよくなる。死ななくてもよさそうなものだと言うのは後世の者の了簡である。性善は同じことでも教えがないとよい人はできない。凡そ貞烈な女は万人に優れた者だが、これも教えがあれば大勢できる。

○譬へば田地に上田下田のある様なもの。上田は陳孝婦や令女なり。下田とて、すてて沼にすると云ことではない。これをききてこれに感じてくると、並々の女が貞女になる。下田を上田にする様なもの。又孝婦や令女に至らずとも、教ゆれば下田だけに米もとれる。このま子をしてこのとをりにすれば、じきに三代の教と云ふものぞ。婦人は生た親か子共の内からしこむことなれとも、夫のしこみが大叓。夫の仕込で貞女にもなる。女房はよく々々わる井ことがなければ去ることではない。其外はゆるしてをこふことぞ。夫の身持かよくて女房へ厚ければ自ら感するものなり。夫の身持がわる井と亭主もあのとをりじゃとて、夫と死ぬ迠やりたてず、不行跡をする。これが遠くからは手の出されぬもの。中人以下は亭主がよければ大槩よいものぞ。小學を読で、今日の処などを天からふりたやふに珍らし井ことと思とちがふ。操の種は女にあるものなり。それを出させぬが後世の教のな井のぞ。たた井こふなるものはもってをるなり。
【解説】
教えは下田を上田にする様なもの。婦人は親が子供の内から仕込むものだが、夫の仕込みが大事で、中人以下はそれで貞女にもなる。操の種は女に備わったもの。そこで、教えがあれば皆貞女になる。
【通釈】
たとえば田地に上田下田のある様なもの。上田は陳孝婦や令女である。下田と言っても、放って置いて沼にするというものではない。これを聞いてこれに感じて来ると、並々の女が貞女になる。下田を上田にする様なもの。また、孝婦や令女に至らなくても、教えれば下田だけに米も取れる。この真似をしてこの通りにすれば、直ぐに三代の教えというもの。婦人は生きた親が子供の内から仕込むものだが、夫の仕込みが大事。夫の仕込みで貞女にもなる。女房はよくよく悪いことがなければ去らせるものではない。その外は許して置くもの。夫の身持がよくて女房へ厚ければ自ら感ずるもの。夫の身持が悪いと亭主もあの通りだからと、夫が死ぬまで使えずに不行跡をする。これが遠くからは手の出せないもの。中人以下は亭主がよければ大概はよいもの。小学を読んで、今日の処などを天から降って来た様に珍しいことと思うのは違う。操の種は女にある。それを出させないのは後世に教えがないからである。そもそもこうなるものを持っているのである。
【語釈】
・陳孝婦…小学外篇善行27に話がある。
・令女…小学外篇善行29に話がある。
・女房はよく々々わる井ことがなければ去ることではない…小学内篇明倫67。「婦有七去。不順父母去、無子去、淫去、妬去、有惡疾去、多言去、竊盗去。有三不去。有所取無所歸不去、與更三年喪不去、前貧賤後富貴不去」。


善行31
○唐奉天竇氏二女生長草野、幼有志操。永泰中群盗數千人、剽掠其村落。二女皆有容色。長者年十九、幼者年十六。匿巖穴間。曳出之、驅迫以前。臨壑谷深數百尺、其姊先曰、吾寧就死。義不受辱。即投崖下而死。盗方驚駭。其妹繼之自投、折足破面流血。群盗乃捨之而去。京兆尹第五琦、嘉其貞烈奏之。詔旌表其門閭、永蠲其家丁役。
【読み】
○唐の奉天の竇氏の二女、草野に生長し、幼にして志操有り。永泰中に群盗數千人、其の村落を剽掠[ひょうりゃく]す。二女皆容色有り。長ずる者年十九、幼なる者年十六。巖穴の間に匿る。之を曳き出し、驅迫して以て前[すす]む。壑谷深さ數百尺なるに臨み、其の姊先だちて曰く、吾寧ろ死に就かん。義、辱しめを受けず、と。即ち崖下に投じて死す。盗方に驚駭す。其の妹之に繼ぎて自ら投じ、足を折り面を破りて血を流す。群盗乃ち之を捨てて去る。京兆の尹第五琦、其の貞烈を嘉して之を奏す。詔して其の門閭に旌表し、永く其の家の丁役を蠲[まぬ]ぐ。

○唐奉天云々。此の章は夫をもたぬ女のことなり。それゆへ朱子の一ちしま井に載てをかれた。前章迠は夫をもった女ゆへ夫婦の別へ出し、この章は男女の別と云やふなもの。先頃古灵陳の章でも云ふとをり、婚礼をせぬ女も婚礼をせぬ男も、夫婦と井云名目の付ぬうちから男女の別を正しふすること。そうした正しい男女が、そこで婚礼してからわるくなると云ふ筈はない。やっはり陳先生か夫婦有恩と男女有別を二つ出したと云ふがこれなり。婚礼をせぬ前のみさを、これ程に立て、婚礼してわるくなると云ふことはない。そこでこれが夫婦の別のしま井にのって馳走することなり。○長生草野。田舎はわるいことは見ぬゆへ質朴ぞ。なれとも男女入交て耕作をするゆへ、そこで男女の別がちと正しにく井。武家などのふらちのすくないと云ふか、男女のいっしょにをる用向がない。江戸町などでもそれなり。都はすべて男女がいりみだらぬ。教のことにあづからず、居塲がそふしたことなり。田舎はとかく男女が入り乱れてをる。詩經などの国風の男女詠歌と云もそれにて、田舎は市井風の道落にはならぬが、たた男女の入り乱れる方から操もたたぬものぞ。草野に生長したれとも、操の立たなり。
【解説】
この章は夫を持たない女のことなので最後に載せたもの。これは男女の別という様なもので、婚礼をしない内から男女の別を正しくて操を立てれば、婚礼の後も悪くなる筈はない。田舎は質朴で道楽にならないのはよいが、男女が入り交わっているので男女の別を正し難い。
【通釈】
「唐奉天云々」。この章は夫を持たない女のこと。それで朱子が一番後ろに載せて置かれた。前章までは夫を持っている女なので夫婦の別へ出す。この章は男女の別という様なもの。先頃古霊陳の章でも言った通り、婚礼をしていない女も婚礼をしていない男も、夫婦という名目が付かない内から男女の別を正しくする。そうした正しい男女が婚礼してから悪くなる筈はない。やはり陳先生が「夫婦有恩」と「男女有別」の二つを出したというのがこれ。婚礼をする前の操がこれほどに立っていて、婚礼をして悪くなるということはない。そこでこれが夫婦の別の最後に載るのが馳走になる。「長生草野」。田舎では悪いことは見ないので質朴である。しかし、男女が入り交わって耕作をするので、そこで男女の別を少々正し難い。武家などには不埒が少ないというのも、男女が一所にいる用向きがないから。江戸町などでもそれ。都は全て男女が入り乱れない。それは教えに与ったことではなく、居場がそうしたものなのである。田舎はとかく男女が入り乱れている。詩経など、国風で男女が詠歌するというのもそれで、田舎は市井風の道楽にはならないが、ただ男女が入り乱れる方から操も立たないもの。この二女は、草野に生長したが操は立っていた。
【語釈】
・古灵陳の章…小学外篇嘉言14を指す。

○志操は、人ともげたことのあることなり。人の戯謔を云ふとき、あまり笑はぬと云様なこと。好色にみたれるなども初手からあまり不埒もな井が、戯謔を云ふと笑ふ。その笑が不埒でもないが、それからわるくなる。人の戯謔などを云ふとふんとし顔かあって、奉天が二女はにく井娘と云やふであった。○驅迫は、さあゆけ々々々々とあとからをったててゆくこと。○吾寧云々。盗賊にとられてあちのすきになってはならぬと云ふて、投崖下而死すなり。女をつれて用向のないこと。むり女房にするか遊女にするの外ないこと。そこをふくんで、義不受辱と云ふたものなり。盗人が悪いやつとてつれてゆくではない。調法にしたもの。そこで死たゆへ、方に驚駭なり。娘をつれてゆく入用ありてのこと。それが死たゆへすてた。さて々々むこ井ことぞ。さて娘の志操を立ると云ふも教の手段て出来ること。先つたたい若ひ娘の道落になるもすっとはならぬ。わる井方の稽古あってなると思ふ。凡そ小女も天癸の発する迠は、多くは腹立ばや井ものぞ。男は気の短ひやふで、そうた井女は温和なものなれとも、心にら井がないから腹立はやいもの。その腹立はや井と云が、やっはり志操のた子なり。志操のなくなると云ふことはない。
【解説】
奉天の二女は盗賊に捕らわれたが、賊の好き勝手にはさせないと思って崖に身を投げて死んだ。若い娘が道楽になるのも直ぐにはならないものであって、悪い方の稽古でなる。そこで、教えによって志操を立てることができる。小女は腹立ち早いもので、その腹立ち早いというのが志操の種である。志操の種は誰にでもある。
【通釈】
「志操」は、人を相手にしない風があること。人が戯けを言う時に、あまり笑わないという様なこと。好色に乱れることなども、あまり初めから不埒なこともないが、戯けを言うと笑う。その笑うのが不埒でもないが、それから悪くなる。人が戯けなどを言うとふんとした顔をするので、奉天の二女は憎い娘という様な者だった。「駆迫」は、さあ行けと後から追い立てて行くこと。「吾寧云々」。盗賊に捕らわれてあちらの好き勝手になってはならないと言って「投崖下而死」。女を連れる用向きはない。無理に女房にするか遊女にする外はない。そこを含んで「義不受辱」と言ったもの。盗人が、悪い奴だと連れて行くのではない。調法としたもの。そこで死んだので「方驚駭」である。娘を連れて行く入用があってのことだったので、それが死んだので捨てた。それは実に酷いこと。さて、娘の志操を立てるのも教えの手段でできること。先ずはそもそも若い娘が道楽になるのも直ぐにはならない。悪い方の稽古があってなるのだろう。凡そ小女も天癸の発するまでは、多くは腹立ち早いもの。男は気が短い様で、総体女は温和なものだが、心に隙がないから腹立ち早い。その腹立ち早いというのが、やはり志操の種である。志操がなくなるということはない。
【語釈】
・天癸…生殖のための精。

悪所や堺町辺の娘でも十四五の時はひんとするばかあって、をどけなくさまれると腹立る。それから女の友達が年かゆかぬ々々々と云ふてそろ々々と色欲の方へ誘き、親もまだつきあ井を存せぬなどと云ふ。此間がよほど手入がありてどうらくになる。そのふん々々とはらたてるときから正しくしこむと志操をもり立ることなり。奉天の二女がなくさまれるが残念じゃとて死た。これを聞せたら、それは迷惑なと云ふ親あらふ。この様なことを朱子の善行にとるが志操を取立ることなり。女は全体和らかなものなれとも、このやふに身をすてて身をけがさぬと云。さて々々毎度云通り、操は常の温和な処から出ることなり。これが古今あるもの。それをとりたてるが小学の教。男女非有行媒不相知名か、天下にこの志操を種をまく教なり。そのことがばっと発して京兆尹云々なり。親孝行ともちか井夫のためでもな井が、貞烈な娘女のかかみと、上から格別なことと褒美ありたことなり。
【解説】
志操の種を持っていても、親や友達が色欲へと誘う。そこで、小さな頃から正しく仕込まなければならない。この章は志操を取り立てたもの。操は平生の温和な処から出るもので、これを取り立てるのが小学の教えである。
【通釈】
悪所や堺町辺りの娘でも十四五の時はひんとする場があって、戯けてからかわれると腹を立てる。それからは、女の友達が幼いと言ってそろそろと色欲の方へ誘い、親もまだ付き合いを知らないなどと言う。この間によほど手入れがあって道楽になる。そのぷんぷんと腹を立てている時から正しく仕込むと志操を盛り立てることになる。奉天の二女が弄ばれるのが残念だとして死んだ。これを聞かせたら、それは迷惑なことだと言う親もいることだろう。この様なことを朱子が善行に採ったのが志操を取り立てたこと。女は全体和らかなものだが、この様に身を捨てて身を汚さないと言う。実に毎度言う通りで、操は平生の温和な処から出るもの。これが古今あるもので、これを取り立てるのが小学の教えである。「男女非有行媒不相知名」が、天下にこの志操の種を蒔く教えである。そのことがぱっと発して「京兆尹云々」である。親孝行とも違い夫のためでもないが、貞烈な娘女の鑑で格別なことだと、上から褒美があった。
【語釈】
・男女非有行媒不相知名…小学内篇明倫60。「曲禮曰、男女非有行媒、不相知名」。