善行43
○萬石君石奮歸老于家、過宮門闕、必下車趨、見路馬、必軾焉。子孫爲小吏。來歸謁、萬石君必朝服見之不名。子孫有過失不誚讓。爲便坐、對案不食。然後諸子相責、因長老肉祖固謝罪、改之乃許。子孫勝冠者在側、雖燕必冠申申如也。僮僕訢訢如也。唯謹。上時賜食於家、必稽首俯伏而食、如在上前。其執喪、哀戚甚。子孫遵敎亦如之。萬石君家、以孝謹聞乎郡國。雖齊・魯諸儒質行、皆自以爲不及也。長子建爲郎中令、少子慶爲内史。建老白首、萬石君尚無恙。毎五日洗沐歸謁親、入子舎、竊問侍者、取親中帬厠牏身自浣洒、復與侍者、不敢令萬石君知之、以爲常。内吏慶醉歸、入外門不下車。萬石君聞之不食。慶恐肉袒謝罪。不許。舉宗及兄建肉袒。萬石君讓曰、内吏、貴人。入閭里、里中長老皆走匿、而内吏坐車中自如。固當。乃謝罷慶。慶及諸子入里門、趨至家。
【読み】
○萬石君石奮、家に歸老し、宮の門闕を過ぐれば、必ず車より下りて趨り、路馬を見れば、必ず軾す。子孫小吏爲り。來り歸して謁すれば、萬石君必ず朝服して之を見て名いわず。子孫に過失有れば誚讓せず。爲に便坐し、案に對して食わず。然して後に諸子相責め、長老に因りて肉祖し固く罪を謝し、之を改むれば乃ち許す。子孫冠するに勝うる者側に在れば、燕と雖も必ず冠して申申如たり。僮僕には訢訢如たり。唯謹む。上、時に食を家に賜わば、必ず稽首俯伏して食い、上の前に在るが如し。其の喪を執るには、哀戚甚し。子孫敎に遵いて亦之の如くす。萬石君の家、孝謹を以て郡國に聞ゆ。齊・魯の諸儒質行と雖も、皆自ら以て及ばずと爲す。長子建、郎中令爲り、少子慶、内史爲り。建老いて白首にして、萬石君尚恙無し。五日の洗沐毎に歸りて親に謁し、子舎に入り、竊に侍者に問い、親の中帬[ちゅうくん]厠牏[しとう]を取りて身自ら浣洒し、復た侍者に與え、敢て萬石君をして之を知らしめず、以て常と爲す。内吏慶醉うて歸り、外門に入りて車より下らず。萬石君之を聞きて食わず。慶恐れて肉袒して罪を謝す。許さず。舉宗及び兄建肉袒す。萬石君讓[せ]めて曰く、内吏は貴人なり。閭里に入れば、里中の長老皆走り匿れて、内吏車中に坐して自如たること固より當る、と。乃ち謝して慶を罷む。慶及び諸子里門に入れば、趨りて家に至る。

三月十一日
【語釈】
・三月十一日…寛政2年(1790)3月11日。

○これからは通論なり。親に孝なこともあれば、朋友の交もなにもかもある。○さて、萬石君はたしか景帝の人臣の身にあのよふな幸なものはないとの玉ふから萬石君と称したと思ふ。そのあやは、漢は二千石は甚だ重ひ。ぬしが二千石、四人の子共衆に二千石つつ、因て萬石なり。比類もなきことなり。万石君は隠居して、家と云ふが京都なり。○路馬は、天子の御馬を見るとあたまをさけた。これを遠ひことと思ふとちかふ。上総で云へば、御鷹を見ると頭をさけるよふなもの。戯劇のやふなれとも、これか誠なり。禽獣なれども上の鷹、上の馬也。路馬は君の御馬ゆへ大切にする。○萬石君必朝服云々。子共衆が御城から下らるると、吾が子なれども名を云はぬ。上から官位を下されたものはただの子のやふにはない筈。
【解説】
「萬石君石奮歸老于家、過宮門闕、必下車趨、見路馬、必軾焉。子孫爲小吏。來歸謁、萬石君必朝服見之不名」の説明。万石君は本人と四人の子供がそれぞれ二千石だったので万石と言う。万石君は天子の御馬を見ると頭を下げた。これは上総で御鷹に頭を下げる様なもの。官位を得た子供には名を呼ばなかった。
【通釈】
これからは通論である。親に孝なこともあれば、朋友の交も何もかもある。さて、万石君は確か景帝が人臣の身にあの様な幸せな者はいないと仰ったから万石君と称したと思う。その綾は、漢では二千石は甚だ重い。本人が二千石、四人の子供衆が二千石ずつ、そこで万石である。これが比類もないこと。万石君が隠居した。「家」というのが京都のこと。「路馬」。天子の御馬を見ると頭を下げた。これを遠いことと思うと違う。上総で言えば、御鷹を見ると頭を下げる様なもの。戯けの様だが、これが誠からのこと。禽獣ではあるが、上の鷹、上の馬である。路馬は君の御馬なので大切にする。「万石君必朝服云々」。子供衆が御城から下がると、自分の子であっても名を言わない。上から官位を下された者にはただの子の様ではない筈。

○有過失云々。手のこんだ異見ぞ。餘り呵りてはきかぬもの。○便坐の便はたよりと云字で、廣袖の着物と云様なは便衣。庭のちんや物見は便室と云はうこと。公方様の吹上けの御庭の濱御殿のと云ふが便の字ぞ。行宮便殿と云ふもこの便の字なり。そこでえんがはわきでもすわると云ふ様なこと。○不食と云か是程子共衆のたましいにあたることはない。呵るより甚だきく。○勝冠者と云ふは、よ井ころ成人してなとと云ふ様なもの。丁と元服ころな大人になったと云ことなり。十三四で元服しては元服めかぬ。元服をする比の者は、子や孫なれとも中々麁末にあしらはず、袴を着て出る。これらはよい教なり。不行儀にあしらふと不行儀になる。○申々如は平生ゆっくりとしたこと。これは孔子のことで萬石君などに書きそふもな井ことなれとも、摸様をかりて書くときは垩人を云ふ字も書くなり。ゆっくりとして究屈にないこと。○訢々如は迂斉の弁に、子めつけぬことじゃと云へり。兎角召つかいをは子めつけてみたかるものぞ。
【解説】
「子孫有過失不誚讓。爲便坐、對案不食。然後諸子相責、因長老肉祖固謝罪、改之乃許。子孫勝冠者在側、雖燕必冠申申如也。僮僕訢訢如也。唯謹」の説明。子孫に過失があった時は食事をしなかった。年頃の子孫がいれば袴を着て出て悠々としていた。僮僕にはいつもにこにことしていた。
【通釈】
「有過失云々」。手の込んだ異見である。あまり呵っては効かないもの。「便坐」の便は便りという字で、広袖の着物という様なのは便衣。庭の亭や物見は便室と言う。公方様の吹け上げの御庭や浜御殿などと言うのが便である。行宮便殿と言うのもこの便のこと。そこで縁側脇にでも座るという様なこと。「不食」というのがこれほどに子供衆の魂に当たることはない。呵るよりも甚だ効く。「勝冠者」は、よい頃に成人してなどと言う様なもの。丁度元服頃の大人になったということ。十三四で元服しては元服めかない。元服をする頃の者は子や孫でも中々粗末にあしらわず、袴を着て出る。これらはよい教えである。不行儀にあしらうと不行儀になる。「申々如」は平生がゆっくりとしていること。これは孔子のことで万石君などには書きそうもないことだが、模様を借りて書く時は聖人を言う字も使う。ゆっくりとして窮屈でないこと。「訢々如」は迂斎の弁に、睨め付けないことだとある。とかく召使いを睨め付けて見たがるもの。
【語釈】
・申々如…論語述而4。「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。

○上時賜食於家云々。食物を下さると御前でしゃふばんをするとをりにした。これらは垩人のとをりなり。先年日光御社参の時、土井侯が京都にあって古河へ御宿城の日は京にて殊外つつしみ、一日上下できっとしてをったと云ふ。萬石君なり。これで見れば垩人になる畑か出来てをるなり。學者は却てあちこちしてわるくなる。そこで人か学者は人抦がわる井と思ふ。萬石君を迂斉の竹内の宿称じゃと云へり。年はそれほどてなくとも、高祖から景帝と四代つとめた。○斉魯とは、昔から斉の国、魯の國には学者かををかった。今学者と云へは京都にあると思ふてをる様なもの。学者は行のよいにしたもの。そこで諸儒質行と云なれとも、萬石君には及はぬと云ふた。○内史は日本の内記なり。○中帬厠牏は下着洗濯するなり。歴々のことなれば家来をびたたしくあるが自からなり。○萬石君聞之不食。このときは至て腹を立たと見へる。輕い者ならば反てそのぶんのこと。歴々だけにたかぶりをせめたもの。○固當は、そうあるべきことじゃとひょくりて云。○謝罷慶は、さあ々々よし々々そっちへゆかれよと甚の不機嫌なり。
【解説】
「上時賜食於家、必稽首俯伏而食、如在上前。其執喪、哀戚甚。子孫遵敎亦如之。萬石君家、以孝謹聞乎郡國。雖齊・魯諸儒質行、皆自以爲不及也。長子建爲郎中令、少子慶爲内史。建老白首、萬石君尚無恙。毎五日洗沐歸謁親、入子舎、竊問侍者、取親中帬厠牏身自浣洒、復與侍者、不敢令萬石君知之、以爲常。内吏慶醉歸、入外門不下車。萬石君聞之不食。慶恐肉袒謝罪。不許。舉宗及兄建肉袒。萬石君讓曰、内吏、貴人。入閭里、里中長老皆走匿、而内吏坐車中自如。固當。乃謝罷慶。慶及諸子入里門、趨至家」の説明。万石君は高祖から景帝までの四代を勤めた。斉や魯には学者が多かったが、万石君に及ぶ者はいなかった。内史となった慶が外門で車から降りなかった時は大層不機嫌だった。
【通釈】
「上時賜食於家云々」。食物を下さると御前で相伴をする通りにした。これらは聖人の通りである。先年日光御社参の時に土井侯は京都にいて、古河への御宿城の日には京で殊の外謹み、一日中裃できっとしていたという。これが万石君である。これで見れば聖人になる畑ができていたことがわかる。学者は却ってあちこちして悪くなる。そこで人が学者は人柄が悪いと思う。迂斎が万石君のことを武内宿禰だと言った。年はそれほどでなくても、高祖から景帝までの四代を勤めた。「斉魯」。昔から斉の国や魯の国には学者か多かった。それは、今学者と言えば京都にいると思っている様なもの。学者は行がよいとしたもの。そこで儒者は「諸儒質行」なのだが、それも万石君には及ばないと言った。「内史」は日本の内記である。「中帬厠牏」は下着を洗濯すること。歴々なので家来が夥しくいるが自らした。「万石君聞之不食」。この時は至って腹を立てたと見える。軽い者であれば却ってそのままにするが、歴々だけに高ぶりを責めたもの。「固当」は、そうあるべきことだと浴びせる様に言ったもの。「謝罷慶」。さあよい、そちらへ行きなさいとは言ったものの、甚だ不機嫌だった。


善行44
○疏廣爲太子太傅。上疏乞骸骨。加賜黄金二十斤。太子贈五十斤。歸郷里、日令家供具、設酒食、請族人・故舊・賓客、相與娯樂、數問其家金餘尚有幾斤、趣賣以共具。居歳餘、廣子孫竊謂其昆弟老人廣所信愛者曰、子孫冀及君時、頗立産業基址。今日飮食費且盡。宜從丈人所、勸説君置田宅。老人即以間暇時、爲廣言此計。廣曰、吾豈老悖不念子孫哉。顧自有舊田盧。令子孫勤力其中、足以共衣食。與凡人齊。今復增益之以爲贏餘、但敎子孫怠惰耳。賢而多財則損其志、愚而多財則益其過。且夫富者衆之怨也。吾既無以敎化子孫。不欲益其過而生怨。又此金者、聖主所以惠養老臣也。故樂與郷黨・宗族共享其賜、以盡吾餘日、不亦可乎。
【読み】
○疏廣、太子の太傅爲り。上疏して骸骨を乞う。黄金二十斤を加え賜う。太子五十斤を贈る。郷里に歸り、日に家をして具を供え、酒食を設けしめ、族人・故舊・賓客を請いて、相與に娯樂し、數々其の家金の餘り尚幾斤有るかと問い、趣[うなが]し賣りて以て具を共す。居ること歳餘、廣の子孫、竊に其の昆弟老人の廣の信愛する所の者に謂いて曰く、子孫君時に及びて、頗る産業の基址を立てんことを冀う。今日に飮食し、費して且[まさ]に盡んとす。宜しく丈人の所より、君に田宅を置かんことを勸説すべし、と。老人即ち間暇の時を以て、廣の爲に此の計を言う。廣曰く、吾豈老悖[ろうはい]して子孫を念わざらんや。顧[おも]うに自ら舊田盧有り。子孫をして力を其の中に勤めしめば、以て衣食を共するに足る。凡人と齊し。今復た之を增益して以て贏餘[えいよ]を爲すは、但子孫に怠惰を敎うるのみ。賢にして財多ければ則ち其の志を損し、愚にして財多ければ則ち其の過を益す。且つ夫れ富は衆の怨みなり。吾既に以て子孫を敎化すること無し。其の過を益して怨みを生ずるを欲せず。又此の金は、聖主の以て老臣を惠養する所なり。故に郷黨・宗族と共に其の賜を享くるを樂しみて、以て吾が餘日を盡すも、亦可ならざらんや、と。

○からだのことを骸骨と云ふ。このからだは君へ差上けたものなり。それを乞ぞ。賔客は我か家へ来てをる者や出入の者なり。○趣賣は催促して両替でもすることに見へる。○昆弟老人は疏廣がために從兄弟などなり。昆弟は兄弟のことなれとも、兄弟と見ては取り合ぬ。大勢の從兄弟の内で云ふてあらふが、子共の方からぢきに云ふとかみつける。七藏なれば大豆谷の甚左ェ門をたのむのぞ。○廣曰云々。ここか凡慮の外なり。たたならぬ人はたたならぬ了簡のあるもの。○孝悖は老耄と云やふなもの。年がよるとたわ井がなくなるゆへ悖と云ふ。この家に着た田地も家敷もある。村のものと相替らぬ身帯じゃ。御定りの百姓のとをりで不足はない。田地を買ふことはなりもしよふが、子孫へぶらついて楽をすることを教るになる。○賢而多財云々。これか古今の名言なり。どこへもっていってもはづれることはない。古今を見ぬいたよい語なり。子孫へ身帯をよくしてやるはなまけを教る本。垩賢君子にもなるほどのものを、身帯のよ井からならぬ。冨豪な者で質素と云ふは教もなるか、それでも年長けると懐手てをり、わるくなる。心ある人はちと合点しよふことぞ。其中へこみいりて見るに、志をへらすにこの上はない。直方先生の、大名の学問は夜着を着てすまうを取るやふなものと云へり。今は町人も大名に替らぬよふに驕をしてをる。そこで三里四里行て講釈を聞こうと云者はない。孟子の舜発於畎畝之中、傅説挙於版築之間云々の章をみよ。貧乏からよくもなるもの。冨豪なれば利口者も本心を失ふ。小児に甘い物を食せれば虫が出ると同しこと。
【解説】
「○疏廣爲太子太傅。上疏乞骸骨。加賜黄金二十斤。太子贈五十斤。歸郷里、日令家供具、設酒食、請族人・故舊・賓客、相與娯樂、數問其家金餘尚有幾斤、趣賣以共具。居歳餘、廣子孫竊謂其昆弟老人廣所信愛者曰、子孫冀及君時、頗立産業基址。今日飮食費且盡。宜從丈人所、勸説君置田宅。老人即以間暇時、爲廣言此計。廣曰、吾豈老悖不念子孫哉。顧自有舊田盧。令子孫勤力其中、足以共衣食。與凡人齊。今復增益之以爲贏餘、但敎子孫怠惰耳。賢而多財則損其志、愚而多財則益其過」の説明。疏広が職を辞して郷里に帰り、毎日散財をして暮らしていた。そこで子供が親戚に頼んで田宅を買う様に助言をしてもらった。疏広は、財を遺すのは子孫に怠けることを教える本になると言った。富貴だと志を損なう。
【通釈】
体のことを骸骨と言う。この体は君へ差し上げたもの。それを乞う。賓客は自分の家へ来ている者や出入りの者のこと。「趣売」は催促して両替でもすることと見える。「昆弟老人」は疏広に対しての従兄弟などである。昆弟は兄弟のことだが、兄弟と見ては取り合わない。大勢の従兄弟の内を言うのだろうが、子供の方から直に言うと噛み付かれる。七蔵であれば大豆谷の甚左衛門を頼む様なもの。「広曰云々」。ここが凡慮の外なこと。ただならない人にはただならない了簡があるもの。「孝悖」は老耄という様なもの。年が寄ると他愛がなくなるので悖と言う。この家には田地も屋敷もある。村の者と相変わらない身代である。御定まりの百姓の通りで不足はない。田地を買うこともできもしようが、それでは子孫にぶらついて楽をするのを教えることになる。「賢而多財云々」。これが古今の名言である。何処へ持って行っても外れることはない。古今を見抜いたよい語である。子孫へ身代をよくして遣るのは怠けを教える本。聖賢君子にもなるほどの者も、身代がよいからならない。富豪な者でも質素といえば教えもできるが、それでも年長けると懐手でいて悪くなる。心ある人は一寸合点しなければならない。その中へ入り込んで見ると、志を減らすのにこの上はない。直方先生が、大名の学問は夜着を着て相撲を取る様なものだと言った。今は町人も大名と変わらないほどの驕りをしている。そこで三里四里を行って講釈を聞こうという者はいない。孟子の「舜発於畎畝之中、傅説挙於版築之間云々」の章を見なさい。貧乏からよくもなるもの。富豪であれば利口者も本心を失う。それは、小児に甘い物を食わせれば虫が出るのと同じこと。
【語釈】
・七藏…鵜澤七蔵。鵜澤由斎の子。大網白里町清名幸谷の人。黙斎門下。
・舜発於畎畝之中、傅説挙於版築之間…孟子告子章句下15。「孟子曰、舜發於畎畝之中、傅説舉於版築之閒、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市」。

○且夫冨者云々。冨は人に怨をうけるものじゃ。さて又これらも格言なり。凡夫の心が人の身帯のよ井はうらやむもの。あの人はよ井身帯とほめるが、そのほめるか景色や名月を見て誉るやふではない。人情が向の世話にもちとなりたい気があるものぞ。されども皆に合力もならぬ。彼れや此れやのをこるも身の上のよいからなり。こふはしてくれそもないとはや怨む。毒殺に合ふも歴々の上にあることなり。冨をもつからなり。駕舁や舩頭にはない。冨貴はうっとし井もので、人の目がけるものそ。家督争も冨人に多し。○又此金者を、迂斉の、烟草をいっふくのんで云ふたことじゃと云へり。その上によく考てみやれ。上から子孫にと云ふて下さったではない。甘ものでも食ふて餘年ををへろと云ふて下さりた。さていこふけだかい條なり。これを俗人にもこんながあると学者が下目に見ると疏廣が罰があたる。今吾黨の者がどの様に高ひ理屈は云ても金銀を忘れる心がない。身上のことなとに小利口の出るうちは疏廣にはをとりたことなり。子を教るにも模様のあらふことぞ。俗人の可愛がるとはちごふ筈なり。啇人根情か出ては頓と教はならぬことなり。
【解説】
「且夫富者衆之怨也。吾既無以敎化子孫。不欲益其過而生怨。又此金者、聖主所以惠養老臣也。故樂與郷黨・宗族共享其賜、以盡吾餘日、不亦可乎」の説明。富は人の怨みを買うもの。毒殺も家督争いも富人に多いもの。そもそもこの財は疏広が上から賜ったのであって、それで余生を暮らせと言って下さったものである。学者も身上のことなどに小利口の出る内は疏広に劣る。
【通釈】
「且夫富者云々」。富は人に怨みを受けるもの。さてまたこれらも格言である。凡夫の心が人の身代のよいのを羨むもの。あの人はよい身代だと誉めるが、その誉めるのが景色や名月を見て誉める様なことではない。人情が、向こうの世話にも一寸なりたい気があるものだが、皆に合力はできないもの。かれこれと残るのも身の上がよいからである。こうはしてくれそうもないと思うと早くも怨む。毒殺に遭うのも歴々の上にあることで、富を持つからである。駕籠舁きや船頭にはない。富貴はうっとうしいもので、人が目掛けるもの。家督争いも富人に多い。「又此金者」を、迂斎が、煙草を一服喫んで言ったことだと言った。その上、よく考えて見なさい。上から子孫にと言って下さったのではない。甘い物でも食って余年を終えろと言って下さったのである。さて、これが大層気高い条である。これを、俗人にもこんなことがあると学者が下目に見ると疏広の罰が当たる。今我が党の者がどの様に高い理屈を言っても金銀を忘れる心がない。身上のことなどに小利口の出る内は疏広に劣る。子を教えるにも模様がある筈で、俗人の可愛がるのとは違う筈。商人根性が出ては教えは全くならない。


善行45
○龐公未嘗入城府。夫妻相敬如賓。劉表候之。龐公釋耕於壟上、而妻子耘於前。表指而問曰、先生苦居畎畒而不肯官祿。後世何以遺子孫乎。龐公曰、世人皆遺之以危。今獨遺之以安。雖所遺不同、未爲所遺也。表嘆息而去。
【読み】
○龐公未だ嘗て城府に入らず。夫妻相敬うこと賓の如し。劉表之を候[うかが]う。龐公耕を壟上に釋して、妻子前に耘[くさぎ]る。表、指して問いて曰く、先生苦しみて畎畒に居りて官祿を肯[したが]わず。後世何を以て子孫に遺さんや、と。龐公曰く、世人皆之に遺すに危きを以てす。今獨り之に遺すに安きを以てす。遺す所同じからずと雖も、未だ遺す所無しと爲さざるなり、と。表、嘆息して去る。

○龐公はどのよふな役人にもなられる人なり。どのよふな儒官者にもまけぬ人で、つ井に京都も見すと云ふなり。○指はゆびをさすことなれとも実にさすでなく、それはどふでこざると云ふてさす意なり。○不肯。官禄を取るがきらい。官禄をううと云てふりむかす、得心せぬことなり。○劉表が遺らんと云から龐公がををむかへしを云ふたぞ。世間の者の遺るはあぶないものを遺。私は道理のとをり教。これが世忰へ遺ゆへあぶなくないことをやる。知行をやると学問をやるやふなもの。役に立ぬものををくりたと思ふは凡夫の了簡。官禄はあぶな井ものなり。
【解説】
龐公はどの様な儒官にも負けない人だったが、役には就かなかった。劉表が何を遺すのかと尋ねると、学問という危なくないものを子孫に遺すと言った。官禄は危ないもの。
【通釈】
龐公はどの様な役人にもなることのできる人。どの様な儒官者にも負けない人でありながら、ついに京都も見ずという人だった。「指」は指を指すことだが本当に指すのではなく、それはどうかと言って指す意である。「不肯官禄」。官禄を取るのが嫌いだった。官禄をうんと言って振り向かず、それを得心しないこと。劉表が遺すと言うから龐公が鸚鵡返しを言った。世間の者は危ないものを遺す。私は道理の通りを教え、これを忰へ遺るので危なくないことを遣す。知行を遣るというのと学問を遣るという様なもの。役に立たないものを送ったと思うのは凡夫の了簡。官禄は危ないもの。


善行46
○陶淵明爲彭澤令、不以家累自隨。送一力給其子書曰、汝旦夕之費、自給爲難。今遣此力助汝薪水之勞。此亦人子也。可善遇之。
【読み】
○陶淵明、彭澤[ほうたく]の令と爲り、家累を以て自ら隨えず。一力を送りて其の子に給する書に曰く、汝旦夕の費、自ら給すること難きと爲す。今此の力を遣り、汝が薪水の勞を助く。此も亦人の子なり。善く之を遇す可し、と。

○陶淵明云々。累は今云やっかいのこと。陶淵明も一存あって身かるで行かれたであらふぞ。手や足の力で奉公するゆへ中間などのことを力と云ふ。をれが家来をやるは子共がかわいいゆへやる。そのやる者も人の子じゃ。あれが親の了簡はをれも同じことであらふ。なんでもないものにしてつかふな。人の子じゃは、と。此語意をよみ、何の叓もないことなれとも、陶淵明の気象の高ひ処から出たものなり。家来をつかふものはこの語を忘れまいことぞ。家来と云ふとすみからすみ迠つかいたてる様になる。なかんづく氣を付くべきは子守などなり。十二三になる娘を食ふことなら子ばこそ親が子守によこす。それをしかりむごくするはあまりなことじゃ。ここにじかつけなこと。子が可愛から守りをさせる。その守も人の子也。鷄も雛も同しこと。生物なれとも雛がかわゆ井ぞ。凡そちいさければ一入かわゆひ。これ仁のことに程子の云はるる。小あま子守をめしつかふ上の瑣細なことに、これから仁と云ふあんばいにもひひくこと。さて凡人の上になっては仁さたはな井が、親か子を可愛がるはかりが仁の摸様になり、それを一推し推せは人の子もかわゆくなるぞ。人の子を可愛がることかなら子ば一生仁の功夫はならぬ。仁と通路はならぬ。これを聞て胸へきゃ々々とひびくやふでなければならぬ。雪の日や、あれも人の子樽ひろひ。どこの国から来たか知れず、雪の降るにあるく。使ふ者も何んとも思はず、買ふ者もなんとも思はず、頭でもはり、泣かせて帰ることもある。それを見て飯を食せたいと云ほどでなければ此の章も役にたたぬ。
【解説】
親が子を可愛がるのが仁の模様である。これを推せば人の子も可愛くなる。人の子を可愛がることができなければ、一生仁の功夫はできない。程子が陶淵明の言を仁のこととして言った。
【通釈】
「陶淵明云々」。「累」は今言う厄介のこと。陶淵明も一存があって身軽に行かれたのだろう。手や足の力で奉公をするので中間などのことを力と言う。俺が家来を遣るのは子供が可愛いので遣るのだが、その遣る者も人の子である。あれの親の了簡は俺の了簡と同じことだろう。何でもないものとして使うな、人の子だと言った。この語意を読んで見ると何事もないことだが、これが陶淵明の気象の高い処から出たもの。家来を使う者はこの語を忘れてはならない。家来というと隅から隅まで使い立てる様になる。特に気を付けるべきものは子守などである。十二三になる娘を食わすことができないからこそ親が子守に遣す。それを叱り、酷くするのはあまりなこと。これが直付けなこと。子が可愛いから守をさせる。その守も人の子である。鶏も雛も同じことだが、生物でも雛が可愛いもの。凡そ小さければ一入可愛い。これを仁のこととして程子が言われた。小尼の子守を召し使う上の瑣細なことから仁という塩梅にも響く。さて凡人の上になっては仁の沙汰はないが、親が子を可愛がることだけが仁の模様であり、それを一推し推せば人の子も可愛くなる。人の子を可愛がることができなければ、一生仁の功夫はできない。仁の通路はならない。これを聞いて胸へきりきりと響く様でなければならない。雪の日や、あれも人の子樽拾い。何処の国から来たのかも知れず、雪が降るのに歩く。使う者も買う者も何とも思わず、頭でも張り、泣かせて帰ることもある。それを見て飯を食わせたいと言うほどでなければこのの章も役に立たない。


善行47
○崔孝芬兄弟、孝義慈厚。弟孝暐等、奉孝芬盡恭順之禮。坐食進退、孝芬不命則不敢也。鶏鳴而起、且温顔色、一錢尺帛不入私房。吉凶有須、聚對分給。諸婦亦相親愛、有無共之。孝芬叔振既亡後、孝芬等承奉叔母李氏、若事所生。旦夕温清、出入啓覲、家事巨細一以咨决。毎兄弟出行有獲、則尺寸以上皆入李之庫。四時分賚、李氏自裁之。如此二十餘歳。
【読み】
○崔孝芬兄弟、孝義慈厚なり。弟孝暐等、孝芬を奉じて恭順の禮を盡す。坐食進退、孝芬命ぜざれば則ち敢てせざるなり。鶏鳴きて起き、且つ顔色を温にし、一錢尺帛も私房に入れず。吉凶須[もち]うること有れば、聚り對して分ち給す。諸婦も亦相親愛して、有無之を共にす。孝芬の叔振既に亡びて後、孝芬等叔母李氏に承奉すること、所生に事うるが若し。旦夕温清し、出入啓覲し、家事巨細一に以て咨い决す。兄弟出で行きて獲る有る毎に、則ち尺寸以上は皆李の庫に入るる。四時分ち賚[あた]うるに、李氏自ら之を裁す。此の如きこと二十餘歳。

○孝義は孝行なこと。義は孝行についた字とみるがよい。白徒めかぬ孝行を云ふてあろうと思。孝行なものもあるが、習のないと道理を知たかある。しやふことを知り道理に叶ふた孝行そ。○慈厚はかわ井かりよふに手のあつ井こと。子共可愛がりよふに手のあついとうすいがある。なんぞ子だるとはやかふてやる。それはかわ井かりよふのうすいのなり。それは日雇取もするなり。呵ってよくする親なれば慈愛ぞ。手あつ井なり。○温顔色。今日もわがままな男は、朝子起には家内の者めったにものを云ふなと云がある。朝さはいつも不機嫌、と。これは乱心から二番目のものをもちあわせたと云もの。家内でもよってもつかれぬと云ふぞ。人間の鬼神にばけたのなり。看よ、温顔色。これ一日の用向がこの温から出る。衆善之長と云べし。
【解説】
「○崔孝芬兄弟、孝義慈厚。弟孝暐等、奉孝芬盡恭順之禮。坐食進退、孝芬不命則不敢也。鶏鳴而起、且温顔色、一錢尺帛不入私房。吉凶有須、聚對分給」の説明。子を可愛がるのには手厚いのと薄いのがある。直ぐ子供に物を買って遣るのは薄く、呵ってよくするのは厚い。孝芬兄弟は早起きだったが、朝から顔色が温かだった。
【通釈】
「孝義」は孝行なこと。義は孝行に付いた字だと見なさい。白徒めかない孝行を言うのだろうと思う。孝行な者もいるが、習いのないものと道理を知ったものとがある。これは、仕方を知り、道理に叶った孝行である。「慈厚」は可愛がり様が手厚いこと。子供の可愛がり様には手厚いのと薄いのがある。何かを強請ると直ぐに買って遣る。それは可愛がり様が薄いのである。それは日雇取りもする。呵ってよくする親であれば慈愛であり、手厚いもの。「温顔色」。今日、我侭な男で朝の寝起きには家内の者も滅多にものを言うなという者がいる。朝はいつも不機嫌だ、と。これは乱心から二番目のものを持ち合わせたというもの。家内でも寄っても付かれないと言う。それは人間が鬼神に化けたのである。見なさい、温顔色。一日の用向きがこの温から出る。これが「衆善之長」と言うもの。

○諸婦亦相親愛。女にはさま々々あれとも、女は夫と次第なもの。亭主のよ井方から諸婦亦相親愛なり。さてこれ迠はまた出来さうなものなれども、これからが驚入りたことなり。叔父婦か来て居。これをいこふ大切にした。今日もあることなれとも、これか厄介掛り人で居。いこう氣の毒にすみにちぢんでいると云やふながあるに、承奉はもちあげること。范魯質の章にあるも同じこと。あれは軽薄者の無性に旦那々々と云て向をあげることを承奉と云ふ。何てあろふと上もなくすることなり。我を生んだ親の通りにする。母の妹などは肉をわけたからして大切にもするが、叔父婦などをはそふな井ものなり。家のことが皆叔母婦ですむ。よく々々あついことぞ。
【解説】
「諸婦亦相親愛、有無共之。孝芬叔振既亡後、孝芬等承奉叔母李氏、若事所生。旦夕温清、出入啓覲、家事巨細一以咨决。毎兄弟出行有獲、則尺寸以上皆入李之庫。四時分賚、李氏自裁之。如此二十餘歳」の説明。叔父が亡くなった後、孝芬兄弟は叔父嫁を母の様に承奉して事えた。
【通釈】
「諸婦亦相親愛」。女は様々だが、女は夫次第なもの。亭主のよい方から諸婦亦相親愛である。さてこれまではまだできそうなものだが、これからが驚き入ること。叔父嫁が来ている。それを大層大切にした。今日もあることで、これが厄介掛かり人で、大層気の毒に隅に縮んでいるという様なことがある。「承奉」は持ち上げること。范魯質の章にあるのも同じである。軽薄者が無性に旦那と言って相手を持ち上げることを承奉と言う。何であろうとこの上もなくすること。自分を生んだ親の通りにする。母の妹などは肉を分けたことからして大切にもするが、叔父嫁などはそうではないもの。家のことが皆叔母嫁のことで済む。よくよく厚いこと。
【語釈】
・范魯質の章…小学外篇嘉言10を指す。


善行48
○王凝常居慄如也。子弟非公服不見。閨門之内、若朝廷焉。御家以四敎。勤・儉・恭・恕。正家以四禮。冠・昏・喪・祭。聖人之書及公服禮器不假。垣屋・什物必堅朴。曰、無苟費也。門巷・果木必方列。曰、無苟亂也。
【読み】
○王凝、常居慄如たり。子弟も公服に非ざれば見ず。閨門の内、朝廷の若し。家を御[おさ]むるに四敎を以てす。勤・儉・恭・恕。家を正すに四禮を以てす。冠・昏・喪・祭。聖人の書及び公服禮器は假らず。垣屋・什物は必ず堅朴にす。曰く、苟も費すこと無からん、と。門巷・果木は必ず方列にす。曰く、苟も亂すること無からん、と。

○慄如は平生そそけぬてい。慄はしっかりとしたてい。今は姫嶋の庄内なども死で、頓と慄如と云はすくな井。○閨門之内。女房や婦と居るに朝廷のとをりであった。直方先生の、あんまりじゃと云はれた。中庸の規矩から云へばあんまりでほとのすきたことなれとも、頓とならぬことぞ。夫婦をり、下女の腰本のと云ふの処に居ては表にをる時より人柄のさがるものなれとも、殿中のとをりゆへ行義かよかった。○勤儉恭恕の四字で家を治めた。これで治らぬ家内はな井。勤は精を出すこと。精出せば氷る間もなし水車。女房は女房なりにつとめ、下男は下男なりにつとめ、下女は下女なりにつとめる。なまけたなどと云ふがあまりををきな咎でもないが、勤がぬけると身帯も家もらりになる。一日働てをると云よふなが勤の体なり。その様な家に道落な息子ははへぬものなり。圍棋を打の三弦をひくのと云からわるくなる。
【解説】
「○王凝常居慄如也。子弟非公服不見。閨門之内、若朝廷焉。御家以四敎。勤・儉・恭・恕」の説明。王凝は家にいても朝廷にいる時と同じ様に行儀がよかった。「勤倹恭恕」の四字で家を治めた。この四つがあれば家は治まる。
【通釈】
「慄如」は平生が乱れない体で、慄はしっかりとした体。今は姫島の庄内なども死んで、慄如と言える者は実に少ない。「閨門之内」。女房や嫁といても朝廷の通りだった。直方先生が、あまりなことだと言われた。中庸の規矩から言えばあまりなことで程の過ぎたことだが、これが全くできないこと。夫婦がいて、下女や腰元のいる処にいては表にいる時よりも人柄が下がるものだが、殿中の通りで行儀がよかった。「勤倹恭恕」の四字で家を治めた。これで治まらない家内はない。勤は精を出すこと。精出せば氷る間もなし水車。女房は女房なりに勤め、下男は下男なりに勤め、下女は下女なりに勤める。怠けるなどということはあまり大きな咎でもないが、勤が抜けると身代も家も台無しになる。一日働いているという様なのが勤の体である。その様な家に道楽な息子は生えないもの。囲碁を打ったり三弦を弾いたりすることから悪くなる。
【語釈】
・庄内…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。稲葉迂斎門下。

儉約をせぬと歴々から軽い者迠しををせることはならぬ。周公旦は老中て儉約をしられた。樵山賊も春の発陽のときは今はやられぬと云ふた。それから網目にも寸法をこしらへて網の目はををきくした。ををきくすればち井さいものはとらず、それをををきくしてからとる。周公の儉約なり。儉約とて金箱を抱てさわくことではない。さて儉約には吝嗇あって、わるふすると儉約と吝嗇かひとつになりたがる。それからして人が儉約を呵るが、儉はしわ井ことでない。つかふときはづっとつかい、儉は事をしめること。にたことの様でわけがちこふ。無用なことをせず、無用でないことをする。悪人かあれば人の首も切るか、咎のな井ものへは垩人はこぶしをあてるもきらいなり。丁とそれと同じことで、する筈なれば千金もいとはぬ。無用には一銭もつかはぬことなり。しわ井と云ふ者かうしろにをるとはや儉が吝にまきれる。恭はれき々々の教、この恭の字ぞ。越後屋の若ひ者行義よいも恭のていなり。去れともあきな井でするゆへ役に立ぬ。恭と云は礼の形にあらはれたもの。筋の通り丁度ゆくから道理なりに急度してそそけぬ。恕はものに思ひやりのあること。仁のはたらきなり。この四つてなければならぬと心から道理を教こむ。
【解説】
倹約は吝嗇とは違う。使うべき時には使うが、無用なことには一銭も使わないということ。「恭」は礼が形に現れたもの。道理の通りなので乱れることはない。「恕」は思い遣りのあること。これが仁の働きである。
【通釈】
倹約をしないと歴々から軽い者までし遂げることはできない。周公旦は老中であっても倹約をされた。樵や山賊も春の発陽の時は今は遣れないと言った。それから網目にも寸法を拵えて網の目を大きくした。大きくすれば小さいものは捕らない。それを大きくしてから捕る。これが周公の倹約である。倹約と言っても金箱を抱いて騒ぐことではない。さて倹約には吝嗇があって、悪くすると倹約と吝嗇が一つになりたがる。それからして人が倹約を呵るが、倹は吝いことではない。使う時はづっと使う。倹は事を締めること。似た様だがわけが違う。無用なことをせず、無用でないことをする。悪人がいれば人の首も切るが、咎のない者へは聖人は拳を当てるのも嫌いである。丁度それと同じことで、する筈であれば千金も厭わない。それは、無用なことには一銭も使わないこと。吝いという者が後ろにいると直ぐに倹が吝に紛れる。「恭」。歴々の教えがこの恭の字である。越後屋の若い者の行儀がよいのも恭の体である。しかし、商いでするので役には立たない。恭は礼が形に現れたもの。筋の通り丁度に行くから道理なりにしっかりとして乱れない。「恕」はものに思い遣りのあること。これが仁の働きである。この四つでなければならないと心から道理を教え込む。
【語釈】
・樵山賊も春の発陽のときは今はやられぬ…梁恵王章句上3。「不違農時、穀不可勝食也。數罟不入洿池、魚鱉不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀與魚鱉不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾、王道之始也」。

○正家以四礼。人間の禽獣とかわるは礼なり。冠昏喪祭のこのわさをするばかりが人間の職分なり。これをせぬと云なれば、親子も夫婦もあれとも、やっはり禽獣と同じこと。さて借用すると云こともあることにて、此の方にな井と無心を云ふて借りることが、垩人之書及公服礼器不假也。垩人之書は今日学問せぬものなどは假りても大叓あるまいと思ふが、学者の書を假りるは百姓の钁[くわ]を假ると同じこと。ををだわけと云ふ。法花宗で祖師を借りにやるやふなもの。論吾などは假るべき書ではない。韻府を假してくれろと云ふはよい。重箱を假にやるも同じこと。かきをぬるとても物好きや立羽を第一にはせぬ。何年ももつやふに丈夫にする。無用に銭をつかわぬ様にする。御當代も国初はみなこれなり。泰平がつつくときゃしゃことが流行る。今も百年まいからあると云ふ道具は皆丈夫なり。障子の骨も今はほそく、あたるとをれるやふにこしらへる。よくないこのみなり。
【解説】
「正家以四禮。冠・昏・喪・祭。聖人之書及公服禮器不假。垣屋・什物必堅朴。曰、無苟費也」の説明。人間が禽獣と変わるのは礼があるから。そこで、「冠昏喪祭」をする。聖人の書と公服、礼器は借りない。それを借りるのは、法華宗が祖師を借りに遣る様なもの。垣屋や什物に物好きや立派をせず、丈夫に作る。
【通釈】
「正家以四礼」。人間が禽獣と変わるのは礼があるから。「冠昏喪祭」のこの業をするばかりが人間の職分である。これをしないというのであれば、親子や夫婦があっても、やはり禽獣と同じこと。さて借用するということもあることで、こちらにないと無心を言って借りるが、「聖人之書及公服礼器不仮也」。聖人の書は今日学問をしない者などは借りても大事はないだろうと思うが、学者が書を借りるのは百姓が鍬を借りるのと同じこと。これを大戯けと言う。法華宗で祖師を借りに遣る様なもの。論語などは借りるべき書ではない。韻府を貸してくれと言うのはよい。それは重箱を借りに遣るのと同じこと。垣を塗るにも物好きや立派を第一にはしない。何年も持つ様に丈夫にする。無用に銭を使わない様にする。御当代も国初は皆これ。泰平が続くと華奢なことが流行る。今も百年前からあるという道具は皆丈夫である。障子の骨も今は細く、当たると折れる様に拵える。よくない好みである。

並木をうへるにも王凝がきつくせはをやき、かりにもすこしまかりてもならぬと云ふ。笑ふほどなことなれとも、慄如が重箱にもでれは植木を植へるにも出る。今日ものにかまわぬと云へば器量者の様に心得、何もかもなげやりにすると高ひことのやふなれとも、丁とその様にものにかまわぬなりなしまらぬ子が出来る。これらは始終重箱やかきをゆふことなれども、これから教をのこすことなり。ひく井ことにたかいことを含でをる。一貫の傳は餘の者の手際にはならぬ。興国寺の會は子にも傳られぬ。これは行義のよ井こと。これはのこされる。これを学べはよくなるなり。これを輕いことと云ふは小學を役に立ぬにするなり。この通りにしやふとするかよいぞ。
【解説】
「門巷・果木必方列。曰、無苟亂也」の説明。ものに構わないと器量者の様に見えるが、瑣細なことから教えを遺すのである。卑いことに高いことが含まれている。
【通釈】
並木を植えるにも王凝がきつく世話を焼き、仮にも少しでも曲がってはならないと言う。それは笑うほどのことだが、慄如が重箱にも出れば植木を植えるのにも出る。今日ものに構わないと言えば器量者の様に心得、何もかも投げ遣りにすると高いことの様だが、それでは丁度その様に、ものに構わない体の締まらない子ができる。これらは始終重箱や垣を結うことばかりだが、これから教えを遺すのである。卑いことに高いことが含まれている。一貫の伝は他の者の手際ではできない。興国寺の会は子にも伝えられない。しかし、これは行儀をよくすることなので、遺すことができる。これを学べはよくなる。これを軽いことだと言うのは小学を役に立たなくするもの。この通りにしようとするのがよい。
【語釈】
・一貫の傳…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。
・興国寺の會…近思録聖賢20。「伯淳嘗與子厚在興國寺、講論終日。而曰、不知舊日、曾有甚人於此處講此事」。