善行60
○王勃・楊烱・盧照鄰・駱賓王、皆有文名。謂之四傑。裴行儉曰、士之致遠、先器識而後文藝。勃等雖有文才、而浮躁淺露、豈享爵祿之器耶。楊子沈靜、應得令長。餘得令終爲幸。其後勃溺南海、照鄰投頴水、賓王被誅、烱終盈川令。皆如行儉之言。
【読み】
○王勃・楊烱[ようけい]・盧照鄰・駱賓王、皆文名有り。之を四傑と謂う。裴行儉曰く、士の遠きを致すは、器識を先にして文藝を後にす。勃等文才有りと雖も、而れども浮躁淺露、豈爵祿を享くるの器ならんや。楊子は沈靜、應[まさ]に令長を得べし。餘は終を令[よ]くすることを得ば幸と爲す、と。其の後勃は南海に溺れ、照鄰は頴水に投じ、賓王は誅せられ、烱は盈川の令に終る。皆行儉の言の如し。

三月二十六日
【語釈】
・三月二十六日…寛政2年(1790)3月26日。

○王勃云々。此章は敬身の意のな井ものを出して見せたもの。わるくすると裴行儉が四人のことを見てとりた手抦て世説の識鍳のやふにとる。それがわる井。これは四傑か億萬人にすくれた文詞でも敬身の意かないから只の藝ぢゃとみせたもの。成程藝に身持の沙汰を云は無理なり。さう云ふと古法眼探幽は人抦がよかったと云のなり。いつでも藝は藝、心もちは心もち。別格なり。ではあれと文藝は只の藝とはちこうて垩賢の書がすくに文藝なり。詩書がすくに古文辞なり。係辞に脩辞と云字もあり、文字には子游子夏ともあり、文は垩学に引っ付たものなり。これがわるかろふ筈はないが、藝になりては又これほど役に立ぬこともない。徂徠なぞか古文辞の学を唱ふの脩辞の業のと云てもやはり藝なり。藝になりては敬身にはならぬ。人に敬身が入るま井ものなら小学は入らぬになるが、やれ学問々々と云ふても外のことあろふやふはない。只敬身が第一なり。
【解説】
「王勃・楊烱・盧照鄰・駱賓王、皆有文名。謂之四傑」の説明。裴行倹がこの四傑はただの芸だと見た。聖賢の書は文芸であり、詩書は古文辞で、文詞は聖学に引っ付いたものだが、芸になっては悪い。文詞も敬身が第一である。
【通釈】
「王勃云々」。この章は敬身の意のない者を出して見せたもの。悪くすると裴行倹が四人のことを見て取った手柄の様に思えるが、世説の識鑒の様に取るのは悪い。これは四傑が億万人に優れた文詞を作っても、敬身の意がないからただの芸だと見せたもの。なるほど芸に身持の沙汰を言うのをは無理なこと。そう言えば、古法眼や探幽は人柄がよかったということ。いつでも芸は芸、心持は心持で別格なことだが、文芸はただの芸とは違って聖賢の書が直ぐに文芸である。詩書が直ぐに古文辞である。易に修辞という字もあり、文字には子游子夏ともあり、文は聖学に引っ付いたもの。これが悪い筈はないが、芸になってはまたこれほど役に立たないこともない。徂徠などが古文辞の学を唱え修辞の業と言ってもやはり芸である。芸になっては敬身にはならない。人に敬身が要らないものなら小学は要らないことになるが、やれ学問と言っても外のことがある筈はない。ただ敬身が第一である。
【語釈】
・古法眼…狩野元信の異称。
・脩辞…易経乾卦文言伝九三。「脩辭立其誠、所以居業也」。
・文字には子游子夏…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。

○裴行儉が世人の四傑と云てほめるをじっと見ていて、いやたのもしふな井てと云た。なるほどよき識鍳ぞ。○致遠は鼻のさきでないこと。日傭取りの一日々々とのかれゆくは鼻のさきなり。分限者はさふでな井。五年の飢饉にも飢すま井と云のなり。学者も根入りを深く天下国家の遠大に及すがよ井。道具ても堅地に口ぬりのものと只の春慶のわけものとはしたちから違ふ。鴬篭蛩[きりきりす]篭は遠きには致されぬ。学者も遠大は仕立てからちがふ。○器識。器は一体のかか井。識はもった知なり。程子、知に多小般の数ありと云たが、詩も出来ず文も下手、手もわるいが、さてあの人は人の下にはをらぬ人と云がある。器の上に別段なことがあるもの。管仲晏子孔明張良がやふな者迠も一体の器識にちこふ所あるそ。器識ありての文藝ぞ。文藝計りはうけ合れぬ。このそろふたがな井もの。迂斉の德藝本末の弁をか井たが、あの本末の字とここの先後の字が同じことぞ。○浮躁浅露。身もちのさらり々々々とした上わすべりな人に詩文の上手ながあるもの。藝のよ井で身もちのわるいを押てとをりたがるもの。これがわる井こと。
【解説】
「裴行儉曰、士之致遠、先器識而後文藝。勃等雖有文才、而浮躁淺露、豈享爵祿之器耶」の説明。学者は根入れを深くして天下国家へ遠大に及ぼすもの。器識あっての文芸である。
【通釈】
裴行倹が世人が四傑と言って誉めるのをじっと見ていて、いやそれは頼もしくないと言った。なるほどよい識鑒である。「致遠」は鼻の先でないこと。日傭取りが一日々々と逃れて行くのは鼻の先のこと。分限者はそうではない。五年の飢饉にも飢えないだろうと言う。学者も根入りを深くして天下国家へ遠大に及ぼすのがよい。道具でも、堅地に口塗りをしたものとただの春慶のものとは下地から違う。鴬篭や蛩篭は遠きに致すことはない。学者も遠大は仕立てから違う。「器識」。器は一体の図体。識は持った知。程子が、「知有多少般数」と言ったが、詩もできず文も下手、手も悪いが、さてあの人は人の下にはいない人だと言うことがある。器の上には別段なことがあるもの。管仲晏子孔明張良の様な者までが一体の器識に違う所があった。器識あっての文芸である。文芸ばかりでは請け合えない。これの揃った者がいないもの。迂斎が徳芸本末の弁を書いたが、あの本末の字とここの先後の字が同じこと。「浮躁浅露」。身持のさらりさらりとした上滑りな人に詩文の上手がいるもの。芸がよいことで身持の悪いのを押して通りたがるもの。これが悪い。
【語釈】
・知に多小般の数あり…近思録致知8。「知有多少般數、煞有深淺」。

○楊子は云々。堅く見て取りたことを云はれた。○得令長。行儉かこふ云ふたを、定めてその時の人があれが大言を云と思ひつろふなれとも、いやと云はれぬことぞ。○溺南海。この溺れには尤なことで溺れるもあるが、こう書てあるは此人惣体にあつかることで、わるい人の上にこう書かるること。さうたいからもってきたことなり。夫れ故へ畏壓溺三者不弔と云なり。これにかぎらず、悪疾も伯牛でない、吾が不養生からのがある。貧も吾が不調法が多い。顔子とはちがはふ。○此章の取り扱ひは、詞のとをりそりゃしたかと云ことでない。朱子の取られたは、学問しても敬身の心得なければこれぢゃとなり。
【解説】
「楊子沈靜、應得令長。餘得令終爲幸。其後勃溺南海、照鄰投頴水、賓王被誅、烱終盈川令。皆如行儉之言」の説明。四傑の内、三人の終わりは悪かった。それは自分の身から出たこと。ここは、学問をしても敬身の心得がなければならないということ。
【通釈】
「楊子云々」。堅く見て取ったことを言われた。「得令長」。行倹がこの様に言ったのを、きっとその時の人はあれが大言を言うと思ったことだろうが、これが違うとは言えないこと。「溺南海」。溺れるには尤もなことで溺れることもあるが、この様に書いてあるのはこの人の総体に与ることで、悪い人の上はこう書かれるもの。総体から持って来たこと。そこで、「畏壓溺三者不弔」と言う。これに限らず、悪疾も伯牛の様なことではなく、自分の不養生からのものがある。貧乏も自分の不調法からが多い。顔子とは違う。この章の取り扱いは、詞の通りをしてもということではない。朱子がここに取られたのは、学問をしても敬身の心得がなければこうだということ。
【語釈】
・畏壓溺三者不弔…礼記檀弓上「死而不弔者三。畏、厭、溺」。
・悪疾も伯牛…論語雍也8。「伯牛有疾。子問之、自牖執其手曰、亡之、命矣夫。斯人也、而有斯疾也。斯人也、而有斯疾也」。


善行61
○孔戡於爲義若嗜慾、不顧前後。於利與祿、則畏避退怯如懦夫然。
【読み】
○孔戡[こうかん]、義を爲むるに於ては嗜慾の若く、前後を顧みず。利と祿とに於ては、則ち畏避退怯の懦夫の如く然り。

○孔戡云々。さて々々此章は胸へ的中な的切な面白ひことなり。今学者か握り拳をして義をするさへまあよいに、孔戡は如嗜欲。棋打の棋、釣り好の釣り、酒呑みの酒。あ井御吸物と云と眠ひ目もさめる。すきなことに不顧前後左右。人の彼是れ云ぬ前にずっとかけ出す。○畏避退怯。利禄は心をけがすと見て、少も吾か勝手によ井ことは向から病犬の来ると云様に迯げる。成程孔戡なぞは垩賢の下地なり。何ほど精出して書物を見てもこうはならぬもの。ああめつらしいもの。
【解説】
孔戡は義をする時はずっとしたが、少しでも自分の勝手によいことがあれば直ぐに逃げた。
【通釈】
「孔戡云々」。この章は実に胸へ的中する的切で面白いもの。今学者が握り拳をして義をするのでさえまあよいのに、孔戡は「若嗜慾」。碁打ちの碁、釣り好きの釣り、酒呑みの酒。はい御吸物と言うと眠い目も覚める。好きなことに「不顧前後左右」。人がかれこれと言う前にずっと駆け出す。「畏避退怯」。利禄は心を汚すと見た。少しでも自分の勝手によいことは向こうから病犬の来た様に逃げる。なるほど孔戡などは聖賢の下地である。どれほど精を出して書物を見てもこうはならないもの。ああ珍しいもの。
【語釈】
・孔戡…字は勝始。754~810


善行62
○柳公綽居外藩。其子毎入境、郡邑未嘗知。既至毎出入、常於戟門外下馬。呼幕賓爲丈、皆許納拜。未嘗笑語欵洽。
【読み】
○柳公綽[りゅうこうしゃく]、外藩に居る。其の子毎に境に入るに、郡邑未だ嘗て知らず。既に至りて出入する毎に、常に戟門の外に於て馬を下る。幕賓を呼びて丈と爲し、皆拜を納るるを許す。未だ嘗て笑語欵洽[かんこう]せず。

○柳公綽居外藩。前の河東節度使のこと。これが大坂の御城代のやふなもの。なんであれ御膝元を出て勤めるものは皆外藩なり。○其子は仲郢なり。城代の若殿の往来するを城下のものも知らぬと云はよく々々役義を権にかわぬこと。道普請も盛り砂も入らぬ。世説の初に田禾將軍の子と云歴々か道中か風呂しき包のて井なり。待ち請けのものが、今日田禾將軍の子の迎に出ましたが其人は見へますかなと問ふたれは、大方跡から来であろふと云ふた。やはり其人が田禾將軍の子なり。今の人は親の役義で子が大つらをする。○戟門。鎗などを立てある、今の見付の様な門と見へる。下馬せずともよ井処からはやをりたなり。○為丈。同心て井の下役迠老人あしら井にした。○許納拜。輕ひ者から重ひ人に拜をするを納拜と云。つんど輕い者は拜のならぬがある。城代の若殿には拜のならぬ格の者にも許納拜たなり。只今かるい者の下坐したを上から見て通るなどと云は、人を人あしらいにせぬていなり。○未嘗笑語欵洽。丁寧にはするが心安だてをばせぬ。よく揃ふたことぞ。今の武士方にも出入りの小役人や足輕などの、あそこの気に入りなどと云ことがありて、勝手て新河漏をうつ類、どふしても欵洽の方ぞ。
【解説】
御膝元を出て勤めることを外藩と言う。仲郢は親の役儀を頼って大きな顔をすることがなく、戟門に到る前に下馬し、誰の拝をも許した。しかし、過度に人と親密になることはなかった。
【通釈】
「柳公綽居外藩」。前にあった河東節度使のこと。これが大坂の御城代の様なもの。何であれ御膝元を出て勤めるものは皆外藩である。「其子」は仲郢である。城代の若殿が往来するのを城下の者も知らないというのがよくよく役儀を権にしないこと。道普請も盛り砂も要らない。世説の初めにあるが、田禾将軍の子という歴々の道中が風呂敷包みの体である。待ち請けの者が、今日田禾将軍の子の迎えに出ましたがその人は見えますかなと問うと、大方後から来るだろうと言った。やはりその人が田禾将軍の子である。今の人は親の役儀で子が大面をする。「戟門」。鎗などを立ててある、今の見付の様な門と見える。下馬をしなくてもよい処から早くも下りた。「為丈」。同心体の下役までをも老人あしらいにした。「許納拝」。軽い者から重い人に拝をすることを納拝と言う。かなり軽い者には拝はならないことがある。城代の若殿は拝のできない格の者にも納拝を許した。只今の軽い者が下座したのを上から見て通るなどということは、人を人あしらいにしない体である。「未嘗笑語欵洽」。丁寧にはするが心安立てはしない。これがよく揃ったこと。今の武士方にも出入りの小役人や足軽などに、あそこの気に入りなどということがあって、勝手で新蕎麦を打つ類などはどうしても欵洽の筋である。
【語釈】
・前の河東節度使…小学外篇善行51を指す。
・欵洽…うちとけること。
・河漏…蕎麦。


善行63
○柳仲郢以禮律身。居家無事亦端坐拱手。出内齋未嘗不束帶。三爲大鎭。廐無良馬、衣不熏香。公退必讀書、手不釋卷。家法、在官不奏祥瑞。不度僧道。不貸贓吏法。凡理藩府、急於濟貧卹孤。有水旱必先期假貸、廩軍食必精豐、逋租必貰免、舘傳必增飾、宴賓、犒軍必華盛、而交代之際食儲・帑藏、必盈溢於始至。境内有孤貧衣纓家女及筓者、皆爲選婿、出俸金、爲資裝嫁之。
【読み】
○柳仲郢[りゅうちゅうえい]、禮を以て身を律す。居家事無ければ亦端坐して手を拱す。内齋を出ずるに未だ嘗て束帶せずんばあらず。三たび大鎭と爲る。廐に良馬無く、衣に香を熏ぜず。公より退けば必ず書を讀み、手に卷を釋[お]かず。家法、官に在りて祥瑞を奏せず。僧道を度せず。贓吏[ぞうり]の法を貸さず。凡そ藩府を理むるには、貧を濟い孤を卹[めぐ]むに急にす。水旱有れば必ず期に先だちて假貸し、廩の軍食は必ず精豐にし、租を逋[に]げば必ず貰免[せいめん]し、舘傳は必ず增飾し、賓を宴し、軍を犒[ねぎら]うには必ず華盛にして、而して交代の際、食儲[しょくちょ]・帑藏[どぞう]は、必ず始めて至るより盈溢にす。境内に孤貧衣纓の家の女の筓するに及ぶ者有れば、皆爲に婿を選び、俸金を出し、資裝と爲して之を嫁す。

○以礼律身。職人が曲尺をはなさぬなり。重箱も烟草盆も曲尺。家を建てるは勿論曲尺なり。目つもりでは出来ぬ。○拱手。手をくむことなり。朝鮮人が手をくんたを見、日本人か高麗[こま]ぬくと手をくむことを云たなり。○内斉。一寸をく向へ出入するもきっとしたていなり。○大鎮。老中などから外へ出た役になる処て外藩と云。軍を兼るて鎭と云。○無良馬。これも気をつけて見ようことで、大鎮の馬を佐野源左ェ門が所から買って来たやふでもすむまいが、馬の吟味も大槩通用してすむ。ほどらいのあるもの。良馬名馬と云になれば、はや兎角栄耀につく。そこで下の對句が衣不薫香なり。○我か支配の軍縣に甘露がふったの、霊芝かはへたのと云は其治る人の手抦になることなり。そこで下から輕薄に云ものなり。三代に鳳凰か出たの、孔子のときに麒麟か出たのと云は垩人への馳走に出たので本のことなり。少とはかりよい世にも祥瑞のあるもあれとも、大方は皆嘘なり。又本にあるにしても云はぬがよ井。祥瑞を云ふは手前をよ井と思ふ。それだけ政のぬけになる。いかさま心ある人は法度にして云はせぬ筈なり。貴様の顔色ては百迠も生ると云はれると、どふでもちと養生のぬけになる。祥瑞も多は輕薄ものの云こと。上の人もさうでもあるまいとは云つつ、心の内がどこやら心よい。そこで下の首尾のよ井ことになる。其上には又うそも多いなり。甘露のふると云もよいことではなく、木の精のぬけることなり。大方其木は枯るるものなり。
【解説】
「柳仲郢以禮律身。居家無事亦端坐拱手。出内齋未嘗不束帶。三爲大鎭。廐無良馬、衣不熏香。公退必讀書、手不釋卷。家法、在官不奏祥瑞」の説明。仲郢は礼で身を律した。良馬も持たず、衣に香も焚かなかった。祥瑞は言わない。祥瑞は殆どが嘘であり、たとえ本当のことだとしても政の抜けになるから言わない方がよい。
【通釈】
「以礼律身」。職人は曲尺を離さないもの。重箱も煙草盆も曲尺。家を建てるには勿論曲尺である。目積もりではできない。「拱手」。手を組むこと。朝鮮人が手を組んでいるのを見て、日本人か高麗[こま]ぬくと、手を組むことを言った。「内斎」。一寸奥向きへ出入するにもしっかりとした体である。「大鎮」。老中などから外へ出る役になる処で外藩と言う。軍を兼ねるのを鎮と言う。「無良馬」。これも気を付けて見なさい。大鎮の馬が佐野源左衛門の所から買って来た様でも済まないだろうが、馬の吟味も大概は通用のもので済む。程度があるもの。良馬名馬と言うと、とかく早くも栄耀に付く。そこで下の対句が「衣不薫香」である。自分の支配の軍県に甘露が降ったとか霊芝が生えたと言うのは治める人の手柄になること。そこで下が軽薄に言うもの。三代に鳳凰が出たとか孔子の時に麒麟が出たと言うのは聖人への馳走で出たので本当のこと。一寸ばかりよい世にも祥瑞があることもあるが、大方は皆嘘である。また本当にあったとしてもそれは言わない方がよい。祥瑞を言うのは自分をよいと思うからで、それだけ政の抜けになる。いかにも心ある人は法度にして言わない筈。貴様の顔色なら百までも生きると言われると、どうでもそれが一寸養生の抜けになる。祥瑞も多くは軽薄者の言うこと。上の人もそうでもないだろうとは言いつつ、心の内が何処やら快い。そこで下の首尾のよいことになる。その上また嘘も多い。甘露が降るというのもよいことではなく、木の精が抜けること。大方その木は枯れるもの。
【語釈】
・佐野源左ェ門…鎌倉武士。謡曲「鉢木」の主人公。

○僧道。僧は仏法。道は老子を根にして修養家のこと。僧道では足元かぬけて人の良心がなまけてくる。忠臣孝子の魂がぬるける。○度は衆生済度とて、さきからすることなり。ここは又こちからものをやり、食をあてがうこと。○贓吏法。公儀の金を私欲したもののこと。私欲したものは重ひ法に行るることなり。刑はやむことをえぬこと。垩人の仁でゆるすこともあるが、この人はゆるさぬなり。なぜなれば、今の利あるものをゆるすは下に思ひ付かかる為めの手だてなり。許した井ものてはあれど、ゆるすとわるものの数がふへる。○孤貧は大方誰れもすくうものなれとも、この急と云がない。桀紂の世でも孤貧すててをくとは云はぬが、この急と云がよ井ことで、この村に孤貧はな井が隣村はとふじゃと急にするなり。救ふに急なれはひびく。御法差合てはひひかぬ。長崎松前までもこの心はひひくことなり。○先期假貸。水旱でもじきに今からは飢へぬもの。水旱ときまるとじきにどの村にはいくら手あてして救米を出すあてあることなり。○軍食云々。米のよ井をたっふりとしてあてがふこと。軍兵は沢山喰は子はならぬもの。これを麁末にするは飢たものを火消にする様なもの。
【解説】
「不度僧道。不貸贓吏法。凡理藩府、急於濟貧卹孤。有水旱必先期假貸、廩軍食必精豐」の説明。僧道は忠孝の魂がぬるけるから、彼等の保護はしない。吏が私欲をすれば罰する。孤貧は直ぐに救う。水旱には事前に手当をして置く。軍食も蓄えて置く。
【通釈】
「僧道」。僧は仏法。道は老子を根にした修養家のこと。僧道は足元が抜けて人の良心が怠けて来る。忠臣孝子の魂がぬるける。「度」は衆生済度で、向こうからすることだが、ここはこちらから物を遣り、食を宛がうこと。「贓吏法」。公儀の金を私欲した者のこと。私欲した者には重い法が行われる。刑は止むを得ないこと。聖人は仁で許すこともあるが、この人は許さない。それは何故かと言うと、今の咎ある者を許すのは下によく思われるための手立てである。許したいものではあるが、許すと悪い者の数が増えるからである。「孤貧」は大方誰もが救うものだが、この「急」ということがない。桀紂の世でも孤貧を捨てて置くとは言わないが、この急というのがよいことで、この村に孤貧はないが隣村はどうだと急にする。救うのに急であれば響く。御法差し合いでは響かない。長崎松前までもこの心は響く。「先期仮貸」。水旱でも直ぐに今からは飢えないもの。水旱と決まると直ぐにどの村にはいくら手当てをしてと、救米を出す当てがある。「軍食云々」。よい米をたっぷりと用意して宛がうこと。軍兵は沢山喰わなければならないもの。これを粗末にするのは飢えた者を火消にする様なもの。

○逋租。年貢を出さぬこと。仲郢の支配所はいつも出さぬですむと云ことではないが、これは吟味の上でゆるすことなり。租はかかれぬもの。かかされぬものなれとも、年がら時がらでとくと吟味をしてみれば、ゆるすより外ないことがある。○舘傳は他国から来てとまる処のことなり。逗留のなりよ井やうにしてをくことなり。これが懐遠人ことなり。○犒軍云々。軍兵を大義と云て鯛の向ふつめで結搆に振舞をすることなり。爰へ入用をいとわぬを衣に不薫香と對して見ることなり。飲食必有訟とてむつかし井もの。重ひ礼ぞ。又其代りには人の心を結ふにも飲食の礼を重んずることなり。民之失徳乾餱以愆とある。まして軍のものなどには別して御頭からよくするがよ井。不礼あれば下の者のふてることあるもの。この蕐盛を伯者の手段ですることと見るでな井。馬に飼葉をたんと喰はせるなり。飼料わるければ用にあたらぬものぞ。○食儲帑藏。受取りたときよりたっふりとよくして渡すこと。何叓にもこふしたあやがある。人の家などに居ては障子の張替へ迠もよくすることなり。左傳に、季氏が国々へ行たとき旅館をよくして立ちたとある。立つときにあとをよくするが人のたしなみなり。これが季氏が人によく思われたい、よ井評判を得たいと手のありてしたこととみるもよくない。先祖の季友などからの遺風でもあろふなり。○衣纓家。其郡にある歴々のこと。
【解説】
「逋租必貰免、舘傳必增飾、宴賓、犒軍必華盛、而交代之際食儲・帑藏、必盈溢於始至。境内有孤貧衣纓家女及筓者、皆爲選婿、出俸金、爲資裝嫁之」の説明。止むを得ない時は年貢を免ずる。他国からの人が泊り易い様にして置く。軍兵へは十分な振舞いをする。飲食の礼を重んずるのである。交代の時は前よりも食糧や蔵の物品を増やして置く。
【通釈】
「逋租」。年貢を出さないこと。仲郢の支配所はいつも出さないでも済むということではないが、これは吟味の上で許すこと。租は欠かせないもの。欠かせないものだが、年柄時柄で十分に吟味をして見れば、許すより外はないことがある。「舘伝」は他国から来て泊る処のこと。逗留し易い様にして置くこと。これが「懐遠人」のこと。○「犒軍云々」。軍兵を大儀と言って鯛の向う詰めで結構な振舞いをする。ここへ入用を厭わないところを「衣不薫香」と対して見なさい。飲食は「飲食必有訟」と言い、難しいもの。重い礼である。また、交代の時に人の心を結ぶにも飲食の礼は重んずるべきこと。「民之失徳、乾餱以愆」とある。まして軍の者などには特に御頭からよくするのがよい。不礼があれば下の者がふてることもあるもの。この「華盛」は伯者の手段ですることと見ることではない。馬に飼葉を沢山喰わせること。飼料が悪ければ用に当たらない。「食儲帑蔵」。受け取った時よりもたっぷりとよくして渡すこと。何事にもこうした綾がある。人の家などにいては障子の張り替えまでもよくする。左伝に、季氏が国々へ行った時に旅館をよくして発ったとある。発つ時に跡をよくするのが人の嗜みである。これが季氏が人によく思われたい、よい評判を得たいとの手があってしたことと見てはよくない。先祖の季友などからの遺風でもあろう。「衣纓家」。その郡にある歴々のこと。
【語釈】
・懐遠人…中庸章句20。「凡爲天下國家有九經、曰、脩身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體羣臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也。…柔遠人、則四方歸之。懷諸侯、則天下畏之」。
・飲食必有訟…易経序卦伝。
・民之失徳乾餱以愆…詩経小雅伐木。「民之失德、乾餱以愆」。


善行64
○柳玭曰、王相國涯方居相位掌利權。竇氏女歸請曰、玉工貨一釵竒巧、須七十萬錢。王曰、七十萬錢我一月俸金耳。豈於女惜。但一釵七十萬、此妖物也。必與禍相隨。女子不復敢言。數月女自婚姻會歸、告王曰、前時釵爲馮外郎妻首飾矣。乃馮球也。王嘆曰、馮爲郎吏。妻之首飾有七十萬錢、其可久乎。馮爲賈相餗門人。最密。賈有蒼頭頗張威福。馮召而勗之。未浹旬馮晨謁賈。有二青衣捧地黄酒出。飮之食頃而終。賈爲出涕、竟不知其由。又明年王・賈皆遘禍。噫、王以珍玩竒貨爲物之妖、信知言矣。徒知物之妖、而不知恩權隆赫之妖甚於物耶。馮以卑位貪寶貨、已不能正其家。盡忠所事而不能保其身。斯亦不足言矣。賈之臧獲、害門客于牆廡之間而不知。欲終始富貴、其可得乎。此雖一事、作戒數端。
【読み】
○柳玭[りゅうへん]曰く、王相國涯、方に相位に居りて利權を掌る。竇氏の女歸り請いて曰く、玉工一釵[いっさい]竒巧なるを貨[う]り、七十萬錢を須[もと]む、と。王曰く、七十萬錢は我が一月の俸金のみ。豈女に於て惜しまんや。但一釵七十萬は、此れ妖物なり。必ず禍と相隨わん、と。女子復た敢て言わず。數月にして女婚姻の會より歸り、王に告げて曰く、前時の釵は馮[ふ]外郎の妻の首飾と爲る、と。乃ち馮球なり。王嘆じて曰く、馮は郎吏爲り。妻の首飾に七十萬錢なる有り、其れ久しかる可けんや、と。馮、賈相餗[かしょうそく]の門人爲り。最も密なり。賈に蒼頭、頗る威福を張る有り。馮、召して之を勗[つと]む。未だ浹旬ならずして、馮、賈に晨謁す。二りの青衣、地黄酒を捧げて出ず。之を飮むに食頃にして終る。賈、爲に涕を出だし、竟に其の由を知らず。又明年、王・賈皆禍いに遘う。噫、王、珍玩竒貨を以て物の妖と爲す、信[まこと]に言を知るなり。徒に物の妖を知りて、恩權隆赫の妖、物より甚しきを知らざるや。馮は卑位を以て寶貨を貪り、已に其の家を正すこと能わず。忠を事うる所に盡して其の身を保つこと能わず。斯れ亦言うに足らず。賈の臧獲、門客を牆廡の間に害して知らず。終始富貴ならんことを欲せども、其れ得可けんや。此れ一事と雖も、戒と作る數端なり。

○柳玭云々。此章も王勃楊炯の章と同じことで、道理に合ぬものを出して身のつつしみにすること。柳玭か議論を主に云ふことでな井。わる井を見せて戒にする。戒はすぐに敬なり。吐血内損の話をきくとこちの養生になる。香月牛山か巻懐食鏡に、或儒者が河豚を喰って死んだと書ひた。これをわるく云はふとて書たと見ることでない。儒者が毒を知らぬではな井が、吟味して見れば河豚は温ると云能も有ると云て喰ひつろふが、あたりて死んだ。してみれば、喰ぬことと、こちの戒に見せたものなり。さて戒にもかるいものはまたしもと立ち、戒めがよはくなるが、歴々が何くはぬ顔で手ぬけのあるを出すでいよ々々ひひくなり。此條の三人が前見す將棊ぞ。只今の人は尚前見ず棋ぞ。人のことを見て吾を知らぬ。わる井をみせてこちの戒めにするか敬身の敬の字なり。○掌とると云は手の上にのせてころ々々することなり。わる井字とみることなり。掌利権。政のことは、垩賢は乕の尾を履、春の氷を渡る如く、ことの外こわがること。これは自由にする。飛ふ鳥もをちるの、寢せるもをこすもをれがすきと云のなり。
【解説】
「柳玭曰、王相國涯方居相位掌利權」の説明。この章も悪い人を見せて戒めにする。戒めが直に敬となる。ここの三人が、人のことを見て知っても自分のことを知らない者である。
【通釈】
「柳玭云々」。この章も王勃楊炯の章と同じことで、道理に合わない者を出して身の敬みにすること。これは柳玭の議論を主に言ったことではない。悪い者を見せて戒めにする。戒めは直に敬である。吐血内損の話を聞くとこちらの養生になる。香月牛山が巻懐食鏡に、或る儒者が河豚を喰って死んだと書いた。これが悪く言おうとして書いたものと見ることではない。儒者が毒を知らないのではないが、吟味して見れば河豚は温まるという能もあるとでも言って喰ったのだろうが、中って死んだ。それなら喰わないのがよいと言ったのである。こちらの戒めとして見せたもの。さて戒めも軽い者はまだしもと立って、戒めが弱くなるが、歴々が何喰わぬ顔をして手抜けのあるのを出すのでいよいよ響く。この条の三人が前見ず将棋である。只今の人はそれ以上に前見ず将棋である。人のことは見えて自分を知らない。悪い者を見せてこちらの戒めにするのが敬身の敬の字である。「掌」は手の上に乗せてころころとすること。悪い字と見なさい。「掌利権」。政のことは、聖賢は虎の尾を履み春の氷を渡る様に殊の外恐がるが、これは自由にすること。飛ぶ鳥も落とし、寝ている者を起こすのも俺の好き次第だと言う。
【語釈】
・王勃楊炯の章…小学外篇善行60を指す。
・香月牛山…名は則真。啓益と称す。貝原益軒に学ぶ。1656~1740

○王相國の娘を竇氏へやったのなり。それがよ井笄があると云た。やはりこれで買ひ下されと云のなり。史傳する者の筆よく書きとりた。○妖物也か娘子への教訓なり。夫れは笄ではない、ばけ物じゃとなり。物には有べかかりがあるもの。常の変じたは怪物なり。歐陽永叔が出家のことをばけ物と云た。迂斉云、成程人の有べかかりの妻子と云ものもなく、のろりと坊主あたまでは妖物とも云はふことぞ。○必與禍相隨。分限不相応なことは必禍がつ井てまわる。大は大なり小は小なりに禍がそこへをっかけて来る。楽禍もそれなり。楽禍むとはたれも思はぬけれとも、不相応をするをわきから見て楽禍云なり。○婚姻會云々。れき々々の昏礼ふるまいなり。娘が、先日の釵がかるい役人の番衆の妻が買てさしました。今日みましたと云。娘がふくれのある口上なり。○大勢の番衆の中ゆへ馮外郎と云てはわかるま井かと思ふて、あの馮球がことでごさりますと云たなり。
【解説】
「竇氏女歸請曰、玉工貨一釵竒巧、須七十萬錢。王曰、七十萬錢我一月俸金耳。豈於女惜。但一釵七十萬、此妖物也。必與禍相隨。女子不復敢言。數月女自婚姻會歸、告王曰、前時釵爲馮外郎妻首飾矣。乃馮球也。王嘆曰、馮爲郎吏。妻之首飾有七十萬錢、其可久乎」の説明。王相国の娘がよい笄があるので買って欲しいと言った。王相国はその笄を妖物だと言った。分不相応なことには禍が付いて回るもの。その笄を番衆の馮球の妻が身に付けていた。
【通釈】
王相国が娘を竇氏へ遣った。娘がよい笄があると言った。やはりこれが買って下さいということ。史伝を書く者がよく書き取った。「妖物也」が娘子への教訓である。それは笄ではない、化物だと言った。物には相応ということがあるもの。常の変じたのは怪物である。欧陽修が出家のことを化物と言った。迂斎が、なるほど人にある筈の妻子というものもなく、のろりと坊主頭では妖物とも言うもの。「必与禍相随」。分限不相応なことには必ず禍が付いて回る。大は大なりに小は小なりに禍がそこへ追い掛けて来る。「楽禍」もそれ。禍を楽しむとは誰も思わないが、不相応をするのを脇から見て楽禍と言う。「婚姻会云々」。歴々の昏礼振舞いである。娘が、先日の釵を軽い役人の番衆の妻が買って挿していました。今日見ましたと言った。娘がふくれて言った口上である。大勢の番衆の中なので馮外郎と言ってはわからないだろうと思って、あの馮球のことでございますと言った。
【語釈】
・楽禍…春秋左伝荘公。「今王子頽歌舞不倦、樂禍也。夫司寇行戮、君爲之不舉、而況敢樂禍乎」。

○賈、氏。相、御老中。餗、名。門人、弟子のことてない。そこへとり入てひたと行く人のこと。そこのものになること。之人と云と同。あの家の人じゃと云ほどのこと。大の出頭なり。あの男がこ子ば吸物もうまくないと云のなり。○蒼頭。冠のならぬ格式ゆへ青井ものであたまをつつむから云が、とくとしらず。○張威福。權門を鼻にかけて威勢はりたこと。福も身代のことでなし。威福は洪範の文字。人君の権を云。○勗之。馮外郎がわきへ引まわして異見を云たなり。こなたの身ぶりでは旦那の名も出る。たしなまるるがよかろふと云つろふなり。これも心切でもない。やはり賈相への奉公だてなり。○未浹旬。十日もたたぬ内に意趣をかへされたとみへる。地黄酒を持て来て呑ませた。定めて旦那申ますと云つろふなり。毒酒でころりとやられたぞ。賈相も泣ていぶかしく思ふたが、不知其由なり。
【解説】
「馮爲賈相餗門人。最密。賈有蒼頭頗張威福。馮召而勗之。未浹旬馮晨謁賈。有二青衣捧地黄酒出。飮之食頃而終。賈爲出涕、竟不知其由」の説明。賈餗の下僕が賈餗の威勢を借りて威張るので、馮外郎が窘めた。馮外郎は意趣返しをされて殺されたが、賈餗はそのわけがわからなかった。
【通釈】
「賈」、氏。「相」、御老中。「餗」、名。「門人」、弟子のことではない。そこへ取り入ってくっ付いている人のこと。そこの者になること。「之人」と言うのと同じ。あの家の人だと言うほどのこと。大の出頭である。あの男が来なければ吸物も美味くないと言う。「蒼頭」。冠のならない格式なので青いもので頭を包むからこの様に言うのだが、はっきりとは知らない。「張威福」。権門を鼻に掛けて威勢を張ったこと。福は身代のことではない。威福は洪範の文字で、人君の権を言う。「勗之」。馮外郎が脇へ引き回して異見を言った。貴方の身振りでは旦那の名も出る。嗜まれるのがよいだろうと言った。これが親切からでもない。やはり賈相への奉公立てである。「未浹旬」。十日も経たない内に意趣を返されたと見える。地黄酒を持って来て呑ませた。きっと旦那が飲む様にと申しますと言ったのだろう。毒酒でころりとやられた。賈相も泣いて訝しく思ったが、「不知其由」である。
【語釈】
・威福は洪範の文字…書経洪範。「惟辟作福、惟辟作威、惟辟玉食。臣無有作福作威玉食」。

○王云々。これからが柳玭が評判なり。此の噫の字を做戒數端へかけて見ることなり。手前のことは知れぬものじゃと云処から磋王なり。○竒貨と云字も呂不韋か用ひたのは竒貨を囮にしたこと。ここは只珍し井宝と云こと。○知言。迂斉曰、わけ知りじゃと云こと。孟子の知言でない。○徒知云々。笄の妖は見てとりたが、吾がすくに妖と云ことを知らぬ。恩権隆赫なぞと云が威光ふるったことなり。ちろりと見ると天下の者が青くなると云ほどのこと。人君こそこふもある筈。臣でこれをするは臣ではな井。臣の妖物じゃ。笄をは見て吾か手はみへぬ。爰かさき云前見す將棊の所。○貪宝貨。笄のことではないとも見ゆ。馮か賈相などへ手入れをして金銀をほしかることと見ゆ。されとも宝貨は笄のことにするが平なり。下の不能正其家も笄のことと見るがよい。具足を買ふ程金の出る笄を買ふてやるは女房にのまれたのなり。
【解説】
「又明年王・賈皆遘禍。噫、王以珍玩竒貨爲物之妖、信知言矣。徒知物之妖、而不知恩權隆赫之妖甚於物耶。馮以卑位貪寶貨、已不能正其家」の説明。この翌年に王涯と賈餗は共に腰斬の刑に遭った。彼等は自分達の威光が笄よりも遥かに妖物であることを知らなかった。
【通釈】
「王云々」。これからが柳玭の批評である。この「噫」の字を「作戒数端」へ掛けて見なさい。自分のことはわからないものだという処から「噫王」である。「奇貨」という字も呂不韋が用いたのは奇貨を囮にしたこと。ここはただ珍しい宝ということ。「知言」。迂斎が、わけ知りということだと言った。孟子の知言ではない。「徒知云々」。笄の妖は見て取ったが、自分が直に妖だということを知らない。「恩権隆赫」などというのが威光を奮ったこと。ちらりと見ると天下の者が青くなるというほどのこと。人君こそこうもある筈。臣でこれをすれば臣ではなく、臣の妖物である。笄は見えても自分の手は見えない。ここが先ほど言った前見ず将棋の所。「貪宝貨」。笄のことではないとも見える。馮が賈相などへ手入れをして金銀を欲しがることと見える。しかし、宝貨は笄のことにするのが無難である。下の「不能正其家」も笄のことと見るのがよい。具足を買うほどに金が出る笄を買って遣るのは女房に呑まれたのである。
【語釈】
・孟子の知言…孟子公孫丑上2。「我知言。我善養吾浩然之氣」。

○盡忠所事は賈相をさす。馮が賈相の為めを思て蒼頭にいけんしたに、夫て毒殺にあふた。賈相もそれを正すことのならぬははきとせぬ人がしれた。○牆、かべのことをも云。外にあるかきのことでない。廡、本の書院てない。廊下などのていのことと云ふこと。○終始云々。此の三人がどれも々々々冨貴が望てあれとも、此の手ぬけだらけではゆかぬ。皆前見ずせうぎなり。一方あかるくても一方はくらい。古今の俗人か皆此廓をぬけることはならぬ。下戸は酒の方はよいか好色で不羪生ながある。上戸は好色は澹泊でも内損の方へはや井。○作戒數端。釵一本から事をこり、これ々々じゃと云のなり。
【解説】
「盡忠所事而不能保其身。斯亦不足言矣。賈之臧獲、害門客于牆廡之間而不知。欲終始富貴、其可得乎。此雖一事、作戒數端」の説明。この三人は富貴が望みだったが、手抜けがあったのでこの様になった。それは前見ず将棋で、一方しか見ていないのである。
【通釈】
「尽忠所事」は賈相を指す。馮が賈相のためを思って蒼頭に異見をしたのに、それで毒殺に遭った。賈相がそれを正すことができなかったことからも、はっきりとしない人であることが知れた。「牆」、壁のことをも言う。外にある垣のことではない。「廡」、本当の書院ではない。廊下などの体のことということ。「終始云々」。この三人はどれも富貴が望みだったが、この手抜けだらけではうまく行かない。皆前見ず将棋である。一方が明るくても一方は暗い。古今の俗人が皆此廓を抜けることができない。下戸は酒の方はよいが好色で不養生がある。上戸は好色は淡泊でも内損の方へ早い。「作戒数端」。釵一本から事が起こり、これこれだと言ったのである。


善行65
○王文正公發解・南省・廷試、皆爲首冠。或戲之曰、狀元試三塲、一生喫著不盡。公正色曰、曾平生之志、不在温飽。
【読み】
○王文正公、發解・南省・廷試、皆首冠と爲る。或ひと之に戲れて曰く、狀元の三塲に試さるる、一生喫著し盡ず、と。公色を正して曰く、曾、平生の志、温飽に在らず、と。

○王文正公。言行録にある王曽のこと。宋の歴々なり。是れが格段の人なり。すっと故郷から出る一番の吟味の發解も一ち初のときなり。発解は在所から秀才を書出すことなり。某考るに発は始てのこと。南省。老衆役所の吟味なり。廷試。殿中諸尚書の吟味なり。上の三つなから皆一番札でありたなり。或人、翰林学士劉士儀なり。がたわむれを云たなり。○状元は一番を取りたもののこと。これが通名になりたなり。弓で天下と云やうなもの。○一生云々。ほめることで腹の立つことでもないが、王曽のこと、格段な人ゆへむっかとしてこたへられたなり。先日も云通り、今の学者は廉耻の心がないからこの様なこと云るると笑ってすますが、これか云まいことの様にもないが、廉耻のない口上なり。なんと設るかの喰へるかのと云は町人の口上なり。それは役にたたぬ者の云ふことなり。学者少而学之壮而行之、欲明古之明徳於天下云々なり。喰へるの喰はれぬのと云は御坐へ出して云はれぬこと。そこて本の志の者は腹を立つなり。王曽が、自分なぞは暖がよい、腹を肥した井と云心はな井となり。本の人ゆへ眞顔になりて云た。心に廉耻のある人の玉し井なり。此の志と云字は、本んのを云へば伊尹の一夫も不得其所云々なり。王曽の志かあれと同格とも云はれぬけれとも、本んに学文するものは仕合じゃの珍らしいことのと云を喜ひはせぬ。
【解説】
王曾は發解・南省・廷試を皆首席で通った。そこで劉士儀が、一生楽に暮らせるだろうと言った。王曾は、自分などは暖かいのがよい、腹を肥やしたいという心はないと真顔になって言った。学者が食えるとか食えないなどと言うことはない。
【通釈】
「王文正公」。言行録にある王曾のこと。宋の歴々である。これが格段な人。ずっと故郷から出る一番始めの吟味が「発解」である。発解は在所から秀才を書き出すこと。私が考えるに発は初めてのこと。「南省」。老衆役所の吟味。「廷試」。殿中諸尚書の吟味。上の三つ共に皆一番札だった。或る人が、翰林学士の劉士儀である。戯れを言った。「状元」は一番を取った者のこと。これがその通名になった。弓で天下と言う様なもの。「一生云々」。これが誉めたことで腹の立つことでもないが、そこが王曾のこと、格段な人なのでむっかとして答えられた。先日も言う通り、今の学者は廉恥の心がないからこの様なことを言われても笑って済ますが、これが言ってはならないことの様でもないが、廉恥のない口上である。儲かるか喰えるかと言うのは町人の口上であって、役に立たない者の言うこと。学者は「幼而学之、壮而欲行之」、「欲明古之明徳於天下」云々である。喰えるとか喰えないとかと言うのは御座へ出して言えないこと。そこで本当の志の者は腹を立てる。王曾が、自分などは暖かいのがよい、腹を肥やしたいという心はないと言った。本物の人なので真顔になってそう言った。これが心に廉恥のある人の魂である。この志という字は、本当で言えば伊尹の「一夫不得其所云々」である。王曾の志があれと同格とは言えないが、本当に学問をする者は幸せだとか珍しいことだということを喜びはしない。
【語釈】
・少而学之壮而行之…孟子梁恵王章句下9。「夫人幼而學之。壯而欲行之」。
・欲明古之明徳於天下…大学章句経1。「古之欲明明德於天下者、先治其國」。
・伊尹の一夫も不得其所…近思録為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市」。


善行66
○范文正公少有大節。其於富貴・貧賤・毀譽・歡戚、不一動其心、而慨然有志於天下。嘗自誦曰、士當先天下之憂而憂、後天下之樂而樂也。其事上遇人、一以自信、不擇利害爲趨捨。其有所爲、必盡其方曰、爲之自我者當如是。其成與否有不在我者。雖聖賢不能必、吾豈苟哉。
【読み】
○范文正公、少くして大節有り。其の富貴・貧賤・毀譽・歡戚に於るや、一つも其の心を動かさず、而して慨然として天下に志有り。嘗て自ら誦じて曰く、士は當に天下の憂いに先だちて憂え、天下の樂に後れて樂しむべし、と。其の上に事え人に遇うや、一に以て自ら信じ、利害を擇びて趨捨を爲さず。其れ爲す所有れば、必ず其の方を盡して曰く、之を爲すこと我よりする者は當に是の如くすべし。其の成ると否とは我に在らざる者有り。聖賢と雖も必とすること能わず、吾豈苟もせんや、と。

○范文正公少有大節。胡文定公か以明道希文自斯待すと云て、其後常愛諸葛武侯云々とて孔明を愛された。あの二語とここを合せて見ることぞ。胡文定はこうした見所のある人て有るゆへ、それからは五峯や致堂も出来たもの。あの胡文定が明道と並べて目てあるからわ只なことではない。こふ見子は爰かいきぬ。さてさうきいてをいて少有大節。さぞと見ること。上の王曽とは語格がちかふ。又後来の学者の疂障りをよくしたり、衆人愛敬のなそと云は蹴出しが違ふ。大節と云はどこと云ことなく大きなははがある。天下中の人か范文正公に巻きこまるるほどの勢がありた。廣い原に鶴の一羽をりて居た躰なり。横渠をさへ中庸をよめと云はれたなり。言行彔にあれほどの人もあるが、この人計りは別段に見ることなり。
【解説】
「范文正公少有大節」の説明。胡文定が范文正公を明道と並べて愛でているのだから、范文正公は只者ではない。范文正公は若くして幅の大きな人だった。
【通釈】
「范文正公少有大節」。胡文定公が「以明道希文自斯待」と言って、その後に「常愛諸葛武侯云々」と、孔明を愛された。あの二語とこことを合わせて見なさい。胡文定はこうした見所のある人なので、それからは胡五峯や胡致堂もできた。あの胡文定が明道と並べて愛でているからはただのことではない。この様に見なければここが生きない。さてそう聞いて置いて「少有大節」。さぞそうだろうと見なさい。前条の王曾とは語格が違う。また後来の学者が畳障りをよくしたり、衆人愛敬のなどを言うのとは蹴り出しが違う。大節は何処ということなく大きな幅があること。天下中の人が范文正公に巻き込まれるほどの勢いがあった。広い原に鶴が一羽降りている体である。横渠にさえ中庸を読めと言われた。言行録にあれほど人がいるが、この人ばかりは別段に見なさい。
【語釈】
・范文正公…范仲淹。北宋の詩人・文筆家。字は希文。蘇州呉県の人。仁宗に仕え辺境を守り、羌人から竜図老子と尊ばれた。989~1052
・以明道希文自斯待…小学外篇嘉言13。「胡文定公與子書曰、立志以明道・希文自期待」。
・常愛諸葛武侯…小学外篇嘉言77を指す。

○冨貴云々。唐で冨貴云々と云が今此方の鑓を持せる格の何んのと云とは違ふ。あの方では天下の老中にもなることなり。是れに心を動さぬなぞと云が、うそを云なら勝手次第。中々これに動かぬと云人の請合には立れぬ。管晏ももとより、いか様な学者と云もここは動く。そこで爰か明道希文と並へられた処からではなくは云ををされぬ。司馬遷班固が前後漢に幾何人も書たが中々これほどの人はな井。これからはやがて顔子へ御見舞申す人柄なり。○毀誉云々。今寢酒の足りにもならぬが、毀誉は心にさわるもの。講釈をしちがへて人に云はれてもはや喜はぬ。昔の人は喜怒もずっと有るべかかりなり。今の学者は心か二役なり。笑ふ処を怒り、怒る処を笑ふ。それて殊の外心の内が六つけしい。いよ々々心のうこくものなり。○歡。よいこと。戚。うれいこと。貧な上に病人。春九十日あけしい目のないこと。爰では人のやせきる所、○不一動其心。動くとは欲で動くもの。道理斗りを魂ひにしていけばなんのことない。○慨然云々。歡戚ても心を動さぬほどなものは隠者めく。無性に天下々々と云ものは伯者めく。所を范文正公は己をきたへて天下を治め様とかかる。そこが慨然なり。吾身にもかからぬことにうんと云てかかる。何がうんと云なれば、人のすててをく処をすててをかぬ。迂斉曰、火消は火を消すも、滅多に迯ると思ふは火消の心を知らぬのなり。火消も慨然かある。
【解説】
「其於富貴・貧賤・毀譽・歡戚、不一動其心、而慨然有志於天下」の説明。范文正公は富貴・貧賎・毀誉・歓戚に心を動かすことはなく、自分を鍛えて天下を治めようと掛かった。
【通釈】
「富貴云々」。唐で富貴云々というのが今日本で鎗を持たせる格だの何のというのとは違う。中華では天下の老中にもなること。これに心を動さないなどと言うが、嘘を言うのは勝手次第。これに動かないと言う人の請け合いには中々立てない。管仲や晏嬰は固より、どの様な学者でもここは動く。そこでここが明道・希文と並べられた処からではなくては言い切ることができないこと。司馬遷や班固が前後漢に幾何人も書いたが、中々これほどの人はいない。これがやがては顔子へ御見舞い申す人柄である。「毀誉云々」。今寝酒の足りにもならないが、毀誉は心に障るもの。講釈をし違えて人に言われてももう喜ばない。昔の人は喜怒もずっと当然に出る。今の学者は心が二役である。笑う処を怒り、怒る処を笑う。そこで殊の外心の内が難しい。いよいよ心が動く。「歓」。よいこと。「戚」。憂いごと。貧な上に病人。春九十日に晴れやかな日がない。ここでは人が痩せ切る所を、「不一動其心」。動くとは欲で動くもの。道理ばかりを魂にして行けば何事もない。「慨然云々」。歓戚でも心を動さないほどの者は隠者めく。無性に天下を言う者は伯者めく。そこを范文正公は自分を鍛えて天下を治めようと掛かる。そこが慨然である。自分の身に関わらないことにうんと言って掛かる。何でうんと言うかと言うと、人の捨てて置く処を捨てて置かないのである。迂斎が、火消が火を消すにも、滅多矢鱈に逃げようと思うのは火消の心を知らないのだと言った。火消にも慨然がある。

○自誦云々。論孟などに有ることを云のが誦すなり。処を吾から此二句をこしらへて誦したなり。當先天下之憂云々。これを天下と倶にするの志と云なり。今日の人は吾さへよければよいと云。天下一家中国一人と云は天下中のもののよ井でなくては楽とせぬ。天下のものの難義をはさきへあびる。よいことはあとでと云こと。朝も早く起て夜る子るにもあとと云様なもの。これでなければ天下を安するの心か手先てして心からでない。伯者と趣向の違ふ処かこれなり。○自信す。手前の方に一つつかまへ処のあること。人知て自信不能難とある。心のさうばのかわるは信ぜぬのなり。直方先生の所謂道理を慥に見付ぬ内は信でない。道理を慥に見付けるとそちの方はどふだと云ことはない。利害趨捨は世間のひょろ々々々学者が皆是れなり。
【解説】
「嘗自誦曰、士當先天下之憂而憂、後天下之樂而樂也。其事上遇人、一以自信、不擇利害爲趨捨」の説明。范文正公は天下に先駆けて憂いを自分に受け、天下に後れて楽を受けた。自らを信じて上に仕え人を遇した。信がないと心の相場が変わる。
【通釈】
「自誦云々」。論孟などにあることを言うのが誦すである。そこを自分でこの二句を拵えて誦じた。「当先天下之憂云々」。これを天下と倶にする志と言う。今日の人は自分さえよければよいと言う。「天下一家中国一人」と言うのは天下中の者がよくなければ楽としないこと。天下の者の難儀を先に浴びる。よいことは後でと言う。朝も早く起きて夜寝るにも後という様なもの。これでなければ天下を安んじることが手先だけのことになり、心からのものではない。伯者と趣向の違う処がこれ。「自信」。自分の方に一つ掴まえ処があること。「人知自信不能難」とある。心の相場が変わるのは信じないからである。直方先生の謂う所の、道理を慥かに見付ない内は信でないである。道理を慥かに見付けるとそちらの方はどうだと聞くことはない。「利害趨捨」は、世間のひょろひょろ学者が皆これ。
【語釈】
・天下一家中国一人…論語憲問42集註。「聖人心同天地、視天下猶一家、中國猶一人、不能一日忘也」。
人知て自信不能難…人知りて自ら信ずること能わざれば難し

○必盡其方。上のことでも吾がことでも、なんぞ一つことをするときにをしつけてをかぬこと。方を尽すなり。○自我者當如是。垩人も我從衆とある。先規をするはよ井がこれもあることで、我からきり出さ子ばならぬこともある。自我為古のこと。范文正公は尽方からきたものゆへこれがなるなり。當如是。道理の当然。丸を書くぶんまわしの様なもの。どこでもつかへはない。○成否。垩人でも圍之不克。孟孫が方がかちた。これは孔子の軍法不鍛錬でと云ことではない。負けることが有ふともすべき当然をすること。孔明か成敗利鈍もこれなり。今楠孔明をほめるも道理のなすべきままをするからのこと。○吾豈苟哉。上の方を尽へあててみること。まあこれでもよ井と云こと。ぶんまわしのな井ときはどうこの蓋で丸をかく。それをせぬことなり。范文正公事の上に格段のことも見へぬか、これが垩賢の魂ひなり。道統にあつかる人でもないが、ここの魂ひが程朱にまけぬ所なり。ちっともちがったことな井なり。
【解説】
「其有所爲、必盡其方曰、爲之自我者當如是。其成與否有不在我者。雖聖賢不能必、吾豈苟哉」の説明。事をするに当たってはそれぞれに尽くす。道理の当然を行い、成否を考えない。范文正公は道統の人ではないが、これが程朱に負けない所である。
【通釈】
「必尽其方」。上のことでも自分のことでも、何か一つ事をする時には押し付けて置かない。方を尽くす。「自我者当如是」。聖人も「吾従衆」とある。先規をするのはよいことだがこれもあることで、自分から切り出さなければならないこともある。これが「自我為古」のこと。范文正公は尽くす方から来た者なのでこれができる。「当如是」。道理の当然。丸を書くコンパスの様なもの。何処でも支えはない。「成否」。聖人でも「圍之不克」。孟孫の方が勝った。これは孔子の軍法不鍛錬からということではない。負けることがあったとしてもすべき当然をする。孔明の「成敗利鈍」もこれ。今楠や孔明を誉めるのも道理のなすべき通りをするからのこと。「吾豈苟哉」。上の「尽其方」へ当てて見なさい。まあこれでもよいと言う。コンパスのない時は銅壺の蓋で丸を書く様なことはしない。范文正公は事の上に格段なことも見えないが、これが聖賢の魂である。道統に与る人でもないが、ここの魂が程朱に負けない所である。少しも違ったことはない。
【語釈】
・我從衆…論語子罕3。「子曰、麻冕、禮也。今也、純儉。吾從衆。拜下、禮也。今拜乎上、泰也。雖違衆、吾從下」。
自我為古…我より古を為す
・圍之不克…論語序説。「十二年癸卯。使仲由爲季氏宰、墮三都、收其甲兵。孟氏不肯墮成、圍之不克」。
・成敗利鈍…後出師之表。「臣鞠躬尽力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣之明所能逆覩也」。