四月朔日  小学終業  惟秀彔
【語釈】
・四月朔日…寛政2年(1790)4月1日。
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。稲葉黙斎門下。

善行67
○司馬温公嘗言、吾無過人者。但平生所爲、未嘗有不可對人言者耳。
【読み】
○司馬温公嘗て言う、吾、人に過ぐる者無し。但平生爲す所、未だ嘗て人に對して言う可からざる者有らざるのみ、と。

○司馬温公云々未嘗有不可對人言者耳。先つ心の功夫と云は胸の中へわる井ことを置かぬこと。わるいこともさま々々。就中人に云れぬと云ことほどわるいことはない。人にいわれぬことのあると云は懐へ埃を入れて置くやふなもの。是より上のわるいことはないと思ふがよ井。道具でもそれなり。人には見せられぬと云は一ちわるいこと。印篭巾着は人にかくすものでな井が、其れをかくすと云は盗み物か何んぞ子細あることなり。人にかくすことのないがよい。今思へば迂斉などがこれなり。世の人にはこれは沙汰なし々々々々と云ことがあるものだが、それが頓となかった。
【解説】
心の功夫とは、胸の中に悪いことを置かないこと。人に言えないことが悪いことの中では一番悪い。
【通釈】
「司馬温公云々未嘗有不可対人言者耳」。先ず心の功夫とは、胸の中へ悪いことを置かないということ。悪いことも様々である。就中、人に言えないことほど悪いことはない。人に言えないことがあるというのは懐へ埃を入れて置く様なもので、これ以上の悪いことはないと思いなさい。道具もそれ。人には見せられないというのは一番悪いこと。印篭巾着は人に隠すものではないが、それを隠すというのは盗み物か何かの子細のあること。人に隠すことのないのがよい。今思えば迂斎などがこれ。世の人にはこれは沙汰なしと言うことがあるもの。それが全くなかった。
【語釈】
・沙汰なし…人に知らせないこと。表沙汰にしないこと。


善行68
○管寧嘗坐一木榻、積五十餘年、未嘗箕股。其榻上當膝處皆穿。
【読み】
○管寧嘗て一木榻[とう]に坐し、積むこと五十餘年、未だ嘗て箕股せず。其の榻上の膝に當る處、皆穿てり。

○管寧云々。節義のある人なり。今疂の上でさへ毛氊の蒲団のと云に管寧は木榻、木て作りた臺なり。今の涼み臺の様にすわるもの。に五十餘年なり。○未當箕股。唐も日本も箕の形りは似た。あのやふに足をなげ出すがわるいことなり。是れ等は手もなく行義のよいこと。行義と云へばひくひやふなれとも、垩賢の教はここからなり。高それはこれをかるく見てなける。をれは寢て居ても心は起て居る。御身達は起きて居ても心は寢てをると云が、身が子れば心も寐るもの。行義のよいで心がいきる。弓も弦をはづすとべろりとなる。弦をかけるでりんとなる。一つ道具でもそれほとちがふ。仁義礼智寐て居ても起て居ても有るは有るが、寐て居てははっきとない。行義からは心もいきる。木のくほむと云はきつ井行義なり。
【解説】
ここは管寧の行儀のよいことを言う。聖賢の教えは行儀からする。行儀がよいことで心も生きる。
【通釈】
「管寧云々」。節義のある人である。今畳の上でさえ毛氈だの蒲団だのと言うのに管寧は木榻、木で作った台である。今の涼み台の様に座るもの。に五十余年である。「未嘗箕股」。唐も日本も箕の形は似たもの。あの様に足を投げ出すのが悪いこと。これ等は手もなく行儀のよいこと。行儀と言えば卑い様だが、聖賢の教えはここからである。高逸れはこれを軽く見て投げる。俺は寝ていても心は起きている、御前達は起きていても心は寝ていると言うが、身が寝れば心も寝るもの。行儀がよいから心が生きる。弓も弦を外すとだらしなくなる。弦を懸けるので凛となる。道具一つでもそれほど違う。仁義礼智は寝ていても起きていてもあるにはあるが、寝ていてははっきりとしない。行儀からは心も生きる。木が窪むというのはかなりの行儀である。
【語釈】
・管寧…字は幼安。158~241


善行69
○呂正獻公自少講學、即以治心養性爲本。寡嗜慾、薄滋味、無疾言・遽色、無窘歩、無惰容。凡嬉笑・俚近之語、未嘗出諸口。於世利紛華、聲伎游宴、以至於博奕竒玩、淡然無所好。
【読み】
○呂正獻公、少きより學を講ずるに、即ち心を治め性を養うを以て本と爲す。嗜慾を寡くし、滋味を薄くし、疾言・遽色無く、窘歩[きんほ]無く、惰容無し。凡そ嬉笑・俚近の語、未だ嘗て諸を口に出さず。世利紛華、聲伎游宴より、以て博奕竒玩に至るに、淡然として好む所無し。

○呂正献公云々。これが漢唐の間のきれものなり。程子の時に生れ治心養性の学文たることを知られた。今の学者漢唐々々と遠々しく云は可笑。己が只書物せせり計りて漢唐たることを知らぬ。学文は只心のことなり。心が大切なものなれとも、気についたものゆへやだものが添ふてある。心統性情。心にはとっちもある。仁義礼智も人欲もある。そこで治め子ばならぬ。治とは胸中を詮議して市中を同心かあるく様なもの。私意人欲と云あやしいものを一々声をかける。天理でござりますと云と通れと云。人欲の方から出ましたと云と待てと云。○性は手を添へぬもの。牡丹に紅もささず、あの床に生た河骨に黄をさすには及はぬ。夫を羪ふとは水をさしてをくでしゃっきりとなる。莠をぬくで稲がよくなる。邪魔をとるで心かよくなる。治心養性に気かつくと邪魔が知るる。邪魔は人欲なり。仏はこれを皆なくしたかる。此方はなくすでない。よきほどにする。妻をば天倫でもつか溺るると人欲になる。そこへ寡ふすと云目付を付けてをく。うま井ものも喰ふ。断食ではない。そこへ一度々々に目付けを付けてをく。沢一か今一杯が人欲と云。功夫をすることなり。
【解説】
「呂正獻公自少講學、即以治心養性爲本。寡嗜慾」の説明。学問は心のことで心が大事だが、心は気に付いたものなので人欲に用心をしなければならない。仏は人欲をなくそうとするが、儒ではそれを押さえる工夫をする。
【通釈】
「呂正献公云々」。これが漢唐の間には払底である。程子の時に生まれて「治心養性」が学問の本であることを知られた。今の学者が漢唐とばかり遠々しく言うのは可笑しなこと。ただ書物を弄るだけで漢唐の漢唐たるところを知らない。学問はただ心のこと。心は大切なものだが、気に付いたものなので疵物が添っている。「心統性情」。心にはどちらもある。仁義礼智も人欲もある。そこで治めなければならない。「治」は胸中を詮議することで、市中を同心が歩く様なもの。私意人欲という怪しいものに一々声をかける。天理でございますと言うと通れと言う。人欲の方から出ましたと言うと待てと言う。「性」は手を添えないもの。牡丹に紅も注さず、あの床に活けた河骨に黄を注すには及ばない。それを「養」と言うのは、水を差して置くのでしゃっきりとするということ。莠を抜くので稲がよくなる。邪魔を取るので心がよくなる。治心養性に気が付くと邪魔者が知れる。邪魔は人欲である。仏はこれを皆なくしたがる。こちらはなくすのではない。よいほどにする。妻は天倫で持つが、それに溺れると人欲になる。そこへ寡くするという目付を付けて置く。美味いものも喰う。断食ではない。そこへ一度一度に目付を付けて置く。沢一が今の一杯が人欲だと言った。功夫をすること。
【語釈】
・心統性情…近思録道体50。「心統性情者也」。
・沢一…大神澤一。筑前早良郡原の人。瞽者。享保10年(1725)12月1日没。年42。佐藤直方門下。

○滋味は生れてから死ぬ迠ついてまわるもの。一ち長ひ欲なり。別して目を付けよ。○無疾言遽色。是れてみよ。ゆだんなく功夫をするか見へてをる。ひょいとした麁相のな井が昨日や今日の功夫ではない。○窘歩のちょこ々々々あるき。惰容の一重帯。炬燵にはまってとける様になってをる。これが君子にな井躰なり。○凡嬉笑と立てばをどけなり。率頭持ち[たいこもち]や堺町は年中嬉笑のことに骨を折る。○俚近はやすい口上と云のなり。町六方、仕事しかけ出し又咄しなり。歴々が面白がることあるもの。○世利。世の中の世の字。利害の利の字。やはり世味のことなり。こう云ふとひく井やうじゃが、これが世間もののよく立まわる、人のためにもなる重宝なもののこと。これを学者の上でいこうきろふこと。○紛蕐。紛はこまかに飛す様なこと。蕐は実のな井こと。表聞のよ井実のな井は皆紛蕐なり。これは何んと云つかまへ所はないが、まま今日のは世利紛蕐でありたはと学者の省るべきことなり。飲食起居のことから五節句の礼にゆく迠も実からせぬことは皆世利紛蕐なり。○声伎游宴。これはつかまへ所のあること。小歌浄留理花見月見の大催しをすること。○博奕。棋せうき。奇玩。茶の湯のるい。珍し井ものの集まったに茶の湯ほどなことはな井。○淡然無所好。工夫でしたことでなく、骨折らずにこれなり。上品なことなり。こまかなことを知らずにをる。古渡りの南京の茶碗でも八文で買ふた茶碗でもかまわぬ。牡丹を見てもよ井花なと云たぎり。細かなことを知らぬが君子なり。さら々々としてをる。孔子の衛の公子刑をほめらるるもこれなり。迂斉などもこうでありた。
【解説】
「薄滋味、無疾言・遽色、無窘歩、無惰容。凡嬉笑・俚近之語、未嘗出諸口。於世利紛華、聲伎游宴、以至於博奕竒玩、淡然無所好」の説明。滋味を薄くし、言葉や行動に粗相をしない。軽はずみやだらしない体をしない。戯けを言わない。世味や実のないことを言わない。大催しをしない。棋や将棋、茶の湯などをしない。さらさらとしてものに拘らない。
【通釈】
「滋味」は生まれてから死ぬまで付いて回るもので、一番長い欲である。特に目を付けなさい。「無疾言遽色」。これで見なさい。油断なく功夫をするのが見える。ひょいとした粗相をしないのが昨日や今日の功夫ではない。「窘歩」のちょこちょこ歩き。「惰容」の一重帯。炬燵に嵌って溶ける様になっている。これが君子にはない体である。「凡嬉笑」と、立てば戯けになる。太鼓持や堺町は年中嬉笑のことに骨を折る。「俚近」は安い口上ということ。町六方、仕事しかけ出しまた咄。歴々が面白がることがあるもの。「世利」。世の中の世の字。利害の利の字。やはり世味のこと。この様に言うと卑い様だが、これがよく立ち回る世間者で、人のためにもなる重宝な者のこと。これを学者の上では大層嫌う。「紛華」。紛は細かに飛ばす様なこと。華は実のないこと。表聞きがよくて実がないのは皆紛華である。これは何という掴まえ所はないが、ああ今日のは世利紛華だったと学者は省みるべきこと。飲食起居のことから五節句の礼に行くことまでも実からしないことは皆世利紛華である。「声伎游宴」。これは掴まえ所のあること。小唄浄瑠璃花見月見の大催しをすること。「博奕」。棋や将棋。「奇玩」。茶の湯の類。珍しいものが集まるのに茶の湯ほどのことはない。「淡然無所好」。工夫でしたことではなく、骨を折らずにこうなる。これが上品なこと。細かなことを知らずにいる。古渡りの南京の茶碗でも八文で買った茶碗でも構わない。牡丹を見てもよい花だと言うだけ。細かなことを知らないのが君子である。さらさらとしている。孔子が衛の公子荊を誉められたのもこれ。迂斎などもこうだった。
【語釈】
・衛の公子刑…論語子路8。「子謂衞公子荊。善居室。始有、曰、苟合矣。少有、曰、苟完矣。富有、曰、苟美矣」。


善行70
○明道先生終日端坐如泥塑人。及至接人、則渾是一團和氣。
【読み】
○明道先生、終日端坐して泥塑人の如し。人に接するに至るに及びては、則ち渾[すべ]て是れ一團の和氣なり。

○明道先生曰云々。垩人てなくて頓と垩人ほどなは顔子と明道なり。細かに吟味して見たときが頓と垩人に似たなり。垩人の姿が天地に似た。両人がそれに似たなり。貞下之元とて天の方には冬の下に春がある。雪もふり木の葉も落てひっそりとしつまりてをる。敬のもよふなり。そのしまりから春になる。柳も芽を吹く。吉野櫻も一夜にさく。明道の泥塑人、土人形のこと。の様にしゃんとしてござるていが冬の摸様なり。其れが人に對してやれよふござったと云ふ時がさて々々ほっこりと云ふに云へぬなり。からだ中さらへて一團の和気なり。今乱心者の平生笑ふてをる。内がしまらぬから、あとが和でない。又只の人も昨日の咄を思ひ出して笑ふたりにこ々々してはをることもある。それは心がしまらぬのなり。そこで人に對しては腹の立つときはつ井それなりにするなり。前にしまりがな井から跡に和はない。近思にも明道を朱公掞か如坐春風裡と云た。尤味あることぞ。今人は茨からたち。すわと云とさすなり。
【解説】
聖人は天地に似るが、顔子と明道は聖人に似た人である。明道が泥塑人の様にしゃんと引き締まっているのが天地の冬の模様である。その締まりがあるから、人と対する時には一団の和気となる。
【通釈】
「明道先生曰云々」。聖人ではないが、実に聖人ほどの者は顔子と明道である。細かに吟味して見た時に実に聖人に似ている。聖人の姿は天地に似ているが、両人がそれに似ている。貞下の元と言い、天の方には冬の下に春がある。雪も降り木の葉も落ちてひっそりと静まっている。それが敬の模様である。その締まりから春になる。柳も芽を吹く。吉野桜も一夜に咲く。明道が泥塑人、土人形のこと。の様にしゃんとしておられる体が冬の模様である。それが、人に対してやれよく来られたと言う時は実にほっこりと言うに言えない様子で、体中全てが一団の和気である。今乱心者が平生笑っているが、内が締まらないから後が和でない。また、ただの人も昨日の話を思い出して笑ったりにこにこしていることもある。それは心が締まらないのである。そこで腹の立つ時は、人に対してついそれなりにする。前に締まりがないから後に和がない。近思でも明道のことを朱公掞が「如坐春風裡」と言った。これが最も味のあること。今の人は茨枳殻。いざというと刺す。
【語釈】
・如坐春風裡…近思録聖賢22。「侯師聖云、朱公掞見明道於汝。歸謂人曰、光庭在春風中坐了一箇月」。


善行71
○明道先生作字時甚敬。嘗謂人曰、非欲字好。即此是學。
【読み】
○明道先生、字を作る時甚だ敬む。嘗て人に謂いて曰く、字好からんことを欲するに非ず。即ち此は是れ學なり、と。

○明道先生作字時甚敬。今日の人も大切に書くこともあるが、それは作法についたこと。人見せかなり。心覺のときは字性も知れぬ。明道のは反古の裏へ覺書する迠敬みたなり。人があんまりなことじゃと思ふて問ふたと見へる。処を、いやはしがのは人みせではない。字を丁寧にかくが学文じゃとなり。反古の裏の覚書はやりばなしにと云だけが、はや学文の功夫のきれめなり。川上歎の注に無間断とある。ここはすてると云ことはない。天地の間に道理のな井ことはない。かるいことにも理はある。茶を呑にも敬ま子は咽をやく。埃にもすてると云理なり。されともこれが字を作るに敬むを無性に学文じゃ々々々々と云て、明道のしたことじゃの、ここを專度としたことと心得るはよくな井。これはこふくせづいたと云ほどにしてとりたこと。あたる処てしてゆくことなり。恭節が、これが曽点の気象であらふと云てをこしたか、万事あたる処てすら々々してゆくことなれば、なる程曽点の気象なり。よ井見やふなり。されとももふ一つ断ら子はならぬことがあるぞ。明道の作字甚敬む、これかをれか曽点の気象よと思ふてしたことと見ると明道先生がひくくなる。曽点の気象と云ふのは脇から見て云はふことぞ。明道を曽点と云ふては足らぬことになる。
【解説】
明道は字を書く時には敬んだ。それは人に見せるためではなく、これが学問だからである。天地の間に道理のないことはなく、軽いことまでにも理はある。そこで敬むのである。恭節がこれを曾点の気象だろうと言ったが、そう見ると明道が低くなる。
【通釈】
「明道先生作字時甚敬」。今日の人も大切に書くこともあるが、それは作法に付いたことか人見せのこと。心覚えのある時は字性も知れない。明道のは反古の裏へ覚え書きをする時でさえ敬んだ。人があまりなことだと思って問うたと見える。そこを、いや私のは人見せではない。字を丁寧に書くのが学問だと答えた。反古の裏の覚え書きは遣り放しにするというのが、既に学問の功夫の切れ目となる。川上歎の注に「無間断」とある。ここは捨てるということはない。天地の間に道理のないことはない。軽いことにも理はある。茶を呑むにも敬まなければ喉を焼く。塵にも捨てるという理がある。しかし、字を作るのを敬むのを無性に学問だと言って、明道のしたことだ、ここが先途だと心得るのはよくない。この章は、この様な癖が付いていたというほどのこととして採ったもの。当たる処でして行くのである。恭節が、これが曾点の気象だろうと言って遣したが、万事当たる処ですらすらとして行くことなので、なるほど曾点の気象である。よい見方である。しかし、もう一つ断わらなければならないことがある。明道の作字甚敬を曾点の気象だと思ってしたことだと見ると明道先生が低くなる。曾点の気象とは脇から見て言うこと。明道を曾点と言っては物足りない。
【語釈】
・反古…書画などを書き損じた不用の紙。
・無間断…論語子罕16集註。「天地之化、往者過、來者續、無一息之停、乃道體之本然也。然其可指而易見者、莫如川流。故於此發以示人、欲學者時時省察、而無毫髮之間斷也」。
・恭節…鈴木(鵜澤)恭節。字は子長。長蔵と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。黙斎門下。


善行72
○劉忠定公見温公、問盡心行己之要、可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝、日之所行與凡所言、自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成。自此言行一致、表裏相應、遇事坦然常有餘裕。
【読み】
○劉忠定公、温公に見えて、心を盡し己を行うの要、以て終身之を行う可き者を問う。公曰く、其れ誠か、と。劉公、之を行うに何れを先にせんと問う。公曰く、妄語せざるより始む、と。劉公初め甚だ之を易きとす。退きて自ら檃栝[いんかつ]するに及びて、日に之れ行う所と凡そ言う所と、自ら相掣肘矛盾する者多し。力めて行うこと七年にして而る後に成る。此より言行一致、表裏相に應じ、事に遇いて坦然として常に餘裕有り。

○劉忠定公。前にもある劉器之もこの人なり。温公と同時に及第した人なり。同格なり。されとも温公の德に服して弟子になりたなり。○盡心。必しも孟子の尽心知性のやふに見ることでない。迂斎云、己を尽すと云と同じ、と。要は其のくくりはどふじゃときいたなり。そこで温公か吾が掘ぬき井戸から汲み出して、いかさまそれには外のことではなるまい、其誠乎。外のことでは受合れぬと温公のかたまった処から出したもの。大学になりては温公にも云分あれとも、小学では温公垩人の様に説くが傳授ことなり。なぜなれば、温公の誠はす子からもみ出したではなく、ゆづり金なり。されども手本にする日にはどれでも同じこと。やはり百两は百両なり。温公の誠がここの処は垩人と同じことなり。劉元城が顔子の目を問ふやふに問はれた。そこて温公が手前にあるものをずっと出した。
【解説】
「劉忠定公見温公、問盡心行己之要、可以終身行之者。公曰、其誠乎」の説明。劉忠定公が温公に、終身にわたって心を尽くして行うことは何かと尋ね、温公は誠だと答えた。この誠というのは温公が自得したものではないが、これが手本になるので小学ではこれでもよいとする。
【通釈】
「劉忠定公」。前にあった劉器之がこの人。温公と同時に及第した人で同格である。しかし、温公の徳に服して弟子になった。「尽心」。必ずしもこれは孟子の「尽心知性」の様に見ることでもない。迂斎が、自分を尽くすというのと同じだと言った。「要」はその括りはどうかと聞いたもの。そこで温公が自分の掘り抜き井戸から汲み出して、いかにもそれは外のことではできない、「其誠乎」と言った。外のことでは請け合えないと温公の固まった処から出したもの。大学になっては温公へも言い分があるが、小学では温公を聖人の様に説くのが伝授ごととなる。それは何故かと言うと、温公の誠は脛から揉み出したものではなくて譲り金である。しかし、手本にする日にはどれでも同じこと。やはり百両は百両である。温公の誠がここの処は聖人と同じこと。顔子が目を問う様に劉元城が問われた。そこで温公が自分にあるものをずっと出した。
【語釈】
・前にもある劉器之…小学外篇善行24を指す。
・孟子の尽心知性…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・顔子の目を問ふ…論語顔淵1。「顏淵曰、請問其目」。

○自不妄語始む。文言に脩辞立誠。めったなことを云ぬで内がよくなる。又一説に嘘をつかぬこと、と。これはあらいことのやふなれとも、うそと云も段々がある。東金へ行きたを大網へ行きたと云はあらい嘘なり。さうてなく、本のことを云てもあとて合ぬことがある。それがうそと云にまわる。さうならぬやうに々々々とするて誠にならるる。詞は一日の内にはいかいことある。口無擇言がなりにく井。書經に罔有擇言在身とあり、朝夕なるることの葉のかり初を大事にすること。これが大切なことなり。○甚易之。輕い奉公人にもうそをせぬことなぞはある。やす井と思て自檃栝。ただしてみること。○掣肘。ひぢをひくこと。ものを書ふとするに肘をひくから書れぬ。○矛盾。吾か云ふたことの吾かする上の行にさしつかへること。きさまのこしらへた戟てきさまの作りた盾を突かばいかんのこと。この様に行つかへくいちがふて出来なんだか、劉元城か行ひ者で、念仏三昧にこれをしたでついには誠にしてとりた。本にきれものと云のなり。○言行一致云々。功夫したより、やが上へにも上品になりたことなり。ここは皆誠のしるしをかたりたもの。
【解説】
「劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝、日之所行與凡所言、自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成。自此言行一致、表裏相應」の説明。誠になるためには妄語をしないことから始める。それは嘘を吐かないということ。本当のことを言っても後で合わなくなることがある。それが嘘である。言葉を大事にするのである。劉忠定公は、それは容易なことだと思ったが、行が食い違って中々できなかった。しかし、功夫をし続けて、遂には言行一致となった。
【通釈】
「自不妄語始」。文言伝に「修辞立其誠」とあり、滅多なことを言わないので内がよくなる。また一説に嘘を吐かないこととある。これは粗いことの様だが、嘘にも段々がある。東金へ行ったのを大網へ行ったと言うのは粗い嘘である。そうではなく、本当のことを言っても後で合わなくなることがある。それが嘘ということに回る。そうならない様にとするので誠になることができる。一日の内に言葉は大層ある。「口無択言」ができ難い。書経に「罔有択言在身」とあり、朝夕なるる言の葉の仮初を大事にする。これが大切なこと。「甚易之」。軽い奉公人にも嘘をしないという者もいる。容易いと思って「自檃栝」。質して見る。「掣肘」。肘を引くこと。ものを書こうとする時に肘を引くから書けない。「矛盾」。自分の言ったことが、自分がする上での行に差し支えること。貴様の拵えた戟で貴様の作った盾を突いたらどうなるかということ。この様に行が支えて食い違ってできなかったが、劉元城が行い者で、念仏三昧でこれをしたので遂には誠をして取った。実に切れ者である。「言行一致云々」。功夫したことから、弥が上にも上品になった。ここは皆誠の験を語ったもの。
【語釈】
・脩辞立誠…易経乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也」。
・口無擇言…孝経卿大夫。「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之德行不敢行。是故、非法不言、非道不行、口無擇言、身無擇行。言滿天下、無口過、行滿天下、無怨惡。三者備矣、然後能守其宗廟。蓋卿大夫之孝也」。
・罔有擇言在身…書経敬呂刑。「忌罔有擇言在身」。

○餘裕。ら井のあること。誠にら井のあると云ことを書くが面白ひ。誠がな井と行きつまってとやかくさわぐ。誠かあればのっしりとなる。大学にも心廣體胖。誠があると落付く。道具屋がよい道具を賣ると、いつ何時でも御気に入らずは御返しなされと云て落付てたばこを吸ふてをる。古い肴をうると肴屋がはや御暇申すなり。直方先生が、餘裕有りは何んでも手にあまさぬことじゃとなり。医者も上手が本んなれば、何病でも手にあまさぬ。何事でも誠ではしてとる。○爰て有餘裕とゆっくとしたていに書たが、さて劉元城にあのころはきつ井目にあわれた。蔡卞や章惇、两人なから悪宰相なり。が忠定公をあまりに憎くみて、嶋へやるにさへあちへやりこちへやりして落付かせぬ様にして弱るやうにした。夫れでも八十迠生きる元気ゆへ、少しも弱らぬ。又或時は悪人共がつめ腹を切らせる謀をした。夫故家内でも大騒をしたれば、井やさわぐことはない、明日誰れがに逢ふて能実否をき井てからの上のことと云て、其夜高鼾て寐たなり。どふやっても心は餘裕てありた。
【解説】
「遇事坦然常有餘裕」の説明。誠があると余裕があって落ち着く。余裕とは手に余さないこと。劉忠定公は蔡卞や章惇のために苦境に追い遣られたが、心には余裕があった。
【通釈】
「余裕」。らいのあること。誠には余裕があると書いたのが面白い。誠がないと行き詰まってとやかく騒ぐ。誠があればのっしりとなる。大学にも「心広体胖」。誠があると落ち着く。道具屋がよい道具を売ると、いつ何時でも御気に入らなければ御返し下さいと言って落ち着いて煙草を吸っている。古い魚を売ると、魚屋が早くも御暇申すと言う。直方先生が、有余裕は何でも手に余さないことだと言った。医者も本当に上手であれば、何の病でも手に余さない。何事でも誠であればして取る。ここで有余裕とゆっくりとした体に書いたが、さて劉元城はあの頃にきつい目に遭われた。蔡卞や章惇、両人ながら悪宰相である。が忠定公をあまりに憎んで、嶋へ遣るにもあちへ遣りこちへ遣りして落ち着かせない様にして弱る様にした。それでも八十まで生きる元気だったので、少しも弱らない。また或る時は悪人共が詰め腹を切らせる謀をした。それで家内でも大騒ぎとなったが、いや騒ぐことはない、明日誰かに逢ってよく実否を聞いてからのことだと言って、その夜は高鼾で寝た。どうやっても心に余裕があった。
【語釈】
・心廣體胖…大学章句6。「富潤屋、德潤身、心廣體胖。故君子必誠其意」。
・蔡卞…字は元度。蔡京の弟。1048~1117
・章惇…字は子厚。1035~1105

○ここでは温公の誠か垩人ほどにとと井て、夫れを手本に劉元城が賢人になりたと見ることなり。されとも大学ではさうは云はれぬことなり。大学の吟味では温公は致知格物かないから誠が本のものでない。温公は誠の拔荷を買ったのなり。かせき出したでな井。ゆづり金の誠なり。夫れが垩人ほどに届いた。直方曰、誠とは香車のききの様なもの、と。小学ではそのとどいた一方つ井た誠をも取る。それで老莱子か踊り迠ものせてある。そこが小学たけなり。格致なしの誠は本んのことでな井。温公の格致なしの誠が手本になりて、あの方で陸象山王陽明、この方で仁斉が様な者迠、皆温公からうみ出したとしることなり。夫から廣けて云へは神道の祖にもなる。あれが只正直の頭べに神やとると云。わけなしの誠なり。そんなら温公はよせつけぬかと云に、朱子の宋朝六先生の賛には邵子も温公もある。これがやはり小学の意なり。大学の吟味となれば中庸の曲尺をあて子ばならぬ。譬へて云はば伯夷桺下惠を不恭と隘しとて中庸の坐へよせぬに、さうかとをもへば孟子が垩人の百世の師のと云。大学で云分んありても小学にとるもこのあやなり。格致でなければ気質になる。気質は一偏にをちる。そこの所では温公は無学と云てのけ子ばならぬ。品川川﨑と云ふ道中がな井。されども京へはゆきた。つまりそれは気質にをちる。気質からは学文が度法もないことにをちる。そこで大学ては此の誠の上へ最ふ一返挌物の吟味をすることなり。温公のことはこふ吟味をつめてよま子は大学へのうつりならぬ。小学の仕舞ゆへにこう匂わせてよむなり。
【解説】
小学では、温公の誠が聖人ほどに届いて、それを手本に劉元城が賢人になったとする。しかし、大学では、温公は致知格物がないから彼の誠は本物ではないとする。格致なしの誠は本当のことではない。格致なしの誠から陸象山や王陽明、日本では仁斎の様な者ができた。格致でしなければ気質に落ちる。それでは学問が途方もなくなる。
【通釈】
ここでは温公の誠が聖人ほどに届いて、それを手本に劉元城が賢人になったのだと見なさい。しかし、大学にあってはそうは言えない。大学の吟味では温公は致知格物がないから誠が本物ではないとする。温公は誠の抜け荷を買ったのである。稼ぎ出したのではない。譲り金の誠である。それが聖人ほどに届いた。直方が、誠とは香車の利きの様なものと言った。小学ではその届いた一方に偏った誠をも取る。それで老莱子の踊りまでも載せてある。そこが小学というもの。格致なしの誠は本当のことではない。温公の格致なしの誠が手本になり、中華では陸象山や王陽明、日本では仁斎の様な者までが、皆温公から生み出されたと知りなさい。それから広げて言えば、これが神道の祖にもなる。あれがただ正直の頭に神宿ると言う。それはわけなしの誠である。それなら温公は寄せ付けないかと言うと、朱子の宋朝六先生の賛には邵子も温公もある。これがやはり小学の意である。大学の吟味となれば中庸の曲尺を当てなければならない。たとえて言えば伯夷柳下恵を隘不恭として中庸の座へは寄せず、そうかと思えば孟子が彼等を聖人の百世の師と言う。大学で言い分があっても小学に採るのがこの綾である。格致でなければ気質になる。気質は一偏に落ちる。そこの所では温公は無学と言って除けなければならない。品川や川崎という道中がない。しかし京へは行き着いた。つまりそれは気質に落ちること。気質からは学問が途方もないことに落ちる。そこで大学ではこの誠の上にもう一遍格物の吟味をする。温公のことはこの様に吟味を詰めて読まなければ大学への遷りにならない。小学の仕舞いなのでこの様に匂わせて読む。
【語釈】
・老莱子か踊り…小学内篇稽古14を指す。
・伯夷桺下惠を不恭と隘し…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘、柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也」。
・孟子が垩人の百世の師…孟子尽心章句下15。「孟子曰、聖人、百世之師也。伯夷・柳下惠是也」。


善行73
○劉公見賓客、談論踰時、體無欹側、肩背竦直、身不少動、至手足亦不移。
【読み】
○劉公、賓客を見るに、談論時を踰ゆるも、體、欹側[きそく]無く、肩背、竦直[しょうちょく]にして、身少しも動かさず、手足に至りても亦移さず。

○劉公云々。やはり前の忠定公なり。これは誰もこまるもの。大抵なものが長咄しには退屈してむぐかわするもの。それが體無欹側云々。いつ迠もりんとしてをるなり。草臥るると扇をならしたり手をいたづらをするもの。この人が誠で仕立てたからくたびれぬ。
【通釈】
「劉公云々」。やはり前条の忠定公である。これは誰もが困るもの。大抵な者が長話には退屈してむぐむぐするもの。それが「体無欹側云々」。いつまでも凛としている。草臥れると扇を鳴らしたり手を悪戯するもの。この人は誠で仕立てたので草臥れない。
【語釈】
・欹側…傾くこと。


善行74
○徐積仲車初從安定胡先生學、潜心力行、不復仕進。其學以至誠爲本、事母至孝。自言、初見安定先生退、頭容少偏。安定忽厲聲云、頭容直。某因自思、不獨頭容直、心亦要直也。自此不敢有邪心。卒謚節孝先生。
【読み】
○徐積仲車、初め安定胡先生に從いて學び、心を潜めて力めて行い、復た仕進せず。其の學至誠を以て本と爲し、母に事えて至孝なり。自ら言う、初め安定先生に見えて退くに、頭容少し偏なり。安定忽ち聲を厲して云う、頭の容は直くす、と。某因りて自ら思う、獨り頭の容直のみならず、心も亦直きを要せん、と。此より敢て邪心有らず、と。卒して節孝先生と謚す。

○潜心力行。此の人の学問の仕方か大寺を持た井とかかるでなく、仏になりたいとかかるのなり。よ井寺を持た井と云は世を捨てて土藏を建るの筋。○以至誠為本。温公の堀拔き井戸なり。これは彼の潜心力行から彼の堀ぬきへ堀あてる気でかかりたことなり。○事母云々。いこふよかりたそうな。父の名が石と云へば、石の字の付ひた道具は用ぬの、母の慰のためには哥をうとふたと云ことなどもあることなり。○頭容云々。安定などは某がやふな不親切な学者ではない。児共か毒を喰ふと親か嚴しくしかるもの。そこが声をはげましてなり。日比胡安定の懇々為書生言へりとある。あの親切から定めて厲く云たであろふ。そりゃ頭かと云はれて徐仲車のこの時の発明なり。○心亦要直。朱子もこれをほめられた。語類百三十五に有。撥を一つあてたで一生よかりた。大の美質そとなり。○温公も此人も挌致はな井が、念仏三昧只一通ゆへ此方へは早いと見へた。
【解説】
胡安定は弟子に親切だった。彼が徐積仲車の頭が真っ直ぐでないのを注意した。そこで、心も直でなければならないと知ったのが徐積仲車の発明である。これも徐積仲車が潜心力行の人だったので、これを知ったのである。
【通釈】
「潜心力行」。この人の学問の仕方が大寺を持ちたいと掛かるのではなく、仏になりたいと掛かる様なもの。よい寺を持ちたいと言うのは世を捨てて土蔵を建てる筋である。「以至誠為本」。温公の堀抜き井戸である。これがあの潜心力行からあの堀抜きへ堀り当てる気で掛かったこと。「事母云々」。大層よかったそうである。父の名に石の字があれば、石の字の付いた道具は用いないとか、母の慰めのために歌を歌ったということなどもあった。「頭容云々」。安定などは私の様な不親切な学者ではない。子供が毒を喰うと親が厳しく叱るもの。そこが「厲声」ということ。日頃胡安定は懇々と書生のために言ったとある。あの親切からきっと厲しく言ったのだろう。それ、頭を真っ直ぐにしなさいと言われた。この時の徐仲車の発明である。「心亦要直」。朱子もこれを誉められた。語類百三十五にある。撥を一つ当てたので一生がよかった。大の美質だと言った。温公もこの人も格致はないが、念仏三昧の一通りだけだったので、こちらに早いと見える。
【語釈】
語類百三十五


善行75
○文中子之服儉以潔。無長物焉。綺羅錦繍不入于室。曰、君子非黄白不御。婦人則有青碧。
【読み】
○文中子の服儉にして以て潔し。長物無し。綺羅錦繍、室に入れず。曰く、君子黄白に非ざれば御[もち]いず。婦人は則ち青碧有り、と。

○文中子。隨の王通なり。三十計りて死んだ人なり。平生質素で結搆なものは着ぬ。長物なしはむだなもののな井こと。此の長物は何んでも云はるることなれとも、ここは衣類のことで云かよ井。殿中勤向に入用な外にむだな衣類のな井こと。毎年土用干しのときに計り出るものはない。入用の外なものは長物。火事羽折や合羽は長物でない。○綺羅錦繍は着ることはさてをき預りもせぬ。金入り織物五寸ほどある。見る計りはよかろふと云ふてもがてんせぬ。不入室なり。○君子非黄白。黄色と白色はかざりのないもの。これが自然の色でよ井とて男はこれ外は着ぬ。婦人にゆるした分て青碧なり。青はそら色、碧はこい花色。
【解説】
文中子は無駄なものは着ず、綺羅錦繍などは預かりもしなかった。男は黄白、婦人は青碧を着た。
【通釈】
「文中子」。隋の王通のこと。三十ばかりで死んだ人。平生が質素で結構なものは着なかった。「無長物」は無駄なもののないこと。この長物は何にでも言えることだが、ここは衣類のことで言うのがよい。殿中の勤め向きに入用な外に無駄な衣類のないこと。毎年土用干しの時だけに出るものはない。入用でないものは長物である。火事羽織や合羽は長物ではない。「綺羅錦繍」は着ることはさて置き、預かりもしない。金入り織物が五寸ほどある。見るだけはよいだろうと言っても合点しない。「不入室」である。「君子非黄白」。黄色と白色は飾りのないもの。これが自然の色でよいとして男はこの外は着ない。婦人に許すのは青碧である。青は空色、碧は濃い花色。
【語釈】
・文中子…隋の王通の敬称。字は仲淹。


善行76
○柳玭曰、高侍郎兄弟三人倶居清列。非速客不二羹胾。夕食齕蔔匏而已。
【読み】
○柳玭[りゅうへん]曰く、高侍郎兄弟三人倶に清列に居る。客を速[まね]くに非ざれば、羹胾[こうし]を二つにせず。夕食は蔔[ふく]・匏[ほう]を齕[は]むのみ。

○高侍郎云々。清列。位は重くて政にかからぬもののこと。あの方、清官・要官と云ことあり。清は諸番衆のるい。今これぞと云役のないこと。要は役義あること。諸奉行から御臺所役人も要官なり。歴々なれとも、客のとき煮た菜があればやきものの様なはつけぬ。一汁一菜なり。○蔔匏は大根なり。客のな井ときはこれきりなり。いつも々々々これぎりなり。是の條は飲食の節にあつかることでのせたと見ゆるなり。
【通釈】
「高侍郎云々」。「清列」。位は重くて政に関わらない者のこと。中華には、清官と要官とがある。清は諸番衆の類。今これという役のないこと。要は役儀のあること。諸奉行から御台所役人も要官である。歴々なのだが、客の時に煮た菜があれば焼き物の様なものは付けない。一汁一菜である。「蔔匏」は大根である。客のない時はこれだけ。いつもこれだけである。この条は飲食の節に与ることで載せたものと見える。
【語釈】
・高侍郎…唐の高鉞。弟は高銖と高鍇。


善行77
○李文靖公治居第於封丘門外。廳事前、僅容旋馬。或言其太隘。公笑曰、居第當傳子孫。此爲宰輔廳事誠隘、爲太祝・奉禮廳事則已寛矣。
【読み】
○李文靖公、居第を封丘門の外に治む。廳事の前、僅に馬を旋らすを容れん。或ひと其れ太だ隘しと言う。公笑いて曰く、居第は當に子孫に傳うべし。此れ宰輔の廳事と爲れば誠に隘し、太祝・奉禮の廳事と爲れば、則ち已[はなは]だ寛し、と。

○李文靖公。名高ひ宋の老中で知識のある人なり。○治居第。屋鋪を拜領して普請したことと見へる。○廳事前。玄関前と云様なもの。それが漸々馬を引かへすだけより外ない。或人があまりにち井さい立やうと云た。○笑曰云々。これが知識のある人て、ををさ、さふ云であろふと思たと笑ひたなり。屋鋪は子孫へ傳るものじゃか、やかてをれか死ぬと太祝奉礼になる。そのときにはこれても廣すきるなり。蔭官と云ふて、老中のあとては親のかげてよくてもわるくても大方は太祝奉礼になる。此の事に似たが故に伊豆侯の老中の時拜領した屋鋪が皆よくな井。上野の方の谷中や永代橋のあたりの三角な屋鋪は人も羨まぬ。目を付けぬで今に残てある。老中の勢なぞと云ふでは人のふりむけでよいのが取らるるもの。夫れを取らぬか知識なり。子孫に譲るものはすへてかる井がよい。今利口者が分限よりもよく取まわすもの。其よく取まわす風か子孫へのこりて、身代はそれほどでなくては跡のもののこまることなり。渋柿を切って甘ひ柿を継く。たわけではとうもならぬと阿部豊後侯の云はれた。親の代よりは普請がよいと云を子孫へのこすは不調法の内ぞ。此の条などはさしも難有がってきくことでもな井が、俗知と筋のちかったことを見せたもの。
【解説】
李文靖公は老中だったが、拝領した屋敷の普請は小さなものだった。俗知ではよりよいものを子孫に遺したがるが、子孫に譲るものは全て軽いのがよい。
【通釈】
「李文靖公」。名高い宋の老中で知識のある人である。「治居第」。屋敷を拝領して普請をしたものと見える。「廳事前」。玄関前という様なもの。それが漸く馬を引き返すだけの広さしかない。或る人があまりに小さい造り様だと言った。「笑曰云々」。これが知識のある人で、おお、そう言うだろうと思ったと笑った。屋敷は子孫へ伝えるものだが、やがて俺が死ねば子は「太祝奉礼」になる。その時はこれでも広過ぎると答えた。蔭官と言い、老中の後には親の御蔭でその子はよくても悪くても大方は太祝奉礼になる。これに似たことで、伊豆侯が老中の時に拝領した屋敷が皆よくない。上野の方の谷中や永代橋の辺りの三角な屋敷は人も羨まない。目を付けないので今に残っている。老中の勢いなどであれば人の振り向けでよい屋敷を取ることができるもの。それを取らないのが知識である。子孫に譲るものは全て軽いのがよい。今利口者が分限よりもよく取り回すもの。そのよく取り回す風が子孫に遺って、身代がそれほどでなければ後の者が困ることとなる。それは渋柿を切って甘い柿を継ぐ様なもの。戯けではどうにもならないと阿部豊後侯が言われた。親の代よりも普請のよいものを子孫に遺すのは不調法の内である。この条などはさほど有難がって聞くことでもないが、俗知と筋の違ったことを見せたもの。
【語釈】
・李文靖公…名は沆。字は太初。947~1004
・伊豆侯…松平伊豆守信綱。江戸前期の幕府老中。川越藩主。伊豆守。世に知恵伊豆と称。1596~1662
・阿部豊後侯…阿部忠秋。江戸幕府初期の老中。武蔵国忍城主。1602~1675


善行78
○張文節公爲相、自奉、如河陽掌書記時。所親或規之曰、今公受俸不少、而自奉若此。雖自信清約、外人頗有公孫布被之譏。公宜少從衆。公嘆曰、吾今日之俸、雖舉家錦衣玉食、何患不能。顧人之常情、由儉入奢易、由奢入儉難。吾今日之俸豈能常有、身豈能常存。一旦異於今日、家人習奢已久、不能頓儉、必至失所。豈若吾居位去位、身存身亡、如一日乎。
【読み】
○張文節公、相と爲り、自ら奉ずること河陽の掌書記の時の如し。所親或は之を規して曰く、今公俸を受くること少なからずして、自ら奉ずること此の若し。自ら信じて清約にすと雖も、外人頗る公孫布被の譏り有り。公宜しく少しく衆に從うべし、と。公嘆じて曰く、吾が今日の俸、家を舉げて錦衣玉食すと雖も、何ぞ能わざるを患えん。顧[おも]うに、人の常情、儉より奢に入るは易く、奢より儉に入るは難し。吾が今日の俸、豈能く常に有らんや、身、豈能く常に存せんや。一旦今日に異ならば、家人奢に習うこと已に久しく、頓[とみ]に儉なること能わず、必ず所を失うに至らん。豈吾が位に居り位を去り、身存し身亡びんこと、一日の如くなるに若かんや、と。

○張文節公。これも上の條に似たことぞ。河陽の掌書記と云は小身御祐筆番衆などのてい。それがをもひ老中になりてもやはり諸道具も日光膳なり。○規之曰。したしいものからあまり御前の様ではと異見心に云た。そこで規之云なり。身分んのほどもあるものと云た。○自信と云はどこへ出しても苦しからぬと云意なり。○御手前の思召で清約、欲のないきれいな心からついえをせぬ約なり。とかたつけてをかるるであろふが、それは漢の公孫弘が老中の木綿ぶとんと云て譏られたにかわるまいと云た。この公孫弘はあまり心根よくない胸のわるい人なり。布被と云てしかりたは汲黯なり。御手前さま夫れに似ますとためづくを云た。そこで歎して曰なり。これが前の笑曰と、笑ふと歎とは字の上では度法もなくちがったことなれとも、つまり一つにをちることなり。前の笑て曰はさて々々鼻のさきなことかなとのこと。ここはさてもあさ々々しい心から云れたものかなと歎したなり。○玉食。書經の字。
【解説】
「張文節公爲相、自奉、如河陽掌書記時。所親或規之曰、今公受俸不少、而自奉若此。雖自信清約、外人頗有公孫布被之譏。公宜少從衆。公嘆曰、吾今日之俸、雖舉家錦衣玉食、何患不能。顧人之常情」の説明。張文節公は小役から老中になった人で、老中になっても昔のままに質素だった。そこで親しい者が、それでは公孫弘と変わらないと譏られると忠告をした。
【通釈】
「張文節公」。これも上の条に似たこと。「河陽掌書記」は小身御祐筆番衆などの体。それが重い老中になってもやはり諸道具も日光膳である。「規之曰」。親しい者が、貴方の様ではあまりなことだと異見心で言った。そこで「規之曰」である。身分にも程があるものだと言った。「自信」は何処へ出しても苦しくないという意である。貴方の思し召しでは「清約」、欲のないきれいな心から費えをしないという約である。と片を付けて掛かっているのだろうが、それは漢の公孫弘が老中の木綿布団だと譏られたのと変わらないだろうと言った。この公孫弘はあまり心根のよくない胸の悪い人。布被と言って叱ったのは汲黯である。御前様はそれに似ていますと注意をした。そこで「歎曰」である。これが前条の「笑曰」と、笑と歎とでは字の上では途方もなく違ったことだが、つまりは一つに落ちること。前の笑曰はさてさて鼻の先のことだということ。ここは実に浅ましい心で言われたものだと歎じたこと。「玉食」。書経の字。
【語釈】
・張文節公…張知白。字は用晦。宋の人。
・公孫弘…公孫弘は御史大夫でありながら布被を着ていた。それを汲黯は詐だとして譏った。
・玉食…書経洪範。「六。三德。一曰正直、二曰剛克、三曰柔克。平康正直、彊弗友剛克、燮友柔克、沈潛剛克、高明柔克。惟辟作福、惟辟作威、惟辟玉食。臣無有作福作威玉食。臣之有作福作威玉食。其害于而家、凶于而國。人用側頗僻、民用僭忒」。

○由儉入奢。木綿でそだったものが今年から絹を着るはやすいこと。奢がこうずると縮緬を重ひと云。まして木綿を着せたら生た心地はすま井なり。鱠浅魚[きす]やあいなめ湯取飯でそだって栗飯に五計味噌汁、いやはやいきた甲斐はな井と云であろふ。一旦。不斗したことなり。病のことにも死のことにもつかふ字なり。大身になりても昔しをしてをるがよ井。○不能頓儉を由奢入儉難へかけて見ること。大きな町人のつぶれて逼塞するときには、まだよほど手くりのよい町人のれっきとした者よりもよ井もの。奢さへせ子ば手もぬらさず男女をつかふてくらさるるほどの手あてがあるものなれとも、習らはせの奢りがやまぬから、果てはかかりう人になる。武士が浪人してもこれ迠のもののあるうちはよいものをきたがる。竹原が増山侯を浪人して引込んだときに具足も鎗もあるが、はや其日から木綿ものになりた。大抵なものはならぬこと。○若云々如一日乎。いつも同じやふではな井から用心が入る。大禄のとき貧な底をするでよい。をれが生た中も死んてもののな井ときの心持ち身もちをするで一日のやふになるぞ。それにますことはないとなり。
【解説】
「由儉入奢易、由奢入儉難。吾今日之俸豈能常有、身豈能常存。一旦異於今日、家人習奢已久、不能頓儉、必至失所。豈若吾居位去位、身存身亡、如一日乎」の説明。倹約をしていた者が奢るのは容易いが、奢った者が倹約をするのは難しい。それは奢りが習わしになってしまっているからである。そこで、大禄の時でも物のない心持ですれば、どんな時でも変わらずに暮らすことができると言った。
【通釈】
「由倹入奢」。木綿で育った者が今年から絹を着るのは容易いこと。奢が高じると縮緬も重いと言う。ましてや木綿を着させたら生きた心地はしないだろう。鱚や鮎魚女湯取り飯で育って栗飯に五斗味噌汁では、いやはや生きた甲斐はないと言うだろう。「一旦」。ふとしたこと。病のことにも死のことにも使う字。大尽になっても昔の通りをしているのがよい。「不能頓倹」を「由奢入倹難」へ掛けて見なさい。大きな町人が潰れて逼塞する時は、まだよほど手繰りのよい町人の歴とした者よりもよいもの。奢りさえしなければ手も濡らさず男女を使って暮らせるほどの手当てがあるものだが、習わしの奢りが止まないから、果ては掛り人になる。武士が浪人になってもこれまでの物がある内はよい物を着たがる。竹原が浪人をして長島藩から引き込んだ時は、具足も鎗もあったが、早くもその日から木綿物になった。これが大抵な者ではできないこと。「若云々如一日乎」。いつも同じ様ではないから用心が要る。大禄の時に貧な底をするのでよい。俺が生きている内も死んでも、物のない時の心持や身持ちをするので一日の様になる。それが一番よいと言った。
【語釈】
・かかりう人…掛り人。他人に頼って生活する人。いそうろう。
・竹原…唐崎彦明。名は欽。金四郎と称す。安芸竹原の人。竹原先生。唐崎清継の第四子。辛齋の弟。長嶋藩(藩主は増山侯)に仕える。宝暦6年(1756)4月24日没。年43。三宅尚斎門下。


善行79
○温公曰、先公爲郡牧判官、客至未嘗不置酒。或三行或五行、不過七行。酒沽於市、果止梨・栗・棗・柹、肴止於脯・醢・菜羹、器用甆・漆。當時士大夫皆然。人不相非也。會數而禮勤、物薄而情厚。近日士大夫家、酒非内法、果非遠方珍異、食非多品、器皿非滿案、不敢會賓友。常數日營聚、然後敢發書。苟或不然、人爭非之以爲鄙吝。故不隨俗奢靡者鮮矣。嗟乎、風俗頽弊如是。居位者雖不能禁、忍助之乎。
【読み】
○温公曰く、先公郡牧判官爲りしとき、客至らば未だ嘗て酒を置かずんばあらず。或は三行、或は五行、七行に過ぎず。酒は市に沽[か]い、果は梨・栗・棗・柹に止まり、肴は脯・醢[かい]・菜羹に止まり、器は甆[じ]・漆を用う。當時の士大夫皆然り。人相非らざるなり。會すること數々にして禮勤まり、物薄くして情厚し。近日の士大夫の家、酒は内法に非ず、果は遠方の珍異に非ず、食は多品に非ず、器皿は案に滿つるに非ざれば、敢て賓友を會せず。常に數日營み聚めて、然して後に敢て書を發す。苟も或は然らずんば、人爭い之を非りて以て鄙吝と爲す。故に俗に隨いて奢靡ならざる者鮮し。嗟乎、風俗の頽弊是の如し。位に居る者禁ずること能わずと雖も、之を助くるに忍びんや。

○郡牧判官。よほどよひ官なり。○置酒。これが古風なことで、客には酒を出すこととしていたもの。某が水戸の伯父などか貧で渡り長屋の中仕切か芦簾[よしつ]の上を反古ではりたほどのことなり。されとも客と云とよく酒をは出した。それか結搆をせぬからなり。あまりし井もせず、参らるるたけは遠慮はござらぬ、とくと参られと云ふた。さあよふござるかと云ふて銚子をひいた。やはりここの三行七行、器量次第呑むとさあとれ々々と同じこと。今は身上かよくても酒もめったには出さぬ。又出さぬもよ井ぞ。客もさあと云ふて呑むとはや踊りなり。今は口論にもなる。出合はむざうさがよ井。○酒沽於市。彦右ェ門が嘉平次でしまふなり。○果止梨栗云々。今百姓もをごりて畠のものは出さぬが、此珍しからぬかるいものがよ井。温公と范忠宣公と眞率會を始めてたひ々々出合れた。言行彔にあり。むざうさ出合と云ふ。范公がござれば煮しめて茶漬を進ぜてゆっくと親みた。これが心よい出合ひと云のなり。○甆漆。甆はびせんやきせともののこと。漆は日光細工のぬりものなり。
【解説】
「温公曰、先公爲郡牧判官、客至未嘗不置酒。或三行或五行、不過七行。酒沽於市、果止梨・栗・棗・柹、肴止於脯・醢・菜羹、器用甆・漆。當時士大夫皆然。人不相非也」の説明。温公の父は大層な官職だったが、客が来るといつも酒を振舞うものの、それは適量に止めて肴も質素だった。今は百姓でも奢ったことをする。
【通釈】
「郡牧判官」。よほどよい官である。「置酒」。これが古風なことで、客には酒を出すこととしていたもの。私の水戸の伯父などが貧乏で、渡り長屋の中仕切りを葦簀の上に反古で貼るほどだった。しかし、客があるとよく酒を出した。それは結構をしなかったからである。あまり強いもせず、飲めるだけは遠慮は要らないから沢山飲みなさいと言った。それで、さあよいですかと言って銚子を片付けた。やはりここの「三行七行」が、器量次第に飲んだ後はさあどれどれ片付けようと言うのと同じこと。今は身上がよくても酒も滅多には出さない。また、出さないのもよい。客もさあと言って飲むと直ぐに踊りになる。今は口論にもなる。出合いは無造作なのがよい。「酒沽於市」。彦右衛門が嘉平次で終える。「果止梨栗云々」。今は百姓も奢って畠の物は出さないが、この珍しくもない軽い物がよい。温公と范忠宣公とが真率な会を始めて度々出合われた。言行録にある。無造作な出合いと言う。范公が来ると煮染で茶漬を出してゆっくりと親しんだ。これが快い出合いということ。「甆漆」。甆は備前焼の瀬戸物のこと。漆は日光細工の塗物。
【語釈】
・反古…書画などを書き損じた不用の紙。
・水戸の伯父…麻田兵右衛門。水戸藩主務。稲葉迂斎の妹婿。稲葉迂斎門下。
・眞率…正直で飾りけのないこと。

○會數而礼勤。これが懇意同士の出合ひの曲尺なり。むざうさゆへ数々かなる。只今の人はこれがうらはらなり。今の振舞は喰ひ物や道具の軍なり。まんがちに初物をは出すが情はな井。亭主は料理自慢一種なり。客も喰ふ内からはやそしり口をはらんでをる。○内法。外にな井。酒につく方なり。公義で召上る通りの酒が手に入ることと見ゆる。細川のかせいたと云様な賣買にな井よ井もののこと。直方先生の女院様の桑酒じゃと云れた。○遠方の珍異、駿河から茄子、稲荷山から松茸を取りよせるのと数日営聚。初鰹も鱸も云てやればじきに来る。手あてが行届ひて廻状を出すなり。○風俗云々は温公のなけきなり。宋も国初からは年代を歴てそろ々々をごり出来て、心を磨くべきものが皿砂鉢を磨く。これではみがき処かちかふ。上の衆が禁すればよいが、それもならすはせめてせ子ばよ井と云こと。
【解説】
「會數而禮勤、物薄而情厚。近日士大夫家、酒非内法、果非遠方珍異、食非多品、器皿非滿案、不敢會賓友。常數日營聚、然後敢發書。苟或不然、人爭非之以爲鄙吝。故不隨俗奢靡者鮮矣。嗟乎、風俗頽弊如是。居位者雖不能禁、忍助之乎」の説明。無造作にするので出合いを多くすることができる。今の人は、亭主は料理自慢をして、客は食べる前から譏る口上を孕んでいる。遠方の珍味が揃ってからでなければ人を呼ばない。その様なことであれば、人に振舞わない方がよい。
【通釈】
「会数而礼勤」。これが懇意同士の出合いの曲尺である。無造作なので数多く出合うことができる。今の人はこれと裏腹。今の振舞いは食物や道具の軍である。我勝ちに初物を出すが情はない。亭主は料理自慢をするだけ。客も喰う内から早くも誹り口を孕んでいる。「内法」。外にはないことで、酒に関したこと。公儀で召し上がる通りの酒が手に入ることと見える。細川が稼いだという様な売買にないよいもののこと。直方先生が女院様の桑酒だと言われた。遠方の珍異で、駿河から茄子、稲荷山から松茸を取り寄せるなどと「数日営聚」である。初鰹も鱸も取り寄せればやがて来る。手当てが行き届いてから回状を出す。「風俗云々」は温公の嘆きである。宋も国初から年代を経てそろそろ奢りができて、心を磨くべきものが皿砂鉢を磨く。これでは磨き処が違う。上の衆が禁じればよいが、それもならなければせめてしなければよい。
【語釈】
・まんがち…人をさしおいて、われ勝ちに事をするさま。自分勝手なさま。
細川のかせいた


善行80
○温公曰、吾家本寒族、世以清白相承。吾性不喜華靡、自爲乳兒時長者加以金銀華美之服、輒羞赧棄去之。年二十忝科名。聞喜宴獨不戴花。同年曰、君賜不可違也。乃簪一花。平生衣取蔽寒、食取充腹。亦不敢服垢弊以矯俗干名。但順吾性而已。
【読み】
○温公曰く、吾が家は本寒族にして、世々清白を以て相承く。吾が性、華靡を喜ばず、乳兒爲る時より長者加うるに金銀華美の服を以てすれば、輒ち羞赧[しゅうたん]して之を棄て去る。年二十にして科名を忝くす。聞喜の宴に獨り花を戴かず。同年曰く、君の賜は違う可からざるなり、と。乃ち一花を簪[さ]す。平生衣は寒を蔽うに取り、食は腹を充てるに取る。亦敢て垢弊を服して以て俗を矯め名を干[もと]めず。但吾が性に順うのみ。

○温公曰吾家本寒族。近思に寒士の妻とある。寒は貧なていを云。貧か仕合には清白で、身上を仕出さうと云心はなく、心を磨ひたとなり。○吾性とは、わしはあじなことでかふじゃと吾手抦にせぬ口上なり。○不喜蕐靡。これで温公の只ならぬが知れた。只今の人も女の好む縮緬の鹿の子、あれを好む心あるま井が、人に相應にあれは好んでよ井と思ふてこのむもの。どうでもそれは俗人なり。温公は幼年から赤ひものや金の光るものは大人がひっかぶせても顔を赤くして耻ちたとなり。竒童なり。今の子ともはわるいのを耻るて井なり。温公は六七歳の時、児共が水瓶の中へ落ちたを石を投け付て打破りて出したことあるぞ。どうでも只者ではない。○聞喜宴。どふしたことか知らぬ。何んぞて考て見よ。あの時分若ひ学者か出る規式にこんなことあると見へた。其時花をさすなり。○同年は今云ふ御番衆の同日と云やうなもの。いやこれ今日はささ子はならぬ、咎めらるると云れて笄一花なり。こふした蕐美きらいゆへ、衣服にも好みはな井。○衣取蔽寒。さむくさへなければよいとなり。取る々々と云は俗に云ふせ井たくのな井こと。○矯俗干名。世間で立派の流行時、そけて髪に油も付けずきたな井着物を着て、これ見ろと云があるもの。温公は平穩な人ゆへそんなことでない。蕐美はきら井なれとも垢染みたきたな井ものはきら井なり。○順吾性而已。ずんど手抦にせぬ口上なり。上の清白へかへして云ふこと。先祖からのならわせでこふそとなり。
【解説】
温公の家は貧乏だったので、代々清白を習わしとした。そこで温公も心を磨いた。温公は華靡を嫌った。衣服は寒さを防げればよいとした。しかし、汚れたものは着なかった。これが先祖からの習わしから来たこと。
【通釈】
「温公曰吾家本寒族」。近思録に寒士の妻とある。寒は貧乏な体を言う。貧乏が幸せなことで清白を旨とした。身上を仕出そうという心はなく、心を磨いたと言う。「吾性」は、私は妙なことでこの通りだと、自分の手柄にしない口上である。「不喜華靡」。これで温公はただならない人であることが知れた。今の人も女の好む縮緬の鹿の子を好む心はないだろうが、人相応に、あれは好んでもよいと思って好むもの。どうでもそれは俗人である。温公は幼年から赤いものや金の光るものは大人が引っ被せても顔を赤くして恥じた。奇童である。今の子供は悪いものを恥じる体である。温公は六七歳の時に子供が水瓶の中に落ちたのを石を投げ付けて打ち破って出したことがある。どうでも只者ではない。「聞喜宴」。どうしたことかは知らない。何かの折に考えて見なさい。あの時分に若い学者が出る規式にこんなことあったものと見える。その時に花を挿す。「同年」は今言う御番衆の同日という様なもの。いや、今日は挿さなければならない、咎められると言われて「簪一花」である。こうした華美嫌いだったので、衣服にも好みはない。「衣取蔽寒」。寒くさえなければよいと言う。「取」は俗に言う贅沢のないこと。「矯俗干名」。世間で立派が流行る時、削げて髪に油も付けずに汚い着物を着て、これを見ろと言う者がいるもの。温公は平穏な人なのでそんなことはない。華美は嫌いだが、垢の染みた汚いものは嫌いである。「順吾性而已」。全く手柄にしない口上である。これが上の清白へ返して言ったこと。先祖からの習わしでこうだと言う。
【語釈】
・寒士の妻…近思録出処14。「寒士之妻、弱國之臣、各安其正而已。苟擇勢而從、則惡之大者、不容於世矣」。


善行81
○汪信民嘗言人常咬得菜根、則百事可做。胡康侯聞之、撃節嘆賞。
【読み】
○汪信民、嘗て人常に菜根を咬み得ば、則ち百事做す可しと言う。胡康侯之を聞き、節を撃ちて嘆賞す。

○嘗言。兼々云はれたことと秘藏して云ふ口上なり。言の字は曰の字とも違ふて一と了簡言ふことなり。○咬得菜根。人は平生菜大根のことぞ。米がなくは蕪をかしろふと云のなり。此元気なれば何叓もなるとのこと。得るの字に力らを付けてよむがよ井。喰ひををせると云ことなり。人は命か惜ひからわるくても喰ふものなれとも、咬得るの字は甚魂ひを云ことなり。これが仕伏てなるなら外の叓にならぬことはないとなり。これを聞て胡文定か撃節嘆賞なり。ひゃうしをうつこと。勢をつけて感心することなり。撃股と云字もある。譯をつけて云へば横手をうつと云様なもの。○さて小学敬身の仕舞を飲食の節でとめたもの。前の稽古の篇の終りにも顔子の簞瓢陋巷を引れた。人の一生の覺悟が飲食のもの。そこて孔子の顔子をほめらるるも簞瓢云々不改其楽なり。今よい顔をしても、さあくへぬと云日には覺悟が立ぬもの。今の学者が大言を云もつまりくへるからなり。直方の所謂ぜん村なり。或武士かぜん村と云処に妻子を養ふほど田地をもちて居たなり。君前て諌争もする、よ井理屈をもふみきって云たなり。それは浪人してもせん村に食ふほどあるから、それで諌争もなりたのなり。それで根のなきことの後ろたててよ井こと言ふは、又ぜん村でないかと、あの頃の通言なり。
【解説】
汪信民が、菜根を齧って暮らすことができれば何事もできると言った。それを胡文定が聞いて尤もなことだと感心した。人の覚悟は飲食に左右される。食えなければ覚悟が立たないもの。
【通釈】
「嘗言」。前々から言われていたことと秘蔵して言う口上である。言の字は曰の字とは違って一了簡を言うこと。「咬得菜根」。人は平生菜大根を食えばよい。米がなければ蕪を齧れと言うのである。この元気であれば何事もできると言う。「得」の字に力を付けて読みなさい。喰い遂げるということ。人は命が惜しいから悪くても喰うもの。咬み得るという字は甚だ魂を言ったこと。これができれば外の事でできないことはないと言う。これを聞いて胡文定が「撃節嘆賞」。拍子を打つことで、勢いを付けて感心すること。撃股という字もある。わけを付けて言えば横手を打つという様なもの。さて小学敬身の終わりを飲食の節で止めた。前の稽古の篇の終わりにも顔子の簞瓢陋巷を引かれた。人の一生の覚悟が飲食に与るもの。そこで孔子が顔子を誉められるに「簞瓢云々不改其楽」である。今よい顔をしていても、さあ食えなくなったという日には覚悟が立たないもの。今の学者が大言を言うのもつまりは食えるから。直方の謂う所のぜん村である。或る武士がぜん村という処に妻子を養うほどの田地を持っていた。君前で諌争もして、よい理屈をも踏み切って言う。それは浪人になったとしてもぜん村に食う物があるからで、それで諌争もできたのである。それで根のないことを後ろ楯にしてよいことを言う時に、またぜん村でないがと言う。これがあの頃の通言である。
【語釈】
・簞瓢陋巷…論語雍也9。「子曰、賢哉回也。一簞食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也」。

○朱子も不咬得菜根失本心者多しと云れた。それを直方の鞭策録にのせられた。此の魂ひのきめが大叓なり。此の禄を離れるとこまると云心からはせまいことをし、云まいことも云ふ。つまり軽薄をもするなり。飲食は食は子ば死ぬと云ふものゆへ、まさしいときに至りてはうろたへる。蕨でも菜大根てもかぢりさへすれはよ井、米には及はぬと云すわりなればうろたへることはない。そこでこふした重ひことゆへ朱子の外篇の終へ出したなり。○時に是れが汪信民の善行ても胡康侯の善行てもな井から嘉言にありさうなものと永井先生の直方先生へ問れたれは、直方の荅に、汪信民のこう云たも胡康侯の感心したも、それがなる人ゆへ善行になると也。
【解説】
食えないことを恐れるから軽薄もする。そこを菜大根でも齧っていればよいと思えば狼狽ることはない。
【通釈】
朱子も「不咬得菜根失本心者多」と言われた。それを直方が鞭策録に載せられた。この魂の決めが大事である。この禄を離れると困るという心があると、してはならないことをして、言ってはならないことも言う。つまりは軽薄をもする。飲食は食わなければ死ぬというものなので、その時に至っては狼狽る。蕨でも菜大根でも齧ってさえすればよい、米には及ばないと決めていれば狼狽ることはない。そこで、こうした重いことなので朱子が外篇の終わりに出したのである。時にこれが汪信民の善行でも胡康侯の善行でもないから嘉言にありそうなものだと永井先生が直方先生に問われたが、直方先生が、汪信民がこの様に言ったのも胡康侯が感心したのも、それができる人なので善行になると言った。
【語釈】
・鞭策録にのせられた…講学鞭策録19。「某觀今人、因不能咬菜根、而至於違其本心者衆矣」。
・汪信民…汪革。


右實敬身。
【読み】
右、敬身を實にす。

小學外篇筆記