黙斎冬至文四講

乙卯冬至謾書
【語釈】
・乙卯…「きのと・う」と読む。1795年。
・謾書…拙書の意。この四講は黙斎自身が書いたので、へりくだって謾書と言った。

道之廃れると云ふも、道之行れると云も、人の方にあること。中庸に、大哉聖人之道と語り出して待其人而行ると、其人の字にて結ひたるはそこなり。道体無究、太極に生滅はなけれとも、至德の人が至道をなす。道統之傳と云ふもそこなり。されとも、聖賢道統者の上ばかりにては道不遠人がすまず、道の任と云こと、聖賢にばかり預けることに非ず。
【解説】
道の興廃は人次第である。聖人の上に道は行われるが、また、道は人から離れないものでもあるから、誰でも道を行うことが可能なのである。
【通釈】
道が廃れると言うのも、道が行われると言うのも、人次第である。中庸に、「大哉聖人之道」と語り始めて、「待其人而後行」と、「其人」という字で話を結んであるのはこの意である。道体は窮まり無く、太極に生滅は無いが、至徳の人でなければ至道を成すことはできない。道統の伝というのもそこにある。しかし、聖賢や道統者の様な人のみに道が行われるとすれば、「道不遠人」に矛盾する。道を任じることは、聖賢だけを対象とするものではない。
【語釈】
・大哉聖人之道…中庸章句27。「大なるかな聖人の道」。
・待其人而行る…中庸章句27。「待其人而後行(其の人を待って後行わる)」。
・至德の人が至道をなす…中庸章句27。「苟不至德、至道不凝焉(苟しくも至徳ならざれば、至道凝[な]らず)」。
・道不遠人…中庸章句13。「子曰、道不遠人。人之爲道而遠人、不可以爲道(子曰く、道は人に遠からず。人の道と為して人に遠ければ、以て道と為す可からず)」。

端的、忠孝の二字を合点すべし。有学も無学も此忠孝の道理を外にすることは公儀へ對してもならぬことなり。忠孝の道理は天地あらんかぎり無究なれとも、人が忠孝をせねば、忠孝の道の廃れて行はれざると云もの。教無れば人々不忠不孝をするゆへ、人の方から忠孝の道を廃す。忠孝を励む心あれば、はや、忠孝の道を任じたると云ものなり。
【解説】
道を任じることは、忠孝の意味を理解することでわかる。忠孝も無窮であって、忠孝の道は人次第で興廃する。教えがないと不忠不孝をするから、そこで教えが大事となる。忠孝の道の修得に励む気持を持つことが、忠孝の道を任じることになる。
【通釈】
端的に言えば、忠と孝の二文字を理解しなさい。学の有る者も無学の者も、忠孝の道理から外れることは、それが公儀であってもしてはならないことである。忠孝の道理は天地のある限り窮まり無いが、人が忠孝を実践しなければ、忠孝の「道之廃而不行」ということ。教えがなければ人々は不忠や不孝を行うから、人の方で忠孝の道を廃することになる。忠孝に励む心があれば、早、忠孝の道を任じることになる。
【語釈】
・教無れば…滕文公章句上4。「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無教、則近於禽獸(人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教えらるる無ければ、則ち禽獸に近し)」。また、中庸章句1に、「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂教。(天の命ぜる、之を性と謂う。性に率う、之を道と謂う。道を修むる、之を教と謂う)」とある。

凡、任すると云は如此ことなり。それゆへ、道之不行と云ふ不の字がすぐに不忠不孝の不の字のことにて、そこを不誠無物と中庸にあり、誠は人の子を成し、誠は人の臣を成すと程子の云はるるは、人が其不の字をとり直せば忠孝になる。忠孝になれば誠の人の子、誠の人の臣と云ものなり。此の不の字が以ての外のものにて、凡そ学問と云ふは、此の不の字を克ち下し、本との誠にすることなり。
【解説】
「道之不行」の不は不忠不孝の不である。あるべき子となるのは孝であり、あるべき臣となるのは忠であり、その本は誠である。不誠の不を除けば誠になる。学問とは不を除いて本来の誠にすることである。
【通釈】
およそ道を任じると言うのは、今言った様なことである。それ故、冬至文で「道之不行」の中の不の字が直に不忠不孝にある不の字のことで、そこを中庸では「不誠無物」と言い、また、「誠は人の子を成し、誠は人の臣を成す」と程伊川が言われたのは、人が不忠不孝にある不の字を取り直せば、忠孝になるという意味である。忠孝になれば、誠の人の子、誠の人の臣である。この不の字が以ての外のことであって、大体、学問とは、この不の字に打克ってそれを取り払い、本来の誠にすることである。
【語釈】
・不誠無物…中庸章句25。「誠者自成也。而道自道也。誠者物之終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴。(誠は自ら成るなり。而して道は自ら道[よ]るなり。誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと爲す)」。
誠は人の子を成し、誠は人の臣を成す

中庸の天命性は誠なり。その誠が血気の欲にて不の字になるゆへ、人欲非性とも云ふ。孝に不の字、忠に不の字のつくが、皆人欲の所為なり。去るに因て、中庸首章の誠は、以克己復礼明脩道之教。如此説きた玉へるは朱子の朱子たる処にて、道体の為学は隣り合せなるなり。天の方に不の字なく、人の方に不の字あるを、不をとってのけると道体なり為学をすると云。これ、誠者天之道也。誠之人之道也と云ふはそこなり。誠之の之の字は、不をとってのけること。ここを道の任とは云ふなり。
【解説】
中庸にある「天命之性」は誠のことで、不が生じるのは人欲のせいである。誠を実現するには、克己復礼によって道を修める教えを明らかにしなければならない。道体と為学は表裏一体である。天には欲がないから、当然、天に不の字はない。人欲を取り除くことが道体の通りの為学をするということである。
【通釈】
中庸にある「天命之性」が誠のことである。この誠が血気の欲によって不の字が付くので「人欲非性」とも言う。孝に不の字がついて不孝になったり、忠に不の字がついて不忠になるのは、皆人欲の仕業である。それで、中庸首章でいう誠は、「以克己復礼明修道之教」なのである。この様に説かれるのが朱子の朱子たる処であって、道体と為学は隣り合わせの関係なのである。天には不の字はなく、人の方に不の字があるのであって、この不を取り除くことを道体の通りの為学をすると言う。「誠者天之道也。誠之人之道也」と言うのもこのこと。「誠之」にある之の字の意味は、不を取って除けること。これを道の任と言う。
【語釈】
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教(天の命ぜる、之を性と謂う。性に率う、之を道と謂う。道を脩むる、之を教と謂う)」。
・人欲非性…「人欲は性に非ず」。
・以克己復礼明脩道之教…「克己復礼を以て道を脩むるの教えを明らかにす」。
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉(顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復[かえ]るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己による。而して人によらんや)」。
・誠者天之道也。誠之人之道也…中庸章句20。「誠者天之道也。誠之者人之道也。(誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なり)」。孟子離婁章句上12にも「誠者天之道也。思誠者人之道也(誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり)」とある。

天は四時行はれ、百物生るに皆天の子なれとも、人は五尺の血気にささえられ、五倫五常すら々々と行れす、日用常行皆道に叶はぬは、やはり不の字なり。そこて、川上嘆西銘も道体に合せる為学なり。天の流行するに人は間断する。如斯夫と嘆せらるるも人の不の字から。訂頑の訂と云ふも人の不の字の吟味なり。
【解説】
万物は天から生まれるが、生まれた人間には人欲があるので、そのままでは道を任じることができない。よって、為学が必要であり、川上嘆も西銘もそれである。
【通釈】
天は絶え間無く運行し、そこから全ての物が生じる。よって、生まれてきた物は全て天の子供と言える。しかし、人の身体は血気に障えられ、五倫五常もすらすらと実行できず、日々の行いが皆道に叶わないが、その原因はやはり不の字である。それで、川上嘆や西銘も道体に合致させるための為学なのである。天は流行するが人には間断がある。孔子が「如斯夫」と嘆じたのも、人が不の字を持っているからである。訂頑の訂という字も、不の字の吟味なのである。
【語釈】
・五倫…儒教で基本となる五つの対人関係。父子・君臣・夫婦・長幼・朋友。人倫。また、その間にあってそれぞれ守られるべき道。上から順に親・義・別・序・信。五常。五教。
・五常…儒教で、人が常に行なうべき五種の正しい道をいう。通例、仁、義、礼、智(知)、信をさし、また別に、父、母、兄、弟、子の五者の守るべき道として、義、慈、友、恭、孝をいう。
・川上嘆…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜(子、川上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舍[お]かず)」。
・西銘…張横渠著。
・訂頑…西銘の元の名。

天なりの性を人が不の字にする処を戒慎恐懼謹独て、道を離るるに至らしめぬ心法なり。ここが脊梁骨を立ねば任ぜられぬことにて、大学明明之と、之の字に精彩あること。他人を頼みがたし。因て、自明の自の字を直方の主張せらるること、傳者の意とはふれたれども、発揮したる精彩なり。数千巻の書を読てもここに見処立たぬは俗学にて、路中遊手と云ものなり。どこまても道之廃るると行はるるを我責にするを道任と云ふ。これ、高く標置するには非す。為己の実心実功と云ものなり。
【解説】
「戒慎恐懼愼独」は道任のための心法であって、自らが心身を引き締めて行わなければ道を任じることができない。大学章句や大学にある「之」や「自」の意味は非常に重要で、これに注目しない学問は俗学である。道を担えるか否かは自分自身の問題である。
【通釈】
天から授かった性に人が不の字を付ける処で、「戒慎恐懼愼独」をするのが、道に離れない様にするための心法である。これは脊梁骨を堅立するほどに心身を引き締めなければ任じられないことであって、「大学明明之」の中にある之の字に精彩がある。道を任じるとは、他人に頼ってすることではない。それ故、大学にある「自明」の自の字が大切なことを直方が主張したのは、朱子の意だと前もって話してはあるが、そこには心法を発揮した直方の精彩が見てとれる。数千巻の書を読んでもここに注目しないのは俗学であって、路上を徘徊している遊び人と同じである。道が廃れ、または行われることを、何処までも自分の責にすることを道任と言う。これは目標を高く持つということではない。それは、己の為にする実心実功なのである。
【語釈】
・戒慎恐懼謹独…中庸章句1。「是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也(是の故に君子は其の睹えざる所に戒慎し、其の聞えざる所に恐懼す。隠れたるより見[あら]わるるは莫く、微かなるより顕かなるは莫し。故に君子は其の独を慎むなり)」。
・大学明明之…大学章句の冒頭に「大學之道在明明德(大学の道は、明徳を明らかにするに在り)」とあり、朱子の大学章句の注には「大学とは大人[たいじん]の学なり。明は之を明らかにするなり」とある。
・自明…大学章句1。「康誥曰、克明德。大甲曰、顧諟天之明命。帝典曰、克明峻德。皆自明也(康誥[こうこう]に曰く、克[よ]く徳を明らかにす。大甲に曰く、天の明命を顧[おも]い諟[つまびら]かにす。帝典に曰く、克く峻徳を明らかにす。皆、自ら明らかにするなり)」。
・標置…目じるしとなるように置くこと。転じて、気位を高くもつこと。
・実心…まことの心。ほんとうの気持。また、まごころのあるさま。実意。
・実功…本来は実効?実効の意味は、実際に現れる効果。まことのしるし。ほんとうのききめ。実際的な効能や効験。

何となく道を遠く思ひ、衰世の、末世のと氣運にかかるやふに思ふは道を任ずるに非す。孔孟氣運甲斐なく春秋戦國の世に出生されたれとも、道は孔孟の上に行れて廃らず。漢唐は学者多けれども絶学と云は、学問が不越言語文字間と中庸序に云ひ、又、大学序に記誦詞章を出すはそこなり。それゆへ、道の任と云は世の盛衰にあづかることにあらず。さればこそ、致中和於一身則天下雖乱而吾身之天地万物不害為安泰と云はそこなり。ここに合点なく道の行廃を云へば、子貢の博施済衆を仁かと問はれたる様にて、自家心身に切ならず。曽子、死に及んで手足を啓[ひら]き、今にて免るとの玉ふが、世の盛衰にあづからず。吾心身の道任なり。此処を誠に了得すれは、曽子に及ずとも朝聞道の列に入ることなり。好学論、学は以至聖人之道也もここなり。
【解説】
孔孟は春秋戦国の世に生まれたが道を任じた。漢唐には学者が多くいたが絶学だったので道は廃れた。道を任じるのは、時勢とは無関係である。このことを理解しなければ、道任が切実とならない。曾子の「而今而後吾知免夫」も、好学論の「学以至聖人之道也」も、自らの心身による道任を言っているのである。
【通釈】
確固たる見識もなく、道が遠くにあると思い込んで、世が衰えたとか世も末だとかという様に、ものごとを時勢のせいにするのは道を任ずると言えない。孔孟は時勢に恵まれず春秋戦国の時代に生まれたが、道は彼等の上に行われて廃りはしなかった。漢唐の時代は学者が多かったにも拘らず絶学と言う。朱子が「不越言語文字之間」と中庸序で言い、大学序で「記誦詞章」と言うのはそのことである。よって、道を任ずるということは、世の盛衰とは無関係なのである。「致中和於一身則天下雖乱而吾身之天地万物不害為安泰」と言うのもこのことである。ここを理解しないで道の行廃を論じるのは、孔子が子貢に博施済衆は仁かと質問された様で、自分自身にとって切実な問題とはならない。曾子が死ぬ時に弟子に手足を見せ、今日で終わりだと言ったが、これが世の盛衰とは無関係なことで、また、自分の心身による道任なのである。ここを本当に理解することができれば、曾子には及ばなくても、「朝聞道」の列に入ることになる。好学論にある「学以至聖人之道也」もこのことである。
【語釈】
・不越言語文字間…中庸章句序。「及其没而遂失其傳焉。則吾道之所寄、不越乎言語文字之間、而異端之説、日新月盛(其(孟子)の没するに及んで遂に其の伝を失う。即ち吾が道の寄る所は、言語・文字の間に越えずして、異端の説は、日に新たに月に盛んにして…)」とある。
・記誦詞章…大学章句序。「自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學学而無用、異端虚無寂滅之教、其高過於大學而無實(是(孟子没を指す)より以来、俗儒の記誦詞章の習は、其の功小学に倍すれども用無く、異端の虚無寂滅の教は、其の高きこと大学に過ぐるも実無し)」。記誦はいたずらに多くの文章を記憶し暗誦すること。詞章は苦労して修辞の巧みな詩文を作ること。
・致中和於一身則天下雖乱而吾身之天地万物不害為安泰…中庸或問。「中和を一身に致むれば則ち天下乱ると雖も吾が身の天地万物は安泰為[た]るを害せず」。
・博施済衆…論語雍也30。「子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已(子貢曰く、もし博く民に施して、よく衆を済[すく]うあらばいかん。仁と謂うべきか。子曰く、なんぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜もそれなおこれを病めり。それ仁者はおのれ立たんと欲して人を立て、おのれ達せんと欲して人を達す。よく近く取りて譬うるを、仁の方と謂うべきのみ)」。
・曽子、死に及んで手足を啓き、今にて免る…論語泰伯4。「曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子(曾子、疾あり。門弟子を召[よ]びて曰く、わが足を啓け、わが手を啓け。詩に云う、戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し。今よりして後、われ免るることを知るかな。小子)」。
・朝聞道…論語里仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣(子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり)」。
・学は以至聖人之道也…近思録為学3条の語。「学以至聖人之道也(学が以て聖人に至るの道なり)」。

経済の上にても、伊尹の、尭舜の君、尭舜の民と志すが天下の任と云を、伊尹に及はぬ身にても、宰相不言命と云ふは経済の朝聞道なり。人を相手にするは治國平天下さへ如此ことなれば、学者の道任は我一心のことなれば、さて々々簡易明白なることなり。
【解説】
政治では、伊尹の様に志すのが天下の任である。そして、伊尹に及ばないとしても、時勢のせいにしなければ、政治を任じる列に加わることになる。政治の様な大きなことでも任じることができるのだから、我が心身のみに関わる学者の道任は簡易明白なことなのである。
【通釈】
政治の上でも、伊尹が君主を堯舜の様に、また、民を堯舜の民の様にしたいと志すことを天下の任と言う。伊尹には及ばなくても、「宰相不言命」であれば、政治の上での「朝聞道」である。人を相手にしたことは、治国平天下の様な大きなことでさえこの様に明白なことなのだから、学者の道任は、ただ一人の自分の問題なので、全く簡易明白なことなのである。
【語釈】
・経済…国を治め人民を救うこと。経国済民。政治。
・伊尹…殷初の名相。名は摯。湯王をたすけ、夏の桀王を滅ぼして天下を平定したので、湯王はこれを尊んで阿衡と称した。
・尭…中国古伝説上の聖王。陶唐氏。名は放勲。舜と並んで中国の理想的帝王とされる。唐堯。帝堯。
・舜…中国の古代説話に見える五帝の一。虞の人で、有虞氏という。
・天下の任…近思録為学1条に「伊尹恥其君不為堯舜、一夫不得其所、若撻于市(伊尹は其の君の堯舜と爲らざるを恥じ、一夫も其の所を得ざれば、市に撻[うた]るるが若し)」とあり、孟子萬章章句下1に「予天民之先覺者也。予將以此道覺此民也。思天下之民、匹夫匹婦、有不與被堯舜之澤者、若己推而内之溝中。其自任以天下之重也(予[われ]は天民の先覺者なり。予將に此の道を以て此の民を覺さんとするなり、と。天下の民、匹夫匹婦、堯舜の澤を與被せざる者有るを思うこと、己推して之を溝中に内[い]るるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすればなり)」とある。
・宰相不言命…「宰相は命を言わず」。宰相は天命のせいにしない。
・治國平天下…大学章句1。「古之欲明明德於天下者先治其國。欲治其國者先齊其家。欲齊其家者先脩其身。欲脩其身者先正其心。欲正其心者先誠其意。欲誠其意者先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。(古の明徳を天下に明らかにせんと欲せし者は、先ず其の国を治めたり。其の国を治めんと欲せし者は、先ず其の家を斉[ととの]えたり。其の家を斉えんと欲せし者は、先ず其の身を修めたり。其の身を修めんと欲せし者は、先ず其の心を正しくせり。其の心を正しくせんと欲せし者は、先ず其の意を誠にせり。其の意を誠にせんと欲せし者は、先ず其の知を致せり。知を致すは物に格るに在り。…身修まりて后[のち]家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平かなり)」。

されども、広大高明に至らざれば、此任及ひ難きこと。私意私欲にて一班半片を執行すれば、道を害する甚しと云べし。格致誠正を本に立て、己が得手に腰をかけねば弘と云べく、浩然養気四端擴充して、どこまでも持ちつづければ毅と云べし。此二字、道任の材量にて、ここを峻嚴にするを心術と云。
【解説】
道を任じられるか否かは人次第であるが、広大高明を理解しなければ道を任じるのは難しい。私意私欲は道を害する。格致誠正で広く進めば弘であり、浩然養気四端拡充して持ち続ければ毅である。弘毅で道任を厳しく実践するのが心術である。
【通釈】
しかし、学問によって誠の広大さをあまねく行き渡らせ、誠の気高さを極めることに気が付かなければ、道を任じるのは難しい。私意私欲で行えば、たとえそれが小さくても甚だしく道を害することとなる。格致誠正を根本に仕立て、更に自分の得意な分野に止まらずに進めば、それは弘である。浩然の気を養い四端を拡充してどこまでも道を持ち続ければ、それが毅である。この弘毅の二字は道を任じる材料で、弘毅を厳しく実践することを心術と言う。
【語釈】
・広大高明…中庸章句27。「大哉聖人之道。…苟不至德、至道不凝焉。故君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮(大なるかな聖人の道…苟くも、至徳ならざれば、至道ならず。故に君子は徳性を尊んで学問により、広大を致して精微を尽くし、高明を極めて中庸により、故きを温ねて新しきを知り、敦厚以って礼を崇[たっと]ぶ)」。
・一班半片…班は分けること。一班は分けられた一つの意。半片は一切れの半分。少ないことを指す。
・浩然養気…孟子公孫丑章句上2。公孫丑の、「先生は告子に比べて、どの様な点で勝っていますか」との問いに対して、孟子は「私は善く他人の言葉を理解するし、善く我が浩然の気を養う」と言い、この二つが告子には無いところであって、自分はこれによって不動心を得たのであると答えた。そこで、浩然の気とはどういうものであるのかを公孫丑が問い、孟子が次のように答えた。「浩然の気の説明は、なかなかしにくい。その気はこの上なく大きく、この上なく強いもので、正しい道を以ってこれを養い、損なうことが無ければ、この気はますます広く行き渡り、天地の間に一杯に満ちる。この気は正義と人道とに配合されてあるもであって、決してそれと離れ離れになることは出来ない。もしも義と道から離れれば、気は飢えて活動が出来なくなる。この気は、たくさんの道義の行いが重なって後、自然に生じてくるものであって、一時的に義が外からやってきて、その義をちょっと行ったら、すぐに浩然の気が得られるという様なものではない。人の行為において、道義を欠いたために、何か心に不満足なことがあれば、浩然の気は飢えてしまう。(告子は、ただ心を乱すのを恐れて、義を行って浩然の気を養うことに努めない)」。
・四端擴充…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心仁之端也。羞惡之心義之端也。辭讓之心禮之端也。是非之心智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。…凡有四端於我者、知皆擴而充之矣(惻隠の心は仁の端なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は智の端なり。人の是の四端あるや、なお其の四体あるがごときなり。…凡そ我に四端有る者は、皆拡めて之を充たすことを知らん)」。

心術のゆがみあれば学術のゆがみになり、ゆがみを成就すれは、伯夷柳下惠の隘不恭より老仏の異端にも至ることにて、道学をゆがまず成就したるは朱子。孔子以来の一人なり。朱子学をゆがまず信從したるは退渓。朱子以来の一人なるによって、直方も退渓を道任にあてられたるは微意あることなり。吾友如何々々。
寛政七年十一月十一日  黙齋 書
【解説】
孔孟からの道統の学を完成させたのは朱子であり、朱子学を正しく継承したのは李退渓である。冬至文に李退渓を出したのは、直方の深い思慮ゆえのことである。
【通釈】
心術に歪みがあれば学術の歪みとなり、その歪みが結果となって表れると、伯夷の隘や柳下恵の不恭というところから老荘や仏教の異端にまで至ってしまう。道学を歪まないで完成させたのは朱子であって、孔子以来で道を任じたただ一人の人物である。朱子学を歪まずに信じて従ったのは李退渓で、朱子以来で道を任じたただ一人の人物である。冬至文の中で直方が李退渓を道を任じた人に選んだのは、直方自身の深い思慮があってのことである。皆はこれをどの様に考えるか。寛政七年十一月十一日  黙斎書す。
【語釈】
・伯夷柳下惠の隘不恭…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘。柳下惠不恭。隘與不恭君子不由也(孟子曰く、伯夷は隘なり。柳下恵は不恭なり。隘と不恭は君子由[よ]らざるなり)」。この文の前段で、「孟子曰く、伯夷は其の君に非ざればつかえず。其の友に非ざれば友とせず。…」「柳下恵は、汚君を羞じず、小官を卑しとせず。進んで賢を隠さず、必ず其の道を以ってす。…」と、二人の行状を説明している。
・微意…ほんの少しの志。自分の意思を謙遜していう語。微志。寸志。
・寛政七年…1795年