佐藤先生冬至文

道之廢而不行猶擔物之捨置地上也。若有其人出於其時則任之而使不永墜地矣。今務聖學者乃擔夫也。俗學之徒則路中之游手耳。何足望道之任乎。朝鮮李退渓之後欲負荷此道者吾未聞其人焉。中庸序所謂吾道之所寄不越乎言語文字之間。正謂此也。我 邦自古至于今欲任此道者幾人也耶。二三子有志於聖學矣乎無乎。若果有其志則堅立脊梁骨可以願學孔孟矣。曽子不云乎。士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。豈悠悠徘徊終歳月與夫游手浮浪之徒為伯仲哉。
享保丙申冬至日直方書之與鈴木正義野田徳勝永井行達以勵其志云。

【読み下し】
道の廢れて行われざるは、猶、擔物の地上に捨て置くがごとし。若し、其の人其の時に出づること有れば、則ち之を任じて、永く地に墜ちざらしむ。今、聖學を務むる者は、乃ち擔夫なり。俗學の徒は、則ち路中の游手のみ。何ぞ道の任を望むに足らんや。朝鮮李退渓の後、此の道を負荷せんと欲する者、吾れ未だ其の人を聞かず。中庸の序に謂う所の、吾が道の寄る所、言語文字の間に越えずとは、正に此を謂うなり。我が邦、古より今に至るまで、此の道を任ぜんと欲する者幾人ぞや。二三子聖學に志すこと有るか、無きか。若し、果たして其の志有らば、則ち脊梁骨を堅立し、以て孔孟を學ぶことを願う可し。曾子云わずや、士は以て弘毅ならずんばある可からず。任重くして道遠し。仁以て己が任とす。亦重からずや。死して後已む。亦遠からずや、と。豈に悠悠徘徊歳月を終え、夫の游手浮浪の徒と伯仲を為さんや。享保丙申冬至の日、直方之を書し、鈴木正義・野田徳勝・永井行達に與えて、以て其の志を勵ますと云う。
【語釈】
・我 邦…我と邦の間が一字空いている。これは日本国を敬って一字空けたもので、これを闕字(文章中に、天皇・貴人の名などを書く時、敬意を表すため、そのすぐ上を一字か二字分あけて書くこと。闕如)と言う。
・以…誤って挿入した語。よって不要だが、原文の通りに載せた。
・享保丙申…享保元年。享保は1716年6月22日から1736年4月28日。丙申は「ひのえさる」と読む。
・鈴木正義…稲葉迂斎。十左衛門。1684~1760
・野田徳勝…剛斎。七右衛門。本所石原町に住んでいたので石原先生と呼ばれる。1690~1768
・永井行達…隱求。三右衛門。1689~1740

先師先君子唐津文曰、竊謂先生既没學道漸衰異學跋扈邪説肆行此道日湮塞學術幾絶矣。有志之士當寝薪嘗膽夜以継日堅苦刻勵衛正排邪直負荷此道以使不永墜於地之秋也。先生嘗以擔夫望於兄。遺訓猶新。傳道之責兄豈得辭哉。君子求道無所而不在焉。兄而今雖不遑啓處其志勿忘焉。雖到于津其志勿怠焉。雖居君所其志勿忘焉。雖居燕處其志勿怠焉。而其所以自明者日新又新而後推以覺來裔傳道學於無窮慰先生在天之靈則非斯文之大幸吾黨之榮耀哉。
享保戊申二月二十八日 野田徳勝謹書

【読み下し】
先師、先君子の唐津に適[ゆ]くを送るの文に曰く、竊かに謂[おも]う、先生既に没して、學道漸く衰え、異學跋扈[ばっこ]し、邪説肆[ほしいまま]に行われ、此の道日々に湮塞[えんさい]し、學術幾[ほとん]ど絶う。有志の士、當に薪に寝ね胆を嘗め、夜以て日に継ぎ、堅苦刻勵、正を衛り邪を排[ひら]き、直ちに此の道を負荷して、以て永く地に墜ちざらしむべきの秋なり。先生嘗て担夫を以て兄に望めり。遺訓猶新たなり。傳道の責、兄豈に辭するを得んや。君子の道を求むる、所として在らざること無し。兄にして今啓[ひざまず]き處[お]るに遑[いとま]あらずと雖も其の志忘るること勿れ。津に到ると雖も其の志怠ること勿れ。君所に在ると雖も其の志忘るること勿れ。燕處に居ると雖も其の志怠ること勿れ。而して其の以て自ら明らかにする所の者の日々に新たに又新たにして、後推して以て來裔を覺し、道學を無窮に傳え、先生天に在すの靈を慰めせば、則ち斯文の大幸、吾黨の榮耀に非ずや。
享保戊申二月二十八日 野田德勝、謹書す。
【語釈】
・先師、先君子…先師は野田剛斎、先君子は稲葉迂斎。
・唐津…肥前唐津藩。藩主は土井利実(1690~1736)
・享保戊申…享保十三年(1728)。戊申は「つちのえ・さる」と読む。剛斎38歳。迂斎44歳。

永井先生病革不能執筆。使先君子書之之言曰、不資孔孟程朱之訓則病中殆失平生。今且得如此可謂幸也。然病苦至劇提撕之功最難。可警哉。
天文五年庚申閏七月二十五日 稲葉正義記之

【読み下し】
永井先生病革まり、筆を執ること能わず。先君子をして之を書せしむるの言に曰く、孔孟程朱の訓に資[と]らずんば則ち病中殆ど平生を失わん。今且つ此の如きを得れば幸いと謂う可し。然るに病苦至劇、提撕の功、最も難し。警む可きかな。元文五年庚申閏七月二十五日  稲葉正義、之を記す。
【語釈】
・元文五年庚申…1740年。庚申は「かのえ・さる」と読む。

先君子諭學者文曰、夫博文約礼聖門之教而下學上達則造之之方也。學者得其門者或寡矣。於是踰等陵節終身埋首於書冊而終不能入德者天下滔滔。故其所為日誦五車月巧文辭亦誇多闘靡之媒何足謂之學乎。入我門者深絶此意以實致為己之學焉則得寸者己之寸得尺者己之尺各自随分不可以無益也。不然則為人之弊噫不如無學也。二三子其思之。
寛延二年己巳正月朔旦 迂齋識

【読み下し】
先君子学者を諭すの文に曰く、夫れ博文約礼は聖門の教にして、下學上達は則ち之に造[いた]るの方なり。學者其の門を得る者或は寡し。是に於て等を踰[こ]え節を凌[しの]ぎ、終身首を書冊に埋めて終に德に入ること能わざる者天下滔々たり。故に其の為る所、日々に五車を誦じ、月々に文辭を巧にすとも、亦多きに誇り靡を闘わすの媒、何ぞ之を學と謂うに足らん。我が門に入る者は深く此の意を絶ち、以て實に己が為にするの學を致さば、則ち寸を得る者は己の寸、尺を得る者は己の尺、各々自ら分に随い、以て益無くんばある可からざるなり。然らざれば則ち人の為の弊、噫[ああ]學無きに如かざるなり。二三子其れ之を思え。寛延二年己巳正月朔旦 迂齋識す。
【語釈】
・寛延二年己巳正月朔日…1749年1月1日。己巳は「つちのと・み」と読む。

佐藤子卒既六十八年。先君子下世亦實二十七年。學者漸失其眞惑他岐投俗論日歸卑陋之域。而初學可西可東之徒遂受以為此誠道學宗旨也。是則可歎矣。因表章冬至文附三子之言於其後以峻門風嚴心術云。
天明丙午正月 稲葉信謹書

【読み下し】
佐藤子卒して既に六十八年。先君子の下世も亦實に二十七年なり。學者漸く其の眞を失い、他岐に惑い、俗論に投じ、日々に卑陋の域に歸して、初学西す可く東す可きの徒、遂に受けて以て此れ誠に道學の宗旨なりと為す。是れ則ち歎く可し。因て冬至の文を表章し、三子の言を其の後に附し、以て門風を峻くし、心術を嚴にすと云う。
天明丙午正月 稲葉信謹書す。
【語釈】
・天明丙午…天明六年。1786年。丙午は「ひのえ・うま」と読む。
・稲葉信…稲葉黙斎。

佐藤子江戸より迂斎え唐津へと遣し候書状のうつし

去年、京より静座集説の事申し遣候。京都より御取り寄せ候哉。其沙汰無之候。
一 此度二文殊の外出来物にて候。意語倶に至るにて候。就中、理の文、扨々に候。理を実宝と存定候人、我邦昔より其人を不聞候。神道中国論の意にてはうかがはれぬことに候。丹次も此病は無之歟と珎重に存候。四十六士の合点ゆかぬは故習の誤と存候。去年の湯武論にて全体の学意潔清に成候と存候。折々、殊勝成筋。
二 山流の気象出候は舊見の残雪と見へ申候。此度の病気全快、道学一致、終身の学友に致し度候。此筋の事は誰人に語り候ても、はきと首肯無之筈に候。冬至の文三人え申達候節、顔子謂然仰之候物語いたし候事、御覚へ有之候哉。随分目のちりを取棄て。以下
右は享保己亥のことなり。この秋先生没。寛政戊午冬至出入●印

【語釈】
・静座集説…柳川剛義編集。佐藤直方の序がある。
・丹次…三宅尚斎。
・闕…かけること。足りないこと。また、除くこと。あけておくこと。欠。
・享保己亥…享保四年。1719年。「己亥」は「つちのと・い」と読む。
・寛政戊午…寛政十年。1798年。「戊午」は「つちのえ・うま」と読む。

佐藤先生冬至文附録
凡七道

天木時中筆記に曰、夫道学に志すと云からは、どうても聖賢の地位に到ふと云ふ趨向なれば、一切の事度外に置き、義理をめがけ、それを毎日の事業にし、それ一むきになるが学者の當然と云ふもの。又、そふでなくては成就せぬはづなり。そのうへ、学者はかりそめにも聖賢のまねをするものなれば、心術は勿論、もの云ひなりふりまでも聖賢の風に身を持こんでゆくで無れば、道学者の気象意思と云ふものでなく、道学にはまったと云ものでもない。ただ、今日吾人の学をするは、其讀む書は聖賢の書でも、全体この気象意思と云ものべったりとなひゆへ道学者のなりふりでなく、知惠のはたらき文字のとりまわしまでも精彩がなくて、萬事が聖賢流のいきかたでなひ。又、間には少し学者らしいことを云ふこともあれとも、それも程子の云はるるやふに気象に被卑ゆへ、かたりておもしろふなきなり。
【解説】
道学を志す者は聖賢の地位に至るという目的があるから、一切の事を度外視して、義と理を目指し、それを毎日の任にして一筋に実践しなければならない。また、心術は勿論、言葉使いや態度までも聖賢の様に振舞わなければならない。現在、道学に志す者には道学者たるべき気象意思がなく、それで精彩がない。
【通釈】
天木時中の筆記に次の通りある。道学に志すと言うからは、どうしても聖賢の地位に至らなければならないと思うのだから、一切の事を度外視して義と理とを目指し、それを毎日の任にして一筋に実践するのが学者として当然のこと。また、そうでなくては成就しない筈である。その上、学者はかりそめにも聖賢の真似をするものであるから、心術は勿論、言葉使いや態度までも聖賢の様に身を処していくのでなければ道学者の気象意思と言うものではなく、道学に嵌ったと言うこともできない。しかし、今日我々がしている学問は、その読む書は聖賢の書でも、全体的に道学者の気象意思というものが全くないから道学者の仕草でなく、知恵の働かせ方や文字の使い方までも精彩がなくて、万事が聖賢流の仕方ではない。また、偶には少し学者らしいことを言うこともあるが、それも程子が言われた様に気象に卑しめられているため、話が面白くない。
【語釈】
・天木時中…通称は善六。33歳の時に佐藤直方に入門したが、翌年の享保四年七月に直方が死去したので、その後は三宅尚斎に師事する。1696~1736。
・吾人…われわれ。われら。
・程子…程伊川。程頤。北宋の大儒。字は正叔。諡は正公。河南洛陽の人。1033~1107
・被卑…卑しめられ。

さて、世間の学者を謹厚卑陋と云ふも此気象意思を知らぬから云ひ、又、漢唐の間に歴々の学者が出たけれとも、朱子の夢を説と仰せられたも此気象意思のがてんなきから云たもの。今日道学をするもの、或問輯畧をとりまわし、講習討論をすればめったに俗学をそしるけれとも、どうて其身が世間気と云ものが離れず。吾が在所の風がぬけいで居れば俗儒とかはることなくて、却て俗儒をそしるも過言長舌と云ものなり。今吾人のなりを看よ。胸次擾々[じょうじょう]昏塞[こんそく]滞礙[たいがい]、頭をうなたれ、物思ひ姿になり、性根がうか々々として少しのことにも動轉し、えしれぬ閑思雜慮が出、書物の見やふも乱雜にて鹵莽[ろもう]滅裂、その胸中、洒落[しゃらく]の気象意思が一つもない。これでは萬物の下に屈み向上の眼高からずして見処のできぬも尤なり。
【解説】
世間の学者を謹厚卑陋と言うのも、道学者の気象意思を知らないからである。生まれ付いての気質に頼り、他人を気にする。また、向上の意もないから見識が高くなれないのも尤もなことである。
【通釈】
さて、世間の学者を謹厚卑陋と言うのも、この気象意思を知らないから言うのである。また、漢唐の間に歴々の学者が出たが、朱子が彼等は夢を説いているのだと仰せられたのも、彼等がこの気象意思を合点していなかったからである。今日道学を行う者は或問や輯畧を取り回し、講習や討論をすれば無闇に俗学を謗るが、やはり、彼等の身からは世間気というものが離れない。自分の生まれつきの気質が抜け出ないでいれば俗儒と変わるところがなく、却って俗儒を謗るのも過言長舌と言うものである。今我々の姿を看てみなさい。心中は乱れ、道理は暗く塞がり進歩がなく、頭をうなだれ物思いの姿になり、性根がふらふらとして少しのことにも動転し、得体の知れない無駄で雑な考えが出て、書物の見方も乱雑で無意味でばらばら。その胸中には洒落とした気象意思が一つもない。これでは万物の下に屈んでしまい、また、向上するための目標も高くないから、見識が高くなれないのも尤もなことである。
【語釈】
・夢を説…朱子語類51。「漢唐諸人説義理、只與説夢相似。至程先生兄弟方始説得分明(漢唐の諸人の義理を説くは、只夢を説くと相似る。程先生兄弟に至りて方に始めて説き得て分明なり)」。
・在所…①人の住んでいる所。物の在る所。ありか。ありどころ。②村里。いなか。在郷。ざい。③生れ故郷のいなか。郷里。
・胸次…「次」はうちの意。胸の中。心中。
・擾々…みだれるさま。ごたごたするさま。紛々。
・昏塞…道理に暗く塞がっていること。
・滞礙…はかどらず、邪魔をすること。
・閑思雜慮…「閑」は、なおざり、むだの意。無駄な思いと雑な考え。
・鹵莽…軽率で無用心なこと。事をなすのに粗略なこと。
・洒落…物事に頓着せず、さっぱりとしてわだかまりのないこと。

それで朱子、世俗庸常の見を卓越するで無れば学問は成就せぬと仰せられ、又、王梅渓文集の序にも、予嘗窃推易説以観天下之人、凡其高明正大踈暢洞達、如青天白日、如高山大川、如雷霆之為威而雨露之為沢、如龍虎之為猛而麟鳳之為祥、磊々落々無纖芥可疑者必君子也。而其依阿、淟涊、囘互、隠伏、糾結、如蛇蚓、瑣細如蟣蝨、如鬼蜮狐蠱、如盗賊、詛祝、閃倐、狡獪、不可方物者、必小人也、とある。これなり。
【解説】
朱子は世間の常識を卓越しなければ学問は成就しないと言い、また、王梅渓文集の序にも君子と小人の違いを載せ、道学者の気象意思を言い表した。
【通釈】
それで朱子が、世俗一般の見識を卓越するのでなれば学問は成就しないと仰せられ、また、王梅渓文集の序にも、私が嘗て密かに易説を推察して、それで天下の人を観ると、凡そ高明正大踈暢洞達で、青天白日の如く、高山大川の如く、雷霆が威をなして雨露の沢を作る如く、龍虎が猛をなして麟鳳が吉祥をなすが如く、気が大きく朗らかで少しも疑うことのない者は、必ず君子であろう。逆に、依阿、淟涊、回互、隠伏、糾結で蛇蚓の如く、小さいこと蟣蝨の如く、鬼蜮狐蠱の如く、盗賊の如く、詛祝、閃倐、狡獪で不可方物の者は、必ず小人である、とある。この前段が道学者の気象意思なのである。
【語釈】
・庸常…「庸」は、平凡なこと。なみ。つね。「常」は、ふだん。
・王梅渓…王十朋。宋の温州楽清の人。字は亀齢。号は梅渓。詞文者。1112~1171
・予嘗窃推易説以観天下之人、凡其高明正大踈暢洞達、如青天白日、如高山大川、如雷霆之為威而雨露之為沢、如龍虎之為猛而麟鳳之為祥、磊々落々無纖芥可疑者必君子也。而其依阿、淟□、囘互、隠伏、糾結、如蛇蚓、瑣細如蟣蝨、如鬼蜮狐蠱、如盗賊、詛祝、閃倐、狡獪、不可方物者、必小人也…「予嘗て窃[ひそ]かに易説を推し、以て天下の人を観るに、凡そ其れ高明正大踈暢洞達にして青天白日の如く、高山大川の如く、雷霆[てい]の威を為して雨露の沢を為すが如く、龍虎の猛を為して麟鳳の祥を為すが如くして、磊[らい]々落々纖芥も疑う可きこと無き者は必ずや君子なり。而して其れ、依阿、淟涊、回互、隠伏、糾結にして蛇蚓[じゃいん]の如く、瑣細は蟣蝨の如く、鬼蜮狐蠱の如く、盗賊の如く、詛祝、閃倐、狡獪にして、方物す可からざる者は必ず小人なり」。
・踈暢洞達…「踈」は、ふさがったところを切り開いて通すこと。「暢」は、伸びること。「洞」は、見通す。見抜くこと。
・磊々落々…気が大きく朗らかで小事にこだわらないさま。
・纖芥…いささかのこと。特に、心中にわだかまるごくわずかのことにたとえる。

依 [ひょう]也。附也。
阿 曲也。[い]也。又、細繒[さいそう]也。重屋曰、阿。
淟 音天。垢濁[こうだく]也。又、汨没[こつぼつ]也。
涊 音撚。垢濁也。又、邪媚の態。汗出皃。
回 邪也。轉也。避也。環繞[かんじょう]也。又、畏辟[いへき]不尽晴也。
互 差し交わし。
隠 蔽也。私也。微也。
伏 匿也。潜也。伺也。
糾 音九。三股縄也。
結 音潔。締也。繋也。絲結也。
蜮 短狐。似鼈。三足。以気射害人。因水勢以射人。
巫 為蠱惑
祝 主人饗神之辞。巫所以悦神也。
詛 盟詛。詛過去以禍福相要曰云々。
閃 矢田切闚頭門中也。
倐 俗倐字。倐忽。音叔。
狡 狂也。猾也。小犬也。獪也。
獪 狡也。与猾同。黠悪[かつあく]也。方言小児多詐曰狂猾。

【通釈】
依 寄りかかること。附くこと。
阿 曲がること。もたれかかること。また、細絹。重屋を阿と言う。
淟 音は、てん。垢濁のこと。又、汨没のこと。
涊 音はねん。垢濁のこと。また、邪媚の態。汗が出た時の顔。
回 邪のこと。転ぶこと。避けること。周りを廻る。また、畏れて避け、心が晴れないこと。
互 差し交わすこと。
隠 蔽うこと。私のこと。微か。
伏 匿れること。潜むこと。伺うこと。
糾 音は、きゅう。三股縄のこと。
結 音は、けつ。締めること。繋ぐこと。糸を結ぶこと。
蜮 短狐。鼈に似る。三足。気射を以って人を害す。水勢に因って人を射る。
巫 蠱惑をなす。
祝 主人が神を饗する時の辞。巫は神を悦ばす所以[ゆえん]。
詛 盟詛。過去を詛い、以って禍福相要曰云々。
閃 矢田切闚頭門中也。
倐 俗に條の字。倐忽。音は、しゅく。
狡 狂のこと。猾のこと。小犬のこと。獪のこと。
獪 狡のこと。猾と同じ。黠悪のこと。方に小児の多詐を言うを狂猾と言う。
【語釈】
・馮…よりかかること。
・倚…もたれかかること。
細繒…細い絹?
・汨没…沈むこと。
・環繞…「繞」は、めぐること。囲むむこと。「環繞」は、周りを廻ること。
・畏辟…畏れ避けること。
・蠱惑…人の心をひきつけ、まどわすこと。
・倐忽…疾いさま。たちまち。にわかに。
・黠悪…「黠」は、悪賢いこと。「黠悪」は、ずるいこと。

それゆへ、学問をする者全体に此気象意思がなふては、講論をすれば劇論になり、文字を精ふするか章句の末に局するになり、居敬と云さま擎跽になり、知惠がありても俗智なり。そこで、学者には全体の気象意思が大事と云もここ。韓退之東坡は博学なほど心が窒[ふさが]り、朱子などのは博学ほど心が明なり。そふして天地のなりを看よ。循環無端生々不息、すらり々々々と流行して、どこに一つ滞ることもなし。扨、古の聖賢でも看よ。孔子の曽點に與[くみ]し、顔子和風慶雲曽子心廣体胖子思活溌々地、孟子の浩然之気周子光風霽月、程子の吟風弄月李延平氷壷秋月、朱子のは文集往復の書中に昭々として、いづれも天地同流の気象。渾然天理と云も虚霊洞徹と云もここを云たものなり。
【解説】
天地は循環無端生々不息で行われている。古の聖賢はそれぞれに優れているが、それは彼等が天地と同じ気象意志を持っているからである。学者は気象意志を大事にしなければならない。
【通釈】
よって、学問を行う者が全体にこの気象意思を持たなければ、講論をすれば劇論になり、文字を精しくすれば章句の瑣末な問題に偏向し、居敬と言っても擎跽になり、知恵があったとしても俗智である。そこで、学者には全体の気象意思が大事であると言うのである。韓退之や東坡は博学なほど心が窒がり、朱子などは博学なほど心が明らかである。天地全体の姿を看なさい。循環無端、絶えず生まれて止むことがない。すらりと流行して、どこにも全く滞ることはない。さて、古の聖賢でも看てみなさい。孔子は曾點に賛同し、顔子は和風慶雲、曾子は心廣体胖、子思は活溌溌地、孟子は浩然の気、周子は光風霽月、程子は吟風弄月、李延平は氷壷秋月、朱子の姿は文集や往復の書中に昭々としていて、どれも天地と同じ気象である。彼を渾然天理と言ったり虚霊洞徹と言ったりするのもここを指して言うのである。
【語釈】
・擎跽…「擎」は、ささげる。「跽」は、ひざまずく。
・韓退之…韓愈。唐の文章家・詩人。唐宋八家の一。字は退之。号は昌黎。768~824
・東坡…蘇軾。北宋の詩人・文章家。唐宋八家の一。洵の子。轍の兄。字は子瞻。1036~1101
・曽點…曾子の父。曾皙。孔子の門弟。論語先進26に、孔子が四人の弟子に「もしお前たちが認められたら、何をするつもりか」と尋ねると、他の三人が国政のことや礼楽のことを言うのに対して、曾皙は「春もたけてから、仕立て上がりの合服を着て郊外へ散歩に行きたいものです。若者が数人、他に子供も数人まじえて、沂水のほとりを歩いた後、舞うで風に吹かれて、歌でも歌って帰りましょう」と答え、孔子の賛同を得る。
・顔子…春秋末期の魯の賢人。孔門十哲の首位。字は子淵。早逝。顔淵。前514~前483
・和風慶雲…近思録総論聖賢2。程氏遺書5。「仲尼、天地也。顔子、和風慶雲也。孟子、泰山巖巖之氣象也(仲尼は天地なり。顔子は和風慶雲なり。孟子は泰山巖巖の氣象なり)」。
・曽子…孔子の弟子。春秋時代、魯の人。参は名。字は子輿。曾子と敬称。孝行を以て称せられた。前505~
・心廣体胖…大学章句6。「曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣體胖(曾子曰く、十目の視る所、十手の指さす所、其れ嚴まんかな。富は屋を潤すも、德は身を潤す。心廣くして體胖[ゆた]かなり、と)」。
・子思…中国、春秋時代の学者。孔子の孫。伯魚の子。曾子の門人。「子思子」23編を著す。前483?~前402?
・活溌々地…魚が撥ね躍る如く元気が溢れて勢いのよいさま。地は助辞。
・浩然之気…孟子公孫丑上2。「我善養吾浩然之氣(我れ善く吾が浩然の氣を養う)」。天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気。俗事から解放された屈託のない心境。
・周子…周敦頤。北宋の儒者。宋学の大家の一。字は茂叔。濂渓先生と称。湖南道州の人。太極説を唱えて、宋学の宇宙論の確立に寄与した。著「太極図説」「通書」など。1017~1073
・光風霽月…近思録総論聖賢2。横山谷の語。「周茂叔胸中灑落、如光風霽月(周茂叔は胸中灑落[しゃらく]にして、光風霽月[せいげつ]の如し)」。輝く風と雨後の月の様に、心が清らかなこと。周濂渓の書院を光風霽月亭と言う。
・吟風弄月…風に吟じ、月を眺めて詩歌を作る。即ち、自然を詩歌に読み込む。
・李延平…宋の李侗。字は愿中。朱子の父と共に羅従彦に学ぶ。朱子の師。
氷壷秋月
・虚霊洞徹…雑念がなく霊妙で、物事を明らかに悟る心の状態。

惣体、人の昏塞滞礙と云が人欲のわき処にて、聖学と云は人欲を去て天理に復るより外なければ、學者に胸中洒落の気象がなくては前に云通り、学問の全体がつぶるるなり。論語曽點の章の集註、人欲尽処便是天理と云処、吾輩熟讀玩味して、此気象意思を知るべし。享保己亥六月二十六日、佐藤子記其後曰、右意得珍快々々。此合点なくて学問するは、雪をかためて堤を築が如し。労而無功なり。讀書人きっと目をさまし、奮發すべきことなり。古今若き人才希れなり。可慮々々。
【解説】
聖学とは人欲を去って天理に復ることだから、人欲を去らなければならない。そして、人欲の湧く場が昏塞滞礙にあるから、学者には洒落とした気象が必要である。佐藤直方は天木時中の趣意を高く評価した。
【通釈】
総じて、人の昏塞滞礙と言う処が人欲の湧く場所であって、聖学とは人欲を去って天理に復ることに他ならないのだから、学者の胸中に洒落とした気象がなくては前に言った通り、学問全体が潰れてしまう。論語にある曾點の章の集註の「人欲尽処便是天理」と言う処を、我々は熟読玩味して、ここにある気象意思を知らなければならない。享保己亥六月二十六日、佐藤先生がこの後に筆記して言った。上記の趣意は意に適って貴重なものである。この理解がなくて学問を行うのは、雪を固めて堤を築くのと同じで、苦労して功が無い。書を読む人ははっきりと目を醒まして、奮発しなければならない。昔から、この様に優れた人材は少ない。よく思慮しなさい、と。
【語釈】
・人欲尽処便是天理…論語先進25集註。「曾點之學、蓋有以見夫人欲盡處、天理流行、隨處充滿、無少欠闕(曾點の學、蓋し以て夫の人欲盡くる處、天理流行し、處に隨って充滿して、少しの欠闕無きを見る)」。
・玩味…意義をよく味わうこと。含味。
・享保己亥…享保4年。1719年。己亥は「つちのと・い」と読む。
・珍快…貴重で心にかなうこと。
・古今若き…日原以道真蹟本は「古今此の若き」とある。

出渕立恒自責筆記曰、己亥八月八日の夜、直方先生浩然の御筆記を讀み、今の学者書物を好む人じゃと云までで終身はくつ々々して居と云所に至て大に耻て謂、我四五年學んで未だ道の大意を見ず。只、先生の学筋よきを歎し、道理の御咄をききつけて、面白によってうか々々と書物すきになり、朋友せりあいて、どことなしにやまれぬやふになり、聖学をすまいともせふともはきと見処もなく、四書近思の文義の上に區々として、克己した覚も無れば格物した覚もなし。
【解説】
直方の筆記に今の学者は書物を好む人だと言うに過ぎず、一生涯しっかりとしないでいるとあるのを読んで、出渕立恒が自責した。出渕は、自分が直方の批判する書物好きなだけの人間であると言う。
【通釈】
出渕立恒の自責の筆記にこの様な話がある。己亥八月八日の夜に直方先生の書かれた浩然の筆記を読んで、今の学者は書物を好む人だと言うに過ぎず、一生涯しっかりとしないでいると言う所を見るに至って大いに恥て言った。私は四、五年間学んでいても未だに道の大意がわからない。ただ、先生の学筋が素晴らしいことを歎じ、道理の話を聴き慣れて、その内容が面白いのでうっかりと書物好きになり、朋友との競り合いを通じて何となく止められなくなって、聖学をしないでおこうとか、逆に、聖学をしようとかとの考えもはっきりとせず、四書や近思録の文義上のことに心が奪われ、克己した覚えもなければ格物した覚えもない。
【語釈】
・出渕立恒…出渕七左ェ門。
・己亥…享保4年。1719年。己亥は「つちのと・い」と読む。
・區々…区々。まちまちであること。別々なこと。小さくてつまらぬさま。
・克己…論語顔淵1。「顔淵問仁。子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉(己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す)」。
・格物…格物致知の格物。朱子学では、後天的知を拡充(致知)して自己とあらゆる事物に内在する個別の理を窮め、究極的に宇宙普遍の理に達する(格物)ことを目指す。

只、格物の、克己のと云ふは、学者たるもののせいでかなはぬの、真知でないて行に出ぬのと云ことは、どこともなしにきき覚て、眞知かと思へば実有に非ず。明け暮先生え通ひ、闕坐なきを務とし、下見歸見を宿の役とし、山犬[おおかみ]の衣でをるはさて々々可耻ことなり。此時力行し、去らすば遂に聖賢を学ぶの俗学に落入ん。或人、先生に若きときより学び、或は御一所にをりて五十六十まですてじに、しかも外の役も止めていたした学者を見れば終にあの域に落て、若き時よりどふらくのしたいをこらへ、ねむいをねむらず、をきとむないををき、寒暑をこらへ行き通ふはむだぼねで、ついに三歳の童で果んや。いっそやめば各別。ここは分別処なり。
【解説】
ただ単に聖学を学ぼうとすれば、俗学に陥る。力行しなければならない。
【通釈】
ただ、格物や克己は学者たる者がしなければならないことであるとか、真の知ではないので行に出ないなどということを何処からともなく聴き覚えて、それが真知かと思えば真実ではない。毎日、先生の処へ通い、欠席しないことを自分の務めとし、予習と復習を宿での役目として、狼に衣でいるのは本当に恥ずべきことである。この様な時に努力して実践しなければ、最後には聖賢を学ぶ俗学に陥ってしまう。先生に若い時から学び、また、先生と一所にいて五十、六十歳まで聖賢の学を棄てないで、しかも他の役目も止めて努めた或る学者を見ると、最後にはあの俗学に陥ってしまっている。それでは、若い時から道楽をしたいのを堪え、眠いところを眠らず、起きたくないところを起き、寒暑を堪えて先生のところへ行き通っても無駄骨であり、ついに三歳の童と同じ次元で終えてしまう。いっそのこと、その様な者は聖賢を学ぶことをやめる方がよい。ここは分別すべきところである。
【語釈】
・実有…虚妄でなく、真実にあること。実在。特に、この世の事物を在らしめる法についていう。反対語は仮有[けう]で、この世界の事物は、すべて因縁の和合による仮の存在であること。俗有。
・歸見…復習。
・山犬の衣でおる…狼に衣。うわべは善人らしくよそおいながら、内心は凶悪無慈悲であるたとえ。

さて、今まてのしやふはやくにたたぬはづ。何ぞ大義があれ、して見せふとて、平日の存養なし。平日のしごとは書物を見、或は人の善悪、朋友の進不進、俗学のたはけをそしり、我身はどこぞてはなりそふなもの、ただ捨ぬが第一とて朝から晩まで書物を見、よき古語を見つけると聖学はこの筋じゃの、をれば人欲が多ひの、これではいかぬのと云て、一分のたりになることなし。捨てずにきどくと云は俗学のこと。吾学を学ぶ者へは若輩なり。
【解説】
聖学と俗学との違いは存養にある。俗学は書物に執着する者を賞賛するが、我が党はその様な者を未熟者と言う。
【通釈】
さて、今までのやり方では役に立たない筈である。どんなに大義があっても、また、それをしてみようとしても、彼等には日頃の存養というものがない。彼等の平日の仕事は書物を見たり、或いは人の善悪や朋友の学問の進捗状況を批評し、俗学の戯け者を謗り、自分は何時かは大成すると思い、ただ学問を捨てないことが一番だと信じ、朝から晩まで書物を見て、よい古語を見つけると聖学はこの筋でなければならないとか、俺は人欲が多いとか、これでは駄目だとかと言うが、それは少しの足しにもならない。書物を捨てない者に対して奇特と言うのは俗学でのことであって、我々の学問を学ぶ者の中にあっては、その様な者を未熟者と言う。
【語釈】
・大義…重要な意義。大切な意味。人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
・存養…孟子尽心上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也(孟子曰く、其の心を盡す者は、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり。妖壽貳[たが]わず、身を修めて以て之を俟[ま]つは、命を立つ所以なり)」。
・古語…古人の言ったことば。
・きどく…奇特。特にすぐれて珍しいこと。また、行為などすぐれて賞すべきこと。殊勝。
・若輩…未熟なこと。また、未熟者。

人全体静て養立。動にも主静と云[うば]をつけるをしらず。動の工夫を知て静の工夫を知らす。只、うか々々するで動工夫をも忘れ、迹ては、これはこふせぬはづと思へとも、全身妄動で静の養を知らぬで、急に動の場え工夫が出あはぬ。とかく勇気なく、阿世で傍輩たちに悪まれ、那[か]の域を免れぬ。こふしたことは人情じゃなどと、よい衆のやふに情を云立。はきと道義にふみこみないで、在溝壑の文義も道理も至極で実はいやな心がないせふにある。そこで、何ぞのときはをかしき心が出る。
【解説】
人は本来静で養う。動についても静が必要である。俗学は世間に阿ね、仲間によく思わせたいと思い、また、情を言う。道義もよくわかっている様で、実はそうではない。
【通釈】
人は本来、静で養い立てる。そこで、人は動にも主静と言う乳母を付けなければならないことを知らない。動を工夫することは知っているが、静の工夫を知らないのである。ただ、心が落着かないので、動の工夫をも忘れ、後でこれはこうするつもりではなかったと思っても、全体が妄動で、静で養うことを知らないので、急には動の場へ工夫を出すことができない。とかく勇気がなく世間に阿るので、仲間達に悪まれるという様なことから免れることができない。こうしたことは人情だなどと、善人の様に情を強調する。彼等は、はっきりと道義に踏み込むことがなく、「在溝壑」の文義も道理もよくわかっている様で、実は嫌な考えが内心にある。そこで、何かと変な心が現われる。
【語釈】
・姥…乳母。
・傍輩…同じ主人や師に仕える同僚。転じて、仲間。友達。
・在溝壑…孟子滕文公章句下1。「志士不忘在溝壑。勇士不忘喪其元(志士は溝壑に在るを忘れず。勇士は其の元[こうべ]を喪うを忘れず)」。「溝」は、みぞ。ほり。「壑」は谷。山間の細くくぼんだ地形。
・ないせふ…内証。内にもっている考え。内心。本心。内意。

さて今、世に阿て何万石取て何役になればたんのふするぞ、金をためて何して樂しむぞ、傍輩達何十人にかはいかられてよいぞ、馬鹿にほめられてうれしいかと、此やふに心に問ふてみると、どこか五年学んで、しかも正義先生御恩意になって何のしるしぞや。毎日俗学をしかって何の手柄ぞや。俗学にどこがまさったぞ。まさった処は先生の咄がまさったなり。それなら、吾れはまさりはせぬ。先生のまさり玉ふなり。此ざまで老て何の面目ありて俗学衆え面をむけんや。先生の、漢唐の学者を見て監べしとの玉ふ。當思ことなり。あの衆ほどせいも出さず、又、聖学もしらねば博学で詩文章を達者に作らるるたけ、吾等は末座にをるてあらん。
【解説】
出世や富貴、仲間からの尊敬は聖賢の学には関係がない。自責してみると、自分自身には何も優れたところがない。迂斎先生は漢唐の学者をみなさいと言ったが、確かに彼等の精を出すところや詩文章を上手に作るところの分だけ、我々は彼等より末座にいる。
【通釈】
さて今、世間に阿て何万石を取れば、或いは何の役になれば満足するのか、金を貯めて何をして楽しむのか、何十人の仲間達に可愛がられれば気が済むのか、馬鹿に褒められてうれしいかと、この様に自分の心に尋ねてみると、五年学んで、しかも正義先生の御恩意を被っているにも拘らず、何の成果があったのか。毎日俗学を叱って何の手柄があったのか。俗学にどの点が優っているのか。優ったのは先生の話である。それなら、自分が優ったわけではない。先生が優ったのである。この有様で老いていって、何の面目があって俗学の衆に顔を合わせることができるのだろう。先生は漢唐の学者を見てみなさいと言われた。それは私にも思い当たること。漢唐の学者ほど精も出さなくて、また、彼等は聖学も知らないにも拘らず博学で詩文章を達者に作ることができる分だけ、私達は彼等よりも下位にいるのではないだろうか。
【語釈】
・正義先生…稲葉迂斎。
・御恩意…道学協会刊では「御恩義」。
・しるし…①ききめ。効能。②目じるし。記号。③証拠。あかし。④印綬。

此時奮發せず、いつ成就せんや。今まての書物すきを止、身心建立して年比日比俗学を笑ひ朋友をそしりたを自家体認すべきことなり。今夜発見後日忘れんを恐れて如此。幾度か思ひ定てかはるらん、頼むまじきは人心かな。先君子記其後曰、自責最好し。學不至於自責則浮靡汎々無根着了。當眞自責之。但勿急迫
【解説】
人心は変わり易いものだから、日々自責することを忘れてはならない。迂斎も、自責は学者にとって一番良いことだが、急迫してはならないと補記した。
【通釈】
こんな時に奮発しないで、何時学問を成就することができるだろうか。今までの書物好きを止め、身心を建立して、何時も俗学を笑い、朋友を謗っていた事実を自ら体認しなければならない。今夜発見して、それを後日忘れるのを恐れ、以上の様に書いた。幾度か思い定めても変わってしまう。信頼できないものは人心である。先君子がこの後に記して言った。自責することは最も好いことである。学問は自責しなければ、浮び漂って根着くことのない状態で終わってしまう。本当に真剣に自責しなければならない。但し、急ぎ過ぎてはならない、と。
【語釈】
・奮發…気力をふるいおこすこと。
・年比日比…「比」は頃。「年頃日頃」であるから「毎年毎日」。
・体認…体験してしっかり会得すること。
・先君子記其後曰、自責最好し。學不至於自責則浮靡汎々無根着了。當眞自責之。但勿急迫…「先君子其の後に記して曰く、自責最も好し。學自ら責むるに至らざれば、則ち浮靡汎々して根着無く了[おわ]る。當に眞に之を自責すべし。但し、急迫すること勿れ」。
・先君子…稲葉迂斎。
・浮靡汎々…「浮靡」は、浮かんで靡[なび]く。「汎々」は浮がびただようさま。
・急迫…事のさし迫ること。せっぱつまること。

酒井修敬永井子一事曰、頃日、さる老人永井氏へまいられ、うけ玉はれば醫道をすてて学者にならるるよし、いかい御了簡たがひ。七十になる身どもがわざ々々御異見にまいった。いつぞや深川の病家での論。とかく押付世間へ名もきこへ、いっかどの大醫になられう。我らが異見にまかせられかしといはるる。永井氏あいさつに、学問は人たるものの致さいでかなはぬものじゃ。日本は神武天皇以来、本の学問と申すはござらぬ。我等らは本の学問をして、人になり申す了簡にて候。
【解説】
永井先生が医道を捨てて学者になろうとすることに対して、老人がそれを料簡違いであると忠告するが、永井先生は、学問は人として実践しなければならないものであって、今までに、本当の学問は日本にはなかった。だから、自分は本当の学問を実践して人になるのだと反論する。
【通釈】
酒井修敬が永井先生に関しての出来事を録して言った。先日、ある老人が永井氏を訪れ、承れば医道を捨てて学者になられるそうですが、それはひどい了簡違いである。七十歳になる私がわざわざ忠告しに参ったという、ある日の深川の病家での議論のことである。とかく程なくして世間に名声も立ち、一角の大医になることだろうから、私達の異見の通りにしなさいと言われた。そこで、永井子はその挨拶として、学問とは、人としてしなくてはならないものである。日本には神武天皇以来、本当の学問と言えるものはない。我々は本当の学問を実践して人になるつもりである、と言った。
【語釈】
・酒井修敬…通称は左平治。竹右衛門。九郎右衛。成東橋の普請に携わり、和田義丹、鈴木庄内等に従学を勧める。
・永井子…永井隱求。
・一事…一つの事柄・事件。
・頃日…①このごろ。日ごろ。②過日。先日。
・異見…他人とはちがった意見。異存。思う所を述べて人を諫めること。忠告。
・深川の病家…永井氏の家。
・押付…やがて。程なく。まもなく。おっつけ。
・いっかど…一廉・一角。ひときわすぐれていること。ひとかど。かなり。

老人きもをつぶし、然らば、嘉右衛門殿は。曰[のたま]う、あの人も神道と申す惑ひこざれば眞儒とは申しにくい。然らは、其神武天皇以来ござらぬわけがうけ玉はりたうござる。曰、先つ、世間で学問々々と申すは詩を作ること、文章をかくこと、講釈を辨舌よくすること、史記漢書を暗にをぼへる、かやふのことを学問とをぼへて朝夕隙をついやし、本の学問は一向にござらぬ。唐でさへ、孟子死なれて周茂叔まで千五百年の間、本の学問が絶て、たま々々韓退之が儒者のやふでせわをやき、佛骨の表をかいて流されたはきどくなれとも、大顛[だいてん]に出會ていひつぶされ、はてはをもらふた。これはなんぞと云へは、本んの学問をしらぬからのことじゃ。
【解説】
闇斎も神道が入っているから真儒ではない。世間で言われる学問とは本当の学問ではない。中国でさえ、孟子の死後から周茂叔までの間に本当の学問は絶えていた。その間に韓退之が出たが、彼は仏教に迷ったので真の学者ではない。
【通釈】
永井先生の挨拶を聞いて老人は肝を潰し、それでは、嘉右衛門殿は如何かと尋ねた。永井先生は、嘉右衛門殿も神道という惑いがあるので真の儒者とは申し難いと答えた。それなら、神武天皇以来、本当の学問がないわけを承りたい、と老人が尋ねた。そこで、永井先生が言う。大体、世間で言う学問とは、詩を作ること、文章を書くこと、講釈を弁舌よく行うこと、史記や漢書を無闇に覚えることで、学者はこの様なことを学問と思ってそれに何時も時間を費やしているので、本当の学問は全く見当たらない。中国でさえ、孟子が死なれて周茂叔までの千五百年の間、本当の学問は絶えてしまった。その間に、偶々韓退之が儒者を真似て学問の世話を焼き、仏骨の表を書いて左遷させられたのは殊勝であるが、大顛に出会って彼に論破され、挙げ句の果てに僧衣までをもらった。これは何故かと言えば、彼が本当の学問を知らないからである。
【語釈】
・嘉右衛門…山崎闇斎。
・史記…二十四史の一。黄帝から前漢の武帝までのことを記した紀伝体の史書。本紀12巻、世家30巻、列伝70巻、表10巻、書8巻、合計130巻。前漢の司馬遷著。紀元前91年頃に完成。ただし「三皇本紀」一巻は唐の司馬貞により付加。
・漢書…二十四史の一。前漢の歴史を記した紀伝体の書。本紀12巻、表8巻、志10巻、列伝70巻。計100巻(現行120巻)。後漢の班固の撰。82年頃成立。妹班昭が兄の死後、表および天文志を補う。紀伝体の断代史という形式は後世史家の範となる。前漢書。西漢書。
・周茂叔…周敦頤。北宋の儒者。宋学の大家の一。字は茂叔。濂渓先生と称。1017~1073
・佛骨の表…韓退之が、仏教排斥の意を持って表した。
・大顛…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顛禅師と交流する。長安に帰って、大顛との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。
・衣…僧侶の着る衣服。法服。僧衣。

日本のもののくせで、わけなしに唐の書物はとかくよいとをぼへている。司馬遷班固杜子美などをまねるゆへ、あたまから用にたたぬ。白樂天李太白などは書物をよんだどうらくものじゃ。天子の前でなま醉をして、わらじはきながらたたみの上まであかってころけまわるを、その時々々々で、わらじを取てやる人もあり。日本にもたわけがあれば、唐にもたわけがあるはしれたことなり。その書物をうれしがり、まねるものは本んの学者の中ヶまへはいれぬ。四書の文義もろく々々すまいで、はや、史記漢書とでるは、丁ど、すきはらに酢味噌てまたたひ、しをからなどを喰ふやふなものじゃ。どこぞでは、腹が下る筈じゃ。
【解説】
理由もなく中国の書物を良いと信じこむ癖が日本人にあるが、四書も理解しない内から、司馬遷、班固、杜子美、白楽天、李太白などの書物を読むのはいけない。特に、白楽天、李太白は道楽者が読むものである。
【通釈】
日本人の癖で、理由もなく中国の書物はとかくよいものだと思っている。司馬遷、班固、杜子美などを真似るから、全く役に立たない。白楽天、李太白などは書物を読む道楽者のすることである。天子の前で泥酔して、草鞋を履いたまま畳の上まであがって転げ回ったが、その度に草鞋を取ってあげる人もいた。日本にも馬鹿者がいて、唐にも馬鹿者がいるのは当然なことである。この様な者の書物をうれしがって真似る者は、本当の学者の仲間に入れることはできない。四書の文義もしっかりと理解しないで直ぐに史記や漢書に向かうのは、丁度、空き腹に酢味噌、またたびや塩辛などを喰うようなもの。何時かは下痢をする筈である。
【語釈】
・司馬遷…前漢の歴史家。字は子長。陝西夏陽の人。武帝の時、父談の職を継いで太史令となり、自ら太史公と称した。李陵が匈奴に降ったのを弁護して宮刑に処せられたため発憤し、父の志をついで「史記」130巻を完成した。前145頃~前86頃
・班固…後漢の歴史家。字は孟堅。父班彪の没後、「漢書」の編述完成につとめた。一部未完成の部分は妹の班昭が補った。匈奴討伐に従軍、敗戦の罪に座して獄死。編著「白虎通」など。32~92
・杜子美…杜甫。盛唐の詩人。字は子美、号は少陵。洛陽の東、鞏県の人。先祖に晋の杜預があり、祖父杜審言は初唐の宮廷詩人。律詩の完成者とされる。712~770
・白樂天…白居易。中唐の詩人。字は楽天、号は香山居士。その詩は流麗で平易、広く愛誦され、わが国平安朝時代文学にも多大の影響を与えた。772~846
・李太白…盛唐の詩人。四川の人。その母が一夜太白星を夢みて生んだので太白を字とした。号は青蓮(居士)。謫仙人とも称された。701~762
・なま醉…①少し酒に酔うこと。また、その人。なまえい。②転じて、ひどく酔っている者。よっぱらい。酔客。

本んの学問は親に孝、君に忠より始まりて、今日のこと、何事によらずしやうねを入れて、うっかりとはいたさぬ。それ々々の道理を知て、その道理の通りに身でしてゆくことじゃ。その道理を知るは四書てふそくはごさらぬ。俗儒のなりは、書物はよんで事をばしれとも、道理のことはかいしき猿に心経あづけたやふじゃ。いつも心はをるすで、ただ人欲から上はまえをとるやふなふんべつばかり。聖人の御言はに人心道心のこともあり。孟子も其の放心を求むと云ひやった。それをばうっかりと通して、唐をはじめ心法のことは達磨へわたして、異域ともに俗儒ともが云ふことには、朱子がこしゃくで孔子の教に禅学をこだねつけた、孔子の旨はさふでないとて、温和慈愛底の似せもの。頃日、世間の学者、皆この手でござる。なんぞ大きなことがとんだことに出合ふとほへづらかはいて、はては坊主に同心するざまにはなる。
【解説】
真の学問は忠孝に始まり、道理を知り、それを実践することである。俗儒は朱子が孔子の思想に禅学を融合したと言うが、彼等こそ道理も心法も知らない偽の学者であり、世間の学者は皆この手合なのである。
【通釈】
本当の学問とは、親に孝、君に忠から始まり、日々のことは何事によらず性根を入れて油断をしない。それぞれの道理を知って、その道理の通りに自らが実践することである。その道理を知るのは、四書で不足することはない。俗儒の情況は、書物を読んでいるので色々な事を知ってはいるが、道理のことは全く駄目で、猿に心経を預けた様なもの。いつも心は空っぽで、ただ人欲によって上前を取る様な考えばかりである。聖人の御言葉には人心や道心に関したものもある。孟子も「求其放心而已矣」と言った。それをぼんやりとして意識せず、唐の学者を始めとして心法のことを達磨へ委ね、また、異端の者に俗儒等が、朱子が小癪にも孔子の教えに禅学を結び付けた。孔子の本旨はそうではないと言う。それは温和慈愛風であるが、似せ物である。この頃の世間の学者は皆、この様な者である。何か大きなこととかとんだことに出合うと吠え面も消えて、後は坊主に同調する様にもなる。
【語釈】
・しやうね…性根。根本的な心の持ち方。根性。
・かいしき…皆式。まったく駄目な様。
・心経…般若心経の略。仏典の一。一巻。漢訳に諸訳あるが、最も流布しているのは唐の玄奘訳の二六二字から成るもの。般若経の心髄を簡潔に説く。心経。般若波羅蜜多心経。摩訶般若波羅蜜多心経。
・上はまえ…上前。上米。江戸時代、諸国の年貢米を通す際に、神領などで取った一種の通行税。売買その他の仲介者が手数料として代金・賃金の一部を取るもの。
・人心道心…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中(人心惟れ危うく、道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一、允に厥の中を執れ)」。
・其の放心を求む…孟子告子章句11。「孟子曰、仁、人心也。義、人路也。舍其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣(孟子曰く、仁は人の心なり。義は人の路なり。其の路を舍てて由らず。其の心を放して求むることを知らず。哀しいかな。人雞犬の放すること有れば、則ち之を求むることを知る。放心有りて求むることを知らず。學問の道は他無し。其の放心を求むるのみ、と)」。「放心」とは、本心を放失してしまうこと。
・達磨…禅宗の始祖。南インドのバラモンに生れ、般若多羅に学ぶ。中国に渡って梁の武帝の尊崇を受け、嵩山の少林寺で九年間面壁坐禅、左臂を切って誠を示した慧可に禅の奥義を授けたと伝える。その伝には伝説的要素が多い。諡号は円覚大師・達磨大師。生没年未詳。
・異域…よその地域。外国。異郷。ここでは、儒学者以外の者を指す。
・ほへづら…吠え面。泣き顔。なきづら。

異端の徒には道こそ違へ、ういやつらがある。牢え入れられてもまだ情ごはがやまいで鍋をかぶった。今世の学者にはつんと此意智がない。腰骨がよわい。本んの学問はそこに志を立て、うか々々せず、はきとふみこんでゆくことなり。やりがふっても山がくづれうとも、それ々々の道理次第にさばいてうろたへぬことじゃ。死ぬほどのことにもはなしをしながら死なるることじゃ。とかく至極は聖賢までしつめる合点じゃ。天からあたへさしられたものは聖賢とてもかわはりはない。すれば、聖賢にも至らるる筈なり。唯、人欲のかたきにかってまけじ々々々とつとむるが学者なり。とかくうっとり学者にならぬが肝要にて候。老人感し曰、いかさまだん々々うけ玉はれば、先つ近代の学問にさやふのことはござらぬ。大方、上古も同じことでござらう。ふと参て大切な義をうけ玉はった。近日参て、又御物語もうけ玉はりたいと云て、云ひかけた異見はそれなりにして歸りし。
【解説】
真の学問とは、腰骨を強くし、志を立て、うかうかとせず、はっきりと踏み込んで行くことで、それぞれの道理に従ってその通りに対応し、うろたえないことである。天から与えられたものは、聖賢でもそれ以外の人でも違いはないのだから、我々も聖賢に至ることができるのである。
【通釈】
異端の徒の中には、道こそ違うが殊勝な人間がいる。牢に入れられてもまだ意地を貫き、鍋をかぶった。今の学者にはこの意智が全く無い。腰骨が弱い。本当の学問とは、そこに志を立て、うかうかとせず、はっきりと踏み込んで行くことである。槍が降っても山が崩れようとも、それぞれの道理に従ってその通りに対応してうろたえないことである。死ぬほどの事態にあっても、学問の話をしながら死ぬのである。とかく、至極とは聖賢までに至ることだと合点しなさい。天から与えられたものは、聖賢であっても我々とは変わらない。そうであれば、聖賢にも至ることができる筈である。ただ、人欲と言う敵に勝って負けない様に務めるのが学者である。とかく、うっとりとした学者にならないことが肝要である、と。そこで老人は感心し、如何にも一つ一つ話を承ると、本当に近代の学問には今言われた様なものがありません。大方、上古も同じくないでしょう。ふとここに参って大切な義を承った。近くまた参ってお話を承りたいと言って、言いかけた忠告は途中のままにして帰った。
【語釈】
・うい…愛い。可愛い。殊勝だ。
・情ごは…情強。情に動かされないこと。片意地。強情。頑固。
・鍋をかぶった…冠鐺[なべかむり]日親のこと。埴谷の妙宣寺で出生。室町時代の日蓮宗の僧。上総の人。京都に出て折伏教化を行い、本法寺を開く。1439年(永享11)「立正治国論」を著して捕えられ、種々の拷問を受ける。鍋冠日親と通称。著「折伏正義抄」など。1407~1488
・つんと…まったく。全然。とんと。
・さしられた…日原以道の真蹟本では「させられた」とある。道学協会刊では「さしゃった」。
・上古…日本史、特に日本文学史の時代区分で、文献を有する限りで最も古い時代。大化改新まで、或いは大和朝廷時代に当る。中古の前の時代。

先師記其後曰、聽得尤善。抑々吾 邦自神武以来此學未開矣。欲得其未開之學於己、豈浮沈于武人俗吏之間畏縮險巧桀黠之徒者之所能得耶。先生標的鞭策之編良有以也。吾人所宜致思而勉勵也。
【読み】
先師其の後に記して曰く、聴き得る尤も善し。抑々[そもそも]吾が邦神武より以来、此の学未だ開かざるなり。其の未だ開かざるの学を己に得んと欲せば、豈に武人俗吏の間に浮沈し、畏縮、険巧、桀黠[けっかつ]の徒なる者の能く得る所ならんや。先生、標的鞭策の編良[まこと]に以[ゆえ]有るなり。吾人宜しく思い致して勉励すべき所なり。
【解説】
酒井修敬の文に野田剛斎が補記してこれを賞賛する。武人や俗吏の間に浮沈する心の汚い者では学問を身に得ることができない。師の佐藤直方が道学標的や講学鞭策録を編まれたのは本当に理由のあることである。
【通釈】
先師がこの後に記して言う。聴いた中で尤も善い内容である。そもそも我が国では神武天皇以来、真の学問が現われていないのである。この未開の学問を自分の身に得ようとすれば、どうして武人や俗吏の間に浮沈する、畏縮、険功、桀黠な者がよく得ることができようか。佐藤先生が道学標的や講学鞭策録を編まれたのは本当に理由のあることなのである。我々は、このことを熟慮して勉励しなければならない。
【語釈】
・先師…野田剛斎。
・畏縮…おそれちぢまること。
・險巧…「険」は、険しい。危うい。邪ま。「巧」は、上手。「険巧」で、悪賢いこと。
・桀黠…「桀」は、荒い。荒っぽく悪賢い。「黠」は、悪賢い。腹黒い。
・先生…佐藤直方。

佐藤子戒学者説に曰、一日、戒学者曰、今、學者の学問をするにかしこふならふためと思ふてする人希なり。詩文を上手になりたい、史傳に廣くわたりたい、通鑑をよくをほへたい、文公家礼を詳にすましたい、周礼儀礼をとくと吟味したい、詩経叶韻「きょういん」をしりたい、書経禹貢をすましたい、易範の数を詳に吟味をとげたい、荘老の書も一通り吟味したい、律呂[りつりょ]新書井田の説も吟味したいなどと思ひ、甚愚なる人は手跡を唐流に能書になりたい、唐音をしりたい、歌をよみたいなどと思ふ。さても浅猿しきことなり。
【解説】
世間の学者には、賢くなるために学問をしようとする者がいない。皆、学問の根本を身に得るためでなく、表面的なことにのみ熱心だが、それは浅ましいことである。
【通釈】
佐藤先生が書いた学者を戒めるの説には、次の様にある。ある日、学者を戒めて言った。今、学者が学問を行うにあたって、賢くなることをその目的とする人は希である。今の学者は、詩文を上手になりたい、史伝に通じたい、通鑑をよく覚えたい、文公家礼を詳細に理解したい、周礼や儀礼を充分に吟味したい、詩経の叶韻を知りたい、書経の禹貢を理解したい、易範の数を詳細に吟味し遂げたい、荘老の書も一通り吟味したい、律呂新書も井田の説も吟味したいなどと思い、もっと愚かな人は、筆跡を唐流にして能書になりたい、唐音を知りたい、歌を詠みたいなどと思っている。さてさて、浅ましいことである。
【語釈】
・一日…ある日。
・通鑑…資治通鑑(治世に利益があって歴代為政者の鑑とするに足る意)周の威烈王の23年(紀元前403年)から五代の終り(959年)まで1362年間の史実を編年体に編纂した書。本文294巻。北宋の司馬光が、1065年英宗の詔を奉じ、84年神宗の治世に完成。
・文公家礼…儒家の礼法儀章を詳述。朱子の選と題してはいるが、後人の依託。5巻付録1巻。
・周礼…三礼の一。周代の官制を記した書。古くは「周官」、唐以後「周礼」と称。周公旦の作と伝えるが、後人が著作したもの。秦の焚書の後、漢の武帝の時、李氏が「周官」を得て河間の献王に献上、更に朝廷にたてまつられた。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の六編より成る。冬官一編を欠いたので「考工記」を以てこれを補った。
・儀礼…三礼の一。冠婚喪祭・朝覲・聘問などの儀式・法制を記した書。周公旦の撰と伝える。17篇。
・詩経…五経の一。中国最古の詩集。孔子の編といわれている。殷の世から春秋時代までの詩311編(内6編は詩題のみ)を国風・雅・頌の三部門に大別。
・叶韻…他の韻の字を同一の韻の字として用いること。
・書経…五経の一。尭舜から秦の穆公に至る政治史・政教を記した中国最古の経典。20巻、58編(33編は今文尚書、25編は古文尚書)。孔子の編という。成立年代は一定せず、殊に古文は魏・晋代の偽作とされている。初め書、漢代には尚書、宋代に書経といった。
・禹貢…「書経」夏書の一篇。禹が洪水を治めて天下を九州に分ち、貢賦を定めたことを記したもので、古代中国の一種の地理書。
易範
・荘老…老子と荘子。
・律呂新書…宋の蔡元定著。中国楽律研究の標準書。2巻。
・井田…夏・殷・周三代に施行されたといわれる田制。丁年に達した有妻の男子に平等に耕地を使用させる制度で、周では一里平方の田を井字状に区切って百畝ずつに九等分し、中央の一田を公田とし、周囲の八田を八家に分け、八家共同して公田を耕し、その収穫を租とした。井田法。
・手跡…その人が書いた文字。筆跡。手。
・能書…文字を巧みに書くこと。また、その人。能筆。

小學の嘉言に、顔氏家訓に、夫所以讀書学問本欲開心明目利於行耳未知養親者云々を看よ。俗儒でさへ少し合点あるものは、あれほどのことを云ふなり。朱子曰人之所以為学心與理已矣云々を看へし。吾黨の学者も心を明にすることは踈にして事為の方にかかるゆへに、ものしりにはなることあれとも理しりになることなし。勿論、事をすつるではなけれとも、志の向ふ所か末にながれて本をわすれば、大きなる害なり。可慎。朱子行宮便殿奏箚、幷せ考べし。
【解説】
学問の目的は、顔氏家訓によれば、心を開き、目を明るくして、行いをよくすることであり、朱子は、心が理と共にいる様にすることだと言う。その様にせず事に当たれば、物識りにはなれるが、志が瑣末なところに流れて大本を忘れ、大きな害となる。
【通釈】
小学嘉言の中にある顔氏家訓の「夫所以讀書学問本欲開心明目利於行耳未知養親者云々」を看なさい。顔之推の様な俗儒でさえも、学問を少し理解していれば、あれほどのことを言うのである。「朱子曰人之所以為学心與理已矣云々」を看なさい。我が党の学者も、心を明らかにすることは疎かにして事を行うので、物を知ることはできるが理を知る者になることはできない。勿論、事を捨てるのはよくないが、志が向かう所が瑣末なところに流れて大本を忘れることになれば、それは大きな害である。慎まなければならない。朱子行宮便殿奏箚を参考にして思慮しなさい。
【語釈】
・顔氏家訓…中国南北朝時代、北斉の顔之推が子孫への訓戒を記した書。7巻(2巻本もある)。
・夫所以讀書学問本欲開心明目利於行耳未知養親者…「夫所以讀書学問本欲開心明目利於行耳。未知養親者、欲其観古人之先意承顔、怡聲下氣、不憚劬労以致甘腝、惕然慙懼起而行之也(夫れ讀書学問する所以は、本、心を開き、目を明かにし、行に利せんと欲するのみ。未だ親を養うことを知らざる者、其の古人の意に先だちて顔を承け、声を怡[よろこ]ばして氣を下し、劬労[くろう]を憚らずして以て甘腝[かんなん]を致すを観、惕然[てきぜん]として慙懼[ざんく]し、起ちて之を行わんことを欲するなり)」。
・朱子曰人之所以為学心與理已矣…大学或問。「朱子曰く、人の学を為[おさ]むる所以は心と理とのみ」。

今之学者只為不知為学之方又不知學成要何用、此事体大須是曾著力来。方知不易。夫学者學聖賢之所為也。欲為聖賢之所為、須是聞聖賢所得之道。若只要博通古今為文章作忠信愿愨不為非義之士而已、則古来如此等人不少。然以為聞道則不可。且如東漢之衰。處士逸人與夫名節之士有聞當世者多矣。観其作處責之以古聖賢之道、則畧無毫髪髣髴相似何也。以彼於道初無所聞故也。
【読み】
今の学者は只、学を為すの方を知らず、又、学成りて何の用を要むを知らざるが為に、此の事体、大いに須く是れ曾[すなわ]ち力を著[つ]け来るべし。方[まさ]に易からざることを知らん。夫れ、学とは聖賢の為す所を学ぶなり。聖賢の為す所を為さんと欲せば、須く是れ聖賢の得る所の道を聞くべし。若し只、博く古今に通じ、文章を為[つく]り、忠信愿愨[げんかく]、非義を為さざるの士を作さんとのみを要せば、則ち、古来此の如き等の人少なからず。然れども、以て道を聞くを為すは、則ち、不可なり。且[まさ]に東漢の衰えの如し處士逸人と夫の名節の士と當世に聞くこと有る者多し。其の作す處を観、之を責むるに古の聖賢の道を以てすれば、則ち畧[ほぼ]、毫髪髣髴相似すること無きは何ぞや。彼の道に於て、初めより聞く所無きを以ての故なり。
【解説】
学問とは聖賢の為す所を学ぶことで、聖賢の為す所をしたいと思えば、聖賢の得る所の道を聞かなければならない。古来より、史伝に通じ、文章をよく作り、忠信愿愨で非義をしない者は多いが、聖賢の道を聞いた人は一人もいない。今の世にも有名な者は多いが、聖賢に近い人はいない。それは、彼等が聖賢の道を聞こうとしなかったからである。
【通釈】
今の学者はただ、学問を学ぶ方法を知らず、また、学を究めたとしても、それを何に用いることが必要なのかを知らないから、学問を事として体するには、大いに力を付けて行わなければならない。彼等は本当に学問が容易ではないことを知らない。学問とは聖賢の為す所を学ぶこと。聖賢の為す所をしたいと思えば、聖賢が得た道を会得しなければならない。若しただ、博く古今に通じ、文章を作り、忠信愿愨で、義に合わないことはしない様な士を数え上げれば、古来よりその様な人は多くいる。しかし、聖賢の道を聞いた人は一人もいない。まさに後漢の衰退の様なものである。今、処士や逸人や名節の士など、当世に評判の高い人は多い。しかし、彼等の行いを観、古の聖賢の道を使って彼等を問い詰めれば、全く少しも聖賢に似たところがないのは何故なのか。それは、初めから彼等が聖賢の道を聞くことをしなかったからである。
【語釈】
・愿愨…「愿」は、つつしむ。「愨」は、まこと、生真面目な様子。
・東漢の衰えの如し…後漢の儒教の衰えを指す。
・東漢…後漢。中国の王朝の一。前漢の景帝の六世の孫劉秀が王莽の新朝を滅ぼして漢室を再興、洛陽に都して光武帝と称してから、献帝に至るまで一四世。前漢を西漢というのに対して東漢ともいう。25~220
・處士…民間にいて仕官しない人。
・逸人…世を遁れた人。隠者。
・毫髪…細い毛。転じて、わずかなこと。いささかなこと。毫末。
・髣髴…①よく似ているさま。ありありと思い浮ぶさま。②はっきりと識別できないさま。ぼんやり見えるさま。ほのか。かすか。

今時学者平居則曰、吾當為古人所為。纔有事到手便措置不得。盖其所学以博通古今為文章或志於忠信愿愨不為非義而已不知須是聞道故應如此。由之観之学而不聞道猶不学也。これは楊亀山の説なり。幷考べし。
【読み】
今時、学者平居には則ち曰く、吾れ當に古人の為す所を為すべし、と。纔かに事有り、手に到れば便ち措置し得ず。盖し其の学ぶ所は博く古今に通じ、文章を為り、或は忠信愿愨、非義を為さざるに志すのみにして、須く是れ道を聞くべきを知らざるを以ての故に、應[まさ]に此の如くなるべし。之に由りて之を観れば、学んで道を聞かざれば、猶学ばざるがごときなり。これは楊亀山の説なり。幷せ考ずべし。
【解説】
道を会得することが学問である。古人の行いを実践しようとしても、それがうまくできないと今の学者は言うが、それは、道を聞かないからである。
【通釈】
今時の学者は普段よく、私は古人の為すことを実践するに当たって、それを少しすることがあって手に到っても、得ることができないと言う。まさしくそれは、その学ぶ所は博く古今に通じ、文章を作り、或いは忠信愿愨、非義をしないことを志すのみであって、本来、道を聞かなければならないということを知らないからで、当然ながら、この様になってしまうのである。以上の理由から学者を観れば、学んで道を聞かなければ、それは学ばないのと同様である。これは楊亀山の説である。併せて考えなさい。
【語釈】
・而…講義では最初が「ニシテ」、次が「ンデ」だが、道学協会刊に拠って「而」とした。
・楊亀山…名は時。字は中立。北宋時代の人。福建省将楽県の生まれ。二程に学ぶ。1053~1135

佐藤子與浅見子手帖曰、とくと省候に随て、吾人の存し入か井しきそでなきこと、日々に相見へ、さて々々さもしき体に候。千句萬句さしをき志不立事に帰宿し候いでと存入、脊梁骨を起立候はでは、何を申ても妄言と存候。如何々々。日々に舊見の非、驚駭いたし申候。此筋に存入候はは、他の非を患え候事は、さて々々わけもなきことと存候。
【解説】
脊梁骨を建立しなければ、何を言っても妄言である。我々も脊梁骨を建立しないから、日々に悪くなってくる様である。
【通釈】
佐藤直方が浅見絅斎に与えた手帖には次の通りある。深く省察したところ、我々の考えによいところがないことが日々に相見えてくる様になって、本当に見苦しい状況である。色々と言うより前に、志を立てなかったことに問題があるのであって、先ず、脊梁骨を真っ直ぐに立てなければ、何を言っても妄言だと思う。如何に。毎日、昔の考えが間違っていたことを悟って驚いている次第である。この様に思えば、他の過ちを患うことは本当に意味のないことなのである。
【語釈】
・浅見子…浅見絅斎。
・か井しき…皆式。まったく駄目な様。
・そでなき…然で無い。①違う。然るべきでない。②いけない。不都合である。また、薄情である。③尋常でない。悪い。
・さもしき…見苦しい。みすぼらしい。いやしい。卑劣である。心がきたない。
・帰宿…帰着の意。①他の場所から或る場所に帰りつくこと。②議論などが最終的におちつくこと。
・妄言…みだりな言葉。でまかせに言うことば。いつわりのことば。うそ。妄語。
・驚駭…驚くこと。驚愕。
・わけもなき…訳無し。①造作ないこと。何でもないこと。②物事の道理を理解しないこと。

兎角、岸の松独り春、的當親切之訓と存じ候。同志ならぬ人には語候ても無用のこと。なんとして々々々々々、其元にても人をみて御語り被成候様にと存事に候。聖賢之遺言、今日吾身の訓戒に成候事、頃日、少合点仕たる様に被存候。此面話に萬々可申盡候。如何々々。
【解説】
話は相手を選んでしなければならない。聖賢の遺言が我が身の訓戒になることを少し合点したので、そのわけを直接会って話したい。
【通釈】
とかく、岸の松独り春は、的を得た親身な訓えである。同志でない人には話をしても無駄なこと。どの様なことがあっても、貴方も人を選んで話す様にすべきだと思う。聖賢の遺言が、今我が身の訓戒になることを、この頃少し合点することができた様に思われる。そのわけは直接会って色々と話し尽くしたい。如何に。
【語釈】
・岸の松独り春…近思録為学講義89条に、「岸の松ひとり春をやおくるらん」とある。
・儀…ことがら。わけ。

一、兼て御思召寄とは存候へ共、拙者存寄故、又申進候。来春より改めて新しく成候年の始より、諸書を箱え入、封をして、小近四等の書斗机上に御置き、精密詳審に御吟味候はは、天下の善此に過たる事、有之間敷と深く願申候。所守不約泛濫無功。とかく喫緊切實に心上の功夫、吾人の急務と存候。万一御気に礙り候事、可有之候へ共、存寄を但[ただ]に止み申筈にて無之候故、推参を申入候。
【解説】
来春から書物を整理して、小学、近思録、四書だけに頼れば全て事足りる。何にせよ、心の修養が喫緊切実な課題である。
【通釈】
前々からご存知のこととは思うが、一つ思いついたので、また、申し上げる。貴方が来春、改めて新しくなる年の始めより、諸々の書物を箱に入れ、封をして、小学、近思録、四書等の書物だけを机上に置いて、精密詳審されれば、天下の善でこれに過ぎたものはないと深く願うところである。「所守不約泛濫無功」。何にせよ、心の功夫が我々にとって喫緊切実、急務だと思う。万一気にさわる事があるかもしれないが、思いついたことをただ言わないでおくこともできないから、推参を申し入れる。
【語釈】
・所守不約泛濫無功…近思録為学19条。「明道先生曰、且省外事、但明乎善、惟進誠心。其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功(明道先生曰く、且[しばら]く外事を省[はぶ]き、但[ただ]善を明かにし、惟[ただ]誠心を進めよ。其の文章は中[あた]らずと雖も遠からじ。守る所約ならずんば、泛濫[はんらん]として功無からん、と)」。
・泛濫…「泛」は、水の上に浮び漂うこと。あまねく広いこと。ものがあふれるほどに出回っていること。
・礙り…碍る。(石が)邪魔をして前に進めない。

惣して、同業之間にてはどふ思はれふ乎、どふ有ふぞと申窺は不入事と存候。拙者事、前々存候遠慮之心、皆私意の念と頃日ひしと見付申候。御咄候衆中にても御思召に不入事に候はは、へし々々と被仰聞候て、夫れて合点無之候はは、其分に可被成候。とかく我身に省て公乎私乎とたたりて見候へば、毛頭紛れは無之と存候。道を求る人が細なる事にぐず々々気をくばり、色々とあやらしき事有之候は、決して有之間敷事ど存候。
【解説】
学者は他人の評判などの様なつまらないことに気を配ってはならない。自分の考えが、人の為なのか、それとも己の為なのかと強く問い質してみれば、決して間違えることはない。
【通釈】
大体、学者の間ではどの様に思われているのか、どの様に評価されているのかなどと様子を窺ったりするのは、必要のないことである。前々から遠慮の心は皆私意の念であると思っていたが、この頃、それをしっかりと確信した。話を聞く者の中にも、考えの及ばないことに対しては、その通りであると言って聞いてはいるが、それで理解するところがなければ、それなりにしか成長しない。とかく我が身を省みて、人の為か己の為かと強く問い質してみれば、決して紛れることはないと思う。道を求める人が細かな事にぐずぐずと気を配ったり、色々とつまらない事をしては、決してならないと思う。
【語釈】
・ひしと…はっきりと。
・あやらしき…綾らしい。

たった一文字に飛込む合点無之候て、日暮れ途遠し。何んとして其の域に至り可申候哉。とやかくいたし候間に年老ひ候へば、筋骨弱り精力衰へ、一生を徒にいたし候事、甚可畏事に候。聖賢に至り度[たく]と望候人は、我等ともの様にこせ々々としたる事にては、決して々々々無之筈と存候。かなしや数年とほふもなき方に存寄、人の機嫌斗り取居候事、千萬口惜候。近思録の為学に、有求為聖人之志然後可與共學云々。此語、直截分明親切著明、さても々々々と存候。右之品々申入候はんと存ずる人、此元にても無之候故、心中にもやし申候。来春上り候はは一々可申述と存候へとも、ふすぼりから火が出て只今もへあかり申候。諸事推量可被下候。
【解説】
細事を気にせず、真っ直ぐに進むのでなければ聖賢の域には達しない。また、聖人になるという志を持っていなければ、学友とは言えない。今の江戸には学友がいないから、来春上京して話したい。
【通釈】
真っ直ぐに飛び込む合点がなければ、日暮れ途遠しで成就はしない。何としてもこの域に至らなければならない。あれこれとしている間に年老いて、筋骨弱り精力衰え、一生をいたずらに過ごしてしまう。それは甚だ畏怖するところである。聖賢に至りたいと望む人は、私達の様にこせこせとは決してしない筈だと思う。悲しいことで数年間、途方もないことを思い、人の機嫌ばかりを取っていたとは、本当に口惜しいことである。近思録の為学に、「有求為聖人之志然後可與共學云々」とある。この語は直截分明親切著明であって、全くその通りだと思う。右に記したことを進んで言うべき相手がこちらにはいないことから、私はただ、心中でその思いを燃やしているだけである。来春上京したら、貴方に一々申し述べたいと思うが、燻っていた心から火が出てただ今燃え上がっているところである。諸事推量下されたい。
【語釈】
・一文字…一直線に突進し、脇目もふらぬさま。
・日暮れ途遠し…史記伍子胥伝。年老いて、しかも達すべき目的がいまだに果せないことのたとえ。
・有求為聖人之志然後可與共學…近思録為学65条。「有求爲聖人之志、然後可與共學。學而善思、然後可與適道。思而有所得、則可與立。立而化之、則可與權(聖人と爲るを求むる志有りて、然る後に與 [とも]に共に學ぶ可し。學びて善く思い、然る後に與に道に適[ゆ]く可し。思いて得る所有れば、則ち與に立つ可し。立ちて之に化せば、則ち與に權[はか]る可し)」。
・直截…ためらわず、すぐに裁断を下すこと。まわりくどくなく、きっぱりしていること。
・分明…あきらかなこと。はっきり区別がつくこと。
・此元…一人称の謙称。わたくし。拙者。
・ふすぼり…燻ぼる。よく燃えないで煙が立つ。くすぶる。

殷の鑑遠不遠在夏后之世諸友以直方為鑑戒云々。必す々々他の非を御苦労なされまじく候。吾はももひききゃはんわらじはいて、達者につら々々と往ぞ。あとからついてきたい衆は、たったものついてこ井と被仰候て、あとをもみず、つんぼの道をありき候様にと存候事。我之身さへろくにありき候事成不申候間、人の得こぬをとやかく申はさて々々ひょんなことに候。明徳新民本末前後直截々々。他人に御恨不足、必々御蓄へ被成間敷候。吾等はそれにくっとうんじはて居候ゆへ、如此申進候。右のすじにて書を見候へば、聖賢の教一條平垣底の道路、つんとまぎれは無之候。
【解説】
学問以外のことに気を掛けてはならない。弟子たちが直方に従って学問を行うか否かは、弟子自らが判断することであって、自分自身が成就していないのに、他人を構うことなどはできないのである。他を気にせず真っ直ぐに進めば、聖賢の教えは一條平坦な道だから、紛れることはない。
【通釈】
「殷鑑不遠在夏后之世、諸友以直方為鑑戒云々」であって、決して他の非に気を掛けない様にしなさい。私は股引脚半に草鞋を履いて、達者にどんどんと往く。後からついて来たい者は、志が立った人が来なさいと言っておいて、後ろも見ないで聾の人が道を歩く様に、周りを気にせず真っ直ぐに進むのである。自分の身でさえもうまく進むことができないのに、人がついて来るか来ないかを気に掛けるのはとんでもないことである。明徳新民は本末前後ではっきりとしている。他人への恨みが多くあっても、必ず、それを蓄えない様にしなければならない。我々はその様なことに大層倦み果てているので、この様に申し上げるのである。以上の方向で書物を見れば、聖賢の教えは一條の平坦な道路の様で、全く紛れることはない。
【語釈】
・殷の鑑不遠在夏后之世…詩経大雅蕩。孟子離婁章句上2。「殷鑒不遠、在夏后之世(殷の鑒[かがみ]遠からず、夏后の世に在り)」。
・諸友以直方為鑑戒…「諸友直方を以て鑑戒とせよ」。
・鑑戒…いましめとすべき手本。
・うんじ…倦む。いやになる。あきる。退屈する。あきて疲れる。
・一條平垣底の道路…近思録致知25に、「理只是人理甚分明。如一條平坦底道路(理は只是れ人理のみ甚だ分明なり。一條平坦なる道路の如し)」とあるので、「平垣」ではなくて「平坦」。

浅見子答谷重遠手帖曰、學者の為己に志の立たる者がヶ様の鄙劣俗論を申すことか戯れならは、猶以卑細のこと。是一つにて貴様学問用力の大様子見へ申候。御状の中にも喧嘩になり、あつかいになり候などと、御申越候。定て戯語にて有へく候へとも、さて々々又このやふな戯語を云て學者の戯語と事に當て御思候やと、再三苦々敷存斗候。此事は以往のことに候ゆへ、此一事をとかふと吟味をするにては無之候。全体此一事にて気習すきと動き不申と申歎きにて候。さるとは々々々々奮発抜飛判然明白に昨非今是のきはをかきと御立候て、俗話俗情俗態俗気雜雜情雜態雜学妄言妄態妄容妄情一事々々極密に省察擔當し、五臓六腑を吐き出可被成候。
【解説】
谷重遠は手紙で戯語と言ったが、聖門にとってはそれ以下の卑細なことである。気習好きにならない様に、心を洗い直さなければならない。
【通釈】
浅見絅斎が谷重遠に返答した手帖には次の通りある。この様な卑劣俗論を言うことを戯れとするならば、己の為に志を立てた学者にとっては、それ以上に卑く些細なことである。この一件でも、貴方の学力の大方が窺われる。手紙の中にも喧嘩になって調停されたなどと書かれている。確かにそれは戯語だろうが、全くまたこの様な戯語を言って、それが事に当たっての学者の戯語だと思っているとは、毎回苦々しく感じるばかりである。これは過去のことだから、この一事をどうのこうのと吟味はしない。大体、この一事からも気習好きにならない様に嘆願する次第である。そして、奮発抜飛して判然明白に、昨非今是の境をしっかりと立て、俗話俗情俗態俗気雑慮雑情雑態雑学妄言妄態妄容妄情、この一事一事を緻密に省察して身に受け、五臓六腑を吐き出しなさい。
【語釈】
・谷重遠…谷秦山。姓は大神[みわ]、幼字は小三郎。通称は丹三郎。寛文3年3月11日生れ。17歳で上京、浅見絅斎、山崎闇斎に学ぶ。土佐郡秦泉寺村に移居。その後また上洛して浅見絅斎、佐藤直方に学び、渋川春海に就いて神道を学ぶ。
・鄙劣…卑劣。品性・行為などの、いやしく下劣なこと。陋劣。
・あつかい…争いやけんかのなかだちをすること。調停。仲裁。また、それをする人。
・定て…確かに。
・以往…本来「以往」はある時から後、「已往」はある時から前の意。わが国では混用される。
・とかふ…道学協会刊では「とやかふ」。
・歎き…嘆願。哀願。哀訴。
・昨非今是…陶淵明、帰去来辞。境遇が一変して、昨日非と思ったことが今日は是と思うようになること。
・應…日原以道の真蹟本では「慮」。

小学よりうっ立て御見候も、如形よく候。只、此合点より御見可被成候。學者の聖人にならふと思ふに、これはならぬ、これほどにするの、我気習を改められぬのと云ことのあるへきことなく候。気所勝習所奪只當責志と申は爰のことにて候。敬の段々も御申越之通、如何にも力を御用候所も如形みへ申候。何とて敬齋箴の様に、ひしと成不申候哉。なせにならぬと御たたり可被成候。俄にあのやふに自然にならぬと云ことか、それは云に不及候。用力にあのやふにならぬは例の病根と存候。とかくどこまでも々々々々々朱子の教のやふに可被成候。近思録と存候。皆つか々々とあの様になぜ成ぬと云ことの有べき様なく候。
【解説】
聖人に至るためには順序があって、小学から始めるのがよい。そして、徹頭徹尾朱子の教えに従うことが重要である。力を用いても、為己で順序よくなければならない。
【通釈】
小学から打ち立てるのは、形式に従っていて良いことである。ただ、この合点から進んで行くべきである。学者が聖人になろうと思う際には、これはできないとか、この程度で良いとか、今までの気習を改められないなどと言うことがあってはならない。「気所勝習所奪只當責志」と言うのはこのことである。敬の修養について書かれた文章も貴方の手紙の通りであって、全く、力を用いる所も形式に合っていると思われる。どうして敬斎箴にある様に、しっかりとなれないのだろうか。何故あの様にならないのかと自責すべきである。直ぐにはあの様には自然になれないと言うが、それは当然である。力を用いてもあの様にならないのは、例の病根が原因だろう。とかく何処までも朱子の教えの通りにしなければならない。近思録でも、誰でも聖人の様にはなれない筈はないと言っている。
【語釈】
・如形…決った形式のとおりに。
・気所勝習所奪只當責志…近思録為学38条。「學者爲氣所勝、習所奪、只可責志(學者は氣の勝つ所、習の奪う所と爲らば、只志を責む可し)」。
・敬齋箴…朱子著。この冒頭に「読張敬夫主一箴掇其遺意作敬斎箴、書斎壁以自警云(張敬夫の主一の箴を読み、其の遺意を掇[ひろ]って敬斎の箴を作り、斎壁に書して以て自ら警むと云う)」とある。張敬夫は張南軒。

ヶ様に段々申遣候。段々申もくどく候へとも、いやそれほどの合点はをれもだだいあるの、いや人にばかりたたるの、腹立の、何のかのと云ことは、必々御云ひ立て有間敷候。萬一左様の念慮も指出候はは、夫れか己か身をなげく道を求めたいと思ふ学者にあることかと、はや、御たたり可有候。我等の申も前々申入候とははらりとかはり候間、少も其元の腹立を苦にも不致候。
【解説】
批判は真摯に受け止めなければならない。この批判に異見が出たら自責すべきである。
【通釈】
この様に色々と書中にしたためた。その色々と言うこと自体がくどい様だが、いや、その程度の理解は俺にも大体はあるとか、いや、人に対してばかり厳しく言い過ぎるとか、腹が立つとか何のかのとは、絶対に言わない様にしなさい。万が一、この様な思いが出てきたら、それが己の身を歎き、道を求めたいと思う学者にあるべきことなのかと直ぐに自責しなさい。私達の話も前々からのものとはすっかりと変わってしまったので、私は貴方の腹立ちを少しも苦にしない。
【語釈】
・はらり…物事がうって変るさま。すっかり。きっぱり。あっさり。

扨々、手前の學術諸事、今迠の存違、先非を悔候に所なく候得は、人のことなどかまい申すひまは中々無之候処に、ヶ様に申進候は能々合力と可被思召候。書状届候て御讀候。言下よりつんとかはり、四五日の中にとんと抜出たるものに最早御なり候へかしと願々に候。都鄙に不限、今日の学者にうそつかず、利禄と名とを頭巾にせず、盗人に被成學者、誰と申事は一人も請合無之候。是少も々々激論にて無之候。人は不存。先、手前の身が無心元候。かなしや々々々々、五尺の身をもてあつかい、又しても々々々々、聖人え面目もなく候。餘は書状にも不申尽候間、先、留筆候。
【解説】
今日の学者に、嘘をつかず、利欲と俸禄と名声とを目的としない者はいない。それは心がしっかりとしないからである。天は人に聖人の道を賦与し、人はその身体でこれを実践するが、現状は、聖人に面目次第もない有様である。
【通釈】
全く、自分の学術諸事や今までの考え違い、過去の過ちを後悔するのに忙しくて、他人のことなどを構っている閑は中々ない処をこの様に進言するのは、よくよくの助言だと思って欲しい。この書状が届き、それを読むことによって、貴方に直ぐはっきりとした変化が現われ、四五日の内にはすっかりと抜き出た人になられるものと願うところである。都であるとか田舎であるとかに限らず、今日の学者で嘘をつかず、利欲と俸禄と名声とを身に付けず、盗人とならない者を挙げようとすると、一人として請け合える者はいない。今言っていることは少しも激論ではない。その様な人はいない。先ず、自分の身が心許ないのである。悲しいことに、天から与えられた五尺の身を持て扱いながら、毎回、聖人に対して面目ない有様である。それ以上のことは書状にはしたためず、先ずは、筆をここで留める。
【語釈】
・合力…①力を添えて助けること。助勢。②金品を施し与えること。また、その金品。③荷を負って修験者などに従う下男。登山者の荷を負い案内に立つ人。
・言下…言葉の終るか終らぬかの時。言い終ってすぐ。
・都鄙…みやこといなか。
・盗人に被成…「盗人に不成」の誤り。

小学の問目も甲斐なきことのみに候。全体の大病根をとんと御くづし候て、うんと足を御ふみかへ可有候。其上に名と利との二つを我ははなれたると御思候はは、大なる筭用違にて候。大事のこと々々々々々に候。手前のことを指置てと御申有間敷候。其段の論にかかりたることにて無之候。毎々吾身を相手にして、実に學者の志と云ものが為己にするかと、誓文にて御たたり可有候。
【解説】
病根を除いて、名と利から離れただけでは不十分である。その上で、自分の志が己の為でなければならない。
【通釈】
今の状態では、小学の問目もその効果を発揮できない。全ての大病根をすっかり崩し去って、しっかりと足を踏み替えるべきである。その上で、名と利の二つから自分は離れることができたと思ったら、大きな考え違いである。ここのところは大事である。自分のことを差し置いて偉そうなことを言うと言ってはならない。それを今論じているのではない。何時も我が身を相手にして、自分の学者としての志が本当に己の為にするものなのかと、しっかりと自責すべきである。

佐藤子答谷重遠手帖曰、どこもかしこも禄仕之病のみに候。十二郎殿へはこの義、苦口に申入候。恥を知たる者、見及不申候。とかくに耻知たる人を友しゃと可被思召候。吾心中に省みて、志か有か無かを御考可被成候。聖賢にならふと云意がなければ俗人で候。互の恥辱は数年の後の再會にて知れ可申候。
【解説】
世間の学者は仕官のことしか考えていない。彼等は恥を知らない。聖賢になる意志がなければ俗人である。
【通釈】
佐藤直方が谷重遠に返答した手帖には次の通りある。どの学者も禄仕の病で一杯である。十二郎殿にはこの義について苦言を申し入れた。今、恥を知る者を見付けることができない。とかく、恥を知っている人を友とする様に考えなさい。自分の心中に省みて、志が有るか無いかを考えなさい。聖賢になろうとする意志がなければ俗人である。お互いの恥辱の程度は数年先の再会の場で知ることができるだろう。
【語釈】
・禄仕…禄を受けて仕官すること。
・十二郎…浅見絅斎。
・苦口…にがにがしいことば。にくまれぐち。苦言。

學問を藝にする合点にては、大方は貴様も一郷の人にて御果候はんと、いとをしく候。此言に甚しく御腹立可被成候。拙者と御打果候程に無之候ては、拙者申入候本意にては無之候。とかく々々々論孟に無之事を気質に任せてはたらき候事、近時學者の通患と存候。書の欲が離れがたき由し、これが盗みをする程のことにては無之候へ共との御事、拙者は盗より大罪と存候。
【解説】
学問は利禄を得るための芸ではない。また、論語と孟子に書かれていないことを気質に任せて行うのが、最近の学者に共通した弊害である。他の書に惹かれるのは盗みをするよりも悪い。
【通釈】
学問を仕官のための手段と考えている様では、大方、貴方も田舎の俗人で終わってしまうのだろうと、気の毒に思う。今の言葉に貴方は甚だしく立腹することだろう。私と決闘をするほどの気持ちにならなければ、私が貴方に進言した本意にそぐわない。とかく、論語と孟子に書かれていないことを気質に任せて行うのは、最近の学者に共通した弊害であると思う。書の欲が我が身から離れ難いのは、それが盗みをする程の罪ではないと貴方は言ったが、私は、それは盗みよりも罪が重いと思う。

為学之道に一定之見出来、志定りての後はなにがさて、左氏国語より晋の天文志まで看よとの朱子の教にて候。近時の学者、小近四は甚踈[おろそ]かにて、とほふもなく史書に目をさらし候ゆへ、申すことに候。此義、御同心にて無之候はは、自今以後書通を絶可申候。交は絶不申候。いつまでも醉の覚たる時に交を尋[と]めき可申候。朱子所謂言及於此悚息深し。千萬幸察にて候。
【解説】
書を読むのにも順序がある。小近四によって知見を高め、志を定めてから他の書を読むのである。これがわからない様なら書通を絶つが、交わりは絶たないと直方は言う。
【通釈】
学を為す道に確実な見識ができ、志が定まったその後は、何を差し置いても左氏国語から晋の天文誌までを看なさいと言うのが朱子の教えである。当時の学者が小学や近思録、四書を甚だ疎かにして、あきれるほど史書に目を晒すので、この様に言ったのである。貴方がこのことに同意されないのなら、私は今から文通を絶つ所存である。しかし、貴方との交わりを絶つことはしない。何時でも貴方の酔いが醒めた時に交わりを申し入れる。朱子の言に「言及於此悚息深」とある。この上もなく優れた思慮である。
【語釈】
・左氏…「春秋左氏伝」の略称。「春秋」の注釈書。30巻。左丘明の作と伝える。「左伝」とも略称。春秋三伝のうち最も文にすぐれ、史実に詳しい。
・国語…「左氏伝」に漏れた春秋時代の列国の歴史を記した書。21巻。左丘明の撰と伝えるが不明。左氏伝を春秋内伝、本書を春秋外伝という。
・天文志…晋書の中にある天文誌を指す。
・尋めき…尋め来。たずねて来る。
・朱子所謂言及於此悚息深し…「朱子謂う所の、言は此に及んで悚息深し」。
・悚息…「悚」は、おそれること。「息」はいき。

予今春有感表章冬至文、此冬此日遂為諸生講之、既而摭取發揮遺文者凡七道為附録、以欲與同志共之。十一月既望信識。
【読み】
予、今春感有りて冬至文を表章し、此の冬、此の日、遂に諸生の為に之を講じ、既にして遺文を発揮する者凡そ七道を摭[ひろ]い取って附録と為し、以て同志と之を共にせんと欲す。十一月既望信識す。
【通釈】
私は、今春に感じるところがあって冬至文を表章し、この冬のこの日、とうとう弟子達のために冬至文を講じ、既に遺文を実践する者から凡そ七道を抽出して附録とし、同志とこれを共にすることとした。十一月十六日。稲葉黙斎識す。
【語釈】
・表章…あらわしてあきらかにすること。
・既望…既に望。満月の終った意。陰暦16日の夜。また、その夜の月。いざよい。