稲葉黙斎語録-仏老などのこと

小学講義より

泉水に水があると孑孑のわき出るやふに天地が開く。人か只一度わいて出た。それから其一度出来た男女か夫婦となりて開闢以来つついている。然れはこの夫婦祭ると云が、元来先祖は夫婦々々と云から今までつづけは、祭と云は夫婦て無けれはならぬ。然れは仏者は夫婦のないものゆへ、祭にはいこふ禁物なり。よせ付る筋はない。されとも、中をとりて仏者も用ひ子はならぬ、先祖在世の罪咎あるを仏者か罪を亡すと云。然らはそれにして、死するとき引導して罪さへ亡して仕廻たら、跡は仏は入らぬ筈。一端罪を亡しても又死後にも罪か出来て、生た人の過を改ても又過つやふに、いつまても罪を亡すならは、仏者にかきらず祭りに医者も呼すは成まい。親が死で病ふこともあろふと云やふになる。(小学明倫29)

仏は日用をすてて道を悟りたかる。やっはりなんぞ侍の筋ぞ。今がぬける。儒者は日用について道をさとる。小さいことをすてずにそこから行ふ。それ故大きひこともなるぞ。とんと天地丸呑にして残さぬ(小学明倫43)

一宗をひろめるに日蓮は首の坐に直る迠あたりさわりに搆はす説たは、これ日蓮の尊ひ処ぞ。(小学明倫60)

某か弁に、仏者は亀や泥亀の丘に居て甲を干すやふなもの。水をはなれ甲を干して居ても山からは出ぬもの。元来水中ものなり。仏者は女房を持ぬか、元来持べきはづのものを持ぬのなり。吾ばかり水をはなれてをるのなり。其身は夫婦から出たなり。夫婦でなけれは天地と合紋はあはぬぞ。(小学明倫62)

仏者なとは心て心をいしりまわす。所謂味噌の味噌くさいなり。味噌か味噌くさくては一口もくわれぬこと。仏者の心て心をいしるか心くさいなり。心は形のないもの。形のないものを形のないものていしるゆへ、いしりやふか下手なり。垩賢は心のいしりやふか上手。形を儼にすると心かはっきりとなる。心は形に宿ているもの。形は心の入れ物なり。形かまかると心もまかる。形かしゃんとすると心も動かすしゃんとなってをる。(小学敬身2)

日本の古にも向西てをかむなと云ことか、あれかなんにもわけがない。日本にはわけのないことがををい。(小学敬身8)

節分晩にざるをつるせば目か多ひから鬼かこぬと云。豆をかそへて年の数ほど食ふ。坐禅豆もくふことのならぬ歯て豆を食ふ。甚たをかしいことしゃ。(小学敬身10)

道と云字は君子の道を身に得ると云。事物当然の道をわれにもつこと。凡夫はもたぬ。仏道と云ても、異端は道にはなれてをる。事物当然てない。仙人になることを道家と云。それ皆此道にははつれたことなり。(小学敬身11)

卒哭は百日比のことなり。…仏法では百ヶ日と云様なことはないことであれとも、今佛法天下汎乱して誰も彼も是を用ることを免れざればなり。(小学嘉言23)

今我々が古の礼を以て死者を三日の内は生きかへることもあろうとて三日をくと云と、死だ者が生きかへると云ことがあるものか、あほうなことをと云。どふか知惠もあるよふなことを云。そう明に知る知惠があるなら地獄はないと思ひそうなものなれとも、これはまたあると思ふ。これみよ、俗人はかしこうて理がくらさに愚夫そ。此様なやからは頓と孔子の手際にも孟子の手際にも暁すことはならぬ。愚と云名字が付てはしかりても一つも入ることはない。そこで愚夫に逢てはただうん々々とばかり云てをくぞ。すててをくがよい。(小学嘉言23)

親の喪などと云は子たる者の誠でして、他人を頼みがたいことなれとも、出家を頼めは死者の為めによいと云てたのむ。この邪魔のあるで、喪をとらいでも仏へ頼むですむになりた。(嘉言26)

仏法の中国に来たもづんと後世のこと。中州は後漢の明帝、大倭國は欽明天皇の時に海舶したそ。それより前死して蘇たる人夛くあれとも、一人でも地獄へ行た話はきかぬ。十王は閻魔の下役じゃと浅見先生の弁なり。これを見たものない。これらはよく考てみやれ。どふもある筈はない。…出家も是を信じはせぬ。是を信ずる位では出家ではない。(小学嘉言26)

先達の話に、或る禅坊主云、人は欲に目鼻のつけたもの、と。(小学嘉言42)

利休が客をまたせてを井て庭の鉢前の小石をならへたと云ふ話が茶人の方にある。どうも石のつみやふがわるふては、客はどふであらふとも利休の心が安ぜぬ。みな向ふに付たことではのふて、みなこちの心のことぞ。(小学嘉言73)

釋迦が生れると生れたなりで上と下へ指をさして、天上天下唯我獨尊と云ふたと云。まっかなうそでもあらふが、その道を許大にすること。地獄極楽も今日うばかかの云とはちかふ。先年原の白隠が江戸へ来て地獄極楽を云ふたが、あれが云のはたか井。な井を知りてしゃあ々々々として云ふ。律義眞法ではない。そこをいつはりと云ふ。吐舌などと禅録にある。あとでしゃあ々々々とした顔ぞ。道理にないあやしいことを云ふ。黄蘗が母が黄蘗を追かけて行て大義渡の上て死たれば、死だなとは思ふてもふりかへりても見ぬ。すずと行きたれば、母の身は為男子乗大光明上生夜魔天宮と云ふ。大の邪誕なり。寒山などかたか井ことを云ふてもよくない。出家の名を呼だれば牛か来た。それ牛になったと云ふたことあり。空理ゆへすき次第にいろ々々なことを云ふ。そこで辨じにく井。高ひ方へゆけば卑ひ方へもゆく。(小学嘉言91)

今日の人があれほと仏道に迷ふてをるゆへ銭をやりそふなものなれとも、奉加帳がまわると、今迠信仰した和尚も信仰せぬ様になる。とかく施惠はしにく井ものぞ。(小学善行7)

仏道とても、人の死た世話をやくことはもとあちにもな井こと。だたい本来無一物何処惹塵埃。死んだ者に供養は入らぬ筈。されともそふ云ふことでは行なはれぬゆへ、人の死んた取り納めをする仏法か出来て来た。(小学善行18)

日本は近年天草のやふなことありて、かれやこれやのわる井人を動かす宗旨ありて、それを制禁するから、改めて今旦那寺と云ふものを列国諸家四民迠に立られて、公法にて用ひ子ばならぬことになってをる。それゆへこれは今日根からやめることは下の勢ではならぬ。宗門改と云ことあれば、我は何宗と一通りは用ることなり。せふこともなきことなり。(小学善行18)

よ井寺を持た井と云は世を捨てて土藏を建るの筋。(小学善行74)
 

近思録講義より

異端高けれとも、道に穴があく。穴があけば非道。俗学ほ子はをりても役にたたぬ。役に立子ば非教。(近思録序)

利休の花活や茶杓は、見た処は只竹の筒、竹のへらなれとも、高金になる。夫を真似て、形を見て指物屋や大工がすれば利休より細工がよくても一錢にもならぬ。(近思録序)

佛では達磨や惠能を始め、どれでもはっと云て汗をかいて悟ると云。こちはそんなことはない。つかまへ処がつかまへて、じっかり々々々々ゆく。異端頓悟は空を飛んで一日に京へ着ふと云様なもの。こちは路銀でじか々々ゆく。(近思録序)

異端の道を見たはかんのよい坐頭のやふなもの。今、將棊をさす坐頭があるが、あれがかんのよいからなり。目あきにもまさるせうぎがある。それならかんさへあれば目は入らぬかと云に、將棊が上手でも馬の尾にも杖をつっかける。用水へもはまる。それは眼のないからなり。そこで火事見舞にはやられぬ。火消にはならぬ。(近思録目録)

釈氏の成仏はこちの垩賢なり。あちは成佛した処がとんと天地とちごうた姿なり。こちの垩賢は、天地道体のなりが五尺のからだになりたのなり。(近思録目録)

異端も氣をうれしかりはせぬ。虚無寂滅と云も、本来の面目の、混沌未分のと形ないを道にする。あちも形ないを道とし、こちも形ないを道とするにとふ違ふなれは、あちは本来の面目や混沌未分を奥の院にして、それから出来ると思ふ。こちは其様な番袋を開て出と云、別に一物かまへたものはない。別屋鋪をかまへて、それから面を出すと思ふは誤れり。異端は酒の元をかけるやふに一つ本立かあり、来月飲やふに出処の支度かあると見る。一つ本かあると見て、そこを道の問屋にするて、あとは何てもないもののやふに見る。そふすると間断になる。床や上段の間からそりゃと云て出るてなく、鼻の先きか道にて、無極而太極か毎日躍りををどる。この間に、角力の中入や太夫の支度のやふに間断かあると天地が墜る。天地開闢以来、今に無極而太極か躍ている。塲処や形かあると本来の面目になる。あちは、本來の面目、ぼふの立姿と云けれとも、あちも本来の面目に姿ないことは知ている。そこを丈夫に見付るを立姿と云。この方は前後を立ぬこと。塲あると間断になる。老子は無極から太極と云やうに、それから始ると云と、中買や小買のやふになる。これに問屋はない。無極而太極は道理の形ないを合点する迠て、道体のぎり々々になる。(近思録道体1)

老子は混沌未分の一元氣を本尊とする。因て医の祖にするも聞へて、あの道は氣か本と立つゆへなり。(近思録道体1)

異端は物をのける見識ゆへ、行迹も世の中を遁る。隂陽の上に道はあると云見所ないゆへのこと。老子混沌未分の外は面白くないゆへ、礼は忠信之薄と云。佛者は不生不滅を云、はや五倫もないものにする。物に即而太極がさせると、氣の中へべったりと云か垩人之道なり。(近思録道体1)
 
老子などが誠無為、殊の外見たもの。異端もめったなことでないと見やうことぞ。異端も見は見たなれとも、火の見の片窓、糀町計り見ておるから、本所に火事のあるを知らぬ。只、物は何でも手を付ることはないと云て、手を付ぬを宗旨にするは老子なり。(近思録道体1)

老子は舛があるから、似せ舛もある、藏を用心するから盗人もある、無為なれば何のことはないと、大道廃而仁義起るを云つのる。其つまりが道を害する。これ誠無為に似て非な処ぞ。(近思録道体2)

若い僧など才力もありて江湖法問に勝こと有ても、それて善てもなく、又は後日大德寺や東福寺へ入院すると云とても、悟も開たとも請合れまい。(近思録道体13)

今の鼻の先きのぐる々々めぐる処が道と知る日には、高い佛老も訶らるる。間断ないを見付ると何のことはない。老子が混沌未分と見て腰をかける。さがす処か間断。こちは今隣で子が生れた、やれ、よいことと云道なり。本来の面目を尋る暇はない。(近思録道体16)

釈迦が生老病死をうるさがったは私意なり。出家さるる、はや失正理無序なり。そこで朱子の不堪煩底之人と云れた。人の世に處るには、叔母が死だの、子が生れたの、やれ女房が病氣あることなり。それをうるさいとて迯け出した。丁度、竒麗ずきか煤掃をにげたやふなもの。雪山へ迯げたときは、淨飯王后もさぞ悲れたであろふ。羅睺羅もととさまがみへぬと云て泣たであろふ。今日道樂息子の江戸へかけ出したとはちごふ筈なれとも、此段に成ては同しこと。(近思録道体17)

老子が天然自然じゃと云て落付ても、火事のときは騒くが正理じゃ。…達磨か引こんで面壁。だまって計りをる。失正理なり。(近思録道体17)

黄檗が、母の目をまわしたにふりむきもせぬ。無序而不和。よく々々の稽古てああなったことではあろふが、正理とは云れぬ。是れからさきが佛法はおかしいもの。母の死した上に紫雲たなひき、男の身になりて天へ登りたと云。これは見物がうばかかゆへぞ。(近思録道体17)

釈迦が淨飯王のあたまへ足をあげたは無序而不和、言語道断じゃ。(近思録道体17)

老子は道体を虚無とみるから、為学が無為なり。佛は寂滅が道体ゆへ、為学も五倫を滅却するなり。女房も親も子もすてろなり。こちは誠が道体で、為学が忠信進德なり。(近思録道体19)

近世作用是性と云か達磨や黄蘗か建立して、毛虫かひっくりとする其精神を仏心仏性と見る。学者か尤らしい顔しても中々及はぬ。あちは水汲をやじを見ても、あれ性と悟る。運水般柴、栁はみとり花は紅と踊ををどる。只生たものか性て、それを孝経も同ことと云。なるほと悪るいことする種にもなる筈。(近思録道体21)

今の佛者は人情を知て世間になれてをるから俗家と交りもなるが、某などか様な口で佛法を有りのままに云ては、世は渡られぬ。檀家で私娵を取たの、孫が生れたと云ふとき、今の出家は相応にあいさつするですむ。いややがて死ぬてさと云てはつき合ひはならぬ。本意なりを云はば、佛者はだたいこうしたもの。寂滅の見で年忌吊をするも、さて々々をかしいこと。滅とみて、この身の滅するこそ本来のなりなり。その上に供養はせぬ筈のことなり。大きな迷ひ。それも垩人の祭祀の真似をするのなり。こちは生物之心ゆへ、とこまでもにぎ々々しく親を万年と祝し、その生物が死たものゆへ、やはり生物の心と云から祭をする。女房とも々々白粉に紅、うらで肴を備る。死でも生きた心にする。目出度ひがこちのちそうすることなり。ここが儒佛大根のちがふた処なり。(近思録道体22)

仁には義と云相手ある筈じゃに、佛は義がないから罪人に衣を掛ける。空と見たからぞ。仁をみても義と云對がないと盗人に衣をかけるぞ。つまり、天地のなりでない。道を片方みたなり。(近思録道体25)

異端は皆見処が一方つくから死法ながらも未發めいたことは少し似たれとも、已発は以ての外なり。吾儒は寂の字も感とつつけて感をふんだ寂ぞ。異端の寂滅はあたまでころしてとりのける。(近思録道体29)

佛は儒者を投るほとのものなれとも、氣てさわく。あの丈夫な男かころりと死た。無常と云。こちは不是先不是後。天下古今理か一貫で、死生も太極の流行なり。生死てはおとろかず。仏者かそれを聞くと、其やふな甘口なことでない、吾仏家ては不生不滅と云て生滅のないものありと云。さやふなら隣合せかと云に、指所か違ふ。太極に形なく生滅のないは仏に似たれとも、あちの不生不滅は空にて、こちのは萬象がついてまわる。本来の、又、老子の未分のと遠く見ることてなく、鼻の先の何のこともない所に道がある。そこて異端迷と思ふ処は、こちては道なり。(近思録道体32)

彼の大道廃て有仁義かひくい見なり。大道は千両、仁義は鰯このしろに思ふ。大道は進物ないやふなもの。仁義は進物をした様ぢゃ。進物するより何もやらぬ所か親切と云。(近思録道体32)

神道は某知ぬことなれとも、ちと親切が過るなり。五十に成子ば傳授かならぬと云があるそふな。それも親切に云過るゆへそ。五十に成ぬ若ものは、くっと吹出すこともあらんがなり。其筋、鈴木貞斎も云た。(近思録道体33)

楞嚴經に好色を戒るとて腎精を動すそと云はれた。云様か孔子よりは親切て、釈迦のか若いものの戒になるやふなれとも、孔子のすらりとしたか中国、釈迦のは親切か夷狄なり。琴は大ふ間、三絃は煩手。それて琴よりげひる。猿樂と哥舞妓もそれで、能はゆるやか、堺町は殺される。狂言は血を吐たり泣ことは本の涙に見へる。因て、すらりとしたにはふくむ処もありて垩人の詞なり。親切だけ、どふしても釈氏は天竺の道なり。(近思録道体33)

江戸なと潮につれて今朝流れた精灵棚のものなとが、又晩方の潮につれて来るを見て、又今朝の潮か来たと思ふは了簡違いなり。去年の春も今年の春も花は同し物ゆへ、又去年の同しものが來たやふなれとも、天地は向へ行すてなり。潮のことを荘子か焦土にそそくとはよく見て、今朝の潮か來たてなく、やけ石へひくと云かさて々々よく云たなり。異端の語多く垩人の道にもとる。この語は垩人の方へ入用な道具。よく云たなり。(近思録道体33)

異端我からたの小いのをもっていって天地へくるいを云なり。天地を因縁すなり。(近思録道体33)

某などは神道を不学ゆへ不案内なれとも、和訓にはよいことあるぞ。政[まつりごと]と云訓などは、さて々々味ある訓ぞ。祭祀と政事とを合た訓じゃなり。昔の大政大臣は神袛官なり。これにてみよ。祭事政事一つにまつりごとと訓じたもの。此の一つにしてわからぬで靣白ひ味ひそ。(近思録道体42)

佛はもと氣をいやかり、今日にかんさりとしたものをは、あれは假合ゆへ生滅あると云て不生不滅のものをさかして漸々さかし出し、彼本来の面目を云へとも、氣の生滅を道とせぬものを々々々々々と云なから氣の灵をつかまへてうれしかる。氣てない々々々々と思ふに、やはり氣なり。本理は氣の上にあるもの。氣を離れた理はないに、其氣をきろふて何か精出してさかし出し理と思ふか、やはり同し氣をつかまへて居る。(近思録道体42)

天を出すと異端かいやかる。理と云へは理障と云。釈迦が雪山へ迯ても、雪山も天なり。天の字のかれられぬ。天理かのかれぬなれは、女房をすてても夫婦と云理かある。のかれられぬ。…仏か人倫をはなれても、人倫中にこもら子はならぬ。あちは理外なことを云ゆへ、多くは其時かわりを云。一人出家すれは九族生於天と代りを出すたけか無理なり。もと出家と云か平なことてないから其代りに九族天に生すと云、代を出す。…代りをとるゆへ俗人かうれしかる。そこて、いたんの道は一つさきに面白ひことをもたせるから老子も軍者の祖になり、仏もやかてと云かそこで、やがて死ぬときと後世子がふ。実理にやかてと云其間はない。(近思録道体45)

天の崇ひやふに知見は高く、知の卑きやふに礼は守る。盆祭するやふては道体はすめぬ。我祖父母や父母の忌日の外になんの丁寧に精進をするそ。目蓮が母が地獄に落たとて、皆々の父母先祖もをちもすまい。世の習て比ころは肴賣さへこぬ。盆に精進すると云も世間一統のことなれは、俗家はともかくもなり。されとも道体をよむほとな人か盆に精進せすはとふあろふか、先祖のためになるまいかと苦労する位ては、道体はすまぬことなり。(近思録道体47)

張子が心を惜んで、動けばへると心得る。佛のかぶれぞ。佛法が坐禪堂にこもりて靜にして、枯木死灰にして心のこやしをすると心得るがまちがいぞ。(近思録為学4)

異端は一つすぐれた方からこしゃくをしたもの。凡夫は昏く蔽われた方からの私こしゃく。どちもこしゃくをするは同じく蔽からなり。異端の親方は釈迦、凡夫は欲かわきのこと。格合は大きなちかいなれども、とど自私用智、此二つなり。凡夫は肉を可愛がりすぎる。異端は肉をはなすで五倫をすてる。皆私の部ぞ。知を用るはあるべかかりでない。知を出すこと、佛が生たものを見てもやがて死ぬとみる。はや知を用ひたなり。生たものは生たなりに見れば自然そ。白骨と觀。すれば用智なり。(近思録為学4)

朱子の、異端の中で老子が一ち悪むべしと云れた。近来は孔老一致と云ことを云人もあるげなが、孔子の心は云に及ず、老子ぐるみ知らぬにはなるまいか。わさの上や垩人と辞の上に似たことあろふとも、孔子と老子の心を知らぬになるなり。(近思録為学4)

料理のなるものは、少しはなるとずっと云がよい。豆腐もきれぬと云て、なる手て使われぬ工面をするはほるのなり。夫から高く云へば老荘、次が蘇秦張儀。なんても人の目に立つ智は皆ほるのぞ。老子が絶垩滅智と云が、それがなくなって工面のよいことと見へた。それかほるなり。(近思録為学4)

朱子の、隠者がよく名を好と云れた。隠者の世を捨たと云て鼠色の単物を着て山林え引て、をれはこれじゃなとと云か、それかやはり名しゃ。陶淵明、五斗米を辞し食を乞た。それさへ名か未たぬけぬ。(近思録為学5)

佛法は第一内のことを云道なれとも、今では阿弥陀の盛物にもとかく外々とかさる。佛の方には何んにもない。會式に盛餅も、見事な方を参詣へむける。(近思録為学6)

あるとき利休が弟子の処へ茶にいたに、棚に菓子重あるを扇の尻て上へ下へ菓子を轉してみれば、下ほどよかった。利休が、ほを、茶が上ったと云た。学問は内と云ことなり。(近思録為学6)

心法は禪坊主のすることと異学が云が、論語の忠恕が心の工夫と云ことを知らぬ。(近思録為学51)

法然が、せんたくしながら念仏を云はわるい、念仏唱へながら洗たくしろと云たも靣白ひことなり。中々片手間かけではゆかぬ。暇があるならすると云ではぬるいぞ。(近思録為学55)

(「弘而不毅」について)出家で云へは一休や六祖がよふなもの。僧は肴は喰はぬと云ふものなれとも、六祖は肉邊の菜などと云て、肴汁の中の菜を引出して喰い、一休が蜷川か女房にたわるる、どふでもよいと云。これ規矩なしなり。(近思録為学69)

知及之而以礼。爰へ人を出して云はは一休なとなり。されとも礼節がない。そこが沙門の道なり。髑髏を引て御用心々々々は不以礼なり。そこで知が片ひらなり。性之非己有。礼節のないで、からだに道が逗留せぬ。元日は上下で礼がよい。親の死だときは喪服を着て泣でよい。又病氣のときは背中をさする。そうする内に知の高きはあること。(近思録為学86)

道と云に癖はない。無声無臭にくせのあろふ筈はないに、老佛が、吾が心が虚無寂滅だから、道をも虚無寂滅と見る。夫は丁度酒醉が、吾が目がまわるから、人の家へ行て此の家はまわる家じゃと云様なもの。(近思録為学97)

朱子集て大成と云は孔子へついた字なれとも、周茂叔二程から張子の患なり。其跡を朱子て大成したなり。そこて、今の学者は朱子を目當にして、朱子の学問をやせらかさぬやふにするかよし。何とか云假名の板行ものを見れは、心と云ものは孔孟で得ても、仏老で得ても、神道で得ても、得手からは同ことじゃと云学者もある。さて々々十方もないことぞ。(近思録為学107)

この方と仏とは違ふ。あちは見付るとしてとると云。禪録讀だものは知てをるか、誰は何で悟たの、誰はこれで悟たと云。本来面目のはっと胸へきや々々ときた処か一見了なり。それから和尚になる。本来無一物ゆへ今日の五倫は假もの。親子もなくなると云て無が極意なり。とど經文も禪録もなくする。そこで一切經をくっても凡僧がある。六祖は無筆て寺米を舂ても悟る。あちは空寂の道ゆへそれてもすむが、此方は論語二十篇孟子七篇浹洽してから緊要がある。(近思録致知42)

垩人の道は精粗をわけることでない。異端は精計で粗をすてる。渾沌未分の精斗り取て礼は忠信の薄となぐり、佛は不生不滅を取て人倫を滅却して粗跡と見る。人のからだもやがて腐て無くなると云て親をもすてる。それを粗と見るは目がかいないゆへのこと。親の脊中を撫るが粗と見るなれとも、それがすぐに太極の分れたもの。それで太極が大くも小くもならぬ。やはり精粗が同格になる。天子より庶民、垩賢より愚夫迠婚礼するが粗跡のやうなれども、爲端於夫婦と云てその上に道は具てある。鳶飛魚躍は粗と云へとも、それに道理がんざりなり。(近思録致知48)

惣体借ると云にろくに得たと云ことは一つもない。三教一致も借りて合せる。吾黨の習合の軰、小学ても君臣の義は神道かよいとて神道を借りる。小学にあれほと君臣の義かあるに神道を借るは、全体小学かすめぬのなり。老荘て易を説か高ひやうに見へて、あちへ引こまれたのなり。こちにしたたか高ひことがある。なぜに老荘をませる。借て云のは高いことを云ふも湮晦なり。占屋筭のやうに卑ひも湮晦なり。(近思録致知49)

佛は天地を三分五厘にする見処なり。それを吾儒ては大と取らぬはなぜなれは、事をつかまへてすることかならぬ。天下の事はさてをけ、銭一文も使ふことは得なるまいと云。あまりな口上のやうなれとも、仏のぎり々々の内甲とを見ぬいたこと。あれか高大を云へとも、空理ゆへ云はるる。荘子か妄言も、事を捨るゆへ云れる。(近思録致知71)

威儀行義は外のことなれとも、此の形を脩ると云で内の德が羪るる。垩賢の教は内外交羪ふ。佛者は威儀行義をすてて、只心法と云。いこうよい様なれとも、ぬきみを指した様なもの。垩賢の教は拔き身を鞘へをさまるやふにする。(近思録存養3)

利休か弟子の処へいて棚にある菓子重を扇子の柄てかき立て見て、菓子の上下に甲乙ないを見て、偖茶が上ったとほめた。表裏なき手あつひを云たもの。(近思録存養50)

直方先生が、仏者はたった一つの理屈を方々へ出したかる。綿入羽織を一つもって土用の中もそれをきやふと云様なもの。垩学はそふでない。丁とよい加減のひやうり次第で衣服を着替る。春になる、綿入一つ。もそっと暖になるともふ袷せ。それから夏になると帷子。まっと熱ければ生絹 [すずし]羽織をきるなり。その時々、道理次第にする。それが止たのなり。その止たなりがすくに靜ぞ。止ら子ば靜でない。そこで、こちのは大く違ことぞ。あの方のは靜な様で靜でない。家内がうるさいと思ふ。もふ靜ではない。女房産をする、いやなり。そこで雪山へ迯こんて靜にしようと云。垩人のはそふでない。暮にはかけ乞もくれば松飾もする。そこが靜なり。達磨も少林で面壁をしてをるは靜。そこへ御慶と云て礼者がくる。はやうるさがると靜にならぬ。垩人も靜に面壁でもしてをるかと云に、そふてない。正月は礼にあるく。公冶長の処へ女をやり、又、南容の処へ兄の女をやると云。さぞさま々々な仕度も入たてあろふぞ。それから越後屋へも行く。頓と止とても靜にしてをるやふなことはない。(近思録存養52)

佛が本来無一物、本心に塵の付き処はないと云。そんな高ひこと云ても空理で実がないから、過於大学而無實と云。あれも珎しいことゆへめったにない。二人か三人。やはり孔門に顔子のあるやふなものなれとも、あちはならぬことをむりにする。此方は此教て顔子のやふにもならるる筋かあいて居る。(近思録克己3)

法花宗て死ぬとも念仏倡へぬは偖々たのもしいと思へば、他事では仏に違ふことかず々々ありて破戒する。学者も其通りなり。手前の学派を立ることには立派を云ても、内證ではわるいことする。(近思録出處25)

先年迂斎爰を講するとき、今の学者は惠心の僧都が母に及ばぬとなり。惠心を出家にして其後惠心僧都村上帝の御前にて説法ありし。其時天子も御感あり、御衣を給はりしなり。惠心僧都も喜の余りに定て母も喜であろふ、早く母に知せたいとて早速母に告たれは、母大の不機嫌なり。其方仏心を得させんと出家さしたに世渡りのためかと呵れしとなり。是等は学者の聞て大ふ耻べきことなり。(近思録出處27)

釈氏は今のことを捨て、先きの爲をする、利なり。先のためと云か、やはり彼岸に談義参りにゆく婆々の後生を願ふと同しこと。こふしたらよかろふと思ふ。釈迦も兎角初一心かうるさくなって樂をせふと云氣なり。そこて、心の灵妙なものを宗旨に立て、あれを煩わさぬには家内かうるさくなって雪山へ迯出す。生老病死の苦を厭ひ、何の角のとうるさいだらけゆへ逃げ出した。(近思録出處28)

傳教を始め法然でも日蓮ても仏法をつかまへたゆへ大寺の住寺にしてもよけれは道心坊にしてもよい。それをのけては仏法をつかまへぬゆへ大寺を持せてをけはよく見へるか、そこに居られぬやふになると見苦くなる。学者出世しても浪人しても同し皃でなけれは役に立ぬ。医師も病人か死ても活ても同し皃なれは名人なり。五人つつけて直すと皃がいそ々々する。一と村て疱瘡を二三人もころすとまわり道をする様になる。此方につかまへ処かなけれは是なり。(近思録出處39)

今日の学者孔孟程朱の後に生れて異端を弁することはなろふか、中々日蓮なとの玉しいに及ぶことはならぬ。近思出処の道は後漢の名節のやふにたた腕をこくことではない。義理をつかまへて働くことなり。(近思録出處39)