黙斎語録-上総同門のこと

小学講義より

片貝の弥右ェ門が茄子下さるべくと書て、これがをれが詩じゃと云た。さすがは迂斎の門下なり。これが人をたわけにしたやふなことではあるが、なるほど詩の本意なり。じぎやきを喰いたいと云志なり。(小学立教6)

とんと要助殿、こなたなどが儀丹が墓まへりに雪降りにも行と云は志ぞ。そこで老人を大事にして、此の雪にと云てとめるは老人をいたはりてい子いを尽すはよけれとも、それからして志をやぶるのぞ。そこらは軽重もあらふなれとも、なりたけ老人の思ふ通にするが志を養ふのぞ。思ふままにさせぬとそれだけ元気が衰ふ。養ふと云が大事のことぞ。(小学明倫18)

今祭のことは仏者任て上總一ヶ国に祭はない。とんと無ひ。傳十郎斗りじゃ。僧を頼んて罪を亡すと云はつまり親を罪人にするのじゃ。死ての後は孔子も熊坂も天地一牧、流行の気に成て天と一理に成たもの。天地間一気になりて流行するに、仏者の地獄極楽の説のやふに、あれは地獄へやれ、此は極楽へやれのと云沙汰は片からないこと。ここて罪を滅するの咄もない筈なり。扨、祭は気が主なれとも、理のない気はないから、先祖の気を聚ると云に理に叶ぬことては気はあつまらぬ。そこて理に叶ふた礼を以て祭れは感挌する。たたいこの祭の始たと云は止まれぬ心の誠からなり。(小学明倫28)

姫嶋のをやぢなどもひりきなれとも、手前のことは云ぬて統を得て門風を落さぬ。をれしゃと思ふな、先生の御説と云た、と。つんと先王を称するの意ぞ。よいことなり。(小学明倫77)

近比長藏が禄仕のやふなことを三左へたのむにも、出るが義か非義かを吟味してたのむ。それからさきにはかまわぬ。たのむ処迠は届ける。(小学嘉言78)

要助などををさへて儀丹がきら井なものをくわせた(小学嘉言78)
 

近思録講義より

某か八九歳の比、姫嶋の親父に雀を書いてくれよのといじりすかしたが、今日如此白首になって道体をとけば、其孫が来て講釈をきく。わづか五十年なれとも甚のちがひなれは、今と後とは氣ては差別あるもの。(近思録道体19)

(與聖人一について)、孔子の処で吸物が吸るる。孔子の処へ行ても、季氏や陽虎が二本道具で行ふとも孔子は嬉しがられぬ。柳橋の要介かゆけば道理信仰とあることゆへ、孔子のやれよく来たと云そ。(近思録道体51)

某が何にもかにも道具に忿戻々々と云字を書ておいてこらすが、どふもゆかぬ。怒はこわいもの。團扇にも皆の見る通忿戻と云字があるが、去年なぞは其忿戻の團をひ子りまわしなから、長藏などをしたたか呵りた。(近思録為学1)

成東の武兵衛か先輩の筆記がぬけてないゆへここは讀れぬと云たそふなか、これは実体なことで、十方もない新説を云にはましのやうなれとも、近思録ても讀むに其やふなことてはならぬ。吾方で学問の功がつまれば、きり々々と出るものがある。実体ながよいとほめるなとは、其様なはうれしからぬかよい。子共の清書を誉るやふなは、大人は腹を立つ。学問をして律義ながよいなどと田舎で云は、江戸もののわるじゃれをするよりよいと云ことなり。(近思録為学41)

柳橋の要助は小ひけれとも小さいくるみ儀丹以来五十年、諸親類の学を忌むをかまわず、あの通りの貧乏ても学問して死たか峻き処をへたのなり。偖て、云にや足らぬことなれとも、松や銀藏か一人は器用、一人は一とりきみりきんた方にてあれとも、学問にかかりたか色々な障もあらん。氣質人欲の邪魔ものにさへられたから、此頃はついやめた。これも彼等か上の峻所なり。かわいけらに餘義もないこと。某かそれを聞て、むむそふかと云てをくは不親切のやうなれとも、六ヶしい大事業故に進めものにはならぬ。やめるもの勝手次第のこと。直方の哥に、ともなわん人しなければたどり行千代の古道跡を尋てで、吾一人で行氣でなくてはならぬ。心からのことなり。そこを剛决と云。(近思録為学53)

要助なとか史記左傳を持ているも、持ちそもないものなれとも、学問するにこのやうなものもなくてはなるまいと思ふからぞ。そこが好むなり。(近思録為学55)

直方先生の大学一冊持て加茂へ引込たも知たからそ。眞似をして、佐左ェ門なとか此れは一分によいかけんの工夫と云て大学を持て作田へ行ても何のやくに立ぬ。其より近思の筆記てもするか却て知た方なり。(近思録為学54)

要助なとか史記左傳を持ているも、持ちそもないものなれとも、学問するにこのやうなものもなくてはなるまいと思ふからぞ。そこが好むなり。(近思録為学55)

高ぞれた学者、まぎらかし知見で推す。直方の、これを犬曽點と云はれた。今の上総などの学者は知見がないで犬曽点も出来ぬ。(近思録為学69)

今上總の内の学者にも、どふても悪性と云方がよいと云人があったそふな。そふ云へば中へ這入て見た吟味のあるやうなれとも、どふしてここの根ずみは覚束なし。定て論を立るによって手前の工面によいゆへと見へた。無学は格別、学問をすると云段では性善と云根を知子は学問の本をしらぬそ。(近思録為学70)

片貝の弥右衛門か網引の身分なれとも、石原先生や迂斎の前て一口つつは大なことを云たも、あれが手抦なり。(近思録為学73)

幸七が処の譜代老爺が酒を呑とき、通りがよい々々と云。ほんの上戸ゆへ、あの塩梅がよい。(近思録為学89)

(「理一而分殊」について)親への土産をやり、それから人へもやるか本一つて分が殊なり。川塲の佐左も老母への菓子を途中で乞食にやらぬは一本なり。(近思録為学89)

先日、佐左ェが書てよこした書ものの中にある、何処のか僧が云たに、今の僧の雨祈りをするはあたまで誠のない心て祈るから降らぬが誠じゃとあるも靣白ひこと。これは誠ないの実事ぞ。(近思録為学95)

上總ても義丹や庄内は形をくずさぬが手柄なり。直方と迂斎の通を守た。(近思録為学107)

いとしや柳橋の老人が、私若ひとき、義丹が医者になれ々々と云たれば、こちの先生はあぢなこと云はるる、儒者になれとはいわす医者になれとはと思しに、今思へば次男をば婿に出し、他姓を継くこと習はしなれば、それになるなと云ことてありた、と。(近思録致知2)

某なども廿一の時、初て上總へ下り近思を讀た。今よりもよかりた。其筈よ。迂斎を丸で云たゆへなり。意味の処はどふでも今がよかろふなり。…然れば学問はどらほどすればよいなどと心得ては行ぬことそ。この処にはいこふ年ぶることなり。(近思録致知8)

長藏が凡夫は放心したか未発の摸様と云へり。あじな説なれとも、某ああそんなものほめるも、只なんとなくうかとして物思ひのない処か未発のもようなり。なれとも凡夫のは未発から人欲がつめかけて居るから、未発の場はありても中とは云はれぬ。其筈じゃは。未発が悪いから發したところも尤なり。(近思録存養18)

(非是要字好、只此是學について、)又恭節が、爰が曽点の氣象かと館林から問てよこした。字をうつすにもつつしむが爰の道と見たは曽点の氣象なり。されとも明道の地位に曽点とならへるはあしい。明道は曽点の上をゆく人なり。とは云ものの、此是と見た処は曽点の意なり。迂斎の、髪をなでるやうなものとなり。柯先生の、石のかろふとの中ても衣紋をつくろふと云もここなり。今日は節句じゃからとは云はぬ。たれに見せふとてのことてはない。わづかな処に天理人欲がある。見せふとてするは人欲。(近思録存養22)

某が生氣が兎角腹が立てならぬ。そこで近年の工夫に何にも角も雜念忿戻と書し、扇や諸道具に記してあるかとふもならぬ。克己最難し。長藏がをらぬで訶る相手なさに怒がそうもないが、長藏が居るときは指たることてもないに一日呵てをる。(近思録克己12)

佐左衛門などのやふな親仁でも老母かあるからは鬢を黑くそめるもよい。長藏がやふなものが此頃畠中の道てものしめて歩行も入らさるやふなれとも、親が悦ぶ。とかく親を本にたててする。(近思録家道10)

次男以下は我家で祭をするは、本家の祭を奪はとんとせぬ礼なれとも、生日なそは祭てもよい。大三や文七なぞのやふな二男は祭はならぬが、生日に親を祭は別段なり。望拜に類したことなり。某も支子ゆへ、神主はもた子とも、祖父母と父母の書を掛物にしてをくが神主なり。さて、母親の書は少いもの。小遣帳を切拔てをいてもよい。主一なとも次男なれは其心掛かよし。(近思録家道10)

學問も片々がよい。大三や傳十郎が學問のあからぬは此方へくると直方を好いと思ひ、内へ歸ると親父は直方をわるいと云。そこで學問が上らぬ。兎角兩方へ手を出さぬもの。片方へ專一がよいそ。(近思録出處6)

柳橋の老人が東金の傳十良方へ泊り、朝うす暗ひ中に出て返り、なぜそふはやく帰られたと尋子たれば、もそっと居ると又朝飯を食は子はならぬからと云た。あの冨豪な家で朝飯を食ったとてとんぢゃくはなけれとも、このへん屈に出て人の家で飯を食ふは心持かはるいと云ほどながよいなり。(近思録出處31)