稲葉黙斎語録-佐藤直方のこと

小学講義より

直方先生曰、小学は桑名の夜舩のやうなもの、と。思はずしらず向へすすむ。(小学序)

直方曰、詩は高麗茶碗のわれたやふなもの、と。われたについてはっと云。土器でははっとは出ぬ。どふても言志なり。今の詩人はわれぬまへにはっと云。手まわしがよい。(小学立教6)

直方先生曰、論語に習へ。論語を敎ゆるな、と。何んぼ論語にありても今はそふゆかぬと云は、孔子を敎へるになる。(小学立教9)

直方先生曰、弟子の功は七分に師は三分じゃ、と。(小学立教9)

明にすと云は、直方の昏闇でも取違へぬこと、と。明の字を能ふ云れた。端的に云はは、舜の親の瞽瞍か殺そふと迠したに、舜はくらやみでも孝をとりちがへぬ。いかに親じゃとてもと云さうな処で云はぬ。(小学明倫題下)

直方曰、仁は章魚のあたま、と。あたまをあけれは皆ついてあがる。天子の孝の一つて天下治る。別に天下を治るには及はぬ。(小学明倫34)

直方先生の天木先生へ半切をつかせた。名にあふ天木なれはここをせんととついで上けらるる。直方先生見られて、あふ大がいじゃと云はれた。經師屋てはなし、よくなふても云訳はすむなれとも、不手ぎはをほめることてもないぞ。師につかへるに、ささいなことでもぬけがありては大極にあながあく。(小学明倫76)

直方先生、うつらぬものと咄すは疝気の毒と云れた。靣白くないことを云は倦意が出るぞ。(小学明倫79)

当時の友と云は皆合口出合と云やふなもの。何の益にもならぬ。直方の、鰹の友と云はれた。初鰹は高くても喰ふ友しゃ。(小学明倫89)

直方先生の、理は正直なもの、気は道楽なものと云はれた。親に孝行をするのよいと云ふは知ってをれとも、偖て親か靣倒しゃと云は気なり。(小学敬身1)

直方先生か、学者の寄合は博樗打の寄合の様なかよいと云れた。あいらは吸物の塩梅もしらす、庭の杜若も見す、かとふ々々々とうつ。今日学者のやふになまぬるいことてはない。君子は道を求めるにいそかしくて、人欲かきてもそれをしよふと云ひまかない。(小学敬身11)

夏語[からのこと]に酒徒と云こともあり、飲食之人と云になると不断それ斗り考てをる。もふ私は砂村の茄子をたへたと云と、いやをれは駿河をとふにくうたと云。直方先生か初鰹を食ふたかと問へは、御耻しなからまだたべぬと云。なに耻しひことかあろふとなり。凡夫は飲食之人と云羽織を着てをるゆへ、初ものがをそいと云と耻がしがる。(小学敬身46)

直方先生か、天下一ち上なしの人欲かある、しってか。我をよいと思ふことしゃと云へり。(小学稽古24)

直方先生の、巧言令色は寢あせをかくやふなものと云はれた。内がみなになったそ。人間は黙てをるて仁義礼智にこやしをする。(小学稽古39)

窮理と云も静が本とになら子ばならぬ。直方先生へ、誰かうかつに急になるものが、先生へもう一年早く見へたらよかろうと云たれは、直方先生の、もう一年早く来たらば一年早くやむであろうとなり。(小学嘉言8)

朱子の学友は張南軒・呂東莱なり。呂東莱は近思彔を作る時共々にしたゆへ、朱子とのがれぬすっはりと合た中と思は俗眼ぞ。朱子の学友で南軒斗り朱子と同坐なり。呂東莱は全体学問に見処がない。今世間に朱子学々々々と云者、朱子学は一人もみへず。朱子学と称するもの、大率呂東莱の学なり。人か南軒も呂東莱も似たやうに思ふはををきに相違したことぞ。明の丘瓊山は大学衍義補を作て、朱子学的などから朱子の学を得た顔をするが、実は呂東莱を継く。そこで見所がない。薛文清は南軒を継れた方ぞ。そこで見所ありて理が明なり。今日の朱子学者皆々呂東莱なり。是を知た者は今の世の中にない。此様なことは朱子語類文集へ勝手通りをする人でなふては頓と知らぬことなり。それを知たが直方先生。あの様な大きな見処て兎角李退溪を出す。直方先生などの見処では李退溪取るに足らぬと云か子ることでもあるまいが、李退溪々と常に云て脇へ馳せぬやうにしたものなり。これも律義ではない。見識から出たこと。そこで迂斎や石原の先生のやうなものも出来たもの。兎角近ひ処を目当にするがよい。そこで学脉がふれぬ。(小学嘉言13)

昔年直方先生七十の年、京都へ啓行とき、東海道も木曾路も通りてみるに、歴々から軽い者に至る迠かしこい顔が一人もないと仰られしとぞ。誠に世上無斈なる人庻如此ありつべし。(小学嘉言13)

直方先生の、兎角世の中へかまほこにしてだせと云はれた。骨がなければ骨もえらもたたず食はれる。(小学嘉言13)

直方先生が平日面白いことを云て人が感心すると、これは語類にあると仰せられた。(小学嘉言13)

直方先生の、御代官に今云付られると手代に聞合せてつとめる。(小学嘉言13)

道理のなりを手に入れずにすれば義になる。香車の向へ出るよふなもの。香車と云ふものは向へゆくものゆへ、どこ迠も香車はゆく。直方先生云ふ、將戯盤がちいさけれはこそあれ、將棋盤がををきくは、香車は千里も二千里もゆかふとなり。(小学嘉言56)

直方先生曰、垩人と賢人のちがいは木履と草履のよふなものとなり。草履は大義でない。木履もちかいはなひが、蹈み反へそふと云用心がある。垩人は草履ゆへ蹈み反す気遣はない。賢人は木履ゆへ蹈み反すまいと云ふ力がつく。(小学嘉言60)

直方先生の、でき人欲と云ふことがあると云はれたことあり。若ひ時はかたい人でありたが、年よりて道落になられたと云ふ。その上にもやし人欲と云ことがある。上からみへず、そっと中に人欲がてきてをる。寒ひ時、むまやごへをかけてをくと、芋などが中にめをだしてをる。あのやうなもので、口上は殷謹で心はたかぶり、吾一人の気なり。それかもやし人欲ぞ。或時直方先生迂斎へ、日本一天下一の人欲かある、しってか。我をよいと思ふことじゃと云はれた。(小学嘉言68)

直方先生が奥方へ、をれにうてた顔があるか、あらばしらせよとぞ。あとをつぐ弟子ゆへ迂斎や石原先生へ云はれそうなもの。奥方をたのまれたと云ふがきこへた。学者を相手にしてはうてた顔もな井が、奥方はがくやのがくやなり。相手にしてとりかざりもなにもな井ものぞ。(小学嘉言72)

直方先生の谷丹三郎を戒てやられたに、いろ々々な書物があるなら封を付て土藏へしまうてをけと云はれた。德に入には大学、それをのけては論語孟子なり。(小学嘉言81)

直方先生の、善行にある人たちに垩人をあてるは雀に蹴鞠ぢゃと云へり。十分にない人もこの方とることぞ。(小学善行35)
 

近思録講義より

何んでも蹈段でこへらるる。直方先生、石垣にも一寸した足かけあると屏も越さるると云れた。大中論孟を蹈段にして六經がすむ。(近思録序)

直方の、草履取りの草履を落したも、宰相の政をしそこのふたも同じ(と言う)。(近思録序)

為学は工夫をしてこちですること。千難万難、垩賢を手本にをいて、向へ々々と行く。直方先生の所謂股引脚胖で聾の道中、人にかまわす脇目もふらす垩賢を追掛ける。(近思録目録)

直方先生の、仁斎はうっかりと垩人になりた心もちであろふと云れた。なるほど、あの君子風に自是の病ある。(近思録目録)

直方の云はるる、嘉右門殿の神道へ流れたは、あたまのをしてないゆへぞ。朱子には李延平と云ふあたまのおしてのありたゆへ、あのとをりになられた、と。学者も警戒ないと垩人の地位はさてのけ、その前にくるいか出来る。(近思録目録)

直方先生、理はりちぎなもの、氣はどうらくなものと云へり。どふらくなものを本尊にすると狂が出来る。(近思録道体1)

直方先生、埃にもすてると云理があると云へり。あれには理はあるまいと思ふ微物迠に、それ々々に筋かある。(近思録道体1)

五文字(無極而太極)に色々公事が起り、陸象山かさひ矢あり。無極の字、老子にあるかさし合からのこと。…直方先生、日本人てさへ合点するに、唐人にもあのやふな無器用なものありと云へり。(近思録道体1)

或者、直方先生のことを當時の人か蟻通明神と云も、直方先生細事も物とかめするゆへ明神に比して名つく。太極の筋を立てるからなり。(近思録道体1)

(君子修之吉小人悖之凶について)、直方先生、この二つより外はないと云へり。…小人を、直方先生の、巾着切のことではないと云へり。学問せぬもののことを云。(近思録道体1)

直方先生、町人は性善の外をやると云へり。(近思録道体1)

直方先生の、をれが所へ来るものは安神散をもってこいと云るる。するとの議論、目かまわろふと。(近思録道体1)

悪は飯のすへたやふなものと直方の云れた。だたい、天地の間は善ぎりなり。そこで、飯焚の名人でも、あたまからすへた飯をたけと云はれてはこまる。もそっと待て下され。晩方はすへますと云。(近思録道体2)

すこやかか天の心いきぞ。健と云に、天ほどなものはない。直方の、金の草鞋でも追付れぬは天じゃと云れた。(近思録道体5)

直方先生、蛸魚のあたまをあけると足はそれへ付てあかると云り。仁の中へ義礼智は這入る。(近思録道体6)

直方先生の、紅葉の散るは下から張りてつき落すと云り。散らぬ内に来年の芽をもたけて居る。(近思録道体9)

直方の、仁説を動や感や通の字て書けり。動の端を合点なされたこと。あそこが千两道具なり。(近思録道体10)

直方先生、大職官の木偶の玉をとり返す底を見、学者もあの身ぶりと悟らるる。(近思録道体11)

(感応について)、直方先生曰、羽子の子をつくと云へり。初手ついたは感。それからは応か感になり、感か応になりて間はない。手鞠もそれなり。いつまても續て端はない。面白こと。(近思録道体12)

直方先生、人の死は一ちわるいことの又一ちよいことと云。死は氣の毒なれとも、それて生れる。(近思録道体13)

自暴自棄はよせつけす戸を立るゆへこまる。直方先生の、亭主か出て留守しゃと云ふ、と。(近思録道体14)

直方先生が草履取の草履落した、老中の政しそこのふたも同しことと云はるる。理に巨細精粗のないを見たもの。(近思録道体16)

直方先生の、凡夫は天をこはがらずに人をこわがると云れた。大名でも、妾と戯れるを茶坊主にみられても耻じる。天には耻じず、小僧に耻じるはいかかぞ。(近思録道体19)

(「性即氣、氣即性」について)直方の弁てありし、氷即水なりと云へり。水は流れるものなれとも、それか何からなれは水の氷りたこと。水を水と云はつはない。一つものて二つなれはなり。(近思録道体21)

直方の、朔日二日三日と云には申分はないか、二日になってから、今日は雨か降と云こと出來ると云へり。初手は理ゆへよいか、其日に當りては気ゆへなり。(近思録道体21)

直方先生、氣質はほくろのやうなもの。(近思録道体21)

直方先生の、柱が一本ありても本末はあると云れた。本は三尺、末は二尺とは見れとも、柱は一本ゆへ本末はわけられぬ。(近思録道体28)

顔子や子貢の精義入神の工夫をするも當然なり。その當然には必所以あるから本末をわけて兩段にされぬと云か道体の大眼目なり。夫れを薛文清ほどのものでも取りそこなって、精義入神はとこまても所以然と云に見られた。これで直方先生にかろしめられた。(近思録道体28)

外科が腫物にあてがって膏藥を切るは按排なり。按排では中ではない。直方曰、人が、おれが中を執てみせふと云が、どふして中がとらるるものぞ、と。中は經学爛熟の上でなければ知られぬ。(近思録道体29)

直方先生、をやじは咄されぬと云はれた。理が活せぬ。(近思録道体30)

何ほどのことてもつかまへ処あると引かるるもの。直方先生の、かまほこにして食へと云るる。(近思録道体32)

(已具について)いつも出さ子はならぬ譬への、直方先生玉子の吸物なり。何やら黄色かあるか、それにとさかも蹴爪もある。理はあの如くふくんてをる。あれは氣と氣なれとも、譬へで云ときはそふなり。(近思録道体32)

直方先生、牛の鼻つら通すか牛が生れてから始たでなく、牛の出来ぬ前に道理は具てあるとなり。(近思録道体32)

直方先生の、輪乘か又かへるやふなれとも、あれを向へ眞直にのるとどこ迠も行と云はるる。肴へ蟻のつくも、魚櫃の丸いなりにめくるも、あれも返るてなく、向へすすむなり。(近思録道体33)

(感応につて)今朝思ふたが、丁ど足が二本て沢山なやうなものなり。笑曰、もふ一本あるとあるかれぬ。…直方先生、未た有ふと云か異端じゃ、と。異端はあろふかとさかしてあるく。本来の面目、混沌未分は外をさかしたつ子る。そこて感応か腰をつくなり。(近思録道体34)

仁のことは將棊の駒の利やう覺るてない。胸へのせるてなけれはならぬ。直方先生の筆記に思ことを大切にといてあり。師の力ら借る計ては行ぬ。毎々云、自ら云るるに佐渡の金山に金はあると教たは嘉右衛門殿、掘たはをれと重治良じゃとなり。師の、朋友のと云ては、仁は得られぬ。(近思録道体35)

直方先生か此条にて学問は拜領のものを取り皈そう々々々々々とすることじゃと云れた。よごれの付たをあらへは本とのものになるとのこと。荀郷がやうに性は悪じゃ、修行でよくなると云へば天然自然にないものを建立することになる。孟子の性善と云は、悪はない。悪は跡て出来たもの。(近思録道体38)

直方先生か語類文集がすむと朱子は真赤な迂詐つきとみへると云るるも離合の意なり。(近思録道体43)

凡氣は日月の光も氣なり。直方先生か下々は御月さまの、御星さまのと云が、様の字を付るものてないと云はるる。伯父様の、をばさまのと云やうに云はをかしきこと。(近思録道体43)

直方先生、ごみにも太極があると云るる。親に孝、君に忠は尤なれとも、ごみには太極はあるまいと云に、すてると云道理かあると云。理のないものは天地にありやふかない。(近思録道体43)

直方先生、鼻から飯は食はれぬとなり。口も鼻も近処なれとも、鼻ては食をふと云はぬなり。理かなけれは飯はくわれぬ。(近思録道体45)

直方曰、…朝聞道が垩人になったではないが、早垩人の間へ這入るのじゃ、と。(近思録道体51)

直方先生が、蚤とり眼と云ことを合点かと云はれた。本に子ごふものは精彩がちごう。(近思録為学1)

(「彼以文辞而已者陋矣」について)直方先生の、而已を以てする者はいやしとは、花見にゆきて花は見ずに弁當ばかり喰ふ様なもの、と。あまり下卑たことぞ。芋や菎蒻ばかりくふて、花を見ぬなれば仲間なり。陋しの方なり。(近思録為学2)

性はしばるものてはない。二重箱に入て殊の外大切にすへきものなり。それをしばるなり。直方先生の、政宗の刄をひくやふなものと云り。凡夫は大切の性をみんなにする。桀紂幽厲陽虎、皆これなり。(近思録為学3)

俗儒かめったに文字の出処を出す。役にたたぬことそ。そこで直方先生か、知れぬ字と云ふと東都の部にありと云へり。これ、俗儒を嘲たもの。(近思録為学3)

並川五市郎か、寝酒三杯と碁は孔子の異見でも止められぬと云たげな。それでは克己の功夫はなるまいと、直方云へり。(近思録為学3)

誠之と云之れをと云字が学者のつとめぞ。之と云字を掛物にするがよいと直方先生云り。之と云ふ字は力のつく字。通鑑に、忠臣の君のために死んたを之に死と書たを引て直方先生の云はれた。元氣な字なり。(近思録為学3)

(「造次顚沛」について)直方先生の哥書箱の譬、尤親切なり。某などが定家の書れた哥書を持、これは結搆なものと思ふても、左程にもない。哥人は火事と云ふと一ち先きにそれを持て出る。(近思録為学3)

道学を得るには、文章めかぬほとよいそ。直方先生の、をれは唐へいても五郎左ェ門じゃと云はれた。手づつなやうで、面白ことそ。文人の高ぶるとはちごふ。(近思録為学3)

足容重くと云はあつらへ向きなときにこそ云へ、火事のときはかけるがよい。直方先生の、火事のときはかけるが靜と云れた。宇井小市が、火事のときにはたとへ足は靜に行ても、心が靜にないと云た。又、直方の、動靜は上腮下腮のやふなもの。两方あるで飯を喰ふ。動亦定靜亦定りなり。どちを取てすてやうと云ことはならぬ。(近思録為学4)

直方先生の、爰の弁(可遽語定哉)に云たてはないが、佛者を一と口にわるく云たことがある。あいらが身のおき処さえ知らぬ位で心のをき処を知ふ筈はないと云れた。一つ此の直方を説ふなら、いかさま身のをき所はむつかしいことはなし。心かむつかしい。たとへは、武士は奉公と云が骸のをき処。百姓は耕作で身のをき処。町人は啇で身のをき処。まつ道理はのけ、身のをき処と云はかふしたもの。佛が、女房が産をしたの、子供が疱瘡をしたのと云をうるさく思ふて山へかけこんたは、身のおき処をしらぬのぞ。なんのこともなく、それは心のさはいたのじゃ。心は二六時中をこるもの。身のをき処さへ知らずに心のをき処を知ろふやうはないとは妙語なり。又、直方先生の永井子にをくる手紙に、何んでうろたへる々々々々々と云を説き、色々のうろたへがある。可考。仏者の山奧にしっとりとしておるが、しっとりとうろたへたのなり。出家したをうろたへと云からは、俗人の出世したいとて輕薄をしてまわるは固りうろたへなり。出家のよい寺になをりたいは、うろたへた上へのうろたへなり。そんなら隠者の引込むはよいかと云に、道理から出子はうろたへ。達磨西来九年の靣壁もうろたへなり。(近思録為学4)

無心無情の無が自然のことなり。直方先生が、雷は鳴が無声無臭、摺鉢は鳴るが無声無臭。(近思録為学4)

(「其端無窮」について)直方曰、此山を一つのけやうものをと云よりもならぬことじゃ、と。(近思録為学4)

直方曰、腰物が廿腰ありても鞘はそれ々々じゃと云た。佛は一つ鞘ですましたがるから、天地とそりが合ぬ。(近思録為学4)

直方曰、巾着きりは上手なほどわるい、と。知はすら々々がよい。用るはこしゃくぞ。又曰、鑓や木刀の師が、ずっとござりませ、ずっとござりませと云が面白ひこと、と。そこへ出るもすら々々が自然のなりぞ。木刀をかまへて、すら々々がなりにくひもの。中々ずっと出られぬ。(近思録為学4)

直方曰、馬鹿な子も利口な子も、親は死でもよいとは思はぬ、と。私のないこと。ひいきのないこと。(近思録為学4)

利口はよいがさるがわるいと直方の云へり。(近思録為学4)

直方先生などは、出入の町人や大工などと咄すにも、活たことでありたと云。なんとこのごろはもふかるかなどと、快活に話せられたとなり。凡そすらりと出るは心のいきたからなり。それて奧方に、をれにうてた皃があらば知らせてくれろと不断云れた。其修行から自負されて、おれになんにもよいことはないが、をれにはすききらいがないと云れた。(近思録為学4)

直方先生が、負け公事を勝にしたいと云心が垩人にはとんとないと云れた。(近思録為学4)

直方先生、行ひはせふ子が強くなくてならぬ。一番鑓の木口へ向たとき、誰も彼も一番乘をせふと云せふ子のとをるて存義と云もの。知たとをりに出たのあたまて武士が迯ますとは云はぬなれとも、さあと云ときになるがさいご、兼てのときかなくなる。(近思録為学6)

知か初め、行ひか終りて、此二つて垩賢にも至る。直方云、王陽明は、足は達者なれとも下駄の歯か片々かけた。とんと歩行ことはならぬ、と。(近思録為学6)

直方先生、敬を主とせぬは守なしに子を遊はせる様なことぞ。もりがなければ井戸へも這入る。そこてもりをつける。それはとうしゃ。子ともは生もの。それて生たもりをつけて、守かいる。人形はすすける迠をいても置たなりてをる。心はいきもの。善ひ方へも悪ひ方へも飛て出る。直方先生、心は火に属する。瓶の水に氣をつけよとは云はぬ。たた火のもとを云。大釜の下へ手を入れて見ると云程に念を入る。同し五行なれとも金にも木にも用心はいらぬ。只火は油断ならぬ。心かそれなり。ちとゆるす、十方もない方へゆく。(近思録為学7)

只の生のままて死ぬ。尤らしく年はよれとも、直方先生、ごずみのかれたよふなものと云はれた。ごずみのかれたは五十年過ても何にもならぬ。屏をするか遊行寺の僧の衣をぬるより外に能はない。墨とは云はれぬ。学問のないに年をとる。さて々々老者とも貴びにくいはあほふを云からそ。(近思録為学9)

直方先生の、論語に習へ、論語を教るなと云へり。今日人論語にあろふともと云。それは論語を教るなり。(近思録為学10)

直方先生、手前の子よりまま子を可愛かると云へり。我子が可愛けれとも、そこか私主ゆへ心のそこでいやなことあり。(近思録為学10)

(「必自省於身」について)直方の、今日の人針程のことを棒ほとに云はれてと云か、其針程のことの無ひやうにすることと云へり。そこか省なり。(近思録為学11)

兎角習てなけれは役に立ぬ。直方先生の平生云はるる、師の力は三分、弟子の力は七分がそれなり。直方の、重習の了簡てなければ孔子を師にもってもやくにたたぬと云るる。(近思録為学13)

直方先生、平家のあはれなも坐頭の声かやかましいと云。(近思録為学15)
辞は外と思へとも、内と一枚なことは、直方先生、箱根をにせ手形て通ては心持かわるいてあろふと云。ここか、人か我手に一寸とうそを云て、又た我手に我顔を赤くする。遠くからわるいことの聞へて来たてなく、其迂詐て向の人かこちの顔見ると直に赤面する。これ一つものなり。辞と内と一つらぬきなり。(近思録為学16)

志道懇切。どうなりとして道理を得たいとすること。直方先生の、此四字先つ俗学にはないことと云へり。(近思録為学17)

学問は天地の化に象ら子ばならぬ。そこを知りて直方先生の、学問は急ひでならず、ふらついてならず、襷をかけてそろ々々ゆけと云れた。(近思録為学17)

外事が不調法でも、ぬけ目があっても、明善に目がつけばこはいことはない。直方先生などは爰に目がありてあれほどになられたもの。をれは洪範は知らぬ。家礼は不吟味。易は知らぬ。丹治にきけなぞと云。実はをふちゃくな云様なれとも、この棟上けのすんだからぞ。そこて晩年、仁義忠信不離于心と云は直方のことじゃと、迂斎の京へ往たとき、三宅先生の云れた。これが即ち文章雖不中不遠のことぞ。さうなる直方が大学一冊持て加茂へ半年引込た。是れをぼく々々した役に立ぬ親父と見ることでない。天下古今を鵜呑にする人ぞ。夫がああしたは、泛濫無功を見たもの。浅見先生の靖献遺言を編るるころ、直方の土佐の谷丹三郎か処へ手紙に、今年から書物箱に封をつけて、四書小学近思の外讀まずは学問が上ろふと云てやられた。泛濫無功を知らせたもの。(近思録為学19)

直方曰、仁は綿帽子の様なもの。ほや々々したもの、と。(近思録為学20)

学問の目當は大いものゆへ、漸でなければゆかれぬ。某が若い学者のすすむとてあまり悦はぬもそれて、此道学至て大なことなれば、中々得られぬこと。あくみつけば頼母鋪と思た学者もやめるもの。夫れを見て直方先生の、志ありもやせんとたまされて幾度説きし口をしの世やとは云たもの。(近思録為学22)

朋友の信は四季の土用に當って四倫に味をつけることぞ。それが朋友の任なり。直方先生が、今のは鰹の出合じゃと云れた。任がないからなり。(近思録為学23)

直方先生か、此本の表紙がこれではどふもならぬと云学者は役には立ぬと云た。(近思録為学24)

直方曰、記誦博識が心の邪魔をする。玩物喪志になる。土藏は大切なものを入るるためなり。古るわらじや古樽、古ひ菅笠ごた々々入れては大事のものの入る邪魔になる、と。(近思録為学27)

学問はことを知ることてはない。理を知ることぞ。直方先生、事知りは役に立ぬ。理知りになれと云かそのことなり。(近思録為学31)

天下國家の政をするに治体かある。直方先生か、熊沢次良八かやうでは体を知とは云れぬとなり。(近思録為学31)

直方先生の、書簡に末後のやふす見届度候と云はれしなり。若ひ時は元氣をして通すが、年がよると役に立ぬ。(近思録為学36)

今日のすへきなりか垩学のきり々々そ。直方先生か、今の人は地獄へ投け銭しゃと云へり。をれはやがて死ぬが、こふしてをくとあれがためになると云。地獄へなけ銭なり。(近思録為学40)

直方先生が、返魂丹を賣る者の云ひ立ては只賣る為めじゃと云れた。学者の外を張るも賣り氣がある。詩文の学計りが外を飾るでもない。講釈をよくして取るも外へついたこと。外へ出るによいことはない。某が毎々云、盗汗は其度々に内はみんなになると云もこのこと。醫書にも汗多亡陽下多亡隂とある。人の身帯もそれなり。(近思録為学43)

直方先生の所謂、一休が小僧鴉を驅ひながらも高ひことを云。(近思録為学49)

直方先生、忠計りて恕がないと昏暗でかぶりをふるや様なものと云た。今忠なしに恕をする人がある。それは拵へものぞ。進物計りで誠がない。(近思録為学51)

直方曰、忠恕の仁になるは、娵か姑になるのじゃと云た。忠恕が年が寄れば仁なり。(近思録為学51)

今侍に向て、御前は何ぞのときには迯ますかと云に、徒士足輕に至るまで、成程迯ると云ものはない。されとも何そのとき、一番帳についたもののすくないでみよ。中々ならぬこと。直方先生の、五牧兜の緒をしめる処じゃと云た。ゆるむ処をむすふなり。(近思録為学53)

直方先生の、種のない品玉は取れぬと云。(近思録為学54)

直方先生の、知かなくては、かたてすることは九年靣壁しても役にたたぬと云れた。(近思録為学54)

直方先生の若ひ時に、大職冠の玉とりの人形を見て、あのいきを忘れまいと云れた。(近思録為学55)

直方先生へ或人が、四書の注に何の反し々々と韻鏡のことがごさりますが、吟味せずはなるまいかと云たれば、成程吟味せずはならぬが、それは調度人の処へ往て、御庭の櫻を見たひと云様なもの。それもよいか、今日は内客があると云ならば帰るがよし。それでもと云てすり足で行くに及ぬと云はれた。文章訓詁も入用なことあるか、一向になりてすることではない。(近思録為学56)

心斎は心のととのふと云こと。心の齋ふたは仁を得たことぞ。直方先生の、加賀殿には叶はぬと云はれた。(近思録為学57)

(「敬義」について)直方先生の上腮[あご]下腮のよふなものなり、と。車の两輪鳥の两翼なり。(近思録為学61)

高ぞれた学者、まぎらかし知見で推す。直方の、これを犬曽點と云はれた。今の上総などの学者は知見がないで犬曽点も出来ぬ。(近思録為学69)

直方の、労咳病みの思ふは思ほどわるいと云はるる。(近思録為学72)

明弁は直方の、豆腐を二つに切て、其庖丁で切り口を两方へは子て見せるやふなものと云へり。蛇の目をあくて洗ふたやふに、さっはりとすること。(近思録為学72)

直方先生は江戸俗人の利害へ這い入っている人を教るゆへ高くしこむ。三宅子は京の手前の学校てしこむゆへ、じりんから仕込む。向の相手次第て仕込方は違ふそ。今此中に高それる人のないは、夫迠の力らのないのぞ。(近思録為学73)

直方先生の、知を鼻にかけるは知惠の宿なしに成たのと云れた。本来が知藏と云て引込でおるもの。そこで工夫も知は内なり。(近思録為学79)

人の出来ぬ前に、氣の短ひの長ひの、馬鹿の利口のはない。安産目出度と云ときが氣質の序開きなり。そこで直方の、親の生み付けの泥まぶれなぞとも云。(近思録為学80)

直方先生の云はるる、土藏の屋根をふかぬ内雨がふると、ふいてから降ればよいとはや天をうらみるとなり。(近思録道体89)

直方先生、人欲がはいると天がかつへると云はるる。見て取たことなり。飯くわぬをかつへると云。人欲かあると天理は絶食なり。(近思録為学89)

直方先生の云、死んでからと云ことはないとなり。垩人の道は佛とちこふ。大病を苦んたか寧と云やふな筋てない。道理のなりに太極に引屓のないを没吾寧しと云。(近思録為学89)

理一分殊は天地自然のすかたなり。理一の段には、恐れながら禁裡檨も公方様も鉢坊も千ヶ寺も我兄弟なり。分殊の段には、直方先生の云はるる、公方様へ出てこちの兄様と云たら大事なり。又、迂斎云はるる、顚連無告者と云て乞食に二人扶持つつやったらたまらぬとなり。大名ても挌別なものに隠居扶持下さるる。成程、理一分殊か天地自然なり。西銘か孕句に理一分殊を云をふとしたではなし。自ら分殊はあるもの。蚤や虱を兄弟とは云はすに與と云。はや分殊かある。(近思録為学89)

(「自誣」について)直方先生、我巾着を我手に切と云はるる。(近思録為学89_2)

立心は直方の云はるる、武士が君の為に一命を指上けやふなり。(近思録為学92)

直方先生、山﨑先生へ初て出たとき、若ひものを輕ずなり。山﨑先生、素讀をしたかと問はれた。直方先生、四書五經の素讀せしと答ふ。柯先生、太夫乗安車適四方はどこに有と云。そのとき直方先生即答に遲疑せられたれば、其れは曲礼の巻首にある。それてをれか処へ来るは早ひと云て突返された。そこて、こそ々々かへり、其後又出られたとき、唐本かすら々々讀ぬ迚又呵られたれは、直方先生、某学問は大きな寺を持てないか、道心坊になりても佛になる覚悟と云はるる。そこでこの通のこと。致知挌物の素讀の時から、はや仏になると云か大意を見て不疑之地に至れり。そこてあのやかましい山﨑先生なれとも、あけて通された。(近思録為学92)

人が結搆なものを持たぎりて弘めぬは人の甲斐はない。直方先生が、扇は風の出る筈に拵たものなれとも、人が扇か子ば出ぬ、と。腰にさして居ては冷くはない。迂斎のかるいたとへで示された。火吹竹も吹子ば火はほこらぬと云た。いかさま扇を棚に上てをいては、風は出ぬ。(近思録為学93)

直方先生ほどな高明で、二葉の、しののめの、をだまきのと、徒然や軍書から近代のよいものを取りて書ぬきにされた。(近思録為学94)

朱子の、古は有物必有則じゃか後世は物計りで則がないと云た。直方の、今の五倫はから樽じゃと云れた。(近思録為学95)

直方曰、礼は形なれとも、形でよし。丁と法花坊主の念佛を云ぬ様なもの、と。死ぬとも云ぬ。これ、守得定たもの。さて思もかけぬ様なれとも、よい弁なり。学者は礼の形を守ることぞ。(近思録為学96)

多聞は事知りのこと。直方の、事知りより理知りがよいと云た。帳に付て覚て居たことゆへ用に足ることもあるが、天下のことを尽すには足らぬ。(近思録為学99)

直方先生の、年よりてをとなしひはごずみのかれたやふなもの。堀の屋根をぬった跡をするして置ても、能くなる氣つかいはない。(近思録為学100)

直方先生の、梅干のやふになるなと云へり。(近思録為学103)

或人直方先生へ見へて、養子の御義論は今に昔の通りで御坐りますかと云ふたそ。諸生大笑したとなり。(近思録為学108)

直方先生の、耳目は心へ附て置くものじゃと云れた。心と云旦那か耳目を聞合せにやって、見たこと聞たことを旦那へ申上る。すれば耳目は心次第、心のために働くものなるに、外役す。心はらりになる。わきの旦那へ行て奉公するやふなものそ。耳目は心から禄を取て居て、外物の使者にあるく筈はなし。(近思録為学110)

直方の、なろふなら知は穴藏へなりと椽の下へなりと仕舞て置たひ、と。知藏の跡なきなり。(近思録致知1)

知なしに勉強ていたはつつかぬ。直方の、子とものをとなしひやふなものと云へり。もりは入ぬかと思へば、はや池へすべり落たり拾ひ喰をする。油断はならず。(近思録致知8)

論語で直方の面白こと云れた。孔子の子路に不知爲不知是知なりと示した。致知はしれるたけつめて跡はそふして置。目はとふして見へるそ。竒妙にみへると云か知なり。これ迠は知れる、これから先きは知れぬとつめれは、其知れぬまてが知のことなり。(近思録致知8)

直方先生の、労咳病の思は思ほどわるい、と。(近思録致知10)

直方の、ひもじいと思ふ。食をくふ。直に腹に溜る。飢はやむ。飯はものなり。腹はこちなり。これ二つて一つに内外を合すなり。(近思録致知12)

直方先生の、ごみにも捨ると云理ありと、かふ合点すれは、すてると云ふがこみて挌物そ。(近思録致知12)

直方先生、猿猴の月をとる様なことはこちにはない、と。類を以て推す。じっかり々々々々として行ことそ。又直方の、兄弟を置て従弟と出ることてはない、と。従兄弟は兄弟を根にして兄弟挨拶をよくしてをいて、従弟と云は兄弟のわかれたのと、それからをして行くことなり。(近思録致知14)

疑のつく処か学問の上る小口なり。直方の、雨ふって地堅まると云か爰のこと、と。泥のぬかったのか固るの本になる。又、直方の流言止於知者。誰云出すともなく、やかて大地震かゆると云。知者がそれはなせにと疑ふに、何か知らぬがと云。はてあてもないことをは云はぬものと云て留めるなり。留主居廻状のやふに色々のこと云てくるを、それはどふした訳ぞ、其意得ぬと疑ふと、根が空言ゆへ流言がしょげる。身代も人々不勝手じゃ々々々々々と云てばかりいるが、どふしてをれは不勝手と首をひ子り疑がつくと身代もたてなをす。直方先生、どふしたら主人の御為にと疑を起すて御為になる。(近思録致知15)

直方先生の、今の学者は異端と草摺引をしている、と。異端のことは跡上の断があるで、あれにあつけてをけ。此方の道は天あれば地あり、夫とあれは婦あり、父あれは子ありてにき々々して、正月は麻上下、婚礼には酒肴なり。この方の道はこふしたことと此方を守るなり。(近思録致知16)

直方先生の云、何たる因果で学問を始たやらと云てなくては得られぬ。(近思録致知18)

直方の、疑をしまふてをくは鼻紙入に埃を入てをくやふなもの、と。(近思録致知21)

直方の、繻絆からぬけ々々と云た。上み方からきて弟子になりたひとありても、とかく旧見かこびりついて居る。そこて上着は勿論、じばん迠ぬけ々々と云はれた。こびつきを洗去て新意を来たせ。某五十年思ひつめましたと云ふか、百年思つめてもわるいことはすて子ばならぬ。直方先生の晩年京へ上られて帰府の時、弟子衆の此度御上京で昔の故友老人方に御出合で御学談あらんと存ますると云たに、いや、若ひものともとはかり咄た。年よりは情か強くて咄されぬ。うつらぬ人と咄すは疝氣の毒と云れた。旧見を洗去ぬ人は日新はなし。(近思録致知21)

直方の荻野庄右門を戒て、知で文義をさばくがよくない、文義から知を出せと云たは背却させぬ為めなり。(近思録致知26)

直方先生が、うつらぬ学者と咄すは疝気の毒にて候と云れた。(近思録致知26)

一つ々々吟味するで益になる。直方曰、迴国が大山へ登て是から箱根、夫のさき三嶋と段々推して、これて尽たと家へ帰る様なもの。品川の問屋塲て、長﨑迠此通りと云ては役にたたぬ。夫では垩賢の書があたま計りになる。近思も無極而太極がすめばよいと云になる。そんなことは高ぞれ名人藝で致知の道でない。(近思録致知28)

京の大佛の礎、石垣の石を見ても、只のものは大きな石と云たぎり。石屋や日傭頭はどふすれば取れると見る。心を付るなり。直方曰、普請奉行も只人足を多く入るるは下手なもの。思はぬ奉行なり。今日は何人でよい、多くは無用と云は思たなり。俗学はさら々々見て作為如何と思はぬ。(近思録致知31)

直方先生の云はるる、詩は東山を裸であるくやふな男にうつる、と。左様且又では、味はしれぬ。(近思録致知43)

直方先生か茶碗と云ものは象しゃ。其茶碗をたたけはちんとなる。それも象じゃ。なせなると云ふは理て、とんと見へぬ。ちんとなる理は茶碗の上に備てある。(近思録致知49)

直方の爰のたとへあり。數は輕ひものじゃ。理へへったり付たものなれとも、輕ひ証拠は、上へ様の御料理人や飯たく役人は四品侍從て歴々てありそふなものなれとも、輕ひものかする、と。なるほと尤なり。(近思録致知50)

直方先生の、大勢子ともがよりて遊ぶに一ち発明なか子ともを引廻す。同し子共で誰を頭にと云こともないか、大勢の中で自らそうなる。(近思録致知61)

孔子の春秋と云屋敷に左氏が孫店を借りておるゆへ、あほふなことまでが孔子の屋敷内になるぞ。そこで直方の、左傳は留主居廻状を見るやうなものと云れた。(近思録致知61)

直方曰、氣質のよいは凍雨[ゆうたち]のやうなもの。馬の背をわけると云。此村は降らぬと云。凡夫の形りが片々明るくても、片々はくらい。氣質に公はないもの。(近思録存養1)

直方先生、小学は桑名の夜舟しゃと云へり。いつとなく七里行く。小学は洒掃應對云々をする内か存養なり。今日の役にたてすとも、あとか違ふそ。(近思録存養9)

直方先生の、或人へどうじゃ此頃は靜坐をするかと云たれは、随分いたましますと云た。其隨分がわるい。そう致されてはたまらぬ。(近思録存養16)

未発の中を丸で持てば垩人ぞ。凡夫は其塲がちっとはかりある。そこて直方の、凡夫も未発の場はある、と。金鷄眠覚未発声が未発の場なり。(近思録存養18)

直方先生の、今の世に誠意の功夫をしたものは嘉右ェ門殿と重次良、養菴此三人計じゃと云へり。太平の世に生れて目出度と云ても、心中は天理人欲て保元平治の戦なり。(近思録存養21)

直方先生、奥方へ云はるるに、をれにうてた顔かあらは知せてくれよ。ああ々々氣味のよい。先生、それを頼むなら迂斎や石原先生で有そふなものに、そこを大切に聞ふことで女房に頼むと云が大切なこと。(近思録存養34)

石原先生の咄に、直方先生京都へ旅立の朝、どうしてか人足や傳馬か來ずに待ている内が一時程も延引したを、不断の通の底で学談せられたとなり。あれほとに活濶に養ふが浩然の氣なり。(近思録存養34)

直方先生云、老子はないやふにする。仏氏はなきものにする。根からあらせぬ。子ともかぎゃっと生れ出る。あいつもふ死だのじゃと見るやふなもの、やうなもの。老子は泣かせてすててをくやふなもの。(近思録存養47)

直方先生の、未発はあとで知れるものと云はれたが、さて々々合点した云はれやふなり。ここが未発かと云と、もふ未発の前に中を求るになる。未発に手のつけやふはない。たへず愼でをる。そふするとよく已発がよく出るなり。ここがよく出るなれば、未発がよいにきはまる。(近思録存養52)

直方先生の手に入られたと云は、伐木丁々山更幽、この句をだして、これが未発の氣象じゃと云はれた。これらで未発の塲を合点しよふことぞ。伐木丁々は、木こりがよきをもってどったり々々々々と木をきる。その音が我耳へ入るゆへ、いきてをる。ああなるなと念もをこさず木をきる音をこっとり々々々々と聞。甚靜な未発のていなり。(近思録存養52)

直方先生なぞは、をれに何もよいことはないが、物好きがないと云れた。(近思録存養59)

直方先生の、靜坐は人の処へ行て、髪月代に致しかかりました、只今御目にかかろふ、暫時待れよと云様なときがよい靜坐の仕時と云れた。これて靜坐に仕時のあることを合点せふこと。人に待せらるるときが只のものののっつそっつするもの。其時すらりとして、きげんをよくして靜に坐しておるがよい。又御成の時、縄を張って大屋や町代がいかな大名でも通れぬ。学者も會讀に行くがをそくなるとていかに待わびても済ぬ内はいかな通さぬ。そこを辻番の脇で靜坐をする心ておるが大の德分んなり。田舎て寄合にさきへ行たに人は寄らぬ。これは損なことと見ることでない。ここもよい靜坐なり。学者の心の工夫はどこでもなる。ゆだんもすきもないこと。啇の上手か思の外な処でもふける。欲のふかいものがころんでも砂をつかむと云。学者も轉んでも砂をつかむと云様なが工夫にはよい。これが法外の教なり。玄關からものもふと云ても、靜坐にかかりた、返事はせぬの、親の呼ぶにたった今靜坐にかかりたにやかましいと云は以の外なり。それは靜坐でいりもみするのなり。(近思録存養62)

直方先生雅樂矦で正月の開講憲問耻の章に當り、時に列席の上に或る諸矦の言はるるに、今日は年始の會なれば何ぞ目出度章を聞たいとなり。直方先生曰、この章ほと目出度いことはない。耻を知れは國が治り、耻を知ら子は國が乱る。天下の興廃皆耻を知ると知らさるとにあり、と。これが直方先生の頓知で云たことでなし。誠にそふて、耻が國家にかかることなり。其時の講方と云はやはり伊川幼君の講筵で顔樂の章をよまるるに聽者人君に切ならんと思たれは、顔子の一簞一瓢陋巷に置たは魯に賢君のないゆへと説をさめり。(近思録存養67)

学者は間断なくても動靜の時を知らぬとたたさわぐはかりてわるい。其やふな学問は冥々悠々てやくにたたぬ。書物を懐中し、机て一生仕舞たなり。とふらくものは挌別なれとも、学問しながらここを見ぬ。皆落付た顔て知らぬなり。直方先生、与惣左が落付た顔しても、うろたいとなり。合点ゆかぬなり。永井玄厚に答る書にあり。(近思録存養69)

世俗から賢人じゃの君子じゃのと云るる人にもすんど心で高ぶる病があるもの。天下に吾一人と思ふ。是が人欲の日本一なり。直方先生云、日本一の人欲と云を知せてやろふと迂斎に云れた。はああと云たれは、吾をよいと思ふことじゃとなり。此病は一生ぬけぬものそ。(近思録克己10)

直方先生が中風はからだのゆるみ、それが心のゆるみからをこると云た。無理なやうで学者の功夫には至てよい。こちの警発になることなり。(近思録克己38)

直方の話に、何か好じゃと云たれば、しばらく考て私は何も角も一ち好でござると云たとなり。をかしい話なれとも聞へた。蕎麥切好と云と、ひょっと温飩のとき損そ。酒と云と、又餅のときはづかれては残念なり。そこで何も角もと云た。凡夫のありていを云へは、何もかも一ち好きなり。今日の人が皆これだ。巧言令色とをく病てはかりでもつなり。巧言令色と臆病がなくては、ありたけのか皆出るてあろふ。(近思録克己39)

直方の、父子親あり君臣義ありは樽と酒のやふなものて、今父子君臣はありても親と義が明にない。明き樽なり。(近思録出處17)

直方先生云、尊氏の方へ順へは不忠、楠か方へ從へは忠。三國ても劉備に從ふは忠、曹操に從ふは不忠なり。(近思録出處17)

直方子の門人に町人あり、火事に合た。先生も火事塲へ見舞に行れたに、其門人か私も藏も三戸前焼て身上皆に仕たが、先生の御かげて妻子に怪我もなくてと存すれは身代のことも苦にせぬ、安堵致すと云を、直方の、いや、そちにもそっと大事のこと云て聞せふ。藏三つは勿論、たとひ妻子に怪我が有てもうろたへぬことと云へり。人謀を尽せば心を動すことはない。(近思録出處23)

直方の咄あり。ここをすます爲に云ふか、稲荷堀の屋鋪近火あり。ときにかけ付た諸門人へ皆粥て膳と云に、弟子か一人配膳しながら箸は竒麗かと云を直方先生、汝之是心不可入堯舜之道と呵れり。靣白い呵りやふて、箸のきれいは庭の牡丹か月見のときのこと。火事騒のとき其魂がなさけないことなり。堯舜の道は生たこと。それて道を求る。(近思録出處24)

隨分程朱を信し人抦もよけれとも、はやらせたくなりて耻を忘れる。今山﨑派の学者と云て唐詩撰や蒙求の講釋もしたくなる。とかくはやりたいからなり。廉耻を知ぬゆへなり。直方先生の前々云、あの法花坊主に念仏を唱へよと云ては中々唱へぬ、と。耻を知たのそ。(近思録出處27)

ものはあはいかよい。義理の通りは淡いもの。直方先生の、こびつきと云ことを云へり。これ惑なり。義理に害ないこともこびつく。それがわるい。(近思録出處33)