黙斎語録-黙斎の思想

小学講義より

洒掃応對が皆大学の事業の基い本、下地なり。(小学序)

小学のしこみと云ことなしに大学にならうとするは、百姓が種を持たぬやうなもの。正月から精出して田へ入りづめに精根をしても、いくらこやしがつんでありももやくにたたぬ。(小学序)

某が今小学をよむは小学校のことではない。学者の格致の一つなり。大学の咄しなり。小学校とは云はれぬ。今日此方で敎をせうものは領主のことなり。さて田舎などて名主か親かなり。小学の敎は浪人の身分ではならぬこと。(小学序)

立教は子供よりは親たるもののきくことぞ。子のわるいは親の咎なり。…明倫では、とこまでもわるいと云は子の無調法なり。(小学立教2)

いんろうふは皆小学。其いんろうに蒔繪をするが大学じゃ。何のことはない。小学にみがきをかけるが大学じゃ。(小学立教2)

今日は学問と云ても、習のない故よめるばかり。其読めるがよめるだけわるい。丁度きれる刀をぬきみでさしているやふなもの。あぶないことぞ。(小学立教2)

今の仕為己は身に着、口に喰ふ。皆己か肉身の建立。それなれば、仲間奉公も同様なこと。(小学立教2)

垩賢の敎はものをはなれぬ。物の理は心と一つぞ。なれとも心計りで物からきめぬと向へ行てどふもならぬ。(小学立教2)

あの木曾の山奥で三味線はないなれとも、労症労咳はとんとないことぞ。(小学立教2)

今の詩人は皆うそなり。うその証拠には、いつもよいことのみを云。月や花のよいこと計り作る。うそを導くのなり。ついに人欲のことをは云はぬ。夕部金を三百兩ひろうたとは作らぬ。雪月風花によそへ只よいことを云。よいことの言るる人がらかとみれは、青黛にしゅすびん、長い羽織で形りにも似合ぬうそを云。これでは敎にはならぬ。田植哥、うすつきうたも敎になると云は本のもの故ぞ。つくろいことは敎にはならぬ。昔のは、よいはよい、わるいはわるいと云たで敎になりた。(小学立教6)

惣たい垩人の刑と云ものを制されたは、殺すへきは殺さ子ばならぬ。これでやはり惠むのすじ。可愛がるのヶ条なり。仏が天地自然の道をもとりて大罪人に袈裟をかけたがるは、道が片ひらな故ぞ。春はほこ々々なれとも、秋はきびしくしまる。刑はありうちのもの。ここの刑、それ々々のあること。丁度の罰を申付る。皆首を切ることではない。(小学立教7)

詩はもと人情を云たれとも、孔子の六經に入れられたは勸懲のためなり。今日の詩も人情はある。なれとも勸懲がない。徂莱や南郭が詩は人情を云と云はきこへたが、孔子の六經に入れたわけをは知らぬぞ。其人情をこちのためにするは勧懲に入用なり。この勧懲がないなれは、わるい詩はぬくはづ。…中原復逐鹿では效はない。今の詩はげいになりたで能はない。詩經と云尻馬に乘て、願くは作輕羅箸細腰と云。上るり、本よりわるい。(小学立教11)

忠臣義士はやりきりに差上たこと。やりきりにした其内をかりてきて、肉身の爲に茶をのむ。かりてきて飯も喰ふ。喰ふてしまふこの身は君のものじゃ。(小学立教13)

子は親に事るを一生の役と思へ。(小学明倫1)

舅姑に事ると云のは、吾を生んだ親と毛すじ程も違ては娵とは云はれぬ。婦は舅姑に事るを一生の役と職分にするはづなり。(小学明倫1)

嚴威儼恪は板天神なり。敬の工夫ではちさうする字。親へ出してはわるい道具なり。(小学明倫6)

親に事へるにも酒屋の野郎のやふに尻のかるいがよい。(小学明倫6)

小学はたれもなることはなることなれとも、たれもなるなれば親に孝行に成る筈。はてなら子ばこそ孝子はない。尊圓親王のいろはのやうなもの。たれもかかれそふなことの、さてかかれぬじゃ。(明倫14)

父子を先にせ子ば君臣の義の根がないぞ。(小学明倫32)

吾身を親と二つに見ると、死後に祭はせぬことになる。一つじゃからひびくぞ。(小学明倫34)

今の人も悪所へ行くは親の手をひいて嶋原へゆくになる。酒をのむも吾か咽てはない。親の口へつぎこむなり。(小学明倫34)

神主の前て爺[とと]さまとは云ぬ。ととさまと云は神主をあなとるになる。神主となれは服を改てきっと麻上下てなけれはならぬ。(小学明倫36)

何ぞ侍は平生か不勤。其癖へらず口、泰平に生れたゆへとするける。何そのときは一番鑓と云かをかしひ。平生のことかならひては何その時は役に立つまいぞ。平日つとめの処を大切にする心か馬先の役に立つ。(小学明倫40)

禄仕は吾か俸禄の浅深をえらぶことはない。門番足輕奉公を望む。同し奉公望むなれとも鄙夫とは雲泥、きつひちかひ。百石やろふと云ても、いや門番を仰付られて下されと云。(小学明倫56)

小学も読ぬものも性善で相応にしてはゆくなれとも、それはやくに立ぬ。只の者はどふやらこふやら曲りなりにすると云か、其まがりなりをせぬが君臣の義を明すと云ものぞ。(小学明倫59)

人倫の本に成るが夫婦なり。中庸にも造端於夫婦。道の根元なり。冬は爲始爲終なり。なぜ又夫婦の別が冬なれは、知か是と非を分る。しゃんとわかるて別なり。夫婦も二人なり。二人をわけるか知のもちまへて、それか別なり。(小学明倫60)

平生心近ひ交りさへ、人の内へは案内をして行くに、人の納戸へ案内なしに行ことはないはづぞ。まして結納もせすにまつ心安くとすれは、案内なしに納戸へ這入るの筋にをちるぞ。(小学明倫60)

妾を抱へるは血脉をたやすまいためなり。後世の妾のことは御坐へ出されぬこと。一たひ見れは国を傾け、二たひ見れは城を傾ると云。傾城又は踊り子。いや御部屋は兎角上方ものかよいと馬鹿を云。漢の武帝の李夫人の類で、皆皃をかかへるなり。妾は子が入用ゆへにあるぞ。そこて入子と云なり。(小学明倫60)

天地開闢以来同姓異姓は分ってあるぞ。気化と形化て別るへし。夏、蚊や孑孑の一度にたんと出来る様に、人もそれて天地か開けると気化て大勢の男女がすっとわいて出た。皆分ん々々なり。其出来た人の数ほと姓が出来ると云はとふなれは、天地一気の化て出来ても形を異にして出来たれは、これ異姓の始なり。其天地の気化て出来た人か夫婦になり、あとは形化なり。すわ形化すると、一たひ形化するより今日我々か身まて皆第一始の形化からの同姓にて第一始の形化。これ同姓の始りなり。…わるくすると学者迠か元は一つじゃと云たかる。元か一つては、天地の間皆同姓になりて同異の弁がとふもつまらぬ。始て気化て出来たか異姓、形化て出来たが同姓と思ふべし。(小学明倫60)

人々信てなくてはならぬか、中んつく女は正直てなくてはならぬ。女房に信かないと盗をかこふてをくになる。(小学明倫62)

男女の騒動の出来るは夫のあま口からなり。(小学明倫65)

今日口きく女は云へは云ほと軽しめらるる。云まいことを云ぬ女は、云は子は云はぬほど人にこはがらるる。どちとふして云はぬか女の道体なり。(小学明倫67)

信と云ふは心と心を尽し合ふてすることで、此信か土に当る。四季に五行を配当して木火土金水各々四時の末に土用がある。これが眞中の土にあたるて土は四季に手傳ふ。よって朋友の信が、土か四倫のせわをして丁どに叶はす。(小学明倫89)

俗礼と云は礼にはたたぬ。節分に柊や鰯のやきがしらをさして鬼ををどすとは淫楽慝礼なり。かるいことても、舟頭のをも梶とり梶と呼ふは礼なり。やくにたたぬことを云ではない。とのやふな舟ごみても互によくつめ開きをして、あれて舟をすら々々やるぞ。(小学明倫97)

五倫に相手になるものかある。相手になるものはなんたと云に、此身なり。(小学敬身題下)

身也親之枝也と云。ここか小学の小学たる処なり。これか出世すると西銘になる。西銘は道体で敬む。ここは親て敬む。そこて天下の人の教になる。(小学敬身題下)

よい植木も根をそっとほってらりにしてをくと、一日はそのぶんてをろふか、二三日の内に枯れてしまふ。何事も本か大事。本かやふれると、あとは皆なくなってしまふ。(小学敬身題下)

事をする上か皆敬なり。事をする上か皆敬なれは、小学校なしとも小学に叶ふことなり。そこて年長けた者か小学の下地なくては大学にかかられぬと云とき、此の敬て小学をうめてゆく。(小学敬身1)

ものにはかどのあると云かよい。圍碁盤はころばぬ、かとのあるゆへ。鉄炮玉はころ々々ころげる。どこへ落ちやふもしれぬ。(小学敬身2)

非礼て働くを凡夫と云、礼て働を垩賢と云。学問はその垩賢を眞似ること。(小学敬身3)

非礼は此方の非礼て向のものにとかはない。…金は非礼てはないか、金をほしいと云と金が非礼になる。…世の中に美人と云がある。これかわるいことではない。こちの見る処て非礼になる。(小学敬身3)

節分晩にざるをつるせば目か多ひから鬼かこぬと云。豆をかそへて年の数ほど食ふ。坐禅豆もくふことのならぬ歯て豆を食ふ。甚たをかしいことしゃ。(小学敬身10)

目の鼻のと云は、人間ほとてはないか、よかれあしかれ禽獣にもある。然れは人間と禽獣の違は此の礼儀の処なり。その礼義にかまわぬと云なれは、人間と生れて禽獣をしてをるのなり。人間と禽獣のわかる界目は礼義て分る。(小学敬身13)

あの人は馬鹿か、あの人は利口かと云か初ての出合てしれる。馬鹿利口は懇になら子はしれそふもなさそふなものなれとも、始ての出合に馬鹿そふたの利口そふたのと云がなんてしれると云に容体顔色辞令でしれる。(小学敬身13)

学問靣白ものなとと云はちかったこと。どふした因果て吾は学問にかかったそと云てなけれは学問は成就せぬ。(小学敬身14)

此頃聞く、今泉の大身が、なに、をかさわらをけと云た、と。靣白ことそ。心から出ぬことは小笠原と云てしかることなり。(小学敬身19)

学者の人に憎れるは我知惠を鼻に出す。我知惠を鼻に出すなとと云か根のないゆへなり。貧乏者かたま々々金をもつとこりゃ々々々と云。大身は、金があれはあるほとないよふなていなり。(小学敬身21)

人のからだは至てちいさけれとも、天地之生人を尊しとす(孝経聖治。「子曰、天地之性、人爲貴」。)ともありて、人は万物の中て上坐をするゆへ、天地へあいさつをする筈。(小学敬身26)

平生ないことは皆天の怒なり。臆病者か大さわぎをして、それ香を焼と云のるいは何も天人一体をしりたてはない。又、すっほりとした顔をしてをるのも天の子と云ものてはない。俗人はあぢなだてをして此雷て一抔飲ふと云なり。酒もりもやめて、さて甚敷雷と云て顔も改てくるか天への挨拶。(小学敬身26)

甲斐の德本か嶋の小袖を貰て、これはよい嶋じゃ、人に見せることではない、身か可愛とて、嶋の方を吾か身へつけてひっくりかへしてきたと云。世の中のきたない心よりはよけれとも、小学の衣服の制てはしかることなり。(小学敬身40)

年倍な身をもつ人は衣類のをこり先つはないそ。衣類に奢りをするは、たわけものか若者の好色のためなり。(小学敬身40)

公義て衣装法度かあると云はは、たとへは絽の羽折もったものは、きり々々すや鈴虫のかごを絽の羽折を引さいて張れはよい。法度をつつしんだがはっきりと見へる。そのやふてなふてはならぬことなり。(小学敬身40)

近年米沢の大守の儉約をして下から綿服をめされた。その襦伴を役人に下され、その役人か領内へ行たとき、名主の処て小袖は下にぬいてぢゅばんを釘にかけて置いたと云。そこで名主がなぜ小袖を下に置て木綿の襦伴を釘にかけて置かれしと問けれは、あの襦伴は殿様のしゃと云たとなり。名主も殊の外冨豪なものであったが、いよ々々がいよ々々これが法度でこさるかとて、娘をかたつけるにさま々々な支度もあったか、皆木綿にしてかたつけたと云。(小学敬身40)

口の腹のと云は僅の間なり。先年又四郎と云町の名主かなににもかまわぬ男で、皆がなにかむまかるか、うまいと云か一寸の間しゃと云た。此は尤な云分なり。呑込でしまふとなんのことはない。(小学敬身46)

人間に古今あると朱子の詩にもあり、今の人は詩にかかることてはない。なを中原還逐鹿ではないそ。今はそれよりよい大学や論語と云ものかある。(小学稽古3)

瞽叟のわるいか舜の垩人と同しことなり。先生微笑曰、わるいの至善につまりたのなり。殺さふと云時は逃け、すこしの過はじっとしてをられた。垩人は太子申生の仕方とはうはてなり。舜はにける、申生は親の手にかかって死ぬを安堵してをる。無調法なことそ。(小学稽古5)

屈原かあの忠義は三仁にもをさ々々をとるまいか、わけなしに海や川へ身を投ける。それかそこつなり。(小学稽古22)

若ひ内はずな々々しいことをして人に呵られるやふなことをする。年を取ると尤らしくなりて一入吾か非はないやふに思ゆへ、なを々々わるいことか増長する。(小学稽古24)

十郎五郎はあゆみの板迠切付たとあり、返討もある。どちも同挌になること。是を垩賢の大義の心と云。それを合点したものは孔明と楠。勝ふか負よふかその心はない。湊川の合戦に勝利はないか忠臣。豫譲もまつその如く返討にならふとかまわぬ。正靣からする。左傳なとは利を好むと朱子の云はれた。このやふな敗れに義あるをしらぬ。(小学稽古25)

世間多く父母や叔父叔母の方から貞女をくつすもの。学問するもの気を付へし。この再嫁をすすめるがどふらく者てなく、をとなしい者かするものなり。(小学稽古30)

某幼年の時、迂斎か黙最妙と云ふことを書てくれた。是薛文清の語て、ここか薛文清の見識なり。外へあらはれた処がよくても内はぬけてをる。(小学稽古39)

人間の体は物の体ばかりでなく、すぐに其体の中に仁義礼智と云結搆なものをあてごうてをるゆへ、有物有則と云。孟子の性善と云もこれ。中庸の天命之性もこれ。大学の明德もこれ。論語の仁もこれなり。物を物ぎりでとをさず、物の上には理がある。(小学外篇題辞)

兎角子ともをよくするにはた子くよいことを云て聞せ子はならぬ。某駿臺雜話を誉るがこれなり。学者があれを感心するもあんまりなこと。(小学嘉言2)

百年ほど前に御老中の六人あったとき、御老中六人しての六分別[むふんへつ]、二人のけたらなをも四家老[よかろふ]と云らくしゅを立た。これらが譏議なり。(小学嘉言6)

漢唐の間の珍客は董仲舒・孔明・韓退之、此三人なり。道理の正大な処をみてとり、三人の中で精神の垩賢に近くぬけた処は孔明ぞ。其替、学問がかいない。董仲舒と韓退之は学問がよかった。それゆへ董仲舒と韓退之の語はとこでもきまりか格別にゆく。(小学嘉言8)

まつ嘉言先日から読に横渠が一ち始て明道・伊川・邵康節ときて、今日胡文定で五人なり。此五人を除けて、跡は皆素人と合点するがよい。道理を得た人は横渠・明道・伊川・邵康節・胡文定ばかりなり。(小学嘉言13)

立志と立心は似たやうで違ふ。是を最初に吟味するがよひ。そこで志の方には期待と出す。期は今成るではないが、そうなろうと目指す処を云。…立心は今日からのことを云。(小学嘉言13)

直方先生の、御代官に今云付られると手代に聞合せてつとめる。(小学嘉言13)

八はしやまつものくふて杜若(八橋や先ず物食うて杜若)。飲食は身に切な処で云。いかほど風雅人も杜若を見ると何も食はせぬと云と見てはない。(小学嘉言13)

学者が今は礼がない々々々々と云、村々のむしゃのよふなことは本道のことでないと云が、あれを本立にして教ること。正月は年始の礼、寒暑の見舞。(小学嘉言14)

すは金が上坐をする、はや老少の礼はなくなる。金をもちて冨豪な人の内へ行ても、すっと床の間の前へすわりよってつかれぬやうな顔をしてをるのは、皆郷閭に教のない処から出たもの。(小学嘉言14)

朱子が、をれが家ではせぬが、天子の祭に似てをるゆへ僭に近ひ、自己はせぬと云はれた。朱子は禰の祭斗りいたされた。殊更朱子は九月生れ。誕生日に禰の祭をいたされた。(小学嘉言21)

卒哭は百日比のことなり。…仏法では百ヶ日と云様なことはないことであれとも、今佛法天下汎乱して誰も彼も是を用ることを免れざればなり。(小学嘉言23)

今我々が古の礼を以て死者を三日の内は生きかへることもあろうとて三日をくと云と、死だ者が生きかへると云ことがあるものか、あほうなことをと云。どふか知惠もあるよふなことを云。そう明に知る知惠があるなら地獄はないと思ひそうなものなれとも、これはまたあると思ふ。これみよ、俗人はかしこうて理がくらさに愚夫そ。此様なやからは頓と孔子の手際にも孟子の手際にも暁すことはならぬ。愚と云名字が付てはしかりても一つも入ることはない。そこで愚夫に逢てはただうん々々とばかり云てをくぞ。すててをくがよい。(小学嘉言23)

人は死ぬと一日々々となくなる。棺椁でもなふてはなをさら形は烟草のすいがらの様になり、魂は煙のやふになくなってしまう。どのやうなせめがあるにしても形がきへてしまうては出来ぬ筈。(小学嘉言26)

珎しい所を見たいの、或は長﨑をみたいとて奉公をするは君臣之義を玩弄にするなり。(小学嘉言29)

張良は主に目見へもせず一粒も取らぬが、先祖からの御恩があるとてあれほどな歒討をも謀慮[もくろんだ]。(小学嘉言29)

官禄に目が付とつよいことを云ふことはならぬ。つよいことを云と明日の程も知れぬ。そうすると女房もこまり、幼孩もこまるゆへ、つい柔和を食はせる。(小学嘉言29)

御用をつとめるに才力をふるふことではない。実と云ことでするなり。実と云はきじな迂詐のな井よふ々々々々にとするがよ井。それが第一。是か奉公人の精神ぞ。(小学嘉言38)

書き判は宋朝から初りたこと。一寸としたことに用る。王安石が石と云字をちょっと書たことあり。あれらがをこりなり。手短で、さて自筆て書たことゆへ人も眞似にく井。此方でも今書き判は重ひことになってをる。重ひことにはかへって印判は用ぬ。(小学嘉言38)

夫婦と云ふが垩人の道の本になる。夫婦と云ふが人道の三番叟なり。三番叟の始らぬ内は能も始らぬ。夫婦か人道の本になると云ふが天地とあいもんのをふたことぞ。易の始めは乾坤。これが天地の夫婦。下經に咸恒のあるは人間の夫婦なり。尭の舜へ天下を譲らるるにも二女降于媯汭と云が劈初頭 [まつはしめ]。孔子の詩經を編集なさるにも関雎を始に出された。…垩人の礼も大昏に始まると云ことぞ。その証文を中庸にも造端乎夫婦と云ふ。(小学嘉言39)

妾も抱へることのならぬものの子のないは、是天命なり。人分をつくされるほどつくすがよい。(小学嘉言41)

道理のなりを手に入れずにすれば義になる。香車の向へ出るよふなもの。香車と云ふものは向へゆくものゆへ、どこ迠も香車はゆく。直方先生云ふ、將戯盤がちいさけれはこそあれ、將棋盤がををきくは、香車は千里も二千里もゆかふとなり。(小学嘉言56)

董仲舒の「董仲舒曰、仁人者正其誼、不謀其利。明其道、不計其功」、孔明の「至於成敗利鈍、非臣之明所能逆覩也」、張南軒の「一有所為而後為之、則皆人欲之私、而非天理之所存矣」が敬身の心術之要の三幅対である。(小学嘉言56)

わるいことはあぶら虫のよふなもの。百姓は作物に虫がたかるとひとつぼよりに取る。虫かたかるとなんにもならぬ。外物は虫なり。外物を馳走するは心に虫をたけるやふなものぞ。(小学嘉言67)

人欲に近付になら子ば歒の顔を覚へぬやふなもの。歒の顔を覚へ子ば歒がうたれぬ。(小学嘉言68)

人欲の方へゆくと皆天理にはづれる。人欲でも天理でもないと、中にういてをるものはない。道二、仁與不仁而已。よい加减な人と云ふことはない。私は孝行てもないが不孝でもござらぬと云ふ。孝行でなければ不孝に足を入れたなり。天理でないことをすれば人欲。それが非礼ぞ。(小学嘉言68)

非の字なしにずっとゆくが誠意。克己は欲を目當にして其欲をうってとることぞ。欲をうってとれば誠意になる。克己も誠意もどちもひとつなと云がここらでもしれる。(小学嘉言68)

太極に形ないと云ふ処からして無極と云ふ。然るにあの方は虚無と見識の立たがうるさい。…心は形なくて尊ひものぞ。目や耳はつかまへられるが、心につかまへよふはない。虚で形はなく、さま々々なものをうつす。…まい々々心のことを鏡にたとへて云も、それものがくるとうつすがあとにはのこらぬ。鏡に人の顔かのこりてはをらぬなり。あとがない。(小学嘉言68)

迂斎や諸先生なとが年礼などにあるかれ、あまり俗すぎたと云よふであったが周詳からなり。これ道理を見たものなり。あぢにさへた様な、却て快活てはな井もの。事を畧すと、畧す処に道がかけてをるゆへわるい。(小学嘉言74)

徳と云ふが自然とはへたものではない。段々た子くして道理を我か方もったもの。(小学嘉言75)

程門にも上蔡も仏のかぶれがあり、游定夫もかぶれがある。(小学嘉言91)

垩人が天下の人に教をし、万物かひらける。后稷が民に稼穡を教られた。天は教ることならぬゆへ、上たる人がつくらせて、そふしてさばく。それで天下の用がたりる。(小学嘉言91)

郷人は鏡をとかぬやふなもの。とぐとなにもかもうつる。雲霧がはれると十五夜の月も明かになる。(小学善行5)

詩文のよ井は、よ井音て浄瑠理を語るやふなもの。よ井と云ふたばかりで役に立ぬ。(小学善行5)

今日の人があれほと仏道に迷ふてをるゆへ銭をやりそふなものなれとも、奉加帳がまわると、今迠信仰した和尚も信仰せぬ様になる。とかく施惠はしにく井ものぞ。(小学善行7)

ぶす々々もへるを、それ煙が出ると云ふかよい。烟の出るを知らせるをわる井と云人はない。たた外の過失をはとかくに云はすにをくことを今はよいと云ふ。子供などのわる井をかくしてやる。これはわるいことの進物ぞ。過失を知りつつだまって居て、わるくなると、をれがとをから見てを井たと云ふはさて々々不親切ぞ。とは云へ、道通のやふな遠々しひ人をつかまへて云ふはわるけれとも、同村ならば云ふてやるがよい筈そ。(小学善行7)

天に通ずることは微妙なことにて合点しにく井なれども、誠が通すると雨もふる。(小学善行15)

王を追ひ籠たものは古今伊尹と霍光と二人なり。あれらも誠がなくてなることではない。(小学善行19)

百姓の尻が輕ひ。そこで武士にでもなる叓を悦ぞ。講後先生曰、たた井武士が百姓になりた井と云ふほどでなければ本のことでない。(小学善行25)

阮咸などが学問もあったが妖はないと云ふた。ないと云ふは知らぬのなり。あるものぞ。あってもきもをつぶすことはないでたしかなり。或夜妖はなきと云咄をしたれば、その坐の客がでもごさるてさと云と鬼の首になった。すぐにその客が妖でありた。気の変ゆへ妖もあらふが、あるとてさわくことはない。(小学善行36)

学文は只心のことなり。心が大切なものなれとも、気についたものゆへやだものが添ふてある。心統性情。心にはとっちもある。仁義礼智も人欲もある。そこで治め子ばならぬ。(小学善行69)

小学では温公垩人の様に説くが傳授ことなり。なぜなれば、温公の誠はす子からもみ出したではなく、ゆづり金なり。(小学善行72)

本のことを云てもあとて合ぬことがある。それがうそと云にまわる。(小学善行72)

格致なしの誠は本んのことでな井。温公の格致なしの誠が手本になりて、あの方で陸象山王陽明、この方で仁斎が様な者迠、皆温公からうみ出したとしることなり。夫から廣けて云へは神道の祖にもなる。あれが只正直の頭べに神やとると云。わけなしの誠なり。そんなら温公はよせつけぬかと云に、朱子の宋朝六先生の賛には邵子も温公もある。これがやはり小学の意なり。大学の吟味となれば中庸の曲尺をあて子ばならぬ。(小学善行72)
 

近思録講義より

学ぶと云は、吾ものにせふとすることゆえ、思へのせ子ばならぬ。前々から云、学問は藝でないから手足ですることでない。心へたたみこむこと故、学問の要は思で手に入る。(近思録序)

む子へたたきこむことがないと、書は自書、我は自我、てんでばら々々、身にならぬ。夫からして、氣質と云父母の生付に、人欲と云己が仕出がいつ迠もぬけぬ。氣質人欲を其分にして通さぬやふにするが学問なり。(近思録序)

今の学者は一生書計り讀む、藝なり。藝者の方には却て胸へのせる。そこで藝には名人もある。(近思録序)

四書は孔曽思孟の言なり。近思は周程張の四人が道統を得られ、道德熟して道学の話をなされたことゆへ、すぐに四書しゃと合点せふことなり。周程張の咄がやっはり孔子孟子の論孟道統傳授の心法を得て道学の證文になり、道理の極致備た処は、やはり子思の中庸、又、学問の功夫次第階級の揃て乱れぬ処は大学なり。そこで近思に目がつくと大中も活る。近思に目の付ぬ人は論孟をいかほと讀ても精彩がない。近思録を的々の宗旨と立るが吾黨の傳授なり。(近思録序)

何んでも蹈段でこへらるる。直方先生、石垣にも一寸した足かけあると屏も越さるると云れた。大中論孟を蹈段にして六經がすむ。…四書は孔曽思孟が六經を解いたじゃ。四書は孔曽思孟の詞で、あれに六經の道理は備りてをる。そこで六經のうまみは四書からなり。近思は宋の四先生の四書の道理を解いたの。そこて四書のうまみは近思録からなり。(近思録序)

漢唐はにぎ々々しいことで学者が多ひ。經理を説たにあれほどにぎ々々しいはないが、にぎやかなればにぎやかほど学は絶てをる。…学者仲ヶ間へ入れてやりたいがどふして見ても入れられぬと云は、書物藝で心身へこぬからなり。(近思録序)

本因坊の弟子は碁にはまけても体がちごふ。観世が弟子の謡は蹴出しがちごふ。董子の云ふ、孔門五尺之童も五覇を云ことを耻つ。養ひこみがちごふ。学者も存養と云仕込なくては体がわるい。大名の服を着て大小から印籠巾着まで大名でも、根が下品なれば借り着と知るる。(近思録序)

高いこと云内に足元のぬけるは飛脚が八つ橋の杜若や冨士を見て状箱を忘れたのぞ。詠める処は業平西行の様なれとも、夫れはうわのそらなり。陸象山からして、とかく吾黨には高ぞれの實なしがある。皆この筋ぞ。そこで今の学者も為此々々を一度々々に大切に見ようことそ。今の学者は縁端の鳥の羽そ。根がないからどこへ飛ふも知れぬ。文鎭ををけ。用心せよ。(近思録序)

六ヶ鋪字をけっこふに心得るは文選根性なり。(近思録序)

劉子澄。小学の相手になりた人なり。朱門で一番の見識のない人なり。(近思録序)

近思は近く思と云ことで、学問を胸へのせるはとかく思と云ことなり。されとも、思にも思やふある。労咳病は思ほどわるい。そこで近く思と云が親切ぞ。どふかこうかと考へるやふな彼本心會得の筋ではない。(近思録目録)

論孟の篇目は、為政の次が里仁かと覚へちがいてもあまり害にもならぬ。近思と大学の序次を取ちがへると、学問の筋立ず、工夫のちがいになる。(近思録目録)

道は形ないものなれとも、形のない処が道の形なり。水に味のないやふなもの。味のないが水の味なり。向に見へるが山、白く見へるが鷺と云は、形あるゆへ児ともも見付る。道は鼻の先きにあるが、形なさに人が見付ぬ。そこを一つ合点することぞ。佛者が本来の面目と云。こちがそれに似たかと云に、佛のは空理、こちは実理、目には見へぬがその中に一つ動ぬ丈夫なものがある。親は大切、子は可愛。どうしてかそうなり。夫れは目に見へぬ。そこが道の体なり。親子は繪にかかるる。かわいいは繪にかけぬ。人々道体なりを毎日々々して居ながら知らぬ。日用不知じゃ。(近思録目録)

道体と云は道の大原を合点して、何でも道理に一つ根のあるをよく知るがよい。根を知ら子ば異端も一理あると云様になる。…その根を見付るは知のこと。目録に云道体はつるしてをくやふなもの。それを知るは致知で知るなり。(近思録目録)

中庸は道の書。あたまに天命之謂性と出す。道体なり。するとはや、戒愼於不睹云々と出るは為学なり。大学の明德は道体。在明、為学。(近思録目録)

致知、存羪、克己は為学の小わりなり。…腹のへったに飯を喰ふは挌物、ひたるいのやんだは致知。挌致のことはとちを云ても同しことなれとも、こちへきめた方を主にするかよいから格物とはせず、致知と出した筈そ。そふたい、学問の功夫、とかく知が先へ立つそ。(近思録目録)

存養は孟子の存心養性の字を取たもの。…心は爰に居て京へも長﨑へもゆく。夫を行ぬ様にすると仁義礼智が養るる。手入れがよければ、百姓の作り物もよい。牡丹ずきの牡丹は兼ての手入れのよさに、花もうっきりとする。手入のわるい作りものはやせる。(近思録目録)

致知は今日一事をしるし、明日一事をしるすと云こともありて、今朝内を出たときより只今の講釈で、はや近思の序がよくすんたと云こともある。たんてきにひらける。なれとも、存養は一日や二日ては間に合ぬ。(近思録目録)

克己は大学の誠意と字は違ふて根は一つこと。克己は私を相手にしたこと。誠意は本意の通りにせふと云こと。これも挌致からゆくこと。(近思録目録)

家道からは新民にあたる。…尹彦明も御袋の機嫌よくせふと家道のために佛經を讀れたと見へるが、讀んだだけが至善につまらぬ。本んに至善につまれば、御袋がをぬしのきらいな經はよまぬもよい、やっはり西の銘をよみやれと云筈ぞ。(近思録目録)

出處。…此節は出ぬ筈、出ぬ道理ときり々々につめて引こむが處なり。(近思録目録)

治躰は伯者にあたって立った篇目と見よふこと。伯者が治法は、垩人にも似寄りた程の法を立るが治体はとんとない。丁と臆病な大將のかかれ々々々と云の筋ぞ。大將が色青ざめでは士卒はすすまぬ。人君の身持がわるくては政の根がない。…躰ありても法のないは戸板の上に棋をうつのぞ。いかに本因坊もうてぬ。鰹節小刀一本では左甚五郎でも七堂伽藍は立られぬ。…名人の料理人は体、よい献立は法。体のあって法のないは、親切な白人が急病人の処へかけ付たやふなもの。背中を無性にさすり、かれこれと誠はあれともさきの為にはならぬ。夫より解毒一粒でなをることあり。下はかわいがるがよいと云は人君の仁に止る処。されとも小児に無性にあまいものをくわせると虫が出る。法のない親切は役にたたぬ。(近思録目録)

治体治法を丁度の処へやるが政事なり。体法をかまぼこにして出した処が政事なり。(近思録目録)

今日の浪人儒者が、をれがあの村のためになることをすると思ふは僣ふたことぞ。風俗をよくすることは上のなさるること。…今の学者、師となることを好み、村の風俗をよくせふとかかる。これは役人の分域を犯すなり。…教学はばの廣いことぞ。なぜなれば、平天下のなる人が下にひっこんで孔孟のやふに人ををしへらるることぞ。つまり今日ならば、垩賢の道をつづけることと合点すべし。急に今の役には立ぬもの。一寸きいて役に立ことは皆ちいさいことなもの。ほんのことは急な間にあはず、役に立ぬものぞ。…商君や張儀がやふなことはないものなり。(近思録目録)

佛法で魔のさすと云戒めは小僧へ云ことでない。長老への用心なり。…あの存養でしたてた持敬の意が、爰だそ々々々とどこまてももちつづける。これが垩賢になる人でなくては味の知れぬこと。警戒なければ吾をよいと思ふ。吾をよいと思ふが、はや地獄へをちる。(近思録目録)

異端の見処は得手な勝手な処を一つ見たもの。そこで片へらなり。見そこなったぐるみ、一つ見は見た。此方の道体に似たことある。そこではっきりと出してみせ子ば学者の用心にならぬ。垩人の道は全く、異端は片々なり。つまり勝手な処を一つ見たもの。(近思録目録)

道体に目鼻のついたが垩賢ぞ。なせなれば人欲のないからなり。凡夫は人欲に目鼻のついたもの。からだ中が皆欲ぞ。釈氏の成仏はこちの垩賢なり。あちは成佛した処がとんと天地とちごうた姿なり。(近思録目録)

二程全書の粹言も似せもの、中庸の解も似せもの。又、二程類語と云ものあり、これもそでない。太極の文字ある易の序も心元なし。(近思録目録)

名義のこと。道体は一て義はさま々々あり、命とも道とも太極とも天道とも天理とも実理とも誠とも性とも情ともそれ々々の名がわかる。其分れた処を名と云。義は名に筋合のあること。そこて名義と云。それを知るか道体を知の手始なり。なせ太極と云なれは、天地の間に何ても太極に漏るものはない。太極に縁をきることはならぬ。天も地も人も獣も、あらゆる大小のものか皆支配をうける。あちを御頭にして居る。そこて小ひ名か付られぬゆへ太極と云。…何の上にも太極と云ものは備て居て、いこう筋のわかれたもの。偖、其筋のある処をつかまへ理と云。…其太極とのも理どのも天から出るゆへそ。其時は天道と云。…其天理が丈夫ゆへ、實理とも云。…實理が天地のあらんかきりいつも約束を変せぬ。そこを誠と云。…物をこしらい出し、人の生るも天がする。其時は天命と云。其生み出した人間は仁義礼智を持つ。それをは性と云。性と云もやはり太極が魂へ入て性と云なれは、此性と云ものは目や鼻のやふに人の方からみへはせぬが、物にふれるとしほらしいものか出る。それは彼性の仁と云ものが出たぞ。其出たは何と云ものなれは、情と云。…さて又生て響く凛と其魂のあるものを鬼神と云。(近思録道体1)

張子の、大易不謂有無と云へり。氣は有とき無ときあり。氣は有無あり。寒中に暑はなし。暑中に寒なし。片々なものを見ると、其狂から皆になる。有無は氣、主になるは理なり。因て、理と云ものは有にも無にもなるもの。それを本尊にする。張子の此語は道體に氣は入れぬと云ことなり。(近思録道体1)

性善は注文なり。いつも云紺屋の染もの。注文に染そこないはない。(近思録道体1)

形ないは云にや及ふ。理はかりを無極而太極、と。(近思録道体1)

天下の道理がそこの処へもたれて何から何まではづれぬ。はばの廣く太い処から大と云。皆うけこむ。又、極の字が至極したぎり々々の、あれあそこにきまったと云処から極と云。(近思録道体1)

無極の字には訓はないと心得へし。無の極と云ことでもなく、又、極り無しと云ことてもない。…偖これにいかにも太極の道理はきっとあれとも形かない。そこで太極に形のない処を今名つけて無極と云、形はなけれともきっと理はあるから太極と云。つまり、太極に目鼻のないを聞せること。孔子の太極との玉ふは理のあること。周子は無極との玉ふか形ないこと。賣詞に買詞なり。(近思録道体1)

無極而太極か毎日躍りををどる。この間に、角力の中入や太夫の支度のやふに間断かあると天地が墜る。天地開闢以来、今に無極而太極か躍ている。(近思録道体1)

儒者の道体は理をつかまへること。医者の手段は氣をつかまへることなり。風寒暑湿の肌にあらはれる氣。仁義礼智は儒者の本尊なり。医も理を学ですれとも、あれは隂陽以下の氣てすむこと。あまり理を主張すると労咳やみにいけん云ことになる。(近思録道体1)

老子は混沌未分の一元氣を本尊とする。因て医の祖にするも聞へて、あの道は氣か本と立つゆへなり。(近思録道体1)

異端の理を離れて氣をつかまへること、今日の席上會得せぬもの多からん。儒は有物有則の物をはなれぬ。今日か道なり。異端は知覚を認めそこを珎重し、釈迦の心を上へつるしてそれを不生不滅と思ひ、即、佛心仏性とする。佛心佛性は不生不滅なれは、このからたを離れて一つ有ると見、薪を離れて外に火か有ると思ふ。上へつるして置と云かよく見たやふなれとも、依舊其つかまへたかやはり槙さっはなり。…滿願寺稲寺も樽のことてなし。酒をぬいて云の処て、樽や德利の不潔から酒の皆になる。(近思録道体1)

たたい發明は同ことを云と蹈襲になり、孔子の外を云と私になる。…然れは本の發明は定石の外を云ことない。そふないと土俵の外へ足が出る。孔子の辭にかわりて發明するが周子の周子たる所なり。(近思録道体1)

物が氣のめぐむやさきて妙合すると思へはわるい。いつでも理と氣と妙合して、あちこちするところで出來るぞ。(近思録道体1)

人間の始として直に天地が出來るものを氣化と云。親なしに天地の氣で出来るなり。…堀の鮒やめたかの微物は今も氣化で、始はあの如く人物が出来たれとも、形化になりては皆親て出来る。(近思録道体1)

人を天地の子と云も親へぶしつけのよふなれとも、親の細工ばかりではない。そこで天地を父母と云て、太極が上坐する。そうなければ鳶に鷹、瞽叟に舜はないはず。(近思録道体1)

道理に二つはないが、彼の雪の盆なり。盆のなりしだいをうけるを云ふ。太極が一ちよいを人にやり、禽獣にはわるいところをやるてはない。いつもたとへの月影なれとも、銀の鉢と泥水は違ふ。氣の上にさへたかある。(近思録道体1)

五性が理計で居らず。氣ともめあいから変する。五性迠は太極のうけとり。隂陽以下はいつも云、直方先生の、紺屋の染もの。注文通りにゆかぬは天気のもめあい。(近思録道体1)

動靜は天地自然のことなれば、固より動靜と云もの存して、それを身に体して主靜を流義にすると云ことはないはづなれとも、垩人も本く処がある。これがすくに天地の形にて、大晦日かなければ元日はない。根がありて動ぬ処がある。天地があれほどはたらけとも、北辰の動ぬ所ありてのこと。扇を開くもたたむも要ゆへぞ。傘の調法もろくろゆへ。雪は豊年の端と云も、あのひっそりからのこと。冬はついへなようなれとも、萬物の出來るはあの靜から本に立つて、そこて垩人は靜の方と云てなけれとも、天なりの垩人ゆへ、自然とかうしたことなり。いかさま垩人も天もその底を見に、靜が本になる。天地と一つことなり。(近思録道体1)

親の大切と云は垩凡ともにある。此五尺の骸が、欲から親へ返事もああいとなまる。君の奉公もそれて、五性に不足はないが、雪の降日はをれはかり家来てはなしと病氣にする。(近思録道体1)

人極は人をこしらへた太極と云ことなり。人の極と云と、たた至善のよふになる。垩人は人の至善につまりたと云は大学になる。面白からず。太極圖をはなれぬよふにするがよい。(近思録道体1)

鬼神は吉凶のつかさなり。祠を立、荒ら神と云ことてはない。鬼神は天地と云とをなしことなれとも、霊を含む。太極はつめたく、鬼神はあたたまりがある。(近思録道体1)

(君子修之吉小人悖之凶について)、人間に理氣の吉凶あり。俗人の理をしらすに氣の上はかり。…氣の仕合ありて長命でも冨貴ても、小人悖之と云。…あほふても、息才なれは吉と心得る。それを凶と云なり。小人の無學て目出度。米の守と云ても学者からは凶と云。…今日、氣の吉凶をしりて、理の吉凶をしらぬ。顔子はびんぼふで早世。これ、氣の不吉。伯夷の餓死は仁と云。太極の吉なり。(近思録道体1)

有るも無ひも死ぬも生るも太極のすることなり。男子か生る、御目出度。こちらは息を引とりた、御愁膓と云が、ここの仕切ないを合点すると知のそこがぬける。(近思録道体1)

善悪の字に吟味が入る。門松、牛の角の様に思ふと、悪がをくの院に一株もってあるになる。夫れでは盗人が昼中、帯號[えふ]で通るになる。善悪並であるものではない。善のそれたが悪なり。朱子答趙知道書に圖あり。あれですむ。悪は飯のすへたやふなものと直方の云れた。だたい、天地の間は善ぎりなり。そこで、飯焚の名人でも、あたまからすへた飯をたけと云はれてはこまる。もそっと待て下され。晩方はすへますと云。(近思録道体2)

仁義礼智は固有なれとも、幾からふれがをこるから、教が入る。性は固有じゃ、すててをいてもよいとは云ぬ。(近思録道体2)

德は仁義礼智のこと。天から下さるる処で性と云。夫を取はつさず持ておる処で德と云。性はわるくすると借金が出来る。德は耳もすらさず持ておるのなり。(近思録道体2)

韓退之が漢唐の間の珍客なれども、博愛を仁と云た。ひろく天下に及すことに云た。これがよくないから、弁せ子ばならぬ。其跡で、周子が又愛を仁と云た。これがどふやら似た様なれとも、語の出がちごう。周子は人心についたを云。韓退之は事で云。一昨年の飢饉に米が千俵あればすくわるると云のなり。それでは顔子の貧では仁がならぬになる。(近思録道体2)

仁は性、愛は情なり。愛は氣の中へ這入った字なり。氣をつかまへて仁と云はいかがのやうなれとも、人の心に愛むものあるは仁と云理がありて、そこから出る。愛なり。夫故、愛に根のない愛はない。仁と云性からぞ。愛むと云理がある。(近思録道体2)

義はこふする筈、こふはせぬ筈と、筈に合こと。筈どをりに物をすっはと切てのける。断割底の意思ぞ。(近思録道体2)

理は見叓に物にほどらいのあること。礼のすかたなり。…筋のわかるで礼のなりぞ。(近思録道体2)

知の体は水ゆへ外から見ては暗らけれとも、中のあかるいもの。今の知惠を鼻にかけるとはちごう。本の知は道理の中へ通るなり。(近思録道体2)

知はにぎやかなものではないと合点せふことぞ。冬でじっとして居るから智藏なり。今の知はにぎやかなり。直方の所謂智は穴藏へ入れておいたやうながよい、と。穴藏の中で通ることなり。(近思録道体2)

仁義礼智と四つ、をもぶりのちがったものがある。夫れを守るが信なり。(近思録道体2)

(聖人が)、昔からいかいことあるものと心得るは間違なり。先つは堯舜、夫から文王孔子。禹の、湯武のと云は、はや此列ではない。…垩人は誠無為、性のまま安んすなり。…顔子から下は、無為ではをられぬ。老子が無為と云てもふれる。そこて孔子が無為と云は舜で云た。顔子は手綱執る。請事斯語。手綱ぞ。(近思録道体2)

天地の造化の、草木の花咲き實のる功用じゃとなり。そのときの名をば鬼神と云。…日の暮たも夜の明けたも天地のはたらき。其はたらきの名を鬼神と云。…春、花の咲は鬼神の役目。夕部一と夜に吉野の櫻が皆さいたと云。そこが神なり。(近思録道体5)

道体を老仏の方でも云へとも、あちは死、こちは動。其證拠には、こちは色々説あり。異端は寐ても覺ても混沌未分不生不滅を云。彼は一方見付たゆへ死物。吾儒の道は動故面が替る。(近思録道体6)

文王の為人君止於仁は偏言の仁、下も憐む計りのこと。今情けふかい御地頭と云もそれ。…殷有三仁は、色品はない。これを情ふかいと計は云れぬ。專言なり。伯夷は仁を求て仁を得たりと云は專言なり。情深いてはない。そふたい、論語にもそれ、孔門多く全体を云て仁になりたい々々々々と問ふ。仁になると義礼智に事はかけぬ。(近思録道体6)

天地が万物へ太極の道理を賦るは命。万物がそれをうけるは性。仁義礼智。鶏は時、犬は門、砂糖甘く、唐辛子の辛い。そこで、上で命、下ては皆性と云、もと一つもの。東金の造酒屋で計り出すは命。それが一舛も一計もあるは性。其賦も受るも皆太極なり。(近思録道体7)

幽灵の、妖怪のと云は、鬼神の乱心したのなり。…無極而太極は見へぬが花。鬼神は見へるか花なり。(近思録道体8)

(造化について)、造は出来る。化は無くなる。男子もふけたは造。昨晩隠居死なれたは化なり。(近思録道体9)

王弼は老荘のかぶれなり。漢京房や晉郭璞より卜屋筭のやうになり、四日市めいた。易か卑いことになれり。それを王弼が高いことを云て道体の方へ持ては来れとも、手前の腹からは出ぬ故、老荘を假て云。惣体、俗儒は垩学から高いことは云れぬ。高いことは老荘の処へかりに行。丁ど、徂徠が社中で平生は中原復逐鹿なとて居るか、何その時に郭象を借りて、すましたことを云て高ぶる。(近思録道体10)

死は氣の毒なれとも、それて生れる。道体を片々みる異端、あちは無常と云、こちは無常てはなく、こちはそれがよいことになる。彼所謂無常我所謂恒也と云へり。仏は東の日かやかて西へ入るとはや涙。人はだたい生死てつつく。石地藏は死もなく生もなく、面白くないこと。小児のせいの伸るてよい。七夜の通ては家督は継れぬ。成長は死ぬ方へ近よるなれとも、それが天地の形なり。(近思録道体13)

蘇秦張儀は変易し過る。とかく理の外をする。韓信か徒は理の形てない。(近思録道体13)

太極の性は、もとより空に有明の月。降ても雲の上は晴れてある。(近思録道体14)

太極と云は、理が万物をすべ、物のかしらになるで太極と云ときいて、そんなら太極は大い屋敷で、加賀様や鷹司様の屋敷ほどもあるかと云に、藏頭底ゆへ見へぬ。宿なしなり。すぐに物の上にある。丁度、露と云様なもの。どこもかしこも露だらけゆへ、こりゃ大きな問屋があるかと云に、ない。芋の葉の上や笹の葉、芭蕉の葉の上にある。(近思録道体15)

舩は水、車は陸は理。夫を夫れなりに舩をは舩頭が理なりに水をやり、車は車力が理なりに陸をやる。義なり。そんなら二つかと云に、どちも物の上にあること。夫を理なりにさばくとき、名をかへて義と云迠のことなり。(近思録道体15)

俗人は物を離れぬと云次でに、物にかぶれる。米や銭にかぶれてしがみつく。其端的が死物になる。垩賢は物の上に居て、物にかぶれず生き々々として居る。太極の本然が物氣を雜へぬゆへぞ。(近思録道体15)

天地がくる々々まわるゆへ、海ももら子ば冨士も地ぞこへぬけぬ。あともさきもなく、いつもこの通りと云が道理のいきた処。(近思録道体16)

今日、老ては子に從ふがよいと云。これが今の世の利口ものの口上なれとも、それがいつも々々々もめ合ひのあるから出たものなり。そんなこと、云ふ親も、云はるる子もおもいやられた分を尽さぬから発りた口上なり。慈に止り、孝に止りの父子でない。(近思録道体18)

天地の形りは易。其動きひきのない天地。人間こうなければならぬと云が道。雨をふらせ風を吹せるはたらきは神なり。(近思録道体19)

教は、今をさいごといたい灸をすへ、苦ひ藥を呑むことなれとも、その飲ぬ前にさう云理のあるが教なり。そこで道体なり。…上手の手に水がもると云が、上手は理、手は氣なり。手のくるいでもる。そこで教が道体にある。教の道体になっておるが老子のうかがわれぬこと。老子が手をそへぬがよい々々と云ても、五穀が自然なものでも、百姓が寢て居ては出来ぬ。そこで后稷民教稼穡なり。手をそへるが天形りなり。そこで教が入る。(近思録道体19)

天地の氣があのやうにみちておる。その中に吾先祖の氣も乘ってあるから、祭れば来挌もある。容聲歎息もきかるる。みちたからぞ。(近思録道体19)

天地のくるいはさほと世話になら子とも、人の上のくるいは難渋もの。去年今年の旱や淺間や冨士の焼たは人猶有所憾なれとも、駿河が甲斐にもならぬやふなもの。天地に大くるいなし。人の方は甚くるふ。それと云か此活たからたの上に天地を丸に持て霊ゆへのこと。其霊から猶くるいかきつい。(近思録道体21)

告子は孟子の時の半異端半釈氏なり。仏の渡らぬ前に仏の極意を云。あの徒は氣の灵妙を認て、人の生れたも、毛虫芋虫か葉から落ちびっくりして丸く屈む所や金魚のひらめくを見て、あれか働く処を性とみて、忠孝や仁義の理に付た垩人の道をすてる。作用是性と云ふかそれなり。水汲や酒賣老爺のあるく生ものを性とすれは、親の寝首かくも蝮のくひ付も皆生てはたらくなれは、性に入れ子はならぬ。それては以の外のこと。(近思録道体21)

性と云ものは人の身に受か性。それは生れた後てなけれはない。いつもの譬に、唐辛子の辛く砂糖の甘くは砂糖唐辛のない前に辛甘いは無い。そこへ唐辛か生れたゆへ辛と云。そこて生れたからこそは性と云、そふないに性とは云ぬ(近思録道体21)

人の生れぬ前は太極。人の生る鼻の先て仁義礼智の性と云。時をつくるは鷄と云。ものの出来るさきのこと。天の方て時はつくらぬ。(近思録道体21)

性は形して上のものなれとも下の形についてあるゆへ、性即気、気即性と云。直方の弁てありし、氷即水なりと云へり。水は流れるものなれとも、それか何からなれは水の氷りたこと。水を水と云はつはない。一つものて二つなれはなり。(近思録道体21)

太極に悪はない。忠孝と云ふに塵はつかぬ。そこへ子を二人出すと一人は孝、一人はあまり孝てないと云は不孝なり。奉公人二人出すに一人は雪かふると、何ともないに頭痛と云て番を引。忠孝と云理にはないか、忰と奉公人と云氣稟にある。からだの肉に善悪あるなり。(近思録道体21)

孟子の性善は性の判鑑なれとも、氣稟のことまてに御手かまわらぬ。あの時人は性善なれとも氣稟と云ものて悪いやつもあるさとの玉へは、荀雄もはや言ふこともなし。(近思録道体21)

善悪の問屋かありて、善を進せやうかのと酒を二口にしてこれは善い方、これは悪い方と云て賣やふなことはない。悪はあとからのことにて氣稟なり。性論では氣も手傳は子はならぬなれとも、兼ての処に悪はない。杜氏か樽の咎にするか尤なこと。氣のくるいは樽や德利にあり、精粹の処に悪はない。やたものもない。(近思録道体21)

人のわるくなるは、朱に交れば赤くなる、善悪の友によるの、方圓の器に從ふのと云が性善の云わけによけれとも、それはをそまき、甲斐ないこと。…ぎゃっと生れると、はやあるとなり。(近思録道体21)

性は氣で理をうけた名ゆへ、あの氣稟て后稷子越椒がある。(近思録道体21)

欲のある人は我懐へ取こむか、折ふしは面を赤くする。あとからなれは、性善の方とさしつかへぬもの。(近思録道体21)

濁りたものか元初の水になれは、性善にはきはまる。漉水にしても性悪なれはすまぬはつのこと。黒白両物あれは、いくら骨折ても黑か白くはならぬ。もと白いものか黒くなったゆへ澄治もあれ、ここて本来か知るる。(近思録道体21)

告子は生きたものを性と云か、人の貴は天地の道理を知るてこそ明德とも性善とも云に、虵や蝮と一つにするは何ことそ。偖、告子よりは禪へかかると面白ひ。近世作用是性と云か達磨や黄蘗か建立して、毛虫かひっくりとする其精神を仏心仏性と見る。学者か尤らしい顔しても中々及はぬ。あちは水汲をやじを見ても、あれ性と悟る。運水般柴、栁はみとり花は紅と踊ををどる。只生たものか性て、それを孝経も同ことと云。なるほと悪るいことする種にもなる筈。(近思録道体21)
 
氣に性か引づりこまれる。そこで舩か曲るをきりりと枻をとるか教なり。老子無為と云ても、品節の枻か入りてそれ々々の分かある。…教か餘のことするてなく、天なりをすることなり。(近思録道体21)

佛はさきをからすから、子が生るとはや死ぬものと云ひ、娵をとる、はややかて土になるとみる。成程さうでちかいはない。そこをばよく見付たことなり。吾儒かそれを知らぬではないが、垩人不謂耳じゃ。そふしたことはえ云ぬ。云ともないなり。(近思録道体22)

今の佛者は人情を知て世間になれてをるから俗家と交りもなるが、某などか様な口で佛法を有りのままに云ては、世は渡られぬ。檀家で私娵を取たの、孫が生れたと云ふとき、今の出家は相応にあいさつするですむ。いややがて死ぬてさと云てはつき合ひはならぬ。本意なりを云はば、佛者はだたいこうしたもの。寂滅の見で年忌吊をするも、さて々々をかしいこと。滅とみて、この身の滅するこそ本来のなりなり。その上に供養はせぬ筈のことなり。大きな迷ひ。それも垩人の祭祀の真似をするのなり。こちは生物之心ゆへ、とこまでもにぎ々々しく親を万年と祝し、その生物が死たものゆへ、やはり生物の心と云から祭をする。女房とも々々白粉に紅、うらで肴を備る。死でも生きた心にする。目出度ひがこちのちそうすることなり。ここが儒佛大根のちがふた処なり。(近思録道体22)

韓持国が病氣のとき、保養に俗樂を聞れたを朱子の笑れた。これが俗樂はたわれるからとて戒めたことでない。あれをきいて心ののひる処が俗なり。外部にたすけらるるは学問の手に入らぬのなり。(近思録道体25)

論語に民者不可使知とある。九十九里の網引するものにも旦那を大事にせよ、親を孝行にするがよいと云てさせることはなる。可使由なり。そうする筈の処のふかいあやは知らせられぬ。不可使知なり。なぜ知らせられぬなれば、無極而太極なり。これは堯舜の民でも知らせられぬことなり。(近思録道体28)

小学をするものも大学をするものも當然なり。當然には必所以然がついてまわる。子共の手習は當然、大人の誠意正心をは所以とをもふ。そうでない。誠意正心、やっはり當然ぞ。その當然に所以かあるなり。礼式のわさは固り當然。大学で誠意正心の理の上の工夫をするも當然なり。その當然に所以のあることなり。そこが費隠なり。大学小学は本末なり。本末なりにしてゆくは當然。そこで小学者のすることも大学者のすることも當然。手習子の手習するも當然。顔子や子貢の精義入神の工夫をするも當然なり。その當然には必所以あるから本末をわけて兩段にされぬと云か道体の大眼目なり。夫れを薛文清ほどのものでも取りそこなって、精義入神はとこまても所以然と云に見られた。これで直方先生にかろしめられた。(近思録道体28)

異端はさへたもの。凡夫はさへぬもの。常人は多分にはもれますまいと云から怪我がない。それで村役人などには却てよいもの。(近思録道体29)

中と云を何事ないとき云へばどちへも片よらぬことなれとも、事に出すときは丁との方へかたよるそ。そこを時中と云。…夏の冷麥は剃刀の刄の様にひへた水がよい。冬は温飩、口もつけられぬほどあついが中なり。其間をとってもぬるくもあつくもない。中邉と云は中でない。(近思録道体29)

顔子三月の後仁を違る、妄なり。若いから大酒をするの、悪所へゆくのと云は悪なり。そんなことあろふ筈はない。顔子の胸にちらりとごまさびほどこころがかりある、妄なり。(近思録道体31)

薛文清か、太極の中に六十四卦かあると云。邵子の畫前の易がそれなり。然らば六十四卦か太極てこさるかと云に、太極は冲漠無朕なり。卦を畫せぬ前に理と具てある。女房持たぬ前に女房を持つ理か一貫してあり。何ても道理一貫ゆへ前廣に定る。久しい譬の、晩方他出に灯燈持たせるなり。明るい暗いは氣なれとも、昼のあかるいと云其中に暮るものあり。それが理なり。(近思録道体32)
屈伸は阴阳の氣なれとも、氣はかりはたらくでなく、理がさせる。(近思録道体33)
 
異端は輪囘を云か、もとの物か顔を洗ふて来るてない。それは小い狂言なり。天地は向へ行きり。屈したものは伸はせぬ。當春の氣を仕舞て来春へ出すことてなし。(近思録道体33)
 
感と打、応とひひく。この二にて外のものがあると、歯にもののはさまりたなり。天地の間、二の生ものて永久につつく。(近思録道体34)
 
そとへ出ると愛、内に引こんているときは仁。つまり一つもの。(近思録道体35)
 
一而二二而一か、とこてもさはける。直方先生の、あれを號帯にすると、どこの関所ても通すと云。一而二二而一か蛤をあさりと云とは違ふ。一つ蛤を焼て出しても吸ものにしても同じことなり。(近思録道体35)
 
舜は父母にこかれ、深艸の少將は小町に焦るるか、舜は天理なり。そこて愛々と一つに云ても深艸の少將かありて違ふ。仁と愛とは離れぬものなれとも、一つにすると旦那と供廻りか同ことになる。性は性にきめぬと告子や仏か作用是性になる。(近思録道体35)
 
とかく事にすれは、事ゆへ覇者も假る。心の德なれは假られぬ。わざにして博愛ゆへ假られる。性に氣つかいないか、博愛に氣遣かある。性は氣にわたらす。情は氣つりになり、又は事にあらはれるとつい心の德か後とになり、出た上を見て子貢も博施済衆と云を孔子の吹消されたれとも、韓子、それても目かさめぬ。しんみの処に近付てないゆへ、事の出た上を仁と思ふ。(近思録道体35)
 
事を仁と思へは心か留主になる。管仲を孔子の仁と許れたは事て云、心て云へは管仲か弟子職は狼に衣と云はるる。仁は事業の上てなく、胸の上へのことを知すに、韓子かうっかりと博愛を仁とすると、大きな似せものを通をす。博愛は名を好む人にもあるもの。皆がをれか所へこいと云ふて酒はふるまふか、親子中はわるいと云。博愛を仁と云へは、つひ権謀者に仁を盗まれるなり。すれは博愛を仁と心得るとちこう。害のあることなり。(近思録道体35)
 
庖丁をでばと云ことあるが、堺に庖丁をうつ名人に歯の出たものがありた。それが打た庖丁はよくきれるから出歯がよい々々と云た。それからの名なり。近年堺丁邉の下駄の上手をげほふと云様なもの。げほふを下駄と云ては當らぬが、けほふと云へば下駄よとも知るなり。(近思録道体37)
 
飯もたき立てにはすへぬ。髪もゆい立毛一本そそけぬ。悪はあとのこと。荀子はあとをみて悪と云た。…荀子は了簡違ひ。しほれた花がさいた様に見る。それに水をかけてよくすると思ふ。さいたあとてこそしほれやふけれ、しほれた花と云はない筈。(近思録道体38)
 
心の本体なんとも片付ぬときは中庸で未發之塲と云ものなれとも、思慮へわたるとどふせふこふせふと云内に勝手づりか出る。善悪あるなり。墓参にゆくにも、あついからゆう方にせふと云、そのさきついゆかぬになる。欲が手傳へば善悪がある。(近思録道体39)
 
才が仁義礼智をのせて出てはたらくものゆへ、才で仁義もはたらく。才がないと、仁義はたらかれぬ。(近思録道体40)
馬鹿はよいこともならず、わるいこともならぬから、馬鹿は知れた。濁なり。…自暴は学問をわるく云ておしつけるが、馬鹿では云れぬ。自棄が、私共は御手前などとは違ふ、毛のない犬と思召せとて一寸学問をにげるが、能く考てみられよ、ばかではない。利口なり。されとも濁の領分なり。(近思録道体40)
 
始皇の、桀紂のと云は中々な才力ではない。紂王をみよ。あの殷の三仁がいけんをもふきけす。才があり、さへたにはきはまりた。そこて、さへた皃の悪人なり。馬鹿な皃ではあるまい。(近思録道体40)
 
唐の文字て本と金を母と云ひ、利金を息と云。元利のことを母息と云。形してひへた金さへ生物のま子をさせて、生た人かあちへやりこちへやりすれば、死だ金さへふへる。壷の内においてはふへぬ。天地が生活であるゆへ、人の心もふだん生き々々としておる。(近思録道体42)
 
政は露けのある方から出るものゆへ仁政と云。礼法刑罸すじのわかるが政ゆへ義政とも云はふ筈なれとも、義政とは云ぬ。汁味を本にして惻隠生道から出るものゆへ、仁政と云ぞ。(近思録道体42)
 
横渠の流義はべったりと氣の上を道と云ふて、氣で道体をとりまわすなり。看板を氣とかけて、中が理と云が横渠流なり。(近思録道体42)
 
理氣は銀を橐鑰[ふいご]ているに、ふいごがないと五匁三匁と云もない。五匁三匁は理なれとも、銀をのけて三匁五匁はない。五匁三匁ないと銀もめっちゃになる。理氣の離れぬか、それを分け子はならぬ。一つにはならぬものなり。(近思録道体43)
 
横渠の株は太極の、理のと云すに氣の咄ゆへ、流か違ふかと思ふ。氣の咄と云へは太極へは遠く、どふやら素問霊樞めくか、曽てそふてない。横渠のここか道体を合点ゆへのことなり。太極の、理のと銘を打たず、氣を云てやはり太極と理を指すことになるか横渠の手抦なり。(近思録道体43)
 
某幼年の時迠張子学と云か有たそ。をかしきことなり。張子のは道か別と思ふは根から知らぬなり。(近思録道体43)
 
周子程子の流は理を語りて氣をすてず、張子の流は氣をかたりて理を明す。古ひたとへの、德利を大切するは酒の為なり。(近思録道体43)
 
学問は道体なりか為学へ出ることて、老子か虚無を道体と見れは為学か無為にて、禮は忠信之薄と出る。佛は寂滅の見ゆへ為学か五倫を無して離るることを第一にする。張子は道体を氣と見た眼から為学か礼と出て、学者を礼で教る。礼はかんさりとあらはれて子とももなるか、それに理が具はる。かんさりをつかまへるか垩学の實地なり。(近思録道体43)
 
神代の巻は神道て違ふと云は卑ひ見なり。あれは舎人親王の書なれとも、淮南子か本つくとなり。(近思録道体43)
 
生人物万殊、立天地之大義と云て、そふさするものは何そ。云にや及ふ、理なり。太極なり。(近思録道体44)
 
隣へ元日に年賀に行くは礼か義のやふなれとも、仁がなけれは松飾り蹴倒してもよいになる。仁の根あるゆへ礼もある。御無事に御重歳目出度とは云が、死でもよいと心から出はせぬ。愛らしい生々としたてなけれは、するほとのこと、作り花、画餅なり。(近思録道体45)
 
張子の礼をしこむを謝氏か木札をかむとそしるか、張子の弟子かそこに心得かないから、末になりては只かたはかりてぎくしゃくと礼をかたてしたから如喫木札と有りつらふ。張子のは木札てないはここて見へてをる。(近思録道体45)
 
朱子学するもの、集註章句と近思録と云ものまでは一と通り見ることにしてあれとも、朱子の語類文集にある性理の吟味かすまぬゆへ、近思にも四書にも精彩なし。(近思録道体46)
 
若い時はつよいこと云ても、年よりて足も腰もたたぬ段になり、或は子を多くころすなとと云にあふと、つひ題目を唱へるやふになる。王荊公か仏に落たももろいことなり。(近思録道体47)
 
若いときは神。その年よりたは鬼なり。死てから初て鬼てはない。生ている内に五十から後ははや鬼ぞ。(近思録道体47)
 
盆祭するやふては道体はすめぬ。我祖父母や父母の忌日の外になんの丁寧に精進をするそ。目蓮が母が地獄に落たとて、皆々の父母先祖もをちもすまい。世の習て比ころは肴賣さへこぬ。盆に精進すると云も世間一統のことなれは、俗家はともかくもなり。されとも道体をよむほとな人か盆に精進せすはとふあろふか、先祖のためになるまいかと苦労する位ては、道体はすまぬことなり。(近思録道体47)

大学の明德を天下に明にするか政談經済録てなく、天下のあかを落すこと。伯者は民を愚にすと云、只今かしこい主人かたわけた男を欺て使ふが、たたいほんのことは其下男を賢しこくしてやること。我も丁稚も太極の一源なり。(近思録道体48)
 
語録はふとした咄ぞ。誰か八朔の礼に来たものに咄されたことを、弟子の矢立で書付たやふなが語録にのこりた。夫に此の様なよいことがある。そんな塩梅を知らぬから、上総のものの学問の上らぬが尤なこと。石原先生や迂斎のいかいことの話があろふに誰でも録したものはない。ただ講釈の口書ばかりぞ。あれが上総の陋習ぞ。とかく出府し親炙しても文義のことや講釈の筆記計りして、つまり講釈がしたいの、あの書を一と通りすましたいのと云ばかりで妙語をききとることならず。其項某などは講釈をきくにも文義は文字が出来たら済ふと思から、筆記はざっとした。石原先生や迂斎の話をば兎角書たぞ。諸老先生の話には一言半句の上によいことがあるもの。少しの切れで千两道具がある。それで今、迂斎学話も石原学談もある。其見から韞藏録も出きたもの。(近思録道体50)
 
工夫をするは為学、工夫のあると云は道体のなりなり。それを道体なりの為学と云。(近思録道体51)
 
人ははだかて生れた、着物をきるは道体でないと云はふなら、牛馬や鳥類の毛羽で四時をすますが道体と云になる。夫では人の仕立屋に云付上下こしらへるは牛馬にをとるになる。天なりに手入れの入ると云が道体ぞ。そこが道体為学一とつづきなこと。…道体にない為学ならば、徂徠が道を垩人の作り物と云たも一理あるになる。(近思録道体51)

近思や論孟に形を付たい、講釈をすればよいのと云は、わざすましで俗なり。外から咎め様もないが、心へたたってみれば大の俗学なり。(近思録為学1)

江戸中の大小名に多くの武士がある。今日は定めて八朔の礼にあるくであろふが、忠信になろふと云玉しいはめったにないもの。学者に垩賢になろふとかかるいきこみがないもの。(近思録為学1)

かたい学者は手前勝手に、とかくをとなしい厚重なことと吾が胸で賢人をこしらへて、とかくそふしたを賢と覚へる。さへた方の学者は、高いことを好んて高ぞれを云て、とかく事をすてて疏通ながよいと吾胸て賢人をこしらへる。律義な学者は律義なを賢人と思ひ、吾すきなことを建立する。これ手前細工の賢人じゃ。(近思録為学1)

世間の学者が学問して唐の俗人になると云た。なるほどそうで、学問ははばの大きいものゆへ、心がよくならずとも經術事業のはばはあるものなれども、それはやっはり唐の俗人ぞ。(近思録為学1)

俗人にのけものにせらるるやふでなければ、令名を失ふたのぞ。今の儒者、衆人に愛敬せられ、ずんど偏屈にない御人でござるなとと俗が云へば、我は德のある氣になる。これ俗人のわりをくふたのなり。(近思録為学1)

德行は行のことなれとも、知のこやしからなる。行のもとは知からぞ。知から行が出る。玉子とひよこのやふなもの。四子六經は知。夫を聞々するで只の人とはみへぬ。行ぞ。そこで致知のつまりが誠意。誠意は行なり。行と云ても外へ出すこと計りではない。蘊むと云迠が知の存羪。存養はこちのものにすることゆへ、すぐに德行と云。(近思録為学2)

事業は德行からぞ。德行から出ぬ事業は借り着で見ばをするのじゃ。伯者は損金で立派をする。根がないから、治りてもあれは小康と云のぞ。垩人は德行形りを出す。親民へ出す。垩学は身に行ひ心に得るの餘とあり、政談經済録をあてにはせぬ。伯者は七つ道具をならへるそ。たとへは庖丁を料理の名人からかりて来て、色々やってみるがゆかぬ。さても料理が下手なり。あら方はよいが、うまいと云塩梅は知らぬ。(近思録為学2)

俗学の、道理しらずに書ばかりよむぞ。胡五峰の知言にも書物は渡し舩と云た。向へ行て用を足す迠のことなり。舩に用事はなし。(近思録為学2)

氣質は死物なり。こふ云生れ付と云へは動かぬ。学問はそこを動かせること。学問は道中するやふなもの。道中するに氣質は出さぬ。御上洛の、御社参のと云御供ても、大名衆の参勤交代のと云に供廻りを云付るも、それ々々の勤る筋でこそ云付るなり。(近思録為学3)

理のないことは近ふても至られぬものなり。長﨑はさてをき、三里さきも目には見へぬが行かるる。路があいてをるゆへ行るるなり。三里さきへ行るるなれは、長﨑へも行かるることそ。理のないことは近ふても行かれぬと云は、畑へ出てみよ。雲萑が舞上る。あの少ひ鳥かみゆるからは、何程高ひとてもさほとにあるまいか、あそこへはとんと行れぬ。行の理のなひゆへなり。長﨑はあれほと遠ふても行るるは、行るる理のあるゆへなり。仙人になるは理かない。そこてなられぬ。垩人になるは理のあるなり。垩人にも耳目鼻口あり。今日の人も耳目鼻口あり。垩人にも仁義礼智あれは、今日の人にも仁義礼智あるなり。然れは垩人に至られぬと云は、理を知らすに云たことなり。(近思録為学3)

王仁が来て文学教たが初て。其後、菅家、江家あり。これは儒学の開山なれとも、学至垩人之道と云を知たものはとんとない。ここを臭てもみたものはない。日本ては只文字はかりよむことを儒学と心得た故に、垩德太子も神道は種根、佛道は花実、儒学は枝葉と云はれた。これは垩学を大ふ末としたことなり。其筈そ。あの比は学と云へば文字斗りゆえ、そふ思はれた筈そ。論語と白氏文集が連立て行はれたものなり。このやふなことゆえ、日本の古の学問と云は通辞のやふなり。儒者は字をよむことにした。此学と云を知たものは遥にすぎて、惺窩道春二先生なり。此二子は至垩人之道と云かあること、そふなと始て知られたゆえ、新注と出たそ。惺窩道春二先生のこれを知られたは延平答問を見たをかげなり。博識な人と計り見るは違ひなり。(近思録為学3)

隂の氣、陽の氣の合て一寸と留る処てものができる。瀧の水からは、魚は生ぬ筈。水か流れても止る処あり。そこから魚か涌くなり。天地の氣の留る処て出来るなり。(近思録為学3)

天地阴阳五行の氣てものをこしらえるに、物にはわるい方をやり、人にはよい方をやると云ことにあらす。こちか挌別よいゆへ、こちへうつりのよいことなり。同し水ても、銀の鉢へ汲てをくと月かさえ々々とうつる。古る桶へはどみてうつる。人はさえ々々と秀た氣ぞ。(近思録為学3)

本体は、あらはれた用へ對したとき云こと。本然は、あらはれやふかあらはれまいか、体用をこめて、そふしたありなりを本然と云ことなり。…觀世太夫か能をする。さてよいと云。其よいと云ものの本体が觀世なり。羲之や子昂か大文字を書。さても能書と云。其能書の本体か羲之子昂なり。その吟味なく、名人能書と云なりか本然そ。本体なりか本然なり。(近思録為学3)

仁義礼智が出来てそれから形と云へは、とりあげはばのこぬ前のやふなり。又、形が出来て五性かと云へば、どふやらとり上ヶはばのきたときのやふなり。此様に口で云ふに先後あれとも、ここに先後はない。仁義礼智か生れぬさきにあるて、生れてからそこへはいるてもなく、本と理氣妙合て、いつも云銀の譬がよいぞ。銀がさきか五匁がさきかと云ことではない。丸ひ玉がころりと出る。直に五匁とか三匁とかあって、跡先きなしに出来ることなり。(近思録為学3)

欲は情の全体て、喜怒愛樂に付てをるなり。愛悪欲は、垩人にはあるまいと思をふかあるそ。垩人これはよいと思わるるが愛なり。垩人のきろふか悪なり。何てもかふしたいと云か欲なり。この欲は利欲の欲にあらす。人間全体働きの欲そ。垩人は垩人形の欲愛悪あり。さても尤千万と云か垩人の愛悪欲。御坐へ出されぬが凡夫の愛悪欲なり。圣人のよいことをあまるるか愛て、垩人の悪ひをきらはるるか悪なり。(近思録為学3)

人の宝は仁義礼智。そこへ七情が出て不埒し、らりにする。愚者はそれをすててをくなり。(近思録為学3)

性は性なりの誠なれとも、それを誠なりにするは致知挌物てなふてはならぬ。これか伊川なり。温公はこれを知ぬ。そこて近思て追拂たぞ。朱子も六先生の賛をいたされて、それて六人ならぶことなれとも、近思録へは温公と邵康節の二人はぬけられた。学問は何程德かありても、大学の條目を知ねはならぬ。(近思録為学3)

吾黨の学者は知見の高でまぎらかそふとする。力行は腕をこくでなければもちつづけられぬなり。いつも克己の功夫はてづつにするがよいと云がこれなり。酒をやめると云はば、德利から先きへ打破てかかるがよい。そのやふに騒かしくすることてはないなどと、落着て和かみをすることてない。謝上蔡が、宝の硯を打こはしたとなり。一に、人にやりたるとも云ふ。温公が丸ひ枕をしられたと云。寝やふとするところりとなる。これて朝寐をせぬとなり。范文正公が夜学に靣を水で洗はれた。それて目か覺るからのこと。達磨か子むいと心がどみる、子むいはまぶたのあるゆへとて上はまぶたを切てすてた。それほとてなければならぬなり。先生笑曰、まぶたを切るはいらぬものなり。力行は、人のきもをつぶすやふでなければならぬ。一肩入るてない。(近思録為学3)

垩人の道は文に載てあり。垩人の道かあの文の上にあると、そこから文辞か少しつつかさにきて、学者の事業のやふにするは情けないことなり。そこをかさにすれはするほと人欲名聞か強くなる。俗人の人欲は病症がしれてをる。学者には世間にない欲かあって、心のよこれになる。俗人の人欲よりははるか見苦しい。我か書た文に誇る。丁と娘子の袖を通さぬ小袖か十あると云やふなもの。其心て道が得られうか。文章か邪魔になるとは、名聞のつのることを云。偖て又知見か詩文にささえられて、とかく卑近になるものぞ。蔡虚斎かよふ云たことあり。宋景濂か理学者經学者と云へとも、とこやら学問の身ぶりが文章家めいたと云ふぞ。論ずるに足らさることなれとも、吾黨に栗山源助や鵜飼金平、あれほどの人才なれとも文章だけ、道学の根入が浅いぞ。(近思録為学3)

町人か、親から百两いれた財布を讓られて皆つかいきった。そこて、刻み烟艸や何か賣て、親に讓られた財布に百两入んとする。そこで、めったにはつかわぬ。(近思録為学3)

某なともちと講釈か上手な方なり。曽子に云はせると、堂々乎難與幷為仁と云はれん。好学論こふあれは功文とはかり思ふか、講釈も上手たけ道に至る害になる。はや、外へつくからのことなり。直方先生以来きりつめてあるに、其上を一つ云とすれは、講釈も人欲なり。吾方に一つ道を得れは鉄劔利俳優拙し。(近思録為学3)

無心無情の無が自然のことなり。直方先生が、雷は鳴が無声無臭、摺鉢は鳴るが無声無臭。今ならぬ摺鉢ならぬ雷があれば、これはとをもはふ。佛のは、空無で何もないものにして無と云。こちは物の理なりを無情とも無心とも云。無心無情と云となさけなしのことか健忘の症かと云に、そうでない。ちっとも氣の沙汰なしに、道理なりにゆくが無情無心ぞ。(近思録為学4)

歯磨賣が、代さへよこせばとれにもふい々々とやる。どなたへも丁子屋喜左衛門なり。よいのを上けますと云ことはない。外の商はそうはゆかぬ。つい、通りものにはさっとしたをうる。德意から来れば、あなたへはこれは上けられまいと云て心を付る。心つかいをするは、はや私なり。よいのを上けますの、まけてあけますのと云は無心ではない。この方にきたないものがあると無心無情はない。甲斐の德本は、上へ様でも膏藥は十六文と云て取った。けたかいことなり。(近思録為学4)

兒共のやにを云て泣くを、泣な々々と云てはやまぬもの。何ぞまきるるものをやれば泣きやむ。心はいじるほど定らぬ。(近思録為学4)




四書五經の外の書は、だたい役に立たぬ藥だ。垩賢の書はよんところないことそ。論孟はむだなことない。孔孟の咳はらいは記さす。論語二十篇孟子七篇は皆切味に塩の語そ。とんと云は子はならぬ。止むことをえぬのぞ。道中するものの路銀の才覚するは止むことをえぬのぞ。探幽の掛物はなくてすむそ。(近思録為学5)

詩書とあるじゃによって、後世詩を作り文を習ひたかる。それも孔子の教と思ふ。皆粕の処をしたかる。そこで万端粕か多い。禹王は聖人なれとも寸隂ををしんだ。とんとこのをしむが垩人の垩人たる処。(近思録為学5)

学問は道中するやうなもの。道中は身がるがよい。今日学者詩文の心掛るは旅立に碁盤をかついて出るやうなもの。大きに邪魔になる。それだから、そのやうなあほふはない。俗学多くは其様なぞ。旅は路金と返魂丹てすむ。(近思録為学5)

道理を付ずに詩文上手は大きな邪魔。吾徒は近思を讀、徂徠なとか方の者は唐詩選。こぶはかりでない、道を害する。何を云も名人の詩章ゆへ、垩賢の書の代りになるやうに心へる。去によって、唐詩選も論語も同しことと思ひ、懐中する人も学者と心得る。そこて後世の大な害じゃ。(近思録為学5)

今日のあるべかかりの人はもっとわるいことをしそふなもの。それかわるいことをせぬ。それは性善、と。さて、名を好むゆへそ。あの男には似合ぬと云はれまいとて男氣をもする。なまじい天窓數の人には名も調法と云ものそ。そこか中人を励すなり。(近思録為学5)

学問は知と云三番叟か初ら子ばとんとならぬことぞ。温公を無学と云も、知の三番双かない。日本ては菅相丞、儒家の祖とするなれとも、つまり行ひつり。三番叟の沙汰はきかぬ。(近思録為学6)

寒いとき、酒屋の前をとをり酒を見ても、こちのためにはならぬ。呑子はやくにたたぬ。呑むか行ひなり。其行ひは知てなけれはゆかれぬこと。知たなりをしとける処か力行なり。(近思録為学6)

邵子は知すり、温公は行つり。そこて近思にのせられぬ。(近思録為学6)

(「克己復礼」について)私に克は心のこと。礼に復るは外まてを云なり。仏は内かよけれはをとりを踊てもよいと云。そこて唄も舞も法の道と心斗をしごとにすることだ。日頃孝行て心に如才ないと云ても、親の前へ足を出しては義と云ふか崩れたのぞ。非礼勿れと云、皆外を愼むのそ。外をいらぬと云は仏見なり。(近思録為学7)

朱子の学朋でも張南軒は内つり。呂東莱は外つり。陸象山、陳同甫なとは学筋かとんと違ふてをれとも、これを象山は内すりづぶの禅学なり。同甫は外すり、づぶに功利の学なり。そろはぬ。(近思録為学7)

君前で上下着て行義よいは、心持わるそふなものを心持よい。上下と行義は義で外なれとも、心が得心ゆへ心持よい。君前て寢て居ては心よくない。義は内にあるに極りた。屏風の大文字は外なれとも、それか倒に立てあると心持わるいやうなもの。たて直すと心持よい。義は内なり。(近思録為学7)

垩学の大事はたった二字。敬義二つしゃ。内か敬で張りあり、さて、事ざへあらはれた処。道理に背かぬか義ぞ。(近思録為学7)

邪心は理を非にまけることた。其様は、邪心はなくはゆるせなれとも、邪心ないとてもゆるされぬ。御姫さまに上けたひは邪心てはなけれとも、鯖の鮓を献しては妄なり。湯とり飯の処へは、きすあいなめとくるか正理なり。朱子の、楊墨のやうなものはわるきでないなれとも、正理に合ぬ。老仏もそれ。悪る心はないなれとも、道理に合ぬにこまる。(近思録為学8)

私は徂徠てもなけれとも、朱子をは信せぬと云類、皆私そ。(近思録為学8)

垩賢の言行は手本になること。史傳のことは手本にならぬことなり。若ひ者には左史はむさとみせられぬは、若ひものかよいことにするそ。目迎して美にして婉なりの、父は只一人、天下中の男は皆夫となどと、初学のさばけぬことをわけなしにみせ、たわけを養ふ。小兒の赤本なればよいか、孔子の春秋その傳、頭を下けてかかる。殊の外わるい。此方に道理さはき出来て以後に見ることなり。(近思録為学9)

奉公人の當番は理。鎗がふっても出る。花見は氣なり。今日は天氣かよいからと云。遊山は氣のことなり。(近思録為学10)

道をば書経すんだと云は粕をひろふたのなり。いつも云渡し舩なり。用向足らずに舟にはかり乗てかへったと云。それは大たわけなり。なるほと其やふなものはないか、やはり学者はそれかある。(近思録為学15)

学問は大事なもの。わるければわるひくせがつく。よければよいにつれて癖が出きる。藝者がはやけをいやがるもそれで、のりの付た処から圖にはつれたがるもの。(近思録為学17)

某が思ふに、途中で人に逢て、立て居て長咄するものに役に立ものはない。玉しいがきまればあんなことはないもの。(近思録為学19)

祖父が孫の飯をくふを、脇て蝿を追てにこ々々しておる。あれが仁の繪姿ぞ。直方曰、仁は綿帽子の様なもの。ほや々々したもの、と。程子も仁を雛子で譬へた。同しことても雛子や犬の子愛らしいもの。もや々々したものが仁の体なり。(近思録為学20)


上戸の酒を飲を見て、下戸かうまいて呑むかからいで呑むかと云ても、下戸には酒の味は語られぬ。そこて上戸かにっこりと笑てをるでよい。酒はむ子がひらけるのあたためるのと能書きをよむは、本んの上戸でない。今日から茶を始めて風雅になると云て茶めく底をして圍ひを立てても、それで利休が茶人とはうけ取らぬ。形てゆくことでない。云取れぬことは云ぬでよいもの。西行が、松嶋や小嶋いかにと人問はは、何と答む言の葉もなしは、松嶋の景色は云れぬと云たてよく、松嶌を見たことなり。言外でなければ本んに合点したではない。(近思録為学21)

学問の目當は大いものゆへ、漸でなければゆかれぬ。某が若い学者のすすむとてあまり悦はぬもそれて、此道学至て大なことなれば、中々得られぬこと。あくみつけば頼母鋪と思た学者もやめるもの。夫れを見て直方先生の、志ありもやせんとたまされて幾度説きし口をしの世やとは云たもの。三宅先生の弟子によいものの出来たも、先生のまていな教方からゆきたもの。(近思録為学22)

何が直方の活論を迂斎の雄弁で話す。五十人ほどの弟子が皆笑ふたが、皆うそ笑でありたとみへる。それで腰のぬける日には皆一同にぬける。本んに笑へば迦葉になる。(近思録為学26)

今の世の人の心は佛法を信じながらも、やはり心は伯者なり。先きによいことあると目をかける。珠数をつまぐる親父にも伯心がある。これが平生の佛法魂からじきに伯心へゆく。…王伯は天下国家の政のことに計り云ことでない。こふすればあとにこれほどなことがあると云心根がじきに伯者なり。伯者は物を取りかへものにする。これをすれば跡がよいと云。町人が出入屋鋪の掛りの役人を馳走して、今日の舩遊山で一つ物入をして、さていかひこと商があることじゃと云は、十呂盤の上へ伯者が来る。今人には何の上にも伯者佛者の心がついてまわる。武士が刀ををけば、佛法が這入る。町人が十呂盤取れば覇心がくる。佛者の見臺の上へも覇心があがるぞ。(近思録為学29)

氣を論せぬと備はらぬ。孟子がそれぞ。時に何ぼ性善と云ても熊坂や日本左ェ門かやうながあると云。其やうなもののあったとき、あれは氣の無調法かある。そこで氣の側にをくと氣の咎にする。孟子かあれほどに論られても氣と云ことがないゆへ、あとからさま々々の疑が出るなり。氣は善悪分萬事出矣の大掃溜め、盗人、巾着切、皆氣のすることそ。(近思録為学30)

学者か貞觀政要を尊仰するも体を知らぬゆへなり。唐の太宗は兄を殺して天下を取たぞ。垩賢の前へ持て出たとき、風上にも置れぬことなり。尤なこともあり、政のことによいこともあろふが、治体と云ふそばにはをかれぬことぞ。(近思録為学31)

大学か小学なしになるものではない。古の八才からの小学は、敬と知らずに敬て存養ぞ。そこが根本培擁なり。それから大学にかかるそ。(近思録為学33)

孔子の御門人も各得其性之所近と云て、さま々々得手の方にまわる。子夏の弟子に田子房、それから荘子なり。かた々々ではよいこともゆるされぬ。(近思録為学34)

敬義をすると心中に物欲のよこれがなくなり、一身に非礼の違いかなくなる。敬て心か張弓のやふになり、義て身持がそまつがないぞ。(近思録為学34)

書物を讀て草臥たを懈意と思ふはちこふことぞ。人の精力にかきりあるものゆへ、むつかしひ処なとを熟讀すると草臥るもの。それが懈意てはない。それは氣のつかれたのにて、医者の持まいなり。(近思録為学35)

王荊公かあれほとの豪傑なれとも我慢からはばをして通たものゆへ、晩年に子に死なれ、我もさしつかへてきたれは仏法に帰會した。(近思録為学36)

妻が死だて子とものかんかくをするゆへ学問はならぬと云。そのやふなものの学問のならぬと云は論語にも孟子にもない。(近思録為学38)

さしても役にも立ぬ習はせを、こふせずは人口もいかかの、世間でないことをしたらあぢな男と云はりやうなとと世間をみるは学者にあるまいそ。菽をまかずはとふあろふかと、門口へ鰯の首をさすはどをあろふかのと云。菽をまかす鰯の首をささずとも、どこからも咎はない。年貢を出さぬは地頭から咎められる。(近思録為学38)

朱子の世話になりた劉屏山と云人の子劉平甫云人の庭がよく出来たと弟子衆の話されたれば、朱子の、雖園佳心則荒ると云れた。花壇塵のない様にするで心はごみだらけになる。何事もあんまりなことは心の毒になる。(近思録為学46)

弘毅は氣質でないこと。西銘と云に氣質はない筈なり。これを氣質に説くと柳下惠は弘、伯夷は毅になる。(近思録為学48)

茶人のとっくとと云が靣白ひ。とっくとでなければ茶の興はない。とっくとあくまでで、垩学には行れぬ。(近思録為学49)

兎角鳶飛魚躍の、曽点の氣象のと云たがる。二两や三两のことで額に筋を張るに、曽点処ではない。じゃほどに、伊達をやめやれと云こと。(近思録為学49)

祈天永命と云は人君の德の脩めやう、政の仕方で、天の方できまったものも長くもなる。此方の仕方で延ばす。人の力で天へひびくと云こと。日食は行度が定てあること。幾日何時と究りたものなれとも、古へ垩賢脩德天下の隂邪たかぶらず、天下治平に政がよければ日食の日に食せぬこともある。(近思録為学50)

忠と云は内の心を少も虚のない様に吾方を一杯に尽て、少とも跡へ残すことのないを云。そこて文字も中の心と書て、少もかけごのないこと。是は吾方のこと。恕は相手を取て云こと。吾心の有る形りに誠を人へ出すこと。これも字心で知ろふこと。如心なり。忠は吾一人て内外の違はぬこと。恕は吾と人とのちがわぬこと。是が学者の端的の工夫、孔門の教。心の工夫、此より外はない。心法は禪坊主のすることと異学が云が、論語の忠恕が心の工夫と云ことを知らぬ。(近思録為学51)

忠計で恕がないと吾計り、恕計で忠のないはうそなり。(近思録為学51)

公は理でつめたひもの。無極而太極と云様なもの。それへ温まりの付処で仁なり。太極にほろりと涙の出るが仁なり。なげくまじなきこそ本の姿なれは、理のなりなり。なげくまじなきこそ本の姿なれは、理のなりなり。とは思へともぬるる袖哉は仁なり。死ぬ筈と思へとも、とふも涙が出る。山﨑先生が、仁は馬鹿なものと云た。科人の首を切ておいて、跡で泣く様なもの。科あるから切るる理なり。夫は公の上で、其上に涙と云温りの出たが仁なり。公は只酒と云様なもの。仁は燗をしたと云様なもの。(近思録為学52)

公は小袖櫃にある小袖の様なもの。ひゃこいが、仁は人の着ている小袖なり。一つ小袖なれとも、人が着るで煖なり。公の字に人氣のつくことと合点せふことぞ。(近思録為学52)

親の子を愛すと云は限りもないことで、食物をやって病ませるはいやなれども、どふも兒共が喰たかるから可愛くてやまれず、あれほとに云から一つばかりはと云て竟いやる。そこが仁氣なり。時によって、夫れゆへ親が病ませることもある。なれともそこが仁の氣象ぞ。さしづめの理ばかりでは、仁は云はれぬ。仁はこふした温まりのあるもの。やまれぬ誠からあたたまりのあるで仁ぞ。(近思録為学52)

佛者が布施と云ことを云も此施の字なり。なるほどきこへた。心切のあらはれ出た処が物を贈るなり。心ばかりでは恕でない。仁があらわれて人の上へ及んたこと。(近思録為学52)

仁は筆をつるしておいた様なもの。夫で千字文を書たは用。仁は只酒と云様なもの。夫れを飲で赤くなり醉た処は愛で用なり。こなたも一抔呑めと云てやるは恕で、仁の施しなり。是れが皆公から来ること。私のないは公、人へ及ぶ処で恕とかけ、あわれた処で愛とかけ、つまる処は一つことなり。(近思録為学52)

私心と云は、悪事悪心とは違ふ。家じりを切るやうな心を云ことてはない。凡道理てないことは少ても私心なり。(近思録為学54)

(「問、作文害道否」について)漢唐の間にない問なり。あの時分は文字訓詁を道として学ぶ故にこの様な問はない筈なり。文章か大事業になりて、日本ても管家江家王仁以来とんと道と云沙汰はない。(近思録為学57)

文章は品のよいもの、歌舞妓踊りは下卑たものと云が、やはり同挌になる。どふなれば人に見せるためなり。文が非礼ではないか、人にほめられたひと云心が非礼。金は非礼てはない。ほしいと云心が非礼なり。詩書も文章なれとも、あのよふに書て人にほめられたいと云人欲か、をどりよりはわるい。これが学者の禁好物なり。(近思録為学57)

吾黨の学者の詩文をわるく云は手前が出来ぬ故そ。そこで人へひひかぬ。(近思録為学57)

文章書て仕まってをくは人にみせるためなり。女のよいきものやこふかいを仕舞てをいて、何ぞのときに見せようとてのこと。身のためなら寒ひときには着るがよし。人のみるてなふては着ず。甲斐の德本、小袖を貰ふてよい方を身に着せる、と。裏かへしに着た。今日の学者は不及德本。(近思録為学57)

先年京都てある儒者が五百石なら何処へでも出やう、其代りに学者一道のことはをれが知らぬことはないと云た、と。学者一道を何と覚へてをるぞや。此人は学問を帳につけてをくとみへた。垩学に五百石の、三百石のと云ことはない。伊尹周公は天下を治め、顔子孟子は引込ていた。皆垩人の道じゃ。とんと道と云ことを根から合点ゆかぬ人と見へた。是らも用心すへきこと。うかとすると、此やふなことを云。(近思録為学59)

惣体、学者は手前をよいと思ふがさいご、学問はみんなになる。(近思録為学59)

敬は心のこと。義は事へついてすること。客が来れば応對、手帋がくれば返事。事の上て筋を立て子ば義てない。心に如在はないと云ても、正月の礼に行かずに行たぶんにはならぬ。事でなければわからぬ。借用を返すは義なり。心に如在ないと云ても、返さ子ば金主は合点はせぬ。心かよいと云ても事がわるければ義てない。白帋をやって委細のことは此内にあると云ても何のことか知れぬ。後刻参上と云は事なり。敬も義がないと益に立ぬ。敬をしても、義と云つぢつまの合ふものかなくては事なしなり。いつも々々々念仏三昧では天下の政務はならぬ。天下は事できまる。横渠の、釈氏は此に一銭をあたへはつかいえずと云も爰のことなり。義を集ぬからなり。(近思録為学60)

これは斯ふ、あれはああとさばくは義なり。其義も理を知子はさばかれぬもの。そこで知か根になるそ。料理をするにも是は鱠、是は焼きものと云は義てさばくなれとも、それも魚を知ら子ばさばかれぬ。義ばかりて敬がなければ俗儒、義のない敬は異端なり。無星の秤無寸之尺用に立ぬ。(近思録為学61)

今の学者は藥呑むふりで呑ぬのが多ひ。すりゃ病のなをろふやうはないぞ。(近思録為学62)

学者から云ときに、その名も利も道理の當然をいたさぬ段は一つことで、もと爲名するも爲利するも身のかわいためにするのは同しこと。(近思録為学62)

仁は人間の人間たる所て、天より受たる心を仁と云。垩門に入ても、名を好み利を求るのと云心かありては仁にはなられぬ。仁になるには心の底をきれいにせ子ばならぬ。心底に人に誉らりやうの、今での男じゃのと云はれたい心がありては、一日讀書して居ても役に立ぬ。名利に心かありては仁の御坐にはたまられぬ。仁の吟味になりては羽箒で掃くやうなに橋杭ほどの人欲がある。幸田君の、学者は凡人にない欲があると云もここなり。顔子の不違仁とは、久ひうち孔子の通りの心て居ること。それも私意ないからなり。仁の反對には私欲と出すことなれとも、私意は其上の細なこととをもへ。私意は私欲とは違ひ、少しの心得違のことそ。仁の吟味に成てはこふ細かい。墨子か兼愛、揚氏が爲我。可愛そふに何に人欲ですることあらふや。去る由って、あれを又尊ぶものは垩人のやふにもをもをふ。そこが揚墨の私欲でなく心得違で、天なり理なりでない。釈迦や老子もそれて、欲てはない。心得違、私意ぞ。心得違かあれは仁の沙汰には及れぬ。(近思録為学63)

道中をする内は、今日は捗ったとか遅かったとかということがあるが、京都へ往き着いてはもうそれはなく、桜見物をしていられる。学者が暇になりたければ、聖人になるか死ぬかの二つより外はない。(近思録為学67)

氣質を用ぬとは学問の邪魔する氣質を捨ることて、能ひ氣質は大和知行を取るやうなもの。これを替たがるには及ぬ。性の靜なは重疂な珎重なことなり。(近思録為学68)

今の学者はきめ処がない。きめのないは刀に目釘のないやうで、兵法が上手でも目釘きなしの刀ては用に立ぬ。(近思録為学70)

知惠なしに行ふはたのみなし。子ともに金を持したやうで、ずいぶんと大切に持てをれども、金の大切をしらぬゆへ、つひ人形を見せると直にはなす。(近思録為学72)

某など程温公を無学と云ものもないが、其かわりに温公のよい処を能く知て云にも、某程云者はあるまい。近来の議論ともにて知へし。兎角一偏ではいかぬことぞ。温公を難有がる、渾厚の人、中々温公誠の地位いかほどと知らず。又吾黨の学者は温公を何でもない者の様に思ふ。みな一邊ぞ。(近思録為学78)

精義入神は知のこと。尺蠖の屈んた処。利用安身は行ひなり。尺蠖の伸た処。(近思録為学79)

形而後とは氣質の性に根のないことを云。これを根のあるにすれば、妖物に問屋が有になる。氣質の性は妖物なり。不圖出来たもの。問屋はない筈。性善には継善と云問屋がある。形而から氣質は出来る。(近思録為学80)

氣質の性は俗人に通用のよいもの。拙者生れついて吾侭短慮と云と俗人は通すもの。学者仲ヶ間は通さぬ。(近思録為学80)

人欲は氣なり。德は理なり。氣と理の軍に理が勝てば垩賢、氣が勝ば凡夫。(近思録為学81)

今百姓が親から受取った田畠を、ふやしもせぬが又減しもせぬと云て子共へ渡す。よい自滿ぞ。(近思録為学81)

隂も陽も、どっちも重宝なものなれとも、隂陽には分んがある。隂には油断がならぬ。易は天地自然の道なれとも、道体の形りで云たとても、隂陽には抑揚がある。昼夜が同挌にはならぬ。妖物盗人は夜る出るもの。日向も日隂も天地の中なれとも、日向はよく物も生へ、土臺もくさらぬ。日隂は物の生長もわるく、土臺もくさる。皆隂はわるいに属たもの。(近思録為学82)

尺蠖の屈伸が精義入神利用安身。道体と為学のつれ立ことに云たが、ちとは似ずともよさそうなものなれとも、天地と似ぬ日には、紙子着て川へはまる学問ぞ。(近思録為学84)

何でも人欲と懇意なが小人なり。すれば、をとなしい役人にはないとは云れぬ。上下着たものも、心に人欲があれば小人なり。そこで顔子が克己と云て欲を歒にしたもそのこと。(近思録為学85)

明六つ目出度と肴を買ひ、暮六つを哀ひとて涙を流すものもないが、これが生死のことぞ。昼と夜とでは誰も騒がぬが、生死になると大きに騒く。知り皃にして知らぬのなり。死ぬことを日の暮た様にをもへばさわぐことはない。大病でもまた死と云心はないが、不圖病氣差重って死ぬからよいが、前廣に死が知れたら食も咽へは入るまい。夫を夕部ついだ土器の油のなくなったやふに思ふは大な知なり。こふした知になれば、何にもさびしいことはない。(近思録為学86)
韓退之が大顚に迷ふたも嶋でさびしかったものであろふと云もよいきめなり。韓退之が故郷のことやあなたこなたのことを思てさび々々とした処へ、大顚が形骸を外にし、心を枯木死灰にして、骸をばまきさっはの様にした体で、そこへのろりと出たに氣を奪はれて、そこで迷ふたもの。すれば異端くるみ大顚が知が高ひからなり。して見れば、退之が佛骨表を書たも、只きついことを云たのなり。大顚に迷ふも死生に迷ふも同こと。通昼夜而知と云ほどに知れは、天也。是を聞て面白ことじゃ抔と云は一休が小僧飛助あてにならぬから、そこへをもりをかけたもの。(近思録為学86)

生死を蝋燭のとほった様に思ふ。知なり。其高ひ知居て、さて卑ひ礼て成就させるなり。知礼と云根から道義がはへる。はばの廣処で道と云、こまかな処で義と云。天地と云大舞臺て万物生々する様な者。知礼と云舞臺で道義と云、能が始まる。今の学者が知の高ひの一偏になるを恐れてあぶながる。夫で人抦が大事だ々々々と云が、天が上に位し地は下に位し、知の高ひに礼と云がをもりになると云ことを知らぬのなり。これであぶなげはない。あぶないほどに知たでなくては、学問はせぬにをちる。(近思録為学86)

非番が有ては成就はせぬ。日待を喜ぶ百姓は、身上は上らぬ。江戸の町人の家て斎日に、手代や年季ものが皆出るに、中に皆出拂ってわるくば私は留守に居りませふと云奴がいつも早く番頭になる。あれはまだ若ひがと思ふに、いつか帳脇にすわってをる。(近思録為学88)

初午に千社参りの歩行くと俳諧師の歩行とはちごふ。一句づつも得やふとするなり。学者が年季野良の寐た様では役にたたぬ。(近思録為学88)

孔子は一生仁の建立を示し玉ひ、孟子は其仁をそへて説き、義と一とつたたりて仁へやる。これを孟子の手段と云。(近思録為学89)

天は屋根の上、地は椽の下のやふなれとも、混然と云は地上是天て、なんでも堅らぬ処は皆天なり。人の斯ふして家に居るか、此家のすいた処は天なり。魚の鰭の外もえらの内も皆水なと同しなれとも、あの魚の水中に居るやふには人の方はたしかに思はぬか、然し、その證拠には、天か暑けれは人も暑く、この頃のやふに天か寒ければ人も寒ひ。混然と一つつきに成てをる。丁と水が動くと魚も動く。魚か動くと水も動く。魚て明かなやふに、人も其のとをりなり。(近思録為学89)

このからだは何で出来たと云に、天地の氣で出来たもの。それを只肉身の親に斗りもらったと思ふが、実は天地て出来た。(近思録為学89)

今四十六士を復讐と思ひ、大石を忠義の鑑にするものなとに西銘は見られぬ。(近思録為学89)

花と花とは色香争ふと云付句に、川岸に藤山吹の咲つれてと云ふより、岸の松ひとり春をやおくるらんと云が秡群のこと。(近思録為学89)

子を十人持っていても皆可愛いもの。しかし、そこに総領は惣領、娘を片付けるのにはどうのこうのということがある。可愛いのは同じだが、それぞれに分がある。(近思録為学89)

理一分殊は天地自然のすかたなり。理一の段には、恐れながら禁裡檨も公方様も鉢坊も千ヶ寺も我兄弟なり。分殊の段には、直方先生の云はるる、公方様へ出てこちの兄様と云たら大事なり。又、迂斎云はるる、顚連無告者と云て乞食に二人扶持つつやったらたまらぬとなり。大名ても挌別なものに隠居扶持下さるる。成程、理一分殊か天地自然なり。西銘か孕句に理一分殊を云をふとしたではなし。自ら分殊はあるもの。蚤や虱を兄弟とは云はすに與と云。はや分殊かある。(近思録為学89)

(「理一而分殊」について)親への土産をやり、それから人へもやるか本一つて分が殊なり。(近思録為学89)

他人と親か一つと云へは、他人はうれしくとも、親の方ては面白くないことなり。迂斎、鉢坊主を親と一つにすれば、旅中の順礼も親になる。すれは歒討に立やふかないと云れたが、いかさま我親を殺した者をも親と同く兼愛すれば、歒は討れぬ。そこを無父と云。兼愛は仁らしくて、つまり父をなみするになる。たたい一身左右の手のやうなもの、理一なり。されとも左の手に腫物かしても、右の手で字を書は分殊なり。天下一家中国一人は理一なり。されとも父と他人は分殊なり。それを同格にするは義の賊なり。(近思録為学89)

茶人に後の炭と云ことあり。利休か孫宗且は利休まさりの名人なるか、初の炭はわるいほとよいと云た。これは不功者な茶人が炭に見へをして、火のをこらぬことかある。悪くても火の起るがよいと、云分なり。(近思録為学89)

得て学者かたぎと云ある。只落付底を学者のやふに思か、それか役に立ぬ。をとなしいは重疂なれとも、必竟知のめくらぬのなり。(近思録為学90)

某前々云、淺近て求るは帯の結ひ玉かふと障子へ當り破った迚、亭主か肝を消し、そんな学者は二度よせぬと云ことてもないが、障子の破れる時節なり。そこも命なり。人の病氣も同しこと。引風てぞっとするも傷寒も同こと。又晩に食ふとした肴を鳶に取れた迚、いかなあほふもそれか残念にて病氣になるてもないが、それか身上破滅も同こと。身上破滅も鳶が肴さらふ様なもの。その時心かあちこちするは不知命なり。(近思録為学92)

今、行のわるいは知のかけなり。行は分にはない。知た通りにゆかぬは知の足らぬなり。親に孝、君に忠、小判程にゆかぬは本に知らぬのなり。(近思録為学93)

人欲は懈りから出る。兎角心へ泥を付けぬ様にするが尊德性なり。(近思録為学94)

礼はすぐに敬の形りなり。礼は形できめる。わる心はなしと云ても、親の前ではあぐらはかかせぬ。身は寐轉ぶと心迠も寐轉ぶ。大名の家来が結め所に居るが、どふでも不断おる処ゆへ多葉粉も呑めば心もゆるみがある。家老が通ると心がはっきりとなる。そこが形の尊ひ処。(近思録為学94)

上達は天窓のはげる様なもの。毎日々々德性に懈るか、問学に背きはせぬかと下学をしておるで、いつか上達する。病めば藥を呑むは當然と云ても、なをることは知れぬと云れては呑れぬ。学者も上達と云はすみがなくては功夫も勉厲もならぬもの。(近思録為学94)

某が兎角怒り早ひが、二三年以来これにかかって工夫しても中々まだゆかぬが、ひょっとあの下女が今日は訶らるるがあると思ふたに訶られぬは仕合じゃと云はふが、夫れは却てこちの仕合なり。いつも訶るを訶らす、それだけこちの德性の益なり。訶られぬものは結句して損だも知れぬそ。(近思録為学94)

讀書求義理。義理と云大事の処を求るがよい。世間の俗学を記誦詞章と大学の序で云も、義理を求ると云ことを知ぬからなり。上林賦東都賦義理にはならぬ。あれも諷諌じゃの、東方朔がをどけを云も上の為と云は贔屓詞なり。夫より義理を求るには眞直に曰若稽古之帝堯がよい。文選と一つに讀では義理を求ぬのぞ。時に義理を求めるの求めやふを一つ合点することぞ。書經の正ひは知れたが、詩經には邪と正がある。史傳もそれなり。とほふもないこともあるが、よいでは義理を求め、わるいは戒にすること。それで、どれ共にこちの為になる。しかれば悪を見てもやはり義理を求るになるそ。(近思録為学94)

皈着はぎり々々の処。大く云へば近思の始が道体で、中が工夫の細かで終りが垩賢の篇に皈着する。丁度これが大学を眞直に持て来たもの。大学の始が明德、中かさま々々な工夫、終が治国平天下と皈着する。直方先生の編次もそれなり。鞭策録で立志から存養精義と六具を堅めて、それでも又引込れると云ことがあるから用心に排釈録、つまり目當ていきつまる処を出して道学標的なり。皈着ありなり。朱子の通鑑綱目編集皆皈着あり。学者が小学で君臣の義を何ほど知りつめてもまだ足らぬは変に逢ふと云処で皈着する処を示んと、其後淺見先生の靖献遺言を著す。これ同く皈着有りなり。(近思録為学94)

前言往行はあまりをもくれてみるべからず。只論語々々と云ばかりではない。唐の大和のことを廣く見るで益になる。(近思録為学94)

此村の兵部の名主が咄に、或老人百姓の碁を打つは御法度の博奕よりわるいと、此近郷のものが云たげな。博奕と云へば御法度と云ふで役人もゆるさず押付らるるが、碁は天下晴れて打つから咎められず、一日手間とる。百姓などは別してわるい。(近思録為学94)

天地から御預りの心ゆへ、立子ばならぬ。爰があなたゆへにと云塩梅なり。御鷹匠の鷹を据た様なも預り物ゆへなり。人は万物之靈と云も心で云こと。其心をこちの自由に只の凡心にしてをくは、拜領物を蹴倒し蹈潰すのなり。(近思録為学95)

今日人の口上に伯父の為めに精進をするの、伯母の為に今日は精進をして進せると云様に心得るが、精進したとて死た人の為になることはない。只向において云から為めにとは云が、実はこちの為めなり。(近思録為学95)

孔孟は堯舜以来の心がちっともちがわす、そこを継ひだ。漢唐は論孟の註をしたれとも、孔孟の心をつかぬから絶学と云。周子は註もせぬが心を継だ。周子が孔孟に心がちっともちがわぬから継だのぞ。そこで朱子の堯舜からたん々々道統を云て、恭惟千歳心秋月照寒水。(近思録為学95)

今日何者が始めたかも知れぬことを礼の様に思てしておる。其れがたわけなことで、世間一と通仕くせのやうに云て、仕馴れたことをよいと思ふ。一副當の仕癖を出して云へば限りもなくある。半日も待れぬ皐月に今日は田を植ぬ日と云がある。さうかと思へば三日をくべき親の遺骸は其日の中に埋る。昔からヶ様と云ておしたがる。夫れがまとい付ひて、理のないことをもなぜかさう致しつけたと云。年越の大豆を喰て羪生になるとも思ふまいが、兎角纏繞から年の数ほどは喰ふものと云。知惠が上りそうにしても、やはりこれにからまる。去年あれをせぬから、あぢなことで息子が死たと云。習熟にまとはれ、かしこい人もあほふをする。そんなことは皆淫樂慝礼なり。節分の夜に畚 [ざる]をつると鬼がこぬと覚て居る。畚をこはがる鬼が何にこはかろふぞ。畚の目程に目を付ると、鬼でもこはいことはない。よっほどな学者もどふしてか纏繞が取れぬ。つたかつらがまとへば、松杉もそだたぬ。まといを取ればそだつ。直方曰、手を縛ってをいて脇指をぬけ々々と云やふなもの。纏繞を取ら子ば知は上らぬ。今の学者も盆祭など、胡爪の馬や何かの俗礼を笑ひながらするが、それでも心の内は纏繞なり。二百十日の前日に日待をすると云がわけもないこと。當日風もないとて其日に祝ふて休むはきこへたが、前日にするは、風のない様にとたれやらにたのむ筋の心得なり。そんなかるひことがなぜ近思に載てあると云に、俗礼も、一在所へかかることも公義へかかることもあるから、学者もそれにかふれるから、なをされぬことがある。精灵棚もせずはわるかろふと思てする。佛が生民の耳目を塗ると云て押塞れたのなり。(近思録為学96)

全体、礼は親の前へは足は出さぬことなり。心は孝行ても、足を出すとすまじきことをするゆへ、借りた金を返さぬになる。そこで礼は形できめるが大事なり。和僑と王戎が喪に鷄のこと、晉人礼をすてるなり。知惠があると礼をなぐる。曽点風になる。守得定ぬと形をすてる。季武子が死だに哥ふ。礼は心にかまわず形ですること。形でして心から出ぬ様に見えるから老荘がきろふが、礼の本来が心から出ると云ことを知らぬ。孔子の克己の跡へ復礼と云れたはうい々々しい様だが、礼と云字でよい。(近思録為学96)

世間で伊川を褒めそこなって、あの衆などは挌別なことで悔に行くには匍匐て行くと云た。知ぬからの褒そこないなり。(近思録為学97)

知かないゆへ、行かわるい。兎角吾をよいと思ふから氣質変化はならす、東銘の愚にをちる。(近思録為学100)

曽点は目はかりて足か至らぬ。囘は两方揃て其上にあの克己復礼の羽ほふきではくやふな処か密察の処なり。(近思録為学101)

只今喪中に重ひ役人は忌御免と云ことかあるて、月代剃て出る。それて服はないと思ふは白徒の悲さなり。学問は、やはり月代そり月番を勤めても忌中なり。用を勤ても心はやはり喪なり。無拠処て、鯛の吸物は一口計は喰ても忌中の妨にはならぬ。心さへ忘れ子ば、精進を落たにはならぬ。先年も爰を心喪の心の字と同じことじゃと讀れた。天下の役人なとは、時によって介借や死罪の檢使にも出ることもある。役なれは仕形ない。それても吾は心喪なり。すれは心次第なり。心喪の邪魔にはならぬ。上下を着て長髪ても、窓から通りの女を見るやふては心喪はみんなになる。彼沢一が紅葉を見ては心喪てないと云た。心の字を云ぬいた。鰺の干物を喰ても心喪の邪魔にはならぬか、庭の牡丹を樂んで見るがわるい。樂みに付は心喪てない。学問は只心にたたりてせよとなり。(近思録為学104)

いかさま仏者は寺を建立するからは、学者も学挍を立ることの様に思ふが、さふしたことでない。学挍は上からすることそ。足利の学挍も浪人のしたことではない。昔の大学寮と云も禁裡から立させられた。今は萑の森にあとある。上から、学挍の師がないからこいとありても辞退をする筈。むさと出られぬ。それに吾手から学挍立るなとを学者の役のやうに思ふは穿鑿なり。昔年、一学者が大橋の学舎のことを、石原先生のかぶり觸れたもこのあやなり。(近思録為学106)

兎角学者はいらざる深切を出すかよふない。あまり親切すぎると近道を拵るになる。それでは垩賢の道を小さくするになるそ。丁と先祖から讓れた田地を切賣にするやふなもの。段々小くなる。近来上總の学問のそろ々々わるくなるも、彼親切から近道をやらふとする故なり。そこを、爰らの年季野良や小野良迠すすめるは親切なことではない。(近思録為学107)

漢唐の間の学者は子夏子游の様でないぞ。名をあげたいの、人にほめられたいのと云のなり。神社の繪馬堂に七歳書と額をあける様なもの。筆道のためにはならぬ。(近思録為学107)

何とか云假名の板行ものを見れは、心と云ものは孔孟で得ても、仏老で得ても、神道で得ても、得手からは同ことじゃと云学者もある。さて々々十方もないことぞ。(近思録為学107)

何ても不相応がわるい。迂斎の、乳呑子を蕎麥切振廻にやるやうなもの。まだあるへいさへもあふないのに、丁ど當時日用の道具もないに、茶の湯道具を買やふなもの。百姓か農具も持ずに掛物を求める様なもの。若ひ學者とも、孝悌忠信小学も済ずに湯武の放伐を聞たがる。十方もないことなり。萑にまりなり。(近思録為学108)

耳目は聰明と云て、堺町や上るりを聞くために天からくだされはせぬ。手があるゆへ盗み、足があるゆへ悪所へ行くが、本と此手て盗め、この足で嶋原かよいせよと天は命せられぬ。皆、つかい処が違ふ。心と云神君へ事ることなり。(近思録為学110)

白徒ても誹諧か上手になる、味噌や薪の身上にも搆はぬものそ。歌舞伎役者さへ茶湯か靣白くなると、靣へ白粉をぬることはいやになる。外事と云内は靣白みはない。(近思録為学110)

俗学に貴様は四書の御吟味はと云へは、四書は早と云が、との様なかはやが知ず。さて々々覺束なし。どふして四書がすもふぞ。程子の十七八より論語を讀て、七十はかりて漸々此ころになって意味の深長を覚ふと云へり。四十年来掛りて集註が出来て、死る三日前に誠意の章句を直されたと云程のことなり。程朱は氣が輕くはないなり。それに、今の学者が四書は済だから洪範を聞たいと云が、洪範は済でも四書は済むまい。藝者は却て其を知るそ。茶湯も、こい茶より薄茶が六ヶしいと云。傳授ことは済ても、毎日々々のことがいかぬと云が茶の名人。心に覺のある処なり。これも氣輕くない処そ。(近思録為学111)

思もいろ々々、論語ては近思、偖又中庸に愼思とある。あれは思の筋を取違へぬことなり。胷中て思ふことゆへくるひが来て、つい隣のことになる。そこを横の方へきれぬやうにするか愼思そ。(近思録致知1)

近思は靣々で違ふと合点すべし。手ん々の身へ引付る処で十人が十人で違ふことぞ。なぜなれば、積持はどふぞして積を直そふとし、頭痛持はどふかなして頭痛を直そふとする心から、人のことに搆はぬ。俗に云、隣の疝気を頭痛に病と云ふは近思でない。人のためにするのそ。(近思録致知1)

日本辞に知ることを致むとも云、知を致むとも云。これては大きに違ふ。直方も云てあり。知と云へはもち前で仁義礼智の固有、手を付ずに良知の知なり。知ることを致むと云へば、今迠知たをきわめることなり。直方の、知は去声なりはそこぞ。親に孝はたれに聞すと知たことそ。其知た上をもっときわめるか致知なり。(近思録致知1)

王陽明はきわめるをいやかりて、手前に持た知てすむと思ふ。なるほと一理あり、尤なり。王陽明は半分知て半分知らぬ。たたい知は致めるでよくなる。鷺は鷺、からすは烏と云やふに、世の中この通黑白の判る様にはいかす。そふゆけば、学問はいらぬ。王阳明か良知てすむと云は目を子むって筆を取様なもの。源内でも孫兵衞でも目を塞ひては書れず。向の相手を取て、こちの明になるか致知そ。王陽明はこの筋を知らぬ。こちの目じゃから向にはかまいそもないものじゃが、そこが大学の補傳即物究其理なり。(近思録致知1)

近思の篇目、迂斎の云通、爲学で五十三次をふみ違へぬやうに説てあり。さて致知以下は、爰は舩、ここは駕籠、ここは馬と云やふに、これから先きは爲学の小割なり。(近思録致知1)

東銘の遂非長傲のわるいも、心にはさま々々なをろかなことありても、人さへ請取ばかまわぬゆへなり。これ、俗知は人を相手にするからなり。(近思録致知1)

学問なしの知は役に立す。(近思録致知1)

学問せずと是非は分ると思へとも、致め子はわからぬ。本知てない。中庸明弁の弁の字が大学の致知の致と同し。權衡へかけて知る。爰が俗知と違ふ処そ。俗知ははかりなしに知ると自慢すれとも、そりゃ根からないことなり。(近思録致知1)

人の妻や娵か懐妊すると、今度の子は男じゃと云たがる。垩人の知は、生てから男しゃと知る。偖、これを聞てはこしゃくな人が、中庸に前知と云は如何と難問する。あれも不思義にないこと。むせふに金をつかい、むせふに酒を呑ゆへ、身代をつぶそう、内損して死ふと云。理の當然を云たもの。反て大酒してもあたらぬのが変ぞ。変は勘定に入ぬが学知なり。(近思録致知1)

我に一つ了簡あれば、兎角あがらぬものなり。学問は勿論、藝者でも弟子に下地のないを説ぶはそこなり。小い子の母親の云通になるを見よ。世間の母親には隨分不尤なもあれども、兎角母の云ことを重く聞く。それが致知に入用なり。此方に一物がないから求而後得なり。東海寺の任叔が迂斎に云た。をらが方では十二から上の子は弟子に取ぬ、と。きこへたことぞ。己を信せぬ方をきめたもの。(近思録致知1)

たたい師と家老はよいにしてをくことなり。よいゆへに專ら信するて学を得るなり。(近思録致知1)

学問はがくそく々々々々していかぬ。本の知はゆっくりとしたこと。山﨑先生の存養貫其二はここぞ。(近思録致知3)

大工の、何もかもよいがひずんだと云のそ。あまりいりもみするゆへくせが出る。藝者のはやけをきろふもそこなり。せきみなり。(近思録致知3)

心は心、道理は々々と分々では役に立ぬ。今の学者は天理人欲两方を載てをく。道理を聞は尤と思ひ、さてこちの方には人欲がしたたかある。(近思録致知4)

今日の学者は兎角思が專一でない。未発の中の、知藏のと高ひことを云て見ても思わすにさわぐ。鼠をとりそこなふたいたちのやふで、思の氣味なしにさはぐ。とど、学問に精彩かないから役にたたぬ。名医がまたしゃれよと首をひ子った計りて死ぬ病人も活きる。(近思録致知6)

日月至は孔門の歴々、大勢の衆なり。久而不息は顔子なり。これもとんと筭用の外なことそ。日月に至るも其日は仁者、久而不息も仁者そ。あの衆の孔子の前へ出た処が家老と仲間ほと違はせぬ。皆堂にのほるの歴々なり。されとも意味が違ふ。顔子のはいつも々々々よい。たま々々てない。(近思録致知7)

あの衆の意味氣象、これがすんだらば禄士もなろふと云様なことはない。今の学者、どふでも禄士の役にもたつやうの心かけが出る。(近思録致知7)

垩人の氣象は、善は善、悪を悪と云やふな処にはない。今聞て役にたたぬやふなもの。甚よいことなり。孔子の申々夭々、春の日のいこう長閑に鴬の囀るやふなことなり。師冕見ゆ。ここに重次良、ここに傳左と、もし其座に居たものの噂ても云ては氣の毒なと丁寧に告なり。又、陳恒弑其君、沐浴して朝す、少正卯を誅すの類、引くるめて知るてなければ氣象を知るとは云はれぬ。致知は先規のことを帳面に付るやふなことてはない。(近思録致知7)

垩人をのけては皆勉強ぞ。だけれとも、其勉強も知がなくてはいかぬ。兎角順が大切なり。知がなければ灯燈持て主のあとに居るやうなもの。旦那が川へ落たあとで灯燈を出す。役に立ぬ。とかく灯燈は先きへたつはつ。世間の学者が事上行義からかかるゆへ、こうたたるなり。(近思録致知8)

猿が何ほかしこふても学問はいかぬ。人の知をみかくは性善なりなことて、これか道理の問屋で、その理に循て行く道筋を吟味するが致知なり。(近思録致知8)

たたい理なりにすることは難ひことはない。白は白ひ、黑は黑ひ。すら々々したなりか知の靣目そと祟りたもの。順逆難易の文字にて知べし。知なしに勤めてすることは逆て難く、本知の理形りは順て易と示されたものなり。(近思録致知8)

一物の上に一理あると云は即道体なり。道体を云に天地の間に理のないものはなく、此位の理は理にもたたぬ、捨てをけとは云れぬ。きはめるでなければならぬ。(近思録致知9)

知を磨くは兎角書が端的なり。垩賢の書をよむより外はなし。(近思録致知9)

是非を別つは大切なことなり。其れを云は子ば眞昏なり。窓から路人を見て、あほふな男と云はそしるのなり。腰の物に反り打て指たは麁相な男と云ひ、鑓持の鞘を落して秡身てかついて行くを麁相と云たとて議るてはなし。是非をわかた子ば知の埒着がない。是非の分たぬは吾寺の佛尊しになる。…是非を分た子は、折角の深ものでも上はえかかぬやうなり。王陽明なとはここを委細胷にあると云。胷でばかりすましては向へ合ぬ。(近思録致知9)

垩人は聰明睿智なれとも一分でをすと云ことはなく、官を郯子に問ひ、礼を老子に問たか、又そふじゃとて六十迠聞ても歩行れぬ。天下万事を究めやふとするとあくみか付き、又我か一つ知た発明で万物之理を推究めやふとしてもすまず。積累てなけれはならぬ処そ。(近思録致知9)

不孝をするも謀叛をするも其灵妙な心からするて捨ておかれぬ。(近思録致知10)

向ふほどのものがこちにうつすものがあるゆへ、直に物々て開ける。これ、物我一理て物の理と吾が知が一とつづきゆへ、取りて反してと工夫をつけることにあらす。(近思録致知12)

大学の致知格物と四字て二つになれとも、格物は向のもの、致知はこちのもの。格物をした端的か直に致知なり。直方の、ひもじいと思ふ。食をくふ。直に腹に溜る。飢はやむ。飯はものなり。腹はこちなり。これ二つて一つに内外を合すなり。王陽明は爰を知ぬ。物は向なり。其向ふと云がいや。向へ目を付る。はや外馳すると思ふか、つまり佛見なり。(近思録致知12)

一艸一木皆理か存してある。理は形はない。形なけれは大小はなし。四端の理が大ひてもなく、一艸の上の理か小てなし。(近思録致知12)

理のあることを推し付るは理に目のつかぬのなり。向ふなりに少しの処から段々万物の理にもいたる。小のことをして、それて早速君子にならるるの、家老が勤まるのと云てはないが、向の來る形にそれをすること。有物有則、そこなり。そこを遠くするとたばこ盆を踏倒す。それから五倫もけちらかすやふになる。異端の垩人の道にはづるるも外のことではない。挌致がないからなり。(近思録致知12)

大名の居間には蝿かないは、下人の住居とちがい喰ものの遠ひゆへ。蝿は溷濁の処におるもの。(近思録致知13)

洪範は六字(南無阿弥陀仏)の名号よりはありがたひは、吾儒の知は思から成佛するぞ。(近思録致知13)

今日もよほど才力ある人が山伏などをは輕しめ、祈禱坊主にも常は負ぬが、子ともの病氣などでは祈禱坊主にあたまを下ける。皆迷ひがさすなり。(近思録致知16)

此方の道は天あれば地あり、夫とあれは婦あり、父あれは子ありてにき々々して、正月は麻上下、婚礼には酒肴なり。この方の道はこふしたことと此方を守るなり。(近思録致知16)

怪物も天地が廣ひからあろふ、一眼や死灵生灵もあろふと云も、根かすまずに云へはやくにたたず。知れぬことじゃと思ふと、地獄もあろふはさと云ふになる。初学は伊川と南軒を守るかよい。根からないことと理できめることにしてをけ。…張南軒の、邪鬼神なし、眼の疾じゃのと片付け、ない々々と片はらいなは朱子に及はぬ所なれとも、あのないと極るか初学の怪妄にをほれぬ所になる。悟った上はとふ云ても迷はぬ。初手は理てをしてさっはりと無ひものにせよ。(近思録致知16)

仁は知とは違ひて、仁はわか德にすることなり。(近思録致知17)

学問もとき々々て名をかへて云。学而に学而時習、十有五志于学とはかり孔子は云れたか、子思のときは異説のあるて、もふ朱子の道学と書れた。(近思録致知18)

大名の学問の上らぬのも、こいよと云て人にさす。字もよめぬは近習番が引く。自らくらぬたけあからぬ。吾黨語類文集よむにも、朱子の説はいつも能ひとはかりも云はれす。語類の内に違た説もある。それをあちこち見わけやふとし、これは未定、これは晩年の説じゃの、ここはすこし集註とはふれたのと色々骨折る。ほんにはっと溜息つくほとのことあるそ。こう艱阻するて朱子学を得る。これ、心亨るにいたるなり。(近思録致知20)

今日老儒がまだ々々若ひ衆がなどと云たかるが、つまらぬ口上ぞ。年によることでなし。開ける所には、年より若ひものと云ことはなし。(近思録致知21)

朋友の助はかるいことにいるもの。こふ思ひついたかどふあろふと相談するか学友なり。今の人は人欲を去ることを朋友に相談するか、これは朋友もこまる。爰は他人を頼かたき処なり。(近思録致知21)

不調法な仲間でも、生國の咄は江戸ものよりよい。よく知たことはこふしたもの。(近思録致知22)

舜の問ふことを好むはよはいやふなれとも、水のやはらかで中があかるい。告子が心に求ぬは、つよいやふで中がくらい。そこで告子の不動心と孟子の不動心のちかふも初に知言と云あかるいものあるからのことなり。(近思録致知22)

文義不曉。漢唐は字彙を引く様な学問ゆへ、こんな戒は入らぬ。宋朝へ出たもの。宋朝は文義をほかして意を見るが得手ものゆへ戒たもの。文義にかまわす学問がなる。それでは禪めく。名人ぶるのわるいを示たもの。(近思録致知23)

今の五經に樂經を添てと云が世間一と通云ことなれとも、さう云れぬことは荘子に六經と云字がある。礼記は漢儒から始めて傳へたものゆへ、礼記を六經へ入ると云が荘子にある字へは落付ぬ。某按に、いづれ詩書易春秋はのがれぬ。其上へ周礼儀礼を入れて六經と云がよかろふ。礼記は垩人の語でからが經とは云にくい。礼記には老子めいた字もあり、俗人めいた語もあり、さふかと思へば大中も篇目に入りてありた。入り雜りたことは經とは云にくひ。宋で王荊公の周礼儀礼を取らぬ拍子から礼記を尊信したが、經とは云れぬぞ。(近思録致知24)

先つ書經は二帝三王の政を書したとみるが路徑。その政と云は心ですること故、垩賢の御心を知ら子ばならぬと云が門庭なり。去に依て蔡九峯の書傳の序に心と云字を多く並て書ひた。あの心から政をすること。詩經で云へば、詩は人情に本つく心の形りを述たと云か路徑なり。詩を只流行歌しゃとよむと、下女が小歌も同前になる。よい詩を見ては、ああしたいとする。わるひ詩を見ては、あれはわるい、せぬことじゃとするが門庭なり。詩書の筋を合点するか路徑。此方の工夫になるか門庭なり。(近思録致知24)

書は向にをく書なれとも、だたい心のことを書たことゆへ、こちがさらりとすればその理は見へる。書にある理がこちに具りてある。其具りたもので具りたものを聞くことゆへ、よくひひく筈ぞ。これで見れば、公冶長解鳥語と云説などがきこへぬこと。人と人なればきこゆるが、あの雀や鳩がなんと云ことじゃとは知れそもないこと。犬は犬同士できく。友犬が吠ると耳を引立るが、此講釈などはなんともひびかぬ。(近思録致知25)

致知のしやうがわるくて浅ひことを深くほると知がくるふ。又、垩人のをもいことを何のこともなくすますと浅はかになる。浅は浅く深ひは深く説が致知の方なり。(近思録致知25)

詞は同しことでも違ふもの。よい時分と云はどこへもつかふ。用談はすんだ、最ふよい時分じゃとは、碁打が云へば棋盤のこと、上戸が云へば酒のこと。迂斎曰、今日はゆるさぬと云ても脇指を拔くことてもない。大盃で呑せることなれとも、いつも酒盛と心得て喧嘩の時に酒盛と註をしてはちごふ。そこを見付たは道春なり。垩人の書は活法でなくては通らぬと見て、権現様へ申上けて四書を朱註で行るる様にした。新注を行ふことは勅許の上て無てはならぬことと京都から公家衆咎めのありたときに、権現様の、夫はせまかろふ、どれても人の為めに成る書を行ふがよかろふとの仰にて事すみたとなり。なせこんなことを云なれば、垩人の書は活法で、兎角人の方へ耳に入る様に渡してやることなり。夫には朱注が一よい。論語徴も古義も意味と云ことを知らぬぞ。すべて異学徒は活法を知らぬ。(近思録致知27)

いつも雪は白く降ると云様に、道は間断なく流行しておる。その中の人ゆへ自ら精を出さ子ばならぬことじゃはと心付く様になる。これを見て、こちで精を出すこと。飯たきが、旦那が目が醒たぞと云様なもの。傍輩にをきろと云に及はず。をき子ばならぬ。川上の歎は弟子の為と云ても洒掃應對とはちごう。洒掃應對は云付にはづるればあたまをうつ、灸をすへるぞと云てもすむ。川上歎はそれとはちごう。こふきいてはこちから精を出さ子ばならぬこと。夫と云ひびきから昼夜をすてぬと孔子の弟子衆の皃を見て云た。それを程子が又、道之体如此と弟子衆の皃を見て云たもの。(近思録致知29)

書は見様よみやうでそれ々々に違ふものなれとも、大事のぎり々々の処に違がなければよい。緊要の処が違ふてはどふもならぬ。そこで、陸象山、王陽明、仁斎、徂徠を辨ずると云も少の処のことではない。緊要が違ふから弁じたもの。迂斎曰、緊要は扇の要、磁石の北へ向くのなり。(近思録致知32)

俗学は書をはなすと動はとれぬ。吾黨には書をのけても学問のなる仕方もある。…朱子が、始が先つ約で夫から中でひろげてしまいが又約なりと云れた。下坐見も御老中から覚る。始に約を見せぬと致知がくるふ。只今の学者は約を知ぬから道理に入らぬ。俗学が史記左傳無性に博くよませる。約を知らぬ。…俗学がいくらよんでも身の益にならぬは約を知らぬからのこと。丁度忙ひ中で大勢に近付になるやうなもの。どれがどれやら知れぬ。これが亭主、これが名主と約を知れば、却て夫から知るるもの。皆を覚たがるから皆が知れぬ。(近思録致知33)

哥人がよい哥を又もや々々々と玩味するでよい哥が出る。只哥の数を覚たとて哥には入らぬ。(近思録致知33)

小学で聞ときは、大学は入口じゃ、畏りました。近思では、そふなふては学問てはない筈と聞わけぬと訳がつかぬ。小学は守り、近思は知惠の書なり。(近思録致知34)

入德の門は大学。大学に入る門は何なれば、其入口が致知挌物なり。学問しても致知へ一つ精釈なければ尤ごかしになり、垩賢の道は得られぬ。挌物致知、大学の大学たる処。致知が甲斐なく、たん々々人品がよくなると、我を忘れて我を垩人のやふに思ふ学者もあるが、それは知惠なしにわるびの付たなり。直方先生、ごずみのかれたやうと云。先知惠なしの元祖が告子にて、知を研かずに德に入ふと云。中頃より陸象山、王陽明かそれなり。仁斎があれをそしりながら、我やっはり王陽明を継だなり。告陸王仁斎を幷へて排するが直方の学なり。仁斎大学を孔子の遺書でないと云が致知挌物へ疑がついたからのこと。良知の学か告子か異端に始りて陸王より仁斎に成就したか、皆大学を知らぬからなり。(近思録致知34)

大学の条目を幷へたが大学の大学たる処。論孟は一時の咄。次第の跡先きはない。八条目をたてて、致知からてなければ先きへ通さぬ。(近思録致知34)

史記の、左傳の、二十一史の、其上を大明一統志の、万世統譜のとあくせく見ても要約の処がないゆへ、知惠のない子に知惠をつける。史に呂不韋、左傳に好色なとの雜駁は人の心をらりにする。論孟の土臺があれば、わるいこと見る迠がこちの益になるか論孟の要約なり。老人が江戸へ出ると若ひものの江戸へ出るとは違ふ。若ものは顔見世の燈篭見に行のと云、老人は德なものても買たり、よいことても見たり、江戸へ出ても益を得る。学者も論孟の要約の処から德をとる。それからは水滸傳見てもよい。(近思録致知35)

守隨やものさしの調法は指てさし手で匁引には及はぬ。まつその如く事物を量る秤やものさしは論孟なり。(近思録致知35)

論孟か大切。己に切にする意なれば、この二書で一生沢山なり。ここは凡夫へ知せることてない。世俗は学問せぬゆへ論はないこと。(近思録致知37)

今論語孟子は讀やすく、六經より手もないことと思ふは知らぬゆへのこと。論孟で天下の道理にもるることはない。さて、治の字はかたを付ること。論孟で六經も明になると説きひろけたものゆへ、六經と云て分の工夫はない。論孟の骨折で六經もすんで来る。又それは甜ひものとあひさつすることてない。近道を教た筋でない。語孟の道理を云たか人へ痛切なり。そこて六經を分に聞耳を立ることてない。直方先生も、語孟から六經を見れば、語孟ほど的切てないと云はるる。なるほと論孟は直に学者をつかまへて云、六經、詩は、人情、書は、政、易は占のことて、論孟の如くきり々々でない。これは赤裸にしての角力なり。六經は大あぢゆへ、論孟をきめた其上で見ると何のことなくすむ。(近思録致知39)

伏義の易、堯舜の二典、孔子の擊辞や春秋、思召有ふことなり。親の石碑立ると云やふなことてない。あれは後世の人へ我先祖親戚の名を知らせ、遺骸が大切。經は人の為なり。丁と親の遺言するやふなもの。手前のためでなし。(近思録致知39)

只今は、詩を作る人が多くは名の爲め、隙費へなれとも、古は心の活きることなり。今の詩は心をなやまし、どふぞ靣白ひ詩をとくらやみへ入り、詩であぢにかたまる。(近思録致知43)

明道の邵子の碑銘に此四字(汪洋浩大)をかけり。死なるるときも伊川に、貴様は面前の路徑が狹いと云れた。邵子一生樂んで居た意が知るる。邵子なとが興於詩から成就したやうな人なり。小児を愛して連立てあるく底なども汪洋浩大のもやうかある。こじりとかめをする人は汪洋浩大てない。詩の氣象がない。(近思録致知43)

某なども幼少から詩に感がうすい。それで自ら作ることかならぬ。今老て学問の上を又も詩と云味を知らす、理屈だけい処がある。師も弟子を呵る計ではのだたぬ。范魯公質の詩で諭したが尤なことで、理屈の外に上るものがある。某と幸田の違も、幸田は詩の照り合ふで某より上座なり。(近思録致知45)

事々と云ても、今事の上ては堯典舜典の通りはやくにたたぬ。心の上に帰着する。経済録政談、日本で調法なり。然るに事ですめは商鞅も唐太宗もよいことあるか、あれを二典と一つこととは云はれまい。(近思録致知47)

さま々々刑を用ひ、首を切るの嶋へやるのと云は政になくてならぬ法なり。但二帝三王のことは心から出る。法ではない。堯舜の道の至善につまったか二典なり。(近思録致知47)

洒掃應對は小、天下の政は大なれとも二つでなく、宰相の政の仕方のわるいも小児の茶の給仕のわるいも理は一なり。(近思録致知48)

伊川先生は易を取違た人なり。伊川先生が易を取違たゆへ、そこで朱子のやむことを得す本義を作られた。(近思録致知49)

道理が明になると占はいらぬ。易の本意は占をすることで、占は全体の道理にあつかることではない。(近思録致知49)

孔子が易と云ものの道理を発明して、これから始て易が道理の書になりた。そこで伊川先生が易の本意にかまわず、易を道理と見てとった。そこで易の本意をばとりそこなわれた。そこが伊川先生の道統になるなり。易を卜筮象數とばかり見ると四日市の判はんじも同ことになる。それでは何も易に奥妙なことはない。日待の慰にもなる。伊川先生がそこの道理を見ぬかれた。そこが道統になるなり。(近思録致知49)

郭忠孝か疑て、易変易也か道のなりじゃに隨時変易以從道かをかしひと難問を云たか、高ぞれたやふてもまた天人の別を知らす。天は自然と変易する。人間は天に從て変易するなり。從は天の供をするやうなもの。今供のことを從者と云は、旦那のなりに從ふから云。主從は君か立てをれば、家来か君に從て君次第にする。侍從と云官も其義そ。人間の学問をするも天次第に從ふことなり。(近思録致知49)

吾儒は何そと云と易を本立にし、又中庸を道の証文にする時に、易はかわることを云、中庸はかわらぬ、これはどふしたものと云。直方先生か易のかわると中庸のかわらぬか嘗て公事にならぬと云れた。なぜ公事にならぬなれは、易はかわるか道、中庸は替わぬか道なり。茶臼はくる々々まわるか眞木をはなれぬ。易はかわるなりか道なり。いつも々々々替るか即中庸のかわらぬ処なり。夏の暑ひもあつひなりか道。冬の寒ひも寒ひなりか道なり。其寒ひか暑くなるは易。其毎年々々同し様に來るか中庸なり。(近思録致知49)

易と云へば高上なやうなれとも、大学の学問を説た書に伏羲神農黄帝とある。伏羲は易を作て人へ教られたゆへなり。易か教てないと云ことはない。易を作て天下へ示した。人を道に從はせるか教なり。(近思録致知49)

通幽明之故は、夜はくらい。幽なり。晝はあかるい。明なり。あかるいは陽。くらいは隂。息子が生れて目出度と云ふは明。爺父か死たと云は幽なり。天地の間は幽明の二つ。昏礼と云かと思へは死ぬことかあり、さま々々なれとも、天地の方てはとちも同し筭用なり。そこへ此方の眼力のゆくを通と云。此の通るか大事なり。幽は幽、明は明と方々つつなれは凡夫も合点するか、幽明を一つにして合点することゆへむつかしひことなり。阴阳あるか天のなり、地のなり。阴阳の変易するなりか幽明なり。そのわけを合点して、そふもあろふ々々々々々々と知惠の底のぬけて来ることなり。そこて通の字なり。(近思録致知49)

天も上て人間のすることを待てをるなり。人間へ万物之霊をやりすててはない。人間のすることをまつなり。百姓が寢ていて麥は出来ぬ。天か大ふ方と思てをるそ。処へ百姓か钁をかつひて出るなり。天地かいくらさはいても、人かせぬと天地の方て事か欠る。易のしかけか少はかりのことではない。天地を見ぬいて其見ぬいたなりを人へ落着させることなり。天地と云舞臺がありても、人間が能をせぬとならぬ。天には手も足もないゆへ、人かせ子はならぬ。それを始にしたか垩人。天地のよろしきを輔成すと云。(近思録致知49)

堯舜のときほと結搆な政はあるまいか、今日の用にたたぬ。書物の辱は今日迠あるて、今日の役に立ち重々な尤ありかたいことになる。(近思録致知49)

味と云は易の本意にはとんと搆はぬことそ。本義に味はない。本義はこれより左何道と書たやふなもの。これより左何道と云をさても々々々と感心することはない。これか易の本義。伊川先生は易を道理にしてみるゆへ味か肝心。味と云ふか易傳の易傳たる所なり。(近思録致知49)

王弼か老荘て説て易の本途の味を忘れた。一陽来復も靜て天地の心を見るとした。郭璞や京房はあてものをするやうになりた。そふすると悪所ても調法になり、欲の深ひ町人の商賣をするも占かいり、下女はしたの出代りにも占を用るになる。そのやうなことて道統にはならぬ。(近思録致知49)

儒者をまい々々武人俗吏か輕んする。役人か笑も聞へたこと。変を知らぬ学者ゆへなり。火事塲て講釈をするやうな理屈を云、其様なことてはやくにたつものではない。(近思録致知49)

辞はどふか知ぬか、易の意は合点したと云ことはない筈なり。これかまきらかしにはえてある。老荘めいたことを尊ふものや禪坊主風をするなとにあること。文義は済ぬか意はすんたと云。そふ云ことはないはつ。(近思録致知49)

兎角に性理の学の大事は遠慮なしにわけるか大事。学者太極圖説の後論かはっきりとないゆへ、とかく一つにするがすきて、分ることは不得手になる。理と象をはっきりと先分けて見せること、第一なり。・・・たたい合せると云ことは、分てをひて合せるてなくては役にたたぬ。とかく始から合せてわけぬゆへ、めっちゃになる。(近思録致知49)

体用は動靜から云ふこと。顕微は理氣から云ことなり。體用動靜は太皷をそこへをくやうなもの。鳴らぬは体。撥をあてるとどんと鳴るは用なり。鳴らぬときの太鞁と鳴るときの太鞁と二つはないか、体用はわけ子はならぬ。そんなら二つかと云に一つそ。鳴ぬ太鞁を桴をあてると鳴る。体用一源なり。理氣はたたいはなれぬものぞ。氣はあらわれて人の目に見へるものなり。易の爻て云へは、乾は一の字を書く。はや阳じゃとなと見る。すぢのきれて両方へほち々々を書。これは阴じゃなと見る。顕なり。微は阴阳の々々たる処ぞ。そこはとふも目に見へぬ。これは阴、此は阳か目に見へるか、阴の阴たり阳の阳たる処は微て目に見へぬ。繪にもかかれぬなり。其畫に書れたものの中にあるゆへ、そこて無間と云。(近思録致知49)

圖説にあれほどなことあれとも変易なり。それも初の巴の丸にすっはりとある。顕微無間なり。なにもかも同しことて、仁義礼智之性は体、測隠羞悪辞讓是非は用なり。内に仁義礼智ありて其体かあらはれて測隠云々是非になる。一源なり。(近思録致知49)

本理あって、その理があらはれてからの數なり。たとへは理は親なり。數は子なり。子が親を産と云筋はないことそ。理は先へ立つ。(近思録致知50)

康節は伊川と一處に二十年も居られたれとも、伊川の終に易の咄はなかりたとなり。(近思録致知50)

郭璞抔も王敦が前てあまり何や角と云すきて、王敦か服立てつい殺さるる段になり、王敦か其方命はと問たれば、今日日中にありと云た。數の毫忽と云はかふしたものて、熟すると人のことも我こともこのやうに知るもの。そふなれとも、こんなことは学者の何の役に立ぬことなり。伊川の悦はぬも其筈なり。(近思録致知50)

役に立ぬことにひじをはると、ちょっとすることもしそこなふ。易をしらぬからぞ。道理を秡出して為ても丁どにいかぬは変易を知ぬからそ。(近思録致知51)

仁義礼智を天から下さる処は、とんとめりかりなしなり。天から下された中、有出類之才。起て、氣質の格別よいかある。譬て云はば、一年三百六十日にめりかりはないが、其中に云をふやうのない能ひ日よりと云もたまさかある。誰もめりかりなく受ても、大学の序の其氣質之稟或不能齊。さま々々ても平人のは多く似たか々々々のものじゃが、多ひ中には類を出るの格別すぐれたがある。それはどなたとなれば、垩人なり。(近思録致知61)

人は性善じゃと云てもすててをかれぬ。垩人か上に居て掛引せぬと爭がをこる。そこで治める。孟子の無教近禽獣もここで、天地開けて以来人間は性善とは云へとも、兎角肉に引れ樂をしたかり、昼寢をし、甘ひものを喰たかり、吾身を大事に樂をせふと云氣で吾方へ々々々とするで彼爭奪がある。肴の頭を投ると犬が爭ふ様なことで、人はそふまててはなけれとも、自然と其体がある。そこで垩人の御手にかから子は人間らしくならぬ。(近思録致知61)

道体を云ときは天地人、春秋を語るは人天地そ。春秋は人を主にするゆへなり。春秋は天地をあてにせず。人から天地をよくする。堯舜の代には人のよいて五風十雨。そこて五穀も能く出来る。万物育すなり。山川四海をたやかにて、四時の流行寒暑の滞ないか天成地平の処て、そこで四海波靜と謡はるる。譬ば天地は舞臺、人道は能なり。然れば舞臺は先きなれとも、中て能が始らぬ段になると舞臺も入らず、只の坐鋪のやふになって居ては舞臺の甲斐なし。(近思録致知61)

垩人はそう々々沢山ないものなれとも、化と云ものて、垩人の出ぬ間もそれて治る。孟子の末篇に堯舜から段々垩人の生するを書き、又、五百年に王者出るとも。孟子の出處の処にもこのことあり。遠ひ其間も其化て治るは、丁ど朝たひた伽羅の夕方迠も匂ふやふなものなり。二帝の前も伏羲神農と時々出られた。出つづけではないが、折々垩人の出らるる。(近思録致知61)

天下を治めの本は吾德を明にして、其上て天下の人の明德を明にしてやら子はならぬ。吾德なしに天下をから手で治めんとするのは墨か子曲尺もたぬ大工なり。(近思録致知61)

知力はきれるもののきくものて、丁と利口なものの金もったやうて、何所ても通用はよいか旨みがなく、どふかつめたく他人根情なり。漢の政かそれて、下をかわいてなく、上手て治たなり。旅篭屋の女の蚊屋や夜着を出すやうて、蚊にくはさぬやうに風引さぬやうにと云心はない。宿屋の役分あるべかかりなり。先王之道は如保赤子て、是ては暑かろ寒かろふと母親が兒を子せつける様に手あてを厚くする。(近思録致知61)

胡氏傳なとの実にわるいと云ふも、孔子の意を知って書たでもあろふが、たしかに證拠ないことを理づめに云ひ過るゆへ作説あり。(近思録致知61)

名を好むものは猫撫声てかかる。此が他人根性なり。民を嚴にするは吾子を取立てやうとて。しをきするときは母をやさへあざのつくほどつめることもあり。ほんに下ををもへばきびしくせ子ばならぬ。結搆な御役人と愛敬されたがるは人欲なり。百姓惰農になると昼寢はかりしたかる。此れか過ると博奕打になり、それからは盗人にもなる。(近思録致知61)

日本で垩德太子をはよいと云、守屋を悪いとをもふは是非の公てない。(近思録致知61)

中庸のぎり々々を權と云。中庸はかわらぬことなれは、かわるなりの權てなけれは其かわらぬ中庸にならぬ。かわらぬやうなことて替るか中庸ぞ。(近思録致知64)

直方先生、左傳があてにならぬと云。又、あてにならぬは左傳の君子となり。家語も礼記も孔子めかぬことあり。老子の氣に入ことを孔子にしてある。そこで此心得が家語や礼記にも入る。左傳は出来過る。春秋は大名のやふなもの。左傳は留主居や御城の坊主のやふなもの。御坊主がなければならぬが、取持が出来過るとわるい。左氏が十方もないことを孔子の領分へ入れたが、それが經で眞偽がわかる。(近思録致知65)

平人の通情は、事の成就したことは理にそむいてもよいと思ふか情けないことて、とかく成敗て見るゆへ、よけれはこそ、あの人の代に金かたまったと云。それは下人の何知らぬもののことゆへ余義もないか、学者も兎角皆それか出たがる。成就をはよいと思ふ。孔子の成たことなし。圍之不克と云、陳恒弑其君沐浴而朝すと云ても成就はせぬか、垩人のことゆへ皆よい。司馬懿は成、孔明は間もなく死た。魏は成、漢は潰れたか、然れとも蜀が正統なり。日本で楠は孔明と同格の人なれとも、湊川て討死せり。然れは敗れたかわるいてはない。朱子の左丘明を呵り、利害を顧る男と云はるる。利害を主にし、羽ぶりのよい方へついて義理にかからぬ。公羊穀梁は事を曉らぬがとふしても儒者じゃと誉てあるもそこなり。(近思録致知67)

凡夫のあのきたないさまで垩人の胸はしれぬ。駕篭羿が大名と云ものはと云ても、をしつけ推量なり。尾張の百姓が、殿様は毎日赤飯を上ふと云た咄しあり。今經済者か先王々々と云か二本道具を見覺へたやふなもの。大名の心は知らぬ。(近思録致知73)

大切の処を合点すれば、小学近思四書でよけれとも、それはかり讀ては其四書小学近思録がすめぬ。博く讀は四書小学近思の翼にする。(近思録致知74)

存養の字の出處を云へば孟子の存心養性の字なり。天から拜領の性はどこに宿りておると云に、心に宿りておる。心は性の入物なり。そこで心を存すれば性が羪るる。学問のつかまへ処は爰の処なり。性と心はいつも云通り、酒と德利なり。酒屋が德利をよく滌ぐは中の酒をよくせふとてのこと。德利がくさければ、中の酒に移り香がする。直方先生の云通り、性は律義なもの、心は道樂なもの。道楽なものと一つに居るから律義なものもゆだんがならぬ。今の学者が心を存せぬから中の性もわるくなる。樽を振り散らかすで中の酒はみんなになる。存羪はこやしなり。存羪を知ら子ば、仁義礼智を天から貰ひ捨にしておくのぞ。(近思録存養1)

某がこのころ心付たことがある。通書の注、ここの処にあぢな太極兩儀を出され、入らぬ註を朱子のかけられた様たが、まさしく陸子へあてた用心とも云れぬが、そんな塩梅有と見ようことぞ。そこて一は太極也。凡そ雜るは二つなり。君に忠、親に孝と云は一な処。雜るとああ靣倒と云。夫が不忠不孝なり。一なればそんなことはない。君父を大事ともをもふ。又面倒なとも思ふ。雜りなり。君父の忠孝は性の本然から。だたい知たことなれとも、そうならぬは人欲なり。そこで楊亀山が人欲非性と云た。あの亀山の語は斯ふはめてみることぞ。(近思録存養1)

人は先天の氣を後天の氣で羪ておるもの。羪よければ血氣がすら々々めぐりて病は入らぬ。人の本来形りに逗留はない。人欲と云ものて滞ると、仁義礼智に風があたりて病む。(近思録存養1)

藝術の師がすらりとすらりとと云かよいこと。其木刀をもってずっとござれ々々々々々々と云。其ずっとがならぬもの。虚でなければすっとゆかれぬ。ずっとが虚直の形りなり。利休が、なんのことはない、抦杓ですっと酌めと云が、それがならぬ。抦杓を握りつめるか落とすかなり。握りもつめずをとしもせぬ。そこがすらりなり。(近思録存養1)

明と通は二つてはなし。通は明の至極ぞ。日の照るは明なり。納戸のすみ迠明るいは通なり。公は一なりに出て私がない。片々でないこと。唐の玄宗が兄弟中はよかりたが、好色で夫婦の間は乱離なり。公ではないことは悲ひもの。夫婦の間の乱れから、可愛と思ふ子を殺した。一色のよいは公でない。(近思録存養1)

威儀行義で内の德を羪ふ。そこで克己計りでなく、復礼なり。行義と云は珍らしい字でよみにくいか、今ま人のぎょうぎと云ことではない。それは日本口なり。それは上の威儀のことなり。事を行ふ上のこと。それがすじのわかりて義理の通で、云へきやうないよいことを云。義を行ふとみるは手づつなり。(近思録存養3)

内欲は七情の欲なり。この方にもち合せのもの。内におる生きたもの。好色飲食が別してなり。これが甚しいから、外物がものもふと云て来ると内欲がどをれと云て書院へ通す。そこで立派な凡夫になる。又、外物がさそわずとも、内欲はこちからも出るもの。天癸の至るで男も女も十四五になれば好色の心もひらく。山奥の寺でも内欲はある。又、喰い時になれば腹が減る。これはさし定った人の欲なり。それぐるみ取れと云は佛見なり。それをすてろではないが、艮其背はとんと見へぬことなり。見ぬに欲は出ぬもの。(近思録存養6)

太極は造化の眞木。心が人の眞木なり。何ても心より外はない。学問も手や足でするものでないからそと云と、陸王が、それみよ、致知格物は入らぬと云か、そうはならぬ。此方は其上を其心を以て挌物致知するそ。(近思録存養12)

垩賢平居敬と云ても、娵や娘の側てりきんたことはない。今日はよい天氣と云て菓子ても食てをらるるであろふ。そこが敬ぞ。立派なりきんだよふにするから仰山になる。そこて、途中あるくにも人が見て、あれ敬が通ると云やうになる。敬は心から形へあらわれたものて、何そ事にするものてはない。(近思録存養16)

今学者が異学の、訓詁のと云て呵ても、吾黨の学者も程朱の訓詁なり。病のないは重疂たけれとも、学問不精なり。(近思録存養17)

中と氣が付、最ふ未発の中てない。直方先生、未発はあとて知れると云が名弁なり。若林の扇のたとへもここぞ。扇を揺すにたた何となく無念無想て一つ々々に揺か、そうと云氣もなくする処が未発の摸様なり。敬は洒掃応對の上にもあること。未発の中は心法の心の全体にあづかる大いことゆへ、仲間小者のとんとならぬこと。孔門傳授の心法と云も中にあることなり。(近思録存養18)

極楽へ往んと思ふ心こそ地獄へ落るはしめなりけりて、あそこへゆきたいは欲なり。はや地獄の媒なり。禪坊主が覚ろう々々々とさわく処がもふ悟らぬ処なり。とかくこせ々々した若者が兎角養生大事ちゃ々々々々と云が、やはりそれが不羪生になる。(近思録存養19)

念ずると云へは最ふ咒の筋なり。中臣秡はよいものならは、その通に身をするはよけれとも、唱へると云ことは垩人の方にはないことなり。三復白圭は唱へごとてはない。これでみよ。神道も佛道の念仏唱へるやうなは向は違へとも、とどの趣きは一つなり。中も温公のやうなれは、孔門の念仏になるそ。そこを無学と知るべし。(近思録存養21)

金をかへそうと云、天理。反すと工面がわるいと云、人欲なり。このととのはてには、金を借り、人は死子かしと思ふ心がでる。進上と立派にかいても、心中にはをしい々々々と云氣がある。人の心鏡にうつるものならばさぞや見にくかるらんと云もそこなり。(近思録存養21)

田舎などは江戸とは違い、火葬を家々のものが自ら手をつけ焼くぞ。さて々々悪なこと。浪人儒者のとんと手のととかぬことなれば火葬を禁することはならずとも、大切な心をらりにすることなれは、せめて焚亡坊主が三ヶの津のようにあればせめてよし。村の者ともが自らするぞ。あれを忍てするなれば、なんでも悪いことにならぬことはない。(近思録存養24)

覇者は事計で敬かない。作り花なり。(近思録存養30)

学問好きなとと云のか役にたたぬ。世間て学問好々々々と云はれて、老荘も一理、孟子もよいか、又どふても性悪と云も面白なとと云。(近思録存養41)

敬は一身の主ぞ。それか事の上へもあらはるるなり。…仏者の坐禪なとは嘿然無言で、それぎりで入定なり。垩人のは鷄初鳴孳々爲善て、物に接る上て善をなすなり。(近思録存養49)

よいことでも、女房の今出産をすると云ふのに太極圖説の吟味するは妄なり。火事塲で身体髪膚と孝經の咄をするはあほふなり。いくら正ひことでも邪になる。とかく出へきと出まじきの度がある。(近思録存養51)

喜怒哀樂のよくなった処が未発の存養のよいと云ことを知るがよい。たとへば庭前の草をほめるも根をほってみてほめはせぬが、枝や葉のよいは根のよいに相違はない。あのもっこくやなんてんもはてよい勢と云で、根はみずと知れる。根は何にと云ことてはない。未発にわさはされ子とも、発する処のよいは未発がよいと云て知れるなり。已発のよいは未発のよいゆへぞ。(近思録存養52)

許魯斎が小学を神明の如く尊んだと云が、大学を知らぬ男なり。垩学はととまりに止ら子は何にもならぬ。至善が垩人の持出ではない。小学は地輪からしたてることゆへ、外篇に色々中から下の人を出すが至善ではない。どれもきり々々にはつまらぬ。(近思録存養52)

禽獣は学問なしに誠を尽してをる。鷄は時さへ告れば鷄の誠、犬は門さへ守れば犬の誠なり。人間は萬物皆備ただけ、遇事時各因其心之所重也。尤、靈とて鼻を高くすると善悪分れ萬事出と云氣の毒がある。そこて人間は学問をして、鼻を高くしたりすることぞ。犬や鷄に存養の功夫はいらぬが、人間はさま々々なことを思だけ心がわるくなる。火と水とは靈妙なだけ、洪水大火の憂あり。よのものにこの憂はない。そこで、はたらきのあるものほどこはいものはない。靈妙なだけわるいことがあるぞ。(近思録存養52)

夢は氣についたものぞ。…夢は隂のもちまいゆへ、垩賢の夢でも昼のことのやふではないはづ。夢にうかばぬと云ほどなが定たの至極なり。(近思録存養53)

朱子なども、親類を夢に見ると是非翼日親類から手紙のきたことがあると云。氣の上の妙で、これは向の感なり。(近思録存養54)

高宗が傅説を夢に見られた。傅説と近付なればきこへた。夢に見た畫姿が傅説に似たと云も微妙なことで、あちからきさしが入たものなり。これをのけるとよいことでも妄想ぞ。夢と云はたたいないはつ。消してをくべきことぞ。…孔子の周公を夢に見られたは、道を行なをふと云親せつから見られたことなれとも、あれも毎晩見ればほめたことてない。薛文清が周子を夢に見て太極圖を聞、山﨑先生が周子を夢に見て太極圖解のことを聞かれた。よい夢なれとも程子の議論では、あれも十分にてはよくはない。(近思録存養54)

学問は志なり。志は理なり。されとも氣と云裏打でなくてはゆかぬ。これが存羪の大事なり。(近思録存養55)

氣は大切なもの。高ひ処へ登るには、天命を知た学者より屋根やがよい。屋根やは氣の養が各別なり。天命を知てもぶる々々ふるへては、火事の方角も見そこのふ。(近思録存養55)

ものずきがないと引れることがないから、知が本来なりに光る。欲に心がだみぬと先刻も云明鏡止水なり。爰をきくと、陸王がそりゃこそと云て嬉しがる。なるほどあれらは只のものてもない。爰の処をあまり合点しすぎてはづんたもの。なれとも陸王は致知がぬけた。此方は致知の篇でそこを仕ぬいての上の羪なり。爰て大きにちごふ。知に羪のないは貧乏者の金なり。ついなくなる。羪が大事ぞ。(近思録存養59)

俗人が学者を別段のやふに思て憎むがあまり丁寧すぎたこと。俗の目からは違った人品の様に思ふが、欲があるからは、やはり一つなことなり。(近思録存養64)

一休西行、欲や俗習はないが存養がない。あの上に存養のあるが此方の学問なり。異端は、欲は去りよい。こちは五倫のあるで習俗も欲も去りにくい。中庸は達磨の女房もちた様なもの。中庸易而難もこのこと。(近思録存養64)

此間不圖思出して可笑かった。氣質人欲に臭のあるものなれば、さぞたまられまい。人欲くさいなれは一坐はならぬ。酒を呑と靣があかくなる。酒の匂もするが、人欲もあの如なればうるさかろふ。(近思録克己1)

克己がなぜにしにくいなれば、克己をすると五尺のからだがいやがる。人間の心に本心と云ものありて、此が人間の難有さで善方へゆかふとする処を、體が合点せぬ。血氣でさま々々な樂をせふとする。(近思録克己3)

克己復礼は仁の功夫。其功夫がだん々々積でこちのものになり、つまった処が誠なり。(近思録克己3)

誠と仁を分々に思ふはあしし。誠は仁の本来のなりを云。仁になれは誠。其誠と云こぎつまった垩人の塲なり。そこて孔子の教が仁になれとは云へとも、誠になれとは云はぬ。仁になれは誠。誠は成就の処そ。(近思録克己3)

薛文靖の、黙最妙也と云へり。だまって居ると云がずんと妙思あるものなり。某が黙斎とついたもこれからなり。十四五のときなり。するに今に口をきく。(近思録克己3)

先年歴々の奧方の團[うちは]にしんくの總があり、夫に珊瑚珠が七つ付てありた。團は田樂火鉢の脇におくからして、大名商家のもたるるもとど風を出すまでなり。それに玉をつけるは、さりとは邪魔なことをせられたなり。醫者の藥箱にも硯箱などは入らぬこと。一寸かりてもすまふ。夫よりちっとも藥を餘慶に入れたがよい。銀のけさんはありて、ほい肉桂を忘れたと云。蝦夷錦の匕袋は立派なれども、大黄は氣がぬけた、黄茋は虫がとをしたと云。やくにたたぬ立派をするより性のよい藥を使ふたらよさそうなもの。内の療治をする醫者がやっはり浮末につく。さりとは頼ないこと。今の学者もそれて、克己々々と云ても表向子ぶとの上わなをし、外は巧言令色鴬聲で世を渡る工面をする。年をとるほどわるくなる。表向をよくすればよくするほど内の欠が立つ。(近思録克己6)

漢は高祖から文帝でよく治て其跡だから、武帝は埀拱而天下治の眞似もなる時なり。それを事足らぬ様に思て夷狄の方へも手が出したくなりて、あの武帝のたわけが穿鑿と云こと迠始めて処々へ穴をあけ、通路のない処は岩を掘ぬき朝比奈の切通の様なをこしらへて匈奴に通した。果は自らもこまりたたわけなり。夫を英雄と覚へた儒者もありた。日本でも、大閤などか只居れば何のこともないのに、物を知らぬから朝鮮攻なり。(近思録克己6)

某は三ヶ津を見たか、町人の奢りさて々々なこと多し。又、飲食も一寸そばきりを打つにも飛び粉がよいと云。絹篩の上の板に飛付たのさうな。夫を取るには、一升の粉を取るには蕎麥粉の一斗も取るほどかけ子はならぬとのこと。一寸のそばきりに是程のたはけなり。飯は湯取飯がよいと云、焚きほしはあたると云。大名の若殿多くはそれなり。それではたらきはならぬはづ。大名も何ぞの時は黑米飯に塩のかき立汁じゃと云に、あまりな驕奢なり。腹さへへら子ばよいにたわけたこと。むかし江戸の高間と云も奢。大坂て辰巳屋硝子の障子がありたと云、罰に合たなり。藥箱印篭椀などこぞ黑塗にするに、今は下駄もなり。夫では頭と足と同挌にするじゃ。垩人の入用なもの、耒耜陶冶計り。其外は服周之冕乘殷之輅。冠は立派、車は丈夫。これこそきこへたことじゃに今は火事にも塗笠をかぶる者か、雨降にも塗下駄と云をはくがあり、首と足の差別を知らぬ。(近思録克己6)

某が幼年の時、鍾馗か鬼を押へ付た繪のある團扇をもちた。夫れに迂斎の賛を書れた。勇猛提利釼百鬼悉退散となり。今人が人欲に負るからなれ、鬼を怯がるは鍾馗でないからなり。鍾馗なればなんのこともなく鬼をつかみつぶす。(近思録克己7)

河村瑞軒や角倉有意などのしたわざも、いこふ天下に利あることぞ。但し垩人の道からはとろいことなり。朱子などは天子の御前で申上らるる、とかく誠意正心なり。(近思録克己7)

垩人になら子は役に立ず。講釈塲の賑やかなは役に立ぬ。今口すぎ学問と云ことかあるか、それは其手習師匠に相応なことじゃ。佛者も塔堂建立しても本んの仏になる心てはない。堂塔建立せすとも玉しいて仏になる。学者も魂ていたる。魂のないは席ふさぎ掃てはき出すべし。(近思録克己10)

某が母が孟母の教とも云程のことあり。某が幼少のときは大ふ氣がよわく、一切いきものきらい、犬の子迠もこわくてならなんた。あるとき母が謾頭と五色の半切をそこへをいて、これ爰へこいと云から行しに、これをやろふと云た。六つ計のときであろふ。大ふ嬉くて取にいたに、乳母と母が彼の犬子を出して、夫れがほしひなら是の犬を抱て十へんあるけ、そうしたら此をくりょうと云れた。心にほしいもののあるから犬子をだいて其れを貰ふた。人欲と云ものはこわいものじゃ。子とも心ても紙や万十がほしさに犬を抱てあるいたそ。其れを抱てから後はあまり犬子がこわくなかった。(近思録克己16)

一念をこらす人欲に緇れぬは氣の本体。大学明德の注に本体之明未嘗息と云ふ。そこが本体の処。発るとわるい。(近思録克己33)

某が祖父七十にあまり隠居した。未生以前のことなり。もっかふ形の鍔の小脇指一本居間の床に掛をきし。彼脇指が床にあれは親類ともが来ても隠居か内に居たそふじゃとてこわかりた。それ故、無学でありたれとも直方先生のほめられた。(近思録家道7)

父母の無い後には、生日は祝はぬ筈。俗儒六十の初度とて自祝ふか、氣質人欲席ふさげの親仁、何の面目に祝ふぞ。兎角理の字を畫てみるかよい。訳なしに目出度と云。理を出すとたまらぬ。山﨑先生、生日終身之喪と云はれた。父母没後には、吾生日はすくに父母の忌日のやふなもの。御子孫も盤昌は謡ふことてない。兩親息才なれは生日も祝ふへきこと。(近思録家道10)

古の葬は棺槨か厚いと云。私か身帯では中々ならぬと云。もふ十露盤なり。周公旦のめったなことは云やらぬ。五畝之宅植之以桑を始として、法度か立てをる。こふすると隨分百姓てもあつく葬らるる。今田舎昏礼は娘を葛篭馬てやる。あのときはひじをはる。これを親の死たときと競べて見よ。ぜひしよふとすれはあつくも出来ることなり。(近思録家道16)

揚雄が、平生何こともないとき、孔子の陽虎に逢はれたとき、身を屈して道をのぶと称した。はや此魂が光らぬによって、つい王莽に仕へた。此れも最初は少とのことなり。あの和な男が玉のやふな垩人を目あてて万事垩人をま子る心ぞ。全体そこに目があかぬから悪人に仕へた。そこで朱子通鑑に莽が太夫揚雄死と書れた。揚雄と云へは学者か孔子につぐ孟子同格のやうに思へとも、通鑑には謀叛人の組下にしてある。(近思録出處)

蔡季通黄勉斎にもをさ々々をとりのせぬ眞西山、大學衍義を作ても出處の道に吟味かかることあり。許魯斎なとも皆靖献遺言では顔はあけられぬ。(近思録出處)

屏風も曲ら子は立ませぬなどと云て道を曲げたがる。俗人が何も角も人を手本にするは嫌て、屏風計を手本にするはとふしたものぞ。揚雄などがこれなり。(近思録出處5)

なにほど実躰でも行ひずりでも是非邪正が分ら子ば出處をあやまる。誰てもわるいと思てするものはない。揚雄もわるいとは思はぬから爰は出る塲と思て出た処か悪人に隨ふたなり。(近思録出處6)

君子小人は心根から違ふゆへ、君子の心ではこれが賁りたと思ふことを小人は耻る。君子は道理の通りなれば木綿布子を着る。そこを世俗は借りても立波をしたがる。そこで世俗てよいと思ふことを君子は耻る。利害にかしこく立まわると誰も働きものと誉る処を君子は耻る。我家の普請は立波でも先祖の墓所はきたなくなってをる。女めの婚礼は立波ても、親の死たときは早桶へ入る。大の不埒ぞ。俗人は何たるたわけをしても苦しくない心てをる。故郷へ錦は君子の尊はぬことなり。(近思録出處7)

垩人はまん丸て無適無莫。くる々々まわるやうぞ。されとも義と云眞木かあれば道に合ふ。それをふみはずしてはならぬ。茶臼はまわれとも眞は動かぬやふに、進退合道なり。柳下惠の和ても確乎不可拔はそこなり。(近思録出處8)

今迠五百石も取りたものが今日限に引拂へと云付らるる。大騒きて谷へけをとされたやふなことなり。東坡さへ捕手のきたで土氣色になったと云。つまり命を知ぬからなり。(近思録出處13)

疱瘡棚をつるなとと云ふは俗なことなれとも、それを学者が往てふみやぶっては、親類なれとも得心せぬ。(近思録出處16)

王荊公が新法を人はめったにそしるが、朱子はあれにもよいこともあると云れたなり。其筈ぞ、あれも大儒と云ほどな人なれは、そふめったもない筈なれとも、もと革るは血氣ではならぬことなり。荊公にかぎらす、出し時が不調法なれは改革やくにたたぬ。大く云へは湯武の放伐か改革なり。(近思録出處16)

革は大切なことなれとも、するときになってもせぬは咎ありじゃなり。役にたたずの学者は一生ならぬ々々々と云てをるものなり。(近思録出處16)

某なと幸で一生患難に合ぬが、先年迂斎の中風したに兄が煩ふて平臥、それに二人の小児が疱瘡、嫂も懐妊、その処へ大火にて類焼した。如此をち重りたれとも、それたけの所置あるもの。あのときも処置てすら々々行たなり。(近思録出處23)

孔門て顔子の外は子貢なり。俗人のやふに金ためたいてはなし。只それが外のことでなく豊約の間のこと。あたたかとつめたいとの違い。子貢も爰に少意がありたと見へる。手のまはる方から一寸と魂がそこへ行た。(近思録出處24)

たたい身持がわるいと云は学問のかいないゆへのこと。学問はよいが出処がわるいと云は、つまり学問のわるいのなり。吾黨の学者は知見が高ければ行はどふでもよいとなぐりたがるが、實に見れば行もよくなる。知ずり行ずりはどちも本のものでない。(近思録出處25)

功成名遂けて身退く。張良なとか是なり。赤松か子に從ふたと云。やっはり老子流なり。秦を亡し君の歒も打、項羽もほろびて仕舞ふ処て引込。長居はせぬものと身の牆をする。利心なり。召公奭なとを見よ。七十致事て隱居する処を周公旦の留られたゆへ、中々樂をせふなとと云ことはないから長く勤められた。とんと利心ない。義斗りそ。(近思録出處28)

今の学者出処に尻輕なり。乞の字も兎角御並次第御振合と云たがる。父祖の為に乞ふならばよくもあろふが、それも乞はぬと云てなければ本の魂ではない。たとへば人の物をめったにもらいたがるはわるいが、親の病氣のときは挌別なれども、それてもめったに下されと云ぬなり。人参を下されなどと乞ふこともあろふが、その乞ふもむさと乞ぬ魂てすることなり。爰を父祖の為ならばと通されぬ。すら々々して道理なりと云とつい道理ごかしになるから出處の心得大切なり。学者のたしなみなり。士人の風節乞ふと云字はいやなことなり。(近思録出處31)

寒さに酒一盃のもふと云はわるいでないが、ぜひのまふとするかわるい。明道先生、盆水を樂まれたことあり。今兼好や牡丹好はまよいなり。碁を一番打たとてわるいことてもない。薄茶を一抔呑んとするとてわるくはない。心を煩わすがわるい。(近思録出處33)

東來は科挙か好てあった。近思録をあむ手傳はしたれとも俗儒なり。それゆへ晩年は十方もないことになった。論語の講釈は空にをちる、左傳か實じゃと云れた。朱子も肝をつぶし、こはけしからぬことになったと、東来の没後別段に東来派を弁じられた。(近思録出處35)

此学者の席ても、あまり弁當の食の黑ひと人も見るものじゃと云心あるもの。甲斐の德本が着る物を引くりかへして着たと云。にくいやつなれども、どふもここの処かぬけたぞ。障子を反古で張り、小倉半紙て行燈張、あまりなことじゃと云ひ、あまり人目かいかかと云。それか大患なり。(近思録出處39)