稲葉黙斎語録-稲葉迂斎(父)のこと

小学講義より

迂斎曰、敎と云は魂に元気をつけることじゃ、と。(小学序)

迂斎曰、天下に賢人賢君のできぬと云も大学のあやではない。小学のないゆへ、と。小学さへあれば、それから大学へゆかるる。(小学序)

迂斎の、きかぬ(目端が利かないこと)に異見するはなま酔に異見するやふに、づぶろくなものへ狂薬にして佳味に非すと云てもいかな々々々きかぬ。(小学明倫92)

浅見先生の御弁に、身のしっかりとかたまることしゃと云へり。礼かないとどふも不丈夫なり。迂斎先生か靣白ことを云た。礼のかたしけなさは柱にくさひのあるやふなものしゃと云へり。柱を吟味して丈夫なぬきをとをしてもきし々々する。そこへくさひを打としっかりとなる。又迂斎先生の弁に、礼かなけれはたたまぬきるものを見るやふなものと云へり。たたむとしっかりとなる。(小学稽古3)

先達の話に、或る禅坊主云、人は欲に目鼻のつけたもの、と。(小学嘉言42)

迂斎が面白ひことを云ふた。行ひに古の今の唐の日本のと云ことはなし。中蕐ても日本でも日月にちがいはない。上に日月があるゆへ、種をまくと中蕐ても日本でもはへる。(小学善行1)
 

近思録講義より

迂斎曰、夜中病人あらふとも、火事のときも、盗人のときも、まづ火をとぼす。…先知のこと(近思録目録)

近く思は心と身より外はないと迂斎云へり。思へはそふなり。学問をしても、そこをうか々々通。必竟、人の闕けは心の不足か身の不足かなり。五倫の交は心と身てするゆへ、近思の字は心と身をそれへはめること。(近思録道体1)

(動静について)、其人の見所次第て動とも靜とも云るる。迂斎がいつもはづさず云た。土用干に掛ものは吹立てられてさわくに、茶臼はそこにしゃんとしておる。それを見ては、茶臼は靜なものと云ひ、又、茶を挽くを見ては、動くものじゃと云やふなもの。心は動ぎり、靜ぎりでない。凡夫は動ぎりではてる。佛は靜ぎりで仕舞。皆心のなりを知らぬ。(近思録道体4)

迂斎の、柱も年かよると云か面白こと。動靜感應々々て滞りはない。(近思録道体12)

(性善について)、迂斎の譬への、すへた喰なり。喰はれはせぬが、それも飯なり。すえた故、犬のごきにあるか、されともそれを飯てないと云ては誰も合点せぬ。あれを灰とも炭とも云はれぬ。…皆すへて狂いは氣のすること。性善の方にとんじゃくはない。(近思録道体21)

人は万物の霊の、明德の、三才のと誉詞ありて天地と幷へとも、それが親の首へ繩。因て迂斎、性論のいるは人計と云。艸木はいつも同ことてかわらぬ。人は垩人かあれは、今日さま々々な人かありて相塲かくるふ。(近思録道体21)

(生之謂性について)いけるむまるるの兩訓あれとも、意はむまるると云か迂斎の説なり。とと朱説かそれ。(近思録道体21)

気と云領分の内ゆへ、子越椒かやふなものもあるなり。迂斎の譬への、すへた喰なり。喰はれはせぬが、それも飯なり。(近思録道体21)

迂斎曰、人を天地人三才と云もからだのことでない、と。からだの大ひが所望なら牛馬。もそっとと云はば鯨なり。其ことではない。人は心で尊ひ。(近思録道体26)

迂斎曰、元日には登城があるから、江戸中の大小名から供をするもの迠も天氣をよくしたいと云、旧冬隠居すれば、ちとしめってもよいと云。我は礼に出ぬゆへの私心なり。さて々々早くかわるもの。をかしきことなり。(近思録道体27)

中庸の無息は、もと誠は誠で誠の名目を一つきめてをいて、誠のうわさを無息と云たもの。然れば誠を無息でとくは、迂斎曰、火事をこわいと云様なもの。なるほど火事は丸やけ、怪我をもするこわいものなり。されともこはいを火事とは名つけられぬ。夫ではたあ糀町にこわいがありたと云になる。(近思録道体31)

迂斎曰、至善は極上々吉と云やふなもの。極上々吉を買ふと云て江戸中あるいてもない。そこで紙やろふそくを買てみたれば極上々吉がついてきた。至善は明德新民の上にある。信もそれと同。迂斎又曰、信は目録付にはかかれぬ、と。孟子があれほど四端を云たが信は云ぬ。惻隠のうそでない処、羞悪のうそでない処、そこが信なり。(近思録道体41)

迂斎がどふしたことか、為学の為の字へ朱をいれてをいた。とう云心かは知れ子とも、いかさま為の字が吟味処じゃ。朱を入れて見るほどでなくては為学の精彩でない。(近思録為学1)

約と云か大ふむつかしひ。牛や馬をつなひでをけば出ぬか、心はそふはならぬ。迂斎の、心の駒に手綱ゆるすなと云へり。心に手綱かないと欠出す。仁義礼智を七情かさそいつれたっていて、なくなりたがる。(近思録為学3)

漢唐の間、学を好むに篤ひ人あれとも、学の道を知らぬ。是を知ぬと外郭ばかり巡るやふなもの。迂斎云、一向宗ほと篤ひはないか、学之道はない、と。学者好みやふか篤くないゆへ成就せぬ。(近思録為学3)

垩人は道理と御手前とか一つなり。顔子はそれほとにならぬ。されとも顔子は一の谷逆落、垩人は平地とみることてない。どちも平地なり。迂斎の、下駄と草履のやふなものと云へり。下駄とてそれほとに違ふことはない。下駄だけ、ふみ返さふと云用心かいる。(近思録為学3)

迂斎先生の、性は定るものではないと云た。そんなことをきくと、性がをのしたちに手を付らるるものではないと腹を立ふ。性は理ゆへ、手は付られぬ。氣にわたりたものには手をそへることあるぞ。(近思録為学4)

迂斎の百色に応しても心はへらぬものと云れた。(近思録為学4)

迂斎云、とかく人欲はわるいことなれとも、人欲は人欲と出すがよい。上からかざるがわるい、と。酒好きならば酒好きしゃとしゃんと云かよい。それを、酒と云ものは気血をめぐらすものと紛らをやる。其めぐらすを云て理屈をつけるなり。それかわるい。(近思録為学5)

無妄を迂斎の弁に、指て丸を書ては丸く書やうても天理から出ぬゆへ出来ぬ。理なりの分廻しか無妄そ。(近思録為学8)

迂斎の、長病の同変々々と云はさわくことはなけれとも、乃邪心なりだ。死の方へちかひ。(近思録為学8)

迂斎、花のたとへあり。投入ずっと水仙を入た。それてよいそ。そこへ手をそへるとはや妄。髪結か櫛の歯毛筋通りた。それをもふ一つ櫛を入る、はや妄しゃ。(近思録為学8)

魯は氣の毒なれとも曽子がちっとも疵にせぬ。熟で分銅をつかんだ。迂斎曰、虚弱なものが長生するやうなもの。羪生にある。又曰、観世大夫に安休と云隠居がありた。夫れが云に、謡に三つ病があると云た、と。声のよいと、覚のよいと、拍子のよいと、これがよいことでも病と云た。(近思録為学26)

迂斎の、韓退之も根本培擁かないゆへ大顛に出合ふて一句もあからぬと云へり。韓退之は唐一代さらへての一人なり。垩賢の書をつかまへて文章を書たゆへ、文者て垩人の道を知った。されとも根本培擁を知らぬなり。(近思録為学33)

駕籠舁が六十年より六日がくるしいと云たと迂斎云へり。からだのよわるで急に了簡か違て来る。(近思録為学36)

迂斎曰、私のある内は仁の沙汰へは行ぬ。(近思録為学52)

直方先生の、十左ェ門は酒の段になると孔子よりよいと云はれた。(近思録為学53)

弟子にはさま々々あり。成就せぬは第二等故ぞ。第一等と云は此章に止る。それ第一等と云は、私は及はれぬと云そ。異なことに謙退して垩学の纏を横たをしにするそ。鞭策開巻の意なくてはこの標的もいらぬなり。第二等は、迂斎先生の人を出して云へば屈原や孔明を手本にしろと云やふなもの。孔明は伊尹らしく、屈原は三仁にもをとらぬ程にみゆるなれとも、垩学の標的にならぬ。(近思録為学59)

迂斎の、伯夷の化したか湯武じゃ、と。知た云やうなり。(近思録為学65)

迂斎の、医者か病人は同変々々と云内に御損が立ちますと云。皆退くのなり。(近思録為学67)

迂斎云、忠信でない行は謀叛人の獻上ものをするやうなもの、と。靣白きことなり。謀叛する気で獻上ものをするは、すればするほどわるい。(近思録為学70)

迂斎の、越後屋や冨山で利口な若者で働ある商人なり。されともそれを大名の近習に出してはとふも一日も勤るまい、と。面白ことなり。趣と云ものありて、世間では一疋と云るる學者でも、此方へ来ると役に立ぬ。(近思録為学75)

迂斎曰、人の人でをるは近く郷黨篇を見れば知るる、と。孔子の不断が、氣の上のことか理なり。(近思録為学81)

理一分殊は天地自然のすかたなり。理一の段には、恐れながら禁裡檨も公方様も鉢坊も千ヶ寺も我兄弟なり。分殊の段には、直方先生の云はるる、公方様へ出てこちの兄様と云たら大事なり。又、迂斎云はるる、顚連無告者と云て乞食に二人扶持つつやったらたまらぬとなり。大名ても挌別なものに隠居扶持下さるる。成程、理一分殊か天地自然なり。西銘か孕句に理一分殊を云をふとしたではなし。自ら分殊はあるもの。蚤や虱を兄弟とは云はすに與と云。はや分殊かある。(近思録為学89)

迂斎、鉢坊主を親と一つにすれば、旅中の順礼も親になる。すれは歒討に立やふかないと云れた。(近思録為学89)

人が結搆なものを持たぎりて弘めぬは人の甲斐はない。直方先生が、扇は風の出る筈に拵たものなれとも、人が扇か子ば出ぬ、と。腰にさして居ては冷くはない。迂斎のかるいたとへで示された。火吹竹も吹子ば火はほこらぬと云た。いかさま扇を棚に上てをいては、風は出ぬ。(近思録為学93)

嵩山房や出雲寺が軒口にあるを駕の中から見て、あれがをれがたと笑みを含むは娘や娵の土用干に小袖多を笑むと同こと。迂斎が、板行ものををれも一代に一度したいと云ことでないと云れた。(近思録為学94)

学者は礼の形を守ることぞ。迂斎曰、心を論ずれば日傭取も侍も挌別なことも有まいが、侍は腰物二本だけよい。足輕でも二本だけ腕に彫り物のある鳶の者よりよい。(近思録為学96)

迂斎の咄に、むかし上州の前橋で茄子を植たれば、皆鷄頭になりたと云。初心な学者が惑ふことなり。心に落着かない内は、少し変たことかあると、なぜそふか々々々々々と云ものなり。後にはすむことなり。(近思録為学108)

迂斎、学問は心と身のためより外はないと云へり。(近思録為学110)

迂斎のきついこと云はれた。致知のないは首のないやふなもの、と。道中は足ですることゆへ首は入りそもないが、首がなければとんと道中はならす。(近思録致知1)

君に忠は誰も知てじゃに、なぜにそふいかぬそ。知を致ぬからそ。迂斎のそふ云た。人々死生有命じゃ、いつぞは死ますと云ながら、少し病ともふ祈禱と出る。(近思録致知1)

学問なしにさばくものは何をあてにするやら。…迂斎の云れた、楠を殷の三仁のやふに思ふ、と。成程日本には希人なれとも、三仁と幷へるは学者の口からは云はれぬことそ。(近思録致知1)

意が偏になるとせわしくなる。そこで融通せぬ。迂斎の、茶の湯を知ぬものを囲の中へ入たやふに、全体意が違ふと誉めまいことをもほめる。迂斎又云、亭主が忘れて釜の盖をせすに置とそれ迠ほめる、と。(近思録致知3)

迂斎若ひとき、病氣にてふら々々したことあり。或人の、こなたは学問して書て氣をつめるからと云。迂斎怒り、予なとか学が病になろふかと云へは、土岐玄厚と云医人が、いや品川表をみるやふてはあるまい、と。石原先生も至言と云へり。然れば書が病にあたるまいとは云れず。(近思録致知4)

世の中をわたりくらべて今ぞ知ると、今ぞ知が眞知なり。迂斎云へり。(近思録致知8)

迂斎の、知は心にあるものなれとも、それを心ばかりて置と理はひらけぬ、物の上にある理を吟味するでこちが開ける。(近思録致知9)

孔子と顔子は事や行の上ての帳面ては一つことなれとも、孔顔の違ひは心の少しの精微の処そ。迂斎の、垩人は明六つ起、賢人は六つ半に目の覚ると云やふにはちがわぬ。いつも同しやふに覚るが、孔子とくらべると帋一牧だけも違ふぞ。(近思録致知19)

朋友の助と云は何にもある。道具屋も仲ヶ間かあるから大名の用も勤まると迂斎云へり。いかさま薩摩や仙臺の婚礼御用ても、小さひ店て隨分勤るも朋友仲ヶ間のあるゆへなり。(近思録致知21)

滞泥は不器用ものにある病。文義に屈託して道理が通らぬ。文義のはたらかぬがこまったもの。迂斎曰、あの人も子を殺されてからめっきり弱りたと云と、夫は何者の手に掛りてと云は働のないからなり。すがき学問上らぬもの。疱瘡でも時疫でも、死子ば殺したのなり。海山と云とどれ程な海、どれほどな山と不器用を云様なもの。それほどなあほふはないが、書の文義にはそれが出る。(近思録致知26)

迂斎曰、緊要は扇の要、磁石の北へ向くのなり。(近思録致知32)

致知挌物を知ぬを迂斎の首のない学者と云へり。人抦よく夢は見ますまいと云れても、天窓なしに誠になろふの、君子にならふのと思は、眞の闇を行燈なしにあるくなり。とどどぶへ落る。(近思録致知34)

さて一つ迂斎の大切の弁あり。この弁なとか挌式よいことと題号置て聞へし。汪洋浩大は情をあてがはぬことと云。知た人の口上なり。凡人は情をあてかふ。悔みに行くと、我は悲くなけれとも、喪主へ我も悲ひふりをする。いやなことなり。又詩の詩たるはやりばなしと迂斎云へり。うつらぬ人がきかば、やりばなしはよくないことと云をふなれとも、一はいを云。そこで汪洋浩大が詩の姿。あとさきはない。子ともの泣出す、一はいに泣なり。(近思録致知43)

迂斎の、親炙でないのは手紙で酒をしひる様なものと云へり。いかさま手帋てすすめるはひひかぬなり。最一杯被召上可被下候と書てやったではうつらぬ。(近思録致知44)

勢と云ものは、碁盤や將碁盤は四角てころけぬものなれとも、それも山から落す段になると何んてもころけると迂斎云へり。(近思録致知51)

今日の人は未發ががくそくするから已発がよくない。迂斎曰、昼の内あくせく欲をかくから、夢に迠欲なことを見る。それでは明通ではない。どちどふしてもたまらぬ。(近思録存養1)

迂斎の、覚へず知ずに敬の姿は見へるもの、何かうかとした家来か何心なくいる処を、今朝御前が御噂でと云とはきとなると云へり。不断こはいと思ものが噂でと云てしまる。(近思録存養18)

迂斎云、人欲になりては眠りかつかぬか、其わるいくるみ誠となり。博奕や好色はそふなり。大学の傳者が如好好色如悪々臭と云か誠にて、好色には艸臥はない。(近思録存養28)

迂斎曰、武家が遠嶋改易になりても武運長久札はのこってあるとなり。然れは外からのことではなく、皆我心のこと。(近思録存養67)

下女がもし旦那と、昼寢を起すと、もちとこふしてをいてくれろと云ぞ。さて浅間しきことなり。下女にむしんを云やうなものなり。迂斎云、子むいときに手水をつこふが浩然の氣じゃと云へり。迂斎又常に云、床について子られぬと云も人欲があるからと云たぞ。迂斎などは四つ過に子るに、枕をかさす直に子入る。そこへ行て障子へあたると直に目がさめ、誰じゃと声をかける。私でござると云。はやいびきをかく。是等は無病で達者でありたからとは云ものの、全く欲がないからなり。(近思録克己13)

迂斎云、私欲はさわかしいものなり。其元との井土は大ふ水かわるいと云ふ。水のわるいてはなくて、朝から汲たゆへ濁たと云。汲と云私欲のさはがしいて仁義礼智か濁る。(近思録克己33)

今人学問して家内の治らぬ。それても学者じゃと云は燈ふきけして燈心かき立るやふなもの。迂斎先生の咄に、上方で息子が家礼をよみ居たを親仁のみて何じゃと云たれば、此は先祖の祭を大切にし、親の喪をあつくをさむることある書と云たれば、それよりをれを生きてをる内よくしてくれよと云た。隠居処の障子は猫の入るほど切たに、それにかまわず棺槨は三寸の板がよいと云。皆虚なり。(近思録家道1)

迂斎云、雨がふって来ると傘合羽てすむが、ふらぬ内に降る処を見てとるはしにくい。(近思録出處10)

迂斎の云、冉求か季氏冨於周公に、それへ御ためつくをして非義に陥る。才かあるからなり。焚遲にあぶなげはない。(近思録出處17)

迂斎の不孝不忠はならぬと云。行義よい人がどふしても胡座かかれぬと云ふ。義之や子昴かわるくかけと云ても、どふもわるく書れぬ。(近思録出處22)

或時迂斎、武敬勝との咄に、予も今極老になりた。今にも病氣と云はは兩人の子とももさぞよくするであらふが、然し、子ともが孝行もせす病氣の看病もせぬとてとふするもの。よしや不孝しても、此方の了簡はかはらぬとなり。高ひことなり。(近思録出處23)

迂斎の云し、惻隠羞悪はずっと出る。計較安排はない。(近思録出處26)