五旬引

人之一身五倫備。
   右山﨑先生敬齋箴序文

人々
 我此身を以て親に事れは    父子
 我此身を以て君の仕れは    君臣
 我此身を以て妻を娶れは    夫婦
 我此身を以て尊長に接れは   長幼
 我此身を以て友人僚朋に接れは 朋友

是皆我此一身を以て出合ことなれは、我よりして五倫あること也。されは我かこの心を以て五倫に交ることを、三代の学は人倫を明にすると云。
天地中の人此五倫に泄[も]るることなけれは、此五倫の道を明にすることを学問と云。
父子・君臣・夫婦・長幼・朋友は何れも持合せてをれとも、父子之親、君臣之義、夫婦之別、長幼之序、朋友之信と云、親・義・別・序・信と云五つの者無れは、樽はかりありて酒の無き様なものと迂齋云ふ。
 樽は本と酒を入れる筈の者也。父子は本と親な筈なものなり。君臣は本と義な筈なものなり。夫婦は本と別なものなり。長幼は本と序なる筈のものなり。朋友は本と信な筈なものなるに、親なく義なく別なく序なく信なし。そこで親あるやうに義あるやうに別あるやうに序あるやうに信あるやうにと学問して白樽に酒をつめる也。
父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の白樽になりたるほど気の毒なることはなし。
親・義・別・序・信と云酒をつめるほど結搆なることはなし。
  此れ道学之源なり。
 その為めにならぬ道を、過大学而無実と云。
 その為めにならぬ学を、倍小学而無用と云。
  故に吾党の教学を実用と云。
【語釈】
・過大学而無実…大学章句序。「異端虚無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。
・倍小学而無用…大学章句序。「自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學而無用」。

小学内篇外篇
人間一生此書に備れり。此一書を熟復すへし。所謂親・義・別・序・信を吾身に得ること、此一書に全備す。此書中にある文字事物に至るまて一々吟味し素読熟せされは、この書手に入らす。手に入らされば親・義・別・序・信を得ることあたはす。文字事物の末は親・義・別・序・信の為めに遠きやうなれとも、一々吟味せされはこの書我かものにならぬ。我かものにならされば我と小学と別々にて、親・義・別・序・信へ手ととかす。故に文字事物吟味すること、親・義・別・序・信の佐とする基なり。日本は文字よめさるゆへ大抵の精力にては功なし。隨分精を出すへし。
  其学ひ方の曲折は時々に口授すへし。
  右大槩すましたる上は、家礼なり。
  それより近思錄・大学・論語・孟子・中庸と段々天井を突きぬくことなり。

七藏、汝今年二十五歳にて始て武井翁、日原以道か講席に出て小学を聽き、父子之親よりして甚た尤と感心すへし。
然るに小児のときより此小学の書にある父子の親の通りに仕こまさるゆへに、心には感しても、皈村の後今更改めて両親へ仕向難きこと多かるへし。人情の常なり。たとへは問衣燠寒疾痛疴癢而敬抑掻之、或は先立ち或は後れ、敬て扶持之、将衽奉席、何をか跡せん云々の類に至ても、今まて如此せさることをにわかに改て如此することはしら々々しくて仕にくいものなり。それは甚た非力ことなり。皈村の後より改めて如此に事ふへし。今まて仕付ぬこととて改るに憚れは、講釈をききたる詮もなきことなり。
乃父由斎は豪気なる資品なれは、中々なてさすりかいほうにあつかる柔弱なるなりはこれまて嫌ひなれとも、汝この心を以て事へは父の怒をうくへきことあらんや。父の方よりそれに不及無用とありとも、此方は日々夜々如此伺ふへきことなり。老母なとは一入如此せは尤懽 [よろこ]ひあるへきことなり。
皈村せは、これ江戸に於て黙齋か指図なりとて毎日朝々夜々父の腰をうち、母の背をなてさすり、是迠と格別にすへし。
是孝子の行ひ、学問のたり。
【語釈】
・七藏…鵜澤七蔵。鵜澤由斎の子。大網白里町清名幸谷の人。
・武井翁…武井敬勝。下野古河藩儒。天明6年(1786)2月28日没。年78。稲葉迂斎の妻の弟。
・日原以道…手塚坦斎。初めは日原以道。小源太と称す。別号は困齋。土浦藩儒臣。手塚可貞の子。天保5年(1834)5月15日没。年73。
・問衣燠寒疾痛疴癢而敬抑掻之、或は先立ち或は後れ、敬て扶持之…小学内篇明倫1。「問衣燠寒・疾痛・苛癢、而敬抑掻之。出入則或先或後、而敬扶持之」。
・将衽奉席、何をか跡にせん…小学内篇明倫3。「將衽、長者奉席請何趾」。
・由斎…鵜澤由齋。名は就正。喜内と称す。鵜澤容齋の長子。清名幸谷の人。
・学問の
たり…学問のたり?

老人をは気にさからわす、さて飲食を以て忠養すと云こと、第一のことなり。
文王は大邦君の身を以て日々に寒暖の節をし玉ひ、自身に吟味して料理をすすめらる。
曽子は一寒士の貧を以て有酒肉。日々に親の口に叶ふものを以て養はれたこと。
 料理は日々のことなれは、平生のことに重菜を備へきことなし。冨饒なりとも百姓の决してすましきこと。殊更乃祖容斎以来質朴節儉の家政なりしかは、日々金銭を出し厚味を求むへきに非す。その上料理は必しも厚珍羞をのみよしとせす。よって汝逗留中に料理の趣きを咄しきかするは、料理の仕方のよきにて格別老人の口腹をよろこはしむることあるによってなり。我草庵中の手段を見習と云は口腹に欣適することを云。
 張子云、事親者不可不知医、と。老親を養ふもの亦料理心あるへきことなり。
   是忠養中の条目なり。
【語釈】
・文王は大邦君の身を以て日々に寒暖の節をし玉ひ、自身に吟味して料理をすすめらる…小学内篇稽古8。「食上必在視寒暖之節、食下問所膳、命膳宰曰、末有原。應曰、諾。然後退」。
・曽子は一寒士の貧を以て有酒肉…小学内篇稽古12。「孟子曰、曾子養曾晳必有酒肉」。
・容斎…鵜澤容斎。本姓は鈴木。名は宣堯。長右衛門と称す。大網白里町清名幸谷の人。安永2年(1773)9月8日没。年79。
・厚珍羞…厚珍の間に「恐味脱」とある。
・事親者不可不知医…小学外篇嘉言19。「伊川先生曰、病臥於床、委之庸醫、比之不慈不孝。事親者、亦不可不知醫」。

とかく朝起をし、直に我身支度をし、さて父母の用向を達すへし。父母用向を云付られ、それより我身支度にかかりては、必父母の意に合ぬものなり。年よれは寛裕なる人も急迫になるものなり。たとひ父母従容不迫の生れ付なりとも、云付たことを即時にとりかかるをよろこはぬ父母はなきものなり。
小学鷄初鳴
 これ、朝起きの惣名なり。
咸盥漱以下
 これ、身支度なり。
以適父母舅姑之所
 以と云字は、身支度をしてをいて以て適なり。
此処、古人の礼最妙なり。
【語釈】
・ここは小学内篇明倫1のことを言う。

今の若き者朝寝をしたひ々々々。をこされ目をこすり々々々、ふせふ々々々に朝飯を喫し、父母は用事ありて侍兼るゆへ朝飯のすむを相図にやれは、いまた寝足りぬからして顔癖もあしくして出る。処へ父母用向を云付れは、また髪月代せぬと云ひ、それより髪月代さま々々の支度にて父母の用向はつい夕方になる。何として父母に適へき。
これ、富家なる町人大百姓の倅ともの通病なり。

今日江戸表の奉公人と云ものを見よ。朝寝は决してならす、髪月代も主人に手をつかせぬ様に兼てしてをく。又、歴々の君に士大夫は、番非番出仕退出ともに臨時の君命あれは即坐に弁する様に支度してをるなり。是兼ての心掛と云ものにて、家来か主人に事へるやうに父母に事れは敬する子と云へし。歴々も卑き者も、主には礼の如く事へて父母には踈なるはいかなるにや。
是小児のときよりのあまいの長したるに由るなり。

外篇に人定鐘に至て寝るとあり、人定鐘は二更。亥の刻。夜の四つなり。これ恰好の寝時なり。臨時の用向なくは此ときを限りに休むへし。これ即朝起の元手となることなり。家を脩るは万端如此、禅寺の規の如く仕をくへきことにて、如此定め置は、靣白き咄ありてもはや四を打たりとて雜談をやめて寝ることなり。そふたい寝ると云ことをたた寝ると心得へからす。丁と諸職人烟艸を呑み休む様なものにて、その休むにて業か出来ることなり。
千々万々寝ることまての世話をやくは何んの為めそ。朝起せよとの教なりと知るへし。
【語釈】
・人定鐘に至て寝る…小学外篇善行51。「至人定鐘、然後歸寢」。

異邦の昔し、垩人の名を挙れは伏羲神農黄帝なれとも、きっと書にあらはれたるは尭舜なり。尭舜のこと、書經の初に詳かにて、ふるきことにこれより旧きことはなし。由て書經を尚書と云も第一に旧き書ゆへに云。その書經の第一の始に尭のことを克明俊德以親九族とあり、垩人の道別に高遠なることにてなく、一門一族を親むより始ることにて、小学明倫の初に人倫を明にするとありて、即ち九族を親むことなり。九族とは我か親族のこらす統る名なり。これを親むか学問第一の初のことなれとも、今世人情輕薄にて踈遠なるゆへ我同姓の親類に甚た遠々しく、中々親む処に行き不届に以の外薄情なることなり。志ある人は第一初にここに心を入れ、深く思へし。今日九族の名称明ならす、同姓にても彼と我となんのつつきなるやら何と呼やらも知らす。そのつつきの称号さへ知らされは、何んとして親族むつましくなるへき様なし。然れは初学の者先つ九族の名称をよく吟味すへし。其名称小学にのらさるは、當時朱子の時分誰知らぬものもなく、世上に通用したるゆへなる□□
【語釈】
・克明俊德以親九族…書経堯典。「曰、若稽古帝堯。曰、放勳、欽明文思、安安、允恭克讓。光被四表、格于上下。克明俊德、以親九族。九族既睦、平章百姓。百姓昭明、協和萬邦。黎民於變、時雍」。

朱子家礼喪服の註に詳なれとも、此は九族の名称を知らせる為めにはあらす。それは知れたことにして執喪の輕重を示すことなり。今日は其名称を知ること。親九族の初入のことなり。太宰弥右ェ門著述の親族正名、これ国字にて記し甚たり易し。熟看すへし。又、浅見絅斎の図あり。即今度別に汝に授る図なり。右の二書にて先つ親族のつつき、吾と彼とはなに々々、吾と何んのつつきなれは我父とは何んにあたり、又祖の為めには何なるそと図を以て上下左右横竪すぢすちかいに引まはし吟味してその名称を合点し、そらんして熟すへし。
【語釈】
・太宰弥右ェ門…太宰春台。

さて右の名称は當時天下通用せさることゆへ、平生人と応接する通用の書状書付等には用ひ申ましきこと。通用は當時服忌令なとにある名称を用ゆへし。但、九族の名称一々あたらす、その上又のこらすはなし。忌服の処も令の通りに執り用ひ、たた内々にて古の如く喪をとること。これを心喪と云。心喪とは外見よりは喪とみへす、我心の中にて喪をつとめ、誠の赤心よりなし。外靣の虚礼にあらさることなり。されとも心喪と云こと、心の中からのこととはかりにては心さほとに親切になき。学者吾心ままにしては学問しても不学者と同きゆへ、心喪は内々のこととは申しなから、志ある学者の仲ヶ間にて、この親族にはこれほとの心喪、この親族にはこれほとの心喪と云を内々に立をき、それを準として内々喪をとることなり。これ心喪の心喪たること。心より出て心に任せさる心にて、心中の礼制たるものなり。其事は又別に吟味すへし。
 親族の称号と執喪と、皆服忌令と古礼と、通用と本意との間の取扱ひなり。

古礼を主張する人は今日の通用に差支、反て天下へ對し無礼と云へし。
今俗に因循する人は古礼の本意に志なく、至て垩人へ對し罪人と云へし。
 右の二つてよく合点して冝き様にするを学者と云。通儒と云も如此ことなり。
 上段々のこと急に取扱難きことなれは、先つ第一の手始に親族の名称より吟味し、喪祭の一大事を示す。急務たるに因て略々如此記す。
 是乃小学より家礼への手引なり。

小学講習の仕方
 日々に小児の如く声をあけて素読を復すへし。講釈を聽きたる処、その処々熟復すへし。かへりみをすへし。
文字の不会処を字書を以て一々引き出し吟味すへし。
 人の口より我耳へ聽き入たる講釈を我目を以て文字を吟味し、目より心にたたみこむことなり。
耳を主とし目を次にする人は文字付す学力出来す。又、自我か目はかりを主として先軰の格言道統傳来の咄聽されは、自箇流にて固陋の学たり。
  右の二つ、よく心得へし。
佐藤先生曰、師の力は三分にして弟子の功は七分、と。
 修行は全く己にあり、他人をたのむへきに非す。

朱子曰、字々句々不可容易放過。常時暗誦黙思反復研究、未上口時須教。上口一段了又換一段看。理熟漸得力。
 右朱子の語、読書の肝要なり。如此して上達せさることなし。
 汝老父の命を受け予に従ひ学ひ教を求む。因て始学の端を開くことを記し贈る。定省曠ふして音問踈なるは孝子の事にあらす。二月二十九日来り四月二十日皈村を命す。因て此筆記を五旬引と名付く。
                           黙齋
                 與上總農民
                    鵜沢七藏
【語釈】
・朱子曰、字々句々不可容易放過。常時暗誦黙思反復研究、未上口時須教。上口、一段了又換一段看。理熟漸得力…
「朱子曰、字々句々は容易に放過す可からず。常時暗誦黙思反復研究して、未だ口を上げざる時に須らく教うべし。口を上げ一段了らば又換えて一段を看る。理熟して漸く力を得」。