姫嶌口義

呈上総の諸君

垩人の道、先儒の議論已に尽き、實々確々無復遺蘊、則今更新に述るも贅なり。ただ四書・小學・近思の三書をぐる々々々々と讀めば、その中自深意出で他に求るに及ず。然れともその三書とても、ただぐる々々讀む而已にてうか々々としては、睡りながら須磨明石の景を見る如くにて、何遍あろきても争でかその景色を知らんや。されば三書をはっきりと目を惺してみるが肝要なり。そこでこそ昔年我_佐藤先生、講學鞭策の書を著し玉へり。學者衆のぐづつかるるにむちをあて、子むらるる人の耳をひかるる異見なり。然れば四書・近思・小学の三書、いかほど難有結構なる書なればとて、鞭策の心なければ鱠に酢のきかざる如くにて、鯛も鱸も無用の肴となるなり。四書も近思も無用の書となるなり。ただ々々此心をひきたて々々々々、眼をさまして、先軰たちの異見を誠に切身に塩を付る如くにきくか、千々万々實に學ぶと云ものなり。我友如何思召候やと、自家身上に引付け痛く警策すべし。さて、そこに一つの不審あり。世の中にさま々々儒者たちあるに、何れをみても安樂に詩を賦し文を作り、登山歩月、飲酒啜茶てらく々々と樂み、世を渡りくらせとも、とこより咎むる人もなく、學者大儒先生と呼はるるに、何をくるしみて山崎一家の學は勵み苦みてほ子ををらるるぞ。かくくるしまるる學は果して何の學ぞや。曰、我學由来有準的。以至垩人之學なり。垩人と云人、日本たへて一人も見へ玉す。神武以来近付に一人もなく、中國とても四五千年の久き、ついにかほ出もなけれは、どのよふなものと書付てはみせかたく、口に述ては聞せがたし。ただ垩人と云人を目當にしてする學問を眞儒とも云ひ、古への學者とも云ひ、君子儒とも云ひ、道學とも云ひ、経學とも云ひ、爲己之學とも云ひ、他処からは宋儒とも呼ふ。皆是我黨學脈心法、垩門の旨訣なり。ただそこの道學と云目當なけれは、向きに所謂先軰の異見も、講學之鞭策も、亦無用の異見、無用の鞭策とぞなるなり。そこでこそ、亦我_佐藤先生、道學標的の書を著し、學問の目あてここなりとて、長言なしに孔曽思孟周程張朱の八人を出し、これを我軰の目當にそされければ、吾人この一書にをいてはぬく事もならす、さす事もならす、たす事もなければへらす事もならず、全然當拜讀之
【語釈】
・我學由来有準的。以至垩人之學なり…我が學の由りて来たる準的有り。以て聖人に至るの學なり。
・全然當拜讀之…全然として當に之を拜讀すべし。

因告諸公曰、我日東始生我山﨑先生、尋有佐藤淺見三宅三先生之出、道學明于世亦不少矣。我大人迂齋先生受業於佐藤先生之門、講學有年。是以僕自幼学于膝下、成童入石原先生之門、受父師之教、以講書説経爲己業。僕至愚卑陋、豈得受其高喩乎。然今稍知理道之可尚、而以此道為念。誠敎之使然也、何幸耶。僕蒙不鄙、為鵜澤生所延啓行到于茲。諸公誤為僕設講席、日使某講解、孜々不怠。其勵学之厚、轉足彊人意矣。某先月十九日離膝下出家。及時與大人期。至茲則講道學標的、以示道要。於是先期一日、十八日也。請大人書孔曽思孟周程張朱之文字。大人嘉納之、輒書其語各一凡八道、以從某請。乃捧出。某初意將以為、上総諸生為學、權輿酒井先生、盛和田老大兄、自是諸生漸次立志、深信吾大人、不廃業、不拒教、乃至今日也。而隨從大人、其直指面命者茲八人矣。姫嶌鈴木氏折戸鈴木氏片貝布留川氏成東安井氏早船平山氏小松安井氏清名鵜澤氏東金大木氏到此則趣姫嶌學舎、講標的書、及講畢、以大人墨跡八道各一贈八子。不圖、姫嶋老兄家禍如此。於是不得八子同集會姫嶌、而日々與一二之友人憂負初心而已。十一月朔行東金、二日反清名村、與友人期明三日啓行歸江府。及企行装、徒然將持墨跡空歸郷。雖然吾何慊哉。因與鵜沢氏謀實前約、輒作講義一小冊、充面會、以欲歸後煩小童生各與其家。便妄綴數言、以易石尤風云爾。
寶暦壬申十一月二日 稲葉亦三郎操筆於清名村旅館。
【読み】
因りて諸公に告げて曰く、我が日東始めて我が山﨑先生を生じ、尋[つ]いで佐藤淺見三宅の三先生の出ずる有りて、道學の世に明らかなること亦少しからず。我が大人迂齋先生、業を佐藤先生の門に受け、學を講じて年有り。是を以て僕、幼より膝下に学び、成童にて石原先生の門に入り、父師の教えを受け、書を講じ経を説くを以て己が業と爲す。僕、至愚卑陋、豈其の高喩を受くるを得んや。然るに今稍々理道の尚ぶ可きを知りて、此の道を以て念と為す。誠に敎えの然らしむるる、何ぞ幸なるや。僕、不鄙を蒙り、鵜澤生の為に延 [まね]かれ行を啓きて茲に到る。諸公誤ちて僕が為に講席を設け、日々に某をして講解せしめ、孜々として怠らず。其の学を勵むの厚き、轉[うた]た人意を彊くするに足る。某先月十九日膝下を離れ家を出ず。時に及びて大人と期す。茲に至らば則ち道學標的を講じ、以て道要を示さん、と。是に於て期に先んずる一日、十八日なり。大人に孔曽思孟周程張朱の文字を書するを請う。大人之を嘉納し、輒く其の語各々一つ凡そ八道を書し、以て某が請いに從う。乃ち捧じ出ず。某初意將に以為らく、上総諸生の學為るや、酒井先生に權輿して、和田老大兄に盛んに、是より諸生漸次志を立て、深く吾が大人を信じ、業を廃てず、教えを拒まず、乃ち今日に至るなり。而るに大人に隨從し、其の直指面命なる者茲に八人なり。姫嶌の鈴木氏、折戸の鈴木氏、片貝の布留川氏、成東の安井氏、早船の平山氏、小松の安井氏、清名の鵜澤氏、東金の大木氏。此に到らば則ち姫嶌の學舎に趣き、標的の書を講じ、講畢るに及んで、大人の墨跡八道各々一つを以て八子に贈らん、と。圖らざりき、姫嶋老兄の家の禍此の如くならんとは。是に於て八子同じく姫嶌に集會することを得ずして、日々一二の友人と初心に負 [そむ]くを憂うるのみ。十一月朔、東金に行き、二日、清名村に反り、友人と明三日行を啓きて江府に歸らんことを期す。行装を企つるに及んで、徒然として將に墨跡を持ち空しく郷に歸らんとす。然りと雖も吾れ何ぞ慊たらんや。因りて鵜沢氏と前約を實にせんことを謀り、輒く講義一小冊を作り、面會に充て、以て歸りて後小童生を煩わして各々其の家に與えんことを欲す。便ち妄に數言を綴り、以て石尤風に易うと爾か云う。
寶暦壬申十一月二日 稲葉亦三郎、筆を清名村の旅館に操る。
【語釈】
・石原先生…野田剛斎。名は德勝。七右衛門と称す。江戸の人。本所石原に住む。石原先生。明和5年(1768)2月6日没。年79。佐藤直方門下。三宅尚斎にも学ぶ。
・酒井先生…酒井脩敬。一名は義武。竹右衛門、後に九郎右衛門、左平治(左平次)と称す。長島藩の臣。元文年間に没。佐藤直方門下。後に稲葉迂齋に学ぶ。
・和田老大兄…和田儀丹。下総酒々井の人。医者。成東町に卜居。寛保4年(1744)1月5日没。稲葉迂斎門下。
・姫嶌鈴木氏…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。
・折戸鈴木氏…鈴木兵右衛門。松尾町折戸の人。
・片貝布留川氏…布留川彌右衛門。九十九里町片貝の人。
・成東安井氏…安井武兵衛。成東の人。天明4年(1784)11月15日没。年76。
・早船平山氏…平山安左衛門。成東町早船の人。寛政1年(1789)6月12日没。年86。
・小松安井氏…安井記斎。名は利恒。字は子久。半十郎と称す。成東町小松の人。享和2年(1802)4月21日没。年78。
・清名鵜澤氏…鵜澤近義。幸七郎と称す。鵜澤容斎の次子。大網白里町清名幸谷の人。
・東金大木氏…櫻木誾斎。名は千之。初め大木剛中、後に清十郎と称す。東金の人。長崎聖堂教授。文化1年(1804)5月1日没。年80。
・石尤風…別れを惜しんで、旅人の行く手を阻む向かい風。
・寶暦壬申十一月二日…宝暦2年(1752)11月2日。


孔曽思孟周程張朱語  講義畧

朝聞道夕死可矣
注に不可以不と云字あり。眼を付てみよ。
金をもたずんはあるべからす、長生をせすんばあるべからす、ずんばあるべからずば色々あり、たたここのすんはあるへからずかない。ここか大事の処なり。逐一姫嶋君にて埒を御明け候へかし。
一夕死はいやな事なり。八十而福来便死矣。これはいやな事なり。朝聞道夕死可矣。なぜに可矣なるぞ。体認してみるべし。

【語釈】
・朝聞道夕死可矣…論語里仁篇。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・不可以不…論語里仁篇集註。「程子曰、言人不可以不知道。苟得聞道、雖死可也」。
・八十而福来便死矣…八十にして福来たる、便ち死す矣、と。

在明明德在親民在止於至善
佛者は役に立ず、覇者は役に立す、文仲子は役に立す。學問は大学をまなぶ事、大なことなり。大ことはただはならず。可思。さて親の字を程子、當作新。一寸した事なれども、眞儒なり。王陽明か親の字てよいと云は大だわけなり。とこか眞儒ぞや。どこがたわけぞや。自家引受て知るべし。

【語釈】
・在明明德在親民在止於至善…大学章句経。「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」。
・親の字を程子、當作新…大学章句経集註。「程子曰、親、當作新」。

尊德性而道問學
德性を尊ぬから卑し。問學に道ぬから小し。學は高く大なるをよしとす。高大之字、所包廣、可味。卑小之字、千万の気の毒ここの中にあり。所包廣、可戒。

【語釈】
・尊德性而道問學…中庸章句27。「君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮」。
・所包廣…包む所廣し。

孟子道性善言必稱尭舜
學問は性善なればこそなる。猿はかしこくてもならぬ。學問の綱領、性善の二字なり。ただ性善ばかり云たとてもいやとは云はれ子とも、俗人共がぜうがこわいから、稱尭舜。然れは尭舜は證文なり。證文さへあれは公事にまけぬ。さて證文には大勢を出すへきに、たた二人ては少きに非すや。直方曰、一匹の猫鼠をとれば、あとの千匹はみなとる。此中有深意。姫嶋丈冝奉頼候。荀楊が大だわけはここをしらぬゆへの事。それに注をする司馬温公、さて々々痛敷事なり。ここになると温公にさへ顔を赤くさせるぞ。
我友自重せよ。人柄わるけれは一休小僧なり。

【語釈】
・孟子道性善言必稱尭舜…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯・舜」。

垩希天賢希垩士希賢 毎讀不覚揚言曰、吁々快哉快哉
天が腰をやすめぬから垩人もやすまぬ。垩人かやすまぬから賢人もやすまぬ。賢人がやすまぬから士はなをやすまぬ。士とは學者なり。儒者なり。めん々々の事なり。俗人は士てなし。そこで、やすむ。

【語釈】
・垩希天賢希垩士希賢…近思録為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢」。
・毎讀不覚揚言曰、吁々快哉快哉…讀む毎に覚えず言を揚げて曰く、吁々[ああ]快なるかな快なるかな。

言學便以道為志言人便以垩爲志
志に遠慮は入ぬ事。めん々々かふきいても尻ごみをするはかいないゆへなり。それかすぐに志のないのなり。志のたんてきを云に、奉公するとき、君をそまつにすまいとをもい、女の昏礼するとき、夫を二人もつまいとをもふが志なり。女が夫を二人もとふと云心ならは、だれも女房にはすまいか、學者か垩人になられまいと云をばなぜにゆるすぞ。

【語釈】
・言學便以道為志言人便以垩爲志…近思録為学59。「言學便以道爲志、言人便以聖爲志」。

為天地立心為生民立道為去垩繼絶學為万世開太平
直方云、四つ為の字あれとも、身の為めの一もない、と。正信竊謂、張子の此言ほんなり。迂詐でなし。學者たちきもをつぶさるるな。燕雀何知鴻鵠之心

【語釈】
・為天地立心為生民立道為去垩繼絶學為万世開太平…近思録為学95。「爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平」。
・燕雀何知鴻鵠之心…史記陳渉世家。「燕雀安知鴻鵠志」。

致知以明之立志以守之造之以精深充之以光大
正信謂、四者廃其一則非學

【語釈】
・致知以明之立志以守之造之以精深充之以光大…朱子文集64。「致知以明之、立志以守之。造之以精深、充以光大」。
・正信謂、四者廃其一則非學…正信謂う、四者の其の一を廃すれば則ち學に非ず、と。

右段々に而全体肝要のこる処なし。ただこれを体認する事難し。功夫の仕方非他。必有事勿正の五字最妙なり。ふんでふまざれ、活々溌々、中庸と云もこれなり。自然と云もこれなり。知者は知らん。其要在學友集會。
千々万々遺恨なるは姫嶋丈
書不尽言、言不尽意
              頓首九拜
  二日夜              稲葉正信



    姫嶌大兄
    折戸丈
    布留川氏
    平山氏
    安井氏
    小松生
    鵜澤氏
    大木氏

【語釈】
・必有事勿正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正」。
・書不尽言、言不尽意…易経繋辞伝上12。「子曰、書不盡言、言不盡意」。

別幅
孔曽思孟周程張朱之語
八道大人眞蹟。我八子丈各以入大人之門先後立次序、乃宜受納之。其學之進否、德之高下、或有焉。吾不敢言也。

【読み】
八道は大人の眞蹟なり。我が八子丈、各々大人の門を入るの先後を以て次序を立て、乃ち宜しく之を受納しあるべし。其の學の進否、德の高下、或は有らん。吾敢えて言わず。


原文:稲葉黙齋先生姫島講義眞蹟書(熱田家所蔵)