孤松全稿巻之一
    默齋草巻一
        姫嶋講義


吾東方始生山崎先生、尋有佐藤淺見三宅三先生者繼出。而闡明道學、排斥異敎、使後學知所依歸。其功猶濂洛之得不傳於遺經、而有關閩之盛也。吾家大人受業於佐藤三宅二夫子、又見淺見先生、講學授徒殆五十年于今矣。余幼學於膝下、長及剛齋先生之門、承父師之敎。雖以至愚極陋之資、漸窺聖學之要、竊以此道爲念。實敎之令然也。余今爲鵜澤氏所延此來。諸生誤設講座、日使余講解近思錄、孜孜不怠。其切磋之勤、足以彊人意。余先月十九日、離膝下及時、請大人賜書道學標的所載、孔曾思孟周程張朱之語各一。大人許納、輒書凡八道以從請。乃捧出。顧上總諸生之爲學也、始酒井氏、而成和田生。爾後篤信吾大人、勉々不輟、以至于今。然從大人其直指面命者僅八人。而姫嶋鈴木氏者亦其鄕之師也。到于此則先就姫嶋學舍、講道學標的、以其墨蹟八道各贈八子。不圖姫嶋家禍如此、以負初心。因作講義一巻、略示要領、與之八子、以勵其志云。八子勉乎哉。美質之易得、至道之難聞、此佐藤夫子之所以蚤編鞭策錄、晩著道學標的。而彼闡明道學、排斥異敎、使後學知所依歸者、非此而將何在哉。寶暦壬申冬十一月
【読み】
吾が東方、始めて山崎先生を生じ、尋いで佐藤淺見三宅三先生なる者繼いで出ずる有り。而して道學を闡明にし、異敎を排斥し、後學をして依歸する所を知らしむ。其の功は猶濂洛の不傳を遺經に得て、關閩 [かんびん]の盛り有るがごとし。吾が家の大人、業を佐藤三宅二夫子に受け、又、淺見先生に見[まみ]え、學を講じ徒に授くること殆ど今に五十年なり。余、幼にして膝下に學び、長じて剛齋先生の門に及び、父師の敎を承く。至愚極陋の資を以てすと雖も、漸く聖學の要を窺い、竊に此の道を以て念と爲せり。實に敎えの然らしむるなり。余、今鵜澤氏に延 [まね]かれ此に來る。諸生誤って講座を設け、日に余をして近思錄を講解せしめ、孜孜として怠らず。其の切磋の勤め、以て人意を彊くするに足れり。余、先月十九日、膝下を離るるの時に及び、大人に道學標的に載する所の孔曾思孟周程張朱の語各一を書して賜わらんことを請う。大人許納し、輒ち凡そ八道を書して以て請いに從う。乃ち捧出せり。顧 [おも]うに上總諸生の學たるや、酒井氏に始まり、而して和田生に成る。爾後篤く吾が大人を信じ、勉々として輟[や]まず、以て今に至る。然れども、大人に從い、其の直指面命せる者僅かに八人なり。而して姫嶋鈴木氏は亦其の鄕の師なり。此に到らば則ち先ず姫嶋學舍に就いて、道學標的を講じ、其の墨蹟八道を以て各々八子に贈らんとす。圖らずも姫嶋家の禍此の如く、以て初心に負 [そむ]く。因りて講義一巻を作り、略要領を示し、之を八子に與え、以て其の志を勵ますと云う。八子勉めよや。美質の得易く、至道の聞き難きこと、此れ佐藤夫子の蚤に鞭策錄を編し、晩に道學標的を著せし所以なり。而して彼の道學を闡明し、異敎を排斥し、後學をして依歸する所を知らしむるは、此に非ずして將 [は]た何くに在らんや。寶暦壬申冬十一月
【語釈】
・剛齋…野田剛斎。名は德勝。七右衛門と称す。江戸の人。本所石原に住む。石原先生。明和5年(1768)2月6日没。年79。佐藤直方門下。三宅尚斎にも学ぶ。
・鵜澤氏…鵜澤近義。幸七郎と称す。鵜澤容斎の次子。大網白里町清名幸谷の人。
・酒井氏…酒井脩敬。一名は義武。竹右衛門、後に九郎右衛門、左平治(左平次)と称す。長島藩の臣。元文年間に没。佐藤直方門下。後に稲葉迂齋に学ぶ。
・和田生…和田儀丹。下総酒々井の人。医者。成東町に卜居。寛保4年(1744)1月5日没。稲葉迂斎門下。
・姫嶋鈴木氏…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。
・寶暦壬申冬十一月…宝暦2年(1752)11月。

聖人の道先儒の議論已に盡き、實々確々遺蘊なければ、今更贅するに及ず。ただ四書・小學・近思錄の三書をくる々々讀めばその中自深意出て、他に求るに及ず。然れとも、其三書もただ讀むばかりにては須磨明石の景勝を睡りながら見る如く、何たび經過すとも爭 [いかで]かその景色を知らん。されば三書をはっきりと目を惺してみるが肝要なり。於是や昔年我佐藤先生、講學鞭策の書を著し玉ふ。實に吾輩即今學ふ者に賜ふて學者の啓發なきに策をあて、昏睡する人の耳を提 [なぐ]る異見なり。然ればかの三書いかほど的切なるも、鞭策の心なければ鱠の酢のきかざる如く、鯛も鱸も無用の肴とはなるなり。四書も近思も無用の書とはなるなり。ただ此心を引立て眼をさまして、諸先輩の異見をきり身に塩を付るごとくにきくが、千々萬々實に學ふと云ものなり。吾友いかが思ふや。自家身上に引付け痛く警策すべし。人將言はん。世上の儒者を見るに、大低ただ書を讀むことを務め、詩を賦し、文を作り、更に一議論あるなり。山に登り月に歩し、酒を飲み茶を啜り、安樂自在にして老師宿儒大儒先生と稱するに、闇齋門下の學何を苦んで自脩如此や。かく警策する學は果して何の學ぞや。曰、吾學由来有準的。以至聖人之學也。所謂聖人なる人、日本たへて一人も見へ玉はず。神武以來一人も近付になければ、吾人思ひ忘れてをるは聖人なり。然るにその聖人なるもの、別に天より内々の賦命あるに非ず。又外に各段の重寶をも領せず、耳目鼻口四肢百骸、吾人と分寸の異なることなければ、吾此一身も聖人と同く完然備足して、聖人に對し耻しからぬ家筋なり。只一毫の私欲、吾この血氣形体に長じはびこりて、自から如此汚濁の身にをちぶれたるなれば、吾此人欲の汚れたるものを、吾此聖人と共に持合せたるものを以て逐ひ退れば、端的聖となるの路徑ひらけて、萬里之遠、參啇之隔、千苦難といへとも、道は品川から長崎までずっとあいておれば、いつぞは聖人の域にいたらざるの理なし。此又分外過當の望にあらず。吾この天より備足する處の本体となりたるのみ。聖人豈遠からんや。於是乎聖人に至らんことを學ぶなり。因て聖人を學ぶ學を眞儒とも云、君子儒とも云、道學とも云、爲己之學とも云ひ、古之學者とも云ひ、他所からは道學先生とも嘲り、宋儒とも輕んず。皆是れ吾黨學脈心法、聖門の旨訣なり。かくある故によって、天に對して聖人になりたきと望ある人は、上は天子、中は諸侯卿大夫、下は農工啇、道學をしらずして何の法術あらん。故に道學は聖となるの學にして、學ぶ者の目當なり。此目當なければ、向に所謂先輩の異見も講學の鞭策も、亦無用の異見とぞなるなり。無用の鞭策とぞなるなり。於是や又我佐藤先生道學標的の書を著し、學問の目あてここなりと、孔曾思孟周程張朱の八人を出し、吾輩即今學ふ者の目當にぞ賜りければ、吾人拜讀して佩服すべきなり。
【語釈】
・り。…「く、」か?
・吾學由来有準的。以至聖人之學也…吾が學の由りて来たる準的有り。以て聖人に至るの學なり。
・參啇之隔…「参」はオリオン座の三つ星。「商」は金星。オリオン座と金星は反対の位置にある。
・百…「萬」か?
・爲己之學…論語憲問篇。「子曰、古之學者爲己。今之學者爲人」。


孔曾思孟周程張朱之語

朝聞道夕死可矣
註、不可以不と云四字、眼を付よ。金をほしいの長生をしたいのと云やふなことにあらず。委曲は姫嶋に問て知るべし。福來る、便死すは、望む處に非ず。朝聞道夕死可矣。なぜに可なるぞ。体認すべし。

【語釈】
・朝聞道夕死可矣…論語里仁篇。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・註、不可以不…論語里仁篇集註。「程子曰、言人不可以不知道。苟得聞道、雖死可也」。

在明明德在親民在止於至善
或は佛者、或は覇者、又は王通が類、皆大學にあらず。學問は大學を學ぶことなり。親の字、程子當作新。眞儒なり。陽明、親の字を用ふ。俗儒なり。此意味考へ看よ。

【語釈】
・在明明德在親民在止於至善…大学章句経。「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」。
・親の字、程子當作新…大学章句経集註。「程子曰、親、當作新」。

尊德性而道問學
德性を尊ぬから見處卑し。問學に道らぬから規模小し。學は高く大くすることなり。高大の二字みよ。學問の不振は卑と小とに由るなり。

【語釈】
・尊德性而道問學…中庸章句27。「君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮」。

孟子道性善言必稱堯舜
性善なればこそ學ぶなり。猿はかしこくてもならず。學の綱領、性善の二字なり。ただ性善の二字ですむ。されともぜうのこはきもののあらんかと、稱堯舜。堯舜は證文なり。證文さへあれば公事にまけず。ただ二人の堯舜大勢の證文となるは、佐藤子云、一匹の猫鼠をとる、あとの千匹皆取る、と。荀楊ここを知らず。それに註をする司馬温公、なんとして道學を知らん。吾友自重せよ。人柄わるければ、一休が家の小僧。

【語釈】
・孟子道性善言必稱堯舜…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯・舜」。

聖希天賢希聖士希賢
ああ快なる哉、快なる哉。天がやすまぬから聖人もやすまず。聖人がやすまぬから賢人もやすまず。賢人がやすまぬ、士尚何ぞ休まん。士とは學者なり。儒者なり。めん々々のことなり。武士の士でなし。武士は此士と別なり。賢を希はず。賢を希はざれば士とせず。此士は學者なり。學者衆なり。

【語釈】
・聖希天賢希聖士希賢…近思録為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢」。

言學便以道爲志言人便以聖爲志
志に遠慮は入ず。謙退無用なり。吾人尻ごみをするは志なきなり。女昏禮をするとき、夫を二人もつまいと思ふは志なり。二人もたうと云心あらば、たれが女房にせうぞ。學者聖人になられぬと云をば、何として許すぞ。

【語釈】
・言學便以道爲志言人便以聖爲志…近思録為学59。「言學便以道爲志、言人便以聖爲志」。

爲天地立心爲生民立道爲去聖繼絶學爲萬世開太平
所謂四つの爲の字、身の爲め一もなし。張子眞肺腑中より吐き出す、ほんぼにほんなり。迂詐にあらず。大言にあらず。學者たち驚くべからず。此處俗心を以て知り難し。

【語釈】
・爲天地立心爲生民立道爲去聖繼絶學爲萬世開太平…近思録為学95。「爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平」。

致知以明之立志以守之造之以精深充之以光大
余謂、四者廢其一則非學矣

【語釈】
・致知以明之立志以守之造之以精深充之以光大…朱子文集64。「致知以明之、立志以守之。造之以精深、充以光大」。
・余謂、四者廢其一則非學矣…余謂う、四者の其の一を廃すれば則ち學に非ず、と。

右段々全体肝要之處。ただ体認する事實に難し。功夫の施す處は已に見于諸先達之説。必有事勿正之五字最妙なり。ふんでふまざれ。知る者にして知るべし。其要、諸友の集會にあり。千々萬々遺恨なるは姫嶋の會を得ざること。書不盡言、言不盡意。明朝發足、仍而如此記し置くなり。
壬申十一月二日夜

【語釈】
・必有事勿正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正」。
・書不盡言、言不盡意…易経繋辞伝上12。「子曰、書不盡言、言不盡意」。

孔曾思孟周程張朱之語八道
右吾家大人墨蹟也。以與吾八子。子等各以入於大人之門先後立次序、從而受焉。其學之進否、德之高下、或有焉。吾不敢言

    姫嶋 庄内    折戸 兵右衛門
    片貝 彌右衛門  早船 安左衛門
    成東 武兵衛   小松 半十郎
    清名 幸七郎   東金 清十郎

【語釈】
・右吾家大人墨蹟也。以與吾八子。子等各以入於大人之門先後立次序、從而受焉。其學之進否、德之高下、或有焉。吾不敢言…右吾が家大人の墨蹟なり。以て吾が八子に與う。子等各々大人の門に入るの先後を以て次序を立て、從いて受けよ。其の學の進否、德の高下、或は有らん。吾、敢て言わず。
・兵右衛門…鈴木兵右衛門。松尾町折戸の人。
・彌右衛門…布留川彌右衛門。九十九里町片貝の人。
・安左衛門…平山安左衛門。成東町早船の人。寛政1年(1789)6月12日没。年86。
・武兵衛…安井武兵衛。成東の人。天明4年(1784)11月15日没。年76。
・半十郎…安井記斎。名は利恒。字は子久。半十郎と称す。成東町小松の人。享和2年(1802)4月21日没。年78。
・清十郎…櫻木誾斎。名は千之。初め大木剛中、後に清十郎と称す。東金の人。長崎聖堂教授。文化1年(1804)5月1日没。年80。


世論曰、世知り顔にして知ぬこと多し。眞知と云はほんに知ることなり。ほんに知ると云も色々あれとも、一つ大事のことをほんに知ると學問は上るなり。さて、一つ大事のことは何ぞ。人者天子之子也と云ことなり。人者天子之子也と云ことをほんに知ると、先づそれで濟むことなり。看よ、今菜賣肴屋まで、天道をそろし、天道をそろしと云からは、天を他人あしらいにする者はなけれとも、我を眞に天の子と知たる者なし。折節は我こそ眞に知たと云學者もあるべし。然るに、眞に知りたらば、なぜに學問は上らぬぞと祟らば挨拶がなるまいなり。若し天を實に我が親と思へば、天の機嫌をとら子ばならぬぞ。機嫌を取ると云も、人の機嫌を取るは易し。劉伯倫には酒、業平には色、それで機嫌はよし。至て易きなり。ただ天の機嫌を取るが誠に難し。何をして天の氣に入るべきや。唯天をつく々々と見、あの天に似る樣に、違ぬ樣にとすれば、天の機嫌はよし。看よ、天は萬古かはらず流行し、達者にめぐらるるに、吾人其天の子で居て氣質人欲に蔽ひ拘はされ、我儘氣隨に安じ、ぶら々々と怠りたる姿は、なんと天とは大に違ひたるに非ずや。親は實底律義にて、俗に云、虫もふまぬと云人柄じゃに、子は大の道落。親は下戸じゃに、子は大の酒呑。親は武藝て勵むに、子は一日三味線ひいて日を暮らす。此を鬼子と云ふ。
【語釈】
・劉伯倫…竹林の七賢人の一人。
・業平…在原業平。

さてそれに異見を云役人が學者なり。常に鬼子を責て曰、貴殿はなんと心得たるや。瓜のつるに茄子はならぬと諺に云が、今其身持言語道斷たり。たしなむべしと親切に戒む。其言甚以て尤に聞ゆるなり。なれとも、天を親、我を天の子と云になっては、其異見云學者が即ち天の鬼子なり。今日不理屈を云儒者は鬼子の甚しきにて、鬼子のつまりが異端に落るなり。其鬼子の開山を云はば老佛にして、禪家頓悟に至るまでが鬼子の尤 [はなはだし]き者にて、天に似ぬと云につまる。されば聖學全体要領、聖賢千言萬語ひっくるめて天に似る樣にとなることなり。夫故學者たち發明に事をさばかふとも、賢く物を云はふとも、天にはづれては千功萬業皆水になることなれば、他事に勞し、うか々々と途草して日時を費さんよりは、一つの天の字を大書し、是れを床の間に掛け置き、行往坐臥二六時中天に違ぬ樣に々々々々々々と學ぶべし。これ我道的々の宗旨なり。

一學者聞之、ほっと大息して曰、吾れいかなる難行苦行をも忍び大事を成就せんと思へとも、ただ一つの天の字誰ありて模捉し得て受用せん、と。余示之曰、尤なり。左あらば誠に天の無き里を尋子、宿がへして然るべし。既に天の外に出でては、足を首にしてありかふとも、鼻から飯を喰はふとも、天の外で天にそむくは勝手次第なり。只天の内て天の法度にそむくことがならぬなり。時に何くとて天のなき國はなければ、天の外へ宿替をすることならず、兎角に天の内に居るべし。すは天の内に居ると云に成ては我儘はならず。釋迦は天竺の産なれとも、天竺も天地なり。雪山へにぐる雪山も天地なり。老子はすました顔でくくり頭巾で引込み、墨氏が六十餘州の世話をやき、齊桓晋文がぬかぬ太刀の高名。各それ々々に流々あれとも、何れも天へもてゆきた時、天の受納はない。仍て神道でも佛道でも軍者でも、天と云親の氣に入ぬことは一つとして請取られぬ。源氏の友喰から信玄が信虎を追出したまでが、土龍の椽の下へ入る樣にこそ々々と内證でしたもの。天の御前ではならぬこと。さて、武士の云立る佐々木四郎が藤戸で浦人を殺したも、天のない藤戸ならば許す。梶原をだました宇治川も、天のなき宇治川ならば許す。天のある處でする故、决して許されぬなり。
【語釈】
・齊桓晋文…論語憲問篇。「子曰、晉文公譎而不正。齊桓公正而不譎」。同集註。「二公皆諸侯盟主、攘夷狄以尊周室者也。雖其以力假仁、心皆不正。然桓公伐楚、仗義執言、不由詭道、猶爲彼善於此。文公則伐衛以致楚、而陰謀以取勝。其譎甚矣。二君他事亦多類此。故夫子言此以發其隱」。
・椽の下…縁の下のこと。
・佐々木四郎が藤戸で浦人を殺した…源氏の佐々木三郎盛綱の誤り。舟を持たない源氏が藤戸海峡を渡る際に、佐々木三郎に浅瀬の情報を提供した浦人を、功を独占しようと考えた佐々木が殺したこと。
・梶原をだました宇治川…梶原景季が、宇治川の戦で先陣の功を佐々木四郎高綱に騙されて奪われたこと。

然るに道微かに世衰へ、滿天地の人、貴賤上下都て天に似ぬことをなし、天に似ぬことが流行故、子思子憂て中庸を著はされたぞ。其中庸、全体あたまのきり々々から足のつまさきまで、天でかためた書なり。されば聖學の本領は中庸にて、中庸は天の一字に落着し、聖人の學は天と思込むべし。然るに、其中庸の書ありとも、梁に達磨あり、唐に黃蘗臨濟が類あり、宋の大慧、日本の一休の輩あり、皆天を知らず、天に違ふて自知らず、自是として無忌憚。其有樣を譬を以て云はば、丁度我親を弑して、人の親にてはなし、我が親を弑したがなんとしたと云如し。言語同斷のことなり。此理を以て平實に論せば、諸奉行よりして下諸小吏に至るまで、その罪逆分明たるを知るべし。何者の大儒、韓退之、なんとして和尚に降參めされしぞ。されば聖學は天に叶ふ故よく、異端邪術は天にはづるる故わるいと、天と云尺度權衡を出し、學問は其天の機嫌を取り、其天に似る樣にすることと、慥に肺腑に命し蛇の目あくで洗ふたる如く、晴天白日の樣に辨ふべし。これ我學的々の方法なり。
【語釈】
・子思子憂て中庸を著はされた…中庸章句序。「中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也」。
・蛇の目あくで洗ふたる如く…「蛇の目を灰汁で洗うたよう」という語がある。眼光のきわめて鋭いことの形容。また、物事を明白にするさま。

さて、其所謂天とは何ぞ。蒼々たる青空と思ふや。曰、然り。非歟。曰、非ず。天即理也。理即太極、無聲無臭之眞。乃自然之謂、而其實則亦出于天備于己心の德とも云、性の德とも云、小割に云へば仁義禮智とも云、大割りに云へば仁とも云ひ、皆彼天なる者にして、戸を出て窺ふを待ず。滿腔子都天なれとも、百姓は日用不知。今日學者すこしは知れとも、知て求めず。學と云はそこを知りてすることにて、人のせいで叶ぬと云を合點せよ。先づ天の理を以て天の氣で生れ、天の内に居住し、ぢきに其天の子に成ておる我なれば、其天の氣に入る爲めの學問を、そもや々々々せいで叶はふと思ふや。世人學者を輕んじ、なに學問青表紙と排擯するは尤なり。學者かかるあやを知らず、徒に末を逐ひ、第二等に腰をかけ、くったくせらるる故ぞ。皆學者の自取る處なり。滄浪の水なり。余が言ふ處の學と云は、天子から庶人士農工商、天地中にさへおる程の者なれば、せいで叶ぬことなり。如何々々。
【語釈】
・天即理也。理即太極、無聲無臭之眞。乃自然之謂、而其實則亦出于天備于己…天は即ち理なり。理は即ち太極にして、無聲無臭の眞。乃ち自然の謂にして、其の實は則ち亦天に出で己に備わる。
・天即理也…論語八佾篇集註。「天、即理也。其尊無對」。
・無聲無臭之眞…太極図説集註。「上天之載、無聲無臭。而實造化之樞紐、品彙之根柢也。故曰無極而太極、非太極之外、復有無極也」。「上天之載、無聲無臭」は詩経大雅文王の語。中庸章句33にも引用がある。
・心の德…論語学而篇集註。「仁者愛之理、心之德也」。
・性の德…中庸章句25。「誠者非自成己而已也、所以成物也。成己仁也。成物知也。性之德也。合外内之道也。故時措之宜也」。
・滿腔子…体全体のこと。
・百姓は日用不知…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知」。
・青表紙…経書の称。転じて、儒学者。物知り。また、律義。
・滄浪の水…楚辞漁父。「滄浪之水清兮、可以濯我纓、滄浪之水濁兮、可以濯我足」。孟子離婁章句上8にも引用がある。

一書生在側、卒爾問曰、至哉言也。小子豈不勉哉。然に天地の大なる、四海の遠、もし又學問の入ぬと云もの有べきや。曰、有之。聖人なり、禽獸なり。其故何ぞ。聖人はぢきに天なり。似る樣にせふの、氣に入る樣にせうのと云ことはなし。聖希天とこそ云へ、功夫はなし。ぢきに水晶なり。白くするに及ず。天が聖人乎、聖人が天乎。絅翁の云はるる、天なりの聖人、聖人なりの天。天無形底聖人、聖人有形底天。天は聖人、聖人は天なり。扨々樂な身の上なり。なれともめったになき生付にて、日本は開闢以來一人も近付になく、異邦にも少々ならでは、始終みへ子ば甚だ拂底なることにて、吾人の引合せにならぬこと。さて又聖人と同く學問の入ぬが禽獸なり。猿がかしかふても、狐が先を知ても、格物致知ならず。犬に異見云ても、雞に講釋きかせても通ぜず。猫に花なり。然れば天地の間、學問の入ぬと云は聖人と禽獸なり。禽獸は木欒子 [もくげんじ]の黑ひのなり。洗ふても白くならず。聖人はとぎたての刀なり。更にとぐに及ばず。禽獸は木刀なり。といてもきれず。とぎたての鏡とぐに及ず。聖人なり。丸盆といても光らぬ。禽獸なり。學問の入ぬはここのことなり。
【語釈】
・一書生在側、卒爾問曰、至哉言也。小子豈不勉哉…一書生側に在りて、卒爾として問いて曰く、至れるかな言や。小子豈勉めざらんや。
・天無形底聖人、聖人有形底天…天は形無き底の聖人、聖人は形有る底の天。

然らば學問とは何事そ、學者とは何人ぞ。もと鏡で一端くもり、もと正宗で一端さびる。そこでとぐ。そこでみがく。これをとぎ、これをみがいて本のものとはすることなり。本のものと云が目當なり。本のものとは何ぞ。人間の當然。人間の當然とは何ぞ。即ち聖人にして、聖人は所謂天なりの聖人なるもの。一箇の天なり。横から云てもたてから云ても、明道の自家体認出來ると云はれたる遺意。これ伊洛の趣き。聖人の敎學、木に竹をつぐ樣なことでなく、人々固有によってほどこし、顧天明命と云へるが、即ち我が此腹中の天をそれそこよと指さし示されたものなるに、道を聖人が拵へたなどとかかる非言、天の字に昏きにして、尚學と思へるや。亂に曰、謹哉、謹哉。天を知ら子ば天に叶はず、天に叶はざれば天の子でなし。天の子でなければ天の勘當。天の勘當を受けなば天地におられず。天地におられずんばいかがせん。南蠻北狄萬國に去りても、天翁の追來れば進退維谷 [きわま]らん。學問をせよ。学問をせよ。孔子曰、學而時習之。又曰、十有五志于學。又曰、不如學。又曰、不如丘之好學。又曰、有顔回者好學學者其學之。佐藤子の歌に、天地の外に求る道しあらば、水も呑すな飯も喰すな、と。返す々々も天に似る樣にせよ。其法如何。一言以蔽之曰學。請益。曰、學外無別法
【語釈】
・明道の自家体認出來る…近思録道体35に、「伊川先生曰、此在諸公自思之。將聖賢所言仁處、類聚觀之、體認出來」とあるが…
・顧天明命…書経太甲上。「先王顧諟天之明命、以承上下神祇・社稷・宗廟、罔不祗肅」。大学章句経1にも引用がある。
・亂…終わりにという意。
・謹哉、謹哉…謹めや、謹めや。
・學而時習之…論語学而篇。「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎」。
・十有五志于學…論語為政篇。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・不如學…論語衛霊公篇。「子曰、吾嘗終日不食、終夜不寢、以思。無益。不如學也」。
・不如丘之好學…論語公冶長篇。「子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也」。
・有顔回者好學…論語雍也篇。「哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏囘者好學、不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也」。先進篇にも同様の話がある。
・學者其學之…學者其れ之を學べ。
・其法如何。一言以蔽之曰學。請益。曰、學外無別法…其の法如何。一言以て之を蔽えば學と曰う。益を請う。曰く、學の外に別法無し、と。

孤松全稿巻之一姫嶋講義餘論

参考資料
  道學遺書(道學協會)
  東アジアにおける儒教思想の倫理思想史的研究 研究成果報告書(研究代表者 高島元洋)