稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒
                                後學 田原鋼三郎稿
緒言
あし原の瑞穂の國の稲葉には穗に穗かさなる秋ぞ豊けきトハ、小生ノ示教ヲ蒙リタル石井周庵先生ノ、山﨑闇斎先生以來道統ノ諸先軰ヲ賛シタル歌ノ其ノ一ニシテ、稲葉黙斎先生ノ集大成ノ功ヲ稱シタル者ナリ。吁[ああ]黙斎先生英雄ノ姿ヲ以テ聖賢ノ學ヲ作シ、諸先哲ノ善美ヲ集メテ之ヲ大成シ、規模ノ廣大ニシテ條理ノ詳密ナル、實ニ我邦道学ノ泰斗、萬世ノ師表ナリ。其王佐ノ才ヲ抱負セルヤ、出テヽハ君ヲ堯舜ノ君タラシメ、民ヲ堯舜ノ民タラシムルコトノ誣ユ可カラズトハ先儒已ニ定論アリ、我軰後学ノ敢テ喋々スル所ニアラズ。然ルニ此ノ如キ有為ノ器ヲ以テ世ニ遇ハズ、知命ノ年、遂ニ東海ノ濱ニ肥遯シ隠居、身ヲ終フ。上總國今ノ山武郡増穗村清名幸谷ハ其税駕ノ地ニシテ、天明元年辛丑秋八月九日ハ先生啓行泛舟江戸ヲ去ルノ日ナリ。門人志水義質松本義上高須順正日原以道ノ四人先生ヲ送テ行徳驛ニ別ル。先生舟中一書ヲ作リ以テ四子ニ與フ。其書ニ曰、有見天道性命之原者、必謹洒掃應對之節。是乃鳶飛魚躍活溌々地。學者分本末為両段之事。故見得不分明。然此項最有微意。以克己復礼明脩道之教。闇齋先生所以深有感于茲、誠能有得于此、四子六経不治而明。是吾學之本領也、ト。翌十日、里正鵜澤氏ノ宅ニ至リテ寓居ス。後五年乙已、居ヲ此地三木之荘、大原氏宅地之稱号。ニ移シ、名ケテ孤松庵ト曰フ。其ノ記アリ。遂ニ此地ニ終ハル。享年六十有八、時ニ寛政十一年已未十一月朔日、今ノ陽暦十一月二十七日ナリ。越テ五日、同州成東元倡寺ニ葬ル。卒スル前数日、十月二十四日。其手記スル所ニ曰ク、聖人專是道心、秋月照寒水。曽西艴然[ふつぜん]。是垩門氣象。○董氏曰、仲尼之門、五尺童子羞稱五伯。是叙垩門旨訣。徂徠・太宰平素稱先王仲尼之道。然又言、古無詆管仲者。詆管仲自孟子始矣。畢竟是自家喚成覇業也。右四條ハ正ニ是レ先生孤松全稿六八録ノ絶筆ナリ。
【語釈】
・田原鋼三郎…田原擔庵。名は秀熹。綱三郎と称す。成東町湯坂の人。昭和13年(1938)1月18日没。年68。
・石井周庵…名は一素。音吉と称す。大網白里町清名幸谷の人。明治36年(1903)9月5日没。年69。
・天明元年…1781年。
・志水義質…三九郎と称す。
・松本義上…丸亀藩の臣。
・高須順正…丸亀藩の臣。
・日原以道…手塚坦齋。初めは日原以道。小源太と称す。別号は困齋。土浦藩儒臣。手塚可貞の子。天保5年(1834)5月15日没。年73。
・有見天道性命之原者、必謹洒掃應對之節。是乃鳶飛魚躍活溌々地。學者分本末為両段之事。故見得不分明。然此項最有微意。以克己復礼明脩道之教。闇齋先生所以深有感于茲、誠能有得于此、四子六経不治而明。是吾學之本領也…「天道性命の原を見ること有る者は、必ず洒掃應對の節を謹む。是れ乃ち鳶飛び魚躍る活溌々地。學者本末を分かちて両段の事と為す。故に見得て分明ならず。然れども此の項最も微意有り。克己復礼を以て脩道の教を明らかにす。闇齋先生深く茲に感有る所以に、誠に能く此を得ること有らば、四子六経治めずして明らかなり、と。是れ吾學の本領なり。」
・寛政十一年…1799年。
・聖人專是道心、秋月照寒水。…朱子文集巻4の斎居感興五言詩凡廿首の一。「聖人專ら是れ道心、秋月寒水を照らす。」
・曽西艴然…孟子公孫丑章句上1。「或問乎曾西曰、吾子與子路孰賢。曾西蹵然曰、吾先子之所畏也。曰、然則吾子與管仲孰賢。曾西艴然不悦曰、爾何曾比予於管仲。管仲得君、如彼其專也。行乎國政、如彼其久也。功烈、如彼其卑也。爾何曾比予於是。」
・董氏曰、仲尼之門、五尺童子羞稱五伯。是叙垩門旨訣。…孟子梁恵王章句上7集註の語。是叙垩門旨訣。は「是れ聖門の旨訣を叙づ。」
・徂徠・太宰平素稱先王仲尼之道。然又言、古無詆管仲者。詆管仲自孟子始矣。畢竟是自家喚成覇業也。…「徂徠・太宰平素先王仲尼の道を稱す。然して又言う、古は管仲を詆る者無し。管仲を詆るは孟子より始まる。畢竟是れ自家覇業を喚成するならん。」

先生享保十七年壬子十一月十三日ヲ以テ江戸城東濱町山吹井ニ生ル。父ハ即チ迂斎先生、道學德行ヲ以テ盛名一世ニ冠タリ。下総古河城主土井侯ニ仕ヘ、職教授タリ。先生ハ其二子ナリ。幼ニシテ父ノ膝下ニ學ビ、長シテ父ノ命ヲ以テ野田剛斎先生ニ師事ス。幼ヨリ竒才アリ、早ク大意ヲ見、小成ニ安ンセズ、志ヲ第一等ニ寄セ、遠大ノ圖ヲ希ヒ、特逹英断世儒ヲ盖ヒ、才識老佛ヲ嘲罵ス。其先達ヲ尚友スル、最モ佐藤直方先生ヲ欽慕セリ。其遺書ヲ集メテ名ケテ韞藏録[うんぞうろく]ト曰フ。本篇・拾遺・續拾遺・四編等凡テ五十七巻、珎重服膺終始渝[か]ハラス。先生學益々進ミ雄辯能ク物情ヲ盡スヲ以テ、人多ク講筵ニ待スルコトヲ希フ。然レドモ其章句ニ縛シ見解ナキヲ見レバ、皆謝シテ之ヲ卻ク。意氣慷慨自ラ任ジ、腐儒因循ノ風ヲ切齒ス。頻年矦家老臣権ヲ弄シ君臣手ヲ閣[さしはさま]ヌ。先生之レガ為メニ舊弊ヲ改革シ宰執ヲ痛抑セント欲シテ達スルニ由ナシ。是ニ於テ大義ヲ論ジ同志ヲ勵シ、又通鑑綱目ヲ講究シ、自ラ靖献遺言ニ題シテ曰、是瞑眩ノ良剤、若シ人切ニ宿痾ヲ憂ヘバ、突出シテ我ガ毒手ニ觸レヨ、ト。又自ラ言フ、某粗卒狂獗[きょうけつ]ト雖モ、綱常ヲ振ヒ大義ヲ任ズルニ至テハ、則チ老師宿儒ト虽[いえど]モ少シク心ニ愧チザルナリ、ト。自ラ越復傳ヲ著シ、其末ニ曰、赴東海不知所之、ト。先生時ニ年二十有四。盖シ固ク出デザルノ意ヲ表スルナリ。後年門人花澤秀直ニ語リ笑テ曰ク、某今東海ニ隱ルヽ者、往年ノ傳其讖[しん]ヲ為スノミ、ト。壮歳其業進ミ學成リタレバ、父師先生ヲシテ仕ヘシメントス。先生懇謝シテ肯ンセズ。父師モ亦敢テ強ヒズ。先生ノ出處高尚ニシテ測ル可カラズ。後學ノ以テ輙[たやす]ク語ルベキ所ニ非ズ。世儒或ハ議スル者アリ。徒[ただ]ニ其顕ヲ視テ深ク其微ヲ察スルコト能ハザルナリ。先生少壮ヨリ既ニ深ク邦國ノ時體ヲ識レリ。儒醫ハ制除名ニ在リ。唯々禄仕賓師ハ則チ置テ論ゼズ。若シ才識事ニ幹タリト雖モ、経濟ノ柄儒手ニ下ラザレバ、則チ何ノ裨益カ之レ有ラン。コレ先生固ク隱操ヲ遂グル者、其見亦斯ニ在リテ然ル耶。
【語釈】
・享保十七年…1732年。
・赴東海不知所之…「東海に赴きて之[ゆ]く所を知らず。」
・花澤秀直…林潛齋。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。

寶暦十三年癸未ハ先生居ヲ牛嶋ニ卜シ、髪ヲ削リ人事ヲ謝スルノ歳ナリ。時ニ年三十二。或人ニ與フル書ニ曰ク、落髪與禮違、道服與俗背。又淵明ノ韻ヲ賡[つ]ギ自ラ述ブル詩ニ曰ク、牛嶋幽居裏、獨笑市朝喧。動作多簡傲、心志少陂偏。朝臨墨水流、暮望筑波山。山水終古在、造物去不還。玄妙自識取、昊天本無言、ト。其磊々落々俊異卓抜ノ氣象想見スベシ。嘗テ録スル所ノ册子ヲ名ケテ牛嶋隨筆ト曰フ。其中ニ言ヘルコトアリ曰ク、道妙在片言、経済之要亦在一杷柄。英雄豪傑於是思過半。又曰ク、使事業可観則取禍、欲免禍無事業可観者。吁不如不仕之為愈云々。末ニ録スル一条ニ曰ク、大丈夫一生宇宙間、須欲領海内之事。故讀書究理、達古今事迹、不得志則抱膝畝而已。英雄豪傑素不傚中材人之所為也、ト。當時先生祝髪シテ世榮ヲ絶チ、深ク市中ノ隱トナルヤ、見ル者之ヲ目スルニ顚狂ヲ以テシ、聞ク者之ヲ罵ルニ異端ヲ以テシ、親戚患ヒ師友傷ミ、往々以テ集會ノ話頭ニ登ル。是ヲ以テ舊遊ノ親シキ者多ク其異状ヲ警ム。先生曰ク、我レ敢テ妻肉ヲ絶チ彛倫[いりん]ヲ害ナハザレバ則チ何ゾ傷マンヤ。我カ國俗頂髪半ニシテ古ト異ナル者獨リ如何。是レモ亦狂トシ異端トスル乎、ト。著ス所ノ書先達遺事上梓世ニ行ルヽヤ、自家ノ藏本己レノ名ノ側ニ書入シテ曰、坊主ナリトテ軽視スル人ニ損アリテ吾ニ加損ナシ、ト。先生初メ百方謀慮シ、事定レバ則チ終ニ変易セズ。後年偶々病ニ臥スルコト久ク鬚髪肆[ほしい]マヽニ長ズ。是ヲ以テ復タ剃ラサルナリ。南總海近氣暖。三冬時或開扉。農夫苦勧負暄。似服天公賜衣。コレ先生肥遯ノ冬詠ずる所ノモノニシテ、夫ノ天命ヲ樂ミ復タ奚[なに]ヲ疑ハンノ風采想見スベキナリ。
【語釈】
・寶暦十三年…1763年。
・落髪與禮違、道服與俗背。…「落髪は禮と違い、道服は俗と背く。」
・牛嶋幽居裏、獨笑市朝喧。動作多簡傲、心志少陂偏。朝臨墨水流、暮望筑波山。山水終古在、造物去不還。玄妙自識取、昊天本無言…「牛嶋幽居の裏、獨り笑う市朝の喧。動作簡傲多く、心志陂偏少なし。朝に墨水の流れを臨み、暮に筑波山を望む。山水終古在り、造物去りて還らず。玄妙自ら識取す、昊天本言無し。」
・道妙在片言、経済之要亦在一杷柄。英雄豪傑於是思過半。…「道の妙は片言に在り、経済の要も亦一杷柄に在り。英雄豪傑是に於て思い半ばを過ぐ。」
・使事業可観則取禍、欲免禍無事業可観者。吁不如不仕之為愈云々。…「事業観る可からしむれば則ち禍を取り、禍を免れんと欲せば事業観る可き者無し。吁仕えざるの愈[まさ]れりと為すに如かず云々。」
・大丈夫一生宇宙間、須欲領海内之事。故讀書究理、達古今事迹、不得志則抱膝畝而已。英雄豪傑素不傚中材人之所為也…「大丈夫一たび宇宙の間に生まれれば、須く海内の事を領せんと欲すべし。故に書を讀み理を究め、古今の事迹に達し、志を得ざれば則ち畝に抱膝するのみ。英雄豪傑は素より中材人の為す所を傚[なら]わず。」
・南總海近氣暖。三冬時或開扉。農夫苦勧負暄。似服天公賜衣。…「南總海近く氣暖かなり。三冬時に或は扉を開く。農夫苦[はなは]だ暄[けん]を負うを勧む。天公賜衣を服するに似れり。」「負暄」は、日なたぼっこ。

先生嘗テ新発田侯ヨリ賜ハル所ノ俸アリ。再三之ヲ辞スレトモ可[き]カズ。既ニシテ南總ニ隱レ、数々之ヲ辞シテ息[や]マズ。侯大ニ怒テ之ヲ聴キ、遂ニ先生ヲ踈メリ。是レ天命二年壬寅冬十月ニシテ、先生肥遯ノ翌歳ナリ。先生此ノ地ニ遯レテヨリ固ク門ヲ閉ヂ俗ヲ謝スルモノ殆ント二十年ニシテ簀ヲ易フ。平生妄リニ其門ヲ出デズ。門人花澤秀直一日先生ヲ訪フ。其屋漏一草鞋ヲ掛ルヲ見テ其故ヲ怪ミ之ヲ問フ。先生曰ク、我里人ト合ハザレバ則チ日ヲ終ルヲ俟タズシテ去ント欲ス。之ガ為メニ豫メ備フルノミ、ト。秀直動悸シテ深ク其言ニ感ジ、後年先生ノ傳ヲ著シ此言ヲ録シ、其後ニ書シテ曰、先生萬般已ニ事ノ前ニ豫ニシテ事ノ後ニ屈セズ。謀慮敏捷人ノ後ニ在ラズ。其剛毅英断誰レカ復タ之ニ如カンヤ。故ニ東セシヨリ以來、未ダ曽テ妄リニ人ニ交ハラズ。戸外ニ一書ヲ標シ、以テ紹介ナキノ人ヲ入レズ。自ラ言フ、事ノ端ヲ杜[ふさ]ヒテ敢テ里正ヲ煩ハサヾルナリ、ト。或ハ門人ト雖モ多ク之ヲ農事ニ託シテ之ヲ卻ク。唯々舊来門人ノ如キ、常ニ懇ニ教育ス。偶々過失有レバ則チ聞カザル者ノ為[まね]シテ其開悟ヲ待ツ。率ネ恕シテ問ハズ。或ハ若シ門法ニ背キ心術ヲ傷フ者ニ至テハ、痛呵假サズ、直チニ肚裏ヲ探リ巢窟ヲ破テ、其情ヲ掩フコト能ハザルナリ。一日門人高宮文七ヲ厳責ス。世俗ノ所謂閻王ノ冥譴ヲ断スルガ如シ。丸亀藩士河本仲遷、先生ノ同門。座ニ在リ、以テ湿薪ヲ束ルガ如シトス。先生嘗テ言フ、我終ニ人ヲ絶タズ、人我ニ遠カル者ハ逐ハズ、ト。嘗テ苟モ人ノ親ミヲ求メズ。然レトモ教ヲ請フ者ハ間テズ。常ニ曰ク、直方先生ヲ尊信スル者ハ我ガ門ニ入レヨ、ト。
【語釈】
・高宮文七…東金市押堀の人。
・河本仲遷…名は善。三左衛門と称す。丸亀藩士。

嘗テ佐藤子ノ冬至文ヲ表章シ一冊トシ、其後ニ書シテ曰、佐藤子卒既六十八年、先君子下世亦實二十七年。學者漸失其眞惑他岐投俗論、日歸卑陋之域、而初學可西可東之徒、遂受以為此誠道學之宗旨也。是則可歎矣。因表章冬至文、附三子之言於其後、以峻門風厳心術云。時ニ天明六年丙午正月、先生年五十有五、此歳冬至ノ日、課會ニ當ルヲ以テ諸生ノ為メニ此ノ書ヲ講ジ、花澤秀直之ヲ筆記シ、鈴木恭節追加ノ録アリ。先生為メニ朱筆ヲ加ヘテ之ニ賜フ。既ニシテ佐藤子ノ遺文ヲ発揮スル者凡テ七道ヲ摭[ひろ]ヒ取テ附録トシテ諸生ニ示ス。當時先生言ヘルコトアリ曰ク、學者韞藏録ヲ信セズシテ却テ駿臺雜話ヲ愛スルガ如キ、一種手嶋家ノ學ト伯仲ヲ相為ス、ト。
【語釈】
・佐藤子卒既六十八年、先君子下世亦實二十七年。學者漸失其眞惑他岐投俗論、日歸卑陋之域、而初學可西可東之徒、遂受以為此誠道學之宗旨也。是則可歎矣。因表章冬至文、附三子之言於其後、以峻門風厳心術云。…「佐藤子卒して既に六十八年、先君子の下世も亦實に二十七年なり。學者漸く其の眞を失い他岐に惑い俗論に投じ、日々に卑陋の域に歸して、初学西す可く東す可きの徒、遂に受けて以て此れ誠に道學の宗旨なりと為す。是れ則ち歎く可し。因りて冬至の文を表章し、三子の言を其の後に附し、以て門風を峻くし心術を嚴にすと云う。」

嗚呼先生王佐ノ才ヲ抱負シ、大ニ道學精微ノ玄理ヲ窮盡シ、深ク蘊奧ノ妙旨ヲ開発セル四書或問・抄略ノ篇アリ、實ニ近思ノ遺意ヲ續グモノナリ。嘗テ新発田ノ公子ノ為メニ家禮ヲ抄畧シ、以テ一家日用ノ便ニ供フルモノハ実ニ活蛇ヲ弄スルノ手段ナリ。丁未雜記ニ曰ク、予家禮抄略損三虞為一虞。固獲罪前垩、萬々無所逃罪也。然全之不行、孰若損之行之為愈。予處後世凡百難行之間、経歴事故之久、竊欲斟酌異國古礼於同志之間、以不障時制。亦與守文之虚礼、章句之末流別也、ト。故ニ其農村ニ隱ルヽヤ、時俗ノ制ヲ酌ミ、事ノ宜キニ隨ヒ、妄リニ高キヲ論ジテ行ヒ難キノ説ヲナサズ。常ニ曰ク、心ニノリノアル學問、事ニ實シタル経済、志・才・術ノ三アリテ経世ノ道立ツ、ト。又末書ヲ鬻[うっ]テ農業全書ヲ求メヨト云ヘルガ如キ、人ヲ誨[おし]ユル、循々トシテ序アリ。至誠ノ極、篤く里民ヲ喩[さと]シ、殊ニ三日歛ヲ示セリ。是ヲ以テ今ノ山武郡其德澤ニ浴スル尤モ深ク、餘光今ニ至リテ尽キザルナリ。郷里多ク火葬ヲ悪ンデ棺歛禮ニ效ヒ、始テ櫪青ヲ用井ル者ハ先生ノ化導ナリ。
【語釈】
・活蛇ヲ弄スル…朱子語類89。礼六。「伯量問、殯禮可行否。曰、此不用問人、當自觀其宜。今以不漆不灰之棺、而欲以磚土圍之、此可不可耶。必不可矣。數日見公説喪禮太繁絮、禮不如此看、説得人都心悶。須討箇活物事弄、如弄活蛇相似、方好。公今只是弄得一條死蛇、不濟事。」
・予家禮抄略損三虞為一虞。固獲罪前垩、萬々無所逃罪也。然全之不行、孰若損之行之為愈。予處後世凡百難行之間、経歴事故之久、竊欲斟酌異國古礼於同志之間、以不障時制。亦與守文之虚礼、章句之末流別也…「予が家禮抄略三虞を損して一虞と為す。固より罪を前垩に獲、萬々罪を逃るる所無きなり。然れども之を全くせば行われず、之を損して行うの愈れりと為すに孰若[いずれ]ぞや。予後世凡百行い難きの間に處し、事故を経歴するの久しき、竊かに異國の古礼を同志の間に斟酌して、以て時制に障らざらんことを欲す。亦守文の虚礼、章句の末流と別なり。」

壬寅雑記、肥遯ノ翌年。ニ曰ク、予在清名幸谷自謂、假令後日一二人家化予教、唯棺塗松脂、過三日而大歛二事而已。使民庻一々適禮、程朱其猶病諸。如祭春秋二中用肉饌、忌祭依舊素饌飯僧而可也。如此則漸禮俗可起。若一々欲如家禮、非特立人則不能也。如特立人則身至垩賢之域亦不難至。况於禮儀哉。如其誘引人々成禮俗、須望之以中人事、教之以可断可傳之事。是師導之術也。今如立志造祠堂制神主、亦或由是。毀浮屠霊牌、大生事。未知他縣、如此里中、一旦遽毀佛位廃僧飯、多必至訴訟。僧是其家之檀師。官建之。如祠堂制神主、則私家竊行己之志者。已學者於是大激怒。然是由不達禮之本。喪祭不如禮不足而哀敬有餘。哀敬若有餘、豈憂外面循時受浮屠之令。予故云、心喪之為心、仁之尽、義之至也。世之学者不察於此。怒浮屠之甚、却待浮屠之重也。今日葬事、檀僧關之者官之制也。是做有司看。豈可怒。是ヨリ先キ、天明辛丑秋七月、肥遯ノ前月。親属舊友ノ為メニ葬之心得ヲ著ハシ、其末ニ程子ノ言ヲ追記シテ曰ク、有死而復蘇者。故三日而歛。未三日而歛、皆有殺之理。天保七年丙申、館林侯其藩ニ刻ミ、文久三年癸亥、田邉侯又其藩ニ刻ム。各々序文アリ。先生晩ニ言ヘルコトアリ。予舊年作葬説主張三日歛。是以此試王道之可行今日否、ト。始メ父母ノ喪ニ遭ヒ内外艱劄記ヲ作ル。後學冝シク喪規トスベキモノナリ。
【語釈】
・予在清名幸谷自謂、假令後日一二人家化予教、唯棺塗松脂、過三日而大歛二事而已。使民庻一々適禮、程朱其猶病諸。如祭春秋二中用肉饌、忌祭依舊素饌飯僧而可也。如此則漸禮俗可起。若一々欲如家禮、非特立人則不能也。如特立人則身至垩賢之域亦不難至。况於禮儀哉。如其誘引人々成禮俗、須望之以中人事、教之以可断可傳之事。是師導之術也。今如立志造祠堂制神主、亦或由是。毀浮屠霊牌、大生事。未知他縣、如此里中、一旦遽毀佛位廃僧飯、多必至訴訟。僧是其家之檀師。官建之。如祠堂制神主、則私家竊行己之志者、已學者於是大激怒。然是由不達禮之本。喪祭不如禮不足而哀敬有餘。哀敬若有餘、豈憂外面循時受浮屠之令。予故云、心喪之為心、仁之尽、義之至也。世之学者不察於此。怒浮屠之甚、却待浮屠之重也。今日葬事、檀僧關之者官之制也。是做有司看。豈可怒。…「予清名幸谷に在りて自ら謂う、假令[たとい]後日一二の人家予が教に化すも、唯棺に松脂を塗り、三日を過ぎて大歛するの二事のみ。民庻をして一々禮に適わしむるは、程朱も其れ猶諸を病めり。祭の如きは春秋二中肉饌を用い、忌祭は舊に依りて素饌僧に飯して可なり。此の如くんば則ち漸く禮俗起こる可し。若し一々家禮の如くするを欲せば、特立人に非ざれば則ち能わざるなり。特立人の如きは則ち身垩賢之域に至れば亦至り難からず。况んや禮儀に於てをや。其の誘引して人々禮俗を成すが如きは、須く之を望むに中人の事を以てし、之を教ゆるに断ず可く傳う可きの事を以てすべし。是れ師導の術なり。今志を立て祠堂を造り神主を制するが如きも、亦或は是に由る。浮屠の霊牌を毀[こぼ]ちて、大いに事を生す。未だ他縣は知らず、此の里中の如き、一旦遽[にわか]に佛位を毀ち僧飯を廃せば、多くは必ず訴訟に至る。僧は是れ其の家の檀師。官之を建つ。祠堂(を造り)神主を制するが如きは、則ち私家竊に己の志を行う者なり。已に學者是に於て大いに激怒す。然れども是れ禮の本に達せざるに由る。喪祭は禮足りずして哀敬餘有るに如かず。哀敬若し餘有らば、豈外面時に循いて浮屠の令を受くるを憂えんや。予故に云う、心喪の心と為すは、仁の尽き、義の至りなり、と。世の学者此を察せず。浮屠を怒るの甚だしきは、却って浮屠を待つの重きなり。今日の葬事、檀僧之に關るは官の制なり。是れ有司と做[な]して看よ。豈怒る可けんや、と。」
・有死而復蘇者。故三日而歛。未三日而歛、皆有殺之理。…「死して復蘇る者有り。故に三日にして歛す。未だ三日ならずして歛するは、皆之を殺すの理有り。」
・天保七年…1836年。
・文久三年…1863年。
・予舊年作葬説主張三日歛。是以此試王道之可行今日否…「予舊年葬説を作りて三日歛を主張す。是れ此を以て王道の今日に行う可きや否やを試すなり。」

先生平素己を處スル、禮容恭倹ニシテ惰容傲言ナク、故ニ自ラ怨怒侮慢ノ辱メニ遠レリ。嘗テ曰ク、人ノ侮ヲ受クル者ハ己レガ不恭ニ由ル、ト。常ニ戒懼シテ最モ火災ヲ防ク。往年江戸ノ客舎ニ寓シ將ニ歸ントスルノ日、堅ク爐火ヲ滅シ、以テ店主ヲ呼ヒ、彼ヲシテ點検セシメテ後去レリ。又凡百ノ事敢テ忽ニセズ、殊ニ法度ヲ畏ルヽコト戦兢トシテ惰夫ノ如ク然リ。厳ニ人ニ戒メテ曰ク、此郷里堅ク國禁ヲ謹守シ、季秋ヲ待テ速ニ釣竿ヲ折テ鳥肉ヲ絶ツベシ、ト。此レ近里幕府ノ初メヨリ鷹ヲ掣スルノ地ナリ。故ニ魚鳥ヲ捕ルノ禁アルナリ。以上花澤秀直淵源紀聞ニ見ヘタリ。以下多ク之ヲ取ル。寛政元年已酉夏、大ニ旱ス。先生憂苦シ遽ニ書生ヲ卻ケ、其ヲシテ各自ニ專ラ力ヲ農事ニ盡シ、切ニ水利ヲ求メ、枯苗ヲ養フノ事ニ勉メシム。當年ノ雜記ニ曰ク、大旱對赤地、不堪憂。是可忍、何不可忍。但又以為吾儕志垩學。然徳性大旱、年々歳々有甚於此者。乃垩賢毎有年。孔顔之樂可知。是処了得、乃朝聞道。又曰、念六日、五月。朝霓驟雨微下。予東隣有匠工、其児五六歳、頻呼祖婆云、善哉々々、雨矣。予聞之戚々焉。児言可以感天心也、ト。
【語釈】
・大旱對赤地、不堪憂。是可忍、何不可忍。但又以為吾儕志垩學。然徳性大旱、年々歳々有甚於此者。乃垩賢毎有年。孔顔之樂可知。是処了得、乃朝聞道。又曰、念六日、五月。朝霓驟雨微下。予東隣有匠工、其児五六歳、頻呼祖婆云、善哉々々、雨矣。予聞之戚々焉。児言可以感天心也…「大旱赤地に對し、憂えに堪えず。是れ忍ぶ可く、何をか忍ぶ可からざらんや。但又以為[おも]えらく、吾儕垩學を志す。然れども徳性の大旱、年々歳々此より甚だしき者有り。乃ち垩賢毎に年有り。孔顔の樂しみ知る可し。是の処了し得れば、乃ち朝聞道、と。又曰く、念六日、五月。朝霓驟雨微[すこ]しく下る。予が東隣に匠工有り、其の児五六歳、頻りに祖婆を呼びて云う、善き哉々々々、雨ふる、と。予之を聞きて戚々焉たり。児言以て天心を感ず可し。」「念六日」は26日。

其積年清名幸谷ニ在ルノ間、精義操存日々ニ熟シ、其業益々進ミ其徳益著ル。而レトモ尚未ダ自ラ足レリトセズ、終日書ヲ讀ミ文ヲ作テ輟[や]マザル、書生ノ如ク然リ。其孤松全稿四十巻ハ先生生涯ノ手筆ニシテ、其説大小精粗備ハラザル所ナシ。清谷全話百五十巻ハ門人ノ先生ノ學談講義等ヲ録セル所ノモノニシテ、皆道要ヲ発揮シ、旨訣ヲ開示スル者ナリ。吁當時先生ノ不遇ハ後生學者ノ至大至幸ナラズヤ。所謂為去垩継絶學、為萬世開太平者、先生ニ非ズシテ誰ゾヤ。
【語釈】
・為去垩継絶學、為萬世開太平…近思録為学95の語。

門人ノ中、英才亦多シ。其世ニ名アルモノハ奥平定時桑名。日原以道土浦。尾關當補館林。山田記思仝。志水義質姫路。松本義上丸亀。高須順正仝。花澤秀直上總細谷鋪。篠原惟秀堀上。中田十二仝。鈴木恭節清名幸谷。北田慶年福俵。大木丹二北幸谷。鈴木荘内姫島。高宮文七押掘。小川精義東士川。櫻木廣居東金。等アリ。
【語釈】
・奥平定時…奥平棲遅庵。名は定時。幸次郎と称す。江戸の人。神田小川坊に住む。小川先生。忍藩儒臣。致仕して玄甫。嘉永3年(1850)8月9日没。年82。
・日原以道…手塚坦齋。初めは日原以道。小源太と称す。別号は困齋。土浦藩儒臣。手塚可貞の子。天保5年(1834)5月15日没。年73。
・尾關當補…尾關當補。求馬、隼人と称す。館林藩上大夫。尾關當官の子。文政12年(1829)7月27日没。年51。
・山田記思…山田華陽齋。名は記思。長作と称す。号は黒水。館林藩儒臣。天保3年(1832)9月25日没。年60。
・志水義質…三九郎と称す。
・松本義上…丸亀藩の臣。
・高須順正…丸亀藩の臣。
・花澤秀直…林潛齋。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。
・篠原惟秀…本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。
・中田十二…中田重次。十二郎と称す。東金市堀上の人。寛政10年(1798)11月没。
・鈴木恭節…字は子長。長藏と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。
・北田慶年…太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。
・大木丹二…名は忠篤。東金市北幸谷の人。文政10年(1827)12月17日没。年63。
・鈴木荘内…鈴木養齋。名は直二。莊内と称す。別号は空水。鈴木養察の孫。医者。成東町姫島の人。天保8年(1837)7月11日没。年74。
・高宮文七…東金市押堀の人。
・小川精義…小川省義 幼名は磯次郎、興十郎。後に市右衛門。東金市東士川の人。文化11年(1814)6月21日没。年81。
・櫻木廣居…助右衛門と称す。櫻木誾齋の子。文化13年(1816)9月21日没。年62。

此地世ニ上總七里法蕐ト稱シテ浮屠ニ佞シ迷信尤モ甚シ。其相去ル半里餘ニシテ宮谷檀林ト稱スル法蕐宗什門派ノ教塲アリ、又一里許ニシテ小西檀林ト稱スル法蕐宗身延派ノ教塲アリ、先生ノ學徳地方ヲ風化スルヲ悪ミ、百方之ニ加フルニ害ヲ以スルモ功ナシ。一日、本里ノ檀寺主僧某檀師ヲ挾ミ、卒ニ戸ニ入リ座ニ就キ、厲色先生ヲ難シテ曰、叟ガ此地ニ教授セシヨリ、大ニ衆生ノ心ヲ害シ以テ祈禱ヲ尊バズ、且ツ檀師ヲ軽視スルニ至ル。適ニ教ノ非ナル故ナリ。爾後吾親カラ講席ニ入リ、悉ク検察セン、ト。先生徐ニ之ニ答テ曰ク、未タ曽テ門人ニ檀師ヲ軽ンジ祈禱ヲ廃スルコトヲ教ヘズ。但吾門ニ遊ブ者、一年半歳ノ間、槩ネ自ラ地獄天堂ナキコトヲ覺ル。盖シ是ヲ以テ然ル歟。吾固ヨリ其自ラ悟ル者ヲ禦グコト能ハザルナリ、ト。僧復タ言フコト能ハズ、遂ニ復タ来ラズ。先生即チ里長ニ告ゲテ其檀縁ヲ離絶シ、別ニ爽塏[そうがい]ノ地ヲ卜シ、成東一禪寺ヲ請テ檀師トス。先生是レヨリ門人ノ集會及ビ列國藩士遊學ヲ請フ者ヲ辞シ、遂ニ教學ヲ廃シ、自ラ茶酒ノ間ニ晦マス。其言ニ曰ク、吾門人ヲ教誘スルノ身ニ非ルナリ。占ニ曰ク、孚アッテ于ニ酒ヲ飲、无咎。其首[こう]ヘヲ濡セバ孚アッテ之ヲ失フ。其レ大過ナキニ庻幾ラン乎、ト。事ハ六七録生徒記ニ詳ナリ。嗚呼先生此ノ處置シ難キノ地ニ在リテ風化スルコト此ノ如シ。先生ニ非ズシテ誰カ能クセンヤ。
【語釈】
・孚アッテ于ニ酒ヲ飲、无咎。其首ヘヲ濡セバ孚アッテ之ヲ失フ。…易経未済上九。「上九、有孚于飮酒。无咎。濡其首、有孚失是。」

是レヨリ先キ、南總ノ俗往々父兄ノ教誨ナク、其希ニ学ヲスル者モ亦詞章記聞ノ陋習ノミ。先生教誨懇喩尽サヾル所ナシ。故ニ門徒自ラ老釋覇功刑名ノ術、記誦操觚[そうこ]ノ習ヲ屑[いさぎよし]トセズシテ向道ノ志ヲ発シ、遂ニ道學ノ易ユ可カラザルヲ悟ルニ至ル。故ニ其訓戒ノ又農村ノ自治ニ至大ノ関係ヲ有セルヤ言ヲ俟タズ。所謂不滅ノ偉人ニシテ今ニ至ルマデ尊信置カズ、墓前ニ展拜スル者常ニ絶ユルコトナシ。
【語釈】
・操觚…文を作ること。詩文を作るのを職業とすること。

今回余不敏ヲ顧ミズ、農村ノ自治ニ関する訓戒ヲ取リ一書トシ、以テ之ヲ同志ニ示ス。其淵源ヲ精覈[せいかく]シ旨訣ヲ謹守シ、大學ノ學ヲ會シ中庸ノ心ヲ得ル者ハ、先生ノ格言明訓ニシテ漸ク其全書ニ及ハヾ、大成ノ功其レ窺ヒ知ルニ幾カラン乎。
明治四十三年五月  後學 田原鋼三郎謹識


稲葉黙齋先生農村自治ニ関スルノ訓戒
   目 次
 一、農家今川状
 二、古靈陳先生教民章講義
 三、藍田呂氏郷約章講義
 四、社倉法序講義
 五、治教録上下分明條筆記
 六、治教録酒者古養老條筆記
 七、埋葬筆記
 八、葬之心得
 九、六禮大略講義
 十、道學二字説


稲葉黙斎先生農村自治に關する訓戒

一、農家今川状

今川状者一篇、盖今川氏家範也。時俗無士庻無都鄙、家藏而戸誦。如其水循方圓器、人資善悪友之言、最鱠炙人口矣。予聞有其書。然未嘗経耳目。頃隣家児甫六歳能誦之。及一聞之稱其竒、乃求之閲焉。其文或漢或倭、古而俗、困于顛倒錯乱不能成誦。又憾其規模淺近不足埀教士大夫間。然其意出於正而務実、不矜於武而重礼儀。可謂善訓耳。至其不聞垩賢之道、則亦復何論矣。顧其書可以施農家、而其事皆士大夫之事。無補農家乃又何益之有。仍效其体換其事、用其詞轉其意、輙繕写以與其本并貽隣家児子。謂之農家今川状亦可也。
【読み】
今川状なる者一篇、盖し今川氏の家範なり。時俗士庻と無く都鄙と無く、家々に藏して戸ごとに誦ず。其の水は方圓の器に循い、人は善悪の友に資[よ]るの言の如き、最も人口に鱠炙す。予其の書有るを聞く。然れども未だ嘗て耳目を経ず。頃[このごろ]隣家の児甫[はじ]めて六歳能く之を誦ず。一たび之を聞くに及びて其の竒なるを稱し、乃ち之を求めて閲す。其の文或は漢或は倭、古にして俗、顛倒錯乱して誦を成すこと能わざるに困しむ。又其の規模淺近にして教を士大夫の間に埀るるに足らざるを憾[うら]む。然れども其の意は正に出でて実を務め、武を矜[ほこ]らずして礼儀を重んず。善訓と謂う可きのみ。其の垩賢の道を聞かざるに至っては、則ち亦復何をか論ぜん。顧[おも]うに其の書以て農家に施す可くして、其の事は皆士大夫の事なり。農家に補うこと無くば乃ち又何の益か之れ有らん。仍[よ]りて其の体に效[なら]い其の事に換え、其の詞を用い其の意を轉じ、輙[すなわ]ち繕写し以て其の本と并せて隣家の児子に貽[おく]る。之を農家の今川状と謂うも亦可なり。

一、不執鍤钁而農家終不得繁昌事。(鍤[すき]钁[くわ]を執らずして農家終に繁昌を得ざる事。)
一、好雜談寄合、樂無益深夜而朝寢事。(雜談[ぞうだん]寄合を好み、無益に夜を深して朝寢を樂しむ事。)
一、以瑣細之理屈不為堪忍、令行我慢事。(瑣細の理屈を以て堪忍を為さず、我慢を行わしむる事。)
一、大法不曽通達、任己之物好贔屓、致沙汰事。(大法曽て通達せず、己が物好き贔屓に任せ、沙汰を致す事。)
一、軽水呑百姓貪小作人、不可極栄花事。茶湯風流、無用之遊藝。(水呑百姓を軽んじ小作人を貪り、栄花を極む可からざる事。茶湯風流は、無用の遊藝。
一、先祖之遠忌日精進專一、乱舞宴樂停止事。(先祖の遠忌日は精進專一に、乱舞宴樂停止の事。)
一、地頭・先祖・父母重恩毎日存出、不可忘却事。(地頭・先祖・父母の重恩は毎日存じ出し、忘却す可からざる事。)
一、厭公用專私用、不憚世間働事。(公用を厭い私用を專らにし、世間を憚らざる働きの事。)
一、不辨村内善悪、軽々敷不可批判事。(村内の善悪を辨えず、軽々しく批判す可からざる事。)
一、我能如知組下召使之働、地頭亦可為同前事。油断不可有者也。(我れ能く組下召使の働きを知るが如く、地頭も亦同前と為す可き事。油断有る可からざる者なり。
一、企金銀通用、以他人愁樂身事。(金銀の通用を企て、他人の愁[うれ]えを以て身を樂しむ事。)
一、取扱他人之不調法、依之募我意事。(他人の不調法を取り扱い、之に依りて我意を募る事。)
一、不知百姓分限效武家之風而過分、或對水呑百姓却萬事不足事。(百姓の分限を知らず武家の風を效って分に過ぎ、或は水呑百姓に對しては却って萬事不足の事。)
一、嫌目上之人愛手下之諂軰、非分取扱事。(目上の人を嫌い手下の諂う輩を愛し、非分の取り扱いの事。)
一、非道人之冨不可羨。正路人之哀徽不可軽事。(非道人の冨は羨む可からず。正路人の哀徽は軽んず可からざる事。)
一、長酒宴・遊興・諸勝負・物見・狂言・浄瑠理・小歌・三味線、忘家職壊家法事。(酒宴・遊興・諸勝負・物見・狂言・浄瑠璃・小歌・三味線に長じ、家職を忘れ家法を壊[やぶ]る事。)
一、迷己利根、傲学問藝術、就萬端嘲他人事。(己の利根[りこう]に迷い、学問藝術に傲[ほこ]り、萬端に就き他人を嘲る事。)
一、人来時構虚病不對面、或久敷為待置、并来使之返書遲滯、不思使退屈事。(人来る時虚病を構え對面せず、或は久しく待たせ置き、并びに来使の返書遲滯し、使の退屈を思わざる事。)
一、好獨樂不施人、米穀倉積共不貸親類郷黨之求、無仁心事。(獨樂を好み人に施さず、米穀倉に積めども親類郷黨の求めに貸さず、仁心無き事。)
一、家具衣装己過分、村内逾、反而田器並火災非常之用意無之、召使心宛等見苦敷事。(家具衣装己に過分、村内に逾え、反って田器並びに火災非常の用意之れ無く、召使も心宛等見苦しき事。)
一、旦那寺尤致尊崇、先祖年忌法事並喪礼之時節、厚布施之事。以冨家不可效水呑百姓之布施。可尽分限事。但信地獄極樂之虚談、親戚子弟之中猥遂出家、捨親兄弟去夫婦、不可絶子孫之種者也。(旦那寺は尤も尊崇を致し、先祖年忌法事並びに喪礼の時節は、厚く布施する事。冨家を以て水呑百姓の布施に效う可からず。分限を尽くす可き事。但し地獄極樂の虚談を信じ、親戚子弟の中猥りに出家を遂げ、親兄弟を捨て夫婦を去り、子孫の種を絶つ可からざる者なり。)
一、貴賤不辨仁義之道理、任勝手耽安樂事。(貴賤仁義の道理を辨えず、勝手に任せ安樂に耽る事。)
一、於村内立會約、吉事凶事致親切、病死人自三日前埋地、萬一於地下蘇生、其苦痛令煩骨肉親人事。(村内に於て會約を立て、吉事凶事親切を致し、病死人は三日より前地に埋め、萬一地下に於て蘇生して、其の苦痛骨肉親人を煩わしむる事。)

右此條々常可被掛心。鍤钁執事、農家之道、不珎之間、專一可被執行儀第一也。先保家事、無学問而不可成和睦之旨、小学・家禮・四書其外従朱子學之師、農事之儀者、農業全書等顕然也。幼少之時相伴道正軰、悪友不可有隨順。水隨方圓之器、人依善悪友云事、實哉。是以治一村名主者愛学問人、貪金銀豪民者好浮世之邪人、末利之事者也。先欲知一村之風、見其村名主・組頭軰。仁心深知廉耻、義理為先、身之勝手為後、好勝己友、不好劣我朋、善人賢心也。但斯云迚、強勿撰捨村諸人。是只不可愛悪友謂事也。不限名主・組頭・大百姓身、一日送日傭之軰無禮敬衆人之心、而諸事難成就。第一生一村冨豪農家、農業不掛心者、村中之百姓被賺之由、名家冨翁多被誡置也。先可知我家盛衰者、村中諸人。如親戚群集懇意来、則可思家之栄。雖招諸人踈、無出入之軰、不懐我家時、己心行可知不正。吝嗇不惠人之由也。乍然門前成市二種可有之。冨豪不惠貧人、無理非道之出入、或求縁權門、不應分為媒之類、又者田畠地力之外、為利倍之手段、如此能々分別而紀家内之猥、任憲法沙汰、可致教訓一家。為家主者、大方君上之如國中萬民下知。妻子・親属・召使・男女老若迠、晝夜廻慈悲忠信之仁心、隨其人可撫憐之。為名主者、為家主者、無智惠才覚令油断、則村中諸人可請批判事可多之、家内召仕之者、可為同前也。唯人心之明德為備一身、行住坐臥如君上之臨視。碎心緒、不可昏明德之寶。主一家長一村者、仁義礼智闕一可危。以地頭之仰治諸百姓者、無人恨。構非義觸地頭之仰、則其私意大罪不可遁當役。第一忠・不忠能分別而可觸行事、專要也。無益之遊藝構私好、耕作之事不煅練而不能百姓一人之用軰、村中遊食無詮哉。公田私領自先規年貢無相違、上雖無御咎、百姓之身不暗農事者、其時々依名主心持可教訓也。既生可為農業家、徒田地従他人手狂不持鍤钁、不耻空手遊民之嘲儀、偏可口惜次第也。仍壁書如件。
【読み】
右此の條々常に心に掛けられる可し。鍤钁執る事は、農家の道、珎しからざるの間、專一に執り行わるる可き儀第一なり。先ず家を保つ事、学問無くして和睦を成す可からざるの旨、小学・家禮・四書其の外朱子學の師に従い、農事の儀は、農業全書等に顕然たり。幼少の時より道正しき輩に相伴い、悪しき友は隨順有る可からず。水は方圓の器に隨い、人は善悪の友に依ると云う事、實なるかな。是を以て一村を治むる名主は学問の人を愛し、金銀を貪る豪民は浮世の邪人、末利の事を好む者なり。先ず一村の風を知らんと欲せば、其の村の名主・組頭の輩を見よ。仁心深く廉耻を知り、義理を先と為し、身の勝手を後と為し、己に勝る友を好み、我に劣る朋を好まざるは、善人賢心なり。但し斯く云う迚[とて]、強いて村の諸人を撰び捨つる勿かれ。是は只悪友を愛す可からずと謂う事なり。名主・組頭・大百姓の身に限らず、一日を送る日傭の輩も衆人を禮敬するの心無くして、諸事成就し難し。第一一村の冨豪農家に生まれて、農業に心を掛けざる者は、村中の百姓に賺[すか]さるるの由、名家冨翁多く誡め置かるるなり。先ず我が家の盛衰を知る可き者は、村中の諸人なり。親戚の如く群集懇意に来らば、則ち家の栄えと思う可し。招くと雖も諸人踈んじ、出入の輩無く、我が家に懐かざる時は、己が心行正しからざるを知る可し。吝嗇人に惠まずの由なり。然し乍[なが]ら門前市を成すの二種之れ有る可し。冨豪貧人に惠まず、無理非道の出入、或は縁を權門に求め、分に應ぜず媒を為すの類、又は田畠地力の外、利倍を為すの手段[てくだ]、此の如きは能々分別して家内の猥りを紀[ただ]し、憲法沙汰に任じ、教訓を一家に致す可し。家主為る者は、大方君上の國中の萬民を下知せるが如し。妻子・親属・召使・男女老若迠、晝夜慈悲忠信の仁心を廻らし、其の人に隨って之を撫憐す可し。名主為る者、家主為る者、智惠才覚無く油断せしむれば、則ち村中の諸人批判を請う可き事之れ多かる可く、家内召仕の者も、同前と為す可し。唯人心の明德一身に備わる為に、行住坐臥君上の臨視するが如し。心緒を碎き、明德の寶を昏[くら]ます可からず。一家に主たり一村に長たる者は、仁義礼智一を闕けば危うかる可けん。地頭の仰せを以て諸百姓を治むる者は、人の恨み無し。非義を構え地頭の仰せを觸れば、則ち其の私意大罪にして當役に遁る可からず。第一に忠・不忠を能く分別して觸れ行う可き事、專要なり。無益の遊藝私好を構え、耕作の事不煅練にして百姓一人の用を能くせざる輩は、村中の遊食詮無きかな。公田私領先規より年貢相違無く、上御咎め無しと雖も、百姓の身農事を暗んぜざる者は、其の時々名主の心持に依って教訓す可し。既に農業を為す可き家に生まれて、徒[いたずら]に田地他人の手狂わせに従い鍤钁を持たず、空手遊民の嘲りに耻じざる儀、偏えに口惜しかる可き次第なり。仍って壁書すること件の如し。


二、古靈陳先生教民章講義 寛政已酉十二月十一日講。門人高宮文七所録。
【語釈】
・寛政已酉…寛政元年。1789年。
・高宮文七…東金市押堀の人。

古靈陳先生為仙居令、教其民。曰、為吾民者、
【読み】
古靈陳先生仙居の令と為り、其の民を教ゆ。曰く、吾が民と為る者は、

其民ト云字ノ意ヲ氣ヲ付テミルガヨイ。是迠デ教ヲ段々語リタガ政ノコトデナイ。爰ノ教ハ政ニカヽル処。小学ノ教ハ上カラノ息デナケレバナラヌ。浪人儒者ノナラヌコト。孟子ニ三樂トテ、得天下英才而教育之ト云ハ甚タ大キイコトナレトモ、アレハ浪人モナルコト。孔子ノ顔子ヲ得、明道ヤ伊川ノ楊亀山・謝上蔡ヲ得、朱子ノ黄勉斎・蔡九峯ヲ得、山﨑先生ノ直方先生ヤ淺見先生ヲ得ラレタガコレナリ。コレハ相応々々ニ某ナドモナル。学友ノ内デ合点シタモノガアルト、其レト話ヲスルガ教育ナリ。村ノ風俗ヲヨクシヨウナドヽ云フコトハ中々近邉ヘダサレヌ。小学ノ教ハ浪人儒者ハ講釈スル迠。コレヲ風俗ニ及ホシナドヽ云コトハ、田舎デハセメテ名主ナドカラナリト先生常々云ヘリ。
【語釈】
・孟子ニ三樂…孟子尽心章句上20にある。

古靈ノ奉行ニナラレタ、其陳先生ノ其百姓ナリ。是カラガ始テ古ノ小学校ノ振舞。此段ニナリテハ陳先生ニ孔子モ孟子モ及バヌ。孔子モ孟子モ浪人ユヘ、魯ノ國モ鄒ノ國モ一ツ葉モヨクハサレヌ。其民ト云フ字モ吾民ト云字モ、我ガ了簡一杯ヲスルトコロカラ書タ字ナリ。人ノ頭ヲハリテハスマヌガ、吾ガ子ノ頭ハハリテモヨイニハアンバイノ面白キコトナリ。吾民ト云ガ、オラガ民ト云コト。ソコデエ教ガ施サルル。英才ニ義理ヲシラセルコトハ浪人デモナルガ、小学ハナラヌ。学者ハ桀紂ノ世ニ生レテモ、吾ガ心ヲヨクシヨウト云カラナル。ソコデ大学ノ教ハ一二人ノ出合テモナルガ、小学ヲ一村ヘト云コトハ奉行デナケレバナラヌ。今ハ上ニ奉行ト云ガアルト年貢デモ取立ルコトト思フハ、皆古ノ小学ノ意ノヌケタナリ。小学ノ教ノヌケテオル時、眞先キニ教ヲシヨウト云カラ朱子ノコヽヘトラレタ。

父義、能正其家。母慈、能養其下。兄友、能愛其弟。弟恭、能恭其兄。子孝、能事父母。
【読み】
父は義に、能く其の家を正す。母は慈に、能く其の下を養う。兄は友に、能く其の弟を愛す。弟は恭に、能く其の兄を恭う。子は孝に、能く父母に事う。

父は亭主、母は女房ト、如此譯シテオクガヨイゾ。注ノシムケデミテシルベシ。子ヲ相手ニシテ云ヘバ父母ト云ヒ、家内ヲ主ニ云ヘバ亭主・女房ト云方ガヨイ。其家ノアル主ニナル父ハ、是ガ一家ノ標的[めあて]ユヘ、人君ノ替ヲ家テハスル。ソコデ易ニモ父ノコトヲ嚴君ト云、家君トモ書ク。亭主ガ急度セ子バタオレタ的居ヲミルヨウナモノ。標的ガナイ。父ハ道理ノトヲリシテ、義ト云字ハ利ヲスコシモマゼヌコト。吾ガ身帶ノタメニワルイト、コウセヌハヅト思フコトデモスルハ義ヲ横ニ子ルノナリ。兎角義ヲ立ニセヌト利ガソコヘ顔ヲ出ス。コウシテハ損ノユクコトナレトモ、コウセ子バナラヌト云ガ義、吾ガ勝手デ義ノ頭ヲハルコトハワルイ。旦那ノ家来ヲアマリ呵ルハ悪ルイ。惠ムガヨイガ、呵ルト身代ノタメニワルイトテ呵ラヌハワルイ。訶ルベキコトハ訶ルガ義ナリ。註ノ正ハ義トヘッタリト合フコト。母慈ハ、兎角可愛ガルデスム。内主ノ役ハ召使マデ是デスム。アノ家ハ旦那ハヨケレトモ内方ニコマルト云。女ハ事カアッテモ决断[さばく]コトモセヌ。トカク可愛カルト云ガ一チヨイコトナリ。兄ハタヾ弟ヲ可愛ガルコトゾ。能愛其弟ノ能ノ字、能事トツヾキ、日月ハ物ヲ照ラスガ能事、川ハ流レルガ能事、山ハ動カヌガ能事、兄ハ弟ヲ可愛ガルガ能事。弟ヲ可愛ラヌト云ハ兄ノ風ヲヒイタノナリ。藥種モカサフクトキカヌ。良知良能ノ能ト同ジコトデ、モチマイノ能ナリ。固有[もちまい]ノトヲリ天道自然ノナリニスル。淮南子ガ可謂能子矣ノ能ノ字ガコレ。子タルモノ、ソウスルハヅ。弟恭。奉公人ガ主ノ前ヤ家老ノ前テハスルコトナレトモ、兄弟ハ子共ノトキハ一ツフトンノ中デクルウテ居ルモノ。ソレヲ恭クスル。是カ弟ノ弟タル処。是ヲセ子バ、弟デモ弟デナイモノガソコニ居ルノナリ。弟ハ何モ外ニ役ハナイ。恭ヲスルガ猫ノ鼠ヲ取ル様ナモノ。マタ人為子者ハ事親バカリカ役。事親子バ席フサゲ。子ノナイモ同ジコトナリ。我ガ固有ノ通リ事子バナラヌコトナリ。
【語釈】
・可謂能子矣…小学稽古11。「淮南子曰、周公之事文王也、行無專制、事無由己、身若不勝衣、言若不出口。有奉持於文王、洞洞屬屬如將不勝、如恐失之。可謂能子矣。」「可謂能子矣」は、「子たることを能くすと謂う可し。」

夫婦有恩、貧窮相守為恩。若棄妻不養、夫喪改嫁、是無恩也。男女有別、男有婦、女有夫、分別不乱。子弟有学、能知礼義廉耻。郷閭有禮、歳時寒暄皆以恩意往来、燕飲敘老少坐立拜起。
【読み】
夫婦恩有り、貧窮相守るを恩と為す。妻を棄てて養わず、夫喪いて改め嫁するが若き、是れ恩無きなり。男女別有り、男に婦有り、女に夫有り、分別して乱れず。子弟学有り、能く礼義廉耻を知る。郷閭禮有り、歳時寒暄皆恩意を以て往来し、燕飲に老少坐立拜起を敘づ。

偖テ夫婦ノ間ニハ恩ト云モノガ眞柱ニナッテヲル。夫婦ト云モノハ他人ト他人ガ二人ヨリタモノテ、名モ今迠ハ知ラヌモノガ媒士[なこうど]ガアッテフイト女房ニナル。ソコデ恩バカリテ夫婦ニナッテオル。恩ガナイトタヾノ女ト男ガ並テヲルノデ、女房ト云モノモ中々調法ナモノデゴザルナドヽ云ヨウニ自家[てまい]ノ喚使[めしつかい]ノヨウニ思フノハ恩ヲ失タノナリ。夫婦ノ間ハ睦ト云ガヨイ。偕老同穴ト云フコトモアリ、サテ其有恩ノツカマヘドヲ見セ様トテ、貧窮相守云々ト書タガ、是ガ通用ノワルイ字デ、テヅヽナカキヨフナレトモ、教民ニハ親切。軽ヒ者ハ貧窮デ一入恩ヲウシナフ。女房モ此様ナ破レテ居ル貧窮ナ家デハアルマイト思タナドヽ云。ソンナラ米ヤ金ノ女房ニキタノナリ。夫モ女房ヲヨブ、モウ女房ノ里ヘ金ヲトラレルナドヽ云テ金銀ガ上ニナリ、冨貴ニツイテ恩ガナクナル。冨貴カラシテ大倫モカクモノナレトモ、有恩ト云ハ、令女ナドハ居止常依爽ト云テ、トコマテモアチヲムイテオルゾ。
【語釈】
・居止常依爽…小学善行29の語。

男女有別ト云ハ惣體ヘカケテ云フコト。男有婦、女有夫トフタハナニ書クガ、女房デナイ女ハ女ニセズ、夫デナイ男ハ男ニセヌコト。ソコデ別ガ立ツ。出其闉闍、有女如荼。雖則如荼、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娛。ニギヤカナ所デ女ガ多く通レトモ、ワキハミヌ。アチコチミル処ガ別ノナイナリ。女房モッタ夫モ亭主ノアル女モ、方々ヲミルウチハドンナコトガヲコロフモシレヌ。此分別ノ立ヌ内ハ教ヲシヨフトシテモ教ハナラヌ。ミナコレカラブチコハシテシマフ。今ハユルサレルカラヨイト思ハ、上モ下モ教ノナイユヘナリ。コヽノ取扱ガムヅカシイ。メシツカヒノ男女テモ見ヌフリ、ドフアラフトモ構ヌト云ヘハ知惠ノアルヨウニ思ヒ、コセ々々キビシクスルト知惠ガナイト思ガ、構ハヌト云コトハ三代ノ政ニハナイコト。モノヲミノカシニスルハ、ワルイコトニ盖ヲシテトヲス。左様ノ政ヲ小康ト云。本ノコトハ男女ノ間カラ正シクセ子バナラヌ。爰ヲ急度セ子バ民ヲ教テモ本道ニハナラヌナリ。
【語釈】
・出其闉闍、有女如荼。雖則如荼、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娛。…詩経国風鄭風出其東門の語。

民ヲ大勢モッテモカンジンノ教ガナイトホコロビガデキル。ソコデ子弟有学ト云。子共モ大勢アリテ目出度ト云ガ、ワルクスルト虚樽[からだる]バカリナラベテヲクヨウナモノ。醫者カ藥ノナイ藥箱ヲカヅカセテアルクハ何ノ役ニ立ヌ。子弟ニモ学ト云フ實ヲイレル。学トテ作詩文章ヲカクコトデハナイ。学問ノギリ々々ハ礼義廉耻ナリ。礼ハ身持ヲカタノ上カラヨクスルコト。マギラカシノナラヌコトデ、スッハリトカラタヲ道理ノトヲリニシテ、義ハ其中ノ内心ガ本道ノ道理ニナルコト。礼アリテモ義ガナイト猿ニ上下ヲ着セタヨウナモノ。礼ト云デ姿ヲ道理ニ合ハセル。是ヲハナスコトハナラヌ。義ハ心ノモチマイデ、心ガ道理ノトヲリニナル。礼ヲ廉ニアテ、義ヲ耻ニアテレハヨイヨウナレトモ、ソウテハナイ。礼義ノ上ニブンニ廉耻ヲダスガ、義ヲモウヒトツ云ホドナコト。義ハ、コウハセマイト云カラハツカシイモ其中ニアル。コヽテ文盲ナ者ガ氣ガ付ク。学問ト云ヘハ書物ノコトト思ヒ、今年アタリ此凶年ニ書物ハ買フテヤラレヌト云ガ、礼義廉耻ヲ学ヒミレハ豊凶ハ入ヌソ。尤致知格物ノ学問スルト云段ニナレバ、二十一史・十三経迠モ見ルコトアレトモ、軽ヒ者ノ学問ヲスルハソウシタコトテハナイ。礼義廉知(耻)ヲ知ラセルコト。史記左傳テハ廉耻ハ知レヌ。去レトモ妙藥ヲ飲セルヨウニ、此黒焼デナヲルト云フコトデハナイ。タヾ今日小学ヲ讀ト廉知(耻)ガデヽクル。有学ノ入口ハコレナリ。是程ニハ今モナルコト。陳先生ガナイカラウカ々々シテヲル。ウカ々々シテ教カナイト、ソレカラ帳外、親ハナキノ涙頬ト、学ノナイトキノ禍ハカズカギリモナイコトナリ。今日利口ノ役人ナドガ、百姓カ学問ヲシテ何ニスルナドヽ茶湯ノ様ニ学問ヲ心得ルハ笑止ナコトナリ。

郷閭云々。ヲヽキイ村モチイサイ村モト云テ、人ノスマッテ居ル所ヲノコサズ云。是斗ハ今日モノコリテアル。学者ガ今ハ礼ガナイ々々々々ト云ヒ、村々ノ奉仕ノヨウナコトハ本道ノコトデハナイト云カ、アレヲ本立[もとだて]ニシテ教ルコト。正月ハ年始ノ礼。寒暑ノ見舞。恩意ハ今日モ親類中デツケトヾケヲスルガ親切デナケレバナラヌ。心ハソデナシトモ、來レバ表向ノ礼ニハカノフガ、教ヲスル段ニナレバ恩意デ往来ヲスルデナケレバナラヌ。死人ガアルト云ト、典衣[しちをおい]テナリトモ賻金ヲヤロウト云ガ恩意ナリ。無理無體ニヤルハウマミガナイ。恩意カラ出ヌコトハ味ハナヒ。畵餅ト云字アリ。アノ男ガ中風シタト聞テハト欠出ス。恩意ガ村ノ出合ニデルナリ。雪駄カタ々々木履片々デ行ケバ、ナヲ親切ガミヘル。皆恩意ゾ。陳先生ガタヽモノデナイカシレル。一通ノ村ヲ教ルナトヽ云コトデハナイ。サテ郷黨序歯テ年老ヲ先ニ立ル。田舎ナドハズイブンナルベキコト。仕官ナドノ方デハ、殿中テコレハナラヌコトモアル。田舎ハナレトモ、此様ナ礼モナクナルガ人欲カラワルクナルト思ガヨイ。金銀ヲ主ニスルト老者モアトヘクダル。身上ノヨイワルイハアレトモ、百姓ハモト同格ナリ。去ル地頭ノ名主ヘ賜フ口上書ニ、百姓ドモ無事テヨロコブト云状ノ来タヲミタ。然レバ其百姓トモト云トモノ字ノ中ニハ土藏ノアルモノモアレバ草鞋ヲ賣モアルガ、上カラハ一ツ百姓トミル。老人ナレトモ軽イ者ユヘ、アレハアトニ立ツベキモノト云ハ殿中ニハアルベキコトノ、一在所ニハ甚タナイハヅナリ。トカク大身ナモノハ金ヲ鼻ニカケル。世ノ中ノ人ガ、其ハナニカケル金ヲケイハクヲシテ目ガケムサボル。此ノ二ツナリ。ソコデ高ブッテ、アレラハトアシロウ人モ、ヘツロウ人モ、皆金ト云欲カラデル。スワ金カ上坐ヲスル、ハヤ老少礼ハナクナル。金ヲモチテ冨豪ナト、人ノ内ヘ行テモズット床ノ間ノ前ヘスワリ、ヨッテモツカレヌヨウナ顔ヲシテヲルノハ、皆郷閭ニ教ノナイ処カラデタモノ。

貧窮患難親戚相救、謂借貸銭穀。昏姻死喪鄰保相助、
【読み】
貧窮患難親戚相救い、銭穀を借貸するを謂う。昏姻死喪鄰保相助け、

貧窮ハ何トナク、ワケノナイ貧乏。患難ハシサイノアルナリ。其時ニ親戚ノ分ガミテオラヌ。金錢ヲ此様ナトキモカサヌナレバ、親類タルトコロノセンハナイ。昏礼ハ一生ニ一度外ナイ重ヒコト。人ノ死ヌモ一世一代ニ一度外ナイ。ソノトキ鄰保カラタスケルナリ。昏禮ハ人ヲヨブデモノガイル。人ノ死ヌハ棺槨ノモノイリガカヽル。今ノ様ニ桶ヘ入レバナニモイラヌコトナレトモ、棺槨ニ物入アルコトナリ。今ハソレニハ物入ハナクテ、外ノコトニ費アル。アレモ佛法ガ手傳テカラモノイリカアル。アレニスルコトデハナイ。棺槨ノ用意。古棺槨無度ノ、棺七寸ノト云フコトノアルモ、昔天下一統ニ棺槨ニイレタコトナリ。火テ燒タリ、ソコラヘモッテイッテステルヨウナコトハナイ。金錢ノイルコトユヘ、賻金ト云モアリテモノイリヲタスケル。今日所謂香奠ナリ。鄰保ハ向三軒両鄰ト云ヨウナモノ。上總ナドデ入地ト云ガコレ。偖テ是ニハ様々説アリ。周ノ世デハ五人組合ヲ隣ト云ヒ、隨唐以後ハ四軒組合ヲ鄰ト云ヒ、三軒組合ヲ保ト云。某ハヒトツデアラウト思フ。四人ヲ一人ヌイテ三人カモシレヌ。

無墮農業、無作盗賊、無學賭博、無好爭訟、無以悪陵善、無以冨呑貧、
【読み】
農業を墮すこと無く、盗賊を作すこと無く、賭博を學ぶこと無く、爭訟を好むこと無く、悪を以て善を陵ぐこと無く、冨を以て貧を呑むこと無く、

墮ト云字、百姓ノ省ヘキコトナリ。カハリタモノデ、此方ノ仕方デヲツルヲチヌノ字ガツク。コレニハ次第階級アリテ、墮ストテアタマデ田地ヲ質ニ置クコトデハナイ。周ノ世デハ一夫受百歩之田。ソコニ上農夫・中農夫・下農夫ノアルハ、此方ノ精ヲ出スト出サヌノナリ。農業ヲウッカリトシテオルト、ズル々々ト墮ル。夫故何デモユルリトサセルト云ガ殊ノ外毒ナリ。ヒマチ々々々トタビ々々云ノハ、上カラ農業ヲ墮サセルナリ。昔田畯ノ勧農官ノト云ガアリテ、百姓ノ田ノ脇ニ江戸ノ自身番ノ様ナ小屋掛シテ居リ、棒テモ引テ歩行[あるい]テ、百姓ガノラヲコクトシカル。コレ墮サセヌコトナリ。無作盗賊。此講席モ皆百姓ナレトモ、百姓ノキイテハラヲタツコトデアラフ。アンマリナ云ヤフジャト思ヘトモ、ハテ盗人トテ分ニ盗人ノ系圖モナケレバ種モナイ。ソコテソコラニ物ヲ置テモ豊年ニハナクナラヌガ、飢饉年ニハ前ニホシテアルモノモナクナル。タレガ盗人ト云モノモナイガ、飲食ガ切ナモノユヘ、食ヒモノガナイト盗人ニナル。先生ノ游民ヲ禁ズルモソレナリ。食ヒツフシノヲヽイト云ガ、盗人ノ方ヘシヨリヲ付ルナリ。トカク食物ノナクナルト云カ盗賊ヘクル勢ナリ。陳先生ノ思召ヲシラヌト、ハット思フコト。孟子ニ無恒産者無恒心ト云ガ是也。田舎ノ靜ナ処ニソダツユヘ貞實ナ気モアル。盗人トキソウモナイモノナレトモ、食ヒモノガナイト盗ム。日デリガアロウト水損ガアラウト、古ハ三年程ノ米モタクワヘテ置ト民菜色ハナイト云ヘリ。菜色スル、ハヤ盗ミノ心カ出ル。ソコテ無墮農業ノ對句ニ無作盗賊ト出シタハサテ々々的切ナリ。
【語釈】
・無恒産者無恒心…孟子梁惠王章句上7、滕文公章句上3の語。

賭博ノ博ハ勝負ノコト。公義ニハ本因坊安井ゼンカク、將戯ハ宗桂ナドアリテ、此ハ大キナ声デスルコトナリ。タヾシ賭ト云ガ大キナ声デ云ハレヌコト。賭ハカケヲスルコト。其金ヲカケルト云ガワルイ。ソレユヘカケルト云ハ圍碁所デモ將戯所デモウザマノ盡ル程イヤガルコト。アレガ吾ガ職ニナルト云ヘハ、圍碁盤ヘシメモハルホドナコト。ソレヲ世上デカケ圍碁ウツハナントシタルコトヤト嘆クテアラフゾ。ソノ賭ト云モノデ、下々マテシタガルカケヲスレバ、ジキニバクチナリ。本ト勝ノ心ヲ挿テヲルユヘ勝ガ面白フテ、其上ニカケヲシテトルコトヲスル。サテ々々心ザマノ鄙陋ナルコトソ。盗賊ト遠近ヲ爭ハヌ、爰ヲ皆々能刻骨テツヽシメヤト、陳先生ノ日雇取ニ迠禁ゼラレタ。タヽイ勝負ガ皆人ノ心ヲアラケルモノ。大身ナ者ニハアルマイガ、賭ヲシテ子共ヘ是ヲサセルハ盗氣ヲシコム様ナモノ。イヤハヤ村ノ役人ナドイクラサマ々々ナコトヲ云テモ、タヽイ制スベキヲシラヌト、ソコデ一日グラシニ悪クハナルナリ。農業ニ不精ダト盗賊ニナリ、賭博カラモ盗賊ニナルナレバ、甚ヲソロシキコトナリ。然ルニコヽヲ、ヨイハサ、其位ノコトヲ、打捨テ置ケト云フト、大腹中ナ器量アルヨイ役人ト心得ル。コレカイツモ云、英雄ノヒキダヲシナリ。
【語釈】
・ウザマノ盡ル…愛想が尽きる。

好爭訟ハ、據處ナク起ル爭訟ハアルベシ。コノ好ムト云ガ全ヒ百姓ニハナイ。多クハコレニハ是非シリモチガアルソ。大抵律義ナ百姓ハ公義ヘデルト縛ラレルト聞キツタヘ、甚ヲソルヽモノナリ。トキニソコヘサマ々々ナモノガハヘリコムユヘ、フトイコトヲキヽフトイコトヲシリテ、其手ハ是デユク、夫ハコレデヨイト云。ソレカラ好爭訟ト云ガ出来ル。好ムマジキモノヲ好ム。公義ヘ出サヌウチ、其好ノ一字カコチテ刑罰道具ナリ。何カラ何マデ陳先生ノヨウニ云ハレタガ、タイテイナ人デハナイ。悪事ヲスル人ハ吾ガ悪ヒ方カラ元氣ガ付テ人ヲ押シ付ル。又吾ガ身代ヨイト貧乏ナモノヲノム。呑ハ呑盡ナドヽツヽキ、冨貴ナ方ノ威光カラ、人ヲナンデモナイ顔ヲスル。

行者讓路、少避長、賎避貴、軽避重、来避去。耕者讓畔、地有界畔、不相侵奪。班白者不負戴於道路、子弟負重執役、不令老者擔擎。則為禮義之俗矣。
【読み】
行く者は路を讓り、少は長を避け、賎は貴を避け、輕きは重きを避け、来るは去るを避く。耕す者は畔を讓り、地に界畔有り、相侵し奪わず。斑白の者は道路に負戴せずんば、子弟重きを負い役を執り、老者をして擔擎[たんけい]せしめず。則ち禮義の俗と爲らん、と。

アマリ干要ニナイコトノヨウナレトモ、陳先生ノ小学ニカノフタ教ヨウト云ガコヽナリ。遥カ後世ノ宋ノ世ニ生レテ復古ノ政ナリ。カノ稽古ニアル文王ノ通リニスル合点ナリ。來避去ハ迂斎ノ、何ノ手モナク書タ字トミルガヨイト云ハレタ。往来ト云字ユヘ、サルホウハドウト云フコトハナイ。上ノ少長貴賤軽重ノ字トハチガフ。別ニミルガヨイ。畔ガ大事。後世界論ノヲヽイモコヽカラ起ル。侵ハ、人シラズソットコチノモノニスル。武家デサヘコレカ戒ニナル。人々ノ鄰家ト中ノワルイモ、イケガキノ結ヒヨウガコチヘデタノドウノト云、侵ス筋ニナルカラナリ。サテ五十ニモ及ブ老人ガテルト、ソウシテオカレヨト云ガ子弟ノ役。此通リ守ルト先王ノ民ト云モノゾ。為礼義之俗ハ、久シブリデト云ヨウナモノ。漢唐ノ間モ治リタレトモ礼義ガナイ。礼義デナケレバタノミハナイ。外篇モ是迠ハ学者デ、学者同志ノオシヘ。コヽノ陳先生ノ條ノ教ハ政ノ事。民エシカケルナリ。ソコデツブニムカシノ小学ノ通リニ教タ教ガ國初ニモアルト引レタ。


三、藍田呂氏郷約章講義 寛政庚戌二月十六日講。門人高宮文七所録。
【語釈】
・寛政庚戌…寛政2年。1790年。
・高宮文七…東金市押堀の人。

藍田呂氏郷約曰、
【読み】
藍田の呂氏の郷約に曰く、

小学ノ始メデ云トヲリ、小学ノ教ハ上カラノ息ガカヽラ子バナラヌモノナリ。然レトモソノ所ニ心アル人ガアレバ、上カラノ息ノカヽルホドニユクコトナリ。サル證拠ハ、ソノ村ニ格段ナ人ガアレバ、ソノ村ノ風俗ガヨクナル。コレガ中々威勢ヤ知惠デハユカヌモノ。フックリトナッテ、方々デ心得ルデナケレバナラヌ。呂與叔ハ名アル程子ノ弟子ナリ。兄弟四人ナレトモ呂與叔ガ一チ学問ガヨイユヘ、ソコデ名ガ高イゾ。コノ呂氏ハ呂與叔ノ兄ナリ。郷約ハ村ノカ子テノ約諾ゾ。上總デ云フチギリコフト云フヤフナモノ。アノチギリコフガ至テヨイコトゾ。ヨイコトナレトモ、ナニモ知ラヌ無面目ナ人ノシタコト故役ニ立ヌ。役ニ立ヌト云フテサヘヨイゾ。マシテヨイ人ノシタチギリコフナレバヨカロウゾ。毎年ヲナジコトヲクリカヘシ云。コレガ公義カラノコトハミノカシモアルモノナレトモ、ソノ村デスルコトト云ヘバ、誠ニユキトヾクト云フニコノ上ハアルマイ。呂氏ノ郷約ハイコフ朱子モクワシクトラレテ、今文集七十九ニ委シクノッテアル。

凡同約者、德業相勸、
德謂見善必行、聞過必改、能治其身、能治其家、能事父兄、能教子弟、能御僮僕、能事長上、能睦親故、能擇交遊、能守廉介、能廣施惠、能受寄託、能救患難、能規過失、能爲人謀、能爲衆集事、能解闘爭、能决是非、能興利除害、能居官舉職。業謂居家則事父兄、教子弟、待妻妾、在外則事長上、接朋友、教後生、御僮僕。至于讀書、治田、營家、濟物、好禮・樂・射・御・書・數之類、皆可爲之。非此之類、皆爲無益。
【読み】
凡そ同約の者は、德業は相勸め、
德は、善を見ては必ず行い、過を聞きては必ず改め、能く其の身を治め、能く其の家を治め、能く父兄に事え、能く子弟を教え、能く僮僕を御し、能く長上に事え、能く親故を睦み、能く交遊を擇び、能く廉介を守り、能く施惠を廣め、能く寄託を受け、能く患難を救い、能く過失を規[ただ]し、能く人の爲に謀り、能く衆の爲に事を集[な]し、能く闘爭を解き、能く是非を决し、能く利を興し害を除き、能く官に居りて職を舉ぐるを謂う。業は、家に居りては則ち父兄に事え、子弟を教え、妻妾を待ち、外に在りては則ち長上に事え、朋友に接わり、後生を教え、僮僕を御するを謂う。書を讀み、田を治め、家を營み、物を濟い、禮・樂・射・御・書・數を好むの類に至るまで、皆之を爲す可し。此の類に非ざれば、皆益無しと爲す。

德業ト云フコト、今ノチギリコフニハトントナイコトゾ。德ハ、人間ノ人間タルトコロハコノ德ノアルナイデチコフコトナリ。德ハアタマカズデ云フデナク、人ノ人タルトコロナリ。米ガ百俵積デアッテモシイナデハヤクニタヽヌ。今日ノチギリコフハ、アタマカズバカリアッテ德業ガナイ。呂氏ノハチギリコフノ仲間ガヨリテ德ヤ業ヲスヽメヲフ。德ハ一分ノ身持ニツイタコト。業ハワザナリ。ヤクソクノトヲリ德業ガユクカユカヌカトスヽメヲフナリ。テン々々カセギト云フコトハヨフナイコトゾ。相ハイコフ目出度文字ナリ。相ハタガイニ知惠ヲカリヲフゾ。好問則裕、自用則小ト云語モアリ、手前獨ト云フハヨクナイコトナリ。膝トモ相談ト云フコトガアル。相談ト云フコト、サテ々々ヨイコトゾ。向ノ氣ノツカヌコトヲ進メヲフデナケレバ、チギリコフガアッタトテナンニモ役ニ立ヌナリ。コレガマヅチキリコフノカキダシデ、サテソノ德業ニハ甚タワケノアルコトゾ。ソノコトヲコハリニ云フナリ。コレハ註デハナク、本文ノコトヲコハリニ云タモノナリ。
【語釈】
・好問則裕、自用則小…書経商書仲虺之誥。「予聞、曰、能自得師者王。謂人莫己若者亡。好問則裕。自用則小。」

德謂見善必行ハ、ヨイコトト云フトヂキニソレヲ行フ。ワルイコトト云ヘバソレハワルイト云フ。ソレヲキクトヂキニ改メル。コレガ德デハナイガ、コレヲスルト德ニナル。心デワルイトシリテモ、兎角我ガワルイニセヌ。過ヲ聞クモ、チョットシタコトデハスナヲナモノゾ。墨ガ額ニ付タト云フト、ヲイト云フテフク。ヨイコトハトカクキカヌ。ヨノコトニワルイコトガアルト、キサマハソウ云フガ、コレニハ一存アルト云。ソレガ以ノ外ノコトゾ。呂氏ノ郷約ハ必改。コフ云フコトデハヨイチギリコフナリ。脩其身ハミモチヲヨクスルコトナリ。我ハヨク思フテモ、ワキカラミテハワルイモノゾ。ワルイト五人組ガヨリテ呵ル。德ハ脩身ヨリ外ハナイ。脩身テモ家カ治ラ子バナラヌ。家内ガヲヽケレバヲヽイホドワルイト云ハ、ミナ家ガ治ラヌノナリ。治ハ道具ノカタヅケルヤフナモノ。道具ホドヨイモノハナイガ、トリチラシテオクト、客ガ来テモ内ヘイルコトモナラヌ。親ハ親ノヤフニシ、女房ハ女房ノヤフニシ、弟ハ弟ノヤフニヲチツイテヲルガ治ナリ。子ヤ弟ニヨイ喜世流ヲカフテヤリタバサゾウレシカロウガ、子共ニ果子ヲコフテヤルヤフナモノ。ウマガッテクフガ、脾胃ハラリニナル。ヨイ喜世流ヲコフテヤレバ当世ハヤルナドヽ奢ル。物スキテ子ヤ弟ノ身持ガラリニナル。可愛子ニ旅ヲサセロト云ガキコヘタコトゾ。トカク子共ヤ弟ニ教子バ役ニ立ヌ。教ヌハ、馬ヲツカワズニヲクヤフナモノ。

僮僕ハ大勢ノ家来ドモナリ。家内ニ役ニ立ヌモノヲオケバワルイ。コレヲツカフニ云ニ云ヘヌツカイヤフガアル。御ハモト馬ヲツコフコト。馬ニムチヲアテヽモナラ子バ、ユルクシテモナラヌ。馬ニノリヤフガアル。家来モツカイヤフガアル。コレモ德デハナイヤフナレトモ、德ノ領分ゾ。ヲク病ナ大將ガカヽレ々々々ト云フヤフナモノ。ヨイ大將ハ勇気ト云フ德ガアルユヘ、士卒ヲヒキマワス。長上ハ、奉公スレバ家老ノ番頭ノト云フガ長上。田舎ノ村デハ名主・組頭ガ長上ナリ。親ハ親類ゾ。コレガホシイトテモデキヌモノ。ソノ親類ヲウルサガルハ気質ヤ人欲ナリ。故ハ、アノ家ヘハ親類同前ト云フ。故ハ、コノ方ノタメニナラウガナルマイカ、親類同前ト云フハ、ヤッハリ親類ト同ジコトニスルコトゾ。交遊ガ大事。今川状ニ人依善悪友ト云ヘリ。ナルホドソウゾ。善悪ノ友シタイデワルクモヨクモナル。アノ方ノ文字ニ鮑魚之肆ト云フコトアリ、クサッタ肴ノトコロニヲルト、コノ方マテワルイニオイガスル。道落モ親ヤ兄ノソハニオレバナイガ、友ニ交テカラ馬鹿ヲツクス。ソレ故ニコレヲヨク擇ブコトゾ。
【語釈】
・鮑魚之肆…孔子家語六本15。「與善人居、如入芝蘭之室、久而不聞其香、即與之化矣。與不善人居、如入鮑魚之肆、久而不聞其臭、亦與之化矣」。

守廉介ハ、人間ノ心ニハカドガナケレバワルイ。義ト云フモノヽアルデカドガアル。メッタニ人カラ金ハ請取ラヌ。コレガ人ノ本心アルモノナレトモ、ダン々々世ノ中ニ交ルトソレガナクナル。煙草庖丁ノ刄ノヘルヤフニ、タン々々ナクナル。役人モ初メテナッタトキハメッタニ賂ハ取ラヌガ、勤メ狎レルト取ルマイモノヲ取ルゾ。誠ニコヽラガ小学ノ人間ヲ垩賢ニトリタテルトコロナリ。垩賢ニナルモコレヨリ外ハナイ。施惠ハ人ノ難義ナトキ、コノ方カラモノヲヤルコトナリ。タトヒ難義デナクテモコレヲスルト云フガ人ノ德ゾ。陽虎ガ云フトヲリ、為仁不冨為冨不仁テ、人ニモノヲヤルト、ヤッタダケコチノモノガヘルユヘヤラレヌモノゾ。ソレユヘ、ヤロウ々々々ト心掛ルコトナリ。凡夫ハアチナトコロヘ理屈ヲツケテ、メッタニヤルト道理ニソムクト云フ。道理ニソムクホドヤラレルモノデハナイ。ソレユヘ寸法ナシニヤルト云フコトニシテ、マヅヤル合点テオルガヨイ。ヤルト云フ口ハヒロクシテオクコトゾ。コヽノ塲ヲ奥州ホドニヒロゲテオクガヨイ。ソコカ廣ルノ字ナリ。
【語釈】
・為仁不冨為冨不仁…孟子滕文公章句上3の語。

難義ナ衆ガアラバゴザレ々々々ト云フカヨイゾ。ワケナイモノヘハヤラヌト云フハ尤ナレトモ、ソフ云人ハワケノアルモノヘモツイヤラヌヤフニナル。ナンノカノト云フテモ、ナントシテ人ニモノヲヤラレルモノデハナイ。由章謂、心術ハタワケナモノナリ。コノ講釈ヲ聞ク中ニモ人ニモノヲ遣リタ人ガアルト、ヲレコソト云気ニナリ、顔ツキモカワルガ、我ガ身ニ親切ナ功夫ノ話ハ朱子傳来ノ理窟ト思フカシテシャア々々々トシテオル。冝哉道理不會其心哉。挙世スベテ我ガ自慢ニナルコトハ心ニ入リテ、我ヲヨクスルコトハ却テ油紙ニ水ナリ。可笑。今日ノ人ガアレホド佛道ニマヨフテオルユヘ錢ヲヤリソウナモノナレトモ、奉加帳ガマワルト今迠信仰シタ和尚モ信仰セヌヤフニナル。トカク施惠ハシニクイモノゾ。

寄託ハ、マヅハ上総ニハコレガ行ナハレル方ゾ。此者江戸デクワレヌト云フトカクマフテヲクナリ。コレモアトサキヲ考レハナラヌモノナリ。人ノコトヲシンセツニスルコトユヘ、マヅハヨイコトゾ。人ヲカクマフナドヽ云フガ大腂拔ニナッテカヽラ子バナラヌモノゾ。筭用ノコマカニ云ヘバ、犬ヲ蓄ヘバソレダケ米ガ入リ、雞ヲカフモ米ガイルト云筈ナリ。トコロヲ夫婦ヲカクマフテオク。サテコレモ筋ヲ吟味シヨフコトゾ。男逹ノスルヤフナハ却テワルイ。ワケナシニ、先祖ノコトモ親族ノコトモシラズ、人ガタノムトウントウケコム。コレハ却テ不徳ゾ。ウケコムトテモ不埒ナウケコミハセヌコトナリ。

規過失ハ人ノコトデハナサソウナコトナレトモ、マイニ聞過必改トアルユヘ重テ出ルハヅハナイ。コレ人ノ上ニカケテミルガヨイ。サテ過失ト云フモノガ我ガ方ガヨクナクテハ規サレヌモノゾ。規セバ人ガ悪ムユヘ、タヽスハワルイヤフナレトモ、コレガ大学ノ新民ノヤフナモノナリ。由章云、前ノ聞過ハ見善必行ニ對シテ、ヨイコトヲミル、ヂキニ行ヒ、サテ我カワルイコトハヂキニ改ルト、コノ方ヲヨクスルコトナリ。ソレユヘ能治其身ト間ニ能ノ字アッテ治其身ニカヽリ、後ノハ前ノ身ヲヨクスルカラタン々々能々ト重々キテ人ノ上マデヲスルコトユヘ、人ガ難義カアルト云フトヂキニソレヲスクイ、サテ人ノワルイコトヲヨクシテヤル。明德ヲシタガスクニ新民ニナルヤフナモノ。然レバコノ規過失ハ人ノ上ニカケテミルコト。前カラタン々々推セバ、文義甚ダ明ナリトミヘタリ。

能為人謀ハ、萬端コマカニ人ノコトヲ問ヒ、相談ヲスルナリ。コレモワルクスルト逃ケタガルモノゾ。為人謀而不忠乎ト云フテ、曽子モ毎日コヽヲシゴトニシラレタホドノコトゾ。ニゲルト云フハ本ト不親切カラヲコリタモノナリ。能為衆集事ハ為人謀トニタヤフナコトゾ。人ノ為メニ謀ル。ソノ相談ヲ成就シテヤルコトナリ。田地ノコトデモ家内ノコトデモ、アノ人ノヲカゲデコフナッタト云フガ集事ナリ。コノ集事ノ字ハ書経ノ字トミルガヨイ。書経ニ大勲未集ト云フ字アリ。解闘爭ハ、村内ニ兎角ムヅカシガデキルモノゾ。コレモトキヤフガヨイトハヤクヤムナリ。糸ノモツレヲハヤクトクヤフナモノ。セハシイ女ガトクトナヲモツレテキテ、アヤミチモシレヌヤフニナッテヲヽゴトニナル。ソコヲ静ナ女ガ、ドレコヽヘゴザイト云フテシヅカニホゴストヂキニホドケル。ソノヤフナモノナリ。ムツカシイモソコヘデヽカタヲチナコトヲ云フ。ナヲムヅカシクナル。コノヤフナコトモ地頭ヤ公儀ノ世話ニハナラヌヤフニスルガヨイ。闘爭ハ命カラ一番ノ前ノモノゾ。コレガヒトコフジコフジルト命モステルモノユヘ、ソコヘ行テ世話ヲスルモノハスヂヲワケルヨリ外ハナイ。ソウスレバ笑フテシマフコトモアル。
【語釈】
・為人謀而不忠乎…論語学而4。「曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。」
・大勲未集…書経泰誓上の語。

是非ハ、学問ハサテヲキ、コレガシレヌモノゾ。目利ヲスルヤフナモノ。羅紗モコレハ今渡リユヘコノクライノ子タンデヨイ、コレハ古渡ユヘコノクライナ子タンデコフテヨイト云フ。學問ヲセヌモノハ目利ヲシラズモノヲコフヤフナモノ。天カラ拜領デ知惠ヲウミツケラレテヲルユヘ相応ニナルヤフナレトモ、藥ヲセンジズニカジルヤフナモノ。柎子ヤ肉桂モ剤法アリテ、センジテノムデキク。タヾアレヲ藥ジャトテモテキテカヂリテハ、ナンノヤクニタヽヌコトゾ。是非モ稽古ナフテハ中々决ラレルモノデハナイ。興利ハ村ノ第一タメニナルコトゾ。コレガ帳面デハクラレヌコトデ、利ト云フコトガアルモノナリ。除害ハ、ワルイコトヤメルナリ。居官ハヤガテノヤフナレトモ、コレガ徳ノハヾヲミセタモノ。一村ノ役ヲスルモ官ナリ。今徳ト云フハ毒ニモ藥ニモナラヌ人ノコトヲ云フガ、コヽデ云フ德ハ細字ニアル通リノコトノデキル人ヲ德ト云フ。律義マッホウナヤクタヽズノコトハ云ハヌ。待妻妾ハ、妻モアレバ妾モアル。コレハアリウチナコトナレトモ、コレガ乱ノハジメナリ。待チヤフガワルイトサガシクナル。作法カラキメルガヨイ。

業ハ德トハチカイ、事ニアラハレタコトユヘ、足軽ガ使ニユカフト云フト錆シツノ合羽ヲダシ、中間ガ使ニユコフト云ト赤合羽ヲダシ、ミナソレ々々ニシヨフガアル。ワサト云ニナリテハコノヤフニソレ々々ニワケルナリ。教後生ハ、人ヲ教ルト云フガ甚ダ上ヘノ奉公ナリ。ワカイモノヲ教ルハヨイ人ヲコシラヘルコトゾ。何ニヨリ調法ナコトナリ。ヨイ人ガナイユヘ上ヲダマソウトスル。ソレユヘ検見ガクル。田ヲ植ルノ畑ヲドフスルノト云フコトモ教カラデナクテハナラヌ。後生ヲ教ル。コノヤフナコトヲシリタチギリコフハケッシテナイ。今ハワルイ人バカリユヘ迂偽ヲツクコトガ上手テアサムクカラ、上カラモアイツラニ油断ハナラヌト云フ。後生ヲ教ヘ、ヨイ人ハカリナレバ、上下カゲヒナタナシ。御僮僕ハ上ニモアルガ重言トミヌガヨイ。上ハ德ノコトデ、コレガナルト云意ナリ。コヽハ業デコレヲスル意ナリ。ジカニ今スル事ノ上デ云。済物ハ物ヲ大事ト愛スルコト。ナンデモモノヽソダツヤフニスル。手ノ付ケヤフガワルイト、モノガラリニナル。迂斎モ、萬端ガ仁愛カラテナケレバスクフジャト云。モノヽムダニナラヌガ仁カラデルナリ。営家ハソフタイノ家事ナリ。土藏ノ土臺屋根ノ脩復マデモコノ内ナリ。営ヌナレバ萬事ステヽヲキテナリ次第ト云ニナル。ソコデツブレルナリ。
【語釈】
・カラテナケレバ…黙斎小学講義では「カラテレバ」。

過失相規、
犯義之過、一曰、酗博闘訟。二曰、行止踰違。三曰、行不恭遜。四曰、言不忠信。五曰、造言誣毀。六曰、營私太甚。不脩之過、一曰、交非其人。二曰、游戯怠惰。三曰、動作無儀。四曰、臨事不恪。五曰、用度不節。
【読み】
過失は相規し、
義を犯すの過は、一に曰く、酗[く]博闘訟。二に曰く、行止踰違。三に曰く、行、恭遜ならず。四に曰く、言、忠信ならず。五に曰く、言を造り誣い毀る。六に曰く、私を營むこと太甚だし。脩めざるの過は、一に曰く、交わり其の人に非ず。二に曰く、游戯怠惰。三に曰く、動作儀無し。四に曰く、事に臨みて恪[つつし]まず。五に曰く、用度節ならず。

前ニ徳ノ中ニアルカ、コヽヘブンニダスガキコヘタコトゾ。前ノハワルイコトヲミダシテ、ドウジャ々々々々トスヽメテ規スカ吾持前ノ仁愛ノ徳ニナル。ソコデヤッハリヲヽサワヤカナコトナリ。コヽハナントソレデハスマヌト、表向ノチギリコフカラ互ニソノ分ニセヌナリ。ワルイコトノ目ニカカルヲミヌフリデヲラヌコトナリ。トカク過失ヲ見ヌフリニスルトソノ人モヨロコビ、我モ大腹中ニミヘルモノユヘ、大槩ヨイハ、ソレクライナコトヲト云ガ、ソレハ英雄ヲタヾノ人ノマ子ルノナリ。本多作左衛門ノ、大久保彦左衛門ノト云フ人ハ後ノ世マデヲヽキイ胷中ノ人ト云フ。ソレカラシテ今日ハ一村ニヨクナイコトアリテモ、ナニソノクライナコト大事ナイト許スコト、ソレガハヤルユヘ武士モ町人百姓モヲヽキクトマリ、トカクエブクロヲヽキイヲタットムガ、ソレガワルイ。火ノ元テミヨ。フス々々モヘルヲ、ソレ煙ガテルト云フガヨイ。煙ノ出ルヲ知ラセルヲワルイト云人ハナイ。タヽ外ノ過失ヲバトカクニ云ハズニ置クコトヲ今ハヨイト云フ。子共ナドノワルイヲカクシテヤル。コレハワルイノ進物ゾ。過失ヲ知リツヽダマッテイテ、ワルクナルト、ヲレガトヲカラミテヲイタト云フハサテ々々不親切ソ。トハ云ヘ、道通リノヤフナ遠々シヒ人ヲツカマヘテ云フハワルケレトモ、同村ナラバ云フテヤルガヨイ筈。
【語釈】
・本多作左衛門…本多重次。徳川家康の臣。通称、作左衛門。勇猛で直情径行。鬼作左の称がある。1529~1596
・エブクロ…餌袋。鳥または人の胃袋。

犯義ハ、道理ニソムイテ御法度ノ筋ニナルユヘ重ヒ。酗ヲ、今インギンニアノ人ハ酒ノ上ガワルイト云フ。コレガ一チワルイゾ。周公旦ガ、無性ニノムヤツガアラバヒイテコイ、首ヲキルト云ワレタ。萬端ヲソンザスモノハ酒ナリ。ヲトナシイ人ガ飲テサヘワルイゾ。マシテワルイ人ガ飲トドノヤフナコトヲスルモシレヌ。酒ヲ飲テワルクナルノキヽヤフガ、朝鮮人参ヨリキクモノナリ。喧嘩ヲシソウナモノガ一杯飲ムト、モハヤデカケニ人ヲウツ。訟ハ公訴ニ及ブコトナリ。コレモ事ニヨレバ公訴ハセ子バナラヌコトモアルガ、十アレバ八九マテハ訴マジキコトニ出ルガアルモノナリ。タトヘハナニモノトモ知レズ討チ果タト云フヤフナコトハ内分デハスマヌ。訟ヘル筈ソ。モシアレハ、ソレハ早ク埒ガアク。方々デ此度ノ義ハトテ子ズニ居テ相談ヲシテヲルガ、ドレモミナヨクナイコトゾ。多クハ訟マイコトヲ上ノ御世話ニカケルソ。ソコヲチギリコウデ相規スナリ。

二曰行止踰違ハ義ニタカフタコト。踰違ノ字ハ官府文字ナリ。ミモチカ踰違ニナル。好色ナトニツイタコトヲコメテカイタコトトミルガヨイ。踰濫ト云フ字アリ。朱子劾唐仲文ノ中ニ踰濫ノ字アッテ、ワケモナク人ノ内ニハヘリテヲル類ナコトヲ云フ。密夫ナドガコレゾ。時デモナイニ、ウシロノ木戸ノ方カラ手拭ヲカムリテ出ル。踰濫ナリ。礼ヲ踰ヘ義ニ違フト云フコトナレトモ、耳遠テソレデハ下々ノ戒ニタラヌ。女房ヨリ外ノモノト咄ヲシテヲル。ハヤ踰違ナリ。コレホト委曲ノ郷約ニ男女色欲ノコトナイハ、コヽノ処ニコメテ云コトナリ。四曰言不忠信。モノヲツクロヒクハヲ云フコトガ、ヤハリ下男ガ使ニ行テ咄スモ忠信ナハ無器用ニ見ヘ、不忠信ナモノハ利口ニミヘルガ、奉公人モハタラキハナクトモ忠ナ方ヘ給金ヲヤルヤフニスルガヨイ。ソレガワカラヌモノユヘタヾスナリ。口ヲキケバ役人ニモナルガ、ソノ口ヲキクヲ、ヲノシハナニヲ云フゾ、根カラソレハナイコトジャト云フガヨイ。五曰造言ガ、ソレデナイコトヲ云フテ云ヒアテタト思フ。小盗ノ大盗ニナルカコレナリ。シアテタト思フトソレカラワルクナッテヲヾゴトニナル。六曰云々。必シモ人ノモノヲトルデハナイ。手前ノ勝手ヲスルガ上手ナリ。目コスルマモ私ヲスル。チイサク云フホドコレガハナハタシクナル。人ノモノヲ丸デトルト云フハ却テ甚シクハナイ。人ニ知レヌヤフニシテトル。コレガ大私ナリ。

一曰云々。交テワルイ人ノコト。異ナツキアイヲスルト云。二曰云々。アソンデブラツクコトナリ。コレガ惣体ニアヅカル。人ヲワルクスルコトゾ。何ニモセズ、ブラリト懐手デヲルガ、ヨロヅノワルイコトノ本ニナル。ワルイコトハセヌガ、トカクコタツカスキト云ノナリ。シリ手ハ格別。太閤ガアレホドナ人ユヘ、一番ノ法度ニアサ子ヲスルナト云ハレタ。四曰云々。道普請ト人ノ死タヲカツギタスモヲナシコトデハタマシイハナイ。今引導ヲワタスト云フニ笑テヲル。恪ヌノ甚シキナリ。五曰云々。ヒト口ニ云ヘバ銭ヲツコフコト。オレガ身分デハコレホドハツカハレヌト云フナリ。ヨイ煙草入モカイタカロフガ、其日グラシヤ日傭取ノ身分デハソウ々々ハカワレヌコトゾ。

禮俗相交、
謂婚姻・喪葬・祭祀之禮・往還・書問・慶弔之節。
【読み】
禮俗もて相交わり、
婚姻・喪葬・祭祀の禮・往還・書問・慶弔の節を謂う。

世間並ノ交ハ目白ノヲシヲフヤフナモノ。人間ハアレトハチコフハヅナリ。ソレ々々ニ礼ガ立子バナラヌ。サテソノ礼ノウチ、昏礼ヲ一チヲモヒニタテルガ垩人ナリ。喪葬・祭祀ミナ重ヒコトデ、娘ヲカタヅケルホトナモノイリ。サテ人ガ娘ヲカタツケルニハツヾラバカリデハヤラレマイナドヽ云フテサワクガ、親ノ死ダトキハ土ヲ掘テタヾウメル。ナスビノヘタヲステルモヲナジコトニスル。サテ々々薄情ナコトゾ。祭祀モ先祖ガ夫婦アッテ我ガ體モデキタモノユヘ、我モ先祖ヲ祭ルニ夫婦トモニスル。抹香クサクナイコトゾ。先祖ガ肴ヲ食フタモノユヘ肴モ具ヘル。祭ハコノ體ヲクダサリタ、カタシケナイトスルコトナリ。サテ元服婚礼ハ目出度ト酒ヲ飲ムガ、死ダトキ酒ヲ飲ムハ礼俗デナイ。亭主ガナゲクト客モトモ々々ニ泣テカヘルハヅナリ。酒ハ謡ヲ催スモノ。ソコカ酒ナリ。長生ノ家ニコソト酒カラ謡ニナル筈。酒ハ弔ニハアワヌコトゾ。今モ悔ニハ行クガ、アトノ一杯ガ礼俗デナイ。

患難相卹、
一曰、水火。二曰、盗賊。三曰、疾病。四曰、死喪。五曰、孤弱。六曰、誣枉。七曰、貧乏。
【読み】
患難には相卹[あわ]れみ、
一に曰く、水火。二に曰く、盗賊。三に曰く、疾病。四に曰く、死喪。五に曰く、孤弱。六に曰く、誣枉。七に曰く、貧乏。

江戸ナドデ火事ニ遇テ、軽イ者ノ口上ニ箸ガ片々ナイト云フコトガアル。ソレホドナコトヲミス々々打捨テヲクト云フコトハナイハヅ。四曰云々。親ノ死ダトキ、亭主ハモノモクワズニヲルト、客ガアマリナコト、コレ、粥ヲクワヌカトモッテユクソ。死ダトキ、喪者ノ方カラ客ニ食ハセルト云フハナキ筈ゾ。古ハ喪ニ別ノ物入ハナシ。今ハ甚タイル。死者ヲハソノマヽニ葬テ何ニ物入アルト云ヘバ、大勢ノ客来リテ飲食大會ナリ。古ノ物入ト云ハ、五寸ホドナ板ヲサシテソレヘイレル。コノモノイリハアルガ、客ニ食ハセルモノイリハナイコト。古ハ賻金ト云フコトアリテ、棺椁ノモノイリヲメグム。コレヲ礼俗ト云ナリ。六曰云々。村ニ居テトガモナイガ、トカク方々カラ無理ヲ云ヒカケラレヲシツケラレテ、カマイテガナイ。ヨコサマナコトヲサレテ、ソノ上ニ、アレトハ火ノトリカハセモスルナト云フ。コレ呂氏ガソノブンニステヽヲカレヌ。七曰云々。顔子ヲハジメ古カラコレガヲヽクアルモノゾ。生レ付テノ貧乏ガアル。コレト云フシサイナク、貧乏ナコトナリ。

有善則書于籍、有過若違約者亦書之、三犯而行罰。不悛者絶之。
【読み】
善有れば則ち籍に書し、過有り若しくは約に違う者も亦之を書し、三たび犯して罰を行う。悛[あらた]めざる者は之を絶つ。

ダン々々書テアル通リノコトヲ守レバ帳ニ付ル。ヨイモワルイモステヽヲイテハノリガツカヌ。圍棋將戯モ勝チ負ケガナクハウチテハアルマイ。コレデハ俗ナヨフナコトナレトモ、郷約ハ俗人ヲサトスコトユヘ、ヨイコトガアレバ帳ニツケ、ワルイモ帳ニツケル。法ニソムクコトガアルトツミスルナリ。罸ハ科料ヲ出サセルコトデアロフト迂斎ナドモ云ヘリ。一郷デハ盗賊ヲ縛ルサヘ本道ニハシバラレヌモノ。ソレユヘコレハ罰金デモタサセルコトデアラウ。ソノ上ニ、改ヌモノガアレバ公儀ヘ申アゲテ帳外ニスルナリ。今日某コヽヲ講スルコト、江戸ナレバコレホド丁寧ニハ讀マヌガ、田舎デコレヲ讀ト云フナレバ、コレホドヨイコトハナイナリ。講釈ニスラリト一ト通リニシテサヘ的中ナコト。コノトヲリヲ村ヘ行ヘバ垩賢ノ世ノ中ナリ。今日某讀ム通リノコトハミナナルコトナリ。カタイヂデコノヤフナコトヲ云フテモキカヌト云フニ、隨分キクモノ。コレニ吟味ノアルコトデ、大勢カソリダストキカヌ。ソノ段ニナルト番所ヘダシテキテモキカヌ。順境ナトキニハキク。其村テ器量アル人ヤ冨豪ナ人ノ云フコトハ百姓ハキクモノゾ。逆境ナトキハタメニナルコトモキカヌ。順境ハ腹中ノヨイトキ甘ヒモノヲクワセルヤフナモノ。コレモシテサヘアレバナルコトナレトモ、シテガナイ。村ノ長ニナルモノナドハコレヲ意得テヲコフコトゾ。


四、朱子社倉法序講義 寛政丁巳五月十九日講。門人篠原惟秀所録。
【語釈】
・寛政丁巳…寛政9年。1797年。
・篠原惟秀…本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。

蒼顔已是十年前 把鏡回看一悵然
履薄臨深諒無幾 且將餘日付殘編
 自賛起ス。
【読み】
蒼顔已に是れ十年前 鏡を把りて回看するに一たび悵然
薄を履み深に臨むこと諒[まこと]に幾[いくばく]も無し 且[また]餘日を將[もっ]て殘編に付さん
 自ら賛して起こす。

先ツコノ社倉ハ云ニモ及ヌ経済ノ書ジャ。経済ト云中、一チ出来ル経済ヂャ。今ノ学者出来ニクイコトヲシタガリテサワグガ、ドコノ國デモ出来ルハ社倉ジャ。礼ノ筆記ニ、如攻堅木、後其節目。ケヅリヨイ處カラスルデアトガバラ々々トユク。経済モソレナリ。學者任ズルコトガ、多クハ石ノ吸物。又仕方モギクシャクツカヘマワル。先年オレガ江戸カラ来タ時、着ヒタ晩ニ、今ノ榮藏ノ親喜内ガ、ハヤ社倉ヲ世話シテクレヨト云タ。コレラモ諸先生ニ就テ社倉ノナルコトヲ知タユヘノコトナリ。富豪ナモノガ云合セテスレバ一チ出来ルガ社倉ジャ。此起リヲ人ガ知ラヌガ、朱子ガ御手前デサレタコト。公儀ニツイテシタコトデハナイ。朱子三十七八ノ時任ヘズニヲラレタガ、近郷飢饉ニツイテ始テラレタナリ。其後ハルカスギテ、私ガ前ニ致シタ。箇様々々ト云テ公儀ヘ申上ゲタコトガアル。前ハ内證デシタコト。ソレデ行ハルヽガ知レル。明道ノ一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟ハカルイモノデモト云コトナレトモ、ソレモ御役ノ上デ云コトジャガ、朱子ノ社倉ノ起リハ其一命之士ト云迠モナイガ、不有其位則不謀其政ハ、任デナイコトニ手ヲ出サヌコト。コレハソレトハ筋ノチガッタコト。徂徠無盡ガヨイ、貧富通財ト云タ。今日御法度ナコトデヨイト云ガ、ソレモ仕様ノアルコト。仕様ニヨッテヨイ。東國テ云取リノキ、上方デ天狗頼母子ト云ノハ博奕ニモ近ヒコト。ソレデ法度ジャ。コレハ朱子ノ同安ノ任ヲシマッテシバラクツカヘズニ居タ時ノコト。入ラザルコトノ様ナガ、大賢ノカギリナイ親切カラゾ。
【語釈】
・如攻堅木、後其節目…礼記学記。「善學者、師逸而功倍、又從而庸之。不善學者、師勤而功半、又從而怨之。善問者如攻堅木、先其易者、後其節目。及其久也、相説以解。不善問者反此。」
・喜内…鵜澤由斎。名は就正。喜内と称す。鵜澤容齋の長子。清名幸谷の人。
・一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟…小学嘉言31の語。
・不有其位則不謀其政…論語泰伯14。「子曰、不在其位、不謀其政。」

周礼三物ノ六行ニ恤アルモ役人ノコトデモナシ。六行ノ恤ハモノヲメグムコト。某ナドデモ此村ニ飢死ノ出来ルトキハ成リ丈ケ恤ミタイコトジャ。何ニヲレガ隱者デカマハヌコトトハ云レヌ。此社倉ノ思立ガ、御役デ公義ニツイタコトデセズニ、朱子ノ内證デシタト云コトガキッカケノ第一ジャ。子游ハ武城ノ宰ト成テ才ガ高イカラ、アタマカラ礼樂ト來タ。孟子ハ命世ノ才デ五畝之宅樹之以桑。兎角喰物ジャト云。礼樂ノ沙汰ハナイ。皆モヌケタコトゾ。冉有ハ比及三年、可使足民。三年ノ内、凶年ガ有ラフトモ、百姓ヲ身上ヲヨクスルト云タ。孔門事々皆実。オレガスルト、其處ノ身帶ヲ皆ヨクスルト云タ。キツヒコトゾ。今ノ学者ハ只キイタギリ。胸ヘノセヌカラナラヌコトモナルト思テオルガ、ソコヲキット仕覚ヘタカラ政事ニハ冉有・季路ナリ。今社倉ハ可使足マデニハユカヌ。ソレヨリ前方ナコトナレドモ、何ゾノ時殺サヌト云コト。ソレニナッテハ可使足ニアマリマケヌコトジャ。餓死サセテハ以ノ外ジャ。可使足ノ手段ヲ知ラヌウチ禮樂メクハ紛ラカシジャ。顧幸治郎曰、貴様ノ話ニ小市ガ可使足ハナルト云タ、ト。今アレガ生キテオレバ早速聞キニヤル。何ト云カ知ラヌガ、アレガ可使足ノナルト云ハ礼樂ノ重イコトヲ云タメデ有フナレドモ、経済ヲ云フ時ニハ不調法ナ口上ジャ。中々ナラヌコトヲ軽々ト云フ筈ハナイ。大学之序、治而教之。孟子ソコヲ知テ、凶年ニハ惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。火事塲デ孝経ノ講釋間ニ合ハヌ。八橋や先づ物喰ふて杜若きつつなれにしモ、花見モ腹ガヘッテハナラヌ。
【語釈】
・周礼三物ノ六行ニ恤アル…周礼地官司徒。「以郷三物敎萬民、而賓興之。一曰六德。知・仁・聖・義・忠・和。二曰六行。孝・友・睦・姻・任・恤。三曰六藝。禮・樂・射・御・書・數。」
・子游ハ武城ノ宰ト成テ才ガ高イカラ、アタマカラ礼樂ト來タ…論語陽貨4を指す。
・比及三年、可使足民…論語先進25の語。
・幸治郎…奥平棲遅庵。名は定時。幸次郎と称す。江戸の人。神田小川坊に住む。小川先生。忍藩儒臣。致仕して玄甫。嘉永3年(1850)8月9日没。年82。
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・治而教之…大学章句序。「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性。」
・凶年ニハ惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉…孟子梁恵王章句上7。「今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。」

垩人ハ教ガ眞ッ先キナレトモ、可使足ガ地形ナリ。其地形ヘ教ヲカケル。可使足ノ地形デ礼樂ハ自然ト出来テクル。高祖天下ヲ取タ初メ、朔日十五日ニ諸士ガ礼ニ出テモ、ヤットウ云タリ柱ニキズヲ付タリ、コマリキッタ。大洲ノ市郎ガ話ニ、大坂陣ノ跡デ、伊豫ナドテモ番所デ三番叟ナドヤリテコマリタト云。高祖モコマリテ叔孫通ニ礼ヲ制シサセタ。ナンゾト云ト學者ガ叔孫通ヲ笑フガ、其筈ノコトジャ。高祖ガ奴ジャカラ、奴ダケノ礼樂ガ出テクル筈。叔孫通デ澤山ナリ。聖人デナイ高祖ニ聖人ノ礼樂ハ出来ヌナリ。山宮ガ日本ヘ舜ノ樂ガ傳ハリタト云ガ、傳ハリタトテドウナルモノジャ。百姓ガ身上デモヨクナルト古袴デモ買フ。脇差モザットシタデモ買フ。ソコテ娵ヲ取レバ、長生ノ家ニコソモ謠ハルヽ。治ガサキナリ。喰物モナイニ謠ハ出ヌ。顧傳左衛門曰、文七ガ飢饉年ニ素讀ニ來ルヲ親ガ訶リタ。榮耀ラシイコトヲシテ、村方ヘ云分ケガ立ヌト云タゲナ。尤至極ナコトゾ。論語ホド結構ナモノハナイガ、時ニヨルト榮耀ニナル。村方餓死人モアラフカト云ニ、紫服紗デ論吾デハナイ。論吾ヲ榮耀ト云タモノハナイガ。因テ笑曰、是レモ檀弓ノ文法ジャ。論語ヲ榮耀ト云タモノハ文七ガ親ヨリ始マル。兎角喰ヒ物ノコトジャ。喰ヒ物ナクテ講釈目出度沙汰デハナイ。今御代官ハ治ノ方、垩堂カヽリハ教ノ方。治而教ルト云デ御目出度。泰平ノ世ト云ガコレジャ。
【語釈】
・山宮…山宮雪樓。名は維深。字は仲淵。別号は翠猗。官兵衛と称す。江戸の人。羽後亀田藩岩城氏に仕え、後に館林藩に仕えるが去り、直ぐに殞命。年40。
・傳左衛門…中田傳左衛門。東金市堀上の人。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。

扨、朱子ノ像ノ書ノ始ニアルハ行状ニアルガ、行状ノ跋文ニ像ヲ初メニ出スト云テモナイ。ドウシタコトカヾ知レヌ。又論孟或問ノ初メニアルガ、アレハ明人ノシタコト。此序ニハ冠朱子眞於其首トアルガ、ドウシタコトカ。黙斎ガソコヘモ鑿説ヲ出シタイ。朱子ハ内外任ト云ウチ、内ト云テモ天子ノ御前ハタッタ四十餘日、外任ト云テモ同安ノ出身カラ七十迠ホギ々々トシタコトハナイ。四子大経ヲ修メ、章句ヲシタ所ガ、孔子ニ似タコト。孔子ノ吾東西南北ノ人ト云タハ経済ジャガ、コレモホキ々々トハナイ。衛ヨリ魯ニ歸ル、實ニ哀公ノ十一年、孔子年六十八矣。言外ノ感歎アルト先軰ノ云タ。朱子ハ御役先デモ人ヲ惠ム人ジャガ、トウ々々行レヌ。七十一ノ時畫像ノ贊ヲ自ラ書レタ。オレモマダ死ナヌガ、以後ハ聖経賢傳ノ世話スル外ナイト云レタガ、孔子ノ亦不求仕。叙書傳礼記、刪詩正樂ニヒッシト合フ。孔子ノコトヲ出シテハ朱子ノコトヲ引付ケ々々々スルガ柯先生ノ流義ジャ。文會ニモ宰予晝寢カ出テ、アトヘ朱子ノ朝起シテツトメタヲ出ス。其外十有五志於学テモ司馬桓魋ガ處ヘモ、トカク孔朱ヲナラベル。此像モ晩年経済モサレス殘編ト云ヲ贊歎シテ出シタモ知レヌ。実ハコレモオレガ鑿説ジャ。
【語釈】
・吾東西南北ノ人…礼記檀弓上。「孔子既得合葬於防曰、吾聞之。古也墓而不墳。今丘也、東西南北之人也。不可以弗識也。於是封之。」
・亦不求仕。叙書傳礼記、刪詩正樂…論語序説。「孔子亦不求仕。乃敍書傳禮記、刪詩正樂、序易彖・繋・象、說卦・文言。」
・宰予晝寢…論語公冶長9の語。
・十有五志於学…論語為政4の語。
・司馬桓魋…論語述而22を指す。

蒼顔已是十年前。コレヲ書レタハ七十一ノ歳ナリ。外カラ六十一ノ時ノ畵像カ来タ、其賛ナリ。蒼ハアヲイコトト云ニモ及バズ。徂徠ガ何トナク顔ハカスハゲタ、ト。ヨイ譯ナリ。カスハゲタヲヤヂジャガ、ソレカラ又十年トナリ。

把鏡回看一悵然。十年アトノハ斯フダガ、今ハヲトロヘタト云文義デハナイ。又十年立テバヲトロヘガアルハヅノコトト云コトデモナイガ、鏡ヲ把テ十年アトノ肖像ト引合セミタレバ、此肖像ガハヤ十年アトノコトジャトアラク見ルコト。

履薄臨深諒無幾。扨々ハヤカラダニ疵ヲツケヌ様ニ大切ニスルコトジャガ、ソレトテモモウ間モアルマイト云コト。肖像ガ六十一ノ時デ、ソレカラ又十年ナレバ、ツカイハタシタ身分ジャ。

且將餘日付殘編。且將ト云デ、アス死ヌモ知レヌガ、マダ死ヌデモ有フガ、今迠ノ編修ノ上ヲ亦モ吟味ヲシテ書籍ノ世話スルデ有ラフトナリ。経筵講義デ見レバ、章句アレホドニ云タヲ又改ラレ、又誠意ノ章ノ章句ヲ死ヌ三日前ニ直シタ。コレガ序易・彖・繋・象・説卦・文言取合コトジャ。殘編、殊ノ外ヲレガ仕事ハナイトナリ。

南城呉氏。殊ノ外ヨイ人デ有リタ。朱子初メ殊ノ外社倉ヲ願フテ在所ヘ出来タ。ソノコトヲ包敏道ガ話シタレバ、呉氏ガ何分セウトテセラレタ。ソレテ社倉書樓ガ出来タ。役人デモキイタリ、帳面ナドヲク處ナリ。

為余写眞。コヽハ外ノモノヲスルコトデハナイ。朱子ノ畵像ガヨイトテ生写ニシテカケタ。朱子モ知ヌコトジャガ、ソレガ十年前ノコトナリ。ソレガ来タニツイテ賛ハシタモノナリ。畵像ノ有ト云ガ心切ナコトデ、生レテヲルニ生祠ヲ立ツト云コトサヘアル。

因題。其上コレハ呉氏カラ頼マレタコトデハナイ賛ノ様ニ見ヘル。

滄洲病叟。朱子ハ多病、サマ々々病ヲモチアツメタ人ジャカラ病叟ト書タカ、ソレ計リデナイ。劉白水ヲモ病翁ト云。只病身ト云コトデモナイ。又病身ガウソデモナイガ、病翁ノ病叟ノト云ガ公儀ヘ對シタコト。今ノ世ニハ合ハヌノ何ノハ上ヘ不敬ナコト。病気ト云テ引込ガ公儀ヘ對シタコトナリ。扨、上ニ云タ孔朱ト并ベルノ筋ハオレガ鑿説ヲ云ノジャガ、山﨑先生ノ思召ハソウデ有マイカナリ。社倉ト云ハ方々デナルコト。唐ノ法ジャガ日本デモナル。ソレハ其所ノ名主ヤ組頭云合セテスル時、朱像ヲカケルガヨイ。醫者、神農ヲカケル。ソレデ生業ヲスルカラナリ。社倉ハ重モ百姓ハ猶更軽ヒ者迠、飢饉ニ死ナヌト聞テハ、掛ケテ尊バフコト。斯フ見ルガ正意ナルベシ。

朱子社倉法序

井田之法、張子詳議之、
【読み】
井田の法、張子詳に之を議り、

此井田ト云コト、社倉ニハ云フコトデハナイガ、コレラモ経済デ、何モ角モ様々ナ事體事勢アリテ、行ハレ兼ルコトヲミセル。横渠ノ道統ニノラレタモ、如此井田ノコト迄任トセラルヽ。今学者ノ三代ノ様ニシタイ々々々ト云ノモ、只口先キデノナゲキナリ。張子宋朝ニ生レテ井田デナクテハナラヌ。井田ト云コトヲ知ラセタ。大モ小モスキニナラフト云レタナリ。

欲試諸一郷、未就而卒。
【読み】
諸を一郷に試みんと欲して、未だ就かずして卒せり。

井田ノマ子ヲシタイト云コトナリ。古ノ百姓デモ今ノ百姓デモ、吾ガ工面ノヨイコトニ喜バヌモノハナイ。ソレヲセウトシタガ、ナラズニ死ナレタリ。其後程子ト出合タトキ、井田ノ話シ計リサレタ。今ノモノガカンノツケ様ガ下手ジャ。興國寺ノ會ト聞イテ高調ナコト計リト思フガ、井田バナシナドヲ一日サレタモ知レヌ。外ノ好話モ有ラフガ、井田バナシヲヲモニシタカナリ。ソコデ此寺初テ多ノ人ガ来タデ有ラフガ、只佛法ナドノコト計リデ、オラガ様ニ終日井田ノ問荅シタモノハ有マイトナリ。先日幸治郎ガ千葉デ小市ヲ夢ニミタト云様ナコトモ興國寺ノ會ナリ。千葉ノ泊リデ千葉介ノコトハ夢ミヤウガ、学者ヲ夢ミタ人ハアルマイ。四子六経高イコトガ興國寺ノ會ト思フガ、ソレハテンデアナタ方ノ身ニ持タコトジャ。

朱子之時、將行乃寢矣。
【読み】
朱子の時、將に行われんとして乃ち寢ぬ。

御役デシタコトヤ公儀ニカヽッタコトヲ朱子ノ時トハ書ヌ。御役デシタコトヲフンデ云タコトナレトモ、朱子ノ時ト云字ハ公儀ヘカケヌ語意ナリ。コレハ朱子ノ晩年、樂屋デ聲ヲカラシタコトナリ。社倉ノ事ハ三十八ノ時。コレハ漳州ニナリタ時、経界漳泉ニ行ントシタ時ノコト。六十ノ時ナリ。井田行ハレサウニナッタニ、呉禹圭ガ邪魔ヲ入レタ。光宗ノ時ノコトナリ。

朱子嘗言、程先生初年屡説須要井田封建、到晩年又説難行。
【読み】
朱子嘗て言く、程先生初年に屡々須く井田封建を要すべしと説き、晩年に到りて又行い難しと説けり。

若イ元氣デ一圖ニ云レタガ、晩年デヨワリタト云コトデハナイ。ナラヌコトヲセウトカヽルハヅハナイカラナリ。醫書ニ老醫ノ傳ト云コトガアル。今麻疹ヲナヲスト云テモ、二十四年目ニ一度ハヤルモノヲ、三度オレハ手ガケタト云コトモアル。ソノ時ハ八十有餘ジャ。若ヒ時ハナラヌコトヲモセフ々々ト云ハ経歴デ覚ヘタモノ。又ナラヌト云フモ経歴デヲボヘタモノ。

想是它経歴世故之多、見得事勢不可行。
【読み】
想うに是れ它[ほか]に世故を経歴することの多くして、事勢行わる可からざることを見得ならん、と。

行ハレヌ時云ハ石ノ吸物ナリ。マアコノ井田ハナラヌガ社倉ハナル。役ニ立コトヲ仕習ハヌハ、スッペリ役ニ立ヌ。朝鮮人參ノ功能ヲ吟味スル様ナモノ。折角吟味シテモ、一両匁デ金子十二両ト云タ時、此方ノ身分デトントユカヌコト。行ハレヌコトヲ行ハフトスル程不調法ナコトハナイ。

然今不察地勢懸隔時宜頓殊、而曰徑行之者遠矣。
【読み】
然るに今地勢懸[はる]かに隔ち時宜頓[とみ]に殊なることを察せずして、徑[ただ]ちに之を行わんと曰う者は遠し。

唐ト日本ハ地勢モヘダチ程子・朱子ガ晩年ナラヌヲ知テナラヌト云タニ、上ミ方儒者ガ東山西山計リ見テ、ナラヌコトヲモナル様ニ云フ。経済ナル様ニ云處士ノ大言、役人ニ笑ハルヽ。時宜頓殊。土地ノチガフ上ニ時宜ト云コトガアリテ、昔ハヨクテモ其時分ノ様ニハユカヌ。今此邉デ屋鋪ニ蜜柑ヲ植ルガ、周公ガ出ラレテ、アレヲヌケ、必ズ桑トハ云ハレマイ。遠藥ツカヒト云醫者ガアル。一寸シタ食傷ニモ橄欖々々ト云。名ヲ知タモノサヘナイニ呑サレヌ。平胃散ガヨイ。遠イト云ハ的切ニナイ。遠イ了簡ジャト云コト。

夫古者什一、今者什四。古之兵出于農。故什一而用足矣。
【読み】
夫れ古は什一、今は什四。古の兵は農より出づ。故に什一にして用足れり。

コレハ社倉ノ序ダケレトモ、マヅ井田話ジャ。コレヲ云テオイテ社倉ノコトニナル。古什一ハ十分一。後来ハ四公六民。古ハ慈悲深イニ今ノガムタイナラタヽヌ筈ジャガ、古ハ兵農ガワカラヌカラ、亂ガ有タ時、上デ手ヲ打ツト皆出ル。ソコデ其入用モコメテ什一。ソレデナケレバ農ガタヽヌ。上ノ用モタリヌ。

後来兵農別焉、則其什四視古之什一不為二三多矣。僅一二之間耳。
【読み】
後来兵農別れば、則ち其の什四を古の什一に視るに二三多しとせず。僅かに一二の間のみ。

後世ノ什四ガ古ノ什一カラ二三多イト云コトデハナイ。ワヅカ多イト云文義ゾ。古ノ什一ハ軍役迠ツトメタ。什一ト什四デハ二三多イト見ヘルガサウデハナイ。チットノコトジャト云フ。モノニハ事體ガ入ル。古ト今デハモノヽチガフコトガアル。土井公ナドデ、平士デモ二百石ナレバ馬ヲ持。今ハセツナガル。利勝公ノ時ハモテル様ニシムケタカラモテタナリ。今ハ奢リ、外ノ入用多キユヘ馬ヲ持ツ、大儀ナリ。利勝公ノコロハ、大名衆ニ四月ハワタヌキト云コトヲシタモアル由。皮足袋ヲ借リニヤリタト云咄モアル。皆ソノ時ノナリゾ。俗儒ノ癖セニ兎角古ヲ々々ト云ガ、古ヲ慕フモ尤ジャガ、時ト云コトヲ合点スルトサウハナイ筈。春ハ結構ジャト云テモ、イツモ春デハヲラヌ。時服ト云コトガアル。暑氣ノ時ハ綿入羽織ヨリサイミノ帷子ガヨイ。

故能考古法之意、而得時措之宜、則何難之有。
【読み】
故に能く古法の意を考えて、時に措くの宜しきを得ば、則ち何の難きこと有らん。

之意ト云ガ大切ノコト。古ノヨイハツマリ下ノ愛スル意ナリ。愛スト云ニハ灸ヲスエテヤルモアリ、又此病氣ニハ灸ハワルイト云モアル。其時ハスエテヤラヌ。コレ、ナヅマヌコト。ソコヲ之意ト云。カタデヲサヌコト。古法ノ今ニ宜キト云斟酌ガ大事ナリ。ソコヲ法外ノ法トモ云。何之難有。今ノ学者ガ時措之宜キヲ知ラヌカラ出シソコナ。

孔子曰、其人存則其政舉、其人亡則其政息。
【読み】
孔子曰く、其の人存すれば則ち其の政舉がり、其の人亡ぶれば則ち其の政息む、と。

コレガソコノコトナリ。衍義補ガ出来タ、ソリャト云ガ、アレヲカツキマハッタトテドウナルモノジャ。政ノ存スルモ息ムモ其人ナリ。其人亡則政息。経済デモ、井田ノ社倉ノト云ハ法ノ中ノ法ジャ。其人デナクテモスミサウナモノジャ。其人デナクテハナラヌト云ハ、法ガヨクトモソレデ計リヲサレヌコトジャ。

若漢之常平、隨・唐之義倉、則近古之良法、而民不被其澤者何哉。人亡而政息也。
【読み】
漢の常平、隨・唐の義倉の若きは、則ち近古の良法にして、民其の澤を被らざる者は何ぞや。人亡びて政息めばなり。

漢ノ宣帝ノ時、常平ト云コトガアル。コレハ大キナコトデ、天下ヲ一ツニセ子バナラヌ。惠ムノ借スノト云デハナイ。天下ノ相塲ノ釣合ヲ均一ニスルコト。米ガタップリ出来テ安スギルト上ヘ買上ゲル。凶作ニハソレヲ出スカラ米ガ高クナラヌ。今水ノカケ引ヲスル様ナモノ。スクナイト溜メル、多イトキハ流スト云様ナリ。米ガタップリ有リスギルト石瓦ノ様ニナル。軽ンズルナリ。ナイノハ飢饉ナリ。ソコヲアタイノ中ヲトリタ。ヨイ法ナリ。ツマル所米價ハ卑イモワルシ、貴イモワルシ。丁度ナ所アル。ソレヲスル常平ナリ。義倉ハ社倉ト大抵同ジコト。サレトモコレハ天子ノ勢デサレタコト。天子ノ城下ヘハコブノ何ンノト云コトデナイ。國々處々ニ藏ヲ立テヽシタコトナリ。義ノ字ノツクハ、メグムガ主ナリ。常平ノ常ハ常相塲クルハヌ所デ云コトナリ。近古ト云ハ、上ノ古者ト云ガ三代ノコトユヘ、ソレヘ對シテ近古ト云。漢・隋・唐ヲサシタコト。ソレデハ三代ニモナル程ノコトジャガ、民不被其澤トハ、其人ガナイカラ、上ノシムケハヨクトモ下ヘ澤ニナラヌ。

朱子本于隋・唐制社倉法。
【読み】
朱子隋・唐に本づいて社倉の法を制せり。

朱子ハ一チアトヘ出タ大賢ジャ。何モ角モ合点ジャ。井田封建ヲ云ヤウナコトデハナイ。ナルコトヲサレタ。社ト云ハ一在所ノ産神ジャ。社倉ハ一在所ノ心アルモノガ云合セテスルガ、公儀ヘモ届ケ子バナラヌ。朱子モ趙如愚ナド取持チ、官府ヘ云上ゲタ。其後孝宗ソレヲキカレテ、其レハヨイコトジャ、天下ヘ行ヒタイト云レタデ、始テ遠方ヘハレタコトニナリタ。

其法惠而不費、所施之處、雖遇凶年、民不缺食。人存而政挙者如此。惜乎、不得行此於天下也。
【読み】
其の法惠みて費えず、施す所の處、凶年に遇うと雖も、民食を缺[か]かず。人存して政挙ぐる者此の如し。惜しいかな、此を天下に行うことを得ざるなり。

某ナドテモ人ノ難義ナ時惠ムマイモノデモナイガ、又モ々々ハナラヌ。惠而不費ハ、コチノフトコロガアカズニメグムコトジャ。朱子ガ飢饉ノ時、アノ貧デ村中ノ為メニハメグマレヌ。ヤウ々々遠方カラ弟子ニ茶漬出ス位ナコト。オレガ前々云、百姓ハ児共ニ菓子袋アツケタ様ナモノ。豊年デモタメル意ハナイ。皆ツカフテシマフ。徂徠ガ無盡ヲヨイト云フモコヽナリ。社倉ノ意ニマワル。社倉後ニハ利モタマリ、モト買入ダケ位フヘテクル。手前ノモノヲ入テヲイテ、何ゾノ時ツカフナリ。爰デ此様ナコト云ニハ及ハヌ。本文ニアル。取越問荅ニナルガ、アラマシハ知ルベシ。利ヲ取ルト云コトガ王荆公ガ初メタガ、利ヲ取ルハメッタニワルイコトニ思フガ、利ヲ取ルガコチノ為メニ取ルデハナイ。出スモノヽ方ヘモソノ利ガ流レテユクコトナリ。望ナイモノヲ無望ニハスヽメヌ。望ミノモノハ多イ筈ナリ。直方門人ノ中デモ、大名ノ國デシタ。近年溝口公デモシタ。浩軒様ノ代也。百姓ノ中ニヨク情ゴハ者ガイヤト云ガ、ソレハ入レヌ。ヨイ者ハ入ルガ、人ノ心ガソロハヌモノ。欲ノ深イデ勝手ヅクモセヌト云テモ、埒ノナイト云ノガスマヌ。ソレデ事ガキマラヌ。此坐デモ十二ヤ五郎兵衛ナド酒ガスキルトアヽ面倒ト出ル。仁心モアリ欲ガ深イデモナイガ、埒ノナイ者デハキマラヌ。ソコデ社倉ノ世話人ニハナラヌ。此邉デモ知惠アル分デ、山王ノ祭ヲヤメテ社ヲ瓦屋根ニスレバヨイナゾト云。其位ノ世話デハ届ヌ。凶年飢饉者易置社稷トサヘアル。屋根ヲヨクシタリ祭礼ヲシタラ、五穀ノ豊ニ神ノ福有フト思フ。殷俗尚鬼ナリ。日本ハ神國ト云上ニ佛法ガ割込ンデ、神佛ノコトデ庶民ガ身上ヲラリニスル。娘ノ片付ニ物ヲ入レ、ミンナニナル。社倉ノヨイト云ハ誰ニ礼云ニモ及ハヌ。手前ノ出シタモノガフヘテヲル。誰ガシテモヨイコトジャニ、程子ノ云コトヲ宋朝ノ歴々ガ用ヒヌ。憎ムカラノコトナリ。サリトハコマッタコト。誠意正心イヤト云ハ尤ジャガ、孝宗デモ朱子ノアレホドニ云ハルヽニ、云通リニサセタラ飢饉ノ時為メニナルコトデ有フ。近来公儀カラ出タコト大フヨイコトアルニ、田舎ノ役人ナドガ上總方言ノブッコクリト云コトデ、ハキトセヌコトガアル。社倉仲ヶ間ニモブッコクリト云ガアリテハ事ハ成就セヌコトナリ。
【語釈】
・十二…中田重次。十二郎と称す。東金市堀上の人。寛政10年(1798)11月没。
・凶年飢饉者易置社稷…孟子尽心章句下14。「然而旱乾水溢、則變置社稷。」
・殷俗尚鬼…書経商書説命中集註。「商俗尚鬼。」

本朝文武帝之置義倉也、淡路帝之敷常平也、
【読み】
本朝文武帝の義倉を置きたまうや、淡路の帝の常平を敷きたまうや、

續日本紀ノ三ニアル。淡路帝ト云ハ常平ヲサレタ。イカサマ論吾ニ友多聞者益也トアルガ、此時分遣唐使ト云ガアリテ、度々アチヘツカハサレ、唐ノコトヲ見習タモノ。コレラガコチノ益ジャ。後世話シテモ、文武帝ハ義倉、淡路帝ハ常平ヲサレタト云トヒラケタモ知ルヽ。文武帝ハ唐ノ中宗時分、淡路帝ハ肅宗ノ時ニアタル。文武カラハ五十年モ後ノコトナリ。
【語釈】
・友多聞者益也…論語季氏4。「孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣。」

當時得人焉爾乎。蓋蔑聞於後世矣。
【読み】
當時人を得たまえるか。蓋し後世に聞こゆること蔑[な]し。

柯先生ノ難ジタナリ。澹臺滅明ノ章ノ女得人焉爾乎ノ文法デ書イタモノ。人ヲ得ヌトヨイ法モ益ガナイ。淡路帝ハ舎人親王ノ御子ジャ。女帝孝謙ノ跡ヲツガレタナリ。道鏡時分ノコトデ、淡路ノ廢帝ト廃ノ字ツク。サウ云時ジャ。人ヲ得ヌデアラフトナリ。
【語釈】
・女得人焉爾乎…論語雍也12。「子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。」

予竊欲廣朱子之遺法、謄写通鑑之所筆、蒐輯朱子所記、
【読み】
予竊かに朱子の遺法を廣めんことを欲し、通鑑の筆する所を謄写し、朱子の記する所を蒐輯して、

此様ナコトモ丁寧ニ見ヤウコト。廣ムト云字ハナルコトユヘゾ。柯先生一生経済ハ云ヌ人ジャ。ソレガ朱子ノ遺法ヲ廣メタイナゾト云ガ麄相ヲ云タコトデハナイ。スレバナルコトシャカラ、カフ云タコトナリ。仙人ニナル藥ト云テハ益ニハナラヌ。熊参丸今ノンデグウト云ガヨイ。

而冠朱子眞於其首、以行于世云。 山﨑序。
【読み】
朱子の眞を其の首に冠して、以て世に行うと云う。 山﨑序。

呉氏ガ社倉樓ニ朱子ノ像ヲオイタ。後ノ社倉ノ世話スルモノ、名主・組頭ト云ヤフナモノガ皆カケ物ニモセフコトナリ。社倉ノカゲデ此村ハ死ナヌト云時ハ、此像ハカケヤフコトナリ。

講後曰、社倉ガ方々村々ニ行レテクルト皆人ガ喜ブコトジャ。社倉ノ天下中ニユキワタッテ行レタトキ、其時ガ常平倉ニナル。面白イコトジャ。治國ガ段々ユキワタルト平天下ニナル。

柯先生経済云ヌ人ジャガ、此ノ社倉ノ法計リハ先生ノ経済ジャ。ナゼト云ニ、スレバ今ジキニナルコトユヘジャ。

社倉法ノ其人ト云ハ、中庸ノ俟其人而行ノ其人トハ違フ。廉直デカタイ男ト云位デモヨイ。ソレデナシトモ名主・組頭ナド云テ世話スルガヨイ。イツモハ村ノコトハコナタ衆ジャガ、社倉ノ時ハ其人ジャ、引込ンデゴザレトモ云ヒニクイコトジャ。律義ナモノト云ハルヽ位デモヨイ。一寸シタ其人ジャ。オレガ開巻デ喜内ガ事ヲ云タガ其趣向ジャ。
【語釈】
・俟其人而行…中庸章句27。「待其人而後行。」

用社倉重民之生、行三日歛厚民之德。是経済單方、道学者精彩。
【読み】
社倉を用いて民の生を重うし、三日歛を行いて民の德を厚うす。是れ経済の單方、道学者の精彩。

鑄錢多則金自貴。主張小学則大学更益價。
【読み】
錢を鑄ること多ければ則ち金自ら貴し。小学を主張すれば則ち大学更に價を益す。

右二條社倉法序講義之前日先生所記。即五月十八日也。

槩見官人常情、為都下市井之政多、而為農人経度分数盖少。恐是急於所親見、而緩於耳目不及処者歟。治國以恕、而平天下以絜矩、亦理勢之必然。推之可以審此矣。
【読み】
官人の常情を槩見するに、都下市井の為にするの政多くして、農人の為に経度する分数盖し少なし。恐らくは是れ親見する所に急にして、耳目及ばざる処に緩き者か。治國は恕を以てして、平天下は絜矩を以てするも、亦理勢の必然なり。之を推して以て此を審らかにす可し。

耕與穫勤苦不大遠。然穫時成功作酒労之、往々有之。郷俗謂之稲穫酒。秋冬教以樂詩亦同。礼樂在進反之間
【読み】
耕すと穫るとは勤苦大いに遠からず。然るに穫る時は功を成し酒を作り之を労すること、往々之れ有り。郷俗之を稲穫酒と謂う。秋冬教ゆるに樂詩を以てするも亦同じ。礼樂は進反の間に在り。
【語釈】
・礼樂在進反之間…近思録為学28。「禮樂只在進反之閒、便得性情之正。」

以上並見于重雪艸。


五、二程治教録上下分明條筆記 寛政丁巳之夏、先生自録
【語釈】
・上下分明條…周易程氏伝履卦象伝「上天下澤、履。君子以辯上下、定民志。(上天にして下澤なるは、履なり。君子以て上下を辯え、民の志を定む。)」の注、「天在上、澤居下、上下之正理也。人之所履當如是。故取其象而爲履。君子觀履之象、以辯別上下之分、以定其民志。夫上下之分明、然後民志有定。民志定、然後可以言治。民志不定、天下不可得而治也。古之時、公卿大夫而下、位各稱其德、終身居之、得其分也。位未稱德、則君舉而進之。士脩其學、學至而君求之。皆非有預於己也。農工商賈勤其事、而所享有限。故皆有定志、而天下之心可一。後世自庶士至於公卿、日志於尊榮、農工商賈、日志於富侈、億兆之心、交騖於利、天下紛然。如之何其可一也。欲其不亂難矣。此由上下无定志也。君子觀履之象、而分辯上下、使各當其分、以定民之心志也。(天上に在り、澤下に居るは、上下の正理なり。人の履む所は當に是の如くあるべし。故に其の象を取りて履と爲す。君子は履の象を觀て、以て上下の分を辯別し、以て其の民の志を定む。夫れ上下の分明らかにして、然して後に民の志定まる有り。民の志定まりて、然して後に以て治を言う可し。民の志定まらざれば、天下得て治む可からざるなり。古の時、公卿大夫よりして下、位各々其の德に稱い、身を終うるまで之に居り、其の分を得るなり。位未だ德に稱わざれば、則ち君舉げて之を進む。士其の學を脩め、學至りて君之を求む。皆己に預ること有るに非ざるなり。農工商賈は其の事を勤めて、享く所限り有り。故に皆志定まる有りて、天下の心一つなる可し。後世は庶士より公卿に至るまで、日に尊榮を志し、農工商賈は、日に富侈を志し、億兆の心、交々利に騖せて、天下紛然たり。之を如何ぞ其の一つなる可き。其の亂れざるを欲せども難し。此れ上下志を定むること无きに由るなり。君子は履の象を觀て、上下を分辯し、各々其の分に當たらしめて、以て民の心志を定むるなり、と。)」を指す。程氏粹言論書篇にも同様のものがある。
・寛政丁巳…寛政9年。1797年。

農桑之業カラ自然ト民ノ志モ定ルゾ。管仲ガ士子常士、農子常農。見異物不移ト云ハサテ々々要儀ニテ、今日的切ナリ。民士不定ト云フガ一体ノウゴキニナリテ、風俗マデニヤリタテズ、惰農バカリニナル。ソレユヘ学問サヘ民ノ為メニハワルイコトアリトハドフナレバ、中々彼等カ忰トモ、農ヲツトメテノ餘力ニト合点シタルハ千人ニ一人モナク、中家ノ子弟ハ農事ノ辛苦ニアキハテヽヲルユヘ、トフナリト農事ノ外ノコトデサヘアレバ何テモシテ見タキト思フト、又一ツニハ下世話ニ云、ヨイ衆ツキ合ヒノ仕タヒノニテ書ヲ讀タガルモアリ、村儒俗師ハナンノ深識モナク、并ニ自箇舌耕ノ資ニナルユヘ、竒特々々トテ書ヲ讀マシムルコトサン々々ナコトナリ。先王ノ代ハ冬ノ農隙ニ何茂[いずれも]ヨリアヒ郷先生ニ從テ孝弟忠信礼義廉耻ノ心ヲ保養シ、冬至ヨリ四十五日タテハ又專ラ農事ニ打チカヽリテ餘事ナク他念ナシ。コノトキハイマダ芝居ト云モノモナク、角抵興業モナク、郷閭ニ異物ハナケレバ移ルコトハナシ。飲食モ自分ノ家ニアリ、衣服モ自分ノ手ニテ出来テ民志定テアルユヘ、百姓ホドヨイモノハナイト心得テ居テ、タマ々々地頭ヘ中間ニ出テモ、年季カギリニ待チカ子テ歸村シタガル。異物ニ心ナキユヘナリ。後世ハ戸籍ノ法嚴ナラザルユヘ、思ノマヽ他國シ、我ガ働キ次第ニテ他國ニテ妻子ヲモチ、一入江戸ヲ好ミ、江戸ニハツメモタヽヌホド國々ノ名ヲノウレンニサケテ啇人トナルコト、モト異物ニ移リテ民志不定ヨリオコル。志不定カラハ、イツマデモスキクワトラヌ心カラハ、田ニ入テモ畠ニテモ身ニシミタハタラキハセヌ筈。コレ國本ニ减ノタツ機ト察スヘシ。

上下之分明ト云フコトハ、今日ハズイブン明ナリ。ソコハ中々嚴重ナルコトナリ。サレトモ惟君玉食ストアレトモ、農民モハヤ鯛ノ潮煮ト出ルマテノ処ガ分ガナイ。又官服ナトハ、上ハ侍従ヨリ布衣ト云マテスイ分立テ嚴重ナレトモ、羽二重ノ地合ハ平士モ町人モアマリ貴人ニモオトラヌ様ナヲ服ス。コレハ皆人心ノダラケタルナリ。ダラケ子バ分ヲ守リ自ラ質素ニナルモノソ。去ルニ由テ、武藝ノ稽古ニユクニハ、年少ニテモアマリ美服モ用ヌモノナリ。武家ハ武藝ヲサヘ勉勵スレハ忠孝ノ心モ興起スルモノナリ。中々史記左傳ヤ詩文ノ学問ニテハ、浮靡ノ習ハ長スルトモ、風俗ノ教化ニハ覚束ナシ。此士修其学ト云ハ古之学者為己ノ学ニテ、自箇ノ明德ヲ明カニスルノ外他念ハナイ。農工商賈勤其事。コレ百工居肆成事。百姓ハ耒耟ヲハナサズ、啇人ハ賣買交易シテワキ目ハフラヌコトナリ。コレ上公卿大夫ヨリノ德位、四民ノ事業。分定テヲルユヘ丁ト器物カ各々己カ用ヲ守リ、筆ハ筆、扇ハ扇ト分限アル様ナソ。凡民ノ俊秀大学ニ入ルハ千人ニ一人ホトモアロフカナリ。又今日ノ下ニアル英才ノ教育スベキ者ハ万人ニ一人モアラフカナリ。ソノワケハ、大学ニ入レバ上ノ鼓舞作興テ各別ニユク。コレ千人ニ一人ナリ。今日モ下ニアル英才ハアタマデ人不知不慍底ノ竒才デナケレバ成德マテモチコタヘヌ。コレ万人ニ一人ナリ。サレトモソレモナイコトト知ルヘシ。ソレユヘ先王ノ治教ハ小学ノ成就ガ大学ノ新民ニテ、民可使由之ハ天下之心ヲ一ニシタト云フモノナリ。
【語釈】
・古之学者為己…論語憲問25。「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。」
・百工居肆成事…論語子張7。「子夏曰、百工居肆以成其事。君子學以致其道。」
・人不知不慍…論語学而1の語。
・民可使由之…論語泰伯9。「子曰、民可使由之。不可使知之。」

後世自庶士至于公卿、日志于尊栄。コレハ科挙及第ヨリヲコル。三代ノ郷ノ三物賓興之トハ似て異ナルモノナリ。庶士ノ尊栄ニ志スハ科挙及第タルコト勿論ナリ。公卿ノ志于尊栄ト云ハ公卿ノ家柄デト云フコト。世禄之栄ニ安ンゼスシテ奔競スルコトナリ。近思録出処篇横渠世禄ノ一条ハコノ意ナリ。工声病售有司ノコトナリ。コヽヲ大ソレテ孟子ノ不奪不饜ノヤフニ見ルハ宋朝ノ事体ニアハズ。又啇賈日志于富侈。太平ノ世ニ生レ、干戈ノ下ニウロタヘヌヲ幸ト思ヒ、此節コソト家職ヲ大切ニシテ大平ノ一幸民タルヲ樂ミニスルハ君子ノ心。凡情ハ大平ノ郁文ヲ見ヤフ見マ子ニ錦衣玉食シタイ心カラ冨侈ニ志シ、ソノ冨侈モタヾハナラヌユヘ、高金カシタリ田地質トリタリシテ訟モヲコリ、上ヘムツカシヲカケル。皆分ヲシラザルユヘ質朴ノ心ヲ滅スゾ。七月ノ詩ノ田畯至テ喜ヘリ。朋酒斯饗ナドヽ云フ沙汰ハナシ。コレ後世ノ能及レヌ処ナリ。サレトモチットスルト其ナルト云ハ、イクラ云レテモ人ノ心ハソフ々々ハスリキラヌモノナリ。予カ三日歛ヲ主張スルモコヽナリ。コノ処ハ人ノ脉ナリ。ソコテ孟子ハ戦國ノトキニ在テ性善四端ヲ発揮シテ人心ヲ取リタテ、治法ト云ヘハ五畝宅云々ナリ。コレヲ命世之才ト云フ。至テ簡ナリ。今ノ経済者ノ把柄トハチカフヘシ。
【語釈】
・三代ノ郷ノ三物賓興之…周礼地官司徒。「以郷三物敎萬民、而賓興之。」
・不奪不饜…孟子梁恵王章句上1の語。
・七月ノ詩…詩経国風豳風七月を指す。

農工啇之可以有家、只在勤矣。但勤者是治之事、而至令識道理、正始教之事。庶民中能勤儉嗇者、有恒心不犯禁。可謂良民。然其間父母倶在、祖父母猶存康寧、其子或憚多口乏食、不必喜樂之者、恐有之。此即無教則近禽獸者。後世之治不及三代、而郷里愿人之心、固與學者逈別者、皆無教而不聞道理之由也。然則何以能有家郷里亦皆稱之。曰、以其謹愿也。犬之吠盗守門、可謂美德。而非禽獸而何也。孟子之言非訶詈之。眞能形状之者也。故学者之任、不必責勤之有家、而在明道以修身。不必憂蕩子破産、而悪愿人之害道。故以大垩春風之德而曰、郷愿德之賊。又曰、過吾門不入吾室、吾不憾者唯愿人歟。豈與俗人易言哉。丁未雜記。
【読み】
農工啇の以て家を有つ可きは、只勤に在り。但し勤は是れ治の事にして、道理を識らしむるに至って、正に始めて教の事なり。庶民中能く勤め儉嗇なる者は、恒心有りて禁を犯さず。良民と謂う可し。然るに其の間父母倶に在り、祖父母猶存し康寧なる、其の子或は口多く食乏しきに憚り、必ずしも之を喜樂せざる者、恐らく之れ有らん。此れ即ち教無ければ則ち禽獸に近き者なり。後世の治三代に及ばずして、郷里愿人の心、固より學者と逈別する者は、皆教無くして道理を聞かざるの由なり。然らば則ち何を以て能く家を有ち郷里も亦皆之を稱すや。曰く、其の謹愿を以てなり。犬の盗を吠え門を守るは、美德と謂う可し。而して禽獸に非ずして何ぞや。孟子の言は之を訶詈するに非ず。眞に能く之を形状する者なり。故に学者の任は、必ずしも勤の家を有つを責めずして、道を明らかにして以て身を修むるに在り。必ずしも蕩子産を破るを憂えずして、愿人の道を害するを悪む(に在り)。故に大垩春風の德を以てして曰く、郷愿は德の賊なり、と。又曰く、吾が門を過りて吾が室に入らざれども、吾れ憾みざる者は唯愿人か、と。豈俗人と言い易えんや。丁未雜記。
【語釈】
・在…原文に「在」の字はない。文の流れから補記した。
・郷愿德之賊…論語陽貨13の語。
・過吾門不入吾室、吾不憾者唯愿人歟…孟子尽心章句下37。「孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟郷原乎。郷原、德之賊也。」
・丁未…天明7年。1787年。

示鵜澤恭節書曰、乃父・乃伯翁各藏朱子語類・文集・経傳通解書・節要之類、此外都許大要籍。然蠧于故筺数十年、諸子生農家不弁菽麦、徒懐虚大之趣。乃不如藏一部小学内外篇・農業全書熟覧之。賣剱買犢、古人最親切之訓。吾言之者、聊復勸農之意。汝諸兄弟常能芸荘中草、務洒掃者善矣。盖小学之教也。然農業種者也。非徒芸者也。夫芸者芸害種者也。今不種而芸、殆害生物主殺伐。非農道也。因家長不教、不免吾儕都産肉食餘類一煩之。壬寅雜記。
【読み】
鵜澤恭節に示す書に曰く、乃父・乃伯翁各々朱子語類・文集・経傳通解の書・節要の類、此の外都て許大の要籍を藏す。然るに故筺に蠧[と]すこと数十年、諸子農家に生まれて菽麦を弁[わ]かたず、徒に虚大の趣を懐く。乃ち一部小学内外篇・農業全書を藏して之を熟覧するに如かず。剱を賣りて犢を買うとは、古人最も親切の訓。吾れ之を言う者は、聊か復勸農の意のみ。汝が諸兄弟常に能く荘中の草を芸[くさき]り、洒掃を務むるは善し。盖し小学の教なり。然るに農業は種[う]える者なり。徒に芸る者に非ず。夫れ芸る者は種を害する者を芸るなり。今種えずして芸るは、殆ど生物を害し殺伐を主る。農道に非ざるなり。家長教えざるに因りて、吾儕都産肉食の餘類一たび之を煩わすを免れず。壬寅雜記。
【語釈】
・不弁菽麦…春秋左氏伝成公18年。「不能辨菽麦。」
・壬寅…天明2年。1782年。


六、二程治教録酒者古養老條筆記 丁巳夏自録
【語釈】
・酒者古養老條…程氏遺書18。伊川先生語3。「酒者古之養老祭祀之所用。今官有榷酤、民有買撲。無故輒令人聚飮、亦大爲民食之蠹也。損民食惰民業、招刑聚寇、皆出於此。如損節得酒課、民食亦爲小充分明。民食却釀爲水後、令人飮之、又不當飢飽。若未能絕得買撲、若且只諸縣都鄙爲之、亦利不細。(酒は古の養老祭祀の用ゆる所。今官に榷酤[かっこ]有り、民に買撲有り。故無くして輒ち人をして聚飮せしめ、亦大いに民食の蠹[と]と爲るなり。民食を損し民業を惰り、刑を招き寇を聚むること、皆此に出づ。如し酒課を損節し得ば、民食も亦小充を爲さんこと分明ならん。民食却って釀して水と爲して後に、人をして之を飮ましめば、又飢に當たりて飽かず。若し未だ買撲を絕え得ること能わざれば、若し且只諸縣都鄙之を爲さば、亦利細ならざらん。)」
・丁巳…寛政9年。1797年。

酒ト云フモノカ手トリモノ。禹ノ悪マレテ以来、学問ニモ経済ニモ邪魔ニナルモノゾ。養老祭ト云フエフデ通ルガ、實ハコマリモノ。周公ハ縛テ出セ、刑スルト云ハレタノニ、今ハ官有榷酤、民有買撲ナリ。ヲッケハレタコト、飲め々々ト云フニナリタ。榷酤ハ、漢武ノ榷酒酤ト云コトアルニ始テ宋ニモアル。公儀デ利を專ニスルコト。ワキヘチラヌヤフニスル。ツマリ公儀デ酒見世ヲ出シタヤフナモノ。サン々々ナコトナリ。ソコデ下デ仕方ナサニ、民ニ買撲ガ出来タ。コレハ官ニ請フテ上ノ定数ノ通リニ上納シテ餘分デ利ヲ取ルナリ。今ノ小作人ヤ下タ質ヲ取ルナドヽ云フ、利分カ皆コレナリ。コノヤフニ公儀ハレタコトユヘ、下々モハレ々々トノムソ。損民食惰民業、招刑聚寇。コレハ害ヲナラベタテヽ云フ。酒課トハ、一年ニコレホド作レ、コレカギリト云ノナリ。只今御世話ノアルノガコノコトナリ。豊凶ニカマハズ、酒ハイツモアルデハドフモ筭用アハヌコトナリ。水ニシテノマセ、腹ニハ役ニタヽズ、喧嘩口論ノ役ニハタツ。横カラミテモ堅カラミテモ、一ツモ調法ニナイモノ。経済スル人、右ノ買撲ヤメニスルコトナラズバ、セメテ酒課ヲ損節スル方ヲシタラハ利不細ナリ。為人ト云ハ損節酒課ヲ指ス。ソフシタラヨカラフナリ。コレハ大経済ナリ。今日チョットシタコトデハ、田舎小村ナドニ居酒ト云フ店屋ヲ禁スレバ、ヨホドヨキコトアリ。會飲聚飲デ過酒モスル。手間モトル。口論ヲモスル。小百姓モ妻ヤ子ニ云付テ小德利テカフテ飲メバ、禍モ少ク物入モ半减、又家内モムツマシクナルヘシ。店屋テノムユヘ、サキカラサキヘ醉ニマカセテユキ、不埒ヲモスル。己レカ家テノメバ、醉フテモ臥スルバカリデスムナリ。信ナド幼ヨリ酒ヲ嗜メトモ、学者ヘモ酒ヲノマセルハキライゾ。役人ナラバ酒禁ヲモ云付ベシ。コレ恕ナシト思フベシ。コレニ恕ヲスレバ却テ不仁ニナル。去リナガラ、吾ハスキナカラ禁スレハ、中々人ハキヽ入レズ。所藏乎身不恕而能喩諸人者未之有也。ソレユヘ誠意正心シタ人デナケレバ経済ハナラス、シテミテモヒヾカス、人欲アル中ニ人ノ師ニナレバ、人ヲ取リ立ルコトハナラス。何モカモ大学ノ教ノ通リソ。

里中破産者、不必奢豪費錢、多以談戲廃事之所致。古人曰、宴安鴆毒也。予亦有一題曰、圍棋農蠧也。
【読み】
里中に産を破る者は、必ずしも奢豪錢を費すにあらず、多く談戲を以て事を廃するの致す所なり。古人曰く、宴安は鴆毒なり、と。予亦一題有りて曰く、圍棋は農蠧なり、と。


七、埋葬筆記

答或人喪礼書付

○擇地○深壙○棺椁○沐浴○墓石
右五件の外委曲之事は御存之上故、逐一不申述候。擇地深壙等の事特に大綱領にて候。

【擇地】唯土地ノ高キヲヨシトス。江戸ニテ云ヘバ山ノ手麻布四谷駒込ノ類ナリ。本所深川淺草ノ如キハ誠ノ水葬ナリ。前廣ヨリ吟味仕置ベキ事ナリ。
今日火葬の非を知りても土地を擇ざればやはり墨翟なり。殊に礼式など整て水地ニ葬るは、封を付けて溝に捨る如し。可笑なり。近頃出入の大工我母を淺艸に葬り水の勢強く湧き出るを見て自歎曰、イッソ焼ケバヨカッタト云々。歴々衆へもしらせ度事なり。土地のあしきを火葬同前と知るべきなり。

【深壙】一丈五六尺ヨリ二丈マデニ掘ルベシ。高木甚平の筆記に坎深不至於泉ヲ引ク。是亦可慮事ナリ。先比モ谷中ノ地高ナル寺ニテ咄スニ、此辺モ処ニヨリテ二丈掘レバ井戸ニナル処アリト云。何レニモ一丈五六尺掘テ様子ヲ見、考ヘテ二丈ニモ及ベシ。サテ又一丈四五尺ニテ水ノシミ出ル処ハヨキ葬地トハ云ガタシ。去年駒込ヘ嫂ヲ葬ル。一丈六七尺、ヤガテ八尺ニテモアルベキヤト思程ニ掘タレド、中々シメリケモ無キナリ。兎角一丈五尺以上ニ掘リ、其上ハ様子次第ニスベシ。一丈五尺ハ我家ノ大法。一丈五尺ニ及ザルハ非也ト可被思召候。○壙ノ堀リ様ハ廣キヲ諱ミ申候。棺椁ノ落付ク處ハ椁ト土トノ間六七寸アク程ニ掘ル、是ナリ。
【語釈】
・高木甚平…名は行法。別号は何久(可久)。甚平と称す。伊予宇和島の人。伊達氏に仕える。延享2年(1745)12月15日没。年73。

【棺椁】棺椁、平士以下ハ遽ニ造シ難キ事アリ。大抵瓶ヲ用テ好シ。【瓶】ハ裏表薬ノヨク掛リタルヲ用ユ。上ヲ酒瓶ト云。次ハ水瓶ノ極上ヲ用ユ。瓶ノ大小ハ固ヨリ死者ノ躰ニ由ルベシ。然レトモ大キ目ナルヲ買ベシ。納ムルトキ入リ難キハ甚可恐ナリ。瓶ノナリハ、大方長キヲ利トス。瓶ノ底一寸有餘アゲ、丸クソノナリニ形ツケ、板ヲシキ、穴七ツ八ツ明ケヲキ、其下ニ藁灰ヲ敷ク。所謂七星板也。圓盆ニ穴アキタル如クニシテ瓶ノ底ニ敷クナリ。【瓶盖】栗或ハ檜三寸板ヲ用ユ。制ハ家兄扣帳ニ見ヘ申候。御覧可被成候。【ハリカネ】三丈ヲ調ヘ瓶ノ耳ノ下ニ二重マワシ、夫レヨリ盖ノ上ニ掛テクミトリテ竪横ニシメ、シマラザル處ヲバヌカ釘ヲ以テ堅テ牢固ニシ、終テ瓶ノ耳端ニホドムラノ如キ堅キ紙ヲ二ツ折リニシ、切テ生糊[きのり]ニテ張リ付ケ、三方ニ紙ヒロゲ、鏡餅ナド重ネタル様ナナリニシテ、其上ヨリ松脂ヲ流シ掛ルナリ。松脂ソノ帋ニテ止ル為メニ紙ヲ張ルナリ。【松脂】五貫匁四貫五六百匁ニテ十分アリ、ソノ上ヲ松板ニテ丈夫ニ造リタル【箱ニ納ム】。形椁[椁に形どる]ソノ松板箱ハ、丁ド瓶ノ入ル程ニ造ルベシ。大ナルヲ諱ム。其箱ノ中、堅炭ニテ詰ムレトモ、途中重キニ難ム故、假リニ藁ナド詰メ、葬地ニ至テ堅炭ヲ入レ、盖モ釘ニテ堅ムベシ。則壙中ニ下シ、其椁ヲ上下前後左右堅炭ヲ入レ、夫レヨリ上土八九寸掛ケテ、【小田原石】三枚ヲ敷キスヘ堅メ終リ、段々土ヲオヽフテ埋メツキ堅ムナリ。誌石ハ追而出来次第ニ又掘リ埋ム。詳ニ記于下也。○堅炭大抵【二十俵程】ニテアリ。

一、棺椁ニすれば臥棺を美とす。死者の横に臥する様に造せば小にして甚簡便なり。夫を臥棺と云。
棺ハ【一寸五分二寸程】ノ上檜ニテ造ル。松脂ヲカクレバ重フシテ遠キニ致シ難キ故、棺ニハ松脂ヲカケズ、椁ハソノ棺ヲ丁ド入ル程ノ大サニ造ル。木ハ【栗或檜】三寸以上ノ板ヲ用ベシ。コレハ前廣葬地ニヤリ、葬地ニテ【松脂アツサ二寸以上程】ニカケ流スベシ。椁ノ口ノ方ニカリニ細キ板打チ付ケ、紙ナドニテモ張リ、椁ニウツムケニ直シ、底ヨリ松脂ヲ流シ、ソノ板紙ニテトヾマル様ニシ、直キソノ上ニテ棺ヲ椁中ニ納メ、釘ヲ以テ打付ケ、又椁ヲ盖マン中ヨリ松脂ヲ流シカケ、左右前後合目ニトクト松脂ノシミヲフ様ニスベキナリ。松脂ハ【三十貫匁】モアラバ足ンカ未詳。
○平士もなりたけハ棺ニすべし。瓶に比すれば大ニ異なり。然るに棺を営む事牢固ならされば却而不及瓶也。大夫以上ハ何卒々々右之書付程ニ棺を営たき事也。羽二重を帛にかへ、羅紗を革にかへ、國初の風に養ひなさば、爭[いかで]か棺を営むの贏餘[えいよ]あらさらん。
○家礼所謂三物、是亦平士の及ひ難き事もあらん。大夫以上ハ何卒仕度事にや。【三物】の仕方かいとって端的に謂ハヾ、椁ノ外に小田原石を建舞し、椁と其石との間を当時土藏の腰巻にするたヽき土を入れて溝堅むべし。
右之三事綱領之中にて尤大綱にて候。其他の小禮ハ些の出入不苦候。扨世俗の事は論に不及、其上家大人火葬弁論の中に備候間、不申遣候。唯朱子の礼を酌み取り、今日平士分上の志ある人の被行候必誠必信の事、大方此位にても可然事に候。棺中の仕方は高木氏筆記一々冝御座候。則存寄一盃ニ抄略し指越申候。あの通にして其餘は粗糠を半紙の袋に入、此にて詰めるよし。其間にゆき届かざる所は粗糠ミだして入れ、少の空虚なきをよしとす。死者ハ薄蒲團に包めば固より体に糠の近く嫌もなし。

一、礼服麻上下の此き、棺中に藏る而已にてよし。死者をして必服さしむるはあしきなり。凡盗賊の心を開く。只堅入べからず。朱先生呉々戒め置れたり。夫ニ付けても壙の深きが第一。

一、棺椁にても瓶にても、途中の荷ふ棒は世俗の如く肩にさしあぐるは甚あしく、長持重箪笥の棒の如く上に附け、尤日本ならべて荷ふべし。其制家兄扣帳に詳なり。

【沐浴】棺ニ納ムル前ニ沐浴ノ具ヲ備ヘ、小盤手拭。死者ヲ其マヽニテ床ノ上ニ寢サセ置キ、湯ヲ手拭ニシメシ、ソロ々々ト拭ヒトルベシ。
世上の沐浴を見るに、艸履取の奴などが裸にて出て、タイソウゲニ大盤ノ中に死者を逐はめ、胡乱[めったに]水アブセル体、其不敬見にたへず。其上死者の体に疵など付候事或はあり、其害斗るべからず。且ツ死者に湯水夥敷掛れば却而精潔ならず。旁々以あしし。○沐浴終らば、其具をば靜に打破り薦包などにして川ニ流し、或は潔地に埋べし。世俗の出棺のとき、供に負せて葬地に持参するは何とやら浮屠に任せ、寺にて沐浴するに嫌し非なり。固より皮毛外の事なれど、是亦教の萬一也。

【墓石】世俗の法名計書ハ紛しくてあしく、又佛者風と云がありて、人知らぬ號など記し、何先生之墓と書き、或は又我姓名而已一風流ニ書付る。各非也。兎角別の事なく永久の謀が第一なれバ、墓の正面に何の何左衛門之墓と書き、右、謂墓之石。上は後に掛て諱は何、いづれの産、年号・支干・何月何日没・行年幾歳・法名何々と記す。是なり。兎角其寺の法名を記せバ寺の過去帳と附節の合事なり。是永久の謀と云べし。俗儒ハ唯法号を記を恥て永久の慮を知らず。何も風雅は入ぬ事なり。扨、【墓石ノ制】ハ臺石を大にし、竿石ハ小がよし。固より花建水坎など一切掘べからず。文字ハなりたけ大くフトク丸彫に深く掘り付がよし。正面は別して大字にほるべし。其文字の大サの如く、神主の陥中ノ様ニ一寸餘に掘り込で其中に文字を掘るなり。家兄扣楪ニ詳ナリ。是亦永久之謀。○【誌名】ハ数百年之以後、墓のあばかれたる後の用心なり。委曲の仕方は家兄扣帳に有之候。平假名にて此下に何の國何某の棺あり、あわれみてほる事なかれとフトク掘り付け、朱或ハ金鉑を入れて埋むべし。前の小田原石より四尺程に上に埋むるをよしとす。淺く埋事はあしく、唯誌石は百姓などの掘り出し驚きケでんして、是ハとて開き見る様な体に造るべし。掘てもそのまヽに脇にのけをひてハ誌石の本意にあらず。多田先生の、誌石ハもの々々敷見るがよし、と。面白きや。右之通りに御心得可然候。白徒衆へも此書付を見せ、冝く右に付候。而し吟味事并に餘意ハ別紙に申進候。
寛延辛未六月下浣[かかん]  黙斎
【語釈】
・ケでん…怪顛。心が顛倒するほど驚きあきれること。びっくりすること。
・寛延辛未…寛延4年。1751年。
・下浣…下旬。

別紙
一、高木氏喪祭畧用中々好看候。併しあれ程ニ日本口に書きとられ候からは、無用をぬき、大綱領之処を精く的切に記し、或は木は何が上之、地は如此がよきなどヽ夥敷事哉と被存候。其上壷はあしく、必棺椁にと云へる如き、先つ白徒軽き平士の見てぎょっと致シ候事ニ候へ者、必棺と極るもあしく候。且ツ大抵の棺に比すれば極上の瓶は善き物にて御座候。全体喪礼に念を入候心あれば、棺と瓶との事の如きは其人の身上事体に由りて如何様にもなるべき事なりと可被思召候。

一、棺の事、本書に屹と極め申置候得共、朱子家礼の喪礼に椁はあしくと御座候。然れ共本椁を止め共、而も兎角ざっとしたる上おヽひなくては叶不申候間、其上覆と申ものを棺にして、程朱の念を入られ候。棺を則椁と名を改め申候迠にて候。然者椁は無きと同前にて、唯途中の為に大抵ハ棺に入れ葬地に送りて、葬地にて所謂本棺に入るれバ、却而簡便なる故也。夫共本棺に納めても途中無滯往べきならば、固より椁をば止むるがよし。此一件はとくと追而能吟味を待也。

一、子孫の絶へたる人ハ、其人の諸道具など賣て少にても金銀をあつめ、祠堂金を寺に附べし。左すれば是も過去帳に附け、永々墓をあばかざる。寺あるかぎりの事を證す。是甚永久之謀。古人之謂へる祭田墓田の意。

一、儒者の疾にて禅寺をよろこべとも、是亦可笑也。兎角此方次第になる寺を擇ふべし。扨、寺には凡そ口を明さぬはよし。然れとも父母の体をあづけおく地主なれば金銀をバよく與る筈也。左なけれバ自と墓を麄略にするなり。
今の儒者が白徒につつかれて皮毛外々々々と云が、是もつまり肴なり。ならうなら皮毛外までよくしたき事なり。去歳私家凶変のときも浮屠の来て経を誦する事なく、又棺の迎に小僧の来る事もなし。又、婦人の棺に婢などの供するもあしヽ。此三事、皆皮毛外の事なれと、私方てハ如此ニ御座候而已と申までなり。扨、伊川の不用浮屠、朱子の不作佛事、何から何まで儒者の心なり。

一、天子七月諸侯五月にして葬るの類、当時難用候。大抵当世を視候に京都にてハ二十日、江戸にてハ十日程にて候得者、それにならひ大夫平士は三日或は五日にて葬へし。扨又大名ハ志さへ有之候得者、しきに成申事ニ候。唯古今文盲の二字にて御座候。甚孝行なる人にも死後は國風にて汙を思ひ、直に埋候事、何なる心にて候や。唐津城主利延侯など唐津にて家大人の喪事を行候。十五日ぶりにて葬申候。世上の大名衆に扨も知らせ度候。扨、家中の者は屋敷の中に死者を久敷置事を一統の風にて法度に仕置く家中夛し。其時は隨分隱しおくがよし。堅き律義成る人ハ、親に孝にても君を欺き隱すは非義なりと云。中々尤らしけれ共、盲き論なり。文盲の君を欺くは小児の守をする如く、欺にあらず。向の為めもよければ太極の許を得て隱べし。併、江戸は火事もしけヽれバ、喪事萬端可慮事夛し。一々難申尽事共、先づ此位にて候。

冬至賀総俗未開也、此却朴素近古。又足以別都鄙。謹勿效都人所為、益礼節。独如喪祭二礼、當隨文竭萬一誠信。何一任浮屠之法、不省哉。近聞一二人家未讀一丁文字軰、感化有瓶棺塗松脂者。予於是大歡喜。雖田野隱迭之身、竊為世教勤之。吁總之農家作詩文者或有之。是徂徠之化也。至於用松脂之事、則実埀加先生之澤也。人心自有権度。其亦静思念之、孰実、孰虚、孰有補風教、孰無益民用、亦在自擇之。壬子雜記。
【読み】
冬至の賀総俗未だ開けざるや、此れ却って朴素古に近し。又以て都鄙を別つに足る。謹みて都人為す所に效い、礼節を益すこと勿かれ。独り喪祭二礼の如きは、當に文に隨いて萬一の誠信を竭くすべし。何ぞ一に浮屠の法に任じて、省みざらんや。近ごろ一二の人家未だ一丁文字を讀まざる軰、感化して瓶棺松脂を塗る者有りと聞く。予是に於て大いに歡喜す。田野隱迭の身と雖も、竊かに世教の為に之を勤む。吁[ああ]總の農家詩文を作る者或は之れ有り。是れ徂徠の化なり。松脂を用ゆるの事に至っては、則ち実に埀加先生の澤なり。人心自ずから権度有り。其れ亦静かに之を思念し、孰れか実、孰れか虚、孰れか風教に補い有り、孰れか民用に益無きか、亦自ら之を擇ぶに在り。壬子雜記。
【語釈】
・壬子…寛政4年。1792年。


八、葬之心得

地ニ入テ久ク持ツ木ヲ吟味シ、棺ヲ作リ松脂ヲ厚ク掛ケ、或ハ勢ヒ及ハザル人ハ藥ノヨクカヽリタル水瓶ヲモトメ、板葢ニ松脂ヲカケルコト、是マテ先軰ノ教ニヨリテトリ行ヒ来リ。委曲ハ家々ノ筆記ニ詳ナリ。ヨンデ知ルベシ。但シ死ヨリ三日スキテ棺ノフタヲシメルコト甚要義ナレトモ、コノコト必定ノ極メナキニヨッテ、今更ニコノ一事ヲ論スルコト左ノコトシ。

死シテ三日ノ内ハ千ニ一ツ蘓ルタメシアレバ、此三日ノ内ハ棺ニ納ルトモ葢ヲセス、折節死者ノ面ヲカヘリミテ萬一氣ヲ吹キ復ンヤトタメシ、三日過キテハ又蘇ルコトナキ日数ナル故、三日スキテ棺ノ葢ヲナシ、三日ノ内ハ堅クフタヲスベカラズ。
三日トハ、死ヨリ三十六刻タツコトヲ云。
右ハ格別々々如此心得、堅ク古禮ニ従ヒ、毛頭薄情ノ意アル可カラズ。コレニ付テハ處置モアリ議論モアラン。因テ略々下ニ記ス。

一、早ク葬ルコトハ時ノ習セニテ、死ノ即日葬ルトモ誰アリテ咎ル者ハナク、只葬ノ延引スルコトハイカヾシク思フコト、今日ノ勢ナリ。仕官ノ人ハソノ家々ノ法令モアリ、又田舎モ城下モソノ町ノ風俗ノ並アリテ心ノマヽナラザレバ、凡ソ右之義ニ従ントセバ、死去ノ廣メ知セ届ケ書等ニ心得差略アルベシ。コレ私ノ公タリ。

一、右之義ニトリ納ントシテモサマ々々不得已子細デキテ成リカタキコトアルベシ。カヽル時色々ト工夫シテ本意ノ通リニスル手段アルヲ才力ト云テ、イカヤフトモシテナラザルコトナシ。サレトモ本ト誠ノ志ナケレバ此事ノミナラズ諸事本意ヲ達シカタキコトニテ、我ニ赤心ノ誠アリテハ、誠ヨリシテ人ヲ動スコトニテ、人ヲウコカセバ、人ノ才力ヲ以テ己カ誠ヲ達スルコト、コレニカキルヘカラス。礼式ノツケヤキバニテハ届クベカラズ。先静カニ相思ヒ看ヨ。我カ此身カ死シ、地中ニテ蘓リタルトキハイカヤフナル心ナルベキヤ、ト。我コトヲ我手ニ思ヒ計ラバ、ソノ心ヨリシテ親戚ヲ早ク葬ルコト忍可カラズ。

一、右之日数刻限ニタカハサルコトヲ第一ノ要義トスル心ナレバ、ソノ外ノ規式ハタトヒ分限ニテイカヽト思ハルヽホトノ鄙薄ナルコトヲモ、上ノ法令ニソムカヌコトハイカヤフニモ堪忍スヘキコトナリ。コレ一大要義ヲ伸ントスル故、自餘ノコトハ堪忍スルコトニテ、此コトニカキラズ、凡ソ萬事如此ルイ多シ。扨其分限ニテハイカヽト思ハルヽホドノコトハ今日アルコトニテ、寺ノ沐浴塲ニテ死者ヲ沐浴シ、或ハ寺ノ迎駕篭ニ死者ヲ入レテ遣ルコト、士以上ノ身ニテハ餘リイカヽシキヤフナレトモ、ソレスラ如此シテ便利ナルコトアリテ、ソノ家ノ法令ニモソムカスンバ、コレ苦シカラズト忍ブベシ。其譯ハ、左様ノ仕方ニスレバ家内ハモノシツカニ日ヲ送リ、棺椁ヲハ外ニテ作リ直ニ葬地ニツカワシ、扨葬地ニテ沐浴入棺等ノ手間アル内ニ彼ノ一大要義ノ三十六刻ト云時刻ニ過ル手段ナキニシモアラザレバ、必シモ本意ナラストセス。却テハヤク本式ノ棺椁ニ納メ釘ヲシメ松脂ヲカケ、蘇ルトモ知レサルニマサルベシ。其鄙薄ナル態ヲモ、忍ヨリシテ我本意ノ要義思ヒノマヽニユクコトアルモノナリ。コレ行ヒ難キコトヲ行フトキノ心得ニテ、臨時ノ取舎緩急ナリ。然レバ要義ノ日数時刻ノ如クシテ、サテ又棺椁松脂等ノ要ハ固リ先軰ノ説ニ詳ナルモノナリ。但シ以上云フ処ハ是皆身分軽キ者ノコトナリ。大夫以上并ニ世家ノ儒門ノ権冝ヲ云コトニ非ス。

一、トカク葬事ハ身分ト主ノ家風ト郷俗トアレバソレニ応シテ處シテ、サテ右ノ要義ト棺椁松脂トノ要ニソムカサレバ第二着ノコトヲ定メヲクニ及ス。定ムレバ却テ勢ナキ者ノ差支ナリ。松脂ノカケヤフハ予カ内難箚記ト云書付アリ。

一、人ノ稟受肥瘠ニモヨリ、又厚薄病證ト藥性ニモヨルベシ、死シテ後モ手足ハハヤク冷レトモ、腹腰ノ間ハ一日余モ二日モ微ク温氣アルモノナリ。今日世俗ノ並ミニテハヒヘヌ内ニ取置クナルベシ。多クハ妻子モ腹ヤ腰ヲ試ルモノナケレバ知ラサルナリ。誰レニテモ試テ温氣アルニ葬ル者ハナキコト、人ノ良心ナレトモ、世ノ習セニテハヤク片付ルヲ第一トスルヨリ何ノ心モナク、息絶ヘヌレバハヤソノマヽ棄テヲキ、省ミサルモノナリ。仁愛自然ノ涙ハ出レトモ、誠ノ尽ル道ヲバ知ラザルハ是非ナキコトナリ。何方モ古今トモニ物シラヌ親切ノ世話ヤキアリテ、其人ノキリモリニテヤヽ心アル孝子モソレニマカセ、心ナラサルコトアルハ通情ナリ。礼シラザレバ親切ノ世話モ害夛キコト、コレニ限ルベカラズ。此親切ノ世話ヤキト云モノ、武家ニモ市井ニモ田舎ニモアリテ調法ナルモノナレトモ、妨アルモノナリ。

一、家屋ノシゲキ所ニテハ火災ノ変多キ故、一刻モハヤク死者ヲトリ片付ヘシト云説、古今ノ口実ニテ、皆々火災ノ憂ハ覚アルコト。江戸表ナト一入ノコト故、コレニ服セヌ者ハスクナシ。コレ尤ナルヤフナレトモ、サレバトテ、礼ノ重キモノ、殊更我親戚死シ蘇ルコトモアラント赤心ノ誠ヨリ感シテ制シタル垩賢礼典ノ日数ヲ火事アランカトテ地下ニ埋ントセハ、コレタヽ事ノ障リナキヲ主トシテ心ノ誠ニ本ツカス、成敗ヲ求ルノ意ニテ、世俗ノ人ハ尤ナレトモ、學者慎終ノ心ニアラス。况ヤ又火災ニカキラス物ニ遇ト云モノアリテ、タトヒ成敗ヲ以テ云フトモソレ々々ノ遇アレバ、急ヒテアシキアリ後レテヨキコトアリテ、産婦臨月ノ期モ各幸不孝アル如ク、萬事ニ急ガズバヌレマジモノヲト云歌ノ心ヲ、ヨク遇ト云コトヲ云カナヘタリ。サレバ火ノ用心ヲスヘキコトハ初喪ノ第一肝要ナレトモ、火事シケキユヘハヤク葬ントハ心薄キノミナラズ、術拙キト云ヘシ。サテ序ナレバ瑣細ナコトナレトモ申サン。トカク死者家内ニアルトキハ誠ニ火災ノ変ノソナヘ第一ニテ、大身ノ人ハ格別ナレトモ、小身ノ者ハ急火ニテハ殊ノ外手ニアマルコトナリ。トカク一人カ二人ニテハヤク死者ヲトリノケル手段ヲツケヲクベシ。コレモ其仕方ハ如此スベシト豫メ書付ケヲケバ、却テ障リアルモノナリ。臨終ノ初メニハヤ火災アラハ如此スベシト手軽キ仕法ヲ定メ、家内ト云合セヲクベシ。棺ニ納メ蓋ヲシメテカラハ、何ホド手軽クトモ四五人以上ナラデハ取片付ナラザレバ、棺ヘハヤク入ストモ、或ハ棺ニ入レタリトモ未蓋ヲセザレバ、死者ヲ引出シテ負ヒニクルコトモアレバ、コレ又ハヤク入棺シ蓋ヲセザルコト、火災用心ノ一助タリ。大概都下ノ士モ市井モ中人以下ハ、火災ノ用意ニ負ヒツヾラト云モノヲ所持セヌ家モナシ。コレニ納レバ僕ニテモ或ハ婢ニテモ達者ナル者ハ力ニ及フコトナリ。又至テ下賎ニテ志アル人ハ却テ己ガ肩ニテモ弁ズベシ。コレニモ限ラサレトモ、如此心ヲ配リ置ケバ、火災ト云テモ左ホドニモナキコトナリ。歴々ハ萬事ノコルコトナケレバ、コレ等ノコト論ニ及ス。左ノミ大事ニモナキコトヲ豫メ慮ルヨリシテ、古人誠心ヨリ定タル日数ニソムクコトハ淺間ナルコトナリ。

一、火災ノ戒ハ自火ヲ用心スルヨリ外ハ勢不及コトナリ。然ルニ自火ト云コト、大屋鋪或百姓ノ居宅ナトハ自火サヘナケレバズイブンニ恙ナキコトニテ、十分ニ死者ヲ取ノケル間アリ。但シ家中ノ長屋ニスム人或ハ市井ノ借宅ニテハ、壁一重ノ隣ハ此方ノフセクヘキニ非レバ、吾自火ノ戒メ至テ謹密ナリトモ、近隣ノ失火ガ自火モ同前ナレバ甚不安心ナレトモ、自分ノコトヲツヽシムノ外ハ度外ニ置クコト。垩賢ノ心ニテ左様ノ時ハ天ニ任スルコトナリ。サレバトテ死者ニ恙ハナク、生者立ノマヽニテノクバカリナリ。立ノマヽデノクト云コトハ、初喪ノ変ニカギラズ自餘ノ火事ニモアルコトナリ。コレ又異トスルニタラズ。サテカノ大身ノ喪ナトハ自火サヘ出サネバ大ナル憂ナシト云ニヨッテ思フ。ソノ自火ヲ出サザル用心誠ニ利益アリ。凡ソ火事ハ天災モアリ人事ノ粗脱モアリテ出ルコトナリ。ソノ人事コソ手段アルベキナレトモ、年中二六時中ノコトニハ勢及ヒカタク、下々ノ粗脱アルトモ常情ナリ。但シ喪ハ大故ナレバ、大身ノ御方ハ事十分ノ手段ユキトヽケハ、其勢ニテ大故ヲ處スルトキワヅカ発引ノ前、自火不出ヤフニ制スルコトハイト易キコトナルベシ。シカシ易キトテ手段ナクテ事ノユキトヾクコトハナシ。コレ亦カキツケヲキタキコトモアレトモ、豫メ記シヲケバ障リニナルモノナリ。ヶ様ノコトニ至ルマテ未発之愛滋味親切ヨリ生シ、サテ英雄ノ手ニアラザレバマヘラヌコトニテ、通練底ノ人モ謹愿的ノ徒モ生活ノ意思ナケレバユカサルナリ。火災アリトモ、コノ方ノ手段トヽケハシキニ撲チ滅スベシ。火事ヲ消スモ合戦ノ小ナルモノナリ。コレヲトヽムルコトモ帷幕ノ中ニメクラスベシ。尋常ノシムケニテハ事ノユキ届クコト覚束ナシ。

一、トカクニ葬ノ延引スルコト時俗ノ人心ニ適セス。上ヨリノ制禁トテモナケレトモ、時制アルヤフニモテナシ、ハヤク葬ルコトヲ得計トス。コレ人心ニ適セサルニ由レリ。此処甚タムツカシキコトニテ、右ノ要義ハ吾親属及ビ同志ノ間ニ行フコトナレバ、世俗ノ人心ニ適セサルコトハ妨ケナキヤフナレトモ、葬事ハ親旧同藩郷里ヨリアツマルモノナレバ、世俗ノ心ニ適セサル処、即チ親属同志ノ家ニ行レサルノ端的ナリ。故右ノ要義人々ノ心ニ興起スルヤフニナシタキコトニテ、伊川ノ家法一二ノ人家化スルノ趣ニ同シキヲ欲スルナリ。
【語釈】
・一二ノ人家化スル・・・『近思録』治法17。「正叔云、某家治喪、不用浮圖。在洛亦有一二人家化之。」

一、人ノ情ニ大病苦痛甚シク堪ヘ難キ時ハ刄ハニテ自滅シタキト思フ心アリ。コレウロタヘタルナレトモ亦人情ノアルヘキ処ニテ、堪ヘカタキヨリ出ルナリ。サレトモ必死ノ病症ニテ快気セサルヲ知リ、長病ニ退屈シタル人アリテ、早ク死タキトハ云ヘトモ、生ケナカラ埋メヨトタノミタル人ハ古今キカサル。人ノ眞情ニ思ヒ迎ヘテモ、地下ニ蠢テモヨシト云意ハウカバザル情思ナレバ、地下ニ蘇リタルトキノ心如何ト試ニカンガヘミヨ。コノ心考ヘ見ハ、早ク葬ルノ心アルヘカラズ。下人ノ口ニ、死ナハ一ト思ヒト云ハ、至テ切ナル情ナリ。コレニテモ思フベキコトナリ。

一、先軰ノ咄シニ、ウツケタル親ノ遺言ニ、吾死セバ首ヲ切リ淺艸川ニ流セトアルニ従ヘキヤト云コトアリ。コレハ遺言タリトモ乱命ニハ従フヘカラスト云ノ説ナリ。外ニトリ用ル咄ニハアラス。サレトモ右ノ要義ニ付キ細ニ推ス。乱命タリトモ凡ソ人心ニ出ルコトニ因ルコトナキコトハナキハツナレハ、カク云愚耄ノ乱命ナリトモ何ノ故ニテ如此遺言スルヤト尋ネミレバ、甚タ思ヲ過ス。人ハエシレヌユクカタヲ思案スルモノナレバ、カク云遺言モ世俗ハヤク葬ル習ヒユヘ、カヽル親ユクカタヲ思ヒ、萬一地下ニテ蘇リナハ其苦ニ堪ベカラサルユヘ、首ヲ切リ淺草川ニ流スヘシト云タルカモハカリカタシ。コレ先軰ノ咄ノ主意ニハアラサレトモ、コノ要義ニヨリテ推セバ、愚耄ノ遺言コノ意ニ出ルカモハカラレズ。近ク予ト懇意ノ者ノ妻、予カ亡兄ヲ葬ルノアラマシヲ其夫ノ物語ニテ聞キ、儒家ノ葬礼ハ誠ニ厚キコトナレトモ、吾ハ火葬コソ望マシキト云ユヘ、其夫何ユヘカクハ申スト咎レハ、妻云、地下ニテ蘇リタルトキハ苦ミ堪ヘカラサレバ、焼タルコソ苦ミナシト答フ。此等ニテモ、人ノ心ニ地下ニテ蘇リタルコトアラハ、恐ルヘキコトニコレホト苦シキ思ハアルマジ。思ヒ付ケザレバコソナレ、思ヘハコノ上アルマシ。サレハ礼ハ心ニ本ツキ仁ハ人ノ心ニ不忍ノ意ヲ体セザレバ、葬ノ厚キモ皆虚文ナリ。

一、今諸家ノ倍臣ニテ葬ノ延引スルコトハ、養子願其外跡目等ノサマ々々曲折アリテハ十日モソノ余モ延引スルコトアリ。コレハ偽ノヤフナレトモ、私ニ似タル処即チ公ノ道ニテ、白直ニ死ヲ廣メ家ヲツフサハ親戚ノ内人ナキト云ヘシ。或ハ咎メモアルベシ。コノコトハ並モアルコトニテ、人々心得アリテ下々冝シク取計、葬ノ延引スルコト公ノ道ニ叶フ。左様ノ取扱冝キヲバ才徳兼備タルト云ホトノコトナリ。サレトモ只何叓ナク天命ニテ終リ、実子アリ、跡目曲折モナキ葬ニ彼要義ヲ以テ三日ヲ歴テ葬ント云ヘハサマ々々ノ異論アルコト、本礼ヲ知ラス、心中ニ感動セサルニヨレリ。誠ニ不学ノ過チナリ。

一、人ノ死ハ魂ノホリ魄クタリ、多葉粉ノ煙リ、タバコノ吸ヒカラ再ヒ合サルガ如シ。蘇ランヤト云此説固リ然リ。但シ常変一ナラス、死ノ再ヒ蘇ラサルハ常ナリ。蘇ハ変ナリ。常ハ夛ク変ハ少シ。サレトモソノ理ナキコトナシ。况ヤ物ニ大小ノ分アリ。多葉粉ノ煙リト吸ヒカラトハ生死ノ理ヲ喩ルニハ的切ナレトモ、萬物形気ノ上ハ左ノミニアラス。鰻魚ノ首ヲ切リタルモ几上ニテ良久ク動クニテミルヘシ。マシテ人ノ身ハ萬物ヨリ全ク、血氣満チ臟腑具リ首領ヲ全フシテ氣絶スルモノ。形体ノ中ニ生氣未滅モノ存シ、魂魄一端ハハナレタリトモ天地生々ノ気ト一マイナレバ、氣血ノ未ダ悉ク滅ヒサル処ノモノ天地生々ノ氣ニ乘シテ蘇ルノ理アリ。幽灵ノ類ハ巌タル氣ノアツマルニテ形ナシ。魂ノ為サナリ。蘇ルハ精魄ノツキサルヨリ魂ヲヨビカヘスニテ、魄ノ為サナリ。体魄上ノコトナリ。サレトモ遊魂ノアツマルハ日数ノ限リナケレトモ、精魄ハ形体ニ付タルモノユヘ、三日ト云日数ツキレハハヤヨミカヘラサルナリ。コレ風ノ止ミタルハ又起レトモ、解タル氷雪ハハヤ又凝ラサルノ理ナリ。故ニ三日過レハ又蘇ルコトナキナリ。

一、學問ハ仁知ノ二ツナレトモ、各主トスル処アリテ、葬リナトハトカク仁ノ作用ナレバ、纔ニ知底ノ消息アレハアル処情ウスク、薄キ処即チ礼ノ本ヲ失フ。知ヅリナル心ヨリ云ハヾ、死者ハ終ニ亡ルニ帰スルナレハ、古礼ノ厚キモ必シモ行フ心アル可カラズシテ、殊更三日ノ内ハ或ハ蘇ルナドノ説ハ愚験ナルニ似タリ。コレ即チ桐棺三寸七賢八達ノ心。垩賢ノ罪スル処ナリ。此見処至テ大切ニテ、所謂仁智交際之間ナルモノ、道学ノ宗旨ナリ。去レトモコヽヲ了會スルハ学知ニテ、無学ノ人ノ仁愛底一ツトシテ頼ミナキコトナリ。
【語釈】
・桐棺三寸・・・『荘子』天下。「古の喪禮は、貴賤に儀有り、上下に等有り。天子は棺槨七重、諸侯は五重、大夫は三重、士は再重なり。今墨子獨り生なれて歌わず、死して服せず、桐棺三寸にして槨無く、以て法式と爲す。」
・七賢八達・・・七賢は竹林七賢。阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎の称。八達は、胡母輔之・謝鯤・阮放・阮孚・畢卓・羊曼・桓彝・光逸。

一、父母妻子ホド親シキ者ハナケレトモ、我身ホトニ思ハサルユヘニ能近ク取リ譬フトハ云ヘリ。カヘス々々々モ吾身モシ地下ニ蘇ラバ其時ノ心如何ト、吾身ニ引付テ思ヘシ。所謂認得為己何有所不至トハコヽヲ云ヘリ。コレ滋味親切孔門教ヲ設ルノ本領ナリ。
【語釈】
・能近ク取リ譬フ・・・論語雍也28の語。
・認得為己何有所不至・・・論語雍也28集註。「己為るを認得せば何の至らざる所か有らん。」

一、市井ノ風俗、同町ニテ葬埋ニ互ニヨク世話スルコトヨキ習セナリ。其上ニ礼ヲ知リタラハ、何カ加ベキ美談ニナルベシ。タヽ人ノ世話親切ニヤクコト人々ノ生付ニアルトハ云ヘトモ、人心ノ自然ニ出テ性善ノ證ナリ。サレトモ学問ナキ故、埒明ニ片付ケ利便ニトリ計ルコトヲ能叓ニスル故、喪ハイソカワシク事夛キト云ヘトモ、カノ親切ノ世話ヤキ利便ノ捷径案内ナルユヘ、事々了々トシテ即時ニ葬事成ルコト神妙ナリ。學者ヤヽ礼ヲ知リ、或ハヤヽ志アル人モソレニカフレ、葬ヲハヤク片付ルコト通情ナリ。トクト思フニ、人死シテ蘇ルト蘇ラザルノ沙汰ヲ置テ、生死ハ事大ナリ。人間一生ノ別ナレバ、少シハ留メヲキ暇乞スル心アルベシ。人ノ旅立スルニ、四十里或ハ五十里ノ道ハ一二旬ニテ歸ルベシ。ソレサヘ互ニ暇乞トテ往来シ、或立振舞ナトヽ酒饌ヲ設ルニ、マシテヤ又ミンコトナキ別ニ、一日半ノ間ニハヤ葬ルコト、死生ノ趣キ何トテカクハ異ナルヤ。人心ノ軽薄ト佛ノ導キト又一種ノ穢レト云忌ミ事ニ起レリ。皆心ノ軽薄ト古ノ礼ニ昏キニヨル。ソレノミナラス、火災ノコトヲ恐ルヽマテカ葬ヲ急クノ一義ニナリ、又ハ夏ノ日ニハ死者臭氣ナトノコトヲ云立、葬ヲ急ニスルコトヲ欲ス。一々ニ論スルニ暇ナシ。タヾ誠ノ心ヨリシテ右ノ要義ヲ必トセハ、夏ノ比[ころ]臭氣出ルトモ親戚ノ因[ちなみ]ナレハ、ソノ臭氣ニタヘシノブベシ。又薫物ト云モノアリ。下賎ノ者ハ抹香ナト云得安キ品アレバ、左ノミタヘカタキコトハナイモノナリ。タマ々々ハタヘカタキ臭気モアルベシ。豫メソレヲ云人ハ不仁ノ心ナリ。予先君子ノ命ヲ以テ一六七ノコロヨリ人ノ葬埋ノ世話ヤキ、沐浴マデモ手ヅカラス。朋友我ヲオンボウ儒者ト嘲弄セシタメシモアリキ。数十人手カケタル死者、殊更骨肉ノ外多ケレトモ、タヘカタキト覚ヘタルコトモナケレバ、コレニテ人ヲ恕スルコトモ心得ス。吾身モ終ハ人ノ手ニカヽレバ、吾モ人ノ屍ヲ手ニカケ穢ラハシキト思フ心ナキコトト知ルベシ。
【語釈】
・オンボウ・・・墓守・埋葬を業とする賤民の称。隠坊・隠亡・御坊。

一、世ノ人ハ禍福報応ノコトヲ心ニ掛テサマ々々ノ祈禱ヲ以テ禍ヲヨケルコト多シ。儒者ハ左様ナルコトヲ取ラサルユヘニ、儒者ヲハヲシコトヲスルト毎々訶ヲ請ケルナリ。因テ姑ク儒者ヲ以テ禍福報応ノコトヲ云ハヾ、世ノ貧乏短命ノ徒、或ハ多病多難ノ人ハ、親戚ヲ早ク葬リ、地下ニテ蘇リタル苦ミノ報応ニテハナキヤモ計リカタシ。地下ニテ蘇リタルヲミタモノモナク、又ハヤク葬ルトモ决シテ蘇ルコトナシト云證拠モナシ。皆片便ナレトモ、凡ソ片便ナルコトニ祈祷サヘスルコトナレバ、右ノ一大要義ヲ誠ニ云赤心ヨリ体認シ、父母親戚一生ノ別レノ時、ワツカ三日ノコトナレバ、アヽ世ノ人知惠ノ働ヲ出サス、姑ク愚昧ノ思ヲナシ、古人ノ説ニ従ヒ三日ヲ過テ葬ルベシ。是レ礼ノ当然ニシテ其心安カルベシ。即チ礼之用和為貴。此処未発之愛、滋味親切の消息也。
右親属舊友之為ニ斯々ニ書付テ置。辛丑秋七月十二日
【語釈】
・礼之用和為貴・・・『礼記』儒行。「礼は和を以て貴しと為す。」「用」は「以」に同じ。
・辛丑・・・天明1年。1781年。

追記。程子云、有死而復蘇者。故三日而歛。未三日而歛、皆有殺之理。外書十一。
悪火葬以薄於死也。悪早葬以薄於生也。早葬謂未過三日而葬也。俑者枯槁物也。然夫子云、其無後不逾三日而葬者、何保不蘇於地下哉。然欲速欲了、且早葬之亦何心那。其心薄似乎火葬也。過三日後火葬、雖非禮而孰若不慮蘇地下哉。向將死者言之、蘇地下其心如何。人々必遺言曰、必過三日矣。是自親切処。儒者有知見故其教不入愚夫愚婦之心。独此事親切説、乃入愚夫愚婦之心。當有益於名教矣。
清名幸谷葬事、男女従行。既葬、隣佑負喪家婦女而反。因婦人哀哭甚不能歩也。杖之重也。是古俗之善者也。以上二条壬寅雜記。
【読み】
追って記す。程子云う、死して復蘇る者有り。故に三日にして歛す。未だ三日ならずして歛するは、皆之を殺すの理有り、と。外書十一。
火葬を悪むは死を薄くするを以てなり。早葬を悪むは生を薄くするを以てなり。早葬は未だ三日を過ぎずして葬るを謂うなり。俑は枯槁の物なり。然して夫子云う、其の後無く三日を逾えずして葬る者、何ぞ地下に蘇らざるを保たんや、と。然るに速やかなるを欲し了せんことを欲し、且つ早く之を葬るは亦何の心ぞや。其の心火葬似[よ]りも薄し。三日を過ぎて後に火葬するは、非禮と雖も地下に蘇るを慮らざるに孰若[いずれ]ぞや。將に死せんとする者に向かって之を言え、地下に蘇らば其の心如何、と。人々必ず遺言して曰ん、必ず三日を過ぎよ、と。是れ自ずから親切の処。儒者は知見有る故に其の教愚夫愚婦の心に入らず。独り此の事親切に説かば、乃ち愚夫愚婦の心に入らん。當に名教に益有るべし。
清名幸谷の葬事、男女従行す。既に葬り、隣佑喪家の婦女を負って反る。婦人哀哭甚だしくして歩すること能わざるに因れり。杖の重きなり。是れ古俗の善き者なり。以上二条壬寅雜記。
【語釈】
・壬寅・・・天明2年(1782)。


九、六禮之大略講義 寛政辛亥二月二十六日講。門人繊邸花澤文次所録。
【語釈】
・寛政辛亥…寛政3年。1791年。
・繊邸花澤文次…林潛齋。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。

伊川先生曰、冠昏喪祭禮之大者、
【読み】
伊川先生曰く、冠昏喪祭は禮の大なる者なるに、

已酉文七録曰、冠昏喪祭ハ礼ノ中デ一チ重ヒコトナリ。礼ハ三千三百ノ数ヲヽイコトナレトモ、冠昏喪祭ガヲヽヅナニナル。網ハ大ヅナアッテ萬目ガアガル。人間モ此ノヲヽキナ処ニ礼カアッテ、ソレカラサマ々々ナ細ナ礼ヲスル。是ガナイト小笠原ニナッテシマフ。此四ツハカヽレヌモノナレトモ、垩人ノ世ヲサッタモノユヘ、誰モ合点シテヲルモノガナイ。
【語釈】
・已酉…寛政元年。1789年。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。

今人都不理會。
【読み】
今人都て理會せず。

學問セヌモノヽアハレサハナリ。今日俗人ハ學問セヌユヘ、心ノ内デハ実ハ学問ヲコハガルモノ。俗人ハ小カシコクテモ、理會セヌト云デ哀レナコト。学者ノ三分五厘ニモセヌコトヲモ夜モ寢ズニ案ジタリ、又、学者ノ安堵セヌコトハ何トモ思ハズニノロリトシテヲル。ソレヲ不埒ナト云デハナク、不理會ナリ。世間萬般見皆下品ト朱子ノ言ルヽ。サテ々々浅間ナ心入ゾ。小児ニ蘭麝待ヤリテモ金箔ノガラ々々ト取カヘルト云モ、大切ナモノ理會セヌユヘナリ。

豺獺皆知報本、今士大夫家多忽此、
【読み】
豺獺[さいだつ]は皆本を報ずることを知る。今士大夫の家多く此を忽にし、

程子ノ涙ヲ流シテ云コトナリ。人ハ萬物之靈ト云ナガラ、アノ豺獺ニモ及ヌト云。ホロ々々涙ナリ。周公ノ驅豺象ト云。アレサヘ知ルニ、人ガ知ラヌハ何事ゾトナゲカルヽ。已酉文七録曰、禽獣ハ無智ナモノナレトモ、人間ニ先祖ヲ祭ルト云フコトガアル。ソレヲアレラカアヤカリテ、此様ナコトアルナリ。烏ニ孝行ノアルト云モ、人間ニ孝ト云フコトノアルガ烏ノ反哺ヘウツリタモノ。一理ユヘ、人間ニアルコトカ豺獺ニノリテヲル。理ガ一ユヘ、線路ノ明ヲウケテソノヨウナコトガアルナリ。前ニ今人都不理會トヒロク後世ノ人ト云テ、アトテ今士大夫ノ家ト云ガ面白ヒ。御人柄ニモ似合ヌナリ。コヽデ日雇取ト云ヘバ其モ尤ト云ニナル。自分ノ身ヲ奉養ハスル、普請モ立羽ニスルガ、祀堂ハ建ヌ。自己ハ僅カ平ノアンバイワルクテモ好事ヲ云フガ、先祖ノコトニハ何ニモカマハヌ。此ハ沙汰ノカギリナコトデ、ワルヒニ此上ハナイ。ソコデ伊川先生ガ脩六礼ナリ。

厚於奉養而薄於先祖甚不可也。
【読み】
奉養に厚くして先祖に薄きは甚だ不可なり。

太平ノ代ノ歴々ノ飲食ハスサマシイコト。魚肉野菜美ヲ盡シテスルガ、先祖ハソフナイ。軽イ者ノデイデモ、我遊山ノ時ハ立派ヲスルガ、先祖ノコトニハ寺ガアレバコソマダシモナレトモ、平生雜茶碗デ茶ヲ備ヘ、生霊棚アノキタナイ土器ナトテムサイコトナリ。手前ノ日待ヤ花見遊山ノトキノホドニハセヌ。

某嘗脩六禮大略。六禮、冠・昏・喪・祭・郷飲酒・士相見。
【読み】
某嘗て六禮の大略を脩む。六禮は、冠・昏・喪・祭・郷飲酒・士相見。

伊川ノハ只今ノ世話ヤキ儒者トハ違フ。今日シキニ用ニハ立ヌ。直ニ用ニ立カラハ俗儒ノ了簡。垩賢ノ礼ハソフユカヌ。周公ノ大略カラシテコノ六礼ガ本立ナリ。文七録曰、今二程全書ニアラマシ出テアリ、アレヲ讀テミルトシレル。

家必有廟、古者庶人祭於寢、士大夫祭於廟。庶人無廟、可立影堂。
【読み】
家に必ず廟有り、古は庶人は寢に祭り、士大夫は廟に祭る。庶人は廟無ければ、影堂を立つ可し。

文七録曰、必々ト云ハ略サレヌコトヲ云字。ナクテスムコトガアル。無用ナモノガアル。ソレヲ唐ノ文字デ長物トモ云、贅物トモ云。ソノヨウナ榮曜(耀)道具ハナクテモスム。ナクテナラヌモノハ、イカホド身代カセツナクイソカシクテモセ子ハナラヌ。女房ヤ子ヲ居ク家ハ誰カ建テ居カセルト云ニ先祖ナリ。女房ヤ子ヲ置ク部屋ハアリテ先祖ノ部屋ガノフテハツマラヌコトゾ。ドンナコトデモ此ヲ一チ先ニシテヲカ子バナラヌ。礼記ノ語ヲ家礼ニモ引テアリ。君子將営宮室必先立祠堂ノ先ノ字ガ此必ノ字ト同ジコト。先祖ノ廟カラサキニコシラヘル。然レトモ、礼ノ明ナ時デモ百姓町人ニハ宗廟ハナイ。ソコデザシキデ祭ルトアル。コヽハ伊川ノ当時ノナリデ云タモノ。伊川ノ時ハ天下一統ニ礼ガナイ故神主ハナイ。祖父ヤ父ノ顔ヲカイテヲク。ソコテ影堂ト云フ。ソノ御定ノ影堂ヲ建ルガヨイ。淺見先生ガアノ礼ヲ守ル人ナレトモ、文字ノ筋ヲシラレタ故、コレヲ持佛堂ト思ヘト譯サレタ。持佛堂ノナイ家ハナイ。日雇取ノ内ニモアル。然レトモ、伊川ノ意ハ俗礼ヲシロト云意デハナイ。分ニ古ノ制ニコシラヘルコトヲセヌナリ。意サヘ合点スレバヨイト云コト。影堂デスムト云コト。凡ソ礼ヲ説ハ、垩人ノ本意ヲ合点シテ、今日ヘナルヨウニスルガヨイ。本意ヲ合点シテモアワヌコトハワルイ。直方先生云フカマボコガソレデ、古ノコトモ六ヶ敷ヒコトナク、今ナルヨウニスルト、ソンナラナルト云。ナラセルコトデナケレバ礼ハ頓トナラヌ。
【語釈】
・君子將営宮室必先立祠堂…家礼。「君子将营宮室,必先立祠堂于正寝之東。」

上總ナドデハ庶人ノ字ヲ大切ニキクベシ。影堂ハ畧シテ農工商ノ為ニスルナリ。コレニモ法ガアル。先ツ先祖ヲ画像ニシテ祭ルコトナリ。京都二タ瀬村ニ林家ノ領分アリ、道春ヨリ二三代ノ影堂ガアル。アレナドガ今手本ナリ。百姓ガ奢ガワルイトテ、二疂四方ニ影堂ヲ立テモ何レカラ御咎メカアロフト思フゾ。画ニセズハ名ヲカイテ置テモヨイニ、手前ノ栄耀ニハ奢ヲ極メテ公儀カラ御咎メアルベキコトモスル。影堂ハ僅ニ一間四方ニシテモヨイ。画師ガ書テモ朝夕先祖ニ御目ニカヽルト云デアツクナル。俗人ガ得手公儀ヲハヾカルト云フ。コレガ桀紂ノ代ナラバハヾカルベシ。ソレトテモ、桀紂ノ世デモ手前ノ為メニワルイモノハ炮烙ニモセフガ、影堂ハ桀紂デモ咎メハナイ筈ナリ。シカラバ小学近思ヲヨミカヽル泰平ノ世ニ、コノ思ヒ立テナキハイカヾナリ。刑不上太夫礼不下庶人ト云テ、庶人ト云テ御差圖ナレバ、学者遠慮ハナイ。殊ニ御当家ハ道春ヨリシテ後上テ程子ノ学ヲ御用ヒナレバ、今日本デ一間四方ノ影堂ヲ建タトテ御咎メハナイ筈ナリ。庶人ニ礼ハナイコトナレドモ影堂ト云ハルヽハ、庶人ノ為ニ義起ナリ。コレヲ伊川ノ差図ナレバ学者モ遠慮ハナイ。コノ章、小学ニモ載セテアルコト、タレモ知タコト。此ハ先祖ノコトナレバ是非セ子バナラヌコトナレドモ、然ルニコウサツガ出テ三尺ノ一枚板デスルト云ユヘ、ハヤ出来ヌコトニナル。先祖モ本萱葺ニ居タモノユヘ、ヤハリカヤブキニシテヨシ。一間四方軽クテモヨイ。蘆天井ニシテ、屋鋪ノ隅ノ杉ノ木ヲ四本キレバ出来ルコトナリ。今影堂ヲ建ルホドノ学者ハ入ラザル書物ヲヨミ、イロ々々ノ虚文ヲカイテ異国ノ眞似シ、仰山ニスルユヘ行レヌ。
【語釈】
・刑不上太夫礼不下庶人…礼記曲礼上。「禮不下庶人、刑不上大夫。刑人不在君側。」

廟必有主、高祖以上、即當祧也。又云、今人以影祭。或一髭髪不相似則所祭已是別人、大不便。
【読み】
廟に必ず主有り、高祖より以上は即ち當に祧すべし。又云う、今の人影を以て祭る。或は一髭髪相似ざれば、則ち祭る所已に是れ別人、大いに便ならず。

文七録曰、廟ニハ神主ト云モノガアル。サテ其神主ノコシラヘヨウハ家礼ニ出デアリテ、形迠フカイアヤノアルト云フコトテハナイ。サテ先祖ヲ祭ルト云ニナッテハ大切ナコトデ、先祖モ夫婦アッテシタモノユヘ夫婦ナランデスル。神主モ夫婦、祭ル者モ夫婦。寺メカヌコト。夫婦並ブト云フコトハ仏法ニハナイ。アノ方ハ子ヲモタヌヲ道トミルユヘコノヨウナコトハナイ。サテ先祖ヘダテヲシテハ鬼神ノ感挌ハナイト思フガヨイ。父母アッテ此方モ生タユヘ夫婦テ祭ル。ヅンド先祖ノコトニナッテハ仏法ノ筋トハ違フコトゾ。伊川ノ時分、祖父ヤ考ヲ畵像ヤ木像ニスルコトガハヤリタ。コレモ子タルモノヘハヒヾクコトナレトモ、伊川ノ思召ニ、是ハ易ス大事ナコトジャ、チットモチガハズハヨイガ、スコシテモチカヘバ親ト思フテモヨノモノナリ。日本デモ畵像ガアッタトミヘル。東照宮ノ林道春ヘ初メ百石カ下サレテ、京都ニ今ニ其跡アリ。某モ先年上京ノ節行、彼所拜シタルニ、道春ヨリ近代ノ林公皆畵像デアリ、ニタラハイコフヨカロフト思ゾ。

コレガ伊川ノ御差圖ナリ。宋迠ハ親バカリ庶人ハ祭ッタガ、程子カラハ上高祖迠ハ忌服ガアルユヘ主ヲ置テ祭ル。高祖ガ生キテ居レバ忌服ガカヽルユヘナリ。會津ノ中將様ノ遺意ナリ。當時ハ服忌令ガアル。ソフタイ武家ノ制度ハ神君ヨリ二代將軍三代將軍ノ御代迠ニ撰レテ、諸法度黄門公ナト御列座ニテ御世話遊バシ、林春齋ナドノ手ニテ出来タルヨシ傳承ル。又、會津様ノ治教録ガ天下ノ法ニナル。日本デ庶人デモ四代ヲ祭リテヨイト云ハ中將様ノ遺言ナリ。然レバ服忌令ノ通リ高祖迠服忌アルカラハ、四代祭テヨシ。以影祭或一髭髪不相似云々。宋朝ガ画像ナレドモ少シ似ヌ処ガアリテハヒョンナモノ。長谷川觀水殿ノ話ニ、アノ人ノ朋軰ニタノマレ、祖父ノ寺忍アタリニアルヲ君命ノ序ニユキ其影堂ヲ見タニ、祖父ノ画像ガヨク子孫ニ似テ、彼画像ニアル画ノ鍔ヲ見レバ平日孫ガサシタ鍔ナリ。イヨ々々親切デアリタトナリ。如此ナレバヨシ。ソコハ画ノ親切ニテ、ヨク似レバヨイガ、似ヌト別人ニナル。
【語釈】
・會津の中將様…保科正之。江戸前期の大名。会津の藩祖。徳川秀忠の庶子。保科氏の養子。会津二三万石に封ぜられ、将軍家綱を補佐。社倉を建て領民を保護。儒学を好み山崎闇斎を聘し、また吉川惟足の神道説を学び、その伝授を得た。諡号は土津霊神。1611~1672
・神君…徳川家康の尊称。
・林春齋…林鵞峰。江戸前期の幕府の儒官。羅山の第三子。名は恕・春勝。僧号、春斎。幕府に仕えて「本朝通鑑」などの編集に従事。博学で、「鵞峰全集」「日本王代一覧」など著書が多い。1618~1680
・長谷川觀水…長谷川克明。源右衛門。

月朔必薦新、如仲春薦含桃之類。
【読み】
月朔に必ず新を薦め、仲春に含桃を薦むの類の如し。

本トノヲコリハ礼記月令ニモアリ、先薦寢廟ト云。コレガ天子ノスルコトナレドモ、下々モナルコトナリ。新米ヤ庭ノ栗ヲスヽムルガ出来ヌコトデハナイ。又、僭ニハナラヌ。淺見先生ノ新米振舞ナリ。ソレデ新ヲ祭ルガヨイト云ハルヽ。畑ケノ茄子ヤ爪デスルモ大フ殊勝ナコトナリ。
【語釈】
・先薦寢廟…礼記月令。「是月也、農乃登穀、天子嘗新、先薦寢廟。」

時祭用仲月、物成也。古者天子諸侯於孟月者、為首時也。時祭之外更有三祭。
【読み】
時祭は仲月を用い、物成ればなり。古は、天子諸侯孟月に於てするは、首時為ればなり。時祭の外更に三祭有り。

一年ノ内四度スル。春ハ二月、夏ハ五月、秋ハ九月、冬十一月ナリ。ナラヌハ誠ナシ。誠アレバナラヌコトハナイ。生テヲレハ誠ナクテモ父祖ニ食事ハスヽムルテミヨ。

冬至祭始祖、冬至、陽之始也。始祖、厥初生民之祖也。無主、於廟中正位設一位、合考姒享之。
【読み】
冬至に始祖を祭り、冬至は陽の始なり。始祖は厥の初生民の祖なり。主無ければ、廟中の正位に於て一位を設け、考姒を合して之を享す。

下ノ立春祭先祖トコノ二ツハ程子ノ制作ナレドモ、大フ重イコトユヘ朱子モ始ハ程子ニシタガハレタレドモ、後ハ僭也ト云ハレテヤメラレタ。朱子ノヤメラレタコトユヘ学者モセヌガヨイ。伊川ノ御心ヲ知ルガヨイトハドフナレバ、程子ノ道統傳ヲ継ト云モ一ト通リテハ合点ナラヌコト。御心ガ垩域ニ至リタユヘナリ。程子ノ誠ノ垩人ニ至ルト云モ人欲ガナイユヘ。先日ノ処ニモ天子ノサシ向テシラナコトアリ。コヽラモ天ヘトヾクユヘコノ組立ガナル。山﨑先生ノ神道ニ入ッタモヤハリコヽヘノリガキタユヘナリ。コノコト早速合点ハユクマイガ、ソフナリ。先生ノ神道ガ覇業デモ術数デモナク、又、外ノ文盲ナ神ン主ノ意テモナイ筈。人欲ガナクナルト心ノ感通スル処ガジカニアル。扨ドコ迠モ感通スルト云ヲ知ルト、直方先生ノ云ワルヽ、祭リタクテナラヌナリ。某抔ノヤウナ二男ニ生レ、祭ト云面倒ガナク、傳十郎ヨリ大三ハ世話ガナクテ德ジャト思フヨウナ心デハ伊川ノ御心ハ測ラレヌコトナリ。コチガヲヽチャクモノユヘナリ。始祖ハ天地開ケテノ先祖ナリ。祭ガ心ニノルト祖父ハ我父ノ親、其親ハ曽祖ト、アナタノアナタニナリテ眼ニ見ヘヌヤウニナル。コノ根ガナク、叔孫通ガ礼ヲ制シタヤフナハ真木ザッパヲ見ルヤウナリ。三代垩人ノ礼カラ二番目ハ程子ナリ。誠カラ義起ナリ。周官ノ法モ關雎麟趾カラ出ルヤウナモノナリ。コノ冬至ニ祭始祖ト云ガ平生飲食ノ神ヲ祭ルヤウナモノ。コノアヤデ本ヲ大切ニセ子バナラヌ。生民之祖也。氣化ノ祖ヲ云。物ノ出来タ祖カタクアリタモノ。ソレカナケレバ今此身ハナイ筈。中辺カラフト出キタト云人ハナイナリ。然レバ開闢カラ我迠一トツヾキニ此呼吸ガツヾイテ居ルナリ。
【読み】
・傳十郎…櫻木誾斎の長男。
・大三…櫻木誾斎の二男。
・關雎麟趾…治体21に「明道先生曰、必有關雎・麟趾之意、然後可以行周官之法度。」とある。詩経国風周南の冒頭が關雎で、最後が麟之趾である。關雎の序に「關雎樂得淑女以配君子。愛在進賢、不淫其色。哀窈窕思賢才而無傷善之心焉。是關雎之義也。」、麟之趾の序に「麟之趾、關雎之應也。關雎之化行、則天下無犯非禮。雖衰世之公子、皆信厚如麟趾之時也。」とある。

立春祭先祖、立春生物之始也。先祖始祖而下、高祖而上、非一人也。亦無主、設兩位、分享考妣。
【読み】
立春には先祖を祭り、立春は物を生ずるの始めなり。先祖は始祖よりして下、高祖よりして上、一人に非ざるなり。亦主無きは、兩位を設けて分けて考妣に享す。

始祖ヨリ以下ノ先祖ガ何百人アルカ知ヌコトナリ。今老年デ子ヲ持、其子長壽スレバ先ツ世数ガスクナイガ、若イ子ヲハヤクモッタモノハ先祖ガ多イト合点スルガヨイ。馬鹿ナ講釈ノヤウナレトモ、ソフナリ。某ナドハ百数十年迠ノ内三代テヲル。祖父生レテカラ百五十年ハカリゾ。世ノ中百年ノ内ニハ代替リガ多クアルモノ。某祖父ナドハ明ノ末ノ時分ニアタルガ、今迠某トモニ三代ナリ。始祖カラ高祖迠ハ系譜モナイユヘ知ラ子トモ、アリハアルト思フヤルト云ノテ却テヒヽクコトナリ。分享考妣。両親ヲセウバンニ出ス。父母ハ我身ニ近イモノ。ソレガ使ニ出テ遠イ先祖ヲヒイテ来ルナリ。

季秋祭禰。季秋成物之時也。
【読み】
季秋には禰[でい]を祭る。季秋は物を成すの時なり。

文七録曰、禰ハ示ス篇ニ近ト云字デ、吾身ニ近ト云ニ親程ナモノハナイ。先祖ハ幾人アルカシレヌガ、其内吾カ此體ヲ生ンタト云ホド近ヒコトハナイ。九月ハモノヽ成就スルトキナリ。此月ニ両親バカリ祭ツラレタ。サテ是ハ軽イモノデモシヨイ。ゴマメナマスデモコシラヘテナルコトナリ。朱子ハ禰ノ祭バカリイタサレタ。殊更朱子ハ九月生レ。誕生日ニ禰ノ祭ヲイタサレタ。是等ハ皆ノ衆ヨク々々シラレテヲルベキコトゾ。

別段ニ親ヲ祭ル。新米ガ出来テ祭ルナリ。物ノ成就シタト云ハ天地ノコト。人モ此カラダノ成就シタハ此父母アルユヘ。九月籾ヲ摺臼ニカケルト云モコノカラダカスル。其カラダモ親ガシタト感ジテ祭ル。不敬ナモノハコノヤフニ又モ々々祭ガアルカト欠ビナリ。先日ノ萃ノ卦カラ今日ノ処ガ、父母ヤ先祖ノコトニ欠ビヲ出スヤフデハ天下ノ人心安堵ハナラヌ。先祖ニ欠ガ出ルト君父ニモ欠ガ出ル。ソコテ君ニ仕ヘルト云ハ強仕四十ゾ。ソレヨリ前、祭ヲ大切ニスルガヨイ筈ナリ。九月ノ祭リガ何モ地頭ノ為ニモナラヌ様ナレトモ、天下ノ人心ヲ維持スルノ法ガコノ祭デナケレバナラヌ。月朔薦新カラシテ立春祭先祖ノト、未タアルカ々々々ト祭ルホドデ祭ノ数ガスクナイ。コレデナケレバ天下ノ治至ニ至ラヌ。太平ニスルハ人ノ心ヲ集メルコト。萃王假有廟ユヘ、先祖ヲ大切ニスルユヘ上ヲモ大切ニスルハズナリ。治道ハ本末アリテ、肉ヲ分ケヌ人ニ厚シテ先祖ニウスイト云ハナイコト。ソコテ萃ノ有廟ト云フカラデナクテハ天下ハ治サマラヌ。先祖ヲバステヽヲクガ君上ハ大切ニスルト云、請合ニハナラレヌ。大学経文ニ其所厚者薄而其所薄者厚未之有也、ト。垩人ノ一寸シタコトノヤウテ、アノ結語ノ繋ル処カ廣イ。コヽガキヒシイ処ナリ。コレハコッパ儒者ノ知ラヌコトナリ。経済者々々々ト請合普請ノヤフナハ近思ノ治法デナシ。
【語釈】
・強仕四十…礼記曲礼上。「四十曰強、而仕。」四十歳ではじめて官に仕えること。
・其所厚者薄而其所薄者厚未之有也…大学章句1。「其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。」

忌日遷主祭於正寢。
【読み】
忌日には主を遷して正寢に祭る。

文七録曰、是ハ今ハ寺カヽリニナッテ法事ヲスル。ソレデ忌日ノ名ハノコリテヲル。忌日ハ君子終身ノ喪ト云。時祭ハ目出度祭デ肴モ食フカ、是ハ一生ノ喪ト云フコトユヘ、當日ハ酒モ飲ズ肴モクワヌ。神主ニハソナヘテワレハトントクワヌ。其人唯一人ヲ祭ルニワキヘ膳ヲスヘヌデハ外ノ鬼神ヘ無礼ニナルユヘ、祠堂カラ一ツ神主ヲモッテクル。

凡事死之禮、當厚於奉生者。
【読み】
凡そ死に事うる禮は、當に生きたるに奉ずる者より厚くすべし。

イツモ云通リ、生タ親ハモノヲ云ヘトモ、鬼神ハ羹ガヌルクテモ飯ガコハクテモタマッテヲルユヘヨイハト云ハ薄イ心ナリ。

人家能存得此等事数件、雖幼者可使漸知礼儀。
【読み】
人家能く此等の事数件を存し得ば、幼者と雖も漸く禮義を知らしむ可し。

文七録曰、礼ト云ト人ガ書物ヲアケテミルコトト思ガ、ソレデナルモノデハナイ。シテガアルト自然トスル。今佛ノ経文ノ讀手モナイガ、寺ガ方々ニアルデ子供ガミテヲルユヘ、経を讀ムマ子ヲスル。スル人ガアレバ若ヒ者ガスルキニナル。某東金ノ爺ヲ毎々誉ルモソレデ、アノ男ノ學問ハ好キ次第ヲシテ中々山﨑派ヲフルウト云フコトデハナイガ、先祖ノ祭ヲスルバカリハイカウヨイ。アノ男ノ前々カラスルユヘ、傳十郎ガ子モ定メテ是ハ替タコトヲスルト思マイ。ソコカ雖。幼者ト云ヘトモ礼義ヲシラシムノ処ソ。シテミセルデナケレバ藝ニナル。學者ト云ハズ、人家能云々ガ面白ヒ。世間デハ肴ハ備ヘヌガ、コチデハ肴ヲソナヘル。ソウシテモ段々シテミセルト不思儀ナコトト思ハズ。今人ニ不埒ヲスルコトハ方々ヲカ子ヌモノ。此様ナコトニナルト、人ガドウ云ノ、誰ガコウ云ノト云ハ、ソレハ勇氣ガタリヌユヘナリ。

自姫嶋・柳橋講授諸生於此、餘五十年矣。二人皆謹愨實行者也。唯其究格之不到、未會謹愨實行之著於事者、一大至要之所在、故追遠愼終之誠、一付之小学・家礼講説上、不復有斟酌時冝、竭万分之準擬手段。是以就学之徒、於喪祭二礼、則全任於佛矣。乃平日所講孝経與小学・家礼、果何在。其徒謹愨實行而至著於事、則不謹不實者、實由究格之不到也。獨櫻木剛中断然不從流俗、畧依家礼以竭孝子之分。可謂見義而為勇敢者也矣。予近年此来教一二学者、先投以官制服忌令守時礼、参以絅翁九族圖與太宰純正名者、古礼之斟酌。小学・家礼之用實於今日、切於人心、不違官制、不倍古意、為準而已。佐藤子課會不講家礼。然其施于家也、木主・時祭嚴然在。其知於是益高矣。三宅子培根之訓、小學・家礼為基、踈於此者、不升達支坐。亦篤哉。然其自遺命後事、則用瓶不必據家礼。其識於是乎最達矣。
【読み】
姫嶋・柳橋諸生を此に講授してより、五十年を餘す。二人は皆謹愨實行なる者なり。唯其の究格の到らざる、未だ謹愨實行の事に著るる者、一大至要の在る所を會せず、故に遠きを追い終わりを愼むの誠は、一に之を小学・家礼の講説上に付し、復時冝を斟酌し、万分を竭くすの準擬手段有らざればなり。是を以て就学の徒、喪祭二礼に於ては、則ち全て佛に任ず。乃ち平日孝経と小学・家礼とを講ずる所は、果たして何に在る。其の徒謹愨實行にして事に著るに至りて、則ち不謹不實なる者は、實に究格の到らざるに由るなり。獨り櫻木剛中は断然として流俗に從わず、畧家礼に依りて以て孝子の分を竭くす。義を見て勇敢なる者と謂う可し。予近年此に来て一二の学者を教ゆるに、先ず投ずるに官制の服忌令を以てして時礼を守り、参るに絅翁九族圖と太宰純が正名とを以てするは、古礼の斟酌。小学・家礼の用は今日に實に、人心に切に、官制に違わず、古意に倍せず、準と為すのみ。佐藤子課會に家礼を講ぜず。然るに其の家に施すや、木主・時祭嚴然として在り。其の知是に於て益々高し。三宅子培根の訓は、小學・家礼を基と為し、此に踈き者は、達支の坐に升らせず。亦篤きかな。然るに其の自ら後事を遺命するに、則ち瓶を用いて必ずしも家礼に據らず。其の識是に於て最も達せり。

櫻木剛中以家冨饒、其儀難為他人準則。乃予為堀上学者謀。先為禰祭擬絅翁新穀享儀、因配諸祖、献酒肉、如葬埋則用瓶棺、塗松脂其盖而已。納尸於瓶、不憂早。至加盖、則以死三十六刻為限、而後加盖塗脂発引、亦從冝。喪限以服忌令。既除執心喪、亦依之至期年而已。其布施檀寺、及年忌類一従彼法而可也。獨僧来剃尸髪如都下、則喪家欲之者剃焉、不欲者従棺外為剃髪之儀而止。以為常。但上總僧徒不肯聽喪家之所欲、堅執剃之甚、至有発棺剃之。此與都下異矣。夫官許諸宗門通天下、而此土僧法之於檀家與都下異者、未審所由。殆士庶勢殊者與。講礼之士、純孝之子、徒尊奉身体髪膚之垩訓、未及啓己之手足、先剃父母之髪。吁武家勵文武忠孝、而田野庶人不能全孝於父母之身、又命哉。学者在喪事急遽時、向僧委曲之請託之。僧矜持怫然氣焔難犯。隣里近佑恐招訟訴擾郷中、訶儒者抑孝子、百方欲不違佛法者、往々為然。是吾儕隱逸轉客、不達官府事体者、非所能可指導、而徒孤負宣尼一巻経與考亭一家禮焉耳。辛亥雑記。
【読み】
櫻木剛中は家冨饒を以て、其の儀は他人の準則と為し難し。乃ち予堀上の学者の為に謀る。先ず禰祭を為すに絅翁新穀の享儀に擬し、因りて諸祖を配し、酒肉を献じ、葬埋の如きは則ち瓶棺を用い、松脂を其の盖に塗るのみ。尸を瓶に納むるは、早きを憂えず。盖を加うるに至りては、則ち死して三十六刻を以て限と為し、而して後に盖を加え脂を塗り発引するも、亦冝しきに從う。喪限は服忌令を以てす。既に除して心喪を執るも、亦之に依りて期年に至るのみ。其の檀寺に布施し、及び年忌の類は一に彼の法に従いて可なり。獨り僧来り尸の髪を剃ること都下の如くば、則ち喪家之を欲する者は剃り、欲せざる者は棺外より剃髪の儀を為して止む。以て常と為せ。但上總の僧徒肯えて喪家の欲する所を聽かず、堅く執して之を剃ること甚だしきは、棺を発き之を剃ること有るに至る。此れ都下と異なれり。夫れ官許諸宗門天下に通じ、而して此の土の僧法の檀家に於ると都下と異なる者、未だ由る所審らかにせず。殆ど士庶の勢い殊なる者か。礼を講ずるの士、孝に純らなるの子、徒に身体髪膚の垩訓に尊奉して、未だ己が手足を啓くに及ばず、先ず父母の髪を剃る。吁[ああ]武家は文武忠孝に勵にして、田野の庶人は孝を父母の身に全くすること能わざるも、又命なるかな。学者喪事急遽の時に在りて、僧に向かいて之を委曲し之を請託す。僧矜持し怫然として氣焔犯し難し。隣里近佑訟訴を招き郷中を擾[みだ]すを恐れ、儒者を訶り孝子を抑え、百方佛法に違わざらんと欲する者、往々然りと為す。是れ吾儕隱逸轉客して、官府の事体に達せざる者、能く指導す可き所に非ずして、徒に宣尼一巻の経と考亭一家の禮とに孤負するのみ。辛亥雑記。
【語釈】
・辛亥…寛政3年。1791年。

東金櫻叟以渾厚和平處市井閙熱境、然不顧旁人是非、以肉食奉其先。予毎稱以為勇者之事。堀上十二以疏放不事事之資、近日始用酒魚為禰祭。予稱以為出於知見。更下一轉語仁在其中。抑復可見学問之力不可誣也。皆非氣質之用者也。
【読み】
東金の櫻叟、渾厚和平を以て市井閙熱[どうねつ]の境に處し、然るに旁人の是非を顧みず、肉食を以て其の先に奉ず。予毎に稱して以て勇者の事と為す。堀上の十二、疏放事を事とせざるの資を以て、近日始めて酒魚を用いて禰祭を為す。予稱して以て知見に出づと為す。更に一轉語を下さば仁其の中に在り。抑々復学問の力誣ゆ可からざると見るに可なり。皆氣質の用に非ざる者なり。

田舎吉凶親舊大會飲食逾都下。是固不可謂悪俗也。然其源盖出於布施之法、恐非上代禮義之遺風。其貪昧無廉耻者、足以卜所従来也。其他農事至家常瑣末、莫非由彼法、而所以惰農日増也。以上二条庚戌雜記。
【読み】
田舎の吉凶親舊大會飲食都下に逾ゆ。是れ固より悪俗と謂う可からざるなり。然るに其の源は盖し布施の法に出で、恐らくは上代禮義の遺風に非ず。其の貪昧廉耻無き者は、以て従来する所を卜するに足る。其の他農事より家常の瑣末に至るまで、彼の法に由るに非ざる莫くして、惰農日々に増す所以なり。以上二条庚戌雜記。
【語釈】
・庚戌…寛政2年。1790年。


十、道學二字説

道學ト云フ二字ヲ手短ニ云ヘバ、近思録道體ノ道ノ字ト為學ノ學ノ字ヲ合セテ道學ト云フ。文字ノ出處ハト云ヘバ、外ノ書ニ求メズ、中庸ノ序ニアル道学ノ二字ヲ出處トスベシ。中庸ノ序、道學ノ傳ヲ語リ、人心惟危道心惟微、惟精惟一允執厥中者、堯之所以授舜、舜之所以授禹也、ト。コレ道學ハ堯舜ヲ祖師トスルコトニテ、所謂中ハ道也。其中ヲ精一ノ功夫ニテ執ルハ學ナリ。コレ其源堯舜ニ本ツク。道學也。扨其堯舜ノ道學事實ノ上ニ著ハレタルヲ以テ言ハヾ、堯ノ親九族ハ堯ノ道也。舜ノ敷五教ハ舜之道也。堯舜ノ道ハ人倫ノ外ハナキコトニテ、孟子堯舜之道孝弟而已ト云ヒ、堯舜ヨリ授受スル夏殷周三代ユヘ三代之學ト云、皆所以明人倫也ト云。五常五倫ハ道體ナレドモ、為学ナケレバ五常五倫ノ道明カナラズ。垩人ノ道ハ五常五倫ニ本ツクコトニテ、其五常五倫ハ天ニ出ヅ。其天ニ出ル者ヲ道トシテ、ソレヲ學ブヲ學ト云。コレ道體為学ノコトニテ、道学二字ノ名義也。
【語釈】
・堯ノ親九族…書経虞書堯典。「克明俊德、以親九族。九族旣睦、平章百姓、百姓昭明、協和萬邦。黎民於變、時雍。」
・舜ノ敷五教…書経虞書舜典。「帝曰、契、百姓不親、五品不遜。汝作司徒、敬敷五敎在寬。」五教は、「五敎、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、以五者當然之理、而爲敎令也。」とある。
・堯舜之道孝弟而已…孟子告子章句下2の語。
・皆所以明人倫也…孟子滕文公章句上3の語。

是道学ハ天人一致ノコト也ト知ルベシ。天叙有典勑我五典五惇セヨ。天叙ハ道ニシテ我勑シ惇クスルハ學也。是唐虞ノ道學ニテ三代革ルコトナキ者也。曽子・子思春秋戦國ノ時ニ生レ、異端ト云モノ出テ、道モ學モ垩人ノ道学ニソムキタル故大学ノ書ヲ著シ、垩人ノ學ヲ次第シテ學ノ法則ヲ定メ中庸ノ書ヲ作リ、垩人ノ道ヲ発揮シテ道ノ印府ヲ傳フ。コレ曽子・子思中庸・大学ノ道學也。明德者人之所得乎天ハ道體也。明明之也ハ為学也。天命性ハ道體ニシテ、戒愼恐懼ハ為學也。誠者天之道也ハ道体ニシテ、誠之人之道也以下ノ功夫ハ為学也。皆道ヲ本ニ立テヽソレヲ學ブ功夫ナレバ、道学ノ二字イヤト云ハレザルコト也。朱子白鹿洞書院ニ学規ヲ掲示シテ初メニ親義別序信ヲ出ス。コレ道体也。次ニ博学審問愼思明辨篤行ヲ叙ヅ。コレ為學也。何レニテモ都テ是レ道ト學トノ義ニ非ルコトナシ。
【語釈】
・天叙有典勑我五典五惇セヨ…書経虞書皐陶謨。「天敍有典。勑我五典、五惇哉。」
・明德者人之所得乎天…大学経1集註の語。
・明明之也…大学経1集註の語。
・天命性…中庸章句1の語。
・戒愼恐懼…中庸章句1の語。
・誠者天之道也…中庸章句20の語。
・誠之人之道也…中庸章句20の語。

道ト學トノ二字並ビ立ツコトハ自然ナルコトニテ、異端ノ道ニ差フ旨ト云ヘトモ、其差ヒタルマヽニ道ト學ト並ビ立ザルコトハナシ。タトヘバ老氏ハ虚無ヲ道トスレバ、其学ハ自ラ無為ヲ以テ用トス。釋氏ハ寂滅ヲ道トスレバ、其學ハ必絶倫ヲ法トス。異端ハ垩人ノ道学ニ差ヒタルグルミ道ヲ立テヽ学ヘバ、道ト学トニアラザルコトナシ。然ルニ垩人之道ハ東海道ノ如シ。聖人ノ學ハ、其並木ノ松ニツイテ京大坂旅行スルガ如シ。異端ノ道ハ屈曲スル。徑也。徑ト云フ道ヲ本ニ立ルユヘ、学モ荊棘ノ間ヲワケテ行クノ旅行也。コレ道ト学トノ二字ハ似タレトモ、道吾道ニ非ズ、學吾學ニアラズ。故ニコソ異端ト云。コレ天ニ本ヅク道学ト天ニ本ヅカザルトニ由ル。コノコト白鹿洞掲示ノ初條ニテ明白ナリ。父子君臣夫婦長幼朋友ヲ本トスルヲ聖人ノ道學ト云フ。コレニ差フヲ異端ト云。コレ道學ノ二字至テ明白也。

サレトモ斯ク聞タル計ニテ、タヾ外面ニ受ケテ口耳ノ資トシテハ道学ノ旨訣中々了會スルコトナシ。旨訣了會セザレバ功夫ヲ用ユルコト勞ストモ、道学ヲ得ルノ功ナシ。コレ佐藤子一朝一夕ノ憂ニアラズシテ、標的ノ書ヲ著シ、孔曽思孟周程張朱ノ語ヲ拔出シテ、學者ヲ悚動シ功夫ヲ作新シ玉フ。是レ道學ニ従フ官諭ノ手段也。又晩年一旦感慨シ、更ニ冬至文ヲ作テ後学ニ望ミ、又李退溪ヲ以テ道ノ任トス。コレ道學終始ノ準的タリ。コレ亦平易明白ナルコトニテ、ツヾマル處、知行ノ兩端ニ歸着ス。故ニ近思録序、學之道在致知力行之二ト云ヘル者、即チ孔門博文約礼ノ教也。然レトモ學者得其門者或寡。雜博渉獵ヲ以テ博文ト心得テ、廣大ノ知見ナク、郷愿拘滯ヲ以テ約礼ト心得テ、高明ノ德行ナシ。コレ道學ノ旨訣ニクラキ者。迂齋更に學者ニ曉喩スル処ナリ。其要標的ノ二書ニ備ハル。學者此二書ヲ以テ準則トセバ得寸得尺、實功夫他ニ求ムベカラズシテ聖賢道學ノ旨訣ミルベシ。コレ道学ノ二字唐虞ニ始リテ遠大ナリト云ヘトモ、善ク識得スル者ハ我邦今日ニ在テ近切也。孟子云、道在邇而求諸遠。事在易而求諸難。人々親其親長其長天下平ナリ。朱子云、舎此而他求、即遠且難。コレ道學二字目前平易明白ノ趣ナリ。
【語釈】
・道在邇而求諸遠。事在易而求諸難。人々親其親長其長天下平ナリ…孟子離婁章句上11の語。

寛政九卯十一月二十五日 稲葉信録之。
【語釈】
・寛政九…1797年。

今日諸生ヲ訓導スル学業ノ次第規模如何仕可然哉。
孔子自遠方来、乃孟子得英才教育之者。隨其才訓導之。若其學校之政、則白鹿洞掲示提其要、道学標的峻其帰、中間小學・家礼・近思録・四書・五経涵泳、念書如此而可也。餘先賢之書詳之。
【読み】
孔子遠方より来るは、乃ち孟子英才を得て之を教育する者。其の才に隨いて之を訓導せん。若し其の學校の政、則ち白鹿洞掲示其の要を提し、道学標的其の帰を峻にし、中間小學・家礼・近思録・四書・五経涵泳し念書此の如くあれば可なり。餘は先賢の書之を詳らかにす。

今日斉家治國の道先ンスル処如何。
三日而歛之禮與眞心成、又知淫行如盗賊、地獄决無之、祭祖先如事父母、尊父母如事君、而如先王教化之地也。
【読み】
三日にして歛するの禮と眞心と成り、又淫行は盗賊の如く、地獄は决して之れ無きを知り、祖先を祭ること父母に事えるが如く、父母を尊ぶこと君に事えるが如くして、先王教化の地の如し。

以上批佐藤熙明問目 代魄録。
【語釈】
・佐藤熙明…杢右衛門と称す。佐藤復齋の仲弟。文政10年(1827)8月29日没。年78。

仁義礼智猶米。學問猶飯。飯外無米、米外無飯。仁義礼智、學問之本分。學問盡窮仁義礼智。 辛丑雜記。
【読み】
仁義礼智は猶米のごとし。學問は猶飯のごとし。飯の外に米無く、米の外に飯無し。仁義礼智は、學問の本分。學問は仁義礼智を盡窮す。 辛丑雜記。
【語釈】
・辛丑…天明元年。1781年。

参考文献:湯坂田原氏所蔵田原擔庵真蹟『稲葉黙斎先生農村自治ニ關スルノ訓戒』。