稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒

四、朱子社倉法序講義 寛政丁巳五月十九日講。門人篠原惟秀所録。
【語釈】
・寛政丁巳…寛政9年。1797年。
・篠原惟秀…本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。

蒼顔已是十年前 把鏡回看一悵然
履薄臨深諒無幾 且將餘日付殘編
 自賛起ス。
【読み】
蒼顔已に是れ十年前 鏡を把りて回看するに一たび悵然
薄を履み深に臨むこと諒[まこと]に幾[いくばく]も無し 且[また]餘日を將[もっ]て殘編に付さん
 自ら賛して起こす。

先ツコノ社倉ハ云ニモ及ヌ経済ノ書ジャ。経済ト云中、一チ出来ル経済ヂャ。今ノ学者出来ニクイコトヲシタガリテサワグガ、ドコノ國デモ出来ルハ社倉ジャ。礼ノ筆記ニ、如攻堅木、後其節目。ケヅリヨイ處カラスルデアトガバラ々々トユク。経済モソレナリ。學者任ズルコトガ、多クハ石ノ吸物。又仕方モギクシャクツカヘマワル。先年オレガ江戸カラ来タ時、着ヒタ晩ニ、今ノ榮藏ノ親喜内ガ、ハヤ社倉ヲ世話シテクレヨト云タ。コレラモ諸先生ニ就テ社倉ノナルコトヲ知タユヘノコトナリ。富豪ナモノガ云合セテスレバ一チ出来ルガ社倉ジャ。此起リヲ人ガ知ラヌガ、朱子ガ御手前デサレタコト。公儀ニツイテシタコトデハナイ。朱子三十七八ノ時任ヘズニヲラレタガ、近郷飢饉ニツイテ始テラレタナリ。其後ハルカスギテ、私ガ前ニ致シタ。箇様々々ト云テ公儀ヘ申上ゲタコトガアル。前ハ内證デシタコト。ソレデ行ハルヽガ知レル。明道ノ一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟ハカルイモノデモト云コトナレトモ、ソレモ御役ノ上デ云コトジャガ、朱子ノ社倉ノ起リハ其一命之士ト云迠モナイガ、不有其位則不謀其政ハ、任デナイコトニ手ヲ出サヌコト。コレハソレトハ筋ノチガッタコト。徂徠無盡ガヨイ、貧富通財ト云タ。今日御法度ナコトデヨイト云ガ、ソレモ仕様ノアルコト。仕様ニヨッテヨイ。東國テ云取リノキ、上方デ天狗頼母子ト云ノハ博奕ニモ近ヒコト。ソレデ法度ジャ。コレハ朱子ノ同安ノ任ヲシマッテシバラクツカヘズニ居タ時ノコト。入ラザルコトノ様ナガ、大賢ノカギリナイ親切カラゾ。
【語釈】
・如攻堅木、後其節目…礼記学記。「善學者、師逸而功倍、又從而庸之。不善學者、師勤而功半、又從而怨之。善問者如攻堅木、先其易者、後其節目。及其久也、相説以解。不善問者反此。」
・喜内…鵜澤由斎。名は就正。喜内と称す。鵜澤容齋の長子。清名幸谷の人。
・一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟…小学嘉言31の語。
・不有其位則不謀其政…論語泰伯14。「子曰、不在其位、不謀其政。」

周礼三物ノ六行ニ恤アルモ役人ノコトデモナシ。六行ノ恤ハモノヲメグムコト。某ナドデモ此村ニ飢死ノ出来ルトキハ成リ丈ケ恤ミタイコトジャ。何ニヲレガ隱者デカマハヌコトトハ云レヌ。此社倉ノ思立ガ、御役デ公義ニツイタコトデセズニ、朱子ノ内證デシタト云コトガキッカケノ第一ジャ。子游ハ武城ノ宰ト成テ才ガ高イカラ、アタマカラ礼樂ト來タ。孟子ハ命世ノ才デ五畝之宅樹之以桑。兎角喰物ジャト云。礼樂ノ沙汰ハナイ。皆モヌケタコトゾ。冉有ハ比及三年、可使足民。三年ノ内、凶年ガ有ラフトモ、百姓ヲ身上ヲヨクスルト云タ。孔門事々皆実。オレガスルト、其處ノ身帶ヲ皆ヨクスルト云タ。キツヒコトゾ。今ノ学者ハ只キイタギリ。胸ヘノセヌカラナラヌコトモナルト思テオルガ、ソコヲキット仕覚ヘタカラ政事ニハ冉有・季路ナリ。今社倉ハ可使足マデニハユカヌ。ソレヨリ前方ナコトナレドモ、何ゾノ時殺サヌト云コト。ソレニナッテハ可使足ニアマリマケヌコトジャ。餓死サセテハ以ノ外ジャ。可使足ノ手段ヲ知ラヌウチ禮樂メクハ紛ラカシジャ。顧幸治郎曰、貴様ノ話ニ小市ガ可使足ハナルト云タ、ト。今アレガ生キテオレバ早速聞キニヤル。何ト云カ知ラヌガ、アレガ可使足ノナルト云ハ礼樂ノ重イコトヲ云タメデ有フナレドモ、経済ヲ云フ時ニハ不調法ナ口上ジャ。中々ナラヌコトヲ軽々ト云フ筈ハナイ。大学之序、治而教之。孟子ソコヲ知テ、凶年ニハ惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。火事塲デ孝経ノ講釋間ニ合ハヌ。八橋や先づ物喰ふて杜若きつつなれにしモ、花見モ腹ガヘッテハナラヌ。
【語釈】
・周礼三物ノ六行ニ恤アル…周礼地官司徒。「以郷三物敎萬民、而賓興之。一曰六德。知・仁・聖・義・忠・和。二曰六行。孝・友・睦・姻・任・恤。三曰六藝。禮・樂・射・御・書・數。」
・子游ハ武城ノ宰ト成テ才ガ高イカラ、アタマカラ礼樂ト來タ…論語陽貨4を指す。
・比及三年、可使足民…論語先進25の語。
・幸治郎…奥平棲遅庵。名は定時。幸次郎と称す。江戸の人。神田小川坊に住む。小川先生。忍藩儒臣。致仕して玄甫。嘉永3年(1850)8月9日没。年82。
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・治而教之…大学章句序。「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性。」
・凶年ニハ惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉…孟子梁恵王章句上7。「今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。」

垩人ハ教ガ眞ッ先キナレトモ、可使足ガ地形ナリ。其地形ヘ教ヲカケル。可使足ノ地形デ礼樂ハ自然ト出来テクル。高祖天下ヲ取タ初メ、朔日十五日ニ諸士ガ礼ニ出テモ、ヤットウ云タリ柱ニキズヲ付タリ、コマリキッタ。大洲ノ市郎ガ話ニ、大坂陣ノ跡デ、伊豫ナドテモ番所デ三番叟ナドヤリテコマリタト云。高祖モコマリテ叔孫通ニ礼ヲ制シサセタ。ナンゾト云ト學者ガ叔孫通ヲ笑フガ、其筈ノコトジャ。高祖ガ奴ジャカラ、奴ダケノ礼樂ガ出テクル筈。叔孫通デ澤山ナリ。聖人デナイ高祖ニ聖人ノ礼樂ハ出来ヌナリ。山宮ガ日本ヘ舜ノ樂ガ傳ハリタト云ガ、傳ハリタトテドウナルモノジャ。百姓ガ身上デモヨクナルト古袴デモ買フ。脇差モザットシタデモ買フ。ソコテ娵ヲ取レバ、長生ノ家ニコソモ謠ハルヽ。治ガサキナリ。喰物モナイニ謠ハ出ヌ。顧傳左衛門曰、文七ガ飢饉年ニ素讀ニ來ルヲ親ガ訶リタ。榮耀ラシイコトヲシテ、村方ヘ云分ケガ立ヌト云タゲナ。尤至極ナコトゾ。論語ホド結構ナモノハナイガ、時ニヨルト榮耀ニナル。村方餓死人モアラフカト云ニ、紫服紗デ論吾デハナイ。論吾ヲ榮耀ト云タモノハナイガ。因テ笑曰、是レモ檀弓ノ文法ジャ。論語ヲ榮耀ト云タモノハ文七ガ親ヨリ始マル。兎角喰ヒ物ノコトジャ。喰ヒ物ナクテ講釈目出度沙汰デハナイ。今御代官ハ治ノ方、垩堂カヽリハ教ノ方。治而教ルト云デ御目出度。泰平ノ世ト云ガコレジャ。
【語釈】
・山宮…山宮雪樓。名は維深。字は仲淵。別号は翠猗。官兵衛と称す。江戸の人。羽後亀田藩岩城氏に仕え、後に館林藩に仕えるが去り、直ぐに殞命。年40。
・傳左衛門…中田傳左衛門。東金市堀上の人。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。

扨、朱子ノ像ノ書ノ始ニアルハ行状ニアルガ、行状ノ跋文ニ像ヲ初メニ出スト云テモナイ。ドウシタコトカヾ知レヌ。又論孟或問ノ初メニアルガ、アレハ明人ノシタコト。此序ニハ冠朱子眞於其首トアルガ、ドウシタコトカ。黙斎ガソコヘモ鑿説ヲ出シタイ。朱子ハ内外任ト云ウチ、内ト云テモ天子ノ御前ハタッタ四十餘日、外任ト云テモ同安ノ出身カラ七十迠ホギ々々トシタコトハナイ。四子大経ヲ修メ、章句ヲシタ所ガ、孔子ニ似タコト。孔子ノ吾東西南北ノ人ト云タハ経済ジャガ、コレモホキ々々トハナイ。衛ヨリ魯ニ歸ル、實ニ哀公ノ十一年、孔子年六十八矣。言外ノ感歎アルト先軰ノ云タ。朱子ハ御役先デモ人ヲ惠ム人ジャガ、トウ々々行レヌ。七十一ノ時畫像ノ贊ヲ自ラ書レタ。オレモマダ死ナヌガ、以後ハ聖経賢傳ノ世話スル外ナイト云レタガ、孔子ノ亦不求仕。叙書傳礼記、刪詩正樂ニヒッシト合フ。孔子ノコトヲ出シテハ朱子ノコトヲ引付ケ々々々スルガ柯先生ノ流義ジャ。文會ニモ宰予晝寢カ出テ、アトヘ朱子ノ朝起シテツトメタヲ出ス。其外十有五志於学テモ司馬桓魋ガ處ヘモ、トカク孔朱ヲナラベル。此像モ晩年経済モサレス殘編ト云ヲ贊歎シテ出シタモ知レヌ。実ハコレモオレガ鑿説ジャ。
【語釈】
・吾東西南北ノ人…礼記檀弓上。「孔子既得合葬於防曰、吾聞之。古也墓而不墳。今丘也、東西南北之人也。不可以弗識也。於是封之。」
・亦不求仕。叙書傳礼記、刪詩正樂…論語序説。「孔子亦不求仕。乃敍書傳禮記、刪詩正樂、序易彖・繋・象、說卦・文言。」
・宰予晝寢…論語公冶長9の語。
・十有五志於学…論語為政4の語。
・司馬桓魋…論語述而22を指す。

蒼顔已是十年前。コレヲ書レタハ七十一ノ歳ナリ。外カラ六十一ノ時ノ畵像カ来タ、其賛ナリ。蒼ハアヲイコトト云ニモ及バズ。徂徠ガ何トナク顔ハカスハゲタ、ト。ヨイ譯ナリ。カスハゲタヲヤヂジャガ、ソレカラ又十年トナリ。

把鏡回看一悵然。十年アトノハ斯フダガ、今ハヲトロヘタト云文義デハナイ。又十年立テバヲトロヘガアルハヅノコトト云コトデモナイガ、鏡ヲ把テ十年アトノ肖像ト引合セミタレバ、此肖像ガハヤ十年アトノコトジャトアラク見ルコト。

履薄臨深諒無幾。扨々ハヤカラダニ疵ヲツケヌ様ニ大切ニスルコトジャガ、ソレトテモモウ間モアルマイト云コト。肖像ガ六十一ノ時デ、ソレカラ又十年ナレバ、ツカイハタシタ身分ジャ。

且將餘日付殘編。且將ト云デ、アス死ヌモ知レヌガ、マダ死ヌデモ有フガ、今迠ノ編修ノ上ヲ亦モ吟味ヲシテ書籍ノ世話スルデ有ラフトナリ。経筵講義デ見レバ、章句アレホドニ云タヲ又改ラレ、又誠意ノ章ノ章句ヲ死ヌ三日前ニ直シタ。コレガ序易・彖・繋・象・説卦・文言取合コトジャ。殘編、殊ノ外ヲレガ仕事ハナイトナリ。

南城呉氏。殊ノ外ヨイ人デ有リタ。朱子初メ殊ノ外社倉ヲ願フテ在所ヘ出来タ。ソノコトヲ包敏道ガ話シタレバ、呉氏ガ何分セウトテセラレタ。ソレテ社倉書樓ガ出来タ。役人デモキイタリ、帳面ナドヲク處ナリ。

為余写眞。コヽハ外ノモノヲスルコトデハナイ。朱子ノ畵像ガヨイトテ生写ニシテカケタ。朱子モ知ヌコトジャガ、ソレガ十年前ノコトナリ。ソレガ来タニツイテ賛ハシタモノナリ。畵像ノ有ト云ガ心切ナコトデ、生レテヲルニ生祠ヲ立ツト云コトサヘアル。

因題。其上コレハ呉氏カラ頼マレタコトデハナイ賛ノ様ニ見ヘル。

滄洲病叟。朱子ハ多病、サマ々々病ヲモチアツメタ人ジャカラ病叟ト書タカ、ソレ計リデナイ。劉白水ヲモ病翁ト云。只病身ト云コトデモナイ。又病身ガウソデモナイガ、病翁ノ病叟ノト云ガ公儀ヘ對シタコト。今ノ世ニハ合ハヌノ何ノハ上ヘ不敬ナコト。病気ト云テ引込ガ公儀ヘ對シタコトナリ。扨、上ニ云タ孔朱ト并ベルノ筋ハオレガ鑿説ヲ云ノジャガ、山﨑先生ノ思召ハソウデ有マイカナリ。社倉ト云ハ方々デナルコト。唐ノ法ジャガ日本デモナル。ソレハ其所ノ名主ヤ組頭云合セテスル時、朱像ヲカケルガヨイ。醫者、神農ヲカケル。ソレデ生業ヲスルカラナリ。社倉ハ重モ百姓ハ猶更軽ヒ者迠、飢饉ニ死ナヌト聞テハ、掛ケテ尊バフコト。斯フ見ルガ正意ナルベシ。

朱子社倉法序

井田之法、張子詳議之、
【読み】
井田の法、張子詳に之を議り、

此井田ト云コト、社倉ニハ云フコトデハナイガ、コレラモ経済デ、何モ角モ様々ナ事體事勢アリテ、行ハレ兼ルコトヲミセル。横渠ノ道統ニノラレタモ、如此井田ノコト迄任トセラルヽ。今学者ノ三代ノ様ニシタイ々々々ト云ノモ、只口先キデノナゲキナリ。張子宋朝ニ生レテ井田デナクテハナラヌ。井田ト云コトヲ知ラセタ。大モ小モスキニナラフト云レタナリ。

欲試諸一郷、未就而卒。
【読み】
諸を一郷に試みんと欲して、未だ就かずして卒せり。

井田ノマ子ヲシタイト云コトナリ。古ノ百姓デモ今ノ百姓デモ、吾ガ工面ノヨイコトニ喜バヌモノハナイ。ソレヲセウトシタガ、ナラズニ死ナレタリ。其後程子ト出合タトキ、井田ノ話シ計リサレタ。今ノモノガカンノツケ様ガ下手ジャ。興國寺ノ會ト聞イテ高調ナコト計リト思フガ、井田バナシナドヲ一日サレタモ知レヌ。外ノ好話モ有ラフガ、井田バナシヲヲモニシタカナリ。ソコデ此寺初テ多ノ人ガ来タデ有ラフガ、只佛法ナドノコト計リデ、オラガ様ニ終日井田ノ問荅シタモノハ有マイトナリ。先日幸治郎ガ千葉デ小市ヲ夢ニミタト云様ナコトモ興國寺ノ會ナリ。千葉ノ泊リデ千葉介ノコトハ夢ミヤウガ、学者ヲ夢ミタ人ハアルマイ。四子六経高イコトガ興國寺ノ會ト思フガ、ソレハテンデアナタ方ノ身ニ持タコトジャ。

朱子之時、將行乃寢矣。
【読み】
朱子の時、將に行われんとして乃ち寢ぬ。

御役デシタコトヤ公儀ニカヽッタコトヲ朱子ノ時トハ書ヌ。御役デシタコトヲフンデ云タコトナレトモ、朱子ノ時ト云字ハ公儀ヘカケヌ語意ナリ。コレハ朱子ノ晩年、樂屋デ聲ヲカラシタコトナリ。社倉ノ事ハ三十八ノ時。コレハ漳州ニナリタ時、経界漳泉ニ行ントシタ時ノコト。六十ノ時ナリ。井田行ハレサウニナッタニ、呉禹圭ガ邪魔ヲ入レタ。光宗ノ時ノコトナリ。

朱子嘗言、程先生初年屡説須要井田封建、到晩年又説難行。
【読み】
朱子嘗て言く、程先生初年に屡々須く井田封建を要すべしと説き、晩年に到りて又行い難しと説けり。

若イ元氣デ一圖ニ云レタガ、晩年デヨワリタト云コトデハナイ。ナラヌコトヲセウトカヽルハヅハナイカラナリ。醫書ニ老醫ノ傳ト云コトガアル。今麻疹ヲナヲスト云テモ、二十四年目ニ一度ハヤルモノヲ、三度オレハ手ガケタト云コトモアル。ソノ時ハ八十有餘ジャ。若ヒ時ハナラヌコトヲモセフ々々ト云ハ経歴デ覚ヘタモノ。又ナラヌト云フモ経歴デヲボヘタモノ。

想是它経歴世故之多、見得事勢不可行。
【読み】
想うに是れ它[ほか]に世故を経歴することの多くして、事勢行わる可からざることを見得ならん、と。

行ハレヌ時云ハ石ノ吸物ナリ。マアコノ井田ハナラヌガ社倉ハナル。役ニ立コトヲ仕習ハヌハ、スッペリ役ニ立ヌ。朝鮮人參ノ功能ヲ吟味スル様ナモノ。折角吟味シテモ、一両匁デ金子十二両ト云タ時、此方ノ身分デトントユカヌコト。行ハレヌコトヲ行ハフトスル程不調法ナコトハナイ。

然今不察地勢懸隔時宜頓殊、而曰徑行之者遠矣。
【読み】
然るに今地勢懸[はる]かに隔ち時宜頓[とみ]に殊なることを察せずして、徑[ただ]ちに之を行わんと曰う者は遠し。

唐ト日本ハ地勢モヘダチ程子・朱子ガ晩年ナラヌヲ知テナラヌト云タニ、上ミ方儒者ガ東山西山計リ見テ、ナラヌコトヲモナル様ニ云フ。経済ナル様ニ云處士ノ大言、役人ニ笑ハルヽ。時宜頓殊。土地ノチガフ上ニ時宜ト云コトガアリテ、昔ハヨクテモ其時分ノ様ニハユカヌ。今此邉デ屋鋪ニ蜜柑ヲ植ルガ、周公ガ出ラレテ、アレヲヌケ、必ズ桑トハ云ハレマイ。遠藥ツカヒト云醫者ガアル。一寸シタ食傷ニモ橄欖々々ト云。名ヲ知タモノサヘナイニ呑サレヌ。平胃散ガヨイ。遠イト云ハ的切ニナイ。遠イ了簡ジャト云コト。

夫古者什一、今者什四。古之兵出于農。故什一而用足矣。
【読み】
夫れ古は什一、今は什四。古の兵は農より出づ。故に什一にして用足れり。

コレハ社倉ノ序ダケレトモ、マヅ井田話ジャ。コレヲ云テオイテ社倉ノコトニナル。古什一ハ十分一。後来ハ四公六民。古ハ慈悲深イニ今ノガムタイナラタヽヌ筈ジャガ、古ハ兵農ガワカラヌカラ、亂ガ有タ時、上デ手ヲ打ツト皆出ル。ソコデ其入用モコメテ什一。ソレデナケレバ農ガタヽヌ。上ノ用モタリヌ。

後来兵農別焉、則其什四視古之什一不為二三多矣。僅一二之間耳。
【読み】
後来兵農別れば、則ち其の什四を古の什一に視るに二三多しとせず。僅かに一二の間のみ。

後世ノ什四ガ古ノ什一カラ二三多イト云コトデハナイ。ワヅカ多イト云文義ゾ。古ノ什一ハ軍役迠ツトメタ。什一ト什四デハ二三多イト見ヘルガサウデハナイ。チットノコトジャト云フ。モノニハ事體ガ入ル。古ト今デハモノヽチガフコトガアル。土井公ナドデ、平士デモ二百石ナレバ馬ヲ持。今ハセツナガル。利勝公ノ時ハモテル様ニシムケタカラモテタナリ。今ハ奢リ、外ノ入用多キユヘ馬ヲ持ツ、大儀ナリ。利勝公ノコロハ、大名衆ニ四月ハワタヌキト云コトヲシタモアル由。皮足袋ヲ借リニヤリタト云咄モアル。皆ソノ時ノナリゾ。俗儒ノ癖セニ兎角古ヲ々々ト云ガ、古ヲ慕フモ尤ジャガ、時ト云コトヲ合点スルトサウハナイ筈。春ハ結構ジャト云テモ、イツモ春デハヲラヌ。時服ト云コトガアル。暑氣ノ時ハ綿入羽織ヨリサイミノ帷子ガヨイ。

故能考古法之意、而得時措之宜、則何難之有。
【読み】
故に能く古法の意を考えて、時に措くの宜しきを得ば、則ち何の難きこと有らん。

之意ト云ガ大切ノコト。古ノヨイハツマリ下ノ愛スル意ナリ。愛スト云ニハ灸ヲスエテヤルモアリ、又此病氣ニハ灸ハワルイト云モアル。其時ハスエテヤラヌ。コレ、ナヅマヌコト。ソコヲ之意ト云。カタデヲサヌコト。古法ノ今ニ宜キト云斟酌ガ大事ナリ。ソコヲ法外ノ法トモ云。何之難有。今ノ学者ガ時措之宜キヲ知ラヌカラ出シソコナ。

孔子曰、其人存則其政舉、其人亡則其政息。
【読み】
孔子曰く、其の人存すれば則ち其の政舉がり、其の人亡ぶれば則ち其の政息む、と。

コレガソコノコトナリ。衍義補ガ出来タ、ソリャト云ガ、アレヲカツキマハッタトテドウナルモノジャ。政ノ存スルモ息ムモ其人ナリ。其人亡則政息。経済デモ、井田ノ社倉ノト云ハ法ノ中ノ法ジャ。其人デナクテモスミサウナモノジャ。其人デナクテハナラヌト云ハ、法ガヨクトモソレデ計リヲサレヌコトジャ。

若漢之常平、隨・唐之義倉、則近古之良法、而民不被其澤者何哉。人亡而政息也。
【読み】
漢の常平、隨・唐の義倉の若きは、則ち近古の良法にして、民其の澤を被らざる者は何ぞや。人亡びて政息めばなり。

漢ノ宣帝ノ時、常平ト云コトガアル。コレハ大キナコトデ、天下ヲ一ツニセ子バナラヌ。惠ムノ借スノト云デハナイ。天下ノ相塲ノ釣合ヲ均一ニスルコト。米ガタップリ出来テ安スギルト上ヘ買上ゲル。凶作ニハソレヲ出スカラ米ガ高クナラヌ。今水ノカケ引ヲスル様ナモノ。スクナイト溜メル、多イトキハ流スト云様ナリ。米ガタップリ有リスギルト石瓦ノ様ニナル。軽ンズルナリ。ナイノハ飢饉ナリ。ソコヲアタイノ中ヲトリタ。ヨイ法ナリ。ツマル所米價ハ卑イモワルシ、貴イモワルシ。丁度ナ所アル。ソレヲスル常平ナリ。義倉ハ社倉ト大抵同ジコト。サレトモコレハ天子ノ勢デサレタコト。天子ノ城下ヘハコブノ何ンノト云コトデナイ。國々處々ニ藏ヲ立テヽシタコトナリ。義ノ字ノツクハ、メグムガ主ナリ。常平ノ常ハ常相塲クルハヌ所デ云コトナリ。近古ト云ハ、上ノ古者ト云ガ三代ノコトユヘ、ソレヘ對シテ近古ト云。漢・隋・唐ヲサシタコト。ソレデハ三代ニモナル程ノコトジャガ、民不被其澤トハ、其人ガナイカラ、上ノシムケハヨクトモ下ヘ澤ニナラヌ。

朱子本于隋・唐制社倉法。
【読み】
朱子隋・唐に本づいて社倉の法を制せり。

朱子ハ一チアトヘ出タ大賢ジャ。何モ角モ合点ジャ。井田封建ヲ云ヤウナコトデハナイ。ナルコトヲサレタ。社ト云ハ一在所ノ産神ジャ。社倉ハ一在所ノ心アルモノガ云合セテスルガ、公儀ヘモ届ケ子バナラヌ。朱子モ趙如愚ナド取持チ、官府ヘ云上ゲタ。其後孝宗ソレヲキカレテ、其レハヨイコトジャ、天下ヘ行ヒタイト云レタデ、始テ遠方ヘハレタコトニナリタ。

其法惠而不費、所施之處、雖遇凶年、民不缺食。人存而政挙者如此。惜乎、不得行此於天下也。
【読み】
其の法惠みて費えず、施す所の處、凶年に遇うと雖も、民食を缺[か]かず。人存して政挙ぐる者此の如し。惜しいかな、此を天下に行うことを得ざるなり。

某ナドテモ人ノ難義ナ時惠ムマイモノデモナイガ、又モ々々ハナラヌ。惠而不費ハ、コチノフトコロガアカズニメグムコトジャ。朱子ガ飢饉ノ時、アノ貧デ村中ノ為メニハメグマレヌ。ヤウ々々遠方カラ弟子ニ茶漬出ス位ナコト。オレガ前々云、百姓ハ児共ニ菓子袋アツケタ様ナモノ。豊年デモタメル意ハナイ。皆ツカフテシマフ。徂徠ガ無盡ヲヨイト云フモコヽナリ。社倉ノ意ニマワル。社倉後ニハ利モタマリ、モト買入ダケ位フヘテクル。手前ノモノヲ入テヲイテ、何ゾノ時ツカフナリ。爰デ此様ナコト云ニハ及ハヌ。本文ニアル。取越問荅ニナルガ、アラマシハ知ルベシ。利ヲ取ルト云コトガ王荆公ガ初メタガ、利ヲ取ルハメッタニワルイコトニ思フガ、利ヲ取ルガコチノ為メニ取ルデハナイ。出スモノヽ方ヘモソノ利ガ流レテユクコトナリ。望ナイモノヲ無望ニハスヽメヌ。望ミノモノハ多イ筈ナリ。直方門人ノ中デモ、大名ノ國デシタ。近年溝口公デモシタ。浩軒様ノ代也。百姓ノ中ニヨク情ゴハ者ガイヤト云ガ、ソレハ入レヌ。ヨイ者ハ入ルガ、人ノ心ガソロハヌモノ。欲ノ深イデ勝手ヅクモセヌト云テモ、埒ノナイト云ノガスマヌ。ソレデ事ガキマラヌ。此坐デモ十二ヤ五郎兵衛ナド酒ガスキルトアヽ面倒ト出ル。仁心モアリ欲ガ深イデモナイガ、埒ノナイ者デハキマラヌ。ソコデ社倉ノ世話人ニハナラヌ。此邉デモ知惠アル分デ、山王ノ祭ヲヤメテ社ヲ瓦屋根ニスレバヨイナゾト云。其位ノ世話デハ届ヌ。凶年飢饉者易置社稷トサヘアル。屋根ヲヨクシタリ祭礼ヲシタラ、五穀ノ豊ニ神ノ福有フト思フ。殷俗尚鬼ナリ。日本ハ神國ト云上ニ佛法ガ割込ンデ、神佛ノコトデ庶民ガ身上ヲラリニスル。娘ノ片付ニ物ヲ入レ、ミンナニナル。社倉ノヨイト云ハ誰ニ礼云ニモ及ハヌ。手前ノ出シタモノガフヘテヲル。誰ガシテモヨイコトジャニ、程子ノ云コトヲ宋朝ノ歴々ガ用ヒヌ。憎ムカラノコトナリ。サリトハコマッタコト。誠意正心イヤト云ハ尤ジャガ、孝宗デモ朱子ノアレホドニ云ハルヽニ、云通リニサセタラ飢饉ノ時為メニナルコトデ有フ。近来公儀カラ出タコト大フヨイコトアルニ、田舎ノ役人ナドガ上總方言ノブッコクリト云コトデ、ハキトセヌコトガアル。社倉仲ヶ間ニモブッコクリト云ガアリテハ事ハ成就セヌコトナリ。
【語釈】
・十二…中田重次。十二郎と称す。東金市堀上の人。寛政10年(1798)11月没。
・凶年飢饉者易置社稷…孟子尽心章句下14。「然而旱乾水溢、則變置社稷。」
・殷俗尚鬼…書経商書説命中集註。「商俗尚鬼。」

本朝文武帝之置義倉也、淡路帝之敷常平也、
【読み】
本朝文武帝の義倉を置きたまうや、淡路の帝の常平を敷きたまうや、

續日本紀ノ三ニアル。淡路帝ト云ハ常平ヲサレタ。イカサマ論吾ニ友多聞者益也トアルガ、此時分遣唐使ト云ガアリテ、度々アチヘツカハサレ、唐ノコトヲ見習タモノ。コレラガコチノ益ジャ。後世話シテモ、文武帝ハ義倉、淡路帝ハ常平ヲサレタト云トヒラケタモ知ルヽ。文武帝ハ唐ノ中宗時分、淡路帝ハ肅宗ノ時ニアタル。文武カラハ五十年モ後ノコトナリ。
【語釈】
・友多聞者益也…論語季氏4。「孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣。」

當時得人焉爾乎。蓋蔑聞於後世矣。
【読み】
當時人を得たまえるか。蓋し後世に聞こゆること蔑[な]し。

柯先生ノ難ジタナリ。澹臺滅明ノ章ノ女得人焉爾乎ノ文法デ書イタモノ。人ヲ得ヌトヨイ法モ益ガナイ。淡路帝ハ舎人親王ノ御子ジャ。女帝孝謙ノ跡ヲツガレタナリ。道鏡時分ノコトデ、淡路ノ廢帝ト廃ノ字ツク。サウ云時ジャ。人ヲ得ヌデアラフトナリ。
【語釈】
・女得人焉爾乎…論語雍也12。「子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。」

予竊欲廣朱子之遺法、謄写通鑑之所筆、蒐輯朱子所記、
【読み】
予竊かに朱子の遺法を廣めんことを欲し、通鑑の筆する所を謄写し、朱子の記する所を蒐輯して、

此様ナコトモ丁寧ニ見ヤウコト。廣ムト云字ハナルコトユヘゾ。柯先生一生経済ハ云ヌ人ジャ。ソレガ朱子ノ遺法ヲ廣メタイナゾト云ガ麄相ヲ云タコトデハナイ。スレバナルコトシャカラ、カフ云タコトナリ。仙人ニナル藥ト云テハ益ニハナラヌ。熊参丸今ノンデグウト云ガヨイ。

而冠朱子眞於其首、以行于世云。 山﨑序。
【読み】
朱子の眞を其の首に冠して、以て世に行うと云う。 山﨑序。

呉氏ガ社倉樓ニ朱子ノ像ヲオイタ。後ノ社倉ノ世話スルモノ、名主・組頭ト云ヤフナモノガ皆カケ物ニモセフコトナリ。社倉ノカゲデ此村ハ死ナヌト云時ハ、此像ハカケヤフコトナリ。

講後曰、社倉ガ方々村々ニ行レテクルト皆人ガ喜ブコトジャ。社倉ノ天下中ニユキワタッテ行レタトキ、其時ガ常平倉ニナル。面白イコトジャ。治國ガ段々ユキワタルト平天下ニナル。

柯先生経済云ヌ人ジャガ、此ノ社倉ノ法計リハ先生ノ経済ジャ。ナゼト云ニ、スレバ今ジキニナルコトユヘジャ。

社倉法ノ其人ト云ハ、中庸ノ俟其人而行ノ其人トハ違フ。廉直デカタイ男ト云位デモヨイ。ソレデナシトモ名主・組頭ナド云テ世話スルガヨイ。イツモハ村ノコトハコナタ衆ジャガ、社倉ノ時ハ其人ジャ、引込ンデゴザレトモ云ヒニクイコトジャ。律義ナモノト云ハルヽ位デモヨイ。一寸シタ其人ジャ。オレガ開巻デ喜内ガ事ヲ云タガ其趣向ジャ。
【語釈】
・俟其人而行…中庸章句27。「待其人而後行。」

用社倉重民之生、行三日歛厚民之德。是経済單方、道学者精彩。
【読み】
社倉を用いて民の生を重うし、三日歛を行いて民の德を厚うす。是れ経済の單方、道学者の精彩。

鑄錢多則金自貴。主張小学則大学更益價。
【読み】
錢を鑄ること多ければ則ち金自ら貴し。小学を主張すれば則ち大学更に價を益す。

右二條社倉法序講義之前日先生所記。即五月十八日也。

槩見官人常情、為都下市井之政多、而為農人経度分数盖少。恐是急於所親見、而緩於耳目不及処者歟。治國以恕、而平天下以絜矩、亦理勢之必然。推之可以審此矣。
【読み】
官人の常情を槩見するに、都下市井の為にするの政多くして、農人の為に経度する分数盖し少なし。恐らくは是れ親見する所に急にして、耳目及ばざる処に緩き者か。治國は恕を以てして、平天下は絜矩を以てするも、亦理勢の必然なり。之を推して以て此を審らかにす可し。

耕與穫勤苦不大遠。然穫時成功作酒労之、往々有之。郷俗謂之稲穫酒。秋冬教以樂詩亦同。礼樂在進反之間
【読み】
耕すと穫るとは勤苦大いに遠からず。然るに穫る時は功を成し酒を作り之を労すること、往々之れ有り。郷俗之を稲穫酒と謂う。秋冬教ゆるに樂詩を以てするも亦同じ。礼樂は進反の間に在り。
【語釈】
・礼樂在進反之間…近思録為学28。「禮樂只在進反之閒、便得性情之正。」

以上並見于重雪艸。