稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒

五、二程治教録上下分明條筆記 寛政丁巳之夏、先生自録
【語釈】
・上下分明條…周易程氏伝履卦象伝「上天下澤、履。君子以辯上下、定民志。(上天にして下澤なるは、履なり。君子以て上下を辯え、民の志を定む。)」の注、「天在上、澤居下、上下之正理也。人之所履當如是。故取其象而爲履。君子觀履之象、以辯別上下之分、以定其民志。夫上下之分明、然後民志有定。民志定、然後可以言治。民志不定、天下不可得而治也。古之時、公卿大夫而下、位各稱其德、終身居之、得其分也。位未稱德、則君舉而進之。士脩其學、學至而君求之。皆非有預於己也。農工商賈勤其事、而所享有限。故皆有定志、而天下之心可一。後世自庶士至於公卿、日志於尊榮、農工商賈、日志於富侈、億兆之心、交騖於利、天下紛然。如之何其可一也。欲其不亂難矣。此由上下无定志也。君子觀履之象、而分辯上下、使各當其分、以定民之心志也。(天上に在り、澤下に居るは、上下の正理なり。人の履む所は當に是の如くあるべし。故に其の象を取りて履と爲す。君子は履の象を觀て、以て上下の分を辯別し、以て其の民の志を定む。夫れ上下の分明らかにして、然して後に民の志定まる有り。民の志定まりて、然して後に以て治を言う可し。民の志定まらざれば、天下得て治む可からざるなり。古の時、公卿大夫よりして下、位各々其の德に稱い、身を終うるまで之に居り、其の分を得るなり。位未だ德に稱わざれば、則ち君舉げて之を進む。士其の學を脩め、學至りて君之を求む。皆己に預ること有るに非ざるなり。農工商賈は其の事を勤めて、享く所限り有り。故に皆志定まる有りて、天下の心一つなる可し。後世は庶士より公卿に至るまで、日に尊榮を志し、農工商賈は、日に富侈を志し、億兆の心、交々利に騖せて、天下紛然たり。之を如何ぞ其の一つなる可き。其の亂れざるを欲せども難し。此れ上下志を定むること无きに由るなり。君子は履の象を觀て、上下を分辯し、各々其の分に當たらしめて、以て民の心志を定むるなり、と。)」を指す。程氏粹言論書篇にも同様のものがある。
・寛政丁巳…寛政9年。1797年。

農桑之業カラ自然ト民ノ志モ定ルゾ。管仲ガ士子常士、農子常農。見異物不移ト云ハサテ々々要儀ニテ、今日的切ナリ。民士不定ト云フガ一体ノウゴキニナリテ、風俗マデニヤリタテズ、惰農バカリニナル。ソレユヘ学問サヘ民ノ為メニハワルイコトアリトハドフナレバ、中々彼等カ忰トモ、農ヲツトメテノ餘力ニト合点シタルハ千人ニ一人モナク、中家ノ子弟ハ農事ノ辛苦ニアキハテヽヲルユヘ、トフナリト農事ノ外ノコトデサヘアレバ何テモシテ見タキト思フト、又一ツニハ下世話ニ云、ヨイ衆ツキ合ヒノ仕タヒノニテ書ヲ讀タガルモアリ、村儒俗師ハナンノ深識モナク、并ニ自箇舌耕ノ資ニナルユヘ、竒特々々トテ書ヲ讀マシムルコトサン々々ナコトナリ。先王ノ代ハ冬ノ農隙ニ何茂[いずれも]ヨリアヒ郷先生ニ從テ孝弟忠信礼義廉耻ノ心ヲ保養シ、冬至ヨリ四十五日タテハ又專ラ農事ニ打チカヽリテ餘事ナク他念ナシ。コノトキハイマダ芝居ト云モノモナク、角抵興業モナク、郷閭ニ異物ハナケレバ移ルコトハナシ。飲食モ自分ノ家ニアリ、衣服モ自分ノ手ニテ出来テ民志定テアルユヘ、百姓ホドヨイモノハナイト心得テ居テ、タマ々々地頭ヘ中間ニ出テモ、年季カギリニ待チカ子テ歸村シタガル。異物ニ心ナキユヘナリ。後世ハ戸籍ノ法嚴ナラザルユヘ、思ノマヽ他國シ、我ガ働キ次第ニテ他國ニテ妻子ヲモチ、一入江戸ヲ好ミ、江戸ニハツメモタヽヌホド國々ノ名ヲノウレンニサケテ啇人トナルコト、モト異物ニ移リテ民志不定ヨリオコル。志不定カラハ、イツマデモスキクワトラヌ心カラハ、田ニ入テモ畠ニテモ身ニシミタハタラキハセヌ筈。コレ國本ニ减ノタツ機ト察スヘシ。

上下之分明ト云フコトハ、今日ハズイブン明ナリ。ソコハ中々嚴重ナルコトナリ。サレトモ惟君玉食ストアレトモ、農民モハヤ鯛ノ潮煮ト出ルマテノ処ガ分ガナイ。又官服ナトハ、上ハ侍従ヨリ布衣ト云マテスイ分立テ嚴重ナレトモ、羽二重ノ地合ハ平士モ町人モアマリ貴人ニモオトラヌ様ナヲ服ス。コレハ皆人心ノダラケタルナリ。ダラケ子バ分ヲ守リ自ラ質素ニナルモノソ。去ルニ由テ、武藝ノ稽古ニユクニハ、年少ニテモアマリ美服モ用ヌモノナリ。武家ハ武藝ヲサヘ勉勵スレハ忠孝ノ心モ興起スルモノナリ。中々史記左傳ヤ詩文ノ学問ニテハ、浮靡ノ習ハ長スルトモ、風俗ノ教化ニハ覚束ナシ。此士修其学ト云ハ古之学者為己ノ学ニテ、自箇ノ明德ヲ明カニスルノ外他念ハナイ。農工商賈勤其事。コレ百工居肆成事。百姓ハ耒耟ヲハナサズ、啇人ハ賣買交易シテワキ目ハフラヌコトナリ。コレ上公卿大夫ヨリノ德位、四民ノ事業。分定テヲルユヘ丁ト器物カ各々己カ用ヲ守リ、筆ハ筆、扇ハ扇ト分限アル様ナソ。凡民ノ俊秀大学ニ入ルハ千人ニ一人ホトモアロフカナリ。又今日ノ下ニアル英才ノ教育スベキ者ハ万人ニ一人モアラフカナリ。ソノワケハ、大学ニ入レバ上ノ鼓舞作興テ各別ニユク。コレ千人ニ一人ナリ。今日モ下ニアル英才ハアタマデ人不知不慍底ノ竒才デナケレバ成德マテモチコタヘヌ。コレ万人ニ一人ナリ。サレトモソレモナイコトト知ルヘシ。ソレユヘ先王ノ治教ハ小学ノ成就ガ大学ノ新民ニテ、民可使由之ハ天下之心ヲ一ニシタト云フモノナリ。
【語釈】
・古之学者為己…論語憲問25。「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。」
・百工居肆成事…論語子張7。「子夏曰、百工居肆以成其事。君子學以致其道。」
・人不知不慍…論語学而1の語。
・民可使由之…論語泰伯9。「子曰、民可使由之。不可使知之。」

後世自庶士至于公卿、日志于尊栄。コレハ科挙及第ヨリヲコル。三代ノ郷ノ三物賓興之トハ似て異ナルモノナリ。庶士ノ尊栄ニ志スハ科挙及第タルコト勿論ナリ。公卿ノ志于尊栄ト云ハ公卿ノ家柄デト云フコト。世禄之栄ニ安ンゼスシテ奔競スルコトナリ。近思録出処篇横渠世禄ノ一条ハコノ意ナリ。工声病售有司ノコトナリ。コヽヲ大ソレテ孟子ノ不奪不饜ノヤフニ見ルハ宋朝ノ事体ニアハズ。又啇賈日志于富侈。太平ノ世ニ生レ、干戈ノ下ニウロタヘヌヲ幸ト思ヒ、此節コソト家職ヲ大切ニシテ大平ノ一幸民タルヲ樂ミニスルハ君子ノ心。凡情ハ大平ノ郁文ヲ見ヤフ見マ子ニ錦衣玉食シタイ心カラ冨侈ニ志シ、ソノ冨侈モタヾハナラヌユヘ、高金カシタリ田地質トリタリシテ訟モヲコリ、上ヘムツカシヲカケル。皆分ヲシラザルユヘ質朴ノ心ヲ滅スゾ。七月ノ詩ノ田畯至テ喜ヘリ。朋酒斯饗ナドヽ云フ沙汰ハナシ。コレ後世ノ能及レヌ処ナリ。サレトモチットスルト其ナルト云ハ、イクラ云レテモ人ノ心ハソフ々々ハスリキラヌモノナリ。予カ三日歛ヲ主張スルモコヽナリ。コノ処ハ人ノ脉ナリ。ソコテ孟子ハ戦國ノトキニ在テ性善四端ヲ発揮シテ人心ヲ取リタテ、治法ト云ヘハ五畝宅云々ナリ。コレヲ命世之才ト云フ。至テ簡ナリ。今ノ経済者ノ把柄トハチカフヘシ。
【語釈】
・三代ノ郷ノ三物賓興之…周礼地官司徒。「以郷三物敎萬民、而賓興之。」
・不奪不饜…孟子梁恵王章句上1の語。
・七月ノ詩…詩経国風豳風七月を指す。

農工啇之可以有家、只在勤矣。但勤者是治之事、而至令識道理、正始教之事。庶民中能勤儉嗇者、有恒心不犯禁。可謂良民。然其間父母倶在、祖父母猶存康寧、其子或憚多口乏食、不必喜樂之者、恐有之。此即無教則近禽獸者。後世之治不及三代、而郷里愿人之心、固與學者逈別者、皆無教而不聞道理之由也。然則何以能有家郷里亦皆稱之。曰、以其謹愿也。犬之吠盗守門、可謂美德。而非禽獸而何也。孟子之言非訶詈之。眞能形状之者也。故学者之任、不必責勤之有家、而在明道以修身。不必憂蕩子破産、而悪愿人之害道。故以大垩春風之德而曰、郷愿德之賊。又曰、過吾門不入吾室、吾不憾者唯愿人歟。豈與俗人易言哉。丁未雜記。
【読み】
農工啇の以て家を有つ可きは、只勤に在り。但し勤は是れ治の事にして、道理を識らしむるに至って、正に始めて教の事なり。庶民中能く勤め儉嗇なる者は、恒心有りて禁を犯さず。良民と謂う可し。然るに其の間父母倶に在り、祖父母猶存し康寧なる、其の子或は口多く食乏しきに憚り、必ずしも之を喜樂せざる者、恐らく之れ有らん。此れ即ち教無ければ則ち禽獸に近き者なり。後世の治三代に及ばずして、郷里愿人の心、固より學者と逈別する者は、皆教無くして道理を聞かざるの由なり。然らば則ち何を以て能く家を有ち郷里も亦皆之を稱すや。曰く、其の謹愿を以てなり。犬の盗を吠え門を守るは、美德と謂う可し。而して禽獸に非ずして何ぞや。孟子の言は之を訶詈するに非ず。眞に能く之を形状する者なり。故に学者の任は、必ずしも勤の家を有つを責めずして、道を明らかにして以て身を修むるに在り。必ずしも蕩子産を破るを憂えずして、愿人の道を害するを悪む(に在り)。故に大垩春風の德を以てして曰く、郷愿は德の賊なり、と。又曰く、吾が門を過りて吾が室に入らざれども、吾れ憾みざる者は唯愿人か、と。豈俗人と言い易えんや。丁未雜記。
【語釈】
・在…原文に「在」の字はない。文の流れから補記した。
・郷愿德之賊…論語陽貨13の語。
・過吾門不入吾室、吾不憾者唯愿人歟…孟子尽心章句下37。「孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟郷原乎。郷原、德之賊也。」
・丁未…天明7年。1787年。

示鵜澤恭節書曰、乃父・乃伯翁各藏朱子語類・文集・経傳通解書・節要之類、此外都許大要籍。然蠧于故筺数十年、諸子生農家不弁菽麦、徒懐虚大之趣。乃不如藏一部小学内外篇・農業全書熟覧之。賣剱買犢、古人最親切之訓。吾言之者、聊復勸農之意。汝諸兄弟常能芸荘中草、務洒掃者善矣。盖小学之教也。然農業種者也。非徒芸者也。夫芸者芸害種者也。今不種而芸、殆害生物主殺伐。非農道也。因家長不教、不免吾儕都産肉食餘類一煩之。壬寅雜記。
【読み】
鵜澤恭節に示す書に曰く、乃父・乃伯翁各々朱子語類・文集・経傳通解の書・節要の類、此の外都て許大の要籍を藏す。然るに故筺に蠧[と]すこと数十年、諸子農家に生まれて菽麦を弁[わ]かたず、徒に虚大の趣を懐く。乃ち一部小学内外篇・農業全書を藏して之を熟覧するに如かず。剱を賣りて犢を買うとは、古人最も親切の訓。吾れ之を言う者は、聊か復勸農の意のみ。汝が諸兄弟常に能く荘中の草を芸[くさき]り、洒掃を務むるは善し。盖し小学の教なり。然るに農業は種[う]える者なり。徒に芸る者に非ず。夫れ芸る者は種を害する者を芸るなり。今種えずして芸るは、殆ど生物を害し殺伐を主る。農道に非ざるなり。家長教えざるに因りて、吾儕都産肉食の餘類一たび之を煩わすを免れず。壬寅雜記。
【語釈】
・不弁菽麦…春秋左氏伝成公18年。「不能辨菽麦。」
・壬寅…天明2年。1782年。