稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒

七、埋葬筆記

答或人喪礼書付

○擇地○深壙○棺椁○沐浴○墓石
右五件の外委曲之事は御存之上故、逐一不申述候。擇地深壙等の事特に大綱領にて候。

【擇地】唯土地ノ高キヲヨシトス。江戸ニテ云ヘバ山ノ手麻布四谷駒込ノ類ナリ。本所深川淺草ノ如キハ誠ノ水葬ナリ。前廣ヨリ吟味仕置ベキ事ナリ。
今日火葬の非を知りても土地を擇ざればやはり墨翟なり。殊に礼式など整て水地ニ葬るは、封を付けて溝に捨る如し。可笑なり。近頃出入の大工我母を淺艸に葬り水の勢強く湧き出るを見て自歎曰、イッソ焼ケバヨカッタト云々。歴々衆へもしらせ度事なり。土地のあしきを火葬同前と知るべきなり。

【深壙】一丈五六尺ヨリ二丈マデニ掘ルベシ。高木甚平の筆記に坎深不至於泉ヲ引ク。是亦可慮事ナリ。先比モ谷中ノ地高ナル寺ニテ咄スニ、此辺モ処ニヨリテ二丈掘レバ井戸ニナル処アリト云。何レニモ一丈五六尺掘テ様子ヲ見、考ヘテ二丈ニモ及ベシ。サテ又一丈四五尺ニテ水ノシミ出ル処ハヨキ葬地トハ云ガタシ。去年駒込ヘ嫂ヲ葬ル。一丈六七尺、ヤガテ八尺ニテモアルベキヤト思程ニ掘タレド、中々シメリケモ無キナリ。兎角一丈五尺以上ニ掘リ、其上ハ様子次第ニスベシ。一丈五尺ハ我家ノ大法。一丈五尺ニ及ザルハ非也ト可被思召候。○壙ノ堀リ様ハ廣キヲ諱ミ申候。棺椁ノ落付ク處ハ椁ト土トノ間六七寸アク程ニ掘ル、是ナリ。
【語釈】
・高木甚平…名は行法。別号は何久(可久)。甚平と称す。伊予宇和島の人。伊達氏に仕える。延享2年(1745)12月15日没。年73。

【棺椁】棺椁、平士以下ハ遽ニ造シ難キ事アリ。大抵瓶ヲ用テ好シ。【瓶】ハ裏表薬ノヨク掛リタルヲ用ユ。上ヲ酒瓶ト云。次ハ水瓶ノ極上ヲ用ユ。瓶ノ大小ハ固ヨリ死者ノ躰ニ由ルベシ。然レトモ大キ目ナルヲ買ベシ。納ムルトキ入リ難キハ甚可恐ナリ。瓶ノナリハ、大方長キヲ利トス。瓶ノ底一寸有餘アゲ、丸クソノナリニ形ツケ、板ヲシキ、穴七ツ八ツ明ケヲキ、其下ニ藁灰ヲ敷ク。所謂七星板也。圓盆ニ穴アキタル如クニシテ瓶ノ底ニ敷クナリ。【瓶盖】栗或ハ檜三寸板ヲ用ユ。制ハ家兄扣帳ニ見ヘ申候。御覧可被成候。【ハリカネ】三丈ヲ調ヘ瓶ノ耳ノ下ニ二重マワシ、夫レヨリ盖ノ上ニ掛テクミトリテ竪横ニシメ、シマラザル處ヲバヌカ釘ヲ以テ堅テ牢固ニシ、終テ瓶ノ耳端ニホドムラノ如キ堅キ紙ヲ二ツ折リニシ、切テ生糊[きのり]ニテ張リ付ケ、三方ニ紙ヒロゲ、鏡餅ナド重ネタル様ナナリニシテ、其上ヨリ松脂ヲ流シ掛ルナリ。松脂ソノ帋ニテ止ル為メニ紙ヲ張ルナリ。【松脂】五貫匁四貫五六百匁ニテ十分アリ、ソノ上ヲ松板ニテ丈夫ニ造リタル【箱ニ納ム】。形椁[椁に形どる]ソノ松板箱ハ、丁ド瓶ノ入ル程ニ造ルベシ。大ナルヲ諱ム。其箱ノ中、堅炭ニテ詰ムレトモ、途中重キニ難ム故、假リニ藁ナド詰メ、葬地ニ至テ堅炭ヲ入レ、盖モ釘ニテ堅ムベシ。則壙中ニ下シ、其椁ヲ上下前後左右堅炭ヲ入レ、夫レヨリ上土八九寸掛ケテ、【小田原石】三枚ヲ敷キスヘ堅メ終リ、段々土ヲオヽフテ埋メツキ堅ムナリ。誌石ハ追而出来次第ニ又掘リ埋ム。詳ニ記于下也。○堅炭大抵【二十俵程】ニテアリ。

一、棺椁ニすれば臥棺を美とす。死者の横に臥する様に造せば小にして甚簡便なり。夫を臥棺と云。
棺ハ【一寸五分二寸程】ノ上檜ニテ造ル。松脂ヲカクレバ重フシテ遠キニ致シ難キ故、棺ニハ松脂ヲカケズ、椁ハソノ棺ヲ丁ド入ル程ノ大サニ造ル。木ハ【栗或檜】三寸以上ノ板ヲ用ベシ。コレハ前廣葬地ニヤリ、葬地ニテ【松脂アツサ二寸以上程】ニカケ流スベシ。椁ノ口ノ方ニカリニ細キ板打チ付ケ、紙ナドニテモ張リ、椁ニウツムケニ直シ、底ヨリ松脂ヲ流シ、ソノ板紙ニテトヾマル様ニシ、直キソノ上ニテ棺ヲ椁中ニ納メ、釘ヲ以テ打付ケ、又椁ヲ盖マン中ヨリ松脂ヲ流シカケ、左右前後合目ニトクト松脂ノシミヲフ様ニスベキナリ。松脂ハ【三十貫匁】モアラバ足ンカ未詳。
○平士もなりたけハ棺ニすべし。瓶に比すれば大ニ異なり。然るに棺を営む事牢固ならされば却而不及瓶也。大夫以上ハ何卒々々右之書付程ニ棺を営たき事也。羽二重を帛にかへ、羅紗を革にかへ、國初の風に養ひなさば、爭[いかで]か棺を営むの贏餘[えいよ]あらさらん。
○家礼所謂三物、是亦平士の及ひ難き事もあらん。大夫以上ハ何卒仕度事にや。【三物】の仕方かいとって端的に謂ハヾ、椁ノ外に小田原石を建舞し、椁と其石との間を当時土藏の腰巻にするたヽき土を入れて溝堅むべし。
右之三事綱領之中にて尤大綱にて候。其他の小禮ハ些の出入不苦候。扨世俗の事は論に不及、其上家大人火葬弁論の中に備候間、不申遣候。唯朱子の礼を酌み取り、今日平士分上の志ある人の被行候必誠必信の事、大方此位にても可然事に候。棺中の仕方は高木氏筆記一々冝御座候。則存寄一盃ニ抄略し指越申候。あの通にして其餘は粗糠を半紙の袋に入、此にて詰めるよし。其間にゆき届かざる所は粗糠ミだして入れ、少の空虚なきをよしとす。死者ハ薄蒲團に包めば固より体に糠の近く嫌もなし。

一、礼服麻上下の此き、棺中に藏る而已にてよし。死者をして必服さしむるはあしきなり。凡盗賊の心を開く。只堅入べからず。朱先生呉々戒め置れたり。夫ニ付けても壙の深きが第一。

一、棺椁にても瓶にても、途中の荷ふ棒は世俗の如く肩にさしあぐるは甚あしく、長持重箪笥の棒の如く上に附け、尤日本ならべて荷ふべし。其制家兄扣帳に詳なり。

【沐浴】棺ニ納ムル前ニ沐浴ノ具ヲ備ヘ、小盤手拭。死者ヲ其マヽニテ床ノ上ニ寢サセ置キ、湯ヲ手拭ニシメシ、ソロ々々ト拭ヒトルベシ。
世上の沐浴を見るに、艸履取の奴などが裸にて出て、タイソウゲニ大盤ノ中に死者を逐はめ、胡乱[めったに]水アブセル体、其不敬見にたへず。其上死者の体に疵など付候事或はあり、其害斗るべからず。且ツ死者に湯水夥敷掛れば却而精潔ならず。旁々以あしし。○沐浴終らば、其具をば靜に打破り薦包などにして川ニ流し、或は潔地に埋べし。世俗の出棺のとき、供に負せて葬地に持参するは何とやら浮屠に任せ、寺にて沐浴するに嫌し非なり。固より皮毛外の事なれど、是亦教の萬一也。

【墓石】世俗の法名計書ハ紛しくてあしく、又佛者風と云がありて、人知らぬ號など記し、何先生之墓と書き、或は又我姓名而已一風流ニ書付る。各非也。兎角別の事なく永久の謀が第一なれバ、墓の正面に何の何左衛門之墓と書き、右、謂墓之石。上は後に掛て諱は何、いづれの産、年号・支干・何月何日没・行年幾歳・法名何々と記す。是なり。兎角其寺の法名を記せバ寺の過去帳と附節の合事なり。是永久の謀と云べし。俗儒ハ唯法号を記を恥て永久の慮を知らず。何も風雅は入ぬ事なり。扨、【墓石ノ制】ハ臺石を大にし、竿石ハ小がよし。固より花建水坎など一切掘べからず。文字ハなりたけ大くフトク丸彫に深く掘り付がよし。正面は別して大字にほるべし。其文字の大サの如く、神主の陥中ノ様ニ一寸餘に掘り込で其中に文字を掘るなり。家兄扣楪ニ詳ナリ。是亦永久之謀。○【誌名】ハ数百年之以後、墓のあばかれたる後の用心なり。委曲の仕方は家兄扣帳に有之候。平假名にて此下に何の國何某の棺あり、あわれみてほる事なかれとフトク掘り付け、朱或ハ金鉑を入れて埋むべし。前の小田原石より四尺程に上に埋むるをよしとす。淺く埋事はあしく、唯誌石は百姓などの掘り出し驚きケでんして、是ハとて開き見る様な体に造るべし。掘てもそのまヽに脇にのけをひてハ誌石の本意にあらず。多田先生の、誌石ハもの々々敷見るがよし、と。面白きや。右之通りに御心得可然候。白徒衆へも此書付を見せ、冝く右に付候。而し吟味事并に餘意ハ別紙に申進候。
寛延辛未六月下浣[かかん]  黙斎
【語釈】
・ケでん…怪顛。心が顛倒するほど驚きあきれること。びっくりすること。
・寛延辛未…寛延4年。1751年。
・下浣…下旬。

別紙
一、高木氏喪祭畧用中々好看候。併しあれ程ニ日本口に書きとられ候からは、無用をぬき、大綱領之処を精く的切に記し、或は木は何が上之、地は如此がよきなどヽ夥敷事哉と被存候。其上壷はあしく、必棺椁にと云へる如き、先つ白徒軽き平士の見てぎょっと致シ候事ニ候へ者、必棺と極るもあしく候。且ツ大抵の棺に比すれば極上の瓶は善き物にて御座候。全体喪礼に念を入候心あれば、棺と瓶との事の如きは其人の身上事体に由りて如何様にもなるべき事なりと可被思召候。

一、棺の事、本書に屹と極め申置候得共、朱子家礼の喪礼に椁はあしくと御座候。然れ共本椁を止め共、而も兎角ざっとしたる上おヽひなくては叶不申候間、其上覆と申ものを棺にして、程朱の念を入られ候。棺を則椁と名を改め申候迠にて候。然者椁は無きと同前にて、唯途中の為に大抵ハ棺に入れ葬地に送りて、葬地にて所謂本棺に入るれバ、却而簡便なる故也。夫共本棺に納めても途中無滯往べきならば、固より椁をば止むるがよし。此一件はとくと追而能吟味を待也。

一、子孫の絶へたる人ハ、其人の諸道具など賣て少にても金銀をあつめ、祠堂金を寺に附べし。左すれば是も過去帳に附け、永々墓をあばかざる。寺あるかぎりの事を證す。是甚永久之謀。古人之謂へる祭田墓田の意。

一、儒者の疾にて禅寺をよろこべとも、是亦可笑也。兎角此方次第になる寺を擇ふべし。扨、寺には凡そ口を明さぬはよし。然れとも父母の体をあづけおく地主なれば金銀をバよく與る筈也。左なけれバ自と墓を麄略にするなり。
今の儒者が白徒につつかれて皮毛外々々々と云が、是もつまり肴なり。ならうなら皮毛外までよくしたき事なり。去歳私家凶変のときも浮屠の来て経を誦する事なく、又棺の迎に小僧の来る事もなし。又、婦人の棺に婢などの供するもあしヽ。此三事、皆皮毛外の事なれと、私方てハ如此ニ御座候而已と申までなり。扨、伊川の不用浮屠、朱子の不作佛事、何から何まで儒者の心なり。

一、天子七月諸侯五月にして葬るの類、当時難用候。大抵当世を視候に京都にてハ二十日、江戸にてハ十日程にて候得者、それにならひ大夫平士は三日或は五日にて葬へし。扨又大名ハ志さへ有之候得者、しきに成申事ニ候。唯古今文盲の二字にて御座候。甚孝行なる人にも死後は國風にて汙を思ひ、直に埋候事、何なる心にて候や。唐津城主利延侯など唐津にて家大人の喪事を行候。十五日ぶりにて葬申候。世上の大名衆に扨も知らせ度候。扨、家中の者は屋敷の中に死者を久敷置事を一統の風にて法度に仕置く家中夛し。其時は隨分隱しおくがよし。堅き律義成る人ハ、親に孝にても君を欺き隱すは非義なりと云。中々尤らしけれ共、盲き論なり。文盲の君を欺くは小児の守をする如く、欺にあらず。向の為めもよければ太極の許を得て隱べし。併、江戸は火事もしけヽれバ、喪事萬端可慮事夛し。一々難申尽事共、先づ此位にて候。

冬至賀総俗未開也、此却朴素近古。又足以別都鄙。謹勿效都人所為、益礼節。独如喪祭二礼、當隨文竭萬一誠信。何一任浮屠之法、不省哉。近聞一二人家未讀一丁文字軰、感化有瓶棺塗松脂者。予於是大歡喜。雖田野隱迭之身、竊為世教勤之。吁總之農家作詩文者或有之。是徂徠之化也。至於用松脂之事、則実埀加先生之澤也。人心自有権度。其亦静思念之、孰実、孰虚、孰有補風教、孰無益民用、亦在自擇之。壬子雜記。
【読み】
冬至の賀総俗未だ開けざるや、此れ却って朴素古に近し。又以て都鄙を別つに足る。謹みて都人為す所に效い、礼節を益すこと勿かれ。独り喪祭二礼の如きは、當に文に隨いて萬一の誠信を竭くすべし。何ぞ一に浮屠の法に任じて、省みざらんや。近ごろ一二の人家未だ一丁文字を讀まざる軰、感化して瓶棺松脂を塗る者有りと聞く。予是に於て大いに歡喜す。田野隱迭の身と雖も、竊かに世教の為に之を勤む。吁[ああ]總の農家詩文を作る者或は之れ有り。是れ徂徠の化なり。松脂を用ゆるの事に至っては、則ち実に埀加先生の澤なり。人心自ずから権度有り。其れ亦静かに之を思念し、孰れか実、孰れか虚、孰れか風教に補い有り、孰れか民用に益無きか、亦自ら之を擇ぶに在り。壬子雜記。
【語釈】
・壬子…寛政4年。1792年。