稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒

九、六禮之大略講義 寛政辛亥二月二十六日講。門人繊邸花澤文次所録。
【語釈】
・寛政辛亥…寛政3年。1791年。
・繊邸花澤文次…林潛齋。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。

伊川先生曰、冠昏喪祭禮之大者、
【読み】
伊川先生曰く、冠昏喪祭は禮の大なる者なるに、

已酉文七録曰、冠昏喪祭ハ礼ノ中デ一チ重ヒコトナリ。礼ハ三千三百ノ数ヲヽイコトナレトモ、冠昏喪祭ガヲヽヅナニナル。網ハ大ヅナアッテ萬目ガアガル。人間モ此ノヲヽキナ処ニ礼カアッテ、ソレカラサマ々々ナ細ナ礼ヲスル。是ガナイト小笠原ニナッテシマフ。此四ツハカヽレヌモノナレトモ、垩人ノ世ヲサッタモノユヘ、誰モ合点シテヲルモノガナイ。
【語釈】
・已酉…寛政元年。1789年。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。

今人都不理會。
【読み】
今人都て理會せず。

學問セヌモノヽアハレサハナリ。今日俗人ハ學問セヌユヘ、心ノ内デハ実ハ学問ヲコハガルモノ。俗人ハ小カシコクテモ、理會セヌト云デ哀レナコト。学者ノ三分五厘ニモセヌコトヲモ夜モ寢ズニ案ジタリ、又、学者ノ安堵セヌコトハ何トモ思ハズニノロリトシテヲル。ソレヲ不埒ナト云デハナク、不理會ナリ。世間萬般見皆下品ト朱子ノ言ルヽ。サテ々々浅間ナ心入ゾ。小児ニ蘭麝待ヤリテモ金箔ノガラ々々ト取カヘルト云モ、大切ナモノ理會セヌユヘナリ。

豺獺皆知報本、今士大夫家多忽此、
【読み】
豺獺[さいだつ]は皆本を報ずることを知る。今士大夫の家多く此を忽にし、

程子ノ涙ヲ流シテ云コトナリ。人ハ萬物之靈ト云ナガラ、アノ豺獺ニモ及ヌト云。ホロ々々涙ナリ。周公ノ驅豺象ト云。アレサヘ知ルニ、人ガ知ラヌハ何事ゾトナゲカルヽ。已酉文七録曰、禽獣ハ無智ナモノナレトモ、人間ニ先祖ヲ祭ルト云フコトガアル。ソレヲアレラカアヤカリテ、此様ナコトアルナリ。烏ニ孝行ノアルト云モ、人間ニ孝ト云フコトノアルガ烏ノ反哺ヘウツリタモノ。一理ユヘ、人間ニアルコトカ豺獺ニノリテヲル。理ガ一ユヘ、線路ノ明ヲウケテソノヨウナコトガアルナリ。前ニ今人都不理會トヒロク後世ノ人ト云テ、アトテ今士大夫ノ家ト云ガ面白ヒ。御人柄ニモ似合ヌナリ。コヽデ日雇取ト云ヘバ其モ尤ト云ニナル。自分ノ身ヲ奉養ハスル、普請モ立羽ニスルガ、祀堂ハ建ヌ。自己ハ僅カ平ノアンバイワルクテモ好事ヲ云フガ、先祖ノコトニハ何ニモカマハヌ。此ハ沙汰ノカギリナコトデ、ワルヒニ此上ハナイ。ソコデ伊川先生ガ脩六礼ナリ。

厚於奉養而薄於先祖甚不可也。
【読み】
奉養に厚くして先祖に薄きは甚だ不可なり。

太平ノ代ノ歴々ノ飲食ハスサマシイコト。魚肉野菜美ヲ盡シテスルガ、先祖ハソフナイ。軽イ者ノデイデモ、我遊山ノ時ハ立派ヲスルガ、先祖ノコトニハ寺ガアレバコソマダシモナレトモ、平生雜茶碗デ茶ヲ備ヘ、生霊棚アノキタナイ土器ナトテムサイコトナリ。手前ノ日待ヤ花見遊山ノトキノホドニハセヌ。

某嘗脩六禮大略。六禮、冠・昏・喪・祭・郷飲酒・士相見。
【読み】
某嘗て六禮の大略を脩む。六禮は、冠・昏・喪・祭・郷飲酒・士相見。

伊川ノハ只今ノ世話ヤキ儒者トハ違フ。今日シキニ用ニハ立ヌ。直ニ用ニ立カラハ俗儒ノ了簡。垩賢ノ礼ハソフユカヌ。周公ノ大略カラシテコノ六礼ガ本立ナリ。文七録曰、今二程全書ニアラマシ出テアリ、アレヲ讀テミルトシレル。

家必有廟、古者庶人祭於寢、士大夫祭於廟。庶人無廟、可立影堂。
【読み】
家に必ず廟有り、古は庶人は寢に祭り、士大夫は廟に祭る。庶人は廟無ければ、影堂を立つ可し。

文七録曰、必々ト云ハ略サレヌコトヲ云字。ナクテスムコトガアル。無用ナモノガアル。ソレヲ唐ノ文字デ長物トモ云、贅物トモ云。ソノヨウナ榮曜(耀)道具ハナクテモスム。ナクテナラヌモノハ、イカホド身代カセツナクイソカシクテモセ子ハナラヌ。女房ヤ子ヲ居ク家ハ誰カ建テ居カセルト云ニ先祖ナリ。女房ヤ子ヲ置ク部屋ハアリテ先祖ノ部屋ガノフテハツマラヌコトゾ。ドンナコトデモ此ヲ一チ先ニシテヲカ子バナラヌ。礼記ノ語ヲ家礼ニモ引テアリ。君子將営宮室必先立祠堂ノ先ノ字ガ此必ノ字ト同ジコト。先祖ノ廟カラサキニコシラヘル。然レトモ、礼ノ明ナ時デモ百姓町人ニハ宗廟ハナイ。ソコデザシキデ祭ルトアル。コヽハ伊川ノ当時ノナリデ云タモノ。伊川ノ時ハ天下一統ニ礼ガナイ故神主ハナイ。祖父ヤ父ノ顔ヲカイテヲク。ソコテ影堂ト云フ。ソノ御定ノ影堂ヲ建ルガヨイ。淺見先生ガアノ礼ヲ守ル人ナレトモ、文字ノ筋ヲシラレタ故、コレヲ持佛堂ト思ヘト譯サレタ。持佛堂ノナイ家ハナイ。日雇取ノ内ニモアル。然レトモ、伊川ノ意ハ俗礼ヲシロト云意デハナイ。分ニ古ノ制ニコシラヘルコトヲセヌナリ。意サヘ合点スレバヨイト云コト。影堂デスムト云コト。凡ソ礼ヲ説ハ、垩人ノ本意ヲ合点シテ、今日ヘナルヨウニスルガヨイ。本意ヲ合点シテモアワヌコトハワルイ。直方先生云フカマボコガソレデ、古ノコトモ六ヶ敷ヒコトナク、今ナルヨウニスルト、ソンナラナルト云。ナラセルコトデナケレバ礼ハ頓トナラヌ。
【語釈】
・君子將営宮室必先立祠堂…家礼。「君子将营宮室,必先立祠堂于正寝之東。」

上總ナドデハ庶人ノ字ヲ大切ニキクベシ。影堂ハ畧シテ農工商ノ為ニスルナリ。コレニモ法ガアル。先ツ先祖ヲ画像ニシテ祭ルコトナリ。京都二タ瀬村ニ林家ノ領分アリ、道春ヨリ二三代ノ影堂ガアル。アレナドガ今手本ナリ。百姓ガ奢ガワルイトテ、二疂四方ニ影堂ヲ立テモ何レカラ御咎メカアロフト思フゾ。画ニセズハ名ヲカイテ置テモヨイニ、手前ノ栄耀ニハ奢ヲ極メテ公儀カラ御咎メアルベキコトモスル。影堂ハ僅ニ一間四方ニシテモヨイ。画師ガ書テモ朝夕先祖ニ御目ニカヽルト云デアツクナル。俗人ガ得手公儀ヲハヾカルト云フ。コレガ桀紂ノ代ナラバハヾカルベシ。ソレトテモ、桀紂ノ世デモ手前ノ為メニワルイモノハ炮烙ニモセフガ、影堂ハ桀紂デモ咎メハナイ筈ナリ。シカラバ小学近思ヲヨミカヽル泰平ノ世ニ、コノ思ヒ立テナキハイカヾナリ。刑不上太夫礼不下庶人ト云テ、庶人ト云テ御差圖ナレバ、学者遠慮ハナイ。殊ニ御当家ハ道春ヨリシテ後上テ程子ノ学ヲ御用ヒナレバ、今日本デ一間四方ノ影堂ヲ建タトテ御咎メハナイ筈ナリ。庶人ニ礼ハナイコトナレドモ影堂ト云ハルヽハ、庶人ノ為ニ義起ナリ。コレヲ伊川ノ差図ナレバ学者モ遠慮ハナイ。コノ章、小学ニモ載セテアルコト、タレモ知タコト。此ハ先祖ノコトナレバ是非セ子バナラヌコトナレドモ、然ルニコウサツガ出テ三尺ノ一枚板デスルト云ユヘ、ハヤ出来ヌコトニナル。先祖モ本萱葺ニ居タモノユヘ、ヤハリカヤブキニシテヨシ。一間四方軽クテモヨイ。蘆天井ニシテ、屋鋪ノ隅ノ杉ノ木ヲ四本キレバ出来ルコトナリ。今影堂ヲ建ルホドノ学者ハ入ラザル書物ヲヨミ、イロ々々ノ虚文ヲカイテ異国ノ眞似シ、仰山ニスルユヘ行レヌ。
【語釈】
・刑不上太夫礼不下庶人…礼記曲礼上。「禮不下庶人、刑不上大夫。刑人不在君側。」

廟必有主、高祖以上、即當祧也。又云、今人以影祭。或一髭髪不相似則所祭已是別人、大不便。
【読み】
廟に必ず主有り、高祖より以上は即ち當に祧すべし。又云う、今の人影を以て祭る。或は一髭髪相似ざれば、則ち祭る所已に是れ別人、大いに便ならず。

文七録曰、廟ニハ神主ト云モノガアル。サテ其神主ノコシラヘヨウハ家礼ニ出デアリテ、形迠フカイアヤノアルト云フコトテハナイ。サテ先祖ヲ祭ルト云ニナッテハ大切ナコトデ、先祖モ夫婦アッテシタモノユヘ夫婦ナランデスル。神主モ夫婦、祭ル者モ夫婦。寺メカヌコト。夫婦並ブト云フコトハ仏法ニハナイ。アノ方ハ子ヲモタヌヲ道トミルユヘコノヨウナコトハナイ。サテ先祖ヘダテヲシテハ鬼神ノ感挌ハナイト思フガヨイ。父母アッテ此方モ生タユヘ夫婦テ祭ル。ヅンド先祖ノコトニナッテハ仏法ノ筋トハ違フコトゾ。伊川ノ時分、祖父ヤ考ヲ畵像ヤ木像ニスルコトガハヤリタ。コレモ子タルモノヘハヒヾクコトナレトモ、伊川ノ思召ニ、是ハ易ス大事ナコトジャ、チットモチガハズハヨイガ、スコシテモチカヘバ親ト思フテモヨノモノナリ。日本デモ畵像ガアッタトミヘル。東照宮ノ林道春ヘ初メ百石カ下サレテ、京都ニ今ニ其跡アリ。某モ先年上京ノ節行、彼所拜シタルニ、道春ヨリ近代ノ林公皆畵像デアリ、ニタラハイコフヨカロフト思ゾ。

コレガ伊川ノ御差圖ナリ。宋迠ハ親バカリ庶人ハ祭ッタガ、程子カラハ上高祖迠ハ忌服ガアルユヘ主ヲ置テ祭ル。高祖ガ生キテ居レバ忌服ガカヽルユヘナリ。會津ノ中將様ノ遺意ナリ。當時ハ服忌令ガアル。ソフタイ武家ノ制度ハ神君ヨリ二代將軍三代將軍ノ御代迠ニ撰レテ、諸法度黄門公ナト御列座ニテ御世話遊バシ、林春齋ナドノ手ニテ出来タルヨシ傳承ル。又、會津様ノ治教録ガ天下ノ法ニナル。日本デ庶人デモ四代ヲ祭リテヨイト云ハ中將様ノ遺言ナリ。然レバ服忌令ノ通リ高祖迠服忌アルカラハ、四代祭テヨシ。以影祭或一髭髪不相似云々。宋朝ガ画像ナレドモ少シ似ヌ処ガアリテハヒョンナモノ。長谷川觀水殿ノ話ニ、アノ人ノ朋軰ニタノマレ、祖父ノ寺忍アタリニアルヲ君命ノ序ニユキ其影堂ヲ見タニ、祖父ノ画像ガヨク子孫ニ似テ、彼画像ニアル画ノ鍔ヲ見レバ平日孫ガサシタ鍔ナリ。イヨ々々親切デアリタトナリ。如此ナレバヨシ。ソコハ画ノ親切ニテ、ヨク似レバヨイガ、似ヌト別人ニナル。
【語釈】
・會津の中將様…保科正之。江戸前期の大名。会津の藩祖。徳川秀忠の庶子。保科氏の養子。会津二三万石に封ぜられ、将軍家綱を補佐。社倉を建て領民を保護。儒学を好み山崎闇斎を聘し、また吉川惟足の神道説を学び、その伝授を得た。諡号は土津霊神。1611~1672
・神君…徳川家康の尊称。
・林春齋…林鵞峰。江戸前期の幕府の儒官。羅山の第三子。名は恕・春勝。僧号、春斎。幕府に仕えて「本朝通鑑」などの編集に従事。博学で、「鵞峰全集」「日本王代一覧」など著書が多い。1618~1680
・長谷川觀水…長谷川克明。源右衛門。

月朔必薦新、如仲春薦含桃之類。
【読み】
月朔に必ず新を薦め、仲春に含桃を薦むの類の如し。

本トノヲコリハ礼記月令ニモアリ、先薦寢廟ト云。コレガ天子ノスルコトナレドモ、下々モナルコトナリ。新米ヤ庭ノ栗ヲスヽムルガ出来ヌコトデハナイ。又、僭ニハナラヌ。淺見先生ノ新米振舞ナリ。ソレデ新ヲ祭ルガヨイト云ハルヽ。畑ケノ茄子ヤ爪デスルモ大フ殊勝ナコトナリ。
【語釈】
・先薦寢廟…礼記月令。「是月也、農乃登穀、天子嘗新、先薦寢廟。」

時祭用仲月、物成也。古者天子諸侯於孟月者、為首時也。時祭之外更有三祭。
【読み】
時祭は仲月を用い、物成ればなり。古は、天子諸侯孟月に於てするは、首時為ればなり。時祭の外更に三祭有り。

一年ノ内四度スル。春ハ二月、夏ハ五月、秋ハ九月、冬十一月ナリ。ナラヌハ誠ナシ。誠アレバナラヌコトハナイ。生テヲレハ誠ナクテモ父祖ニ食事ハスヽムルテミヨ。

冬至祭始祖、冬至、陽之始也。始祖、厥初生民之祖也。無主、於廟中正位設一位、合考姒享之。
【読み】
冬至に始祖を祭り、冬至は陽の始なり。始祖は厥の初生民の祖なり。主無ければ、廟中の正位に於て一位を設け、考姒を合して之を享す。

下ノ立春祭先祖トコノ二ツハ程子ノ制作ナレドモ、大フ重イコトユヘ朱子モ始ハ程子ニシタガハレタレドモ、後ハ僭也ト云ハレテヤメラレタ。朱子ノヤメラレタコトユヘ学者モセヌガヨイ。伊川ノ御心ヲ知ルガヨイトハドフナレバ、程子ノ道統傳ヲ継ト云モ一ト通リテハ合点ナラヌコト。御心ガ垩域ニ至リタユヘナリ。程子ノ誠ノ垩人ニ至ルト云モ人欲ガナイユヘ。先日ノ処ニモ天子ノサシ向テシラナコトアリ。コヽラモ天ヘトヾクユヘコノ組立ガナル。山﨑先生ノ神道ニ入ッタモヤハリコヽヘノリガキタユヘナリ。コノコト早速合点ハユクマイガ、ソフナリ。先生ノ神道ガ覇業デモ術数デモナク、又、外ノ文盲ナ神ン主ノ意テモナイ筈。人欲ガナクナルト心ノ感通スル処ガジカニアル。扨ドコ迠モ感通スルト云ヲ知ルト、直方先生ノ云ワルヽ、祭リタクテナラヌナリ。某抔ノヤウナ二男ニ生レ、祭ト云面倒ガナク、傳十郎ヨリ大三ハ世話ガナクテ德ジャト思フヨウナ心デハ伊川ノ御心ハ測ラレヌコトナリ。コチガヲヽチャクモノユヘナリ。始祖ハ天地開ケテノ先祖ナリ。祭ガ心ニノルト祖父ハ我父ノ親、其親ハ曽祖ト、アナタノアナタニナリテ眼ニ見ヘヌヤウニナル。コノ根ガナク、叔孫通ガ礼ヲ制シタヤフナハ真木ザッパヲ見ルヤウナリ。三代垩人ノ礼カラ二番目ハ程子ナリ。誠カラ義起ナリ。周官ノ法モ關雎麟趾カラ出ルヤウナモノナリ。コノ冬至ニ祭始祖ト云ガ平生飲食ノ神ヲ祭ルヤウナモノ。コノアヤデ本ヲ大切ニセ子バナラヌ。生民之祖也。氣化ノ祖ヲ云。物ノ出来タ祖カタクアリタモノ。ソレカナケレバ今此身ハナイ筈。中辺カラフト出キタト云人ハナイナリ。然レバ開闢カラ我迠一トツヾキニ此呼吸ガツヾイテ居ルナリ。
【読み】
・傳十郎…櫻木誾斎の長男。
・大三…櫻木誾斎の二男。
・關雎麟趾…治体21に「明道先生曰、必有關雎・麟趾之意、然後可以行周官之法度。」とある。詩経国風周南の冒頭が關雎で、最後が麟之趾である。關雎の序に「關雎樂得淑女以配君子。愛在進賢、不淫其色。哀窈窕思賢才而無傷善之心焉。是關雎之義也。」、麟之趾の序に「麟之趾、關雎之應也。關雎之化行、則天下無犯非禮。雖衰世之公子、皆信厚如麟趾之時也。」とある。

立春祭先祖、立春生物之始也。先祖始祖而下、高祖而上、非一人也。亦無主、設兩位、分享考妣。
【読み】
立春には先祖を祭り、立春は物を生ずるの始めなり。先祖は始祖よりして下、高祖よりして上、一人に非ざるなり。亦主無きは、兩位を設けて分けて考妣に享す。

始祖ヨリ以下ノ先祖ガ何百人アルカ知ヌコトナリ。今老年デ子ヲ持、其子長壽スレバ先ツ世数ガスクナイガ、若イ子ヲハヤクモッタモノハ先祖ガ多イト合点スルガヨイ。馬鹿ナ講釈ノヤウナレトモ、ソフナリ。某ナドハ百数十年迠ノ内三代テヲル。祖父生レテカラ百五十年ハカリゾ。世ノ中百年ノ内ニハ代替リガ多クアルモノ。某祖父ナドハ明ノ末ノ時分ニアタルガ、今迠某トモニ三代ナリ。始祖カラ高祖迠ハ系譜モナイユヘ知ラ子トモ、アリハアルト思フヤルト云ノテ却テヒヽクコトナリ。分享考妣。両親ヲセウバンニ出ス。父母ハ我身ニ近イモノ。ソレガ使ニ出テ遠イ先祖ヲヒイテ来ルナリ。

季秋祭禰。季秋成物之時也。
【読み】
季秋には禰[でい]を祭る。季秋は物を成すの時なり。

文七録曰、禰ハ示ス篇ニ近ト云字デ、吾身ニ近ト云ニ親程ナモノハナイ。先祖ハ幾人アルカシレヌガ、其内吾カ此體ヲ生ンタト云ホド近ヒコトハナイ。九月ハモノヽ成就スルトキナリ。此月ニ両親バカリ祭ツラレタ。サテ是ハ軽イモノデモシヨイ。ゴマメナマスデモコシラヘテナルコトナリ。朱子ハ禰ノ祭バカリイタサレタ。殊更朱子ハ九月生レ。誕生日ニ禰ノ祭ヲイタサレタ。是等ハ皆ノ衆ヨク々々シラレテヲルベキコトゾ。

別段ニ親ヲ祭ル。新米ガ出来テ祭ルナリ。物ノ成就シタト云ハ天地ノコト。人モ此カラダノ成就シタハ此父母アルユヘ。九月籾ヲ摺臼ニカケルト云モコノカラダカスル。其カラダモ親ガシタト感ジテ祭ル。不敬ナモノハコノヤフニ又モ々々祭ガアルカト欠ビナリ。先日ノ萃ノ卦カラ今日ノ処ガ、父母ヤ先祖ノコトニ欠ビヲ出スヤフデハ天下ノ人心安堵ハナラヌ。先祖ニ欠ガ出ルト君父ニモ欠ガ出ル。ソコテ君ニ仕ヘルト云ハ強仕四十ゾ。ソレヨリ前、祭ヲ大切ニスルガヨイ筈ナリ。九月ノ祭リガ何モ地頭ノ為ニモナラヌ様ナレトモ、天下ノ人心ヲ維持スルノ法ガコノ祭デナケレバナラヌ。月朔薦新カラシテ立春祭先祖ノト、未タアルカ々々々ト祭ルホドデ祭ノ数ガスクナイ。コレデナケレバ天下ノ治至ニ至ラヌ。太平ニスルハ人ノ心ヲ集メルコト。萃王假有廟ユヘ、先祖ヲ大切ニスルユヘ上ヲモ大切ニスルハズナリ。治道ハ本末アリテ、肉ヲ分ケヌ人ニ厚シテ先祖ニウスイト云ハナイコト。ソコテ萃ノ有廟ト云フカラデナクテハ天下ハ治サマラヌ。先祖ヲバステヽヲクガ君上ハ大切ニスルト云、請合ニハナラレヌ。大学経文ニ其所厚者薄而其所薄者厚未之有也、ト。垩人ノ一寸シタコトノヤウテ、アノ結語ノ繋ル処カ廣イ。コヽガキヒシイ処ナリ。コレハコッパ儒者ノ知ラヌコトナリ。経済者々々々ト請合普請ノヤフナハ近思ノ治法デナシ。
【語釈】
・強仕四十…礼記曲礼上。「四十曰強、而仕。」四十歳ではじめて官に仕えること。
・其所厚者薄而其所薄者厚未之有也…大学章句1。「其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。」

忌日遷主祭於正寢。
【読み】
忌日には主を遷して正寢に祭る。

文七録曰、是ハ今ハ寺カヽリニナッテ法事ヲスル。ソレデ忌日ノ名ハノコリテヲル。忌日ハ君子終身ノ喪ト云。時祭ハ目出度祭デ肴モ食フカ、是ハ一生ノ喪ト云フコトユヘ、當日ハ酒モ飲ズ肴モクワヌ。神主ニハソナヘテワレハトントクワヌ。其人唯一人ヲ祭ルニワキヘ膳ヲスヘヌデハ外ノ鬼神ヘ無礼ニナルユヘ、祠堂カラ一ツ神主ヲモッテクル。

凡事死之禮、當厚於奉生者。
【読み】
凡そ死に事うる禮は、當に生きたるに奉ずる者より厚くすべし。

イツモ云通リ、生タ親ハモノヲ云ヘトモ、鬼神ハ羹ガヌルクテモ飯ガコハクテモタマッテヲルユヘヨイハト云ハ薄イ心ナリ。

人家能存得此等事数件、雖幼者可使漸知礼儀。
【読み】
人家能く此等の事数件を存し得ば、幼者と雖も漸く禮義を知らしむ可し。

文七録曰、礼ト云ト人ガ書物ヲアケテミルコトト思ガ、ソレデナルモノデハナイ。シテガアルト自然トスル。今佛ノ経文ノ讀手モナイガ、寺ガ方々ニアルデ子供ガミテヲルユヘ、経を讀ムマ子ヲスル。スル人ガアレバ若ヒ者ガスルキニナル。某東金ノ爺ヲ毎々誉ルモソレデ、アノ男ノ學問ハ好キ次第ヲシテ中々山﨑派ヲフルウト云フコトデハナイガ、先祖ノ祭ヲスルバカリハイカウヨイ。アノ男ノ前々カラスルユヘ、傳十郎ガ子モ定メテ是ハ替タコトヲスルト思マイ。ソコカ雖。幼者ト云ヘトモ礼義ヲシラシムノ処ソ。シテミセルデナケレバ藝ニナル。學者ト云ハズ、人家能云々ガ面白ヒ。世間デハ肴ハ備ヘヌガ、コチデハ肴ヲソナヘル。ソウシテモ段々シテミセルト不思儀ナコトト思ハズ。今人ニ不埒ヲスルコトハ方々ヲカ子ヌモノ。此様ナコトニナルト、人ガドウ云ノ、誰ガコウ云ノト云ハ、ソレハ勇氣ガタリヌユヘナリ。

自姫嶋・柳橋講授諸生於此、餘五十年矣。二人皆謹愨實行者也。唯其究格之不到、未會謹愨實行之著於事者、一大至要之所在、故追遠愼終之誠、一付之小学・家礼講説上、不復有斟酌時冝、竭万分之準擬手段。是以就学之徒、於喪祭二礼、則全任於佛矣。乃平日所講孝経與小学・家礼、果何在。其徒謹愨實行而至著於事、則不謹不實者、實由究格之不到也。獨櫻木剛中断然不從流俗、畧依家礼以竭孝子之分。可謂見義而為勇敢者也矣。予近年此来教一二学者、先投以官制服忌令守時礼、参以絅翁九族圖與太宰純正名者、古礼之斟酌。小学・家礼之用實於今日、切於人心、不違官制、不倍古意、為準而已。佐藤子課會不講家礼。然其施于家也、木主・時祭嚴然在。其知於是益高矣。三宅子培根之訓、小學・家礼為基、踈於此者、不升達支坐。亦篤哉。然其自遺命後事、則用瓶不必據家礼。其識於是乎最達矣。
【読み】
姫嶋・柳橋諸生を此に講授してより、五十年を餘す。二人は皆謹愨實行なる者なり。唯其の究格の到らざる、未だ謹愨實行の事に著るる者、一大至要の在る所を會せず、故に遠きを追い終わりを愼むの誠は、一に之を小学・家礼の講説上に付し、復時冝を斟酌し、万分を竭くすの準擬手段有らざればなり。是を以て就学の徒、喪祭二礼に於ては、則ち全て佛に任ず。乃ち平日孝経と小学・家礼とを講ずる所は、果たして何に在る。其の徒謹愨實行にして事に著るに至りて、則ち不謹不實なる者は、實に究格の到らざるに由るなり。獨り櫻木剛中は断然として流俗に從わず、畧家礼に依りて以て孝子の分を竭くす。義を見て勇敢なる者と謂う可し。予近年此に来て一二の学者を教ゆるに、先ず投ずるに官制の服忌令を以てして時礼を守り、参るに絅翁九族圖と太宰純が正名とを以てするは、古礼の斟酌。小学・家礼の用は今日に實に、人心に切に、官制に違わず、古意に倍せず、準と為すのみ。佐藤子課會に家礼を講ぜず。然るに其の家に施すや、木主・時祭嚴然として在り。其の知是に於て益々高し。三宅子培根の訓は、小學・家礼を基と為し、此に踈き者は、達支の坐に升らせず。亦篤きかな。然るに其の自ら後事を遺命するに、則ち瓶を用いて必ずしも家礼に據らず。其の識是に於て最も達せり。

櫻木剛中以家冨饒、其儀難為他人準則。乃予為堀上学者謀。先為禰祭擬絅翁新穀享儀、因配諸祖、献酒肉、如葬埋則用瓶棺、塗松脂其盖而已。納尸於瓶、不憂早。至加盖、則以死三十六刻為限、而後加盖塗脂発引、亦從冝。喪限以服忌令。既除執心喪、亦依之至期年而已。其布施檀寺、及年忌類一従彼法而可也。獨僧来剃尸髪如都下、則喪家欲之者剃焉、不欲者従棺外為剃髪之儀而止。以為常。但上總僧徒不肯聽喪家之所欲、堅執剃之甚、至有発棺剃之。此與都下異矣。夫官許諸宗門通天下、而此土僧法之於檀家與都下異者、未審所由。殆士庶勢殊者與。講礼之士、純孝之子、徒尊奉身体髪膚之垩訓、未及啓己之手足、先剃父母之髪。吁武家勵文武忠孝、而田野庶人不能全孝於父母之身、又命哉。学者在喪事急遽時、向僧委曲之請託之。僧矜持怫然氣焔難犯。隣里近佑恐招訟訴擾郷中、訶儒者抑孝子、百方欲不違佛法者、往々為然。是吾儕隱逸轉客、不達官府事体者、非所能可指導、而徒孤負宣尼一巻経與考亭一家禮焉耳。辛亥雑記。
【読み】
櫻木剛中は家冨饒を以て、其の儀は他人の準則と為し難し。乃ち予堀上の学者の為に謀る。先ず禰祭を為すに絅翁新穀の享儀に擬し、因りて諸祖を配し、酒肉を献じ、葬埋の如きは則ち瓶棺を用い、松脂を其の盖に塗るのみ。尸を瓶に納むるは、早きを憂えず。盖を加うるに至りては、則ち死して三十六刻を以て限と為し、而して後に盖を加え脂を塗り発引するも、亦冝しきに從う。喪限は服忌令を以てす。既に除して心喪を執るも、亦之に依りて期年に至るのみ。其の檀寺に布施し、及び年忌の類は一に彼の法に従いて可なり。獨り僧来り尸の髪を剃ること都下の如くば、則ち喪家之を欲する者は剃り、欲せざる者は棺外より剃髪の儀を為して止む。以て常と為せ。但上總の僧徒肯えて喪家の欲する所を聽かず、堅く執して之を剃ること甚だしきは、棺を発き之を剃ること有るに至る。此れ都下と異なれり。夫れ官許諸宗門天下に通じ、而して此の土の僧法の檀家に於ると都下と異なる者、未だ由る所審らかにせず。殆ど士庶の勢い殊なる者か。礼を講ずるの士、孝に純らなるの子、徒に身体髪膚の垩訓に尊奉して、未だ己が手足を啓くに及ばず、先ず父母の髪を剃る。吁[ああ]武家は文武忠孝に勵にして、田野の庶人は孝を父母の身に全くすること能わざるも、又命なるかな。学者喪事急遽の時に在りて、僧に向かいて之を委曲し之を請託す。僧矜持し怫然として氣焔犯し難し。隣里近佑訟訴を招き郷中を擾[みだ]すを恐れ、儒者を訶り孝子を抑え、百方佛法に違わざらんと欲する者、往々然りと為す。是れ吾儕隱逸轉客して、官府の事体に達せざる者、能く指導す可き所に非ずして、徒に宣尼一巻の経と考亭一家の禮とに孤負するのみ。辛亥雑記。
【語釈】
・辛亥…寛政3年。1791年。

東金櫻叟以渾厚和平處市井閙熱境、然不顧旁人是非、以肉食奉其先。予毎稱以為勇者之事。堀上十二以疏放不事事之資、近日始用酒魚為禰祭。予稱以為出於知見。更下一轉語仁在其中。抑復可見学問之力不可誣也。皆非氣質之用者也。
【読み】
東金の櫻叟、渾厚和平を以て市井閙熱[どうねつ]の境に處し、然るに旁人の是非を顧みず、肉食を以て其の先に奉ず。予毎に稱して以て勇者の事と為す。堀上の十二、疏放事を事とせざるの資を以て、近日始めて酒魚を用いて禰祭を為す。予稱して以て知見に出づと為す。更に一轉語を下さば仁其の中に在り。抑々復学問の力誣ゆ可からざると見るに可なり。皆氣質の用に非ざる者なり。

田舎吉凶親舊大會飲食逾都下。是固不可謂悪俗也。然其源盖出於布施之法、恐非上代禮義之遺風。其貪昧無廉耻者、足以卜所従来也。其他農事至家常瑣末、莫非由彼法、而所以惰農日増也。以上二条庚戌雜記。
【読み】
田舎の吉凶親舊大會飲食都下に逾ゆ。是れ固より悪俗と謂う可からざるなり。然るに其の源は盖し布施の法に出で、恐らくは上代禮義の遺風に非ず。其の貪昧廉耻無き者は、以て従来する所を卜するに足る。其の他農事より家常の瑣末に至るまで、彼の法に由るに非ざる莫くして、惰農日々に増す所以なり。以上二条庚戌雜記。
【語釈】
・庚戌…寛政2年。1790年。