稲葉黙齋先生農村自治ニ關スルノ訓戒

十、道學二字説

道學ト云フ二字ヲ手短ニ云ヘバ、近思録道體ノ道ノ字ト為學ノ學ノ字ヲ合セテ道學ト云フ。文字ノ出處ハト云ヘバ、外ノ書ニ求メズ、中庸ノ序ニアル道学ノ二字ヲ出處トスベシ。中庸ノ序、道學ノ傳ヲ語リ、人心惟危道心惟微、惟精惟一允執厥中者、堯之所以授舜、舜之所以授禹也、ト。コレ道學ハ堯舜ヲ祖師トスルコトニテ、所謂中ハ道也。其中ヲ精一ノ功夫ニテ執ルハ學ナリ。コレ其源堯舜ニ本ツク。道學也。扨其堯舜ノ道學事實ノ上ニ著ハレタルヲ以テ言ハヾ、堯ノ親九族ハ堯ノ道也。舜ノ敷五教ハ舜之道也。堯舜ノ道ハ人倫ノ外ハナキコトニテ、孟子堯舜之道孝弟而已ト云ヒ、堯舜ヨリ授受スル夏殷周三代ユヘ三代之學ト云、皆所以明人倫也ト云。五常五倫ハ道體ナレドモ、為学ナケレバ五常五倫ノ道明カナラズ。垩人ノ道ハ五常五倫ニ本ツクコトニテ、其五常五倫ハ天ニ出ヅ。其天ニ出ル者ヲ道トシテ、ソレヲ學ブヲ學ト云。コレ道體為学ノコトニテ、道学二字ノ名義也。
【語釈】
・堯ノ親九族…書経虞書堯典。「克明俊德、以親九族。九族旣睦、平章百姓、百姓昭明、協和萬邦。黎民於變、時雍。」
・舜ノ敷五教…書経虞書舜典。「帝曰、契、百姓不親、五品不遜。汝作司徒、敬敷五敎在寬。」五教は、「五敎、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、以五者當然之理、而爲敎令也。」とある。
・堯舜之道孝弟而已…孟子告子章句下2の語。
・皆所以明人倫也…孟子滕文公章句上3の語。

是道学ハ天人一致ノコト也ト知ルベシ。天叙有典勑我五典五惇セヨ。天叙ハ道ニシテ我勑シ惇クスルハ學也。是唐虞ノ道學ニテ三代革ルコトナキ者也。曽子・子思春秋戦國ノ時ニ生レ、異端ト云モノ出テ、道モ學モ垩人ノ道学ニソムキタル故大学ノ書ヲ著シ、垩人ノ學ヲ次第シテ學ノ法則ヲ定メ中庸ノ書ヲ作リ、垩人ノ道ヲ発揮シテ道ノ印府ヲ傳フ。コレ曽子・子思中庸・大学ノ道學也。明德者人之所得乎天ハ道體也。明明之也ハ為学也。天命性ハ道體ニシテ、戒愼恐懼ハ為學也。誠者天之道也ハ道体ニシテ、誠之人之道也以下ノ功夫ハ為学也。皆道ヲ本ニ立テヽソレヲ學ブ功夫ナレバ、道学ノ二字イヤト云ハレザルコト也。朱子白鹿洞書院ニ学規ヲ掲示シテ初メニ親義別序信ヲ出ス。コレ道体也。次ニ博学審問愼思明辨篤行ヲ叙ヅ。コレ為學也。何レニテモ都テ是レ道ト學トノ義ニ非ルコトナシ。
【語釈】
・天叙有典勑我五典五惇セヨ…書経虞書皐陶謨。「天敍有典。勑我五典、五惇哉。」
・明德者人之所得乎天…大学経1集註の語。
・明明之也…大学経1集註の語。
・天命性…中庸章句1の語。
・戒愼恐懼…中庸章句1の語。
・誠者天之道也…中庸章句20の語。
・誠之人之道也…中庸章句20の語。

道ト學トノ二字並ビ立ツコトハ自然ナルコトニテ、異端ノ道ニ差フ旨ト云ヘトモ、其差ヒタルマヽニ道ト學ト並ビ立ザルコトハナシ。タトヘバ老氏ハ虚無ヲ道トスレバ、其学ハ自ラ無為ヲ以テ用トス。釋氏ハ寂滅ヲ道トスレバ、其學ハ必絶倫ヲ法トス。異端ハ垩人ノ道学ニ差ヒタルグルミ道ヲ立テヽ学ヘバ、道ト学トニアラザルコトナシ。然ルニ垩人之道ハ東海道ノ如シ。聖人ノ學ハ、其並木ノ松ニツイテ京大坂旅行スルガ如シ。異端ノ道ハ屈曲スル。徑也。徑ト云フ道ヲ本ニ立ルユヘ、学モ荊棘ノ間ヲワケテ行クノ旅行也。コレ道ト学トノ二字ハ似タレトモ、道吾道ニ非ズ、學吾學ニアラズ。故ニコソ異端ト云。コレ天ニ本ヅク道学ト天ニ本ヅカザルトニ由ル。コノコト白鹿洞掲示ノ初條ニテ明白ナリ。父子君臣夫婦長幼朋友ヲ本トスルヲ聖人ノ道學ト云フ。コレニ差フヲ異端ト云。コレ道學ノ二字至テ明白也。

サレトモ斯ク聞タル計ニテ、タヾ外面ニ受ケテ口耳ノ資トシテハ道学ノ旨訣中々了會スルコトナシ。旨訣了會セザレバ功夫ヲ用ユルコト勞ストモ、道学ヲ得ルノ功ナシ。コレ佐藤子一朝一夕ノ憂ニアラズシテ、標的ノ書ヲ著シ、孔曽思孟周程張朱ノ語ヲ拔出シテ、學者ヲ悚動シ功夫ヲ作新シ玉フ。是レ道學ニ従フ官諭ノ手段也。又晩年一旦感慨シ、更ニ冬至文ヲ作テ後学ニ望ミ、又李退溪ヲ以テ道ノ任トス。コレ道學終始ノ準的タリ。コレ亦平易明白ナルコトニテ、ツヾマル處、知行ノ兩端ニ歸着ス。故ニ近思録序、學之道在致知力行之二ト云ヘル者、即チ孔門博文約礼ノ教也。然レトモ學者得其門者或寡。雜博渉獵ヲ以テ博文ト心得テ、廣大ノ知見ナク、郷愿拘滯ヲ以テ約礼ト心得テ、高明ノ德行ナシ。コレ道學ノ旨訣ニクラキ者。迂齋更に學者ニ曉喩スル処ナリ。其要標的ノ二書ニ備ハル。學者此二書ヲ以テ準則トセバ得寸得尺、實功夫他ニ求ムベカラズシテ聖賢道學ノ旨訣ミルベシ。コレ道学ノ二字唐虞ニ始リテ遠大ナリト云ヘトモ、善ク識得スル者ハ我邦今日ニ在テ近切也。孟子云、道在邇而求諸遠。事在易而求諸難。人々親其親長其長天下平ナリ。朱子云、舎此而他求、即遠且難。コレ道學二字目前平易明白ノ趣ナリ。
【語釈】
・道在邇而求諸遠。事在易而求諸難。人々親其親長其長天下平ナリ…孟子離婁章句上11の語。

寛政九卯十一月二十五日 稲葉信録之。
【語釈】
・寛政九…1797年。

今日諸生ヲ訓導スル学業ノ次第規模如何仕可然哉。
孔子自遠方来、乃孟子得英才教育之者。隨其才訓導之。若其學校之政、則白鹿洞掲示提其要、道学標的峻其帰、中間小學・家礼・近思録・四書・五経涵泳、念書如此而可也。餘先賢之書詳之。
【読み】
孔子遠方より来るは、乃ち孟子英才を得て之を教育する者。其の才に隨いて之を訓導せん。若し其の學校の政、則ち白鹿洞掲示其の要を提し、道学標的其の帰を峻にし、中間小學・家礼・近思録・四書・五経涵泳し念書此の如くあれば可なり。餘は先賢の書之を詳らかにす。

今日斉家治國の道先ンスル処如何。
三日而歛之禮與眞心成、又知淫行如盗賊、地獄决無之、祭祖先如事父母、尊父母如事君、而如先王教化之地也。
【読み】
三日にして歛するの禮と眞心と成り、又淫行は盗賊の如く、地獄は决して之れ無きを知り、祖先を祭ること父母に事えるが如く、父母を尊ぶこと君に事えるが如くして、先王教化の地の如し。

以上批佐藤熙明問目 代魄録。
【語釈】
・佐藤熙明…杢右衛門と称す。佐藤復齋の仲弟。文政10年(1827)8月29日没。年78。

仁義礼智猶米。學問猶飯。飯外無米、米外無飯。仁義礼智、學問之本分。學問盡窮仁義礼智。 辛丑雜記。
【読み】
仁義礼智は猶米のごとし。學問は猶飯のごとし。飯の外に米無く、米の外に飯無し。仁義礼智は、學問の本分。學問は仁義礼智を盡窮す。 辛丑雜記。
【語釈】
・辛丑…天明元年。1781年。