文及び読み下しは佐藤直方全集を参考とした。

靜坐集說序
夫動靜者、天道自然之機、而主乎靜以制其動、則學者脩之之功也。古昔聖賢小學大學之方、居敬窮理之訓、良有以也。老佛之徒厭動而求靜、固非天道之全矣。俗儒又初不知主靜之爲要、則其所習皆無用之妄動而已。何足謂之學者乎。程朱所謂靜坐乃學者存心之術、而積德之基也。今欲學聖賢者、不能用力於此、則亦豈有所得於己哉。但靜坐之可慮者、或有流入於坐禪入定之患耳。吾輩能循朱子之明誨、而實用其力、則誠可謂善學者矣。柳川剛義嘗摭朱子之言及於靜坐者、集次爲一篇。名曰靜坐集說、以僃講習之考索焉。頃請冠予一言於篇首、而刻之於版。予奇其注意乎靜坐之說、輒應其請云。
享保丁酉季秋、佐藤直方操筆于東武僑居。
【読み】
夫れ動靜は、天道自然の機にして、靜に主[お]りて以て其の動を制するは、則ち學者之を脩むるの功なり。古昔聖賢小學大學の方、居敬窮理の訓、良[まこと]に以[おも]い有り。老佛の徒動を厭いて靜を求むるは、固より天道の全きに非ず。俗儒は又初めより主靜の要爲るを知らざれば、則ち其の習う所は皆無用の妄動なるのみ。何ぞ之を學者と謂うに足らんや。程朱謂う所の靜坐は乃ち學者心を存するの術にして、德を積むの基なり。今聖賢を學ばんと欲する者、力を此に用ゆること能わずんば、則ち亦豈己に得る所有らんや。但靜坐の慮る可きは、或は坐禪入定に流入するの患え有るのみ。吾輩能く朱子の明誨に循いて、實に其の力を用いば、則ち誠に善く學ぶ者と謂う可し。柳川剛義嘗て朱子の言の靜坐に及ぶ者を摭[ひろ]い、集次し一篇と爲す。名づけて靜坐集說と曰い、以て講習の考索に僃う。頃[このごろ]予が一言を篇首に冠して、之を版に刻さんことを請う。予其の意を靜坐の說に注[つ]ぐるを奇とし、輒[たやす]く其の請いに應ずと云う。
享保丁酉季秋、佐藤直方筆を東武僑居に操る。

靜坐集說

伊川見人靜坐、如何便歎其善學。曰、這卻是一箇總要處。語類九十六。
【読み】
伊川人の靜坐するを見て、如何ぞ便ち其の善く學べるを歎ず。曰く、這[こ]れ卻って是れ一箇總要の處、と。語類九十六。

○今人皆不肯於根本上理會。如敬字、只是將來說、更不做將去。根本不立。故其他零碎工夫無湊泊處。明道延平皆敎人靜坐。看來須是靜坐。十二。
【読み】
○今人皆根本上に於て理會するを肯ぜず。敬の字の如き、只是れ將[も]ち來り說き、更に做[な]し將ち去らず。根本立たず。故に其の他零碎の工夫湊泊する處無し。明道延平皆人に靜坐せしむ。看來るに須く是れ靜坐すべし。十二。

○問、伊川嘗敎人靜坐如何。曰、亦是他見人要多思慮、且以此敎人收拾此心耳。若初學者亦當如此。百十九。
【読み】
○問う、伊川嘗て人に靜坐せしむること如何、と。曰く、亦是れ他に人をして多思慮を要するを見て、且つ此を以て人に此の心を收拾せしむるのみ。初學者の若き亦當に此の如くなるべし、と。百十九。

○問、初學精神易散。靜坐如何。曰、此亦好。但不專在靜處做工夫、動作亦當體驗。聖賢敎人、豈專在打坐上。要是隨處著力。如讀書、如待人處事、若動若靜若語若默、皆當存此。無事時、只合靜心息念。且未說做他事、只自家心如何令把捉不定、恣其散亂走作、何有於學。孟子謂、學問之道無他。求其放心而已矣。不然、精神不收拾、則讀書無滋味、應事多齟齬。豈能求益乎。百十五。
【読み】
○問う、初學精神散じ易し。靜坐すること如何、と。曰く、此れ亦好し。但專ら靜處に在りて工夫を做さず、動作も亦當に體驗すべし。聖賢の人を敎うる、豈專ら打坐上に在らん。是れ處に隨い力を著くるを要す。書を讀むが如き、人を待ち事を處するが如き、若しくは動き若しくは靜かに若しくは語り若しくは默り、皆當に此を存すべし。事無き時は、只合[まさ]に心を靜め念を息むべし。且つ他事を做すを說かず、只自家の心如何ぞ把捉し定まらず、其の散亂走作を恣にせしむれば、何ぞ學に有らん。孟子謂う、學問の道他無し。其の放心を求むるのみ、と。然らずして、精神收拾せざれば、則ち書を讀みて滋味無く、事に應じて齟齬多し。豈能く益を求めんや、と。百十五。


○人也有靜坐無思念底時節、也有思量道理底時節。豈可畫爲兩、說靜坐時與讀書時工夫迥然不同。當靜坐涵養時、正要體察思繹道理。只此便是涵養、不是說喚醒提撕、將道理去、卻那邪思妄念。只自家思量道理時、自然邪念不作。言忠信、行篤敬、立則見其參于前、在輿則見其倚衡。只是常常見這忠信篤敬在眼前、自然邪妄無自而入、非是要存這忠信篤敬、去除那不忠不敬底心。今人之病、正在靜坐讀書時二者工夫不一、所以差。十二。
【読み】
○人也[また]靜坐して思念無き底の時節有り、也道理を思量する底の時節有り。豈畫し兩と爲し、靜坐する時と書を讀む時と工夫迥然[けいぜん]として同じからずと說く可けんや。靜坐涵養の時に當たり、正に道理を體察し思繹するを要す。只此れ便ち是れ涵養、是れ喚醒提撕して、道理を將ち去り、那の邪思妄念を卻くと說かず。只自家道理を思量する時、自然に邪念作らず。言忠信、行篤敬、立てば則ち其の前に參[まじ]わるを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。只是れ常常として這の忠信篤敬の眼前に在るを見て、自然に邪妄自りて入る無く、是れ這の忠信篤敬を存し、那の不忠不敬底の心を去り除くを要するに非ず。今人の病は、正に靜坐讀書の時二の者の工夫一ならざるに在るが、差う所以なり。十二。

○問、看來主靜是做工夫處。曰、雖說主靜、亦不是棄事物以求靜。旣爲人、亦須著事君親、交朋友、綏妻子、御僮僕。不成捐棄了、閉門靜坐、事物來時也不去應接、云且待我去靜坐、不要應。又不可只茫茫隨他事物中走。二者中須有箇商量倒斷、始得。這處正要著力做工夫。不可皮膚說過去。四十五。
【読み】
○問う、看來るに主靜は是れ工夫を做す處ならん、と。曰く、主靜と說くと雖も、亦是れ事物を棄てて以て靜を求めず。旣に人と爲りては、亦須く君親に事え、朋友に交わり、妻子を綏んじ、僮僕を御すを著くべし。捐棄し、門を閉じ靜坐し、事物來る時也[また]應接し去らず、且我靜坐し去り、應を要せざるを待つと云うと成さず、又只茫茫として他事物中に隨いて走る可からず。二の者中須く箇の商量倒斷有りて、始めて得べし。這の處正に力を著け工夫を做すを要す。皮膚に說き過ぎ去る可からず、と。四十五。

○或問、不拘靜坐與應事、皆要專一否。曰、靜坐非是要如坐禪入定斷絕思慮。只收斂此心、莫令走作閑思慮、則此心湛然無事、自然專一、及其有事、則隨事而應、事已、則復湛然矣。不要因一事而惹出三件兩件。如此、則雜然無頭項。何以得他專一。十二。
【読み】
○或ひと問う、靜坐と事に應ずるとに拘らず、皆專一を要するや否や、と。曰く、靜坐は是れ坐禪入定し思慮を斷絕するが如きを要するに非ず。只此の心を收斂し、走作閑思慮せしむること莫くば、則ち此の心湛然無事、自然專一、其の事有るに及べば、則ち事に隨いて應じ、事已まば、則ち復湛然なり。一事に因りて三件兩件を惹出するを要せず。此の如くなれば、則ち雜然として頭項無し。何を以て他專一なるを得ん、と。十二。

○郭德元告行。先生曰、人若於日間、閑言語省得一兩句、閑人客省見得一兩人、也濟事。若渾身都在鬧場中、如何讀得書。人若逐日無事、有見成飯喫、用半日靜坐、半日讀書。如此一二年、何患不進。百十六。下同。
【読み】
○郭德元行を告ぐ。先生曰く、人若し日間に於ては、閑言語一兩句を省き得、閑人客一兩人を見得るを省き、也[また]事を濟す。若し渾身都て鬧場[どうじょう]中に在らば、如何ぞ書を讀み得ん。人若し逐日無事に、見成飯喫すること有らば、半日を用いて靜坐し、半日は書を讀む。此の如きこと一二年、何ぞ進まざるを患えん、と。百十六。下同。

○先生與泳說。看文字罷、常且靜坐。
【読み】
○先生泳と說く。文字を看て罷まば、常に且靜坐せよ、と。

○答周深父書曰、大抵要讀書、須是先收拾身心、令稍安靜、然後開卷、方有所益。若只如此馳騖紛擾、則方寸之閒、自與道理全不相近。如何看得文字。今亦不必多言、但且閉門端坐半月十日、卻來觀書、自當信此言之不妄也。文集六十三。
【読み】
○周深父に答うるの書に曰く、大抵書を讀むを要するに、須く是れ先ず身心を收拾し、稍安靜ならしむるべく、然して後に卷を開けば、方に益する所有り。若し只此の如く馳騖紛擾せば、則ち方寸の閒、自ずから道理と全く相近からず。如何にして文字を看得ん。今亦必ず多言せず、但且門を閉じ端坐すること半月十日、卻け來り書を觀ば、自ずから當に此の言の妄ならざるを信ずべし、と。文集六十三。

○昔陳烈先生苦無記性。一日讀孟子、學問之道無他、求其放心而已矣。忽悟曰、我心不曾收得。如何記得書。遂閉門靜坐、不讀書百餘日、以收放心。卻去讀書、遂一覽無遺。語類十一。
【読み】
○昔陳烈先生記性無きを苦しむ。一日孟子の、學問の道は他無し、其の放心を求むるのみを讀む。忽ち悟りて曰く、我が心曾て收得せず。如何ぞ書を記し得ん、と。遂に門を閉じ靜坐し、書を讀まざること百餘日、以て放心を收む。卻って書を讀むを去りて、遂に一覽遺る無し。語類十一。

○答潘叔度曰、熹衰病今歲幸不至劇、但精力益衰、目力全短、看文字不得。瞑目閒坐卻得收拾放心、覺得日前外面走作不少、頗恨盲廢之不早也。文集四十六。
【読み】
○潘叔度に答えて曰く、熹衰病今歲幸いに劇に至らず、但精力益々衰え、目力全く短く、文字を看て得ず。瞑目閒坐し卻って放心を收拾するを得、日前外面走作少なからざるを覺り得、頗る盲廢の早からざるを恨むなり、と。文集四十六。

○答林井伯書曰、某今年頓覺衰憊異於常時。百病交攻支吾不眠、服藥更不見効。只得一兩日靜坐不讀書、則便覺差勝。但魔障未除、不容如此。兩日偶看長編至燕雲事、便覺胸次擾擾、如在當時廟堂邊竟之人。甚可笑也。別集四。
【読み】
○林井伯に答うる書に曰く、某今年頓[とみ]に衰憊[すいはい]常時に異なるを覺ゆ。百病交々攻め支吾眠れず、服藥更に効を見ず。只一兩日靜坐し書を讀まざるを得ば、則ち便ち差[やや]勝るるを覺ゆ。但魔障未だ除かず、此の如きを容[ゆる]さず。兩日偶々長編を看て燕雲の事に至り、便ち胸次擾擾として、當時廟堂邊竟に在る人の如きを覺ゆ。甚だ笑う可きなり、と。別集四。

○答蔡季通書曰、近覺讀書損耗心目。不如靜坐省察自己爲有功。幸試爲之。當覺其効也。續集二。
【読み】
○蔡季通に答うる書に曰く、近ごろ覺る、書を讀むは心目を損耗す、と。靜坐し自己を省察するを功有りと爲すに如かず。幸いに試みに之をせよ。當に其の効を覺るべきなり、と。續集二。

○正叔有支蔓之病。先生每救其偏。正叔因習靜坐。後復有請謂、因此遂有厭書冊之意。先生曰、豈可一向如此。只是令稍稍虛閑。依舊自要讀書。語類百十三。
【読み】
○正叔支蔓の病有り。先生每に其の偏を救う。正叔因りて靜坐を習う。後に復請うこと有りて謂く、此に因りて遂に書冊を厭うの意有り、と。先生曰く、豈一向此の如くなる可けんや。只是れ稍稍虛閑ならしむ。舊に依りて自ずから書を讀むを要す、と。語類百十三。

○明道在扶溝時、謝・游諸公皆在彼問學。明道一日曰、諸公在此、只是學某說話、何不去力行。二公云、某等無可行者。明道曰、無可行時、且去靜坐。蓋靜坐時、便涵養得本原稍定。雖是不免逐物、及自覺而收歛歸來、也有箇著落。譬如人出外去、才歸家時、便自有箇著身處。若是不曾存養得箇本原、茫茫然逐物在外、便要收斂歸來。也無箇著身處也。九十六。
【読み】
○明道扶溝に在りし時、謝・游諸公皆彼に在りて問學す。明道一日曰く、諸公此に在りて、只是れ某が說話を學び、何ぞ力行し去らざる、と。二公云く、某等行う可き者無し、と。明道曰く、行う可き無き時は、且靜坐し去れ。蓋し靜坐する時は、便ち本原を涵養し得て稍定まる。是れ物を逐うを免れずと雖も、自ら覺りて歸來に收歛するに及べば、也[また]箇の著落有り。譬えば人の外に出で去り、才に家に歸る時、便ち自ずから箇の身を著く處有るが如し。若し是れ曾て箇の本原を存養し得て、茫茫然として物を逐い外に在り、便ち收斂し歸來を要するにあらず。也箇の身を著く處無きなり、と。九十六。

○答潘叔昌書曰、中年以後氣血精神能有幾何。不是記故事時節。熹以目昏不敢著力讀書、閒中靜坐收斂身心、頗覺得力。閒起看書、聊復遮眼遇有會心處時、一喟然耳。文集四十六。
【読み】
○潘叔昌に答うる書に曰く、中年以後氣血精神能く幾何に有る。是れ故事を記す時節にあらず。熹目昏きを以て敢えて力を著け書を讀まず、閒中靜坐し身心を收斂し、頗る力を得るを覺ゆ。閒々起き書を看て、聊か復眼に遮[さわ]り心に會する處有るに遇う時、一喟然するのみ、と。文集四十六。

○答甘道士書曰、所云築室藏書、此亦恐枉費心力。不如且學靜坐閑讀舊書、滌去世俗塵垢之心、始爲眞有所歸宿耳。六十三。
【読み】
○甘道士に答うる書に曰く、云う所の室を築き書を藏むる、此れ亦恐らくは心力を枉費す。且く靜坐を學び舊書を閑讀し、世俗塵垢の心を滌去し、始めて眞に歸宿する所有りと爲すに如かざるのみ、と。六十三。

○答黃子耕書曰、病中不宜思慮。凡百可且一切放下、專以存心養氣爲務。但加趺靜坐、目視鼻端、注心臍腹之下。久自溫暖、卽漸見功効矣。五十一。
【読み】
○黃子耕に答うる書に曰く、病中宜しく思慮すべからず。凡百且一切放下し、專ら心を存し氣を養うを以て務と爲す可し。但加趺靜坐し、目鼻端を視、心を臍腹の下に注[つ]く。久しくして自ずから溫暖なれば、卽ち漸く功効を見るなり、と。五十一。

○胡問靜坐用之法。曰、靜坐只是恁靜坐。不要閑勾當、不要閑思量、也無法。語類百廿。
【読み】
○胡靜坐を用ゆるの法を問う。曰く、靜坐は只是れ恁[かくのごと]く靜坐す。閑勾當を要せず、閑思量を要せず、也[また]法無し、と。語類百廿。

○靜坐無閑雜思慮、則養得來便條暢。十二。
【読み】
○靜坐閑雜の思慮無ければ、則ち養得來便ち條暢たり。十二。

○先生問伯羽、如何用。曰、且學靜坐、痛抑思慮。曰、痛抑也不得。只是放退可也。若全閉眼而坐、卻有思慮矣。又言、也不可全無思慮。無邪思耳。百十八。
【読み】
○先生伯羽に問う、如何かを用ゆる、と。曰く、且く靜坐を學び、痛く思慮を抑えん、と。曰く、痛く抑えるも也[また]得ず。只是れ放退して可ならん。若し全く眼を閉じて坐せば、卻って思慮有るなり、と。又言う、也全く思慮無かる可からず。邪思無きのみ、と。百十八。

○或問、靜坐久之、一念不免發動。當如何。曰、也須看一念是要做甚麼事。若是好事合當做底事、須去幹了。或此事思量未透、須著思量敎了。若是不好底事、便不要做。自家覺得如此、這敬便在這裏。十二。
【読み】
○或ひと問う、靜坐之を久しくし、一念發動を免れず。當に如何にすべき、と。曰く、也[また]須く一念是れ甚麼の事を做すを要すを看るべし。若し是れ好事合當做底の事ならば、須く幹了し去るべし。或は此の事思量未だ透らざれば、須く思量を著け了らしむべし。若し是れ不好底の事ならば、便ち做すを要せず。自家に得るを覺ること此の如き、這の敬便ち這の裏に在り、と。十二。

○或問、近見廖子晦言、今年見先生、問延平先生靜坐之說。先生頗不以爲然。不知如何。曰、這事難說。靜坐理會道理、自不妨。只是討要靜坐、則不可。理會得道理明透、自然是靜。今人都是討靜坐以省事、則不可。百三。
【読み】
○或ひと問う、近ごろ廖子晦を見て言う、今年先生に見えて、延平先生靜坐の說を問う。先生頗る以て然りと爲さず、と。知らず如何、と。曰く、這の事說き難し。靜坐と道理を理會するは、自ずから妨げず。只是れ靜坐を討要すれば、則ち不可なり。道理を理會し得て明透すれば、自然に是れ靜。今人都て是れ靜坐を討[たず]ね以て事を省くは、則ち不可なり、と。百三。

○問璘、昨日臥雲中何所爲。璘曰、歸時日已暮、不曾觀書。靜坐而已。先生舉橫渠六有說。言有法、動有敎、晝有爲、宵有得、息有養、瞬有存。以爲雖靜坐、亦有所存主始得。不然、兀兀而已。百十八。
【読み】
○璘に問う、昨日臥雲の中何の爲す所や、と。璘曰く、歸時日已に暮れ、曾[すなわ]ち書を觀ず。靜坐するのみ。先生橫渠六有の說を舉ぐ。言に法有り、動に敎有り、晝に爲有り、宵に得有り、息に養有り、瞬に存有り。以爲えらく靜坐と雖も、亦存主する所有りて始めて得。然らずんば、兀兀[こつこつ]たるのみ、と。百十八。

○痛理會一番、如血戰相似。然後涵養將去。因自云、某如今雖便靜坐、道理自見得。未能識得、涵養箇甚。九。
【読み】
○痛く理會すること一番、血戰するが如きに相似たり。然して後に涵養し將ち去る。因りて自ら云う、某如今便ち靜坐すと雖も、道理自ずから見得。未だ識得すること能わざれば、箇の甚だしきを涵養せん、と。九。

○問、靜坐觀書、則義理浹洽。到幹事後、看義理又生。如何。曰、只是未熟。百十七。
【読み】
○問う、靜坐し書を觀ば、則ち義理浹洽す。事に幹するに到りて後、義理を看て又生まん。如何、と。曰く、只是れ未だ熟せず、と。百十七。

○或問、疲倦時靜坐少頃、可否。曰、也不必要似禪和子樣去坐禪、方爲靜坐。但只令放敎意思、便了。十二。
【読み】
○或ひと問う、疲倦する時靜坐すること少頃、可なるや否や、と。曰く、也[また]必ずしも禪和子樣に似て坐禪し去るを要し、方に靜坐と爲すにあらず。但只放ち意思ならしめて、便ち了らしむ、と。十二。

○不成靜坐便只是瞌睡。九十六。
【読み】
○靜坐は便ち只是れ瞌睡[こうすい]と成さず。九十六。

○問、每日暇時、略靜坐以養心、但覺意自然紛起、要靜越不靜。曰、程子謂、心自是活底物事、如何窒定敎他不思。只是不可胡亂思。纔著箇要靜底意思、便是添了多少思慮。且不要恁地拘迫他、須自有寧息時。又曰、要靜、便是先獲。便是助長、便是正。百十八。
【読み】
○問う、每日暇時、略靜坐し以て心を養い、但意自然に紛起し、靜を要せば越[いよいよ]靜ならざるを覺ゆ、と。曰く、程子謂く、心は自ずから是れ活底の物事、如何ぞ窒定し他思わざらしめん。只是れ胡亂に思う可からず。纔に箇の靜を要する底の意思を著けば、便ち是れ多少の思慮を添え了る。且恁地拘迫を要せざる他、須く自ずから寧息の時有るべし、と。又曰く、靜を要するは、便ち是れ獲るを先にす。便ち是れ長ずるを助け、便ち是れ正[あてて]す、と。百十八。

○答林德久書曰、無事靜坐、有事應酬、隨時處。無非自己身心運用。但常自提撕不與倶往、便是功夫。事物之來、豈以漠然不應爲是耶。文集六十一。
【読み】
○林德久に答うる書に曰く、事無きときは靜坐し、事有るときは應酬し、時處に隨う。自己身心の運用に非ざる無し。但常に自ら提撕し與に倶に往かざれば、便ち是れ功夫。事物の來る、豈漠然として應ぜざるを以て是と爲さんや、と。文集六十一。

○答張元德書曰、明道敎人靜坐、蓋爲是時諸人相從、只在學中、無甚外事、故敎之如此。今若無事、固是只得靜坐。若特地將靜坐做一件功夫、則卻是釋子坐禪矣。但只著一敬字通貫動靜、則於二者之閒、自無閒斷處。不須如此分別也。六十二。
【読み】
○張元德に答うる書に曰く、明道の人に靜坐せしむる、蓋し是の時諸人相從い、只學中に在りて、甚[なん]の外事無きが爲に、故に之をせしむること此の如し。今若し事無くば、固より是れ只靜坐するを得。若し特地に靜坐を將い一件の功夫を做せば、則ち卻って是れ釋子の坐禪なり。但只一の敬の字を著け動靜を通貫せば、則ち二の者の閒に於て、自ずから閒斷の處無し。須く此の如く分別すべからざるなり、と。六十二。

○答潘謙之書曰、所示問目如伊川、亦有時敎人靜坐。然孔孟以上、卻無此說。要須從上推尋、見得靜坐與觀理兩不相妨、乃爲的當爾。五十五。
【読み】
○潘謙之に答うる書に曰く、問目を示さるるが伊川の如く、亦時有りて人に靜坐せしむ。然るに孔孟以上は、卻って此の說無し。要するに須く從上推尋し、靜坐と理を觀ると兩つながら相妨げざるを見得べく、乃ち的當と爲すのみ、と。五十五。

○答胡廣仲書曰、動靜二字相爲對待不能相無。乃天理之自然、非人力之所能爲也。若不與動對、則不名爲靜、不與靜對、則亦不名爲動矣。但衆人之動、則流於動而無靜、衆人之靜、則淪於靜而無動。此周子所謂物則不通者也。惟聖人無人欲之私、而全乎天理。是以其動也、靜之理未嘗兦、其靜也、動之機未嘗息。此周子所謂神妙萬物者也。然而必曰主靜云者、蓋以其相資之勢言之、則動有資於靜、而靜無資於動。如乾不專一、則不能直遂、坤不翕聚、則不能發散、龍蛇不蟄、則無以奮、尺蠖不屈、則無以伸。亦天理之必然也。四十二。
【読み】
○胡廣仲に答うる書に曰く、動靜の二字は對待を相爲し相無きこと能わず。乃ち天理の自然、人力の能く爲す所に非ざるなり。若し動と對せざれば、則ち名靜と爲さず、靜と對せざれば、則ち亦名動と爲さざるなり。但衆人の動は、則ち動に流れて靜無く、衆人の靜は、則ち靜に淪みて動無し。此れ周子謂う所の物は則ち通ぜざる者なり。惟聖人のみ人欲の私無くして、天理に全し。是を以て其の動や、靜の理未だ嘗て兦[ほろ]びず、其の靜や、動の機未だ嘗て息まず。此れ周子謂う所の神萬物に妙なる者なり。然して必ず靜を主とすと曰うと云う者は、蓋し其の相資るの勢を以て之を言わば、則ち動靜に資ること有りて、靜動に資ること無し。乾專一ならざれば、則ち直遂すること能わず、坤翕聚ならざれば、則ち發散すること能わず、龍蛇蟄せざれば、則ち以て奮うこと無く、尺蠖屈せざれば、則ち以て伸びること無きが如し。亦天理の必然なるのみ、と。四十二。

靜坐集說 終

跋靜坐集說
學者之不可不靜坐也、猶舟之不可無柁也。豈可忽之乎。有志於聖學者、宜致思焉。後世學者沒溺于雜博卑陋之中、而不知聖賢敎人之本意、滔滔皆然矣。吾竊患之、向來抄出於朱先生靜坐之說、以爲一冊、今秋求訂正於佐藤直方丈、且請置一言諸書首、而幸得其許諾焉。乃版行之、與朋友之徒共之云。
享保丁酉季冬日 柳川剛義謹書
【読み】
學者の靜坐せずんばある可からざる、猶舟の柁無かる可からざるがごとし。豈之を忽にす可けんや。聖學に志有る者、宜しく思いを致すべし。後世の學者雜博卑陋の中に沒溺して、聖賢人を敎うるの本意を知らず、滔滔として皆然り。吾れ竊に之を患え、向來朱先生靜坐の說を抄出し、以て一冊と爲し、今秋訂正を佐藤直方丈に求め、且一言を書首に置くを請いて、幸いに其の許諾を得。乃ち之を版行し、朋友の徒と之を共にすと云う。
享保丁酉季冬日 柳川剛義謹書