示平野・山田二生学談
【語釈】
・平野…平野登彌太。号は道長。館林藩の臣。
・山田…山田華陽齋。名は記思。長作と称す。号は黒水。館林藩儒臣。天保3年(1832)9月25日没。年60。

三子傳心録は土津公静坐用功のあまりよく編せられたるなれは、右講會終業の上は静坐集説を講ずべきなれとも餘力なし。先年予桑名奥平幸次郎が為めに説きたるを栄二筆記す。考へみるべし。綱領はあのとき述へたるか、一席きりにてあれは、名々考索の手段あるへからすと思ふままに筆を揮ふ。左の如し。
【語釈】
・土津公…保科中將。名は正之。号は土津霊社。会津藩主。近衛中将。肥後守。寛文12年(1672)12月18日没。年62。
・奥平幸次郎…奥平棲遅庵。名は定時。幸次郎と称す。江戸の人。神田小川坊に住む。小川先生。忍藩儒臣。致仕して玄甫。嘉永3年(1850)8月9日没。年82。
・栄二…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。

柳川剛義ことは織田周防殿のくはいてうと云ふ。先師直方の語を録する中にみへたり。其録尾関氏にあり。
【語釈】
・柳川剛義…紀伊の人。医者。
・織田周防殿…織田貞幹。周防守と称す。尾張藩大夫。隠居して巻有と称す。享保6年(1721)10月21日没。
・尾関氏…館林藩士。

近來つら々々思ふ。やふ儉約をせ子は身代をすりつぶす。静坐をせ子ば心をすりつぶす。身代すりつぶせは忠孝の業もはたらかす、心をすりつぶせば仁義の苗もしほるる。可思ことなり。此説粗きやふなれとも親切なり。

夜食減一口生得九十九とあり、かく云たればとて曾てあてにならぬことなれども、あてにならぬことをするを道学心傳の気象と知るべし。必有事も效はみず。
【語釈】
・必有事…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正」。

中庸戒愼恐懼は平素存養底なり。未発の功夫をするにあらず。戒愼恐懼が未発の功夫になるなり。これを本領の学と云ふ。されは学者も静坐の意思なくて、道学傳心は窺はれさるなり。何のことなく一口を減し、何のことなく静坐する。延平さへか、初心のとき何のこともしらす、師匠のすることゆへしょさいあるまいと思ふて静坐されたなり。三里の灸のやうに、しきに目のかすみはれるではなし。されとも静坐のあとで手紙かけば、あまりのそそうはかかれぬ。さればじきに用にたつときもあり、とかく一束つかまへにはきめられぬことなり。

静坐も心喪と同し意なり。推し出してもってひらいてすればいなもの。


○問、初學精神易散。靜坐如何。曰、此亦好。但不專在靜處做工夫、動作亦當體驗。聖賢敎人、豈專在打坐上。要是隨處著力。如讀書、如待人處事、若動若靜若語若默、皆當存此。無事時、只合靜心息念。且未說做他事、只自家心如何令把捉不定、恣其散亂走作、何有於學。孟子謂、學問之道無他。求其放心而已矣。不然、精神不收拾、則讀書無滋味、應事多齟齬。豈能求益乎。百十五。
【読み】
○問う、初學精神散じ易し。靜坐すること如何、と。曰く、此れ亦好し。但專ら靜處に在りて工夫を做さず、動作も亦當に體驗すべし。聖賢の人を敎うる、豈專ら打坐上に在らん。是れ處に隨い力を著くを要す。書を讀むが如き、人を待ち事を處するが如き、若しくは動き若しくは靜かに若しくは語り若しくは默り、皆當に此を存すべし。事無き時は、只合[まさ]に心を靜め念を息むべし。且つ他事を做すを說かず、只自家の心如何ぞ把捉し定まらず、其の散亂走作を恣にせしむれば、何ぞ學に有らん。孟子謂う、學問の道他無し。其の放心を求むるのみ、と。然らずして、精神收拾せざれば、則ち書を讀みて滋味無く、事に應じて齟齬多し。豈能く益を求めんや、と。百十五。

○問初学精神易散云云。初学とは、私共のやふな初学もと云ふ詞。此亦好。それもよからふ。武士、刀はなさぬやふではなし。向から静坐と出るから不專在と。これ師たる者のをさへかかへなり。それほどに実に心掛るからは、動作亦気を付よ。打坐。打は付字なり。打飯はめしくふ。打坐はすぐに静坐ぞ。當存此。向の人の云ふ処の精神のちらぬやうに存すべし。息念。息の字は念を絶つではない。やすませるのなり。休息させる。立身願の病身になる、好色の乱心するも、念をやすめぬからなり。有於学。学問上にあらでどこへかゆきたなれば、学問ではない。学に於て何か有んと云こと。学問と云ふものてはなし。讀書も滋味なし。今日学者の通りのことは、やるほと滋味なし。盆の棚経をよむやうなり。多齟齬。くひちがふいすかのはし。相談相手にもならぬ。耳をとって鼻をかむ。それゆへ、経済も主静なければ、たた衍義補をくるなり。會津公なとは傳心彔からの治教彔そ。この筋友松勘十郎合点とみへた。孟浩彔も心なくてはせぬ筈。
【語釈】
・いすかのはし…鶍の嘴。物事がくいちがって思うようにならないことのたとえ。
・友松勘十郎…友松南翁。名は氏興。勘十郎と称す。号は忠彦霊社。土佐の人。会津藩老。貞享4年(1687)2月29日没。年66。


○人也有靜坐無思念底時節、也有思量道理底時節。豈可畫爲兩、說靜坐時與讀書時工夫迥然不同。當靜坐涵養時、正要體察思繹道理。只此便是涵養、不是說喚醒提撕、將道理去卻那邪思妄念。只自家思量道理時、自然邪念不作。言忠信、行篤敬、立則見其參于前、在輿則見其倚衡。只是常常見這忠信篤敬在眼前、自然邪妄無自而入、非是要存這忠信篤敬、去除那不忠不敬底心。今人之病、正在靜坐讀書時二者工夫不一、所以差。十二。
【読み】
○人也[また]靜坐して思念無き底の時節有り、也道理を思量する底の時節有り。豈畫し兩と爲し、靜坐する時と書を讀む時と工夫迥然[けいぜん]として同じからずと說く可けんや。靜坐涵養の時に當たり、正に道理を體察し思繹するを要す。只此れ便ち是れ涵養、是れ喚醒提撕して、道理を將ち去り、那の邪思妄念を卻くと說かず。只自家道理を思量する時、自然に邪念作らず。言忠信、行篤敬、立てば則ち其の前に參[まじ]わるを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。只是れ常常として這の忠信篤敬の眼前に在るを見て、自然に邪妄自りて入る無く、是れ這の忠信篤敬を存し、那の不忠不敬底の心を去り除くを要するに非ず。今人の病は、正に靜坐讀書の時二の者の工夫一ならざるに在るが、差う所以なり。十二。

○人也有静坐無思念云云。やはり天地自然の動静からなり。ここを迥然不同と思ふ内は手に入らぬ。子夏功問、近思の工夫の中に仁をうる。張子は、書は人の心を維持すと書は吟味するか主なれとも、心もをさまる、しづまる。朱子一舉両得との玉ふそ。支度を仕直して、これより静坐とかまへる。はやちかふ。提撕は漢唐以来の俗語なり。心のをちこみべったりとなるをしゃんと引きあけ、はっきりとする模様なり。詩の箋や礼の疏に提撕の字あり。卻くてない。自然に不作なり。かふなくてはのうしはない。克己のやふにみるへからす。存養のことなり。


○問、看來主靜是做工夫處。曰、雖說主靜、亦不是棄事物以求靜。旣爲人、亦須著事君親、交朋友、綏妻子、御僮僕。不成捐棄了、閉門靜坐、事物來時也不去應接、云且待我去靜坐、不要應、又不可只茫茫隨他事物中走。二者中須有箇商量倒斷、始得。這處正要著力做工夫。不可皮膚說過去。四十五。
【読み】
○問う、看來るに主靜は是れ工夫を做す處ならん、と。曰く、主靜と說くと雖も、亦是れ事物を棄てて以て靜を求めず。旣に人と爲りては、亦須く君親に事え、朋友に交わり、妻子を綏んじ、僮僕を御すを著くべし。捐棄し、門を閉じ靜坐し、事物來る時也[また]應接し去らず、且我靜坐し去り、應を要せざるを待つと云うと成さず、又只茫茫として他事物中に隨いて走る可からず。二の者中須く箇の商量倒斷有りて、始めて得べし。這の處正に力を著け工夫を做すを要す。皮膚に說き過ぎ去る可からず、と。四十五。

○問看来云云。とかくに主静と片つりに問ふた。看来るにと云ふが一分の了簡。とかくに左様存するとなり。朱子もわるいとは云はれぬ。周子以来の傳心なり。かく申せばとて、事物をすてるてはないとなり。民為人。あまりいやがるな。人と生れたせうにはと云ほどな語意なり。須著。かふなふてはかなはぬ。これ理の當然のやまれぬこと。且待。この待の字、語彔に多くある。とりにくい字なり。処々にて意會すべし。迂斎はまづそうしてをけと譯した。これ板点なり。されともここは我れ静坐し去るを待と点するがよし。この点なれば、待の字は静坐するころをひの意になる。そのころに及んだことを待と云。茫茫は左傳の注に廣大皃とあり、ばっとした。今日士にも庻人にものうらくものと云ふあり。とりとめてなににもかかる。花見から角抵、芝居、なんてもとりつく。学者きっと先生になりても、ものにかかりあり。詩會にも出る物産家、はや近付になりにゆく。三百里さきへもゆく。事物中に走る。世間つり、時めくなり。二者中。静坐つり、茫茫つり、それ々々の得手から出る。此二つにはつれぬもの。その二者の中に一と吟味あるべきことなり。陸象山・陳同甫はその大なる者なり。文集・節要、陸陳に弁答と出した。これ商量倒断なり。迂斎云、静坐になづむと日用応接をもすてる。又日用応接こそ道なれと云さま、事物中に走る。これ二者に商量入ことなり、と。これ大切の心得なり。倒断はらちを付ることと迂斎云へり。この二字俗語なり。官府にてもつかふへし。傾倒決断なり。這処。ここが大事の処。禅学めくが俗学めくかの界目なり。ここをはっきりとわけ、片つらぬやふに工夫を做すか一大事なり。もし皮膚説過去れは、食膳の講釈するやふなり。餓はしのがれぬ。腹にはみたぬ。
【語釈】
・迂斎…稲葉迂齋。名は正義(正誼)。十左衛門(重左衛門)と称す。江戸の人。稲葉黙齋の父。宝暦10年(1760)11月10日没。年77。佐藤直方門下。淺見絅齋、三宅尚齋にも学ぶ。
・のうらくもの…能楽者。のらくら者。
・角抵…角力。


○或問、不拘靜坐與應事、皆要專一否。曰、靜坐非是要如坐禪入定斷絕思慮。只收斂此心、莫令走作閑思慮、則此心湛然無事、自然專一、及其有事、則隨事而應、事已、則復湛然矣。不要因一事而惹出三件兩件。如此、則雜然無頭項。何以得他專一。十二。
【読み】
○或ひと問う、靜坐と事に應ずるとに拘らず、皆專一を要するや否や、と。曰く、靜坐は是れ坐禪入定し思慮を斷絕するが如きを要するに非ず。只此の心を收斂し、走作閑思慮せしむること莫くば、則ち此の心湛然無事、自然專一、其の事有るに及べば、則ち事に隨いて應じ、事已まば、則ち復湛然なり。一事に因りて三件兩件を惹出するを要せず。此の如くなれば、則ち雜然として頭項無し。何を以て他專一なるを得ん、と。十二。

○或問不拘静坐云云。これはよい問ぞ。なれとも静坐と云ふて別段の工夫にのけるやふにみへる。静坐は事がなさに静坐する。静坐中に事が向ひ来ればそのまま応する。ここにへだてなく、心も工夫も一貫底一条連綿の気象でなければ面白くない。明道の泥塑人の如しから一團の和気が一とつづきにて、端坐してしまい、それから人に応するに及ふと云ことはなし。そこて坐禅入定をここに出して喩す。放散・止静と二はなにせす。當番交代のやふにはなきなり。隨事而応事已則復湛然。これはいかふていのよいことなり。犬猫がそこへくる。叱と云。あちへゆく。そのままもとのとをり。賊をとらふる底なことてない。ふだんの心のもちやふぞ。無将迎無内外と云ふのことなり。因一事而惹出三件両件。これか吾人ともに心の病なり。それがらそれにうつりて、さま々々なことか出てくる。蘇季明如麻生すと云のもこれなり。毋測未至なとと云ふを小学に引てあるか、さて々々下地の仕込がちがふたもの。ここは人々の気質にもよるそ。さらりとした洒落ていな人はやりばなしをもすれとも、胸中にいろ々々惹き出すことすくなひものそ。予曾て人事を十分につめやふとすれは天命を知る了期かないと云たれは、訂翁の、それはわるい云分と訶られた。尤千万なり。されともこれは予心中の癖から発したことそ。あまり周密にする方から夜も子られぬやふになる。
【語釈】
・泥塑人の如しから一團の和気…小學善行70。「明道先生終日端坐如泥塑人。及至接人、則渾是一團和氣」。
・無将迎無内外…近思録爲學4。定性書。「明道先生曰、所謂定者、動亦定、靜亦定、無將迎、無内外」。
・蘇季明如麻生す…近思録存養52。「或思一事未了、他事如麻又生」。
・毋測未至…小學敬身18の語。元は少儀の語。
・訂翁…久米訂齋。名は順利。斷次郎と称す。別号は簡兮。京都の人。天明4年(1784)10月7日没。年86。


○郭德元告行。先生曰、人若於日間、閑言語省得一兩句、閑人客省見得一兩人、也濟事。若渾身都在鬧場中、如何讀得書。人若逐日無事、有見成飯喫、用半日靜坐、半日讀書。如此一二年、何患不進。百十六。下同。
【読み】
○郭德元行を告ぐ。先生曰く、人若し日間に於ては、閑言語一兩句を省き得、閑人客一兩人を見得るを省き、也[また]事を濟す。若し渾身都て鬧場[どうじょう]中に在らば、如何ぞ書を讀み得ん。人若し逐日無事に、見成飯喫すること有らば、半日を用いて靜坐し、半日は書を讀む。此の如きこと一二年、何ぞ進まざるを患えん、と。百十六。下同。

○郭德元。とかく人によって訓することなり。孔門にてもみるへし。德元なとも人事周密の人とみへる。呂進伯なとのこと、淵源彔にても見るへし。親戚情話を楽むなとと云ふも心入の高ひことなり。されとも、それからめいとゆはとこの娵が産するたびに、夜伽にゆくやふてもならぬことなり。閑言語は、呂原明の云ふ好話最難しのうらそ。やくたいないことを云ふ。よく々々なことは、飯くひながら給仕の下女とまて咄す。あほふなり。閑人客。諸侯の家中なとにさて々々多い。これは閑言語とちがひ、相手取たことゆへむづかしいが、こちがたぎらぬから閑人客がくるそ。迂斎などあれほど温柔寛厚なれとも閑人客こぬ。又迂斎の手紙にも、ちと話にごされなとと人情つりたこともかかぬ。とかく此方に主かあると、むだばなしもせす、むだ客もこぬ。然るにここに省得と訓せられたはとふなれは、閑言語を用談のやふに心得、閑人客を日用當然のやふにをもうものぞ。そこに了簡かつくと自と省得るが出来る。放蕩者の友も一端改節して武藝ても昼夜精出すと、むかしのとうらく友だちははやよりつかぬものそ。向の方から面白からぬものそ。也た済事。よほどよからふ。渾身。ずっふり。鬧塲中。日本橋あたりのやふな。見成。現在と同し。用半日。用ると云か面白ひあんはいそ。うかとをる処を用るこころなり。学問と云ふもの存しもよらぬ処に用所あり功驗あるものぞ。ここは書物藝のしらぬことなり。ここらはきっと半日静坐半日読書ときめて出したことではなし。それでは味はない。世の中は寒さひたるさ何やかや、鄰あるきに年はくれけりと云。これが逐日無事見成飯喫の姿ぞ。そこをたた閑言語閑人客ですごすが俗態そ。それでは鞭策の序の草木とともにくちるぞ。静坐したり読書したりすれは脱俗ぞ。如此涵養することなり。
【語釈】
・親戚情話を楽む…歸去來兮辭。「悦親戚之情話、樂琴書以消憂」。
・鞭策の序の草木とともにくちるぞ…講學鞭策録序「直與蠢植糟粕共朽腐而止」。


○先生與泳說。看文字罷、常且靜坐。
【読み】
○先生泳と說く。文字を看て罷まば、常に且靜坐せよ、と。

○先生與泳説云云。前條と同し。きっときめず、又うかとさせぬ。とふしても学者たけ。看文字は表立た事業そ。そのすきに静坐せよ。何事ても息気つぎか入ることぞ。


○答周深父書曰、大抵要讀書、須是先收拾身心、令稍安靜、然後開卷、方有所益。若只如此馳騖紛擾、則方寸之閒、自與道理全不相近。如何看得文字。今亦不必多言、但且閉門端坐半月十日、卻來觀書、自當信此言之不妄也。文集六十三。
【読み】
○周深父に答うるの書に曰く、大抵書を讀むを要するに、須く是れ先ず身心を收拾し、稍安靜ならしむるべく、然して後に卷を開けば、方に益する所有り。若し只此の如く馳騖紛擾せば、則ち方寸の閒、自ずから道理と全く相近からず。如何にして文字を看得ん。今亦必ずしも多言せず、但且門を閉じ端坐すること半月十日、卻け來り書を觀ば、自ずから當に此の言の妄ならざるを信ずべし、と。文集六十三。

○答周深父。人要。とは、とかく主敬の心なくてたたなり。須。それではわるい。すべからくなり。不相近。とりあはぬゆへ、茶の湯さへならぬ。閉門。桜田の家中てこふはならぬことなり。されとも門を閉ちすともなることなり。卻來。馳騖紛擾を卻けてからと云ふこと。付字にすれは、半月十日卻し来てとよんてよし。十日卻と三字連続なり。此言不妄。してくふ■■■■ふことは、又ちがふものと今云ことのぞ。防火の纏奉行しても、心ををき処にをくと静かなり。隠者ても心かうろたへると、紅葉見に出てさわく。静坐と云ふ、心ををき処にをく療治を外からするのなり。程子の主一無適はすぐにをき処にをく。斉整嚴肅は外からをき処にをく。
【語釈】
・斉整嚴肅…整齊嚴肅。


○昔陳烈先生苦無記性。一日讀孟子、學問之道無他、求其放心而已矣。忽悟曰、我心不曾收得。如何記得書。遂閉門靜坐、不讀書百餘日、以收放心。卻去讀書、遂一覽無遺。語類十一。
【読み】
○昔陳烈先生記性無きに苦しむ。一日孟子の、學問の道は他無し、其の放心を求むるのみを讀む。忽ち悟りて曰く、我が心曾て收得せず。如何ぞ書を記し得ん、と。遂に門を閉じ靜坐し、書を讀まざること百餘日、以て放心を收む。卻って書を讀むを去りて、遂に一覽遺る無し。語類十一。

○昔陳烈先生。覚へのわるいと云ふに病根あることなり。そこを合点したなり。伊川なと四十後から記性愈進むとあり。涵養からなり。老よりてものわすれすると云へは、人も尤と許す。なれとも存養ないからぞ。覚のわるくなるも中風の下地そ。娵にまんぢうを子だるやうでは生た甲斐はない。若きときから放心する。それから老耄する。常人の常態そ。可懼可懼。一覧無遺。これには知見の照りも手傳ふものなり。ここは心の静になりたから、風なく、さざ波たたぬから、よくうつるなり。


○答潘叔度曰、熹衰病今歲幸不至劇、但精力益衰、目力全短、看文字不得。瞑目閒坐卻得收拾放心、覺得日前外面走作不少、頗恨盲廢之不早也。文集四十六。
【読み】
○潘叔度に答えて曰く、熹衰病今歲幸いに劇に至らず、但精力益々衰え、目力全く短く、文字を看て得ず。瞑目閒坐し卻って放心を收拾するを得、日前外面走作少なからざるを覺り得、頗る盲廢の早からざるを恨むなり、と。文集四十六。

○潘叔度。不至劇。うなりよはり夜伽の入るほどなことなし。頗恨。これは偏な口上なれとも、あなた方はかふしたもの。垩人は全く道心ばかりと三宅先生の云はるるも爰等で窺ふべし。これほどめいわくなことはなけれとも、こちらに一つよいことあるさに、今少し早くは一入と云ふ心あられたとみへる。あまり寒さに風を入れけりではないそ。背に腹はかへられぬ。孟子も弗思耳とををせられた。思へば目などは第二着な筈ぞ。ここらはすこしも気をまぜずに云ふこと。理ばかりぞ。近年も誰やらてありた、学友の眼病のことに付き、この事を引きつかはす文章ををこして予に示すゆへ、いや、このやふなことはたた掌故となしてつかふなと云てやった。一と通りの学者などのことには假してもやられぬことなり。されとも文章かくものは軽浮なものゆへ、柳と菊は淵明、蓮は周子、眼疾と云ふと朱子を出す。いかふあんばいちがふたことぞ。とかくひへだんごを御紋附の重箱に入れたやふなことはいかがしきなり。
【語釈】
・三宅先生…三宅尚齋。名は重固。丹治と称す。播磨明石に生まれる。京都に住む。寛保1年(1741)1月29日没。年80。
・弗思耳…孟子告子章句上6。「仁義禮智、非由外鑠我也。我固有之也。弗思耳矣」。


○答林井伯書曰、某今年頓覺衰憊異於常時。百病交攻支吾不眠、服藥更不見効。只得一兩日靜坐不讀書、則便覺差勝。但魔障未除、不容如此。兩日偶看長編至燕雲事、便覺胸次擾擾、如在當時廟堂邊竟之人。甚可笑也。別集四。
【読み】
○林井伯に答うる書に曰く、某今年頓[とみ]に衰憊[すいはい]常時に異なるを覺ゆ。百病交々攻め支吾眠れず、服藥更に効を見ず。只一兩日靜坐し書を讀まざるを得ば、則ち便ち差[やや]勝るるを覺ゆ。但魔障未だ除かず、此の如きを容[ゆる]さず。兩日偶々長編を看て燕雲の事に至り、便ち胸次擾擾として、當時廟堂邊竟に在る人の如きを覺ゆ。甚だ笑う可きなり、と。別集四。

○林井伯。上の潘叔度の書と同し意なり。支吾は、たをれるものへ棒などささへかふやふなこと。病のかいほう、用心の世話なり。書は薬にもなり毒にもなるものと合点すればよし。心をも維持す。又葛藤にもなる。不如抛却[ほうきゃく]し去て尋春はそこなり。魔障。心の邪魔になる気質人欲と迂斎云へり。これは人々でちがふ色々の持合せ、皆魔障になる。長編。宋のことなり。廟堂。老衆。邊境。あちへ往た者とも。天木氏云、燕雲のこととは十六州夷狄となり合たこと、と。迂斎云、難波戦記をよめば、大坂陣のときに我も出合ふたやふな心持になるもの。甚可笑。迂斎云、人の心はをかしいもの。百年二百年前のことで胸次擾々になる。まして今日のことにはそは々々する筈。
【語釈】
・不如抛却し去て尋春…朱子の詩。「川原紅綠一時新、暮雨朝晴更可人。書冊埋頭無了、日不如拋卻去尋春」。
・天木氏…天木時中。善六と称す。尾張知多郡須佐の人。元文1年(1736)9月16日没。年40。三宅尚齋門下。初め佐藤直方に学ぶ。


○答蔡季通書曰、近覺讀書損耗心目。不如靜坐省察自己爲有功。幸試爲之。當覺其効也。續集二。
【読み】
○蔡季通に答うる書に曰く、近ごろ覺る、書を讀むは心目を損耗す、と。靜坐し自己を省察するを功有りと爲すに如かず。幸いに試みに之をせよ。當に其の効を覺るべきなり、と。續集二。

○答蔡季通。向からなんとも云てこぬに、こちからすすめてやるは季通以上のことなり。向の病を救たり、向から相談ありては、未熟なものへも此筋を示す。季通などあの通り上等の人なり。そこでつまり主静からてのふてはと示す。


○正叔有支蔓之病。先生每救其偏。正叔因習靜坐。後復有請謂、因此遂有厭書冊之意。先生曰、豈可一向如此。只是令稍稍虛閑。依舊自要讀書。語類百十三。
【読み】
○正叔支蔓の病有り。先生每に其の偏を救う。正叔因りて靜坐を習う。後に復請うこと有りて謂く、此に因りて遂に書冊を厭うの意有り、と。先生曰く、豈一向此の如くなる可けんや。只是れ稍稍虛閑ならしむ。舊に依りて自ずから書を讀むを要す、と。語類百十三。

○正叔有支蔓之病。つる草から見立た文字なり。松や杉なとは一本だつ。つる物ははびこりて、とめどなきものなり。見処たたぬとむせふにはびこり、人出合も多くなり、書物をもむせふにあつめ、唐音をもをぼへると調法と出る。田舎の店のやふに色々と並びあるが、金つもると何もないものそ。偏とは、そのくせを云。因習とは、朱子の病を救れるにつひて、それからして静坐と云ことを仕習ふた。あまりかせぐ人に異見云と隠者めき、それから五節句の礼にも出ぬ。そこて又しから子ばならぬ。醉漢を扶るに似たり。
【語釈】
・醉漢を扶るに似たり…近思録爲學78。「謝顯道云、昔伯淳教誨。只管著他言語。伯淳曰、與賢說話、卻似扶醉漢。救得一邊、倒了一邊。只怕人執著一邊」。


○明道在扶溝時、謝・游諸公皆在彼問學。明道一日曰、諸公在此、只是學某說話、何不去力行。二公云、某等無可行者。明道曰、無可行時、且去靜坐。蓋靜坐時、便涵養得本原稍定。雖是不免逐物、及自覺而收歛歸來、也有箇著落。譬如人出外去、才歸家時、便自有箇著身處。若是不曾存養得箇本原、茫茫然逐物在外、便要收斂歸來。也無箇著身處也。九十六。
【読み】
○明道扶溝に在りし時、謝・游諸公皆彼に在りて問學す。明道一日曰く、諸公此に在りて、只是れ某が說話を學び、何ぞ力行し去らざる、と。二公云く、某等行う可き者無し、と。明道曰く、行う可き無き時は、且靜坐し去れ。蓋し靜坐する時は、便ち本原を涵養し得て稍定まる。是れ物を逐うを免れずと雖も、自ら覺りて歸來に收歛するに及べば、也[また]箇の著落有り。譬えば人の外に出で去り、才に家に歸る時、便ち自ずから箇の身を著く處有るが如し。若し是れ曾て箇の本原を存養し得て、茫茫然として物を逐い外に在り、便ち收斂し歸來を要するにあらず。也箇の身を著く處無きなり、と。九十六。

○明道在扶溝云云。謝は行藏なり。游は幸田なり。むかしの濱町も手あひよかった。不去力行とは、知見ばかりを主にしたやふにみへたゆへなり。無可行者とは、差し當りて何をと申すこともないやふに存するとなり。力不足の筋とはちかふ。且去静坐。それ、そふしたこともあらふ。左あらば、そこが静坐の秋そとなり。蓋静坐云云。以下、朱子の講釈。本原。ここが大切なり。雪は豊年端なり。蕭何は軍には出す。これを本領の学と云ふ。学校仕立の書生、しらぬことなり。しらぬも尤そ。立身出世の為めにはならぬ。館林の学堂を道学館と銘打れたも学者の迷惑。この時にあり、因て各々方へも三子傳心録をたて付てのませたが、枇杷葉湯ほとはきくまい。去れとも、本原と云ふことをは知るへきことなり。いつも々々々禅坊主にをし付られてばかり居ては、儒官の知行盗と云ふものぞ。子思未発之中を発明されたが万代道の證文そ。本原を云へは心法。それを禅めくとをもふは、あまり不案内なり。甚しきは、心法のことはとふても仏にきくかよいと云。あちを心法の元方とをもふぞ。後醍醐天皇御謀反之事とかいたと同日の談そ。稍定。各別なことはないもの。すこしはかりをちつく。雖是不免逐物。まだ々々静坐したとて逐物か急にはやまぬ。向から向ってくるにとらるる。ここはむつかしいことを、横渠さへもちあつかふたからの定性書ぞ。されとも静坐すれば、まつ本原涵養のいろはを書き習ふのそ。自覚。この字はかるくみること。仏めいて云ふてない。いかさまと気の付たことを自覚と云ふ。如人出外。この譬喩は、今の学者のことを朱子の宿なしともと仰られた譬喩そ。
【語釈】
・行藏…村士玉水。名は宗章。別号は一齋、素山。行蔵、幸蔵と称す。江戸の人。信古堂を営む。村士淡齋の子。稲葉迂齋門下。初め山宮雪樓に学ぶ。安永5年(1776)1月4日没。年48。
・幸田…幸田誠之。晩に精義と改める。字は子善。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。野田剛齋門下。寛政4年(1792)2月9日没。年73。私諡は穆靖。
・濱町…稲葉迂斎の住んでいた日本橋濱町。黙斎はここで生まれた。


○答潘叔昌書曰、中年以後氣血精神能有幾何。不是記故事時節。熹以目昏不敢著力讀書、閒中靜坐收斂身心、頗覺得力。閒起看書、聊復遮眼遇有會心處時、一喟然耳。文集四十六。
【読み】
○潘叔昌に答うる書に曰く、中年以後氣血精神能く幾何に有る。是れ故事を記す時節にあらず。熹目昏きを以て敢えて力を著け書を讀まず、閒中靜坐し身心を收斂し、頗る力を得るを覺ゆ。閒々起き書を看て、聊か復眼に遮[さわ]り心に會する處有るに遇う時、一喟然するのみ、と。文集四十六。

○答潘叔昌。これらも老人の勝手によい書簡のやふなれとも、ただこれをうれしかりて、四書の素読すまぬ少年か月忌は仏法ときいて肴をくふやふなもの。それはかりをうれしかる。吾社中の学者なとあまりうつりすき、心地一段とかかるも三つ子に毛ぞ。されとも今日学問色めきたるときは、このやふなことをもしらせたし。田地を質にやりても韻府がほしいと云ふやふては、朝聞道の望はないぞ。不敢著か、よまぬではなけれともと云ふなり。入歯してかたいものもくひたいは知れた人欲なり。玉の眼鏡かふて夜学と云ふは志あるやふなれとも、年よりてそのやふにさはけは、やはりうろたへの一なり。目のみへぬ時節は、みへぬ学問ある筈なり。目にまて養子願をするには及ぬそ。頗覚得力。朱子はかふしたことなり。この筋しらぬから、章句に白首するそ。間々起き。書をやめてをることにしてをいて、間たには書をよむことにするを起きと云。奪情起復の起の字の意なり。遮眼。書をあける、ちょっと眼にかかる処の文字を云ふなり。課程にするのうらなり。これも俗語なり。先輩傳燈録を引けとも仏説にあらず。俗語なり。目利の道具屋なと、柳原をとをり遮眼でかふ。果して一両ももふけるぞ。會心。この二字てなふてはやくにたたぬ。覚へたはうれしふなし。鈴木長藏伯父は濱町・石原・永井子へも見へた。甚た竒人なり。藏書よほどあれとも集なきゆへ、この書なきはいかかと云たれは、直に飛脚に命し求め得て昼夜不釈手よむ処へ長藏出て、なんとてござると云たれは、あふ国者に逢ふたやふなと答ふ。取るにたらぬやふなれとも、ただの書物読でなさに心面白く覚ふぞ。
【語釈】
・朝聞道…論語里仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・奪情起復…奪情。律令制で、まだ喪を終えていない人に出仕を命ずること。
・柳原…東京都千代田区の万世橋から神田川に沿って浅草橋に至る街路。昔は古着屋が立ち並び、今は繊維問屋街。
・鈴木長藏伯父…鵜澤由齋?名は就正。喜内と称す。鵜澤容齋の長子。清名幸谷の人。
・石原…野田剛齋。名は德勝。七右衛門と称す。江戸の人。本所石原に住む。石原先生。明和5年(1768)2月6日没。年79。佐藤直方門下。三宅尚齋にも学ぶ。
・永井子…永井行達。号は淳庵。隱求、三右衛門と称す。江戸の人。佐藤直方門下。元文5年(1740)7月28日没。年52。一名は誠之。
・不釈手…手をはなさず。


○答甘道士書曰、所云築室藏書、此亦恐枉費心力。不如且學靜坐閑讀舊書、滌去世俗塵垢之心、始爲眞有所歸宿耳。六十三。
【読み】
○甘道士に答うる書に曰く、云う所の室を築き書を藏むる、此れ亦恐らくは心力を枉費す。且く靜坐を學び舊書を閑讀し、世俗塵垢の心を滌去し、始めて眞に歸宿する所有りと爲すに如かざるのみ、と。六十三。

○答甘道士書。書藏ても建ると手柄にをもふもの。これは古今俗学者の通情そ。枉費。心力。ここは数寄屋をたてたと同罪そ。明道の書札に至ては、儒者之事に近けれともと云へり。それて外物そ。これにてもみよ。忠臣の魂みがかず、武器はかりたくはへてはやくにたたぬ。薗佳しといへとも心は則荒るはさもあるべしとをもひ、書藏はよいとをもふが、なんでも心を枉費するを大毒とするそ。葛西の吉左ェ門か予が普請を見て、これだけ先生は善太郎様に及ぬ処とそしりた。予も一言も出なんだ。
【語釈】
・明道の書札に至ては、儒者之事に近けれともと云へり…近思録敎學5。「明道先生曰、憂子弟之輕俊者、只敎以經學念書。不得令作文字。子弟凡百玩好、皆奪志。至於書札、於儒者事最近」。
・薗佳しといへとも心は則荒る…近思録爲學46講義中に、「朱子の世話になりた劉屏山と云人の子劉平甫云人の庭がよく出来たと弟子衆の話されたれば、朱子の、雖園佳心則荒ると云れた」とある。
・葛西の吉左ェ門…須原吉左衛門。須原敬之。字は吉甫。葛西笹崎の農民。寛政11年(1799)2月27日没。年56。
・善太郎様…幸田誠之 晩に精義と改める。字は子善。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。寛政4年(1792)2月9日没。年73。私諡は穆靖。


○答黃子耕書曰、病中不宜思慮。凡百可且一切放下、專以存心養氣爲務。但加趺靜坐、目視鼻端、注心臍腹之下。久自溫暖、卽漸見功効矣。五十一。
【読み】
○黃子耕に答うる書に曰く、病中宜しく思慮すべからず。凡百且一切放下し、專ら心を存し氣を養うを以て務と爲す可し。但加趺[かふ]靜坐し、目鼻端を視、心を臍腹の下に注[つ]く。久しくして自ずから溫暖なれば、卽ち漸く功効を見るなり、と。五十一。

○答黃子耕。病中病を直ふとするさへ需の卦の意すくなく曾点の気象てない。その上に外のことを思慮すれは猶更そ。放下。うちなぐること。加趺は、傳燈彔阿難のことなり。如来坐と注するよし。あぐらかき、右股の上に左の足の趺[こう]を載せ、左の股の上へ右の足の趺をのせる。鼻端。鼻のさきの白くみへるやふに目を正面によせてをる。楞嚴[りょうごん]にあるそふな。道家のことにもあり。語類百廿にあり。ここは朱子の遠慮なしに異端のなりに出してみせた。あいらかする通りにしてみやれ、いかふよいものとなり。熊坂頭巾きても盗はせぬ。宝藏院の鎗と云ふても、こちは坊主てはないそ。久自温暖。ここか槇七郎左衛門なり。道学にはかふした味あることぞ。たた書をよむことばかりを学問と心得てをる俗習から、つんと心にのらすにをるそ。近思彔に存養篇あるをも隨文解義そ。
【語釈】
・需の卦…乾下坎上需。「需、有孚、光亨。貞吉。利渉大川」。
・曾点の気象…論語先進25に話がある。
・槇七郎左衛門…槇元眞。七郎右衛門と称す。美濃の人。加納藩主松平丹波守光重に仕え、後に第二子戸田光正の家宰となる。元禄4年(1691)夏没。子の元勝、孫の秀武は迂齋に学ぶ。
・隨文解義…文に隨い義を解す。


○胡問靜坐用之法。曰、靜坐只是恁靜坐。不要閑勾當、不要閑思量、也無法。語類百廿。
【読み】
○胡靜坐を用ゆるの法を問う。曰く、靜坐は只是れ恁[かくのごと]く靜坐す。閑勾當を要せず、閑思量を要せず、也[また]法無し、と。語類百廿。

○胡問静坐用功之法。前の条に仏坐禅なりをありのまま出して、この條に他た無法とは、よい並へやふなり。かたてしてみることもあり、又なんのことないときもある。只是恁くとは、今其元と某かかくの如く坐してをるやふにと云ふこと。迂斎云、勾當は事を処置する上、思量は胸中てのことなり。とかく閑の字が出ものなり。勾當も思量も當然なれとも、閑の字がわるし。むだをするぞ。人の活計も物入りある筈の身代なれとも、むだをするがわるし。むだをすると身代をすりきるぞ。客をよぶに鯛も鴨も閑ではなし。嶋臺か閑なり。商人一日あるいてもふからぬことあらふともよし。ただ咄してをるは閑ぞ。閑の字、なにも非義てもないが、いかふ邪魔ものそ。あふ々々烟草吸ふるい、皆閑の字のもちまい。
【語釈】
・嶋臺…島台。洲浜台の上に、松・竹・梅に尉・姥や鶴・亀などの形を配したもの。蓬莱山を模したものという。婚礼・饗応などに飾り物として用いる。古くは島形といい、肴などの食物を盛った。


○靜坐無閑雜思慮、則養得來便條暢。十二。
【読み】
○靜坐閑雜の思慮無ければ、則ち養得來便ち條暢たり。十二。

○靜坐無閑雜思慮。心あらされは視而不見も、閑雜思慮から放心するそ。杞人の憂も乱心の下地なり。條暢とはのび々々としたこと。弓も、名人はかまへた処か條暢なり。茶人も茶堂たたみの上に條暢なり。棋将碁も、下手はあくせくとする。料理人、まな板に向ふた処こせ々々せぬ。日比の養になるものなり。静坐して閑雜の思慮ないやふになれば、一体がとことなく養の熟してこせつかぬ。
【語釈】
・心あらされは視而不見…大學傳7。「心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味」。


○先生問伯羽、如何用。曰、且學靜坐、痛抑思慮。曰、痛抑也不得。只是放退可也。若全閉眼而坐、卻有思慮矣。又言、也不可全無思慮。無邪思耳。百十八。
【読み】
○先生伯羽に問う、如何かを用ゆる、と。曰く、且く靜坐を學び、痛く思慮を抑えん、と。曰く、痛く抑えるも也[また]得ず。只是れ放退して可ならん。若し全く眼を閉じて坐せば、卻って思慮有るなり、と。又言う、也全く思慮無かる可からず。邪思無きのみ、と。百十八。

○先生問伯羽。痛くとは、ずいぶん力ら入れてと云意。そこて朱子の痛抑也不得。そふするは又わるい。迂斎云、藝術でりきみをきろう筋、と。とかくあんばいあることなり。香川か灸のよふに、すきるときがある。病人次第にあることそ。只是放退して可也。薬もやめるて病よくなることあるなり。全閉眼は思慮のないやうにする手段なれとも、反て思慮出てくるぞ。子よふ々々々とする、子られぬやふなもの。又言。ここは又改めて示す。たたいまんまる思慮ないやふにせふやふはない。邪思のないやふにせよ。邪の字は閑の字よりわるい方なれとも、ここは閑の字も同しあつかいぞ。むほん人のやふな邪思のことあらふやうはない。御座へ出されぬ思か邪なり。閑の字は御座へ出されてもむだなり。


○或問、靜坐久之、一念不免發動。當如何。曰、也須看一念是要做甚麼事。若是好事合當做底事、須去幹了。或此事思量未透、須著思量敎了。若是不好底事、便不要做。自家覺得如此、這敬便在這裏。十二。
【読み】
○或ひと問う、靜坐之を久しくし、一念發動を免れず。當に如何にすべき、と。曰く、也[また]須く一念是れ甚麼の事を做すを要すを看るべし。若し是れ好事合當做底の事ならば、須く幹了し去るべし。或は此の事思量未だ透らざれば、須く思量を著け了らしむべし。若し是れ不好底の事ならば、便ち做すを要せず。自家に得るを覺ること此の如き、這の敬便ち這の裏に在り、と。十二。

○或問静坐久之。一念発動したりをも、それを盗賊の入りたやふに心得るは佛のかぶれ、静坐の本意ではない。異端は念を絶つ。こちはただ静にして、めったな念の生せぬやふにする。也須看。これは丁寧にをしへやらるるなり。一念は、あちの云ふ一念なり。その一念と云はるるか、なにをせふとする一念、とふした一念そと吟味して看るへし。好事は善事なり。合當は、迂斎の弁にさしづめ。幹了。世話役を引うけるやふなこと。思慮未透。或人は、念かをこる、はてこまりたものとする。朱子のは、念のをこるはさてをき、思慮かまたとどかずは、どこまても思慮しつめるかよいと云ふなり。教了。いきつく処までやることなり。鶏の鳴くまても思ふてもわるふないぞ。若是不好底。これはさん々々なことなり。才覚得。わるいと気かつく。如此とは、そのわるいと気の付たこと。這敬便在這裏。狐しゃのと気かつく。はやはっきとなる。這敬なり。見悪逾探湯と云ふもこの気味ぞ。豚魚も、汁ばかりはすはふと云なれは這敬ないのそ。つまり静坐は敬のこと。敬は貫動静。或人はは手狹に心得たなり。
【語釈】
・見悪逾探湯…この語もあるが、論語季氏11に、「孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣。吾聞其語矣」とある。
・敬は貫動静…朱子の語。


○或問、近見廖子晦言、今年見先生、問延平先生靜坐之說。先生頗不以爲然。不知如何。曰、這事難說。靜坐理會道理、自不妨。只是討要靜坐、則不可。理會得道理明透、自然是靜。今人都是討靜坐以省事、則不可。百三。
【読み】
○或ひと問う、近ごろ廖子晦を見て言う、今年先生に見えて、延平先生靜坐の說を問う。先生頗る以て然りと爲さず、と。知らず如何、と。曰く、這の事說き難し。靜坐と道理を理會するは、自ずから妨げず。只是れ靜坐を討要すれば、則ち不可なり。道理を理會し得て明透すれば、自然に是れ靜。今人都て是れ靜坐を討[たず]ね以て事を省くは、則ち不可なり、と。百三。

○或問近見廖子晦云云。先生頗不以為然とは、またあふかたぶくことでもないと云ふのなり。傳心彔の三巻、後来所見不同なとと云ふこともあり、序文の救蔽なとと云ふこともあり、ここにはあんばいあれとも、朱子も相手次第の抑揚あるそ。子晦は禅かふれのある人だけ、ちと黙坐澄心は主剤てはなきなり。曰這事難説。ここは、知たどふしはすずしけれとも、めったには云れぬ。微子の賢可立と義剛か問ふたときも這事難説と云れた。朱子も後々は延平を全よいにする。後来と云は延平没後のころそ。朱子晩年てはない。不觀之觀とたすけるも傳授ことそ。何事もかたでをしては受用にはならぬ。静坐理會道理自不妨。ここをふたはなにせぬが大切なり。延平とても如此なり。思慮を絶つやふな坐禪觀心てはない。自不妨と云こと、ここにらいををくこと。祭の前日酒しほ飲んだと云ふても精進の害にはならぬ。柳田求は、はや訶る。それがかふずると律僧のやふになる。鶉焼は餅も鳥になる。それはらいがない。討要すると云は、とうがなして静坐せふ々々とする。静坐をかせぐになる。それはわるい。明透自然是静。迂斎云、知止而定、定而静。せうきもつよいのは静かなり。理非がわかるると静なり、と。医者もそれそ。又よびにきても、明日まへらふと云て笑ている。静坐を當然と思て事をふせうなことにをもい、省畧せふ々々とする。迂斎の、これも反鑑求照のと云へり。近思彔省外事と云ふは、外事にとられる戒め。ここの省事は、留主をつかふて客對をはぶくになるて不可なり。
【語釈】
・微子の賢可立と義剛か問ふたときも這事難説と云れた…朱子語類三十五。「義剛曰、武王旣殺了紂。有微子賢、可立。何不立之。而必自立、何也。先生不答、但蹙眉。再言、這事也難說」。
・不觀之觀…黙斎の道学標的序の講義中に、「李延平が觀音喜怒哀楽未発の氣象と云れた。あまりよすぎてわるい。そこで朱子は不觀之觀と云」とある。
・酒しほ…酒塩。煮物の調味のために、酒を加えること。また、その酒。
・柳田求…柳田求馬。名は義道。号は村松樵夫。初め明石宗伯。江戸の人。天明4年(1784)7月22日没。年47。
・知止而定、定而静…大學經1。「知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得」。
・省外事…近思録爲學19。「明道先生曰、且省外事、但明乎善、惟進誠心。其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功」。


○問璘、昨日臥雲中何所爲。璘曰、歸時日已暮、不曾觀書。靜坐而已。先生舉橫渠六有說。言有法、動有敎、晝有爲、宵有得、息有養、瞬有存。以爲雖靜坐、亦有所存主始得。不然、兀兀而已。百十八。
【読み】
○璘に問う、昨日臥雲の中何の爲す所や、と。璘曰く、歸時日已に暮れ、曾[すなわ]ち書を觀ず。靜坐するのみ。先生橫渠六有の說を舉ぐ。言に法有り、動に敎有り、晝に爲有り、宵に得有り、息に養有り、瞬に存有り。以爲えらく靜坐と雖も、亦存主する所有りて始めて得。然らずんば、兀兀[こつこつ]たるのみ、と。百十八。

○問璘云云。臥雲菴はなにかしれず。そこへ泊ると云ふたゆへ、翌日かく問へり。歸時は、昨夕臥雲菴へもとりたときを云。静坐而已。迂斎云、なんの合点なしに書はよむことならす。静坐したぎりと云た。ここが静坐の本意ぞ。道中川留なとのとき、かふ合点するがよし。六有。なんても益を得るの地てないことはないなり。この有り々々と云ふか無為自然と出るてない。あなたまかせてはない。向ふ処て存主する。こちがかふになりてはならぬ。静中有物も存主そ。邪暗鬱塞は存主なし。璘が夜来の静坐仕様はよけれとも、もしうっかりとかまへたかと思はれてこれを示す。ただ几案のそこにあるやふなが兀々ぞ。それでは死物になる。呂子約など未発の塲を死物のやふをもふ。存主は金鷄眠り覚た処なり。
【語釈】
・静中有物…中庸或問。「蓋當至靜之時、但有能知覺者、而未有所知覺也。故以爲靜中有物則可、而便以才思卽是已發爲比則未可」。
・邪暗鬱塞…朱子中和説。「嘗試以此求之、則泯然無覺之中、邪暗鬱塞、似非虛明應物之體、而幾微之際、一有覺焉、則又便爲已發、而非寂然之謂。蓋愈求而愈不可見」。


○痛理會一番、如血戰相似。然後涵養將去。因自云、某如今雖便靜坐、道理自見得。未能識得、涵養箇甚。九。
【読み】
○痛く理會すること一番、血戰するが如きに相似たり。然して後に涵養し將ち去る。因りて自ら云う、某如今便ち靜坐すと雖も、道理自ずから見得。未だ識得すること能わざれば、箇の甚だしきを涵養せん、と。九。

○痛く理會一番。痛切に精力を用て道理を商量し合点すること。一番とは、その一とくさりを云。その段のきびしさ短兵急に接し、くんづほぐれつする。窮格は法吏の深刻なる様ながよいともあり。そふして知見を精到にして、然後の涵養なり。ただ閉目殊勝らしくみせる君子風あり。これ操存とみへて舍亡の端的そ。静坐集説の中に此様の語を収たはさて々々面白そ。因自云。朱子の御手前のことを云へり。如今、このみぎり。静坐がちなれとも、道理はだたいもとより見得とは、見とをりたこと。未能識得。ごづみのかれたやふなはなんにならふぞ。馬子の布子香を薫べるやふなり。今ま老先生と云るると自ら高ふしてをるが、せめては年少ならはまだも頼母しきぞ。


○問、靜坐觀書、則義理浹洽。到幹事後、看義理又生。如何。曰、只是未熟。百十七。
【読み】
○問う、靜坐し書を觀ば、則ち義理浹洽す。事に幹するに到りて後、義理を看て又生まん。如何、と。曰く、只是れ未だ熟せず、と。百十七。

○問静坐觀書云云。ためしてはみた問なり。到るとは、迂斎、木馬が生馬になりたときの意なり。又生。まへかたなこと。只是未熟。ここはをすにをされぬ。迂斎云、又一つの関所あるを問ふた。いや只是未熟なり。茶湯道具をならべたてても、茶人が面白からぬは熟せぬのなり。


○或問、疲倦時靜坐少頃、可否。曰、也不必要似禪和子樣去坐禪、方爲靜坐。但只令放敎意思、便了。十二。
【読み】
○或ひと問う、疲倦する時靜坐すること少頃、可なるや否や、と。曰く、也[また]必ずしも禪和子樣に似て坐禪し去るを要し、方に靜坐と爲すにあらず。但只放ち意思ならしめて、便ち了らしむ、と。十二。

○或問疲倦。妙藥のやふに思ふた問なり。迂斎云、静坐を一のしごとにして云た。曰也不必要。いや々々禅坊主の一大事業にして坐禅堂をしつらへて、そこへ入り線香をたくやふなことてはない。和の字は和尚の和なり。子は、定て貴んて呼ふ詞なるべし。方為とは、これみよと推出した意。放ちと云ふは、籠の口をあけた意なり。静にさへなればそれでことすむと云ふこと。血のみちさへをさまったら御典薬よぶに及


○不成靜坐便只是瞌睡。九十六。
【読み】
○靜坐は便ち只是れ瞌睡[こうすい]と成さず。九十六。

○不成静坐。此板点は柯先生も同し。静坐と云ふものを静な工夫と云ひさま、子りきりて死だも同前なやふなこととはせぬと云こと。不成とは、そふはとらぬと云ふことなり。これはちょとしても、吾儒の大切にあつかる条なり。こちの静は内せうがいき々々して、発するものをたくはへてをるぞ。未発の中も未だと云が、発るもののまだをこらずにをる。弁慶が七つ道具の下に睡てをる。をきるとたたきたをす。仏老の至無寂滅とちがふなり。これをふと三宅先生が章を断ち、義を取るやふに、静坐を成さされは便ち只是れ瞌睡とされたは、主靜をせぬ人は子ぼけものとみた。これも一と見処なれとも誤なり。此語は本と長い語なり。王講か啓発のの内に取りてあるとをぼへた。


○問、每日暇時、略靜坐以養心、但覺意自然紛起、要靜越不靜。曰、程子謂、心自是活底物事、如何窒定敎他不思。只是不可胡亂思。纔著箇要靜底意思、便是添了多少思慮。且不要恁地拘迫他、須自有寧息時。又曰、要靜、便是先獲。便是助長、便是正。百十八。
【読み】
○問う、每日暇時、略靜坐し以て心を養い、但意自然に紛起し、靜を要せば越[いよいよ]靜ならざるを覺ゆ、と。曰く、程子謂く、心は自ずから是れ活底の物事、如何ぞ窒定し他思わざらしめん。只是れ胡亂に思う可からず。纔に箇の靜を要する底の意思を著けば、便ち是れ多少の思慮を添え了る。且恁地拘迫を要せざる他、須く自ずから寧息の時有るべし、と。又曰く、靜を要するは、便ち是れ獲るを先にす。便ち是れ長ずるを助け、便ち是れ正[あてて]す、と。百十八。

○問毎日云云。この條はいかふ心得になるそ。されとも問の意は、前の或問静坐久之一念云云の問と同なり。今ま板行ものに滑川と云ふあり、去々年かちらと云たあの内に、明鏡止水の説をそしりたそ。心にかけてみぬ人尤なことなり。堺町の者が、まだ々々皮へかけてみぬ内はしれぬ々々々と云ふ。なんのことか予もろくにしらぬが面白そふなことぞ。心にためさぬ内はしれぬ。書物よみはいろ々々にぎやかに云はふとも、心にかけぬ。止水ではないと思ふは、吾人の動から動へうつるばかりの心覚へで云ふ。朱門は静から動へやらふとする。すれとも静中に紛起して静ならぬと、そこを苦労にする。これは中庸でもよむだけのことなり。越は、いよいよともよみ、こへててよむもよし。調子はづれになるやふなことなり。心自是活底物事。とふして自由になるものぞ。大抵や大方たなことてはない。それに思まいとしたとてどふなるものぞ。なまづはひょづはひょうたんでもをさへられふか、心を思ぬやふにならふはづはない。心官は思ふ。だたい本役之思べきを思へば、思ふても邪魔にならぬもの。めったと思ふ、はや思かわきへいったのぞ。思ひ処て思ぬと胡乱なり。纔著。心はあぢなもの。ちっとでもそこへこだはると大病になる。思まいとすると、その思まいと云の思がしたたかの邪魔もの。添了。迂斎云、意を著るにあらず、意をつけざるにあらず、ふんでふまざれの合点でないと、りきみがついて受用にならぬ。多少とは、その要静の意思がそれだけ添へ了るなり。拘迫。枕元にらうそくをたやさすをく。股引はいて子るやふになる。先獲。效をみる。いそぐ。はやけなり。必有事をよく合点すると、助長正てずもない。飛脚のあるくやふに、そろ々々まっすぐにゆく。天気ふら子ばよいとも思す、ふれは合羽を出す。いつも心が静なり。活底なものの静なを明鏡止水と云ふ。常人の心を笹の葉に鈴と云。
【語釈】
・ひょづはひょうたん…ひょうずば瓢箪?
・心官は思ふ…孟子告子章句上15。「耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思。思則得之、不思則不得也。此天之所與我者」。
・助長正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正」。


○答林德久書曰、無事靜坐、有事應酬、隨時處。無非自己身心運用。但常自提撕不與倶往、便是功夫。事物之來、豈以漠然不應爲是耶。文集六十一。
【読み】
○林德久に答うる書に曰く、事無きときは靜坐し、事有るときは應酬し、時處に隨う。自己身心の運用に非ざる無し。但常に自ら提撕し與に倶に往かざれば、便ち是れ功夫。事物の來る、豈漠然として應ぜざるを以て是と爲さんや、と。文集六十一。

○答林德久。廓然大公物来順応し、夜あける、戸をあける。日くれる、戸をたてる。小水の出るときはたつ。しまふと坐する。時処なりにする。小袖も單物も向次第。あまり心をつかふことはない筈なり。とかく功夫にこしゃくをすると、労而無功なり。但常自提撕。時処次第、向ふなりにすれとも、この方に一つ根付がないと巾着ををとすぞ。不與倶往。向ふにとられぬこと。屋上にあがりても凧なりにはゆかぬ。こちにとんとふみたつものあり。凡心は紙鳶[たこ]のやふなり。主静にはぶんがあるそ。我に見処あれは子ともをあそばせるやふなもの。だいかぐらをみやふとも、子ともの見るとはちがふ。迷ひ子にはならぬ。町宅したとて、心まて町人にならふことはない。たれも出合ってもこちはしゃんとしてをる。
【語釈】
・廓然大公物来順応…近思録爲學4。定性書。「夫天地之常、以其心普萬物而無心。聖人之常、以其情順萬事而無情。故君子之學、莫若廓然而大公、物來而順應」。


○答張元德書曰、明道敎人靜坐、蓋爲是時諸人相從、只在學中、無甚外事、故敎之如此。今若無事、固是只得靜坐。若特地將靜坐做一件功夫、則卻是釋子坐禪矣。但只著一敬字通貫動靜、則於二者之閒、自無閒斷處。不須如此分別也。六十二。
【読み】
○張元德に答うる書に曰く、明道の人に靜坐せしむる、蓋し是の時諸人相從い、只學中に在りて、甚[なん]の外事無きが爲に、故に之をせしむること此の如し。今若し事無くば、固より是れ只靜坐するを得。若し特地に靜坐を將い一件の功夫を做せば、則ち卻って是れ釋子の坐禪なり。但只一の敬の字を著け動靜を通貫せば、則ち二の者の閒に於て、自ずから閒斷の處無し。須く此の如く分別すべからざるなり、と。六十二。

○答張元德。上段々の並へやふを見るべし。開巻以来みれは、静坐のせ子ばならぬは見へる。そこであまり乘りすぎると味噌の味噌くさひになるゆへ、折々をさへひかへの入ることともを出す。此条は、全く明道の静坐と云ふ宗旨を建立し出したではないと云ふをみせる。外事なけれは、丁と静坐の秋なり。御用番の公用人に静坐せよてはないが、あれも静坐すれは、ずいぶんする時のないではない。とかくに子ともを教るやふな功夫の手段ては本となし。格致から出ることぞ。致知・克己の間に存養の篇を出し、それを埀加の貫其二と云はるるて合点するかよし。特地。各別に一事業とすることてない。同役に差かへ番をたのみ、今日は静坐操存仕ると云へは、大のあほふなり。釈子坐禅矣。矣の字のあるは、それになるとつよく云ふ矣の字なり。又餘意で云へは、釈子はその筈と云ふ意もある。但只著一敬字。これがだたいこちの看板なり。のうれんには敬と染めて、内では静坐をもする。静坐の篇と云はなく、存養の中に静坐のことある。公儀御留はせぬか、さて静坐する。静坐は敬の権道と云ふはそこなり。主殺に似た武王、坐禅に似た静坐なり。通貫動静。道体なりの為学ゆへ、功夫も片づらぬ。独隂不生、独陽不生。ここが儒仏の弁にあつかる。自無間断処。大工もやすみたりけづりたりする。烟草のむまでが間断にならぬ。不須如此分別。つまり張元德、のりすぎたとみへるなり。
【語釈】
・致知・克己の間に存養の篇を出し…近思録の並び順。
・埀加の貫其二…近思録序。「夫學之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。


○答潘謙之書曰、所示問目如伊川、亦有時敎人靜坐。然孔孟以上、卻無此說。要須從上推尋、見得靜坐與觀理兩不相妨、乃爲的當爾。五十五。
【読み】
○潘謙之に答うる書に曰く、問目を示さるるが伊川の如く、亦時有りて人に靜坐せしむ。然るに孔孟以上は、卻って此の說無し。要するに須く從上推尋し、靜坐と理を觀ると兩つながら相妨げざるを見得べく、乃ち的當と爲すのみ、と。五十五。

○答潘謙之書。有時と云が、学而時習の條目とはちかふ。時によりて、そふも教る。宗物が小笠原公の御景に柚のあかるんだを花に入れたことあり。有時なり。翌年も入れは、いやなことなり。されとも静坐はそれとはちがふが、教の條目にたてると争の端そ。若林子が直方の此書や并に静坐説をそしる。一理あることなれとも、それをしらぬ直方ではない。そふした邪気をふせかん為めに有時と出したものなり。孔孟以上。いかさま論語孟子にはない題目なり。しかし静に坐したことはあらふぞ。司馬牛なぞへはあまり口きかずに、静坐せよとも云はれつらふぞ。未發之中も堯舜からありた筈。書に出したは子思なり。堯舜はそれまで云ずとすむ。子思は云は子ばすまぬ。孔孟の敬恕操存の中に静坐はある筈。居れ吾れ語汝と云も、片尻かけては咄されぬそ。退省其私。静坐の気象からの発揮ある筈。俗儒は夏の虫疑氷のぞ。徂徠はとっこにとりて程朱をつぶす。奇貨にする。理が合点ゆくと孔孟以上の以下のと云ふことはない。ここの要須の二字、推尋の二字よくみよ。我知見てなくては合点いかぬ。羅整菴、理気の疑も知見なさにもてあます。行藏などもいりもんでせつなくなり、信古なとと号するか知見にらいがなかった。両不相妨。かんでもひやでものまるるそ。静坐と云ふと奧のすみに引こもり、觀理と云ふと語類文集をひろげたてて、青紙をはり付たり朱点を打ったりすることとばかり心得る。知見あるとどちも一つに仕て取る。朝祭りをして、夕方寺へも参詣するがよいそ。予、母の喪に劄記を作り、魂魄を一途にするとかいた。薬袋もないことを、年少なときは云ふものぞ。なれと、とんじゃくはないことなり。学問几ばなれせぬ中は、何もかも手づつをやるもの。つまり静坐と云字がちと人の疑ふ字。その上功夫の上も、隔日にもせふか、三番にせふかと云ふやふになる。不相妨と云ふてすむそ。諸礼で飯からの、汁からのと云ふても、つまり腹中にをさめることぞ。静坐も觀理も皆心ですることそ。静坐すると云は表儀、書物と云ふは外物なれとも、それが心地一段のことになるそ。為的當。兩ながらと片つらぬやふにするを的當と云。従上と云は、孔孟以上無此説と云ふ従上なり。そのない従上から推し尋る。迂斎云、養気は孟子の云はれた。文王や武王は云れぬ。むかし静坐の名目ないとて、それになつむことはないなり。
【語釈】
・学而時習…論語學而1。「子曰、學而時習之、不亦說乎」。
・若林子…若林強齋。名は進居。新七と称す。一号は守中翁、晩年は寛齋、自牧。望南軒。京都の人。享保17年(1732)1月20日没。年54。
・居れ吾れ語汝…孝經開宗明義章第一。「復坐。吾語汝。身體髮膚、受之父母。不敢毀傷孝之始也。立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也」。
・退省其私…論語爲政9。「子曰、吾與囘言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。囘也不愚」。
・とっこ…詐欺。かたり。盗人。或いは独鈷?両端が分岐していない金剛杵。
・手づつ…へた。拙劣。不器用。


○答胡廣仲書曰、動靜二字相爲對待不能相無。乃天理之自然、非人力之所能爲也。若不與動對、則不名爲靜、不與靜對、則亦不名爲動矣。但衆人之動、則流於動而無靜、衆人之靜、則淪於靜而無動。此周子所謂物則不通者也。惟聖人無人欲之私、而全乎天理。是以其動也、靜之理未嘗兦、其靜也、動之機未嘗息。此周子所謂神妙萬物者也。然而必曰主靜云者、蓋以其相資之勢言之、則動有資於靜、而靜無資於動。如乾不專一、則不能直遂、坤不翕聚、則不能發散、龍蛇不蟄、則無以奮、尺蠖不屈、則無以伸。亦天理之必然也。四十二。
【読み】
○胡廣仲に答うる書に曰く、動靜の二字は對待を相爲し相無きこと能わず。乃ち天理の自然、人力の能く爲す所に非ざるなり。若し動と對せざれば、則ち名靜と爲さず、靜と對せざれば、則ち亦名動と爲さざるなり。但衆人の動は、則ち動に流れて靜無く、衆人の靜は、則ち靜に淪みて動無し。此れ周子謂う所の物は則ち通ぜざる者なり。惟聖人のみ人欲の私無くして、天理に全し。是を以て其の動や、靜の理未だ嘗て兦[ほろ]びず、其の靜や、動の機未だ嘗て息まず。此れ周子謂う所の神萬物に妙なる者なり。然して必ず靜を主とすと曰うと云う者は、蓋し其の相資るの勢を以て之を言わば、則ち動靜に資ること有りて、靜動に資ること無し。乾專一ならざれば、則ち直遂すること能わず、坤翕聚ならざれば、則ち發散すること能わず、龍蛇蟄せざれば、則ち以て奮うこと無く、尺蠖屈せざれば、則ち以て伸びること無きが如し。亦天理の必然なるのみ、と。四十二。

○答胡廣仲。直方の序もこれを根にして出来た。そこて此書が道体からくるめて功夫の全体ぞ。巻軸をくはづそ。予先年此書の序文でも云ふとをり、主静と云ふが功夫へゆくが第一としてをいて、をもへば天地も貞下元と云ふそ。静が本と云ふと静の鼻かたかくなりすぎ、仏見になるそ。動静は二たはななくてならぬ。同役そ。知行も格式も一列て、此二つか天地の御役をつとめることなり。程書抄略開巻の相直ると云ふも、つまり對待そ。對待が自然のなり。天と地か形体で對待、寒暑が気行で對待ぞ。吸と呼も對待。左右の足て歩行する。足も二本て對待。歩行も兩方あがくて對待ぞ。これがないと天地もしまいなり。千万年此通りなり。天地之自然。迂斎云、これてみよ。静坐と云ふがこしらへたことでない。人力。静坐は人がするが天のま子をするのぞ。冬をま子るが静坐なり。それをま子て何にする。やがて花をさかするそ。俗学主静の意をしらぬから博識ても、詩文ても経済でも精彩ないは花のさかぬのぞ。多く作り花ぞ。病苦縁何大痩生も涵養はないがしれる。推敲・搪突も主静のないはしへた。藝では高砂でも、天地之自然の根かない。それでも吾しらず妙のあるは大神楽のきょくばちなり。学者の心得にはせぬことなり。学者は天理なりに功夫する。水中の魚の水なりに泳くやふなもの。こふなければ異端の私見私意。虚無寂滅こしらへたものぞ。片々ある方を見込たもの。吾儒の主静静坐、片々でない。親のかたきうつに劔をといてしもふてをく。袋に劔あるは主静なり。ぬくと一と打ちは流行そ。先輩、柳生殿の刀はぬかぬ内がちかふと云ふはそこぞ。常人はぬきづめなり。動から動へうつる。うろたへた処へ板木をうつ。そこて柱につきあたる。そこで火事羽織きる。玄關まへでころぶ。荒鷹が々々々。後見がとやをとそっと云ふ。ををよ、それを放てなり。これ、しづまりたる大将そ。亜夫堅臥不起はそこなり。居敬の居の字もずっしりとした処からぞ。仲弓の南面せしむべしもこそなり。何て云ても天地自然そ。静をひいきにするではないか、静からでなふてはならぬ。人力で始めたことではない。若不與動對云云。これはかふ断らずとすみそふなことなれとも、對待と云字を細にときのべる。又そればかりでもなく、湖南一派はとかくもののたいすることを面白からぬ。性善を賛嘆と云ことも、ただ善と云ふをは悪に對するとて、うれしふないとする。これは大ぶりを云からのくせぞ。對待を云ふと小くなるをもう。南軒にさへその振合がある。ここはそれまでを云ふ意はなけれとも、こふ動静をきめて、動と對せ子ば静と名を付ぬ、静と對せ子ば動と名を付ぬと云ふで天地全体ぞ。あまり静を片をちに主張すると後家暮しのやふになり、至静天地之心などと云ふ、虚無の見や空寂の仏になる。大切のことなり。但と云は、天地はその通りじゃが常人はと出す。これが妄動で、動から動へうつる、又、静の方も、生れ付の内ばな人や引込思案や埒あかず、いつもだまりてなまこくらげのやうな体を静に淪むと云。立ち出て峯の紅葉とこぬ男なり。どぶ鼠をみるやふに下にかがみ、土龍のやふに日をきらふ。これ衆人の一偏によりてかた々々にあやかりた生れぞこないなり。物則不通。これでは衆人を周子のちくせうあしらいにしたやふなれとも、そふみることでもない。気質に局せらるることを云ぞ。衆人は本然をとりうしなふてをるからぞ。性善明德の御朱印ばかりで、あとは生れぞこない。乱さはぎをやるそ。大学の序、気質之稟不能斉はそこぞ。伯夷・桺下惠さへ太極のはたらきはならぬ。皆古聖人なりと云は、ずっとぬけた処をこそ云へ、不通の塲がある。惟々聖人と云は、太極を人間にしたのぞ。孔子は其れ太極乎と通書の解にかかれたが垩人ぞ。人欲なく天理に全いなり。伯夷・桺下惠も人欲はないが天理に全くない。隘と不恭なり。繋辞傳に一阴一阳から孔子の語りて君子之道鮮矣と云はるる。丸に太極のままなるを君子之道と云ふ。君子之道とは、儒者の宗旨と云やふなものなり。垩人は形ある天だによって、是以とくる。動静ともに太極なりぞ。太極有動静は天命之流行なりとある。そこて誠の章、誠は垩人之本ともある。神妙万物者と云ふは動中有静、ここの静之理未嘗亡なり。静中有動、ここの動之機未嘗息なり。通書の解相発するなり。これて天地垩人らちはみへた。然而必曰主静。ここが静坐集説の骨子正味の処なり。相資之勢。これ太極と引ぬいたときは勢といへそふもないが、本然之妙から所乘之機と云字で勢と云が入るぞ。天地を好則劇と朱子の云はるるもこれぞ。楽屋は静ぞ。そこを主として、これは九州肥後の玉と出る。静を元方にたてぬとはたらけぬ。動有資於静と云は、動は静の方から御かげをかふむる。合力にあふぞ。夜前よく子たで今日はよくはたらけると云ふぞ。静無資於動と云は、今ま静に坐してをるに、今日終日さはいだから坐しよいと云ふことはない。たとへは嚴如思と云ふは静ななりぞ。そのとき隣てをどりををどるで一入よい医案が出ると云ふことはない。静の方は、動をそっちへいってくれよは云はふが、動を過分辱いとは云ぬ。これも天地對待のなりからは同格なれとも、流行する上からは静でふみかためたのが、ゆるぎ出すと動かよい。旅のまへ灸すへるは静なり。小田原まてもゆくは動なり。冬のをかけて春がよい。そふもなくは、冬は知行盗になるぞ。天地之勢がこれなり。まして人間五尺のからだあれはその筈ぞ。そこを垩人の見られて主静立人極なり。ここで人の太極が立つ。物則不通は人極のたをれたのぞ。そこで又乾坤の程傳を出された。專一は体なり静なり。直遂は用なり動なり。翕聚は体なり静なり。發散は用なり動なり。龍蛇尺蠖皆一理なり。亦天理之必然なり。しかれば寂滅のする坐禅ではない。乾坤体用動静の勢によって教をほどこす静坐なり。
【語釈】
・病苦縁何大痩生…近思録爲學46に、「病苦何に由る。大痩生從来作詩為苦なりと、杜子美がことを李太白が云た。あんまり作ってやせこけた」とある。
・とや…鳥を飼っておく小屋。鳥小屋。
・仲弓の南面せしむべし…論語雍也1。「子曰、雍也可使南面」。
・気質之稟不能斉…大學章句序。「蓋自天降生民、則旣莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟或不能齊。是以不能皆有以知其性之所有而全之也」。
・伯夷・桺下惠さへ太極のはたらきはならぬ…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘。柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也」。
・皆古聖人なり…孟子公孫丑章句上2の語。
・繋辞傳に一阴一阳から孔子の語りて君子の道鮮矣と云はるる…易經繫辭傳上第5章。「一陰一陽之謂道。繼之者善也。成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。
・太極有動静は天命之流行なり…太極圖説朱解。「太極之有動靜、是天命之流行也」。
・本然之妙から所乘之機…太極図説朱解。「蓋太極者、本然之妙也。動靜者、所乘之機也。太極、形而上之道也。陰陽、形而下之器也」。
・主静立人極…太極圖説。「聖人定之以中正仁義、而主靜立人極焉」。


跋靜坐集說
學者之不可不靜坐也、猶舟之不可無柁也。豈可忽之乎。有志於聖學者、宜致思焉。後世學者沒溺于雜博卑陋之中、而不知聖賢敎人之本意、滔滔皆然矣。吾竊患之、向來抄出於朱先生靜坐之說、以爲一冊、今秋求訂正於佐藤直方丈、且請置一言諸書首、而幸得其許諾焉。乃版行之、與朋友之徒共之云。
享保丁酉季冬日 柳川剛義謹書
【読み】
學者の靜坐せずんばある可からざる、猶舟の柁無かる可からざるがごとし。豈之を忽にす可けんや。聖學に志有る者、宜しく思いを致すべし。後世の學者雜博卑陋の中に沒溺して、聖賢人を敎うるの本意を知らず、滔滔として皆然り。吾れ竊に之を患え、向來朱先生靜坐の說を抄出し、以て一冊と爲し、今秋訂正を佐藤直方丈に求め、且一言を書首に置くを請いて、幸いに其の許諾を得。乃ち之を版行し、朋友の徒と之を共にすと云う。
享保丁酉季冬日 柳川剛義謹書


学者之。この之字、自然の意ある。之謂の之の字のひびきある。むり所望でない之の字なり。柳川はかふ云気はつくまい。他人有心。吾れはかりはかる。舟に柁ほとには思れぬ。信州などでは舟もなし。詩文を事業にすれは、静坐を柁とは品川にそだちてもすまい。豈可忽。この句下手文章なり。章句拘迫す。こふすすめては、人をさとすことはならぬ。せずともすむやふじゃが、ちとしやれと云がよい。されとも舟に柁なくは乘るものはあるまい。豈可忽之乎。まことなるかな柳川が文章。韓退之、柁なき舟に棹して、太顚がをきにただよはれた。これ涵養底の素なきゆへと朱子云へり。近来仁斎より徂徠・南郭が徒、沙門と交る。ろくな僧あらはこそ、皆破落戸と朱子云へり。吾竊患之。中庸の序、憂道學之傳而作るとあり。柳川も一人扶持とらふとも、子思の直参なり。許諾さるる筈そ。享保丁酉。これは冬至文の明年なり。次の戌の年は京へ直方ゆかれた。次の亥の年に卒せり。鞭策録・排釈・鬼神集説・道學標的ありて大成なり。又此書に序をかかるれば、直方の編集も同じことなり。直方の能事終れり。然るに俗儒直方をそしるは、垩学始終の功にくらきにあらずや。
右は講釈するよりはらくなるゆへ、館林の二生に記してをくる。携去て貴邑と江邸の同志たちへ傳ふべし。
丙辰十月十七日夜録し終る 出判
【語釈】
・破落戸…ごろつき。
・中庸の序、憂道學之傳而作るとあり…中庸章句序。「中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也」。
・享保丁酉…1717年。
・丙辰…寛政8年(1796年)


此元書濱田侯之御藏本、假于飛田先生。于時元治二乙丑年正月八日夜、東武於一つ橋外屋鋪写之終。
武田勝則謹書す。
【語釈】
・飛田先生…飛田春山。名は知白。扇之助と称す。浜田藩儒臣。慶応1年(1865)10月8日没。
・元治二乙丑年…1865年。