中庸輯略  山崎闇斎点倭板四書の中庸輯略を参考とした。

中庸集畧巻上

篇目

程子曰、中之理、至矣。獨陰不生、獨陽不生。偏則爲禽獸、爲夷狄、中則爲人。中則不偏、常則不易。惟中不足以盡之。故曰中庸。明道。
【読み】
程子曰く、中の理、至れり。獨[ただ]陰生ぜず、獨陽生ぜず。偏なれば則ち禽獸と爲り、夷狄と爲り、中なれば則ち人と爲る。中なれば則ち偏ならず、常なれば則ち易わらず。惟中以て之を盡くすに足らず。故に中庸と曰う。明道。

○又曰、天地之化雖廓然無窮、然而陰陽之度、日月寒暑晝夜之變、莫不有常。此道之所以爲中庸。伊川。
【読み】
○又曰く、天地の化廓然として窮まり無しと雖も、然れども而も陰陽の度、日月寒暑晝夜の變、常有らざること莫し。此れ道の中庸爲る所以なり。伊川。

○又曰、中者、只是不偏。偏則不是中。庸只是常。猶言中者、是大中也、庸者、是定理也。定理者、天下不易之理也。是經也。孟子只言反經。中在其閒。伊川。
【読み】
○又曰く、中は、只是れ偏ならず。偏は則ち是れ中にあらず。庸は只是れ常。猶中は、是れ大中なり、庸は、是れ定理なりと言うがごとし。定理は、天下不易の理なり。是れ經なり。孟子只經に反ると言えり。中は其の閒に在り。伊川。

○又曰、中庸之言、放之則彌滿六合、巻之則退藏於密。明道。
【読み】
○又曰く、中庸の言、之を放てば則ち六合に彌[わた]り滿ち、之を巻けば則ち退いて密に藏る。明道。

○又曰、中庸始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。明道。
【読み】
○又曰く、中庸始めには一理を言い、中には散じて萬事と爲し、末には復合わせて一理と爲る。明道。

○又曰、中庸之書、是孔門傳授。成於子思、傳於孟子。其書雖是雜記、更不分精粗、一兗說了。今人語道、多說髙便遺却卑、說本便遺却末。伊川。
【読み】
○又曰く、中庸の書は、是れ孔門の傳授。子思に成り、孟子に傳う。其の書是れ雜え記すと雖も、更に精粗を分かたず、一兗に說き了わる。今の人道を語るに、多くは髙きを說けば便ち卑きを遺却し、本を說けば便ち末を遺却す。伊川。

○又曰、中庸之書、其味無窮。極索玩味。伊川。
【読み】
○又曰く、中庸の書、其の味窮まり無し。極索玩味せよ。伊川。

○又曰、善讀中庸者、得此一巻書、終身用不盡也。伊川。
【読み】
○又曰く、善く中庸を讀む者は、此の一巻の書を得て、身を終うるまで用いて盡くさざるなり。伊川。

○又曰、中庸一巻書、自至理便推之於事。如國家有九經、及歴代聖人之迹、莫非實學也。如登九層之臺。自下而上爲是。
【読み】
○又曰く、中庸一巻の書は、至理よりして便ち之を事に推す。國家に九經有り、及び歴代聖人の迹の如き、實學に非ざること莫し。九層の臺に登るが如し。下よりして上るを是と爲す。

○又曰、中庸之書、决是傳聖人之學不雜。子思恐傳授漸失。故著此一巻書。
【読み】
○又曰く、中庸の書は、决して是れ聖人の學を傳えて雜えず。子思傳授の漸く失われんことを恐る。故に此の一巻の書を著す。

○又曰、中庸是孔門傳授心法。
【読み】
○又曰く、中庸は是れ孔門傳授の心法なり。

○張子曰、學者信書、且須信論語・孟子・詩書。無舛雜。如中庸・大學出於聖門。無可疑者。
【読み】
○張子曰く、學者書を信ぜば、且つ須く論語・孟子・詩書を信ずべし。舛[たが]い雜ること無し。中庸・大學の如きは聖門に出づ。疑う可き者無し。

○又曰、學者如中庸文字輩、直須句句理會過、使其言互相發明。
【読み】
○又曰く、學者中庸文字輩の如き、直に須く句句理會し過ぎて、其の言をして互いに相發明せしむべし。

○呂曰、中庸之書、聖門學者盡心以知性、躬行以盡性、始卒不越乎此書。孔子傳之曾子、曾子傳之子思、子思述所受之言、以著于篇。故此書所論、皆聖人之緒言、入德之大要也。
【読み】
○呂曰く、中庸の書は、聖門の學者心を盡くして以て性を知り、躬から行って以て性を盡くすこと、始卒此の書に越えず。孔子之を曾子に傳え、曾子之を子思に傳え、子思受くる所の言を述べて、以て篇に著す。故に此の書の論ずる所は、皆聖人の緒言、德に入るの大要なり。

○又曰、聖人之德、中庸而已。中則過與不及皆非道也。庸則父子・兄弟・夫婦・君臣・朋友之常道、欲造次顚沛久而不違於仁。豈尙一節一行之詭激者哉。
【読み】
○又曰く、聖人の德は、中庸なるのみ。中なれば則ち過と不及とは皆道に非ず。庸なれば則ち父子・兄弟・夫婦・君臣・朋友の常道、造次顚沛も久しくして仁に違わざらんことを欲す。豈一節一行の詭激を尙ぶ者ならんや。

○又曰、中庸之書、學者所以進德之要、本末具備矣。旣以淺陋之學、爲諸君道之。抑又有所以告諸君者。孔子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。爲己者、心存乎德行、而無意乎功名。爲人者、心存乎功名、而未及乎德行。若後世學者、有未及乎爲人、而濟其私欲者。今學聖人之道、而先以私欲害之、則語之而不入、導之而不行。敎之者亦何望哉。聖人立敎以示後世、未嘗使學者如是也。朝廷建學設科、以取天下之士、亦未嘗使學者如是也。學者亦何心捨之而趨彼哉。聖人之學、不使人過、不使人不及、立喜怒哀樂未發之中以爲之本、使學者擇善而固執之。其學固有序矣。學者盍亦用心於此乎。用心於此、則義理必明、德行必脩、師友必稱、州里必譽、仰而上古可以不負聖人之傳付、達于當今可以不負朝廷之敎養。世之有道君子樂得而親之、王公大人樂聞而取之。與夫自輕其身、渉獵無本、徼幸一且之利者、果如何哉。諸君有意乎。則今日所講有望焉。無意乎。則不肖今日自爲譊譊無益。不幾乎悔聖言者。諸君其亦念之哉。
【読み】
○又曰く、中庸の書は、學者德に進む所以の要、本末具に備われり。旣に淺陋の學を以て、諸君の爲に之を道[い]う。抑々又諸君に告ぐる所以の者有り。孔子曰く、古の學者は己が爲にし、今の學者は人の爲にす。己が爲にする者は、心德行に存して、功名に意無し。人の爲にする者は、心功名に存して、未だ德行に及ばず。後世の學者の若きは、未だ人の爲にするに及ばずして、其の私欲を濟[な]す者有り。今聖人の道を學んで、先ず私欲を以て之を害すれば、則ち之を語って入らず、之を導いて行かず。之を敎うる者も亦何をか望まんや。聖人敎を立てて以て後世に示せる、未だ嘗て學者をして是の如くならしめざるなり。朝廷學を建て科を設けて、以て天下の士を取るも、亦未だ嘗て學者をして是の如くならしめざるなり。學者も亦何の心ありて之を捨てて彼に趨らんや。聖人の學は、人をして過ならしめず、人をして不及ならしめず、喜怒哀樂未發の中を立てて以て之が本と爲し、學者をして善を擇んで固く之を執らしむ。其の學固より序有り。學者盍ぞ亦心を此に用いざる。心を此に用うれば、則ち義理必ず明らかに、德行必ず脩まり、師友必ず稱し、州里必ず譽め、仰ぎて上古は以て聖人の傳付に負[そむ]かざる可く、當今に達しては以て朝廷の敎養に負かざる可し。世の有道君子は得て之を親しむことを樂しみ、王公大人は聞いて之を取ることを樂しむ。夫の自ら其の身を輕んじ、渉獵本無く、一且の利を徼幸する者と、果たして如何ぞ。諸君意有らんか。則ち今日の講ずる所望むこと有らん。意無からんか。則ち不肖今日自ら譊譊を爲して益無し。聖言を悔る者に幾からざらんや。諸君其れ亦之を念え。

○楊曰、中庸爲書、微極乎性命之際、幽盡乎鬼神之情。廣大精微罔不畢擧、而獨以中庸名書何也。予聞之師。曰、不偏之謂中、不易之謂庸。中者、天下之正道。庸者、天下之定理。推是言也、則其所以名書者義可知也。世之學者、智不足以及此、而妄意聖人之微言。故物我異觀、天人殊歸、而髙明・中庸之學始二致矣。謂髙明者所以處己而同乎天、中庸者所以應物而同乎人、則聖人之處己者常過乎中、與夫不及者無以異也。爲是說者、又烏足與議聖學哉。
【読み】
○楊曰く、中庸の書爲る、微、性命の際を極め、幽、鬼神の情を盡くす。廣大精微畢く擧[こぞ]らざること罔くして、獨[ただ]中庸を以て書に名づくるは何ぞや。予之を師に聞けり。曰く、偏ならざる之を中と謂い、易わらざる之を庸と謂う。中は、天下の正道。庸は、天下の定理なり、と。是の言を推せば、則ち其の書に名づくる所以の者の義知る可し。世の學者、智以て此に及ぶに足らずして、聖人の微言を妄意す。故に物我觀を異にし、天人歸を殊にして、髙明・中庸の學始めて致を二つにす。髙明は己を處きて天に同じき所以、中庸は物に應じて人に同じき所以と謂えば、則ち聖人の己を處く者常に中に過ぎて、夫の及ばざる者と以て異なること無し。是の說を爲す者は、又烏んぞ與に聖學を議するに足らんや。


第一章第一節 天命至謂敎。
【読み】
第一章第一節 天命より謂敎に至る。

程子曰、言天之自然者、謂之天道、言天之付與萬物者、謂之天命。明道。
【読み】
程子曰く、天の自然なる者を言えば、之を天道と謂い、天の萬物に付與する者を言えば、之を天命と謂う。明道。

○又曰、民受天地之中、以生。天命之謂性也。人之生也直、意亦如此。若以生爲生養之生、却是脩道之謂敎也。至下文始自云能者養之以福、不能者敗以取禍、則乃是敎也。明道。
【読み】
○又曰く、民は天地の中を受けて、以て生ず。天の命之を性と謂う。人の生や直なりも、意亦此の如し。若し生を以て生養の生と爲せば、却って是れ道を脩むる之を敎と謂うなり。下文に至って始めて自ら能くする者は之を養って以て福に、能くせざる者は敗れて以て禍を取ると云うは、則ち乃ち是れ敎なり。明道。

○又曰、孟子曰、仁者、人也。合而言之、道也。中庸所謂率性之謂道、是也。明道。
【読み】
○又曰く、孟子曰く、仁は、人なり。合わせて之を言えば、道なり、と。中庸に所謂性に率う之を道と謂うとは、是れなり。明道。

○又曰、生之謂性、性卽氣、氣卽性、生之謂也。人生気稟理有善惡。然不是性中元有此兩物相對而生也。有自幼而善、有自幼而惡。是氣稟有然也。善固性也。然惡亦不可不謂之性也。蓋生之謂性、人生而靜以上、不容說。才說性時、便已不是性也。凡人說性、只是說繼之者善也。孟子言人性善是也。夫所謂繼之者善也者、猶水流而就下也。皆水也、有流而至海、終無所汚。此何煩人力之爲也。有流而未遠、固已漸濁、有出而甚遠方有所濁。有濁之多者、有濁之少者。淸濁雖不同、然不可以濁者不爲水也。如此、則人不可以不加澄治之功。故用力敏勇則疾淸、用力緩怠則遲淸。及其淸也、則却只是元初水也。亦不是將淸來換却濁、亦不是取出濁來置在一隅也。水之淸、則性善之謂也。故不是善與惡在性中、爲兩物相對各自出來。此理天命也。順而循之則道也。循此而脩之各得其分則敎也。自天命以至於敎、我無加損焉。此舜有天下而不與焉者也。
【読み】
○又曰く、生之を性と謂う、性は卽ち氣、氣は卽ち性とは、生ずるの謂なり。人生気稟理として善惡有り。然るに是れ性中元此れ兩物相對して生ずること有るにあらず。幼よりして善なる有り、幼よりして惡なる有り。是れ氣稟然ること有り。善は固より性なり。然るに惡も亦之を性と謂わずんばある可からず。蓋し生之を性と謂うは、人生まれて靜なる以上は、說く容からず。才[わずか]に性と說く時は、便ち已に是れ性にあらず。凡そ人の性を說くは、只是れ之を繼ぐ者は善なりを說く。孟子人の性善と言えるは是れなり。夫の所謂之を繼ぐ者は善なりとは、猶水流れて下に就くがごとし。皆水は、流れて海に至るまで、終に汚るる所無き有り。此れ何ぞ人力の爲を煩わさん。流れて未だ遠からずして、固より已に漸く濁るる有り、出でて甚遠にして方に濁るる所有る有り。濁りの多き者有り、濁りの少なき者有り。淸濁同じからずと雖も、然れども以て濁れる者の水と爲さざることある可からず。此の如ければ、則ち人以て澄治の功を加えずんばある可からず。故に力を用うること敏勇なれば則ち疾く淸み、力を用うること緩怠なれば則ち遲く淸む。其の淸めるに及んでや、則ち却って只是れ元初の水なり。亦是れ淸めるを將ち來て濁れるに換却するにあらず、亦是れ濁れるを取り出し來て一隅に置在するにあらず。水の淸めるは、則ち性善の謂なり。故に是れ善と惡と性中に在りて、兩物相對して各々自ら出て來ることを爲すにあらず。此の理は天命なり。順いて之に循うは則ち道なり。此に循いて之を脩めて各々其の分を得るは則ち敎なり。天命より以て敎に至るまで、我加損無し。此れ舜の天下を有って與らざる者なり。

○又曰、上天之載、無聲無臭。其體則謂之易、其理則謂之道、其用則謂之神、其命于人則謂之性、率性則謂之道、脩道則謂之敎。孟子去其中、又發揮出浩然之氣。可謂盡矣。故說、神如在其上、如在其左右。大小大事而只曰、誠之不可揜如此夫。徹上徹下不過如此。形而上爲道、形而下爲器。須著如此說。器亦道。道亦器。但得道在。不繫今與後、己與人。
【読み】
○又曰く、上天の載は、聲も無く臭いも無し。其の體は則ち之を易と謂い、其の理は則ち之を道と謂い、其の用は則ち之を神と謂い、其の人に命ずるは則ち之を性と謂い、性に率うは則ち之を道と謂い、道を脩むるは則ち之を敎と謂う。孟子其の中より去りて、又浩然の氣を發揮し出だす。盡くせりと謂う可し。故に說く、神其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し、と。大小大事にして只曰えり、誠の揜う可からざること此の如きかな、と。徹上徹下此の如きに過ぎず。形よりして上なるを道と爲し、形よりして下なるを器を爲す。須く此の如く說くことを著くべし。器も亦道。道も亦器。但道を得て在り。今と後と、己と人とに繫らず。

○先生嘗語韓持國曰、如說妄說幻、爲不好底性、則請、別尋一箇好底性來、換了此不好底性。蓋道卽性也。若道外尋性、性外尋道、便不是。聖賢論天德、蓋謂、自家元是天然完全自足之物。若無所汚壞、卽當直而行之。若小有汚壞、卽敬以治之、使復如舊。所以能使如舊者、蓋爲自家本質元是完足之物。若合脩治而脩治之、是義也。若不消脩治而不脩治、亦是義也。故常簡易明白而易行。禪學者揔是強生事。至如山河大地之說、是他山河大地。亦于伱何事。至如孔子道、如日星之明。猶患門人未能盡曉。故曰、予欲無言。如顏子則便默識。其他未免疑問。故曰、小子何述。又曰、天何言哉。四時行焉、百物生焉。可謂明白矣。若能於此言上看得破、便信是會禪也。非是未尋得。蓋實是無去處說。此理本無二故也。明道。
【読み】
○先生嘗て韓持國に語って曰く、如し妄と說き幻と說いて、不好底の性と爲せば、則ち請う、別に一箇好底の性を尋ね來て、此の不好底の性に換え了われ。蓋し道は卽ち性なり。若し道の外に性を尋ね、性の外に道を尋ねば、便ち是ならず。聖賢の天德を論ずる、蓋し謂えり、自家元是れ天然完全自足の物、と。若し汚壞する所無くんば、卽ち當に直にして之を行うべし。若し小しく汚壞すること有らば、卽ち敬以て之を治めて、復舊の如くならしむ。能く舊の如くならしむる所以の者は、蓋し自家の本質元是れ完足の物なるが爲なり。若し合[まさ]に脩治すべくして之を脩治するは、是れ義なり。若し脩治す消[べ]からずして脩治せざるも、亦是れ義なり。故に常に簡易明白にして行い易し。禪學者は揔て是れ強いて事を生す。山河大地の說の如きに至っては、是れ他の山河大地。亦伱[なんじ]に于て何事ぞ。孔子の道の如きに至っては、日星の明なるが如し。猶門人の未だ盡く曉ること能わざることを患えり。故に曰く、予言うこと無からんと欲す、と。顏子の如きは則ち便ち默識す。其の他は未だ疑問を免れず。故に曰く、小子何をか述べん、と。又曰く、天何をか言うや。四時行われ、百物生る、と。明白なりと謂う可し。若し能く此の言の上に於て看得破らば、便ち信に是れ禪を會せん。是れ未だ尋ね得ざるに非ず。蓋し實に是れ去る處無くして說く。此の理本二つ無き故なり。明道。

○又曰、生之謂性、與天命之謂性同乎。性字不可一概論。生之謂性、止訓所稟受也。天命之謂性、此言性之理也。今人言性柔緩、性剛急。皆生來如此。此訓所稟受也。若性之理、則無不善。曰天者、自然之理也。伊川。
【読み】
○又曰く、生之を性と謂うと、天の命之を性と謂うとは同じきか。性の字一概にして論ず可からず。生之を性と謂うは、止[ただ]稟受する所を訓ず。天の命之を性と謂うは、此れ性の理を言う。今の人性柔緩、性剛急と言う。皆生じ來て此の如し。此れ稟受する所を訓ず。性の理の若きは、則ち善ならざること無し。天と曰うは、自然の理なり。伊川。

○又曰、告子云、生之謂性。凡天地所生之物、須是謂之性。皆謂之性則可。於中却須分別牛之性、馬之性。是他便只道一般、如釋氏說蠢動含靈皆有佛性。如此則不可。天命之謂性、率性之謂道者、天降是於下、萬物流形各正性命者、是所謂性也。循其性而不失、是所謂道也。此亦通人物而言。循性者、馬則爲馬之性。又不做牛底性。牛則爲牛之性。又不爲馬底性。此所謂率性也。人在天地之閒、與萬物同流。天幾時分別出是人是物。脩道之謂敎、此則專在人事。以失其本性、故脩而求復之則入於學。若元不失、則何脩之有。成性存存道義之門、亦是萬物各有成性存存、亦是生生不已之意。天只是以生爲道。
【読み】
○又曰く、告子云う、生之を性と謂う、と。凡そ天地生す所の物、是れ之を性と謂う須し。皆之を性と謂うは則ち可なり。中に於て却って牛の性、馬の性を分別す須し。是れ他[かれ]便ち只一般と道うは、釋氏の蠢動含靈皆佛性有りと說くが如し。此の如くなれば則ち不可なり。天の命之を性と謂い、性に率う之を道と謂うは、天是を下に降し、萬物形を流[し]いて各々性命を正すは、是れ所謂性なり。其の性に循いて失わざるは、是れ所謂道なり。此れ亦人物に通じて言えり。性に循うは、馬は則ち馬の性爲り。又牛底の性を做さず。牛は則ち牛の性爲り。又馬底の性を爲さず。此れ所謂性に率うなり。人天地の閒に在りて、萬物と流を同じくす。天幾時か是れ人是れ物と分別し出ださん。道を脩むる之を敎と謂うは、此れ則ち專ら人事に在り。其の本性を失うを以て、故に脩めて之に復らんと求むれば則ち學に入る。若し元失わずんば、則ち何の脩むること之れ有らん。成性存存は道義の門も、亦是れ萬物各々成性存存有り、亦是れ生生して已まざるの意なり。天は只是れ生を以て道と爲す。

○又曰、率性之謂道。率、循也。若言道不消先立下名義、茫茫地何處下手、何處著心。伊川。
【読み】
○又曰く、性に率う之を道と謂う。率は、循うなり。若し道を言って先ず名義を立て下すことを消[もち]いずんば、茫茫地に何れの處に手を下し、何れの處に心を著けん。伊川。

○又曰、人須是自爲善。然又不可都不管他。蓋有敎焉。脩道之謂敎。豈可不脩。
【読み】
○又曰く、人須く是れ自ら善を爲すべし。然して又都て他を管せずんばある可からず。蓋し敎有り。道を脩むる之を敎と謂う。豈脩めざる可けんや。

○張子曰、由太虛有天之名。由氣化有道之名。合虛與氣、有性之名。合性與知覺、有心之名。
【読み】
○張子曰く、太虛に由って天の名有り。氣化に由って道の名有り。虛と氣とを合わせて、性の名有り。性と知覺とを合わせて、心の名有り。

○呂曰、此章先明性・道・敎三者之所以名。性與天道一也。天道降而在人。故謂之性。性者生生之所固有也。循是而之焉、莫非道也。道之在人、有時與位之不同。必欲爲法於後世、不可不脩。
【読み】
○呂曰く、此の章先ず性・道・敎三つの者の名づくる所以を明かす。性は天道と一なり。天道降って人に在り。故に之を性と謂う。性は生生の固より有る所なり。是に循いて之けば、道に非ざること莫し。道の人に在る、時と位と之れ同じからざる有り。必ず法を後世に爲さんと欲せば、脩めずんばある可からず。

○一本云、中者、天道也、天德也。降而在人。人稟而受之。是之謂性。書曰、惟皇上帝、降衷于下民。傳曰、民受天地之中以生。此人性之所以必善。故曰、天命之謂性。性與天道、本無有異。但人雖受天地之中以生、而梏於蕞然之形體、常有私意小知撓乎其閒。故與天地不相似、所發遂至乎出入不齊而不中節。如使所得於天者不喪、則何患不中節乎。故良心所發、莫非道也。在我者、惻隱・羞惡・辭遜・是非、皆道也。在彼者、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友之交、亦道也。在物之分、則有彼我之殊。在性之分、則合乎内外一體而已。是皆人心所同然。乃吾性之所固有。隨喜怒哀樂之所發、則愛必有差等、敬必有節文。所感重者、其應也亦重。所感輕者、其應也亦輕。自斬至緦、喪服異等、而九族之情無所憾。自王公至皂隷、儀章異制、而上下之分莫敢爭。非出於性之所有、安能致是乎。故曰、率性之謂道。循性而行、無物撓之。雖無不中節者、然人稟於天者不能無厚薄昬明、則應於物者亦不能無小過小不及。故喜斯陶、陶斯咏、咏斯猶、猶斯舞、舞斯慍、慍斯戚、戚斯嘆、嘆斯辟、辟斯踊矣。品節斯、斯之謂禮。閔子除喪而見孔子。予之琴而彈之。切切而哀。曰、先王制禮。不敢過也。子夏除喪而見孔子。予之琴而彈之。侃侃而樂。曰、先王制禮。不敢不及也。故心誠求之、雖不中不遠矣。然將達之天下、傳之後世、慮其所終、稽其所敝、則其小過小不及者、不可以不脩。此先王所以制禮。故曰、脩道之謂敎。
【読み】
○一本に云う、中は、天道なり、天德なり。降って人に在り。人稟けて之を受く。是れ之を性と謂う。書に曰く、惟れ皇なる上帝、衷を下民に降す、と。傳に曰く、民天地の中を受けて以て生ず、と。此れ人性の必善なる所以。故に曰く、天の命之を性と謂う、と。性と天道とは、本異なること有ること無し。但人天地の中を受けて以て生ずと雖も、而れども蕞然の形體に梏し、常に私意小知其の閒に撓[みだ]すこと有り。故に天地と相似せず、發する所遂に出入齊[ひと]しからずして節に中らざるに至る。如し天に得る所の者をして喪わざらしめば、則ち何ぞ節に中らざることを患えん。故に良心の發する所、道に非ざること莫し。我に在る者は、惻隱・羞惡・辭遜・是非、皆道なり。彼に在る者は、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の交わり、亦道なり。物の分に在りては、則ち彼我の殊なる有り。性の分に在りては、則ち内外を合わせて一體なるのみ。是れ皆人心の同じく然る所。乃ち吾が性の固より有る所。喜怒哀樂の發する所に隨えば、則ち愛に必ず差等有り、敬に必ず節文有り。感ずる所重き者は、其の應ずることや亦重し。感ずる所輕き者は、其の應ずることや亦輕し。斬より緦に至りて、喪服等を異にして、九族の情憾むる所無し。王公より皂隷に至りて、儀章制を異にして、上下の分敢えて爭うこと莫し。性の有る所に出るに非ずんば、安んぞ能く是を致さん。故に曰く、性に率う之を道と謂う、と。性に循いて行えば、物之を撓すこと無し。節に中らざる者無しと雖も、然れども人の天に稟ける者厚薄昬明無きこと能わざれば、則ち物に應ずる者も亦小過小不及無きこと能わず。故に喜べば斯に陶[よ]かり、陶[やわら]げば斯に咏じ、咏じて斯に猶[うご]き、猶けば斯に舞い、舞えば斯に慍り、慍れば斯に戚[うれ]え、戚えば斯に嘆き、嘆けば斯に辟[むねう]ち、辟てば斯に踊る。斯を品節する、斯れ之を禮と謂う。閔子喪を除[お]えて孔子に見ゆ。之に琴を予[あた]えて之を彈ず。切切として哀し。曰く、先王の禮を制す。敢えて過ぐさず、と。子夏喪を除えて孔子に見ゆ。之に琴を予えて之を彈ず。侃侃として樂しめり。曰く、先王の禮を制す。敢えて及ばずんばあらず、と。故に心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。然して將に之を天下に達し、之を後世に傳えんとして、其の終わる所を慮り、其の敝る所を稽うれば、則ち其の小過小不及なる者、以て脩めずんばある可からず。此れ先王の禮を制する所以なり。故に曰く、道を脩むる之を敎と謂う、と。

○游曰、惟皇上帝、降衷于下民則天命也。若遁天倍情則非性矣。天之所以命萬物者道也。而性者具道以生也。因其性之固然、而無容私焉、則道在我矣。此率性之謂道也。若出於人爲則非道矣。夫道不可擅而有也。固將與天下共之。故脩禮以示之中、脩樂以導之和。此脩道之謂敎也。或蔽於天、或蔽於人、爲我至於無君、兼愛至於無父、則非敎矣。知天命之謂性、則孟子性善之說可見矣。或曰性惡、或曰善悪混、或曰有三品、皆非知天命者也。
【読み】
○游曰く、惟れ皇なる上帝、衷を下民に降すは則ち天の命なり。若し天に遁れ情に倍けば則ち性に非ず。天の萬物に命ずる所以の者は道なり。而して性は道を具えて以て生ず。其の性の固より然るに因りて、私を容るること無ければ、則ち道我に在り。此れ性に率う之を道と謂うなり。若し人爲に出でれば則ち道に非ず。夫れ道は擅にして有す可からず。固より將に天下と之を共にせんとす。故に禮を脩めて以て之が中を示し、樂を脩めて以て之が和を導く。此れ道を脩むる之を敎と謂うなり。或は天に蔽われ、或は人に蔽われ、爲我君を無みするに至り、兼愛父を無みするに至るは、則ち敎に非ず。天の命之を性と謂うを知らば、則ち孟子性善の說見る可し。或は性惡と曰い、或は善悪混ずと曰い、或は三品有りと曰うは、皆天の命を知る者に非ず。

○楊曰、天命之謂性。人欲非性也。率性之謂道。離性非道也。性、天命也。命、天理也。道則性命之理而已。孟子道性善、蓋原於此。謂性有不善者、誣天也。性無不善、則不可加損也。無俟乎脩焉。率之而已。楊雄謂學以脩性、非知性也。故孔子曰、盡性。子思曰、率性。曰、尊德性。孟子曰、知性養性。未嘗言脩也。然則道其可脩乎。道者百姓日用而不知也。先王爲之防範、使過不及者取中焉。所以敎也。謂之脩者、蓋亦品節之而已。
【読み】
○楊曰く、天の命之を性と謂う。人欲は性に非ず。性に率う之を道と謂う。性に離るるは道に非ず。性は、天命なり。命は、天理なり。道は則ち性命の理なるのみ。孟子性善と道える、蓋し此に原[もと]づく。性に不善有りと謂う者は、天を誣るなり。性に不善無ければ、則ち加損す可からず。脩むるを俟つこと無し。之に率うのみ。楊雄學は以て性に脩むと謂うは、性を知るに非ず。故に孔子曰く、性を盡くす、と。子思曰く、性に率う、と。曰く、德性を尊ぶ、と。孟子曰く、性を知り性を養う、と。未だ嘗て脩むることを言わざるなり。然れば則ち道は其れ脩む可けんや。道は百姓日々に用いて知らず。先王之が防範を爲りて、過不及の者をして中を取らしむ。敎うる所以なり。之を脩むと謂うは、蓋し亦之を品節するのみ。

○又曰、天命之謂性。率性之謂道。性・命・道三者、一體而異名。初無二致也。故在天曰命、在人曰性、率性而行曰道。特所從言之異耳。
【読み】
○又曰く、天の命之を性と謂う。性に率う之を道と謂う。性・命・道三つの者は、一體にして名を異にす。初めより二致無し。故に天に在るを命と曰い、人に在るを性と曰い、性に率いて行うを道と曰う。特[ただ]從[よ]りて言う所の異なるのみ。

○又曰、人性上不可添一物。堯・舜所以爲萬世法、只是率性而已。所謂率性循天理是也。外邊用計用數、假饒立得功業、只是人欲之私、與聖賢作處天地懸隔。
【読み】
○又曰く、人の性上一物を添う可からず。堯・舜萬世の法を爲る所以は、只是れ性に率うのみ。所謂性に率うは天理に循う、是れなり。外邊に計を用い數を用いて、假饒[たと]い功業を立て得るとも、只是れ人欲の私、聖賢作處と天地懸[はるか]に隔れり。

○又曰、荊公云、天使我有是之謂命。命之在我之謂性。是未知性命之理。其曰使我、正所謂使然也。使然者可以爲命乎。以命在我爲性、則命自一物。若中庸言天命之謂性、性卽天命也。又豈二物哉。如云在天爲命、在人爲性、此語似無病。然亦不須如此說。性命初無二理。第所由之者異耳。率性之謂道、如易所謂聖人之作易、將以順性命之理是也。
【読み】
○又曰く、荊公云う、天我をして是を有せしむ、之を命と謂う。命の我に在る、之を性と謂う、と。是れ未だ性命の理を知らず。其の我をせしむと曰うは、正に所謂然らしむなり。然らしむるは以て命と爲す可けんや。命の我に在るを以て性とすれば、則ち命自ら一物なり。中庸の天の命之を性と謂うと言うが若き、性は卽ち天命なり。又豈二物ならんや。天に在りては命とし、人に在りては性とすと云うが如き、此の語病無きに似たり。然れども亦此の如く說く須からず。性命初めより二理無し。第[ただ]之に由る所の者異なるのみ。性に率う之を道と謂うは、易に謂う所の聖人の易を作れる、將に以て性命の理に順わんとするが如き、是れなり。


第一章第二節 道也至獨也。
【読み】
第一章第二節 道也より獨也に至る。

程子曰、一物不該、非中也。一事不爲、非中也。一息不存、非中也。何哉。爲其偏而已矣。故曰、道也者不可須臾離也。可離非道也。脩此道者戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞而已。由是而不息焉、則上天之載、無聲無臭、可以訓致也。伊川。
【読み】
程子曰く、一物も該[か]ねざるは、中に非ず。一事も爲さざるは、中に非ず。一息も存せざるは、中に非ず。何ぞや。其の偏なるが爲なるのみ。故に曰く、道は須臾も離る可からず。離る可くんば道に非ず、と。此の道を脩むる者は其の睹ざる所に戒愼し、其の聞かざる所に恐懼するのみ。是に由りて息まざれば、則ち上天の載、聲も無く臭いも無きこと、以て訓致す可し。伊川。

○或問、游宣德記先生語云、人能戒愼恐懼於不睹不聞之閒、則無聲無臭、可以訓致。此說如何。曰、訓致、漸進也。然此亦大綱說、固是自小以至大、自脩身可以至於盡性至命。然其閒有多少般數。其所以至之之道當如何。荀子曰、始乎爲士、終乎爲聖人。今學者須讀書纔讀書、便望爲聖賢。然中閒至之之方、更有多少。荀子雖能如此說、却以禮義爲僞、性爲不善、他自情性尙理會不得。怎生到得聖人。大抵以堯所行者、欲力行之。以多聞多見取之、其所學者皆外也。伊川。
【読み】
○或ひと問う、游宣德先生の語を記して云う、人能く睹ざる聞かざるの閒に戒愼恐懼すれば、則ち聲も無く臭いも無きこと、以て訓致す可し、と。此の說如何。曰く、訓致は、漸く進む。然れども此れ亦大綱に說く、固より是れ小より以て大に至り、身を脩むるより以て性を盡くし命に至るに至る可し。然るに其の閒多少般の數有り。其の之に至る所以の道當に如何すべき。荀子曰く、士と爲るに始まり、聖人と爲るに終わる、と。今學者須く書を讀み纔かに書を讀まば、便ち聖賢と爲らんことを望むべし。然るに中閒之に至るの方、更に多少有り。荀子能く此の如く說くと雖も、却って禮義を以て僞とし、性を不善とし、他自ら情性尙理會し得ず。怎生ぞ聖人に到り得ん。大抵堯の行う所の者を以て、力めて之を行わんと欲す。多聞多見を以て之を取る、其の學ぶ所は皆外なり。伊川。

○先生嘗論克己復禮。韓持國曰、道上更有甚克。莫錯否。曰、如公之言、只是說道也。克己復禮、乃所以爲道也。更無別處。克己復禮之爲道、亦何傷乎公之所謂道也。如公之言、只是一人自指其前一物、曰此道也、他本無可克者。若知道與己未嘗相離、則若不克己復禮、何以體道。道在己、不是與己各爲一物、可跳身而入者也。克己復禮非道而何。至如公言克不是道、亦是道也。實未嘗離得。故曰、可離非道也。理甚分明。
【読み】
○先生嘗て克己復禮を論ず。韓持國曰く、道の上に更に甚[なん]の克つこと有らん。錯り莫きや否や。曰く、公の言の如きは、只是れ道を說くなり。克己復禮は、乃ち道爲る所以なり。更に別處無し。克己復禮の道爲る、亦何ぞ公の謂う所の道を傷まん。公の言の如きは、只是れ一人自ら其の前の一物を指して、此れ道なり、他本克つ可き者無しと曰う。若し道は己と未だ嘗て相離れざることを知らば、則ち若し己に克ち禮に復らずんば、何を以て道を體せん。道は己に在り、是れ己と各々一物と爲し、身を跳じて入る可き者にあらず。克己復禮は道に非ずして何ぞ。公克は是れ道にあらずと言うが如きに至っても、亦是れ道なり。實に未だ嘗て離れ得ず。故に曰く、離る可くんば道に非ず、と。理甚だ分明なり。

○又曰、道之外無物、物之外無道。是天地之閒無適而非道也。卽父子而父子在所親、卽君臣而君臣在所敬。以至爲夫婦、爲長幼、爲朋友、無所爲而非道。此道所以不可須臾離也。然則毀人倫、去四大者、其分於道也遠矣。故君子之於天下也、無適也、無莫也。義之與比。若有適有莫、則於道爲有閒。非天地之全也。彼釋氏之學、於敬以直内則有之矣。於義以方外則未之有也。故滯固者入於枯槁、疏通者歸於肆恣。此佛之敎所以爲隘也。吾道則不然。率性而已。斯理也、聖人於易備言之。又云、佛有一箇覺之理。可以敬以直内矣。然無義以方外。其直内者、要之其本亦不是。伊川。
【読み】
○又曰く、道の外に物無く、物の外に道無し。是れ天地の閒適くとして道に非ざること無し。父子に卽いて父子親しむ所在り、君臣に卽いて君臣敬む所在り。以て夫婦爲り、長幼爲り、朋友爲るに至るまで、する所として道に非ざること無し。此れ道の須臾も離る可からざる所以なり。然れば則ち人倫を毀[やぶ]り、四大を去つる者は、其れ道に分ることや遠し。故に君子の天下に於る、適も無く、莫も無し。義と與に比[したが]う。若し適有り莫有れば、則ち道に於て閒[へだて]有と爲す。天地の全きに非ず。彼の釋氏の學、敬以て内を直くするに於ては則ち之有り。義以て外を方にするに於ては則ち未だ之有らず。故に滯固なる者は枯槁に入り、疏通なる者は肆恣に歸す。此れ佛の敎、隘しと爲す所以なり。吾が道は則ち然らず。性に率うのみ。斯の理や、聖人易に於て備[つぶさ]に之を言えり。又云う、佛に一箇の覺の理有り。以て敬以て内を直くす可し。然れども義以て外を方にすること無し。其の内を直くする者も、之を要するに其の本亦是ならず。伊川。

○又曰、人只以耳目所見聞者爲顯見、所不見聞者爲隱微、然不知理却甚顯也。且如昔人彈琴、見蟷蜋捕蟬、而聞者以爲有殺聲、殺在心而人聞其琴而知之。豈非顯乎。人有不善、自謂人不知之。然天地之理甚著。不可欺也。伊川。
【読み】
○又曰く、人只耳目の見聞する所の者を以て顯見と爲し、見聞せざる所の者を隱微と爲し、然して理は却って甚だ顯なることを知らず。且つ昔人琴を彈じ、蟷蜋の蟬を捕うるを見て、聞く者以て殺聲有りと爲すが如き、殺心に在りて人其の琴を聞いて之を知る。豈顯なるに非ざらんや。人不善有りて、自ら人之を知らずと謂えり。然れども天地の理甚だ著し。欺く可からず。伊川。

○又曰、於穆不已、天之所以爲天也。純亦不已、文王之所以爲文也。此天德也。有天德、便可語王道。然其要只在愼獨。明道。
【読み】
○又曰く、於[ああ]穆として已まざるは、天の天爲る所以なり。純なるも亦已まざるは、文王の文爲る所以なり。此れ天德なり。天德有れば、便ち王道を語る可し。然るに其の要は只獨りを愼むに在り。明道。

○又曰、要脩持他這天理、則在德。須有不言而信者。言難爲形状。養之則須直。不愧屋漏與愼獨、這是箇持養底氣象也。
【読み】
○又曰く、他の這の天理を脩持せんことを要することは、則ち德に在り。須く言わずして信ある者有るべし。言は形状を爲し難し。之を養うは則ち須く直なるべし。屋漏に愧じざると獨りを愼むとは、這は是れ箇の持養底の氣象なり。

○又曰、孔子言仁、只說出門如見大賓、使民如承大祭。看其氣象。便須心廣體胖、動容周旋中禮自然。唯愼獨。便是守之之法。
【読み】
○又曰く、孔子仁を言える、只門を出づるには大賓を見るが如く、民を使うには大祭を承[つかまつ]るが如しと說けり。看よ其の氣象を。便ち須く心廣く體胖に、動容周旋禮に中って自然なるべし。唯獨りを愼む。便ち是れ之を守るの法なり。

○又曰、洒掃應對、便是形而上者。理無大小故也。故君子只在愼獨。明道。
【読み】
○又曰く、洒掃應對は、便ち是れ形よりして上なる者なり。理に大小無き故なり。故に君子は只獨りを愼むに在り。明道。

○呂曰、此章明道之要不可不誠。道之在我、猶飮食居處之不可去。可去皆外物也。誠以爲己。故不欺其心。人心至靈、一萌于思、善與不善、莫不知之。他人雖明有所不與也。故愼其獨者、知爲己而已。
【読み】
○呂曰く、此の章、道の要は誠ならずんばある可からざることを明かす。道の我に在るは、猶飮食居處の去つ可からざるがごとし。去つ可きは皆外物なり。誠は以て己が爲にす。故に其の心を欺かず。人心至靈、一つも思に萌せば、善と不善と、之を知らざること莫し。他人明なりと雖も與らざる所有り。故に其の獨りを愼む者は、己が爲にすることを知るのみ。

○又曰、率性之謂道、則四端之在我者、人倫之在彼者、皆吾性命之理、受乎天地之中。所以立人之道、不可須臾離也。絶類離倫、無意乎君臣父子者、過而離乎此者也。賊恩害義、不知有君臣父子者、不及而離乎此者也。雖過不及有差、而皆不可以行於世。故曰、可離非道也。非道者、非天地之中而已。非天地之中、而自謂有道惑也。
【読み】
○又曰く、性に率う之を道と謂えば、則ち四端の我に在る者、人倫の彼に在る者、皆吾が性命の理にて、天地の中を受く。人の道を立つる所以は、須臾も離る可からざるなり。類を絶ち倫を離れ、君臣父子に意無き者は、過ぎて此に離るる者なり。恩を賊い義を害し、君臣父子有ることを知らざる者は、及ばずして此に離るる者なり。過不及差い有りと雖も、而れども皆以て世に行わる可からず。故に曰く、離る可きは道に非ず、と。道に非ざる者は、天地の中に非ざるのみ。天地の中に非ずして、自ら道有りと謂うは惑いなり。

○又曰、所謂中者、性與天道也。謂之有物、則不得於言。謂之無物、則必有事焉。不得於言者、視之不見、聽之不聞、無聲形接乎耳目而可以道也。必有事焉者、莫見乎隱、莫顯乎微、體物而不可遺者也。古之君子立則見其參於前、在輿則見其倚於衡。是何所見乎。洋洋乎如在其上、如在其左右。是果何物乎。學者見乎此、則庶乎能擇中庸而執之。隱微之閒、不可求之於耳目。不可道之於言語、然有所謂昭昭而不可欺、感之而能應者。正惟虛心以求之、則庶乎見之。故曰、莫見乎隱、莫顯乎微。然所以愼乎獨者、苟不見乎此、則何戒愼恐懼之有哉。此誠之不可揜也。
【読み】
○又曰く、所謂中とは、性と天道なり。之を物有りと謂えば、則ち言に得ず。之を物無しと謂えば、則ち必ず事有り。言に得ずとは、之を視て見えず、之を聽いて聞ええず、聲形耳目に接して以て道う可き無し。必ず事有りとは、隱より見れたるは莫く、微より顯るは莫く、物に體して遺す可からざる者なり。古の君子立ちては則ち其の前に參るを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。是れ何の見る所ぞや。洋洋乎として其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し。是れ果たして何物ぞや。學者此に見れば、則ち能く中庸を擇んで之を執るに庶からん。隱微の閒、之を耳目に求む可からず。之を言語に道う可からずして、然して所謂昭昭として欺く可からず、之に感じて能く應ずる者有り。正に惟心を虛にして以て之を求めば、則ち之を見るに庶からん。故に曰く、隱より見れたるは莫く、微より顯るは莫し、と。然るに獨りを愼む所以の者は、苟も此に見ざれば、則ち何の戒愼恐懼すること之れ有らん。此れ誠の揜う可からざるなり。

○謝曰、敬則外物不能易。坐如尸、立如齊、出門如見大賓、使民如承大祭、非禮勿言動視聽。須是如顏子事斯語。坐如尸、坐時習。立如齊、立時習。是不可須臾離也。
【読み】
○謝曰く、敬めば則ち外物易うること能わず。坐するに尸の如くし、立つに齊するが如くし、門を出づるには大賓を見るが如く、民を使うに大祭を承るが如く、禮に非ざれば言動視聽すること勿かれ。須く是れ顏子の斯の語を事とするが如くすべし。坐するに尸の如くするは、坐する時に習う。立つに齊するが如くするは、立つ時に習う。是れ須臾も離る可からざるなり。

○楊曰、獨、非交物之時。有動于中、其違未遠也。雖非視聽所及、而其幾固已瞭然心目之閒矣。其爲顯見孰加焉。雖欲自蔽、吾誰欺。欺天乎。此君子必愼其獨也。
【読み】
○楊曰く、獨りは、物に交わるの時に非ず。中に動くこと有りて、其の違うこと未だ遠からざるなり。視聽の及ぶ所に非ずと雖も、而れども其の幾固より已に心目の閒に瞭然たり。其の顯見爲ること孰か焉に加えん。自ら蔽わんと欲すと雖も、吾誰をか欺かん。天を欺かんや。此れ君子は必ず其の獨りを愼む。

○又曰、夫盈天地之閒、孰非道乎。道而可離、則道有在矣。譬之四方有定位焉。適東則離乎西、適南則離乎北。斯則可離也。若夫無適而非道、則烏得而離耶。故寒而衣、饑而食、日出而作、晦而息。耳目之視聽、手足之擧履、無非道也。此百姓所以日用而不知。伊尹耕于有莘之野、以樂堯・舜之道。夫堯・舜之道、豈有物可玩而樂之乎。耕于有莘之野是已。此農夫田父之所日用者、而伊尹之樂、有在乎是。若伊尹、所謂知之者也。
【読み】
○又曰く、夫れ天地の閒に盈つる、孰か道に非ざる。道にして離る可くんば、則ち道在る有り。之を四方の定位有るに譬う。東に適けば則ち西に離れ、南に適けば則ち北に離る。斯れ則ち離る可し。若し夫れ適くとして道に非ざること無くんば、則ち烏んぞ得て離れんや。故に寒くして衣し、饑えて食い、日出でて作[お]き、晦[くれ]て息う。耳目の視聽、手足の擧履、道に非ざること無し。此れ百姓日々に用いて知らざる所以なり。伊尹有莘の野に耕して、以て堯・舜の道を樂しむ。夫れ堯・舜の道、豈物の玩ぶ可き有りて之を樂しまんや。有莘の野に耕す、是れのみ。此れ農夫田父の日々に用うる所の者にして、伊尹の樂、是に在る有り。伊尹の若きは、所謂之を知る者なり。


第一章第三節 喜怒至育焉。
【読み】
第一章第三節 喜怒より育焉に至る。

呂與叔曰、中者、道之所由出。程子曰、此語有病。呂曰、論其所同、不容更有二名。別而言之、亦不可混爲一事。如所謂天命之謂性、率性之謂道、又曰中者、天下之大本、和者、天下之達道、則性與道、大本與達道、豈有二乎。先生曰、中卽道也。若謂道出於中、則道在中内別爲一物矣。所謂論其所同、不容更有二名。別而言之、亦不可混爲一事、此語固無病。若謂性與道、大本與達道可混爲一、卽未安。在天曰命、在人曰性、循性曰道。性也、命也、道也、各有所當。大本言其體、達道言其用。體用自殊。安得不爲二乎。呂曰、旣云率性之謂道、則循性而行、莫非道。此非性中別有道也。中卽性也。在天爲命、在人爲性、由中而出。莫非道。所以云中者道之所由出。先生曰、中卽性也。此語極未安。中也者所以状性之體叚。若謂性有體叚、亦不可。姑假此以明彼。又曰、不偏之謂中。道無不中。故以中形道。如稱天圓地方、遂謂方圓卽天地可乎。方圓旣不可謂之天地、則萬物决非方圓之所自出。如中旣不可謂之性、則道何從稱出於中。蓋中之爲義、自過不及而立名。若只以中爲性、則中與性不合。子居對以中者性之德、却爲近之。呂曰、不倚之謂中。不雜之謂和。先生曰、不倚之謂中甚善。語猶未瑩。不雜之謂和未當。呂曰、喜怒哀樂之未發、則赤子之心當其未發、此心至虛無所偏倚。故謂之中。以此心應萬物之變、無往而非中矣。孟子曰、權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚。此心度物、所以甚於權度之審者、正以至虛無所偏倚故也。有一物存乎其閒、則輕重長短皆失中矣。又安得如權如度乎。大人不失其赤子之心。乃所謂允執厥中也。大臨始者有見於此、便指此心名爲中。故前言中者道之所由出也。今細思乃命名、未當耳。此心之状可以言中。未可便指此心名之曰中。先生曰、喜怒哀樂未發謂之中。赤子之心發而未遠乎中。若便謂之中、不識大本也。呂曰、聖人智周萬物、赤子全未有知、其心固有不同矣。然推孟子所云、豈非止取純一無僞可與聖人同乎。非謂無毫髪之異也。大臨前日所云、亦取諸此而已。此義大臨昔者旣聞先生。君子之敎反求諸己。若有所自得、參之前言往行、將無所不合。由是而之焉、似得其所安。以是自信不疑。今承敎乃云已失大本。茫然不知所向。聖人之學以中爲大本。雖堯・舜相授以天下、亦云允執其中。中者無過不及之謂也。何所準則而知過不及乎。求之此心而已。此心之動出入無時。何從而守之乎。求之於喜怒哀樂未發之際而已。當是時也、此心卽赤子之心。此心所發、純是義理。與天下之所同然、安得不和。大臨前日敢指赤子之心爲中者、其說如此。來敎云、赤子之心可謂之和。不可謂之中。大臨思之、所謂和者指已發而言之。今言赤子之心、乃論其未發之際純一無僞無所偏倚、可以言中。若謂已發、恐不可言心。先生曰、所云非謂無毫髪之異、是有異也。有異者得爲大本乎。推此一言、餘皆可見。呂曰、大臨以赤子之心爲未發。先生以赤子之心爲已發。所謂大本之實、則先生與大臨之言、未有異也。但解赤子之心一句不同耳。大臨初謂赤子之心、止取純一無僞與聖人同。恐孟子之義亦然。更不曲折一一較其同異。故指以爲言。固未嘗以已發不同處爲大本也。先生謂凡言心者皆指已發而言。然則未發之前謂之無心可乎。竊謂、未發之前、心體昭昭具在、已發乃心之用也。先生曰、所論意、雖以已發者爲未發、反求諸言、却是認已發者爲說。詞之未瑩、乃是擇之未精耳。凡言心者指已發而言、此固未當。心一也。有指體而言者。寂然不動是也。有指用而言者。感而遂通天下之故是也。惟觀其所見何如耳。大抵論愈精微、言愈易差也。伊川。
【読み】
呂與叔曰く、中は、道の由って出る所なり。程子曰く、此の語病有り。呂曰く、其の同じき所を論ずれば、更に二名有る容からず。別けて之を言えば、亦混じて一事と爲す可からず。所謂天の命之を性と謂う、性に率う之を道と謂う、又中は、天下の大本、和は、天下の達道と曰うが如くなれば、則ち性と道と、大本と達道と、豈二つ有らんや。先生曰く、中は卽ち道なり。若し道中に出づと謂えば、則ち道中の内に在りて別に一物爲り。謂う所の其の同じき所を論ずれば、更に二名有る容からず。別けて之を言えば、亦混じて一事と爲す可からずは、此の語固より病無し。若し性と道と、大本と達道とを混じて一と爲す可しと謂わば、卽ち未だ安からず。天に在りては命と曰い、人に在りては性と曰い、性に循うを道と曰う。性や、命や、道や、各々當る所有り。大本は其の體を言い、達道は其の用を言う。體用自ら殊なり。安んぞ二つと爲さざることを得んや。呂曰く、旣に性に率う之を道と謂うと云えば、則ち性に循いて行えば、道に非ざること莫し。此れ性中別に道有るに非ず。中は卽ち性なり。天に在りては命とし、人に在りては性とし、中由りして出づ。道に非ざること莫し。所以に中は道の由って出る所と云う。先生曰く、中は卽ち性なり。此の語極めて未だ安からず。中とは性の體叚を状[かたど]る所以なり。若し性に體叚有りと謂うは、亦不可なり。姑く此を假りて以て彼を明かす。又曰く、偏ならざる之を中と謂う。道中ならざること無し。故に中を以て道を形[かたど]る。天圓に地方と稱するが如き、遂に方圓は卽ち天地と謂いて可ならんや。方圓旣に之を天地と謂う可からざれば、則ち萬物决して方圓の自って出る所に非ず。如し中旣に之を性と謂う可からざれば、則ち道何に從って中に出づと稱せん。蓋し中の義爲る、過不及よりして名を立つ。若し只中を以て性と爲せば、則ち中は性と合わず。子居對うるに中は性の德を以てするは、却って之に近しとす。呂曰く、倚らざる之を中と謂う。雜らざる之を和と謂う。先生曰く、倚らざる之を中と謂うは甚だ善し。語猶未だ瑩けざるがごとし。雜らざる之を和と謂うは未だ當らず。呂曰く、喜怒哀樂の未だ發らざるは、則ち赤子の心の其の未だ發らざるに當たりて、此の心至虛にして偏倚する所無し。故に之を中と謂う。此の心を以て萬物の變に應ずれば、往くとして中に非ざること無し。孟子曰く、權あって然して後に輕重を知り、度あって然して後に長短を知る。物皆然り。心を甚だしとす、と。此の心の物を度ること、權度の審らかなるより甚だしき所以の者は、正に至虛にして偏倚する所無きを以ての故なり。一物も其の閒に存すること有れば、則ち輕重長短皆中を失う。又安んぞ權の如く度の如きことを得んや。大人は其の赤子の心を失わず。乃ち所謂允に厥の中を執るなり。大臨始めは此に見ること有りて、便ち此の心を指して名づけて中と爲す。故に前に中は道の由って出る所と言うなり。今細に思うに乃ち名を命ずること、未だ當たらざるのみ。此の心の状以て中と言う可し。未だ便ち此の心を指して之を名づけて中と曰う可からず。先生曰く、喜怒哀樂の未だ發らざる之を中と謂う。赤子の心發って未だ中に遠からず。若し便ち之を中と謂わば、大本を識らざるなり。呂曰く、聖人は智萬物に周く、赤子は全く未だ知ること有らず、其の心固より同じからざること有り。然れども孟子の云える所を推すに、豈止純一無僞の聖人と同じかる可きを取るに非ずや。毫髪の異なること無しと謂うに非ず。大臨前日の云う所も、亦諸を此に取るのみ。此の義大臨昔者旣に先生に聞く。君子の敎は諸を己に反り求む。若し自得する所有れば、之を前言往行に參[まじ]ゆるに、將に合わざる所無からんとす、と。是に由りて之けば、其の安んずる所を得るに似たり。是を以て自ら信じて疑わず。今敎を承るに乃ち已に大本を失うと云えり。茫然として向かう所を知らず。聖人の學は中を以て大本と爲す。堯・舜相授くるに天下を以てすと雖も、亦允に其の中を執れと云えり。中は過不及無きの謂なり。何の準則する所にして過不及を知らん。之を此の心に求むるのみ。此の心の動くは出入時無し。何に從って之を守らん。之を喜怒哀樂未だ發らざるの際に求むるのみ。是の時に當たってや、此の心は卽ち赤子の心なり。此の心の發る所、純ら是れ義理なり。天下の同じく然る所と、安んぞ和せざることを得ん。大臨前日敢えて赤子の心を指して中と爲す者、其の說此の如し。來敎に云う、赤子の心は之を和と謂う可し。之を中と謂う可からず、と。大臨之を思うに、所謂和は已發を指して之を言えり。今赤子の心を言うは、乃ち其の未發の際は純一無僞にして偏倚する所無きを、以て中と言う可きことを論ず。若し已發を謂わば、恐らくは心と言う可からず。先生曰く、云う所の毫髪の異なること無しと謂うに非ずとは、是れ異なること有り。異なること有る者は大本と爲ることを得んや。此の一言を推して、餘は皆見る可し。呂曰く、大臨赤子の心を以て未發と爲す。先生赤子の心を以て已發と爲す。所謂大本の實は、則ち先生と大臨が言と、未だ異なること有らず。但赤子の心を解する一句同じからざるのみ。大臨初め謂う赤子の心は、止純一無僞聖人と同じきを取る。恐らくは孟子の義も亦然らん。更に曲折に一一其の同異を較べず。故に指して以て言を爲す。固より未だ嘗て已發同じからざる處を以て大本と爲すにあらず。先生凡そ心を言う者は皆已發を指して言うと謂えり。然れば則ち未發の前之を心無しと謂いて可ならんか。竊かに謂えらく、未發の前は、心體昭昭として具に在り、已發は乃ち心の用なり。先生曰く、論ずる所の意、已發の者を以て未發と爲すと雖も、諸を言に反り求むるに、却って是れ已發の者を認めて說を爲す。詞の未だ瑩けざるは、乃ち是れ之を擇ぶこと未だ精しからざるのみ。凡そ心を言う者は已發を指して言うとは、此れ固より未だ當たらず。心は一なり。體を指して言う者有り。寂然として動かざる、是れなり。用を指して言う者有り。感じて遂に天下の故に通ず、是れなり。惟其の見る所何如と觀るのみ。大抵論愈々精微にして、言愈々差い易し。伊川。

○又曰、敬而無失、便是喜怒哀樂之未發謂之中也。敬、不可謂之中。但敬而無失、卽所以中也。蘇季明問、中之道與喜怒哀樂未發謂之中、同否。曰、非也。喜怒哀樂未發、是言在中之義。只一箇中字、但用不同。或曰、於喜怒哀樂之前求中可否。曰、不。旣思於喜怒哀樂未發之前求之、又却是思也。旣思卽是已發。思與喜怒哀樂一般。纔發便謂之和。不可謂之中也。又問、呂博士言、當求於喜怒哀樂未發之前。信斯言也、恐無著莫。如之何而可。曰、言存養於喜怒哀樂未發之時則可。若言求中於喜怒哀樂未發之前則不可。又問、學者於喜怒哀樂發時、固當勉強裁抑。於未發之前、當如何用功。曰、於喜怒哀樂未發之前、更怎生求。但平日涵養、便是。涵養久則喜怒哀樂發自中節。或曰、有未發之中、有旣發之中。曰、非也。旣發時、便是和矣。發而中節、固是得中。時中之類。只爲將中和來分說、便是和也。伊川。
【読み】
○又曰く、敬んで失うこと無き、便ち是れ喜怒哀樂の未だ發らざる之を中と謂うなり。敬むは、之を中と謂う可からず。但敬んで失うこと無きは、卽ち中なる所以なり。蘇季明問う、中の道は喜怒哀樂未だ發らざる之を中と謂うと、同じきや否や。曰く、非なり。喜怒哀樂未だ發らざる、是れ中に在るの義を言う。只一箇の中の字、但用うること同じからず。或ひと曰く、喜怒哀樂の前に於て中を求めば可ならんや否や。曰く、不。旣に喜怒哀樂未だ發らざるの前に於て之を求めんことを思わば、又却って是れ思うなり。旣に思えば卽ち是れ已發。思うと喜怒哀樂とは一般なり。纔かに發れば便ち之を和と謂う。之を中と謂う可からず。又問う、呂博士が言く、當に喜怒哀樂未だ發らざるの前に求むべし、と。斯の言を信ぜば、恐らくは著莫無からん。之を如何して可ならん。曰く、喜怒哀樂未だ發らざるの時に存養すと言わば則ち可なり。若し中を喜怒哀樂未だ發らざるの前に求むと言わば則ち不可なり。又問う、學者喜怒哀樂發る時に於て、固より當に勉強裁抑すべし。未だ發らざるの前に於て、當に如何か功を用うべき。曰く、喜怒哀樂未だ發らざるの前に於て、更に怎生して求めん。但平日涵養す、便ち是れなり。涵養久しければ則ち喜怒哀樂發りて自ら節に中る。或ひと曰く、未發の中有り、旣發の中有り。曰く、非なり。旣に發る時は、便ち是れ和なり。發りて節に中るは、固より是れ中を得。時中の類。只中和を將ち來りて分かち說くことをすれば、便ち是れ和なり。伊川。

○又問、先生說、喜怒哀樂未發謂之中、是在中之義。不識何意。曰、只喜怒哀樂不發、便是中也。曰、中莫無形體。只是箇言道之題目否。曰、非也。中有甚形體。然旣謂之中也、須有箇形象。曰、當中之時、耳無聞、目無見否。曰、雖耳無聞、目無見、然見聞之理在始得。曰、中是有時而中否。曰、何時而不中。以事言之、則有時而中、以道言之、何時而不中。曰、固是所爲皆中。然而觀於四者未發之時、靜時自有一般氣象。及至接事時又自別、何也。曰、善觀者不如此。却於喜怒哀樂已發之際觀之。賢且說、靜時如何。曰、謂之無物則不可。然自有知覺處。曰、旣有知覺、却是動也。怎生言靜。人說復其見天地之心、皆以謂、至靜能見天地之心。非也。復之卦下面一畫、便是動也。安得謂之靜。自古儒者皆言、靜見天地之心。惟頤言、動而見天地之心。或曰、莫是於動上求靜否。曰、固是。然最難云云。或曰、先生於喜怒哀樂未發之前、下動字、下靜字。曰、謂之靜則可。然靜中須有物始得。這裏便是難處。學者莫若且先理會得敬。能敬則自知此矣。或曰、敬何以用功。曰、莫若主一。季明曰、某嘗患思慮不定。或思一事未了他事如麻又生。如何。曰、不可。此不誠之本也。須是習。習專一時便好。不拘思慮與應事、皆要求一。或曰、當靜坐時、物之過乎前者還見不見。曰、看事如何。若是大事如祭祀前旒蔽明黈纊充耳、凡物之過者不見不聞也。若無事時、目須見耳須聞。或曰、當敬時雖見聞、莫過焉而不留否。曰、不。說道非禮勿視勿聽。勿者、禁止之辭。纔說弗字便不得也。或問、雜說中以赤子之心爲已發。是否。曰、已發而去道未遠也。曰、大人不失赤子之心、如何。曰、取其純一近道也。曰、赤子之心與聖人之心若何。曰、聖人之心、如鏡如止水。伊川。
【読み】
○又問う、先生說けり、喜怒哀樂未だ發らざる之を中と謂うは、是れ中に在るの義、と。識らず、何の意ぞ。曰く、只喜怒哀樂發らざるは、便ち是れ中なり。曰く、中は形體無きこと莫しや。只是箇は道の題目を言うや否や。曰く、非なり。中は甚の形體有らん。然るに旣に之を中と謂えば、須く箇の形象有るべし。曰く、中の時に當たりて、耳聞くこと無く、目見ること無きや否や。曰く、耳聞くこと無く、目見ること無きと雖も、然れども見聞の理在りて始めて得。曰く、中は是れ時として中なること有りや否や。曰く、何れの時にして中ならざらん。事を以て之を言えば、則ち時として中なること有り、道を以て之を言えば、何れの時にして中ならざらん。曰く、固より是れ爲す所皆中なり。然れども而も四つの者の未だ發らざるの時に觀るに、靜なる時自ら一般の氣象有り。事に接わる時に至るに及んで又自ら別なるは、何ぞや。曰く、善く觀る者は此の如くならず。却って喜怒哀樂已に發るの際に於て之を觀る。賢且つ說け、靜なる時如何。曰く、之を物無きと謂えば則ち不可なり。然れども自ら知覺の處有り。曰く、旣に知覺有れば、却って是れ動なり。怎生して靜と言わん。人復は其れ天地の心を見るを說いて、皆以謂えり、至靜能く天地の心を見る、と。非なり。復の卦下面の一畫は、便ち是れ動なり。安んぞ之を靜と謂うことを得ん。古より儒者皆言う、靜にして天地の心を見る、と。惟頤言う、動いて天地の心を見る、と。或ひと曰く、是れ動上に於て靜を求むること莫きや否や。曰く、固より是なり。然れども最も難し云云。或ひと曰く、先生喜怒哀樂未發の前に於て、動の字を下さんか、靜の字を下さんか。曰く、之を靜と謂えば則ち可なり。然れども靜中須らく物有りて始めて得るべし。這の裏便ち是れ難き處。學者且つ先ず敬を理會し得るに若くは莫し。能く敬しめば則ち自ら此を知る。或ひと曰く、敬は何を以て功を用いん。曰く、主一に若くは莫し。季明曰く、某嘗て思慮定まらざることを患う。或は一事を思って未だ了わらざるに他事麻の如く又生ず。如何。曰く、不可なり。此れ誠ならざるの本なり。須く是れ習うべし。習って專一なる時便ち好し。思慮と事に應ずるとに拘わらず、皆一を求めんことを要す。或ひと曰く、靜坐の時に當たって、物の前に過ぎる者還って見ゆるや見えざるや。曰く、事如何と看よ。若し是れ大事祭祀に前旒明を蔽い黈纊耳を充[ふさ]ぐが如き、凡そ物の過ぎる者見えず聞こえざるなり。若し事無き時は、目須く見ゆべく耳須く聞こゆべけん。或ひと曰く、敬む時に當たりて見聞すと雖も、過ぎて留めざること莫きや否や。曰く、不。禮に非ずんば視ること勿かれ聽くこと勿かれと說道す。勿とは、禁止の辭なり。纔かに弗の字を說けば便ち得ざるなり。或ひと問う、雜說の中に赤子の心を以て已發と爲す、と。是なりや否や。曰く、已發にして道を去ること未だ遠からざるなり。曰く、大人は赤子の心を失わずとは、如何。曰く、其の純一にして道に近きを取るなり。曰く、赤子の心と聖人の心とは若何。曰く、聖人の心は、鏡の如く止水の如し。伊川。

○又曰、性卽理也。所謂理性是也。天下之理、原其所自、未有不善。喜怒哀樂未發、何嘗不善。發而中節、卽無往而不善。發而不中節、然後爲不善。故凡言善惡、皆先善而後惡。言吉凶、皆先吉而後凶。言是非、先是而後非。伊川。
【読み】
○又曰く、性は卽ち理なり。所謂理性是れなり。天下の理、其の自る所に原づくに、未だ善ならざること有らず。喜怒哀樂未だ發らざる、何ぞ嘗て善ならざらん。發って節に中れば、卽ち往くとして善ならざること無し。發って節に中らずして、然して後に善ならずと爲す。故に凡く善惡を言うに、皆善を先にして惡を後にす。吉凶を言うに、皆吉を先にして凶を後にす。是非を言うに、是を先にして非を後にす。伊川。

○又曰、喜怒哀樂未發謂之中、只是言一箇中一作本。體。旣是喜怒哀樂未發、那裏有箇甚麼。只可謂之中。如乾體便是健、及分在諸處不可皆名健、然在其中矣。天下事事物物皆有中。發而皆中節。謂之和。非是謂之和、便不中也。言和則中在其中矣。中便是含喜怒哀樂在其中矣。伊川。
【読み】
○又曰く、喜怒哀樂未だ發らざる之を中と謂うは、只是れ一箇の中一に本に作る。の體を言う。旣に是れ喜怒哀樂未だ發らずんば、那の裏に箇の甚麼[なに]か有る。只之を中と謂う可し。乾の體は便ち是れ健、諸處に分在するに及んで皆健と名づく可からずして、然して其の中に在るが如し。天下の事事物物は皆中有り。發りて皆節に中る。之を和と謂う。是れ之を和と謂えば、便ち中ならざるに非ず。和を言えば則ち中其の中に在り。中は便ち是れ喜怒哀樂を含んで其の中に在り。伊川。

○又曰、聖人未嘗無喜也。象喜亦喜。聖人未嘗無怒也。一怒而安天下之民。聖人未嘗無哀也。哀此惸獨。聖人未嘗無懼也。臨事而懼。聖人未嘗無愛也。仁民而愛物。聖人未嘗無欲也。我欲仁斯仁至矣。但其中節、則謂之和。
【読み】
○又曰く、聖人未だ嘗て喜ぶこと無くんばあらず。象喜べば亦喜ぶ。聖人未だ嘗て怒ること無くんばあらず。一たび怒って天下の民を安んず。聖人未だ嘗て哀れむこと無くんばあらず。此の惸獨を哀れむ。聖人未だ嘗て懼るること無くんばあらず。事に臨んで懼る。聖人未だ嘗て愛すること無くんばあらず。民を仁して物を愛す。聖人未だ嘗て欲すること無くんばあらず。我仁を欲すれば斯に仁至る。但其の節に中る、則ち之を和と謂う。

○又曰、中者、天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。惟敬而無失、最盡。明道。
【読み】
○又曰く、中は、天下の大本。天地の閒は、亭亭當當、直上直下の正理なり。出づれば則ち是れならず。惟敬をして失うこと無き、最も盡くせり。明道。

○又曰、喜怒哀樂未發謂之中。中也者、言寂然不動者也。故曰天下之大本。發而皆中節謂之和。和也者、言感而遂通者也。故曰天下之達道。伊川。
【読み】
○又曰く、喜怒哀樂未だ發らざる之を中と謂う。中とは、寂然として動かざる者を言う。故に天下の大本と曰う。發りて皆節に中る之を和と謂う。和とは、感じて遂に通ずる者を言う。故に天下の達道と曰う。伊川。

○又曰、致與位字、非聖人不能言。子思特傳之耳。明道。
【読み】
○又曰く、致と位の字、聖人に非ずんば言うこと能わず。子思特之を傳うるのみ。明道。

○又曰、聖人脩己以敬、以安百姓。篤恭而天下平。唯上下一於恭敬、則天地自位、萬物自育、氣無不和。四靈何有不至。此體信達順之道、聦明睿智皆由是出。以此事天饗帝。
【読み】
○又曰く、聖人己を脩むるに敬を以てし、以て百姓を安んず。篤恭して天下平なり。唯上下恭敬に一なれば、則ち天地自ら位し、萬物自ら育われて、氣和せざること無し。四靈何ぞ至らざること有らん。此れ信を體し順を達するの道、聦明睿智皆是れ由り出づ。此を以て天に事え帝を饗す。

○游曰、極中和之理、則天地之覆載四時之化育在我而已。故曰、天地位焉萬物育焉。然則三公所以燮理陰陽者、豈有資於外哉。亦盡吾喜怒哀樂之性而已。
【読み】
○游曰く、中和の理を極むれば、則ち天地の覆載四時の化育我に在るのみ。故に曰く、天地位し萬物育わる、と。然れば則ち三公陰陽を燮理する所以の者、豈外に資ること有らんや。亦吾が喜怒哀樂の性を盡くすのみ。

○楊曰、自天命之謂性至萬物育焉、中庸一篇之體要也。
【読み】
○楊曰く、天命之謂性より萬物育焉に至るまで、中庸一篇の體要なり。

○又曰、怒者喜之反、哀者樂之反。旣發則倚於一偏而非中也。故未發謂之中。中者不偏之謂也。由中而出無人欲之私焉。發必中節矣。一不中節、則與物戾。非和也。故發而皆中節謂之和。中也者、寂然不動之時也。無物不該焉。故謂之大本。和也者、所以通天地之故。故謂之達道。中以形道之體。和以顯道之用。致中則範圍而不過。致和則曲成而不遺。故天地位焉、萬物育焉。
【読み】
○又曰く、怒は喜の反、哀は樂の反。旣に發れば則ち一偏に倚りて中に非ず。故に未だ發らざる之を中と謂う。中は偏ならざるの謂なり。中由りして出づれば人欲の私無し。發りて必ず節に中る。一つも節に中らざれば、則ち物と戾る。和に非ず。故に發りて皆節に中る之を和と謂う。中とは、寂然として動かざるの時なり。物として該ねざること無し。故に之を大本と謂う。和とは、天地の故に通ずる所以。故に之を達道と謂う。中は以て道の體を形る。和は以て道の用を顯かす。中を致むれば則ち範圍して過ぎず。和を致むれば則ち曲成して遺さず。故に天地位し、萬物育わる。

○又曰、喜怒哀樂未發謂之中。發而皆中節謂之和。學者當於喜怒哀樂未發之際以心體之、則中之義自見。執而勿失。無人欲之私焉、發必中節矣。發而中節、中固未嘗亡也。孔子之慟、孟子之喜、因其可慟可喜而已。於孔孟何有哉。其慟也、其喜也、中固自若也。鑑之茹物、因物而異形、而鑑之明未嘗異也。莊生所謂出怒不怒、則怒出於不怒、出爲無爲、則爲出於不爲、亦此意也。若聖人而無喜怒哀樂、則天下之達道廢矣。一人横行於天下、武王亦不必耻也。故於是四者、當論其中節不中節。不當論其有無也。
【読み】
○又曰く、喜怒哀樂未だ發らざる之を中と謂う。發りて皆節に中る之を和と謂う。學者當に喜怒哀樂未だ發らざるの際に於て心を以て之を體すべくんば、則ち中の義自ら見れん。執りて失うこと勿かれ。人欲の私無ければ、發りて必ず節に中る。發りて節に中れば、中固より未だ嘗て亡びず。孔子の慟、孟子の喜、其の慟す可く喜ぶ可きに因るのみ。孔孟に於て何か有らん。其の慟や、其の喜や、中固より自若たり。鑑の物を茹でる、物に因りて形を異にして、而して鑑の明未だ嘗て異ならざるなり。莊生が謂う所の怒を出して怒らざれば、則ち怒怒らざるに出づ、爲すことを出して爲すこと無ければ、則ち爲すこと爲さざるに出づとは、亦此の意なり。若し聖人にして喜怒哀樂無くんば、則ち天下の達道廢れん。一人天下に横行するも、武王亦必ずしも耻じざらん。故に是の四つの者に於て、當に其の節に中り節に中らざるを論ずべし。當に其の有無を論ずべからず。

○或問、正心誠意、如何便可以平天下。曰、後世自是無人正心。若正得心、其効自然如此。此一念之閒毫髪有差便是不正。要得常正、除非聖人始得。且如吾輩還敢便道、自己心得其正否。此須是於喜怒哀樂未發之際、能體所謂中、於喜怒哀樂已發之後、能得所謂和。致中和、則天地可位萬物可育。其於平天下何有。
【読み】
○或ひと問う、心を正しくし意を誠にし、如何して便ち以て天下を平にす可き。曰く、後世自ら是れ人の心を正しくすること無し。若し心を正しくし得ば、其の効自然に此の如くならん。此れ一念の閒毫髪の差い有れば便ち是れ正しからず。常に正しきことを得んことを要めば、除非[ただ]聖人にして始めて得。且つ吾輩の如き還って敢えて便ち道う、自己の心其の正しきことを得るや否や、と。此れ須く是れ喜怒哀樂未だ發らざるの際に於て、能く所謂中を體し、喜怒哀樂已に發るの後に於て、能く所謂和を得るべし。中和を致むれば、則ち天地位す可く萬物育わる可し。其の天下を平にするに於て何か有らん。

○侯曰、喜怒哀樂之未發謂之中、寂然不動也。發而皆中節謂之和、感而遂通天下之故也。中也、和也、非二也。於此四者已發未發之閒爾。未發之中、非時中之謂乎。中一也。未發之中、時中在其中矣。特未發爾。伊川先生曰、未發之中、在中之義是也。譬之水也、湛然澄寂謂之靜。果其所行、則謂之動。靜也、動也、中和二字譬焉、思過半矣。然則中謂之大本、和謂之達道何也。中者、理也。無物不該焉。故曰大本。由是而之焉。順此理而發。君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之交、達之天下莫不由之。以之脩身則身脩、以之齊家則家齊、以之治國則國治、以之平天下則天下平。故曰達道。致此者非聖人不能。故曰、致中和天地位焉萬物育焉。
【読み】
○侯曰く、喜怒哀樂の未だ發らざる之を中と謂うは、寂然として動かざるなり。發りて皆節に中る之を和と謂うは、感じて遂に天下の故に通ずるなり。中や、和や、二つに非ず。此の四つの者已發未發の閒に於るのみ。未發の中は、時中の謂に非ず。中は一なり。未發の中は、時中其の中に在り。特未だ發らざるのみ。伊川先生曰く、未發の中は、中に在るの義とは是れなり。之を水に譬うるに、湛然澄寂なる之を靜と謂う。果たして其の行う所は、則ち之を動と謂う。靜や、動や、中和の二字焉を譬えば、思い半ばに過ぎん。然れば則ち中之を大本と謂い、和之を達道と謂うは何ぞや。中は、理なり。物として該ねざること無し。故に大本と曰う。是に由って之く。此の理に順いて發す。君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の交わり、之を天下に達するに之に由らざること莫し。之を以て身を脩むれば則ち身脩まり、之を以て家を齊うれば則ち家齊り、之を以て國を治むれば則ち國治まり、之を以て天下を平にすれば則ち天下平なり。故に達道と曰う。此を致むる者は聖人に非ずんば能わず。故に曰く、中和を致して天地位し萬物育わる、と。

○祁寬問曰、如顏子之不遷怒、此是中節。亦只是中。何故、才發便謂之和。尹子曰、雖顏子之怒、亦是倚於怒矣。喜怒哀樂亦然。故只可謂之和。
【読み】
○祁寬問いて曰く、顏子の怒を遷さざるが如き、此れ是れ節に中る。亦只是れ中。何故ぞ、才に發れば便ち之を和と謂うとは。尹子曰く、顏子の怒と雖も、亦是れ怒に倚る。喜怒哀樂も亦然り。故に只之を和と謂う可し。

○又曰、致中和。致者、致之也。如致將去。
【読み】
○又曰く、中和を致す。致すは、之を致すなり。致し將ち去くが如し。

○呂曰、人莫不知理義之當。無過無不及之謂中、未及乎所以中也。喜怒哀樂未發之前反求吾心。果何爲乎。易曰、寂然不動、感而遂通天下之故。語曰、子絶四。毋意、毋必、毋固、毋我。孟子曰、大人者不失赤子之心。此言皆何謂也。回也其庶乎。屢空。惟空然後可以見乎中。而空非中也。必有事焉。喜怒哀樂之未發、無私意小知撓乎其閒、乃所謂空。由空然後見乎中。實則不見也。若子貢聚聞見之多、其心已實如貨殖焉、所蓄有數、所應有限。雖曰富有、亦有時而窮。故億則屢中而未皆中也。權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚、則心之度物、甚於權度之審。其應物當無毫髪之差。然人應物不中節者常多。其故何也。由不得中而執之、有私意小知撓乎其閒。故理義不當、或過或不及、猶權度之法不精、則稱量百物不能無銖兩分寸之差也。此所謂性命之理出於天道之自然、非人私知所能爲也。故推而放諸四海而準、前聖後聖若合符節。故曰、喜怒哀樂之未發謂之中。
【読み】
○呂曰く、人理義の當を知らざること莫し。過無き不及無き之を中と謂い、未だ中なる所以に及ばず。喜怒哀樂未だ發らざるの前に吾が心に反り求む。果たして何爲れぞ。易に曰く、寂然として動かざる、感じて遂に天下の故に通ず。語に曰く、子四つを絶つ。意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。孟子曰く、大人は赤子の心を失わず。此の言皆何の謂ぞや。回や其れ庶からん。屢々空し。惟空しくして然して後に以て中を見る可し。而して空は中に非ず。必ず事有り。喜怒哀樂の未だ發らざる、私意小知其の閒に撓すこと無き、乃ち所謂空なり。空に由りて然して後に中を見る。實つれば則ち見えず。子貢の若き聞見の多きを聚め、其の心已に實つること貨殖の如く、蓄える所數有り、應ずる所限り有り。富有と曰うと雖も、亦時有りて窮す。故に億れば則ち屢々中りて未だ皆中ならず。權あって然して後に輕重を知り、度あって然して後に長短を知る。物皆然り。心甚だしと爲すときは、則ち心の物を度ること、權度の審らかなるより甚だし。其の物に應ずること當に毫髪の差い無かるべし。然るに人物に應じて節に中らざる者常に多し。其の故何ぞ。中を得て之を執らず、私意小知其の閒に撓すこと有るに由る。故に理義當らず、或は過ぎ或は及ばず、猶權度の法精しからざれば、則ち百物を稱り量ること銖兩分寸の差い無きこと能わざるがごとし。此れ所謂性命の理天道の自然に出でて、人の私知能く爲す所に非ず。故に推して諸を四海に放ちて準し、前聖後聖符節を合わするが若し。故に曰く、喜怒哀樂の未だ發らざる之を中と謂う、と。


第二章

程子曰、君子之於中庸也、無適而不中、則其心與中庸無異體矣。小人之於中庸、無所忌憚、則與戒愼恐懼者異矣。是其所以反中庸也。伊川。
【読み】
程子曰く、君子の中庸に於るや、適くとして中ならざること無ければ、則ち其の心と中庸と體を異にすること無し。小人の中庸に於る、忌憚する所無ければ、則ち戒愼恐懼する者と異なり。是れ其の中庸に反く所以なり。伊川。

○又曰、小人之中庸、小人而無忌憚也。小人更有甚中庸。脱一反字。小人不主於義理、則無忌憚。無忌憚、所以反中庸也。亦有其心畏謹而不中、亦是反中庸。語惡有淺深則可。謂之中庸則不可。伊川。
【読み】
○又曰く、小人の中庸は、小人にして忌憚すること無し。小人更に甚の中庸有らん。一つの反の字を脱す。小人は義理を主とせざれば、則ち忌憚すること無し。忌憚すること無きは、中庸に反く所以なり。亦其の心畏謹して中ならざること有るも、亦是れ中庸に反く。惡に淺深有りと語れば則ち可なり。之を中庸と謂えば則ち不可なり。伊川。

○又曰、且喚做中、若以四方之中爲中、則四邊無中乎。若以中外之中爲中、則外面無中乎。如生生之謂易、天地設位而易行乎其中、豈可只以今之易書爲易乎。中者且謂之中、不可捉一箇中來爲中。明道。
【読み】
○又曰く、且く中と喚び做すに、若し四方の中を以て中とすれば、則ち四邊中無からん。若し中外の中を以て中とすれば、則ち外面中無からん。生生之を易と謂い、天地位を設けて易其の中に行わるが如き、豈只今の易書を以て易と爲す可けん。中は且く之を中と謂い、一箇の中を捉り來て中と爲す可からず。明道。

○又曰、欲知中庸無如權。須是時而爲中。若以手足胼胝、閉戶不出二者之閒取中、便不是中。若當手足胼胝、則於此爲中、當閉戶不出、則於此爲中。權之爲言、秤錘之義也。何物爲權。義也。然此只是說得到義。義以上更難說。在人自看如何。伊川。
【読み】
○又曰く、中庸を知らんと欲せば權に如くは無し。須く是れ時にして中することを爲すべし。若し手足胼胝、戶を閉じて二つの者の閒を出でざるを以て中を取らば、便ち是れ中にあらず。若し手足胼胝に當たれば、則ち此に於て中と爲し、戶を閉じて出でざるに當たれば、則ち此に於て中と爲す。權の言爲る、秤錘の義なり。何物を權と爲す。義なり。然れども此れ只是れ說き得て義に到る。義以上は更に說き難し。人自ら如何と看るに在り。伊川。

○蘇季明問、君子時中、莫是隨時否。曰、是也。中字最難識。須是默識心通。且試言一廳、則中央爲中。一家、則廳中非中而堂爲中。言一國、則堂非中而國之中爲中。推此類可見矣。且如初寒時則薄裘爲中。如在盛寒而用初寒之裘則非中也。更如三過其門不入、在禹・稷之世爲中。若居陋巷則不中矣。居陋巷、在顏子之時爲中。若三過其門不入則非中也。或曰、男女不授受之類皆然。曰、是也。男女不授受、中也。在喪祭則不如此矣。伊川。
【読み】
○蘇季明問う、君子時に中すとは、是れ時に隨うこと莫きや否や。曰く、是なり。中の字最も識り難し。須く是れ默識心通すべし。且つ試みに一廳を言えば、則ち中央を中と爲す。一家は、則ち廳中は中に非ずして堂を中と爲す。一國を言えば、則ち堂は中に非ずして國の中を中と爲す。此の類を推して見る可し。且つ初寒の時の如きは則ち薄裘を中と爲す。如し盛寒に在って初寒の裘を用いば則ち中に非ず。更に三たび其の門を過ぎて入らざるが如き、禹・稷の世に在っては中と爲す。陋巷に居るが若きは則ち中ならず。陋巷に居るは、顏子の時に在っては中と爲す。三たび其の門を過ぎて入らざるが若きは則ち中に非ず。或ひと曰く、男女授受せざるの類皆然りや。曰く、是なり。男女授受せざるは、中なり。喪祭に在っては則ち此の如くならず。伊川。

○又曰、楊子拔一毛不爲。墨子又摩頂放踵爲之。此皆是不得中。至於子莫執中、又欲執此二者之中。不知怎生執得。識得則事事物物上皆天然有箇中在那上。不待人安排也。安排著則不中矣。伊川。
【読み】
○又曰く、楊子は一毛を拔くをも爲さず。墨子は又頂を摩して踵に放るまで之を爲す。此れ皆是れ中を得ず。子莫中を執るに至っては、又此の二つの者の中を執らんと欲す。知らず、怎生ぞ執り得ん。識り得れば則ち事事物物の上皆天然に箇の中に有り那の上に在る。人の安排するを待たざるなり。安排し著ければ則ち中ならず。伊川。

○又曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、此皆時也。未嘗不合中。故曰、君子而時中。伊川。
【読み】
○又曰く、以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て久しかる可きときは則ち久しく、以て速やかなる可きときは則ち速やかなるは、此れ皆時なり。未だ嘗て中に合わずんばあらず。故に曰く、君子にして時に中す、と。伊川。

○又曰、萬物無一物失所、便是天理時中。
【読み】
○又曰く、萬物一物として所を失うこと無き、便ち是れ天理時に中す。

○張子曰、時中之義甚大。須精義入神始得。觀其會通以行其典禮、此方眞是義理也。行其典禮而不達會通、則有非時中者矣。君子要多識前言往行以畜其德者、以其看前言往行熟、則自能見得時中。
【読み】
○張子曰く、時に中するの義甚だ大なり。須く義を精しくし神に入りて始めて得るべし。其の會通を觀て以て其の典禮を行うは、此れ方に眞に是れ義理なり。其の典禮を行って會通に達せざれば、則ち時に中するに非ざる者有り。君子多く前言往行を識って以て其の德を畜えんと要する者は、其の前言往行を看て熟すれば、則ち自ら能く時に中することを見得るを以てなり。

○呂曰、君子蹈乎中庸。小人反乎中庸者也。君子之中庸也、有君子之心、又達乎時中。小人之中庸也、有小人之心、反乎中庸。無所忌憚而自謂之時中也。時中者、當其可之謂也。時止則止、時行則行、當其可也。可以仕則仕、可以止則止、可以速則速、可以久則久、當其可也。曾子・子思易地則皆然。禹・稷・顏回同道、當其可也。舜不告而娶、周公殺管蔡、孔子以微罪行、當其可也。小人見君子之時中唯變所適、而不知當其可、而欲肆其姦心濟其私欲。或言不必信、行不必果、則曰、唯義所在而已。然實未嘗知義之所在。有臨喪而歌。人或非之則曰、是惡知禮意。然實未嘗知乎禮意。猖狂妄行、不謹先王之法、以欺惑流俗。此小人之亂德。先王之所以必誅而不以聽者也。
【読み】
○呂曰く、君子は中庸を蹈む。小人は中庸に反く者なり。君子の中庸や、君子の心有りて、又時に中するに達す。小人の中庸や、小人の心有りて、中庸に反く。忌憚する所無くして自ら之を時に中すと謂うなり。時に中すとは、其の可に當たるの謂なり。時止むときは則ち止み、時行くときは則ち行くは、其の可に當たるなり。以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て速やかなる可きときは則ち速やかに、以て久しかる可きときは則ち久しきは、其の可に當たるなり。曾子・子思地を易えば則ち皆然らん。禹・稷・顏回道を同じくするは、其の可に當たるなり。舜告げずして娶り、周公管蔡を殺し、孔子微罪を以て行[さ]るは、其の可に當たるなり。小人君子の時に中し唯變の適く所なるを見て、其の可に當たることを知らずして、其の姦心を肆にし其の私欲を濟さんと欲す。或は言信を必とせず、行果を必とせず、則ち曰う、唯義の在る所なるのみ、と。然れども實は未だ嘗て義の在る所を知らず。喪に臨んで歌うこと有り。人或は之を非れば則ち曰う、是れ惡んぞ禮の意を知らん、と。然れども實は未だ嘗て禮の意を知らず。猖狂妄行し、先王の法を謹まずして、以て流俗を欺惑す。此れ小人の德を亂る。先王の必ず誅して以て聽[ゆる]さざる所以の者なり。

○又曰、執中無權、雖君子之所惡、苟無忌憚、則不若無權之爲愈。
【読み】
○又曰く、中を執りて權無きは、君子の惡む所と雖も、苟も忌憚すること無きは、則ち權無きの愈れりとするに若かず。

○游曰、道之體無偏、而其用則通而不窮。無偏中也。不窮庸也。以性情言之則爲中和、以德行言之則爲中庸、其實一道也。君子者道中庸之實也。小人則竊中庸之名而實背之。是中庸之賊也。故曰、反中庸。
【読み】
○游曰く、道の體は偏なること無くして、其の用は則ち通じて窮まらず。偏なること無きは中なり。窮まらざるは庸なり。性情を以て之を言えば則ち中和とし、德行を以て之を言えば則ち中庸とし、其の實は一道なり。君子は中庸の實に道[よ]る。小人は則ち中庸の名を竊んで實は之に背く。是れ中庸の賊なり。故に曰く、中庸に反く、と。

○或問、有謂中所以立常、權所以盡變、不知權則不足以應物、知權則中有時乎不必用矣。是否。楊曰、知中則知權。不知權則是不知中也。如一尺之物、約五寸而執之中也。一尺而厚薄小大之體殊、則所執者輕重不等矣。猶執五寸以爲中是無權也。蓋五寸之執、長短多寡之中、而非厚薄小大之中也。欲求厚薄小大之中、則釋五寸之約、唯輕重之知、而其中得矣。故權以中行、中因權立。中庸之書不言權、其曰君子而時中、蓋所以爲權也。
【読み】
○或ひと問う、中は常を立つる所以、權は變を盡くす所以、權を知らざれば則ち以て物に應ずるに足らず、權を知れば則ち中時として必ずしも用いざること有りと謂えること有り。是なりや否や。楊曰く、中を知れば則ち權を知る。權を知らざれば則ち是れ中を知らず。一尺の物、五寸を約して之が中を執るが如し。一尺にして厚薄小大の體殊なれば、則ち執る所の者輕重等しからず。猶五寸を執りて以て中と爲すは是れ權無し。蓋し五寸の執は、長短多寡の中にして、厚薄小大の中に非ず。厚薄小大の中を求めんと欲せば、則ち五寸の約を釋いて、唯輕重を知って、其の中得るなり。故に權は中を以て行われ、中は權に因って立つ。中庸の書は權を言わず、其の君子にして時に中すと曰うは、蓋し權爲る所以なり。

○又曰、中者、豈執一之謂哉。亦貴乎時中也。時中者當其可之謂也。堯授舜、舜授禹。受之而不爲泰。湯放桀、武王伐紂。取之而不爲貪。伊尹放太甲。君子不以爲簒。周公誅管蔡。天下不以爲逆。以其事觀之、豈不異哉。聖人安行而不疑者、蓋當其可也。後世聖學不明、昧執中之權、而不通時措之宜。故徇名失實、流而爲之噲之讓、白公之爭、自取絶滅者有之矣。至或臨之以兵而爲忠、小不忍而爲仁、皆失是也。
【読み】
○又曰く、中は、豈一を執るの謂ならんや。亦時に中するを貴ぶなり。時に中すとは其の可に當たるの謂なり。堯舜に授け、舜禹に授く。之を受けて泰[おご]れりと爲さず。湯桀を放ち、武王紂を伐つ。之を取って貪ぼれりと爲さず。伊尹太甲を放つ。君子以て簒と爲さず。周公の管蔡を誅せる。天下以て逆と爲さず。其の事を以て之を觀れば、豈異ならざらんや。聖人安んじ行いて疑わざる者は、蓋し其の可に當たればなり。後世聖學明ならず、中を執るの權に昧くして、時に措くの宜に通ぜず。故に名に徇い實を失い、流れて之噲の讓り、白公の爭いと爲り、自ら絶滅を取る者之れ有り。或は之に臨むに兵を以てして忠と爲し、小忍びずして仁と爲すに至るは、皆是を失すればなり。


第三章

程子曰、中庸天下之至理、德合中庸。可謂至矣。自世敎衰、民不興於行、鮮有中庸之德也。說、民鮮能久行其道也。
【読み】
程子曰く、中庸は天下の至理、德中庸に合う。至れりと謂う可し。世敎衰えてより、民行を興さず、中庸の德有ること鮮し。說に、民能く久しく其の道を行うこと鮮し、と。

○呂曰、中庸者、天下之所共知、天下之所共行、猶寒而衣、飢而食、渴而飮。不可須臾離也。衆人之情厭常而喜新、質薄而氣弱。雖知不可離、而亦不能久也。惟君子之學、自明而誠、明而未至乎誠、雖心悦而不去、然知不可不思、行不可不勉。在思勉之分、而氣不能無衰、志不能無懈。故有日月至焉者、有三月不違者。皆德之不可久者也。若至乎誠、則不思不勉、至于常久而不息。非聖人其孰能之。
【読み】
○呂曰く、中庸は、天下の共に知る所、天下の共に行う所、猶寒くして衣し、飢えて食い、渴して飮むがごとし。須臾も離る可からざるなり。衆人の情常を厭うて新しきを喜び、質薄くして氣弱し。離る可からざることを知ると雖も、而れども亦久しきこと能わず。惟君子の學は、明なるよりして誠あり、明にして誠なるに至らざれば、心悦びて去らずと雖も、然れども知思わずんばある可からず、行勉めずんばある可からず。思勉の分に在りて、氣衰うこと無きこと能わず、志懈ること無きこと能わず。故に日々月々に至る者有り、三月違らざる者有り。皆德の久しかる可からざる者なり。若し誠なるに至れば、則ち思わず勉めず、常久にして息まざるに至る。聖人に非ずんば其れ孰か之を能くせん。

○謝曰、中不可過。是以謂之至德。過可爲也。中不可爲。是以民鮮能久矣。
【読み】
○謝曰く、中は過ぐ可からず。是を以て之を至德と謂う。過ぐるは爲す可し。中は爲す可からず。是を以て民能くすること鮮きこと久し。

○楊曰、道止於中而已。過之則爲過、未至則爲不及。故惟中庸爲至。
【読み】
○楊曰く、道は中に止まるのみ。之を過ぐれば則ち過と爲り、未だ至らざれば則ち不及と爲る。故に惟中庸を至れりと爲す。


第四章
第五章

程子曰、知者過之。若是聖人之知、豈更有過。伊川。
【読み】
程子曰く、知者は之に過ぐ。若し是れ聖人の知は、豈更に過ぐこと有らんや。伊川。

○又曰、聖人與理爲一。故無過無不及。中而已矣。其他皆以心處這箇道理。故賢者常失之過、不肖者常失之不及。
【読み】
○又曰く、聖人は理と一爲り。故に過無く不及無し。中なるのみ。其の他は皆心を以て這箇の道理を處く。故に賢者は常に之を過に失し、不肖者は常に之を不及に失す。

○呂曰、諸子百家異端殊枝、其設心非欲理義之不當。然卒不可以入堯・舜之道者、所知有過不及之害也。疏明曠達、以中爲不足守、出於天地範圍之中、淪於虛無寂寞之境、窮髙極深。要之無所用於世。此過之之害也。蔽蒙固滯、不知所以爲中。泥於形名度數之末節、徇於耳目聞見之所及、不能體天地之化、達君子之時中。此不及之害也。二者所知、一過一不及。天下欲蹈乎中庸而無所歸。此道之所以不行也。賢者常處其厚、不肖者常處其薄。曾子執親之喪、水漿不入口者七日。髙柴流血三年、未嘗見齒。雖本於厚、而滅性傷生、無義以節之者也。宰予以三年之喪爲已久、食稲、衣錦而自以爲安。墨子之治喪也、以薄爲其道。旣本於薄、又徇生逐末、不勉於恩以厚之也。二者所行、一過一不及。天下欲擇乎中庸而不得。此道之所以不明也。知之不中、習矣而不察者也。行之不中、行之而不著者也。是知飮食而不知味者也。
【読み】
○呂曰く、諸子百家は端を異にし枝を殊にして、其の心を設くるは理義の當らざることを欲するに非ず。然れども卒に以て堯・舜の道に入る可からざる者は、知る所過不及の害有ればなり。疏明曠達にして、中を以て守るに足らずと爲し、天地範圍の中を出でて、虛無寂寞の境に淪[しず]み、髙きを窮め深きを極む。之を要するに世に用うる所無し。此れ之に過ぐるの害なり。蔽蒙固滯して、中爲る所以を知らず。形名度數の末節に泥み、耳目聞見の及ぶ所に徇い、天地の化に體し、君子の時中に達すること能わず。此れ及ばざるの害なり。二つの者の知る所、一つは過ぎ一つは及ばず。天下中庸を蹈まんと欲して歸する所無し。此れ道の行われざる所以なり。賢者は常に其の厚きに處り、不肖者は常に其の薄きに處る。曾子親の喪を執れる、水漿口に入らざる者七日。髙柴流血三年、未だ嘗て齒を見さず。厚きに本づくと雖も、而れども性を滅し生を傷い、義以て之を節する者無し。宰予三年の喪を以て已に久しと爲し、稲を食い、錦を衣て自ら以て安しと爲す。墨子が喪を治むるや、薄きを以て其の道と爲す。旣に薄きに本づき、又生に徇い末を逐って、恩以て之を厚くすることを勉めず。二つの者の行う所、一つは過ぎ一つは及ばず。天下中庸を擇ばんと欲して得ず。此れ道の明らかならざる所以なり。知の中ならざるは、習って察せざる者なり。行うことの中ならざるは、之を行って著しからざる者なり。是れ飮食するを知って味を知らざる者なり。

○楊曰、極髙明而不知中庸之爲至、則道不行。智者過之也。尊德性而已不道問學、則道不明。賢者過之也。夫道不爲堯・桀而存亡。雖不行不明於天下、常自若也。人日用而不知耳。猶之莫不飮食而鮮知味也。
【読み】
○楊曰く、髙明を極めて中庸の至れりと爲すことを知らざれば、則ち道行われず。智者は之に過ぎる。德性を尊ぶのみにして問學に道らざれば、則ち道明らかならず。賢者は之に過ぎる。夫れ道は堯・桀の爲にして存亡せず。行われず天下に明らかならずと雖も、常に自若たり。人日々に用いて知らざるのみ。猶之れ飮食せざること莫くして味を知ること鮮きがごとし。

○又曰、若佛氏之寂滅、莊生之荒唐、絶類離倫、不足以經世。道之所以不行也。此智者過之也。若楊氏之爲我、墨氏之兼愛、過乎仁義者也。而卒至于塞路。道之所以不明也。此賢者過之也。自知賢愚不肖言之、則賢知宜愈矣。至其妨於道、則過猶不及也。
【読み】
○又曰く、佛氏の寂滅、莊生の荒唐の若き、類を絶ち倫を離れて、以て世を經むるに足らず。道の行われざる所以なり。此れ智者は之に過ぎるなり。楊氏の爲我、墨氏の兼愛の若き、仁義に過ぎる者なり。而して卒に路を塞ぐに至る。道の明らかならざる所以なり。此れ賢者は之に過ぎるなり。知賢愚不肖より之を言えば、則ち賢知は宜しく愈るべし。其の道を妨ぐるに至っては、則ち過ぎたるは猶及ばざるがごとし。

○又曰、聖人人倫之至也。豈有異於人乎哉。堯・舜之道曰、孝弟。不過行止疾徐之閒而已。皆人所日用、而昧者不知也。夏葛而冬裘、渴飮而飢食、日出而作、晦而息。無非道者。譬之莫不飮食而知味者鮮矣。
【読み】
○又曰く、聖人は人倫の至りなり。豈人に異なること有らんや。堯・舜の道は曰く、孝弟、と。行止疾徐の閒に過ぎざるのみ。皆人日々に用うる所にして、昧き者は知らざるなり。夏は葛して冬は裘し、渴して飮みて飢えて食い、日出でて作き、晦んで息う。道に非ざる者無し。之を飮食せざること莫くして味を知る者鮮きに譬うなり。

○呂曰、此章言失中之害。必知所以然然後道行。必可常行然後道明。知之過無徵而不適用、不及則卑陋不足爲。是取不行之道也。行之過不與衆共、不及則無以異於衆。是不明之因也。行之不著、習矣不察。是皆飮食而不知味者。如此而望道之行、難矣夫。
【読み】
○呂曰く、此の章中を失うの害を言う。必ず然る所以を知って然して後に道行わる。必ず常に行う可くして然して後に道明らかなり。知ることの過ぎるは徵無くして用に適わず、及ばざるは則ち卑陋にして爲すに足らず。是れ行われざることを取るの道なり。行うことの過ぎるは衆と共にせず、及ばざるは則ち以て衆に異なること無し。是れ明らかならざるの因なり。之を行って著しからず、習って察せず。是れ皆飮食して味を知らざる者なり。此の如くにして道の行われんことを望むこと、難いかな。

○游曰、知出於知性、然後可與有行。知者過之、非知性也。故知之過而行之不至也。己則不行、其能行於天下乎。若於鄒衍之談天、公孫龍之詭辨、是知之過也。愚者又不足以與此。此道之所以不行也。行出於循理、然後可與有明。賢者過之、非循理也。故行之過而知之不至也。己則不知、其能明於天下乎。若楊氏爲我、墨氏兼愛、是行之過也。不肖者又不足以與此。此道之所以不明也。道不違物、存乎人者日用而不知耳。故以飮食況之。飮食而知味、非自外得也。亦反諸身以自得之而已。夫行道必自致知始。使知道如知味、是道其憂不行乎。今也鮮能知味。此道之所以不行也。
【読み】
○游曰く、知性を知るに出でて、然して後に與に行うこと有る可し。知者は之に過ぎるは、性を知るに非ず。故に知ることの過ぎて行うことの至らざるなり。己則ち行わず、其れ能く天下に行わんや。鄒衍の談天、公孫龍の詭辨の若き、是れ知の過ぎるなり。愚者は又以て此に與るに足らず。此れ道の行われざる所以なり。行理に循うに出でて、然して後に與に明らかなること有る可し。賢者は之に過ぎるは、理に循うに非ず。故に行うことの過ぎて知ることの至らざるなり。己則ち知らず、其れ能く天下に明らかならんや。楊氏が爲我、墨氏が兼愛の若き、是れ行うことの過ぎるなり。不肖者は又以て此に與るに足らず。此れ道の明らかならざる所以なり。道は物に違わず、人に存する者の日々に用いて知らざるのみ。故に飮食を以て之に況[たと]う。飮食して味を知るは、外より得るに非ず。亦諸を身に反して以て自ら之を得るのみ。夫れ道を行うは必ず知を致すより始まる。道を知ることをして味を知るが如くならしめば、是の道其れ行われざることを憂えんや。今や能く味を知ること鮮し。此れ道の行われざる所以なり。


第六章

張子謂范巽之曰、今人所以不及古人之因、此非難悟。設此語者、蓋欲學者存意之不忘、庶游心寖熟、有一日脱然如大寢之得醒耳。舜之心未嘗去道。故好察邇言。昧者日用不知。口誦聖言而不知察。況邇言一釋、則弃猶草芥之不足珍也。試更思此說、推舜與昧者之分、寢與醒之所以異、無忽鄙言之邇也。
【読み】
張子范巽之に謂って曰く、今人の古人に及ばざる所以の因は、此れ悟り難きに非ず。此の語を設ける者は、蓋し學者意を存することの忘れざらんことを欲し、庶わくは心を游ばすこと寖[ことごと]く熟し、一日脱然として大寢の醒めることを得るが如きこと有らんのみ。舜の心未だ嘗て道を去らず。故に好んで邇言を察せり。昧者は日々に用いて知らず。口に聖言を誦して察することを知らず。況や邇言一たび釋れば、則ち弃[す]つること猶草芥の珍とするに足らざるがごとし。試みに更に此の說を思い、舜と昧者との分、寢ると醒めるとの異なる所以を推して、鄙言の邇きを忽せにすること無かれ。

○又曰、只是要博學。學愈博則義愈精微。舜好問、好察邇言、皆所以盡精微也。
【読み】
○又曰く、只是れ博く學ぶことを要す。學愈々博ければ則ち義愈々精微なり。舜好んで問い、好んで邇言を察せるは、皆精微を盡くす所以なり。

○呂曰、舜之知所以爲大者、樂取諸人以爲善而已。好問而好察邇言、隱惡而揚善、皆樂取諸人者也。兩端、過與不及也。執其兩端、乃所以用其時中、猶持權衡而稱物輕重皆得其平。故舜之所以爲舜、取諸人用諸民、皆以能執兩端而不失中也。
【読み】
○呂曰く、舜の知の大と爲す所以の者は、諸を人に取って以て善を爲すことを樂しめるのみ。好んで問いて好んで邇言を察し、惡を隱して善を揚ぐるは、皆諸を人に取ることを樂しめる者なり。兩端は、過と不及なり。其の兩端を執るは、乃ち其の時中を用いる所以、猶權衡を持って物の輕重を稱るに皆其の平を得るがごとし。故に舜の舜爲る所以は、諸を人に取り諸を民に用うるに、皆能く兩端を執って中を失わざるを以てなり。

○一本云、好問則無知愚、無賢不肖、無貴賤、無長幼、皆在所問。好察邇言者、流俗之諺、野人之語、皆在所察。廣問合乎衆議者也。邇言出於無心者也。雖未盡合乎理義、而理義存焉。其惡者隱而不取、其善者擧而從之。此與人同之道也。
【読み】
○一本に云う、好んで問えば則ち知愚と無く、賢不肖と無く、貴賤と無く、長幼と無く、皆問う所に在り。好んで邇言を察するは、流俗の諺、野人の語、皆察する所に在り。廣問は衆議に合う者なり。邇言は無心に出づる者なり。未だ盡く理義に合わずと雖も、理義存す。其の惡き者は隱して取らず、其の善き者は擧げて之に從う。此れ人と同じくするの道なり。

○楊曰、道之不行、知者過之也。故以舜大知之事明之。舜好問而好察邇言、取諸人以爲善也。隱惡而揚善、與人爲善。取諸人以爲善、人必以善告之。與人爲善、人必以善歸之。皆非小智自私之所能爲也。執其兩端、所以權輕重而取中也。由是而用於民、雖愚者可及矣。此舜所以爲大知、而道之所以行也。
【読み】
○楊曰く、道の行われざる、知者は之に過ぐ。故に舜の大知の事を以て之を明かす。舜好んで問いて好んで邇言を察するは、諸を人に取って以て善をするなり。惡を隱して善を揚ぐるは、人と善をするなり。諸を人に取って以て善をすれば、人必ず善を以て之に告ぐ。人と善をすれば、人必ず善を以て之に歸す。皆小智自私の能く爲す所に非ず。其の兩端を執るは、輕重を權って中を取る所以なり。是に由って民に用いば、愚者と雖も及ぶ可し。此れ舜の大知爲る所以にして、道の行わる所以なり。


第七章

楊曰、擇乎中庸而不能朞月守、非所謂知而不去者、則其爲知也、乃所以爲愚者之不及也。
【読み】
楊曰く、中庸を擇んで朞月も守ること能わざるは、所謂知って去らざる者に非ざれば、則ち其の知と爲すや、乃ち愚者の及ばずと爲す所以なり。


第八章

程子曰、顏子擇中庸、得善則拳拳。中庸如何擇。如博學之、又審問之、又謹思之、又明辨之、所以能擇中庸也。雖然學問思辨亦何所據。乃識中庸、此則存乎致知。致知者此則在學者自加功也。大凡於道、擇之則在乎智、守之則在乎仁、斷之則在乎勇。人之於道、則患在不能擇、不能守、不能斷。伊川。
【読み】
程子曰く、顏子中庸を擇び、善を得れば則ち拳拳たり。中庸如何か擇ぶ。博く之を學び、又審らかに之を問い、又謹んで之を思い、又明らかに之を辨うるが如き、能く中庸を擇ぶ所以なり。然りと雖も學問思辨亦何の據る所ぞ。乃ち中庸を識るは、此れ則ち致知に存す。致知は此れ則ち學者自ら功を加うるに在り。大凡道に於て、之を擇ぶは則ち智に在り、之を守るは則ち仁に在り、之を斷ずるは則ち勇に在り。人の道に於るは、則ち患え擇ぶこと能わず、守ること能わず、斷ずること能わざるに在り。伊川。

○張子曰、知德以大中爲極、可謂知至矣。擇中庸而固執之、乃至之之漸也。惟知學然後能勉。能勉然後日進無疆而不息可期矣。
【読み】
○張子曰く、知德大中を以て極と爲すを、知至れりと謂う可し。中庸を擇んで固く之を執るは、乃ち之に至るの漸なり。惟學ぶことを知って然して後に能く勉む。能く勉めて然して後に日々に進むこと疆り無くして息まざることを期す可し。

○又曰、君子莊敬日強。始則須拳拳服膺出於牽勉。至於中禮却從容。如此方是爲己之學。
【読み】
○又曰く、君子莊敬にして日々に強む。始めは則ち須く拳拳服膺して牽勉に出づべし。禮に中るに至りて却って從容たり。此の如くにして方に是れ己が爲にするの學なり。

○呂曰、自人皆曰予知以下。中庸之可守、人莫不知之。鮮能蹈之。烏在其爲知也歟。惟顏子擇中庸而能守之。此所以爲顏子也。衆人之不能朞月守、聞見之知、非心知也。顏子服膺而弗失、心知而已。此所以與衆人異。
【読み】
○呂曰く、人皆曰予知より以下。中庸の守る可き、人之を知らざること莫し。能く之を蹈むこと鮮し。烏んぞ其の知と爲すに在らんや。惟顏子中庸を擇んで能く之を守る。此れ顏子爲る所以なり。衆人の朞月も守ること能わざるは、聞見の知にて、心知に非ず。顏子服膺して失わざるは、心知なるのみ。此れ衆人と異なる所以なり。

○一本云、擇乎中庸可守而不能久、知及之而仁不能守之者也。知及之、仁不能守之、自謂之知、安在其爲知也歟。雖得之必失之。故君子之學、自明而誠。明則能擇。誠則能守。能擇、知也。能守、仁也。如顏子者、可謂能擇而能守也。髙明不可窮、博厚不可極、則中道不可識。故仰之彌髙、鑽之彌堅、瞻之在前、忽然在後、察其志也、非見聖人之卓、不足謂之中。隨其所至、盡其所得、據而守之、則拳拳服膺而不敢失、勉而進之、則旣竭吾才而不敢緩。此所以恍惚前後而不可爲像、求見聖人之止、欲罷而不能也。一宮之中、則庭爲之中矣。指宮而求之一國、則宮或非其中、指國而求之九州、則國或非其中。故極其大則中可求、止其中則大可有。此顏子之志乎。
【読み】
○一本に云う、中庸を擇んで守る可くして久しきこと能わざるは、知之に及んで仁之を守ること能わざる者なり。知之に及び、仁之を守ること能わずして、自ら之を知と謂うは、安んぞ其の知と爲すに在らんや。之を得ると雖も必ず之を失う。故に君子の學は、明らかなるによりて誠なり。明らかなれば則ち能く擇ぶ。誠なれば則ち能く守る。能く擇ぶは、知なり。能く守るは、仁なり。顏子の如きは、能く擇んで能く守ると謂う可し。髙明窮む可からず、博厚極む可からざれば、則ち中の道識る可からず。故に之を仰げば彌々髙く、之を鑽れば彌々堅く、之を瞻るに前に在れば、忽然として後に在り、其の志を察するにや、聖人の卓を見るに非ずんば、之を中と謂うに足らず。其の至る所に隨い、其の得る所を盡くし、據って之を守れば、則ち拳拳服膺して敢えて失わず、勉めて之を進むれば、則ち旣に吾が才を竭くして敢えて緩くせず。此れ恍惚前後して像を爲す可からず、聖人の止まりを見んと求め、罷めんと欲して能わざる所以なり。一宮の中は、則ち庭之を中と爲す。宮を指して之を一國に求むれば、則ち宮或は其の中に非ず、國を指して之を九州に求むれば、則ち國或は其の中に非ず。故の其の大を極むれば則ち中求む可く、其の中に止むれば則ち大有つ可し。此れ顏子の志か。

○游曰、道之不行、知者過之。如舜之知、則道之所以行也。道之不明、賢者過之。如回之賢、則道之所以明也。
【読み】
○游曰く、道の行われざる、知者は之に過ぐ。舜の知の如きは、則ち道の行わる所以なり。道の明らかならざる、賢者は之に過ぐ。回の賢の如きは、則ち道の明らかなる所以なり。

○又曰、擇乎中庸、見善明也。得一善則服膺不失。用心剛也。
【読み】
○又曰く、中庸を擇べば、善を見ること明らかなり。一善を得れば則ち服膺して失わず。心を用うること剛し。

○楊曰、道之不明、賢者過之也。故又以回之事明之。夫得一善、拳拳服膺而弗失、此賢者所以不過也。回之言曰、舜何人也、予何人也。有爲者亦若是。用此道也。故繼舜言之。
【読み】
○楊曰く、道の明らかならざる、賢者は之に過ぐ。故に又回の事を以て之を明かす。夫れ一善を得て、拳拳服膺して失わざるは、此れ賢者の過ぎざる所以なり。回の言に曰く、舜何人ぞ、予何人ぞ。すること有る者は亦是の若し、と。此の道を用ゆ。故に舜に繼いで之を言えり。


第九章

程子曰、克己最難。故曰、中庸不可能也。明道。
【読み】
程子曰く、克己最も難し。故に曰く、中庸は能くす可からず、と。明道。

○呂曰、此章言中庸之難也。均之爲言、平治也。周官冢宰均邦國、平治之謂也。平治乎天下國家、智者之所能也。遜千乘之國、辭萬鐘之祿、廉者之所能也。犯難致命、死而無悔、勇者之所能也。三者世之所難也。然有志者率皆能之。中庸者、世之所謂易也。然非聖人其孰能之。唯其以爲易。故以爲不足學而不察、以爲不足行而不守。此道之所以不行也。
【読み】
○呂曰く、此の章中庸の難きことを言えり。均の言爲るは、平治なり。周官の冢宰に邦國を均しくすとは、平治の謂なり。天下國家を平治するは、智者の能くする所なり。千乘の國を遜り、萬鐘の祿を辭するは、廉者の能くする所なり。難を犯し命を致し、死して悔ゆること無きは、勇者の能くする所なり。三つの者は世の難ずる所なり。然れども志有る者は率ね皆之を能くす。中庸は、世の所謂易きなり。然れども聖人に非ずんば其れ孰か之を能くせん。唯其れ以て易しとす。故に以て學ぶに足らずとして察せず、以て行うに足らずとして守らず。此れ道の行われざる所以なり。


第十章

程子曰、南方人柔弱。所謂強者、是理義之強。故君子居之。北方人強悍。所謂強者、是血氣之強。故小人居之。凡人血氣須要以理義勝之。伊川。
【読み】
程子曰く、南方の人は柔弱なり。謂う所の強は、是れ理義の強。故に君子之に居る。北方の人は強悍なり。謂う所の強は、是れ血氣の強。故に小人之に居る。凡その人の血氣は須く理義を以て之に勝たんことを要す。伊川。

○呂曰、此章言強之中也。南方之強、不及乎強者也。北方之強、過乎強者也。而強者、汝之所當強者也。南方、中國、北方、狄也。以北對南。故中國所以言南方也。南方雖不及強、然犯而不校、未害爲君子。北方則過於強。尙力用強。故止爲強者而已。未及君子之中也。得君子之中、乃汝之所當強也。柔而立、寬而栗。故能和而不流。剛而寡欲。故能中立而不倚。富貴不能淫。故國有道不變塞焉。貧賤不能移、威武不能屈。故國無道至死不變。塞、未達也。君子達不離道。故當天下有道其身必達、不變未達之所守。所謂不變塞焉者也。
【読み】
○呂曰く、此の章強の中を言えり。南方の強は、強に及ばざる者なり。北方の強は、強に過ぎる者なり。而[なんじ]が強は、汝が當に強なるべき所の者なり。南方は、中國、北方は、狄なり。北を以て南に對す。故に中國を南方と言う所以なり。南方強に及ばずと雖も、然れども犯して校らず、君子爲ることを害せず。北方は則ち強に過ぐ。力を尙び強を用ゆ。故に強者爲るに止まるのみ。未だ君子の中に及ばざるなり。君子の中を得るは、乃ち汝が當に強なるべき所なり。柔にして立ち、寬にして栗。故に能く和して流れず。剛くして欲寡なし。故に能く中立して倚らず。富貴も淫すること能わず。故に國道有れば塞を變ぜず。貧賤も移すこと能わず、威武も屈むこと能わず。故に國道無ければ死に至るまで變ぜず。塞は、未だ達せざるなり。君子は達して道を離れず。故に天下道有り其の身必達するに當たりて、未だ達せざるの守る所を變ぜず。所謂塞を變ぜざる者なり。

○游曰、中庸之道、造次顚沛之不可違。惟自強不息者爲能守之。故以子路問強次顏淵。
【読み】
○游曰く、中庸の道、造次顚沛も違る可からず。惟自ら強めて息まざる者のみ能く之を守ることを爲す。故に子路強を問うを以て顏淵に次げり。

○楊曰、公孫衍・張儀一怒而諸侯懼、安居而天下息。可謂強矣。而孟子曰妾婦之道也。至於富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、然後謂之大丈夫。故君子之強、至於至死不變、然後爲至。
【読み】
○楊曰く、公孫衍・張儀たび一怒って諸侯懼れ、安居して天下息む。強と謂う可し。而して孟子妾婦の道なりと曰えり。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈むること能わざるに至って、然して後に之を大丈夫と謂う。故に君子の強は、死に至るまで變ぜざるに至って、然して後に至れりと爲す。


第十一章

程子曰、素隱行怪、是過者也。半塗而廢、是不及也。不見知而不悔、是中者也。伊川。
【読み】
程子曰く、素隱怪しきを行うは、是れ過ぎる者なり。半塗にして廢[や]むは、是れ及ばざるなり。知られずして悔いざるは、是れ中なる者なり。伊川。

○呂曰、怪者、君子之所不爲也。已者、君子之所不能也。不爲其所過、不已其所不及。此所以依乎中庸自信而不悔也。
【読み】
○呂曰く、怪は、君子のせざる所なり。已むは、君子の能わざる所なり。せざるは其の過ぎる所、已まざるは其の及ばざる所。此れ中庸に依って自ら信じて悔いざる所以なり。


第十二章

程子曰、費、日用處。伊川。
【読み】
程子曰く、費は、日々に用うる處なり。伊川。

○問、聖人亦何有不能不知也。曰、天下之理、聖人豈有不盡者。蓋於事有所不徧知不徧能也。至纎悉委曲處、如農圃百工之事、孔子亦豈能知哉。伊川。
【読み】
○問う、聖人も亦何ぞ能くせず知らざること有る。曰く、天下の理、聖人豈盡くさざる者有らんや。蓋し事に於ては徧く知らず徧く能くせざる所有り。纎悉委曲の處に至って、農圃百工の事の如き、孔子も亦豈能く知らんや。伊川。

○又曰、鳶飛魚躍、言其上下察也、此一段子思喫緊爲人處。與必有事焉、而勿正之意同。活潑潑地。會得時活潑潑地、會不得只是弄精神。明道。
【読み】
○又曰く、鳶飛び魚躍る、言うこころは其れ上下察らかなりは、此の一段子思喫緊に人の爲にする處。必ず事有り、而して正[あて]てすること勿かれの意と同じ。活潑潑地。會し得る時は活潑潑地、會し得ざれば只是れ精神を弄す。明道。

○又曰、鳶飛戾天。向上更有天在。魚躍于淵。向下更有地在。
【読み】
○又曰く、鳶飛んで天に戾る。向上更に天の在る有り。魚淵に躍る。向下更に地の在る有り。

○呂曰、天地之大亦有所不能。故人猶有憾。況聖人乎。天地之大猶有憾、語大者也。有憾於天地、則大於天地矣。此所以天下莫能載。愚不肖之夫婦所常行、語小者矣。愚不肖所常行、雖聖人亦有不可廢。此所謂天下莫能破。
【読み】
○呂曰く、天地の大も亦能くせざる所有り。故に人猶憾むこと有り。況や聖人をや。天地の大も猶憾むこと有るとは、大を語る者なり。天地に憾むこと有れば、則ち天地より大なり。此れ天下能く載すこと莫き所以なり。愚不肖の夫婦の常に行う所とは、小を語る者なり。愚不肖の常に行う所、聖人と雖も亦廢つ可からざること有り。此れ所謂天下能く破[わ]ること莫し。

○謝曰、鳶飛戾天、魚躍于淵、非是極其上下而言。蓋眞箇見得如此。此正是子思喫緊道與人處。若從此解悟、便可入堯・舜氣象。
【読み】
○謝曰く、鳶飛んで天に戾り、魚淵に躍るは、是れ其の上下を極めて言うに非ず。蓋し眞箇見得ること此の如し。此れ正に是れ子思喫緊に人に道與する處。若し此より解悟せば、便ち堯・舜の氣象に入る可し。

○又曰、鳶飛戾天、魚躍于淵、無些私意。上下察、以明道體無所不在。非指鳶魚而言也。若指鳶魚言、則上面更有天在、下面更有地在。知勿忘勿助長則知此。知此則知夫子與點之意。
【読み】
○又曰く、鳶飛んで天に戾り、魚淵に躍るは、些かの私意無し。上下察らかなるは、以て道體の在らざる所無きことを明かす。鳶魚を指して言うに非ず。若し鳶魚を指して言わば、則ち上面更に天の在る有り、下面更に地の在る有り。忘るること勿かれ助け長ずること勿かれを知れば則ち此を知る。此を知れば則ち夫子點に與せるの意を知る。

○又曰、詩云、鳶飛戾天、魚躍于淵、猶韓愈所謂魚川泳而鳥雲飛。上下自然各得其所也。詩人之意言如此氣象、周王作人似之。子思之意言上下察也。猶孟子所謂必有事焉、而勿正。察見天理不用私意也。故結上文云、君子語大天下莫能載、語小天下莫能破。今人學詩、將章句橫在肚裏。怎生得脱洒去。
【読み】
○又曰く、詩に云う、鳶飛んで天に戾り、魚淵に躍るは、猶韓愈が謂う所の魚川に泳いで鳥雲に飛ぶがごとし。上下自然に各々其の所を得るなり。詩人の意は此の如きの氣象、周王の人を作せる之に似たることを言う。子思の意は上下察らかなることを言えり。猶孟子の謂う所の必ず事有り、而して正てすること勿かれのごとし。天理を察見して私意を用いず。故に上文を結んで云う、君子大を語れば天下能く載すこと莫く、小を語れば天下能く破ること莫し、と。今の人の詩を學ぶは、章句を將って肚裏に橫在す。怎生んぞ脱洒し去ることを得ん。

○楊曰、道者人之所日用也。故費。雖曰日用、而至賾存焉。故隱。
【読み】
○楊曰く、道は人の日々に用うる所なり。故に費なり。日々に用ゆと曰うと雖も、而れども至賾存す。故に隱なり。

○侯曰、聖人所不知不能、如孔子問禮於老聃、訪官名於郯子。謂異世之禮制、官名之因革、所尙不同、不可強知故也。又如大德位祿名壽、舜之必得、而孔子不得。又如博施濟衆、脩己以安百姓、欲盡聖人溥博無窮之心、極天之所覆、極地之所載、無不被其澤者、雖堯・舜之仁、亦在所病也。又如民可使由之、不可使知之、日用之費、民固由之矣。其道則安能人人知之。雖使堯・舜・周・孔所過者化、其化者、不越所過者爾。又安能使窮荒極遠未過者皆化哉。此亦聖人之所不能也。
【読み】
○侯曰く、聖人の知らず能くせざる所は、孔子禮を老聃に問い、官の名を郯子に訪えるが如し。異世の禮制、官名の因革、尙ぶ所同じからず、強いて知る可からざるを謂える故なり。又大德位祿名壽の如き、舜は必ず得て、孔子得ず。又博く施して衆を濟い、己を脩めて以て百姓を安んずるが如き、聖人溥博無窮の心を盡くし、天の覆う所を極め、地の載する所を極めて、其の澤を被らざる者無からんことを欲するは、堯・舜の仁と雖も、亦病める所在り。又民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可からずが如き、日々に用うるの費は、民固より之に由る。其の道は則ち安んぞ能く人人之を知らん。堯・舜・周・孔の過ぎる所の者をして化せしむと雖も、其の化する者、過ぎる所の者に越えざるのみ。又安んぞ能く窮荒極遠の未だ過ぎざる者をして皆化せしめんや。此れ亦聖人の能くせざる所なり。


第十三章

程子曰、執柯伐柯、其則不遠。人猶以爲遠。君子之道、本諸身發諸心。豈遠乎哉。伊川。
【読み】
程子曰く、柯を執り柯を伐る、其の則遠からず。人猶以て遠しと爲す。君子の道は、身に本づき心に發す。豈遠からんや。伊川。

○又曰、以己及物、仁也。推己及物、恕也。違道不遠是也。忠恕一以貫之。忠者天道、恕者人道。忠者無妄、恕者所以行乎忠也。忠者、體、恕者、用。大本、達道也。此與違道不遠異者、動以天爾。明道。
【読み】
○又曰く、己を以て物に及ぼすは、仁なり。己を推して物に及ぼすは、恕なり。道を違[さ]ること遠からざるとは是れなり。忠恕一以て之を貫く。忠は天道、恕は人道。忠は無妄、恕は忠を行う所以なり。忠は、體、恕は、用。大本は、達道なり。此れ道を違ること遠からずと異なる者は、動くに天を以てするのみ。明道。

○又曰、忠恕兩字、要除一箇除不得。明道。
【読み】
○又曰く、忠恕の兩字、一箇を除かんと要すとも除き得ず。明道。

○又曰、盡己之謂忠、推己之謂恕。忠體也、恕用也。
【読み】
○又曰く、己を盡くす之を忠と謂い、己を推す之を恕と謂う。忠は體なり、恕は用なり。

○又曰、盡己爲忠、如心爲恕。
【読み】
○又曰く、己を盡くすを忠と爲し、心の如くするを恕と爲す。

○或曰、恕字學者可用功否。曰、恕字甚大。然恕不可獨用。須得忠以爲體。不忠何以能恕。看忠恕兩字、自見相爲用處。伊川。
【読み】
○或ひと曰く、恕の字學者功を用ゆ可きや否や。曰く、恕の字甚だ大なり。然るに恕は獨用にす可からず。須く忠を得て以て體と爲すべし。忠あらずんば何を以て能く恕あらん。看よ忠恕の兩字、自ら用を相爲す處を見る。伊川。

○又曰、忠恕所以公平。造德則自忠恕。其致則公平。伊川。
【読み】
○又曰く、忠恕は公平なる所以。德に造ることは則ち忠恕よりす。其の致は則ち公平なり。伊川。

○又曰、人謂、盡己之謂忠、盡物之謂恕。盡己之謂忠固是。盡物之謂恕則未盡。推己之謂恕、盡物之謂信。伊川。
【読み】
○又曰く、人の謂く、己を盡くす之を忠と謂い、物を盡くす之を恕と謂う、と。己を盡くす之を忠と謂うは固より是なり。物を盡くす之を恕と謂うは則ち未だ盡くさず。己を推す之を恕と謂い、物を盡くす之を信と謂う。伊川。

○又曰、有餘便是過。慥慥、篤實貌。
【読み】
○又曰く、餘り有るは便ち是れ過。慥慥は、篤實の貌。

○張子曰、所求乎君子之道四。是實未能。道何嘗有盡。聖人人也。人則有限。是誠不能盡道也。聖人之心則直欲盡道。事則安能得盡。如博施濟衆、堯・舜實病諸。堯・舜之心、其施直欲至于無窮方爲博施。然安得若是。脩己以安百姓。是亦堯・舜實病之。欲得人人如此、然安得如此。
【読み】
○張子曰く、君子に求むる所の道四つ。是れ實に未だ能くせず。道は何ぞ嘗て盡くすこと有らん。聖人も人なり。人は則ち限り有り。是れ誠に道を盡くすこと能わざるなり。聖人の心は則ち直に道を盡くさんと欲す。事は則ち安んぞ能く盡くすことを得ん。博く施し衆を濟うが如き、堯・舜も實に諸を病めり。堯・舜の心、其の施し直に無窮に至って方に博く施すと爲さんと欲す。然れども安んぞ是の若きことを得ん。己を脩めて以て百姓を安んず。是れ亦堯・舜實に之を病めり。人人此の如きことを得んと欲すとも、然れども安んぞ此の如きことを得ん。

○又曰、以責人之心責己則盡道。所謂君子之道四、丘未能一焉者也。以愛己之心愛人則盡仁、所謂施諸己而不願、亦勿施於人者也。以衆人望人則易從、所謂以人治人、改而止者也。此君子所以責己責人愛人之三術也。
【読み】
○又曰く、人を責むるの心を以て己を責むれば則ち道を盡くす。所謂君子の道四つは、丘未だ一つも能くせざる者なり。己を愛するの心を以て人を愛すれば則ち仁を盡くすとは、所謂諸を己に施して願わざるをば、亦人に施すこと勿からん者なり。衆人を以て人を望めば則ち從い易しとは、所謂人を以て人を治め、改めて止む者なり。此れ君子の己を責め人を責め人を愛する所以の三術なり。

○呂曰、妙道精義、常存乎君臣・父子・夫婦・朋友之閒、不離乎交際・酬酢・應對之末。皆人心之所同然、未有不出於天者也。若絶乎人倫、外乎世務、究其所不可知、議其所不可及、則有天人之分、内外之別。非所謂大而無外一以貫之、安在其爲道也歟。柯、斧之柄也。執斧之柄而求柯於木。其尺度之則固不遠矣。然柯猶在外。睨而眎之始得其則。若夫治己治人之道、於己取之。不必睨眎之勞而自得於此矣。故君子推是心也。其治衆人也、以衆人之道而已。以衆人之所及知責其所知、以衆人之所能行責其所行、改而後止。不厚望也。其愛人也以忠恕而已。忠者誠有是心而不自欺、恕者推待己之心以及人者也。忠恕不可謂之道、而道非忠恕不行。此所以言違道不遠者。其治己也、以求乎人者反於吾身。事父事君事兄先施之朋友。皆衆人之所能。盡人倫之至、則雖聖人亦自謂未能。此舜所以盡事親之道、必至瞽叟底豫者也。庸者常道也。事父孝、事君忠、事兄悌、交朋友信、庸德也。必行而已。有問有答有唱有和。不越乎此者、庸言也。無易而已。不足而不勉、則德有止而不進、有餘而盡之、則道難繼而不行。無是行也、不敢苟言以自欺。故言顧行。有是言也、不敢不行而自棄。故行顧言。
【読み】
○呂曰く、妙道精義、常に君臣・父子・夫婦・朋友の閒に存し、交際・酬酢・應對の末に離れず。皆人心の同じく然る所、未だ天に出でざる者有らざるなり。若し人倫を絶ち、世務を外にし、其の知る可からざる所を究め、其の及ぶ可からざる所を議れば、則ち天人の分、内外の別有り。所謂大にして外無く一以て之を貫くに非ずんば、安んぞ其の道と爲すこと在らんや。柯は、斧の柄なり。斧の柄を執って柯を木に求む。其の尺度の則固より遠からず。然るに柯猶外に在り。睨て之を眎[み]て始めて其の則を得。夫の己を治めて人を治むるの道の若きは、己に於て之を取る。必ずしも睨眎の勞あらずして自ら此に得。故に君子は是の心を推すなり。其の衆人を治むるや、衆人の道を以てするのみ。衆人の知に及ぶ所を以て其の知る所を責め、衆人の能く行う所を以て其の行う所を責め、改めて後に止む。厚く望まざるなり。其の人を愛するや忠恕を以てするのみ。忠は誠に是の心有って自ら欺かず、恕は己を待つの心を推して以て人に及ぼす者なり。忠恕は之を道と謂う可からずして、道忠恕に非ざれば行われず。此れ道を違ること遠からずと言う所以の者なり。其の己を治むるや、人に求むる者を以て吾が身に反す。父に事え君に事え兄に事え先ず之を朋友に施す。皆衆人の能くする所なり。人倫の至りを盡くすことは、則ち聖人と雖も亦自ら未だ能くせずと謂えり。此れ舜の親に事るの道を盡くし、必ず瞽叟豫びを底[いた]すに至る所以の者なり。庸は常道なり。父に事えて孝、君に事えて忠、兄に事えて悌、朋友に交わって信なるは、庸德なり。必ず行うのみ。問有り答有り唱有り和有り。此に越えざる者は、庸言なり。易わること無きのみ。足らずして勉めざれば、則ち德止まること有りて進まず、餘り有りて之を盡くせば、則ち道繼ぎ難くして行われず。是の行無きや、敢えて苟も言って以て自ら欺かず。故に言行を顧みる。是の言有るや、敢えて行わずして自ら棄てず。故に行言を顧みる。

○問忠恕。謝氏曰、猶形影也。無忠做恕不出來。己所不欲勿施於人、施諸己而不願、亦勿施諸人、說得自分明。恕如心而已。
【読み】
○忠恕を問う。謝氏曰く、猶形影のごとし。忠無ければ恕を做し出し來らず。己欲せざる所は人に施すこと勿かれ、諸を己に施して願わざるは、亦諸を人に施すこと勿かれとは、說き得て自ら分明なり。恕は心の如くするのみ。

○游曰、有所不足不敢不勉、將以踐言也。則其行顧言矣。有餘不敢盡、耻躬之不逮也。則其言顧行矣。言行相顧則於心無餒。故曰、胡不慥慥爾。慥慥、心之實也。
【読み】
○游曰く、足らざる所有れば敢えて勉めずんばあらざるは、將に以て言を踐まんとするなり。則ち其の行言を顧みるなり。餘り有るは敢えて盡くさざるは、躬の逮ばざるを耻ずるなり。則ち其の言行を顧みるなり。言行相顧れば則ち心に於て餒[う]ゆること無し。故に曰く、胡ぞ慥慥爾ならざらん、と。慥慥は、心の實なり。

○楊曰、孟子言舜之怨慕。非深知舜之心、不能及此。據舜惟患不順於父母。不謂其盡孝也。凱風之詩曰、母氏聖善、我無令人。孝子之事親如此。此孔子所以取之也。孔子曰、君子之道四。丘未能一焉。若乃自以爲能則失之矣。
【読み】
○楊曰く、孟子舜の怨慕を言えり。深く舜の心を知るに非ずんば、此に及ぶこと能わじ。舜に據るに惟父母に順ならざることを患えり。其の孝を盡くせりと謂わず。凱風の詩に曰く、母氏聖善、我に令人無し、と。孝子の親に事ること此の如し。此れ孔子之を取れる所以なり。孔子曰く、君子の道四つ。丘未だ一つを能くせず、と。若し乃ち自ら以て能くすとせば則ち之を失せり。

○或曰、曾子說出忠恕二字。子思所以只發明恕字者何故。侯曰、無恕不見得忠、無忠做恕不出來。誠有是心之謂忠。見於功用之謂恕。曰、明道言忠恕二字要除一箇除不得、正謂此歟。曰、然。
【読み】
○或ひと曰く、曾子忠恕の二字を說き出せり。子思只恕の字を發明せる所以の者は何の故ぞ。侯曰く、恕無ければ忠を見得ず、忠無ければ恕を做し出し來らず。誠に是の心有る之を忠と謂う。功用に見る之を恕と謂う。曰く、明道忠恕の二字一箇を除かんと要すとも除き得ずと言えるは、正に此を謂うか。曰く、然り。

○又曰、父子・君臣・兄弟・朋友之常、孔子自謂皆未能何也。只謂恕己以及人、則將使天下皆無父子無君臣乎。蓋以責人之心責己則盡道也。今人有君親而不盡其心以事焉、曰、聖人猶未能盡、而曰恕己以及人。是禍天下君臣父子也。
【読み】
○又曰く、父子・君臣・兄弟・朋友の常、孔子自ら皆未だ能くせずと謂えるは何ぞや。只己を恕しめて以て人に及ぼすと謂わば、則ち將に天下をして皆父子無く君臣無からしめんとするか。蓋し人を責むるの心を以て己を責むれば則ち道を盡くす。今の人君親有りて其の心を盡くして以て事えず、曰く、聖人猶未だ盡くすこと能わずして、己を恕しめて以て人に及ぼすと曰えり、と。是れ天下の君臣父子に禍す。


第十四章

張子曰、責己者當知無天下國家皆非之理。故學至於不尤人、學之至也。
【読み】
張子曰く、己を責むる者は當に天下國家皆非ざるの理無きことを知るべし。故に學人を尤めざるに至るは、學の至りなり。

○呂曰、達則兼善天下、得志則澤加於民、素富貴行乎富貴者也。不驕不淫、不足以道之也。窮則獨善其身、不得志則脩身見於世、素貧賤行乎貧賤者也。不諂不懾、不足以道之也。言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、素夷狄行乎夷狄者也。文王内文明而外柔順以蒙大難、箕子内難而能正其志、素患難行乎患難者也。愛人不親反其仁、治人不治反其智。此在上位所以不陵下也。彼以其富、我以吾仁。彼以其爵、我以吾義。吾何慊乎哉。此在下位所以不援上也。陵下不從則罪其下、援上不得則非其上。是所謂尤人者也。庸德之行、庸言之謹、居易者也。國有道不變塞焉、國無道至死不變。心逸日休、行其所無事、如子從父命、無所往而不受、俟命者也。若夫行險以徼一旦之幸、得之則貪爲己力、不得則不能反躬。是所謂怨天者也。故君子正己而不求於人。如射而已。射之不中、由吾巧之不至也。故失諸正鵠者、未有不反求諸身。如君子之治己、行有不得、又反求諸身。則德之不進、豈吾憂哉。
【読み】
○呂曰く、達すれば則ち兼ねて天下を善くし、志を得れば則ち澤民に加わるは、富貴に素して富貴に行う者なり。驕らず淫せざるは、以て之を道うに足らず。窮すれば則ち獨其の身を善くし、志を得ざれば則ち身を脩めて世に見るは、貧賤に素して貧賤に行う者なり。諂わず懾[おそ]れざるは、以て之を道うに足らず。言忠信、行篤敬、蠻貊の邦と雖も行わるるは、夷狄に素して夷狄に行う者なり。文王内文明に外柔順以て大難を蒙り、箕子内難んで能く其の志を正するは、患難に素して患難に行う者なり。人を愛して親しまずんば其の仁に反り、人を治めて治まらざれば其の智に反る。此れ上位に在って下を陵がざる所以なり。彼は其の富を以てし、我は吾が仁を以てす。彼は其の爵を以てし、我は吾が義を以てす。吾何ぞ慊らざらんや。此れ下位に在って上を援[ひ]かざる所以なり。下を陵いで從わざれば則ち其の下を罪し、上を援いて得ざれば則ち其の上を非る。是れ所謂人を尤む者なり。庸德の行い、庸言の謹みは、易きに居る者なり。國道有れば塞を變ぜず、國道無ければ死に至るまで變ぜず。心逸して日々に休[よ]く、其の事無き所を行い、子の父の命に從うが如く、往くとして受けざる所無きは、命を俟つ者なり。若し夫れ險を行って以て一旦の幸を徼[もと]め、之を得れば則ち貪って己が力とし、得ざれば則ち躬に反すること能わず。是れ所謂天を怨む者なり。故に君子は己を正すをして人に求めず。射るが如きのみ。射ることの中らざるは、吾が巧の至らざるに由る。故に諸を正鵠に失する者、未だ諸を身に反り求めざること有らず。君子の己を治むるが如き、行って得ざること有れば、又諸を身に反り求む。則ち德の進まざる、豈吾が憂いならんや。

○游曰、素其位而行者、卽其位而道行乎其中、若其素然也。舜之飯糗茄草、若將終身、此非素貧賤而道行乎貧賤不能然也。及其爲天子、被袗衣鼓琴、若固有之、此非素富貴而道行乎富貴不能然也。飯糗袗衣、其位雖不同、而此道之行一也。至於夷狄患難、亦若此而已。道無不行、則無入而不自得矣。蓋道之在天下、不以易世而有存亡。故無古今。則君子之行道、不以易地而有加損。故無得喪。至於在上位不陵下、知富貴之非泰也、在下位不援上、知貧賤之非約也、此惟正己而不求於人者能之。故能上不怨天、下不尤人。蓋君子爲能循理。故居易以俟命。居易未必不得也。故窮通皆好。小人反是。故行險以徼幸。行險未必常得也。故窮通皆醜。學者要當篤信而已。射有似乎君子者、射者發而不中、則必反而求其不中之因、意者志未正邪、體未直邪、持弓矢而未審固邪。然而不中者寡矣。君子之正身亦若此也。愛人不親反其仁、治人不治反其智、禮人不答反其敬。行有不得者、皆反求諸己而已。而何怨天尤人之有哉。失諸正鵠者、行有不得之況也。
【読み】
○游曰く、其の位に素して行うは、其の位に卽いて道其の中に行わること、其の素の若く然り。舜の糗を飯らい草を茄い、將に身を終えんとするが若きは、此れ貧賤に素して道貧賤に行わるに非ずんば然ること能わず。其の天子と爲るに及んで、袗衣を被り琴を鼓し、固より之れ有るが若きは、此れ富貴に素して道富貴に行わるに非ずんば然ること能わず。飯糗袗衣、其の位同じからずと雖も、而れども此の道の行わることは一なり。夷狄患難に至っても、亦此の若きのみ。道行われざること無ければ、則ち入るとして自得せざること無し。蓋し道の天下に在る、世を易えるを以て存亡有らず。故に古今無し。則ち君子の道を行う、地を易えるを以て加損有らず。故に得喪無し。上位に在って下を陵がざるは、富貴の泰[おご]りに非ざることを知り、下位に在って上に援かざるは、貧賤の約[とぼ]しきに非ざることを知るに至っては、此れ惟己を正して人に求めざる者のみ之を能くす。故に能く上天を怨みず、下人を尤めず。蓋し君子は能く理に循うことを爲す。故に易きに居て以て命を俟つ。易きに居るは未だ必ずしも得ずんばあらず。故に窮通皆好し。小人は是に反す。故に險を行って以て幸を徼む。險を行うは未だ必ずしも常に得ず。故に窮通皆醜し。學者當に篤く信ずべきことを要するのみ。射は君子に似たること有る者は、射は發して中らざれば、則ち必ず反って其の中らざるの因を求め、意うに、志未だ正しからざるか、體未だ直からざるか、弓矢を持って未だ審固んらざるか、と。然して中らざる者は寡なし。君子の身を正すること亦此の若し。人を愛して親しまざれば其の仁に反り、人を治めて治まらざれば其の智に反り、人を禮して答えざれば其の敬に反る。行って得ざる者有れば、皆諸を己に反り求むるのみ。而して何の天を怨み人を尤むること有らんや。諸を正鵠に失するは、行うこと得ざること有るの況[たと]えなり。

○楊曰、君子居其位、若固有之。無出位之思。素其位也。
【読み】
○楊曰く、君子の其の位に居る、固より之有るが若し。位を出るの思い無し。其の位に素すなり。

○侯曰、揔老嘗問一士人曰、論語云、默而識之。識、是識箇甚。子思言、君子無入不自得。得、是得箇甚。或者無以爲對。侯子聞之曰、是不識吾儒之道。猶以吾儒語爲釋氏用、在吾儒爲不成說話。旣曰默識與無入不自得。更理會甚識甚得之事。是不成說話也、今人見筆墨須謂之筆墨。見人須謂之人。不須問。默而識之、是默識也。聖賢於道猶是也。庸言之信、庸行之謹、是自得也。豈可名爲所得所識之事乎。
【読み】
○侯曰く、揔老嘗て一士人に問いて曰く、論語に云う、默して之を識る、と。識は、是れ箇の甚をか識る。子思言く、君子入るとして自得せざること無し、と。得は、是れ箇の甚をか得ん。或ひとは以て對うることを爲すこと無し。侯子之を聞いて曰く、是れ吾が儒の道を識らず。猶吾が儒の語を以て釋氏の用と爲し、吾が儒に在っては說話を成さずと爲すがごとし。旣に默して識る、入るとして自得せざること無きと曰う。更に甚を識り甚を得るの事を理會せん。是れ說話を成さざる、今の人筆墨を見ては須く之を筆墨と謂うべし。人を見ては須く之を人と謂うべし。問うことを須[もち]いず。默して之を識るは、是れ默して識るなり。聖賢の道に於るも猶是のごとし。庸言の信、庸行の謹は、是れ自得なり。豈名づけて得る所識る所の事と爲す可けん。


第十五章

呂曰、不得乎親、不可以爲人。不順乎親、不可以爲子。故君子之道莫大乎孝。孝之本莫大乎順父母。故仁人・孝子欲順乎親、必先乎妻子不失其好、兄弟不失其和。室家宜之。妻孥樂之致家道成。然後可以養父母之志而無違也。行遠登髙者、謂孝莫大乎順其親者也。自邇自卑者、謂本乎妻子・兄弟者也。故身不行道、不行於妻子。文王刑于寡妻、至于兄弟、則治家之道必自妻子始。
【読み】
呂曰く、親に得られずんば、以て人爲る可からず。親に順ならずんば、以て子爲る可からず。故に君子の道は孝より大なるは莫し。孝の本は父母に順なるより大なるは莫し。故に仁人・孝子親に順ならんと欲せば、必ず妻子其の好しみを失わず、兄弟其の和を失わざるを先にす。室家宜しく之をすべし。妻孥之を樂しみて家道成ることを致す。然して後に以て父母の志を養って違うこと無かる可し。遠きに行き髙きに登るは、孝は其の親に順なるより大なるは莫き者を謂う。邇きよりし卑きよりするは、妻子・兄弟に本づく者を謂う。故に身道を行わざれば、妻子に行われず。文王寡妻に刑[のっと]り、兄弟に至れば、則ち家を治むるの道必ず妻子より始まる。


第十六章

問、明則有禮樂、幽則有鬼神、何也。程子曰、鬼神只是一箇造化。天尊地卑、乾坤定矣。鼓之以雷霆、潤之以風雨。是也。伊川。
【読み】
問う、明には則ち禮樂有り、幽には則ち鬼神有りとは、何ぞや。程子曰く、鬼神は只是れ一箇の造化。天尊く地卑くして、乾坤定まる。之を鼓つに雷霆を以てし、之を潤すに風雨を以てす。是れなり。伊川。

○又曰、夫天專言之則道也。分而言之、則以形體謂之天、以主宰謂之帝、以功用謂之鬼神、以妙用謂之神、以性情謂之乾。伊川。
【読み】
○又曰く、夫れ天は專ら之を言えば則ち道なり。分けて之を言えば、則ち形體を以て之を天と謂い、主宰を以て之を帝と謂い、功用を以て之を鬼神と謂い、妙用を以て之を神と謂い、性情を以て之を乾と謂う。伊川。

○又曰、鬼神者、造化之迹也。
【読み】
○又曰く、鬼神は、造化の迹なり。

○又曰、鬼是往而不反之義。
【読み】
○又曰く、鬼は是れ往いて反らざるの義。

○又曰、立淸虛一大爲萬物之源、恐未安。須兼淸濁虛實乃可言。神道體物不遺。不應有方所。明道。
【読み】
○又曰く、淸虛一大を立てて萬物の源と爲すは、恐らくは未だ安からず。須く淸濁虛實を兼ねて乃ち言う可し。神の道は物に體して遺さず。應に方所有るべからず。明道。

○又曰、上天之載、無聲無臭。其體則謂之易、其理則謂之道、其用則謂之神。故說、神如在其上、如在其左右。大小大事而只曰、誠之不可揜如此夫。徹上徹下不過如此。
【読み】
○又曰く、上天の載は、聲も無く臭いも無し。其の體は則ち之を易と謂い、其の理は則ち之を道と謂い、其の用は則ち之を神と謂う。故に說く、神其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し、と。大小大事にして只曰く、誠の揜う可からざること此の如きか、と。徹上徹下此の如きに過ぎず。

○問、世言鬼神之事雖知其無、然不能無疑。如何可以曉悟其理。曰、理會得精氣爲物、遊魂爲變、與原始要終之說、便能知也。鬼神之道、只恁說與。賢雖會得亦信不過。須是自得也。伊川。
【読み】
○問う、世に言う鬼神の事其の無きことを知ると雖も、然れども疑い無きこと能わず。如何して以て其の理を曉悟す可き。曰く、精氣物を爲し、遊魂變を爲すと、始を原ねて終わりを要むるの說を理會し得ば、便ち能く知る。鬼神の道、只恁[かくのごと]く說與す。賢會し得と雖も亦信じ過ぎざるべし。須く是れ自得すべし。伊川。

○張子曰、鬼神者、二氣之良能也。
【読み】
○張子曰く、鬼神は、二氣の良能なり。

○又曰、天道不窮、寒暑已、衆動不窮、屈伸已、鬼神之實、不越二端而已矣。
【読み】
○又曰く、天道窮まらず、寒暑已み、衆動窮まらず、屈伸已み、鬼神の實、二端を越えざるのみ。

○又曰、鬼神、往來屈伸之義。故天曰神、地曰祗、人曰鬼。神示者、歸之始。歸往者、來之終。
【読み】
○又曰く、鬼神は、往來屈伸の義。故に天に神と曰い、地に祗と曰い、人に鬼と曰う。神示は、歸るの始め。歸往は、來るの終わり。

○又曰、天體物不遺、猶仁體事而無不在也。禮儀三百威儀三千、無一物之非仁也。昊天曰明。及爾出王。昊天曰旦。及爾游衍。無一物之不體也。
【読み】
○又曰く、天は物を體して遺さず、猶仁事に體して在らざること無きがごとし。禮儀三百威儀三千、一物の仁に非ざること無し。昊天曰[ここ]に明らかなり。爾と出でて王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり。爾と游衍す。一物の體せざること無し。

○又曰、凡可状、皆有也。凡有、皆象也。凡象皆氣也。氣之性本虛而神、則神與性乃氣所固有。此鬼神所以體物而不可遺也。
【読み】
○又曰く、凡そ状[かたど]る可きは、皆有なり。凡そ有は、皆象なり。凡そ象は皆氣なり。氣の性本虛にして神なれば、則ち神と性とは乃ち氣の固有する所。此れ鬼神の物に體して遺す可からざる所以なり。

○呂曰、鬼神者、無形。故視之不見。無聲。故聽之不聞。然萬物之生莫不有氣。氣也者、神之盛也。莫不有魄。魄也者、鬼之盛也。故人亦鬼神之會爾。此體物而不可遺者也。鬼神者、周流天下之閒、無所不在。雖寂然不動、而有感必通。雖無形無聲、而有所謂昭昭不可欺者。故如在其上、如在其左右也。弗見弗聞。可謂微矣。然體物而不可遺。此謂之顯。周流天下之閒、昭昭而不可欺。可謂誠矣。然因感而必通。此之謂不可揜。
【読み】
○呂曰く、鬼神は、形無し。故に之を視て見えず。聲無し。故に之を聽いて聞こえず。然るに萬物の生は氣有らざること莫し。氣とは、神の盛んなり。魄有らざること莫し。魄とは、鬼の盛んなり。故に人も亦鬼神の會なるのみ。此れ物に體して遺す可からざる者なり。鬼神は、天下の閒に周流して、在らざる所無し。寂然として動かずと雖も、而れども感有れば必ず通ず。形無く聲無きと雖も、而れども所謂昭昭として欺く可からざる者有り。故に其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し。見えず聞こえず。微かと謂う可し。然るに物に體して遺す可からず。此れ之を顯と謂う。天下の閒に周流し、昭昭として欺く可からず。誠と謂う可し。然るに感に因って必ず通ず。此れ之を揜う可からずと謂う。

○又曰、鬼神者、二氣之往來爾。物感雖微、無不通於二氣。故人有是心、雖自謂隱微、心未嘗不動。動則固已感於氣矣。鬼神安有不見乎。其心之動、又必見於聲色擧動之閒。人乘閒以知之、則感之著者也。
【読み】
○又曰く、鬼神は、二氣の往來なるのみ。物感微なりと雖も、二氣に通ぜざること無し。故に人に是の心有る、自ら隱微と謂うと雖も、心未だ嘗て動かずんばあらず。動けば則ち固より已に氣に感ず。鬼神安んして見えざること有らん。其の心の動、又必ず聲色擧動の閒に見る。人閒に乘じて以て之を知れば、則ち感ずることの著なる者なり。

○謝曰、動而不已、其神乎。滯而有迹、其鬼乎。往來不息、神也。摧仆歸根、鬼也。致生之。故其鬼神。致死之。故其鬼不神。何也。人以爲神則神、以爲不神則不神矣。知死而致生之不智、知死而致死之不仁。聖人所以神明之也。
【読み】
○謝曰く、動いて已まざるは、其れ神か。滯って迹有るは、其れ鬼か。往來息まざるは、神なり。摧仆の根に歸すは、鬼なり。之を生かすことを致す。故に其の鬼は神なり。之を死することを致す。故に其の鬼は神ならずとは何ぞや。人以て神とすれば則ち神、以て神ならずとすれば則ち神なず。死を知って之を生かすことを致すは不智、死を知って之を死することを致すは不仁なり。聖人の之を神明にする所以なり。

○或問死生之說。謝曰、人死時氣盡也。曰、有鬼神否。謝曰、余當時亦曾問明道先生。明道曰、待向伱道無來、伱怎生信得及。待向伱道有來、伱但去尋討看。謝曰、此便是答底語。又曰、横渠說得來別。這箇便是天地閒妙用。須是將來做箇題目、入思議始得。講說不濟事。曰、沈魂滯魄影響底事如何。曰、須是自家看得破始得。張亢郡君化去、嘗来附語。亢所知事皆能言之。亢一日方與道士圍碁。又自外来道士封一把碁子令將去問之。張不知數、便道不得。又如紫姑神不識字底把着冩不得、不信底把着冩不得、推此可以見矣。曰、先王祭享鬼神則甚。曰、是他意思別。三日齊、五日戒、求諸陰陽四方上下。蓋是要集自家精神。所以格有廟、必於蕐與渙言之。雖然如是、以爲有亦不可。以爲無亦不可。這裏有妙理。於若有若無之閒、須斷置得去始得。曰、如此却是鶻突也。謝曰、不是鶻突。自家要有便有、自家要無便無始得。鬼神在虛空中。辟塞滿觸目皆是。爲他是天地閒妙用。祖考精神、便是自家精神。
【読み】
○或ひと死生の說を問う。謝曰く、人死する時は氣盡くなり。曰く、鬼神有りや否や。謝曰く、余當時亦曾て明道先生に問いき。明道曰く、伱に向かって無しと道い來るを待って、伱怎生して信得及せん。伱に向かって有りと道い來るを待って、伱但尋討し去って看よ、と。謝曰く、此れ便ち是れ答底の語。又曰く、横渠說き得來て別なり。這箇は便ち是れ天地の閒の妙用。須く是れ將ち來て箇の題目を做し、思議に入って始めて得るべし。講說は事を濟さず、と。曰く、沈魂滯魄影響底の事如何。曰く、須く是れ自家看得破して始めて得るべし。張亢が郡君化し去る、嘗て来て附して語る。亢知る所の事皆能く之を言う。亢一日方に道士と碁を圍む。又外より来る道士一把の碁子を封じて將ち去って之を問わしむ。張數を知らざれば、便ち道うことを得ず。又紫姑神の字を識らざる底にて把着すれば冩し得ず、不信底にて把着すれば冩し得ざるが如き、此を推して以て見る可し。曰く、先王鬼神を祭享するは則ち甚ぞ。曰く、是れ他の意思別なり。三日齊し、五日戒して、諸を陰陽四方上下に求む。蓋し是れ自家の精神を集めんことを要す。所以に有廟に格るを、必ず蕐と渙とに於て之を言えり。然く是の如くなりと雖も、以て有りと爲すも亦不可。以て無しと爲すも亦不可。這の裏に妙理有り。有るが若く無きが若きの閒に於て、須く斷置し得去って始めて得。曰く、此の如きは却って是れ鶻突なり。謝曰く、是れ鶻突にあらず。自家有らんことを要すれば便ち有り、自家無からんことを要すれば便ち無くして始めて得。鬼神は虛空の中に在り。辟えば塞滿觸目皆是れなり。他は是れ天地の閒の妙用なるが爲なり。祖考の精神は、便ち是れ自家精神なり。

○楊曰、鬼神體物而不可遺、蓋其妙萬物而無不在故也。
【読み】
○楊曰く、鬼神は物に體して遺す可からずとは、蓋し其れ萬物に妙にして在らざること無き故なり。


第十七条

程子曰、知天命、是達天理也。必受命、是得其應也。命者、是天之付與、如命令之命。天之報應、皆如影響。得其報者是常理也。不得其報者非常理也。然而細推之則須有報應。但人以淺狹之見求之便爲差互。天命不可易也。然有可易者。唯有德者能之。如脩養之引年、世祚之祈天永命、常人之至於聖賢、皆此道也。伊川。
【読み】
程子曰く、天命を知れば、是れ天理に達す。必ず命を受くは、是れ其の應を得るなり。命は、是れ天の付與、命令の命の如し。天の報應は、皆影響の如し。其の報を得るは是れ常理なり。其の報を得ざるは常理に非ず。然して細に之を推せば則ち須く報應有るべし。但人淺狹の見を以て之を求むること便ち差互と爲す。天命は易う可からず。然るに易う可き者有り。唯有德の者之を能くす。脩養の年を引[なが]くし、世祚の天の永命を祈り、常人の聖賢に至るが如き、皆此の道なり。伊川。

○張子曰、德不勝氣、性命於氣。德勝其氣、性命於德。窮理盡性、則性天命、命天德。氣之不可變者、獨死生脩夭而已。故論死生、則曰有命以言其氣也。語富貴、則曰在天以言其理也。此大德所以必受命。
【読み】
○張子曰く、德氣に勝たざれば、性命氣に於てす。德其の氣に勝てば、性命德に於てす。理を窮め性を盡くせば、則ち性は天命、命は天德。氣の變ず可からざる者は、獨死生脩夭のみ。故に死生を論ずれば、則ち命有りと曰って以て其の氣を言うなり。富貴を語れば、則ち天に在りと曰って以て其の理を言うなり。此れ大德の必ず命を受くる所以なり。

○呂曰、中庸之行孝弟而已。如舜之德位皆極流澤之遠、始可盡孝。故祿位名壽之皆得、非大德其孰能致之。
【読み】
○呂曰く、中庸の行は孝弟のみ。舜の德位皆極まり流澤の遠きが如き、始めて孝を盡くす可し。故に祿位名壽の皆得る、大德に非ざれば其れ孰か能く之を致さん。

○一本云、天命之所屬、莫踰於大德。至于祿位名壽之皆極、則人事至矣、天命申矣。行父母之遺體敢不敬乎。則敬親之至、莫如德爲聖人、尊爲天子之大也。以天下養、養之至也。則養親之至、莫如富有四海之内之盛也。積厚者流澤廣、積薄者流澤狹。則繼親之至、莫如宗廟饗之、子孫保之之久也。舜之德大矣。故尊爲天子、所謂必得其位。富有四海之内、所謂必得其祿。德爲聖人、所謂必得其名。宗廟饗之子孫保之、則福祿之盛、享壽考而無疑也。所謂必得其壽。天之於萬物、其所以爲吉凶之報、莫非因其所自取也。植之固者、加雨露之養則其末必盛茂。植之不固者、震風凌雨則其本先撥。至于人事、則得道者多助、失道者寡助。是皆因其材而篤焉。栽者培之、傾者覆之者也。古之君子旣有憲憲之令德、而又有宜民宜人之大功。此宜受天祿矣。故天保佑之、申之以受天命。此大德所以必受命。是亦栽者培之之義與。
【読み】
○一本に云う、天命の屬する所、大德に踰ゆるは莫し。祿位名壽の皆極まるに至っては、則ち人事至り、天命申[かさ]ぬ。父母の遺體を行って敢えて敬まざらんや。則ち親を敬うの至りは、德聖人爲り、尊きこと天子爲るの大なるに如くは莫し。天下を以て養うは、養うの至りなり。則ち親を養うの至りは、富四海の内を有つの盛んなるに如くは莫し。積むこと厚き者は流澤廣く、積むこと薄き者は流澤狹し。則ち親に繼ぐの至りは、宗廟之を饗け、子孫之を保つの久しきに如くは莫し。舜の德大なり。故に尊きこと天子爲り。所謂必ず其の位を得るなり。富四海の内を有つ。所謂必ず其の祿を得るなり。德聖人爲り。所謂必ず其の名を得るなり。宗廟之を饗け子孫之を保んじて、則ち福祿の盛んに、壽考を享けて疑い無し。所謂必ず其の壽を得るなり。天の萬物に於る、其の吉凶の報を爲す所以、其の自ら取る所に因るに非ざること莫し。植えることの固き者は、雨露の養を加うれば則ち其の末必ず盛んに茂る。植えることの固からざる者は、風に震い雨を凌げば則ち其の本先ず撥く。人事に至っては、則ち道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡なし。是れ皆其の材に因りて篤くす。栽える者は之を培い、傾く者は之を覆す者なり。古の君子は旣に憲憲の令德有りて、又民に宜く人に宜きの大功有り。此れ宜しく天祿受くべし。故に天之を保ち佑け、之を申ねて以て天命を受く。此れ大德の必ず命を受くる所以なり。是れ亦栽える者は之を培うの義か。

○又曰、命雖不易、惟至誠不息、亦足以移之。此大德所以必受命、君子所以有性焉、不謂命也。
【読み】
○又曰く、命易わらずと雖も、惟至誠の息まざる、亦以て之を移すに足れり。此れ大德の必ず命を受くる所以、君子の性有りて、命を謂わざる所以なり。

○游曰、中庸以人倫爲主。故以孝德言之。
【読み】
○游曰く、中庸は人倫を以て主とす。故に孝德を以て之を言えり。

○侯曰、舜匹夫也。而有天下、尊爲天子。富有四海之内、以天下養、宗廟饗之、子孫保之。孝之大也。位祿名壽必得者、理之常也。不得者非常也。得其常者舜也。不得其常者孔子也。舜自匹夫而有天下。栽者培之也。桀自天子而爲匹夫。傾者覆之也。天非爲舜・桀而存亡之也。理固然也。故曰、大德必受命。必、言其可必也。
【読み】
○侯曰く、舜は匹夫なり。而して天下を有ち、尊きこと天子爲り。富四海の内を有ち、天下を以て養い、宗廟之を饗け、子孫之を保つ。孝の大なるなり。位祿名壽必ず得る者は、理の常なり。得ざる者は常に非ず。其の常を得る者は舜なり。其の常を得ざる者は孔子なり。舜は匹夫よりして天下を有つ。栽える者は之を培うなり。桀は天子よりして匹夫爲り。傾むこ者は之を覆すなり。天は舜・桀の爲にして之を存亡するに非ず。理固より然り。故に曰く、大德は必ず命を受く、と。必ずとは、其の必す可きを言うなり。


第十八章

呂曰、追王之禮、古所無有。其出於周公乎。大王避狄去邠之岐山之下而居。從之者如歸市、則王業始基之矣。王季成大王之業、至文・武受命作周。故武王一戎衣而有天下、纘大王・王季・文王之緒而已。故追王大王・王季・文王者、明王業之所基也。武成曰、大王肇基王迹。王季其勤王家。我文考・文王克成厥薫、誕膺天命以撫方夏。大邦畏其力、小國懷其德。惟九年、大統未集。予小子其承厥志。此追王之意歟。追王之禮、文王之志也。武王承之。武王之業也、周公成之。武王末年始受天命。於是禮也、蓋有所未暇。此周公所以兼言成文王之德也。推是心也。故上祀先公、亦以天子之禮、而下達乎諸侯・大夫及士庶人。蓋先公組紺以上、追王所不及。如達其意、於大王・王季豈無是意哉。故上祀先公以天子之禮。所以達追王之意於其上也。喪從死者、祭從生者、則自諸侯達于大夫・士庶人、亦豈無是意哉。故父爲大夫子爲士、葬以大夫、祭以士。父爲士、子爲大夫、葬以士、祭以大夫。葬之從死者之爵、祭之用生者之祿、上下一也。所以達追王之意於其下也。期之喪達乎大夫者、期之喪有二。有正統之期。爲祖父母者也。有旁親之期。爲世父母・叔父母・衆子・昆弟・昆弟之子是也。正統之期、雖天子・諸侯莫敢降。旁親之期、天子・諸侯絶服而大夫降。所謂尊不同。故或絶或降也。大夫雖降猶服大功。不如天子・諸侯之絶服。故曰、期之喪達乎大夫也。如旁親之期亦爲大夫、則大夫亦不降。所謂尊同則服其親之服也。諸侯雖絶服、旁親尊同亦不降。所不臣者猶服之。如始封之君不臣諸父・昆弟、封君之子不臣諸父而臣昆弟是也。三年之喪達乎天子者、三年之喪爲父、爲母、適孫、爲祖、爲長子、爲妻而已。天子達乎庶人一也。父在爲母、及妻、雖服期、然本爲三年之喪。但爲父爲夫屈者也。故與衰齊期之餘喪異者有三。服而加杖。一也。十一月而練、十三月而祥、十五月而禫。二也。夫必三年而後娶。三也。周穆后崩、太子壽卒。叔向曰王一歳而有三年之喪二、則包后亦爲三年也。父母之喪、則齊疏之服、饘粥之食、自天子達于庶人。蓋子之事親、所以自致其誠、不可以尊卑變也。
【読み】
呂曰く、追王の禮は、古有ること無き所。其れ周公に出づるか。大王狄を避けて邠を去り岐山の下に之きて居れり。之に從う者市に歸するが如くなれば、則ち王業始めて之を基す。王季大王の業を成し、文・武に至って命を受け周を作す。故に武王一たび戎衣して天下を有ち、大王・王季・文王の緒を纘[つ]げるのみ。故に大王・王季・文王を追王する者は、王業の基する所を明かすなり。武成に曰く、大王肇めて王迹を基す。王季其れ王家を勤む。我が文考・文王克く厥の薫を成し、誕[おお]いに天命に膺[あた]りて以て方夏を撫す。大邦は其の力を畏れ、小國は其の德に懷く。惟れ九年、大統未だ集らず。予小子其れ厥の志を承く、と。此れ追王の意か。追王の禮は、文王の志なり。武王之を承けり。武王之業や、周公之を成せり。武王末年に始めて天命を受く。是の禮に於てや、蓋し未だ暇あらざる所有らん。此れ周公の文王の德を成すと兼ね言う所以なり。是の心を推す。故に上先公を祀るに、亦天子の禮を以てして、下諸侯・大夫及び士庶人に達す。蓋し先公は組紺以上、追王の及ばざる所。如し其の意を達せば、大王・王季に於て豈是の意無からんや。故に上先公を祀るに天子の禮を以てす。追王の意を其の上に達する所以なり。喪は死者に從い、祭は生者に從えば、則ち諸侯より大夫・士庶人に達するまで、亦豈是の意無からんや。故に父大夫爲り子士爲れば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父士爲り、子大夫爲れば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。之を葬るに死者の爵に從い、之を祭るは生者の祿を用うることは、上下一なり。追王の意を其の下に達する所以なり。期の喪は大夫に達すとは、期の喪に二つ有り。正統の期有り。祖父母の爲にする者なり。旁親の期有り。世父母・叔父母・衆子・昆弟・昆弟の子の爲にする、是れなり。正統の期は、天子・諸侯と雖も敢えて降すこと莫し。旁親の期は、天子・諸侯は服を絶ちて大夫は降す。所謂尊きこと同じからず。故に或は絶ち或は降す。大夫は降すと雖も猶大功を服す。天子・諸侯の服を絶つが如くならず。故に曰く、期の喪は大夫に達す、と。旁親の期の如きも亦大夫爲れば、則ち大夫も亦降さず。所謂尊きこと同しければ則ち其の親の服を服すなり。諸侯服を絶つと雖も、旁親尊きこと同しければ亦降さず。臣とせざる所の者は猶之を服す。始封の君は諸父・昆弟を臣とせず、封君の子は諸父を臣とせずして昆弟を臣とするが如き、是れなり。三年の喪は天子に達すとは、三年の喪は父の爲、母の爲、適孫は、祖の爲、長子の爲、妻の爲にするのみ。天子より庶人に達するまで一なり。父在せば母の爲、及び妻たれば、期を服すと雖も、然れども本三年の喪爲り。但父の爲夫の爲に屈する者なり。故に衰齊期の餘喪と異なる者三つ有り。服して杖を加う。一つなり。十一月にして練し、十三月にして祥し、十五月にして禫す。二つなり。夫必ず三年にして後に娶る。三つなり。周穆后崩じ、太子壽卒す。叔向王一歳にて三年の喪二つ有りと曰えば、則ち后を包ねて亦三年と爲すなり。父母の喪は、則ち齊疏の服、饘粥の食、天子より庶人に達す。蓋し子の親に事る、自ら其の誠を致す所以、尊卑を以て變ず可からず。

○游曰、武王之事非聖人所優爲也。故曰、一戎衣而有天下。身不失天下之顯名。謂之不失、則與必得異矣。乃如其道、則尊爲天子、富有四海之内、宗廟享之、子孫保之。與舜未始不同也。
【読み】
○游曰く、武王の事は聖人の優に爲す所に非ず。故に曰く、一たび戎衣して天下を有つ。身天下の顯名を失わず、と。之を失わずと謂えば、則ち必ず得とは異なり。乃ち其の道の如きは、則ち尊きこと天子爲り、富四海の内を有ち、宗廟之を享け、子孫之を保つ。舜と未だ始めより同じからずんばあらず。

○又曰、武王於泰誓三篇、稱文王爲文考。至武成、而柴望然後稱文考爲文王。仍稱其祖爲大王・王季。然則周公追王大王・王季者、乃文王之德、武王之志也。故曰、成文・武之德。不言文王者、武王旣追王矣。武王旣追王而不及大王・王季、以其末受命、而其序有未暇也。禮記大傳載牧野之奠追王大王亶父・王季歴・文王昌、亦據武成之書、以明追王之意出於武王也。世之說者因中庸無追王文王之文、遂以謂、文王自稱王。豈未嘗考泰誓武成之書乎。君臣之分、猶天尊地卑。紂未可去而文王稱王、是二天子也。服事商之道固如是邪。書所謂九年大統未集者、後世以虞芮質厥成、爲文王受命之始故也。當六國時秦固以長雄天下、而周之位號微矣。新垣衍欲帝秦。魯仲連以片言折之。衍不敢復出口。蓋名分之嚴如此。故以曹操之英雄、逡巡於獻帝之末而不得逞。彼蓋知利害之實也。曾謂至德如文王、一言一動順帝之則、而反盗虛名而拂天理乎。且武王觀政于商、而須暇之五年、非僞爲也。使紂一日有悛心、則武王當與天下共尊之。必無牧野之事。然則文王已稱之名、將安所歸乎。此天下之大戒。故不得不辨、亦所以正人心也。
【読み】
○又曰く、武王泰誓三篇に於て、文王を稱して文考とす。武成に至って、柴望して然して後に文考を稱して文王とす。仍[なお]其の祖を稱して大王・王季とす。然れば則ち周公の大王・王季を追王せるは、乃ち文王の德、武王の志なり。故に曰く、文・武の德を成す、と。文王を言わざるは、武王旣に追王すればなり。武王旣に追王して大王・王季に及ばざるは、其の末[お]いて命を受くるを以て、其の序未だ暇あらざること有り。禮記の大傳に牧野の奠大王亶父・王季歴・文王昌を追王するを載するも、亦武成の書に據って、以て追王の意の武王に出づることを明かすなり。世の說く者中庸に文王を追王すの文無きに因りて、遂に以謂う、文王自ら王と稱す、と。豈未だ嘗て泰誓武成の書を考えざらんや。君臣の分は、猶天尊く地卑きがごとし。紂未だ去る可からずして文王王と稱せば、是れ二りの天子なり。商に服事するの道固より是の如くならんや。書に謂う所の九年大統未だ集らずとは、後世虞芮厥の成すべきを質すを以て、文王命を受くるの始めと爲す故なり。六國の時に當たって秦固より以て天下に長雄して、周の位號微なり。新垣衍秦を帝にせんと欲す。魯仲連片言を以て之を折く。衍敢えて復口より出さず。蓋し名分の嚴なること此の如し。故に曹操の英雄を以て、獻帝の末に逡巡して逞しくすることを得ず。彼蓋し利害の實を知ればなり。曾て至德文王の如く、一言一動帝の則に順い、反って虛名を盗んで天理に拂[さか]らわんやと謂う。且つ武王政を商に觀て、暇を須つこと五年、僞って爲すに非ず。紂をして一日悛[あらた]むる心有らしめば、則ち武王當に天下と共に之を尊ぶべし。必ず牧野の事無からん。然れば則ち文王已に稱するの名、將[はた]安んぞ歸する所あらん。此れ天下の大戒。故に得て辨ぜずんばあらず、亦人心を正す所以なり。

○楊曰、武王之武、蓋聖人之不幸者、非其欲也。然而身不失天下之顯名者、以其一怒而安天下之民故也。謂之不失、與舜之必得異矣。故泰誓曰、受克予、非朕文考有罪。惟予小子無良。蓋聖人雖曰恭行天罰、而猶有受克予之言、不敢自必也。謂之不失、不亦宜乎。
【読み】
○楊曰く、武王の武は、蓋し聖人の不幸なる者、其の欲するに非ず。然して身天下の顯名を失わざる者は、其の一たび怒って天下の民を安んずるを以て故なり。之を失わずと謂えば、舜の必ず得ると異なり。故に泰誓に曰く、受予に克たば、朕が文考罪有るに非ず。惟れ予小子良無からん、と。蓋し聖人恭く天罰を行うと曰うと雖も、而れども猶受予に克つの言有り、敢えて自ら必とせざるなり。之を失わずと謂うも、亦宜ならざらんや。

○又曰、追王大王・王季、上祀先公以天子之禮、以金縢之書考之、其禮宜未備也。周公居攝七年而後禮樂備。故追王大王・王季、上祀先公以天子之禮、則文・武所以嚴父尊祖之義於是盡矣。此文・武之德。蓋周公成之也。故孝經曰、孝莫大於嚴父。嚴父莫大於配天。則周公其人也。斯禮也達乎諸侯・大夫及士庶人。謂上祀先公以天子之禮也。葬不從死者、是無臣而爲有臣也。祭不從生者、是不以其所以養事其親也。
【読み】
○又曰く、大王・王季を追王し、上先公を祀るに天子の禮を以てするは、金縢の書を以て之を考えるに、其の禮宜しく未だ備わざるべし。周公攝に居ること七年にして後に禮樂備わる。故に大王・王季を追王し、上先公を祀るに天子の禮を以てすれば、則ち文・武父を嚴にし祖を尊べる所以の義是に於て盡くせり。此れ文・武の德。蓋し周公之を成せり。故に孝經に曰く、孝は父を嚴にするより大なるは莫し。父を嚴にするは天に配するより大なるは莫し。則ち周公其の人なり、と。斯の禮や諸侯・大夫及び士庶人に達す。上先公を祀るに天子の禮を以てするを謂うなり。葬るに死者に從わざるは、是れ臣無くして臣有りと爲すなり。祭るに生者に從わざるは、是れ其の養う所以を以て其の親に事えざるなり。

○侯曰、中庸之道參差不同。聖人之時中、當其可而已。文王三分天下有其二以服事殷。此文王之中庸也。舜以匹夫而有天下。此舜之中庸也。武王纘大王・王季・文王之緒、一戎衣而有天下。此武王之中庸也。此謂不失天下顯名者、非謂武王之有天下不及舜也。謂之天下之顯名者、謀從衆而合天心也。是與舜之有天下不異也。故亦曰、尊爲天子、富有四海之内、宗廟享之、子孫保之。易地皆然故也。有一毫不與舜受天下之心同、有一人不謳謌獄訟而歸之、非中也。簒也。尙有顯名哉。武王末年方受天命而有天下。未及有作。周公成文・武之德、追王先公之禮、喪葬之制、皆古先所未有也。此又周公之時中也。
【読み】
○侯曰く、中庸の道參差して同じからず。聖人の時に中するは、其の可に當たるのみ。文王天下を三分にして其の二つを有して以て殷に服事す。此れ文王の中庸なり。舜匹夫を以て天下を有つ。此れ舜の中庸なり。武王大王・王季・文王の緒を纘いで、一たび戎衣して天下を有つ。此れ武王の中庸なり。此を天下の顯名を失わずと謂うは、武王の天下を有つこと舜に及ばずと謂うに非ず。之を天下の顯名と謂うは、謀ること衆に從いて天心に合うなり。是れ舜の天下を有てると異ならず。故に亦曰く、尊きこと天子爲り、富四海の内を有ち、宗廟之を享け、子孫之を保つ、と。地を易えれば皆然る故なり。一毫も舜の天下を受くるの心と同じからざること有り、一人謳謌獄訟して之に歸せざること有れば、中に非ず。簒えるなり。尙顯名有らんや。武王末年に方に天命を受けて天下を有つ。未だ作ること有るに及ばず。周公文・武の德を成して、先公を追王するの禮、喪葬の制、皆古先の未だ有らざる所なり。此れ又周公の時に中するなり。


中庸集畧巻下

第十九章

呂曰、此章言達孝所以爲中庸。武王・周公所以稱達孝者、能成文王事親之孝而已。故脩其祖廟、陳其宗器、設其裳衣、薦其時食者、善繼文王事親之志也。序爵、序事、旅酬、燕毛者、善述文王事親之事也。踐文王之位、行文王之禮、奏文王之樂、敬文王之所尊、愛文王之所親。其所以事文王者、如生如存。故繼志述事、上達乎祖。此之謂達孝者歟。祖廟者、先王・先公之廟祧也。宗器者、國之玉鎭大寶器、天府所掌者也。若有大祭、則出而陳之以蕐國。如周書所謂赤刀・大訓・弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球・河圖之類是也。衣裳者、守祧所掌。先王・先公之遺衣服。祭祀則各以其服授尸是也。時食者、四時之物。如籩豆之薦四時之和氣是也。宗廟之禮、所以序昭穆別人倫也。親親之義也。父爲昭、子爲穆。父親也。親者邇則不可不別也。祖爲昭、孫亦爲昭。祖爲穆、孫亦爲穆。祖尊也。尊者遠則不嫌於無別也。故孫可以爲王父尸。子不可以爲父尸。此昭穆之別於尸者也。喪禮卒哭而祔。男祔于皇祖考、女祔于皇祖妣。婦祔皇祖姑。喪服小記、士大夫不得祔于諸侯、祔于諸祖父之爲士大夫者。亡則中一以上而祔。祔必以其昭穆。此昭穆之別於祔者也。有事于太廟子姓兄弟、亦以昭穆別之。群昭群穆不失其倫。凡賜爵、昭與昭齒、穆與穆齒。此昭穆之別於宗者也。序爵者、序諸侯諸臣與祭者之貴賤也。貴貴之義也。詩曰、相維辟公。天子穆穆。此諸侯之助祭者也。於穆淸廟、肅雍顯相。濟濟多士、秉文之德。此諸臣之助祭者也。序事者、別賢與能而授之事也。尊賢之義也。孰可以爲宗而詔相、孰可以爲祝而祝嘏、孰可以贊裸獻、孰可以執籩豆。至于執爵沃盥、莫不辨其賢能之大小而序之也。旅酬下爲上者、使賤者亦得申其敬也。下下之義也。若特牲饋食之禮、實弟子兄弟弟子、各擧觶於其長以行旅酬、於宗廟之中以有事爲榮也。燕毛者、旣祭而燕則尙齒也。長長之義也。毛、髪色也。以髪色別長少、而爲之序也。祭則貴貴。貴貴則尙爵、燕則親親。親親則尙齒。其義一也。天下之大經、親親、長長、貴貴、尊賢而已。人君之至恩、下下而已。一祭之閒、大經以正、至恩以宣。天下之事盡矣。郊社之禮、所以事上帝。宗廟之禮、所以事乎其先。事上帝者、所以立天下之大本。道之所由出也。祀乎其先者、所以正天下之大經。仁義之所由始也。故壇廟之別、牲幣之殊、升降裸獻之節、俎豆奇耦之數、酒醞薄厚之齊、燎瘞腥腍、小大多寡、莫不有義。一餕之均、則四簋黍見其脩於廟中、一肦肉之均、則羔豚而祭、百官皆足。非特是也。知鬼神爲可敬、則鬼神無不在也。洋洋乎如在其上、如在其左右。雖隱微之閒、恐懼戒愼而不敢欺、則所以養其誠心至矣。蓋以爲、不如是則不足以立身。身且不立、烏能治國家哉。故曰、明乎郊社之禮、禘嘗之義、治國其如示諸掌乎、此之謂也。
【読み】
呂曰く、此の章、達孝は中庸と爲る所以を言う。武王・周公を達孝と稱する所以の者は、能く文王親に事るの孝を成せるのみ。故に其の祖廟を脩め、其の宗器を陳ね、其の裳衣を設け、其の時食を薦むる者は、善く文王親に事るの志を繼げり。爵を序いで、事を序いで、旅酬し、燕毛するは、善く文王親に事るの事を述べり。文王の位を踐み、文王の禮を行い、文王の樂を奏し、文王の尊べる所を敬い、文王の親しめる所を愛す。其の文王に事る所以は、生けるが如く存せるが如し。故に志を繼ぎ事を述べ、祖に上達す。此れ之を達孝と謂うか。祖廟は、先王・先公の廟祧なり。宗器は、國の玉鎭大寶器、天府掌る所の者なり。若し大祭有れば、則ち出して之を陳ねて以て國を蕐にす。周書に謂う所の赤刀・大訓・弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球・河圖の類の如き、是れなり。衣裳は、守祧掌る所。先王・先公の遺衣服。祭祀には則ち各々其の服を以て尸に授く、是れなり。時食は、四時の物。籩豆の薦は四時の和氣の如き、是れなり。宗廟の禮は、昭穆を序いで人倫を別つ所以なり。親を親とするの義なり。父を昭とし、子を穆とす。父は親なり。親しき者邇ければ則ち別たずんばある可からず。祖を昭とすれば、孫も亦昭とす。祖を穆とすれば、孫も亦穆とす。祖は尊し。尊き者遠ければ則ち別無きに嫌いず。故に孫以て王父の尸と爲す可し。子以て父の尸と爲す可からず。此れ昭穆の尸に別てる者なり。喪の禮は卒哭して祔す。男は皇祖考に祔し、女皇祖妣に祔す。婦は皇祖姑に祔す。喪服小記に、士大夫は諸侯に祔することを得ず、諸祖父の士大夫爲る者に祔す。亡ければ則ち一を中[へだ]て以て上げて祔す。祔するに必ず其の昭穆を以てす。此れ昭穆の祔に別てる者なり。太廟に事有る子姓兄弟も、亦昭穆を以て之を別つ。群昭群穆其の倫を失わず。凡そ爵を賜うには、昭は昭と齒し、穆は穆と齒す。此れ昭穆の宗に別てる者なり。爵を序ずとは、諸侯諸臣と祭る者の貴賤とを序ずるなり。貴を貴ぶの義なり。詩に曰く、相[たす]くる維れ辟公あり。天子穆穆たり、と。此れ諸侯の祭を助くる者なり。於[ああ]穆たる淸廟、肅[つつし]んで雍[やわら]げ顯らかに相く。濟濟たる多士、文の德を秉[と]る、と。此れ諸臣の祭を助くる者なり。事を序ずるとは、賢と能とを別けて之に事を授くなり。賢を尊ぶの義なり。孰か以て宗と爲して詔相す可き、孰か以て祝と爲して祝嘏す可き、孰か以て裸獻を贊す可き、孰か以て籩豆を執る可き。執爵沃盥に至るまで、其の賢能の大小を辨じて之を序であらざること莫し。旅酬の下上の爲にするは、賤者をして亦其の敬を申ぬるを得せしむるなり。下を下とするの義なり。特牲饋食の禮の若き、實の弟子兄弟の弟子、各々觶を其の長に擧げて以て旅酬を行うは、宗廟の中に於て事有るを以て榮とするなり。燕毛は、旣に祭って燕すれば則ち齒を尙ぶなり。長を長とするの義なり。毛は、髪の色なり。髪の色を以て長少を別けて、之が序を爲す。祭には則ち貴を貴しとす。貴を貴しとするは則ち爵を尙しとして、燕には則ち親を親とす。親を親とするは則ち齒を尙ぶ。其の義一なり。天下の大經、親を親とし、長を長とし、貴を貴とし、賢を尊ぶのみ。人君の至恩は、下を下とするのみ。一祭の閒、大經以て正しく、至恩以て宣ぶ。天下の事盡くせり。郊社の禮は、上帝に事る所以。宗廟の禮は、其の先に事る所以。上帝に事るは、天下の大本を立つる所以。道の由って出る所なり。其の先を祀るは、天下の大經を正す所以。仁義の由って始まる所なり。故に壇廟の別、牲幣の殊、升降裸獻の節、俎豆奇耦の數、酒醞薄厚の齊、燎瘞腥腍、小大多寡、義有らざること莫し。一餕の均は、則ち四簋の黍其の廟中に脩るを見、一肦肉の均は、則ち羔豚にて祭り、百官皆足る。特是のみに非ず。鬼神敬う可きとすることを知れば、則ち鬼神在さざること無し。洋洋乎として其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し。隱微の閒と雖も、恐懼戒愼して敢えて欺かざれば、則ち其の誠心を養う所以至れり。蓋し以爲えらく、是の如くならざれば則ち以て身を立つるに足らず。身すら且つ立たずんば、烏んして能く國家を治めんや。故に曰く、郊社の禮、禘嘗の義を明らかにせば、國を治むること其れ諸を掌に示[み]るが如きとは、此れ之を謂うなり。

○游曰、大孝、聖人之絶德也。達孝、天下之通道也。要其爲人倫之至、則一也。故繼志述事之末、亦曰、孝之至也。事死如事生、以愼終者言之。事亡如事存、以追遠者言之。故始死謂之死。旣葬則曰反而亡焉。此死亡之辨也。惟聖人爲能饗帝、孝子爲能饗親。饗帝一德。饗親一心也。要不過乎物而已。其於慶賞刑威乎何有。故曰、明乎郊社之禮、禘嘗之義、治國其如示諸掌乎。成王自謂、予冲子夙夜毖祀。此迓衡之要道也。
【読み】
○游曰く、大孝は、聖人の絶德なり。達孝は、天下の通道なり。要するに其の人倫の至り爲ることは、則ち一なり。故に志を繼ぎ事を述ぶるの末に、亦曰く、孝の至りなり、と。死に事ること生に事るが如きは、終わりを愼む者を以て之を言う。亡に事ること存に事るが如きは、遠きを追う者を以て之を言う。故に始めて死する之を死と謂う。旣に葬っては則ち反って亡ぶと曰う。此れ死亡の辨なり。惟聖人のみ能く帝を饗することを爲し、孝子のみ能く親を饗することを爲す。帝を饗するは一德なり。親を饗するは一心なり。要するに物に過ぎざるのみ。其れ慶賞刑威に於て何か有らん。故に曰く、郊社の禮、禘嘗の義を明らかにせば、國を治むること其れ諸を掌に示るが如き、と。成王自ら謂えり、予冲子夙夜祀を毖[つつし]まん、と。此れ迓衡の要道なり。

○又曰、祭祀之義、非精義不足以究其說、非體道不足以致其義。蓋惟聖人爲能饗帝、爲其盡人道而與帝同德、孝子爲能饗親、爲其盡子道而與親同心也。仁孝之至通乎神明、而神祗祖考安樂之、則於郊社之禮、禘嘗之義、始可以言明矣。夫如是則於爲天下國家也何有。
【読み】
○又曰く、祭祀の義、義を精するに非ざれば以て其の說を究むるに足らず、道に體するに非ざれば以て其の義を致すに足らず。蓋し惟聖人のみ能く帝を饗することを爲すは、其の人道を盡くして帝と德を同じくするが爲、孝子能く親を饗することを爲すは、其の子の道を盡くして親と心を同じくするが爲なり。仁孝の至り神明に通じて、神祗祖考之を安樂すれば、則ち郊社の禮、禘嘗の義に於て、始めて以て明らかにすと言う可し。夫れ是の如くなれば則ち天下國家を爲むるに於てや何か有らん。

○楊曰、武王纘大王・王季・文王之緒、周公追王大王・王季、上祀先公以天子之禮。所以繼其志述其事也。夫將祭必思其居處。故廟則有司脩除之、祧則守祧黝堊之。嚴祀事也。宗器、天府所藏是也。若赤刀・大訓・天球・河圖之類、歴世寶之以傳後嗣、祭則陳之示能守也。於顧命陳之示能傳也。裳衣、守祧所藏是也。祭則各以所遺衣服授尸。所以依神也。時食、若四之日獻羔祭韭之類、以生事之也。夫祭有昭穆、所以別父子・遠近・長幼・親疎之序也。故有事于太廟、則群昭群穆咸在而不失其倫焉。此宗廟之禮所以序昭穆也。尸飮五、君洗玉爵獻卿、尸飮七、以瑶爵獻大夫、尸飮九、以散爵獻士及群有司。此序鬯而尊卑有等。所以辨貴賤也。玉幣交神明也。裸鬯求神於幽也。故天地不裸、則玉幣尊於鬯也。故太宰贊之。鬯則大宗伯涖之。裸將又卑於鬯也。故小宰贊之。若此類、所謂序事也。先王量德授位、因能授職。此序事所以辨賢也。饋食之終、酳尸之獻、下逮群有司更爲獻酬。此旅酬下爲上所以逮賤也。旣祭而以燕毛爲序、所以序齒也。序昭穆、親親也。序爵、貴貴也。序事、尙德也。旅酬逮賤、燕毛序齒、尙恩也。敬親者不敢慢於人。況其所尊乎。愛親者不敢惡於人。況其所親乎。事死如事生。若餘閣之奠是也。事亡如事存。若齊必見其所祭者是也。記曰、入門弗見也。上堂又弗見也。入室又弗見也。亡矣喪矣。蓋死、而後亡也。始死則事之如生。旣亡則事之如存。著存不忘乎心。孝之至也。夫上祀先公以天子之禮、而下達乎庶人推親親之恩、至於燕毛序齒、仁之至、義之盡也。武王・周公所以爲達孝也歟。詩曰、孝子不匱、永錫爾類、此之謂也。
【読み】
○楊曰く、武王大王・王季・文王の緒を纘ぎ、周公大王・王季を追王し、上先公を祀るに天子の禮を以てす。其の志を繼ぎ其の事を述ぶる所以なり。夫れ將に祭らんとしては必ず其の居處を思う。故に廟は則ち有司之を脩除し、祧は則ち守祧之を黝堊す。祀の事を嚴にするなり。宗器は、天府藏むる所、是れなり。赤刀・大訓・天球・河圖の類の若き、歴世之を寶として以て後嗣に傳え、祭には則ち之を陳ねて能く守ることを示す。顧命に於て之を陳ねて能く傳うることを示す。裳衣は、守祧藏むる所、是れなり。祭には則ち各々遺す所の衣服を以て尸に授く。神を依する所以なり。時食は、四つの日羔を獻じ韭を祭るの類の若き、生けるを以て之に事るなり。夫れ祭に昭穆有るは、父子・遠近・長幼・親疎の序を別つ所以なり。故に太廟に事有れば、則ち群昭群穆咸く在って其の倫を失わず。此れ宗廟の禮昭穆を序ずる所以なり。尸飮むこと五たびにして、君玉爵を洗って卿に獻じ、尸飮むこと七たびにして、瑶爵を以て大夫に獻じ、尸飮むこと九たびにして、散爵を以て士及び群有司に獻ず。此れ鬯を序いで尊卑等有り。貴賤を辨うる所以なり。玉幣は神明に交わるなり。裸鬯は神を幽に求むるなり。故に天地に裸せざれば、則ち玉幣は鬯より尊し。故に太宰之を贊く。鬯は則ち大宗伯之に涖む。裸將は又鬯より卑し。故に小宰之を贊く。此の若き類、所謂事を序ずるなり。先王德を量って位を授け、能に因って職を授く。此れ事を序ずるは賢を辨う所以なり。饋食の終わり、尸に酳するの獻、下群有司に逮んで更に獻酬を爲す。此れ旅酬下上の爲にするは賤に逮す所以なり。旣に祭って燕毛を以て序を爲すは、齒を序ずる所以なり。昭穆を序ずるは、親を親とす。爵を序ずるは、貴を貴しとす。事を序ずるは、德を尙ぶ。旅酬賤に逮ぼし、燕毛齒を序ずるは、恩を尙ぶなり。親を敬う者は敢えて人を慢らず。況や其の尊ぶ所をや。親を愛する者は敢えて人を惡まず。況や其の親しむ所をや。死に事ること生に事るが如し。閣に餘るの奠の若き、是れなり。亡に事ること存に事るが如し。齊には必ず其の祭る所の者を見るが若き、是れなり。記に曰く、門に入りて見えず。堂に上りて又見えず。室に入りて又見えず。亡び喪いぬ、と。蓋し死す、而して後に亡ぶなり。始めて死すれば則ち之に事ること生きるが如し。旣に亡ぶれば則ち之に事ること存せるが如し。著存心に忘れず。孝の至りなり。夫れ上先公を祀るに天子の禮を以てして、下庶人に達するまで親を親とするの恩を推し、燕毛齒を序ずるに至るは、仁の至り、義の盡くせるなり。武王・周公達孝とする所以なるか。詩に曰く、孝子匱[とぼ]しからず、永く爾に類[よきこと]を錫うとは、此れ之を謂うなり。

○又曰、推先王報本反始之義、與夫觀盥不薦、渙・萃假有廟之象、則聖人所以自盡其心者、於是爲至。非深知鬼神之情状、其孰能知之。知此則於治國乎何有。
【読み】
○又曰く、先王本を報じ始めに反るの義と、夫の觀の盥て薦めず、渙・萃の有廟に假るの象とを推せば、則ち聖人自ら其の心を盡くせる所以の者、是に於て至れりと爲す。深く鬼神の情状を知るに非ずんば、其れ孰か能く之を知らん。此を知らば則ち國を治むるに於て何か有らん。


第二十章第一節 哀公至知天。
【読み】
第二十章第一節 哀公より知天に至る。

程子曰、昔者聖人立人之道、曰、仁與義。孔子曰、仁者人也。親親爲大。義者宜也。尊賢爲大。惟能親親。故老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼。惟能尊賢。故賢者在位、能者在職。惟仁與義盡人之道。則謂之聖人。伊川。
【読み】
程子曰く、昔者聖人人の道を立てて、曰く、仁と義、と。孔子曰く、仁は人なり。親を親とするを大なりとす。義は宜なり。賢を尊ぶを大なりとす、と。惟能く親を親とす。故に吾が老を老として以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として以て人の幼に及ぼす。惟能く賢を尊ぶ。故に賢者位に在り、能者職に在り。惟仁と義と人の道を盡くす。則ち之を聖人と謂う。伊川。

○又曰、不知天、則於人之愚知賢否有所不能知。雖知之有所不盡。故思知人、不可不知天。不知人、則所親者或非其人、所由者或非其道、而辱身危親者有之。故思事親、不可不知人。
【読み】
○又曰く、天を知らざれば、則ち人の愚知賢否に於て知ること能わざる所有り。之を知ると雖も盡くさざる所有り。故に人を知らんことを思わば、天を知らずんばある可からず。人を知らざれば、則ち親しむ所の者或は其の人に非ず、由る所の者或は其の道に非ずして、身を辱め親を危くする者之れ有り。故に親に事らんことを思わば、人を知らずんばある可からず。

○呂曰、所謂文・武之政者、以此道施之於爲政而已。有文・武之心、然後能行文・武之政。無文・武之心、則徒法不能以自行也。故曰、其人存則其政擧、其人亡則其政息。
【読み】
○呂曰く、所謂文・武の政は、此の道を以て之を政を爲すに施すのみ。文・武の心有って、然して後に能く文・武の政を行う。文・武の心無ければ、則ち徒法以て自ら行うこと能わず。故に曰く、其の人存すれば則ち其の政擧がり、其の人亡ぶれば則ち其の政息む、と。

○又曰、道者、人倫之謂也。非明此人倫、不足以反其身而萬物之備也。故曰、脩身以道。非有惻怛之誠心盡至公之全體、不足以脩人倫而極其至也。故曰、脩道以仁。夫人立乎天地之中、其道與天地並立而爲三者也。其所以異者、天以陰陽、地以柔剛、人以仁義而已。所謂道者、合天地人而言之。所謂人者、合天地之中所謂人者而言之。非梏乎有我之私也。故非有惻怛之誠心盡至公之全體、不可謂之仁也。親親而仁民、仁民而愛物。愛雖無閒、而有差等、則親親大矣。所大者行仁之本也。故曰、仁者人也。親親爲大。行仁之道、時措之宜、則有義也。天下所宜爲者莫非義也。而尊賢大矣。知尊賢之爲大而先之。是亦義也。故曰、義者宜也。尊賢爲大。親親之中、父子首足也。夫妻判合也。昆弟四體也。其情不能無殺也。尊賢之中、有師也、有友也、有事我者也。其待不能無等也。因是等殺之別、節文所由生、禮之謂也。故曰、親親之殺、尊賢之等、禮所生也。
【読み】
○又曰く、道は、人倫の謂なり。此の人倫を明らかにするに非ざれば、以て其の身に反して萬物の備わるに足らず。故に曰く、身を脩むるに道を以てす、と。惻怛の誠心有りて至公の全體を盡くすに非ずんば、以て人倫を脩めて其の至りを極むるに足らず。故に曰く、道を脩むるに仁を以てす、と。夫れ人は天地の中に立ち、其の道と天地と並び立って三と爲る者なり。其の異なる所以の者は、天は陰陽を以てし、地は柔剛を以てし、人は仁義を以てするのみ。所謂道とは、天地人を合わせて之を言う。所謂人とは、天地の中所謂人なる者を合わせて之を言う。有我の私に梏するに非ず。故に惻怛の誠心有りて至公の全體を盡くすに非ざれば、之を仁と謂う可からず。親を親として民を仁し、民を仁して物を愛す。愛閒無きと雖も、而れども差等有れば、則ち親を親とするは大なり。大なる所の者は仁を行うの本なり。故に曰く、仁は人なり。親を親とするを大なりとす、と。仁を行うの道、時に措くの宜しきは、則ち義有り。天下の宜しく爲すべき所の者は義に非ざること莫し。而して賢を尊ぶは大なり。賢を尊ぶの大爲ることを知って之を先んず。是れ亦義なり。故に曰く、義は宜なり、と。賢を尊ぶを大なりとす。親を親とするの中、父子は首足なり。夫妻は判合なり。昆弟は四體なり。其の情殺ぐこと無きこと能わず。賢を尊ぶの中、師有り、友有り、我に事える者有り。其の待つこと等無きこと能わず。是に因って等殺の別、節文由って生る所は、禮の謂なり。故に曰く、親を親とするの殺、賢を尊ぶの等は、禮の生る所なり。

○游曰、螟蛉有可化之質、蜾蠃有能化之材。知是說然後可與言政也。然則政之所託、可非其人乎。故曰、爲政在人。人固未易知。若規矩準繩在我、則方圓曲直無所逃矣。故曰、取人以身。規矩準繩無他。人道而已。故脩身以道、脩道以仁。
【読み】
○游曰く、螟蛉化す可きの質有り、蜾蠃能く化するの材有り。是の說を知って然して後に與に政を言う可し。然れば則ち政の託する所、其の人に非ざる可けんや。故に曰く、政を爲すこと人に在り、と。人固より未だ知り易からず。若し規矩準繩我に在れば、則ち方圓曲直逃るる所無し。故に曰く、人を取るに身を以てす、と。規矩準繩は他無し。人道なるのみ。故に身を脩むるに道を以てし、道を脩むるに仁を以てす。

○楊曰、人存則政擧。故爲政在人。君子有諸己而後求諸人。故取人必以身。脩身而不以道、非有諸己也。則身不足以取人矣。道二。仁與不仁而已。故脩道必以仁。仁者人也。合天下之公非私於一己者也。蓋無公天下之誠心、而任小己之私意、則違道遠矣。然仁者人也。愛有差等、則親親爲大。義者行吾敬而已。時措之宜、則尊賢爲大。以三爲五、以五爲九。上殺、下殺、旁殺而親畢矣。此親親之殺也。有就之而不敢召者、有友之而不敢臣者。此尊賢之等也。因其等殺而爲之別、禮之所由生也。孟子曰、禮者節文斯二者是也、其斯之謂歟。
【読み】
○楊曰く、人存すれば則ち政擧ぐる。故に政を爲すこと人に在り。君子諸を己に有ちて而して後に諸を人に求む。故に人を取るに必ず身を以てす。身を脩めて道を以てせざるは、諸を己に有つに非ず。則ち身以て人を取るに足らざるなり。道は二つ。仁と不仁とのみ。故に道を脩むるには必ず仁を以てす。仁は人なり。天下の公を合わせて一己に私するに非ざる者なり。蓋し天下に公なるの誠心無くして、小己の私意に任ずれば、則ち道を違ること遠し。然るに仁は人なり。愛に差等有れば、則ち親を親とするを大なりとす。義は吾が敬を行うのみ。時に措くの宜しきは、則ち賢を尊ぶを大なりとす。三を以て五と爲し、五を以て九と爲す。上殺ぎ、下殺ぎ、傍ら殺いで親畢んぬ。此れ親を親とするの殺なり。之に就いて敢えて召さざる者有り、之を友として敢えて臣とせざる者有り。此れ賢を尊ぶの等なり。其の等殺に因って之が別を爲すは、禮の由って生る所なり。孟子曰く、禮は斯の二つの者を節文する、是れなりとは、其れ斯の謂か。

○侯曰、文・武之政、或擧或息、繫乎人之存亡。若待文・武興而擧之、則曠千古而無善政也。能由文・武之道、行文・武之政、是亦文・武而已。
【読み】
○侯曰く、文・武の政、或は擧がり或は息むは、人の存亡に繫る。若し文・武興って之を擧ぐることを待たば、則ち千古を曠くして善政無からんや。能く文・武の道に由って、文・武の政を行うは、是れ亦文・武のみ。

○又曰、天下之大、萬機之繁、非一人之所能擧也。必得天下聖賢而共之。身苟不脩、則賢者不屑也。故取人以身。
【読み】
○又曰く、天下の大なる、萬機の繁ぎ、一人の能く擧ぐる所に非ず。必ず天下の聖賢を得て之を共にす。身苟も脩まらざれば、則ち賢者屑しとせず。故に人を取るに身を以てす。

○又曰、人實難知。知人則哲能官人。欲知人而不知天、則賢不肖或失其宜。雖知有所未盡、亦非知人也。人之道、天理也。盡天理則道盡矣。己不能盡天理、安能知人乎。故曰、思知人、不可以不知天。
【読み】
○又曰く、人は實に知り難し。人を知れば則ち哲能く人を官にす。人を知らんと欲して天を知らざれば、則ち賢不肖或は其の宜しきを失す。知ると雖も未だ盡くさざる所有れば、亦人を知るに非ず。人の道は、天理なり。天理を盡くせば則ち道盡く。己天理を盡すくこと能わずんば、安んぞ能く人を知らん。故に曰く、人を知らんことを思わば、以て天を知らずんばある可からず、と。


第二十章第二節 天下至家矣。
【読み】
第二十章第二節 天下より家矣に至る。

程子曰、天地生物、各無不足之理。常思天下君臣・父子・兄弟・夫婦、有多少不盡分處。明道。
【読み】
程子曰く、天地の物を生ずる、各々足らざるの理無し。常に思う、天下の君臣・父子・兄弟・夫婦、多少分を盡くさざる處有り、と。明道。

○又曰、知・仁・勇三者、天下之達德。學之要也。明道。
【読み】
○又曰く、知・仁・勇の三つの者は、天下の達德。學の要なり。明道。

○又曰、知知、仁守、勇决。伊川。
【読み】
○又曰く、知は知り、仁は守り、勇は决す。伊川。

○又曰、大凡於道、擇之則在乎知、守之則在乎仁、斷之則在乎勇。人之於道、患在不能擇、不能守、不能斷。伊川。
【読み】
○又曰く、大凡道に於る、之を擇ぶことは則ち知に在り、之を守ることは則ち仁に在り、之を斷ずることは則ち勇に在り。人の道に於る、患へ擇ぶこと能わず、守ること能わず、斷ずること能わざるに在り。伊川。

○王彦霖問、道者、一心也。有曰、仁者不憂。有曰、智者不惑。有曰、勇者不懼。何也。曰、此只是名其德爾。其理一也。得此道而不憂者、仁之事也。因其不憂、故曰此仁也。智・勇亦然。不成却以不憂謂之智、不惑謂之仁也。凡名其德千百皆然。但此三者達道之大也。
【読み】
○王彦霖の問いの、道は、一心なり。曰えること有り、仁者は憂えず。曰えること有り、智者は惑わず。曰えること有り、勇者は懼れず、と。何ぞや。曰く、此れ只是れ其の德を名づくるのみ。其の理は一なり。此の道を得て憂えざる者は、仁の事なり。其の憂えざるに因りて、故に曰く此れ仁、と。智・勇も亦然り。却って憂えざるを以て之を智と謂い、惑わざるを之を仁と謂うことを成さず。凡そ其の德に名づくること千百皆然り。但此の三つの者は達道の大なり。

○又曰、所以行之者一。一者、誠也。止是誠實此三者。三者之外更別無誠。
【読み】
○又曰く、之を行う所以の者は一。一は、誠なり。止是れ此の三つの者を誠實にす。三つの者の外更に別に誠無し。

○又曰、生知者、只是他生自知義理、不待學而知。縱使孔子是生知、亦何害於學。如問禮於老聃訪官於郯子、何害於孔子。禮文官名旣欲知舊物。又不可鑿空撰得出。須是問他先知者始得。伊川。
【読み】
○又曰く、生知は、只是れ他生まれながらにして自ら義理を知り、學んで知ることを待たず。縱使[たと]い孔子是れ生知なるも、亦何ぞ學ぶに害あらん。禮を老聃に問い官を郯子に訪えるが如き、何ぞ孔子に害あらん。禮文官名旣に舊物を知らんと欲す。又鑿空し撰び得出す可からず。須く是れ他の先知の者に問いて始めて得。伊川。

○又曰、生而知之、學而知之、亦是才。問、生而知之、要學否。曰、生而知、固不待學。然聖人必須學。伊川。
【読み】
○又曰く、生まれながらにして之を知り、學んで之を知るも、亦是れ才なり。問う、生まれながらにして之を知るも、學ぶことを要するや否や。曰く、生まれながらにして知るは、固より學ぶことを待たず。然れども聖人は必ず學ぶことを須ゆ。伊川。

○又曰、堯・舜性之。生知也。湯・武身之。學而知之也。伊川。
【読み】
○又曰く、堯・舜は之を性のままにす。生まれながらにして知るなり。湯・武を之を身にす。學んで之を知るなり。伊川。

○問、才出於氣否。曰、氣淸則才善。氣濁則才惡。稟得至淸之氣生者爲聖人、稟得至濁之氣生者爲愚人。如韓愈所言、公都子所問之人是也。然此論生知之聖人。若夫學而知之、氣無淸濁、皆可至於善而復性之本。所謂堯・舜性之。是生知也。湯・武反之。是學而知也。孔子所言上知下愚不移、亦無不移之理。所以不移只有二。自暴自棄是也。伊川。
【読み】
○問う、才は氣に出るや否や。曰く、氣淸めば則ち才善し。氣濁れば則ち才惡し。至淸の氣を稟け得て生る者は聖人と爲り、至濁の氣を稟け得て生る者愚人と爲る。韓愈が言う所、公都子が問う所の人の如き、是れなり。然れども此れは生知の聖人を論ず。若し夫れ學んで之を知るは、氣淸濁無く、皆善に至って性の本に復る可し。所謂堯・舜は之を性のままにす。是れ生知なり。湯・武は之に反る。是れ學んで知るなり。孔子言える所の上知下愚移らずも、亦移らざるの理無し。移らざる所以は只二つ有り。自暴自棄、是れなり。伊川。

○又曰、剛毅木訥、質之近乎仁也。力行、學之近乎仁也。若夫至仁、則天地爲一身。天地之閒、品物萬形爲四肢百體。夫人豈有視四肢百體而不愛者哉。聖人仁之至也。獨能體是心而已。曷嘗支離多端而求之自外乎。故能近取譬者、仲尼所以示子貢以爲仁之方也。醫書謂手足風頑、謂之四體不仁。爲其疾痛不以累其心故也。夫手足在我、疾痛不與知焉。非不仁而何。世之忍心無恩者、其自棄亦若是而已。
【読み】
○又曰く、剛毅木訥は、質の仁に近きなり。力行は、學の仁に近きなり。若し夫れ至仁は、則ち天地を一身と爲す。天地の閒、品物萬形を四肢百體と爲す。夫れ人豈四肢百體を視て愛せざる者有らんや。聖人は仁の至りなり。獨能く是の心を體するのみ。曷ぞ嘗て支離多端にして之を求むること外よりせん。故に能く近く取って譬うるは、仲尼子貢に示すに仁をするの方を以てせる所以なり。醫書に手足の風頑を謂って、之を四體不仁と謂う。其の疾痛以て其の心を累わせざるが爲の故なり。夫れ手足は我に在り、疾痛は知に與らず。不仁に非ずして何ぞ。世の心を忍び恩無き者、其の自棄なること亦是の若きのみ。

○又曰、忠恕違道不遠。可謂仁之方。力行近乎仁。求仁莫近焉。仁道難言。故止曰近不遠而已。苟以力行便爲仁、則失之矣。
【読み】
○又曰く、忠恕道を違ること遠からず。仁の方と謂う可し。力め行わば仁に近し。仁を求むること焉より近きは莫し。仁道言い難し。故に止近し遠からずと曰うのみ。苟も力め行うを以て便ち仁とせば、則ち之を失うなり。

○張子曰、天下之達道五、其生民之大經乎。經正則道前定、事豫立、不疑其所行。利用安身之要、莫先焉。
【読み】
○張子曰く、天下の達道五は、其れ生民の大經か。經正しければ則ち道前に定まり、事豫め立ち、其の行う所を疑わず。用を利し身を安んずるの要、焉より先なるは莫し。

○又曰、知・仁・勇、天下之達德。雖本之有差、及其所以知之成之則一也。蓋謂仁者以生知、以安行此五者。知者以學知、以利行此五者。勇者以困知、以勉強行此五者。
【読み】
○又曰く、知・仁・勇は、天下の達德なり。本づくことの差い有りと雖も、其の之を知り之を成す所以に及んでは則ち一なり。蓋し謂ゆる仁者は以て生まれながらに知り、以て安んじて此の五つの者を行う。知者は以て學んで知り、以て利して此の五つの者を行う。勇者は以て困しみて知り、以て勉強して此の五つの者を行う。

○呂曰、天下古今之所共、謂之達。所謂達道者、天下古今之所共行。所謂達德者、天下古今之所共有。雖有共行之道、必知之體之勉之然後可行。雖知之體之勉之、不一於誠、則有時而息。求之有三。知之則一。行之有三。成功則一。所入之塗則不能不異、所至之域則不可不同。故君子論其所至、則生知與困知、安行與勉強、未有異也。旣未有異、是乃所以爲中庸。若乃企生知安行之資、爲不可幾及、輕困學勉行、爲不能有成。此道之所以不明不行、中庸之所以難久也。愚者自是而不求、自私者以天下非吾事、懦者甘爲人下而不辭。有是二者、欲身之脩未之有也。故好學非知。然足以破愚。力行非仁。然足以忘私。知耻非勇。然足以起懦。知是三者、未有不能脩身者也。天下之理一而已。小以成小、大以成大。無異事也。擧斯心以加諸彼、遠而推之四海而準、久而推之萬世而準。故一身脩而知所以治人、知所以治人、而所以治天下國家皆出乎此也。此者何。中庸而已。
【読み】
○呂曰く、天下古今の共にする所、之を達と謂う。所謂達道は、天下古今の共に行う所。所謂達德は、天下古今の共に有る所。共に行うの道有りと雖も、必ず之を知り之を體し之を勉めて然して後に行う可し。之を知り之を體し之を勉むと雖も、誠に一ならざれば、則ち時有って息む。之を求むること三つ有り。之を知ることは則ち一つ。之を行うこと三つ有り。功を成すことは則ち一つ。入る所の塗は則ち異ならざること能わず、至る所の域は則ち同じからざる可からず。故に君子其の至る所を論ずれば、則ち生知と困知と、安行と勉強と、未だ異なること有らざるなり。旣に未だ異なること有らざれば、是れ乃ち中庸爲る所以なり。若し乃ち生知安行の資に企するに、幾ど及ぶ可からずと爲し、困學勉行を輕んじて、成ること有ること能わずと爲す。此れ道の明らかならず行われざる所以、中庸の久しくし難き所以なり。愚者は自ら是として求めず、自ら私する者は天下は吾が事に非ざるを以てし、懦者は甘んじて人の下と爲りて辭せず。是の二つの者有りて、身の脩まらんことを欲すること未だ之れ有らざるなり。故に學を好むは知に非ず。然れども以て愚を破るに足れり。力め行うは仁に非ず。然れども以て私を忘るに足れり。耻を知るは勇に非ず。然れども以て懦を起こすに足れり。是の三つの者を知って、未だ身を脩むること能わざる者有らず。天下の理は一つのみ。小は以て小を成し、大は以て大を成す。異事無し。斯の心を擧げて以て諸を彼に加え、遠くして之を四海に推して準じ、久しくして之を萬世に推して準ず。故に一身脩めて人を治むる所以を知り、人を治むる所以を知って、天下國家を治むる所以皆此に出づ。此とは何ぞ。中庸なるのみ。

○又曰、性一也。流形之分、有剛柔昏明者、非性也。有三人焉、皆有目以別乎衆色。一居乎密室、一居乎帷箔之下、一居于廣廷之中。三人所見、昏明各異。豈目不同乎。隨其所居、蔽有厚薄爾。凡學者所以解蔽去惑。故生知學知困知、及其知之一也。安得不貴於學乎。
【読み】
○又曰く、性は一なり。形を流くの分、剛柔昏明有る者は、性に非ず。三人有り、皆目以て衆色を別つこと有り。一りは密室に居り、一りは帷箔の下に居り、一りは廣廷の中に居る。三人見る所、昏明各々異なり。豈目同じからざらん。其の居る所に隨いて、蔽うに厚薄有るのみ。凡そ學は蔽いを解き惑いを去る所以。故に生知學知困知、其の之を知るに及んでは一なり。安んぞ學を貴びざらんことを得んや。

○游曰、仁者不憂、智者不惑、勇者不懼。此成德也。孔子自謂、我無能焉。夫成德豈易得乎。能知好學力行知耻、則可以入德矣。
【読み】
○游曰く、仁者は憂えず、智者は惑わず、勇者は懼れず。此れ成德なり。孔子自ら謂えり、我能くすること無し、と。夫れ成德豈得易からん。能く學を好み力め行い耻を知ることを知れば、則ち以て德に入る可し。

○侯曰、知耻、非勇也。能耻不若人則勇矣。
【読み】
○侯曰く、耻を知るは、勇に非ず。能く人に若かざるを耻ずれば則ち勇なり。


第二十章第三節 凡爲至一也。
【読み】
第二十章第三節 凡爲より一也に至る。

程子曰、尊賢也、親親也。蓋先尊賢、然後能親親。夫親親、固所當先。然不先尊賢、則不能知親親之道。伊川。
【読み】
程子曰く、賢を尊び、親を親とす。蓋し先ず賢を尊んで、然して後に能く親を親とす。夫れ親を親とするは、固より當に先んずべき所。然れども賢を尊ぶことを先にせざれば、則ち親を親とするの道を知ること能わず。伊川。

○又曰、體群臣者、體察也。心誠求之、則無不察矣。忠厚之至也。故曰、忠信重祿、所以勸士。言盡其忠信而厚其祿食。此所以勸士也。明道。
【読み】
○又曰く、群臣を體すとは、體の察なり。心誠に之を求むれば、則ち察せざること無し。忠厚の至りなり。故に曰く、忠信祿を重くするは、士を勸むる所以なり。言うこころは、其の忠信を盡くして其の祿食を厚くす。此れ士を勸むる所以なり。明道。

○呂曰、經者、百世所不變也。九經之用、皆本於德。懷、無一物不在所撫、而刑有不與焉。脩身、九經之本。必親師友、然後脩身之道進。故次之以尊賢。道之所進莫先其家。故次之以親親。由親親以及朝廷。故敬大臣體群臣。由朝廷以及其國。故子庶民來百工。由其國以及天下。故柔遠人懷諸侯。此九經之序。視群臣猶吾四體、視庶民猶吾子。此視臣視民之別。自天子至於庶人、一是皆以脩身爲本。我之於道也、知崇則無不知。知有諸己矣。禮卑則無不敬。能有諸己矣。故貌足畏也、色足憚也、言足信也。顚沛造次一於禮而不違、則富貴所不能淫、貧賤所不能移、威武所不能屈。所謂強立而不反者也。故曰、脩身則道立。又曰、齊明盛服非禮不動、所以脩身也。禮儀由賢者出。知賢爲可尊、則學日進而知益明。然讒・色・貨之害皆足以奪之。正惟知之審、信之篤、迎之致敬以有禮、則患賢者之不至未之有也。故曰、尊賢則不惑。又曰、去讒遠色賤貨而貴德、所以勸賢也。尊之欲其貴、愛之欲其富。所好則與同其樂、所惡則與同其憂。此諸父昆弟所以相勸而親。故曰、親親則諸父昆弟不怨。又曰、尊其位、重其祿、同其好惡、所以勸親親也。大臣不可不敬。是民之表也。非其人黜之可也。任之則信之、信之則敬之。故諫行言聽、膏澤下於民。旣任之矣、又使小臣閒之、諫必不行、言必不聽、而怨乎不以、内適足以自眩、外不足以圖治矣。託之以大事、則小事有所不必親。必使愼簡乃僚、惟所任使、則大臣勸於事君矣。故曰、敬大臣則不眩。又曰、官盛任使、所以勸大臣也。君視臣如手足、則臣視君如腹心。所報可知矣。待之以忠信、養之以重祿。此士所以願立乎其朝矣。故曰、體群臣則士之報禮重。又曰、忠信重祿、所以勸士也。愛之如子、則凡可以安之者無不爲也。使之所以佚之、取之所以治之。雖勞而不怨。此農所以願耕於其野矣。故曰、子庶民、則百姓勸。又曰、時使薄斂、所以勸百姓也。不通工易事、以羨補不足、則男不得專事於農、女不得專事於桑。且將爲陶冶、爲梓匠、爲釜甑以食、爲宮室以居、耒耜錢鏄以耕耨、欲其穀不可勝食、材木不可勝用得乎。故百工之事、國家之所不可無也。雖曰末技、所以佐其本業者、得以盡力。此財用所以足也。所以來之者、亦能辨其苦良而制其食、則工知勸矣。如稾人春獻素秋獻成、書其等以饗工、乘其事試其弓弩以下上其食而誅賞、此所謂日省月試餼廩稱事者也。然則來百工、而不來商賈者、蓋百工之所須、皆商賈之所致也。百工來、則商賈自通。有不必道也。遠人惟可以柔道御之。遠者不柔、則邇者不可能。故聖人貴乎柔遠。送往迎來、嘉善而矜不能、皆以柔道也。柔遠能邇、此四方所以歸也。繼絶世者、無後者爲之立後也。擧廢國者、已滅者復之也。治亂者、以道正之也。持危者、以力助之也。朝聘以時、所以繼好也。厚往而薄來、燕賜多而納貢寡也。凡此皆所以懷諸侯也。懷其德、則畏其力矣。九經雖曰治天下國家之常道、無誠以行之、則道爲虛矣。雖終日從事、而功不立也。人不信也。此不誠所以無物也。故曰、凡爲天下國家有九經。所以行之者一也。一、卽誠也。
【読み】
○呂曰く、經は、百世變ぜざる所なり。九經の用は、皆德に本づく。懷くるは、一物として撫でる所に在らざること無くして、刑與らざること有り。身を脩むるは、九經の本。必ず師友に親づいて、然して後に身を脩むるの道進む。故に之に次ぐに賢を尊ぶを以てす。道の進む所は其の家より先なるは莫し。故に之に次ぐに親を親とするを以てす。親を親とするにより以て朝廷に及ぶ。故に大臣を敬い群臣を體とす。朝廷より以て其の國に及ぶ。故に庶民を子とし百工を來す。其の國より以て天下に及ぶ。故に遠人を柔げ諸侯を懷く。此れ九經の序なり。群臣を視ること猶吾が四體のごとく、庶民を視ること猶吾が子のごとし。此れ臣を視民を視るの別なり。天子より庶人に至るまで、一是に皆身を脩むるを以て本と爲す。我が道に於るや、知崇ければ則ち知らざること無し。諸れ己に有ることを知る。禮卑ければ則ち敬わざること無し。諸れ己に有ることを能くす。故に貌畏るるに足り、色憚るに足り、言信ずるに足れり。顚沛造次も禮に一にして違わざれば、則ち富貴も淫すること能わざる所、貧賤も移すこと能わざる所、威武も屈むこと能わざる所。所謂強立して反らざる者なり。故に曰く、身を脩むれば則ち道立つ、と。又曰く、齊明盛服して禮に非ざれば動かざるは、身を脩むる所以なり。禮儀は賢者より出づ。賢尊ぶ可しと爲すことを知れば、則ち學日々に進んで知益々明らかなり。然るに讒・色・貨の害皆以て之を奪うに足れり。正に惟之を知ること審らかに、之を信ずること篤く、之を迎えること敬を致めて以て禮有れば、則ち賢者の至らざることを患うこと未だ之れ有らず。故に曰く、賢を尊べば則ち惑わず、と。又曰く、讒を去って色を遠ざけ貨を賤しんで德を貴ぶは、賢を勸むる所以なり。之を尊んでは其の貴からんことを欲し、之を愛しては其の富まんことを欲す。好む所は則ち與に其の樂しみを同じくし、惡む所は則ち與に其の憂えを同じくす。此れ諸父昆弟の相勸めて親しむ所以。故に曰く、親を親とすれば則ち諸父昆弟怨みず、と。又曰く、其の位を尊くし、其の祿を重くし、其の好惡を同じくするは、親を親とするを勸むる所以なり。大臣は敬わずんばある可からず。是れ民の表なり。其の人に非ざれば之を黜[しりぞ]けて可なり。之に任ずれば則ち之を信じ、之を信ずれば則ち之を敬う。故に諫め行われ言聽かれ、膏澤民に下る。旣に之に任じ、又小臣をして之を閒てしめれば、諫め必ず行われず、言必ず聽かれずして、以[もち]いざるに怨み、内適[まさ]に以て自ら眩うに足り、外以て治を圖るに足らず。之を託するに大事を以てすれば、則ち小事必ずしも親[みずか]らせざる所有り。必ず乃[なんじ]の僚を愼み簡[えら]ばしめて、惟任使する所のままなれば、則ち大臣君に事るに勸む。故に曰く、大臣を敬えば則ち眩わず、と。又曰く、官盛んに任使するは、大臣を勸むる所以なり。君臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣君を視ること腹心の如し。報ずる所知んぬ可し。之を待つに忠信を以てし、之を養うに重祿を以てす。此れ士の其の朝に立たんことを願う所以なり。故に曰く、群臣を體とすれば則ち士の報禮重し、と。又曰く、忠信重祿は、士を勸むる所以なり。之を愛すること子の如くなれば、則ち凡そ以て之を安んず可き者爲さざること無し。之を使うは之を佚する所以、之を取るは之を治むる所以。勞すと雖も而れども怨みず。此れ農の其の野に耕さんことを願う所以なり。故に曰く、庶民を子のごとくすれば、則ち百姓勸む、と。又曰く、時に使い斂を薄くするは、百姓を勸むる所以なり。工を通じ事を易え、羨れるを以て足らざるを補わざれば、則ち男は專ら農を事とすることを得ず、女は專ら桑を事とすることを得ず。且つ將た陶冶を爲し、梓匠を爲し、釜甑を爲りて以て食い、宮室を爲りて以て居り、耒耜錢鏄以て耕し耨[くさぎ]りて、其の穀勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざることを欲すとも得んや。故に百工の事は、國家の無くんばある可からざる所なり。末技と曰うと雖も、其の本業を佐くる所以の者、以て力を盡くすことを得。此れ財用の足る所以なり。之を來す所以の者も、亦能く其の苦良を辨じて其の食を制すれば、則ち工勸むことを知る。稾人の春は素を獻じ秋は成を獻じ、其の等を書して以て工を饗し、其の事を乘[はか]り其の弓弩を試[こしら]えて以て其の食を下上して誅賞するが如き、此れ所謂日々に省、月々に試みて餼廩事に稱う者なり。然れば則ち百工を來して、商賈を來さざる者は、蓋し百工の須いる所は、皆商賈の致す所なり。百工來れば、則ち商賈自ら通ず。必ずしも道わざること有り。遠人は惟柔道を以て之を御す可し。遠き者柔かならざれば、則ち邇き者能くす可からず。故に聖人は遠きを柔らぐことを貴ぶ。往を送り來を迎え、善を嘉みして不能を矜れむは、皆柔道を以てするなり。遠きを柔らげ邇きを能くするは、此れ四方歸する所以なり。絶えたる世を繼ぐとは、後無き者は之が爲に後を立つ。廢れたる國を擧ぐとは、已に滅びたる者は之を復す。亂れたるを治むとは、道を以て之を正す。危うきを持つとは、力を以て之を助く。朝聘時を以てすは、好しみを繼ぐ所以なり。往を厚くして來を薄くするは、燕賜多くして納貢寡なし。凡そ此れ皆諸侯を懷くる所以なり。其の德に懷けば、則ち其の力を畏る。九經は天下國家を治むる常道と曰うと雖も、誠以て之を行うこと無ければ、則ち道は虛と爲るなり。終日事に從うと雖も、而れども功立たず。人信ぜず。此れ誠あらざれば物無き所以なり。故に曰く、凡そ天下國家を爲むるに九經有り。之を行う所以の者は一なり、と。一とは、卽ち誠なり。

○游曰、齊明所以一其志。盛服所以脩其容。非禮勿動、則内無逸德、外無過行。内外進矣、則富貴不能淫、貧賤不能移。故脩身則道立。去讒則任之專。遠色則好之篤。賤貨則義利分。貴德則眞僞辨。夫如是則見善明、用心剛矣。故尊賢則不惑。尊其位、所以貴之。重其祿、所以富之。同其好以致其利、同其惡以去其害、則禮備而情親。諸父兄弟所以望乎我者足矣。故親親則不怨。
【読み】
○游曰く、齊明は其の志を一にする所以。盛服は其の容を脩むる所以。禮に非ざれば動くこと勿かれは、則ち内に逸德無く、外に過行無し。内外進めば、則ち富貴淫すること能わず、貧賤移すこと能わず。故に身に脩むれば則ち道立つ。讒を去れば則ち之に任ずること專らなり。色を遠ざければ則ち之を好むこと篤し。貨を賤すれば則ち義利分かつ。德を貴べば則ち眞僞辨う。夫れ是の如くなれば則ち善を見ること明らかに、心を用うること剛し。故に賢を尊べば則ち惑わず。其の位を尊くするは、之を貴ぶ所以。其の祿を重くするは、之を富ます所以。其の好しみを同じくして以て其の利を致し、其の惡むことを同じくして以て其の害を去されば、則ち禮備わって情親し。諸父兄弟我を望む所以の者足んぬ。故に親を親とすれば則ち怨みず。

○又曰、不惑、在理。故於尊賢言之。不眩、在事。故於敬大臣言之。
【読み】
○又曰く、惑わずは、理に在り。故に賢を尊ぶに於て之を言う。眩わずは、事に在り。故に大臣を敬うに於て之を言う。

○又曰、人情莫不欲逸也。時使之而使有餘力。莫不欲富也。薄斂之而使有餘財、則子庶民之道也。故百姓勸。日省月試以程其能、餼廩稱事以償其勞、則惰者勉、而勤者悦矣。此來百工之道也。故財用足。送往迎來以厚其禮、嘉善而矜不能以致吾仁、待之者甚周、責之者甚約。此柔遠人之道也。故四方歸之。繼絶世、則賢者之類無不悦。擧廢國、則功臣之後無不勸。亂者懼焉、危者怙焉。其來也節以時、其往也遣以禮、則懷諸侯之道也。夫如是則德之所施者博、而威之所制者廣矣。故天下畏之。經雖有九、而所以行之一者、誠而已。不誠則九經爲虛文。是無物也。
【読み】
○又曰く、人情逸を欲せざること莫し。時に之を使って餘力有らしむ。富を欲せざること莫し。薄く之を斂めて餘財有らしむるは、則ち庶民を子のごとくするの道なり。故に百姓勸む。日々に省、月々に試みて以て其の能を程り、餼廩事に稱って以て其の勞を償えば、則ち惰る者勉めて、勤むる者悦ぶ。此れ百工を來すの道なり。故に財用足る。往を送り來を迎えて以て其の禮を厚くし、善を嘉みんじて不能を矜んで以て吾が仁を致し、之を待つ者甚だ周く、之を責むる者甚だ約なり。此れ遠人を柔ぐるの道なり。故に四方之に歸す。絶えたる世を繼げば、則ち賢者の類悦びざること無し。廢れたる國を擧げれば、則ち功臣の後勸まざること無し。亂るる者懼り、危うき者怙む。其の來るや節するに時を以てし、其の往くや遣るに禮を以てするは、則ち諸侯を懷くるの道なり。夫れ是の如くなれば則ち德の施す所の者博くして、威の制する所の者廣し。故に天下之を畏る。經九つ有りと雖も、而れども之を行う所以の一なる者は、誠のみ。誠あらざれば則ち九經虛文と爲る。是れ物無し。

○楊曰、體群臣則士之報禮重者、君臣一體也。君之視臣如手足、則臣視君如腹心矣。子庶民則百姓勸者、赤子之無知、雖蹈穽在前、而莫之知避也。使之就利而違害、在保者而已。其子之也如是、百姓寧有不勸乎。
【読み】
○楊曰く、群臣を體とするれば則ち士の報禮重しとは、君臣一體なればなり。君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣君を視ること腹心の如し。庶民を子とすれば則ち百姓勸むとは、赤子の知無き、蹈穽前に在りと雖も、而れども之を避くることを知ること莫し。之をして利に就いて害を違らしむることは、保つ者に在るのみ。其の之を子とすることや是の如きには、百姓寧く勸まざること有らんや。

○又曰、去讒遠色賤貨者、人君信讒邪邇聲色殖貨利、則尊德樂義之心不至、而賢者不獲自盡矣。雖有尊賢之心、而賢者不可得而勸也。
【読み】
○又曰く、讒を去って色を遠ざけ貨を賤しむは、人君讒邪を信じ聲色を邇づけ貨利を殖せば、則ち德を尊び義を樂しむの心至らずして、賢者自ら盡くすことを獲ず。賢を尊ぶの心有りと雖も、而れども賢者得て勸む可からず。

○又曰、官盛任使、不累以職、則以道事其君者得以自盡矣。故曰、官盛任使所以勸大臣也。遇之不以忠信、養之不以重祿、則士不得志、有寠貧之憂。尙何勸之有。故曰、忠信重祿所以勸士也。時使之不盡其力、薄斂之不傷其財、農者願耕於其野、商賈者願藏於其市、行旅願出於其途、而養生送死無憾矣。此所以勸百姓之道也。
【読み】
○又曰く、官盛んに任使し、累わすに職を以てせざれば、則ち道を以て其の君に事る者以て自ら盡くすことを得。故に曰く、官盛んに任使するは大臣を勸むる所以なり、と。之に遇うに忠信を以てせず、之を養うに重祿を以てせざれば、則ち士志を得ず、寠貧の憂え有り。尙何の勸むること有らん。故に曰く、忠信にして祿を重くするは士を勸むる所以なり。時に之を使って其の力を盡くさず、薄く之を斂めて其の財を傷らざれば、農者は其の野に耕やさんことを願い、商賈者は其の市に藏めんことを願い、行旅は其の途に出んことを願って、生を養い死を送って憾み無し。此れ百姓を勸むる所以の道なり。

○又曰、天下國家之大、不誠未有能動者也。雖法度彰明、無誠心以行之、皆虛器也。
【読み】
○又曰く、天下國家の大なる、誠ならざれば未だ能く動かす者有らず。法度彰明なりと雖も、誠の心無くして以て之を行えば、皆虛器なり。

○又曰、自脩身推而至於平天下、莫不有道焉。而皆以誠意爲主。苟無誠意、雖有其道不能行也。故中庸論天下國家有九經、而卒曰、所以行之者一。一者何。誠而已。蓋天下國家之大、未有不誠而能動者也。然而非格物致知、烏足以知其道哉。大學所論誠意、正心、脩身、治天下國家之道、其原乃在乎物格推之而已。若謂意誠便足以平天下、則先王之典章文物皆虛器也。故明道先生嘗謂、有關雎麟趾之意、然後可以行周官之法度。正謂此耳。
【読み】
○又曰く、身を脩むるより推して天下を平にするに至るまで、道に有らざること莫し。而して皆意を誠にするを以て主と爲す。苟も意を誠にすること無ければ、其の道有りと雖も行うこと能わざるなり。故に中庸天下國家に九經有ることを論じて、卒に曰く、之を行う所以の者は一、と。一とは何ぞ。誠なるのみ。蓋し天下國家の大なる、未だ誠ならずして能く動かす者有らず。然して格物致知に非ずんば、烏んぞ以て其の道を知るに足らんや。大學論ずる所の意を誠にし、心を正しくし、身を脩め、天下國家を治むる道、其の原は乃ち物格って之を推すに在るのみ。若し意誠にせば便ち以て天下を平にするに足れりと謂わば、則ち先王の典章文物は皆虛器なり。故に明道先生嘗て謂えり、關雎麟趾の意有りて、然して後に以て周官の法度を行う可し、と。正に此を謂うのみ。


第二十章第四節 凡事至不窮。
【読み】
第二十章第四節 凡事より不窮に至る。

張子曰、事豫則立。必有敎以先之。盡敎之善、必精義以研之、精義入神、然後立斯立、動斯和矣。
【読み】
張子曰く、事豫めすれば則ち立つ。必ず敎有りて以て之に先だつ。敎の善を盡くすこと、必ず義を精しくして以て之を研ぎ、義を精しくし神に入って、然して後に立つれば斯に立ち、動かせば斯に和す。

○又曰、博學於文者、只要得習坎心亨。蓋人經歴險阻艱難、然後其心亨通。博文者皆是小德。應物不學則無由知之。故中庸之欲前定、將所以應物也。
【読み】
○又曰く、博く文を學ぶ者は、只習坎の心亨ることを得んことを要す。蓋し人險阻艱難を經歴して、然して後に其の心亨り通る。博文は皆是れ小德。物に應ずること學ばざれば則ち之を知るに由無し。故に中庸の前に定めんと欲するは、將に物に應ずる所以なり。

○呂曰、豫、素定也。素定者、先事而勞、事至而佚。旣佚則且無所事其憂。不素定者、先事而佚、事至而憂。雖憂而亦無所及於事。寇將至而爲于櫓、水將至而爲隄防。其爲不亡者幸也。故素定者、事皆有成、言有成說、事有成業、行有成德、道有成理。用而不括、動而有功。所謂精義入神以致用、則精義者豫之謂也。能定然後能應、則能定者豫之謂也。擬之而後言、議之而後動。擬議以成其變化、則擬議者豫之謂也。致用也、能應也、成變化也、此所以無跲・困・疚・窮之患也。言有成說、則使於四方、不憂乎不能專對也。事有成業、則千乘之國攝乎大國之閒、加之以師旅、因之以飢饉、不憂乎不能治也。行有成德、則富貴不憂乎能淫、貧賤不憂乎能移、威武不憂乎能屈也。道有成理、則徵諸庶民、考諸三王、質諸鬼神、百世以俟聖人、不憂乎不合也。
【読み】
○呂曰く、豫は、素より定む。素より定むる者は、事に先だって勞し、事至って佚す。旣に佚すれば則ち且つ其の憂えを事とする所無し。素より定めざる者は、事に先だって佚し、事至って憂う。憂うと雖も而れども亦事に及ぶ所無し。寇將に至らんとして櫓を爲り、水將に至らんとして隄防を爲る。其の亡びざることを爲す者は幸なり。故に素より定むる者は、事皆成ること有り、言說を成すこと有り、事業を成すこと有り、行德を成すこと有り、道理を成すこと有り。用いて括[むす]ぼられず、動いて功り有り。所謂義を精しくし神に入って以て用を致すは、則ち義を精しくするとは豫の謂なり。能く定めて然して後に能く應ずれば、則ち能く定むるとは豫の謂なり。之を擬えて後言い、之を議して後動く。擬議して以て其の變化を成すは、則ち擬議とは豫の謂なり。用を致すや、能く應ずや、變化を成すや、此れ跲・困・疚・窮の患え無き所以なり。言說を成すこと有れば、則ち四方に使いして、專り對すること能わざることを憂えざるなり。事業を成すこと有れば、則ち千乘の國大國の閒に攝[はさ]まれて、之に加うるに師旅を以てし、之に因るに飢饉を以てするも、治むること能わざることを憂えざるなり。行德を成すこと有れば、則ち富貴能く淫することを憂えず、貧賤能く移すことを憂えず、威武能く屈むことを憂えざるなり。道理を成すこと有れば、則ち諸を庶民に徵し、諸を三王に考え、諸を鬼神に質し、百世以て聖人を俟って、合わざることを憂えざるなり。

○游曰、豫者、前定之謂也。惟至誠爲能定。惟前定爲能應。故以言則必行、以事則必誠、以行則無悔、以道則無方。誠定之効如此。故繼九經言之。
【読み】
○游曰く、豫は、前に定むるの謂なり。惟至誠のみ能く定むることを爲す。惟前に定むるのみ能く應ずることを爲す。故に言を以てすれば則ち必ず行い、事を以てすれば則ち必ず誠に、行を以てすれば則ち悔無く、道を以てすれば則ち方無し。誠定の効此の如し。故に九經に繼いで之を言えり。


第二十章第五節 在下至身矣。
【読み】
第二十章第五節 在下より身矣に至る。

程子曰、止於至善、不明乎善。此言善者、義理之精微、無可得名。且以至善目之。繼之者善。此言善、却言得輕。但謂、繼斯道者莫非善也。不可謂惡。伊川。
【読み】
程子曰く、至善に止まるは、善に明らかならず。此の善と言うは、義理の精微、得て名づく可き無し。且く至善を以て之に目づく。之を繼ぐ者は善。此の善と言うは、却って言い得て輕し。但謂う、斯の道を繼ぐ者は善に非ざること莫し。惡と謂う可からず、と。伊川。

○又曰、這一箇道理、不爲堯存、不爲桀亡。只是人不道他這裏。道一作到。知此便是明善。
【読み】
○又曰く、這の一箇の道理は、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。只是れ人他の這の裏に道らず。道は一に到に作る。此を知れば便ち是れ善に明らかなり。

○又曰、明善在明。守善在誠。
【読み】
○又曰く、善に明らかなるは明に在り。善を守るは誠に在り。

○又曰、人患事繫累思慮蔽固。只是不得其要。要在明善。明善在乎格物窮理、窮至於物理、則漸久後天下之物皆能窮。只是一理。伊川。
【読み】
○又曰く、人事の繫累を患えて思慮蔽固す。只是れ其の要を得ざればなり。要は善に明らかなるに在り。善に明らかなるは物に格り理を窮むるに在り、窮めて物理に至れば、則ち漸く久しくして後に天下の物皆能く窮む。只是れ一理なり。伊川。

○又曰、且省外事。但明乎善、惟進誠心。其文章雖不中不遠矣。所守不約、汎濫無功。明道。
【読み】
○又曰く、且く外事を省け。但善に明らかなれば、惟誠心に進む。其の文章中らずと雖も遠からず。守る所約ならざれば、汎濫して功無し。明道。

○又曰、學者必知所以入德。不知所以入德、未見其能進也。故孟子曰、不明乎善、不誠其身。易曰、知至至之。
【読み】
○又曰く、學者必ず德に入る所以を知れ。德に入る所以を知らざれば、未だ其の能く進むことを見ず。故に孟子曰く、善に明らかならざれば、其の身に誠あらず。易に曰く、至りを知りて之に至る、と。

○游曰、欲誠其意、先致其知。故不明乎善、不誠乎身矣。學至於誠身、安往而不致其極哉。以内則順乎親。以外則信乎友。以上則可以得君。以下則可以得民。此舜之允塞、所以五典克從也。
【読み】
○游曰く、其の意を誠にせんと欲せば、先ず其の知を致す。故に善に明らかならざれば、身に誠あらず。學身に誠あるに至っては、安くに往くとして其の極を致さざらんや。内を以ては則ち親に順なり。外を以ては則ち友に信あり。上を以ては則ち以て君を得可し。下を以ては則ち以て民を得可し。此れ舜の允に塞がって、五典克く從う所以なり。

○楊曰、不明乎善、雖欲擇善而固執之、未必當於道也。故欲誠乎身、必先於明善。不誠乎身、則身不行道矣、不行道、不行於妻子。況能順其親乎。故欲順乎親、必先誠於身。不順乎親、則於其所厚者薄也。況於朋友乎。故欲信乎朋友、必先順乎親。夫責善朋友之道也。不信乎朋友、則其善不足稱也已。而欲獲乎上、不亦難乎。不獲乎上、則身不能保。況欲治其民乎不可得也。
【読み】
○楊曰く、善に明らかならざれば、善を擇んで固く之を執らんと欲すと雖も、未だ必ずしも道に當たらざるなり。故に身に誠あらんと欲せば、必ず善に明らかなることを先にす。身に誠あらざれば、則ち身道を行わず、道行わざれば、妻子に行われず。況や能く其の親に順ならんや。故に親に順ならんと欲せば、必ず先ず身に誠にす。親に順ならざれば、則ち其の厚き所の者に於て薄し。況や朋友に於てや。故に朋友に信ぜられんと欲せば、必ず先ず親を順にす。夫れ善を責むるは朋友の道なり。朋友に信ぜられざれば、則ち其の善稱するに足らざるのみ。而して上に獲られんと欲すること、亦難からず。上に獲られざれば、則ち身保つこと能わず。況や其の民を治めんと欲すること得可からざるなり。

○又曰、反身者、反求諸身也。蓋萬物皆備於我。非自外得。反諸身而已。
【読み】
○又曰く、身に反るとは、身に反り求むなり。蓋し萬物皆我に備わる。外より得るに非ず。身に反るのみ。

○又曰、明善在致知。致知在格物。號物之多至於萬、則物蓋有不可勝窮者。反身而誠、則擧天下之物在我矣。詩曰、天生烝民。有物有則。凡形色具於吾身者、無非物也。而各有則焉。反而求之、則天下之理得矣。
【読み】
○又曰く、善に明らかなるは知を致すに在り。知を致すは物に格るに在り。物の多きを號して萬に至れば、則ち物蓋し勝げて窮む可からざる者有り。身に反って誠あれば、則ち天下の物を擧げて我に在り。詩に曰く、天烝民を生す。物有れば則有り、と。凡そ形色の吾が身に具わる者、物に非ざること無し。而して各々則有り。反って之を求むれば、則ち天下の理得。


第二十章第六節 誠者至必強。
【読み】
第二十章第六節 誠者より必強に至る。

周子曰、誠者、聖人之本。大哉乾元。萬物資始。誠之源也。乾道變化、各正性命。誠斯立焉、純粹至善者也。故曰、一陰一陽之謂道。繼之者善也。成之者性也。元亨誠之通、利貞誠之復。大哉易也。性命之源乎。
【読み】
周子曰く、誠は、聖人の本。大なるかな乾元。萬物資って始む。誠の源なり。乾道變化して、各々性命を正しくす。誠は斯に立ち、純粹至善なる者なり。故に曰く、一陰一陽之を道と謂う。之を繼ぐ者は善なり。之を成す者は性なり、と。元亨は誠の通り、利貞は誠の復る。大なるかな易や。性命の源か。

○又曰、聖誠而已矣。誠五常之本、百行之源也。靜無而動有。至正而明達也。五常百行非誠非也。邪暗塞也。故誠則無事矣。至易而行難。果而確無難焉。故曰、一日克己復禮天下歸仁焉。
【読み】
○又曰く、聖は誠なるのみ。誠は五常の本、百行の源なり。靜なれば無くして動けば有り。至正にして明達なり。五常百行誠に非ざれば非なり。邪にして暗く塞がるなり。故に誠なれば則ち事無し。至って易くして行うこと難し。果にして確なれば難きこと無し。故に曰く、一日己に克ち禮に復れば天下仁に歸す、と。

○程子曰、無妄之謂誠。不欺其次矣。一本云、李邦直云、不欺之謂誠。便以不欺爲誠。徐仲車云、不息之謂誠。中庸言至誠無息。非以無息解誠也。或以問先生。先生云云。
【読み】
○程子曰く、無妄之を誠と謂う。欺かざるは其の次なり。一本に云う、李邦直云う、欺かざる之を誠と謂う。便ち欺かざるを以て誠と爲す。徐仲車云う、息まざる之を誠と謂う。中庸に至誠息むこと無しと言う。息むこと無きを以て誠を解するに非ず。或ひと以て先生に問う。先生云云。

○又曰、誠者、天之道。敬者、人事之本。敬者、用也。敬則誠。明道。
【読み】
○又曰く、誠は、天の道。敬は、人事の本。敬は、用なり。敬すれば則ち誠なり。明道。

○又曰、主一之謂敬。一者之謂誠。敬則有意在。
【読み】
○又曰く、一を主とす之を敬と謂う。一なる者之を誠と謂う。敬は則ち意の在る有り。

○又曰、不勉而中、不思而得、與勉而中、思而得、何止有差等。直是相去懸絶。不勉而中、卽常中。不思而得、卽常得。所謂從容中道者、指他人所見言之。若不勉不思者、自在道上行。又何必言中不中得不得。不勉不思、亦有大小深淺。至於曲藝、亦有不勉不思者。所謂日月至焉、與久而不息者、所見規模雖略相似、其意味氣象逈別。須心潛默識。玩索久之、庶幾自得。學者不學聖人則已。欲學之、須熟玩味聖人之氣象。不可只於名上理會。如此只是講論文字。伊川。
【読み】
○又曰く、勉めずして中り、思わずして得ると、勉めて中り、思って得るとは、何ぞ止差等有るのみならん。直に是れ相去ること懸絶す。勉めずして中るは、卽ち常に中る。思わずして得るは、卽ち常に得る。所謂從容として道に中るとは、他人の見る所を指して之を言う。勉めず思わざる者の若きは、自ら道の上に在って行く。又何ぞ必ずしも中不中得不得を言わん。勉めず思わざるも、亦大小深淺有り。曲藝に至っても、亦勉めず思わざる者有り。所謂日々月々至ると、久しくして息まざる者とは、見る所の規模略相似たりと雖も、其の意味氣象は逈かに別なり。須く心に潛め默して識るべし。玩索すること久しくせば、庶幾くは自ら得ん。學者聖人を學ばずんば則ち已みなん。之を學ばんと欲せば、須く熟く聖人の氣象を玩味すべし。只名上に於て理會す可からず。此の如きは只是れ文字を講論するのみ。伊川。

○問、致知與力行兼否。曰、爲常人言、纔知得非禮不可爲、須用勉強。至於知穿窬不可爲、則不待勉強。是知亦有深淺也。古人言、樂循理、之謂君子。若勉強、只是知循理。非是樂也。纔到樂時、便是循理爲樂。不循理爲不樂。何苦而不循理。自不須勉強也。若夫聖人不勉而中、不思而得、此又上一等事。伊川。
【読み】
○問う、致知と力行とは兼ねるや否や。曰く、常人の爲に言えば、纔かに非禮爲す可からざることを知り得れば、須く勉強を用ゆべし。穿窬爲す可からざることを知るに至っては、則ち勉強を待たず。是れ知るも亦深淺有り。古人の言、理に循うことを樂しむ、之を君子と謂う、と。勉強するが若きは、只是れ理に循うことを知る。是れ樂しむに非ず。纔かに樂しむに到る時は、便ち是れ理に循うを樂しみと爲す。理に循わざるを樂しまずと爲す。何をか苦しんで理に循わざらん。自ら勉強を須いず。若し夫れ聖人勉めずして中り、思わずして得るは、此れ又上一等の事なり。伊川。

○又曰、知至則當至之。知終則當遂終之。須以知爲本。知之深則行之必至。無有知之而不能行。只是知得淺。飢而不食烏喙、人不蹈水火、只是知。人爲不善、只爲不知。知至而至之、知之事。故可與幾。知終而終之。故可與存義。知至是致知。博學・明辨・審問・愼思、皆致知知至之事。篤行、便是終之。如始條理終條理。因其能始條理。故能終條理。猶知至卽能終之。伊川。
【読み】
○又曰く、至るを知れば則ち當に之に至るべし。終わるを知れば則ち當に遂に之を終うべし。須く知を以て本と爲すべし。之を知ること深ければ則ち之を行うこと必ず至る。之を知って行うこと能わざること有ること無し。只是れ知り得ること淺し。飢えて烏喙を食わず、人水火を蹈まざるは、只是れ知なればなり。人不善を爲すは、只知らざると爲す。至るを知って之に至るは、知の事。故に與に幾す可し。終わるを知って之を終う。故に與に義を存す可し。至るを知るは是れ知を致す。博學・明辨・審問・愼思は、皆知を致し至りを知る事なり。篤行は、便ち是れ之を終うなり。條理を始め條理を終えるが如し。其の能く條理を始むるに因る。故に能く條理を終う。猶至りを知れば卽ち能く之を終えるがごとし。伊川。

○又曰、博學・審問・愼思・明辨・篤行五者、廢其一非學也。
【読み】
○又曰く、博學・審問・愼思・明辨・篤行の五つ者は、其の一を廢つるも學に非ず。

○又曰、思曰睿。思慮久後睿自然生。若於一事上思未得、且別換一事思之。不可專守著這一事。蓋人之知識於這裏蔽著、雖思亦不通也。伊川。
【読み】
○又曰く、思に睿と曰う。思慮久しくして後睿自然に生ず。若し一事の上に於て思って未だ得ずんば、且つ別に一事を換えて之を思え。專ら這の一事を守著す可からず。蓋し人の知識這の裏に於て蔽著すれば、思うと雖も亦通ぜざるなり。伊川。

○又曰、思曰睿。睿作聖。致思如掘井。初有渾水、久後稍引動得淸者出來。人思慮始皆溷濁。久自明快。伊川。
【読み】
○又曰く、思に睿と曰う。睿は聖を作す。思を致すは井を掘るが如し。初め渾水有り、久しくして後に稍引き動かし得て淸める者出て來る。人の思慮始めは皆溷濁す。久しくして自ら明快なり。伊川。

○問、張旭學草書、見擔夫與公主爭道、及公孫大娘舞劔而後悟筆法。是心常思念、至此而感發否。曰、然。須是思方有感悟處。若不思怎生得如此。然可惜、張旭留心於書。若移此心於道、何所不至。伊川。
【読み】
○問う、張旭草書を學び、擔夫と公主と道を爭い、及び公孫大娘劔を舞すを見て後に筆法を悟る。是れ心常に思念して、此に至って感發するや否や。曰く、然り。須く是れ思って方に感悟する處有るべし。若し思わずんば怎生して此の如きことを得ん。然れども惜しむ可し、張旭心を書に留むることを。若し此の心を道に移さば、何の至らざる所あらん。伊川。

○又曰、不深思則不能造於道。不深思而得者、其得易失。然而學者有無思無慮而得者何也。曰、以無思無慮而得者、乃所以深思而得之也。以無思無慮爲不思、而自以爲得者、未之有也。
【読み】
○又曰く、深く思わざれば則ち道に造ること能わず。深く思わずして得る者は、其の得ること失い易し。然して學者思うこと無く慮ること無くして得ること有る者は何ぞや。曰く、思うこと無く慮ること無きを以て得る者は、乃ち深く思って之を得る所以なり。思うこと無く慮ること無きを以て思わずと爲して、自ら以て得ると爲す者は、未だ之れ有らず。

○問、人有日誦萬言、或妙絶技藝。此可學否。曰、不可。大凡所受之才雖加勉強止可少進、而鈍者不可使利也。惟理可進。除是積學旣久、能變得氣質、則愚必明、柔必強。伊川。
【読み】
○問う、人日々に萬言を誦し、或は技藝に妙絶てる有り。此れ學ぶ可きや否や。曰く、不可なり。大凡受くる所の才は勉強を加えて止少しく進む可しと雖も、而れども鈍き者は利ならしむ可からず。惟理は進む可し。除[ただ]是れ學を積むこと旣に久しくして、能く氣質を變じ得れば、則ち愚も必ず明に、柔も必ず強し。伊川。

○張子曰、勉、蓋未能安也。思、蓋未能有也。
【読み】
○張子曰く、勉は、蓋し未だ安んずること能わざるなり。思は、蓋し未だ有すること能わざるなり。

○又曰、以心求道、正由以己知人、終不若彼自知彼爲不思而得也。
【読み】
○又曰く、心を以て道を求むるは、正に己を以て人を知るが由を、終に彼の自ら知り彼の思わずして得ると爲すに若かず。

○又曰、性通極於無。氣其一物耳。命稟同於性、遇乃適然焉。人一己百、人十己千、然有不至、猶難語性。可以言氣。行同報異、猶難語命。可以言遇。
【読み】
○又曰く、性は通じて無に極まる。氣は其の一物なるのみ。命稟性に同じきは、遇うこと乃ち適々然り。人一たびすれば己百たびし、人十たびすれば己千たびして、然して至らざること有るは、猶性を語り難し。以て氣を言う可し。行同じく報異なるは、猶命を語り難し。以て遇うことを言う可し。

○又曰、形而後有氣質之性。善反之則天地之性存焉。故氣質之性君子有弗性者焉。
【読み】
○又曰く、形あって後に氣質の性有り。善く之を反すれば則ち天地の性存す。故に氣質の性は君子性とせざる者有り。

○呂曰、誠者理之實然。致一而不可易者也。天下萬古、人心物理、皆所同然、有一無二。雖前聖後聖、若合符節。是乃所謂誠、誠卽天道也。天道自然無勉無思、其中其得、自然而已。聖人誠一於天。天卽聖人。聖人卽天。由仁義行。何思勉之有。故從容中道而不迫。誠之者、以人求天者也。思誠而復之。故明有未究、於善必擇。誠有未至、所執必固。善不擇、道不精。執不固、德將去。學問思辨、所以求之也。行、所以至之也。求之至之。非人一己百、人十己千、不足以化氣質。
【読み】
○呂曰く、誠は理の實然。致[おおむ]ね一にして易う可からざる者なり。天下萬古、人心物理、皆同じく然る所、一有って二無し。前聖後聖と雖も、符節を合わせたるが若し。是れ乃ち所謂誠にして、誠は卽ち天道なり。天道は自然にして勉むること無く思うこと無く、其の中り其の得るは、自然なるのみ。聖人は誠天に一なり。天は卽ち聖人。聖人は卽ち天。仁義に由り行う。何の思勉すること有らん。故に從容として道に中って迫らず。之を誠にする者は、人を以て天を求むる者なり。誠を思うも之に復る。故に明未だ究めざること有れば、善に於て必ず擇ぶ。誠未だ至らざること有れば、執る所必ず固くす。善擇ばざれば、道精しからず。執ること固からざれば、德將に去らんとす。學問思辨は、之を求むる所以なり。行は、之に至る所以なり。之を求め之に至る。人一たび己百たび、人十たび己千たびに非ずんば、以て氣質を化するに足らず。

○一本云、誠者理之實。致一而不可易者也。大而天下、遠而萬古。求之人情、參之物理、皆所同然、有一無二。雖前聖後聖、若合符節。理本如是。非人私智之所能爲。此之謂誠。誠卽天道也。天道自然。何勉何思。莫非性命之理而已。故誠者、天之道。性之者也。誠之者、人之道。反之者也。聖人之於天道、性之者也。賢者之於天道、反之者也。性之者、成性而與天無閒也。天卽聖人、聖人卽天。從心所欲、由仁義行也。出於自然、從容不迫、不待乎思勉而後中也。反之者、求復乎性而未至、雖誠而猶雜之僞、雖行而未能無息、則善不可不思而擇、德不可不勉而執。不如是猶不足以至乎誠。故學問思辨、皆所以求之也。行、所以至之也。君子將以造其約、則不可不學。學而不能無疑、則不可不問。未至於精而通之、則不可不思。欲知是非邪正之別、本末先後之序、則不可不辨。欲至乎道、欲成乎德、則不可不行。學以聚之。聚不博則約不可得。博學而詳說之。將以反說約也。爲學之道、造約爲功。約卽誠也。不能至是、則多問多見徒足以飾口耳而已。語誠則未也。故曰、有弗學、學之弗能弗措也。學者不欲進則已。欲進則不可以有成心。有成心則不可與進乎道矣。故成心存則自處以不疑、成心亡然後知所疑矣。小疑必小進、大疑必大進。蓋疑者、不安於故而進於新者也。如問之審、審而知、則進孰禦焉。故曰、有弗問、問之弗知弗措也。學也、問也、求之外者也。聞也、見也、得之外者也。不致吾思以反諸身、則學問聞見非吾事也。故知所以爲性、知所以爲命。反之於我何物也。知所以名仁、知所以名義。反之於我何事也。故曰、思則得之、不思則不得也。愼其所以思、必至于得而後已、則學問聞見皆非外鑠。是乃所謂誠也。故曰、有弗思、思之不得弗措也。理有宜不宜。時有可不可。道雖美矣、膠於理則亂。誠雖至矣、失其時則乖。不可不辨也。辨之者、不別則不見、不講則不明、非精義入神、不足以致用。故曰、有弗辨、辨之弗明弗措也。四者致知之道而未及乎行也。學而行之、則由是以至于誠無疑矣。知崇者所以致吾知也。禮卑者所以篤吾行也。學之博者莫若知之之要。知之要者不若行之之實也。行之之實、猶目之視、耳之聽。不言而喩也。如日月之運行不可得而已也。篤之猶有勉也。篤之至于誠則不勉矣。行之弗篤猶未誠也。故曰、有弗行、行之弗篤弗措也。人一能之己百之、人十能之己千之者、君子所貴乎學者、爲能變化氣質而已。德勝氣質、則柔者可進於強、愚者可進於明。不能勝氣質、則雖有志於善、而柔不能立、愚不能明。蓋均善而無惡者性也。人所同也。昏明強弱之稟不齊者才也。人所異也。誠之者、反其同而變其異也。思誠而求復、所以反其同也。人一己百、人十己千、所以變其異也。孟子曰、居移氣、養移體。況學問之益乎。故學至於尙志、以天下之士爲未足、則尙論古之人。雖質之柔、而不立者寡矣。學至於致知格物、則天下之理斯得。雖質之愚、而不明者寡矣。夫愚柔之質、質之不美者也。以不美之質、求變而美。非百倍其功不足以致之。今以鹵莽滅裂之學、或作或輟以求變不美之質、及不能變、則曰天質不美非學所能變。是果於自棄。其爲不仁之甚矣。
【読み】
○一本に云う、誠は理の實。致ね一にして易う可からざる者なり。大にして天下、遠くして萬古。之を人情に求め、之を物理に參ゆるに、皆同じく然る所、一有って二無し。前聖後聖と雖も、符節を合わせたるが若し。理は本是の如し。人の私智の能く爲す所に非ず。此れ之を誠と謂う。誠は卽ち天道なり。天道は自然。何をか勉め何をか思わん。性命の理に非ざること莫きのみ。故に誠は、天の道。之を性のままにする者なり。之を誠にするは、人の道。之に反る者なり。聖人の天道に於る、之を性のままにする者なり。賢者の天道に於る、之に反る者なり。之を性のままにするは、性を成して天と閒無し。天は卽ち聖人、聖人は卽ち天。心の欲する所に從い、仁義に由り行うなり。自然に出でて、從容として迫らず、思勉を待たずして後に中るなり。之に反るは、性に復らんことを求めて未だ至らず、誠なりと雖も而れども猶之が僞を雜ゆるがごとく、行うと雖も而れども未だ息むこと無きこと能わざれば、則ち善思って擇ばずんばある可からず、德勉めて執らずんばある可からず。是の如くならざれば猶以て誠に至るに足らず。故に學問思辨は、皆之を求むる所以なり。行は、之に至る所以なり。君子將に以て其の約に造らんとすれば、則ち學びずんばある可からず。學んで疑無きこと能わざれば、則ち問わずんばある可からず。未だ精しくして之に通ずるに至らざれば、則ち思わずんばある可からず。是非邪正の別、本末先後の序を知らんと欲せば、則ち辨えずんばある可からず。道に至らんことを欲し、德を成さんことを欲すれば、則ち行わずんばある可からず。學んで以て之を聚む。聚めて博からざれば則ち約得可からず。博く學んで詳らかに之を說く。將に以て反って約を說かんとするなり。學を爲すの道、約に造るを功と爲す。約は卽ち誠なり。是に至ること能わざれば、則ち多問多見徒に以て口耳を飾るに足れるのみ。誠を語ることは則ち未だし。故に曰く、學ばざること有り、之を學んで能くせざれば措かず、と。學者進まんことを欲せずんば則ち已まん。進むことを欲せば則ち以て成れる心有る可からず。成れる心有れば則ち與に道に進む可からず。故に成れる心存すれば則ち自ら處りて以て疑わず、成れる心亡くして然して後に疑う所を知る。小しく疑えば必ず小しく進み、大いに疑えば必ず大いに進む。蓋し疑うとは、故に安んぜずして新に進む者なり。如し之を問うこと審らかに、審らかにして知れば、則ち進むこと孰か禦がん。故に曰く、問わざること有り、之を問いて知らざれば措かず、と。學や、問や、之を外に求むる者なり。聞や、見や、之を外に得る者なり。吾が思いを致して以て諸を身に反らざれば、則ち學問聞見吾が事に非ず。故に性爲る所以を知り、命爲る所以を知る。之を我に反するに何物ぞや。仁と名づくる所以を知り、義と名づくる所以を知る。之を我に反するに何事ぞや。故に曰く、思えば則ち之を得、思わざれば則ち得ず、と。其の思う所以を愼み、必ず得るに至って後に已めば、則ち學問聞見皆外より鑠すに非ず。是れ乃ち所謂誠なり。故に曰く、思わざること有り、之を思って得ざれば措かず、と。理に宜不宜有り。時に可不可有り。道美なりと雖も、理に膠すれば則ち亂る。誠至れりと雖も、其の時を失えば則ち乖く。辨えずんばある可からず。之を辨うは、別たざれば則ち見えず、講ぜざれば則ち明らからなず、義を精しくして神に入るに非ざれば、以て用を致すに足らず。故に曰く、辨えざること有り、之を辨えて明らかならざれば措かず、と。四つの者は知を致すの道にして未だ行に及ばざるなり。學んで之を行えば、則ち是に由って以て誠に至ること疑い無し。知崇きは吾が知を致す所以なり。禮卑きは吾が行を篤くする所以なり。之を學ぶの博きは之を知るの要に若くは莫し。之を知るの要は之を行うの實なるに若かず。之を行うの實なるは、猶目の視、耳の聽くがごとし。言わずして喩るなり。日月の運行得て已む可からざるが如し。之を篤くするは猶勉むること有るがごとし。之を篤くして誠に至れば則ち勉めず。之を行って篤からざるは猶未だ誠ならざるがごとし。故に曰く、行わざること有り、之を行って篤からざれば措かず、と。人一たびに之を能くすれば己之を百たびし、人十たびに之を能くすれば己之を千たびすとは、君子學を貴ぶ所の者は、能く氣質を變化するが爲なるのみ。德氣質に勝てば、則ち柔なる者も強に進む可く、愚なる者も明に進む可し。氣質に勝つこと能わざれば、則ち善に志すこと有りと雖も、而れども柔立つこと能わず、愚明なること能わず。蓋し均しく善にして惡無き者は性なり。人の同じき所なり。昏明強弱の稟齊しからざる者は才なり。人の異なる所なり。之を誠にするとは、其の同じきに反って其の異なるを變ずるなり。誠を思って復らんことを求むるは、其の同じきに反る所以なり。人一たびし己百たびす、人十たびし己千たびするは、其の異なるを變ずる所以なり。孟子曰く、居氣を移し、養體を移す、と。況や學問の益をや。故に學志を尙ぶに至って、天下の士を以て未だ足らずとすれば、則ち古の人を尙論す。質の柔と雖も、而れども立たざる者寡なし。學致知格物に至っては、則ち天下の理斯に得。質の愚と雖も、而れども明ならざる者寡なし。夫の愚柔の質は、質の美からざる者なり。美からざるの質を以て、變じて美からんことを求む。其の功を百倍するに非ずんば以て之を致すに足らず。今鹵莽滅裂の學を以て、或は作し或は輟[や]めて以て美からざるの質を變ぜんことを求め、變ずること能わざるに及んでは、則ち天質の美からざるは學んで能く變ずる所に非ずと曰う。是れ自棄に果たす。其の不仁爲るの甚だしきなり。

○謝曰、誠是實理、不是專一。尋常人謂至誠、止是謂專一。實理則如惡惡臭、如好好色。不是安排來。
【読み】
○謝曰く、誠は是れ實理、是れ專一にあらず。尋常の人至誠を謂うは、止是れ專一を謂う。實理は則ち惡臭を惡むが如く、好色を好むが如し。是れ安排し來すにあらず。

○問、中庸只論誠、而論語曾不一及誠何也。楊曰、論語之敎人、凡言恭敬忠信所以求仁而進德之事、莫非誠也。論語示人以入之之方。中庸言其至也。蓋中庸子思傳道之書。不正言其至則道不明。孔子所罕言、孟子常言之、亦猶是矣。
【読み】
○問う、中庸は只誠を論じて、論語曾て一つも誠に及ばざるは何ぞや。楊曰く、論語の人を敎うる、凡そ恭敬忠信仁を求めて德に進む所以の事を言い、誠に非ざること莫し。論語は人に示すに之に入るの方を以てす。中庸は其の至りを言うなり。蓋し中庸は子思道を傳うるの書。正しく其の至りを言わざれば則ち道明らかならず。孔子罕に言える所、孟子常に之を言えるも、亦猶是のごとし。


第二十一章

程子曰、君子之學、必先明諸心、知所往、然後力行以求至。所謂自明而誠也。故學必盡其心知其性、然後反而誠之、則聖人。伊川。
【読み】
程子曰く、君子の學は、必ず先ず諸を心に明らかにし、往く所を知って、然して後に力め行いて以て至ることを求む。所謂明らかなるよりして誠なるなり。故に學は必ず其の心を盡くし其の性を知って、然して後に反って之を誠にすれば、則ち聖人なり。伊川。

○問、横渠言、由明以至誠、由誠以至明。此言恐過當。程子曰、由明以至誠。此句却是。由誠以至明、則不然。誠卽明也。伊川。
【読み】
○問う、横渠言う、明らかなるに由って以て誠に至り、誠なるに由って以て明に至る、と。此の言恐らくは過當なるか。程子曰く、明らかなるに由って以て誠に至る。此の句却って是なり。誠なるに由って以て明に至るは、則ち然らず。誠なれば卽ち明らかなり。伊川。

○張子曰、自誠明者、先盡性以至于窮理也。謂先自其性理會來以至於理。自明誠者、先窮理以至于盡性也。謂先從學問理會以推達于天性也。
【読み】
○張子曰く、誠なるよりして明らかなるとは、先ず性を盡くして以て理を窮むるに至るなり。先ず其の性より理會し來て以て理に至るを謂う。明らかなるよりして誠なるとは、先ず理を窮めて以て性を盡くすに至るなり。先ず學問により理會して以て推して天性に達するを謂うなり。

○呂曰、自誠明、性之者也。自明誠、反之者也。性之者、自成德而言。聖人之所性也。反之者、自志學而言。聖人之所敎也。一本云、謂之性者、生之所以得之。謂之敎者、由學以。成德者、至于實然不易之地。理義皆自此出也。天下之理如目睹耳聞。不慮而知、不言而喩。此之謂誠則明。志學者致知以窮天下之理、則天下之理皆得。卒亦至於實然不易之地、至簡至易行其所無事。此之謂明則誠。
【読み】
○呂曰く、誠なるよりして明らかなるは、之を性のままにする者なり。明らかなるよりして誠なるは、之に反る者なり。之を性のままにする者は、成德よりして言う。聖人の性のままなる所なり。之に反るとは、志學よりして言う。聖人の敎うる所なり。一本に云う、之を性と謂うは、生の之を得る所以。之を敎と謂うは、學に由って以[す]。德を成すは、實然不易の地に至る。理義皆此よりして出づ。天下の理は目睹耳聞くが如し。慮らずして知り、言わずして喩る。此れ之を誠なれば則ち明らかなりと謂う。志學は知を致して以て天下の理を窮むれば、則ち天下の理皆得。卒に亦實然不易の地に至り、至簡至易にして其の事無き所を行う。此れ之を明らかなれば則ち誠なると謂う。


第二十二章

程子曰、贊天地之化育、自人而言之。從盡其性至盡物之性、然後可以贊天地之化育、可以與天地参矣。言人盡性所造如是。若只是至誠、更不須論。所謂人者天地之心、及天聦明自我民聦明。止謂只是一理、而天人所爲、各自有分。
【読み】
程子曰く、天地の化育を贊するは、人よりして之を言う。其の性を盡くすより物の性を盡くすに至って、然して後に以て天地の化育を贊す可く、以て天地と参る可し。言うこころは、人性を盡くして造る所是の如し、と。若し只是れ至誠なれば、更ち論を須いず。所謂人は天地の心、及び天の聦明は我が民の聦明に自[したが]う。止只是れ一理なるを謂って、天人の爲す所、各々自ら分有り。

○又曰、至誠可以贊化育者、可以回造化。明道。
【読み】
○又曰く、至誠以て化育を贊す可き者は、以て造化を回す可し。明道。

○又曰、至誠可以贊天地之化育、則可以與天地參。贊者、參贊之義。先天而天弗違、後天而奉天時之謂也。非謂贊助。只有一箇誠、何助之有。明道。
【読み】
○又曰く、至誠以て天地の化育を贊す可ければ、則ち以て天地と參わる可し。贊は、參贊の義。天に先だって天違わず、天に後れて天の時を奉るの謂なり。贊助を謂うに非ず。只一箇の誠有り、何の助くること有らん。明道。

○又曰、心具天德。心有不盡處、便是天德處未能盡、何緣知性知天。盡己心則盡人盡物、與天地參贊化育。贊則直養之而已。
【読み】
○又曰く、心天德を具う。心盡くさざる處有れば、便ち是れ天德の處未だ盡くすこと能わず、何に緣って性を知り天を知らん。己が心を盡くせば則ち人を盡くし物を盡くして、天地と參わり化育を贊す。贊は則ち直に之を養うのみ。

○又曰、凡言充塞云者、却似箇有規模底體面、將這氣充實之。然此只是指而示之近耳。氣則只是氣。更說甚充塞。如化育則只是化育。更說甚贊。贊與充塞、又早却是別一件事也。伊川。
【読み】
○又曰く、凡そ充ち塞ぐと言うと云うは、却って箇の規模底の體面有って、這の氣を將って之を充實するに似たり。然るに此れ只是れ指して之に近きを示すのみ。氣は則ち只是れ氣。更に甚の充塞を說かん。化育の如きは則ち只是れ化育。更に甚の贊を說かん。贊と充塞とは、又早く却って是れ別に一件の事なり。伊川。

○張子曰、二程解窮理盡性以至於命。只窮理便是至於命。亦是失於太快。此義儘有次序。須是窮理、便能盡得己之性。旣盡得己之性、則推類又盡人之性。旣盡得人之性、須是幷萬物之性一齊盡得。如此然後至於天道也。其閒煞有事。豈有當下理會了。學者須是窮理爲先。如此則方有學。今言知命與至於命儘有近遠。豈可以知便謂之至也。
【読み】
○張子曰く、二程理を窮め性を盡くして以て命に至るを解す。只理を窮むれば便ち是れ命に至る、と。亦是れ太快に失す。此の義儘く次序有り。須く是れ理を窮むれば、便ち能く己が性を盡くし得るべし。旣に己が性を盡くし得れば、則ち類を推して又人の性を盡くす。旣に人の性を盡くし得れば、須く是れ萬物の性を幷せて一齊に盡くし得るべし。此の如くして然して後に天道に至るなり。其の閒煞[はなは]だ事有り。豈當下に理會し了わること有らんや。學者須く是れ理を窮むるを先と爲すべし。此の如くなれば則ち方に學ぶこと有り。今命を知ると言うと命に至ると儘く近遠有り。豈知を以て便ち之を至ると謂う可けんや。

○又曰、性者萬物之一源、非有我之得私也。惟大人爲能盡其道。是故立必倶立、知必周知、愛必兼愛、成不獨成。彼自蔽塞而不知順吾理者、則亦未如之何矣。
【読み】
○又曰く、性は萬物の一源、我が得て私すること有るに非ず。惟大人のみ能く其の道を盡くすことを爲す。是の故に立てば必ず倶に立ち、知れば必ず周く知り、愛すれば必ず兼ね愛し、成せば獨り成さず。彼の自ら蔽塞して吾が理に順うことを知らざる者は、則ち亦之を如何ともすることなし。

○又曰、幽贊天地之道、非聖人而能哉。詩人謂、后稷之穡、有相之道、贊化育之一端與。
【読み】
○又曰く、天地の道を幽贊すること、聖人に非ずして能くせんや。詩人謂う、后稷の穡、相けの道有りとは、化育を贊くるの一端か。

○呂曰、至於實理之極、則吾生之所固有者不越乎是。吾生所有旣一於理、則理之所有皆吾性也。人受天地之中。其生也具有天地之德。柔強昏明之質雖異、其心之所然者皆同。特蔽有淺深。故別而爲昏明。稟有多寡。故分而爲強柔。至於理之所同然、雖聖愚有所不異。盡己之性、則天下之性皆然。故能盡人之性。蔽有淺深。故爲昏明。蔽有開塞。故爲人物。稟有多寡。故爲強柔。稟有偏正。故爲人物。故物之性與人異物幾希。惟塞而不開。故知不若人之明。偏而不正。故才不若人之美。然人有近物之性者、物有近人之性者、亦繫乎此。於人之性、開塞偏正無所不盡、則物之性未有不能盡也。己也、人也、物也、莫不盡其性、則天地之化幾矣。故行其所無事順、以養之而已。是所謂贊天地之化育者也。如堯命羲和欽若昊天。至于民之析・因・夷・隩、鳥獸之孳尾・希革・毛毨・氄毛、無不與知、則所贊可知矣。天地之化育猶有所不及。必人贊之而後備、則天地非人不立。故人與天地並立爲三才。此之謂與天地參。
【読み】
○呂曰く、實理の極に至っては、則ち吾が生の固より有る所の者是に越えず。吾が生の有る所旣に理に一なれば、則ち理の有る所皆吾が性なり。人は天地の中を受く。其の生や具に天地の德有り。柔強昏明の質異なると雖も、其の心の然る所の者は皆同じ。特蔽うに淺深有り。故に別かれて昏明を爲す。稟に多寡有り。故に分かれて強柔を爲す。理の同じく然る所に至っては、聖愚と雖も異ならざる所有り。己が性を盡くせば、則ち天下の性皆然り。故に能く人の性を盡くす。蔽うに淺深有り。故に昏明を爲す。蔽うに開塞有り。故に人物を爲す。稟に多寡有り。故に強柔を爲す。稟に偏正有り。故に人物を爲す。故に物の性の人と異なる物幾希し。惟塞がって開かず。故に知人の明に若かず。偏にして正しからず。故に才人の美に若かず。然るに人物の性に近き者有り、物人の性に近き者有り、亦此に繫る。人の性に於て、開塞偏正盡くさざる所無ければ、則ち物の性未だ盡くすこと能わざること有らざるなり。己や、人や、物や、其の性を盡くさざること莫ければ、則ち天地の化幾[ちか]し。故に其の事無き所を行い順って、以て之を養うのみ。是れ所謂天地の化育を贊くる者なり。堯羲和に命じ欽んで昊天に若[したが]う。民の析・因・夷・隩、鳥獸の孳尾・希革・毛毨・氄毛に至るが如き、與かり知らざること無ければ、則ち贊くる所知んぬ可し。天地の化育猶及ばざる所有り。必ず人之を贊けて後備われば、則ち天地人に非ざれば立たず。故に人天地と並び立って三才と爲す。此れ之を天地と參わると謂う。

○游曰、萬物皆備於我矣。反身而誠。樂莫大焉。故惟天下至誠爲能盡其性。千萬人之性、一己之性是也。故能盡其性則能盡人之性。萬物之性、一人之性是也。故能盡人之性則能盡物之性。同焉皆得者各安其常、則盡人之性也。誘然皆生者各得其理、則盡物之性也。至於盡物之性、則和氣充塞。故可以贊天地之化育。夫如是則天覆地載敎化各任其職而成位乎其中矣。
【読み】
○游曰く、萬物皆我に備わる。身に反って誠あり。樂しみ焉より大なるは莫し。故に惟天下の至誠のみ能く其の性を盡くすことを爲す。千萬人の性は、一己の性とは是れなり。故に能く其の性を盡くせば則ち能く人の性を盡くす。萬物の性は、一人の性とは是れなり。故に能く人の性を盡くせば則ち能く物の性を盡くす。同焉として皆得る者各々其の常を安んずれば、則ち人の性を盡くす。誘然として皆生ずる者各々其の理を得れば、則ち物の性を盡くす。物の性を盡くすに至っては、則ち和氣充塞す。故に以て天地の化育を贊く可し。夫れ是の如くなれば則ち天覆い地載せ敎化各々其の職に任じて位を其の中に成す。

○楊曰、性者萬物之一源也。非夫體天德者、其孰能盡之。能盡其性、則人物之性斯盡矣。言有漸次也。贊化育參天地皆其分内耳。
【読み】
○楊曰く、性は萬物の一源なり。夫の天德に體する者に非ずんば、其れ孰か能く之を盡くさん。能く其の性を盡くせば、則ち人物の性斯に盡くす。漸次有るを言うなり。化育を贊け天地に參わるは皆其の分内なるのみ。

○又曰、孟子曰、萬物皆備於我。反身而誠。樂莫大焉。知萬物皆備於我、則數雖多反而求之於吾身可也。故曰、盡己之性則能盡人之性。盡人之性則能盡物之性。以己與人物性無二故也。
【読み】
○又曰く、孟子曰く、萬物皆我に備わる。身に反って誠あり。樂しみ焉より大なるは莫し、と。萬物皆我に備わることを知れば、則ち數多しと雖も反って之を吾が身に求めて可なり。故に曰く、己が性を盡くせば則ち能く人の性を盡くす。人の性を盡くせば則ち能く物の性を盡くす。己と人物と性二つ無きを以ての故なり。

○問、天下將亂。何故、賢者便生得不豐厚。侯曰、氣之所鐘便如此。曰、有變化之道乎。曰、在君相斡旋之力爾。若擧賢任能、使政事治而百姓和、則天地之氣和而復淳厚矣。此天下所以有資於聖賢、有頼於君相也。子思曰、贊天地之化育、正謂是耳。若曰治亂自有數而任之、則何頼於聖賢哉。子思所以言贊化育也。書亦曰、祈天永命。如此而已。
【読み】
○問う、天下將に亂れんとす。何が故ぞ、賢者便ち生まれ得て豐厚ならざる。侯曰く、氣の鐘[あつ]まる所便ち此の如し。曰く、變化の道有るか。曰く、君相斡旋の力に在るのみ。若し賢を擧げ能を任じ、政事をして治めて百姓をして和せしむれば、則ち天地の氣和して淳厚に復す。此れ天下聖賢に資ること有り、君相に頼ること有る所以なり。子思曰く、天地の化育を贊くとは、正に是を謂うのみ。若し治亂自ら數有りと曰って之に任ぜば、則ち何ぞ聖賢に頼まんや。子思化育を贊くと言う所以なり。書にも亦曰く、天の永命を祈る、と。此の如くなるのみ。


第二十三章

程子曰、其次致曲者、學而後知之也。而其成也、與生而知之者不異焉。故君子莫大於學、莫害於畫。莫病於自足、莫罪於自棄。學而不止。此湯・武所以聖也。伊川。
【読み】
程子曰く、其の次は曲を致すとは、學んで後に之を知るなり。而して其の成るや、生まれながらにして之を知る者と異ならず。故に君子學ぶより大なるは莫く、畫るより害なるは莫し。自ら足るより病めるは莫く、自ら棄つるより罪なるは莫し。學んで止まず。此れ湯・武の聖なる所以なり。伊川。

○又曰、致曲者、就其曲而致之也。伊川。
【読み】
○又曰く、曲を致すとは、其の曲に就いて之を致すなり。伊川。

○又曰、人自提孩聖人之質已完。只先於偏勝處發。或仁、或義、或孝、或弟、去氣偏處。便是致曲。去性上脩。便是直養。然同歸于誠。
【読み】
○又曰く、人提孩より聖人の質已に完し。只先ず偏勝の處に於て發す。或は仁、或は義、或は孝、或は弟、氣の偏處に去る。便ち是れ曲を致すなり。性上に去って脩む。便ち是れ直にして養う。然るに同じく誠に歸すなり。

○又曰、自明而誠、雖多由致曲、然亦自有大體中便誠者。雖亦是自明而誠、謂之致曲則不可。明道。
【読み】
○又曰く、明らかなるよりして誠なるは、多くは曲を致すに由ると雖も、然れども亦自ら大體の中便ち誠なる者有り。亦是れ明らかなるよりして誠なりと雖も、之を曲を致すと謂えば則ち不可なり。明道。

○又曰、曲、偏曲之謂、非大道也。就一事中用志不分亦能有誠。如養由基射之類是也。誠則形。誠後便有物。如參前倚衡、如有所立卓爾是也。形則著、又著見也。著則明、是有光輝之時也。明則動、誠能動人也。君子所過者化。豈非動乎。或曰、變與化何別。曰、變如物方變而未化。化則更無舊跡。自然之謂也。莊子言變大於化非也。伊川。
【読み】
○又曰く、曲は、偏曲の謂、大道に非ず。一事の中に就いて志を用うること分かたざるも亦能く誠有り。養由基が射の類の如き、是れなり。誠あれば則ち形る。誠あって後に便ち物有り。前に參わり衡に倚るが如き、立つ所有りて卓爾たるが如き、是れなり。形るれば則ち著しきは、又著見するなり。著しければ則ち明らかなるは、是れ光輝有るの時なり。明らかなれば則ち動かすは、誠能く人を動かすなり。君子過ぎる所の者は化す。豈動かすに非ずや。或ひと曰く、變と化とは何して別たん。曰く、變は物方に變じて未だ化せざるが如し。化すれば則ち更に舊跡無し。自然の謂なり。莊子變は化より大なりと言うは非なり。伊川。

○游曰、誠者不思不勉直心而徑行也。其次則臨言而必思、不敢縱言也。臨行而必擇、不敢徑行也。故曰、致曲、曲折而反諸心也。擬議之閒、鄙詐不萌而忠信立矣。故曲能有誠。有諸中必形諸外。故誠則形。形於身必著於物。故形則著。誠至於著、則内外洞徹淸明在躬。故著則明。明則有以動衆。故明則動。動則有以易俗。故動則變。變則革汚以爲淸、革暴以爲良。然猶有迹也。化則其迹泯矣。日用飮食而已。至於化則神之所爲也。非天下之至誠、孰能與於此。
【読み】
○游曰く、誠は思わず勉めず心を直にして徑に行うなり。其の次は則ち言に臨みて必ず思い、敢えて縱に言わざるなり。行に臨んで必ず擇び、敢えて徑に行わざるなり。故に曰く、曲を致すこと、曲折して諸を心に反す、と。擬議の閒、鄙詐萌さずして忠信立つ。故に曲能く誠有り。中に有って必ず外に形る。故に誠あれば則ち形る。身に形るれば必ず物に著し。故に形るは則ち著し。誠著しきに至っては、則ち内外洞徹して淸明躬に在り。故に著しければ則ち明らかなり。明らかなれば則ち以て衆を動かすこと有り。故に明らかなれば則ち動かす。動けば則ち以て俗を易えること有り。故に動けば則ち變ず。變ずれば則ち汚を革めて以て淸と爲し、暴を革めて以て良と爲す。然れども猶迹有り。化すれば則ち其の迹泯ぶ。日用飮食なるのみ。化に至っては則ち神の爲す所なり。天下の至誠に非ざれば、孰か能く此に與らん。

○楊曰、能盡其性者、誠也。其次致曲者、誠之也。學問思辨而篤行之、致曲也。
【読み】
○楊曰く、能く其の性を盡くすは、誠なり。其の次曲を致すは、之を誠にするなり。學問思辨して篤く之を行うは、曲を致すなり。


第二十四章

程子曰、人固可以前知。然其理須是用則知、不用則不知。知不如不知之愈。蓋用便近二。所以釋子謂、又不是野狐精也。
【読み】
程子曰く、人固より以て前知す可し。然れども其の理須く是れ用うれば則ち知り、用いざれば則ち知らざるべし。知るは知らざるの愈れるに如かず。蓋し用うれば便ち二に近し。所以に釋子謂う、又是れ野狐精にあらず、と。

○又曰、蜀山人不起念十年、便能前知。
【読み】
○又曰く、蜀山人念を起こさざること十年、便ち能く前知す。

○呂曰、誠一於理、無所閒雜則天地人物古今後世、融徹洞達一體而已。興亡之兆猶心之有思慮。如有萌焉無不前知。蓋有方所、則有彼此先後之別。旣無方所、彼卽我也、先卽後也。未嘗分別隔礙、自然達乎神明。非特前知而已。
【読み】
○呂曰く、誠は理に一にして、閒雜する所無ければ則ち天地人物古今後世、融徹洞達して一體なるのみ。興亡の兆猶心の思慮有るがごとし。如し萌すこと有れば前知せざること無し。蓋し方所有れば、則ち彼此先後の別有り。旣に方所無ければ、彼卽ち我なり、先卽ち後なり。未だ嘗て分別隔礙せずして、自然に神明に達す。特前知するのみに非ず。

○一本云、至誠與天地同德。與天地同德、則其氣化運行與天地同流矣。興亡之兆、禍福之來、感於吾心、動於吾氣。如有萌焉、無不前知。況乎誠心之至、求乎蓍龜而蓍龜告、察乎四體而四體應。所謂莫見乎隱、莫顯乎微者也。此至誠所以達乎神明而無閒。故曰、至誠如神。動乎四體、如傳所謂威儀之則以定命者也。
【読み】
○一本に云う、至誠は天地と德を同じくす。天地と德を同じくすれば、則ち其の氣化運行天地と流を同じくす。興亡の兆、禍福の來る、吾が心に感じ、吾が氣に動く。如し萌すこと有れば、前知せざること無し。況や誠心の至り、蓍龜に求めて蓍龜告げ、四體に察して四體應ず。所謂隱より見るるは莫く、微より顯らかなるは莫き者なり。此れ至誠神明に達して閒無き所以なり。故に曰く、至誠神の如し、と。四體に動くとは、傳に謂う所の威儀の則は以て命を定むが如き者なり。


第二十五章

程子曰、誠者自成。如至誠事親則成人子、至誠事君則成人臣。不誠無物。誠者物之終始、猶俗語徹頭徹尾。不誠更有甚物也。伊川。
【読み】
程子曰く、誠は自ら成す。至誠親に事れば則ち人の子を成し、至誠君に事れば則ち人の臣を成すが如し。誠ならざれば物無し。誠は物の終始、猶俗語の徹頭徹尾のごとし。誠あらずんば更に甚だしき物有らん。伊川。

○又曰、聖人言忠信者多矣。人道只在忠信。不誠則無物。出入無時、莫知其郷者、人心也。若無忠信、豈復有物乎。明道。
【読み】
○又曰く、聖人忠信を言う者多し。人道は只忠信に在り。誠ならざれば則ち物無し。出入時無く、其の郷を知ること莫き者は、人心なり。若し忠信無くんば、豈復物有らんや。明道。

○又曰、只著一箇私意便是餒、便是缺了他浩然之氣處。誠者物之終始。不誠無物。這裏缺了他、則便這裏沒這物。
【読み】
○又曰く、只一箇の私意を著ければ便ち是れ餒え、便ち是れ他の浩然の氣を缺き了わる處。誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。這の裏に他を缺き了われば、則ち便ち這の裏に這の物沒[な]し。

○又曰、學者不可以不誠。不誠無以爲善。不誠無以爲君子。脩學不以誠則學雜。爲事不以誠則事敗。自謀不以誠、則是欺其心而自棄其志。與人不以誠、則是喪其德而增人之怨。今小道異端亦必誠而後得。而況欲爲君子者乎。故曰、學者不可以不誠。雖然誠者在知道本而誠之耳。伊川。
【読み】
○又曰く、學者以て誠ならずんばある可からず。誠ならざれば以て善を爲すこと無し。誠ならざれば以て君子と爲ること無し。學を脩むるに誠を以てせざれば則ち學雜る。事を爲すに誠を以てせざれば則ち事敗る。自ら謀るに誠を以てせざれば、則ち是れ其の心を欺いて自ら其の志を棄つ。人と與にするに誠を以てせざれば、則ち是れ其の德を喪って人の怨みを增す。今小道異端も亦必ず誠にして後に得。而るを況や君子を爲らんことを欲する者をや。故に曰く、學者以て誠ならずんばある可からず。然りと雖も誠は道の本を知って之を誠にするに在るのみ。伊川。

○又曰、成己須是仁。推成己之道成物便是知。
【読み】
○又曰く、己を成すは須く是れ仁なるべし。己を成すの道を推して物を成すは便ち是れ知なり。

○又曰、古之學者爲己。其終至成物。今之學者爲物。其終至於喪己。伊川。
【読み】
○又曰く、古の學者は己が爲にす。其の終わりは物を成すに至る。今の學者は物の爲にす。其の終わりは己を喪すに至る。伊川。

○又曰、性之德者、言性之所由。如卦之德乃卦之蘊也。明道。
【読み】
○又曰く、性の德は、性の由る所を言う。卦の德の如きは乃ち卦の蘊なり。明道。

○又曰、性不可以内外言。伊川。
【読み】
○又曰く、性は内外を以て言ず可からず。伊川。

○又曰、時措之宜、言隨時之義。若溥博淵泉而出之。伊川。
【読み】
○又曰く、時に措くの宜きは、時に隨うの義を言う。溥博淵泉にして之を出だすが若し。伊川。

○呂曰、誠者實而已矣。所謂誠者物之終始。不誠無物也。故君子必明乎善。知至則意誠矣。旣有惻怛之誠意、乃能竭不倦之強力。竭不倦之強力、然後有可見之成功。苟不如是、雖博聞多見、擧歸於虛而已。是誠之所以爲貴也。誠雖自成也、道雖自道也、非有我之得私也。與天下同之而已。故思成己、必思所以成物。是所謂仁智之具也。性之所固有、合内外而無閒者也。夫天大無外。造化發育皆在其閒、自無内外之別。人有是形而爲形所梏。故有内外生焉。内外一生、則物自物、己自己。與天地不相似矣。反乎性之德、則安有物我之異、内外之別哉。故具仁與智、無己無物。誠、一以貫之、合天德而施化育。故能時措之宜也。
【読み】
○呂曰く、誠は實なるのみ。所謂誠は物の終始。誠ならざれば物無し。故に君子は必ず善に明らかなり。知至れば則ち意誠なり。旣に惻怛の誠意有れば、乃ち能く倦まざるの強力を竭くす。倦まざるの強力を竭くして、然して後に見る可きの成功有り。苟も是の如くならざれば、博聞多見と雖も、擧[みな]虛に歸するのみ。是れ誠の貴きと爲す所以なり。誠自ら成すと雖も、道自ら道くと雖も、我が得て私すること有るに非ず。天下と之を同じくするのみ。故に己を成さんことを思わば、必ず物を成す所以を思う。是れ所謂仁智の具わるなり。性の固有する所、内外を合わせて閒無き者なり。夫れ天は大にして外無し。造化發育皆其の閒に在って、自ら内外の別無し。人是の形有って形に梏せらるることを爲す。故に内外有って生ず。内外一たび生ずれば、則ち物は自ら物、己は自ら己。天地と相似ず。性の德に反れば、則ち安んぞ物我の異、内外の別有らんや。故に仁と智とを具えて、己無く物無し。誠は、一以て之を貫き、天德を合わせて化育を施す。故に能く時に之を措いて宜し。

○又曰、子貢曰、學不厭智也。敎不倦仁也。學不厭、所以成己。此則成己爲仁。敎不倦、所以成物。此則成物爲智、何也。夫盡性以成己、則仁之體也。推是以成物、則智之事也。自成德而言也。學不厭、所以致吾知、敎不倦、所以廣吾愛。自入德而言也。此子思・子貢之言所以異也。
【読み】
○又曰く、子貢曰く、學んで厭わざるは智なり。敎えて倦まざるは仁なり、と。學んで厭わざるは、己を成す所以。此は則ち己を成すを仁とす。敎えて倦まざるは、物を成す所以。此は則ち物を成すを智とするは、何ぞ。夫れ性を盡くして以て己を成すは、則ち仁の體なり。是を推して以て物を成すは、則ち智の事なり。德を成すよりして言うなり。學んで厭わざるは、吾が知を致す所以、敎えて倦まざるは、吾が愛を廣むる所以。德に入るよりして言うなり。此れ子思・子貢の言の異なる所以なり。

○游曰、誠者非有成之者。自成而已。其爲道、非有道之者。自道而已。自成自道、猶言自本自根也。以性言之爲誠、以理言之爲道。其實一也。
【読み】
○游曰く、誠は之を成す者有るに非ず。自ら成るのみ。其の道爲る、之を道く者有るに非ず。自ら道くのみ。自ら成り自ら道く、猶本より根よりと言うがごとし。性を以て之を言えば誠と爲し、理を以て之を言えば道と爲す。其の實は一なり。

○楊曰、誠自成。道自道。無所待而然也。
【読み】
○楊曰く、誠は自ら成す。道は自ら道く。待つ所無くして然り。

○又曰、萬物一體也。成己所以成物也。成己仁也。合天下之公言之也。成物智也。卽成己之道而行其所無事也。仁智具、性之德也。有成己之仁。故能合内外之道。有成物之知。故知時措之宜也。
【読み】
○又曰く、萬物は一體なり。己を成すは物を成す所以なり。己を成すは仁なり。天下の公を合わせて之を言うなり。物を成すは智なり。己を成すの道に卽いて其の事無き所を行うなり。仁智具わるは、性の德なり。己を成すの仁有り。故に能く内外の道を合わす。物を成すの知有り。故に時に措くの宜きを知る。

○又曰、大學自正心誠意、至治國家天下、只一理。此中庸所謂合内外之道也。孔子曰、子帥以正、孰敢不正。子思曰、君子篤恭而天下平。孟子曰、其身正而天下歸之。皆明此也。
【読み】
○又曰く、大學は心を正しくし意を誠にするより、國家天下を治むるに至るまで、只一理なり。此れ中庸に謂う所の内外の道を合わするなり。孔子曰く、子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん、と。子思曰く、君子篤恭して天下平なり、と。孟子曰く、其の身正しくして天下之に歸す、と。皆此を明かせり。

○又曰、知合乎内外之道、則禹・稷・顏子之所同可見。蓋自誠意正心、推之至於可以平天下。此内外之道所以合也。故觀其意誠心正、則知天下自是而平。觀天下平、則知非意誠心正不能也。茲乃禹・稷・顏回之所以同也。
【読み】
○又曰く、内外の道を合わすることを知れば、則ち禹・稷・顏子の同じき所見る可し。蓋し意を誠にし心を正しくするより、之を推して以て天下を平にす可きに至る。此れ内外の道の合う所以なり。故に其の意誠に心正しきを觀れば、則ち天下是よりして平なることを知る。天下平なるを觀れば、則ち意誠に心正しきに非ざれば能わざることを知る。茲れ乃ち禹・稷・顏回の同じき所以なり。

○又曰、精義入神、乃所以致用。利用安身、乃所以崇德。此合内外之道也。
【読み】
○又曰く、義を精しくし神に入るは、乃ち用を致す所以。用を利し身を安んずるは、乃ち德を崇くする所以。此れ内外の道を合わすなり。

○侯曰、上言誠者自成、道自道。子思恐學者以内外爲二事、知體而不知用。故又曰、誠者非成己而已也。所以成物也。猶言能盡其性則能盡人之性、能盡人之性則能盡物之性者也。豈有能成己而不能成物者。不能成物則非能成己者也。人物雖殊、理則一也。故曰、成己仁也。成物知也。
【読み】
○侯曰く、上には誠は自ら成す、道は自ら道くと言う。子思學者内外を以て二事と爲し、體を知って用を知らざらんことを恐る。故に又曰く、誠は己を成すのみに非ず。物を成す所以なり、と。猶能く其の性を盡くせば則ち能く人の性を盡くす、能く人の性を盡くせば則ち能く物の性を盡くすと言うがごとき者なり。豈能く己を成して物を成すこと能わざる者有らんや。物を成すこと能わざれば則ち能く己を成す者に非ず。人物殊なりと雖も、理は則ち一なり。故に曰く、己を成すは仁なり。物を成すは知なり、と。


第二十六章

程子曰、維天之命、於穆不已、此是理自相續不已。非是人爲之。如使可爲、雖使百萬般安排、也須有息時。只爲無爲。故不息。中庸言、不見而章、不動而變、無爲而成。天地之道、可一言而盡也。伊川。
【読み】
程子曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まずとは、此れ是れ理自ら相續ぎ已まず。是れ人之を爲すに非ず。如し爲す可からしめば、百萬般安排せしむと雖も、也須く息む時有るべし。只爲すこと無しとす。故に息まず。中庸に言う、見さずして章らかに、動かずして變じ、爲すこと無くして成る。天地の道、一言にして盡くす可し、と。伊川。

○問、義還因事而見否。曰、非也。性中自有。或曰、無状可見。曰、說有便是見。但人自不見。昭昭然在天地之中也。且如性、何須待有物方指爲性。性自在也。賢所言見者事。頤所言見者理。如曰不見而章是也。伊川。
【読み】
○問う、義還って事に因って見るるや否や。曰く、非なり。性中自ら有り。或ひと曰く、状の見る可き無し。曰く、有りと說けば便ち是れ見る。但人自ら見えず。昭昭然として天地の中に在り。且つ性の如き、何ぞ物有るを待って方に指して性と爲すことを須いん。性は自ら在り。賢見ると言う所の者は事。頤が見ると言う所の者は理。見わさずして章らかと曰うが如き、是れなり。伊川。

○又曰、子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜。自漢以來儒者皆不識此義。此見聖人之心純亦不已也。純亦不已此乃天德也。有天德、便可語王道。其要只在愼獨。明道。
【読み】
○又曰く、子川の上に在して曰く、逝く者は斯の如きか。晝夜に舍まず、と。漢より以來儒者皆此の義を識らず。此れ聖人の心純も亦已まざることを見るなり。純も亦已まざるは此れ乃ち天德なり。天德有れば、便ち王道を語る可し。其の要は只獨りを愼むに在り。明道。

○又曰、天命不已。文王純於天道亦不已。純則無二無雜。不已則無閒斷先後。
【読み】
○又曰く、天の命已まず。文王の天道に純なるも亦已まず。純なれば則ち二無く雜り無し。已まざれば則ち閒斷先後無し。

○又曰、詩云、上天之載、無聲無臭。儀刑文王、萬邦作孚。上天又無聲臭之可聞。只看文王使萬邦取信也。又曰、維天之命、於穆不已、蓋曰、天之所以爲天也。文王之德之純、蓋曰、文王之所以爲文也。然則文王之德、直是似天。昊天曰明。及爾出王。昊天曰旦。及爾游衍。只爲常。是這箇道理。此箇亦須待他心熟便自然別。
【読み】
○又曰く、詩に云う、上天の載は、聲も無く臭いも無し。文王に儀[かたど]り刑[のっと]らば、萬邦作りて孚とせん、と。上天又聲臭の聞く可き無し。只文王萬邦をして信を取らしむることを看るなり。又曰く、維れ天の命、於穆として已まずとは、蓋し曰う、天の天爲る所以を。文王の德の純なるとは、蓋し曰う、文王の文爲る所以を。然れば則ち文王の德は、直に是れ天に似たり。昊天曰[ここ]に明らかなり。爾と出でて王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり。爾と游衍す。只常爲り。是れ這箇の道理なり。此箇亦須く他の心熟するを待って便ち自然に別なるべし。

○呂曰、實理不貳、則其體無雜。其體不雜、則其行無閒。故至誠無息、非使之也。機自動耳。乃乾坤之所以闔闢、萬物之所以生育、亘萬古而無窮者也。如使之則非實。非實則有時而息矣。久者、日新而無敝之謂也。徵、驗也。悠遠、長也。天地運行而不息。故四時變化而無敝、日月相從而不已。故晦朔生明而無敝。此之謂不息則久。四時變化而無敝。故有生生之驗。晦朔生明而無敝。故有照臨之驗。此之謂久則徵。生生也、照臨也、苟日新而有徵、則可以繼繼其長至於無窮矣。此之謂徵則悠遠。悠遠無窮者、其積必多。博者、能積衆狹。厚者、能積衆薄。此之謂悠遠則博厚。有如是廣博、則其勢不得不髙、有如是深厚、則其精不得不明。此之謂博厚則髙明。博厚則無物不能任也。髙明則無物不能冒。悠久則無時而不養也。所以載物覆物成物者、其能也。所以章、所以變、所以成者、其功也。能非力之所任。功非用而後有。其勢自然不得不爾。是皆至誠不貳而已。此天地之道所以一言而盡也。天地所以生物不測者、至誠不貳者也。天地所以神者、積之無疆者也。如使天地爲物而貳、則其行有息、其積有限、昭昭撮土之微、將下同乎衆物。又焉有載物覆物成物之功哉。雖天之大、昭昭之多而已。雖地之廣、撮土之多而已。山之一拳、水之一勺、亦猶是矣。其所以髙明博厚神明不測者、積之之多而已。今夫人之有良心也、莫非受天地之中。是爲可欲之善。不充之、則不能與天地相似而至乎大。大而不化、則不能不勉不思與天地合德而至于聖。然所以至于聖者、充其良心、德盛仁熟而後爾也。故曰、過此以往未之或知也。窮神知化、德之盛也。如指人之良心、而責之與天地合德、猶指撮土而求其載蕐岳振河海之力、指一勺而求其生蛟龍殖貨財之功。是亦不思之甚也。天之所以爲天、不已其命而已。聖人之所以爲聖、不已其德而已。其爲天人德命則異、其所以不已則一。故聖人之道可以配天者如此而已。
【読み】
○呂曰く、實理貳あらざれば、則ち其の體雜ること無し。其の體雜らざれば、則ち其の行閒無し。故に至誠息むこと無きは、之をせしむるに非ず。機自ら動くのみ。乃ち乾坤の闔闢する所以、萬物の生育する所以、萬古に亘って窮まり無き者なり。如し之をせしめば則ち實に非ず。實に非ずんば則ち時有って息まん。久しき者、日々に新たにして敝ること無きの謂なり。徵は、驗しなり。悠遠は、長きなり。天地運行して息まず。故に四時變化して敝ること無く、日月相從って已まず。故に晦朔明を生じて敝ること無し。此れ之を息まざれば則ち久しと謂う。四時變化して敝ること無し。故に生生の驗有り。晦朔明を生じて敝ること無し。故に照臨の驗有り。此れ之を久しければ則ち徵ありと謂う。生生や、照臨や、苟に日々に新たにして徵有れば、則ち以て繼繼として其の長き無窮に至る可し。此れ之を徵あれば則ち悠遠と謂う。悠遠にして窮まり無き者は、其の積むこと必ず多し。博き者は、能く衆狹を積む。厚き者は、能く衆薄を積む。此れ之を悠遠なれば則ち博厚なりと謂う。是の如く廣博有れば、則ち其の勢髙からざることを得ず、是の如く深厚有れば、則ち其の精明らかならざることを得ず。此れ之を博厚なれば則ち髙明なりと謂う。博厚なれば則ち物として任ずること能わざること無し。髙明なれば則ち物として冒すこと能わざること無し。悠久なれば則ち時として養わざること無し。物を載せ物を覆い物を成す所以の者は、其の能なり。章らかなる所以、變ずる所以、成る所以の者は、其の功なり。能は力の任[た]うる所に非ず。功は用いて而る後に有るに非ず。其の勢自然にして爾[しか]らざることを得ず。是れ皆至誠貳ならざるのみ。此れ天地の道の一言にして盡くす所以なり。天地物を生じて測られざる所以の者は、至誠貳ならざる者なり。天地神なる所以の者は、之を積んで疆り無き者なり。如し天地の物を爲すをして貳ならしめば、則ち其の行息むこと有り、其の積限り有り、昭昭撮土の微、將に下衆物に同じからんとす。又焉んぞ物を載せ物を覆い物を成すの功有らんや。天の大なると雖も、昭昭の多きのみ。地の廣しと雖も、撮土の多きのみ。山の一拳、水の一勺も、亦猶是のごとし。其の髙明博厚神明不測なる所以の者は、之を積むことの多きのみ。今夫れ人の良心有るや、天地の中を受くるに非ざること莫し。是を欲す可きの善と爲す。之を充たさざれば、則ち天地と相似て大に至ること能わず。大にして化せざれば、則ち勉めず思わずして天地と德を合わせて聖に至ること能わず。然れば聖に至る所以の者は、其の良心を充たして、德盛んに仁熟して後に爾り。故に曰く、此を過ぎて以往は未だ之を知ること或らず。神を窮め化を知るは、德の盛んなるなり、と。如し人の良心を指して、之に天地と德を合わせんことを責めば、猶撮土を指して其の蕐岳を載せ河海を振[おさ]むるの力を求め、一勺を指して其の蛟龍を生じ貨財を殖すの功を求むるがごとし。是れ亦思わざるの甚だしきなり。天の天爲る所以は、其の命を已めざるのみ。聖人の聖爲る所以は、其の德を已めざるのみ。其の天人德命爲ることは則ち異にして、其の已まざる所以は則ち一なり。故に聖人の道の以て天に配[そ]う可き者此の如きのみ。

○游曰、博厚而不久、則載物之德隳矣。髙明而不久、則覆物之道缺矣。是則悠久者天地所以成終始也。故所以成物。
【読み】
○游曰く、博厚にして久しからずんば、則ち物を載するの德隳[やぶ]れん。髙明にして久しからずんば、則ち物を覆うの道缺けん。是れ則ち悠久は天地の終始を成す所以。故に物を成す所以なり。


第二十七章

程子曰、自大哉聖人之道、至至道不凝焉、皆是一貫。明道。
【読み】
程子曰く、大哉聖人之道より、至道不凝焉に至るまで、皆是れ一貫。明道。

○又曰、中庸言禮儀三百威儀三千、方是說優優大哉。又却非如異敎之說須得如如枯木死灰以爲得也。
【読み】
○又曰く、中庸禮儀三百威儀三千と言って、方に是れ優優として大なるかなを說けり。又却って異敎の說須く枯木死灰の如きことを得て以て得たりと爲すべきが如きに非ず。

○又曰、德性者、言性之可貴。與言性善、其實一也。明道。
【読み】
○又曰く、德性は、性の貴ぶ可きを言えり。性善と言うと、其の實は一なり。明道。

○又曰、須是合内外之道。一天人、齊上下、下學而上達、極髙明而道中庸。
【読み】
○又曰く、須く是れ内外の道を合わすべし。天人を一にし、上下を齊しくし、下學して上達し、髙明を極めて中庸に道る。

○又曰、極髙明而道中庸、非是二事。中庸天理也。天理固髙明。不極乎髙明、不足以道中庸。中庸乃髙明之極也。
【読み】
○又曰く、髙明を極めて中庸に道るは、是れ二事に非ず。中庸は天理なり。天理は固より髙明なり。髙明を極めざれば、以て中庸を道うに足らず。中庸は乃ち髙明の極なり。

○又曰、理則極髙明、行之只是中庸也。明道。
【読み】
○又曰く、理は則ち髙明を極め、之を行わすは只是れ中庸なり。明道。

○張子曰、天體物而不遺。猶仁體事而無不在也。禮儀三百威儀三千、無一物之非仁也。昊天曰明。及爾出王。昊天曰旦。及爾游衍。無一物之不體也。
【読み】
○張子曰く、天物に體して遺さず。猶仁事に體して在らざること無きがごとし。禮儀三百威儀三千、一物として仁に非ざること無し。昊天曰[ここ]に明らかなり。爾と出でて王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり。爾と游衍す。一物として體せざること無し。

○又曰、不尊德性、則問學從而不道。不致廣大、則精微無所立其誠。不極髙明、則擇乎中庸失時措之宜矣。
【読み】
○又曰く、德性を尊ばざれば、則ち問學從って道らず。廣大を致めざれば、則ち精微其の誠を立つる所無し。髙明を極めざれば、則ち中庸を擇んで時に措くの宜きを失う。

○又曰、尊德性而道問學。致廣大而盡精微。極髙明而道中庸。皆逐句爲一義。上言重、下語輕。尊德性、猶據於德。德性須尊之。道、行也。問、問得者。學、行得者。猶學問也。尊德性、須是將前言往行所聞所知以參驗。恐行有錯。致廣大、須盡精微。不得鹵莽。極髙明、須道中庸之道。
【読み】
○又曰く、德性を尊んで問學に道る。廣大を致めて精微を盡くす。髙明を極めて中庸に道る。皆逐句一義を爲す。上の言は重く、下の語は輕し。德性を尊ぶは、猶德に據るがごとし。德性は須く之を尊ぶべし。道は、行なり。問は、問い得る者。學は、行い得る者。猶學問のごとし。德性を尊ぶは、須く是れ前言往行聞く所知る所を將って以て參驗すべし。恐らくは行錯い有らん。廣大を致めば、須く精微を盡くすべし。鹵莽することを得ず。髙明を極めば、須く中庸の道に道るべし。

○又曰、今且將尊德性而道問學爲心、日自求於問學有所背否、於德性有所懈否。此義亦是博文約禮、下學上達。以此警策一年、安得不長。每日須求多少爲益。知所亡、改得少不善。此德性上之益。讀書求義理、編書須理會有所歸著。勿徒冩過。又多識前言往行。此問學上益也。勿使有俄頃閑度。似此三年、庶幾有進。
【読み】
○又曰く、今且く德性を尊んで問學に道るを將って心と爲して、日々に自ら問學に於て背く所有りや否や、德性に於て懈る所有りや否やと求めよ。此の義亦是れ博文約禮、下學上達なり。此を以て警策すること一年ならば、安んじて長ぜざることを得ん。每日須く多少益を爲すことを求むべし。亡き所を知り、少しの不善を改め得。此れ德性上の益なり。書を讀んでは義理を求め、書を編んでは須く歸著する所有ることを理會すべし。徒に冩し過ぎること勿かれ。又多く前言往行を識す。此れ問學上の益なり。俄頃も閑度すること有らしむること勿かれ。此の似くすること三年ならば、庶幾くは進むこと有らん。

○又曰、致廣大、極髙明。此則儘遠大。所處則直是精約。
【読み】
○又曰く、廣大を致め、髙明を極む。此れ則ち儘く遠大なり。處る所は則ち直に是れ精約なり。

○又曰、溫故知新、多識前言往行、以畜德、繹舊業而知新益、思昔未至而今至之、緣舊所見聞而察來。皆其義也。
【読み】
○又曰く、故きを溫ねて新しきを知るは、多く前言往行を識って、以て德を畜え、舊業を繹[たず]ねて新益を知り、昔[きのう]の未だ至らざるを思って今[きょう]之に至り、舊見聞する所に緣って來を察す。皆其の義なり。

○呂曰、道之在我者、德性而已。不先貴乎此、則所謂問學者、不免乎口耳爲人之事而已。道之全體者、廣大而已。不先充乎此、則所謂精微者、或偏或隘矣。道之上達者、髙明而已。不先止乎此、則所謂中庸者、同汙合俗矣。溫故知新、將以進吾知也。敦厚崇禮、將以實吾行也。知崇禮卑。至于成性、則道義皆從此出矣。居上而驕、知上而不知下者也。爲下而倍、知下而不知上者也。國有道不知言之足興、知藏而不知行之者也。國無道不知默之足容、知行而不知藏者也。是皆一偏之行、不蹈乎時中。惟明哲之人知上知下知行知藏。此所以卒保其身者也。
【読み】
○呂曰く、道の我に在る者は、德性のみ。先ず此を貴ばざれば、則ち所謂問學という者、口耳人の爲にするの事を免れざるのみ。道の全體は、廣大なるのみ。先ず此を充てざれば、則ち所謂精微という者、或は偏に或は隘し。道の上達は、髙明なるのみ。先ず此に止まらざれば、則ち所謂中庸という者、汙に同じくし俗に合う。故きを溫ね新しきを知るは、將に以て吾が知を進めんとするなり。厚を敦くし禮を崇くするは、將に以て吾が行を實にせんとするなり。知崇く禮卑し。性を成すに至れば、則ち道義皆此より出づ。上に居て驕るは、上を知って下を知らざる者なり。下と爲りて倍[そむ]くは、下を知って上を知らざる者なり。國に道有り言の興るに足ることを知らざるは、藏すことを知って之を行うことを知らざる者なり。國に道無くして默の容るるに足ることを知らざるは、行うことを知って藏すことを知らざる者なり。是れ皆一偏の行、時中を蹈まず。惟明哲の人のみ上を知り下を知り行を知り藏を知る。此れ卒に其の身を保つ所以の者なり。

○游曰、發育萬物、峻極于天、至道之功也。禮儀三百威儀三千、至道之具也。洋洋乎、言上際於天、下蟠於地也。優優大哉、言動容周旋中禮也。夫以三百三千之多儀、非天下至誠、孰能從容而盡中哉。故曰、待其人然後行。蓋盛德之至者人也。故曰、苟不至德、至道不凝焉。至德非他。至誠而已矣。
【読み】
○游曰く、萬物を發育して、峻く天を極むは、至道の功なり。禮儀三百威儀三千は、至道の具なり。洋洋乎は、言うこころは、上天に際[きわまり]り、下地に蟠[わだかま]る、と。優優として大なるかなは、言うこころは、動容周旋禮に中る、と。夫れ以[おも]んみるに三百三千の多儀、天下の至誠に非ずんば、孰か能く從容として盡く中らんや。故に曰く、其の人を待って然して後に行わる、と。蓋し盛德の至れる者は人なり。故に曰く、苟も至德にあらざれば、至道凝らず、と。至德は他に非ず。至誠なるのみ。

○又曰、懲忿窒慾、閑邪存誠、此尊德性也。非學以聚之、問以辨之、則擇善不明矣。故繼之以道問學。尊德性而道問學、然後能致廣大。尊其所聞、行其所知、充其德性之體、使無不該徧。此致廣大也。非盡精微、則無以極深而研幾也。故繼之以盡精微。致廣大而盡精微、然後能極髙明。始也未離乎方、今則無方矣。始也未離乎體、今則無體矣。離形去智、廓然大通。此極髙明也。非道中庸、別無踐履可據之地。不幾於蕩而無執乎。故繼之以道中庸。髙明者中庸之妙理、而中庸者髙明之實德也。其實非兩體也。
【読み】
○又曰く、忿を懲らし慾を窒ぎ、邪を閑ぎ誠を存するは、此れ德性を尊ぶなり。學以て之を聚め、問以て之を辨えるに非ざれば、則ち善を擇ぶこと明らかならず。故に之に繼ぐに問學に道るを以てす。德性を尊んで問學に道って、然して後に能く廣大を致む。其の聞く所を尊び、其の知る所を行い、其の德性の體を充てば、該ね徧からざること無からしむ。此れ廣大を致むなり。精微を盡くすに非ざれば、則ち以て深きを極め幾を研くこと無し。故に之に繼ぐに精微を盡くすを以てす。廣大を致めて精微を盡くして、然して後に能く髙明を極む。始めや未だ方を離れず、今は則ち方無し。始めや未だ體を離れず、今は則ち體無し。形を離れ智を去り、廓然として大いに通ず。此れ髙明を極むなり。中庸に道るに非ざれば、別に踐履據る可きの地無し。蕩じて執ること無きに幾からず。故に之に繼ぐに中庸に道るを以てす。髙明は中庸の妙理にして、中庸は髙明の實德なり。其の實は兩體に非ず。

○楊曰、道之峻極于天、道之至也。無禮以範圍之、則蕩而無止、而天地之化或過矣。禮儀三百威儀三千、所以體道而範圍之也。故曰、苟不至德至道不凝焉。所謂至德者禮其是乎。夫禮天所秩也。後世或以爲忠信之薄、或以爲僞、皆不知天者也。故曰、待其人然後行。蓋道非禮不止、禮非道不行、二者常相資也。苟非其人而梏於儀章器數之末、則愚不肖者之不及也。尙何至道之凝哉。
【読み】
○楊曰く、道の峻く天を極むるは、道の至りなり。禮以て之を範圍すること無ければ、則ち蕩じて止まること無くして、天地の化或は過ぐ。禮儀三百威儀三千は、道を體して之を範圍する所以なり。故に曰く、苟も至德にあらざれば至道凝らず、と。所謂至德は禮とは其れ是れなり。夫れ禮は天の秩ずる所なり。後世或は以て忠信の薄と爲し、或は以て僞と爲すは、皆天を知らざる者なり。故に曰く、其の人を待って然して後に行わる、と。蓋し道禮に非ざれば止まらず、禮道に非ざれば行われず、二つの者は常に相資る。苟も其の人に非ずして儀章器數の末に梏すれば、則ち愚不肖者の及ばざるなり。尙何の至道凝らんや。

○又曰、尊德性而後能致廣大、致廣大而後能極髙明、道問學而後能盡精微、盡精微而後能擇中庸而固執之。入德之序也。
【読み】
○又曰く、德性を尊んで而して後に能く廣大を致め、廣大を致めて而して後に能く髙明を極め、問學に道って而して後に能く精微を盡くし、精微を盡くして而して後に能く中庸を擇んで固く之を執る。德に入るの序なり。

○又曰、國無道可以巻而懷之。然後其默足以容。此明哲保身之道、非遵養之有素、其何能爾。不然雖欲巻而懷之、其可得乎。
【読み】
○又曰く、國道無ければ以て巻いて之を懷にす可し。然して後に其の默以て容るるに足れり。此れ明哲身を保つの道、遵養の素有るに非ずんば、其れ何ぞ能く爾らん。然らざれば巻いて之を懷にせんと欲すと雖も、其れ得可けんや。

○又曰、道止於中而已矣。出乎中則過、未至則不及。故惟中爲至。夫中也者、道之至極。故中又謂之極。屋極亦謂之極。蓋中而髙故也。極髙明、而不道乎中庸、則賢智者過之也。道中庸、而不極乎髙明、則愚不肖者之不及也。世儒以髙明中庸折爲二致、非知中庸也。以謂聖人以髙明處己中庸待人、則聖人處己常過之、待人常不及、道終不明不行、與愚不肖者無以異矣。
【読み】
○又曰く、道は中に止まるのみ。中を出づれば則ち過ぎ、未だ至らざれば則ち及ばず。故に惟中を至れりと爲す。夫れ中は、道の至極。故に中も又之を極と謂う。屋極も亦之を極と謂う。蓋し中にして髙き故なり。髙明を極めて、中庸に道らざれば、則ち賢智者の之に過ぐるなり。中庸に道って、髙明を極めざれば、則ち愚不肖者の及ばざるなり。世儒髙明中庸を以て折って二致と爲すは、中庸を知るに非ず。以て聖人髙明を以て己を處き中庸人を待つと謂えば、則ち聖人己を處くこと常に之に過ぐと、人を待つこと常に及ばざると、道終に明らかならず行われざること、愚不肖者と以て異なること無し。


第二十八章

呂曰、通下章寡過矣乎已上。無德爲愚、無位爲賤。有位無德而作禮樂、所謂愚而好自用。有德無位而作禮樂、所謂賤而好自專。生周之世而從夏殷之禮、所謂居今之世反古之道。三者有一焉、取烖之道也。故王天下有三重焉。議禮所以制行。故行必同倫。制度所以爲法。故車必同軌。考文所以合俗。故書必同文。惟王天下者行之。諸侯有所不與也。故國不異政、家殊俗。蓋有以一之也。如此則寡過矣。
【読み】
呂曰く、下章の寡過矣乎已上に通ず。德無きを愚と爲し、位無きを賤と爲す。位有り德無くして禮樂を作るは、所謂愚にして自ら用うることを好むなり。德有り位無くして禮樂を作るは、所謂賤しくして自ら專にすることを好むなり。周の世に生じて夏殷の禮に從うは、所謂今の世に居りて古の道に反るなり。三つの者一つ有れば、烖を取るの道なり。故に天下に王たるに三重有り。禮を議るは行を制る所以。故に行は必ず倫を同じくす。度を制するは法を爲す所以。故に車必ず軌を同じくす。文を考えるは俗を合わす所以。故に書必ず文を同じくす。惟天下に王たる者のみ之を行う。諸侯は與らざる所有り。故に國政を異にせず、家俗を殊にせず。蓋し以て之を一にすること有り。此の如くなれば則ち過寡なし。

○楊曰、愚無德也。而好自用。賤無位也。而好自專。居今之世、無德無位、而反古以有爲、皆取烖之道。明哲不爲也。故繼之曰、非天子不議禮、不制度、不考文。蓋禮樂・制度・書文、必自天子出。所以定民志一天下之習也。變禮易樂、則有誅焉。況敢妄作乎。有其位可以作矣。然不知禮樂之情、則雖作而不足爲法於天下矣。故有其位無其德、亦不敢作也。況無其位乎。
【読み】
○楊曰く、愚は德無し。而して自ら用うることを好む。賤しきは位無し。而して自ら專にすることを好む。今の世に居りて、德無く位無くして、古に反って以て爲すこと有るは、皆烖を取るの道なり。明哲は爲さざるなり。故に之に繼いで曰く、天子に非ざれば禮を議らず、度を制らず、文を考えず、と。蓋し禮樂・制度・書文は、必ず天子より出づ。民の志を定め天下の習を一にする所以なり。禮を變じ樂を易えれば、則ち誅有り。況や敢えて妄りに作るをや。其の位に有れば以て作る可し。然れども禮樂の情を知らざれば、則ち作ると雖も而れども法を天下に爲すに足らず。故に其の位有りて其の德無きも、亦敢えて作らざるなり。況や其の位無きをや。

○侯曰、吾學夏禮。杞不足徵也。吾學殷禮。有宋存焉。吾學周禮。今用之。吾從周。明二代之禮皆可沿革也。宋・杞不足徵吾言則不言。周禮今用之則吾從周。此孔子之時中也。顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞。此沿革之大旨也。通天下等萬世、不獘之法也。使孔子而有位焉、其獨守周之文而不損益乎。
【読み】
○侯曰く、吾夏の禮を學ぶ。杞徵とするに足らず。吾殷の禮を學ぶ。宋存すること有り。吾周の禮を學ぶ。今之を用う。吾は周に從わん。二代の禮を明らかにするに皆沿革す可し。宋・杞吾が言を徵とするに足らざれば則ち言わず。周の禮今之を用うれば則ち吾周に從わん。此れ孔子の時中なり。顏淵邦を爲むることを問う。子曰く、夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞をせん、と。此れ沿革の大旨なり。天下に通じ萬世に等しくして、獘[たお]れざるの法なり。孔子にして位有らしめば、其れ獨周の文を守って損益せざらんや。


第二十九章

程子曰、理則天下只是一箇理。故推至四海而準。須是質諸天地、考諸三王、不易之理。故敬則只是敬此者也。仁是仁此者也。信是信此者也。
【読み】
程子曰く、理は則ち天下只是れ一箇の理。故に推して四海に至って準ず。須く是れ諸を天地に質し、諸を三王に考えて、易わらざるの理なるべし。故に敬は則ち只是れ此を敬する者なり。仁は是れ此を仁する者なり。信は是れ此を信ずる者なり。

○呂曰、君子之道必無所不合而後已。有所不合僞也。非誠也。故於身於民於古、於天地於鬼神於後世、無不合。是所謂誠也。非僞也。物我古今天人之所同者也。
【読み】
○呂曰く、君子の道は必ず合わざる所無くして後に已む。合わざる所有るは僞なり。誠に非ず。故に身に於て民に於て古に於て、天地に於て鬼神に於て後世に於て、合わざること無し。是れ所謂誠なり。僞に非ず。物我古今天人の同じき所の者なり。

○楊曰、動凡動容周旋皆是也。行則見於行事矣。
【読み】
○楊曰く、動は凡そ動容周旋皆是れなり。行は則ち行事に見るなり。

○侯曰、質諸鬼神而無疑、知天也。天之心、卽吾之心也。百世以俟聖人而不惑知人也。前聖之道、後聖之道是也。天也、人也、無它。理也。是理也、惟聖人能盡之。故動而世爲天下道、行而世爲天下法、言而世爲天下則。道也、法也、則也、非吾一己之私。天下之道、天下之行、天下之言、吾由之而不悖爾。所以遠之則有望、近之則不厭也。
【読み】
○侯曰く、諸を鬼神に質して疑い無きは、天を知るなり。天の心は、卽ち吾が心なり。百世以て聖人を俟って惑わざるは人を知るなり。前聖の道、後聖の道、是れなり。天や、人や、它無し。理なり。是の理や、惟聖人のみ能く之を盡くす。故に動いて世々天下の道と爲り、行って世々天下の法と爲り、言って世々天下の則と爲る。道や、法や、則や、吾が一己の私に非ず。天下の道、天下の行、天下の言、吾之に由って悖らざるのみ。之に遠ざかれば則ち望み有り、之に近づけば則ち厭わざる所以なり。


第三十章

程子曰、孔子旣知宋桓魋不能害己。又却微服過宋。舜旣見象之將殺己、而又象憂亦憂、象喜亦喜。國祚長短自有命數。人君何用汲汲求治。禹・稷救飢溺者、過門不入。非不知飢溺而死者自有命。又却救之如此其急。數者之事何故如此。須思量到道並行而不相悖處可也。伊川。
【読み】
程子曰く、孔子旣に宋の桓魋己を害すること能わざるを知れり。又却って微服して宋を過ぐ。舜旣に象が將に己を殺さんとするを見て、又象憂えれば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ。國祚の長短自ら命數有り。人君何を用いて治を求むるに汲汲たる。禹・稷飢溺の者を救うに、門を過ぎて入らず。飢溺して死する者自ら命有ることを知らざるに非ず。又却って之を救うこと此の如く其れ急なり。數たの者の事何が故ぞ此の如くなる。須く思量して道並び行われて相悖らざる處に到って可なるべし。伊川。

○又曰、小德川流、大德敦化、只是言孔子。川流是日用處、大德是存主處。如俗言敦本之意。伊川。
【読み】
○又曰く、小德の川流、大德の敦化は、只是れ孔子を言う。川流は是れ日用の處、大德は是れ存主の處。俗に本を敦くすと言うの意の如し。伊川。

○又曰、大德敦化、於化育處敦本也。小德川流、日用處也。此言仲尼與天地合德。伊川。
【読み】
○又曰く、大德の敦化は、化育の處に於て本を敦くす。小德の川流は、日用の處なり。此れ仲尼の天地と德を合わせることを言う。伊川。

○張子曰、接物皆是小德。統會處便是大德。更須大體上求尋也。
【読み】
○張子曰く、物に接わるは皆是れ小德。統會の處は便ち是れ大德。更に須く大體の上に求め尋ぬべし。

○呂曰、此言仲尼譬天地之大也。其博厚足以任天下。其髙明足以冒天下。其化循環而無窮。達消息之理也。其用照鑒而不已。達晝夜之道也。尊賢容衆、嘉善而矜不能。並育而不相害之理也。貴貴尊賢、賞功罰罪。各當其理。並行不相悖之義也。禮儀三百威儀三千、此小德所以川流。洋洋乎發育萬物、峻極于天。此大德所以敦化也。
【読み】
○呂曰く、此れ仲尼を言って天地の大に譬う。其の博厚以て天下に任ずるに足れり。其の髙明以て天下を冒うに足れり。其の化循環して窮まり無し。消息の理に達せり。其の用照鑒して已まず。晝夜の道に達せり。賢を尊び衆を容れ、善を嘉みんじて不能を矜れむ。並び育われて相害せざるの理なり。貴きを貴きとし賢を尊び、功を賞し罪を罰す。各々其の理に當たる。並び行われて相悖らざるの義なり。禮儀三百威儀三千は、此れ小德の川流する所以。洋洋乎として萬物を發育し、峻く天を極む。此れ大德の敦化する所以なり。

○一本云、祖述者、推本其意。憲章者、循守其法。川流者、如百川派別。敦化者、如天地一氣。
【読み】
○一本に云う、祖述は、其の意に推し本づく。憲章は、其の法を循い守る。川流は、百川派別するが如し。敦化は、天地一氣の如し。

○又曰、五行之氣、紛錯於太虛之中、並行而不相悖也。然一物之感、無不具有五行之德。特多寡不常爾。一人之身、亦無不具有五行之德。故百理差殊、亦並行而不相悖。
【読み】
○又曰く、五行の氣、太虛の中に紛錯して、並び行われて相悖らず。然して一物の感、五行の德を具え有たざること無し。特多寡常ならざるのみ。一人の身も、亦五行の德を具え有たざること無し。故に百理差殊、亦並び行われて相悖らず。

○游曰、中庸之道、至仲尼而集大成。故此書之末以仲尼明之。道著於堯・舜。故祖述焉。法詳於文・武。故憲章焉。體元而亨、利物而正。一喜一怒通於四時。夫是之謂律天時。脩其敎不易其俗、齊其政不易其宜、使五方之民、各安其常各成其性。夫是之謂襲水土。上律天時、則天道之至敎脩。下襲水土、則地理之異宜全矣。故博厚配地、無不持載、髙明配天、無不覆幬。變通如四時之錯行、照臨如日月之代明。小以成小、大以成大。動者植者皆裕如也。是謂並育而不相害。或進或止、或久或速、無可無不可。是謂並行而不相悖。動以利物者智也。故曰小德川流。靜以裕物者仁也。故曰大德敦化。言川流則知敦化者仁之體。言敦化則知川流者智之用。
【読み】
○游曰く、中庸の道、仲尼に至って集めて大成す。故に此の書の末仲尼を以て之を明かす。道は堯・舜に著し。故に祖述す。法は文・武に詳らかなり。故に憲章す。元に體して亨り、物を利して正し。一喜一怒四時に通ぜり。夫れ是れ之を天の時に律ると謂う。其の敎を脩めて其の俗を易えず、其の政を齊しくして其の宜を易えず、五方の民をして、各々其の常を安んじ各々其の性を成さしむ。夫れ是れ之を水土に襲[よ]ると謂う。上天の時に律れば、則ち天道の至敎脩まる。下水土に襲れば、則ち地理の宜を異にすること全し。故に博厚は地に配して、持載せざること無く、髙明は天に配して、覆幬[ふとう]せざること無し。變通は四時の錯いに行わるるが如く、照臨は日月の代々明らかなるが如し。小以て小を成し、大以て大を成す。動く者植える者皆裕如たり。是を並び育われて相害せずと謂う。或は進み或は止み、或は久しく或は速やかに、可も無く不可も無し。是を並び行われて相悖らずと謂う。動いて以て物を利する者は智なり。故に小德川流と曰う。靜にして以て物を裕にする者は仁なり。故に大德敦化と曰う。川流を言えば則ち敦化は仁の體なることを知る。敦化を言えば則ち川流は智の用なることを知る。

○侯曰、譬如天地之無不持載、無不覆幬。萬物所以並育而不相害也。譬如四時之錯行、如日月之代明。道所以並行而不相悖也。
【読み】
○侯曰く、譬えば天地の持載せざること無く、覆幬せざること無きが如し。萬物並び育われて相害せざる所以なり。譬えば四時の錯いに行わるるが如く、日月の代々明らかなるが如し。道並び行われて相悖わざる所以なり。


第三十一章

程子曰、溥博淵泉而時出之。須是先有溥博淵泉方始能時出。自無溥博淵泉、豈能以時出之。伊川。
【読み】
程子曰く、溥博淵泉にして時に之を出だす。須く是れ先ず溥博淵泉有って方に始めて能く時に出だすべし。自ら溥博淵泉無くんば、豈能く時を以て之を出ださんや。伊川。

○呂曰、此章言聖人成德之用、其效如此。聖人成德固萬物皆備、應於物而無窮矣。然其所以爲聖、則停蓄充盛、與天地同流而無閒者也。至大如天、至深如淵、時而出之。如四時之運用、萬物之生育。所見於外者、人莫不敬信而悦服。至於血氣之類、莫不尊親。非有天德、孰能配之。
【読み】
○呂曰く、此の章言うこころは、聖人成德の用、其の效此の如し。聖人の成德固より萬物皆備わり、物に應じて窮まり無し。然して其の聖爲る所以は、則ち停蓄充盛、天地と流を同じくして閒無き者なり。至大天の如く、至深淵の如く、時にして之を出だす。四時の運用、萬物の生育の如し。外に見るる所の者、人敬信して悦服せざること莫し。血氣の類に至るまで、尊親せざること莫し。天德有るに非ずんば、孰か能く之に配[そ]わん。

○楊曰、書曰、惟天生聦明時乂。易曰、知臨、大君之宜、吉。則聦明睿智、人君之德也。故足以有臨。臨而不容、不足以得衆。容而無執、不足以有制。執而不敬、或失於自私。敬而無別、或無以方外。非成德也。溥博如天、則其大無外。淵泉如淵則其流不窮。淵泉、言有本也。而時出之、則其流不息矣。故民莫不敬信而悦服。凡有血氣之類莫不尊親、則與天同德矣。故曰配天。
【読み】
○楊曰く、書に曰く、惟れ天聦明を生じて時に乂[おさ]む、と。易に曰く、知って臨む、大君の宜き、吉なり、と。則ち聦明睿智は、人君の德なり。故に以て臨むこと有るに足れり。臨んで容れざるは、以て衆を得るに足らず。容れて執ること無きは、以て制すること有るに足らず。執って敬わざれば、或は自ら私するに失す。敬って別無ければ、或は以て外を方にすること無し。成德に非ず。溥博天の如くなれば、則ち其の大外無し。淵泉淵の如きときは則ち其の流れ窮まらず。淵泉は、本有るを言うなり。而して時に之を出せば、則ち其の流れ息まず。故に民敬信して悦服せざること莫し。凡そ血氣有るの類尊親せざること莫ければ、則ち天と德を同じくす。故に天に配すと曰う。


第三十二章

程子曰、肫肫其仁、蓋言厚也。明道。
【読み】
程子曰く、肫肫[じゅんじゅん]たる其の仁は、蓋し厚を言うなり。明道。

○游曰、自惟天下至聖以下。聦明睿智、聖德也。寬裕溫柔、仁德也。發強剛毅、義德也。齊莊中正、禮德也。文理密察、智德也。溥博者、其大無方。淵泉者、其深不測。或容以爲仁、或執以爲義、或敬以爲禮、或別以爲智。惟其時而已。此所謂時出之也。夫然。故外有以正天下之觀、内有以通天下之志、是以見而民敬、言而民信、行而民悦。自西自東自南自北、莫不心悦而誠服。此至聖之德也。天下之大經、五品之民彛也。凡爲天下之常道皆可名於經、而民彛爲大經。經綸者、因性循理而治之無汨其序之謂也。立天下之大本者、建中于民也。淵淵其淵、非特如淵而已。浩浩其天、非特如天而已。此至誠之道也。德者其用也。有目者所共見、有心者所共知。故凡有血氣者莫不尊親。道者其本也。非道同志一、莫窺其奥。故曰、苟不固聦明聖知達天德者、其孰能知之。蓋至誠之道、非至聖不能知。至聖之德、非至誠不能爲。故其言之序相因如此。
【読み】
○游曰く、惟天下至聖より以下。聦明睿智は、聖の德なり。寬裕溫柔は、仁の德なり。發強剛毅は、義の德なり。齊莊中正は、禮の德なり。文理密察は、智の德なり。溥博は、其の大方無し。淵泉は、其の深きこと測られず。或は容れて以て仁と爲し、或は執って以て義と爲し、或は敬って以て禮と爲し、或は別けて以て智と爲す。惟其の時なるのみ。此れ所謂時に之を出だすなり。夫れ然り。故に外以て天下の觀を正すこと有り、内以て天下の志を通ずること有り、是を以て見れて民敬い、言って民信じ、行って民悦ぶ。西より東より南より北より、心に悦んで誠に服せざること莫し。此れ至聖の德なり。天下の大經は、五品の民彛なり。凡そ天下を爲むるの常道は皆經に名づく可くして、民彛は大經爲り。經綸は、性に因り理に循って之を治めて其の序を汨[みだ]ること無きの謂なり。天下の大本を立つるとは、中を民に建つるなり。淵淵たる其の淵は、特に淵の如きのみに非ず。浩浩たる其の天は、特に天の如きのみに非ず。此れ至誠の道なり。德は其の用なり。目有る者の共に見る所、心有る者の共に知る所なり。故に凡そ血氣有る者は尊親せざること莫し。道は其の本なり。道同じく志一なるに非ざれば、其の奥を窺うこと莫し。故に曰く、苟も固に聦明聖知にして天德に達する者にあらずんば、其れ孰か能く之を知らん、と。蓋し至誠の道は、至聖に非ざれば知ること能わず。至聖の德は、至誠に非ざれば爲すこと能わず。故に其の言の序の相因ること此の如し。

○楊曰、上言至聖、此言至誠、何也。曰、聖人、人倫之至也。以人言之、則與天地相似而已。故如天如淵、以至聖言之。誠者天之道。誠卽天也。故其天其淵、以至誠言之。此其異也。
【読み】
○楊曰く、上には至聖と言い、此には至誠と言うは、何ぞや。曰く、聖人は、人倫の至りなり。人を以て之を言わば、則ち天地と相似れるのみ。故に天の如く淵の如くは、至聖を以て之を言う。誠は天の道。誠は卽ち天なり。故に其の天其の淵は、至誠を以て之を言う。此れ其の異なりなり。


第三十三章

程子曰、學始於不欺暗室。
【読み】
程子曰く、學は暗室を欺かざるに始まる。

○又曰、不愧屋漏、便是箇持養氣象。伊川。
【読み】
○又曰く、屋漏に愧じざるは、便ち是れ箇の持養の氣象なり。伊川。

○又曰、不愧屋漏則心安而體舒。伊川。
【読み】
○又曰く、屋漏に愧じざれば則ち心安くして體舒ぶるなり。伊川。

○又曰、所謂敬者、主一之謂敬。所謂一者、無適之謂一。且欲涵泳主一之義。一則無二三矣。言敬、無如易敬以直内、義以方外。須是直内。乃是主一之義。至於不敢欺、不敢慢、尙不愧于屋漏、皆是敬之事也。伊川。
【読み】
○又曰く、所謂敬とは、一を主とす之を敬と謂う。所謂一とは、適くこと無き之を一と謂う。且つ主一の義を涵泳せんことを欲す。一なれば則ち二三無し。敬を言うこと、易の敬以て内を直くし、義以て外を方にするに如くは無し。須く是れ内を直くすべし。乃ち是れ主一の義なり。敢えて欺かず、敢えて慢らず、尙[ねがわ]くは屋漏に愧じざるに至るまで、皆是れ敬の事なり。伊川。

○又曰、聖人脩己以安百姓、篤敬而天下平。惟上下一於恭敬、則天地自位、萬物自育、氣無不和。四靈何有不至。此體信達順之道、聦明睿智皆由是出。以此事天享帝。
【読み】
○又曰く、聖人己を脩めて以て百姓を安んじ、篤敬して天下平なり。惟上下恭敬に一なれば、則ち天地自ら位し、萬物自ら育われ、氣和せざること無し。四靈何ぞ至らざること有らん。此れ信を體し順を達するの道、聦明睿智皆是由り出づ。此を以て天に事え帝を享る。

○又曰、道一本也。知不二本、便是篤恭而天下平之道。明道。
【読み】
○又曰く、道は一本なり。二本ならざることを知れば、便ち是れ篤恭して天下平なるの道なり。明道。

○又曰、君子之遇事、無巨細一於敬而已矣。簡細故以自崇、非敬也。飾私智以爲奇、非敬也。要之無敢慢而已。語曰、居處恭、執事敬。雖之夷狄不可棄也。然則執事敬者、固爲仁之端也。推是心而成之、則篤恭而天下平矣。伊川。
【読み】
○又曰く、君子の事に遇う、巨細と無く敬に一なるのみ。細故を簡かにして以て自ら崇るは、敬に非ず。私智を飾って以て奇を爲すは、敬に非ず。之に要するに敢えて慢ること無きのみ。語に曰く、居處恭しく、事を執って敬む。夷狄に之くと雖も棄つ可からず、と。然れば則ち事を執って敬むは、固より仁をするの端なり。是の心を推して之を成せば、則ち篤恭して天下平なり。伊川。

○又曰、毛猶有倫。入毫釐絲忽不盡。明道。
【読み】
○又曰く、毛は猶倫有り。毫釐絲忽に入って盡きず。明道。

○又曰、聖人之言依本分。至大至妙事、語之若尋常此所以味長。釋氏之說纔見得些、便驚天動地。言語走作、却是味短。只爲乍見。不似聖人見慣。如中庸言道、只消道無聲無臭四字、揔括了多少。釋氏言非黄非白、非鹹非苦、費多少言語。伊川。
【読み】
○又曰く、聖人の言は本分に依る。至大至妙の事、之を語ること尋常の此れ味長き所以の若し。釋氏の說は纔かに些を見得れば、便ち天を驚し地を動かす。言語走作し、却って是れ味短し。只乍見を爲す。聖人の見慣に似ず。中庸の道を言うが如きは、只無聲無臭の四字を道うことを消[もち]い、多少を揔括し了わる。釋氏の言黄に非ず白に非ず、鹹[かん]に非ず苦に非ず、多少の言語を費す。伊川。

○又曰、中庸之說、其本至於無聲無臭、其用至於禮儀三百威儀三千。自禮儀三百威儀三千、復歸於無聲無臭。此言聖人心要處。與佛家之言相反。儘敎說無形迹無色、其實不過無聲無臭、必竟有甚見處。大抵語論閒不難見。如人論金曰黄色、此人必是不識金。若是識金者、更不言。設或言、時別自有道理。張子厚嘗謂、佛如大富貧子。横渠論此一事甚當。伊川。
【読み】
○又曰く、中庸の說、其の本聲も無く臭いも無きに至り、其の用禮儀三百威儀三千に至る。禮儀三百威儀三千より、復聲も無く臭いも無きに歸す。此れ聖人の心の要處を言う。佛家の言と相反す。儘く形迹無く色無しと說かしむる、其の實は聲も無く臭いも無きに過ぎず、必竟甚の見處有らん。大抵語論の閒見ること難からず。人金を論じて黄色と曰うが如きは、此の人必ず是れ金を識らず。若し是れ金を識る者は、更に言わず。設し或は言えば、時に別に自ら道理有り。張子厚嘗て謂う、佛は大富貧子の如し、と。横渠此の一事を論ずること甚だ當たれり。伊川。

○張子曰、闇然、脩於隱也。的然、著於外也。
【読み】
○張子曰く、闇然は、隱に脩む。的然は、外に著る。

○游曰、君子内省不疚、無惡於志、君子所不可及者、其惟人所不見乎、言愼獨也。
【読み】
○游曰く、君子内に省みて疚しからざれば、志に惡むこと無し、君子の及ぶ可からざる所の者は、其れ惟人の見ざる所かとは、獨りを愼むを言うなり。

○楊曰、君子之道充諸内而已。故闇然而日章。小人騖外而不孚其實。故的然而日亡。此衣錦所以尙絅、而惡其文之著也。淡疑於可厭。簡疑於不文。溫疑於不理。淡・簡・溫、所謂闇然也。淡而不厭、簡而文、溫而理、則闇然而章矣。此充養尙絅之至也。
【読み】
○楊曰く、君子の道は諸を内に充てるのみ。故に闇然として日々に章らかなり。小人は外を騖せて其の實を孚にせず。故に的然として日々に亡ぶ。此れ錦を衣て絅を尙[くわ]えて、其の文の著しきを惡む所以なり。淡は厭う可きに疑いあり。簡は文あらざるに疑いあり。溫は理あらざるに疑いあり。淡・簡・溫は、所謂闇然なり。淡にして厭わず、簡にして文あり、溫にして理あれば、則ち闇然として章らかなり。此れ充ちて養い絅を尙うの至りなり。

○又曰、道不可須臾離也。以其無適而非道也。故於不聞不睹、必恐懼戒愼焉。相在爾室、尙不愧于屋漏、其充此之謂乎。
【読み】
○又曰く、道は須臾も離る可からず。其の適くとして道に非ざること無きを以てなり。故に聞こえず睹えざるに於て、必ず恐懼戒愼す。爾の室に在るを相[み]る、尙[ねが]わくは屋漏に愧じざれとは、其れ此を充てるの謂か。

○又曰、上天之載、無聲無臭、至矣。蓋道本乎天、而其卒也反乎天。茲其所以爲至者乎。
【読み】
○又曰く、上天の載は、聲も無く臭いも無し、至れり。蓋し道は天に本づいて、其の卒わりや天に反る。茲れ其の至れりと爲す所以の者か。

○又曰、孟子言、大人正己而物正。物正、物自正也。大人只知正己而已。惟能正己、物自然正。此乃篤恭而天下平之意。
【読み】
○又曰く、孟子言、大人は己を正しくして物正し、と。物正しきは、物自ら正し。大人は只己を正しくすることを知るのみ。惟能く己を正しくすれば、物自然に正し。此れ乃ち篤恭して天下平なる意なり。

○侯曰、不愧屋漏、與愼獨不同。
【読み】
○侯曰く、屋漏に愧じずと、獨りを愼むとは同じからず。

○又曰、自衣錦尙絅至無聲無臭至矣、子思再叙入德成德之序也。
【読み】
○又曰く、衣錦尙絅より無聲無臭至矣に至るまで、子思再び德に入り德を成すの序を叙ず。

○又曰、子思之書中庸也、始於寂然不動、中則感而遂通天下之故、及其至也、退藏於密以神明其德。復於天命、反其本而已。其意義無窮。非玩味力索、莫能得之。
【読み】
○又曰く、子思の中庸を書す、寂然として動かざるに始まり、中は則ち感じて遂に天下の故に通じ、其の至るに及んでや、退けて密に藏めて以て其の德を神明にす。天命に復り、其の本に反るのみ。其の意義窮まり無し。玩味力索するに非ずんば、能く之を得ること莫けん。