中庸或問  山崎闇斎点倭板四書の中庸或問を参考とした。

或問、名篇之義、程子專以不偏爲言、呂氏專以無過不及爲說。二者固不同矣。子乃合而言之、何也。曰、中一名而有二義。程子固言之矣。今以其說推之、不偏不倚云者、程子所謂在中之義、未發之前、無所偏倚之名也。無過不及者、程子所謂中之道也。見諸行事各得其中之名也。蓋不偏不倚、猶立而不近四旁。心之體、地之中也。無過不及、猶行而不先不後、理之當、事之中也。故於未發之大本、則取不偏不倚之名。於已發而時中、則取無過不及之義。語固各有當也。然方其未發、雖未有無過不及之可名、而所以爲無過不及之本體實在於是。及其發而得中也、雖其所主不能不偏於一事、然其所以無過不及者、是乃無偏倚者之所爲、而於一事之中亦未嘗有所偏倚也。故程子又曰言和、則中在其中、言中、則含喜怒哀樂在其中、而呂氏亦云當其未發、此心至虛、無所偏倚、故謂之中、以此心而應萬物之變、無往而非中矣。是則二義雖殊、而實相爲體用。此愚於名篇之義、所以不得取此而遺彼也。
【読み】
或ひと問う、篇に名づくるの義、程子は專ら不偏を以て言を爲し、呂氏は專ら過不及無きを以て說を爲す。二つの者固より同じからず。子乃ち合わせて之を言えるは、何ぞや。曰く、中は一名にして二義有り。程子固より之を言えり。今其の說を以て之を推すに、不偏不倚と云うは、程子の謂う所の中に在るの義、未發の前、偏倚する所無きの名なり。過不及無きとは、程子の謂う所の中の道なり。行事に見 [あらわ]れて各々其の中を得るの名なり。蓋し不偏不倚は、猶立ちて四旁に近づかざるがごとし。心の體は、地の中なり。過不及無きは、猶行きて先だたず後れず、理の當、事の中なり。故に未發の大本に於ては、則ち不偏不倚の名を取る。已に發りて時に中するに於ては、則ち過不及無きの義を取る。語固より各々當たること有り。然るに其の未發に方っては、未だ過不及無きの名づく可き有らずと雖も、而れども過不及無きの本體爲る所以は實に是に在り。其の發りて中を得るに及んでや、其の主 [つかさど]る所一事に偏ならざること能わずと雖も、然れども其の過不及無き所以の者は、是れ乃ち偏倚無き者のする所にして、一事の中に於ても亦未だ嘗て偏倚する所有らず。故に程子又和を言えば、則ち中其の中に在り、中を言えば、則ち喜怒哀樂を含みて其の中に在りと曰いて、呂氏も亦其の未だ發らざるに當たりては、此の心至虛にして、偏倚する所無し、故に之を中と謂う、此の心を以て萬物の變に應じ、往くとして中に非ざること無しと云えり。是れ則ち二義殊なりと雖も、而れども實は體用を相爲す。此れ愚篇に名づくるの義に於て、此を取りて彼を遺すことを得ざる所以なり。

○曰、庸字之義、程子以不易言之、而子以爲平常、何也。曰、惟其平常、故可常而不可易。若驚世駭俗之事、則可暫而不得爲常矣。二說雖殊、其致一也。但謂之不易、則必要於久而後見。不若謂之平常、則直驗於今之無所詭異、而其常久而不可易者可兼舉也。況中庸之云、上與髙明爲對、而下與無忌憚者相反、其曰庸德之行、庸言之謹、又以見夫雖細微、而不敢忽、則其名篇之義以不易而爲言者、又孰若平常之爲切乎。曰、然則所謂平常、將不爲淺近苟且之云乎。曰、不然也。所謂平常、亦曰、事理之當然而無所詭異云爾。是固非有甚髙難行之事。而亦豈同流合汙之謂哉。旣曰當然、則自君臣父子日用之常、推而至於堯舜之禪授、湯武之放伐、其變無窮、亦無適而非平常矣。
【読み】
○曰く、庸の字の義、程子易わらざるを以て之を言いて、子以て平常とするは、何ぞや。曰く、惟其れ平常、故に常なる可くして易う可からず。世を驚かし俗を駭かす事の若きは、則ち暫なる可くして常とすることを得ず。二說殊なりと雖も、其の致 [おもむき]は一なり。但之を易わらずと謂えば、則ち必ず久しきに要めて後見るべし。之を平常と謂えば、則ち直に今に驗むるの詭異なる所無くして、其の常久にして易う可からざる者兼ね舉ぐ可きには若かず。況んや中庸の云い、上は髙明と對を爲して、下は忌み憚ること無き者と相反くをや、其の庸德の行、庸言の謹と曰い、又以て夫の細微と雖も、而れども敢えて忽せにせざることを見すときは、則ち其の篇に名づくるの義易わらざるを以てして言を爲すも、又平常の切なりとするに孰若 [いずれ]ぞや。曰く、然らば則ち謂う所の平常は、將淺近苟且の云い爲らざらんか。曰く、然らず。謂う所の平常は、亦曰う、事理の當然にして詭異なる所無しと爾か云う。是れ固より甚だ髙くして行われ難きの事有るに非ず。而して亦豈流に同じく汙に合うの謂いならんや。旣に當然と曰えば、則ち君臣父子日用の常より、推して堯舜の禪授、湯武の放伐、其の變窮まり無きに至るまで、亦適くとして平常に非ざること無し。

○曰、此篇首章先明中和之義、次章乃及中庸之說。至其名篇、乃不曰中和而曰中庸者、何哉。曰、中和之中、其義雖精、而中庸之中、實兼體用。且其所謂庸者、又有平常之意焉、則比之中和其所該者尤廣、而於一篇大指、精粗本末、無所不盡。此其所以不曰中和、而曰中庸也。
【読み】
○曰く、此の篇の首章は先ず中和の義を明らかにし、次の章は乃ち中庸の說に及ぶ。其の篇に名づくるに至っては、乃ち中和と曰わずして中庸と曰えるは、何ぞや。曰く、中和の中は、其の義精しと雖も、而れども中庸の中は、實に體用を兼ぬ。且つ其の謂う所の庸も、又平常の意有れば、則ち之を中和に比するに其の該ぬる所の者尤も廣くして、一篇の大指に於て、精粗本末、盡くさざる所無し。此れ其の中和と曰わずして、中庸と曰える所以なり。

○曰、張子之言如何。曰、其曰須句句理會、使其言互相發明者、眞讀書之要法、不但可施於此篇也。
【読み】
○曰く、張子の言如何。曰く、其の須く句句理會して、其の言をして互いに相發明せしむべしと曰えるは、眞に書を讀むの要法、但此の篇に施す可きのみにあらず。

○曰、呂氏爲己爲人之說如何。曰、爲人者、程子以爲欲見知於人者是也。呂氏以志於功名言之、而謂今之學者未及乎此、則是以爲人爲及物之事、而渉獵徼幸以求濟其私者、又下此一等也。殊不知夫子所謂爲人者、正指此下等人爾。若曰未能成己、而遽欲成物、此特可坐以不能知所先後之罪。原其設心、猶愛而公、視彼欲求人知以濟一己之私、而後學者、不可同日語矣。至其所謂立喜怒哀樂未發之中以爲之本、使學者擇善而固執之者、亦曰、欲使學者務先存養以爲窮理之地耳。而語之未瑩、乃似聖人強立此中以爲大本、使人以是爲準而取中焉。則中者豈聖人之所強立、而未發之際、亦豈容學者有所擇取於其閒哉。但其全章大指、則有以切中今時學者之病。覽者誠能三復而致思焉、亦可以感悟而興起矣。
【読み】
○曰く、呂氏己が爲にし人の爲にすの說如何。曰く、人の爲にする者は、程子以て人に知られんと欲すとする者是れなり。呂氏功名に志すを以て之を言いて、今の學者未だ此に及ばずと謂えるは、則ち是れ人の爲にするを以て物に及ぼすの事と爲して、渉獵徼幸して以て其の私を濟 [な]さんと求むとは、又此を下ること一等なり。殊に知らず、夫子の謂う所の人の爲にするとは、正に此の下等の人を指せるのみ。若し未だ己を成すこと能わずして、遽に物を成さんと欲すと曰わば、此れ特に坐するに先後する所を知ること能わざるの罪を以てす可し。其の心を設くることを原ぬるに、猶愛して公なるがごとき、彼の人の知らんことを求めて以て一己の私を濟さんと欲して、而して後に學ぶ者に視 [なぞら]うれば、日を同じくして語る可からず。其の謂う所の喜怒哀樂未發の中を立てて以て之が本と爲し、學者をして善を擇びて固く之を執らしむ者に至っては、亦曰う、學者をして務めて存養を先にして以て理を窮むるの地を爲さしめんと欲するのみ。而して語の未だ瑩けざるは、乃ち聖人強いて此の中を立てて以て大本と爲し、人をして是を以て準と爲して中を取らしむるに似たり。則ち中は豈聖人の強いて立つる所にして、未發の際も、亦豈學者其の閒に擇び取る所有る容けんや。但其の全章の大指は、則ち以て切に今時學者の病に中ること有り。覽る者誠に能く三復して思いを致さば、亦以て感悟して興起す可し。


或問、天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎、何也。曰、此先明性・道・敎之所以名、以見其本皆出乎天、而實不外於我也。天命之謂性、言天之所以命乎人者、是則人之所以爲性也。蓋天之所以賦與萬物而不能自已者、命也。吾之得乎是命以生而莫非全體者、性也。故以命言之、則曰元亨利貞、而四時五行、庶類萬化、莫不由是而出。以性言之、則曰仁義禮智、而四端五典、萬物萬事之理、無不統於其閒。蓋在天在人雖有性命之分、而其理則未嘗不一、在人在物雖有氣稟之異、而其理則未嘗不同。此吾之性所以純粹至善、而非若荀・揚・韓子之所云也。率性之謂道、言循其所得乎天以生者、則事事物物莫不自然各有當行之路。是則所謂道也。蓋天命之性、仁義禮智而已。循其仁之性、則自父子之親以至於仁民愛物、皆道也。循其義之性、則自君臣之分以至於敬長尊賢、亦道也。循其禮之性、則恭敬辭讓之節文、皆道也。循其智之性、則是非邪正之分別、亦道也。蓋所謂性者無一理之不具。故所謂道者不待外求而無所不備。所謂性者無一物之不得。故所謂道者不假人爲而無所不周。雖鳥獸草木之生、僅得形氣之偏而不能有以通貫乎全體、然其知覺運動、榮悴開落、亦皆循其性而各有自然之理焉。至於虎狼之父子、蜂蟻之君臣、豺獺之報本、雎鳩之有別、則其形氣之所偏、又反有以存其義理之所得、尤可以見天命之本然初無閒隔、而所謂道者亦未嘗不在是也。是豈有待於人爲、而亦豈人之所得爲哉。脩道之謂敎、言聖人因是道而品節之、以立法埀訓於天下。是則所謂敎也。蓋天命之性、率性之道、皆理之自然、而人物之所同得者也。人雖得其形氣之正、然其淸濁厚薄之稟亦有不能不異者。是以賢智者或失之過、愚不肖者或不能及、而得於此者亦或不能無失於彼。是以私意人欲或生其閒、而於所謂性者、不免有所昬蔽錯雜、而無以全其所受之正。性有不全、則於所謂道者、因亦有所乖戾舛逆、而無以適乎所行之宜。惟聖人之心、淸明純粹、天理渾然、無所虧闕。故能因其道之所在而爲之品節防範以立敎於天下、使夫過不及者有以取中焉。蓋有以辨其親疏之殺而使之各盡其情、則仁之爲敎立矣。有以別其貴賤之等、而使之各盡其分、則義之爲敎行矣。爲之制度文爲、使之有以守而不失、則禮之爲敎得矣。爲之開導禁止、使之有以別而不差、則知之爲敎明矣。夫如是。是以人無知愚、事無大小、皆得有所持循据守、以去其人欲之私、而復乎天理之正。推而至於天下之物、則亦順其所欲、違其所惡、因其材質之宜以致其用、制其取用之節以遂其生。皆有政事之施焉。此則聖人所以財成天地之道、而致其彌縫輔贊之功。然亦未始外乎人之所受乎天者而強爲之也。子思以是三言著於篇首、雖曰姑以釋夫三者之名義、然學者能因其所指而反身以驗之、則其所知豈獨名義之閒而已哉。蓋有得乎天命之說、則知天之所以與我者無一理之不備、而釋氏所謂空者非性矣。有以得乎率性之說、則知我之所得乎天者無一物之不該、而老氏所謂無者非道矣。有以得乎脩道之說、則知聖人之所以敎我者莫非因其所固有而去其所本無、背其所至難而從其所甚易、而凡世儒之訓詁詞章、管商之權謀功利、老佛之淸淨寂滅、與夫百家衆技之支離偏曲、皆非所以爲敎矣。由是以往、因其所固有之不可昧者而益致其學問思辨之功、因其所甚易之不能已者而益致其持守推行之力、則夫天命之性、率性之道、豈不昭然日用之閒。而脩道之敎又將由我而後立矣。
【読み】
或ひと問う、天の命之を性と謂う、性に率う之を道と謂う、道を脩むる之を敎と謂うとは、何ぞや。曰く、此れ先ず性・道・敎の名づくる所以を明らかにして、以て其の本は皆天に出でて、實は我に外ならざることを見す。天の命之を性と謂うとは、言うこころは、天の人に命ずる所以の者は、是れ則ち人の性と爲る所以なり。蓋し天の萬物に賦與して自ずから已むこと能わざる所以の者は、命なり。吾の是の命を得て以て生りて全體に非ざること莫き者は、性なり。故に命を以て之を言えば、則ち元亨利貞と曰いて、四時五行、庶類萬化、是に由って出でざること莫し。性を以て之を言えば、則ち仁義禮智と曰いて、四端五典、萬物萬事の理、其の閒に統べざること無し。蓋し天に在り人に在る性命の分かち有りと雖も、而れども其の理は則ち未だ嘗て一ならずんばあらず、人に在り物に在る氣稟の異なり有りと雖も、而れども其の理は則ち未だ嘗て同じからずんばあらず。此れ吾が性の純粹至善なる所以にして、荀・揚・韓子の云う所の若きに非ず。性に率う之を道と謂うとは、言うこころは、其の天に得て以て生る所の者に循えば、則ち事事物物自然に各々當に行うべきの路有らざること莫し。是れ則ち謂う所の道なり。蓋し天命の性は、仁義禮智のみ。其の仁の性に循えば、則ち父子の親より以て民を仁しみ物を愛するに至るまで、皆道なり。其の義の性に循えば、則ち君臣の分より以て長を敬い賢を尊ぶに至るまで、亦道なり。其の禮の性に循えば、則ち恭敬辭讓の節文も、皆道なり。其の智の性に循えば、則ち是非邪正の分別も、亦道なり。蓋し謂う所の性は一理の具わらざること無し。故に謂う所の道は外に求むることを待たずして備わらざる所無し。謂う所の性とは一物の得ざること無し。故に謂う所の道とは人爲を假らずして周からざる所無し。鳥獸草木の生る、僅かに形氣の偏を得て以て全體に通貫すること有ること能わずと雖も、然れども其の知覺運動、榮悴開落は、亦皆其の性に循いて各々自然の理有り。虎狼の父子、蜂蟻の君臣、豺獺の本に報い、雎鳩の別有るに至っては、則ち其の形氣の偏なる所も、又反って以て其の義理の得る所を存すること有り、尤も以て天命の本然初めより閒隔無きことを見る可くして、謂う所の道なる者も亦未だ嘗て是に在らずんばあらず。是れ豈人爲を待つこと有りて、亦豈人の得てする所ならんや。道を脩むる之を敎と謂うとは、言うこころは、聖人は是の道に因って之を品節して、以て法を立て訓を天下に埀る。是れ則ち謂う所の敎なり。蓋し天命の性、性に率うの道は、皆理の自然にして、人物の同じく得る所の者なり。人其の形氣の正を得と雖も、然れども其の淸濁厚薄の稟くるも亦異ならざること能わざる者有り。是を以て賢智者或は之を過ぎるに失い、愚不肖者或は及ぶこと能わずして、此に得る者も亦或は彼に失うこと無きこと能わず。是を以て私意人欲或は其の閒に生じて、謂う所の性なる者に於て、昬蔽錯雜する所有ることを免れずして、以て其の受くる所の正を全くすること無し。性全からざること有れば、則ち謂う所の道なる者に於て、因りて亦乖戾舛逆する所有りて、以て行く所の宜に適うこと無し。惟聖人の心のみ、淸明純粹、天理渾然として、虧闕する所無し。故に能く其の道の在る所に因りて之が品節防範を爲して以て敎を天下に立て、夫の過不及なる者をして以て中を取ること有らしむ。蓋し以て其の親疏の殺を辨えて之をして各々其の情を盡くさしむること有れば、則ち仁の敎爲ること立つ。以て其の貴賤の等を別けて、之をして各々其の分を盡くさしむること有れば、則ち義の敎爲ること行わる。之が制度文爲を爲して、之をして以て守りて失わざること有らしむれば、則ち禮の敎爲ること得。之が開導禁止を爲して、之をして以て別けて差わざること有らしむれば、則ち知の敎爲ること明けし。夫れ是の如し。是を以て人に知愚無く、事に大小無く、皆持循据守する所有りて、以て其の人欲の私を去って、天理の正に復ることを得。推して天下の物に至っては、則ち亦其の欲する所に順い、其の惡む所に違い、其の材質の宜に因りて以て其の用を致し、其の取用の節を制して以て其の生を遂ぐ。皆政事の施し有り。此れ則ち聖人天地の道を財成して、其の彌縫輔贊の功を致す所以なり。然れども亦未だ始めより人の天に受くる所の者に外にして強いて之を爲せるにあらず。子思是の三言を以て篇首に著せる、姑く以て夫の三つの者の名義を釋くと曰うと雖も、然れども學者能く其の指せる所に因りて身に反って以て之を驗みば、則ち其の知る所は豈獨名義の閒のみならんや。蓋し天命の說に得ること有らば、則ち天の我に與うる所以の者は一理の備わらざること無くして、釋氏が謂う所の空なる者は性に非ざることを知らん。以て性に率うの說に得ること有らば、則ち我の天に得る所の者は一物の該ねざること無くして、老氏が謂う所の無なる者は道に非ざることを知らん。以て道を脩むるの說に得ること有らば、則ち聖人の我に敎ゆる所以の者は其の固より有る所に因りて其の本無き所を去りて、其の至って難き所に背いて其の甚だ易き所に從うに非ざること莫くして、凡そ世儒の訓詁詞章、管商が權謀功利、老佛が淸淨寂滅、夫の百家衆技の支離偏曲とは、皆敎と爲る所以に非ざることを知らん。是れ由り以往、其の固より有る所の昧ます可からざる者に因りて益々其の學問思辨の功を致し、其の甚だ易き所の已むこと能わざる者に因りて益々其の持守推行の力を致さば、則ち夫の天命の性、性に率うの道、豈日用の閒に昭然たらざらんや。而して道を脩むるの敎も又將我に由って而して後に立たん。

○曰、率性脩道之說不同。孰爲是耶。曰、程子之論率性、正就私意人欲未萌之處、指其自然發見各有條理者而言、以見道之所以得名、非指脩爲而言也。呂氏良心之發以下至安能致是一節、亦甚精密。但謂人雖受天地之中以生、而梏於形體、又爲私意小知所撓、故與天地不相似、而發不中節、必有以不失其所受乎天者然後爲道、則所謂道者又在脩爲之後、而反由敎以得之、非復子思程子所指人欲未萌自然發見之意矣。游氏所謂無容私焉則道在我、楊氏所謂率之而已者、似亦皆有呂氏之病也。至於脩道、則程子養之以福、脩而求復之云、却似未合子思本文之意。獨其一條所謂循此脩之、各得其分、而引舜事以通結之者、爲得其旨。故其門人亦多祖之。但所引舜事或非論語本文之意耳。呂氏所謂先王制禮達之天下、傳之後世者、得之。但其本說率性之道處已失其指、而於此又推本之、以爲率性而行雖已中節、而所稟不能無過不及、若能心誠求之、自然不中不遠、但欲達之天下、傳之後世、所以又當脩道而立敎焉、則爲太繁複而失本文之意耳。改本又以時位不同爲言。似亦不親切也。
【読み】
○曰く、性に率い道を脩むるの說同じからず。孰れか是と爲さんや。曰く、程子の性に率うを論ずるは、正に私意人欲未だ萌さざるの處に就き、其の自然に發見して各々條理有る者を指して言いて、以て道の名を得る所以は、脩爲を指して言うに非ざることを見す。呂氏良心の發より以下安んじて能く是を致すに至るまでの一節も、亦甚だ精密なり。但人天地の中を受けて以て生ずると雖も、而れども形體に梏し、又私意小知に撓 [みだ]さるることを爲す、故に天地と相似せずして、發りて節に中らず、必ず以て其の天に受くる所の者を失わざること有りて然して後に道と爲すと謂わば、則ち謂う所の道なる者も又脩爲の後に在りて、反って敎に由りて以て之を得、復子思程子指せる所の人欲未だ萌さず自然に發見するの意に非ず。游氏が謂う所の私を容るること無ければ則ち道我に在り、楊氏が謂う所の之に率うのみは、亦皆呂氏の病有るに似たり。道を脩むるに至っては、則ち程子之を養いて以て福に、脩めて復ることを求むるの云い、却って未だ子思本文の意に合わざるに似たり。獨其の一條に謂う所の此に循いて之を脩めて、各々其の分を得といいて、舜の事を引いて以て通じて之を結べるは、其の旨を得たりとす。故に其の門人亦多く之を祖とす。但引く所の舜の事は或は論語本文の意に非ざるのみ。呂氏が謂う所の先王禮を制して之を天下に達し、之を後世に傳えるは、之を得たり。但其の本性に率うの道を說く處は已に其の指を失いて、此に於て又之に推し本づいて、以て性に率いて行えば已に節に中らずと雖も、而れども稟くる所は過ぎ及ばざること無きこと能わず、若し能く心誠に之を求めば、自然に中らざれども遠からず、但之を天下に達し、之を後世に傳えんと欲す、所以に又當に道を脩めて敎を立つべしとするは、則ち太だ繁複して本文の意を失えりとするのみ。改本も又時位同じからざるを以て言を爲す。亦親切ならざるに似たり。

○曰、楊氏所論王氏之失、如何。曰、王氏之言固爲多病。此所云天使我有是者、猶曰上帝降衷云爾。豈眞以爲有或使之者哉。其曰在天爲命、在人爲性、則程子亦云、而楊氏又自言之。蓋無悖於理者。今乃指爲王氏之失、不惟似同浴而譏裸裎、亦近於意有不平而反爲至公之累矣。且以率性之道爲順性命之理、文意亦不相似。若游氏以遁天倍情爲非性、則又不若楊氏人欲非性之云也。
【読み】
○曰く、楊氏論ずる所の王氏の失は、如何。曰く、王氏の言は固より病多しと爲す。此に云う所の天我をして是を有せしむるとは、猶上帝衷を降すと曰うがごとしと爾か云う。豈眞に以て或は之をせしむる者有りと爲さんや。其の天に在りては命と爲し、人に在りては性と爲すと曰うは、則ち程子も亦云いて、楊氏も又自ら之を言えり。蓋し理に悖る者無し。今乃ち指して王氏の失と爲すは、惟浴を同じくして裸裎を譏るに似たるのみにあらず、亦意平らならざること有りて反って至公の累いを爲すに近し。且つ性に率うの道を以て性命の理に順うと爲せば、文意も亦相似せず。游氏天に遁れ情に倍くを以て性に非ずとするが若きは、則ち又楊氏人欲は性に非ざるの云いに若かず。

○曰、然則呂・游・楊・侯四子之說、孰優。曰、此非後學所敢言也。但以程子之言論之、則於呂稱其深潛縝密、於游稱其頴悟溫厚、謂楊不及游、而亦每稱其頴悟、謂侯生之言但可隔壁聽。今且熟復其言、究覈其意、而以此語證之、則其髙下淺深亦可見矣。過此以往、則非後學所敢言也。
【読み】
○曰く、然らば則ち呂・游・楊・侯四子の說は、孰れか優れる。曰く、此れ後學の敢えて言う所に非ず。但程子の言を以て之を論ずれば、則ち呂に於ては其の深潛縝密を稱し、游に於ては其の頴悟溫厚を稱し、楊は游に及ばずと謂いて、亦每に其の頴悟を稱し、侯生の言は但壁を隔てて聽く可しと謂えり。今且く其の言を熟復し、其の意を究覈して、此の語を以て之を證すれば、則ち其の髙下淺深も亦見る可し。此を過ぎて以往は、則ち後學の敢えて言う所に非ず。


或問、旣曰道也者不可須臾離也、可離非道也、是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞矣、而又曰莫見乎隱、莫顯乎微、故君子愼其獨也、何也。曰、此因論率性之道、以明由敎而入者、其始當如此。蓋兩事也。其先言道不可離、而君子必戒謹恐懼乎其所不睹不聞者、所以言道之無所不在、無時不然、學者當無須臾忽之不謹而周防之、以全其本然之體也。又言莫見乎隱、莫顯乎微、而君子必謹其獨者、所以言隱微之閒、人所不見而己獨知之、則其事之纖悉無不顯著、又有甚於他人之知者、學者尤當隨其念之方萌而致察焉、以謹其善惡之幾也。蓋所謂道者、率性而已。性無不有。故道無不在。大而父子君臣、小而動靜食息、不假人力之爲而莫不各有當然不易之理。所謂道也、是乃天下人物之所共由、充塞天地、貫徹古今、而取諸至近則常不外乎吾之一心、循之則治、失之則亂。蓋無須臾之頃可得而暫離也。若其可以暫合暫離、而於事無所損益、則是人力私智之所爲者、而非率性之謂矣。聖人之所脩以爲敎者、因其不可離者而品節之也。君子之所由以爲學者、因其不可離者而持守之也。是以日用之閒、須臾之頃、持守工夫一有不至、則所謂不可離者雖未嘗不在我、而人欲閒之、則亦判然二物而不相管矣。是則雖曰有人之形、而其違禽獸也何遠哉。是以君子戒愼乎其目之所不及見、恐懼乎其耳之所不及聞、瞭然心目之閒、常若見其不可離者、而不敢有須臾之閒以流於人欲之私、而陷於禽獸之域。若書之言防怨而曰不見是圖、禮之言事親而曰聽於無聲、視於無形、蓋不待其徵於色、發於聲、然後有以用其力也。夫旣已如此矣、則又以謂道固無所不在、而幽隱之閒乃他人之所不見而己所獨見、道固無時不然、而細微之事乃他人之所不聞而己所獨聞、是皆常情所忽以爲可以欺天罔人而不必謹者、而不知吾心之靈、皎如日月、旣已知之、則其髪之閒無所潛遁又有甚於他人之知矣。又況旣有是心、藏伏之久、則其見於聲音容貌之閒、發於行事施爲之實、必有暴著而不可揜者、又不止於念慮之差而已也。是以君子旣戒懼乎耳目之所不及、則此心常明、不爲物蔽而於此尤不敢不致其謹焉。必使其幾微之際、無一毫人欲之萌、而純乎義理之發、則下學之功、盡善全美、而無須臾之閒矣。二者相須、皆反躬爲己、遏人欲存天理之實事、蓋體道之功、莫有先於此者、亦莫有切於此者。故子思於此首以爲言、以見君子之學必由此而入也。曰、諸家之說皆以戒謹不睹恐懼不聞、卽爲謹獨之意。子乃分之以爲兩事。無乃破碎支離之甚耶。曰、旣言道不可離、則是無適而不在矣。而又言莫見乎隱、莫顯乎微、則是要切之處尤在於隱微也。旣言戒謹不睹恐懼不聞、則是無處而不謹矣。又言謹獨、則是其所謹者尤在於獨也。是固不容於不異矣。若其同爲一事、則其爲言又何必若是之重複耶。且此書卒章、潛雖伏矣、不愧屋漏、亦兩言之。正與此相首尾。但諸家皆不之察、獨程子嘗有不愧屋漏與謹獨是持養氣象之言、其於二者之閒特加與字。是固已分爲兩事、而當時聽者有未察耳。曰、子又安知不睹不聞之不爲獨乎。曰、其所不睹不聞者、己之所不睹不聞也。故上言道不可離、而下言君子自其平常之處無所不用其戒懼、而極言之以至於此也。獨者、人之所不睹不聞也。故上言莫見乎隱、莫顯乎微、而下言君子之所謹者尤在於此幽隱之地也。是其語勢自相唱和、各有血脈、理甚分明。如曰是兩條者皆爲謹獨之意、則是持守之功、無所施於平常之處、而專在幽隱之閒也。且雖免於破碎之譏、而其繁複偏滯而無所當亦甚矣。
【読み】
或ひと問う、旣に道なる者は須臾も離る可からず、離る可くは道に非ず、是の故に君子は其の睹ざる所に戒愼し、其の聞かざる所に恐懼すと曰いて、又隱れたるより見れたること莫く、微なるより顯れたること莫し、故に君子は其の獨りを愼むと曰えるは、何ぞや。曰く、此れ性に率うの道を論ずるに因りて、以て敎に由りて入る者、其の始めは當に此の如くなるべきことを明らかにす。蓋し兩事なり。其の先ず道は離る可からずして、君子は必ず其の睹ざる聞かざる所に戒謹恐懼すと言えるは、道の所として在らざること無く、時として然らざること無し、學者當に須臾毫忽の謹まざること無くして周く之を防いで、以て其の本然の體を全くすべきことを言える所以なり。又隱れたるより見れたること莫く、微なるより顯れたること莫くして、君子は必ず其の獨りを謹むと言えるは、隱微の閒は、人見ざる所にして己獨り之を知れば、則ち其の事の纖悉顯著ならざること無きこと、又他人の知より甚だしき者有り、學者尤も當に其の念の方に萌すに隨いて察を致して、以て其の善惡の幾を謹むべきことを言える所以なり。蓋し謂う所の道とは、性に率うのみ。性は有らざること無し。故に道は在ざること無し。大にして父子君臣、小にして動靜食息、人力の爲を假らずして各々當然不易の理有らざること莫し。謂う所の道とは、是れ乃ち天下人物の共に由る所、天地に充塞し、古今に貫徹して、諸を至近に取れば則ち常に吾の一心に外ならず、之に循えば則ち治まり、之を失えば則ち亂る。蓋し須臾の頃も得て暫く離る可き無し。若し其れ以て暫く合い暫く離る可くして、事に於て損益する所無きは、則ち是れ人力私智のする所の者にして、性に率うの謂いに非ず。聖人の脩めて以て敎をする所の者は、其の離る可からざる者に因りて之を品節す。君子の由りて以て學をする所の者は、其の離る可からざる者に因りて之を持守す。是を以て日用の閒、須臾の頃も、持守の工夫一たび至らざること有れば、則ち謂う所の離る可からざる者未だ嘗て我に在ずんばあらずと雖も、而れども人欲之を閒つれば、則ち亦判然たる二物にして相管 [す]べず。是れ則ち人の形有りと曰うと雖も、而れども其の禽獸を違ること何ぞ遠からん。是を以て君子其の目の見るに及ばざる所に戒愼し、其の耳の聞くに及ばざる所に恐懼し、心目の閒に瞭然として、常に其の離る可からざる者を見るが若くにして、敢えて須臾の閒て有りて以て人欲の私に流れて、禽獸の域に陷らず。書の怨みを防ぐことを言いて見れざるに是れ圖ると曰い、禮の親に事るを言いて聲無きに聽き、形無きに視ると曰うが若き、蓋し其の色に徵し、聲に發るを待たずして、然して後に以て其の力を用うること有り。夫れ旣已に此の如くなれば、則ち又以謂えり、道固より在らざる所無くして、幽隱の閒は乃ち他人の見ざる所にして己獨り見る所、道固より時として然らざる無くして、細微の事は乃ち他人の聞かざる所にして己獨り聞く所、是れ皆常情の忽せにして以て以て天を欺き人を罔ゆ可くして必ずしも謹まざることをする所の者にして、吾が心の靈、皎として日月の如く、旣已に之を知れば、則ち其の毫髪の閒も潛遁する所無きこと又他人の知より甚だしきこと有ることを知らず。又況んや旣に是の心有りて、藏伏すること久しければ、則ち其の聲音容貌の閒に見れ、行事施爲の實に發る、必ず暴著して揜う可からざる者有り、又念慮の差いのみに止まらず。是を以て君子旣に耳目の及ばざる所に戒懼すれば、則ち此の心常に明らかにして、物に蔽わるることをせずして此に於て尤も敢えて其の謹みを致さずんばあらず。必ず其の幾微の際をして、一毫の人欲の萌し無くして、義理の發に純らならしむれば、則ち下學の功、善を盡くし美を全くして、須臾の閒て無し。二つの者相須ち、皆躬に反り己が爲にし、人欲を遏 [とど]めて天理を存するの實事、蓋し道に體するの功、此より先なる者有ること莫く、亦此より切なる者有ること莫し。故に子思此に於て首めに以て言を爲して、以て君子の學は必ず此に由りて入ることを見せり。曰く、諸家の說は皆睹ざるに戒謹し聞かざるに恐懼するを以て、卽ち獨りを謹むの意と爲す。子は乃ち之を分けて以て兩事とす。乃ち破碎支離の甚だしきこと無からんや。曰く、旣に道は離る可からずと言えば、則ち是れ適くとして在らざること無し。而して又隱れたるより見れたることは莫く、微かなるより顯れたることは莫しと言えば、則ち是れ要切の處尤も隱微に在り。旣に睹えざるに戒謹し聞かざるに恐懼すと言えば、則ち是れ處として謹まざること無し。又獨りを謹むと言えば、則ち是れ其の謹む所の者尤も獨りに在り。是れ固より異ならざることを容さず。若し其れ同じく一事と爲せば、則ち其の言を爲すこと又何ぞ必ずしも是の若く重複ならんや。且つ此の書の卒章、潛 [ひそ]んで伏[かく]すと雖も、屋漏に愧じずと、亦兩つ之を言えり。正に此と相首尾す。但諸家皆之を察せず、獨程子嘗て屋漏に愧じざると獨りを謹むと是れ持養の氣象の言有り、其れ二つの者の閒に於て特に與の字を加う。是れ固より已に分けて兩事と爲して、當時聽く者未だ察せざること有るのみ。曰く、子も又安んぞ睹ざる聞かざるの獨り爲らざることを知るか。曰く、其の睹ざる聞かざる所の者は、己が睹ざる聞かざる所なり。故に上に道は離る可からずと言いて、下に君子は其の平常の處より其の戒懼を用いざる所無きことを言いて、極めて之を言いて以て此に至れり。獨りとは、人の睹ざる聞かざる所なり。故に上に隱れたるより見れたること莫く、微かなるより顯れたること莫しと言いて、下に君子の謹む所の者は尤も此の幽隱の地に在ることを言えり。是れ其の語勢自ずから相唱和し、各々血脈有りて、理甚だ分明なり。是の兩條は皆獨りを謹むと爲すと曰う意の如くなれば、則ち是れ持守の功、平常の處に施す所無くして、專ら幽隱の閒に在り。且つ破碎の譏りを免ると雖も、而れども其の繁複偏滯して當たる所無きこと亦甚だし。

○曰、程子所謂隱微之際、若與呂氏改本及游楊氏不同、而子一之何耶。曰、以理言之、則三家不若程子之盡、以心言之、則程子不若三家之密。是固若有不同者矣。然必有是理然後有是心。有是心而後有是理、則亦初無異指也。合而言之、亦何不可之有哉。
【読み】
○曰く、程子の謂う所の隱微の際は、呂氏が改本及び游楊氏と同じからざるが若くにして、子は之を一にするは何ぞや。曰く、理を以て之を言えば、則ち三家は程子の盡くせるに若かず、心を以て之を言えば、則ち程子は三家の密なるに若かず。是れ固より同じからざる者有るが若し。然れども必ず是の理有りて然して後に是の心有り。是の心有りて後に是の理有れば、則ち亦初めより異指無し。合わせて之を言うも、亦何の不可なること之れ有らんや。

○曰、他說如何。曰、呂氏舊本所論道不可離者得之。但專以過不及爲離道、則似未盡耳。其論天地之中性與天道一節、最其用意深處。然經文所指不睹不聞隱微之閒者、乃欲使人戒懼乎此、而不使人欲之私得以萌動於其閒耳。非欲使人虛空其心、反觀於此、以求見夫所謂中者、而遂執之、以爲應事之準則也。呂氏旣失其指、而所引用不得於言、必有事焉、參前倚衡之語、亦非論孟本文之意。至謂隱微之閒有昭昭而不可欺、感之而能應者、則固心之謂矣。而又曰正惟虛心以求則庶乎見之、是又別以一心而求此一心、見此一心也。豈不誤之甚哉。若楊氏無適非道之云則善矣。然其言似亦有所未盡。蓋衣食作息、視聽舉履、皆物也。其所以如此之義理準則乃道也。若曰所謂道者不外乎物、而人在天地之閒不能違物而獨立、是以無適而不有義理之準則、不可頃刻去之而不由、則是中庸之旨也。若便指物以爲道、而曰人不能頃刻而離此、百姓特日用而不知耳、則是不惟昧於形而上下之別、而墮於釋氏作用是性之失。且使學者誤謂道無不在、雖欲離之而不可得、吾旣知之、則雖猖狂妄行亦無適而不爲道、則其爲害、將有不可勝言者。不但文義之失而已也。
【読み】
○曰く、他說如何。曰く、呂氏が舊本に論ずる所の道は離る可からざる者は之を得たり。但專ら過不及を以て道を離るとすれば、則ち未だ盡くさざるに似たるのみ。其の天地の中性と天道とを論ずるの一節は、最も其の意を用うること深き處なり。然るに經文に指す所の睹ず聞かず隱微の閒とは、乃ち人をして此に戒懼せしめて、人欲の私をして以て其の閒に萌し動くことを得せしめざらんことを欲するのみ。人をして其の心を虛空にし、此に反觀して、以て夫の謂う所の中なる者を見んことを求めて、遂に之を執りて、以て事に應ずるの準則と爲さしめんと欲するには非ず。呂氏旣に其の指を失いて、引き用うる所の言に得ず、必ず事有り、前に參わり衡に倚るの語も、亦論孟本文の意に非ず。隱微の閒昭昭として欺く可からず、之に感じて能く應ずる者有りと謂うに至りては、則ち固より心の謂いなり。而して又正に惟心を虛にして以て求めば則ち庶わくは之を見んと曰えるは、是れ又別に一心を以て此の一心を求めて、此の一心を見るなり。豈誤れるの甚だしきにあらずや。楊氏適くとして道に非ざること無しの云いの若きは則ち善し。然れども其の言は亦未だ盡くさざる所有るに似たり。蓋し衣食作息、視聽舉履は、皆物なり。其の此の如くなる所以の義理準則は乃ち道なり。若し謂う所の道は物に外ならずして、人天地の閒に在りて物に違いて獨り立つこと能わず、是を以て適くとして義理の準則に有らざること無し、頃刻も之を去りて由らずんばある可からずと曰わば、則ち是れ中庸の旨なり。若し便ち物を指して以て道と爲して、人頃刻として此に離ること能わず、百姓特日に用いて知らざるのみと曰わば、則ち是れ惟形して上下の別に昧きのみにあらずして、釋氏が作用是れ性の失に墮つ。且つ學者をして誤りて道在らざること無し、之を離れんと欲すと雖も而れども得可からず、吾旣に之を知れば、則ち猖狂妄行すと雖も亦適くとして道爲らざること無しと謂わしむれば、則ち其の害爲る、將に勝えて言う可からざる者有り。但に文義の失のみにあらず。

○曰、呂氏之書、今有二本。子之所謂舊本則無疑矣。所謂改本、則陳忠肅公所謂程氏明道夫子之言而爲之序者、子於石氏集解雖嘗辨之、而論者猶或以爲非程夫子不能及也。奈何。曰、是則愚嘗聞之劉李二先生矣。舊本者、呂氏太學講堂之初本也。改本者、其後所脩之別本也。陳公之序蓋爲傳者所誤而失之。及其兄孫幾叟具以所聞告之、然後自覺其非、則其書已行而不及改矣。近見胡仁仲所記侯師聖語亦與此合。蓋幾叟之師楊氏、實與呂氏同出程門、師聖則程子之内弟、而劉李之於幾叟、仁仲之於師聖、又皆親見而親聞之。是豈胸臆私見口舌浮辨所得而奪哉。若更以其言考之、則二書詳略雖或不同、然其語意實相表裏。如人之形貌昔腴今瘠、而其部位神采初不異也。豈可不察而遽謂之兩人哉。又況改本厭前之詳而有意於略。故其詞雖約、而未免反有刻露峭急之病。至於詞義之閒失其本指、則未能改於其舊者尙多有之。校之明道平日之言、平易從容而自然精切者、又不翅碔砆之與美玉也。於此而猶不辨焉、則其道之淺深、固不問而可知矣。
【読み】
○曰く、呂氏の書は、今二本有り。子の謂う所の舊本は則ち疑い無し。謂う所の改本は、則ち陳忠肅公が謂う所の程氏明道夫子の言にして之が序を爲る者にて、子、石氏が集解に於て嘗て之を辨ずと雖も、而れども論者猶或は以て程夫子に非ずんば及ぶこと能わずと爲す。奈何。曰く、是れ則ち愚嘗て之を劉李二先生に聞けり。舊本は、呂氏太學講堂の初本なり。改本は、其の後脩むる所の別本なり。陳公の序は蓋し傳者に誤まらるることを爲して之を失す。其の兄の孫幾叟具に聞ける所を以て之に告げ、然して後に自ら其の非を覺るに及んでは、則ち其の書已に行われて改むるに及ばず。近ごろ胡仁仲記す所の侯師聖が語を見るに亦此と合う。蓋し幾叟の師楊氏は、實に呂氏と同じく程門に出で、師聖は則ち程子の内弟にして、劉李の幾叟に於る、仁仲の師聖に於る、又皆親しく見て親しく之を聞けり。是れ豈胸臆私見口舌浮辨の得て奪う所ならんや。若し更に其の言を以て之を考うれば、則ち二書の詳略或は同じからずと雖も、然れども其の語意は實に相表裏す。人の形貌昔は腴え今は瘠せて、其の部位神采は初めより異ならざるが如し。豈察せずして遽に之を兩人と謂う可けんや。又況んや改本は前の詳を厭いて略するに意有り。故に其の詞約なりと雖も、而れども未だ反って刻露峭急の病有ることを免れず。詞義の閒其の本指を失うに至りては、則ち未だ其の舊を改むること能わざる者尙多く之れ有り。之を明道平日の言、平易從容にして自然に精切なる者に校 [くら]ぶるに、又翅[ただ]に碔砆の美玉に與するのみにあらず。此に於て猶辨ぜずんば、則ち其の道の淺深、固より問わずして知る可し。


或問、喜怒哀樂之未發謂之中、發而皆中節謂之和、中也者天下之大本也、和也者天下之達道也、致中和、天地位焉、萬物育焉、何也。曰、此推本天命之性以明由敎而入者、其始之所發端、終之所至極、皆不外於吾心也。蓋天命之性、萬理具焉喜怒哀樂各有攸當、方其未發、渾然在中、無所偏倚。故謂之中。及其發而皆得其當、無所乖戾。故謂之和。謂之中者、所以状性之德、道之體也。以其天地萬物之理無所不該、故曰天下之大本。謂之和者、所以著情之正、道之用也。以其古今人物之所共由、故曰天下之達道。蓋天命之性純粹至善、而具於人心者、其體用之全、本皆如此。不以聖愚而有加損也。然靜而不知所以存之、則天理昧而大本有所不立矣。動而不知所以節之、則人欲肆而達道有所不行矣。惟君子自其不睹不聞之前、而所以戒謹恐懼者愈嚴愈敬、以至於無一之偏倚、而守之常不失焉、則爲有以致其中、而大本之立日以益固矣。尤於隱微幽獨之際、而所以謹其善惡之幾者愈精愈密、以至於無一之差謬、而行之每不違焉、則爲有以致其和、而達道之行日以益廣矣。致者、用力推致而極其至之謂。致焉而極其至、至於靜而無一息之不中、則吾心正而天地之心亦正。故陰陽動靜各止其所、而天地於此乎位矣。動而無一事之不和、則吾氣順而天地之氣亦順。故充塞無閒、驩欣交通、而萬物於此乎育矣。此萬化之本原、一心之妙用、聖神之能事、學問之極功、固有非始學所當議者。然射者之的、行者之歸、亦學者立志之初所當知也。故此章雖爲一篇開巻之首、然子思之言亦必至此而後已焉。其指深矣。
【読み】
或ひと問う、喜怒哀樂の未だ發らざる之を中と謂う、發りて皆節に中る之を和と謂う、中なる者は天下の大本なり、和なる者は天下の達道なり、中和を致めて、天地位し、萬物育わるとは、何ぞや。曰く、此れ天命の性に推し本づいて以て敎に由りて入る者の、其の始めの端を發する所、終わりの極に至る所は、皆吾が心に外ならざることを明かせり。蓋し天命の性は、萬理具わり喜怒哀樂各々當たる攸有り、其の未だ發らざるに方りて、渾然として中に在りて、偏倚する所無し。故に之を中と謂う。其の發りて皆其の當たることを得るに及びて、乖戾する所無し。故に之を和と謂う。之を中と謂うは、性の德を状る所以、道の體なり。其の天地萬物の理該ねざる所無きを以て、故に天下の大本と曰う。之を和と謂うは、情の正を著す所以、道の用なり。其の古今人物の共に由る所を以て、故に天下の達道と曰う。蓋し天命の性は純粹至善にして、人心に具わる者、其の體用の全き、本皆此の如し。聖愚を以て加損有らず。然れども靜にして之を存する所以を知らざれば、則ち天理昧くして大本立たざる所有り。動いて之を節する所以を知らざれば、則ち人欲肆にして達道行われざる所有り。惟君子其の睹ず聞かざるの前よりして、戒謹恐懼する所以の者の愈々嚴に愈々敬みて、以て一毫の偏倚無くして、之を守りて常に失わざるに至りては、則ち以て其の中を致むること有りて、大本の立つこと日に以て益々固しと爲す。尤も隱微幽獨の際に於て、其の善惡の幾を謹む所以の者愈々精しく愈々密にして、以て一毫の差謬無くして、之を行いて每に違わざるに至りては、則ち以て其の和を致むること有りて、達道の行わること日に以て益々廣しとす。致むるとは、力を用いて推し致めて其の至りを極むるの謂いなり。致めて其の至りを極め、靜にして一息の中ならざること無きに至りては、則ち吾が心正しくして天地の心も亦正し。故に陰陽動靜各々其の所に止まりて、天地此に於て位す。動きて一事の和ならざること無ければ、則ち吾が氣順いて天地の氣も亦順う。故に充塞閒て無く、驩欣交々通じて、萬物此に於て育わる。此れ萬化の本原、一心の妙用、聖神の能事、學問の極功、固より始學の當に議るべき所に非ざる者有り。然れども射る者の的、行く者の歸るも、亦學者志を立てるの初めに當に知るべき所なり。故に此の章は一篇開巻の首め爲りと雖も、然れども子思の言も亦必ず此に至りて後に已む。其の指深し。

○曰、然則中和果二物乎。曰、觀其一體一用之名、則安得不二。察其一體一用之實、則此爲彼體、彼爲此用。如耳目之能視聽、視聽之由耳目。初非有二物也。
【読み】
○曰く、然らば則ち中和は果たして二物なるか。曰く、其の一體一用の名を觀れば、則ち安んぞ二ならざることを得ん。其の一體一用の實を察すれば、則ち此は彼が體と爲り、彼は此が用と爲る。耳目の能く視聽し、視聽の耳目に由るが如し。初めより二物有るに非ず。

○曰、天地位、萬物育、諸家皆以其理言。子獨以其事論。然則自古衰亂之世、所以病乎中和者多矣。天地之位、萬物之育、豈以是而失其常耶。曰、三辰失行、山崩川竭、則不必天翻地覆然後爲不位矣。兵亂凶荒、胎殰卵殈、則不必人消物盡然後爲不育矣。凡若此者、豈非不中不和之所致、而又安可誣哉。今以事言者、固以爲有是理而後有是事、彼以理言者、亦非以爲無是事而徒有是理也。但其言之不備、有以啓後學之疑。不若直以事言、而理在其中之爲盡耳。曰、然則當其不位不育之時、豈無聖賢生於其世。而其所以致夫中和者、乃不能有以救其一二、何耶。曰、善惡感通之理、亦及其力之所至而止耳。彼達而在上者旣日、有以病之、則夫災異之變、又豈窮而在下者所能救也哉。但能致中和於一身、則天下雖亂、而吾身之天地萬物不害爲安泰、其不能者、天下雖治、而吾身之天地萬物不害爲乖錯、其閒一家一國莫不皆然。此又不可不知耳。曰、二者之爲實事可也。而分中和以屬焉、將不又爲破碎之甚耶。曰、世固未有能致中而不足於和者、亦未有能致和而不本於中者也。未有天地已位而萬物不育者、亦未有天地不位而萬物自育者也。特據其效而推本其所以然、則各有所從來而不可紊耳。
【読み】
○曰く、天地位し、萬物育わるは、諸家皆其の理を以て言う。子獨り其の事を以て論ず。然らば則ち古より衰亂の世、中和に病める所以の者多し。天地の位し、萬物の育わる、豈是を以て其の常を失わんや。曰く、三辰行を失い、山崩れ川竭きれば、則ち必ずしも天翻り地覆りて然して後に位せずと爲さず。兵亂凶荒、胎殰 [やぶ]れ卵殈[やぶ]れば、則必ずしも人消え物盡きて然して後に育われずと爲すにあらず。凡そ此の若きは、豈不中不和の致す所に非ずして、又安んぞ誣う可けんや。今事を以て言う者は、固より以て是の理有りて後に是の事有りと爲し、彼の理を以て言う者も、亦以て是の事無くして徒に是の理有りと爲すに非ず。但其の言の備わらざる、以て後學の疑を啓くこと有り。直に事を以て言いて、理は其の中に在ること盡くせりと爲すに若かざるのみ。曰く、然らば則ち其の不位不育の時に當たりて、豈聖賢其の世に生まるること無けんや。而して其の夫の中和を致むる所以の者、乃ち以て其の一二を救うこと有ること能わざるは、何ぞや。曰く、善惡感通の理も、亦其の力の至る所に及んで止むのみ。彼の達して上に在る者旣に日う、以て之を病めること有れば、則ち夫の災異の變も、又豈窮して下に在る者の能く救う所ならんや、と。但能く中和を一身に致むれば、則ち天下亂ると雖も、而れども吾が身の天地萬物は安泰と爲ることを害せず、其の能くせざる者は、天下治まると雖も、而れども吾が身の天地萬物は乖錯と爲ることを害せず、其の閒一家一國皆然らざること莫し。此れ又知らずんばある可からざるのみ。曰く、二つの者の實事爲ることは可なり。而して中和を分かちて以て屬すは、將又破碎の甚だしきと爲さざらんや。曰く、世固より未だ能く中を致めて和に足らざる者有らず、亦未だ能く和を致めて中に本づかざる者有らず。未だ天地已に位して萬物育われざる者有らず、亦未だ天地位せずして萬物自ずから育わる者有らず。特に其の效に據りて其の然る所以を推し本づくれば、則ち各々從りて來る所有りて紊 [みだ]る可からざるのみ。

○曰、子思之言中和如此、而周子之言則曰中者、和也、中節也、天下之達道也。乃舉中而合之於和。然則又將何以爲天下之大本也耶。曰、子思之所謂中、以未發而言也。周子之所謂中、以時中而言也。愚於篇首已辨之矣。學者涵泳而別識之、見其並行而不相悖焉者可也。
【読み】
○曰く、子思の中和を言えること此の如くにして、周子の言には則ち中は、和なり、節に中るなり、天下の達道なりと曰えり。乃ち中を舉げて之を和に合わす。然らば則ち又將何を以て天下の大本と爲さんや。曰く、子思の謂う所の中は、未發を以て言えり。周子の謂う所の中は、時中を以て言えり。愚篇首に於て已に之を辨ず。學者涵泳して之を別識し、其の並び行われて相悖らざる者を見て可なり。

○曰、程呂問答如何。曰、考之文集、則是其書蓋不完矣。然程子初謂凡言心者皆指已發而言、而後書乃自以爲未當、向非呂氏問之之審、而不完之中又失此書、則此言之未當、學者何自而知之乎。以此又知聖賢之言固有發端而未竟者、學者尤當虛心悉意以審其歸、未可執其一言而遽以爲定也。其說中字因過不及而立名、又似幷指時中之中、而與在中之義少異。蓋未發之時在中之義、謂之無所偏倚則可。謂之無過不及、則方此之時未有中節不中節之可言也。無過不及之名亦何自而立乎。又其下文皆以不偏不倚爲言、則此語者亦或未得爲定論也。呂氏又引允執厥中以明未發之旨。則程子之說書也、固謂允執厥中所以行之。蓋其所謂中者、乃指時中之中、而非未發之中也。呂氏又謂求之喜怒哀樂未發之時、則程子所以答蘇季明之問、又已有旣思卽是已發之說矣。凡此皆其決不以呂說爲然者、獨不知其於此何故略無所辨。學者亦當詳之。未可見其不辨而遽以爲是也。曰、然則程子卒以赤子之心爲已發何也。曰、衆人之心、莫不有未發之時、亦莫不有已發之時。不以老稚賢愚而有別也。但孟子所指赤子之心純一無僞者、乃因其發而後可見。若未發、則純一無僞又不足以名之、而亦非獨赤子之心爲然矣。是以程子雖改夫心皆已發之一言、而以赤子之心爲已發則不可得而改也。曰、程子明鏡止水之云、固以聖人之心爲異乎赤子之心矣。然則此其爲未發者耶。曰、聖人之心、未發則爲水鏡之體。旣發則爲水鏡之用。亦非獨指未發而言也。曰、諸說如何。曰、程子備矣。但其答蘇季明之後章、記録多失本眞、答問不相對値。如耳無聞目無見之答、以下文若無事時須見須聞之說參之、其誤必矣。蓋未發之時、但爲未有喜怒哀樂之偏耳。若其目之有見、耳之有聞、則當愈益精明而不可亂。豈若心不在焉而遂廢耳目之用哉。其言靜時、旣有知覺。豈可言靜。而引復以動見天地之心爲說、亦不可曉。蓋當至靜之時、但有能知覺者、而未有所知覺也。故以爲靜中有物則可、而便以才思卽是已發爲比則未可。以爲坤卦純陰而不爲無陽則可、而便以復之一陽已動爲比則未可也。所謂無時不中者、所謂善觀者、却於已發之際觀之者、則語雖要切、而其文意亦不能無斷續。至於動上求靜之云、則問者亦轉而之它矣。其答動字靜字之問、答敬何以用功之問、答思慮不定之問、以至若無事時須見須聞之說、則皆精當。但其曰當祭祀時無所見聞、則古人之制祭服而設旒纊、雖曰欲其不得廣視雜聽而致其精一、然非以是爲眞足以全蔽其聦明、使之一無見聞也。若曰復之有絇以爲行戒、尊之有禁以爲酒戒、然初未嘗以是而遂不行不飮也。若使當祭之時、眞爲旒纊所塞遂如聾瞽、則是禮容樂節皆不能知、亦將何以致其誠意交於鬼神哉。程子之言決不如是之過也。至其答過而不留之問、則又有若不相値而可疑者。大抵此條最多謬誤。蓋聽它人之問而從旁竊記、非惟未了答者之意、而亦未悉問者之情、是以致此亂道而誤人耳。然而猶幸其閒紕漏顯然、尙可尋繹以別其僞。獨微言之湮沒者遂不復傳。爲可惜耳。呂氏此章之說尤多可疑。如引屢空、貨殖、及心爲甚者、其於彼此蓋兩失之。其曰由空而後見夫中、是又前章虛心以求之說也。其不陷而入於浮屠者幾希矣。蓋其病根正在欲於未發之前、求見夫所謂中者而執之。是以屢言之而病愈甚。殊不知經文所謂致中和者。亦曰、當其未發、此心至虛、如鏡之明、如水之止、則但當敬以存之、而不使其小有偏倚。至於事物之來、此心發見、喜怒哀樂各有攸當、則又當敬以察之、而不使其小有差忒而已。未有如是之說也。且曰、未發之前、則宜其不待著意推求、而瞭然心目之閒矣。一有求之之心、則是便爲已發。固已不得而見之。況欲從而執之、則其爲偏倚亦甚矣。又何中之可得乎。且夫未發已發、日用之閒固有自然之機、不假人力。方其未發、本自寂然、固無所事於執。及其當發、則又當卽事卽物隨感而應。亦安得塊然不動而執此未發之中耶。此爲義理之根本。於此有差、則無所不差矣。此呂氏之說、所以條理紊亂、援引乖剌、而不勝其可疑也。程子譏之以爲不識大本。豈不信哉。楊氏所謂未發之時以心驗之、則中之義自見。執而勿失無人欲之私焉、則發必中節矣。又曰、須於未發之際能體所謂中。其曰驗之、體之、執之、則亦呂氏之失也。其曰其慟、其喜、中固自若、疑與程子所云言和則中在其中者相似。然細推之、則程子之意、正謂喜怒哀樂已發之處、見得未發之理發見在此一時一物之中、各無偏倚過不及之差。乃時中之中、而非渾然在中之中也。若楊氏之云中固自若、而又引莊周出怒不怒之言以明之、則是以爲聖人方當喜怒哀樂之時、其心漠然同於木石、而姑外示如此之形、凡所云爲皆不復出於中心之誠矣。大抵楊氏之言多雜於老佛。故其失類如此。其曰當論其中否、不當論其有無、則至論也。
【読み】
○曰く、程呂の問答如何。曰く、之を文集に考うるに、則ち是れ其の書蓋し完からず。然るに程子初めに凡そ心を言う者は皆已發を指して言うと謂いて、後書は乃ち自ら以て未だ當たらずと爲し、向 [さき]に呂氏之を問うことの審らかなるに非ずして、完からざるの中も又此の書を失わば、則ち此の言の未だ當たらざる、學者何に自りて之を知らんや。此を以て又聖賢の言固より端を發して未だ竟えざる者有り、學者尤も當に心を虛しくし意を悉くして以て其の歸を審らかにすべく、未だ其の一言を執りて遽に以て定まれりと爲す可からざることを知る。其の中の字は過不及に因りて名を立つと說けるは、又幷せて時中の中を指すに似て、中に在るの義と少しく異なり。蓋し未發の時中に在るの義は、之を偏倚する所無しと謂わば則ち可なり。之を過不及無しと謂わば、則ち此の時に方りて未だ節に中り節に中らざるの言う可きに有らざるなり。過不及無きの名も亦何に自りて立たんや。又其の下文も皆不偏不倚を以て言を爲さば、則ち此の語は亦或は未だ定論とすることを得ず。呂氏又允に厥の中を執るを引いて以て未發の旨を明かせり。則ち程子の書を說けるや、固より允に厥の中を執るは之を行う所以と謂えり。蓋し其の謂う所の中とは、乃ち時中の中を指して、未發の中に非ず。呂氏又之を喜怒哀樂未發の時に求むと謂えるは、則ち程子の蘇季明の問いに答うる所以、又已に旣に思えば卽ち是れ已發の說有り。凡そ此れ皆其の決して呂が說を以て然りとせざるは、獨其の此に於て何が故に略して辨ずる所無きことを知らず。學者亦當に之を詳らかにすべし。未だ其の辨ぜざるを見て遽に以て是と爲す可からず。曰く、然らば則ち程子卒に赤子の心を以て已發と爲すは何ぞや。曰く、衆人の心は、未發の時有らざること莫く、亦已發の時有らざること莫し。老稚賢愚を以て別つこと有らず。但孟子指せる所の赤子の心は純一にして僞り無き者、乃ち其の發るに因りて後に見る可し。未發の若きは、則ち純一無僞も又以て之に名づくるに足らずして、亦獨り赤子の心のみ然りと爲すに非ず。是を以て程子夫の心は皆已發の一言を改めりと雖も、而れども赤子の心を以て已發とすることは則ち得て改む可からず。曰く、程子明鏡止水の云い、固より聖人の心を以て赤子の心に異なりと爲す。然らば則ち此れ其れ未發とする者か。曰く、聖人の心は、未發は則ち水鏡の體爲り。旣發は則ち水鏡の用爲り。亦獨未發を指して言うのみに非ず。曰く、諸說如何。曰く、程子備われり。但其の蘇季明に答うるの後章は、記録多く本眞を失い、問いに答うること相對値せず。耳聞くこと無く目見ること無きの答えの如き、下文の若し事無き時は須く見るべく須く聞くべきの說を以て之に參ゆるに、其の誤り必せり。蓋し未發の時は、但未だ喜怒哀樂の偏有らずとするのみ。其の目の見ること有り、耳の聞くこと有るが若きは、則ち當に愈々益々精明にして亂る可からざるべし。豈心焉に在らずして遂に耳目の用を廢するが若くならんや。其の靜なる時を言えるに、旣に知覺有り。豈靜と言う可けんや。而して復を引いて動いて天地の心を見るを以て說を爲すも、亦曉る可からず。蓋し至靜の時に當たりて、但能く知覺する者有りて、未だ知覺する所有らず。故に以て靜中物有りとするは則ち可にして、便ち才かに思えば卽是れ已發を以て比することをするは則ち未だ可ならず。以て坤の卦は純陰にして陽無しとせずとするは則ち可にして、便ち復の一陽已に動くを以て比することをするは則ち未だ可ならず。謂う所の時として中ならざること無き者、謂う所の善く觀る者は、却って已發の際に於て之を觀るとは、則ち語は要切なりと雖も、而れども其の文意も亦斷續無きこと能わず。動上に靜を求むるの云いに至りては、則ち問う者も亦轉じて它に之く。其の動の字靜の字の問いに答え、敬は何を以て功を用いんの問いに答え、思慮定まらざるの問いに答え、以て若し事無き時は須く見るべく須く聞くべきの說に至りては、則ち皆精當なり。但其の祭祀の時に當たりて見聞く所無しと曰えるは、則ち古人の祭服を制して旒纊を設くる、其の廣く視雜え聽くことを得ずして其の精一を致すことを欲すと曰うと雖も、然れども是を以て眞に以て全く其の聦明を蔽うに足れりとして、之をして一えに見聞くこと無からしむるに非ず。復の絇有りて以て行の戒めとし、尊の禁有りて以て酒の戒めとすと曰いて、然して初めより未だ嘗て是を以て遂に行かず飮まずんばあらざるが若し。若し祭の時に當たりて、眞に旒纊に塞がるることをして遂に聾瞽の如くならしめば、則ち是れ禮容樂節皆知ること能わず、亦將何を以て其の誠意を致して鬼神に交わらんや。程子の言は決して是の如く過まらず。其の過ぎて留めざるの問いに答うるに至りては、則ち又相値わざるが若くして疑う可き者有り。大抵此の條最も謬誤多し。蓋し它人の問いを聽いて旁らより竊かに記し、惟未だ答うる者の意を了らざるのみに非ずして、亦未だ問う者の情を悉くさず、是を以て此の亂道を致して人を誤まれるのみ。然して猶幸いに其の閒紕漏顯然として、尙尋繹して以て其の僞りを別つ可し。獨微言の湮沒する者遂に復傳わらず。惜しむ可きとするのみ。呂氏の此の章の說尤も疑う可きこと多し。屢々空し、貨殖、及び心を甚だしとすを引くが如き、其れ彼此に於て蓋し兩つながら之を失う。其の空に由りて後に夫の中を見ると曰えるは、是れ又前章の心を虛しくして以て求むるの說なり。其の陷って浮屠に入らざる者幾希なし。蓋し其の病根は正に未發の前に於て、夫の謂う所の中なる者を見ることを求めて之を執ることを欲するに在り。是を以て屢々之を言いて病愈々甚だし。殊に知らず、經文に謂う所の中和を致むる者なるを。亦曰う、其の未發に當たりて、此の心至虛にして、鏡の明なるが如く、水の止まるが如くなれば、則ち但當に敬以て之を存して、其れをして小しも偏倚有らしめざるべし。事物の來るに至りて、此の心發見し、喜怒哀樂各々當たる攸有れば、則ち又當に敬以て之を察して、其れをして小しも差忒有らしめざるべきのみ、と。未だ是の如き說有らざるなり。且つ曰う、未發の前は、則ち宜しく其れ意を著けて推し求むることを待たずして、心目の閒に瞭然たるべし。一たび之を求むるの心有れば、則ち是れ便ち已發と爲す、と。固より已に得て之を見ず。況んや從りて之を執らんと欲せば、則ち其の偏倚を爲すこと亦甚だし。又何の中を之れ得可けん。且つ夫れ未發已發は、日用の閒固より自然の機有りて、人力を假らず。其の未發に方っては、本自ずから寂然、固より執ることを事とする所無し。其の當に發るべきに及んでは、則ち又當に事に卽き物に卽き感に隨いて應ずべし。亦安んぞ塊然として動かずして此の未發の中を執ることを得んや。此れ義理の根本爲り。此に於て差うこと有れば、則ち差わざる所無し。此れ呂氏の說の、條理紊亂し、援引乖剌して、其の疑う可きに勝えざる所以なり。程子之を譏りて以て大本を識らずとす。豈信ならざるや。楊氏が謂う所の未發の時心を以て之を驗むれば、則ち中の義自ずから見ん。執りて失うこと勿く人欲の私無ければ、則ち發りて必ず節に中る。又曰う、須く未發の際に於て能く謂う所の中を體すべし、と。其の之を驗み、之を體し、之を執ると曰えるは、則ち亦呂氏の失なり。其の其の慟、其の喜、中固より自若たりと曰えるは、疑うらくは程子云える所の和を言えば則ち中其の中に在る者と相似たり。然れども細に之を推せば、則ち程子の意は、正に喜怒哀樂已發の處は、未發の理發見して此の一時一物の中に在りて、各々偏倚過不及の差い無きことを見得ることを謂えり。乃ち時中の中にして、渾然として中に在るの中に非ず。楊氏の中は固より自若たりと云いて、又莊周が怒を出して怒らざるの言を引いて以て之を明かすが若きは、則ち是れ以て聖人方に喜怒哀樂の時に當たりて、其の心漠然として木石に同じくして、姑く外は此の如きの形を示し、凡そ云爲する所は皆復中心の誠に出でずとす。大抵楊氏の言は多く老佛を雜ゆ。故に其の失類 [おおむ]ね此の如し。其の當に其の中否を論ずべし、當に其の有無を論ずべからずと曰えるは、則ち至論なり。


或問、此其稱仲尼曰何也。曰、首章夫子之意而子思言之。故此以下又引夫子之言以證之也。曰、孫可以字其祖乎。曰、古者生無爵、死無諡、則子孫之於祖考亦名之而已矣。周人冠則字而尊其名、死則諡、而諱其名、則固已彌文矣。然未有諱其字者也。故儀禮饋食之祝詞曰、適爾皇祖伯某父。乃直以字而面命之。況孔子爵不應諡、而子孫又不得稱其字以別之、則將謂之何哉。若曰孔子、則外之之辭而又孔姓之通稱。若曰夫子、則又當時衆人相呼之通號也。不曰仲尼而何以哉。
【読み】
或ひと問う、此に其の仲尼曰くと稱するは何ぞや。曰く、首章は夫子の意にして子思之を言えり。故に此より以下も又夫子の言を引いて以て之を證せり。曰く、孫は以て其の祖に字 [あざな]いう可し。曰く、古は生まれて爵無ければ、死して諡無きときは、則ち子孫の祖考に於るも亦之を名いうのみ。周人冠すれば則ち字して其の名を尊び、死すれば則ち諡して、其の名を諱むときは、則ち固より已に彌文なり。然るに未だ其の字を諱む者有らず。故に儀禮饋食の祝詞に曰う、爾の皇祖伯某の父に適け、と。乃ち直に字を以て面 [まのあたり]に之を命ず。況んや孔子爵諡すべからずして、子孫も又其の字を稱して以て之を別つことを得ずんば、則ち將之を何と謂わんや。若し孔子と曰えば、則ち之を外にするの辭にして又孔姓の通稱なり。若し夫子と曰えば、則ち又當時衆人相呼ぶの通號なり。仲尼と曰わずして何を以てせんや。

○曰、君子所以中庸、小人之所以反之者何也。曰、中庸者、無過不及而平常之理、蓋天命人心之正也。惟君子爲能知其在我、而戒謹恐懼以無失其當然。故能隨時而得中。小人則不知有此而無所忌憚。故其心每反乎此而不中不常也。
【読み】
○曰く、君子の中庸する所以、小人の之に反く所以の者は何ぞや。曰く、中庸は、過不及無くして平常の理、蓋し天命人心の正なり。惟君子のみ能く其の我に在ることを知りて、戒謹恐懼して以て其の當然を失うこと無きことをす。故に能く時に隨いて中を得。小人は則ち此れ有ることを知らずして忌み憚る所無し。故に其の心は每に此に反いて中ならず常ならず。

○曰、小人之中庸、王肅程子悉加反字、蓋疊上文之語。然諸說皆謂、小人實反中庸而不自知其爲非、乃敢自以爲中庸而居之不疑。如漢之胡廣、唐之呂溫、柳宗元者、則其所謂中庸、是乃所以爲無忌憚也。如此則不煩增字而理亦通矣。曰、小人之情状固有若此者矣。但以文勢考之則恐未然。蓋論一篇之通體、則此章乃引夫子所言之首章、且當略舉大端以分別君子小人之趣向、未當遽及此意之隱微也。若論一章之語脈、則上文方言君子中庸而小人反之。其下且當平解兩句之義以盡其意、不應偏解上句而不解下句、又遽別生它說也。故疑王肅所傳之本爲得其正、而未必肅之所增。程子從之、亦不爲無所據而臆決也、諸說皆從鄭本。雖非本文之意、然所以發明小人之情状、則亦曲盡其妙而足以警乎郷原亂德之姦矣。今存呂氏以備觀考。它不能盡録也。
【読み】
○曰く、小人の中庸は、王肅程子悉く反の字を加うるは、蓋し上文の語を疊めり。然るに諸說皆謂えり、小人は實に中庸に反いて自ら其の非爲ることを知らず、乃ち敢えて自ら以て中庸と爲して之に居りて疑わず。漢の胡廣、唐の呂溫、柳宗元の如き者は、則ち其の謂う所の中庸は、是れ乃ち忌み憚ること無しとする所以、と。此の如くなれば則ち字を增すことを煩わさずして理も亦通ず。曰く、小人の情状は固より此の若き者有り。但文勢を以て之を考うれば則ち恐らくは未だ然らず。蓋し一篇の通體を論ずれば、則ち此の章は乃ち夫子言える所を引くの首章、且當に略大端を舉げて以て君子小人の趣向を分別すべく、未だ當に遽に此の意の隱微に及ぶべからず。若し一章の語脈を論ずれば、則ち上文は方に君子は中庸にして小人は之に反くと言えり。其の下は且つ當に平らかに兩句の義を解いて以て其の意を盡くすべく、偏々上句を解いて下句を解かず、又遽に別に它の說を生すべからず。故に疑うらくは王肅傳うる所の本は其の正を得て、未だ必ずしも肅の增す所にあらずとす。程子之に從えるも、亦據る所無くして臆決すとせず、諸說皆鄭が本に從う。本文の意に非ずと雖も、然れども小人の情状を發明する所以は、則ち亦曲に其の妙を盡くして以て郷原德を亂るの姦を警むるに足れり。今呂氏を存して以て觀考に備う。它は盡く録すこと能わず。


或問、民鮮能久、或以爲民鮮能久於中庸之德、而以下文不能朞月守者證之。何如。曰、不然。此章方承上章小人反中庸之意而泛論之。未遽及夫不能久也。下章自能擇中庸者言之、乃可責其不能久耳。兩章各是發明一義。不當遽以彼而證此也。且論語無能字、而所謂矣者、又已然之辭。故程子釋之以爲民鮮有此中庸之德、則其與不能朞月守者不同、文意益明白矣。曰、此書非一時之言也。章之先後又安得有次序乎。曰、言之固無序矣。子思取之而著於此、則其次第行列決有意謂、不應雜置而錯陳之也。故凡此書之例、皆文斷而意屬。讀者先因其文之所斷以求本章之說、徐次其意之所屬以考相承之序、則有以各盡其一章之意、而不失夫全篇之旨矣。然程子亦有久行之說、則疑出於門人之所記。蓋不能無差謬、而自世敎衰之一條、乃論語解、而程子之手筆也。諸家之說固皆不察乎此。然呂氏所謂厭常喜新、質薄氣弱者、則有以切中學者不能固守之病、讀者徙諸朞月之章而自省焉、則亦足以有警矣。侯氏所謂民不識中、故鮮能久、若識得中、則手動足履無非中者、則其疎濶又益甚矣。如曰若識得中、則手動足履皆有自然之中而不可離、則庶幾耳。
【読み】
或ひと問う、民能くすること鮮きこと久しは、或は以て民能く中庸の德に久しきこと鮮しと爲して、下文朞月も守ること能わざる者を以て之を證す。何如。曰く、然らず。此の章は方に上章の小人は中庸に反くの意を承けて泛く之を論ず。未だ遽に夫の久しきこと能わざるに及ばず。下章の能く中庸を擇ぶ者より之を言えば、乃ち其の久しきこと能わざるを責む可きのみ。兩章各々是れ一義を發明す。當に遽に彼を以て此を證すべからず。且つ論語に能の字無くして、謂う所の矣も、又已に然るの辭なり。故に程子之を釋いて以て民此の中庸の德有ること鮮しと爲せるときは、則ち其の朞月も守ること能わざる者と同じからざること、文意益々明白なり。曰く、此の書は一時の言に非ず。章の先後も又安んぞ次序有ることを得んや。曰く、之を言えること固より序無し。子思之を取りて此に著せるときは、則ち其の次第行列決して意謂有り、雜え置いて之を錯え陳ぬべからず。故に凡そ此の書の例は、皆文斷りて意屬す。讀む者先ず其の文の斷る所に因りて以て本章の說を求め、徐 [ようや]くに其の意の屬する所を次いで以て相承くるの序を考えば、則ち以て各々其の一章の意を盡くすこと有りて、夫の全篇の旨を失わず。然るに程子亦久しく行うの說有るは、則ち疑うらくは門人の記す所に出づ。蓋し差謬無きこと能わずして、世敎衰えてよりの一條は、乃ち論語の解にして、程子の手筆なり。諸家の說は固より皆此に察せず。然れども呂氏が謂う所の常を厭い新しきを喜しみ、質薄く氣弱しとは、則ち以て切に學者固く守ること能わざるの病に中ること有り、讀む者諸を朞月の章に徙 [うつ]して自ら省みば、則ち亦以て警むること有るに足らん。侯氏が謂う所の民中を識らず、故に能く久しきこと鮮し、若し中を識り得ば、則ち手動き足履むも中に非ざる無しとは、則ち其の疎濶も又益々甚だし。如し若し中を識り得ば、則ち手動き足履むも皆自然の中に有りて離る可からずと曰わば、則ち庶幾からんのみ。


或問、此其言道之不行不明何也。曰、此亦承上章民鮮能久矣之意也。曰、智愚之過不及、宜若道之所以不明也。賢不肖之過不及、宜若道之所以不行也。今其互言之何也。曰、測度深微、揣摩事變、能知君子之所不必知者、知者之過乎中也。昬昧蹇淺、不能知君子之所當知者、愚者之不及乎中也。知之過者、旣惟知是務、而以道爲不足行、愚者又不知所以行也。此道之所以不行也。刻意尙行、驚世駭俗、能行君子之所不必行者、賢者之過乎中也。卑汙苟賤、不能行君子之所當行者、不肖者之不及乎中也。賢之過者、旣惟行是務、而以道爲不足知、不肖者又不求所以知也。此道之所以不明也。然道之所謂中者、是乃天命人心之正、當然不易之理、固不外乎人生日用之閒。特行而不著、習而不察、是以不知其至而失之耳。故曰、人莫不飮食也。鮮能知味也。知味之正、則必嗜之而不厭矣。知道之中、則必守之而不失矣。
【読み】
或ひと問う、此に其の道の行われざる明らかならざるを言えるは何ぞや。曰く、此れ亦上章の民能くすること鮮きこと久しの意を承く。曰く、智愚の過不及は、宜しく道の明らかならざる所以の若くなるべし。賢不肖の過不及は、宜しく道の行われざる所以の若くなるべし。今其の互いに之を言えるは何ぞや。曰く、深微を測度し、事變を揣摩し、能く君子の必ずしも知らざる所を知る者は、知者の中に過ぎるなり。昬昧蹇淺にして、君子の當に知るべき所を知ること能わざる者は、愚者の中に及ばざるなり。知の過ぎる者は、旣に惟知のみ是れ務めて、道を以て行うに足らずと爲し、愚者は又行う所以を知らず。此れ道の行われざる所以なり。意を刻み行を尙くし、世を驚かし俗を駭かし、能く君子の必ずしも行わざる所を行う者は、賢者の中に過ぎるなり。卑汙苟賤にして、君子の當に行うべき所を行うこと能わざる者は、不肖者の中に及ばざるなり。賢の過ぎる者は、旣に惟行のみ是れ務めて、道を以て知るに足らずと爲し、不肖者は又知る所以を求めず。此れ道の明らかならざる所以なり。然るに道の謂う所の中とは、是れ乃ち天命人心の正、當然不易の理、固より人生日用の閒に外ならず。特行いて著しからず、習いて察せず、是を以て其の至りを知らずして之を失うのみ。故に曰く、人飮食せざること莫し。能く味を知ること鮮し、と。味の正しきを知れば、則ち必ず之を嗜みて厭わず。道の中を知れば、則ち必ず之を守りて失わず。


或問、此其稱舜之大知何也。曰、此亦承上章之意。言如舜之知而不過、則道之所以行也。蓋不自恃其聦明而樂取諸人者如此、則非知者之過矣。又能執兩端而用其中、則非愚者之不及矣。此舜之知所以爲大、而非他人之所及也。兩端之說、呂楊爲優。程子以爲執持過不及之兩端使民不得行、則恐非文意矣。蓋當衆論不同之際、未知其孰爲過、孰爲不及、而孰爲中也。故必兼緫衆說以執其不同之極處、而求其義理之至當、然後有以知夫無過不及之在此、而在所當行。若其未然、則又安能先識彼兩端者之爲過不及而不可行哉。
【読み】
或ひと問う、此に其の舜の大知を稱するは何ぞや。曰く、此も亦上章の意を承けり。言うこころは、舜の知の如くにして過ぎざれば、則ち道の行わる所以なり。蓋し自ら其の聦明を恃まずして諸を人に取ることを樂しめる者此の如くなれば、則ち知者の過ぎるに非ず。又能く兩端を執りて其の中を用うれば、則ち愚者の及ばざるに非ず。此れ舜の知の大爲る所以にして、他人の及ぶ所に非ず。兩端の說は、呂楊を優れりと爲す。程子以て過不及の兩端を執り持ちて民をして行うことを得ざらしむと爲せるは、則ち恐らくは文意に非ず。蓋し衆論同じからざるの際に當たりて、未だ其の孰が過ぎるとし、孰が及ばずとして、孰が中爲ることを知らず。故に必ず衆說を兼ね緫べて以て其の同じからざるの極處を執りて、其の義理の至當を求めて、然して後に以て夫の過不及無きの此に在りて、當に行うべき所に在ることを知ること有り。若し其れ未だ然らずんば、則ち又安んぞ能く先ず彼の兩端の者を過不及と爲して行う可からざることを識らんや。


或問七章之說。曰、此以上句起下句。如詩之興耳。或以二句各爲一事言之、則失之也。
【読み】
或ひと七章の說を問う。曰く、此れ上の句を以て下の句を起こす。詩の興るの如きのみ。或は二句を以て各々一事と爲して之を言えば、則ち之を失う。


或問、此其稱回之賢何也。曰、承上章不能朞月守者而言。如回之賢而不過、則道之所以明也。蓋能擇乎中庸、則無賢者之過矣。服膺弗失、則非不肖者之不及矣。然則茲賢也、乃其所以爲知也歟。曰、諸說如何。曰、程子所引屢空、張子所引未見其止、皆非論語之本意。惟呂氏之論顏子有曰。隨其所至、盡其所得、據而守之、則拳拳服膺而不敢失、勉而進之、則旣竭吾才而不敢緩。此所以恍惚前後而不可爲象、求見聖人之止欲罷而不能也。此數言者乃爲親切確實、而足以見其深潛縝密之意。學者所宜諷誦而服行也。但求見聖人之止一句、文義亦未安耳。侯氏曰、中庸豈可擇。擇則二矣。其務爲過髙而不顧經文義理之實也、亦甚矣哉。
【読み】
或ひと問う、此に其の回の賢を稱するは何ぞや。曰く、上章の朞月も守ること能わざる者を承けて言う。回の賢の如くにして過ぎざれば、則ち道の明らかなる所以なり。蓋し能く中庸を擇べば、則ち賢者の過ぎる無し。膺 [むね]に服[つ]けて失わざれば、則ち不肖者の及ばざるに非ず。然れば則ち茲の賢や、乃ち其の知と爲る所以か。曰く、諸說如何。曰く、程子屢々空しを引く所、張子引く所の未だ其の止まりを見ずは、皆論語の本意に非ず。惟呂氏の顏子を論ずるに曰えること有り。其の至る所に隨い、其の得る所を盡くし、據りて之を守れば、則ち拳拳として膺に服けて敢えて失わず、勉めて之に進むれば、則ち旣に吾が才を竭くして敢えて緩くせず。此れ恍惚前後して象を爲す可からず、聖人の止まりを見んことを求め罷めんと欲して能わざる所以なり、と。此の數言は乃ち親切確實と爲して、以て其の深潛縝密の意を見るに足れり。學者宜しく諷誦して服行すべき所なり。但聖人の止まりを見んことを求むるの一句は、文義亦未だ安からざるのみ。侯氏が曰く、中庸豈擇ぶ可けんや。擇べば則ち二なり、と。其の務めて過髙を爲して經文義理の實を顧みざること、亦甚だしいかな。


或問、中庸不可能何也。曰、此亦承上章之意、以三者之難、明中庸之尤難也。蓋三者之事、亦智・仁・勇之屬而人之所難。然皆取必於行而無擇於義、且或出於氣質之偏、事勢之迫、未必從容而中節也。若曰中庸則雖無難知難行之事、然天理渾然、無過不及。苟一毫之私意有所未盡、則雖欲擇而守之、而擬議之閒、忽已墮於過與不及之偏而不自知矣。此其所以雖若甚易、而實不可能也。故程子以克己最難言之。其旨深矣。游氏以舜爲絶學無爲、而楊氏亦謂有能斯有爲之者、其違道遠矣、循天下固然之理、行其所無事焉、夫何能之有、則皆老佛之緒餘、而楊氏下章所論不知不能、爲道遠人之意、亦非儒者之言也。二公學於程氏之門、號稱髙弟、而其言乃如此。殊不可曉也已。
【読み】
或ひと問う、中庸は能くす可からずとは何ぞや。曰く、此れ亦上章の意を承け、三つの者の難きを以て、中庸の尤も難きを明かす。蓋し三つの者の事も、亦智・仁・勇の屬にして人の難ずる所。然れども皆必を行うに取りて義に擇ぶこと無く、且つ或は氣質の偏、事勢の迫に出でて、未だ必ずしも從容として節に中らず。若し中庸を曰わば則ち知り難く行い難き事無しと雖も、然れども天理渾然として、過不及無し。苟も一毫の私意未だ盡きざる所有れば、則ち擇びて之を守らんと欲すと雖も、而れども擬議の閒、忽ち已に過と不及との偏に墮ちて自ら知らず。此れ其の甚だ易きが若しと雖も、而れども實は能くす可からざる所以なり。故に程子己に克つこと最も難きを以て之を言えり。其の旨深し。游氏舜を以て學を絶ちてすること無しとして、楊氏も亦能くすること有れば斯に之をする者有り、其れ道を違ること遠し、天下固より然るの理に循いて、其の事無き所を行う、夫れ何ぞ能くすること之れ有らんと謂えるは、則ち皆老佛の緒餘にして、楊氏下章に論ずる所の知らず能くせず、道を爲して人に遠しの意も、亦儒者の言に非ず。二公程氏の門に學び、號して髙弟と稱して、其の言乃ち此の如し。殊に曉る可からざるのみ。


或問、此其記子路之問強何也。曰、亦承上章之意、以明擇中庸而守之。非強不能。而所謂強者、又非世俗之所謂強也。蓋強者、力有以勝人之名也。凡人和而無節、則必至於流。中立而無依、則必至於倚。國有道而富貴、或不能不改其平素、國無道而貧賤、或不能久處乎窮約。非持守之力有以勝人者、其孰能及之。故此四者、汝子路之所當強也。南方之強、不及強者也。北方之強、過乎強者也。四者之強、強之中也。子路好勇。故聖人之言所以長其善而救其失者類如此。曰、和與物同。故疑於流而以不流爲強。中立本無所依。又何疑於倚而以不倚爲強哉。曰、中立固無所依也。然凡物之情、惟強者爲能無所依而獨立。弱而無所依、則其不傾側而偃仆者幾希矣。此中立之所以疑於必倚、而不倚之所以爲強也。曰、諸說如何。曰、大意則皆得之。惟以矯爲矯揉之矯、以南方之強爲矯哉之強與顏子之強、以抑而強者爲子路之強與北方之強者爲未然耳。
【読み】
或ひと問う、此に其の子路の強を問うことを記せるは何ぞや。曰く、亦上章の意を承けて、以て中庸を擇びて之を守ることを明かせり。強に非ざれば能わず。而して謂う所の強とは、又世俗の謂う所の強に非ず。蓋し強とは、力以て人に勝つこと有るの名なり。凡そ人和して節無ければ、則ち必ず流るに至る。中立して依ること無ければ、則ち必ず倚るに至る。國道有りて富貴なれば、或は其の平素を改めざること能わず、國道無くして貧賤なれば、或は久しく窮約に處ること能わず。持守の力以て人に勝つこと有る者に非ずんば、其れ孰か能く之に及ばん。故に此の四つの者は、汝子路の當に強なるべき所なり。南方の強は、強に及ばざる者なり。北方の強は、強に過ぎる者なり。四つの者の強は、強の中なり。子路勇を好む。故に聖人の言の其の善を長じて其の失を救える所以の者、類ね此の如し。曰く、和は物と同じくす。故に流るに疑わしくして流れざるを以て強と爲す。中立は本依る所無し。又何ぞ倚るに疑わしくして倚らざるを以て強と爲るや。曰く、中立は固より依る所無し。然るに凡そ物の情、惟強き者は能く依る所無くして獨り立つことを爲す。弱くして依る所無ければ、則ち其の傾側して偃仆せざる者幾希なし。此れ中立の必ず倚るに疑わしき所以にして、倚らざるの強と爲す所以なり。曰く、諸說如何。曰く、大意は則ち皆之を得。惟矯を以て矯揉の矯とし、南方の強を以て矯なるかなの強と顏子の強とし、抑々而が強なる者を以て子路の強と北方の強とする者は未だ然らずとするのみ。


或問十一章素隱之說。曰、呂氏從鄭注以素爲傃。固有未安。惟其舊說有謂無德而隱爲素隱者、於義略通。又以遯世不見知之語反之、似亦有據。但素字之義與後章素其位之素不應頓異、則又若有可疑者。獨漢書藝文志劉歆論神仙家流引此而以素爲索、顏氏又釋之以爲求索隱暗之事、則二字之義旣明、而與下文行怪二字語勢亦相類、其說近是。蓋當時所傳本猶未誤、至鄭氏時乃失之耳。游氏所謂離人而立於獨、與夫未免有念之云、皆非儒者之語也。
【読み】
或ひと十一章の隱れたるを素むるの說を問う。曰く、呂氏鄭が注によりて素を以て傃とす。固より未だ安からざること有り。惟其の舊說に德無くして隱るを謂いて素隱とする者有り、義に於て略通ず。又世を遯れて知られざるの語を以て之を反するに、亦據るところ有るに似たり。但素の字の義は後章の其の位に素するの素と頓に異なるべからざれば、則ち又疑う可き者有るが若し。獨漢書の藝文志に劉歆の神仙家流を論ずるに此を引いて素を以て索とし、顏氏も又之を釋いて以て隱暗の事を求め索むとすれば、則ち二字の義旣に明らかにして、下文の怪しきを行うの二字と語勢も亦相類し、其の說是に近し。蓋し當時傳うる所の本は猶未だ誤まらず、鄭氏が時に至りて乃ち之を失うのみ。游氏謂う所の人を離れて獨に立つと、夫の未だ念い有ること免れずとの云いは、皆儒者の語に非ず。


或問十二章之說。曰、道之用廣、而其體則微密而不可見。所謂費而隱也。卽其近而言之、男女居室人道之常、雖愚不肖亦能知而行之。極其遠而言之、則天下之大、事物之多、聖人亦容有不盡知盡能者也。然非獨聖人有所不知不能也。天能生覆而不能形載、地能形載而不能生覆。至於氣化流行、則陰陽寒暑、吉凶災祥、不能盡得其正者尤多。此所以雖以天地之大、而人猶有憾也。夫自夫婦之愚不肖所能知行、至於聖人天地之所不能盡、道蓋無所不在也。故君子之語道也、其大至於天地聖人之所不能盡、而道無不包、則天下莫能載矣。其小至於愚夫愚婦之所能知能行、而道無不體、則天下莫能破矣。道之在天下、其用之廣如此。可謂費矣。而其所用之體則不離乎此、而有非視聽之所及者、此所以爲費而隱也。子思之言至此極矣。然猶以爲、不足以盡其意也。故又引詩以明之、曰鳶飛戾天、魚躍于淵。所以言道之體用上下昭著而無所不在也。造端乎夫婦、極其近小而言也。察乎天地、極其遠大而言也。蓋夫婦之際、隱微之閒、尤見道之不可離處。知其造端乎此、則其所以戒謹恐懼之實無不至矣。易首乾坤而重咸恆。詩首關雎而戒淫泆。書記釐降、禮謹大昬。皆此意也。
【読み】
或ひと十二章の說を問う。曰く、道の用は廣くして、其の體は則ち微密にして見る可からず。謂う所の費[ひろ]くして隱[かす]かなり。其の近きに卽いて之を言えば、男女室に居るは人道の常、愚不肖と雖も亦能く知りて之を行う。其の遠きを極めて之を言えば、則ち天下の大なる、事物の多き、聖人も亦盡く知り盡く能くせざる者有る容し。然して獨り聖人知らず能くせざる所有るのみに非ず。天は能く生覆して形載すること能わず、地は能く形載して生覆すること能わず。氣化の流行に至りては、則ち陰陽寒暑、吉凶災祥、盡く其の正しきを得ること能わざる者尤も多し。此れ天地の大なるを以てすと雖も、而れども人猶憾むこと有る所以なり。夫れ夫婦の愚不肖も能く知り行う所より、聖人天地の盡くすこと能わざる所に至るまで、道蓋し在らざる所無し。故に君子の道を語るや、其の大いなること天地聖人の盡くすこと能わざる所に至りて、道包ねざること無ければ、則ち天下能く載すること莫し。其の小しきこと愚夫愚婦の能く知り能く行う所に至りて、道體せざること無ければ、則ち天下能く破ること莫し。道の天下に在る、其の用の廣きこと此の如し。費と謂う可し。而して其の用うる所の體は則ち此に離れずして、視聽の及ぶ所に非ざる者有り、此れ費くして隱かとする所以なり。子思の言此に至りて極む。然れども猶以爲えり、以て其の意を盡くすに足らず、と。故に又詩を引いて以て之を明かして、鳶飛んで天に戾り、魚淵に躍ると曰えり。道の體用上下昭著にして在らざる所無きことを言える所以なり。端を夫婦に造 [な]すは、其の近小を極めて言えり。天地に察[あら]わるは、其の遠大を極めて言えり。蓋し夫婦の際、隱微の閒は、尤も道の離る可からざる處を見る。其の端を此に造すことを知れば、則ち其の戒謹恐懼する所以の實至らざること無し。易に乾坤を首めにして咸恆を重ぬ。詩に關雎を首めにして淫泆を戒む。書に釐降を記し、禮に大昬を謹む。皆此の意なり。

○曰、諸說如何。曰、程子至矣。張子以聖人爲夷惠之徒、旣已失之。又曰君子之道達諸天、故聖人有所不知、夫婦之智淆諸物、故聖人有所不與、則又折其所不知不能而兩之。皆不可曉也已。曰、諸家皆以夫婦之能知能行者爲道之費、聖人之所不知不能而天地有憾者爲道之隱。其於文義協矣。若從程子之說、則使章内專言費而不及隱。恐其有未安也。曰、謂不知不能爲隱、似矣。若天地有憾、鳶飛魚躍、察乎天地、而欲亦謂之隱、則恐未然。且隱之爲言、正以其非言語指陳之可及耳。故獨舉費而隱常默具乎其中。若於費外別有隱而可言、則已不得爲隱矣。程子之云、又何疑耶。
【読み】
○曰く、諸說如何。曰く、程子至れり。張子は聖人を以て夷惠の徒と爲し、旣已に之を失えり。又君子の道は天に達す、故に聖人知らざる所有り、夫婦の智は物に淆[まじ]る、故に聖人與らざる所有りと曰えるは、則ち又其の知らず能くせざる所を折りて之を兩にす。皆曉る可からざるのみ。曰く、諸家は皆夫婦の能く知り能く行う者を以て道の費とし、聖人の知らず能くせざる所にして天地も憾むこと有る者を道の隱とす。其れ文義に於て協えり。若し程子の說に從えば、則ち章内をして專ら費を言いて隱に及ばざらしむ。恐らくは其れ未だ安からざること有り。曰く、知らず能くせざるを隱とすと謂うは、似たり。天地も憾むこと有り、鳶飛び魚躍る、天地に察 [あき]らかなるが若くにして、亦之を隱と謂わんと欲せば、則ち恐らくは未だ然らず。且つ隱の言爲る、正に其の言語指陳の及ぶ可きに非ざるを以てのみ。故に獨費を舉げて隱は常に默して其の中に具わる。若し費の外に於て別に隱有りて言う可くんば、則ち已に隱とすることを得ず。程子の云い、又何ぞ疑わんや。

○曰、然則程子所謂鳶飛魚躍、子思喫緊爲人處、與必有事焉而勿正心之意同、活潑潑地者、何也。曰、道之流行發見於天地之閒、無所不在、在上則鳶之飛而戾於天者此也。在下則魚之躍而出于淵者此也。其在人則日用之閒、人倫之際、夫婦之所知所能、而聖人之所不知不能者亦此也。此其流行發見於上下之閒者、可謂著矣。子思於此指而言之、惟欲學者於此默而識之、則爲有以洞見道體之妙而無疑。而程子以爲子思喫緊爲人處者、正以示人之意爲莫切於此也。其曰與必有事焉而勿正心之意同、活潑潑地、則又以明道之體用流行發見充塞天地、亘古亘今雖未嘗有一毫之空闕、一息之閒斷、然其在人而見諸日用之閒者、則初不外乎此心、故必此心之存、而後有以自覺也。必有事焉而勿正心、活潑潑地、亦曰、此心之存而全體呈露、妙用顯行、無所滯礙云爾。非必仰而視乎鳶之飛、俯而觀乎魚之躍、然後可得之也。抑孟子此言固爲精密。然但爲學者集義養氣而發耳。至於程子借以爲言、則又以發明學者洞見道體之妙。非但如孟子之意而已也。蓋此一言雖若二事、然其實則必有事焉半詞之閒已盡其意。善用力者、苟能於此超然默會、則道體之妙已躍如矣。何待下句而後足於言耶。聖賢特恐學者用力之過、而反爲所累。故更以下句解之、欲其雖有所事、而不爲所累耳。非謂必有事焉之外、又當別設此念以爲正心之防也。曰、然則其所謂活潑潑地者、毋乃釋氏之遺意耶。曰、此但俚俗之常談、釋氏蓋嘗言之、而吾亦言之耳。彼固不得而專之也。況吾之所言雖與彼同、而所形容實與彼異。若出於吾之所謂、則夫道之體用固無不在。然鳶而必戾于天、魚而必躍于淵、是君君、臣臣、父父、子子、各止其所而不可亂也。若如釋氏之云、則鳶可以躍淵、而魚可以戾天矣。是安可同日而語哉。且子思以夫婦言之、所以明人事之至近而天理在焉、釋氏則舉此而絶之矣。又安可同年而語哉。
【読み】
○曰く、然らば則ち程子の謂う所の鳶飛び魚躍るは、子思喫緊人の爲にせる處、必ず事有りて心に正[あて]てすること勿かれの意と同じ、活潑潑地とは、何ぞや。曰く、道の天地の閒に流行發見して、在らざる所無き、上に在りては則ち鳶の飛んで天に戾る者、此れなり。下に在りては則ち魚の躍って淵に出づる者、此れなり。其の人に在りては則ち日用の閒、人倫の際、夫婦の知る所能くする所にして、聖人の知らず能くせざる所の者も亦此れなり。此れ其の上下の閒に流行發見するは、著ると謂う可し。子思此に於て指して之を言えるは、惟學者此に於て默して之を識らば、則ち以て洞らかに道體の妙を見ること有りて疑い無からんとせんことを欲するのみ。而して程子以て子思喫緊人の爲にせる處とせるは、正に人に示すの意此より切なること莫しとするを以てなり。其の必ず事有りて心に正てすること勿かれの意と同じ、活潑潑地と曰えるは、則ち又以て道の體用流行發見は天地に充塞し、古に亘り今に亘って未だ嘗て一毫の空闕、一息の閒斷有らずと雖も、然れども其の人に在りて日用の閒に見る者は、則ち初めより此の心に外ならず、故に必ず此の心を存して、而して後に以て自ら覺ること有ることを明かせり。必ず事有りて心に正てすること勿かれ、活潑潑地も、亦曰う、此の心を存して全體呈露し、妙用顯行して、滯礙する所無しと爾か云う。必ずしも仰いで鳶の飛ぶを視、俯して魚の躍るを觀て、然して後に之を得可きに非ず。抑々孟子の此の言は固より精密たり。然るに但學者集義養氣の爲にして發せるのみ。程子借りて以て言をするに至りては、則ち又以て學者洞らかに道體の妙を見ることを發明せり。但に孟子の意の如きのみに非ず。蓋し此の一言は二事の若しと雖も、然れども其の實は則ち必ず事有るの半詞の閒に已に其の意を盡くす。善く力を用うる者、苟に能く此に於て超然として默會せば、則ち道體の妙已に躍如たり。何ぞ下の句を待ちて後に言うに足らんや。聖賢、特學者力を用うること過ぎて、反って累わさるることをせんことを恐る。故に更に下の句を以て之を解き、其の事とする所有りと雖も、而れども累わさるることをせざらんことを欲するのみ。必ず事有るの外に、又當に別に此の念いを設けて以て心に正てするの防ぎを爲すべしと謂うには非ず。曰く、然らば則ち其の謂う所の活潑潑地とは、乃ち釋氏の遺意なること毋し。曰く、此れ但俚俗の常談、釋氏蓋し嘗て之を言いて、吾も亦之を言うのみ。彼固より得て之を專らにせず。況んや吾が言う所は彼と同じと雖も、而れども形容する所は實に彼と異なり。若し吾が謂う所に出でば、則ち夫れ道の體用固より在らざること無し。然して鳶にして必ず天に戾り、魚にして必ず淵に躍るは、是れ君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり、各々其の所に止めて亂る可からず。若し釋氏の云う如くば、則ち鳶以て淵に躍る可くして、魚以て天に戾る可し。是れ安んぞ日を同じくして語る可けんや。且つ子思夫婦を以て之を言えることは、人事の至近にして天理在ることを明かせる所以、釋氏は則ち此を舉げて之を絶つ。又安んぞ年を同じくして語る可けんや。

○曰、呂氏以下如何。曰、呂氏分此以上論中、以下論庸、又謂費則常道、隱則至道。恐皆未安。謝氏旣曰非是極其上下而言矣、又曰非指鳶魚而言。蓋曰、子思之引此詩、姑借二物以明道體無所不在之實。非以是爲窮其上下之極、而形其無所不包之量也。又非以是二物專爲形其無所不在之體、而欲學者之必觀乎此也。此其發明程子之意、蓋有非一時同門之士所得聞者、而又別以夫子與點之意明之、則其爲說益以精矣。但所謂察見天理者恐非本文之訓、而於程子之意亦未免小失之耳。游氏之說、其不可曉者尤多。如以良知良能之所自出爲道之費、則良知良能者不得爲道、而在道之外矣。又以不可知不可能者爲道之隱、則所謂道者乃無用之長物、而人亦無所頼於道矣。所引天地明察、似於彼此文意兩皆失之。至於所謂七聖皆迷之地、則莊生邪遁荒唐之語、尤非所以論中庸也。楊氏以大而化之非智力所及爲聖人不知不能、以祁寒暑雨雖天地不能易其節爲道之不可能、而人所以有憾於天地、則於文義旣有所不通、而又曰人雖有憾、而道固自若、則其失愈遠矣。其曰非體物而不遺者其孰能察之、其用體字察字、又皆非經文之正意也。大抵此章若從諸家以聖人所不知不能爲隱、則其爲說之弊必至於此而後已。嘗試循其說而體驗之、若有以使人神識飛揚、眩瞀迷惑、而無所底止。子思之意其不出此也必矣。惟侯氏不知不能之說、最爲明白。但所引聖而不可知者、孟子本謂人所不能測耳。非此文之意也。其他又有大不可曉者、亦不足深論也。
【読み】
○曰く、呂氏以下は如何。曰、呂氏は此より以上は中を論じ、以下は庸を論ずと分かち、又費は則ち常道、隱は則ち至道と謂えり。恐らくは皆未だ安からず。謝氏旣に是れ其の上下を極めて言うに非ずと曰い、又鳶魚を指して言うに非ずと曰えり。蓋し曰う、子思の此の詩を引ける、姑く二物を借りて以て道體在らざる所無きの實を明かせり。是を以て其の上下の極を窮めて、其の包ねざる所無きの量を形るとするに非ず。又是の二物を以て專ら其の在らざる所無きの體を形りて、學者の必ず此に觀んことを欲すとするに非ず。此れ其の程子の意を發明せる、蓋し一時同門の士得て聞く所に非ざる者有りて、又別に夫子點に與するの意を以て之を明かせるは、則ち其の說爲ること益々以て精し。但謂う所の天理を察見すとは恐らく本文の訓に非ずして、程子の意に於ても亦未だ小しく之を失うことを免れざるのみ。游氏の說は、其の曉る可からざる者尤も多し。良知良能の自って出づる所を以て道の費とするが如きは、則ち良知良能は道とすることを得ずして、道の外に在り。又知る可からず能くす可からざる者を以て道の隱とすれば、則ち謂う所の道とは乃ち無用の長物にして、人も亦道に頼る所無し。引く所の天地明察は、彼此の文意に於て兩つながら皆之を失えるに似たり。謂う所の七聖皆迷うの地に至りては、則ち莊生が邪遁荒唐の語、尤も中庸を論ずる所以に非ず。楊氏大にして之を化するは智力の及ぶ所に非ずを以て聖人の知らず能くせずと爲し、祁寒暑雨は天地と雖も其の節を易えること能わざるを以て道の能くす可からずと爲して、人の天地に憾むこと有る所以は、則ち文義に於て旣に通ぜざる所有りて、又人憾むこと有ると雖も、而れども道は固より自若たりと曰えるは、則ち其の失愈々遠し。其の物に體して遺さざる者に非ずんば其れ孰か能く之を察せんと曰えるは、其の體の字察の字を用うること、又皆經文の正意に非ず。大抵此の章若し諸家に從いて聖人の知らず能くせざる所を以て隱とすれば、則ち其の說を爲すの弊は必ず此に至りて後に已む。嘗試みに其の說に循いて之を體驗するに、以て人をして神識飛揚し、眩瞀迷惑して、底 [いた]り止まる所無からしむること有るが若し。子思の意其の此に出でざることや必せり。惟侯氏の知らず能くせざるの說は、最も明白爲り。但引く所の聖にして知る可からずは、孟子本人の測ること能わざる所を謂えるのみ。此の文の意に非ず。其の他も又大いに曉る可からざる者有り、亦深く論ずるに足らず。


或問、十三章之說、子以爲以人治人、爲以彼人之道還治彼人、善矣。又謂責其所能知能行、而引張子之說以實之、則無乃流於姑息之論、而所謂人之道者不得爲道之全也耶。曰、上章固言之矣。夫婦之所能知能行者道也。聖人之所不知不能而天地猶有憾者亦道也。然自人而言、則夫婦之所能知能行者、人之所切於身而不可須臾離者也。至於天地聖人所不能及、則其求之當有漸次、而或非日用之所急矣。然則責人、而先其切於身之不可離者、後其有漸而不急者。是乃行遠自邇、升髙自卑之序。使其由是而不已焉、則人道之全、亦將可以馴致。今必以是爲姑息而遽欲盡道以責於人、吾見其失先後之序、違緩急之宜。人之受責者將至於有所不堪、而道之無窮、則終非一人一日之所能盡也。是亦兩失之而已焉爾。
【読み】
或ひと問う、十三章の說は、子以て人を以て人を治むは、彼の人の道を以て還って彼の人を治むとすとするは、善し。又其の能く知り能く行う所を責むと謂いて、張子の說を引いて以て之を實にするは、則ち乃ち姑息の論に流れて、謂う所の人の道なる者の道の全き爲ることを得ざること無からんや。曰く、上章固より之を言えり。夫婦の能く知り能く行う所の者は道なり。聖人の知らず能くせざる所にして天地も猶憾むこと有る者も亦道なり。然るに人よりして言えば、則ち夫婦の能く知り能く行う所の者は、人の身に切なる所にして須臾も離る可からざる者なり。天地聖人の及ぶこと能わざる所に至りては、則ち其の之を求むること當に漸次有るべくして、或は日用の急なる所に非ず。然れば則ち人を責めて、而して其の身に切なるの離る可からざる者を先にし、其の漸有りて急ならざる者を後にす。是れ乃ち遠くに行くが邇くよりし、髙きに升るが卑きよりするの序なり。其をして是に由って已まざらしめば、則ち人道の全き、亦將以て馴致す可し。今必ず是を以て姑息と爲して遽に道を盡くして以て人を責めんと欲せば、吾其の先後の序を失い、緩急の宜に違うことを見る。人の責めを受くる者も將堪えざる所有るに至りて、道の窮まり無き、則ち終に一人一日の能く盡くす所に非ず。是れ亦兩つながら之を失いて已むのみ。

○曰、子臣弟友之絶句何也。曰、夫子之意、蓋曰、我之所責乎子之事己者如此、而反求乎己之所以事父、則未能如此也。所責乎臣之事己者如此、而反求乎己之所以事君、則未能如此也。所責乎弟之事己者如此、而反求乎己之所以事兄、則未能如此也。所責乎朋友之施己者如此、而反求乎己之所以先施於彼者、則未能如此也。於是以其所以責彼者自責於庸言庸行之閒。蓋不待求之於他、而吾之所以自脩之則具於此矣。今或不得其讀、而以父君兄之四字爲絶句、則於文意有所不通、而其義亦何所當哉。
【読み】
○曰、子臣弟友の絶句は何ぞや。曰く、夫子の意、蓋し曰う、我が子の己に事るに責むる所の者此の如くにして、己が父に事る所以に反り求むれば、則ち未だ此の如くなること能わず。臣の己に事るに責むる所の者此の如くにして、己が君に事る所以に反り求むれば、則ち未だ此の如くなること能わず。弟の己に事るに責むる所の者此の如くにして、己が兄に事る所以に反り求むれば、則ち未だ此の如くなること能わず。朋友の己に施すに責むる所の者此の如くにして、己が先ず彼に施す所以の者に反り求むれば、則ち未だ此の如くなること能わず。是に於て其の彼に責むる所以の者を以て自ら庸言庸行の閒に責む。蓋し之を他に求むることを待たずして、吾が自ら之を脩むる所以は則ち此に具わる。今或は其の讀むを得ずして、父君兄の四字を以て絶句とすれば、則ち文意に於て通ぜざる所有りて、其の義も亦何の當たる所あらんや。

○曰、諸說如何。曰、諸家說論語者多引此章以明一以貫之之義、說此章者又引論語以釋違道不遠之意。一矛一盾、終不相謀、而牽合不置。學者蓋深病之。及深考乎程子之言、有所謂動以天者、然後知二者之爲忠恕、其迹雖同、而所以爲忠恕者、其心實異。非其知德之深、知言之至、其孰能判然如此而無疑哉。然盡己推己、乃忠恕之所以名、而正爲此章違道不遠之事。若動以天、而一以貫之、則不待盡己而至誠者自無息、不待推己而萬物已各得其所矣。曾子之言、蓋指其不可名之妙、而借其可名之粗以明之。學者默識於言意之表、則亦足以互相發明、而不害其爲同也。餘說雖多、大概放此、推此意以觀之、則其爲得失、自可見矣。違道不遠、如齊師違穀七里之違。非背而去之謂。愚固已言之矣。諸說於此多所未合、則不察文義而強爲之說之過也。夫齊師違穀七里、而穀人不知、則非昔已在穀而今始去之也。蓋曰、自此而去以至於穀、纔七里耳。孟子所云夜氣不足以存、則其違禽獸不遠矣、非謂昔本禽獸而今始違之也。亦曰、自此而去以入於禽獸不遠耳。蓋所謂道者當然之理而已。根於人心而見諸行事。不待勉而能也。然惟盡己之心而推以及人、可以得其當然之實、而施無不當。不然、則求之愈遠而愈不近矣。此所以自是忠恕而往以至於道、獨爲不遠。其曰違者、非背而去之之謂也。程子又謂事上之道莫若忠、待下之道莫若恕。此則不可曉者。若姑以所重言之、則似亦不爲無理。若究其極、則忠之與恕初不相離。程子所謂要除一箇除不得、而謝氏以爲猶形影者意可見矣。今析爲二事而兩用之、則是果有無恕之忠、無忠之恕、而所以事上接下者皆出於強爲而不由乎中矣。豈忠恕之謂哉。是於程子他說殊不相似。意其記録之或誤。不然、則一時有爲言之、而非正爲忠恕發也。張子二說皆深得之。但虛者仁之原、忠恕與仁倶生之語、若未瑩耳。呂氏改本太略、不盡經意。舊本乃推張子之言而詳實有味。但柯猶在外以下爲未盡善。若易之、曰所謂則者猶在所執之柯、而不在所伐之柯、故執柯者必有睨視之勞、而猶以爲遠也、若夫以人治人、則異於是、蓋衆人之道止在衆人之身、若以其所及知者責其知、以其所能行者責其行、人改卽止不厚望焉、則不必睨視之勞、而所以治之之則、不遠於彼而得之矣、忠者、誠有是心而不自欺也、恕者、推待己之心以及人也、推其誠心以及於人、則其所以愛人之道、不遠於我而得之矣、至於事父事君事兄交友、皆以所求乎人者責乎己之所未能、則其所以治己之道亦不遠於心而得之矣、夫四者固皆衆人之所能、而聖人乃自謂未能者、亦曰、未能如其所以責人者耳、此見聖人之心純亦不已、而道之體用其大、天下莫能載、其小、天下莫能破、舜之所以盡事親之道必至乎瞽叟底豫者蓋爲此也、如此、然後屬乎庸者常道之云、則庶乎其無病矣。且其曰有餘而盡之、則道難繼而不行、又不若游氏所引恥躬不逮爲得其文意也。謝氏侯氏所論論語之忠恕、獨得程子之意。但程子所謂天地之不恕、亦曰、天地之化生生不窮。特以氣機闔闢有通有塞、故當其通也、天地變化草木蕃、則有似於恕、當其塞也、天地閉而賢人隱、則有似於不恕耳。其曰不恕、非若人之蔽於私欲而實有忮害之心也。謝氏推明其說、乃謂天地之有不恕、乃因人而然、則其說有未究者。蓋若以爲人不致中、則天地有時而不位、人不致和、則萬物有時而不育、是謂天地之氣因人之不恕而有似於不恕則可也。若曰天地因人之不恕而實有不恕之心、則是彼爲人者旣以忮心失恕而自絶於天矣、爲天地者反效其所爲以自已其於穆之命也。豈不誤哉。游氏之說其病尤多。至謂道無物我之閒而忠恕將以至於忘己忘物、則爲已違道而猶未遠也。是則老莊之遺意、而遠人甚矣。豈中庸之旨哉。楊氏又謂以人爲道、則與道二而遠於道、故戒人不可以爲道。如執柯以伐柯、則與柯二、故睨而視之、猶以爲遠、則其違經背理又有甚焉。使經而曰人而爲道則遠人、故君子不可以爲道、則其說信矣。今經文如此、而其說乃如彼。旣於文義有所不通、而推其意又將使道爲無用之物、人無入道之門、而聖人之敎人以爲道者、反爲誤人而有害於道。是安有此理哉。旣又曰自道言之則不可爲、自求仁言之則忠恕者莫近焉、則已自知其有所不通、而復爲是說以救之。然終亦矛盾而無所合。是皆流於異端之說。不但毫氂之差而已也。侯氏固多疎闊。其引顏子樂道之說、愚於論語已辨之矣。至於四者未能之說、獨以爲若止謂恕己以及人、則是聖人將使天下皆無父子君臣矣。此則諸家皆所不及。蓋近世果有不得其讀而輒爲之說曰、此君子以一己之難克而知天下皆可恕之人也。鳴呼、此非所謂將使天下皆無父子君臣者乎。侯氏之言於是乎驗矣。
【読み】
○曰く、諸說如何。曰く、諸家論語を說く者多く此の章を引いて以て一以て之を貫くの義を明かし、此の章を說く者も又論語を引いて以て道を違ること遠からずの意を釋く。一矛一盾、終に相謀らずして、牽合して置かず。學者蓋し深く之を病む。深く程子の言を考うるに及んで謂う所の動くに天を以てする者有り、然して後に二つの者の忠恕爲る、其の迹同じと雖も、而れども忠恕爲る所以の者は、其の心實に異なることを知る。其の德を知ることの深く、言を知ることの至れるに非ずんば、其れ孰か能く判然たること此の如くにして疑い無からんや。然れども己を盡くし己を推すは、乃ち忠恕の名づくる所以にして、正に此の章の道を違ること遠からざるの事と爲る。動くに天を以てして、一以て之を貫くが若きは、則ち己を盡くすことを待たずして至誠なる者自ら息むこと無く、己を推すことを待たずして萬物已に各々其の所を得。曾子の言は、蓋し其の名づく可からざるの妙を指して、其の名づく可きの粗を借りて以て之を明かせり。學者言意の表に默識せば、則ち亦以て互いに相發明するに足りて、其の同じと爲すことを害せず。餘說多しと雖も、大概此に放い、此の意を推して以て之を觀ば、則ち其の得失爲る自ずから見る可し。道を違ること遠からずは、齊の師穀を違ること七里の違るの如し。背いて之を去るの謂いに非ず。愚固より已に之を言う。諸說此に於て未だ合わざる所多きは、則ち文義を察せずして強いて之が說を爲すの過ちなり。夫れ齊の師穀を違ること七里にして、穀人知らざれば、則ち昔已に穀に在りて今始めて之を去るに非ず。蓋し曰う、此ごろよりして去りて以て穀に至ること、纔かに七里のみ。孟子云える所の夜氣以て存するに足らざれば則ち其の禽獸を違ること遠からずとは、昔本禽獸にして今始めて之を違ると謂うに非ず。亦曰う、此ごろよりして去りて以て禽獸に入ること遠からざるのみ。蓋し謂う所の道とは當然の理なるのみ。人心に根ざして行事に見る。勉むることを待たずして能くす。然るに惟己が心を盡くして推して以て人に及ぼさば、以て其の當然の實を得て、施すこと當たらざること無かる可し。然らざれば、則ち之を求むること愈々遠くして愈々近からず。此れ是の忠恕よりして往いて以て道に至る所以は、獨遠からずとするのみ。其の違ると曰うは、背いて之を去るの謂いに非ず。程子又上に事るの道は忠に若くは莫く、下を待つの道は恕に若くは莫しと謂えり。此れ則ち曉る可からざる者ならんか。若し姑く重き所を以て之を言わば、則ち理無しとせざるに似たり。若し其の極を究むれば、則ち忠は恕と初めより相離れず。程子の謂う所の一箇を除かんと要むれども除くことを得ずして、謝氏以て猶形影のごとしとする者の意見る可し。今析けて二事として兩つに之を用うれば、則ち是れ果たして恕無きの忠、忠無きの恕有りて、上に事え下に接わる所以の者皆強いて爲に出でて中に由らず。豈忠恕の謂いならんや。是れ程子の他說に於て殊に相似せず。意うに其れ記録の或は誤りならん。然らずんば、則ち一時之を言いて爲にすること有りて、正に忠恕の爲に發せるに非ず。張子の二說は皆深く之を得たり。但虛は仁の原、忠恕は仁と倶に生まるの語は、未だ瑩けざるが若きのみ。呂氏が改本は太だ略にして、經意を盡くさず。舊本は乃ち張子の言を推して詳實にして味有り。但柯は猶外に在るより以下は未だ善を盡くさずとす。若し之を易えて、謂う所の則は猶執る所の柯に在りて、伐る所の柯に在らず、故に柯を執る者は必ず睨視の勞有りて、猶以て遠しと爲す、夫の人を以て人を治むるが若きは、則ち是に異なり、蓋し衆人の道は止衆人の身に在り、若し其の知るに及ぶ所の者を以て其の知ることを責め、其の能く行う所の者を以て其の行わんことを責め、人改むれば卽ち止めて厚く望まざれば、則ち必ずしも睨視の勞あらずして、之を治むる所以の則、彼に遠からずして之を得、忠は、誠に是の心有りて自ら欺かず。恕は、己を待つの心を推して以て人に及ぼす、其の誠心を推して以て人に及ぼせば、則ち其の人を愛する所以の道、我に遠からずして之を得、父に事え君に事え兄に事え友に交わるに至るまで、皆人に求むる所の者を以て己が未だ能くせざる所に責むれば、則ち其の己を治むる所以の道も亦心に遠からずして之を得、夫れ四つの者は固より皆衆人の能くする所にして、聖人乃ち自ら未だ能くせざると謂える者は、亦曰う、未だ其の人を責むる所以の者の如きこと能わざるのみ、此れ聖人の心純も亦已まずして、道の體用其の大なる、天下能く載すること莫く、其の小なる、天下能く破ること莫きことを見る、舜の親に事るの道を盡くして必ず瞽叟豫びを底すに至れる所以の者は蓋し此が爲かと曰い、此の如くにして、然して後に庸は常道の云いに屬せば、則ち其の病無きに庶からん。且つ其の餘り有りて之を盡くせば、則ち道繼ぎ難くして行われずと曰えるは、又游氏引く所の躬の逮ばざらんことを恥ずるが其の文意を得たりとするに若かず。謝氏侯氏論ずる所の論語の忠恕は、獨り程子の意を得たり。但程子の謂う所の天地の不恕も、亦曰う、天地の化生生して窮まわず、と。特に氣機闔闢通有り塞有るを以て、故に其の通るに當たりてや、天地變化し草木蕃るは、則ち恕に似たること有り、其の塞がるに當たりてや、天地閉じて賢人隱るは、則ち不恕に似たること有るのみ。其の不恕と曰えるは、人の私欲に蔽われて實に忮害の心有るが若きには非ず。謝氏其の說を推し明かしめて、乃ち天地の不恕有るは、乃ち人に因りて然ると謂えるは、則ち其の說未だ究まらざる者有り。蓋し若し以て人中を致めざれば、則ち天地時有りて位せず、人和を致めざれば、則ち萬物時有りて育われず、是れ天地の氣人の不恕に因りて不恕に似たること有りと謂うとするは則ち可なり。若し天地人の不恕に因りて實に不恕の心有りと曰わば、則ち是れ彼の人爲る者旣に忮心を以て恕を失いて自ら天に絶ち、天地爲る者反って其のする所に效いて以て自ら其の於 [ああ]穆たるの命を已む。豈誤らざらんや。游氏の說其の病尤も多し。道は物我の閒て無くして忠恕は將に以て己を忘れ物を忘るに至らんとすれば、則ち已に道を違りて猶未だ遠からずとすと謂うに至る。是れ則ち老莊の遺意にして、人に遠きこと甚だし。豈中庸の旨ならんや。楊氏又人を以て道をすれば、則ち道と二つにして道に遠し、故に人以て道をす可からざることを戒む。柯を執りて以て柯を伐るが如きは、則ち柯と二つなり、故に睨て之を視、猶以て遠しとすと謂えるは、則ち其の經に違い理に背くこと又甚だしきこと有り。經にして人をして道をすれば則ち人に遠し、故に君子は以て道をす可からずと曰うは、則ち其の說信なり。今經文此の如くにして、其の說乃ち彼が如し。旣に文義に於て通ぜざる所有りて、其の意を推すに又將に道をして無用の物とし、人道に入るの門無くして、聖人の人を敎えて以て道をするは、反って人を誤まらせて道に害有ることをせしめんとす。是れ安んぞ此の理有らんや。旣に又道より之を言わば則ちす可からず、仁を求むるより之を言わば則ち忠恕は焉より近きは莫しと曰えるは、則ち已に自ら其の通ぜざる所有ることを知りて、復是の說を爲して以て之を救う。然れども終に亦矛盾して合う所無し。是れ皆異端の說に流る。但毫氂の差いのみにあらず。侯氏固より疎闊多し。其の顏子道を樂しむの說を引ける、愚論語に於て已に之を辨ず。四つの者未だ能くせずの說に至りては、獨り以爲えり、若し止己を恕しめて以て人に及ぼすと謂わば、則ち是れ聖人將に天下をして皆父子君臣無からしめんとす、と。此れ則ち諸家皆及ばざる所なり。蓋し近世果たして其の讀むを得ざること有りて輒く之が說を爲して曰う、此れ君子一己の克ち難きを以て天下皆恕 [めぐ]む可きの人を知る、と。鳴呼、此れ謂う所の將に天下をして皆父子君臣無からしめんとする者に非ずや。侯氏の言是に於て驗あり。


或問十四章之說。曰、此章文義無可疑者、而張子所謂當知無天下國下皆非之理者尤爲切至。呂氏說雖不免時有小失、然其大體則皆平正愨實而有餘味也。游氏說亦條暢、而存亡得喪、窮通好醜之說尤善。但楊氏以反身而誠爲不願乎外、則本文之意初未及此、而詭遇得禽、亦非行險僥倖之謂也。侯氏所辨常緫默識自得之說甚當。近世佛者妄以吾言傳著其說、而指意乖刺。如此類者多矣。甚可笑也。但侯氏所以自爲說者却有未善。若曰識者知其理之如此而已、得者無所不足於吾心而已、則豈不明白眞實而足以服其心乎。
【読み】
或ひと十四章の說を問う。曰く、此の章の文義疑う可き者無くして、張子謂う所の當に天下國下皆非なるの理無きことを知るべきは尤も切至なりとす。呂氏が說は時に小失有ることを免れずと雖も、然れども其の大體は則ち皆平正愨實にして餘味有り。游氏が說も亦條暢して、存亡得喪、窮通好醜の說尤も善し。但楊氏身に反りて誠なるを以て外を願わずとするは、則ち本文の意初めより未だ此に及ばずして、詭遇して禽を得るも、亦險を行いて倖を僥 [もと]むるの謂に非ず。侯氏辨ずる所の常緫が默識自得の說甚だ當たれり。近世佛者妄りに吾が言を以て其の說に傳著して、指意乖刺す。此の類の如き者多し。甚だ笑う可し。但侯氏自ら說を爲す所以の者は却って未だ善からざること有り。若し識る者は其の理の此の如くなることを知るのみ、得る者は吾が心に足らざる所無きのみと曰わば、則ち豈明白眞實にして以て其の心を服するに足らざらんや。


或問十五章之說。曰、章首二句承上章而言。道雖無所不在、而其進之則有序也。其下引詩與夫子之言、乃指一事以明之。非以二句之義爲止於此也。諸說惟呂氏爲詳實。然亦不察此而反以章首二言發明引詩之意、則失之矣。
【読み】
或ひと十五章の說を問う。曰く、章首の二句は上章を承けて言う。道在らざる所無しと雖も、而れども其の之に進むことは則ち序有り。其の下詩と夫子の言とを引けるは、乃ち一事を指して以て之を明かせり。二句の義を以て此に止まるとするに非ず。諸說惟呂氏を詳實なりとす。然れども亦此を察せずして反って章首の二言を以て詩を引けるの意を發明するは、則ち之を失えり。


或問、鬼神之說、其詳奈何。曰、鬼神之義、孔子所以告宰予者、見於祭義之篇。其說已詳、而鄭氏釋之亦已明矣。其以口鼻之嘘吸者爲魂、耳目之精明者爲魄。蓋指血氣之類以明之。程子張子更以陰陽造化爲說、則其意又廣、而天地萬物之屈伸往來皆在其中矣。蓋陽魂爲神、陰魄爲鬼、是以其在人也、陰陽合、則魄凝魂聚而有生。陰陽判、則魂升爲神、魄降爲鬼。易大傳所謂精氣爲物、游魂爲變、故知鬼神之情状者、正以明此。而書所謂徂落者、亦以其升降爲言耳。若又以其往來者言之、則來者方伸而爲神、往者旣屈而爲鬼。蓋二氣之分、實一氣之運。故陽主伸、陰主屈、而錯綜以言、亦各得其義焉。學者熟玩而精察之、如謝氏所謂做題目入思議者、則庶乎有以識之矣。曰、諸說如何。曰、呂氏推本張子之說、尤爲詳備。但改本有所屈者不亡一句。乃形潰反原之意。張子他書亦有是說、而程子數辨其非。東見録中所謂不必以旣反之氣復爲方伸之氣者、其類可考也。謝氏說則善矣。但歸根之云、似亦微有反原之累耳。游楊之說皆有不可曉者。惟妙萬物而無不在一語近是。而以其他語考之、不知其於是理之實果何如也。侯氏曰、鬼神形而下者、非誠也。鬼神之德、則誠也。按經文本贊鬼神之德之盛如下文所云、而結之曰誠之不可揜如此、則是以爲、鬼神之德所以盛者、蓋以其誠耳。非以誠自爲一物、而別爲鬼神之德也。今侯氏乃析鬼神與其德爲二物、而以形而上下言之、乍讀如可喜者、而細以經文事理求之、則失之遠矣。程子所謂只好隔壁聽者、其謂此類矣夫。曰、子之以幹事明體物何也。曰、天下之物、莫非鬼神之所爲也。故鬼神爲物之體、而物無不待是而有者。然曰爲物之體、則物先乎氣。必曰體物、然後見其氣先乎物而言順耳。幹、猶木之有幹。必先有此而後枝葉有所附而生焉。貞之幹事、亦猶是也。
【読み】
或ひと問う、鬼神の說、其の詳なること奈何。曰く、鬼神の義、孔子の宰予に告ぐる所以の者は、祭義の篇に見えたり。其の說已に詳らかにして、鄭氏之を釋くこと亦已に明らかなり。其れ口鼻の嘘吸する者を以て魂とし、耳目の精明なる者を魄とす。蓋し血氣の類を指して以て之を明かす。程子張子更に陰陽造化を以て說を爲せるは、則ち其の意又廣くして、天地萬物の屈伸往來も皆其の中に在り。蓋し陽魂を神とし、陰魄を鬼とし、是を以て其の人に在るや、陰陽合えば、則ち魄凝り魂聚まりて生ずること有り。陰陽判れば、則ち魂升りて神と爲り、魄降りて鬼と爲る。易の大傳に謂う所の精氣物を爲し、游魂變を爲す、故に鬼神之情状を知るとは、正に以て此を明かせり。而して書に謂う所の徂落とは、亦其の升降を以て言を爲せるのみ。若し又其の往來する者を以て之を言えば、則ち來る者は方に伸びて神と爲り、往く者は旣に屈んで鬼と爲る。蓋し二氣の分は、實に一氣の運。故に陽は伸ぶることを主り、陰は屈むことを主りて、錯綜して以て言うも、亦各々其の義を得。學者熟く玩んで精しく之を察し、謝氏が謂う所の題目を做 [つく]りて思議に入る者の如くすれば、則ち以て之を識ること有るに庶からん。曰く、諸說如何。曰く、呂氏は張子の說に推し本づける、尤も詳備爲り。但改本に屈む所の者亡びずの一句有り。乃ち形潰れて原に反るの意なり。張子の他書にも亦是の說有りて、程子數々其の非を辨ぜり。東見録の中に謂う所の必ずしも旣に反るの氣を以て復方に伸びる氣とせざるは、其の類考う可し。謝氏が說は則善し。但根に歸るの云いは、亦微しく原に反るの累い有るに似たるのみ。游楊の說は皆曉る可からざる者有り。惟萬物に妙にして在らざること無しの一語は是に近し。而れども其の他語を以て之を考うるに、其の是の理の實に於て果たして何如なることを知らず。侯氏が曰う、鬼神は形よりして下なる者にて、誠に非ず。鬼神の德は、則ち誠なり、と。經文を按ずるに本鬼神の德の盛んなるを贊せること下文に云う所の如くにして、之を結んで誠の揜う可からざること此の如しと曰えるは、則ち是れ以爲えり、鬼神の德の盛んなる所以の者は、蓋し其の誠を以てのみ。誠を以て自ら一物として、別に鬼神の德とするに非ず。今侯氏乃ち鬼神と其の德とを析けて二物として、形よりして上下を以て之を言えるは、乍ち讀んで喜ぶ可き者の如くにして、細かに經文事理を以て之を求むれば、則ち之を失うこと遠し。程子の謂う所の只壁を隔てて聽くに好しとは、其れ此の類を謂えるかな。曰く、子の事に幹たるを以て物に體するを明かすは何ぞや。曰く、天下の物、鬼神のする所に非ざること莫し。故に鬼神は物の體と爲りて、物是を待たずして有る者無し。然るに物の體と爲ると曰えば、則ち物は氣に先だつ。必ず物に體すと曰いて、然して後に其の氣の物に先だつことを見て言順うのみ。幹とは、猶木の幹有るがごとし。必ず先ず此れ有りて而して後に枝葉附く所有りて生る。貞の事に幹たるも、亦猶是のごとし。


或問十七章之說。曰、程子・張子・呂氏之說備矣。楊氏所辨孔子不受命之意、則亦程子所謂非常理者盡之。而侯氏所推以謂舜得其常而孔子不得其常者、尤明白也。至於顏跖壽夭之不齊、則亦不得其常而已。楊氏乃忘其所以論孔子之意、而更援老聃之言、以爲顏子雖夭、而不亡者存、則反爲衍說而非吾儒之所宜言矣。且其所謂不亡者、果何物哉。若曰天命之性、則是古今聖愚公共之物、而非顏子所能專、若曰氣散而其精神魂魄猶有存者、則是物而不化之意、猶有滯於冥漠之閒、尤非所以語顏子也。侯氏所謂孔子不得其常者善矣。然又以爲天於孔子固已培之、則不免有自相矛盾處。蓋德爲聖人者、固孔子之所以爲栽者也。至於祿也、位也、壽也、則天之所當以培乎孔子者、而以適丁氣數之衰、是以雖欲培之、而有所不能及爾。是亦所謂不得其常者。何假復爲異說以汨之哉。
【読み】
或ひと十七章の說を問う。曰く、程子・張子・呂氏の說備われり。楊氏辨ずる所の孔子命を受けざるの意は、則ち亦程子の謂う所の常理に非ざる者之を盡くせり。而して侯氏推して以て舜は其の常を得て孔子は其の常を得ずと謂える所の者、尤も明白なり。顏跖が壽夭の齊しからざるに至りては、則ち亦其の常を得ざるのみ。楊氏乃ち其の孔子を論ずる所以の意を忘れて、更に老聃の言を援 [ひ]いて、以て顏子夭と雖も、而れども亡びざる者存すとするは、則ち反って衍說を爲して吾が儒の宜しく言うべき所に非ず。且つ其の謂う所の亡びざる者は、果たして何物ぞ。若し天命の性と曰わば、則ち是れ古今聖愚公共の物にして、顏子能く專らにする所に非ず、若し氣散じて其の精神魂魄猶存する者有りと曰わば、則ち是れ物にして化せざるの意、猶冥漠の閒に滯ること有り、尤も顏子を語る所以に非ず。侯氏が謂う所の孔子は其の常を得ざる者とは善し。然れども又以て天、孔子に於ては固より已に之を培うとするは、則ち自ら相矛盾する處有ることを免れず。蓋し德の聖人爲る者は、固より孔子の栽えることをする所以の者なり。祿、位、壽に至りては、則ち天の當に以て孔子に培うべき所の者にして、適々氣數の衰うるに丁 [あた]るを以て、是を以て之を培わんと欲すと雖も、而れども及ぶこと能わざる所有るのみ。是れ亦謂う所の其の常を得ざる者なり。何ぞ復異說を爲して以て之を汨[みだ]ることを假らんや。


或問十八十九章之說。曰、呂氏楊氏之說於禮之節文度數詳矣。其閒有不同者。讀者詳之可也。游氏引泰誓武成以爲文王未嘗稱王之證、深有補於名敎。然歐陽蘇氏之書、亦已有是說矣。郊禘呂游不同。然合而觀之、亦表裏之說也。
【読み】
或ひと十八十九章の說を問う。曰く、呂氏楊氏の說は禮の節文度數に於て詳らかなり。其の閒同じからざる者有り。讀む者之を詳らかにして可なり。游氏泰誓武成を引いて以て文王未だ嘗て王と稱せざるの證とするは、深く名敎に補い有り。然るに歐陽蘇氏の書にも、亦已に是の說有り。郊禘は呂游同じからず。然れども合わせて之を觀るに、亦表裏の說なり。

○曰、昭穆之昭、世讀爲韶。今從本字何也。曰、昭之爲言明也。以其南面而向明也。其讀爲韶、先儒以爲、晉避諱而改之。然禮書亦有作佋字者、則假借而通用耳。曰、其爲向明何也。曰、此不可以空言曉也。今且假設諸侯之廟以明之。蓋周禮建國之神位左宗廟、則五廟皆當在公宮之東南矣。其制則孫毓以爲、外爲都宮、太祖在北、二昭二穆以次而南。是也。蓋太祖之廟、始封之君居之、昭之北廟、二世之君居之、穆之北廟、三世之君居之、昭之南廟、四世之君居之、穆之南廟、五世之君居之。廟皆南向、各有門堂寢室而牆宇四周焉。太祖之廟百世不遷。自餘四廟、則六世之後、每一易世而一遷。其遷之也、新主祔于其班之南廟。南廟之主遷於北廟。北廟親盡則遷其主于太廟之西夾室、而謂之祧。凡廟主在本廟之室中皆東向。及其袷于太廟之室中、則惟太祖東向自如、而爲最尊之位。羣昭之入乎此者、皆列於北牖下而南向。羣穆之入乎此者、皆列於南牖下而北向。南向者取其向明。故謂之昭。北向者取其深遠。故謂之穆。蓋羣廟之列、則左爲昭而右爲穆。袷祭之位、則北爲昭而南爲穆也。曰、六世之後、二世之主旣祧、則三世爲昭而四世爲穆、五世爲昭而六世爲穆乎。曰、不然也。昭常爲昭。穆常爲穆。禮家之說有明文矣。蓋二世祧、則四世遷昭之北廟、六世祔昭之南廟矣。三世祧、則五世遷穆之北廟、七世祔穆之南廟矣。昭者祔、則穆者不遷。穆者祔、則昭者不動。此所以祔必以班、尸必以孫、而子孫之列亦以爲序。若武王謂文王爲穆考、成王稱武王爲昭考、則自其始祔而已然。而春秋傳以管・蔡・郕・霍爲文之昭、邗・晉・應・韓爲武之穆、則雖其旣遠、而猶不易也。豈其交錯彼此若是之紛紛哉。曰、廟之始立也、二世昭而三世穆、四世昭而五世穆、則固當以左爲尊而右爲卑矣。今乃三世穆而四世昭、五世穆而六世昭。是則右反爲尊而左反爲卑矣。而可乎。曰、不然也。宗廟之制、但以左右爲昭穆、而不以昭穆爲尊卑。故五廟同爲都宮、則昭常在左、穆常在右、而外有以不失其序。一世自爲一廟、則昭不見穆、穆不見昭、而内有以各全其尊。必大袷而會於一室、然後序其尊卑之次、則凡已毀未毀之主、又畢陳而無所易。惟四時之袷不陳毀廟之主、則髙祖有時而在穆、其禮未有考焉。意或如此、則髙之上無昭而特設位於祖之西、禰之下無穆而特設位於曾之東也與。曰、然則毀廟云者、何也。曰、春秋傳曰、壞廟之道、易檐可也。改塗可也。說者以爲、將納新主示有所加耳。非盡撤而悉去之也。曰、然則天子之廟、其制若何。曰、唐之文祖、虞之神宗、商之七世三宗、其詳今不可考。獨周制猶有可言。然而漢儒之記又已有不同矣。謂后稷始封、文武受命而王、故三廟不毀、與親廟四而已者、諸儒之說也。謂三昭三穆與太祖之廟而七、文武爲宗不在數中者、劉歆之說也。雖其數之不同、然其位置遷次宜亦與諸侯之廟無甚異者。但如諸儒之說、則武王初有天下之時、后稷爲太祖、而組紺居昭之北廟、太王居穆之北廟、王季居昭之南廟、文王居穆之南廟。猶爲五廟而已。至成王時、則組紺祧、王季遷、而武王祔。至康王時、則太王祧、文王遷、而成王祔。至昭王時、則王季祧、武王遷、而康王祔。自此以上亦皆且爲五廟、而祧者藏于太祖之廟。至穆王時、則文王親盡當祧、而以有功當宗、故別立一廟於西北而謂之文世室。於是成王遷、昭王祔、而爲六廟矣。至共王時、則武王親盡當祧、而亦以有功當宗、故別立一廟於東北謂之武世室。於是康王遷、穆王祔、而爲七廟。自是以後、則穆之祧者藏於文世室、昭之祧者藏於武世室、而不復藏於太廟矣。如劉歆之說、則周自武王克商、卽增立二廟於二昭二穆之上、以祀髙圉亞圉、如前逓遷、至于懿王而始立文世室於三穆之上、至孝王時始立武世室於二昭之上。此爲少不同耳。曰、然則諸儒與劉歆之說孰爲是。曰、前代說者多是劉歆。愚亦意其或然也。曰、祖功宗德之說尙矣。而程子獨以爲、如此則是爲子孫者得擇其先祖而祭之也。子亦嘗考之乎。曰、商之三宗、周之世室、見於經典皆有明文。而功德有無之實、天下後世自有公論。若必以此爲嫌、則秦政之惡夫子議父、臣議君、而除謚法者、不爲過矣。且程子晩年嘗論本朝廟制、亦謂、太祖太宗皆當爲百世不遷之廟。以此而推、則知前說若非記者之誤、則或出於一時之言、而未必其終身之定論也。曰、然則大夫士之制奈何。曰、大夫三廟、則視諸侯而殺其二。然其太祖昭穆之位猶諸侯也。適士二廟、則視大夫而殺其一。官師一廟、則視大夫而殺其二。然其門堂寢室之備猶大夫也。曰、廟之爲數降殺以兩、而其制不降何也。曰、降也。天子之山節藻梲、複廟重檐、諸侯固有所不得爲者矣。諸侯之黝堊斲礱、大夫有不得爲矣。大夫之倉楹斲桷、士又不得爲矣。曷爲而不降哉。獨門堂寢室之合、然後可名於官、則其制有不得而殺耳。蓋由命士以上、父子皆異宮。生也異宮、而死不得異廟、則有不得盡其事生事存之心者。是以不得而降也。曰、然則後世公私之廟、皆爲同堂異室、而以西爲上者何也。曰、由漢明帝始也。夫漢之爲禮略矣。然其始也、諸帝之廟皆自營之、各爲一處。雖其都宮之制、昭穆之位、不復如古、然猶不失其獨專一廟之尊也。至於明帝不知禮義之正、而務爲抑損之私、遺詔藏主於光烈皇后更衣別室、而其臣子不敢有加焉。魏晉循之遂不能革、而先王宗廟之禮始盡廢矣。降及近世、諸侯無國、大夫無邑、則雖同堂異室之制猶不能備、獨天子之尊可以無所不致。顧乃梏於漢明非禮之禮、而不得以致其備物之孝。蓋其別爲一室、則深廣之度或不足以陳鼎俎、而其合爲一廟、則所以尊其太祖者旣褻而不嚴、所以事其親廟者又厭而不尊。是皆無以盡其事生事存之心、而當世宗廟之禮亦爲虛文矣。宗廟之禮旣爲虛文、而事生事存之心有終不能以自已者、於是原廟之儀不得不盛。然亦至于我朝而後都宮別殿、前門後寢、始略如古者宗廟之制。是其沿襲之變、不惟窮郷賤士有不得聞、而自南渡之後、故都淪沒、權宜草創、無復舊章、則雖朝廷之上、禮官・博士・老師・宿儒亦莫有能知其原者。幸而或有一二知經學古之人、乃能私議而竊歎之。然於前世、則徒知譏孝惠之飾非、責叔孫通之舞禮、而於孝明之亂命、與其臣子之苟從、則未有正其罪者。於今之世、則又徒知論其惑異端徇流俗之爲陋、而不知本其事生事存之心、有不得伸於宗廟者。是以不能不自致於此也、抑嘗觀於陸佃之議、而知神祖之嘗有意於此矣。然而考於史籍、則未見其有紀焉。若曰未及營表故不得書、則後日之秉史筆者卽前日承詔討論之臣也。所宜深探遺旨、特書緫叙以昭示來世、而略無一詞以及之。豈天未欲使斯人者復見二帝三王制作之盛、故尼其事而嗇其傳耶。鳴呼、惜哉。然陸氏所定昭穆之次、又與前說不同。而張琥之議、庶幾近之。讀者更詳考之、則當知所擇矣。
【読み】
○曰く、昭穆の昭は、世々讀んで韶とす。今本字に從うは何ぞや。曰く、昭の言爲るは明なり。其の南面して明に向かうを以てなり。其の讀んで韶とするは、先儒以爲えらく、晉諱を避けて之を改む、と。然るに禮書にも亦佋の字に作る者有れば、則ち假借して通用するのみ。曰く、其の明に向かうとするは何ぞや。曰く、此れ空言を以て曉かす可からず。今且つ假に諸侯の廟を設けて以て之を明かさん。蓋し周禮に國の神位を建つるに宗廟を左にすれば、則ち五廟は皆當に公宮の東南に在るべし。其の制は則ち孫毓以爲えらく、外を都宮とし、太祖北に在り、二昭二穆次を以て南す、と。是れなり。蓋し太祖の廟には、始封の君之に居り、昭の北廟には、二世の君之に居り、穆の北廟には、三世の君之に居り、昭の南廟には、四世の君之に居り、穆の南廟には、五世の君之に居る。廟は皆南に向かい、各々門堂寢室有りて牆宇四に周る。太祖の廟は百世遷さず。自餘の四廟は、則ち六世の後、一たび世を易うる每にして一たび遷す。其の之を遷すことや、新主其の班の南廟に祔す。南廟の主は北廟に遷す。北廟親盡きれば則ち其の主を太廟の西夾室に遷して、之を祧と謂う。凡そ廟の主は本廟の室中に在りて皆東に向かう。其の太廟の室中に袷するに及んでは、則ち惟太祖は東に向かうこと自如として、最尊の位爲り。羣昭の此に入る者は、皆北牖の下に列なりて南に向かう。羣穆の此に入る者は、皆南牖の下に列なりて北に向かう。南に向かう者は其の明に向かうに取る。故に之を昭と謂う。北に向かう者は其の深遠に取る。故に之を穆と謂う。蓋し羣廟の列は、則ち左を昭として右を穆とす。袷祭の位は、則ち北を昭として南を穆とす。曰く、六世の後、二世の主旣に祧すれば、則ち三世昭と爲りて四世穆と爲り、五世昭と爲りて六世穆と爲るか。曰く、然らず。昭は常に昭爲り。穆は常に穆爲り。禮家の說に明文有り。蓋し二世祧すれば、則ち四世昭の北廟に遷し、六世昭の南廟に祔す。三世祧すれば、則ち五世穆の北廟に遷し、七世穆の南廟に祔す。昭者祔すれば、則ち穆者遷らず。穆者祔すれば、則ち昭者動かず。此れ祔は必ず班を以てし、尸は必ず孫を以てする所以にして、子孫の列も亦以て序を爲す。武王文王を謂いて穆考とし、成王武王を稱して昭考とするが若きは、則ち其の始めて祔せるよりして已に然り。而して春秋傳に管・蔡・郕・霍を以て文の昭とし、邗・晉・應・韓を武の穆とすれば、則ち其の旣に遠しと雖も、而れども猶易わらざればなり。豈に其の交錯彼此是の若く紛紛たらんや。曰く、廟の始めて立つや、二世昭にして三世穆、四世昭にして五世穆なれば、則ち固より當に左を以て尊として右を卑とす。今乃ち三世穆にして四世昭、五世穆にして六世昭なり。是れ則ち右反って尊と爲りて左反って卑と爲る。而して可ならんや。曰く、然らず。宗廟の制は、但左右を以て昭穆として、昭穆を以て尊卑とせず。故に五廟同じく都宮とすれば、則ち昭は常に左に在り、穆は常に右に在りて、外以て其の序を失わざること有り。一世自ら一廟とすれば、則ち昭は穆を見ず、穆は昭を見ずして、内以て各々其の尊を全くすること有り。必ず大袷して一室に會して、然して後に其の尊卑の次を序ずれば、則ち凡そ已に毀ち未だ毀たざるの主、又畢くに陳ねて易わる所無し。惟四時の袷は毀廟の主を陳ねざれば、則ち髙祖時有りて穆に在り、其の禮未だ考うること有らず。意うに或は此の如くなれば、則ち髙の上に昭無くして特に位を祖の西に設け、禰の下に穆無くして特に位を曾の東に設くるか。曰く、然らば則ち毀廟と云う者は、何ぞや。曰く、春秋傳に曰く、廟を壞つの道は、檐を易えて可なり。塗りを改めて可なり、と。說く者以爲えらく、將に新主を納めんとするに加うる所有ることを示すのみ、と。盡く撤して悉く之を去つるに非ず。曰く、然らば則ち天子の廟、其の制若何。曰く、唐の文祖、虞の神宗、商の七世三宗、其の詳らかなること今考う可からず。獨周の制は猶言う可き有り。然して漢儒の記も又已に同じからざること有り。后稷は始封、文武は命を受けて王たり、故に三廟毀たず、親廟と四つのみと謂う者は、諸儒の說なり。三昭三穆と太祖の廟とにして七つ、文武を宗として數の中に在らずと謂う者は、劉歆の說なり。其の數同じからずと雖も、然れども其の位置遷次は宜しく亦諸侯の廟と甚だ異なる者無かるべし。但諸儒の說の如くなれば、則ち武王初めて天下を有つの時、后稷を太祖として、組紺は昭の北廟に居り、太王は穆の北廟に居り、王季は昭の南廟に居り、文王は穆の南廟に居る。猶五廟爲るのみ。成王の時に至りては、則ち組紺祧し、王季遷して、武王祔す。康王の時に至りては、則ち太王祧し、文王遷して、成王祔す。昭王の時に至りては、則ち王季祧し、武王遷して、康王祔す。此より以上も亦皆且つ五廟と爲して、祧する者は太祖の廟に藏む。穆王の時に至りては、則ち文王親盡きて當に祧すべくして、功有りて當に宗とすべきを以て、故に別に一廟を西北に立てて之を文の世室と謂う。是に於て成王遷し、昭王祔して、六廟と爲る。共王の時に至りては、則ち武王親盡きて當に祧すべくして、亦功有りて當に宗すべきを以て、故に別に一廟を東北に立てて之を武の世室と謂う。是に於て康王遷し、穆王祔して、七廟と爲る。是より以後は、則ち穆の祧する者は文の世室に藏め、昭の祧する者は武の世室に藏めて、復太廟に藏めず。劉歆の說の如くなれば、則ち周は武王の商に克ちしより、卽ち二廟を二昭二穆の上に增立して、以て髙圉亞圉を祀り、前の如く逓 [たが]いに遷し、懿王に至りて始めて文の世室を三穆の上に立て、孝王の時に至りて始めて武の世室を二昭の上に立つ。此れ少しく同じからずとするのみ。曰く、然らば則ち諸儒と劉歆の說と孰れか是とす。曰く、前代說く者多く劉歆を是とす。愚も亦意うに其れ或は然らん。曰く、祖功宗德の說尙し。而して程子獨り以爲えらく、此の如くなれば、則ち是れ子孫爲る者其先祖を擇びて之を祭ることを得、と。子も亦嘗て之を考うるか。曰く、商の三宗、周の世室、經典に見えて皆明文有り。而して功德の有無の實は、天下後世自ずから公論有り。若し必ず此を以て嫌することをせば、則ち秦政の夫の子父を議り、臣君を議ることを惡みて、謚法を除く者は、過まりたりとせず。且つ程子晩年に嘗て本朝の廟制を論ずるに、亦謂えり、太祖太宗は皆當に百世遷さざるの廟とすべし、と。此を以て推せば、則ち前說は若し記者の誤りに非ずんば、則ち或は一時の言に出でて、未だ必ずしも其の終身の定論にあらざるを知る。曰く、然らば則ち大夫士の制は奈何。曰く、大夫三廟は、則ち諸侯に視えて其の二を殺く。然るに其の太祖昭穆の位は猶諸侯のごとし。適士二廟は、則ち大夫に視えて其の一を殺く。官師一廟は、則ち大夫に視えて其の二を殺く。然るに其の門堂寢室の備えは猶大夫のごとし。曰く、廟の數爲る降殺兩つを以て、其の制降さざるは何ぞや。曰く、降すなり。天子の山節藻梲、複廟重檐は、諸侯固よりすることを得ざる所の者有り。諸侯の黝堊斲礱は、大夫することを得ざること有り。大夫の倉楹斲桷は、士又することを得ず。曷爲れぞ降さざらんや。獨門堂寢室合いて、然して後に官に名づく可ければ、則ち其の制得て殺かざること有るのみ。蓋し命士由り以上は、父子皆宮を異にす。生まるるや宮を異にして、死して廟を異にすることを得ざれば、則ち其の生に事え存に事えるの心を盡くすことを得ざる者有り。是を以て得て降さず。曰く、然らば則ち後世公私の廟は、皆同堂異室を爲して、西を以て上とする者は何ぞや。曰く、漢の明帝由り始まれり。夫れ漢の禮爲る略せり。然るに其の始めや、諸帝の廟は皆自ら之を營みて、各々一處とす。其の都宮の制、昭穆の位は、復古の如くならずと雖も、然れども猶其の獨り一廟の尊を專らにすることを失わず。明帝に至りて禮義の正しきを知らずして、務めて抑損の私を爲し、遺詔して主を光烈皇后の更衣の別室に藏めて、其の臣子敢えて加わること有らず。魏晉之に循い遂に革むること能わずして、先王宗廟の禮始めて盡く廢す。降りて近世に及んで、諸侯に國無く、大夫に邑無くんば、則ち同堂異室の制と雖も猶備わること能わず、獨り天子の尊のみ以て致さざる所無かる可し。顧みて乃ち漢明非禮の禮に梏して、以て其の物に備わるの孝を致すことを得ず。蓋し其の別に一室を爲れば、則ち深廣の度或は以て鼎俎を陳ぬるに足らずして、其の合わせて一廟とすれば、則ち其の太祖を尊ぶ所以の者旣に褻れて嚴ならず、其の親廟に事る所以の者も又厭されて尊からず。是れ皆以て其の生に事え存に事える心を盡くすこと無くして、當世宗廟の禮も亦虛文と爲る。宗廟の禮旣に虛文と爲りて、生に事え存に事えるの心終に以て自ずから已むこと能わざる者有り、是に於て原廟の儀盛んならざることを得ず。然れども亦我が朝に至りて後に都宮別殿、前門後寢、始めて略古の宗廟の制の如し。是れ其の沿襲の變、惟窮郷賤士聞くことを得ざること有るのみにあらずして、南渡よりの後、故都淪沒し、權宜の草創、復舊章無ければ、則ち朝廷の上、禮官・博士・老師・宿儒と雖も亦能く其の原を知ること有る者莫し。幸いにして或は一二經を知り古を學ぶ人有りて、乃ち能く私に議して竊かに之を歎ず。然れども前世に於ては、則ち徒に孝惠の非を飾ることを譏り、叔孫通が禮を舞すことを責めることを知りて、孝明の亂命と、其の臣子の苟も從うとに於ては、則ち未だ其の罪を正す者有らず。今の世に於ては、則ち又徒に其の異端に惑い流俗に徇うの陋しとするを論ずることを知りて、其の生に事え存に事えるに本づくの心を知らず、宗廟に伸ぶることを得ざる者有り。是を以て自ら此に致さざること能わざることを、抑々嘗て陸佃の議に觀て、神祖の嘗て此に意有ることを知る。然して史籍に考うれば、則ち未だ其の紀有るを見ず。若し未だ營表するに及ばざる故に書することを得ずと曰わば、則ち後日の史筆を秉る者は卽ち前日詔を承け討論するの臣なり。宜しく深く遺旨を探り、特書緫叙して以て昭らかに來世に示すべき所にして、略一詞も以て之に及ぶこと無し。豈天未だ斯の人たる者をして復二帝三王制作の盛んなるを見せしむことを欲せざる、故に其の事を尼 [とど]めて其の傳を嗇[お]しむ。鳴呼、惜しいかな。然るに陸氏定むる所の昭穆の次、又前說と同じからず。而して張琥の議、庶幾わくは之に近し。讀む者更に詳らかに之を考えば、則ち當に擇ぶ所を知るべし。


或問、二十章蒲盧之說、何以廢舊說而從沈氏也。曰、蒲盧之爲果蠃、他無所考。且於上下文義亦不甚通。惟沈氏之說、乃與地道敏樹之云者相應。故不得而不從耳。曰、沈說固爲善矣。然夏小正十月玄雉入于淮爲蜄。而其傳曰、蜄者蒲盧也。則似亦以蒲盧爲變化之意、而舊說未爲無所據也。曰、此亦彼書之傳文耳。其他蓋多穿鑿不足據信。疑亦出於後世迂儒之筆、或反取諸此而附合之。決非孔子所見夏時之本文也。且又以蜄爲蒲盧、則不應二物而一名。若以蒲盧爲變化、則又不必解爲果蠃矣。况此等瑣碎、旣非大義所繫、又無明文可證、則姑闕之、其亦可也。何必詳考而深辨之耶。
【読み】
或ひと問う、二十章蒲盧の說は、何を以て舊說を廢して沈氏に從うや。曰く、蒲盧の果蠃爲ること、他に考うる所無し。且つ上下の文義に於ても亦甚だ通ぜず。惟沈氏の說は、乃ち地道は樹えるに敏なりの云いなる者と相應ず。故に得て從わずんばあらざるのみ。曰く、沈が說は固より善しとす。然るに夏小正に十月玄雉淮に入りて蜄と爲る、と。而して其の傳に曰く、蜄とは蒲盧なり、と。則ち亦蒲盧を以て變化とするの意に似て、舊說未だ據る所無しとするにあらず。曰く、此れ亦彼の書の傳文なるのみ。其の他蓋し穿鑿多くして據り信ずるに足らず。疑うらくは亦後世迂儒の筆に出でて、或は反って諸を此に取りて之を附合するならん。決して孔子見る所の夏の時の本文に非ず。且つ又蜄を以て蒲盧とすれば、則ち二物にして一名なるべからず。若し蒲盧を以て變化とすれば、則ち又必ずしも解いて果蠃とせず。况んや此れ等の瑣碎は、旣に大義の繫る所に非ず、又明文の證す可き無ければ、則ち姑く之を闕いて、其れ亦可なり。何ぞ必ずしも詳らかに考えて深く之を辨えんや。

○曰、達道達德有三知三行之不同、而其致則一何也。曰、此氣質之異、而性則同也。生而知者、生而神靈、不待敎而於此無不知也。安而行者、安於義理、不待習而於此無所咈也。此人之稟氣淸明、賦質純粹、天理渾然無所虧喪者也。學而知者、有所不知則學以知之。雖非生知、而不待困也。利而行者、眞知其利而必行之。雖有未安、而不待勉也。此得淸之多而未能無蔽、得粹之多而未能無雜、天理小失而能亟反之者也。困而知者、生而不明、學而未達、困心衡慮而後知之者也。勉強而行者、不獲所安、未知其利、勉力強矯而行之者也。此則昬蔽駁雜、天理幾亡、久而後能反之者也。此三等者其氣質之稟、亦不同矣。然其性之本則善而已。故及其知之而成功也、則其所知所至無少異焉、亦復其初而已矣。曰、張子・呂・楊・侯氏皆以生知安行爲仁、學知利行爲知、困知勉行爲勇、其說善矣。子之不從何也。曰、安行可以爲仁矣。然生而知之則知之大、而非仁之屬也。利行可以爲知矣。然學而知之則知之次、而非知之大也。且上文三者之目固有次序、而篇首諸章以舜明知、以回明仁、以子路明勇、其語知也不卑矣。夫豈專以學知利行者爲足以當之乎。故今以其分而言、則三知爲智、三行爲仁、所以勉而不息以至於知之成功之一爲勇。以其等而言、則以生知安行者主於知而爲智、學知利行者主於行而爲仁、困知勉行者主於強而爲勇。又通三近而言、則又以三知爲智、三行爲仁、而三近爲勇之次、則亦庶乎其曲盡也歟。
【読み】
○曰く、達道達德に三知三行の同じからざる有りて、其の致[おもむき]は則ち一なるは何ぞや。曰く、此れ氣質の異にして、性は則ち同じなり。生まれながらにして知る者は、生まれて神靈、敎を待たずして此に於て知らざること無し。安んじて行う者は、義理に安んじ、習うことを待たずして此に於て咈 [たが]う所無し。此れ人の氣を稟くこと淸明に、質を賦ること純粹にして、天理渾然として虧け喪[みだ]る所無き者なり。學んで知る者は、知らざる所有れば則ち學んで以て之を知る。生知に非ずと雖も、而れども困しむことを待たず。利して行う者は、眞に其の利することを知りて必ず之を行う。未だ安んぜざること有りと雖も、而れども勉むることを待たず。此れ淸を得ること多くして未だ蔽うこと無きこと能わず、粹を得ること多くして未だ雜ること無きこと能わず、天理小しく失いて能く亟やかに之に反る者なり。困しんで知る者は、生まれて明ならず、學んで未だ達せず、心を困しめ慮に衡 [かんが]えて後に之を知る者なり。勉強して行う者は、安んずる所を獲ず、未だ其の利することを知らず、勉力強矯して之を行う者なり。此れ則ち昬蔽駁雜し、天理幾ど亡び、久しくして後に能く之に反る者なり。此の三等は其の氣質の稟けること、亦同じからず。然るに其の性の本は則ち善なるのみ。故に其の之を知りて功を成すに及んでは、則ち其の知る所至る所は少しく異なること無く、亦其の初に復るのみ。曰く、張子・呂・楊・侯氏は皆生知安行を以て仁とし、學知利行を知とし、困知勉行を勇とし、其の說善し。子の從わざるは何ぞや。曰く、安行は以て仁とす可し。然れども生なれながらにして之を知るは則ち知の大にして、仁の屬に非ず。利行は以て知とす可し。然れども學んで之を知るは則ち知の次にして、知の大に非ず。且つ上文三つの者の目固より次序有りて、篇首の諸章は舜を以て知を明かし、回を以て仁を明かし、子路を以て勇を明かし、其の知を語るや卑からず。夫れ豈專ら學知利行の者を以て以て之に當てるに足れりとせんや。故に今其の分を以て言えば、則ち三知を智とし、三行を仁とし、勉めて息まずして以て知の成り功の一なるに至る所以を勇とす。其の等を以て言えば、則ち生知安行の者を以て知ることを主として智とし、學知利行の者は行うことを主として仁とし、困知勉行の者は強することを主として勇とす。又三近に通じて言えば、則ち又三知を以て智とし、三行を仁として、三近を勇の次とすれば、則ち亦其の曲に盡くせるに庶からんか。

○曰、九經之說奈何。曰、不一其内、則無以制其外。不齊其外、則無以養其内。靜而不存、則無以立其本。動而不察、則無以勝其私。故齊明盛服、非禮不動、則内外交養而動靜不違、所以爲脩身之要也。信讒邪、則任賢不專、徇貨色、則好賢不篤。賈捐之所謂後宮盛色則賢者隱微、佞人用事則諍臣杜口。蓋持衡之勢此重則彼輕。理固然矣。故去讒遠色、賤貨而一於貴德、所以爲勸賢之道也。親之欲其貴、愛之欲其富、兄弟婚姻欲其無相遠。故尊位重祿同其好惡、所以爲勸親親之道也。大臣不親細事、則以道事君者得以自盡。故官屬衆盛足任使令、所以爲勸大臣之道也。盡其誠而恤其私、則士無仰事俯育之累而樂趨事功。故忠信重祿所以爲勸士之道也。人情莫不欲逸、亦莫不欲富。故時使薄斂所以爲勸百姓之道也。日省月試以程其能、旣稟稱事以償其勞、則不信度作淫巧者無所容、惰者勉而能者勸矣。爲之授節以送其往、待以委積以迎其來、因能授任以嘉其善、不強其所不欲以矜其不能、則天下之旅皆悦而願出於其塗矣。無後者續之、已滅者封之。治其亂使上下相安、持其危使大小相恤、朝聘有節而不勞其力、貢賜有度而不匱其財、則天下諸侯皆竭其忠力以蕃衛王室、而無倍畔之心矣。凡此九經其事不同。然緫其實、不出乎脩身尊賢親親三者而已。敬大臣、體羣臣、則自尊賢之等而推之也。子庶民、來百工、柔遠人、懷諸侯、則自親親之殺而推之也。至於所以尊賢而親親、則又豈無所自而推之哉。亦曰、脩身之至、然後有以各當其理而無所悖耳。曰、親親而不言任之以事者、何也。曰、此親親尊賢並行不悖之道也。苟以親親之故、不問賢否而輕屬任之、不幸而或不勝焉、治之則傷恩、不治則廢法。是以富之貴之、親之厚之而不曰任之以事。是乃所以親愛而保全之也。若親而賢、則自當置之大臣之位而尊之敬之矣。豈但富貴之而已哉。觀於管蔡監商而周公不免於有過、及其致辟之後、則惟康叔・聃季相與夾輔王室、而五叔者有土而無官焉、則聖人之意亦可見矣。曰、子謂信任大臣而無以閒之、故臨事而不眩、使大臣而賢也則可。其或不幸而有趙髙・朱异・虞世基・李林甫之徒焉、則鄒陽所謂偏聽生姦、獨任成亂。范雎所謂妬賢疾能、御下蔽上、以成其私而主不覺悟者、亦安得而不慮耶。曰、不然也。彼其所以至此、正坐不知九經之義而然耳。使其明於此義、而能以脩身爲本、則固視明聽聦而不可欺以賢否矣。能以尊賢爲先、則其所置以爲大臣者、必不雜以如是之人矣。不幸而或失之、則亦亟求其人以易之而已。豈有知其必能爲姦以敗國、顧猶置之大臣之位、使之姑以奉行文書爲職業、而亦恃小臣之察以防之哉。夫勞於求賢、而逸於得人、任則不疑、而疑則不任。此古之聖君賢相所以誠意交孚、兩盡其道、而有以共成正大光明之業也。如其不然、吾恐上之所以猜防畏避者愈密、而其爲眩愈甚、下之所以欺罔蒙蔽者愈巧、而其爲害愈深。不幸而臣之姦遂、則其禍固有不可勝言者、幸而主之威勝、則夫所謂偏聽獨任、御下蔽上之姦、將不在於大臣而移於左右、其爲國家之禍尤有不可勝言者矣。鳴呼、危哉。曰、子何以言柔遠人之爲無忘賓旅也。曰、以其列於懷諸侯之上也。舊說以爲蕃國之諸侯、則以遠先近、而非其序、書言柔遠能邇、而又言蠻夷率服、則所謂柔遠亦不止謂服四夷也。況愚所謂授節委積者、比長・遺人・懷方氏之官掌之、於經有明文耶。
【読み】
○曰く、九經の說奈何。曰く、其の内を一にせざれば、則ち以て其の外を制すること無し。其の外を齊えざれば、則ち以て其の内を養うこと無し。靜にして存せざれば、則ち以て其の本を立つること無し。動いて察せざれば、則ち以て其の私に勝つこと無し。故に齊明盛服して、禮に非ざれば動かざれば、則ち内外交々養いて動靜違わず、身を脩むるの要とする所以なり。讒邪を信ずれば、則ち賢に任ずること專らならず、貨色に徇えば、則ち賢を好むこと篤からず。賈捐之が謂う所の後宮色を盛んにすれば則ち賢者隱れ微る、佞人事を用うれば則ち諍臣口を杜ず。蓋し衡を持つの勢い此れ重ければ則ち彼輕し。理固より然り。故に讒を去りて色を遠ざけ、貨を賤しんで德を貴ぶに一なるは、賢を勸むるの道とする所以なり。之を親しめば其の貴きことを欲し、之を愛しめば其の富まんことを欲し、兄弟婚姻は其の相遠ざかること無からんことを欲す。故に位を尊くし祿を重くし其の好惡を同じくするは、親を親しくすることを勸むるの道とする所以なり。大臣細事を親 [みずか]らせざれば、則ち道を以て君に事る者は以て自ら盡くすことを得。故に官屬衆盛にして使令を任ずるに足るは、大臣を勸むるの道とする所以なり。其の誠を盡くして其の私を恤 [あわ]れめば、則ち士は仰いで事え俯して育うの累い無くして事功に趨ることを樂しむ。故に忠信に祿を重くするは士を勸むるの道とする所以なり。人情は逸[はや]きを欲せざること莫く、亦富を欲せざること莫し。故に使うことを時にし斂することを薄くするは百姓を勸むるの道とする所以なり。日々に省み月々に試みて以て其の能を程 [はか]り、旣稟事に稱いて以て其の勞を償えば、則ち度を信ぜず淫巧を作る者容る所無く、惰者は勉めて能者は勸む。之が爲に節を授けて以て其の往くを送り、待つに委積を以てして以て其の來るを迎え、能に因り任を授けて以て其の善を嘉みし、其の欲せざる所を強いずして以て其の不能を矜 [あわ]れめば、則ち天下の旅皆悦びて其の塗に出でんことを願う。後無き者は之を續ぎ、已に滅ぶる者は之を封ず。其の亂れたるを治めて上下をして相安んぜしめ、其の危うきを持 [たも]ちて大小をして相恤れましめ、朝聘節有りて其の力を勞せず、貢賜度有りて其の財を匱[とぼ]しくせざれば、則ち天下の諸侯は皆其の忠力を竭くして以て王室を蕃衛して、倍畔の心無し。凡そ此の九經は其の事同じからず。然れども其の實を緫べるに、身を脩め賢を尊び親を親しむ三つの者に出でざるのみ。大臣を敬い、羣臣に體するは、則ち賢を尊ぶの等よりして之を推すなり。庶民を子のごとくし、百工を來し、遠人を柔らげ、諸侯を懷くるは、則ち親を親しむの殺よりして之を推すなり。賢を尊び親を親しむの所以に至りては、則ち又豈自って之を推す所無からんや。亦曰う、身を脩むること至りて、然して後に以て各々其の理に當たること有りて悖る所無きのみ。曰く、親を親しんで之を任ずるに事を以てすることを言わざるは、何ぞや。曰く、此れ親を親しみ賢を尊ぶこと並び行われて悖らざるの道なり。苟も親を親しむの故を以て、賢否を問わずして輕々しく之に屬任し、不幸にして或は勝えず、之を治むれば則ち恩を傷ない、治めざれば則ち法を廢つ。是を以て之を富まし之を貴くし、之を親しみ之を厚くして之に任ずるに事を以てすることを曰わず。是れ乃ち親愛して之を保全する所以なり。若し親しくして賢ならば、則ち自ずから當に之を大臣の位に置いて之を尊び之を敬うべし。豈但之を富貴にするのみならんや。管蔡商を監 [かんが]みて周公過ち有ることを免れず、其の辟を致すの後に及んでは、則ち惟康叔・聃季のみ相與に王室を夾輔して、五叔は土有りて官無きことを觀れば、則ち聖人の意も亦見る可し。曰く、子大臣に信任して以て之を閒つること無し、故に事に臨んで眩わずと謂うは、大臣をして賢ならしめば則ち可なり。其れ或は不幸にして趙髙・朱异・虞世基・李林甫の徒有らば、則ち鄒陽が謂う所の偏々に聽けば姦を生し、獨任すれば亂を成す。范雎が謂う所の賢を妬み能を疾み、下を御し上を蔽いて、以て其の私を成して主覺悟せざる者、亦安んぞ得て慮らんや。曰く、然らず。彼の其の此に至る所以は、正に九經の義を知らざるに坐して然るのみ。其をして此の義に明らかにして、能く身を脩むるを以て本と爲さしめば、則ち固より視明らかに聽聦くして欺くに賢否を以てす可からず。能く賢を尊ぶを以て先とすれば、則ち其の置いて以て大臣とする所の者は、必ず雜わるに如の是きの人を以てせず。不幸にして或は之を失わば、則ち亦亟やかに其の人を求めて以て之を易えんのみ。豈其の必ず能く姦を爲して以て國を敗ることを知って、顧みて猶之を大臣の位に置き、之をして姑く文書を奉行するを以て職業と爲さしめて、亦小臣の察を恃んで以て之を防ぐこと有らんや。夫れ賢を求むるに勞して、人を得るに逸し、任ずれば則ち疑わずして、疑えば則ち任ぜず。此れ古の聖君賢相の誠意交々孚ありて、兩つながら其の道を盡くして、以て共に正大光明の業を成すこと有る所以なり。如し其れ然らずんば、吾恐らくは上の猜防畏避する所以の者愈々密にして、其の眩いを爲すこと愈々甚だしく、下の欺罔蒙蔽する所以の者愈々巧みにして、其の害を爲すこと愈々深からん。不幸にして臣の姦遂げれば、則ち其の禍い固より勝げて言う可からざる者有り、幸いにして主の威勝てば、則ち夫の謂う所の偏々に聽き獨任し、下を御し上を蔽うの姦、將に大臣に在らずして左右に移らんとし、其の國家の禍いを爲すこと尤も勝げて言う可からざる者有り。鳴呼、危ういかな。曰く、子は何を以て遠人を柔くるの賓旅を忘るること無しとすることを言うぞや。曰く、其の諸侯を懷くるの上に列ぬるを以てなり。舊說以て蕃國の諸侯とするは、則ち遠きを以て近きに先んじて、其の序に非ざれば、書に遠きを柔け邇きを能くすと言いて、又蠻夷率い服すと言えば、則ち謂う所の遠きを柔くるは亦止四夷を服するを謂うのみにあらず。況んや愚が謂う所の授節委積は、比長・遺人・懷方氏の官之を掌り、經に於て明文有るをや。

○曰、楊氏之說有虛器之云者二、而其指意所出若有不同者焉何也。曰、固也。是其前段主於誠意。故以爲、有法度而無誠意、則法度爲虛器。正言以發之也。其後段主於格物。故以爲、若但知誠意而不知治天下國家之道、則是直以先王之典章文物爲虛器而不之講。反語以詰之也。此其不同審矣。但其下文所引明道先生之言、則又若主於誠意而與前段相應。其於本段上文之意、則雖亦可以宛轉而說合之、然終不免於迂回而難通也。豈記者之誤耶。然楊氏他書、首尾衡決亦多有類此者。殊不可曉也。
【読み】
○曰く、楊氏の說に虛器の云いなる者二つ有りて、其の指意の出づる所同じからざる者有るが若きは何ぞや。曰く、固よりなり。是れ其の前段は誠意を主とす。故に以爲えり、法度有りて誠意無ければ、則ち法度を虛器とす、と。正しく言いて以て之を發せり。其の後段は格物を主とす。故に以爲えり、若し但誠意を知りて天下國家を治むるの道を知らざれば、則ち是れ直に先王の典章文物を以て虛器として之を講ぜず、と。語を反して以て之を詰めれり。此れ其の同じからざること審らかなり。但其の下文に引く所の明道先生の言は、則ち又誠意を主として前段と相應ずるが若し。其の本段上文の意に於ては、則ち亦以て宛轉して說いて之を合す可しと雖も、然れども終に迂回して通じ難きことを免れず。豈記者の誤りならんや。然るに楊氏が他書、首尾衡に決け亦多く此に類する者有り。殊に曉る可からず。

○曰、所謂前定、何也。曰、先立乎誠也。先立乎誠、則言有物而不躓矣。事有實而不困矣。行有常而不疚矣。道有本而不窮矣。諸說惟游氏誠定之云得其要。張子以精義入神爲言。是則所謂明善者也。
【読み】
○曰く、謂う所の前に定むとは、何ぞや。曰く、先ず誠を立てるなり。先ず誠を立てれば、則ち言に物有ありて躓かず。事に實有りて困しまず。行に常有りて疚まず。道に本有りて窮まらず。諸說は惟游氏誠定まるの云いのみ其の要を得。張子は義を精しくして神に入るを以て言を爲す。是れ則ち謂う所の善に明らかなる者なり。

○曰、在下獲上、明善誠身之說奈何。曰、夫在下位而不獲乎上、則無以安其位而行其志。故民不可治。然欲獲乎上、又不可以諛說取容也。其道在信乎友而已。蓋不信乎友、則志行不孚而名譽不聞。故上不見知。然欲信乎友、又不可以便佞苟合也。其道在悦乎親而已。蓋不悦乎親、則所厚者薄而無所不薄。故友不見信。然欲順乎親、又不可以阿意曲從也。其道在誠乎身而已。蓋反身不誠、則外有事親之禮而内無愛敬之實。故親不見悦。然欲誠乎身、又不可以襲取強爲也。其道在明乎善而已。蓋不能格物致知以眞知至善之所在、則好善必不能如好好色、惡惡必不能如惡惡臭、雖欲勉焉以誠其身、而身不可得而誠矣。此必然之理也。故夫子言此、而其下文卽以天道人道擇善固執者繼之。蓋擇善所以明善、固執所以誠身。擇之之明、則大學所謂物格而知至也。執之之固、則大學所謂意誠而心正身脩也。知至、則反諸身者將無一毫之不實。意誠心正而身脩、則順親信友獲上治民、將無所施而不利。而達道達德九經、凡事亦一以貫之而無遺矣。曰、諸說如何。曰、此章之說雖多、然亦無大得失。惟楊氏反身之說爲未安耳。蓋反身而誠者、物格知至而反之於身、則所明之善無不實、有如前所謂如惡惡臭如好好色者、而其所行自無内外隱顯之殊耳。若知有未至、則反之而不誠者多矣。安得直謂但能反求諸身、則不待求之於外、而萬物之理皆備於我而無不誠哉。況格物之功、正在卽事卽物而各求其理。今乃反欲離去事物、而專務求之於身、尤非大學之本意矣。
【読み】
○曰く、下に在りて上に獲られ、善に明らかに身に誠あるの說奈何。曰く、夫れ下位に在りて上に獲られざれば、則ち以て其の位を安んじて其の志を行うこと無し。故に民治む可からず。然るに上に獲られんと欲せば、又以て諛說して容るることを取る可からず。其の道は友に信ぜらるるに在るのみ。蓋し友に信ぜられざれば、則ち志行いて孚あらずして名譽聞こえず。故に上に知られず。然るに友に信ぜられんと欲せば、又以て便佞して苟も合う可からず。其の道は親に悦びらるるに在るのみ。蓋し親に悦びられざれば、則ち厚き所の者薄くして薄からざる所無し。故に友に信ぜられず。然るに親に順わんと欲せば、又以て意に阿り曲げて從う可からず。其の道は身に誠あるに在るのみ。蓋し身に反りて誠あらざれば、則ち外に親に事るの禮有りて内に愛敬の實無し。故に親に悦びられず。然るに身に誠あらんと欲せば、又以て襲い取り強いてする可からず。其の道は善に明らかなるに在るのみ。蓋し物に格り知を致めて以て眞に至善の在る所を知ること能わざれば、則ち善を好むこと必ず好色を好むが如きこと能わず、惡を惡むこと必ず惡臭を惡むが如きこと能わず、勉焉として以て其の身を誠にせんと欲すと雖も、而れども身は得て誠なる可からず。此れ必然の理なり。故に夫子此を言いて、其の下文に卽ち天道人道善を擇び固く執る者を以て之を繼げり。蓋し善を擇ぶは善に明らかなる所以、固く執るは身に誠ある所以。之を擇ぶことの明らかなるは、則ち大學に謂う所の物格りて知ること至るなり。之を執ることの固きは、則ち大學に謂う所の意誠にして心正しく身脩まるなり。知至れば、則ち諸を身に反する者將に一毫の不實無からんとす。意誠に心正しくして身脩まれば、則ち親に順い友に信ぜられ上に獲られ民を治めて、將に施して利ろしからざる所無からんとす。而して達道達德九經、凡そ事は亦一を以て之を貫いて遺すこと無し。曰く、諸說如何。曰く、此の章の說多しと雖も、然れども亦大なる得失無し。惟楊氏身に反るの說は未だ安からずとするのみ。蓋し身に反って誠なる者、物格り知至りて之を身に反すれば、則ち明らかなる所の善實ならざること無きこと、前に謂う所の惡臭を惡むが如く好色を好むが如くなる者の如きこと有りて、其の行う所自ずから内外隱顯の殊なること無きのみ。若し知ること未だ至らざること有れば、則ち之を反して誠ならざる者多し。安んぞ直に但能く諸を身に反り求むれば、則ち之を外に求むることを待たずして、萬物の理皆我に備わりて誠あらざること無しと謂うことを得んや。況んや格物の功は、正に事に卽き物に卽いて各々其の理を求むるに在り。今乃ち反って事物を離れ去りて、專ら務めて之を身に求めんと欲すれば、尤も大學の本意に非ず。

○曰、誠之爲義其詳可得而聞乎。曰、難言也。姑以其名義言之、則眞實無妄之云也。若事理之得此名、則亦隨其所指之大小而皆有取乎眞實無妄之意耳。蓋以自然之理言之、則天地之閒惟天理爲至實而無妄。故天理得誠之名。若所謂天之道、鬼神之德是也。以德言之、則有生之類、惟聖人之心爲至實而無妄。故聖人得誠之名。若所謂不勉而中、不思而得者是也。至於隨事而言、則一念之實亦誠也。一言之實亦誠也。一行之實亦誠也。是其大小雖有不同、然其義之所歸、則未始不在於實也。曰、然則天理聖人之所以若是其實者、何也。曰、一則純、二則雜。純則誠、雜則妄、此常物之大情也。夫天之所以爲天也、冲漠無朕、而萬理兼該無所不具。然其爲體則一而已矣。未始有物以雜之也。是以無聲無臭、無思無爲、而一元之氣、春秋冬夏晝夜昬明、百千萬年、未嘗有一息之繆、天下之物、洪纎巨細、飛潛動植、亦莫不各得其性命之正以生、而未嘗有一毫之差。此天理之所以爲實而不妄者也。若夫人物之生、性命之正、固亦莫非天理之實。但以氣質之偏、口鼻耳目四支之好得以蔽之、而私欲生焉。是以當其惻隱之發而忮害雑之、則所以爲仁者有不實矣。當其羞惡之發而貪昧雜之、則所以爲義者有不實矣。此常人之心所以雖欲勉於爲善、而内外隱顯常不免於二致、其甚至於詐僞欺罔而卒墮於小人之歸、則以其二者雜之故也。惟聖人氣質淸純、渾然天理、初無人欲之私以病之。是以仁則表裏皆仁、而無一毫之不仁、義則表裏皆義、而無一毫之不義。其爲德也、固舉天下之善而無一事之或遺。而其爲善也、又極天下之實而無一毫之不滿。其所以不勉不思、從容中道、而動容周旋莫不中禮也。曰、然則常人未免於私欲、而無以實其德者奈何。曰、聖人固已言之。亦曰、擇善而固執之耳。夫於天下之事、皆有以知其如是爲善而不能不爲、知其如是爲惡而不能不去、則其爲善去惡之心固已篤矣。於是而又加以固執之功、雖其不睹不聞之閒、亦必戒謹恐懼而不敢懈、則凡所謂私欲者、出而無所施於外、入而無所藏於中。自將消磨泯滅不得以爲吾之病、而吾之德又何患於不實哉。是則所謂誠之者也。曰、然則大學論小人之陰惡陽善、而以誠於中者目之、何也。曰、若是者、自其天理之大體觀之、則其爲善也誠虛矣。自其人欲之私分觀之、則其爲惡也何實如之。而安得不謂之誠哉。但非天理眞實無妄之本然、則其誠也適所以虛其本然之善、而反爲不誠耳。曰、諸說如何。曰、周子至矣。其上章以天道言、其下章以人道言。愚於通書之說亦旣略言之矣。程子無妄之云至矣。其他說亦各有所發明。讀者深玩而默識焉、則諸家之是非得失、不能出乎此矣。
【読み】
○曰く、誠の義爲ること其の詳らかなること得て聞く可し。曰く、言い難し。姑く其の名義を以て之を言えば、則ち眞實無妄の云いなり。事理の此の名を得るが若きは、則ち亦其の指す所の大小に隨いて皆眞實無妄の意に取ること有るのみ。蓋し自然の理を以て之を言えば、則ち天地の閒は惟天理のみ至實にして無妄なりとす。故に天理は誠の名を得。謂う所の天の道、鬼神の德の若き是れなり。德を以て之を言えば、則ち有生の類、惟聖人の心のみ至實にして無妄なりとす。故に聖人は誠の名を得。謂う所の勉めずして中り、思わずして得る者の若き是れなり。事に隨いて言うに至りては、則ち一念の實も亦誠なり。一言の實も亦誠なり。一行の實も亦誠なり。是れ其の大小同じからざること有りと雖も、然れども其の義の歸する所は、則ち未だ始めより實に在らずんばあらず。曰く、然らば則ち天理聖人の是の若く其の實なる所以の者は、何ぞや。曰く、一なれば則ち純ら、二なれば則ち雜わる。純なれば則ち誠、雜われば則ち妄、此れ常物の大情なり。夫れ天の天爲る所以や、冲漠無朕にして、萬理兼ね該ねて具わらざる所無し。然るに其の體を爲すことは則ち一なるのみ。未だ始めより物以て之に雜わること有らず。是を以て聲も無く臭いも無く、思うことも無くすることも無くして、一元の氣、春秋冬夏晝夜昬明、百千萬年、未だ嘗て一息の繆り有らず、天下の物、洪纎巨細、飛潛動植、亦各々其の性命の正しきを得て以て生らざること莫くして、未だ嘗て一毫の差い有らず。此れ天理の實にして妄ならずとする所以の者なり。夫の人物の生り、性命の正しきが若き、固より亦天理の實に非ざること莫し。但氣質の偏を以て、口鼻耳目四支の好しみ以て之を蔽うことを得て、私欲生る。是を以て其の惻隱の發るに當たりて忮害之に雑われば、則ち仁爲る所以の者實ならざること有り。其の羞惡の發るに當たりて貪昧之に雜われば、則ち義爲る所以の者實ならざること有り。此れ常人の心善をするに勉めんと欲すと雖も、而れども内外隱顯常に二致に免れず、其の甚だしくして詐僞欺罔して卒に小人の歸に墮つるに至る所以は、則ち其の二なる者之に雜わるを以て故なり。惟聖人のみ氣質淸純、渾然たる天理、初めより人欲の私以て之を病ますこと無し。是を以て仁は則ち表裏皆仁にして、一毫の不仁無く、義は則ち表裏皆義にして、一毫の不義無し。其の德爲るや、固より天下の善を舉げて一事の或は遺すこと無し。而して其の善爲るや、又天下の實を極めて一毫の滿たざること無し。其の勉めず思わず、從容として道に中りて、動容周旋禮に中らざること莫き所以なり。曰く、然らば則ち常人未だ私欲に免れずして、以て其の德を實にすること無き者は奈何。曰く、聖人固より已に之を言えり。亦曰う、善を擇びて固く之を執るのみ、と。夫れ天下の事に於て、皆以て其の是の如きは善を爲すことを知りてせざること能わず、其の是の如きは惡を爲すことを知りて去てざること能わざること有れば、則ち其の善を爲し惡を去るの心固より已に篤し。是に於て又加うるに固く執るの功を以て、其の睹ず聞かざるの閒と雖も、亦必ず戒謹恐懼して敢えて懈らざれば、則ち凡そ謂う所の私欲なる者、出でて外に施す所無く、入りて中に藏る所無し。自ずから將に消磨泯滅して以て吾が病とすることを得ざらんとして、吾が德も又何ぞ實ならざることを患えんや。是れ則ち謂う所の之を誠にする者なり。曰く、然らば則ち大學小人の陰惡陽善を論じて、中に誠ある者を以て之を目づくるは、何ぞや。曰く、是の若きは、其の天理の大體より之を觀れば、則ち其の善をすることや誠に虛しきなり。其の人欲の私分より之を觀れば、則ち其の惡をすることや何の實か之に如かん。而して安んぞ之を誠と謂わざることを得んや。但天理眞實無妄の本然に非ざれば、則ち其の誠や適に其の本然の善を虛しくする所以にして、反って誠ならずとするのみ。曰く、諸說如何。曰く、周子至れり。其の上章は天道を以て言い、其の下章は人道を以て言えり。愚通書の說に於て亦旣に略之を言う。程子の無妄の云い至れり。其の他の說も亦各々發明する所有り。讀む者深く玩びて默して識さば、則ち諸家の是非得失、此に出づること能わず。

○曰、學問思辨亦有序乎。曰、學之博、然後有以備事物之理。故能參伍之以得所疑而有問。問之審、然後有以盡師友之情。故能反復之以發其端而可思。思之謹、則精而不雜。故能有所自得而可以施其辨。辨之明、則斷而不差。故能無所疑惑而可以見於行。行之篤、則凡所學問思辨而得之者、又皆必踐其實而不爲空言矣。此五者之序也。曰、呂氏之說之詳、不亦善乎。曰、呂氏此章最爲詳實。然深考之、則亦未免乎有病。蓋君子之於天下、必欲無一理之不通、無一事之不能。故不可以不學、而其學不可以不博。及其積累而貫通焉、然後有以深造乎約、而一以貫之。非其博學之初已有造約之心、而姑從事於博以爲之地也。至於學而不能無疑、則不可以不問。而其問也或粗略而不審、則其疑不能盡決、而與不問無以異矣。故其問之不可以不審。若曰成心亡而後可進、則是疑之說也。非疑而問、問而審之說也。學也、問也、得於外者也。若專恃此而不反之心以驗其實、則察之不精、信之不篤、而守之不固矣。故必思索以精之、然後心與理熟而彼此爲一。然使其思也或太多而不專、則亦泛濫而無益、或太深而不止、則又過苦而有傷。皆非思之善也。故其思也又必貴於能謹。非獨爲反之於身、知其爲何事何物而已也。其餘則皆得之、而所論變化氣質者尤有功也。
【読み】
○曰く、學問思辨も亦序有りや。曰く、之を學ぶこと博くして、然して後に以て事物の理を備うること有り。故に能く參伍して之を以て疑う所を得て問うこと有り。之を問うこと審らかにして、然して後に以て師友の情を盡くすこと有り。故に能く之を反復して以て其の端を發して思う可し。之を思うこと謹めば、則ち精しくして雜わらず。故に能く自ずから得る所有りて以て其の辨を施す可し。之を辨えること明らかなれば、則ち斷じて差わず。故に能く疑惑する所無くして以て行に見す可し。之を行うこと篤ければ、則ち凡そ學問思辨して之を得る所の者、又皆必ず其の實を踐みて空言と爲らず。此れ五つの者の序なり。曰く、呂氏の說の詳らかなる、亦善からざるか。曰く、呂氏此の章最も詳實なりとす。然れども深く之を考うれば、則ち亦未だ病有ることを免れず。蓋し君子の天下に於る、必ず一理の通ぜざること無く、一事の能くせざること無からんことを欲す。故に以て學ばずんばある可からずして、其の學ぶことも以て博からずんばある可からず。其の積累して貫通するに及んで、然して後に以て深く約に造りて、一以て之を貫くこと有り。其の博く學ぶの初め已に約に造る心有りて、姑く事に博に從いて以て之が地を爲すには非ず。學びて疑い無きこと能わざるに至りては、則ち以て問わずんばある可からず。而して其の問うや或は粗略にして審らかならざれば、則ち其の疑いは盡く決すること能わずして、問わざると以て異なること無し。故に其の之を問うこと以て審らかならずんばある可からず。成れる心亡びて後に進む可しと曰うが若きは、則ち是れ疑いの說なり。疑いて問い、問いて審らかにするの說に非ず。學や、問や、外に得る者なり。若し專ら此を恃んで之を心に反して以て其の實を驗みざれば、則ち之を察すること精しからず、之を信ずること篤からずして、之を守ること固からず。故に必ず思索して以て之を精しくして、然して後に心と理と熟して彼此一と爲る。然れども其の思うや或は太だ多くして專らならざれば、則ち亦泛濫して益無し、或は太だ深くして止まざれば、則ち又過苦して傷ない有らしむ。皆思うの善に非ず。故に其の思うや又必ず能く謹むことを貴ぶ。獨之を身に反し、其の何事何物をすることを知って已むとするに非ず。其の餘は則ち皆之を得て、論ずる所の氣質を變化する者尤も功有り。

○曰、何以言誠爲此篇之樞紐也。曰、誠者、實而已矣。天命云者、實理之原也。性其在物之實體、道其當然之實用、而敎也者、又因其體用之實而品節之也。不可離者、此理之實也。隱之見、微之顯、實之存亡而不可揜者也。戒謹恐懼而謹其獨焉、所以實乎此理之實也。中和云者、所以状此實理之體用也。天地位、萬物育、則所以極此實理之功效也。中庸云者、實理之適可而平常者也。過與不及、不見實理而妄行者也。費而隱者、言實理之用廣而體微也。鳶飛魚躍、流動充滿。夫豈無實而有是哉。道不遠人以下、至於大舜・文・武・周公之事、孔子之言、皆實理應用之當然、而鬼神之不可揜、則又其發見之所以然也。聖人於此因以其無一毫之不實、而至於如此之盛、其示人也亦欲其必以其實、而無一毫之僞也。蓋自然而實者、天也。必期於實者、人而天也。誠明以下累章之意、皆所以反復乎此而語其所以、至於正大經而立大本、參天地而贊化育、則亦眞實無妄之極功也。卒章尙絅之云、又本其務實之初心而言也。内省者、謹獨克己之功、不愧屋漏者、戒謹恐懼而無己可克之事、皆所以實乎此之序也。時靡有爭、變也。百辟刑之、化也。無聲無臭、又極乎天命之性、實理之原而言也。蓋此篇大指、專以發明實理之本然、欲人之實此理而無妄。故其言雖多、而其樞紐不越乎誠之一言也。鳴呼、深哉。
【読み】
○曰く、何を以て誠と言いて此の篇の樞紐とす。曰く、誠は、實なるのみ。天命と云うは、實理の原なり。性は其の物に在るの實體、道は其の當然の實用、而して敎なる者は、又其の體用の實に因りて之を品節するなり。離る可からずは、此の理の實なり。隱の見れ、微の顯るは、實の存亡にして揜う可からざる者なり。戒謹恐懼して其の獨りを謹むは、此の理の實を實にする所以なり。中和と云うは、此の實理の體用を状る所以なり。天地位し、萬物育わるは、則ち此の實理の功效を極むる所以なり。中庸と云うは、實理の可に適いて平常なる者なり。過と不及とは、實理を見ずして妄りに行う者なり。費 [ひろ]くして隱[かす]かとは、實理の用廣くして體微かなるを言うなり。鳶飛び魚躍り、流動充滿す。夫れ豈實無くして是れ有らんや。道人に遠からずより以下、大舜・文・武・周公の事、孔子の言に至るまで、皆實理應用の當然にして、鬼神の揜う可からざるは、則ち又其の發見の然る所以なり。聖人此に於て因りて其の一毫の不實無くして、此の如きの盛んなるに至るを以て、其の人に示せることや亦其の必ず其の實を以てして、一毫の僞り無からんことを欲せり。蓋し自然にして實なる者は、天なり。必ず實を期する者は、人にして天なり。誠明より以下累章の意は、皆此を反復して其の所以を語る所以、大經を正して大本を立て、天地に參わりて化育を贊くるに至りては、則ち亦眞實無妄の極功なり。卒章絅を尙 [くわ]うの云いは、又其の實を務むるの初心に本づいて言えり。内に省るとは、獨りを謹み己に克つの功、屋漏に愧じずとは、戒謹恐懼して己の克つ可き無きの事、皆此を實にする所以の序なり。時に爭うこと有ること靡 [な]きは、變なり。百辟之に刑[のっと]るは、化なり。聲も無く臭いも無きは、又天命の性、實理の原を極めて言えり。蓋し此の篇の大指は、專ら以て實理の本然を發明して、人の此の理を實にして妄無からんことを欲す。故に其の言多しと雖も、而れども其の樞紐は誠の一言に越えず。鳴呼、深いかな。


或問誠明之說。曰、程子諸說、皆學者所傳録、其以内外道行爲誠明、似不親切。惟先明諸心一條、以知語明、以行語誠。爲得其訓。乃顏子好學論中語、而程子之手筆也。亦可以見彼記録者之不能無失矣。張子蓋以性敎分爲學之兩塗、而不以論聖賢之品第。故有由誠至明之語。程子之辨雖已得之、然未究其立言本意之所以失也。其曰誠卽明也、恐亦不能無誤。呂氏性敎二字得之、而於誠字以至簡至易行其所無事爲說、則似未得其本旨也。且於性敎皆以至於實然不易之地爲言、則至於云者非所以言性之之事、而不易云者亦非所以申實然之說也。然其過於游楊則遠矣。
【読み】
或ひと誠明の說を問う。曰く、程子の諸說は、皆學者傳録する所、其の内外道行を以て誠明とするは、親切ならざるに似たり。惟先ず諸を心に明らかにするの一條は、知を以て明を語り、行を以て誠を語る。其の訓を得たりとす。乃ち顏子好學論中の語にして、程子の手筆なり。亦以て彼の記録者の失無きこと能わざるを見る可し。張子は蓋し性敎を以て分かちて學の兩塗と爲して、以て聖賢の品第を論ぜず。故に誠に由って明に至るの語有り。程子の辨は已に之を得たりと雖も、然れども未だ其の立言本意の失える所以を究めず。其の誠は卽ち明なりと曰えるは、恐らくは亦誤り無きこと能わず。呂氏性敎の二字之を得て、誠の字に於て至簡至易にして其の事無き所を行うを以て說を爲るは、則ち未だ其の本旨を得ざるに似たり。且つ性敎に於て皆實然不易の地に至るを以て言を爲せば、則ち至於と云う者は之を性のままにするの事を言う所以に非ずして、不易と云う者も亦實然の說を申ぬる所以に非ず。然れども其の游楊に過ぎたることは則ち遠し。


或問、至誠盡性諸說如何。曰、程子以盡己之忠、盡物之信爲盡其性。蓋因其事而極言之、非正解此文之意。今不得而録也。其論贊天地之化育而曰不可以贊助言、論窮理盡性以至於命而曰只窮理便是至於命、則亦若有可疑者。蓋嘗竊論之、天下之理未嘗不一、而語其分則未嘗不殊。此自然之勢也。蓋人生天地之閒、稟天地之氣。其體卽天地之體、其心卽天地之心。以理而言、是豈有二物哉。故凡天下之事、雖若人之所爲、而其所以爲之者莫非天地之所爲也。又況聖人純於義理而無人欲之私、則其所以代天而理物者、乃以天地之心而贊天地之化。尤不見其有彼此之閒也。若以其分言之、則天之所爲固非人之所及、而人之所爲又有天地之所不及者。其事固不同也。但分殊之状、人莫不知、而理一之致、多或未察。故程子之言發明理一之意多、而及於分殊者少。蓋抑揚之勢不得不然。然亦不無小失其平矣。惟其所謂只是一理、而天人所爲各自有分、乃爲全備而不偏、而讀者亦莫之省也。至於窮理至命盡人盡物之說、則程張之論雖有不同、然亦以此而推之、則其說初亦未嘗甚異也。蓋以理言之、則精粗本末初無二致。固不容有漸次、當如程子之論。若以其事而言、則其親疎遠近淺深先後又不容於無別、當如張子之言也。呂・游・楊說皆善、而呂尤確實。楊氏萬物皆備云者、又前章格物誠身之意。然於此論之、則反求於身又有所不足言也。胥失之矣。
【読み】
或ひと問う、至誠性を盡くすの諸說如何。曰く、程子己を盡くすの忠、物を盡くすの信を以て其の性を盡くすとす。蓋し其の事に因りて極めて之を言えば、此の文の意を正しく解くに非ず。今得て録さず。其の天地の化育を贊くるを論じて贊助を以て言う可からずと曰い、理を窮め性を盡くして以て命に至ることを論じて只理を窮むるは便ち是れ命に至ると曰えるは、則ち亦疑う可き者有るが若し。蓋し嘗て竊かに之を論ずるに、天下の理未だ嘗て一ならずんばあらずして、其の分を語れば則ち未だ嘗て殊ならずんばあらず。此れ自然の勢いなり。蓋し人は天地の閒に生まれて、天地の氣を稟く。其の體は卽ち天地の體、其の心は卽ち天地の心。理を以て言えば、是れ豈二物有らんや。故に凡そ天下の事は、人のする所の若しと雖も、而れども其の之をする所以の者は天地のする所に非ざること莫し。又況んや聖人は義理に純らにして人欲の私無ければ、則ち其の天に代わって物を理むる所以の者は、乃ち天地の心を以て天地の化を贊く。尤も其の彼此の閒て有ることを見ず。若し其の分を以て之を言えば、則ち天のする所は固より人の及ぶ所に非ずして、人のする所も又天地の及ばざる所の者有り。其の事固より同じからず。但分殊の状は、人知らざること莫くして、理一の致は、多くは或は未だ察せず。故に程子の言は理一を發明するの意多くして、分殊に及ぶ者少なし。蓋し抑揚の勢い然らざることを得ず。然れども亦小しく其の平らかなることを失うこと無きにあらず。惟其の謂う所の只是れ一理をして、天人のする所各々自ら分有るは、乃ち全く備わりて偏ならずとして、讀む者も亦之を省みること莫し。理を窮め命に至り人を盡くし物を盡くすの說に至りては、則ち程張の論同じからざること有りと雖も、然れども亦此を以て之を推せば、則ち其の說初めより亦未だ嘗て甚だ異ならず。蓋し理を以て之を言えば、則ち精粗本末初めより二致無し。固より漸次有る容からざること、當に程子の論の如くなるべし。若し其の事を以て言えば、則ち其の親疎遠近淺深先後も又別無くんばある容からざること、當に張子の言の如くなるべし。呂・游・楊が說は皆善くして、呂は尤も確實なり。楊氏の萬物皆備わると云うは、又前章の物に格りて身に誠あるの意なり。然るに此に於て之を論ずれば、則ち身に反り求むること又言うに足らざる所有り。之を胥 [あ]い失えばなり。


或問致曲之說。曰、人性雖同、而氣稟或異。自其性而言之、則人自孩提、聖人之質悉已完具。以其氣而言之、則惟聖人爲能舉其全體而無所不盡。上章所言至誠盡性是也。若其次、則善端所發、隨其所稟之厚薄、或仁或義、或孝或弟、而不能同矣。自非各因其發見之偏一一推之以至乎其極、使其薄者厚、而異者同、則不能有以貫通乎全體而復其初。卽此章所謂致曲、而孟子所謂擴充其四端者是也。程子之言、大意如此。但其所論不詳。且以由基之射爲說。故有疑於專務推致其氣質之所偏厚、而無隨事用力悉有衆善之意。又以形爲參前倚衡、所立卓爾之意、則亦若以爲己之所自見而無與於人也。豈其記者之略而失之與。至於明動變化之說、則亦無以易矣。若張子之說、以明爲兼照、動爲徙義、變爲通變、化爲無滯、則皆以其進乎内者言之、失其指矣。蓋進德之序、由中達外。乃理之自然。如上章之說、亦自己而人、自人而物、各有次序。不應專於内而遺其外也。且夫進乎内之節目、亦安得如是之繁促哉。游氏說亦得之。但說致曲二字不同、非本意耳。楊氏旣以光輝發外爲明矣。而又引明則誠矣、則似以明爲通明之明。旣以鶴鳴子和爲動矣、而又曰化非學問篤行所及、則似以化爲大而化之之化。此其上下文意不相承續、且於明動之閒、本文之外別生無物不誠一節、以就至誠動物之意、尤不可曉。今固不能盡録。然亦不可不辨也。
【読み】
或ひと曲を致むるの說を問う。曰く、人の性は同じと雖も、而れども氣稟或は異なり。其の性よりして之を言えば、則ち人孩提より、聖人の質悉く已に完く具わる。其の氣を以て之を言えば、則ち惟聖人のみ能く其の全體を舉げて盡くさざる所無しとす。上章に言う所の至誠性を盡くすとは是れなり。其の次の若きは、則ち善端の發る所、其の稟くる所の厚薄に隨いて、或は仁或は義、或は孝或は弟にして、同じきこと能わず。各々其の發見の偏に因りて一一之を推して以て其の極に至り、其の薄き者をして厚くして、異なる者をして同じからしむるに非ざるよりは、則ち以て全體に貫通して其の初めに復ること有ること能わず。卽ち此の章に謂う所の曲を致むるにして、孟子の謂う所の擴めて其の四端を充つる者是れなり。程子の言、大意此の如し。但其の論ずる所詳らかならず。且つ由基の射を以て說を爲す。故に專ら務めて其の氣質の偏に厚き所を推し致むるに疑い有りて、事に隨い力を用いて悉く衆善有るの意無し。又形るを以て前に參わり衡に倚り、立つ所卓爾たるの意とせるは、則ち亦以て己の自ら見る所にして人に與ること無しとするが若し。豈其れ記者の略して之を失えるや。明動變化の說に至りては、則ち亦以て易うること無し。張子の說の若きは、明を以て兼ね照らすと爲し、動を義に徙 [うつ]ると爲し、變わるを變に通ずと爲し、化するを滯ること無しとすれば、則ち皆其の内に進む者を以て之を言い、其の指を失えり。蓋し德に進むの序は、中由り外に達す。乃ち理の自然なり。上章の說の如きも、亦己よりして人、人よりして物、各々次序有り。内に專らにして其の外を遺すべからず。且つ夫れ内に進むの節目も、亦安んぞ是の如きの繁促なることを得んや。游氏が說も亦之を得たり。但致曲の二字を說くこと同じからず、本意に非ざるのみ。楊氏旣に光輝外に發るを以て明とす。而して又明なれば則ち誠ありを引けるは、則ち明を以て通明の明と爲すに似たり。旣に鶴鳴き子和するを以て動と爲し、而して化は學問篤行の及ぶ所に非ずと曰えるは、則ち化を以て大にして之を化するの化と爲すに似たり。此れ其の上下の文意相承續せず、且つ明動の閒に於て、本文の外別に物無きは誠あらざるの一節を生して、以て至誠物を動かすの意に就くは、尤も曉る可からず。今固より盡く録すこと能わず。然れども亦辨えずんばある可からず。


或問至誠如神之說。曰、呂氏得之矣。其論動乎四體爲威儀之則者尤爲確實。游氏心合於氣、氣合於神之云、非儒者之言也。且心無形而氣有物。若之何而反以是爲妙哉。程子用便近二之論、蓋因異端之說。如蜀山人・董五經之徒、亦有能前知者。故就之而論其優劣。非以其不用而不知者爲眞可貴、而賢於至誠之前知也。至誠前知、乃因其事理朕兆之已形而得之。如所謂不逆詐不億不信而常先覺者。非有術數推驗之煩、意想測度之私也。亦何害其爲一哉。
【読み】
或ひと至誠神の如きの說を問う。曰く、呂氏之を得たり。其の四體に動くを論じて威儀の則とする者尤も確實なりとす。游氏の心は氣に合い、氣は神に合うの云いは、儒者の言に非ず。且つ心は形無くして氣は物有り。之を若何にして反って是を以て妙とせんや。程子の用うれば便ち二に近きの論は、蓋し異端の說に因る。蜀山人・董五經が徒の如きも、亦能く前知する者有り。故に之に就いて其の優劣を論ず。其の用いずして知らざる者を以て眞に貴ぶ可しとして、至誠の前知に賢れるとには非ず。至誠の前知は、乃ち其の事理朕兆の已に形るに因りて之を得。謂う所の詐 [いつわ]りを逆[むか]えず信ぜざるを億[おもんばか]らずして常に先ず覺る者の如し。術數推驗の煩わしき、意想測度の私有るに非ず。亦何ぞ其の一とすることを害せんや。


或問二十五章之說。曰、自成、自道、如程子說。乃與下文相應。游楊皆以無待而然論之。其說雖髙、然於此爲無所當。且又老莊之遺意也。誠者物之終始、不誠無物之義、亦惟程子之言爲至當。然其言太略。故讀者或不能曉。請得而推言之。蓋誠之爲言、實而已矣。然此篇之言、有以理之實而言者。如曰誠不可揜之類是也。有以心之實而言者。如曰反諸身不誠之類是也。讀者各隨其文意之所指而尋之、則其義各得矣。所謂誠者物之終始、不誠無物者、以理言之、則天地之理至實而無一息之妄。故自古至今無一物之不實、而一物之中自始至終皆實理之所爲也。以心言之、則聖人之心亦至實而無一息之妄。故從生至死無一事之不實、而一事之中自始至終皆實心之所爲也。此所謂誠者物之終始者然也。苟未至於聖人、而其本心之實者猶未免於閒斷、則自其實有是心之初、以至未有閒斷之前、所爲無不實者。及其閒斷、則自其閒斷之後、以至未相接續之前、凡所云爲皆無實之可言。雖有其事、亦無以異於無有矣。如曰三月不違、則三月之閒所爲皆實、而三月之後未免於無實。蓋不違之終始、卽其事之終始也。日月至焉、則至此之時所爲皆實、而去此之後未免於無實。蓋至焉之終始、卽其物之終始也。是則所謂不誠無物者然也。以是言之、則在天者本無不實之理。故凡物之生於理者、必有是理方有是物。未有無其理而徒有不實之物者也。在人者或有不實之心。故凡物之出於心者、必有是心之實乃有是物之實、未有無其心之實而能有其物之實者也。程子所謂徹頭徹尾者蓋如此。其餘諸說、大抵皆知誠之在天爲實理、而不知其在人爲實心。是以爲說太髙、而往往至於交互差錯以失經文之本意。正猶知愛之不足以盡仁、而凡言仁者遂至於無字之可訓。其亦誤矣。呂氏所論子貢・子思所言之異亦善而猶有未盡者。蓋子貢之言主於知、子思之言主於行。故各就其所重而有賓主之分、亦不但爲成德入德之殊而已也。楊氏說物之終始、直以天行二字爲解。蓋本於易終則有始、天行也之說、假借依託無所發明。楊氏之言蓋多類此。最說經之大病也。又謂誠則形而有物、不誠則輟而無物、亦未安。誠之有物、蓋不待形而有。不誠之無物、亦不待其輟而後無也。其曰由四時之運已、則成物之功廢、蓋亦輟而後無之意、而又直以天無不實之理、喩夫人有不實之心。其取譬也亦不親切矣。彼四時之運夫豈有時而已者哉。
【読み】
或ひと二十五章の說を問う。曰く、自ずから成る、自ら道[みちび]くは、程子の說の如し。乃ち下文と相應ず。游楊は皆待つこと無くして然るを以て之を論ず。其の說髙しと雖も、然れども此に於て當たる所無しとす。且つ又老莊の遺意なり。誠は物の終始、誠ならざれば物無しの義も、亦惟程子の言のみ至當なりとす。然れども其の言太だ略せり。故に讀む者或は曉ること能わず。請う得て推して之を言わん。蓋し誠の言爲る、實なるのみ。然るに此の篇の言は、理の實を以て言える者有り。誠の揜う可からずと曰える類の如き是れなり。心の實を以て言える者有り。諸を身に反して誠ならずと曰える類の如き是れなり。讀む者各々其の文意の指す所に隨いて之を尋ねば、則ち其の義各々得ん。謂う所の誠は物の終始、誠ならざれば物無しとは、理を以て之を言えば、則ち天地の理は至って實にして一息の妄無し。故に古より今に至るまで一物の實ならざること無くして、一物の中は始めより終わりに至るまで皆實理のする所なり。心を以て之を言えば、則ち聖人の心も亦至って實にして一息の妄無し。故に生まるるより死に至るまで一事の實ならざること無くして、一事の中は始めより終わりに至るまで皆實心のする所なり。此れ謂う所の誠は物の終始なる者然り。苟も未だ聖人に至らずして、其の本心の實なる者猶未だ閒斷に免れざれば、則ち其の實に是の心有るの初めより、以て未だ閒斷有らざるの前に至るまで、する所は實ならざる者無し。其の閒斷に及んでは、則ち其の閒斷の後より、以て未だ相接續せざるの前に至るまで、凡そ云爲する所は皆實を言う可き無し。其の事有りと雖も、亦以て有ること無きに異なること無し。三月違らずと曰うが如きは、則ち三月の閒、する所は皆實にして、三月の後に未だ實無きに免れず。蓋し違らざるの終始は、卽ち其の事の終始なり。日月に至るは、則ち此に至るの時、する所は皆實にして、此を去るの後に未だ實無きに免れず。蓋し至るの終始は、卽ち其の物の終始なり。是れ則ち謂う所の誠ならざれば物無き者然り。是を以て之を言えば、則ち天に在る者は本實ならざるの理無し。故に凡そ物の理に生る者は、必ず是の理有りて方に是の物有り。未だ其の理無くして徒に實ならざるの物有る者有らず。人に在る者或は實ならざるの心有り。故に凡そ物の心に出づる者は、必ず是の心の實有りて乃ち是の物の實有り、未だ其の心の實無くして能く其の物の實有る者有らず。程子謂う所の徹頭徹尾なる者蓋し此の如し。其の餘の諸說も、大抵皆誠の天に在りて實理爲ることを知って、其の人に在りて實心爲ることを知らず。是を以て說を爲ること太だ髙くして、往往交互差錯して以て經文の本意を失うに至る。正に猶愛の以て仁を盡くすに足らざることを知って、凡そ仁と言うは遂に字の訓ず可き無きに至るがごとし。其れ亦誤れり。呂氏の子貢・子思言える所の異を論ぜる所も亦善くして猶未だ盡くさざる者有り。蓋し子貢の言は知を主とし、子思の言は行を主とす。故に各々其の重き所に就いて賓主の分かち有り、亦但に德を成し德に入るの殊なることを爲すのみにあらず。楊氏物の終始を說くに、直に天行の二字を以て解を爲す。蓋し易の終われば則ち始め有り、天の行なりの說に本づき、假借依託して發明する所無し。楊氏の言は蓋し多く此に類す。最も經を說くの大病なり。又誠あれば則ち形れて物有り、誠あらざれば則ち輟めて物無しと謂えるも、亦未だ安からず。誠の物有るは、蓋し形るを待ちて有るにあらず。誠あらざるの物無きも、亦其の輟むるを待ちて後無きにあらず。其の由四時の運已めば、則ち物を成すの功廢たるがごとしと曰えるは、蓋し亦輟めて後無きの意にして、又直に天に實ならざるの理無きを以て、夫の人實ならざるの心有るに喩う。其の譬えを取ることや亦親切ならず。彼の四時の運は夫れ豈時として已む者有らんや。


或問二十六章之說。曰、此章之說最爲繁雜。如游楊無息不息之辨、恐未然。若如其言、則不息則久以下、至何地位然後爲無息耶。游氏又以得一形容不貳之意。亦假借之類也。字雖密、而意則疎矣。呂氏所謂不已其命、不已其德、意雖無爽、而語亦有病。蓋天道聖人之所以不息、皆實理之自然、雖欲已之、而不可得。今曰不已其命、不已其德、則是有意於不已、而非所以明聖人天道之自然矣。又以積天之昭昭以至於無窮、譬夫人之充其良心以至於與天地合德。意則甚善。而此章所謂至誠無息以至於博厚髙明、乃聖人久於其道而天下化成之事。其所積而成者、乃其氣象功效之謂、若鄭氏所謂至誠之德著於四方者是已。非謂在己之德又待積而後成也。故章末引文王之詩以證之。夫豈積累漸次之謂哉。若如呂氏之說、則是因無息然後至於誠、由不已然後純於天道也。失其旨矣。楊氏動以天。故無息之語甚善。其曰天地之道聖人之德無二致焉、故方論聖人之事、而又曰天地之道可一言而盡、蓋未覺其語之更端耳。至謂天之所以爲天、文王之所以爲文、皆原於不已、則亦猶呂氏之失也。大抵聖賢之言、内外精粗各有攸當、而無非極致。近世諸儒乃或不察乎此、而於其外者皆欲引而納之於内、於其粗者皆欲推而致之於精。若致曲之明動變化、此章之博厚髙明、蓋不勝其繁碎穿鑿、而於其本指失之愈遠。學者不可不察也。
【読み】
或ひと二十六章の說を問う。曰く、此の章の說は最も繁雜爲り。游楊の息むこと無く息まざるの辨の如き、恐らくは未だ然らず。若し其の言の如くなれば、則ち息まざれば則ち久しより以下、何の地位に至って然して後息むこと無しとせんや。游氏又一を得るを以て貳ならざるの意を形容す。亦假借の類なり。字は密なりと雖も、而れども意は則ち疎なり。呂氏が謂う所の其の命を已めず、其の德を已めずは、意は爽 [あき]らかなること無しと雖も、而れども語も亦病有り。蓋し天道聖人の息まざる所以は、皆實理の自然、之を已めんと欲すと雖も、而れども得可からず。今其の命を已めず、其の德を已めずと曰えば、則ち是れ已めざるに意有りて、聖人天道の自然を明かす所以に非ず。又天の昭昭を積むより以て窮まり無きに至るを以て、夫の人の其の良心を充たして以て天地と德を合わすに至るに譬う。意は則ち甚だ善し。而れども此の章に謂う所の至誠息むこと無しより以て博厚髙明に至るまでは、乃ち聖人其の道に久しくして天下化成するの事なり。其の積んで成る所の者は、乃ち其の氣象功效の謂い、鄭氏が謂う所の至誠の德四方に著るが若きは是れのみ。己に在る德も又積むことを待ちて後に成ると謂うに非ず。故に章末に文王の詩を引いて以て之を證す。夫れ豈積累漸次の謂いならんや。若し呂氏の說の如くなれば、則ち是れ息むこと無きに因りて然して後に誠に至り、已まざるに由りて然して後に天道に純らなり。其の旨を失えり。楊氏動くに天を以てす。故に息むこと無きの語甚だ善し。其れ天地の道と聖人の德は二致無しと曰う、故に方に聖人の事を論じて、又天地の道は一言にして盡くす可しと曰うは、蓋し未だ其の語の端を更えるを覺えざるのみ。天の天爲る所以、文王の文爲る所以は、皆已まざるに原づくと謂うに至りては、則ち亦猶呂氏の失のごとし。大抵聖賢の言は、内外精粗各々當たる攸有りて、極致に非ざること無し。近世の諸儒は乃ち或は此に察せずして、其の外なる者に於ては皆引いて之を内に納めんと欲し、其の粗き者に於ては皆推して之を精に致さんと欲す。致曲の明動變化、此の章の博厚髙明の若きは、蓋し其の繁碎穿鑿に勝えずして、其の本指に於て之を失えること愈々遠し。學者察せずんばある可からず。


或問二十七章之說。曰、程張備矣。張子所論逐句爲義一條甚爲切於文義。故呂氏因之。然須更以游楊二說足之、則其義始備爾。游氏分別至道至德爲得之。惟優優大哉之說爲未善。而以無方無體離形去智爲極髙明之意、又以人德地德天德爲德性廣大髙明之分、則其失愈遠矣。楊氏之說、亦不可曉。蓋道者自然之路、德者人之所得。故禮者道體之節文、必其人之有德、然後乃能行之也。今乃以禮爲德而欲以凝夫道、則旣誤矣。而又曰道非禮則蕩而無止、禮非道則梏於儀章器數之末、而有所不行、則是所謂道者乃爲虛無恍惚元無準則之物、所謂德者又不足以凝道而反有所待於道也。其諸老氏之言乎。誤益甚矣。溫故知新、敦厚崇禮、諸說但以二句相對明其不可偏廢。大意固然。然細分之、則溫故然後有以知新、而溫故又不可不知新、敦厚然後有以崇禮、而敦厚又不可不崇禮。此則諸說之所遺也。大抵此五句、承章首道體大小而言。故一句之内皆具大小二意。如德性也、廣大也、髙明也、故也、厚也、道之大也。問學也、精微也、中庸也、新也、禮也、道之小也。尊之、道之、致之、盡之、極之、道之、溫之、知之、敦之、崇之、所以脩是德而凝是道也。以其於道之大小無所不體、故居上居下在治在亂無所不宜。此又一章之通旨也。
【読み】
或ひと二十七章の說を問う。曰く、程張備われり。張子論ぜる所の逐句義を爲すの一條甚だ文義に切なりとす。故に呂氏之に因れり。然るに須く更に游楊が二說を以て之を足すべく、則ち其の義始めて備わるのみ。游氏は至道至德を分別すれば之を得たりとす。惟優優として大なるかなの說は未だ善からずとす。而して方無く體無く形を離れ智を去るを以て髙明を極むるの意とし、又人德地德天德を以て德性廣大髙明の分かちとすれば、則ち其の失愈々遠し。楊氏の說も、亦曉る可からず。蓋し道は自然の路、德は人の得る所。故に禮は道體の節文、必ず其の人の德有りて、然して後乃ち能く之を行う。今乃ち禮を以て德として以て夫の道を凝さんと欲するは、則ち旣に誤れり。而して又道禮に非ざれば則ち蕩けて止まること無し、禮道に非ざれば則ち儀章器數の末に梏して、行われざる所有りと曰えば、則ち是れ謂う所の道は乃ち虛無恍惚にして元準則無き物と爲り、謂う所の德も又以て道を凝すに足らずして反って道に待つ所有り。其れ諸れ老氏の言か。誤り益々甚だし。故を溫めて新しきを知り、厚を敦くして禮を崇くすは、諸說但二句を以て相對して其の偏々廢つ可からざることを明かす。大意は固より然り。然るに細に之を分かてば、則ち故を溫めて然して後に以て新しきを知ること有りて、故を溫めて又新しきを知らずんばある可からず、厚を敦くして然して後に以て禮を崇くすること有りて、厚を敦くして又禮を崇くせずんばある可からず。此れ則ち諸說の遺す所なり。大抵此の五句は、章首道體の大小を承けて言えり。故に一句の内に皆大小の二意を具う。德性、廣大、髙明、故、厚の如きは、道の大なり。問學や、精微や、中庸や、新や、禮は、道の小なり。之を尊び、之に道り、之を致め、之を盡くし、之を極め、之に道り、之を溫め、之を知り、之を敦くし、之を崇くするは、是の德を脩めて是の道を凝す所以なり。其の道の大小に於て體せざる所無きを以て、故に上に居り下に居り治に在り亂に在るとも宜しからざる所無し。此れ又一章の通旨なり。


或問、子思之時、周室衰微、禮樂失官、制度不行於天下久矣。其曰同軌同文何耶。曰、當是之時、周室雖衰、而人猶以爲天下之共主、諸侯雖有不臣之心、然方彼此爭雄不能相尙、下及六國之未亡、猶未有能更姓改物而定天下于一者也。則周之文軌、孰得而變之哉。曰、周之車軌書文何以能若是其必同也。曰、古之有天下者、必改正朔、易服色、殊徽號、以新天下之耳目而一其心志。若三代之異尙、其見於書傳者詳矣。軌者、車之轍迹也。周人尙輿、而制作之法領於冬官。其輿之廣六尺六寸。故其轍迹之在地者、相距之閒、廣狹如一、無有遠邇、莫不齊同。凡爲車者必合乎此、然後可以行乎方内而無不通。不合乎此、則不惟有司得以討之、而其行於道路自將偏倚杌隉、而跬歩不前、亦不待禁而自不爲矣。古語所謂閉門造車出門合轍、蓋言其法之同。而春秋傳所謂同軌畢至者、則以言其四海之内、政令所及者、無不來也。文者、書之點畫形象也。周禮司徒敎民道藝而書居其一。又有外史掌達書名於四方、而大行人之法、則又每九歳而一喩焉。其制度之詳如此。是以雖其末流海内分裂、而猶不得變也。必至於秦滅六國、而其號令法制有以同於天下、然後車以六尺爲度、書以小篆隷書爲法、而周制始改爾。孰謂子思之時而遽然哉。
【読み】
或ひと問う、子思の時、周室衰微にして、禮樂官を失い、制度天下に行われざること久し。其の軌を同じくし文を同じくすと曰えるは何ぞや。曰く、是の時に當たりて、周室衰うと雖も、而れども人猶以て天下の共主とし、諸侯不臣の心有りと雖も、然れども彼此雄を爭うに方りて相尙ばるること能わず、下六國の未だ亡びざるに及んで、猶未だ能く姓を更め物を改めて天下を一に定むる者有らず。則ち周の文軌、孰か得て之を變えんや。曰く、周の車軌書文は何を以て能く是の若く其れ必ず同じきや。曰く、古の天下を有つ者は、必ず正朔を改め、服色を易え、徽號を殊にして、以て天下の耳目を新たにして其の心志を一にす。三代の尙ぶことを異にするが若き、其の書傳に見る者詳らかなり。軌は、車の轍迹なり。周人輿を尙びて、制作の法を冬官に領す。其の輿の廣さは六尺六寸。故に其の轍迹の地に在る者、相距るの閒、廣狹一の如く、遠邇有ること無く、齊同ならざること莫し。凡そ車を爲る者は必ず此に合いて、然して後に以て方内に行きて通わざること無かる可し。此に合わざれば、則ち惟有司以て之を討ずることを得るのみにあらずして、其の道路に行くこと自ずから將に偏倚杌隉して、跬歩も前まざらんとすれば、亦禁ずることを待たずして自ずから爲らざるなり。古語に謂う所の門を閉じて車を造り門を出でて轍に合うとは、蓋し其の法の同じきを言う。而して春秋傳に謂う所の同軌畢くに至るとは、則ち以て其の四海の内、政令の及ぶ所の者、來らざること無きを言うなり。文とは、書の點畫形象なり。周禮に司徒民に道藝を敎えて書其の一に居る、と。又外史書名を四方に達することを掌ること有りて、大行人の法は、則ち又九歳每にして一たび喩す。其の制度の詳らかなること此の如し。是を以て其の末流海内分裂すと雖も、而れども猶變ずることを得ず。必ず秦の六國を滅して、其の號令法制以て天下に同じきこと有るに至りて、然して後に車は六尺を以て度と爲し、書は小篆隷書を以て法と爲して、周制始めて改むるのみ。孰か子思の時にして遽に然りと謂わんや。


或問二十九章之說。曰、三重諸說不同。雖程子亦因鄭注。然於文義皆不通。惟呂氏一說爲得之耳。至於上下焉者、則呂氏亦失之。惜乎、其不因上句以推之、而爲是矛盾也。曰、然則上焉者以時言、下焉者以位言。宜不得爲一說。且又安知下焉者之不爲霸者事耶。曰、以王天下者而言、則位不可以復上矣。以霸者之事而言、則其善又不足稱也。亦何疑哉。曰、此章文義多近似、而若可以相易者。其有辨乎。曰、有。三王以迹言者也。故曰不謬。言與其已行者無所差也。天地以道言者也。故曰不悖。言與其自然者無所拂也。鬼神無形而難知。故曰無疑。謂幽有以驗乎明也。後聖未至而難料。故曰不惑。謂遠有以驗乎近也。動、舉一身。兼行與言而言之也。道者、人所共由。兼法與則而言之也。法、謂法度。人之所當守也。則、謂準則。人之所取正也。遠者悦其德之廣被。故企而慕之。近者習其行之有常。故久而安之也。
【読み】
或ひと二十九章の說を問う。曰く、三重の諸說同じからず。程子と雖も亦鄭が注に因る。然れども文義に於て皆通ぜず。惟呂氏が一說之を得たりとするのみ。上下なる者に至りては、則ち呂氏も亦之を失えり。惜しいかな、其の上の句に因りて以て之を推さずして、是の矛盾を爲すこと。曰く、然らば則ち上なる者は時を以て言い、下なる者は位を以て言う。宜しく一說とすることを得ざるべし。且つ又安んぞ下なる者の霸者の事爲らざることを知らんや。曰く、天下に王たる者を以て言えば、則ち位は以て復上なる可からず。霸者の事を以て言えば、則ち其の善も又稱するに足らず。亦何ぞ疑わんや。曰く、此の章の文義多くは近く似て、以て相易う可き者の若し。其れ辨有るか。曰く、有り。三王は迹を以て言う者なり。故に謬らずと曰う。其の已に行うの者と差う所無きことを言う。天地は道を以て言う者なり。故に悖らずと曰う。其の自然なる者と拂る所無きことを言う。鬼神は形無くして知り難し。故に疑い無しと曰う。幽は以て明に驗むること有るを謂う。後聖は未だ至らずして料り難し。故に惑わずと曰う。遠きは以て近きに驗むること有るを謂う。動は、一身を舉ぐ。行と言とを兼ねて之を言うなり。道は、人の共に由る所。法と則とを兼ねて之を言うなり。法は、法度を謂う。人の當に守るべき所なり。則は、準則を謂う。人の正しきを取る所なり。遠き者は其の德の廣く被ることを悦ぶ。故に企 [のぞ]みて之を慕う。近き者は其の行いの常有るを習う。故に久しくして之に安んず。


或問小德大德之說。曰、以天地言之、則髙下散殊者、小德之川流、於穆不已者、大德之敦化。以聖人言之、則物各付物者、小德川流、純亦不已者、大德之敦化。以此推之、可見諸說之得失矣。曰、子之所謂兼内外該本末而言者何也。曰、是不可以一事言也。姑以夫子已行之迹言之、則由其書之有得夏時贊周易也、由其行之有不時不食也、迅雷風烈必變也、以至於仕・止・久・速之皆當其可也、而其所以律天時之意可見矣。由其書之有序禹貢述職方也、由其行之有居魯而逢掖也、居宋而章甫也、以至於用捨行藏之所遇而安也、而其襲水土之意可見矣。若因是以推之、則古先聖王之所以迎日推筴、頒朔授民、而其大至於禪授放伐、各以其時者、皆律天時之事也。其所以體國經野、方設居方、而其廣至於昆蟲草木各遂其性者、皆襲水土之事也。使夫子而得邦家也、則亦何慊於是哉。
【読み】
或ひと小德大德の說を問う。曰く、天地を以て之を言えば、則ち髙下散殊するは、小德の川流、於[ああ]穆として已まずは、大德の敦化。聖人を以て之を言えば、則ち物各々物に付くるは、小德の川流、純も亦已まずは、大德の敦化。此を以て之を推して、諸說の得失を見る可し。曰く、子が謂う所の内外を兼ね本末を該ねて言う者は何ぞや。曰く、是れ一事を以て言う可からず。姑く夫子已に行えるの迹を以て之を言えば、則ち其の書の夏の時を得て周易を贊すること有る由より、其の行の時ならざれば食らわず、迅雷風烈必ず變有る由り、以て仕・止・久・速の皆其の可に當たるに至るまで、其の天の時に律る所以の意見る可し。其の書の禹貢を序で職方を述べること有る由り、其の行の魯に居りて逢掖し、宋に居りて章甫せること有る由り、以て用捨行藏の遇う所にして安んずるに至るまで、其の水土に襲 [よ]るの意見る可し。若し是に因りて以て之を推せば、則ち古先聖王の日を迎え筴を推し、朔を頒ち民に授けて、其の大なる禪授放伐に至るまで、各々其の時を以てする所以は、皆天の時に律るの事なり。其の國を體し野を經 [おさ]め、方々設け方に居りて、其の廣きこと昆蟲草木に至るまで各々其の性を遂げる所以の者は、皆に水土に襲るの事なり。夫子をして邦家を得えしめば、則ち亦何ぞ是に慊らざらんや。


或問至聖至誠之說。曰、楊氏以聦明睿智爲君德者、得之而未盡。其寬裕以下則失之。蓋聦明睿智者、生知安行而首出庶物之資也。容・執・敬・別、則仁義禮智之事也。經綸以下、諸家之說亦或得其文義。但不知經綸之爲致和、立本之爲致中、知化之爲窮理以至於命。且上於至誠者無所繫、下於焉有所倚者無所屬、則爲不得其綱領耳。游氏以上章爲言至聖之德、下章爲言至誠之道者得之。其說自德者其用以下皆善。
【読み】
或ひと至聖至誠の說を問う。曰く、楊氏聦明睿智を以て君の德とするは、之を得て未だ盡くさず。其の寬裕以下は則ち之を失えり。蓋し聦明睿智は、生知安行して首めとして庶物に出づるの資なり。容・執・敬・別は、則ち仁義禮智の事なり。經綸以下は、諸家の說も亦或は其の文義を得たり。但經綸を和を致むるとし、本を立つるを中を致むるとし、化を知るを理を窮めて以て命に至るとすることを知らず。且つ上は至誠の者に於て繫る所無く、下は焉んぞ倚る所有らん者に於て屬する所無ければ、則ち其の綱領を得ずとするのみ。游氏上章を以て至聖の德を言うとし、下章を至誠の道を言うとする者は之を得たり。其の說德は其の用より以下皆善し。


或問卒章之說。曰、承上三章旣言聖人之德而極其盛矣。子思懼夫學者求之於髙遠玄妙之域、輕自大而反失之也。故反於其至近者而言之、以示入德之方、欲學者先知用心於内、不求人知、然後可以謹獨誠身而訓致乎其極也。君子篤恭而天下平、而其所以平者、無聲臭之可尋。此至誠盛德自然之效、而中庸之極功也。故以是而終篇焉。蓋以一篇而論之、則天命之性、率性之道、脩道之敎、與夫天地之所以位、萬物之所以育者、於此可見其實德。以此章論之、則所謂淡而不厭、簡而文、溫而理、知遠之近、知風之自、知微之顯者、於此可見其成功。皆非空言也。然其所以入乎此者則無他焉、亦曰、反身以謹獨而已矣。故首章已發其意、此章又申明而極言之。其旨深哉。其曰不顯、亦充尙絅之心以至其極耳。與詩之訓義不同。蓋亦假借而言。若大學敬止之例也。諸說如何。曰、程子至矣。呂氏旣失其章旨、又不得其綱領條貫、而於文義尤多未當。如此章承上文聖誠之極致、而反之以本乎下學之初心、遂推言之、以至其極而後已也。而以爲皆言德成反本之事、則旣失其章旨矣。此章凡八引詩。自衣錦尙絅以至不顯維德凡五條、始學成德疎密淺深之序也。自不大聲色以至無聲無臭凡三條、皆所以贊夫不顯之德也。今以不顯維德通前三義而幷言之、又以後三條者亦通爲進德工夫、淺深次第、則又失其條理矣。至以知風之自爲知見聞動作皆由心出、以知微之顯爲知心之精微明達暴著、以不動而敬不言而信、爲人敬信之、以貨色親長達諸天下、爲篤敬而天下平、以德爲誠之之事而猶有聲色、至於無聲無臭然後誠一於天、則又文義之未當者然也。然近世說者乃有深取乎其知風之自之說、而以爲非大程夫子不能言者。蓋習於佛氏作用是性之談、而不察乎了翁序文之誤耳。學之不講、其陋至此、亦可憐也。游氏所謂無藏於中、無交於物、泊然純素、獨與神明居、所謂離人而立於獨者、皆非儒者之言。不失足於人、不失色於人、不失口於人、則又審於接物之事、而非簡之謂也。其論三知未免牽合之病、其論德輶如毛以下、則其失與呂氏同。楊氏知風之自、與呂氏舊本之說略同、而其取證又皆太遠。要當參取呂氏改本、去其所謂見聞者、而益以言語之得失、動作之是非、皆知其有所從來而不可不謹、則庶乎其可耳。以德輶如毛爲有德而未化、則又呂游之失也。侯氏說多疎闊。惟以此章爲再叙入德成德之序者、獨爲得之也。
【読み】
或ひと卒章の說を問う。曰く、上の三章は旣に聖人の德を言いて其の盛んなるを極むるを承けり。子思夫れ學者之を髙遠玄妙の域に求め、輕々しく自大にして反って之を失わんことを懼る。故に其の至近なる者に反して之を言いて、以て德に入るの方を示し、學者先ず心を内に用い、人の知ることを求めざることを知りて、然して後に以て獨りを謹み身に誠ありて其の極に訓致す可きことを欲す。君子篤恭して天下平らかにして、其の平らかなる所以の者は、聲臭の尋ぬ可き無し。此れ至誠盛德自然の效にして、中庸の極功なり。故に是を以て篇を終えぬ。蓋し一篇を以て之を論ずれば、則ち天命の性、性に率うの道、道を脩むるの敎と、夫の天地の位する所以、萬物の育わる所以の者と、此に於て其の實德を見る可し。此の章を以て之を論ずれば、則ち謂う所の淡にして厭わず、簡にして文あり、溫にして理あり、遠きの近きを知り、風の自るを知り、微なるの顯るを知る者、此に於て其の成功を見る可し。皆空言に非ず。然るに其の此に入る所以の者は則ち他無し、亦曰う、身に反って以て獨りを謹むのみ、と。故に首章已に其の意を發き、此の章も又申ね明かして極めて之を言えり。其の旨深いかな。其の顯れずと曰うは、亦絅を尙 [くわ]うるの心を充たして以て其の極に至るのみ。詩の訓義と同じからず。蓋し亦假借して言う。大學敬止の例の若し。諸說如何。曰く、程子至れり。呂氏旣に其の章旨を失い、又其の綱領條貫を得ずして、文義に於て尤も未だ當たらざること多し。此の章の如きは上文聖誠の極致を承けて、之を反して以て下學の初心に本づき、遂に推して之を言いて、以て其の極に至りて後已む。而るに以て皆德成って本に反るの事を言うとすれば、則ち旣に其の章旨を失う。此の章凡そ八つ詩を引けり。錦を衣て絅を尙うより以て顯れざる維れ德に至るまでの凡て五條は、始學成德疎密淺深の序なり。聲色を大いにせざるより以て聲も無く臭いも無きに至るまでの凡て三條は、皆夫の顯れざるの德を贊むる所以なり。今顯れざる維れ德を以て前の三義に通じて幷せて之を言い、又後の三條の者を以て亦通じて德を進むの工夫、淺深の次第とするは、則ち又其の條理を失えり。風の自るを知るを以て見聞動作皆心由り出づるを知るとし、微かなるの顯わるるを知るを以て心の精微明達暴著を知るとし、動かずして敬い言わずして信あるを以て、人之を敬い信ずとし、貨色親長諸を天下に達するを以て、篤敬して天下平らかとし、德を以て之を誠にするの事にして猶聲色有り、聲も無く臭いも無きに至りて然して後に誠天に一なりとするに至りては、則ち又文義の未だ當らざる者然り。然るに近世說く者乃ち深く其の風の自るを知るの說を取りて、以て大程夫子に非ずんば言うこと能わずとする者有り。蓋し佛氏の作用是れ性の談に習いて、了翁序文の誤りを察せざるのみ。學の講ぜざる、其の陋き此に至る、亦憐れむ可し。游氏が謂う所の中に藏すこと無く、物に交わること無く、泊然純素、獨り神明と居る、謂う所の人を離れて獨に立つは、皆儒者の言に非ず。足を人に失わず、色を人に失わず、口を人に失わざるは、則ち又物に接わるに審らかなるの事にして、簡の謂いに非ず。其の三知を論ずるは未だ牽合の病を免れず、其の德の輶きこと毛の如し以下を論ずるは、則ち其の失呂氏と同じ。楊氏風の自るを知るは、呂氏舊本の說と略同じくして、其の證を取ること又皆太だ遠し。要するに當に呂氏が改本を參え取り、其の謂う所の見聞なる者を去りて、益すに言語の得失、動作の是非、皆其の從りて來る所有ることを知りて謹まずんばある可かざることを以てせば、則ち其の可なるに庶かるべきのみ。德の輶きこと毛の如しを以て德有りて未だ化せずとするは、則ち又呂游の失なり。侯氏が說疎闊多し。惟此の章を以て再び德に入り德を成すの序を叙すとする者は、獨り之を得たりとす。