二程全書卷之一  遺書二先生語一

瑞伯傳師說

伯淳先生嘗語韓持國曰、如說妄說幻爲不好底性。則請別尋一箇好底性來、換了此不好底性著。道卽性也。若道外尋性、性外尋道、便不是。聖賢論天德、蓋謂自家元是天然完全自足之物。若無所汚壞、卽當直而行之。若小有汚壞、卽敬以治之、使復如舊。所以能使如舊者、蓋爲自家本質元是完足之物。若合脩治而脩治之、是義也。若不消脩治而不脩治、亦是義也。故常簡易明白而易行。禪學者總是强生事。至如山河大地之說、是他山河大地、又干你何事。至如孔子道、如日星之明。猶患門人未能盡曉。故曰、予欲無言。如顏子、則便默識。其他未免疑問。故曰、小子何述。又曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉。可謂明白矣。若能於此言上看得破、便信是會禪。也非是未尋得。蓋實是無去處說、此理本無二故也。
【読み】
伯淳先生嘗て韓持國に語りて曰く、妄を說き幻を說くが如きは不好底の性と爲り。則ち請う、別に一箇の好底の性を尋ね來て、此の不好底の性に換了し著けよ。道は卽ち性なり。若し道の外に性を尋ね、性の外に道を尋ねば、便ち是ならず。聖賢天德を論ずるに、蓋し謂う、自家元是れ天然完全自足の物なり、と。若し汚壞する所無くば、卽ち當に直ちに之を行うべし。若し小しく汚壞有らば、卽ち敬以て之を治めて、復[また]舊の如くならしめよ。能く舊の如くならしむる所以は、蓋し自家の本質元是れ完足の物爲ればなり。合[まさ]に脩治すべくして之を脩治するが若き、是れ義なり。脩治することを消[もち]いずして脩治せざるが若きも、亦是れ義なり。故に常に簡易明白にして行い易し。禪學者總て是れ强いて事を生ず。山河大地の說の如きに至りては、是れ他の山河大地は、又你[なんじ]に干[かか]りて何事ぞ。孔子の道の如きに至りては、日星の明なるが如し。猶門人未だ盡く曉かすこと能わざることを患う。故に曰く、予言うこと無からんことを欲す、と。顏子の如きは、則便ち默識す。其の他は未だ疑問を免れず。故に曰く、小子何をか述べん、と。又曰く、天何をか言わんや、四時行われ、百物生[な]る、と。明白なりと謂う可し。若し能く此の言上に於て看得し破らば、便ち信[まこと]に是れ禪を會するなり。也[また]是れ未だ尋得せざるに非ず。蓋し實に是れ無去處の說にて、此の理本二つ無きが故なり。

王彥霖問立德進德先後。曰、此有二、有立而後進、有進而至於立。立而後進、則是卓然(一作立。)、定後有所進。立則是三十而立。進則是吾見其進也。有進而至於立、則進而至於立道處也。此進是可與適道者也。立是可與立者也。
【読み】
王彥霖德に立ち德に進む先後を問えり。曰く、此れ二つ有り、立ちて後に進む有り、進んで立つに至る有り。立ちて後に進むは、則ち是れ卓然(一に立に作る。)として、定まりて後進む所有り。立つときは則ち是れ三十にして立つというなり。進むは則ち是れ吾れ其の進むを見るというなり。進んで立つに至る有るは、則ち進んで道を立つる處に至るなり。此れ進むは是れ與に道に適く可しという者なり。立つは是れ與に立つ可しという者なり。

王彥霖以爲、人之爲善、須是他自肯爲時、方有所得、亦難强。曰、此言雖是人須是自爲善、然又不可爲如此却不管他。蓋有敎焉。脩道之謂敎。豈可不脩。
【読み】
王彥霖以爲えらく、人の善を爲すは、須く是れ他[かれ]自ら爲すことを肯ずる時に、方に得る所有るべく、亦强い難し、と。曰く、此の言是れ人須く是れ自ら善を爲すべしと雖も、然れども又此の如きは却って他に管せざることを爲す可からず。蓋し敎うること有り。道を脩むる之を敎と謂う。豈脩めざる可けんや。

王彥霖問、道者一心也。有曰仁者不憂、有曰知者不惑、有曰勇者不懼、何也。曰、此只是名其德爾。其理一也。得此道而不憂者、仁者之事也。因其不憂、故曰此仁也。知・勇亦然。不成却以不憂謂之知、不惑謂之仁也。凡名其德、千百皆然。但此三者、逹道之大也。
【読み】
王彥霖問う、道は一心なり。仁者は憂えずと曰うこと有り、知者は惑わずと曰うこと有り、勇者は懼れずと曰うこと有るは、何ぞや、と。曰く、此れ只是れ其の德を名づくるのみ。其の理は一なり。此の道を得て憂えざるは、仁者の事なり。其の憂えざるに因って、故に此れ仁なりと曰う。知・勇も亦然り。却って憂えざるを以て之を知と謂い、惑わざるを之を仁と謂うことを成さず。凡そ其の德を名づくること、千百皆然り。但此の三つの者は、逹道の大なるなり。

蘇季明嘗以治經爲傳道居業之實、居常講習、只是空言無益。質之兩先生。伯淳先生曰、脩辭立其誠、不可不子細理會。言能脩省言辭、便是要立誠。若只是脩飾言辭爲心、只是爲僞也。若脩其言辭、正爲立己之誠意。乃是體當自家敬以直内、義以方外之實事。道之浩浩、何處下手。惟立誠才(一作方。)、有可居之處。有可居之處則可以脩業也。終日乾乾。大小大事却只是忠信、所以進德爲實下手處、脩辭立其誠爲實脩業處。正叔先生曰、治經、實學也。譬諸草木、區以別矣。道之在經、大小遠近、高下精麤、森列於其中。譬諸日月在上。有人不見者、一人指之、不如衆人指之自見也。如中庸一卷書、自至理便推之於事。如國家有九經、及歷代聖人之迹、莫非實學也。如登九層之臺、自下而上者爲是。人患居常講習空言無實者、蓋不自得也。爲學、治經最好。苟不自得、則盡治五經、亦是空言。今有人心得識逹、所得多矣。有雖好讀書、却患在空虛者、未免此弊。
【読み】
蘇季明嘗て以えらく、經を治むるは道を傳え業に居るの實爲り、居常の講習は、只是れ空言益無し、と。之を兩先生に質[と]う。伯淳先生曰く、辭を脩めて其の誠を立つは、子細に理會せずんばある可からず。言うこころは能く言辭を脩省するは、便ち是れ誠を立てんことを要す。若し只是れ言辭を脩飾するを心と爲さば、只是れ僞を爲すなり。其の言辭を脩むるが若きは、正に己が誠意を立てんとす。乃ち是れ自家敬以て内を直くし、義以て外を方にするの實事に體當す。道の浩浩たる、何の處にか手を下さん。惟誠を立つれば才[わづか](一に方に作る。)に、居る可きの處有り。居る可きの處有るときは則ち以て業を脩む可し。終日乾乾す。大小の大事は却って只是れ忠信、所以に德に進むは實に手を下す處と爲し、辭を脩め其の誠を立つるは實に業を脩むる處と爲す。正叔先生曰く、經を治むるは、實學なり。諸を草木の、區々にして以て別あるに譬う。道の經に在る、大小遠近、高下精麤、其の中に森列す。諸を日月上に在るに譬う。人見ざる者有り、一人之を指すは、衆人之を指して自ら見るには如かざるなり。中庸一卷の書の如き、至理自り便ち之を事に推す。國家九經有り、及び歷代聖人の迹の如き、實學に非ずということ莫きなり。九層の臺に登るが如き、下自りして上る者を是と爲す。人居常の講習空言實無きことを患うる者は、蓋し自得せざればなり。學を爲[おさ]むるは、經を治むる最も好し。苟も自得せざるときは、則ち盡く五經を治むとも、亦是れ空言なり。今人有り心得識逹すれば、得る所多し。書を讀むことを好むと雖も、却って空虛に在ることを患うる者有るは、未だ此の弊を免れざるなり。

天地生一世人、自足了一世事。但恨人不能盡用天下之才。此其不能大治。
【読み】
天地一世の人を生じ、自ら一世の事を足了す。但恨むらくは人盡くは天下の才を用うること能わず。此れ其の大いに治むること能わざるなり。

天地生物、各無不足之理。常思天下君臣・父子・兄弟・夫婦、有多少不盡分處。
【読み】
天地物を生ずる、各々足らざるの理無し。常に思う、天下の君臣・父子・兄弟・夫婦、多少分を盡くさざる處有らん、と。

先生嘗論克己復禮。韓持國曰、道上更有甚克、莫錯否。曰、如公之言、只是說道也。克己復禮、乃所以爲道也。更無別處克己復禮之爲道。亦何傷乎公之所謂道也。如公之言、卽是一人自指其前一物、曰此道也。他本無可克者。若知道與己未嘗相離、則若不克己復禮、何以體道。道在己、不是與己各爲一物、可跳身而入者也。克己復禮、非道而何。至如公言、克不是道、亦是道也。實未嘗離得。故曰、可離非道也。理甚分明。又曰、道無眞無假。曰、旣無眞、又無假、却是都無物也。到底須是是者爲眞、不是者爲假、便是道、大小大分明。
【読み】
先生嘗て克己復禮を論ず。韓持國曰く、道の上更に甚しきの克つこと有らん、錯[たが]えること莫きや否や、と。曰く、公の言の如き、只是れ道を說くなり。己に克ちて禮に復るは、乃ち道を爲むる所以なり。更に別處に己に克ちて禮に復るの道爲ること無し。亦何ぞ公の所謂道を傷[やぶ]らん。公の言の如きは、卽ち是れ一人自ら其の前の一物を指して、曰く、此れ道なり、と。他は本克つ可き者無し。若し道と己と未だ嘗て相離れざることを知らば、則ち若し己に克ちて禮に復らずんば、何を以てか道を體せん。道は己に在り、是れ己と各々一物と爲りて、身を跳[おど]らして入る可き者にあらざるなり。己に克ちて禮に復る、道に非ずして何ぞ。公の言の如きに至りては、克是れ道にあらざれども、亦是れ道なり。實に未だ嘗て離れ得ず。故に曰く、離る可きは道に非ず、と。理甚だ分明なり。又曰く、道は眞も無く假も無し、と。旣に眞無しと曰い、又假無くば、却って是れ都て物無きなり。到底須く是れ是なる者を眞と爲すべく、是ならざる者を假と爲さば、便ち是れ道の、大小大[はなは]だ分明ならん。

古人見道分明。故曰、吾斯之未能信。從事於斯。無是餒也。立之斯立。
【読み】
古人道を見ること分明なり。故に曰く、吾れ斯を未だ信ずること能わず、と。事に斯に從う、と。是れ無ければ餒う、と。立つれば斯に立つ、と。

佛學(一作氏。)、只是以生死恐動人。可怪二千年來、無一人覺、此是被他恐動也。聖賢以生死爲本分事、無可懼。故不論死生。佛之學爲怕死生、故只管說不休。下俗之人固多懼、易以利動。至如禪學者、雖自曰異此、然要之只是此箇意見、皆利心也。籲曰、此學、不知是本來以公心求之、後有此蔽、或本只以利心上得之。曰、本是利心上得來、故學者亦以利心信之。莊生云不怛化者意亦如此也。如楊・墨之害、在今世則已無之。如道家之說、其害終小。惟佛學、今則人人談之。瀰漫滔天、其害無涯。舊嘗問學佛者、傳燈錄幾人、云千七百人。某曰、敢道此千七百人無一人逹者。果有一人見得聖人朝聞道夕死可矣與曾子易簀之理、臨死須尋一尺布帛裹頭而死、必不肯削髮胡服。而終是誠無一人逹者。禪者曰、此迹也、何不論其心。曰、心迹一也。豈有迹非而心是者也。正如兩脚方行。指其心曰、我本不欲行、他兩脚自行。豈有此理。蓋上下・本末・内外、都是一理也、方是道。莊子曰遊方之内、遊方之外者、方何嘗有内外。如此、則是道有隔斷、内面是一處、外面又別是一處。豈有此理。學禪者曰、草木鳥獸之生、亦皆是幻。曰、子以爲生息於春秋、及至秋冬便却變壞、便以爲幻、故亦以人性爲幻。何不付與他。物生死成壞、自有此理、何者爲幻。
【読み】
佛學(一に氏に作る。)は、只是れ生死を以て人を恐動す。怪しむ可し二千年來、一人も覺る無き、此は是れ他に恐動せらるればなり。聖賢は生死を以て本分の事と爲し、懼る可き無し。故に死生を論ぜず。佛が學は死生を怕るるが爲に、故に只管に說いて休まず。下俗の人固[まこと]に懼るること多く、利を以て動じ易し。禪學者の如きに至りては、自ら此に異なりと曰うと雖も、然れども之を要するに只是れ此箇の意見、皆利心なり。籲[やく]が曰く、此の學、是れ本來公心を以て之を求むることを知らず、後此の蔽有り、或は本只利心の上を以て之を得、と。曰く、本是れ利心の上より得來る、故に學者も亦利心を以て之を信ず。莊生が云う、化を怛[おど]さずという者の意も亦此の如きなり。楊・墨が害の如きは、今世に在りては則ち已に之れ無し。道家の說の如きは、其の害終に小さし。惟佛學は、今則ち人人之を談ず。瀰漫して天に滔[はびこ]る、其の害涯[かぎ]り無し。舊嘗て佛を學ぶ者に、傳燈錄は幾人ぞと問えば、云う、千七百人、と。某曰く、敢えて道[い]う、此の千七百人一人も逹する者無し。果たして一人も聖人朝に道を聞かば夕に死すとも可なりというと曾子簀を易えるの理とを見得すること有らば、死に臨みて須く一尺の布帛を尋[もち]いて頭を裹[つつ]みて死すべく、必ずしも肯えて髮を削って胡服せじ。而るに終に是れ誠に一人も逹する者無きなり、と。禪者が曰く、此れ迹なり、何ぞ其の心を論ぜざる、と。曰く、心迹一なり。豈迹非にして心是なる者有らんや。正に兩脚の方に行くが如し。其の心を指して曰ん、我れ本行くことを欲せざれども、他兩脚自ら行く、と。豈此の理有らんや。蓋し上下・本末・内外、都て是れ一理なり、方に是れ道なり。莊子が曰く、方の内に遊び、方の外に遊ぶという者、方に何ぞ嘗て内外有らん。此の如きときは、則ち是れ道隔斷有り、内面是れ一處、外面も又別に是れ一處なり。豈此の理有らんや、と。禪を學ぶ者が曰く、草木鳥獸の生も、亦皆是れ幻なり、と。曰く、子以て春秋に生息して、秋冬に至るに及びて便ち却って變壞するが爲に、便ち以て幻と爲す、故に亦人性を以て幻と爲せり。何ぞ他に付與せざる。物の生死成壞は、自づから此の理有り、何者をか幻と爲さん。

天地之閒、非獨人爲至靈、自家心便是草木鳥獸之心也。但人受天地之中以生爾。(一本此下云、人與物、但氣有偏正耳。獨陰不成、獨陽不生。得陰陽之偏者爲鳥獸草木夷狄。受正氣者人也。)
【読み】
天地の閒、獨り人のみ至靈なりと爲すに非ず、自家の心は便ち是れ草木鳥獸の心なり。但人は天地の中を受けて以て生ずるのみ。(一本に此の下に云う、人と物と、但氣に偏正有るのみ。獨り陰のみ成らず、獨り陽のみ生ぜず。陰陽の偏を得る者は鳥獸草木夷狄と爲る。正氣を受くる者は人なり。)

後漢人之名節、成於風俗。未必自得也。然一變可以至道。
【読み】
後漢の人の名節は、風俗に成る。未だ必ずしも自得せざるなり。然れども一たび變ぜば以て道に至る可し。

先王之世、以道治天下。後世只是以法把持天下。
【読み】
先王の世は、道を以て天下を治む。後世は只是れ法を以て天下を把持す。

語仁而曰可謂仁之方也已者、何也。蓋若便以爲仁、則反使不識仁、只以所言爲仁也。故但曰仁之方、則使自得之以爲仁也。
【読み】
仁を語りて仁の方[みち]と謂う可きのみと曰うは、何ぞや。蓋し若し便ち以て仁と爲すときは、則ち反って仁を識らず、只言う所を以て仁と爲さしむるなり。故に但仁の方と曰うときは、則ち自得して以て仁を爲さしむるなり。

忠信所以進德。終日乾乾。君子當終日對越在天也。蓋上天之載、無聲無臭。其體則謂之易、其理則謂之道、其用則謂之神、其命於人則謂之性、率性則謂之道、脩道則謂之敎。孟子去其中又發揮出浩然之氣。可謂盡矣(一作性。)。故說神如在其上、如在其左右。大小大事而只曰誠之不可揜如此。夫徹上徹下、不過如此。形而上爲道、形而下爲器。須著如此說。器亦道、道亦器。但得道在、不繫今與後、己與人。
【読み】
忠信は德に進む所以。終日乾乾す。君子當に終日天に在るに對越すべし。蓋し上天の載は、聲も無く臭も無し。其の體は則ち之を易と謂い、其の理は則ち之を道と謂い、其の用は則ち之を神と謂い、其の人に命ずるをば則ち之を性と謂い、性に率うをば則ち之を道と謂い、道を脩むるをば則ち之を敎と謂う。孟子其の中より去って又浩然の氣を發揮し出す。(一に性に作る。)盡くせりと謂う可し。故に說く、神其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し、と。大小の大事にして只曰う、誠の揜う可からざること此の如し、と。夫れ徹上徹下、此の如きに過ぎず。形よりして上は道爲り、形よりして下は器爲り。須く此の如く說くことを著くべし。器も亦道なり、道も亦器なり。但道在ることを得ば、今と後と、己と人とに繫からず。

富貴驕人、固不善。學問驕人、害亦不細。
【読み】
富貴人に驕るは、固に不善なり。學問人に驕るも、害亦細からず。

義理與客氣常相勝。又看消長分數多少、爲君子小人之別。義理所得漸多、則自然知得客氣消散得漸少。消盡者是大賢。
【読み】
義理と客氣とは常に相勝つ。又消長分數の多少を看て、君子小人の別を爲す。義理の得る所漸く多きときは、則ち自然に客氣消散し得て漸く少なきことを知得す。消し盡くす者は是れ大賢なり。

興於詩、立於禮、自然見有著力處。至成於樂、自然見無所用力。(一本云、興於詩、便須見有著力處。立於禮、便須見有得力處。成於樂、便須見有無所用力處。)
【読み】
詩に興り、禮に立つは、自然に力を著く處有ることを見る。樂に成るに至りては、自然に力を用うる所無きことを見る。(一本に云う、詩に興るは、便ち須く力を著く處有ることを見るべし。禮に立つは、便ち須く力を得る處有ることを見るべし。樂に成るは、便ち須く力を用うる所無き處有ることを見るべし。)

若不能存養、只是說話。
【読み】
若し能く存養せずんば、只是れ說話なり。

韓愈亦近世豪傑之士。如原道中言語、雖有病、然自孟子而後、能將許大見識尋求者、才見此人。至如斷曰孟子醇乎醇、又曰荀與楊擇焉而不精、語焉而不詳、若不是佗見得、豈千餘年後便能斷得如此分明也。如楊子看老子、則謂言道德則有取、至如搥提仁義、絕滅禮學、則無取。若以老子剖斗折衡、聖人不死、大盜不止、爲救時反本之言、爲可取、却尙可恕。如老子言失道而後德、失德而後仁、失仁而後義、失義而後禮、則自不識道、已不成言語。却言其言道德則有取、蓋自是楊子已不見道。豈得如愈也。
【読み】
韓愈も亦近世豪傑の士なり。原道の中の言語の如き、病有りと雖も、然れども孟子自りして後、能く許大の見識を將[もっ]て尋求する者は、才に此の人を見るのみ。斷りて孟子は醇乎として醇なりと曰い、又荀と楊とは擇びて精しからず、語りて詳らかならずと曰うが如きに至りては、若し是れ佗[かれ]見得せずんば、豈千餘年の後に便ち能く斷り得ること此の如く分明ならんや。楊子が如きは老子を看て、則ち謂う、道德を言うは則ち取ること有り、仁義を搥提[ついてい]し、禮學を絕滅するが如きに至りては、則ち取ること無し、と。老子斗を剖[わ]り衡を折り、聖人死せずんば、大盜止まじというを以て、時を救い本に反るの言と爲して、取る可しとするが若きは、却って尙恕す可し。老子道を失いて後に德あり、德を失いて後に仁あり、仁を失いて後に義あり、義を失いて後に禮ありと言うが如き、則ち自ら道を識らずして、已に言語を成さず。却って其の道德を言うは則ち取ること有りと言うときは、蓋し自ら是れ楊子も已に道を見ず。豈愈が如きことを得んや。

予天民之先覺者。謂我乃天生此民中盡得民道而先覺者也。旣爲先覺之民、豈可不覺未覺者。及彼之覺、亦非分我之所有以予之。皆彼自有此義理、我但能覺之而已。
【読み】
予は天民の先覺なる者なり、と。謂えらく、我は乃ち天此の民を生ずるの中に民の道を盡くし得て先覺なる者なり。旣に先覺の民と爲りて、豈未だ覺らざる者を覺さざる可けんや。彼が覺るに及んで、亦我が有る所を分かちて以て之に予うるに非ず。皆彼れ自ら此の義理有り、我れ但能く之を覺るのみ。

聖賢千言萬語、只是欲人將已放之心、約之使反、復入身來。自能尋向上去、下學而上達也。
【読み】
聖賢の千言萬語は、只是れ人の已に放たれし心を將[もっ]て、之を約にして反復して身に入り來らしめんことを欲す。自ら能く尋ねて上に向かい去[ゆ]くは、下學して上達するなり。

先生嘗語王介甫曰、公之談道、正如說十三級塔上相輪。對望而談曰、相輪者如此如此。極是分明。如某則戇直、不能如此、直入塔中、上尋相輪、辛勤登攀、邐迤而上。直至十三級時、雖猶未見相輪、能如公之言、然某却實在塔中、去相輪漸近。要之須可以至也。至相輪中坐時、依舊見公對塔談說此相輪如此如此。介甫只是說道、云我知有箇道、如此如此。只佗說道時、已與道離。佗不知道、只說道時、便不是道也。有道者亦(一作言。)、自分明、只作尋常本分事說了。孟子言堯・舜性之、舜由仁義行。豈不是尋常說話。至於易只道箇立人之道曰仁與義、則和性字由字、也不消道、自已分明。陰陽・剛柔・仁義、只是此一箇道理。
【読み】
先生嘗て王介甫に語りて曰く、公の道を談ずるは、正に十三級の塔上の相輪を說くが如し。對望して談じて曰く、相輪は此の如く此の如し、と。極めて是れ分明なり。某が如きは則ち戇[おろか]にして直に、此の如くなること能わず、直に塔中に入り、上りて相輪を尋ね、辛勤登攀[とはん]し、邐迤[りい]して上る。直に十三級に至る時、猶未だ相輪を見ること、公が言の如くなること能わずと雖も、然れども某却って實に塔中に在り、相輪を去ること漸く近し。之を要するに須く以て至る可きなり。相輪の中に至りて坐する時、舊に依りて公の塔に對して此の相輪を談說するを見て此の如し此の如し、と。介甫は只是れ道を說き、云[ここ]に我れ箇の道有ることを知ること、此の如し此の如し、と。只佗[かれ]道を說く時、已に道と離る。佗道を知らず、只道を說く時、便ち是れ道にあらず。道有る者は亦(一に言に作る。)、自ら分明に、只尋常本分の事と作して說了す。孟子言う、堯・舜は之を性のままにす、舜は仁義に由って行う、と。豈是れ尋常の說話にあらずや。易に只箇の人の道を立つに仁と義と曰うと道うに至っては、則ち性の字由の字に和して、也[また]道を消[もち]いざること、自づから已に分明なり。陰陽・剛柔・仁義、只是れ此の一箇の道理なり。

嘉禮不野合、野合則秕稗也。故生不野合、則死不墓祭。蓋燕饗祭祀、乃宮室中事。後世習俗廢禮、有踏靑、藉草飮食。故墓亦有祭。如禮望墓爲壇、竝墓人爲墓祭之尸、亦有時爲之、非經禮也。後世在上者未能制禮、則隨俗未免墓祭。旣有墓祭、則祠堂之類、亦且爲之可也。
【読み】
嘉禮は野合せず、野合するときは則ち秕稗なり。故に生まるるとき野合せざるときは、則ち死して墓祭せず。蓋し燕饗祭祀は、乃ち宮室の中の事なり。後世習俗禮を廢して、靑を踏み、草を藉いて飮食する有り。故に墓も亦祭有り。禮に墓を望みて壇と爲す、竝びに墓人墓祭の尸を爲[つく]るが如きも、亦時有りて之を爲せども、經禮には非ざるなり。後世上に在る者未だ禮を制すること能わざれば、則ち俗に隨いて未だ墓祭を免れず。旣に墓祭有るときは、則ち祠堂の類、亦且つ之を爲すも可なり。

禮經中旣不說墓祭。卽是無墓祭之文也。
【読み】
禮經の中旣に墓祭を說かず。卽ち是れ墓祭の文無きなり。

張横渠於墓祭合一、分食而祭之。故告墓之文有曰奔走荆棘、殽亂桮盤之列之語。此亦未盡也。如獻尸則可合而爲一。鬼神如何可合而爲一。
【読み】
張横渠墓祭に於て合一して、食を分けて之を祭る。故に墓に告ぐるの文に荆棘に奔走して、桮盤[はいばん]の列を殽亂[こうらん]すと曰うの語有り。此れ亦未だ盡くさざるなり。尸に獻[たてまつ]るが如きは則ち合して一と爲す可し。鬼神は如何にして合して一と爲す可けん。

墓人墓祭則爲尸。舊說爲祭后土則爲尸者非也。蓋古人祭社之外、更無所在有祭后土之禮。(如今城隍神之類、皆不當祭。)
【読み】
墓人墓祭するときは則ち尸を爲る。舊說に后土を祭りて則ち尸を爲る者は非なりと爲す。蓋し古人は祭社の外、更に所在后土を祭るの禮有ること無し。(今の城隍神の如きの類、皆當に祭るべからず。)

家祭、凡拜皆當以兩拜爲禮。今人事生、以四拜爲再拜之禮者、蓋中閒有問安之事故也。事死如事生、誠意則當如此。至如死而問安、却是瀆神。若祭祀有祝・有告・謝神等事、則自當有四拜六拜之禮。
【読み】
家祭は、凡そ拜すること皆當に兩拜を以て禮と爲すべし。今の人生に事うるに、四拜を以て再拜の禮と爲す者は、蓋し中閒安きを問うの事有るが故なり。死に事うることは生に事うるが如く、誠意あるときは則ち當に此の如くすべし。死して安きを問うが如きに至りては、却って是れ神を瀆す。祭祀に祝有り告有り神を謝す等の事の若きは、則ち自づから當に四拜六拜の禮有るべし。

古人祭祀用尸、極有深意、不可不深思。蓋人之魂氣旣散、孝子求神而祭、無尸則不饗、無主則不依。故易於渙・萃、皆言王假有廟。卽渙散之時事也。魂氣必求其類而依之。人與人旣爲類。骨肉又爲一家之類。己與尸各旣已潔齊、至誠相通、以此求神、宜其饗之。後世不知此(一本有道字。)、直以尊卑之勢、遂不肯行爾。(古人爲尸者、亦自處如何。三代之末、已是不得已而廢。)
【読み】
古人祭祀に尸を用うるは、極めて深き意有り、深く思わずんばある可からず。蓋し人の魂氣旣に散じ、孝子神を求めて祭るに、尸無きときは則ち饗けず、主無きときは則ち依らず。故に易に渙・萃に於て、皆王有廟に假[いた]ると言う。卽ち渙散の時の事なり。魂氣は必ず其の類を求めて之に依る。人と人と旣に類爲り。骨肉も又一家の類爲り。己と尸と各々旣已に潔齊すれば、至誠相通じて、此を以て神を求め、宜しく其れ之を饗くべし。後世此(一本に道の字有り。)を知らず、直に尊卑の勢を以て、遂に行うことを肯ぜざるのみ。(古人尸を爲る者、亦自ら處すこと如何せん。三代の末、已に是れ已むことを得ずして廢することを。)

宗子繼別爲宗。言別、則非一也。如別子五人、五人各爲大宗。所謂兄弟宗之者、謂別子之子、繼禰者之兄弟宗其小宗子也。
【読み】
宗子は繼別を宗と爲す。別と言うときは、則ち一に非ざるなり。別子五人あるが如き、五人各々大宗と爲る。所謂兄弟之を宗とすという者は、別子の子、禰[でい]に繼ぐ者の兄弟其の小宗の子を宗とするを謂うなり。

凡人家法、須令每有族人遠來、則爲一會以合族、雖無事、亦當每月一爲之。古人有花樹韋家宗會法、可取也。然族人每有吉凶嫁娶之類、更須相與爲禮、使骨肉之意常相通。骨肉日疏者、只爲不相見、情不相接爾。
【読み】
凡そ人家の法は、須く族人の遠く來ること有る每に、則ち一會を爲して以て族を合わせしむべく、事無きと雖も、亦當に每月一たび之を爲すべし。古人花樹韋家宗會の法有り、取る可きなり。然して族人吉凶嫁娶の類有る每に、更に須く相與に禮を爲して、骨肉の意をして常に相通ぜしむべし。骨肉日に疏なる者は、只相見ずして、情相接わらざるが爲なるのみ。

世人多愼於擇壻、而忽於擇婦。其實壻易見、婦難知。所繫甚重。豈可忽哉。
【読み】
世人多く壻を擇ぶことを愼みて、婦を擇ぶことを忽にす。其の實壻は見易く、婦は知り難し。繫かる所甚だ重し。豈忽にす可けんや。

籲問、每常遇事、卽能知操存之意。無事時、如何存養得熟。曰、古之人、耳之於樂、目之於禮、左右起居、盤盂几杖、有銘有戒、動息皆有所養。今皆廢此。獨有理義之養心耳。但存此涵養意、久則自熟矣。敬以直内是涵養意。言不莊不敬、則鄙詐之心生矣。貌不莊不敬、則怠慢之心生矣。
【読み】
籲問う、常に事に遇う每に、卽ち能く操存するの意を知る。事無き時、如何ぞ存養得て熟せん、と。曰く、古の人、耳の樂に於る、目の禮に於る、左右起居、盤盂几杖、銘り有戒有り、動息皆養う所有り。今皆此を廢す。獨り理義の心を養うこと有るのみ。但此の涵養の意を存すること、久しきときは則ち自ら熟す。敬以て内を直くするは是れ涵養の意。言うこころは、莊ならず敬せざるときは、則ち鄙詐の心生[な]る。貌莊ならず敬せざるときは、則ち怠慢の心生る。

漢儒如毛萇・董仲舒、最得聖賢之意。然見道不甚分明。下此、卽至楊雄、規模窄狹。道卽性也。言性已錯。更何所得。
【読み】
漢儒毛萇・董仲舒が如き、最も聖賢の意を得。然れども道を見ること甚だ分明ならず。此より下りて、卽ち楊雄に至りては、規模窄狹なり。道は卽ち性なり、と。性を言うこと已に錯[たが]える。更に何ぞ得る所あらん。

漢策賢良、猶是人舉之。如公孫弘者、猶强起之、乃就對。至如後世賢良、乃自求舉耳。若果有曰我心只望廷對、欲直言天下事、則亦可尙矣。若志在富貴、則得志便驕縱、失志則便放曠與悲愁而已。
【読み】
漢の賢良を策す、猶是れ人之を舉ぐ。公孫弘が如き者、猶强いて之を起てて、乃ち就對す。後世の賢良の如きに至りては、乃ち自ら舉を求むるのみ。若し果たして我が心只望むらくは廷對して、直に天下の事を言わんと欲すと曰うこと有らば、則ち亦尙ぶ可し。若し志富貴に在るときは、則ち志を得れば便ち驕縱し、志を失うときは則ち便ち放曠すると悲愁するとのみ。

周官醫以十全爲上、非爲十人皆愈爲上。若十人不幸皆死病、則奈何。但知可治不可治者十人皆中、卽爲上。
【読み】
周官に醫十ながら全[いや]すを以て上と爲すは、十人皆愈えるを上と爲すと爲すには非ず。若し十人不幸にして皆死病なるときは、則ち奈何せん。但治す可く治す可からざる者十人を知って皆中るを、卽ち上と爲す。

有人勞正叔先生曰、先生謹於禮四五十年、應甚勞苦。先生曰、吾日履安地。何勞何苦。佗人日踐危地。此乃勞苦也。
【読み】
人有り正叔先生を勞いて曰く、先生禮を謹むこと四五十年、應に甚だ勞苦すべし、と。先生曰く、吾れ日に安き地を履む。何をか勞し何をか苦にせん。佗人は日に危き地を踐む。此れ乃ち勞苦す。

憂子弟之輕俊者、只敎以經學念書、不得令作文字。
【読み】
子弟の輕俊なる者を憂えば、只敎うるに經學を以てし書を念[よ]みて、文字を作らしむることを得じ。

子弟凡百玩好皆奪志。至於書札、於儒者事最近。然一向好著、亦自喪心。如王・虞・顏・柳輩、誠爲好人則有之。曾見有善書者知道否、平生精力一用於此。非惟徒廢時日。於道便有妨處、足知喪志也。
【読み】
子弟凡百の玩好皆志を奪う。書札に至りては、儒者の事に於て最も近し。然れども一向に好著すれば、亦自ら心を喪う。王・虞・顏・柳が輩の如き、誠に好人爲ることは則ち之れ有り。曾て書を善すること有る者を見るに道を知らんや否や、平生の精力一に此に用う。惟徒に時日を廢するのみに非ず。道に於て便ち妨ぐる處有らば、志を喪うことを知るに足るなり。

王弼注易、元不見道、但却以老・莊之意解說而已。
【読み】
王弼易を注すに、元道を見ず、但却って老・莊の意を以て解說するのみ。

呂與叔嘗言、患思慮多、不能驅除。曰、此正如破屋中禦寇。東面一人來未逐得、西面又一人至矣。左右前後、驅逐不暇。蓋其四面空疏、盜固易入、無緣作得主定。又如虛器入水。水自然入。若以一器實之以水、置之水中、水何能入來。蓋中有主則實。實則外患不能入、自然無事。
【読み】
呂與叔嘗て言う、思慮多くして、驅除すること能わざることを患う、と。曰く、此れ正に破屋の中に寇を禦ぐが如し。東面より一人來りて未だ逐い得ざるに、西面より又一人至る。左右前後、驅逐するに暇あらず。蓋し其の四面空疏にして、盜固に入り易く、主を作り得て定むるに緣[よし]無ければなり。又虛器に水を入るるが如し。水は自然に入る。若し一器を以て之を實てるに水を以てし、之を水中に置かば、水何ぞ能く入り來らんや。蓋し中に主有るときは則ち實す。實するときは則ち外患入ること能わず、自然に無事なり。

孔子曰、其如示諸斯乎、指其掌。中庸便曰、明乎郊社之禮、禘嘗之義、治國其如示諸掌乎。蓋人有疑孔子之語。中庸又直指郊禘之義以發之。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。中庸以曾子之言雖是如此、又恐人尙疑忠恕未可便爲道。故曰、忠恕違道不遠、施諸己而不願、亦勿施於人。此又掠下敎人。
【読み】
孔子曰く、其れ諸れ斯を示すが如しといって、其の掌を指す。中庸に便ち曰う、郊社の禮、禘嘗の義を明らかにするときは、國を治むること其れ諸れ掌を示[み]るが如くならんか、と。蓋し人孔子の語を疑うこと有り。中庸も又直に郊禘の義を指して以て之を發す。曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ、と。中庸に以えらく、曾子の言是れ此の如しと雖も、又恐れらくは人尙忠恕は未だ便ち道と爲す可からざることを疑わんことを。故に曰く、忠恕は道を違[さ]ること遠からず、諸を己に施して願わざるをば、亦人に施すこと勿かれ、と。此れ又下を掠して人を敎うるなり。

堯夫嘗言、能物物、則我爲物之人也。不能物物、則我爲物之物也。亦不消如此。人自人、物自物。道理甚分明。
【読み】
堯夫嘗て言う、能く物を物とするときは、則ち我れ物の人爲り。物を物とすること能わざるときは、則ち我れ物の物爲り、と。亦此の如きを消[もち]いず。人は自づから人なり、物は自づから物なり。道理甚だ分明なり。

伯淳近與呉師禮談介甫之學錯處、謂師禮曰、爲我盡達諸介甫。我亦未敢自以爲是。如有說、願往復。此天下公理、無彼我。果能明辨、不有益於介甫則必益於我。
【読み】
伯淳近が呉師禮と介甫が學の錯える處を談じて、師禮に謂いて曰く、我が爲に盡く諸を介甫に達せよ。我も亦未だ敢えて自ら以て是と爲さず。如し說有らば、願わくは往復せん。此れ天下の公理、彼我無し。果たして能く明らかに辨ぜば、介甫に益有らずんば則ち必ず我に益あらん。

人以料事爲明、便駸駸入逆詐億不信去也。
【読み】
人事を料るを以て明と爲すときは、便ち駸駸として詐を逆[むか]え不信を億[おもんばか]るに入り去るなり。

射中鵠、舞中節、御中度、皆誠也。古人敎人以射御象勺、所養之意如此。
【読み】
射鵠に中り、舞節に中り、御度に中るは、皆誠なり。古人人に敎うるに射御象勺を以てす、養う所の意此の如し。

凡物之名字、自與音義氣理相通。除其他有體質可以指論而得名者之外、如天之所以爲天。天未名時、本亦無名。只是蒼蒼然也。何以便有此名。蓋出自然之理、音聲發於其氣、遂有此名此字。如今之聽聲之精者、便知人性、善卜者知人姓名、理由此也。
【読み】
凡そ物の名字、自づから音義と氣理相通ず。其の他體質以て指論す可き有りて名を得る者の外を除いて、天の天爲る所以の如し。天未だ名づけざる時、本亦名無し。只是れ蒼蒼然たり。何を以てか便ち此の名有る。蓋し自然の理より出で、音聲其の氣を發して、遂に此の名此の字有り。今の聲を聽くの精しき者の、便ち人の性を知り、卜を善する者の人の姓名を知るが如き、理此に由るなり。

籲言、趙澤嘗云、臨政事不合著心、惟恕上合著心。是否。曰、彼謂著心勉而行恕則可。謂著心求恕則不可。蓋恕、自有之理、舉其心加諸彼而已。不待求而後得。然此人之論、有心爲恕、終必恕矣。
【読み】
籲言う、趙澤嘗て云う、政に臨んでは事心に著く合[べ]からず、惟恕上に心を著く合し、と。是なりや否や、と。曰く、彼れ心を著けて勉めて恕を行うと謂わば則ち可なり。心を著けて恕を求むと謂わば則ち不可なり。蓋し恕は、自ら有するの理、其の心を舉げて諸を彼に加うるのみ。求めて後に得ることを待たず。然れども此の人の論、恕を爲すに心有らば、終に必ず恕ならん。

誠者合内外之道、不誠無物。
【読み】
誠は内外を合するの道、誠ならざれば物無し。

持國曰、凡人志能使氣者、能定其志、則氣爲吾使。志壹則動氣矣。先生曰、誠然矣。志壹則動氣。然亦不可不思。氣壹則動志。非獨趨蹶、藥也、酒也、亦是也。然志動氣者多、氣動志者少。雖氣亦能動志、然亦在持其志而已。
【読み】
持國が曰く、凡そ人志能く氣を使う者は、能く其の志を定むるときは、則ち氣吾が爲に使わる。志壹なるときは則ち氣を動かすなり、と。先生曰く、誠に然り。志壹なるときは則ち氣を動かす。然れども亦思わずんばある可からず。氣壹なるときは則ち志を動かす。獨り趨蹶するのみに非ざるは、藥なり、酒なりとは、亦是なり。然れども志氣を動かす者は多く、氣志を動かす者は少なし。氣も亦能く志を動かすと雖も、然れども亦其の志を持するに在るのみ。

持國曰、道家有三住。心住則氣住。氣住則神住。此所謂存三守一。伯淳先生曰、此三者、人終食之頃未有不離者。其要只在收放心。
【読み】
持國が曰く、道家に三住有り。心住[とど]まるときは則ち氣住まる。氣住まるときは則ち神住まる。此れ所謂三を存し一を守るなり、と。伯淳先生曰く、此の三つの者、人食を終えるの頃も未だ離れざる者有らず。其の要は只放心を收むるに在り。

持國常患在下者多欺。伯淳先生曰、欺有三。有爲利而欺、則固可罪。有畏罪而欺者、在所恕。事有類欺者、在所察。
【読み】
持國常に下に在る者多く欺くことを患う。伯淳先生曰く、欺くに三つ有り。利の爲にして欺くこと有るときは、則ち固に罪す可し。罪を畏れて欺くこと有る者は、恕す所在り。事欺くに類すること有る者は、察する所在り。

人於外物奉身者、事事要好、只有自家一箇身與心、却不要好。苟得外面物好時、却不知道自家身與心却已先不好了也。
【読み】
人は外物の身に奉ずる者に於て、事事に好けんことを要す。只自家一箇の身と心とに有っては、却って好きことを要せず。苟も外面の物の好きを得る時は、却って自家の身と心と却って已に先づ好了ならざることを道うことを知らざるなり。

先生曰、范景仁論性曰、豈有生爲此。死又却爲彼。儘似見得。後却云、自有鬼神。又却迷也。
【読み】
先生曰く、范景仁性を論じて曰く、豈生有りて此と爲すのみならんや。死も又却って彼と爲す、と。儘見得するに似たり。後却って云う、自ら鬼神有り、と。又却って迷えり。

少年時見物大、食物美。後不能然者、物自爾也。乃人與氣有盛衰爾。
【読み】
少年の時は物を見ること大に、物を食すること美なり。後然ること能わざる者は、物自づから爾り。乃ち人と氣と盛衰有るのみ。

生之謂性。性卽氣。氣卽性。生之謂也。人生氣稟、理有善惡。然不是性中元有此兩物相對而生也。有自幼而善、有自幼而惡。(后稷之克岐克嶷、子越椒始生、人知其必滅若敖氏之類。)是氣稟有然也。善固性也。然惡亦不可不謂之性也。蓋生之謂性。人生而靜以上不容說。才說性時、便已不是性也。凡人說性、只是說繼之者善也。孟子言人性善是也。夫所謂繼之者善也者、猶水流而就下也。皆水也。有流而至海、終無所汚。此何煩人力之爲也。有流而未遠、固已漸濁。有出而甚遠、方有所濁。有濁之多者、有濁之少者。淸濁雖不同、然不可以濁者不爲水也。如此、則人不可以不加澄治之功。故用力敏勇則疾淸、用力緩怠則遲淸。及其淸也、則却只是元初水也。亦不是將淸來換却濁、亦不是取出濁來置在一隅也。水之淸、則性善之謂也。故不是善與惡在性中爲兩物相對、各自出來。此理、天命也。順而循之、則道也。循此而脩之、各得其分、則敎也。自天命以至於敎、我無加損焉。此舜有天下而不與焉者也。
【読み】
生を之れ性と謂う。性は卽ち氣なり。氣は卽ち性なり。生の謂なり。人氣稟に生じて、理に善惡有り。然れども是れ性の中に元此の兩物有りて相對して生ずるにあらざるなり。幼自りして善なる有り、幼自りして惡なる有り。(后稷の克く岐に克く嶷なる、子越椒始めて生まれて、人其の必ず若敖氏を滅ぼさんことを知るの類。)是れ氣稟に然るもの有るなり。善は固に性なり。然れども惡も亦之を性と謂わざる可からざるなり。蓋し生之を性と謂う。人生まれて靜なる以上は說く容[べ]からず。才[わづか]に性を說く時は、便ち已に是れ性にあらざるなり。凡そ人の性を說く、只是れ之に繼ぐ者は善なりというを說くなり。孟子の人の性は善なりと言うは是れなり。夫れ所謂之に繼ぐ者は善なりというは、猶水の流れて下に就くがごとし。皆水なり。流れて海に至るまで、終に汚るる所無き有り。此れ何ぞ人力煩わすことを之れ爲さん。流れて未だ遠からずして、固に已に漸く濁る有り。出でて甚だ遠くして、方に濁る所有る有り。濁ることの多き者有り、濁ることの少なき者有り。淸濁同じからずと雖も、然れども濁る者を以て水と爲さずんばある可からず。此の如きときは、則ち人以て澄治の功を加えずんばある可からず。故に力を用うること敏勇なるときは則ち疾く淸み、力を用うること緩怠なるときは則ち遲く淸む。其の淸むに及んでは、則ち却って只是れ元初の水なり。亦是れ淸を將[も]ち來りて濁れるに換却するにあらず、亦是れ濁れるを取り出し來りて一隅に置在するにあらず。水の淸めるは、則ち性善の謂なり。故に是れ善と惡と性の中に在りて兩物と爲りて相對して、各々自ら出で來るにあらず。此の理は、天命なり。順いて之に循うは、則ち道なり。此に循いて之を脩め、各々其の分を得るは、則ち敎なり。天命自り以て敎に至るまで、我において加損すること無し。此れ舜天下を有ちて與らざる者なり。

邢和叔言、吾曹常須愛養精力。精力稍不足則倦。所以臨事皆勉强而無誠意。接賓客語言尙可見。況臨大事乎。
【読み】
邢和叔言う、吾曹は常に須く精力を愛養すべし。精力稍[やや]足らざるときは則ち倦む。所以に事に臨んで皆勉强して誠意無し。賓客に接する語言も尙見る可し。況んや大事に臨むをや。

嘗與趙汝霖論。爲政切忌臨事著心。曰、此誠是也。然唯恕上合著心。
【読み】
嘗て趙汝霖と論ず。政を爲むるは切に事に臨んで心を著くことを忌む。曰く、此れ誠に是なり。然れども唯恕の上に心を著く合[べ]し。

拾 遺

浩然之氣、天地之正氣。大則無所不在、剛則無所屈、以直道順理而養、則充塞於天地之閒、配義與道、氣皆主於義而無不在道、一置私意則餒矣。是集義所生、事事有理而在義也。非自外襲而取之也。告子外之者、蓋不知義也。(楊遵道所錄伊川語中、辨此一段非明道語。)
【読み】
浩然の氣は、天地の正氣。大なるときは則ち在らずという所無く、剛なるときは則ち屈する所無く、直道を以て理に順いて養うときは、則ち天地の閒に充塞し、義と道とに配すれば、氣皆義を主として道に在らずということ無く、一も私意を置くときは則ち餒[う]う。是れ義を集めて生ずる所、事事理有りて義に在るなり。外自り襲いて之を取るに非ざるなり。告子之を外にする者は、蓋し義を知らざればなり。(楊遵道が錄する所の伊川の語の中、此の一段は明道の語に非ざることを辨ず。)

壹與一字同。一動氣則動志。一動志則動氣。爲養氣者而言也。若成德者、志已堅定、則氣不能動志。
【読み】
壹と一の字とは同じ。一たび氣を動かすときは則ち志を動かす。一たび志を動かすときは則ち氣を動かす。氣を養う者の爲にして言うなり。成德の者、志已に堅定するが若きには、則ち氣志を動かすこと能わず。

北宮黝之勇、在於必爲。孟施舍之勇、能於無懼。子夏、篤志力行者也。曾子、明理守約者也。
【読み】
北宮黝[ほくきゅうゆう]が勇は、必ず爲すに在り。孟施舍が勇は、懼るること無きことを能くす。子夏は、篤く志し力め行う者なり。曾子は、理を明らかにし約を守る者なり。

必有事者、主養氣而言。故必主於敬。勿正、勿作爲也。心勿忘、必有事也。助長、乃正也。
【読み】
必ず事有りとは、氣を養うを主として言う。故に必ず敬を主とす。正[あてて]すること勿かれとは、作爲すること勿かれとなり。心に忘るること勿かれとは、必ず事有るなり。助長するは、乃ち正するなり。

北方之强、血氣也。南方之强、乃理强。故聖人貴之。
【読み】
北方の强は、血氣なり。南方の强は、乃ち理强きなり。故に聖人之を貴ぶ。

人患乎懾怯者、蓋氣不充、不素養故也。
【読み】
人の懾怯[しょうきょう]を患うる者は、蓋し氣充たず、素より養わざる故なり。

忿懥、怒也。治怒爲難。治懼亦難。克己可以治怒。明理可以治懼。
【読み】
忿懥[ふんち]は、怒なり。怒を治むること難しと爲す。懼を治むるも亦難し。己に克つときは以て怒を治む可し。理を明らかにするときは以て懼を治む可し。

侯世與云、某年十五六時、明道先生與某講孟子。至勿正心勿忘勿助長處云、二哥以必有事焉而勿正爲一句、心勿忘勿助長爲一句。亦得因舉禪語爲況云、事則不無、擬心則差。某當時言下有省。
【読み】
侯世與が云う、某年十五六の時、明道先生某が與[ため]に孟子を講ず。勿正心勿忘勿助長の處に至りて云う、二哥必ず事有りて正[あてて]すること勿かれというを以て一句と爲し、心に忘るること勿かれ、助長すること勿かれというを一句とせよ、と。亦因りて禪語を舉げて況[たと]えとすることを得て云う、事は則ち無くんばあらず、心に擬すれば則ち差う、と。某當時言下に省すること有り。

 

二程全書卷之二  遺書二先生語第二上

元豐己未呂與叔東見二先生語
【読み】
元豐己未、呂與叔東のかた二先生に見えしときの語

古不必驗。今之所患、止患不得爲、不患不能爲。正。
【読み】
古は必ずしも驗[ため]さず。今の患うる所は、止[ただ]爲すことを得ざることを患え、爲すこと能わざることを患えず。正。

居處恭、執事敬、與人忠、此是徹上徹下語。聖人元無二語。明。
【読み】
居處恭しく、事を執ること敬に、人と與にするに忠あるは、此れ是れ徹上徹下の語。聖人元二語無し。明。

一人之心卽天地之心(心一作體。)、一物之理卽萬物之理、一日之運卽一歲之運。正。
【読み】
一人の心は卽ち天地の心(心は一に體に作る。)、一物の理は卽ち萬物の理、一日の運は卽ち一歲の運。正。

志道懇切、固是誠意。若迫切不中理、則反爲不誠。蓋實理中自有緩急、不容如是之迫。觀天地之化乃可知。正。
【読み】
道に志すこと懇切なるは、固に是れ誠意なり。若し迫切にして理に中らざるときは、則ち反って誠あらずと爲す。蓋し實理の中自づから緩急有り、是の如く迫る容[べ]からず。天地の化を觀て乃ち知る可し。正。

聖人用意深處、全在繫辭、詩・書乃格言。明。
【読み】
聖人意を用うるの深き處は、全く繫辭に在り、詩・書は乃ち格言なり。明。

古之學者、皆有傳授。如聖人作經、本欲明道。今人若不先明義理、不可治經。蓋不得傳授之意云爾。如繫辭本欲明易。若不先求卦義、則看繫辭不得。
【読み】
古の學者は、皆傳授有り。聖人經を作るが如き、本道を明らかにせんと欲す。今人若し先づ義理を明らかにせずんば、經を治むる可からず。蓋し傳授の意を得ずと爾か云わん。繫辭の如き本易を明らかにせんと欲す。若し先づ卦の義を求めずんば、則ち繫辭を看ること得じ。

觀易須看時、然後觀逐爻之才。一爻之閒、常包涵數意。聖人常取其重者爲之辭。亦有易中言之已多、取其未嘗言者、亦不必重事。又有且言其時、不及其爻之才、皆臨時參考。須先看卦、乃看得繫辭。
【読み】
易を觀るは須く時を看るべく、然して後に逐爻の才を觀よ。一爻の閒、常に數意を包涵す。聖人常に其の重き者を取りて之が辭を爲[つく]る。亦易中之を言うこと已に多きこと有れば、其の未だ嘗て言わざる者を取りて、亦必ずしも事を重んぜず。又且つ其の時を言いて、其の爻の才に及ばざること有れば、皆時に臨みて參考せよ。須く先づ卦を看るべく、乃ち繫辭を看得ん。

有德者、得天理而用之。旣有諸己、所用莫非中理。知巧之士、雖不自得、然才知稍高、亦能窺測見其一二、得而用之、乃自謂泄天機。若平心用之、亦莫不中理。但不有諸己、須用知巧、亦有(元本無有字。)反失之。如蘇・張之類。
【読み】
有德の者は、天理を得て之を用う。旣に諸を己に有すれば、用うる所理に中るに非ざること莫し。知巧の士は、自得せずと雖も、然れども才知稍[やや]高ければ、亦能く窺い測りて其の一二を見て、得て之を用い、乃ち自ら天機を泄らすと謂う。若し平心に之を用いば、亦理に中らざること莫からん。但諸を己に有せざるときは、須く知巧を用いば、亦反って之を失すること有(元本有の字無し。)るべし。蘇・張が類の如し。

敎人之術、若童牛之牿。當其未能觸時、已先制之、善之大者。其次、則豶豕之牙。豕之有牙、旣已難制。以百方制之、終不能使之改。惟豶其勢、則性自調伏、雖有牙亦不能爲害。如有不率敎之人、却須置其檟楚。別以道格其心、則不須檟楚、將自化矣。
【読み】
人を敎うるの術は、童牛の牿[こく]の若し。其の未だ觸れること能わざるの時に當たりて、已に先づ之を制するは、善の大なる者なり。其の次は、則ち豕の牙を豶[ふん]す。豕の牙有るは、旣已に制し難し。百方を以て之を制すれども、終に之をして改めしむること能わず。惟其の勢を豶すれば、則ち性自づから調伏して、牙有りと雖も亦害を爲すこと能わず。如し敎に率わざるの人有らば、却って其の檟楚[かそ]を置くことを須[もち]う。別に道を以て其の心を格[ただ]すときは、則ち檟楚を須いずして、將に自ら化せんとす。

事君須體納約自牖之意。人君有過、以理開諭之、旣不肯聽、雖當救止、於此終不能囘。却須求人君開納處進說。牖乃開明處。如漢祖欲廢太子、叔孫通言嫡庶根本、彼皆知之、旣不肯聽矣、縱使能言、無以易此。惟張良知四皓素爲漢祖所敬、招之使事太子、漢祖知人心歸太子、乃無廢立意。及左師觸龍事、亦相類。
【読み】
君に事うるときは須く約を納るること牖[まど]自りするの意を體すべし。人君過有るに、理を以て之を開諭すれば、旣に肯えて聽かず、當に救止すべきと雖も、此に於て終に囘すること能わず。却って須く人君開き納るる處を求めて進み說くべし。牖は乃ち開明の處。漢祖太子を廢せんと欲するが如き、叔孫通嫡庶の根本を言えども、彼れ皆之を知りて、旣に肯えて聽かず、縱使[たと]い能く言うとも、以て此を易えること無し。惟張良のみ四皓[しこう]素より漢祖の爲に敬せらるるを知って、之を招いて太子に事えしむれば、漢祖人心の太子に歸することを知って、乃ち廢立の意無し。及び左師觸龍の事も、亦相類す。

天下善惡皆天理。謂之惡者非本惡。但或過或不及便如此。如楊・墨之類。明。
【読み】
天下の善惡皆天理。之を惡と謂う者は本惡に非ず。但或は過、或は不及、便ち此の如し。楊・墨が類の如し。明。

仁義禮智信五者、性也。仁者、全體。四者、四支。仁、體也。義、宜也。禮、別也。智、知也。信、實也。
【読み】
仁義禮智信の五つの者は、性なり。仁は、全體。四つの者は、四支。仁は、體なり。義は、宜なり。禮は、別なり。智は、知なり。信は、實なり。

學者全體此心、學雖未盡、若事物之來、不可不應。但隨分限應之、雖不中、不遠矣。
【読み】
學者全く此の心を體せば、學未だ盡くさずと雖も、事物の來の若きは、應ぜずんばある可からず。但分限に隨いて之に應ぜば、中らずと雖も、遠からじ。

學者須敬守此心、不可急迫。當栽培深厚、涵泳於其閒、然後可以自得。但急迫求之、只是私己。終不足以達道。
【読み】
學者須く此の心を敬守すべく、急迫にす可からず。當に栽培深厚にして、其の閒に涵泳すべく、然して後に以て自得す可し。但急迫に之を求むれば、只是れ私己なり。終に以て道に達するに足らず。

學者全要識時。若不識時、不足以言學。顏子陋巷自樂、以有孔子在焉。若孟子之時、世旣無人。安可不以道自任。
【読み】
學者全く時を識らんことを要す。若し時を識らずんば、以て學を言うに足らず。顏子陋巷にして自ら樂しむは、孔子焉に在すこと有るを以てなり。孟子の時の若きは、世旣に人無し。安んぞ道を以て自任せざる可けんや。

訂頑一篇、意極完備。乃仁之體也。學者其體此意、令有諸己、其地位已高。到此地位、自別有見處、不可窮高極遠。恐於道無補也。明。
【読み】
訂頑の一篇、意極めて完備す。乃ち仁の體なり。學者其れ此の意を體して、諸を己に有せしむれば、其の地位已に高からん。此の地位に到れば、自づから別に見處有り、高きを窮め遠きを極む可からず。恐らくは道に於て補い無けん。明。

醫書言手足痿痺爲不仁。此言最善名狀。仁者、以天地萬物爲一體、莫非己也。認得爲己、何所不至。若不有諸己、自不與己相干。如手足不仁、氣已不貫、皆不屬己。故博施濟衆、乃聖之功用。仁至難言。故止曰己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。欲令如是觀仁、可以得仁之體。明。
【読み】
醫書に手足痿痺するを言いて不仁と爲す。此の言最も善く名狀す。仁者は、天地萬物を以て一體と爲し、己に非ざること莫し。認め得て己と爲らば、何ぞ至らざる所あらん。若し諸を己に有さざれば、自ら己と相干[かか]わらず。手足不仁なるが如きは、氣已に貫かず、皆己に屬せず。故に博く施して衆を濟うは、乃ち聖の功用なり。仁は至って言い難し。故に止[ただ]己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す、能く近く取り譬うるを、仁の方と謂う可きのみと曰う。是の如く仁を觀せしめて、以て仁の體を得可きことを欲す。明。

博施濟衆、云必也聖乎者、非謂仁不足以及此。言博施濟衆者乃功用也。明。
【読み】
博く施して衆を濟うは、必ず聖かと云う者は、仁は以て此に及ぶに足らずと謂うには非ず。博く施して衆を濟うは乃ち功用なることを言うなり。明。

嘗喩以心知天、猶居京師往長安、但知出西門便可到長安。此猶是言作兩處。若要誠實、只在京師、便是到長安。更不可別求長安。只心便是天。盡之便知性、知性便知天(一作性便是天。)。當處便認取、更不可外求。
【読み】
嘗て喩す、心を以て天を知るは、猶京師に居て長安に往くがごとく、但西門より出づれば便ち長安に到る可きことを知る、と。此れ猶是れ言いて兩處と作すがごとし。若し要するに誠實なれば、只京師に在りても、便ち是れ長安に到る。更に別に長安を求むる可からず。只心は便ち是れ天なり。之を盡くせば便ち性を知り、性を知れば便ち天を(一作に性は便ち是れ天なるを。)知る。當たる處便ち認取し、更に外に求むる可からず。

窮理盡性以至於命三事一事竝了。元無次序。不可將窮理作知之事。若實窮得理、卽性命亦可了。明。
【読み】
理を窮め性を盡くし以て命に至るの三事は一事に竝了す。元次序無し。理を窮むるを將[もっ]て知の事と作す可からず。若し實に理を窮め得ば、卽ち性命も亦了す可し。明。

學者識得仁體、實有諸己、只要義理栽培。如求經義、皆栽培之意。
【読み】
學者仁の體を識得して、實に諸を己に有せんとせば、只義理栽培せんことを要す。經義を求むるが如きは、皆栽培するの意なり。

世間有鬼神憑依言語者、蓋屡見之。未可全不信。此亦有理。莫見乎隱、莫顯乎微而已。嘗以所求語劉絢、其後以其思索相示。但言與不是、元未嘗告之。近來求得稍親。
【読み】
世間鬼神憑依して言語する者有り、蓋し屡々之を見る。未だ全くは信ぜずんばある可からず。此れ亦理有り。隱より見[あらわ]れたるは莫く、微より顯らかなるは莫きのみ。嘗て求むる所を以て劉絢[りゅうけん]に語りて、其の後其の思索を以て相示す。但言不是に與れば、元より未だ嘗て之に告げず。近來求め得ること稍親[ちか]し。

昔受學於周茂叔、每令尋顏子・仲尼樂處。所樂何事。
【読み】
昔學を周茂叔に受けしとき、每[つね]に顏子・仲尼の樂しむ處を尋ねしむ。樂しむ所は何事ぞ、と。

眞知與常知異。常見一田夫、曾被虎傷。有人說虎傷人、衆莫不驚、獨田夫色動異於衆。若虎能傷人、雖三尺童子莫不知之。然未嘗眞知。眞知須如田夫乃是。故人知不善而猶爲不善、是亦未嘗眞知。若眞知、決不爲矣。
【読み】
眞に知ると常に知ると異なり。常に見る、一りの田夫、曾て虎に傷らる。人有りて虎人を傷ると說けば、衆驚かずということ莫けれども、獨り田夫のみ色動くこと衆に異なることを。虎の能く人を傷るが若きは、三尺の童子と雖も之を知らざる莫し。然れども未だ嘗て眞に知らず。眞に知るは須く田夫の如くにして乃ち是なるべし。故に人不善を知りて而して猶不善をするは、是れ亦未だ嘗て眞に知らざるなり。眞に知るが若きは、決してせざるなり。

蒲人要盟事、知者所不爲。況聖人乎。果要之、止不之衛可也。盟而背之、若再遇蒲人、其將何辭以對。
【読み】
蒲人盟を要する事は、知者もせざる所。況んや聖人をや。果たして之を要せば、止衛に之[ゆ]かずして可なり。盟いて之に背かば、若し再び蒲人に遇うとき、其れ何の辭を將いて以て對せん。

嘗言鄭戩作縣、定民陳氏爲里正。旣暮、有姓陳人乞分居。戩立笞之曰、安有朝定里正、而夕乞分居。旣而察之、乞分居者、非定里正也。今夫赤子未能言、其志意嗜欲人所未知、其母必不能知之、然不至誤認其意者、何也。誠心愛敬而已。若使愛敬其民如其赤子、何錯繆之有。故心誠求之、雖不中、不遠矣。
【読み】
嘗て言う、鄭戩[ていせん]縣と作りて、民の陳氏を定めて里正と爲す。旣に暮れて、姓陳という人有りて分居を乞う。戩立[たちどころ]に之を笞うちて曰く、安んぞ朝に里正を定めて、夕に分居を乞うこと有らんや、と。旣にして之を察するに、分居を乞う者、定めし里正に非ず。今夫れ赤子未だ言うこと能わず、其の志意嗜欲人未だ知らざる所、其の母も必ず之を知ること能わず、然れども其の意を誤り認むるに至らざる者は、何ぞや。誠心に愛敬すればのみ。若し其の民を愛敬すること其の赤子の如くならしめば、何の錯繆することか之れ有らん。故に心に誠に之を求むれば、中らずと雖も、遠からじ、と。

欲知得與不得、於心氣上驗之。思慮有得、中心悅豫、沛然有裕者、實得也。思慮有得、心氣勞耗者、實未得也。强揣度耳。嘗有人言、比因學道、思慮心虛。曰、人之血氣、固有虛實、疾病之來、聖賢所不免。然未聞自古聖賢因學而致心疾者。
【読み】
得ると得ざるとを知らんと欲せば、心氣の上に於て之を驗せよ。思慮得ること有りて、中心悅豫して、沛然として裕かなること有る者は、實に得るなり。思慮得ること有りても、心氣勞耗する者は、實に未だ得ざるなり。强いて揣度[したく]するのみ。嘗て人有り言く、比[このごろ]道を學ぶに因り、思慮して心虛なり、と。曰く、人の血氣は、固より虛實有り、疾病の來るは、聖賢も免れざる所なり。然れども未だ古自り聖賢學に因りて心疾を致す者を聞かず、と。

學者須先識仁。仁者、渾然與物同體。義・禮・知・信皆仁也。識得此理、以誠敬存之而已。不須防檢、不須窮索。若心懈則有防、心苟不懈、何防之有。理有未得。故須窮索。存久自明、安待窮索。此道與物無對、大不足以名之。天地之用皆我之用。孟子言、萬物皆備於我。須反身而誠、乃爲大樂。若反身未誠、則猶是二物有對、以己合彼、終未有之、(一本下更有未有之三字。)又安得樂。訂頑意思、乃備言此體。以此意存之、更有何事。必有事焉、而勿正、心勿忘、勿助長。未嘗致纖毫之力、此其存之之道。若存得、便合有得。蓋良知良能元不喪失、以昔日習心未除、却須存習此心。久則可奪舊習。此理至約。惟患不能守。旣能體之而樂、亦不患不能守也。明。
【読み】
學者は須く先ず仁を識るべし。仁は、渾然として物と體を同じくす。義・禮・知・信も皆仁なり。此の理を識得して、誠敬を以て之を存するのみ。防檢することを須いず、窮索することを須いず。若し心懈るときは則ち防ぐこと有り、心苟も懈らずんば、何の防ぐことか之れ有らん。理未だ得ざること有り。故に窮索するこを須う。存すること久しくして自づから明らかならば、安んぞ窮索することを待たん。此れ道と物と對無くして、大いに以て之に名づくるに足らず。天地の用は皆我が用なり。孟子言く、萬物皆我に備わる、と。須く身に反りて誠ありて、乃ち大いに樂しむと爲すべし。若し身に反りて未だ誠あらざるときは、則ち猶是れ二物對有りて、己を以て彼に合すること、終に未だ之れ有らず、(一本に下に更に未有之の三字有り。)又安んぞ樂しむことを得ん。訂頑の意思、乃ち備に此の體を言う。此の意を以て之を存せば、更に何事か有らん。必ず事とすること有り、而して正[あてて]すること勿かれ、心に忘るること勿かれ、長ずるを助くること勿かれ、と。未だ嘗て纖毫の力を致さざるは、此れ其れ之を存するの道なり。若し存し得ば、便ち得ること有る合[べ]し。蓋し良知良能は元より喪失せず、昔日の習心を以て未だ除かず、却って須く此の心を存習すべし。久しきときは則ち舊習を奪う可し。此の理至って約なり。惟守ること能わざることを患う。旣に能く之を體して樂しめば、亦守ること能わざることを患えざるなり。明。

事有善有惡、皆天理也。天理中、物須有美惡。蓋物之不齊、物之情也。但當察之。不可自入於惡、流於一物。明。
【読み】
事に善有り惡有り、皆天理なり。天理の中、物須く美惡有るべし。蓋し物の齊しからざるは、物の情なり。但當に之を察すべし。自ら惡に入り、一物に流るる可からず。明。

昔見上稱介甫之學、對曰、王安石之學不是。上愕然問曰、何故。對曰、臣不敢遠引、止以近事明之。臣嘗讀詩、言周公之德云、公孫碩膚、赤舄几几。周公盛德、形容如是之盛。如王安石、其身猶不能自治、何足以及此。明。(○一本此下云、又嘗稱介甫。顥對曰、王安石博學多聞則有之。守約則未也。)
【読み】
昔上介甫が學を稱するを見て、對えて曰く、王安石が學は是[よ]からず、と。上愕然として問いて曰く、何の故ぞ、と。對えて曰く、臣敢えて遠く引かず、止近き事を以て之を明かさん。臣嘗て詩を讀みて、周公の德を言いて云う、公碩膚を孫[ゆづ]り、赤舄[せき]几几たり、と。周公の盛德、是の如く盛んなることを形容す。王安石が如きは、其の身すら猶自ら治むること能わず、何ぞ以て此に及ぶに足らん、と。明。(○一本に此の下に云う、又嘗て介甫を稱す。顥[こう]對えて曰く、王安石博學多聞は則ち之れ有り。約を守ることは則ち未だし、と。)

聖人卽天地也。天地中何物不有。天地豈嘗有心揀別善惡。一切涵容覆載。但處之有道爾。若善者親之、不善者遠之、則物不與者多矣。安得爲天地。故聖人之志、止欲老者安之、朋友信之、少者懷之。
【読み】
聖人は卽ち天地なり。天地の中何物か有せざらん。天地豈嘗て善惡を揀別[かんべつ]するに心有らんや。一切涵容覆載す。但之に處すること道有るのみ。若し善なる者は之を親しみ、不善なる者は之を遠ざけば、則ち物與せざる者多からん。安んぞ天地爲ることを得ん。故に聖人の志は、止老者をば之を安んじ、朋友をば之を信じ、少者をば之を懷けんと欲するのみ。

死生存亡皆知所從來、胸中瑩然無疑。止此理爾。孔子言、未知生、焉知死。蓋略言之。死之事卽生是也。更無別理。明。
【読み】
死生存亡皆從來する所を知らば、胸中瑩然[えいぜん]として疑無し。止此れ理のみ。孔子言う、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。蓋し略して之を言えり。死の事は卽ち生是れなり。更に別理無し。明。

言體天地之化、已剩一體字。只此便是天地之化、不可對此箇別有天地。明。
【読み】
天地の化を體すと言うは、已に一の體の字を剩[あま]す。只此れ便ち是れ天地の化は、此れ箇の別に天地有るに對す可からず。明。

胡安定在湖州置治道齋、學者有欲明治道者、講之於中。如治兵・治民・水利・算數之類。嘗言劉彝善治水利。後果爲政、皆興水利有功。
【読み】
胡安定湖州に在るとき治道齋を置き、學者治道を明らかにせんと欲する者有れば、之を中に講ず。兵を治め、民を治め、水利、算數の類の如し。嘗て言う、劉彝善く水利を治む、と。後果たして政を爲して、皆水利を興して功有り。

睟面盎背、皆積盛致然。四體不言而喩、惟有德者能之。
【読み】
面に睟[あらわ]れ背に盎[あふ]るるは、皆積盛にして然ることを致す。四體言わずして喩うは、惟有德の者のみ之を能くす。

大學乃孔氏遺書。須從此學則不差。明。
【読み】
大學は乃ち孔氏の遺書なり。須く此に從いて學ぶときは則ち差わざるべし。明。

孔子之列國、答聘而已。若有用我者則從之。
【読み】
孔子列國に之くは、聘に答うるのみ。若し我を用うる者有らば則ち之に從わん。

居今之時、不安今之法令、非義也。若論爲治、不爲則已。如復爲之、須於今之法度内處得其當、方爲合義。若須更改而後爲、則何義之有。
【読み】
今の時に居て、今の法令を安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を爲すことを論ぜば、爲さずんば則ち已まん。如し復之を爲さば、須く今の法度の内に於て其の當を處し得べく、方に義に合うと爲す。若し更改するを須[ま]ちて後に爲さば、則ち何の義ということか之れ有らん。

孟子言、養心莫善於寡欲。欲寡則心自誠。荀子言、養心莫善於誠。旣誠矣、又何養。此已不識誠、又不知所以養。
【読み】
孟子言く、心を養うは欲を寡くするより善きは莫し、と。欲寡きときは則ち心自づから誠なり。荀子が言く、心を養うは誠より善きは莫し、と。旣に誠ならば、又何をか養わん。此れ已に誠を識らず、又養う所以を知らず。

賢者惟知義而已。命在其中。中人以下、乃以命處義。如言求之有道、得之有命、是求無益於得、知命之不可求。故自處以不求。若賢者則求之以道、得之以義、不必言命。
【読み】
賢者は惟義を知るのみ。命其の中に在り。中人以下は、乃ち命を以て義に處す。之を求むるに道有り、之を得るに命有り、是れ求むるも得るに益無しと言うが如きは、命の求む可からざることを知る。故に自ら處するに求めざるを以てす。賢者の若きは則ち之を求むるに道を以てし、之を得るに義を以てして、必ずしも命を言わず。

克己則私心去、自然能復禮。雖不學文、而禮意已得。明。
【読み】
己に克つときは則ち私心去って、自然に能く禮に復る。文を學ばずと雖も、禮意已に得。明。

今之監司、多不與州縣一體。監司專欲伺察、州縣專欲掩蔽。不若推誠心與之共治。有所不逮。可敎者敎之、可督者督之、至於不聽、擇其甚者去一二、使足以警衆可也。
【読み】
今の監司、多くは州縣と一體ならず。監司は專ら伺察せんことを欲し、州縣は專ら掩蔽せんことを欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮ばざる所有らん。敎う可き者は之を敎え、督す可き者は之を督して、聽かざるに至って、其の甚だしき者を擇びて一二を去り、以て衆を警むるに足らしめば可なり。

詩・書載道之文、春秋聖人之用。(一本此下云、五經之有春秋、猶法律之有斷例也。律令惟言其法。至於斷例則始見其法之用也。)詩・書如藥方、春秋如用藥治疾。聖人之用全在此書。所謂不如載之行事深切著明者也。有重疊言者、如征伐盟會之類。蓋欲成書、勢須如此。不可事事各求異義。但一字有異、或上下文異、則義須別。
【読み】
詩・書は道を載する文にして、春秋は聖人の用なり。(一本に此の下に云う、五經の春秋有るは、猶法律の斷例有るがごとし。律令は惟其の法を言う。斷例に至っては則ち始めて其の法の用を見るなり。)詩・書は藥方の如く、春秋は藥を用いて疾を治むるが如し。聖人の用は全く此の書に在り。謂う所の之を行事に載することの深切著明なるには如かずという者なり。重疊して言う者有り、征伐盟會の類の如し。蓋し書を成さんと欲せば、勢い須く此の如くなるべし。事事各々異義を求む可からず。但一字異なること有り、或は上下の文異なるときは、則ち義須く別つべし。

君實修資治通鑑、至唐事。正叔問曰、敢與太宗・肅宗正簒名乎。曰、然。又曰、敢辯魏徵之罪乎。曰、何罪。魏徵事皇太子、太子死、遂忘戴天之讐而反事之、此王法所當誅。後世特以其後來立朝風節而掩其罪。有善有惡、安得相掩。曰、管仲不死子糾之難而事桓公。孔子稱其能不死、曰、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆而莫之知也。與徵何異。曰、管仲之事與徵異。齊侯死、公子皆出。小白長而當立、子糾少亦欲立。管仲奉子糾奔魯、小白入齊、旣立、仲納子糾以抗小白。以少犯長、又所不當立、義已不順。旣而小白殺子糾。管仲以所事言之則可死、以義言之則未可死。故春秋書齊小白入於齊。以國繫齊、明當立也。又書公伐齊納糾(二傳無子字。)。糾去子、明不當立也。至齊人取子糾殺之、此復繫子者、罪齊大夫旣盟而殺之也。與徵之事全異。
【読み】
君實資治通鑑を修するとき、唐の事に至る。正叔問いて曰く、敢えて太宗・肅宗と簒の名を正すや、と。曰く、然り、と。又曰く、敢えて魏徵が罪を辯ずるや、と。曰く、何の罪かある。魏徵皇太子に事え、太子死して、遂に戴天の讐を忘れて反って之に事うるは、此れ王法の當に誅すべき所なり。後世特[ただ]其の後來朝に立つの風節を以てして其の罪を掩う。善有り惡有り、安んぞ相掩うことを得ん、と。曰く、管仲子糾が難に死せずして桓公に事う。孔子其の能く死せざることを稱して、曰く、豈匹夫匹婦の諒をするや、自ら溝瀆に經[くび]れて之を知ること莫きが若くならんや、と。徵と何ぞ異なる、と。曰く、管仲が事は徵と異なり。齊侯死して、公子皆出づ。小白長にして當に立たんとし、子糾少にして亦立たんと欲す。管仲子糾を奉じて魯に奔り、小白齊に入りて、旣に立ち、仲子糾を納めて以て小白に抗す。少を以て長を犯すは、又當に立つべからざる所にて、義已に順ならず。旣にして小白子糾を殺す。管仲事うる所を以て之を言えば則ち死す可く、義を以て之を言えば則ち未だ死す可からず。故に春秋に齊の小白齊に入ると書す。國を以て齊に繫けるは、當に立つべきことを明らかにするなり。又公齊を伐ちて糾を納ると書す(二傳に子の字無し。)。糾子を去ることは、當に立つべからざることを明らかにするなり。齊人子糾を取[とら]えて之を殺すというに至りて、此れ復子を繫ける者は、齊の大夫旣に盟して之を殺すを罪するなり。徵が事と全く異なり、と。

知・仁・勇三者、天下之逹德、所以行之者一。一則誠也。止是誠實此三者。三者之外、更別無誠。
【読み】
知・仁・勇の三つの者は、天下の逹德、之を行う所以の者は一なり。一とは則ち誠なり。止是れ此の三つの者を誠實にす。三つの者の外に、更に別に誠無し。

孟子才高、學之無可依據。學者當學顏子。入聖人爲近、有用力處。明。
【読み】
孟子は才高くして、之を學ぶも依據す可き無し。學者は當に顏子を學ぶべし。聖人に入ること近しと爲し、力を用うる處有り。明。

若季氏則吾不能、以季・孟之閒待之、季氏强臣、君待之之禮極隆。然非所以待孔子。季・孟之閒、則待之之禮爲至矣。然復曰、吾老矣、不能用也。此孔子不繫待之輕重、特以不用而去。
【読み】
季氏が若きは則ち吾れ能わず、季・孟の閒を以て之を待せんというは、季氏は强臣にて、君之を待するの禮極めて隆[たっと]きなり。然れども孔子を待する所以に非ず。季・孟の閒は、則ち之を待するの禮至れりと爲す。然れども復曰う、吾れ老いたり、用うること能わず、と。此れ孔子待するの輕重に繫からず、特[ただ]用いずというを以て去るのみ。

談經論道則有之、少有及治體者。如有用我者、正心以正身、正身以正家、正家以正朝廷百官、至於天下。此其序也。其閒則又繫用之淺深、臨時裁酌而應之。難執一意。
【読み】
經を談じ道を論ずることは則ち之れ有り、治體に及ぶ者有ること少なし。如し我を用うる者有らば、心を正して以て身を正し、身を正して以て家を正し、家を正して以て朝廷百官を正し、天下に至るは、此れ其の序なり。其の閒は則ち又用うるの淺深に繫けて、時に臨みて裁酌して之に應ぜん。一意を執り難し。

天地之道、常垂象以示人。故曰、貞觀。日月常明而不息。故曰、貞明。
【読み】
天地の道、常に象を垂れて以て人に示す。故に曰く、貞觀、と。日月常に明にして息まず。故に曰く、貞明、と。

學者不必遠求、近取諸身。只明人理、敬而已矣。便是約處。易之乾卦言聖人之學、坤卦言賢人之學、惟言敬以直内、義以方外、敬義立而德不孤。至於聖人、亦止如是、更無別途。穿鑿繫累、自非道理。故有道有理、天人一也。更不分別。浩然之氣、乃吾氣也。養而不害、則塞乎天地。一爲私心所蔽、則欿然而餒、却甚小也。思無邪、無不敬、只此二句、循而行之、安得有差。有差者、皆由不敬不正也。明。
【読み】
學者は必ずしも遠く求めずして、近く身に取る。只人理を明らかにするは、敬のみ。便ち是れ約する處なり。易の乾の卦に聖人の學を言い、坤の卦に賢人の學を言い、惟敬以て内を直くし、義以て外を方にす、敬義立って德孤ならずと言う。聖人に至っても、亦止是の如きにして、更に別途無し。穿鑿繫累するは、自ら道理に非ず。故に道有り理有ることは、天人一なり。更に分別せず。浩然の氣は、乃ち吾が氣なり。養いて害せざるときは、則ち天地に塞[み]つ。一も私心の爲に蔽わるるときは、則ち欿然[かんぜん]として餒え、却って甚だ小さし。思い邪無く、敬せざること無き、只此の二句、循いて之を行わば、安んぞ差うこと有ることを得ん。差うこと有る者は、皆敬せず正しからざるに由る。明。

良能良知、皆無所由。乃出於天、不繫於人。
【読み】
良能良知は、皆由る所無し。乃ち天に出でて、人に繫からず。

德性謂天賦天資。才之美者也。
【読み】
德性は天賦天資を謂う。才の美なる者なり。

凡立言欲涵蓄意思。不使知德者厭、無德者惑。
【読み】
凡そ言を立つるには意思を涵蓄せんことを欲す。德を知る者厭い、德無き者惑わしめず。

且省外事、但明乎善、惟進誠心、其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功。明。
【読み】
且く外事を省いて、但善を明らかにし、惟誠心を進むれば、其の文章中らずと雖も遠からじ。守る所約ならざれば、泛濫して功無し。明。

學者須學文。知道者進德而已。有德則不習無不利。未有學養子而後嫁。蓋先得是道矣。學文之功、學得一事是一事、二事是二事、觸類至於百千、至於窮盡、亦只是學、不是德。有德者不如是。故此言可爲知道者言、不可爲學者言。如心得之、則施於四體、四體不言而喩。譬如學書、若未得者、須心手相須而學。苟得矣、下筆便能書、不必積學。
【読み】
學者は須く文を學ぶべし。道を知る者は德に進むのみ。德有るときは則ち習わざれども利あらざること無し。未だ子を養うことを學びて而して後に嫁ぐは有らず。蓋し先づ是の道を得ればなり。文を學ぶの功は、一事を學び得れば是れ一事、二事は是れ二事、類に觸れて百千に至り、窮め盡くすに至っても、亦只是れ學にして、是れ德ならず。德有る者は是の如くならず。故に此の言は道を知る者の爲に言う可くして、學者の爲に言う可からず。如し心に之を得ば、則ち四體に施して、四體言わずして喩る。譬えば書を學ぶが如き、若し未だ得ざる者は、心手相須[もち]うることを須[ま]って學ぶ。苟[まこと]に得れば、筆を下して便ち能く書して、必ずしも學を積まず。

有有德之言、有造道之言、有述事之言。有德者、止言己分事。造道之言、如顏子言孔子、孟子言堯・舜。止是造道之深、所見如是。
【読み】
德有りの言有り、道に造るの言有り、事を述ぶるの言有り。德有る者は、止己が分の事を言うのみ。道に造るの言は、顏子が孔子を言い、孟子が堯・舜を言うが如し。止是れ道に造ること深くして、見る所是の如し。

所見所期、不可不遠且大。然行之亦須量力有漸。志大心勞、力小任重、恐終敗事。
【読み】
見る所期する所、遠くして且つ大ならずんばある可からず。然れども之を行うには亦須く力を量り漸有るべし。志大に心勞し、力小に任重きは、恐らくは終に事を敗らん。

某接人多矣。不雜者三人。張子厚・邵堯夫・司馬君實。
【読み】
某人に接すること多し。雜ならざる者三人。張子厚・邵堯夫・司馬君實なり。

聖不可知、謂聖之至妙、人所不能測。
【読み】
聖にして知る可からずとは、聖の至妙、人の測ること能わざる所を謂う。

立宗非朝廷之所禁。但患人自不能行之。
【読み】
宗を立つるは朝廷の禁ずる所に非ず。但人自ら之を行うこと能わざることを患う。

立淸虛一大爲萬物之源。恐未安。須兼淸濁虛實乃可言神。道體物不遺、不應有方所。
【読み】
淸虛一大を立てて萬物の源と爲す。恐らくは未だ安からず。須く淸濁虛實を兼ねて乃ち神と言う可し。道は物に體して遺さず、方所有る應[べ]からず。

敎人未見意趣、必不樂學。欲且敎之歌舞。如古詩三百篇、皆古人作之。如關雎之類、正家之始。故用之郷人、用之邦國、日使人聞之。此等詩、其言簡奧、今人未易曉。別欲作詩、略言敎童子灑掃應對事長之節、令朝夕歌之。似當有助。
【読み】
人を敎うるに未だ意趣を見ざれば、必ず學ぶことを樂しまず。且く之に歌舞を敎えんと欲す。古詩三百篇の如きは、皆古人之を作る。關雎の類の如きは、家を正すの始め。故に之を郷人に用い、之を邦國に用いて、日に人をして之を聞かしむ。此れ等の詩は、其の言簡奧にして、今の人未だ曉かし易からず。別に詩を作りて、略[ほぼ]童子に敎うる灑掃應對長に事うるの節を言いて、朝夕之を歌わしめんと欲す。當に助有るべきに似たり。

致知在格物。格、至也。窮理而至於物、則物理盡。
【読み】
知を致むるは物に格るに在り。格は、至るなり。理を窮めて物に至るときは、則ち物理盡く。

今之學者、惟有義理以養其心。若威儀辭讓以養其體、文章物采以養其目、聲音以養其耳、舞蹈以養其血脉、皆所未備。
【読み】
今の學者は、惟義理以て其の心を養うのみ有り。威儀辭讓以て其の體を養い、文章物采以て其の目を養い、聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脉を養うが若きは、皆未だ備わらざる所なり。

孟子之於道、若溫淳淵懿、未有如顏子者、於聖人幾矣。後世謂之亞聖、容有取焉。如盍各言爾志、子路・顏子・孔子皆一意、但有小大之差。皆與物共者也。顏子不自私己。故無伐善。知同於人。故無施勞。若聖人、則如天地。如老者安之之類。(孟字疑誤。)
【読み】
孟子の道に於る、溫淳淵懿なるが若くなれども、未だ顏子の如き者有らず、聖人に於て幾[ちか]し。後世之を亞聖と謂うこと、取ること有る容し。盍ぞ各々爾が志を言わざるというが如き、子路・顏子・孔子皆一意にて、但小大の差有るのみ。皆物と共にする者なり。顏子は自ら己に私せず。故に善に伐[ほこ]ること無し。人に同じきことを知る。故に勞を施すこと無し。聖人の若きは、則ち天地の如し。老者をば之を安んぜんというの類の如し。(孟の字疑うらくは誤りならん。)

大學在明明德、先明此道。在新民者、使人用此道以自新。在止於至善者、見知所止。
【読み】
大學は明德を明らかにするに在りとは、先づ此の道を明らかにするなり。民を新たにするに在りとは、人をして此の道を用いて以て自ら新たにせしむるなり。至善に止まるに在りとは、止まる所を知ることを見すなり。

得而後動、與慮而後動異。得在己。如自使手舉物、無不從。慮則未在己。如手中持物以取物。知其不利。
【読み】
得て後に動くと、慮って後に動くとは異なり。得ることは己に在り。自ら手をして物を舉げしめて、從わざること無きが如し。慮ることは則ち未だ己に在らず。手の中に物を持ちて以て物を取るが如し。其の利あらざることを知る。

聖人於文章、不講而學。蓋講者有可否之疑、須問辨而後明。學者有所不知。問而知之、則可否自決、不待講論。如孔子之盛德、惟官名禮文有所未知。故問於郯子・老子。旣知則遂行而已。更不須講。
【読み】
聖人の文章に於るは、講ぜずして學ぶ。蓋し講ずるは可否の疑有り、須く問辨して後に明らかなるべし。學ぶは知らざる所有り。問いて之を知るときは、則ち可否自づから決して、講論を待たず。孔子の盛德の如き、惟官名禮文未だ知らざる所有り。故に郯子[たんし]・老子に問えり。旣に知るときは則ち遂に行うのみ。更に講ずることを須いず。

正叔言、不當以體會爲非心。以體會爲非心、故有心小性大之說。聖人之神、與天(一有地字。)爲一。安得有二。至於不勉而中、不思而得、莫不在此。此心卽與天地無異、不可小了佗、不可(一作若或。)將心滯在知識上。故反以心爲小。(時本注云、横渠云、心禦見聞、不弘於性。)
【読み】
正叔言く、當に體會を以て心に非ずと爲すべからず、と。體會を以て心に非ずと爲す、故に心小性大の說有り。聖人の神は、天(一に地の字有り。)と一爲り。安んぞ二有ることを得ん。勉めずして中り、思わずして得るに至りては、此に在らずということ莫し。此の心は卽ち天地と異なること無く、佗に小了す可からず、(一に若或に作る。)心を將[もっ]て知識の上に滯在す可からず。故に反って心を以て小と爲す。(時本の注に云う、横渠云う、心見聞を禦がば、性を弘めず、と。)

鼓舞萬物、不與聖人同憂。此天與人異處。聖人有不能爲天之所爲處。
【読み】
萬物を鼓舞して、聖人と憂いを同じくせず。此れ天と人と異なる處なり。聖人天の爲す所の處を爲すこと能わざること有り。

行禮不可全泥古。須當視時之風氣自不同。故所處不得不與古異。如今人面貌、自與古人不同。若全用古物、亦不相稱。雖聖人作、須有損益。
【読み】
禮を行うこと全く古に泥む可からず。須く當に時の風氣自づから同じからざることを視るべし。故に處する所古と異ならざることを得ず。今の人の面貌の如き、自づから古人と同じからず。若し全く古の物を用いば、亦相稱わじ。聖人作ると雖も、須く損益有るべし。

交神明之意、當在事生之後、則可以盡孝愛而得其饗。全用古事、恐神不享。
【読み】
神明に交わるの意は、當に生に事うるの後に在るときは、則ち以て孝愛を盡くして其の饗することを得可し。全く古の事を用いば、恐らくは神享けじ。

訂頑之言、極純無雜。秦・漢以來學者所未到。
【読み】
訂頑の言は、極めて純にして雜じり無し。秦・漢以來學者未だ到らざる所なり。

君與夫人當異廟。故自無配。明。
【読み】
君と夫人と當に廟を異にすべし。故に自づから配無し。明。

禘、王者之大祭。祫、諸侯之大祭。明。
【読み】
禘は、王者の大祭。祫[こう]は、諸侯の大祭。明。

伯淳言、學者須守下學上達之語。乃學之要。
【読み】
伯淳言く、學者は須く下學上達の語を守るべし。乃ち學の要なり。

嫂叔無服、先王之權。後聖有作、雖復制服可矣。
【読み】
嫂叔服無きは、先王の權なり。後聖作ること有りて、復服を制すと雖も可なり。

師不立服、不可立也。當以情之厚薄、事之大小處之。如顏・閔於孔子、雖斬衰三年可也。其成己之功、與君父竝。其次各有淺深、稱其情而已。下至曲藝、莫不有師。豈可一概制服。
【読み】
師服を立てざるは、立つ可からざればなり。當に情の厚薄、事の大小を以て之を處すべし。顏・閔の孔子に於るが如き、斬衰三年すと雖も可なり。其の己を成すの功は、君父と竝ぶ。其の次は各々淺深有り、其の情に稱うのみ。下も曲藝に至るまで、師有らざること莫し。豈一概に服を制す可けんや。

子厚以禮敎學者、最善。使學者先有所據守。
【読み】
子厚禮を以て學者を敎うること、最も善し。學者をして先づ據り守る所有らしむ。

斟酌去取古今、恐未易言。須尺度權衡在胸中無疑、乃可處之無差。
【読み】
古今を斟酌去取するは、恐らくは未だ言い易からず。尺度權衡胸中に在りて疑無きを須[ま]ちて、乃ち之に處して差無かる可し。

學禮者考文、必求先王之意、得意乃可以沿革。
【読み】
禮を學ぶ者文を考うるに、必ず先王の意を求め、意を得て乃ち以て沿革す可し。

凡學之雜者、終只是未有所止。内不自足也。譬之一物、懸在空中。苟無所倚著、則不之東則之西。故須著摸佗別道理。只爲自家不内足也。譬之家藏良金、不索外求。貧者見人說金、須借他底看。
【読み】
凡そ學の雜なる者は、終に只是れ未だ止まる所有らず。内自足せざればなり。之を一物、空中に懸在するに譬う。苟も倚著する所無きときは、則ち東に之かざれば則ち西に之く。故に須く佗の別の道理を著摸すべし。只自家内足らざるが爲なり。之を家に良金を藏めて、外に求むることを索[もと]めざるに譬う。貧者人の金を說くを見れば、須く他底の看を借るべし。

朋友講習、更莫如相觀而善工夫多。
【読み】
朋友の講習は、更に相觀て善く工夫すること多きに如くは莫し。

昨日之會、大率談禪、使人情思不樂。歸而悵恨者久之。此說天下已成風。其何能救。古亦有釋氏、盛時尙只是崇設像敎、其害至小。今日之風、便先言性命道德、先驅了知者、才愈高明、則陷溺愈深。在某、則才卑德薄、無可奈何佗。然據今日次第、便有數孟子、亦無如之何。只看孟子時、楊・墨之害能有甚。況之今日、殊不足言。此事蓋亦繫時之汚隆。淸談盛而晉室衰。然淸談爲害、却只是閒言談。又豈若今日之害道。今雖故人有一(初本無一字。)爲此學而陷溺其中者、則旣不可囘。今(初本無今字。)只有望於諸君爾。直須置而不論、更休曰且待嘗試。若嘗試、則已化而自爲之矣。要之、決無取。(初本無此上二十九字。)其術(初本作佛學。)、大概且是絕倫類。(初本卷末注云、昨日之會、大率談禪章内、一本云云、上下皆同、版本已定、不可增益、今附於此。異時有別鋟版者、則當以此爲正。今從之。)世上不容有此理。又其言待要出世、出那裏去。又其迹須要出家。然則家者、不過君臣・父子・夫婦・兄弟。處此等事、以爲寄寓。故其爲忠孝仁義者、皆以爲不得已爾。又要得脫世網。至愚迷者也。畢竟學之者、不過至似佛。佛者一黠胡爾、佗本是箇自私獨善、枯槁山林、自適而已。若只如是、亦不過世上少這一箇人。又却要周遍。謂旣得本、則不患不周遍。要之、決無此理(一本此下云、然爲其學者、詰之、理雖有屈時、又却亂說、卒不可憑。考之。)。今日所患者、患在引取了、中人以上者、其力有以自立。故不可囘。若只中人以下、自不至此、亦有甚執持。今彼言世網者、只爲些秉彝又殄滅不得、故當忠孝仁義之際、皆處於不得已、直欲和這些秉彝都消殺得盡、然後以爲至道也。然而畢竟消殺不得。如人之有耳目口鼻。旣有此氣、則須有此識。所見者色、所聞者聲、所食者味。人之有喜怒哀樂者、亦其性之自然。今强曰必盡絕、爲得天眞、是所謂喪天眞也。持國之爲此學者三十年矣。其所得者、儘說得知有這道理。然至於反身而誠、却竟無得處。佗有一箇覺之理、可以敬以直内矣。然無義以方外。其直内者、要之其本亦不是。譬之贊易。前後貫穿、都說得是有此道理。然須默而成之、不言而信、存乎德行(一再有德行字。)處、是所謂自得也。談禪者雖說得、蓋未之有得。其徒亦有肯道佛卒不可以治天下國家者。然又須道得本則可以周遍。
【読み】
昨日の會、大率禪を談じて、人をして情思樂しまざらしむ。歸りて悵恨する者久し。此の說天下已に風を成す。其れ何ぞ能く救わん。古も亦釋氏有れども、盛んなる時尙只是れ像敎を崇設するのみにして、其の害至って小さし。今日の風は、便ち先づ性命道德を言いて、先づ知者を驅了し、才愈々高明なるときは、則ち陷溺すること愈々深し。某に在っては、則ち才卑く德薄くして、佗を奈何ともす可きこと無し。然れども今日に據る次第は、便ち數々孟子に有り、亦之を如何ともすること無し。只孟子の時を看るに、楊・墨が害能く甚だしきこと有り。之を今日に況うれば、殊に言うに足らず。此の事は蓋し亦時の汚隆に繫かれり。淸談盛んにして晉室衰う。然れども淸談害を爲すは、却って只是れ閒言談なり。又豈今日の道を害するが若くならんや。今故人と雖も一たび(初本一の字無し。)此の學を爲して其の中に陷溺すること有る者は、則ち旣に囘る可からず。今(初本今の字無し。)只諸君に望むこと有るのみ。直ちに須く置いて論ぜざるべく、更に休曰且く待って嘗試[こころ]みん、と。若し嘗試みれば、則ち已に化して自ら之を爲さん。之を要するに、決して取ること無し。(初本此の上の二十九字無し。)其の術(初本佛學に作る。)、大概且是れ倫類を絕つ。(初本卷末の注に云う、昨日の會、大率禪を談じての章内、一本に云云、上下皆同じく、版本已に定まり、增益す可からず、今此に附す。異時別に鋟版[しんばん]する者有り、則ち當に此を以て正と爲すべし、と。今之に從う。)世上此の理有る容からず。又其の言は出世を待要するも、那裏に出で去らんや。又其の迹は出家を須要す。然るに則ち家は、君臣・父子・夫婦・兄弟に過ぎず。此れ等の事に處するを、皆以て寄寓と爲す。故に其の忠孝仁義を爲す者は、皆以て已むことを得ざると爲すのみ。又世網を脫することを得ることを要す。至って愚迷なる者なり。畢竟之を學ぶ者は、佛に似るに至るに過ぎず。佛は一黠胡のみ、佗は本是れ箇の自私し獨善して、枯槁山林、自適するのみ。若し只是の如くならば、亦世上這の一箇の人を少[か]くに過ぎず。又却って周遍なるを要す。旣に本を得たりと謂わば、則ち周遍ならざることを患えず。之を要するに、決して此の理無し(一本に此の下に云う、然して其の學者の爲に、之を詰れば、理屈する時有りと雖も、又却って亂說して、卒に憑[よ]る可からず。之を考えよ、と。)。今日の患うる所の者は、患い引取了わるに在あり、中人以上の者は、其の力以て自ら立つこと有り。故に囘る可からず。若し只中人以下は、自ら此に至らず、亦甚[なん]の執持することか有らん。今彼の世網と言う者は、只些[こ]の彝を秉り又殄滅し得ざるが爲に、故に忠孝仁義の際に當たりて、皆已むことを得ざるに處して、直に這の些の彝を秉るを和して都て消殺し得盡くして、然して後に以て至道と爲さんと欲す。然れども畢竟消殺し得ず。人の耳目口鼻有るが如し。旣に此の氣有れば、則ち須く此の識有るべし。見る所の者は色、聞く所の者は聲、食う所の者は味なり。人の喜怒哀樂有る者は、亦其の性の自然なり。今强いて必ず盡く絕ちて、天眞を得んことを爲すと曰わば、是れ所謂天眞を喪うなり。持國が此の學を爲す者三十年なり。其の得る所の者、儘說き得て這の道理有ることを知とす。然して身に反りて誠あるに至っては、却って竟に得る處無しとす。佗一箇の覺の理有りて、以て敬以て内を直くす可し。然れども義以て外を方にすること無し。其の内を直くする者も、之を要するや其の本も亦是ならず。之を易を贊するに譬う。前後貫穿して、都て說き得れば是れ此の道理有り。然れども須く默して之を成し、言わずして信ずること、德行に存すべしという(一に再び德行の字有り。)處、是れ所謂自得なり。禪を談ずる者說き得ると雖も、蓋し未だ之を得ること有らず。其の徒も亦肯えて佛卒に以て天下國家を治むる可からずと道う者有り。然も又須く道は本を得べくんば則ち以て周遍なる可し。

有問、若使天下盡爲佛、可乎。其徒言、爲其道則可。其迹則不可。伯淳言、若盡爲佛、則是無倫類。天下却都沒人去理。然自亦以天下國下爲不足治、要逃世網。其說至於不可窮處、佗又有一箇鬼神爲說。
【読み】
問える有り、若し天下をして盡く佛と爲らしめば、可ならんや、と。其の徒の言、其の道を爲すは則ち可なり。其の迹は則ち不可なり、と。伯淳言く、若し盡く佛と爲らば、則ち是れ倫類無し。天下却って都て人を沒し理を去らん。然も自ら亦天下國下を以て治むるに足らずと爲し、世網を逃れんと要す。其の說窮む可からざる處に至っては、佗又一箇の鬼神有りて說を爲す、と。

立人之道曰仁與義。據今日、合人道廢則是。今尙不廢者、猶只是有那些秉彝、卒殄滅不得。以此思之、天壤閒可謂孤立。其將誰告耶。
【読み】
人の道を立つるに仁と義と曰う。今日に據るに、人道を合わせて廢せば則ち是なり。今尙廢せざる者は、猶只是れ那の些の彝を秉ること有りて、卒に殄滅し得ざればなり。此を以て之を思うに、天壤の閒孤立すと謂う可し。其れ將誰にか告げんや。

今日卓然不爲此學者、惟范景仁與君實爾。然其所執理、有出於禪學之下者。一日做身主、不得爲人驅過去裏。
【読み】
今日卓然として此の學を爲さざる者は、惟范景仁と君實とのみ。然れども其の執る所の理は、禪學の下に出づる者有り。一日も身の主と做せば、人の過ちを駆り去る裏[ところ]と爲し得ず。

君實嘗患思慮紛亂、有時中夜而作、逹旦不寐、可謂良自苦。人都來多少血氣。若此、則幾何而不摧殘以盡也。其後告人曰、近得一術、常以中爲念。則又是爲中所亂。中又何形。如何念得佗。只是於名言之中、揀得一箇好字。與其爲中所亂、却不如與一串數珠。及與佗數珠、佗又不受。殊不知中之無益於治心、不如數珠之愈也。夜以安身、睡則合眼、不知苦苦思量箇甚、只是不與心爲主。三更常有人喚醒也。(諸本無此八字。)
【読み】
君實嘗て思慮紛亂するを患え、時に中夜にして作[お]きて、逹旦[よもすがら]寐ねざること有り、良[まこと]に自ら苦しむと謂う可し。人都て來[これ]多少の血氣あらん。此の若くならば、則ち幾何にしてか摧殘[さいざん]して以て盡きざらん。其の後人に告げて曰く、近ごろ一術を得たり、常に中を以て念と爲す、と。則ち又是れ中の爲に亂さるる。中も又何の形あらん。如何にして佗を念じ得るや。只是れ名言の中に於て、一箇の好き字を揀[えら]び得るのみ。其の中の爲に亂されん與[よ]りは、却って一串の數珠を與えんには如かず。佗に數珠を與うるに及びて、佗は又受けず。殊に知らず、中の心を治むるに益無きは、數珠の愈れるに如かざることを。夜は以て身を安んじ、睡るときは則ち眼を合わせて、苦苦思量すること箇の甚だしきを知らざるは、只是れ心主とするに與らざればなり。三更常に人有りて喚醒す。(諸本此の八字無し。)

學者於釋氏之說、直須如淫聲美色以遠之。不爾、則駸駸然入於其中矣。顏淵問爲邦。孔子旣告之以五帝・三王之事、而復戒以放鄭聲、遠佞人、曰、鄭聲淫、佞人殆。彼佞人者、是佗一邊佞耳。然而於己則危。只是能使人移。故危也。至於禹之言曰、何畏乎巧言令色。巧言令色直消言畏、只是須著如此戒愼、猶恐不免。釋氏之學、更不消言。常戒到自家自信後、便不能亂得。
【読み】
學者釋氏が說に於ては、直に須く淫聲美色の如くにして以て之を遠ざくべし。爾らずんば、則ち駸駸然として其の中に入らん。顏淵邦を爲むることを問う。孔子旣に之に告ぐるに五帝・三王の事を以てして、復戒むるに鄭聲を放ち、佞人を遠ざくることを以てして、曰く、鄭聲は淫なり、佞人は殆し、と。彼の佞人は、是れ佗の一邊の佞のみ。然れども己に於ては則ち危し。只是れ能く人をして移らしむ。故に危うきなり。禹の言に至っては曰く、何ぞ巧言令色を畏れん、と。巧言令色直に畏ると言うことを消[もち]いば、只是れ須く此の如く戒め愼むことを著くべくして、猶恐らくは免れず。釋氏が學は、更に言を消いず。常に戒め自家自ら信ずる後に到っては、便ち亂し得ること能わじ。

以書傳道、與口相傳、煞不相干。相見而言、因事發明、則幷意思一時傳了。書雖言多、其實不盡。
【読み】
書を以て道を傳うると、口から相傳うると、煞[はなは]だ相干[あづか]らず。相見て言い、事に因りて發明すれば、則ち意思を幷せて一時に傳え了わる。書は言多しと雖も、其の實は盡くさず。

觀秦中氣豔衰。邊事所困、累歲不稔。昨來餽邊喪亡、今日事未可知、大有可憂者。以至士人相繼淪喪、爲足妝點關中者、則遂化去。吁、可怪也。凡言王氣者、實有此理。生一物須有此氣、不論美惡、須有許大氣豔。故生是人。至如闕里、有許多氣豔。故此道之流、以至今日。昔横渠說出此道理、至此幾乎衰矣。只介父一箇、氣豔大小大。
【読み】
秦中を觀るに氣豔[きえん]衰う。邊事に困しめられて、累歲稔らず。昨來邊に餽[おく]りて喪亡し、今日の事未だ知る可からず、大いに憂う可き者有り。以て士人相繼いで淪喪するに至りて、關中に妝點[しょうてん]するに足れりとする者は、則ち遂に化し去る。吁、怪しむ可し。凡そ王氣を言う者は、實に此の理有り。一物を生ずれば須く此の氣有るべく、美惡を論ぜざれば、須く許大の氣豔有るべし。故に是の人を生ず。闕里の如きに至りては、許多の氣豔有り。故に此の道の流、以て今日に至る。昔横渠此の道理を說き出す、此に至りて衰うるに幾し。只介父一箇のみ、氣豔大小大なり。

伯淳嘗與子厚在興國寺曾講論終日、而曰、不知舊日曾有甚人於此處講此事。
【読み】
伯淳嘗て子厚と興國寺に在りて曾て講論終日にして、曰く、知らず、舊日曾て甚[いか]なる人有りてか此の處に於て此の事を講ぜしや、と。

與叔所問、今日宜不在有疑。今尙差池者、蓋爲昔亦有雜學。故今日疑所進有相似處、則遂疑養氣爲有助。便休信此說。蓋爲前日思慮紛擾、今要虛靜。故以爲有助。前日思慮紛擾、又非義理、又非事故。如是則只是狂妄人耳。懲此以爲病。故要得虛靜。其極、欲得如槁木死灰。又却不是。蓋人活物也。又安得爲槁木死灰。旣活、則須有動作、須有思慮。必欲爲槁木死灰、除是死也。忠信所以進德者何也。閑邪則誠自存、誠存斯爲忠信也。如何是閑邪。非禮而勿視聽言動、邪斯閑矣。以此言之、又幾時要身如槁木、心如死灰。又如絕四後、畢竟如何。又幾時須如槁木死灰。敬以直内、則須君則是君、臣則是臣、凡事如此、大小大直截也。
【読み】
與叔が問う所、今日宜しく疑有ること在らざるべし。今尙差池する者は、蓋し昔亦雜學すること有るが爲なり。故に今日疑うに、進む所相似る處有れば、則ち遂に養氣を疑いて助有りと爲す。便ち此の說を信ずることを休[や]めよ。蓋し前日思慮紛擾なるが爲に、今虛靜を要す。故に以て助有りと爲す。前日の思慮紛擾は、又義理に非ず、又事故に非ず。是の如くなるときは則ち只是れ狂妄の人のみ。此に懲りて以て病と爲す。故に虛靜を得んことを要す。其の極みは、槁木死灰の如くなることを得んことを欲す。又却って是ならず。蓋し人は活物なり。又安んぞ槁木死灰爲ることを得ん。旣に活するときは、則ち須く動作有るべく、須く思慮有るべし。必ず槁木死灰爲らんと欲せば、除[ただ]是れ死ぬのみ。忠信德に進む所以の者は何ぞや。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す、誠存する斯を忠信と爲す。如何にしてか是れ邪を閑がん。非禮なるを而も視聽言動すること勿くば、邪斯に閑ぐ。此を以て之を言えば、又幾時か身槁木の如く、心死灰の如くなることを要せん。又四つを絕つの後の如き、畢竟如何。又幾時か須く槁木死灰の如くなるべき。敬以て内を直くするときは、則ち須く君は則ち是れ君、臣は則ち是れ臣なるべく、凡そ事此の如くなれば、大小大に直截す。

有言養氣可以爲養心之助。曰、敬則只是敬、敬字上更添不得。譬之敬父矣。又豈須得道更將敬兄助之。又如今端坐附火、是敬於向火矣。又豈須道更將敬於水以助之。猶之有人曾到東京、又曾到西京、又曾到長安。若一處上心來、則他處不容參然在心。心裏著兩件物不得。
【読み】
氣を養いて以て心を養うの助と爲す可しと言える有り。曰く、敬は則ち只是れ敬、敬の字の上に更に添え得じ。之を父を敬するに譬う。又豈須く更に兄を敬するを將て之を助くと道うことを得べけんや。又今端坐して火に附くが如き、是れ火に向かうに敬するなり。又豈須く更に水に敬するを將て以て之を助くと道うべけんや。猶之れ人曾て東京に到り、又曾て西京に到り、又曾て長安に到ること有るがごとし。若し一處上の心より來るときは、則ち他の處參然として心に在る容からず。心の裏、兩件の物を著くることを得じ。

飮酒不可使醉。不及亂者、不獨不可亂志、只血氣亦不可使亂。但使浹洽而已可也。
【読み】
酒を飮みて醉わしむ可からず。亂に及ばざる者は、獨志を亂る可からざるのみにあらず、只血氣も亦亂れしむる可からず。但浹洽せしめて已に可なり。

邢和叔後來亦染禪學。其爲人明辯有才、後更曉練世事、其於學、亦日月至焉者也。(尹子曰、明辯有才而復染禪學、何所不爲也。)
【読み】
邢和叔後來亦禪學に染まる。其の爲人明辯にして才有り、後更に世事を曉練し、其の學に於るも、亦日月に至る者なり。(尹子曰く、明辯にして才有りて復禪學に染まれば、何のせざる所あらん、と。)

伯淳自謂、只得佗人待做惡人、敬而遠之。嘗有一朝士久不見、謂伯淳曰、以伯淳如此聰明、因何許多時終不肯囘頭來。伯淳答以蓋恐囘頭後錯也。
【読み】
伯淳自ら謂えらく、只佗人待して惡人と做ることを得れば、敬して之を遠ざく、と。嘗て一朝士久しく見えざること有り、伯淳に謂いて曰く、伯淳此の如く聰明なるを以て、何に因ってか許多の時終に肯えて囘頭し來らざる、と。伯淳答うるに蓋し恐れらくは囘頭して後錯えんというを以てす。

巽之凡相見須窒礙。蓋有先定之意。和叔(一作與叔。)據理却合滯礙、而不然者、只是佗至誠便相信心直篤信。
【読み】
巽之は凡そ相見るに須く窒礙すべし。蓋し先ず定むるの意有ればなり。和叔(一に與叔に作る。)理に據るに却って滯礙す合くして、而も然らざる者は、只是れ佗至誠にて便ち相信じて心直に篤信すればなり。

理則須窮、性則須盡、命則不可言窮與盡。只是至於命也。横渠昔嘗譬命是源、窮理與盡性如穿渠引源。然則渠與源是兩物、後來此議必改來。
【読み】
理は則ち須く窮むべく、性は則ち須く盡くすべく、命は則ち窮むると盡くすと言う可からず。只是れ命に至るのみ。横渠昔嘗て譬う、命は是れ源、理を窮むると性を盡くすとは渠を穿ちて源を引くが如し、と。然らば則ち渠と源とは是れ兩物、後來此の議必ず改められん。

今語道、則須待要寂滅湛靜、形便如槁木、心便如死灰。豈有直做牆壁木石而謂之道。所貴乎智周天地萬物而不遺、又幾時要如死灰。所貴乎動容周旋中禮、又幾時要如槁木。論心術、無如孟子。也只謂必有事焉(一本有而勿正心字。)。今旣如槁木死灰、則却於何處有事。
【読み】
今道を語るときは、則ち須く寂滅湛靜を待要して、形は便ち槁木の如く、心は便ち死灰の如くすべしとす。豈直に牆壁木石と做して之を道と謂うこと有らんや。智を貴ぶ所は天地萬物に周くして遺さず、又幾時か死灰の如くなることを要せん。動容周旋を貴ぶ所は禮に中る、又幾時か槁木の如くなることを要せん。心術を論ずること、孟子に如くは無し。也只必ず事とすること有り(一本に而して心に正[あてて]すること勿かれの字有り。)と謂う。今旣に槁木死灰の如くならば、則ち却って何れの處に於てか事とすること有らん。

君實之能忠孝誠實、只是天資、學則元不知學。堯夫之坦夷、無思慮紛擾之憂、亦只是天資自美爾。皆非學之功也。
【読み】
君實の能く忠孝誠實なるは、只是れ天資、學は則ち元學を知らず。堯夫の坦夷にて、思慮紛擾の憂い無きも、亦只是れ天資自ら美なるのみ。皆學の功には非ざるなり。

持國嘗論克己復禮、以謂克却不是道。伯淳言、克便是克之道。持國又言、道則不須克。伯淳言、道則不消克、却不是持國事。在聖人、則無事可克。今日持國、須克得己便然後復禮。
【読み】
持國嘗て己に克ちて禮に復るを論じて、以謂[おも]えらく、克は却って是れ道にあらず、と。伯淳言く、克は便ち是れ克つの道なり、と。持國又言く、道は則ち須く克つべからず、と。伯淳言く、道は則ち克つことを消いずというは、却って是れ持國が事にあらず。聖人に在っては、則ち事の克つ可き無し。今日持國は、須く己に克ち得べくして便ち然して後に禮に復らん。

游酢・楊時是學得靈利高才也。楊時於新學極精。今日一有所問、能盡知其短而持之。介父之學、大抵支離。伯淳嘗與楊時讀了數篇、其後盡能推類以通之。
【読み】
游酢・楊時は是れ學び得て靈利高才なり。楊時の新學に於るは極めて精し。今日一たび問う所有れば、能く盡く其の短を知りて之を持す。介父が學は、大抵支離なり。伯淳嘗て楊時と數篇を讀了し、其の後盡く能く類を推して以て之に通ず。

有問、詩三百、非一人之作、難以一法推之。伯淳曰、不然。三百、三千中所擇、不特合於雅・頌之音、亦是擇其合於敎化者取之。篇中亦有次第淺深者、亦有元無次序者。
【読み】
問えること有り、詩三百は、一人の作に非ず、一法を以て之を推し難し、と。伯淳曰く、然らず。三百は、三千の中より擇ぶ所、特[ただ]雅・頌の音に合うのみにあらず、亦是れ其の敎化に合う者を擇びて之を取れり。篇中亦次第淺深なる者有り、亦元より次序無き者有り。

新政之改、亦是吾黨爭之有太過、成就今日之事、塗炭天下、亦須兩分其罪可也。當時天下、岌岌乎殆哉。介父欲去數矣。其時介父直以數事上前卜去就、若靑苗之議不行、則決其去。伯淳於上前、與孫莘老同得上意、要了當此事。大抵上意不欲抑介父、要得人擔當了。而介父之意尙亦無必。伯淳嘗言、管仲猶能言、出令當如流水、以順人心。今参政須要做不順人心事、何故。介父之意只恐始爲人所沮、其後行不得。伯淳却道、但做順人心事、人誰不願從也。介父道、此則感賢誠意。却爲天祺其日於中書大悖、緣是介父大怒、遂以死力爭於上前。上爲之一以聽用、從此黨分矣。莘老受約束而不肯行、遂坐貶。而伯淳遂待罪。旣而除以京西提刑。伯淳復求對、遂見上。上言、有甚文字。伯淳云、今咫尺天顏、尙不能少囘天意、文字更復何用。欲去、而上問者數四。伯淳每以陛下不宜輕用兵爲言、朝廷羣臣無能任陛下事者。以今日之患觀之、猶是自家不善從容。至如靑苗、且放過、又且何妨。伯淳當言職、苦不曾使文字、大綱只是於上前說了、其他些小文字、只是備禮而已。大抵自仁祖朝優容諫臣、當言職者、必以詆訐而去爲賢、習以成風。惟恐人言不稱職以去、爲落便宜。昨來諸君、蓋未免此。苟如是爲、則是爲己、尙有私意在、却不在朝廷、不干事理。
【読み】
新政の改も、亦是れ吾が黨之を爭うこと太だ過ぎたる有り、今日の事を成就すると、天下を塗炭すると、亦須く兩つながら其の罪を分かちて可なるべきなり。當時の天下、岌岌乎[きゅうきゅうこ]として殆いかな。介父去らんと欲すること數々なり。其の時介父直に數事を以て上の前にして去就を卜し、若し靑苗の議行われずんば、則ち決して其れ去らんとす。伯淳上の前に於て、孫莘老と同じく上の意を得て、此の事を了當せんことを要す。大抵上の意介父を抑えんことを欲せず、人をして擔當し了することを得んことを要す。而して介父の意尙亦必とすること無し。伯淳嘗て言う、管仲猶能く言いて、令を出すこと當に流水の如くなるは、人心に順うを以てなり、と。今参政人心に順わざる事を做さんと須要するは、何が故ぞ、と。介父の意只恐れらくは、始め人の爲に沮[はば]まれて、其の後行い得ざらんことを。伯淳却って道う、但人心に順う事を做さば、人誰か從うことを願わざらん、と。介父道う、此れ則ち賢の誠意を感ず、と。却って天祺を爲さんとして其の日中書に於て大いに悖る。是に緣りて介父大いに怒り、遂に死を以て力めて上の前に爭う。上之が爲に一に以て聽き用い、此れ從り黨分かる。莘老約束を受けて肯えて行わず、遂に坐貶せらる。而して伯淳遂に罪を待つ。旣にして除するに京西の提刑を以てす。伯淳復對を求めて、遂に上に見ゆ。上言く、甚[なん]の文字か有る、と。伯淳云く、今咫尺[しせき]の天顏、尙少しく天意を囘らすこと能わず、文字更に復何ぞ用いん、と。去らんと欲して、上の問う者數四。伯淳每に陛下輕々しく兵を用う宜からざるを以て言を爲すも、朝廷の羣臣能く陛下の事に任ずる者無し。今日の患いを以て之を觀るに、猶是れ自家善く從容ならず。靑苗の如きに至っては、且つ放過すとも、又且つ何の妨げあらん。伯淳言職に當たり、苦[はなは]だしくは曾て文字を使わず、大綱を只是れ上の前に於て說了するのみにて、其の他些の小さき文字は、只是れ禮に備うるのみ。大抵仁祖の朝自り諫臣を優容し、言職に當たる者、必ず詆訐して去るを以て賢と爲し、習いて以て風と成す。惟恐れらくは人言う、職に稱わずして去るを以て、便宜に落つと爲さんことを。昨來の諸君、蓋し未だ此を免れず。苟も是の如きを爲さば、則ち是れ己が爲、尙私意在ること有り、却って朝廷に在らず、事理に干[あづか]らず。

今日朝廷所以特惡忌伯淳者、以其可理會事。只是理會學、這裏動、則於佗輩有(一作是。)所不便也。故特惡之深。
【読み】
今日朝廷特に伯淳を惡み忌む所以の者は、其の事を理會す可きを以てなり。只是れ學を理會して、這の裏に動くときは、則ち佗の輩に於て(一に是に作る。)便ならざる所有り。故に特に之を惡むこと深し。

以吾自處、猶是自家當初學未至、意未誠、其德尙薄、無以感動佗天意。此自思則如此。然據今日許大氣豔、當時欲一二人動之、誠如河濱之人捧土以塞孟津。復可笑也。據當時事勢、又至於今日、豈不是命。
【読み】
吾を以て自ら處するに、猶是れ自家當初の學未だ至らず、意未だ誠ならず、其の德尙薄く、以て佗の天意を感動すること無し。此れ自ら思うときは則ち此の如し。然れども今日許大の氣豔に據るに、當時一二人之を動かさんと欲するは、誠に河濱の人土を捧げて以て孟津を塞がんとするが如し。復笑う可きなり。當時の事勢に據るに、又今日に至るは、豈是れ命ならずや。

只著一箇私意、便是餒。便是缺了佗浩然之氣處。誠者物之終始、不誠無物。這裏缺了佗、則便這裏沒這物。浩然之氣又不待外至、是集義所生者。這一箇道理、不爲堯存、不爲桀亡。只是人不到佗這裏。知此便是明善。
【読み】
只一箇の私意を著くれば、便ち是れ餒う。便ち是れ佗の浩然の氣を缺了する處なり。誠は物の終始、誠あらずんば物無し。這の裏に佗を缺了するときは、則便ち這の裏に這の物沒[な]し。浩然の氣も又外より至ることを待たず、是れ集義の生る所の者。這の一箇の道理は、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。只是れ人佗の這の裏に到らざるなり。此を知るときは便ち是れ善を明らかにするなり。

生生之謂易。是天之所以爲道也。天只是以生爲道。繼此生理者、卽是善也。善便有一箇元底意思。元者善之長。萬物皆有春意、便是繼之者善也。成之者性也、成却待佗萬物自成其(一作甚。)性須得。
【読み】
生生を之れ易と謂う。是れ天の道を爲す所以なり。天は只是れ生を以て道と爲す。此の生理に繼ぐ者は、卽ち是れ善なり。善は便ち一箇の元底の意思有り。元は善の長なり。萬物皆春意有るは、便ち是れ之に繼ぐ者は善なればなり。之を成す者は性なりとは、成るは却って佗の萬物自ら成るを待って其の(一に甚に作る。)性須く得べし。

告子云生之謂性則可。凡天地所生之物、須是謂之性。皆謂之性則可、於中却須分別牛之性・馬之性。是他便只道一般、如釋氏說蠢動含靈、皆有佛性。如此則不可。天命之謂性、率性之謂道者、天降是於下、萬物流形、各正性命者、是所謂性也。循其性(一作各正性命。)而不失、是所謂道也。此亦通人物而言。循性者、馬則爲馬之性、又不做牛底性。牛則爲牛之性、又不爲馬底性。此所謂率性也。人在天地之閒、與萬物同流。天幾時分別出是人是物。脩道之謂敎、此則專在人事、以失其本性。故脩而求復之、則入於學。若元不失、則何脩之有。是由仁義行也。則是性已失。故脩之。成性存存、道義之門、亦是萬物各有成性存存、亦是生生不已之意。天只是以生爲道。
【読み】
告子生を之れ性と謂うと云うは則ち可なり。凡そ天地生ずる所の物は、須く是れ之を性と謂うべし。皆之を性と謂うは則ち可なれども、中に於て却って須く牛の性・馬の性を分別すべし。是れ他便ち只一般と道うは、釋氏蠢動含靈、皆佛性有りと說くが如し。此の如くなるは則ち不可なり。天の命之を性と謂い、性に率う之を道と謂うは、天是を下に降し、萬物流形して、各々性命を正す者は、是れ所謂性なり。其の性に循いて(一に各々性命を正してに作る。)失わざる、是れ所謂道なり。此れ亦人物に通じて言う。性に循うとは、馬は則ち馬の性を爲して、又牛底の性を做さず。牛は則ち牛の性を爲して、又馬底の性を爲さず。此れ所謂性に率うなり。人天地の閒に在りて、萬物と流を同じくす。天幾時か是の人是の物と分別し出さん。道を脩むる之を敎と謂うは、此れ則ち專ら人事に在りて、以て其の本性を失う。故に脩めて之に復ることを求むるときは、則ち學に入る。若し元より失わずんば、則ち何の脩むることか之れ有らん。是れ仁義に由りて行うなり。則ち是の性已に失う。故に之を脩む。性を成し存すべきを存するは、道義の門、亦是れ萬物各々性を成し存すべきを存する有り、亦是れ生生已まざるの意なり。天は只是れ生を以て道と爲す。

萬物皆只是一箇天理、己何與焉。至如言天討有罪、五刑五用哉。天命有德、五服五章哉、此都只是天理自然當如此。人幾時與。與則便是私意。有善有惡。善則理當喜。如五服自有一箇次第以章顯之。惡則理當惡(一作怒。)。彼自絕於理。故五刑五用。曷嘗容心喜怒於其閒哉。舜舉十六相、堯豈不知。只以佗善未著、故不自舉。舜誅四凶、堯豈不察。只爲佗惡未著、那誅得佗。舉與誅、曷嘗有毫髮厠於其閒哉。只有一箇義理、義之與比。
【読み】
萬物は皆只是れ一箇の天理、己何ぞ與らん。天有罪を討つ、五刑もて五つならが用いよや。天有德に命ず、五服もて五つながら章らかにせよやと言うが如きに至っては、此れ都て只是れ天理自然に當に此の如くなるべし。人幾時か與らん。與るときは則便ち是れ私意なり。善有り惡有り。善は則ち理として當に喜ぶべし。五服自ら一箇の次第有りて以て之を章顯するが如し。惡は則ち理として當に惡むべし(一に怒に作る。)。彼れ自ら理を絕つ。故に五刑もて五つながら用う。曷ぞ嘗て心其の閒に喜怒す容けんや。舜十六相を舉ぐるを、堯豈知らざらんや。只佗の善未だ著れざるを以て、故に自ら舉げざるなり。舜四凶を誅すを、堯豈察せざらんや。只佗の惡未だ著れざるが爲に、那ぞ佗を誅し得ん。舉と誅と、曷ぞ嘗て毫髮も其の閒に厠[まじ]うること有らんや。只一箇の義理有りて、義のみ之れ與に比[したが]う。

人能放這一箇身公共放在天地萬物中一般看、則有甚妨礙。雖萬身、曾何傷。乃知釋氏苦根塵者、皆是自私者也。
【読み】
人能く這の一箇の身を放れて公共に天地萬物の中に放在して一般に看るときは、則ち甚[なん]の妨礙か有らん。萬身と雖も、曾て何ぞ傷らん。乃ち知る、釋氏根塵に苦しむ者は、皆是れ自私なる者なることを。

要脩持佗這天理、則在德、須有不言而信者。言難爲形狀。養之則須直不愧屋漏與愼獨。這是箇持養底氣象也。
【読み】
佗這の天理を脩持せんと要せば、則ち德に在り、須く言わずして信ずる者有るべし。言は形狀を爲し難し。之を養うときは則ち須く直に屋漏に愧ぢずと獨を愼むとなるべし。這是箇の持養底の氣象なり。

知止則自定、萬物撓不動。非是別將箇定來助知止也。
【読み】
止まることを知るときは則ち自ら定まりて、萬物撓[みだ]せども動かず。是れ別に箇の定まれるを將[も]ち來りて止まることを知ることを助くるに非ざるなり。

詩・書中凡有箇主宰底意思者、皆言帝。有一箇包涵徧覆底意思、則言天。有一箇公共無私底意思、則言王。上下千百歲中、若合符契。
【読み】
詩・書中凡そ箇の主宰底の意思有る者は、皆帝と言う。一箇の包涵徧覆底の意思有るは、則ち天と言う。一箇の公共無私底の意思有るは、則ち王と言う。上下千百歲の中、符契を合わせたるが若し。

如天理底意思、誠只是誠此者也。敬只是敬此者也。非是別有一箇誠、更有一箇敬也。
【読み】
天理底の意思の如き、誠は只是れ此を誠にする者なり。敬は只是れ此を敬する者なり。是れ別に一箇の誠有り、更に一箇の敬有るに非ざるなり。

天理云者、這一箇道理、更有甚窮已。不爲堯存、不爲桀亡。人得之者。故大行不加、窮居不損。這上頭來、更怎生說得存亡加減。是佗元無少欠、百理具備。(胡本此下云、得這箇天理、是謂大人。以其道變通無窮、故謂之聖。不疾而速、不行而至、須默而識之處、故謂之神。)
【読み】
天理と云う者は、這の一箇の道理、更に甚の窮已することか有らん。堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。人々之を得る者なり。故に大いに行われても加えず、窮居しても損せず。這の上頭より來りしは、更に怎生[いかん]ぞ存亡加減を說き得ん。是れ佗元少しも欠けること無くして、百理具備するなり。(胡本此の下に云う、這箇の天理を得る、是を大人と謂う。其の道變通窮まり無きを以て、故に之を聖と謂う。疾からずして速やかに、行かずして至り、須く默して之を識るべき處、故に之を神と謂う、と。)

天地設位、而易行乎其中矣。乾坤毀、則無以見易。易不可見、則乾坤或幾乎息矣。易是箇甚。易又不只是這一部書、是易之道也。不要將易又是一箇事。卽事(一作唯、一作只是。)盡天理。便是易也。
【読み】
天地位を設けて、易其の中に行わる。乾坤毀つときは、則ち以て易を見ること無し。易見る可からざるときは、則ち乾坤或は息むに幾し。易は是れ箇[か]く甚だしきや。易は又只是れ這の一部の書にあらず、是れ易の道なり。易を將[ねが]うことを要せざるは又是れ一箇の事なればなり。卽ち事は(一に唯に作る、一に只是に作る。)天理を盡くすのみ。便ち是れ易なり。

天地之化、旣是二物。必動已不齊。譬之兩扇磨行、便其齒齊、不得齒齊。旣動、則物之出者、何可得齊。轉則齒更不復得齊。從此參差萬變、巧歷不能窮也。
【読み】
天地の化は、旣に是れ二物なり。必ず動いて已に齊しからず。之を兩扇磨行すれば、便ち其の齒齊しきは、齒齊しきを得ざるに譬う。旣に動かば、則ち物の出づる者、何ぞ齊しきを得可けん。轉ずれば則ち齒更に復齊しきことを得ず。此れ從り參差萬變して、巧歷窮むること能わざるなり。

天地之閒、有者只是有。譬之人之知識聞見。經歷數十年、一日念之、了然胸中。這一箇道理在那裏放著來。
【読み】
天地の閒、有は只是れ有。之を人の知識聞見に譬う。經歷數十年、一日之を念えば、胸中に了然たり。這の一箇の道理那の裏に在りて放著し來る。

養心者、且須是敎他寡欲、又差有功。
【読み】
心を養う者は、且須く是れ他をして欲を寡くせしむべくして、又差[やや]功有り。

中心斯須不和不樂、則鄙詐之心入之矣。此與敬以直内同理。謂敬爲和樂則不可。然敬須和樂。只是中心沒事也。
【読み】
中心斯に須くも和せず樂しまざるときは、則ち鄙詐の心之に入るなり。此れ敬以て内を直くすると同理なり。敬を謂いて和樂と爲すときは則ち不可なり。然れども敬は須く和樂すべし。只是れ中心事沒[な]ければなり。

大凡利害禍福、亦須致命。須得致之爲言、直如人以力自致之謂也。得之不得、命固已定。君子須知佗命方得。不知命無以爲君子。蓋命苟不知、無所不至。故君子於困窮之時、須致命便遂得志。其得禍得福、皆已自致。只要申其志而已。
【読み】
大凡利害禍福も、亦須く命を致すべし。須く得て致すべしの言爲るは、直に人力を以て自ら致すの謂の如し。之を得ると得ざると、命固に已に定まる。君子は須く佗の命を知って方に得べし。命を知らざれば以て君子爲ること無し。蓋し命苟も知らずんば、至らざる所無し。故に君子は困窮の時に於て、須く命を致して便ち遂に志を得べし。其禍を得福を得るは、皆已に自ら致す。只其の志を申べんことを要するのみ。

求之有道、得之有命、是求無益於得、言求得不濟事(元本無不字。)。此言猶只爲中人言之。若爲中人以上而言、却只道求之有道、非道則不求、更不消言命也。
【読み】
之を求むるに道有り、之を得るに命有るは、是れ求めて得るに益無きなりとは、求め得て事を濟さざること(元本不の字無し。)を言う。此の言猶只中人の爲に之を言えり。若し中人以上の爲にして言わば、却って只之を求むるに道有り、道に非ざれば則ち求めずと道いて、更に命を言うことを消[もち]いざるなり。

堯夫豪傑士、根本不帖帖地。伯淳嘗戲以亂世之姦雄中、道學之有所得者。然無禮不恭極甚。又嘗戒以不仁。己猶不認、以爲人不曾來學。伯淳言、堯夫自是悠悠。(自言、須如我與李之才、方得道。)
【読み】
堯夫は豪傑の士、根本帖帖地たらず。伯淳嘗て戲るに亂世の姦雄の中、道學の得る所有る者というを以てす。然も無禮不恭なること極めて甚だし。又嘗て戒むるに不仁を以てす。己猶認めずして、以爲えらく、人曾て來學せず、と。伯淳言く、堯夫は自ら是れ悠悠、と。(自ら言う、須く我と李之才との如き、方に道を得べし、と。)

天民之先覺、譬之皆睡。佗人未覺來、以我先覺。故搖擺其未覺者亦使之覺。及其覺也、元無少欠。蓋亦未嘗有所增加也、適一般爾。天民云者、蓋是全盡得天生斯民底事業。天之生斯民也、將以道覺斯民。蓋言天生此民、將以此道覺此民、則元無少欠、亦無增加。未嘗不足。逹可行於天下者、謂其全盡天之生民之理、其術亦足以治天下國家故也。
【読み】
天民の先覺、之を皆睡るに譬う。佗人未だ覺り來らざるに、我が先に覺るを以てす。故に其の未だ覺らざる者を搖擺して亦之をして覺らしむ。其の覺るに及んでは、元より少しく欠けることも無し。蓋し亦未だ嘗て增加する所有らず、適に一般なるのみ。天民と云う者は、蓋し是れ全く天斯の民を生ずる底の事業を盡くし得。天の斯の民を生ずるや、將に道を以て斯の民を覺さんとす。蓋し天の此の民を生ずる、將に此の道を以て此の民を覺さんとすと言うときは、則ち元より少しく欠けることも無く、亦增加することも無し。未だ嘗て足らずんばあらず。逹して天下に行わる可き者とは、謂えらく、其れ全く天の民を生ずるの理を盡くし、其の術も亦以て天下國家を治むるに足る故ならん。

可欲之謂善、便與元者善之長同理。
【読み】
欲す可き之を善と謂うは、便ち元は善の長というと同理。

禮樂不可斯須去身。
【読み】
禮樂は斯須[しばら]くも身を去る可からず。

不能反躬、天理滅矣。天理云者、百理具備、元無少欠。故反身而誠、只是言得已上、更不可道甚道。(元本道字屬下文。)
【読み】
躬に反ること能わざれば、天理滅ぶ。天理と云うは、百理具備して、元より少しも欠けること無し。故に身に反って誠あるは、只是れ已に得る上を言い、更に甚[なん]の道と道う可からず。(元本道の字下文に屬く。)

命之曰易、便有理。(一本無此七字。但云、道理皆自然。)若安排定、則更有甚理。天地陰陽之變、便如二扇磨。升降盈虧剛柔、初未嘗停息、陽常盈、陰常虧。故便不齊。譬如磨旣行、齒都不齊。旣不齊、便生出萬變。故物之不齊、物之情也。而莊周强要齊物。然而物終不齊也。堯夫有言、泥空終是著、齊物到頭爭。此其肅如秋、其和如春。如秋、便是義以方外也。如春、觀萬物皆有春意。堯夫有詩云、拍拍滿懷都是春。又曰、芙蓉月向懷中照、楊柳風來面上吹。(不止風月、言皆有理。)又曰、卷舒萬古興亡手、出入幾重雲水身。若莊周、大抵寓言、要入佗放蕩之場。堯夫却皆有理、萬事皆出於理。自以爲皆有理。故要得縱心妄行總不妨。(一本此下云、堯夫詩云、聖人喫緊些兒事。其言太急迫。此道理平鋪地放著裏、何必如此。)
【読み】
之を命じて易と曰うは、便ち理有り。(一本に此の七字無し。但云う、道理は皆自然なり、と。)若し安排し定めば、則ち更に甚の理有らん。天地陰陽の變は、便ち二扇磨するが如し。升降盈虧剛柔、初めより未だ嘗て停息せず、陽は常に盈ち、陰は常に虧く。故に便ち齊しからず。譬えば磨すること旣に行くが如き、齒都て齊しからず。旣に齊しからざれば、便ち生出萬變す。故に物の齊しからざるは、物の情なり。而るを莊周强いて物を齊しくせんと要す。然れども物終に齊しからざるなり。堯夫言えること有り、空に泥んで終に是れ著す、齊物到頭爭、と。此れ其の肅たること秋の如く、其の和すること春の如し。秋の如きは、便ち是れ義以て外を方にするなり。春の如きは、萬物を觀るに皆春意有るなり。堯夫詩有り云う、拍拍たる滿懷都て是れ春、と。又曰く、芙蓉の月懷中に向かって照らし、楊柳の風面上に來りて吹く、と。(止風月のみにあらず、言皆理有り。)又曰く、卷舒す萬古興亡の手、出入す幾重の雲水の身、と。莊周の若きは、大抵寓言、佗の放蕩の場に入らんことを要す。堯夫は却って皆理有り、萬事皆理より出づ。自ら以爲えらく、皆理有り、と。故に心を縱にして妄行して總て妨げざらんことを得んことを要す。(一本に此の下に云う、堯夫の詩に云う、聖人の喫緊些兒の事、と。其の言太だ急迫す。此の道理平鋪地に裏に放著せば、何ぞ必しも此の如くならん、と。)

觀天理、亦須放開意思、開闊得心胸、便可見、打揲了習心兩漏三漏子。今如此混然說做一體、猶二本。那堪更二本三本。今雖知可欲之爲善、亦須實有諸己、便可言誠。誠便合内外之道。今看得不一、只是心生。除了身只是理、便說合天人。合天人、已是爲不知者引而致之。天人無閒。夫不充塞則不能化育。言贊化育、已是離人而言之。
【読み】
天理を觀るには、亦須く意思を放開すべく、心胸を開闊し得ば、便ち見る可し、習心兩漏三漏子を打揲し了わることを。今此の如く混然として一體を說き做すも、猶本を二つにす。那ぞ更に本を二つにし本を三つにするに堪えん。今欲す可き之を善と爲すことを知ると雖も、亦實に諸を己に有するを須って、便ち誠と言う可し。誠は便ち内外を合するの道なり。今看得ること一ならざるは、只是れ心に生ず。身を除了すれば只是れ理、便ち天人を合すと說く。天人を合すとは、已に是れ知らざる者の爲に引いて之を致すなり。天人閒無し。夫れ充塞せざれば則ち化育すること能わず。化育を贊[たす]くと言うは、已に是れ人を離れて之を言うなり。

須是大其心使開闊。譬如爲九層之臺。須大做脚須得。
【読み】
須く是れ其の心を大にして開闊せしむべし。譬えば九層の臺を爲るが如し。大いに脚を做すことを須って須く得べし。

元亨者、只是始而亨者也、此通人物而言(通、元本作詠字。)。謂始初發生、大概一例亨通也。及到利貞、便是各正性命後、屬人而言也。利貞者分在性與情、只性爲本、情是性之動處。情又幾時惡。故者以利爲本、只是順利處爲性。若情則須是正也。
【読み】
元亨は、只是れ始めて亨る者なりとは、此れ人物を通じて言う(通は、元本詠の字に作る。)。始初の發生、大概一例に亨通するを謂うなり。利貞に到るに及んで、便ち是れ各々性命を正すの後は、人に屬いて言うなり。利貞は分かれて性と情とに在るも、只性を本と爲し、情は是れ性の動く處なり。情は又時に惡を幾[ねが]う。故は利を以て本と爲し、只是れ順利なる處を性と爲す。情の若きは則ち須く是れ正すべし。

醫家以不認痛癢謂之不仁。人以不知覺不認義理爲不仁、譬最近。
【読み】
醫家は痛癢を認めざるを以て之を不仁と謂う。人知覺せずして義理を認めざるを以て不仁と爲すは、譬え最も近し。

所以謂萬物一體者、皆有此理、只爲從那裏來。生生之謂易。生則一時生、皆完此理。人則能推、物則氣昏、推不得、不可道他物不與有也。人只爲自私、將自家軀殻上頭起意、故看得道理小了佗底。放這身來、都在萬物中一例看、大小大快活。釋氏以不知此、去佗身上起意思、奈何那身不得。故却厭惡、要得去盡根塵。爲心源不定、故要得如枯木死灰。然沒此理。要有此理、除是死也。釋氏其實是愛身、放不得。故說許多。譬如負販之蟲、已載不起、猶自更取物在身。又如抱石沉河、以其重愈沉、終不道放下石頭、惟嫌重也。
【読み】
萬物は一體なりと謂う所以の者は、皆此の理有りて、只那[か]の裏從り來ると爲せばなり。生生之を易と謂う。生まるるときは則ち一時に生まれ、皆此の理を完うす。人は則ち能く推し、物は則ち氣昏くして推し得ず、他物は與り有せずと道う可からず。人は只自私し、將に自家軀殻上頭に意を起さんとするが爲に、故に道理を看得て他底[かれ]を小とす。這の身を放ち來り、都て萬物の中に在りて一例に看ば、大小大に快活なり。釋氏は此を知らざるを以て、佗の身上に去[ゆ]いて意思を起こすも、那の身を奈何ともし得ず。故に卻って厭惡し、根塵を去り盡くすを得んと要す。心源定まらざるが爲に、故に枯木死灰の如くなるを得んと要す。然れども此の理沒[な]し。此の理有るを要せば、除[ただ]是れ死なり。釋氏は其の實は是れ身を愛して、放ち得ざるなり。故に說くこと許多なり。譬えば負版の蠱の如き、已に載せて起きざるに、猶自ら更に物を取りて身に在らしむ。又石を抱きて河に沉むが如き、其の重きを以て愈々沉めども、終に石頭を放下すと道わずして、惟重きを嫌えるのみ。

孟子論四端處、則欲擴而充之。說約處、則博學詳說而反說約。此内外交相養之道也。
【読み】
孟子四端を論ずる處は、則ち擴めて之を充てんことを欲す。約を說く處は、則ち博く學び詳らかに說いて反って約を說く。此れ内外交々相養うの道なり。

萬物皆備於我、不獨人爾、物皆然。都自這裏出去。只是物不能推、人則能推之。雖能推之、幾時添得一分。不能推之、幾時減得一分。百理具在、平鋪放著。幾時道堯盡君道、添得些君道多、舜盡子道、添得些孝道多。元來依舊。
【読み】
萬物皆我に備わるとは、獨り人のみにあらず、物皆然り。都て這の裏自り出で去る。只是れ物は推すこと能わず、人は則ち能く之を推す。能く之を推すと雖も、幾時か一分を添え得ん。之を推すこと能わざれども、幾時か一分を減じ得ん。百理具在して、平鋪放著す。幾時か堯君道を盡くして、些の君道を添え得ること多く、舜子道を盡くして、些の孝道を添え得ること多しと道わんや。元來舊きに依れり。

横渠敎人、本只是謂世學膠固、故說一箇淸虛一大。只圖得人稍損得沒去就道理來。然而人又更別處走。今日且只道敬。
【読み】
横渠人を敎うるに、本より只是れ世學膠固すと謂う、故に一箇の淸虛一大を說く。只人稍損し得て去就沒[な]きの道理を圖り得來る。然れども人又更に別處に走る。今日且只敬を道う。

聖人之德行、固不可得而名狀。若顏子底一箇氣象、吾曹亦心知之。欲學聖人、且須學顏子。(後來曾子・子夏、煞學得到上面也。)
【読み】
聖人の德行は、固より得て名狀す可からず。顏子底の一箇の氣象の若き、吾曹も亦心に之を知る。聖人を學ばんと欲せば、且須く顏子を學ぶべし。(後來曾子・子夏、煞だ學び得て上面に到るなり。)

今學者敬而不見得(元本有未字。)、又不安者、只是心生、亦是太以敬來做事得重。此恭而無禮則勞也。恭者私爲恭之恭也。禮者非體(一作禮。)之禮、是自然底道理也。只恭而不爲自然底道理。故不自在也。須是恭而安。今容貌必端、言語必正者、非是道獨善其身、要人道如何。只是天理合如此、本無私意。只是箇循理而已。
【読み】
今の學者敬して得ることを見ず(元本未の字有り。)、又安からざる者は、只是の心生ずれば、亦是れ太だ敬し來りて事を做すことの重きを得るを以てなり。此れ恭しくして禮無きときは則ち勞するなり。恭は私に恭を爲すの恭なり。禮は體(一に禮に作る。)の禮に非ず、是れ自然底の道理なり。只恭しくして自然底の道理を爲さず。故に自在ならざるなり。須く是れ恭しくして安かるべし。今容貌必ず端しく、言語必ず正しき者は、是れ獨り其の身を善くすと道うのみに非ず、人道如何と要す。只是れ天理此の如く、本私意無かる合し。只是れ箇の理に循うのみ。

堯夫解他山之石可以攻玉、玉者溫潤之物。若將兩塊玉來相磨、必磨不成。須是得佗箇粗礪底物方磨得出。譬如君子與小人處。爲小人侵陵、則脩省畏避、動心忍性、增益預防。如此便道理出來。
【読み】
堯夫他山の石は以て玉を攻[おさ]む可きを解く。玉は溫潤の物なり。若し兩塊の玉を將[も]ち來りて相磨さば、必ず磨すこと成らず。須く是れ佗箇の粗礪底の物を得べくして、方[はじ]めて磨し得出す。譬えば君子の小人と處るが如し。小人の侵陵するところと爲らば、則ち脩省畏避し、心を動かし性を忍び、預め防ぐことを增益せん。此の如くんば便ち道理出で來らん。

公掞昨在洛有書室、兩旁各一牖、牖各三十六隔、一書天道之要、一書仁義之道、中以一牓、書毋不敬、思無邪。中處之、此意亦好。
【読み】
公掞[こうえん]昨[さき]に洛に在るとき書室有り、兩旁各々一牖、牖各々三十六隔、一には天道の要を書し、一には仁義の道を書し、中一牓を以て、敬せざる毋かれ、思邪無しを書す。中に之を處するに、此の意亦好けん。

古人雖胎敎與保傅之敎、猶勝今日庠序郷黨之敎。古人自幼學、耳目游處、所見皆善、至長而不見異物。故易以成就。今人自少所見皆不善、才能言便習穢惡、日日消鑠。更有甚天理。須人理皆盡、然尙以些秉彝消鑠盡不得、故且恁過。一日之中、起多少巧僞、萠多少機穽。據此箇薰蒸、以氣動氣、宜乎聖賢之不生、和氣之不兆也。尋常閒或有些時和歲豐、亦出於幸也。不然、何以古者或同時或同家竝生聖人。及至後世、乃數千歲寂寥。
【読み】
古人胎敎は保傅の敎に與ると雖も、猶今日の庠序郷黨の敎に勝れり。古人幼自り學ぶに、耳目游ぶ處、見る所皆善く、長ずるに至って異物を見ず。故に以て成就し易し。今の人少き自り見る所皆不善、才かに能く言えば便ち穢惡に習いて、日日に消鑠す。更に甚[なん]の天理か有らん。須く人理皆盡くべく、然して尙些の彝を秉ること消鑠し盡くすこと得ざるを以て、故に且恁[かくのごと]く過ごす。一日の中、多少の巧僞を起こし、多少の機穽を萠す。此れ箇の薰蒸、氣を以て氣を動かすに據るにて、宜なるかな聖賢の生ぜざる、和氣の兆さざること。尋常の閒或は些の時和し歲豐かなること有るも、亦幸いに出づるなり。然らざるときは、何を以てか古者或は時を同じくし或は家を同じくして聖人を竝び生ぜん。後世に至るに及んで、乃ち數千歲寂寥たり。

人多言天地外。不知天地如何說内外、外面畢竟是箇甚。若言著外、則須似有箇規模。
【読み】
人多く天地の外と言う。知らず、天地如何ぞ内外を說かん、外面畢竟是れ箇の甚だしきをや。若し外を言著するときは、則ち須く箇の規模有るに似るべし。

凡言充塞云者、却似箇有規模底體面。將這氣充實之。然此只是指而示之近耳。氣則只是氣、更說甚充塞。如化育則只是化育、更說甚贊。贊與充塞、又早却是別一件事也。
【読み】
凡そ充塞と云うことを言う者は、却って箇の規模底の體面有るに似れり。將に這の氣之を充實せんとするなり。然れども此れ只是れ指して之に近きを示すのみ。氣は則ち只是れ氣、更に甚の充塞をか說かん。化育の如きは則ち只是れ化育、更に甚の贊をか說かん。贊と充塞とは、又早却って是れ別に一件の事なり。

理之盛衰之說、與釋氏初劫之言、如何到佗說便亂道、又却窺測得些。彼其言成住壞空。曰成壞則可。住與空則非也。如小兒旣生、亦日日長行、元不曾住。是佗本理只是一箇消長盈虧耳。更沒別事。
【読み】
理の盛衰の說と、釋氏初劫の言とは、如何ぞ佗の說は便ち道を亂るに到り、又却って窺い測り些を得ん。彼れ其れ成住壞空と言う。成壞と曰うは則ち可なり。住と空とは則ち非なり。小兒旣に生まれて、亦日日に長じ行くが如き、元より曾て住せず。是れ佗の本理は只是れ一箇の消長盈虧のみ。更に別事沒[な]し。

極爲天地中、是也。然論地中儘有說。據測景、以三萬里爲中、若有窮然。有至一邊已及一萬五千里、而天地之運蓋如初也。然則中者、亦時中耳。地形有高下、無適而不爲中。故其中不可定下。譬如楊氏爲我、墨氏兼愛、子莫於此二者以執其中、則中者適未足爲中也。故曰、執中無權、猶執一也。若是因地形高下、無適而不爲中、則天地之化不可窮也。若定下不易之中、則須有左有右、有前有後、四隅旣定、則各有遠近之限、便至百千萬億、亦猶是有數。蓋有數則終有盡處。不知如何爲盡也。
【読み】
極を天地の中と爲すは、是なり。然れども地の中を論ずるに儘說有り。景を測って、三萬里を以て中と爲すに據るに、窮まり有るが若く然り。一邊に至ること有るに已に一萬五千里に及んで、天地の運は蓋し初めの如し。然れば則ち中は、亦時中なるのみ。地形に高下有り、適くとして中と爲らざること無し。故に其の中は定め下す可からず。譬えば楊氏が我が爲にし、墨氏が兼愛し、子莫此の二者に於て以て其の中を執るが如きは、則ち中は適に未だ中と爲すに足らず。故に曰く、中を執りて權無きは、猶一を執るがごとし、と。若し是れ地形の高下に因りて、適くとして中と爲らざること無きときは、則ち天地の化窮まる可からず。若し不易の中を定め下さば、則ち須く左有り右有り、前有り後有るべく、四隅旣に定るときは、則ち各々遠近の限り有り、便ち百千萬億に至っても、亦猶是れ數有り。蓋し數有るときは則ち終に盡きる處有り。知らず、如何にしてか盡くすことを爲さん。

日之形、人莫不見、似輪似餅。其形若有限、則其光亦須有限。若只在三萬里中升降出沒、則須有光所不到處、又安有此理。今天之蒼蒼、豈是天之形。視下也亦須如是。日固陽精也。然不如舊說、周囘而行、中心是須彌山。日無適而不爲精也。地旣無適而不爲中、則日無適而不爲精也。氣行滿天地之中、然氣須有精處。故其見如輪如餅。譬之鋪一溜柴薪、從頭爇著、火到處、其光皆一般。非是有一塊物推著行將去。氣行到寅、則寅上有光、行到卯、則卯上有光。氣充塞、無所不到。若這上頭得箇意思、便知得生物之理。
【読み】
日の形は、人見ざること莫く、輪に似餅に似れり。其の形若し限り有らば、則ち其の光も亦須く限り有るべし。若し只三萬里の中に在りて升降出沒せば、則ち須く光到らざる所の處有るべく、又安んぞ此の理有らん。今天の蒼蒼たる、豈是れ天の形ならんや。下を視るも亦須く是の如くなるべし。日は固に陽精なり。然れども舊說の、周囘して行[めぐ]り、中心是れ須彌山というが如くならず。日は適くとして精爲らざること無し。地旣に適くとして中と爲らざること無きときは、則ち日も適くとして精爲らざること無きなり。氣行り天地の中に滿つる、然も氣も須く精の處有るべし。故に其の見ること輪の如く餅の如し。之を譬うるに一溜の柴薪を鋪いて、頭從り爇著[ねっちょ]すれば、火の到る處、其の光皆一般なり。是れ一塊の物有りて推著し行き將て去るに非ず。氣行りて寅に到るときは、則ち寅の上に光有り、行りて卯に到るときは、則ち卯の上に光有り。氣充塞して、到らざる所無し。若し這の上頭箇の意思を得ば、便ち生物の理を知得せん。

觀書者、亦須要知得隨文害義。如書曰湯旣勝夏、欲遷其社、不可、旣處湯爲聖人、聖人不容有妄舉。若湯始欲遷社、衆議以爲不可而不遷、則是湯先有妄舉也。不可者、湯不可之也。湯以爲國旣亡、則社自當遷。以爲遷之不若不遷之愈。故但屋之。屋之、則與遷之無以異。旣爲亡國之社、則自王城至國都皆有之、使爲戒也。故春秋書亳社災。然則魯有亳社、屋之。故有火災。此制、計之必始於湯也。
【読み】
書を觀る者は、亦須く文に隨い義を害することを知り得んことを要すべし。書に湯旣に夏に勝ちて、其の社を遷さんと欲して、不可とすと曰うが如き、旣に湯を處して聖人と爲せば、聖人は妄舉有る容からず。若し湯始め社を遷さんことを欲し、衆議以て不可と爲して遷さざるときは、則ち是れ湯先づ妄舉有るなり。不可は、湯之を不可とするなり。湯以爲えらく、國旣に亡ぶるときは、則ち社自ら當に遷すべし、と。以爲えらく、之を遷すは遷さざるの愈れるに若かず、と。故に但之を屋にす。之を屋にするときは、則ち之を遷すと以て異なること無し。旣に亡國の社を爲ることは、則ち王城自り國都に至るまで皆之れ有り、戒むることを爲さしむるなり。故に春秋に亳の社災ありと書す。然れば則ち魯に亳の社有り、之を屋にす。故に火災有り。此の制、之を計るに必ず湯より始まるならん。

長安西風而雨、終未曉此理。須是自東自北而風則雨、自南自西則不雨。何者。自東自北皆屬陽(坎卦本陽。)、陽唱而陰和。故雨。自西自南陰也。陰唱則陽不和。蝃蝀之詩曰、朝隮于西、崇朝其雨。是陽來唱也。故雨。蝃蝀在東、則是陰先唱也。莫之敢指者、非謂手指莫敢指陳也、猶言不可道也。易言、密雲不雨、自我西郊。言自西則是陰先唱也。故雲雖密而不雨。今西風而雨、恐是山勢使然。
【読み】
長安西風ありて雨ふるは、終に未だ此の理を曉さず。須く是れ東自りし北自りして風ふくときは則ち雨ふり、南自りし西自よりするときは則ち雨ふらず。何者ぞ。東自りし北自りするは皆陽に屬し(坎卦は本陽。)、陽唱えて陰和す。故に雨ふる。西自りし南自りするは陰なり。陰唱えるときは則ち陽和せず。蝃蝀[ていとう]の詩に曰く、朝に西に隮[せい]あれば、崇朝其れ雨ふる、と。是れ陽來り唱えればなり。故に雨ふる。蝃蝀東に在るときは、則ち是れ陰先づ唱えるなり。之を敢えて指すこと莫しというは、手指敢えて指陳すること莫しと謂うに非ず、猶道う可からずと言うがごとし。易に言く、密雲あれど雨ふらず、我が西郊よりす、と。言うこころは西自りするときは則ち是れ陰先づ唱えるなり。故に雲密なりと雖も雨ふらず。今西風ありて雨ふるは、恐らくは是れ山勢然らしむるならん。

學者用了許多工夫、下頭須落道了、是入異敎。只爲自家這下元未曾得箇安泊處、那下說得成熟。世人所惑者鬼神轉化、佗總有說、又費力說道理、又打入箇無底之壑。故一生出不得。今日須是自家這下照得理分明、則不走作。形而下形而上者、亦須更分明須得。雖則心有(一作存。)默識、有難名狀處、然須說盡心知性知天、亦須於此留意。(此章一無落道了是四字。)
【読み】
學者許多の工夫を了することを用うれども、下頭須く落道し了わるべく、是れ異敎に入るなり。只自家這の下元より未だ曾て箇の安んじ泊まる處を得ざるが爲に、那ぞ說を下すこと成熟することを得んや。世人惑う所の者は鬼神の轉化、佗總て說有りて、又力を費やし道理を說き、又箇の無底の壑に打入す。故に一生出で得ず。今日須く是れ自家這の下の理を照らし得ること分明なるときは、則ち走作せざるべし。形よりして下、形よりして上なる者も、亦更に分明なるを須って須く得べし。則ち心默識すること有(一に存に作る。)りと雖も、名狀し難き處有り、然も須く心を盡くし性を知り天を知ることを說くべく、亦須く此に於て意を留むべし。(此の章一に落道了是の四字無し。)

學則與佗窮理盡性以至於命、則不失。異敎之書、雖小道必有可觀者焉。然其流必乖。故不可以一事遂都取之。若楊・墨亦同是堯・舜、同非桀・紂。是非則可也。其就上所說、則是成就他說也。非桀是堯、是吾依本分事。就上過說、則是佗私意說箇。要之、只有箇理。
【読み】
學は則ち佗に與するに理を窮め性を盡くして以て命に至ることは、則ち失せず。異敎の書は、小道と雖も必ず觀る可き者有り。然れども其の流は必ず乖[そむ]く。故に一事を以て遂に都て之を取る可からず。楊・墨の若きも亦同じく堯・舜を是とし、同じく桀・紂を非とす。是非は則ち可なり。其の上に就いて說く所は、則ち是れ他の說を成就するなり。桀を非とし堯を是とするは、是れ吾が本分に依るの事。上に就いて過說するは、則ち是れ佗の私意の說箇。之を要するに、只箇の理有るのみ。

講學本不消得理會。然每與剔撥出。只是如今雜亂膠固、須著說破。
【読み】
講學は本理會することを得ることを消いず。然れども每に與に剔撥[てきはつ]し出せ。只是れ今の雜亂膠固の如きは、須く說を著け破るべし。

孟子論王道便實。徒善不足爲政、徒法不能自行、便先從養生(一作道。)上說將去。旣庶旣富、然後以飽食煖衣而無敎爲不可。故敎之也。孟子而後、却只有原道一篇。其閒語固多病、然要之大意儘近理。若西銘、則是原道之宗祖也。原道却只說到道、元未到得西銘意思。據子厚之文、醇然無出此文也、自孟子後、蓋未見此書。
【読み】
孟子王道を論ずることは便ち實なり。徒善は政をするに足らず、徒法は自ら行うこと能わずというは、便ち先養生(一に道に作る。)の上從り說き將て去る。旣に庶[おお]く旣に富みて、然して後に飽食煖衣して敎無きを以て不可と爲す。故に之を敎うるなり。孟子よりして後、却って只原道の一篇有るのみ。其の閒語固に病い多けれども、然れども之を要するに大意儘理に近し。西の銘の若きは、則ち是れ原道の宗祖なり。原道は却って只說いて道に到れども、元より未だ西の銘の意思に到り得ず。子厚の文に據るに、醇然たること此の文に出づること無きこと、孟子自り後、蓋し未だ此の書を見ず。

聖人之敎、以所貴率人、釋氏以所賤率人(初本無此十六字。卷末注云、又學佛者難吾言章、一本章首有云云、下同。餘見昨日之會章。)。學佛者難(去聲。)吾言、謂人皆可以爲堯・舜、則無僕隸。正叔言、人皆可以爲堯・舜、聖人所願也。其不爲堯・舜、是所可賤也。故以爲僕隸。
【読み】
聖人の敎は、貴き所を以て人を率い、釋氏は賤しくする所を以て人を率う(初本此の十六字無し。卷末の注云う、又學佛者難吾言の章、一本章の首めに云云有り、下に同じ。餘は昨日の會の章に見ゆ。)。佛を學ぶ者吾が言を難(去聲。)じて、人皆以て堯・舜爲る可きときは、則ち僕隸無けんと謂う。正叔言く、人皆以て堯・舜爲る可きは、聖人の願う所なり。其の堯・舜爲らざるは、是れ賤しくす可き所なり。故に以て僕隸と爲す、と。

游酢・楊時先知學禪、已知向裏沒安泊處。故來此、却恐不變也。暢大隱許多時學、乃方學禪、是於此蓋未有所得也。呂進伯可愛。老而好學、理會直是到底。天祺自然有德氣、似箇貴人氣象。只是却有氣短處、規規太以事爲重、傷於周至。却是氣局小。景庸則只是才敏。須是天祺與景庸相濟、乃爲得中也。
【読み】
游酢・楊時先に禪を學ぶことを知って、已に裏に向かいて安んじ泊まる處沒[な]きことを知る。故に此に來て、却って恐れらくは變ぜざらんことを。暢大隱許多の時に學び、乃ち方に禪を學ぶは、是れ此に於て蓋し未だ得る所有らざればなり。呂進伯は愛す可し。老いて學を好むこと、理會直に是れ到底なり。天祺は自然に德氣有りて、箇の貴人の氣象に似たり。只是れ却って氣短き處有りて、規規として太だ事を以て重しと爲し、周至に傷らる。却って是れ氣局小なればなり。景庸は則ち只是れ才敏なり。須く是れ天祺と景庸と相濟して、乃ち中を得たりと爲すべし。

子厚則高才、其學更先從雜博中過來。
【読み】
子厚は則ち高才、其の學は更に先づ雜博の中從り過ぎ來る。

理則天下只是一箇理。故推至四海而準。須是質諸天地、考諸三王不易之理。故敬則只是敬此者也、仁是仁此者也。信是信此者也。又曰、顚沛造次必於是。又言、吾斯之未能信。只是道得如此、更難爲名狀。
【読み】
理は則ち天下只是れ一箇の理。故に推して四海に至っても準なり。須く是れ諸を天地に質し、諸を三王に考えて易わらざるの理なるべし。故に敬は則ち只是れ此を敬する者なり、仁は是れ此を仁する者なり。信は是れ此を信ずる者なり。又曰く、顚沛造次も必ず是に於てす、と。又言く、吾れ斯を之れ未だ信ずること能わず、と。只是れ道い得ること此の如きは、更に名狀を爲し難ければなり。

今異敎之害、道家之說則更沒可闢。唯釋氏之說衍蔓迷溺至深。今日(今日一作自。)是釋氏盛而道家蕭索。方其盛時、天下之士往往自(一作又。)從其學、自難與之力爭。惟當自明吾理、吾理自立、則彼不必與爭。然在今日、釋氏却未消理會。大患者却是介甫之學。譬之盧從史在潞州。知朝廷將討之、當時便使一處逐其節度使。朝廷之議、要討逐節度者。而李文饒之意、要先討潞州、則不必治彼而自敗矣。如今日、却要先整頓介甫之學、壞了後生學者。
【読み】
今異敎の害、道家の說は則ち更に闢く可き沒[な]し。唯釋氏が說は衍蔓して迷溺すること至って深し。今日(今日は一に自に作る。)是れ釋氏盛んにして道家蕭索たり。其の盛んなる時に方りて、天下の士往往自ら(一に又に作る。)其の學に從って、自ら之と力めて爭い難し。惟當に自ら吾が理を明らかにすべく、吾が理自ら立つときは、則ち彼必ず與に爭わず。然れども今日に在りては、釋氏は却って未だ理會することを消いず。大いに患うる者は却って是れ介甫が學なり。之を盧從史の潞州に在るに譬う。朝廷將に之を討ぜんとするを知り、當時便ち一處をして其の節度使を逐わしむ。朝廷の議、節度の者を討逐せんことを要す。而るに李文饒が意、先づ潞州を討ぜんことを要せば、則ち必ずしも彼を治めずして自づから敗れん、と。今日の如きは、却って先づ介甫が學を整頓して、壞了して後學者を生さんことを要す。

異敎之說、其盛如此、其久又如是。亦須是有命。然吾輩不謂之命也。
【読み】
異敎の說、其の盛んなること此の如く、其の久しきこと又是の如し。亦須く是れ命有るべし。然れども吾輩は之を命と謂わざるなり。

人之於患難、只有一箇處置。盡人謀之後、却須泰然處之。有人遇一事、則心心念念不肯舍、畢竟何益。若不會處置了放下、便是無義無命也。
【読み】
人の患難に於る、只一箇の處置有り。人謀を盡くすの後、却って須く泰然として之を處すべし。人一事に遇うこと有れば、則ち心心念念肯えて舍てざるは、畢竟何の益あらん。若し處置し了わりて放下することを會せざれば、便ち是れ義無く命無きなり。

道之不明也、賢者過之、不肖者不及也、賢者則只過當、不肖又却都休。
【読み】
道の明らかならざる、賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばざるなりとは、賢者は則ち只過當、不肖は又却って都て休するなり。

冬至一陽生、却須斗寒、正如欲曉而反暗也。陰陽之際、亦不可截然不相接、厮侵過便是道理。天地之閒、如是者極多。艮之爲義、終萬物、始萬物。此理最妙。須玩索這箇理。
【読み】
冬至一陽生じて、却って須く斗寒なるべきは、正に曉ならんと欲して反って暗きが如きなり。陰陽の際も、亦截然として相接わらざる可からず、厮侵過は便ち是れ道理なり。天地の閒、是の如き者極めて多し。艮の義爲る、萬物を終え、萬物を始む。此の理最も妙なり。須く這箇の理を玩索すべし。

古言乾・坤退處不用之地、而用六子。若人、則便分君道無爲、臣道有爲。若天、則誰與佗安排。佗如是、須有道理。故如八卦之義、須要玩索。
【読み】
古に言う、乾・坤不用の地に退處して、六子を用う、と。人の若きは、則便ち君道の無爲、臣道の有爲を分かつ。天の若きは、則ち誰か佗と安排せん。佗是の如くば、須く道理有るべし。故に八卦の義の如き、須く玩索することを要すべし。

早梅冬至已前發、方一陽未生。然則發生者何也。其榮其枯、此萬物一箇陰陽升降大節也。然逐枝自有一箇榮枯、分限不齊。此各有一乾・坤也。各自有箇消長、只是箇消息。惟其消息、此所以不窮。至如松柏、亦不是不彫。只是後彫、彫得不覺、怎少得消息。方夏生長時、却有夏枯者、則冬寒之際有發生之物。何足怪也。
【読み】
早梅の冬至已前に發するは、一陽未だ生ぜざるに方る。然れば則ち發生する者は何ぞや。其の榮其の枯、此れ萬物一箇の陰陽升降の大節なり。然も逐枝に自づから一箇の榮枯有りて、分限齊しからず。此れ各々一乾・坤有ればなり。各々自づから箇の消長有るは、只是れ箇の消息。惟其の消息するは、此れ窮まらざる所以なり。松柏の如きに至っても、亦是れ彫まずんばあらず。只是れ彫むに後れて、彫み得ること覺らず、怎ぞ消息を少[か]き得ん。夏生長する時に方りて、却って夏枯する者有るときは、則ち冬寒の際にも發生の物有り。何ぞ怪しむに足らんや。

物理最好玩。
【読み】
物理最も玩[なら]うに好し。

陰陽於天地閒、雖無截然爲陰爲陽之理、須去參錯。然一箇升降生殺之分、不可無也。
【読み】
陰陽の天地の閒に於る、截然たる陰爲り陽爲るの理無しと雖も、須く參錯するを去るべし。然も一箇の升降生殺の分、無くんばある可からざるなり。

動植之分、有得天氣多者、有得地氣多者、本乎天者親上、本乎地者親下。然要之、雖木植亦兼有五行之性在其中、只是偏得土之氣。故重濁也。
【読み】
動植の分、天氣を得ること多き者有り、地氣を得ること多き者有り、天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。然して之を要すれば、木植と雖も亦五行の性を兼有して其の中に在り、只是れ偏に土の氣を得。故に重濁するなり。

伯淳言、西銘某得此意。只是須得佗子厚有如此筆力、佗人無緣做得。孟子以後、未有人及此。得此文字、省多少言語。且敎佗人讀書。要之仁孝之理備於此。須臾而不於此、則便不仁不孝也。
【読み】
伯淳言く、西の銘は某此の意を得。只是れ須く佗の子厚の此の如き筆力有るを得べく、佗人做し得るに緣無し。孟子以後、未だ人此に及ぶもの有らず。此の文字を得て、多少の言語を省る。且佗人をして讀書せしむる。之を要するに仁孝の理此に備わる。須臾も而も此に於てせずんば、則便ち不仁不孝なり。

詩前序必是當時人所傳、國史明乎得失之迹者是也。不得此、則何緣知得此篇是甚意思。大序則是仲尼所作。其餘則未必然。要之、皆得大意。只是後之觀詩者亦添入。
【読み】
詩の前序は必ず是れ當時の人の傳うる所、國史得失の迹を明らかにする者是れなり。此を得ざれば、則ち何に緣ってか此の篇は是れ甚[なん]の意思なることを知り得ん。大序は則ち是れ仲尼の作る所。其の餘は則ち未だ必ずしも然らず。之を要するに、皆大意を得。只是れ後の詩を觀る者亦添え入るならん。

詩有六體、須篇篇求之、或有兼備者、或有偏得一二者。今之解詩者、風則分付與國風矣、雅則分付與大・小雅矣、頌卽分付與頌矣。詩中且沒却這三般體、如何看得詩。風之爲言、便有風動之意。興便有一興喩之意。比則直比之而已。蛾眉瓠犀是也。賦則賦陳其事。如齊侯之子、衛侯之妻是也。雅則正言其事。頌則稱美之言也。如于嗟乎騶虞之類是也。
【読み】
詩に六體有り、須く篇篇に之を求むべく、或は兼ね備うる者有り、或は偏に一二を得る者有り。今の詩を解する者、風は則ち分かちて國風に付與し、雅は則ち分かちて大・小雅に付與し、頌は卽ち分かちて頌に付與す。詩中且這の三般の體を沒却せば、如何ぞ詩を看得ん。風の言爲る、便ち風動の意有り。興は便ち一興喩の意有り。比は則ち直に之に比するのみ。蛾眉瓠犀是れなり。賦は則ち其の事を賦陳す。齊侯の子、衛侯の妻というが如き是れなり。雅は則ち正しく其の事を言う。頌は則ち稱美の言なり。于嗟[ああ]騶虞[すうぐ]というの類の如き是れなり。

關雎之詩、如言樂得淑女、以配君子、憂在進賢、不淫其色、非后妃之事。明知此意是作詩者之意也。如此類推之。
【読み】
關雎の詩、淑女を得て、以て君子に配することを樂しむ、憂いは賢を進むるに在りて、其の色に淫せずと言うが如きは、后妃の事に非ず。明らかに此の意を知らば是れ詩を作る者の意なり。此の如きの類之を推せ。

詩言后妃夫人者、非必謂文王之妻也。特陳后妃夫人之事、如斯而已。然其後亦有當時詩附入之者、汝墳是也。且二南之詩、必是周公所作。佗人恐不及此。以其爲敎於衽席之上、閨門之内、上下貴賤之所同也。故用之郷人邦國而謂之國風也。化天下只是一箇風、至如鹿鳴之詩數篇、如燕羣臣、遣戍役、勞還率之類、皆是爲國之常政。其詩亦恐是周公所作。如後人之爲樂章是也。
【読み】
詩に后妃夫人と言う者は、必ずしも文王の妻を謂うに非ざるなり。特[ただ]后妃夫人の事を陳ぶること、斯の如きのみ。然も其の後も亦當時の詩之を附入する者有り、汝墳是れなり。且二南の詩は、必ず是れ周公の作る所ならん。佗人恐らくは此に及ばじ。其の敎を衽席の上、閨門の内に爲すを以て、上下貴賤の同じくする所なり。故に之を郷人邦國に用いて之を國風と謂うなり。天下を化するは只是れ一箇の風、鹿鳴の詩數篇の如きに至って、羣臣を燕し、戍役を遣し、還率を勞するが如きの類、皆是れ國の常政爲り。其の詩も亦恐らくは是れ周公の作る所ならん。後人の樂章を爲るが如き是れなり。

論語中言唐棣之蕐者、因權而言逸詩也。孔子刪詩、豈只取合於雅頌之音而已。亦是謂合此義理也。如皇矣・烝民・文王・大明之類、其義理、非人人學至於此、安能及此。作詩者又非一人、上下數千年若合符節、只爲合這一箇理。若不合義理、孔子必不取也。
【読み】
論語の中唐棣[とうてい]の蕐を言う者は、權に因りて言う逸詩なり。孔子詩を刪る、豈只雅頌に合う音のみを取らんや。亦是れ此の義理に合うを謂うなり。皇矣・烝民・文王・大明の類の如き、其の義理、人人學んで此に至るに非ずんば、安んぞ能く此に及ばん。詩を作る者も又一人に非ず、上下數千年符節を合わせたるが若きは、只這の一箇の理に合うが爲なり。若し義理に合わずんば、孔子必ず取らじ。

夫子言興於詩、觀其言、是興起人善意、汪洋浩大、皆是此意。如言秉心塞淵、騋牝三千。須是塞淵、然後騋牝三千(塞淵有義理。)。又如駉之詩、坰牧是賤事、其中却言思無邪。詩三百、一言以蔽之者在此一句。坰牧而必要思無邪者、蓋爲非此則不能坰牧。又如考槃之詩、解者謂賢人永誓不復告君、不復見君、又自誓不詐而實如此也。據此安得有賢者氣象。孟子之於齊、是甚君臣。然其去、未嘗不遲遲顧戀。今此君才不用、便躁忿如此、是不可磯也。乃知此詩、解者之誤。此詩是賢者退而窮處、心不忘君、怨慕之深者也。君臣猶父子。安得不怨。故直至於寤寐弗忘、永陳其不得見君與告君、又陳其此誠之不詐也。(此章注塞淵有義理、一作塞淵於義理。)
【読み】
夫子詩に興ると言うは、其の言を觀るに、是れ人をして善意を興起して、汪洋浩大ならしむ、皆是れ此の意なり。心を秉ること塞淵、騋牝[らいひん]三千と言うが如し。須く是れ塞淵して、然して後に騋牝三千なるべし(塞淵に義理有り。)。又駉[けい]の詩の如き、坰牧[けいぼく]は是れ賤事、其の中却って思い邪無しと言う。詩三百、一言以て之を蔽う者は此の一句に在り。坰牧にして必ず思い邪無きを要する者は、蓋し此に非ざれば則ち坰牧すること能わざるが爲なり。又考槃の詩の如き、解する者謂えらく、賢人永く復君に告げず、復君に見えざることを誓い、又自ら詐らずして實なることを誓うこと此の如けん、と。此に據るに安んぞ賢者の氣象有ることを得ん。孟子の齊に於る、是れ甚[なん]の君臣ぞ。然れども其の去ること、未だ嘗て遲遲として顧戀せずんばあらず。今此の君才かに用いずとして、便ち躁忿なること此の如くならば、是れ磯[き]す可からず。乃ち知る、此の詩は、解する者の誤りなることを。此の詩は是れ賢者退いて窮處して、心君を忘れず、怨慕することの深き者なり。君臣は猶父子のごとし。安んぞ怨みざることを得ん。故に直に寤寐忘れざるに至りて、永く其の君に見えると君に告げるとを得ざることを陳べ、又其の此の誠の詐らざることを陳ぶるなり。(此の章注の塞淵有義理は、一に塞淵於義理に作る。)

堯與舜更無優劣、及至湯・武便別。孟子言性之反之。自古無人如此說。只孟子分別出來。便知得堯・舜是生而知之、湯・武是學而能之。文王之德則似堯・舜、禹之德則似湯・武。要之皆是聖人。
【読み】
堯と舜とは更に優劣無く、湯・武に至るに及んで便ち別なり。孟子之を性のままにし之を反すと言う。古自り人此の如く說く無し。只孟子のみ分別し出し來る。便ち堯・舜は是れ生まれながらにして之を知り、湯・武は是れ學んで之を能くすることを知り得。文王の德は則ち堯・舜に似、禹の德は則ち湯・武に似たり。之を要すれば皆是れ聖人なり。

詩云、上天之載、無聲無臭、儀刑文王、萬邦作孚、上天又無聲臭之可聞、只看文王便萬邦取信也。又曰、維天之命、於穆不已、蓋曰天之所以爲天也。文王之德之純、蓋曰文王之所以爲文也。然則文王之德、直是似天。昊天曰明、及爾出王。昊天曰旦、及爾游衍、只爲常是這箇道理。此箇(一作理。)亦須待佗心熟、便自然別。
【読み】
詩に云う、上天の載は、聲も無く臭も無し、文王に儀[かたど]り刑[のっと]らば、萬邦作りて孚とせんとは、上天も又聲臭の聞く可き無く、只文王を看て便ち萬邦信を取るなり。又曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まずとは、蓋し天の天爲る所以を曰うなり。文王の德の純なるとは、蓋し文王の文爲る所以を曰うなり。然れば則ち文王の德は、直に是れ天に似れり。昊天曰[ここ]に明らかなり、爾と出で王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり、爾と游衍すとは、只常に是れ這箇の道理を爲す。此の箇(一に理に作る。)も亦須く佗の心熟するを待ちて、便ち自然に別なるべし。

樂則生、生則烏可已也、須是熟方能如此。苟爲不熟、不如稊稗。
【読み】
樂しむときは則ち生ず、生ずるときは則ち烏んぞ已む可けんとは、須く是れ熟して方に能く此の如くなるべし。苟も熟せざることを爲さば、稊稗にも如しかず。

是集義所生、非義襲而取之也。須集義。這上頭莫非義也。
【読み】
是れ集義の生す所、義襲[かさ]ねて之を取るに非ざるなり。須く集義すべし。這の上頭義に非ざる莫し。

仁義禮智根於心其生色、言四者、本於心而生色也。睟於面、盎於背、施於四體、四體不言而喩、孟子非自及此、焉能道得到此。
【読み】
仁義禮智は心に根ざして其れ色に生ずとは、言うこころは四つの者は、心に本づいて色に生ずるなり。面に睟[つや]やかに、背に盎[あふ]れ、四體に施し、四體言わずして喩るとは、孟子自ら此に及ぶに非ざれば、焉んぞ能く道い得ること此に到らん。

今志於義理而心不安樂者、何也。此則正是剩一箇助之長。雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚、便是必有事焉而正之也。亦須且恁去。如此者只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也。
【読み】
今義理に志して心安樂ならざる者は、何ぞや。此れ則ち正に是れ一箇の之を助けて長ぜしむることを剩[あま]すなり。則ち心之を操るときは則ち存し、之を舍つるときは則ち亡ぶと雖も、然れども之を持すること太甚だしければ、便ち是れ必ず事とすること有りて而して之を正[あてて]するなり。亦[それ]須く且に恁[かく]し去らんとす。此の如き者は只是れ德孤なり。德孤ならざれば、必ず鄰有り。德盛んなる後に到りて、自ら窒礙無く、左右其の原に逢うなり。

中庸言禮儀三百、威儀三千、方是說優優大哉。又却非如異敎之說、須得如枯木死灰以爲得也。
【読み】
中庸に言う禮儀三百、威儀三千は、方に是れ優優として大なるかなと說く。又却って異敎の說の、枯木死灰の如くなるを得ることを須って以て得たりと爲すが如きに非ざるなり。

得此義理在此、甚事不盡。更有甚事出得。視世之功名事業、甚譬如閑。視世之仁義者、甚煦煦孑孑、如匹夫匹婦之爲諒也。自視(一作是。)天來大事、處以此理、又曾何足論。若知得這箇義理、便有進處。若不知得、則何緣仰高鑽堅、在前在後也。竭吾才、則又見其卓爾。
【読み】
此の義理此に在ることを得ば、甚[なん]の事か盡くさざらん。更に甚の事有りてか出で得ん。世の功名事業に視るに、甚の譬うること閑あるが如けん。世の仁義の者に視るに、甚の煦煦[くく]孑孑[けつけつ]として、匹夫匹婦の諒を爲すが如けん。自ら天より來す大事を視(一に是に作る。)、處するに此の理を以てせば、又曾て何ぞ論ずるに足らん。若し這箇の義理を知り得ば、便ち進む處有らん。若し知り得ずんば、則ち何に緣りてか仰げば高く鑽れば堅く、前に在り後に在らん。吾が才を竭くせば、則ち又其の卓爾たるを見ん。

德者得也。須是實到這裏須得。
【読み】
德は得なり。須く是れ實に這の裏に到りて須く得べし。

言反身而誠、樂莫大焉、却是著人上說。
【読み】
身に反りて誠あれば、樂焉より大なるは莫しと言うは、却って是れ人上に著いて說く。

邵堯夫於物理上儘說得、亦大段漏洩佗天機。
【読み】
邵堯夫物理上に於て儘說き得、亦大段佗の天機を漏洩す。

人於天理昏者、是只爲嗜欲亂著佗。莊子言、其嗜欲深者、其天機淺、此言却最是。
【読み】
人天理に於て昏き者は、是れ只嗜欲佗を亂著するが爲なり。莊子が言う、其の嗜欲深き者は、其の天機淺し、と。此の言却って最も是なり。

這箇義理、仁者又看做仁了也、知者又看做知了也。百姓又日用而不知。此所以君子之道鮮矣。此箇亦不少、亦不剩、只是人看他不見。
【読み】
這箇の義理、仁者は又看て仁と做し了わり、知者は又看て知と做し了わる。百姓は又日に用うれども而も知らず。此れ君子の道鮮き所以なり。此れ箇も亦少なからず、亦剩[あま]らず、只是れ人他を看て見ざるなり。

今天下之士人、在朝者又不能言、退者遂忘之、亦不肯言。此非朝廷吉祥。雖未見從、又不曾有大橫見加、便豈可自絕也。君臣、父子也。父子之義不可絕。豈有身爲侍從、尙食其祿、視其危亡、曾不論列。君臣之義、固如此乎。
【読み】
今天下の士人、朝に在る者は又言うこと能わず、退く者は遂に之を忘れ、亦肯えて言わず、此れ朝廷の吉祥に非ず。未だ從うことを見ずと雖も、又曾て大橫見加えること有らざれば、便ち豈自ら絕つ可けんや。君臣は、父子なり。父子の義は絕つ可からず。豈身侍從と爲りて、尙其の祿を食し、其の危亡を視て、曾ぞ論列せざること有らんや。君臣の義は、固に此の如くならんや。

寂然不動、感而遂通者、天理具備、元無欠少、不爲堯存、不爲桀亡。父子君臣、常理不易、何曾動來。因不動、故言寂然。雖不動、感便通。感非自外也。
【読み】
寂然として動かず、感じて遂に通ずる者は、天理具備して、元より欠少無く、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。父子君臣は、常理不易、何ぞ曾て動來せん。動かざるに因りて、故に寂然と言う。動かずと雖も、感ずれば便ち通ず。感ずること外自りするに非ざるなり。

若不一本、則安得先天而天不違、後天而奉天時。
【読み】
若し本を一にせずんば、則ち安んぞ天に先だちて天に違わず、天に後れて天の時を奉ずることを得ん。

所務於窮理者、非道須盡窮了天下萬物之理、又不道是窮得一理便到。只是要積累多後、自然見去。
【読み】
理を窮むることを務むる所の者は、須く盡く天下萬物の理を窮了すべきを道うに非ず、又是れ一理を窮め得ば便ち到ると道わず。只是れ積累多きことを要めて後、自然に見去る。

天地安有内外。言天地之外、便是不識天地也。人之在天地、如魚在水、不知有水、直待出水、方知動不得。
【読み】
天地安んぞ内外有らん。天地の外と言うは、便ち是れ天地を識らざるなり。人の天地に在るは、魚の水に在りて、水有ることを知らず、直に水を出づるを待って、方に動くこと得ざることを知るが如し。

禮一失則爲夷狄、再失則爲禽獸。聖人初恐人入於禽獸也。故於春秋之法極謹嚴(元本無故字。)。中國而用夷狄禮、則便夷狄之。韓愈言春秋謹嚴、深得其旨。韓愈道佗不知又不得。其言曰、易奇而法、詩正而葩、春秋謹嚴、左氏浮夸。其名理皆善。
【読み】
禮一たび失するときは則ち夷狄と爲り、再び失するときは則ち禽獸と爲らん。聖人初めて人の禽獸に入らんことを恐る。故に春秋の法に於て極めて謹嚴なり(元本故の字無し。)。中國なれども夷狄の禮を用うるときは、則便ち之を夷狄にす。韓愈春秋は謹嚴と言うは、深く其の旨を得たり。韓愈佗を道うこと知らずんば又得じ。其の言に曰く、易は奇にして法、詩は正にして葩[は]、春秋は謹嚴、左氏は浮夸、と。其の名理皆善し。

當春秋・戰國之際、天下小國介於大國、奔命不暇。然足以自維持數百年。此勢卻似稻塍、各有界分約束。後世遂有土崩之勢、道壞便一時壞(元本無此一壞字。)。陳涉一叛、天下遂不支梧。今日堂堂天下、只西方一敗、朝廷遂震、何也。蓋天下之勢、正如稻塍、各有限隔、則卒不能壞。今天下却似一箇萬頃陂。要起卒起不得。及一起則汹湧、遂奈何不得。以祖宗德澤仁厚、涵養百餘年閒、一時柔了人心。雖有豪傑、無箇端倪起得、便只要安靜、不宜使搖動。雖夷狄亦散兵却鬭、恃(一本無恃字。)此中國之福也(一本此字下有非字。)
【読み】
春秋・戰國の際に當たりて、天下の小國大國に介して、命に奔るに暇あらず。然れども以て自ら數百年を維持するに足れり。此の勢卻って稻塍[とうしょう]に似て、各々界分約束有り。後世遂に土のごとく崩るるの勢有れば、道壞れて便ち一時に壞る(元本此の一壞の字無し。)。陳涉一たび叛いて、天下遂に支梧せず。今日堂堂たる天下、只西方一たび敗れて、朝廷遂に震うは、何ぞや。蓋し天下の勢、正に稻塍の如くなるときは、各々限隔有れば、則ち卒に壞ること能わじ。今天下却って一箇萬頃の陂に似たり。起こさんと要めても卒に起こること得ず。一たび起こるに及べば則ち汹湧[きょうよう]し、遂に奈何ぞ得ざる。祖宗の德澤仁厚を以て、涵養すること百餘年の閒、一時に人心を柔了す。豪傑有りと雖も、箇の端倪起こし得ること無く、便ち只安靜ならんことを要して、宜しく搖動せしむべからずとす。夷狄亦散ずると雖も兵却って鬭うは、恃むらくは(一本に恃の字無し。)此れ中國の福なり(一本に此の字の下非の字有り。)

賈誼有五餌之說、當時笑其迂疏。今日朝廷正使著。故得許多時寧息。
【読み】
賈誼に五餌の說有り、當時其の迂疏なることを笑う。今日朝廷正に著さしむ。故に許多の時寧息することを得。

天地動靜之理、天圜則須轉、地方則須安靜。南北之位,豈可不定下。所以定南北者、在坎離也。坎離又不是人安排得來、莫非自然也。
【読み】
天地動靜の理、天圜なるときは則ち須く轉ずべく、地方なるときは則ち須く安靜なるべし。南北の位、豈定め下さざる可けんや。南北を定むる所以は、坎離に在るなり。坎離も又是れ人安排し得來るにあらず、自然に非ざること莫きなり。

論語爲書、傳道立言、深得聖人之學者矣。如郷黨形容聖人、不知者豈能及是。
【読み】
論語の書爲ること、道を傳え言を立つること、深く聖人の學を得る者なり。郷黨の聖人を形容するが如き、知らざる者豈能く是に及ばんや。

不愧屋漏、便是箇持養氣象。
【読み】
屋漏に愧ぢざるは、便ち是れ箇の持養の氣象なり。

孔・孟之分、只是要別箇聖人賢人。如孟子若爲孔子事業、則儘做得。只是難似聖人。譬如翦綵以爲花、花則無不似處。只是無他造化功。綏斯來、動斯和、此是不可及處。
【読み】
孔・孟の分は、只是れ箇の聖人賢人を別たんことを要す。孟子の如き若し孔子の事業を爲さば、則ち儘做し得ん。只是れ聖人に似難し。譬えば綵[さい]を翦って以て花を爲るが如き、花は則ち似ざる處無し。只是れ他の造化の功無し。綏[やす]んずれば斯に來り、動かせば斯に和すは、此れ是れ及ぶ可からざるの處なり。

只是這箇理、以上却難言也。如言吾斯之未能信、皆是古人此理已明故也。
【読み】
只是れ這箇の理、以上は却って言い難きなり。吾れ斯を未だ信ずること能わずと言うが如き、皆是れ古人此の理已に明らかなる故なり。

敬而無失、便是喜怒哀樂未發之謂中也。敬不可謂之中。但敬而無失、卽所以中也。
【読み】
敬して失すること無きは、便ち是れ喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うものなり。敬は之を中と謂う可からず。但敬して失すること無きは、卽ち中なる所以なり。

微仲之學雜、其愷悌嚴重寬大處多。惟心艱於取人、自以才高故爾。語近學、則不過入於禪談。不常議論、則以苟爲有詰難。亦不克易其言、不必信心、自以才高也。
【読み】
微仲が學は雜なれども、其の愷悌嚴重寬大なる處多し。惟心人を取ることを艱しとするは、自ら才を以て高ぶる故のみ。近學を語るときは、則ち禪談に入るに過ぎず。常に議論せざることは、則ち苟も詰難有らんとするを以てなり。亦其の言を易えること克わず、必ず心に信ぜざるは、自ら才を以て高ぶればなり。

和叔常言、及相見則不復有疑、旣相別則不能無疑。然亦未知果能終不疑。不知佗旣已不疑、而終復有疑、何故。伯淳言、何不問他。疑甚不如劇論。
【読み】
和叔常に言う、相見るに及んでは則ち復疑有らず、旣に相別れては則ち疑無きこと能わず。然も亦未だ果たして能く終に疑わざることを知らず。知らず、佗旣已に疑わずして、終に復疑有るは、何が故ぞ、と。伯淳言く、何ぞ他に問わざる。疑甚だしきときは劇論するに如かず、と。

和叔任道擔當。其風力甚勁。然深潛縝密、有所不逮於與叔。蔡州謝良佐雖時學中因議州舉學試得失、便不復計較。建州游酢、非昔日之游酢也。固是穎、然資質溫厚。南劍州楊時雖不逮酢、然煞穎悟。林大節雖差魯、然所問便能躬行。劉質夫久於其事、自小來便在此。李端伯相聚雖不久、未見佗操履。然才識穎悟、自是不能已也。
【読み】
和叔は道を任じて擔當す。其の風力甚だ勁[つよ]し。然れども深潛縝密なること、與叔に逮ばざる所有り。蔡州の謝良佐は時學の中と雖も州の舉學を議するに因りて得失を試すに、便ち復計較せず。建州の游酢は、昔日の游酢に非ざるなり。固に是れ穎[さと]く、然も資質溫厚なり。南劍州の楊時は酢に逮ばずと雖も、然れども煞だ穎悟なり。林大節は差[やや]魯なりと雖も、然れども問う所は便ち能く躬に行う。劉質夫は其の事に久しけれども、小自り來ること便ち此に在り。李端伯は相聚まること久しからずと雖も、未だ佗の操履を見ず。然れども才識穎悟にして、自ら是れ已むこと能わざるなり。

介甫當初、只是要行己志、恐天下有異同。故只去上心上把得定、佗人不能搖。以是拒絕言路、進用柔佞之人、使之奉行新法。今則是佗已去。不知今日卻留下害事。
【読み】
介甫當初、只是れ己が志を行わんことを要し、天下異同有らんことを恐る。故に只上の心上に把り得定め去らば、佗人搖るがすこと能わざらんとす。是を以て言路を拒み絕ちて、柔佞の人を進め用いて、之をして新法を奉行せしむ。今は則ち是れ佗已に去れり。知らず、今日卻って害を下す事を留めんや。

昨春邊事權罷、是皆李舜舉之力也。今不幸適喪此人、亦深足憐也。此等事皆是重不幸。
【読み】
昨春邊事權[かり]に罷むは、是れ皆李舜舉が力なり。今不幸にして適に此の人を喪うは、亦深く憐れむに足れり。此れ等の事は皆是れ重き不幸なり。

李憲本意、佗只是要固蘭會。恐覆其功、必不肯主這下事。(元豐四年取興・靈事。)
【読み】
李憲が本意は、佗只是れ蘭會を固めんことを要す。其の功を覆さんことを恐れ、必ずしも肯えて這の下の事を主とせず。(元豐四年興・靈を取る事。)

新進游・楊輩數人入太學、不惟議論須異、且動作亦必有異。故爲學中以異類待之。又皆學春秋、愈駭俗矣。
【読み】
新たに游・楊が輩數人を進めて太學に入るるは、惟議論異なることを須[もと]むるにあらず、且つ動作も亦必ず異なること有らんことを。故に學中異類を以て之を待つことを爲す。又皆春秋を學んで、愈々俗を駭[おどろ]かすなり。

堯夫之學、先從理上推意、言象數言天下之理、須出於四者。推到理處、曰(處曰添二字。)、我得此大者、則萬事由我、無有不定。然未必有術。要之亦難以治天下國家。其爲人則直是無禮不恭、惟是侮玩。雖天理(一作地。)亦爲之侮玩。如無名公傳言、問諸天地、天地不對、弄丸餘暇、時往時來之類。
【読み】
堯夫の學は、先づ理上從り意を推し、象數を言いて天下の理、須く四つの者に出づべしと言う。推して理の處に到りて、曰く(處曰は二字を添う。)、我れ此の大なる者を得るときは、則ち萬事我に由って、定まらざること有ること無し、と。然れども未だ必ずしも術有らず。之を要するに亦以て天下國家を治め難し。其の爲人は則ち直に是れ無禮不恭にして、惟是れ侮玩す。天理(一に地に作る。)と雖も亦之が侮玩することを爲す。無名公の傳に、諸を天地に問えば、天地對えず、弄丸の餘暇、時に往き時に來ると言う類の如し。

堯夫詩雪月風花未品題。佗便把這些事、便與堯・舜・三代一般。此等語、自孟子後、無人曾敢如此言來。直是無端。又如言文字呈上、堯夫皆不恭之甚。須信畫前元有易、自從刪後更無詩、這箇意思、古元未有人道來。
【読み】
堯夫の詩雪月風花未だ品題せず、と。佗便ち這の些事を把ること、便ち堯・舜・三代と一般なり。此れ等の語は、孟子自り後、人曾て敢えて此の如く言い來る無し。直に是れ端無し。又文字呈上すと言うが如き、堯夫皆不恭の甚だしきなり。須く信ずべし、畫前元より易有ることを、自ら刪りて後從り更に詩無しという、這箇の意思、古より元未だ人道い來る有らず。

行己須行誠盡處、正叔謂、意則善矣。然言誠盡、則誠之爲道、非能盡也。堯夫戲謂、且就平側。
【読み】
己を行うには須く誠盡きる處を行うべしというは、正叔謂えらく、意は則ち善し。然れども誠盡きると言うは、則ち誠の道爲る、能く盡くすべきに非ず。堯夫戲れに謂いて、且く平側に就くならん、と。

司馬子微嘗作坐忘論。是所謂坐馳也。(微一作綦。)
【読み】
司馬子微嘗て坐忘論を作る。是れ所謂坐馳なり。(微は一に綦[き]に作る。)

伯淳昔在長安倉中閑坐。後見長廊柱、以意數之。已尙不疑。再數之不合。不免令人一一聲言而數之。乃與初數者無差。則知越著心把捉越不定。
【読み】
伯淳昔長安の倉中に在りて閒坐す。後に長廊の柱を見、意を以て之を數う。已[お]えしとき尙疑わず。再び之を數えしに合わず。人をして一一聲言して之を數えしむるを免れず。乃ち初めに數えし者と差い無し。則ち越[いよいよ]心を著けて把捉すれば、越定まらざるを知る。

呂與叔以氣不足而養之、此猶只是自養求無疾。如道家脩養亦何傷。若須要存想飛昇、此則不可。
【読み】
呂與叔氣足らざるを以て之を養う、此れ猶只是れ自ら養って疾無きを求むるがごとし。道家脩養の如きは亦何ぞ傷らん。若し存想飛昇することを須要せば、此れ則ち不可なり。

徐禧奴才也。善兵者有二萬人未必死、彼雖十萬人、亦未必能勝二萬人。古者以少擊衆而取勝者多。蓋兵多亦不足恃。昔者袁紹以十萬阻官渡、而曹操只以萬卒取之。王莽百萬之衆、而光武昆陽之衆有八千、仍有在城中者。然則只是數千人取之。苻堅下淮百萬、而謝玄才二萬人、一麾而亂。以此觀之、兵衆則易老、適足以資敵人。一敗不支、則自相蹂踐。至如聞風聲鶴唳、皆以爲晉軍之至、則是自相殘也。譬之一人軀幹極大、一人輕捷、兩人相當、則擁腫者遲鈍、爲輕捷者出入左右之、則必困矣。自古師旅勝敗、不能無之。然今日邊事、至號疏曠前古未之聞也。其源在不任將帥、將帥不愼任人。閫外之事、將軍處之。一一中覆、皆受廟算、上下相徇、安得不如此。(元豐五年永樂城事。)
【読み】
徐禧は奴才なり。兵を善くする者二萬人有りて未だ必ずしも死せずんば、彼れ十萬人と雖も、亦未だ必ずしも能く二萬人に勝たじ。古は少なきを以て衆きを擊って勝を取る者多し。蓋し兵多きは亦恃むに足らず。昔袁紹十萬を以て官渡を阻みて、曹操只萬卒を以て之を取る。王莽百萬の衆にして、光武昆陽の衆八千有りて、仍[なお]城中に在る者有り。然れば則ち只是れ數千人にして之を取る。苻堅淮に下ること百萬にして、謝玄才かに二萬人、一麾して亂る。此を以て之を觀れば、兵衆きときは則ち老[つか]れ易くして、適に以て敵人を資るに足れり。一たび敗れて支えざるときは、則ち自ら相蹂踐す。風聲鶴唳を聞いて、皆以て晉軍の至るとするが如きに至っては、則ち是れ自ら相殘[そこな]うなり。之を譬うるに一人は軀幹極大、一人は輕捷、兩人相當たるときは、則ち擁腫なる者遲鈍にして、輕捷なる者の爲に之に出入左右せられ、則ち必ず困しむ。古自り師旅の勝敗は、之れ無きこと能わず。然れども今日の邊事、至って疏曠ありと號すこと前古より未だ之を聞かざるなり。其の源は將帥に任ぜず、將帥愼まずして人に任ずるに在り。閫外[こんがい]の事は、將軍之を處す。一一中覆して、皆廟算を受けて、上下相徇えば、安んぞ此の如くならざるを得ん。(元豐五年永樂城の事。)

楊定鬼神之說、只是道人心有感通。如有人平生不識一字、一日病作、却念得一部杜甫詩、却有此理。天地閒事、只是一箇有、一箇無、旣有卽有、無卽無。如杜甫詩者、是世界上實有杜甫詩。故人之心病及至精一有箇道理、自相感通。以至人心在此、託夢在彼、亦有是理、只是心之感通也。死者託夢、亦容有此理。有人過江、其妻墮水、意其爲必死矣。故過金山寺爲作佛事。方追薦次、忽其婢子通傳墮水之妻。意度在某處作甚事。是誠死也。及三二日、有漁人撐舟、以其妻還之、乃未嘗死也、蓋旋於急流中救活之。然則其婢子之通傳是何也。亦是心相感通。旣說心有感通、更說甚生死古今之別。
【読み】
楊定鬼神の說、只是れ人心感通すること有りと道う。人平生一字を識らざれども、一日病作って、却って一部の杜甫が詩を念得すること有るが如き、却って此の理有り。天地の閒の事は、只是れ一箇の有、一箇の無にて、旣に有なれば卽ち有、無なれば卽ち無なり。杜甫が詩の如きは、是れ世界上に實に杜甫が詩有り。故に人の心病精一に至るに及んで箇の道理有りて、自ら相感通す。以て人心此に在り、託夢彼に在るに至っても、亦是の理有り、只是れ心の感通するなり。死者夢に託するも、亦此の理有る容し。人江を過ぎること有り、其の妻水に墮ち、意うに其れ必死せりと爲す。故に金山寺に過ぎりて爲に佛事を作す。追薦の次に方りて、忽ち其の婢子墮水の妻を通傳す。意い度るらく、某の處に在り甚[なに]事をか作す。是れ誠に死せるなり、と。三二日に及んで、漁人舟を撐[さおさ]して、其の妻を以て之を還す有り、乃ち未だ嘗て死せざるなり、蓋し旋[ようや]く急流の中に於て之を救活すという。然れば則ち其の婢子の通傳するは是れ何ぞや。亦是れ心相感通ずるなり。旣に心感通すること有るを說かば、更に甚の生死古今の別をか說かん。

天祺自然有德氣、望之有貴人之象。只是氣局小、太規規於事爲重也。昔在司竹、常愛用一卒長。及將代、自見其人盜筍皮、遂治之無少貸。罪已正、待之復如初、略不介意。人觀其德量如此。
【読み】
天祺自然に德氣有り、之を望むに貴人の象有り。只是の氣局小にして、太だ事を重しとするに規規たり。昔司竹に在りしとき、常に一卒長を愛し用う。將に代わらんとするに及んで、自ら其の人筍皮を盜むを見、遂に之を治めて少しも貸すこと無し。罪已に正し、之を待すること復初めの如くしにして、略意に介せず。人其の德量を觀るに此の如し。

正叔謂子厚、越獄、以謂卿監已上不追攝之者、以其貴朝廷。有旨追攝、可也。又請枷項、非也。不已太辱矣。貴貴、以其近於君。子厚謂、若終不伏、卽將奈何。正叔謂、寧使公事勘不成則休。朝廷大義不可虧也。子厚以爲然。
【読み】
正叔子厚に謂う、越獄は、以謂えらく、卿監已上之を追攝せざる者は、其れ朝廷を貴ぶを以てなり。旨有らば追攝するも、可なり。又枷項を請うは、非なり。已に太だ辱めんとせざれ。貴を貴ぶは、其の君に近きを以てなり、と。子厚謂く、若し終に伏せずんば、卽ち將に奈何せんとする、と。正叔謂く、寧ろ公事をして勘[かんが]えしめて成らずんば則ち休む。朝廷の大義は虧く可からず、と。子厚以て然りと爲す。

俗人酷畏鬼神、久亦不復敬畏。
【読み】
俗人は酷[はなは]だ鬼神を畏れ、久しくして亦復敬畏せず。

冬至一陽生、而每遇至後則倍寒、何也。陰陽消長之際、無截然斷絕之理。故相攙掩過。如天將曉、復至陰黑、亦是理也。大抵終始萬物、莫盛乎艮。此儘神妙。須儘研窮此理。
【読み】
冬至に一陽生じて、至後に遇う每に則ち倍[ますます]寒きは、何ぞや。陰陽消長の際、截然として斷絕するの理無し。故に相攙掩[ざんえん]し過ぐ。天將に曉らかならんとして、復陰黑に至るが如き、亦是の理なり。大抵萬物を終始すること、艮より盛んなるは莫し。此れ儘く神妙なり。須く儘く此の理を研[きわ]め窮むべし。

今尺長於古尺。欲尺度權衡之正、須起於律。律取黃鍾。黃鍾之聲、亦不難定。世自有知音者、將上下聲考之、須(一作旣。)得其正、便將黍以實其管、看管實幾粒、然後推而定法可也。古法、律管當實千二百粒黍。今羊頭山黍不相應、則將數等驗之、看如何大小者、方應其數、然後爲正。昔胡先生定樂、取羊頭山黍、用三等篩子篩之、取中等者用之。此特未爲定也。此尺是器上所定、更有因人而制。如言深衣之袂一尺二寸、若古人身材只用一尺二寸、豈可運肘。卽知因人身而定。
【読み】
今の尺は古の尺より長し。尺度權衡の正を欲せば、須く律より起こすべし。律は黃鍾に取る。黃鍾の聲は、亦定め難からず。世々自ら音を知る者有り、上下の聲を將て之を考えて、須く(一に旣に作る。)其の正を得べく、便ち黍を將て以て其の管に實て、管幾粒を實つというを看て、然して後に推して法を定めて可なり。古法は、律管當に千二百粒の黍を實つべし。今羊頭山の黍相應ぜずんば、則ち數等を將て之を驗して、大小の者如何と看、方に其の數に應じて、然して後に正と爲すべし。昔胡先生樂を定むるに、羊頭山の黍を取って、三等の篩子を用いて之を篩い、中等の者を取って之を用う。此れ特に未だ定まれりと爲さず。此の尺は是れ器上に定むる所、更に人に因りて制する有り。深衣の袂一尺二寸と言うが如き、若し古人の身材只一尺二寸を用いば、豈肘を運らす可けんや。卽ち知る、人身に因りて定むることを。

旣是爲人後者、便須將所後者呼之以爲父、以爲母。不如是、則不正也、却當甚爲人後。後之立疑義者、只見禮不杖期内、有爲人後者爲其父母報、便道須是稱親。禮文蓋言出爲人後、則本父母反呼之以爲叔爲伯也。故須著道爲其父母以別之、非謂却將本父母亦稱父母也。
【読み】
旣に是れ人の後爲る者は、便ち須く後たる所の者を將て之を呼んで以て父と爲し、以て母と爲すべし。是の如くならずんば、則ち正しからず、却って當に甚ぞ人の後爲るべけん。之に後たるに疑義を立つる者は、只禮に不杖期の内に、人の後爲る者は其の父母の爲に報ずということ有るを見て、便ち須く是れ親と稱すべしと道うのみ。禮の文は蓋し出でて人の後爲るときは、則ち本父母を反って之を呼んで以て叔と爲し伯と爲すを言う。故に須く著道して其の父母の爲に以て之を別つべく、却って本父母を將て亦父母と稱すと謂うには非ざるなり。

哲廟取孟后詔云、孟元孫女。后孟在女也。而以孟元孫女詔者、伊川云、自古天子不娶小國。蓋孟元將校、曾隨文潞公貝州獲功、官至團練使。而在是時止是小使臣耳。(此一段非元豐時事。疑後人記。)
【読み】
哲廟孟后を取るの詔に云う、孟元が孫女、と。后孟女に在り。而るに孟元が孫女を以て詔する者は、伊川云う、古自り天子は小國に娶らず。蓋し孟元は將校として、曾て文潞公に貝州に隨いて功を獲、官は團練使に至る。而るに是の時に在りては止[ただ]是れ小使臣なるのみ、と。(此の一段は元豐の時の事に非ず。疑うらくは後人記すならん。)

 

二程全書卷之三  遺書二先生語第二下

附東見錄後
【読み】
東見錄の後に附す

今許大西事、無一人敢議者。自古舉事、不能無可否是非、亦須有議論。如苻堅壽春之役、其朝廷宗室、固多有言者、以至宮女有張夫人者、猶上書諫西晉平吳當取也。主之者惟張華一人而已。然當時雖羊叔子建議、而朝廷亦不能無言。又如唐師取蔡州、此則在中國容其數十年恣睢。然當時以爲不宜取者、固無義理。然亦是有議論。今則廟堂之上無一人言者。幾何不一言而喪邦也。(元豐四年、用种諤・沈括之謀伐西夏。)
【読み】
今の許大の西事は、一人も敢えて議する者無し。古自り事を舉するに、可否是非無きこと能わず、亦須く議論有るべし。苻堅壽春の役の如き、其の朝廷の宗室、固より多く言う者有り、以て宮女張夫人という者有りて、猶上書して西晉吳を平らげ當に取るべしと諫むるに至る。之を主とする者は惟張華一人のみ。然れども當時羊叔子議を建ずと雖も、而して朝廷も亦言無きこと能わず。又唐の師が蔡州を取るが如き、此れ則ち中國其の數十年の恣睢[しき]を容るるに在り。然れども當時以て宜しく取るべからずとする者は、固に義理無し。然れども亦是れ議論有らん。今は則ち廟堂の上一人も言う者無し。幾何[いくばく]か一言にして邦を喪ぼさざらんや。(元豐四年、种諤[ちゅうがく]・沈括が謀を用いて西夏を伐つ。)

今日西師、正惟事本不正、更說甚去就。君子於任事之際、須成敗之由(一作責。)在己、則自當生死以之。今致其身、使禍福死生利害由人處之、是不可也。如昨軍興事務繁夥、是亦學也。但恐只了佗紛紛底、則又何益。如從軍者之行、必竟是爲利祿、爲功名。由今之舉、便使得人一城一國、又是甚功名。君子恥之。今日從宦、苟有軍事、不能免此、是復蹈前事也。然則旣如此、曷爲而不已也。
【読み】
今日の西師は、正に惟事本正しからず、更に甚[なん]の去就をか說かん。君子事を任ずるの際に於て、須く成敗の由(一に責に作る。)己に在るべく、則ち自ら當に生死之を以てすべし。今其の身を致すに、禍福死生利害をして人に由って之を處さしむるは、是れ不可なり。昨に軍興りて事務繁夥なるが如き、是れ亦學なり。但恐らくは只佗[か]の紛紛底を了せば、則ち又何の益あらん。軍に從う者の行の如き、必竟是れ利祿の爲にし、功名の爲にす。今の舉に由らば、便ち人の一城一國を得せしむとも、又是れ甚の功名ぞ。君子之を恥づ。今日從宦、苟も軍事有れば、此を免るること能わざるは、是れ復前事を蹈めばなり。然れば則ち旣に此の如くならば、曷の爲にか已めざるや。

胎息之說、謂之愈疾則可。謂之道、則與聖人之學不干事。聖人未嘗說著。若言神住則氣住、則是浮屠入定之法。雖謂養氣猶是第二節事、亦須以心爲主、其心欲慈惠安(一作虛。)靜。故於道爲有助、亦不然。孟子說浩然之氣、又不如此。今若言存心養氣、只是專爲此氣。又所爲者小。舍大務小、舍本趨末、又濟甚事。今言有助於道者、只爲奈何心不下。故要得寂湛而已。又不似釋氏攝心之術。論學若如是、則大段雜也。亦不須得道。只閉目靜坐爲可以養心。坐如尸、立如齊、只是要養其志。豈只待爲養這些氣來。又不如是也。
【読み】
胎息の說、之を疾を愈すと謂わば則ち可なり。之を道と謂わば、則ち聖人の學と干[あづか]らざるの事。聖人は未だ嘗て說著せず。神住するときは則ち氣住すと言うが若きは、則ち是れ浮屠入定の法なり。氣を養うと謂うと雖も猶是れ第二節の事にて、亦須く心を以て主と爲すべく、其の心慈惠安(一に虛に作る。)靜なることを欲す。故に道に於て助有りと爲すも、亦然らず。孟子浩然の氣を說くは、又此の如くならず。今心を存し氣を養うと言うが若きも、只是れ專ら此の氣の爲にす。又爲す所の者小なり。大を舍て小を務め、本を舍て末に趨らば、又甚事をか濟さん。今道に助有りと言う者は、只奈何とかする心下さず。故に寂湛を得んことを要するのみ。又釋氏攝心の術に似ず。學を論ずること若し是の如くならば、則ち大段雜なり。亦須く道を得るべからず。只目を閉ぢ靜坐するは以て心を養う可しと爲す。坐するときは尸の如くし、立つときは齊するが如くすとは、只是れ其の志を養わんことを要す。豈只這の些[こ]の氣を養い來すことを爲すことを待たんや。又是の如くならざるなり。

浮屠之術、最善化誘。故人多向之。然其術所以化衆人也、故人亦有向有不向者。如介甫之學、佗便只是去人主心術處加功。故今日靡然而同、無有異者。所謂一正君而國定也。此學極有害。以介甫才辯、遽施之學者、誰能出其右。始則且以利而從其說、久而遂安其學。今天下之新法害事處、但只消一日除了便沒事。其學化革了人心、爲害最甚。其如之何。故天下只是一箇風、風如是、則靡然無不向也。
【読み】
浮屠が術は、最も善く化誘す。故に人多く之に向かう。然も其の術衆人を化する所以に、故に人も亦向かうもの有り向かわざる者有り。介甫が學の如きは、佗[かれ]便ち只是れ人主心術の處に功を加え去る。故に今日靡然として同じて、異なる者有ること無し。所謂一たび君を正して國定まるなり。此の學極めて害有り。介甫が才辯を以て、遽に之を學者に施さば、誰か能く其の右に出でん。始めは則ち且利を以てして其の說に從い、久しくしては遂に其の學に安んず。今天下の新法の事を害する處、但只一日除くことを消い[もち]了わらば便ち事沒[な]けん。其の學人心を化革し了わりて、害を爲すこと最も甚だし。其れ之を如何。故に天下只是れ一箇の風、風是の如くなるときは、則ち靡然として向かわざること無し。

今日西事要已、亦有甚難。前事亦何足恥。只朝廷推一寬大天地之量、許之自新、莫須相從。然此恐未易。朝廷之意、今日不得已、須著如此。但夏人更重有所要、以堅吾約、則邊患未已也。(一本通下章爲一段。)
【読み】
今日の西事は已[これ]を要するに、亦甚の難きこと有らん。前事も亦何ぞ恥づるに足らん。只朝廷一寬大なる天地の量を推して、之を許して自ら新たにせば、須く相從うべきこと莫きのみ。然れども此れ恐らくは未だ易からず。朝廷の意、今日已むことを得ざれば、須く此の如くなることを著すべし。但夏人更に所要有ることを重くして、以て吾が約を堅くせば、則ち邊の患い未だ已まじ。(一本に下章を通して一段と爲す。)

范希文前日西舉、以虛聲而走敵人。今日又不知誰能爲希文者。
【読み】
范希文前日の西舉に、虛聲を以てして敵人を走らしむ。今日又誰か能く希文爲らん者を知らず。

關中學者、以今日觀之、師死而遂倍之。却未見其人、只是更不復講。
【読み】
關中の學者、今日を以て之を觀るに、師死して遂に之に倍[そむ]く。却って未だ其の人を見ずは、只是れ更に復講ぜず。

餽運之術、雖自古亦無不煩民、不動搖而足者。然於古則有兵車、其中載糗糧、百人破二十五人。然古者行兵在中國、又不遠敵。若是深入遠處、則決無省力。且如秦運海隅之粟以饋邊、率三十鍾而致一石。是二百倍以來。今日師行、一兵行、一夫饋、只可供七日、其餘日必倶乏食也。且計之、須三夫而助一兵、仍須十五日便囘。一日不囘、則一日乏食。以此校之、無善術。故兵也者、古人必不得已而後用者、知此耳。
【読み】
餽運の術は、古自りすと雖も亦民を煩わさず、動搖せずして足る者無し。然も古に於ては則ち兵車有り、其の中に糗糧[きゅうりょう]を載せて、百人もて二十五人を破る。然も古の兵を行うは中國に在り、又遠く敵せず。若し是れ深く遠處に入るときは、則ち決して力を省くこと無し。且秦の海隅の粟を運んで以て邊に饋[おく]るが如き、率ね三十鍾にして一石を致す。是れ二百倍以て來るなり。今日の師行に、一兵行き、一夫饋るは、只七日に供す可く、其の餘日は必ず倶に食に乏し。且之を計るに、須く三夫にして一兵を助くべく、仍[よ]って須く十五日にして便ち囘るべし。一日も囘らずんば、則ち一日食に乏し。此を以て之を校[くら]ぶるに、善き術無し。故に兵とは、古人必ず已むことを得ずして後に用うる者は、此を知れるのみ。

目畏尖物。此事不得放過。便與克下。室中率置尖物、須以理勝佗。尖必不刺人也。何畏之有。
【読み】
目は尖れる物を畏る。此の事は放過することを得ず。便ち與[ため]に克ち下せ。室中に尖れる物を率置するに、須く理を以て佗に勝つべし。尖れるもの必ず人を刺さざるなり。何の畏るることか之れ有らん。

橫渠墓祭爲一位、恐難推同几之義。(同几唯設一位祭之。謂夫婦同牢祭也。)呂氏定一歲疏數之節。有所不及。恐未合人情(一本作呂氏歲時失之疏。)。雨露旣濡、霜露旣降、皆有所感。若四時之祭有所未及、則不得契感之意(一本作疏則不契感之情。)。今祭祀、其敬齊禮文之類、尙皆可緩。且是要大者先正始得。今程氏之家祭、只是男女異位。及大有害義者、稍變得一二、佗所未遑也。吾曹所急正在此。凡祭祀、須是及祖。知母而不知父、狗彘是也。知父而不知祖、飛鳥是也。人須去上面立一等、求所以自異始得。
【読み】
橫渠墓祭に一位を爲るは、恐らくは同几の義を推し難し。(同几は唯一位を設けて之を祭る。夫婦牢を同じくして祭るを謂うなり。)呂氏は一歲疏數の節を定む。及ばざる所有らん。恐らくは未だ人情に合わず(一本に呂氏歲時之を疏に失うに作る。)。雨露旣に濡い、霜露旣に降れば、皆感ずる所有り。若し四時の祭未だ及ばざる所有るときは、則ち感ずるの意に契[あ]うことを得ず(一本に疏なれば則ち感の情に契わずに作る。)。今の祭祀、其の敬齊禮文の類は、尙皆緩くす可し。且つ是れ大者の先づ正すことを要して始めて得。今程氏の家祭は、只是れ男女位を異にす。大いに義を害すること有る者に及んでは、稍一二を變じ得、佗は未だ遑[いとま]あらざる所なり。吾曹の急にする所は正に此に在り。凡そ祭祀は、須く是れ祖に及ぼすべし。母を知って父を知らざるは、狗彘[こうてい]是れなり。父を知って祖を知らざるは、飛鳥是れなり。人須く上面に去って一等を立て、自ら異にする所以を求めて始めて得べし。

自古治亂相承、亦常事。君子多而小人少、則治、小人多而君子少、則亂。然在古、亦須朝廷之中君子小人雜進、不似今日剪截得直是齊整。不惟不得進用、更直憔悴善類、略去近道、則須憔悴舊日交遊。只改節者、便於世事差遂。此道理、不知爲甚。正叔近病。人有言之、曰、在佗人則有追駁斥放。正叔無此等事。故只有病耳。
【読み】
古自り治亂相承くるは、亦常の事なり。君子多くして小人少なきときは、則ち治まり、小人多くして君子少なきときは、則ち亂る。然れども古に在っては、亦須く朝廷の中に君子小人雜じり進むべく、今日剪截し得て直に是れ齊整なるに似ず。惟進用することを得ざるのみにあらず、更に直に善類を憔悴し、近道を略去するときは、則ち須く舊日の交遊を憔悴すべし。只節を改むる者は、便ち世事に於て差[やや]遂ぐ。此の道理、知らず、甚とかせんことを。正叔近ごろ病む。人之を言えること有り、曰く、佗人に在っては則ち追駁斥放有らん。正叔は此れ等の事無し。故に只病有るのみ、と。

介甫今日亦不必誅殺、人人靡然自從。蓋只消除盡在朝異己者。在古、雖大惡在上、一面誅殺、亦斷不得人議論。今便都無異者。
【読み】
介甫今日亦必ずしも誅殺せられずして、人人靡然として自ら從う。蓋し只朝に在って己に異なる者を消除し盡くす。古に在っては、大惡上に在ると雖も、一面して誅殺し、亦斷じて人をして議論することを得ざらしむ。今便ち都て異なる者無し。

卜筮之能應、祭祀之能享、亦只是一箇理。蓍龜雖無情、然所以爲卦、而卦有吉凶、莫非有此理。以其有是理也。故以是問(一作心向。)焉、其應也如響。若以私心及錯卦象而問之、便不應、蓋沒此理。今日之理與前日已定之理、只是一箇理、故應也。至如祭祀之享亦同。鬼神之理在彼、我以此理向之、故享也。不容有二三、只是一理也。如處藥治病、亦只是一箇理。此藥治箇如何氣、有此病服之卽應。若理不契、則藥不應。
【読み】
卜筮の能く應じ、祭祀の能く享くるは、亦只是れ一箇の理なり。蓍龜情無しと雖も、然れども卦を爲して、卦に吉凶有る所以は、此の理有るに非ざること莫し。其れ是の理有るを以てなり。故に是を以て問(一に心向に作る。)うに、其の應ずること響きの如し。若し私の心を以てし及び卦象を錯えて之を問えば、便ち應ぜざるは、蓋し此の理沒[な」ければなり。今日の理と前日の已に定まれるの理とは、只是れ一箇の理、故に應ずるなり。祭祀の享くるが如きに至っても亦同じ。鬼神の理彼に在って、我れ此の理を以て之に向かう、故に享くるなり。二三有る容[べ]からず、只是れ一理なり。藥を處して病を治すが如きも、亦只是れ一箇の理なり。此の藥箇の如何なる氣を治し、此の病之を服すれば卽ち應ずる有り。若し理契わざれば、則ち藥應ぜじ。

古之言鬼神、不過著於祭祀、亦只是言如聞歎息之聲、亦不曾道聞如何言語、亦不曾道見如何形狀。如漢武帝之見李夫人、只爲道士先說與在甚處、使端目其地、故想出也。然武帝作詩、亦曰、是耶非耶。嘗問好談鬼神者、皆所未曾聞見。皆是見說燭理不明、便傳以爲信也。假使實所聞見、亦未足信、或是心病、或是目病。如孔子言人之所信者目、目亦有不足信者耶。此言極善。
【読み】
古の鬼神を言うは、祭祀に著くるに過ぎず、亦只是れ歎息の聲を聞くが如しと言いて、亦曾て如何なる言語を聞くと道わず、亦曾て如何なる形狀を見ると道わず。漢の武帝の李夫人を見るが如きは、只道士先づ甚の處に在りと說與して、目を其の地に端ぜしむるが爲に、故に想出す。然も武帝詩を作りて、亦曰く、是か非か、と。嘗て好んで鬼神を談ずる者に問うに、皆未だ曾て聞見せざる所とす。皆是れ理を燭すること明らかならざるを說くを見て、便ち傳えて以て信と爲すなり。假使[たとい]實に聞見する所ありとも、亦未だ信ずるに足らず、或は是れ心病、或は是れ目病ならん。孔子人の信ずる所の者は目なり、目も亦信ずるに足らざる者有りと言うが如きか。此の言極めて善し。

今日雜信鬼怪異說者、只是不先燭理。若於事上一一理會、則有甚盡期。須只於學上理會。
【読み】
今日鬼怪異說を雜信する者は、只是れ先づ理を燭さざればなり。若し事上に於て一一理會せば、則ち甚の盡きる期か有らん。須く只學上に於て理會すべし。

師巫在此、降言在彼、只是抛得遠。決無此理。又言留下藥、尤知其不然。生氣盡則死。死則謂之鬼可也。但不知世俗所謂鬼神何也。聰明如邵堯夫、猶不免致疑。在此嘗言、有人家若虛空中聞人馬之聲。某謂、旣是人馬、須有鞍韉之類皆全、這箇是何處得來。堯夫言、天地之閒、亦有一般不有不無底物。某謂、如此說、則須有不有不無底人馬、凡百皆爾。深不然也。
【読み】
師巫此に在り、降りて彼に在りと言うは、只是れ抛[な]げ得ること遠し。決して此の理無し。又下藥を留むと言うは、尤も其の然らざることを知る。生氣盡きるときは則ち死す。死すときは則ち之を鬼と謂いて可なり。但知らず、世俗の所謂鬼神は何ぞや。聰明なる邵堯夫の如きも、猶疑を致すことを免れず。此に在りを嘗て言く、人家有り虛空の中の若くにして人馬の聲を聞く、と。某謂く、旣に是れ人馬ならば、須く鞍韉の類有りて皆全かるべく、這箇は是れ何れの處よりか得來る、と。堯夫言く、天地の閒には、亦一般に有ならず無ならざる底の物有り、と。某謂く、此の如く說くならば、則ち須く有ならず無ならざる底の人馬有るべく、凡百皆爾り。深く然らざるなり、と。

風肅然起於人心恐怖。要之、風是天地閒氣、非土偶人所能爲也。漢時神君、今日二郎廟、皆有之。
【読み】
風肅然として起これば人心に於て恐怖す。之を要するに、風は是れ天地の閒の氣、土偶人の能くする所に非ず。漢の時の神君、今日の二郎廟に、皆之れ有り。

人心作主不定、正如一箇翻車、流轉動搖、無須臾停。所感萬端。又如懸鏡空中、無物不入其中。有甚定形。不學則却都不察、及有所學、便覺察得是爲害。著一箇意思、則與人成就得箇甚好見識(一作無意於學、則皆不之察、曁用心自觀、卽覺其爲害。存此紛雜、竟與人成何見識。)。心若不做一箇主、怎生奈何。張天祺昔常言、自約數年、自上著牀、便不得思量事。不思量事後、須强把佗這心來制縛、亦須寄寓在一箇形象。皆非自然。君實自謂、吾得術矣。只管念箇中字。此則又爲中繫縛。且中字亦何形象。若愚夫不思慮、冥然無知。此又過與不及之分也。有人胸中常若有兩人焉、欲爲善、如有惡以爲之閒、欲爲不善、又若有羞惡之心者。本無二人、此正交戰之驗也。持其志、便氣不能亂。此大可驗。要之、聖賢必不害心疾。其佗疾却未可知。佗藏府、只爲元不曾養。養之卻在修養家(一作持其志、使氣不能亂。此大可驗。要之、聖賢必不病心疾。佗藏府有患、則不嘗專志於養焉。)
【読み】
人心の主定まらざることを作すは、正に一箇の翻車の、流轉動搖して、須臾も停まること無きが如し。感ずる所萬端なり。又鏡を空中に懸ければ、物として其の中に入らざること無きが如し。甚の定形か有らん。學ばざるときは則ち却って都て察せず、學ぶ所有るに及んで、便ち察し得て是の害爲ることを覺ゆ。一箇の意思を著けば、則ち人と與にするに箇の甚の好き見識をか成就し得ん(一に學に意無くば、則ち皆之を察せず、曁[およ]び心を用いて自ら觀れば、卽ち其の害爲ることを覺ゆ。此の紛雜を存せば、竟に人と與にするに何の見識をか成さんに作る。)。心若し一箇の主を做さずんば、怎生ぞ奈何せん。張天祺昔常に言う、自ら約すること數年、牀に上著して自り、便ち事を思量するを得ず。事を思量せざるの後、須く强いて佗の這の心を把り來りて制縛すべく、亦須く寄寓して一箇の形象在るべし、と。皆自然に非ず。君實自ら謂う、吾れ術を得たり。只管箇の中の字を念ず、と。此れ則ち又中の爲に繫縛せらる。且つ中の字は亦何の形象あらん。若し愚夫思慮せざれば、冥然として知ること無し。此れ又過と不及との分なり。人有り胸中常に兩人有るというが若きは、善を爲さんと欲すれば、惡有りて以て之を閒てることを爲すが如く、不善を爲さんと欲すれば、又羞惡の心有る者の若し。本二人無く、此れ正に交戰の驗なり。其の志を持すれば、便ち氣亂るること能わず。此れ大いに驗す可し。之を要するに、聖賢は必ず心疾に害せられず。其の佗の疾は却って未だ知る可からず。佗の藏府は、只元より曾て養わざるが爲なり。之を養うことは卻って修養家に在り(一に其の志を持すれば、氣をして亂るること能わざらしむ。此れ大いに驗す可し。之を要するに、聖賢は必ず心疾を病まず。佗の藏府に患有るは、則ち嘗て專ら養に志さざればなりに作る。)

仁祖時、北使進言、高麗自來臣屬北朝。近來職貢全缺、殊失臣禮。今欲加兵。又聞臣屬南朝。今來報知。仁祖不答。及將去也、召而前、語之曰、適議高麗事。朕思之、只是王子罪、不干百姓事。今旣加兵、王子未必能誅得、且是屠戮百姓。北使遂屈無答、不覺汗流浹背、俯伏於地、歸而寢兵。佗都不言彼兵事勢、只看這一箇天地之量、亦至誠有以格佗也。
【読み】
仁祖の時、北使進みて言く、高麗自ら來りて北朝に臣屬す。近來職貢全く缺けて、殊に臣の禮を失す。今兵を加えんと欲す。又聞く、南朝に臣屬す、と。今來報し知る、と。仁祖答えず。將に去らんとするに及んでや、召して前[すす]めて、之に語りて曰く、適に高麗の事を議さん。朕之を思うに、只是れ王子の罪にして、百姓の事に干[あづか]らず。今旣に兵を加えば、王子未だ必ずしも誅し得ること能わずして、且つ是れ百姓を屠戮せん、と。北使遂に屈して答うること無く、覺えず汗流れて背を浹[うるお]し、地に俯伏して、歸りて兵を寢[や]む。佗都て彼の兵事の勢を言わず、只這の一箇の天地の量を看るも、亦至誠以て佗を格すこと有るなり。

人心緣境、出入無時、人亦不覺。
【読み】
人心は境に緣って、出入時無く、人も亦覺えず。

人夢不惟聞見思想、亦有五藏所感者。
【読み】
人の夢は惟聞見思想のみにあらず、亦五藏感ずる所の者有り。

天下之或寒或燠、只緣佗地形高下。如屋陰則寒、屋陽則燠。不可言於此所寒、於此所熱。且以尺五之表定日中一萬五千里、就外觀未必然。
【読み】
天下の或は寒く或は燠[あたた]かなるは、只佗の地形の高下に緣るのみ。屋陰は則ち寒く、屋陽は則ち燠かなるが如し。此に於て寒き所、此に於て熱き所と言う可からず。且尺五の表を以て日中を定むること一萬五千里、外に就いて觀れば未だ必ずしも然らず。

人有壽考者、其氣血脈息自深、便有一般深根固蔕底道理(一作氣象。)。人脈起於陽明、周旋而下、至於兩氣口、自然匀長。故於此視脈。又一道自頭而下、至足大衝、亦如氣口。此等事最切於身。然而人安然恬於不知。至如人爲人問你身上有幾條骨頭、血脈如何行動、腹中有多少藏府、皆冥然莫曉。今人於家裏有多少家活屋舍。被人問著、己不能知、却知爲不智。於此不知、曾不介意、只道是皮包裹、不到少欠。大小大不察。近取諸身、一身之上、百理具備。甚物是沒底。背在上故爲陽、胸在下故爲陰。至如男女之生、已有此象。天有五行、人有五藏。心、火也。著些天地閒風氣乘之、便須發燥。肝、木也。著些天地閒風氣乘之、便須發怒。推之五藏皆然。孟子將四端便爲四體。仁便是一箇木氣象、惻隱之心便是一箇生物春底氣象、羞惡之心便是一箇秋底氣象、只有一箇去就斷割底氣象、便是義也。推之四端皆然。此箇事、又著箇甚安排得也。此箇道理、雖牛馬血氣之類亦然。都恁備具。只是流形不同、各隨形氣、後便昏了佗氣。如其子愛其母、母愛其子、亦有木底氣象、又豈無羞惡之心。如避害就利、別所愛惡、一一理完。更如獼(原文は獮)猴尤似人。故於獸中最爲智巧、童昏之人見解不及者多矣。然而唯人氣最淸、可以輔相裁成。天地設位、聖人成能、直行乎天地之中、所以爲三才。天地本一物、地亦天也。只是人爲天地心。是心之動、則分了天爲上、地爲下。兼三才而兩之、故六也。
【読み】
人に壽考有る者は、其の氣血脈息自ら深くして、便ち一般に根を深くし蔕を固くする底の道理(一に氣象に作る。)有り。人の脈は陽明より起こりて、周旋して下りて、兩の氣口に至り、自然に匀長す。故に此に於て脈を視る。又一道頭自りして下りて、足の大衝に至るも、亦氣口の如し。此れ等の事は最も身に切なり。然れども人安然として知らざるに恬たり。人人の爲に你の身上に幾條の骨頭有り、血脈如何にして行動し、腹中に多少の藏府有ると問うが如きに至りて、皆冥然として曉[さと]ること莫し。今の人家の裏に於て多少の家有りて屋舍を活かす。人に問著せられては、己知ること能わず、却って不智爲ることを知る。此に於て知らざれども、曾て意に介せず、只道は是れ皮包裹[ほうか]して、少しく欠くるに到らず、と。大小大に察せず。近く諸を身に取るに、一身の上、百理具備す。甚物か是れ沒底ならん。背は上に在る故に陽と爲り、胸は下に在る故に陰と爲る。男女の生の如きに至っても、已に此の象有り。天に五行有り、人に五藏有り。心は、火なり。些かの天地の閒の風氣を著[もち]いて之に乘せば、便ち須く燥を發すべし。肝は、木なり。些かの天地の閒の風氣を著いて之に乘せば、便ち須く怒を發すべし。之を推すに五藏皆然り。孟子四端を將て便ち四體と爲す。仁は便ち是れ一箇の木の氣象、惻隱の心は便ち是れ一箇の生物春底の氣象、羞惡の心は便ち是れ一箇の秋底の氣象、只一箇の去就斷割底の氣象有るは、便ち是れ義なり。之を推すに四端皆然り。此れ箇の事も、又箇の甚の安排をか著け得んや。此れ箇の道理は、牛馬血氣の類と雖も亦然り。都て恁[かくのごと]く備わり具う。只是れ形を流[し]くこと同じからず、各々形氣に隨いて、後に便ち佗の氣を昏了す。其の子其の母を愛し、母其の子を愛するが如きも、亦木底の氣象有り、又豈羞惡の心無けんや。害を避け利に就き、愛惡する所を別つが如き、一一理完し。更に獼猴[びこう]の尤も人に似るが如し。故に獸中に於て最も智巧を爲して、童昏の人見解及ばざる者多し。然れども唯人の氣のみ最も淸にして、以て輔相裁成す可し。天地位を設け、聖人能を成し、直に天地の中に行うは、三才爲る所以なり。天地は本一物、地も亦天なり。只是れ人を天地の心と爲す。是の心の動くときは、則ち分了して天を上と爲し、地を下と爲す。三才を兼ねて之を兩にす、故に六なり。

天地之氣、遠近異像、則知愈遠則愈異。至如人形有異、曾何足論!如史册有鬼國狗國、百種怪異、固亦有之。要之這箇理則一般。其必(一作有。)異者、譬如海中之蟲魚鳥獸、不啻百千萬億、卒無有同於陸上之物。雖極其異、要之只是水族而已。
【読み】
天地の氣、遠近像を異にするときは、則ち愈々遠きときは則ち愈々異なることを知る。人の形に異なること有るが如きに至っても、曾て何ぞ論ずるに足らん。史册鬼國狗國、百種の怪異有るが如き、固より亦之れ有り。之を要するに這箇の理は則ち一般なり。其の必ず(一に有に作る。)異なる者は、譬えば海中の蟲魚鳥獸、啻[ただ]百千萬億のみならじとも、卒に陸上の物に同じきこと有ること無きが如し。其の異を極むと雖も、之を要するに只是れ水族なるのみ。

天地之中、理必相直、則四邊當有空闕處。空闕處如何、地之下豈無天。今所謂地者、特於(一作爲。)天中一物爾。如雲氣之聚。以其久而不散也、故爲對。凡地動者、只是氣動。凡所指地者、(一作損缺處。)只是土。土亦一物爾。不可言地。更須要知坤元承天、是地之道也。
【読み】
天地の中、理必ず相直[あ]たるときは、則ち四邊當に空闕する處有るべし。空闕する處如何となれば、地の下に豈天無けんや。今謂う所の地とは、特り天の中に於て(一に爲に作る。)一物なるのみ。雲氣の聚まるが如し。其の久しくして散ぜざるを以て、故に對を爲す。凡そ地動くは、只是れ氣動くなり。凡そ指す所の地は、(一に損缺する處に作る。)只是れ土。土も亦一物なるのみ。地と言う可からず。更に須く坤元天を承くるは、是れ地の道なるを知ることを要すべし。

古者百畝、今四十一畝餘。若以土地計之、所收似不足以供九人之食。曰百畝九人固不足、通天下計之則亦可。家有九人、只十六已別受田、其餘皆老少也。故可供。有不足者、又有補助之政、又有郷黨賙捄之義、故亦可足。
【読み】
古の百畝は、今四十一畝餘。若し土地を以て之を計れば、收むる所以て九人の食に供するに足らざるに似れり。百畝九人と曰うは固に足らざれども、天下を通じて之を計れば則ち亦可なり。家に九人有れども、只十六なれば已に別に田を受け、其の餘は皆老少なり。故に供す可けん。足らざる者有れば、又補助の政有り、又郷黨賙捄[しゅうきゅう]の義有り。故に亦足る可けん。

後世雖有作者、虞帝不可及也。猶之田也。其初開荒蒔種甚盛、以次遂漸薄。虞帝當其盛時故也。其閒有如夏衰、殷衰、周衰。有盛則有衰。又是其閒之盛衰、推之後世皆若是也。如一樹、方其榮時、亦有發生、亦有彫謝、桑楡旣衰矣、亦有發生、亦有彫謝、又如一歲之中、四時之氣已有盛衰、一時之中又有盛衰。推之至如一辰、須有辰初・辰正・辰末之差也。今言天下之盛衰、又且只據書傳所有、聞見所及。天地之廣、其氣不齊、又安可計。譬之一國有幾家、一家有幾人、人之盛衰休戚未有齊者。姓之所以蕃庶者、由受姓之祖、其流之盛也。
【読み】
後世作者有りと雖も、虞帝には及ぶ可からざるなり。猶之の田のごとし。其の初め荒を開き種を蒔くこと甚だ盛んにして、次を以て遂に漸く薄し。虞帝は其の盛んなる時に當たる故なり。其の閒に夏衰え、殷衰え、周衰えるが如き有り。盛有れば則ち衰有り。又是れ其の閒の盛衰、之を後世に推すに皆是の若し。一樹、其の榮ずる時に方りて、亦發生有り、亦彫謝有り、桑楡旣に衰えども、亦發生有り、亦彫謝有るが如くに、又一歲の中、四時の氣已に盛衰有り、一時の中又盛衰有るが如し。之を推すに一辰の如きに至りても、須く辰初・辰正・辰末の差有るべし。今天下の盛衰を言えば、又且只書傳に有る所、聞見の及ぶ所に據るのみ。天地の廣、其の氣齊しからず、又安んぞ計る可けんや。之を譬うるに一國に幾家有り、一家に幾人有るとも、人の盛衰休戚未だ齊しき者有らず。姓の蕃庶なる所以は、姓を受くるの祖、其の流の盛んなるに由ればなり。

内則謂請靧請浴之類、雖古人謹禮、恐不如是之煩。
【読み】
内則に謂ゆる靧[かい]を請い浴を請うの類、古人禮を謹むと雖も、恐らくは是の如く煩わしからず。

古人乘車、車中不内顧、不親指、不遠視、行則鳴環佩、在車則聞和鸞、式則視馬尾、自然有箇君子大人氣象。自五胡亂華以來、惟知鞍馬爲便利、雖萬乘之尊、猶執鞭上馬。執鞭非貴人事。
【読み】
古人車に乘るに、車中にては内に顧みず、親しく指さず、遠く視ず、行くときは則ち環佩を鳴らし、車に在るときは則ち和鸞を聞き、式するときは則ち馬尾を視、自然に箇の君子大人の氣象有り。五胡華を亂して自り以來、惟鞍馬の便利爲ることを知って、萬乘の尊と雖も、猶鞭を執って馬に上る。鞭を執るは貴人の事に非ず。

使人謂之啞御史猶可。且只是格君心。
【読み】
人をして之を啞御史と謂うも猶可なり。且只是れ君の心を格すのみ。

正叔嘗爲葬說、有五事相地。須使異日決不爲路、不置城郭、不爲溝渠、不爲貴人所奪、不致耕犁所及。此大要也。其穴之次、設如尊穴南向北首、陪葬者前爲兩列、亦須北首、各於其穴安夫婦之位。坐於堂上、則男東而女西、臥於室中、則男外而女内也。推此爲法觀之。葬、須爲坎室爲安。若直下便以土實之、則許大一塊虛土、壓底四向、流水必趨土虛處、大不便也。且棺椁雖堅、恐不能勝許多土頭、有失比化者無使土親膚之義。
【読み】
正叔嘗て葬說を爲りて、五事の地を相[み]る有り。須く異日決して路と爲らず、城郭を置かず、溝渠と爲らず、貴人の爲に奪われず、耕犁の及ぶ所を致さざらしむべし、と。此れ大要なり。其の穴の次、設[も]し尊穴の如きは南向北首して、陪葬の者前に兩列と爲り、亦須く北首すべく、各々其の穴に於て夫婦の位を安んず。堂上に坐するときは、則ち男は東にして女は西、室中に臥すときは、則ち男は外にして女は内なり。此を推して法と爲して之を觀よ。葬は、須く坎室を爲りて安んずることを爲すべし。若し直下に便ち土を以て之を實てば、則ち許大の一塊虛土、底を壓[お]して四向し、流水必ず土の虛しき處に趨き、大いに便ならじ。且つ棺椁堅しと雖も、恐らくは許多の土頭に勝ること能わずして、化する者の比[ため]に土をして膚に親づかしむること無しという義を失すること有らん。

心所感通者、只是理也。知天下事有卽有、無卽無、無古今前後。至如夢寐皆無形、只是有此理。若言涉於形聲之類、則是氣也。物生則氣聚、死則散而歸盡。有聲則須是口、旣觸則須是身。其質旣壞、又安得有此。乃知無此理。便不可信。
【読み】
心の感通する所の者は、只是れ理なり。知んぬ、天下の事有なれば卽ち有、無なれば卽無、古今前後無し。夢寐の如きに至るまで皆形無くして、只是れ此の理有るのみ。形聲に涉ると言う類の若きは、則ち是れ氣なり。物生ずるときは則ち氣聚まり、死するときは則ち散じて歸り盡く。聲有らば則ち須く是れ口なるべく、旣に觸れば則ち須く是れ身なるべし。其の質旣に壞れば、又安んぞ此れ有ることを得ん。乃ち此の理無きことを知る。便ち信ずる可らかず。

草木、土在下、因升降而食土氣。動物却土在中、脾在内也。非土則無由生。
【読み】
草木は、土下に在り、升降に因りて土氣を食す。動物は却って土中に在り、脾内に在るなり。土に非ざれば則ち由りて生ずること無し。

禮言、惟天地之祭爲越紼而行事。此事難行。旣言越紼、則是猶在殯宮、於時無由致得齋。又安能脫喪服衣祭服。此皆難行。縱天地之祀爲不可廢、只(一作則。)消使冢宰攝爾。昔者英宗初卽位、有人以此問。先生答曰、古人居喪、百事皆(此有闕字。)如常。特於祭祀廢之、則不若無廢爲愈也。子厚正之曰、父在爲母喪、則不敢見其父、不敢以非禮見也。今天子爲父之喪、以此見上帝、是以非禮見上帝也。故不如無祭。
【読み】
禮に言く、惟天地の祭は紼を越えて事を行うことを爲す、と。此の事行い難し。旣に紼を越えると言うときは、則ち是れ猶殯宮に在り、時に齋を致し得るに由無し。又安んぞ能く喪服を脫いで祭服を衣ん。此れ皆行い難し。縱[たと]い天地の祀廢す可からずとせば、只(一に則に作る。)冢宰をして攝せしむ消[べき]のみ。昔英宗初めて位に卽くとき、人有り此を以て問う。先生答えて曰く、古人の喪に居る、百事皆(此に闕字有らん。)常の如し。特祭祀に於て之を廢せば、則ち廢すること無きの愈れりと爲すには若かず、と。子厚之を正して曰く、父在して母の喪を爲すときは、則ち敢えて其の父に見えず、敢えて非禮を以て見えず、と。今天子父の喪を爲して、此を以て上帝に見えば、是れ非禮を以て上帝に見ゆるなり。故に祭ること無きに如かず、と。

萬物皆備於我、此通人物而言。禽獸與人絕相似、只是不能推。然禽獸之性卻自然、不待學、不待敎。如營巢養子之類是也。人雖是靈、却椓喪處極多。只有一件、嬰兒飮乳是自然、非學也。其佗皆誘之也。欲得人家嬰兒善、且自小不要引佗、留佗眞性。待他自然。亦須完得些本性須別也。
【読み】
萬物皆我に備わるというは、此れ人物に通じて言えり。禽獸は人と絕[はなは]だ相似れども、只是れ推すこと能わず。然も禽獸の性は卻って自然にて、學を待たず、敎を待たず。巢を營み子を養うの類の如き是れなり。人は是れ靈なりと雖も、却って椓喪する處極めて多し。只一件、嬰兒の乳を飮むこと有るは是れ自然にして、學に非ざるなり。其の佗は皆之を誘うなり。人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引き佗を留めることを要せず。眞性は他の自然を待つ。亦須く些の本性を完うし得べく須く別つべし。

勿謂小兒無記性。所歷事皆能不忘。故善養子者、當其嬰孩、鞠之使得所養、全其和氣、乃至長而性美、敎之示以好惡有常。至如養犬者、不欲其升堂、則時其升堂而扑之。若旣扑其升堂、又復食之於堂、則使孰從。雖日撻而求其不升、不可得也。養異類且爾。況人乎。故養正者、聖人也。
【読み】
謂うこと勿かれ、小兒記性無し、と。歷る所の事は皆能く忘れず。故に善く子を養う者は、其の嬰孩に當たって、之を鞠[やしな]うに養う所を得せしめて、其の和氣を全くし、乃ち長じて性の美なるに至りて、之に敎うるに示すに好惡常有るを以てす。犬を養う者の如きに至っては、其の堂に升ることを欲せざるときは、則ち其の堂に升るを時[うかが]って之を扑[う]つ。若し旣に其の堂に升るを扑ちて、又復之を堂に食ましめば、則ち孰か從わしめん。日に撻[むちう]ちて其の升らざらんことを求むと雖も、得可からざるなり。異類を養うこと且つ爾り。況んや人をや。故に養い正しき者は、聖人なり。

極、須爲天下之中。天地之中、理必相直。今人所定天體、只是且以眼定視、所極處不見、遂以爲盡。然向曾有於海上見南極下有大星十、則今所見天體蓋未定。雖似不可窮、然以土圭之法驗之、日月升降不過三萬里中。故以尺五之表測之、每一寸當一千里。然而中國只到鄯善・莎車、已是一萬五千里。若就彼觀日、尙只是三萬里中也。天下之或寒或煖、只緣地形高下。如屋陰則寒、屋陽則燠。不可言於此所寒矣。屋之西北又益寒。伯淳在澤州、嘗三次食韭黃。始食懷州韭、次食澤州、又次食并州、則知數百里閒氣候爭三月矣。若都以此差之、則須爭半歲。如是、則有在此冬至、在彼夏至者。雖然、又沒此事。只是一般爲冬爲夏而已。
【読み】
極は、須く天下の中と爲すべし。天地の中、理必ず相直たる。今の人定むる所の天の體は、只是れ且眼を以て定め視て、極むる所の處を見ずして、遂に以て盡くすと爲す。然も向[さき]に曾て海上に於て南極の下に大星十有るを見ること有るときは、則ち今見る所の天の體は蓋し未だ定まらず。窮む可からざるに似れりと雖も、然れども土圭の法を以て之を驗みるに、日月の升降は三萬里の中に過ぎず。故に尺五の表を以て之を測るに、一寸每に一千里に當たる。然れども中國は只鄯善・莎車に到りて、已に是れ一萬五千里なり。若し彼に就いて日を觀れば、尙只是れ三萬里の中なり。天下の或は寒く或は煖かきは、只地形の高下に緣るのみ。屋陰は則ち寒く、屋陽は則ち燠[あたた]かなるが如し。此に於て寒き所と言う可からず。屋の西北も又益々寒し。伯淳澤州に在り、嘗て三次韭黃を食う。始め懷州の韭を食い、次に澤州を食い、又次に并州を食うときは、則ち知んぬ、數百里の閒氣候三月を爭[へだ]てることを。若し都て此を以て之に差わば、則ち須く半歲を爭てるべし。是の如きときは、則ち此に在りて冬至り、彼に在りて夏至る者有らん。然りと雖も、又此の事沒[な]し。只是れ一般に冬爲り夏爲るのみ。

貴姓子弟於飮食玩好之物之類、直是一生將身伏事不懈。如管城之陳醋瓶、洛中之史畫匣是也。更有甚事。伯淳與君實嘗同觀史畫、猶能題品奈煩。伯淳問君實、能如此與佗畫否。君實曰、自家一箇身、猶不能事持得、更有甚工夫到此。
【読み】
貴姓の子弟飮食玩好の物の類に於て、直に是れ一生身を將て伏事すること懈らず。管城の陳醋瓶、洛中の史畫匣の如き是れなり。更に甚事か有らん。伯淳と君實と嘗て同じく史畫を觀るに、猶能く題品煩わしきを奈[た]う。伯淳君實に問う、能く此の如く佗と畫せんや否や、と。君實曰く、自家一箇の身すら、猶持得することを事とすること能わず、更に甚の工夫有ってか此に到らん、と。

電者陰陽相軋、雷者陰陽相擊也。軋者如石相磨而火光出者、電便有雷擊者是(一作甚。)也。或傳京師少聞雷。恐是地有高下也。
【読み】
電は陰陽相軋るなり、雷は陰陽相擊つなり。軋るとは石相磨して火光出づるが如き者、電すれば便ち雷擊つこと有る者是れなり(一に甚に作る。)。或るひと傳う、京師雷を聞くこと少なし、と。恐らくは是れ地に高下有ればならん。

神農作本草。古傳一日食藥七十死。非也。若小毒、亦不當嘗。若大毒、一嘗而死矣。安得生。其所以得知者、自然視色嗅味、知得是甚氣、作此藥便可攻此病。須是學至此、則知自至此。
【読み】
神農本草を作る。古に傳う、一日藥を食い七十にして死す、と。非なり。若し小毒ならば、亦當に嘗むべからず。若し大毒ならば、一たび嘗めて死せん。安んぞ生きることを得ん。其の知ることを得る所以は、自然に色を視味を嗅いで、是れ甚の氣ということを知り得て、此の藥は便ち此の病を攻む可しと作す。須く是れ學此に至らば、則ち知も自づから此に至るべし。

或以謂原壤之爲人、敢慢聖人、及母死而歌。疑是莊周。非也。只是一箇郷里粗鄙人、不識義理。觀夫子責之辭、可以見其爲人也。(一本此下云、若是莊周、夫子亦不敢叩之責之、適足以啓其不遜爾。彼亦必須有答。)
【読み】
或るひと以謂えらく、原壤が爲人、敢えて聖人を慢り、及び母死して歌う。疑うらくは是れ莊周か、と。非なり。只是れ一箇の郷里粗鄙の人、義理を識らず。夫子責むるの辭を觀て、以て其の爲人を見る可し。(一本に此の下に云う、若し是れ莊周ならば、夫子も亦敢えて之を叩かず之を責めず、適に以て其の不遜を啓くに足らんのみ。彼も亦必ず須く答えること有るべし、と。)

古人適異方死、不必歸葬故里。如季子是也。其言骨肉歸於土。若夫魂氣、則無不之也。然觀季子所處、要之非知禮者也。
【読み】
古人異方に適きて死なば、必ずしも故里に歸葬せず。季子が如き是れなり。其れ言うこころは、骨肉は土に歸す。夫の魂氣の若きは、則ち之かざること無し。然れども季子が處する所を觀るに、之を要するに禮を知る者に非ざるなり。

古人之法、必犯大惡則焚其屍。今風俗之弊、遂以爲禮、雖孝子慈孫、亦不以爲異。更是公方明立條貫、元不爲禁。如言軍人出戍、許令燒焚、將骨殖歸、又言郊壇須三里外方得燒人、則是別有焚屍之法。此事只是習慣、便不以爲事。今有狂夫醉人、妄以其先人棺櫬一彈、則便以爲深讐巨怨。及親拽其親而納之火中、則略不以爲怪。可不哀哉。
【読み】
古人の法、必ず大惡を犯せば則ち其の屍を焚く。今風俗の弊、遂に以て禮と爲して、孝子慈孫と雖も、亦以て異と爲さず。更に是れ公方明條貫を立て、元より禁を爲さず。軍人出戍すれば、燒焚して、骨を將て殖歸せしむることを許すと言い、又郊壇須く三里の外方に人を燒くことを得べしと言うが如くなるときは、則ち是れ別に屍を焚くの法有らん。此の事は只是れ習い慣れて、便ち以て事と爲さず。今狂夫醉人有りて、妄りに其の先人の棺櫬[かんしん]を以て一彈せば、則便ち以て深讐巨怨と爲さん。親ら其の親を拽いて之を火中に納るるに及んでは、則ち略以て怪と爲さず。哀しまざる可けんや。

英宗欲改葬西陵。當是時、潞公對以禍福、遂止。其語雖若詭對、要之却濟事。
【読み】
英宗西陵に改葬せんと欲す。是の時に當たりて、潞公對うるに禍福を以てして、遂に止む。其の語詭り對うるが若しと雖も、之を要するに却って事を濟う。

父子異宮者、爲命士以上、愈貴則愈嚴、故父子異宮。猶今有逐位、非如異居也。
【読み】
父子宮を異にする者は、命士以上、愈々貴きときは則ち愈々嚴なるが爲に、故に父子宮を異にす。猶今逐位有るがごとき、異居の如きには非ざるなり。

 

二程全書卷之四  遺書二先生語三

謝顯道記憶平日語
【読み】
謝顯道平日の語を記憶す

鳶飛戾天、魚躍于淵、言其上下察也。此一段子思喫緊爲人處、與必有事焉而勿正心之意同、活潑潑地。會得時、活潑潑地。不會得時、只是弄精神。
【読み】
鳶飛んで天に戾[いた]り、魚淵に躍る。其の上下察[あき]らかなることを言えり。此の一段子思喫緊人の爲にするの處、必ず事とすること有り、心に正[あてて]すること勿かれの意と同じく、活潑潑地なり。會し得る時は、活潑潑地。會し得ざる時は、只是れ精神を弄す。

切脈最可體仁。(鄭轂云、嘗見顯道先生問此語。云、是某與明道切脈時、坐問有此語。)
【読み】
脈を切にするは最も仁に體す可し。(鄭轂云う、嘗て顯道先生に見えて此の語を問えり。云う、是れ某明道と脈を切にする時、坐問に此の語有り、と。)

觀雞雛。(此可觀仁。)
【読み】
雞雛を觀る。(此れ仁を觀る可し。)

漢成帝夢上帝敗我濯龍淵、打不過。
【読み】
1.漢の成帝、上帝我が濯龍淵を敗り、不過を打つというを夢む。
2.漢の成帝、上帝我が濯龍淵を敗り、打不過というを夢む。*「打不過」は「堪えられない」の意。下も同じ。
3.漢の成帝、上帝我が濯龍淵を敗るというを夢み、打不過。

問鬼神有無。曰、待說與賢道沒時、古人却因甚如此道。待說與賢道有時、又却恐賢問某尋。
【読み】
鬼神の有無を問う。曰く、賢に說與することを待って沒[な]き時を道わば、古人却って甚[なに]に因ってか此の如く道わん。賢に說與することを待って有る時を道わば、又却って恐る、賢某に問い尋ねんことを、と。

射法具而不滿者、無志者也。
【読み】
射法具わって滿[な]らざる者は、志無き者なり。

尸居却龍見、淵默却雷聲。
【読み】
尸居して却って龍見し、淵默して却って雷聲す。

須是合内外之道、一天人、齊上下、下學而上達、極高明而道中庸。
【読み】
須く是れ内外を合するの道、天人を一にし、上下を齊しくし、下學して上達し、高明を極めて中庸に道[よ]るべし。

旣得後、便須放開。不然、却只是守。
【読み】
旣に得て後は、便ち須く放開すべし。然らざれば、却って只是れ守るなり。

詩可以興。某自再見茂叔後、吟風弄月以歸、有吾與點也之意。
【読み】
詩は以て興る可し。某再び茂叔に見えて自り後、風に吟じ月を弄して以て歸りて、吾れ點に與すというの意有り。

古人互相點檢。如今之學射者亦然。
【読み】
古人互いに相點檢す。今の射を學ぶ者の如き亦然り。

鐵劍利而倡優拙。(此重則彼輕。)
【読み】
鐵劍利くして倡優拙し。(此れ重ければ則ち彼れ輕し。)

自舜發於畎畝之中、至孫叔敖舉於海、若要熟、也須從這裏過。
【読み】
舜は畎畝の中に發[おこ]るという自り、孫叔敖は海に舉ぐというに至るまで、若し熟せんことを要せば、也[また]須く這の裏より過ぐべし。

萃・渙皆享於帝立廟、因其精神之聚而形於此。爲其渙散、故立此以收之。
【読み】
萃・渙皆帝に享し廟を立つるは、其の精神の聚まるに因りて此に形[あらわ]るなり。其の渙散ずるが爲に、故に此を立てて以て之を收む。

隘與不恭、君子不由、非是瑕疵。夷・惠之語、其弊至此。
【読み】
隘と不恭とは、君子由らざるなりというは、是れ瑕疵に非ず。夷・惠が語、其の弊此に至る。

趙普除節度使權、便是烏重胤之策、以兵付逐州刺史。
【読み】
趙普節度使の權を除すは、便ち是れ烏重胤が策にて、兵を以て逐州の刺史に付す。

以記誦博識爲玩物喪志。(時以經語錄作一册。○鄭轂云、嘗見顯道先生云、某從洛中學時、錄古人善行別作一册。洛中見之、云是玩物喪志。蓋言心中不宜容絲髮事。)
【読み】
記誦博識を以て物を玩び志を喪うと爲す。(時に經語を以て錄して一册と作す。○鄭轂云う、嘗て顯道先生に見えて云う、某洛中に從って學ぶ時、古人の善行を錄して、別に一册と作す、と。洛中にして之を見て、云う、是れ物を玩んで志を喪う、と。蓋し言うこころは心中宜しく絲髪の事を容るべからず、と。)

張子厚・邵堯夫、善自開大者也。
【読み】
張子厚・邵堯夫は、善く自ら開き大にする者なり。

彈琴、心不在便不成聲。所以謂琴者禁也、禁人之邪心。
【読み】
琴を彈じて、心在らざれば便ち聲を成さず。所以に謂く、琴は禁なり、人の邪心を禁ず、と。

舞蹈本要長袖、欲以舒其性情。某嘗觀舞正樂、其袖往必反。有盈而反之意。今之舞者、反收拾袖子結在一處。
【読み】
舞蹈本長袖を要するは、以て其の性情を舒べんと欲するなり。某嘗て正樂を舞うを觀るに、其の袖往いて必ず反る。盈ちて反るの意有り。今の舞は、反って袖子を收拾して一處に結在す。

周茂叔窗前草不除去。問之云、與自家意思一般。(子厚觀驢鳴、亦謂如此。)
【読み】
周茂叔窗前の草除い去らず。之を問えば云く、自家の意思と一般なり、と。(子厚驢の鳴くを觀るも、亦謂うこと此の如し。)

張子厚聞生皇子、喜甚。見餓莩者、食便不美。
【読み】
張子厚は皇子生まると聞けば、喜ぶこと甚だし。餓莩[がひょう]の者を見れば、食便ち美とせず。

某寫字時甚敬、非是要字好、只此是學。
【読み】
某字を寫す時甚だ敬むは、是れ字の好きことを要するに非ず、只此れ是れ學なればなり。

一日游許之西湖、在石壇上坐、少頃腳踏處便溼。舉起云、便是天地升降道理。
【読み】
一日許の西湖に游び、石壇の上に在りて坐すること、少頃にして腳の踏む處便ち溼[うるお]う。舉起して云う、便ち是れ天地升降の道理なり、と。

一日見火邊燒湯瓶、指之曰、此便是陰陽消長之義。
【読み】
一日火邊の燒湯瓶を見て、之を指して曰く、此れ便ち是れ陰陽消長の義なり、と。

鳶飛戾天、向上更有天在。魚躍于淵、向下更有地在。(此兩句去作人材上說更好。○鄭轂云、嘗問此二句。顯道先生云、非是極其上下而言。蓋眞箇見得如此。正是子思喫緊道與人處。若從此解悟、便可入堯・舜氣象。)
【読み】
鳶飛んで天に戾るとは、上に向かえば更に天の在る有り。魚淵に躍るとは、下に向かえば更に地の在る有り。(此の兩句人材の上に說くことを作し去ること更に好し。○鄭轂云う、嘗て此の二句を問う。顯道先生云う、是れ其の上下を極めて言うに非ず。蓋し眞箇に見得ること此の如し。正に是れ子思喫緊道人に與うる處。若し此に從いて解悟せば、便ち堯・舜の氣象に入る可し、と。)

因論口將言而囁嚅。云、若合開口時、要他頭、也須開口。(如荆軻於樊於期。)須是聽其言也厲。
【読み】
因りて口將に言わんとして囁嚅[しょうじゅ]するを論ず。云う、若し合に口を開く時、他の頭を要すべく、也須く口を開くべし。(荆軻が樊於期に於るが如し。)須く是れ其の言を聽くや厲しかるべし、と。

舜由仁義行。非行仁義也。
【読み】
舜は仁義に由って行う。仁義を行うに非ざるなり。

與善人處、壞了人。須是與不善人處。方成就得人。他山之石可以攻玉。(善下一有柔字。)
【読み】
善人と處すれば、人を壞了す。須く是れ不善の人と處すべし。方に人を成就し得ん。他山の石以て玉を攻む可し。(善の下一に柔の字有り。)

又言、不哭底孩兒、誰抱不得。
【読み】
又言う、哭せざる底の孩兒、誰か抱き得ざらん、と。

須是就事上學。蠱、振民育德。然有所知後、方能如此。何必讀書、然後爲學。
【読み】
須く是れ事上に就いて學ぶべし。蠱は、民を振[すく]い德を育う。然れども知る所有りて後に、方に能く此の如し。何ぞ必ずしも書を讀んで、然して後に學を爲さん。

士不可以不弘毅、任重而道遠。(重擔子須是硬脊梁漢方擔得。)
【読み】
士は以て弘毅ならずんばある可からず、任重くして道遠し。(重擔子須く是れ硬脊梁の漢方に擔い得べし。)

詩・書只說帝與天。
【読み】
詩・書は只帝と天とを說くのみ。

有人疑伊尹出處合於孔子可以仕則仕、可以止則止。不得爲聖之時、何也。曰、終是任底意思在。
【読み】
人有り疑う、伊尹の出處は孔子の以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止むみ合す。聖の時と爲ることを得ざるは、何ぞや、と。曰く、終に是れ任底の意思在り、と。

一行豈所以名聖人。至於聖、則自不可見。何嘗道聖人孝、聖人廉。
【読み】
一行は豈聖人を名のる所以ならんや。聖に至っては、則ち自ら見る可からず。何ぞ嘗て聖人は孝なり、聖人は廉なりと道わん。

太山爲高矣。然太山頂上已不屬太山。雖堯・舜之事、亦只是如太虛中一點浮雲過目。
【読み】
太山を高しと爲す。然れども太山の頂上は已に太山に屬せず。堯・舜の事と雖も、亦只是れ太虛中一點の浮雲の目を過るが如し。

執事須是敬、又不可矜持太過。
【読み】
事を執るには須く是れ敬すべく、又矜持太過す可からず。

孟子知言、正如人在堂上、方能辨堂下人曲直。若自下去堂下、則却辨不得。
【読み】
孟子言を知るは、正に人堂上に在りて、方に能く堂下の人の曲直を辨ずるが如し。若し自ら堂下に下り去らば、則ち却って辨じ得じ。

勿忘勿助長之閒、正當處也。
【読み】
忘るること勿かれ助長せしむること勿かれの閒、正に處す當きなり。

顏子合下完具、只是小。要漸漸恢廓。孟子合下大、只是未粹。索學以充之。(恢一作開。)
【読み】
顏子は合下完具し、只是れ小。漸漸恢廓[かいかく]ならんことを要す。孟子は合下大にして、只是れ未だ粹ならず。學以て之を充てることを索む。(恢は一に開に作る。)

學者要學得不錯、須是學顏子。(有準的。)
【読み】
學者學び得て錯[あやま]らざらんことを要せば、須く是れ顏子を學ぶべし。(準的有り。)

參也、竟以魯得之。
【読み】
參や、竟に魯を以て之を得たり。

默而識之、不言而信、存乎德行。
【読み】
默して之を識り、言わずして信なるは、德行に存す。

毛猶有倫、入毫釐絲忽終不盡。
【読み】
毛は猶倫有り、毫釐絲忽に入りて終に盡きず。

滿腔子是惻隱之心。
【読み】
滿腔子是れ惻隱の心。

衆人安則不恭、恭則不安。
【読み】
衆人は安んずるときは則ち恭ならず、恭なるときは則ち安からず。

君子以言有物而行有恆。
【読み】
君子は言物有りて行恆有ることを以てす。

邢恕日三點檢。謂亦可哀也。何時不點檢。
【読み】
邢恕日に三たび點檢す。謂く、亦哀れむ可し。何れの時か點檢せざらん、と。

學射者互相點檢病痛。朋友攸攝、攝以威儀。
【読み】
射を學ぶ者互いに病痛を相點檢す。朋友の攝する攸、攝するに威儀を以てす。

有甚你管得我。有甚我管得你。敎人致却太平後、某願爲太平之民。
【読み】
甚の你我を管し得ること有らん。甚の我れ你を管し得ること有らん。人をして太平を却くことを致さしめて後、某願わくは太平の民爲たらん。

右明道先生語

三王不足四、無四三王之理。如忠質文之所尙、子丑寅之所建、歲三月爲一時之理。秦强以亥爲正、畢竟不能行。孔子知是理。故其志不欲爲一王之法、欲爲百王之通法。如語顏淵爲邦是也。其法度又一寓之春秋。(已後別有說。)
【読み】
三王四にするに足らざるは、三王を四にするの理無ければなり。忠質文の尙ぶ所、子丑寅の建[さ]す所、歲三月を一時と爲すの理の如し。秦强いて亥を以て正と爲すは、畢竟行わるること能わず。孔子是の理を知る。故に其の志一王の法と爲ることを欲せず、百王の通法と爲らんことを欲す。顏淵に邦を爲むることを語るが如き是れなり。其の法度も又一に之を春秋に寓[よ]す。(已後別に說有り。)

西北東南、人材不同。
【読み】
西北東南、人材同じからず。

以律管定尺、乃是以天地之氣爲準。非秬黍之比也。秬黍積數、在先王時、惟此爲適與度量合、故可用。今時則不同。
【読み】
律管を以て尺を定むるは、乃ち是れ天地の氣を以て準と爲す。秬黍の比に非ざるなり。秬黍の積數、先王の時に在っては、惟此れ適々度量と合えりと爲す、故に用う可し。今時は則ち同じからず。

物之可卜者、惟龜與羊髀骨可用。蓋其坼可驗吉凶。
【読み】
物の卜す可き者は、惟龜と羊髀骨とのみ用う可し。蓋し其れ坼きて吉凶を驗す可し。

李覯謂若敎管仲身長在宮内、何妨更六人。此語不然。管仲時、桓公之心特未蠹也。若已蠹、雖管仲可奈何。未有心蠹尙能用管仲之理。
【読み】
李覯謂く、若し管仲が身をして長く宮内に在らしめば、何ぞ更に六人なるに妨げん、と。此の語然らず。管仲が時、桓公の心特に未だ蠹[と]せず。若し已に蠹せば、管仲と雖も奈何にかす可けん。未だ心蠹して尙能く管仲を用うるの理有らじ。

孟子言性、當隨文看。不以告子生之謂性爲不然者、此亦性也。彼命受生之後謂之性爾。故不同。繼之以犬之性猶牛之性、牛之性猶人之性與。然不害爲一。若乃孟子之言善者、乃極本窮源之性。
【読み】
孟子性を言うは、當に文に隨いて看るべし。告子が生之を性と謂うを以いずして然らずとする者は、此も亦性なればなり。彼生を受くるの後を命じて之を性と謂うのみ。故に同じからず。之に繼ぐに犬の性は猶牛の性のごとく、牛の性は猶人の性のごときかというを以てす。然も一とすることを害せず。若し乃ち孟子の善なりと言う者は、乃ち本を極め源を窮むるの性なり。

日月之形、如人有身須有目。目必面前。故太陽無北觀者。
【読み】
日月の形は、人の身有れば須く目有るべきが如し。目は必ず前に面[む]かう。故に太陽の北觀する者無し。

仁則一、不仁則二。
【読み】
仁なれば則ち一、不仁なれば則ち二。

仁道難名。惟公近之。非以公便爲仁。
【読み】
仁道は名づけ難し。惟公は之に近し。公を以て便ち仁と爲すには非ず。

禪家之言性、猶太陽之下置器、其閒方圓小大不同。特欲傾此於彼爾。然在太陽幾時動。又其學善遁。若人語以此理、必曰我無修無證。
【読み】
禪家の性を言うは、猶太陽の下に器を置き、其の閒方圓小大同じからざるがごとし。特に此を彼に傾けんと欲するのみ。然も太陽は幾時か動くこと在らん。又其の學善く遁る。若し人語るに此の理を以てすれば、必ず我れ無修無證と曰う。

先生少時、多與禪客語、欲觀其所學淺深。後來更不問。蓋察言不如觀貌。言猶可以所聞强勉、至於貌則不可强。
【読み】
先生少き時、多く禪客と語りて、其の學ぶ所の淺深を觀んと欲す。後來更に問わず。蓋し言を察するは貌を觀るに如かず。言は猶聞く所を以て强い勉む可く、貌に至っては則ち强う可からず。

氣形而下者。
【読み】
氣は形よりして下なる者なり。

語學者以所見未到之理、不惟所聞不深徹、久將理低看了。
【読み】
學者に語るに見る所未だ到らざるの理を以てすれば、惟聞く所深く徹せざるのみにあらず、久しくして理を將て低く看了わる。

性不可以内外言。
【読み】
性は内外を以て言う可からず。

神是極妙之語。
【読み】
神は是れ極妙の語なり。

(一本無。)與性元不相離、則其死也、何合之有。如禪家謂別有一物常在、偸胎奪陰之說、則無是理。
【読み】
(一本に無。)と性と元相離れざるときは、則ち其の死するや、何の合うことか之れ有らん。禪家別に一物有りて常に在りと謂うが如き、偸胎奪陰の說は、則ち是の理無し。

魂謂精魂。其死也魂氣歸於天、消散之意。
【読み】
魂を精魂と謂う。其の死するや魂氣天に歸するは、消散の意なり。

某欲以金作器比性成形。先生謂、金可以比氣、不可以比性。
【読み】
某金を以て器を作りて性形を成すに比せんと欲す。先生謂く、金は以て氣に比す可く、以て性に比す可からず、と。

唐人伎藝、亦有精絕過今人處。
【読み】
唐人の伎藝も、亦精絕にして今の人に過ぐる處有り。

日月謂一日一箇亦得、謂通古今只一箇亦得。
【読み】
日月は一日一箇と謂うも亦得、古今に通じて只一箇と謂うも亦得。

易言天亦不同。如天道虧盈而益謙、此通上下。理亦如此、天道之運亦如此。如言天且弗違、況於人乎、況於鬼神乎、此直謂形而上者。言以鬼神爲天地矣。
【読み】
易に天を言うこと亦同じからず。天道は盈つるを虧きて謙に益すというが如き、此れ上下に通ず。理も亦此の如く、天道の運も亦此の如し。天すら且つ違わず、況んや人に於てをや。況んや鬼神に於てをやと言うが如き、此れ直に形よりして上なる者を謂う。言うこころは鬼神を以て天地と爲すなり。

莊生形容道體之語、儘有好處。老氏谷神不死一章最佳。
【読み】
莊生が道體を形容するの語、儘好き處有り。老氏が谷神死せずの一章最も佳し。

禪家出世之說、如閉目不見鼻。然鼻自在。
【読み】
禪家出世の說は、目を閉ぢて鼻を見ざるが如し。然れども鼻自づから在り。

聖人不記事。所以常記得。今人忘事、以其記事。不能記事、處事不精、皆出於養之不完固。
【読み】
聖人は事を記せず。所以に常に記得す。今の人事を忘るるは、其の事を記するを以てなり。事を記すること能わず、事を處すること精しからざるは、皆養の完固ならざるに出づ。

陳恆弑其君。夫子請討、當時夫子已去位矣。(曾爲大夫。)
【読み】
陳恆其の君を弑す。夫子討ぜんことを請うは、當時夫子已に位を去ればなり。(曾て大夫爲り。)

人固可以前知。然其理須是用則知、不用則不知。知不如不知之愈。蓋用便近二。所以釋子謂又不是野狐精也。
【読み】
人固に以て前知す可し。然れども其の理須く是れ用うるときは則ち知り、用いざるときは則ち知らざるべし。知るは知らざるの愈れるに如かず。蓋し用うるは便ち二に近し。所以に釋子謂う、又是れ野狐精にあらず、と。

二三立、則一之名亡矣。
【読み】
二三立つときは、則ち一の名亡ぶ。

感而遂通天下之故、以其寂然不動。小則事物之至、大則無時而不感。
【読み】
感じて遂に天下の故に通ずるは、其の寂然として動かざるを以てなり。小なるときは則ち事物の至り、大なるときは則ち時として感ぜざること無し。

人之稟賦有無可奈何者。聖人所以戒忿疾於頑。
【読み】
人の稟賦奈何ともす可きこと無き者有り。聖人所以に忿疾を頑に戒む。

釋氏處死生之際、不動者有二。有英明不以爲事者、亦有昏愚爲人所誤、以前路自有去處者。
【読み】
釋氏死生の際に處して、動ぜざる者二つ有り。英明にして以て事とせざる者有り、亦昏愚にして人の爲に誤らされて、以て前路自づから去る處有る者有り。

(一作必。)欲窮四方上下所至、且以無窮、置却則得。若要眞得(一作識。)、須是體合。
【読み】
(一に必に作る。)四方上下の至る所を窮めんと欲せば、且窮まり無きを以て、置却すれば則ち得。若し眞に得んことを(一に識に作る。)要せば、須く是れ體合すべし。

有剪桐之戲、則隨事箴規。違養生之戒、則卽時諫止。
【読み】
剪桐の戲有るときは、則ち事に隨いて箴規し、養生の戒に違うときは、則ち卽時に諫め止ましむ。

未有不能體道而能無思者。故坐忘卽是坐馳。有忘之心乃思也。
【読み】
未だ道を體すること能わずして能く思うこと無き者有り。故に坐忘は卽ち是れ坐馳なり。忘るること有るの心は乃ち思えばなり。

許渤與其子隔一窗而寢。乃不聞其子讀書與不讀書。先生謂、此人持敬如此。(曷嘗有如此聖人。)
【読み】
許渤と其の子と一窗を隔てて寢ぬ。乃ち其子の書を讀むと書を讀まざるとを聞かず。先生謂く、此の人敬を持すること此の如し、と。(曷ぞ嘗て此の如き聖人有らん。)

伯淳在澶州日修橋。少一長梁。曾博求之民閒。後因出入、見林木之佳者、必起計度之心。因語以戒學者、心不可有一事。
【読み】
伯淳澶州に在りし日橋を修む。一つの長梁を少[か]けり。曾て博く之を民閒に求む。後出入するに因りて、林木の佳なる者を見れば、必ず計度の心を起こせり。因って語りて以て學者を戒む、心一に事とすること有る可からず、と。

閲機事之久、機心必生。蓋方其閲時、心必喜。旣喜、則如種下種子。
【読み】
機事を閲ること久しければ、機心必ず生ず。蓋し其の閲る時に方りて、心必ず喜ぶ。旣に喜ぶときは、則ち種種子を下すが如し。

見一學者忙迫、先生問其故。曰、欲了幾處人事。曰、某非不欲周旋人事者、曷嘗似賢急迫。
【読み】
一りの學者忙迫なるを見て、先生其の故を問う。曰く、幾處の人事を了せんと欲す、と。曰く、某は人事に周旋するを欲せざる者に非ざるも、曷ぞ嘗て賢の似[ごと]く急迫ならん、と。

忘物與累物之弊等。
【読み】
物を忘るると物に累わさるるの弊は等し。

疑病者、未有事至時、先有疑端在心。周羅事者、先有周事之端在心。皆病也。
【読み】
疑病ある者は、未だ事の至ること有らざる時に、先づ疑端心に在る有り。事を周羅する者は、先づ事を周する端心に在る有り。皆病なり。

較事大小、其弊爲枉尺直尋之病(一作論。)
【読み】
事の大小を較ぶるは、其の弊は尺を枉げて尋を直くするの病(一に論に作る。)と爲る。

忘敬而後無(一作毋。)不敬。
【読み】
敬を忘れて而して後に敬せざること無し(一に毋に作る。)

聖人之心、未嘗有在、亦無不在。蓋其道合内外、體萬物。
【読み】
聖人の心は、未だ嘗て在ること有らず、亦在らざること無し。蓋し其の道は内外を合し、萬物を體す。

事神易、爲尸難。苟孝子有思親之心、以至誠持之、皆可以盡其道。惟尸象神。其所以祖考來格者以此。後世巫覡、立尸之遺意。但其流入於妄僞。豈有通幽明之理。
【読み】
神に事うることは易く、尸を爲ることは難し。苟も孝子親を思うの心有りて、至誠を以て之を持せば、皆以て其の道を盡くす可し。惟尸は神に象る。其れ祖考の來格する所以の者は此を以てなり。後世の巫覡[ふげき]、尸を立つるの遺意なり。但其の流妄僞に入る。豈幽明に通ずるの理有らんや。

死者不可謂有知、不可謂無知。
【読み】
死は知ること有りと謂う可からず、知ること無しと謂う可からず。

嘗問先生、其有知之原、當倶稟得。先生謂、不曾稟得、何處交割得來。又語及太虛曰、亦無太虛。遂指虛曰、皆是理。安得謂之虛。天下無實於理者。
【読み】
嘗て先生に問う、其れ知有るの原は、當に倶に稟得すべき、と。先生謂く、曾て稟得せずんば、何れの處よりか交割し得來らん、と。又語りて太虛に及んで曰く、亦太虛無し、と。遂に虛を指して曰く、皆是れ理なり。安んぞ之を虛と謂うことを得ん。天下理より實なる者無し、と。

罪己責躬不可無。然亦不當長留在心胸爲悔。
【読み】
己を罪し躬を責むること無くんばある可からず。然れども亦當に長く心胸に留在して悔を爲すべからず。

有恐懼心、亦是燭理不明、亦是氣不足。須知義理之悅我心、猶芻豢之悅我口。玩理以養心如此。蓋人有小稱意事、猶喜悅、有淪肌浹骨如春和意思。何況義(一作見。)理。然窮理亦當知用心緩急。但苦勞而不知悅處、豈能養心。
【読み】
恐懼の心有るは、亦是れ理を燭すこと明らかならず、亦是れ氣足らざればなり。須く義理の我が心に悅ばしきこと、猶芻豢[すうかん]の我が口に悅ばしきがごときを知るべし。理を玩んで以て心を養うのこと此の如し。蓋し人小しく意に稱う事有れば、猶喜悅して、肌に淪み骨に浹うこと有りて春和の意思の如し。何ぞ況んや義(一に見に作る。)理をや。然れども理を窮むるは亦當に心を用うるの緩急を知るべし。但苦勞して悅ぶ處を知らずんば、豈能く心を養わんや。

入道莫如敬。未有能致知而不在敬者。今人主心不定、視心如寇賊而不可制。不是事累心、乃是心累事。當知天下無一物是合少得者。不可惡也。
【読み】
道に入るは敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる者有らず。今の人は心を主とし定めず、心を視ること寇賊の如くにして制す可からず。是れ事心を累わすにあらずして、乃ち是れ心事を累わすなり。當に天下に一物として是れ少[か]き得合[べ]き者無きを知るべし。惡む可からざるなり

或謂許大太虛。先生謂、此語便不是。這裏論甚大與小。
【読み】
或るひと謂く、許大の太虛、と。先生謂く、此の語便ち是ならず。這の裏甚の大と小とを論ぜん、と。

大抵人有身、便有自私之理。宜其與道難一。
【読み】
大抵人は身有れば、便ち自私の理有り。宜[うべ]なり其の道と一なり難きは。

人之於儀形、有是持養者、有是修飾者。
【読み】
人の儀形に於る、是の持養の者有り、是の修飾の者有り。

人之於性、猶器之受光於日。日本不動之物。
【読み】
人の性に於るは、猶器の光を日に受けるがごとし。日は本動かざる物なり。

須是識在所行之先。譬如行路、須得光照。
【読み】
須く是れ識るは行く所の先に在るべし。譬えば路に行くが如き、須く光照らすことを得べし。

伯有爲厲之事、別是一理。
【読み】
伯有厲と爲るの事は、別に是れ一理あり。

一陰一陽之謂道、道非陰陽也。所以一陰一陽道也。如一闔一闢謂之變。
【読み】
一陰一陽之を道と謂うは、道は陰陽に非ざるなり。一陰一陽する所以は道なり。一闔一闢之を變と謂うが如し。

右伊川先生語

拾 遺

許渤初起、問人天氣寒溫、加減衣服、一加減定、卽終日不換。
【読み】
許渤初起して、人に天氣の寒溫問い、衣服を加減すること、一たび加減し定むれば、卽ち終日換えず。

許渤在潤州、與范文正・胡宿・周茂叔游。
【読み】
許渤潤州に在るとき、范文正・胡宿・周茂叔と游ぶ。

古人立尸之意甚高。
【読み】
古人尸を立つるの意甚だ高し。

萬取千焉、千取百焉。(齊語謂某處取某處遠近。)
【読み】
萬に千を取り、千に百を取る。(齊語に謂う、某處と某處との遠近。)

夫天未欲平治天下也、如欲平治天下、當今之世、舍我其誰、此是有所受命之語。若孔子謂天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何、喪乃我喪。未喪乃我未喪、我自做著天裏。聖人之言、氣象自別。
【読み】
夫れ天未だ天下を平治せんことを欲せず、如し天下を平治せんことを欲せば、今の世に當たりて、我を舍てて其れ誰ぞというは、此は是れ命を受くる所有るの語なり。孔子天の將に斯の文を喪ぼさんとすれば、後に死する者斯の文に與ることを得じ、天の未だ斯の文を喪ぼさざるに、匡人其れ予を如何と謂うが若きは、喪ぶるは乃ち我れ喪ぶ。未だ喪びざれば乃ち我れ未だ喪びずとして、我れ自ら天の裏に做著す。聖人の言、氣象自づから別なり。

張橫渠謂范文正才氣老成。(笑指揮趙兪。)
【読み】
張橫渠謂えらく、范文正は才氣老成す、と。(趙兪に指揮するを笑う。)

古人求法器。
【読み】
古人は法器を求む。

禮樂只在進反之閒、便得性情之正。
【読み】
禮樂は只進反の閒に在りて、便ち性情の正しきを得。

孟子答公孫丑問何謂浩然之氣、曰、難言也。只這裏便見得是孟子實有浩然之氣。若他人便亂說道、是如何、是如何。
【読み】
孟子公孫丑が何をか浩然の氣と謂うと問えるに答えて、曰く言い難し、と。只這の裏に便ち見得ん、是れ孟子實に浩然の氣有ることを。他人の若きは便ち亂りに說いて道わん、是れ如何、是れ如何、と。

子路亦百世之師。(人告之以有過則喜。)
【読み】
子路も亦百世の師なり。(人之に告ぐるに過有ることを以てすれば則ち喜ぶ。)

右明道先生語

先生在經筵日、有二同列論武侯事業謂、戰伐所喪亦多。非殺一不辜而得天下不爲之事。先生謂、二公語過矣。殺一不辜而得天下不爲、謂殺不辜以私己。武侯以天子之命討天下之賊。何害。
【読み】
先生經筵に在るの日、二りの同列有りて武侯の事業を論じて謂く、戰伐の喪ぼす所亦多し。一りの辜[つみ]あらざるを殺して天下を得るともせざるの事に非ず、と。先生謂く、二公の語過てり。一りの辜あらざるを殺して天下を得るともせずとは、辜あらざるを殺して以て己に私するを謂う。武侯は天子の命を以て天下の賊を討てり。何ぞ害あらん、と。

漢儒近似者三人、董仲舒・大毛公・楊雄。
【読み】
漢儒近く似たる者三人、董仲舒・大毛公・楊雄。

右伊川先生語

 

二程全書卷之五  遺書二先生語四

游定夫所錄

善言治天下者、不患法度之不立、而患人材之不成。善修身(一作善言人材。)者、不患器質之不美、而患師學之不明。人材不成、雖有良法美意、孰與行之。師學不明、雖有受道之質、孰與成之。
【読み】
善く天下を治むることを言う者は、法度の立たざることを患えずして、人材の成らざることを患う。善く身を修むる(一に善く人材を言うに作る。)者は、器質の美ならざることを患えずして、師學の明らかならざることを患う。人材成らざれば、良法美意有りと雖も、孰と與にか之を行わん。師學明らかならざれば、道を受くるの質有りと雖も、孰と與にか之を成さん。

行之失、莫甚於惡、則亦改之而已矣。事之失、莫甚於亂、則亦治之而已矣。苟非自暴自棄者、孰不可與爲君子。
【読み】
行の失、惡に甚だしきこと莫きは、則ち亦之を改めんのみ。事の失、亂に甚だしきこと莫きは、則ち亦之を治めんのみ。苟も自暴自棄の者に非ずんば、孰か與に君子爲る可からざらん。

人有習他經、旣而舍之、習戴記。問其故。曰、決科之利也。先生曰、汝之是心、已不可入於堯・舜之道矣。夫子貢之高識、曷嘗規規於貨利哉。特於豐約之閒、不能無留情耳。且貧富有命。彼乃留情於其閒、多見其不信道也。故聖人謂之不受命。有志於道者、要當去此心而後可語也。(一本云、明道知扶溝縣事、伊川侍行。謝顯道將歸應舉。伊川曰、何不止試於太學。顯道對曰、蔡人鮮習禮記、決科之利也。先生云云。顯道乃止。是歲登第。注云、尹子言其詳如此。)
【読み】
人他の經を習うこと有り、旣にして之を舍て、戴記を習う。其の故を問う。曰く、決科の利あり、と。先生曰く、汝の是の心は、已に堯・舜の道に入る可からず。夫の子貢の高識、曷ぞ嘗て貨利に規規たらんや。特豐約の閒に於て、情を留むること無きこと能わざるのみ。且つ貧富命有り。彼れ乃ち情を其の閒に留め、多[まさ]に其の道を信ぜざることを見[しめ]す。故に聖人之を命を受けずと謂えり。道に志有る者は、當に此の心を去るべきことを要して而して後に語る可し、と。(一本に云う、明道扶溝縣の事に知たるとき、伊川侍し行く。謝顯道將に歸りて舉に應ぜんとす。伊川曰く、何ぞ試を太學に止めざる、と。顯道對えて曰く、蔡人禮記を習うこと鮮きは、決科の利あり、と。先生云云。顯道乃ち止む。是の歲登第す、と。注に云う、尹子の言其の詳らかなること此の如し、と。)

先生不好佛語。或曰、佛之道是也、其跡非也。曰、所謂跡者、果不出於道乎。然吾所攻、其跡耳。其道、則吾不知也。使其道不合於先王、固不願學也。如其合於先王、則求之六經足矣。奚必佛。
【読み】
先生佛語を好まず。或るひと曰く、佛が道は是なり、其の跡は非なり、と。曰く、謂う所の跡とは、果たして道に出でざるか。然も吾が攻むる所は、其の跡のみ。其の道は、則ち吾れ知らざるなり。其の道をして先王に合わざらしめば、固に學ぶことを願わず。如し其れ先王に合わば、則ち之を六經に求めて足れり。奚ぞ佛を必とせん、と。

漢儒之中、吾必以楊子爲賢。然於出處之際、不能無過也。其言曰、明哲煌煌、旁燭無疆。孫于不虞、以保天命。孫于不虞則有之、旁燭無疆則未也。光武之興、使雄不死、能免誅乎。觀於朱泚之事可見矣。古之所謂言遜者、迫不得已。如劇秦美新之類。非得已者乎。
【読み】
漢儒の中、吾れ必ず楊子を以て賢と爲す。然れども出處の際に於て、過ち無きこと能わざるなり。其の言に曰く、明哲煌煌として、旁く無疆を燭[て]らす。不虞に孫[しりぞ]きて、以て天命を保んず、と。不虞に孫くことは則ち之れ有り、旁く無疆を燭らすことは則ち未だし。光武の興る、雄をして死せざらしめば、能く誅を免れんや。朱泚が事を觀て見る可し。古の所謂遜くと言う者は、迫りて已むことを得ざればなり。劇秦美新の類の如し。已むことを得るに非ざる者か。

天下之習、皆緣世變。秦以棄儒術而亡不旋踵。故漢興、頗知尊顯經術、而天下厭之。故有東晉之放曠。
【読み】
天下の習は、皆世に緣りて變ず。秦儒術を棄つるを以て亡ぶること踵を旋らさず。故に漢興りて、頗る經術を尊顯することを知れども、天下之を厭う。故に東晉の放曠有り。

人有語導氣者、問先生曰、君亦有術乎。曰、吾嘗夏葛而冬裘、飢食而渴飮、節嗜欲、定心氣。如斯而已矣。
【読み】
人に導氣を語る者有り。先生に問いて曰く、君も亦術有りや、と。曰く、吾れ嘗て夏に葛して冬に裘し、飢うれば食いて渴すれば飮み、嗜欲を節し、心氣を定む。斯くの如きのみ、と。

世有以讀書爲文爲藝者。曰、爲文謂之藝、猶之可也。讀書謂之藝、則求諸書者淺矣。
【読み】
世に書を讀み文を爲るを以て藝とする者有り。曰く、文を爲る之を藝と謂うは、猶之れ可なり。書を讀む之を藝と謂うは、則ち書に求むる者淺し、と。

萬物本乎天、人本乎祖。故冬至祭天而祖配之。以冬至者、氣至之始故也。萬物成形於地、而人成形於父。故以季秋享帝而父配之。以季秋者、物成之時故也。
【読み】
萬物は天に本づき、人は祖に本づく。故に冬至に天を祭りて祖之に配す。冬至を以てする者は、氣至るの始めなる故なり。萬物は形を地に成して、人は形を父に成す。故に季秋を以て帝を享して父之に配す。季秋を以てする者は、物成すの時なる故なり。

世之信道篤而不惑異端者、洛之堯夫・秦之子厚而已。
【読み】
世の道を信ずること篤くして異端に惑わざる者は、洛の堯夫・秦の子厚のみ。

孟子之時、去先王爲未遠。其學比後世爲尤詳。又載籍未經秦火。然而班爵祿之制、已不聞其詳。今之禮書、皆掇拾於煨燼之餘、而多出於漢儒一時之傅會。奈何欲盡信而句爲之解乎。然則其事固不可一二追復矣。明道。
【読み】
孟子の時は、先王を去ること未だ遠からずと爲す。其の學は後世に比すれば尤も詳らかなりと爲す。又載籍未だ秦火を經ず。然れども爵祿を班けるの制、已に其の詳らかなることを聞かず。今の禮書は、皆煨燼の餘に掇拾して、多く漢儒一時の傅會に出づ。奈何ぞ盡く信じて句ごとに之が解をすることを欲せんや。然らば則ち其の事固に一二追復す可からず。明道。

人必有仁義之心、然後仁與義之氣睟然達於外。故不得於心、勿求於氣可也。明道。
【読み】
人必ず仁義の心有りて、然して後に仁と義との氣睟然として外に達す。故に心に得ざれば、氣に求むること勿くして可なり。明道。

君子之敎人、或引之、或拒之、各因其所虧者、成之而已。孟子之不受曹交、以交未嘗知道固在我而不在人也。故使歸而求之。
【読み】
君子の人を敎うる、或は之を引き、或は之を拒み、各々其の虧く所の者に因りて、之を成すのみ。孟子の曹交を受けざるは、交は未だ嘗て道を知らず固に我に在りて人に在らざるを以てなり。故に歸りて之を求めしむ。

孟子論三代之學、其名與王制所記不同。恐漢儒所記未必是也。
【読み】
孟子三代の學を論ずる、其の名王制に記する所と同じからず。恐らくは漢儒記する所未だ必ずしも是ならざるなり。

象憂亦憂、象喜亦喜。蓋天理人情、於是爲至。舜之於象、周公之於管叔、其用心一也。夫管叔未嘗有惡也、使周公逆知其將畔、果何心哉。惟其管叔之畔、非周公所能知也、則其過有所不免矣。故孟子曰、周公之過、不亦宜乎。
【読み】
象憂えば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ。蓋し天理人情、是に於て至れりと爲す。舜の象に於る、周公の管叔に於る、其の心を用うること一なり。夫れ管叔は未だ嘗て惡有らず、周公をして逆[あらかじ]め其の將に畔かんとするを知らしむるは、果たして何の心ぞや。惟其れ管叔が畔くは、周公の能く知る所に非ざれば、則ち其の過免れざる所有り。故に孟子曰く、周公の過、亦宜ならずや、と。

孟子言舜完廩浚井之說、恐未必有此事。論其理而已。堯在上而使百官事舜於畎畝之中。豈容象得以殺兄、而使二嫂治其棲乎。學孟子者、以意逆志可也。
【読み】
孟子舜廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くするの說を言うは、恐らくは未だ必ずしも此の事有らず。其の理を論ずるのみ。堯上に在して百官をして舜に畎畝の中に事えしむ。豈容に象以て兄を殺して、二嫂をして其の棲を治めしむることを得べけんや。孟子を學ぶ者、意を以て志を逆[むか]えて可なり。

或謂佛之理比孔子爲徑。曰、天下果有徑理、則仲尼豈欲使學者迂遠而難至乎。故外仲尼之道而由徑、則是冒險阻、犯荆棘而已。侍講。
【読み】
或るひと謂く、佛の理は孔子に比するに徑と爲す、と。曰く、天下果たして徑理有らば、則ち仲尼豈學者をして迂遠にして至り難からしむることを欲せんや。故に仲尼の道を外にして徑に由るは、則ち是れ險阻を冒し、荆棘を犯すのみ、と。侍講。

窮經、將以致用也。如誦詩三百、授之以政不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。今世之號爲窮經者、果能達於政事專對之閒乎。則其所謂窮經者、章句之末耳。此學者之大患也。
【読み】
經を窮むるは、將に以て用を致さんとするなり。詩三百を誦して、之を授くるに政を以てすれども達せず、四方に使えして、專[ひとり]對うること能わず、多しと雖も亦奚ぞ以てせんというが如し。今の世の號して經を窮むとする者、果たして能く政事專對の閒に達せんや。則ち其の所謂經を窮むという者は、章句の末のみ。此れ學者の大患なり。

問、我於辭命則不能、恐非孟子語。蓋自謂不能辭命、則以善言德行自居矣。恐君子或不然。曰、然。孔子兼之、而自謂不能者、使學者務本而已。明道。
【読み】
問う、我れ辭命に於ては則ち能わずというは、恐らくは孟子の語に非ず。蓋し自ら辭命すること能わずと謂うときは、則ち善言德行を以て自居す。恐らくは君子或は然らじ、と。曰く、然り。孔子之を兼ねて、自ら能わずと謂う者は、學者をして本を務めしむるのみ、と。明道。

孟子曰、事親若曾子可也。吾以謂事君若周公可也。蓋子之事父、臣之事君、聞有自知其不足者矣。未聞其爲有餘也。周公之功固大矣。然臣子之分所當爲也。安得獨用天子之禮乎。其因襲之弊、遂使季氏僭八佾、三家僭雍徹。故仲尼論而非之、以謂周公其衰矣。侍講。
【読み】
孟子曰く、親に事えること曾子の若くせば可なり、と。吾れ以謂えらく、君に事えること周公の若くせば可なり、と。蓋し子の父に事え、臣の君に事えるは、自ら其の足らざることを知ること有る者を聞く。未だ其の餘有りとすることを聞かざるなり。周公の功は固に大なり。然れども臣子の分の當にすべき所なり。安んぞ獨り天子の禮を用うることを得んや。其の因襲の弊、遂に季氏をして八佾を僭し、三家をして雍徹を僭せしむ。故に仲尼論じて之を非って、以て周公其れ衰えたるかなと謂えり。侍講。

師保之任、古人難之。故召公不說者、不敢安於保也。周公作書以勉之。以爲在昔人君所以致治者、皆賴其臣而使。召公謀所以裕己也。
【読み】
師保の任は、古人之を難しとす。故に召公說ばざる者は、敢えて保に安んぜざればなり。周公書を作り以て之を勉む。以爲えらく、在昔人君治を致す所以の者は、皆其の臣に賴ってせしむ。召公の謀は己を裕かにする所以ならん、と。

復子明辟、如稱告嗣天子王矣。
【読み】
子明辟に復[もう]すとは、嗣ぐ天子王に告[もう]すと稱するが如し。

工尹商陽自謂、朝不坐、宴不與、殺三人足以反命。慢君莫甚焉。安在爲有禮。夫君子立乎人之本朝、則當引其君於道、志於仁而後已。彼商陽者士卒耳。惟當致力於君命。而乃行私情於其閒。孔子蓋不與也。所謂殺人之中又有禮焉者、疑記者謬。
【読み】
工尹商陽自ら謂う、朝に坐せず、宴に與らず、三人を殺して以て反命するに足れり、と。君を慢ること焉より甚だしきは莫し。安んぞ禮有りとするに在らん。夫れ君子人の本朝に立つときは、則ち當に其の君を道に引き、仁に志して而して後に已む。彼の商陽は士卒なるのみ。惟當に力を君命に致すべし。而るに乃ち私情を其の閒に行う。孔子蓋し與せざるなり。所謂人を殺すの中に又禮有りというは、疑うらくは記者の謬りならん。

盟可用也。要之則不可。故孔子與蒲人盟而適衛者、特行其本情耳。蓋與之盟與未嘗盟同。故孔子適衛無疑。使要盟而可用、則(一作與。)賣國背君亦可要矣。
【読み】
盟は用う可きなり。之を要することは則ち不可なり。故に孔子蒲人と盟いて衛に適く者は、特其の本情を行うのみ。蓋し之と盟うと未だ嘗て盟わざると同じ。故に孔子衛に適くこと疑い無し。盟を要して用う可からしめば、則ち(一に與に作る。)國を賣り君に背くことも亦要す可し。

不知天、則於人之愚智賢否有所不能知、雖知之有所不盡。故思知人不可以不知天。不知人、則所親者或非其人、所由者或非其道、而辱身危親者有之。故思事親不可不知人。故堯之親九族、亦明俊德之人爲先。蓋有天下者、以知人爲難、以親賢爲急。
【読み】
天を知らざるときは、則ち人の愚智賢否に於て知ること能わざる所有り、之を知ると雖も盡くさざる所有り。故に人を知らんと思わば以て天を知らずんばある可からず。人を知らざるときは、則ち親しむ所の者或は其の人に非ず、由る所の者或は其の道に非ずして、身を辱め親を危うくする者之れ有らん。故に親に事えんと思わば人を知らずんばある可からず。故に堯は九族を親しみ、亦俊德を明らかにする人を先と爲す。蓋し天下を有つ者は、人を知るを以て難しと爲し、賢を親しむを以て急と爲す。

二南之詩、蓋聖人取之以爲天下國家之法、使邦家郷人皆得歌詠之也。有天下國家者、未有不自齊家始。先言后妃、次言夫人、又次言大夫妻。而古之人有能修之身以化在位者、文王是也。故繼之以文王之詩。關雎詩所謂窈窕淑女、卽后妃也。故序以爲配君子。所謂樂而不淫、哀而不傷、蓋關雎之義如此。非謂后妃之心爲然也。
【読み】
二南の詩は、蓋し聖人之を取りて以て天下國家の法と爲し、邦家郷人をして皆之を歌詠することを得せしむ。天下國家を有つ者は、未だ家を齊うる自り始まらずんば有らず。先づ后妃を言いて、次に夫人を言い、又次に大夫の妻を言う。而して古の人能く之を身に修めて化を以て位に在る者有り、文王是れなり。故に之に繼ぐに文王の詩を以てす。關雎の詩に謂う所の窈窕[ようちょう]たる淑女とは、卽ち后妃なり。故に序に以て君子に配すとす。謂う所の樂しみて淫せず、哀しみて傷らずとは、蓋し關雎の義此の如し。后妃の心然りとすと謂うには非ず。

安定之門人往往知稽古愛民矣。則於爲政也何有。
【読み】
安定の門人往往に古を稽[かんが]え民を愛することを知る。則ち政を爲むるに於て何か有らん。

古者郷田同井、而民之出入相友。故無爭鬭之獄。今之郡邑之訟、往往出於愚民、以戾氣相搆。善爲政者勿聽焉可也。又時取強暴而好譏侮者痛懲之、則柔良者安、鬭訟可息矣。(昭遠本連上一段。)
【読み】
古は郷田井を同じくして、民の出入相友にす。故に爭鬭の獄無し。今の郡邑の訟は、往往に愚民、戾氣を以て相搆うに出づ。善く政を爲むる者は聽くこと勿くして可なり。又時に強暴にして好んで譏侮する者を取えて之を痛く懲らすときは、則ち柔良なる者は安んじ、鬭訟息む可し。(昭遠本上の一段に連ぬる。)

君子之遇事、無巨細、一於敬而已。簡細故以自祟、非敬也。飾私智以爲奇、非敬也。要之、無敢慢而已。語曰、居處恭、執事敬、雖之夷狄、不可棄也。然則執事敬者、固爲仁之端也。推是心而成之、則篤恭而天下平矣。
【読み】
君子の事に遇する、巨細と無く、敬に一なるのみ。細故を簡[えら]んで以て自ら祟るは、敬に非ざるなり。私智を飾って以て奇と爲すは、敬に非ざるなり。之を要するに、敢えて慢ること無きのみ。語に曰く、居處恭しく、事を執るに敬すること、夷狄に之くと雖も、棄つ可からず、と。然らば則ち事を執るに敬する者は、固に仁の端を爲すなり。是の心を推して之を成さば、則ち篤恭にして天下平らかならん。

士之所難者、在有諸己而已。能有諸己、則居之安、資之深、而美且大可以馴致矣。徒知可欲之善、而若存若亡而已、則能不受變於俗者鮮矣。
【読み】
士の難ずる所の者は、諸を己に有するに在るのみ。能く諸を己に有せば、則ち之に居ること安く、之に資ること深くして、美にして且つ大にして以て馴致す可し。徒に欲す可きの善を知っても、而れども存するが若く亡するが若くなるのみなるときは、則ち能く俗に變ぜらることを受けざる者鮮し。

馮道更相數主、皆其讐也。安定以爲當五代之季、生民不至於肝腦塗地者、道有力焉、雖事讐無傷也。荀彧佐曹操誅伐、而卒死於操。君實以爲東漢之衰、彧與攸視天下無足與安劉氏者。惟操爲可依。故俯首從之。方是時、未知操有他志也。君子曰、在道爲不忠、在彧爲不智。如以爲事固有輕重之權、吾方以天下爲心、未暇恤人議己也、則枉己者未有能直人者也。
【読み】
馮道の更々數主に相たる、皆其の讐なり。安定以爲えらく、五代の季に當たりて、生民肝腦地に塗るるに至らざる者は、道に力め有り、讐に事えると雖も傷ること無ければなり、と。荀彧曹操を佐けて誅伐して、卒に操に死す。君實以爲えらく、東漢の衰え、彧と攸と天下を視るに與に劉氏を安んずるに足る者無し。惟り操を依る可しと爲す。故に首を俯して之に從う。是の時に方りて、未だ操に他の志有ることを知らざればなり、と。君子曰く、道に在っては不忠と爲し、彧に在っては不智と爲す。如し以て事えること固に輕重の權有り、吾れ方に天下を以て心と爲し、未だ人の己を議するを恤うるに暇あらずと爲さば、則ち己を枉ぐる者は未だ能く人を直くする者には有らざるなり、と。

世之議子雲者、多疑其投閣之事。以法言觀之、蓋未必有。又天祿閣世傳以爲高百尺、宜不可投。然子雲之罪、特不在此、黽勉於莽・賢之閒、畏死而不敢去。是安得爲大丈夫哉。
【読み】
世の子雲を議する者、多くは其の閣に投ずるの事を疑う。法言を以て之を觀るに、蓋し未だ必ずしも有らず。又天祿閣も世々傳わりて以て高さ百尺と爲れば、宜しく投ずる可からざるべし。然も子雲が罪は、特り此のみに在らず、莽・賢の閒に黽勉[びんべん]して、死を畏れて敢えて去らず。是れ安んぞ大丈夫爲ることを得んや。

公山弗擾以費叛、不以召叛人逆黨而召孔子、則其志欲遷善侮過、而未知其術耳。使孔子而不欲往、是沮人爲善也。何足以爲孔子。
【読み】
公山弗擾費を以て叛き、叛人逆黨を召ぶことを以てせずして孔子を召ぶは、則ち其の志善に遷り過を侮ゆることを欲すれども、未だ其の術を知らざるのみ。孔子をして往くことを欲せざらしめば、是れ人の善をするを沮むなり。何ぞ以て孔子とするに足らん。

道之外無物、物之外無道。是天地之閒無適而非道也。卽父子而父子在所親、卽君臣而君臣在所嚴(一作敬。)。以至爲夫婦、爲長幼、爲朋友、無所爲而非道。此道所以不可須臾離也。然則毀人倫、去四大者、其分於道也遠矣。故君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比。若有適有莫、則於道爲有閒。非天地之全也。彼釋氏之學、於敬以直内則有之矣。義以方外則未之有也。故滯固者入於枯槁、疏通者歸於肆恣(一作放肆。)。此佛之敎所以爲隘也。吾道則不然。率性而已。斯理也、聖人於易備言之。
【読み】
道の外に物無く、物の外に道無し。是れ天地の閒適くとして道に非ざること無きなり。父子に卽いては父子は親しむ所に在り、君臣に卽いては君臣は嚴なる(一に敬に作る。)所に在り。以て夫婦爲り、幼長爲り、朋友爲るに至るまで、爲る所として道に非ざるは無し。此れ道の須臾も離る可からざる所以なり。然らば則ち人倫を毀ち、四大を去る者、其の道に分かるや遠し。故に君子の天下に於るや、適も無く、莫も無く、義と與に比[したが]う。若し適有り莫有らば、則ち道に於て閒有りと爲す。天地の全きに非ざるなり。彼の釋氏の學は、敬以て内を直くするに於ては、則ち之れ有り。義以て外を方にするは、則ち未だ之れ有らざるなり。故に滯固なる者は枯槁に入り、疏通なる者は恣肆(一に放肆に作る。)に歸す。此れ佛の敎の隘爲る所以なり。吾が道は則ち然らず、性に率うのみ。斯の理や、聖人易に於て備[つぶさ]に之を言えり。

乾、聖人之分也。可欲之善屬焉。坤、學者之分也。有諸己之信屬焉。
【読み】
乾は、聖人の分なり。欲す可きの善焉に屬す。坤は、學者の分なり。己に有するの信焉に屬す。

仲尼言仁、未嘗兼義、獨於易曰立人之道曰仁與義。而孟子言仁必以義配。蓋仁者體也。義者用也。知義之爲用而不外焉者、可與語道矣。世之所論於義者多外之、不然則混而無別。非知仁義之說者也。
【読み】
仲尼仁を言うに、未だ嘗て義を兼ねず、獨易に於て人の道を立つるを仁と義と曰うと曰う。而るに孟子仁を言えば必ず義を以て配す。蓋し仁は體なり。義は用なり。義の用爲ることを知って焉を外にせざる者は、與に道を語る可し。世の義を論ずる所の者多くは之を外にし、然らずんば則ち混じて別つこと無し。仁義の說を知る者に非ざるなり。

門人有曰、吾與人居、視其有過而不告、則於心有所不安、告之而人不受、則奈何。曰、與之處而不告其過、非忠也。要使誠意之交通在於未言之前、則言出而人信矣。
【読み】
門人曰えること有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げずんば、則ち心に於て安んぜざる所有り。之を告げて人受けずんば、則ち奈何、と。曰く、之と處りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして未だ言わざる前に在らしむるを要めば、則ち言出でて人信ぜん、と。

剛毅木訥、質之近乎仁也。力行、學之近乎仁也。若夫至仁、則天地爲一身、而天地之閒、品物萬形爲四肢百體。夫人豈有視四肢百體而不愛者哉。聖人、仁之至也。獨能體是心而已。曷嘗支離多端而求之自外乎。故能近取譬者、仲尼所以示子貢以爲仁之方也。醫書有以手足風頑謂之四體不仁。爲其疾痛不以累其心故也。夫手足在我、而疾痛不與知焉、非不仁而何。世之忍心無恩者、其自棄亦若是而已。
【読み】
剛毅木訥は、質の仁に近きなり。力行は、學の仁に近きなり。若し夫れ至仁は、則ち天地を一身と爲して、天地の閒、品物萬形四肢百體と爲す。夫れ人豈四肢百體を視て愛せざる者有らんや。聖人は、仁の至りなり。獨能く是の心を體するのみ。曷ぞ嘗て支離多端にして之を求むること外自りせんや。故に能く近く取って譬うる者は、仲尼子貢に示して以て仁の方と爲す所以なり。醫書に手足風頑を以て之を四體不仁と謂うこと有り。其の疾痛の爲に以て其の心を累わさざる故なり。夫れ手足我に在りて、疾痛與り知らざれば、不仁に非ずして何ぞ。世の心を忍び恩を無にする者、其の自棄も亦是の若きのみ。

一物不該、非中也。一事不爲、非中也。一息不存、非中也。何哉。爲其偏而已矣。故曰、道也者、不可須臾離也。可離非道也。修此道者、戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞而已。由是而不息焉、則上天之載、無聲無臭、可以馴致也。
【読み】
一物も該[か]ねざるは、中に非ざるなり。一事も爲さざるは、中に非ざるなり。一息も存ぜざるは、中に非ざるなり。何ぞや。其の偏なるが爲なるのみ。故に曰く、道なる者は、須臾も離る可からざるなり。離る可きは道に非ざるなり、と。此の道を修むる者は、其の睹ざる所を戒め愼み、其の聞かざる所を恐れ懼るるのみ。是に由って息まざるときは、則ち上天の載は、聲も無く臭も無し、以て馴致す可きなり。

君子之於中庸也、無適而不中、則其心與中庸無異體矣。小人之於中庸、無所忌憚、則與戒愼恐懼者異矣。是其所以反中庸也。
【読み】
君子の中庸に於るや、適くとして中らざること無きときは、則ち其の心中庸と體を異にすること無し。小人の中庸に於る、忌憚する所無きときは、則ち戒愼恐懼する者と異なり。是れ其の中庸に反する所以なり。

責善之道、要使誠有餘而言不足、則於人有益、而在我者無自辱矣。
【読み】
善を責むるの道、誠餘り有りて言足らざらしめんことを要するときは、則ち人に於て益有りて、我に在る者も自ら辱しむること無し。

 

二程全書卷之六  遺書二先生語五

理與心一、而人不能會之爲一。
【読み】
理と心とは一にして、人之が一たることを會すること能わず。

仲尼、元氣也。顏子、春生也。孟子、幷秋殺盡見。仲尼、無所不包。顏子示不違如愚之學於後世。有自然之和氣、不言而化者也。孟子則露其才。蓋亦時然(一作焉。)而已。仲尼、天地也。顏子、和風慶雲也。孟子、泰山巖巖之氣象也。觀其言、皆可以見之矣。仲尼無跡、顏子微有跡、孟子其跡著。
【読み】
仲尼は、元氣なり。顏子は、春生なり。孟子は秋殺を幷せて盡く見[あらわ]る。仲尼は包[か]ねざる所無し。顏子は違わざること愚なるが如きの學を後世に示す。自然の和氣有り、言わずして化する者なり。孟子は則ち其の才を露[あらわ]にす。蓋し亦時然る(一に焉に作る。)のみ。仲尼は、天地なり。顏子は、和風慶雲なり。孟子は、泰山巖巖の氣象なり。其の言を觀て、皆之を見る可し。仲尼は迹無く、顏子は微かに迹有り、孟子は其の迹著る。

人心常要活、則周流無窮、而不滯於一隅。
【読み】
人心常に活することを要するときは、則ち周流窮まり無くして、一隅に滯らじ。

老子曰、無爲。又曰、無爲而無不爲。當有爲而以無爲爲之、是乃有爲爲也。聖人作易、未嘗言無爲、惟曰無思也、無爲也。此戒夫作爲也。然下卽曰寂然不動、感而遂通天下之故。是動靜之理、未嘗爲一偏之說矣。
【読み】
老子曰く、すること無し、と。又曰く、すること無くしてせざること無し、と。當にすること有るべくしてすること無きを以て之をすれば、是れ乃ちすること有るのするなり。聖人易を作りて、未だ嘗てすること無しと言わず、惟思うことも無く、することも無しと曰う。此れ夫の作爲するを戒むるなり。然も下に卽ち寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ずと曰う。是れ動靜の理、未だ嘗て一偏の說を爲さず。

語聖則不異、事功則有異。夫子賢於堯・舜、語事功也。
【読み】
聖を語るときは則ち異ならず、事功は則ち異なること有り。夫子堯・舜に賢るというは、事功を語るなり。

孔子言語、句句是自然、孟子言語、句句是實事(一作事實。)
【読み】
孔子の言語は、句句是れ自然、孟子の言語は、句句是れ實事(一に事實に作る。)

論學便要明理。論治便須(一作要。)識體。
【読み】
學を論ずるは便ち理を明らかにせんことを要す。治を論ずるは便ち須く(一に要に作る。)體を識るべし。

蹇便是處蹇之道、困便是處困之道。道無時不可行。
【読み】
蹇は便ち是れ蹇に處するの道、困は便ち是れ困に處するの道。道は時として行う可からざること無し。

孟子有功於道、爲萬世之師、其才雄。只見雄才、便是不及孔子處。人須當學顏子、便入聖人氣象。
【読み】
孟子道に功有り、萬世の師と爲りて、其の才雄なり。只雄才を見すは、便ち是れ孔子に及ばざる處なり。人須く當に顏子を學ぶべく、便ち聖人の氣象に入らん。

父子君臣、天下之定理、無所逃於天地之閒。安得天分不有私心、則(一本無天分不則字。)行一不義、殺一不辜、有所不爲。有分毫私、便不是王者事。
【読み】
父子君臣は、天下の定理にして、天地の閒に逃るる所無し。天分に安んじ得て私心有らずんば、則ち(一本に天分不則の字無し。)一つの不義を行い、一りの辜あらざるを殺すも、せざる所有り。分毫の私有るは、便ち是れ王者の事にあらず。

訂頑立心、便達得天德。
【読み】
訂頑心を立つること、便ち天德に達し得。

孔子儘是明快人、顏子儘豈弟、孟子儘雄辯。
【読み】
孔子は儘[まった]く是れ明快の人なり、顏子は儘く豈弟なり、孟子は儘く雄辯なり。

孔子爲中都宰、知其不可而爲之、不仁。不知而爲之、不知。豈有聖人不盡仁知。
【読み】
孔子中都と宰と爲りて、其の不可なるを知って之を爲さば、不仁なり。知らずして之を爲さば、不知なり。豈聖人仁知を盡くさざること有らんや。

責上責下而中自恕己、豈可任職分。(一本無任字。職分兩字側注。)
【読み】
上を責め下を責めて中自ら己を恕せば、豈職分を任ず可けんや。(一本に任の字無し。職分の兩字は側注。)

萬物無一物失所、便是天理時中。(一本無時中字。)
【読み】
萬物一物も所を失すること無きは、便ち是れ天理時中なり。(一本に時中の字無し。)

公孫碩膚、赤舄几几。
【読み】
公は碩なる膚を孫[ゆず]りて、赤舄[せきせき]几几たり。

爲君盡君道、爲臣盡臣道。過此則無理。
【読み】
君としては君の道を盡くし、臣としては臣の道を盡くす。此を過ぐるときは則ち理無し。

坤作成物、是積學處。乾知大始、是成德處。
【読み】
坤は成物を作す、是れ學を積む處。乾は大始を知る、是れ德を成す處。

孔子請討田恆。當時得行、便有舉義爲周之意。
【読み】
孔子田恆を討ぜんことを請う。當時行うことを得ば、便ち義として周の爲にするの意を舉ぐること有らん。

九二利見大人、九五利見大人。聖人固有上在者、在下者。
【読み】
九二は大人を見るに利ろし、九五は大人に見るに利ろし。聖人固に上に在る者、下に在る者有り。

雖公天下事、若用私意爲之、便是私。
【読み】
天下の事を公にすと雖も、若し私意を用いて之を爲さば、便ち是れ私なり。

唯上智與下愚不移。移則不可知。上之爲聖、下之爲狂、在人一心念不念爲進退耳。
【読み】
唯上智と下愚とは移らず。移ることは則ち知る可からず。上の聖と爲り、下の狂と爲るは、人の一心に在りて念不念進退を爲すのみ。

居處恭、執事敬、與人忠、充此便睟面盎背、有諸中必形諸外。觀其氣象便見得。
【読み】
居處恭しく、事を執りて敬み、人に與して忠ある、此を充つれば便ち面に睟[うるお]い背に盎[あふ]れ、中に有れば必ず外に形る。其の氣象を觀て便ち見得ん。

天命不已、文王純於天道亦不已。純則無二無雜、不已則無閒斷先後。
【読み】
天の命已まず、文王天道に純らにして亦已まず。純らなるときは則ち二無く雜り無し。已まざるときは則ち閒斷先後無し。

不能動人、只是誠不至。於事厭倦、皆是無誠處。
【読み】
人を動かすこと能わざるは、只是れ誠至らざればなり。事に於て厭倦するは、皆是れ誠無き處なり。

氣直養而無害、便塞乎天地之閒。有少私意、卽是氣虧。無不義便是集義、有私意便是餒。
【読み】
氣直養して害すること無ければ、便ち天地の閒に塞[み]つ。少しも私意有れば、卽ち是の氣虧く。不義無ければ便ち是れ義を集め、私意有れば便ち是れ餒ゆ。

心具天德、心有不盡處、便是天德處未能盡、何緣知性知天。盡己心、則能盡人盡物、與天地參贊化育。贊(一本無贊字。)則直養之而已。
【読み】
心は天德を具して、心盡きざる處有るは、便ち是れ天德の未だ盡くすこと能わざる處、何に緣ってか性を知り天を知らん。己が心を盡くすときは、則ち能く人を盡くし物を盡して、天地と參贊化育す。贊するときは(一本に贊の字無し。)則ち之を直養するのみ。

鼓萬物而不與聖人同憂、天理鼓動萬物如此。聖人循天理而欲萬物同之。所以有憂患。
【読み】
萬物を鼓して聖人と憂えを同じくせずというは、天理萬物を鼓動すること此の如し。聖人天理に循いて萬物之に同じからんことを欲す。所以に憂患有り。

章、外見之物。含章可貞、來章有慶、須要反己。
【読み】
章[あや]は、外に見る物なり。章を含みて貞にす可し、章を來せば慶有りとは、須く己に反することを要す。

敬義夾持、直上達天德自此。
【読み】
敬義夾持、直に天德に上達すること此れ自りす。

舞射便見人誠。古之敎人、莫非使之成己。自洒埽應對上、便可到聖人事。
【読み】
舞射は便ち人の誠を見る。古の人を敎うる、使之をして己を成さしむるに非ざること莫し。洒埽應對の上自り、便ち聖人に到る可きの事なり。

樂莫大焉、樂亦在其中、不改其樂。須知所樂者何事。
【読み】
樂しみ焉より大なるは莫し、樂しみ亦其の中に在り、其の樂しみを改めず。須く樂しむ所の者何事というを知るべし。

乾坤古無此二字。作易者特立此二字以明難明之道、(乾坤毀則無以見易。須以意明之。)以此形容天地閒事。
【読み】
乾坤は古此の二字無し。易を作る者特に此の二字を立てて以て明かし難きの道を明らかにして、(乾坤毀[やぶ]るるときは則ち以て易を見ること無し。須く意を以て之を明らかにすべし。)此を以て天地の閒の事を形容す。

易、聖人所以立道。窮神則無易矣。
【読み】
易は、聖人道を立つる所以なり。神を窮むるときは則ち易無し。

孔子爲宰則爲宰、爲陪臣則爲陪臣、皆能發明大道。孟子必得賓師之位、然後能明其道。猶之有許大形象、然後爲太山、許多水、然後爲海。(以此未及孔子。)
【読み】
孔子宰爲るときは則ち宰爲り、陪臣爲るときは則ち陪臣爲り、皆能く大道を發明す。孟子は必ず賓師の位を得て、然して後に能く其の道を明らかにす。猶之れ許大の形象有りて、然して後に太山と爲り、許多の水にして、然して後に海と爲るがごとし。(此れ未だ孔子に及ばざるを以てなり。)

夷・惠有異於聖人大成處。然行一不義、雖得天下不爲、與孔子同者、以其誠一也。
【読み】
夷・惠は聖人の大成する處に異なること有り。然れども一の不義を行いて、天下を得ると雖もせざること、孔子と同じき者は、其の誠一なるを以てなり。

顏子作得禹・稷・湯・武事功。若德則別論。
【読み】
顏子は禹・稷・湯・武の事功を作し得。德の若きは則ち別論なり。

詩言天命、書言天。(存心則上帝臨女。)
【読み】
詩には天命を言い、書には天を言う。(心を存するときは則ち上帝女[なんぢ]に臨む。)

文章成功、有形象可見、只是極致事業。然所以成此事功者、卽是聖也。
【読み】
文章成功、形象見る可き有るは、只是れ極致の事業。然れども此の事功を成す所以の者は、卽ち是れ聖なり。

萬物之始、皆氣化、旣形、然後以形相禪、有形化、形化長、則氣化漸消。
【読み】
萬物の始めは、皆氣化して、旣に形あり、然して後に形を以て相禪[か]えて、形化すること有り、形化長ずるときは、則ち氣化漸く消ず。

中庸言無聲無臭、勝如釋氏言非黃非白(一本作黃白大小。)
【読み】
中庸に聲も無く臭も無しと言うは、釋氏が非黃非白(一本に黃白大小に作る。)と言うが如きに勝れり。

心有所存、眸子先發見。
【読み】
心存する所有れば、眸子先づ發見す。

張兄言氣、自是張兄作用、立標以明道。(張兄一作橫渠。後同。)
【読み】
張兄氣を言うは、自ら是れ張兄用を作し、標を立てて以て道を明らかにす。(張兄一に橫渠に作る。後も同じ。)

乾是聖人道理、坤是賢人道理。
【読み】
乾は是れ聖人の道理、坤は是れ賢人の道理。

易之有象、猶人之守禮法。
【読み】
易の象有るは、猶人の禮法を守るがごとし。

待物生、以時雨潤之、使之自化。
【読み】
物生ずるを待って、時雨を以て之を潤せば、之をして自化せしむ。

恭而安。(張兄十五年學。)
【読み】
恭しくして安し。(張兄十五年の學。)

 

二程全書卷之七  遺書二先生語六

(此卷閒有不可曉處、今悉存之、不敢刪去。)
【読み】
(此の卷閒[まま]曉る可からざる處有り、今悉く之を存して、敢えて刪去せず。)

質夫沛然。擇之茫然、未知所得。季明安。
【読み】
質夫は沛然たり。擇之は茫然として、未だ得る所を知らず。季明は安し。

兄厚臨終過西郊(一作洛。)。却相疑。平生不相疑。(兄、指明道。)
【読み】
兄厚終わりに臨んで西郊(一に洛に作る。)を過る。却って相疑う。平生相疑わず。(兄は、明道を指す。)

叔不排釋・老。(叔、指伊川。)
【読み】
叔は釋・老を排せず。(叔は、伊川を指す。)

惟善變通、便是聖人。
【読み】
惟善く變通するは、便ち是れ聖人。

聖人於天下事、自不合與、只順得(一作佗。)天理、茂對時、育萬物。
【読み】
聖人の天下の事に於るや、自ら與る合からず、只天理に順い得(一に佗に作る。)、茂[つと]めて時に對して、萬物を育[やしな]う。

堯・舜・共・鯀・皐陶(一作夔。)、時與孔子異。
【読み】
堯・舜・共・鯀・皐陶(一に夔[き]に作る。)は、時孔子と異なり。

正名。(養老。)荀文若。(利。)魏鄭公。(正當辨。)
【読み】
正名。(老を養う。)荀文若。(利し。)魏鄭公。(正當[まさ]に辨ずべし。)

學原於思。
【読み】
學は思うことに原[もとづ]く。

仁、人此。義、宜此。事親仁之實、從兄義之實、須去一道中別出。
【読み】
仁は、人此れなり。義は、宜此れなり。親に事うるは仁の實、兄に從うは義の實、須く一道中より去って別ち出すべし。

孔子言仁、只說出門如見大賓、使民如承大祭。看其氣象、便須心廣體胖、動容周旋中禮、自然(一無自然字。)。惟愼獨便是守之之法。聖人修己以敬、以安百姓。篤恭而天下平。惟上下一於恭敬、則天地自位、萬物自育、氣無不和。四靈何有不至。此體信達順之道、聰明睿智皆由是出。以此事天饗帝。故中庸言鬼神之德盛、而終之以微之顯、誠之不可掩如此。(一本聖人修己以下別爲一章。)
【読み】
孔子仁を言うに、只門を出でては大賓を見るが如く、民を使うには大祭を承くるが如しと說くのみ。其の氣象を看れば、便ち須く心廣く體胖かに、動容周旋禮に中りて、自然なるべし(一に自然の字無し。)。惟愼獨のみ便ち是れ之を守る法なり。聖人は己を修むるに敬を以てし、以て百姓を安んず。篤恭にして天下平かなり。惟上下恭敬に一ならば、則ち天地自ら位し、萬物自ら育われ、氣和せざること無し。四靈何ぞ至らざること有らん。此れ信を體し順を達する道にして、聰明睿知皆是れ由り出づ。此を以て天に事え帝を饗するなり。故に中庸に鬼神の德の盛んなることを言いて、之を終えるに微かなるが顯らかなる、誠の掩う可からざること此の如しというを以てす。(一本に聖人修己以下別に一章と爲す。)

博施濟衆、非聖不能、何曾干仁事。故特曰夫仁者達人立人、取譬、可謂仁之方而已。使人求之、自反便見得也。雖然、聖人未有不盡仁、然敎人不得如此指殺。(一本此下云、繞塔說相輪、不如便入塔登之。始登時雖不見、及上到頂、則相輪爲我有。)
【読み】
博く施して衆を濟うは、聖に非ずんば能わず、何ぞ曾て仁の事のみに干[あづか]らん。故に特夫れ仁者は人を達し人を立つ、取り譬うるを、仁の方と謂う可きのみと曰う。人をして之を求めしめ、自ら反れば便ち見得ん。然りと雖も、聖人未だ仁を盡くさずんば有らず、然も人を敎うること此の如く指殺することを得ず。(一本に此の下に云う、塔を繞[めぐ]りて相輪を說くは、便ち塔に入りて之に登るには如かず。始め登る時見えずと雖も、上りて頂に到るに及んでは、則ち相輪我が有と爲る、と。)

四體不仁。
【読み】
四體不仁。

鬼是往而不反之義。
【読み】
鬼は是れ往いて反らざるの義。

天人本無二、不必言合。
【読み】
天人本二つ無し、必ずしも合うことを言わず。

儼然、卽之溫、言厲。佗人溫則不厲、儼然則不溫。惟孔子全之。
【読み】
儼然として、之に卽けば溫にして、言厲。佗人溫なれば則ち厲ならず、儼然たれば則ち溫ならず。惟孔子のみ之を全うす。

大圭黃鍾、全沖和氣。
【読み】
大圭黃鍾は、沖和の氣を全うす。

李宏中力田養親。
【読み】
李宏中田を力め親を養う。

節嗜慾、定心氣。(卽是天氣下降、地氣上騰。心氣定、便和無疾。)
【読み】
嗜慾を節にし、心氣を定む。(卽ち是れ天氣下降し、地氣上騰す。心氣定まれば、便ち和して疾無し。)

看一部華嚴經、不如看一艮卦。(經只言一止觀。)
【読み】
一部の華嚴經を看るは、一つの艮の卦を看るに如かず。(經は只一止觀を言うのみ。)

論性、不論氣、不備、論氣、不論性、不明。(一本此下云、二之則不是。)
【読み】
性を論じて、氣を論ぜざれば、備わらず、氣を論じて、性を論ぜざれば、明らかならず。(一本に此の下に云う、之を二つにするは則ち是ならず、と。)

人自孩提、聖人之質已完。只先於偏勝處發。(或仁、或義、或孝、或弟。)
【読み】
人孩提自り、聖人の質已に完し。只先づ偏勝なる處に於て發す。(或は仁、或は義、或は孝、或は弟。)

覺悟便是信。
【読み】
覺悟すれば便ち是れ信ず。

自幼子常視無誑以上、便是敎以聖人事。
【読み】
幼子には常に視すに誑くこと無しという自より以上は、便ち是れ敎うるに聖人の事を以てす。

人之知思、因神以發。
【読み】
人の知思は、神に因って以て發す。

成己須是仁、推成己之道成物便是智。
【読み】
己を成すは須く是れ仁なるべく、己を成すの道を推して物を成すは便ち是れ智なり。

怒驚皆是主心不定。(不遷怒。)
【読み】
怒驚は皆是れ主心定まらざればなり。(怒りを遷さず。)

非禮不視聽言動、積習儘有功、禮在何處。
【読み】
非禮に視聽言動せずして、積習儘く功有らば、禮何れの處にか在らん。

去氣偏處發、便是致曲。去性上修、便是直養。然同歸於誠。(一、此章連人自孩提章下爲一章。)
【読み】
氣の偏なる處より發し去るは、便ち是れ曲を致すなり。性上に修し去るは、便ち是れ直養なり。然れども同じく誠に歸す。(一に、此の章人自孩提の章の下に連ねて一章と爲す。)

不有躬、無攸利。不立己、後雖向好事、猶爲化物不得、以天下萬物撓己。己立後、自能了當得天下萬物。
【読み】
躬を有たず、利ろしき攸無し。己を立てざれば、後に好事に向かうと雖も、猶物に化し得ず、天下萬物を以て己を撓[たわ]むると爲す。己立ちて後、自ら能く天下萬物を了當し得ん。

地不改闢、民不改聚、只修治便了。
【読み】
地改め闢かず、民改め聚めず、只修治し便了す。

飢食渴飮、冬裘夏葛、若致(一作置。)些私吝心(吝心、一作意。)在、便是廢天職。
【読み】
飢うれば食し渴すれば飮み、冬には裘し夏には葛す。若し些かの私吝の心(吝心は、一に意に作る。)在ることを致さば(一に置に作る。)、便ち是れ天職を廢せん。

忠信進德、修辭立其誠、所以居業。修立在人。
【読み】
忠信もて德に進み、辭を修めて其の誠を立つるは、業に居る所以なり。修と立とは人に在り。

日月、陰陽發見盛處。
【読み】
日月は、陰陽發見して盛んなる處。

月受日光(父子。)、龍敏(撾鼓。)
【読み】
月は日の光を受け(父子。)、龍は敏し(撾鼓[たこ]。)

鼓動萬物、聖人之神知則不可名。
【読み】
萬物を鼓動する、聖人の神知は則ち名づく可からず。

凡物參和交感則生、不和分散則死。
【読み】
凡そ物參和交感するときは則ち生じ、和せず分散するときは則ち死す。

凡有氣莫非天、凡有形莫非地。
【読み】
凡そ氣有るは天に非ざること莫く、凡そ形有るは地に非ざること莫し。

氣有偏勝處。(勝一作盛。)
【読み】
氣は偏勝なる處有り。(勝は一に盛に作る。)

二氣五行剛柔萬殊、聖人所由惟一理。人須要復其初。
【読み】
二氣五行剛柔萬殊、聖人の由る所は惟一理のみ。人須く其の初に復らんことを要す。

元氣會則生聖賢。理自生。
【読み】
元氣會するときは則ち聖賢を生ず。理自づから生ず。

天只主施。成之者地也。
【読み】
天は只施すことを主る。之を成す者は地なり。

須要有所止。(止於仁、止於孝、止於大分。)
【読み】
須く止まる所有ることを要すべし。(仁に止まり、孝に止まり、大分に止まる。)

有形總是氣、無形只是(一作有。)道。
【読み】
形有るは總て是れ氣、形無きは只是れ(一に有に作る。)道。

咸六四言、貞吉悔亡、言感之不可以心也。(不得只恁地看過、更留心。)
【読み】
咸の六四に言く、貞なれば吉にして悔亡ぶとは、之を感ずるに心を以てす可からざることを言うなり。(只恁地[かくのごとく]看過することを得ざれば、更に心を留めんや。)

存養熟後、泰然行將去、便有進。
【読み】
存養の熟せし後、泰然として行い將[も]て去[ゆ]かば、便ち進むこと有らん。

艮卦只明使萬物各有止。止分便定。(艮其背、不獲其身、不見其人。)
【読み】
艮の卦は只明らかに萬物をして各々止まること有らしむ。止まれば分便ち定まる。(其の背に艮[とど]まり、其の身を獲ず、其の人を見ず。)

曾子疾病、只要以正、不慮死。與武王殺一不辜、行一不義、得天下不爲同心。
【読み】
曾子疾病なるとき、只正しきを以てすることを要め、死を慮らず。武王一りの辜あらざるを殺し、一つの不義を行いて、天下を得るともせじと心を同じくす。

百官萬務、金革百萬之衆、飮水曲肱、樂在其中。萬變皆在人、其實無一事。
【読み】
百官萬務、金革百萬の衆あるとも、水を飮み肱を曲ぐ、樂しみ其の中に在り。萬變皆人に在り、其の實は一事無し。

蜀山人不起念十年、便能前知。
【読み】
蜀山の人念を起こさざること十年にして、便ち能く前知す。

只是一箇誠。(天地萬物鬼神本無二。)
【読み】
只是れ一箇の誠のみ。(天地萬物鬼神本二無し。)

淸明在躬、志氣如神。(貴熟。○一作久且熟。)
【読み】
淸明躬に在り、志氣神の如し。(熟すを貴ぶ。○一に久しく且つ熟すに作る。)

觀天地生物氣象。(周茂叔看。)
【読み】
天地の物を生ずる氣象を觀よ。(周茂叔の看。)

在帝左右、帝指何帝。
【読み】
帝の左右に在すという、帝は何れの帝をか指す。

卜筮在精誠、疑則不應。(一本注云、疑心微生、便是不應。楊子江依憑事是此理。)
【読み】
卜筮は精誠に在り、疑うときは則ち應ぜず。(一本に注に云う、疑心微しく生ずれば、便ち是れ應ぜず。楊子江依憑の事是れ此の理なり、と。)

懈意一生、便是自棄自暴。(意、一作怠。)
【読み】
懈意一たび生ずれば、便ち是れ自棄自暴なり。(意は、一に怠に作る。)

勿忘勿助長、必有事焉、只中道上行。
【読み】
忘るること勿かれ助長すること勿かれ、必ず事とすること有り、只中道上に行うのみ。

忠信而入、忠信而出。(油火上竿禁蜈蚣。)
【読み】
忠信にして入り、忠信にして出づ。(油火上竿蜈蚣[ごこう]を禁[とど]む。)

涵養著樂(一作落。)(一作意。)、養心便到淸明高遠。
【読み】
樂しむ(一に落に作る。)(一に意に作る。)を涵養し著け、心を養うときは便ち淸明高遠に到る。

天下之悅不可極、惟朋友講習、雖過悅無害。兌澤有相滋益處。(一本注云、兌澤有自相滋益之意。)
【読み】
天下の悅は極む可からず、惟朋友講習は、過悅すと雖も害無し。兌澤は相滋益する處有り。(一本に注に云う、兌澤は自ら相滋益するの意有り、と。)

凝然不動、便是聖人。
【読み】
凝然として動かざるは、便ち是れ聖人。

多驚多怒多憂、只去一事所偏處自克、克得一件、其餘自正(一作止。)
【読み】
多驚多怒多憂は、只一事の偏する所の處に去れば自づから克ち、一件に克ち得ば、其の餘は自づから正し(一に止に作る。)

人少長須激昂自進、中年已後、自至成德者事(一作漸至德成。)、方可自安。
【読み】
人は少長より須く激昂して自ら進むべく、中年已後は、自ら成德に至る者の事(一に漸く德成に至るに作る。)、方に自ら安んず可し。

致知在格物、物來則知起。物各付物、不役其知、則意誠不動。意誠自定則心正、始學之事也。
【読み】
知を致むることは物に格るに在りとは、物來れば則ち知起こる。物各々物に付して、其の知を役せざるときは、則ち意誠にして動かず。意誠にして自ら定まるときは則ち心正しきは、始學の事なり。

齋戒以神明其德。
【読み】
齋戒して以て其の德を神明にす。

明德新民、豈分人我。是成德者事。
【読み】
明德新民、豈人我を分かたんや。是れ成德の者の事なり。

天無形、地有形(一作體。)
【読み】
天は形無く、地は形(一に體に作る。)有り。

虛心實腹。
【読み】
心を虛しくして腹を實にす。

靜後、見萬物自然皆有春意。
【読み】
靜にして後、萬物を見れば自然に皆春意有り。

天之生物無窮、物之所成却有別。
【読み】
天の物を生ずるは窮まり無くして、物の成る所は却って別有り。

致曲不要說來大。
【読み】
曲を致むるは說き來りて大なることを要せず。

和平依磬聲。玉磬聲之最和平者養心。
【読み】
和平は磬[けい]の聲に依る。玉磬は聲の最も和平なる者にして心を養う。

羊頭山老子說一稃二米秬黍、則是天地氣和、十分豐熟。山上便有、山下亦或有之。
【読み】
羊頭山老子說く一稃[ふ]二米の秬黍とは、則ち是れ天地の氣和、十分豐熟す。山上に便ち有り、山下も亦或は之れ有らん。

八十四聲、淸者極吹盡淸、濁者極吹盡濁。就其中以中聲上生下生。(以、一作考。)
【読み】
八十四聲、淸める者は極め吹かば盡く淸み、濁れる者は極め吹かば盡く濁る。其の中に就いて中聲を以てすれば上に生じ下に生ず。(以は、一に考に作る。)

霜露、星之氣、異乎雨雪。
【読み】
霜露は、星の氣、雨雪に異なり。

密雲不雨、尚往則氣散。(先陰變風、氣隨風散。)
【読み】
密雲あれど雨ふらず、尚往くときは則ち氣散ず。(先づ陰風に變じ、氣風に隨いて散ず。)

苔木氣爲水土始發。(始、一作所。)
【読み】
苔は木氣水土の爲に始めて發す。(始は、一に所に作る。)

草類竹節可見。黃鍾牛鳴。
【読み】
草類竹節見る可し。黃鍾牛鳴。

意言象數(邵堯夫)、胎息氣。(此三字、一本作牛鳴下。)
【読み】
意言は象數(邵堯夫)、胎息は氣。(此の三字、一本に牛鳴の下に作る。)

周茂叔窮禪客。
【読み】
周茂叔禪客を窮む。

明善在明、守善在誠。
【読み】
善を明らかにするは明に在り、善を守るは誠に在り。

復卦非天地之心、復則見天地之心。聖人無復。故未嘗見其心。(無、一作未嘗。)
【読み】
復の卦は天地の心に非ず、復すれば則ち天地の心を見る。聖人は復すること無し。故に未だ嘗て其の心を見ず。(無は、一に未嘗に作る。)

管攝天下人心、收宗族、厚風俗、使人不忘本、須是明譜系世族與立宗子法。(一年有一年工夫。)
【読み】
天下の人心を管攝し、宗族を收め、風俗を厚くし、人をして本を忘れざらしむるには、須く是れ譜系世族と宗子を立つる法とを明らかにすべし。(一年に一年の工夫有り。)

忿欲忍與不忍、便見有德無德。
【読み】
忿欲忍ぶと忍びざるとは、便ち有德無德を見る。

周南・召南如乾・坤。
【読み】
周南・召南は乾・坤の如し。

今之祭祀無樂、今之樂又不可用、然又却不見得緩急之節。
【読み】
今の祭祀は樂無く、今の樂も又用う可からず、然も又却って緩急の節を得ることを見ず。

叔一生不曾看莊・列。非禮勿動勿視、出於天與。從幼小有如是才識。
【読み】
叔は一生曾て莊・列を看ず。非禮に動くこと勿く視ること勿きこと、天與に出づ。幼小從り是の如き才識有り。

夷・惠、其道隘與不恭。乃心無罪。(無、一作何。)
【読み】
夷・惠は、其の道は隘と不恭。乃ち心は罪無し。(無は、一に何に作る。)

孔子所遇而安、無所擇。自子路觀孔子、孔子爲不恭。自孔子觀吾輩、吾輩便隘。惟其與萬物同流、便能與天地同流。
【読み】
孔子は遇う所にして安んじて、擇ぶ所無し。子路自り孔子を觀れば、孔子を恭しからずとす。孔子自り吾輩を觀れば、吾輩は便ち隘し。惟其れ萬物と流を同じくすれば、便ち能く天地と流を同じくす。

去健羨、毋意、義之與比。(親於其身爲不善、直是不入。)
【読み】
健羨を去りて、意毋く、義と與に比[したが]う。(其の身を親しみて不善をすれば、直に是れ入らず。)

山林之士、只是意欲不出。
【読み】
山林の士は、只是れ意出でざらんことを欲す。

重、主道也。士大夫得有(一作設。)重、應當有主。旣埋重、不可一日無主。故設苴。及其已作主、卽不用苴。
【読み】
重は、主の道なり。士大夫重有る(一に設に作る。)ことを得ば、應當[まさ]に主有るべし。旣に重を埋めては、一日も主無くんばある可からず。故に苴[しょ]を設く。其の已に主を作すに及んでは、卽ち苴を用いず。

有廟卽當有主。
【読み】
廟有らば卽ち當に主有るべし。

技擊不足以當節制、節制不足以當仁義。使人人有子弟衛父兄之心、則制梃以撻秦・楚之兵矣。
【読み】
技擊は以て節制に當たるに足らず、節制は以て仁義に當たるに足らず。人人をして子弟父兄を衛るの心有らしめば、則ち梃を制して以て秦・楚の兵を撻たん。

不應爲、總是罪過。
【読み】
爲す應からざるは、總て是れ罪過なり。

詩興起人志意。
【読み】
詩は人の志意を興起す。

小人小丈夫、不合小了、他本不是惡。
【読み】
小人小丈夫は、合に小了すべからずして、他本是れ惡ならず。

語默猶晝夜、晝夜猶生死、生死猶古今。(消息。)
【読み】
語默は猶晝夜のごとく、晝夜は猶生死のごとく、生死は猶古今のごとし。(消息。)

愼終追遠。(不止爲喪祭。)
【読み】
終わりを愼み遠きを追う。(止喪祭を爲すのみならず。)

鉛鐵性殊、點化爲金、則不辨鉛鐵之性。
【読み】
鉛鐵性殊にして、點化して金と爲るときは、則ち鉛鐵の性を辨ぜず。

民須仁之、物則愛之。
【読み】
民は須く之を仁すべく、物は則ち之を愛せよ。

聖人緣人情以制禮、事則以義制之。
【読み】
聖人は人情に緣って以て禮を制し、事は則ち義を以て之を制す。

息、止也、生也。止則便生、不止則不生。(艮、始終萬物。)
【読み】
息は、止むなり、生ずるなり。止むときは則便ち生じ、止まざるときは則ち生ぜず。(艮は、萬物を始終す。)

不常其德、則所勝來復、正常其理、則所勝同化。(素問。)
【読み】
其の德を常にせざるときは、則ち勝つ所來復し、正に其の理を常にするときは、則ち勝つ所同化す。(素問。)

曾點・漆雕已見大意。故聖人與之。
【読み】
曾點・漆雕已に大意を見る。故に聖人之に與す。

顏子所言不及孔子。無伐善、無施勞、是他顏子性分上事。孔子言安之、信之、懷之、是天理上事。
【読み】
顏子の言う所孔子に及ばず。善に伐[ほこ]ること無く、勞を施すこと無けんとは、是れ他の顏子性分上の事。孔子之を安んじ、之を信じ、之を懷けんと言うは、是れ天理上の事。

大抵有題目事易合。
【読み】
大抵題目有るの事は合し易し。

心風人力倍平常。將死者識能預知。只是他不著別事雜亂、兼無昏氣。(人須致一如此。)
【読み】
心風人力平常に倍[ま]す。將に死なんとする者は識能く預め知る。只是れ他別事の雜亂を著けず、兼ねて昏氣無ければなり。(人須く一を致すこと此の如くすべし。)

孔子之時、事雖有不可爲、孔子任道、豈有不可爲。魯君・齊君、孔・孟豈不知其不足與有爲。
【読み】
孔子の時、事す可からざること有りと雖も、孔子の道を任ずる、豈す可からざること有らんや。魯君・齊君、孔・孟豈其の與にすること有るに足らざることを知らざらんや。

人雖睡著、其識知自完。只是人與喚覺、便是他自然理會得。
【読み】
人睡著すと雖も、其の識知自づから完し。只是れ人與に喚覺せば、便ち是れ他自然に理會し得ん。

誠則自然無累、不誠便有累。
【読み】
誠なれば則ち自然に累い無く、誠ならざれば便ち累い有り。

貧子寶珠。
【読み】
貧子寶珠。

君實篤厚、晦叔謹嚴、堯夫放曠。
【読み】
君實は篤厚、晦叔は謹嚴、堯夫は放曠。

根本須是先培壅、然後可立趨向也。趨向旣正(一作立。)、所造有淺深、則由勉與不勉也。正。
【読み】
根本は須く是れ先づ培壅[ばいよう]すべく、然して後に趨向を立つ可し。趨向旣に正しければ(一に立に作る。)、造[いた]る所淺深有るは、則ち勉むると勉めざるとに由れり。正。

人多昏其心。聖賢則去其昏。
【読み】
人多くは其の心を昏ず。聖賢は則ち其の昏を去る。

以富貴爲賢者不欲、却反人情。
【読み】
富貴を以て賢者欲せずとするは、却って人情に反く。

聞見如登九層之臺。
【読み】
聞見は九層の臺に登るが如し。

中說有後人綴緝之。
【読み】
中說は後人之を綴緝すること有り。

觀兩漢已前文章、凡爲文者皆似。
【読み】
兩漢已前の文章を觀るに、凡そ文を爲る者皆似れり。

楊子之學實、韓子之學華。華則涉道淺。
【読み】
楊子の學は實、韓子の學は華。華なれば則ち道に涉ること淺し。

祭而立尸、只是古人質。
【読み】
祭って尸を立つるは、只是れ古人の質。

顏子簞瓢、非樂也、忘也。
【読み】
顏子の簞瓢は、樂しみに非ざるなり、忘れたるなり。

孟子知言、則便是知道。
【読み】
孟子言を知るというは、則便ち是れ道を知るなり。

夷・惠聖人、傳者之誤。不念舊惡、此淸者之量。
【読み】
夷・惠聖人というは、傳者の誤りならん。舊惡を念わざるは、此れ淸者の量。

思與郷人處、此孟子拔本塞源。
【読み】
郷人と處ることを思うというは、此れ孟子本を拔いて源を塞ぐなり。

庾公之斯、取其不背學而已。
【読み】
庾公之斯は、其の學に背かざるに取るのみ。

楊・墨、皆學仁義而流者也。墨子似子張、楊子似子夏。
【読み】
楊・墨は、皆仁義を學んで流るる者なり。墨子は子張に似、楊子は子夏に似れり。

伊尹不可(一本無可字。)言蔽、亦是聖之時。伯夷不蔽於爲己、只是隘。
【読み】
伊尹は蔽わると言う可からず(一本に可の字無し。)、亦是れ聖の時なるなり。伯夷が己を爲すに蔽われざるは、只是れ隘し。

孔子免匡人之圍、亦苟脫也。
【読み】
孔子匡人の圍を免るるは、亦苟も脫するなり。

四端不言信、信本無在。在易則是至理、在孟子則是氣。
【読み】
四端に信を言わざるは、信は本在ること無ければなり。易に在っては則ち是れ至理、孟子に在っては則ち是れ氣。

子產語子太叔、因其才而敎之。
【読み】
子產子太叔に語るは、其の才に因って之を敎うるなり。

序卦非易之蘊。此不合道。(韓康伯注。)
【読み】
序卦は易の蘊に非ず。此れ道に合せず。(韓康伯の注。)

仰之彌高、見其高而未能至也。鑽之彌堅、測其堅而未能達也。此顏子知聖人之學而善形容者也。
【読み】
之を仰げば彌々高しとは、其の高くして未だ至ること能わざるを見るなり。之を鑽れば彌々堅しとは、其の堅くして未だ達すること能わざるを測るなり。此れ顏子聖人の學を知って善く形容する者なり。

義之精者、須是自求得之。如此則善求義也。
【読み】
義の精しき者は、須く是れ自ら求めて之を得べし。此の如くなるときは則ち善く義を求むるなり。

讀論語・孟子而不知道、所謂雖多亦奚以爲。
【読み】
論語・孟子を讀みて道を知らざるは、所謂多しと雖も亦奚ぞ以てせんというなり。

湯旣勝夏、欲遷其社、不可。聖人所欲不踰矩、旣欲遷社、而又以爲不可。欲遷是、則不可爲非矣。不可是、則欲遷爲非矣。然則聖人亦有過乎。曰非也。聖人無過。夫亡國之社遷之、禮也。湯存之以爲後世戒。故曰欲遷則不可也。記曰、喪國之社屋之、不受天陽也。又曰、亳社北牖、使陰明也。春秋書亳社災。然則皆自湯之不遷始也。
【読み】
湯旣に夏に勝ちて、其の社を遷さんと欲して、不可とす。聖人の欲する所は矩を踰えず、旣に社を遷さんと欲して、又以て不可と爲す。遷さんと欲すること是ならば、則ち不可とするを非とせん。不可とすること是ならば、則ち遷さんと欲するを非とせん。然らば則ち聖人も亦過有るや。曰く、非なり。聖人は過無し。夫れ亡國の社は之を遷すは、禮なり。湯之を存して以て後世の戒めとす。故に遷さんと欲するは則ち不可と曰う。記に曰く、喪國の社之を屋にするは、天の陽を受けざるなり、と。又曰く、亳[はく]の社牖[まど]を北にするは、明を陰にせしむるなり(亳[はく]の社北牖あるは、陰をして明ならしむるなり)、と。春秋に亳の社災ありと書す。然らば則ち皆湯の遷さざる自り始まるなり、と。

五畝之宅(田二畝半、郭二畝半、耕則居田、休則居郭。)、三易、再易、不易(三易三百畝、三歲一耕。再易二百畝、二歲一耕。不易歲歲耕之。此地之肥瘠不同也。)
【読み】
五畝の宅(田二畝半、郭二畝半、耕すときは則ち田に居り、休むときは則ち郭に居る。)、三易、再易、不易す(三易は三百畝、三歲に一たび耕す。再易は二百畝、二歲に一たび耕す。不易は歲歲之を耕す。此れ地の肥瘠同じからざればなり。)

古者百步爲畝。百畝當今之四十一畝也。古以今之四十一畝之田、八口之家可以無飢。今以古之二百五十畝、猶不足。農之勤惰相懸乃如此。
【読み】
古は百步を畝と爲す。百畝は今の四十一畝に當たれり。古は今の四十一畝の田を以て、八口の家以て飢えること無かる可し。今は古の二百五十畝を以て、猶足らずとす。農の勤惰相懸なること乃ち此の如し。

古之時、民居少、人各就高而居。中國雖有水、亦未爲害也。及堯之時、人漸多、漸就平廣而居。水泛濫、乃始爲害。當是時、龍門未闢、伊闕未析、砥柱未鑿、堯乃因水之泛濫而治之、以爲天下後世無窮之利。非堯時水特爲害也、蓋已久矣。上世人少、就高而居則不爲害。後世人多、就下而處則爲害也。
【読み】
古の時、民居少なくして、人各々高きに就いて居す。中國水有りと雖も、亦未だ害を爲さざるなり。堯の時に及んで、人漸く多くして、漸く平廣に就いて居す。水の泛濫、乃ち始めて害を爲す。是の時に當たりて、龍門未だ闢けず、伊闕未だ析けず、砥柱未だ鑿てず、堯乃ち水の泛濫に因りて之を治めて、以て天下後世無窮の利と爲す。堯の時水特に害を爲すに非ず、蓋し已に久し。上世は人少なくして、高きに就いて居せば則ち害を爲さず。後世は人多くして、下に就いて處せば則ち害を爲すなり。

四凶之才皆可用。堯之時聖人在上、皆以其才任大位、而不敢露其不善之心。堯非不知其不善也。伏則聖人亦不得而誅之。及堯舉舜於匹夫之中而禪之位、則是四人者始懷憤怨不平之心而顯其惡。故舜得以因其跡而誅竄之也。
【読み】
四凶が才皆用う可し。堯の時聖人上に在し、皆其の才を以て大位に任じて、敢えて其の不善の心を露さず。堯は其の不善を知らざるに非ず。伏するときは則ち聖人も亦得て之を誅せず。堯舜を匹夫の中に舉げて之が位を禪るに及んで、則ち是の四人の者始めて憤怨不平の心を懷いて其の惡を顯す。故に舜得て以て其の跡に因りて之を誅竄[ちゅうざん]せり。

人無父母、生日當倍悲痛、更安忍置酒張樂以爲樂。若具慶者可矣。
【読み】
人父母無くんば、生日には當に倍[ますます]悲痛すべく、更に安ぞ酒を置き樂を張って以て樂しみを爲すに忍びんや。具慶の者の若きは可なり。

今人以影祭、或畫工所傳、一髭髮不當、則所祭已是別人、大不便。
【読み】
今の人の影を以て祭る、或は畫工傳うる所、一髭髮も當たらざれば、則ち祭る所は已に是れ別人にて、大いに便ならず。

今之稅實輕於什一。但斂之無法與不均耳。
【読み】
今の稅は實に什一より輕し。但之を斂するに法無きと均しからざるとのみ。

有一物而可以相離者、如形無影不害其成形、水無波不害其爲水。有兩物而必相須者、如心無目則不能視、目無心則不能見。
【読み】
一物にして以て相離る可きこと有る者は、形影無くとも其の形を成すことを害せず、水波無くとも其の水爲ることを害せざるが如し。兩物にして必ず相須うること有る者は、心は目無ければ則ち視ること能わず、目は心無ければ則ち見ること能わざるが如し。

古者八十絲爲一升。斬衰三升、則是二百四十絲、於今之布爲已細。緦麻十五升、則是千有二百絲、今蓋無有矣。
【読み】
古は八十絲を一升と爲す。斬衰三升なるときは、則ち是れ二百四十絲、今の布に於て已に細しと爲す。緦麻十五升なるときは、則ち是れ千有二百絲、今は蓋し有ること無けん。

古之學者爲己、今之學者爲人。古之仕者爲人、今之仕者爲己。古之强有力者將以行禮、今之强有力者將以爲亂。
【読み】
古の學者は己が爲にし、今の學者は人の爲にす。古の仕うる者は人の爲にし、今の仕うる者は己が爲にす。古の强にして力有る者は將に以て禮を行わんとし、今の强にして力有る者は將に以て亂を爲さんとす。

方今有古之所無者二、兵與釋・老也。
【読み】
方に今古の無き所の者二つ有り、兵と釋・老となり。

言而不行、是欺也。君子欺乎哉。不欺也。
【読み】
言いて行わざるは、是れ欺くなり。君子欺かんや。欺かざるなり。

汎乎其思、不若約之可守也。思則來、舍則去、思之不熟也。
【読み】
汎乎として其れ思うは、約の守る可きに若かざるなり。思うときは則ち來り、舍くときは則ち去るは、思うことの熟せざるなり。

二經簡編、後分者不是。
【読み】
二經の簡編、後に分かつ者是ならず。

詩大率後人追作、馬遷非。
【読み】
詩は大率後人追作すという、馬遷は非なり。

聖人於憂勞中、其心則安靜、安靜中却是有至憂。
【読み】
聖人は憂勞の中に於て、其の心則ち安靜にし、安靜の中に却って是れ至憂有り。

聖人之言遠如天、賢者小如地。
【読み】
聖人の言は遠きこと天の如く、賢者は小なること地の如し。

天之付與之謂命、稟之在我之謂性、見於事業(一作物。)之謂理。
【読み】
天の付與する之を命と謂い、之を稟けて我に在る之を性と謂い、事業(一に物に作る。)に見る之を理と謂う。

事君有犯無隱、事親有隱無犯。有時而可分。
【読み】
君に事うるは犯すこと有りて隱すこと無く、親に事うるは隱すこと有りて犯すこと無し。時有りて分かつ可し。

治必有爲治之因、亂必有爲亂之因。
【読み】
治は必ず治を爲すの因有り、亂は必ず亂を爲すの因有り。

受命之符不足怪。
【読み】
命を受くるの符は怪しむに足りず。

射則觀其至誠而已。
【読み】
射は則ち其の至誠を觀るのみ。

學行之上也、名譽以祟之、皆楊子之失。
【読み】
學之を行うは上なり、名譽以て之を祟ぶというは、皆楊子が失なり。

由之瑟奚爲於丘之門、言其聲之不和、與己不同。
【読み】
由が瑟奚爲[なんす]れぞ丘が門に於てするとは、其の聲の和せずして、己と同じからざることを言う。

視其所以、觀人之大概。察其所安、心之所安也。
【読み】
其の以[す]る所を視るとは、人の大概を觀るなり。其の安んずる所を察すとは、心の安んずる所なり。

子絕四、毋自任私意、毋必爲、毋固執、毋有己。
【読み】
子四つを絕つとは、自ら私意に任ずること毋く、必ず爲すこと毋く、固く執ること毋く、己を有すること毋きなり。

居是邦也、不非其大夫、此理最好。
【読み】
是の邦に居れば、其の大夫を非らずという、此の理最も好し。

出入可也。出須是同歸。
【読み】
出入するも可なり。出づれば須く是れ同じく歸るべし。

博施濟衆、仁者無窮意。
【読み】
博く施して衆を濟うは、仁者無窮の意。

知和而和、執辭時不完。
【読み】
和を知って和するは、辭を執る時完からず。

無欲速、心速。七年、理速。
【読み】
速やかならんと欲すること無かれとは、心速やかなればなり。七年とは、理速やかなり。

養親之心則無極く外事極時須爲之極。莫若極貴貴之義、莫若極尊賢之宜。
【読み】
親を養うの心は則ち極まり無く、外事極むる時は須く之が爲に極むべし。貴を貴ぶの義を極むるに若くは莫く、賢を尊ぶの宜を極むるに若くは莫し。

發於外者謂之恭、有諸中者謂之敬。
【読み】
外に發する者之を恭と謂い、中に有する者之を敬と謂う。

誠然後能敬。未及誠時、却須敬而後能誠。
【読み】
誠ありて然して後に能く敬す。未だ誠に及ばざる時は、却って須く敬して而して後に能く誠なるべし。

無妄之謂誠。不欺其次矣。(一本云、李邦直云、不欺之謂誠。便以不欺爲誠。徐仲車云、不息之謂誠。中庸言至誠無息、非以無息解誠也。或以問先生。先生曰云云。)
【読み】
無妄之を誠と謂う。欺かざるは其の次なり。(一本に云う、李邦直云う、欺かざる之を誠と謂う。便ち欺かざるを以て誠と爲す、と。徐仲車云う、息まざる之を誠と謂う。中庸に至誠は息むこと無しと言うは、息むこと無きを以て誠を解くに非ざるなり、と。或るひと以て先生に問う。先生曰く、云云、と。)

贊馬遷巷伯之倫、此班固微詞。
【読み】
馬遷を巷伯が倫[たぐい]と贊えるは、此れ班固の微詞なり。

石奢不當死。然縱法當固辭乞罪。不罪他時、可以堅請出踐更錢。此最義(一作最沒義。)
【読み】
石奢は當に死すべからず。然れども縱[はな]てば法當に固辭して罪を乞うべし。罪あらざれば他時、以て堅く請いて出踐錢を更[か]う可し。此れ最も義あり(一に最も義沒しに作る。)

易爻應則有時而應。又遠近相取(呂本・徐本取作感。)而悔吝生。
【読み】
易爻應ずるときは則ち時有りて應ず。又遠近相取りて(呂本・徐本取は感に作る。)悔吝生ず。

王通家人卦是。(易傳言明内齊外、非取象意。疑此是字上脫一不字也。)
【読み】
王通は家人の卦是なり。(易傳に言う、内を明らかにして外を齊うとは、象を取るの意に非ず、と。疑うらくは此れ是の字の上に一つの不の字を脫するならん。)

詩序必是同時(一作國史。)所作。然亦有後人添者。如白華只是刺幽王、其下更解不行。緜蠻序不肯飮食敎載之、只見詩中云飮之食之、敎之誨之、命彼後車、謂之載之。便云敎載、絕不成言語也。又如高子曰、靈星之尸也、分明是高子言。更何疑。
【読み】
詩の序は必ず是れ同時に(一に國史に作る。)作る所ならん。然れども亦後人添える者有り。白華の如きは只是れ幽王を刺し、其の下更に解くこと行わず。緜蠻の序に肯えて飮食敎載せずというは、只詩中を見るに云く、飮し食し、敎し誨し、彼の後車に命じて、之を載せよと謂わんや、と。便ち敎載と云いて、絕[まった]く言語を成さざるなり。又高子が曰く、靈星の尸なりというが如きは、分明に是れ高子が言なり。更に何ぞ疑わん。

文王望至治之道而未之見、若曰民雖使至治、止由之而已、安知聖人。二南以天子在上、諸侯善化及民、安得謂之至。其有不合周公之心固無此。設若有不合者、周公之心必如是勤勞。
【読み】
文王至治の道を望むも未だ之を見ず、若し民至治ならしむと雖も、止之に由るのみと曰わば、安んぞ聖人を知らん。二南の天子上に在すを以て、諸侯の善化民に及ぶとならば、安んぞ之を至と謂うことを得ん。其れ周公の心に合わざること有らば固に此れ無し。設若[も]し合わざる者有らば、周公の心必ず是の如く勤勞せん。

五世、依約。君子小人在上爲政、其流澤三四世不已、五世而後斬。當時門人只知闢楊・墨爲孟子之功。故孟子發此一說、以推尊孔子之道。言予未得爲孔子徒也。孔子流澤至此未五世、其澤尚在於人。予則私善於人而已。
【読み】
五世は、約に依る。君子小人上に在りて政を爲す、其の流澤三四世までに已まず、五世にして後に斬[た]ゆ。當時の門人は只楊・墨を闢ぐを孟子の功と爲すことを知るのみ。故に孟子此の一說を發して、以て孔子の道を推し尊ぶ。予れ未だ孔子の徒爲ることを得ずと言う。孔子の流澤此に至って未だ五世ならざるに、其の澤は尚人に在り。予れ則ち私[ひそ]かに人に善くするのみ、と。

邪說則終不能勝正道。人有秉彝。然亦惡亂人之心。
【読み】
邪說は則ち終に正道に勝つこと能わず。人彝[い]を秉[と]ること有り。然れども亦人の心を亂すを惡む。

無恥之恥。(注是。)
【読み】
恥無きの恥。(注是。)

行之不著、如此人多。若至論、雖孔門中亦有由而不知者。又更有不知則不能由。
【読み】
行の著れざる、此の如き人多し。至論の若きは、孔門の中と雖も亦由って知らざる者有り。又更に知らざるときは則ち由ること能わざる有り。

送死、天下之至重。人心苟能竭力盡此一事、則可以當天下之大事。養生、人之常、此相對而言。若舜・曾子養生、其心如此。又安得不能當大事。(人未有自致、必也親喪乎。)
【読み】
死を送るは、天下の至重。人心苟[まこと]に能く力を竭くして此の一事を盡くすときは、則ち以て天下の大事に當たる可し。生を養うは、人の常、此れ相對して言う。舜・曾子の生を養うが若きは、其の心此の如し。又安んぞ大事に當たること能わざることを得ん。(人未だ自ら致すこと有らざるは、必ずや親の喪か。)

王者之詩亡、雅亡、政敎號令不及於天下。
【読み】
王者の詩亡び、雅亡んで、政敎號令天下に及ばず。

仁言、爲政者道其所爲。仁聲、民所稱道。
【読み】
仁言は、政を爲す者の其の爲す所を道う。仁聲は、民の稱し道う所なり。

不得於言、勿求於心、不可、養氣以心爲主。若言失中、心不動亦不妨。
【読み】
言を得ざれば、心に求むること勿かれというは、不可なりとは、氣を養うには心を以て主と爲すなり。若し言中を失すとも、心動かざれば亦妨げあらず。

一言而可以折獄者、其由也與、言由之見信如此。刑法國人尚取(一作可。)信。其他可知。
【読み】
一言にして以て獄を折[さだ]む可き者は、其れ由なるかとは、言うこころは、由の信ぜらるること此の如し。刑法すら國人尚信を取る(一に可に作る。)。其の他は知る可し。

若臧武仲之知、又公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之藝、合此四人之偏、文之以禮樂、方成聖人。則盡之矣。
【読み】
臧武仲が若きの知、又公綽[こうしゃく]が不欲、卞莊子[べんそうし]が勇、冉求が藝、此の四人の偏を合わせて、之を文[あや]なすに禮樂を以てせば、方に聖人と成らん。則ち之を盡くすなり。

先進於禮樂、質也。後進於禮樂、文也。文質彬彬、然後君子。其下則史。孔子從之、矯枉欲救文之弊。然而吾從周、此上(疑當作尚。)文一事、又有不從處、乘商之輅。
【読み】
先進の禮樂に於るは、質なり。後進の禮樂に於るは、文なり。文質彬彬として、然して後に君子なり。其の下は則ち史なり。孔子之に從うは、枉れるを矯めて文の弊を救わんと欲するなり。然れども吾れ周に從わんとは、此れ文の一事を上[たっと]んで(疑うらくは當に尚に作るべし。)、又從わざる處は、商の輅に乘ると有り。

中庸首先言本人之情性、次言學、次便言三王酌損以成王道、餘外更無意。三王下到今、更無聖人。若有時、須當作四王。王者制作時、用先代之宜世者。今也法當用周禮。自漢以來用。
【読み】
中庸首めに先づ人の情性に本づくことを言い、次には學を言い、次には便ち三王酌損して以て王道を成すことを言い、餘外は更に意無し。三王より下今に到るまで、更に聖人無し。若し時有れば、須當[まさ]に四王と作るべし。王者制作する時、先代の世に宜しき者を用う。今や法當に周の禮を用うべし。漢自り以來用う。

有愛人之心、然而使民亦有不時處、此則至淺。言當時治千乘之國若如此時、亦可以治矣。聖人之言、雖至近、上下皆通。此三句若推其極、堯・舜之治亦不過此。若常人之言近時、便卽是淺近去。
【読み】
人を愛するの心有れども、然れども民を使うに亦時あらざる處有りとは、此れ則ち至って淺し。言うこころは、當時千乘の國を治むるに若し此の如く時あらば、亦以て治む可し、と。聖人の言は、至近と雖も、上下皆通ず。此の三句若し其の極を推さば、堯・舜の治も亦此に過ぎじ。常人の近きを言うが若き時は、便卽ち是れ淺近し去る。

齊經管仲霸政之後、風俗尚權詐、急衣食。魯之風俗不如此。又仲尼居之、當時風俗亦甚美。到漢尚言齊・魯之學天性。此只說風俗。若謂聖賢、則周公自不之魯、太公亦未可知。又謂齊經田恆弑君、無君臣上下之分、也不然。
【読み】
齊は管仲が霸政を經ての後、風俗權詐を尚び、衣食を急にす。魯の風俗は此の如くならず。又仲尼之に居りて、當時の風俗亦甚だ美なり。漢に到りて尚齊・魯の學は天性と言う。此れ只風俗を說けり。若し聖賢を謂わば、則ち周公自ら魯に之かざれば、太公も亦未だ知る可からず。又齊田恆君を弑するを經て、君臣上下の分無しと謂うは、也[また]然らず。

色難形下面有事服勞而言、服勞更淺。若謂諭父母於道、能養志使父母說、却與此辭不相合。然推其極時、養志如曾子・大舜可也。曾元是曾子之子、尚不能。
【読み】
色難しとは下面の事有るときは勞に服すというに形[くら]べて言い、勞に服すことは更に淺し。若し父母を道に諭し、能く志を養いて父母をして說ばしむと謂わば、却って此の辭と相合わず。然れども其の極を推す時、志を養うこと曾子・大舜の如くせば可なり。曾元は是れ曾子の子なれども、尚能わず。

在邦而己心無怨、孔子發明仲弓、使知仁字。然舜在家亦怨、周公狼跋亦怨。(又引文中子。)
【読み】
邦に在りて己が心怨み無しとは、孔子仲弓を發明して、仁の字を知らしむ。然れども舜家に在りて亦怨み、周公狼跋して亦怨む。(又文中子を引く。)

不有祝鮀之佞與宋朝之美(才辯。)難免世之害矣。
【読み】
祝鮀[しゅくた]の佞と宋朝の美(才辯。)と有らずんば、世の害を免れ難し。

當孔子時、傳易者支離。故言五十以學易。言學者謙辭。學易可以無大過差。易之書惟孔子能正之、使無過差。
【読み】
孔子の時に當たりて、易を傳える者支離す。故に五十にして以て易を學ぶと言う。學ぶと言う者は謙の辭なり。易を學べば以て大なる過差無かる可し。易の書は惟孔子のみ能く之を正して、過差無からしむ。

詩・書、統言。執禮、人所執守。
【読み】
詩・書は、統べて言う。執禮は、人の執り守る所。

賢者能遠照。故能避一世事。其次避地、不居亂邦。
【読み】
賢者は能く遠く照らす。故に能く一世の事を避く。其の次は地を避けて、亂邦に居らず。

不愧屋漏、則心安而體舒。
【読み】
屋漏に愧ぢざるときは、則ち心安んじて體舒[ゆる]やかなり。

子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、此非自得也、勉而能守也。多聞、擇其善者而從之、多見而識之、知之次也、以勉中人之學也。
【読み】
子曰く、君子博く文を學んで、之を約にするに禮を以てせば、亦以て畔かざる可しとは、此れ自得するに非ず、勉めて能く守るなり。多く聞いて、其の善き者を擇んで之に從い、多く見て之を識すは、知るの次なりとは、以て中人の學を勉むるなり。

經所以載道也、器所以適用也。學經而不知道、治器而不適用。奚益哉。(一本云、經者載道之器、須明其用。如誦詩須達於從政、能專對也。)
【読み】
經は道を載する所以なり、器は用に適う所以なり。經を學んで道を知らざるは、器を治めて用に適わざるなり。奚んぞ益あらんや。(一本に云う、經は道を載するの器、須く其の用を明らかにすべし。詩を誦するが如きは須く政に從いて、能く專對するに達すべし、と。)

今之學者、岐而爲三。能文者謂之文士、談經者泥爲講師。惟知道者乃儒學也。
【読み】
今の學は、岐れて三と爲る。文を能くする者は之を文士と謂い、經を談ずる者は泥んで講師と爲る。惟道を知る者は乃ち儒學なり。

夫内之得有淺深、外之來有輕重。内重則可以勝外之輕。得深則可以見誘之小。
【読み】
夫れ内の得ること淺深有り、外の來ること輕重有り。内重きときは則ち以て外の輕きに勝つ可し。得ること深きときは則ち以て誘の小さきを見る可し。

 

二程全書卷之八  遺書二先生語第七

(此卷亦有不可曉處、今悉存之、不敢刪去。)
【読み】
(此の卷も亦曉る可からざる處有り、今悉く之を存して、敢えて刪去せず。)

與人爲善。
【読み】
人と善を爲す。

始初便去性分上立。晦叔。
【読み】
始初は便ち性分上に立ち去る。晦叔。

獵、自謂今無此好。周茂叔曰、何言之易也。但此心潛隱未發。一日萌動、復如前矣。後十二年、因見、果知未。(一本注云、明道年十六七時、好田獵。十二年暮歸、在田野閒見田獵者、不覺有喜心。)
【読み】
獵は、自ら謂う、今此の好み無し、と。周茂叔曰く、何ぞ言うことの易きや。但此の心潛隱して未だ發せざるのみ。一日萌動せば、復前の如くならん、と。後十二年、見るに因りて、果たして未だしきを知れり。(一本に注に云う、明道先生年十六七の時、田獵を好む。十二年暮に歸りて、田野の閒に在りて田獵する者を見て、覺えず喜心有り、と。)

周公不作膳夫庖人匠人事、只會兼衆有司之所能。
【読み】
周公は膳夫庖人匠人の事を作さず、只會[ただ]衆有司の能くする所を兼ぬ。

有田卽有民、有民卽有兵、郷遂皆起兵。
【読み】
田有れば卽ち民有り、民有れば卽ち兵有り、郷遂皆兵を起こす。

禪學只到止處、無用處、無禮義。
【読み】
禪學は只止處に到るのみにて、用處無く、禮義無し。

槁鞂・大羹・鸞刀、須用誠相副。
【読み】
槁鞂[こうかつ]・大羹・鸞刀は、須く誠を用[もっ]て相副うべし。

介甫致一。
【読み】
介甫一を致む。

堯・舜知他幾千年、其心至今在。
【読み】
堯・舜知んぬ、他幾千年、其の心今に至るまで在るを。

心要在腔子裏。
【読み】
心は腔子の裏に在るを要す。

體道、少能體卽賢、盡能體卽聖。
【読み】
道に體するは、少しく能く體すれば卽ち賢、盡く能く體すれば卽ち聖。

孔子門人善形容聖人。
【読み】
孔子の門人は善く聖人を形容す。

堯夫道雖偏駁、然卷舒作用極熟、又(一作可。)能謹細行。
【読み】
堯夫の道偏駁なりと雖も、然れども卷舒作用極めて熟し、又(一に可に作る。)能く細行を謹む。

虛而不屈、動而愈出。
【読み】
虛にして屈せず、動いて愈々出づ。

只外面有些罅隙、便走了。
【読み】
只外面に些かの罅隙[かげき]有らば、便ち走らん。

只學顏子不貳過。
【読み】
只顏子の過を貳せざるを學ぶのみ。

忠恕違道不遠。可謂仁之方。力行近乎仁。求仁莫近焉。仁道難言。故止曰近、不遠而已。苟以力行便爲仁、則失之矣。施諸己而不願、亦勿施於人。夫子之道忠恕。非曾子不能知道之要。舍此則不可言。
【読み】
忠恕は道を違[さ]ること遠からず。仁の方と謂う可し。力め行うは仁に近づく。仁を求むること焉より近きは莫し。仁道は言い難し。故に止近し、遠からずと曰うのみ。苟も力め行うを以て便ち仁と爲さば、則ち之を失す。己に施して願わずんば、亦人に施すこと勿かれ。夫子の道は忠恕のみ、と。曾子に非ずんば道の要を知ること能わず。此を舍てては則ち言う可からず。

聖人之明猶日月、不可過也。過則不明。
【読み】
聖人の明は猶日月のごとし、過つ可からざるなり。過つときは則ち不明なり。

愚者指東爲東、指西爲西、隨衆所見而已。知者知東不必爲東、西不必爲西。唯聖人明於定分、須以東爲東、以西爲西。
【読み】
愚者は東を指して東とし、西を指して西として、衆の見る所に隨うのみ。知者は東は必ずしも東とせず、西は必ずしも西とせざることを知る。唯聖人は定分に明らかにして、須く東を以て東とし、西を以て西とす。

邵堯夫猶空中樓閣。
【読み】
邵堯夫は猶空中の樓閣のごとし。

兵法遠交近攻、須是審行此道。(知崇禮卑之意。)
【読み】
兵法は遠交近攻、須く是れ審らかに此の道を行うべし。(知崇く禮卑しの意。)

只是論得規矩準繩。巧則在人。
【読み】
只是れ規矩準繩を論じ得。巧は則ち人に在り。

莊子有大底意思、無禮無本。
【読み】
莊子は大底の意思有れども、禮無く本無し。

體須要大。
【読み】
體は須く大ならんことを要すべし。

外面事不患不知、只患不見自己。
【読み】
外面の事知らざることを患えず、只自ら己を見ざることを患う。

雍也仁而不佞。晦叔。
【読み】
雍は仁ありて佞ならず。晦叔。

人當審己如何。不必恤浮議。志在浮議、則心不在内、不可私(一本無私字、別有應卒處事四字。)
【読み】
人當に己を審らかにすること如何とすべし。必ずしも浮議を恤えず。志浮議に在れば、則ち心内に在らず、私す可からず(一本に私の字無く、別に應卒處事の四字有り。)

三命是律、星辰是曆。
【読み】
三命は是れ律、星辰は是れ曆。

靜坐獨處不難。居廣居、應天下爲難。
【読み】
靜坐して獨り處るは難からず。廣居に居り、天下に應ずるを難しとす。

保民而王。(今之城郭、不爲保民。)
【読み】
民を保んじて王たり。(今の城郭は、民を保んずることを爲さず。)

行兵須不失家計。(游兵夾持。○夾一作挾。)
【読み】
兵を行うには須く家計を失せざるべし。(游兵夾持。○夾は一に挾に作る。)

事、往往急便壞了。
【読み】
事、往往に急なれば便ち壞了す。

與奪翕張、固有此理。老子說著便不是。
【読み】
與奪翕張、固より此の理有り。老子說著するは便ち是ならず。

誠神不可語。
【読み】
誠神は語る可からず。

見之非易、見不可及。
【読み】
之を見ること易きに非ず、見ること及ぶ可からず。

孔子弟子少有會問者。只顏子能問、又却終日如愚。
【読み】
孔子の弟子問いを會する者有ること少なし。只顏子のみ能く問い、又却って終日愚なるが如し。

只理會生是如何。
【読み】
只生是れ如何と理會せよ。

靜中便有動、動中自有靜。
【読み】
靜中に便ち動有り、動中に自づから靜有り。

灑埽應對、與佛家默然處合。
【読み】
灑埽應對は、佛家の默然處と合す。

喪事、人所不勉處。酒、人所困處。孔子於中閒處之得宜。
【読み】
喪の事は、人の勉めざる所の處。酒は、人の困しめらるる所の處。孔子中閒に於て之を處すること宜しきを得。

玩心神明、上下同流。
【読み】
心神明を玩[なら]えば、上下流を同じくす。

敬下驢不起。(世人所謂高者却是小。陳先生大分守不足。○足一作定。)
【読み】
敬下驢不起。(世人の所謂高きは却って是れ小。陳先生大分守って足らず。○足は一に定に作る。)

堯・舜極聖、生朱・均。瞽・鯀極愚、生舜・禹。(無所不用其極。)
【読み】
堯・舜の極聖、朱・均を生む。瞽・鯀の極愚、舜・禹を生む。(其の極を用いざる所無し。)

開物成務、有濟時(一作世。)之才。
【読み】
物を開き務[こと]を成すは、時(一に世に作る。)を濟うの才有り。

禹不矜不伐、至柔也。然乃見剛。
【読み】
禹の矜[ほこ]らず伐[ほこ]らざるは、至って柔なり。然も乃ち剛を見る。

以誠意氣楪子、何不可。若有爲果子、係在他上、便不是。信得及便是也。(氣、一作幾。)
【読み】
以誠意氣楪子、何不可。若有爲果子、係在他上、便不是。信得及便是也。(氣は、一に幾に作る。)

九德最好。
【読み】
九德最も好し。

不學、便老而衰。
【読み】
學ばざれば、便ち老いて衰う。

應卒處事。
【読み】
應に卒に事を處すべし

不見其大、便大。
【読み】
其の大を見ざれば、便ち大なり。

職事不可以巧免。
【読み】
職事は巧を以て免る可からず。

雍置帥(呂本・徐本帥作師。)内郡養耕、外郡禦守。
【読み】
雍は帥(呂本・徐本帥を師に作る。)を置き内郡は養耕し、外郡は禦守す。

兵能聚散爲上。
【読み】
兵は能く聚散するを上と爲す。

把得地(一作性。)分定。做事直是不得放過。
【読み】
(一に性に作る。)を把得し分定す。事を做すときは直に是れ放過することを得ず。

韓信多多益辦。只是分數明。
【読み】
韓信は多多益々辦ず。只是れ分數明なればなり。

微仲焚禁山契書。
【読み】
微仲焚禁山契書。

義勇也是拘束太急、便性軼輕劣。大凡長育人材、且須緩緩。
【読み】
義勇や是れ拘束すること太だ急なれば、便ち性軼[いっ]して輕劣なり。大凡長く人材を育するは、且須く緩緩すべし。

兵陣須先立定家計、然後以遊騎旋、旋量力分外面與敵人合。此便是合内外之道。若遊騎太遠、則却歸不得。至如聽金鼓聲、亦不忘却自家如何。如苻堅養民、一敗便不可支持、無本故也。
【読み】
兵陣は須く先づ家計を立定して、然して後に遊騎を以て旋り、旋りて力を量り外面に分かれて敵人と合すべし。此れ便ち是れ内外を合するの道なり。若し遊騎太だ遠きときは、則ち却って歸ること得じ。金鼓の聲を聽くが如きに至りて、亦自家如何と忘却せず。苻堅民を養い、一たび敗れて便ち支持す可からざるが如きは、本無き故なり。

坐井觀天、非天小、只被自家入井中、被井筒拘束了。然井何罪。亦何可廢。但出井中、便見天大。已見天如此大、不爲井所拘、却入井中也不害。
【読み】
井に坐して天を觀るに、天の小なるに非ず、只自家井中に入れられて、井筒に拘束されればなり。然れども井に何の罪あらん。亦何ぞ廢す可けん。但井中を出れば、便ち天の大なるを見る。已に天此の如く大なるを見て、井の爲に拘[と]らわれずんば、却って井中に入るも害あらず。

致知、但知止於至善。爲人子止於孝、爲人父止於慈之類。不須外面、只務觀物理。汎然正如遊騎無所歸也。
【読み】
知を致むるは、但至善に止まることを知るのみ。人の子と爲りては孝に止まり、人の父と爲りては慈に止まるの類。外面、只務めて物理を觀ることを須たず。汎然として正に遊騎の歸る所無きが如し。

卽目所學便持。吾斯之未能信、道著信、便是止也。
【読み】
卽目の學ぶ所は便ち持なり。吾れ斯を未だ信ずること能わず、信を道い著くるは、便ち是れ止なり。

晉書謂吾家書籍當盡與之。豈止與之。當再拜而獻之。
【読み】
晉書に謂う、吾家の書籍當に盡く之を與うべし、と。豈止之を與うのみならんや。當に再拜して之を獻ずべし。

病昏不爲他物所奪、只有正氣、然猶有力、知識遠過於人。況吾合天地之道。安有不可。
【読み】
病昏他物の爲に奪われざるは、只正氣有りて、然して猶力有り、知識遠く人に過ぎればなり。況んや吾れ天地の道を合す。安んぞ不可なること有らん。

須是無終食之閒違仁。卽道日益明矣。(陳本有此兩段。)
【読み】
須く是れ食を終うるの閒仁に違うこと無かるべし。卽ち道日に益々明らかなり。(陳本此れ兩段有り。)

不偏之謂中、不易之謂庸。中者天下之正道、庸者天下之定理。
【読み】
偏ならざる之を中と謂い、易わらざる之を庸と謂う。中は天下の正道、庸は天下の定理。

 

二程全書卷之九  遺書二先生語第八

傳不習乎、不習而傳與人。
【読み】
習わざるを傳えんやとは、習わずして人に傳與するなり。

學則不固、連上說。
【読み】
學も則ち固からずとは、上に連ねて說く。

有馬者借人乘之、吾力猶能補史之闕文。當史之職而能闕疑以待後人、是猶有馬者借人乘之也。
【読み】
馬有る者は人に借して之に乘らしむとは、吾が力猶能く史の闕文を補うがごとし。史の職に當たりて能く疑を闕いて以て後人を待つは、是れ猶馬有る者人に借して之に乘らしむるがごとし。

能言不怍者難。
【読み】
能く言いて怍[は]ぢざる者は難し。

君子義以爲質四句、只是一事、以義爲本。
【読み】
君子は義以て質と爲すという四句は、只是れ一事、義を以て本と爲す。

可使之往、不可陷以罔。
【読み】
之をして往かしむ可し、陷して以て罔[し]う可からず。

君子矜而不爭、矜尚之矜。
【読み】
君子は矜にして爭そわずとは、矜尚の矜なり。

南宮适以禹・稷比孔子。故夫子不答也。
【読み】
南宮适[なんきゅうかつ]禹・稷を以て孔子に比す。故に夫子答えざるなり。

果哉、末之難矣、果敢之果、不知更有難事、他所未曉、輕議聖人。孔子擊磬、何嘗無心。荷蕢於此知之。
【読み】
果たせるかな、之れ難きこと末[な]しとは、果敢の果、更に難き事有ることを知らず、他未だ曉[さと]らざる所ありて、輕々しく聖人を議す。孔子磬[けい]を擊つに、何ぞ嘗て心無けん。蕢[かじか]を荷うもの此に於て之を知れり。

辟世辟言辟色、非有優劣。只說大小次第。
【読み】
世を辟け言を辟け色を辟くは、優劣有るに非ず。只大小の次第を說くのみ。

靈公問陳。孔子遂行、言語不相投。
【読み】
靈公陳を問う。孔子遂に行[さ]って、言語相投ぜず。

不占而已、有吉凶便占。無常之人更不待占。
【読み】
占わざるのみとは、吉凶有れば便ち占う。常無き人は更に占うことを待たず。

三代直道而行、毀譽公。
【読み】
三代の直道にして行うは、毀譽公なり。

踐迹、如言循途守轍。善人雖不循守舊迹、亦不能入聖人之室。
【読み】
迹を踐むとは、途に循い轍を守ると言うが如し。善人は舊迹を循守せずと雖も、亦聖人の室に入ること能わず。

論篤是與、言篤實時與君子與色莊。
【読み】
論篤きままに是れ與すとは、篤實時に君子と色莊とに與するを言う。

魯・衛之政兄弟也、言相近也。
【読み】
魯・衛の政は兄弟なりとは、相近きを言うなり。

知及・仁守・莊涖・動禮、爲政始末。
【読み】
知及・仁守・莊涖・動禮は、政の始末と爲す。

民之於仁也、甚於水火。不肯爲仁、如蹈水火。
【読み】
民の仁に於るや、水火よりも甚だし。肯えて仁を爲さざるは、水火を蹈むが如し。

致遠恐泥、不可行遠。
【読み】
遠きに致さば恐らくは泥まんとは、遠きに行く可からざるなり。

先傳後倦、君子敎人有序。先傳以小者近者、而後敎以大者遠者。非是先傳以近小、而後不敎以遠大也。
【読み】
先づ傳え後に倦むとは、君子人を敎うるに序有り。先に傳うるに小なる者近き者を以てして、而して後に敎うるに大なる者遠き者を以てす。是れ先に傳うるに近小を以てして、而して後に敎うるに遠大を以てせざるには非ず。

吾其爲東周乎、東遷以後、諸侯大夫強僭。聖人豈爲是乎。匏瓜繫而不食、匏瓜無所爲之物、繫而不動。
【読み】
吾れ其れ東周をせんとは、東遷以後、諸侯大夫強僭す。聖人豈是をせんや。匏瓜[ほうか]繫かりて食らわずとは、匏瓜はする所無き物、繫かりて動かず。

子樂、弟子各盡其誠實、不少加飾。故孔子知由之不得其死。
【読み】
子樂しむは、弟子各々其の誠實を盡くして、少しも飾を加えざればなり。故に孔子由が其の死を得ざることを知れり。

性相近也、生質之性。
【読み】
性は相近しとは、生質の性なり。

小知・大受、不可以小知君子、而可以當大事。
【読み】
小知・大受とは、小を以て知る可からざるは君子にして、而して以て大事に當つ可し。

天下有道、丘不與易也、其誰以易之、誰肯以夫子之道易己所爲。
【読み】
天下道有らば、丘與に易えじ、其れ誰か以[とも]に之を易えんとは、誰か肯えて夫子の道を以て己が爲す所に易えんとなり。

佛肸召。欲往而不往者何也。聖人示之以迹。子路不諭九夷・浮海之類。(示之、一作示人。)
【読み】
佛肸召ぶ。往かんと欲して往かざる者は何ぞや。聖人之に示すに迹を以てす。子路九夷・海に浮ぶを諭らざるの類なり。(示之は、一に示人に作る。)

堯曰、予小子履。(少湯字。)
【読み】
堯曰く、予れ小子履。(少湯の字。)

周公謂魯公三句、反履說。不獨不施(呂本・徐本施作弛。)其親、又當使大臣不怨、至公不可忘私、又當全故舊。
【読み】
周公魯公に謂うの三句、反履して說く。獨其の親を施[す](呂本・徐本施を弛に作る。)てざるのみにあらず、又當に大臣をして怨みざらしむべく、至公私を忘る可からず、又當に故舊を全くすべし。

大德・小德、如大節小節。
【読み】
大德・小德は、大節小節の如し。

雖有周親、不如仁人、至親不如仁賢。
【読み】
周親有りと雖も、仁人に如かずとは、至親も仁賢に如かずとなり。

因不失其親、信本不及義、恭本不及禮。然信近於義者、以言可復也。恭近於禮者、以遠恥辱也。因恭信不失其所以(一無以字。)親近於禮義。故亦可宗也。如言禮義不可得見、得見恭信者斯可矣。
【読み】
因ること其の親を失わずとは、信は本義に及ばず、恭は本禮に及ばず。然れども信義に近き者は、言復す可きを以てなり。恭禮に近き者は、恥辱に遠ざかるを以てなり。恭信に因りて其の禮義に親近する所以(一に以の字無し。)を失わず。故に亦宗とす可し。禮義は得て見る可からず、恭信の者を見ることを得ば斯れ可なりと言うが如し。

子張・子夏論交、子夏・子張告人各有所以。初學與成德者事不同。
【読み】
子張・子夏の交わりを論ずる、子夏・子張人に告ぐるに各々所以有り。初學と成德の者の事同じからず。

貧與賤、不以其道得之、不去也、不以其道得去貧賤、如患得之。
【読み】
貧しきと賤しきとは、其の道を以てせずして之を得るとも、去らずとは、其の道を以てせずして貧賤を去ることを得るは、之を得んことを患うるが如し。

卿以下必有圭田、祭祀之田也、祿外之田也。
【読み】
卿より下には必ず圭田有りとは、祭祀の田なり、祿外の田なり。

餘夫二十五畝、一夫上父母下妻子、以五口至八口爲率、受田百畝。如有弟、是餘夫也。俟其成家別受田也。
【読み】
餘夫は二十五畝とは、一夫上は父母下は妻子、以て五口より八口に至るまでを率ねと爲し、田百畝を受く。弟有るが如きは、是れ餘夫なり。其の家を成すを俟って別に田を受くるなり。

廛而不征、市宅之地已有廛稅、更不征其物。
【読み】
廛[てん]して征せずとは、市宅の地は已に廛稅有り、更に其の物を征せざるなり。

法而不廛、稅有常法、不以廛故而厚其稅。
【読み】
法ありて廛せずとは、稅に常法有り、廛の故を以てして其の稅を厚くせざるなり。

廛無夫里之布、廛自有稅、更無此二布。
【読み】
廛に夫里の布無しとは、廛に自づから稅有り、更に此の二布無きなり。

國有道不變塞、所守不變、所行不塞。
【読み】
國道有れば變塞せずとは、守る所を變えず、行く所を塞がざるなり。

廣居・正位・大道、所居者廣、所位者正、所道者大。天下至中至大之所。
【読み】
廣居・正位・大道は、居る所の者廣く、位する所の者正しく、道[みちび]く所の者大なり。天下は至中至大の所なり。

配義與道、浩氣已成、合道與義。道、本也。義、用也。(本、一作體。)
【読み】
義と道とに配すとは、浩氣已に成って、道と義とに合す。道は、本なり。義は、用なり。(本は、一に體に作る。)

集義所生者、集衆義而生浩然之氣。非義外襲我而取之也。
【読み】
義を集めて生[な]る所の者とは、衆義を集めて浩然の氣を生す。義外より我を襲って之を取るに非ず。

 

二程全書卷之十  遺書二先生語第九

少日所聞諸師友說
【読み】
少[わか]かりし日諸々の師友に聞く所の說

仁者公也、人(一作仁。)此者也。義者宜也、權量輕重之極。禮者別也(定分。)、知者知也。信者有此者也。萬物皆有性(一作信。)、此五常性也。若夫惻隱之類、皆情也。凡動者謂之情。(性者自然完具。信只是有此。因不信然後見。故四端不言信。)
【読み】
仁は公なり、此を人(一に仁に作る。)にする者なり。義は宜なり、權量輕重の極なり。禮は別なり(定分。)、知は知なり。信は此を有する者なり。萬物皆性(一に信に作る。)有り、此れ五常の性なり。夫の惻隱の類の若きは、皆情なり。凡そ動く者之を情と謂う。(性は自然に完具す。信は只是れ此を有するのみ。信ならざるに因りて然して後に見る。故に四端に信を言わず。)

先生曰、孔子曰、仁者己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。嘗謂孔子之語仁以敎人者、唯此爲盡。要之不出於公也。
【読み】
先生曰く、孔子曰く、仁者は己立てんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す、能く近く取って譬うるを、仁の方と謂う可きのみ、と。嘗て謂えらく、孔子の仁を語りて以て人に敎える者、唯此れ盡くせりと爲す。之を要するに公に出でず、と。

孟子曰、天民者、達可行於天下而後行之者也。大人者、正己而物正者也。曰天民者、能盡天民之道者也。踐形者是也。如伊尹可當之矣。民之名則似不得位者。必達可行於天下而後行之者也。大人者、則如乾之九二、利見大人。天下文明者也。天民大人、亦繫乎時與不時爾。
【読み】
孟子曰く、天民は、達して天下に行わるる可くして而して後に之を行う者なり。大人は、己を正しくして物正しき者なり、と。天民と曰うは、能く天民の道を盡くす者なり。形を踐む者是れなり。伊尹の如き之に當つ可し。民の名は則ち位を得ざる者に似れり。必ず達して天下に行わるる可くして而して後に之を行う者なり。大人は、則ち乾の九二の、大人を見るに利ろしというが如し。天下の文明なる者なり。天民大人は、亦時なると時ならざるとに繫かるのみ。

君子不重則不威、學則不固、言君子不重則不威嚴、而學則亦不能堅固也。
【読み】
君子重からざれば則ち威あらず、學べども則ち固からずとは、君子重からざれば則ち威嚴あらずして、學べども則ち亦堅固なること能わざるを言えり。

信非義也。以其言可復、故曰近義。恭非禮也。以其遠恥辱、故曰近禮。因其事而不失其所親、亦可宗也。況於盡禮義者乎。
【読み】
信は義に非ず。其の言復す可きを以て、故に義に近しと曰う。恭は禮に非ず。其の恥辱に遠ざかるを以て、故に禮に近しと曰う。其の事に因りて其の親しむ所を失わざれば、亦宗とす可し。況んや禮義を盡くす者に於てをや。

思無邪、誠也。
【読み】
思い邪無きは、誠なり。

十有五而志於學、三十而立、四十而不惑、明善之徹矣。聖人不言誠之一節者、言不惑則自誠矣。五十而知天命、思而知之也。六十而耳順、耳者在人之最末者也。至耳而順、則是不思而得也。然猶滯於跡焉。至於七十從心所欲不踰矩、則聖人之道終矣。此敎之序也。
【読み】
十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十にして惑わざるは、善を明らかにするの徹せるなり。聖人誠の一節を言わざる者は、言うこころは、惑わざるときは則ち自づから誠なればなり。五十にして天命を知るは、思って之を知るなり。六十にして耳順うは、耳は人に在るの最も末なる者なり。耳にして順うに至っては、則ち是れ思わずして得るなり。然れども猶跡に滯るなり。七十に至って心の欲する所に從いて矩を踰えざれば、則ち聖人の道終われり。此れ敎の序なり。

對孟懿子問孝、告衆人者也。對孟武伯者、以武伯多可憂之事也。子游能養、而或失於敬、子夏能直義、而或少溫潤之色。各因其人材高下與所失而敎之也。
【読み】
孟懿子孝を問うに對うるは、衆人に告ぐる者なり。孟武伯に對うる者は、武伯憂う可き事多きを以てなり。子游は能く養って、或は敬に失し、子夏は能く直義にして、或は溫潤の色少なし。各々其の人材の高下と失する所とに因りて之を敎うるなり。

默而識之、乃所謂學也。惟顏子能之。故孔子曰、吾與囘言終日、不違如愚。退而省其私者、言顏子退而省其在己者、亦足以發此。故仲尼知其不愚。可謂善學者也。
【読み】
默して之を識すとは、乃ち所謂學ぶなり。惟顏子のみ之を能くす。故に孔子曰く、吾と囘と言うこと終日、違わざること愚なるが如し、と。退いて其の私を省るとは、顏子退いて其の己に在る者を省れば、亦以て此を發するに足ることを言う。故に仲尼其の愚ならざることを知る。善く學ぶ者と謂う可し。

夷狄之有君、不如諸夏之亡也、此孔子言當時天下大亂、無君之甚。若曰夷狄猶有君、不若是諸夏之亡君也。
【読み】
夷狄の君有るは、諸夏の亡きが如くならずとは、此れ孔子當時天下大いに亂れて、君無きの甚だしきを言う。夷狄すら猶君有り、是れ諸夏の君亡きが若くならずと曰うが若し。

君子無所爭。必也射乎。故曰揖讓而升、下而飮。其爭也君子。言不爭也。若曰其爭也、是君子乎。
【読み】
君子は爭う所無し。必ずや射にしてか。故に揖讓して升り、下って飮ましむ。其の爭いは君子なりと曰う。言うこころは、爭わざるなり。其れ爭わば、是れ君子ならんやと曰うが若し。

子曰禘自旣灌而往者、吾不欲觀之矣。禘者、魯僭天子之大祭也。灌者、祭之始也。以其僭上之祭、故聖人自灌以往、不欲觀之矣。或問禘之說。子曰不知也者、不欲斥言也。知其說者之於天下也、其如視諸斯乎、指其掌、此聖人言知此理者、其於治天下、如指其掌、甚易明也。蓋名分正則天下定矣。
【読み】
子曰く、禘旣に灌して自り往[のち]は、吾れ之を觀んことを欲せず、と。禘は、魯天子の大祭を僭するなり。灌は、祭の始めなり。其の上の祭を僭するを以て、故に聖人灌自り以往、之を觀ることを欲せざるなり。或るひと禘の說問う。子曰く、知らざるなりとは、斥[さ]し言うことを欲せざるなり。其の說を知る者の天下に於るや、其れ諸れ斯を視るが如きかといって、其の掌を指すは、此れ聖人此の理を知る者は、其れ天下を治むるに於て、其の掌を指すが如く、甚だ明かし易きを言う。蓋し名分正さば則ち天下定まらん。

子貢之器、如宗廟之中可觀之貴器。故曰瑚璉也。
【読み】
子貢の器は、宗廟の中觀る可きの貴器の如し。故に瑚璉なりと曰う。

或問辯。曰、或曰、雍也仁而不佞。子曰、焉用佞。禦人以口給、屢憎於人。不知其仁、焉用佞。苟仁矣、則口無擇言、言滿天下無口過。佞何害哉。若不知其仁、則佞焉用也。
【読み】
或るひと問辯す。曰く、或るひと曰く、雍は仁ありて佞ならず、と。子曰く、焉んぞ佞を用いん。人に禦[あた]るに口給を以てして、屢々人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん、と。苟に仁あらば、則ち口に擇言無くして、言天下に滿つとも口の過無けん。佞何ぞ害あらんや。若し其の仁を知らずんば、則ち佞焉んぞ用いん、と。

子曰、由也好勇過我、無所取材。材與裁同。言由但好勇過孔子、而不能裁度適於義也。
【読み】
子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり、取り材[はか]る所無し、と。材と裁とは同じ。言うこころは、由但勇を好むこと孔子に過ぎて、裁度して義に適うこと能わざるなり。

子路曰、願車馬・衣輕裘與朋友共、敝之而無憾。此勇於義者。觀其志、豈可以勢利拘之哉。蓋亞於浴沂者也。顏淵願無伐善、無施勞。此仁矣。然尚未免於有爲。蓋滯迹於此、不得不爾也。子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之。此聖人之事也。顏子、大賢之事也。子路、有志者之事也。
【読み】
子路曰く、願わくは車馬・衣輕裘朋友と共にし、之を敝[やぶ]るとも憾むこと無けん、と。此れ義に勇なる者なり。其の志を觀るに、豈勢利を以て之に拘る可けんや。蓋し沂に浴するに亞[つ]ぐ者ならん。顏淵願わくは善に伐ること無く、勞を施すこと無けん、と。此れ仁なり。然れども尚未だすること有るを免れず。蓋し迹に此に滯り、爾[しか]らざることを得ざるなり。子曰く、老者をば之を安んじ、朋友をは之を信じ、少者をば之を懷けん、と。此れ聖人の事なり。顏子は、大賢の事なり。子路は、志有る者の事なり。

子曰、中人以上可以語上也。中人以下不可以語上也。此謂才也。然則中人以下者終於此而已乎。曰、亦有可進之道也。
【読み】
子曰く、中人以上には以て上を語[つ]ぐ可し。中人以下には以て上を語ぐ可からず、と。此れ才を謂うなり。然らば則ち中人以下なる者は此に終えるのみならんか。曰く、亦進む可きの道有り、と。

子曰、齊一變至於魯、魯一變至於道。言魯國雖衰、而君臣父子之大倫猶在、愈於齊國。故可一變而至於道。
【読み】
子曰く、齊一變せば魯に至り、魯一變せば道に至る、と。言うこころは、魯の國衰うと雖も、君臣父子の大倫猶在り、齊の國に愈れり。故に一變して道に至る可し。

子曰、志於道。凡物皆有理、精微要妙無窮、當志之爾。德者得也。在己者可以據。依於仁者、凡所行必依著於仁。兼内外而言之也。
【読み】
子曰く、道に志す、と。凡そ物皆理有り、精微要妙窮まり無く、當に之を志すべきのみ。德は得なり。己に在る者以て據る可し。仁に依るとは、凡そ行う所は必ず仁に依著す。内外を兼ねて之を言うなり。

子在齊聞韶、三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。曰、聖人不凝滯於物。安有聞韶雖美、直至三月不知肉味者乎。三月字誤。當作音字。此聖人聞韶音之美、當食不知肉味、乃歎曰、不圖爲樂之至於斯也。門人因以記之。
【読み】
子齊に在りて韶を聞き、三月肉の味を知らず。曰く、圖らざりき、樂を爲ること斯に至らんとは、と。曰く、聖人は物に凝滯せず。安んぞ韶を聞いて美なりと雖も、直に三月に至るまで肉の味を知らざる者有らんや。三月の字誤れり。當に音の字に作るべし。此れ聖人韶音の美なるを聞いて、食するに當たりて肉の味を知らず、乃ち歎じて曰く、圖らざりき、樂を爲ること斯に至らんとは、と。門人因りて以て之を記せり、と。

子所雅言、詩・書・執禮、皆雅言也。雅、雅素之雅。禮、當時所執行而非書也。詩・書・執禮、皆孔子素所常言也。
【読み】
子雅[つね]に言う所は、詩・書・執禮、皆雅に言うなり、と。雅は、雅素の雅。禮は、當時執り行う所にして書に非ざるなり。詩・書・執禮は、皆孔子素より常に言う所なり。

人有斗筲之量者、有鍾鼎之量者、有江河之量者、有天地之量者。斗筲之量者、固不足算。若鍾鼎江河者、亦已大矣。然滿則溢也。唯天地之量、無得而損益。苟非聖人、孰能當之。
【読み】
人斗筲[としょう]の量なる者有り、鍾鼎の量なる者有り、江河の量なる者有り、天地の量なる者有り。斗筲の量なる者は、固に算うるに足らず。鍾鼎江河の若くなる者は、亦已に大なり。然も滿つるときは則ち溢る。唯天地の量は、得て損益すること無し。苟に聖人に非ずんば、孰か能く之に當たらん。

子曰、吾未見剛者。或曰、申棖。子曰、棖也慾、焉得剛。凡人有慾則不剛。至大至剛之氣、在養之可以至焉。
【読み】
子曰く、吾れ未だ剛なる者を見ず、と。或るひと曰く、申棖[しんとう]あり、と。子曰く、棖は慾なり、焉んぞ剛なることを得ん、と。凡そ人慾有るときは則ち剛ならず。至大至剛の氣、之を養いて以て至る可きに在り。

孟子曰、我知言。孟子不欲自言我知道耳。
【読み】
孟子曰く、我れ言を知る、と。孟子自ら我れ道を知ると言うを欲せざるのみ。

孟子常自尊其道而人不尊。孔子益自卑而人益尊之。聖賢固有閒矣。
【読み】
孟子は常に自ら其の道を尊べども而も人尊ばず。孔子は益々自ら卑くすれども而も人益々之を尊ぶ。聖賢固に閒有り。

董仲舒謂、正其義不謀其利、明其道不計其功。孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方。可以法矣。今人皆反之者也。(如臨深淵、如履薄冰、謂小心也。赳赳武夫、公侯干城、謂大膽也。不爲利囘、不爲義疚、行之方也。見幾而作、不俟終日、知之圓也。此言極有理。)
【読み】
董仲舒が謂く、其の義を正して其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず、と。孫思邈が曰く、膽は大ならんことを欲して心は小ならんことを欲す。智は圓ならんことを欲して行は方ならんことを欲す、と。以て法とす可し。今の人は皆之に反する者なり。(深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如きとは、心を小にするを謂うなり。赳赳[きゅうきゅう]たる武夫、公侯の干城とは、膽を大にするを謂うなり。利の爲に囘[まど]わず、義の爲に疚まずとは、行の方なるなり。幾を見て作[た]ち、日を終うるを俟たずとは、知の圓なるなり。此の言極めて理有り。)

舍己從人、最爲難事。己者我之所有、雖痛舍之、猶懼守己者固而從人者輕也。
【読み】
己を舍[お]きて人に從うは、最も難き事と爲す。己とは我が有する所にして、痛く之を舍くと雖も、猶己を守る者の固くして人に從う者の輕からんことを懼るればなり。

參也魯。然顏子沒後、終得聖人之道者、曾子也。觀其啓手足之時之言、可以見矣。所傳者子思・孟子、皆其學也。
【読み】
參は魯なり。然れども顏子沒して後、終に聖人の道を得る者は、曾子なり。其の手足を啓く時の言を觀て、以て見る可し。傳うる所の者は子思・孟子、皆其の學なり。

毋意者、不妄意也。毋我者、循理不守己也。
【読み】
意毋しとは、妄意せざるなり。我毋しとは、理に循いて己を守らざるなり。

子曰、先進於禮樂、野人也。言其質勝文也。後進於禮樂、君子也、言其文質彬彬也。如用之、則吾從先進、言若用於時、救文之弊、則吾從先進。小過之義也。麻冕禮也。今也純儉。吾從衆。奢則不孫。儉則固。與其不孫也、寧固。此之謂也。不必惑從周之說。
【読み】
子曰く、先進の禮樂に於るは、野人なり、と。其の質の文に勝るを言うなり。後進の禮樂に於るは、君子なりとは、其の文質彬彬たるを言うなり。如し之を用いば、則ち吾れ先進に從わんとは、言うこころは、若し時に用いて、文の弊を救わば、則ち吾は先進に從わんとなり。小過の義なり。麻冕は禮なり。今純は儉なり。吾は衆に從わん、と。奢るときは則ち不孫なり。儉なるときは則ち固[いや]し。其の不孫與[よ]りは、寧ろ固しかれ、と。此れ之を謂うなり。必ずしも周に從うの說に惑わず。

子曰、賜不受命而貨殖焉。命謂爵命也。言不受爵命而貨殖者、以見其私於利之深。而足以明顏子屢空之賢也。
【読み】
子曰く、賜は命を受けずして貨殖す、と。命とは爵命を謂うなり。言うこころは、爵命を受けずして貨殖する者は、以て其の利に私するの深きを見る。而して以て顏子屢々空しきの賢を明らかにするに足れり。

子曰、論篤是與、君子者乎、色莊者乎、不可以言取人。今以其論篤而與之、是謂君子者乎、徒能色莊者乎。
【読み】
子曰く、論篤きのみに是れ與せば、君子者ならんか、色莊者ならんかとは、言を以て人を取る可からず。今其の論篤きのみを以て之に與せば、是を君子者と謂わんか、徒に能く色莊者ならんか。

仲弓之仁、安己而敬人。故曰、雍也可使南面。對樊遲之問、亦是仁之目也。然樊遲失於粗俗。聖人勉使爲仁、曰、雖之夷狄、不可棄也。司馬牛多言而躁。故但告以其言也訒。
【読み】
仲弓の仁は、己を安んじて人を敬す。故に曰く、雍は南面せしむ可し、と。樊遲の問いに對うるも、亦是れ仁の目なり。然れども樊遲は粗俗に失す。聖人勉めて仁を爲さしめて、曰く、夷狄に之くと雖も、棄つ可からず、と。司馬牛は多言にして躁がし。故に但告ぐるに其の言や訒[かた]しというを以てす。

克伐怨欲不行焉、可以爲仁矣。若無克伐怨欲、固爲仁已。唯顏子而上乃能之。如有而不行焉、則亦可以爲難、而未足以爲仁也。孔子蓋欲憲疑而再問之。而憲未之能問也。
【読み】
克伐怨欲行われざるは、以て仁とす可し。若し克伐怨欲無きときは、固に仁とするのみ。唯顏子より上にして乃ち之を能くせん。如し有れども行われざるは、則ち亦以て難しとす可くして、未だ以て仁とするに足らず。孔子蓋し憲疑いて再び之を問わんことを欲す。而れども憲未だ之を能く問わず。

管仲之仁、仁之功也。
【読み】
管仲が仁は、仁の功なり。

 

二程全書卷之十一  遺書二先生語第十

洛陽議論  蘇昞季明錄

子厚謂程卿、夙興幹事、良由人氣淸則勤、閑不得。正叔謂、不可。若此、則是專爲氣所使。子厚謂、此則自然也。伯淳言、雖自然、且欲凡事皆不恤以恬養則好。子厚謂、此則在學者也。
【読み】
子厚程卿に謂く、夙に興て事を幹す、良に由[なお]人氣淸むときは則ち勤め、閑なるときは得ざるがごとし、と。正叔謂く、不可なり。此の若きは、則ち是れ專ら氣の爲に使わるるなり、と。子厚謂く、此れ則ち自づから然り、と。伯淳言く、自づから然りと雖も、且凡ての事皆恤えずして以て恬養することを欲するときは則ち好し、と。子厚謂く、此れ則ち學ぶ者に在り、と。

伯淳謂、天下之士、亦有其志在朝廷而才不足、才可以爲而誠不足。今日正須才與至誠合一、方能有濟。子厚謂、才與誠、須二物只是一物。伯淳言、才而不誠、猶不是也。若非至誠、雖有忠義功業、亦出於事爲、浮氣幾何時而不盡也。(一本無只是一物四字。)
【読み】
伯淳謂く、天下の士、亦其の志朝廷に在れども才足らず、才以て爲す可けれども誠足らざる有り。今日正に須く才と至誠と合一にして、方に能く濟すこと有るべし、と。子厚謂く、才と誠とは、須く二物は只是れ一物なるべし、と。伯淳言く、才ありて誠あらざるは、猶不是なり。若し至誠非ずんば、忠義功業有りと雖も、亦事爲に出で、浮氣幾何の時にしてか盡きざらん、と。(一本に只是一物の四字無し。)

伯淳道、君實之語、自謂如人參甘草。病未甚時可用也、病甚則非所能及。觀其自處、必是有救之之術。
【読み】
伯淳道う、君實の語は、自ら謂えらく人參甘草の如し。病未だ甚だしからざる時は用う可く、病甚だしきときは則ち能く及ぶ所に非ず。其の自ら處するを觀るに、必ず是れ之を救うの術有らん、と。

正叔謂、某接人、治(一作談。)經論道者亦甚多。肯言及治體者、誠未有如子厚。
【読み】
正叔謂く、某人に接するに、經を治め(一に談に作る。)道を論ずる者は亦甚だ多し。肯えて言いて治體に及ぶ者は、誠に未だ子厚の如きは有らず、と。

二程謂、地形不必謂寬平可以畫方、只可用算法折計地畝以授民。子厚謂、必先正經界。經界不正、則法終不定。地有坳垤處不管、只觀四標竿中閒地、雖不平饒、與民無害。就一夫之閒、所爭亦不多。又側峻處、田亦不甚美。又經界必須正南北、假使地形有寬狹尖斜、經界則不避山河之曲。其田則就得井處爲井、不能就成處、或五七、或三四、或一夫、其實田數則在。又或就不成一夫處、亦可計百畝之數而授之、無不可行者。如此、則經界隨山隨河、皆不害於畫之也。苟如此畫定、雖便使暴君汙吏、亦數百年壞不得。經界之壞、亦非專在秦時、其來亦遠、漸有壞矣。正叔云、至如魯、二吾猶不足。如何得至十一也。子厚言、百畝而徹、言徹取之徹則無義。是透徹之徹。透徹而耕、則功力均、且相驅率、無一家得惰者。及已收穫、則計畝數裒分之。以裒分之數、取十一之數、亦可。或謂、井議不可輕示人。恐致笑及有議論。子厚謂、有笑有議論、則方有益也。若有人聞其說、取之以爲己功。先生云、如有能者、則己願受一廛而爲氓、亦幸也。伯淳言、井田今取民田使貧富均、則願者衆、不願者寡。正叔言、亦未可言民情怨怒、止論可不可爾。須使上下都無怨怒、方可行。正叔言、議法旣大備、却在所以行之之道。子厚言、豈敢某止欲成書。庶有取之者。正叔言、不行於當時、行於後世、一也。子厚曰、徒善不足以爲政、徒法不能以自行。須是行之之道。又雖有仁心仁聞、而政不行者、不由先王之道也。須是法先王。正叔言、孟子於此善爲言。只極目力、焉能盡方圓平直。須是要規矩。
【読み】
二程謂く、地形は必ずしも寬平以て方を畫す可しと謂わず、只算法を用いて地畝を折計して以て民に授く可し、と。子厚謂く、必ず先づ經界を正しくせん。經界正しからざれば、則ち法終に定まらず。地坳垤[おうてつ]の處管せざる有れば、只四標の竿を觀て中閒の地、平饒ならずと雖も、民に與えて害無し。一夫の閒に就いて、爭う所亦多からず。又側峻なる處は、田も亦甚だ美ならず。又經界必ず須く南北を正すべく、假使地形に寬狹尖斜有るとも、經界は則ち山河の曲を避けず。其の田は則ち井を得る處に就いて井を爲し、成す處に就くこと能わざれば、或は五七、或は三四、或は一夫、其の實田の數は則ち在り。又或は一夫を成さざる處に就いては、亦百畝の數を計りて之に授く可く、行う可からざる者無し。此の如くなるときは、則ち經界山に隨い河に隨い、皆之を畫するに害あらざるなり。苟も此の如く畫し定めば、便ち暴君汙吏をして、亦數百年ならしむと雖も壞ること得じ。經界の壞るるは、亦專ら秦の時に在るのみに非ず、其の來ること亦遠くして、漸く壞ること有り、と。正叔云く、魯の如きに至りて、二にして吾れ猶足らずというがごとし。如何ぞ十一に至ることを得ん、と。子厚言く、百畝にして徹するは、徹取の徹と言うときは則ち義無し。是れ透徹の徹なり。透徹して耕すときは、則ち功力均しく、且相驅率して、一家も惰ることを得る者無し。已に收穫するに及んでは、則ち畝數を計りて之を裒分[ほうぶん]す。裒分の數を以て、十一の數を取るも、亦可なり、と。或るひと謂く、井議は輕々しく人に示す可からず。恐らくは笑を致し及び議論有らん、と。子厚謂く、笑有り議論有らば、則ち方に益有らん。若し人其の說を聞くこと有らば、之を取りて以て己が功と爲さん、と。先生云く、如し能くする者有らば、則ち己願わくは一廛[てん]を受けて氓[ぼう]爲るも、亦幸いならん、と。伯淳言く、井田は今民の田を取りて貧富をして均しからしめば、則ち願う者衆く、願わざる者寡からん、と。正叔言く、亦未だ民情の怨怒を言う可からず、止可不可を論ぜんのみ。須く上下をして都て怨怒無からしむべくして、方に行わる可し、と。正叔言く、議法旣に大いに備り、却って之を行う所以の道在り、と。子厚言く、豈敢えて某止成書を欲せんや。之を取る者有らんことを庶う、と。正叔言く、當時に行われざるも、後世に行わるれば、一なり、と。子厚曰く、徒善は以て政をするに足らず、徒法は以て自ら行うこと能わず。須く是れ之を行うの道あるべし。又仁心仁聞有りと雖も、而れども政行われざる者は、先王の道に由らざればなり。須く是れ先王に法るべし、と。正叔言く、孟子此に於て善く言を爲す。只目力を極むるのみにて、焉んぞ能く方圓平直を盡くさんや。須く是れ規矩を要すべし、と。

二程問、官戶占田過制者如何。如文曾有田極多、只消與五十里釆地儘多。又問、其他如何。今之公卿、非如古之公卿。舊有田多者、與之釆地多。概與之、則無以別有田者無田者。
【読み】
二程問う、官戶田を占むること制に過ぎたる者は如何、と。文曾て田有ること極めて多くば、只五十里の釆地を與うるも儘多かる消[べ]きが如し。又問う、其の他は如何、と。今の公卿は、古の公卿の如きに非ず。舊より田多き者有り、之に釆地を與うること多し。概して之に與えば、則ち以て田有る者田無き者を別つこと無けん。

正叔說、堯夫對上之詞、言陛下富國强兵後待做甚。以爲非是。此言安足諭人主。如周禮、豈不是富國之術存焉。子厚言、堯夫抑上富强之說、正猶爲漢武帝言神仙之學、長年不足惜、言豈可入。聖賢之曉人、不如此之拙。如梁惠王問何以利國、則說利不可言之理、極言之以至不奪不饜。
【読み】
正叔說く、堯夫上に對するの詞に、言う、陛下國を富まし兵を强くして後甚[なに]を做すことを待たん、と。以て是に非ずと爲す。此の言安んぞ人主を諭すに足らんや。周禮の如き、豈是れ國を富ますの術存するにあらずや、と。子厚言く、堯夫上の富强を抑えるの說は、正に猶漢の武帝の爲に神仙の學、長年惜しむに足らずと言うがごとく、言豈入る可けんや。聖賢の人を曉すは、此の如く拙からず。梁の惠王何を以てか國を利せんと問うに、則ち利は言う可からざるの理を說いて、極めて之を言いて以て奪わずんば饜[あきた]らじというに至るが如し、と。

正叔言、人志於王道、是天下之公議、反以爲私說、何也。子厚言、只爲心不大。心大則做得大。正叔言、只是做一喜好之事爲之。不知只是合做。
【読み】
正叔言く、人王道に志すは、是れ天下の公議、反って以て私說とするは、何ぞや、と。子厚言く、只心大ならずとす。心大なるときは則ち大なることを做し得ん、と。正叔言く、只是れ一つの喜好の事と做して之を爲す。知らず、只是れ做す合きかを、と。

伯淳言、邵堯夫病革、且言試與觀化一遭。子厚言、觀化他人便觀得自家。自家又如何觀得化。嘗觀堯夫詩意、纔做得識道理、却於儒術未見所得。
【読み】
伯淳言く、邵堯夫病革るとき、且言く、試みに化を觀るに與り一たび遭う、と。子厚言く、他人を化することを觀るは便ち自家に得ることを觀ん。自家又如何ぞ化を得ることを觀ん。嘗て堯夫の詩の意を觀るに、纔かに道理を識ることを做し得ども、却って儒術に於ては未だ得る所を見ず、と。

正叔言、蜥蜴含水、隨雨雹起。子厚言、未必然。雹儘有大者、豈盡蜥蜴所致也。今以蜥蜴求雨、枉求他。他又何道致雨。正叔言、伯淳守官南方、長吏使往茅山請龍。辭之、謂祈請鬼神、當使信嚮者則有應。今先懷不信、便非義理。旣到茅山巖、勑使人於水中捕得二龍、持之歸。竝無他異。復爲小兒玩之致死。此只爲魚蝦之類。但形狀差異、如龍之狀爾。此蟲、廣南亦有之、其形狀同。只齧人有害、不如茅山不害人也。(有害、一作有毒。)
【読み】
正叔言く、蜥蜴[せきえき]水を含んで、雨に隨いて雹起こる、と。子厚言く、未だ必ずしも然らず。雹儘に大なる者有り、豈盡く蜥蜴の致す所ならんや。今蜥蜴を以て雨を求むるに、枉げて他に求めば、他又何の道ありてか雨を致さん、と。正叔言く、伯淳南方に守官たるとき、長吏に茅山に往いて龍を請わしむ。之を辭して、謂く、鬼神に祈請するは、當に信嚮する者にしむるときは則ち應有るべし。今先づ信ぜずして、便ち義理に非ずと懷えり、と。旣に茅山巖に到りて、勑して人をして水中に於て二龍を捕得せしめ、之を持して歸る。竝に他の異無し。復小兒之を玩ぶが爲に死することを致す。此れ只魚蝦の類と爲す。但形狀差異にして、龍の狀の如くなるのみ。此の蟲、廣南に亦之れ有り、其の形狀同じ。只人を齧[か]みて害すること有りて、茅山の人を害せざるが如くならず、と。(有害は、一に有毒に作る。)

正叔言、永叔詩、笑殺潁陰常處士、十年騎馬聽朝雞。夙興趨朝、非可笑之事。不必如此說。又言、常秩晩爲利昏、元來便有在。此郷黨莫之尊也。
【読み】
正叔言く、永叔が詩に、笑殺す潁陰の常處士、十年馬に騎りて朝雞を聽く、と。夙に興て朝に趨るは、笑う可きの事に非ず。必ずしも此の如く說かじ、と。又言く、常秩晩に利の爲に昏むこと、元來便ち在る有り。此れ郷黨之を尊ぶこと莫し、と。

正叔言、今責罪官吏、 殊無養士君子廉恥之道。必斷言徒流杖數、贖之以銅。便非養士君子之意。如古人責其罪、皆不深指斥其惡。如責以不廉、則曰俎豆不脩。
【読み】
正叔言く、今罪を責むる官吏は、 殊に士君子の廉恥の道を養うこと無し。必ず斷りて徒流杖の數、之を贖うに銅を以てすと言う。便ち士君子を養うの意に非ず。古人其の罪を責むるが如き、皆深く其の惡を指斥せず、責むるに不廉を以てするときは、則ち俎豆脩めずと曰うが如し、と。

有人言、今日士大夫未見賢者。正叔言、不可謂士大夫有不賢者。便爲朝廷之官人不用賢也。
【読み】
人有りて言く、今日の士大夫未だ賢者を見ず、と。正叔言く、士大夫に不賢なる者有りと謂う可からず。便ち朝廷の官人賢を用いずとすればなり、と。

彭汝礪懇辭臺職。正叔言、報上之效已了邪。上冒天下議論、顯拔致此。曾此爲報上之意已足。
【読み】
彭汝礪懇ろに臺職を辭す。正叔言く、上に報ずるの效已に了わるや。上天下の議論を冒して、顯拔して此を致す。曾ぞ此れ上に報ずるの意已に足れりとせんや、と。

正叔言、禮院者、天下之事無不關。此但得其人、則事儘可以考古立法。苟非其人、只是從俗而已。
【読み】
正叔言く、禮院は、天下の事關わらざること無し。此れ但其の人を得るときは、則ち事儘く以て古を考えて法を立つ可し。苟も其の人に非ざるときは、只是れ俗に從わんのみ、と。

正叔言、昏禮結髮無義。欲去久矣、不能言。結髮爲夫婦者、只是指其少小也。如言結髮事君、李廣言結髮事匈奴、只言初上頭時也。豈謂合髻子。子厚云、絕非禮義。便當去之。古人凡禮、講修已定、家家行之、皆得如此。今無定制、每家各定。此所謂家殊俗也。至如朝廷之禮、皆不中節。
【読み】
正叔言く、昏禮に髮を結うこと義無し。去らんと欲すること久しくして、言うこと能わず。髮を結いて夫婦と爲す者は、只是れ其の少小を指すなり。髮を結いて君に事うると言い、李廣髮を結いて匈奴に事うると言うが如き、只初めて頭に上ぐる時を言うなり。豈髻子を合するを謂わんや、と。子厚云く、絕[はなは]だ禮義に非ず。便ち當に之を去るべし。古人凡そ禮、講修して已に定まれば、家家に之を行いて、皆此の如くすることを得。今定制無くして、家每に各々定む。此れ所謂家俗を殊にするなり。朝廷の禮の如きに至りても、皆節に中らず、と。

正叔論安南事。當初邊上不便、令逐近點集、應急救援。其時、雖將帥革兵冒涉炎瘴。朝廷以赤子爲憂、亦有所不恤也。其時不救應、放令縱恣、戰殺至數萬。今旣後時、又不候至秋涼迄冬、一直趨寇、亦可以前食嶺北、食積於嶺南搬運。今乃正於七月過嶺、以瘴死者自數分。及過境、又糧不繼、深至賊巢、以栰渡五百人過江、且砍且焚、破其竹寨幾重、不能得、復棹其空栰、續以救兵、反爲賊兵會合禽殺、吾衆無救、或死或逃、遂不成功。所爭者二十五里耳。欲再往、又無舟可渡、無糧以戍。此謬算、未之有也。猶得賊辭差順、遂得有詞、且承當了。若使其言猶未順、如何處之。運糧者死八萬、戰兵瘴死十一萬、餘得二萬八千人生還、尙多病者、又先爲賊戮數萬、都不下三十萬口。其昏謬無謀、如此甚也。
【読み】
正叔安南の事を論ず。當初邊上便ならず、近きを逐って點集して、急に應じて救援す。其の時、將帥革兵と雖も炎瘴を冒し涉る。朝廷赤子を以て憂えと爲し、亦恤えざる所有り。其の時救應せず、放[ほしいまま]に縱恣[しょうし]せしめて、戰殺數萬に至る。今旣に時に後れて、又候あらず秋涼より冬に迄[およ]ぶに至り、一直に寇に趨かば、亦以前嶺北に食して、食嶺南に積むに搬運す可し、と。今乃ち正に七月に嶺を過りて、瘴を以て死する者自づから數分なり。境を過るに及んで、又糧繼がず、深く賊巢に至りて、栰[いかだ]を以て五百人を渡し江を過りて、且つ砍[き]られ且つ焚かれて、其の竹寨幾重を破りて、得ること能わず、復其の空栰に棹さし、續くに救兵を以てすれども、反って賊兵會合して禽殺することを爲し、吾が衆救うこと無く、或は死し或は逃げ、遂に功を成さず。爭う所の者は二十五里のみ。再び往かんと欲して、又舟の渡る可き無く、糧の以て戍[まも]ること無し。此の謬算、未だ之れ有らざるなり。猶賊の辭差[ほぼ]順うことを得て、遂に詞有ることを得て、且承當し了わる。若し其の言をして猶未だ順わざらしめば、如何にか之を處せん。糧を運ぶ者の死すること八萬、戰兵瘴死すること十一萬、餘は二萬八千人生きて還ることを得るも、尙病む者多く、又先に賊の爲に戮せらるること數萬、都て三十萬口に下らず。其の昏謬にして謀ること無きこと、此の如く甚だし、と。

有人言、郭璞以鳩鬭占吉凶。子厚言、此爲他誠實信之、所以就而占得吉凶。正叔言、但有意向此、便可以兆也。非鳩可以占吉凶耳。
【読み】
人有り言く、郭璞鳩を以て鬭わしめて吉凶を占う、と。子厚言く、此れ他誠實に之を信ずるが爲に、所以に就いて占って吉凶を得るなり、と。正叔言く、但意此に向かうこと有れば、便ち以て兆す可し。鳩以て吉凶を占う可きのみに非ず、と。

正叔言、郭逵新貴時、衆論喧然、未知其人如何。後聞人言、欲買韓王宅。更不問可知也。如韓王者、當代功臣、一宅己致而欲有之、大煞不識好惡。子厚言、昔年有人欲爲范希文買綠野堂。希文不肯。識道理自不然。在唐如晉公者、是可尊也。一旦取其物而有之、如何得安。在他人猶可。如王維莊之類。獨有晉公則不可。寧使耕壞、及他有力者致之、己則不可取。
【読み】
正叔言く、郭逵[かくき]新たに貴き時、衆論喧然として、未だ其の人如何ということを知らず。後に人の言を聞く、韓王の宅を買わんと欲す、と。更に問わずして知る可し。韓王の如きは、當代の功臣、一宅己に致して之を有せんと欲するは、大煞[はなは]だ好惡を識らず、と。子厚言く、昔年人有り范希文の爲に綠野堂を買わんと欲す。希文肯[き]かず。道理自づから然らざるを識ればなり。唐に在っては晉公の如き者、是れ尊ぶ可し。一旦其の物を取って之を有せば、如何ぞ安んずることを得ん。他人に在っては猶可なり。王維莊の類の如し。獨晉公に有っては則ち不可なり。寧ろ耕壞せしめ、及び他の力有る者をして之を致さしむるとも、己は則ち取る可からず、と。

正叔言、管轄人亦須有法、徒嚴不濟事。今帥千人、能使千人依時及節得飯喫、只如此者能有幾人。嘗謂軍中夜驚、亞夫堅臥不起。不起善矣。然猶夜驚何也。亦是未盡善。
【読み】
正叔言く、人を管轄すること亦須く法有るべく、徒に嚴なれば事を濟さず。今千人を帥いて、能く千人をして時に依り節に及んで飯喫せんことを得せしむるは、只此の如き者能く幾人か有らん。嘗て謂う、軍中夜驚けども、亞夫堅く臥して起きず、と。起きざるは善なり。然れども猶夜驚くは何ぞや。亦是れ未だ盡く善ならず、と。

正叔謂、今唱名、何不使伊儒冠徐步進見。何用二人把見趨走。得不使殿上大臣有愧色。子厚言、只先出榜、使之見其先後。何用旋開卷呼名。
【読み】
正叔謂く、今の名を唱える、何ぞ伊をして儒冠徐步して進み見えしめざる。何ぞ二人に把見し趨走せしむることを用うる。殿上の大臣をして愧色有らしめざることを得んや、と。子厚言く、只先づ榜を出して、之をして其の先後を見せしむ。何ぞ旋[やや]卷を開いて名を呼ぶことを用いんや、と。

正叔言、某見居位者百事不理會、只恁箇大肚皮。於子厚、却願奈煩處之。
【読み】
正叔言く、某位に居る者を見るに百事理會せず、只恁箇の大肚皮。子厚に於ては、却って願わくは煩わしきに奈[た]えて之に處らんことを、と。

子厚言、關中學者、用禮漸成俗。正叔言、自是關中人剛勁敢爲。子厚言、亦是自家規矩太寬。
【読み】
子厚言く、關中の學者、禮を用いて漸く俗を成す、と。正叔言く、自ら是れ關中の人剛勁にして敢えて爲す、と。子厚言く、亦是れ自家の規矩太だ寬し、と。

正叔言、某家治喪、不用浮圖。在洛、亦有一二人家化之、自不用釋氏。道場之用螺鈸、蓋胡人之樂也。今用之死者之側、是以其樂臨死者也。天竺之人重僧、見僧必飯之、因使作樂於前。今乃以爲之於死者之前、至如慶禱、亦雜用之。是甚義理。如此事、被他欺謾千百年、無一人理會者。
【読み】
正叔言く、某の家喪を治むるに、浮圖を用いず。洛に在りて、亦一二の人家之に化して、自ら釋氏を用いざる有り。道場の螺鈸を用うるは、蓋し胡人の樂ならん。今之を死者の側に用うるは、是れ其の樂を以て死者に臨むなり。天竺の人僧を重んじて、僧を見れば必ず之に飯せしめ、因りて樂を前に作さしむ。今乃ち以て之を死者の前に爲し、慶禱の如きに至っても、亦之を雜え用う。是れ甚[なん]の義理ぞ。此の如きの事、他に欺謾せられて千百年、一人も理會する者無し、と。

正叔謂、何以謂之君子、何以謂之小人。君子則所見者大、小人則所見者小且近。君子之志所慮者、豈止其一身。直慮及天下千萬世。小人之慮、一朝之忿、曾不遑恤其身。
【読み】
正叔謂く、何を以てか之を君子と謂い、何を以てか之を小人と謂わん。君子は則ち見る所の者大に、小人は則ち見る所の者小にして且つ近し。君子の志慮る所の者、豈止其の一身のみならんや。直に慮ることは天下千萬世に及ぶ。小人の慮るは、一朝の忿にして、曾て其の身を恤うるに遑あらず、と。

伯淳謂、才與誠一物、則周天下之治。子厚因謂、此何事於仁。必也聖乎。
【読み】
伯淳謂く、才と誠と一物なるときは、則ち天下に周き治なり、と。子厚因りて謂く、此れ何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か、と。

呂進伯老而好學、理會直是到底。正叔謂、老喜學者尤可愛。人少壯則自當勉、至於老矣、志力須倦、又慮學之不能及、又年數之不多。不曰、朝聞道夕死可矣乎。學不多、年數之不足、不猶愈於終不聞乎。
【読み】
呂進伯老いて學を好み、理會直に是れ到る。正叔謂く、老いて學を喜ぶ者は尤も愛す可し。人少壯なるときは則ち自ら當に勉むべく、老に至っては、志力須く倦むべく、又學の及ぶこと能わず、又年數の多からざることを慮る。曰わずや、朝に道を聞かば夕に死すとも可なり、と。學多からず、年數の足らざるは、猶終に聞かざるに愈らずや、と。

子厚言、十詩之作、止是欲驗天心於語默閒耳。正叔謂、若有他言語、又烏得已也。子厚言、十篇次敍、固自有先後。
【読み】
子厚言く、十詩の作は、止是れ天心を語默の閒に驗さんと欲するのみ、と。正叔謂く、若し他の言語有らば、又烏んぞ已むことを得ん、と。子厚言く、十篇の次敍、固に自づから先後有り、と。

正叔言、成周恐只是統名。雒邑是都也。成周猶今言西京也。雒邑猶今言河南府。孔安國以成周爲下邑、非也。豈有以師保治於下邑。白馬寺之所、恐是遷頑民之處。洛州有言中州・南州之名、恐是作邑分爲九州後始言。成周、恐是舊城壞而復城之、或是其始爲邑、不爲城牆、故後始城。
【読み】
正叔言く、成周とは恐らくは只是れ統名ならん。雒邑は是れ都なり。成周は猶今の西京と言うがごとし。雒邑は猶今の河南府と言うがごとし。孔安國成周を以て下邑と爲すは、非なり。豈師保を以て下邑を治むること有らんや。白馬寺の所は、恐らくは是れ頑民を遷せし處ならん。洛州に中州・南州と言う名有り、恐らくは是れ邑を作って分けて九州と爲して後に始めて言うならん。成周は、恐らくは是れ舊城壞れて復之を城[きづ]く、或は是れ其の始めに邑を爲るに、城牆を爲らず、故に後に始めて城とするならん、と。

二程解窮理盡性以至於命、只窮理便是至於命。子厚謂、亦是失於太快。此義儘有次序。須是窮理、便能盡得己之性、則推類又盡人之性。旣盡得人之性、須是并萬物之性一齊盡得。如此然後至於天道也。其閒煞有事、豈有當下理會了。學者須是窮理爲先。如此則方有學。今言知命與至於命、儘有近遠。豈可以知便謂之至也。
【読み】
二程理を窮め性を盡くして以て命に至るを解する、只理を窮むれば便ち是れ命に至るとす。子厚謂く、亦是れ太快に失す。此の義は儘く次序有り。是れ理を窮むるを須って、便ち能く己が性を盡くし得るときは、則ち類を推して又人の性を盡くす。旣に人の性を盡くし得るときは、須く是れ萬物の性を并せて一齊に盡くし得るべし。此の如くにして然して後に天道に至るなり。其の閒煞だ事有り、豈當下に理會し了わること有らんや。學者須く是れ理を窮むるを先とすべし。此の如きときは則ち方に學ぶこと有り。今命を知ると命に至ると言うは、儘く近遠有り。豈知を以て便ち之を至ると謂う可けんや、と。

正叔謂、洛俗恐難化於秦人。子厚謂、秦俗之化、亦先自和叔有力焉、亦是士人敦厚。東方亦恐難肯向風。
【読み】
正叔謂く、洛の俗恐らくは秦人より化し難からん、と。子厚謂く、秦の俗の化するは、亦先づ自づから和叔にして力有り、亦是れ士人敦厚なればなり。東方も亦恐らくは肯えて風に向くこと難からん、と。

正叔辨周都言、榖・洛鬭、毀王宮。今榖・洛相合處在七里店南。旣言毀王宮、則周室亦恐不遠於今之宮闕也。
【読み】
正叔周都を辨じて言く、榖・洛鬭いて、王宮を毀つ。今榖・洛相合う處は七里店の南に在り。旣に王宮を毀つと言うときは、則ち周室も亦恐らくは今の宮闕に遠からじ、と。

子厚謂、昔嘗謂伯淳優於正叔。今見之果然。其救世之志甚誠切、亦於今日天下之事儘記得熟。
【読み】
子厚謂く、昔嘗て謂えらく、伯淳は正叔に優れり、と。今之を見ること果たして然り。其の世を救うの志甚だ誠に切にして、亦今日天下の事に於て儘く記得し熟す、と。

子厚言、今日之往來、倶無益。不如閒居、與學者講論、資養後生、却成得事。正叔言、何必然。義當來則來、當往則往爾。
【読み】
子厚言く、今日の往來は、倶に益無し。閒居して、學者と講論して、後生を資養して、却って事を成し得んには如かず、と。正叔言く、何ぞ必ずしも然らん。義當に來るべきときは則ち來り、當に往くべきときは則ち往かんのみ、と。

二程言、人不易知。子厚言、人誠知之爲艱。然至於伎術能否、人情善惡、便可知。惟以(一作似。)秦武陽殺人於市、見秦始皇懼、此則不可知。
【読み】
二程言く、人知ること易からず、と。子厚言く、人誠に之を知るを艱しと爲す。然れども伎術の能否、人情の善惡に至っては、便ち知る可し。惟以て(一に似に作る。)秦武陽人を市に殺し、秦の始皇を見て懼るるは、此れ則ち知る可からず、と。

 

二程全書卷之十二  遺書明道先生語第一

師訓  劉絢質夫錄

毋不敬、儼若思、安定辭、安民哉、君德也。君德卽天德也。
【読み】
敬まざること毋かれ、儼として思うが若くせよ、辭を安定にせよ、民を安んぜんかなとは、君德なり。君德は卽ち天德なり。

思無邪。
【読み】
思い邪無し。

敬以直内、義以方外、敬義立而德不孤。(德不孤、與物同故不孤也。)
【読み】
敬以て内を直くし、義以て外を方にすれば、敬義立ちて德孤ならず。(德孤ならざるは、物と同じき故に孤ならざるなり。)

夫子之道、忠恕而已矣。
【読み】
夫子の道は、忠恕のみ。

聖人以此齊戒、以神明其德夫。
【読み】
聖人此の齊戒を以てするは、以て其の德を神明にするなり。

天命之謂性、率性之謂道、修道之謂敎。
【読み】
天命之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、道を修むる之を敎と謂う。

孟子曰、我善養吾浩然之氣。其爲氣也、至大至剛。以直養而無害、則塞乎天地之閒。其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。
【読み】
孟子曰く、我れ善く吾が浩然の氣を養う。其の氣爲る、至大至剛なり。直きを以て養いて害うこと無きときは、則ち天地の閒に塞がる。其の氣爲る、義と道とに配す。是れ無きときは餒う。是れ集義の生[な]す所の者、義襲って之を取るに非ず、と。

天位乎上、地位乎下、人位乎中。無人則無以見天地。書曰、惟天地萬物父母、惟人萬物之靈。易曰、天地設位、而易行乎其中。乾坤毀、則無以見易。易不可見、則乾坤或幾乎息矣。
【読み】
天は上に位し、地は下に位し、人は中に位す。人無ければ則ち以て天地を見ること無し。書に曰く、惟れ天地は萬物の父母なり、惟れ人は萬物の靈なり、と。易に曰く、天地位を設けて、易其の中に行わる。乾坤毀つときは、則ち以て易を見ること無し。易見る可からざるときは、則ち乾坤或は息むに幾し、と。

道、一本也。或謂以心包誠、不若以誠包心。以至誠參天地、不若以至誠體人物、是二本也。知不二本、便是篤恭而天下平之道。
【読み】
道は、本を一にするなり。或るひとの謂う、心を以て誠を包むは、誠を以て心を包むに若かず。至誠を以て天地に參わるは、至誠を以て人物に體するに若かずとは、是れ本を二にするなり。本を二にせざることを知れば、便ち是れ篤恭にして天下平かなるの道なり。

形而上者謂之道、形而下者謂之器。若如或者以淸虛一大爲天道、則(一作此。)乃以器言而非道也。
【読み】
形よりして上なる者之を道と謂い、形よりして下なる者之を器と謂う。或る者淸虛一大を以て天道と爲すが若如きは、則(一に此に作る。)乃ち器を以て言いて道に非ざるなり。

範圍天地之化而不過者、模範出一天地爾。非在外也。如此曲成萬物、豈有遺哉。
【読み】
天地の化を範圍して過たざるとは、一天地を模範し出すのみ。外に在るに非ざるなり。此の如く萬物を曲成すれば、豈遺すこと有らんや。

天地設位而易行其中、何不言人行其中。蓋人亦物也。若言神行乎其中、則人只於鬼神上求矣。若言理言誠亦可也。而特言易者、欲使人默識而自得之也。
【読み】
天地位を設けて易其の中に行わるとは、何ぞ人其の中に行わると言わざるや。蓋し人も亦物なり。若し神其の中に行わると言わば、則ち人只鬼神上に於て求めんのみ。若し理と言い誠と言わば亦可なり。而も特に易と言う者は、人をして默識して之を自得せしめんことを欲するなり。

繫辭曰、形而上者謂之道、形而下者謂之器。又曰、立天之道曰陰與陽、立地之道曰柔與剛、立人之道曰仁與義。又曰、一陰一陽之謂道。陰陽亦形而下者也。而曰道者、惟此語截得上下最分明。元來只此是道、要在人默而識之也。
【読み】
繫辭に曰く、形よりして上なる者之を道と謂い、形よりして下なる者之を器と謂う、と。又曰く、天の道を立てて陰と陽と曰い、地の道を立てて柔と剛と曰い、人の道を立てて仁と義と曰う、と。又曰く、一陰一陽之を道と謂う、と。陰陽は亦形よりして下なる者なり。而れども道と曰う者は、惟此の語截ち得て上下最も分明なればなり。元來只此れ是の道、人默して之を識すに在ることを要するのみ。

立天之道曰陰與陽、立地之道曰柔與剛、立人之道曰仁與義、兼三才(一之也。)而兩之。(不兩則無用。)
【読み】
天の道を立てて陰と陽と曰い、地の道を立てて柔と剛と曰い、人の道を立てて仁と義と曰い、三才を兼ねて(之を一にするなり。)之を兩にす。(兩にせざれば則ち用無し。)

天地設位而易行乎其中、只是敬也。敬則無閒斷。體物而不可遺者、誠敬而已矣。不誠則無物也。詩曰、維天之命、於穆不已、於乎不顯、文王之德之純。純亦不已。純則無閒斷。
【読み】
天地位を設けて易其の中に行わるるは、只是れ敬なればなり。敬なれば則ち閒斷無し。物に體して遺す可からざる者は、誠敬のみ。誠あらざれば則ち物無し。詩に曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まず、於顯らかならずや、文王の德の純らなる、と。純も亦已まず。純なれば則ち閒斷無し。

毋不敬、儼若思、安定辭、安民哉、君道也。君道卽天道也。出門如見大賓、使民如承大祭。此仲弓之問仁而仲尼所以告之者、以仲弓爲可以事斯語也。雍也可使南面、有君之德也。毋不敬、可以對越上帝。
【読み】
敬まざること毋かれ、儼として思うが若くせよ、辭を安定にせよ、民を安んぜんかなとは、君道なり。君道は卽ち天道なり。門を出でては大賓を見るが如く、民を使うには大祭に承[つかまつ]るが如し、と。此れ仲弓の仁を問いて仲尼之に告ぐる所以の者は、仲弓以て斯の語を事とす可しとするを以てなり。雍は南面せしむ可しとは、君の德有ればなり。敬まざること毋ければ、以て上帝に對越す可し。

祭如在、祭神如神在。
【読み】
祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。

敬以直内、義以方外、合内外之道也。(釋氏、内外之道不備者也。)
【読み】
敬以て内を直くし、義以て外を方にするは、内外を合するの道なり。(釋氏は、内外の道備らざる者なり。)

克勤小物最難。
【読み】
克く小物を勤むること最も難し。

自下而達上者、惟造次必於是、顚沛必於是。
【読み】
下自りして上に達する者は、惟造次も必ず是に於てし、顚沛も必ず是に於てす。

鼓萬物而不與聖人同憂。聖人、人也。故不能無憂。天則不爲堯存、不爲桀亡者也。
【読み】
萬物を鼓して聖人と憂えを同じくせず。聖人も、人なり。故に憂え無きこと能わず。天は則ち堯の爲に存せず、桀の爲に亡びざる者なり。

咸恆、體用也。體用無先後。
【読み】
咸恆は、體用なり。體用に先後無し。

易窮則變。變則通。通則久。
【読み】
易窮まれば則ち變ず。變ずれば則ち通ず。通ずるときは則ち久し。

天則不言而信、神則不怒而威。
【読み】
天は則ち言わずして信あり、神は則ち怒らずして威あり。

顏子默識、曾子篤信。得聖人之道者、二人也。(曾子曰、吾得正而斃焉、斯已矣。)
【読み】
顏子は默して識し、曾子は篤く信ぜり。聖人の道を得る者は、二人なり。(曾子曰く、吾れ正しきを得て斃るれば、斯れ已まん、と。)

天地之正氣、恭作肅。肅便雍也。
【読み】
天地の正氣は、恭肅と作る。肅は便ち雍なり。

理則極高明、行之只是中庸也。
【読み】
理は則ち高明を極めて、之を行うは只是れ中庸のみ。

中庸言誠便是神。
【読み】
中庸に誠を言うは便ち是れ神。

天人無閒斷。
【読み】
天人閒斷無し。

耳目能視聽而不能遠者、氣有限耳。心則無遠近也。
【読み】
耳目能く視聽して遠きこと能わざる者は、氣に限り有るのみ。心は則ち遠近無し。

學在誠知誠養。
【読み】
學は誠知誠養に在り。

學要信與熟。
【読み】
學は信と熟とを要す。

正己而物正、大人之事。學須如此。
【読み】
己を正して物正しきは、大人の事。學は須く此の如くすべし。

敬勝百邪。
【読み】
敬は百邪に勝つ。

萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。
【読み】
萬物皆我に備わる。身に反して誠あれば、樂しみ焉より大なるは莫し。

欲當大任、須是篤實。
【読み】
大任に當たらんと欲せば、須く是れ篤實にすべし。

大人者、與天地合其德、與日月合其明。非在外也。
【読み】
大人は、天地と其の德を合し、日月と其の明を合す。外に在るに非ざるなり。

失之毫釐、繆之千里。深可戒愼。
【読み】
之を毫釐に失すれば、繆ること之れ千里なり。深く戒愼す可し。

平康正直。
【読み】
平康正直。

己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬者、可謂仁之方也已。博施而能濟衆、固仁也。而仁不足以盡之。故曰、必也聖乎。
【読み】
己立てんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達つ、能く近く取り譬うる者は、仁の方と謂う可きのみ。博く施して能く衆を濟うは、固に仁なり。而れども仁は以て之を盡くすに足らず。故に曰く、必ずや聖か、と。

孟子曰、仁也者人也。合而言之道也。中庸所謂率性之謂道是也。仁者、人此者也。敬以直内、義以方外、仁也。若以敬直内、則便不直矣。行仁義豈有直乎。必有事焉而勿正、則直也。夫能敬以直内、義以方外、則與物同矣。故曰、敬義立而德不孤。是以仁者無對。放之東海而準、放之西海而準、放之南海而準、放之北海而準。醫家言四體不仁、最能體仁之名也。(一本醫字下、別爲一章。)
【読み】
孟子曰く、仁は人なり。合わせて之を言えば道なり、と。中庸に所謂性に率う之を道と謂うとは是れなり。仁は、此を人にする者なり。敬は以て内を直くし、義は以て外を方にするは、仁なり。若し敬を以て内を直くすれば、則便ち直ならず。仁義を行うこと豈直有らんや。必ず事とすること有りて正[あてて]すること勿かれは、則ち直なり。夫れ能く敬以て内を直くし、義以て外を方にすれば、則ち物と同じ。故に曰く、敬義立ちて德孤ならず、と。是を以て仁は對無し。之を東海に放ちて準とし、之を西海に放ちて準とし、之を南海に放ちて準とし、之を北海に放ちて準とす。醫家四體不仁と言うは、最も能く仁に體するの名なり。(一本に醫の字の下、別に一章と爲す。)

天地之大德曰生。天地絪縕、萬物化醇。生之謂性(告子此言是。而謂犬之性猶牛之性、牛之性猶人之性、則非也。)。萬物之生意最可觀。此元者善之長也。斯所謂仁也。人與天地一物也。而人特自小之、何耶。
【読み】
天地の大德を生と曰う。天地絪縕して、萬物化醇す。生之を性と謂う(告子が此の言是なり。而れども犬の性は猶牛の性のごとく、牛の性は猶人の性のごとしと謂うは、則ち非なり。)。萬物の生意最も觀る可し。此れ元は善の長なればなり。斯れ所謂仁なり。人は天地と一物なり。而れども人特に自ら之を小にするは、何ぞや。

人賢不肖、國家治亂、不可以言命。
【読み】
人の賢不肖、國家の治亂は、以て命と言う可からず。

至誠可以贊化育者、可以囘造化。
【読み】
至誠以て化育を贊く可き者は、以て造化を囘す可し。

惟神也。故不疾而速、不行而至。神無速、亦無至。須如此言者、不如是不足以形容故也。
【読み】
惟神なり。故に疾やかならずして速やかに、行かずして至る。神は速やかなること無く、亦至ること無し。須く此の如く言うべき者は、是の如くならざれば以て形容するに足らざるが故なり。

天地萬物之理、無獨必有對。皆自然而然。非有安排也。每中夜以思、不知手之舞之、足之蹈之也。
【読み】
天地萬物の理、獨なること無く必ず對有り。皆自然にして然り。按排有るに非ず。中夜以て思う每に、手の舞い、足の蹈むを知らず。

老子之言、竊弄闔闢者也。
【読み】
老子の言は、闔闢を竊弄する者なり。

冬寒夏暑、陰陽也。所以運動變化者、神也。神無方。故易無體。若如或者別立一天、謂人不可以包天、則有方矣。是二本也。
【読み】
冬寒く夏暑きは、陰陽なり。運動變化する所以の者は、神なり。神は方無し。故に易は體無し。或る者別に一天を立てて、人以て天を包ぬ可からずと謂うが若如きは、則ち方有り。是れ本を二にするなり。

窮神知化。化之妙者神也。
【読み】
神を窮め化を知る。化の妙なる者は神なり。

窮理盡性以至於命、一物也。
【読み】
理を窮め性を盡くして以て命に至るは、一物なればなり。

天地只是設位。易行乎其中者神也。
【読み】
天地は只是れ位を設く。易其の中に行わるる者は神なり。

氣外無神、神外無氣。或者謂淸者神、則濁者非神乎。
【読み】
氣の外に神無く、神の外に氣無し。或る者淸める者を神と謂わば、則ち濁れる者は神に非ずや。

大抵學不言而自得者、乃自得也。有安排布置者、皆非自得也。
【読み】
大抵學言わずして自得する者は、乃ち自得なり。安排布置有る者は、皆自得に非ざるなり。

言有無、則多有字、言無無、則多無字。有無與動靜同。如冬至之前天地閉、可謂靜矣。而日月星辰亦自運行而不息、謂之無動可乎。但人不識有無動靜爾。
【読み】
有無を言うときは、則ち有の字多く、無無を言うときは、則ち無の字多し。有無は動靜と同じ。冬至の前に天地閉ぢるが如き、靜なりと謂う可し。而も日月星辰も亦自ら運行して息まず、之を動くこと無しと謂いて可ならんや。但人有無動靜を識らざるのみ。

正名、(聲氣名理、形名理。)名實相須。一事苟、則其餘皆苟矣。
【読み】
名を正すは聲氣名理、形名理。、名實相須[ま]つ。一事苟もすれば、則ち其の餘も皆苟もす。

忠信者以人言之。要之則實理也。
【読み】
忠信は人を以て之を言う。之を要すれば則ち實理なり。

天下雷行、物與无妄、天下雷行、付與无妄。天性豈有妄耶。聖人以茂對時育萬物、各使得其性也。无妄則一毫不可加、安可往也。往則妄矣。无妄、震下乾上、動以天。安有妄乎。動以人、則有妄矣。
【読み】
天の下に雷行き、物ごとに无妄を與うとは、天の下に雷行き、无妄を付與するなり。天性豈妄有らんや。聖人以て茂[さか]んに時に對して萬物を育うとは、各々其の性を得せしむるなり。无妄なれば則ち一毫も加う可からず、安んぞ往く可けんや。往くときは則ち妄なり。无妄は、震下乾上、動くに天を以てす。安んぞ妄有らんや。動くに人を以てするときは、則ち妄有り。

犯而不校、校則私。非樂天者也。(犯有當報者、則是循理而已。)
【読み】
犯せども校[はか]らず、校るときは則ち私なり。天を樂しむ者に非ざるなり。(犯すは當に報ずべき者有り、則ち是れ理に循うのみ。)

意者任意。必者必行。固者固執。我者私己。
【読み】
意は意に任ずるなり。必は行を必とするなり。固は固く執るなり。我は私己なり。

綏之斯來、動之斯和、聖人之神化、上下與天地同流者也。
【読み】
之を綏[やす]んずれば斯に來り、之を動かせば斯に和らぐとは、聖人の神化、上下天地と流を同じくする者なり。

禮云、後世雖有作者、虞帝弗可及已。如鳳凰來儀、百獸率舞之事、三代以降無此也。
【読み】
禮に云う、後世作者有りと雖も、虞帝には及ぶ可からざるのみ、と。鳳凰來儀し、百獸率いて舞うが如ごとくなる事、三代より以降此れ無し。

泰誓・武成稱一月者、商正已絕、周正未建。故只言一月。
【読み】
泰誓・武成に一月と稱する者は、商の正已に絕えて、周の正未だ建[さ]さず。故に只一月と言う。

中之理至矣。獨陰不生、獨陽不生、偏則爲禽獸、爲夷狄、中則爲人。中則不偏、常則不易、惟中不足以盡之。故曰中庸。
【読み】
中の理至れり。獨り陰のみ生ぜず、獨り陽のみ生ぜず、偏なるときは則ち禽獸と爲り、夷狄と爲り、中なるときは則ち人と爲る。中なるときは則ち偏ならず、常なるときは則ち易わらず、惟中以て之を盡くすに足らず。故に中庸と曰う。

陰陽盈縮不齊、不能無差。故曆家有歲差法。
【読み】
陰陽の盈縮齊しからず、差無きこと能わず。故に曆家に歲差の法有り。

日月薄蝕而旋復者、不能奪其常也。
【読み】
日月薄蝕して旋復する者は、其の常を奪うこと能わざるなり。

古今異宜、不惟人有所不便、至於風氣亦自別也。(日月星辰皆氣也。亦自別。)
【読み】
古今宜しきを異にすること、惟人のみ便ならざる所有るにあらず、風氣に至っても亦自づから別なり。(日月星辰は皆氣なり。亦自づから別なり。)

時者聖人所不能違。然人之智愚、世之治亂、聖人必示可易之道。豈徒爲敎哉。蓋亦有其理故也。
【読み】
時は聖人も違うこと能わざる所。然れども人の智愚、世の治亂、聖人必ず易う可きの道を示す。豈徒に敎を爲すのみならんや。蓋し亦其の理有る故なり。

學要在自得。古人敎人、唯指其非。故曰、舉一隅不以三隅反、則不復也。言三隅、舉其近。若夫告諸往而知來者、則其知已遠矣。(佛氏言印證者、豈自得也。其自得者、雖甚人言、亦不動。待人之言爲是、何自得之有。)
【読み】
學は自得するに在ることを要す。古人人を敎うるに、唯其の非を指すのみ。故に曰く、一隅を舉ぐるに三隅を以て反らざるときは、則ち復びせざるなり、と。三隅と言うは、其の近きを舉ぐ。往を告ぐるに而も來を知る者の若きは、則ち其の知已に遠し。(佛氏言う印證なる者は、豈自得ならんや。其の自得する者は、甚人言うと雖も、亦動かず。人の言を待って是と爲すは、何ぞ自得ということか之れ有らん。)

行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、與從周之文不悖。從先進則爲時之弊言之。彼各有當也。
【読み】
夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服すと、周に從わんの文と悖らず。先進に從うは則ち時の弊の爲に之を言う。彼各々當たること有り。

臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之藝、備此數者、而文之以禮樂、亦可以爲成人矣。又曰、今之成人者何必然。見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以爲成人矣者、只是言忠信也。忠信者實也、禮樂者文也。語成人之名、自非聖人、誰能當之。孟子曰、唯聖人然後可以踐形。如此、方足以稱成人之名。
【読み】
臧武仲が知、公綽が不欲、卞莊子が勇、冉求が藝、此の數者を備えて、之を文なすに禮樂を以てせば、亦以て成人とす可し、と。又曰く、今の成人という者は何ぞ必ずしも然らん。利を見て義を思い、危きを見て命を授け、久要にも平生の言を忘れざるを、亦以て成人とす可しとは、只是れ忠信を言うなり。忠信は實なり、禮樂は文なり。成人の名を語ること、聖人に非ざる自りは、誰か能く之に當たらん。孟子曰く、唯聖人にして然して後に以て形を踐む可し、と。此の如くにして、方に以て成人の名を稱するに足れり。

詩曰、天生蒸民、有物有則、民之秉彝、好是懿德。故有物必有則、民之秉彝也、故好是懿德。萬物皆有理、順之則易、逆之則難。各循其理。何勞於己力哉。
【読み】
詩に曰く、天の蒸民を生す、物有れば則有り、民の彝を秉る、是の懿德を好む、と。故に物有れば必ず則有り、民の彝を秉る、故に是の懿德を好む。萬物皆理有り、之に順えば則ち易く、之に逆えば則ち難し。各々其の理に循う。何ぞ己が力を勞せんや。

人心莫不有知。惟蔽於人欲、則亡天德(一作理。)也。
【読み】
人心知ること有らざること莫し。惟人欲に蔽われるときは、則ちを天德(一に理に作る。)を亡[わす]る。

皆實理也。人知而信者爲難。孔子曰、朝聞道、夕死可矣。死生亦大矣。非誠知道、則豈以夕死爲可乎。
【読み】
皆實理なり。人知って信ずる者を難しと爲す。孔子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり、と。死生も亦大なり。誠に道を知るに非ずんば、則ち豈夕に死するを以て可とせんや。

萬物莫不有對。一陰一陽、一善一惡、陽長則陰消、善增則惡減。斯理也、推之其遠乎。人只要知此耳。
【読み】
萬物は對有らざること莫し。一陰一陽、一善一惡、陽長ずれば則ち陰消じ、善增すときは則ち惡減ず。斯の理や、之を推すに其れ遠からんや。人只此を知ることを要するのみ。

言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。此孔子所以告子張者也。若顏・閔則無此問。孔子告之亦不如此。或疑如此亦有不得祿者。孔子蓋曰、耕也、餒在其中矣。唯理可爲者、爲之而已矣。
【読み】
言尤寡く、行悔い寡きときは、祿其の中に在り、と。此れ孔子子張に告ぐる所以の者なり。顏・閔の若きは則ち此の問い無けん。孔子之に告ぐるに亦此の如くならじ。或るひと疑う、此の如くにして亦祿を得ざる者有らん、と。孔子蓋し曰く、耕すにも、餒[うえ]其の中に在り、と。唯理としてす可き者、之をするのみ。

孔子聞衛亂、曰、柴也其來乎。由也其死矣。二者蓋皆適於義。孔悝受命立輒。若納蒯聵則失職、與輒拒父則不義。如輒避位、則拒蒯聵可也。如輒拒父、則奉身而退可也。故子路欲勸孔悝無與於此、忠於所事也。而孔悝旣被脅矣。此子路不得不死耳。然燔臺之事、則過於勇暴也。公子郢志可嘉。然當立而不立、以致衛亂、亦聖人所當罪也。而春秋不書、事可疑耳。
【読み】
孔子衛の亂を聞いて、曰く、柴や其れ來らんか。由や其れ死せん、と。二者は蓋し皆義に適えり。孔悝[こうかい]命を受けて輒[ちょう]を立つ。若し蒯聵[かいかい]を納るるときは則ち職を失し、輒と與に父を拒ぐときは則ち不義なり。如し輒位を避けば、則ち蒯聵を拒いで可なり。如し輒父を拒がば、則ち身を奉じて退いて可なり。故に子路孔悝をして此に與すること無くして、事うる所に忠あらんことを勸めんと欲す。而るに孔悝旣に脅さるる。此れ子路死せざることを得ざるのみ。然れども臺を燔[や]かんとする事は、則ち勇暴に過ぎたり。公子郢[えい]の志嘉す可けん。然れども當に立つべくして立たずして、以て衛の亂を致すは、亦聖人の當に罪すべき所なり。而るに春秋に書せざる、事疑う可きのみ。

事君數、斯辱矣。朋友數、斯疏矣。數者、煩數也。
【読み】
君に事えて數々するときは、斯[すなわ]ち辱めらる。朋友に數々するときは、斯ち疏んぜらる。數は、煩數なり。

以己及物、仁也。推己及物、恕也。(違道不遠是也。)忠恕一以貫之。忠者天理、恕者人道。忠者無妄、恕者所以行乎忠也。忠者體、恕者用、大本達道也。此與違道不遠異者、動以天爾。
【読み】
己を以て物に及ぼすは、仁なり。己を推して物に及ぼすは、恕なり。(道を違ること遠からじとは是れなり。)忠恕一以て之を貫く。忠は天理、恕は人道。忠は無妄、恕は忠を行う所以なり。忠は體、恕は用、大本達道なり。此れ道を違ること遠からじと異なる者は、動くに天を以てするのみ。

必有事焉而勿正、(事者事事之事。)心勿忘勿助長、養氣之道當如此。
【読み】
必ず事とすること有りて正[あてて]すること勿かれ、(事は事を事とするの事。)心に忘るること勿かれ長ずることを助くること勿かれとは、氣を養うの道當に此の如くすべし。

志動氣者十九、氣動志者十一。
【読み】
志氣を動かす者は十にして九、氣志を動かす者は十にして一。

祖考來格者、惟至誠爲有感必通。
【読み】
祖考來格する者は、惟至誠感ずること有れば必ず通ずるが爲なり。

動容周旋中禮者、盛德之至。君子行法以俟命、朝聞道夕死之意也。
【読み】
動容周旋禮に中る者は、盛德の至りなり。君子法を行いて以て命を俟つは、朝に道を聞かば夕に死するの意なり。

大凡出義則入利、出利則入義。天下之事、惟義利而已。
【読み】
大凡義を出すときは則ち利に入り、利を出すときは則ち義に入る。天下の事は、惟義利のみ。

湯・武反之身之者、學而復者也。
【読み】
湯・武は之に反り之を身よりする者は、學んで復する者なり。

視其所以(以、用也、所爲也。)、觀其所由(由、所從之道也。)、察其所安(志意所安也、所存也。)
【読み】
其の以[もち]うる(以は、用うるなり、爲す所なり。)所を視、其の由る(由は、從う所の道なり。)所を觀、其の安んずる(志意の安んずる所なり、存する所なり。)所を察す。

北宮黝要之以必爲、孟施舍推之以不懼(北宮黝或未能無懼。)。故黝不如施舍之守約也。子夏信道、曾子明理。故二子各有所似。
【読み】
北宮黝[ほくきゅうゆう]は之を要するに必ず爲すことを以てし、孟施舍は之を推すに懼れざるをことを以てす(北宮黝或は未だ懼るること無きこと能わず。)。故に黝は施舍が守ること約なるに如かざるなり。子夏は道を信じ、曾子は理を明らかにす。故に二子各々似る所有り。

公孫丑謂夫子加齊之卿相、得行道焉、如此則能無畏懼而動心乎。故孟子曰、否、我四十不動心。
【読み】
公孫丑謂う、夫子齊の卿相に加えて、道を行うことを得ば、此の如きときは則ち能く畏れ懼れて心を動かすこと無からんや、と。故に孟子曰く、否、我れ四十にして心を動かさず、と。

人心不得有所繫。
【読み】
人心は繫る所有ることを得ず。

剛者强而不屈、毅者有所發、木者質樸、訥者遲鈍。
【読み】
剛は强くして屈せざるなり、毅は發する所有るなり、木は質樸なり、訥は遲鈍なり。

禮者、理也、文也。理者、實也、本也。文者、華也、末也。理是一物、文是一物。文過則奢、實過則儉。奢自文所生、儉自實所出。故林放問禮之本、子曰、禮、與其奢也寧儉。言儉近本也。(此與形影類矣。推此理、則甚有事也。)
【読み】
禮は、理なり、文なり。理は、實なり、本なり。文は、華なり、末なり。理は是れ一物、文も是れ一物。文過ぎるときは則ち奢り、實過ぎるときは則ち儉なり。奢は文自り生ずる所、儉は實自り出る所。故に林放禮の本を問いて、子曰く、禮は、其の奢らん與りは寧ろ儉せよ、と。言うこころは、儉は本に近ければなり。(此れ形影と類す。此の理を推すときは、則ち甚[なん]ぞ事とすること有らん。)

以物待物、不以己待物、則無我也。聖人制行不以己、言則是矣。而理似未盡於此言。夫天之生物也、有長有短、有大有小。君子得其大矣(一作者。)。安可使小者亦大乎。天理如此。豈可逆哉。以天下之大、萬物之多、用一心而處之、必得其要、斯可矣。然則古人處事、豈不優乎。
【読み】
物を以て物を待って、己を以て物を待たざるときは、則ち我無し。聖人行を制するに己を以てせずとは、言うこころは則ち是れなり。而も理未だ此の言を盡くさざるに似れり。夫れ天の物を生ずるや、長有り短有り、大有り小有り。君子は其の大を得(一に者に作る。)。安んぞ小なる者をして亦大ならしむ可けんや。天理は此の如し。豈逆う可けんや。天下の大、萬物の多きを以て、一心を用いて之に處せば、必ず其の要を得て、斯れ可なり。然れば則ち古人事に處する、豈優えざらんや。

志可克氣。氣勝(一有志字。)則憒亂矣。今之人以恐懼而勝氣者多矣。而以義理勝氣者鮮也。
【読み】
志氣に克つ可し。氣勝つときは(一に志の字有り。)則ち憒亂す。今の人恐懼を以て氣に勝つ者多し。而れども義理を以て氣に勝つ者は鮮し。

樂天知命、通上下之言也。聖人樂天、則不須言知命。知命者、知有命而信之者爾。不知命無以爲君子是矣。命者所以輔義、一循於義、則何庸斷之以命哉。若夫聖人之知天命、則異於此。
【読み】
天を樂しみ命を知るは、上下を通ずるの言なり。聖人の天を樂しむは、則ち命を知ると言うを須[もち]いず。命を知るとは、命有ることを知って之を信ずる者のみ。命を知らざれば以て君子とすること無しとは是れなり。命は義を輔くる所以、一に義に循うときは、則ち何を庸[もっ]てか之を斷るに命を以てせんや。夫の聖人の天命を知るが若きは、則ち此に異なり。

仁者不憂、樂天者也。
【読み】
仁者は憂えざるは、天を樂しむ者なればなり。

孝弟也者、其爲仁之本與。言爲仁之本、非仁之本也。
【読み】
孝弟は、其れ仁を爲すの本か。言うこころは、仁を爲すの本にして、仁の本に非ざるなり。

仁者不憂、知者不惑、勇者不懼、德之序也。知者不惑、仁者不憂、勇者不懼、學之序也。知以知之、仁以守之、勇以行之。
【読み】
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れずとは、德の序なり。知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れずとは、學の序なり。知以て之を知り、仁以て之を守り、勇以て之を行う。

言天之自然者、謂之天道。言天之付與萬物者、謂之天命。
【読み】
天の自然なる者を言えば、之を天道と謂う。天の萬物に付與する者を言えば、之を天命と謂う。

德性者、言性之可貴。與言性善、其實一也。性之德者、言性之所有。如卦之德、乃卦之韞也。
【読み】
德性は、性の貴ぶ可きを言う。性は善なりと言うと、其の實は一なり。性の德は、性の有する所を言う。卦の德は、乃ち卦の韞なるが如し。

肫肫其仁、蓋言厚也。
【読み】
肫肫[じゅんじゅん]たる其の仁とは、蓋し厚きを言うなり。

自明而誠、雖多由致曲、然亦有自大體中便誠者。雖亦是自明而誠、謂之致曲則不可。
【読み】
明らかなる自りして誠なるは、多く曲を致むるに由ると雖も、然れども亦大體の中自り便ち誠なる者有り。亦是れ明らかなる自りして誠なると雖も、之を曲を致むと謂うは則ち不可なり。

體群臣者、體察也。心誠求之、則無不察矣。忠厚之至也。故曰、忠信重祿、所以勸士。言盡其忠信而厚其祿食、此所以勸士也。
【読み】
群臣に體すとは、體察するなり。心誠に之を求むれば、則ち察せざること無し。忠厚の至りなり。故に曰く、忠信にして祿を重くするは、士を勸むる所以なり、と。言うこころは、其の忠信を盡くして其の祿食を厚くするは、此れ士を勸むる所以なり。

敬鬼神而遠之、所以不黷也。知之事也。先難後獲、先事後得之義也。仁之事也。若知者利仁、乃先得後事之義也。
【読み】
鬼神を敬して之を遠ざくるは、黷[けが]れざる所以なり。知の事なり。難きを先にして獲ることを後にするは、事を先にして得ることを後にするの義なり。仁の事なり。知者は仁を利とすというが若きは、乃ち得ることを先にして事を後にするの義なり。

人心惟危、人欲也。道心惟微、天理也。惟精惟一、所以至之。允執厥中、所以行之。(用也。)
【読み】
人心惟れ危きは、人欲なり。道心惟れ微かなるは、天理なり。惟れ精惟れ一は、之に至る所以なり。允に厥の中を執るは、之を行う所以なり。(用なり。)

仁者其言也訒、難其出也。
【読み】
仁者は其の言訒[かた]しとは、其の出すことを難ずるなり。

治道在於立志。責任求賢。
【読み】
治道は志を立つるに在り。責は賢を求むるに任ず。

知仁勇三者天下之達德、學之要也。
【読み】
知仁勇の三つの者は天下の達德、學の要なり。

操約者、敬而已矣。
【読み】
操ること約なる者は、敬のみ。

顏子不動聲氣、孟子則動聲氣矣。
【読み】
顏子は聲氣を動かさず、孟子は則ち聲氣を動かす。

无妄、震下乾上。聖人之動以天、賢人之動以人。若顏子之有不善、豈如衆人哉。惟只在於此閒爾。蓋猶有己焉。至於無我、則聖人也。顏子切於聖人、未達一息爾。不遷怒、不貳過、無伐善、無施勞、三月不違仁者、此意也。
【読み】
无妄は、震下乾上。聖人の動は天を以てし、賢人の動は人を以てす。顏子の不善有るが若き、豈衆人の如くならんや。惟只此の閒に在るのみ。蓋し猶己を有するがごとし。我れ無きに至っては、則ち聖人なり。顏子聖人に切なること、未だ達せざること一息のみ。怒りを遷さず、過ちを貳せず、善を伐[ほこ]ること無く、勞を施すこと無し、三月仁に違わずとは、此の意なり。

子曰、語之而不惰者、其囘也與。顏子之不惰者、敬也。
【読み】
子曰く、之に語ぐるに而も惰らざる者は、其れ囘なるか。顏子の惰らざる者は、敬なり。

誠者天之道、敬者人事之本(敬者用也。)。敬則誠。
【読み】
誠は天の道、敬は人事の本(敬は用なり。)。敬すれば則ち誠あり。

敬以直内、則義以方外。義以爲質、則禮以行之、孫以出之、信以成之。孫、順也、不止於言。
【読み】
敬以て内を直くすれば、則ち義以て外を方にす。義以て質とするときは、則ち禮以て之を行い、孫以て之を出し、信以て之を成す。孫は、順なり、言に止まらざるなり。

聖人言忠信者多矣。人道只在忠信。不誠則無物。且出入無時、莫知其郷者、人心也。若無忠信、豈復有物乎。
【読み】
聖人忠信を言う者多し。人道は只忠信に在り。誠あらざれば則ち物無し。且出入時無く、其の郷を知ること莫き者は、人の心なり。若し忠信無くんば、豈復物有らんや。

和順於道德而理於義者、體用也。
【読み】
道德に和順して義に理ある者は、體用なればなり。

學者須識聖賢之體。聖人、化工也。賢人、巧也。
【読み】
學者は須く聖賢の體を識るべし。聖人は、化工なり。賢人は、巧なり。

有有德之言、有造道之言。孟子言己志者、有德之言也。言聖人之事、造道之言也。
【読み】
有德の言有り、道に造るの言有り。孟子己が志を言う者は、德有るの言なり。聖人の事を言うは、道に造るの言なり。

學至於樂則成矣。篤信好學、未知自得之爲樂(造道者也。)。好之者、如游佗人園圃。樂之者、則己物爾。然人只能信道、亦是人之難能也。
【読み】
學樂しむに至るときは則ち成る。篤信して學を好むは、未だ自得の樂しみと爲ることを知らず(道に造る者なり。)。之を好む者は、佗人の園圃に游ぶが如し。之を樂しむ者は、則ち己が物のみ。然れども人只能く道を信ずること、亦是れ人の能くし難きなり。

三代之治、順理者也。兩漢以下、皆把持天下者也。
【読み】
三代の治は、理に順う者なり。兩漢より以下は、皆天下を把持する者なり。

服牛乘馬、皆因其性而爲之。胡不乘牛而服馬乎。理之所不可。
【読み】
牛を服して馬に乘るは、皆其の性に因りて之を爲す。胡ぞ牛に乘って馬を服せざるや。理の不可なる所なればなり。

祭者所以盡誠。或者以禮爲一事。人器與鬼器等、則非所以盡誠而失其本矣。
【読み】
祭は誠を盡くす所以なり。或る者禮を以て一事と爲す。人器と鬼器と等するときは、則ち誠を盡くす所以に非ずして其の本を失す。

禮者因人情者也。人情之所宜則義也。三年之服、禮之至、義之盡也。
【読み】
禮は人情に因る者なり。人情の宜しき所は則ち義なり。三年の服は、禮の至り、義の盡くせるなり。

致知養氣。
【読み】
知を致め氣を養う。

克己最難。中庸曰、天下國家可均也、爵祿可辭也、白刃可蹈也、中庸不可能也。
【読み】
己に克つこと最も難し。中庸に曰く、天下國家をも均しくす可し、爵祿をも辭す可し、白刃をも蹈む可し、中庸をば能くす可からず、と。

生生之謂易。生生之用則神也。
【読み】
生生之を易と謂う。生生の用は則ち神なり。

子貢之知、亞於顏子。知至而未至之也。
【読み】
子貢の知は、顏子に亞[つ]ぐ。知至って未だ之に至らざるなり。

先甲三日、以窮其所以然而處其事。後甲三日、以究其將然而爲之防。甲者、事之始也。庚者、有所革也。自甲乙至於戊己、春夏生物之氣已備。庚者、秋冬成物之氣也。故有所革。(別一般氣。)
【読み】
甲に先だつこと三日とは、以て其の然る所以を窮めて其の事に處するなり。甲に後るること三日とは、以て其の將に然らんとするを究めて之が防を爲すなり。甲は、事の始めなり。庚は、革まる所有り。甲乙自り戊己に至るまで、春夏生物の氣已に備わる。庚は、秋冬成物の氣なり。故に革まる所有り。(一般の氣と別なり。)

隨之上六、才與位皆陰、柔隨之極也。故曰、拘繫之、乃從維之(又從而維之。)、王用亨于岐山。唯太王之事、民心固結而不可解者也。其佗皆不可如是之固也。
【読み】
隨の上六は、才と位と皆陰にて、柔隨の極みなり。故に曰く、之を拘繫し、乃ち從いて之を維[つな]ぐ(又從いて之を維ぐ。)、王用[もっ]て岐山に亨す、と。唯太王の事にて、民心固結して解く可からざる者なり。其の佗は皆是の如く固くす可からず。

學之興起、莫先於詩。詩有美刺、歌誦之以知善惡治亂廢興。禮者所以立也。不學禮無以立。樂者所以成德。樂則生矣。生則惡可已也。惡可已、則不知手之舞之、足之蹈之也。若夫樂則安、安則久、久則天、天則神。天則不言而信、神則不怒而威。至於如此、則又非手舞足蹈之事也。
【読み】
學の興起すること、詩より先なるは莫し。詩に美刺有り、之を歌誦して以て善惡治亂廢興を知る。禮は立つ所以なり。禮を學ばざれば以て立つこと無し。樂は德を成す所以。樂しむときは則ち生ず。生ずるときは則ち惡んぞ已む可けん。惡んぞ已む可きときは、則ち手の之を舞い、足の之を蹈むことを知らず。若し夫れ樂しむときは則ち安く、安きときは則ち久しく、久しきときは則ち天、天なれば則ち神なり。天なるときは則ち言わずして信あり、神なるときは則ち怒らずして威あり。此の如くなるに至っては、則ち又手舞い足蹈むの事に非ざるなり。

綠衣、衛莊姜傷己無德以致之。行有不得者、反求諸己而已矣。故曰、綠兮絲兮、女所治兮、我思古人、俾無訧兮。絺兮綌兮、淒其以風、我思古人、實獲我心。絲之祿、由女之染治以成。言有所自也。絺綌所以來風也。
【読み】
綠衣は、衛の莊姜己德無くして以て之を致すことを傷む。行得ざること有る者は、反して己に求むるのみ。故に曰く、綠あり絲あり、女[なんじ]の治むる所なり、我れ古人を思い、訧[あやまち]無からしむ。絺[ち]あり綌[げき]あり、淒[さい]として其れ以て風ふく、我れ古人を思い、實[まこと]に我が心を獲、と。絲の祿は、女の染め治むるに由って以て成る。言うこころは、自る所有るなり。絺綌は風を來す所以なり。

螽斯惟言不妬忌。若芣苢則更和平。婦人樂有子、謂妾御皆無所恐懼、而樂有子矣。
【読み】
螽斯[しゅうし]は惟妬忌せざることを言う。芣苢[ふい]の若きは則ち更に和平なり。婦人子有ることを樂しみて、謂ゆる妾御皆恐懼する所無くして、子有ることを樂しむ。

居仁由義。守禮寡欲。
【読み】
仁に居るは義に由る。禮を守るは欲を寡くす。

君子上達、小人下達、下學而上達意在言表也。
【読み】
君子は上達し、小人は下達すとは、下學して上達すの意言表に在り。

有實則有名、名實一物也。若夫好名者、則徇名爲虛矣。如君子疾沒世而名不稱、謂無善可稱耳。非徇名也。
【読み】
實有れば則ち名有り、名實は一物なり。若し夫れ名を好む者は、則ち名に徇いて虛爲り。君子世を沒するまで名の稱せられざるを疾むが如きは、善の稱す可き無きを謂うのみ。名に徇うには非ざるなり。

萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。不誠則逆於物而不順也。
【読み】
萬物皆我に備わる。身に反して誠あらば、樂しみ焉より大なるは莫し。誠あらざれば則ち物に逆にして順ならず。

乾、陽(一有物字。)也。不動則不剛。其靜也專(專一。)、其動也直(直遂。)。不專一則不能直遂。坤、陰(一有物字。)也。不靜則不柔(不柔、一作躁。)。其靜也翕(翕聚。)、其動也闢(發散。)。不翕聚則不能發散。
【読み】
乾は、陽(一に物の字有り。)なり。動かざるときは則ち剛ならず。其の靜かなるや專らに(專一。)、其の動くや直なり(直遂。)。專一ならざるときは則ち直に遂ぐること能わず。坤は、陰(一に物の字有り。)なり。靜かならざるときは則ち柔ならず(不柔は、一に躁に作る。)。其の靜かなるや翕[あ]い(翕聚。)、其の動くや闢く(發散。)。翕聚ならざるときは則ち發散すること能わず。

致知在格物。格、至也。或以格爲止物、是二本矣。
【読み】
知を致むるは物に格るに在り。格は、至るなり。或るひと格を以て物に止まると爲すは、是れ本を二つにするなり。

人須知自慊之道。
【読み】
人須く自ら慊[あきた]るの道を知るべし。

乾元者、始而亨者也。利貞者、性情也。性情猶言資質體段。亭毒化育皆利也。不有其功、常久而不已者、貞也。詩曰、維天之命、於穆不已者、貞也。
【読み】
乾元は、始めにして亨る者なり。利貞は、性情なり。性情は猶資質體段と言うがごとし。亭毒化育は皆利なり。其の功を有せず、常久にして已まざる者は、貞なり。詩に曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まずとは、貞なり。

天地日月一般。月受日光而日不爲之虧、然月之光乃日之光也。地氣不上騰、則天氣不下降。天氣降而至於地、地中生物者、皆天氣也。惟無成而代有終者、地之道也。
【読み】
天地日月一般なり。月は日の光を受けて日之が爲に虧けず、然も月の光は乃ち日の光なり。地氣上騰せざれば、則ち天氣下降せず。天氣降りて地に至り、地中物を生ずる者は、皆天氣なり。惟成すこと無くして代わって終わること有る者は、地の道なり。

識變知化爲難。古今風氣不同。故器用亦異宜。是以聖人通其變、使民不倦。各隨其時而已矣。後世雖有作者、虞帝爲不可及已。蓋當是時、風氣未開、而虞帝之德又如此。故後世莫可及也。若三代之治、後世決可復。不以三代爲治者、終苟道也。
【読み】
變を識り化を知るを難しと爲す。古今風氣同じからず。故に器用も亦宜しきを異にす。是を以て聖人其の變に通じて、民をして倦まざらしむ。各々其の時に隨うのみ。後世作者有りと雖も、虞帝には及ぶ可からずと爲すのみ。蓋し是の時に當たり、風氣未だ開かずして、虞帝の德又此の如し。故に後世及ぶ可きこと莫し。三代の治の若きは、後世決して復す可し。三代を以て治を爲さざる者は、終に道を苟もするなり。

動乎血氣者、其怒必遷。若鑑之照物、姸媸在彼、隨物以應之。怒不在此、何遷之有。
【読み】
血氣に動く者は、其の怒り必ず遷す。鑑の物を照らすが若き、姸媸[けんし]彼に在りて、物に隨いて以て之に應ず。怒ること此に在らず、何ぞ遷すことか之れ有らん。

聖人之言、沖(一作中。)和之氣也。貫徹上下。
【読み】
聖人の言は、沖(一に中に作る。)和の氣なり。上下に貫徹す。

人須學顏子。有顏子之德、則孟子之事功自有(一作立。)。孟子者、禹・稷之事功也。
【読み】
人須く顏子を學ぶべし。顏子の德有るときは、則ち孟子の事功自づから有り(一に立に作る。)。孟子は、禹・稷の事功なり。

中庸之言、放之則彌六合、卷之則退藏於密。
【読み】
中庸の言、之を放つときは則ち六合に彌[わた]り、之を卷くときは則ち退いて密に藏[かく]る。

孔子謂顏淵曰、用之則行、舍之則藏、惟我與爾有是夫。君子所性、雖大行不加焉、雖窮居不損焉、不爲堯存、不爲桀亡者也。用之則行、舍之則藏。皆不累於己爾。
【読み】
孔子顏淵に謂いて曰く、之を用うるときは則ち行い、之を舍つるときは則ち藏る、惟我と爾と是れ有るかな、と。君子の性とする所は、大いに行うと雖も加えらず、窮居すと雖も損せず、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びざる者なり。之を用うるときは則ち行い、之を舍つるときは則ち藏る。皆己に累わされざるのみ。

囘也非助我者也、於吾言無所不說、與聖人同爾。
【読み】
囘は我を助くる者に非ず、吾が言に於て說ばざる所無しとは、聖人と同じきのみ。

人須知自慊之道。自慊者、無不足也。若有所不足、則張子厚所謂有外之心、不足以合天心者也。
【読み】
人須く自ら慊るの道を知るべし。自ら慊る者は、足らざること無し。若し足らざる所有るときは、則ち張子厚の所謂外に有るの心、以て天心に合するに足らざる者なり。

文王陟降、在帝左右。不識不知、順帝之則。(不作聰明、順天理也。)
【読み】
文王陟[のぼ]り降りて、帝の左右に在せり。識らず知らずして、帝の則に順えり。(聰明にして、天理に順うと作さず。)

狼跋其胡、載疐其尾。公孫碩膚、赤舄几几、取狼爲興者。狼前後停、興周公之德終始一也。稱公孫云者、言其積德之厚。赤舄几几、盛德之容也。
【読み】
狼其の胡を跋[ふ]む、載[すなわ]ち其の尾に疐[つまづ]く。公碩膚を孫[ゆづ]り、赤舄[せき]几几たりとは、狼を取って興と爲す者なり。狼前後に停む、周公の德終始一なるに興すなり。公孫ると云うことを稱する者は、其の積德の厚きを言う。赤舄几几は、盛德の容なり。

詩者、志之所之也。在心爲志、發言爲詩。情動於中而形於言。言之不足、故嗟歎之。嗟歎之不足、故詠歌之。詠歌之不足、不知手之舞之足之蹈之也。有節故有餘。止乎禮義者節也。
【読み】
詩は、志の之く所なり。心に在るを志と爲し、言に發するを詩と爲す。情中に動いて言に形る。之を言いて足らず、故に之を嗟歎す。之を嗟歎して足らず、故に之を詠歌す。之を詠歌して足らず、手の之を舞い足の之を蹈むことを知らざるなり。節有る故に餘有り。禮義に止まる者は節なり。

月不受日光故食。不受日光者、月正相當、陰盛亢陽也。鼓者所以助陽。然則日月之眚、皆可鼓也。(月不下日、與日正相對、故食。)
【読み】
月は日の光を受く故に食す。日の光を受けざる者は、月正に相當して、陰盛んにして陽に亢すればなり。鼓は陽を助くる所以なり。然らば則ち日月の眚[せい]は、皆鼓す可し。(月日に下らず、日と正に相對す、故に食す。)

季冬行春令、命之曰逆者、子剋母也。
【読み】
季冬に春の令を行う、之を命[な]づけて逆と曰う者は、子母を剋すればなり。

太玄中首中、陽氣潛萌於黃宮、信無不在乎中。養首一、藏心於淵、美厥靈根。測曰、藏心於淵、神不外也。楊子雲之學、蓋嘗至此地位也。
【読み】
太玄中首の中は、陽氣潛かに黃宮に萌す、信に中に在らざること無し。養首の一は、心を淵に藏し、厥[そ]の靈根を美[よみ]す。測に曰く、心を淵に藏すとは、神外ならざるなり、と。楊子雲が學、蓋し嘗て此の地位に至れり。

顏子短命之類、以一人言之、謂之不幸可也、以大目觀之、天地之閒無損益、無進退。譬如一家之事、有子五人焉、三人富貴而二人貧賤、以二人言之則不足、以父母一家言之則有餘矣。若孔子之至德、又處盛位、則是化工之全爾。以孔・顏言之、於一人有所不足、以堯・舜・禹・湯・文・武・周公群聖人言之、則天地之閒亦富有餘(一作亦云富有。)也。(惠迪吉、從逆凶。常行之理也。)
【読み】
顏子短命の類、一人を以て之を言えば、之を不幸と謂いて可なり、大目を以て之を觀れば、天地の閒は損益無く、進退無し。譬えば一家の事の如き、子五人有り、三人は富貴にして二人は貧賤、二人を以て之を言えば則ち足らず、父母一家を以て之を言えば則ち餘り有り。孔子の至德にして、又盛位に處するが若きは、則ち是れ化工の全きのみ。孔・顏を以て之を言えば、一人に於て足らざる所有り、堯・舜・禹・湯・文・武・周公群聖人を以て之を言えば、則ち天地の閒は亦富んで餘り有るなり(一に亦富有ると云うに作る。)(迪[みち]に惠[したが]えば吉。逆に從えば凶。常行の理なり。)

視聽思慮動作皆天也。人但於其中要識得眞與妄爾。
【読み】
視聽思慮動作は皆天なり。人但其の中に於て眞と妄とを識得せんことを要するのみ。

東周之亂、無君臣上下。故孔子曰、如有用我者、吾其爲東周乎。言不爲東周也。
【読み】
東周の亂るること、君臣上下無し。故に孔子曰く、如し我を用うる者有らば、吾れ其れ東周をせんか、と。東周をせざるを言うなり。

素履者、雅素之履也。初九剛陽、素履已定、但行其志爾。故曰獨行願也。
【読み】
素履は、雅素の履なり。初九は剛陽、素履已に定まりて、但其の志を行うのみ。故に獨り願いを行うと曰う。

視履考祥。居履之終、反觀吉凶之祥。周至則善吉也。故曰其旋元吉。
【読み】
履を視て祥を考う。履の終わりに居て、反って吉凶の祥を觀る。周り至るときは則ち善吉なり。故に其れ旋れば元いに吉なりと曰う。

比之無首、凶、比之始不善則凶。
【読み】
之に比すに首無し、凶なりとは、之に比する始め不善なるときは則ち凶なり。

豶豕之牙、吉、不去其牙而豶其勢、則自善矣。治民者不止其爭而敎之讓之類是也。
【読み】
豶豕[ふんし]の牙なり、吉なりとは、其の牙を去らずして其の勢いを豶するときは、則ち自づから善なり。民を治むる者其の爭いを止めずして之に讓ることを敎うるの類是れなり。

介于石、理素定也。理素定故見幾而作。何俟終日哉。
【読み】
石に介たりとは、理素より定まるなり。理素より定まる故に幾を見て作[た]つ。何ぞ日を終うることを俟たんや。

豫者備豫也、逸豫也。事豫故逸樂。其義一也。
【読み】
豫は備豫なり、逸豫なり。事豫めする故に逸樂す。其の義一なり。

謙者治盈之道。故曰、裒多益寡、稱物平施。
【読み】
謙は盈つるを治むるの道。故に曰く、多きを裒[へ]らし寡きを益し、物を稱り施しを平かにす、と。

凡爲人言者、理勝則事明。氣勝則招怫。(一本作氣忿則招怫。)
【読み】
凡そ人の爲に言う者は、理勝つときは則ち事明らかなり。氣勝つときは則ち怫[ふつ]を招く。(一本に氣忿るときは則ち怫を招くに作る。)

感慨殺身者易、從容就義者爲難。
【読み】
感慨して身を殺す者は易く、從容として義に就く者は難しと爲す。

成性存存、道義之門。道無體、義有方也。
【読み】
性を成し存を存するは、道義の門なり。道は體無く、義は方有り。

中者、天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。唯敬而無失最盡。
【読み】
中とは天下の大本なり。天地の閒、亭亭當當、直上直下の正理なり。出でば則ち是ならず。唯敬して失うこと無くんば最も盡くせり。

孟子謂、必有事焉、而勿正、心勿忘、勿助長。正是著意、忘則無物。
【読み】
孟子謂く、必ず事とすること有りて、正[あてて]すること勿かれ、心忘るること勿かれ、長ずることを助くること勿かれ、と。正に是れ意を著くべく、忘るるときは則ち物無し。

天者理也。神者妙萬物而爲言者也。帝者以主宰事而名。
【読み】
天は理なり。神は萬物に妙にして言を爲す者なり。帝は主宰の事を以て名づく。

易要玩索。齋戒以神明其德夫。
【読み】
易は玩索せんことを要す。齋戒して以て其の德を神明にせんかな。

學只要鞭辟(一作約。)近裏、著己而已。故切問而近思、則仁在其中矣。言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行。只此是學質美者、明得盡、査滓便渾化、却與天地同體。其次惟莊敬持養。及其至則一也。
【読み】
學は只近裏を鞭辟(一に約に作る。)して、己に著けんことを要するのみ。故に切に問いて近く思うときは、則ち仁其の中に在り。言忠信あり、行篤敬ならば、蠻貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立てるときは則ち其の前に參[まじ]わるを見、輿[くるま]に在るときは則ち其の衡[くびき]に倚るを見る、夫れ然して後に行わる。只此れ是の學質美なる者、明らかにし得盡くして、査滓も便ち渾化して、却って天地と體を同じくす。其の次は惟莊敬して持養す。其の至れるに及んでは則ち一なり。

人最可畏者是便做。要在燭理。(一本此下云、子路有聞、未之能行、惟恐有聞。)
【読み】
人の最も畏る可き者は是れ便做なり。要は理を燭らすに在り。(一本に此の下に云う、子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、惟聞くこと有らんことを恐る。)

宰予晝寢、以其質惡、因是而言。
【読み】
宰予晝寢たりとは、其の質惡を以て、是に因りて言えり。

顏子屢空。空中(一作心。)受道。子貢不受天命而貨殖、億則屢中、役(一作億。)聰明億度而知。此子貢始時事。至於言夫子之言性與天道不可得而聞、乃後來事。其言如此、則必不至於不受命而貨殖也。
【読み】
顏子は屢々空し。中(一に心に作る。)に空しくして道を受く。子貢は天命を受けずして貨殖す、億[おもんばか]るときは則ち屢々中るは、聰明に役(一に億に作る。)して億度して知る。此れ子貢始めの時の事なり。夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からずと言うに至っては、乃ち後來の事なり。其の言此の如きときは、則ち必ず命を受けずして貨殖するに至らざるなり。

天生德於予、及文王旣沒、文不在茲乎、此聖人極斷置以理。
【読み】
天德を予に生[な]す、及び文王旣に沒すれども、文茲に在らずやとは、此れ聖人極めて斷じ置くに理を以てす。

文不在茲、言文未嘗亡。倡道在孔子、聖人以爲己任。
【読み】
文茲に在らずやとは、言うこころは、文未だ嘗て亡びず。道を倡うること孔子に在り、聖人以て己が任と爲す。

詩・書・執禮皆雅言、雅素所言也。至於性與天道、則子貢亦不可得而聞。蓋要在默而識之也。
【読み】
詩・書・執禮は皆雅[つね]に言えりとは、雅素の言う所なり。性と天道とに至っては、則ち子貢も亦得て聞く可からず。蓋し要は默して之を識すに在るなり。

君子坦蕩蕩、心廣體胖。
【読み】
君子は坦[たいらか]にして蕩蕩たりとは、心廣體胖なるなり。

盡己之謂忠、以實之謂信。發己自盡爲忠、循物無違謂信。表裏之義也。
【読み】
己を盡くす之を忠と謂い、實を以てする之を信と謂う。己を發して自ら盡くすを忠と爲し、物に循いて違うこと無きを信と謂う。表裏の義なり。

理義、體用也。(理義之說我心。)
【読み】
理義は、體用なり。(理義は之れ我が心を說ばしむ。)

居之以正、行之以和。
【読み】
之に居るに正を以てし、之を行うに和を以てす。

艮其止、止其所也、各止其所。父子止於恩、君臣止於義之謂。艮其背、止於所不見也。
【読み】
其の止に艮[とど]まるとは、其の所に止まるなりとは、各々其の所に止まるなり。父子は恩に止まり、君臣は義に止まるの謂なり。其の背に艮まるとは、見ざる所に止まるなり。

至誠可以贊天地之化育、則可以與天地參。贊者、參贊之義、先天而天弗違、後天而奉天時之謂也。非謂贊助。只有一箇誠、何助之有。
【読み】
至誠以て天地の化育を贊す可きときは、則ち以て天地と參となる可し。贊は、參贊の義、天に先だちて天に違わず、天に後れて天の時を奉ずるの謂なり。贊助を謂うに非ず。只一箇の誠有り、何の助くることか之れ有らん。

知至則便意誠。若有知而不誠者、皆知未至爾。知至而至之者、知至而往至之。乃吉之先見。故曰可與幾也。知終而終之、則可與存義也。(知至至之主知。知終終之主終。)
【読み】
知至るときは則便ち意誠あり。若し知有りて誠ならざる者は、皆知未だ至らざるのみ。至ることを知って之に至るとは、至ることを知って往いて之に至る。乃ち吉の先づ見るればなり。故に與に幾す可きなりと曰う。終わることを知って之を終えるは、則ち與に義を存す可きなり。(至ることを知って之に至るは知を主とす。終わること知って之を終えるは終えるを主とす。)

忠信所以進德、修辭立其誠所以居業者、乾道也。敬以直内、義以方外者、坤道也。
【読み】
忠信は德に進む所以にして、辭を修め其の誠を立つるは業に居る所以なりとは、乾道なり。敬以て内を直くし、義以て外を方にすとは、坤道なり。

修辭立其誠、文質之義。
【読み】
辭を修めて其の誠を立つるは、文質の義なり。

天下皆憂、吾獨得不憂、天下皆疑、吾獨得不疑、與樂天知命、吾何憂、窮理盡性、吾何疑、皆心也。自分心跡以下一段皆非。
【読み】
天下皆憂えども、吾れ獨り憂えざることを得、天下皆疑えども、吾れ獨り疑わざることを得というと、天を樂しみ命を知る、吾れ何ぞ憂えん、理を窮め性を盡くす、吾れ何ぞ疑わんというは、皆心なり。自ら心跡を分かつ以下の一段は皆非なり。

息訓爲生者、蓋息則生矣。一事息、則一事生、中無閒斷。碩果不食、則便爲復也。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歲成焉。
【読み】
息を訓じて生と爲す者は、蓋し息むときは則ち生ずればなり。一事息むときは、則ち一事生じて、中に閒斷無し。碩[おお]いなる果食らわれざるときは、則便ち復と爲るなり。寒往くときは則ち暑來り、暑往くときは則ち寒來り、寒暑相推して歲成る。

日新之謂盛德、生生之謂易、陰陽不測之謂神。要思而得之。
【読み】
日新之を盛德と謂い、生生之を易と謂い、陰陽測られざる之を神と謂う。思って之を得んことを要す。

爲政須要有綱紀文章、先有司・郷官讀法、平價、謹權量、皆不可闕也。人各親其親、然後能不獨親其親。仲弓曰、焉知賢才而舉之。子曰、舉爾所知、爾所不知、人其舍諸。便見仲弓與聖人用心之大小。推此義、則一心可以喪邦、一心可以興邦。只在公私之閒爾。
【読み】
政をするには須く綱紀文章有ることを要すべく、有司・郷官の讀法に先んじ、價を平かにし、權量を謹むこと、皆闕く可からざるなり。人各々其の親を親として、然して後に能く獨り其の親を親とするにあらず。仲弓曰く、焉んぞ賢才を知って之を舉げん、と。子曰く、爾が知る所を舉げよ、爾が知らざる所は、人其れ諸を舍てんや、と。便ち仲弓と聖人と心を用うるの大小を見る。此の義を推すときは、則ち一心以て邦を喪ぼす可く、一心以て邦を興す可し。只公私の閒に在るのみ。

子夏問政。子曰、無欲速、無見小利。子夏之病、常在近小。子張問政。子曰、居之無倦、行之以忠。子張常過高而未仁。故以切己之事答之。
【読み】
子夏政を問う。子曰く、速やかなるを欲すること無かれ、小利を見ること無かれ、と。子夏の病は、常に近小なるに在り。子張政を問う。子曰く、之を居いて倦むこと無く、之を行うに忠を以てす、と。子張は常に過高にして未だ仁ならず。故に己に切なる事を以て之に答う。

其爲氣也、配義與道。道有沖漠之氣象。
【読み】
其の氣爲ること、義と道とに配す。道は沖漠の氣象有り。

聖人以此洗心退藏於密。聖人以此齊戒、以神明其德夫。
【読み】
聖人此を以て心を洗って退いて密に藏る。聖人此を以て齊戒して、以て其の德を神明にす。

 

二程全書卷之十三  遺書明道先生語二

戌冬見伯淳先生洛中所聞  劉絢質夫錄
【読み】
戌冬伯淳先生に洛中に見えて聞く所  劉絢質夫錄

純亦不已、天德也。造次必於是、顚沛必於是、三月不違仁之氣象也。又其次、則日月至焉者矣。
【読み】
純も亦已まずとは、天の德なり。造次も必ず是に於てし、顚沛も必ず是に於てすとは、三月仁に違わざるの氣象なり。又其の次は、則ち日月至れる者なり。

一陰一陽之謂道、自然之道也。繼之者善也、出道則有用、元者善之長也。成之者却只是性、各正性命者也。故曰、仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知、故君子之道鮮矣。如此、則亦無始、亦無終、亦無因甚有、亦無因甚無、亦無有處有、亦無無處無。
【読み】
一陰一陽之を道と謂うは、自然の道なり。之に繼ぐ者は善なりとは、道を出すときは則ち用有り、元は善の長なり。之を成す者は却って只是れ性、各々性命を正しくする者なり。故に曰く、仁者は之を見て之を仁と謂い、知者は之を見て之を知と謂い、百姓は日に用いて知らず、故に君子の道鮮し、と。此の如くなるときは、則ち亦始め無く、亦終わり無く、亦甚[なに]に因りて有ること無く、亦甚に因りて無きこと無く、亦有有に處すること無く、亦無無に處すること無し。

民受天地之中以生、天命之謂性也。人之生也直、意亦如此。(若以生爲生養之生、却是修道之謂敎也。至下文始自云不能者敗以取禍、則乃是敎也。)
【読み】
民天地の中を受けて以て生ずとは、天命之を性と謂うというものなり。人の生まるるや直しも、意亦此の如し。(若し生を以て生養の生と爲さば、却って是れ道を修むる之を敎と謂うというものなり。下文に始めて自ら能わざる者は敗れて以て禍を取ると云うに至っては、則乃ち是れ敎なり。)

且喚做中、若以四方之中爲中、則四邊無中乎。若以中外之中爲中、則外面無中乎。如生生之謂易、天地設位而易行乎其中、豈可只以今之易書爲易乎。中者、且謂之中、不可捉一箇中來爲中。
【読み】
且つ中と喚び做す、若し四方の中を以て中と爲せば、則ち四邊中無けんや。若し中外の中を以て中と爲せば、則ち外面中無けんや。生生之を易と謂い、天地位を設けて易其の中に行わるというが如き、豈只今の易書を以て易と爲す可けんや。中なる者は、且つ之を中と謂い、一箇の中を捉え來りて中と爲す可からず。

顏子在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂。簞瓢陋巷非可樂、蓋自有其樂耳。其字當玩味。自有深意。
【読み】
顏子の陋巷に在る、人其の憂えに堪えられず、囘は其の樂しみを改めず。簞瓢陋巷は樂しむ可きに非ず、蓋し自ら其の樂しみ有るのみ。其の字當に玩味すべし。自づから深意有り。

大學之道、在明明德、明此理也。在止於至善、反己守約是也。
【読み】
大學の道は、明德を明らかにするに在りとは、此の理を明らかにするなり。至善に止まるに在りとは、己に反して約を守る、是れなり。

楊子出處、使人難說。孟子必不肯爲楊子事。
【読み】
楊子が出處、人をして說き難からしむ。孟子必ず肯えて楊子が事を爲さじ。

孔子與點、蓋與聖人之志同、便是堯・舜氣象也。誠異三子者之撰、特行有不揜焉者、眞所謂狂矣。子路等所見者小。子路只爲不達爲國以禮道理、所以爲夫子笑。若知爲國以禮之道、便却是這氣象也。
【読み】
孔子點に與するは、蓋し聖人の志と同じく、便ち是れ堯・舜氣象なればなり。誠に三子者の撰に異なり、特行い揜わざること有る者は、眞に所謂狂なり。子路等見る所の者小なり。子路は只國を爲むるに禮を以てするの道理に達せざるが爲に、所以に夫子をして笑わしむ。若し國を爲むるに禮を以てするの道を知らば、便ち却って是れ這の氣象なり。

人之學、當以大人爲標垜。然上面更有化爾。人當學顏子之學(一作事。)
【読み】
人の學は、當に大人を以て標垜[ひょうだ]と爲すべし。然も上面更に化すること有るのみ。人當に顏子の學(一に事に作る。)を學ぶべし。

窮理盡性矣。曰以至於命、則全無著力處。如成於樂、樂則生矣之意同。
【読み】
理を窮め性を盡くす。以て命に至ると曰うときは、則ち全く力を著くる處無し。樂に成るが如きは、樂しむときは則ち生ずの意と同じ。

子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性與天道、不可得而聞也。子貢蓋於是始有所得而歎之。以子貢之才、從夫子如此之久、方歎不可得而聞、亦可謂之鈍矣。觀其孔子沒、築室於場、六年然後歸、則子貢之志亦可見矣。他人如子貢之才、六年中待作多少事。豈肯如此。
【読み】
子貢曰く夫子の文章は、得て聞く可し、夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からざるなり、と。子貢蓋し是に於て始めて得る所有りて之を歎ず。子貢の才を以て、夫子に從うこと此の如く久しくして、方に得て聞く可からずと歎ずるは、亦之を鈍しと謂う可し。其の孔子沒して、室を場に築き、六年にして然して後に歸るを觀るときは、則ち子貢の志亦見る可し。他人子貢の才の如きは、六年中多少の事を待ち作さん。豈肯えて此の如くならんや。

生生之謂易。天地設位而易行乎其中。乾坤毀則無以見易。易不可見、乾坤或幾乎息矣。易畢竟是甚。又指而言曰、聖人以此洗心退藏於密。聖人示人之意至此深且明矣。終無人理會。易也、此也、密也、是甚物。人能至此深思、當自得之。
【読み】
生生之を易と謂う。天地位を設けて易其の中に行わる。乾坤毀るるときは則ち以て易を見ること無し。易見る可からざるときは、乾坤或は息むに幾し。易は畢竟是れ甚[なん]ぞ。又指して言いて曰く、聖人此を以て心を洗って退いて密に藏る、と。聖人人に示すの意此に至って深く且つ明らかなり。終に人理會すること無し。易や、此や、密や、是れ甚物ぞ。人能く此に至って深く思わば、當に之を自得すべし。

喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也、和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。致與位字、非聖人不能言。子思蓋特傳之耳。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う。發して皆節に中る、之を和と謂う。中なる者は、天下の大本なり、和なる者は、天下の達道なり。中和を致むれば、天地位し、萬物育わる。致と位の字は、聖人に非ずんば言うこと能わじ。子思蓋し特之を傳うるのみ。

顏子曰、仰之彌高、鑽之彌堅、則是深知道之無窮也。瞻之在前、忽焉在後、他人見孔子甚遠、顏子瞻之、只在前後、但只未在中閒爾。若孔子、乃在其中焉、此未達一閒者也。
【読み】
顏子曰く、之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しとは、則ち是れ深く道の窮まり無きことを知ればなり。之を瞻て前に在るかとすれば、忽焉として後に在りとは、他人孔子を見れば甚だ遠く、顏子之を瞻て、只前後に在り、但只未だ中閒に在らざるのみ。孔子の若きは、乃ち其の中に在り、此れ未だ達せざること一閒なる者なり。

成性存存、便是道義之門。
【読み】
性を成し存すべきを存するは、便ち是れ道義の門。

凡人才學、便須知著力處。旣學、便須知得力處。
【読み】
凡そ人才かに學ぶときは、便ち須く力を著くる處を知るべし。旣に學ぶときは、便ち須く力を得る處を知るべし。

 

二程全書卷之十四  遺書明道先生語三

亥八月見先生於洛所聞  劉絢質夫錄
【読み】
亥の八月先生に洛に見えて聞く所  劉絢質夫錄

公族有罪、磬于甸人。如其倫之喪、無服。明無罪者有服也。
【読み】
公族罪有れば、甸人[でんじん]に磬[くび]らしむ。其の倫[たぐい]の喪の如くして、服無し。明らかなり、罪無き者は服有ること。

楊・墨之害、甚於申・韓。佛・老(一無老字。)之害、甚於楊・墨。楊氏爲我、疑於仁。墨氏兼愛、疑於義。申・韓則淺陋易見。故孟子只闢楊・墨、爲其惑世之甚也。佛・老(一作氏字。)其言近理、又非楊・墨之比。此所以害尤甚。楊・墨之害、亦經孟子闢之。所以廓如也。
【読み】
楊・墨の害は、申・韓よりも甚だし。佛・老(一に老の字無し。)の害は、楊・墨よりも甚だし。楊氏の爲我は、義に疑わしく、墨氏の兼愛は、仁に疑わし。申・韓は則ち淺陋にして見易し。故に孟子只楊・墨のみを闢くは、其の世を惑わすこと甚だしきが爲なり。佛・老(一に氏の字に作る。)は其の言理に近く、又楊・墨の比に非ず。此れ害尤も甚だしき所以なり。楊・墨の害、亦孟子之を闢くことを經たり。所以に廓如たり。

禮云惟祭天地社稷爲越紼而行事、似亦太早。雖不以卑廢尊、若旣葬而行之、宜亦可也。蓋未葬時、哀戚方甚。人有所不能祭爾。
【読み】
禮に惟れ天地社稷を祭るに紼を越えて事を行うことを爲すと云うは、亦太だ早きに似たり。卑きを以て尊きを廢せずと雖も、若し旣に葬りて之を行わば、宜しく亦可なるべし。蓋し未だ葬らざる時、哀戚方に甚だし。人祭ること能わざる所有るのみ。

艮其止、止其所也。八元有善而舉之、四凶有罪而誅之、各止其所也。釋氏只曰止。安知止乎。(吳本罪作惡、誅作去。)
【読み】
其の止に艮まるとは、其の所に止まるなり。八元善有りて之を舉げ、四凶罪有りて之を誅すは、各々其の所に止まるなり。釋氏只止と曰う。安んぞ止まることを知らんや。(吳本罪を惡に作り、誅を去に作る。)

釋氏無實。
【読み】
釋氏は實無し。

釋氏說道、譬之以管窺天。只務直上去、惟見一偏、不見四旁。故皆不能處事。聖人之道、則如在平野之中、四方莫不見也。
【読み】
釋氏道を說くは、之を管を以て天を窺うに譬う。只直上に務め去り、惟一偏を見て、四旁を見ず。故に皆事に處すること能わず。聖人の道は、則ち平野の中に在って、四方見ざること莫きが如し。

釋氏本怖死生爲利。豈是公道。唯務上達而無下學。然則其上達處、豈有是也。元不相連屬、但有閒斷、非道也。孟子曰、盡其心者、知其性也。彼所謂識心見性是也。若存心養性一段事則無矣。彼固曰出家獨善。便於道體自不足(一作已非矣。)。或曰、釋氏地獄之類、皆是爲下根之人設此怖、令爲善。先生曰、至誠貫天地、人尙有不化。豈有立僞敎而人可化乎。
【読み】
釋氏は本より死生を怖れて利の爲にす。豈是れ公道ならんや。唯上達を務むるのみにして下學無し。然らば則ち其の上達する處は、豈是れ有らんや。元相連屬せず、但閒斷有れば、道に非ざるなり。孟子曰く、其の心を盡くす者は、其の性を知る、と。彼の謂う所の心を識り性を見ること是れなり。心を存し性を養う一段の事の若きは則ち無し。彼固より家を出て獨り善くすと曰う。便ち道體に於て自ら足らず(一に已に非なりに作る。)。或るひと曰く、釋氏地獄の類は、皆是れ下根の人の爲に此の怖れを設けて、善を爲さしむ、と。先生曰く、至誠天地を貫くすら、人尙化せざる有り。豈僞敎を立てて人の化す可きこと有らんや、と。

曾子易簀之意、心是理、理是心、聲爲律、身爲度也。
【読み】
曾子簀を易えるの意、心是れ理、理是れ心、聲律と爲り、身度と爲るなり。

灑埽應對便是形而上者、理無大小故也。故君子只在愼獨。
【読み】
灑埽應對は便ち是れ形よりして上なる者、理に大小無き故なり。故に君子は只獨りを愼むに在り。

知之明、信之篤、行之果、知仁勇也。若孔子所謂成人、亦不出此三者。臧武仲知也、孟公綽仁也、卞莊子勇也。
【読み】
之を知ること明らかに、之を信ずること篤く、之を行うこと果なれば、知仁勇なり。孔子の所謂成人の若きも、亦此の三つの者を出でず。臧武仲は知なり、孟公綽は仁なり、卞莊子は勇なり。

 

二程全書卷之十五  遺書明道先生語四

亥九月過汝所聞  劉絢質夫錄
【読み】
亥の九月汝を過りて聞く所  劉絢質夫錄

絢問、先生相別、求所以敎。曰、人之相愛者、相告戒。必曰凡事當善處。然只在仗忠信、只不忠信、便是不善處也。
【読み】
絢問う、先生相別る、敎うる所以を求む、と。曰く、人の相愛する者は、相告げて戒む。必ず曰く、凡そ事當に善處すべし、と。然も只忠信に仗[よ]るに在るのみ。只忠信ならざるは、便ち是れ不善なる處なり、と。

有人治園圃役知力甚勞。先生曰、蠱之象、君子以振民育德。君子之事、惟有此二者、餘無他爲。二者、爲己爲人之道也。(爲己爲人、吳本作治己治人。)
【読み】
人有り園圃を治めて知力を役して甚だ勞す。先生曰く、蠱の象、君子以て民を振[すく]い德を育う、と。君子の事は、惟此の二つの者有って、餘は他の爲[しわざ]無し。二つの者は、己を爲[おさ]め人を爲むるの道なり、と。(爲己爲人は、吳本治己治人に作る。)

博學而篤志、切問而近思、何以言仁在其中矣。學者要思得之。了此、便是徹上徹下之道。
【読み】
博く學んで篤く志し、切に問いて近く思う、何を以て仁其の中に在りと言うや。學者之を思い得んことを要す。此を了するは便ち是れ徹上徹下の道なり。

曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠。先生曰、弘而不毅、則難立、毅而不弘、則無以居之。(西銘言弘之道。)
【読み】
曾子曰く、士は以て弘毅ならずんばある可からず、任重くして道遠し、と。先生曰く、弘にして毅ならざれば、則ち立ち難く、毅にして弘ならざれば、則ち以て之に居ること無し。(西の銘は弘の道を言う。)

讀書要玩味。
【読み】
書を讀むには玩味せんことを要す。

中庸始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。
【読み】
中庸始めには一理を言い、中は散じて萬事と爲り、末は復合して一理と爲る。

中庸曰、大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千、待其人而後行。故曰、苟不至德、至道不凝焉。皆是一貫。
【読み】
中庸に曰く、大なるかな聖人の道。洋洋乎として萬物を發育し、峻[たか]きこと天に極[いた]れり。優優として大なるかな、禮儀三百威儀三千、其の人を待って後に行わる。故に曰く、苟も至德ならざれば、至道凝[な]らず、と。皆是れ一貫なり。

持國曰、若有人便明得了者、伯淳信乎。曰、若有人、則豈不信。蓋必有生知者。然未之見也。凡云爲學者、皆爲此以下論。孟子曰、盡其心者知其性也、知性則知天矣。存其心、養其性、所以事天。便是至言。
【読み】
持國が曰く、若[かくのごとき]人有り便ち明得し了わる者は、伯淳信ずるか、と。曰く、若人有らば、則ち豈信ぜざらんや。蓋し必ず生知の者有らん、然れども未だ之を見ざるなり。凡そ學を爲すと云う者は、皆此より以下と爲して論ず。孟子曰く、其の心を盡くす者は其の性を知る、性を知るときは則ち天を知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり、と。便ち是れ至言なり、と。

佛氏不識陰陽晝夜死生古今、安得謂形而上者與聖人同乎。
【読み】
佛氏は陰陽晝夜死生古今を識らず、安んぞ形よりして上なる者と聖人と同じと謂うことを得んや。

佛言前後際斷、純亦不已是也。彼安知此哉。子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜。自漢以來儒者、皆不識此義。此見聖人之心純亦不已也。詩曰、維天之命、於穆不已。蓋曰天之所以爲天也。於乎不顯、文王之德之純。蓋曰文王之所以爲文也。純亦不已、此乃天德也。有天德便可語王道、其要只在愼獨。
【読み】
佛は前後際斷と言い、純[もっぱ]らにして亦已まざる、是れなり、と。彼れ安んぞ此を知らんや。子川の上[ほとり]に在りて曰く、逝く者は斯の如きか、晝夜を舍かず、と。漢自り以來の儒者、皆此の義を識らず。此れ聖人の心純らにして亦已まざることを見る。詩に曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まず、と。蓋し天の天爲る所以を曰うなり。於乎[ああ]顯らかならずや、文王の德の純らなる、と。蓋し文王の文爲る所以を曰うなり。純らにして亦已まざるは、此れ乃ち天德なり。天德有りて便ち王道を語る可く、其の要は只獨りを愼むに在り。

學要在敬也、誠也、中間便(一作更。)有箇仁。博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣之意。(敬主事。)
【読み】
學の要は敬と誠とに在り、中間便ち(一に更に作る。)箇の仁有り。博く學んで篤く志し、切に問いて近く思う、仁其の中に在りの意なり。(敬主の事。)

人之學不進、只是不勇。
【読み】
人の學進まざるは、只是れ勇ならざればなり。

或問、繫辭自天道言、中庸自人事言。似不同。曰、同。繫辭雖始從天地陰陽鬼神言之、然卒曰、默而成之、不言而信、存乎德行。中庸亦曰、鬼神之爲德、其盛矣乎。視之而不見、聽之而不聞、體物而不可遺。使天下之人齊明盛服以承祭祀、洋洋乎如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思。矧可射思。夫微之顯、誠之不可揜、如此夫。是豈不同。
【読み】
或るひと問う、繫辭は天道自り言い、中庸は人事自り言う。同じからざるに似れり、と。曰く、同じ。繫辭は始め天地陰陽鬼神從り之を言うと雖も、然れども卒わりに曰く、默して之を成し、言わずして信あるは、德行に存す、と。中庸も亦曰く、鬼神の德爲る、其れ盛んなるかな。之を視れども見えず、之を聽けども聞こえず、物に體して遺す可からず。天下の人をして齊明盛服して以て祭祀に承らしめ、洋洋乎として其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し、と。詩に曰く、神の格る、度る可からざる。矧[いわ]んや射[いと]う可けんや。夫れ微かなるが顯らかなる、誠の揜[おお]う可からざること、此の如し、と。是れ豈同じからずや。

人多言廣心浩大。然未見其人也。
【読み】
人多く言う、廣心浩大、と。然れども未だ其の人を見ず。

樂則行之、憂則違之。樂與憂皆道也。非己之私也。
【読み】
樂しむときは則ち之を行い、憂うるときは則ち之を違[さ]る。樂しむと憂うるとは皆道なり。己が私に非ざるなり。

聖人致公心、盡天地萬物之理、各當其分。佛氏總爲一己之私。是安得同乎。聖人循理。故平直而易行。異端造作、大小大費力、非自然也。故失之遠。
【読み】
聖人は心を公にすることを致し、天地萬物の理を盡くし、各々其の分に當たる。佛氏は總て一己の私を爲す。是れ安んぞ同じきことを得んや。聖人は理に循う。故に平直にして行い易し。異端は造作して、大小大に力を費やし、自然に非ず。故に之を失すること遠し。

易中只是言反復往來上下。
【読み】
易中は只是れ反復往來上下を言う。

伊尹曰、天之生斯民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺。予天民之先覺者也。予將以斯道覺斯民也。釋氏之云覺、甚底是覺斯道、甚底是覺斯民。
【読み】
伊尹曰く、天の斯の民を生ずる、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は天民の先覺なる者なり。予將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす、と。釋氏が覺と云うは、甚底[なに]をか是れ斯の道を覺し、甚底をか是れ斯の民を覺さん。

 

二程全書卷之十六  遺書伊川先生語第一

入關語錄。(或云明道先生語。)
【読み】
入關語錄。(或るひと云う、明道先生の語、と。)

志、氣之帥、不可小觀。
【読み】
志は、氣の帥というは、小しく觀る可からず。

知知、仁守、勇決。
【読み】
知もて知り、仁もて守り、勇もて決す。

涵養吾一。
【読み】
吾が一を涵養す。

主一無適、敬以直内、便有浩然之氣。浩然須要實識得他剛大直。不習無不利。
【読み】
一を主として適くこと無く、敬以て内を直くすれば、便ち浩然の氣有り。浩然は須く實に他の剛大直を識得せんことを要すべし。習わずして利あらざること無し。

敬卽便是禮、無己可克。
【読み】
敬すれば卽便ち是れ禮なり、己の克つ可き無し。

大而化、則己與理一。一則(一無此字。)無己。
【読み】
大にして化すれば、則ち己と理と一なり。一なれば則ち(一に此の字無し。)己無し。

致知則有知、有知則能擇。
【読み】
知を致むれば則ち知有り、知有れば則ち能く擇ぶ。

安有識得易後、不知退藏於密。(密是甚。)
【読み】
安んぞ易を識得して後、退いて密に藏るることを知らざること有らんや。(密は是れ甚[なん]ぞ。)

六經之言、在涵畜中默識心通。(精義爲本。)
【読み】
六經の言は、涵畜の中默して識し心通ずるに在り。(精義を本と爲す。)

道無精粗、言無高下。
【読み】
道に精粗無く、言に高下無し。

物則(一作卽。)事也。凡事上窮極其理、則無不通。
【読み】
物は則ち(一に卽に作る。)事なり。凡そ事上に其の理を窮め極むるときは、則ち通ぜざること無し。

有主則虛、無主則實、必有所事。
【読み】
主有るときは則ち虛、主無きときは則ち實、必ず事とする所有り。

知不專爲藏往。易言知來藏往、主蓍卦而言。
【読み】
知は專ら往を藏[おさ]むと爲さず。易に來を知り往を藏むと言うは、蓍卦を主として言えり。

物形便有大小精粗、神則無精粗。神則是神、不必言作用。三十輻共一轂、則爲車。若無轂輻、何以見車之用。
【読み】
物の形は便ち大小精粗有り、神は則ち精粗無し。神は則ち是れ神、必ずしも作用を言わず。三十の輻[や]一つの轂[こしき]に共するときは、則ち車爲り。若し轂輻[こくふく]無くんば、何を以てか車の用を見ん。

人患事繫累、思慮蔽、固只是不得其要。要在明善、明善在乎格物窮理。窮至於物理、則漸久後天下之物皆能窮。只是一理。
【読み】
人の事繫累して、思慮蔽わることを患うるは、固に只是れ其の要を得ざればなり。要とは善を明らかにするに在り、善を明らかにするは物に格りて理を窮むるに在り。物理に窮め至るときは、則ち漸久して後天下の物皆能く窮む。只是れ一理なり。

人多思慮不能自寧、只是做他心主不定。要作得心主定、惟是止於事。爲人君止於仁之類。如舜之誅四凶、四凶已(一作他。)作惡、舜從而誅之。舜何與焉。人不止於事、只是攬他事、不能使物各付物。物各付物、則是役物。爲物所役、則是役於物。有物必有則。須是止於事。
【読み】
人の思慮多く自ら寧んずること能わざるは、只是れ他[か]の心の主と做り定まらざればなり。心の主と作[な]り得て定まらんことを要めば、惟是れ事に止まるのみ。人君と爲りては仁に止まるの類なり。舜の四凶を誅せしが如き、四凶已に(一に他に作る。)惡を作せば、舜從いて之を誅せり。舜何ぞ與らん。人の事に止まらざるは、只是れ他の事を攬[と]り、物をして各々物に付せしむること能わざればなり。物各々物に付するときは、則ち是れ物を役するなり。物の役する所と爲るは、則ち是れ物に役せらるるなり。物有れば必ず則有り。須く是れ事に止まるべし。

視聽言動、非理不爲、卽是禮。禮卽是理也。不是天理、便是私欲。人雖有意於爲善、亦是非禮。無人欲卽皆天理。
【読み】
視聽言動、理に非ざればせざるは、卽ち是れ禮なり。禮は卽ち是れ理なり。是れ天理ならざれば、便ち是れ私欲なり。人善をするに意有りと雖も、亦是れ禮に非ず。人欲無きときは卽ち皆天理なり。

公則一、私則萬殊。至當歸一、精義無二。人心不同如面、只是私心。
【読み】
公なるときは則ち一にして、私なるときは則ち萬殊なり。至當一に歸し、精義二無し。人心の同じからざること面の如きは、只是れ私心なればなり。

人不能祛思慮、只是吝。吝故無浩然之氣。
【読み】
人の思慮を祛[はら]うこと能わざるは、只是れ吝なればなり。吝なるが故に浩然の氣無し。

所過者化、身之所經歷處。所存者神、存主處便是神。如立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和、固非小補。伯者是小補而已。
【読み】
過ぐる所の者化すとは、身の經歷する所の處。存する所の者神とは、存主する處便ち是れ神なり。之を立つれば斯に立ち、之を道[みちび]けば斯に行[したが]い、之を綏[やす]んずれば斯に來り、之を動かせば斯に和らぐが如きは、固に小補に非ず。伯者は是れ小補なるのみ。

孔子敎人常俯就。不俯就則門人不親。孟子敎人常高致。不高致則門人(一作道。)不尊。
【読み】
孔子の人を敎うるは常に俯して就く。俯して就かざるときは則ち門人親しまず。孟子の人を敎うるは常に高致す。高致ならざるときは則ち門人(一に道に作る。)尊ばず。

古之學者、優柔厭飫、有先後次序。今之學者、却只做一場話說、務高而已。常愛杜元凱語。若江海之浸、膏澤之潤、渙然冰釋、怡然理順、然後爲得也。今之學者、往往以游・夏爲小不足學。然游・夏一言一事、却總是實。如子路・公西赤言志如此、聖人許之、亦以此自是實事。後之學者好高、如人游心於千里之外、然自身却只在此。
【読み】
古の學者は、優柔厭飫[えんよ]にして、先後の次序有り。今の學者は、却って只一場の話說を做し、高きを務むるのみ。常に杜元凱の語を愛す。江海の浸し、膏澤の潤すが若く、渙然として冰のごとく釋[と]け、怡然[いぜん]として理順い、然して後に得たりと爲す、と。今の學者は、往往にして游・夏を以て小にして學ぶに足らずと爲す。然れども游・夏の一言一事は、却って總て是れ實なり。子路・公西赤志を言うこと此の如くにして、聖人之を許すが如き、亦此の自ら是れ實事なるを以てなり。後の學者は高きを好み、人の心を千里の外に游すも、然れども自身は却って只此に在るが如し。

人皆稱柳下惠爲聖人、只是因循前人之語、非自見。假如人言孔子爲聖人、也須直待己實見聖處、方可信。
【読み】
人皆柳下惠を稱して聖人とするは、只是れ前人の語に因循して、自ら見るに非ず。假えば人孔子を言いて聖人とするが如き、也須く直に己實に聖なる處を見るを待って、方に信ず可し。

合而聽之則聖、公則自同。若有私心便不同。同卽是天心。
【読み】
合わせて之を聽かば則ち聖、公なれば則ち自づから同じ。若し私心有れば便ち同じからず。同じきときは卽ち是れ天の心。

曾子傳聖人學、其德後來不可測、安知其不至聖人。如言吾得正而斃且休、理會文字、只看他氣象極好、被他所見處大。後人雖有好言語、只被氣象卑、終不類道。
【読み】
曾子聖人の學を傳う、其の德後來測る可からず、安んぞ其の聖人に至らざるを知らんや。吾れ正しきを得て斃れて且つ休まんと言うが如き、文字を理會するに、只他の氣象極めて好きを看、他の見る所の處大なるを被る。後人好き言語有りと雖も、只氣象卑きを被り、終に道に類せず。

聞之知之、得之有之。(耳剽臆度。)
【読み】
之を聞き之を知り、之を得て之を有つ。(耳は剽[すばや]く臆度す。)

養心莫善於寡欲。不欲則不惑。所欲不必沈溺、只有所向便是欲。
【読み】
心を養うは欲を寡くするより善きは莫し。欲せざるときは則ち惑わず。欲する所は必ずしも沈溺するのみにあらず、只向かう所有るも便ち是れ欲なり。

人惡多事。或人憫(一作欲簡。)之。世事雖多、盡是人事。人事不敎人做、更責誰何。
【読み】
人多事あることを惡む。或る人之を憫[うれ]う(一に簡[はぶ]かんと欲すに作る。)。世事多しと雖も、盡く是れ人事なり。人事人をして做さしめずんば、更に誰にか何を責めん。

要息思慮、便是不息思慮。
【読み】
思慮を息めんことを要するは、便ち是れ思慮を息めざるなり。

聖人盡道、以其身所行率天下。是欲天下皆至於聖人。佛以其所賤者敎天下。是誤天下也。人愈才明、往往所陷溺愈深。
【読み】
聖人は道を盡くして、其の身の行う所を以て天下を率ゆ。是れ天下皆聖人に至らんことを欲するなり。佛は其の賤しくする所の者を以て天下に敎ゆ。是れ天下を誤るなり。人愈々才明らかにして、往往に陷溺する所愈々深し。

小德川流、大德敦化、只是言孔子。川流是日用處、大德是存主處。敦如俗言敦禮義敦本之意。
【読み】
小德は川流し、大德は敦化すとは、只是れ孔子を言う。川流は是れ日用の處、大德は是れ存主する處なり。敦は俗に禮義を敦くし本を敦くすと言うが如きの意なり。

或曰、正叔所定婚儀、復有婿往謝之禮、何謂也。曰、如此乃是與時稱。今將一古鼎古敦(音隊。)用之、自是人情不稱、兼亦與天地風氣不宜。禮、時爲大。須當損益。夏・商・周所因損益可知、則能繼周者亦必有所損益。如云行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、是夏時之類可從則從之。蓋古人今人、自是年之壽夭、形之大小不同。古之被衣冠者、魁偉質厚、氣象自別。若使今人衣古冠冕、情性自不相稱。蓋自是氣有淳漓。正如春氣盛時、生得物如何、春氣衰時、生得物如何、必然別。今之始開荒田、初歲種之、可得數倍。及其久、則一歲薄於一歲。此乃常理。觀三代之時、生多少聖人。後世至今、何故寂寥未聞。蓋氣自是有盛則必有衰、衰則終必復盛。若冬不春、夜不晝、則氣化息矣。聖人主化、如禹之治水。順則當順之、治則須治之。古之伏羲、豈不能垂衣裳、必待堯・舜然後垂衣裳。據如此事、只是一箇聖人都做得了。然必須數世然後成、亦因時而已。所謂溥博淵泉而時出之也。須是先有溥博淵泉也、方始能時出。自無溥博淵泉、豈能時出之。大抵氣化在天在人一般。聖人其中、只有功用。放勳曰、勞之來之、匡之直之、輔之翼之。正須如此。徇流俗非隨時。知事可正、嚴毅獨立、乃是隨時也。舉禮文、却只是一時事。要所補大、可以風後世。却只是明道。孟子言、五百年必有王者興、其閒必有名世者。大數則是。然不消催促他。
【読み】
或るひと曰く、正叔定むる所の婚儀、復婿往いて謝するの禮有るは、何の謂ぞや、と。曰く、此の如くなれば乃ち是れ時と稱う。今一つの古鼎古敦(音隊。)を將って之を用うるは、自づから是れ人情稱わず、兼ねて亦天地の風氣と宜しからず。禮は、時を大なりとす。須當に損益すべし。夏・商・周因りて損益する所知る可きときは、則ち能く周を繼ぐ者亦必ず損益する所有らん。夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞をすと云うが如き、是れ夏の時の類從う可くして則ち之に從えり。蓋し古人今人、自づから是れ年の壽夭、形の大小同じからず。古の衣冠を被る者は、魁偉質厚にして、氣象自づから別なり。若し今の人をして古の冠冕に衣らしめば、情性自づから相稱わじ。蓋し自づから是れ氣に淳漓[じゅんり]有らん。正に春氣盛んなる時、物を生し得ること如何、春氣衰うる時、物を生し得ること如何というが如く、必ず然も別なり。今の始めて荒田を開く、初歲之を種えれば、數倍を得可けん。其の久しきに及んでは、則ち一歲は一歲より薄し。此れ乃ち常理なり。三代の時を觀るに、多少の聖人を生す。後世今に至るまで、何が故にか寂寥して未だ聞かざる。蓋し氣自づから是れ盛んなること有るときは則ち必ず衰うこと有り、衰うときは則ち終に必ず復盛んなるなり。若し冬春ならず、夜晝ならざるときは、則ち氣化息まん。聖人の化を主るは、禹の水を治むるが如し。順うべきときは則ち當に之に順うべく、治むべきときは則ち須く之を治むべし。古の伏羲、豈衣裳を垂れること能わず、必ず堯・舜を待って然して後に衣裳を垂れんや。此の如きの事に據るに、只是れ一箇の聖人都て做し得了わる。然も必ず須く數世にして然して後に成るべく、亦時に因るのみ。所謂溥博淵泉にして時之を出すなり。須く是れ先づ溥博淵泉有って、方に始めて能く時に出すべし。自ら溥博淵泉無くんば、豈能く時に之を出さんや。大抵氣化は天に在り人に在る一般なり。聖人は其の中、只功用有るのみ。放勳曰く、之を勞い之を來し、之を匡[ただ]し之を直くし、之を輔け之を翼[たす]く、と。正に須く此の如くなるべし。流俗に徇うは時に隨うに非ず。事の正す可きを知って、嚴毅にして獨立するは、乃ち是れ時に隨うなり。禮を舉ぐるの文は、却って只是れ一時の事。要するに補う所大にして、以て後世を風す可し。却って只是れ道を明らかにするなり。孟子言く、五百年にして必ず王者興ること有らん、其の閒必ず世に名ある者有らん、と。大數は則ち是なり。然れども他を催促することを消[もち]いず。

冠禮廢、則天下無成人。或人欲如魯公十二而冠、此不可。冠所以責成人。十二年非可責之時。旣冠矣、且不責以成人事、則終其身不以成人望他也。徒行此節文何益。雖天子諸侯、亦必二十而冠。
【読み】
冠禮廢するときは、則ち天下に成人無し。或る人魯公十二にして冠するが如くならんことを欲するは、此れ不可なり。冠は成人を責むる所以なり。十二年は責むる可きの時に非ず。旣に冠して、且つ責むるに成人の事を以てせざるときは、則ち其の身を終うるまで成人を以て他を望まざるなり。徒に此の節文を行いて何の益かあらん。天子諸侯と雖も、亦必ず二十にして冠す。

信而後諫。唯能信便發得人志。
【読み】
信じて後に諫む。唯能く信ずれば便ち人の志を發し得ん。

龍女衣冠不可定。龍、獸也。衣冠人所被、豈有禽獸可以被人衣冠。若以爲一龍、不當立數十廟。若以爲數十龍、不當同爲善濟夫人也。大抵決塞、莫非天地之祐、社稷之福、謀臣之功、兵卒之力。不知在此、彼龍何能爲。
【読み】
龍女の衣冠は定む可からず。龍は、獸なり。衣冠は人の被る所、豈禽獸以て人の衣冠を被る可きこと有らんや。若し以て一龍とせば、當に數十廟を立つべからず。若し以て數十龍とせば、當に同じく善濟夫人と爲すべからず。大抵塞を決するは、天地の祐、社稷の福、謀臣の功、兵卒の力に非ざるは莫し。此に在ることを知らず、彼の龍何ぞ能くせん。

人苟有朝聞道夕死可矣之志、則不肯一日安其所不安也。何止一日。須臾不能。如曾子易簀、須要如此乃安。人不能若此者、只爲不見實理。實理者、實見得是、實見得非。凡實理、得之於心自別。若耳聞口道者、心實不見。若見得、必不肯安於所不安。人之一身、儘有所不肯爲、及至他事又不然。若士者、雖殺(一作敎。)之使爲穿窬、必不爲。其他事未必然。至如執卷者、莫不知說禮義。又如王公大人皆能言軒冕外物、及其臨利害、則不知就義理、却就富貴。如此者、只是說得、不實見。及其蹈水火、則人皆避之。是實見得。須是有見不善如探湯之心、則自然別。昔若經傷於虎者、他人語虎、則雖三尺童子、皆知虎之可畏、終不似曾經傷者、神色懾懼、至誠畏之。是實見得也。得之於心、是謂有德、不待勉强。然學者則須勉强。古人有捐軀隕命者。若不實見得、則烏能如此。須是實見得生不重於義(一作義重於生。)、生不安於死也。故有殺身成仁者、只是成就一箇是而已。
【読み】
人苟も朝に道を聞かば夕に死すとも可なりの志有らば、則ち肯えて一日も安からざる所に安んぜじ。何ぞ止に一日のみならん。須臾も能わじ。曾子の簀を易えしが如き、須く此の如くなるを要すべく乃ち安らかなり。人此の若くなること能わざる者は、只實理を見ざるが爲なり。實理とは、實[まこと]に是を見得し、實に非を見得することなり。凡そ實理は、之を心に得ば自づから別つなり。耳に聞き口に道うが若き者は、心實に見ず。若し見得せば、必ず肯えて安からざる所に安んぜじ。人の一身、儘[まま]肯えてせざる所有るも、他の事に至るに及んでは又然らず。士の若きは、之を殺さん(一に敎に作る。)といいて穿窬を爲さしむと雖も、必ず爲さず。其の他の事は未だ必ずしも然らず。卷を執る者の如きに至りては、禮義を說くことを知らずということ莫し。又王公大人の如き皆能く軒冕は外物なりと言うも、其の利害に臨むに及んでは、則ち義理に就くことを知らずして、却って富貴に就く。此の如き者は、只是れ說き得るのみにして、實に見ず。其の水火を蹈むに及んでは、則ち人皆之を避く。是れ實に見得するなり。須く是れ不善を見ては湯を探るが如き心有るときは、則ち自然に別つべし。昔虎に傷るることを經る者の若き、他人虎を語るときは、則ち三尺の童子も、皆虎の畏る可きを知ると雖も、終に曾て傷るることを經る者の、神色懾懼[しょうく]し、至誠に之を畏るるに似[し]かず。是れ實に見得すればなり。之を心に得る、是れ德有りと謂い、勉强することを待たず。然れども學者は則ち須く勉強すべし。古人に軀を捐[す]て命を隕[おと]す者有り。若し實に見得せずんば、則ち烏んぞ能く此の如くならん。須く是れ實に生は義より重からず(一に義は生より重くに作る。)、生は死より安からざることを見得すべし。故に身を殺して仁を成す者有り、只是れ一箇の是を成就するのみ。

學者患心慮紛亂、不能寧靜。此則天下公病。學者只要立箇心、此上頭儘有商量。
【読み】
學者は心慮紛亂して、寧靜なること能わざることを患う。此れ則ち天下の公病なり。學者は只箇の心を立てんことを要す。此の上頭に儘[まった]く商量有り。

得之於心、謂之有德。自然睟然見於面、盎於背、施於四體、四體不言而喩。豈待勉强也。
【読み】
之を心に得る、之を有德と謂う。自然に睟然として面に見れ、背に盎[あふ]れ、四體に施し、四體言わずして喩る。豈勉强するを待たんや。

葬埋所慮者、水與蟲耳。晉郭文舉爲王導所致、及其病、乞還山、欲枕石而死。貴人留之曰、深山爲虎狼食、不其酷哉。曰、深山爲虎狼食、貴人爲螻蟻食、一也。故葬者鮮不被蟲者。雖極深、亦有土蟲。故思木之不壞者、得柏心爲久。後又見松脂錮之又益久。故用松脂塗棺。
【読み】
葬埋の慮る所の者は、水と蟲とのみ。晉の郭文舉王導が爲に致さるる、其の病みて、山に還らんことを乞うに及んで、石に枕して死せんと欲す。貴人之を留めて曰く、深山は虎狼の爲に食らわるれば、其れ酷からずや、と。曰く、深山は虎狼の爲に食らわるるも、貴人螻蟻の爲に食らわるるも、一なり、と。故に葬者蟲を被らざる者鮮し。極めて深くすと雖も、亦土蟲有り。故に木の壞れざる者を思うに、柏心のみ久しとすることを得。後に又松脂之を錮[ふさ]いで又益々久しきを見る。故に松脂を用[もっ]て棺に塗るなり。

語高則旨遠、言約則義微。大率六經之言涵蓄、無有精粗。欲言精微、言多則愈粗。
【読み】
語高きときは則ち旨遠く、言約なるときは則ち義微なり。大率六經の言は涵蓄して、精粗有ること無し。言精微ならんことを欲しても、言多きときは則ち愈々粗なり。

凡物有本末、不可分本末爲兩段事。灑埽應對是其然。必有所以然。
【読み】
凡そ物に本末有るも、本末を分かちて兩段の事とする可からず。灑埽應對は是れ其れ然り。必ず然る所以有り。

浩然之氣、旣言氣、則已是大段有形體之物。如言志、有甚跡。然亦儘有形象。浩然之氣是集義所生者。旣生得此氣、語其體則與道合、語其用則莫不是義。譬之以金爲器。及其器成、方命得此是金器。
【読み】
浩然の氣、旣に氣と言うときは、則ち已に是れ大段形體有る物なり。志と言うが如きは、甚[なん]の跡有らん。然も亦儘く形象有り。浩然の氣は是れ集義の生る所の者。旣に此の氣を生し得れば、其の體を語るときは則ち道と合し、其の用を語るときは則ち是れ義ならずということ莫し。之を金を以て器を爲るに譬う。其の器成るに及んでは、方に此れ是れ金器と命じ得。

若謂旣返之氣復將爲方伸之氣、必資於此、則殊與天地之化不相似。天地之化、自然生生不窮、更何復資於旣斃之形、旣返之氣、以爲造化。近取諸身、其開闔往來、見之鼻息、然不必須(一本無此四字、有豈字。)假吸復入以爲呼。氣則自然生。人氣之生、生(一作人之氣生。)於眞元。天之氣、亦自然生生不窮。至如海水、因陽盛而涸、及陰盛而生、亦不是將(一作必是。)已涸之氣却生水。自然能生。往來屈伸只是理也。盛則便有衰、晝則便有夜、往則便有來。天地中如洪鑪。何物不銷鑠了。
【読み】
若し旣に返るの氣復將[はた]方に伸ぶるの氣、必ず此に資ると爲すと謂うときは、則ち殊に天地の化と相似ず。天地の化は、自然に生生して窮まらず、更に何ぞ復旣に斃るの形、旣に返るの氣に資って、以て造化をせんや。近く諸を身に取るに、其の開闔往來、之を鼻息に見るに、然も必ずしも吸うを假りて復入れて以て呼と爲すことを須たず(一本に此の四字無く、豈の字有り。)。氣は則ち自然に生ず。人氣の生ずるは、眞元より生ずるなり(一に人之氣生に作る。)。天の氣も、亦自然に生生して窮まらず。海水の如きに至っても、陽盛んなるに因りて涸れ、陰盛んなるに及んで生じ、亦是れ已に涸るるの氣を將って(一に必是に作る。)却って水を生ずるにあらず。自然に能く生ずるなり。往來屈伸は只是れ理なり。盛んなれば則便ち衰うること有り、晝なれば則便ち夜有り、往けば則便ち來ること有り。天地の中は洪鑪の如し。何物か銷鑠[しょうしゃく]し了わらざらん。

範圍天地之化。天本廓然無窮。但人以目力所及、見其寒暑之序、日月之行、立此規模、以窺測他。天地之化、不是天地之化其體有如城郭之類、都盛其氣。假使言日升降於三萬里、不可道三萬里外更無物。又如言天地升降於八萬里中、不可道八萬里外天地盡。學者要默體天地之化。如此言之、甚與天地不相似、其卒必有窒礙。有人言無西海、便使無西海、亦須是有山。(無陰陽處、便無日月。)
【読み】
天地の化を範圍す。天は本廓然として窮まり無し。但人は目力の及ぶ所を以て、其の寒暑の序、日月の行を見て、此が規模を立てて、以て他を窺い測るのみ。天地の化は、是れ天地の化其の體城郭の類の如くなること有って、都て其の氣を盛んにするにあらず。假使[も]し日は三萬里に升降すと言うとも、三萬里の外更に物無しと道う可からず。又天地は八萬里の中に升降すと言うが如き、八萬里の外に天地盡くと道う可べからず。學者默して天地の化に體せんことを要す。此の如く之を言わば、甚だ天地と相似せずして、其の卒わりは必ず窒礙すること有らん。人有り西海無しと言うは、便ち西海無からしめば、亦須く是れ山有るべし。(陰陽無き處は、便ち日月無し。)

閑邪則誠自存。不是外面捉一箇誠將來存著。今人外面役役於不善、於不善中尋箇善來存著。如此則豈有入善之理。只是閑邪、則誠自存。故孟子言性善、皆由内出。只爲誠便存、閑邪更著甚工夫。但惟是動容貌、整思(一作心。)慮、則自然生敬。敬只是主一也。主一、則旣不之東、又不之西。如是則只是中。旣不之此、又不之彼。如是則只是内。存此、則自然天理明。學者須是將(一本無此字。)敬以直内、涵養此意。直内是本。
【読み】
邪を閑[ふせ]ぐときは則ち誠自づから存す。是れ外面より一箇の誠を捉え將[も]て來りて存著するにあらず。今の人は外面不善に役役とし、不善の中に於て箇の善を尋ね來りて存著す。此の如くなるときは則ち豈善に入る理有らんや。只是れ邪を閑ぐときは、則ち誠自づから存するなり。故に孟子性善を言うは、皆内由り出づるればなり。只誠ならば便ち存すと爲す。邪を閑ぐこと更に甚[なん]の工夫を著けん。但惟是れ容貌を動かし、思(一に心に作る。)慮を整うるときは、則ち自然に敬を生ず。敬は只是れ一を主とするなり。一を主とするときは、則ち旣に東に之かず、又西に之かず。是の如くなるときは則ち只是れ中なり。旣に此に之かず、又彼に之かず。是の如くなるときは則ち只是れ内なり。此を存するときは、則ち自然に天理明らかなり。學者は須く是れ敬以て内を直くするを將って(一本に此の字無し。)、此の意を涵養すべし。内を直くするは是れ本なり。

天地之化、雖廓然無窮、然而陰陽之度、日月寒暑晝夜之變、莫不有常。此道之所以爲中庸。
【読み】
天地の化は、廓然として窮まり無しと雖も、然れども陰陽の度、日月寒暑晝夜の變、常有らずということ莫し。此れ道の中庸爲る所以なり。

道則自然生萬物。今夫春生夏長了一番、皆是道之生。後來生長、不可道却將旣生之氣、後來却要生長。道則自然生生不息。
【読み】
道は則ち自然に萬物を生ず。今夫れ春に生じ夏に長じ了わること一番なるは、皆是れ道よりして生ずるなり。後來の生長すること、却って旣に生ずるの氣を將って、後來却って生長を要すと道う可からず。道は則ち自然に生生して息まざるなり。

釋氏之學、更不消對聖人之學比較。要之必不同。便可置之。今窮其說、未必能窮得他、比至窮得、自家已化而爲釋氏矣。今且以迹上觀之。佛逃父出家、便絕人倫、只爲自家獨處於山林。人郷裏豈容有此物。大率以所賤所輕施於人。此不惟非聖人之心、亦不可爲君子之心。釋氏自己不爲君臣父子夫婦之道、而謂他人不能如是。容人爲之而己不爲、別做一等人。若以此率人、是絕類也。至如言理性、亦只是爲死生。其情本怖死愛生。是利也。
【読み】
釋氏の學は、更に聖人の學に對して比較することを消[もち]いず。之を要するに必ず同じからず。便ち之を置く可し。今其の說を窮むるに、未だ必ずしも能く他を窮め得ざれども、窮め得るに至るに比[およ]ばば、自家已に化して釋氏と爲らん。今且つ迹上を以て之を觀ん。佛は父を逃げ家を出て、便ち人倫を絕ち、只自家獨り山林に處ることを爲すのみ。人郷の裏豈此の物有る容けんや。大率賤しくする所輕んずる所を以て人に施す。此れ惟聖人の心に非ざるのみにあらず、亦君子の心と爲す可からず。釋氏自己は君臣父子夫婦の道を爲さずして、他人は是の如くなること能わずと謂う。人之を爲す容くして己爲さず、別に一等の人と做す。此を以て人を率いるが若き、是れ類を絕つなり。理性を言うが如きに至っては、亦只是れ死生の爲にするのみ。其の情は本死を怖れ生を愛す。是れ利するなり。

敬以直内、有主於内則虛、自然無非僻之心。如是、則安得不虛。必有事焉、須把敬來做件事著。此道最是簡、最是易、又省工夫爲。此語、雖近似常人所論、然持之(一本有久字。)必別。
【読み】
敬以て内を直くして、内に主有るときは則ち虛にして、自然に非僻の心無し。是の如くなれば、則ち安んぞ虛ならざることを得ん。必ず事とすること有らば、須く敬を把り來て件の事を做し著すべし。此の道最も是れ簡に、最も是れ易く、又工夫を省ぶことを爲す。此の語、常人の論ずる所に近似すと雖も、然れども之を持すれば(一本に久の字有り。)必ず別なり。

天子七廟、亦恐只是一日行禮。考之古、則戊辰同祀文・武、考之今、則宗廟之祀亦是一日。
【読み】
天子の七廟は、亦恐らくは只是れ一日の行禮ならん。之を古に考うれば、則ち戊辰に文・武を祀ると同じく、之を今に考うれば、則ち宗廟の祀も亦是れ一日なり。

祭無大小、其所以交於神明、接鬼神之義一也。必齊。不齊則何以交神明。
【読み】
祭に大小と無く、其の神明に交わり、鬼神に接する所以の義は一なり。必ず齊せよ。齊せずんば則ち何を以てか神明に交わらん。

曆象之法、大抵主於日。日一事正、則其他皆可推。洛下閎作曆、言數百年後當差一日、其差理必然。何承天以其差、遂立歲差法。其法、以所差分數、攤在所曆之年、看一歲差著幾分。其差後亦不定。獨邵堯夫立差法、冠絕古今、却於日月交感之際、以陰陽虧盈求之、遂不差。大抵陰常虧、陽常盈。故只於這(一作張。)裏差了。曆上若是通理、所通爲多。堯夫之學、大抵似楊雄。然亦不盡如之。常窮味有二萬八千六百、此非人所合和、是自然也。色有二萬八千六百、又非人所染畫得、亦是自然也。獨聲之數只得一半數不行。蓋聲陽也。只是於日出地上數得、到日入地下、遂數不行。此皆有理。譬之有形斯有影。不可謂今日之影、却收以爲來日之影。(據皇極經世、色味皆一萬七千二十四。疑此記者之誤。)
【読み】
曆象の法は、大抵日を主とす。日の一事正すときは、則ち其の他は皆推す可し。洛下閎曆を作りて、數百年の後當に一日を差うべく、其の差は理として必ず然りと言う。何承天其の差を以て、遂に歲差の法を立つ。其の法は、差う所の分數を以て、曆する所の年に攤在[たんざい]して、一歲の差幾分を著くということを看る。其の差後に亦定まらず。獨り邵堯夫の立差の法のみ、古今に冠絕し、却って日月交感の際に於て、陰陽の虧盈を以て之を求め、遂に差わず。大抵陰は常に虧け、陽は常に盈つ。故に只這の(一に張に作る。)裏に於て差い了わる。曆上若し是れ理に通ぜば、通ずる所多しと爲す。堯夫の學は、大抵楊雄に似れり。然れども亦盡くは之の如くならず。常に窮むるに味に二萬八千六百有り、此れ人の合和する所に非ず、是れ自然なり。色に二萬八千六百有り、又人染め畫き得る所に非ず、亦是れ自然なり。獨り聲の數は只一半を得て數行われず。蓋し聲は陽なり。只是れ日地上に出る數に於ては得て、日地下に入るに到って、遂に數行われず。此れ皆理有り。之を譬うるに形有れば斯れ影有り。今日の影、却って收めて以て來日の影と爲すと謂う可からず。(皇極經世に據るに、色味は皆一萬七千二十四、と。疑うらくは此れ記者の誤りならん。)

君子宜獲祐。然而有貧悴短夭、以至無繼者。天意如何。氣鍾於賢者、固有所不周也。
【読み】
君子は宜しく祐を獲べし。然れども貧悴短夭より、以て繼ぐこと無きに至る者有り。天意如何。氣賢者に鍾[あつ]まるも、固より周からざる所有り。

閑邪則固(一有主字。)一矣。然(一作能。)主一則不消言閑邪。有以一爲難見、不可下工夫、如何(一作行。)。一者無他。只是整齊(一作莊整。)嚴肅、則心便一。一則自是無非僻之奸。此意但涵養久之、則天理自然明。
【読み】
邪を閑ぐときは則ち固に(一に主の字有り。)一なり。然れども(一に能に作る。)主一なるときは則ち邪を閑ぐと言うを消いず。一を以て見難しと爲し、工夫を下す可からず、如何(一に行に作る。)というもの有り。一とは他無し。只是れ整齊(一に莊整に作る。)嚴肅なるときは、則ち心便ち一なり。一なるときは則ち自づから是れ非僻の奸す無し。此の意は但涵養すること之を久しくして、則ち天理自然に明らかならんとなり。

必有事焉、有事於此(一作敬。)也。勿正者、若思此而曰善、然後爲之、是正也。勿忘、則是必有事也。勿助長、則是勿正也。後言之漸重。須默識取主一之意。
【読み】
必ず事とすること有りとは、此(一に敬に作る。)を事とすること有るなり。正[あてて]すること勿かれとは、此を思って善しと曰いて、然にして後に之をするが若き、是れ正するなり。忘るること勿かれとは、則ち是れ必ず事とすること有るなり。助長すること勿かれとは、則ち是れ正すること勿きなり。後の言は之れ漸く重し。須く默して識すべし、一を主とすることを取る意なるを。

修養之所以引年、國祚之所以祈天永命、常人之至於聖賢、皆工夫到這裏、則有此應。
【読み】
修養の年を引[の]ぶる所以、國祚の天の永命を祈る所以、常人の聖賢に至る、皆工夫這の裏に到るときは、則ち此の應有り。

宗子法壞、則人不自知來處、以至流轉四方、往往親未絕、不相識。今且試以一二巨公之家行之、其術要得拘守得。須是且如唐時立廟院。仍不得分割了祖業、使一人主之。
【読み】
宗子の法壞るるときは、則ち人自ら來處を知らずして、以て四方に流轉し、往往に親未だ絕えざるに相識らざるに至る。今且つ試みに一二の巨公の家を以て之を行わんに、其の術拘守し得得[べ]きを要す。須く是れ且つ唐の時廟院を立つるが如くすべし。仍りて祖業を分割し了わることを得ず、一人をして之を主らしむ。

釋氏尊宿者、自言覺悟、是旣已達道。又却須要印證、則是未知也。得他人道是、然後無疑、則是信人言語、不可言自信。若果自信、則雖甚人言語、亦不聽。
【読み】
釋氏の尊宿なる者、自ら言く、覺悟す、是れ旣已に道に達す、と。又却って印證を須要すというときは、則ち是れ未だ知らざるなり。他人是を道うことを得て、然して後に疑い無きときは、則ち是れ人の言語を信じて、自ら信ずることを言う可からず。若し果たして自ら信ずるときは、則ち甚[なん]人の言語と雖も、亦聽かじ。

學者之流必談禪者、只是爲無處撈摸。故須入此。
【読み】
學者の流れて必ず禪を談ずる者は、只是れ撈摸する處無しと爲す。故に須く此に入るべし。

大德敦化、於化育處敦本也。小德川流、日用處也。此言仲尼與天地同德。
【読み】
大德の敦化は、化育の處に於て本を敦くするなり。小德の川流は、日用の處なり。此れ仲尼と天地と德を同じくするを言う。

有言、未感時、知如何所寓。曰、操則存、舍則亡、出入無時、莫知其郷。更怎生尋所寓。只是有操而已。操之之道、敬以直内也。
【読み】
言えること有り、未だ感ぜざる時、如何にか寓する所を知らん、と。曰く、操れば則ち存し、舍[お]けば則ち亡ぶ、出入に時無く、其の郷を知ること莫し。更に怎生[いかん]ぞ寓する所を尋ねん。只是れ操ること有るのみ。之を操る道は、敬以て内を直くするなり。

剛毅木訥、何求而曰(一作以。)近仁。只爲輕浮巧利、於仁甚遠、故以此爲近仁。此正與巧言令色相反。
【読み】
剛毅木訥は、何を求めて仁に近しと曰うや(一に以に作る。)。只輕浮巧利の、仁に於ること甚だ遠きが爲に、故に此を以て仁に近しと爲す。此れ正に巧言令色と相反す。

有土地、要之耕而種粟以養人、乃宜。今以種果實、只做果子喫了、種糯、使之化爲水飮之。皆不濟事、不穩當。
【読み】
土地有れば、之を耕して粟を種えて以て人を養うことを要するは、乃ち宜なり。今以て果實を種えて、只果子と做して喫し了わり、糯を種えて、之をして化して水と爲して之を飮ましむ。皆事を濟さずして、穩當ならず。

顏・孟之於聖人、其知之深淺同。只是顏子尤溫淳淵懿、於道得之更淵(一作深。)粹、近聖人氣象。
【読み】
顏・孟の聖人に於る、其の知の深淺は同じ。只是れ顏子は尤も溫淳淵懿、道に於て之を得ること更に淵(一に深に作る。)粹、聖人の氣象に近し。

率氣者在志、養志者在直内。
【読み】
氣を率いるは志に在り、志を養うは内を直くするに在り。

率性之謂道。率、循也。若言道不消先立下名義、則茫茫地何處下手、何處著心。
【読み】
性に率う之を道と謂う。率は、循うなり。若し道と言いて先づ名義を立て下すことを消いずんば、則ち茫茫たる地何の處にか手を下し、何の處にか心を著けん。

文字上(一有雖字。)無閒暇、終是(一無二字。)少工夫。然思慮則儘不廢。於外事雖奔迫、然思慮儘悠悠。
【読み】
文字上に閒暇無きときは(一に雖の字有り。)、終に是れ(一に二字無し。)工夫少なし。然れども思慮するときは則ち儘く廢せず。外事に於て奔迫なりと雖も、然れども思慮は儘く悠悠たり。

釋氏之學、又不可道他不知、亦儘極(一作及。)乎高深。然要之卒歸乎自私自利之規模。何以言之。天地之閒、有生便有死、有樂便有哀。釋氏所在便須覓一箇纖(一作綴。)姦打訛處、言免死生、齊煩惱、卒歸乎自私。老氏之學、更挾些權詐。若言與之乃意在取之、張之乃意在翕之。又大意在愚其民而自智。然則秦之愚黔首、其術蓋亦出於此。
【読み】
釋氏が學も、又他は不知と道う可からず、亦儘く高深を極む(一に及に作る。)。然れども之を要するに卒に自私し自利するの規模に歸す。何を以て之を言わん。天地の閒、生有れば便ち死有り、樂有れば便ち哀有り。釋氏の在る所は便ち須く一箇の纖(一に綴に作る。)姦を覓[もと]めて訛處を打つべく、死生を免れ、煩惱を齊[わか]つと言うは、卒に自私に歸するなり。老氏が學は、更に些かの權詐を挾む。之を與うるは乃ち意之を取るに在り、之を張るは乃ち意之を翕するに在りと言うが若し。又大意は其の民を愚にして自ら智とするに在り。然らば則ち秦の黔首[けんしゅ]を愚にする、其の術蓋し亦此に出ん。

天地之閒、只有一箇感與應而已。更有甚事。
【読み】
天地の閒は、只一箇の感と應と有るのみ。更に甚事か有らん。

老子言甚雜。如陰符經却不雜。然皆窺測天道之未盡者也。
【読み】
老子が言は甚だ雜なり。陰符經の如きは却って雜ならず。然れども皆天道を窺い測ること未だ盡くせざる者なり。

人於天地閒、竝無窒礙處。大小大快活。
【読み】
人は天地の閒に於て、竝びに窒礙する處無し。大小大に快活なり。

生知者、只是他生自知義理、不待學而知。縱使孔子是生知、亦何害於學。如問禮於老聃、訪官名於郯子、何害於孔子。禮文官名、旣欲知舊物。又不可鑿空撰得出。須是問他先知者始得。
【読み】
生知とは、只是れ他生まれながらにして自づから義理を知って、學ぶを待たずして知る。縱使[たと]い孔子は是れ生知なれども、亦何ぞ學ぶに害あらん。禮を老聃[ろうたん]に問い、官名を郯子[たんし]に訪ぬるが如き、何ぞ孔子に害あらん。禮文官名は、旣に舊物を知らんことを欲す。又鑿空して撰得し出す可からず。須く是れ他の先づ知る者に問いて始めて得るべし。

蕭何大營宮室、其心便不好。只是要得斂怨自安。謝安之營宮室、却是隨時之宜。以東晉之微、寓於江表、其氣奄奄欲盡、且以慰安人心。
【読み】
蕭何大いに宮室を營[もと]むるは、其の心便ち好からず。只是れ怨みを斂[おさ]めて自ら安んずることを得んことを要す。謝安が宮室を營むるは、却って是れ時の宜しきに隨う。東晉の微にして、江表に寓して、其の氣奄奄として盡きんと欲するを以て、且以て人心を慰安するなり。

高祖其勢可以守關、不放入項王。然而須放他入來者、有三事。一是有未坑二十萬秦子弟在外、恐内有父兄爲變。二是漢王父母妻子在楚。三是有懷王。
【読み】
高祖其の勢以て關を守りて、項王を放ち入れざる可し。然れども須く他を放ちて入り來らしむべき者、三事有り。一は是れ未だ坑にせざる二十萬の秦の子弟外に在る有り、恐らくは内に父兄變を爲すこと有らん。二は是れ漢王の父母妻子楚に在り。三は是れ懷王有り。

聖人之道、更無精粗。從灑埽應對至精義入神、通貫只一理。雖灑埽應對、只看所以然者如何。
【読み】
聖人の道は、更に精粗無し。灑埽應對從り義を精しくして神に入るに至るまで、通貫して只一理なり。灑埽應對と雖も、只然る所以の者如何と看よ。

切要之道、無如敬以直内。
【読み】
切要の道は、敬以て内を直くするに如くは無し。

立人達人、爲仁之方。强恕、求仁莫近、言得不濟事、亦須實見得近處。其理固不出乎公平。公平固在、用意更有淺深。只要自家各自體認得。
【読み】
人を立て人を達するは、仁の方と爲す。强[つと]め恕[おもんばか]るは、仁を求むること近きは莫しとは、言うこころは、得て事を濟さずとも、亦須く實に近き處を見得すべし。其の理は固に公平に出ず。公平は固より在り、意を用うること更に淺深有り。只自家各々自ら體認し得んことを要す。

沖漠無朕、萬象森然已具。未應不是先、已應不是後。如百尺之木、自根本至枝葉、皆是一貫、不可道上面一段事、無形無兆。却待人旋安排引入來、敎入塗轍。旣是塗轍、却只是一箇塗轍。
【読み】
沖漠無朕にして、萬象森然として已に具わる。未だ應ぜざるも是れ先ならず、已に應ずるも是れ後ならず。百尺の木の如き、根本自り枝葉に至るまで、皆是れ一貫、上面一段の事、形無く兆し無しと道う可からず。却って人旋[やや]安排することを待って引き入れ來りて、塗轍に入らしむ。旣に是れ塗轍あれば、却って只是れ一箇の塗轍なるのみ。

安安、下字爲義。安、其所安也。安安、是義也。
【読み】
安んずるを安んずるは、下の字を義と爲す。安は、其の安んずる所なり。安んずるを安んずるは、是れ義なり。

原始反終、故知死生之說。但窮得、則自知死生之說。不須將死生便做一箇道理求。
【読み】
始めを原[たづ]ねて終わりに反る、故に死生の說を知る。但窮め得るときは、則ち自づから死生の說を知る。須く死生を將って便ち一箇の道理と做して求むべからず。

道二、仁與不仁而已。自然理如此。道無無對。有陰則有陽、有善則有惡、有是則有非、無一亦無三。故易曰、三人行則損一人。一人行則得其友。只是二也。
【読み】
道は二つ、仁と不仁とのみ。自然に理として此の如し。道に對無きこと無し。陰有れば則ち陽有り、善有れば則ち惡有り、是有れば則ち非有り、一無く亦三無し。故に易に曰く、三人行けば則ち一人を損[へ]らす。一人行けば則ち其の友を得、と。只是れ二つなり。

曾子言夫子之道忠恕。果可以一貫。若使他人言之、便未足信、或未盡忠恕之道。曾子言之、必是盡仍是(一作得也。)。又於中庸特舉此二義、言忠恕違道不遠。恐人不喩。故指而示之近、欲以喩人。又如禘嘗之義、如視諸掌、中庸亦指而示之近。皆是恐人不喩。故特語之詳。然則中庸之書、決是傳聖人之學不雜。子思恐傳授漸失。故著此一卷書。
【読み】
曾子言く、夫子の道は忠恕、と。果たして以て一貫す可きや。若し他人をして之を言わしめば、便ち未だ信ずるに足らず、或は未だ忠恕の道を盡くさず。曾子之を言うは、必ず是れ盡くすこと仍[しばしば]是なり(一に得也に作る。)。又中庸に於て特に此の二義を舉げて、忠恕は道を違ること遠からずと言う。人の喩らざらんことを恐る。故に指して之に近きを示して、以て人を喩さんことを欲す。又禘嘗の義は、掌を視るが如しというが如き、中庸に亦指して之に近きを示す。皆是れ人の喩らざらんことを恐る。故に特に之を語ること詳らかなり。然らば則ち中庸の書は、決して是れ聖人の學を傳えて雜ならず。子思傳授の漸失せんことを恐る。故に此の一卷の書を著す。

忠恕所以公平、造德則自忠恕、其致則公平。
【読み】
忠恕は公平なる所以、德を造せば則ち自づから忠恕、其の致[おもむき]は則ち公平。

仁之道、要之只消道一公字。公只是仁之理、不可將公便喚做仁。(一本有將字。)公而以人體之、故爲仁。只爲公、則物我兼照、故仁、所以能恕、所以能愛。恕則仁之施、愛則仁之用也。
【読み】
仁の道は、之を要するに只一つの公の字を道うを消うるのみ。公は只是れ仁の理にして、公を將て便ち仁と喚び做す可からず。(一本に將の字有り。)公にして人を以て之に體す、故に仁爲り。只公ならば、則ち物我兼ね照らすが爲に、故に仁は、能く恕する所以なり、能く愛する所以なり。恕は則ち仁の施にして、愛は則ち仁の用なり。

出門如見大賓、使民如承大祭、只是敬也。敬則是不私之說也。才不敬、便私欲萬端害於仁。
【読み】
門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くするは、只是れ敬なり。敬は則ち是れ私ならざるの說なり。才かに不敬なれば、便ち私欲萬端にして仁を害す。

聖人之言依本分、至大至妙事、語之若尋常。此所以味長。釋氏之說、纔見得些、便驚天動地、言語走作。却是味短。只爲乍見、不似聖人見慣。如中庸言道、只消道無聲無臭四字、總括了多少。釋氏言非黃非白、非鹹非苦、費多少言語。
【読み】
聖人の言は本分に依って、至大至妙の事、之を語ること尋常の若し。此れ味長き所以なり。釋氏の說は、纔かに些かを見得すれば、便ち天を驚かし地を動かして、言語走作す。却って是れ味短し。只乍見するが爲に、聖人の見慣るるに似ず。中庸に道を言うが如き、只聲も無く臭も無きの四字を道うことを消いて、多少を總括し了わる。釋氏は非黃非白、非鹹[かん]非苦と言いて、多少の言語を費やす。

寂然不動、萬物森然已具、在感而遂通。感則只是自内感。不是外面將一件物來感於此也。
【読み】
寂然として動かずして、萬物森然として已に具わりて、感じて遂に通ずること在り。感ずるは則ち只是れ内自り感ずるなり。是れ外面一件の物を將ち來りて此に感ずるにあらざるなり。

有人旁邊作事、己不見、而只聞人說善言者、爲敬其心也。故視而不見、聽而不聞、主於一也。主於内則外不入。敬便心虛故也。必有事焉、不忘、不要施之重、便不好。敬其心、乃至不接視聽。此學者之事也。始學、豈可不自此去。至聖人、則自是從心所欲不踰矩。
【読み】
人有り旁邊事を作し、己に見ずして、只人の善言を說くを聞く者は、其の心を敬するが爲なり。故に視れども見ず、聽けども聞かざるは、一を主とすればなり。内に主あれば則ち外入らず。敬は便ち心虛なるが故なり。必ず事とすること有りて、忘れず、施すことの重きことを要せざれば、便ち好からず。其の心を敬して、乃ち視聽に接せざるに至れ。此れ學者の事なり。始學は、豈此れ自り去[ゆ]かざる可けんや。聖人に至っては、則ち自ら是れ心の欲する所に從えども矩を踰えざるなり。

孔子自十五至七十、進德直有許多節次。聖人未必然。然亦是(一作且。)爲學者立下一法、盈科而後進、須是成章乃達。
【読み】
孔子は十五自り七十に至るまで、德に進むこと直に許多の節次有り。聖人は未だ必ずしも然らず。然も亦是れ(一に且に作る。)學者の爲に一法を立て下し、科[あな]に盈ちて而して後に進み、是を須[もっ]て章を成して乃ち達せしむ。

自古元不曾有人解仁字之義、須於道中與他分別出五常。若只是兼體、却只有四也。且譬一身、仁、頭也。其他四端、手足也。至如易、雖言元者善之長、然亦須通四德以言之、至如八卦、易之大義在乎此、亦無人曾解來。(乾健坤順之類、亦不曾果然體認得。)
【読み】
古自り元曾て人仁の字の義を解すること有らず、須く道の中に於て他と五常を分別し出すべし。若し只是れ體を兼ぬるは、却って只四つ有り。且一身に譬うるに、仁は、頭なり。其の他の四端は、手足なり。易の如きに至っては、元は善の長と言うと雖も、然れども亦須く四德に通じて以て之を言うべく、八卦の如きに至っては、易の大義此に在ること、亦人曾て解し來ること無し。(乾健坤順の類、亦曾て果然として體認し得ず。)

登山難爲言、以言聖人之道大。觀瀾必照、因又言其道之無窮。瀾、水之動處。苟非源之無窮、則無以爲瀾。非日月之明無窮、則無以容光必照其下。又言其篤實而有光輝也(一作篤實而不窮。)。成章者、篤實而有光輝也。今以瓦礫積之、雖如山嶽、亦無由有光輝。若使積珠玉、小積則有小光輝、大積則有大光輝。
【読み】
山に登りて言を爲し難しとは、以て聖人の道の大なることを言う。瀾[せ]を觀て必ず照らすとは、因りて又其の道の窮まり無きことを言う。瀾は、水の動く處。苟も源の窮まり無きに非ずんば、則ち以て瀾を爲すこと無けん。日月の明窮まり無きに非ずんば、則ち以て容光必ず其の下を照らすこと無けん。又其の篤實にして光輝有ることを言うなり(一に篤實にして窮まらざるに作る。)。章を成すとは、篤實にして光輝有るなり。今瓦礫を以て之を積むに、山嶽の如しと雖も、亦光輝有るに由無し。若し珠玉を積ましむるに、小しく積めば則ち小しく光輝有り、大いに積めば則ち大いに光輝有り。

天下之言性、則故而已矣。則語助也。故者本如是者也。今言天下萬物之性、必求其故者、只是欲順而不害之也。故曰以利爲本。本欲利之也。此章皆爲知而發。行其所無事、是不鑿也。日至可坐而致、亦只是不鑿也。
【読み】
天下の性を言うは、則ち故なるのみ。則は語の助なり。故は本是の如くなる者なり。今天下萬物の性、必ず其の故を求むと言う者は、只是れ順いて之を害せざることを欲するなり。故に利を以て本と爲すと曰う。本之を利することを欲すとなり。此の章皆知の爲にして發す。其の事無き所に行[や]るは、是れ鑿たざるなり。日至も坐[い]ながらにして致す可きも、亦只是れ鑿たざるなり。

不席地而倚卓、不手飯而匕筯、此聖人必隨時。若未有當、且作之矣。
【読み】
地に席せずして卓に倚り、手づから飯せずして匕筯[ひちょ]するは、此れ聖人も必ず時に隨う。若し未だ當たること有らざれば、且つ之を作す。

昔謂異敎中疑有達者、或是無歸、且安於此。再嘗考之、卒不達。若達則於其前日所處、不能一朝居也。觀曾子臨死易簀之意、便知其不達。朝聞道、夕死可矣。豈能安其所未安。如毀其人形、絕其倫類、無君臣父子之道。若達則不安也。只夷言左衽、尙可言隨其國俗。至如人道、豈容有異。
【読み】
昔謂えらく、異敎の中疑うらくは達する者有らん、或は是れ歸すること無くして、且つ此に安んず、と。再び嘗て之を考うるに、卒に達せず。若し達せば則ち其の前日の處する所に於て、一朝も居ること能わじ。曾子死に臨みて簀を易うるの意を觀て、便ち其の達せざることを知る。朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。豈能く其の未だ安からざる所に安んぜんや。其の人形を毀ち、其の倫類を絕つが如きは、君臣父子の道無し。若し達せば則ち安んぜじ。只夷が衽を左にすと言うは、尙其の國俗に隨うと言う可し。人道の如きに至っては、豈異なること有る容けんや。

受祥肉(呂本・徐本、肉作内。)彈琴、恐不是聖人舉動。使其哀未忘、則子於是日哭、則不歌、不飮酒食肉以全哀。況彈琴可乎。使其哀已忘、則何必彈琴。
【読み】
祥肉(呂本・徐本、肉を内に作る。)を受けて琴を彈ずというは、恐らくは是れ聖人の舉動にあらじ。其の哀をして未だ忘れざらしめば、則ち子是の日に於て哭するときは、則ち歌わず、酒を飮み肉を食わずして以て哀を全くす。況んや琴を彈じて可ならんや。其の哀をして已に忘れしめば、則ち何ぞ必ずしも琴を彈ずるのみならん。

學者爲氣所勝、習所奪、只可責志。
【読み】
學者は氣の勝つ所、習の奪う所と爲らば、只志を責む可し。

釋氏之說、若欲窮其說而去取之、則其說未能窮、固已化而爲佛矣。只且於迹上考之、其設敎如是、則其心果如何。固難爲取其心不取其迹。有是心則有是迹。王通言心迹之判、便是亂說。不若且於迹上斷定、不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、却省易(一作力。)
【読み】
釋氏が說は、若し其の說を窮めて、之を去取せんと欲するときは、則ち其の說の未だ窮むること能わざるに、固に已に化して佛と爲らん。只且く迹の上に之を考うるに、其の敎を設くること是の如くなるときは、則ち其の心果たして如何。固に其の心を取りて其の迹を取らざることを爲し難し。是の心有るときは則ち是の迹有り。王通が心迹の判を言えるは、便ち是れ亂りに說くなり。且く迹上に於て聖人と合わざることを斷定するに若かず。其の言合う處有るは、則ち吾が道固より已に有り。合わざること有る者は、固に取らざる所なり。是の如く立て定むれば、却って省易なり(一に力に作る。)

儒者其卒必(一作多。)入異敎、其志非願也、其勢自然如此。蓋智窮力屈、欲休來、又知得未安穩、休不得。故見人有一道理、其勢須從之。譬之行一大道、坦然無阻、則更不由徑、只爲前面逢著山、逢著水、行不得、有窒礙、則見一邪徑、欣然從之。儒者之所以必有窒礙者、何也。只爲不致知。知至至之、則自無事可奪。今夫有人處於異郷、元無安處、則言某處安、某處不安、須就安處。若己有家、人言他人家爲安、己必不肯就彼。故儒者而卒歸異敎者、只爲於己道實無所得、雖曰聞道、終不曾實有之。
【読み】
儒者其の卒わりに必ず(一に多に作る。)異敎に入るは、其の志願いに非ざれば、其の勢自然に此の如し。蓋し智窮まり力屈して、休し來らんと欲すれども、又知り得ること未だ安穩ならずして、休し得ず。故に人一つの道理有るを見て、其の勢須く之に從うべし。之を譬うるに一つの大道を行くに、坦然として阻むこと無きときは、則ち更に徑に由らず、只前面山に逢著し、水に逢著するが爲に、行き得ずして、窒礙有るときは、則ち一つの邪徑を見て、欣然として之に從う。儒者の必ず窒礙有る所以の者は、何ぞや。只知を致めざるが爲なり。至るを知って之に至れば、則ち自づから事の奪わる可き無し。今夫れ人異郷に處する有り、元安處無きときは、則ち某の處は安く、某の處は安からずと言いて、須く安處に就くべし。若し己家を有すれば、人他人の家を安しとすと言えども、己必ず肯えて彼に就かず。故に儒者にして卒わりに異敎に歸する者は、只己が道に於て實に得る所無く、道を聞くと曰うと雖も、終に曾て實に之を有せざるが爲なるのみ。

佛・莊之說、大抵略見道體。乍見不似聖人慣見。故其說走作。
【読み】
佛・莊の說は、大抵略道體を見る。乍見して聖人の慣れ見るに似ず。故に其の說走作す。

時所以有古今風氣人物之異者、何也。氣有淳漓、自然之理。有盛則必有衰、有終則必有始、有晝則必有夜。譬之一片地、始開荒田、則其收穀倍、及其久也、一歲薄於一歲。氣亦盛衰故也。至如東西漢、人才文章已來皆別、所尙異也。尙所以異、亦由心所爲。心所以然者、只爲生得來如此。至如春夏秋冬、所生之物各異、其栽培澆灌之宜、亦須各以其時、不可一也、須隨時。只如均是春生之物、春初生得又別、春中又別、春盡時所生又別。禮之隨時處宜、只是正得當時事。所謂時者、必明道以貽後人。
【読み】
時に古今風氣人物の異なること有る所以の者は、何ぞや。氣に淳漓有るは、自然の理なり。盛有れば則ち必ず衰有り、終有れば則ち必ず始有り、晝有れば則ち必ず夜有り。之を一片地に譬うるに、始めて荒田を開くときは、則ち其の穀を收むること倍し、其の久しきに及んでは、一歲は一歲より薄し。氣も亦盛衰する故なり。東西漢の、人才文章の如きに至っては已來皆別なるは、尙ぶ所異なればなり。尙ぶこと異なる所以は、亦心のする所に由る。心の然る所以の者は、只生得し來ること此の如きが爲なるのみ。春夏秋冬、生ずる所の物各々異るが如きに至っては、其の栽培澆灌[ぎょうかん]の宜しきも、亦須く各々其の時を以てすべく、一にす可からず、須く時に隨うべし。只均しく是れ春生ずるの物の如き、春初生じ得ること又別、春中も又別、春盡きる時生ずる所も又別なり。禮の時に隨いて宜しきを處するは、只是れ正に時に當たる事を得るのみ。所謂時とは、必ず道を明らかにして以て後人に貽[おく]るなり。

有謂因苦學而至失心者。學本是治心、豈有反爲心害。某氣本不盛。然而能不病、無倦怠者、只是一箇愼生不恣意。其於外事、思慮儘悠悠。
【読み】
學に苦しむに因りて心を失うに至ると謂う者有り。學は本是れ心を治むるに、豈反って心の害を爲すこと有らんや。某氣本盛んならず。然れども能く病まず、倦怠無き者は、只是れ一箇の生を愼んで意を恣にせざればなり。其の外事に於ては、思慮儘く悠悠たり。

合而言之道也、仁固是道。道却是總名。
【読み】
合して之を言えば道なりとは、仁は固より是れ道なり。道は却って是れ總名。

大而化之、只是謂理與己一。其未化者、如人操尺度量物。用之尙不免有差。若至於化者、則己便是尺度、尺度便是己。顏子正在此、若化則便是仲尼也。在前是不及、在後是過之。此過不及甚微。惟顏子自知、他人不與。卓爾是聖人立處。顏子見之、但未至爾。
【読み】
大にして之を化すとは、只是れ理と己と一なるを謂うのみ。其の未だ化せざる者は、人尺度を操って物を量るが如し。之を用いて尙差有ることを免れず。若し化に至る者は、則ち己便ち是れ尺度、尺度便ち是れ己なり。顏子正に此に在り、若し化せば則便ち是れ仲尼なり。前に在すは是れ及ばず、後に在すは是れ之に過ぐ。此の過不及は甚だ微なり。惟顏子のみは自ら知り、他人は與らず。卓爾は是れ聖人の立つ處。顏子之を見るも、但未だ至らざるのみ。

格物窮理、非是要盡窮天下之物、但於一事上窮盡、其他可以類推。至如言孝、其所以爲孝者如何。窮理(一無此二字。)如一事上窮不得、且別窮一事。或先其易者、或先其難者、各隨人深淺。如千蹊萬徑、皆可適國、但得一道入得便可。所以能窮者、只爲萬物皆是一理。至如一物一事、雖小、皆有是理。
【読み】
物に格りて理を窮むるは、是れ天下の物を盡くし窮むることを要するに非ず、但一事の上に於て窮め盡くせば、其の他は類を以て推す可し。孝を言うが如きに至っては、其の孝をする所以の者如何、と。理を窮め(一に此の二字無し。)如し一事の上に窮め得ずんば、且く別に一事を窮む。或は其の易き者を先にし、或は其の難き者を先にし、各々人の深淺に隨う。千蹊萬徑、皆國に適く可きが如き、但一道を得て入り得れば便ち可なり。能く窮むる所以の者は、只萬物皆是れ一理なるが爲なり。一物一事の如きに至っては、小なりと雖も、皆是の理有り。

敬則自虛靜、不可把虛靜喚做敬。居敬則自然行簡。若居簡而行簡、却是不簡。只是所居者已剩一簡字。
【読み】
敬は則ち自ら虛靜にして、虛靜を把りて敬と喚び做す可からず。敬に居るときは則ち自然に簡を行う。若し簡に居て簡を行えば、却って是れ簡ならず。只是れ居る所の者已に一の簡の字を剩ずるのみ。

退藏於密。密是用之源、聖人之妙處。
【読み】
退いて密に藏る。密は是れ用の源、聖人の妙處なり。

聖人之道、如河圖・洛書、其始止於畫上便出義。後之人旣重卦、又繫辭、求之未必得其理。至如春秋、是其所是、非其所非、不過只是當年數人而已。學者不觀他書、只觀春秋、亦可盡道。
【読み】
聖人の道、河圖・洛書の如き、其の始めは止畫上に於て便ち義を出す。後の人旣に卦を重ね、又辭を繫けて、之を求むれども未だ必ずしも其の理を得ず。春秋の如きに至っては、其の是なる所を是とし、其の非なる所を非とすること、只是れ當年の數人に過ぎざるのみ。學者他の書を觀ず、只春秋を觀ば、亦道を盡くす可し。

物理須是要窮。若言天地之所以高深、鬼神之所以幽顯、若只言天只是高、地只是深、只是已辭、更有甚。
【読み】
物理は須く是れ窮むることを要すべし。天地の高深なる所以、鬼神の幽顯なる所以を言うが若き、若し只天は只是れ高く、地は只是れ深しと言わば、只是れ已に辭のみにして、更に甚か有らん。

敬則無己可克。(一有學者之字。)始則須絕四(一有去字。)
【読み】
敬なれば則ち己の克つ可き無し。(一に學者之の字有り)始めは則ち須く四を絕つべし(一に去の字有り。)

人之身有形體、未必能爲主。若有人爲繫虜將去、隨其所處、己有不得與也。唯心則三軍之衆不可奪也。若幷心做主不得、則更有甚。
【読み】
人の身に形體有る、未だ必ずしも能く主と爲さず。若し人有りて繫虜し將ち去ることをするとも、其の處する所に隨いて、己與ることを得ざること有り。唯心は則ち三軍の衆も奪う可からざるなり。若し心を幷せて主と做し得ざれば、則ち更に甚か有らん。

夷・惠之行、未必如此。且如孔子言不念舊惡、怨是用希、則伯夷之度量可知。若使伯夷之淸旣如此、又使念舊惡、則除是抱石沈河。孟子所言、只是推而言之、未必至如此。然聖人於道、防其始、不得不如是之嚴。如此而防、猶有流者。夷・惠之行不已、其流必至於孟子所論。夷是聖人極淸處、惠聖人極和處、聖人則兼之而時出之。淸和何止於偏。其流則必有害。墨子之道、雖有尙同兼愛之說、然觀其書、亦不至於視鄰之子猶兄之子。蓋其流必至於此。至如言伊尹始在畎畝、五就湯、五就桀、三聘翻然而從、豈不是時。然後來見其以天下自任。故以爲聖人之任。
【読み】
夷・惠の行いは、未だ必ずしも此の如くならず。且つ孔子舊惡を念わず、怨み是を用[もっ]て希[すく]なしと言うが如くなるときは、則ち伯夷の度量知る可し。若し伯夷の淸をして旣に此の如くならしめて、又舊惡を念わしむるときは、則ち除[ただ]是れ石を抱いて河に沈むなり。孟子の言う所は、只是れ推して之を言い、未だ必ずしも此の如くなるに至らじ。然れども聖人の道に於る、其の始めを防ぐこと、是の如く嚴ならざることを得ず。此の如くにして防ぐすら、猶流るる者有り。夷・惠の行い已まずんば、其の流は必ず孟子の論ずる所に至らん。夷は是れ聖人の極淸の處、惠は聖人の極和の處、聖人は則ち之を兼ねて時に之を出す。淸和は何ぞ偏に止まらん。其の流は則ち必ず害有らん。墨子が道、尙兼愛の說に同じきこと有りと雖も、然れども其の書を觀るに、亦於鄰の子を視ること猶兄の子のごとくなるに至らず。蓋し其の流は必ず此に至らんとなり。伊尹始め畎畝に在り、五たび湯に就き、五たび桀に就き、三たび聘せられて翻然として從うと言うが如きに至っては、豈是れ時ならずや。然して後來其の天下を以て自任するを見るなり。故に以て聖人の任と爲す。

聲數。
【読み】
聲は數。

由經窮理。
【読み】
經に由って理を窮む。

不勉而中、不思而得、與勉而中、思而得、何止有差等。直是相去懸絕。不勉而中卽常中。不思而得卽常得。所謂從容中道者、指他人所見而言之。若不勉不思者、自在道上行。又何必言中不中。不勉、不思、亦有大小深淺。至於曲藝、亦有不勉不思者。所謂日月至焉、與久而不息者、所見規模雖略相似、其意味氣象迥別。須潛心默識、玩索久之、庶幾自得。學者不學聖人則已。欲學之、須熟玩味(一無味字。)聖人之(一無之字。)氣象、不可只於名上理會。如此、只是講論文字。
【読み】
勉めずして中り、思わずして得ると、勉めて中り、思って得るとは、何ぞ止差等有るのみならん。直に是れ相去ること懸絕せり。勉めずして中るは卽ち常に中るなり。思わずして得るは卽ち常に得るなり。所謂從容として道に中る者は、他人の見る所を指して之を言う。勉めず思わざる者の若きは、自ら道の上に在って行う。又何ぞ必ずしも中ると中らざるとを言わん。勉めず、思わざるも、亦大小深淺有り。曲藝に至っても、亦勉めず思わざる者有り。所謂日月至ると、久しくして息まざる者とは、見る所の規模略相似れりと雖も、其の意味氣象は迥[はる]かに別なり。須く心を潛めて默識すべく、玩索すること之を久しくせば、庶幾わくは自得せん。學者聖人を學ばずんば則ち已まん。之を學ばんと欲せば、須く熟々聖人の(一に之の字無し。)氣象を玩味すべく(一に味の字無し。)、只名上に於てのみ理會す可からず。此の如きは、只是れ文字を講論するのみ。

贊天地之化育、自人而言之。從盡其性至盡物之性、然後可以贊天地之化育、可以與天地參矣。言人盡性所造如此。若只是至誠、更不須論。所謂人者天地之心、及天聰明自我民聰明、止謂只是一理、而天人所爲、各自有分。
【読み】
天地の化育を贊くとは、人自りして之を言う。其の性を盡くす從り物の性を盡くすに至って、然して後に以て天地の化育を贊く可く、以て天地と參たる可し。言うこころは、人の性を盡くして造る所は此の如し。只是れ至誠なるが若きは、更に須く論ずるべからず。所謂人は天地の心、及び天の聰明は我が民の聰明に自るとは、止只是れ一理なりと謂えども、而れども天人の爲す所は、各々自づから分有り。

浩然之氣、所養各有漸、所以至於充塞天地、必積而後至。行不慊於心、止是防患之術、須是集義乃能生。
【読み】
浩然の氣、養う所各々漸有り、天地に充塞するに至る所以、必ず積んで後に至る。行い心に慊[こころよ]からざるは、止是れ患を防ぐの術、須く是れ集義して乃ち能く生すべし。

不可一朝居者、孟子之時、大倫亂、若君聽於臣、父聽於子、動則弑君弑父。須著變、是不可一朝居也。然魯有三桓、無以異齊。何以魯一變至於道。魯只是不修周公之法、齊旣壞太公之法、後來立法、已是苟且。及其末世、幷其法又壞、亂甚於魯。故其弑亦先於魯。孔子之仕於魯、所(一作欲。)以爲之兆、得可爲處便爲。如陳恆弑其君、孔子請討、一事正則百事自已不得。傳言以魯之衆加齊之半、此非孔子請討之計(一作意。)。如此、則孔子只待去角力。借使言行、亦上有天子、下有方伯、須謀而後行。
【読み】
一朝も居る可からざる者は、孟子の時、大倫亂れ、若しくは君は臣に聽き、父は子に聽き、動[ややもす]れば則ち君を弑し父を弑す。須く變を著すべく、是れ一朝も居る可からざるなり。然るに魯に三桓有りて、以て齊に異なること無し。何を以てか魯一變して道に至らん。魯は只是れ周公の法を修めず、齊は旣に太公の法を壞り、後來法を立つるも、已に是れ苟且なり。其の末世に及んで、其の法を幷せて又壞り、亂るること魯よりも甚だし。故に其の弑すも亦魯に先んず。孔子の魯に仕うるは、之が兆を爲して、爲す可き處を得て便ち爲す所(一に欲に作る。)以なり。陳恆其の君を弑し、孔子討せんことを請うが如き、一事正しきときは則ち百事自づから已むことを得ず。傳に魯の衆を以て齊の半に加うと言うは、此れ孔子討せんことを請うの計(一に意に作る。)に非ず。此の如きときは、則ち孔子只力を角[くら]ぶることを待ち去るなり。借使[たと]い行うと言うとも、亦上に天子有り、下に方伯有り、須く謀って後に行うべし。

禮、我戰則克、祭則受福。蓋得其道。此語至常淺。孔子固能如此。但觀其氣象、不似聖人之言。
【読み】
禮に、我れ戰えば則ち克たん、祭れば則ち福を受けん。蓋し其の道を得ればなり、と。此の語至って常淺なり。孔子は固より能く此の如し。但其の氣象を觀るに、聖人の言に似ざるなり。

嘗觀自三代而後、本朝有超越古今者五事、如百年無内亂、四聖百年、受命之日、市不易肆、百年未嘗誅殺大臣、至誠以待夷狄。此皆大抵以忠厚廉恥爲之綱紀。故能如此。蓋睿主開基、規模自別。
【読み】
嘗て三代自りして後を觀るに、本朝古今に超越する者五事有り、百年内亂無く、四聖百年、命を受くるの日、市に肆を易えず、百年未だ嘗て大臣を誅殺せず、至誠にして以て夷狄を待つが如し。此れ皆大抵忠厚廉恥を以て之が綱紀を爲す。故に能く此の如し。蓋し睿主の開基、規模自づから別なればなり。

大綱不正、萬目卽紊。唐之治道、付之尙書省、近似六官、但法不具也。後世無如宇文周。其官名法度、小有可觀。隋文之法、雖小有善處、然皆出於臆斷、惟能如此。故維持得數十年。
【読み】
大綱正しからざれば、萬目卽ち紊[みだ]る。唐の治道は、之を尙書省に付し、近きこと六官に似れども、但法具わらず。後世宇文周に如くは無し。其の官名法度、小しく觀る可き有り。隋文の法、小しく善き處有りと雖も、然れども皆臆斷に出で、惟能く此の如し。故に維持すること數十年のみを得たり。

隕石於宋、自空凝結而隕。六鷁退飛、倒逆飛也。倒逆飛、必有氣驅之也。如此等、皆是異事也。故書之。大抵春秋所書災異、皆天人響應、有致之之道。如石隕於宋而言隕石、夷伯之廟震、而言震夷伯之廟、此天應之也。但人以淺狹之見、以爲無應、其實皆應之。然漢儒言災異、皆牽合不足信。儒者見此、因盡廢之。
【読み】
宋に隕つる石ありとは、空自り凝結して隕つるなり。六鷁[げき]退飛すとは、倒[さかしま]に逆飛するなり。倒に逆飛するは、必ず氣之を驅ること有るなり。此れ等の如きは、皆是れ異事なり。故に之を書す。大抵春秋書する所の災異は、皆天人響應して、之を致すの道有り。石宋に隕ちて隕つる石と言い、夷伯が廟震して、夷伯が廟に震すと言うが如き、此れ天之に應ずるなり。但人淺狹の見を以て、以て應無しとするも、其の實は皆之に應ず。然るに漢儒の言う災異は、皆牽合にして信ずるに足らず。儒者此を見て、因りて盡く之を廢せり。

麟乃和氣所致。然春秋之時有者、何以爲應天之氣。豈可如此閒別。聖人之生、亦天地交感、五行之秀、乃生聖人。當戰國之際、生孔子何足怪。況生麟。聖人爲其出非其時、故有感。如聖人生不得其時。
【読み】
麟は乃ち和氣の致す所。然れども春秋の時に有る者は、何を以てか天の氣に應ずとせんや。豈此の如く閒別す可けんや。聖人の生ずるも、亦天地交感して、五行の秀、乃ち聖人を生ず。戰國の際に當たりて、孔子を生ずるは何ぞ怪しむに足らん。況んや麟を生ずるをや。聖人其の出ること其の時に非ざるが爲に、故に感ずること有り。聖人生まれて其の時を得ざるが如し。

孔子感麟而作春秋。或謂不然。如何。曰、春秋不害感麟而作。然麟不出、春秋豈不作。孔子之意、蓋亦有素、因此一事乃作。故其書之成、復以此終。大抵須有發端處、如畫八卦、因見河圖・洛書。果無河圖・洛書、八卦亦須作。
【読み】
孔子麟に感じて春秋を作れり。或ひと謂く、然らず、と。如何。曰く、春秋麟に感じて作るというも害あらず。然れども麟出ずんば、春秋豈作らざらんや。孔子の意、蓋し亦素有りて、此の一事に因りて乃ち作れり。故に其の書の成る、復此を以て終う。大抵須く發端なる處有るべく、八卦を畫するが如き、河圖・洛書を見るに因れり。果たして河圖・洛書無くとも、八卦亦須く作るべし、と。

一陰一陽之謂道。此理固深、說則無可說。所以陰陽者道。旣曰氣、則便是(一作有。)二。言開闔、已(一作便。)是感。旣二則便有感。所以開闔者道、開闔便是陰陽。老氏言虛而生氣、非也。陰陽開闔、本無先後。不可道今日有陰、明日有陽。如人有形影、蓋形影一時。不可言今日有形、明日有影。有便齊有。
【読み】
一陰一陽之を道と謂う。此の理固に深く、說くときは則ち說く可き無し。陰陽なる所以の者は道なり。旣に氣と曰うときは、則便ち是れ(一に有に作る。)二なり。言うこころは、開闔は、已に(一に便に作る。)是れ感なり。旣に二なるときは則便ち感有り。開闔する所以の者は道なり、開闔は便ち是れ陰陽なり。老氏虛にして氣を生ずと言うは、非なり。陰陽開闔は、本先後無し。今日陰有り、明日陽有りと道う可からず。人の形影有るが如き、蓋し形影は一時なり。今日形有り、明日影有りと言う可からず。有れば便ち齊しく有り。

寂然不動、感而遂通、此已言人分上事。若論道、則萬理皆具。更不說感與未感。
【読み】
寂然として動かず、感じて遂に通ずとは、此れ已に人分上の事を言う。若し道を論ずるときは、則ち萬理皆具わる。更に感ずると未だ感ぜざるとを說かず。

中和、若只於人分上言之、則喜怒哀樂未發旣發之謂也。若致中和、則是達天理。便見得天尊地卑、萬物化育之道。只是致知也。
【読み】
中和とは、若し只人分上に於て之を言わば、則ち喜怒哀樂の未だ發せざると旣に發するの謂なり。若し中和を致むれば、則ち是れ天理に達す。便ち天尊く地卑く、萬物化育するの道を見得せん。只是れ知を致むればなり。

素隱行怪、是過者也。半途而廢、是不及也。不見知不悔、是中者也。
【読み】
隱れたるを素[もと]め怪しきを行うは、是れ過ぎたる者なり。半途にして廢[や]むは、是れ及ばざるなり。知られざれども悔いざるは、是れ中なる者なり。

中者、只是不偏、偏則不是中。庸只是常。猶言中者是大中也。庸者是定理也。定理者、天下不易之理也、是經也。孟子只言反經、中在其閒。
【読み】
中は、只是れ偏ならず、偏なれば則ち是れ中ならず。庸は只是れ常なり。猶中は是れ大中と言うがごとし。庸は是れ定理なり。定理は、天下不易の理なり、是れ經なり。孟子只經に反ると言う、中其の閒に在り。

中庸之書、是孔門傳授、成於子思。孟子其書、雖是雜記、更不分精粗、一袞說了。今之語道、多說高便遺却卑、說本便遺却末。
【読み】
中庸の書は、是れ孔門の傳授、子思に成る。孟子は其の書、是れ雜記すと雖も、更に精粗を分かたず、一に袞說し了わる。今の道を語る、多く高きを說くは便ち卑きを遺却し、本を說くは便ち末を遺却す。

小人之中庸、小人而無忌憚也。小人更有甚中庸。脫一反字。小人不主於義理、則無忌憚。無忌憚所以反中庸也。亦有其心畏謹而不中、亦是反中庸。語惡有淺深則可。謂之中庸則不可。
【読み】
小人の中庸は、小人にして忌み憚ること無し。小人更に甚の中庸有らん。一つの反の字を脫す。小人は義理を主とせずして、則ち忌み憚ること無し。忌み憚ること無きは中庸に反ける所以なり。亦其の心畏れ謹んで中ならざる有り、亦是れ中庸に反けるなり。惡に淺深有りと語るときは則ち可なり。之を中庸と謂うは則ち不可なり。

知天命、是達天理也。必受命、是得其應也。命者是天之所賦與、如命令之命。天之報應、皆如影響。得其報者是常理也。不得其報者、非常理也。然而細推之、則須有報應。但人以狹淺之見求之、便謂差互。天命不可易也。然有可易者、惟有德者能之。如修養之引年、世祚之祈天永命、常人之至於聖賢、皆此道也。
【読み】
天命を知るは、是れ天理に達するなり。必ず命を受くるは、是れ其の應を得るなり。命とは是れ天の賦與する所、命令の命の如し。天の報應は、皆影響の如し。其の報を得る者は是れ常理なり。其の報を得ざる者は、常理に非ざるなり。然れども細に之を推すときは、則ち須く報應有るべし。但人狹淺の見を以て之を求めて、便ち差互ありと謂う。天命は易う可からず。然れども易う可き者有れば、惟有德者のみ之を能くす。修養の年を引[の]べ、世祚の天の永命を祈り、常人の聖賢に至るが如き、皆此の道なり。

夢說之事、是傅說之感高宗、高宗感傳說。高宗只思得聖賢之人。須是聖賢之人、方始應其感。若傅說非聖賢、自不相感。如今人卜筮、蓍在手、事在未來、吉凶在書策、其卒三者必合矣。使書策之言不合於理、則自不驗。
【読み】
說を夢みるの事、是れ傅說の高宗に感じ、高宗の傳說に感ずればなり。高宗は只聖賢の人を得んことを思えり。須く是れ聖賢の人、方に始めて其の感に應ずべし。若し傅說聖賢に非ずんば、自づから相感ぜじ。今の人の卜筮するが如き、蓍手に在り、事未來に在り、吉凶書策に在り、其の卒に三にする者必ず合す。書策の言をして理に合わざらしめば、則ち自づから驗あらじ。

隕石無種。種於氣。麟亦無種。亦氣化。厥初生民亦如是。至如海濱露出沙灘、便有百蟲禽獸草木無種而生、此猶是人所見。若海中島嶼稍大、人不及者、安知其無種之人不生於其閒。若已有人類、則必無氣化之人。
【読み】
隕つる石は種無し。氣を種とす。麟も亦種無し。亦氣化なり。厥の初め生民も亦是の如し。海濱沙灘を露出して、便ち百蟲禽獸草木種無くして生ずること有るが如きに至っては、此れ猶是れ人の見る所。若し海中の島嶼[とうしょ]稍大にして、人及ばざる者は、安んぞ其の種無きの人其の閒に生ぜざることを知らんや。若し已に人類有るときは、必ず氣化の人無けん。

匹夫至誠感天地、固有此理。如鄒衍之說太甚。只是盛夏感而寒慄則有之。理外之事則無。如變夏爲冬降霜雪、則無此理。
【読み】
匹夫の至誠天地を感ずること、固より此の理有り。鄒衍が說の如きは太甚だし。只是れ盛夏感じて寒慄するときは則ち之れ有り。理外の事は則ち無し。夏を變じて冬と爲して霜雪を降らすが如くなることは、則ち此の理無し。

配義與道、卽是體用。道是體、義是用、配者合也。氣儘是有形體。故言合。氣者是積義所生者、却言配義。如以金爲器、旣成則目爲金器可也。
【読み】
義と道とに配すとは、卽ち是れ體用なり。道は是れ體、義は是れ用、配すとは合するなり。氣は儘く是れ形體有り。故に合すと言う。氣は是れ積義の生ずる所の者、却って義に配すと言う。金を以て器に爲るが如き、旣に成るときは則ち目[な]づけて金器と爲して可なり。

天地之閒皆有對。有陰則有陽、有善則有惡。君子小人之氣常停、不可都生君子。但六分君子則治、六分小人則亂、七分君子則大治、七分小人則大亂。如是則(一無此三字、作雖字。)堯・舜之世不能無小人。蓋堯・舜之世、只是以禮樂法度驅而之善、盡其道而已。然言比屋可封者、以其有敎、雖欲爲惡、不能成其惡。雖堯・舜之世、然於其家乖戾之氣亦生朱・均、在朝則有四凶、久而不去。
【読み】
天地の閒は皆對有り。陰有れば則ち陽有り、善有れば則ち惡有り。君子小人の氣常に停まりて、都て君子を生ず可からず。但六分君子なるときは則ち治まり、六分小人なるときは則ち亂れ、七分君子なるときは則ち大いに治まり、七分小人なるときは則ち大いに亂る。是の如くなるときは則ち(一に此の三つの字無く、雖の字に作る。)堯・舜の世も小人無きこと能わず。蓋し堯・舜の世は、只是れ禮樂法度を以て驅りて善に之かしめて、其の道を盡くすのみ。然れども比の屋封ず可しと言う者は、其の敎有りて、惡を爲さんと欲すと雖も、其の惡を成すこと能わざるを以てなり。堯・舜之世と雖も、然れども其の家に於ては乖戾の氣亦朱・均を生し、朝に在っては則ち四凶有り、久しくして去らず。

離了陰陽更無道。所以陰陽者是道也。陰陽、氣也。氣是形而下者、道是形而上者。形而上者則是密也。
【読み】
陰陽を離れて更に道無し。陰陽なる所以の者は是れ道なり。陰陽は、氣なり。氣は是れ形よりして下なる者、道は是れ形よりして上なる者なり。形よりして上なる者は則ち是れ密なり。

絪縕、陰陽之感。
【読み】
絪縕は、陰陽の感なり。

志、氣之帥。若論浩然之氣、則何者爲志。志爲之主、乃能生浩然之氣。志至焉、氣次焉。自有先後。
【読み】
志は、氣の帥。若し浩然の氣を論ずるときは、則ち何者をか志とせん。志之が主爲れば、乃ち能く浩然の氣を生ず。志は至り、氣は次ぐ。自づから先後有り。

醫者不詣理、則處方論藥不盡其性、只知逐物所治、不知合和之後、其性又如何。假如訶子黃、白礬白、合之而成黑。黑見則黃白皆亡。又如一二合而爲三、三見則一二亡、離而爲一二則三亡。旣成三、又求一與二、旣成黑、又求黃與白、則是不知物性(一作理。)。古之人窮盡物理、則食其味、嗅其臭、辨其色、知其某物合某則成何性。天有五氣。故凡生物、莫不具有五性。居其一而有其四。至如草木也、其黃者得土之性多、其白者得金之性多。
【読み】
醫者は理に詣[いた]らざれば、則ち方を處し藥を論ずること其の性を盡くさず、只物を逐って治まる所を知って、合和するの後、其の性又如何ということを知らず。假如[たと]えば訶子は黃にして、白礬[はくばん]は白、之を合して黑と成す。黑見るれば則ち黃白皆亡ぶ。又一二合して三と爲るが如き、三見るれば則ち一二亡び、離して一二と爲すときは則ち三亡ぶ。旣に三と成りて、又一と二とを求め、旣に黑と成りて、又黃と白とを求むるときは、則ち是れ物の性(一に理に作る。)を知らざるなり。古の人物理を窮め盡くすときは、則ち其の味を食み、其の臭を嗅ぎ、其の色を辨じて、其れ某の物某に合すれば則ち何の性と成るということを知る。天に五氣有り。故に凡そ生物は、五性を具有せざること莫し。其の一に居して其の四を有す。草木の如きに至って、其の黃なる者は土の性を得ること多く、其の白き者は金の性を得ること多し。

宗子法廢、後世譜牒、尙有遺風。譜牒又廢、人家不知來處、無百年之家、骨肉無統。雖至親、恩亦薄。
【読み】
宗子の法廢して、後世の譜牒、尙遺風有り。譜牒又廢して、人家來處を知らず、百年の家無く、骨肉統無し。至親と雖も、恩亦薄し。

古人爲學易。自八歲入小學、十五入大學、舞勺舞象、有絃歌以養其耳、舞干羽以養其氣血、有禮義以養其心、又且急則佩韋、緩則佩弦、出入閭巷、耳目視聽及政事之施。如是、則非僻之心無自而入。今之學者、只有義理以養其心。
【読み】
古人の學を爲すことは易し。八歲自り小學に入り、十五にして大學に入り、勺を舞い象を舞い、絃歌有りて以て其の耳を養い、干羽を舞って以て其の氣血を養い、禮義有りて以て其の心を養い、又且急なるときは則ち韋を佩び、緩なるときは則ち弦を佩び、閭巷に出入して、耳目視聽政事の施に及ぶ。是の如くなるときは、則ち非僻の心自りて入ること無し。今の學者は、只義理以て其の心を養うこと有り。

河北只見鯀隄、無禹隄。鯀堙洪水、故無功。禹則導之而已。
【読み】
河北只鯀隄を見て、禹隄無し。鯀は洪水を堙[ふさ]ぐ、故に功無し。禹は則ち之を導くのみ。

五祀恐非先王之典。皆後世巫祝之(一作誣祀、無之字。誣又作淫。)言、報則遺其重者。井人所重、行宁廊也。其功幾何。
【読み】
五祀は恐らくは先王の典に非らじ。皆後世巫祝の(一に誣祀に作り、之の字無し。誣は又淫に作る。)言、報ずるときは則ち其の重き者を遺[おく]る。井は人の重んずる所、行は宁廊[ちょろう]なり。其の功幾何ぞや。

雖庶人、必祭及高祖。比至天子諸侯、止有疏數耳。
【読み】
庶人と雖も、必ず祭って高祖に及ぶ。天子諸侯に至るに比[およ]んでは、止疏數有るのみ。

凡物之散、其氣遂盡、無復歸本原之理。天地閒如洪鑪。雖生物銷鑠亦盡。況旣散之氣、豈有復在。天地造化又焉用此旣散之氣。其造化者、自是生氣。至如海水潮、日出則水涸、是潮退也。其涸者已無也。月出則潮水生也。非却是將已涸之水爲潮。此是氣之終始。開闔便是易、一闔一闢謂之變。
【読み】
凡そ物の散ずるは、其の氣遂に盡きて、復本原に歸するの理無し。天地の閒は洪鑪の如し。生物と雖も銷鑠して亦盡く。況んや旣に散ずるの氣、豈復在ること有らんや。天地の造化も又焉んぞ此の旣に散ずるの氣を用いんや。其の造化は、自ら是れ生ずる氣なり。海水の潮、日出づるときは則ち水涸るるが如きに至っては、是れ潮退くなり。其の涸るる者は已に無きなり。月出づるときは則ち潮水生ず。却って是れ已に涸るるの水を將て潮と爲すに非ず。此は是れ氣の終始なり。開闔は便ち是れ易の、一闔一闢之を變と謂うものなり。

傳錄言語、得其言、未得其心、必有害。雖孔門亦有是患。如言昭公知禮、巫馬期告。時孔子正可(一作合。)不答其問、必更有語言、具巫馬期欲反命之意。孔子方言苟有過、人必知之。蓋孔子答、巫馬期亦知之、陳司敗亦知之矣。又如言伯夷・柳下惠皆古聖人也、若不言淸和、便以夷・惠爲聖人。豈不有害。又如孟子言放勳曰、只當言堯曰、傳者乘放勳爲堯號、乃稱放勳日。又如言聞斯行之、若不因公西赤有問、及仲由爲比、便信此一句、豈不有害。又如孟子、齊王欲養弟子以萬鍾、此事欲國人矜式、孟子何不可處。但時子以利誘孟子。孟子故曰如使予欲富、辭十萬而受萬。是爲欲富乎。若觀其文、只似孟子不肯爲國人矜式、須知不可以利誘之意。舜不告而娶、須識得舜意。若使舜便不告而娶、固不可以其父頑、過時不爲娶。堯去治之、堯命瞽使舜娶。舜雖不告、堯固告之矣。堯之告之也、以君治之而已。今之官府、治人之私者亦多。然而象欲以殺舜爲事、堯奚爲不治。蓋象之殺舜、無可見之迹。發人隱慝而治之、非堯也。
【読み】
傳錄に言く、語、其の言を得て、未だ其の心を得ざれば、必ず害有り、と。孔門と雖も亦是の患え有り。昭公禮を知れりと言うが如き、巫馬期告ぐ。時に孔子正に其の問いに答えざる可きも(一に合に作る。)、必ず更に語言有ることは、巫馬期反命せんと欲するの意を具えばなり。孔子方に言う、苟[も]し過有れば、人必ず之を知る、と。蓋し孔子の答うるは、巫馬期も亦之を知り、陳司敗も亦之を知るならん。又伯夷・柳下惠は皆古の聖人なりと言うが如き、若し淸和を言わずんば、便ち夷・惠を以て聖人とせん。豈害有らざらんや。又孟子放勳曰くと言うが如き、只當に堯曰くと言うべきに、傳者乘じて放勳を堯の號と爲して、乃ち放勳日くと稱す。又聞くままに斯れ之を行わんと言うが如き、若し公西赤問うこと有り、及び仲由比を爲すに因らずして、便ち此の一句を信ぜば、豈害有らざらんや。又孟子に、齊王弟子を養うに萬鍾を以てせんと欲すというが如き、此の事國人に矜[つつし]み式[のっと]らしめんと欲せば、孟子何ぞ處る可からざらん。但時子利を以て孟子を誘く。孟子故に曰く、如使[も]し予れ富を欲せば、十萬を辭して萬を受けん。是れ富を欲すとせんや、と。若し其の文を觀れば、只孟子肯えて國人の爲に矜み式られざるに似たれども、須く利を以て之を誘く可からざるの意を知るべし。舜告げずして娶るは、須く舜の意を識得すべし。若し舜をして便ち告げずして娶らしむるは、固に其の父頑なるを以て、時を過ごして娶ることを爲さざる可からず。堯去きて之を治め、堯瞽に命じて舜をして娶らしむ。舜告げずと雖も、堯固に之を告ぐ。堯の之を告ぐるは、君を以て之を治むるのみ。今の官府、人の私を治むる者亦多し。然れども象舜を殺すを以て事とせんと欲するに、堯奚爲[なんす]れぞ治めざるや。蓋し象の舜を殺さんとするは、見る可き迹無し。人の隱慝を發して之を治めば、堯に非ざるなり。

學春秋亦善。一句是一事、是非便見於此。此亦窮理之要。然他經豈不可以窮。但他經論其義。春秋因其行事、是非較著。故窮理爲要。嘗語學者、且先讀論語・孟子、更讀一經、然後看春秋。先識得箇義理、方可看春秋。春秋以何爲準。無如中庸。欲知中庸、無如權。須是時而爲中。若以手足腁胝、閉戶不出、二者之閒取中、便不是中。若當手足腁胝、則於此爲中、當閉戶不出、則於此爲中。權之爲言、秤錘之義也。何物爲權。義也。然也只是說得到義。義以上更難說。在人自看如何。
【読み】
春秋を學ぶは亦善し。一句是れ一事、是非便ち此に見る。此れ亦理を窮むるの要なり。然れども他經豈以て窮む可からざらんや。但他經は其の義を論ず。春秋は其の行事に因りて、是非較著す。故に理を窮むるに要と爲す。嘗て學者に語るに、且く先づ論語・孟子を讀ましめ、更に一經を讀んで、然して後に春秋を看せしむ。先づ箇の義理を識得して、方に春秋を看る可し、と。春秋は何を以て準とせん。中庸に如くは無し。中庸を知らんと欲せば、權に如くは無し。須く是れ時にして中を爲すべし。若し手足腁胝[へんち]と、閉戶不出とを以て、二つの者の閒に中を取らば、便ち是れ中ならず。若し手足腁胝に當たるときは、則ち此に於て中と爲し、閉戶不出に當たるときは、則ち此に於て中と爲す。權の言爲るは、秤錘の義なり。何物をか權と爲す。義なり。然らば只是れ說き得て義に到るのみ。義以上は更に說き難し。人自ら看ること如何というに在り。

格物亦須積累涵養。如始學詩者、其始未必善、到悠久須差精。人則只是舊人、其見則別。
【読み】
格物は亦須く積累涵養すべし。始めて詩を學ぶ者の如き、其の始めは未だ必ずしも善ならず、悠久に到って須く差[やや]精しかるべし。人は則ち只是れ舊人、其の見は則ち別なり。

知至則當至之、知終則當遂(一無遂字。)終之。須以知爲本。知之深、則行之必至。無有知之而不能行者。知而不能行、只是知得淺。飢而不食烏喙、人不蹈水火、只是知。人爲不善、只爲不知。知至而至之、知幾之事。故可與幾。知終而終之。故可與存義。知至是致知。博學、明辨、審問、愼思、皆致知、知至之事。篤行便是終之。如紿條理、終條理、因其始條理、故能終條理。猶知至卽能終之。
【読み】
至ることを知るときは則ち當に之に至るべく、終わることを知るときは則ち當に遂に(一に遂の字無し。)之を終う。須く知を以て本と爲すべし。之を知ること深きときは、則ち之を行うこと必ず至る。之を知って行うこと能わざる者有ること無し。知って行うこと能わざるは、只是れ知り得ること淺ければなり。飢えて烏喙[うかい]を食まず、人の水火を蹈まざるは、只是れ知ればなり。人の不善をするは、只知らざるが爲なり。至ることを知って之に至るは、幾を知るの事。故に與に幾す可し。終わることを知って之を終う。故に與に義を存す可し。至ることを知るは是れ知を致むるなり。博學、明辨、審問、愼思は、皆知を致め、至ることを知るの事。篤行は便ち是れ之を終うるなり。條理を紿め、條理を終うるが如き、其の條理を始むるに因って、故に能く條理を終う。猶至ることを知って卽ち能く之を終うるがごとし。

春秋、傳爲案、經爲斷。
【読み】
春秋は、傳を案とし、經を斷とす。

古之學者、先由經以識義理。蓋始學時、盡是傳授。後之學者、却先須識義理、方始看得經。如易繫辭所以解易。今人須看了易、方始看得繫辭。(一本云、古之人得其師傳。故因經以明道。後世失其師傳。故非明道、不能以知經。)
【読み】
古の學者は、先づ經に由って以て義理を識る。蓋し始めて學ぶ時、盡く是れ傳授するならん。後の學者は、却って先づ須く義理を識って、方に始めて經を看得すべし。易の繫辭の如きは易を解する所以なり。今の人は須く易を看了して、方に始めて繫辭を看得すべし。(一本に云う、古の人は其の師傳を得。故に經に因って以て道を明らかにす。後世其の師傳を失す。故に道を明にするに非ざれば、以て經を知ること能わず、と。)

至大至剛以直、不言至直、此是文勢。如治世之音安以樂、怨以怒、粗以厲、噍以殺、皆此類。
【読み】
至大至剛直を以てすといいて、直に至ると言わざるは、此は是れ文勢なればなり。治世の音は安んじて以て樂しみ、怨んで以て怒り、粗くして以て厲[はげ]しく、噍[あせ]って以て殺[はや]きが如きは、皆此の類なり。

解義理、 若一向靠書冊、何由得居之安、資之深。不惟自失、兼亦誤人。
【読み】
義理を解すること、 若し一向に書冊に靠[よ]らば、何に由ってか居ることの安く、資ることの深きことを得ん。惟自ら失するのみならず、兼ねて亦人を誤る。

治道亦有從本而言、亦有從事而言。從本而言、惟從格君心之非。正心以正朝廷、正朝廷以正百官。若從事而言、不救則已。若須救之、必須變。大變則大益、小變則小益。
【読み】
治道は亦本に從いて言うこと有り、亦事に從いて言うこと有り。本に從いて言えば、惟君の心の非を格すに從うのみ。心を正して以て朝廷を正し、朝廷を正して以て百官を正す。若し事に從いて言えば、救われざるときは則ち已む。若し須く之を救うべきときは、必ず須く變ずべし。大いに變ずるときは則ち大いに益あり、小しく變ずるときは則ち小しく益あり。

學者好語高、正如貧人說金、說黃金、說堅軟。道他不是、又不可只是好笑。不曾見富人說金如此。
【読み】
學者好んで高きを語るは、正に貧人の金を說くに、黃金を說き、堅軟を說くが如し。他を道うこと是ならざれども、又只是れ好笑す可からず。曾て富人金を說くこと此の如くなるを見ず。

仲尼於論語中未嘗說神字。只於易中、不得已言數處而已。
【読み】
仲尼は論語の中に於て未だ嘗て神の字を說かず。只易の中に於て、已むことを得ずして數處に言うのみ。

有主則虛、無主則實、必有所事。
【読み】
主有るときは則ち虛、主無きときは則ち實、必ず事とする所有り。

以物待物。不可以己待物。
【読み】
物を以て物を待つ。己を以て物を待つ可からず。

古所謂支子不祭者、惟使宗子立廟、主之而已。支子雖不得祭、至於齊戒、致其誠意、則與主祭者不異。可與、則以身執事、不可與、則以物助。但不別立廟爲位行事而已。後世如欲立宗子、當從此義。雖不祭、情亦可安。若不立宗子、徒欲廢祭、適足長惰慢之志。不若使之祭、猶愈於已也。
【読み】
古に所謂支子祭らざる者は、惟宗子をして廟を立て、之に主たらしむるのみ。支子は祭ることを得ずと雖も、齊戒して、其の誠意を致すに至っては、則ち祭に主たる者と異ならず。與にす可きときは、則ち身を以て事を執り、與にす可からざるときは、則ち物を以て助く。但別に廟を立て位を爲りて事を行わざるのみ。後世如し宗子を立てんと欲せば、當に此の義に從うべし。祭らずと雖も、情亦安んず可し。若し宗子を立てず、徒祭を廢せんと欲せば、適に足れ惰慢の志を長ずるなり。若かじ、之をして祭らしむるの、猶已むに愈れるには。

眞元之氣、氣之所由生。不與外氣相雜、但以外氣涵養而已。若魚在水、魚之性命非是水爲之、但必以水涵養、魚乃得生爾。人居天地氣中、與魚在水無異。至於飮食之養、皆是外氣涵養之道。出入之息者、闔闢之機而已。所出之息、非所入之氣。但眞元自能生氣。所入之氣、止當闔時、隨之而入。非假此氣以助眞元也。
【読み】
眞元の氣は、氣の由って生ずる所なり。外氣と相雜じらず、但外氣を以て涵養するのみ。魚の水に在るが若き、魚の性命は是れ水之を爲すに非ず、但必ず水を以て涵養して、魚は乃ち生きることを得るのみ。人の天地の氣の中に居ること、魚の水に在ると異なること無し。飮食の養に至るまで、皆是れ外氣涵養の道なり。出入の息は、闔闢の機のみ。出る所の息は、入る所の氣に非ず。但眞元自ら能く氣を生ず。入る所の氣は、止闔ぢる時に當たりて、之に隨いて入る。此の氣を假りて以て眞元を助くるに非ず。

古者八歲入小學、十五歲入大學。擇其才可敎者聚之、不肖者復之田畝。蓋士農不易業。旣入學則不治農、然後士農判。在學之養、若士大夫之子則不慮無養。雖庶人之子、旣入學則亦必有養。古之士者、自十五入學、至四十方仕、中閒自有二十五年學。又無利可趨、則所志可知。須去趨善、便自此成德。後之人、自童稚閒、已有汲汲趨利之意。何由得向善。故古人必使四十而仕、然後志定。只營衣食却無害。惟利祿之誘最害人。(人有養便方定志於學。)
【読み】
古は八歳にして小學に入り、十五にして大學に入る。其の才の敎う可き者を擇びて之を聚め、不肖なる者は之を田畝に復す。蓋し士農は業を易えざればなり。旣に學に入れば則ち農を治めず、然して後に士農判る。學に在るときの養は、士大夫の子の若きは則ち養無きを慮らず。庶人の子と雖も、旣に學に入れば則ち亦必ず養有り。古の士は、十五にして學に入る自り、四十にして方[はじ]めて仕うるに至るまで、中閒に自づから二十五年の學有り。又利の趨く可き無くんば、則ち志す所知る可し。須く去[ゆ]いて善に趨くべく、便ち此に自りて德を成さん。後の人は、童稚の閒自り、已に汲汲として利に趨く意有り。何に由りてか善に向かうを得ん。故に古人は必ず四十にして仕えしめ、然して後に志定まる。只衣食を營[もと]むるのみならば却って害無し。惟利祿の誘いのみ最も人を害う。(人養ありて便ち方に志を學に定む。)

做官奪人志。
【読み】
官を做すは人の志を奪う。

星辰。若以日月之次爲辰、則辰上恐不容二十八舍。若謂五星、則不可稱辰。或恐只是言北辰。皆星也。何貴乎北辰。北辰自是不動。只不動、便是爲氣之主。故爲星之最尊者。(主、一作宗。)
【読み】
星辰。若し日月の次を以て辰と爲すときは、則ち辰の上恐らくは二十八舍を容れず。若し五星を謂うのみならば、則ち辰と稱す可からず。或は恐らくは只是れ北辰を言うならん。皆星なり。何ぞ北辰を貴ばん。北辰は自ら是れ動かず。只動かざる、便ち是れ氣の主爲り。故に星の最も尊き者と爲す。(主は、一に宗に作る。)

先王之樂、必須律以考其聲。今律旣不可求、人耳又不可全信。正惟此爲難。求中聲、須得律。律不得、則中聲無由見。律者自然之數。至如今之度量權衡、亦非正也。今之法且以爲準則可、非如古法也。此等物、雖出於自然(一有之數字。)、亦須人爲之。但古人爲之、得其自然。至於(一作如。)規矩、則極盡天下之方圓。
【読み】
先王の樂は、必ず須く律以て其の聲を考うべし。今律旣に求むる可からず、人の耳も又全く信ず可からず。正に惟此れ難しと爲すのみ。中聲を求むるは、須く律を得るべし。律得ざるときは、則ち中聲由って見ること無し。律は自然の數なり。今の度量權衡の如きに至っては、亦正しきに非ず。今の法は且く以て準と爲して則ち可なれども、古法の如きに非ざるなり。此れ等の物は、自然(一に之數の字有り。)に出づと雖も、亦須く人之を爲すべし。但古人の之を爲すは、其の自然を得。規矩に(一に如に作る。)至っては、則ち天下の方圓を極め盡くせり。

律曆之法、今亦粗存。但人用之小耳。律之遺、則如三命是也。其法只用五行支幹納音之類。曆之遺、則是星算人生數(一作處。)、然皆有此理。苟無此理、却推不行。
【読み】
律曆の法は、今亦粗[ほぼ]存す。但人之を用うること小なるのみ。律の遺るは、則ち三命の如き是れなり。其の法は只五行支幹納音の類を用う。曆の遺るは、則ち是れ星算人生の數(一に處に作る。)、然も皆此の理有り。苟も此の理無くんば、却って推すとも行われじ。

素問之書、必出於戰國之末。觀其氣象知之。天之氣運只如此。但繫看者如何。設如定四方、分五行、各配與一方、是一般絡角而看之、又一般分而爲二十四、又一般規模大則大、規模小則小。然善言亦多。如言善言天者必有驗於人、善言古者必有驗於今、善觀人者必有見於己。
【読み】
素問の書は、必ず戰國の末に出るならん。其の氣象を觀て之を知る。天の氣運は只此の如し。但繫け看る者如何ぞ。設如[も]し四方を定め、五行を分かち、各々一方に配與すれば、是れ一般に角を絡めて之を看、又一般に分かちて二十四と爲し、又一般に規模大なるときは則ち大に、規模小なるときは則ち小なり。然も善言亦多し。善く天を言う者は必ず人に驗有り、善く古を言う者は必ず今に驗有り、善く人を觀る者は必ず己に見ること有りと言うが如し。

近取諸身、百理皆具。屈伸往來之義、只於鼻息之閒見之。屈伸往來只是理、不必將旣屈之氣、復爲方伸之氣。生生之理、自然不息。如復言七日來復、其閒元不斷續。陽已復生、物極必返。其理須如此。有生便有死、有始便有終。
【読み】
近く諸を身に取るに、百里皆具わる。屈伸往來の義、只鼻息の閒に於て之を見る。屈伸往來は只是れ理なり。旣に屈せし氣を將って、復方に伸ぶる氣と爲すを必とせず。生生の理は、自然に息まず。復に七日にして來復すと言うが如き、其の閒元より斷續せず。陽已めば復生まれ、物極まれば必ず返る。其の理須く此の如くなるべし。生有れば便ち死有り、始め有れば便ち終わり有り。

守身爲大。其事固有大者、正惟養疾亦是守身之一。齊・戰・疾、聖人之所愼。
【読み】
身を守るを大なりとす。其の事固に大なる者有り、正に惟疾を養うも亦是れ身を守るの一なり。齊・戰・疾は、聖人の愼む所なり。

自天子至於庶人、五服未嘗有異、皆至高祖。服旣如是、祭祀亦須如是。其疏數之節、未有可考、但其理必如此。七廟五廟、亦只是祭及高祖。大夫士雖或三廟二廟一廟、或祭寢廟、則雖異亦不害祭及高祖。若止祭禰、只爲知母而不知父、禽獸道也。祭禰而不及(一有高字。)祖、非人道也。
【読み】
天子自り庶人に至るまで、五服未だ嘗て異なること有らず、皆高祖に至る。服旣に是の如くなるときは、祭祀も亦須く是の如くすべし。其の疏數の節は、未だ考う可きに有らず、但其の理は必ず此の如し。七廟五廟も、亦只是れ祭高祖に及ぼす。大夫士或は三廟二廟一廟と雖も、或は寢廟を祭るは、則ち異なりと雖も亦祭高祖に及んで害あらず。若し止禰[でい]のみを祭るときは、只母を知って父を知らず、禽獸の道と爲す。禰を祭って(一に高の字有り。)祖に及ぼさざるは、人の道に非ざるなり。

天子曰禘、諸侯曰祫。其理皆是合祭之義。禘從帝。禘其祖之所自出之帝、以所出之帝爲東向之尊、其餘合食於其前。是爲禘也。諸侯無所出之帝。只是於太祖廟、(一有以字。)群廟之主合食。是爲祫。魯所以有禘者、只爲得用天子禮樂。故於春秋之中、不見言祫、只言禘。言大事者卽是祫。言大事於太廟、躋僖公、卽是合食閔・僖二公之義。若時祭(一有卽字。)當言有事。吉禘於莊公、只是禘祭、言吉者以其行之太早也。四時之祭、有禘之名、只是禮文交錯。
【読み】
天子は禘と曰い、諸侯は祫[こう]と曰う。其の理は皆是れ合祭の義なり。禘は帝に從う。其の祖の自って出る所の帝を禘して、出る所の帝を以て東向の尊と爲し、其の餘は其の前に合食せしむ。是を禘と爲すなり。諸侯は出る所の帝無し。只是れ太祖の廟に於て、(一に以の字有り。)群廟の主を合食せしむ。是を祫と爲すなり。魯に禘有る所以は、只天子の禮樂を用うることを得るが爲なり。故に春秋の中に於て、祫と言うを見ずして、只禘と言う。大いに事ありと言う者は卽ち是れ祫なり。大いに太廟に事ありて、僖公を躋[のぼ]すと言うは、卽ち是れ閔・僖二公を合食せしむるの義なり。時祭の若きは(一に卽の字有り。)當に事有りと言うべし。莊公に吉禘すとは、只是れ禘祭、吉と言う者は其の之を行うこと太だ早きを以てなり。四時の祭に、禘の名有るは、只是れ禮文交錯するのみ。

郊祀配天、宗祀配上帝。天與上帝一也。在郊言天、以其冬至生物之始、故祭於圓丘、而配以祖、陶匏稿鞂、埽地而祭。宗祀言上帝、以季秋成物之時、故祭於明堂、而配以父、其禮必以宗廟之禮享之。此義甚彰灼。但孝經之文、有可疑處。周公祭祀、當推成王爲主人、則當推武王以配上帝、不當言文王配。若文王配、則周公自當祭祀矣。周公必不如此。
【読み】
郊祀は天に配し、宗祀は上帝に配す。天と上帝とは一なり。郊に在りて天と言うは、其の冬至生物の始めを以て、故に圓丘に祭りて、配するに祖を以てして、陶匏[とうほう]稿鞂[こうかつ]ありて、地を埽いて祭る。宗祀に上帝を言うは、季秋成物の時を以て、故に明堂に祭りて、配するに父を以てして、其の禮は必ず宗廟の禮を以て之を享す。此の義甚だ彰灼なり。但孝經の文、疑う可き處有り。周公祭祀するに、當に成王を推して主人と爲すべきときは、則ち當に武王を推して以て上帝に配すべく、當に文王配すと言うべからず。若し文王配するときは、則ち周公自ら當に祭祀すべし。周公必ずしも此の如くならじ。

仁義禮智信、於性上要言此五事。須要分別出。若仁則固一。一所以爲仁。惻隱則屬愛、乃情也。非性也。恕者入仁之門、而恕非仁也。因其惻隱之心、知其有仁。惟四者有端而信無端。只有不信、更無(一作便有。)信。如東西南北已有定體、更不可言信。若以東爲西、以南爲北、則是有不信。如東卽東、西卽西、則無(一有不字。)信。
【読み】
仁義禮智信、性上に於て此の五事を言うことを要す。須く分別し出すことを要す。仁の若きは則ち固より一。一は仁爲る所以なり。惻隱は則ち愛に屬して、乃ち情なり。性に非ざるなり。恕は仁に入るの門にして、恕は仁に非ざるなり。其の惻隱の心に因って、其の仁有ることを知る。惟四つの者のみ端有りて信に端無し。只信ならざること有りて、更に信無し(一に便ち有りに作る。)。東西南北已に定體有るが如き、更に信を言う可からず。若し東を以て西と爲し、南を以て北と爲すときは、則ち是れ信ならざること有り。東は卽ち東、西は卽ち西なるが如きは、則ち(一に不の字有り。)信無し。

說書必非古意、轉使人薄。學者須是潛心積慮、優游涵養、使之自得。今一日說盡、只是敎得薄。至如漢時說下帷講誦、猶未必說書。
【読み】
書を說くは必ず古意に非ず。轉[うた]た人をして薄からしむ。學者は須く是れ心を潛め慮を積みて、優游涵養し、之をして自得せしむべし。今一日にして說き盡くすは、只是れ敎え得て薄ければなり。漢の時に帷を下して講誦すと說くが如きに至りても、猶未だ必ずしも書を說かず。

聖狂。聖不必睿聖、狂不必是狂狷。只是智通者便言聖。如聖義忠和、豈必是聖人。
【読み】
聖狂。聖は必ずしも睿聖にあらず、狂は必ずしも是れ狂狷にあらず。只是れ智通ずる者を便ち聖と言う。聖義忠和の如き、豈必ず是れ聖人ならんや。

尸如配位時、男男尸、女女尸。祭事主嚴、雖同時共室、亦無嫌、與喪祭執事不嫌同義。執事且爾、況今日事之。便如國之先君與夫人、如合祭之時、考妣當各異位。蓋人情亦無舅婦同坐之禮。如特祭其廟之時、則不害夫婦竝祭。
【読み】
尸位を配する時の如き、男は男尸、女は女尸。祭の事は嚴を主として、時を同じくし室を共にすと雖も、亦嫌無きは、喪祭事を執るに嫌あらざると同義なり。事を執るすら且つ爾り、況んや今日之を事とするをや。便ち國の先君と夫人との如き、合祭する時の如き、考妣當に各々位を異にすべし。蓋し人情も亦舅婦同坐するの禮無からん。如し特其の廟を祭る時は、則ち夫婦竝んで祭るに害あらず。

學者先務、固在心志。有謂欲屛去聞見知思、則是絕聖棄智。有欲屛去思慮、患其紛亂、則是須坐禪入定。如明鑑在此、萬物畢照。是鑑之常。難爲使之不照。人心不能不交感萬物、亦難爲使之不思慮。若欲免此(一本無此四字。)、唯是心(一作在人。)有主。如何爲主。敬而已矣。有主則虛。虛謂邪不能入。無主則實。實謂物來奪之。今夫甁甖、有水實内、則雖江海之浸、無所能入。安得不虛。無水於内、則停注之水、不可勝注。安得不實。大凡人心、不可二用。用於一事、則他事更不能入者、事爲之主也。事爲之主、尙無思慮紛擾之患。若主於敬、又焉有此患乎。所謂敬者、主一之謂敬。所謂一者、無適之謂一。且欲涵泳主一之義。一則無二三矣(一作不一則二三矣。)。言敬、無如聖人之言(一無聖人之言四字。)。易所謂敬以直内、義以方外。須是直内。乃是主一之義。至於不敢欺、不敢慢、尙不愧於屋漏、皆是敬之事也。但存此涵養、久之自然天理明。
【読み】
學者の先務は、固より心志に在り。聞見知思を屛[しりぞ]け去らんことを欲すと謂うこと有らば、則ち是れ聖を絕ち智を棄つるなり。思慮を屛け去らんと欲すること有りて、其の紛亂を患うるときは、則ち是れ須く坐禪入定すべし。如し明鑑此に在らば、萬物畢[ことごと]く照らさる。是れ鑑の常なり。之をして照らさざらしむを爲し難し。人心は萬物に交感せざること能わず、亦之をして思慮せざらしむるを爲し難し。若し此を免れんと欲せば(一本に此の四つの字無し。)、唯是れ心に(一に在人に作る。)主有るのみ。如何なるを主と爲す。敬ならんのみ。主有らば則ち虛なり。虛とは邪の入ること能わざるを謂う。主無くんば則ち實なり。實とは物來りて之を奪うを謂う。今夫れ甁甖[へいおう]に、水有りて内に實つるときは、則ち江海の浸と雖も、能く入る所無し。安んぞ虛ならざることを得ん。内に水無きときは、則ち停注の水、勝って注ぐ可からず。安んぞ實ならざることを得ん。大凡人心は、二つに用う可からず。一事に用いば、則ち他の事の更に入ること能わざる者は、事之が主爲ればなり。事之が主と爲るも、尙思慮紛擾の患え無し。若し敬を主とせば、又焉んぞ此の患え有らん。敬と謂う所の者は、一を主とするを之れ敬と謂う。一と謂う所の者は、適くこと無きを之れ一と謂う。且くは一を主とする義を涵泳せんことを欲す。一なれば則ち二三無し(一に一ならずんば則ち二三なりに作る。)。敬と言うこと、聖人の言に(一に聖人之言の四つの字無し。)如くは無し。易に謂う所の敬以て内を直くし、義以て外を方にす。須く是れ内を直くすべく、乃ち是れ一を主とするの義なり。敢えて欺かず、敢えて慢らず、尙[ねが]わくは屋漏に愧ぢざるに至りては、皆是れ敬の事なり。但此を存して涵養せば、之を久しくして自然に天理明らかならん。

閑邪存誠。閑邪則誠自存。如人有室、垣牆不修、不能防寇、寇從東來、逐之則復有自西入、逐得一人、一人復至。不如修其垣牆、則寇自不至。故欲閑邪也。
【読み】
邪を閑ぎ誠を存す。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す。人室有るが如き、垣牆修めざれば、寇を防ぐこと能わず、寇東從り來りて、之を逐えば則ち復西自り入ること有り、一人を逐い得れば、一人復至る。如かじ、其の垣牆を修めるときは、則ち寇自づから至らざるには。故に邪を閑がんことを欲するなり。

學禪者常謂天下之忙者、無如市井之人。答以市井之人雖日營利、然猶有休息之時。至忙者無如禪客。何以言之。禪者之行住坐臥、無不在道。存無不在道之心、此便是常忙。
【読み】
禪を學ぶ者常に天下の忙しき者は、市井の人に如くは無しと謂う。答うるに市井の人は日に利を營[もと]むと雖も、然れども猶休息の時有り。至って忙しき者は禪客に如くは無しというを以てす。何を以て之を言わん。禪者の行住坐臥は、道に在らざること無し。道に在らざること無きの心を存せば、此れ便ち是れ常に忙しきなり。

論語有二處、堯・舜其猶病諸。博施濟衆。豈非聖人之所欲。然五十乃衣帛、七十乃食肉。聖人之心、非不欲少者亦衣帛食肉。然所養有所不贍、此病其施之不博也。聖人所治、不過九州四海。然九州四海之外、聖人亦非不欲兼濟。然所治有所不及、此病不能濟衆也。推此以求修己以安百姓、則爲病可知。苟以爲吾治已足、則便不是聖人。(修已安百姓、須有所施爲、乃能安人。此則自我所生。學至堯・舜、則自有堯・舜之事。言孝者必言曾子。不可謂曾子之孝已甚。)
【読み】
論語に二處有り、堯・舜も其れ猶病めり。博く施して衆を濟う、と。豈聖人の欲する所に非ざらんや。然れども五十にして乃ち帛を衣、七十にして乃ち肉を食う。聖人の心、少者も亦帛を衣肉を食うことを欲せざるに非ず。然れども養う所贍[た]らざる所有り、此れ其の施すことの博からざることを病めり。聖人の治むる所は、九州四海に過ぎず。然れども九州四海の外、聖人亦兼ね濟うことを欲せざるに非ず。然れども治むる所及ばざる所有り、此れ衆を濟うこと能わざることを病めり。此を推して以て己を修めて以て百姓を安んずることを求むれば、則ち病爲ること知る可し。苟も以て吾が治已に足れりとすれば、則便ち是れ聖人にあらず。(已を修めて百姓を安んずれば、須く施し爲す所有りて、乃ち能く人を安んず。此れ則ち我れ自り生ずる所。學んで堯・舜に至れば、則ち自づから堯・舜の事有り。孝を言う者は必ず曾子を言う。曾子の孝已甚だしと謂う可からず。)

集義所生、非義襲而取之也。集義是積義、所生如集大成。若累土爲山、須是積土乃成山、非是山已成形、乃名爲義(一作山、一作土。)。浩然之氣難識。須要認得。當行不慊於心之時、自然有此氣象。然亦未盡。須是見至大、至剛、以直之三德、方始見浩然之氣。若要見時、且看取地道。坤六二、直方大、不習無不利。方便是剛、大便是大、直便是直。於坤不言剛而言方者、言剛則害於地道。故下(一作不。)復云、至柔而動也剛。以其先言柔而後云剛、無害。大、只是對小而言、是大也。剛、只是對柔而言、是剛也。直、只是對曲而言、是直也。如此、自然不習無不利。坤之六二、只爲已是地道。又是二、又是六、地道之精純者。至如六五便不同。欲得學、且只看取地道。坤雖是學者之事、然亦有聖人之道(乾九二是聖人之事、坤六二是學者之事。)。聖賢之道、其發無二。但至(一作只。)有深淺大小。
【読み】
集義の生る所は、義襲って之を取るに非ず。集義は是れ積義、生る所は集めて大成すというが如し。土を累[かさ]ねて山を爲るが若きは、須く是れ土を積んで乃ち山と成すべく、是れ山已に形を成して、乃ち名づけて義(一に山に作り、一に土に作る。)とするに非ず。浩然の氣は識り難し。須く認得せんことを要すべし。行って心に慊[こころよ]からざる時に當たって、自然に此の氣象有り。然れども亦未だ盡きず。須く是れ至大、至剛、直きを以てするの三德を見て、方に始めて浩然の氣を見ん。若し見んと要する時は、且つ地道を看取せよ。坤の六二、直方大なり、習わざれども利ろしからざること無し、と。方は便ち是れ剛、大は便ち是れ大、直は便ち是れ直なり。坤に於て剛を言わずして方を言う者は、言うこころは、剛なれば則ち地道に害あり。故に下に(一に不に作る。)復云く、至柔にして動くや剛なり、と。其の先づ柔を言いて而して後に剛を云うを以て、害無し。大は、只是れ小に對して言う、是れ大なり。剛は、只是れ柔に對して言う、是れ剛なり。直は、只是れ曲に對して言う、是れ直なり。此の如くなれば、自然に習わざれども利ろしからざること無し。坤の六二は、只已が爲にする是れ地道なり。又是れ二、又是れ六は、地道の精純なる者。六五の如きに至っては便ち同じからず。學を得んと欲せば、且つ只地道を看取せよ。坤は是れ學者の事と雖も、然れども亦聖人の道有り(乾の九二は是れ聖人の事、坤の六二は是れ學者の事。)。聖賢の道は、其の發すること二無し。但至るに(一に只に作る。)深淺大小有り。

嚴威儼恪、非敬之道。但致敬須自此入。
【読み】
嚴威儼恪[げんかく]は、敬の道に非ず。但敬を致すには須く此れ自り入るべし。

止於至善、不明乎善。此言善者、義理之精微、無可得名。且以至善目之。繼之者善、此言善、却言得輕。但謂繼斯道者莫非善也。不可謂惡。
【読み】
至善に止まる、善に明らかならず。此の善と言う者は、義理の精微、得て名づく可き無し。且つ至善を以て之を目[な]づく。之に繼ぐ者は善とは、此の善と言うは、却って言い得て輕し。但謂ゆる斯の道に繼ぐ者は善に非ざること莫きなり。惡を謂う可からず。

舜孳孳爲善。若未接物、如何爲善。只是主於敬。便是爲善也。以此觀之、聖人之道、不是但嘿然無言(一作爲。)
【読み】
舜は孳孳[しし]として善を爲す。若し未だ物に接せざるときは、如何にか善を爲さん。只是れ敬を主とす。便ち是れ善を爲すなり。此を以て之を觀れば、聖人の道は、是れ但嘿然[ぼくぜん]として言(一に爲に作る。)無きにあらず。

顏子擇中庸。得善拳拳。中庸如何擇。如博學之、又審問之、又明辨之、所以能擇中庸也。雖然、學問明辨、亦何所據、乃識中庸。此則存乎致知。致知者、此則在學者自加功也。大凡於道、 擇之則在乎智、守之則在乎仁、斷之則在乎勇。人之於道、只是患在不能守、不能斷。
【読み】
顏子中庸を擇ぶ。善を得れば拳拳す。中庸如何にか擇ばん。博く之を學び、又審らかに之を問い、又明らかに之を辨ずるが如き、能く中庸を擇ぶ所以なり。然りと雖も、學び問い明らかに辨ずるは、亦何の據る所にしてか、乃ち中庸を識らん。此れ則ち知を致むることを存す。知を致むるとは、此れ則ち學者自ら功を加うるに在り。大凡道に於る、 之を擇ぶことは則ち智に在り、之を守ることは則ち仁に在り、之を斷ずることは則ち勇に在り。人の道に於る、只是れ患えは守ること能わず、斷ずること能わざるに在り。

必有事焉、謂必有所事。是敬也。勿正、正之爲言輕。勿忘是敬也。正之之甚、遂至於助長。
【読み】
必ず事とすること有りとは、必ず事とする所有るを謂う。是れ敬なり。正[あてて]すること勿かれとは、正の言爲るや輕し。忘るること勿かれとは是れ敬なり。之を正すること甚だしければ、遂に助長するに至る。

編闢整續終自正。和叔未知終自得否。
【読み】
編闢整續終に自ら正し。和叔未だ終に自ら得るや否やを知らず。

墨子之書、未至大有兼愛之意、及孟子之時、其流浸遠、乃至若是之差。楊子爲我亦是義、墨子兼愛則是仁、惟差之毫釐、繆以千里、直至無父無君、如此之甚。
【読み】
墨子が書、未だ大いに兼ね愛するの意有るに至らず、孟子の時に及びて、其の流浸遠して、乃ち是の若きの差に至る。楊子が我が爲にするは亦是れ義、墨子が兼ね愛するは則ち是れ仁、惟之を毫釐に差えば、繆るに千里を以てして、直ち父を無みし君を無みすること、此の如きの甚だしきに至る。

世人之學、博聞强識者豈少。其終無有不入禪學者。就其閒特立不惑、無如子厚・堯夫。然其說之流、恐未免此敝。
【読み】
世人の學、博聞强識なる者豈少なからんや。其れ終に禪學に入らざる者有ること無し。其の閒に就いて特立して惑わざるは、子厚・堯夫に如くは無し。然れども其の說の流、恐らくは未だ此の敝を免がれじ。

楊子似出於子張、墨子似出於子夏。其中更有過不及。豈是師・商不學於聖人之門。(一本張作夏、夏作張。)
【読み】
楊子は子張に出づるに似、墨子は子夏に出づるに似れり。其の中更に過不及有り。豈是れ師・商聖人の門に學ばざらんや。(一本に張を夏に作り、夏を張に作る。)

約。(敬是。)
【読み】
約。(是を敬す。)

與叔・季明以知思聞見爲患。某甚喜此論、邂逅却正語及至要處。世之學者、大敝正在此。若得他折難堅叩、方能終其說。直須要明辨。
【読み】
與叔・季明知思聞見を以て患えと爲す。某甚だ此の論を喜び、邂逅し却って正して語ること至要の處に及ぶ。世の學者、大敝正に此に在り。若し他折難して堅く叩くことを得ば、方に能く其の說を終えん。直に須く明らかに辨ずることを要すべし。

康仲(一作拯。)問、人之學非願有差、只爲不知之故、遂流於不同。不知如何持守。先生言、且未說到持守。持守甚事。須先在致知。致知、盡知也。窮理格物、便是致知。
【読み】
康仲(一に拯に作る。)問う、人の學差有ることを願うに非ず、只知らざるが爲の故に、遂に不同に流る。知らず、如何にか持守せん、と。先生言く、且未だ說いて持守するに到らず。持守とは甚事ぞ。須く先づ知を致むるに在るべし。知を致むるは、知を盡くすなり。理を窮め物に格るは、便ち是れ知を致むるなり、と。

禮、孰爲大。時爲大。亦須隨時。當隨則隨、當治則治。當其時作其事、便是能隨時。隨時之義大矣哉。尋常人言隨時、爲且和同。只是流徇耳。不可謂和。和則已是和於義。故學者患在不能識時、時出之、亦須有溥博淵泉、方能出之。今之人自是與古之人別、其風氣使之。至如壽考形貌皆異。古人皆不減百餘歲、今豈有此人。觀古人形象被冠冕之類、今人豈有此等人。故籩豆簠簋、自是不可施於今人。自時不相稱、時不同也。時上儘窮得理。孟子言、五百年必有王者興、其閒必有名世者、以其時考之則可矣。他嘿識得此體用、大約是如此。豈可催促得他。堯之於民、匡直輔翼。聖賢於此閒、見些功用。舉此數端可以常久者、示人。殷因於夏、周因於殷。損益可知。嘿觀得者、須知三王之禮與物不必同。自畫卦垂衣裳、至周文方備、只爲時也。若不是隨時、則一聖人出、百事皆做了、後來者沒事。又非聖人智慮所不及、只是時不可也。
【読み】
禮は、孰れか大なりとす。時を大なりとす。亦須く時に隨うべし。當に隨うべきときは則ち隨い、當に治むべきときは則ち治む。其の時に當たりて其の事を作すは、便ち是れ能く時に隨うなり。時に隨うの義大なるかな。尋常の人時に隨うと言うは、且和同すと爲す。只是れ徇うに流るるのみ。和と謂う可からず。和は則ち已に是れ義に和す。故に學者の患えは時を識って、時に之を出すこと能わざるに在り、亦須く溥博淵泉有りて、方に能く之を出すべし。今の人自づから是れ古の人と別なるは、其の風氣之をせしむ。壽考形貌の如きに至るまでも皆異なり。古人は皆百餘歲に減ぜず、今豈此の人有らんや。古人の形象冠冕を被るの類を觀るに、今の人豈此れ等の人有らんや。故に籩豆[へんとう]簠簋[ほき]、自づから是れ今の人に施す可からず。自づから時相稱わず、時同じからざればなり。時上に儘く理を窮め得よ。孟子言く、五百年にして必ず王者興ること有らん、其の閒必ず世に名ある者有らん、其の時を以て之を考うれば則ち可なり、と。他此の體用を嘿識し得ること、大約是れ此の如し。豈他を催促し得可けんや。堯の民に於る、匡し直し輔け翼[たす]く。聖賢此の閒に於て、些かの功用を見す。此の數端を舉げて以て常久なる可き者を、人に示す。殷は夏に因り、周は殷に因る。損益知る可し。嘿して觀得する者、須く三王の禮と物と必ずしも同じからざることを知るべし。卦を畫し衣裳を垂るる自り、周の文に至るまで方に備わるに、只時とするなり。若し是れ時に隨わざれば、則ち一聖人出て、百事皆做し了えて、後來の者事沒[な]けん。又聖人の智慮及ばざる所に非ず、只是れ時不可なればなり。

只歸之(一作箇。)自然、則無可觀。更無可玩索(或作賾。)
【読み】
只之を(一に箇に作る。)自然に歸するときは、則ち觀る可きこと無し。更に玩索(或は賾に作る。)す可きこと無し。

雲從龍、風從虎。龍陰物也。出來則濕氣烝然自出。如濕物在日中、氣亦自出。雖木石之微、感陰氣。尙亦有氣、則龍之興雲不足怪。虎行處則風自生。龍只是獸、茅山華陽洞曾跳出。其狀殊可愛。亦有時乾處能行。其行步如虎。茅山者則不嚙人、北五臺者則傷人。又有曾於鐵狗廟下穿得一龍卵、後寄於金山寺。龍能壅水上寺門、取卵不得龍。所以知者、許大物亦自靈也。龍以卵生者、亦非神。更一等。龍必須胎生。
【読み】
雲は龍に從い、風は虎に從う。龍は陰物なり。出來するときは則ち濕氣烝然として自づから出づ。濕物日中に在りて、氣亦自づから出づるが如し。木石の微と雖も、陰氣に感ず。尙亦氣有るときは、則ち龍の雲を興すこと怪しむに足らず。虎の行く處は則ち風自づから生ず。龍は只是れ獸、茅山華陽洞に曾て跳出す。其の狀殊に愛す可し。亦時有りて乾處に能く行く。其の行步虎の如し。茅山の者は則ち人を嚙まず、北五臺の者は則ち人を傷る。又曾て鐵狗廟の下に於て一つの龍の卵を穿ち得ること有り、後に金山寺に寄す。龍能く水を壅ぎ寺門に上って、卵を取り龍を得ず。所以に知る、許大の物亦自づから靈なることを。龍の卵を以て生ずる者は、亦神に非ず。更に一等なり。龍は必ず須く胎生すべし。

極、無適而不爲中。
【読み】
極は、適くとして中爲らざること無し。

 

二程全書卷之十七  遺書伊川先生語第二

己巳冬所聞

問、孔子稱伯夷・叔齊曰、不念舊惡、怨是用希。何也。曰、以夷・齊之隘、若念舊惡、將不能處世矣。
【読み】
問う、孔子伯夷・叔齊を稱して曰く、舊惡を念わず、怨み是を用[もっ]て希[すくな]し、と。何ぞや、と。曰く、夷・齊の隘を以て、若し舊惡を念わば、將に世に處すること能わじ、と。

問、子貢曰、博施於民而能濟衆、可謂仁乎。子曰、何事於仁、必也聖乎。仁聖何以相別。曰、此子貢未識仁。故測度而設問也。惟聖人爲能盡仁。然仁在事、不可以爲聖。又問、堯・舜其猶病諸。果乎。曰、誠然也。聖人惟恐所及不遠不廣。四海之治也、孰若兼四海之外亦治乎。是嘗以爲病也。博施濟衆事大。故仁不足以名之。
【読み】
問う、子貢曰く、博く民に施して能く衆を濟うを、仁と謂う可きや、と。子曰く、何ぞ仁のみを事とせん、必ずや聖か、と。仁聖何を以てか相別たん、と。曰く、此れ子貢未だ仁を識らず。故に測り度りて問いを設けり。惟聖人のみ能く仁を盡くすことをす。然れども仁は事に在って、以て聖とす可からず、と。又問う、堯・舜も其れ猶病めり、と。果たせるや、と。曰く、誠に然り。聖人は惟及ぶ所遠からず廣からざるを恐る。四海を治むる、四海の外を兼ねて亦治むるに孰若[いずれ]ぞや。是れ嘗て以て病とするなり。博く施して衆を濟うは事大なり。故に仁は以て之を名づくるに足らず、と。

趙景平問、子罕言利與命與仁。所謂利者何利。曰、不獨財利之利、凡有利心、便不可。如作一事、須尋自家穩便處、皆利心也。聖人以義爲利。義安處便爲利。如釋氏之學、皆本於利。故便不是。
【読み】
趙景平問う、子罕[まれ]に利と命と仁とを言う。謂う所の利とは何の利ぞ、と。曰く、獨財利の利のみならず、凡そ利心有れば、便ち不可なり。一事を作すが如き、須く自家穩便なる處を尋ぬるは、皆利心なるべし。聖人は義を以て利とす。義安んずる處は便ち利とす。釋氏が學の如きは、皆利に本づく。故に便ち是ならず。

趙景平問、未見蹈仁而死者。何謂蹈仁而死。曰、赴水火而死者有矣。殺身成仁者、未之有也。
【読み】
趙景平問う、未だ仁を蹈んで死する者を見ず、と。何ぞ仁を蹈んで死すと謂う、と。曰く、水火に赴いて死する者有り。身を殺して仁を成す者は、未だ之れ有らず、と。

 

二程全書卷之十八  遺書伊川先生語第三

三王之法、各是一王之法。故三代損益文質、隨時之宜。若孔子所立之法、乃通萬世不易之法。孔子於他處亦不見說、獨答顏囘云、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞。此是於四代中舉這一箇法式、其詳細雖不可見、而孔子但示其大法、使後人就上修之。二千年來、亦無一人識者。
【読み】
三王の法は、各々是れ一王の法。故に三代文質を損益して、時の宜しきに隨う。孔子立つる所の法の若きは、乃ち萬世に通じて不易の法なり。孔子他處に於て亦說くことを見ず、獨り顏囘に答えて云く、夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞をす、と。此は是れ四代の中に於て這の一箇の法式を舉ぐ、其の詳細なること見る可からずと雖も、而れども孔子但其の大法を示して、後人をして上に就いて之を修めしむるのみ。二千年來、亦一人も識る者無し。

義之精者、須是自求得之。如此則善求義也。
【読み】
義の精なる者は、須く是れ自ら求めて之を得るべし。此の如くなるときは則ち善く義を求むるなり。

善讀中庸者、只得此一卷書、終身用不盡也。
【読み】
善く中庸を讀む者は、只此の一卷の書を得て、身を終うるまで用うるも盡きず。

睽之上九、離也。離之爲德、在諸卦莫不以爲明。獨於睽便變爲惡。以陽在上則爲亢、以剛在上則爲很(呂本很作狠。下很字同。)、以明在上變而爲察。以很以察、所以爲睽之極也。故曰、見豕負塗、載鬼一車。皆自任己察之所致。然往而遇雨則吉、遇雨者、睽解也。睽解有二義。一是物極則必反。故睽極則必通。若睽極不通、却終於睽而已。二是所以能解睽者、却是用明之功也。
【読み】
睽[けい]の上九は、離なり。離の德爲る、卦に在りて以て明と爲らざること莫し。獨り睽に於ては便ち變じて惡と爲る。陽を以て上に在るときは則ち亢[おお]うことを爲し、剛を以て上に在るときは則ち很[もと]ることを(呂本很を狠に作る。下の很の字も同。)爲し、明を以て上に在るときは變じて察することを爲す。以て很り以て察するは、睽の極爲る所以なり。故に曰く、豕の塗を負うを見、鬼を一車に載す、と。皆自ら己が察するに任ずるの致す所なり。然れども往いて雨に遇うときは則ち吉なりとは、雨に遇えば、睽解なり。睽解に二義有り。一つは是れ物極まるときは則ち必ず反る。故に睽極まるときは則ち必ず通ず。若し睽極まって通ぜざれば、却って睽に終うるのみ。二つは是れ能く睽を解く所以の者は、却って是れ明を用うるの功なり。

大抵卦爻始立、義旣具。卽聖人別起義以錯綜之。如春秋以前、旣已立例、到近後來、書得全別。一般事便書得別有意思。若依前例觀之、殊失之也。
【読み】
大抵卦爻始めて立って、義旣に具わる。卽ち聖人別に義を起こして以て之を錯綜す。春秋以前の如き、旣已に例を立て、後來に近きに到りて、書し得るに全く別なり。一般の事は便ち書し得て別に意思有り。若し前例に依りて之を觀ば、殊に之を失せん。

先生嘗說、某於易傳、今却已自成書、但逐旋修改、期以七十、其書可出。韓退之稱、聰明不及於前時、道德日負於初心。然某於易傳、後來所改者無幾。不知如何。故且更期之以十年之功、看如何。春秋之書、待劉絢文字到。却用功亦不多也。今人解詩、全無意思。此却待出些文字。中庸書却已成。今農夫祁寒暑雨、深耕易耨、播種五榖。吾得而食之。今百工技藝作爲器用。吾得而用之。甲冑之士披堅執銳以守土宇。吾得而安之。却如此閒過了日月、卽是天地閒一蠹也。功澤又不及民、別事又做不得、惟有補緝聖人遺書、庶幾有補爾。(陳長方見尹子於姑蘇、問中庸解。尹子云、先生自以爲不滿意、焚之矣。)
【読み】
先生嘗て說けり、某易傳に於て、今却って已に自ら書を成し、但逐って旋[やや]修改し、期するに七十を以てして、其の書出す可し。韓退之稱すらく、聰明前時に及ばず、道德日に初心に負く、と。然るに某易傳に於て、後來改むる所の者幾[いくばく]も無し。知らず、如何。故に且更に之を期するに十年の功を以てして、如何と看る。春秋の書は、劉絢を待って文字到る。却って功を用うること亦多からず。今の人詩を解するに、全く意思無し。此れ却って些かの文字を待出す。中庸の書は却って已に成る。今農夫祁寒暑雨に、深く耕し易[おさ]め耨[くさぎ]りて、五榖を播種す。吾れ得て之を食う。今百工技藝器用を作爲す。吾れ得て之を用う。甲冑の士堅を披[こうむ]り銳を執りて以て土宇を守る。吾れ得て之を安んず。却って此の如く日月を閒過し了うるは、卽ち是れ天地の閒の一蠹[と]なり。功澤又民に及ばず、別事又做し得ず、惟聖人の遺書を補緝すること有らば、庶幾わくは補い有らんのみ、と。(陳長方尹子に姑蘇に見ゆるとき、中庸解を問う。尹子云く、先生自ら以て意を滿たさずと爲して、之を焚けり、と。)

致知在格物。格物之理、不若察之於身、其得尤切。
【読み】
知を致むるは物に格るに在り。物の理に格るは、之を身に察して、其の得ること尤も切なるに若かず。

酒者、古人養老祭祀之所用、今官有搉酤、民有買撲、無故輒令人聚飮、亦大爲民食之蠹也。損民食、惰民業、招刑聚冠、皆出於此。如損節得酒課、民食亦爲小充分明。民食却釀爲水後、令人飮之、又不當飢飽。若未能絕得買撲、若且只諸縣都鄙爲之、亦利不細。
【読み】
酒は、古人養老祭祀の用うる所、今官に搉酤[かくこ]有り、民に買撲有り、故無くして輒[かって]に人をして聚飮せしむるは、亦大いに民食の蠹[と]と爲すなり。民食を損し、民業を惰り、刑を招き冠を聚むるは、皆此に出づ。如し酒課を損節し得ば、民食も亦小しく充てることを爲さんこと分明ならん。民食するに却って釀して水と爲して後、人をして之を飮ましめば、又飢に當たって飽かじ。若し未だ買撲を絕ち得ること能わざるときは、若し且只諸縣都鄙之を爲さば、亦利細ならじ。

人要明理。若止一物上明之、亦未濟事。須是集衆理、然後脫然自有悟處。然於物上理會也得、不理會也得。(且須於學上格物。不可不詣理也。)
【読み】
人は理を明らかにせんことを要す。若止一物上に之を明かさば、亦未だ事を濟さず。須く是れ衆理を集めて、然して後に脫然として自づから悟る處有り。然も物上に於て理會するも也[また]得、理會せざるも也得。(且須く學の上に於て物に格るべし。理に詣[いた]らざずんばある可からず。)

常見伯淳所在臨政、便上下響應到了、人衆後便成風。成風則有所鼓動。天地閒、只是一箇風以動之也。
【読み】
常に伯淳在す所にして政に臨むを見るに、便ち上下響應し到り了わって、人衆も後に便ち風を成す。風を成すときは則ち鼓動する所有り。天地の閒は、只是れ一箇の風以て之を動かす。

大凡儒者、未敢望深造於道、且只得所存正、分別善惡、識廉恥。如此等人、多亦須漸好。
【読み】
大凡儒者、未だ敢えて深く道に造ることを望まず、且只存する所正しきことを得れば、善惡を分別し、廉恥を識る。此れ等の人の如き、多くは亦須く漸く好かるべし。

或問、古之道如是之明、後世之道如是不明、其故何也。曰、此無他。知道者多卽道明、知者少卽道不明也。知者多少、亦由乎敎也。以魯國言之、止及今之一大州。然一時閒所出大賢十餘人、豈不是有敎以致然也。蓋是聖人旣出。故有許多賢者。以後世天下之大、經二千年閒、求如一顏・閔者、不可得也。
【読み】
或るひと問う、古の道は是の如く明らかに、後世の道は是の如く明らかならず、其の故は何ぞや、と。曰く、此れ他無し。道を知る者多ければ卽ち道明らかに、知る者少なければ卽ち道明らかならざるなり。知る者の多少は、亦敎に由る。魯國を以て之を言うに、止今の一大州に及ぶのみ。然れども一時の閒出る所の大賢十餘人、豈是れ敎有って以て然ることを致すにあらずや。蓋し是れ聖人旣に出づ。故に許多の賢者有り。後世天下の大なるを以て、二千年を經る閒、一りの顏・閔の如くなる者を求むるに、得可からざるなり、と。

大抵儒者潛心正道、不容有差。其始甚微、其終則不可救。如師也過、商也不及、於聖人中道、師只是過於厚些、商只是不及些。然而厚則漸至於兼愛、不及則便至於爲我。其過不及同出於儒者、其末遂至楊・墨。至如楊・墨、亦未至於無父無君、孟子推之、便至於此。蓋其差必至於是也。
【読み】
大抵儒者心を潛めて道を正せば、差い有る容からず。其の始めは甚だ微にして、其の終わりは則ち救う可からず。師は過ぎたり、商は及ばずというが如き、聖人の中道に於て、師は只是れ厚に過ぎること些か、商は只是れ及ばざること些かなり。然れども厚きときは則ち漸く兼ね愛するに至り、及ばざるときは則便ち我が爲にするに至る。其の過不及は同じく儒者に出て、其の末は遂に楊・墨に至る。楊・墨が如きに至っても、亦未だ父を無みし君を無みするに至らざれども、孟子之を推して、便ち此に至るとす。蓋し其の差えること必ず是に至らんとなり。

孟子辨舜・跖之分、只在義利之閒。言閒者、謂相去不甚遠、所爭毫末爾。義與利、只是箇公與私也。纔出義、便以利言也。只那計較、便是爲有利害。若無利害、何用計較。利害者、天下之常情也。人皆知趨利而避害。聖人則更不論利害、惟看義當爲與不當爲。便是命在其中也。
【読み】
孟子舜・跖の分を辨じて、只義利の閒に在り、と。閒と言う者は、相去ること甚だ遠からず、爭う所毫末なるを謂うのみ。義と利とは、只是れ箇の公と私となり。纔かに義を出れば、便ち利を以て言うなり。只那[かれ]計較するは、便ち是れ利害有りとすればなり。若し利害無きときは、何ぞ計較することを用いん。利害は、天下の常情なり。人皆利に趨って害を避くることを知る。聖人は則更ち利害を論ぜず、惟義として當にすべきと當にすべからざるとを看るのみ。便ち是れ命其の中に在ればなり。

傳經爲難。如聖人之後纔百年、傳之已差。聖人之學、若非子思・孟子、則幾乎息矣。道何嘗息。只是人不由之。道非亡也。幽・厲不由也。
【読み】
經を傳うるを難しと爲す。聖人の後の如き纔かに百年にして、之を傳うること已に差えり。聖人の學は、若し子思・孟子に非ずんば、則ち息むに幾からん。道は何ぞ嘗て息まん。只是れ人之に由らざるのみ。道亡びるには非ず。幽・厲に由らざるなり。

人或勸先生以加禮近貴。先生曰、何不見責以盡禮、而責之以加禮。禮盡則已。豈有加也。
【読み】
人或は先生に勸むるに禮を近貴に加うることを以てす。先生曰く、何ぞ責むるに禮を盡くすことを以てせられずして、之を責むるに禮を加うることを以てするや。禮盡くすときは則ち已む。豈に加うること有らんや、と。

聖人之語、因人而變化。語雖有淺近處、卽却無包含不盡處。如樊遲於聖門、最是學之淺者。及其問仁、曰愛人、問知、曰知人。且看此語有甚包含不盡處。他人之語、語近則遺遠、語遠則不知近。惟聖人之言、則遠近皆盡。
【読み】
聖人の語は、人に因って變化す。語淺近なる處有りと雖も、卽ち却って包含し盡くさざる處無からんや。樊遲の聖門に於るが如き、最も是れ學の淺き者なり。其の仁を問うに及んで、人を愛すと曰い、知を問うに、人を知ると曰う。且つ此の語を看るに甚の包含し盡くさざる處有らん。他人の語は、近きを語るときは則ち遠きを遺し、遠きを語るときは則ち近きを知らず。惟聖人の言のみは、則ち遠近皆盡くせり。

今之爲學者、如登山麓。方其迤邐、莫不闊步。及到峻處、便逡巡。(一本云、或以峻而遂止、或以難而稍緩。苟能遇難而益堅、聞過則改、何遠弗至也。)
【読み】
今の學を爲す者は、山麓を登るが如し。其の迤邐[いり]なるに方[あた]りては、闊歩せざる莫し。峻處に到るに及び、便ち逡巡す。(一本に云う、或は峻[たか]きを以て遂に止み、或は難きを以て稍[やや]緩む。苟も能く難に遇って益々堅く、過ちを聞けば則ち改むれば、何の遠きところか至らざらんや、と。)

先代帝王陵寢下、多有閒田。推其後、每處只消與田十頃、與一閒官世守之。至如唐狄仁傑・顏杲卿之後、朝廷與官一人、死則却絕。不若亦如此處之、亦與田五七頃。
【読み】
先代帝王の陵寢の下、多くは閒田有り。其の後を推して、每處只田十頃を與うることを消い、一閒官に與えて世々之を守らしむ。唐の狄仁傑・顏杲卿の後の如きに至って、朝廷官一人に與えて、死するときは則ち却って絕つ。若かじ、亦此の如く之を處するよりは、亦田五七頃を與えんには。

後世骨肉之閒、多至仇怨忿爭。其實爲爭財。使之均布、立之宗法、官爲法則無所爭。
【読み】
後世骨肉の閒、多くは仇怨忿爭に至る。其の實は財を爭うが爲なり。之をして均しく布かしめ、之が宗法を立て、官法を爲すときは則ち爭う所無けん。

後世人理全廢。小失則入於夷狄、大失則入於禽獸。(人理、一作禮。)
【読み】
後世人理全く廢す。小しく失するときは則ち夷狄に入り、大いに失するときは則ち禽獸に入る。(人理は、一に禮に作る。)

大凡禮、必須有義。禮之所尊、尊其義也。失其義、陳其數、祝史之事也。
【読み】
大凡禮は、必ず須く義有るべし。禮の尊ぶ所は、其の義を尊ぶなり。其の義を失い、其の數を陳ぶるは、祝史の事なり。

益長裕而不設、謂固有此理就上充長之。設是撰造也。撰造則爲僞也。
【読み】
益は長裕して設けずとは、固より此の理有って上に就いて之を充たし長ずるを謂う。設けるとは是れ撰び造るなり。撰び造るときは則ち僞とす。

人或以禮官爲閒官。某謂、禮官之責最大。朝廷一有違禮、皆禮官任其責。豈得爲閒官。
【読み】
人或は禮官を以て閒官と爲す。某謂えらく、禮官の責は最も大なり。朝廷一も禮に違うこと有れば、皆禮官其の責に任ず。豈閒官と爲すことを得んや、と。

陳平雖不知道、亦知學。如對文帝以宰相之職、非知學、安能如此。
【読み】
陳平は道を知らずと雖も、亦學を知れり。文帝に對うるに宰相の職を以てするが如き、學を知るに非ざれば、安んぞ能く此の如くならんや。

曹參去齊、以獄市爲託。後之爲政者、留意於獄者則有之矣。未聞有治市者。
【読み】
曹參齊を去るに、獄市を以て託することを爲す。後の政を爲むる者、意を獄に留むる者は則ち之れ有り。未だ市を治むる者有ることを聞かず。

學莫大於致知。養心莫大於禮義。古人所養處多。若聲音以養其耳、舞蹈以養其血脈。今人都無。只有箇義理之養、人又不知求。
【読み】
學は知を致むるより大なるは莫し。心を養うは禮義より大なるは莫し。古人養う所の處多し。聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脈を養うが若し。今の人は都て無し。只箇の義理の養有れども、人又求むることを知らず。

或謂、人莫不知和柔寬緩。然臨事則反至於暴厲。曰、只是志不勝氣、氣反動其心也。
【読み】
或るひと謂く、人和柔寬緩を知らざること莫し。然れども事に臨んでは則ち反って暴厲に至る、と。曰く、只是れ志氣に勝たず、氣反って其の心を動かせばなり、と。

學者所貴聞道、執經而問、但廣聞見而已。然求學者、不必在同人中。非同人、又却無學者。
【読み】
學者の貴ぶ所の道を聞くに、經を執りて問うは、但聞見を廣むるのみ。然も學者を求むるに、必ずしも同人の中に在らず。同人に非ざれば、又却って學者無きなり。

孟子言、聖而不可知之謂神。非是聖上別有一等神人、神卽聖而不可知。(又曰、謂聖之至妙、人所不能測。)
【読み】
孟子言く、聖にして知る可からざる之を神と謂う、と。是れ聖の上に別に一等の神人有るに非ず、神は卽ち聖にして知る可からざるなり。(又曰く、聖の至妙にして、人の測ること能わざる所を謂えり、と。)

儒行之篇、此書全無義理。如後世遊說之士所爲誇大之說。觀孔子平日語言、有如是者否。
【読み】
儒行の篇、此の書全く義理無し。後世遊說の士のする所の誇大の說の如し。孔子平日の語言を觀るに、是の如き者有りや否や。

陳司敗問、昭公知禮乎。孔子對曰、知禮。彼國人來問君知禮否、不成說不知禮也。如陳司敗數昭公失禮之事而問之、則有所不答、顧左右而言他。及巫馬期來告、正合不答、然孔子答之者、以陳司敗必俟其反命、故須至答也。
【読み】
陳司敗問う、昭公禮を知れりや、と。孔子對えて曰く、禮を知れり、と。彼の國人來りて君禮を知れりや否やと問うに、禮を知らずと說くことを成さず。如し陳司敗昭公禮を失するの事を數えて之を問わば、則ち答えざる所有りて、左右を顧みて他を言わん。巫馬期來り告ぐるに及んで、正に答えざる合きに、然も孔子之を答うる者は、陳司敗必ず其の反命を俟つを以て、故に須く答うるに至るべし。

或問、如何學可謂之有得。曰、大凡學問、聞之知之、皆不爲得。得者、須默識心通。學者欲有所得、須是篤、誠意燭理。上知、則穎悟自別。其次、須以義理涵養而得之。
【読み】
或るひと問う、如何にか學之を得ること有りと謂う可き、と。曰く、大凡學問いて、之を聞いて之を知るは、皆得たりと爲さず。得るとは、須く默して識して心通ずべし。學者得る所有らんと欲せば、須く是れ篤く、誠意もて理を燭すべし。上知は、則ち穎悟にして自づから別なり。其の次は、須く義理を以て涵養して之を得るべし。

古有敎、今無敎。以其無敎、直壞得人質如此不美。今人比之古人、如將一至惡物、比一至美物。
【読み】
古は敎有り、今は敎無し。其の敎無きを以て、直に人質を壞り得て此の如く美ならず。今の人之を古人に比すれば、一の至惡物を將って、一の至美物に比するが如し。

造道深後、雖聞常人語言淺近事、莫非義理。
【読み】
道に造ること深くして後、常人語言淺近の事を聞くと雖も、義理に非ざること莫し。

古者家有塾、黨有庠。故人未有不入學者。三老坐於里門、出入察其長幼揖讓之序。如今所傳之詩、人人諷誦、莫非止於禮義之言。今人雖白首、未嘗知有詩、至於里俗之言、盡不可聞。皆繫其習也。以古所習、安得不善。以今所習、安得不惡。
【読み】
古は家に塾有り、黨に庠有り。故に人未だ學に入らざる者有らず。三老里門に坐して、出入其の長幼揖讓の序を察す。今傳わる所の詩、人人諷誦するが如き、禮義に止まるの言に非ざること莫し。今の人は白首と雖も、未だ嘗て詩有ることを知らず、里俗の言に至っては、盡く聞く可からず。皆其の習に繫ればなり。古の習う所を以てせば、安んぞ善ならざることを得ん。今習う所を以てせば、安んぞ惡ならざることを得ん。

唐太宗、後人只知是英主。元不曾有人識其惡、至如殺兄取位。若以功業言、不過只做得箇功臣、豈可奪元良之位。至如肅宗卽位靈武、分明是簒也。
【読み】
唐の太宗、後人只是れ英主ならんことを知る。元曾て人其の惡、兄を殺し位を取るが如きに至ることを識ること有らず。若し功業を以て言えば、只箇の功臣と做し得るに過ぎず、豈元良の位を奪う可けんや。肅宗靈武に卽位するが如きに至っては、分明に是れ簒えるなり。

革言水火相息。息止息也。旣有止息之理、亦有生息之理。睽卦不見四德。蓋不容著四德。繇言小事吉者、止是方睽之時、猶足以致小事之吉。不成終睽而已。須有濟睽之道。(一本、睽卦以下、別爲一章。)
【読み】
革に水火相息すと言う。息は止息なり。旣に止息の理有れば、亦生息の理有り。睽の卦に四德を見ず。蓋し四德を著く容からず。繇[ちゅう]に小事に吉なりと言う者は、止是れ睽の時に方って、猶以て小事の吉を致すに足れり。睽に終うること成らざるのみ。須く睽を濟すの道有るべし。(一本に、睽卦以下、別に一章と爲す。)

文中子言、古之學者聚道。不知道如何聚得。
【読み】
文中子言く、古の學ぶ者は道を聚む、と。道を知らずんば如何ぞ聚め得ん。

凡爲政、須立善法。後人有所變易、則無可奈何。雖周公、亦知立法而已。後人變之、則無可奈何也。
【読み】
凡そ政を爲むるには、須く善法を立つるべし。後人變易する所有るときは、則ち奈何ともす可きこと無し。周公と雖も、亦法を立つることを知るのみ。後人之を變ずるときは、則ち奈何ともす可きこと無し。

臨言八月有凶、謂至八月是遯也。當其剛浸長之時、便戒以陰長之意。
【読み】
臨に八月に凶有りと言うは、謂ゆる八月に至れば是れ遯なればなり。其の剛浸[ようや]く長ずるの時に當たりて、便ち戒むるに陰長ずるの意を以てす。

紀侯大去其國。大去責在紀也。非齊之罪也。齊侯・陳侯・鄭伯遇於埀、方謀伐之、紀侯遂去其國。齊師未加而已去。故非齊之罪也。
【読み】
紀侯大いに其の國を去る。大いに去るとは責め紀に在るなり。齊の罪に非ざるなり。齊侯・陳侯・鄭伯埀に遇い、方に之を伐たんことを謀るに、紀侯遂に其の國を去る。齊の師未だ加わらずして已に去る。故に齊の罪に非ざるなり。

春秋之文、莫不一一意在示人。如土功之事、無小大莫不書之。其意止欲人君重民之力也。
【読み】
春秋の文は、一一意人に示すに在らざること莫し。土功の事の如き、小大と無く之を書せざること莫し。其の意は止人君民の力を重んぜんことを欲してなり。

書大雩、雩及上帝。以見魯不當爲。與書郊者同義。
【読み】
大いに雩[う]すと書するは、上帝に雩するなり。以て魯の當にすべからざることを見す。郊を書す者と義を同じくす。

書公伐齊納糾、糾不當立。故不言子糾。若書子糾、則正了他當得立也。
【読み】
公齊を伐って糾を納ると書するは、糾は當に立つべからず。故に子糾と言わず。若し子糾と書せば、則ち正に他當に立つことを得るべし。

凡易卦、有就卦才而得其義者、亦有舉兩體便得其義者。隨、剛來而下柔、動而說隨、此是就卦才而得隨之義。澤中有雷隨、此是就象上得隨之義也。
【読み】
凡そ易の卦は、卦の才に就いて其の義を得る者有り、亦兩體を舉げて便ち其の義を得る者有り。隨は、剛來りて柔に下る、動いて說ぶは隨なりというは、此は是れ卦の才に就いて隨の義を得。澤中に雷有るは隨なりというは、此は是れ象の上に就いて隨の義を得るなり。

宗子之法不立、則朝廷無世臣。宗法須是一二巨公之家立法。宗法立、則人人各知來處。
【読み】
宗子の法立たざるときは、則ち朝廷に世臣無し。宗法は須く是れ一二の巨公の家法を立つるべし。宗法立つときは、則ち人人各々來る處を知る。

宗子者、謂宗主祭祀也。
【読み】
宗子は、祭祀に宗主たるを謂うなり。

禮、長子不得爲人後。若無兄弟、又繼祖之宗絕、亦當繼祖。禮雖不言、可以義起。
【読み】
禮に、長子は人の後爲ることを得ず、と。若し兄弟無く、又祖に繼ぐの宗絕えば、亦當に祖に繼ぐべし。禮に言わずと雖も、義を以て起こす可し。

凡大宗與小宗、皆不在廟數。
【読み】
凡そ大宗と小宗とは、皆廟數に在らず。

收族之義、止爲相與爲服、祭祀相及。
【読み】
族を收むるの義は、止相與に服を爲し、祭祀相及ぼすと爲すのみ。

所謂宗者、以己之旁親兄弟來宗於己。所以得宗之名、非己宗於人也。
【読み】
所謂宗とは、己が旁親兄弟來りて己を宗とするを以てなり。宗の名を得る所以は、己人を宗とするに非ざればなり。

凡小宗以五世爲法。親盡則族散。若高祖之子尚存、欲祭其父、則見爲宗子者。雖是六世七世、亦(一作必。)須計會今日之宗子、然後祭其父。宗子有君道。
【読み】
凡そ小宗は五世を以て法と爲す。親盡くるときは則ち族散ず。若し高祖の子尚存して、其の父を祭らんと欲するときは、則ち宗子爲る者を見る。是れ六世七世と雖も、亦(一に必に作る。)須く今日の宗子を計會して、然して後に其の父を祭るべし。宗子は君の道有り。

祭祀須別男女之分。生旣不可雜坐、祭豈可雜坐。
【読み】
祭祀は須く男女の分を別つべし。生まれては旣に雜じり坐わる可からず、祭るに豈雜じり坐わる可けんや。

祭、非主則無依、非尸則無享。
【読み】
祭は、主に非ざれば則ち依ること無く、尸に非ざれば則ち享ること無し。

今行冠禮、若制古服而冠、冠了又不常著。却是僞也。必須用時之服。
【読み】
今冠禮を行うに、若し古服を制して冠せば、冠し了わりて又常に著けじ。却って是れ僞なり。必ず須く時の服を用うべし。

喪須三年而祔。若卒哭而祔、則三年却都無事。禮卒哭猶存朝夕哭。若無主在寢(一作祭於殯。)、哭於何處。
【読み】
喪は須く三年にして祔[ふ]すべし。若し卒哭して祔するときは、則ち三年却って都て事無し。禮に卒哭は猶朝夕の哭を存す、と。若し主寢に在ること(一に殯に祭ることに作る。)無くんば、何れの處に哭せん。

物有自得天理者。如蜂蟻知衛其君、豺獺知祭。禮亦出於人情而已。
【読み】
物に自ら天理を得る者有り。蜂蟻其の君を衛ることを知り、豺獺祭を知るが如し。禮も亦人情に出るのみ。

祭先之禮、不可得而推者、無可奈何。其可知者、無遠近多少、須(呂本・徐本須作猶。)當盡祭之祖。又豈可不報。又豈可厭多。蓋根本在彼、雖遠、豈得無報。
【読み】
先を祭るの禮、得て推す可からざる者は、奈何ともす可きこと無し。其の知る可き者は、遠近多少と無く、須(呂本・徐本須を猶に作る。)當に盡く之を祖に祭るべし。又豈報ぜざる可けんや。又豈多きを厭う可けんや。蓋し根本彼に在り、遠しと雖も、豈報ずること無きことを得んや。

宗子雖七十、無無主婦。此謂承祭祀也。然亦不當道七十、只道雖老無無主婦便得。
【読み】
宗子は七十と雖も、主婦無きこと無し。此れ祭祀を承くるを謂うなり。然れども亦當に七十と道うべからず、只老いたりと雖も主婦無きこと無しと道いて便ち得ん。

禮云、宗子如(一作不。)爲殤。宗子有君之道、豈有殤之理。
【読み】
禮に云う、宗子は殤爲るが如し(一に不に作る。)、と。宗子は君の道有り、豈殤の理有らんや。

喜怒哀樂未發謂之中、只是言一箇中(一作本。)體。旣是喜怒哀樂未發、那裏有箇甚麼。只可謂之中。如乾體便是健、及分在諸處、不可皆名健、然在其中矣。天下事事物物皆有中。發而皆中節謂之和、非是謂之和便不中也。言和則中在其中矣。中便是含喜怒哀樂在其中矣。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂うは、只是れ一箇の中の(一に本に作る。)體を言う。旣に是れ喜怒哀樂未だ發せずんば、那の裏に箇の甚麼[なに]か有らん。只之を中と謂う可し。乾の體は便ち是れ健、諸處に分在するに及んで、皆健と名づく可からざれども、然れども其の中に在るが如し。天下の事事物物に皆中有り。發して皆節に中る之を和と謂うは、是れ之を和と謂いて便ち中ならずとするに非ざるなり。和を言うときは則ち中は其の中に在り。中は便ち是れ喜怒哀樂を含んで其の中に在り。

如眼前諸人、要特立獨行。煞不難得。只是要一箇知見。難人只被這箇知見不通透。人謂要力行。亦只是淺近語。人旣能(一作有。)知見、豈有不能行。一切事皆所當爲、不必待著意做。纔著意做、便是有箇私心。這一點意氣、能得幾時了。
【読み】
眼前の諸人の如き、特立獨行せんことを要す。煞だ得難からず。只是れ一箇の知見を要す。人只這の箇の知見通透せざることあらしむと難ず。人力行を要すと謂う。亦只是れ淺近の語なり。人旣に能く(一に有に作る。)知見せば、豈行うこと能わざること有らんや。一切の事皆當にすべき所は、必ずしも意を著け做すことを待たず。纔かに意を著け做すときは、便ち是れ箇の私心有り。這の一點の意氣、能く幾時をか得了えんや。

今人欲致知、須要格物。物不必謂事物然後謂之物也。自一身之中、至萬物之理、但理會得多、相次自然豁然有覺處。
【読み】
今の人知を致めんことを欲せば、須く物に格ることを要す。物は必ずしも事物のみを謂いて然して後に之を物と謂うにあらず。一身の中自り、萬物の理に至るまで、但理會し得ること多く、相次げば自然に豁然として覺る處有り。

楊子拔一毛不爲、墨子又摩頂放踵爲之。此皆是不得中。至如子莫執中、欲執此二者之中。不知怎麼執得。識得則事事物物上皆天然有箇中在那上、不待人安排也。安排著、則不中矣。
【読み】
楊子一毛を拔いてもせず、墨子は又頂を摩して踵に放[いた]るまで之をす。此れ皆是れ中を得ず。子莫の中を執るが如きに至っては、此の二つの者の中を執らんと欲す。知らず、怎麼[いかん]ぞ執り得ん。識得するときは則ち事事物物の上皆天然に箇の中那の上に在ること有って、人の安排することを待たず。安排し著くときは、則ち中ならず。

知之必好之、好之必求之、求之必得之。古人此箇學是終身事。果能顚沛造次必於是、豈有不得道理。
【読み】
之を知れば必ず之を好み、之を好めば必ず之を求め、之を求むれば必ず之を得。古人此れ箇の學是れ身を終うるまで事とす。果たして能く顚沛造次も必ず是に於てせば、豈道理を得ざること有らんや。

立則見其參於前。所見者何事。
【読み】
立つときは則ち其の前に參わるを見る。見る所の者は何事ぞ。

顏淵問仁、而孔子告之以禮。仁與禮果異乎。
【読み】
顏淵仁を問いて、孔子之に告ぐるに禮を以てす。仁と禮とは果たして異なるや。

說先於樂者、樂由說而後得。然非樂則亦未足以語君子。
【読み】
說ぶは樂しむより先なる者、樂しむは說ぶに由りて而して後に得。然れども樂しむに非ざれば則ち亦未だ以て君子を語るに足らず。

 

二程全書卷之十九  遺書伊川先生語第四

劉元承手編

問仁。曰、此在諸公自思之。將聖賢所言仁處、類聚觀之、體認出來。孟子曰、惻隱之心、仁也。後人遂以愛爲仁。惻隱固是愛也。愛自是情、仁自是性。豈可專以愛爲仁。孟子言惻隱爲仁、蓋爲前已言惻隱之心、仁之端也。旣曰仁之端、則不可便謂之仁。退之言博愛之謂仁、非也。仁者固博愛。然便以博愛爲仁、則不可。
【読み】
仁を問う。曰く、此れ諸公自ら之を思うに在り。聖賢の仁を言う所の處を將って、類聚して之を觀れば、體認し出來らん。孟子曰く、惻隱の心は、仁なり、と。後人遂に愛を以て仁と爲す。惻隱は固より是れ愛なり。愛は自づから是れ情にして、仁は自づから是れ性なり。豈專ら愛を以て仁とす可けんや。孟子惻隱を言いて仁とするは、蓋し前に已に惻隱の心は、仁の端なりと言うが爲なり。旣に仁の端と曰うときは、則ち便ち之を仁と謂う可からず。退之博く愛する之を仁と謂うと言うは、非なり。仁者は固より博く愛す。然れども便ち博く愛するを以て仁とするは、則ち不可なり、と。

又問、仁與聖何以異。曰、人只見孔子言何事於仁、必也聖乎、便謂、仁小而聖大。殊不知此言是孔子見子貢問博施濟衆、問得來事大。故曰何止於仁、必也聖乎。蓋仁可以通上下言之。聖則其極也。聖人、人倫之至。倫、理也。旣通人理之極、更不可以有加。若今人或一事是仁、亦可謂之仁。至於盡仁道、亦謂之仁。此通上下言之也。如曰若聖與仁、則吾豈敢、此又却仁與聖倶大也。大抵盡仁道者、卽是聖人。非聖人則不能盡得仁道。問曰、人有言、盡人道謂之仁、盡天道謂之聖。此語何如。曰、此語固無病。然措意未是。安有知人道而不知天道者乎。道一也。豈人道自是人道、天道自是天道。中庸言、盡己之性、則能盡人之性。能盡人之性、則能盡物之性。能盡物之性、則可以贊天地之化育。此言可見矣。楊子曰、通天地人曰儒、通天地而不通人曰伎。此亦不知道之言。豈有通天地而不通人者哉。如此云通天之文與地之理、雖不能此、何害於儒。天地人只一道也。纔通其一、則餘皆通。如後人解易、言乾天道也、坤地道也、便是亂說。論其體、則天尊地卑。如論其道、豈有異哉。
【読み】
又問う、仁と聖と何を以てか異なる、と。曰く、人只孔子の何ぞ仁を事とせん、必ずや聖かと言うを見て、便ち謂く、仁は小にして聖は大なり、と。殊に知らず、此の言は是れ孔子子貢博く施して衆を濟うことを問えるを見て、問い得來りて事大なるを。故に何ぞ仁に止まらん、必ずや聖かと曰えり。蓋し仁は以て上下に通じて之を言う可し。聖は則ち其の極みなり。聖人は、人倫の至りなり。倫は、理なり。旣に人理の極みに通じては、更に以て加うること有る可からず。今の人或は一事是れ仁なるが若きも、亦之を仁と謂う可し。仁道を盡くすに至っても、亦之を仁と謂う。此れ上下を通じて之を言うなり。聖と仁との若きは、則ち吾れ豈敢えてせんやと曰うが如きは、此れ又却って仁と聖と倶に大なり。大抵仁道を盡くす者は、卽ち是れ聖人なり。聖人に非ずんば則ち仁道を盡くし得ること能わず、と。問いて曰く、人言えること有り、人道を盡くす之を仁と謂い、天道を盡くす之を聖と謂う、と。此の語何如、と。曰く、此の語固に病無し。然れども意を措くこと未だ是ならず。安んぞ人道を知って天道を知らざる者有らんや。道は一なり。豈人道は自づから是れ人道、天道は自づから是れ天道ならんや。中庸に言く、己が性を盡くすときは、則ち能く人の性を盡くす。能く人の性を盡くすときは、則ち能く物の性を盡くす。能く物の性を盡くすときは、則ち以て天地の化育を贊く可し、と。此の言見る可し。楊子が曰く、天地人に通ずるを儒と曰い、天地に通じて人に通ぜざるを伎と曰う、と。此れ亦道を知らざるの言なり。豈天地に通じて人に通ぜざる者有らんや。如し止天の文と地の理とに通ずと云わば、此を能くせずと雖も、何ぞ儒に害あらん。天地人は只一道なり。纔かに其の一に通ずれば、則ち餘は皆通ず。後人易を解して、乾は天道なり、坤は地道なりと言うが如きは、便ち是れ亂說なり。其の體を論ずるときは、則ち天は尊く地は卑し。如し其の道を論ぜば、豈異なること有らんや、と。

問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非也。謂行仁自孝弟始。蓋孝弟是仁之一事、謂之行仁之本則可。謂之是仁之本則不可。蓋仁是性(一作本。)也。孝弟是用也。性中只有仁義禮智四者、幾曾有孝弟來(趙本作幾曾有許多般數來。)。仁主於愛。愛莫大於愛親。故曰孝弟也者、其爲仁之本歟。
【読み】
問う、孝弟は仁を爲[おこな]うの本とは、此は是れ孝弟に由って以て仁に至る可きや否や、と。曰く、非なり。仁を行うことは孝弟自り始まることを謂う。蓋し孝弟は是れ仁の一事、之を仁を行うの本と謂うときは則ち可なり。之を是れ仁の本と謂うときは則ち不可なり。蓋し仁は是れ性(一に本に作る。)なり。孝弟は是れ用なり。性中には只仁義禮智の四つの者有り、幾[いくばく]か曾て孝弟有らん(趙本幾か曾て許多般の數有らんに作る。)。仁は愛を主とす。愛は親を愛するより大なるは莫し。故に孝弟は、其れ仁を爲うの本かと曰う、と。

孔子未嘗許人以仁。或曰、稱管仲如其仁、何也。曰、此聖人闡幽明微之道。只爲子路以子糾之死、管仲不死爲未仁、此甚小却管仲、故孔子言其有仁之功。此聖人言語抑揚處、當自理會得。
【読み】
孔子未だ嘗て人に許すに仁を以てせず。或るひと曰く、管仲を稱して其の仁に如かんやというは、何ぞや、と。曰く、此れ聖人幽を闡[ひら]き微を明らかにするの道なり。只子路子糾が死し、管仲が死せざるを以て未だ仁あらずと爲して、此れ甚だ管仲を小却するが爲に、故に孔子其の仁の功有ることを言えり。此れ聖人の言語抑揚の處、當に自ら理會し得るべし、と。

問克伐怨欲不行、可以爲仁。曰、人無克伐怨欲四者、便是仁也。只爲原憲著一箇不行、不免有此心、但不行也。故孔子謂可以爲難。此孔子著意告原憲處、欲他有所啓發。他承當不得、不能再發問也。孔門如子貢者、便能曉得聖人意。且如曰、女以予爲多學而識之歟。對曰、然。便復問曰、非歟。孔子告之曰、非也。予一以貫之。原憲則不能也。
【読み】
克伐怨欲行われざるを、以て仁とす可しということを問う。曰く、人克伐怨欲の四つの者無きは、便ち是れ仁なり。只原憲一箇の行われざることを著くが爲に、此の心有ることを免れず、但行われざるのみ。故に孔子以て難しとす可しと謂えり。此れ孔子意を著けて原憲に告げし處、他啓發する所有らんことを欲す。他承當し得ずして、再び問いを發すること能わず。孔門子貢の如きは、便ち能く聖人の意を曉し得。且女予を以て多く學んで之を識すとするか。對えて曰く、然り。便ち復問いて曰く、非なるか。孔子之に告げて曰く、非なり。予は一以て之を貫くと曰うが如し。原憲は則ち能わざるなり、と。

問、仁與心何異。曰、心是所主處、仁是就事言。曰、若是、則仁是心之用否。曰、固是。若說仁者心之用、則不可。心譬如身、四端如四支。四支固是身所用、只可謂身之四支。如(呂本・徐本無如字。)四端固具於心。然亦未可便謂之心之用。或曰、譬如五榖之種、必待陽氣而生。曰、非是。陽氣發處、却是情也。心譬如榖種、生之性便是仁也。
【読み】
問う、仁と心と何ぞ異なる、と。曰く、心は是れ主る所の處、仁は是れ事に就いて言う、と。曰く、是の若くなるときは、則ち仁は是れ心の用なるや否や、と。曰く、固に是なり。若し仁は心の用と說くときは、則ち不可なり。心は譬えば身の如く、四端は四支の如し。四支は固に是れ身の用うる所、只身の四支と謂う可きのみ。四端の如きは(呂本・徐本如の字無し。)固に心に具わる。然れども亦未だ便ち之を心の用と謂う可からず、と。或るひと曰く、譬えば五榖の種の、必ず陽氣を待って生ずるが如し、と。曰く、是に非ず。陽氣發する處は、却って是れ情なり。心は譬えば榖の種の如く、生ずるの性便ち是れ仁なり、と。

問、四端不及信、何也。曰、性中只有四端、却無信。爲有不信、故有信字。且如今東者自東、西者自西、何用信字。只爲有不信、故有信字。又問、莫在四端之閒。曰、不如此說。若如此說時、只說一箇義字亦得。
【読み】
問う、四端信に及ばざるは、何ぞや、と。曰く、性中只四端有りて、却って信無し。信ならざること有るが爲に、故に信の字有り。且つ今東する者は東自りし、西する者は西自りするが如くならば、何ぞ信の字を用いん。只信ならざること有るが爲に、故に信の字有り、と。又問う、四端の閒に在ること莫きや、と。曰く、此の如ぐ說かざれ。若し此の如く說く時は、只一箇の義の字を說いて亦得たり、と。

問、忠恕可貫道否。曰、忠恕固可以貫道。但子思恐人難曉。故復於中庸降一等言之、曰、忠恕違道不遠。忠恕只是體用、須要理會得。又問、恕字、學者可用功否。曰、恕字甚大。然恕不可獨用、須得忠以爲體。不忠、何以能恕。看忠恕兩字、自見相爲用處。孔子曰、君子之道四、丘未能一焉。恕字甚難。孔子曰、有一言可以終身行之者。其恕乎。
【読み】
問う、忠恕は道を貫く可きや否や、と。曰く、忠恕は固に以て道を貫く可し。但子思人の曉し難からんことを恐る。故に復中庸に於て一等を降して之を言いて、曰く、忠恕は道を違[さ]ること遠からじ、と。忠恕は只是れ體用、須く理會し得んことを要すべし、と。又問う、恕の字は、學者功を用う可きや否や、と。曰く、恕の字は甚だ大なり。然れども恕は獨り用う可からず、須く忠を得て以て體とすべし。忠あらずんば、何を以て能く恕ならん。忠恕の兩字を看るに、自づから用を相爲す處を見る。孔子曰く、君子の道四つ、丘未だ一つをも能くせず、と。恕の字甚だ難し。孔子曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行う可き者有りや。其れ恕か、と。

問、人有以君子敬而無失與人爲一句、是否。曰、不可。敬是持己、恭是接人。與人恭而有禮、言接人當如此也。近世淡薄、以相懽狎爲相與、以無圭角爲相懽愛。如此者安能久。若要久、須是恭敬。君臣朋友、皆當以敬爲主也。比之上六曰、比之无首、凶。象曰、比之无首、无所終也。比之有首、尙懼无終。旣无首、安得有終。故曰无所終也。比之道、須當有首。或曰、君子淡以成、小人甘以壞。曰、是也。豈有甘而不壞者。
【読み】
問う、人君子敬して人と與にするに失すること無しということを以て一句とすること有り、是なるや否や、と。曰く、不可なり。敬は是れ己を持し、恭は是れ人に接す。人と與にすること恭しくして禮有るとは、言うこころは、人に接すること當に此の如くすべしとなり。近世淡薄にして、相懽狎[かんこう]するを以て相與にすとし、圭角無きを以て相懽愛すとす。此の如き者は安んぞ能く久しからん。若し久しからんことを要せば、須く是れ恭敬すべし。君臣朋友、皆當に敬を以て主とすべし。比の上六に曰く、之に比すに首无し、凶なり、と。象に曰く、之に比すに首无しとは、終わる所无きなり、と。之を比すに首有るすら、尙終わり无からんことを懼る。旣に首无きときは、安んぞ終わり有ることを得んや。故に終わる所无しと曰う。比の道は、須く當に首有べし。或るひと曰く、君子は淡くして以て成り、小人は甘くして以て壞る、と。曰く、是なり。豈甘くして壞れざる者有らんや、と。

問、出門如見大賓、使民如承大祭。方其未出門、未使民時、如何。曰、此儼若思之時也。當出門時、其敬如此。未出門時可知也。且見乎外者、出乎中者也。使民出門者、事也。非因是事上方有此敬、蓋素敬也。如人接物以誠、人皆曰誠人。蓋是素來誠、非因接物而始有此誠也。儼然正其衣冠、尊其瞻視、其中自有箇敬處。雖曰無狀、敬自可見。
【読み】
問う、門を出ては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くす、と。其の未だ門を出ず、未だ民を使わざる時に方っては、如何、と。曰く、此れ儼として思うが若くする時なり。門を出る時に當たって、其の敬此の如し。未だ門を出ざる時も知る可し。且外に見る者は、中より出る者なり。民を使い門を出るは、事なり。是の事上に因って方に此の敬有るに非ず、蓋し素より敬するなり。人物に接するに誠を以てするが如き、人皆誠ある人と曰う。蓋し是れ素來より誠あり、物に接するに因りて始めて此の誠有るに非ざるなり。儼然として其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くするは、其の中自づから箇の敬する處有ればなり。狀無しと曰うと雖も、敬自づから見る可し、と。

問、人有專務敬以直内、不務方外、何如。曰、有諸中者、必形諸外。惟恐不直内。内直則外必方。
【読み】
問う、人專ら敬以て内を直くすることを務めて、外を方にすることを務めざること有るは、何如、と。曰く、中に有る者は、必ず外に形る。惟恐れらくは内を直くせざることを。内直ければ則ち外は必ず方なり、と。

敬是閑邪之道。閑邪存其誠、雖是兩事、然亦只是一事。閑邪則誠自存矣。天下有一箇善、一箇惡。去善卽是惡、去惡卽是善。譬如門。不出便入。豈出入外更別有一事也。
【読み】
敬は是れ邪を閑ぐの道なり。邪を閑ぎ其の誠を存するは、是れ兩事なりと雖も、然れども亦只是れ一事なり。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す。天下に一箇の善、一箇の惡有り。善を去れば卽ち是れ惡、惡を去れば卽ち是れ善なり。譬えば門の如し。出ざれば便ち入る。豈出入の外更に別に一事有らんや。

義還因事而見否。曰、非也。性中自有。或曰、無狀可見。曰、說有便是見。但人自不見。昭昭然在天地之中也。且如性、何須待有物方指爲性。性自在也。賢所言見者事、某所言見者理。(如曰不見而彰是也。)
【読み】
義は還って事に因りて見るや否や、と。曰く、非なり。性中自づから有り、と。或るひと曰く、狀の見る可き無し、と。曰く、有りと說けば便ち是れ見るなり。但人自づから見ざるのみ。昭昭然として天地の中に在り。且性の如き、何ぞ須く物有ることを待って方に指して性とすべけんや。性自づから在り。賢の見ると言う所の者は事、某の見ると言う所の者は理なり、と。(見[しめ]さずして彰[あらわ]ると曰うが如き是れなり。)

人多說某不敎人習舉業。某何嘗不敎人習舉業也。人若不習舉業而望及第、却是責天理而不修人事。但舉業、旣可以及第卽已。若更去上面盡力求必得之道、是惑也。
【読み】
人多く某人をして擧業を習わしめずと說く。某何ぞ嘗て人をして擧業を習わしめざらん。人若し擧業を習わずして及第するを望まば、却って是れ天理を責めて人事を修めざるなり。但擧業は、旣に以て及第して卽ち已む可し。若し更に上面に力を盡くし去って必得の道を求めば、是れ惑えるなり。

人注擬差遣、欲就主簿者。問其故、則曰、責輕於尉。某曰、却是尉責輕。尉只是捕盜、不能使民不爲盜。簿佐令以治一邑、使民不爲盜。簿之責也、豈得爲輕。或問、簿佐令者也。簿所欲爲、令或不從、奈何。曰、當以誠意動之。今令與簿不和、只是爭私意。令是邑之長。若能以事父兄之道事之、過則歸己、善則惟恐不歸於令、積此誠意、豈有不動得人。問、授司理、如何。曰、甚善。若能充其職、可使一郡無冤民也。幙官言事不合、如之何。曰、必不得已、有去而已。須權量事之大小。事大於去、則當去、事小於去、亦不須去也。事大於爭、則當爭、事小於爭、則不須爭也。今人只被以官爲業。如何去得。
【読み】
人差遣を注擬して、主簿に就かんと欲する者あり。其の故を問えば、則ち曰く、責尉より輕し、と。某曰く、却って是れ尉の責輕し。尉は只是れ盜を捕えて、民をして盜をせざらしむること能わず。簿は令を佐けて以て一邑を治め、民をして盜をせざらしむ。簿の責や、豈輕しとすることを得んや、と。或るひと問う、簿は令を佐くる者なり。簿のせんと欲する所、令或は從わざれば、奈何、と。曰く、當に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を爭えばなり。令は是れ邑の長なり。若し能く父兄に事うるの道を以て之に事え、過ちは則ち己に歸し、善は則ち惟令に歸せざらんことを恐れ、此の誠意を積まば、豈人を動かし得ざること有らんや、と。問う、司理を授くること、如何、と。曰く、甚だ善し。若し能く其の職を充てば、一郡をして冤民を無からしむる可し、と。幙官事を言うこと合わずんば、之を如何、と。曰く、必ず已むことを得ずんば、去ること有らんのみ。須く事の大小を權量すべし。事去るに大ならば、則ち當に去るべく、事去るに小ならば、亦須く去るべからず。事爭うに大ならば、則ち當に爭うべく、事爭うに小ならば、則ち須く爭うべからず。今の人は只官を以て業とせらる。如何ぞ去り得ん、と。

人有實無學而氣蓋人者。其氣(一作稟。)有剛柔也。故强猛者當抑之、畏縮者當充養之。古人佩韋弦之戒、正爲此耳。然剛者易抑。如子路、初雖聖人亦被他陵。後來旣知學、便却移其剛來克己甚易。畏縮者氣本柔。須索勉强也。
【読み】
人實に學無くして氣人を蓋う者有り。其の氣(一に稟に作る。)に剛柔有り。故に强猛なる者は當に之を抑うべく、畏縮なる者は當に之を充養すべし。古人韋弦を佩びるの戒め、正に此が爲なるのみ。然るに剛なる者は抑え易し。子路の如き、初めは聖人と雖も亦他に陵がる。後來旣に學を知って、便ち却って其の剛を移し來りて己に克つこと甚だ易し。畏縮なる者は氣本柔なり。須く勉强を索むるべし。

藻鑑人物、自是人才有通悟處、學不得也。張子厚善鑑裁其弟天祺學之便錯。
【読み】
人物を藻鑑するは、自づから是れ人才通悟する處有り、學んで得ざるなり。張子厚は善く其の弟天祺が學の便ち錯れることを鑑裁す。

問、學何以有至覺悟處。曰、莫先致知。能致知、則思一日愈明一日、久而後有覺也。學而無覺、則何益矣、又奚學爲。思曰睿、睿作聖。纔思便睿、以至作聖。亦是一箇思。故曰、勉强學問、則聞見博而智益明。又問、莫致知與力行兼否。曰、爲常人言纔知得非禮不可爲、須用勉强。至於知穿窬不可爲、則不待勉强。是知亦有深淺也。古人言樂循理之謂君子。若勉强、只是知循理、非是樂也。纔到樂時、便是循理爲樂、不循理爲不樂。何苦而不循理。自不須勉强也。若夫聖人不勉而中、不思而得、此又上一等事。
【読み】
問う、學は何を以て覺悟する處に至ること有らんや、と。曰く、知を致むるより先なるは莫し。能く知を致むれば、則ち思うこと一日愈々一日より明らかにして、久しくして而して後に覺ること有り。學んで覺ること無くんば、則ち何の益あらん、又奚んぞ學ぶことをせん。思には睿と曰う、睿は聖と作る。纔かに思えば便ち睿にして、以て聖と作るに至る。亦是れ一箇の思なり。故に曰く、勉强して學問するときは、則ち聞見博くして智益々明らかなり、と。又問う、致知と力行と兼ぬること莫しや否や、と。曰く、常人の爲に言わば纔かに非禮のす可からざることを知り得れば、須く勉强を用うべし。穿窬のす可からざるを知るに至っては、則ち勉强を待たず。是れ知に亦深淺有ればなり。古人理に循うを樂しむ之を君子と謂うと言う。若し勉强して、只是れ理に循うことを知るのみなるは、是れ樂しむに非ざるなり。纔かに樂しむに到る時は、便ち是れ理に循うを樂しむとし、理に循わざるを樂しまずとす。何を苦しんでか理に循わざらん。自づから勉强を須いざるなり。夫の聖人勉めずして中り、思わずして得るが若きは、此れ又上一等の事なり、と。

問、張旭學草書、見擔夫與公主爭道、及公孫大娘舞劍、而後悟筆法。莫是心常思念至此而感發否。曰、然。須是思方有感悟處。若不思、怎生得如此。然可惜張旭留心於書。若移此心於道、何所不至。
【読み】
問う、張旭草書を學んで、擔夫と公主と道を爭い、及び公孫大娘劍を舞するを見て、而して後に筆法を悟る。是の心常に思い念いて此に至って感發すること莫しや否や、と。曰く、然り。須く是れ思って方に感悟する處有るべし。若し思わずんば、怎生[いかん]ぞ此の如くなることを得ん。然れども惜しむ可し、張旭が心を書に留むることを。若し此の心を道に移さば、何の至らざる所あらん、と。

思曰睿、思慮久後、睿自然生。若於一事上思未得、且別換一事思之。不可專守著這一事。蓋人之知識、於這裏蔽著、雖强思亦不通也。(一本此下云、或問、思一事、或泛及佗事、莫是心不專否。曰、心若專、怎生解及別事。)
【読み】
思には睿と曰うとは、思慮すること久しくして後に、睿自然に生ずるなり。若し一事上に於て思って未だ得ずんば、且く別に一事を換えて之を思え。專ら這の一事に守著す可からず。蓋し人の知識、這の裏に於て蔽著すれば、强く思うと雖も亦通ぜざるなり。(一本に此の下に云う、或るひと問う、一事を思って、或は泛く佗事に及ぶは、是の心專らならざること莫しや否や、と。曰く、心若し專らならば、怎生[いかん]ぞ解[よ]く別事に及ばん、と。)

與學者語、正如扶醉人。東邊扶起却倒向西邊、西邊扶起却倒向東邊、終不能得佗卓立中途。
【読み】
學者と語るは、正に醉人を扶くるが如し。東邊扶け起こせば却って倒れて西邊に向かい、西邊扶け起こせば却って倒れて東邊に向かい、終に佗中途に卓立することを得ること能わず。

古之學者一、今之學者三、異端不與焉。一曰文章之學、二曰訓詁之學、三曰儒者之學。欲趨道、舍儒者之學不可。
【読み】
古の學者は一、今の學者は三、異端は與らず。一に文章の學と曰い、二に訓詁の學と曰い、三に儒者の學と曰う。道に趨かんと欲せば、儒者の學を舍くは不可なり。

今之學者有三弊。一溺於文章、二牽於訓詁、三惑於異端。苟無此三者、則將何歸。必趨於道矣。
【読み】
今の學者は三つの弊有り。一は文章に溺れ、二は訓詁に牽かれ、三は異端に惑う。苟も此の三つの者無きときは、則ち將[はた]何にか歸せん。必ずや道に趨かん。

或曰、人問某以學者當先識道之大本。道之大本如何求。某告之以君臣父子夫婦兄弟朋友、於此五者上行樂處便是。曰、此固是。然怎生地樂。勉强樂不得。須是知得了、方能樂得。故人力行、先須要知。非特行難、知亦難也。書曰、知之非艱、行之惟艱。此固是也。然知之亦自艱。譬如人欲往京師、必知是出那門、行那路、然後可往。如不知、雖有欲往之心、其將何之。自古非無美材能力行者。然鮮能明道。以此見知之亦難也。
【読み】
或るひと曰く、人問う、某學者は當に先づ道の大本を識るべしということを以てす。道の大本は如何にか求めん、と。某之に告ぐるに君臣父子夫婦兄弟朋友、此の五つの者の上に於て行い樂しむ處便ち是なりというを以てす、と。曰く、此れ固に是なり。然れども怎生地[いづれ]にか樂しまん。勉强すれば樂しみ得ず。須く是れ知り得了わりて、方に能く樂しみ得るべし。故に人の力行は、先づ須く知ることを要すべし。特行うこと難きのみに非ず、知ることも亦難し。書に曰く、之を知ること艱きに非ず、之を行うこと惟れ艱し、と。此れ固に是なり。然れども之を知ることも亦自づから艱し。譬えば人京師に往かんと欲するが如き、必ず是れ那[いづれ]の門を出、那の路を行くということを知って、然して後に往く可し。如し知らずんば、往かんと欲するの心有りと雖も、其れ將何[いづく]にか之かん。古自り美材にして能く力行する者無きに非ず。然れども能く道を明らかにすること鮮し。此を以て知ることの亦難きことを見るなり、と。

問、忠信進德之事、固可勉强。然致知甚難。曰、子以誠敬爲可勉强。且恁地說。到底、須是知了方行得。若不知、只是覷却堯學他行事。無堯許多聰明睿知、怎生得如他動容周旋中禮。有諸中、必形諸外。德容安可妄學。如子所言、是篤信而固守之。非固有之也。且如中庸九經、修身也、尊賢也、親親也、堯典克明峻德、以親九族、親親本合在尊賢上。何故却在下。須是知所以親親之道方得。未致知、便欲誠意、是躐等也。學者固當勉强。然不致知、怎生行得。勉强行者、安能持久。除非燭理明、自然樂循理。性本善。循理而行是順理事、本亦不難。但爲人不知、旋安排著、便道難也。知有多少般數、煞有深淺。向親見一人、曾爲虎所傷。因言及虎、神色便變。傍有數人、見佗說虎、非不知虎之猛可畏。然不如佗說了有畏懼之色。蓋眞知虎者也。學者深知亦如此。且如膾炙、貴公子與野人莫不皆知其美。然貴人聞著便有欲嗜膾炙之色、野人則不然。學者須是眞知。纔知得是、便泰然行將去也。某年二十時、解釋經義、與今無異。然思今日、覺得意味與少時自別。
【読み】
問う、忠信もて德に進む事は、固より勉强す可し。然れども知を致むることは甚だ難し、と。曰く、子は誠敬を以て勉强す可しとす。且恁地[かくのごと]く說かんや。到底[つまり]は、是れ知り了わるを須[ま]って方に行い得。若し知らずんば、只是れ堯を覷却[しょきゃく]して他の行事を學ぶのみ。堯の許多の聰明睿智無くんば、怎生[いかん]ぞ他の如く動容周旋禮に中ることを得ん。中に有れば、必ず外に形る。德容安んぞ妄りに學ぶ可きや。子の言う所の如きは、是れ篤く信じて固く之を守るなり。固より之を有するに非ず。且つ中庸の九經の、身を修め、賢を尊び、親を親しみ、堯典の克く峻德を明らかにして、以て九族を親しむが如き、親を親しむは本より合に賢を尊ぶの上に在るべし。何が故ぞ却って下に在るは。是れ親を親しむ所以の道を知るを須って方に得。未だ知を致めざるに、便ち意を誠にせんと欲するは、是れ等を躐ゆるなり。學者は固に當に勉强すべし。然れども知を致めずんば、怎生ぞ行い得んや。勉强して行う者、安んぞ能く持すること久しからん。除非[ただ]理を燭[て]らすこと明らかなれば、自然に理に循うことを樂しむのみ。性は本より善なり。理に循いて行うは、是れ理に順う事なれば、本より亦難からず。但人知らず、旋[うたた]安排著するが爲に、便ち難しと道うなり。知に多少の般の數有り、煞[はなは]だ深淺有り。向[さき]に親ら一人、曾て虎の爲に傷[そこな]わるるを見る。因りて言虎に及べば、神色便ち變ず。傍に數人有り、佗の虎を說くを見て、虎の猛きこと畏る可きことを知らざるに非ず。然れども佗の說き了わって畏懼の色有るに如かず。蓋し眞に虎を知る者なればなり。學者の深く知るも亦此の如し。且膾炙の如き、貴公子と野人と皆其の美なるを知らざること莫し。然れども貴人聞著すれば便ち膾炙を欲嗜するの色有れども、野人は則ち然らず。學者は須く是れ眞に知るべし。纔かに是を知り得れば、便ち泰然として行い將[も]て去[ゆ]け。某年二十の時、經義を解釋するに、今と異なること無し。然れども思うに今日、意味を覺り得ること少き時と自ら別なり、と。

信有二般、有信人者、有自信者。如七十子於仲尼、得佗言語(呂本・徐本語作說。)、便終身守之。然未必知道這箇怎生是、怎生非也。此信於人者也。學者須要自信。旣自信、怎生奪亦不得。
【読み】
信に二般有り、人を信ずる者有り、自ら信ずる者有り。七十子の仲尼に於るが如き、佗の言語(呂本・徐本語を說に作る。)を得れば、便ち身を終うるまで之を守らんとす。然れども未だ必ずしも這箇の怎生[いづれ]か是、怎生か非なることを知道せず。此れ人を信ずる者なり。學者は須く自ら信ずることを要すべし。旣に自ら信ぜば、怎生か奪うとも亦得じ。

或問、進修之術何先。曰、莫先於正心誠意。誠意在致知。致知在格物。格、至也。如祖考來格之格。凡一物上有一理、須是窮致其理。窮理亦多端。或讀書、講明義理、或論古今人物、別其是非、或應接事物而處其當、皆窮理也。或問、格物須物物格之。還只格一物而萬理皆知。曰、怎生便會該通。若只格一物便通衆理、雖顏子亦不敢如此道。須是今日格一件、明日又格一件、積習旣多、然後脫然自有貫通處。
【読み】
或るひと問う、進修の術何れか先んぜん、と。曰く、心を正しくし意を誠にするより先なるは莫し。意を誠にするは知を致むるに在り。知を致むるは物に格るに在り。格は、至るなり。祖考來格の格の如し。凡そ一物の上には一理有り、須く是れ其の理を窮め致むべし。理を窮むるも亦多端なり。或は書を讀みて、義理を講明し、或は古今の人物を論じて、其の是非を別ち、或は事物に應接して其の當たるに處するは、皆理を窮むることなり。或るひと問う、物に格るは須く物物に之に格るべきや。還[また]は只一物に格るのみにして萬理皆知らるるや、と。曰く、怎生ぞ便ち會[たまたま]該通せん。只一物に格るのみにして便ち衆理に通ずるが若きは、顏子と雖も亦敢えて此の如く道わじ。須く是れ今日一件に格り、明日又一件に格り、積習すること旣に多くして、然して後に脫然として自ら貫通する處有るべし、と。

涵養須用敬。進學則在致知。
【読み】
涵養は須く敬を用うべし。學に進むは則ち知を致むるに在り。

問、人有志於學、然智識蔽固、力量不至、則如之何。曰、只是致知。若致知、則智識當自漸明、不曾見人有一件事終思不到也。智識明、則力量自進。問曰、何以致知。曰、在明理、或多識前言往行。識之多則理明。然人全在勉强也。
【読み】
問う、人に學に志すこと有れども、然れども智識蔽固し、力量至らずんば、則ち之を如何にせん、と。曰く、只是れ知を致めよ。若し知を致むれば、則ち智識當に自づから漸く明らかなるべく、曾て人一件の事有りて終に思って到らざることを見ざるなり。智識明らかなれば、則ち力量自づから進まん、と。問いて曰く、何を以て知を致めん、と。曰く、理を明らかにするに在り、或は多く前言往行を識れ。之を識ること多ければ則ち理明らかなり。然れども人全く勉强するに在り、と。

士之於學也、猶農夫之耕。農夫不耕則無所食。無所食則不得生。士之於學也、其可一日舍哉。
【読み】
士の學に於るや、猶農夫の耕すがごとし。農夫耕さざれば則ち食する所無し。食する所無ければ則ち生きることを得ず。士の學に於るや、其れ一日も舍く可けんや。

學者言入乎耳、必須著乎心、見乎行事。如只聽佗人言、却似說他人事、己無所與也。
【読み】
學者は言耳に入っては、必ず須く心に著けて、行事に見すべし。如し只佗人の言を聽いて、却って他人の事を說くが似[ごと]きは、己與る所無し。

問、學者須志於大、如何。曰、志無大小。且莫說道、將第一等讓與別人、且做第二等。才如此說、便是自棄。雖與不能居仁由義者差等不同、其自小一也。言學便以道爲志、言人便以聖爲志。自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。
【読み】
問う、學者は須く大に志すべし、如何、と。曰く、志すこと大小無し。且つ說き道うこと莫し、第一等を將って別人に讓與し、且つ第二等を做す、と。才かに此の如く說くときは、便ち是れ自ら棄つるなり。仁に居り義に由ること能わざる者と差等同じからずと雖も、其の自ら小にするは一なり。學を言えば便ち道を以て志と爲し、人を言いえば便ち聖を以て志と爲す。自ら能わずと謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり、と。

或問、人有恥不能之心、如何。曰、人恥其不能而爲之、可也。恥其不能而揜藏之、不可也。問、技藝之事、恥己之不能、如何。曰、技藝不能、安足恥。爲士者、當知道。己不知道、可恥也。爲士者當博學。己不博學(一本無知道已下至此十九字。但云、博學守約己不能之則。)、可恥也。恥之如何。亦曰、勉之而已。又安可嫉人之能而諱己之不能也。
【読み】
或るひと問う、人不能を恥づるの心有らば、如何、と。曰く、人其の不能を恥ぢて之を爲さば、可なり。其の不能を恥ぢて之を揜い藏さば、不可なり、と。問う、技藝の事、己が不能を恥づるは、如何、と。曰く、技藝の不能は、安んぞ恥づるに足らん。士爲る者は、當に道を知るべし。己道を知らずんば、恥づ可し。士爲る者は當に博く學ぶべし。己博く學ばずんば(一本に知道已下此に至るまでの十九字無し。但云う、博く學び約を守ること己之を能くせざれば則ち。)、恥づ可し、と。之を恥づるは如何にせん、と。亦曰く、之を勉むるのみ。又安んぞ人の能を嫉んで己が不能を諱む可けん、と。

學欲速不得。然亦不可怠。纔有欲速之心、便不是學。學是至廣大的事。豈可以迫切之心爲之。
【読み】
學は速やかならんことを欲すとも得ず。然れども亦怠る可からず。纔かに速やかならんと欲するの心有れば、便ち是れ學にあらず。學は是れ至って廣大的の事なり。豈迫切の心を以て之をす可けんや。

問、敬還用意否。曰、其始安得不用意。若能(一無此字。)不用意、却是都無事了。又問、敬莫是靜否。曰、纔說靜、便入於釋氏之說也。不用靜字、只用敬字。纔說著靜字、便是忘也。孟子曰、必有事焉而勿正、心勿忘、勿助長也。必有事焉、便是心勿忘、勿正、便是勿助長。
【読み】
問う、敬は還って意を用うるや否や、と。曰く、其の始めは安んぞ意を用いざることを得ん。若し能く(一に此の字無し。)意を用いざれば、却って是れ都て無事了わる、と。又問う、敬は是れ靜なること莫しや否や、と。曰く、纔かに靜と說けば、便ち釋氏が說に入るなり。靜の字を用いず、只敬の字を用う。纔かに靜の字を說著すれば、便ち是れ忘るるなり。孟子曰く、必ず事とすること有りて正[あてて]すること勿かれ、心に忘るること勿かれ、助けて長ぜしむること勿かれ、と。必ず事とすること有れば、便ち是れ心に忘るること勿く、正すること勿ければ、便ち是れ助けて長ぜしむること勿し、と。

問、至誠可以蹈水火。有此理否。曰、有之。曰、列子言商丘開之事、有乎。曰、此是聖人之道不明後、莊・列之徒各以私智探測至理而言也。曰、巫師亦能如此、誠邪、欺邪。曰、此輩往往有術、常懷一箇欺人之心。更那裏得誠來。
【読み】
問う、至誠は以て水火を蹈む可し、と。此の理有りや否や、と。曰く、之れ有り、と。曰く、列子商丘開の事を言う、有りや、と。曰く、此は是れ聖人の道明らかならずして後、莊・列の徒各々私智を以て至理を探り測って言えるなり、と。曰く、巫師も亦能く此の如し、誠なるか、欺けるか、と。曰く、此の輩は往往に術有りて、常に一箇の人を欺くの心を懷く。更に那の裏にか誠を得來らん、と。

或問、獨處一室、或行闇中、多有驚懼、何也。曰、只是燭理不明。若能燭理、則知所懼者妄。又何懼焉。有人雖知此、然不免懼心者、只是氣不充。須是涵養久、則氣充、自然物動不得。然有懼心、亦是敬不足。
【読み】
或るひと問う、一室に獨處し、或は闇中に行きて、多く驚懼すること有るは、何ぞや、と。曰く、只是れ理を燭[て]らすこと明らかならざればなり。若し能く理を燭らさば、則ち懼るる所の者は妄なることを知らん。又何ぞ懼れん。人此を知ると雖も、然れども懼るる心を免れざる者有るは、只是れ氣充たざればなり。須く是れ涵養すること久しきときは、則ち氣充ちて、自然に物動かすことを得ざるべし。然るに懼るる心有るは、亦是れ敬足らざればなり、と。

問、世言鬼神之事、雖知其無、然不能無疑懼、何也。曰、此只是自疑爾。曰、如何可以曉悟其理。曰、理會得精氣爲物、遊魂爲變、與原始要終之說、便能知也。須是於原字上用工夫。或曰、遊魂爲變、是變化之變否。曰、旣是變、則存者亡、堅者腐、更無物也。鬼神之道、只恁說與賢、雖會得亦信不過。須是自得也。或曰、何以得無恐懼。曰、須是氣定、自然不惑。氣未充、要强不得。(因說與長老游山事。)
【読み】
問う、世に鬼神の事を言う、其の無きことを知ると雖も、然れども疑い懼るること無きこと能わざるは、何ぞや、と。曰く、此は只是れ自ら疑うのみ、と。曰く、如何にしてか以て其の理を曉悟す可きや、と。曰く、精氣物と爲り、遊魂變を爲すと、始めを原[たづ]ねて終わりを要するの說を理會し得ば、便ち能く知らん。須く是れ原の字の上に於て工夫を用うべし、と。或るひと曰く、遊魂變を爲すとは、是れ變化の變なりや否や、と。曰く、旣に是れ變ずるときは、則ち存する者亡び、堅き者腐って、更に物無し。鬼神の道、只恁[かくのごと]く賢に說與せば、會得すと雖も亦信に過ぎず。須く是れ自得すべし、と。或るひと曰く、何を以て恐懼すること無きことを得ん、と。曰く、須く是れ氣定まって、自然に惑わざるべし。氣未だ充たずんば、强いんと要すとも得じ、と。(因りて長老游山の事を說與す。)

人語言緊急、莫是氣不定否。曰、此亦當習。習到言語自然緩時、便是氣質變也。學至氣質變、方是有功。人只是一箇習。今觀儒臣自有一般氣象、武臣自有一般氣象、貴戚自有一般氣象。不成生來便如此。只是習也。某舊嘗進說於主上及太母、欲令上於一日之中親賢士大夫之時多、親宦官宮人之時少、所以涵養氣質、薰陶德性。
【読み】
人の語言の緊急なるは、是れ氣の定まらざること莫きや否や。曰く、此れ亦當に習うべし。習いて言語自然に緩きに到る時、便ち是れ氣質變ずるなり。學は氣質變ずるに至れば、方に是れ功有り。人は只是れ一箇の習いなり。今觀るに儒臣は自づから一般の氣象有り、武臣は自づから一般の氣象有り、貴戚は自づから一般の氣象有り。生來便ち此の如くなることを成さず。只是れ習いなり。某舊[もと]嘗て說を主上及び太母に進めて、上をして一日の中に於て賢士大夫に親しむ時は多く、宦官宮人に親しむ時は少なからしめんと欲するは、氣質を涵養し、德性を薰陶する所以なり、と。

或問、人或倦怠、豈志不立乎。曰、若是氣體、勞後須倦。若是志、怎生倦得。人只爲氣勝志、故多爲氣所使。如人少而勇、老而怯、少而廉、老而貪、此爲氣所使者也。若是志勝氣時、志旣一定、更不可易。如曾子易簀之際、其氣之微可知。只爲他志已定、故雖死生許大事、亦動他不得。蓋有一絲髮氣在、則志猶在也。
【読み】
或るひと問う、人或は倦怠するは、豈志立たざるか、と。曰く、是の氣體の若きは、勞して後須く倦むべし。是の志の若きは、怎生[いかん]ぞ倦むことを得ん。人只氣志に勝つが爲に、故に多くは氣に使わるることをす。人少くして勇み、老いて怯え、少くして廉に、老いて貪るが如き、此れ氣に使わるることをする者なり。若し是れ志氣に勝つ時は、志旣に一定して、更に易う可からず。曾子簀を易うるの際の如き、其の氣の微なること知る可し。只他の志已に定まるが爲に、故に死生は許大の事と雖も、亦他を動かすことを得ず。蓋一絲髮の氣在ること有るときは、則ち志も猶在るなり。

問、人之燕居、形體怠惰、心不慢、可否。曰、安有箕踞而心人不慢者。昔呂與叔六月中來緱氏。閒居中、某嘗窺之、必見其儼然危坐。可謂敎篤矣。學者須恭敬。但不可令拘迫、拘迫則難久矣。(尹子曰、嘗親聞此、乃謂劉質夫也。)
【読み】
問う、人の燕居するとき、形體怠惰するとも、心慢らずんば、可なりや否や、と。曰く、安んぞ箕踞[ききょ]して心の慢らざる者有らん。昔呂與叔六月の中に緱氏に來る。閒居の中に、某嘗て之を窺うに、必ず其の儼然として危坐するを見たり。敦篤なりと謂う可し。學者は須く恭敬すべし。但し拘迫ならしむ可からず。拘迫なれば則ち久しくし難し、と。(尹子曰く、嘗て親ら此を聞き、乃ち劉質夫に謂えり、と。)

昔呂與叔嘗問爲思慮紛擾。某答以但爲心無主。若主於敬、則自然不紛擾。譬如以一壼水投於水中、壼中旣實、雖江湖之水、不能入矣。曰、若思慮果出於正、亦無害否。曰、且如在宗廟則主敬、朝廷主莊、軍旅主嚴、此是也。如發不以時、紛然無度、雖正亦邪。
【読み】
昔呂與叔嘗て思慮紛擾をすることを問う。某答うるに但心主無きが爲というを以てす。若し敬を主とせば、則ち自然に紛擾ならず。譬えば一壼の水を以て水中に投ずるが如き、壼中旣に實つれば、江湖の水と雖も、入ること能わざるなり。曰く、若し思慮果たして正しきに出でば、亦害無けんや否や、と。曰く、且宗廟に在っては則ち敬を主とし、朝廷には莊を主とし、軍旅には嚴を主とするが如き、此れ是なり。如し發すること時を以てせず、紛然として度無くんば、正しきと雖も亦邪なり、と。

問、游宣德云、人能戒愼恐懼於不睹不聞之時、則無聲無臭之道可以馴致。此說如何。曰、馴致漸進也。然此亦大綱說、固是自小以致大、自修身可以至於盡性至命。然其閒有多少般數、其所以至之之道當如何。荀子曰、始乎爲士、終乎爲聖人。今人學者須讀書、纔讀書便望爲聖賢。然中閒至之之方、更有多少。荀子雖能如此說、却以禮義爲僞、性爲不善。佗自情性尙理會不得。怎生到得聖人。大抵以堯所行者欲力行之。以多聞多見取之、其所學者皆外也。
【読み】
問う、游宣德の云う、人能く睹ざる聞かざるの時に戒愼恐懼するときは、則ち聲も無く臭も無きの道以て馴致す可し、と。此の說や如何、と。曰く、馴致とは漸く進むなり。然に此れ亦大綱の說、固に是れ小自りして以て大を致し、身を修むる自りして以て性を盡くし命に至るに至る可し。然るに其の閒多少般の數有り、其の之に至る所以の道は當に如何にすべけん。荀子曰く、士と爲るに始まり、聖人と爲るに終う、と。今の人學者は須く書を讀むべく、纔かに書を讀めば便ち聖賢爲らんことを望む。然れども中閒之に至るの方、更に多少有り。荀子能く此の如く說くと雖も、却って禮義を以て僞りとし、性を善ならずとす。佗自づから情性すら尙理會することを得ず。怎生ぞ聖人に到り得ん。大抵堯の行う所の者を以て之を力行せんと欲せよ。多聞多見を以て之を取らば、其の學ぶ所者は皆外なり、と。

問、人有日誦萬言、或妙絕技藝。此可學否。曰、不可。大凡所受之才、雖加勉强、止可少進、而鈍者不可使利也。惟理可進。除是積學旣久、能變得氣質、則愚必明、柔必强。蓋大賢以下卽論才、大賢以上更不論才。聖人與天地合德、日月合明、六尺之軀、能有多少技藝。人有身、須用才。聖人忘己。更不論才也。
【読み】
問う、人日に萬言を誦し、或は技藝に妙絕なる有り。此れ學ぶ可きや否や、と。曰く、不可なり。大凡受くる所の才は、勉强を加うと雖も、止少しく進む可くして、鈍き者は利ならしむ可からず。惟理は進む可し。除[ただ]是れ學を積むこと旣に久しくして、能く氣質を變じ得れば、則ち愚も必ず明に、柔も必ず强なり。蓋し大賢以下は卽ち才を論じ、大賢以上は更に才を論ぜず。聖人は天地と德を合わせ、日月と明を合わせて、六尺之軀、能く多少の技藝有り。人身有れば、須ち才を用うべし。聖人は己を忘る。更に才を論ぜざるなり、と。

問、人於議論、多欲已直、無含容之氣。是氣不平否。曰、固是氣不平。亦是量狹。人量隨識長、亦有人識高而量不長者。是識實未至也。大凡別事人都强得。惟識量不可强。今人有斗筲之量、有釜斛之量、有鍾鼎之量、有江河之量。江河之量亦大矣。然有涯。有涯亦有時而滿。惟天地之量則無滿。故聖人者、天地之量也。聖人之量、道也。常人之有量者、天資也。天資有量者、須有限。大抵六尺之軀、力量只如此。雖欲不滿、不可得。且如人有得一薦而滿者、有得一官而滿者、有改京官而滿者、有入兩府而滿者、滿雖有先後、然卒不免。譬如器盛物、初滿時尙可以蔽護。更滿則必出。此天資之量、非知道者也。昔王隨甚有器量、仁廟賜飛白書曰、王隨德行、李淑文章。當時以德行稱、名望甚重。及爲相、有一人求作三路轉運使、王薄之、出鄙言。當時人皆驚怪。到這裏、位高後便動了。人之量只如此。古人亦有如此者多。如鄧艾位三公、年七十、處得甚好。及因下蜀有功、便動了。言姜維云云。謝安聞謝玄破苻堅、對客圍棋。報至不喜。及歸折屐齒。强終不得也。更如人大醉後益恭謹者、只益恭便是動了。雖與放肆者不同、其爲酒所動一也。又如貴公子位益高、益卑謙、只卑謙便是動了。雖與驕傲者不同、其爲位所動一也。然惟知道者、量自然宏大、不勉强而成。今人有所見卑下者、無佗、亦是識量不足也。
【読み】
問う、人の議論に於る、多くは己が直からんことを欲して、含容の氣無し。是れ氣の平らかならざるや否や、と。曰く、固に是れ氣の平らかならざるなり。亦是れ量狹し。人の量は識に隨いて長ずるも、亦人の識高くして量長ぜざる者有り。是れ識實に未だ至らざればなり。大凡別の事は人都て强い得。惟識量は强う可からず。今人には斗筲[とそう]の量有り、釜斛[ふこく]の量有り、鐘鼎の量有り、江河の量有り。江河の量は亦大なり。然れども涯有り。涯有れば亦時として滿つること有り。惟天地の量は則ち滿つること無し。故に聖人は、天地の量なり。聖人の量は、道なり。常人の量有るは、天資なり。天資に量有れば、須く限り有るべし。大抵六尺の軀、力量只此の如し。滿たざらんと欲すと雖も、得可からざるなり。且人一薦を得て滿つる者有り、一官を得て滿つる者有り、京官に改められて滿つる者有り、兩府に入りて滿つる者有るが如きは、滿つること先後有りと雖も、然れども卒に免れず。譬えば器に物を盛るが如き、初め滿つる時は尙以て蔽護す可し。更に滿つるときは則ち必ず出づ。此れ天資の量、道を知る者に非ず。昔王隨甚だ器量有り、仁廟飛白書を賜いて曰く、王隨は德行、李淑は文章、と。當時德行を以て稱せられて、名望甚だ重し。相と爲るに及んで、一人三路の轉運使と作らんことを求むる有り、王之を薄[かろ]んじて、鄙言を出す。當時の人皆驚き怪しむ。這の裏、位高くして後便ち動ずるに到る。人の量は只此の如し。古人も亦此の如くなること有る者多し。鄧艾の如き三公に位せしは、年七十にして、處し得て甚だ好し。蜀を下すに因りて功有るに及び、便ち動ぜり。姜維に言いて云云。謝安謝玄が苻堅を破ると聞きしとき、客に對して棋を圍む。報至れども喜ばず。歸るに及び屐齒[げきし]を折る。强うること終に得ざりしなり。更に人大いに醉って後益々恭謹なる者の如き、只益々恭なるは、便ち是れ動けるなり。放肆なる者と同じからずと雖も、其の酒に動かさるることをするは一なり。又貴公子の位益々高ければ、益々卑謙なるが如き、只卑謙なるは便ち是れ動けるなり。驕傲なる者と同じからずと雖も、其の位に動かさるることをするは一なり。然るに惟道を知る者のみ、量は自然に宏大にして、勉强せずして成る。今の人見る所卑下なる者有るは、佗無し、亦是れ識量足らざればなり、と。

人纔有意於爲公、便是私心。昔有人典選。其子弟係磨勘、皆不爲理。此乃是私心。人多言古時用直不避嫌得、後世用此不得。自是無人。豈是無時。(因言少師典舉、明道薦才事。)
【読み】
人纔かに公を爲すに意有らば、便ち是れ私心なり。昔人選を典[つかさど]る有り。其の子弟磨勘に係りしとき、皆理[おさ]むることをせず。此れ乃ち是れ私心なり。人多く古時は直を用[もっ]て嫌を避けずして得、後世は此を用て得ずと言う。自づから是れ人無きなり。豈是れ時無けんや。(因りて少師擧を典り、明道才を薦むる事を言えり。)

聖人作事甚宏裕。今人不知義理者、更不須說。纔知義理便迫窄。若聖人、則綽綽有餘裕。
【読み】
聖人の事を作すこと甚だ宏裕なり。今の人義理を知らざる者は、更に說くことを須たず。纔かに義理を知れば便ち迫窄す。聖人の若きは、則ち綽綽として餘裕有り。

問、觀物察己、還因見物、反求諸身否。曰、不必如此說。物我一理、纔明彼卽曉此。合内外之道也。語其大、至天地之高厚、語其小、至一物之所以然、學者皆當理會。又問、致知、先求之四端、如何。曰、求之性情、固是切於身。然一草一木皆有理。須是察。
【読み】
問う、物を觀て己を察すとは、還[また]物を見るに因りて反って身に求むるや否や、と。曰く、必ずしも此の如く說かず。物我は一理にして、纔かに彼を明らかにすれば卽ち此を曉る。内外を合するの道なり。其の大を語れば、天地の高厚に至り、其の小を語れば、一物の然る所以に至るまで、學者皆當に理會すべし、と。又問う、知を致むるは、先づ之を四端に求むるは、如何、と。曰く、之を情性に求むれば、固に是れ身に切なり。然れども一草一木皆理有り。須く是れ察すべし、と。

觀物理以察己、旣能燭理、則無往而不識。
【読み】
物理を觀て以て己を察して、旣に能く理を燭らすときは、則ち往くとして識らざること無し。

天下物皆可以理照。有物必有則。一物須有一理。
【読み】
天下の物皆理を以て照らす可し。物有れば必ず則有り。一物には須く一理有るべし。

窮理盡性至命、只是一事。纔窮理便盡性、纔盡性便至命。
【読み】
理を窮め性を盡くし命に至るは、只是れ一事なり。纔かに理を窮むれば便ち性を盡くし、纔かに性を盡くせば便ち命に至る。

聲色臭味四字、虛實一般。凡物有形必有此四者。意言象數亦然。
【読み】
聲色臭味の四字は、虛實一般なり。凡そ物形有れば必ず此の四つの者有り。意うに象數を言うも亦然り。

爲人處世閒、得見事無可疑處、多少快活。
【読み】
人と爲りて世閒に處して、事を見て疑う可き處無きことを得ば、多少快活なり。

問、學者不必同。如仁義忠信之類、只於一字上求之、可否。曰、且如六經、則各自有箇蹊轍、及其造道、一也。仁義忠信只是一體事。若於一事上得之、其佗皆通也。然仁是本。
【読み】
問う、學者は必ずしも同じからず。仁義忠信の類の如き、只一字上に於て之を求めば、可ならんや否や、と。曰く、且六經の如きは、則ち各自に箇の蹊轍有れども、其の道に造るに及んでは、一なり。仁義忠信は只是れ一體の事。若し一事上に於て之を得ば、其の佗は皆通ぜん。然れども仁は是れ本なり、と。

問、人之學、有覺其難而有退志、則如之何。曰、有兩般。有思慮苦而志氣倦怠者、有憚其難而止者。向嘗爲之說。今人之學、如登山麓。方其易處、莫不闊步。及到難處便止。人情是如此。山高難登、是有定形、實難登也。聖人之道、不可形象。非實難然也。人弗爲耳。顏子言仰之彌高、鑽之彌堅、此非是言聖人高遠實不可及、堅固實不可入也。此只是譬喩、却無事。大意却是在瞻之在前、忽焉在後上。又問、人少有得而遂安者、如何。曰、此實無所得也。譬如以管窺天、乍見星斗粲爛、便謂有所見、喜不自勝、此終無所得。若有大志者、不以管見爲得也。
【読み】
問う、人の學、其の難きを覺ること有りて退く志有らば、則ち之を如何にせん、と。曰く、兩般有り。思慮苦しみて志氣倦怠する者有り、其の難きを憚りて止む者有り。向[さき]に嘗て之が說を爲せり。今の人の學は、山麓に登るが如し。其の易き處に方っては、闊步せざること莫し。難き處に到るに及んでは便ち止む。人情も是れ此の如し。山高くして登り難きは、是れ定形有って、實に登り難し。聖人の道は、形象す可からず。實に難きこと然るに非ず。人せざるのみ。顏子之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しと言うは、此は是れ聖人の高遠なること實に及ぶ可からず、堅固なること實に入る可からずと言うに非ず。此は只是れ譬喩にして、却って事無きなり。大意は却って是れ之を瞻るに前に在るかとすれば、忽焉として後に在りというの上に在り、と。又問う、人少しく得ること有りて遂に安んずる者は、如何、と。曰く、此れ實に得る所無きなり。譬えば管を以て天を窺って、乍ち星斗の粲爛たるを見て、便ち見る所有りと謂って、喜ぶこと自ら勝えざるが如き、此れ終に得る所無し。若し大志有る者は、管見を以て得たりとせざるなり、と。

問、家貧親老、應舉求仕、不免有得失之累。何修可以免此。曰、此只是志不勝氣。若志勝、自無此累。家貧親老、須用祿仕。然得之不得爲有命。曰、在己固可。爲親奈何。曰、爲己爲親、也只是一事。若不得、其如命何。孔子曰、不知命無以爲君子。人苟不知命、見患難必避、遇得喪必動、見利必趨。其何以爲君子。然聖人言命、蓋爲中人以上者設。非爲上知者言也。中人以上、於得喪之際、不能不惑。故有命之說、然後能安。若上智之人、更不言命、惟安於義。借使求則得之、然非義則不求。此樂天者之事也。上智之人安於義、中人以上安於命。乃若聞命而不能安之者、又其每下者也。(孟子曰、求之有道、得之有命。求之雖(呂本雖作須。)有道、奈何得之須有命。)
【読み】
問う、家貧しく親老いて、舉に應じて仕を求むれば、得失の累い有ることを免れず。何を修めてか以て此を免る可き、と。曰く、此は只是れ志氣に勝たざるなり。若し志勝たば、自づから此の累い無からん。家貧しく親老えば、須く用って祿仕すべし。然るに之を得ると得ざるとは命有りとす、と。曰く、己に在っては固に可なり。親の爲にせば奈何、と。曰く、己の爲にし親の爲にするは、也只是れ一事なり。若し得ずんば、其れ命を如何。孔子曰く、命を知らずんば以て君子とすること無し、と。人苟も命を知らずんば、患難を見て必ず避け、得喪に遇っては必ず動き、利を見ては必ず趨る。其れ何を以て君子とせん。然るに聖人命を言うは、蓋し中人以上の者の爲に設く。上知の者の爲に言うに非ざるなり。中人以上は、得喪の際に於て、惑わざること能わず。故に命の說有って、然して後に能く安んず。上智の人の若きは、更に命を言わず、惟義に安んず。借使[たと]い求むれば則ち之を得るとも、然れども義に非ざれば則ち求めず。此れ天を樂しむ者の事なり。上智の人は義に安んじ、中人以上は命に安んず。乃ち若し命を聞いて之を安んずること能わざる者は、又其の每下なる者なり。(孟子曰く、之を求むるに道有り、之を得るに命有り、と。之を求むるに道有りと雖も(呂本雖を須に作る。)、奈何ぞ之を得るに須く命有るべし。)

問、前世所謂隱者、或守一節、或惇一行。然不知有知道否。曰、若知道、則不肯守一節一行也。如此等人、鮮明理、多取古人一節事專行之。孟子曰、服堯之服、行堯之行。古人有殺一不義、雖得天下不爲、則我亦殺一不義、雖得天下不爲。古人有高尙隱逸不肯就仕、則我亦高尙隱逸不仕。如此等、則放傚前人所爲耳。於道鮮自得也。是以東漢尙名節、有雖殺身不悔者。只爲不知道也。
【読み】
問う、前世の所謂隱者、或は一節を守り、或は一行を惇くす。然も知らず、道を知ること有りや否や、と。曰く、若し道を知らば、則ち肯えて一節一行を守らじ。此れ等の人の如きは、理を明らかにすること鮮くして、多くは古人の一節の事を取りて專ら之を行うなり。孟子曰く、堯の服を服し、堯の行うを行う、と。古人一りの不義を殺して、天下を得ると雖もせざること有れば、則ち我も亦一りの不義を殺して、天下を得ると雖もせじ、と。古人高尙隱逸して肯えて仕に就かざること有れば、則ち我も亦高尙隱逸して仕えじ、と。此れ等の如きは、則ち前人のする所に放傚するのみ。道に於ては自得すること鮮し。是を以て東漢に名節を尙んで、身を殺すと雖も悔いざる者有り。只道を知らざるが爲なり、と。

問、方外之士有人來看、他能先知者、有諸。(因問王子眞事。陳本注云、伊川一日入嵩山、王佺已候於松下。問何以知之。曰、去年已有消息來矣。蓋先生前一年嘗欲往、以事而止。)曰、有之。向見嵩山董五經能如此。問、何以能爾。曰、只是心靜。靜而後能照。又問、聖人肯爲否。曰、何必聖賢。使釋氏稍近道理者、便不肯爲。(釋氏常言菴中坐、却見菴外事。莫是野狐精。)釋子猶不肯爲、況聖人乎。
【読み】
問う、方外の士人來り看ること有れば、他能く先知する者、有りや、と。(因りて王子眞が事を問う。陳本の注に云う、伊川一日嵩山に入るとき、王佺已に松下に候す。問う、何を以てか之を知る、と。曰く、去年已に消息有り來る、と。蓋し先生前一年嘗て往かんと欲して、事を以て止む、と。)曰く、之れ有り。向[さき]に嵩山の董五經能く此の如くなるを見る、と。問う、何を以て能く爾る、と。曰く、只是れ心靜かなり。靜かにして後能く照らす、と。又問う、聖人肯えてせんや否や、と。曰く、何ぞ必ずしも聖賢のみならん。使[も]し釋氏の稍道理に近き者も、便ち肯えてせじ。(釋氏常に言う、菴中に坐して、却って菴外の事を見る、と。是れ野狐精なること莫からんや。)釋子すら猶肯えてせじ、況んや聖人をや、と。

問、神仙之說有諸。曰、不知如何。若說白日飛昇之類則無。若言居山林閒、保形錬氣以延年益壽、則有之。譬如一爐火、置之風中則易過、置之密室則難過。有此理也。又問、楊子言、聖人不師仙。厥術異也。聖人能爲此等事否。曰、此是天地閒一賊。若非竊造化之機、安能延年。使聖人肯爲、周孔爲之久矣。
【読み】
問う、神仙の說有りや、と。曰く、如何というを知らず。白日飛昇の類を說くが若きは則ち無し。山林の閒に居して、形を保ち氣を錬って以て年を延べ壽を益すと言うが若きは、則ち之れ有り。譬えば一爐火の如き、之を風中に置けば則ち過ぎ易く、之を密室に置けば則ち過ぎ難し。此の理有るなり、と。又問う、楊子が言く、聖人は仙を師とせず。厥の術異なればなり、と。聖人は能く此れ等の事をせんや否や、と。曰く、此は是れ天地閒の一賊なり。若し造化の機を竊むに非ずんば、安んぞ能く年を延べん。聖人をして肯えて爲さしめば、周孔之をすること久しからん、と。

問、惡外物、如何。曰、是不知道者也。物安可惡。釋氏之學便如此。釋氏要屛事不問、這事是合有邪、合無邪。若是合有、又安可屛。若是合無、自然無了。更屛什麼。彼方外者苟且務靜、乃遠迹山林之閒。蓋非明理者也。世方以爲高、惑矣。
【読み】
問う、外物を惡まば、如何、と。曰く、是れ道を知らざる者なり。物は安んぞ惡む可けん。釋氏の學は便ち此の如し。釋氏事を屛[しりぞ]けんことを要して、這の事は是れ有る合きか、無かる合きかということを問わず。若し是れ有る合くんば、又安んぞ屛く可けん。若し是れ無かる合くんば、自然に無し。更に什麼[いづれ]をか屛けん。彼の方外の者は苟且に靜を務めて、乃ち迹を山林の閒に遠ざく。蓋し理明らかなる者に非ざるなり。世方に以て高しとするは、惑えるかな、と。

釋氏有出家出世之說。家本不可出、却爲他不父其父、不母其母、自逃去固可也。至於世、則怎生出得。旣道出世、除是不戴皇天、不履后土始得。然又却渴飮而飢食、戴天而履地。
【読み】
釋氏に出家出世の說有り。家は本出る可からざれども、却って他其の父を父とせず、其の母を母とせずして、自ら逃れ去るが爲に固に可なり。世に至っては、則ち怎生ぞ出で得ん。旣に出世と道わば、除[ただ]是れ皇天を戴かず、后土を履まずして始めて得ん。然れども又却って渴して飮んで飢えて食い、天を戴いて地を履むなり。

問、某嘗讀華嚴經、第一眞空絕相觀、第二事理無礙觀、第三事事無礙觀、譬如鏡燈之類、包含萬象、無有窮盡。此理如何。曰、只爲釋氏要周遮、一言以蔽之、不過曰萬理歸於一理也。又問、未知所以破佗處。曰、亦未得道他不是。百家諸子箇箇談仁談義。只爲他歸宿處不是、只是箇自私。爲輪囘生死、却爲釋氏之辭善遁。纔窮著他、便道我不爲這箇。到了寫在冊子上、怎生遁得。且指他淺近處、只燒一文香、便道我有無窮福利。懷却這箇心、怎生事神明。
【読み】
問う、某嘗て華嚴經を讀むに、第一眞空絕相觀、第二事理無礙觀、第三事事無礙觀、譬えば鏡燈の類如き、萬象を包含して、窮まり盡くること有ること無し。此の理如何、と。曰く、只釋氏周く遮って、一言以て之を蔽わんことを要せんが爲に、萬理一理に歸すと曰うに過ぎざるなり、と。又問う、未だ佗を破る所以の處を知らず、と。曰く、亦未だ他は不是なりと道うことを得ず。百家諸子は箇箇に仁を談じ義を談ず。只他歸宿する處不是なるが爲に、只是の箇自ら私す。輪囘生死と爲すは、却って釋氏が辭を爲して善く遁る。纔かに他を窮著すれば、便ち道う、我れ這箇に爲さず、と。寫して冊子の上に在るに到らば、怎生ぞ遁れ得ん。且他の淺近なる處を指せば、只一文香を燒いて、便ち道う、我れ無窮の福利有り、と。這箇の心を懷却せば、怎生ぞ神明に事えん、と。

釋氏言成住壞空、便是不知道。只有成壞、無住空。且如草木初生旣成、生盡便枯壞也。他以謂如木之生、生長旣足却自住、然後却漸漸毀壞。天下之物、無有住者。嬰兒一生、長一日便是減一日。何嘗得住。然而氣體日漸長大、長的自長、減的自減、自不相干也。
【読み】
釋氏成住壞空と言うは、便ち是れ道を知らざるなり。只成壞有って、住空無し。且つ草木の初めて生じ旣に成るが如き、生じ盡きれば便ち枯壞す。他以謂えらく、木の生ずるが如き、生長旣に足りて却って自づから住して、然して後に却って漸漸に毀壞す、と。天下の物は、住する者有ること無し。嬰兒一たび生まれて、長ずれば一日は便ち是れ一日より減ず。何ぞ嘗て住することを得ん。然して氣體日に漸く長大なれば、長的は自づから長じ、減的は自づから減じて、自づから相干さざるなり。

問釋氏理障之說。曰、釋氏有此說。謂旣明此理、而又執持是理。故爲障。此錯看了理字也。天下只有一箇理。旣明此理、夫復何障。若以理爲障、則是己與理爲二。
【読み】
釋氏理障の說を問う。曰く、釋氏に此の說有り。謂えらく、旣に此の理を明らかにして、又是の理を執持す。故に障りとす、と。此れ理の字を錯看するなり。天下には只一箇の理有り。旣に此の理を明らかにせば、夫れ復何ぞ障らん。若し理を以て障りとせば、則ち是れ己と理と二にするなり、と。

今之學禪者、平居高談性命之際、至於世事、往往直有都不曉者。此只是實無所得也。
【読み】
今の禪を學ぶ者は、平居には高く性命の際を談じて、世事に至っては、往往に直に都て曉らざる者有り。此は只是れ實に得る所無ければなり。

問、釋氏有一宿覺言下覺之說、如何。曰、何必浮圖。孟子嘗言覺字矣。曰以先知覺後知、以先覺覺後覺。知是知此事、覺是覺此理。古人云、共君一夜話、勝讀十年書。若於言下卽悟、何啻讀十年書。
【読み】
問う、釋氏に一宿覺言下覺の說有り、如何、と。曰、何ぞ必ずしも浮圖のみならん。孟子嘗て覺の字を言えり。先知を以て後知を覺し、先覺を以て後覺を覺すと曰う。知は是れ此の事を知り、覺は是れ此の理を覺るなり。古人云く、君と共にする一夜の話は、十年の書を讀むに勝れり、と。若し言下に於て卽悟らば、何ぞ啻[ただ]に十年の書を讀むのみならんや、と。

問、明道先生云、昔之惑人也、乘其迷暗、今之入人也、因其高明。旣曰高明、又何惑乎。曰、今之學釋氏者、往往皆高明之人。所謂知者過之也。然所謂高明、非中庸所謂極高明。如知者過之。若是聖人之知、豈更有過。
【読み】
問う、明道先生云く、昔の人を惑わすは、其の迷暗に乘り、今の人に入るは、其の高明に因る、と。旣に高明と曰わば、又何ぞ惑わんや、と。曰く、今の釋氏を學ぶ者は、往往に皆高明の人なり。所謂知者は之に過ぐるなり。然れども謂う所の高明とは、中庸に謂う所の高明を極むるには非ず。知者は之に過ぐというが如し。若し是れ聖人の知ならば、豈更に過ること有らんや、と。

問、世之學者多入於禪、何也。曰、今人不學則已。如學焉、未有不歸於禪也。却爲佗求道未有所得、思索旣窮、乍見寬廣處、其心便安於此。 曰、是可反否。曰、深固者難反。
【読み】
問う、世の學者多くは禪に入るは、何ぞや、と。曰く、今の人學びざれば則ち已む。如し學べば、未だ禪に歸せざるは有らず。却って佗道を求めて未だ得る所有らず、思索旣に窮まるが爲に、乍ち寬廣なる處を見て、其の心便ち此に安んず、と。 曰く、是れ反る可しや否や、と。曰く、深く固なる者は反り難し、と。

問、西銘何如。曰、此橫渠文之粹者也。曰、充得盡時如何。曰、聖人也。橫渠能充盡否。曰、言有多端、有有德之言、有造道之言。有德之言說自己事。如聖人言聖人事也。造道之言則知足以知此。如賢人說聖人事也。橫渠道儘高、言儘醇。自孟子後儒者、都無佗見識。
【読み】
問う、西銘は何如、と。曰く、此れ橫渠の文の粹なる者なり、と。曰く、充ち得て盡くす時は如何、と。曰く、聖人なり、と。橫渠能く充ち盡くすや否や、と。曰く、言に多端有り、德有るの言有り、道に造るの言有り。德有るの言は自己の事を說く。聖人の聖人の事を言うが如し。道に造るの言は則ち知以て此を知るに足れり。賢人の聖人の事を說くが如し。橫渠は道儘く高く、言儘く醇なり。孟子自り後の儒者、都て佗の見識無し、と。

問、橫渠之書、有迫切處否。曰、子厚謹嚴。纔謹嚴、便有迫切氣象、無寬舒之氣。孟子却寬舒。只是中閒有些英氣。纔有英氣、便有圭角。英氣甚害事。如顏子便渾厚不同。顏子去聖人、只毫髮之閒。孟子大賢、亞聖之次也。或問、英氣於甚處見。曰、但以孔子之言比之、便見。如冰與水精非不光。比之玉、自是有溫潤含蓄氣象、無許多光耀也。
【読み】
問う、橫渠の書は、迫切なる處有りや否や、と。曰く、子厚は謹嚴なり。纔かに謹嚴なれば、便ち迫切の氣象有って、寬舒の氣無し。孟子は却って寬舒なり。只是の中閒に些かの英氣有り。纔か英氣有れば、便ち圭角有り。英氣甚だしきときは事を害す。顏子の如きは便ち渾厚にして同じからず。顏子は聖人を去ること、只毫髮の閒のみ。孟子は大賢、亞聖の次なり、と。或るひと問う、英氣は甚の處に見る、と。曰く、但孔子の言を以て之に比すれば、便ち見る。冰と水精との如きは光らざるには非ず。之を玉に比すれば、自づから是れ溫潤含蓄の氣象有りて、許多の光耀無し、と。

問、邵堯夫能推數、見物壽長短始終。有此理否。曰、固有之。又問、或言、人壽但得一百二十數。是否。曰、固是。此亦是大綱數、不必如此。馬牛得六十(按皇極經世、當作三十。)、貓犬得十二、燕雀得六年之類、蓋亦有過不及。又問、還察形色。還以生下日數推考。 曰、形色亦可察。須精方驗。
【読み】
問う、邵堯夫は能く數を推して、物の壽長短始終を見る。此の理有りや否や、と。曰く、固に之れ有り、と。又問う、或るひと言く、人の壽は但一百二十數を得、と。是なるや否や、と。曰く、固に是なり。此は亦是れ大綱の數にて、必ずしも此の如くならず。馬牛は六十(皇極經世を按ずるに、當に三十に作るべし。)を得、貓犬は十二を得、燕雀は六年を得るの類、蓋し亦過不及有らん、と。又問う、還って形色を察するか。還って生下の日數を以て推し考うるか、と。 曰く、形色も亦察す可し。須く精しくして方に驗すべし、と。

邵堯夫數法出於李挺之、至堯夫推數方及理。
【読み】
邵堯夫の數法は李挺之に出て、堯夫に至りて數を推して方に理に及ぶ。

邵堯夫臨終時、只是諧謔、須臾而去。以聖人觀之、則亦未是、蓋猶有意也。比之常人、甚懸絕矣。他疾甚革、某往視之。因警之曰、堯夫平生所學、今日無事否。他氣微不能答。次日見之、却有聲如絲髮來、大答云、你道生薑樹上生。我亦只得依你說。是時、諸公都在廳上議後事、各欲遷葬城中(堯夫已自爲塋。)。佗在房閒便聞得、令人喚大郎來云、不得遷葬。衆議始定。又諸公恐喧他、盡出外說話、佗皆聞得(一人云、有新報云云。堯夫問有甚事。曰有某事。堯夫曰、我將爲收却幽州也。)。以他人觀之、便以爲怪。此只是心虛而明。故聽得。問曰、堯夫未病時不如此、何也。曰、此只是病後氣將絕、心無念慮、不昏、便如此。又問、釋氏臨終、亦先知死、何也。曰、只是一箇不動心。釋氏平生只學這箇事、將這箇做一件大事。學者不必學他。但燭理明、自能之。只如邵堯夫事、佗自如此。亦豈嘗學也。孔子曰、未知生、焉知死。人多言孔子不告子路。此乃深告之也。又曰、原始要終、故知死生之說。人能原始、知得生理(一作所以生。)。便能要終、知得死理(一作所以死。)。若不明得、便雖千萬般安排著、亦不濟事。
【読み】
邵堯夫臨終の時、只是れ諧謔して、須臾にして去る。聖人を以て之を觀れば、則ち亦未だ是ならず、蓋し猶意有るならん。之を常人に比せば、甚だ懸絕せり。他の疾甚だ革るとき、某往いて之を視る。因りて之を警めて曰く、堯夫平生の學ぶ所、今日無事なりや否や、と。他氣微にして答うること能わず。次の日之を見るに、却って聲絲髮の如き有り、大いに答えて云く、你生薑樹上に生ると道う。我も亦只你に依りて說くことを得、と。是の時、諸公都て廳上に在りて後事を議して、各々城中(堯夫已に自ら塋[えい]を爲る。)に遷し葬らんと欲す。佗房閒に在りて便ち聞き得て、人をして大郎を喚び來らしめて云く、遷し葬ることを得じ、と。衆議始めて定まる。又諸公他を喧[かまびす]しくせんことを恐れて、盡く外に出て說話するも、佗皆聞き得たり(一人云う、新たに報ずる有り云云、と。堯夫甚事か有ると問う。某の事有りと曰う。堯夫曰く、我れ將に幽州に收却せんとす、と。)。他人を以て之を觀れば、便ち以て怪しきと爲す。此は只是れ心虛にして明なればなり。故に聽き得、と。問いて曰く、堯夫未だ病まざる時此の如くならざるは、何ぞや、と。曰く、此は只是れ病後氣將に絕せんとして、心に念慮無くして、昏まざること、便ち此の如し、と。又問う、釋氏臨終に、亦死を先知するは、何ぞや、と。曰く、只是れ一箇の不動心なり。釋氏は平生只這箇の事を學び、這箇を將って一件の大事と做す。學者必ずしも他を學ばざれ。但理を燭らすこと明らかなれば、自づから之を能くす。只邵堯夫の事の如きは、佗自づから此の如し。亦豈嘗て學ばんや。孔子曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。人多く孔子は子路に告げずと言う。此れ乃ち深く之に告ぐるなり、と。又曰く、始を原[たづ]ねて終わりを要す、故に死生の說を知る、と。人能く始めを原ねば、生の理(一に生の所以に作る。)を知り得ん。便ち終わりを要せば、死の理(一に死の所以に作る。)を知り得ん。若し明かし得ずんば、便ち千萬般安排著すと雖も、亦事を濟さじ、と。

張子厚罷禮官、歸過洛陽相見。某問云、在禮院、有甚職事。曰、多爲禮房檢正所奪、只定得數箇諡、幷龍女衣冠。問、如何定龍女衣冠。曰、請依品秩。曰、若使某當是事、必不如此處置。曰、如之何。曰、某當辨云、大河之塞、天地之靈、宗廟之祐、社稷之福、與吏士之力。不當歸功水獸。龍、獸也。不可衣人衣冠。子厚以爲然。
【読み】
張子厚禮官を罷め、歸りて洛陽を過りて相見ゆ。某問いて云く、禮院に在りて、甚の職事有りし、と。曰く、多く禮房檢正に奪わるることを爲して、只數箇の諡、幷びに龍女の衣冠を定め得るのみ、と。問う、如何にか龍女の衣冠を定めし、と。曰く、請いて品秩に依る、と。曰く、若し某をして是の事に當たらしめば、必ず此の如く處置せじ、と。曰く、之を如何にせん、と。曰く、某當に辨じ云うべし、大河の塞がるは、天地の靈、宗廟の祐、社稷の福と、吏士の力となり。當に功を水獸に歸すべからず。龍は、獸なり。人の衣冠を衣す可からず、と。子厚以て然りと爲す。

問、荆公可謂得君乎。曰、後世謂之得君可也。然荆公之智識、亦自能知得。如表云忠不足以信上、故事必待於自明、智不足以破姦、故人與之爲敵、智不破姦、此則未然。若君臣深相知、何待事事使之辨明也。舉此一事便可見。曰、荆公勿使上知之語、信乎。曰、須看他當時因甚事說此話。且如作此事當如何、更須詳審、未要令上知之、又如說一事、未甚切當、更須如何商量體察、今且勿令上知、若此類、不成是欺君也。凡事未見始末、更切子細、反復推究方可。
【読み】
問う、荆公は君を得と謂う可しや、と。曰く、後世之を君を得と謂うも可なり。然れども荆公が智識も、亦自ら能く知り得。表に忠は以て上に信ぜらるるに足らず、故に事必ず自ら明らかにするを待つ、智は以て姦を破るに足らず、故に人之と敵を爲すと云うが如き、智は姦を破らずというは、此れ則ち未だ然らず。若し君臣深く相知らば、何ぞ事事之をして辨明せしむることを待たん。此の一事を舉げて便ち見る可し、と。曰く、荆公上をして知らしむること勿かれというの語は、信なりや、と。曰く、須く他當時甚の事に因りて此の話を說くということを看るべし。且此の事を作すは當に如何すべき、更に須く詳審にすべく、未だ上をして之を知らしむことを要せずというが如き、又一事を說くに、未だ甚だ切當ならず、更に須く如何にか商量體察すべく、今且く上をして知らしむること勿かれというが如き、此の若きの類は、是れ君を欺くと成さず。凡そ事未だ始末を見ざれば、更に子細を切にして、反復推し究めて方に可なり、と。

人之有寤寐、猶天之有晝夜。陰陽動靜、開闔之理也。如寤寐、須順陰陽始得。問、人之寐何也。曰、人寐時、血氣皆聚於内。如血歸肝之類。(今人不睡者多損肝。)
【読み】
人の寤寐有るは、猶天の晝夜有るがごとし。陰陽動靜は、開闔の理なり。寤寐の如きは、須く陰陽に順いて始めて得。問う、人の寐るは何ぞや、と。曰く、人寐る時、血氣皆内に聚まる。血肝に歸すというの類の如し、と。(今の人睡らざる者多く肝を損なう。)

問、魂魄何也。曰、魂只是陽、魄只是陰。魂氣歸於天、體魄歸於地是也。如道家三魂七魄之說、妄爾。
【読み】
問う、魂魄は何ぞや、と。曰く、魂は只是れ陽、魄は只是れ陰。魂氣は天に歸し、體魄は地に歸すというは是なり。道家の三魂七魄の說の如きは、妄なるのみ。

或曰、傳記有言、太古之時、人有牛首蛇身者。莫無此理否。曰、固是。旣謂之人、安有此等事。但有人形似鳥喙、或牛首者耳。苟子中自說。問、太古之時、人還與物同生否。曰、同。莫是純氣爲人、繁氣爲蟲否。曰、然。人乃五行之秀氣、此是天地淸明純粹氣所生也。或曰、人初生時、還以氣化否。曰、此必燭理、當徐論之。且如海上忽露出一沙島、便有草木生。有土而生草木、不足怪。旣有草木、自然禽獸生焉。或曰、先生語錄中云、焉知海島上無氣化之人。如何。曰、是。近人處固無。須是極遠處有、亦不可知。曰、今天下未有無父母之人。古有氣化、今無氣化、何也。曰、有兩般。有全是氣化而生者。若腐草爲螢是也。旣是氣化。到合化時自化。有氣化生之後而種生者。且如人身上著新衣服、過幾日、便有蟣蝨生其閒。此氣化也。氣旣化後、更不化、便以種生去。此理甚明。或問、宋齊丘化書云、有無情而化爲有情者、有有情而化爲無情者。無情而化爲有情者、若楓樹化爲老人是也。有情而化爲無情者、如望夫化爲石是也。此語如何。曰、莫無此理。楓木爲老人、形如老人也。豈便變爲老人。川中有蟬化爲花、蚯蚓化爲百合(如石蟹・石燕・石人之類有之。)、固有此理。某在南中時、聞有採石人、因採石石陷、遂在石中、幸不死、飢甚、只取石膏食之。不知幾年後、因別人復來採石、見此人在石中、引之出、漸覺身硬。纔出、風便化爲石。此無可怪。蓋有此理也。若望夫石、只是臨江山有石如人形者。今天下凡江邊有石立者、皆呼爲望夫石(如呼馬鞍牛頭之類、天下同之。)
【読み】
或るひと曰く、傳記に言えること有り、太古の時、人牛首蛇身の者有り、と。此の理無きこと莫しや否や、と。曰く、固に是なり。旣に之を人と謂わば、安んぞ此れ等の事有らん。但人の形有りて鳥喙、或は牛首に似れる者のみ。苟子の中に自ら說けり、と。問う、太古の時、人還って物と同じく生ずるや否や、と。曰く、同じ、と。是れ純氣人と爲り、繁氣蟲と爲ること莫きや否や、と。曰く、然り。人は乃ち五行の秀氣、此は是れ天地淸明純粹にして氣の生ずる所なり、と。或るひと曰く、人初めて生ずる時、還って氣を以て化するや否や、と。曰く、此れ必ず理を燭らして、當に徐[しづ]かに之を論ずべし。且海上忽ち一沙島を露出するが如き、便ち草木有りて生ず。土有りて草木を生ずるは、怪しむに足りず。旣に草木有れば、自然に禽獸生ず、と。或るひと曰く、先生語錄の中に云う、焉んぞ海島上に氣化の人無きことを知らん、と。如何、と。曰く、是なり。人に近き處は固に無し。須く是れ極めて遠き處有るも、亦知る可からざるべし、と。曰く、今天下未だ父母無きの人有らず。古は氣化有りて、今は氣化無きは、何ぞや、と。曰く、兩般有り。全く是れ氣化して生ずる者有り。腐草螢と爲るが若き是れなり。旣に是れ氣化す。化す合き時に到りて自づから化す。氣化して生ずるの後にして種生する者有り。且如人身上に新しき衣服を著け、過ぐること幾日にして、便ち蟣蝨其の閒に生ずる有り。此れ氣化するなり。氣旣に化して後は、更に化せず、便ち種を以て生じ去る。此の理甚だ明らかなり、と。或るひと問う、宋齊丘が化書に云う、無情にして化して有情と爲る者有り、有情にして化して無情と爲る者有り。無情にして化して有情と爲る者は、楓樹化して老人と爲るが若き是れなり。有情にして化して無情と爲る者は、望夫化して石と爲るが如き是れなり、と。此の語如何、と。曰く、此の理無きこと莫し。楓木老人と爲るというは、形老人の如くなるなり。豈便ち變じて老人と爲らんや。川中蟬化して花と爲り、蚯蚓化して百合と爲ること有るは(石蟹・石燕・石人の類の如き之れ有り。)、固に此の理有り。某南中に在る時、石を採る人有り、石を採るに因りて石陷りて、遂に石中に在り、幸いに死せずして、飢うること甚だしく、只石膏を取りて之を食う。幾年ということを知らざるの後、別人復來りて石を採るに因りて、此の人石中に在るを見て、之を引き出し、漸く身硬きことを覺う。纔かに出れば、風に便ち化して石と爲ると聞く。此れ怪しむ可きこと無し。蓋し此の理有らん。望夫石の若きは、只是れ臨江山に石の人の形の如くなる者有り。今天下凡そ江邊に石有りて立つる者、皆呼びて望夫石と爲す、と(馬鞍牛頭と呼ぶの類の如き、天下之に同じ。)

問、上古人多壽、後世不及古、何也。莫是氣否。曰、氣便是命也。曰、今人不若古人壽、是盛衰之理歟。曰、盛衰之運、卒難理會。且以歷代言之、二帝・三王爲盛、後世爲衰。一代言之、文・武・成・康爲盛、幽・厲・平・桓爲衰。以一君言之、開元爲盛、天寶爲衰。以一歲、則春夏爲盛、秋冬爲衰。以一月、則上旬爲盛、下旬爲衰。以一日、則寅卯爲盛、戌亥爲衰。一時亦然。如人生百年、五十以前爲盛、五十以後爲衰。然有衰而復盛者、有衰而不復反者。若舉大運而言、則三王不如五帝之盛、兩漢不如三王之盛、又其下不如漢之盛。至其中閒、又有多少盛衰。如三代衰而漢盛、漢衰而魏盛、此是衰而復盛之理。譬如月旣晦則再生、四時往復來也。若論天地之大運、舉其大體而言、則有日衰削之理。如人生百年、雖赤子才生、一日便是減一日也。形體日自長、而數日自減、不相害也。
【読み】
問う、上古の人多く壽[いのちなが]くして、後世古に及ばざるは、何ぞや。是れ氣なること莫きや否や、と。曰く、氣は便ち是れ命なり、と。曰く、今の人古人の壽きに若かざるは、是れ盛衰の理か、と。曰く、盛衰の運は、卒に理會し難し。且歷代を以て之を言えば、二帝・三王を盛んと爲し、後世を衰えと爲す。一代にして之を言えば、文・武・成・康を盛んと爲し、幽・厲・平・桓を衰えと爲す。一君を以て之を言えば、開元を盛んと爲し、天寶を衰えと爲す。一歲を以てすれば、則ち春夏を盛んと爲し、秋冬を衰えと爲す。一月を以てすれば、則ち上旬を盛んと爲し、下旬を衰えと爲す。一日を以てすれば、則ち寅卯を盛んと爲し、戌亥を衰えと爲す。一時も亦然り。人生百年の如きは、五十以前を盛んと爲し、五十以後を衰えと爲す。然も衰えて復盛んなる者有り、衰えて復反らざる者有り。若し大運を舉げて言うときは、則ち三王は五帝の盛んなるに如かず、兩漢は三王の盛んなるに如かず、又其の下は漢の盛んなるに如かず。其の中閒に至って、又多少の盛衰有り。三代衰えて漢盛んに、漢衰えて魏盛んなるが如きは、此は是れ衰えて復盛んなるの理なり。譬えば月旣に晦なれば則ち再び生じ、四時往いて復來るが如し。若し天地の大運を論じて、其の大體を舉げて言うときは、則ち日に衰削するの理有り。人生百年の如き、赤子才かに生ずと雖も、一日は便ち是れ一日より減ず。形體日に自づから長じて、數日自づから減ずれども、相害せざるなり、と。

天下有多少才、只爲道不明於天下、故不得有所成就。且古者興於詩、立於禮、成於樂。如今人怎生會得。古人於詩、如今人歌曲一般、雖閭里童稚、皆習聞其說而曉其義。故能興起於詩。後世、老師宿儒尙不能曉其義。怎生責得學者。是不得興於詩也。古禮旣廢、人倫不明、以至治家皆無法度。是不得立於禮也。古人有歌詠以養其性情、聲音以養其耳、舞蹈以養其血脈。今皆無之。是不得成於樂也。古之成材也易、今之成材也難。
【読み】
天下に多少の才有れども、只道天下に明らかならざるが爲に、故に成就する所有ることを得ず。且古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今の人の如きは怎生ぞ會得せん。古人の詩に於るは、今の人の歌曲の如く一般に、閭里の童稚と雖も、皆其の說を習い聞きて其の義を曉る。故に能く詩に興起す。後世、老師宿儒も尙其の義を曉ること能わず。怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興ることを得ざるなり。古禮旣に廢して、人倫明らかならず、以て家を治むるに至っても皆法度無し。是れ禮に立つることを得ざるなり。古人歌詠以て其の性情を養い、聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脈を養うこと有り。今皆之れ無し。是れ樂に成ることを得ざるなり。古の材を成すことは易く、今の材を成すことは難し。

今習俗如此不美、然人却不至大故薄惡者、只是爲善在人心者不可忘也。魏鄭公言、使民澆漓、不復返朴、今當爲鬼爲魅。此言甚是。只爲秉彝在人、雖俗甚惡、亦滅不得。
【読み】
今習俗此の如く美ならず、然れども人の却って大故薄惡に至らざる者は、只是れ善人心に在る者忘る可からざるが爲なり。魏鄭公言く、民をして澆漓にして、復朴に返らざらしめば、今當に鬼と爲り魅と爲るべし、と。此の言甚だ是なり。只彝を秉ること人に在るが爲に、俗甚だ惡しと雖も、亦滅することを得ず。

蘇季明問、中之道與喜怒哀樂未發謂之中、同否。曰、非也。喜怒哀樂未發是言在中之義。只一箇中字、但用不同。或曰、喜怒哀樂未發之前求中、可否。曰、不可。旣思於喜怒哀樂未發之前求之、又却是思也。旣思卽是已發(思與喜怒哀樂一般。)。纔發便謂之和。不可謂之中也。又問、呂學士言、當求於喜怒哀樂未發之前。信斯言也。恐無著摸。如之何而可。曰、看此語如何地下。若言存養於喜怒哀樂未發之時、則可。若言求中於喜怒哀樂未發之前、則不可。又問、學者於喜怒哀樂發時固當勉强裁抑。於未發之前當如何用功。曰、於喜怒哀樂未發之前、更怎生求。只平日涵養便是。涵養久、則喜怒哀樂發自中節。或曰、有未發之中、有旣發之中。曰、非也。旣發時、便是和矣。發而中節、固是得中(時中之類。)。只爲將中和來分說。便是和也。
【読み】
蘇季明問う、中の道と喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うと、同じきや否や、と。曰く、非なり。喜怒哀樂未だ發せざるは是れ中に在るの義を言えり。只一箇の中の字、但用うること同じからず、と。或るひと曰く、喜怒哀樂未だ發せざるの前に中を求めば、可なりや否や、と。曰く、不可なり。旣に喜怒哀樂未だ發せざるの前に之を求めんことを思うは、又却って是れ思うなり。旣に思えば卽ち是れ已に發す(思うと喜怒哀樂と一般なり。)。纔かに發すれば便ち之を和と謂う。之を中と謂う可からざるなり、と。又問う、呂學士言く、當に喜怒哀樂未だ發せざるの前に求むべし、と。信に斯の言ならん。恐らくは著摸無けん。之を如何にして可ならん、と。曰く、此の語如何なる地にか下すということを看よ。若し喜怒哀樂未だ發せざるの時に存養すと言わば、則ち可なり。若し中を喜怒哀樂未だ發せざるの前に求むと言わば、則ち不可なり、と。又問う、學者喜怒哀樂發する時に於ては固に當に勉强裁抑すべし。未だ發せざるの前に於ては當に如何にか功を用うべきや、と。曰く、喜怒哀樂未だ發せざるの前に於ては、更に怎生[なに]をか求めん。只平日涵養して便ち是なり。涵養久しきときは、則ち喜怒哀樂發して自づから節に中る、と。或るひと曰く、未だ發せざるの中有り、旣に發するの中有り、と。曰く、非なり。旣に發する時は、便ち是れ和なり。發して節に中るは、固に是れ中を得るなり(時中の類。)。只中和を將ち來るが爲に分かち說く。便ち是れ和なり、と。

季明問、先生說喜怒哀樂未發謂之中是在中之義、不識何意。曰、只喜怒哀樂不發、便是中也。曰、中莫無形體。只是箇言道之題目否。曰、非也。中有甚形體。然旣謂之中、也須有箇形象。曰、當中之時、耳無聞、目無見否。曰、雖耳無聞、目無見、然見聞之理在始得。曰、中是有時而中否。曰、何時而不中。以事言之、則有時而中。以道言之、何時而不中。曰、固是所爲皆中。然而觀於四者未發之時、靜時自有一般氣象、及至接事時又自別、何也。曰、善觀者不如此。却於喜怒哀樂已發之際觀之。賢且說、靜時如何。曰、謂之無物則不可。然自有知覺處。曰、旣有知覺、却是動也。怎生言靜。人說復其見天地之心、皆以謂至靜能見天地之心。非也。復之卦下面一畫、便是動也。安得謂之靜。自古儒者皆言靜見天地之心。唯某言動而見天地之心。或曰、莫是於動上求靜否。曰、固是。然最難。釋氏多言定、聖人便言止。且如物之好、須道是好。物之惡、須道是惡。物自好惡。關我這裏甚事。若說道我只是定、更無所爲。然物之好惡、亦自在裏。故聖人只言止。所謂止、如人君止於仁、人臣止於敬之類是也。易之艮言止之義曰、艮其止、止其所也。言隨其所止而止之。人多不能止。蓋人萬物皆備。遇事時各因其心之所重者、更互而出。纔見得這事重、便有這事出。若能物各付物、便自不出來也。或曰、先生於喜怒哀樂未發之前下動字、下靜字。曰、謂之靜則可。然靜中須有物始得。這裏便(一作最。)是難處。學者莫若且先理會得敬。能敬則自知此矣。或曰、敬何以用功。曰、莫若主一。季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、佗事如麻又生。如何。曰、不可。此不誠之本也。須是習。習能專一時便好。不拘思慮與應事、皆要求一。或曰、當靜坐時、物之過乎前者、還見不見。曰、看事如何。若是大事、如祭祀、前旒蔽明、黈纊充耳。凡物之過者、不見不聞也。若無事時、目須見、耳須聞。或曰、當敬時、雖見聞莫過焉而不留否。曰、不說道非禮勿視勿聽。勿者禁止之辭。纔說弗字便不得也。問、雜說中以赤子之心爲已發、是否。曰、已發而去道未遠也。曰、大人不失赤子之心、若何。曰、取其純一近道也。曰、赤子之心與聖人之心若何。曰、聖人之心、如鏡、如止水。
【読み】
季明問う、先生喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うは是れ中に在るの義と說くは、識らず何の意ぞ、と。曰く、只喜怒哀樂發せざるは、便ち是れ中なるのみ、と。曰く、中は形體無きこと莫し。只是れ箇の道の題目を言うや否や、と。曰く、非なり。中は甚の形體有らん。然れども旣に之を中と謂えば、也須く箇の形象有るべし、と。曰く、中の時に當たりて、耳聞くこと無く、目見ること無きや否や、と。曰く、耳聞くこと無く、目見ること無しと雖も、然れども見聞の理在りて始めて得、と。曰く、中は是れ時として中なること有りや否や、と。曰く、何の時にして中ならざらん。事を以て之を言えば、則ち時として中なること有り。道を以て之を言えば、何の時にして中ならざらん、と。曰く、固に是れ爲す所皆中なり。然れども四つの者未だ發せざるの時を觀るに、靜なる時は自づから一般の氣象有り、事に接する時に至るに及んで又自づから別なるは、何ぞや、と。曰く、善く觀る者は此の如くならず。却って喜怒哀樂已に發するの際に於て之を觀る。賢且つ說け、靜なる時如何、と。曰く、之を物無しと謂えば則ち不可なり。然も自づから知覺する處有り、と。曰く、旣に知覺すること有れば、却って是れ動なり。怎生ぞ靜と言わん。人復は其れ天地の心を見るというを說いて、皆以謂えらく、至靜能く天地の心を見ると。非なり。復の卦の下面の一畫は、便ち是れ動なり。安んぞ之を靜と謂うを得ん。古自り儒者皆靜にして天地の心を見ると言う。唯某のみ動にして天地の心を見ると言う、と。或るひと曰く、是れ動上に於て靜を求むること莫きや否や、と。曰く、固に是なり。然れども最も難し。釋氏は多くは定むと言い、聖人は便ち止まると言えり。且物の好きが如きは、須く是れ好しと道うべし。物の惡しきは、須く是れ惡しと道うべし。物は自づから好惡あり。我が這の裏に關るは甚事ぞ。若し說いて我は只是れ定むと道わば、更に爲す所無し。然も物の好惡も、亦自づから裏に在り。故に聖人は只止まると言えり。所謂止まるとは、人君は仁に止まり、人臣は敬に止まるの類の如き是れなり。易の艮に止の義を言いて曰く、其の止に艮まるというは、其の所に止まるなり、と。言うこころは、其の止まるべき所に隨いて之に止まるなり。人多くは止まること能わず。蓋し人は萬物皆備わる。事に遇う時各々其の心の重き所の者に因りて、更互して出づ。纔かに這の事の重きことを見得れば、便ち這の事有りて出づ。若し能く物各々物に付すれば、便ち自づから出來せざるなり、と。或るひと曰く、先生喜怒哀樂未だ發せざるの前に於て動の字を下さんか、靜の字を下さんか、と。曰く、之を靜と謂えば則ち可なり。然れども靜中に須く物有りて始めて得るべし。這の裏は便ち(一に最もに作る。)是れ難き處。學者且く先づ敬を理會し得るに若くは莫し。能く敬すれば則ち自づから此を知る、と。或るひと曰く、敬は何を以て功を用いん、と。曰く、一を主とするに若くは莫し、と。季明曰く、昞[へい]嘗て思慮定まらざることを患う。或は一事を思いて未だ了わらざるに、佗事麻の如くにして又生ず。如何、と。曰く、不可なり。此れ誠あらざるの本なり。須く是れ習うべし。習うこと能く專一なる時は便ち好し。思慮と事に應ずるとに拘わらず、皆一を求めんことを要せよ、と。或るひと曰く、靜坐の時に當たりて、物の前に過る者は、還って見るとも見ず、と。曰く、事を看ば如何。若し是れ大事は、祭祀の如く、前旒[りゅう]明を蔽い、黈纊[とうこう]耳を充[ふさ]ぐ。凡そ物の過る者は、見ず聞かざるなり。若し事無き時は、目須く見るべく、耳須く聞くべし、と。或るひと曰く、敬の時に當たりて、見聞過ること莫しと雖も而も留まらざらんや否や、と。曰く、道は禮に非ずんば視ること勿かれ聽くこと勿かれと說かずや。勿とは禁止の辭なり。纔かに弗の字を說けば便ち得ざるなり、と。問う、雜說の中赤子の心を以て已に發すと爲すは、是なりや否や、と。曰く、已に發して道を去ること遠からざるなり、と。曰く、大人赤子の心を失わざるは、若何、と。曰く、其の純一にして道に近きを取るなり、と。曰く、赤子の心と聖人の心と若何、と。曰く、聖人の心は、鏡の如く、止水の如し、と。

問、日中所不欲爲之事、夜多見於夢、此何故也。曰、只是心不定。今人所夢見事、豈特一日之閒所有之事。亦有數十年前之事。夢見之者、只爲心中舊有此事、平日忽有事與此事相感、或氣相感、然後發出來。故雖白日所憎惡者、亦有時見於夢也。譬如水爲風激而成浪、風旣息、浪猶洶湧未已也。若存養久底人、自不如此。聖賢則無這箇夢。只有朕兆、便形於夢也。人有氣淸無夢者、亦有氣昏無夢者。聖人無夢、氣淸也。若人困甚時、更無夢。只是昏氣蔽隔、夢不得也。若孔子夢周公之事、與常人夢別。人於夢寐閒、亦可以卜自家所學之淺深。如夢寐顚倒、卽是心志不定、操存不固。(如揚子江宿浪。)
【読み】
問う、日中爲さんと欲せざる所の事を、夜多く夢に見るは、此れ何の故ぞ、と。曰く、只是れ心定まらざればなり。今の人夢に見る所の事、豈特一日の閒に有る所の事のみならんや。亦數十年前の事有り。夢に之を見る者は、只心中舊此の事有るが爲に、平日忽ち事有れば此の事と相感じ、或は氣相感じて、然して後に發出し來る。故に白日憎惡する所の者と雖も、亦時に夢に見ること有り。譬えば水風の爲に激して浪を成し、風旣に息むとも、浪猶洶湧して未だ已まざるが如し。若し存養久しき底の人は、自づから此の如くならず。聖賢は則ち這箇の夢無し。只朕兆有れば、便ち夢に形るなり。人氣淸んで夢無き者有り、亦氣昏くして夢無き者有り。聖人の夢無きは、氣淸めばなり。若し人困すること甚だしき時は、更に夢無し。只是れ昏氣蔽隔して、夢に得ざるなり。孔子周公を夢みるの事の若きは、常人の夢と別なり。人夢寐の閒に於て、亦以て自家學ぶ所の淺深を卜す可し。夢寐顚倒するが如きは、卽ち是の心志定まらず、操存固からざればなり、と。(揚子江浪を宿すが如し。)

問、人心所繫著之事、則夜見於夢。所著事善、夜夢見之者、莫不害否。曰、雖是善事、心亦是動。凡事有朕兆入夢者、却無害。捨此皆是妄動。或曰、孔子嘗夢見周公、當如何。曰、此聖人存誠處也。聖人欲行周公之道。故雖一夢寐、不忘周公。及旣衰、知道之不可行。故不復夢見。然所謂夢見周公、豈是夜夜與周公語也。人心須要定。使佗思時方思乃是。今人都由心。曰、心誰使之。曰、以心使心則可。人心自由便放去也。
【読み】
問う、人心繫著する所の事は、則ち夜夢に見る。著す所の事善ならば、夜夢に之を見る者、害あらざること莫きや否や、と。曰く、是れ善事と雖も、心亦是れ動く。凡そ事朕兆有りて夢に入る者は、却って害無し。此を捨[お]けば皆是れ妄動なり、と。或るひと曰く、孔子嘗て夢に周公を見るは、當に如何、と。曰く、此れ聖人誠を存する處なり。聖人周公の道を行わんと欲す。故に一夢寐と雖も、周公を忘れず。旣に衰うるに及んで、道の行わる可からざるを知る。故に復夢に見ず。然れども所謂夢に周公を見るは、豈是れ夜夜周公と語らんや。人心は須く定まることを要すべし。佗をして思う時方に思わしめば乃ち是なり。今の人は都て心に由る、と。曰く、心は誰か之を使う、と。曰く、心を以て心を使えば則ち可なり。人心自由なれば便ち放ち去るなり、と。

政也者蒲盧也、言化之易也。螟蛉與果嬴、自是二物、但氣類相似。然祝之久、便能肖。政之化人、宜甚於蒲盧矣。然蒲盧二物、形質不同、尙祝之可化。人與聖人、形質無異。豈學之不可至耶。
【読み】
政は蒲盧なりとは、化することの易きを言うなり。螟蛉[めいれい]と果嬴[から]とは、自づから是れ二物、但氣類相似れり。然るに之を祝すること久しければ、便ち能く肖[に]る。政の人を化す、宜しく蒲盧より甚だしかるべし。然るに蒲盧の二物は、形質同じからざれども、尙之を祝すれば化す可し。人と聖人と、形質異なること無し。豈之を學んで至る可からざらんや。

誠者自成、如至誠事親則成人子、至誠事君則成人臣。不誠無物、誠者物之終始、猶俗說徹頭徹尾不誠、更有甚物也。其次致曲、曲、偏曲之謂、非大道也。曲能有誠、就一事中用志不分、亦能有誠。且如技藝上可見、養由基射之類是也。誠則形、誠後便有物。如立則見其參於前、在輿則見其倚於衡、如有所立卓爾、皆若有物、方見。其(徐本其作如。)無形、是見何物也。形則著、又著見也。著則明、是有光輝之時也。明則動、誠能動人也。君子所過者化、豈非動乎。或曰、變與化何別。曰、變如物方變而未化。化則更無舊迹。自然之謂也。莊子言變大於化、非也。
【読み】
誠は自ら成るとは、至誠にて親に事うれば則ち人の子と成り、至誠にて君に事うれば則ち人の臣と成るが如し。誠あらざれば物無し、誠は物の終始とは、猶俗に徹頭徹尾誠あらざれば、更に甚物か有らんと說くがごとし。其の次は曲を致むとは、曲は、偏曲の謂、大道には非ず。曲は能く誠有りとは、一事の中に就いて志を用うること分かたざれば、亦能く誠有り。且技藝の上に見る可きが如きは、養由基が射の類是れなり。誠あれば則ち形るとは、誠ありて後に便ち物有り。立てるときは則ち其の前に參[まじ]わるを見、輿[くるま]に在るときは則ち其の衡[くびき]に倚るを見る、立てる所有りて卓爾たるが如しというが如き、皆物有りて、方に見るが若し。其れ(徐本其を如に作る。)形無くんば、是れ何物をか見ん。形あれば則ち著るとは、又著見するなり。著るれば則ち明らかなりとは、是れ光輝有るの時なり。明らかなれば則ち動くとは、誠能く人を動かすなり。君子過ぎる所の者は化するは、豈動かすに非ざらんや。或るひと曰く、變と化と何ぞ別なる、と。曰く、變は物方に變じて未だ化せざるが如し。化は則ち更に舊迹無し。自然の謂なり。莊子變は化より大なりと言うは、非なり、と。

問、命與遇何異(張橫渠云、行同報異、猶難語命。語遇可也。)。先生曰、人遇不遇、卽是命也。曰、長平之戰、四十萬人死。豈命一乎。曰、是亦命也。只遇著白起、便是命當如此。又況趙卒皆一國之人。使是五湖四海之人、同時而死、亦是常事。又問、或當刑而王、或爲相而餓死、或先貴後賤、或先賤後貴、此之類皆命乎。曰、莫非命也。旣曰命、便有此不同。不足怪也。
【読み】
問う、命と遇と何ぞ異なる、と(張橫渠云く、行い同じく報い異なるは、猶命と語り難し。遇と語りて可なり、と。)。先生曰く、人の遇不遇は、卽ち是れ命なり、と。曰く、長平の戰に、四十萬人死す。豈命一ならんや、と。曰く、是も亦命なり。只白起に遇著する、便ち是れ命當に此の如くなるべし。又況んや趙の卒は皆一國の人なるをや。是の五湖四海の人をして、同時にして死せしむとも、亦是れ常事なり、と。又問う、或は刑に當たりて王に、或は相と爲りて餓死し、或は先に貴くして後に賤しく、或は先に賤しくして後に貴き、此の類は皆命なるか、と。曰く、命に非ずということ莫し。旣に命と曰えば、便ち此の不同有り。怪しむに足りず、と。

問、人之形體有限量。心有限量否。曰、論心之形、則安得無限量。又問、心之妙用有限量否。曰、自是人有限量。以有限之形、有限之氣、苟不通(一作用。)之以道、安得無限量。孟子曰、盡其心、知其性。心卽性也。在天爲命、在人爲性。論其所主爲心、其實只是一箇道。苟能通之以道、又豈有限量。天下更無性外之物。若云有限量、除是性外有物始得。
【読み】
問う、人の形體は限量有り。心は限量有りや否や、と。曰く、心の形を論ずるときは、則ち安んぞ限量無きことを得ん、と。又問う、心の妙用は限量有りや否や、と。曰く、自づから是れ人は限量有り。限り有るの形、限り有るの氣を以て、苟も之を通ずるに(一に用に作る。)道を以てせずんば、安んぞ限量無きことを得ん。孟子曰く、其の心を盡くせば、其の性を知る、と。心は卽ち性なり。天に在っては命と爲し、人に在っては性と爲す。其の主たる所を論ずれば心と爲すも、其の實は只是れ一箇の道なり。苟も能く之を通ずるに道を以てせば、又豈限量有らんや。天下更に性外の物無し。若し限量有りと云わば、除[ただ]是れ性外に物有りて始めて得ん、と。

問、心有善惡否。曰、在天爲命、在義爲理、在人爲性、主於身爲心、其實一也。心本善、發於思慮、則有善有不善。若旣發、則可謂之情、不可謂之心。譬如水只謂之水、至於流而爲派、或行於東、或行於西、却謂之流也。(在義爲理、疑是在物爲理。)
【読み】
問う、心に善惡有りや否や、と。曰く、天に在っては命と爲し、義に在っては理と爲し、人に在っては性と爲し、身に主たるを心と爲すも、其の實は一なり。心は本善、思慮に發すれば、則ち善有り不善有り。若し旣に發せば、則ち之を情と謂う可く、之を心と謂う可からず。譬えば水只之を水と謂うが如き、流れて派と爲りて、或は東に行き、或は西に行くに至っては、却って之を流と謂うなり、と。(在義爲理は、疑うらくは是れ在物爲理ならん。)

問、喜怒出於性否。曰、固是。纔有生識、便有性。有性便有情。無性安得情。又問、喜怒出於外、如何。曰、非出於外。感於外而發於中也。問、性之有喜怒、猶水之有波否。曰、然。湛然平靜如鏡者、水之性也。及遇沙石、或地勢不平、便有湍激。或風行其上、便爲波濤洶湧。此豈水之性也哉。人性中只有四端。又豈有許多不善底事。然無水安得波浪、無性安得情也。
【読み】
問う、喜怒は性に出づるや否や、と。曰く、固に是なり。纔かに生識有れば、便ち性有り。性有れば便ち情有り。性無くんば安んぞ情を得ん、と。又問う、喜怒外に出づるは、如何、と。曰く、外に出づるに非ず。外に感じて中に發するなり、と。問う、性の喜怒有るは、猶水の波有るがごときや否や、と。曰く、然り。湛然として平靜にして鏡の如くなる者は、水の性なり。沙石、或は地勢平らかならざるに遇うに及んで、便ち湍激有り。或は風其の上に行けば、便ち波濤洶湧を爲す。此れ豈水の性ならんや。人の性中は只四端有るのみ。又豈許多の不善底の事有らんや。然も水無くんば安んぞ波浪を得ん、性無くんば安んぞ情を得ん、と。

問、人性本明。因何有蔽。曰、此須索理會也。孟子言人性善是也。雖荀・楊亦不知性。孟子所以獨出諸儒者、以能明性也。性無不善。而有不善者才也。性卽是理。理則自堯・舜至於塗人、一也。才稟於氣。氣有淸濁。稟其淸者爲賢、稟其濁者爲愚。又問、愚可變否。曰、可。孔子謂、上智與下愚不移。然亦有可移之理。惟自暴自棄者則不移也。曰、下愚所以自暴棄者、才乎。曰、固是也。然却道佗不可移不得。性只一般。豈不可移。却被他自暴自棄、不肯去學。故移不得。使肯學時、亦有可移之理。
【読み】
問う、人の性は本明なり。何に因ってか蔽わるること有る、と。曰く、此れ須索[かなら]ず理會すべし。孟子人の性は善なりと言うは是なり。荀・楊と雖も亦性を知らず。孟子諸儒に獨出する所以の者は、能く性を明らかにするを以てなり。性は不善無し。而して不善有る者は才なり。性は卽ち是れ理なり。理は則ち堯・舜自り塗人に至るまで、一なり。才は氣に稟く。氣は淸濁有り。其の淸める者を稟ければ賢と爲り、其の濁れる者を稟ければ愚と爲る、と。又問う、愚は變ず可きや否や、と。曰く、可なり。孔子謂く、上智と下愚とは移らず、と。然れども亦移る可きの理有り。惟自暴自棄の者のみは則ち移らず、と。曰く、下愚の自ら暴棄する所以の者は、才か、と。曰く、固に是なり。然れども却って佗移る可からずと道うことを得ず。性は只一般なり。豈移る可からざらんや。却って他自暴自棄せられて、肯えて學び去[ゆ]かず。故に移ることを得ず。肯えて學ばしむる時は、亦移る可きの理有り、と。

凡解文字、但易其心、自見理。理只是人理、甚分明、如一條平坦底道路。詩曰、周道如砥、其直如矢。此之謂也。且如隨卦言君子嚮晦入宴息、解者多作遵養時晦之晦。或問、作甚晦字。曰、此只是隨時之大者、嚮晦則宴息也。更別有甚義。或曰、聖人之言、恐不可以淺近看佗。曰、聖人之言、自有近處、自有深遠處。如近處、怎生强要鑿敎深遠得。楊子曰、聖人之言遠如天、賢人之言近如地。某與改之曰、聖人之言、其遠如天、其近如地。
【読み】
凡そ文字を解するは、但其の心を易[やす]らかにすれば、自づから理を見る。理は只是れ人理のみ、甚だ分明にして、一條平坦底の道路の如し。詩に曰く、周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、と。此れ之の謂なり。且隨の卦に君子は晦に嚮[む]かいて入りて宴息すと言うが如き、解する者多くは遵養時晦の晦と作す、と。或るひと問う、甚の晦の字と作す、と。曰く、此は只是れ時に隨うの大なる者、晦に嚮かえば則ち宴息するのみ。更に別に甚の義か有らん、と。或ひと曰く、聖人の言は、恐らくは淺近を以て佗を看る可からず、と。曰く、聖人の言は、自づから近き處有り、自づから深遠なる處有り。近き處の如きは、怎生ぞ强いて鑿して深遠ならしむることを要することを得ん。楊子曰く、聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し、と。某與に之を改めて曰く、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し、と。

學者不泥文義者、又全背却遠去、理會文義者、又滯泥不通。如子濯孺子爲將之事、孟子只取其不背師之意。人須就上面理會事君之道如何也。又如萬章問舜完廩浚井事、孟子只答佗大意。人須要理會浚井如何出得來、完廩又怎生下得來。若此之學、徒費心力。
【読み】
學者文義に泥まざる者は、又全く背却して遠く去り、文義を理會する者は、又滯泥して通ぜず。子濯孺子將と爲るの事の如き、孟子只其の師に背かざるの意を取るのみ。人須く上面に就いて君に事うるの道如何と理會すべし。又萬章舜廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くするの事を問うが如き、孟子只佗の大意を答うるのみ。人須く井を浚くするに如何にしてか出で得來る、廩を完むるに又怎生にしてか下り得來ると理會することを要すべし。此の若きの學は、徒に心力を費すのみ。

問、聖人之經旨、如何能窮得。曰、以理義去推索可也。學者先須讀論・孟。窮得論・孟、自有箇要約處。以此觀他經、甚省力。論・孟如丈尺權衡相似。以此去量度事物、自然見得長短輕重。某嘗語學者、必先看論語・孟子。今人雖善問、未必如當時人。借使問如當時人、聖人所答、不過如此。今人看論・孟之書、亦如見孔・孟。何異。
【読み】
問う、聖人の經旨、如何にか能く窮め得ん、と。曰く、理義を以て推索し去って可なり。學者先づ須く論・孟を讀むべし。論・孟を窮め得ば、自づから箇の要約なる處有らん。此を以て他の經を觀ば、甚だ力を省かん。論・孟は丈尺權衡の如く相似れり。此を以て事物を量度し去れば、自然に長短輕重を見得ん。某嘗て學者に語るに、必ず先づ論語・孟子を看よ、と。今の人善く問うと雖も、未だ必ずしも當時の人の如くならず。借使[たと]い問うこと當時の人の如くなるとも、聖人の答うる所、此の如くなるに過ぎず。今の人論・孟の書を看るには、亦孔・孟に見ゆるが如くせよ。何ぞ異ならん、と。

孟子養氣一篇、諸君宜潛心玩索。須是實識得方可。勿忘勿助長、只是養氣之法、如不識、怎生養。有物始言養。無物又養箇甚麼。浩然之氣、須見是一箇物。如顏子言如有所立卓爾、孟子言躍如也、卓爾躍如、分明見得方可。
【読み】
孟子氣を養うの一篇、諸君宜しく心を潛めて玩索すべし。須く是れ實に識得して方に可なるべし。忘るること勿かれ助長せしむること勿かれというは、只是れ氣を養うの法、如し識らずんば、怎生ぞ養わん。物有りて始めて養うと言う。物無くんば又箇の甚麼[なに]をか養わん。浩然の氣は、須く是の一箇の物を見るべし。顏子立てる所有りて卓爾たるが如しと言い、孟子躍如たりと言うが如き、卓爾躍如、分明に見得して方に可なり。

不得於言、勿求於心、不可、此觀人之法。心之精微、言有不得者。不可便謂不知。此告子淺近處。
【読み】
言に得ざれば、心に求むること勿かれというは、不可なりとは、此れ人を觀るの法なり。心の精微は、言得ざる者有り。不可は便ち知らざるを謂う。此れ告子の淺近なる處なり。

持其志、無暴其氣、内外交相養也。
【読み】
其の志を持[たも]ち、其の氣を暴[そこな]うこと無かれとは、内外交々相養うなり。

配義與道、謂以義理養成此氣、合義與道。方其未養、則氣自是氣、義自是義。及其養成浩然之氣、則氣與義合矣。本不可言合、爲未養時言也。如言道、則是一箇道都了。若以人而言、則人自是人、道自是道、須是以人行道始得。(言義又言道。道、體也。義、用也。就事上便言義。)
【読み】
義と道とに配すとは、義理を以て此の氣を養い成して、義と道とに合するを謂う。其の未だ養わざるに方っては、則ち氣は自づから是れ氣、義は自づから是れ義。其の浩然の氣を養い成すに及んでは、則ち氣と義と合するなり。本合すと言う可からざるは、未だ養わざる時の言爲ればなり。道と言うが如きは、則ち是れ一箇の道都て了わる。若し人を以て言うときは、則ち人は自づから是れ人、道は自づから是れ道、須く是れ人を以て道を行いて始めて得るべし。(義と言い又道と言う。道は、體なり。義は、用なり。事上に就くときは便ち義と言う。)

北宮黝之勇必行、孟施舍無懼。子夏之勇本不可知、却因北宮黝而可見。子夏是篤信聖人而力行、曾子是明理。
【読み】
北宮黝が勇は必ず行い、孟施舍は懼るること無し。子夏の勇は本知る可からず、却って北宮黝に因りて見る可し。子夏は是れ篤く聖人を信じて力行し、曾子は是れ理を明らかにす。

問、必有事焉、當用敬否。曰、敬只是涵養一事。必有事焉、須當集義。只知用敬、不知集義、却是都無事也。又問、義莫是中理否。曰、中理在事、義在心内。苟不主義、浩然之氣從何而生。理只是發而見於外者。且如恭敬、幣之未將也、恭敬、雖因幣帛威儀而後發見於外、然須心有此恭敬、然後著見。若心無恭敬、何以能爾。所謂德者得也。須是得於己、然後謂之德也(幣之未將之時、已有恭敬。非因幣帛而後有恭敬也。)。問、敬義何別。曰、敬只是持己之道、義便知有是有非、順理而行。是爲義也。若只守一箇敬、不知集義、却是都無事也。且如欲爲孝、不成只守著一箇孝字。須是知所以爲孝之道、所以侍奉當如何、溫淸當如何、然後能盡孝道也。又問、義只在事上、如何。曰、内外一理、豈特事上求合義也。
【読み】
問う、必ず事有らば、當に敬を用うべきや否や、と。曰く、敬は只是れ涵養の一事。必ず事有らば、須く當に義を集むべし。只敬を用うることを知って、義を集むることを知らざれば、却って是れ都て事無きなり、と。又問う、義は是れ理に中ること莫きや否や、と。曰く、理に中るは事に在り、義は心の内に在り。苟も義を主とせざれば、浩然の氣は何[いづ]く從りして生ぜん。理は只是れ發して外に見る者。且恭敬は、幣の未だ將[たてまつ]らざるなりというが如き、恭敬は、幣帛威儀に因りて而して後に外に發見すと雖も、然れども須く心に此の恭敬有りて、然して後に著見すべし。若し心に恭敬無くんば、何を以てか能く爾らん。所謂德は得なり。須く是れ己に得て、然して後に之を德と謂うべし、と(幣の未だ將らざるの時、已に恭敬有り。幣帛に因りて而して後に恭敬有るに非ざるなり。)。問う、敬義何ぞ別たん、と。曰く、敬は只是れ己を持するの道、義は便ち是有り非有ることを知って、理に順いて行う。是を義と爲すなり。若し只一箇の敬を守って、義を集むることを知らずんば、却って是れ都て事無きなり。且孝を爲さんと欲するが如き、成らずんば只一箇の孝の字を守著するのみならんや。須く是れ孝を爲す所以の道、侍奉する所以は當に如何にすべく、溫淸は當に如何にすべきということを知るべく、然して後に能く孝の道を盡くさん、と。又問う、義は只事上に在るのみ、如何にかせん、と。曰く、内外は一理、豈特に事上に義に合うことを求めんや、と。

問、人敬以直内、氣便能充塞天地否。曰、氣須是養、集義所生。積集旣久、方能生浩然氣象。人但看所養如何。養得一分、便有一分、養得二分、便有二分。只將敬、安能便到充塞天地處。且氣自是氣、體所充、自是一件事、敬自是敬、怎生便合得。如曰其爲氣、配義與道、若說氣與義時自別。怎生便能使氣與義合。
【読み】
問う、人敬以て内を直くせば、氣便ち能く天地に充塞せんや否や、と。曰く、氣は須く是れ養うべく、集義の生ずる所なり。積集旣に久しければ、方に能く浩然の氣象を生ず。人但養う所如何と看よ。一分を養い得れば、便ち一分有り、二分を養い得れば、便ち二分有り。只敬を將って、安んぞ能く便ち天地に充塞する處に到らん。且氣は自づから是れ氣、體の充つる所は、自づから是れ一件の事、敬は自づから是れ敬、怎生ぞ便ち合し得ん。其の氣爲る、義と道とに配すと曰うが如き、若し氣と義とを說く時は自づから別なり。怎生ぞ便ち能く氣と義とを合わしめん、と。

性相近也、習相遠也、性一也、何以言相近。曰、此只是言性(一作氣。)質之性。如俗言性急性緩之類、性安有緩急。此言性者、生之謂性也。又問、上智下愚不移是性否。曰、此是才。須理會得性與才所以分處。又問、中人以上可以語上、中人以下不可以語上、是才否。曰、固是。然此只是大綱說。言中人以上可以與之說近上話、中人以下不可以與說近上話也。生之謂性。凡言性處、須看他立意如何。且如言人性善、性之本也。生之謂性、論其所稟也。孔子言性相近。若論其本、豈可言相近。只論其所稟也。告子所云固是。爲孟子問佗、他說、便不是也。
【読み】
性は相近し、習って相遠しとは、性は一なり、何を以て相近しと言う、と。曰く、此は只是れ性(一に氣に作る。)質の性を言うのみ。俗に性急性緩と言うの類の如き、性は安んぞ緩急有らん。此に性と言うは、生まれしまま之を性と謂うなり、と。又問う、上智と下愚と移らざるは是れ性なりや否や、と。曰く、此は是れ才なり。須く性と才と分かつ所以の處を理會し得るべし、と。又問う、中人以上には以て上を語る可く、中人以下には以て上を語る可からずとは、是れ才なりや否や、と。曰く、固に是なり。然れども此は只是れ大綱の說なるのみ。言うこころは、中人以上には以て之と與に上に近き話を說く可く、中人以下には以て與に上に近き話を說く可からざるなり、と。生まれしまま之を性と謂う。凡そ性を言う處は、須く他の意を立つること如何と看るべし。且人の性は善なりと言うが如きは、性の本なり。生まれしまま之を性と謂うは、其の稟くる所を論ずるなり。孔子性は相近しと言う。若し其の本を論ぜば、豈相近しと言う可けんや。只其の稟くる所を論ずるのみ。告子云う所は固に是なり。孟子佗に問うが爲に、他の說、便ち是ならざるなり、と。

乃若其情、則可以爲善、若夫爲不善、非才之罪、此言人陷溺其心者、非關才事。才猶言材料。曲可以爲輪、直可以爲梁棟。若是毀鑿壞了、豈關才事。下面不是說人皆有四者之心。或曰、人才有美惡。豈可言非才之罪。曰、才有美惡者、是舉天下之言也。若說一人之才、如因富歲而賴、因凶歲而暴、豈才質之本然邪。
【読み】
乃ち其の情の若きは、則ち以て善と爲す可し、夫の不善を爲すが若きは、才の罪に非ずとは、此れ言うこころは、人其の心を陷溺する者は、才の事に關わるに非ずとなり。才は猶材料と言うがごとし。曲は以て輪と爲す可く、直は以て梁棟と爲す可し。若し是れ毀鑿壞了せば、豈才の事に關わらんや。下面に是れ人皆四つの者の心有りと說かざらんや。或るひと曰く、人の才は美惡有り。豈才の罪に非ずと言う可けんや、と。曰く、才に美惡有りとは、是れ天下を舉ぐるの言なり。若し一人の才を說くに、富歲に因りて賴み、凶歲に因りて暴なるが如き、豈才質の本然ならんや、と。

問、舍則亡。心有亡、何也。曰、否。此只是說心無形體。纔主著事時、(先生以目視地。)便在這裏、纔過了便不見。如出入無時、莫知其郷、此句亦須要人理會。心豈有出入。亦以操舍而言也。放心、謂心本善、而流於不善。是放也。
【読み】
問う、舍つるときは則ち亡ぶ、と。心亡ぶること有るは、何ぞや、と。曰く、否らず。此は只是れ心は形體無きことを說くのみ。纔かに事に主著する時、(先生以て地を目視す。)便ち這の裏に在りて、纔かに過了すれば便ち見えず。出入時無く、其の郷[ところ]を知ること莫しというが如き、此の句も亦須く人理會せんことを要すべし。心は豈出入有らんや。亦操舍を以て言うなり。放心は、謂ゆる心は本善にして、不善に流る。是れ放つなり、と。

問、盡己之謂忠、莫是盡誠否。旣盡己、安有不誠。盡己則無所不盡。如孟子所謂盡心。曰、盡心莫是我有惻隱羞惡、如此之心、能盡得、便能知性否。曰、何必如此數。只是盡心便了。纔數著、便不盡(如數一百、少却一便爲不盡也。)。大抵稟於天曰性、而所主在心。纔盡心卽是知性。知性卽是知天矣。(羅本以爲呂與叔問。)
【読み】
問う、己を盡くす之を忠と謂うは、是れ誠を盡くすこと莫きや否や、と。旣に己を盡くさば、安んぞ誠ならざること有らん。己を盡くすときは則ち盡くさざる所無し。孟子所謂心を盡くすというが如し、と。曰く、心を盡くすとは是れ我れ惻隱羞惡有ること莫き、此の如きの心、能く盡くし得れば、便ち能く性を知るや否や、と。曰く、何ぞ必ずしも此の如く數えん。只是れ心を盡くすこと便ち了せよ。纔かに數え著すれば、便ち盡くさず(一百を數えるが如き、一を少却すれば便ち盡くさずと爲す。)。大抵天に稟くるを性と曰い、而して主る所は心に在り。纔かに心を盡くせば卽ち是れ性を知る。性を知れば卽ち是れ天を知るなり、と。(羅本に以て呂與叔の問いと爲す。)

問、出辭氣、莫是於言語上用工夫否。曰、須是養乎中、自然言語順理。今人熟底事、說得便分明。若是生事、便說得蹇澁。須是涵養久、便得自然。若是愼言語不妄發、此却可著力。
【読み】
問う、辭氣を出すは、是れ言語の上に於て工夫を用うること莫きや否や、と。曰く、須く是れ中を養うべく、自然に言語理に順う。今の人熟する底の事は、說き得ること便ち分明なり。若し是れ生しき事は、便ち說き得ること蹇澁す。須く是れ涵養久しくして、便ち自づから然ることを得るべし。若し是れ言語を愼み妄りに發せざれば、此れ却って力を著く可し、と。

孔子敎人、不憤不啓、不悱不發。蓋不待憤悱而發、則知之不固、待憤悱而後發、則沛然矣。學者須深思之。思而不得、然後爲佗說、便好。初學者、須是且爲佗說。不然、非獨佗不曉、亦止人好問之心也。
【読み】
孔子の人を敎うる、憤せざれば啓せず、悱せざれば發せず。蓋し憤悱を待たずして發するときは、則ち之を知ること固からず、憤悱を待って而して後に發するときは、則ち沛然たり。學者須く深く之を思うべし。思いて得ず、然して後に佗の爲に說けば、便ち好し。初學の者は、須く是れ且佗の爲に說くべし。然らずんば、獨り佗曉らざるのみに非ず、亦人問うことを好むの心を止む。

孔子旣知宋桓魋不能害己、又却微服過宋。舜旣見象之將殺己、而又象憂亦憂、象喜亦喜。國祚長短、自有命數。人君何用汲汲求治。禹・稷救飢溺者、過門不入。非不知飢溺而死者自有命、又却救之如此其急。數者之事、何故如此。須思量。到道竝行而不相悖處可也。(今且說聖人非不知命、然於人事不得不盡。此說未是。)
【読み】
孔子旣に宋の桓魋己を害すること能わざることを知れども、又却って微服して宋を過る。舜旣に象が將に己を殺さんとするを見て、而も又象憂うれば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ。國祚の長短、自づから命數有り。人君何を用てか汲汲として治を求めん。禹・稷飢溺の者を救いて、門を過りて入らず。飢溺して死する者自づから命有ることを知らざるには非ず、又却って之を救うこと此の如く其れ急なり。數者の事、何の故にか此の如くなる。須く思量すべし。道竝び行いて相悖らざる處に到って可なり。(今且聖人を命を知らざるには非ず、然れども人事に於て盡くさざることを得ずと說く。此の說未だ是ならず。)

問、聖人與天道何異。曰、無異。聖人可殺否。曰、聖人智足以周身。安可殺也。只如今有智慮人、已害他不得、況於聖人。曰、昔瞽瞍使舜完廩浚井。舜知其欲殺己而逃之乎。曰、本無此事。此是萬章所傳聞。孟子更不能理會這下事、只且說舜心也。如下文言琴朕、干戈朕、二嫂使治朕棲、堯爲天子。安有是事。
【読み】
問う、聖人と天道と何ぞ異なる、と。曰く、異なること無し、と。聖人も殺す可しや否や、と。曰く、聖人は智以て身を周くするに足れり。安んぞ殺す可きや。只如今智慮有る人すら、已に他を害することを得ず、況んや聖人に於てをや、と。曰く、昔瞽瞍舜をして廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くせしむ。舜其の己を殺さんと欲することを知りて之を逃るるか、と。曰く、本此の事無し。此は是れ萬章の傳聞する所なり。孟子更に這の下の事を理會すること能わず、只且舜の心を說くのみ。下の文に琴は朕、干戈は朕、二嫂は朕が棲[ゆか]を治めしめんと言うが如き、堯は天子爲り。安んぞ是の事有らん、と。

問、加我數年、五十以學易、可以無大過矣、不知聖人何以因學易後始能無過。曰、先儒謂、孔子學易後可以無大過。此大段失却文意。聖人何嘗有過。如待學易後無大過、却是未學易前、嘗有大過也。此聖人如未嘗學易、何以知其可以無過。蓋孔子時學易者支離、易道不明。仲尼旣修佗經、惟易未嘗發明。故謂弟子曰、加我數年、五十以學易。期之五十、然後贊易、則學易者可以無大過差。若所謂贊易道而黜八索是也。(前此學易者甚衆、其說多過。聖人使弟子俟其贊而後學之、其過鮮也。)
【読み】
問う、我に數年を加して、五十にして以て易を學べば、以て大なる過ち無かる可しというは、知らず、聖人何を以て易を學ぶ後に因りて始めて能く過ち無けん、と。曰く、先儒謂えらく、孔子易を學ぶの後は以て大なる過ち無かる可し、と。此れ大段文意を失却す。聖人は何ぞ嘗て過ち有らん。如し易を學ぶ後を待って大なる過ち無くんば、却って是れ未だ易を學ばざるの前に、嘗て大なる過ち有らんや。此れ聖人如し未だ嘗て易を學ばずんば、何を以て其の以て過ち無かる可きことを知らん。蓋し孔子の時易を學ぶ者支離にして、易道明らかならず。仲尼旣に佗の經を修めて、惟り易未だ嘗て發明せず。故に弟子に謂いて曰く、我に數年を加して、五十にして以て易を學ぶ、と。之を五十に期して、然して後に易を贊せば、則ち易を學ぶ者以て大なる過差無かる可し、と。所謂易道を贊して八索を黜[しりぞ]けるが若き是れなり。(此より前に易を學ぶ者甚だ衆く、其の說多く過る。聖人弟子をして其の贊するを俟って後に之を學ばしめば、其の過ち鮮し。)

問、博我以文、約我以禮。曰、此是顏子稱聖人最切當處。聖人敎人、只是如此。旣博之以文、而後約之以禮。所謂博學而詳說之、將以反說約也。博與約相對。聖人敎人、只此兩字。博是博學多識、多聞多見之謂。約只是使之知要也。又問、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、與此同乎。曰、這箇只是淺近說。言多聞見而約束以禮、雖未能知道、庶幾可以弗畔於道。此言善人君子多識前言往行而能不犯非禮者爾。非顏子所以學於孔子之謂也。又問、此莫是小成否。曰、亦未是小成。去知道甚遠。如曰多聞、擇其善者而從之、多見而識之、知之次也。聞見與知之甚異。此只是聞之者也。又曰、聖人之道、知之莫甚難。曰、聖人之道、安可以難易言。聖人未嘗言易、以驕人之志、亦未嘗言難、以阻人之進。仲尼但曰、未之思也。夫何遠之有。此言極有涵畜意思。孟子言、夫道若大路然。豈難知哉。只下這一箇豈字、便露筋骨。聖人之言不如此。如下面說人病不求耳、子歸而求之有餘師、這數句却說得好。孔・孟言有異處、亦須自識得。
【読み】
問う、我を博むるに文を以てし、我を約[つづま]やかにするに禮を以てす、と。曰く、此は是れ顏子聖人最も切當なる處を稱す。聖人の人を敎うる、只是れ此の如し。旣に之を博むるに文を以てし、而して後に之を約やかにするに禮を以てす。所謂博く學んで詳らかに之を說くは、將に以て反って約を說かんとするものなり。博と約とは相對す。聖人の人を敎うる、只此の兩字のみ。博は是れ博學多識、多聞多見の謂なり。約は只是れ之をして要を知らしむるのみ、と。又問う、君子は博く文を學んで、之を約やかにするに禮を以てせば、亦以て畔かざる可しというは、此と同じきか、と。曰く、這箇は只是れ淺近の說なり。言うこころは、多く聞見して約束するに禮を以てせば、未だ道を知ること能わずと雖も、庶幾わくは以て道に畔かざる可し、と。此れ善人君子多く前言往行を識して能く非禮を犯さざる者を言うのみ。顏子孔子に學ぶ所以の謂に非ざるなり、と。又問う、此は是れ小成なること莫きや否や、と。曰く、亦未だ是れ小成ならず。道を知り去ること甚だ遠し。多く聞いて、其の善き者を擇んで之に從う、多く見て之を識すは、之を知るが次なりと曰うが如し。聞き見ると之を知るとは甚だ異なり。此は只是れ之を聞く者なり、と。又曰く、聖人の道は、之を知ること甚だ難きこと莫きか、と。曰く、聖人の道は、安んぞ難易を以て言う可けん。聖人は未だ嘗て易しと言いて、以て人の志を驕らしめず、亦未だ嘗て難しと言いて、以て人の進むを阻まず。仲尼但曰く、未だ之を思わざるなり。夫れ何の遠きことか之れ有らん、と。此の言極めて涵畜の意思有り。孟子言く、夫れ道は大路の若く然り。豈知り難からんや、と。只這の一箇の豈の字を下して、便ち筋骨を露す。聖人の言は此の如くならず。下面に人求めざるを病[うれ]うるのみ、子歸って之を求めば餘師有らんと說くが如き、這の數句却って說き得て好し。孔・孟の言に異なる處有ること、亦須く自ら識得すべし、と。

或問、子畏於匡。顏淵後。子曰、吾以女爲死矣。曰、子在、囘何敢死。然設使孔子遇難、顏淵有可死之理否。曰、無可死之理。除非是鬭死。然鬭死非顏子之事。若云遇害、又不當言敢不敢也。又問、使孔子遇害、顏子死之否乎。曰、豈特顏子之於孔子也。若二人同行遇難、固可相死也。又問、親在則如之何。曰、且譬如二人捕虎、一人力盡、一人須當同去用力。如執干戈衛社稷、到急處、便遁逃去之、言我有親、是大不義也。當此時、豈問有親無親。但當預先謂吾有親、不可行則止。豈到臨時却自規避也。且如常人爲不可獨行也。須結伴而出。至于親在、爲親圖養、須出去、亦須結伴同去。便有患難相死之道。昔有二人、同在嵩山、同出就店飮酒。一人大醉、臥在地上、夜深歸不得。一人又無力扶持。尋常曠野中有虎豹盜賊。此人遂只在傍、直守到曉。不成不顧了自歸也。此義理所當然者也。禮言親在不許友以死者、此言亦在人用得。蓋有親在可許友以死者、有親不在不可許友以死者。可許友以死、如二人同行之類是也。不可許友以死、如戰國游俠、爲親不在、乃爲人復讐。甚非理也。
【読み】
或るひと問う、子匡に畏る。顏淵後れたり。子曰く、吾れ女を以て死せりと爲す、と。曰く、子在す、囘何ぞ敢えて死せん、と。然るに設[も]し孔子をしをして難に遇わしめば、顏淵死す可きの理有りや否や、と。曰く、死す可きの理無し。除非[ただ]是れ鬭死せんのみ。然れども鬭死は顏子の事に非ず。若し害に遇うと云わば、又當に敢えて敢えてせずと言うべからざるなり、と。又問う、孔子をして害に遇わしめば、顏子之に死せんや否や、と。曰く、豈特に顏子の孔子に於るのみならんや。若し二人同じく行きて難に遇うとも、固に相死す可し、と。又問う、親在せば則ち之を如何、と。曰く、且譬えば二人虎を捕うるが如き、一人力盡きれば、一人須く當に同じく力を用い去るべし。干戈を執りて社稷を衛るが如き、急なる處に到りて、便ち遁逃して之を去りて、我れ親有りと言わば、是れ大なる不義なり。此の時に當たりて、豈親有り親無きを問わんや。但當に預め先づ吾れ親有りと謂いて、行く可からずんば則ち止むべし。豈臨時に到りて却って自ら規避せんや。且常人の如きは獨り行く可からずと爲す。須く伴を結んで出づべし。親在し、親の爲に養を圖るに至っては、須く出で去るべく、亦須く伴を結んで同じく去るべし。便ち患難相死するの道有り。昔二人、同じく嵩山に在る有り、同じく出でて店に就いて酒を飮む。一人大いに醉いて、臥して地上に在り、夜深くて歸ることを得ず。一人又力の扶持する無し。尋常曠野の中に虎豹盜賊有り。此の人遂に只傍に在りて、直ちに守りて曉に到る。顧みざることを成さずして了[つい]に自ら歸る。此れ義理の當に然るべき所の者なり。禮に親在すときは友に許すに死を以てせずと言う者は、此の言も亦人用い得るに在り。蓋し親在せども友に許すに死を以てす可き者有り、親在さざるに友に許すに死を以てす可からざる者有り。友に許すに死を以てす可きは、二人同じく行くが如きの類是れなり。友に許すに死を以てす可からずというは、戰國の游俠、親在さずと爲して、乃ち人の爲に讐を復するが如し。甚だ理に非ざるなり、と。

問、不遷怒、不貳過、何也。語錄有怒甲不遷乙之說、是否。曰、是。曰、若此則甚易。何待顏氏而後能。曰、只被說得粗了。諸君便道易。此莫是最難。須是理會得、因何不遷怒。如舜之誅四凶、怒在四凶、舜何與焉。蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。譬如明鏡。好物來時、便見是好、惡物來時、便見是惡。鏡何嘗有好惡也。世之人固有怒於室而色於市。且如怒一人、對那人說話、能無怒色否。有能怒一人而不怒別人者、能忍得如此、已是煞知義理。若聖人、因物而未嘗有怒。此莫是甚難。君子役物、小人役於物。今人見有可喜可怒之事、自家著一分陪奉他。此亦勞矣。聖人心如止水。
【読み】
問う、怒りを遷さず、過ちを貳びせずとは、何ぞや。語錄に甲に怒りて乙に遷さざるの說有り、是なりや否や、と。曰く、是なり、と。曰く、此の若きは則ち甚だ易し。何ぞ顏氏を待ちて而して後に能くせん、と。曰く、只說き得て粗了なることを被るのみ。諸君は便ち易しと道う。此は是れ最も難きこと莫きや。須く是れ何に因りて怒りを遷さざるということを理會し得るべし。舜の四凶を誅するが如き、怒りは四凶に在り、舜何ぞ與らん。蓋し是の人怒る可きの事有るに因りて之を怒る。聖人の心は本怒り無し。譬えば明鏡の如し。好物來る時は、便ち是れ好を見し、惡物來る時は、便ち是れ惡を見す。鏡何ぞ嘗て好惡有らん。世の人固に室に怒ること有りて市に色す。且一人に怒るが如き、那の人に對して說話するも、能く怒色無きや否や。能く一人に怒って別人に怒らざること有る者は、能く忍び得ること此の如くにして、已に是れ煞[はなは]だ義理を知るなり。聖人の若きは、物に因りて未だ嘗て怒り有らず。此は是れ甚だ難きこと莫きや。君子は物を役し、小人は物に役せらる。今の人喜ぶ可く怒る可きの事有るを見ては、自家一分に他を陪奉することを著す。此れ亦勞せり。聖人の心は止水の如し、と。

問、顏子勇乎。曰、孰勇於顏子。觀其言曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。孰勇於顏子。如有若無、實若虛、犯而不校之類、抑可謂大勇者矣。
【読み】
問う、顏子は勇なりや、と。曰く、孰か顏子より勇ならん。其の言を觀るに曰く、舜は何人ぞや。予は何人ぞや。すること有る者は亦是の若し、と。孰か顏子より勇ならん。有れども無きが若く、實[み]てれども虛[な]きが若く、犯せども而も校[はか]らずという類の如き、抑々大勇なる者と謂う可し、と。

曾子傳聖人道(一作學。)、只是一箇誠篤。語曰、參也魯。如聖人之門、子游・子夏之言語、子貢・子張之才辨、聰明者甚多、卒傳聖人之道者、乃質魯之人。人只要一箇誠實。聖人說忠信處甚多。曾子、孔子在時甚少。後來所學不可測。且易簀之事、非大賢以上作不得。曾子之後有子思、便可見。
【読み】
曾子の聖人の道(一に學に作る。)を傳うるは、只是れ一箇の誠篤なり。語に曰く、參や魯なり、と。聖人の門、子游・子夏の言語、子貢・子張の才辨の如き、聰明なる者甚だ多けれども、卒に聖人の道を傳うる者は、乃ち質魯の人なり。人は只一箇の誠實を要するのみ。聖人忠信を說く處甚だ多し。曾子は、孔子在す時甚だ少[わか]し。後來學ぶ所測る可からず。且簀を易うるの事、大賢以上に非ずんば作すことを得じ。曾子の後に子思有ること、便ち見る可し。

曾子執親之喪、水漿不入口者七日、不合禮、何也。曰、曾子者、過於厚者也。聖人大中之道、賢者必俯而就、不肖者必跂而及。若曾子之過、過於厚者也。若衆人、必當就禮法。自大賢以上、則看佗如何。不可以禮法拘也。且守社稷者、國君之職也。太王則委而去之。守宗廟者、天子之職也。堯・舜則以天下與人。如三聖賢則無害。佗人便不可。然聖人所以敎人之道、大抵使之循禮法而已。
【読み】
曾子親の喪を執りて、水漿口に入れざる者七日、禮に合わざるは、何ぞや、と。曰く、曾子は、厚に過ぎたる者なり。聖人大中の道、賢者は必ず俯して就き、不肖者は必ず跂[つまだ]ちて及ぼす。曾子の過ぐるが若きは、厚に過ぎたる者なり。衆人の若きは、必ず當に禮法に就くべし。大賢自り以上は、則ち佗如何と看よ。禮法を以て拘わる可からず。且社稷を守るは、國君の職なり。太王は則ち委[す]てて之を去る。宗廟を守るは、天子の職なり。堯・舜は則ち天下を以て人に與う。三聖賢の如きは則ち害無し。佗人は便ち不可なり。然るに聖人の人を敎うる所以の道は、大抵之をして禮法に循わしむるのみ、と。

金聲而玉振之、此孟子爲學者言終始之義也。樂之作、始以金奏、而以玉聲終之。詩曰依我磬聲是也。始於致知、智之事也。行所知而至其極、聖之事也。易曰知至至之、知終終之、是也。
【読み】
金聲[な]らして玉之を振[おさ]むとは、此れ孟子學者の爲に終始の義を言えり。樂を作すに、始むるに金を以て奏して、玉聲を以て之を終う。詩に我が磬の聲に依れりと曰うは是れなり。知を致むるに始まるは、智の事なり。知る所を行いて其の極に至るは、聖の事なり。易に至るを知って之に至り、終わるを知って之に終うと曰うは、是れなり。

惟聖人然後踐形、言聖人盡得人道也。人得天地之正氣而生、與萬物不同。旣爲人、須盡得人理。衆人有之而不知、賢人踐之而未盡、能踐形者、唯聖人也。
【読み】
惟聖人にして然して後に形を踐むとは、言うこころは、聖人は人道を盡くし得るとなり。人は天地の正氣を得て生まれ、萬物と同じからず。旣に人と爲りては、須く人の理を盡くし得るべし。衆人は之を有して知らず、賢人は之を踐んで未だ盡くさず、能く形を踐む者は、唯聖人のみ。

佚道使民、謂本欲佚之也。故雖勞而不怨。生道殺民、謂本欲生之也。且如救水火、是求所以生之也。或有焚溺而死者、却雖死不怨。
【読み】
佚道民を使うとは、本之を佚せんと欲するを謂う。故に勞すと雖も怨みず。生道民を殺すとは、本之を生かさんと欲するを謂う。且水火を救うが如き、是れ之を生かす所以を求むるなり。或は焚溺して死する者有り、却って死すと雖も怨みず。

仁言、謂以仁厚之言加於民。仁聲如仁聞。謂風聲足以感動人也。此尤見仁德之昭著也。
【読み】
仁言は、仁厚の言を以て民に加うるを謂う。仁聲は仁聞の如し。風聲以て人を感動するに足るを謂う。此れ尤も仁德の昭著なるを見す。

問行之而不著、習矣而不察。曰、此言大道如此、而人由之不知也。行之而不著、謂人行之而不明曉也。習矣而不察、謂人習之而不省察也。曰、先生有言、雖孔門弟子亦有此病、何也。曰、在衆人習而不察者、只是饑食喝飮之類、由之而不自知也。如孔門弟子、却是聞聖人之化、入於善而不自知也。衆者、言衆多也。
【読み】
之を行いて著らかならず、習いて察せずというを問う。曰く、此れ大道此の如くにして、人之に由りて知らざることを言う。之を行いて著らかならずとは、人之を行いて明かし曉らざることを謂う。習いて察せずとは、人之を習いて省察せざることを謂う、と。曰く、先生言えること有り、孔門の弟子と雖も亦此の病有りとは、何ぞや、と。曰く、衆人に在りて習いて察せざる者は、只是れ饑えて食し喝して飮むの類、之に由りて自ら知らざるなり。孔門の弟子の如きは、却って是れ聖人の化を聞いて、善に入りて自ら知らざるなり。衆は、衆多を言うなり、と。

問、可以取、可以無取、天下有兩可之事乎。曰、有之。如朋友之饋、是可取也。然己自可足、是不可取也。纔取之、便傷廉矣。曰、取傷廉、固不可。然與傷惠何害。曰、是有害於惠也。可以與。然却可以不與。若與之時、財或不贍、却於合當與者無可與之。且博施濟衆、固聖人所欲。然却五十者方衣帛、七十者方食肉、如使四十者衣帛、五十者食肉、豈不更好。然力不可以給、合當衣帛食肉者便不足也。此所以傷惠。
【読み】
問う、以て取る可く、以て取ること無かる可しとは、天下に兩ながら可なるの事有りや、と。曰く、之れ有り。朋友の饋の如きは、是れ取る可し。然れども己自ら足る可くんば、是れ取る可からず。纔かに之を取れば、便ち廉を傷[そこな]うなり、と。曰く、取りて廉を傷うは、固に不可なり。然れども與えて惠むを傷うは何の害あらん、と。曰く、是れ惠むに害有るなり。以て與う可し。然れども却って以て與えざる可し。若し與うるの時、財或は贍[た]らざれば、却って當に與う合き者に於て之を與う可き無し。且博く施して衆を濟うは、固より聖人の欲する所。然れども却って五十の者方に帛を衣、七十の者方に肉を食うに、如し四十の者をして帛を衣、五十の者をして肉を食わしめば、豈更に好からざらんや。然れども力以て給す可からずして、當に帛を衣肉を食う合き者便ち足らざるなり。此れ惠むを傷う所以なり、と。

問人有不爲、然後可以有爲。曰、此只是有所擇之人能擇其可爲不可爲也。纔有所不爲、便可以有爲也。若無所不爲、豈能有爲邪。
【読み】
人せざること有りて、然して後に以てすること有る可しというを問う。曰く、此は只是れ擇ぶ所の人有りて能く其のす可くす可からざるを擇ぶなり。纔かにせざる所有れば、便ち以てすること有る可し。若しせざる所無くんば、豈能くすること有らんや、と。

問、非禮之禮、非義之義、何謂也。曰、恭本爲禮。過恭是非禮之禮也。以物與人爲義。過與是非義之義也。曰、此事何止大人不爲。曰、過恭過與是細人之事、猶言婦人之仁也。只爲佗小了。大人豈肯如此。
【読み】
問う、非禮の禮、非義の義とは、何の謂ぞや、と。曰く、恭は本より禮爲り。恭しきを過ぎれば是れ非禮の禮なり。物を以て人に與うるは義爲り。過ぎて與うるは是れ非義の義なり、と。曰く、此の事何ぞ止大人のみせざる、と。曰く、恭しきを過ぎると過ぎて與うるは是れ細人の事、猶婦人の仁と言うがごとし。只佗の小と爲し了わる。大人豈肯えて此の如くならんや、と。

問、天民・天吏・大人、何以別。曰、順天行道者、天民也。順天爲政者、天吏也。大人者、又在二者之上。孟子曰、充實而有光輝之謂大。聖人豈不爲天民・天吏。如文王・伊尹是也。大而化之之謂聖、聖而不可知之之謂神。非是聖人上別有一等神人。但聖人有不可知處便是神也。化與變化之化同。若到聖人、更無差等也。或曰、堯・舜・禹・湯・文・武如何。曰、孔子嘗論堯・舜矣。如曰惟天爲大、惟堯則之、如此等事甚大。惟堯・舜可稱也。若湯・武、雖是事不同、不知是聖人不是聖人。或曰、可以湯・武之心求之否。曰、觀其心、如行一不義、殺一不辜、雖得天下不爲、此等事、大賢以上人方(一作皆。)爲得。若非聖人、亦是亞聖一等人也。若文王、則分明是大聖人也。禹又分明如湯・武。觀舜稱其不矜不伐、與孔子言無閒然之事、又却別有一箇氣象。大抵生而知之、與學而知之、及其成功一也。
【読み】
問う、天民・天吏・大人は、何を以て別たん、と。曰く、天に順いて道を行う者は、天民なり。天に順いて政を爲むる者は、天吏なり。大人は、又二者の上に在り。孟子曰く、充實して光輝有る之を大と謂う、と。聖人豈天民・天吏爲らざらんや。文王・伊尹の如き是れなり。大にして之を化する之を聖と謂い、聖にして之を知る可からず之を神と謂う。是れ聖人の上に別に一等の神人有るに非ず。但聖人にして知る可からざる處有るは便ち是れ神なり。化は變化の化と同じ。聖人に到るが若きは、更に差等無し、と。或るひと曰く、堯・舜・禹・湯・文・武は如何、と。曰く、孔子嘗て堯・舜を論ぜり。惟天を大なりとす、惟り堯のみ之に則ると曰うが如き、此れ等の事の如き甚だ大なり。惟堯・舜のみ稱す可し。湯・武の若きは、是の事同じからずと雖も、是れ聖人か是れ聖人ならざるかを知らず、と。或るひと曰く、湯・武の心を以て之を求む可きや否や、と。曰く、其の心を觀るに、一つの不義を行い、一つの辜あらざるを殺して、天下を得ると雖もせずというが如き、此れ等の事は、大賢以上の人方に(一に皆に作る。)得たりとす。若し聖人に非ずんば、亦是れ亞聖一等の人なり。文王の若きは、則ち分明に是れ大聖人なり。禹も又分明に湯・武の如し。舜の其の矜[ほこ]らず伐[ほこ]らざるを稱すると、孔子閒然すること無しと言うとの事を觀るに、又却って別に一箇の氣象有り。大抵生まれながらにして之を知ると、學んで之を知ると、其の成功に及んでは一なり、と。

蘇季明問、舜執其兩端、注以爲過不及之兩端、是乎。曰、是。曰、旣過不及、又何執乎。曰、執猶今之所謂執持使不得行也。舜執持過不及、使民不得行、而用其中使民行之也。又問、此執與湯執中如何。曰、執只是一箇執。舜執兩端、是執持而不用。湯執中而不失、將以用之也。若子莫執中、却是子莫見楊・墨過不及、遂於過不及二者之閒執之。却不知有當摩頂放踵利天下時、有當拔一毛利天下不爲時。執中而不通變、與執一無異。
【読み】
蘇季明問う、舜其の兩端を執る、注に以て過不及の兩端と爲すとは、是なりや、と。曰く、是なり、と。曰く、旣に過不及なれば、又何ぞ執らんや、と。曰く、執るとは猶今の所謂執持して行うことを得ざらしむというがごとし。舜過不及を執持して、民をして行うことを得ざらしめて、其の中を用いて民をして之を行わしむるなり、と。又問う、此の執と湯中を執ると如何、と。曰く、執は只是れ一箇の執。舜兩端を執るは、是れ執持して用いず。湯中を執りて失わざるは、將に以て之を用いんとするなり。子莫が中を執るが若きは、却って是れ子莫楊・墨の過不及を見て、遂に過不及の二つの者の閒に於て之を執る。却って當に頂を摩して踵に放[いた]るまで天下を利すべき時有り、當に一毛を拔いて天下を利すともせざるべき時有ることを知らず。中を執って變に通ぜざるは、一を執ると異なること無し、と。

季明問、君子時中、莫是隨時否。曰、是也。中字最難識。須是默識心通。且試言一廳則中央爲中、一家則廳中非中而堂爲中。言一國則堂非中而國之中爲中。推此類可見矣。且如初寒時、則薄裘爲中、如在盛寒而用初寒之裘、則非中也。更如三過其門不入、在禹・稷之世爲中、若居陋巷、則不中矣。居陋巷、在顏子之時爲中、若三過其門不入、則非中也。或曰、男女不授受之類皆然。曰、是也。男女不授受中也。在喪祭則不如此矣。
【読み】
季明問う、君子時に中すとは、是れ時に隨うこと莫きや否や、と。曰く、是なり。中の字最も識り難し。須く是れ默識心通すべし。且試みに一廳を言えば則ち中央を中と爲し、一家は則ち廳中は中に非ずして堂を中と爲す。一國を言えば則ち堂は中に非ずして國の中を中と爲す。此の類を推して見る可し。且初寒の時の如きは、則ち薄裘を中と爲し、如し盛寒に在って初寒の裘を用いば、則ち中に非ざるなり。更に三たび其の門を過れども入らざるが如き、禹・稷の世に在っては中と爲し、陋巷に居るが若きは、則ち中ならず。陋巷に居るは、顏子の時に在っては中と爲し、三たび其の門を過れども入らざるが若きは、則ち中に非ざるなり、と。或るひと曰く、男女授受せざるの類も皆然るか、と。曰く、是なり。男女授受せざるは中なり。喪祭に在っては則ち此の如くならず、と。

問、堯・舜・湯・武事迹雖不同、其心德有閒否。曰、無閒。曰、孟子言、堯・舜性之、湯・武身之。湯・武豈不性之邪。曰、堯・舜生知、湯・武學而知之。及其成功一也。身之、言履之也。反之、言歸於正也。
【読み】
問う、堯・舜・湯・武の事迹同じからずと雖も、其の心德閒有りや否や、と。曰く、閒無し、と。曰く、孟子言う、堯・舜は之を性のままにし、湯・武は之を身よりす、と。湯・武は豈之を性のままにせざるか、と。曰く、堯・舜は生まれながらに知り、湯・武は學んで之を知る。其の成功に及んでは一なり。之を身よりすとは、之を履むを言う。之に反るとは、正に歸るを言う、と。

或問、夫子賢於堯・舜、信諸。曰、堯・舜豈可賢也。但門人推尊夫子之道、以謂仲尼垂法萬世。故云爾。然三子之論聖人、皆非善稱聖人者。如顏子、便不如此道、但言仰之彌高、鑽之彌堅而已。後來惟曾子善形容聖人氣象。曰、子溫而厲、威而不猛、恭而安。又郷黨一篇、形容得聖人動容注措甚好。使學者宛如見聖人。
【読み】
或るひと問う、夫子は堯・舜に賢れり、と、信なりや、と。曰く、堯・舜に豈賢る可けんや。但門人夫子の道を推尊して、以謂えらく、仲尼法を萬世に垂る、と。故に爾か云う。然れども三子の聖人を論ずる、皆善く聖人を稱する者に非ず。顏子の如きは、便ち此の如く道わず、但之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しと言うのみ。後來惟曾子のみ善く聖人の氣象を形容す。曰く、子溫[おだ]やかにして厲[おごそ]かなり、威ありて猛からず、恭にして安し、と。又郷黨の一篇、聖人の動容を形容し得て注措甚だ好し。學者をして宛[あたか]も聖人を見るが如くならしむ、と。

觀水有術、必觀其瀾、瀾湍急處、於此便見源之無窮。今人以波對瀾、非也。下文日月有明、容光必照、以言其容光無不照、故知日月之明無窮也。
【読み】
水を觀るに術有り、必ず其の瀾[せ]を觀るとは、瀾は湍[せ]の急なる處、此に於て便ち源の窮まり無きことを見る。今の人波を以て瀾に對するは、非なり。下の文に日月明有り、容光必ず照らすというは、其の容光照らさざること無きことを言うを以て、故に日月の明窮まり無きことを知るなり。

問、孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。且人與禽獸甚懸絕矣。孟子言此者、莫是只在去之、存之上有不同處。曰、固是。人只有箇天理。却不能存得、更做甚人也。泰山孫明復有詩云、人亦天地一物耳。飢食渴飮無休時。若非道義充其腹、何異鳥獸安鬚眉。上面說人與萬物皆生於天地意思、下面二句如此。或曰、退之雜說有云、人有貌如牛首蛇形鳥喙而心不同焉、可謂之非人乎。卽有顏如渥丹者、其貌則人、其心則禽獸、又惡可謂之人也。此意如何。曰、某不盡記其文、然人只要存一箇天理。
【読み】
問う、孟子曰く、人の禽獸と異なる所以の者は幾[いくばく]も希[な]し。庶民は之を去り、君子は之を存す、と。且人と禽獸と甚だ懸絕す。孟子此を言う者は、是れ只之を去り、之を存するの上に在って同じからざる處有ること莫きや、と。曰く、固に是なり。人は只箇の天理を有するのみ。却って存し得ること能わざれば、更に甚人とか做らん。泰山の孫明復詩有り云う、人も亦天地の一物なるのみ。飢えて食し渴して飮んで休む時無し。若し道義其の腹に充つるに非ずんば、何ぞ鳥獸の鬚眉を安んずるに異ならん、と。上面は人と萬物と皆天地に生ずる意思を說き、下面の二句は此の如し、と。或るひと曰く、退之が雜說に云えること有り、人貌牛首蛇形鳥喙の如くにして心同じからざる有り、之を人に非ずと謂う可けんや。卽ち顏渥丹の如くなる者有りて、其の貌は則ち人、其の心は則ち禽獸、又惡んぞ之を人と謂う可き、と。此の意如何、と。曰く、某盡くは其の文を記せず、然れども人は只一箇の天理を存せんことを要すのみ、と。

問、守身如何。曰、守身、守之本。旣不能守身、更說其道義。曰、人說命者、多不守身、何也。曰、便是不知命。孟子曰、知命者不立巖牆之下。或曰、不說命者又不敢有爲。曰、非特不敢爲、又有多少畏恐。然二者皆不知命也。
【読み】
問う、身を守ること如何、と。曰く、身を守るは、守るの本なり。旣に身を守ること能わずんば、更に甚の道義を說かん、と。曰く、人命を說く者、多くは身を守らざるは、何ぞや、と。曰く、便ち是れ命を知らざるなり。孟子曰く、命を知る者は巖牆の下に立たず、と。或るひと曰く、命を說かざる者も又敢えてすること有らざらんや、と。曰く、特敢えてせざるのみに非ず、又多少畏れ恐るること有り。然れども二つの者は皆命を知らざるなり、と。

莫之爲而爲、莫之致而致、便是天理。司馬遷以私意妄窺天道、而論伯夷曰、天道無親、常與善人。若伯夷者、可謂善人非邪。天道甚大。安可以一人之故、妄意窺測。如曰顏何爲而殀、跖何爲而壽、皆指一人計較天理。非知天也。
【読み】
之をすること莫くしてし、之を致すこと莫くして致すは、便ち是れ天理。司馬遷私意を以て妄りに天道を窺いて、伯夷を論じて曰く、天道親しみ無し、常に善人に與す。伯夷の若き者は、善人と謂う可きや非ずや、と。天道は甚だ大なり。安んぞ一人の故を以て、妄意に窺い測る可けん。顏何の爲にして殀し、跖何の爲にして壽なると曰うが如きも、皆一人を指して天理を計較す。天を知るに非ざるなり。

問、桎梏而死者、非正命也。然亦是命否。曰、聖人只敎人順受其正、不說命。或曰、桎梏死者非命乎。曰、孟子自說了、莫非命也。然聖人却不說是命。
【読み】
問う、桎梏して死する者は、正命に非ず。然れども亦是れ命なりや否や、と。曰く、聖人は只人順いて其の正を受くることを敎えて、命を說かず、と。或るひと曰く、桎梏して死する者は命に非ざるや、と。曰く、孟子自ら說き了わる、命に非ざること莫し、と。然れども聖人は却って是れ命と說かず、と。

故者以利爲本。故是本如此也。纔不利便害性。利只是順。天下只是一箇利、孟子與周易所言一般。只爲後人趨著利便有弊、故孟子拔本塞源、不肯言利。其不信孟子者、却道不合非利。李遘是也。其信者、又直道不得近利。人無利、直是生不得。安得無利。且譬如倚子。人坐此便安、是利也。如求安不已、又要褥子、以求溫暖、無所不爲、然後奪之於君、奪之於父。此是趨利之弊也。利只是一箇利、只爲人用得別。
【読み】
故は利を以て本と爲す。故は是れ本此の如し。纔かに利せざれば便ち性を害す。利は只是れ順うなり。天下は只是れ一箇の利、孟子と周易に言う所とは一般なり。只後人利便に趨著して弊有るが爲に、故に孟子本を拔き源を塞いで、肯えて利を言わず。其の孟子を信ぜざる者は、却って利に非ざる合からずと道う。李遘是れなり。其の信ずる者は、又道を直くして利に近づくことを得ず。人利無ければ、直に是れ生ずることを得ず。安んぞ利無きことを得ん。且譬えば倚子の如し。人此に坐して便ち安んずるは、是れ利なり。如し安んぜんことを求めて已まずして、又褥子を要して、以て溫暖を求めて、せざるという所無く、然して後に之を君に奪い、之を父に奪う。此は是れ利に趨るの弊なり。利は只是れ一箇の利、只人用い得て別なることを爲す。

博弈小數、不專心致志、猶不可得。況學道而悠悠、安可得也。仲尼言、吾嘗終日不食、終夜不寢、以思。無益。不如學也。又曰、朝聞道、夕死可矣。不知聖人有甚事來、追切了底死地如此。文意不難會。須是求其所以如此何故、始得。聖人固是生知、猶如此說、所以敎人也。學如不及、猶恐失之。纔說姑待來日、便不可也。
【読み】
博弈は小數なれども、心を專らにし志を致さざれば、猶得可からず。況んや道を學んで悠悠たらば、安んぞ得可けん。仲尼言く、吾れ嘗て終日食わず、終夜寢ねず、以て思う。益無し。學ぶには如かず、と。又曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり、と。知らず、聖人甚事か有り來りて、追切して死地に底[いた]ること此の如きを。文意會し難からず。須く是れ其の此の如くなる所以は何が故ぞと求めて、始めて得るべし。聖人は固より是れ生知なれども、猶此の如く說くは、人を敎うる所以なり。學は及ばざるが如くす、猶之を失わんことを恐る。纔かに姑く來日を待つと說かば、便ち不可なり。

子之燕居、申申夭夭、如何。曰、申申是和樂中有中正氣象、夭夭是舒泰氣象、此皆弟子善形容聖人處也。爲申申字說不盡、故更著夭夭字。今人不怠惰放肆、必太嚴厲。嚴厲時則著此四字不得、放肆時亦著此四字不得。除非是聖人、便自有中和之氣。
【読み】
子の燕居は、申申夭夭たりとは、如何、と。曰く、申申は是れ和樂の中に中正の氣象有り、夭夭は是れ舒泰の氣象、此れ皆弟子善く聖人を形容する處なり。申申の字說き盡くさざるが爲に、故に更に夭夭の字を著く。今の人怠惰放肆ならざれば、必ず太だ嚴厲なり。嚴厲なる時は則ち此の四字を著くることを得ず、放肆なる時も亦此の四字を著くることを得ず。除非[ただ]是れ聖人は、便ち自づから中和の氣有るのみ、と。

問、務民之義、敬鬼神而遠之、何以爲知。曰、只此兩句、說知亦盡。且人多敬鬼神者、只是惑、遠者又不能敬、能敬能遠、可謂知矣。又問、莫是知鬼神之道、然後能敬能遠否。曰、亦未說到如此深遠處。且大綱說、當敬不惑也。問、今人奉佛、莫是惑否。曰、是也。敬佛者必惑、不敬者只是孟浪不信。又問、佛當敬否。曰、佛亦是胡人之賢智者、安可慢也。至如陰陽卜筮擇日之事、今人信者必惑、不信者亦是孟浪不信。如出行忌太白之類、太白在西、不可西行。有人在東方居、不成都不得西行。又却初行日忌、次日便不忌。次日不成不衝太白也。如使太白爲一人爲之、則鬼神亦勞矣(如行遇風雨之類、則凡在行者皆遇之也。)。大抵人多記其偶中耳。
【読み】
問う、民の義を務めて、鬼神を敬して之を遠ざくとは、何を以て知とする、と。曰く、只此の兩句、知を說くこと亦盡くせり。且人多く鬼神を敬する者は、只是れ惑い、遠ざくる者は又敬すること能わず、能く敬し能く遠ざくるは、知と謂う可し、と。又問う、是れ鬼神の道を知ること莫くして、然して後に能く敬し能く遠ざくるや否や、と。曰く、亦未だ此の如く深遠なる處に說き到らず。且つ大綱に說く、當に敬して惑わざるべし、と。問う、今の人の佛に奉ずるは、是れ惑うこと莫きや否や、と。曰く、是なり。佛を敬する者は必ず惑い、敬せざる者は只是れ孟浪にして信ぜず、と。又問う、佛は當に敬すべきや否や、と。曰く、佛も亦是れ胡人の賢智なる者、安んぞ慢る可けん。陰陽卜筮日を擇ぶの事の如きに至っても、今の人信ずる者は必ず惑い、信ぜざる者は亦是れ孟浪にして信ぜず。出行に太白を忌むの類の如き、太白西に在れば、西に行く可からず。人有り東方に在りて居すれば、都て西に行くことを得ずと成さざらんや。又却って初行の日忌みて、次の日は便ち忌まず。次の日は太白を衝かずと成さざらんや。如し太白をして一人の爲に之を爲さしめば、則ち鬼神も亦勞せん(行くとき風雨に遇うの類の如き、則ち凡そ行に在る者皆之に遇わん。)。大抵人多く其の偶々中るを記するのみ、と。

問、伯夷不念舊惡、何也。曰、此淸者之量。伯夷之淸、若推其所爲、須不容於世、必負石赴河乃已。然却爲他不念舊惡、氣象甚宏裕。此聖人深知伯夷處。問、伯夷叩馬諫武王、義不食周粟。有諸。曰、叩馬則不可知。非武王誠有之也。只此便是佗隘處。君尊臣卑、天下之常理也。伯夷知守常理、而不知聖人之變、故隘。不食周粟、只是不食其祿。非餓而不食也。至如史記所載諫詞、皆非也。武王伐商卽位、已十一