二程全書卷之五十四  明道先生文

銘詩

顏樂亭銘(爲孔周翰作。)
【読み】
顏樂亭の銘(孔周翰の爲に作る。)

天之生民、是爲(一作惟。)物則。非學非師、孰覺孰識。
聖賢之分、古難其明。有孔之遇、有顏之
(一作其。)生。
聖以道化、賢以學行。萬世心目、破昏爲醒。
周爰闕里、惟顏舊止。巷汙以榛、井堙而圮。
郷閭蚩蚩、弗視弗履。有卓其誰、師門之嗣。
追古念今、有惻其心。良價善諭、發帑出金。
巷治以闢、井渫而深。淸泉澤物、佳木成陰。
載基載落、亭曰顏樂。昔人有心、予忖予度。
千載之上、顏惟
(一作爲。)孔學、百世之下、顏居孔作。
盛德彌光、風流日長。道之無疆、古今所常。
水不忍廢、地不忍荒。嗚呼正學、其何可忘。
【読み】
天の民を生ずる、是れ物の則を爲す(一に惟に作る。)。學に非ず師に非ずんば、孰か覺り孰か識らん。
聖賢の分、古より其の明らかなることを難しとす。孔の遇有り、顏の(一に其に作る。)生有り。
聖は道を以て化し、賢は學を以て行う。萬世の心目、昏を破って醒ますことをす。
周の爰の闕里、惟顏舊止まる。巷汙れて以て榛[しげ]り、井堙[ふさ]がって圮[やぶ]る。
郷閭蚩蚩[しし]として、視ず履まず。卓たる有るは其れ誰ぞ、師門の嗣。
古を追い今を念って、其の心を惻[いた]ましむること有り。良賈善く諭して、帑を發し金を出す。
巷治めて以て闢[ひら]き、井渫[さら]って深し。淸泉物を澤[うるお]し、佳木陰を成す。
載[すなわ]ち基し載ち落す、亭を顏樂と曰う。昔人心有り、予れ忖[はか]り予れ度る。
千載の上、顏、孔の學を惟い(一に爲に作る。)、百世の下、顏、孔の作すに居る。
盛德彌々光り、風流日に長し。道の疆り無き、古今常なる所。
水廢るに忍びず、地荒れるに忍びず。嗚呼正學、其れ何ぞ忘る可けん。

遊鄠縣山詩十二首(有序。)
【読み】
鄠縣山[こけんざん]に遊ぶ詩十二首(序有り。)

僕自幼時、已聞秦山多奇、占有扈者尤復秀出。常恨遊賞無便。嘉祐二年、始應舉得官。遂請于天官氏、願主簿書於是邑。謂(徐本謂作爲。)厭飫雲山、以償素志。今到官幾二年矣、中閒被符移奔走外幹者三居其二。其一則簿書期會、倉廥出入、固無暇息。惟白雲特在山面、最爲近邑。常乘閒兩至。其餘佳處、都未得往。變化初心、辜負泉石。五年二月初吉、聞貳車晁公來遊諸山。先是、晁公見約同往。會探吏失期。二日早、晁公以書見命。始知車騎已留草堂、走白邑。大夫張君、時民產有在山麓者、以罪沒官府。符方命量其租入之數。因請以往、鞭馬至山。而晁公已由高觀登紫閣、還憩下院、見待已久。遂奉陪西遊、經李氏五花莊、息駕池上、夜宿白雲精舍。詰旦、晁公西首。僕復竝山、東遊紫閣、登南山望仙掌、回抵高觀谷探石穴、窺石潭、因周視所定田、徜徉於花林水竹閒、夜止草堂。是晩、雨氣自西山來。始慮不得徧詣諸境。一霎遂霽。明旦、入太平谷、憩息於重雲下院。自入太平谷、山水益奇絕、殆非人境。石道甚巇、下視可悸。往往步亂石閒、入長嘯洞、過虎溪西南、下至重雲、轉西閣、訪鳳池、觀雲頂・淩霄・羅漢三峰、登東嶺、望大頂積雪、復東北來雲際下深澗。白石磷磷於水閒、水聲淸冷可愛。坐石掬水、戀戀不能去者久之、遂宿大定寺。凌晨、登上方、候日初上、西望藥山、北眺大頂。千峰萬巒、目極無際。下山緣東澗、渡橫橋、復憩於重雲下院、出谷、遊太平宮故基而歸。馬上率爾口語、往往成詩章、自入山至歸、凡四日、得長短詠共十二篇。姑存之、以誌遊覽之次第云。
【読み】
僕幼なりし時自り、已に聞く、秦山多く奇にして、有扈に占むる者尤も復秀出すと。常に恨むらくは遊賞便無きことを。嘉祐二年、始めて舉に應じて官を得。遂に天官氏に請いて、簿書を是の邑に主らんことを願う。雲山に厭飫して、以て素志を償わんと謂う(徐本謂を爲に作る。)。今官に到って幾ど二年、中閒符移されて外幹に奔走する者三其の二に居す。其の一は則ち簿書の期會、倉廥[そうかい]の出入、固に暇息無し。惟白雲特り山面に在って、最も邑に近しとす。常に閒に乘じて兩たび至る。其の餘の佳處は、都て未だ往くことを得ず。初心に變化し、泉石に辜負す。五年二月初吉、貳車晁公諸山に來り遊ぶことを聞く。是より先、晁公同じく往くことを約せらる。會々吏を探して期を失す。二日早に、晁公書を以て命ぜらる。始めて知る、車騎已に草堂に留まり、白邑に走ることを。大夫張君、時に民產山麓に在る者有り、罪を以て官府に沒す。符方に命じて其の租入の數を量らしむ。因りて請いて以て往いて、馬に鞭うって山に至る。而して晁公已に高觀由り紫閣に登り、還って下院に憩いて、待たるること已に久し。遂に陪を奉って西遊して、李氏の五花莊を經、駕を池上に息い、夜白雲精舍に宿す。詰旦、晁公西首す。僕復山に竝[そ]って、東に紫閣に遊び、南山に登り仙掌を望み、回って高觀谷に抵[いた]って石穴を探り、石潭を窺い、因りて定むる所の田を周視し、花林水竹の閒に徜徉[しょうよう]して、夜草堂に止まる。是の晩、雨氣西山自り來る。始めて慮る、徧く諸境に詣ることを得ざらんことを。一霎[しょう]し遂に霽[は]れる。明旦、太平谷に入りて、重雲の下院に憩息す。太平谷に入りて自り、山水益々奇絕にして、殆ど人境に非ず。石道甚だ巇[けわ]しくして、下視悸[おそ]る可し。往往に亂石の閒に步して、長嘯洞に入り、虎溪の西南を過りて、下りて重雲に至り、西閣に轉じ、鳳池を訪い、雲頂・淩霄・羅漢の三峰を觀、東嶺に登って、大頂の積雪を望み、復東北より雲際に來りて深澗に下る。白石水閒に磷磷として、水聲淸冷なること愛す可し。石に坐し水を掬って、戀戀として去ること能わざる者久しくして、遂に大定寺に宿す。凌晨、上方に登り、日の初めて上るを候[ま]って、西のかた藥山を望み、北のかた大頂を眺む。千峰萬巒[らん]、目無際を極む。山を下って東澗に緣り、橫橋を渡って、復重雲の下院に憩い、谷を出て、太平宮の故基に遊んで歸る。馬上に率爾として口語して、往往に詩章を成すこと、山に入りて自り歸るに至るまで、凡そ四日、長短の詠共に十二篇を得。姑く之を存して、以て遊覽の次第を誌すと云う。

白雲道中

吏身拘絆同疏屬。俗眼(徐本眼作服。)塵昏甚瞽矇。辜負終南好泉石、一年一度到山中。
【読み】
吏身拘絆せられて疏屬に同じ。俗眼(徐本眼を服に作る。)塵昏甚だ瞽矇。終南の好泉石に辜負して、一年一度山中に到る。

馬上偶成

身勞無補公家事、心冗空令學業衰。世路嶮巇功業遠。未能歸去不男兒。
【読み】
身勞して公家の事に補い無く、心冗して空しく學業をして衰えしむ。世路の嶮巇[けんき]功業遠し。未だ歸り去ること能わずんば男兒ならず。

遊紫閣山
【読み】
紫閣山に遊ぶ

仙掌遠相招、縈紆渡石橋。暝雲生澗底、寒雨下山腰。
樹色千層亂、天形一罅遙。吏紛難久駐、回首羨漁樵。
【読み】
仙掌遠く相招く、縈紆[えいう]として石橋を渡る。暝雲澗底に生じ、寒雨山腰を下る。
樹色千層亂れ、天形一罅[いっか]遙かなり。吏紛久しく駐[とど]まり難し、首を回して漁樵を羨む。

獼猴(山僧云、晏元獻公來、獼猴滿山。)
【読み】
獼猴(山僧云く、晏元獻公來るとき、獼猴山に滿つ、と。)

聞說獼猴性頗靈。相車來便滿山迎。鞭羸到此何曾見。始覺毛蟲更世情。
【読み】
聞說[き]くならく、獼猴性頗る靈なり、と。相車來るとき便ち山に滿ちて迎う。鞭羸[つか]れて此に到るも何ぞ曾て見ん。始めて覺う毛蟲更に世情なることを。

高觀谷

轟雷疊鼓響前峰。來自彤雲翠藹中。洞壑積陰成氣象、鬼神憑暗弄威風。
噴崖雨露千尋濕、落石珠璣萬顆紅。縱有虯龍難駐足。還應不是旱時功。
【読み】
轟雷疊鼓前峰に響く。來ること彤雲[とううん]翠藹[すいあい]の中自りす。洞壑陰を積んで氣象を成し、鬼神暗に憑[み]ちて威風を弄す。
崖に噴く雨露千尋濕い、石を落とす珠璣萬顆紅なり。縱[たと]い虯龍[きゅうりょう]有りとも足を駐め難し。還って是れ旱時の功あらざる應し。

草堂(寺在竹林之心。其竹蓋將十頃。)
【読み】
草堂(寺は竹林の心に在り。其の竹蓋し將に十頃にならんとす。)

參差臺殿綠雲中、四面篔簹一徑通。曾讀華陽眞誥上、神仙居在碧琳宮。
【読み】
參差たる臺殿綠雲の中、四面の篔簹[うんとう]一徑通ず。曾て讀む華陽眞誥の上、神仙の居は碧琳宮に在り。

長嘯巖中得冰、以石敲餐甚佳
【読み】
長嘯巖中に冰を得、石を以て敲き餐するに甚だ佳なり

車倦人煩渴思長。巖中冰片玉成方。老仙笑我塵勞久、乞與雲膏洗俗腸。
【読み】
車倦み人煩わして渴思長し。巖中の冰片玉方を成す。老仙我が塵勞の久しきを笑って、雲膏を乞與して俗腸を洗わしむ。

遊重雲
【読み】
重雲に遊ぶ

久厭塵籠萬慮昏。喜尋泉石暫淸神。目勞足倦深山裏。猶勝低眉對俗人。
【読み】
久しく厭う塵籠萬慮昏せることを。喜ぶらくは泉石を尋ねて暫く神を淸することを。目勞し足倦む深山の裏。猶眉を低[た]れて俗人に對するに勝れり。

長嘯洞北回望大頂如列屛幛。比到山前却不見。蓋爲仙掌所蔽
【読み】
長嘯洞の北より大頂を回し望めば屛幛を列ぬるが如し。山前に到るに比[およ]んで却って見えず。蓋し仙掌の爲に蔽わるればなり

行盡重雲幾曲山。回頭方見碧峰寒。天將仙掌都遮斷。元恐塵中俗眼看。
【読み】
行盡くす重雲幾曲の山。頭を回して方に見れば碧峰寒し。天仙掌を將て都て遮斷す。元恐る塵中俗眼の看ることを。

凌霄三峰

長嘯巖東古寺前、三峰相倚勢相連。偶逢雲靜得見日。若有路通須近天。
陰吹響雷生谷底、老松如箸見崖顚。結根不得居平地、猶與蓮花遠比肩。
【読み】
長嘯巖の東古寺の前、三峰相倚って勢相連なる。偶々雲靜かなるに逢って日を見ることを得。若し路通ずること有らば須く天に近づくべし。
陰吹雷を響して谷底に生じ、老松箸の如くにして崖顚に見る。結根平地に居することを得ず、猶蓮花と遠く肩を比[なら]ぶ。

雲際山

南藥東邊白閣西、登臨身共白雲齊。上方頂上朝來望、陡覺群峰四面低。
【読み】
南藥東邊白閣の西、登臨すれば身白雲と共に齊し。上方頂上朝來望めば、陡[にわか]に覺う群峰四面に低るることを。

下山偶成
【読み】
山より下って偶々成る

襟裾三日絕塵埃。欲上籃輿首重廻。不是吾儒本經濟、等閑爭肯出山來。
【読み】
襟裾三日塵埃を絕つ。籃輿に上らんと欲して首重ねて廻す。是れ吾が儒經濟を本とするにあらずんば、等閑に爭って肯えて山を出ん。

是遊也、得小松黃楊各四本、植於公署之西窗、戲作五絕、呈邑令張寺丞(興(徐本興作乘。)宗。)
【読み】
是の遊や、小松黃楊各々四本を得て、公署の西窗に植え、戲れに五絕を作って、邑令張寺丞(興(徐本興を乘に作る。)宗。)に呈す

中春時節百花明、何必繁弦列管聲。借問す近郊行樂の地、潢(一作璜。)溪山水照人淸。
【読み】
中春の時節百花明なり、何ぞ必とせん繁弦列管の聲。借問す近郊行樂の地、潢(一に璜に作る。)溪の山水人を照らして淸し。

心閑不爲管弦樂。道勝豈因名利榮。莫謂冗官難自適。暇時還得肆遊行。
【読み】
心閑にして管弦の樂をせず。道勝して豈名利の榮に因らんや。謂うこと莫し冗官自適し難しと。暇ある時還って肆に遊行することを得ん。

功名不是關心事、富貴由來自有天。任是榷酤虧課利、不過抽得俸中錢。
【読み】
功名是れ心事に關らず、富貴由り來ること自づから天に有り。任是[たと]い榷酤[かっこ]課利を虧くとも、俸中の錢を抽[ひ]き得るに過ぎず。

有生得遇唐虞聖、爲政仍逢守令賢。縱得無能閑主簿、嬉遊不負豔陽天。
【読み】
生まるること有りて唐虞の聖に遇うことを得、政を爲め仍りて守令の賢に逢う。縱[たと]い無能の閑主簿を得るとも、嬉遊豔陽の天に負[そむ]かず。

獄訟已聞冤滯雪、田農還喜土膏匀。只應野叟猶相笑、不與溪山作主人。
【読み】
獄訟已に聞いて冤滯雪ぐ、田農還って喜ぶ土膏匀しきことを。只野叟猶相笑う應し、溪山に與して主人と作らざることを。

偶成(時作鄠縣主簿。)
【読み】
偶成(時に鄠縣の主簿と作る。)

雲淡風輕近午天、望花隨柳過前川。旁人不識予心樂、將謂偸閑學少年。
【読み】
雲淡く風輕し近午の天、花を望み柳に隨って前川を過ぐ。旁人予が心の樂しみを識らず、將に閑を偸[ぬす]んで少年を學ぶと謂わん。

郊行卽事

芳原綠野恣行時、春入遙山碧四圍。興逐亂紅穿柳巷、困臨流水坐苔磯。
莫辭盞酒十分醉、祗恐風花一片飛。況是淸明好天氣、不妨遊衍莫忘歸
【読み】
芳原綠野恣[ほしいまま]に行く時、春遙山に入りて碧四[よも]に圍む。興すれば亂紅を逐って柳巷を穿ち、困すれば流水に臨んで苔磯に坐す。
辭すること莫し盞酒[さんしゅ]十分の醉、祗[まさ]に恐る風花一片飛ぶことを。況んや是れ淸明好天氣、遊衍を妨げず歸るを忘るること莫し

下白徑嶺、先寄孔周翰郎中
【読み】
白徑嶺を下って、先づ孔周翰郎中に寄す

驟經微雨過芳郊、轉覺長河氣象豪。歸騎已登吳坂峻、飛雲猶認華山高。
門前岐路通西國、城上樓臺壓巨濤。欲問甘棠舊風化、主人邀客醉春
(一作香。)醪。
【読み】
驟[にわか]に微雨の芳郊に過るを經、轉[うた]た覺う長河の氣象豪なることを。歸騎已に吳坂の峻きに登り、飛雲猶認む華山の高きことを。
門前の岐路西國に通じ、城上の樓臺巨濤を壓[お]す。甘棠の舊風化を問わんと欲すれば、主人客を邀[むか]えて春(一に香に作る。)醪[ろう]に醉う。

春日江上

新蒲嫩柳滿汀洲、春入漁舟一棹浮。雲幕倒遮天外日、風帘輕颺竹閒樓。
望窮遠岫微茫見、興逐歸槎汗漫遊。不畏蛟螭起波浪、却憐淸泚向東流。
【読み】
新蒲嫩[どん]柳汀洲に滿つ、春漁舟に入りて一棹浮かぶ。雲幕倒[さかしま]に遮る天外の日、風帘[ふうれん]輕く颺[あ]がる竹閒の樓。
望んで遠岫[えんしゅう]を窮むれば微茫として見え、興すれば歸槎を逐って汗漫として遊ぶ。畏れず蛟螭[こうち]の波浪を起こすことを、却って憐れむ淸泚[せいせい]として東に向かって流るることを。

題淮南寺
【読み】
淮南寺に題す

南去北來休便休、白蘋吹盡楚江秋。道人不是悲秋客、一任晩山相對愁。
【読み】
南去北來休して便ち休す、白蘋[ひん]吹き盡くす楚江の秋。道人は是れ秋を悲しむ客にあらず、晩山に一任して相對して愁う。

桃花菊

仙人紺髪粉紅腮、近自武陵源上來(此花近歲方有。)。不似常花羞晩發、故將春色待秋開。
存留金蕊天偏與、漏泄春香衆始猜。兼得佳名共堅節、曉霜還獨對樓臺。
【読み】
仙人の紺髪粉紅の腮[あご]、近ごろ武陵源上自り來る(此の花近歲方に有り。)。常花の晩く發くことを羞づるに似ず、故[ことさら]に春色を將て秋を待って開く。
金蕊[きんずい]を存留して天偏に與え、春香を漏泄して衆始めて猜う。佳名と堅節とを兼ね得て、曉霜還って獨り樓臺に對す。

早寒

一夜威霜特地嚴、朝來寒氣入書簾。乍須火暖親爐獸、初覺冰澌結硯蟾。
敗葉卷
(徐本卷作捲。)風輕簌簌、遠峰經曉(徐本曉作燒。)靜尖尖。出門未要貂狐燠、且着輕裘次第添。
【読み】
一夜威霜特地に嚴なり、朝來の寒氣書簾に入る。乍[むし]ろ須く火暖爐獸に親しむべし、初めて覺う冰澌[ひょうし]硯蟾[けんせん]に結ぶことを。
敗葉風に卷(徐本卷を捲に作る。)いて輕くして簌簌[そくそく]、遠峰曉(徐本曉を燒に作る。)を經て靜かにして尖尖。門を出て未だ要せず貂狐の燠[あたた]かなることを、且輕裘を着て次第に添う。

新晴野步二首

靑帝方成萬物春、如何淫雨害芳晨。乞求共指雲閒日、悔恨輕嫌陌上塵。
消盡風威猶料峭、放閑山色已嶙峋。燕遊莫道王孫樂、亦有羲皇更上人。
【読み】
靑帝方に成す萬物の春、如何ぞ淫雨芳晨を害する。乞い求めて共に指す雲閒の日、悔い恨んで輕く嫌う陌[はく]上の塵。
風威を消盡すれども猶料峭[りょうしょう]、山色を放閑すれば已に嶙峋[りんしゅん]。燕遊道うこと莫かれ王孫樂しむと、亦羲皇更上の人有り。

陰曀消除六幕寬、嬉遊何事我心閑。鳥聲人意融和候、草色花芳杳藹閒。
水底斷霞光出岸、雲頭斜日影銜山。緣情若論詩家興、却恐騷人合厚顏。
【読み】
陰曀[いんえい]消除して六幕寬し、嬉遊何事ぞ我が心閑なる。鳥聲き人意融和の候、草色花芳杳藹[ようあい]の閒。
水底の斷霞光岸を出て、雲頭の斜日影山を銜[ふく]む。緣情若し詩家の興を論ぜば、却って恐る騷人厚顏なる合きことを。

中秋月

雲靜好風吹、淸光溢四垂。金行方盛日、陰魄正中時。
髣髴窺瑤闕、分明露桂枝。遴英同醉賞、誰復嘆官羈。
【読み】
雲靜かにして好風吹く、淸光四垂に溢る。金行方に盛んなる日、陰魄正に中する時。
髣髴として瑤闕を窺い、分明に桂枝を露す。英を遴[むさぼ]って同じく醉賞す、誰か復官羈を嘆ぜん。

盆荷二首

庭下竹靑靑、盆(一作圓。)荷水面平。誰言無遠趣、自覺有餘淸。
影倒假山翠、波光朝日明。漣漪尤綠淨、涼吹夜來生。
【読み】
庭下の竹靑靑として、盆(一に圓に作る。)荷水面に平らかなり。誰か言う遠趣無しと、自ら覺う餘淸有ることを。
影倒して假山翠[みどり]に、波光って朝日明らかなり。漣漪[れんい]尤も綠淨なり、涼吹夜來生ず。

衡茅岑寂掩柴關、庭下蕭疏竹數竿。狹地難容大池沼、淺盆聊作小波瀾。
澄澄皓月供宵影、瑟瑟涼風助曉寒。不校蹄涔與滄海、未知淸興有誰安。
【読み】
衡茅岑寂として柴關を掩う、庭下蕭疏たり竹數竿。狹地大池沼を容れ難し、淺盆小波瀾を作す。
澄澄たる皓月[こうげつ]宵影を供し、瑟瑟たる涼風曉寒を助く。蹄涔[ていしん]と滄海とを校べず、未だ知らず淸興誰に有って安んぜん。

象戲

大都博奕皆戲劇、象戲翻能學用兵。車馬尙存周戰法、偏裨兼備漢官名。
中軍八面將軍重、河外尖斜
(徐本尖斜作斜尖。)步卒輕。却凭紋楸聊自笑、雄如劉・項亦閑爭。
【読み】
大都の博奕皆戲劇、象戲翻[かえ]って能く兵を用うることを學ぶ。車馬尙存す周の戰法、偏裨兼ね備う漢の官名。
中軍八面將軍重く、河外尖斜(徐本尖斜を斜尖に作る。)步卒輕し。却って紋楸[もんしゅう]に凭[よ]って自ら笑う、雄劉・項の如きも亦閑爭なることを。

九日訪張子直、承出看花。戲書學舍五首
【読み】
九日張子直を訪うに、出でて花を看ると承る。戲れに學舍に書す五首

平昔邀相見。過門又不逢。貪隨看花伴。應笑我龍鍾。
【読み】
平昔邀[もと]めて相見んとす。門を過れども又逢わず。貪って花を看る伴に隨わんとす。笑う應し我が龍鍾たることを。

須知春色醲於酒。醉得遊人意自狂。直使華顚老公子、看花爭入少年場。
【読み】
須く知るべし春色酒より醲きことを。醉い得て遊人意自づから狂す。直使[たと]い華顚の老公子も、花を看れば爭って少年場に入らん。

貪花自是少年事。沈酒定嫌醒者非。顧我疏慵老山野。却騎歸馬背斜暉。
【読み】
花を貪るは自づから是れ少年の事。酒に沈んでは定めて醒者の非を嫌わん。我を顧みるに疏慵にして山野に老う。却って歸馬に騎って斜暉[しゃき]を背にせん。

下馬問老僕、言公賞花去。只在近園中。叢深不知處。
【読み】
馬より下りて老僕に問えば、言う公花を賞して去ると。只近園の中に在らん。叢深くして處を知らず。

桃李飄零杏子靑、滿城車馬響春霆。就中得意張公子、十日花前醉不醒。
【読み】
桃李飄零して杏子靑し、滿城の車馬春霆に響く。中に就いて意を得る張公子、十日花前醉って醒めず。

戲題

曾是去年賞春日。春光過了又逡巡。却是去年春自去。我心依舊去年春。
【読み】
曾て是れ去年春日を賞す。春光過ぎて又逡巡す。却って是れ去年の春自づから去る。我が心舊に依る去年の春。

贈王求(一作永。)甫鐵如意
【読み】
王求(一に永に作る。)甫に鐵如意を贈る

妖言莫信傳張惡。虛氣休將碎唾壺。借問閑窗靜抓背、何如爭勝擊珊瑚。
【読み】
妖言張惡を傳うることを信ずること莫かれ。虛氣唾壺を碎くことを將うることを休[や]めよ。借問す閑窗靜かに背を抓[か]くとも、何如ぞ爭って珊瑚を擊つに勝えん。

和家君早寒之什
【読み】
家君早寒の什を和す

滿地淸霜結曉寒。平明飛霰灑柴關。乍憑酒力溫肌骨。陡覺風威著(徐本著作着。)面顏。
閭裏相呼泥北戶、牛羊收牧下前山。急須趁日藏薪炭。凍後高枝不易攀。
【読み】
滿地の淸霜曉寒に結ぶ。平明飛霰柴關に灑[そそ]ぐ。乍[まさ]に酒力に憑[よ]って肌骨を溫む。陡[にわか]に覺う風威面顏に著(徐本著を着に作る。)くことを。
閭裏相呼んで北戶を泥[ぬ]り、牛羊收牧して前山を下る。急に須く日を趁[お]って薪炭を藏むべし。凍後高枝攀[ひ]くこと易からず。

和詠草
【読み】
草を詠ずるを和す

漸覺東皇意思匀、陳根初動夜來新。忽驚平地有輕綠、已蓋六街無舊塵。
莫爲枯榮吟野草
(恐當作火。)、且憐愁醉柅(舊作枕。)香輪。詩人空怨王孫遠、極目萋萋又一春。
【読み】
漸く覺う東皇意思匀しきことを、陳根初めて動いて夜來新たなり。忽ち驚く平地に輕綠有ることを、已に六街に蓋って舊塵無し。
枯榮の爲に野草(恐らくは當に火に作るべし。)を吟ずること莫かれ、且つ憐れむ愁醉香輪を柅[とど](舊枕に作る。)むることを。詩人空しく怨む王孫遠きことを、目を極むれば萋萋として又一春。

和邵堯夫打乖吟二首
【読み】
邵堯夫打乖の吟を和す二首

打乖非是要安身、道大方能混世塵。陋巷一生顏氏樂、淸風千古伯夷貧。
客求墨妙多攜卷、天爲詩豪剩借春。儘把笑談親俗子、德容猶足慰郷人。
【読み】
打乖は是れ身を安んずることを要するに非ず、道大にして方に能く世塵に混ず。陋巷一生顏氏の樂しみ、淸風千古伯夷の貧しき。
客墨妙を求めて多く卷を攜え、天詩豪の爲に剩[さか]んに春を借す。儘く笑談を把って俗子に親しむ、德容猶郷人を慰するに足れり。

聖賢事業本經綸、肯爲巢由繼後塵。三幣未回伊尹志、萬鍾難換子輿貧。
且因經世藏千古、已占西軒度十春。時止時行皆有命、先生不是打乖人。
【読み】
聖賢の事業は經綸を本とす、肯えて巢由の爲に後塵を繼がんや。三幣未だ回らず伊尹の志、萬鍾換え難し子輿の貧。
且經世に因って千古を藏し、已に西軒を占って十春を度る。時に止め時に行わるるは皆命有り、先生は是れ打乖の人にあらず。

和堯夫首尾吟
【読み】
堯夫首尾の吟を和す

先生非是愛吟詩、爲要形容至樂時。醉裏乾坤都寓物、閑來風月更輸誰。
死生有命人何與、消長隨時我不悲。直到希夷無事處、先生非是愛吟詩。
【読み】
先生は是れ吟詩を愛するに非ず、爲に至樂の時を形容せんことを要す。醉裏の乾坤都て物に寓す、閑來の風月更に誰を輸[いた]さん。
死生命有り人何ぞ與らん、消長時に隨って我れ悲しまず。直に希夷無事の處に到る、先生は是れ吟詩を愛するに非ず。

和堯夫西街之什二首
【読み】
堯夫西街の什を和す二首

先生相與賞西街、小子親攜几杖來。行次每容參劇論、坐隅還許侍餘杯。
檻前流水心同樂、林外靑山眼重開。時泰身閑難兩得、直須乘興數追陪。
【読み】
先生相與に西街を賞す、小子親ら几杖を攜え來る。行次每に容[ゆる]す劇論に參[あづか]ることを、坐隅還って許す餘杯に侍することを。
檻前の流水心同じく樂しみ、林外の靑山眼重ねて開く。時泰に身閑なること兩ながら得難し、直に須く興に乘じて數々追陪すべし。

先生高蹈隱西街、風月猶牽賦詠才。暫到鄰家賞池館、便將佳句寫瓊瑰。
壯圖已讓心先快、劇韻仍降字占挼。只有一條誇大甚、水邊曾未兩三杯。
【読み】
先生高く蹈んで西街に隱る、風月猶牽く賦詠の才。暫く鄰家に到って池館を賞し、便ち佳句を將て瓊瑰を寫す。
壯圖已に讓って心先づ快く、劇韻仍[しばしば]降って字占挼[も]む。只一條誇大なること甚だしき有り、水邊曾て未だ兩三杯ならず。

遊月陂
【読み】
月陂に遊ぶ

月陂堤上四徘徊、北有中天百尺臺。萬物已隨秋氣改、一樽聊爲晩涼開。
水心雲影閑相照、林下泉聲靜自來。世事無端何足計、但逢佳日約重陪。
【読み】
月陂堤上四[よも]に徘徊す、北に中天百尺の臺有り。萬物已に秋氣に隨って改り、一樽晩涼の爲に開く。
水心の雲影閑に相照らし、林下の泉聲靜かに自ら來る。世事端無し何ぞ計るに足らん、但佳日に逢って重陪を約す。

秋日偶成二首

寥寥天氣已高秋、更倚凌虛百尺樓。世上利名羣蠛蠓、古來興廢幾浮漚。
退安陋巷顏回樂、不見長安李白愁。兩事到頭須有得、我心處處自優遊。
【読み】
寥寥たる天氣已に高秋、更に凌虛百尺の樓に倚る。世上の利名羣蠛蠓[べつもう]、古來の興廢幾浮漚。
退き安んず陋巷顏回の樂しみ、見ず長安李白の愁い。兩事到頭須く得ること有るべし、我が心處處として自づから優遊。

閑來無(一作何。)事不從容、睡覺東窗日已紅。萬物靜觀皆自得、四時佳興與人同。
道通天地有形外、思入風雲變態中。富貴不淫貧賤樂、男兒到此是豪雄。
【読み】
閑來事として從容ならずということ無し(一に何に作る。)、睡覺めて東窗の日已に紅なり。萬物靜かに觀れば皆自得す、四時の佳興人と同じ。
道は天地有形の外に通じ、思いは風雲變態の中に入る。富貴にして淫せず貧賤にして樂しむ、男兒此に到るは是れ豪雄。

代少卿和王宣徽遊崇福宮
【読み】
少卿に代わって王宣徽が崇福宮に遊ぶを和す

睿祖開眞宇、祥光下紫微。威容凝粹穆、仙仗儼周圍。
嗣聖嚴追奉、神遊遂此歸。冕旒臨秘殿、天日照西畿。
朱鳳銜星蓋、淸童護玉衣。鶴笙鳴遠吹、珠蕊弄晴暉。
瑤草春常在、瓊霜曉未晞
(徐本晞作稀。)。木文靈像出、太一醴泉飛。
醮夕思飆馭、香晨望絳闈。衰遲愧宮職、蕭灑自忘機。
【読み】
睿祖眞宇を開き、祥光紫微より下る。威容粹穆を凝[な]し、仙仗儼として周圍す。
嗣聖嚴に追奉して、神遊遂に此に歸す。冕旒秘殿に臨み、天日西畿を照らす。
朱鳳星蓋を銜み、淸童玉衣を護す。鶴笙遠吹に鳴り、珠蕊[しゅずい]晴暉[せいき]に弄す。
瑤草春常に在り、瓊霜曉未だ晞[き](徐本晞を稀に作る。)えず。木文靈像出て、太一醴泉飛ぶ。
醮[しょう]夕飆馭[ひょうぎょ]を思い、香晨絳闈[こうい]を望む。衰遲宮職を愧ぢ、蕭灑として自づから機を忘る。

和王安之五首
【読み】
王安之に和す五首

小園
閑坊西曲奉常家、景物天然占一窳。恰似庾園基址小、全勝浥澗路途賖。
知君陋巷心猶樂、比我僑居事已誇。且喜杖藜相過易、隔牆無用少遊車。
(白樂天有詩戲盧中丞、浥澗山居去城之遠。)
【読み】
小園
閑坊の西曲奉常の家、景物天然一窳[ゆ]を占む。恰も庾園[ゆえん]の基址小なるに似たり、全く浥澗の路途賖[しゃ]なるに勝れり。
知んぬ君が陋巷心猶樂しむことを、我が僑居に比するに事已に誇る。且喜ぶ杖藜相過ること易きことを、牆を隔てて少遊が車を用うること無し。(白樂天盧中丞に戲る詩有り、浥澗の山居城を去ること遠し、と。)

野軒
誰憐大第多奇景、自愛貧家有古風。會向紅塵生野思、始知泉石在胸中。
【読み】
野軒
誰か憐れまん大第奇景多きことを、自ら愛す貧家古風有ることを。會々紅塵に向かって野思を生ず、始めて知る泉石胸中に在ることを。

汙亭
强潔猶來眞有爲、好高安得是無心。汙亭妙旨君須會、物我何爭事莫侵。
【読み】
汙亭
潔きを强うるは猶來す眞の有爲を、高きを好むは安んぞ是の無心を得ん。汙亭の妙旨君須く會すべし、物我何ぞ爭わん事侵すこと莫し。

藥軒
囊中數味應千種、砌下栽苗過百名。好是微風入庭戶、淸香交送滿簷楹。
【読み】
藥軒
囊中の數味應に千種なるべし、砌下[せいか]の栽苗百名に過ぐ。好き是れ微風庭戶に入る、淸香交々送って檐楹[えんえい]に滿つ。

晩暉亭
亭下花光春正好、亭頭山色晩尤佳。欲知剩占淸(一作春。)風處、思順街東第一家。
【読み】
晩暉亭
亭下の花光春正に好し、亭頭の山色晩に尤も佳なり。剩[さかんに]淸(一に春に作る。)風の處を占むることを知らんと欲せば、思順街東第一家。

和花庵
【読み】
花庵に和す

得意卽爲適、種花非貴多。一區才丈席、滿目自雲蘿。
靜聽禽聲樂、閑招月色過。期公在康濟、終奈此情何。
【読み】
意を得れば卽ち適くことを爲す、花を種うること多きを貴ぶに非ず。一區才かに丈席、滿目自づから雲蘿。
靜かに禽聲の樂しむを聽き、閑に月色の過ぐるを招く。期す公康濟に在り、終に此の情を奈何。

子直示以新詩一軸、偶爲四韻奉謝
【読み】
子直示すに新詩一軸を以てす、偶々四韻を爲りて謝し奉る

治劇君能佚、居閑我更慵。自惟降藻麗、不解繼春容。
寡和知高唱、深情見古風。靜吟梁甫意、眞似臥隆中。
【読み】
劇を治めて君能く佚[いっ]し、閑に居して我れ更に慵[ものう]し。自ら惟藻麗を降す、春容を繼ぐことを解せず。
和を寡くして高唱を知り、情を深くして古風を見る。靜かに吟ずれば梁甫の意、眞に隆中に臥するに似る。

和諸公梅臺
【読み】
諸公の梅臺に和す

急須乘興賞春英、莫待空枝謾寄聲。淑景暖風前日事、淡雲微雨此時情。
【読み】
急に須く興に乘じて春英を賞すべし、待つこと莫かれ空枝謾に聲を寄することを。淑景暖風前日の事、淡雲微雨此の時の情。

後一日再和
【読み】
後一日再び和す

常勸嬉遊須及辰、莫辭巾屨染埃塵。秖應風雨梅臺上、已減前時一半春。
【読み】
常に勸む嬉遊須く辰に及ぶべきことを、辭すること莫かれ巾屨埃塵に染まることを。秖[まさ]に風雨梅臺の上、已に前時一半の春を減ず應し。

送呂晦叔赴河陽
【読み】
呂晦叔の河陽に赴くを送る

曉日都門颭旆旌、晩風鐃吹入三城。知公再爲蒼生起、不是尋常刺史行。
【読み】
曉日都門旆旌[はいせい]を颭[せん]す、晩風鐃吹三城に入る。知んぬ公再び蒼生の爲に起こることを、是れ尋常刺史の行にあらず。

贈司馬君實
【読み】
司馬君實に贈る

二龍閑臥洛波淸、今日都門獨餞行。願得賢人均出處、始知深意在蒼生。
【読み】
二龍閑臥して洛波淸し、今日都門獨り行に餞す。願わくは賢人を得て均しく出處せんとす、始めて知る深意蒼生に在ることを。

哭張子厚先生
【読み】
張子厚先生を哭す

歎息斯文約共修、如何夫子便長休。山東無復蒼生望、西土誰共後學求。
千古聲名聯棣萼、二年零落去山丘。寢門慟哭知何限、豈獨交親念舊遊。
【読み】
歎息す斯の文共に修することを約することを、如何ぞ夫子便ち長く休する。山東復蒼生の望み無し、西土誰と共にか後學求めん。
千古の聲名棣萼[ていがく]に聯[つら]なり、二年零落して山丘に去る。寢門慟哭知んぬ何ぞ限りあらん、豈獨り交親して舊遊を念うのみならんや。

陪陸子履遊白石萬固
【読み】
陸子履白石萬固に遊ぶに陪す

條山蒼蒼河流黃、中蒲形勢天下疆。帝得賢侯殿一方、四年不更慰民望。
元豐戊午季春月、上心閔雨愁黎蒼。使車四出走羣望、我亦奉命來侯疆。
情誠
(徐本誠作神。)感格天意順、詔書纔下雨已霶。病麥還青禾出土、野農鼓舞歌君王。
故人相見不道舊、爲雨懽喜殊未央。聖主寬憂小臣樂、自可放蕩舒胸腸。
白石萬固皆勝地、主人爲我攜壺觴。況逢佳日俗所尙、車馬未曉塡康莊。
扶提十里雜老幼、迤邐千騎明戈槍。初聽鳴鐃入青靄、漸見朱旆輝朝陽。
遨頭自是謝康樂、後乘獨慚元漫郎。侯來雖知有賓客、衆喜更爲將豐穰。
臨溪坐石遍岩谷、幽處往往聞絲簧。山光似迎好客動、日景定爲遊人長。
乘高望遠興不盡、戀戀不知岐路忙。人生汨沒苦百態、得此樂事眞難常。
我辭佳境已惆悵、侯亦那得久此郷。他時會合重相語、辜負泉石何能忘。
【読み】
條山蒼蒼として河流黃なり、中蒲の形勢天下の疆。帝賢侯を得て一方を殿[しづ]む、四年更わらず民望を慰む。
元豐戊午季春の月、上の心雨を閔[うれ]い黎蒼を愁う。使車四[よも]に出て羣望に走る、我も亦命を奉じて侯の疆に來る。
精誠(徐本誠を神に作る。)感格天意順う、詔書纔かに下って雨已に霶[ほう]たり。病麥還って青く禾土を出づ、野農鼓舞して君王を歌う。
故人相見て舊を道わず、雨の爲に懽喜すること殊に未だ央ならず。聖主憂えを寬[ゆる]し小臣樂しむ、自ら放蕩して胸腸を舒[の]ぶ可し。
白石萬固皆勝地、主人我が爲に壺觴[こしょう]を攜う。況んや佳日俗の尙ぶ所に逢うをや、車馬未だ曉らざるに康莊に塡[み]つ。
扶提十里老幼を雜じえ、迤邐[いり]たる千騎戈槍明らかなり。初めて聽く鳴鐃青靄に入ることを、漸く見る朱旆朝陽に輝くことを。
遨頭自づから是れ謝康樂、後乘獨り慚づ元漫郎。侯來りて賓客有ることを知ると雖も、衆喜ぶ更に將に豐穰ならんとすることを。
溪に臨み石に坐して岩谷に遍し、幽處往往に絲簧を聞く。山光好客を迎えて動くに似る、日景定めて遊人の爲に長からん。
高きに乘り遠きを望んで興盡きず、戀戀として岐路の忙しきを知らず。人生汨沒苦に百態、此の樂しき事を得ること眞に常にし難し。
我れ佳境を辭して已に惆悵す、侯亦那ぞ此の郷に久しきことを得ん。他時會合して重ねて相語らば、泉石に辜負すとも何ぞ能く忘れん。

陳公廙園修禊事席上賦
【読み】
陳公廙園[よくえん]に禊事を修する席上に賦す

盛集蘭亭(徐本亭作臺。)舊、風流洛社今。坐中無俗客、水曲有淸音。
香篆來還去、花枝泛復沈。未須愁日暮、天際是輕陰。
【読み】
盛集蘭亭(徐本亭を臺に作る。)の舊、風流洛社の今。坐中俗客無く、水曲淸音有り。
香篆來りて還って去り、花枝泛[うか]んで復沈む。未だ須く日暮を愁うべからず、天際是れ輕陰。

春雪

二月將臨尾、羣陰久退潛。只知桃李豔、何復雪霜嫌。
密霰仍先集、飄霙忽散沾。帶風成料峭、和雨作廉纖。
江漢初彌望、珠璣亦閒兼。片痕才著
(徐本著作着。)瓦、斜勢漸穿簾。
鳥化遼城鶴、途鋪越女縑。落英時鬭舞、飛絮或同黏。
直把瓊瑤比、誰疑鵠鷺撏。透肌錐共利、灑面刃爭銛。
寒怯開闈賞、光凝伴月覘。價增樵市炭、興入酒家帘。
駐足銀妝履、昂頭玉裹髯。如何欺煦律、重復困窮閻。
薪乏經朝備、衣因恃暖拈。擷芳遊女恨、憂歲老農占。
惜竹頻敲葉、愁花旋覆苫。失權悲太皞、助虐有飛廉。
驟降初疑勇、旋消亦訝謙。朔雲雖借便、水后可無厭。
縱任陰靈巧、難令木氣殲。寒威徒自奮、春氣亦時添。
積勢方平壟、澌流
(徐本澌流作流澌。)已墜簷。暗空猶沓沓、近地卽佔佔。
遠水難遮面、高峰不裹尖。著
(徐本著作着。)牆聊畫粉、蓋地豈成鹽。
紈扇驚塵曀、昆崗認火炎。端來薦融釋、空復助洳漸。
積潤終滋嫩、驚雷亦震淹。東君莫惆悵、杲日待重瞻。
【読み】
二月將に尾に臨まんとす、羣陰久しく退き潛む。只知る桃李の豔なることを、何ぞ復雪霜嫌わん。
密霰仍[しばしば]先づ集まり、飄霙忽ち散沾す。風を帶びて料峭を成し、雨に和して廉纖を作す。
江漢初めて彌[あまね]く望み、珠璣亦閒兼す。片痕才かに瓦に著(徐本著を着に作る。)き、斜勢漸く簾を穿つ。
鳥は遼城の鶴と化し、途は越女の縑を鋪く。落英時に鬭舞し、飛絮[ひじょ]或は同黏[どうねん]す。
直に瓊瑤を把って比す、誰か鵠鷺を疑って撏[と]らん。肌に透けて錐利を共にし、面に灑[ち]って刃銛[するど]きことを爭う。
寒は闈を開いて賞することを怯れ、光は月に伴って覘[うかが]うに凝る。價は樵市の炭を增し、興すれば酒家の帘[れん]に入る。
足を駐むれば銀履に妝[よそお]いし、頭を昂ぐれば玉髯を裹[つつ]む。如何ぞ煦律[くりつ]を欺いて、重ねて復窮閻を困しむる。
薪は朝を經て備うるに乏しく、衣は暖を恃んで拈[ひね]るに因る。芳を擷[つ]んで遊女恨み、歲を憂えて老農占う。
竹を惜しんで頻りに葉を敲き、花を愁えて旋[つ]いで苫を覆う。權を失して太皞を悲しみ、虐を助けて飛廉有り。
驟[は]せ降って初めて勇なるかと疑い、旋消して亦謙なるかと訝る。朔雲便を借ると雖も、水后厭うこと無かる可し。
縱に陰靈の巧に任ずれども、木氣をして殲[つ]くさしめ難し。寒威徒に自ら奮い、春氣亦時に添う。
積勢方に壟に平らかに、澌流(徐本澌流を流澌に作る。)已に簷に墜つ。暗空猶沓沓たり、近地卽ち佔佔[せんせん]たり。
遠水面を遮り難く、高峰尖を裹まず。牆に著(徐本著を着に作る。)いて粉を畫く、地を蓋うに豈鹽と成らんや。
紈扇[がんせん]塵曀[じんえい]に驚き、昆崗火炎を認む。端に來りて融釋を薦[し]き、空しく復洳漸を助く。
積潤終に滋嫩[じどん]、驚雷亦震淹なり。東君惆悵すること莫かれ、杲日[こうじつ]重ねて瞻ることを待て。

晩春

人生百年永、光景我逾半。中閒幾悲歡、況復多聚散。
靑陽變晩春、弱條成老幹。不爲時節驚、把酒欲誰勸。
【読み】
人生百年の永き、光景我れ半ばを逾ゆ。中閒幾悲歡、況んや復多くは聚散す。
靑陽晩春に變じ、弱條老幹と成る。時節の爲に驚かずんば、酒を把って誰にか勸めんと欲す。

西湖

潩水橋邊鴨子陂、樓臺只在郡城西。烟波乍見心先快、島嶼將尋路欲迷。
盡日無風橫舴艋、有時經雨飮虹蜺。如何咫尺塵埃地、能使遊人意不齊。
【読み】
潩水橋邊鴨子陂、樓臺は只郡城の西に在り。烟波乍ち見て心先づ快く、島嶼[とうしょ]將に尋ねんとして路迷わんと欲す。
盡日風無くして舴艋[さくもう]を橫たえ、時有って雨を經て虹蜺[こうげい]を飮む。如何ぞ咫尺[しせき]塵埃の地、能く遊人をして意齊しからざらしむ。

環翠亭

城居不見萬山重、因起高亭破遠空。虛曠直疑天宇外、周旋如在畫屛中。
凝嵐散靄層層出、削玉排靑面面同。暫得登臨已忘去、四時佳致屬賢公。
【読み】
城居萬山の重なるを見ず、因りて高亭を起ちて遠空を破す。虛曠直に天宇の外かと疑い、周旋畫屛の中に在るが如し。
嵐を凝し靄を散じて層層出て、玉を削り靑を排して面面同じ。暫く登臨することを得て已に去ることを忘る、四時の佳致賢公に屬す。

酬韓持國資政湖上獨酌見贈
【読み】
韓持國資政湖上に獨酌して贈らるるに酬う

對花酌酒公能樂、飯糗羹藜我自貧。若語至誠無内外、却應分別更迷眞。(韓詩云、曲肱飮水程夫子、宴坐焚香范使君。愧我未能忘外樂、綠尊紅芰對西曛。)
【読み】
花に對し酒を酌んで公能く樂しむ、糗を飯にし藜を羹にして我れ自ら貧し。若し至誠内外無きことを語らば、却って分別せば更に眞に迷う應し。(韓が詩に云く、肱を曲げ水を飮む程夫子、宴坐香を焚く范使君。愧づ我れ未だ外の樂しみを忘るること能わざるを、綠尊紅芰[き]西曛[せいくん]に對す、と。)


二程全書卷之五十五  明道先生文二

表疏

上殿劄子

臣伏謂、君道之大、在乎稽古正學、明善惡之歸、辨忠邪之分、曉然趨道之正。故在乎君志先定、君志定而天下之治成矣。所謂定志者、一心誠意、擇善而固執之也。夫義理不先盡、則多聽而易惑、志意不先定、則守善而或移。惟在以聖人之訓爲必當從、先王之治爲必可法。不爲後世駁雜之政所牽制(一作滯。)、不爲流俗因循之論所遷惑、自知極於明、信道極於篤(一本此句在上句上。)、任賢勿貳、去邪勿疑、必期致世如三代之隆而後已也。
【読み】
上殿劄子
臣伏して謂えらく、君道の大なるは、古の正學を稽えて、善惡の歸を明らかにし、忠邪の分を辨えて、曉然として道の正しきに趨くに在り。故に君の志先づ定まるに在り、君の志定まって天下の治成る。所謂志を定むとは、心を一にし意を誠にし、善を擇んで固く之を執るなり。夫れ義理先づ盡くさざるときは、則ち多く聽いて惑い易く、志意先づ定まらざるときは、則ち善を守って或は移る。惟聖人の訓えを以て必ず當に從うべしとし、先王の治必ず法る可しとするに在り。後世駁雜の政の爲に牽制(一に滯に作る。)せられず、流俗因循の論の爲に遷惑せられず、自ら知ること明を極め、道を信ずること篤きを極め(一本に此の句上句の上に在り。)、賢を任ずるに貳[うたが]うこと勿く、邪を去るに疑い勿くして、必ず世三代の隆んなるが如くなることを致すことを期して而して後に已む。

然天下之事、患常生於忽微、而志亦戒乎漸習。是故古之人君、雖出入從容閒燕、必有誦訓箴諫之臣、左右前後無非正人。所以成其德業。伏願陛下禮命老成賢儒、不必勞以職事、俾日親便座、講論道義、以輔養聖德、又擇天下賢俊、使得陪侍法從、朝夕延見、開陳善道、講磨治體、以廣聞聽。如是、則聖智益明、王猷允塞矣。
【読み】
然れども天下の事、患え常に忽微に生じて、志亦漸習に戒む。是の故に古の人君、出入從容閒燕と雖も、必ず誦訓箴諫の臣有りて、左右前後正人に非ずということ無し。其の德業を成す所以なり。伏して願わくは陛下老成の賢儒に禮命して、必ず勞するに職事を以てせず、日に便座に親しんで、道義を講論して、以て聖德を輔養せしめ、又天下の賢俊を擇んで、陪侍法從することを得せしめ、朝夕延見せしめて、善道を開陳し、治體を講磨して、以て聞聽を廣めたまえ。是の如くなるときは、則ち聖智益々明らかに、王猷允に塞[み]たん。

今四海靡靡、日入偸薄、末俗嘵嘵、無復廉恥。蓋亦朝廷尊德樂道(一作義。)之風未孚、而篤誠忠厚之敎尙鬱也。惟陛下稽聖人之訓、法先王之治、一(一作正。)心誠意、體乾剛健而力行之、則天下幸甚。
【読み】
今四海靡靡として、日に偸薄[とうはく]に入り、末俗嘵嘵[ぎょうぎょう]として、廉恥に復すること無し。蓋し亦朝廷德を尊び道(一に義に作る。)を樂しむの風未だ孚あらずして、篤誠忠厚の敎尙鬱[ふさ]がればなり。惟陛下聖人の訓えを稽え、先王の治に法って、心を一にし(一に正に作る。)意を誠にして、乾の剛健に體して之を力め行わば、則ち天下幸甚ならん。


請修學校尊師儒取士劄子
【読み】
學校を修め師儒を尊び士を取ることを請う劄子

臣伏謂、治天下以正風俗、得賢才爲本。宋興百餘年、而敎化未大醇、人情未盡美、士人微謙退之節、郷閭無廉恥之行、刑雖繁而奸不止、官雖冗而材不足者、此蓋學校之不修、師儒之不尊、無以風勸養勵之使然耳。竊以去聖久遠、師道不立、儒者之學幾於廢熄。惟朝廷崇尙敎育之、則不日而復。古者一道德以同俗。苟師學不正、則道德何從而一。方今人執私見、家爲異說、支離經訓、無復統一。道之不明不行、乃在於此。
【読み】
臣伏して謂えらく、天下を治むるには風俗を正しくし、賢才を得るを以て本とす。宋興って百餘年にして、敎化未だ大いに醇ならず、人情未だ盡く美ならず、士人謙退の節微[な]く、郷閭廉恥の行い無く、刑繁しと雖も而れども奸止まず、官冗なりと雖も而れども材足らざる者は、此れ蓋し學校を修めず、師儒を尊ばず、以て風勸養勵すること無きが然らしむるのみ。竊かに以[おも]んみれば聖を去ること久遠にして、師道立たず、儒者の學廢熄するに幾し。惟朝廷崇尙して之を敎育せば、則ち不日にして復せん。古は道德を一にして以て俗を同じくす。苟も師學正しからずんば、則ち道德何に從って一ならん。方に今人々私見に執し、家異說を爲して、經訓を支離して、復一に統ぶること無し。道の明らかならず行われざること、乃ち此に在り。

臣謂、宜先禮命近侍賢儒、各以類舉。及百執事方嶽州縣之吏、悉心推訪。凡有明先王之道、德業充備、足爲師表者、其次有篤志好學、材良行修者、皆以名聞。其高蹈(一作尙。)之士、朝廷當厚禮延聘、其餘命州縣敦遣、萃於京師、館之寬閑之宇、豐其廩餼、卹其家之有無、以大臣之賢典領其事、俾羣儒朝夕相與講明正學。其道必本於人倫、明乎物理、其敎自小學灑掃應對以往、修其孝悌忠信、周旋禮樂。其所以誘掖激勵漸摩成就之道、皆有節序、其要在於擇善修身、至於化成天下、自郷人而可至於聖人之道。其學行皆中於是者爲成德。
【読み】
臣謂えれらく、宜しく先づ近侍の賢儒に禮命して、各々類を以て舉すべし。百の執事方嶽州縣の吏に及ぶまで、心を悉くして推訪したまえ。凡そ先王の道を明らかにすること有って、德業充ち備わって、師表と爲るに足る者、其の次は篤く志して學を好むこと有って、材良に行い修する者、皆名を以て聞せしめたまへ。其の高蹈(一に尙に作る。)の士は、朝廷當に厚く禮して延聘すべく、其の餘は州縣に命じて敦く遣わして、京師に萃め、之を寬閑の宇に館し、其の廩餼を豐かにし、其の家の有無を卹れんで、大臣の賢を以て其の事を典領せしめ、羣儒をして朝夕相與に正學を講明せしめたまえ。其の道は必ず人倫に本づき、物理を明らかにし、其の敎は小學の灑掃應對自り以往、其の孝悌忠信、周旋禮樂を修む。其の誘掖激勵漸摩成就する所以の道は、皆節序有り、其の要は善を擇び身を修むるに在って、天下を化成するに至り、郷人自りして聖人に至る可きの道なり。其の學行皆是に中る者を成德とす。

又其次取材識明達、可進於善者、使日受其業、稍久則舉其賢傑以備高任。擇其學業大明、德義可尊者、爲太學之師、次以分敎天下之學。始自藩府、至於列郡。擇士之願學、民之俊秀者入學。皆優其廩給而蠲其身役。凡其有父母骨肉之養者、亦通其優遊往來、以察其行。其大不率敎者、斥之從役。
【読み】
又其の次は材識明達にして、善に進む可き者を取って、日に其の業を受けしめ、稍久しきときは則ち其の賢傑を舉げて以て高任に備う。其の學業大いに明らかに、德義尊ぶ可き者を擇んで、太學の師とし、次には以て天下の學に分敎せしむ。藩府自り始めて、列郡に至る。士の學ばんことを願い、民の俊秀なる者を擇んで學に入る。皆其の廩給を優[ゆたか]にして其の身役を蠲[のぞ]く。凡そ其の父母骨肉の養有る者は、亦其の優遊往來に通じて、以て其の行いを察す。其の大いに敎に率わざる者は、之を斥けて役に從わしむ。

漸自太學及州郡之學、擇其道業之成、可爲人師者、使敎於縣之學。如州郡之制異日、則十室之郷達於黨遂皆當修其庠序之制、爲之立師、學者以次而察焉。縣令每歲與學之師以郷飮之禮會其郷老學者、衆推經明行修、材能可任之士、升於州之學、以觀其實。學荒行虧者罷歸而罪其吏與師。其升於州而當者、復其家之役。郡守又歲與學之師、行郷飮酒之禮、大會郡(徐本郡作群。)士、以經義・性行・材能三物賓興其士於太學。太學又聚而敎之、其學不明、行不修與材之下者罷歸、以爲郡守學師之罪。升於大學者、亦聽其以時還郷里、復來於學。
【読み】
漸[すす]めて太學及び州郡の學自り、其の道業の成って、人の師と爲る可き者を擇んで、縣の學に敎えしむ。如し州郡の制日を異にせば、則ち十室之郷黨遂に達して皆當に其の庠序の制を修し、之が爲に師を立て、學者次を以て察すべし。縣令每歲學の師と郷飮の禮を以て其の郷老學者を會し、衆々經明らかに行修め、材能く任ず可きの士を推さば、州の學に升らせて、以て其の實を觀る。學荒み行虧くる者は罷め歸して其の吏と師とを罪す。其の州に升って當たる者は、其の家の役を復す。郡守又歲々學の師と、郷飮酒の禮を行い、大いに郡(徐本郡を群に作る。)士を會して、經義・性行・材能の三物を以て其の士を太學に賓とし興く。太學に又聚めて之を敎うるに、其の學明らかならず、行い修めざると材の下れる者とは罷め歸して、以て郡守學師の罪とす。大學に升る者は、亦其の時を以て郷里に還って、復學に來ることを聽[ゆる]す。

太學歲論其賢者能者於朝。謂之選士。朝廷問之經以考其言、試之職以觀其材、然後辨論其等差而命之秩。凡處郡縣之學與太學者、皆滿三歲、然後得充薦。其自州郡升於太學者、一歲而後薦。其有學行超卓、衆所信服者、雖不處於學、或處學而未久、亦得備數論薦。
【読み】
太學歲々に其の賢者能者を朝に論ず。之を選士と謂う。朝廷之に經を問いて以て其の言を考え、之に職を試みて以て其の材を觀、然して後に其の等差を辨論して之が秩を命ず。凡そ郡縣の學と太學とに處する者は、皆三歲を滿たして、然して後に薦に充つることを得。其の州郡自り太學に升る者は、一歲にして而して後に薦む。其の學行超卓すること有って、衆信服する所の者は、學に處せず、或は學に處すれども而れども未だ久しからずと雖も、亦數に備えて薦を論ずることを得。

凡選士之法、皆以性行端潔、居家孝悌。有廉恥禮遜、通明學業、曉達治道者、在州縣之學、則先使其郷里長老、次及學衆推之。在太學者、先使其同黨、次及博士推之。其學之師與州縣之長、無或專其私。苟不以實、其懷奸罔上者、師長皆除其仕籍、終身不齒。失者亦奪官二等、勿以赦及去職論。州縣之長、蒞事未滿半歲者、皆不薦。士師皆取學者成否之分數爲之賞罰。
【読み】
凡そ選士の法は、皆性行端潔、居家孝悌を以てす。廉恥禮遜にして、學業に通じ明らかに、治道に曉らかに達する者有って、州縣の學に在るときは、則ち先づ其の郷里の長老に使いして、次に學衆之を推すに及ぶ。太學に在る者は、先づ其の同黨に使いして、次に博士之を推すに及ぶ。其の學の師と州縣の長と、其の私を專にすること或ること無し。苟も實を以てせずして、其の奸を懷き上を罔うる者は、師長皆其の仕籍を除いて、身を終うるまで齒せず。失する者は亦官二等を奪って、赦を以て去職の論に及ぶこと勿し。州縣の長、事に蒞むこと未だ半歲に滿たざる者は、皆薦めず。士師皆學者成否の分數を取って之が賞罰をす。

凡公卿大夫之子弟皆入學、在京師者入太學、在(徐本在作生。)外者各入其所在州之學。謂之國子。其有當補蔭者、竝如舊制。惟不選於學者、不授以職。每歲、諸路別言一路國子之秀者升於太學、其升而不當者、罪其監司與州郡之師。太學歲論國子之有學行材能者於朝。其在學賓興考試之法、皆如選士。
【読み】
凡そ公卿大夫の子弟は皆學に入って、京師に在る者は太學に入り、外に在る(徐本在を生に作る。)者は各々其の在する所の州の學に入る。之を國子と謂う。其の補蔭に當たること有る者は、竝に舊制の如し。惟學に選ばれざる者は、授くるに職を以てせず。每歲、諸路別に一路國子の秀と言う者は太學に升り、其の升って當たらざる者は、其の監司と州郡の師とを罪す。太學歲々に國子の學行材能有る者を朝に論ず。其の學に在る賓興考試の法は、皆選士の如し。

國子自入學、中外通及七年、或太學五年、年及三十以上、所學不成者、辨而爲二等。上者聽授以筦庫之任。自非其後學業修進、中於論選、則不復使親民政。其下者罷歸之。雖歲滿願留學者、亦聽其在外學。七歲而不中升選者、皆論致太學而考察之、爲二等之法。國子之大不率敎者、亦斥罷之。凡有職任之人、其學業材行應薦者、諸路及近侍以聞、處之太學。其論試亦如選士之法。取其賢能而進用之。凡國子之有官者、中選則增其秩。
【読み】
國子學に入りて自り、中外通じて七年に及ぶ、或は太學五年、年三十以上に及んで、學ぶ所成らざる者は、辨じて二等とす。上なる者は授くるに筦庫の任を以てすることを聽す。自ら其の後學業修め進んで、論選に中るに非ずんば、則ち復民政を親らせしめず。其の下なる者は之を罷め歸す。歲滿つと雖も留まり學ばんことを願う者は、亦其の外に在って學ぶことを聽す。七歲までにして升選に中らざる者は、皆論じて太學にして之を考察することを致して、二等の法を爲す。國子の大いに敎に率わざる者は、亦之を斥け罷む。凡そ職任有る人、其の學業材行薦に應ずる者、諸路及び近侍以て聞すれば、之を太學に處く。其の論試も亦選士の法の如し。其の賢能を取って之を進め用う。凡そ國子の官に有る者、選に中るときは則ち其の秩を增す。

臣謂、旣一以道德仁義敎養之、又專以行實材學升進、去其聲律小碎、糊名謄錄、一切無義理之弊、不數年閒、學者靡然丕變矣。豈惟得士浸廣。天下風俗將日入醇正、王化之本也。臣謂、帝王之道、莫尙於此。願陛下特留宸意、爲萬世行之。(熙寧元年上。時爲監察禦史裏行。)
【読み】
臣謂えらく、旣に一に道德仁義を以て之を敎養し、又專ら行實材學を以て升進し、其の聲律小碎を去って、名を糊して謄錄して、一切に義理の弊無くんば、數年の閒ならずして、學者靡然として丕[おお]いに變ぜん。豈惟士を得ること浸[やや]廣きのみならんや。天下の風俗將に日に醇正に入らんとするは、王化の本なり。臣謂えらく、帝王の道、此より尙きは莫し。願らくは陛下特に宸意[しんい]を留めて、萬世の爲に之を行いたまえ。(熙寧元年に上る。時に監察禦史裏行爲り。)


論王霸劄子
【読み】
王霸を論ずる劄子

臣伏謂、得天理之正、極人倫之至者、堯・舜之道也。用其私心、依仁義之偏者、霸者之事也。王道如砥、本乎人情、出乎禮義、若履大路而行、無復回曲。霸者崎嶇反側於曲徑之中、而卒不可與入堯・舜之道。故誠心而王則王矣。假之而霸則霸矣。二者其道不同、在審其初而已。易所謂差若毫釐、繆以千里者、其初不可不審也。故治天下者、必先立其志。正志先立、則邪說不能移、異端不能惑。故力進於道而莫之禦也。苟以霸者之心而求王道之成、是衒石以爲玉也。故仲尼之徒無道桓・文之事、而曾西恥比管仲者、義所不由也。況下於霸者哉。
【読み】
臣伏して謂えらく、天理の正しきを得、人倫の至りを極むる者は、堯・舜の道なり。其の私心を用い、仁義の偏に依る者は、霸者の事なり。王道は砥の如く、人情に本づき、禮義に出て、大路を履んで行って、復回曲すること無きが若し。霸者は崎嶇として曲徑の中に反側して、卒に與に堯・舜の道に入る可からず。故に誠心にして王たるときは則ち王なり。之を假りて霸たるときは則ち霸なり。二者の其の道同じからず、其の初めを審らかにするに在るのみ。易に所謂差うこと若し毫釐なれば、繆るに千里を以てする者は、其の初めを審らかにせずんばある可からず。故に天下を治むる者は、必ず先づ其の志を立つ。正しき志先づ立つときは、則ち邪說移すこと能わず、異端惑わすこと能わず。故に力めて道に進んで之を禦ぐこと莫し。苟も霸者の心を以て王道の成ることを求めば、是れ石を衒[う]って以て玉とするなり。故に仲尼の徒桓・文の事を道うこと無くして、曾西管仲に比することを恥づる者は、義の由らざる所なればなり。況んや霸より下なる者をや。

陛下躬堯・舜之資、處堯・舜之位。必以堯・舜之心自任、然後爲能充其道。漢・唐之君、有可稱者、論其人則非先王之學、考其時則皆駁雜之政、乃以一曲之見、幸致小康、其創法垂統、非可繼於後世者、皆不足爲也。然欲行仁政而不素講其具、使其道大明而後行、則或出或入、終莫有所至也。
【読み】
陛下堯・舜の資を躬らし、堯・舜の位に處す。必ず堯・舜の心を以て自ら任じて、然して後に能く其の道を充つとす。漢・唐の君、稱す可き有る者、其の人を論ずれば則ち先王の學に非ず、其の時を考うれば則ち皆駁雜の政、乃ち一曲の見を以て、幸いに小康を致せども、其の法を創[はじ]め統を垂るること、後世に繼ぐ可き者に非ず、皆するに足らざるなり。然も仁政を行わんと欲して素より其の具を講ぜず、其の道大いに明らかにして後に行わしめば、則ち或は出或は入りて、終に至る所有ること莫し。

夫事有大小、有先後。察其小、忽其大、先其所後、後其所先、皆不可以適治。且志不可慢、時不可失。惟陛下稽先聖之言、察人事之理、知堯・舜之道備於己、反身而誠之、推之以及四海、擇同心一德之臣、與之共成天下之務。書所謂尹躬曁湯、咸有一德。又曰一哉王心。言致一而後可以爲也。古者三公不必備、惟其人誠。以謂不得其人而居之、則不若闕之之愈也。蓋小人之事、君子所不能同。豈聖賢之事、而庸人可參之哉。欲爲聖賢之事、而使庸人參之、則其命亂矣。旣任君子之謀、而又入小人之議、則聰明不專而志意惑矣。今將救千古深錮之弊、爲生民長久之計。非夫極聽覽之明、盡正邪之辨、致一而不二、其能勝之乎。
【読み】
夫れ事に大小有り、先後有り。其の小を察して、其の大を忽にし、其の後にする所を先にして、其の先んずる所を後にせば、皆以て治に適う可からず。且つ志は慢る可からず、時は失う可からず。惟陛下先聖の言を稽え、人事の理を察し、堯・舜の道己に備わることを知って、身に反して之を誠にし、之を推して以て四海に及ぼし、同心一德の臣を擇んで、之と共に天下の務めを成したまえ。書に所謂尹が躬曁び湯、咸一德有り、と。又曰く、一なるかな王の心、と。言うこころは一を致して而して後に以て爲す可し。古は三公必ずしも備えざるは、惟其の人誠なればなり。以謂えらく、其の人を得て之を居かざるは、則ち之を闕くの愈れるには若かず。蓋し小人の事は、君子の同じきこと能わざる所。豈聖賢の事にして、庸人之を參う可けんや。聖賢の事を爲さんと欲して、庸人をして之を參えしめば、則ち其の命亂れん。旣に君子の謀に任じて、又小人の議に入るときは、則ち聰明專らならずして志意惑わん。今將に千古深錮の弊を救って、生民長久の計を爲さんとす。夫の聽覽の明を極め、正邪の辨を盡くして、一を致して二ならざるに非ずんば、其れ能く之に勝えんや。

或謂、人君舉動、不可不愼、易於更張、則爲害大矣。臣獨以爲不然。所謂更張者、顧理所當耳。其動皆稽古質義而行、則爲愼莫大焉。豈若因循苟簡、卒致敗亂者哉。自古以來、何嘗有師聖人之言、法先王之治、將大有爲而返成禍患者乎。願陛下奮天錫之勇智、體乾剛而獨斷、霈然不疑、則萬世幸甚。(熙寧二年上。時爲監察禦史裏行。)
【読み】
或るひと謂く、人君の舉動は、愼まずんばある可からず、更張に易きときは、則ち害を爲すこと大なり、と。臣獨り以爲らく、然らず、と。所謂更張は、理の當たる所を顧るのみ。其の動くこと皆古を稽え義を質して行わば、則ち愼み爲ること焉より大なるは莫し。豈苟簡に因循して、卒に敗亂を致す者の若くならんや。古自り以來、何ぞ嘗て聖人の言を師とし、先王の治に法り、將に大いにすること有らんとして返って禍患を成す者有らんや。願わくは陛下天錫の勇智を奮い、乾剛に體して獨斷して、霈然として疑わずんば、則ち萬世幸甚ならん。(熙寧二年に上る。時に監察禦史裏行爲り。)


論十事劄子(師傅 六官 經界 郷黨 貢士 兵役 民食 四民 山澤 分數)
【読み】
十事を論ずる劄子(師傅 六官 經界 郷黨 貢士 兵役 民食 四民 山澤 分數)

臣竊謂、聖人創法、皆本諸人情、極乎物理。雖二帝・三王不無隨時因革、踵(一作稱。)事增損之制。然至乎爲治之大原、牧民之要道、則前聖後聖、豈不同條而共貫哉。蓋無古今、無治亂、如生民之理有窮、則聖王之法可改。後世能盡其道則大治、或用其偏則小康。此歷代彰灼著明之效也。苟或徒知泥古、而不能施之於今、姑欲循名而遂廢其實、此則陋儒之見、何足以論治道哉。
【読み】
臣竊かに謂えらく、聖人の法を創る、皆人情に本づき、物理を極む。二帝・三王と雖も時に隨って因革し、事に踵[いた]って(一に稱に作る。)增損するの制無くんばあらず。然れども治を爲すの大原、民を牧うの要道に至っては、則ち前聖後聖、豈條を同じくして貫を共にせざらんや。蓋し古今無く、治亂無く、如し生民の理窮まり有らば、則ち聖王の法改む可し。後世能く其の道を盡くすときは則ち大いに治まり、或は其の偏を用うるときは則ち小しく康し。此れ歷代彰灼著明の效なり。苟も或は徒に古に泥むことを知って、之を今に施すこと能わず、姑く名に循わんと欲して遂に其の實を廢せば、此れ則ち陋儒の見、何ぞ以て治道を論ずるに足らんや。

然儻謂今人之情皆已異於古、先王之迹不可復於今、趣便目前、不務高遠、則亦恐非大有爲之論、而未足以濟當今之極弊也。謂如衣服飮食宮室器用之類、苟便於今而有法度者、豈亦遽當改革哉。惟其天理之不可易、人所賴以生、非有古今之異。聖人之所必爲者、固可概舉。然行之有先後、用之有緩速。若夫裁成運動、周旋曲當、則在朝廷講求設施如何耳。
【読み】
然るに儻[も]し今の人の情皆已に古に異なり、先王の迹今に復す可からずと謂いて、趣[たちま]ち目前に便りして、高遠を務めざるときは、則ち亦恐らくは大いにすること有るの論に非ずして、未だ以て當今の極弊を濟うに足らず。謂ゆる衣服飮食宮室器用の類の如き、苟も今に便にして法度有る者、豈亦遽に當に改め革むべけんや。惟其れ天理の易う可からずして、人賴って以て生ずる所は、古今の異なり有るに非ず。聖人の必ずする所の者、固に概舉す可し。然れども之を行うこと先後有り、之を用うること緩速有り。夫の裁成運動、周旋曲當の若きは、則ち朝廷講じ求め設け施すこと如何というに在るのみ。

古者自天子達於庶人、必須師友以成就其德業。故舜・禹・文・武之聖、亦皆有所從學。今師傅之職不修、友臣之義未著、所以尊德樂善之風未成於天下。此非有古今之異者也。
【読み】
古は天子自り庶人に達[いた]るまで、必ず師友を須って以て其の德業を成就す。故に舜・禹・文・武の聖も、亦皆從って學ぶ所有り。今師傅の職修まらず、友臣の義未だ著れず、所以に德を尊び善を樂しむの風未だ天下に成らず。此れ古今の異なり有る者に非ざるなり。

王者必奉天建官。故天地四時之職、歷二帝・三王未之或改。所以百度修而萬化理也。至唐、猶僅存其略。當其治時、尙得綱紀小正。今官秩淆亂、職業廢弛、太平之治所以未至。此亦非有古今之異也。
【読み】
王者必ず天に奉って官を建つ。故に天地四時の職、二帝・三王を歷て未だ之を改むること或ることあらず。所以に百度修めて萬化理まるなり。唐に至って、猶僅かに其の略を存す。其の治まる時に當たって、尙綱紀小しく正しきことを得。今官秩淆亂し、職業廢弛するは、太平の治未だ至らざる所以なり。此れ亦古今の異なり有るに非ざるなり。

天生蒸民、立之君使司牧之。必制其恆產、使之厚生、則經界不可不正、井地不可不均。此爲治之大本也。唐尙能有口分授田之制、今則蕩然無法、富者跨州縣而莫之止、貧者流離餓殍而莫之恤。幸民雖多、而衣食不足者、蓋無紀極。生齒日益繁、而不爲之制、則衣食日蹙、轉死日多。此乃治亂之機也。豈可不漸圖其制之之道哉。此亦非有古今之異者也。
【読み】
天蒸民を生じ、之が君を立てて之を司牧せしむ。必ず其の恆の產を制して、之をして生を厚くせしむるには、則ち經界正しくせずんばある可からず、井地均しくせずんばある可からず。此れ治を爲すの大本なり。唐尙能く口分授田の制有り、今は則ち蕩然として法無くして、富める者州縣に跨れども之を止むること莫く、貧しき者流離餓殍[がひょう]すれども之を恤れむこと莫し。幸民多しと雖も、衣食足らざる者、蓋し紀極無し。生齒日に益々繁くして、之が制を爲さざれば、則ち衣食日に蹙[せま]って、轉死日に多からん。此れ乃ち治亂の機なり。豈漸く其の之を制するの道を圖らざる可けんや。此れ亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

古者政敎始乎郷里。其法起於比閭族黨、州郷酇遂、以相聯屬統治。故民相安而親睦、刑法鮮犯、廉恥易格。此亦人情之所自然、行之則效。亦非有古今之異者也。
【読み】
古は政敎郷里に始まる。其の法比閭族黨、州郷酇[さん]遂に起こって、以て相聯屬して統治す。故に民相安んじて親睦して、刑法犯すこと鮮く、廉恥格し易し。此れ亦人情の自づから然る所にして、之を行えば則ち效あり。亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

庠序之敎、先王所以明人倫、化成天下。今師學廢而道德不一、郷射亡而禮義不興、貢士不本於郷里而行實不修、秀民不養於學校而人材多廢。此較然之事。亦非有古今之異者也。
【読み】
庠序の敎は、先王人倫を明らかにし、天下を化成する所以なり。今師學廢されて道德一ならず、郷射亡んで禮義興らず、貢士郷里に本づかずして行實修まらず、秀民學校に養われずして人材多く廢す。此れ較然の事なり。亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

古者府史胥徒受祿公上、而兵農未始判也。今驕兵耗匱、國力亦已極矣。臣謂禁衛之外、不漸歸之於農、則將貽深慮。府史胥徒之役、毒遍天下。不更其制、則未免大患。此亦至明之理。非有古今之異者也。
【読み】
古は府史胥徒祿を公上に受けて、兵農未だ始めより判たず。今驕兵耗匱して、國力亦已に極まる。臣謂えらく、禁衛の外、漸く之を農に歸せずんば、則ち將に深き慮りを貽[のこ]さんとす。府史胥徒の役、毒天下に遍し。其の制を更めずんば、則ち未だ大いなる患えを免れず。此れ亦至明の理なり。古今の異なり有るに非ざる者なり。

古者民必有九年之食、無三年之食者、以爲國非其國。臣觀天下耕之者少、食之者衆、地力不盡、人功不勤、雖富室强宗、鮮有餘積。況其貧弱者乎。或一州一縣有年歲之凶、卽盜賊縱橫、饑羸滿路。如不幸有方三二千里之災、或連年之歉、則未知朝廷以何道處之、則其患不可勝言矣。豈可曰昔何久不至。是因以幸爲可恃也哉。固宜漸從古制、均田務農、公私交爲儲粟之法、以爲之備。此亦無古今之異者也。
【読み】
古は民必ず九年の食有り、三年の食無き者は、以て國其の國に非ずとす。臣天下を觀るに之を耕す者は少なく、之を食する者は衆く、地力盡きず、人功勤めず、富室强宗と雖も、餘積有ること鮮し。況んや其の貧弱なる者をや。或は一州一縣年歲の凶有れば、卽ち盜賊縱橫して、饑羸[きるい]路に滿つ。如し不幸にして方三二千里の災い、或は連年の歉[けん]有れば、則ち未だ朝廷何の道を以て之に處せんということを知らず、則ち其の患え勝げて言う可からず。豈昔何ぞ久しく至らざらんと曰う可けんや。是れ幸いを以て恃む可しとするに因らんや。固に宜しく漸く古制に從って、田を均しくし農を務め、公私交々粟を儲[たくわ]うるの法を爲って、以て之が備えを爲すべし。此れ亦古今の異なり無き者なり。

古者四民各有常職、而農者十居八九。故衣食易給、而民無所苦困。今京師浮民、數逾百萬、遊手不可貲度。觀其窮蹙辛苦、孤貧疾病、變詐巧僞、以自求生、而常不足以生、日益歲滋、久將若何。事已窮極。非聖人能變而通之、則無以免患。豈可謂無可奈何而已哉。此在酌古變今、均多恤寡、漸爲之業、以救之耳。此亦非有古今之異者也。
【読み】
古は四民各々常の職有って、農は十に八九に居す。故に衣食給[つ]ぎ易くして、民苦困する所無し。今京師の浮民、數百萬に逾えて、遊手貲度[しど]す可からず。其の窮蹙辛苦、孤貧疾病を觀るに、變詐巧僞して、以て自ら生を求むれども、而れども常に以て生するに足らず、日々に益し歲々滋くば、久しくして將に若何にせん。事已に窮極せり。聖人能く變じて之を通ずるに非ずんば、則ち以て患えを免るること無けん。豈奈何ともす可きこと無きのみと謂う可けんや。此れ古を酌んで今を變じ、多きを均しくして寡きを恤れんで、漸く之が業を爲して、以て之を救うに在るのみ。此れ亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

聖人奉天理物之道、在乎六府。六府之任、治於五官。山虞澤衡、各有常禁。故萬物阜豐、而財用不乏。今五官不修、六府不治、用之無節、取之不時。豈惟物失其性。材木所資、天下皆已童赭、斧斤焚蕩、尙且侵尋不禁、而川澤漁獵之繁、暴殄天物、亦已耗竭、則將若之何。此乃窮弊之極矣。惟修虞衡之職、使將養之、則有變通長久之勢。此亦非有古今之異者也。
【読み】
聖人天を奉り物を理むるの道は、六府に在り。六府の任は、五官に治む。山虞澤衡、各々常の禁有り。故に萬物阜豐にして、財用乏しからず。今五官修まらず、六府治まらず、之を用うること節無く、之を取ること時ならず。豈惟物其の性を失うのみならんや。材木の資る所、天下皆已に童赭[どうしゃ]し、斧斤焚蕩、尙且侵尋として禁ぜず、而して川澤漁獵の繁き、天物を暴殄して、亦已に耗竭するときは、則ち將に之を若何にせん。此れ乃ち窮弊の極みなり。惟虞衡の職を修めて、將に之を養わしめば、則ち長久に變通するの勢有らん。此れ亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

古者冠婚喪祭、車服器用、等差分別、莫敢逾僭。故財用易給、而民有恆心。今禮制未修、奢靡相尙、卿大夫之家莫能中禮、而商販之類或逾王公。禮制不足以檢飭人情、名數不足以旌別貴賤。旣無定分、則奸詐攘奪、人人求厭其欲而後已。豈有止息者哉。此爭亂之道也。則先王之法、豈得不講求而損益之(徐本無之字。)哉。此亦非有古今之異者也。
【読み】
古は冠婚喪祭、車服器用、等差分別して、敢えて逾僭すること莫し。故に財用給ぎ易くして、民恆の心有り。今禮制未だ修まらず、奢靡相尙んで、卿大夫の家能く禮に中ること莫くして、商販の類或は王公に逾ゆ。禮制以て人情を檢飭するに足らず、名數以て貴賤を旌別するに足らず。旣に定まれる分無きときは、則ち奸詐攘奪して、人人其の欲に厭きて而して後に已めんことを求む。豈止息する者有らんや。此れ爭亂の道なり。先王の法に則って、豈講求して之を(徐本之の字無し。)損益せざることを得んや。此れ亦古今の異なり有るに非ざる者なり。

此十者特其端緒耳。臣特論其大端、以爲三代之法有必可施行之驗。如其綱條度數、施爲注措之道、則審行之、必也稽之經訓而合、施之人情而宜。此曉然之定理。豈徒若迂疎無用之說哉。惟聖明裁擇。
【読み】
此の十の者は特に其の端緒のみ。臣特に其の大端を論じて、以爲えり、三代の法必ず施し行う可きの驗有り、と。其の綱條度數、施爲注措の道の如きは、則ち審らかに之を行わば、必ずや之を經訓に稽えて合わせ、之を人情に施して宜しくしたまえ。此れ曉然の定理なり。豈徒迂疎無用の說の若くならんや。惟聖明裁擇したまえ。


論養賢劄子
【読み】
賢を養うことを論ずる劄子

臣竊以議當代者、皆知得賢則天下治、而未知所以致賢之道也。是雖衆論紛然、未極其要、朝廷亦以行之爲艱而不爲也。三代養賢、必本於學、而德化行焉、治道出焉。本朝踵循唐舊、而館閣淸選、止爲文字之職、名實未正、欲招賢養材以輔時讚化、將何從而致之也。臣歷觀古先哲王所以虛己求治、何嘗不盡天下之才以成己之德也。故曰、大舜有大焉、善與人同、樂取於人以爲善。今天下之大、豈爲乏賢。而朝廷無養賢之地、以容徐察其器識高下而進退之也。
【読み】
臣竊かに以えらく、當代を議する者、皆賢を得れば則ち天下治まることを知って、未だ賢を致す所以の道を知らず。是れ衆論紛然たりと雖も、未だ其の要を極めず、朝廷も亦以て之を行うを艱しとしてせず。三代賢を養うは、必ず學に本づいて、德化行われ、治道出づ。本朝唐の舊に踵[つ]ぎ循って、館閣の淸選、止文字の職と爲して、名實未だ正しからず、賢を招き材を養って以て時を輔けて讚化せしめんと欲すとも、將に何に從って之を致さん。臣歷く古先哲王の己を虛しくして治を求むる所以を觀るに、何ぞ嘗て天下の才を盡くして以て己が德と成さざらん。故に曰く、大舜は焉より大なること有り、善く人と同じくし、人に取って以て善をすることを樂しむ、と。今天下の大なる、豈賢に乏しとせんや。而るに朝廷賢を養うの地無くして、以て徐[ゆる]く其の器識の高下を察して之を進退す容けんや。

臣今欲乞朝廷設延英院以待四方之賢。凡公論推薦及巖穴之賢、必招致優禮、視品給俸、而不可遽進以官、止以應詔命名。凡有政治則委之詳定、凡有典禮則委之討論、經畫得以奏陳而治亂得以講究也。俾群居切磨、日盡其材、行其志、使政府及近侍之臣、互與相接、陛下時賜召對、詔以治道、可觀其材識器能也。察以累歲、人品益分、然後使賢者就位、能者任職、或委付郡縣、或師表士儒。其德業尤異、漸進以帥臣職司之任。爲輔弼、爲公卿、無施之不稱也。若是、則引彙竝進、野無遺賢、陛下尊賢待士之心、可謂無負於天下矣。取進止。
【読み】
臣今朝廷延英院を設けて以て四方の賢を待つことを乞わんと欲す。凡そ公論の推薦及び巖穴の賢、必ず招き致して優禮し、品を視て俸を給して、而れども遽に進むるに官を以てす可からず、止詔に應ずるを以て名を命じたまえ。凡そ政治有れば則ち之に詳定を委[まか]し、凡そ典禮有れば則ち之に討論を委し、經畫以て奏陳することを得て治亂以て講究することを得せしむ。群居切磨して、日に其の材を盡くし、其の志を行わしめ、政府及び近侍の臣をして、互いに與に相接せしめ、陛下時々召對を賜い、詔するに治道を以てして、其の材識器能を觀る可し。察するに累歲を以てし、人品益々分かれて、然して後に賢者をして位に就け、能者をして職に任ぜしめ、或は郡縣を委付し、或は士儒に師表たらしむ。其の德業尤も異なるは、漸く進んで以て臣職に帥たらしめて之が任を司らしめたまえ。輔弼と爲り、公卿と爲るとも、施して稱わずということ無けん。是の若きときは、則ち彙[たぐい]を引いて竝び進み、野に遺れる賢無くして、陛下賢を尊び士を待つの心、天下に負[そむ]くこと無しと謂う可し。進止を取る。


乞留張載狀。
【読み】
張載を留めんと乞う狀。

臣伏聞、差著作佐郎張載往明州推勘苗振公事。竊謂載經術德義、久爲士人師法、近侍之臣以其學行論薦。故得召對、蒙陛下親加延問、屢形天獎。中外翕然知陛下崇尙(徐本尙作高。)儒學、優禮賢俊。爲善之人、孰不知勸。今朝廷必欲究觀其學業、詳試其器能、則事固有繫敎化之本源於治政之大體者。儻使之講求議論、則足以盡其所至。
【読み】
臣伏して聞く、著作佐郎張載を差して明州に往いて苗振の公事を推勘せしめん、と。竊かに謂うに載の經術德義、久しく士人師法爲り、近侍の臣其の學行を以て薦を論ず。故に召せられ對することを得て、陛下親しく延問を加え、屢々天獎を形すことを蒙る。中外翕然として陛下儒學を崇尙(徐本尙を高に作る。)し、賢俊を優禮することを知る。善をする人、孰か勸むることを知らざらん。今朝廷必ず其の學業を究觀し、詳らかに其の器能を試さんと欲せば、則ち事固に敎化の本源を治政の大體に繫る者有り。儻し之をして議論を講求せしめば、則ち以て其の至る所を盡くすに足らん。

夫推按詔(一作訟。)獄、非謂儒者之不當爲。臣今所論者、朝廷待士之道爾。蓋試之以治獄、雖足以見其鉤深練覈之能、攻摘斷擊之用、正可試諸能吏、非所以盡儒者之事業。徒使四方之人謂朝廷以儒術賢業進人、而以獄吏之事試之、則抱道修潔之士、益難自進矣。於朝廷尊賢取士之體、將有所失。況苗振罪犯明白、情狀已具。得一公平幹敏之人、便足了事。伏乞朝廷別賜選差、貴全事體。謹具狀奏聞。(熙寧二年閏十一月上。時爲監察禦史裏行。)
【読み】
夫れ詔(一に訟に作る。)獄を推按すること、儒者の當にすべからずと謂うには非ず。臣が今論ずる所の者は、朝廷士を待つの道のみ。蓋し之を試みるに獄を治むることを以てするは、以て其の鉤深練覈の能、攻摘斷擊の用を見るに足れりと雖も、正に諸を能吏に試む可くして、儒者の事業を盡くす所以に非ず。徒に四方の人をして朝廷儒術賢業を以て人を進めて、獄吏の事を以て之を試むと謂わしめば、則ち道を抱き潔きを修するの士、益々自ら進むに難からん。朝廷賢を尊び士を取るの體に於て、將に失する所有らんとす。況んや苗振罪犯明白にして、情狀已に具わる。一りの公平幹敏の人を得ば、便ち事を了するに足らん。伏して乞うらくは朝廷別に選差を賜い、事體を全くすることを貴ばんことを。謹んで狀を具えて奏聞す。(熙寧二年閏十一月に上る。時に監察禦史裏行爲り。)


諫新法疏(熙寧三年三月四日。)
【読み】
新法を諫むる疏(熙寧三年三月四日。)

臣近累上言、乞罷預俵靑苗錢利息及汰去提舉官事。朝夕以覬、未蒙施行。臣竊謂、明者見於未形、智者防於未亂。況今日事理顯白易知。若不因機亟決、持之愈堅、必貽後悔。悔而後改、則爲害已多。蓋安危之本在乎人情、治亂之機繫乎事始。衆心暌乖則有言不信、萬邦協和則所爲必成。固不可以威力取强、言語必勝。而近日所聞、尤爲未便。伏見制置條例司疏駁大臣之奏、舉劾不奉行之官。徒使中外物情、愈致驚駭。是乃舉一偏而盡沮公議、因小事而先失(一作動。)衆心。權其輕重、未見其可。
【読み】
臣近ごろ累りに上言して、預め靑苗錢の利息を俵することを罷め及び提舉官の事を汰[よな]ぎ去らんことを乞う。朝夕以て覬[のぞ]めども、未だ施し行うことを蒙らず。臣竊かに謂えらく、明者は未形に見、智者は未亂に防ぐ、と。況んや今日の事理顯白にして知り易し。若し機に因って亟やかに決せずして、之を持すること愈々堅くんば、必ず後の悔いを貽さん。悔いて而して後に改めば、則ち害を爲すこと已に多からん。蓋し安危の本は人情に在り、治亂の機は事の始めに繫る。衆心暌乖すれば則ち言有れども信ぜられず、萬邦協和すれば則ちする所必ず成る。固に威力を以て强を取り、言語必ず勝たんとす可からず。而して近日聞く所、尤も未だ便ならずとす。伏して見るに制置條例司大臣の奏を疏駁して、舉[ことごと]く奉行せざるの官を劾す。徒に中外の物情をして、愈々驚駭を致さしむ。是れ乃ち一偏を舉げて盡く公議を沮[やぶ]って、小事に因って先づ衆心を失す(一に動に作る。)。其の輕重を權るに、未だ其の可なることを見ず。

臣竊謂、陛下固已燭見事體、究知是非。在聖心非吝改張、由柄臣尙持固。必是致輿情大鬱、衆論益歡。若欲遂行、必難終濟。伏望陛下奮神明之威斷、審成敗之先機。與其遂一失而廢百爲、孰若沛大恩而新衆志。外汰使人之擾、亟推去息之仁。況糶糴之法兼行、則儲蓄之資自廣。在朝廷未失於舉措、使議論何名而沸騰。伏乞檢會臣所上言、再賜施行、則天下幸甚。(時爲監察禦史裏行。上語及程顥疏、安石曰、顥至中書、臣略諭以方鎭沮毀朝廷法令。朝廷申明使知法意、不得謂之疏駁大臣章奏。顥乃言、大臣諭列事、當包含此言。尤爲害理。若不申明法意、使中外具知、則是縱使邪說誣民、而令詔令本意更不明於天下。如此則異議何由帖息。)
【読み】
臣竊かに謂えらく、陛下固より已に事體を燭らし見、是非を究め知る。聖心に在っては改め張るに吝かなるに非ず、柄臣尙持すること固きに由れり。必ず是れ輿情大いに鬱[ふさ]がることを致して、衆論益々讙[かまびす]しからん。若し遂げ行わんと欲せば、必ず終に濟すこと難からん。伏して望むらくは陛下神明の威斷を奮って、成敗の先機を審らかにしたまえ。其の一失を遂げて百爲を廢せん與りは、大恩を沛して衆志を新たにせんに孰若[いづ]れぞ。外人を使うの擾を汰ぎり、亟やかに息を去るの仁を推したまえ。況んや糶糴[ちょうてき]の法兼ね行わば、則ち儲蓄の資自ら廣まらん。朝廷に在って未だ舉措に失せずんば、議論何を名づけて沸騰せしめんや。伏して乞うらくは臣が上る所の言を檢會して、再び施し行うことを賜わば、則ち天下幸甚ならん。(時に監察禦史裏行爲り。上の語程顥の疏に及び、安石が曰く、顥中書に至るとき、臣略諭すに方鎭朝廷の法令を沮毀することを以てす。朝廷申明して法意を知らしめ、之をして大臣の章奏を疏駁すと謂うことを得ず。顥乃ち言く、大臣列事を諭さば、當に此の言を包含すべし、と。尤も理を害すとす。若し法意を申明せずして、中外をして具に知らしめば、則ち是れ縱に邪說をして民を誣[し]いしめて、詔令の本意をして更に天下に明ならざらしめん。此の如きときは則ち異議何に由って帖息せん、と。)


再上疏(熙寧三年四月十七日。)
【読み】
再び上る疏(熙寧三年四月十七日。)

臣聞、天下之理、本諸簡易、而行之以順道、則事無不成。故曰、智者若禹之行水、行其所無事也。舍而之於險阻、則不足以言智矣。蓋自古興治、雖有專任獨決、能就事功者、未聞輔弼大臣人各有心暌戾不一、致國政異出、名分不正、中外人情交謂不可、而能有爲者也。況於措置失宜、沮廢公議、一二小臣實與大計、用賤陵貴、以邪妨正者乎。
【読み】
臣聞く、天下の理、簡易に本づいて、之を行うに順道を以てするときは、則ち事成らずということ無し、と。故に曰く、智は禹の水を行[や]るが若し、其の事無き所に行るなり、と。舍てて險阻に之かしめば、則ち以て智と言うに足らず。蓋し古自り治を興すこと、專任獨決、能く事功を就[な]す者有りと雖も、未だ聞かず、輔弼の大臣人各々心暌戾して一ならざること有って、國政異出し、名分正しからざることを致して、中外の人情交々不可と謂いて、能くすること有る者は。況んや措置宜しきを失して、公議を沮廢し、一二の小臣實に大計に與って、賤しきを用て貴きを陵ぎ、邪を以て正しきを妨ぐ者に於てをや。

凡此皆天下之理不宜有成、而智者之所不行也。設令由此僥倖、事小有成、而興利之臣日進、尙德之風浸衰、尤非朝廷之福。矧復天時未順、地震連年、四方人心日益搖動。此皆陛下所當仰測天意、俯察人事者也。臣奉職不肖、議論無補。望允前奏、早賜降責。(時權監察禦史裏行。由是罷爲權發遣京西路、同提典刑獄。)
【読み】
凡そ此れ皆天下の理宜しく成ること有るべからずして、智者の行わざる所なり。設令[たと]い此に由って僥倖して、事小しく成ること有るとも、而れども利を興す臣日に進み、德を尙ぶ風浸く衰えば、尤も朝廷の福に非ず。矧[いわ]んや復天時未だ順ならず、地震連年、四方の人心日に益々搖動す。此れ皆陛下當に仰いで天意を測り、俯して人事を察すべき所の者なり。臣職を奉ること不肖にして、議論補い無し。望むらくは前奏を允[ゆる]して、早く降責を賜え。(時に權監察禦史裏行たり。是に由って罷められて權發遣京西路、同提典刑獄と爲る。)


辭京西提刑奏狀
【読み】
京西の提刑を辭する奏狀

臣伏蒙聖恩、差權發遣京西路提點刑獄。已瀝懇誠、不敢祗受。願從竄謫。日冀允兪。不避煩瀆、輒再陳請。
【読み】
臣伏して聖恩を蒙って、權發遣京西路提點刑獄に差す。已に懇誠を瀝[したた]りて、敢えて祗んで受けず、願わくは竄謫[ざんたく]に從わんことを。日に允兪[いんゆ]を冀う。煩瀆を避けずして、輒ち再び陳請す。

臣出自冗散、過蒙陛下拔擢、寘在言責。伏自供職已來、每有論列、惟知以憂國愛君爲心、不敢以揚己矜衆爲事。陛下亮其愚直、每加優容。故常指陳安危、辨析邪正。知人主不當自聖、則未嘗爲諂諛之言、知人臣義無私交、則不忍爲阿黨之計。明則陛下、幽則鬼神、臣之微誠、實仰臨照。
【読み】
臣冗散自り出て、過って陛下拔擢を蒙って、寘[お]いて言責に在らしむ。伏して職を供して自り已來、論列有る每に、惟國を憂え君を愛することを以て心とすることを知って、敢えて己を揚げ衆に矜ることを以て事とせず。陛下其の愚直を亮にして、每に優容を加えたまう。故に常に安危を指陳し、邪正を辨析す。人主當に自ら聖とすべからざることを知るときは、則ち未だ嘗て諂諛の言をせず、人臣義私に交わること無きことを知るときは、則ち阿黨の計をするに忍びず。明には則ち陛下、幽には則ち鬼神、臣の微誠、實に臨照を仰ぐ。

然臣學術寡陋、智識闊疎、徒有捧土之心、曾微回天之力。近以力陳時政之失、倂論大臣之非、不能裨補聖明。是臣隳廢職業。旣已抗章自劾、屛居俟命。豈意刑書未正、而恩典過頒。使臣粗知廉隅、必不敢蒙恥願就。如其見利忘義、靦面受之。陛下有臣如此、亦將安用。況臺諫之任、朝廷綱紀所憑。使不以言之是非、皆得進職而去、臣恐綱紀自此弛廢。臣雖無狀、敢以死請。
【読み】
然れども臣學術寡陋、智識闊疎にして、徒に捧土の心有って、曾て回天の力微[な]し。近ごろ以て力めて時政の失を陳べ、倂せて大臣の非を論ずれども、聖明を裨補すること能わず。是れ臣職業を隳廢[きはい]するなり。旣已に章を抗[あ]げて自ら劾して、屛居して命を俟つ。豈意わんや刑書未だ正しからずして、恩典過ち頒[たま]わんとは。臣をして粗廉隅を知らしめば、必ず敢えて恥を蒙って就くことを願わじ。如し其れ利を見て義を忘れば、靦面[てんめん]して之を受けん。陛下臣が此の如くなること有る、亦將に安くにか用いんとす。況んや臺諫の任は、朝廷綱紀の憑[よ]る所なり。言の是非を以てせずして、皆職に進めて去ることを得せしめば、臣恐れらくは綱紀此れ自り弛廢せんことを。臣無狀なりと雖も、敢えて死を以て請う。

伏望陛下開白日之照、厲嚴霜之刑、投諸荒陬。實所甘分。臣無任瀝血祈天之至。(熙寧三年四月上。上謂王安石曰、人情如此紛紛、奈何。安石曰、陳襄、程顥專黨呂公著、都無助陛下爲治之實。今當邪說紛紛之時、乃用襄知制誥、顥提點刑獄、人稱其平正。此輩小人、若附公著、得行其志、則天下之利皆歸之。旣不得志、又不失陛下獎用。何爲肯退聽而不爲善。乃以爲僉書鎭寧軍節度判官事。)
【読み】
伏して望むらくは陛下白日の照を開き、嚴霜の刑を厲し、諸を荒陬[こうすう]に投ぜんことを。實に分を甘んずる所なり。臣血を瀝りて天に祈るの至りに任ずること無し。(熙寧三年四月上る。上王安石に謂いて曰く、人情此の如く紛紛たること、奈何、と。安石曰く、陳襄す、程顥專ら呂公著に黨して、都て陛下治を爲すの實を助くること無し。今邪說紛紛たるの時に當たって、乃ち襄を用て制誥に知らしめ、顥刑獄に提點たらしめば、人其の平正を稱せん。此の輩の小人、若し公著に附いて、其の志を行うことを得ば、則ち天下の利皆之に歸せん。旣に志を得ずとも、又陛下の獎用を失せず。何爲れぞ肯えて退聽して善とせざらん、と。乃ち以て僉書[せんしょ]鎭寧軍節度判官事とす。)


謝澶州簽判表
【読み】
澶州[せんしゅう]簽判[せんはん]を謝する表

論議無補、職業不修、國有典刑、罪在誅戮。曲蒙弘貸、仰荷鴻私。期於糜捐、莫可報謝(中謝)
【読み】
論議補い無く、職業修めざれば、國典刑有って、罪誅戮に在り。曲げて弘貸を蒙り、仰いで鴻私を荷う。糜捐[びえん]を期するも、報謝(中謝)す可きこと莫し。

臣性質朴魯、學術空虛、志意粗修、智識無取。陛下講圖大政、博謀群材。過聽侍臣之言、猥加風憲之任。臣旣遭遇明聖、亦思誓竭疲駑。惟知直道以事君。豈忍曲學而阿世。屢進闊疎之論。愧非擊搏之才。徒嘗刳瀝肺肝、曾無裨補毫髮。旣不能繩愆糾繆、固不願沽直買名。豈敢冒寵以居。惟是奉身而退。自劾之章繼上、闔門之請深堅。天意未回、憲章尙屈、更奉發中之詔、俾分提憲之權。不惟沮諍論之風、亦懼廢賞刑之實。力形奏述、恭俟誅夷。
【読み】
臣性質朴魯、學術空虛に、志意修むるに粗くして、智識取るべき無し。陛下大政を講圖して、博く群材に謀る。過って侍臣の言に聽して、猥[みだ]りに風憲の任を加う。臣旣に明聖に遭遇して、亦誓って疲駑を竭くさんことを思う。惟直道にして以て君に事うることを知るのみ。豈曲學して世に阿るに忍びんや。屢々闊疎の論を進む。愧づらくは擊搏の才に非ざることを。徒に嘗て肺肝を刳瀝[これき]すれども、曾て毫髮を裨補すること無し。旣に愆[あやま]ちを繩[ただ]し繆ちを糾すこと能わず、固に直を沽[う]り名を買うことを願わず。豈敢えて寵を冒して以て居せんや。惟是れ身を奉じて退かんとす。自劾の章繼ぎ上れども、闔門の請深く堅し。天意未だ回らず、憲章尙屈して、更に發中の詔を奉じて、提憲の權を分かたしむ。惟諍論の風を沮るのみにあらず、亦懼る、賞刑の實を廢せんことを。力めて奏述を形して、恭しく誅夷を俟つ。

此蓋伏遇皇帝陛下極天淸明、普日照臨、洞正邪之心迹、辨眞僞於幽微、察臣忠誠、恕臣狂直、不忍寘諸重辟、投之遠荒、解其察視之官、處以便安之地。生成之賜、義固等於乾坤、涵容之恩、重益逾於山嶽。臣敢不日新素學、力蹈所知、秉心不回、信道愈篤。願徇小夫之志、不爲儒者之羞、或能自進於尋常、庶可仰酬於萬一。
【読み】
此れ蓋し伏して皇帝陛下極天の淸明、普日の照臨、正邪の心迹を洞[あき]らかにして、眞僞を幽微に辨ずるに遇って、臣が忠誠を察し、臣が狂直を恕して、諸を重辟に寘き、之を遠荒に投ずるに忍びず、其の察視の官を解して、處くに便安の地を以てしたまう。生成の賜、義固に乾坤に等しく、涵容の恩、重きこと益々山嶽に逾ゆ。臣敢えて日に素學を新たにし、力めて所知を蹈み、心を秉ること回[よこしま]ならず、道を信ずること愈々篤からざらんや。願わくは小夫の志に徇って、儒者の羞をせず、或は能く自ら尋常に進んで、庶わくは仰いで萬一に酬う可きことを。


二程全書卷之五十六  明道先生文三

書・記・祭文・行狀

答橫渠張子厚先生書
【読み】
橫渠張子厚先生に答うる書

承敎諭以定性未能不動、猶累於外物。此賢者慮之熟矣。尙何俟小子之言。然嘗思之矣。敢貢其說於左右。
【読み】
敎諭を承るに性を定むれども未だ動かざること能わず、猶外物に累わさるというを以てす。此れ賢者之を慮ること熟せり。尙何ぞ小子の言を俟たん。然れども嘗て之を思いぬ。敢えて其の說を左右に貢[すす]む。

所謂定者、動亦定、靜亦定、無將迎、無内外。苟以外物爲外、牽己而從之、是以己性爲有内外也。且以性爲隨物於外、則當其在外時、何者爲在内。是有意於絕外誘、而不知性之無内外也。旣以内外爲二本、則又烏可遽語定哉。
【読み】
所謂定とは、動にも亦定、靜にも亦定、將迎無く、内外無し。苟も外物を以て外とし、己を牽いて之に從うとせば、是れ己が性を以て内外有りとするなり。且性を以て物に外に隨うとせば、則ち其の外に在る時に當たって、何者か内に在りとせん。是れ外誘を絕つに意有りて、性の内外無きことを知らざるなり。旣に内外を以て本を二つとすることをせば、則ち又烏んぞ遽に定を語る可けんや。

夫天地之常、以其心普萬物而無心、聖人之常、以其情順萬事而無情。故君子之學、莫若廓然而大公、物來而順應。易曰、貞吉悔亡。憧憧往來、朋從爾思。苟規規於外誘之除、將見滅於東而生於西也。非惟日之不足、顧其端無窮、不可得而除也。
【読み】
夫れ天地の常は、其の心萬物に普くして心無きを以てし、聖人の常は、其の情萬事に順って情無きを以てす。故に君子の學は、廓然として大公にし、物來りて順應するに若くは莫し。易に曰く、貞にして吉なり悔亡ぶ。憧憧として往來す、朋爾の思いに從う、と。苟も外誘を除くに規規たらば、將に東に滅んで西に生ずるを見んとす。惟日の足らざるのみに非ず、顧みるに其の端窮まり無くして、得て除く可からず。

人之情各有所蔽。故不能適道。大率患在於自私而用智。自私則不能以有爲爲應迹(一作物。)、用智則不能以明覺爲自然。今以惡外物之心、而求(徐本求作永。)照無物之地、是反鑑而索照也。易曰、艮其背、不獲其身、行其庭、不見其人。孟氏亦曰、所惡於智者、爲其鑿也。與其非外而是内、不若内外之兩忘也。兩忘則澄然無事矣。無事則定。定則明。明則尙何應物之爲累哉。
【読み】
人の情は各々蔽わるる所有り。故に道に適くこと能わず、大率患えは自私して智を用うるに在り。自私するときは則ち有爲を以て應迹(一に物に作る。)とすること能わず、智を用うるときは則ち明覺を以て自然とすること能わず。今外物を惡む心を以て、物無きの地を照らすことを求むれば(徐本求を永に作る。)、是れ鑑を反して照らすことを索むるなり。易に曰く、其の背に艮[とど]まって、其の身を獲ず、其の庭に行って、其の人を見ず、と。孟氏亦曰く、智に惡む所の者は、其の鑿するが爲なり、と。其の外を非として内を是とせん與りは、内外の兩つながら忘れんには若かず。兩つながら忘るるときは則ち澄然として事無し。事無きときは則ち定まる。定まれば則ち明らかなり。明らかなれば則ち尙何ぞ物に應ずること累わさるることをせんや。

聖人之喜、以物之當喜、聖人之怒、以物之當怒。是聖人之喜怒、不繫於心而繫於物也。是則聖人豈不應於物哉。烏得以從外者爲非、而更求在内者爲是也。今以自私用智之喜怒、而視聖人喜怒之正爲如何哉。夫人之情、易發而難制者、惟怒爲甚。第能於怒時遽忘其怒、而觀理之是非、亦可見外誘之不足惡、而於道亦思過半矣。
【読み】
聖人の喜ぶは、物の當に喜ぶべきを以てし、聖人の怒るは、物の當に怒るべきを以てす。是れ聖人の喜怒、心に繫らずして物に繫るなり。是れ則ち聖人豈物に應ぜざらんや。烏んぞ外從りする者を以て非と爲して、更に内に在る者を求めて是と爲すことを得ん。今自私し智を用うるの喜怒を以て、聖人喜怒の正しきに視ぶるに如何とするや。夫れ人の情、發し易くして制し難き者は、惟怒を甚だしとす。第[ただ]能く怒る時に於て遽に其の怒りを忘れて、理の是非を觀ば、亦外誘の惡むに足らざることを見る可くして、道に於て亦思い半ばに過ぎん。

心之精微、口不能宣。加之素拙於文辭、又吏事匆匆、未能精慮當否佇報。然舉大要、亦當近之矣。道近求遠、古人所非。惟聰明裁之。
【読み】
心の精微は、口宣ぶること能わず。加之[しかのみならず]素より文辭に拙く、又吏事匆匆[そうそう]として、未だ精しく當否を慮って佇報[ちょほう]すること能わず。然れども大要を舉ぐるも、亦當に之に近かるべし。道近くして遠きに求むるは、古人の非る所。惟聰明之を裁せよ。


晉城縣令題名記
【読み】
晉城縣の令名を題する記

古者諸侯之國、各有史記(一無記字。)。故其善惡皆見於後世。自秦罷侯置守令、則史亦從而廢矣。其後自非傑然有功德者、或記之循吏、與夫凶忍殘殺之極者、以酷見傳、其餘則泯然無聞矣。如漢・唐之有天下、皆數百年、其閒郡縣之政、可書者宜亦多矣。然其見書者、率纔數十人。使賢者之政不幸而無傳、其不肖者復幸而得蓋其惡。斯(一作其。)與古史之意(一作事。)異矣。
【読み】
古は諸侯の國、各々史記(一に記の字無し。)有り。故に其の善惡皆後世に見る。秦侯を罷め守令を置いて自り、則ち史も亦從りて廢せり。其の後自[も]し傑然として功德有る者、或は之を循吏に記すると、夫の凶忍殘殺の極まれる者、酷を以て傳えらるるとに非ざれば、其の餘は則ち泯然として聞こゆること無し。漢・唐の天下を有つが如き、皆數百年、其の閒郡縣の政、書す可き者宜しく亦多かるべし。然れども其の書せらるる者は、率[かぞ]うるに纔か十人なり。賢者の政をして不幸にして傳うること無からしめ、其の不肖なる者も復幸いにして其の惡を蓋うことを得。斯れ(一に其に作る。)古史の意(一に事に作る。)と異なれり。

夫圖治於長久者、雖聖知爲之、且不能倉卒苟簡而就。蓋必本之人情而爲之法度、然後可使去惡而從善、則其紀綱條敎、必審定而後下。其民之服循漸漬、亦必待久乃淳固而不變。今之爲吏、三歲而代者固已遲之矣。使皆知禮義者、能自始至、卽皇皇然圖所施設、亦敎令未熟、民情未孚、而更書已至矣。儻後之人所志不同、復有甚者。欲新己之政、則盡其法而去之、其迹固無餘矣。而況因循不職者乎。噫以易息之政、而復無以託其傳、則宜其去皆未幾、而善惡無聞焉。
【読み】
夫れ治を長久に圖ることは、聖知之をすと雖も、且倉卒苟簡にして就すこと能わず。蓋し必ず之を人情に本づけて之が法度を爲して、然して後惡を去って善に從わしむ可きときは、則ち其紀綱條敎、必ず審らかに定まって而して後に下す。其の民の服循漸漬も、亦必ず久しきを待って乃ち淳固にして變ぜず。今の吏と爲る、三歲にして代わる者固に已に之を遲しとす。皆禮義を知る者をして、能く始めて至って自り、卽ち皇皇然として施し設くる所を圖らしむるに、亦敎令未だ熟せず、民情未だ孚あらずして、更書已に至る。儻[も]し後の人志す所同じからざれば、復甚だしき者有り。己が政を新たにせんと欲するときは、則ち其の法を盡くして之を去って、其の迹固に餘無し。而るを況んや因循して職とせざる者をや。噫息み易きの政を以てして、復以て其の傳を託すること無きときは、則ち宜なり其の去ること皆未だ幾ならずして、善惡聞こゆること無きこと。

故欲聞古史之善而不可得、則因謂今有題前政之名氏以爲記者、尙爲近古。而斯邑無之。乃考之案牒、訪之吏民、纔得自李君而降二十一人。第其歲月之先後而記之、俾民觀其名而不忘其政。後之人得從而質其是非、以爲師戒云耳。來者請嗣書其次。
【読み】
故に古史の善を聞かんと欲すれども得可からざれば、則ち因りて謂えらく、今前政の名氏を題して以て記を爲す者有り、尙古に近しとす。而れども斯の邑に之れ無し。乃ち之を案牒に考え、之を吏民に訪うに、纔かに李君自り而降[このかた]二十一人を得。其の歲月の先後を第[つい]で之を記して、民をして其の名を觀て其の政を忘れざらしむ。後の人從りて其の是非を質すことを得て、以て師の戒めとせよと云うのみ。來る者請う、嗣いで其の次に書せよ。


祭彭侍郎文
【読み】
彭侍郎を祭る文

悠悠彼蒼、顧佑有常。如何不淑、殲時之良。胡不憖遺、以慰士大夫之望。嗚呼、哀哉、昔我穉齒、爲公所器。敎之誨之、實妻以子。二姓之歡、疇可倫擬。逾二十年、顧愛終始。我謫河北。公薨建康。義不得往、神魂飛翔。望南浦之蕭條、想丹旐之悠揚、涙如流水、不到公之堂。號聲動天、不徹公之喪。
【読み】
悠悠たる彼の蒼、顧みるに常有るを佑く。如何ぞ淑[よ]からずして、時の良を殲[せん]す。胡ぞ憖[なまじ]いに遺して、以て士大夫の望みを慰せざる。嗚呼、哀しいかな、昔我れ穉齒にして、公の爲に器とせらる。之を敎え之を誨えて、實に妻すに子を以てす。二姓の歡び、疇[だれ]か倫擬す可き。二十年を逾えて、顧愛終始なり。我れ河北に謫[たく]せらる。公建康に薨ず。義往くことを得ず、神魂飛翔す。南浦の蕭條たるを望み、丹旐の悠揚たるを想い、涙流水の如くなれども、公の堂に到らず。號聲天を動かせども、公の喪に徹せず。

惟公德尊本朝、行高當世、爲四國之矜式、被三朝之注倚。風誼傳於後人、事業存乎國史、磊落明白、掀揭天地。縱綿百世之長、公爲不亡。雖竭無能之鄙辭、何足以增盛德之輝光。惟寓愚之誠兮、因遠致乎肴觴。公其來饗兮、慰余之悲傷。長言恩禮之厚兮、知何時之可忘。嗚呼、哀哉、伏惟尙饗。
【読み】
惟れ公の德本朝に尊ばられ、行い當世に高く、四國の矜式と爲りて、三朝の注倚を被る。風誼後人に傳え、事業國史に存し、磊落明白、天地に掀揭[けんけい]す。縱い綿たる百世の長きも、公亡びずとす。無能の鄙辭を竭くすと雖も、何ぞ以て盛德の輝光を增すに足らん。惟愚が誠を寓[よ]せて、因りて遠く肴觴を致す。公其れ來り饗けて、余が悲傷を慰せよ。長く恩禮の厚きを言うに、知んぬ何れの時か忘る可けん。嗚呼、哀しいかな、伏して惟んみるに尙わくは饗けよ。


祭富鄭公文
【読み】
富鄭公を祭る文

維元豐六年、歲次癸亥十一月壬寅朔、十九日庚申、奉議郎監汝州鹽酒稅、輕車都尉、賜緋魚袋程顥、謹遣外甥張敷、以淸酌庶羞之奠、敢昭告於太尉文忠公之靈。
【読み】
維れ元豐六年、歲癸亥に次[やど]る十一月壬寅の朔、十九日庚申、奉議郎監汝州鹽酒稅、輕車都尉、賜緋魚袋程顥、謹んで外甥張敷を遣わして、淸酌庶羞の奠を以て、敢えて昭らかに太尉文忠公の靈に告す。

嗚呼、粤稽古昔、得全實難。惟夔・契出乎唐・虞之際、而姬・呂位乎文・武之閒。其餘雖有鉅賢碩輔、僅或濟一時之險艱。眞儒大聖、多處非其位而孤騫。孰如我公、道行乎重熙累洽之運、而身享乎尊富安榮之完、事繫天下之重、位極人臣之班、生逢四世、皆上聖之主、時歷七紀、膺太平之安、勳業揭乎日月、聞望塞乎天淵。優遊里第者猶十有三年、於人之職、可謂無負。在天之理、亦爲曲全。然而捐館之日、遠近聞之、孰不齎咨而涕漣。尙以公之沒也、爲有憾焉。
【読み】
嗚呼、粤[ここ]に古昔を稽うるに、全きを得ること實に難し。惟夔[き]・契唐・虞の際に出て、姬・呂文・武の閒に位す。其の餘は鉅賢碩輔有りと雖も、僅かに或は一時の險艱を濟うのみ。眞儒大聖、多く其の位に非ざるに處して孤騫なり。孰か我が公の、道重熙累洽の運に行われて、身尊富安榮の完きを享け、事天下の重きに繫って、位人臣の班を極め、生きて四世に逢い、皆上聖の主、時七紀を歷て、太平の安きに膺[あ]たり、勳業日月に揭げ、聞望天淵に塞がるに如かん。里第に優遊する者猶十有三年、人の職に於て、負[そむ]くこと無しと謂う可し。天の理に在って、亦曲[つまび]らかに全くすとす。然して館を捐[す]つるの日、遠近之を聞いて、孰か齎咨[せいし]として涕漣たらざらん。尙公の沒するを以て、憾[うら]むこと有りとす。

嗚呼、世之常態、苟於自便、終始之節、艱於永肩。屛伏者以憂責不及而怠懈、休老者以血氣旣衰而志遷。惟公年彌高而志愈厲、身久退而誠益堅。惟是愛君憂國之道、極晝夜之拳拳。迨乎瞑目之旦、屬纊之前、萬物已莫累乎心胸、而朝廷之念獨有進乎昔日之當權。宜乎易名之諡典、號爲摭實、祭册之聖詔、極於哀憐。則士大夫以公之沒爲憾者、蓋非偶然。
【読み】
嗚呼、世の常態、自ら便するに苟くもし、終始の節、永肩に艱[なや]む。屛伏する者は憂責及ばざるを以て怠懈し、休老する者は血氣旣に衰うるを以て志遷る。惟公年彌々高くして志愈々厲しく、身久しく退いて誠益々堅し。惟是れ君を愛し國を憂うるの道、晝夜を極めて拳拳たり。目を瞑するの旦、纊を屬くる前に迨[およ]んで、萬物已に心胸を累わすこと莫くして、朝廷の念い獨り昔日の權に當たるに進むこと有り。宜なるかな易名の諡典、號して摭實とし、祭册の聖詔、哀憐を極むること。則ち士大夫公の沒するを以て憾むとする者、蓋偶然に非ず。

顥愚不肖、辱公禮遇。顧相期於義理、非見私於趨附。公薨於洛、賤居在汝、官守有制、欲往無路。斂不望棺、葬不臨墓、引領西風、悲慟何數。誠寓鄙文、禮陳菲具。恭祭道周。後期無所。嗚呼、哀哉、伏惟尙饗。
【読み】
顥が愚不肖、公の禮遇を辱くす。相期することを義理に顧みるに、趨り附くに私せらるるに非ず。公洛に薨じ、賤居汝に在り、官守制有って、往かんと欲するに路無し。斂棺を望めず、葬墓を臨めず、領を西風に引いて、悲慟何ぞ數えん。誠に鄙文を寓せて、菲具を禮陳す。恭しく道の周[ほとり]に祭る。後期するに所無し。嗚呼、哀しいかな、伏して惟んみるに尙わくは饗けよ。


故戶部侍郎致仕彭公行狀
【読み】
故戶部侍郎致仕彭公の行狀

公諱思永、字季長。其先京兆人。唐之中世有爲吉州刺史者、因家焉。今爲廬陵人。尙書治經術、以能詩名於世。慷慨有大節、仕不得志、未老以東官官退居臨湘。公其次子也。
【読み】
公諱は思永、字は季長。其の先は京兆人なり。唐の中世吉州の刺史爲る者有り、因りて家す。今廬陵人爲り。尙書經術を治めて、詩を能くするを以て世に名あり。慷慨として大節有り、仕えて志を得ず、未だ老いざるに東官の官を以て臨湘に退き居す。公は其の次子なり。

公性淳粹明重、材質瑰秀、孩提時卽異於常兒、未嘗爲戲弄之事、數歲已自知爲學。尙書每撫其背曰、興吾家者、必是兒也。未冠、居尙書喪、以孝聞。家貧無以葬。晝夜號泣、營治歲終、卒能襄事。扶喪數千里歸廬陵。知者無不咨歎。終喪、益自奮勵力學、有文稱。
【読み】
公性淳粹明重、材質瑰秀にして、孩提の時卽ち常兒に異にして、未だ嘗て戲弄の事をせず、數歲にして已に自ら學を爲むることを知る。尙書每に其の背を撫して曰く、吾が家を興さん者は、必ず是の兒ならん、と。未だ冠せずして、尙書の喪に居て、孝を以て聞こゆ。家貧しくして以て葬ること無し。晝夜號泣して、營み治めて歲の終わりに、卒に能く事を襄[な]す。喪を數千里に扶[まも]って廬陵に歸る。知る者咨歎せずということ無し。喪を終えて、益々自ら奮勵して力め學んで、文の稱有り。

天聖五年、舉進士擢第、授南康軍判官。計臣言其材、遂監泰州角斜鹽場。當路益知其賢、交薦之。秩滿、遷大理寺丞、監洪州鹽務。移知廣州南海縣、以母喪去職。服除、知洪州分寧縣。二邑素號難治。前令比以罪去、民化公之誠。相戒以毋犯法、至於無訟。
【読み】
天聖五年、進士に舉せられ第に擢[あ]げられて、南康軍の判官を授かる。計臣其の材を言いて、遂に泰州の角斜鹽場に監たり。當路益々其の賢なるを知って、交々之を薦む。秩滿ちて、大理寺丞に遷って、洪州の鹽務に監たり。移って廣州南海縣に知たるとき、母の喪を以て職を去る。服除いて、洪州分寧縣に知たり。二邑素より治め難しと號す。前の令罪を以て去るに比[およ]んで、民公の誠に化す。相戒むるに法を犯すこと毋かれというを以てして、訟無きに至る。

旣又通判睦州、會海水大上、夜敗台州城、郡人多死。詔監司擇良吏往撫之、公遂行。將至、吏民皆號訴於道。公悉心救養、不憚勞苦、至忘寢食。盡葬溺死者、爲文以祭之。問疾苦、賑饑乏、去盜賊、撫羸弱。其始至也、城無完舍。公周行相視、爲之規畫、朝夕暴露、未嘗憩息。民貧不能營葺者、命工伐木以助之。數月而公私之舍畢復、人安其居。公視故城庳壞、僅有髣髴、思爲遠圖、召寮屬而謂之曰、郡瀕海而無城。此水所以爲害也。當與諸君圖之、程役勸功。民忘其勞、城成、遂爲永利。天子嘉之、錫書獎異。後去台還睦。二州之民、喜躍啼戀者交於道。
【読み】
旣に又睦州に通判たるとき、會々海水大いに上って、夜台州城を敗って、郡人多く死す。監司に詔して良吏を擇んで往いて之を撫せしめて、公遂に行く。將に至らんとするとき、吏民皆道に號訴す。公心を悉[つ]くして救い養[うれ]えて、勞苦を憚らず、寢食を忘るるに至る。盡く溺死する者を葬って、文を爲って以て之を祭る。疾苦を問い、饑乏を賑わし、盜賊を去り、羸弱を撫す。其の始めて至るとき、城に完舍無し。公周く行って相視て、之が規畫を爲し、朝夕暴露して、未だ嘗て憩息せず。民の貧しくして營葺すること能わざる者は、工に命じて木を伐って以て之を助く。數月にして公私の舍畢く復して、人其の居を安んず。公故城庳壞して、僅かに髣髴たること有るを視て、遠圖を爲さんことを思って、寮の屬を召して之に謂いて曰く、郡海に瀕して城無し。此れ水の害を爲す所以なり。當に諸君と之を圖って、役を程[はか]り功を勸むべし、と。民其の勞を忘れて、城成って、遂に永利と爲る。天子之を嘉して、書を錫って獎異す。後台を去って睦に還る。二州の民、喜躍啼戀する者道に交わる。

未幾、就移知潮州。潮民歲苦修堤之役。吏緣爲奸、貧者尤被其害。公爲之法、役均而費省、民大悅。代還、知常州。時爲都官員外郎。尋召爲侍御史。極論内降授官賞之弊、以謂、斜封非公朝之事。仁宗深然之。皇祐祀明堂前一日、有傳赦語、百官皆得遷秩者。公方從駕宿景靈宮、亟上言、不宜濫恩、以益僥倖。旣肆赦、果然。
【読み】
未だ幾ならずして、就いて移って潮州に知たり。潮の民歲々堤を修するの役に苦しむ。吏奸を爲すに緣って、貧しき者尤も其の害を被る。公之が法を爲して、役均しくして費省いて、民大いに悅ぶ。代わり還って、常州に知たり。時に都官員外郎爲り。尋[つ]いで召されて侍御史と爲る。極めて内降官賞を授くるの弊を論じて、以謂[おも]えらく、斜封は公朝の事に非ず、と。仁宗深く之を然りとす。皇祐に明堂を祀るの前一日、赦語を傳うること有って、百官皆遷秩を得る者あり。公方に駕に從って景靈宮に宿して、亟やかに上言すらく、宜しく濫恩して、以て僥倖を益すべからず、と。旣に肆赦して、果たして然り。

時張堯佐以妃族進、王守忠以親侍帷幄被寵。參知政事闕員、堯佐朝暮待命、守忠亦求爲節度使。物議讙動公、帥同列言之。皆曰、宜待命行。公曰、宜以先事得罪。命出而不可救、則爲朝廷失矣。遂獨抗疏極言、至曰陛下行此覃恩、無意孤寒、獨爲堯佐・守忠故取悅衆人耳。且言、妃族秉政、内臣用事、皆非國家之福。疏入、仁宗震怒。人皆爲公危之。公曰、苟二人之命不行、雖赴鼎鑊無恨。於是御史中丞郭勸、諫官吳奎、皆爲上言、其忠當蒙聽納、不宜加罪。仁宗怒解、而堯佐・守忠之望遂格。
【読み】
時に張堯佐妃の族を以て進み、王守忠親しく帷幄に侍するを以て寵を被る。參知政事員を闕きて、堯佐朝暮命を待ち、守忠も亦節度使爲らんことを求む。物議讙[かまびす]しく公を動かし、同列を帥いて之を言う。皆曰く、宜しく命行わるるを待つべし、と。公曰く、宜しく以て事に先んじて罪を得るべし。命出て救う可からずんば、則ち朝廷の失爲り、と。遂に獨り疏を抗げて極め言いて、陛下此の覃恩[たんおん]を行いたまわば、孤寒に意無くして、獨堯佐・守忠の爲に故[ことさら]に悅びを衆人に取るのみと曰うに至る。且言う、妃の族政を秉り、内臣事を用うるは、皆國家の福に非ず、と。疏入って、仁宗震怒す。人皆公の爲に之を危うしとす。公曰く、苟も二人の命行われずんば、鼎鑊に赴くと雖も恨むこと無し、と。是に於て御史中丞郭勸、諫官吳奎、皆上の爲に言う、其の忠當に聽納を蒙るべし、宜しく罪を加うべからず、と。仁宗怒り解けて、堯佐・守忠の望み遂に格[や]む。

公猶以汎恩罷臺職、以司封員外郎出守宣州。前守以贓敗、郡政隳弛、歲復大歉。公至、修紀綱、撫凋瘵、奏發官庾以活饑莩、卒無流亡。體量安撫使上公治狀、爲諸路(一作州。)之最。
【読み】
公猶汎恩を以て臺職を罷め、司封員外郎を以て出て宣州に守たり。前の守贓[ぞう]を以て敗りて、郡政隳弛[きし]し、歲復大いに歉[けん]す。公至って、紀綱を修し、凋瘵[ちょうさい]を撫し、奏して官庾を發いて以て饑莩[きひょう]を活かして、卒に流亡無し。體量安撫使公の治狀を上って、諸路(一に州に作る。)の最とす。

儂智高連陷州郡、嶺表用兵、餉饋仰於荊・湖。除北路轉運使至部、奏黜守令之殘暴疲懦者各一人、而八州知勸。下溪蠻酋彭仕羲恃險而驕將帥、群蠻爲亂。先移文罵辰州守將。將不能制、請公誅之。公行部至辰。仕羲畏公、卽遣親信持書迎謁禮甚謹。公推誠待之、諭以禍福。皆悚懼感服、請自悛革、邊患遂息。
【読み】
儂智高連[しき]りに州郡を陷るるとき、嶺表兵を用いて、餉饋[しょうき]して荊・湖に仰ぐ。北路の轉運使に除せられて部に至って、奏して守令の殘暴疲懦なる者各々一人を黜けて、八州勸むることを知る。下すに溪蠻の酋彭仕羲險を恃んで將帥に驕り、群蠻亂を爲す。先づ文を移して辰州の守將を罵る。將制すること能わず、公に請いて之を誅せしむ。公部に行って辰に至る。仕羲公を畏れて、卽ち親信を遣わして書を持して迎えて謁禮甚だ謹しめり。公誠を推して之を待って、諭すに禍福を以てす。皆悚懼感服して、請いて自ら悛[あらた]め革めて、邊の患え遂に息む。

時大農以利誘諸路使以羨餘爲獻。公曰、裒民取賞、吾不忍爲。遂無所獻。南寇平、公以勞進工部郎中、召爲度支判官、升刑部。歲餘、出爲益州路轉運使。始直史館、賜三品服。入辭。仁宗論之曰、益部遠方、以卿安撫、吾無憂矣。至蜀會城都闕守、詔公權領府事。前政多務姑息、浸失法度。至有吏盜官錢千緡、付獄已三歲、猶縱其出入自若者。公命窮治之、一日而獄具。蜀人以交子貿易、皆藏於腰閒。盜善以小刃取之於稠人中如己物、民病苦之。公得其狀、卽捕獲一人、使疏其黨類、得十餘輩悉黥隸、諸軍盜者遂絕。二罪而人知畏法、蜀乃大治。
【読み】
時に大農利を以て諸路の使を誘って羨餘を以て獻ぜんとす。公曰く、民を裒[へ]らして賞を取るは、吾れするに忍びず、と。遂に獻ずる所無し。南寇平らげて、公勞を以て工部郎中に進み、召されて度支判官と爲り、刑部に升らる。歲餘にして、出て益州路の轉運使と爲る。始めて史館に直して、三品の服を賜う。入辭す。仁宗之を論じて曰く、益部の遠方、卿を以て安撫せしむれば、吾れ憂え無し、と。蜀會々城都守を闕くに至って、公に詔して權に府の事を領せしむ。前政多くは姑息を務めて、浸く法度を失す。吏官錢千緡を盜み、獄に付すること已に三歲、猶其の出入を縱にして自若なる者有るに至る。公命じて之を窮め治めて、一日にして獄具わる。蜀人交子を以て貿易して、皆腰閒に藏む。盜善く小刃を以て之を稠人の中に取ること己が物の如くにして、民之を病み苦しむ。公其の狀を得て、卽一人を捕え獲て、其の黨類を疏んぜしめ、十餘輩を得て悉く黥隸して、諸軍の盜む者遂に絕ゆ。二罪して人法を畏るることを知って、蜀乃ち大いに治まる。

歲有中貴人祠峨嵋、常留成都中數十日、誅取珍貨奇玩、例至數百萬錢、一出於民閒。公命三省其二。使者恨怒而去。公不之顧。任中遷兵部郎中、召還爲戶部副使。歲餘、以天章閣待制充陝西都轉運使、河朔謀帥。以公鎭高陽、仍進秩諫議大夫。英宗嗣位、恩升給事中。時狃於承平、治兵者鮮明紀律、而三關爲甚。公爲帥、方重嚴正、犯者頗以軍法從事、驕兵大戢。河北舊以桑麻爲產籍之高下、民懼、不敢藝植。故益貧。公奏更其法。自是絲績之利、歲歲增益。在鎭二年、邊圉帖寧、人民浹和。
【読み】
歲々中貴人峨嵋に祠るに、常に成都の中に留まること數十日にして、珍貨奇玩を誅取すること有り、例[おおむ]ね數百萬錢に至って、一に民閒に出づ。公命じて三其の二を省かしむ。使者恨み怒って而れども去る。公之を顧みず。任中兵部郎中に遷り、召されて還って戶部副使と爲る。歲餘にして、天章閣の待制を以て陝西の都轉運使、河朔の謀帥に充てらる。公を以て高陽を鎭せしめ、仍[しき]りに秩を諫議大夫に進む。英宗位を嗣いで、給事中に恩升す。時に承平に狃れて、兵を治むる者紀律を明らかにすること鮮くして、三關甚だしとす。公帥と爲って、方重嚴正にして、犯す者は頗る軍法を以て事に從って、驕兵大いに戢[おさ]まる。河北舊桑麻を以て產籍の高下を爲して、民懼れて、敢えて藝植せず。故に益々貧し。公奏して其の法を更む。是れ自り絲績の利、歲歲增益す。鎭に在ること二年にして、邊圉帖寧に、人民浹和す。

公惡邊臣之邀功啓事者、屢加裁正、遂與大臣持議不合。由是以病請解兵任、求爲江南官、徙知江寧府。潮與江寧舊多火災。迄公去未嘗作、人以爲德政之感。
【読み】
公邊臣の功を邀[もと]め事を啓く者を惡んで、屢々裁正を加えて、遂に大臣と議を持すること合わず。是に由って病を以て兵任を解かんことを請いて、求めて江南の官と爲り、徙[うつ]って江寧府に知たり。潮と江寧とは舊火災多し。公去るに迄[およ]ぶまで未だ嘗て作らず、人以て德政の感とす。

留金陵歲餘、復召權御史中丞。時追崇濮王大號、復有稱親之議。諫官御史以典禮未正、相繼論列者六七人、皆以罪去。公始拜中司、力陳其不可。且請召還言事者、上未之察、更爲疏極論其事。言益切、至英宗深加聽納、事幾施行、而大臣持之甚力。故不果。公因求解憲職、以章言者五、進見而面陳者、多至不記。會英宗不豫。公方憂懼、不復自言。
【読み】
金陵に留まること歲餘にして、復召されて權御史中丞たり。時に濮王の大號を追崇して、復親と稱するの議有り。諫官御史典禮未だ正しからざるを以て、相繼いで論列する者六七人、皆罪を以て去る。公始めて中司に拜せられて、力めて其の不可なるを陳ぶ。且請い召され還って事を言う者、上未だ之を察せず、更に疏を爲って極めて其の事を論ず。言益々切にして、英宗深く聽納を加え、事幾ど施し行われんとするに至って、大臣之を持すること甚だ力む。故に果たせず。公因りて憲職を解かんことを求めて、章を以て言う者五たび、進み見て面[まのあ]たりに陳ぶる者、多くして記せざるに至る。會々英宗不豫なり。公方に憂え懼れて、復自ら言わず。

今天子踐祚、正拜御史中丞。請裁損出入用度、務從儉約、以稱先志。上嘉納之。會御史蔣之奇奏發大臣陰事。其說蓋盛於都下。而之奇欲扳公爲助、乃曰、公嘗言之。公亦謂、帷箔之私、非外人所知、誠難究詰。然亦有以取之。故謗言一興、而人以爲信。且其首爲濮園議違典禮、以犯衆怒、不宜更在政府。而執政以之奇所論、冥昧不可質、迫公言其所從來。三問而公奏益急。且曰、風聞者以廣聰明也。今必問其所從來、因而罪之、則後無聞矣。寧甘重謫、不敢廢國家開言路之法。因極陳大臣朋黨專恣、非朝廷計。翌日、降授給事中、知黃州道。徙太平州郊祀推恩、復工部侍郎、知亳州。未滿歲、移揚州。熙寧三年、上書告老、遷戶部侍郎、致仕。朝廷憐之。故詔辭甚美。所以寵耀其終始焉。
【読み】
今の天子祚を踐んで、正に御史中丞に拜せらる。出入の用度を裁損し、務めて儉約に從って、以て先志に稱わんことを請う。上嘉して之を納る。會々御史蔣之奇奏して大臣の陰事を發す。其の說蓋し都下に盛んなり。而して之奇公を扳[ひ]いて助けとせんと欲して、乃ち曰く、公嘗て之を言えり、と。公亦謂えらく、帷箔の私、外人知る所に非ず、誠に究め詰[と]い難し。然れども亦以て之を取ること有り。故に謗言一たび興って、人以て信とす。且つ其の首め濮園の議典禮に違うとして、以て衆の怒りを犯して、宜しく更に政府に在るべからずとす。而して執政之奇が論ずる所を以て、冥昧にして質す可からずとして、公に迫って其の從って來る所を言わしむ。三たび問いて公の奏益々急なり。且つ曰く、風聞は以て聰明を廣めん、と。今必ず其の從って來る所を問いて、因りて之を罪せば、則ち後聞くこと無けん。寧ろ重謫を甘んじて、敢えて國家言路を開くの法を廢せじ、と。因りて極めて大臣の朋黨專恣、朝廷の計に非ざることを陳ぶ。翌日、給事中に降し授けられ、黃州道に知たり。太平州郊祀推恩に徙り、工部侍郎に復して、亳州に知たり。未だ歲を滿たさずして、揚州に移る。熙寧三年、上書して老を告げて、戶部侍郎に遷って、致仕す。朝廷之を憐れむ。故に詔辭甚だ美なり。其の終始を寵耀する所以なり。

公晩樂歷陽風土、遂徙居之。將歸、十一月過金陵、二十六日以疾終。享年七十有一。金陵之人奔走供事、往來哭於道路。其得人心如此。公任官四十五年、累階至某勳、某爵、某食邑若干。
【読み】
公晩に歷陽の風土を樂しみ、遂に徙って之に居す。將に歸らんとして、十一月に金陵を過り、二十六日に疾を以て終う。享年七十有一。金陵の人奔走して事に供し、往來して道路に哭す。其の人心を得ること此の如し。公官に任ずること四十五年、累階某の勳、某の爵、某の食邑若干[そこばく]に至る。

公精愼、長於政。事遇繁劇、他人若不可堪、而公處之裕然。故世稱有大體、精吏治者、必歸之公。其事業磊落、見於時者爲不少矣。然其德性之美、心術之醇、世尤尊之。蓋資稟有過於人者也。故其仁厚誠恕、出於自然。
【読み】
公精愼にして、政に長ず。事繁劇に遇って、他人は堪う可からざるが若くなれども、公之に處して裕然たり。故に世大體有りと稱して、吏治に精しき者、必ず之を公に歸す。其の事業磊落、時に見る者少なからずとす。然して其の德性の美、心術の醇、世尤も之を尊ぶ。蓋し資稟人に過ぐること有る者なり。故に其の仁厚誠恕、自然に出づ。

年八九歲時、尙書爲嶽州從事、公晨起將就學舍、得金釵於門外。公默坐其處、以伺訪者、有一吏徘徊。久之問故、果墜釵者也。公詰其狀、驗之信、則出付之。吏謝以數百金。公笑不受曰、我若欲之取、釵不過於數百金耶。吏歎駭而去。
【読み】
年八九歲の時、尙書嶽州の從事爲るとき、公晨に起きて將に學舍に就かんとして、金釵を門外に得。公其の處に默坐して、以て訪う者を伺うに、一吏有りて徘徊す。久しくして故を問うに、果たして釵を墜とす者なり。公其の狀を詰り、之を驗[ため]すに信なるときは、則ち出して之を付す。吏謝するに數百金を以てす。公笑って受けずして曰く、我れ若し之を取ることを欲せば、釵數百金に過ぎずや、と。吏歎駭して去る。

始就舉時、貧無餘貲。惟持金釧數隻、棲於旅舍。同舉者過之、衆請出釧爲翫。客有墜其一於袖閒者、公視之不言。衆莫知也。皆驚求之。公曰、數止此耳。非有失也。將去、袖釧者揖而舉手、釧墜於地。衆服公之量。
【読み】
始め舉に就く時、貧しくして餘の貲[し]無し。惟金釧數隻を持して、旅舍に棲む。同舉の者之に過れば、衆請いて釧を出して翫ぶことをせん、と。客其の一つを袖の閒に墜とす者有り、公之を視て言わず。衆知ること莫し。皆驚いて之を求む。公曰く、數此に止まるのみ。失すること有るに非ず、と。將に去らんとして、釧を袖にする者揖して手を舉ぐるに、釧地に墜つ。衆公の量に服す。

撫宗族有恩意、外甥孤女、收視之如己子、爲擇善士而嫁之。守常一、不妄遷習。與朋友交、盡信義、始卒無移改。廉潔純儉、本之天性。居母喪、貧甚。郷人爭饋之、皆謝去。風俗爲之化。後居顯仕、自奉養不改其素。平生無聲色奇巧之翫。其氣宇高爽、議論淸澹、而端莊恭謹、動必由禮。未嘗有惰慢之色、戲侮之言、見者皆知畏重。然襟度夷曠、不可澄撓。與人處、雖終歲莫見其喜怒之變。遇事明白、不事襮飾、接人無貴賤高下、一以忠信。動無疑忌、卽之溫然、有大雅之德。
【読み】
宗族を撫するに恩意有りて、外甥孤女、之を收め視ること己が子の如くにして、善士を擇んで之を嫁せしめんとす。常一を守って、妄りに遷習せず。朋友と交わるに、信義を盡くして、始卒移り改むること無し。廉潔純儉、之を天性に本づく。母の喪に居するに、貧しきこと甚だし。郷人爭って之を饋[おく]るに、皆謝し去る。風俗之が爲に化す。後顯仕に居すれども、自ら奉養すること其の素を改めず。平生聲色奇巧の翫無し。其の氣宇高爽、議論淸澹にして、端莊恭謹、動けば必ず禮に由る。未だ嘗て惰慢の色、戲侮の言有らずして、見る者皆畏れ重んずることを知る。然して襟度夷曠にして、澄撓す可からず。人と處するに、歲を終うと雖も其の喜怒の變を見ること莫し。事に遇すること明白にして、襮飾を事とせず、人に接するに貴賤高下と無く、一に忠信を以てす。動くに疑い忌むこと無、之に卽くに溫然として、大雅の德有り。

爲政本仁惠、吏民愛之如父母。惟不喜矯情悅衆、揚己取譽。常曰、牢籠之事、吾所不爲。居憲府、多所論奏、未嘗以語人。或疵其少言、惟謝之、終不自辨。每謂人曰、吾不爲他學、但幼卽學平心以待物耳。又常敎其子弟曰、吾數歲時、冬處被中、則知思天下之寒者矣。蓋源流如此。宜其仁恕之善、見於天下。
【読み】
政をすること仁惠に本づいて、吏民之を愛すること父母の如し。惟情を矯めて衆を悅ばしめ、己を揚げて譽れを取ることを喜ばず。常に曰く、牢籠の事は、吾がせざる所なり、と。憲府に居して、多く論奏する所は、未だ嘗て以て人に語らず。或は其の少言を疵[そし]らるれば、惟之を謝して、終に自ら辨ぜず。每に人に謂いて曰く、吾れ他學をせず、但幼にして卽ち心を平らかにして以て物を待つことを學ぶのみ、と。又常に其の子弟に敎えて曰く、吾れ數歲の時、冬被中に處するときは、則ち天下の寒[こご]ゆる者を思うことを知る、と。蓋し源流此の如し。宜なり其の仁恕の善、天下に見ること。

自朝廷至於士人、推其誠長者、至其持守剛勁、不可毫髮遷奪、喜善嫉惡、勇於斷決、不爲勢利誘、不以威武移。潮州州宅、舊傳多怪。前後守臣無寧處者。公迄去、未嘗問其有無。其達理守正若此。凜乎其丈夫也。故歷事三朝、人主信之。
【読み】
朝廷自り士人に至るまで、其の誠に長ずる者を推すに、其の持し守ること剛勁にして、毫髮も遷し奪う可からず、善を喜して惡を嫉[うら]んで、斷決に勇み、勢利の爲に誘われず、威武を以て移されざるに至る。潮州の州宅、舊傳う怪しき多し、と。前後の守臣寧んじ處する者無し。公去るに迄ぶまで、未だ嘗て其の有無を問わず。其の理に達し正を守ること此の若し。凜乎たる其の丈夫なり。故に三朝に歷事して、人主之を信ず。

公娶晏氏。故相元憲公之姪、而刑部侍郎諱容之子也。封延安郡君。有賢行、爲宗黨所尊。二男、長曰衛。前趙州軍事判官。孝謹和厚、以親老不忍去左右、解官歸侍者十年矣。次曰衍。俊敏有高才、方舉進士而卒。五女子、長適知鄂州嘉魚縣胡從、次適宜春李伯英、次卽顥之室、又次適太常博士田祐、次適著作佐郎齊域而歸。李氏・齊氏者皆早世。孫四人、曰該、曰諮。竝試將作監主簿。詢・訢尙幼。孫女五人、倶未嫁。
【読み】
公晏氏を娶る。故[もと]の相元憲公の姪にして、刑部侍郎諱は容の子なり。延安郡君に封ぜらる。賢行有りて、宗黨の爲に尊びらる。二男、長を衛と曰う。前の趙州の軍事判官たり。孝謹和厚にして、親老いたるを以て左右を去るに忍びず、官を解いて歸り侍する者十年なり。次を衍と曰う。俊敏にして高才有り、方に進士に舉げられて卒す。五女子、長は知鄂州嘉魚縣の胡從に適き、次は宜春の李伯英に適き、次は卽ち顥が室、又次は太常博士田祐に適き、次は著作佐郎齊域に適いて歸る。李氏・齊氏は皆早世せり。孫四人、該と曰い、諮と曰う。竝びに將作監主簿に試[もち]いらる。詢・訢[きん]尙幼し。孫女五人、倶に未だ嫁せず。

公終之明年、嗣子將以某月某日、奉公之喪、葬於和州歷陽縣某郷某里某地。前期、得公之官次行事於其家。若公之道德、則顥所親炙而知者。謹加編錄、請求誌於盛德君子、以圖不朽。謹狀。
【読み】
公終うるの明年、嗣子將に某の月某の日を以て、公の喪を奉じて、和州歷陽縣某の郷某の里某の地に葬る。前期、公の官次行事を其の家に得。公の道德の若きは、則ち顥親炙して知る所の者なり。謹んで編錄を加え、請いて盛德の君子を誌して、以て不朽を圖らんことを求む。謹んで狀す。


二程全書卷之五十七  明道先生文四

墓誌

程邵公墓誌

邵公、廣平程顥之次子也。生於治平始元仲秋之四日、死於熙寧首禩仲夏之十四日。越三日、藏(一作葬。)之於伊陽縣神陰郷祖塋之東。邵公、其幼名也。端愨、其名也。
【読み】
邵公は、廣平程顥の次子なり。治平始元仲秋の四日に生まれ、熙寧首禩仲夏の十四日に死す。越[ここにおい]て三日、之を伊陽縣神陰郷祖塋の東に藏む(一に葬に作る。)。邵公は、其の幼名なり。端愨は、其の名なり。

生而有奇質、未滿歲而溫粹端重之態、完然可愛。聰明日發、而方厚淳美之氣益備。其始言也、或授之以詩。率未三四過、卽已成誦矣。久亦不復忘去。雖警悟俊穎、若照徹内外、而出之從容。故敏於見知、而安於言動。坐立必莊謹、不妄瞻視。未嘗有戲慢之色。孝友信讓之性、蓋出於自然。與人言則溫然。及其有所不爲、則確乎其守也。大凡其心有所許、後雖以百事誘迫、終不復移矣。日視群兒相與狎弄歡笑跳梁於前、泊乎如不聞知。雖有喜相侵暴者、亦莫之敢侮。蓋厥生五年、而人不見其有喜怒好欲。是豈特異於常兒哉。皆老於學者之所難能也。而吾兒之資乃成於生之初。嗚呼、使其降年之永、則吾不知其所至也。吾弟頤亦以斯文爲己任。嘗意、是兒當世吾兄弟之學。今則已矣。則吾之慟、亦不特以父子之親也。
【読み】
生まれて奇質有り、未だ滿歲ならずして溫粹端重の態、完然として愛す可し。聰明日に發して、方厚淳美の氣益々備わる。其の始めて言うとき、或るひと之に授くるに詩を以てす。率ね未だ三四過ならずして、卽已に誦を成す。久しくして亦復忘れ去らず。警悟俊穎、内外に照徹するが若しと雖も、之を出すこと從容なり。故に見知に敏くして、言動に安し。坐立必ず莊謹にして、妄りに瞻視せず。未だ嘗て戲慢の色有らず。孝友信讓の性、蓋し自然に出づ。人と言うときは則ち溫然たり。其のせざる所有るに及んでは、則ち確乎として其れ守る。大凡其の心許す所有れば、後百事を以て誘い迫ると雖も、終に復移らず。日に群兒相與に狎れ弄んで前に歡笑跳梁するを視るとも、泊乎として聞知せざるが如し。喜んで相侵暴する者有りと雖も、亦之を敢えて侮ること莫し。蓋し厥の生まれて五年までにして、人其の喜怒好欲有ることを見ず。是れ豈特常兒に異なるのみならんや。皆學に老いたる者の能くし難き所なり。而も吾が兒の資は乃ち生の初めに成る。嗚呼、其をして年を降すこと永からしめば、則ち吾れ其の至る所を知らじ。吾が弟頤も亦斯の文を以て己が任とす。嘗て意えり、是の兒當に吾れ兄弟の學を世[つ]ぐべし、と。今は則ち已んぬるかな。則ち吾が慟[なげ]き、亦特父子の親を以てするのみにあらざるなり。

夫動靜者陰陽之本。況五氣交運、則益參差不齊矣。賦生之類、宜其雜揉者衆、而精一者閒或値焉。以其閒値之難、則其數或不能長、亦宜矣。吾兒其得氣之精一、而數之局者歟。天理然矣。吾何言哉。以其葬日之迫、刊刻之不暇也。惟砂書於磚、以誌其壙。
【読み】
夫れ動靜は陰陽の本なり。況んや五氣交々運するときは、則ち益々參差として齊しからず。賦生の類、宜なり其の雜揉なる者衆くして、精一なる者閒[まま]或は値[あ]えること。其の閒値えるの難きを以て、則ち其の數或は長ずること能わざるも、亦宜なるかな。吾が兒其れ氣の精一を得て、而して數の局[せぐくま]れる者か。天理然り。吾れ何を言わんや。其の葬日の迫るを以て、刊刻するに暇あらず。惟磚[せん]に砂書して、以て其の壙に誌す。


程殿丞墓誌銘

程氏居永寧之博野。土風渾厚、世以忠廉孝謹聞。少師貴重於朝、始賜第京師、爲開封人。世風不衰、子孫多好善。如吾叔父、可謂能守其家法者矣。叔諱瑜、字叔寶。少師諱羽、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏之曾孫、尙書虞部員外郎諱希振、高密縣君崔氏之孫、贈大理寺丞諱道、天水趙氏、長壽縣太君任氏之子。
【読み】
程氏永寧の博野に居す。土風渾厚にして、世々忠廉孝謹を以て聞こゆ。少師朝に貴重せられて、始めて第を京師に賜って、開封人と爲る。世風衰えず、子孫多くは善を好む。如して吾が叔父、能く其の家法を守る者なりと謂う可し。叔諱は瑜、字は叔寶。少師諱は羽、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏の曾孫、尙書虞部員外郎諱は希振、高密縣君崔氏の孫、贈大理寺丞諱は道、天水の趙氏、長壽縣の太君任氏の子なり。

少以族兄廣平文簡公廕試將作監主簿、未冠、爲荆南監利尉、卽以幹敏稱。再調永州零陵簿、益以才著。時谿蠻嘯動、焚劫縣邑。道州寧遠最當賊衝。部使者命公攝令事。至止之日、邑無城壁、府無兵械。公經營創治、夜以繼日、完集。未幾蠻寇大至、設長圍以逼城。公激勵士卒、躬冒矢石、捍守累日、以奇兵由水中旁出賊後。合戰甚苦、賊乃敗去。旣而同守者皆論功丐賞。公曰、城守吾事也。城獲完足矣。尙當以爲利乎。卒不自言。
【読み】
少くして族兄廣平文簡公將作監主簿に廕試するを以て、未だ冠せずして、荆南の監利尉と爲って、卽ち幹敏を以て稱せらる。再び永州零陵の簿に調[うつ]されて、益々才を以て著る。時に谿蠻嘯動して、縣邑を焚劫す。道州の寧遠最も賊衝に當たる。部使者公に命じて令の事を攝らせしむ。至り止まるの日、邑に城壁無く、府に兵械無し。公經營創治、夜以て日に繼ぎ、完く集む。未だ幾ならずして蠻寇大いに至り、長圍を設けて以て城に逼る。公士卒を激勵し、躬ら矢石を冒して、捍[ふせ]ぎ守ること累日、奇兵を以て水中の旁由り賊の後に出づ。合戰甚だ苦しんで、賊乃ち敗れ去る。旣にして同守の者皆功を論じ賞を丐[こ]う。公曰く、城守は吾が事なり。城完きことを獲て足れり。尙當に以て利を爲すべけんや、と。卒に自ら言わず。

代還、得爲汝州龍興令。計省言其材、遂監解州鹽池、歲課羨溢。改大理寺丞、簽書礠州判官公事。太守武人不知爲政、公從容開贊、一郡大治。事雖出公、而人莫窺其跡。謙晦不伐、率皆此類。
【読み】
代わり還って、汝州龍興の令爲ることを得。計省其の材を言いて、遂に解州の鹽池に監として、歲課羨溢す。大理寺丞、簽書礠州の判官公事に改めらる。太守武人政を爲むることを知らず、公從容として開贊して、一郡大いに治まる。事公に出づと雖も、人其の跡を窺うこと莫し。謙晦して伐らざること、率ね皆此の類なり。

以年勞、升太子贊善大夫、賜五品服。就移知邛州依政縣。時長壽太君春秋高。公懼有遠行之勞、卽上書願就監臨、以便奉養。改舒州皖口監轄。乃以考課遷殿中丞。還朝、知濮州雷澤縣。未行、暴疾、終於京師。實嘉祐七年三月十八日也。
【読み】
年々勞するを以て、太子の贊善大夫に升られ、五品の服を賜う。就き移って邛州依政縣に知たり。時に長壽太君春秋高し。公遠行の勞有らんことを懼れて、卽ち上書して監臨に就いて、以て奉養に便せんことを願う。舒州皖口の監轄に改めらる。乃ち考課を以て殿中丞に遷る。朝に還って、濮州雷澤縣に知たり。未だ行かずして、暴[にわか]に疾んで、京師に終う。實に嘉祐七年三月十八日なり。

公姿儀偉秀、風度平雅、端莊謹厚、不妄言笑、進退動止、皆有法度、衣冠整理、望之肅然。三歲而孤。長壽太君教養嚴至。恂恂奉事、恪恭朝夕、未嘗少懈。善與人交、久而益篤。嗚呼、行足以勵俗、才足以有爲。不幸短命、未究所施。歿之年方四十三矣。
【読み】
公姿儀偉秀、風度平雅、端莊謹厚にして、妄りに言笑せず、進退動止、皆法度有り、衣冠整理して、之を望めば肅然たり。三歲にして孤なり。長壽太君教養嚴かに至る。恂恂として奉事し、朝夕に恪[つつし]み恭しくして、未だ嘗て少しも懈らず。善く人と交わるに、久しくして益々篤し。嗚呼、行い以て俗を勵ますに足り、才以てすること有るに足れり。不幸短命にして、未だ施す所を究めず。歿するの年方に四十三なり。

公娶張氏。封福昌縣君。和慈孝睦、族人推其賢。三子、曰預、以疾廢。曰顗、曰顓、皆爲儒學。三女、長適前常州軍事推官王師古、仲適襄陵賈芮、季適汝南周純明。
【読み】
公張氏を娶る。福昌縣君に封ぜらる。和慈孝睦にして、族人其の賢を推す。三子あり、預と曰うは、疾を以て廢す。顗[ぎ]と曰い、顓[せん]と曰うは、皆儒學を爲む。三女あり、長は前の常州の軍事推官王師古に適き、仲は襄陵の賈芮に適き、季は汝南の周純明に適く。

熙寧二年八月丙申、公之從兄司農、葬公於河南府伊陽縣神陰郷先塋之次。顥以父命、得預役事、又掇公之官世行業而爲之誌、旣又繫之以銘曰、
【読み】
熙寧二年八月丙申、公の從兄司農、公を河南府伊陽縣神陰郷先塋の次に葬る。顥父の命を以て、役の事に預ることを得、又公の官世行業を掇って之が誌を爲り、旣に又之に繫くるに銘を以てして曰く、

謹於奉親、勤於事君、端於立身、無愧乎古人。山可夷、谷可堙、斯言不泯。
【読み】
親に奉ずるに謹み、君に事うるに勤め、身を立つるに端しくして、古人に愧づること無し。山夷[たい]らかなる可く、谷堙[ふさ]がる可くとも、斯の言泯びじ、と。


李寺丞墓誌銘

予友李君仲通、諱敏之、世居北燕。高祖避亂南徙。今爲濮人。丞相文定公迪、乃其世父也。曾祖令珣、祖護、皆以丞相。故贈太師尙書令。考遜用子貴、贈吏部尙書。
【読み】
予が友李君仲通、諱は敏之、世々北燕に居す。高祖亂を避けて南に徙る。今濮人爲り。丞相文定公迪は、乃ち其の世父なり。曾祖令珣、祖護、皆以て丞相たり。故に太師尙書令を贈らる。考遜子貴きを用て、吏部尙書を贈らる。

仲通生而有賢資、端厚仁恕、見於孩提之時。舉動齊整、不妄言笑、燕居終日、泊然而無惰容。望之者皆知其君子人矣。與人言、無隱情。惟聞人之過則未嘗復出於口。安靖寡欲、居貧守約、裕如也。好古力學、博觀群書。尤精於春秋・詩・易。其後所得、殊爲高深。方勇勵自進、不幸短命。惜夫未見其止也。死之年纔三十矣。
【読み】
仲通生まれて賢資有り、端厚仁恕、孩提の時に見る。舉動齊整にして、妄りに言笑せず、燕居終日、泊然として惰容無し。之を望む者皆其の君子人なることを知る。人と言うに、隱情無し。惟人の過ちを聞けば則ち未だ嘗て復口に出さず。安靖にして欲寡く、貧に居し約を守って、裕如たり。古を好んで力め學んで、博く群書を觀る。尤も春秋・詩・易に精し。其の後得る所、殊に高深なりとす。勇勵して自ら進むに方って、不幸短命なり。惜しいかな未だ其の止むを見ざることを。死する年纔かに三十なり。

仲通之德、蓋完於天成、孝友之性、尤爲絕異。侍太夫人疾、衣不解帶者累月、及居喪、哀毀過甚。中外數百口、上愛下信、人無閒言。群從聚居、臧獲使令者衆、雖馭之過嚴、不能使之無犯。惟偶爲仲通所責、則其人必慚悵、累日痛自飭勵。及仲通之亡、濮之人無賢不肖、皆失聲痛惜、或爲隕涕。非至誠及物、其能有是乎。
【読み】
仲通の德、蓋し天成に完くして、孝友の性、尤も絕異とす。太夫人の疾に侍して、衣帶を解かざる者累月、喪に居るに及んで、哀毀過ぐること甚だし。中外數百口、上愛し下信じて、人言を閒[あや]しむこと無し。群從聚居し、臧獲使令の者衆くして、之を馭すること過嚴なりと雖も、之をして犯すこと無からしむること能わず。惟偶々仲通の爲に責めらるるときは、則ち其の人必ず慚悵して、累日痛めて自ら飭勵す。仲通の亡ぶるに及んで、濮の人賢不肖と無く、皆聲を失して痛惜し、或は爲に涕を隕とす。至誠物に及ぶに非ずんば、其れ能く是れ有らんや。

仲通外甚和易、遇物如恐傷之。雖家人未始見其喜怒。及其出辭氣、當事爲、則莊厲果斷、不可以非義回屈。始用蔭補郊社齋郎。調虔州瑞金縣主簿。會劇賊戴小八攻害數邑。朝廷患之、命御史督視。仲通時承尉乏、與其令謀曰、劉右鶻・石門羅姓者、皆健賊。詔捕之累年矣。小八不能連二盜以自張。吾知其無能爲也。當說使自効、則賊爲不足破矣。乃遣人諭二盜。皆曰、我服李君仁信久矣。願爲之死。然召我亦有以爲信乎。仲通卽以其符誥與之、且約曰、某日當以甲二百來見我於邑中。衆皆恐懼。仲通曰、彼欲爲惡、雖不召將至。且吾信於邑人。彼亦吾人也。何憚乎。乃將二盜與之周旋、卒得其死力、遂斬小八、盡平其黨。朝廷嘉之、遷衛尉寺丞、仍升一任。御史用閒者言、將誅劉・羅二黨。仲通以爲、失信不義。抗論甚力、久始見從。仲通又自言於朝、請因其立功、縻以冗職、可絕後患。書奏不報。其羅姓者、果復爲害。
【読み】
仲通外甚だ和易にして、物に遇えば之を恐れ傷むが如し。家人と雖も未だ始めより其の喜怒を見ず。其の辭氣を出し、事爲に當たるに及んでは、則ち莊厲果斷、非義を以て回屈す可からず。始め用られて郊社齋郎に蔭補せらる。虔州瑞金縣の主簿に調る。會々劇賊戴小八數邑を攻害す。朝廷之を患えて、御史に命じて督視せしむ。仲通時に尉の乏しきに承って、其の令と謀って曰く、劉右鶻・石門羅姓の者は、皆健賊なり。詔して之を捕うること累年なり。小八は二盜を連ねて以て自ら張ること能わず。吾れ其の能くすること無きことを知れり。當に說いて自ら効[いた]さしむべきときは、則ち賊破るに足らずとす、と。乃ち人を遣わして二盜に諭す。皆曰く、我れ李君の仁信に服すること久し。願わくは之が爲に死せん。然れども我を召すに亦以て信を爲すこと有りや、と。仲通卽ち其の符誥を以て之に與え、且約して曰く、某の日當に甲二百を以て來りて我に邑中に見ん、と。衆皆恐れ懼る。仲通曰く、彼惡をせんと欲せば、召さずと雖も將至らん。且つ吾れ邑人に信ぜらる。彼も亦吾人なり。何ぞ憚らんや、と。乃ち二盜を將って之と周旋して、卒に其の死力を得て、遂に小八を斬って、盡く其の黨を平らぐ。朝廷之を嘉して、衛尉寺丞に遷し、仍って一任に升る。御史閒を用うる者言く、將に劉・羅の二黨を誅せんとす、と。仲通以爲えらく、信を失するは不義なり、と。論を抗げて甚だ力めて、久しくして始めて從わる。仲通又自ら朝に言して、其の功を立つるに因って、縻[つな]ぐに冗職を以てして、後の患えを絕つ可しと請う。書奏して報あらず。其の羅姓の者、果たして復害を爲す。

仲通宰江寧之上元、有古循吏之風。邑之舊田稅不均、貧弱受其弊。仲通爲法以平之。豪猾惡其害己、共爲謗語、借勢於上官以搖其事。人皆爲仲通危。仲通堅處不變。未滿歲而所均者萬七(一作二。)千室。事業雖百未一施、概是二節、則高明之見、剛勇之氣、發於事者、亦可知已。
【読み】
仲通江寧の上元に宰として、古の循吏の風有り。邑の舊田稅均しからずして、貧弱其の弊を受く。仲通法を爲して以て之を平らかにす。豪猾其の己を害することを惡んで、共に謗語を爲し、勢を上官に借りて以て其の事を搖す。人皆仲通の爲に危うしとす。仲通堅く處して變ぜず。未だ滿歲ならずして均しくする所の者萬七(一に二に作る。)千室なり。事業百と雖も未だ一々施さず。概ね是の二節は、則ち高明の見、剛勇の氣、事に發する者、亦知る可きのみ。

嗚呼、人非有古今之殊、特患夫忽近而慕遠耳。如吾仲通之材之美、古獨可以多乎哉。向若天假之年、成就其所學、自當無愧於古人。況使得與古之人竝、而親炙於聖人之時乎。則吾知其果不後曾・閔之列矣。
【読み】
嗚呼、人古今の殊なり有るに非ず、特夫の近きを忽にして遠きを慕うことを患うるのみ。吾が仲通の材の美なるが如き、古獨り以て多かる可けんや。向[さき]に若し天之に年を假して、其の學ぶ所を成就せしめば、自づから當に古人に愧づること無かるべし。況んや古の人と竝んで、聖人の時に親炙することを得せしむるをや。則ち吾れ知んぬ、其の果たして曾・閔の列に後れざらんことを。

仲通以治平三年五月終於家。熙寧七年二月庚寅、葬於濮州鄄城縣遺直郷之先塋。夫人王氏附焉。夫人、太子中舍杲之女、賢慧靖淑、雅有法度。及寡居、益自晦重、素衣一食以終身焉。蓋後仲通六年而亡。仲通嘗生二女。皆夭、卒無子。以兄之子孝和爲嗣。
【読み】
仲通治平三年五月を以て家に終う。熙寧七年二月庚寅、濮州鄄城[けんじょう]縣遺直郷の先塋に葬る。夫人王氏附す。夫人は、太子の中舍杲[こう]の女、賢慧靖淑にして、雅[もと]より法度有り。寡居に及んで、益々自ら晦重して、素衣一食して以て身を終う。蓋し仲通に後るること六年にして亡ぶ。仲通嘗て二女を生む。皆夭して、卒に子無し。兄の子孝和を以て嗣とす。

仲通平生相知之深者莫如予。故將葬、其家以誌文來屬。其可辭乎。銘曰、
【読み】
仲通平生相知るの深き者は予に如くは莫し。故に將に葬らんとして、其の家誌文を以て來り屬す。其れ辭す可けんや。銘に曰く、

二氣交運兮、五行順施。剛柔雜揉兮、美惡不齊。稟生之類兮、偏駁其宜。有鍾粹美(一作純粹。)兮、會元之期。聖雖可學(一作學作。)兮、所貴者資。便儇皎厲兮、去道遠而。展矣仲通兮、賦材特奇。進復甚勇兮。其造可知。德何完兮命何虧。秀而不實聖所悲。孰能使我無愧辭。後欲有考觀銘詩。
【読み】
二氣交々運して、五行順施す。剛柔雜揉にして、美惡齊しからず。稟生の類、偏駁其れ宜なり。粹美(一に純粹に作る。)を鍾[あつ]むること有るは、會元の期。聖學ぶ(一に學作に作る。)可しと雖も、貴ぶ所の者は資なり。便儇[べんけん]皎厲[こうれい]、道を去ること遠し。展[まこと]なるかな仲通、賦材特奇。進むこと復甚だ勇なり。其の造ること知んぬ可し。德何ぞ完く命何ぞ虧く。秀でて實らざるは聖の悲しむ所。孰か能く我をして辭を愧づること無からしめん。後銘詩を考え觀ること有らんことを欲す、と。


程郎中墓誌

公諱璠、字仲韞、姓程氏、世居中山之博野。宋興、先少師以勳德顯重、賜第京師、始爲開封人。少師諱羽、其媲曰淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。是生虞部府君諱希振。娶博陵崔氏、封高密縣君、是生尙書府君諱遹。公卽尙書之仲子、母曰孝感太君、長安太君、皆張氏。
【読み】
公諱は璠、字は仲韞、姓は程氏、世々中山の博野に居す。宋興って、先の少師勳德を以て顯重せられて、第を京師に賜い、始めて開封人と爲る。少師諱は羽、其の媲[つま]を淸河太君張氏、襄陵太君賈氏と曰う。是に虞部府君諱は希振を生む。博陵の崔氏、封高密縣君を娶って、是に尙書府君諱は遹[いつ]を生む。公は卽ち尙書の仲子、母を孝感太君、長安太君と曰い、皆張氏なり。

公生數歲而孤、教養於伯兄。十六、以族兄廣平文簡公蔭試將作監主簿、始冠、爲常州戶曹掾。時朝廷遣使安撫二浙。表言公才、就除明州司法。力抗暴守、數活疑獄。
【読み】
公生まれて數歲にして孤にして、伯兄に教養せらる。十六にして、族兄廣平文簡公將作監主簿に蔭試するを以て、始めて冠して、常州の戶曹掾と爲る。時に朝廷使を遣わして二浙を安撫せしむ。表して公の才を言いて、就いて明州の司法に除せらる。力めて暴守を抗して、數々疑獄を活かす。

當途者交薦之、遂改京官、知壽州安豐。邑富、多强猾、小民困於浸漁。爲令者常苦其難制。公至未幾、皆斂手莫敢犯、盜賊亦越逸他境。增治芍陂、以廣灌漑、人賴其賜。道路謠頌、聞於京師。大豪陳順謀去其母、紿之醉、宿旁舍、因誣以爲嫁、使其黨證之。公察其情、卽命捕置、果已亡去。權至能使監司移其獄。公拒弗與、根索益急。順乃持金謂審官吏、謀去公以緩其事。吏卽爲謾奏、移公興元府西縣。公具得行賂狀。人或勸公辨之朝。公曰、吾豈與吏辨者乎。曹吏以謬誤自陳、得改洪州之豐城。江水嘗環城、人大饑。邑豪吳氏以貲得官藏粟閉糴。公召諭之、不從。謂曰、民餓且死、令亦不敢自保祿位。當杖爾以取之。吳氏大懼、哀祈請命。於是富人爭出粟、民用以濟。
【読み】
當途の者交々之を薦めて、遂に京官に改められて、壽州の安豐に知たり。邑の富、多くは强猾にして、小民浸漁に困しめらる。令爲る者常に其の制し難きに苦しむ。公至って未だ幾ならざるに、皆手を斂めて敢えて犯すこと莫く、盜賊も亦他境に越逸す。芍陂[しゃくひ]を增治して、以て灌漑を廣めて、人其の賜に賴る。道路の謠頌、京師に聞こゆ。大豪陳順其の母を去らんことを謀って、之を紿[いつわ]りて醉わせて、旁舍に宿せしめ、因りて誣いて以て嫁すと爲して、其の黨をして之を證せしむ。公其の情を察して、卽ち命じて捕え置くに、果たして已に亡げ去る。權に至って能く監司をして其の獄を移さしめんとす。公拒んで與せずして、根索益々急なり。順乃ち金を持して審らかなることを官吏に謂いて、公を去って以て其の事を緩くせんことを謀る。吏卽ち謾奏することを爲して、公を興元府の西縣に移す。公具に賂を行う狀を得。人或は公之を朝に辨ぜんことを勸む。公曰く、吾れ豈吏と辨ずる者ならんや、と。曹吏謬誤を以て自ら陳べて、洪州の豐城に改むることを得。江水嘗て城を環って、人大いに饑ゆ。邑豪吳氏貲を以て官藏の粟を得て閉糴す。公召して之を諭すに、從わず。謂いて曰く、民餓えて且つ死なば、令も亦敢えて自ら祿位を保たず。當に爾を杖して以て之を取るべし、と。吳氏大いに懼れて、哀祈して命を請う。是に於て富人爭って粟を出して、民用て以て濟う。

以謀葬其先世、求知河南伊闕縣。秩滿、簽書河東節度判官公事、丁長安太君憂。服除、知永安縣。兼陵臺令、奉陵寢。皆中貴人。前令多務姑息、往往侵暴邑人。公待之有方、皆斂戢就法度内。韓贄守洛、醜公正直、誣以非罪。洛人不直其事、讙聞道路、而公卒不自辨。還朝、通判和州。
【読み】
其の先世を葬ることを謀るを以て、求めて河南の伊闕縣に知たり。秩滿ちて、簽書河東の節度判官公事たるとき、長安太君の憂に丁[あ]たる。服除いて、永安縣に知たり。陵臺の令を兼ねて、陵寢を奉ず。皆中貴人なり。前の令多く姑息を務めて、往往に邑人を侵暴す。公之を待つこと方有り、皆斂め戢めて法度の内に就かしむ。韓贄洛に守たるとき、公の正直を醜んで、誣うるに罪に非ざるを以てす。洛人其の事を直とせずして、讙しく道路に聞こゆれども、公卒に自ら辨ぜず。朝に還って、和州に通判たり。

先是、蔡州妖尼惠普、以左道惑衆。數年之閒、四方響動、奔走奉事、唯恐不至。其後奸跡暴露。有司猶薄其罪、但坐杖、皆羈置歷陽。時朝廷當有赦、惠普卽詐疾以俟、卒得免杖。人皆神之、謂果不可得而刑也。居和未久、崇奉者稍稍自遠而至、郡守禮之甚謹。公始戾止、會守以謫去、權領郡事。一日捽至庭下、布獄械於前、使具道所以罔人之狀。故其奸謀詭說、皆掀揭呈露。乃正其罪而刑之。有識之士以謂、微公之斷、不能解天下之惑。有李洞元者、爲神怪之說、妄言受知昭陵、嘗以金字書賜之。江・淮之閒、從者如市。公亦按置於法。由是遠近悚服。
【読み】
是より先、蔡州の妖尼惠普、左道を以て衆を惑わす。數年の閒、四方響動して、奔走奉事す、唯恐れらくは至らざらんことを、と。其の後奸跡暴露す。有司猶其の罪を薄しとして、但坐杖して、皆歷陽に羈置せんとす。時に朝廷赦有るに當たって、惠普卽ち詐り疾んで以て俟って、卒に杖を免るることを得。人皆之を神として、謂えらく、果たして得て刑す可からざるなり、と。和に居ること未だ久しからざるに、崇奉する者稍稍と遠き自り至って、郡守之を禮すること甚だ謹めり。公始めて戾り止まるとき、會々守謫せられ去るを以て、權に郡事を領す。一日捽[つか]んで庭下に至らしめ、獄械を前に布いて、具に人を罔うる所以の狀を道わしむ。故に其の奸謀詭說、皆掀揭[けんけい]呈露す。乃ち其の罪を正して之を刑す。有識の士以謂えらく、公の斷微くんば、天下の惑いを解くこと能わじ、と。李洞元という者有り、神怪の說を爲して、妄言して昭陵に知られ、嘗て金字の書を以て之に賜う。江・淮の閒、從う者市の如し。公亦法を按置す。是に由って遠近悚服す。

復通判隰州、歲大饑。力爲賑助、所存活者甚衆。熙寧乙卯夏四月、代還。甲申、以疾終于河南。享年五十七。
【読み】
復隰州に通判たるとき、歲大いに饑ゆ。力めて賑助を爲して、存活する所の者甚だ衆し。熙寧乙卯夏四月、代わり還る。甲申、疾を以て河南に終う。享年五十七なり。

公資質瑰壯、明辨剛決、接人誠厚、動有恩意、輕財好義、中懷豁如。材長於治民、嚴而有愛、敏而不苛、區繁剸劇、常有餘裕。其所斷獄、人自以爲不冤。故前所涖去久而人思之。識用高爽、有大過人者。凡是山川道途、人物名氏、目所一見、耳所暫聞、閱年雖多、不復忘廢。豐城大邑、公爲之三年、識其民且半。其餘政事條理、從可知矣。
【読み】
公資質瑰壯、明辨剛決、人に接すること誠厚にして、動[ややもす]れば恩意有り、財を輕んじ義を好んで、中懷豁如たり。材民を治むるに長じて、嚴にして愛有り、敏にして苛ならず、繁を區[わか]ち劇を剸[き]って、常に餘裕有り。其の獄を斷[さだ]むる所、人自ら以て冤あらずとす。故に前に涖み去る所久しくして人之を思う。識用高爽、大いに人に過ぎたる者有り。凡そ是の山川道途、人物名氏、目一たび見る所、耳暫く聞く所、年を閱[へ]ること多しと雖も、復忘廢せず。豐城の大邑、公之を爲むること三年にして、其の民を識ること且に半ばならんとす。其の餘の政事條理、從って知る可し。

官自衛尉寺丞九遷爲比部郎中、以年勞賜五品服。始娶倪氏。事姑不謹。公以義罷遣。繼以曹氏。魏襄悼公利用之孫、封仁壽縣君。二子、曰顧、曰頁。皆太廟齋郎。四女、長適國子博士張昭立、次早亡。其二未嫁。
【読み】
官衛尉寺丞自り九たび遷されて比部郎中と爲り、年勞を以て五品の服を賜う。始め倪氏を娶る。姑に事うること謹まず。公義を以て罷め遣る。繼ぐに曹氏を以てす。魏の襄悼公利用の孫、仁壽縣君に封ぜらる。二子あり、顧と曰い、頁と曰う。皆太廟の齋郎たり。四女あり、長は國子博士張昭立に適き、次は早く亡ぶ。其の二りは未だ嫁せず。

公平生不惑流俗邪妄之說、常曰、吾死、愼勿爲浮屠事及用陰陽拘忌之術。公歿、家人奉以從事。熙寧十年仲秋丙申、公兄司農葬公河南府伊陽縣神陰郷、祔於先塋。且命顥論公之官世才行以誌其墓。
【読み】
公平生流俗邪妄の說に惑わず、常に曰く、吾れ死せば、愼んで浮屠の事を爲し及び陰陽拘忌の術を用うること勿かれ、と。公歿して、家人奉じて以て從事す。熙寧十年仲秋丙申、公の兄司農公を河南府伊陽縣神陰郷に葬って、先塋に祔す。且顥に命じて公の官世才行を論じて以て其の墓に誌さしむ。


澶娘墓誌銘(徐本無銘字。)
【読み】
澶娘[せんじょう]墓誌銘(徐本銘の字無し。)

澶娘、廣平程顥之幼女也。其父佐澶淵軍而生。故命之曰澶。其第四十七、生於熙寧四年季秋之丁未、死於十年季夏之壬午。其質端而厚、其氣溫而良、其舉動知思、安靜沉遠、殆如老成。衆皆意其福且壽。事固有莫可計者。命矣夫。
【読み】
澶娘は、廣平の程顥が幼女なり。其の父澶淵軍に佐として生む。故に之を命じて澶と曰う。其の第四十七、熙寧四年季秋之丁未に生まれ、十年季夏之壬午に死す。其の質端しくして厚く、其の氣溫やかにして良く、其の舉動知思、安靜沉遠なること、殆ど老成の如し。衆皆其の福あって且つ壽からんことを意う。事固に計る可きこと莫き者有り。命なるかな。

始病痘瘡、工藥之過劑(一作劇。)。善醫者論之曰、痘瘡之初、誠欲利者也。然當視其氣之彊弱、爲藥之可否、疾之重輕、爲劑之大小。今概以大藥下之。宜其死也。噫、是亦命歟。人理之未至、吾容當責命於天。言之以爲世戒云耳。悲夫。
【読み】
始め痘瘡を病んで、工之に藥すること劑(一に劇に作る。)を過つ。醫を善くす者之を論じて曰く、痘瘡の初めは、誠に利せんことを欲する者なり。然れども當に其の氣の彊弱を視て、藥の可否を爲し、疾の重輕、劑の大小を爲すべし、と。今概ね大藥を以て之を下す。宜なり其の死すること。噫、是れ亦命か。人理の未だ至らざる、吾れ當に命を天に責む容けんや。之を言いて以て世の戒めとすと云うのみ。悲しいかな。

澶娘旣死七十五日、而葬於河南伊陽縣神陰郷先塋之東、與其姊嬌兒同兆(一作穴。)。銘曰、
【読み】
澶娘旣に死して七十五日にして、河南伊陽縣神陰郷先塋の東に葬って、其の姊嬌兒と兆(一に穴に作る。)を同じくす。銘に曰く、

合而生、非來、盡而死、非往。然而精氣本於天、形魄歸於地。謂之往亦可矣。
【読み】
合って生まるるも、來るに非ず、盡きて死するも、往くに非ず。然れども精氣は天に本づき、形魄は地に歸す。之を往くと謂うも亦可なり、と。


邵堯夫先生墓誌銘

熙寧丁巳孟秋癸丑、堯夫先生疾終於家。洛之人弔哭者、相屬於途。其尤親且舊者、又聚謀其所以葬。先生之子泣以告曰、昔先人有言、誌於墓者、必以屬吾伯淳。噫、先生知我者。以是命我。我何可辭。
【読み】
熙寧丁巳孟秋癸丑、堯夫先生疾んで家に終う。洛の人弔哭する者、途に相屬く。其の尤も親しくして且つ舊なる者、又聚まって其の葬る所以を謀る。先生の子泣いて以て告げて曰く、昔先人言えること有り、墓に誌すことは、必ず以て吾が伯淳に屬せよ、と。噫、先生は我を知る者なり。是を以て我に命ず。我れ何ぞ辭す可けん。

謹按、邵本姬姓、係出召公。故世爲燕人。大王父令進、以軍職逮事藝祖、始家衡漳。祖德新、父古、皆隱德不仕。母李氏、其繼楊氏。先生之幼、從父徙共城、晩遷河南、葬其親於伊川。遂爲河南人。先生生於符祥辛亥。至是蓋六十七年矣。雍、先生之名、而堯夫其字也。娶王氏。伯溫・仲良、其二子也。
【読み】
謹しんで按ずるに、邵は本姬姓、係召公より出づ。故に世々燕人爲り。大王父令進、軍職を以て藝祖に事うるに逮んで、始めて衡漳に家す。祖德新、父古、皆德を隱して仕えず。母は李氏、其の繼は楊氏なり。先生幼なるとき、父に從って共城に徙り、晩に河南に遷って、其の親を伊川に葬る。遂に河南人と爲る。先生符祥辛亥に生まる。是に至って蓋し六十七年なり。雍は、先生の名にして、堯夫は其の字なり。王氏を娶る。伯溫・仲良は、其の二子なり。

先生之官、初舉遺逸、試將作監主簿。後又以爲潁州團練推官。辭疾不赴。
【読み】
先生の官、初め遺逸に舉げられ、將作監主簿に試[もち]いらる。後又以て潁州の團練推官と爲る。疾を辭して赴かず。

先生始學於伯原。勤苦刻厲、冬不爐、夏不扇、夜不就席者數年、衛人賢之。先生歎曰、昔人尙友於古。而吾未嘗及四方。遽可已乎。於是走吳適楚、過(一作寓。)齊・魯、客梁・晉。久之而歸曰、道其在是矣。蓋始有定居之意。
【読み】
先生始め伯原に學ぶ。勤苦刻厲、冬爐せず、夏扇つかわず、夜席に就かざる者數年、衛人之を賢とす。先生歎じて曰く、昔人古に尙友す。而るに吾れ未だ嘗て四方に及ばず。遽に已む可けんや、と。是に於て吳に走り楚に適き、齊・魯を過って(一に寓に作る。)、梁・晉に客たり。久しくして歸って曰く、道は其れ是に在り、と。蓋し始めて居を定むるの意有り。

先生少時、自雄其材、慷慨有大志。旣學、力慕高遠、謂先王之事爲可必致。及其學益老、德益邵、玩心高明、觀於天地之運化、陰陽之消長、以達乎萬物之變、然後頹然其順、浩然其歸。在洛幾三十年、始至蓬蓽環堵、不蔽風雨、躬爨以養其父母。居之裕如、講學於家。未嘗强以語人、而就問者日衆、郷里化之、遠近尊之。士人之道洛者、有不之公府、而必之先生之廬。
【読み】
先生少かりし時、自ら其の材を雄として、慷慨として大志有り。旣に學んで、力めて高遠を慕って、謂えらく、先王の事必ず致す可しとす、と。其の學益々老い、德益々邵[たか]きに及んで、心を高明に玩び、天地の運化、陰陽の消長を觀て、以て萬物の變に達し、然して後に頹然として其れ順い、浩然として其れ歸す。洛に在ること幾ど三十年、始めて蓬蓽[ほうひつ]環堵に至るに、風雨を蔽わず、躬ら爨[かし]いで以て其の父母を養う。之に居ること裕如として、家に講學す。未だ嘗て强いて以て人に語らざれども、就き問う者日に衆くして、郷里之に化し、遠近之を尊ぶ。士人の洛に道する者、公府に之かずして、必ず先生の廬に之く有り。

先生德氣粹然、望之可知其賢。然不事表襮、不設防畛、正而不諒、通而不汙、淸明坦夷、洞徹中外。接人無貴賤親疎之閒、群居燕飮、笑語終日、不取甚異於人、顧吾所樂何如耳。病畏寒暑。常以春秋時行遊城中。士大夫家聽其車音、倒屣迎致。雖兒童奴隸、皆知懽喜尊奉。其與人言、必依於孝弟忠信、樂道人之善、而未嘗及其惡。故賢者悅其德、不賢者服其化。所以厚風俗、成人材者、先生之功(一有爲字。)多矣。
【読み】
先生の德氣粹然として、之を望んで其の賢を知る可し。然れども表襮を事とせず、防畛を設けず、正しくして諒ならず、通じて汙ならず、淸明坦夷、中外に洞徹す。人に接するに貴賤親疎の閒て無く、群居燕飮、笑語日を終うるまでして、甚だ人に異なることを取らず、吾が樂しむ所何如と顧みるのみ。病んで寒暑を畏る。常に春秋の時を以て城中に行遊す。士大夫の家其の車の音を聽けば、屣[くつ]を倒にして迎え致す。兒童奴隸と雖も、皆懽喜して尊奉することを知る。其の人と言うこと、必ず孝弟忠信に依り、人の善を道うを樂しんで、未だ嘗て其の惡に及ばず。故に賢者は其の德を悅び、不賢者は其の化に服す。所以に風俗を厚くし、人材を成す者、先生の功多し(一に爲の字有り。)

昔七十子學於仲尼、其傳可見者、惟曾子所以告子思、而子思所以授孟子者耳。其餘門人、各以其材之所宜(一有者字。)爲學。雖同尊聖人、所因而入者、門戶則衆矣。況後此千餘歲、師道不立、學者莫知其從來。獨先生之學爲有傳也。先生得之於李挺之、挺之得之於穆伯長。推其源流、遠有端緒。今穆・李之言及其行事、概可見矣。而先生淳一不雜、汪洋浩大、乃其所自得者多矣。然而名其學者、豈所謂門戶之衆、各有所因而入者歟。語成德者、昔難其居。若先生之道、就所至而論之、可謂安且成矣。
【読み】
昔七十子仲尼に學ぶに、其の傳見る可き者は、惟り曾子子思に告ぐる所以にして、子思孟子に授くる所以の者のみ。其の餘の門人、各々其の材の宜しき所(一に者の字有り。)を以て學を爲す。同じく聖人を尊ぶと雖も、因って入る所の者、門戶則ち衆し。況んや此より後千餘歲、師道立たずして、學者其の從來を知ること莫し。獨り先生の學傳有りとす。先生は之を李挺之に得、挺之は之を穆伯長に得。其の源流を推すに、遠く端緒有り。今穆・李の言及び其の行事、概ね見る可し。而も先生淳一にして雜ならず、汪洋浩大にして、乃ち其の自得する所の者多し。然れども其の學に名ある者、豈所謂門戶の衆き、各々因って入る所の者有らんか。成德を語る者、昔其の居を難んず。先生の道の若き、至る所に就いて之を論ずれば、安んじて且つ成れりと謂う可し。

先生有書六十二卷、命曰皇極經世。古律詩二千篇、題曰擊壤集。先生之葬、附於先塋。實其終之年孟冬丁酉也。銘曰、
【読み】
先生書六十二卷有り、命づけて皇極經世と曰う。古律詩二千篇、題して擊壤集と曰う。先生の葬、先塋に附す。實に其の終うる年孟冬丁酉なり。銘に曰く、

嗚呼先生、志豪力雄。闊步長趨、凌高厲空。探幽索隱、曲暢旁通。在古或難。先生從容。有問有觀、以飫以豐。天不憖遺、哲人之凶。鳴皋在南、伊流在東。有寧一宮、先生所終。
【読み】
嗚呼先生、志豪に力雄なり。闊[ひろ]く步み長く趨って、高きを凌ぎ空に厲[わた]る。幽を探り隱を索めて、曲らかに暢[の]べ旁く通ず。古に在って或は難んず。先生從容たり。問うこと有り觀ること有れば、以て飫き以て豐かなり。天憖[なまじ]いに遺さずして、哲人凶[わる]し。鳴皋南に在り、伊流東に在り。寧んぜる一宮有り、先生の終うる所。


華陰侯先生墓誌銘

先生姓侯氏、名可、字無可。其先太原人。宦學四方。因徙家華陰。少時倜儻不羈、以氣節自喜。旣壯、盡易前好、篤志爲學。祁寒酷暑、未嘗廢業、博極群書、聲聞四馳。就學者日衆、雖邊隅遠人、皆願受業。諸侯交以書幣迎致。有善其禮命者、亦時往應之。故自陝而西、多宗先生之學。
【読み】
先生姓は侯氏、名は可、字は無可。其の先は太原人なり。四方に宦學す。因りて徙って華陰に家す。少かりし時倜儻不羈にして、氣節を以て自ら喜ぶ。旣に壯にして、盡く前好を易え、篤く志して學を爲む。祁寒酷暑にも、未だ嘗て業を廢せず、博く群書を極めて、聲聞四[よも]に馳す。就き學ぶ者日に衆くして、邊隅の遠人と雖も、皆業を受けんことを願う。諸侯交々書幣を以て迎え致す。其の禮命を善する者有れば、亦時に往いて之に應ず。故に陝自りして西、多く先生の學を宗とす。

元昊盜邊、時名卿賢儒、結轍西使、服先生之名、莫不願見。親老而家益貧。思得祿養、勉就科舉。再試春官、卒無所遇。因喟然太息曰、丈夫之事、止於是乎。會蠻酋儂智高攻陷二廣。孫威敏公奉命出征。習先生之賢、請干其軍事。先生奮然從之、振旅奏功。
【読み】
元昊邊に盜するとき、時の名卿賢儒、轍を結んで西に使いするに、先生の名に服して、見ることを願わずということ莫し。親老いて家益々貧し。祿養を得んことを思って、勉めて科舉に就く。再び春官に試いられて、卒に遇する所無し。因りて喟然として太息して曰く、丈夫の事、是に止まんや、と。會々蠻酋儂智高二廣を攻め陷る。孫威敏公命を奉って出て征す。先生の賢に習って、其の軍事に干[あづか]らんことを請う。先生奮然として之に從い、旅を振って功を奏す。

初命武爵。言事者以爲非宜。遂改文資、調知巴州化成縣。巴俗尙鬼而廢醫。惟巫言是用、雖父母之疾、皆棄去弗視。先生誨以義理、嚴其禁戒、或親至病家、爲視醫藥、所活旣衆、人亦知化。巴人娶婦、必責財於女氏、貧人至有老不得嫁者。先生爲立制度、稱其家之有無、與之約曰、踰是者有誅。未閱歲、邑無過時之女、遂變其俗。巴山土薄民貧、絲帛之賦反倍他所、日益凋弊。先生抗議計司、爭之數十、卒得均之。旁郡境多虎暴、農者不敢朝暮耕、商旅俟衆而後行。先生日夜治器械、發徒衆、親執弓矢、與之從事、迹而追之、遠或數百里、所殺不可勝數。後皆避人遠去、不復爲害。
【読み】
初め武爵に命ぜらる。事を言う者以爲えらく、宜しきに非ず、と。遂に文資に改められ、調[うつ]されて巴州化成縣に知たり。巴俗鬼を尙んで醫を廢す。惟巫の言是を用て、父母の疾と雖も、皆棄て去って視ず。先生誨うるに義理を以てして、其の禁戒を嚴にし、或は親ら病家に至って、爲に醫藥を視、活する所旣に衆く、人亦知化す。巴人婦を娶るに、必ず財を女氏に責めて、貧しき人老ゆるまで嫁することを得ざる者有るに至る。先生爲に制度を立て、其の家の有無に稱って、之と約して曰く、是を踰ゆる者は誅有らん、と。未だ歲を閱ずして、邑に時を過ぐる女無くして、遂に其の俗を變ず。巴山土薄く民貧しきに、絲帛の賦反って他所に倍して、日に益々凋弊す。先生議計司に抗して、之を爭うこと數十、卒に之を均しくすることを得。旁の郡境虎の暴なる多くして、農者敢えて朝暮に耕さず、商旅衆を俟って而して後に行く。先生日夜に器械を治め、徒衆を發し、親ら弓矢を執って、之と從事して、迹[たづ]ねて之を追い、遠くは或は數百里、殺す所勝げて數う可からず。後皆人を避けて遠く去って、復害を爲さず。

再調耀州華原主簿。有富人不占地籍、惟以利誘貧民而質其田券、多至萬畝、歲責其入。先生晨馳至其家、發櫝出券、召其主而歸之。失業者復安其生。郡胥趙至誠、貪狡凶暴、持群吏短長而爲奸利。前後爲守者莫能去。一郡患之。先生暴其罪、荷校置于獄。自守而下、畏恐生禍、交爲之請。先生不顧、卒言於帥府而誅之。聞者快服。
【読み】
再び耀州華原の主簿に調る。富人地籍を占めず、惟利を以て貧民を誘って其の田券を質する有りて、多くは萬畝に至って、歲々に其の入りを責む。先生晨に馳せて其の家に至って、櫝[ひつ]を發き券を出して、其の主を召して之を歸す。業を失する者復其の生を安んず。郡胥趙至誠、貪狡凶暴にして、群吏の短長を持して奸利を爲す。前後守爲る者能く去ること莫し。一郡之を患う。先生其の罪を暴して、校を荷って獄に置く。守自りして下、禍を生ぜんことを畏れ恐れて、交々之が爲に請う。先生顧みず、卒に帥府に言って之を誅す。聞く者快服す。

用薦者、監慶州折博務。歲滿、授儀州軍事判官。計省第折博之最、就改大理評事。部使者丐留、遂復簽書本官事。韓忠獻公鎭長安、薦知涇陽縣。至則鑿小鄭(一作鄚。)泉以廣灌漑、議復鄭白舊利。未幾、召至闕下、得對便殿。始命計工興役、旋復專總其事。邀功害能之人、疾其不自己出、渠功有緒而讒毀交至。以微文細故爲先生罪、遂罷其役。美利不究、論者惜之。元豐己未季夏、先生以疾終於家。享年七十有三。
【読み】
薦を用うる者、慶州の折博務に監たらしむ。歲滿ちて、儀州の軍事判官に授けらる。計省折博の最に第[つい]でて、就いて大理評事に改めらる。部使者丐留[かいりゅう]して、遂に復簽書本官事たり。韓忠獻公長安に鎭たるとき、薦めて涇陽縣に知たらしむ。至るときは則ち小鄭(一に鄚に作る。)泉を鑿ちて以て灌漑を廣め、鄭白の舊利を復さんことを議す。未だ幾ならずして、召されて闕下に至り、便殿に對することを得。始めて工を計り役を興すことを命じて、旋[やや]復專ら其の事を總ぶ。功を邀め能を害する人、其の己自り出ず、渠の功緒有ることを疾んで讒毀交々至る。微文細故を以て先生の罪と爲して、遂に其の役を罷む。美利究めず、論ずる者之を惜しむ。元豐己未季夏、先生疾を以て家に終う。享年七十有三なり。

先生純誠孝友、剛正明決、非其義一毫不以屈於人、視貪邪奸佞若寇賊仇怨、顯攻面數、意其人改而後已。雖甚貴勢、視之藐然。遇人之善、友之助之、欲其成達、不啻如在己也。博物强記、貫涉萬類、若禮之制度、樂之形聲、詩之比興、易之象數、天文地理、陰陽氣運、醫藥算數之學、無不究其淵源。先生發强壯厲、勇於有爲、而平易仁恕、中懷洞然、至於輕財樂義、安貧守約、急人之急、憂人之憂。謀其道不謀其利、忠於君不顧其身。古人所難能者、先生安而行之。蓋出於自然、非勉强所及。
【読み】
先生純誠孝友、剛正明決、其の義に非ざれば一毫も以て人に屈せず、貪邪奸佞を視ること寇賊仇怨の若く、顯わに攻め面りに數[せ]めて、其の人改めて而して後に已まんことを意う。甚だ貴勢と雖も、之を視ること藐然たり。人の善なるに遇えば、之を友とし之を助けて、其の成達を欲すること、啻己に在るが如くなるのみにあらず。博物强記、萬類を貫涉し、若しくは禮の制度、樂の形聲、詩の比興、易の象數、天文地理、陰陽氣運、醫藥算數の學、其の淵源を究めずということ無し。先生發强壯厲にして、すること有るに勇んで、平易仁恕、中懷洞然として、財を輕んじ義を樂しみ、貧を安んじ約を守るに至り、人の急を急にし、人の憂えを憂う。其の道を謀って其の利を謀らず、君に忠にして其の身を顧みず。古人能くし難き所の者、先生安んじて之を行う。蓋し自然に出て、勉强の及ぶ所に非ず。

少與申顏爲友。易衣互出、而謀食以養、二家如一。顏病、先生徒步千里、爲之求醫。歸而顏死矣。其目不瞑。人曰、其待侯君乎。未斂而先生至、撫之而瞑。顏謀葬其先世而未能、顏死無子。又不克葬。先生辛勤百圖、不足則賣衣以益之、卒襄其事。時方天寒。先生與其子單服以居。適有饋白金者、先生顧顏之孤妹爲憂、未遑恤己、遂以嫁之。近世朋友道薄、臨患難鮮不愛其力。聞先生之風、可以激頹波而起廢疾。
【読み】
少きとき申顏と友爲り。衣を易えて互いに出て、食を謀って以て養うこと、二家一の如し。顏病むとき、先生千里を徒步して、之が爲に醫を求む。歸るまでにして顏死す。其の目瞑せず。人曰く、其れ侯君を待つか、と。未だ斂せずして先生至って、之を撫して瞑す。顏其の先世を葬らんことを謀って未だ能くせず、顏死して子無し。又葬ること克わず。先生辛勤百圖して、足らざれば則ち衣を賣って以て之を益して、卒に其の事を襄[な]す。時に方に天寒し。先生其の子と單服以て居す。適々白金を饋[おく]る者有り、先生顏の孤妹を顧みて憂えと爲して、未だ己を恤れむに遑あらず、遂に以て之を嫁せしむ。近世朋友道薄くして、患難に臨んで其の力を愛しまざること鮮し。先生の風を聞いて、以て頹波を激して廢疾を起こす可し。

先生家無甔石之儲、而人有不得其所者、必以先生爲歸、非力能也、誠使然也。一日自遠歸、家人方以窶告。友人郭行者詣門曰、吾父病亟。醫須百千乃爲治、賣吾廬而不售。先生憫然、計囊中裝適當其數。盡以與之。嘗隨計詣京師、里中出金贐行。比還、悉散其所餘曰、此金、郷里所以資應詔也。不可以爲他利。當與同舉者共之。且行、聞郷人有病於逆旅者。先生曰、吾歸則彼死矣。遂留不去。病者瘉、貧無以爲車乘。先生曰、子行則未能、留則將困。因推其馬與之、躧步而歸。其克己濟物若是者多矣。
【読み】
先生の家甔石[たんせき]の儲[たくわ]え無くして、人其の所を得ざる者有れば、必ず先生を以て歸することをするは、力めて能くするに非ず、誠然らしむるなり。一日遠き自り歸るとき、家人方に窶[まづ]しきを以て告ぐ。友人郭行という者門に詣って曰く、吾が父病亟やかなり。醫須く百千にして乃ち治を爲すべしというに、吾が廬を賣らんとすれども售られず、と。先生憫然として、囊中の裝を計るに適々其の數に當たる。盡く以て之に與う。嘗て計に隨って京師に詣るとき、里中金を出して行に贐[はなむけ]す。還るに比んで、悉く其の餘る所を散じて曰く、此の金は、郷里の詔に應ずるを資くる所以なり。以て他の利と爲す可からず。當に同舉の者と之を共にすべし、と。且行くとき、郷人逆旅に病むこと有る者を聞く。先生曰く、吾れ歸らば則ち彼死せん、と。遂に留まって去らず。病む者瘉ゆれども、貧しくして以て車乘を爲すこと無し。先生曰く、子行かば則ち未だ能わず、留まらば則ち將に困しまんとす、と。因りて其の馬を推して之を與えて、躧步[しほ]して歸る。其の己に克ち物を濟うこと是の若き者多し。

少喜穰苴・孫武之學、兵家事無所不通。尤詳於西北形勢。談其山川道路、郡縣部族、纖細備具、聽之者宛如在目前(一無此字。)。熙河未開之時(一作前。)、韓忠獻公請先生謀渭源之地。先生馳至境上、召其酋豪六百人、諭以朝廷恩德、爲明利害。皆感悟喜躍、翌日、詣軍門輸土納(一作聽。)命、願爲藩籬。一塵不驚、而開地八千頃、因城熟羊以撫之。忠獻公上其功朝廷、賞以減考績之年。治平中、虜嘗寇邊。主將出兵禦戰。轉運使以爲妄舉、互言於朝。時虜去未遠、遣先生按視其迹。受命卽行、人皆爲之寒心。先生以數十騎馳涉虜境。日暮猝與虜遇。乃分其騎爲三四、令之曰、高爾旗幟、旋山徐行。虜循環閒見、疑以爲大兵誘己、終不敢擊。秦州舊苦蕃酋反覆、縶其親愛而質之。多至七百人、久者已數十歲、公家之費不貲、雜羌離怨益甚。其後釋其縻而歸之、戎人感(一作悅。)服。乃先生發其謀也。
【読み】
少くして穰苴・孫武の學を喜んで、兵家の事通ぜずという所無し。尤も西北の形勢に詳らかなり。其の山川道路、郡縣部族を談ずること、纖細備わり具わって、之を聽く者宛も目前(一に此の字無し。)に在るが如し。熙河未だ開かざる時(一に前に作る。)、韓忠獻公先生を請いて渭源の地を謀る。先生馳せて境上に至って、其の酋豪六百人を召して、諭すに朝廷の恩德を以てして、爲に利害を明らかにす。皆感悟喜躍して、翌日、軍門に詣って土を輸[いた]し命を納るること(一に聽に作る。)、藩籬と爲らんことを願う。一塵驚かずして、地を開くこと八千頃、因りて熟羊に城いて以て之を撫す。忠獻公其の功を朝廷に上って、賞するに考績の年を減ずるを以てす。治平中に、虜嘗て邊に寇す。主將兵を出して禦ぎ戰う。轉運使以て妄舉と爲して、互いに朝に言す。時に虜去ること未だ遠からざるに、先生をして其の迹を按視せしむ。命を受けて卽ち行くとき、人皆之が爲に寒心す。先生數十騎を以て馳せて虜の境に涉る。日暮猝[にわか]に虜と遇う。乃ち其の騎を分けて三四とし、之に令して曰く、爾の旗幟を高くして、山を旋って徐[おもむろ]に行け、と。虜循環閒見して、疑って以て大兵己を誘[みちび]くと爲して、終に敢えて擊たず。秦州舊蕃酋の反覆を苦しんで、其の親愛を縶[つな]いで之を質とす。多くして七百人に至り、久しき者は已に數十歲、公家の費え貲せずして、雜羌離怨益々甚だし。其の後其の縻[しばり]を釋いて之を歸して、戎人感(一に悅に作る。)服す。乃ち先生其の謀を發すればなり。

平生以勸學新民爲己任。主華學之教育者幾二十年。官之所至、必爲之治學舍、興弦誦。其所以成就材德、可勝道哉。先生之文、尤長於詩。晩益翫心於天人性命之學、其自樂者深矣。病革、命其子曰、吾死、愼勿爲浮屠事。焚楮貨、徼福覬利、非吾志也。嗚呼、死而不忘於正。可謂至矣。
【読み】
平生學を勸め民を新たにするを以て己が任とす。華學の教育を主る者幾ど二十年なり。官の至る所、必ず之が爲に學舍を治め、弦誦を興す。其の材德を成就する所以、勝げて道う可けんや。先生の文は、尤も詩に長ぜり。晩に益々心を天人性命の學に翫んで、其の自ら樂しむ者深し。病革なるとき、其の子に命じて曰く、吾れ死せば、愼んで浮屠の事をすること勿かれ。楮貨を焚いて、福を徼め利を覬[のぞ]むことは、吾が志に非ず、と。嗚呼、死するときまで正しきを忘れず。至れりと謂う可し。

大王父諱元、王父諱暠、當五代之亂、皆隱德弗耀。父諱道濟、潤州丹徒令。贈尙書比部員外郎。母刁氏、追封福昌縣太君。妻(一作其媲。)劉氏、早卒。封延長縣君。繼以其姝、封永壽縣君。二子、曰孚、曰淳。三孫、尙幼。先生之官、自評事四遷爲殿中丞。階宣奉郎、勳騎都尉、服錫五品。旣終之明年仲春八日、葬於華陰縣保德郷先塋之次、舉前夫人祔焉。
【読み】
大王父諱は元、王父諱は暠、五代の亂に當たって、皆德を隱して耀かさず。父諱は道濟、潤州丹徒の令たり。尙書比部員外郎を贈らる。母は刁[ちょう]氏、福昌縣太君に追封せらる。妻(一に其の媲に作る。)は劉氏、早く卒す。延長縣君に封ぜらる。繼いで其の姝を以て、永壽縣君に封ぜらる。二子あり、孚と曰い、淳と曰う。三孫、尙幼なり。先生の官、評事自り四遷して殿中丞と爲る。階宣奉郎、勳騎都尉、服五品を錫う。旣に終うるの明年仲春八日、華陰縣保德郷先塋の次に葬り、前の夫人を舉して祔す。

顥、先生女兄之子也。知先生之道爲詳。故得論載行治之美、以詔後人。銘曰、
【読み】
顥は、先生の女兄の子なり。先生の道を知ること詳しとす。故に行治の美を論載して、以て後人に詔ぐることを得。銘に曰く、

南山崇崇、其下也先生之宮。惟其淸風、與山無窮。
【読み】
南山の崇崇たる、其の下は先生の宮。惟其の淸風、山と與に窮まる無し、と。


二程全書卷之五十八  明道先生文五

南廟試佚道使民賦(民得終佚、勞固無怨。)
【読み】
南廟佚道民を使うということを試みる賦(民終に佚することを得れば、勞すれども固に怨むこと無し。)

人情莫不樂利。聖政爲能使民以佚道、而敦敕、俾當時之服循。敎本於農、雖極勤勞之事、功收於後、自無怨讟之因。
【読み】
人情利を樂しまずということ莫し。聖政能く民を使うに佚道を以てすることをして、敦く敕して、當時に服循せしむ。敎農に本づけば、勤勞の事を極むと雖も、功後に收めて、自づから怨讟[えんとく]の因無し。

厥惟生民、各有常職、勞而獲養、則樂服其事、勤而無利、則重煩其力。惟王謹以政令、驅之稼穡。且爲生之本、宜敎使以良勤、則從上也輕。蓋豐餘之自得。蠢爾農俗、陶乎敎風、知所勞者爲乎己、圖所利者存乎終。莫不勉勉以從令、于于而勸功。志在便人、役以農疇之務、時雖畢力、樂於歲事之豐。雖復敎令時頒、科條日出、嚴刑以董。其或惰加賦以戒其不一。然而俗樂趨勸、時無怨疾、擇可勞而勞也、敢憚初勤。因所利而利焉、自全終佚。
【読み】
厥れ惟れ生民、各々常の職有り、勞して養を獲るときは、則ち其の事に服することを樂しみ、勤めて利無きときは、則ち其の力を煩わすことを重んず。惟王謹んで政令を以て、之を稼穡に驅りたまえ。且生を爲すの本、宜しく敎え使うに良勤を以てするときは、則ち上に從うこと輕かるべし。蓋し豐餘自ら得ればなり。蠢たる爾の農俗、敎風に陶すれば、勞する所の者己が爲にすることを知り、利する所の者終わりに存することを圖る。勉勉として以て令に從い、于于として功に勸めずということ莫し。志人に便するに在れば、役するに農疇の務めを以てして、時に力を畢[つ]くすと雖も、歲事の豐かなることを樂しむ。復敎令時に頒かち、科條日に出づと雖も、刑を嚴にして以て董[ただ]す。其れ或は惰れば賦を加えて以て其の一ならざることを戒む。然れども俗趨り勸むることを樂しみ、時怨み疾むこと無きは、勞す可きを擇んで勞すれば、敢えて初めを勤むるに憚らんや。利する所に因って利して、自づから終に佚することを全くす。

大抵善治俗者、率俗以敦本、善使民者、順民而不勞。道皆出於優佚、令無勤於繹騷。不奪其時、導以厚生之利、將求其欲。豈聞力穡之逃。勿謂民之冥而無知。勿謂農之勞而不務。趨其利則雖勞而樂、害其事則雖冥而懼。志取豐益、業其安固。使爾農於墾殖、縱極勤劬。異有國之力征、自膺饒裕(徐本裕作俗。)。得非納於豐富之道、敎以便安之途。在服勞而雖至、顧有憾以曾無。體兌彖之悅民、下安其敎、同周詩之戒事、衆樂而趨。异夫、雖上之行、抑民所願。或躬籍以爲率、或名官而申勸。是皆俾民有樂佚之道焉。雖勞何怨。
【読み】
大抵善く俗を治むる者は、俗を率いて以て本を敦くし、善く民を使う者は、民に順って勞せず。道皆優佚に出て、繹騷を勤むること無からしむ。其の時を奪わず、導くに生を厚くするの利を以てすれば、將に其の欲を求めんとす。豈力穡を逃るることを聞かんや。謂うこと勿かれ、民冥[くら]くして知ること無し、と。謂うこと勿かれ、農勞して務めず、と。其の利に趨るときは則ち勞すと雖も樂しみ、其の事に害あれば則ち冥しと雖も懼る。志豐益を取るときは、業其れ安固なり。爾の農をして墾殖に於て、縱に勤劬を極めしむ。有國の力征に異にして、自ら饒裕(徐本裕を俗に作る。)を膺[う]く。豐富を納るるの道に非ざることを得て、敎うるに便安の途を以てす。勞に服すに在って至ると雖も、顧みて憾むこと有ること以て曾て無し。兌彖の民を悅ばしむるに體して、下其の敎を安んじ、周詩の事を戒むるに同じくして、衆樂しんで趨る。异[こと]なるかな、上の行と雖も、抑々民の願う所なり。或は躬ら籍して以て率いることを爲し、或は官に名づけて勸むることを申す。是れ皆民をして佚を樂しむの道有らしむ。勞すと雖も何ぞ怨みん。


南廟試九敍惟歌論
【読み】
南廟九敍惟歌うということを試みる論

論曰、民受天地之中而生者也。水・火・金・木・土・穀、民所賴而生者也。樹之君、使修舉其所賴而養之者也。修之有道、行之有節。上焉天順之、下焉民樂之、正德焉、利用焉、厚生焉。此其所以秉統持正而制天下之命者也。在書禹之謨曰、九功惟敍、九敍惟歌。其指言乎是也。舜・禹明其道、聖也。後世不及焉。功也、萬世所利焉。宜其事有次敍、而民歌樂之也。
【読み】
論に曰く、民は天地の中を受けて生ずる者なり。水・火・金・木・土・穀は、民の賴って生ずる所の者なり。之が君を樹つるは、其の賴る所を舉げて之を養うことを修めしむる者なり。之を修むるに道有り、之を行うに節有り。上にして天之に順い、下にして民之を樂しみ、德を正しくし、用を利し、生を厚くす、と。此れ其の統を秉り正を持して天下の命を制する所以の者なり。書の禹の謨に在り曰く、九功惟れ敍で、九敍惟れ歌う、と。其れ是を指し言えり。舜・禹其の道を明らかにするは、聖なればなり。後世及ばず。功は、萬世の利する所なり。宜なり其の事次敍有りて、民之を歌い樂しむこと。

噫、舜之君、禹之臣、其歌之之民、日聞其道、日被其澤。其見而知之、或言或歌可矣。今去聖久遠、逾數千祀。然可覆而舉之者、何也。得非一於道乎。道之大原在於經。經爲道、其發明天地之秘、形容聖人之心、一也。然當推本夫明其次、著其跡者言之。在洪範之九章。一曰五行。次二曰五事。統之以大中、終之以福極。聖人之道、其見於是乎。
【読み】
噫、舜の君、禹の臣、其れ之を歌う民、日に其の道を聞いて、日に其の澤を被る。其の見て之を知るときは、或は言い或は歌って可なり。今聖を去ること久遠にして、數千祀を逾ゆ。然れども覆して之を舉ぐ可き者は、何ぞや。道に一なるに非ざることを得んや。道の大原は經に在り。經の道を爲す、其の天地の秘を發明し、聖人の心を形容すること、一なり。然れども當に夫の其の次を明らかにし、其の跡を著す者に推し本づけて之を言うべし。洪範の九章に在り。一に曰く、五行、と。次の二に曰く、五事、と。之を統ぶるに大中を以てし、之を終うるに福極を以てす。聖人の道、其れ是に見るるか。

蓋五行者天之道也、五事者人之道也。修人事而致天道。此王者所以治也。五事修、五行敍、則其生材也美焉、阜焉。民居其中、享其利而安焉。豈非皇極之道用而致乎。五材之生、天也、非人也。五事之修、人也、非天也。雖然、五事正、則五材自然得其性矣。是則天之道、亦王者之所爲也。王者旣修五事而致五材、則又舉正德之敎而率之、明利用之源而阜之、開厚生之道而養之、五行協於上、六府利於下、三事舉於中。修焉、其功之敍也。和焉、其德之行也。如是、則民浩浩然、于于然、驩娛於下而歌頌其政矣。
【読み】
蓋し五行は天の道なり、五事は人の道なり。人事を修めて天道を致す。此れ王者の治むる所以なり。五事修まり、五行敍づるときは、則ち其の材を生すこと美なり、阜[おお]いなり。民其の中に居り、其の利を享けて安んず。豈皇極の道用て致すに非ずや。五材生ずるは、天なり、人に非ざるなり。五事修むるは、人なり、天に非ざるなり。然りと雖も、五事正しきときは、則ち五材自然に其の性を得。是れ則ち天の道は、亦王者のする所なり。王者旣に五事を修めて五材を致すときは、則ち又德を正しくするの敎を舉げて之を率い、用を利するの源を明らかにして之を阜いにし、生を厚くするの道を開いて之を養い、五行上に協[かな]い、六府下に利し、三事中に舉ぐ。修むるは、其の功の敍なり。和するは、其の德の行なり。是の如きときは、則ち民浩浩然、于于然として、下に驩娛して其の政を歌頌す。

或曰、子之言五行然矣。然六府之兼乎穀、何也。答曰、五行、氣也。五材、形也。君之所致者氣也。民之所用者形也。五氣旣敍、五材旣豐、民竝用焉。然穀者、民之所生也。不可一日無之。此六府所以兼穀也。要其本、則五氣之生而已。夫何惑焉。
【読み】
或るひと曰く、子の五行を言うは然り。然るに六府の穀を兼ぬるは、何ぞや、と。答えて曰く、五行は、氣なり。五材は、形なり。君の致す所の者は氣なり。民の用うる所の者は形なり。五氣旣に敍で、五材旣に豐かにして、民竝び用う。然も穀は、民の生ずる所なり。一日も之れ無くんばある可からず。此れ六府の穀を兼ぬる所以なり。其の本を要するときは、則ち五氣の生のみ。夫れ何ぞ惑わん、と。

竊原春秋之文、求聖人之志、火之書者十一、大水之書者七、不雨之書者九、大旱之書者二、無麥苗、大無麥禾之書者各一。蓋言五行失其序、則六府失其宜。物失其宜、則尙何次敍之有乎。民失其所、則尙何歌詠之有乎。可以見聖人之心、重時政而謹民事、勤勤乎如是也。
【読み】
竊かに春秋の文を原[たづ]ねて、聖人の志を求むるに、火の書する者十一、大水の書する者七、雨ふらざるの書する者九、大旱の書する者二、麥苗無く、大いに麥禾無きの書する者各々一。蓋し五行其の序を失すれば、則ち六府其の宜しきを失することを言う。物其の宜しきを失するときは、則ち尙何の次敍することか之れ有らんや。民其の所を失するときは、則ち尙何の歌詠することか之れ有らんや。以て聖人の心、時政を重んじて民事を謹めること、勤勤乎たること是の如きことを見る可し。

由是言之、則舜之德其至也。地平天成矣、萬世永賴矣。其民陶其敎、遂其生、九功之德皆歌之矣。戒之用休、董之用威、勸之以九歌、俾勿壞其終之之道也。道是而已矣。
【読み】
是に由って之を言えば、則ち舜の德其れ至れり。地平らかに天成り、萬世永く賴る。其の民其の敎に陶し、其の生を遂げて、九功の德皆之を歌う。之を戒むるに休[よ]きを用てし、之を董すに威を用てし、之を勸むるに九歌を以てして、其の之を終うるの道を壞ること勿からしむ。道は是れのみ。

或問、行於後者當何如。曰、五事本也。謹而明之。六府外也。時而治之。敎之以德、節之以政。古之五正各司其方。可復也。周之六官各主其事。可用也。此其略也。其道則具於經矣。推而明之、勤而修之、是亦舜之政也。夫何遠哉。顧力行何如爾。謹論。(此篇經爲道、道是而已矣兩處、疑有脫誤。)
【読み】
或るひと問う、後に行う者當に何如にすべき、と。曰く、五事は本なり。謹んで之を明らかにす。六府は外なり。時にして之を治む。之を敎うるに德を以てし、之を節するに政を以てす。古の五正各々其の方を司る。復す可し。周の六官各々其の事を主る。用う可し。此れ其の略なり。其の道は則ち經に具わる。推して之を明らかにし、勤めて之を修めば、是れ亦舜の政なり。夫れ何ぞ遠からんや。力め行うこと何如と顧みるのみ、と。謹んで論ず。(此の篇經爲道、道是而已矣の兩處、疑うらくは脫誤有らん。)


南廟試策五道
【読み】
南廟の試策五道

第一道
問、禮曰、凡養老、五帝憲、三王有乞言。厚人倫之義也。是以鰥寡孤獨皆有養。後世則不然。敎化之不明、衣食之不足、黎民老而不得其養、饑寒轉死於溝壑者、往往而是。今將考古養老之禮而行之、惟帝堯而上、不可聞已。虞・夏・商・周之時、其所養何老、所處何學、所衣何服、所食何禮、一歲凡幾行之。宜誦所聞、悉著於篇。
【読み】
第一道
問う、禮に曰く、凡そ老を養う、五帝は憲[のっと]る、三王は有[また]言を乞う、と。人倫を厚くするの義なり。是を以て鰥寡孤獨皆養有り。後世は則ち然らず。敎化の明らかならず、衣食の足らず、黎民老いて其の養を得ず、饑寒して溝壑に轉死する者、往往にして是れなり。今將に古の老を養うの禮を考えて之を行わんとするに、惟帝堯より上は、聞く可からざるのみ。虞・夏・商・周の時、其の養う所は何の老、處る所は何の學、衣る所は何の服、食する所は何の禮、一歲に凡そ幾たび之を行うぞ。宜しく所聞を誦して、悉く篇に著すべし、と。

對、王者高拱於穆淸之上、而化行於裨海之外。何修何飾而致哉。以純王之心、行純王之政爾。純王之心、純王之政(此疑缺字。)、老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼、此純王之心也。使老者得其養、幼者得其所、此純王之政也。尙慮其末也、則又尊國老而躬事之、優庶老而時養之。風行海流、民陶其化。孰有怠於親而慢於長者哉。虞・夏・商・周之盛、王由是道也。人倫以正、風俗以厚、鰥寡孤獨無不得其養焉。後世禮廢法壞、敎化不明、播棄其老、饑寒轉死者往往而是。嗚呼、率是而行、而欲王道之成、猶却行而求及前。抑有甚焉爾。今朝廷淸明、政敎修舉、方欲稽講墜典、以風天下、明執事欲將明上意。故訪諸生以古之道、俾講求其說。敢不道其所聞、以裨一二哉。
【読み】
對う、王者高く穆淸の上に拱して、化裨海[ひかい]の外に行わる。何を修し何を飾して致さんや。純王の心を以て、純王の政を行うのみ。純王の心、純王の政(此れ疑うらくは缺字あらん。)、吾が老を老として以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として以て人の幼に及ぼす、此れ純王の心なり。老者をして其の養を得、幼者をして其の所を得せしむる、此れ純王の政なり。尙其の末を慮れば、則ち又國老を尊んで躬ら之に事え、庶老を優[ゆたか]にして時に之を養う。風のごとくに行き海のごとくに流れて、民其の化に陶す。孰か親に怠って長を慢る者有らんや。虞・夏・商・周の盛んなるは、王是の道に由ればなり。人倫以て正しく、風俗以て厚く、鰥寡孤獨其の養を得ずということ無し。後世禮廢れ法壞れて、敎化明らかならず、其の老を播棄して、饑寒轉死する者往往にして是れなり。嗚呼、是に率って行わば、王道の成ることを欲すとも、猶却って行って前に及ぶことを求むるがごとし。抑々焉より甚だしきこと有るのみ。今朝廷淸明、政敎修め舉げて、方に墜典を稽講して、以て天下を風せんと欲し、明執事將に上意を明らかにせんと欲す。故に諸生に訪うに古の道を以てして、其の說を講求せしむ。敢えて其の聞く所を道いて、以て一二を裨[おぎな]わざらんや。

蓋古者擇三公之有年德者、天子以父事之。謂之三老。孤卿之有年德者、天子以兄事之。謂之五更。皆一人爾。大夫士之以年致仕者、亦皆養之於其郷里之庠序焉。所處、則有虞氏、國老養於上庠、庶老養於下庠。夏後氏、國老養於東序、庶老養於西序。商人、國老養於右學、庶老養於左學。周人、國老養於東膠、庶老養於虞庠、是也。所服、則深燕縞玄之衣、四代所服也。所食、則饗燕食之禮、三代之制也。周人修而兼用之。一歲所行之數、則禮所謂春饗孤子、秋饗耆老。與夫釋菜釋奠之禮、亦其時乎。此古之略也。若夫潤飾之、則在乎時矣。謹對。
【読み】
蓋し古は三公の年德有る者を擇んで、天子以て之に父とし事う。之を三老と謂う。孤卿の年德有る者、天子以て之に兄とし事う。之を五更と謂う。皆一人のみ。大夫士の年を以て仕を致す者も、亦皆之を其の郷里の庠序に養う。處る所は、則ち有虞氏は、國老上庠に養い、庶老下庠に養う。夏後氏は、國老東序に養い、庶老西序に養う。商人は、國老右學に養い、庶老左學に養う。周人は、國老東膠に養い、庶老虞庠に養うは、是れなり。服する所は、則ち深燕縞玄の衣、四代の服する所なり。食する所は、則ち饗燕食の禮、三代の制なり。周人修めて之を兼ね用う。一歲行う所の數は、則ち禮に所謂春は孤子を饗し、秋は耆老を饗す、と。夫の釋菜釋奠の禮と、亦其の時か。此れ古の略なり。若し夫れ之を潤飾することは、則ち時に在り。謹んで對う、と。

第二道
問、昔者孔子傷時王之無政而作春秋、所以褒善貶惡、爲後王法也。自去聖旣遠、諸儒異論、聖人之法得之者寡。至唐陸質學於啖・趙、號爲達者。其存書有纂例・微旨・義統、今之學者莫不觀焉。若夫諸儒之所失、與陸氏之所得、學者必有所取舍也。試爲條其大要、庶以質其是非。
【読み】
第二道
問う、昔孔子時王の政無きことを傷んで春秋を作る、善を褒め惡を貶として、後王の法とする所以なり。聖を去ること旣に遠く、諸儒異論して自り、聖人の法之を得る者寡し。唐に至って陸質啖・趙に學んで、號して達者とす。其の存する書纂例・微旨・義統有り、今の學者觀ざるということ莫し。若し夫れ諸儒の失する所と、陸氏の得る所と、學者必ず取舍する所有らん。試みに爲に其の大要を條して、庶わくは以て其の是非を質せ、と。

對、春秋何爲而作哉。其王道之不行乎。孟子有言曰、春秋、天子之事。是也。去聖逾遠、諸儒紛紜、家執異論、人爲殊說、互相彈射、甚於仇讐。開元秘書言春秋者、蓋七百餘家矣。然聖人之法、得者至寡、至於棄經任傳。雜以符緯、膠固不通、使聖人之心鬱而不顯。吁、可痛也。獨唐陸淳得啖先生・趙夫子而師之、講求其學。積三十年、始大光瑩、絕出於諸家外。雖未能盡聖作之蘊、然其攘異端、開正途、功亦大矣。惜夫其書之粹者、在乎集傳、而世微其傳矣。今所存者、請概言其一二。亦可以觀其道之所至焉。
【読み】
對う、春秋は何の爲にして作れるや。其れ王道行わざればなり。孟子言えること有り曰く、春秋は、天子の事、と。是れなり。聖を去ること逾々遠く、諸儒紛紜として、家々に異論を執り、人々殊說を爲して、互いに相彈射すること、仇讐より甚だし。開元秘書に春秋を言う者、蓋し七百餘家なり。然れども聖人の法、得る者至って寡くして、經を棄てて傳に任ずるに至る。雜じうるに符緯を以てして、膠固して通ぜず、聖人の心をして鬱[ふさ]がしめて顯れざらしむ。吁[ああ]、痛む可し。獨り唐の陸淳啖先生・趙夫子を得て之を師として、其の學を講求す。積むこと三十年にして、始めて大いに光瑩して、諸家の外に絕出す。未だ聖作の蘊を盡くすこと能わずと雖も、然れども其の異端を攘[はら]い、正途を開くこと、功亦大なり。惜しいかな其の書の粹なる者、集傳に在って、世に其の傳微[な]きこと。今存する所の者、請う、概ね其の一二を言わん。亦以て其の道の至る所を觀る可し。

春秋之法、大者在乎侵伐戰取、圍入執殺、盟會如聘、禘郊蒸嘗、歸復入納、災異賦役焉。然諸家之論、前矛後盾、未見其能一也。其閒書侵者五十七、伐者二百一十三、書圍者四十四、入者二十七。聖人之意、其詳其備也如是。豈苟然哉。蓋誅其禍亂之道耳。彼豈有是哉。先儒徒隨事而傳之、三傳往往從而美之者有矣、未有一言發明聖人誅之之心者也。獨陸君用啖氏之說曰、春秋紀師、何無曲直之辭。曰一之也。不一則禍亂之門闢矣。若夫其差者甚者、則在乎其文矣。此則見聖人絕惡之源、原情之法。此表裏之論也。其餘若盟若會、其法皆用是也。
【読み】
春秋の法、大なる者は侵伐戰取、圍入執殺、盟會如聘、禘郊蒸嘗、歸復入納、災異賦役に在り。然れども諸家の論、前矛後盾して、未だ其の能く一なることを見ず。其の閒侵を書する者五十七、伐つ者二百一十三、圍を書する者四十四、入る者二十七。聖人の意、其れ詳らかに其れ備わること是の如し。豈苟然ならんや。蓋し其の禍亂を誅するの道のみ。彼豈是れ有らんや。先儒徒に事に隨って之を傳して、三傳往往に從って之を美する者有り、未だ一言も聖人之を誅するの心を發明する者有らず。獨り陸君啖氏の說を用いて曰く、春秋に紀の師、何ぞ曲直の辭無き。曰く、之を一にすればなり。一にせざれば則ち禍亂の門闢く。若し夫れ其の差う者甚しき者は、則ち其の文に在り、と。此れ則ち聖人惡を絕つの源、情を原ぬるの法を見す。此れ表裏の論なり。其の餘若しくは盟若しくは會、其の法皆是を用うるなり。

禘郊之義、詭譎殊狀、左氏之文、略而不解。公・穀之論、泥而失眞。何・杜之流、汎汎其閒耳。陸氏之學、獨能斥先鄭之失、明諸侯之僭、謂禘爲王者之祭、明郊非周公之志。皆足以見其所存之博大。得聖師救亂、明上下之心也。
【読み】
禘郊の義は、詭譎殊狀、左氏の文は、略して解せず。公・穀の論は、泥んで眞を失う。何・杜の流は、其の閒に汎汎たるのみ。陸氏の學、獨り能く鄭に先だつの失を斥け、諸侯の僭を明らかにし、禘を謂いて王者の祭とし、郊を明らかにして周公の志に非ずとす。皆以て其の存する所の博大を見すに足れり。聖師亂を救うことを得、上下を明らかにするの心なり。

餘若書鄭伯之克、謂克下之辭、明君臣之義。異乎所謂如二君與能殺者、屑屑之論矣。書次於郎、則言非有俟而次、則意將爲賊爾。防兵亂之源、殊乎所謂過信次止者、區區之談矣。發言侵言伐之例、則曰無名行師與稱罪致討之異、遠乎闊略之言、賊害之語矣。且取邑之條、則云力得之、不是其專奪、異乎不用師徒、不宜取之淺矣。其餘稱將稱師、紀名紀氏之類、亦皆度越於諸家遠甚。
【読み】
餘は鄭伯の克つと書すが若き、克つと謂って之が辭を下すは、君臣の義を明らかにす。異なるかな所謂二君の如しと能く殺すという者は、屑屑の論なり、と。郎に次[やど]ることを書しては、則ち言く、俟つこと有るに非ずして次るときは、則ち意將に賊を爲さんとするのみ。兵亂を防ぐの源、殊なるかな所謂信を過ぎて次止するという者は、區區の談なり、と。侵すと言い伐つと言うの例を發しては、則ち曰く、名のること無くして師を行[や]ると罪を稱して討を致すの異なること、遠いかな闊略の言、賊害の語なり、と。且邑を取るの條には、則ち云く、力めて之を得て、是れ其の專ら奪わず、異なるかな師徒を用いざれば、宜しく之を取るべからずというの淺きなり、と。其の餘は將と稱し師と稱し、名を紀し氏を紀すの類も、亦皆諸家に度越すること遠きこと甚だし。

旨義之衆、莫可歷數。要其歸、以聖人之道公、不以己得、他見而立異。故其所造也遠、而所得也深。噫、聖門之學、吾不得而見焉。幸得見其幾者矣。則子厚之願掃其門。宜乎、對問之下、不能詳悉。故獻其略、謹對。
【読み】
旨義の衆々、歷く數う可き莫し。其の歸を要するに、聖人の道公なるを以てして、己を以て得たりとせず、他を見て異を立つ。故に其の造る所遠くして、得る所深し。噫、聖門の學、吾れ得て見ず。幸いに其の幾き者を見ることを得。則ち子厚の其の門を掃わんことを願う。宜なるかな、問いに對うる下、詳悉なること能わず。故に其の略を獻じて、謹んで對う、と。

第三道
問、官之有屬、猶身之有臂、臂之有指也。自建官以來、未有無屬焉者也。舉今之官、則治其小者有屬、治其大者無屬。外郡縣、内羣有司、此治其小者。内公府、外刺部、此治其大者。治其小、且有屬、治其大、乃無屬。何其輕重勞佚之不侔哉。豈因其故常而恬莫之舉歟。抑舉之未見其益歟。刺部之屬、向嘗增之、直與其長等爾。非所謂屬也。公府之屬、今或存之、直他官而已。非所謂屬也。請悉陳前古治大有屬之法、可施於今者、皆何名、何選、何職。古何以有、而今何以無、古何以可、而今何以不可。詳之於說、以究當今之便。
【読み】
第三道
問う、官の屬有るは、猶身の臂有り、臂の指有るがごとし。官を建てし自り以來、未だ焉に屬する者無きは有らず。今の官を舉するは、則ち其の小を治むる者は屬有って、其の大を治むる者は屬無し。外の郡縣、内の羣有司は、此れ其の小を治むる者なり。内の公府、外の刺部は、此れ其の大を治むる者なり。其の小を治むるには、且屬有って、其の大を治むるには、乃ち屬無し。何ぞ其れ輕重勞佚の侔[ひと]しからざるや。豈其の故常に因って恬として之を舉すること莫きか。抑々之を舉して未だ其の益を見ざるか。刺部の屬、向[さき]に嘗て之を增すは、直に其の長と等しきのみ。所謂屬には非ず。公府の屬、今或は之を存するは、直に他官のみ。所謂屬には非ず。請う悉く前古大を治むるに屬有るの法、今に施す可き者、皆何れの名、何れの選、何れの職ということを陳べよ。古何を以て有って、今何を以て無く、古何を以て可にして、今何を以て不可なる。之を說くに詳らかにして、以て當今の便を究めよ、と。

對、竊觀治天下之道、如構室焉。其大者棟也、梁也。棟梁豈能獨立哉。其所與相助而承上者、榱桷也。置官亦如是矣。古之三公之府、諸侯郡國各有其屬、以成其政。後世改易不常。今則外之一郡一邑、内之一官一局、各有屬焉。至於公府機務之煩、外臺刺舉之重、則反無之。此誠小大重輕之貿焉。非必謂無益而莫之爲也、直因循故常未之更爾。
【読み】
對う、竊かに觀るに天下を治むる道は、室を構えるが如し。其の大なる者は棟なり、梁なり。棟梁豈能く獨り立たんや。其の與に相助けて上に承る所の者は、榱桷なり。官を置くことも亦是の如し。古の三公の府、諸侯郡國各々其の屬有って、以て其の政を成す。後世改易して常ならず。今は則ち外の一郡一邑、内の一官一局、各々屬有り。公府機務の煩わしき、外臺刺舉の重きに至っては、則ち反って之れ無し。此れ誠に小大重輕の貿[ひと]しければなり。必ずしも益無しと謂いて之をすること莫きには非ず、直に故常に因循して未だ之を更めざるのみ。

嚮者漕計之司、嘗爲之置副矣。副則誠亞其長者也。其下亦嘗創賓從之名者矣、是亦其屬也。第旋去之耳。近世宰相之官、兼門下之目、則府以其省名矣。今其屬者、乃省官爾。非丞相之屬。
【読み】
嚮[さき]に漕計の司、嘗て之が爲に副を置く。副は則ち誠に其の長に亞ぐ者なり。其より下も亦嘗て賓從の名を創る者あり、是も亦其の屬なり。第[ただ]旋[やや]之を去るのみ。近世宰相の官、門下の目を兼ぬるときは、則ち府其の省を以て名づく。今其の屬は、乃ち省官のみ。丞相の屬に非ず。

策謂前古治大有屬之法可施於今者、則周冢宰之職有小宰焉、小宰之下皆其屬也。其餘五官亦各有屬焉。然其爵位有尊卑之差矣。外則牧伯之國、今刺舉之任也。其屬則其臣爾。漢之三公、府則有長史司直焉、東曹西曹之掾焉、内則御史、外則刺部、亦各自用其吏爲掾屬。其選之之道、則周六官以下、其屬皆命於天子・牧伯之臣、則其卿而下、其君選於其國爾。漢之三公、開府辟召、唐之藩鎭、亦自薦延其位其職、則繫其長之所任而分治之耳。
【読み】
策に前古大を治むるに屬有るの法今に施す可き者と謂うは、則ち周の冢宰の職に小宰有り、小宰の下は皆其の屬なり。其の餘の五官も亦各々屬有り。然れども其の爵位に尊卑の差有り。外は則ち牧伯の國、今の刺舉の任なり。其の屬は則ち其の臣のみ。漢の三公、府は則ち長史司直、東曹西曹の掾有り、内は則ち御史、外は則ち刺部、亦各々自ら其の吏を用いて掾屬とす。其の之を選ぶ道は、則ち周の六官以下、其の屬皆天子・牧伯の臣を命ずるときは、則ち其の卿よりして下、其の君其の國に選ぶのみ。漢の三公、開府辟召、唐の藩鎭も、亦自ら薦めて其の位其の職を延[ひ]くときは、則ち其の長の任ずる所に繫かって之を分かち治めしむるのみ。

今公府任其小事者非無也、直無若三公之孤、六卿之丞、共其事者爾。其治文書、掌勞役者備矣。其職亦幾矣。苟欲愼其選、淸其流、而易其官之名、則可矣。若欲夫預聞政事、則賢明之佐、謨謀於廟堂之上、又何細吏之閒焉。若夫刺舉之屬、則在選任之爾。謹對。
【読み】
今公府其の小事に任ずる者無きには非ず、直三公の孤、六卿の丞、其の事を共にするが若くなる者無きのみ。其の文書を治め、勞役を掌る者は備われり。其の職も亦幾し。苟も其の選を愼まんと欲せば、其の流を淸くして、其の官の名を易えば、則ち可なり。若し夫の政事を預り聞くことを欲せば、則ち賢明の佐、廟堂の上に謨謀することは、又何ぞ細吏の閒ならん。若し夫れ刺舉の屬は、則ち選んで之を任ずるに在るのみ。謹んで對う、と。

第四道
問、今天下費益廣、財益匱、食加冗、農加困、貨愈籠、文愈密、而旱乾水溢、無歲無之。又未嘗得淸源端本之術、少紓其弊。雖有智者、或任非其責、噤不出一語。嗚呼、忍而視斯民之殘也、今欲使財無匱、農無困、文無密、以拯斯民之殘。敢問何策之爲先。何修而後可。勿疎勿泛、以直所論。
【読み】
問う、今天下費益々廣く、財益々匱[とぼ]しく、食加々冗[いそが]しく、農加々困しみ、貨愈々籠[こも]り、文愈々密にして、旱乾水溢、歲として之れ無きは無し。又未だ嘗て源を淸くし本を端すの術、少しく其の弊を紓[ゆる]むることを得ず。智者有りと雖も、或は任其の責に非ずとして、噤[つぐ]んで一語を出さず。嗚呼、忍んで斯の民の殘を視るに、今財匱しきこと無く、農困しむこと無く、文密なること無からしめて、以て斯の民の殘を拯[すく]わんと欲す。敢えて問う、何の策を先とせん。何を修めて後に可ならん。疎にすること勿く泛すること勿くして、以て論ずる所を直せよ、と。

對、天下大器、群生重畜、惟君上所制養焉。今土地之廣、人民之衆、較之近代、未爲甚盛也。然近歲費益廣、財益匱、食加冗、農加困、貨愈籠、文愈密者、何也。殆基本似有所未立、法度似有所未舉爾。三代之制、今不能收功於旦夕也。試取其切近於體務者言之。
【読み】
對う、天下の大器、群生の重畜は、惟君上の制養する所なり。今土地の廣き、人民の衆き、之を近代に較ぶるに、未だ甚だ盛んなりとせず。然れども近歲費益々廣く、財益々匱しく、食加々冗しく、農加々困しみ、貨愈々籠り、文愈々密なる者は、何ぞや。殆ど基本未だ立たざる所有るに似、法度未だ舉せざる所有るに似たるのみ。三代の制、今功を旦夕に收むること能わず。試みに其の體務に切近なる者を取って之を言わん。

今財之匱、食之冗、農之困、貨愈籠、文愈密者、弊雖煩、而其原一而已。其始在費益廣也。費益廣、則取於民者衆、實於府者鮮。財不得不匱、農不得不困矣。彼食冗者、亦費之一端爾。費旣廣、財旣匱、農旣困、則貨不得不籠。貨之籠、則文不得不密矣。
【読み】
今財の匱しく、食の冗しく、農の困しみ、貨愈々籠り、文愈々密なる者は、弊煩わしと雖も、其の原は一なるのみ。其の始めは費益々廣きに在り。費益々廣きときは、則ち民に取る者衆く、府に實つる者鮮し。財匱しからざることを得ず、農困しまざることを得ず。彼の食冗しき者は、亦費の一端のみ。費旣に廣く、財旣に匱しく、農旣に困しむときは、則ち貨籠らざることを得ず。貨の籠るときは、則ち文密ならざることを得ず。

所謂費益廣者、不曰、待哺之兵衆乎、夷狄之遺重乎、遊食之徒煩乎、無用之供厚乎。爲今之計、兵之衆、豈能遽去之哉。在汰其冗而擇其精。戎狄之遺、豈能遽絕之哉。在備於我而圖其後。遊食之徒煩、則在禁其末而驅之農。無用之供厚、則在絕其源而損其數。然其所以制之者、有其道也。
【読み】
所謂費益々廣しという者は、曰わずや、哺を待つ兵衆きか、夷狄の遺[おくりもの]重きか、遊食の徒煩わしきか、無用の供厚きか、と。今の計を爲すに、兵の衆き、豈能く遽に之を去らんや。其の冗を汰[よな]いで其の精を擇ぶに在り。戎狄の遺、豈能く遽に之を絕たんや。我に備えて其の後を圖るに在り。遊食の徒煩わしきときは、則ち其の末を禁じて之を農に驅るに在り。無用の供厚きときは、則ち其の源を絕って其の數を損するに在り。然れども其の之を制する所以の者は、其の道有り。

夫水利之興、屯田之制、府兵之復、義倉之設、皆濟時之大利。顧縉紳議之熟矣。惟不以爲舊說之迂而忽之、則財以豐、食以足、貨利可寬、文法可損矣。雖旱乾水溢之變、繫乎歲數之常、亦吾有備焉爾。謹對。
【読み】
夫れ水利の興る、屯田の制、府兵の復る、義倉の設けは、皆時を濟すの大利なり。顧みるに縉紳之を議すること熟せり。惟以て舊說を迂として之を忽にすることをせざるときは、則ち財以て豐かに、食以て足り、貨利寬[ゆる]やかなる可く、文法損す可し。旱乾水溢の變、歲數の常に繫かると雖も、亦吾れ備え有らんのみ。謹んで對う、と。


第五道
問、子曰、苟有用我者、三年有成。何其效之疾歟。又曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣。何其效之遲歟。又曰、如有王者、必世而後仁。必世云者、較諸善人則已疾、合諸聖人則已遲。三者之效、不能齊一。然則聖何道而疾、善何術而遲、王何務而必世。願以前代已然之迹、質於此三者。
【読み】
第五道
問う、子曰く、苟も我を用いる者有らば、三年にして成すこと有らん、と。何ぞ其れ效の疾[すみ]やかなるや。又曰く、善人の邦を爲むること百年、亦以て殘に勝ち殺を去る可し、と。何ぞ其の效の遲きや。又曰く、如し王者有らば、必世にして後に仁ならん、と。必世と云う者は、諸を善人に較ぶれば則ち已に疾やかに、諸を聖人に合わせば則ち已に遲し。三つの者の效、齊一なること能わず。然らば則ち聖何の道にして疾やかに、善何の術にして遲く、王何の務めにして必世なる。願わくは前代已に然るの迹を以て、此の三つの者を質せ、と。

對、聖人之道、無所苟而已矣。以聖人之才、施於天下、其易矣。猶必曰三年而有成也。然方之善人之效、則聖人之治、其疾也遠矣。仲尼曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣。夫善人者、所謂不踐跡、亦不入於室者也。旣不循前人之弊而守之、又不得聖人之道而行之。宜其緩且久也。有人焉、相繼而往、則百年而後可至治矣。所謂王者必世而後仁、則蒙謂作禮樂之時爾。夫民之情、不可暴而使也、不可猝而化也。三年而成、大法定矣。漸之仁、摩之義、浹於肌膚、淪於骨髓、然後禮樂可得而興也。蓋禮樂者、雖上所以敎民也、然其原則本於民、而成於上爾。則聖人之效所以疾、善人之效所以遲與。
【読み】
對う、聖人の道は、苟もする所無きのみ。聖人の才を以て、天下に施せば、其れ易し。猶必ず三年にして成すこと有らんと曰うがごとし。然れども之を善人の效に方ぶれば、則ち聖人の治は、其の疾やかなること遠し。仲尼曰く、善人の邦を爲むること百年、亦以て殘に勝ち殺を去る可し、と。夫れ善人は、所謂跡をも踐まず、亦室にも入らざる者なり。旣に前人の弊に循わずして之を守り、又聖人の道を得ずして之を行う。宜なり其の緩くして且つ久しきこと。人有り、相繼いで往くときは、則ち百年にして後に治に至る可し。所謂王者は必世にして後に仁ならんというは、則ち蒙に謂ゆる禮樂を作る時のみ。夫れ民の情は、暴にして使わしむ可からず、猝[にわか]にして化す可からず。三年にして成るは、大法定まるなり。之を仁に漸[ひた]し、之を義に摩し、肌膚に浹[うるお]し、骨髓に淪[しづ]ませて、然して後に禮樂得て興る可し。蓋し禮樂は、上の民を敎うる所以なりと雖も、然れども其の原は則ち民に本づいて、上に成るのみ。則ち聖人の效の疾やかなる所以、善人の效の遲き所以か。

夫王者之仁、其道可見矣。復請、以前代已然之迹而明之。孟子曰、小國七年、大國五年、可爲政於天下。此聖人之效也。若仲由謂三年使知方、伯禽之三年報政、雖不能若聖人之道醇且具也、然亦承聖師之敎、奉周公之政、其庶乎其次也。若漢之業創乎高祖、因循乎呂・惠、文帝守之以淳儉、孝景紹之以恭默、當時漢之興、幾百年矣。其風俗寬厚、幾致措刑。亦勝殘去殺之效乎。周承文王之業、歷武王之治、至成王之世、而周公作禮樂焉。此必世後仁之效乎。謹對。
【読み】
夫れ王者の仁、其の道見る可し。復請う、前代已に然るの迹を以てして之を明かさん。孟子曰く、小國は七年、大國は五年にして、政を天下に爲す可し、と。此れ聖人の效なり。仲由の三年にして方を知らしめんと謂い、伯禽の三年にして政を報ずというが若き、聖人の道の醇にして且つ具わるが若くなること能わずと雖も、然れども亦聖師の敎を承って、周公の政を奉ずること、其れ其の次に庶し。漢の業高祖に創め、呂・惠に因循して、文帝之を守るに淳儉を以てし、孝景之を紹[つ]ぐに恭默を以てするが若き、當時漢の興る、幾百年なり。其の風俗寬厚、幾ど刑を措くことを致す。亦殘に勝ち殺を去るの效か。周文王の業を承って、王の治を歷武し、成王の世に至って、周公禮樂を作る。此れ必世にして後に仁なるの效か。謹んで對う、と。


二程全書卷之五十九  伊川先生文

上書

上仁宗皇帝書(皇祐二年)
【読み】
仁宗皇帝に上る書(皇祐二年)

草莽賤臣程頤、謹昧死再拜上書皇帝闕下。臣伏觀、前古聖明之主、無不好聞直諫、博采蒭蕘。故視益明而聽益聰、紀綱正而天下治。昏亂之主、無不惡聞過失、忽棄正言。故視益蔽而聽益塞、紀綱廢而天下亂。治亂之因、未有不由是也。伏惟陛下、德侔天地、明竝日月、寬慈仁聖、自古無比。曷嘗害一忠臣、戮一正士。羣臣雖有以言事得罪者、旋復拔擢、過其分際。此千載一遇、言事之秋也。桀・紂暴亂、殘賊忠良、然而義士不顧死以盡其節。明聖在上、其仁如天。布衣之士雖非當言責也、苟有可以裨聖治、何忍默默而不言哉。今臣竭其愚忠、非有斧鉞之虞也。所慮進言者至衆。豈盡有取。狂愚必多、而陛下因謂賤士之言無適用者。臣雖披心腹瀝肝膽、不見省覽、秖成徒爲。此臣之所懼也。儻或陛下少留聖慮、則非臣之幸、實天下之幸。臣請自陳所學、然後以臣之學議天下之事。
【読み】
草莽の賤臣程頤、謹んで昧死再拜して書を皇帝の闕下に上る。臣伏して觀るに、前古聖明の主は、好んで直諫を聞き、博く蒭蕘[すうじょう]を采らざるは無し。故に視ること益々明らかにして聽くこと益々聰く、紀綱正しくして天下治まる。昏亂の主は、過失を聞くことを惡み、正言を忽棄せざるは無し。故に視ること益々蔽われて聽くこと益々塞がり、紀綱廢れて天下亂る。治亂の因、未だ是に由らざるは有らず。伏して惟みるに陛下、德天地に侔[ひと]しく、明日月に竝び、寬慈仁聖、古自り比無し。曷ぞ嘗て一りの忠臣を害し、一りの正士を戮せん。羣臣事を言うを以て罪を得る者有りと雖も、旋[やや]復拔擢せらるること、其の分際に過ぐ。此れ千載一遇、事を言うの秋なり。桀・紂の暴亂、忠良を殘賊すれども、然れども義士死を顧みずして以て其の節を盡くす。明聖上に在して、其の仁天の如し。布衣の士言責に當たるに非ずと雖も、苟も以て聖治を裨[たす]く可きこと有らば、何ぞ忍んで默默として言わざらんや。今臣其の愚忠を竭くす、斧鉞の虞り有るに非ず。慮る所は言を進むる者至って衆し。豈盡く取ること有らんや。狂愚必ず多くして、陛下因りて謂わん、賤士の言用に適う者無し、と。臣心腹を披き肝膽を瀝[したた]ると雖も、省覽を見ず、秖[まさ]に徒爲と成らんことを。此れ臣の懼るる所なり。儻[も]し或は陛下少しく聖慮を留めば、則ち臣の幸いのみに非ず、實に天下の幸いなり。臣請う自ら學ぶ所を陳べて、然して後に臣の學を以て天下の事を議せん。

臣所學者、天下大中之道也。聖人性之爲聖人、賢者由之爲賢者、堯・舜用之爲堯・舜、仲尼述之爲仲尼。其爲道也至大、其行之也至易。三代以上莫不由之。自秦而下、衰而不振、魏・晉之屬、去之遠甚。漢・唐小康、行之不醇。自古學之者衆矣。而考其得者蓋寡焉。
【読み】
臣の學ぶ所の者は、天下大中の道なり。聖人は之を性のままにして聖人爲り、賢者は之に由って賢者爲り、堯・舜は之を用いて堯・舜爲り、仲尼は之を述べて仲尼爲り。其の道爲ること至って大にして、其の之を行うこと至って易し。三代以上之に由らずということ莫し。秦自りして下、衰えて振わず、魏・晉の屬、之を去ること遠きこと甚だし。漢・唐は小しく康けれども、之を行うこと醇ならず。古自り之を學ぶ者衆し。而れども其の得る者を考うるに蓋し寡し。

道必充於己、而後施以及人。是故道非大成、不苟於用。然亦有不私其身、應時而作者也。出處無常、惟義所在。所謂道非大成、不苟於用、顏囘・曾參之徒是也。天之大命在夫子矣。故彼得自善其身、非至聖人則不出也。在於平世、無所用者亦然。所謂不私其身、應時而作者、諸葛亮及臣是也。亮感先主三顧之義、閔生民塗炭之苦、思致天下於三代。義不得自安而作也。如臣者、生逢聖明之主、而天下有危亂之虞。義豈可苟善其身、而不以一言悟陛下哉。故曰、出處無常、惟義所在。
【読み】
道は必ず己に充たして、而して後に施して以て人に及ぼす。是の故に道大成に非ざれば、用うるに苟もせず。然れども亦其の身に私せず、時に應じて作る者有り。出處常無し、惟義の在る所のままにす。所謂道大成に非ざれば、用うるに苟もせざるは、顏囘・曾參の徒是れなり。天の大命夫子に在り。故に彼自ら其の身を善くすることを得て、聖人に至るに非ざれば則ち出ず。平世に在って、用うる所無き者も亦然り。所謂其の身に私せず、時に應じて作る者は、諸葛亮及び臣是れなり。亮先主三顧の義に感じ、生民塗炭の苦しみを閔れんで、天下を三代に致すことを思う。義自ら安んずることを得ずして作るなり。臣の如きは、生きて聖明の主に逢って、天下危亂の虞り有り。義豈苟も其の身を善くして、一言を以て陛下を悟さざる可けんや。故に曰く、出處常無し、惟義の在る所のままにす、と。

臣請議天下之事。不識陛下以今天下爲安乎、危乎、治乎、亂乎。烏可知危亂而不思救之之道。如曰安且治矣、則臣請明其未然。方今之勢、誠何異於抱火厝之積薪之下而寢其上、火未及然、因謂之安者乎。書曰、民惟邦本。本固邦寧。竊惟固本之道、在於安民。安民之道、在於足衣食。今天下民力匱竭、衣食不足、春耕而播、延息以待。一歲失望、便須流亡。以此而言、本未得爲固也。臣料陛下仁慈、愛民如子、必不忍使之困苦、一至於是。臣竊疑左右前後壅蔽陛下聰明、使陛下不得而知。今國家財用、常多不足。不足則責於三司、三司責諸路轉運。轉運何所出。誅剥於民爾。或四方有事、則多非時配卒(徐本卒作率。)、毒害尤深。急令誅求、竭民膏血、徃往破產亡業、骨肉離散。衆人觀之、猶可傷痛。陛下爲民父母、豈不憫哉。
【読み】
臣請う、天下の事を議せん。識らず、陛下今の天下を以て安しとするか、危うしとするか、治まるとするか、亂るとするか。烏んぞ危亂を知って之を救う道を思わざる可けんや。如し安くして且つ治まると曰わば、則ち臣請う、其の未だ然らざることを明かさん。方に今の勢、誠に何ぞ火を抱いて之を積薪の下に厝[お]いて其の上に寢て、火未だ然[も]ゆるに及ばざれば、因りて之を安しと謂う者に異ならんや。書に曰く、民は惟れ邦の本。本固ければ邦寧し、と。竊かに惟みるに本を固くする道は、民を安んずるに在り。民を安んずる道は、衣食を足らすに在り。今天下民力匱竭して、衣食足らず、春耕して播き、延息して以て待つ。一歲望みを失せば、便ち須く流亡すべし。此を以て言うに、本未だ固しとすることを得ざるなり。臣料るに陛下の仁慈、民を愛すること子の如く、必ず之をして困苦せしむること、一に是に至るに忍びじ。臣竊かに疑うらくは左右前後陛下の聰明を壅蔽して、陛下をして得て知らざらしむるならん。今國家の財用、常に多くは足らず。足らざれば則ち三司に責め、三司は諸路の轉運に責む。轉運何の出す所あらん。民を誅剥するのみ。或は四方事有らば、則ち多くは時に非ずして卒(徐本卒を率に作る。)を配すること、毒害尤も深からん。急に誅[せ]め求めしめば、民の膏血を竭くして、徃往に產を破り業を亡くして、骨肉離散せん。衆人之を觀て、猶傷み痛む可し。陛下の民の父母爲る、豈憫れまざらんや。

民無儲備、官廩復空。臣觀京師緣邊以至天下、率無二年之備。卒有連歲凶災、如明道中、不知國家何以待之。坐食之卒、計踰百萬。旣無以供費、將重斂於民、而民已散矣。强敵乘隙於外、姦雄生心於内、則土崩瓦解之勢、深可虞也。太寧之世、聖人猶不忘爲備、必有九年之蓄、以待凶歲。況今百姓困苦、愁怨之氣上衝於天、災沴凶荒、是所召也。陛下能保其必無乎。中民之家有十金之產、子孫不能守、則人皆謂之不孝。陛下承祖宗基業、而前有土崩瓦解之勢。可不懼哉。
【読み】
民儲備無くして、官廩復空し。臣京師より邊に緣って以て天下に至るを觀るに、率ね二年の備え無し。卒に連歲の凶災、明道中の如くなること有らば、知らず、國家何を以て之を待たん。坐食の卒、計るに百萬を踰ゆ。旣に以て費に供すること無くんば、將に重く民に斂めて、民已に散ぜんとす。强敵隙に外に乘じ、姦雄心を内に生せば、則ち土のごとく崩れ瓦のごとく解[くづ]るの勢、深く虞る可し。太寧の世すら、聖人猶備えを爲すことを忘れず、必ず九年の蓄え有って、以て凶歲を待つ。況んや今百姓困苦して、愁怨の氣上天に衝いて、災沴[さいれい]凶荒、是れ召く所なり。陛下能く保たば其れ必ずや無けんか。中民の家十金の產有るすら、子孫守ること能わざれば、則ち人皆之を不孝と謂う。陛下祖宗の基業を承けて、前に土のごとく崩れ瓦のごとく解るの勢有り。懼れざる可けんや。

戎狄强盛、自古無比。幸而目前尙守盟誓。果能以金帛厭其欲乎。能必料其常爲今日之計乎。則夫沿邊豈宜無備。益以兵則用不足、省其戍則力弗支、皆非長久之策也。前者昊賊叛逆、西垂用兵、數年之閒、天下大困。蓋内外經制、多失其宜。陜西之民、苦毒尤甚、及多逃散。重以軍法禁之、以至人心大怨、皆有思冦之言。悖逆之深、不敢以聞聖聽。顧恐陛下亦頗知之。故曰、無恆產而有恆心者、惟士爲能。彼庶民者、饑寒旣切於内、父子不相保、尙能顧忠義哉。非民無良、政使然也。當時秦中、冦盗屢起。儻稽撲滅、必多響應。幸而尋時盡能誅剪、尙賴社稷之福。西虜亦疲。彼知未可遠圖、遂且詭辭稱順。向若更相牽制、未得休兵、内釁將生。言之可駭。今天下勞弊、不比景祐以前、復有如(徐本如作加。)曩時之役。臣愚竊恐不能堪矣。況爲患者、豈止西戎。臣每思之、神魂飛越。不知朝廷議者以爲何如。亦嘗置之慮乎。其謂制之無術乎。
【読み】
戎狄强盛なること、古自り比無し。幸いにして目前尙盟誓を守る。果たして能く金帛を以て其の欲を厭わしめんや。能く必ず其の常を料って今日の計とせんや。則ち夫れ邊に沿って豈宜しく備え無かるべけんや。益すに兵を以てすれば則ち用足らず、其の戍りを省けば則ち力支えず、皆長久の策に非ざるなり。前に昊賊叛逆して、西垂兵を用うること、數年の閒、天下大いに困しむ。蓋し内外の經制、多く其の宜しきを失す。陜西の民、苦毒尤も甚だしくして、多くは逃散するに及ぶ。重ぬるに軍法を以て之を禁じて、以て人心大いに怨みて、皆冦を思うの言有るに至る。悖逆の深き、敢えて以て聖聽に聞せざらんや。顧みるに恐らくは陛下も亦頗る之を知らん。故に曰く、恆の產無くして恆の心有る者は、惟士のみ能くすることをす、と。彼の庶民は、饑寒旣に内に切なれば、父子すら相保たず、尙能く忠義を顧みんや。民良無きに非ず、政の然らしむるなり。當時秦中、冦盗屢々起こる。儻し撲滅を稽うれば、必ず多くは響きのごとくに應ぜん。幸いにして時を尋いで盡く能く誅剪することは、尙社稷の福に賴れり。西虜亦疲る。彼未だ遠く圖る可からざることを知って、遂に且辭を詭[いつわ]って順うと稱す。向[さき]に若し更に相牽制せば、未だ兵を休むることを得ずして、内釁[ないきん]將に生ぜんとす。之を言いて駭[おどろ]く可し。今天下の勞弊、景祐以前に比せずして、復曩時[のうじ]の役の如きこと(徐本如を加に作る。)有り。臣愚竊かに恐る、堪うること能わざらんことを。況んや患を爲す者、豈止西戎のみならんや。臣之を思う每に、神魂飛越す。知らず、朝廷の議する者以て何如とする。亦嘗て之を慮りに置かんや。其れ之を制するに術無しと謂わんや。

臣竊謂今天下猶無事、人命未甚危、陛下宜早警惕於衷、思行王道。不然、臣恐歲月易失。因循不思事勢、觀之理無常爾。雖我太祖之有天下、救五代之亂、不戮一人、自古無之。非漢・唐可比。固知趙氏之祀安於泰山。然而損陛下之聖明、陷斯民於荼毒、深可痛也。臣料羣臣必未嘗有爲陛下陳王道者。以陛下聖明、豈有言而不行者乎。
【読み】
臣竊かに謂えらく、今天下猶無事、人命未だ甚だしくは危うからず、陛下宜しく早く衷に警惕して、王道を行うことを思うべし、と。然らずんば、臣歲月の失し易からんことを恐る。因循として事勢を思わずんば、之を理に觀るに常無からんのみ。我が太祖天下を有つと雖も、五代の亂を救って、一人を戮せざること、古自り之れ無し。漢・唐の比す可きに非ず。固に趙氏の祀泰山より安からんことを知る。然れども陛下の聖明を損して、斯の民を荼毒[とどく]に陷らしむること、深く痛む可し。臣料るに羣臣必ず未だ嘗て陛下の爲に王道を陳ぶる者有らず。陛下の聖明を以てして、豈言いて行わざる者有らんや。

竊惟王道之本、仁也。臣觀陛下之仁、堯・舜之仁也。然而天下未治者、誠由有仁心而無仁政爾。故孟子曰、今有仁心仁聞、而民不被其澤、不可法於後世者、不行先王之道也。陛下精心庶政、常懼一夫不獲其所、未嘗以一喜怒殺一無辜、官吏有犯入人罪者、則終身棄之。是陛下愛人之深也。然而凶年饑歲、老弱轉死於溝壑、壯者散而之四方、爲盗賊、犯刑戮者、幾千萬人矣。豈陛下愛人之心哉。必謂歲使之然、非政之罪歟、則何異於刺人而殺之。曰、非我也、兵也。三代之民、無是病也。豈三代之政不可行於今邪。州縣之吏有陷人於辟者、陛下必深惡之。然而民不知義、復迫困窮、放辟邪侈而入於罪者、非陛下陷之乎。必謂其自然、則敎化、聖人之妄言邪。
【読み】
竊かに惟みるに王道の本は、仁なり。臣觀るに陛下の仁は、堯・舜の仁なり。然れども天下未だ治まらざる者は、誠に仁心有って仁政無きに由るのみ。故に孟子曰く、今仁心仁聞有って、民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり、と。陛下心を庶政に精しくして、常に一夫も其の所を獲ざらんことを懼れ、未だ嘗て一つの喜怒を以て一つの辜無きを殺さず、官吏人を罪に入るることを犯す者有れば、則ち身を終うるまで之を棄つ。是れ陛下人を愛したまうの深きなり。然れども凶年饑歲には、老弱溝壑に轉死し、壯者散じて四方に之き、盗賊を爲し、刑戮を犯す者、幾ど千萬人なり。豈陛下人を愛するの心ならんや。必ず歲之をして然らしむ、政の罪に非ずと謂わば、則ち何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ず、兵なりと曰うに異ならんや。三代の民は、是の病無し。豈三代の政今に行う可からざらんや。州縣の吏人を辟に陷らしむる者有れば、陛下必ず深く之を惡む。然れども民義を知らず、復困窮に迫って、放辟邪侈にして罪に入る者は、陛下之を陷らしむるに非ずや。必ず其れ自ら然りと謂わば、則ち敎化は、聖人の妄言ならんや。

天下之治、由得賢也。天下不治、由失賢也。世不乏賢、顧求之之道何如爾。今夫求賢、本爲治也。治天下之道、莫非五帝・三王・周公・孔子治天下之道也。求乎明於五帝・三王・周公・孔子治天下之道者、各以其所得大小而用之。有宰相事業者、使爲宰相、有卿大夫事業者、使爲卿大夫、有爲郡之術者、使爲刺史、有治縣之政者、使爲縣令、各得其任、則無職不舉、然而天下弗治者、未之有也。
【読み】
天下の治まるは、賢を得るに由る。天下治まらざるは、賢を失うに由る。世賢に乏しからず、之を求むるの道何如と顧みるのみ。今夫れ賢を求むるは、本治めんが爲なり。天下を治むるの道は、五帝・三王・周公・孔子天下を治むるの道に非ざるは莫し。五帝・三王・周公・孔子天下を治むるの道を明らかにすることを求むる者は、各々其の得る所の大小を以てして之を用う。宰相の事業有る者は、宰相爲らしめ、卿大夫の事業有る者は、卿大夫爲らしめ、郡を爲むるの術有る者は、刺史爲らしめ、縣を治むるの政有る者は、縣令爲らしめ、各々其の任を得るときは、則ち職として舉がらずということ無し。然して天下治まらざる者は、未だ之れ有らず。

國家取士、雖以數科、然而賢良方正、歲止一二人而已。又所得不過博聞强記之士爾。明經之屬、唯專念誦、不曉義理、尤無用者也。最貴盛者、唯進士科、以詞賦聲律爲工。詞賦之中、非有治天下之道也。人學之以取科第、積日累久、至於卿相。帝王之道、敎化之本、豈嘗知之。居其位、責其事業、則未嘗學之。譬如胡人操舟、越客爲御。求其善也、不亦難乎。往者丁度建言、祖宗以來、得人不少。愚瞽之甚、議者至今切齒。使墨論墨、固以墨爲善矣。
【読み】
國家の士を取る、數科を以てすと雖も、然れども賢良方正は、歲に止一二人のみ。又得る所は博聞强記の士に過ぎざるのみ。明經の屬は、唯專ら念誦して、義理を曉さず、尤も用無き者なり。最も貴盛なる者は、唯進士の科、詞賦聲律を以て工とす。詞賦の中、天下を治むるの道有るに非ず。人之を學んで以て科第を取り、日を積み久しきを累ねて、卿相に至る。帝王の道、敎化の本、豈嘗て之を知らんや。其の位に居して、其の事業を責むれば、則ち未だ嘗て之を學ばず。譬えば胡人舟を操り、越客御を爲すが如し。其の善ならんことを求むること、亦難からずや。往者[さき]に丁度建が言く、祖宗以來、人を得ること少なからず、と。愚瞽の甚だしき、議する者今に至って齒を切す。墨をして墨を論ぜしめ、固に墨を以て善とせん。

今天下未治、誠由有君而無臣也。豈世無人。求之失其道爾。苟欲取士必得、豈無術哉。王道之不行二千年矣。後之愚者皆云、時異事變、不可復行。此則無知之深也。然而人主往往惑於其言。今有人得物於道、示玉工、曰玉也。示衆人、曰石也。則當以玉工爲是乎、以衆人爲然乎。必以玉工爲是矣。何則識與不識也。聖人垂敎、思以治後世。而愚者謂不可行於今。則將守聖人之道乎、從衆人之言乎。謂衆人以王道可行、其猶詰瞽者以五色之鮮、詢聾者以八音之美。其曰不然、宜也。彼非憎五色而惡八音。聞見限也。
【読み】
今天下未だ治まらざるは、誠に君有って臣無きに由れり。豈世に人無けんや。之を求むること其の道を失するのみ。苟も士を取って必ず得んことを欲せば、豈術無けんや。王道の行われざること二千年なり。後の愚者皆云う、時異に事變ず、復行う可からず、と。此れ則ち無知の深きなり。然して人主往往に其の言に惑う。今人物を道に得る有り、玉工に示せば、玉と曰う。衆人に示せば、石と曰う。則ち當に玉工を以て是とすべきか、衆人を以て然りとせんか。必ず玉工を以て是とせん。何となれば則ち識ると識らざるとなり。聖人の敎を垂るるは、以て後世を治めんことを思う。而れども愚者今に行う可からずと謂う。則ち將に聖人の道を守らんとするか、衆人の言に從わんか。衆人に謂いて王道行う可きやというを以てすれば、其れ猶瞽者に詰[と]うに五色の鮮やかなるを以てし、聾者に詢[と]うに八音の美なるを以てするがごとし。其れ然らずと曰うは、宜なり。彼五色を憎んで八音を惡むに非ず。聞見限ればなり。

臣觀陛下之心、非不憂慮天下也。以陛下憂慮天下之心行王道、豈難乎哉。孟子曰、以齊王、猶反手也。又曰、師文王、大國五年、小國七年、必爲政於天下矣。以諸侯之位、一國之地、五年可以王天下。況陛下居天子之尊、令行四海、如風之動、苟行王政、奚啻反手之易哉。昔者大禹治水、八年於外、三過其門而不入、思以利天下、雖勞苦不避也。今陛下行王政、非有苦身體勞思慮之難也。何憚而不爲哉。孝經曰、立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。匹夫猶當行道以顯父母。況陛下貴爲天子。豈不發憤求治、思齊堯・舜、納民仁壽、上光祖考、垂休無窮。凡所謂孝、無大於此者也。
【読み】
臣觀るに陛下の心、天下を憂え慮らざるには非ざるなり。陛下天下を憂え慮るの心を以て王道を行わば、豈難からんや。孟子曰く、齊を以て王たらんこと、猶手を反すがごとし、と。又曰く、文王を師とせば、大國は五年、小國は七年、必ず政を天下にせん、と。諸侯の位、一國の地を以て、五年にして以て天下に王たる可し。況んや陛下天子の尊に居して、令四海に行われて、風の動かすが如き、苟も王政を行いたまわば、奚んぞ啻手を反すの易きのみならんや。昔大禹水を治めて、外に八年、三たび其の門を過れども入らず、以て天下を利せんことを思って、勞苦と雖も避けず。今陛下王政を行う、身體を苦しめ思慮を勞するの難有るに非ず。何ぞ憚ってせざるや。孝經に曰く、身を立て道を行い、名を後世に揚げて、以て父母を顯すは、孝の終わりなり、と。匹夫すら猶當に道を行って以て父母を顯す。況んや陛下貴きこと天子爲り。豈憤を發して治を求め、堯・舜に齊しからんことを思い、民を仁壽に納れ、上祖考を光[おお]いにして、休[よ]きを無窮に垂れざらんや。凡そ所謂孝とは、此より大なる者無し。

臣以謂、治今天下、猶理亂絲、非持其端條而舉之、不可得而治也。故臣前所陳、不及歷指政治之闕、但明有危亂之虞、救之當以王道也。然而行王之道、非可一二而言。願得一面天顏、罄陳所學。如或有取、陛下其置之左右、使盡其誠。苟實可用、陛下其大用之。若行而不效、當服罔上之誅、亦不虚受陛下爵祿也。
【読み】
臣以謂えらく、今の天下を治むるは、猶亂れたる絲を理むるがごとく、其の端條を持して之を舉ぐるに非ずんば、得て治む可からず。故に臣が前に陳べし所は、歷く政治の闕を指すに及ばず、但危亂の虞り有り、之を救うに當に王道を以てすべきことを明かすなり。然れども王の道を行うこと、一二にして言う可きに非ず。願わくは一たび天顏に面することを得て、罄[ことごと]く學ぶ所を陳べんことを。如し或は取ること有らば、陛下其れ之を左右に置いて、其の誠を盡くさしめたまえ。苟し實に用う可くんば、陛下其れ大いに之を用いたまえ。若し行って效あらずんば、當に上を罔するの誅に服すべく、亦不虚しく陛下の爵祿を受けじ。

陛下問羣臣、羣臣必謂寒賤之士、未可使近上側。自臣思之、以爲不然。臣髙祖羽、太祖朝年六十餘爲縣令。一言遭遇、聖祖特加拔擢、攀附太宗、終於兵部侍郎。顧遇之厚、羣臣無比。備存家牒。不敢繁述。臣曾祖希振、旣以父任後。祖遹復被推恩、國家錄先世之勳。臣父珦又蒙延賞、今爲國子博士。非有橫草之功、食君祿四世、一百年矣。臣料天下受國恩之厚、無如臣家者。臣自職事以來、思爲國家盡死、未得其路。爾則臣進見、宜無疑也。或者更爲强詞、言其不可、此乃自負陰私、懼防詆訐者也。
【読み】
陛下羣臣に問いたまわば、羣臣必ず謂わん、寒賤の士、未だ上の側に近づかしむ可からず、と。臣自り之を思うに、以て然らずとす。臣が髙祖羽は、太祖の朝に年六十餘にして縣令爲り。一言聖祖に遭遇して特に拔擢を加えられ、太宗に攀附して、兵部侍郎に終う。顧遇の厚き、羣臣比無し。備に家牒に存す。敢えて繁く述べず。臣が曾祖希振は、旣に父の任を以て後[つ]ぐ。祖遹も復推恩せられて、國家先世の勳を錄す。臣が父珦[きょう]も又延賞を蒙って、今國子博士爲り。橫草の功有るに非ざれども、君の祿を食すること四世、一百年なり。臣料るに天下國恩を受くるの厚き、臣の家に如く者無し。臣職事して自り以來、國家の爲に死を盡くさんことを思えども、未だ其の路を得ず。爾らば則ち臣が進見、宜しく疑い無かるべし。或は更に强詞を爲して、其の不可を言うは、此れ乃ち自ら陰私を負って、懼防詆訐する者なり。

伏望陛下出於聖斷、勿徇衆言、以王道爲心、以生民爲念、黜世俗之論、期非常之功。昔漢武笑齊宣不行孟子之說、自致不王、而不用仲舒之策。隋文笑漢武不用仲舒之策、不至於道、而不聽王通之言。二主之昏、料陛下亦嘗笑之矣。臣雖不敢望三子之賢、然臣之所學、三子之道也。陛下勿使後之視今、猶今之視昔、則天下不勝幸甚。望陛下特留意焉。臣愚無任踰越狂狷恐懼之極。臣頤昧死頓首謹言。
【読み】
伏して望むらくは陛下聖斷を出して、衆言に徇うこと勿く、王道を以て心とし、生民を以て念いとして、世俗の論を黜け、非常の功を期したまえ。昔漢武齊宣が孟子の說を行わざることを笑えども、自ら王ならざることを致して、仲舒の策を用いず。隋文漢武が仲舒の策を用いざることを笑えども、道に至らずして、王通の言を聽かず。二主の昏き、料るに陛下も亦嘗て之を笑いたまわん。臣敢えて三子の賢を望まずと雖も、然れども臣の學ぶ所は、三子の道なり。陛下後の今を視ること、猶今の昔を視るがごとくならしむること勿くんば、則ち天下幸甚に勝えず。望むらくは陛下特に意を留めんことを。臣愚踰越狂狷恐懼の極みに任[た]うること無し。臣頤昧死頓首して謹んで言[もう]す。


代彭思永上英宗皇帝論濮王典禮疏(治平二年四月)
【読み】
彭思永に代わって英宗皇帝に上って濮王の典禮を論ずる疏(治平二年四月)

臣思永言、伏見近日以濮王稱親事、言事之臣奏章交上、中外論議沸騰。此蓋執政大臣違亂典禮、左右之臣不能開陳理道、而致陛下聖心疑惑、大義未明。臣待罪憲府、不得不爲陛下明辨其事。竊以濮王之生陛下、而仁宗皇帝以陛下爲嗣、承祖宗大統、則仁廟、陛下之皇考、陛下、仁廟之適子。濮王、陛下所生之父、於屬爲伯。陛下、濮王出繼之子、於屬爲姪。此天地大義、生人大倫、如乾坤定位、不可得而變易者也。固非人意所能推移。苟亂大倫、人理滅矣。陛下仁廟之子、則曰父、曰考、曰親、乃仁廟也。若更稱濮王爲親、是有二親。則是非之理昭然自明、不待辨論而後見也。
【読み】
臣思永言す、伏して近日濮王を以て親と稱する事を見るに、事を言う臣奏章交々上って、中外論議沸騰す。此れ蓋し執政大臣典禮を違き亂し、左右の臣理道を開陳すること能わずして、陛下聖心疑惑し、大義未だ明らかならざることを致す。臣罪を憲府に待って、陛下の爲に明らかに其の事を辨ぜざることを得ず。竊かに以[おもん]みるに濮王の陛下を生んで、仁宗皇帝陛下を以て嗣と爲し、祖宗の大統を承くるときは、則ち仁廟は、陛下の皇考、陛下は、仁廟の適子なり。濮王は、陛下生む所の父、屬に於て伯と爲す。陛下は、濮王出繼の子、屬に於て姪と爲す。此れ天地の大義、生人の大倫、乾坤位を定めて、得て變易す可からざるが如き者なり。固に人意の能く推し移す所に非ず。苟も大倫を亂らば、人理滅びん。陛下は仁廟の子なるときは、則ち父と曰い、考と曰い、親と曰うは、乃ち仁廟なり。若し更に濮王を稱して親と爲さば、是れ二りの親有り。則ち是非の理昭然として自明なること、辨論を待たずして後に見ゆ。

然而聖意必欲稱之者、豈非陛下大孝之心、義雖出繼、情厚本宗。以濮王實(徐本實作寔。)生聖躬、曰伯則無以異於諸父、稱王則不殊於臣列、思有以尊大、使絕其等倫、如此而已。此豈陛下之私心哉。蓋大義所當、典禮之正、天下之公論、而執政大臣不能將順陛下大孝之心、不知尊崇之道、乃以非禮不正之號上累濮王、致陛下於有過之地、失天下之心、貽亂倫之咎。言事之臣又不能詳據典禮、開明大義、雖知稱親之非、而不知爲陛下推所生之至恩、明尊崇之正禮、使濮王與諸父夷等、無有殊別。此陛下之心所以難安而重違也。
【読み】
然れども聖意必ず之を稱せんと欲する者は、豈陛下大孝の心、義出繼と雖も、情本宗を厚くするに非ずや。濮王實(徐本實を寔に作る。)に聖躬を生むを以て、伯と曰うときは則ち以て諸父に異なること無く、王と稱するときは則ち臣の列に殊ならず、尊大を以て、其の等倫を絕たしむること有らんことをを思うこと、此の如きのみ。此れ豈陛下の私心ならんや。蓋し大義の當たる所、典禮の正しき、天下の公論にして、執政大臣陛下大孝の心に將[したが]い順うこと能わず、尊崇の道を知らずして、乃ち非禮不正の號を以て上濮王を累わして、陛下を過ち有るの地に致し、天下の心を失し、倫を亂るの咎を貽す。事を言う臣も又詳らかに典禮に據って、大義を開明すること能わず、親と稱するの非を知ると雖も、陛下の爲に生まるる所の至恩を推して、尊崇の正禮を明らかにすることを知らず、濮王をして諸父と夷等にして、殊別有ること無からしむ。此れ陛下の心安んじ難くして重く違う所以なり。

臣以爲、所生之義、至尊至大。雖當專意於正統、豈得盡絕於私恩。故所繼主於大義、所生存乎至情。至誠一心、盡父子之道、大義也。不忘本宗、盡其恩義、至情也。先王制禮、本緣人情。旣明大義以正統緒、復存至情以盡人心。是故在喪服、恩義別其所生。蓋明至重、與伯叔不同也。此乃人情之順、義理之正、行於父母之前、亦無嫌閒。至於名稱、統緒所繫。若其無別、斯亂大倫。
【読み】
臣以爲えらく、生む所の義は、至尊至大なり。當に意を正統に專らにすべしと雖も、豈盡く私恩を絕つことを得んや。故に繼ぐ所は大義を主とし、生む所は至情を存す。至誠心を一にして、父子の道を盡くすは、大義なり。本宗を忘れずして、其の恩義を盡くすは、至情なり。先王の禮を制するは、本人情に緣る。旣に大義を明らかにして以て統緒を正し、復至情を存して以て人心を盡くす。是の故に喪服に在って、恩義其の生む所に別つ。蓋し至重、伯叔と同じからざることを明らかにす。此れ乃ち人情の順、義理の正、父母の前に行くとも、亦嫌閒すること無し。名稱に至っては、統緒の繫かる所。若し其れ別無くんば、斯れ大倫を亂る。

今濮王陛下之所生。義極尊重、無以復加。以親爲稱、有損無益、何哉。親與父同、而所以不稱父者、陛下以身繼大統、仁廟父也。在於人倫、不可有貳。故避父而稱親、則是陛下明知稱父爲決不可也。旣避父而稱親、則是親與父異、此乃姦人以邪說惑陛下。言親義非一、不止謂父、臣以謂、取父義、則與稱父正同。決然不可。不取父義、則其稱甚輕。今宗室疎遠卑幼、悉稱皇親。加於所生、深恐非當。孝者以誠爲本。乃以疑似無正定之名、黷於所尊、體屬不恭、義有大害。稱之於仁廟、乃有嚮背之嫌、去之於濮王、不損所生之重、絕無小益、徒亂大倫。
【読み】
今濮王は陛下の生まるる所。義極めて尊重、以て復加うること無し。親を以て稱することをせば、損有って益無きは、何ぞや。親と父と同じくして、父と稱せざる所以の者は、陛下身大統を繼ぐを以て、仁廟は父なり。人倫に在って、貳有る可からず。故に父を避けて親と稱するときは、則ち是れ陛下明らかに父と稱するの決して不可爲ることを知ればなり。旣に父を避けて親と稱すれば、則ち是れ親と父と異なりというは、此れ乃ち姦人邪說を以て陛下を惑わすなり。親の義一に非ず、止父を謂うのみにあらずと言わば、臣以謂えらく、父の義を取るときは、則ち父と稱すると正に同じ。決然として不可なり。父の義を取らざるときは、則ち其の稱甚だ輕し。今宗室疎遠卑幼、悉く皇親と稱す。生まるる所に加うれば、深く恐らくは當たるに非ず。孝は誠を以て本とす。乃ち疑似にして正定無きの名を以て、尊ぶ所を黷[けが]さば、體不恭に屬し、義大なる害有り。之を仁廟に稱すれば、乃ち嚮背の嫌有り、之を濮王に去れば、生まるる所の重きを損せず、絕えて小益無くして、徒に大倫を亂るのみ。

臣料陛下之意、不必須要稱親。止謂不加殊名、無以別於臣列。臣以爲不然。推所生之義、則不臣自明。盡致恭之禮、則其尊可見。況當揆量事體、別立殊稱。要在得盡尊崇、不愆禮典。言者皆欲以高官大國加於濮王。此甚非知禮之言也。先朝之封、豈陛下之敢易。爵秩之命、豈陛下之敢加。臣以爲當以濮王之子襲爵奉祀、尊稱濮王爲濮國太王。如此則夐然殊號、絕異等倫、凡百禮數、必皆稱情。請舉一以爲率。借如旣置嗣襲、必伸祭告、當曰姪嗣皇帝名、敢昭告於皇伯父濮國太王。自然在濮國極尊崇之道、於仁皇無嫌貳之失、天理人心、誠爲允合。不獨正今日之事、可以爲萬世之法。復恐議者以太字爲疑。此則不然。蓋繫於濮國下、自於大統無嫌。
【読み】
臣料るに陛下の意、必ずしも親と稱することを須要せじ。止謂えらく、殊名を加えずんば、以て臣の列に別つこと無けん、と。臣以爲えらく、然らず。生む所の義を推せば、則ち臣たらざること自明なり。恭を致すの禮を盡くすときは、則ち其の尊見る可し。況んや當に事體を揆り量って、別に殊稱を立つべけんや。要は尊崇を盡くすことを得て、禮典を愆[あやま]らざるに在り。言者皆高官大國を以て濮王に加えんと欲す。此れ甚だ禮を知る言に非ず。先朝の封、豈陛下敢えて易えんや。爵秩の命、豈陛下敢えて加えんや。臣以爲えらく、當に濮王の子を以て襲爵奉祀せしめ、濮王を尊稱して濮國の太王と爲すべし。此の如きときは則ち夐然[けいぜん]たる殊號、等倫に絕異にして、凡そ百の禮數、必ず皆情に稱わん。請う一を舉げて以て率とせん。借如[も]し旣に嗣襲を置き、必ず祭告を伸べば、當に姪嗣皇帝の名、敢えて昭らかに皇伯父濮國の太王に告すと曰うべし。自然に濮國に在っては尊崇の道を極め、仁皇に於ては嫌貳の失無くして、天理人心、誠に允に合うとす。獨り今日の事を正すのみにあらず、以て萬世の法とす可し。復恐らくは議する者太の字を以て疑いを爲さん。此れ則ち然らず。蓋し濮國の下に繫かるときは、自づから大統に於て嫌無し。

今親之稱、大義未安。言事者論列不已、前者旣去、後者復然。雖使臺臣不言、百官在位亦必繼進、理不可奪、勢不可遏。事體如此、終難固持。仁宗皇帝在位日久、海宇億兆涵被仁恩。陛下嗣位之初、功德未及天下、而天下傾心愛戴者、以陛下仁廟之子也。今復聞以濮王爲親、含生之類、發憤痛心。蓋天下不知陛下孝事仁皇之心、格於天地、尊愛濮王之意、非肯以不義加之。但見誤致名稱、所以深懷疑慮。謂濮王旣復稱親、則仁廟不言自絕、羣情洶懼、異論喧囂。夫王者之孝、在乎得四海之歡心。胡爲以不正無益之稱、使億兆之口指斥謗讟(徐本讟作言。)、致濮王之靈不安於上。臣料陛下仁孝、豈忍如斯。皆由左右之臣不能爲陛下開明此理。在於神道、不遠人情。故先聖謂、事死如事生、事亡如事存。設如仁皇在位、濮王居藩、陛下旣爲冢嗣、復以親稱濮王、則仁皇豈不震怒。濮王豈不側懼。是則君臣兄弟立致釁隙。其視陛下當如何也。神靈如在。亦豈不然。以此觀之、陛下雖加名稱、濮王安肯當受。
【読み】
今親の稱、大義未だ安からず。事を言う者論列已まず、前なる者旣に去れば、後なる者復然り。臺臣をして言わざらしむと雖も、百官の位に在る亦必ず繼ぎ進んで、理奪う可からず、勢遏[とど]む可からず。事體此の如くならば、終に固持し難からん。仁宗皇帝在位日久しくして、海宇億兆仁恩を涵し被る。陛下位を嗣ぐの初め、功德未だ天下に及ばずして、天下心を傾けて愛戴する者は、陛下は仁廟の子なるを以てなり。今復濮王を以て親とすることを聞かば、含生の類、憤りを發し心を痛めしめん。蓋し天下陛下仁皇に孝事する心、天地に格ることを知らずして、濮王を尊愛する意、肯えて不義を以て之に加うることを非らん。但誤って名稱を致すを見て、深く疑慮を懷く所以なり。謂えらく、濮王旣に復親と稱せば、則ち仁廟自ら絕つと言わずとも、羣情洶懼[きょうく]して、異論喧囂たらん。夫れ王者の孝は、四海の歡心を得るに在り。胡爲れぞ不正無益の稱を以て、億兆の口をして指斥して謗讟[ぼうとく](徐本讟を言に作る。)せしめて、濮王の靈上に安んぜざること致さん。臣料るに陛下の仁孝、豈斯の如くなるに忍びんや。皆左右の臣陛下の爲に此の理を開明すること能わざるに由れり。神道に在っても、人情に遠からず。故に先聖謂えらく、死に事うること生に事うるが如く、亡に事うること存に事うるが如し、と。設し仁皇位に在り、濮王藩に居るが如き、陛下旣に冢嗣と爲りて、復親を以て濮王を稱せば、則ち仁皇豈震怒せざらんや。濮王豈側懼せざらんや。是れ則ち君臣兄弟立つところに釁隙[きんげき]を致さん。其れ陛下を視るに當に如何にすべき。神靈在すが如し。亦豈然らざらんや。此を以て之を觀れば、陛下名を加えて稱すと雖も、濮王安んぞ肯えて當に受くべけん。

伏願陛下深思此理、去稱親之文、以明示天下、則祖宗濮王之靈交歡於上、皆當垂祐陛下、享福無窮、率土之心、翕然慰悅、天下化德、人倫自正、大孝之名光於萬世矣。夫姦邪之人、希恩固寵、自爲身謀、害義傷孝、以陷陛下。今旣公論如此。不無徊徨、百計搜求、務爲巧飾、欺罔聖聽、枝梧言者、徼冀得己、尙圖自安、正言未省、而巧辯已至、使陛下之心無由而悟。伏乞將臣此章、省覽數遍、裁自宸衷、無使姦人與議。其措心用意、排拒人言、隱迹藏形、陰贊陛下者、皆姦人也。幸陛下察而辨之、勿用其說、則自然聖心開悟、至理明白。天下不勝大願。
【読み】
伏して願わくは陛下深く此の理を思って、親と稱するの文を去って、以て明らかに天下に示さば、則ち祖宗濮王の靈歡びを上に交[か]わして、皆當に祐を陛下に垂れ、福を無窮に享くべく、率土の心、翕然として慰悅し、天下德に化し、人倫自ら正しくして、大孝の名萬世に光らん。夫れ姦邪の人は、恩を希い寵を固くして、自ら身の謀とし、義を害し孝を傷って、以て陛下を陷る。今旣に公論此の如し。徊徨して、百計搜し求むること無くんばあらず、務めて巧飾を爲して、聖聽を欺罔し、枝梧の言者、徼[かす]めて己に得んことを冀って、尙自ら安んずることを圖り、正言未だ省みずして、巧辯已に至り、陛下の心をして由って悟ること無からしむ。伏して乞う、臣の此の章を將って、省覽數遍、裁すること宸衷自りして、姦人をして與に議せしむること無かれ。其の心を措き意を用いて、人の言を排拒し、迹を隱し形を藏して、陰かに陛下を贊[たす]くる者は、皆姦人なり。幸いに陛下察して之を辨じて、其の說を用うること勿くんば、則ち自然に聖心開悟し、至理明白ならん。天下大願に勝えず。


爲家君應詔上英宗皇帝書(治平二年)
【読み】
家君の爲に詔に應じて英宗皇帝に上る書(治平二年)

臣珦言、伏覩八月八日詔勑、以比年以來、水潦爲沴、八月庚寅大雨應、中外臣僚竝許上實封、言時政闕失及當世利病。此蓋皇帝陛下承祖宗大業、嚴恭天命、祗畏警懼之深也。天下士民欽聞德音、苟有知見、孰不願披忠瀝懇、上逹天聽。臣雖至愚、官爲省郎、職分郡寄。敢不竭其區區之誠、以應明詔。惟陛下寬其狂易之誅、賜之省覽、則天下幸甚。
【読み】
臣珦言す、伏して覩るに八月八日の詔勑、比年以來、水潦沴[れい]を爲し、八月庚寅大雨應ずるを、中外の臣僚竝びに實封を上って、時政の闕失及び當世の利病を言すことを許さる。此れ蓋し皇帝陛下祖宗の大業を承けて、天命を嚴[とうと]び恭しくして、祗み畏れ警め懼るること深ければなり。天下の士民欽んで德音を聞き、苟も知見有らば、孰か忠を披き懇を瀝[したた]りて、上天聽に逹することを願わざらんや。臣至愚なりと雖も、官省郎爲り、職郡寄を分かつ。敢えて其の區區の誠を竭くして、以て明詔に應ぜざらんや。惟陛下其の狂易の誅を寬め、之が省覽を賜わば、則ち天下幸甚ならん。

臣聞水旱之沴、由陰陽不和。繫政事之所致。是以自昔明王、或遇災變、則必警懼以省躬之過、思政之闕、廣延衆論、求所以當天心、致和氣。故能消弭變異、長保隆平。昔在商王中宗之時、有桑穀之祥、高宗之時、有雊雉之異。二王以爲懼而修政行德、遂致王道復興、皆爲商宗、百世之下頌其聖明。今陛下嗣位之初、比年陰沴。聖心警畏、下明詔以求政之闕。誠聖明之爲也。然臣觀近古以來、引咎之詔、自新之言、亦世有之。其如人君不由於至誠、天下徒以爲虛語。豈復有如商之二宗興王道於旣衰者乎。臣願陛下因此天戒、奮興善治、思商宗之休實、鑒後代之虛飾、不獨消復災沴於今日、將永保丕基於無窮。
【読み】
臣聞く、水旱の沴は、陰陽和せざるに由れり。政事の致す所に繫かれり、と。是を以て昔自り明王、或は災變に遇わば、則ち必ず警め懼れて以て躬の過ちを省み、政の闕を思って、廣く衆論を延べて、天心に當たり、和氣を致す所以を求む。故に能く變異を消弭[しょうび]して、長く隆平を保つ。昔商王中宗の時、桑穀の祥有り、高宗の時、雊雉[こうち]の異有り。二王以て懼るることを爲して政を修め德を行って、遂に王道復興ることを致して、皆商の宗と爲りて、百世の下其の聖明を頌す。今陛下位を嗣ぐの初め、比年陰沴す。聖心警畏して、明詔を下して以て政の闕を求む。誠に聖明の爲[しわざ]なり。然れども臣觀るに近古以來、咎を引くの詔、自ら新にするの言は、亦世々之れ有り。其れ如し人君至誠に由らざれば、天下徒に以て虛語とす。豈復商の二宗王道を旣に衰えたるに興すが如くなる者有らんや。臣願わくは陛下此の天戒に因って、善治を奮興して、商宗の休實を思い、後代の虛飾を鑒みば、獨り災沴を今日に消復するのみにあらず、將に永く丕基[ひき]を無窮に保たんとせん。

伏觀詔旨、時政闕失、當世利病、可以佐元元者、悉心以陳、毋有所諱。臣竊惟天下之勢所甚急者、在安危治亂之機。若夫指一政之闕失、陳一事之利病、徒爲小補、不足以救當世之弊、而副陛下勤求之意也。所謂安危治亂之機、臣請條其大端。
【読み】
伏して詔旨を觀て、時政の闕失、當世の利病、以て元元を佐く可き者、心を悉くして以て陳べて、諱む所有ること毋し。臣竊かに惟みるに天下の勢甚だ急なる所の者、安危治亂の機に在り。若し夫れ一政の闕失を指し、一事の利病を陳ぶるは、徒に小補を爲して、以て當世の弊を救って、陛下勤め求むるの意に副うに足らず。所謂安危治亂の機、臣請う、其の大端を條せん。

所謂安且治者、朝廷有綱紀權持總攝百職庶務。天下之治、如網之有綱、裘之有領、舉之而有條、委之而不紊也。郡縣之官、得人而職修、惠養有道、朝廷政化宣逹于下也。百姓安業、衣食足而有恆心、知孝悌忠信之敎、率之易從、勞之不怨、心附於上、固而不可搖也。化行政肅、無姦宄盜賊之患。設有之、不足爲慮。蓋有殲滅之備、而無響應之虞也。民心和而陰陽順、無水旱蟲螟之災。雖有之、不能爲害。蓋倉廩實而府庫充、官用給於上、民食足於下也。武備修而威靈振、蠻夷戎狄無敢不服。雖有之、不足爲憂。蓋甲兵利而儲備豐、將善謀而士素練也。
【読み】
所謂安んじて且つ治むる者は、朝廷綱紀有りて百職庶務を權持總攝すればなり。天下の治は、網の綱有り、裘の領有って、之を舉げて條有り、之を委して紊れざるが如し。郡縣の官、人を得て職修め、惠養道有れば、朝廷の政化下に宣逹す。百姓業を安んじ、衣食足りて恆の心有りて、孝悌忠信の敎を知れば、之を率いるに從い易く、之を勞すれども怨みず、心上に附くこと、固くして搖らす可からず。化行われ政肅[きび]しければ、姦宄[かんき]盜賊の患え無し。設い之れ有るとも、慮りを爲すに足らず。蓋し殲滅の備え有って、響應の虞[おそ]れ無ければなり。民心和して陰陽順なれば、水旱蟲螟の災無し。之れ有りと雖も、害を爲すこと能わず。蓋し倉廩實ちて府庫充ち、官用上に給[た]りて、民食下に足ればなり。武備修めて威靈振るえば、蠻夷戎狄敢えて服せずということ無し。之れ有りと雖も、憂えを爲すに足らず。蓋し甲兵利して儲備豐かに、將善く謀って士素より練ればなり。

此六者、所謂安且治者。今之事、一皆反是。朝廷紀綱汙漫離散、莫可總攝。本原如此、治將安出。郡縣之官、選不以道、更易之數、雖時謂才者、尙莫能稱其職。況庸常者乎。循常苟安、狃以成俗、舉世以爲當然。政治廢亂、生民困苦。朝廷雖有惠澤、孰能宣布以逹于下。所與共理者如此。天下斯可知矣。百姓窮蹙、日以加甚、而重斂繁賦、消削之不息。天下戶口雖衆、而自足者益寡。司牧者治其事爾。非有師保左右之也。其善惡勤惰、趨利避害、或昧而反之。一從其自然、而困之陷之之道又非一塗。人用無聊、苟度歲月、驅之於治則難格、率之於惡則易搖。民惟邦本。本根如是、邦國奈何。民無生業、極困則慮生。不漸善敎、思利而志動、乘閒隙則萌姦宄、逼凍殍則爲盜賊。今玆幸無大故、尙爾苟安。設或遇大饑饉、有大勞役、姦雄一呼、所在必應。以今無事之時、尙恐力不能制。況勞擾多事之際乎。天下安危、實(徐本實作寔。)繫於此。保民之道、以食爲本。今自京師至于天下、計平時之用、率無三年之蓄。民閒空匱、則又甚焉。以萬室之邑觀之、有厚蓄者百無二三、困衣食者十居六七。統而較之、天下虛竭可知矣。豐年樂歲、飢寒見於道路。一穀不稔、便致流轉。卒有方數千里連數年之水旱、不知何以待之。姦盜蜂起於内、夷狄乘隙於外、雖欲爲之、末如何矣。戎狄强盛、古未有此。歲輸金帛以修好、而好不可恃。窮天下之力以養兵、而兵不足用。尙幸二虜無謀、厭小欲而忘大利。故我得以紓朝夕之急。若其連衡而來、則必興數十萬之衆、宿於邊境。饋餉不繼、財用不充、將何以濟乎。驕惰之兵、縱無奔潰之患、曠日持久、終有窮極之虞。又況征斂興發、而民人轉亡、饑饉愁怨、而姦雄競起。事至於此、興衰可知。以今觀之、天下之勢、安乎、危乎。
【読み】
此の六つの者は、所謂安んじて且つ治むる者なり。今の事、一に皆是に反す。朝廷の紀綱汙漫離散して、總攝す可き莫し。本原此の如くならば、治將に安くにか出んとす。郡縣の官、選ぶに道を以てせず、更々之が數を易えば、時に才ある者と謂うと雖も、尙能く其の職に稱うこと莫し。況んや庸常なる者をや。常に循って苟も安んじて、狃って以て俗を成し、世を舉げて以て當然とす。政治廢亂し、生民困苦す。朝廷惠澤有りと雖も、孰か能く宣布して以て下に逹せん。與に共に理むる所の者此の如し。天下斯に知る可し。百姓窮蹙[きゅうしゅく]、日に以て加々甚だしくして、重く斂し繁く賦して、之を消削すること息まず。天下の戶口衆しと雖も、自ら足れりとする者益々寡し。司牧の者其の事を治むるのみ。師保之を左右[たす]くること有るに非ず。其の善惡勤惰、利に趨り害を避け、或は昧くして之に反す。一に其の自然に從って、之を困しめ之を陷しむるの道又一塗に非ず。人用って無聊にして、苟も歲月を度らば、之を治に驅れば則ち格し難く、之を惡に率いば則ち搖らし易からん。民は惟れ邦の本なり。本根是の如くならば、邦國奈何にせん。民生業無くして、極めて困するときは則ち慮り生ず。漸く善く敎えずして、利を思って志動かば、閒隙に乘じては則ち姦宄を萌し、凍殍[とうひょう]に逼らば則ち盜賊をせん。今玆に幸いに大故無しとして、尙爾[しか]く苟も安んず。設し或は大なる饑饉に遇い、大なる勞役に有って、姦雄一呼せば、所在必ず應ぜん。今無事の時を以てすら、尙力制すること能わざらんことを恐る。況んや勞擾多事の際をや。天下の安危、實(徐本實を寔に作る。)に此に繫かれり。民を保んずるの道は、食を以て本とす。今京師自り天下に至るまで、平時の用を計るに、率ね三年の蓄え無し。民閒空匱すること、則ち又焉より甚だし。萬室の邑を以て之を觀るに、厚く蓄うること有る者百に二三無く、衣食に困しめる者十に六七に居す。統べて之を較べて、天下の虛竭知る可し。豐年樂歲、飢寒道路に見る。一穀も稔らずんば、便ち流轉を致さん。卒に方數千里數年を連ぬるの水旱有らば、知らず、何を以て之を待たん。姦盜内に蜂起し、夷狄隙に外に乘ぜば、之をせんと欲すと雖も、如何ともすること末けん。戎狄强盛なること、古より未だ此のごときには有らず。歲々に金帛を輸して以て好を修すれども、好恃む可からず。天下の力を窮めて以て兵を養うとも、兵用うるに足らず。尙幸いに二虜謀無くして、小欲に厭いて大利を忘る。故に我れ以て朝夕の急を紓[の]ぶることを得。若し其れ連衡して來らば、則ち必ず數十萬の衆を興して、邊境に宿せん。饋餉繼がず、財用充てずんば、將何を以て濟さんや。驕惰の兵、縱い奔潰の患え無くとも、日を曠[むな]しくして持すること久しければ、終に窮極の虞り有らん。又況んや征斂興發して、民人轉亡し、饑饉愁怨して、姦雄競い起たん。事此に至っては、興衰知る可し。今を以て之を觀れば、天下の勢、安しとせんや、危うしとせんや。

凡此數端、皆有危亡之虞、而未至於是者、不識朝廷制置能使之然邪。抑亦天幸而偶然邪。幸然之事、其可常乎。先皇帝至仁格天地、保持之以至於今。歷時旣已久、言者旣已多、朝廷遂以爲果不足憂也。可以常然。姑維持之而已。雖聞至深至切之言、不爲動也。嗚呼、貽天下之患、必由於是乎。今天下尙無事、朝廷宜急思所以救時之道。不然、臣恐因循歲月、前之所陳者一事至、則爲之晩矣。中人之家、有百金之產、子孫保守、不敢不念。陛下承祖宗大業、可不懼乎。
【読み】
凡そ此の數端、皆危亡の虞れ有って、未だ是に至らざる者は、識らず、朝廷の制置能く之をして然らしむるか。抑々亦天幸いにして偶々然るか。幸然の事は、其れ常にす可けんや。先皇帝至仁天地を格して、之を保持して以て今に至れり。時を歷ること旣已に久しく、言者旣已に多くして、朝廷遂に以て果たして憂うるに足らずとす。以て常に然る可けんや。姑く之を維持するのみ。至深至切の言を聞くと雖も、動くことをせず。嗚呼、天下の患えを貽すこと、必ず是に由らんか。今天下尙無事、朝廷宜しく急に時を救う所以の道を思うべし。然らずんば、臣恐れらくは歲月に因循して、前の陳ぶる所の者一事至らば、則ち之をすること晩からんことを。中人の家、百金の產有るすら、子孫保ち守ること、敢えて念わずんばあらず。陛下祖宗の大業を承けて、懼れざる可けんや。

今言當世之務者、必曰所先者、寬賦役也、勸農桑也、實倉廩也、備災害也、修武備也、明敎化也。此誠要務。然猶未知其本也。臣以爲所尤先者有三焉。請爲陛下陳之。一曰立志、二曰責任、三曰求賢。今雖納嘉謀、陳善算、非君志先立、其能聽而用之乎。君欲用之、非責任宰輔、其孰承而行之乎。君相協心、非賢者任職、其能施於天下乎。三者本也。制於事者用也。有其本、不患無其用。
【読み】
今當世の務めを言う者、必ず曰わん、先んずる所の者は、賦役を寬くし、農桑を勸め、倉廩を實て、災害に備え、武備を修め、敎化を明らかにするなり、と。此れ誠に要務なり。然れども猶未だ其の本を知らざるなり。臣以爲えらく、尤も先んずる所の者三つ有り。請う陛下の爲に之を陳べん。一に曰く志を立つ、二に曰く任を責む、三に曰く賢を求む。今嘉謀を納れ、善算を陳ぶと雖も、君の志先づ立つに非ずんば、其れ能く聽いて之を用いんや。君之を用いんと欲すとも、任を宰輔に責むるに非ずんば、其れ孰か承けて之を行わんや。君相心を協[あ]わすとも、賢者職に任ずるに非ずんば、其れ能く天下に施さんや。三つの者は本なり。事を制する者は用なり。其の本有れば、其の用無きを患えず。

三者之中、復以立志爲本。君志立而天下治矣。所謂立志者、至誠一心、以道自任、以聖人之訓爲可必信、先王之治爲可必行、不狃滯於近規、不遷惑於衆口、必期致天下如三代之世、此之謂也。夫以一夫之身、立志不篤、則不能自修。況天下之大、非體乾剛健、其能治乎。自昔人君、孰不欲天下之治。然而或欲爲而不知所措、或始銳而不克其終、或安於積久之弊而不能改爲、或惑於衆多之論而莫知適用。此皆上志不立故也。
【読み】
三つの者の中、復志を立つるを以て本とす。君の志立って天下治まる。所謂志を立つとは、至誠心を一にして、道を以て自ら任じて、以て聖人の訓必ず信ず可しとし、先王の治必ず行う可しとして、近規に狃滯[じゅうたい]せず、衆口に遷惑せず、必ず天下三代の世の如くなることを致すことを期する、此れ之の謂なり。夫れ以みるに一夫の身すら、志を立つること篤からざれば、則ち自ら修むること能わず。況んや天下の大、乾の剛健に體するに非ずんば、其れ能く治まらんや。昔自り人君、孰か天下の治まることを欲せざらん。然れども或はせんと欲すれども措く所を知らず、或は始め銳にして其の終わりを克くせず、或は積久の弊に安んじて改め爲すこと能わず、或は衆多の論に惑いて用に適うことを知ること莫し。此れ皆上の志立たざるが故なり。

臣觀朝廷每有善政、鮮克堅守、或行之而天下不從。請舉近年一二事以明之。朝廷以今之任人未嘗選擇、一用薦舉之定式。患所舉不得其人也。故詔以飭之、非不丁寧。然而當其任者如弗聞也。陛下以爲自後所舉果得其人乎。曾少異於舊乎。又以守令數易之害治也、詔廉察之官、舉其有善政者俾之再任。于今未聞有應詔者。豈天下守令無一人有善政邪。苟誠無之、朝廷負生民、不已甚乎。且以爲善而行之、何不使天下奉承以見其效。若曰非不欲必行也、奈天下不從何。如此則是政令不行矣。將如天下何。此亦在陛下而已。苟陛下之志先立、奮其英斷以必行之、雖彊大諸侯、跋扈藩鎭、亦將震懾(徐本懾作慴。)、莫敢違也。況郡縣之吏乎。故臣願陛下以立志爲先。如臣前所陳、法先王之治、稽經典之訓、篤信而力行之、救天下深沈固結之弊、爲生民長久治安之計、勿以變舊爲難、勿以衆口爲惑、則三代之治可望於今日也。
【読み】
臣觀るに朝廷每に善政有れども、克く堅く守ること鮮く、或は之を行えども而れども天下從わず。請う近年の一二事を舉げて以て之を明かさん。朝廷今の人に任ずる未だ嘗て選擇せざるを以て、一に薦舉の定式を用う。舉ぐる所其の人を得ざることを患う。故に詔して以て之を飭[いまし]むること、丁寧ならざるには非ず。然れども其の任に當たる者聞かざるが如し。陛下以爲えらく、自後舉ぐる所果たして其の人を得たりとするか。曾て少しく舊に異なりとするか、と。又守令數々之を易うれば治を害するを以て、廉察の官に詔して、其の善政有る者を舉げて之をして再び任ぜしめんとす。今に于て未だ詔に應ずる者有ることを聞かず。豈天下の守令一人も善政有ること無けんや。苟し誠に之れ無しとせば、朝廷生民に負うこと、已甚だしからずや。且以て善にして之を行うとせば、何ぞ天下をして奉承して以て其の效を見さしめざる。若し必ず行うことを欲せざるに非ずと曰わば、天下從わざるを奈何。此の如きときは則ち是れ政令行われざるなり。將天下を如何。此れ亦陛下に在るのみ。苟も陛下の志先づ立って、其の英斷を奮って以て必ず之を行いたまわば、彊大の諸侯、跋扈の藩鎭と雖も、亦將震い懾[おそ](徐本懾を慴に作る。)れて、敢えて違くこと莫けん。況んや郡縣の吏をや。故に臣願わくは陛下志を立つるを以て先とせんことを。臣が前に陳ぶる所の如く、先王の治に法り、經典の訓を稽えて、篤信して力めて之を行って、天下深沈固結の弊を救い、生民長久治安の計を爲し、舊を變ずることを以て難しとすること勿く、衆口を以て惑うことをすること勿くんば、則ち三代の治今日に望む可し。

若曰人君所爲、不可以易、易而或失、其害則大、臣以爲不然。稽古而行、非爲易也。歷觀前史、自古以來、豈有法先王、稽訓典、將大有爲而致敗亂者乎。惟動不師古、苟安襲弊、卒至危亡者則多矣。事據昭然、無可疑也。願陛下不以臣之疏賤而易其言、則天下幸甚。
【読み】
若し人君のする所、以て易しとす可からず、易くして或は失すれば、其の害則ち大なりと曰わば、臣以爲えらく、然らず、と。古を稽えて行うは、易しとするに非ず。歷く前史を觀るに、古自り以來、豈先王に法り、訓典を稽え、將に大いにすること有らんとして敗亂を致す者有らんや。惟動[ややもす]れば古を師とせず、苟も襲弊に安んじて、卒に危亡に至る者は則ち多し。事據昭然として、疑う可き無し。願わくは陛下臣が疏賤を以て其の言を易[あなど]らずんば、則ち天下幸甚ならん。

所謂責任者、夫以海宇之廣、億兆之衆、一人不可以獨治、必賴補弼之賢、然後能成天下之務。自古聖王、未有不以求任輔相爲先者也。在商王高宗之初、未得其人、則恭默不言。蓋事無當先者也。及其得說而命之、則曰濟川作舟楫、歲旱作霖雨、和羮惟鹽梅、其相須倚賴之如是。此聖人任輔相之道也。
【読み】
所謂任を責むとは、夫れ以みるに海宇の廣き、億兆の衆き、一人以て獨治む可からず、必ず補弼の賢に賴って、然して後に能く天下の務めを成す。古自り聖王、未だ輔相に任ずることを求むるを以て先とせざる者は有らず。商王高宗の初め、未だ其の人を得ざるに在っては、則ち恭默して言わず。蓋し事當に先んずべき者無ければなり。其の說を得て之に命ずるに及んでは、則ち曰く、川を濟らば舟楫と作り、歲旱せば霖雨と作り、羮を和らぐるには惟鹽梅をせんとは、其の相須い倚り賴ること是の如し。此れ聖人輔相に任ずるの道なり。

夫圖任之道、以愼擇爲本。擇之愼、故知之明。知之明、故信之篤。信之篤、故任之專。任之專、故禮之厚而責之重。擇之愼、則必得其賢。知之明、則仰成而不疑。信之篤、則人致其誠。任之專、則得盡其才。禮之厚、則禮貌尊而其勢重。責之重、則其自任切而功有成。是故推誠任之、待以師傅之禮、坐而論道、責之以天下治、陰陽和。故當之者、自知禮尊而任專、責深而勢重、則挺然以天下爲己任。故能稱其職也。雖有姦諛巧佞、知其交深而不可閒、勢重而不可搖、亦將息其邪謀、歸附於正矣。
【読み】
夫れ任を圖るの道は、愼擇を以て本とす。之を擇ぶこと愼む、故に之を知ること明らかなり。之を知ること明らかなり、故に之を信ずること篤し。之を信ずること篤し、故に之に任ずること專らなり。之に任ずること專らなり、故に之を禮すること厚くして之を責むること重し。之を擇ぶこと愼むときは、則ち必ず其の賢を得。之を知ること明らかなるときは、則ち成ることを仰いで疑わず。之を信ずること篤きときは、則ち人其の誠を致す。之を任ずること專らなるときは、則ち其の才を盡くすことを得。之を禮すること厚きときは、則ち禮貌尊くして其の勢重し。之を責むること重きときは、則ち其の自ら任ずること切にして功成ること有り。是の故に誠を推して之に任じ、待するに師傅の禮を以てして、坐して道を論ぜしめ、之を責むるに天下の治を以てするに、陰陽和す。故に之に當たる者、自ら禮尊くして任專らに、責め深くして勢重きことを知るときは、則ち挺然として天下を以て己が任とす。故に能く其の職に稱うなり。姦諛巧佞有りと雖も、其の交わり深くして閒[へだ]つ可からず、勢重くして搖らす可からざることを知って、亦將其の邪謀を息めて、正しきに歸附す。

後之任相者異於是。其始也不愼擇。擇之不愼、故知之不明。知之不明、故信之不篤。信之不篤、故任之不專。任之不專、故禮之不厚、而責之亦不重矣。擇不愼、則不得其人。知不明、則用之猶豫。信不篤、則人懷疑慮。任不專、則不得盡其能。禮不厚、則其勢輕而易搖。責不重、則不稱其職。是故任之不盡其誠、待之不以其禮、僕僕趨走、若吏史然。文案紛冗、下行有司之事。當之者自知交不深而其勢輕、動懷顧慮、不肯自盡、上懼君心之疑、下虞羣議之奪。故蓄縮不敢有爲、苟循常以圖自安爾。君子弗願處也。姦邪之人亦知其易搖、日伺閒隙。如是其能自任以天下之重乎。
【読み】
後の相に任ずる者は是に異なり。其の始めに愼み擇ばず。之を擇ぶこと愼まず、故に之を知ること明らかならず。之を知ること明らかならず、故に之を信ずること篤からず。之を信ずること篤からず、故に之に任ずること專らならず。之に任ずること專らならず、故に之を禮すること厚からずして、之を責むること亦重からず。擇ぶこと愼まざるときは、則ち其の人を得ず。知ること明らかならざるときは、則ち之を用うること猶豫す。信ずること篤からざるときは、則ち人疑慮を懷く。任ずること專らならざるときは、則ち其の能を盡くすことを得ず。禮厚からざるときは、則ち其の勢輕くして搖らし易し。責むること重からざるときは、則ち其の職に稱わず。是の故に之に任ずること其の誠を盡くさず、之に待すること其の禮を以てせず、僕僕として趨走すること、吏史の若く然り。文案紛冗にして、下有司の事を行う。之に當たる者は自ら交わり深からずして其の勢輕きことを知って、動れば顧慮を懷いて、肯えて自ら盡くさず、上君の心に疑われんことを懼れ、下羣議に奪われんことを虞る。故に蓄縮して敢えてすること有らず、苟も常に循って以て自ら安んずることを圖るのみ。君子は處することを願わず。姦邪の人亦其の搖らし易きことを知って、日に閒隙を伺う。是の如くならば其れ能く自ら任ずるに天下の重きを以てせんや。

若曰非任之艱、知之惟艱、且何以知其賢而任之。或失其人、治亂其(徐本其作所。)繫。此人君所以難之也。臣以爲知人誠難。亦繫取之之道如何爾。皋陶爲帝舜謨曰、在知人。禹吁而難之。及其陳九德載采采、則曰底可績。蓋詢行考實、人焉廋哉。歷觀前史、自古以來、豈有履道之士、孝聞於家、行著於郷、德推於朝廷、節見於事爲、其言合聖人之道、其施蹈經典之訓、及用之於朝、反致敗亂者乎。用是而求、其有差乎。
【読み】
若し任ずること艱きに非ず、知ること惟艱しと曰わば、且何を以て其の賢を知って之に任ぜん。或は其の人を失すれば、治亂其れ(徐本其を所に作る。)繫かる。此れ人君之を難しとする所以なり。臣以爲えらく、人を知ること誠に難し。亦之を取るの道如何というに繫かるのみ。皋陶帝舜の爲に謨[はか]って曰く、人を知るに在り、と。禹吁[なげ]いて之を難しとす。其の九德を載[おこな]うこと采采[ことごと]にすと陳ぶるに及んでは、則ち底[いた]して績とす可しと曰う。蓋し行いを詢[と]い實を考えば、人焉んぞ廋[かく]さんや。歷く前史を觀るに、古自り以來、豈道を履む士、孝家に聞え、行い郷に著れ、德朝廷に推され、節事爲に見れ、其の言聖人の道に合い、其の施し經典の訓を蹈んで、之を朝に用うるに及んで、反って敗亂を致す者有らんや。是を用いて求めば、其れ差い有らんや。

若乃人君以爲賢、而用之卒敗厥事者、古亦多矣。稽迹其由、蓋取之不以其道也。大率以言事合於己心、則謂之才而用之。曾不循核本末、稽考名實、如前之云。傷明害政、不亦宜乎。四海之大、未始乏賢、誠能廣聰明、揚側陋、至誠降禮、求之以道、雖皋・虁・伊・周之比、亦可必有、賢德志道之士、皆可得而用也。
【読み】
若し乃ち人君以て賢なりと爲して、之を用いて卒に厥の事を敗る者、古亦多し。其の由を稽え迹[たづ]ぬるに、蓋し之を取ること其の道を以てせざればなり。大率事を言うこと己の心に合うを以て、則ち之を才ありと謂いて之を用う。曾て本末を循核し、名實を稽考せざること、前に云うが如し。明を傷り政を害すること、亦宜ならずや。四海の大なる、未だ始めより賢に乏しからず、誠に能く聰明を廣げ、側陋までを揚げ、至誠降禮して、之を求むるに道を以てせば、皋・虁・伊・周の比と雖も、亦必ず有る可くして、賢德あり道を志すの士、皆得て用う可し。

願陛下如臣前所陳、旣堅求治之志、則以責任宰輔爲先。待之盡其禮、任之盡其誠、責之盡其職、不患其不爲、患其不能爲、不患其不能爲、患其不得爲。蓋不爲者可責之必爲、不能者可勉求而能。惟不得爲則已矣。所謂不得爲者、君臣之志不通、懷顧慮而不肯自盡。此由失待任之道也。今執政大臣皆先朝之選。天下重望、在陛下責任之而已。臣願陛下召延宰執、從容訪問、今天下之事、爲安爲危、爲治爲亂、當維持以度歲月乎、當有爲以救其弊乎。如曰當爲、則願示之以必爲之意、詢之以所爲之政、審慮之、力行之、時不可後、事不可緩也。
【読み】
願わくは陛下臣が前に陳ぶる所の如く、旣に治を求むるの志を堅くせば、則ち任を宰輔に責むるを以て先としたまえ。之に待するに其の禮を盡くし、之に任ずるに其の誠を盡くし、之を責むるに其の職を盡くして、其のせざることを患えず、其のすること能わざることを患え、其のすること能わざることを患えず、其のすることを得ざることを患えたまえ。蓋しせざる者は之を必爲に責む可く、能わざる者は勉め求めて能くす可し。惟することを得ざるときは則ち已みぬ。所謂することを得ざる者は、君臣の志通ぜず、顧慮を懷いて肯えて自ら盡くさず。此れ待任の道を失するに由れり。今執政大臣は皆先朝の選。天下の重望、陛下之に任ずることを責むるに在るのみ。臣願わくは陛下宰執を召き延き、從容として訪問したまえ、今天下の事、安しとするか危うしとするか、治まるとするか亂れるとするか、當に維持して以て歲月を度るべきか、當にすること有りて以て其の弊を救うべきか、と。如し當にすべしと曰わば、則ち願わくは之に示すに必爲の意を以てし、之に詢うにする所の政を以てして、審らかに之を慮り、力めて之を行って、時後る可からず、事緩くす可からず。

如曰非不爲也、患不能也、則天下之廣、豈無賢德。可以禮問。朝廷之上、豈無英髦。可以討論。有先王之政。可以考觀。有經典之訓。可以取則。道豈遠哉。病不求爾。在君相協心勤求力爲之而已。
【読み】
如しせざるには非ず、能くせざることを患うと曰わば、則ち天下の廣き、豈賢德無けんや。以て禮問す可し。朝廷の上、豈英髦無けんや。以て討論す可し。先王の政有り。以て考え觀る可し。經典の訓有り。以て則を取る可し。道豈遠からんや。求めざることを病むのみ。君相心を協わせて之を勤め求め力め爲すに在るのみ。

如曰無妄爲也、姑守常而已、則在陛下深思而明辨之。唐文宗之時、大權漸奪、天下將亂。而牛僧孺欺以爲治矣。史册書之。可爲明鑒。今陛下聖明、執政忠良、無是事也。願陛下不以臣之疏賤而易其言、則天下幸甚。
【読み】
如し妄りにすること無し、姑く常を守るのみと曰わば、則ち陛下深く思って明らかに之を辨ずるに在り。唐の文宗の時、大權漸奪し、天下將に亂れんとす。而るに牛僧孺欺いて以て治まれりとす。史册に之を書す。明鑒と爲す可し。今陛下聖明、執政忠良、是の事無し。願わくは陛下臣が疏賤を以てして其の言を易らずんば、則ち天下幸甚ならん。

所謂求賢者、夫古之聖王所以能致天下之治、無他術也。朝廷至於天下、公卿大夫、百職羣僚、皆稱其任而已。何以得稱其任。賢者在位、能者在職而已。何以得賢能而任之。求之有道而已。雖天下常用易得之物、未有不求而得者也。金生於山、木生於林、非匠者採伐、不登於用。況賢能之士、傑出羣類、非若山林之物廣生而無極也。非人君捜擇之有道、其可得而用乎。自昔邦家張官置吏、未嘗不取士也。顧取之之道如何爾。
【読み】
所謂賢を求むとは、夫れ古の聖王能く天下の治を致す所以は、他の術無し。朝廷より天下に至るまで、公卿大夫、百職羣僚、皆其の任に稱うのみ。何を以て其の任に稱うことを得る。賢者位に在り、能者職に在るのみ。何を以て賢能を得て之に任ずる。之を求むるに道有るのみ。天下常に用いて得易き物と雖も、未だ求めずして得る者は有らず。金山に生じ、木林に生ずるも、匠者採伐するに非ざれば、用に登らず。況んや賢能の士、羣類に傑出するは、山林の物廣く生じて極まり無きが若くに非ず。人君捜し擇ぶこと道有るに非ずんば、其れ得て用う可けんや。昔自り邦家官を張り吏を置き、未だ嘗て士を取らずんばあらず。之を取る道如何と顧みるのみ。

今取士之弊、議者亦多矣。臣不暇條析而言。大概投名自薦記誦聲律、非求賢之道爾。求不以道、則得非其賢。閒或得才、適由偶幸、非知其才而取之也。朝廷選任、盡自其中、曾不虞賢俊之棄遺於下也。果天下無遺賢邪。抑雖有之、吾姑守法於上、不足以爲意邪。將科舉所得之賢、已足致(徐本無致字。)治而不乏邪。臣以爲治天下今日之弊、蓋由此也。以今選舉之科、用今進任之法、而欲得天下之賢、興天下之治、其猶北轅適越。不亦遠乎。
【読み】
今士を取るの弊、議する者亦多し。臣條析して言うに暇あらず。大概名を投じて自ら記誦聲律を薦むるは、賢を求むるの道に非ざるのみ。求むること道を以てせざれば、則ち得ること其の賢に非ず。閒[まま]或は才を得るも、適々偶幸に由って、其の才を知って之を取るに非ざるなり。朝廷の選任、盡く其の中自りして、曾て賢俊の下に棄遺せることを虞らず。果たして天下遺れる賢無しとするや。抑々之れ有りと雖も、吾れ姑く法を上に守って、以て意とするに足らずとするや。將科舉得る所の賢、已に治を致すに(徐本致の字無し。)足りて乏しからずとするや。臣以爲えらく、天下を治むるに今日の弊、蓋し此に由れり。今の選舉の科を以てし、今の進任の法を用てして、天下の賢を得て、天下の治を興さんと欲せば、其れ猶轅を北にして越に適くがごとし。亦遠からずや。

臣願陛下如臣前所陳、旣立求治之志、又思責任之道、則以求賢爲先。苟不先得賢、雖陛下焦心勞思、將安所施。誠得天下之賢、置之朝廷、則端拱(徐本端拱作前扶。)無爲而天下治矣。此所謂勞於求賢、逸於得人也。歷觀前史、自古以來、稱治之君、有不以求賢爲事者乎。有規規守常、以資任人、而能致大治者乎。有國家之興、不由得人者乎。由此言之、用賢之驗、不其甚明。
【読み】
臣願わくは陛下臣が前に陳ぶる所の如く、旣に治を求むるの志を立て、又任を責むるの道を思い、則ち賢を求むるを以て先としたまえ。苟も賢を得ることを先んぜずんば、陛下心を焦がし思いを勞すと雖も、將安んぞ施す所あらん。誠に天下の賢を得て、之を朝廷に置かば、則ち端拱(徐本端拱を前扶に作る。)無爲にして天下治まらん。此れ所謂賢を求むるに勞し、人を得るに逸するなり。歷く前史を觀るに、古自り以來、治を稱する君、賢を求むるを以て事とせざる者有りや。規規として常を守って、以て任人に資って、能く大治を致す者有りや。國家の興る、人を得るに由らざる者有りや。此に由って之を言えば、賢を用うるの驗、其れ甚だ明らかならずや。

若曰非不欲賢也、病求之之難也、臣以爲不然。夫以人主之勢、心之所嚮、天下風靡景從。設若珍禽異獸瓌寶奇玩之物、雖遐方殊域之所有、深山大海之所生、志所欲者、無不可致。蓋上心所好、奉之以天下之力也。若使存好賢之心如是、則何巖穴之幽不可求、何山林之深不可致。所患好之不篤爾。
【読み】
若し賢を欲せざるには非ず、之を求むるの難きを病むと曰わば、臣以爲えらく、然らず、と。夫れ以みるに人主の勢、心の嚮かう所、天下風のごとく靡き景のごとく從う。設い珍禽異獸瓌寶奇玩の物の若き、遐方殊域の有る所、深山大海の生ずる所と雖も、志の欲する所の者は、致す可からずということ無し。蓋し上の心の好む所は、之を奉ずるに天下の力を以てすればなり。若し賢を好むの心を存すること是の如くならしめば、則ち何ぞ巖穴の幽[ふか]き求む可からず、何ぞ山林の深き致す可からざらん。患うる所は之を好むこと篤からざるのみ。

夫人君用賢、亦賴公卿大臣推援薦達之力。今朝廷未嘗求賢、公卿大臣亦不以求賢取士爲意。相先引彙、世所罕聞、訪道求師、貴達所恥、大率以爲任己可也、士將安補、今世無賢、求之何益。夫以周公之聖、其自任足矣。尙汲汲求賢以自輔也。以其聖且好賢、知人之明。宜天下之賢皆爲之用、莫有遺也。尙乃日不暇食(徐本食作給。)、恐失天下之士。後之人其才不及周公、而自謂足矣、不求賢以自輔也。以其不求、且知之不明。宜賢者在下之多也。乃曰天下無賢矣。噫、何其用心(徐本心作意。)與周公異也。欲其助皇明燭幽隱、不可得也。
【読み】
夫れ人君の賢を用うるは、亦公卿大臣推援薦達の力に賴る。今朝廷未だ嘗て賢を求めず、公卿大臣も亦賢を求め士を取るを以て意とせず。相先んじて彙を引くは、世の罕に聞く所、道を訪い師を求むるは、貴達の恥づる所として、大率以爲えらく、己に任じて可なり、士將安んぞ補いあらん、今世賢無し、之を求めて何の益あらん、と。夫れ以みるに周公の聖は、其の自ら任ずること足れり。尙汲汲として賢を求めて以て自ら輔く。其の聖を以て且賢を好むは、人を知ること明らかなればなり。宜なり天下の賢皆之が爲に用いられて、遺すこと有ること莫きこと。尙乃ち日に食するに(徐本食を給に作る。)暇あらずして、天下の士を失わんことを恐る。後の人其の才周公に及ばずして、自ら足れりと謂いて、賢を求めて以て自ら輔けず。其の求めざるを以て、且之を知ること明らかならず。宜なり賢者下に在るの多きこと。乃ち曰く、天下賢無し、と。噫、何ぞ其れ心(徐本心を意に作る。)を用うること周公と異なるや。其の皇明を助け幽隱を燭らさんと欲すとも、得可からざるなり。

然亦繫上之所爲而已。陛下誠能專心致志、孜孜不倦、以求賢爲事、常恐天下有遺棄之才、朝廷之上、推賢援能者登進之、蔽賢自任者疏遠之、自然天下嚮風、自上及下、孰不以相先爲善行、薦達爲急務。捜羅(徐本羅作拔。)旣廣、雖小才片善、無所隱晦。如此則士益貴而守益堅、廉恥格而風敎厚矣。天下之賢、其有遺乎。旣得天下之賢、則天下之治不足道也。
【読み】
然れども亦上のする所に繫かるのみ。陛下誠に能く心を專らにし志を致して、孜孜として倦まず、賢を求むるを以て事とし、常に天下に遺棄の才有らんことを恐れ、朝廷の上、賢を推し能を援く者は之を登り進めて、賢を蔽い自ら任ずる者は之を疏んじ遠ざけば、自然に天下風に嚮かって、上自り下に及ぶまで、孰か以て相先んずるを善行とし、薦達するを急務とせざらん。捜羅(徐本羅を拔に作る。)旣に廣きときは、小才片善と雖も、隱晦する所無けん。此の如きときは則ち士益々貴くして守り益々堅く、廉恥格して風敎厚からん。天下の賢、其れ遺すこと有らんや。旣に天下の賢を得ば、則ち天下の治は道うに足らず。

今世人情淺近、積慣成俗。朝廷進人、苟循常法、則雖千百而取、羣伍而用、庸惡混雜、曾不以爲非。設或拔一賢、進一善、出於不次、則求摭小差、衆議囂沸。如眞廟擢种放、先朝用范仲淹是也。設非君心篤信、寧免疑惑。反自以爲過。此所以非常之舉、曠久不行也。伏見近日陛下不由言、薦擢范純仁置之言路。在今世爲非常之舉。純仁名臣之子、有才名、在位多言其能。陛下擢之、當也。然臣願陛下自信、勿疑純仁果賢、則陛下知人之明也。如用之而無顯效、則亦曰吾勞心任人、雖未得其效、亦無愧於天下矣。設或大敗厥職、則亦曰吾知之失也。當益務選擇、期於得人爾。蓋拔十得五才、不可勝用。求賢而失、尙愈於不求。誠持是心、何患不得賢也。方陛下用純仁、識者皆喜。臣獨憂之。何者、陛下始奮英斷拔一人。誠恐或有差失。遂抑聖心、以爲專守常規、可以無過、不復以簡擢爲意、則天下將何望焉。此在陛下自信勿疑而已。願陛下不以臣之疏賤而易其言、則天下幸甚。
【読み】
今世人情淺近、積み慣れて俗を成す。朝廷の人を進むる、苟も常法に循わば、則ち千百にして取り、羣伍にして用うと雖も、庸惡混雜して、曾て以て非とせず。設し或は一賢を拔き、一善を進むること、不次に出ては、則ち小差を求め摭[ひろ]って、衆議囂沸[ごうふつ]せん。眞廟种放を擢[あ]げ、先朝范仲淹を用うるが如き是れなり。設し君の心篤く信ずるに非ずんば、寧ろ疑惑を免れんや。反って自ら以て過つことをせん。此れ非常の舉、曠しく久しく行われざる所以なり。伏して見るに近日陛下言に由らずして、范純仁を薦擢して之を言路に置く。今世に在って非常の舉とす。純仁は名臣の子にして、才名有り、在位多く其の能を言う。陛下之を擢ぐること、當たれり。然れども臣願わくは陛下自ら信じて、純仁の果たして賢なることを疑うこと勿くんば、則ち陛下人を知るの明なり。如し之を用いて顯效無きときは、則ち亦曰わん、吾れ心を任人に勞す、未だ其の效を得ずと雖も、亦天下に愧づること無し、と。設し或は大いに厥の職を敗るときは、則ち亦曰わん、吾れ之を知ること失せり、と。當に益々選擇を務めて、人を得るを期すべきのみ。蓋し十を拔いて五才を得ば、勝げて用う可からず。賢を求めて失するは、尙求めざるに愈れり。誠に是の心を持せば、何ぞ賢を得ざることを患えん。陛下純仁を用うるに方って、識者皆喜ぶ。臣獨り之を憂う。何となれば、陛下始めて英斷を奮って一人を拔く。誠に恐れらくは或は差失有らんことを。遂に聖心を抑えて、以て專ら常規を守り、以て過ち無かる可しと爲して、復簡擢を以て意とせざれば、則ち天下將何をか望まん。此れ陛下自ら信じて疑うこと勿きに在るのみ。願わくは陛下臣が疏賤を以て其の言を易らずんば、則ち天下幸甚ならん。

臣前所陳三者、治天下之本也。臣非不知有興利除害之方、安國養民之術、邊境備禦之策、敎化根本之論、可以爲陛下陳之。顧三者不先、徒虛言爾。三者旣行、不患爲之無術也。願陛下以社稷爲心、以生民爲念、鑒苟安之弊、思永世之策、賜之省覽、察其深誠。萬一有毫髮之補於聖朝、臣雖被妄言之誅、無所悔恨。昔賈誼爲漢文言治亂。漢文不能用。百世之下爲譏病(徐本無病字。)。願陛下勿使後之視今、猶今之視昔、則天下不勝幸甚。狂瞽之言、惟聖明裁恕。干冒宸嚴、臣無任兢皇戰汗、激切屛營之至。
【読み】
臣前に陳ぶる所の三つの者は、天下を治むる本なり。臣利を興し害を除くの方、國を安んじ民を養うの術、邊境備禦の策、敎化根本の論、以て陛下の爲に之を陳ぶる可き有ることを知らざるには非ず。顧みるに三つの者先んぜざれば、徒に虛言のみ。三つの者旣に行わるれば、之をするに術無きことを患えず。願わくは陛下社稷を以て心と爲し、生民を以て念いと爲し、苟も安んずるの弊を鑒み、永世の策を思い、之が省覽を賜い、其の深き誠を察したまえ。萬一毫髮の聖朝に補える有れば、臣妄言の誅を被ると雖も、悔い恨む所無からん。昔賈誼漢文の爲に治亂を言う。漢文用うること能わず。百世の下譏病(徐本病の字無し。)を爲す。願わくは陛下後の今を視ること、猶今の昔を視るがごとくならしむること勿くんば、則ち天下幸甚に勝えじ。狂瞽の言、惟聖明裁恕したまえ。宸嚴を干冒して、臣兢皇戰汗、激切屛營の至りに任うること無し。


爲家君上神宗皇帝論薄葬書(治平四年)
【読み】
家君の爲に神宗皇帝に上って葬を薄くせんことを論ずる書(治平四年)

具位臣程珦皇恐昧死、再拜上書皇帝陛下。臣聞孝莫大於安親、忠莫先於愛主。人倫之本、無越於斯。人無知愚、靡不知忠孝之爲美也。然而不得其道則反害之。故自古爲君者、莫不欲孝其親。而多獲不孝之譏。爲臣者、莫不欲忠其君。而常負不忠之罪。何則、有其心、行之不得其道也。伏惟陛下以至德承洪業、以大孝奉先帝。聖心切至、天下共知。然臣以疏賤、復敢區區冒萬死以進其說者、願陛下以至孝之心盡至孝之道、鑑歷古之失、爲先帝深慮、則天下臣子之心無不慰安。
【読み】
具位臣程珦皇恐昧死、再拜して書を皇帝陛下に上る。臣聞く、孝は親を安んずるより大なるは莫く、忠は主を愛するより先なるは莫し、と。人倫の本、斯に越ゆること無し。人知愚と無く、忠孝の美爲ることを知らざるは靡し。然れども其の道を得ざるときは則ち反って之を害す。故に古自り君爲る者、其の親に孝することを欲せざるは莫し。而れども多くは不孝の譏りを獲。臣爲る者、其の君に忠することを欲せざるは莫し。而れども常に不忠の罪を負う。何となれば則ち、其の心有れども、之を行うこと其の道を得ざればなり。伏して惟みるに陛下至德を以て洪業を承け、大孝を以て先帝に奉ず。聖心切に至ること、天下共に知る。然るに臣疏賤を以て、復敢えて區區として萬死を冒して以て其の說を進むる者は、願わくは陛下至孝の心を以て至孝の道を盡くし、歷古の失を鑑みて、先帝の爲に深く慮りたまうときは、則ち天下の臣子の心慰安せずということ無からん。

所謂歷古之失、臣觀秦・漢而下、爲帝王者、居天下之尊、有四海之富、其生也奉養之如之何、其亡也安厝之如之何。然而鮮克保完其陵墓者、其故何哉。獨魏文帝、唐太宗所傳嗣君、能盡孝道、爲之永慮、至今安全、事迹昭然、存諸簡策。嗚呼、二嗣君不苟爲崇侈以徇己意、乃以安親爲心。可謂至孝矣。漢武之葬、霍光秉政、暗於大體、奢侈過度、至使陵中不復容物。赤眉之亂、遂見發掘。識者謂赤眉之暴、無異光自爲之。爲其不能深慮以致後害也。二君從儉、後世不謂其不孝。霍光厚葬、千古不免爲罪人。自古以來、觀此明鑑而不能行之者、無他、衆議難違、人情所迫爾。苟若務合常情、遂亡遠慮、是乃厚於人情而薄於先君也。不亦惑乎。
【読み】
所謂歷古の失は、臣觀るに秦・漢よりして下、帝王爲る者、天下の尊に居し、四海の富を有って、其の生けるに之を奉養すること如何、其の亡くなるに之を安厝[あんそ]すること如何にかする。然れども克く其の陵墓を保完する者鮮きは、其の故何ぞや。獨り魏の文帝、唐の太宗傳うる所の嗣君、能く孝道を盡くして、之が爲に永く慮って、今に至るまで安全、事迹昭然として、簡策に存す。嗚呼、二りの嗣君苟も崇侈を爲して以て己が意に徇わず、乃ち親を安んずるを以て心とす。至孝と謂う可し。漢武の葬、霍光政を秉り、大體に暗く、奢侈度に過ぎて、陵中をして復物を容れざらしむるに至る。赤眉の亂に、遂に發掘さるる。識者謂えらく、赤眉の暴、光自ら之を爲すに異なること無し、と。其の深く慮ること能わずして以て後の害を致すが爲なり。二君儉に從って、後世其の不孝を謂わず。霍光厚く葬って、千古罪人爲ることを免れず。古自り以來、此の明鑑を觀て之を行うこと能わざる者は、他無し、衆議違き難く、人情に迫らるるのみ。苟も若し務めて常情に合わせて、遂に遠慮亡くんば、是れ乃ち人情に厚くして先君に薄きなり。亦惑えざらんや。

魏文帝所作終制、及唐虞世南所上封事、皆足取法。其指陳深切、非所忍言。願陛下取而觀之、可以見明君賢臣所慮深遠。古人有言曰、死者無終極、國家有廢興。自昔人臣當大事之際、乃以興廢之言爲忌諱、莫敢議及如此。苟循人情、辜負往者、不忠之大者也。
【読み】
魏の文帝の作する所の終制、及び唐の虞世南が上る所の封事、皆法を取るに足れり。其の指陳深切なること、言を忍ぶ所に非ず。願わくは陛下取って之を觀たまわば、以て明君賢臣の慮る所深遠なることを見る可し。古人言えること有り曰く、死者終極無くんば、國家廢興有り、と。昔自り人臣大事に當たるの際、乃ち興廢の言を以て忌み諱むことを爲して、敢えて議し及ぼすこと莫きこと此の如し。苟も人情に循って、往者に辜負せば、不忠の大なる者なり。

臣竊慮陛下追念先帝、聖情罔極、必欲崇厚陵寢、以盡孝心。臣愚以爲、違先帝之儉德、損陛下之孝道、無益於實、有累於後、非所宜也。伏願陛下損抑至情、深爲永慮、承奉遺詔、嚴飭有司、凡百規模、盡依魏文之制、明器所須、皆以瓦木爲之、金銀銅鐵珍寶奇異之物無得入壙、然後昭示遐邇、刊之金石。如是則陛下之孝顯於無窮、陛下之明高於曠古。至於紈帛易朽之物、亦能爲患於數百年之後。漢薄后陵是也。
【読み】
臣竊かに慮るに陛下先帝を追念すること、聖情極むること罔くして、必ず陵寢を崇厚して、以て孝心を盡くさんと欲す。臣愚以爲えらく、先帝の儉德に違き、陛下の孝道を損せば、實に益無く、後に累い有って、宜しき所に非ず。伏して願わくは陛下至情を損抑して、深く永慮を爲し、遺詔を承奉し、有司を嚴飭して、凡百の規模、盡く魏文の制に依り、明器の須[もち]うる所、皆瓦木を以て之を爲し、金銀銅鐵珍寶奇異の物壙に入るることを得ること無く、然して後に昭らかに遐邇に示して、之を金石に刊[きざ]みたまえ。是の如くなるときは則ち陛下の孝無窮に顯れ、陛下の明曠古に高からん。紈帛[がんはく]朽ち易き物に至ってすら、亦能く患えを數百年の後に爲す。漢の薄后の陵是れなり。

或曰、山陵崇大、雖使無藏、安能信於後世。臣以爲、不然。天下旣知之、後世必知之。臣嘗遊秦中、歷觀漢・唐諸陵、無有完者。惟昭陵不犯。陵旁居人尙能道當日儉素之事。此所以歷數百年、屢經寇亂而獨全也。夫臣之於君、猶子之於父。豈有陛下欲厚其親、而臣反欲薄於其君乎。誠以厚於先帝、無厚於此者也。遺簪墜履、尙當保而藏之、不敢不恭。況於園陵、得不窮深極遠以慮之乎。
【読み】
或るひと曰く、山陵崇大、雖使[たと]い藏むること無くんば、安んぞ能く後世に信ぜられん、と。臣以爲えらく、然らず、と。天下旣に之を知れば、後世必ず之を知る。臣嘗て秦中に遊んで、歷く漢・唐の諸陵を觀るに、完き者有ること無し。惟昭陵のみ犯されず。陵旁の居人尙能く當日儉素の事を道う。此れ數百年を歷、屢々寇亂を經て獨り全き所以なり。夫れ臣の君に於るは、猶子の父に於るがごとし。豈陛下其の親に厚くせんことを欲して、臣反って其の君に薄くせんと欲すること有らんや。誠に以て先帝に厚くせんこと、此より厚き者は無し。遺簪墜履も、尙當に保って之を藏めば、敢えて恭しくせずんばあらず。況んや園陵に於て、深きを窮め遠きを極めて以て之を慮らざることを得んや。

陛下嗣位方初、羣臣畏威。臣苟不言必慮、無敢言者。陛下以臣言爲妄而罪之、則臣死且不悔。以臣言爲是而從之、則可以爲先帝之福、大陛下之孝。安天下之心、示萬世之法、所補豈不厚哉。臣哀誠内激、言意狂率。願陛下詳覽而深察之、天下不勝大願。臣無任踰越狂狷恐懼之極。臣昧死頓首謹言。
【読み】
陛下嗣位初めに方って、羣臣威を畏る。臣苟も言わずして必ず慮らば、敢えて言う者無けん。陛下臣が言を以て妄なりと爲して之を罪せば、則ち臣死すとも且悔いず。臣が言を以て是なりと爲して之に從いたまわば、則ち以て先帝の福を爲し、陛下の孝を大にす可し。天下の心を安んじ、萬世の法を示さば、補う所豈厚からざらんや。臣哀誠内に激して、言意狂率なり。願わくは陛下詳らかに覽て深く之を察したまわば、天下大願に勝えじ。臣踰越狂狷恐懼の極みに任うること無し。臣昧死頓首して謹んで言す。


代呂公著應詔上神宗皇帝書(熙寧八年十月)
【読み】
呂公著に代わって詔に應じて神宗皇帝に上る書(熙寧八年十月)

伏覩今月十三日詔勑、以彗出東方、許中外臣僚直言朝廷闕失。臣自言事得罪、久去朝廷、無所補報、退就閑冗、尙敢區區以言自進者、誠見陛下寅畏天命、有恐懼修省之意、草萊之人、尙思效其忠懇。況臣世荷國恩、久忝近侍。雖罪釁之餘、敢不竭其愚誠、以應明詔。
【読み】
伏して覩るに今月十三日の詔勑に、彗東方に出るを以て、中外の臣僚朝廷の闕失を直言することを許したまう。臣事を言いて罪を得し自り、久しく朝廷を去って、補い報ゆる所無く、退いて閑冗に就いて、尙敢えて區區として言を以て自ら進む者は、誠に陛下天命を寅み畏れて、恐懼修省の意有るを見て、草萊の人すら、尙其の忠懇を效[いた]さんことを思う。況んや臣世々國恩を荷って、久し近侍を忝くす。罪釁[ざいきん]の餘と雖も、敢えて其の愚誠を竭くして、以て明詔に應ぜざらんや。

臣伏觀前史所載、彗之爲變多矣。鮮有無其應者。蓋上天之意、非徒然也。今陛下旣有警畏之心、當思消弭之道。且以今日之變、孰從而來。書曰、天視自我民視、天聽自我民聽。豈非政之所致歟。如曰非政之由、則經爲誣矣。臣復何言。詔之所求、亦爲虛設。若以爲政之所致、則改以(一作而。)順天、在陛下而已。晏子所謂可祝而來、亦可禳而去也。傳曰、天之有彗、以除穢也。又曰、所以除舊布新。臣願陛下祗若天戒、思當除者何事、而當新者何道。如曰舊政旣善、無所可除、則天爲誣矣。臣復何言。若以爲當求自新、則在陛下思之而已。
【読み】
臣伏して觀るに前史載する所、彗の變を爲すこと多し。其の應無き者有ること鮮し。蓋し上天の意、徒然に非ざればなり。今陛下旣に警み畏るるの心有らば、當に消弭の道を思いたまうべし。且以みるに今日の變、孰從り來るや。書に曰く、天の視ることは我が民に自って視る、天の聽くことは我が民に自って聽く、と。豈政の致す所に非ざるや。如し政の由に非ずと曰わば、則ち經を誣とす。臣復何をか言わん。詔の求むる所も、亦虛設とす。若し以て政の致す所とせば、則ち改めて以て(一に而に作る。)天に順うこと、陛下に在るのみ。晏子謂う所の祝して來る可く、亦禳って去る可きなり。傳に曰く、天の彗有るは、以て穢れを除かんとなり、と。又曰く、舊を除[さ]り新を布く所以なり、と。臣願わくは陛下祗んで天の戒めの若くにして、當に除るべき者何事にして、當に新たにすべき者何の道ということを思いたまえ。如し舊政旣に善にして、除る可き所無しと曰わば、則ち天を誣とす。臣復何をか言わん。若し以て當に自ら新たにすることを求むべしとせば、則ち陛下之を思うに在るのみ。

自非大無道之世。何嘗不遇災而懼。然而能自新者蓋寡。大率蔽於所欲、惑於所任、明不足以自辨也。視是而爲非、以邪而爲正、敗亡至而不寤、天亦不能戒也。豈其惡存而好亡、憎治而喜亂哉。亦惑而不能辨爾。臣以爲辨之非艱。顧不得其道也。誠能省己之存心、考己之任人、察己之爲政、思己之自處、然後質之人言、何惑之不可辨哉。能辨其惑、則知所以應天自新之道矣。臣請爲陛下辨之。
【読み】
自づから大いに道無きの世に非ず。何ぞ嘗て災に遇って懼れざらん。然れども能く自ら新たにする者は蓋し寡し。大率所欲に蔽われ、所任に惑わされて、明以て自ら辨ずるに足らざればなり。是を視て非と爲し、邪を以て正と爲し、敗亡至れども寤[さと]らざるは、天も亦戒むること能わず。豈其れ存を惡んで亡を好み、治を憎んで亂を喜ばんや。亦惑いて辨ずること能わざるのみ。臣以爲えらく、之を辨ずること艱きに非ず、と。顧みるに其の道を得ざればなり。誠に能く己が心を存することを省み、己が人に任ずることを考え、己が政を爲すことを察し、己が自ら處することを思って、然して後に之を人の言に質さば、何の惑いか之れ辨ず可からざらんや。能く其の惑いを辨ずるときは、則ち天に應じて自ら新たにする所以の道を知る。臣請う、陛下の爲に之を辨ぜん。

所謂省己之存心者、人君因億兆以爲尊。其撫之治之之道、當盡其至誠惻怛之心、視之如傷、動敢不愼。兢兢然惟懼一政之不順於天、一事之不合於理。如此、王者之公心也。若乃恃所據之勢、肆求欲之心、以嚴法令、舉條綱爲可喜、以富國家、强兵甲爲自得、銳於作爲、快於自任、貪惑至於如此、迷錯豈能自知。若是者、以天下徇其私欲者也。勤身勞力、適足以致負(一作貪。)敗。夙興夜寐、適足以招後悔。以是而致善治者、未之聞也。願陛下内省於心、有近於是者乎。苟有之、則天之所戒也。當改而自新者也。
【読み】
所謂己が心を存することを省みるとは、人君は億兆に因って以て尊爲り。其の之を撫し之を治むる道、當に其の至誠惻怛の心を盡くすべく、之を視ること傷めるが如くにして、動くこと敢えて愼まざらんや。兢兢然として惟一政の天に順わず、一事の理に合わざることを懼る。此の如きは、王者の公心なり。若し乃ち據る所の勢を恃み、求め欲するの心を肆にして、法令を嚴にして、條綱を舉ぐるを以て喜ぶ可しとし、國家を富まし、兵甲を强くするを以て自ら得るとし、作爲に銳く、自ら任ずるに快くして、貪惑此の如きに至らば、迷錯豈能く自ら知らんや。是の若きは、天下を以て其の私欲に徇う者なり。身を勤め力を勞すとも、適に以て負(一に貪に作る。)敗を致すに足れり。夙に興き夜寐ぬとも、適に以て後悔を招くに足れり。是を以て善治を致す者は、未だ之を聞かざるなり。願わくは陛下内心に省みたまうに、是に近き者有らんや。苟も之れ有らば、則ち天の戒むる所なり。當に改めて自ら新たにすべき者なり。

所謂考己之任人者、夫王者之取人、以天下之公而不以己、求其見正而不求其從欲。逆心者求諸道、巽志者察其非。尙孜孜焉懼或失也。此王者任人之公也。若乃喜同而惡異、偏信而害明、謂彼所言者吾之所大欲也。悅而望之、信而惑之、至於甚惡而不察、恣欺而不悟。推是而往、鹿可以爲馬矣。願陛下考己之任人、有近於是者乎。苟有之、則天之所戒也。當改而自新者也。
【読み】
所謂己が人に任ずることを考うとは、夫れ王者の人を取る、天下の公を以てして己を以てせず、其の正しきを見ることを求めて其の欲に從うことを求めず。心に逆う者は諸を道に求め、志に巽[したが]う者は其の非を察す。尙孜孜焉として或は失せんことを懼る。此れ王者人に任ずるの公なり。若し乃ち同じきを喜んで異なるを惡み、信を偏にして明を害すれば、彼が言う所の者は吾が大いに欲する所なりと謂わん。悅んで之を望み、信じて之に惑いて、甚だ惡けれども而れども察せず、恣に欺けども而れども悟らざるに至る。是より而往を推すに、鹿以て馬と爲す可し。願わくは陛下己が人に任ずることを考えたまうに、是に近き者有らんや。苟も之れ有らば、則ち天の戒むる所なり。當に改めて自ら新たにすべき者なり。

方陛下思治之初、未有所偏主、好惡取舍一以公議、天下謂之賢、陛下從而賢之者衆矣。進之於朝亦多矣。及乎旣有爲也、皆以不合而去之、更用後來之人。皆昔未嘗以爲賢者也。然後議論無違、始之所賢者皆愚、始之未嘗賢者皆賢。此爲天下之公乎。己意之私乎。自論議無違之後、逆耳怫心之言亦罕聞矣。夫以居至尊之位、負出世之資、而不聞怫逆之言、可懼之大者也。知人之難、雖至明不能無失。然至於朝合則爲不世之賢、暮隙則有(一作爲。)無窮之罪、顚錯亦已甚矣。在任人之道當改亦明矣。
【読み】
陛下治を思うの初めに方って、未だ偏主する所有らず、好惡取舍一に公を以て議して、天下之を賢と謂いて、陛下從って之を賢とする者衆し。之を朝に進むることも亦多し。旣にすること有るに及んで、皆合わざるを以て之を去って、更に後來の人を用う。皆昔未だ嘗て以て賢とせざる者なり。然して後に議論違うこと無くして、始めの賢とする所の者皆愚に、始めの未だ嘗て賢とせざる者皆賢なり。此れ天下の公とせんや。己が意の私か。論議違うこと無きの後自り、耳に逆い心に怫[もと]る言亦聞くこと罕なり。夫れ以みるに至尊の位に居し、出世の資を負って、怫逆の言を聞かざるは、懼る可きの大なる者なり。人を知ることの難き、至明と雖も失無きこと能わず。然も朝合えば則ち不世の賢と爲し、暮に隙あれば則ち無窮の罪有るに(一に爲に作る。)至るは、顚錯亦已に甚だし。人に任ずるの道に在って當に改めて亦明らかにすべし。

所謂察己之爲政者、爲政之道、以順民心爲本、以厚民生爲本、以安而不擾爲本。陛下以今日之事、方於卽位之初、民心爲歡悅乎、爲愁怨乎、民生爲阜足乎、爲窮蹙乎、政事爲安之乎、爲擾之乎。億兆之口非不能言也。顧恐察之不審爾。苟有不察、則天之所戒也。當改而自新者也。
【読み】
所謂己が政を爲すことを察すとは、政を爲すの道は、民心に順うを以て本と爲し、民生を厚くするを以て本と爲し、安んじて擾[みだ]れざるを以て本と爲す。陛下今日の事を以てするに、卽位の初めに方って、民心歡悅すとするか、愁怨すとするか、民生阜足すとするか、窮蹙すとするか、政事之を安んずとするか、之を擾るとするか。億兆の口言うこと能わざるに非ず。顧みるに之を察すること審らかならざることを恐るるのみ。苟も察せざること有らば、則ち天の戒むる所なり。當に改めて自ら新たにすべき者なり。

所謂思己之自處者、聖人謂、亡者保其存者也、亂者有其治者也。陛下必不以斯言爲妄。自古以來、何嘗有以危亡爲憂而至危亡者乎。惟其自謂治安而危亡卒至者則多矣。不識陛下平日自處、以天下爲如何。聖心所自知也。苟有憂危恐懼之心、常慮所任者非其人、所由者非其道、唯恐不聞天下之言。如此則聖王保天下之心也。上帝其鑒之矣。或以爲已安且治、所任者當矣、所爲者至矣、天下之言不足恤矣、如此則天之所戒也。當改而自新者也。
【読み】
所謂己が自ら處することを思うとは、聖人謂く、亡は其の存を保つ者なり、亂は其の治を有つ者なり、と。陛下必ず斯の言を以て妄とせざれ。古自り以來、何ぞ嘗て危亡を以て憂えと爲して危亡に至る者有らんや。惟其れ自ら治むること安きなりと謂いて危亡卒に至る者は則ち多し。識らず、陛下平日自ら處するに、天下を以てすること如何とかする。聖心自ら知る所なり。苟も憂危恐懼の心有って、常に任ずる所の者其の人に非ず、由る所の者其の道に非ざることを慮って、唯天下の言を聞かざらんことを恐れたまえ。此の如きは則ち聖王天下を保つの心なり。上帝其れ之を鑒ん。或は以て已に安んじて且つ治まり、任ずる所の者當たり、する所の者至れり、天下の言恤うるに足らずとせば、此の如きは則ち天の戒むる所なり。當に改めて自ら新たにすべき者なり。

所謂質之人言者、當有其方。欲詢之於衆人乎。衆人之言可使同也。欲訪之下民乎。下民之言亦可爲也。察之以一人之心、而蔽之以衆人之智、其可勝乎。是不足以辨惑、而足以固其蔽爾。臣以爲在外一二老臣、事先朝數十年、久當大任、天下共知其非欺妄人也、知其非覆敗邦家者也。臣願陛下禮而問之、宜可信也。及天下所謂賢人君子、陛下聞之於有爲之前、而不在今日利害之閒者、亦可訪也。以是數者參考之、則所當改者何事、所當新者何道、固可見矣。
【読み】
所謂之を人の言に質すとは、當に其の方有るべし。之を衆人に詢[と]わんと欲するか。衆人の言同じからしむ可し。之を下民に訪わんと欲するか。下民の言亦爲す可し。之を察するに一人の心を以てして、之を蔽うに衆人の智を以てせば、其れ勝う可けんや。是れ以て惑いを辨ずるに足らずして、以て其の蔽を固くするに足れるのみ。臣以爲えらく、外に在る一二の老臣、先朝に事うること數十年、久しく大任に當たって、天下共に其の欺妄の人に非ざることを知り、其の邦家を覆敗する者に非ざることを知る。臣願わくは陛下禮して之に問いて、宜しく信ず可し。及び天下の所謂賢人君子は、陛下之をすること有るの前に聞いて、今日利害の閒に在らざる者も、亦訪う可し。是の數者を以て之を參え考えば、則ち當に改むべき所の者何事ぞ、當に新たにすべき所の者何の道ぞということ、固に見る可し。

天下之人、一聞詔音、莫不鼓舞相慶、謂陛下必能上應天心、召迎和氣。臣以爲唯至誠可以動天、在陛下誠意而已。昔在商王中宗之時有桑穀之祥、高宗之時有雊雉之異、二王以爲懼而修政、遂致王道復興、皆爲商宗。百世之下頌其聖明。近世以來、引咎之詔、自新之言、亦常有之、倘人君不由於至誠、則天下徒以爲虛語。其能感天心弭災變乎。臣願陛下因此天戒、奮然改爲、思商宗之休實、鑑後代之虛飾、不獨消復災沴於今日、將永保丕基於無窮。天下幸甚。
【読み】
天下の人、一たび詔音を聞いて、鼓舞して相慶ばずということ莫くして、謂わん、陛下必ず能く上天心に應じて、和氣を召き迎えん、と。臣以爲えらく、唯至誠以て天を動かす可きこと、陛下の誠意に在るのみ、と。昔商王中宗の時桑穀の祥有り、高宗の時雊雉の異有り、二王以て懼るることを爲して政を修めて、遂に王道復興ることを致して、皆商の宗と爲る。百世の下其の聖明を頌す。近世以來、引咎の詔、自新の言、亦常に之れ有れども、倘[も]し人君至誠に由らずんば、則ち天下徒に以て虛語と爲さん。其れ能く天心を感じて災變を弭[や]めんや。臣願わくは陛下此の天の戒めに因って、奮然として改爲して、商宗の休實を思い、後代の虛飾を鑑みば、獨り災沴を今日に消復するのみにあらず、將に永く丕基を無窮に保たんとす。天下の幸甚なり。


代富弼上神宗皇帝論永昭陵疏(元豐三年)
【読み】
富弼に代わって神宗皇帝に上って永昭陵を論ずる疏(元豐三年)

臣弼伏睹太皇太后山陵有期、老臣之心有所甚切、不忍不言、昧死以聞。惟陛下深思而力行之、不勝大願。往者營奉昭陵時、英宗皇帝方不豫、未能聽事、朝廷罔然不知其制、失於迫卒、不復深慮博訪、凡百規畫、一出匠者之拙謀、中人之私意、以巨木架石爲之屋、計不百年、必當損墜。壙中又爲鐵罩、重且萬斤、以木爲骨、大止數寸、不過二三十年、決須摧毀。梓宮之厚度不盈尺、異日以億萬鈞之石、自高而墜、其將奈何。思之及此、骨寒膽喪。臣始則不知其詳、後則無以爲計。士民之閒有知之者、無不痛心飲恨。況老臣之心乎。況陛下之心乎。
【読み】
臣弼伏して睹るに太皇太后の山陵期有り、老臣の心甚だ切なる所有り、言わざるに忍びず、昧死して以て聞す。惟陛下深く思って之を力め行いたまわば、大願に勝えず。往者[さき]に昭陵を營奉する時、英宗皇帝方に不豫にして、未だ事を聽きたまうこと能わず、朝廷罔然として其の制を知らず、迫卒に失して、復深く慮り博く訪わず、凡百の規畫、一に匠者の拙謀、中人の私意に出て、巨木を以て石を架して之が屋を爲せば、計るに百年ならずして、必ず當に損墜すべし。壙中も又鐵罩[てっとう]を爲し、重さ且に萬斤ならんとし、木を以て骨と爲し、大きさ止數寸、二三十年を過ぎずして、決して須く摧毀すべし。梓宮の厚さ度るに尺に盈たず、異日億萬鈞の石を以て、高き自りして墜とさば、其れ將に奈何にせんとす。之を思うこと此に及べば、骨寒え膽喪う。臣始めは則ち其の詳らかなることを知らず、後は則ち以て計を爲すべきこと無し。士民の閒之を知る者有るも、心を痛ましめ恨みを飮まずということ無し。況んや老臣の心をや。況んや陛下の心をや。

其後厚陵始爲石藏。議者竊意、主事大臣已悟昭陵之事、獨陛下未知之爾。今也不幸、太皇太后奄棄天下之養。因此事、會當爲之謀。竊以周公制合葬之禮、仲尼善魯人之祔。歷代諸陵、雖不盡用、亦多行之。太祖皇帝神謀聖慮、超越萬古、昭憲太后亦合安陵。夫以周公之制、仲尼之訓、歷代之舊、藝祖之法、循而行之、可無疑也。老臣願陛下思安親之道、爲後日之慮、決於聖心、勿循浮議、奉太皇太后合祔昭陵、因得徹去鐵罩、用厚陵石藏之制、仍更別加裁處、使異日雖木壞石墜、不能爲害、救仁皇必至之禍、成陛下莫大之孝。復何難哉。在陛下斷之而已。
【読み】
其の後厚陵始めて石藏を爲す。議する者竊かに意えらく、事を主る大臣已に昭陵の事を悟れども、獨陛下未だ之を知らざるのみ。今や不幸にして、太皇太后奄[たちま]ち天下の養を棄てたまう。此の事に因って、會[かなら]ず當に之が謀を爲すべし、と。竊かに以みるに周公合葬の禮を制し、仲尼魯人の祔を善しとす。歷代の諸陵、盡く用いずと雖も、亦多くは之を行う。太祖皇帝神謀聖慮、萬古に超越したまうも、昭憲太后亦安陵に合す。夫れ以みるに周公の制、仲尼の訓、歷代の舊、藝祖の法、循って之を行って、疑い無かる可し。老臣願わくは陛下親を安んずるの道を思い、後日の慮りを爲し、聖心を決し、浮議に循うこと勿くして、太皇太后を奉じて昭陵に合祔し、因りて鐵罩を徹去することを得て、厚陵石藏の制を用い、仍って更に別に裁處を加えて、異日木壞石墜すと雖も、害を爲すこと能わざらしめて、仁皇必至の禍を救い、陛下莫大の孝を成したまえ。復何ぞ難からんや。陛下之を斷ずるに在るのみ。

旣合禮典、又順人情、雖無知之人必不敢以爲非是。但恐有以陰陽拘忌之說上惑聰明者、在陛下睿斷、不難辨也。不遵聖訓、不度事宜、而規規於拘忌者、爲賢乎、爲愚乎。且陰陽之說、設爲可信、吉凶之應、貴賤當同。今天下臣庶之家、夫婦莫不同穴、未聞以爲忌也。獨國家忌之、有何義理。唐中宗庸昏之主、尙能守禮法、盡孝心、責嚴善思愚惑之論、卒祔乾陵。其後高宗子孫歷世延永。是合葬非不利也。老臣位至三公、年將八十。復何求哉。所保者名節而已。肯以不是事勸陛下取譏於後世乎。
【読み】
旣に禮典に合い、又人情に順えば、無知の人と雖も必ず敢えて以て是に非ずとせず。但恐れらくは陰陽拘忌の說を以て上聰明を惑わす者有って、陛下の睿斷、難辨せざるに在るなり。聖訓に遵わず、事の宜しきを度らずして、拘忌に規規たる者、賢とせんや、愚とせんや。且つ陰陽の說、設し信ず可しとせば、吉凶の應、貴賤當に同じかるべし。今天下臣庶の家、夫婦同穴せずということ莫く、未だ以て忌むとすることを聞かず。獨り國家之を忌みたまうは、何の義理有る。唐の中宗庸昏の主すら、尙能く禮法を守り、孝心を盡くして、嚴しく善思愚惑の論を責めて、卒に乾陵に祔す。其の後高宗の子孫歷世延永なり。是れ合葬利あらざるに非ざるなり。老臣位三公に至り、年將に八十にならんとす。復何を求めんや。保つ所の者は名節のみ。肯えて不是の事を以て陛下を勸めて譏りを後世に取らんや。

復恐、陛下謂臣心雖忠切、而識慮愚暗、不能曉達事理。臣誠至愚。然臣所言者、欲陛下守經典之訓、遵藝祖之規、使仁宗皇帝得安全之道、於太皇太后極崇奉之意。豈獨老臣之心哉。天下之心莫不然也。陛下不信、試以臣之所陳、訪於羣臣。必無以爲非者。若以臣言爲非、則是使仁宗遺骨聖體碎於巨石之下而不恤、乃爲是也。凡有血氣之類、孰肯爲此意乎。
【読み】
復恐る、陛下臣が心忠切なりと雖も、而れども識慮愚暗にして、事理に曉達すること能わずと謂[のたま]わん。臣誠に至愚なり。然れども臣が言う所の者は、陛下經典の訓を守り、藝祖の規に遵って、仁宗皇帝をして安全の道を得せしめ、太皇太后に於て崇奉の意を極めんことを欲してなり。豈獨り老臣の心のみならんや。天下の心然らずということ莫し。陛下信ぜずんば、試みに臣が陳ぶる所を以て、羣臣に訪いたまえ。必ず以て非とする者無けん。若し臣が言を以て非とせば、則ち是れ仁宗の遺骨聖體をして巨石の下に碎けて恤えざるを、乃ち是とせん。凡そ血氣有るの類、孰か肯えて此の意をせんや。

臣事仁宗皇帝三十餘年、位至宰相。聾瞽之蔽、不能早知而救之於始、已爲大罪。今遇可爲之時、若更惜情顧己、不能極言、天地神靈、必加誅殛。死何面目見仁宗於地下。且陛下不知則已。今旣聞之、在常人之情、無可忍而不爲之理。況陛下至仁大孝乎。惟陛下深思而力行之、則天下不勝大願。
【読み】
臣仁宗皇帝に事うること三十餘年、位宰相に至る。聾瞽の蔽、早く知って之を始めに救うこと能わず、已に大いなる罪とす。今爲す可きの時に遇って、若し更に情を惜しみ己を顧みて、極言すること能わずんば、天地の神靈、必ず誅殛を加えん。死して何の面目ありて仁宗に地下に見えんや。且つ陛下知らずんば則ち已みぬ。今旣に之を聞いては、常人の情に在ってすら、忍んでせざる可きの理無し。況んや陛下の至仁大孝をや。惟陛下深く思って之を力め行いたまえば、則ち天下大願に勝えじ。

富公見托爲此奏。頤以拙於文辭、辭之再三、其意甚切、義不可拒。數日之閒、遂生顧慮、不克上。惜乎其不果於義也。遂爲忠孝罪人。
【読み】
富公に托せられて此の奏を爲る。頤文辭に拙きを以て、之を辭すること再三なれども、其の意甚だ切にして、義拒む可からず。數日の閒、遂に顧慮を生じて、上ること克わず。惜しいかな其の義に果たさざること。遂に忠孝の罪人と爲る。


二程全書卷之六十  伊川先生文二

表疏

辭免西京國子監敎授表(元豐八年十一月)
【読み】
西京の國子監敎授を辭免する表(元豐八年十一月)

臣頤言、今月日準汝州牒、送到官誥一道。伏蒙聖恩、授臣汝州團練推官、充西京國子監敎授者。臣愚陋小儒、晦處草野。忽承明命、不任震驚(中謝。)
【読み】
臣頤言[もう]す、今月日汝州の牒に準じて、官誥一道を送到す。伏して聖恩を蒙って、臣に汝州の團練推官を授けられ、西京の國子監敎授に充てらるる者あり。臣は愚陋の小儒、草野に晦處す。忽ち明命を承けて、震驚に任[た]えず(中謝。)。

伏念臣才識迂疏、學術膚淺、自治不足、焉能敎人。豈敢貪冒寵榮、致朝廷於過舉。所降誥命、不敢當受。謹奉表辭免以聞。
【読み】
伏して念うに臣才識迂疏に、學術膚淺にして、自ら治むるすら足らず、焉んぞ能く人を敎えん。豈敢えて寵榮を貪り冒して、朝廷を過舉に致さんや。降す所の誥命、敢えて受くるに當たらず。謹んで表を奉って辭免して以て聞す。


再辭免表
【読み】
再び辭免する表

臣頤言、今月日準汝州牒、備到尙書禮部符。奉聖旨、不許辭免恩命者(中謝。)
【読み】
臣頤言す、今月日汝州の牒に準じて、備えて尙書禮部の符に到る。聖旨を奉って、恩命を辭免することを許したまわざる者あり(中謝。)

伏以皇帝陛下嗣位之初、方圖大治、首拔一人於畎畝之中。宜得英異之才、寘之於位、則天下聳動、知朝廷急賢、不特濟一時之用、足以爲後世之光。今乃取庸常之人、命之以官、則天下何望、後世何觀。朝廷之舉也何爲、臣之受也何義。臣雖至愚、敢貪寵祿、以速戾厥躬。是以罔虞刑威、而必盡其辭也。臣願陛下擴知臣之明以照四方、充取臣之心以求眞賢。求之以其方、待之以其道、雖聖賢亦將爲陛下出。況如臣者、何足道哉。冒犯天嚴、臣無任戰恐激切屛營之至。
【読み】
伏して以[おもん]みるに皇帝陛下位を嗣ぎたまうの初め、方に大治を圖って、首めて一人を畎畝の中に拔く。宜しく英異の才を得て、之を位に寘[お]かば、則ち天下聳動して、朝廷の賢を急にすることを知るべく、特一時の用を濟すのみにあらず、以て後世の光を爲すに足れり。今乃ち庸常の人を取って、之に命ずるに官を以てせば、則ち天下何をか望み、後世何をか觀ん。朝廷の舉ぐるや何の爲にして、臣が受くるや何の義ならん。臣至愚と雖も、敢えて寵祿を貪って、以て戾[つみ]を厥の躬に速やかにせんや。是を以て刑威を虞ること罔くして、必ず其の辭を盡くす。臣願わくは陛下臣を知るの明を擴めて以て四方を照らし、臣を取るの心を充たして以て眞賢を求めたまえ。之を求むるに其の方を以てし、之に待するに其の道を以てせば、聖賢と雖も亦將陛下の爲に出ん。況んや臣が如き者、何ぞ道うに足らんや。天嚴を冒し犯して、臣戰恐激切屛營の至りに任うること無し。


辭免館職狀(元祐元年閏二月二十四日)
【読み】
館職を辭免する狀(元祐元年閏二月二十四日)

伏蒙聖恩、授臣宣德郎・秘書省校書郎。聞命震驚、不知所措。臣昨蒙恩、授西京國子監敎授。方再具辭免。奉聖旨、令乘遞馬赴闕。祗命而來、未獲進見、遽然有此除授。伏念臣草萊之人、旣蒙賜召。禮合見君。先受恩命、義理未安。況祖宗朝布衣被召者、故事具存。伏望聖慈令臣入見。所降誥命、不敢當受。伏候勑旨。
【読み】
伏して聖恩を蒙って、臣に宣德郎・秘書省校書郎を授けらる。命を聞いて震驚して、措く所を知らず。臣昨[さき]に恩を蒙って、西京の國子監敎授を授けらる。方に再び具に辭免す。聖旨を奉って、遞馬[ていば]に乘じて闕に赴かしむ。命を祗んで來りて、未だ進み見ることを獲ざるに、遽然として此の除授有り。伏して念うに臣草萊の人、旣に賜召を蒙る。禮合に君に見ゆるべし。先に恩命を受くることは、義理未だ安からず。況んや祖宗の朝布衣召さるる者、故事具に存するをや。伏して望むらくは聖慈臣をして入り見えしめたまえ。降す所の誥命、敢えて受くるに當たらず。伏して勑旨を候[ま]つ。


乞再上殿論經筵事劄子
【読み】
再び上殿して經筵の事を論ぜんと乞う劄子

新授汝州團練推官・西京國子監敎授臣程頤右臣昨日上殿、辭免前降恩命、面奉德音、除臣崇政殿說書。臣雖瀝懇辭避、不蒙兪俞允。臣輒有愚誠昧死上聞天聽。
【読み】
新授の汝州團練推官・西京の國子監敎授臣程頤右臣昨日上殿して、前降の恩命を辭免するに、面りに德音を奉って、臣の崇政殿の說書に除せらる。臣懇を瀝[したた]りて辭避すと雖も、兪允[ゆいん]を蒙らず。臣輒ち愚誠昧死して天聽に上聞すること有り。

竊以知人則哲、帝堯所難。雖陛下聖鑒之明、然臣方獲進對於頃刻之閒、陛下見其何者、遽加擢任。今取臣於畎畝之中、驟置經筵、蓋非常之舉。朝廷責其報效、天下之所觀矚。苟或不當、則失望於今而貽譏於後。可不愼哉。
【読み】
竊かに以みるに人を知るは則ち哲というは、帝堯の難んずる所。陛下聖鑒の明と雖も、然れども臣方に頃刻の閒に進對することを獲るに、陛下其の何者をか見て、遽に擢任を加えたまうや。今臣を畎畝の中に取って、驟に經筵に置くことは、蓋し非常の舉なり。朝廷其の報效を責むるは、天下の觀矚する所なり。苟し或は當たらずんば、則ち望みを今に失して譏りを後に貽さん。愼まざる可けんや。

臣亦未敢必辭、只乞再令臣上殿、進劄子三道、言經筵事。所言而是、則陛下用臣爲不誤、臣之受命爲無愧。所言而非是、其才不足用也。固可聽其辭避。如此、則朝廷無舉動之過、愚臣得去就之宜。伏望聖慈特賜兪允。臣無任。
【読み】
臣亦未だ敢えて必ずしも辭せず、只再び臣をして上殿せしめて、劄子三道を進めて、經筵の事を言うことを乞う。言う所而も是なるときは、則ち陛下の臣を用いたまうこと誤らずとし、臣が命を受くること愧づること無しとせん。言う所而も是に非ずんば、其の才用うるに足らず。固に其の辭避を聽[ゆる]したまう可し。此の如くなるときは、則ち朝廷舉動の過ち無く、愚臣去就の宜しきを得ん。伏して望むらくは聖慈特に兪允を賜え。臣任うること無し。

貼黃
臣不候命下、便有奏陳、蓋欲朝廷審處於未授之前、免煩回改成命。
【読み】
貼黃
臣命下ることを候たずして、便ち奏陳すること有るは、蓋し朝廷審らかに未だ授けざるの前に處して、煩回を免れ成命を改めんことを欲してなり。

貼黃
如以臣昨日已上殿、只乞旨揮許臣實封劄子進呈。逐一分明貼黃。亦與口陳無異。
【読み】
貼黃
如し臣昨日已に上殿することを以てせば、只旨揮臣が實封の劄子進呈することを許さんことを乞う。逐一分明にして貼黃す。亦口陳と異なること無し。


論經筵第一劄子
【読み】
經筵を論ずる第一の劄子

臣伏觀自古人君守成而致盛治者、莫如周成王。成王之所以成德、由周公之輔養。昔者周公輔(一作傅。)成王、幼而習之、所見必正事、所聞必正言、左右前後皆正人。故習與智長、化與心成。今士大夫家善敎子弟者、亦必延名德端方之士、與之居處、使之薰染成性。故曰、少成若天性、習慣如自然。
【読み】
臣伏して觀るに古自り人君守成して盛治を致す者は、周の成王に如くは莫し。成王の德を成す所以は、周公の輔養に由れり。昔周公成王を輔(一に傅に作る。)くる、幼にして之を習わしむるに、見る所は必ず正事、聞く所は必ず正言、左右前後皆正人なり。故に習い智と與に長じ、化心と與に成る。今士大夫の家善く子弟を敎うる者は、亦必ず名德端方の士を延[ひ]いて、之と與に居處せしめ、之をして薰染して性を成さしむ。故に曰く、少成天性の若く、習慣自然の如し、と。

伏以皇帝陛下春秋之富、雖睿聖之資得於天稟、而輔養之道不可不至。所謂輔養之道、非謂告詔以言、過而後諫也、在涵養薰陶而已。大率一日之中、親賢士大夫之時多、親寺人宮女之時少、則自然氣質變化、德器成就。欲乞朝廷愼選賢德之士、以待勸講。講讀旣罷、常留二人直日、夜則一人直宿、以備訪問。皇帝習讀之暇、遊息之閒、時於内殿召見、從容宴語、不獨漸磨道義、至於人情物態、稼穡艱難、積久自然通達。比之常在深宮之中、爲益豈不甚大。
【読み】
伏して以みるに皇帝陛下春秋の富、睿聖の資天稟に得たまうと雖も、而れども輔養の道至らずんばある可からず。所謂輔養の道とは、告げ詔ぐるに言を以てし、過ちて而して後に諫むるを謂うに非ず、涵養薰陶に在るのみ。大率一日の中、賢士大夫に親しむ時多く、寺人宮女に親しむ時少なきときは、則ち自然に氣質變化して、德器成就す。朝廷に乞いて愼んで賢德の士を選んで、以て勸講に待せんことを欲す。講讀旣に罷まば、常に二人を留めて直日せしめ、夜は則ち一人直宿して、以て訪問に備う。皇帝習讀の暇、遊息の閒、時々内殿に於て召見し、從容宴語したまわば、獨り道義を漸磨するのみにあらず、人情物態、稼穡艱難に至るまで、久しきを積んで自然に通達せん。之を常に深宮の中に在りたまうに比するに、益爲ること豈甚大ならずや。

竊聞、閒日一開經筵、講讀數行、羣官列侍、儼然而退、情意略不相接。如此而責輔養之功、不亦難乎。今主上沖幼、太皇太后慈愛、亦未敢便乞頻出。但時見講官、久則自然接熟。大抵與近習處久熟則生褻慢、與賢士大夫處久熟則生愛敬。此所以養成聖德、爲宗社生靈之福。天下之事、無急於此。取進止。
【読み】
竊かに聞く、閒日に一たび經筵を開き、講讀數行にして、羣官列侍、儼然として退いて、情意略相接せず、と。此の如くにして輔養の功を責めば、亦難からずや。今主上沖幼、太皇太后慈愛したまいて、亦未だ敢えて便ち頻出したまうことを乞わず。但時々講官を見、久しきときは則ち自然に接熟す。大抵近習と處すること久しく熟するときは則ち褻慢を生じ、賢士大夫と處すること久しく熟するときは則ち愛敬を生ず。此れ聖德を養成する所以、宗社生靈の福爲り。天下の事、此より急なるは無し。進止を取る。

貼黃
臣竊料衆人之意、必以爲皇帝尙幼、未煩如此。此乃淺近之見。夫幼而習之、爲功則易。發然後禁、禮經所非。古人所以自能食能言而敎者、蓋爲此也。
【読み】
貼黃
臣竊かに料るに衆人の意、必ず以爲えらく、皇帝尙幼にして、未だ煩わしきこと此の如くせざれ、と。此れ乃ち淺近の見なり。夫れ幼にして之を習えば、功を爲すこと則ち易し。發して然して後に禁ずるは、禮經の非る所。古人能く食し能く言う自りして敎うる所以の者は、蓋し此が爲なり。

第二

臣聞、三代之時、人君必有師傅保之官。師、道之敎訓、傅、傅其德義、保、保其身體。後世作事無本、知求治而不知正君、知規過而不知養德。傅德義之道固已疏矣、保身體之法復無聞焉。
【読み】
臣聞く、三代の時、人君必ず師傅保の官有り。師は、之を道いて敎訓し、傅は、其の德義を傅け、保は、其の身體を保たしむ、と。後世事を作すこと本無く、治を求むることを知って君を正すことを知らず、過ちを規すことを知って德を養うことを知らず。德義を傅くるの道固に已に疏かに、身體を保つの法復聞くこと無し。

伏惟太皇太后陛下聰明睿哲、超越千古。皇帝陛下春秋之富、輔養之道、當法先王。臣以爲、傅德義者、在乎防見聞之非、節嗜好之過、保身體者、在乎適起居之宜、存畏愼之心。臣欲乞皇帝左右扶侍祗應宮人内臣、竝選年四十五已上、厚重小心之人、服用器玩皆須質朴、一應華巧奢麗之物、不得至於上前。要在侈靡之物不接於目、淺俗之言不入於耳。及乞擇内臣十人、充經筵祗應以伺候皇帝起居。凡動息必使經筵官知之、有翦桐之戲則隨事箴規、違持養之方則應時諫止。調護聖躬、莫過於此。取進止。
【読み】
伏して惟みるに太皇太后陛下聰明睿哲、千古に超越す。皇帝陛下春秋の富、輔養の道、當に先王に法るべし。臣以爲えらく、德義を傅くとは、見聞の非を防ぎ、嗜好の過ぐるを節するに在り、身體を保つとは、起居の宜しきに適い、畏愼の心を存するに在り、と。臣乞わんと欲す、皇帝の左右扶侍祗[まさ]に宮人内臣、竝びに年四十五已上、厚重小心の人を選ぶ應く、服用器玩皆須く質朴なるべく、一に華巧奢麗の物、上の前に至ることを得ざる應し。要は侈靡の物目に接せず、淺俗の言不耳に入れざるに在り。及び乞う、内臣十人を擇んで、經筵に充て祗に以て皇帝の起居を伺候せしむ應し。凡そ動息必ず經筵の官をして之を知らしめ、翦桐の戲れ有れば則ち事に隨いて箴規し、持養の方に違えば則ち時に應じて諫止す。聖躬を調護すること、此より過ぎたるは莫し。進止を取る。

貼黃
今不設保傅之官、傅德義、保身體之責皆在經筵。皇帝在宮中語言動作衣服飮食、皆當使經筵官知之。
【読み】
貼黃
今保傅の官を設けずして、德義を傅け、身體を保つの責め皆經筵に在り。皇帝宮中に在りて語言動作衣服飮食、皆當に經筵の官をして之を知らしむべし。

第三

臣竊以人主居崇高之位、持威福之柄、百官畏懼、莫敢仰視、萬方承奉、所欲隨得。苟非知道畏義、所養如此、其惑可知。中常之君、無不驕肆、英明之主、自然滿假。此自古同患、治亂所繫也。故周公告成王、稱前王之德、以寅畏祗懼爲首。從古以來、未有不尊賢畏相而能成其聖者也。
【読み】
臣竊かに以みるに人主崇高の位に居し、威福の柄を持して、百官畏れ懼れて、敢えて仰ぎ視ること莫く、萬方承奉して、欲する所隨って得る。苟も道を知り義を畏るるに非ずして、養う所此の如くならば、其の惑い知る可し。中常の君は、驕肆ならざること無く、英明の主は、自然に滿假す。此れ古自り同患にして、治亂の繫かる所なり。故に周公成王に告げて、前王の德を稱するに、寅畏祗懼を以て首めとす。古從り以來、未だ賢を尊び相を畏れずして能く其の聖を成す者は有ざるなり。

皇帝陛下未親庶政、方專問學。臣以爲輔養聖德、莫先寅恭。動容周旋、當主於此。歲月積習、自成聖性。臣竊聞、經筵臣寮侍者皆坐、而講者獨立。於禮爲悖。欲乞今後特令坐講。不惟義理爲順、所以養主上尊儒重道之心。取進止。
【読み】
皇帝陛下未だ庶政を親らせずして、方に問學を專らにす。臣以爲えらく、聖德を輔養するは、寅恭より先なるは莫し、と。動容周旋、當に此を主とすべし。歲月積習せば、自づから聖性を成さん。臣竊かに聞く、經筵の臣寮侍者皆坐して、講者獨り立つ、と。禮に於て悖るとす。今より後特に坐講せしめんことを乞わんと欲す。惟義理順とするのみにあらず、主上儒を尊び道を重んずるの心を養う所以なり。進止を取る。

貼黃
竊聞、講官在御案旁、以手指書。所以不坐。欲乞別一人指書、講官稍遠御案坐講。
【読み】
貼黃
竊かに聞く、講官御案の旁に在って、手を以て指書す。所以に坐せず、と。別に一人指書して、講官稍御案を遠ざけて坐講せんことを乞わんと欲す。

貼黃
臣竊意朝廷循沿舊體、只以經筵爲一美事。臣以爲、天下重任、唯宰相與經筵。天下治亂繫宰相、君德成就責經筵。由此言之、安得不以爲重。
【読み】
貼黃
臣竊かに意うに朝廷舊體に循い沿[よ]ること、只經筵を以て一の美事とす、と。臣以爲えらく、天下の重任は、唯宰相と經筵となり、と。天下の治亂は宰相に繫かり、君德の成就は經筵を責む。此に由って之を言えば、安んぞ以て重しとせざることを得ん。


辭免崇政殿說書表
【読み】
崇政殿の說書を辭免する表

臣頤言、準閤門告報。伏蒙聖恩、除臣通直郎、充崇政殿說書者。臣昨上殿、面奉德音、已嘗瀝懇辭避、及繼有陳奏、愚誠已竭、天聽不回(中謝。)
【読み】
臣頤言す、閤門に準じて告報す。伏して聖恩を蒙って、臣を通直郎に除し、崇政殿の說書に充てらるる者あり。臣昨に上殿して、面りに德音を奉じ、已に嘗て懇を瀝りて辭避し、及び繼いで陳奏すること有りて、愚誠已に竭くせども、天聽回[まど]わず(中謝。)

竊以儒者得以經術進說於人主之前、言信則志行。自昔抱道之士、孰不願之。顧恨弗獲。臣何人哉、有此遭遇。然臣竊觀前古君臣道合、靡不由至誠感動、信以發志。今臣道未行於家室、善未信於郷黨、何足以感動人主之心乎。苟不度其誠之未至、而欲善辭說於進對之閒、爲一時之觀則可矣。必欲通於神明、光於四海、久誠而無斁、臣知其不可也。臣是以欲進而思義、喜時而愧己、冒犯天威、而盡其區區之說。
【読み】
竊かに以みるに儒者經術を以て人主の前に進み說くことを得て、言信ぜらるれば則ち志行わる。昔自り道を抱くの士、孰か之を願わざらん。顧みるに恨むらくは獲られざらんことを。臣は何人ぞや、此の遭遇有る。然も臣竊かに觀るに前古君臣道合うは、至誠感動して、信じて以て志を發するに由らざるは靡し。今臣道未だ家室に行われず、善未だ郷黨に信ぜられず、何ぞ以て人主の心を感動するに足らんや。苟も其の誠の未だ至らざることを度らずして、辭說を進對の閒に善くせんと欲するは、一時の觀[みもの]とすれば則ち可なり。必ず神明に通じ、四海に光り、久しく誠にして斁[いと]うこと無からんことを欲せば、臣其の不可なることを知る。臣是を以て進まんと欲して義を思い、時を喜んで己を愧ぢ、天威を冒し犯して、其の區區の說を盡くす。

伏以皇帝陛下春秋之富、方賴左右前後之人輔養聖性。勸講之職、任莫重焉。竊惟海宇之廣、賢俊至多。臣願朝廷博謀羣臣、旁加收擇、期得出類之賢、寘諸左右、輔成聖德、爲廟社生靈之福。如臣之愚、實懼不足以當重任。所有誥命、不敢當受。謹奉表辭免以聞。
【読み】
伏して以みるに皇帝陛下春秋の富、方に左右前後の人聖性を輔養するに賴る。勸講の職、任焉より重きは莫し。竊かに惟みるに海宇の廣き、賢俊至って多し。臣願わくは朝廷博く羣臣に謀り、旁く收擇を加え、出類の賢を得ることを期して、諸を左右に寘いて、聖德を輔成せば、廟社生靈の福爲り。臣が愚の如き、實に以て重任に當たるに足らざることを懼る。有る所の誥命、敢えて受くるに當たらず。謹んで表を奉って辭免して以て聞す。


再辭免狀
【読み】
再び辭免する狀

臣蒙恩授通直郎・崇政殿說書。尋具表辭免、準尙書省劄子。奉聖旨、不許辭免者。
【読み】
臣恩を蒙って通直郎・崇政殿の說書を授かる。尋いで表を具[の]べて辭免して、尙書省の劄子に準ず。聖旨を奉って、辭免を許さざる者あり。

臣聞、古之人見行可而後仕。臣雖至愚、讀書爲儒、敢不先民是憲。臣近進劄子三道、未聞進止。伏望聖慈、更賜省覽。如小有可用、則臣受命、不敢復辭。或狂妄無取、則乞許臣辭避。所貴朝廷無取人之失、小臣盡進退之道。臣山野之人、不能文飾、傾竭悃誠。願賜開納。伏候勑旨。
【読み】
臣聞く、古の人は行わる可きを見て後に仕う、と。臣至愚なりと雖も、書を讀んで儒爲り、敢えて先民に是れ憲らざらんや。臣近ごろ劄子三道を進めども、未だ進止を聞かず。伏して望むらくは聖慈、更に省覽を賜え。如し小しく用う可きこと有らば、則ち臣命を受けて、敢えて復辭せじ。或は狂妄にして取るべき無くんば、則ち乞う、臣が辭避を許したまえ。貴ぶ所は朝廷人を取るの失無くして、小臣進退の道を盡くさんことを。臣は山野の人、文飾すること能わずして、悃誠を傾竭す。願わくは開納を賜え。伏して勑旨を候つ。


乞六參日上殿劄子(元祐元年四月)
【読み】
六參日上殿せんことを乞う劄子(元祐元年四月)

臣竊以朝廷置勸講之官、輔導人主、豈止講明經義。所以薰陶性質。古所謂承弼厥辟、出入起居者焉。宜朝夕納誨、以輔上德。自來暑熱罷講、直至中秋、方御經筵。數月之閒、講讀官無由進見。夫以文・武之齊聖、而欲旦夕承弼。今乃數月不接儒臣、甚非先王輔導養德之意。方主上春秋之富、輔養之道、豈可疏略如此。臣欲乞未御講筵、每遇六參日、宰臣奏事退、許講讀官上殿問聖體。數日一對儒臣、不惟有益人主、在勸講之禮亦當然。伏望聖慈特賜兪允。
【読み】
臣竊かに以みるに朝廷勸講の官を置いて、人主を輔導する、豈止經義を講明するのみならんや。性質を薰陶する所以なり。古に所謂厥の辟を承け弼けて、出入起居すという者なり。宜しく朝夕誨を納れて、以て上德を輔くべし。自來暑熱講を罷め、直に中秋に至って、方に經筵に御す。數月の閒、講讀の官進見するに由無し。夫れ文・武の齊聖を以てすら、而も旦夕承け弼けんことを欲す。今乃ち數月儒臣に接せざるは、甚だ先王輔導養德の意に非ず。方に主上春秋の富、輔養の道、豈疏略なること此の如くなる可けんや。臣未だ講筵に御せざるとき、六參日に遇う每に、宰臣事を奏し退いて、講讀の官上殿して聖體を問うことを許さんことを乞わんと欲す。數日に一たび儒臣に對せば、惟人主に益有るのみにあらず、勸講の禮に在っても亦當に然るべし。伏して望むらくは聖慈特に兪允を賜え。


上太皇太后書(元祐元年)
【読み】
太皇太后に上る書(元祐元年)

六月日、具位臣程頤、昧死再拜上書太皇太后陛下。
【読み】
六月日、具位臣程頤、昧死再拜して書を太皇太后陛下に上る。

臣愚鄙之人、自少不喜進取、以讀書求道爲事、于茲幾三十年矣。當英祖朝曁神宗之初、屢爲當塗者稱薦。臣於斯時、自顧學之不足、不願仕也。及皇帝陛下嗣位、太皇太后陛下臨朝、求賢願治。大臣上體聖意、搜揚巖穴、首及微賤、蒙恩除西京學官。臣於斯時、未有意於仕也。辭避方再、而遽有召命。臣門下學者、促臣行者半、勸臣勿行者半。促臣行者則曰、君命召、禮不俟駕。勸臣勿行者則曰、古之儒者、召之則不往。臣以爲、召而不往、惟子思・孟軻則可。蓋二人者、處賓師之位、不往所以規其君也。己之微賤、食土之毛而爲王民。召而不至、邦有常憲。是以奔走應命到闕、蒙恩授館職。方以義辭、遂蒙召對。臣於斯時、尙未有意於仕也。進至簾前、咫尺天光、未嘗敢以一言及朝政。陛下視臣、豈求進者哉。旣而親奉德音、擢至經筵。事出望外、惘然驚惕。臣竊内思、儒者得以道學輔人主。蓋非常之遇、使臣自擇所處、亦無過於此矣。臣以斯時、雖以不才而辭、然許國之心、實已萌矣。尙慮陛下貪賢樂善、果於取人、知之或未審也。故又進其狂言、以覬詳察。曰如小有可用、則敢不就職。或狂妄無取、則乞聽辭避。章再上。再命祗受。是陛下不以爲妄也、臣於是受命。供職而來、夙夜畢精竭慮、惟欲主上德如堯・舜。異日天下享堯・舜之治、廟社固無窮之基、乃臣之心也。臣本山野之人、稟性朴直、言辭鄙拙、則有之矣。至於愛君之心、事君之禮、告君之道、敢有不盡。上賴聖明、可以昭鑒。臣自惟至愚蒙陛下特達之知、遭遇如此。願効區區之誠、庶幾毫發之補。惟陛下留意省覽、不勝幸甚。
【読み】
臣愚鄙の人、少き自り進み取ることを喜ばず、書を讀み道を求むるを以て事と爲すこと、茲に幾ど三十年なり。英祖の朝曁び神宗の初めに當たって、屢々當塗の者の爲に稱薦せらる。臣斯の時に於て、自ら學の足らざることを顧みて、仕うることを願わず。皇帝陛下位を嗣ぎたまうに及んで、太皇太后陛下朝に臨んで、賢を求め治を願う。大臣上聖意を體して、巖穴を搜揚して、首めて微賤に及び、恩を蒙って西京の學官に除せらる。臣斯の時に於て、未だ仕うるに意有らず。辭避方に再びすれども、而れども遽に召命有り。臣が門下の學者、臣が行くことを促す者半ば、臣が行くこと勿からんことを勸むる者半ばなり。臣が行くことを促す者は則ち曰く、君命じて召すときは、禮駕を俟たず、と。臣が行くこと勿からんことを勸むる者は則ち曰く、古の儒者、之を召すときは則ち往かず、と。臣以爲えらく、召して往かざるは、惟り子思・孟軻は則ち可なり。蓋し二人は、賓師の位に處して、往かざるは其の君を規す所以なり。己が微賤、土の毛を食して王の民爲り。召して至らずんば、邦に常の憲有り。是を以て奔り走って命に應じて闕に到り、恩を蒙って館職を授かる。方に義を以て辭して、遂に召對を蒙る。臣斯の時に於て、尙未だ仕うるに意有らず。進んで簾前に至り、咫尺天光、未だ嘗て敢えて一言朝政に及ぶことを以てせず。陛下の臣を視る、豈進むことを求むる者ならんや。旣にして親しく德音を奉り、擢かれて經筵に至る。事望外に出、惘然として驚惕す。臣竊かに内思するに、儒者は道學を以て人主を輔くることを得。蓋し非常の遇、臣をして自ら處する所を擇ばしむること、亦此より過ぎたるは無し、と。臣斯の時を以て、不才を以て辭すと雖も、然れども國に許す心、實に已に萌せり。尙慮る、陛下賢を貪り善を樂しめども、果たして人を取るに於て、之を知ること或は未だ審らかならざらんことを。故に又其の狂言を進めて、以て詳察を覬[ねが]う。曰く、如し小しく用うる可きこと有らば、則ち敢えて職に就かざらんや。或は狂妄取ること無くんば、則ち乞う、辭避を聽したまえ。章再び上る。再び命ぜられて祗んで受く。是れ陛下以て妄とせざれば、臣是に於て命を受く。職に供してより而來、夙夜に精を畢くし慮りを竭くして、惟主上德堯・舜の如くならんことを欲す。異日天下堯・舜の治を享け、廟社無窮の基を固くせば、乃ち臣が心なり。臣は本山野の人、稟性朴直、言辭鄙拙なるは、則ち之れ有らん。君を愛するの心、君に事うるの禮、君に告ぐるの道に至っては、敢えて盡くさざること有らんや。上聖明、以て昭鑒す可きを賴む。臣自ら惟うに至愚陛下特達の知を蒙って、遭遇此の如し。願わくは區區の誠を効[いた]して、庶幾わくは毫發の補いあらんことを。惟陛下意を留めて省覽したまわば、幸甚に勝えず。

伏以太皇太后陛下、心存至公、躬行大道、開納忠言、委用耆德。不止維持大業、且欲興致太平、前代英主所不及也。但能日愼一日、天下之事不足慮也。臣以爲、今日至大至急、爲宗社生靈長久之計、惟是輔養上德而已。歷觀前古、輔養幼主之道、莫備於周公。周公之爲、萬世之法也。臣願陛下擴高世之見、以聖人之言爲可必信、先王之道爲可必行、勿狃滯於近規、勿遷惑於衆口。古人所謂周公豈欺我哉。周公作立政之書、舉言常伯至於綴衣虎賁、以爲知恤茲者鮮。一篇之中、丁寧重複、惟在此一事而已。又曰、僕臣正、厥后克正。又曰、后德惟臣、不德惟臣。又曰、侍御僕從、罔匪正人。以旦夕承弼厥辟、出入起居、罔有不欽。是古人之意、人主跬步不可離正人也。蓋所以涵養氣質、薰陶德性。故能習與智長、化與心成。後世不復知此、以爲人主就學、所以涉書史、覽古今也。不知涉書史、覽古今、乃一端爾。若止於如是、則能文宮人可以備勸講、知書内侍可以充輔導。何用置官設職、精求賢德哉。大抵人主受天之命、稟賦自殊。歷考前史、帝王才質、鮮不過人。然而完德有道之君至少、其故何哉。皆輔養不得其道、而位勢使之然也。
【読み】
伏して以みるに太皇太后陛下、心至公を存し、躬大道を行い、忠言を開納し、耆德を委用す。止大業を維持するのみにあらず、且太平を興し致さんと欲すること、前代英主の及ばざる所なり。但能く日に一日より愼まば、天下の事慮るに足らず。臣以爲えらく、今日の至大至急、宗社生靈長久の計を爲すは、惟是れ上德を輔養するのみ、と。歷く前古を觀るに、幼主を輔養するの道は、周公より備われるは莫し。周公の爲[しわざ]は、萬世の法なり。臣願わくは陛下高世の見を擴めて、聖人の言を以て必ず信ず可しと爲し、先王の道必ず行う可しと爲して、近規に狃滯すること勿く、衆口に遷惑すること勿かれ。古人の所謂周公豈我を欺かんや。周公立政の書を作って、舉[ことごと]く常伯より綴衣虎賁に至るまでを言うに、以爲えらく、茲を恤うることを知る者は鮮し、と。一篇の中、丁寧重複、惟此の一事に在るのみ。又曰く、僕臣正しければ、厥の后克く正し、と。又曰く、后の德も惟臣、不德も惟臣、と。又曰く、侍御僕從、正人に匪ざるは罔し。以て旦夕厥の辟を承け弼けて、出入起居も、欽まざること有ること罔し、と。是れ古人の意、人主跬步[きほ]も正人に離る可からずとするなり。蓋し氣質を涵養し、德性を薰陶する所以なり。故に能く習い智と長じ、化心と成る。後世復此を知らずして、以爲えらく、人主學に就くは、書史に涉り、古今を覽る所以なり、と。書史に涉り、古今を覽るは、乃ち一端なることを知らざるのみ。若し是の如きに止まらば、則ち文を能くする宮人以て勸講に備う可く、書を知る内侍以て輔導に充つ可し。何ぞ官を置き職を設けて、精しく賢德を求むることを用いんや。大抵人主は天の命を受けて、稟賦自づから殊なり。歷く前史を考うるに、帝王の才質、人に過ぎざるは鮮し。然れども完德有道の君至って少なきは、其の故何ぞや。皆輔養其の道を得ずして、位勢之をして然らしむるなり。

伏惟皇帝陛下、天資粹美、德性仁厚、必爲有宋令主。但恨輔養之道有未至爾。臣供職以來、六侍講筵。但見諸臣拱手默坐、當講者立案傍、解釋數行而退。如此、雖彌年積歲、所益幾何。與周公輔養成王之道、殊不同矣。或以爲、主上方幼。且當如此。此不知本之論也。古人生子、能食能言而敎之大學之法、以豫爲先。人之幼也、知思未有所主、便當以格言至論日陳於前。雖未曉知、且當薰聒、使盈耳充腹、久自安習。若固有之、雖以他言惑之、不能入也。若爲之不豫、及乎稍長、私意(一作思慮。)偏好生於内、衆口辯言鑠於外、欲其純完、不可得也。故所急在先入。豈有太早者乎。
【読み】
伏して惟みるに皇帝陛下、天資粹美、德性仁厚、必ず有宋の令主爲らん。但恨むらくは輔養の道未だ至らざること有るのみ。臣職に供して以來、六たび講筵に侍す。但諸臣手を拱して默坐し、當講の者案傍に立って、數行を解釋して退くを見る。此の如くならば、彌年の歲を積むと雖も、益する所幾何ぞや。周公成王を輔養するの道と、殊に同じからず。或るひと以爲えらく、主上方に幼し。且つ當に此の如くすべし、と。此れ本を知らざるの論なり。古人子を生んでは、能く食し能く言いて之を敎うるに大學の法、豫めするを以て先とす。人の幼なるとき、知思未だ主る所有らず、便ち當に格言至論を以て日に前に陳ぶるべし。未だ曉知せずと雖も、且つ當に薰聒して、耳に盈て腹に充たしむべく、久しくして自づから安習せん。若し固く之を有せば、他言を以て之を惑わすと雖も、入ること能わず。若し之をすること豫めせず、稍長ずるに及べば、私意(一に思慮に作る。)の偏好内に生じ、衆口の辯言外に鑠して、其の純完を欲すとも、得る可からず。故に急にする所は先入に在り。豈太だ早き者有らんや。

或又以爲、主上天資至美、自無違道。不須過慮。此尤非至論。夫聖莫聖於舜、而禹・皋陶未嘗忘規戒、至曰無若丹朱好慢遊作傲虐。且舜之不爲慢遊傲虐、雖至愚亦當知之。豈禹而不知乎。蓋處崇高之位、儆戒之道不得不如是也。且人心豈有常哉。以唐太宗之英睿、躬歷艱難、力平禍亂、年亦長矣、始惡隋煬侈麗、毀其層觀廣殿、不六七年、復欲治乾陽殿。是人心果可常乎。所以聖賢雖明盛之際、不廢規戒、爲慮豈不深遠也哉。況沖幼之君、閑邪拂違之道、可少懈乎。
【読み】
或るひと又以爲えらく、主上天資至美にして、自づから道に違うこと無し。須く過慮すべからず、と。此れ尤も至論に非ず。夫れ聖は舜より聖なるは莫くして、禹・皋陶未だ嘗て規戒することを忘れず、丹朱が慢遊を好み傲虐を作すが若くなること無しと曰うに至る。且つ舜の慢遊傲虐をせざること、至愚と雖も亦當に之を知るべし。豈禹にして知らざらんや。蓋し崇高の位に處せば、儆戒[けいかい]の道是の如くならざることを得ざるなり。且つ人の心豈常有らんや。唐の太宗の英睿を以て、躬ら艱難を歷、力めて禍亂を平らげ、年亦長じて、始めて隋煬の侈麗を惡んで、其の層觀廣殿を毀てども、六七年ならずして、復乾陽殿を治めんと欲す。是れ人の心果たして常なる可けんや。所以に聖賢は明盛の際と雖も、規戒を廢せず、慮りを爲すこと豈深遠ならざらんや。況んや沖幼の君、邪を閑ぎ違を拂うの道、少しく懈る可けんや。

伏自四月末閒、以暑熱罷講、比至中秋、蓋踰三月。古人欲旦夕承弼、出入起居。而今乃三月不一見儒臣。何其與古人之意異也。今士大夫家子弟、亦不肯使經時累月不親儒士。初秋漸涼、臣欲乞於内殿或後苑淸涼處、召見當日講官、俾陳說道義。縱然未有深益、亦使天下知太皇太后用意如此。又一人獨對、與衆見不同、自然情意易通、不三五次、便當習熟。若不如此、漸致待其自然、是輔導官都不爲力、將安用之。將來伏假旣開。且乞依舊輪次、直日所貴常得一員獨對。
【読み】
伏して四月の末閒自り、暑熱を以て講を罷め、中秋に至るに比[およ]んで、蓋し三月を踰う。古人旦夕承け弼け、出入起居までせんことを欲す。而るに今乃ち三月に一たび儒臣を見ず。何ぞ其れ古人の意と異なるや。今士大夫の家の子弟すら、亦肯えて時を經月を累ねて儒士に親しまざらしめず。初秋漸く涼しく、臣内殿或は後苑淸涼の處に於て、當日の講官を召し見て、道義を陳說せしむることを乞わんと欲す。縱然[たと]い未だ深き益有らずとも、亦天下をして太皇太后意を用うること此の如くなることを知らしめん。又一人獨對すると、衆見と同じからず、自然に情意通じ易くして、三五次ならずして、便ち當に習熟すべし。若し此の如くならず、漸く其の自然を待つことを致さば、是れ輔導の官都て力を爲さず、將安んぞ之を用いん。將來の伏假旣に開かん。且つ乞う、舊の輪次に依って、直日の貴ぶ所常に一員を得て獨對せんことを。

開發之道、蓋自有方。朋習之益、最爲至切。故周公輔成王、使伯禽與之處。聖人所爲、必無不當。眞廟使蔡伯希侍仁宗、乃師古也。臣欲乞擇臣寮家子弟、十歲已上、十二已下、端謹穎悟者三人、侍上左右、上所讀之書、亦使讀之、辨色則入、昏而罷歸。常令二人入侍、一人更休。每人擇有年宮人、内臣二人、隨逐看承、不得暫離。常情笑語、亦勿禁止。唯須言語必正、舉動必莊。仍使日至資善堂、呈所習業。講官常加敎勸、使知嚴憚。年纔十三、便令罷去、歲月之閒、自覺其益。
【読み】
開發の道、蓋し自づから方有り。朋習の益、最も至切とす。故に周公成王を輔くるに、伯禽をして之と處らしむ。聖人のする所、必ず當たらずということ無けん。眞廟蔡伯希をして仁宗に侍せしむるも、乃ち古を師としてなり。臣乞わんと欲す、臣寮の家の子弟、十歲已上、十二已下、端謹穎悟なる者三人を擇んで、上の左右に侍して、上の讀む所の書、亦之を讀ましめ、色を辨ずるときは則ち入り、昏にして罷め歸る。常に二人入侍し、一人更々休せしめん。每に人年有る宮人、内臣二人を擇んで、隨逐看承して、暫くも離るることを得ざらしめん。常情笑語は、亦禁止すること勿かれ。唯須く言語必ず正しく、舉動必ず莊かにすべし。仍[しばしば]日に資善堂に至って、習う所の業を呈せしむ。講官常に敎勸を加えて、嚴憚を知らしむ。年纔かに十三なるとき、便ち罷め去らしめば、歲月の閒、自づから其の益を覺らん。

自來、宰臣十日一至經筵、亦止於默坐而已。又閒日講讀、則史官一人立侍。史官之職、言動必書。施於視政之時則可。經筵講疑(一作肄。)之所、乃燕處也。主上方問學之初、宜心泰體舒、乃能悅懌。今則前對大臣、動虞有失、旁立史官、言出輒書。使上欲遊其志、得乎。欲發於言、敢乎。深妨問學。不得不改。欲乞特降指揮、宰臣一月兩次、與文彥博同赴經筵。遇宰臣赴日、卽乞就崇政殿講說、因令史官入侍。崇政殿說書之職、置來已久。乃是講說之所。漢・唐命儒士講論、亦多在殿上、蓋故事也。邇英迫狹、講讀官内臣近三十人、在其中。四月閒尙未甚熱、而講官已流汗。況主上氣體嫩弱、豈得爲便。春夏之際、人氣烝薄、深可慮也。祖宗之時、偶然在彼、執爲典故、殊無義理。欲乞今後只於延和殿講讀。後楹垂簾、簾前置御座、太皇太后每遇政事稀簡、聖體康和、時至簾下觀講官進說、不惟省察主上進業、於陛下聖聰、未必無補。兼講官輔導之閒、事意不少、有當奏稟、便得上聞、亦不可煩勞聖躬。限以日數、但旬月之閒意適、則往可也。
【読み】
自來、宰臣十日に一たび經筵に至り、亦默坐するに止まるのみ。又閒日に講讀するときは、則ち史官一人立侍す。史官の職は、言動必ず書す。政を視る時に施すときは則ち可なり。經筵講疑(一に肄に作る。)の所は、乃ち燕處なり。主上問學の初めに方って、宜しく心泰らかに體舒べて、乃ち能く悅懌せしむべし。今は則ち前に對する大臣、動けば失有らんこと虞り、旁に立つ史官、言出れば輒ち書す。上をして其の志を遊ばせしめんと欲せしむとも、得んや。言を發せんと欲すとも、敢えてせんや。深く問學を妨ぐ。改めざることを得ず。特に指揮を降して、宰臣一月に兩次、文彥博と同じく經筵に赴くことを乞わんと欲す。宰臣赴く日に遇っては、卽ち崇政殿に就いて講說し、因りて史官をして入侍せしむることを乞う。崇政殿說書の職、置き來ること已に久し。乃ち是れ講說の所なり。漢・唐儒士に命じて講論せしむること、亦多く殿上に在るは、蓋し故事なり。邇英の迫狹なる、講讀官の内臣三十人に近くして、其の中に在り。四月の閒尙未だ甚だしくは熱せざれども、講官已に汗を流す。況んや主上氣體嫩弱[どんじゃく]、豈便なりとすることを得んや。春夏の際は、人氣烝薄、深く慮る可し。祖宗の時、偶然として彼に在り、執って典故とすること、殊に義理無し。今より後只延和殿に於て講讀せんことを乞わんと欲す。後楹簾を垂れ、簾前御座を置き、太皇太后政事稀簡、聖體康和なるに遇う每に、時々簾下に至って講官の進み說くを觀ば、惟主上業に進むを省察するのみにあらず、陛下の聖聰に於ても、未だ必ずしも補い無くんばあらず。兼ねて講官輔導の閒、事意少なからず、當に奏稟すべき有らば、便ち上聞することを得ば、亦聖躬を煩勞す可からず。限るに日數を以てして、但旬月の閒意適すれば、則ち往いて可なり。

今講讀官共五人四人皆兼要職。獨臣不領別官、近復差修國子監太學條制。是亦兼他職也。乃無一人專職輔導者。執政之意可見也。蓋惜人才、不欲使之閑爾。又以爲、雖兼他職、不妨講讀。此尤不思之甚也。不敢言告君之道、只以告衆人言之。夫告於人者、非積其誠意、不能感而入也。故聖人以蒲蘆喩敎。謂以誠化之也。今夫鐘、怒而擊之則武、悲而擊之則哀、誠意之感而入也。告於人亦如是。古人所以齋戒而告君者、何謂也。臣前後兩得進講。未嘗敢不宿齋豫戒、潛思存誠、覬感動於上心。若使營營於職事、紛紛其思慮、待至上前、然後善其辭說、徒以頰舌感人。不亦淺乎。此理、非知學者不能曉也。道衰學廢。世俗何嘗聞此。雖聞之、必以爲迂誕。陛下高識遠見、當蒙鑒知。以朝廷之大、人主之重、置二三臣專職輔導、極非過當。今諸臣所兼皆要官。若未能遽罷、且乞免臣修國子監條制、俾臣夙夜精思竭誠、專在輔導。不惟事理當然、且使天下知朝廷以爲重事、不以爲閑所也。
【読み】
今講讀官共に五人四人皆要職を兼ぬ。獨り臣別官を領せず、近ごろ復差して國子監太學の條制を修めせしむ。是れ亦他職を兼ぬるなり。乃ち一人も專ら輔導を職とする者無し。執政の意見る可し。蓋し人才を惜しんで、之をして閑ならしむることを欲せざるのみ。又以爲えらく、他職を兼ぬと雖も、講讀を妨げず、と。此れ尤も思わざるの甚だしきなり。敢えて君に告ぐるの道を言わずして、只衆人に告ぐるを以て之を言わん。夫れ人に告ぐる者は、其の誠意を積むに非ずんば、感じて入ること能わず。故に聖人蒲蘆を以て敎に喩う。謂ゆる誠を以て之を化すればなり。今夫れ鐘は、怒って之を擊つときは則ち武く、悲しんで之を擊つときは則ち哀しきは、誠意の感じて入ればなり。人に告ぐるも亦是の如し。古人齋戒して君に告ぐる所以の者は、何の謂ぞや。臣前後兩に進講することを得。未だ嘗て敢えて宿より齋し豫め戒め、思いを潛め誠を存して、上の心を感動することを覬わずんばあらず。若し職事に營營として、其の思慮を紛紛たらしめて、上の前に至るを待って、然して後に其の辭說を善くせんとせば、徒に頰舌を以て人を感じせしめんとするなり。亦淺からずや。此の理、學を知る者に非ずんば曉ること能わず。道衰え學廢る。世俗何ぞ嘗て此を聞かん。之を聞くと雖も、必ず以て迂誕とせん。陛下の高識遠見、當に鑒知を蒙るべし。朝廷の大なる、人主の重きを以て、二三の臣を置いて專ら輔導を職とすること、極めて過當に非ず。今諸臣の兼ぬる所は皆要官なり。若し未だ遽に罷むること能わずんば、且つ臣が國子監の條制を修することを免じて、臣をして夙夜に思いを精しくし誠を竭くして、專ら輔導に在らしめんことを乞う。惟事理當然なるのみにあらず、且天下をして朝廷以て重事と爲して、以て閑所と爲さざることを知らしめん。

陛下擇臣於草野之中、蓋以其讀聖人書、聞聖人道。臣敢不以其所學、上報聖明。竊以聖人之學、不傳久矣。臣幸得之於遺經、不自度量、以身任道。天下駭笑者雖多、而近年信從者亦衆。方將區區駕其說以示學者。覬能傳於後世。不虞天幸之至、得備講說於人主之側。使臣得以聖人之學、上沃聖聰、則聖人之道有可行之望。豈特臣之幸哉。如陛下未以臣言爲信、何不一賜訪問。臣當陳聖學之端緒、發至道之淵微。陛下聖鑒高明、必蒙照納。如其妄僞、願從誅殛。臣愚不任懇悃惶懼待罪之至。
【読み】
陛下臣を草野の中に擇ぶことは、蓋し其の聖人の書を讀み、聖人の道を聞くを以てなり。臣敢えて其の學ぶ所を以て、上聖明に報ぜざらんや。竊かに以みるに聖人の學、傳わらざること久し。臣幸いに之を遺經に得て、自ら度量せずして、身を以て道を任ず。天下駭き笑う者多しと雖も、近年信じ從う者も亦衆し。方に將に區區として其の說を駕して以て學者に示さんとす。覬わくは能く後世に傳えんことを。虞らざるに天幸至って、講說に人主の側に備わることを得。臣をして聖人の學を以て、上聖聰に沃することを得せしめば、則ち聖人の道行わる可きの望み有り。豈特臣が幸いのみならんや。如し陛下未だ臣が言を以て信ずることをせずんば、何ぞ一たび訪問を賜わざる。臣當に聖學の端緒を陳べ、至道の淵微を發すべし。陛下の聖鑒高明、必ず照納を蒙らん。如し其れ妄僞ならば、願わくは誅殛に從わん。臣愚懇悃惶懼罪を待つの至りに任えず。


辭免判登聞鼓院奏狀(元祐元年八月)
【読み】
登聞鼓院に判たることを辭免する奏狀(元祐元年八月)

臣今月二十二日、準尙書省黃牒、奉勑差臣兼權判登聞鼓院。臣不敢避斧鉞之誅、傾瀝悃誠、上煩天聽。竊以勸講之官、體宜專任。臣昨於六月中所進文字、論之甚詳。不敢重疊敍陳。伏望聖慈將臣前來文字、再賜省覽。惟求義理之當、不以臣微賤而廢其言。前件勑命不敢當受。伏乞特降睿旨、許令辭免。冒瀆宸嚴、臣無任。
【読み】
臣今月二十二日、尙書省の黃牒に準じて、勑を奉って臣を差して登聞鼓院に權判たることを兼ねしむ。臣敢えて斧鉞の誅を避けず、悃誠を傾け瀝りて、上天聽を煩わす。竊かに以みるに勸講の官、體宜しく專任すべし。臣昨に六月中進むる所の文字に於て、之を論ずること甚だ詳らかなり。敢えて重疊して敍陳せず。伏して望むらくは聖慈臣が前來の文字を將って、再び省覽を賜え。惟義理の當たることを求めて、臣が微賤を以て其の言を廢せざれ。前件の勑命敢えて受くるに當たらず。伏して乞う、特に睿旨を降して、辭免せしむることを許したまえ。宸嚴を冒し瀆して、臣任うること無し。

貼黃
自來鼓院官出入以時。若使兼領、遇講說日、或有急訴訟、必須留滯。伏望聖慈特賜詳察。
【読み】
貼黃
自來鼓院の官出入時を以てす。若し兼領せしめば、講說の日に遇い、或は急に訴訟すること有れば、必ず須く留滯すべし。伏して望むらくは聖慈特に詳察を賜え。


再辭免狀
【読み】
再び辭免する狀

臣準尙書省劄子、以臣辭免兼權判登聞鼓院。奉聖旨不許辭免者。微賤小官、冒瀆天威、甘從顯戮。旣荷朝廷寬大之賜、敢復盡其區區之誠。如陛下擢臣草野之中、置之勸講之列、天下聳然知陛下崇儒重道、留意大本。豈特一時之美事。足(一作將。)爲後世之盛談。今復命臣兼判鼓院。使臣入則侍人主而談道德、出則坐司局而領訴訟、臣愚竊謂失朝廷用人之體。況臣稟性朴愚、唯知爲學。今時之務、皆所未諳。使臨事局、必致廢闕。若得專心致志、窮研聖學、以備顧問、臣愚不勝至願。伏望聖慈矜察、特許辭免。伏候勑旨。
【読み】
臣尙書省の劄子に準じて、以て臣登聞鼓院に權判たることを兼ぬることを辭免す。聖旨を奉るに辭免を許さざる者あり。微賤の小官、天威を冒し瀆して、甘んじて顯戮に從う。旣に朝廷寬大の賜を荷って、敢えて復其の區區の誠を盡くす。陛下臣草野の中に擢き、之を勸講の列に置くが如き、天下聳然として陛下儒を崇び道を重んじ、意を大本に留めたまうことを知る。豈特一時の美事ならんや。後世の盛談とするに足れり(一に將に作る。)。今復臣に命じて鼓院に判たることを兼ねしむ。臣をして入りては則ち人主に侍して道德を談じ、出ては則ち司局に坐して訴訟を領せしめば、臣愚竊かに謂うに朝廷人を用うるの體を失せん。況んや臣稟性朴愚にして、唯學を爲むることを知る。今時の務めは、皆未だ諳[そら]んせざる所なり。事局に臨ませしめば、必ず廢闕を致さん。若し心を專らにし志を致し、聖學を窮め研[きわ]めて、以て顧問に備うることを得ば、臣愚至願に勝えず。伏して望むらくは聖慈矜察して、特に辭免を許したまえ。伏して勑旨を候つ。


論冬至稱賀劄子(元祐元年)
【読み】
冬至の稱賀を論ずる劄子(元祐元年)

臣伏聞、冬至日、百官拜表稱賀。臣以爲、節序變遷、時思方切。若受表賀、大失居喪之禮、萬方後世、輕笑朝廷、無以風化天下。臣欲乞特降中旨、改賀作慰。臣備員勸講職、在以經術輔導人主。見此違經失禮、不敢不言。取進止。
【読み】
臣伏して聞く、冬至の日、百官拜表稱賀す、と。臣以爲えらく、節序變遷、時思方に切なり。若し表賀を受くれば、大いに喪に居るの禮を失して、萬方後世、朝廷を輕笑して、以て天下を風化すること無けん。臣特に中旨を降して、賀を改めて慰と作すことを乞わんと欲す。臣員に勸講の職に備わって、經術を以て人主を輔導する在り。此の經に違い禮を失するを見て、敢えて言わずんばあらず。進止を取る。

貼黃
臣竊慮聖意以去年冬至及今歲旦已受賀表、不欲改更。此甚不然。後是可以蓋前非。改過不吝、成湯所以稱聖也。
【読み】
貼黃
臣竊かに慮るに聖意去年冬至及び今歲旦已賀表を受くるを以て、改め更むることを欲せず。此れ甚だ然らず。後是れ以て前非を蓋う可し。過ちを改めて吝ならざるは、成湯の聖と稱する所以なり。


又上太皇太后疏(元祐二年春)
【読み】
又太皇太后に上る疏(元祐二年春)

臣頤傾竭愚誠、冒聞天聽。狂妄之誅、非所敢避。伏念臣草萊賤士、蒙陛下拔擢、置之勸講之列。夙夜畢精竭慮、思所以補報萬一。昨於去年六月中、嘗有奏陳、言輔導人主之事。已踰半年、不蒙施行一事。臣愚竊思、所言甚多。如皆不可用、其狂妄亦甚矣。雖朝廷寬大、不欲以言罪人、然主上春秋方富。宜親道德之士。豈可以狂妄之人置之左右。臣彷徨疑慮、不能自已。況臣所言、非出己意、皆先王之法、祖宗之舊、不應無一事合聖心者。臣竊疑文字煩多、陛下不能詳覽、或雖蒙覽、而未察愚意。臣不敢一一再言。止取一事最切者、復爲陛下陳之。
【読み】
臣頤愚誠を傾け竭くして、天聽に冒聞す。狂妄の誅、敢えて避くる所に非ず。伏して念うに臣は草萊の賤士、陛下の拔擢を蒙って、之を勸講の列に置く。夙夜精を畢くし慮りを竭くして、萬一を補報する所以を思う。昨に去年六月中に於て、嘗て奏陳すること有って、人主を輔導する事を言す。已に半年を踰うれども、一事を施し行うことを蒙らず。臣愚竊かに思うに、言う所甚だ多し。如し皆用う可からずんば、其の狂妄亦甚だし。朝廷の寬大、言を以て人を罪することを欲せずと雖も、然れども主上春秋方に富む。宜しく道德の士に親しむべし。豈狂妄の人を以て之を左右に置く可けんや。臣彷徨疑慮して、自ら已むこと能わず。況んや臣が言う所は、己が意より出るに非ず、皆先王の法、祖宗の舊、應に一事も聖心に合うこと無からしむべからざる者なり。臣竊かに疑うらくは文字煩多にして、陛下詳らかに覽ること能わず、或は覽ることを蒙ると雖も、而れども未だ愚意を察せざらん、と。臣敢えて一一再び言さざらんや。止一事最も切なる者を取って、復陛下の爲に之を陳べん。

臣前上言、乞於延和殿講讀、太皇太后每遇政事稀簡、聖體康和、時至簾下觀講官進說。不惟省察主上進業、於陛下聖聰、未必無補。兼講官輔導之閒、事意不少。有當奏稟。便得上聞。臣今思之、太皇太后雙日垂簾聽政、隻日若更親臨講讀、亦恐煩勞聖躬。欲乞只就垂簾日聽政罷、聖體不倦時、召當日講官至簾前、問當主上進業次第、講說所至、如何開益、使天下知陛下於輔養人主之道、用意如此。延對儒臣、自古以爲美事。陛下試從臣言、後當知其不謬。此一時之事、且非定制。如其無益、罷之何晩。自來經筵、賜坐啜茶。蓋人主崇儒重道之體。今太皇太后省察主上進業、雖或使之講說、亦無此禮。臣所以再言此一事者、蓋輔導之閒、有當奏知之事、無由上達。若得時至簾前、可以陳說。所繫甚大。
【読み】
臣前に上言して、延和殿に於て講讀して、太皇太后政事稀簡、聖體康和なるに遇う每に、時々簾下に至って講官の進み說くを觀んことを乞う。惟主上業に進むを省察するのみにあらず、陛下の聖聰に於ても、未だ必ずしも補い無くんばあらず。兼ねて講官輔導の閒、事意少なからず。當に奏稟すべき有り。便ち上聞することを得ん、と。臣今之を思うに、太皇太后雙日簾を垂れて政を聽き、隻日若し更に親ら講讀に臨まば、亦恐れらくは聖躬を煩勞せん。乞わんと欲す、只垂簾の日政を聽くこと罷めて、聖體倦まざる時に就いて、當日の講官を召して簾前に至らしめて、當主上業に進むの次第、講說の至る所、如何にか開益すということを問わば、天下をして陛下人主を輔養するの道に於て、意を用うること此の如きことを知らしめん。儒臣を延き對するは、古自り以て美事とす。陛下試みに臣が言に從わば、後當に其の謬たざることを知るべし。此れ一時の事にして、且つ定制に非ず。如し其れ益無くんば、之を罷めんこと何ぞ晩からん。自來經筵、坐して茶を啜ることを賜う。蓋し人主儒を崇び道を重んずるの體なり。今太皇太后主上の業に進むを省察するに、或は之をして講說せしむと雖も、亦此の禮無けん。臣再び此の一事を言う所以の者は、蓋し輔導の閒、當に奏し知らしむべき事有れども、上達するに由無ければなり。若し時々簾前に至ることを得ば、以て陳說す可し。繫かる所甚だ大なり。

陛下必謂、主上幼沖、閒日講讀足矣。更無他事。此甚不然。蓋從前不曾有爲陛下極陳輔養少主之道者。故陛下未深思爾。願陛下聖明、不以臣之微賤而忽其言、察臣區區之心。豈有他哉。惟欲有補於人主爾。臣披瀝肝膽、言盡於此。伏望聖慈采納、天下幸甚。
【読み】
陛下必ず謂わん、主上幼沖、閒日に講讀して足れり。更に他事無し、と。此れ甚だ然らず。蓋し從前曾て陛下の爲に極めて少主を輔養するの道を陳ぶる者有らず。故に陛下未だ深く思わざるのみ。願わくは陛下の聖明、臣が微賤を以てして其の言を忽にせずして、臣が區區の心を察したまえ。豈他有らんや。惟人主に補い有らんことを欲するのみ。臣肝膽を披き瀝りて、言此に盡くす。伏して望むらくは聖慈采納したまわば、天下幸甚なり。


乞就寬涼處講讀奏狀(元祐二年三月二十六日)
【読み】
寬涼處に就いて講讀せんことを乞う奏狀(元祐二年三月二十六日)

臣伏見邇英閣講讀、入夏漸熱。去年四月後、侵晨講讀、亦甚有暑氣。恐於聖體非宜。欲乞特降聖旨、移就一寬涼處。貴得穩便。謹錄奏聞、伏候勑旨。
【読み】
臣伏して邇英閣の講讀を見るに、夏に入れば漸く熱す。去年四月の後、晨を侵して講讀すれども、亦甚だ暑氣有り。恐れらくは聖體に於て宜しきに非ず。特に聖旨を降して、移して一の寬涼處に就かんことを乞わんと欲す。貴ぶらくは穩便を得ん。謹んで錄して奏聞して、伏して勑旨を候つ。

貼黃
雖祖宗以來只在邇英、緣主上聖體少嫩、尤須過意愼護。祖宗法度、固有不可改者、至於講讀處所、卽無不可從便之理。
【読み】
貼黃
祖宗以來只邇英に在りと雖も、主上聖體少嫩なるに緣りて、尤も須く過意に愼護すべし。祖宗の法度、固に改む可からざる者有れども、講讀處の所に至っては、卽ち便に從う可からざるの理無し。

貼黃
如別無穩便、只乞就崇政或延和殿。隻日講讀與雙日垂簾、自不相妨。
【読み】
貼黃
如し別に穩便無くんば、只崇政或は延和殿に就かんことを乞う。隻日の講讀と雙日の垂簾と、自づから相妨げず。


又上太皇太后書(元祐二年四月)
【読み】
又太皇太后に上る書(元祐二年四月)

月日、具位臣程頤、昧死再拜上書太皇太后陛下。
【読み】
月日、具位臣程頤、昧死再拜して書を太皇太后陛下に上る。

臣近言邇英講讀漸熱、乞移就寬涼處。貼黃稱、如別無穩便處所、只乞就崇政或延和殿。竊聞給事中顧臨有言、以延和講讀爲不可。臣本謂邇英熱、恐於聖體非宜。今聞修展邇英。苟得寬涼、則臣志願遂矣。於臨之言、在臣自可不恤。然有所甚害、不得不爲陛下辨之。若臨之言止於移惑太皇太后聖意、臣官非諫諍、不辨尙可也。今以臨言爲是、則誤主上知見。臣職當輔導。安得不辨。
【読み】
臣近ごろ邇英の講讀漸く熱きことを言して、寬涼處に移し就かんことを乞う。貼黃に稱す、如し別に穩便處の所無くんば、只崇政或は延和殿に就かんことを乞う、と。竊かに聞く、給事中顧臨言すこと有って、延和の講讀を以て不可とす、と。臣本邇英の熱きことを謂うは、恐れらくは聖體に於て宜しきに非ざればなり。今邇英を修展すと聞く。苟も寬涼を得ば、則ち臣が志願遂げん。臨が言に於ては、臣に在っては自ら恤えざる可し。然れども甚だ害する所有り、陛下の爲に之を辨ぜざることを得ず。若し臨が言太皇太后の聖意を移し惑わすに止まらば、臣が官は諫諍に非ざれば、辨ぜずとも尙可なり。今臨が言を以て是とせば、則ち主上の知見を誤らん。臣が職は輔導に當たる。安んぞ辨ぜざることを得ん。

臣竊謂、自古國家所患、無大於在位者不知學。在位者不知學、則人主不得聞大道、朝廷不能致善治。不聞道、則淺俗之論易入、道義之言難進。人君功德高下、一繫於此。臣非敢以諛言悅陛下。竊聞、陛下博覽前史。請陛下歷觀簡策、前世母后臨朝、有不壞紀綱者乎。有以至公爲心、孜孜求治爲英主之事、如陛下者乎。此陛下所自知也。陛下有簡策所無之盛德、則天下亦望陛下爲簡策所無之功業。不止維持歲月、俟人主長大而已、蓋望陛下致海内於治安、詒孫謀於久大。詒謀致治之道、當使聖德日躋、善治日新。進德在於求道、圖治莫如稽古。道必詢於有道之士。古必訪諸稽古之人。若夫世俗淺士、以守道爲迂、以稽古爲泥、適足惑亂人主之聽。
【読み】
臣竊かに謂えらく、古自り國家の患うる所は、在位の者學を知らざるより大なるは無し、と。在位の者學を知らざるときは、則ち人主大道を聞くことを得ず、朝廷善治を致すこと能わず。道を聞かざれば、則ち淺俗の論入り易く、道義の言進み難し。人君の功德高下、一に此に繫かる。臣敢えて諛言を以て陛下を悅ばしむるに非ず。竊かに聞く、陛下博く前史を覽る、と。請う陛下歷く簡策を觀たまうに、前世母后朝に臨んで、紀綱を壞らざる者有らんや。至公を以て心とし、孜孜として治を求むること有るは英主の事とすること、陛下の如き者あらんや。此れ陛下自ら知りたまう所なり。陛下簡策無き所の盛德有れば、則ち天下も亦陛下簡策無き所の功業を爲さんことを望まん。止歲月を維持して、人主の長大を俟つのみにあらず、蓋し陛下海内を治安に致し、孫謀を久大に詒さんことを望まん。謀を詒し治を致す道は、當に聖德日に躋[のぼ]り、善治日に新たにせしむべし。德に進むは道を求むるに在り、治を圖るは古を稽うるに如くは莫し。道は必ず有道の士に詢[と]う。古は必ず諸を古を稽うる人に訪う。若し夫れ世俗淺士、道を守るを以て迂とし、古を稽うるを以て泥むとせば、適に人主の聽を惑亂するに足れり。

近年以來、士風益衰、志趣汙下、議論鄙淺、高識遠見之士益少、習以成風矣。此風不革、臣以爲、非興隆之象。乃陵替之勢也。大率淺俗之人、以順從爲愛君、以卑折爲尊主、以隨俗爲知變、以習非爲守常。此今日之大患也。苟如是者衆、則人君雖有高世之見、豈能獨任哉。臣不知進道德之言、足以增益聖德者有幾。而損陛下之遠圖、移陛下之善意則有矣。如顧臨之言是也。
【読み】
近年以來、士風益々衰え、志趣汙下、議論鄙淺にして、高識遠見の士益々少なくして、習って以て風を成す。此の風革めずんば、臣以爲えらく、興隆の象に非ず、と。乃ち陵替の勢なり。大率淺俗の人は、順從を以て君を愛すとし、卑折を以て主を尊ぶとし、俗に隨うを以て變を知るとし、非を習うを以て常を守るとす。此れ今日の大患なり。苟も是の如き者衆きときは、則ち人君高世の見有りと雖も、豈能く獨り任ぜんや。臣道德の言を進めて、以て聖德を增益するに足れる者幾か有ることを知らず。而して陛下の遠圖を損し、陛下の善意を移すことは則ち有り。顧臨が言の如き是れなり。

臣料臨之意、不過謂講官不可坐於殿上、以尊君爲說爾。夫殿上講說、義理之至當、古者所常行也。臣不暇遠引、只以本朝故事言之、太祖皇帝召王昭素講易、眞宗令崔頤正講書、邢昺講春秋、皆在殿上。當時仍是坐講。立講之儀、只始於明肅大后之意。此乃祖宗尊儒重道之盛美、豈獨子孫當以爲法。萬世帝王所當法也。而臨以爲非。臨謂講官不可坐殿上、則昭素布衣之士、其不可更甚矣。邇英講讀、只自仁宗時、亦從便爾。非是避殿上也。若避殿上、則不應置崇政說書之職。雖以殿名設職、不必須在本殿說書。然亦必不肯於不可講說之處置說書官也。臣每進講、未嘗不規勸主上以祖宗美事爲法。如臨之意、則是禁止主上不得復爲優禮昭素之事、及有崇政設職之意、祖宗美事、而使主上獨不得爲。若主上信以爲然、所損豈不甚大。殿上說書、亦是常事。人主崇儒之道、甚有重於此者。臣今口未敢言、然中心惟欲輔養主上重道之心。如前代明王、光耀史册、不止此一事而已。臨之見與臣之心、何其異也。且講經與飮宴孰重。眞宗・仁宗時皆宴講讀官於崇政殿。從來侍宴皆在殿上。而講經獨不得在殿上、臣未諭其義也。臨之意必曰、彼一時之事爾。日常則不可。夫於義苟當、日常何害。義或不可、一時亦不可也。
【読み】
臣臨が意を料るに、講官殿上に坐せしむ可からずと謂うに過ぎざるは、君を尊ぶを以て說を爲すのみ。夫れ殿上の講說は、義理の至當、古者常に行う所なり。臣遠く引くに暇あらず、只本朝の故事を以て之を言うに、太祖皇帝王昭素を召して易を講ぜしめ、眞宗崔頤正をして書を講ぜしめ、邢昺[けいへい]をして春秋を講ぜしむること、皆殿上に在り。當時仍[なお]是れ坐講なり。立講の儀は、只明肅大后の意に始まる。此れ乃ち祖宗儒を尊び道を重んずるの盛美、豈獨り子孫當に以て法とするべきのみならんや。萬世の帝王當に法るべき所なり。而るに臨以て非とす。臨が講官は殿上に坐す可からずと謂うときは、則ち昭素布衣の士、其の不可なること更に甚だし。邇英の講讀は、只仁宗の時自り、亦便に從うのみ。是れ殿上を避くるに非ず。若し殿上を避けば、則ち應に崇政說書の職を置くべからず。殿の名を以て職を設くと雖も、必ずしも本殿に在って說書することを須いじ。然れども亦必ず肯えて講說す可からざるの處に於て說書の官を置かじ。臣進講する每に、未だ嘗て主上祖宗の美事を以て法とすることを規勸せずんばあらず。臨が意の如きは、則ち是れ主上を禁止して復昭素を優禮する事を爲すことを得ざらしめ、及び崇政職を設くるの意有るは、祖宗の美事にして、主上をして獨り爲すことを得ざらしむ。若し主上信じて以て然りとせば、損する所豈甚大ならずや。殿上の說書は、亦是れ常事。人主儒を崇ぶの道、甚だ此より重き者有り。臣今口未だ敢えて言わざれども、然れども中心惟主上道を重んずるの心を輔養せんと欲す。前代の明王、史册に光耀するが如き、止此の一事のみにあらず。臨が見と臣が心と、何ぞ其れ異なるや。且つ講經と飮宴と孰れか重き。眞宗・仁宗の時皆講讀官を崇政殿に宴す。從來侍宴は皆殿上に在り。而るに講經獨り殿上に在ることを得ざること、臣未だ其の義を諭さず。臨が意必ず曰わん、彼は一時の事のみ。日常は則ち不可なり、と。夫れ義に於て苟も當たらば、日常何ぞ害あらん。義或は不可ならば、一時も亦不可なり。

臣始言之、執政大臣未以爲非也、及臨一言、則是而從之。以臣度之、以臨之言爲是者、亦或有之。若謂四五大臣皆以爲是、則必不然。蓋非難知之事、不應四五人所見皆如是也。特以陛下信臨之言、而又迫於尊君之意、故不敢言爾。恐非以道事君之義。今世俗之人、能爲尊君之言、而不知尊君之道。人君唯道德益高則益尊。若位勢則崇高極矣、尊嚴至矣、不可復加也。過禮則非禮、强尊則不尊。漢明帝於桓榮、親自執業、可謂謙屈矣。周宣帝稱天、自比上帝、羣臣齋戒淸身數日方得朝見、可謂自尊矣。然以理觀之、漢明帝賢明之君、百世所尊也。周宣帝昏亂之主、百世所賤也。如臨之見、則必以桓榮爲不能尊君、以周宣之臣爲能尊君矣。不知道之人益進、不合理之言日聞、雖人主聖明、習熟見聞、亦恐不能無損爾。後世功業益卑、先王粹美之道不復見於世者、正由淺俗之論易信而得行爾。
【読み】
臣始め之を言うに、執政大臣未だ以て非とせず、臨が一たび言うに及んで、則ち是として之に從う。臣を以て之を度るに、臨が言を以て是とする者は、亦或は之れ有らん。若し謂ゆる四五の大臣皆以て是とするときは、則ち必ず然らず。蓋し知り難き事に非ず、應に四五人の見る所皆是の如くなるべからず。特陛下臨が言を信じて、又君を尊ぶの意に迫るを以て、故に敢えて言わざるのみ。恐らくは道を以て君に事うるの義に非ず。今世俗の人、能く君を尊ぶの言を爲して、君を尊ぶの道を知らず。人君唯道德益々高きときは則ち益々尊し。位勢の若きは則ち崇高極まれり、尊嚴至れり、復加う可からず。過禮は則ち禮に非ず、强尊は則ち尊からず。漢の明帝の桓榮に於る、親しく自ら業を執るは、謙屈すと謂う可し。周の宣帝天と稱して、自ら上帝に比し、羣臣齋戒して身を淸くすること數日にして方に朝見することを得るは、自ら尊くすと謂う可し。然れども理を以て之を觀るに、漢の明帝は賢明の君にして、百世尊ぶ所なり。周の宣帝は昏亂の主にして、百世賤しくする所なり。臨が見の如きは、則ち必ず桓榮を以て君を尊ぶこと能わずとし、周宣の臣を以て能く君を尊ぶとするなり。道を知らざる人益々進み、理に合わざる言日に聞えば、人主の聖明と雖も、見聞に習熟せば、亦恐らくは損すること無きこと能わざらんのみ。後世功業益々卑くして、先王粹美の道復世に見ざる者は、正に淺俗の論信ぜられ易くして行わるることを得るに由るのみ。

夫先王之道、雖未能盡行、然稽古之心、不可無也、猶學者於聖賢之事雖未能盡行、然希慕之心、不可無也。此乃進學求益之道。今臨之意、則以古先之事爲不足法、今日之事足矣。不可更有進也。此乃塞進善之門、絕稽古之路。方主上春秋之富、進德之際、而其所獻納如是。使勸講官稍思職業、敢不辨乎。若陛下以臣言爲非、則狂妄之誅、不可避也。萬一以臣言爲是、則願陛下明示好古求道之意、使朝廷在位皆知之。雖鄙陋之人、見陛下聖慮高明、不喜淺近、亦將勉思義理、不敢任其卑俗之見、懼獲鄙於聖鑒矣。誠如是、則將見道學日明、至言日進、弊風日革。爲益孰大於此。臣職當辨明、義不敢默。臣無任懇切惶懼待罪之至。
【読み】
夫れ先王の道、未だ盡く行うこと能わずと雖も、然れども古を稽うるの心、無くんばある可からざるは、猶學者聖賢の事に於て未だ盡く行うことを能わずと雖も、然れども希慕の心、無くんばある可からざるがごとし。此れ乃ち學に進み益を求むるの道なり。今臨が意は、則ち古先の事を以て法るに足らずとし、今日の事足れりとす。更に進むこと有る可からず。此れ乃ち善に進むの門を塞ぎ、古を稽うるの路を絕つ。主上春秋の富、德に進むの際に方って、其の獻納する所是の如し。勸講の官をして稍職業を思わしめば、敢えて辨ぜざらんや。若し陛下臣が言を以て非とせば、則ち狂妄の誅、避く可からず。萬一臣が言を以て是とせば、則ち願わくは陛下明らかに古を好み道を求むるの意を示して、朝廷の在位をして皆之を知らしめたまえ。鄙陋の人と雖も、陛下の聖慮高明にして、淺近を喜ばざることを見ば、亦將勉めて義理を思って、敢えて其の卑俗の見に任ぜずして、聖鑒に鄙しまるることを獲んことを懼れん。誠に是の如くならば、則ち將に道學日に明らかに、至言日に進み、弊風日に革まることを見んとす。益を爲すこと孰れか此より大ならん。臣職辨明に當たって、義敢えて默せず。臣懇切惶懼罪を待つの至りに任うること無し。


論開樂御宴奏狀(元祐二年夏)
【読み】
樂を開き宴を御することを論ずる奏狀(元祐二年夏)

臣伏覩有司排備開樂御宴。臣備員勸講職、在以經義輔導人主、事有害義、不敢不言。夫居喪用喪禮、除喪用吉禮、因事而行、乃常道也。今若爲開樂張宴、則是特爲一喜慶之事。失禮意、害人情、無大於此。雖曰故事、祖宗亦不盡行、或以故而罷、或因事而行。臣愚竊恐、祖宗之意、亦疑未安故也。
【読み】
臣伏して覩るに有司樂を開き宴を御することを排備す。臣員に勸講の職に備わって、經義を以て人主を輔導するに在り、事義を害すること有れば、敢えて言わずんばあらず。夫れ喪に居しては喪の禮を用い、喪を除しては吉禮を用い、事に因りて行うは、乃ち常の道なり。今若し樂を開き宴を張ることをするは、則ち是れ特一喜慶の事とす。禮意を失し、人情を害すること、此より大なるは無し。故事と曰うと雖も、祖宗亦盡くは行わず、或は故を以て罷め、或は事に因って行う。臣愚竊かに恐るらくは、祖宗の意、亦疑うらくは未だ安からざる故ならん、と。

自古太平日久、則禮樂純備。蓋講求損益而漸至爾。雖祖宗故事、固有不可改者、有當隨事損益者。若以爲皆不可改、則是昔所未遑、今不得復作、前所未安、後不得復正。朝廷之事、更無損益之理。得爲是乎。況先朝美事、亦何嘗必行。臣前日所言殿上講說是也。故事未安、則守而不改。臣前日所言冬至受表賀是也。
【読み】
古自り太平日久しきときは、則ち禮樂純備す。蓋し講求損益して漸く至るのみ。祖宗の故事と雖も、固より改む可からざる者有り、當に事に隨って損益すべき者有り。若し以て皆改む可からずとせば、則ち是れ昔未だ遑あらざる所は、今復作すことを得ず、前に未だ安からざる所は、後に復正すことを得ず。朝廷の事、更に損益するの理無し。是とすることを得んや。況んや先朝の美事、亦何ぞ嘗て必ず行わん。臣前日言す所の殿上の講說是れなり。故事未だ安からざれば、則ち守って改めず。臣前日言す所の冬至に表賀を受くる是れなり。

臣前後累進狂言、未嘗得蒙采用。而言之不已者、蓋職之所當、不敢曠廢。伏望聖慈特賜聽納、自中降旨、罷開樂宴。直候因事而用、於義爲安。冒瀆天威、臣無任。
【読み】
臣前後累りに狂言を進むれども、未だ嘗て采用を蒙ることを得ず。而れども之を言うこと已めざる者は、蓋し職の當たる所、敢えて曠廢せざればなり。伏して望むらくは聖慈特に聽納を賜い、中自り旨を降して、樂宴を開くことを罷めたまうことを。直に事に因って用を候[うかが]えば、義に於て安しとす。天威を冒し瀆して、臣任うること無し。


乞歸田里第一狀(元祐二年十一月初六日)
【読み】
田里に歸らんことを乞う第一の狀(元祐二年十一月初六日)

臣昨任崇政殿說書。忽奉勑差權同管勾西京國子監。傳聞有言事官言臣罪狀。臣旣知是責命、禮當奔走就職。今已到任訖。方敢傾瀝懇誠、仰干天聽。
【読み】
臣昨に崇政殿の說書に任ず。忽ち勑を奉って權同管勾西京の國子監に差せらる。傳え聞く、事を言すの官臣が罪狀を言すこと有り、と。臣旣に是の責命を知らば、禮當に奔走して職に就くべし。今已に任に到り訖[お]う。方に敢えて懇誠を傾け瀝りて、仰いで天聽を干す。

竊念臣本草萊之人、因二三大臣論薦、遂蒙朝廷擢任、寘之經筵、故(徐本無故字。)授以朝階。今旣有罪、不使勸講、則所受之官、理當還奪。雖朝廷務存寬厚、在臣義所難處。伏望聖慈許臣納官歸田里、以安愚分。冒瀆宸嚴、臣無任。
【読み】
竊かに念うに臣は本草萊の人、二三の大臣論薦するに因って、遂に朝廷の擢任を蒙って、之を經筵に寘く、故に(徐本故の字無し。)授くるに朝階を以てす。今旣に罪有って、勸講せしめざるときは、則ち受くる所の官、理當に還奪すべし。朝廷務めて寬厚を存すと雖も、臣に在っては義の處し難き所なり。伏して望むらくは聖慈臣が官を納め田里に歸って、以て愚分を安んずることを許したまえ。宸嚴を冒し瀆して、臣任うること無し。

貼黃
若臣元是朝官、朝廷用爲說書、雖罷說書、却以朝官去、乃其分也。臣本無官。只因說書授以朝官。旣罷說書、獨取朝官而去、極無義理。
【読み】
貼黃
若し臣元是れ朝官にして、朝廷用いて說書とせば、說書を罷むと雖も、却って朝官を以て去ること、乃ち其の分なり。臣は本官無し。只說書に因りて授くるに朝官を以てしたまう。旣に說書を罷めて、獨り朝官を取って去るは、極めて義理無し。

第二狀(十二月十八日)
【読み】
第二の狀(十二月十八日)

臣今月十四日準河南府送到尙書省劄子一道。以臣乞歸田里、奉聖旨不允所乞者。聞命惶懼、不知所安。須至再竭悃誠、上煩天聽。
【読み】
臣今月十四日河南府に準じて尙書省の劄子一道を送到す。臣田里に歸ることを乞うを以て、聖旨を奉るに乞う所の者を允[ゆる]さず。命を聞いて惶懼して、安んずる所を知らず。須く再び悃誠を竭くして、上天聽を煩わすに至るべし。

臣昨自崇政殿說書受勑權同管勾西京國子監。傳聞因諫官有言。臣雖不知所言何事、必是罪惡有實。竊念臣畎畝之人、因司馬光、呂公著、韓絳等以行義稱薦、蒙朝廷受官。今旣有罪惡、是無行義。自當追奪、以正誤朝廷之罪。尙叨祿位、有何義理。臣愚竊意朝廷顧惜事體、以嘗旌用、不欲放棄。臣竊以爲、不然。始聞其善而用之、陛下急賢之心也。後見其惡而去之、至公之道也。伏望聖慈俯鑒丹誠、許歸田里。
【読み】
臣昨に崇政殿の說書自り勑を受けて權同管勾西京の國子監たり。傳え聞く、諫官言すこと有るに因る、と。臣言す所何事ということを知らずと雖も、必ず是れ罪惡實有らん。竊かに念うに臣は畎畝の人、司馬光、呂公著、韓絳等行義を以て稱薦するに因って、朝廷官を受くることを蒙る。今旣に罪惡有れば、是れ行義無し、と。自ら當に追い奪って、以て朝廷を誤るの罪を正すべし。尙祿位を叨[みだ]りにするは、何の義理か有る。臣愚竊かに意うに朝廷事體を顧惜して、嘗て旌用することを以て、放棄することを欲せざるならん。臣竊かに以爲えらく、然らず、と。始め其の善を聞いて之を用うるは、陛下賢を急にするの心なり。後に其の惡を見て之を去るは、至公の道なり。伏して望むらくは聖慈俯して丹誠を鑒て、田里に歸ることを許したまえ。

第三狀(元祐三年春)
【読み】
第三の狀(元祐三年春)

臣竊(徐本竊作切。)以見善而用、見不善而退、人主黜陟之至公、道合則從、不合則去、儒者進退之大節。黜陟失當、則亂所由生、進退忘義、則道所由廢。
【読み】
臣竊か(徐本竊を切に作る。)に以みるに善を見て用い、不善を見て退くるは、人主黜陟の至公、道合えば則ち從い、合わざれば則ち去るは、儒者進退の大節なり。黜陟當たることを失えば、則ち亂由って生ずる所、進退義を忘るれば、則ち道由って廢する所なり。

愚臣無狀、蒙陛下擢、自衡茅寘之勸講。旋以人言、至於黜逐。朝廷信其惡矣。愚臣道不用矣。信其惡而使之在官、恐非黜陟之當。道不用而徒茲苟祿、殊乖進退之義。臣是以不敢遑寧、繼上封章、願歸田里。待命三月、未奉(一作聞。)兪音。在臣義旣當去、敢不固請。與其至於瀆而加罪、曷若因其請而使去。臣非不知享祿勝於躬耕、貧匱不如溫足。顧以讀書爲儒、粗知廉恥、不敢枉道以求苟安。伏望聖慈矜察至誠、俾完素守。苟遂丘園之請、敢忘天地之恩。罔避誅夷、必期兪允。
【読み】
愚臣無狀にして、陛下の擢を蒙って、衡茅自り之を勸講に寘く。旋[つ]いで人の言を以て、黜逐に至る。朝廷其の惡を信ずるなり。愚臣道用いられざるなり。其の惡を信じて之をして官に在らしめば、恐らくは黜陟の當たるに非ず。道用いられずして徒に茲に祿を苟もせば、殊に進退の義に乖く。臣是を以て敢えて遑あき寧んぜず、繼いで封章を上って、田里に歸らんことを願う。命を待つこと三月までに、未だ兪音を奉らず(一に聞に作る。)。臣に在っては義旣に當に去るべく、敢えて固く請わざらんや。其の瀆して罪を加うるに至らん與りは、曷ぞ其の請うに因って去らしむるに若かん。臣享祿躬耕に勝り、貧匱溫足に如かざることを知らざるには非ず。顧みるに書を讀んで儒と爲って、粗廉恥を知るを以て、敢えて道を枉げて以て苟も安んずることを求めず。伏して望むらくは聖慈至誠を矜察して、素守を完うせしめたまえ。苟も丘園の請いを遂げば、敢えて天地の恩を忘れんや。誅夷を避くこと罔くして、必ず兪允を期す。


乞致仕第一狀
【読み】
仕を致[かえ]すことを乞う第一の狀

臣伏自到任、三具奏陳、乞歸田里。待命又已三月、未得指揮。在臣所以求去之義、前後陳述盡矣。不敢重疊、煩瀆聖聽。竊(徐本竊作切。)以朝廷特起臣於畎畝之中、寘之經筵、使輔導人主、非常之舉也。旣以罪去。若包羞苟得、不顧去就之義、實懼萬世之下、非笑聖朝之舉臣。是以屢冒天威、必期得請。自古爲臣陳力不能則致其仕、禮也。竊(徐本竊作切。)恐朝廷顧惜事體、旣已招來、不欲放棄。臣更不敢乞歸田里。只乞令臣致仕。伏望聖慈察其懇誠、特賜兪允。
【読み】
臣伏して任に到って自り、三たび奏陳を具べて、田里に歸らんことを乞う。命を待つこと又已に三月までに、未だ指揮を得ず。臣が去らんことを求むる所以の義に在っては、前後陳述盡くせり。敢えて重疊して、聖聽を煩瀆せず。竊か(徐本竊を切に作る。)に以みるに朝廷特に臣を畎畝の中に起こして、之を經筵に寘いて、人主を輔導せしむるは、非常の舉なり。旣に罪を以て去る。若し羞を包んで得ることを苟もして、去就の義を顧みずんば、實に懼れらくは萬世の下、聖朝の臣を舉することを非笑せん。是を以て屢々天威を冒して、必ず請いを得ることを期す。古自り臣と爲りて力を陳ぶること能わざれば則ち其の仕を致すは、禮なり。竊か(徐本竊を切に作る。)に恐る、朝廷事體を顧惜して、旣已に招來して、放棄することを欲せざらんことを。臣更に敢えて田里に歸ることを乞わず。只臣をして仕を致さしむることを乞う。伏して望むらくは聖慈其の懇誠を察して、特に兪允を賜え。

第二狀
【読み】
第二の狀

臣自到任、三請歸田、一乞致仕、至今未得指揮。須至再竭懇誠、仰冀省察。
【読み】
臣任に到って自り、三たび田に歸らんことを請い、一たび仕を致すことを乞えども、今に至るまで未だ指揮を得ず。須く再び懇誠を竭くして、仰いで省察を冀うに至るべし。

方皇帝陛下嗣位之初、太皇太后臨朝之始、一新政事、首及人才、擢臣草野之中、處以勸講之職。觀陛下好賢之心、可謂至矣。惟陛下用人之意、不其深乎。歷觀簡策、自古母后臨朝、未有能爲如此之事者。豈止聳動一時。足以輝光千古。臣旣遭遇如此。宜有令德重望、爲朝廷光。而乃德義不修、誠意不至、上不能取信人主、下不能鎭服浮議、遂致詆毀潛加罪釁、陰積招延未幾、斥逐隨至。使陛下高古之盛美、翻爲天下所譏議。古之君子、用之則其君尊榮。今臣之進、乃爲聖明之累、則臣之罪大矣。尙以何義、復齒仕列。臣是以累上封章、願歸田里。臣若得去、則天下後世當謂、陛下前日招延、雖不得獲上有道、明哲保身之士、猶不失行己有恥、進退顧義之人、則朝廷之舉、未爲大過、二三大臣之薦、未爲甚欺。故臣之累請、不止自爲、亦所以爲朝廷也。
【読み】
皇帝陛下位を嗣ぐの初め、太皇太后朝に臨むの始めに方って、一たび政事を新たにして、首めて人才に及び、臣を草野の中に擢いて、處するに勸講の職を以てす。陛下賢を好むの心を觀るに、至れりと謂う可し。惟れ陛下人を用うるの意、其れ深からずや。歷く簡策を觀るに、古自り母后朝に臨んで、未だ能く此の如き事を爲す者は有らず。豈止一時を聳動するのみならんや。以て千古を輝光するに足れり。臣旣に遭遇すること此の如し。宜しく令德重望有って、朝廷の光を爲すべし。而るに乃ち德義修まらず、誠意至らず、上信を人主に取ること能わず、下浮議を鎭服すること能わず、遂に詆毀を致して潛かに罪釁を加え、陰積招延して未だ幾ならずして、斥逐隨い至る。陛下高古の盛美をして、翻って天下の爲に譏議せられしむ。古の君子、之を用うるときは則ち其の君尊榮なり。今臣の進む、乃ち聖明の累いを爲すときは、則ち臣の罪大なり。尙何の義を以て、復仕列に齒せん。臣是を以て累りに封章を上って、田里に歸らんことを願う。臣若し去ることを得ば、則ち天下後世當に謂うべし、陛下前日の招延、上に獲るに道有ることを得ずと雖も、明哲身を保んずる士は、猶己を行うに恥づること有ることを失せず、進退義を顧みる人は、則ち朝廷の舉、未だ大なる過ちとせず、二三大臣の薦むる、未だ甚だ欺けりとせず、と。故に臣が累りに請うこと、止自ら爲にするのみならず、亦朝廷の爲にする所以なり。

不知臣者、不以臣爲忿躁、必以臣爲沽激。臣豈然哉。臣身傳至學、心存事道。不得行於時、尙當行於己、不見信於今、尙期信於後。安肯失禮害義、以自毀於後世乎。蓋質之聖賢、考之經義、爲當然爾。況去就之義、豈獨臣知之。學道者所共知也。願陛下遍詢輔臣、臣之請爲義乎、爲非義乎。如以爲非義、是臣所學偏謬。不敢避愚妄煩瀆之罪。如以爲義、則乞從臣之請。或朝廷顧惜事體、不欲使歸田里、只乞令臣致仕。
【読み】
臣を知らざる者は、臣を以て忿躁すとせずんば、必ず臣を以て沽激すとせん。臣豈然らんや。臣が身至學を傳えて、心道を事とすることを存す。時に行わるることを得ずんば、尙當に己に行うべく、今に信ぜられずんば、尙後に信ぜられんことを期す。安んぞ肯えて禮を失し義を害して、以て自ら後世に毀[そし]られんや。蓋し之を聖賢に質し、之を經義に考うるに、當然とするのみ。況んや去就の義、豈獨り臣之を知るのみならんや。道を學ぶ者共に知る所なり。願わくは陛下遍く輔臣に詢[と]いたまえ、臣が請うこと義とするか、非義とするか、と。如し以て非義とせば、是れ臣が學ぶ所偏に謬るなり。敢えて愚妄煩瀆の罪を避けず。如し以て義とせば、則ち乞う、臣の請いに從いたまえ。或は朝廷事體を顧惜して、田里に歸らしめんことを欲せずんば、只乞う、臣をして仕を致さしめたまえ。


辭免服除直秘閣判西京國子監狀(元祐七年四月)
【読み】
服に直秘閣判西京の國子監に除せらるるを辭免する狀(元祐七年四月)

臣今月一日、準河南府差人送到官誥一道。伏蒙聖恩、授臣左通直郎・直秘閣・權判西京國子監者。臣昨被責命、出爲外官、夙夜靡遑、惟是内省。始蒙招致之禮、旋爲黜逐之人。將胡顏以立朝。當自劾而引去。至於五請而未聽、豈可力辯以求伸。遂且從容、以須替罷。未及任滿、遽丁家艱。思無忝於所生、惟堅持於素節。未終喪制、已降除書。上體眷恩、内深愧懼。
【読み】
臣今月一日、河南府に準じて人を差して官誥一道を送到す。伏して聖恩を蒙って、臣に左通直郎・直秘閣・權判西京の國子監を授くる者あり。臣昨に責命を被って、出ては外官となり、夙夜遑あき靡くして、惟是れ内に省みる。始め招致の禮を蒙って、旋いで黜逐の人と爲る。將に胡の顏にしてか以て朝に立たん。當に自ら劾して引き去るべし。五たび請うに至るも未だ聽されず、豈力め辯じて以て伸ぶることを求む可けんや。遂に且從容として、以て須く替罷すべし。未だ任滿つるに及ばずして、遽に家艱に丁[あ]たる。所生を忝[はづかし]むること無からんことを思って、惟堅く素節を持す。未だ喪の制を終えずして、已に除書を降す。上眷恩を體して、内愧懼深し。

伏念臣志存守道、識昧隨時。俗所忌憎、動招謗毀。昨蒙擢任、旣以人言被黜、爲朝廷羞矣。今復授以職任。適足重爲朝廷羞。無所益於明時、徒取笑於後世。伏望聖慈矜察愚誠、追寢恩命。臣昨因丁憂旣已去官。今來所降誥命、不敢祗受、已於河南府寄納。伏乞朝廷撿會臣前來五次奏陳、特賜指揮、許歸田里。
【読み】
伏して念うに臣志道を守るに存して、識時に隨うに昧し。俗に忌憎せられて、動もすれば謗毀を招く。昨に擢任を蒙って、旣に人の言を以て黜けらるること、朝廷の爲に羞づ。今復授くるに職任を以てす。適に重ねて朝廷の爲に羞づるに足れり。明時に益する所無くして、徒に笑いを後世に取らん。伏して望むらくは聖慈愚誠を矜れみ察して、恩命を追い寢[や]めたまえ。臣昨に憂えに丁たるに因りて旣已に官を去る。今來降す所の誥命、敢えて祗んで受けざること、已に河南府に於て寄納す。伏して乞うらくは朝廷臣が前來五次の奏陳を撿會して、特に指揮を賜って、田里に歸ることを許したまえ。


再辭免表
【読み】
再び辭免する表

臣頤言、昨蒙聖恩、授臣左通直郎・直秘閣・權判西京國子監。尋具狀辭免。今月十九日、河南府送到尙書省劄子、奉聖旨不許辭免者。斥逐之人、分當遠引、甄收之命、義實難安(中謝。)
【読み】
臣頤言す、昨に聖恩を蒙って、臣に左通直郎・直秘閣・權判西京の國子監を授く。尋いで狀を具べて辭免す。今月十九日、河南府より送到する尙書省の劄子、聖旨を奉るに辭免を許さざる者あり。斥逐の人、分當に遠引すべく、甄收[けんしゅう]の命、義實に安んじ難し(中謝。)

伏念臣力學有年、以身任道。唯知耕養以求志、不希聞達以干時。皇帝陛下詔起臣於草野之中、面授臣以講說之職。臣切思之、得以講學侍人主。苟能致人主得堯・舜・禹・湯・文・武之道、則天下享唐・虞・夏・商・周之治。儒者逢時、孰過於此。臣是以躍然有許國之心、在職歲餘、夙夜畢精竭慮。蓋非徒爲辯辭解釋文義、唯欲積其誠意、感通聖心、徯交發志之孚、方進沃心之論。實覬不傳之學復明於今日、作聖之效遠繼於先王。自二年春後來、臣每進說、陛下常首肯應臣。臣知陛下聖資樂學、誠自以謂千載之遇也。
【読み】
伏して念うに臣力め學んで年有って、身を以て道を任ず。唯耕養して以て志を求むることを知って、聞達して以て時に干[もと]むることを希わず。皇帝陛下詔して臣を草野の中に起こして、面りに臣に授くるに講說の職を以てす。臣切に之を思うに、講學を以て人主に侍することを得。苟に能く人主堯・舜・禹・湯・文・武の道を得ることを致さば、則ち天下唐・虞・夏・商・周の治を享けん。儒者時に逢うこと、孰か此に過ぎん。臣是を以て躍然として國に許すの心有って、職に在ること歲餘、夙夜精を畢くし慮りを竭くす。蓋し徒に辯辭を爲して文義を解釋せんとには非ず、唯其の誠意を積んで、聖心を感通せしめんと欲して、徯[ま]つに志を發するの孚を交え、方に心に沃[そそ]ぐの論を進む。實に覬わくは不傳の學復今日に明らかに、聖と作るの效遠く先王に繼がんことを。二年の春自り後來、臣每に說を進むるに、陛下常に首肯して臣に應ず。臣陛下の聖資學を樂しむことを知って、誠に自ら以謂えらく、千載の遇なり、と。

而不思道大則難容、跡孤者易躓、入朝見嫉、世俗之常態、名高毀甚、史册之明言。如臣至愚、豈免衆口。不能取信於上、而欲爲繼古之事、成希世之功。人皆知其難也。臣何狂簡、敢爾覬幸。宜其獲罪明時、見嗟公論。志旣乖於事道。義當致於爲臣。屢懇請而未從、俄遭憂而罷去。銜恤旣終於喪制、退身當遂於初心。豈舍王哉。忠戀之誠雖至、不得已也。去就之義當然。
【読み】
而して道大なれば則ち容れられ難く、跡孤なる者は躓き易く、朝に入って嫉まるるは、世俗の常態、名高くして毀り甚だしきは、史册の明言なることを思わず。臣が至愚の如き、豈衆口を免れんや。信を上に取ること能わずして、古に繼ぐ事を爲し、世に希なる功を成さんと欲す。人皆其の難きことを知るなり。臣何の狂簡にしてか、敢えて爾[しか]く覬幸するや。宜なり其の罪を明時に獲、公論に嗟さるること。志旣に道を事とするに乖く。義當に於臣爲ることを致すべし。屢々懇請すれども未だ從わず、俄に憂えに遭って罷め去る。恤えを銜[ふく]んで旣に喪の制を終え、身を退いて當に初心を遂ぐべし。豈王を舍つるならんや。忠戀の誠至れりと雖も、已むことを得ざればなり。去就の義當に然すべし。

自惟衰邁之軀、得就安閑之地。聞今傳後、更有望於殘年。行道致君、甘息心於聖世。豈期矜貸。尙俾甄升。恩雖甚隆、義則難處。前日朝廷不知其不肖、使之勸學人主。不用則亦已矣。若復無恥以苟祿位、孟子所謂是爲壟斷也。儒者進退、當如是乎。臣非苟自重。實懼上累聖明。使天下後世謂朝廷特起之士乃貪利苟得之人、甚可羞也。臣猶羞之。況朝廷乎。在臣無可受之理。敢冒萬死、上還恩命。伏乞撿會臣前後累奏、特賜指揮。
【読み】
自ら惟うに衰邁の軀、安閑の地に就くことを得んことを。今に聞え後に傳うること、更に殘年に望むこと有り。道を行い君を致すこと、甘んじて心を聖世に息む。豈矜貸を期せんや。尙甄升せしむ。恩甚隆なりと雖も、義則ち處し難し。前日朝廷其の不肖を知らず、之をして學を人主に勸めしむ。用いられずんば則ち亦已みなん。若し復恥づること無くして以て祿位を苟もせば、孟子の所謂是れ壟斷を爲すなり。儒者の進退、當に是の如くすべけんや。臣苟も自ら重んずるに非ず。實に上聖明を累わさんことを懼る。天下後世をして朝廷特起の士は乃ち利を貪り得ることを苟もする人と謂わしめば、甚だ羞づ可し。臣猶之を羞づ。況んや朝廷をや。臣に在って受く可きの理無し。敢えて萬死を冒して、上恩命を還す。伏して乞う、臣が前後の累奏を撿會して、特に指揮を賜え。

貼黃
臣家傳忠孝、世受國恩。擢自草萊、久侍經閣。豈無愛君報國之心。義迫當去、無路自效。惟今日冒死、爲陛下陳儒者進退之道、爲臣去就之義。覬望有補。乃區區上報之心也。
【読み】
貼黃
臣の家忠孝を傳えて、世々に國恩を受く。草萊自り擢かれて、久しく經閣に侍す。豈君を愛し國に報ずる心無からんや。義當に去るべきに迫って、自ら效すに路無し。惟今日死を冒して、陛下の爲に儒者進退の道、臣と爲して去就するの義を陳ぶ。覬み望むらくは補い有らんことを。乃ち區區として上報ずるの心なり。

貼黃
臣求去與辭官前後七章、陳說進退之義、旣已詳明、言亦盡於此矣。皆據經義、非出私意。伏望聖明特賜省察。
【読み】
貼黃
臣去らんことを求むると官を辭すると前後七章、進退の義を陳說すること、旣已に詳明にして、言亦此に盡くせり。皆經義に據って、私意に出るに非ず。伏して望むらくは聖明特に省察を賜え。


謝管勾崇福宮狀(元祐七年五月)
【読み】
崇福宮に管勾たるを謝する狀(元祐七年五月)

臣昨蒙聖恩、除臣左通直郎・直秘閣・權判西京國子監。兩具表狀辭免、乞歸田里。今月十日、準勑特授左通直郎・管勾西京嵩山崇福宮者。誤蒙甄錄、再露封章。不敢遜言。惟盡敬主之意、深陳古義。蓋存報國之心。天聽至高、言已盡而誠孚未格、君威難犯。慮其瀆而憂懼交深。非特畏於刑章、實願存於國體。幸蒙寬貸。豈敢頻煩。臣更不敢固違朝命、所降勑牒、臣已領訖。伏爲見患腰跨、拜受未得。候痊損日、謝恩就職次。
【読み】
臣昨に聖恩を蒙って、臣を左通直郎・直秘閣・權判西京の國子監に除せらる。兩たび表狀を具べて辭免して、田里に歸らんことを乞う。今月十日、勑に準じて特に左通直郎・管勾西京嵩山崇福宮を授けらるる者あり。誤って甄錄を蒙って、再び封章を露す。敢えて遜言せざらんや。惟主を敬するの意を盡くし、深く古義を陳ぶ。蓋し國に報ずるの心を存すればなり。天聽至高、言已に盡きて誠孚未だ格らず、君威犯し難し。其の瀆さんことを慮って憂懼交々深し。特に刑章を畏るるのみに非ず、實に國體を存せんことを願う。幸いに寬貸を蒙る。豈敢えて頻りに煩わさんや。臣更に敢えて固く朝命に違わじ、降す所の勑牒、臣已に領し訖えぬ。伏して見るに腰跨を患うるが爲に、拜受すること未だ得ず。痊損の日を候って、恩を謝して職次に就かん。


申河南府乞尋醫狀(元祐七年八月)
【読み】
河南府に申して醫を尋ねんことを乞う狀(元祐七年八月)

頤昨準勑授左通直郎・管勾嵩山崇福宮。尋具奏聞、爲患腰跨、拜受未得、候痊損日、謝恩就職次。今來已滿百日、未得痊安。竊懼久稽朝命。欲乞尋醫、謹具申西京留府、伏乞依條施行。
【読み】
頤昨に勑に準じて左通直郎・管勾嵩山崇福宮を授けらる。尋いで奏聞を具べて、腰跨を患うるが爲に、拜受すること未だ得ず、痊損の日を候って、恩を謝して職次に就かんとす。今來已に百日に滿つれども、未だ痊安を得ず。竊かに懼る、久しく朝命を稽[とど]むることを。醫を尋ねんことを乞わんと欲して、謹んで具べて西京の留府に申し、伏して乞う、條に依って施行せんことを。


辭免再除直秘閣判監狀(元祐九年春)
【読み】
再び直秘閣判監に除せらるるを辭免する狀(元祐九年春)

臣今月十四日、準河南府送到官誥一道、尙書省劄子一道。伏蒙聖恩、授臣依前左通直郎・直秘閣・權判西京國子監、專主敎導者。祗荷睿恩、不任惶懼。
【読み】
臣今月十四日、河南府に準じて官誥一道、尙書省の劄子一道を送到す。伏して聖恩を蒙って、臣に授けたまうこと前の左通直郎・直秘閣・權判西京の國子監に依って、專ら敎導を主らしめんとする者あり。祗んで睿恩を荷って、惶懼に任えず。

恭以皇帝陛下親政之初、萬邦黎獻、至于海隅蒼生、夷狄蠻貊之人、莫不仰首以觀、傾耳而聽。今聽政未及兩月、而念及勸學舊臣、收錄於退藏之中。茲見陛下聖明、崇儒重道、事無不察、足以聳動天下。然而處得其道、用當其人、乃允公論、爲盛美之事。不然則四方傳議、反累聖政。
【読み】
恭しく以みるに皇帝陛下政を親らするの初め、萬邦黎獻より、海隅の蒼生、夷狄蠻貊の人に至るまで、首を仰いで以て觀、耳を傾けて聽かずということ莫し。今政を聽くこと未だ兩月に及ばずして、念い勸學の舊臣に及んで、退藏の中に收錄す。茲に陛下の聖明、儒を崇び道を重んじて、事察せずということ無きを見て、以て天下を聳動するに足れり。然して處すること其の道を得、用うること其の人に當たらば、乃ち允に公論、盛美の事とせん。然らずんば則ち四方傳議して、反って聖政を累わさん。

伏念臣去年丁憂服闋之初、已蒙朝廷授此職任。臣以於義未安、兩具奏辭免。陳儒者進退之義、已極詳明。但恐微賤之言、繫常程文字、卽以付外、不曾得經聖覽。旣而改命祠宮、遂以尋醫得去、方安愚分。忽被誤恩。雖仰荷於甄收、敢自渝其節守。伏望聖慈曲憐舊物、深鑒丹誠、將臣前來辭免表狀、特賜省覽、則知臣所以辭者、蓋守古義、非出私意。所降誥命、不敢祗受、已於河南府寄納。冒瀆宸嚴、臣無任。
【読み】
伏して念うに臣去年憂えに丁たって服闋[や]むの初め、已に朝廷此の職任を授くることを蒙る。臣義に於て未だ安からざるを以て、兩たび奏を具べて辭免す。儒者進退の義を陳ぶること、已に詳明を極む。但恐れらくは微賤の言、常程の文字に繫かり、卽ち付外を以てして、曾つて聖覽を經ることを得ざらんことを。旣にして命を祠宮に改めらるれども、遂に醫を尋ぬるを以て去ることを得て、方に愚分を安んず。忽ち誤恩を被る。仰いで甄收を荷うと雖も、敢えて自ら其の節守を渝[か]えんや。伏して望むらくは聖慈曲に舊物を憐れみ、深く丹誠を鑒みて、臣が前來辭免する表狀を將って、特に省覽を賜わば、則ち臣が辭する所以の者、蓋し古義を守って、私意に出るに非ざることを知りたまわん。降す所の誥命、敢えて祗んで受けず、已に河南府に於て寄納す。宸嚴を冒し瀆して、臣任うること無し。


再辭免狀
【読み】
再び辭免する狀

臣昨蒙聖恩、授臣依前左通直郎・直秘閣・權判西京國子監。尋具狀辭免。今月十七日、河南府送到尙書省劄子一道、奉聖旨不許辭免者。聞命惶懼、不知所措。臣聞邦有道、危言危行、邦無道、危行言孫。今主上親政之初、臣未極其言、而遽爲孫言、則不敬莫大乎是。臣是以不避斧鉞之誅、而必盡其辭也。
【読み】
臣昨に聖恩を蒙って、臣に授くること前の左通直郎・直秘閣・權判西京の國子監に依る。尋いで狀を具べて辭免す。今月十七日、河南府より尙書省に送到する劄子一道、聖旨を奉って辭免を許さざる者あり。命を聞いて惶懼して、措く所を知らず。臣聞く、邦道有れば、言を危うくし行いを危うくす、邦道無ければ、行いを危うくし言孫[したが]う、と。今主上政を親らするの初め、臣未だ其の言を極めずして、遽に孫言を爲さば、則ち不敬是より大なるは莫し。臣是を以て斧鉞の誅を避けずして、必ず其の辭を盡くす。

臣昨被恩命、卽具奏陳。乞將臣丁憂服闋之初、辭免表狀、特賜省覽、則知臣所以辭者、蓋守古義、非出私意。今奉聖旨、不許辭免。臣誠至愚、不喩朝廷之意。不知以臣前日所陳進退之義爲是乎、爲非乎。若以爲是、則受爲非義。臣四十年學聖人之道、敢以非義而受、致朝廷於過舉乎。若以臣前日所陳爲非、是臣狂妄不知義理。狂妄不知義理之人、使去宜也。豈可處敎導之職。不知使臣以何義受之。
【読み】
臣昨に恩命を被るとき、卽ち具に奏陳す。乞う臣が憂えに丁たり服闋むの初め、辭免するの表狀を將って、特に省覽を賜わば、則ち臣が辭する所以の者、蓋し古義を守って、私意に出るに非ざることを知らん。今聖旨を奉るに、辭免を許さず。臣誠に至愚にして、朝廷の意を喩さず。知らず、臣が前日陳ぶる所の進退の義を以て是とするか、非とするか。若し以て是とせば、則ち受くるを非義とす。臣四十年聖人の道を學んで、敢えて非義を以て受けて、朝廷を過舉に致さんや。若し臣が前日陳ぶる所を以て非とせば、是れ臣が狂妄義理を知らざるなり。狂妄にして義理を知らざる人は、去らしむること宜なり。豈敎導の職に處せしむ可けんや。知らず、臣をして何の義を以て之を受けしむるや。

臣竊思之、豈非朝廷以臣微賤、去就不足爲輕重、故忽棄其言。下不經省覽、而輔臣莫以告也。臣誠微賤。然臣之言、本諸聖賢之言、臣之進退、守儒者進退之道。雖朝廷不見省察、臣恐天下後世有誦其言、思其義、而以進退儒者之道議朝廷也。故臣區區愛君之意、不能自已、尙冀微誠、感悟聖心。謹昧死以聞、不敢受命。再瀆宸嚴、臣無任。
【読み】
臣竊かに之を思うに、豈朝廷臣が微賤を以て、去就輕重を爲すに足らずとして、故[ことさら]に其の言を忽棄するに非ずや。陛下省覽を經ずして、輔臣以て告すこと莫ければなり。臣は誠に微賤なり。然れども臣が言は、諸を聖賢の言に本き、臣が進退は、儒者進退の道を守る。朝廷省察せられずと雖も、臣恐れらくは天下後世其の言を誦し、其の義を思って、儒者を進退する道を以て朝廷を議すること有らん。故に臣區區として君を愛するの意、自ら已むこと能わず、尙冀わくは微誠、聖心を感悟せんことを。謹んで昧死以て聞して、敢えて命を受けず。再び宸嚴を瀆して、臣任うること無し。


謝復官表(元符三年十月)
【読み】
官に復するを謝する表(元符三年十月)

臣頤言、今月二十日、準河南府送到官誥一道。伏蒙聖恩、授臣通直郎・權判西京國子監者。始竄遐荒、分甘終廢。豈期洪造、復畀舊官。仰荷恩私、伏增愧懼(中謝。)
【読み】
臣頤言す、今月二十日、河南府に準じて官誥一道を送到す。伏して聖恩を蒙って、臣に通直郎・權判西京の國子監を授くる者あり。始め遐荒に竄[ざん]せられて、分終に廢せらることを甘んず。豈期せんや洪造、復舊官を畀[たま]わんとは。仰いで恩私を荷い、伏して愧懼を增す(中謝。)

竊念臣天資愚暗、自致放投。旣仰荷於寬恩、如安居於樂土。忽遇非常之宥、繼蒙牽復之恩。玆蓋伏遇皇帝陛下道大兼容、明無不照、念先帝經筵之舊、推至仁愛物之心。臣敢不益善其身、勵精所學。期有傳於後世、以上報於深恩。
【読み】
竊かに念うに臣天資愚暗にして、自ら放投を致す。旣に仰いて寬恩を荷って、樂土に安居するが如し。忽ち非常の宥に遇い、繼いで牽復の恩を蒙る。玆れ蓋し伏して皇帝陛下道大にして兼容し、明照らさずということ無くして、先帝經筵の舊を念って、至仁物を愛するの心を推すに遇えばなり。臣敢えて益々其の身を善くして、學ぶ所を勵精せざらんや。後世に傳うること有って、以て上深恩に報ぜんることを期す。


二程全書卷之六十一  伊川先生文三

學制

三學看詳文(元祐元年五月)
【読み】
三學看詳の文(元祐元年五月)

一、三學制、看詳舊制、公私試試上舍、補内舍、蓋無虛月、皆糊名考校、排定高下。煩勞費用、不可勝言。於學者都無所益。學校、禮義相先之地。而月使之爭、殊非敎養之道。今立法、改試爲課、更不考定高下、只輪番請召學生、當面下點抹、敎其未至。所貴有益學者、不失庠序之體。舊制考察行藝、以不犯罰爲行、試在高等爲藝、有注官・免省試・免解三等旌擢。今不用舊考察法、只於内舍推擇才學行藝爲衆所稱者、升爲上舍。上舍學行才器堪爲時用者、長貳狀其行能、聞于朝廷。
【読み】
一、三學の制、看詳するに舊制に、公私の試上舍に試み、内舍に補い、蓋し虛月無く、皆名を糊して考校して、高下を排定す。煩勞費用、勝げて言う可からず。學者に於て都て益する所無し。學校は、禮義相先んずるの地なり。而るに月々に之をして爭わしむるは、殊に敎養の道に非ず。今法を立て、試を改めて課と爲し、更に高下を考定せず、只輪番に學生を請召して、當面に點抹を下して、其の未だ至らざるを敎う。貴ぶ所學者に益有って、庠序の體を失せず。舊制に行藝を考察するに、罰を犯さざるを以て行と爲し、試みられて高等に在るを藝と爲し、注官・免省試・免解三等の旌擢する有り。今舊の考察の法を用いず、只内舍に於て才學行藝衆の爲に稱せらるる者を推擇して、升[あ]げて上舍と爲す。上舍學行才器時の爲に用いらるるに堪えたる者は、長貳其の行能を狀して、朝廷に聞す。

一、三學制、看詳太學舊制、博士二人、同講一經、論語・孟子又置學諭分講。聖人之道雖一、而治經家法各有不同。二人同講一經、則學者所從不一。今立法、置博士十人、六人分講六經、餘四人分講論語・孟子。講大經終者、却講小經、諸經輪互講說。有專經者、亦許通那。
【読み】
一、三學の制、看詳するに太學舊制に、博士二人、同じく一經を講ぜしめ、論語・孟子又學諭を置いて分かち講ぜしむ。聖人の道一なりと雖も、而れども經を治むる家法各々同じからざること有り。二人同じく一經を講ぜしむるときは、則ち學者從る所一ならず。今法を立て、博士十人を置いて、六人は六經を分かち講ぜしめ、餘の四人は論語・孟子を分かち講ぜしむ。大經を講じ終うる者は、却って小經を講ぜしめて、諸經輪互に講說せしむ。經に專らなること有る者は、亦那に通ずることを許す。

一、律學制、看詳律學之設、蓋欲居官者知爲政之方。其未出官及未有官人、且當專意經術、竝令入太學。乃學古入官之義。今立法、到吏部人方許入律學。
【読み】
一、律學の制、看詳するに律學の設けは、蓋し官に居る者政を爲むるの方を知らんことを欲す。其の未だ官に出ず及び未だ官に有らざる人は、且當に意を經術に專らにして、竝びに太學に入らしむべし。乃ち古を學んで官に入るの義なり。今法を立て、吏部に到る人方に律學に入ることを許す。

一、武學制、看詳所治經書、有三略・六韜・尉繚子、鄙淺無取。今減去、却添入孝經・論語・孟子・左氏傳言兵事。
【読み】
一、武學の制、看詳するに治むる所の經書、三略・六韜・尉繚子有り、鄙淺にして取るべき無し。今減じ去って、却って孝經・論語・孟子・左氏傳に兵を言う事を添え入る。

一、三學制、看詳舊來條制、有期親尊長服、不許應舉。後來改法、雖祖父母喪、亦許應舉。夫尊祖之義、人道之本。若許居喪進取、深害義理。今立法、學生遭祖父母喪、給長假行服、貢舉條貫、乞朝廷指揮修改。
【読み】
一、三學の制、看詳するに舊來の條制、親尊の長服に期有って、應舉を許さず。後來法を改めて、祖父母の喪と雖も、亦應舉を許す。夫れ祖を尊ぶの義は、人道の本なり。若し喪に居して進み取ることを許さば、深く義理を害す。今法を立て、學生祖父母の喪に遭えば、長く假して服を行うことを給って、貢舉の條貫、朝廷の指揮を乞いて修し改めしむ。


論改學制事目
【読み】
學制を改めんことを論ずる事目

一、舊來博士、只是講說考校、不治學事。所以別置正錄十員。今已立法、博士分治學事、及增置職事人。其正錄竝合減罷。(所減罷官、乞與比類差遣、俸給如舊。及依元條年限改官。)
【読み】
一、舊來博士、只是れ講說考校して、學事を治めず。所以に別に正錄十員を置く。今已に法を立て、博士に學事を分かち治めしめ、及び職事の人を增し置く。其の正錄竝びに減じ罷む合し。(減じ罷むる所の官、比類に乞與して差遣し、俸給舊の如くす。及び元條の年限に依って官を改む。)

一、舊制八十齋、每齋三十人、學生以二千四百人爲額。每齋五閒、容三十人。極甚迫窄、至兩人共一臥榻。暑月難處、遂更互請假出外。學者失所如此。而願留者、止爲解額優寬而已。今欲以七閒爲一齋、容三十人。除學官職事人及諸般占使外、可爲五十齋、所容千五百人。在朝廷廣敎之意、雖爲未足、而齋舍未能遽增、所容止可如此。若朝廷選通儒爲敎導之官、去利誘、來實學之士、人數雖減、成才必多。
【読み】
一、舊制八十齋、每齋三十人、學生二千四百人を以て額と爲す。每齋五閒、三十人を容る。極めて甚だ迫窄にして、兩人一臥榻[がとう]を共にするに至る。暑月處し難くして、遂に更互に請假して外に出づ。學者所を失すること此の如し。而れども留まらんことを願う者は、止解額優寬なるが爲なるのみ。今七閒を以て一齋と爲し、三十人を容れんと欲す。學官職事の人及び諸般の占使を除いて外、五十齋、容るる所千五百人とす可し。朝廷廣く敎うるの意に在って、未だ足らずとすと雖も、而れども齋舍未だ遽に增すこと能わず、容るる所止此の如くす可し。若し朝廷通儒を選んで敎導の官と爲し、利誘を去って、實學の士を來さば、人數減ずと雖も、才を成すこと必ず多からん。

一、國學解額、嘉祐以前一百人、自元豐後欲得舉人入學、遂設利誘之法、改作太學解額五百人。又患來者遽去、復立一年之限、以拘留之。近日朝廷知其非、便已改去逐次科場一年之限。然而人數歲歲增添、以外處解名比之五百人額、當有萬餘人奔湊。使萬餘人舍父母之養、忘骨肉之愛、往來道路、旅寓他土、人心日偸、士風日薄。所費財幾何。所破產幾何。少年子弟遠父兄而放蕩者幾何。父母骨肉離別悲念以至失所者幾何。以萬餘人聚之京師、弊害不可勝言。今欲量留一百人解額、以待在學者取應、餘四百人分在州郡解額窄處。自然士人各安郷土、養其孝愛之心、息其奔趨流浪之志、風俗亦當稍厚。況人於郷里、行迹易知、冒濫之弊、因而少革。
【読み】
一、國學の解額、嘉祐以前一百人、元豐自り後舉人學に入ることを得んと欲して、遂に利誘の法を設けて、改めて太學の解額五百人と作す。又來る者遽に去らんことを患えて、復一年の限を立て、以て之を拘留す。近日朝廷其の非を知って、便ち已に逐次の科場一年の限を改め去る。然れども人數歲歲增添して、外處の解名を以て之を五百人の額に比すれば、當に萬餘人奔り湊[あつ]まること有るべし。萬餘人をして父母の養を舍て、骨肉の愛を忘れ、道路に往來し、他土に旅寓して、人心日に偸[うす]く、士風日に薄からしむ。費す所の財幾何ぞ。破る所の產幾何ぞ。少年子弟父兄を遠ざけて放蕩する者幾何ぞ。父母骨肉離別悲念して以て所を失するに至る者幾何ぞ。萬餘人を以て之を京師に聚む、弊害勝げて言う可からず。今一百人の解額を量り留めて、以て學に在る者應を取るを待ち、餘の四百人は州郡解額の窄き處に分在せしめんと欲す。自然に士人各々郷土に安んじて、其の孝愛の心を養い、其の奔趨流浪の志を息めば、風俗も亦當に稍厚かるべし。況んや人郷里に於て、行迹知り易くして、冒濫の弊、因りて少しく革まらん。

一、近年編修敕條、竝立看詳要見刪改。因依今來國子監敕令。是有司所行條貫、已立看詳。外有三學制、皆是庠序之事、與佗處條貫體面不同。今來條立所存、舊文甚少。觀文可見義理。乞更不立看詳。
【読み】
一、近年編修の敕條、竝びに看詳を立て刪り改むことを見ることを要す。因りて今來國子監の敕令に依る。是れ有司行う所の條貫、已に看詳を立つ。外に三學の制有り、皆是庠序の事、佗處の條貫と體面同じからず。今來條立の存する所、舊文甚だ少なし。文を觀て義理を見る可し。乞う更に看詳を立てざれ。


回禮部取問狀
【読み】
禮部問いを取るに回す狀

準尙書禮部帖子、仰國子監修太學條制、手分依下項所問事理、具印狀送尙書禮部。
【読み】
尙書禮部の帖子に準じて、國子監に仰[おお]す太學の條制を修し、手分下項問う所の事理に依って、印狀を具えて尙書禮部に送る。

一、本部看詳創法、有司推行之際、須有條目事實。方可經久施行。今來尊賢立堂、待賓吏師立齋、竝繫創立。卽未見得、祭酒司業以下、如何延請尊禮、學錄以下、如何供億。條目合有幾。其人在學若干歲月。朝廷如何進用。又待賓吏師二齋、不言無人卽虛。若無其人未委、合與不合亦虛。
【読み】
一、本部看詳の創法、有司推し行うの際、須く條目事實有るべし。方に久しきを經て施し行う可し。今來尊賢堂を立て、待賓吏師齋を立て、竝びに創立に繫かる。卽ち未だ見得せず、祭酒司業以下、如何にか延請尊禮し、學錄以下、如何にか供億すということを。條目幾有る合きや。其の人學に在る若干の歲月ならんや。朝廷如何にか進み用いんや。又待賓吏師の二齋、人無くんば卽ち虛しくすと言わず。若し其の人無く未だ委せざれば、合と不合と亦虛しからんや。

勘會學制、尊賢堂以延天下道德之士、學者所矜式者、長貳以下尊禮之、學錄一人、專主供億。無其人則虛之。所謂道德之士、不必遠引古者、以近時言之、如胡太常瑗・張著作載・邵推官雍之輩、所居之郷、學者不遠千里而至、願一識其面、一聞其言、以爲模楷。有如此之人至於京師、則長貳造門求見。道學者願得矜式之意、延請居於堂中、或一至、或時來、或淹留旬時、不可必其久速也。不獨學者得以矜式而已、又以見長貳之爲敎、不敢足諸己。旣上求古之人、復博采今之士、取善服義、如恐不及、乃爲敎之大本、化人之要道。如此待之、卽是尊禮。所謂供億、只是灑掃堂室、供給飮膳。學錄專主所貴整肅。不須更立條目。待賓吏師體皆相類。無人則虛、理自當爾。只於一處立文、自可見矣。
【読み】
勘會するに學制に、尊賢堂にして以て天下の道德の士、學者矜み式[のっと]る所の者を延いて、長貳以下之を尊禮し、學錄一人、專ら供億を主る。其の人無きときは則ち之を虛しくす、と。所謂道德の士は、必ずしも遠く古者を引かず、近時を以て之を言うに、胡太常瑗・張著作載・邵推官雍の輩の如き、居る所の郷、學者千里を遠しとせずして至って、一たび其の面を識り、一たび其の言を聞いて、以て模楷とせんことを願う。此の如き人有って京師に至るときは、則ち長貳門に造って見んことを求む。學者矜み式ることを得んことを願うの意を道いて、延請して堂中に居せしめ、或は一たび至り、或は時に來り、或は淹留旬時、必ずしも其れ久しく速やかにす可からず。獨り學者以て矜み式ることを得るのみにあらず、又以て長貳の敎を爲す、敢えて己に足れりとせざることを見る。旣に上古の人に求め、復博く今の士を采って、善を取り義に服して、及ばざらんことを恐るるが如き、乃ち敎を爲すの大本、人を化するの要道なり。此の如く之に待するは、卽ち是れ尊禮するなり。所謂供億は、只是れ堂室を灑掃し、飮膳を供給するなり。學錄は專ら貴ぶ所整肅なることを主る。須く更に條目を立つべからず。待賓吏師體皆相類せり。人無ければ則ち虛しくすること、理自づから當たるのみ。只一處に於て文を立つ、自づから見る可し。

一、看詳文稱、朝廷廣敎之意、不當有限。只於齋舍立定可容人數、每齋改爲七閒、繫減二十四齋、止容一千六百餘人。卽是立限、比舊更窄。又條稱、三舍每齋七楹。其看詳文却稱、七閒爲一齋。有此閒架不同。又稱、舊制每齋五閒、至兩人共一臥榻、暑月難處。未見得今來各展兩閒。設與不設三十臥榻、其太學見今屋宇、若依新立條貫。一齋七閒、修截得若干齋舍、有無妨闕。又條稱、若學行著聞、及曾得解人、竝免試使入内舍。如何容著。
【読み】
一、看詳の文に稱す、朝廷廣く敎うるの意、當に限り有るべからず、と。只齋舍に於て容る可き人數を立て定め、每齋改めて七閒と爲し、繫減すること二十四齋、止一千六百餘人を容る。卽ち是れ限りを立つること、舊に比するに更に窄し。又條に稱す、三舍每齋七楹、と。其の看詳の文に却って稱す、七閒を一齋とす、と。此れ閒架同じからざること有り。又稱す、舊制に每齋五閒、兩人一臥榻を共にして、暑月處し難きに至る、と。未だ今來各々兩閒を展ぶることを見得せず。設くると設けざると三十臥榻、其の太學今の屋宇を見るに、新たに立つる條貫に依るが若し。一齋七閒、若干の齋舍を修截し得て、妨闕無きこと有らん。又條に稱す、學行著聞、及び曾て解を得る人、竝びに免試の若き内舍に入れしむ、と。如何にか容著せん。

勘會看詳文稱朝廷廣敎之意、不當有限、蓋謂不當立定二千四百人之限。若逐齋人數、自是據地位所容、難爲强使之多。齋舍多少、則繫朝廷處之。雖使未及、徐圖之可也。蓋無立定限數之意。若不恤齋舍寬窄、苟欲人數之多、使學者不安其居、乃是徒爲美觀、不務實事、非聖朝立事之意。所稱每齋七楹、則是七閒、別無閒架不同。見今學舍、除學官・職事人及諸般占使外、可爲五十餘齋、每齋置三十臥榻、竝是量度丈尺、算計可容。舊來常是二人、或有三人共一榻、不惟暑月難處、兼褻瀆至甚。其學行著聞、及曾得解人、免試入學、逐齋人數自定、卽無容著不得之理。
【読み】
勘會するに看詳の文に朝廷廣く敎うるの意、當に限り有るべからずと稱するは、蓋し當に二千四百人の限りを立て定むるべからざることを謂う。若し逐齋の人數は、自づから是れ地位に據って容るる所、强いて之をして多からしむることを爲し難し。齋舍の多少は、則ち朝廷之を處するに繫かる。雖使い未だ及ばずとも、徐く之を圖って可なり。蓋し限數を立て定むるの意無し。若し齋舍の寬窄を恤えず、苟も人數の多からんことを欲して、學者をして其の居を安んぜざらしめば、乃ち是れ徒に美觀の爲にして、實事を務めず、聖朝事を立つるの意に非ず。稱する所の每齋七楹は、則ち是れ七閒、別に閒架の同じからざる無し。見るに今の學舍、學官・職事の人及び諸般の占使を除いて外、五十餘齋と爲す可く、每齋三十臥榻を置き、竝びに是れ量度丈尺、算計容る可し。舊來常に是れ二人、或は三人一榻を共にする有り、惟暑月處し難きのみにあらず、兼ねて褻瀆至って甚だし。其の學行著聞、及び曾て解を得る人、免試の學に入る、逐齋の人數自づから定まらば、卽ち容著し得ざるの理無し。

一、舊制考行藝、以不犯罰爲行、試在高等爲藝。今來看詳文稱、不用舊考察法、只於内舍推擇才學行藝爲衆所稱者、升爲上舍、上舍學行才器堪爲時用者、長貳狀其行能、聞於朝廷。未見得、長貳如何推擇。及狀其行能、其條目事實、各合如何聞於朝廷、如何推恩。又旣不用舊法考察、若曾犯罰、及課曾在退等、合與不合推擇、如推擇有不當、及生員在齋供課代筆、竊用佗人文字、如何防察。
【読み】
一、舊制に行藝を考うるに、罰を犯さざるを以て行と爲し、試みられて高等に在るを藝と爲す。今來看詳の文に稱す、舊の考察の法を用いず、只内舍に於て才學行藝衆の爲に稱せらるる者を推擇して、升げて上舍と爲し、上舍學行才器時の爲に用いらるるに堪えたる者を、長貳其の行能を狀して、朝廷に聞す、と。未だ見得せず、長貳如何にか推擇することを。及び其の行能を狀すること、其の條目事實、各々如何にか朝廷に聞し、如何にか推恩す合きを。又旣に舊法の考察を用いずんば、若し曾て罰を犯し、及び課曾て退等に在って、合と不合と推擇するに、如し推擇當たらざること有り、及び生員齋に在って供課代筆して、竊かに佗人の文字を用いば、如何にか防察せん。

勘會舊考察法、專據文簿計校等差。所以今來立法、只委長貳以公議推擇。凡所推擇、一繫長貳鑒裁。長貳公明與否、則繫朝廷所任用。在朝廷豈可不信所任用、而專考驗於案籍。自古推賢進善、未聞如此。今但取學行才器堪爲時用者、聞於朝廷。所推恩數、自繫朝廷裁處。有司不當立法。所狀行能、各隨人之所有、難爲更立條目。旣推學行才器之人、推擇不當、自有論。如律之文、更不須繁文。勘會犯罰退等之類、其在齋供課、明有長諭察視、不得交互。課卷之文、兼供課與舊來公私試不同、別無陞黜。自少代筆竊用之事、有則自當罰格。若更苛細、曲爲防閑、甚失庠序之體。
【読み】
勘會するに舊の考察の法は、專ら文簿に據って等差を計校す。所以に今來法を立つること、只長貳に委して公議を以て推擇す。凡そ推擇する所は、一に長貳の鑒裁に繫かる。長貳公明なると否ざるとは、則ち朝廷の任用する所に繫かる。朝廷に在って豈任用する所を信ぜずして、專ら案籍に考驗す可けんや。古自り賢を推し善を進むること、未だ此の如くなることを聞かず。今但學行才器時の爲に用いらるるに堪えたる者を取って、朝廷に聞す。推す所の恩數は、自づから朝廷の裁處に繫かる。有司當に法を立つるべからず。狀する所の行能は、各々人の有する所に隨って、更に條目を立つることを爲し難し。旣に學行才器の人を推して、推擇當たらずんば、自づから論有り。律の文の如き、更に繁文を須いず。勘會するに犯罰退等の類、其の齋に在って課に供するは、明らかに長諭有って察視して、交互することを得ず。課卷の文は、兼ねて供課と舊來公私の試と同じからず、別に陞黜すること無し。少自り代筆して竊かに用うる事、有るときは則ち自づから當に罰格すべし。若し更に苛細にして、曲げて防閑を爲せば、甚だ庠序の體を失す。

一、舉人及仕宦家子弟、鬭毆使酒等、本監採察、牒開封府、或本貫施行。本部看詳條稱仕宦家子弟。據文卽雖作工商諸色、在公之人、其家各曾仕宦、及見仕宦、亦是仕宦家子弟。如何却令國子監採察。若本監止是採察仕宦家子弟爲舉人者、卽今來立文未盡。又稱舉人及仕宦家子弟。據文卽舉人家子弟亦在其中。若本監不採察舉人家子弟、卽立文亦是未盡。兼看詳假有舉人本貫是廣南、因遊學在西川、若有犯牒與本貫施行、有無迂枉。
【読み】
一、舉人及び仕宦家の子弟、鬭毆使酒等、本監採察して、開封府に牒し、或は本貫に施し行う。本部看詳の條に仕宦家の子弟と稱す。文に據るに卽ち工商の諸色を作すと雖も、公に在る人、其の家各々曾て仕宦し、及び見るに仕宦せば、亦是れ仕宦家の子弟なり。如何ぞ却って國子監をして採察せしめん。若し本監止是れ仕宦家の子弟舉人爲る者を採察せば、卽ち今來文を立つること未だ盡くさず。又舉人及び仕宦家の子弟と稱す。文に據るに卽ち舉人家の子弟も亦其の中に在り。若し本監舉人家の子弟を採察せずんば、卽ち文を立るつこと亦是れ未だ盡くさず。兼ねて看詳するに假えば舉人の本貫是れ廣南、遊學に因って西川に在ること有って、若し犯牒本貫に施し行うに與ること有らば、迂枉無きこと有らんや。

本所勘會監敕稱舉人及仕宦家子弟、蓋是兩般、猶言舉人若仕宦家子弟也。凡文若是一事而言及者、必須以重及輕、未有以輕及重者。豈有先言舉人、以及仕宦之理。如或以爲不明、卽可改及爲若。古者四民各世其業。後世法度不立、失守易業、仕族之貴而爲工商雜類者有矣。此朝廷當禁而未能者、固未嘗立文、許其然也。旣流落入於非類、豈復能責其士人行檢。況自來條制、凡爲品官家立法、皆是仕族之體、未嘗更開說。若爲工商之類時則如何也。畧舉一二事以爲證。如舊衣服令五品以上子孫婚、聽假以爵弁、卽不言若充軍及遭黥杖者之類、許假與否。又雜令品官家雖不請券、竝聽入驛、卽不言子弟爲卒僕乞丐者之類、許入驛與否。此蓋大體立法不可、亦謂之立文不盡。欲厚風敎、當由仕族始、所以立法之意、欲幷包仕族子弟。若指定爲舉人者、則年少學業未成、或治家不暇應舉者、皆不及也。所云牒開封府或本貫施行、或者疑辭、量可而行爾。安得便見迂枉。必云牒本貫者、蓋人之惡最恥聞於郷里。立文所以爲警、且暴一罪而使之一郷知戒、所益甚大。
【読み】
本所に勘會するに監敕に舉人及び仕宦家の子弟と稱するは、蓋し是れ兩般、猶舉人若しくは仕宦家の子弟と言うがごとし。凡そ文若し是れ一事にして及びと言う者は、必ず須く重きを以て輕きに及ぼすべく、未だ輕きを以て重きに及ぼす者有らず。豈先づ舉人と言いて、以て仕宦に及ぶの理有らんや。如し或は以て明らかならずとせば、卽ち及びを改めて若しくはと爲す可し。古は四民各々其の業を世々す。後世法度立たず、守ることを失して業を易えて、仕族の貴きにして工商雜類と爲る者有り。此れ朝廷當に禁ずべくして未だ能わざる者は、固に未だ嘗て文を立てずして、其の然るを許せばなり。旣に流落して非類に入って、豈復能く其の士人の行檢を責めんや。況んや自來條制、凡そ品官家の爲に法を立つるに、皆是れ仕族の體、未だ嘗て更に開說せず。若し工商の類と爲る時は則ち如何にせん。畧一二事を舉げて以て證とせん。如し舊の衣服令五品以上の子孫の婚、聽して假るに爵弁を以てして、卽ち若しくは充軍及び黥杖に遭う者の類、假ることを許すや否やということを言わず。又雜令品官家券を請わずと雖も、竝びに驛に入ることを聽して、卽ち子弟卒僕乞丐爲る者の類、驛に入ることを許すや否やということを言わず。此れ蓋し大體法を立つること可ならず、亦之を文を立つること盡くさずと謂う。風敎を厚くせんと欲せば、當に仕族由り始むべく、法を立つる所以の意、仕族の子弟を幷包せんと欲す。若し舉人爲る者を指し定めば、則ち年少の學業未だ成らず、或は家を治めて應舉に暇あらざる者、皆及ばざるなり。云う所の開封府に牒し或は本貫に施し行うという、或というは疑いの辭、可を量って行わんのみ。安んぞ便ち迂枉を見ることを得ん。必ず本貫に牒すと云う者は、蓋し人の惡最も郷里に聞ゆることを恥づ。文を立つるは警めを爲す所以、且一罪を暴して之をして一郷に知戒せしめば、益する所甚だ大なり。

一、新制稱、四方士人願觀光者、掌儀引入、遊覽堂舍、觀禮儀、聽絃誦。唯不得入齋。願觀光者旣不得入齋、卽未見得、於何處觀禮儀、聽絃誦。又其觀聽繫在何時。若願觀光者無時得入、卽掌儀疲於接引。亦非學校之體。若限以時、則新制無法。又言、士人願觀講說者、聽堂上相見。今看詳願觀講說者、未見令何人引入。如何相見。若願觀之人衆至、位次不足、如何序齒、如何令坐。皆未有法。
【読み】
一、新制に稱す、四方の士人觀光を願う者、掌儀引き入れて、堂舍に遊覽し、禮儀を觀、絃誦を聽かしむ。唯齋に入ることを得ず、と。觀光を願う者旣に齋に入ることを得ざれば、卽ち未だ見得せず、何れの處に於てか禮儀を觀、絃誦を聽かんや。又其の觀聽繫かるに何れの時にか在る。若し觀光を願う者時と無く入ることを得ば、卽ち掌儀接引に疲れん。亦學校の體に非ず。若し限るに時を以てせば、則ち新制法無し。又言く、士人講說を觀ることを願う者は、堂上に相見ることを聽す、と。今看詳に講說を觀ることを願う者、未だ何人をして引き入らしむということを見ず。如何ぞ相見ん。若し觀ることを願う人衆く至って、位次足らざれば、如何にか齒を序で、如何にか坐せしめん。皆未だ法有らず。

本所勘會太學首善之地、將以流化天下。從來賓客不得過客位、天下之士徒聞朝廷有學、而不得見其規制、視其法度。所以今來立觀光之法。觀學者出入往來、少長有敍、威儀濟濟。卽是觀禮儀。行廊廡之閒、聞諸齋絃誦之聲。卽是聽絃誦。自可使觀光之士、以爲盛談、流傳天下。何必須入齋中。及更立處所學制、通客之時、自有明文。卽無無時得入之說。所謂掌儀疲於引接、亦無是理。以太學之大、掌儀八人之多、又早晩不許通客、不當升堂、掌禮之時、常輪一人延接四方之士、極非過當。設使美化大行、願觀者衆、數時之閒、不過數番而已。樂使人嚮善者、固不憚其煩也。況又更休願觀講說者。卽是賓客明有學制、門吏白直學後、報所見之人。相見自有常儀、坐位自有爵齒、不須煩文。往年胡博士瑗講易、常有外來請聽者多、或至千數人、孫殿丞復說春秋、初講旬日閒、來者莫知其數。堂上不容、然後謝之。立聽戶外者甚衆。當時春秋之學爲之一盛。至今數十年傳爲美事。
【読み】
本所に勘會するに太學は首善の地、將に以て天下を流化せんとす。從來賓客は客位に過ぐることを得ず、天下の士徒朝廷學有ることを聞いて、其の規制を見、其の法度を視ることを得ず。所以に今來觀光の法を立つ。學者出入往來、少長敍有り、威儀濟濟たることを觀る。卽ち是れ禮儀を觀るなり。廊廡[ろうぶ]に行く閒、諸齋絃誦の聲を聞く。卽ち是れ絃誦を聽くなり。自づから觀光の士をして、以て盛談と爲して、天下に流傳せしむ可し。何ぞ必ずしも齋中に入ることを須いん。及び更に處所の學制を立つること、客に通ずる時、自づから明文有り。卽ち時と無く入ることを得るの說無し。所謂掌儀引接に疲るること、亦是の理無し。太學の大、掌儀八人の多きを以て、又早晩客に通ずることを許さず、當に堂に升るべからず、禮を掌るの時、常に一人を輪して四方の士に延接するは、極めて過當に非ず。設使い美化大いに行われ、觀んことを願う者衆くとも、數時の閒、數番に過ぎざるのみ。人をして善に嚮かわしむることを樂しむ者は、固より其の煩わしきを憚らず。況んや又更々講說を觀ることを願う者を休するをや。卽ち是れ賓客明らかに學制有り、門吏直學に白して後、見る所の人に報ず。相見ること自づから常の儀有り、坐位自づから爵齒有って、煩文を須いず。往年胡博士瑗易を講ずるとき、常に外より來て請い聽くこと有る者多くして、或は千數人に至り、孫殿丞復春秋を說くとき、初講旬日の閒、來る者其の數を知ること莫し。堂上容れられずして、然して後に之を謝す。立って戶外に聽く者甚だ衆し。當時春秋の學之が爲に一たび盛んなり。今に至って數十年傳えて美事とす。

一、合支用條制所不載者、長貳裁度支破。今要見如何裁度支破。因何刪去舊條比類二字。
【読み】
一、合支の用條制に載せざる所の者は、長貳の裁度支破。今如何にか裁度支破することを見んと要す。何に因ってか舊條比類の二字を刪り去る。

本所勘會本監支費、隨宜應用、條制豈能具載。舊條、長貳審量比類支給。若須比類、必多拘礙、或無類例。亦須裁度、所以立法。但云裁度、刪去比類二字。用比類字、則關防之意多。去二字、則委付之意重。朝廷之任長貳、自當有體。
【読み】
本所に勘會するに本監の支費、宜しきに隨って用う應く、條制豈能く具に載せんや。舊條に、長貳審らかに比類を量って支給す、と。若し比類を須いば、必ず多くは拘礙し、或は類例無けん。亦裁度を須うるは、法を立つる所以なり。但裁度と云いて、比類の二字を刪り去る。比類の字を用うるときは、則ち關防の意多し。二字を去るときは、則ち委付の意重し。朝廷の長貳に任ずる、自づから當に體有るべし。


論禮部看詳狀
【読み】
禮部看詳を論ずる狀

準都省送下禮部狀、看詳三學制、國子監敕、勒送國子監、長貳與元修官同共再行看詳。已於某月日、與長貳同狀供去訖。竊慮朝廷只見禮部一面辭說、未盡見元初立法之意、今却將禮部看詳事節、逐一開析如後。
【読み】
都省に準じて禮部に送り下す狀、三學の制を看詳し、國子監の敕、勒して國子監に送り、長貳と元修官と同じく共に再び看詳を行う。已に某の月日に於て、長貳と同じく狀して供し去り訖わる。竊かに慮るに朝廷只禮部一面の辭說を見て、未だ盡くは元初法を立つるの意を見ず、今却って禮部看詳の事節を將って、逐一に開析すること後の如し。

一、學制、尊賢堂・待賓齋・吏師齋等、先準禮部帖子、取問修條制所。今來尊賢立堂、待賓吏師立齋。卽未見得、祭酒以下、如何延請尊禮、學錄以下、如何供億。條目各合有幾。其人在學若干歲月、朝廷如何進用。本所爲見禮部所問、與立法意全不相似、遂逐一開析供答。今來送到禮部看詳所駁之事、却已改換了。前來所難之意、却稱學士大夫有賢可尊、朝廷自當褒顯、以勸多士、不應有遺。却於學校立法、俟其自至京師、然後祭酒以下延請尊禮。再詳所駁、依前誤認立法之意。雖是朝廷褒顯之士、苟未大用、何妨學校延請。何必須待朝廷所遺、方得尊禮。不應有遺之說、大非朝廷用心。雖古盛治之世、賢才竝用、尙旁求博采、未嘗敢言已無遺也。又云、若一至、或時來、或淹留旬時、殆非尊禮之實。亦恐道德之士出處去來不應如此。此蓋因禮部取問、其人在學若干歲月。故本所如此供答。大意謂道德之士、一見其人、足以矜式、一聞其言、足以興起、得其一至、猶足爲益。況淹久乎。或速或久、繫其人所處之勢、固難必也。如此、尊賢之道可謂至矣。而禮部以爲、非尊禮之實。不知如何乃謂之實也。夫與人爲善、君子所樂。亂國之聘、夫子亦往。從太學之禮請、而云道德之士出處去來不應如此、似不知君子出處之道。本所供答禮部狀稱(全文具回禮部取問狀内。)。今來禮部看詳、引所供狀、只至矜式而已字便住、將一段文義、中閒截斷、要切義理、都將刪去。又云、尊賢堂稱無人則虛、待賓吏師二齋不言無人則虛、有司無所執守。竊(徐本竊作切。)緣學制是學校之事、將付之儒臣以治學者。與尋常吏文不同。今來禮部蓋欲全用吏文。若使吏人以吏文格之、則新修之學制、皆不可用。
【読み】
一、學制に、尊賢堂・待賓齋・吏師齋等、先に禮部の帖子に準じて、問いを條制を修むる所に取る。今來尊賢堂を立て、待賓吏師齋を立つ。卽ち未だ見得せず、祭酒以下、如何にか延請尊禮し、學錄以下、如何にか供億すということを。條目各々幾有る合し。其の人學に在ること若干の歲月、朝廷如何にか進用せん、と。本所禮部の問う所を見ること爲すに、法を立つる意と全く相似ず、遂に逐一に開析して答えに供す。今來送り到る禮部の看詳に駁する所の事、却って已に改め換え了わる。前來難んずる所の意、却って稱す、學士大夫賢尊ぶ可き有らば、朝廷自ら當に褒顯して、以て多士を勸むべくして、遺すこと有る應からず。却って學校法を立つるに於て、其の自ら京師に至るを俟って、然して後に祭酒以下延請尊禮す、と。再び駁する所を詳らかにするに、前に法を立つるの意を誤り認むるに依れり。是れ朝廷褒顯の士と雖も、苟も未だ大いに用いずんば、何ぞ學校の延請を妨げん。何ぞ必ずしも朝廷の遺す所を待って、方に尊禮することを得ることを須いん。遺すこと有る應からざるの說は、大いに朝廷の用心に非ず。古盛治の世、賢才竝び用うと雖も、尙旁く求め博く采って、未だ嘗て敢えて已に遺すこと無しと言わざるなり。又云く、若しくは一たび至り、或は時に來り、或は淹留旬時、殆ど尊禮の實に非ず。亦恐らくは道德の士出處去來此の如くなる應からず、と。此れ蓋し禮部問いを取ること、其の人學に在る若干の歲月というに因れり。故に本所此の如く答えに供す。大意謂えらく、道德の士、一たび其の人を見れば、以て矜み式るに足り、一たび其の言を聞けば、以て興起するに足らば、其の一たび至るを得るすら、猶益と爲すに足れり。況んや淹久をや。或は速やかに或は久しきは、其の人處る所の勢に繫かって、固に必とし難し。此の如きは、賢を尊ぶの道至れりと謂う可し。而るに禮部以爲えらく、尊禮の實に非ず、と。知らず、如何なるをか乃ち之を實と謂うや。夫れ人と善を爲すは、君子の樂しむ所。亂國の聘に、夫子亦往く。太學の禮請に從って、道德の士出處去來此の如くなる應からずと云うは、君子出處の道を知らざるに似れり。本所禮部に供答する狀に稱す(全文禮部問いを取るに回す狀の内に具わる。)。今來禮部の看詳、供する所の狀を引いて、只矜み式るに至れども而已の字便ち住[とど]むれば、一段の文義を將って、中閒截斷して、要切の義理、都て將に刪り去らんとす。又云く、尊賢堂人無ければ則ち虛しくすと稱して、待賓吏師の二齋人無ければ則ち虛しくすと言わず、有司執り守る所無し、と。竊かに(徐本竊を切に作る。)學制に緣るに是れ學校の事、將に之を儒臣に付して以て學者を治めしめんとす。尋常の吏文と同じからず。今來禮部蓋し全く吏文を用いんと欲す。若し吏人をして吏文を以て之を格さしめば、則ち新修の學制、皆用う可からず。

一、禮部看詳四方士人願觀光一事、但云難議施行、不言所以。伏乞朝廷詳酌。
【読み】
一、禮部の看詳四方の士人觀光を願うの一事、但施し行うことを議し難しと云いて、所以を言わず。伏して朝廷の詳酌を乞う。

一、禮部看詳、舊法、每齋五閒、容三十人。不聞有訴窄狹者。今新立條制、每齋展爲七閒、止容得一千六百餘人、有八百餘人須至遣出。勘會自來暑月齋舍中難處、須至更互請假出外。今年尤甚。應是在學已及一年、可以應舉者、往往遷出。朝廷立定齋舍閒數、豈有學者自訴窄狹之理。今來立定逐齋所容人數之法、亦須乘學者稀少之時、漸次修展(某年只幾人。)。豈有一旦遣出之事。以至增添牀榻、皆有法度、竝是據閒架丈尺算計、不惟寬涼、兼是齊整。又云、卽是齋舍數目、未有定論。夫今日所設學官職事人及其餘事、皆是。且據今日學舍爲之安用、須立數目定論。太平日久、則文風益盛、學者益衆。故唐至貞觀六年以後、學生增至三千二百。異日朝廷美化大行、事力充盛、學生之員、增至唐生員之數、未爲過也。何必須要立定數目。
【読み】
一、禮部の看詳に、舊法に、每齋五閒、三十人を容る、と。窄狹を訴うる者有ることを聞かず。今新たに立つる條制、每齋展ばして七閒と爲し、止一千六百餘人を容れ得、八百餘人須く遣出さるるに至るべき有り、と。勘會するに自來暑月齋舍の中處し難くして、須く更互に請假して外に出るに至るべし。今年尤も甚だし。應に是れ學に在ること已に一年に及んで、以て舉に應ず可き者、往往に遷出すべし。朝廷齋舍の閒數を立て定めば、豈學者自ら窄狹を訴うるの理有らんや。今來逐齋容るる所の人數の法を立て定むること、亦須く學者稀少の時に乘じて、漸次に修展すべし(某の年只幾人、と。)。豈一旦に遣出する事有らんや。以て牀榻を增添するに至って、皆法度有り、竝びに是れ閒架に據って丈尺算計あり、惟寬涼のみにあらず、兼ねて是と齊整なり。又云く、卽ち是れ齋舍の數目、未だ定論有らず。夫れ今日設くる所の學官職事の人及び其の餘事は、皆是なり。且つ今日の學舍に據って之を安んじ用うることをせば、須く數目定論を立つるべし、と。太平日に久しきときは、則ち文風益々盛んに、學者益々衆し。故に唐貞觀六年以後に至って、學生增して三千二百に至る。異日朝廷美化大いに行われ、事力充ち盛んならば、學生の員、增して唐の生員の數に至るも、未だ過ぎたりとせず。何ぞ必ずしも數目を立て定むることを須要せん。

一、三舍升補推擇法、禮部所駁最詳。竊以舊法惟三舍升補一事、最爲未便。天下人所以論議、言者所以爲言、朝廷所以重修。及爭競之端、獄訟之興、皆由於此。而禮部乃云三舍升補法、最爲完密、不可以廢、則禮部用意可見。其看詳云、行法以來、至今七年、得推恩授官纔一人、其中選艱難又如此。夫朝廷養士、唯欲成材之多。豈以艱難爲貴。以二千人之衆、七年之久、通其去來、不知幾千人矣。應授官者纔一人、何其少也。正由書行藝考察之法不可用爾。夫人之美行、天之尊爵、莫過於仁義忠信、樂善不倦。不知前日有書此而蒙考察者乎。又云、今來一切畧去此法、惟令長貳推擇、行藝衆所稱者升爲上舍。緣行藝若無法考驗、卽無事實可據。恐人情不服、別致爭訟。夫案文責跡、有司之事、非庠序育材論秀之道。且立之以格、考之以文、則人案跡以求差、殊爭心所以起也。授之賢才、重其委任、則人無辭以犯分義、訟所以息也。今以專任長貳爲不可。是不知治體之甚。古之時、天子擇宰相而任之政、宰相擇諸司長官而委之治、諸司長官各擇其屬而授以事。治功所以成也。後世朝廷授法、必達乎下、長官守法而不得有爲。前日考察之法是也。始於諸齋、而由正錄博士以及長貳。諸齋所取、學官就其中而論之、不得有易也。學官所考、長貳就其中而論之、不得有易也。易之則按文責跡、入於罪矣。是事成於下、而下得以制其上。此後世所以不治也。今欲朝廷專任長貳、長貳自委之屬官、以達於下。取舍在長貳、則上下之體順、而各得致其功。先王爲治之道也。難者必曰、長貳得人則善矣。或非其人、不若使防閑詳密、上下相制爲可循守也。此世俗鄙論、烏足以言治道。先王制法、待人而行。未聞立不得人之法也。苟長貳非人、不知敎育之道。徒守虛文密法、果足以成人才乎。自古以來、未有如是而能成治者也。
【読み】
一、三舍升補推擇の法、禮部駁する所最も詳らかなり。竊かに以みるに舊法惟三舍升補の一事、最も未だ便ならずとす。天下の人所以に論議し、言者所以に言を爲し、朝廷所以に重ねて修す。及び爭競の端、獄訟の興る、皆此に由れり。而るに禮部乃ち三舍升補の法、最も完密なりとし、以て廢す可からずと云うときは、則ち禮部の用意見る可し。其の看詳に云く、法を行ってより以來、今に至って七年、推恩授官を得ること纔かに一人、其の選に中る艱難又此の如し、と。夫れ朝廷の士を養う、唯材を成すことの多からんことを欲す。豈艱難を以て貴しとせんや。二千人の衆、七年の久しきを以て、其の去來を通ずるに、幾千人ということを知らず。授官に應ずる者纔かに一人、何ぞ其れ少なきや。正に行藝を書して考察するの法用う可からざるに由ればなり。夫れ人の美行、天の尊爵、仁義忠信、善を樂しんで倦まざるに過ぎたるは莫し。知らず、前日此を書して考察を蒙る者有りや。又云く、今來一切畧し去る此の法、惟長貳をして推擇せしめ、行藝衆の稱する所の者は升げて上舍と爲す、と。行藝に緣るに若し法の考驗すること無くんば、卽ち事實の據る可き無けん。恐らくは人情服せずして、別に爭訟を致さん、と。夫れ文を案じて跡を責むるは、有司の事、庠序材を育し秀を論ずるの道に非ず。且つ之を立つるに格を以てし、之を考うるに文を以てせば、則ち人跡を案じて以て差を求めん、殊に爭心の起こる所以なり。之に賢才を授け、其の委任を重んぜば、則ち人辭して以て分義を犯すこと無くして、訟息む所以なり。今專ら長貳に任ずるを以て不可とす。是れ治體を知らざるの甚だしきなり。古の時、天子宰相を擇んで之に政を任じ、宰相諸司の長官を擇んで之に治を委し、諸司の長官各々其の屬を擇んで授くるに事を以てす。治功成る所以なり。後世朝廷の法を授くる、必ず下に達して、長官法を守ってすること有ることを得ず。前日考察の法是れなり。諸齋に始まって、正錄博士由りして以て長貳に及ぶ。諸齋の取る所、學官其の中に就いて之を論じて、易うること有ることを得ず。學官考うる所、長貳其の中に就いて之を論じて、易うること有ることを得ず。之を易うるときは則ち文を按じて跡を責めて、罪に入る。是れ事下に成って、下以て其の上を制することを得。此れ後世の治まらざる所以なり。今朝廷專ら長貳に任じ、長貳自ら之を屬官に委して、以て下に達せんことを欲す。取舍長貳に在るときは、則ち上下の體順にして、各々其の功を致すことを得。先王治を爲すの道なり。難んずる者は必ず曰わん、長貳人を得ば則ち善し。或は其の人に非ずんば、若かず、防閑詳密ならしめて、上下相制して循い守る可しとするには、と。此れ世俗の鄙論、烏んぞ以て治道を言うに足らん。先王の制法は、人を待って行わる。未だ人を得ざるの法を立つることを聞かず。苟も長貳人に非ずんば、敎育の道を知らず。徒に虛文密法を守らば、果たして以て人才を成すに足らんや。古自り以來、未だ是の如くにして能く治を成す者は有らず。

一、禮部看詳、博士十人、六人分講六經、四人分講論語・孟子、難以施行。今詳禮部所駁之意、却是不知太學有四堂、自來分講諸經、四處各講論語・孟子。又云、諸經輪互講說、若治經家法不同、愈見紛亂。夫人講一經則終一經。是一家之學、比之人講一授。安得却爲紛亂。又云、一人日專一經、不惟己勞、如有疾故在假月日稍久、不免別那博士代講。學者所從、亦安能一。博士之職、比之佗官、極爲淸簡。日講書一授、不足爲勞。人專一經、所從自一。若疾病稍久、或他事故、則出無可奈何。不當以此爲限。
【読み】
一、禮部の看詳に、博士十人、六人は六經を分講せしめ、四人は論語・孟子を分講せしむること、以て施し行い難し、と。今禮部駁する所の意を詳らかにするに、却って是れ太學に四堂有って、自來諸經を分講せしめ、四處各々論語・孟子を講ずということを知らず。又云く、諸經輪互に講說せば、若しくは經を治むるの家法同じからずして、愈々紛亂を見ん、と。夫れ人一經を講ずるときは則ち一經を終う。是れ一家の學、之を人講じて一たび授くるに比す。安んぞ却って紛亂と爲ることを得ん。又云く、一人日に一經を專らにするは、惟己勞するのみにあらず、如し疾故有って月日を假ること稍久しきこと在らば、別に那の博士代わり講ずることを免れず。學者從る所、亦安んぞ能く一ならん、と。博士の職、之を佗官に比するに、極めて淸簡とす。日に書を講じて一たび授くるは、勞すとするに足らず。人一經に專らにすれば、從る所自づから一なり。若し疾病稍久しく、或は他の事故あれば、則ち出るは奈何ともす可き無し。當に此を以て限りと爲すべからず。

一、禮部看詳、武學入學之法、難以施行。乃是禮部未喩立法之意。乞自朝廷詳察。其中、更不引試、便入外舍、尤爲疎簡。其閒豈無隳業苟求之人。亦是禮部未詳外舍之法。其外舍立法、已甚詳密。不過一月須試、又不許請假、隳業之人、無由久容。
【読み】
一、禮部の看詳に、武學入學の法、以て施し行い難しとす。乃ち是れ禮部未だ法を立つるの意を喩らざればなり。乞う朝廷自り詳察したまえ。其の中、更に引試せず、便ち外舍に入るること、尤も疎簡とす。其の閒豈業を隳[おこた]り苟も求むる人無けんや、と。亦是れ禮部未だ外舍の法を詳らかにせざればなり。其の外舍の立法は、已に甚だ詳密なり。一月を過ぎずして須く試みるべく、又請假を許さざれば、業を隳る人、久しく容るるに由無し。

一、禮部看詳、律學本以敎習法律。今來却令講經讀史。不唯事情迂闊、兼妨廢生員專意法律。夫法律之意、蓋本諸經。先能知經、乃可議律。專意法律者、胥吏之事、可以行文案治。期會貫通經義者、士人之事也。可以爲政治民。所以律學必使兼治經史。又云、太學博士、通取幕職州縣官。律學博士、却止取承務郎以上、難以施行。緣太學生秖是布衣之士、或未出官人。設有已歷官人願入、亦是能自折節之人。律學皆是已從仕者。所以敎官須宜稍重。
【読み】
一、禮部の看詳に、律學は本法律を敎え習うことを以てす。今來却って經を講じ史を讀ましむ。唯事情迂闊なるのみにあらず、兼ねて生員を妨廢して意を法律に專らにせしむとす。夫れ法律の意は、蓋し經に本づく。先づ能く經を知って、乃ち律を議す可し。意を法律に專らにする者は、胥吏の事、以て文を行い治を案ず可し。會を期して經義に貫通する者は、士人の事なり。以て政を爲め民を治む可し。所以に律學は必ず經史を兼ね治めしむ。又云く、太學の博士は、通じて幕職州縣の官を取る。律學の博士は、却って止承務郎以上を取ること、以て施し行い難し、と。太學生に緣るに秖[ただ]是れ布衣の士、或は未だ官に出ざるの人なり。設し已に官を歷るの人入ることを願うこと有るも、亦是れ能く自ら節を折るの人なり。律學は皆是れ已に仕に從う者なり。所以に敎官は須く宜しく稍重すべし。

一、禮部看詳、武學制減去三畧・六韜・尉繚子、却合添習孝經・論語・孟子、於事情迂闊。難以施行。勘會元立法減去三畧等、蓋爲鄙淺無取。今禮部以爲有取。恐是不曾研究。其添入孝經・論語等、蓋欲武勇之士能知義理。比之漢明帝令羽林通孝經、唐太宗使飛騎受經、尙未足爲迂闊。
【読み】
一、禮部の看詳に、武學の制三畧・六韜・尉繚子を減じ去って、却って孝經・論語・孟子を添習す合きこと、事情に於て迂闊なり。以て施し行い難しとす。勘會するに元法を立て三畧等を減じ去るは、蓋し鄙淺にして取ること無きが爲なり。今禮部以て取ること有りとす。恐らくは是れ曾て研究せざるならん。其の孝經・論語等を添え入るは、蓋し武勇の士能く義理を知らんことを欲してなり。之を漢の明帝羽林をして孝經に通ぜしめ、唐の太宗飛騎をして經を受けしむるに比するに、尙未だ迂闊とするに足らず。

一、禮部看詳、未有官人、不許入律學、卽舉人盡當遣出。但立入學之法、先在學之人、久須自去。豈有遣出之理。又云、已有官人、使之習學法律、以應吏部試、格正其宜分、難令與。未有官人一例、不許入學、難以施行。夫學古入官、古之制也。未出官人、且令入太學、專治經術、最爲善意。不可改也。
【読み】
一、禮部の看詳に、未だ官有らざるの人、律學に入ることを許さずんば、卽ち舉人盡く當に遣出すべしとす。但學に入るの法を立てば、先に學に在るの人、久しくして須く自ら去るべし。豈遣出するの理有らんや。又云く、已に官有るの人、之をして法律を習學せしめ、以て吏部の試に應じ、其の宜しきを格し正して分かつこと、與せしめ難し。未だ官有らざるの人一例に、學に入ることを許さずんば、以て施し行い難しとす。夫れ古を學んで官に入るは、古の制なり。未だ官に出ざるの人は、且太學に入って、專ら經術を治めしむること、最も善意とす。改む可からず。

一、禮部看詳、國子監敕主簿・書庫官、職事不至繁重、難以不依常制舉官。勘會主簿專管莊土支收文案諸事、最爲繁重。書庫官本職外、準備本監逐時差委幹當。皆須公勤幹敏之人。立法不依常制舉官、所貴得人。禮部又引本所修立上條、不曾申明得旨、敕條不許。旣曰修條、卽須損益舊法。豈可却引舊條破難。朝廷差官修條、卽當盡其所見聽。朝廷取舍、若令逐事先申明取旨、不唯於體非是、兼亦於法無文。
【読み】
一、禮部の看詳に、國子監主簿・書庫官に敕して、職事繁重に至らずとすること、難んずるに常制の舉官に依らざるを以てす。勘會するに主簿は專ら莊土支收文案の諸事を管して、最も繁重とす。書庫官は本職の外、準じて本監に備わって時を逐って差委幹當す。皆公勤幹敏の人を須[もち]う。法を立つること常制の舉官に依らざるは、人を得ることを貴ぶ所なり。禮部又本所上條を修立するを引いて、曾て申し明かして旨を得ず、敕條許さずとす。旣に條を修すと曰わば、卽ち須く舊法を損益すべし。豈却って舊條を引いて破難す可けんや。朝廷官を差し條を修するは、卽ち當に其の見聽く所を盡くすべし。朝廷の取舍、若し逐事先づ申し明かして旨を取らしめば、唯體に於て是に非ざるのみにあらず、兼ねて亦法に於て文無し。

一、禮部看詳、助敎雖緣進納、亦繫有官人。難以却令繳納誥敕、繫牴牾。勘會上條繫舊法。竊詳元初立法之意、蓋爲助敎。皆是富民只納數百千、便得爲士人。卽恐流類混雜。又不可絕人進善。所以願納誥身、乃許入學。今來禮部駁難、必爲專指助敎。其餘進納官、却無此法。蓋進納自齋郎以上、朝廷許其臨政治民。難爲不許入學。監學立法、又不可侵議。進納條貫、所以專指助敎。
【読み】
一、禮部の看詳に、助敎は進納に緣ると雖も、亦官有る人に繫かる。難んずるに却って納誥を繳[おさ]めしめて敕するは、牴牾[ていご]に繫かるというを以てす。勘會するに上條は舊法に繫かる。竊かに元初法を立つるの意を詳らかにするに、蓋し助敎の爲にす。皆是れ富民只數百千を納めて、便ち士人と爲ることを得。卽ち恐れらくは流類混雜せんことを。又人善に進むを絕つ可からず。所以に誥身に納むることを願えば、乃ち學に入ることを許す。今來禮部の駁難、必ず專ら助敎を指すとす。其の餘は進納の官、却って此の法無し。蓋し進納齋郎自り以上は、朝廷其の政に臨み民を治むることを許す。學に入ることを許さざることを爲し難し。學を監み法を立つるも、又侵議す可からず。進納の條貫、專ら助敎を指す所以なり。

一、禮部看詳、大率以檢察士人爲不可。竊以朝廷欲厚風敎、必自士人始。近世士風薄惡、士人不修行檢、或無異於市井小人、朝廷未嘗有法以敎勵檢束之也。近年方有檢察舉人條貫、今來立法、更加增益、使之詳備。蓋欲士人有所忌憚、而天下知朝廷欲厚風敎之意、習俗漸化。今禮部難云、牒開封府或本貫施行、卽不說如何施行事節。又帖子(文具回禮部取問狀。)勘會學生在學有犯則依學規、待學者之道也。舉人及仕族子弟有犯於外、自有條法。更令本監察訪者、蓋欲朝廷有法檢束士人、知所戒懼爾。況所察皆是顯惡、失士人之行者、難爲因本監察訪、不用常憲。又云、假有舉人本貫是廣南、遊學在西川、若有所犯、却牒廣南施行、顯是迂枉。今令本監採訪、及牒開封府、則是在京。所以更云或本貫者、或者疑辭。蓋量宜可牒本貫、則牒本貫、欲其一郷知戒爾。禮部有西川牒廣南之說、乃是誤認立法之意。
【読み】
一、禮部の看詳に、大率士人を檢察するを以て不可とす。竊かに以みるに朝廷風敎を厚くせんと欲せば、必ず士人自り始むる。近世士風薄惡にして、士人行檢を修めず、或は市井の小人に異なること無きは、朝廷未だ嘗て法以て之を敎勵檢束すること有らざればなり。近年方に舉人を檢察する條貫有り、今來法を立て、更に增益を加えて、之をして詳備ならしむ。蓋し士人忌み憚る所有って、天下朝廷風敎を厚くせんと欲するの意を知って、習俗漸く化せんことを欲すればなり。今禮部難んじて云く、開封府に牒して或は本貫に施し行うこと、卽ち如何にか施し行うの事節を說かず、と。又帖子(文は禮部問いを取るに回す狀に具わる。)勘會するに學生學に在って犯すこと有れば則ち學規に依るは、學者を待つの道なり。舉人及び仕族の子弟外に犯すこと有れば、自づから條法有り。更に本監をして察訪せしむる者は、蓋し朝廷法の士人を檢束すること有って、戒め懼るる所を知らしめんと欲するのみ。況んや察する所皆是れ顯惡にして、士人の行いを失する者、本監の察訪に因って、常憲を用いざることを爲し難し。又云く、假えば舉人の本貫是れ廣南、遊學して西川に在ること有って、若し犯す所有るに、却って廣南に牒して施し行わば、顯らかに是れ迂枉なり、と。今本監をして採訪せしめ、及び開封府に牒するときは、則ち是れ京に在り。所以に更に或は本貫と云う者は、或はというは疑いの辭なり。蓋し宜しきを量って本貫に牒す可きときは、則ち本貫に牒して、其の一郷知戒せんことを欲するのみ。禮部西川廣南に牒するの說有るは、乃ち是れ法を立つるの意を誤り認むればなり。

一、禮部看詳稱、三舍升補法、不可以廢。須用命官正錄。其三舍升補舊法、事理甚明白、賢愚所共知。繫在朝廷取舍。又云、新條添置學生、充正錄人、給錢米屋若干。未見支錢米去處。竊(徐本竊作切。)緣自來職事人皆有俸錢、禮部合知支錢去處。又云、屋見繫出賃、收掠房錢、難以施行。錢旣可支、屋亦何異。新條明載於閑慢處支撥。無難行之理。
【読み】
一、禮部の看詳に稱す、三舍升補の法、以て廢す可からず。須く命官正錄を用うべし。其の三舍升補の舊法、事理甚だ明白にして、賢愚共に知る所なり。繫かるは朝廷の取舍に在り、と。又云く、新條に學生を添え置いて、正錄の人に充て、錢米屋若干を給す。未だ支錢米去る處を見ず、と。竊かに(徐本竊を切に作る。)緣るに自來職事の人皆俸錢有り、禮部支錢の去る處を知る合し。又云く、屋賃を出すに繫ることを見て、房錢を收掠すること、以て施し行い難し。錢旣に支す可くんば、屋も亦何ぞ異ならん、と。新條に明らかに閑慢處支撥することを載す。行い難きの理無し。

一、禮部看詳、舊條錢物格令所不載者、長貳審詳比類支給。今來所修新條、刪去比類二字、只令長貳裁度支破。緣存比類二字、卽臨時輕重多寡、有所依倣、不至過有支破。合依舊存比類二字。禮部先有帖子取問、本所因何刪去舊條比類二字。本所供答稱、勘會本監支費(文具回禮部取問狀内。)、其事理甚明。乞自朝廷詳酌。
【読み】
一、禮部の看詳に、舊條の錢物格令に載せざる所の者、長貳比類を審詳にして支給す。今來修する所の新條、比類の二字を刪り去って、只長貳をして裁度支破せしむ。比類の二字を存するに緣るに、卽ち時に臨んで輕重多寡、依り倣う所有って、過って支破すること有るに至らず。舊に依って比類の二字を存す合し。禮部先に帖子有って問いを取る、本所何に因ってか舊條比類の二字を刪り去る、と。本所の供答に稱す、勘會するに本監の支費(文は禮部問いを取るに回す狀の内に具わる。)、其の事理甚だ明らかなり、と。乞う朝廷自り詳酌せんことを。

一、禮部勘會、官員在職、遭祖父母喪、不許解官行服。今若獨令舉人不得應舉、考之人情、法意皆所未安。竊以官員在職、蓋守其常。舉人應舉、乃是求進。律禁冒哀求仕、不聞禁冒哀守常也。官員與舉人事體不同。又云、今乞修改貢舉條貫、及立到上條遭祖父母喪、給長假奔喪等事、難議施行。學生遭祖父母喪、非有君事官守、安然不奔、自非不孝甚惡之人、不應至此。學校所以厚人倫。立法固當敎以尊祖。若祖父母喪不許奔、深害人理。
【読み】
一、禮部の勘會に、官員職に在って、祖父母の喪に遭えば、官を解して服を行うことを許さず。今若し獨り舉人をして舉に應ずることを得ざらしめば、之を人情に考うるに、法意皆未だ安んぜざる所なり、と。竊かに以みるに官員職に在るは、蓋し其の常を守るなり。舉人舉に應ずるは、乃ち是れ進むことを求むるなり。律哀を冒して仕を求むることを禁じて、哀を冒して常を守るを禁ずることを聞かず。官員と舉人と事體同じからず。又云く、今貢舉の條貫を修改せんと乞い、及び立[たちどころ]に上條祖父母の喪に遭うに到るに、長く假して喪に奔ることを給す等の事、施し行うことを議し難しとす。學生祖父母の喪に遭って、君事官守有るに非ずして、安然として奔らざるは、自づから不孝甚惡の人に非ずんば、此に至る應からず。學校は人倫を厚くする所以なり。立法は固に當に敎うるに祖を尊ぶことを以てすべし。若し祖父母の喪奔ることを許さずんば、深く人理を害す。

一、禮部看詳、新制博士減去二員、又令一人專講一經。無輪講法。又添分治學事。比舊已是煩勞。兼月課先須考較。緣又考課卷不少、又令五人爲番請召對面點抹、慮日力不給、却成苟簡。亦生員請益、恐不暇應答。難以施行。自來學中生員整會假限、辯理事節、自有牒訴、如聽訟之所。今來修改法制、無致訟之端。學事淸簡、博士日逐說書治學事、不爲煩勞。改試爲課、乃學校大體。當面點抹敎告、爲益最多。舊來公私試排比名次、衆人爭計高下、必銖銖而校之、用功甚多。當面讀過、指其瑕病、用力甚少。一日只請三番、計人數十日可畢。今限半月。已甚優遊。又有長貳察其當否之法、無日力不足、却成苟簡之事。自來學官學生、皆不相識。今則人人相接、易爲誘益。
【読み】
一、禮部の看詳に、新制に博士二員を減じ去り、又一人をして專ら一經を講ぜしむ。輪講の法無し。又學事を分け治むることを添う。舊に比するに已に是れ煩勞なり。兼ねて月課先づ須く考較すべし。又課卷を考うること少なからざるに緣りて、又五人をして番と爲さしめて請召對面して點抹せば、慮るに日力給せずして、却って苟簡と成らん。亦生員の請益、恐らくは應答するに暇あらず。以て施し行い難しとす。自來學中の生員假限を整會し、事節を辯理して、自ら牒訴すること有って、訟を聽く所の如し。今來法制を修改して、訟を致す端無し。學事淸簡なれば、博士日に說書を逐って學事を治しめて、煩勞を爲さず。試を改めて課と爲すは、乃ち學校の大體なり。當面に點抹して敎え告ぐれば、益を爲すこと最も多し。舊來公私の試名次を排比すれば、衆人高下を爭い計って、必ず銖銖にして之を校[くら]べて、功を用うること甚だ多し。當面に讀過して、其の瑕病を指せば、力を用うること甚だ少なし。一日に只請うこと三番なれば、人數を計るに十日にして畢う可し。今半月を限る。已に甚だ優遊なり。又長貳其の當否を察するの法有って、日力足らずして、却って苟簡と成る事無し。自來學官學生、皆相識らず。今は則ち人人相接して、誘益を爲し易し。

一、禮部看詳、改齋諭爲學諭。名稱不正。自慶曆學制、逐齋置學諭。蓋學正者太學之正也。學諭者敎諭爲學者也。義各不同。非是名稱不正。齋諭之名、不成意義。今來改作學諭、本爲正名。又云、長貳選差、與舊法不同。難議施行。帖子稱、舊令繫令博士參預、不唯知接生員。親於長貳、亦或互相防檢、無所容私。新條立意、大率唯是欲朝廷重倚任。故使長貳自委其屬。禮部所難、大率唯是欲密爲防檢。恐其有私。若使屬與其長互相防檢、非先王之道。
【読み】
一、禮部の看詳に、齋諭を改めて學諭とす。名稱正しからずとす。慶曆の學制自り、逐齋學諭を置く。蓋し學正は太學の正なり。學諭は敎諭を學とする者なり。義各々同じからず。是れ名稱正しからざるに非ず。齋諭の名、意義を成さず。今來改めて學諭と作すは、本名を正さんが爲なり。又云く、長貳の選差、舊法と同じからず。施し行うことを議し難し、と。帖子に稱す、舊令繫ること博士をして參預せしめて、唯生員に接することを知らず。長貳に親しみ、亦或は互いに相防檢せば、私を容るる所無し、と。新條の立意は、大率唯是れ朝廷倚任を重くせんことを欲す。故に長貳をして自ら其の屬に委せしむ。禮部の難んずる所は、大率唯是れ密に防檢をせんことを欲す。恐らくは其れ私有らん。若し屬をして其の長と互いに相防檢せしめば、先王の道に非ず。

一、禮部看詳、保官狀式、舊條稱私罪徒。今條稱私罪情重。舊條稱徭人幷相容隱之人、不許爲保。今條内刪去。又舊條稱曾經屛斥之人、不許入保。今條内稱自來士行無闕。舊條稱未及七十。今條内稱年若干、竝無刪改因依。兼慮士行無闕、立文太泛、有司難以執用。勘會私罪雖不至徒、有情重不可爲保者。徭人與歸明無異相隱之人。及七十以上、自有海行格式。旣云士行無闕、則曾經屛斥在其中矣。
【読み】
一、禮部の看詳に、保官の狀式、舊條に私罪の徒と稱す。今條に私罪情重しと稱す。舊條に徭人幷びに相容れ隱す人、保爲ることを許さずと稱す。今條の内に刪り去る。又舊條に曾て屛斥を經る人、保に入ることを許さずと稱す。今條の内に自來士の行闕くること無しと稱す。舊條に未だ七十に及ばずと稱す。今條の内に年若干と稱して、竝びに刪り改むること無くして因り依る。兼ねて士の行闕くること無しというを慮るに、文を立つること太だ泛くして、有司以て執り用い難しとす。勘會するに私罪徒に至らずと雖も、情重くして保爲る可からざる者有り。徭人歸に與れば明らかに相隱す人に異なること無し。及び七十以上は、自づから海行の格式有り。旣に士の行闕くること無しと云うときは、則ち曾て屛斥を經るも其の中に在り。

一、禮部看詳、學規舊制、不齒之罰、一曰盜博鬭毆。今刪去盜字。卽未委犯盜、合如何施行。若謂行止乖惡、注云乖惡多端。犯名敎者皆是包盜在内。又緣謗訕・悖慢・凶恣・受賕・鬭毆之類、亦是有犯名敎、亦是合包括在内。今却分立、兼行止乖惡、舊無此一項。竊(徐本竊作切。)緣學校所以檢束學者、不可設盜賊之法。況有行止乖惡一條、凡言之醜者皆麗其中。他犯可言者、自合分立條項。
【読み】
一、禮部の看詳に、學規舊制、齒せざるの罰、一に曰く、盜博鬭毆、と。今盜の字を刪り去る。卽ち未だ盜を犯すを委せずして、合に如何にか施し行うべき。若しくは謂ゆる行止乖惡は、注して乖惡多端と云う。名敎を犯す者は皆是れ盜を包[か]ねて内に在り。又謗訕・悖慢・凶恣・受賕・鬭毆の類に緣るに、亦是れ名敎を犯すこと有り、亦是れ包括して内に在る合し。今却って分かち立つるに、行止乖惡に兼ねて、舊此の一項無しとす。竊かに(徐本竊を切に作る。)緣るに學校は學者を檢束する所以、盜賊の法を設くる可からず。況んや行止乖惡の一條有って、凡そ之を醜と言う者は皆其の中に麗[つ]く。他犯の言う可き者は、自づから條項を分かち立つる合し。


修立孔氏條制(元祐元年十月。○奏狀闕。)
【読み】
孔氏を修立する條制(元祐元年十月。○奏狀闕く。)

一、添賜田幷舊賜爲五百頃。設溝封、爲奉聖郷。世襲奉聖公爵、以奉祭祀。不使更爲他官、位在中大夫之下。如有高才重德、朝廷必賴其用、卽令嗣子奉祀事。
【読み】
一、添え賜うの田幷びに舊賜五百頃とす。溝封を設けて、奉聖郷とす。世々奉聖公の爵を襲わしめて、以て祭祀に奉ぜしむ。更に他官と爲さしめず、位中大夫の下に在り。如し高才重德有って、朝廷必ず其の用に賴れば、卽ち嗣子をして祀の事に奉ぜしむ。

一、所賜田、蠲免稅賦、依郷川厚薄、召人種佃。其佃戶(徐本戸作月。)、竝免差傜夫役。
【読み】
一、賜う所の田、稅賦を蠲免[けんめん]し、郷川の厚薄に依って、人を召して種佃せしむ。其の佃戶(徐本戸を月に作る。)、竝びに差傜夫役を免ず。

一、奉聖公表章慶賀、進奉聖節、竝依衮州例。朝廷頒歷賜衣等恩數、竝依衮州知州。每遇大禮、許入覲陪位。
【読み】
一、奉聖公の表章慶賀、奉聖の節を進むること、竝びに衮州の例に依る。朝廷頒歷賜衣等の恩數、竝びに衮州の知州に依る。大禮に遇う每に、入覲して位に陪することを許す。

一、奉聖公差當直兵士三十人(一作二十人。)
【読み】
一、奉聖公の差當兵士三十人(一に二十人に作る。)に直[あ]たる。

一、奉聖公宅敎授一人、主導翊襲封之人、及敎導其嗣子。吏部於舉到學官内選差。
【読み】
一、奉聖公の宅敎授一人、襲封の人を導き翊[たす]くることを主り、及び其の嗣子を敎え導く。吏部舉到に於て學官の内に選差す。

一、置官一員、主其家事。或只令僊源縣簿尉兼管。
【読み】
一、官一員を置いて、其の家事を主らしむ。或は只僊源縣の簿尉兼管せしむ。


二程全書卷之六十二  伊川先生文四

雜著

顏子所好何學論(先生始冠、遊太學、胡安定以是試諸生、得此論、大驚異之、卽請相見、遂以先生爲學職。)
【読み】
顏子の好む所何の學の論(先生始めて冠して、太學に遊ぶとき、胡安定是を以て諸生を試み、此の論を得て、大いに之を驚異して、卽ち請いて相見て、遂に先生を以て學職とす。)

聖人之門、其徒三千、獨稱顏子爲好學。夫詩・書六藝、三千子非不習而通也。然則顏子所獨好者、何學也。學以至聖人之道也。
【読み】
聖人の門、其の徒三千、獨り顏子を稱して學を好むとす。夫れ詩・書六藝、三千子習って通ぜざるには非ず。然らば則ち顏子獨り好む所の者は、何の學ぞや。以て聖人に至るの道を學ぶなり。

聖人可學而至歟。曰、然。學之道如何。曰、天地儲精、得五行之秀者爲人。其本也眞而靜、其未發也五性具焉。曰、仁義禮智信。形旣生矣。外物觸其形而動於中矣。其中動而七情出焉。曰、喜怒哀樂愛惡欲。情旣熾而益蕩、其性鑿矣。是故覺者約其情使合於中、正其心、養其性。故曰性其情。愚者則不知制之、縱其情而至於邪僻、梏其性而亡之。故曰情其性。凡學之道、正其心、養其性而已。中正而誠、則聖矣。君子之學、必先明諸心、知所養(一作往。)、然後力行以求至。所謂自明而誠也。故學必盡其心。盡其心、則知其性。知其性、反而誠之、聖人也。故洪範曰、思曰睿、睿作聖。誠之之道、在乎信道篤。信道篤則行之果、行之果則守之固。仁義忠信不離乎心、造次必於是、顚沛必於是、出處語默必於是、久而弗失、則居之安、動容周旋中禮、而邪僻之心無自生矣。
【読み】
聖人は學んで至る可しや。曰く、然り。學の道如何。曰く、天地精を儲けて、五行の秀を得る者を人とす。其の本や眞にして靜かに、其の未だ發せざるや五性具わる。曰く、仁義禮智信なり。形旣に生ず。外物其の形に觸れて中に動く。其の中動いて七情出づ。曰く、喜怒哀樂愛惡欲なり。情旣に熾んにして益々蕩して、其の性鑿す。是の故に覺者は其の情を約して中に合わしめ、其の心を正し、其の性を養う。故に其の情を性にすと曰う。愚者は則ち之を制することを知らず、其の情を縱にして邪僻に至り、其の性を梏して之を亡ぼす。故に其の性を情にすと曰う。凡そ學の道は、其の心を正し、其の性を養うのみ。中正にして誠なれば、則ち聖なり。君子の學は、必ず先づ心を明らかにし、養う(一に往に作る。)所を知って、然して後に力め行って以て至ることを求む。所謂明らかなる自りして誠なるなり。故に學は必ず其の心を盡くす。其の心を盡くすときは、則ち其の性を知る。其の性を知って、反って之を誠にするは、聖人なり。故に洪範に曰く、思うに睿と曰い、睿は聖と作る、と。之を誠にする道は、道を信ずること篤きに在り。道を信ずること篤きときは則ち之を行うこと果に、之を行うこと果なるときは則ち之を守ること固し。仁義忠信心に離れず、造次にも必ず是に於てし、顚沛にも必ず是に於てし、出處語默にも必ず是に於てして、久しくして失せざるときは、則ち之に居ること安んじて、動容周旋禮に中って、邪僻の心自って生ずること無し。

故顏子所事、則曰非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。仲尼稱之、則曰得一善、則拳拳服膺而弗失之矣、又曰不遷怒、不貳過、有不善未嘗不知、知之未嘗復行也。此其好之篤、學之之道也。視聽言動皆禮矣。所異於聖人者、蓋聖人則不思而得、不勉而中、從容中道。顏子則必思而後得、必勉而後中。故曰顏子之與聖人、相去一息。孟子曰、充實而有光輝之謂大、大而化之之謂聖、聖而不可知之謂神。顏子之德、可謂充實而有光輝矣。所未至者、守之也。非化之也。以其好學之心、假之以年、則不日而化矣。故仲尼曰、不幸短命死矣。蓋傷其不得至於聖人也。所謂化之者、入於神而自然不思而得、不勉而中之謂也。孔子曰七十而從心所欲不逾矩、是也。
【読み】
故に顏子の事とする所は、則ち禮に非ずんば視ること勿かれ、禮に非ずんば聽くこと勿かれ、禮に非ずんば言うこと勿かれ、禮に非ずんば動くこと勿かれと曰う。仲尼之を稱して、則ち一善を得れば、則ち拳拳として膺[むね]に服[つ]けて之を失わずと曰い、又怒りを遷さず、過ちを貳びせず、不善有れば未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復行わずと曰う。此れ其の之を好むこと篤くして、之を學ぶの道なり。視聽言動は皆禮なり。聖人に異なる所の者は、蓋し聖人は則ち思わずして得、勉めずして中り、從容として道に中る。顏子は則ち必ず思って而して後に得、必ず勉めて而して後に中る。故に顏子と聖人と、相去ること一息と曰う。孟子曰く、充實して光輝有る之を大と謂い、大にして之を化する之を聖と謂い、聖にして知る可からざる之を神と謂う、と。顏子の德は、充實して光輝有ると謂う可し。未だ至らざる所の者は、之を守ればなり。之を化するに非ざるなり。其の學を好むの心を以て、之に假すに年を以てせば、則ち日あらずして化せん。故に仲尼曰く、不幸短命にして死す、と。蓋し其の聖人に至ることを得ざるを傷んでなり。所謂之を化する者は、神に入って自然に思わずして得、勉めずして中るの謂なり。孔子七十にして心の欲する所に從って矩を逾えずと曰う、是れなり。

或曰、聖人、生而知之者也。今謂可學而至、其有稽乎。曰、然。孟子曰、堯・舜性之也。湯・武反之也。性之者、生而知之者也。反之者、學而知之者也。又曰、孔子則生而知也。孟子則學而知也。後人不達、以謂聖本生知、非學可至、而爲學之道遂失、不求諸己而求諸外、以博聞强記巧文麗辭爲工、榮華其言、鮮有至於道者、則今之學、與顏子所好異矣。
【読み】
或るひと曰く、聖人は、生まれながらにして之を知る者なり。今學んで至る可しと謂う、其れ稽[いた]ること有りや、と。曰く、然り。孟子曰く、堯・舜は之を性のままにす。湯・武は之に反る、と。之を性のままにする者は、生まれながらにして之を知る者なり。之に反る者は、學んで之を知る者なり。又曰く
、孔子は則ち生まれながらにして知るなり。孟子は則ち學んで知るなり。後人達せずして、以て聖は本生知、學んで至る可きに非ずと謂いて、學を爲むるの道遂に失して、己に求めずして外に求め、博聞强記巧文麗辭を以て工と爲し、其の言を榮華にして、道に至ること有ること鮮き者は、則ち今の學と、顏子の好む所と異なればなり。


養魚記(時年二十二)
【読み】
魚を養う記(時に年二十二)

書齋之前有石盆池、家人買魚子食貓。見其煦沫也、不忍。因擇可生者、得百餘、養其中。大者如指、細者如箸。支頤而觀之者竟日。始舍之、洋洋然、魚之得其所也。終觀之、戚戚焉、吾之感於中也。
【読み】
書齋の前に石盆池有り、家人魚子を買って貓を食[やしな]う。其の煦沫[くまつ]を見るに、忍びず。因りて生く可き者を擇んで、百餘を得て、其の中に養う。大なる者は指の如く、細なる者は箸の如し。頤を支えて之を觀る者竟日。始め之を舍して、洋洋然たるは、魚の其の所を得るなり。終わりに之を觀て、戚戚焉たるは、吾が中に感ずるなり。

吾讀古聖人書、觀古聖人之政、禁數罟不得入洿池、魚尾不盈尺不中取、市不得鬻、人不得食。聖人之仁、養物而不傷也如是。物獲如是、則吾人之樂其生、遂其性、宜何如哉。思是(一無此二十字。)魚之(一無之字。)於是時、寧有是困耶。推是魚孰不可見耶。
【読み】
吾れ古の聖人の書を讀み、古の聖人の政を觀るに、數罟[そくこ]を禁じて洿池[こち]に入ることを得ず、魚尾尺に盈たず取るに中らずんば、市鬻[ひさ]ぐことを得ず、人食うことを得ず。聖人の仁、物を養って傷めざること是の如し。物是の如くなることを獲ば、則ち吾人の其の生を樂しみ、其の性を遂ぐること、何如とす宜きや。是を思うに(一に此の二十字無し。)魚の(一に之の字無し。)是の時に於る、寧ろ是の困しみ有らんや。是を推すに魚孰か見る可からざらんや。

魚乎、魚乎、細鉤密網、吾不得禁之。於彼炮燔咀嚼、吾得免爾。於此吾知、江海之大、足使爾遂其性。思置汝於彼、而未得其路。徒能以斗斛之水、生汝之命。生汝誠吾心。汝得生已多、萬類天地中、吾心將奈何。魚乎、魚乎、感吾心之戚戚者、豈止魚而已乎。因作養魚記(一無此上十一字、有爾乎二字。)。至和甲午季夏記。
【読み】
魚よ、魚よ、細鉤密網は、吾れ之を禁ずることを得ず。彼の炮燔咀嚼に於ては、吾れ免ることを得せしめんのみ。此に於て吾れ知る、江海の大なる、爾をして其の性を遂げしむるに足れり。汝を彼に置かんことを思えども、未だ其の路を得ず。徒に能く斗斛の水を以て、汝の命を生かす。汝を生かすは誠に吾が心なり。汝生を得ること已に多くして、天地の中に萬類たらば、吾が心將に奈何とかせん。魚よ、魚よ、吾が心に感ずる戚戚たる者、豈止魚のみならんや。因りて養魚記を作る(一に此の上の十一字無くして、爾乎の二字有り。)。至和甲午季夏に記す。

吾昔作養魚記。于茲幾三十年矣。故藁中偶見之、竊自歎少(徐本少作幼。)而有志、不忍毀去。觀昔日之所知、循今日之所至、愧負初心。不幾於自棄者乎。示諸小子、當以吾爲戒。元豐己未正月戊戌、西齋南窗下書。
【読み】
吾れ昔養魚記を作る。茲に于て幾ど三十年なり。故藁の中に偶々之を見て、竊かに自ら少くして(徐本少を幼に作る。)志有って、毀ち去るに忍びざることを歎ず。昔日の知る所を觀て、今日の至る所に循うに、初心に負くことを愧づ。自棄の者に幾からずや。諸を小子に示して、當に吾を以て戒めと爲すべし。元豐己未正月戊戌、西齋南窗の下に書す。


爲家君作試漢州學策問三
【読み】
家君の爲に作する漢州の學に試みる策問三つ

問、士之所以貴乎人倫者、以明道也。若止於治聲律、爲祿利而已、則與夫工技之事、將何異乎。夫所謂道、固若大路然。人皆可勉而至也。如不可學而至、則古聖人何爲敎人勤勤如是。豈其欺後世邪。然學之之道當如何。
【読み】
問う、士の人倫を貴ぶ所以の者は、道を明らかにするを以てなり。若し止聲律を治め、祿利の爲にするのみに於てせば、則ち夫の工技の事と、將何ぞ異ならんや。夫れ所謂道は、固に大路の若く然り。人皆勉めて至る可し。如し學んで至る可からずんば、則ち古の聖人何爲れぞ人を敎えて勤勤たらしむること是の如くならんや。豈其れ後世を欺かんや。然して之を學ぶ道當に如何にかすべき。

後之儒者、莫不以爲文章、治經術爲務。文章則華靡其詞、新奇其意、取悅人耳目而已。經術則解釋辭訓、較先儒短長、立異說以爲己工而已。如是之學、果可至於道乎。仲尼之門、獨稱顏子爲好學、則曰不遷怒、不貳過也。與今之學、不其異乎。
【読み】
後の儒者、以て文章を爲り、經術を治むるを務めとせざるは莫し。文章は則ち其の詞を華靡にし、其の意を新奇にして、人の耳目を悅ばしむることを取るのみ。經術は則ち辭訓を解釋し、先儒の短長を較べ、異說を立てて以て己が工とするのみ。是の如きの學、果たして道に至る可けんや。仲尼の門、獨り顏子を稱して學を好むと爲すには、則ち怒りを遷さず、過ちを貳びせずと曰う。今の學と、其れ異ならずや。

或曰、如是則在修身謹行而已。夫檢於行者、設曰勉强之可也。通諸心者、姑謹修而可能乎。況無諸中不能强於外也。此爲儒之本。諒諸君之所素存也。幸明辨而詳著于篇。
【読み】
或るひと曰く、是の如くなるときは則ち身を修め行いを謹むに在るのみ、と。夫れ行いを檢する者は、設い之を勉强すと曰うとも可なり。心に通ずる者は、姑く謹み修めて能くす可けんや。況んや中に無ければ外に强うること能わざるなり。此れ儒の本爲り。諒に諸君の素より存する所なり。幸いに明らかに辨じて詳らかに篇に著せ。

問、聖人之道傳諸經、學者必以經爲本。然而諸經之奧、多所難明。今取其大要、各舉其一以言之。
【読み】
問う、聖人の道は諸經に傳わって、學者必ず經を以て本と爲す。然れども諸經の奧、明らかにし難き所多し。今其の大要を取って、各々其の一を舉げて以て之を言う。

夫易卦之德曰元亨利貞。或爲四。曰元也、亨也、利也、貞也。或爲二。曰大亨也、利於貞也。其詞旣同、義可異乎。所以異者何謂。
【読み】
夫れ易卦の德を元亨利貞と曰う。或は四つとす。曰く、元なり、亨なり、利なり、貞なり。或は二つとす。曰く、大いに亨るなり、貞しきに利あるなり。其の詞旣に同じくして、義異なる可けんや。異なる所以の者は何の謂ぞや。

春秋垂褒貶之法。所貶則明矣。所褒者何事。
【読み】
春秋は褒貶の法を垂る。貶する所は則ち明らかなり。褒する所の者は何事ぞ。

詩之美刺、聖人取其止乎禮義者、以爲法於後世。晉武公身爲幷奪、無衣美之。其敎安在。
【読み】
詩の美刺は、聖人其の禮義に止まる者を取って、以て法を後世に爲す。晉の武公身ら幷せ奪うことを爲して、無衣に之を美す。其の敎安にか在る。

書爲王者軌範。不獨著聖王之事以爲法也、亦存其失以示戒爾。五子之歌是也。如盤庚之遷國、穆王之訓刑、爲是而可法邪、爲非而可戒邪。
【読み】
書は王者の軌範爲り。獨り聖王の事を著して以て法と爲すのみならず、亦其の失を存して以て戒めを示すのみ。五子の歌是れなり。盤庚の遷國、穆王の訓刑の如き、是と爲して法る可けんや、非と爲して戒む可けんや。

禮記雜出於漢諸儒、所傳謬亂多矣。考之完合於聖人者、其篇有幾。
【読み】
禮記は漢の諸儒に雜出して、傳うる所謬亂多し。之を考えて完く聖人に合する者、其の篇幾か有る。

夫古人之學貴專、不以泛濫爲賢。諸君之於經、必各有所治。人言其所學可也。惟毋泛、毋畧。
【読み】
夫れ古人の學は專らなることを貴んで、泛濫を以て賢とせず。諸君の經に於る、必ず各々治むる所有らん。人々其の學ぶ所を言って可なり。惟泛すること毋かれ、畧すること毋かれ。

問、儒者積學於己、以待用也。當世之務、固當講明。若夫朝廷之治、君相謨之、斯無閒矣。以一郡而言、守之職豈不以養人爲本。然而民產不制、何術以濟乎困窮。吏繇有數、何道以寬乎力役。比閭無法、敎化何由而可行。衣食不足、風俗何緣而可厚。
【読み】
問う、儒者は學を己に積んで、以て用を待つ。當世の務め、固に當に講じ明かすべし。若し夫れ朝廷の治は、君相之を謨[はか]って、斯れ閒無し。一郡を以て言うに、守の職豈不を養うを以て本とせざらんや。然れども民產制せずんば、何の術にしてか以て困窮を濟わん。吏繇[りよう]數有らば、何の道にしてか以て力役を寬くせん。比閭法無くんば、敎化何に由って行わる可けん。衣食足らずんば、風俗何に緣って厚かる可けん。

自唐而上、世有循吏、著之史册。何今世獨無其人。豈古之治不可行於今邪。抑爲之者不得其道邪。思欲仰希前哲之爲、上副聖朝之寄、何所施設而能及斯。
【読み】
唐自りして上、世々循吏有って、之を史册に著す。何ぞ今世獨り其の人無き。豈古の治今に行う可からざるか。抑々之をする者其の道を得ざるか。思うに仰いで前哲の爲[しわざ]を希い、上聖朝の寄に副わんと欲せば、何の施し設くる所にしてか能く斯に及ばん。

諸君從事於學、旣勤且久。爲政(徐本政作敢。)之方、固當明其體要。至於民(一作風。)(一作之。)利病、皆耳目之所接也。願陳高論、得以矜式。
【読み】
諸君は事に學に從うこと、旣に勤めて且つ久し。政を(徐本政を敢に作る。)爲むる方、固に當に其の體要を明らかにすべし。民(一に風に作る。)(一に之に作る。)利病に至っては、皆耳目の接する所なり。願わくは高論を陳べて、以て矜み式[のっと]ることを得ん。


爲家君書家藏太宗皇帝寶字後
【読み】
家君の爲に家藏の太宗皇帝の寶字の後に書す

先臣少師、以府僚事太宗皇帝於開封、被眷特異、前後所賜親筆多矣。天聖中、遭家難、諸父繼亡。臣時未冠、復在遠方、京師賜第、外姻守之、寶藏之物、旣於盜手。於今在者、乃其遺也。故太宗遺書惟存十三(徐本三作二。)字。其六乃開封文移、皆緣祭祀及貢舉事。臣恭思太宗皇帝以介弟之貴、晉王之重、尹正天府、而常事之小者、皆親書之(自來大臣領州小事、多不親書。)。聖心可見矣。蓋於祀事之嚴、取士之重、雖細故必親。誠孝恭虔之心也。急賢好士之心也。嗚呼、成萬世無窮之基、豈不由是心乎。愚臣竊謂、是心也宜爲後聖法。元祐四年己巳十一月癸未、太中大夫致仕上柱國永年縣開國伯、食邑九百戶、臣程珦題。
【読み】
先臣少師、府僚を以て太宗皇帝に開封に事え、眷を被ること特に異にして、前後賜う所の親筆多し。天聖中に、家難に遭い、諸父繼いで亡ぶ。臣時に未だ冠せず、復遠方に在り、京師の賜第、外姻之を守って、寶藏の物、盜手に旣く。今に於て在る者は、乃ち其の遺りなり。故に太宗の遺書惟十三(徐本三を二に作る。)字を存するのみ。其の六は乃ち開封の文移、皆祭祀及び貢舉の事に緣る。臣恭しく思うに太宗皇帝介弟の貴き、晉王の重きを以て、天府に尹正として、常事の小なる者も、皆之を親書す(自來大臣領州小事、多く親書せず。)。聖心見る可し。蓋し祀事の嚴、士を取るの重きに於ては、細故と雖も必ず親らす。誠孝恭虔の心なり。賢を急にし士を好むの心なり。嗚呼、萬世無窮の基を成すこと、豈是の心に由らざるや。愚臣竊かに謂えらく、是の心宜しく後聖の法と爲すべし。元祐四年己巳十一月癸未、太中大夫致仕上柱國永年縣開國の伯、食邑九百戶、臣程珦題す。


禊飮詩序
【読み】
禊飮[けいいん]の詩の序

上巳禊飮、風流遠矣。而蘭亭之會、最爲後人所稱慕者、何哉。蓋其遊多豪逸之才、而右軍之書、復爲好事者所重爾。事之顯晦、未嘗不在人也。
【読み】
上巳の禊飮、風流遠し。而も蘭亭の會、最も後人の爲に稱慕せらるる者は、何ぞや。蓋し其の遊多くは豪逸の才にして、右軍の書、復事を好む者の爲に重んぜらるるのみ。事の顯晦、未だ嘗て人に在らずんばあらず。

潁川陳公廙始治洛居、則引流廻環、爲泛觴之所。元豐乙未、首修禊事。公廙好古重道、所命皆儒學之士。旣樂嘉賓形于詠歌、有不愧山陰之句。諸君屬而和者、皆有高致。野人程頤不能賦詩。因論今昔之異、而爲之評曰、以我好賢方逐樂之心、禮義爲疎曠之比、道藝當筆札之功(徐本功作工。)、誠不愧矣。安知後日之視今日、不若今人之慕昔人也哉。
【読み】
潁川の陳公廙[よく]始めて洛の居を治むること、則ち流れを引き廻り環らして、觴[さかづき]を泛[うか]ぶる所とす。元豐乙未、首めて禊事を修す。公廙古を好み道を重んじて、命ずる所皆儒學の士なり。旣に嘉賓詠歌を形すことを樂しんで、山陰の句に愧ぢざること有り。諸君屬して和する者、皆高致有り。野人程頤詩を賦すること能わず。因りて今昔の異を論じて、之が評を爲って曰く、我が賢方を好み樂を逐うの心を以てするに、禮義疎曠の比を爲し、道藝筆札の功(徐本功を工に作る。)に當たるに、誠に愧ぢず。安んぞ後日の今日を視ること、今人の昔人を慕うに若かざることを知らんや、と。


論漢文殺薄昭事
【読み】
漢文薄昭を殺す事を論ず

古人謂、忠孝不兩全、恩義有相奪。非至論也。忠孝、恩義、一理也。不忠則非孝、無恩則無義。竝行而不相悖。故或捐親以盡節、或舍君而全孝。惟所當而已。
【読み】
古人謂く、忠孝は兩ながら全からず、恩義相奪うこと有り、と。至論に非ず。忠孝、恩義は、一理なり。忠あらずんば則ち孝に非ず、恩無ければ則ち義無し。竝び行われて相悖らず。故に或は親を捐[す]てて以て節を盡くし、或は君を舍てて孝を全くす。惟當たる所のみ。

唐李衛公以爲、漢文誅薄昭、斷則明矣。義則未安。司馬溫公以爲、法者天下之公器、惟善持法者、親疎如一、無所不行。皆執一之論、未盡於義也。義旣未安、則非明也。有所不行、不害其爲公器也。不得於義、則非恩之正。害恩之正、則不得爲義。
【読み】
唐の李衛公以爲えらく、漢文薄昭を誅するは、斷は則ち明なり。義は則ち未だ安からず、と。司馬溫公以爲えらく、法は天下の公器、惟善く法を持する者は、親疎一の如くにして、行われざる所無し、と。皆一を執るの論にして、未だ義を盡くさざるなり。義旣に未だ安からざるときは、則ち明に非ず。行われざる所有るとも、其の公器爲ることを害せず。義に得ざるときは、則ち恩の正に非ず。恩の正を害するときは、則ち義爲ることを得ず。

使薄昭盜長陵土、則太后雖不食而死、昭不可不誅也。其殺漢使爲類、亦有異焉。若昭有罪、命使往治昭、執而殺之、太后之心可傷也。昭不可赦也、后若必害其生、則存昭以全后可也。或與忿爭而殺之、則貸昭以慰母心可也。此之謂能權。蓋先王之制也、八議設而後重輕得其宜。義豈有屈乎。法主於義。義當而謂之屈法、不知法者也。
【読み】
薄昭をして長陵の土を盜ましめば、則ち太后食せずして死すと雖も、昭誅せずんばある可からず。其の漢使を殺すの類爲る、亦異なること有り。若し昭罪有って、命じて往いて昭を治めしめ、執えて之を殺さば、太后の心傷む可し。昭赦す可からずとも、后若し必ず其の生を害せば、則ち昭を存して以て后を全くして可なり。或は與に忿爭して之を殺さんとすとも、則ち昭を貸して以て母の心を慰めて可なり。此れ之を權を能くすと謂う。蓋し先王の制は、八議設けて而して後に重輕其の宜しきを得。義豈屈くすこと有らんや。法は義を主とす。義當たって之を法に屈すと謂うは、法を知らざる者なり。


與人論立賑濟法事
【読み】
人と賑濟の法を立つる事を論ず

不制民之產、無儲蓄之備、飢而後發廩以食之、廩有竭而飢者不可勝濟也。今不暇論其本、救目前之死亡、唯有節則所及廣。
【読み】
民の產を制せず、儲蓄の備え無くして、飢えて後に廩を發いて以て之を食[やしな]えば、廩竭くること有って飢うる者勝げて濟う可からず。今其の本を論ずるに暇あらず、目前の死亡を救うこと、唯節有るときは則ち及ぼす所廣し。

常見今時州縣濟饑之法、或給之米豆、或食以粥飯、來者與之、不復有辨、中雖欲辨之亦不能也。穀貴之時、何人不願得食。倉廩旣竭、則殍死者在前、無以救之矣。
【読み】
常に今時州縣饑を濟うの法を見るに、或は之に米豆を給し、或は食うに粥飯を以てして、來る者之を與えて、復辨ずること有らず、中ごろ之を辨ぜんと欲すと雖も亦能わず。穀貴き時、何人か食を得ることを願わざらん。倉廩旣に竭くるときは、則ち殍死[ひょうし]の者前に在れども、以て之を救うこと無し。

數年前、一親戚爲郡守。愛恤之心、可謂至矣。雞鳴而起、親視俵散。官吏後至者、必責怒之。於是流民歌詠、至者日衆。未幾穀盡、殍者滿道。愚常矜其用心、而嗤其不善處事。
【読み】
數年の前、一親戚郡の守爲り。愛恤の心、至れりと謂う可し。雞鳴いて起きて、親ら俵散を視る。官吏後に至る者は、必ず之を責怒す。是に於て流民歌詠して、至る者日に衆し。未だ幾ならずして穀盡きて、殍者道に滿つ。愚常に其の心を用うることを矜みて、其の善く事を處せざることを嗤う。

救饑者、使之免死而已。非欲其豐肥也。當擇寬廣之處、宿戒使晨入、至巳則闔門不納、午而後與之食、申而出之(給米者午卽出。)。日得一食則不死矣。其力自能營一食者皆不來矣。比之不擇而與、當活數倍之多也。
【読み】
饑を救う者は、之をして死を免れしむるのみ。其の豐肥を欲するに非ず。當に寬廣の處を擇んで、宿しめ戒めて晨に入らしめ、巳に至っては則ち門を闔ぢて納れず、午にして而して後に之に食を與え、申にして之を出す(米を給する者は午にして卽ち出づ。)。日に一食を得るときは則ち死せず。其の力自ら能く一食を營む者は皆來ず。之を擇ばずして與うるに比するに、當に活數之に倍すること多かるべし。

凡濟饑、當分兩處。擇羸弱者、作稀粥、早晩兩給、勿使至飽。俟氣稍完、然後一給。第一先營寬廣居處、切不得令相枕藉。如作粥飯、須官員親嘗。恐生及入石灰。不給浮浪遊手。無是理也。平日當禁遊惰。至其饑餓、則哀矜之一也。
【読み】
凡そ饑を濟うに、當に兩處に分かつべし。羸弱なる者を擇んで、稀粥を作って、早晩兩たび給して、飽くに至らしむること勿かれ。氣稍完きを俟って、然して後に一たび給す。第一先づ寬廣の居處を營んで、切に相枕藉せしむることを得ざれ。如し粥飯を作らば、須く官員親ら嘗むべし。恐らくは石灰を入るるに及ぶことを生さん。浮浪の遊手に給せざれ。是の理無し。平日當に遊惰を禁ずべし。其の饑餓に至っては、則ち之を哀矜すること一なり。


記蜀守
【読み】
蜀の守を記す

成都人稱、近時鎭蜀之善者、莫如田元鈞・文潞公。語不善者、必曰蔣堂・程戡。故謠言曰、彥博虧(虧猶言不如也。)田況、程戡勝蔣堂。言最善之中、田更優、不善之中、程猶差勝也。
【読み】
成都の人稱すらく、近時蜀に鎭たるの善なる者は、田元鈞・文潞公に如くは莫し、と。不善なる者を語れば、必ず蔣堂・程戡[かん]と曰う。故に謠言に曰く、彥博は田況に虧き(虧は猶不如と言うがごとし。)、程戡は蔣堂に勝れり、と。言うこころは最も善なる中、田更に優に、不善なる中、程猶差勝れるなり、と。

予嘗訪之士大夫、以至閭里閒、察其善不善之迹、所謂善者、得民心之悅、固有可善焉。所謂最不善者、乃可謂最善者也。至今人言及蔣公時事、必有不樂之言。問其所不樂者、衆口所同、惟三事而已。減損遨樂、毀后土廟及諸淫祠、伐江瀆廟木修府舍也。其尤失人心者、節遨樂也。前蔣者數十年爲政。(後闕。)
【読み】
予嘗て之を士大夫に訪いて、以て閭里の閒に至って、其の善不善の迹を察するに、所謂善とする者は、民心の悅びを得て、固に善とす可き有り。所謂最も不善とする者は、乃ち最も善なる者と謂う可し。今の人言蔣公の時の事に及ぶに至れば、必ず樂しまざるの言有り。其の樂しまざる所の者を問えば、衆口の同じき所は、惟三事のみ。遨樂を減損し、后土の廟及び諸々の淫祠を毀ちて、江瀆の廟木を伐って府舍を修するなり。其の尤も人心を失する者は、遨樂を節にするなり。前の蔣は數十年政を爲む。(後闕く。)


雍行錄

元豐庚申歲、予行雍・華閒。關西學者相從者六七人。予以千錢掛馬鞍。比就舍則亡矣。僕夫曰、非晨裝而亡之、則涉水而墜之矣。予不覺嘆曰、千錢可惜。坐中二人應聲曰、千錢亡去。甚可惜也。次一人曰、千錢微物。何足爲意。後一人曰、水中囊中、可以一視。人亡人得。又何嘆乎。予曰、使人得之、乃非亡也。吾歎夫有用之物、若沈水中、則不復爲用矣。
【読み】
元豐庚申の歲、予雍・華の閒に行く。關西の學者相從う者六七人。予千錢を以て馬鞍に掛く。舍に就くに比[およ]んでは則ち亡[な]し。僕夫曰く、晨裝にして之を亡うに非ずんば、則ち水を涉って之を墜とすならん、と。予覺えず嘆じて曰く、千錢惜しむ可し、と。坐中の二人聲に應じて曰く、千錢亡い去る。甚だ惜しむ可きなり、と。次の一人曰く、千錢は微物なり。何ぞ意とするに足らん、と。後の一人曰く、水中の囊中、以て一視す可し。人亡えば人得。又何ぞ嘆ぜんや、と。予曰く、人をして之を得せしむれば、乃ち亡うに非ず。吾れ夫の有用の物、若し水中に沈むときは、則ち復用を爲さざることを歎ず、と。

至雍、以語呂與叔曰、人之器識固不同。自上聖至於下愚、不知有幾等。同行者數人耳。其不同如此也。與叔曰、夫數子之言何如。予曰、最後者善。與叔曰、誠善矣。然觀先生之言、則見其有體而無用也。予因書而誌之。
【読み】
雍に至って、以て呂與叔に語って曰く、人の器識は固に同じからず。上聖自り下愚に至るまで、知らず、幾等有ることを。同行の者數人のみ。其の同じからざること此の如し、と。與叔曰く、夫の數子の言何如、と。予曰く、最後の者善し、と。與叔曰く、誠に善し。然れども先生の言を觀るときは、則ち其の體有って用無きことを見る、と。予因りて書して之を誌す。

後十五年、因閱故編、偶見之。思與叔之不幸早死、爲之泣下。
【読み】
後十五年、故編を閱るに因りて、偶々之を見る。與叔の不幸にして早く死するを思って、之が爲に泣下る。


雜說三

父母之於子、愛之至也。子不孝、則愛心弛焉。聖人之於民、雖窮凶極惡而陷於刑戮、哀衿之心無有異也。情有替也、誠無息也。
【読み】
父母の子に於るは、愛の至りなり。子不孝なれば、則ち愛心弛む。聖人の民に於る、窮凶極惡にして刑戮に陷ると雖も、哀衿の心異なること有ること無し。情は替わること有って、誠は息むこと無ければなり。

言命所以安義、從義不復語命。以命安義、非循理者也。
【読み】
命を言うは義に安んずる所以、義に從えば復命を語らず。命を以て義に安んずるは、理に循う者に非ず。

仲尼之徒、豈皆聖人。其見豈能盡同於仲尼。惟其不敢信己而信其師。故常舍己以求合聖人之敎。是以卒歸於不異也。及夫子沒、則漸異也。
【読み】
仲尼の徒、豈皆聖人ならんや。其の見豈能く盡く仲尼に同じからんや。惟其れ敢えて己を信ぜずして其の師を信ず。故に常に己を舍てて以て聖人の敎に合わんことを求む。是を以て卒に異ならざるに歸す。夫子沒するに及んでは、則ち漸く異なる。


四箴(有序。)
【読み】
四箴(序有り。)

顏淵問克己復禮之目。夫子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。四者身之用也。由乎中而應乎外。制於外所以養其中也。顏淵事斯語、所以進於聖人。後之學聖人者、宜服膺而勿失也。因箴以自警。
【読み】
顏淵己に克ち禮に復るの目を問う。夫子曰く、禮に非ずんば視ること勿かれ、禮に非ずんば聽くこと勿かれ、禮に非ずんば言うこと勿かれ、禮に非ずんば動くこと勿かれ、と。四つの者は身の用なり。中に由って外に應ず。外に制するは其の中を養う所以なり。顏淵斯の語を事とするは、聖人に進む所以なり。後の聖人を學ぶ者、宜しく膺に服けて失すること勿かるべし。因りて箴して以て自ら警む。

視箴

心兮本虛、應物無迹。操之有要、視爲之(一作之爲。)則。蔽交於前、其中則遷。制之於外、以安其内。克己復禮、久而誠矣。
【読み】
心は本虛にして、物に應じて迹無し。之を操るに要有り、視ること之が(一に之爲に作る。)則と爲す。前に蔽交すれば、其の中則ち遷る。之を外に制して、以て其の内を安んず。己に克って禮に復ること、久しくして誠なり。

聽箴

人有秉彝、本乎天性。知誘物化、遂亡其正。卓彼先覺、知止有定。閑邪存誠、非禮勿聽。
【読み】
人彝を秉ること有るは、天性に本づく。知誘われ物に化して、遂に其の正を亡ぼす。卓たる彼の先覺は、止まるべきを知って定まること有り。邪を閑ぎ誠を存して、禮に非ずんば聽くこと勿かれ。

言箴

人心之動、因言以宣。發禁躁妄、内斯靜專。矧是樞機、興戎出好、吉凶榮辱、惟其所召。傷易則誕、傷煩則支。己肆物忤、出悖來違。非法不道。欽哉訓辭。
【読み】
人心の動く、言に因って以て宣ぶ。發すること躁妄を禁ずれば、内斯に靜專なり。矧んや是れ樞機、戎を興し好を出し、吉凶榮辱、惟其の召く所なるをや。易きに傷るれば則ち誕、煩わしきに傷るれば則ち支。己肆なれば物忤い、出ること悖れば來ること違う。法に非ずんば道わざれ。欽めや訓辭。

動箴

哲人知幾、誠之於思、志士厲行、守之於爲。順理則裕、從欲惟(一作爲。)危。造次克念、戰兢自持。習與性成、聖賢同歸。
【読み】
哲人は幾を知って、之を思うに誠にして、志士は行いを厲まして、之をするに守る。理に順えば則ち裕かに、欲に從えば惟れ(一に爲に作る。)危うし。造次にも克く念って、戰兢として自ら持す。習えば性と成って、聖賢と歸を同じくす。


印銘
【読み】
印の銘

我祖喬伯、始封於程。及其後世、以國爲姓。惟我皇考、卜居近程、復爵爲伯。子孫是稱。程伯之後、崇寧癸未歲二月丁卯、頤銘。
【読み】
我が祖喬伯、始めて程に封ぜらる。其の後世に及んで、國を以て姓とす。惟れ我が皇考、卜居程に近く、復爵伯と爲る。子孫是を稱す。程伯の後、崇寧癸未歲二月丁卯、頤銘す。


聞舅氏侯無可應辟南征詩(時年十八。)
【読み】
舅氏侯無可辟に應じて南征することを聞く詩(時に年十八。)

詞華奔競至道離。茫茫學者爭驅馳。先生獨奮孟軻舌、扶持聖敎增光輝。志期周禮制區夏。人稱孔子生關西。當途聞聲交薦牘、蒼生無福徒爾爲。道大不爲當世用、著書將期來者知。今朝有客關内至。聞從大幕征南垂。南垂凶寇陷州郡、久張螳臂抗天威。聖皇赫怒捷書緩、虎侯秉鉞驅熊羆。宏才未得天下宰、良謀且作軍中師。蕞爾小蠻何足殄。庶幾聊吐胸中奇。
【読み】
詞華奔り競って至道離る。茫茫たる學者爭って驅馳す。先生獨り奮う孟軻の舌、聖敎を扶持して光輝を增す。志は周禮の區夏を制するを期す。人稱す孔子關西に生まる、と。當途聲を聞いて薦牘せしめ、蒼生福無くして徒に爾く爲す。道大にして當世の爲に用いられず、書を著して將に期す來者の知らんことを。今朝關内に客有り至る。聞從くならく大幕南垂を征す、と。南垂の凶寇州郡を陷る、久しく螳臂[とうひ]を張って天威に抗す。聖皇赫として怒って捷書緩くし、虎侯鉞を秉って熊羆を驅る。宏才未だ天下の宰を得ず、良謀且軍中の師と作る。蕞爾[さいじ]たる小蠻何ぞ殄[つ]くすに足らん。庶幾わくは聊か胸中の奇を吐かんことを。


謝王佺期寄丹詩
【読み】
王佺期が丹を寄するを謝する詩

至誠通聖(一作化。)藥通神。遠寄衰翁濟病身。我亦有丹君信否。用時還解壽斯民。
【読み】
至誠は聖(一に化に作る。)に通じ藥は神に通ず。遠く衰翁に寄せて病身を濟う。我も亦丹有り君信ずるや否や。用うる時還って解[よ]く斯の民を壽くせんとす。


遊嵩山詩
【読み】
嵩山に遊ぶ詩

鞭羸百里遠來遊。岩谷陰雲暝不收、遮斷好山敎不見。如何天意異人謀。
【読み】
羸に鞭うって百里遠く來り遊ぶ。岩谷の陰雲暝として收まらず、好山を遮斷して見えざらしむ。如何ぞ天意人謀に異なる。


二程全書卷之六十三  伊川先生文五

書啓

爲家君上宰相書
【読み】
家君の爲に宰相に上る書

珦聞、古之君子相其君而能致天下於大治者、無他術、善惡明而勸懲之道至焉爾。勸得其道而天下樂爲善、懲得其道而天下懼爲惡、二者爲政之大權也。然行之必始於朝廷、而至要莫先於諡法。何則、刑罰雖嚴、可警於一時、爵賞雖重、不及於後世。惟美惡之諡一定、則榮辱之名不朽矣。故歷代聖君賢相、莫不持此以勵世風(一作也。)。伏惟閣下以上賢之資、爲聖主之輔、深功厚德、卓出前古。所以致今日之治者、蓋由盡心勸懲之道、而天下之善惡明也。今若有善人于此而不得彰顯、以至于泯沒、則於閣下豈不甚惜而欲聞之乎。珦是以敢忘其僭易之罪、而布其誠懇於左右。
【読み】
珦聞く、古の君子其の君を相けて能く天下を大治に致す者は、他の術無し、善惡明らかにして勸懲の道至れるのみ。勸めて其の道を得て天下善をすることを樂しみ、懲らして其の道を得て天下惡をすることを懼る、二つの者は政を爲むるの大權なり。然して之を行うこと必ず朝廷より始めて、至要は諡法より先んずるは莫し。何となれば則ち、刑罰嚴なりと雖も、一時に警む可く、爵賞重しと雖も、後世に及ばず。惟美惡の諡一たび定まるときは、則ち榮辱の名朽ちざればなり。故に歷代の聖君賢相、此を持して以て世風(一に也に作る。)を勵ましめずということ莫し。伏して惟みるに閣下上賢の資を以て、聖主の輔爲り、深功厚德、卓として前古に出づ。今日の治を致す所以の者は、蓋し心を勸懲の道に盡くして、天下の善惡明らかなるに由れり。今若し此に善人有って彰顯を得ずして、以て泯沒に至るときは、則ち閣下に於て豈甚だ惜しんで之を聞くことを欲せざらんや。珦是を以て敢えて其の僭易の罪を忘れて、其の誠懇を左右に布く。

伏念珦之曾祖、當五代之亂、棄官避世、以俟眞主之興。我朝受命、首赴闕庭、一言遭遇、受聖祖非常之知。及太宗皇帝之在晉藩、親自選擢、俾之輔佑。于時眞宗皇帝親受經訓。太宗纂緒、顧遇益隆。凡所獻替、無不開納。稱其忠厚、待以腹心、前後兩欲相之、而姦臣盧多遜惡其方正、皆因四方之事、薦之使行。曁于還朝、復將大用、而先祖自以衰老、瀝懇辭避。乃特爲改置文明殿學士之職、俾處庶僚之右。制辭丁寧、復示終用爲相之旨、至於沒身、不許告老。歷事兩朝、受恩三聖、終始一節、存沒異遇。考於諡法、宜得美名。而當時有司失於舉行、門生故吏不能論請、以至于今、未有易其名者。
【読み】
伏して念うに珦の曾祖、五代の亂に當たって、官を棄て世を避けて、以て眞主の興るを俟つ。我が朝命を受けて、首めて闕庭に赴き、一言遭遇して、聖祖非常の知を受く。太宗皇帝の晉藩に在るに及んで、親しく自ら選擢して、之をして輔佑せしむ。時に眞宗皇帝親しく經訓を受く。太宗緒を纂[つ]いで、顧遇益々隆んなり。凡そ獻替する所、開納せずということ無し。其の忠厚、待するに腹心を以てするを稱して、前後兩たび之を相とせんと欲すれども、而れども姦臣盧多遜其の方正を惡んで、皆四方の事に因って、之を薦めて行かしむ。朝に還るに曁んで、復將に大いに用いんとすれども、而れども先祖自ら衰老を以て、懇を瀝りて辭し避く。乃ち特に爲に改めて文明殿學士の職を置いて、庶僚の右に處らしむ。制辭丁寧、復終に用いて相とするの旨を示して、身を沒[お]うるに至るまで、老を告ぐることを許さず。兩朝に歷事し、恩を三聖に受けて、終始節を一にし、存沒遇を異にす。諡法を考うるに、宜しく美名を得るべし。而るに當時の有司舉行に失し、門生故吏論請すること能わずして、以て今に至るまで、未だ其の名を易うる者有らず。

珦大懼、年祀浸遠、遂至湮晦。近三請於朝廷、而有司引條例、以旣葬爲限。夫聖人作諡之意、本以彰善癉惡。若以請之後時、遂廢其禮、則是爲善者未必見褒、而爲惡者得以自隱也。況國家推恩、率循舊例。竊見近日王嗣宗輩、亦是已葬、朝廷恩旨、特許追賜。獨珦之曾祖以條例爲限、某竊惑焉。
【読み】
珦大いに懼る、年祀浸[やや]遠くして、遂に湮晦に至らんことを。近ごろ三たび朝廷に請えども、有司條例を引いて、旣に葬るを以て限とす。夫れ聖人諡を作るの意は、本善を彰[あき]らかにし惡を癉[にく]むことを以てす。若し請うことの時に後るるを以て、遂に其の禮を廢せば、則ち是れ善を爲す者未だ必ずしも褒められずして、惡を爲す者以て自ら隱すことを得ん。況んや國家の推恩は、率ね舊例に循う。竊かに見るに近日王嗣宗が輩、亦是れ已に葬れども、朝廷の恩旨、特に追賜を許す。獨り珦の曾祖條例を以て限とすること、某竊かに惑えり。

若以官言之、則三品以上、皆應令文。以德言之、則先祖淸儉之節、淳厚之德、寬大之量、周通之才、比於嗣宗、誠亦無愧。何嗣宗得請於無例之前、而先祖見抑於有例之後。若以先祖非兩府而異之耶、則太宗皇帝眷遇如此、累將柄用、至於老疾、聖意未已。制詞具在、遺旨如存。繼聖之朝、得不念之哉。
【読み】
若し官を以て之を言うときは、則ち三品以上、皆令文に應ず。德を以て之を言うときは、則ち先祖淸儉の節、淳厚の德、寬大の量、周通の才、嗣宗に比するに、誠に亦愧づること無し。何ぞ嗣宗例無きの前に請うことを得て、先祖例有るの後に抑えられん。若し先祖兩府に非ざるを以て之を異にするやとならば、則ち太宗皇帝の眷遇此の如く、累りに將に柄用せんとして、老疾に至るまで、聖意未だ已まず。制詞具に在って、遺旨存するが如し。繼聖の朝、之を念わざることを得んや。

古之聖賢、生非其時、身無其位、不得主懲勸於天下、尙猶論古之人、觀其言、考其世、以分別其賢愚善惡、何哉。有至仁之心、而自任之重也。故人有一善、晦而不顯、其心愧恥、若已揜之。今閣下當明盛之時、居宰執之任、褒賢勸善、是所職也。若使本朝賢士名跡湮晦、以爲朝廷之闕、閣下得不惜之乎。矧主上以至孝御天下、祖宗之朝、一政一令、靡所更易、一器一玩、弗忍遺棄、而恩舊之臣、豈不存念。伏望閣下體聖祖選擢之意、感神宗恩遇之厚、念眞皇受經之舊、副主上繼志之心、力賜主張、許循近例。如此則恩滿泉底、光生後昆、則珦闔門粉骨、不足以報厚德矣。
【読み】
古の聖賢、生まるること其の時に非ず、身其の位無くして、懲勸を天下に主ることを得ざれば、尙猶古の人を論じて、其の言を觀、其の世を考えて、以て其の賢愚善惡を分別するは、何ぞや。至仁の心有って、自ら任ずること重ければなり。故に人一善有って、晦[かく]れて顯れざれば、其の心愧ぢ恥ぢて、已之を揜[おお]うが若くす。今閣下明盛の時に當たり、宰執の任に居して、賢を褒め善を勸むること、是れ職とする所なり。若し本朝の賢士をして名跡湮晦して、以て朝廷の闕爲らしめば、閣下之を惜しまざることを得んや。矧んや主上至孝を以て天下を御して、祖宗の朝、一政一令、更易する所靡く、一器一玩、遺棄するに忍びずして、恩舊の臣、豈存念せざらんや。伏して望むらくは閣下聖祖選擢の意を體し、神宗恩遇の厚きに感じ、眞皇受經の舊を念い、主上繼志の心に副って、力めて主張を賜って、近例に循うことを許したまえ。此の如きときは則ち恩泉底に滿ち、光後昆に生ずるときは、則ち珦が闔門粉骨、以て厚德に報ずるに足らじ。


謝呂晦叔待制書
【読み】
呂晦叔待制に謝する書

竊以古之時、公卿大夫求於士。故士雖自守窮閻、名必聞、才必用。今之時、士求於公卿大夫。故干進者顯榮、守道者沈晦。頤處乎今之世、才微學寡、不敢枉道妄動、雖親戚郷閭閒、鮮克知其所存者。矧敢期知於公卿大夫乎。伏承閣下屈近侍之尊、下顧愚陋。仰荷厚禮、愧不足以當之。
【読み】
竊かに以みるに古の時は、公卿大夫士に求む。故に士自ら窮閻を守ると雖も、名必ず聞え、才必ず用いらる。今の時は、士公卿大夫に求む。故に進むことを干むる者は顯榮し、道を守る者は沈晦す。頤今の世に處して、才微に學寡けれども、敢えて道を枉げ妄りに動かず、親戚郷閭の閒と雖も、克く其の存する所を知る者鮮し。矧んや敢えて公卿大夫に知らるることを期せんや。伏して承るに閣下近侍の尊きを屈して、愚陋を下顧す。仰いで厚禮を荷って、以て之に當たるに足らざることを愧づ。

噫、公卿不下士久矣。頤晦於賤貧、世莫之顧。而公獨降禮以就之。非好賢樂善之深、孰能如是乎。幸甚幸甚。願閣下持是好賢之心、廣求之之方、盡待之之道、異日登廟堂、翊明天子治、以之自輔、以福天下、豈不厚與。鄙朴之人、不善文詞。姑竭其區區、少致謝懇。
【読み】
噫、公卿士に下らざること久し。頤賤貧に晦れて、世之を顧みること莫し。而るに公獨り降禮して以て之に就く。賢を好み善を樂しむの深きに非ずんば、孰か能く是の如くならんや。幸甚なり幸甚なり。願わくは閣下是の賢を好むの心を持して、之を求むるの方を廣め、之を待するの道を盡くさば、異日廟堂に登って、明天子の治を翊[たす]くるに、之を以て自ら輔けて、以て天下に福せば、豈厚からざるや。鄙朴の人、文詞を善くせず。姑く其の區區を竭くして、少しく謝懇を致す。


爲家君請宇文中允典漢州學書
【読み】
家君の爲に宇文中允漢州の學に典たらんことを請う書

中允明公執事、竊以生民之道、以敎爲本。故古者自家黨遂至於國、皆有敎之之地、民生八年則入於小學。是天下無不敎之民也。旣天下之人莫不從敎、小人修身、君子明道。故賢能羣聚於朝、良善成風於下。禮義大行、習俗粹美、刑罰雖設而不犯。此三代盛治由敎而致也。後世不知爲治之本、不善其心而驅之以力。法令嚴於上、而敎不明於下、民放僻而入於罪、然後從而刑之。噫、是可以美風俗而成善治乎。
【読み】
中允明公執事、竊かに以みるに生民の道は、敎を以て本とす。故に古は家黨自り遂に國に至るまで、皆之を敎うるの地有って、民生八年なるときは則ち小學に入る。是れ天下敎えざるの民無きなり。旣に天下の人敎に從らざること莫ければ、小人は身を修め、君子は道を明らかにす。故に賢能朝に羣がり聚まり、良善風を下に成す。禮義大いに行われ、習俗粹美にして、刑罰設くと雖も而れども犯さず。此れ三代の盛治敎に由って致すなり。後世治を爲むるの本を知らず、其の心を善くせずして之を驅るに力を以てす。法令上に嚴なれども、敎下に明らかならず、民放僻にして罪に入って、然して後に從って之を刑す。噫、是れ以て風俗を美して善治を成す可けんや。

往者朝廷深念其然、究思治本、詔京師至于郡縣皆立學。雖未能如古之時、比屋人人而敎之、可以敎爲士者矣。誠能敎之由士始、使爲士者明倫理而安德義、知治亂之道、政化之本、處足以爲郷里法、出可以備朝廷用。如是、則雖未能詳備如古之敎、亦得其大端、近古而有漸矣。是朝廷爲敎之意、非不正也。顧州縣之吏奉承之何如爾。
【読み】
往[さき]に朝廷深く其の然ることを念って、治本を究め思って、詔して京師より郡縣に至るまで皆學を立つ。未だ古の時、比屋人人にして之を敎うるが如くなること能わずと雖も、以て士爲る者を敎う可し。誠に能く之を敎うること士由り始め、士爲る者をして倫理を明らかにして德義に安んじ、治亂の道、政化の本を知らしめば、處しては以て郷里の法とするに足り、出ては以て朝廷の用に備う可し。是の如くなるときは、則ち未だ詳備古の敎の如くなること能わずと雖も、亦其の大端を得て、古に近くして漸有らん。是れ朝廷敎を爲すの意、正しからざるには非ず。州縣の吏之を奉承すること何如と顧みるのみ。

珦庸瑣之質、叨恩領郡。雖才不足以有爲、然少承父師之訓、久從士大夫之後、涉聞學古爲政之道、不敢斷斷俗吏之爲、專以簿書期會爲事。勉思所以副朝廷明敎化、育賢才之意、以學校爲先務。然念敎道之職、非得豪傑之士、學術足以待問、行義足以率人、則何以爲衆人之矜式。
【読み】
珦庸瑣の質、叨[みだり]に恩せられて郡を領す。才以てすること有るに足らずと雖も、然れども少しく父師の訓を承け、久しく士大夫の後に從って、古を學び政を爲むるの道を涉聞して、敢えて俗吏の爲[しわざ]に斷斷たらず、專ら簿書期會を以て事とす。勉めて朝廷敎化を明らかにし、賢才を育するの意に副う所以を思うに、學校を以て先務とす。然れども敎道の職を念うに、豪傑の士、學術以て問いを待つに足り、行義以て人を率いるに足るを得るに非ずんば、則ち何を以てか衆人の矜式とせん。

竊聞、執事懿文高行、爲時所推。仕不合則奉身而退、不爲榮利屈其志。歸安田閭、道義爲郷里重。豈特今人之難能。古人所難能也。愚謂執事非甘於退處而樂於自善也。蓋道旣不偶、去就之義、不得不然。在執事之心、諒無一日忘天下、不以行道濟物爲意也。蓋聞、賢人君子未得其位、無所發施其素蘊、則推其道以淑諸人、講明聖人之學、開導後進、使其敎益明、其傳益廣。故身雖隱而道光、跡雖處而敎行、出處雖異、推己及人之心則一也。此郷人所望於執事、而執事所以自任也。珦是以敢布其區區之意。
【読み】
竊かに聞く、執事懿文高行、時の爲に推さる。仕えて合わざるときは則ち身を奉じて退いて、榮利の爲に其の志を屈せず。田閭に歸り安んじて、道義郷里の爲に重んぜらる、と。豈特今人の能くし難きのみならんや。古人も能くし難き所なり。愚謂えらく、執事退く處を甘んずるに非ずして自ら善くすることを樂しむ、と。蓋し道旣に偶わざれば、去就の義、然らざることを得ず。執事の心に在っては、諒に一日も天下を忘るること無くして、道を行い物を濟うを以て意とせざらんや。蓋し聞く、賢人君子未だ其の位を得ず、其の素蘊を發し施す所無きときは、則ち其の道を推して以て人に淑[よ]くせしめ、聖人の學を講明して、後進を開き導いて、其の敎をして益々明らかに、其の傳をして益々廣からしむ。故に身隱ると雖も道光り、跡處すと雖も敎行われて、出處異なりと雖も、己を推し人に及ぼすの心は則ち一なり、と。此れ郷人執事に望む所にして、執事自ら任ずる所以なり。珦是を以て敢えて其の區區の意を布く。

願執事從郷人之望、枉屈軒馭、來憩郡庠、俾後進子弟得所依歸、不獨一郡學者漸被善敎、四方之士聞風慕義、亦將奔走門下。是執事之道雖未用於時、而所及人者固已博矣。孟子所謂天下之樂也。執事豈無意乎。或賜允從、不勝幸甚。
【読み】
願わくは執事郷人の望みに從い、枉げて軒馭を屈して、郡庠に來り憩い、後進の子弟をして依歸する所を得せしめば、獨り一郡の學者漸く善敎を被るのみにあらず、四方の士風を聞き義を慕って、亦將に門下に奔走せんとす。是れ執事の道未だ時に用いられずと雖も、人に及ぼす所の者固に已に博し。孟子の所謂天下の樂しみなり。執事豈意無けんや。允從を賜うこと或らば、幸甚に勝えじ。


再書

近者書其鄙懇、陳于左右、輒欲邀致軒從。内省不度、方負愧惕。辱敎之答、詞意甚厚且承、燕居休適、感慰深矣。然而過持謙巽、未許臨屈、區區之意、有所未盡。輒敢再浼聽覽。
【読み】
近ごろ其の鄙懇を書して、左右に陳べて、輒ち軒從を邀[むか]え致さんことを欲す。内に省みるに度らずして、方に愧惕を負う。敎を辱くするの答え、詞意甚だ厚く且つ承る、燕居休適、感慰深し、と。然れども過ぎて謙巽を持して、未だ臨屈を許さずんば、區區の意、未だ盡くさざる所有り。輒ち敢えて再び聽覽を浼[けが]す。

珦至郡之初、延見僚吏士民、首道朝廷所以憂念遠方、愛養元元之意。旣則詢州郡之賢人、足以取則爲治者。於是聞執事之名於衆人之口。珦退而三思三省之始曰、彼郷先生也、吾將奉之以敎郡人。旣而曰、賢者以類至。惟賢能致賢。彼賢豈我屑耶。旣又曰、賢者雖有爲而退、豈將自善其身耶。必將化導郷里、敎育後進。自古賢者、未有不然者也。豈特守之爲乎。於是決之不疑、以請於左右。豈意執事未賜深亮、拒而弗從。
【読み】
珦郡に至るの初め、僚吏士民を延見して、首めて朝廷遠方を憂念し、元元を愛養する所以の意を道う。旣に則ち州郡の賢人、以て則を取り治を爲すに足れる者を詢[と]う。是に於て執事の名を衆人の口に聞く。珦退いて三たび思い三たび省みて始めて曰く、彼の郷の先生や、吾れ將に之を奉じて以て郡人を敎えしめんとす、と。旣にして曰く、賢者は類を以て至る。惟賢のみ能く賢を致す。彼が賢豈我れ屑しとせんや、と。旣に又曰く、賢者すること有って退くと雖も、豈將に自ら其の身を善くせんや。必ず將に郷里を化導し、後進を敎育せんとす。古自り賢者、未だ然らざる者は有らず。豈特之を守ることをせんや、と。是に於て之を決すること疑わずして、以て左右に請う。豈意わんや、執事未だ深亮を賜わず、拒みて從わざらんとは。

珦竊觀在易觀之上九曰、觀其生、君子無咎。象曰、觀其生、志未平也。上九以陽剛之德、居無位之地。是賢人君子抱道德而不居其位、爲衆人仰觀法式者也。雖不當位、然爲衆人所觀。固不得安然放意、謂己無與於天下也。必觀其所生君子矣。乃得無咎。聖人又從而讚之謂、志當在此。固未得安然平定、無所慮也。觀聖人敎示後賢如是之深、賢者存心如是之仁。與夫索隱行怪、獨善其身者異矣。今執事居是郷、爲一郷所宗仰、適當觀上九之義。豈得圖一身之安逸、而不以化導爲意乎。
【読み】
珦竊かに觀るに易の觀の上九に在り曰く、其の生を觀るに、君子なれば咎無し、と。象に曰く、其の生を觀るとは、志未だ平らかならず、と。上九は陽剛の德を以て、無位の地に居す。是れ賢人君子道德を抱いて其の位に居せず、衆人の爲に仰ぎ觀法り式らるる者なり。位に當たらずと雖も、然れども衆人の爲に觀らる。固より安然として意を放にすることを得ず、己天下に與ること無しと謂わんや。必ず其の生ずる所を觀るに君子なり。乃ち咎無きことを得る。聖人又從って之を讚して謂く、志當に此に在るべし。固より未だ安然として平定てし、慮る所無きことを得ず、と。聖人後賢に敎え示すこと是の如く深く、賢者心を存すること是の如く仁なることを觀る。夫の隱れたるを索め怪しきを行って、獨り其の身を善くする者と異なり。今執事是の郷に居して、一郷の爲に宗仰せらるること、適々觀の上九の義に當たれり。豈一身の安逸を圖って、化導を以て意とせざることを得んや。

見諭日(一作曰。)近多微疾、憚於應接。此大不然。古者庠序爲養老之地。所養皆眉壽之人。其禮有扶有杖、有鯁噎之祝、則其羸廢可知。蓋資其道德模範。豈尙其筋力也哉。幸執事觀觀爻之義、詳聖人讚之之意、思賢人君子所當用心、勉從郷人之願、不勝幸甚。
【読み】
諭を見るに日(一に曰に作る。)く、近ごろ微疾多くして、應接に憚る、と。此れ大いに然らず。古は庠序は老を養うの地爲り。養う所は皆眉壽の人なり。其の禮扶有り杖有り、鯁噎[こうえつ]の祝有るときは、則ち其の羸廢[るいはい]知る可し。蓋し其の道德模範に資る。豈其の筋力を尙ばんや。幸いに執事觀の爻の義を觀、聖人之を讚するの意を詳らかにし、賢人君子當に心を用うべき所を思って、勉めて郷人の願いに從わば、幸甚に勝えず。


答橫渠先生書
【読み】
橫渠先生に答うる書

累書所論、病倦不能詳說、試以鄙見道其畧。幸不責其妄易。觀吾叔之見、至正而謹嚴。如虛無卽氣則虛(徐本虛作無。)無之語、深探遠賾、豈後世學者所嘗慮及也(然此語未能無過。)。餘所論、以大概氣象言之、則有苦心極力之象、而無寬裕溫厚(一作和。)之氣。非明睿所照、而考索至。此故意屢偏而言多窒。小出入時有之(明所照者、如目所觀、纖微盡識之矣。考索至者、如揣料於物、約見髣髴爾。能無差乎。)。更願完養思慮、涵泳義理、他日自當條暢。何日得拜見、當以來書爲據。句句而論、字字而議、庶及精微。牽勉病軀、不能周悉。
【読み】
累ねて書に論ずる所、病倦んで詳らかに說くこと能わず、試みに鄙見を以て其の畧を道う。幸いに其の妄易を責めざれ。吾叔の見を觀るに、至正にして謹嚴なり。虛無は卽ち氣則ち虛(徐本虛を無に作る。)無の語の如き、深く遠賾を探る、豈後世の學者嘗て慮り及ぶ所ならんや(然るに此の語未だ過ち無きこと能わず。)。餘の論ずる所、大概の氣象を以て之を言うときは、則ち心を苦しめ力を極むるの象有って、寬裕溫厚(一に和に作る。)の氣無し。明睿の照らす所に非ずして、考索至る。此の故に意屢々偏にして言多くは窒がる。小しく出入すること時に之れ有り(明照らす所の者は、目の觀る所、纖微盡く之を識るが如し。考索至る者は、物を揣[はか]り料って、約するとき見ること髣髴たるが如きのみ。能く差い無けんや。)。更に願わくは完く思慮を養い、義理に涵泳せば、他日自づから當に條暢すべし。何れの日か拜見を得て、當に來書を以て據とすべけん。句句にして論じ、字字にして議せば、庶わくは精微に及ばん。病軀を牽き勉めて、周悉すること能わず。

謝生佛祖禮樂之說、相知之淺者、亦可料也。何吾叔更見問大哥書中云聖人之悟。前後矛盾、不知謂何。莫不至此否。
【読み】
謝生佛祖禮樂の說、相知ることの淺き者、亦料る可し。何ぞ吾叔更に大哥に問う書の中に聖人の悟りと云うを見る。前後矛盾、知らず何とか謂う。此に至らざること莫しや否や。


再答

昨書中所示之意、於愚意未安、敢再請於左右。今承盈幅之諭、詳味三反、鄙意益未安。此非侍坐之閒、從容辨析、不能究也。豈尺書所可道哉。況十八叔大哥皆在京師、相見且請熟議。異日當請聞之。
【読み】
昨の書中に示す所の意、愚に於て意未だ安からず、敢えて再び左右に請う。今盈幅の諭を承くる、詳らかに味わい三たび反するに、鄙意益々未だ安からず。此れ侍坐の閒、從容として辨析するに非ずんば、究むること能わず。豈尺書の道う可き所ならんや。況んや十八叔大哥皆京師に在り、相見且つ熟議を請う。異日當に之を請聞すべし。

内一事云、已與大哥議而未合者、試以所見言之。所云孟子曰、必有事焉而勿正心、勿忘勿助長也。此信乎入神之奧。若欲以思慮求之、是旣已自累其心於不神矣。惡得而求之哉。頤以爲、有所事、乃有思也。無思則無所事矣。孟子之是言、方言養氣之道如是。何遽及神乎。氣完則理正、理正則不私。不私之至、則神。自養氣至此猶遠、不可驟同語也。以孟子觀之、自見其次第也。當以必有事焉而勿正爲句、心字屬下句。此說與大哥之言固無殊。但恐言之未詳爾。遠地未由拜見、豈勝傾戀之切。餘意未能具道。
【読み】
内の一事に云く、已に大哥と議して未だ合わざる者、試みに見る所を以て之を言う。所云孟子く曰く、必ず事とすること有って心に正[あてて]すること勿かれ、忘るること勿かれ長ずることを助くること勿かれ、と。此れ信なるかな神に入るの奧なり。若し思慮を以て之を求めんと欲せば、是れ旣已に自ら其の心を神ならざるに累わす。惡んぞ得て之を求めんや、と。頤以爲えらく、事とする所有るは、乃ち思うこと有るなり。思うこと無きときは則ち事とする所無し。孟子の是の言は、方に氣を養うの道是の如くなることを言う。何ぞ遽に神に及ばんや。氣完きときは則ち理正しく、理正しきときは則ち私あらず。私あらざるの至りは、則ち神なり。自づから氣を養い此に至ること猶遠くして、驟に同じく語る可からず。孟子を以て之を觀れば、自づから其の次第を見るなり。當に必ず事とすること有って正すること勿かれというを以て句と爲して、心の字は下の句に屬すべし。此の說大哥の言と固より殊なること無し。但恐らくは之を言うこと未だ詳らかならざるのみ。遠地未だ拜見するに由あらず、豈傾戀の切なるに勝えんや。餘意未だ具に道うこと能わず。

所諭勿忘者、但不舍其虛明善應之心爾。此言恐未便。旣有存於心而不舍、則何謂虛明。安能善應邪。虛明善應、乃可存而不忘乎。
【読み】
諭す所、忘るること勿かれというは、但其の虛明善應の心を舍てざるのみ、と。此の言恐らくは未だ便ならず。旣に心に存すること有りて舍てずんば、則ち何ぞ虛明と謂わん。安んぞ能く善應せんや。虛明善應は、乃ち存す可くして忘れざるか。


上富鄭公書
【読み】
富鄭公に上る書

伊川程頤齋心裁書、再拜獻於致政司空相公閣下。頤鄙野之人、未嘗請謁有位。故不獲從郷里士子趨進門下。今者來自山中、聞太皇太后厭代。心誠有所迫切、無路上達、敢以聞於左右。蓋非公無可告者、非公無肯爲者。
【読み】
伊川程頤齋心して書を裁し、再拜して致政司空相公の閣下に獻ず。頤は鄙野の人、未だ嘗て有位に請謁せず。故に郷里の士子に從って門下に趨り進むことを獲ず。今は山中自り來て、太皇太后の厭代を聞く。心誠に迫切なる所有れども、上達するに路無くして、敢えて以て左右に聞す。蓋し公に非ざれば告ぐ可き者無く、公に非ざれば肯えてする者無ければなり。

頤頃歲見治昭陵制度規畫、一出匠者之拙謀、中人之私意、宰執而下、受成而已莫復置思。以巨木架石爲之屋。計不百年、必當損墜。旣又觀陵中之物、見所謂鐵罩者。鐵幾萬斤、以木爲骨、大不及三寸、其相穿叩之處、厚才纔餘。遠不過二三十年、決須摧朽、壓于梓宮。于時私心惶駭、不能自已。使人聞於魏公、魏公不以爲意。以魏公之忠孝於仁皇、非不盡心、惟其蔽於衆論、昧於遠慮。以天下之力、葬一人於至危之地、可不痛哉。陵土旣復、固知無可奈何。然每一念之、心悸魄喪、或終夕不寐。今郷鄰之閒、有如是事、可爲謀而不以告人、必謂之不信。況仁皇天下父母乎。
【読み】
頤頃歲昭陵を治むる制度規畫を見るに、一に匠者の拙謀、中人の私意に出て、宰執よりして下、受け成して已に復思いを置くこと莫し。巨木を以て石を架して之が屋とす。計るに百年ならずして、必ず當に損墜すべし。旣に又陵中の物を觀て、所謂鐵罩[てっとう]という者を見る。鐵幾萬斤、木を以て骨と爲し、大きさ三寸に及ばず、其の相穿ち叩く處、厚さ纔かに寸餘なり。遠くは二三十年に過ぎずして、決して須く摧朽して、梓宮を壓[お]すべし。時に私心惶駭して、自ら已むこと能わず。人をして魏公に聞せしむれども、魏公以て意とせず。魏公の仁皇に忠孝あるを以て、心を盡くさざるには非ず、惟其れ衆論に蔽われ、遠慮に昧ければなり。天下の力を以て、一人を至危の地に葬る、痛まざる可けんや。陵土旣に復せば、固に奈何ともす可き無きことを知る。然して一たび之を念う每に、心悸[わなな]き魄喪って、或は終夕寐られず。今郷鄰の閒、是の如き事有って、爲に謀る可くして以て人に告げずんば、必ず之を不信と謂わん。況んや仁皇天下の父母をや。

今也不幸太皇太后奄棄宮闈。因此事會可爲之謀。夫合葬之禮、周公以來、未之有改。近取諸唐、帝后亦或同穴。至于乾陵、乃是再啓。太祖皇帝神謀遠慮、超越萬古、昭憲太后、亦合安陵。稽典禮則得尊親之道、徇俗法則皆享福之永。此爲可行、無足疑者。
【読み】
今や不幸にして太皇太后奄[たちま]ち宮闈を棄てたまう。此の事に因りて會々之が謀を爲う可し。夫れ合葬の禮は、周公以來、未だ之を改むること有らず。近く諸を唐に取るに、帝后亦或は穴を同じくす。乾陵に至って、乃ち是れ再び啓す。太祖皇帝神謀遠慮、萬古に超越するも、昭憲太后、亦安陵に合す。典禮を稽うるときは則ち親を尊ぶの道を得、俗法に徇うときは則ち皆福を享くること永し。此れ行う可しと爲して、疑うに足る者無し。

伏願公忠誠奮發、爲朝廷極論其事、請奉太皇太后合祔昭陵、因得撤去鐵罩、用厚陵石槨之制、仍更別加裁處、使異日雖木壞石墜、不能爲害、救仁皇必至之禍、成主上莫大之孝。任此事者、非公孰能。誠能爲之、天祐忠孝、必俾公熾昌壽臧、子孫保無疆之休。
【読み】
伏して願わくは公忠誠奮發して、朝廷の爲に極めて其の事を論じて、請う太皇太后を奉じて昭陵に合祔し、因りて鐵罩を撤去することを得、厚陵石槨の制を用い、仍って更に別に裁處を加え、異日木壞れ石墜つと雖も、害を爲すこと能わざらしめば、仁皇必ず至るの禍を救い、主上莫大の孝を成さん。此の事に任ずる者、公に非ずんば孰か能くせん。誠に能く之をせば、天忠孝に祐[さいわい]して、必ず公をして熾昌壽臧ならしめ、子孫無疆の休を保たん。

竊惟公事仁宗皇帝三十餘年、位極人臣、恩遇無比。料公之心、苟能使仁皇聖體保其安全、雖陷(一作蹈。)禍患、所不避也。況一言之易、肯顧慮而不發乎。事理至明、顧主上素未知爾。以公言之重、竭誠致懇、再三陳之、不憂朝廷之不悟。獨繫公爲不爲爾。哀誠憤激、語辭鄙直、内省狂易、戰灼無地。不宣。
【読み】
竊かに惟みるに公仁宗皇帝に事うること三十餘年、位人臣を極め、恩無比に遇う。公の心を料るに、苟も能く仁皇の聖體をして其の安全を保たしめば、禍患に陷る(一に蹈に作る。)と雖も、避けざる所ならん。況んや一言の易き、肯えて顧み慮って發せざらんや。事理至って明らかなれども、顧みるに主上素より未だ知らざるのみ。公の言の重きを以て、誠を竭くし懇を致して、再三之を陳ぶれば、朝廷悟らざることを憂えず。獨り公せざることをするに繫かるのみ。哀誠憤激、語辭鄙直、内に省みるに狂易にして、戰灼地無し。不宣。


答富公小簡
【読み】
富公に答うる小簡

昨日妄有布聞、方懷煩瀆之懼。乃辱敎誨、加賜酒食。仰荷台意之厚、不勝愧悚。尊者之賜、禮不敢辭。然頤方有言於左右。公若見取、雖執鞭門下、蓋所欣慕。況受賜乎。苟不見從、是忘忠義。公之賜也、實爲頤羞、未敢拜貺。謹復上納、瀆冒台嚴。第深戰慄。
【読み】
昨日妄りに布聞すること有って、方に煩瀆の懼れを懷く。乃ち敎誨を辱くし、酒食を賜うことを加う。仰いで台意の厚きを荷って、愧悚に勝えず。尊者の賜、禮敢えて辭せず。然れども頤方に左右に言すこと有り。公若し取ることを見ば、鞭を門下に執ると雖も、蓋し欣慕する所なり。況んや賜を受くるをや。苟も從うことを見[しめ]さずんば、是れ忠義を忘るるなり。公の賜、實に頤羞づることをせば、未だ敢えて拜貺せず。謹んで復上納して、台嚴を瀆し冒す。第[ただ]深く戰慄す。


上河東帥書
【読み】
河東の帥に上る書

頤荷德旣深。思報宜異、輒以狂言、浼聞台聽。公到鎭之初、必多詢訪衆人。對公之語、頤能料之、當曰虜旣再寇河外、必不復來、公可高枕矣。是常言也。未知奇勝之道。兵法曰、攻必取者、攻其所不守也。謂其不來、乃其所以來也。又曰、彼興大衆、豈徒然哉。河外空矣、復來何利。是大不然。誠使彼得出不意、破蕩數壘、足以勞弊一道、爲利大矣。何必負載而歸、然後爲利也。竊恐謀士悅於寬憂、計司幸於緩責、衆論旣一、公雖未信、而上下之心已懈矣。是可慮也。
【読み】
頤德を荷うこと旣に深し。報を思うに宜しく異なるべく、輒ち狂言を以て、台聽に浼聞す。公鎭に到るの初め、必ず多く衆人に詢訪せよ、と。公に對うる語、頤能く之を料るに、當に虜旣に再び河外に寇す、必ず復來たらじと曰わば、公枕を高くす可べし。是れ常の言なり。未だ奇勝の道を知らず。兵法に曰く、攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻む、と。其の來たらじと謂うは、乃ち其の來る所以なり。又曰く、彼大衆を興す、豈徒然ならんや。河外空しくせば、復來るとも何の利あらん、と。是れ大いに然らず。誠に彼をして不意に出ることを得て、數壘を破蕩せしめば、以て一道を勞弊するに足りて、利とすること大ならん。何ぞ必ずしも負載して歸って、然して後に利とせんや。竊かに恐れらくは謀士寬憂を悅び、計司緩責を幸いとして、衆論旣に一ならば、公未だ信ぜずと雖も、而れども上下の心已に懈らん。是れ慮る可し。

寧捐力於不用、毋惜功而致悔。莫若使彼聞嚴備而絕意、則疆場安矣。豈獨使敵人知有備而不來。當使内地之人信可恃而願往、則一二年閒、便可致完實長久之策也。自古乘塞禦敵、必用驍猛。招徠撫養、多在儒將。今日之事則異矣。願公念之。
【読み】
寧ろ力を用いざるに捐[す]てて、功を惜しんで悔いを致すこと毋かれ。彼をして嚴備を聞いて意を絕たしめて、則ち疆場安きに若くは莫し。豈獨敵人をして備え有ることを知って來らざらしむるのみならんや。當に内地の人をして恃む可きことを信じて往くことを願わしめば、則ち一二年の閒に、便ち完實長久の策を致す可し。古自り塞に乘じ敵を禦ぐには、必ず驍猛を用う。招徠撫養は、多くは儒將に在り。今日の事は則ち異なり。願わくは公之を念え。


答人示奏草書
【読み】
人奏草を示すに答うる書

辱示奏藁。足以見仁人君子愛民之心深切如此。欽服、欽服、子弟當勉。公以速且堅、何可已也。然於愚意有未安者、敢布左右。
【読み】
奏藁を示すことを辱くす。以て仁人君子民を愛するの心深切なること此の如くなることを見るに足れり。欽服、欽服、子弟當に勉むべし。公速やかに且つ堅きを以て、何ぞ已む可き。然れども愚意に於て未だ安からざる者有り、敢えて左右に布く。

觀公之意、專以畏亂爲主。頤欲公以愛民爲先。力言百姓饑且死、丐朝廷哀憐、因懼將爲寇亂可也。不惟告君之體當如是、事勢亦宜爾。公方求財以活人。祈之以仁愛、則當輕財而重民。懼之以利害、則將恃財以自保。古之時得丘民則得天下、財散則人聚。後世苟私利於目前、以兵制民、以財聚衆、聚財者能守、保民者爲迂。秦・漢而下、莫不然也。竊慮廟堂諸賢、未能免此。惟當以誠意感動、覬其有不忍之心而已。淺見無取。惟公裁之。
【読み】
公の意を觀るに、專ら亂を畏るるを以て主とす。頤公民を愛するを以て先とせんことを欲す。力めて百姓饑えて且に死せんとす、朝廷の哀憐を丐[こ]わんことをと言いて、因りて懼れらくは將に寇亂を爲さんとすとして可なり。惟君に告ぐるの體當に是の如くなるのみにあらず、事勢も亦宜しく爾るべし。公方に財を求めて以て人を活かす。之を祈るに仁愛を以てするときは、則ち當に財を輕くして民を重くすべし。之を懼るるに利害を以てするときは、則ち將に財を恃んで以て自ら保たんとす。古の時丘民を得るときは則ち天下を得、財散ずるときは則ち人聚まる。後世苟も利を目前に私して、兵を以て民を制し、財を以て衆を聚めて、財を聚むる者は能く守るとし、民を保んずる者は迂なりとす。秦・漢よりして下、然らずということ莫し。竊かに慮るに廟堂の諸賢、未だ此を免るること能わず。惟當に誠意を以て感動して、其の忍びざるの心有ることを覬[のぞ]むべきのみ。淺見取ること無し。惟公之を裁せよ。


答朱長文書(或云、明道先生之文。)
【読み】
朱長文に答うる書(或るひと云う、明道先生の文、と。)

相去之遠、未知何日復爲會合。人事固難前期也。中前奉書、以足下心虛氣損、奉勸勿多作詩文。而見答之辭、乃曰、爲學上能探古先之陳迹、綜羣言之是非、欲其心通而默識之、固未能也。又曰、使後人見之、猶庶幾曰不忘乎善也。苟不如是、誠懼沒而無聞焉。此爲學之末。宜兄之見責也。使吾日聞夫子之道。而忘乎此、豈不善哉(恐不記書中之言。故却錄去。)。此疑未得爲至當之言也。某於朋友閒、其問不切者、未嘗敢語也。以足下處疾、罕與人接、渴聞議論之益、故因此可論、而爲吾弟盡其說。庶幾有小補也。
【読み】
相去ることの遠き、未だ知らず何れの日か復會合することをせん。人事固に前に期し難し。前書を奉ずるに中って、足下心を虛しくし氣を損するを以て、多く詩文を作ること勿かれということを勸め奉る。而るに答えらるるの辭に、乃ち曰く、學を爲め上能く古先の陳迹を探り、羣言の是非を綜[す]べ、其の心通じて默して之を識らんことを欲すれども、固に未だ能わず、と。又曰く、後人をして之を見せしめば、猶庶幾わくは善を忘れずと曰わん。苟も是の如くならずんば、誠に懼れらくは沒して聞ゆること無けんことを。此を學の末とす。宜なり兄の責めらるること。吾をして日に夫子の道を聞かしむ。而るに此を忘れて、豈不善ならんや、と(書中の言を記せざることを恐る。故に却って錄し去る。)。此れ疑うらくは未だ至當の言とすることを得ず。某朋友の閒に於て、其の問い切ならざる者には、未だ嘗て敢えて語らず。足下疾に處して、人と接すること罕にして、議論を聞くの益に渴するを以て、故に此に因りて論ず可くして、吾が弟の爲に其の說を盡くす。庶幾わくは小補有らんことを。

向之云無多爲文與詩者、非止爲傷心氣也、直以不當輕作爾。聖賢之言、不得已也。蓋有是言、則是理明。無是言、則天下之理有闕焉。如彼耒耜陶冶之器、一不制、則生人之道有不足矣。聖人之言、雖欲已、得乎。然其包涵盡天下之理、亦甚約也。後之人始執卷、則以文章爲先、平生所爲、動多於聖人。然有之無所補、無之靡所闕、乃無用之贅言也。不止贅而已、旣不得其要、則離眞失正、反害於道必矣。詩之盛莫如唐。唐人善論文莫如韓愈。愈之所稱、獨高李・杜。二子之詩、存者千篇、皆吾弟所見也。可考而知矣。苟足下所作皆合於道、足以輔翼聖人、爲敎於後、乃聖賢事業、何得爲學之末乎。某何敢以此奉責。
【読み】
向に多く文と詩とを爲ること無かれと云う者は、止心氣を傷るが爲のみに非ず、直に當に輕々しく作るべからざるを以てするのみ。聖賢の言は、已むことを得ざればなり。蓋し是の言有れば、則ち是の理明らかなり。是の言無ければ、則ち天下の理闕くること有り。彼の耒耜陶冶の器の如き、一つも制せざれば、則ち生人の道足らざること有り。聖人の言、已めんと欲すと雖も、得んや。然も其の天下の理を包涵し盡くすこと、亦甚だ約なり。後の人始めて卷を執るときは、則ち文章を以て先として、平生のする所、動[ややもす]れば聖人より多し。然れども之れ有れども補う所無く、之れ無けれども闕くる所靡きは、乃ち無用の贅言なり。止贅なるのみにあらず、旣に其の要を得ざるときは、則ち眞を離れ正を失して、反って道を害すること必せり。詩の盛んなるは唐に如くは莫し。唐人善く文を論ずるは韓愈に如くは莫し。愈が稱する所は、獨り李・杜を高しとす。二子の詩、存する者千篇、皆吾が弟の見る所なり。考えて知る可し。苟も足下の作る所皆道に合って、以て聖人を輔翼するに足りて、敎を後に爲さば、乃ち聖賢の事業、何ぞ學の末とすることを得んや。某何ぞ敢えて此を以て責めを奉らん。

又言、欲使後人見其不忘乎善。人能爲合道之文者、知道者也。在知道者、所以爲文之心、乃非區區懼其無聞於後、欲使後人見其不忘乎善而已。此乃世人之私心也。夫子疾沒世而名不稱焉者、疾沒身無善可稱云爾。非謂疾無名也。名者可以厲中人。君子所存、非所汲汲。
【読み】
又言く、後人をして其の善を忘れざることを見せしめんと欲す、と。人能く道に合うの文を爲る者は、道を知る者なり。道を知ること在る者は、文を爲る所以の心、乃ち區區として其の後に聞ゆること無からんことを懼るるに非ず、後人をして其の善を忘れざることを見せしめんと欲するのみ。此れ乃ち世人の私心なり。夫子世を沒うるまで名の稱せられざるを疾む者は、身を沒うるまで善の稱す可き無きを疾むと爾か云う。名無きを疾むと謂うには非ず。名は以て中人を厲ます可し。君子の存する所は、汲汲たる所に非ず。

又云、上能探古先之陳迹、綜羣言之是非、欲其心通默識、固未能也。夫心通乎道、然後能辨是非、如持權衡以較輕重。孟子所謂知言是也。揆之以道、則是非了然、不待精思而後見也。學者當以道爲本。心不通乎道、而較古人之是非、猶不持權衡而酌輕重。竭其目力、勞其心智、雖使時中、亦古人所謂億則屢中。君子不貴也。
【読み】
又云く、上能く古先の陳迹を探り、羣言の是非を綜べ、其の心通じて默して識らんことを欲すれども、固に未だ能わず、と。夫れ心道に通じて、然して後に能く是非を辨ずること、權衡を持して以て輕重を較ぶるが如し。孟子の所謂言を知るという是れなり。之を揆[はか]るに道を以てするときは、則ち是非了然として、精しく思って而して後に見ることを待たず。學者當に道を以て本とすべし。心道に通ぜずして、古人の是非を較ぶるは、猶權衡を持せずして輕重を酌るがごとし。其の目力を竭くし、其の心智を勞して、時に中らしむと雖も、亦古人の所謂億[おもんばか]るときは則ち屢々中るなり。君子は貴びず。

臨紙遽書、不復思繹。故言無次序、多注改。勿訝辭過煩矣。理或未安、却請示下。足以代面話。
【読み】
紙に臨んで遽に書して、復思繹せず。故に言次序無く、多く注改む。辭の過煩を訝ること勿かれ。理或は未だ安からずんば、却って示下を請え。以て面話を代うるに足れり。


上文潞公求龍門庵地小簡
【読み】
文潞公に上って龍門の庵地を求むる小簡

頤竊見勝善上方舊址、從來荒廢、爲無用之地。野人率易、敢有干聞、欲得葺幽居於其上、爲避暑著書之所。唐王龜構書堂於西谷、松齋之名、傳之至今。頤雖不才、亦能爲龍門山添勝跡於後代、爲門下之美事。可否俟命。
【読み】
頤竊かに見るに勝善上方の舊址、從來荒廢して、無用の地と爲る。野人率易に、敢えて干し聞すること有り、幽居を其の上に葺くことを得て、暑を避け書を著す所とせんと欲す。唐の王龜書堂を西谷に構えて、松齋の名、之を傳えて今に至る。頤不才なりと雖も、亦能く龍門山の爲に勝跡を後代に添えて、門下の美事とせんとす。可否命を俟つ。


上韓持國資政書
【読み】
韓持國資政に上る書

頤輒恃顧遇之厚、敢以哀誠、上煩台聽。家兄學術才行、爲世所重。自朝廷至於草野、相知何啻千數。今將歸葬伊川、當求誌述、以傳不朽。然念相知者雖多也、能知其道者則鮮矣。有文者亦衆也。而其文足以發明其志意、形容其德美者則鮮矣。能言者非少也。而名尊德重、足以取信於人者則鮮矣。如是、誌之作豈易哉。
【読み】
頤輒ち顧遇の厚きを恃んで、敢えて哀誠を以て、上台聽を煩わす。家兄學術才行、世の爲に重んぜらる。朝廷自り草野に至るまで、相知ること何ぞ啻千數のみならん。今將に伊川に歸し葬らんとするに、當に誌述して、以て不朽に傳えんことを求む。然れども念うに相知る者多しと雖も、能く其の道を知る者は則ち鮮し。文有る者も亦衆し。而れども其の文以て其の志意を發明し、其の德の美を形容するに足れる者は則ち鮮し。言を能くする者も少なきに非ず。而れども名尊く德重くして、足以て信を人に取る者は則ち鮮し。是の如くなれば、誌の作豈易からんや。

頤竊謂、智足以知其道學、文足以彰其才德、言足以取信後世、莫如閣下。家兄素出門下、受知最深。不幸早世。當蒙哀惻。顧其道不得施於時、學不及傳之書、遂將泯沒無聞。此尤深可哀也。恭惟閣下至誠待物與人有終、知其生必當念其死、愛其人必欲成其名。願丐雄文、以光窀穸、俾伯夷不泯於西山、展季得顯於東國、則死生受賜。子孫敢忘。捐軀殞命、未足爲報。率妄之罪、非所敢逃。
【読み】
頤竊かに謂えらく、智以て其の道學を知るに足り、文以て其の才德を彰すに足り、言以て信を後世に取るに足れること、閣下に如くは莫し。家兄素より門下に出て、知を受くること最も深し。不幸にして早世す。當に哀惻を蒙るべし。顧みるに其の道時に施すことを得ず、學之を書に傳うるに及ばず、遂に將に泯沒して聞ゆること無からんとす。此れ尤も深く哀しむ可し。恭しく惟みるに閣下至誠物を待って人に與すること終わり有り、其の生を知るときは必ず當に其の死を念うべく、其の人を愛するときは必ず其の名成すことを欲せん。願わくは雄文を丐いて、以て窀穸[ちゅんせき]を光[み]たして、伯夷西山に泯びず、展季東國に顯ることを得せしめば、則ち死生賜を受くるなり。子孫敢えて忘れんや。軀を捐て命を殞[お]とすとも、未だ爲に報ずるに足らず。率妄の罪、敢えて逃るる所に非ず。


上孫叔曼侍郎書
【読み】
孫叔曼侍郎に上る書

頤輒恃垂顧、敢以哀誠、上煩台聽。家兄學術才行、爲時所重、出入門下、受知最深。不幸短命、天下孰不哀之。又其功業不得施於時、道學不及傳之書、遂將泯沒無聞。此尤深可哀也。
【読み】
頤輒ち垂顧を恃んで、敢えて哀誠を以て、上台聽を煩わす。家兄學術才行、時の爲に重んぜられ、門下に出入して、知を受くること最も深し。不幸短命、天下孰か之を哀しまざらん。又其の功業時に施すことを得ず、道學之を書に傳うるに及ばず、遂に將に泯沒して聞ゆること無からんとす。此れ尤も深く哀しむ可し。

(徐本竊作切。)惟自昔有道之士、名或未彰、賢人君子爲之發揚而後顯於後世者多矣。今將歸葬伊川。太一資政韓公爲誌其墓。思得大賢之筆、共久其傳。恭惟閣下、名足以取重將來、道足以流光後世、致誠待物、與人有終、知其生必當念其死、愛其人必欲成其名。願求眞蹟、以賁窀穸。倘蒙哀矜、曲賜開允、則死生受賜。子孫敢忘。内循率妄、戰越無地。
【読み】
竊かに(徐本竊を切に作る。)惟みるに昔自り有道の士、名或は未だ彰れざれば、賢人君子之が爲に發揚して而して後に後世に顯る者多し。今將に伊川に歸し葬らんとす。太一資政韓公其の墓に誌すことをす。大賢の筆を得て、共に其の傳を久しくせんことを思う。恭しく惟みるに閣下、名以て重きことを將來に取るに足り、道以て光を後世に流すに足り、誠を致し物を待って、人に與すること終わり有り、其の生を知るときは必ず當に其の死を念うべく、其の人を愛するときは必ず其の名を成すことを欲せん。願わくは眞蹟を求めて、以て窀穸を賁[かざ]らんとす。倘[も]し哀矜を蒙って、曲げて開允を賜わば、則ち死生賜を受くるなり。子孫敢えて忘れんや。内率妄に循って、戰越地無し。


答楊時慰書
【読み】
楊時の慰に答うる書

頤泣啓。頤罪惡不弟、感招禍變、不自死滅、兄長喪亡。哀苦怨痛、肝心摧裂。日月迅速、忽(徐本忽作勿。)將三月。追思痛切、不可堪處。遠承慰問、及寄示祭文哀辭、足見歲寒之意。
【読み】
頤泣啓す。頤罪惡不弟、禍變を感招して、自ら死滅せずして、兄長喪亡す。哀苦怨痛、肝心摧裂す。日月迅速、忽ち(徐本忽を勿に作る。)三月に將[ゆ]く。追思痛切にして、堪處す可からず。遠く慰問を承り、及び祭文哀辭を寄せ示さる、歲寒の意を見るに足れり。

家兄道學行義、足以澤世垂後。不幸至此。天乎奈何。頤悲苦之餘、僅存氣息。筋骸支離、尤倦執筆。況哀誠非書所能盡。所幸老父經此煩惱、飮食起居如常。不煩深慮。伏紙摧咽、言不倫次。頤泣啓楊君法曹。(九月十二日。)
【読み】
家兄道學行義、以て世を澤し後に垂るるに足れり。不幸にして此に至る。天なるかな奈何せん。頤悲苦の餘、僅かに氣息を存す。筋骸支離して、尤も執筆に倦む。況んや哀誠書の能く盡くす所に非ず。幸いなる所は老父此の煩惱を經て、飮食起居常の如し。深く慮ることを煩わさじ。紙に伏して摧咽して、言倫次せず。頤楊君法曹に泣啓す。(九月十二日。)

十月二十四日葬。韓持國爲誌。行狀頤自作。徐當寄去。
【読み】
十月二十四日に葬る。韓持國誌を爲る。行狀は頤自ら作る。徐[しづ]かに當に寄せ去るべし。


(徐本謝作上。)韓康公啓
【読み】
韓康公に謝する(徐本謝を上に作る。)

竊以朝廷取士、所以爲致治之先。公卿薦賢、固必有(徐本有作爲。)知人之哲。允諧公議、始厭衆聞。頤也不才、少而從學、致知格物、粗窺聖道之端倪、明善誠身、未得古人之髣髴。徒忘懷於白首、竊有志於斯文。時和歲豐、已足素望。言揚德進。敢有覬心。屬嗣皇訪落之初、乃元老告猷之會。豈虞過聽猥被明揚。文陛進登、被德音之溫厚、西淸入侍、密宸扆之光輝。考於近世而來、可謂非常之遇。荷恩爲愧、惴分則逾。若何行爲、可以報稱。惟殫素學、勉副厚知。過此以還、不知所措。未緣望履、徒切向風。悃愊所懷、敷宣罔旣。
【読み】
竊かに以みるに朝廷士を取るは、治を致すの先とする所以。公卿賢を薦むるは、固に必ず人を知るの哲有り(徐本有を爲に作る。)。允に公議に諧[かな]って、始めて衆聞を厭う。頤は不才、少くして學に從い、知を致し物に格って、粗聖道の端倪を窺い、善を明らかにし身を誠にして、未だ古人の髣髴を得ず。徒に懷を白首に忘れて、竊かに斯の文に志有り。時和し歲豐かにして、已に素望に足る。言揚げられ德進む。敢えて覬む心有らんや。屬[このごろ]嗣皇訪落の初め、乃ち元老猷を告ぐるの會なり。豈虞らんや、過聽して猥りに明揚を被らんとは。文陛進み登られて、德音の溫厚を被り、西淸入侍して、宸扆[しんい]の光輝を密にす。近世より而來を考うるに、非常の遇なりと謂う可し。恩を荷って愧づることをし、分を惴[おそ]るれば則ち逾ゆ。若何にか行い爲して、以て報稱す可き。惟素學を殫[つ]くして、勉めて厚知に副わんとす。此を過ぎて以て還って、措く所を知らず。未だ望み履むに緣あらず、徒に切に風に向かう。悃愊の所懷、敷宣旣くること罔し。


又謝簡

頤惶恐再拜啓。仲夏毒熱、伏惟臺候動止萬福。頤執耕畎畝於門下、未嘗有一日之素。猥蒙過聽、薦之于朝、沾被恩命。何以稱報。未由展覿。伏冀上爲宗社、善護寢興。下情區區之至。
【読み】
頤惶恐再拜して啓す。仲夏毒熱、伏して惟みるに臺候動止萬福。頤畎畝を門下に耕すことを執って、未だ嘗て一日の素有らず。猥りに過聽を蒙って、之を朝に薦めて、恩命を被るに沾[うるお]う。何を以て報に稱わん。未だ展覿[てんてき]に由あらず。伏して冀わくは上宗社の爲に、善く寢興を護せよ。下情區區の至りなり。


答呂進伯簡三
【読み】
呂進伯に答うる簡三つ

相別累年、區區企渴之深、言不盡意。按部往來。想在勞止。秦人瘡瘵未復、而偶此旱暵。賴賢使者措置、受賜何(徐本何作河。)涯。儒者逢時、生靈之幸。勉成休功、乃所願望。頤備員於此、夙夜自竭、未見其補時望。賜書開諭不逮。與叔每過從、至慰至幸。引素門牆、坐馳神爽。所欲道者、非面不盡。惟千萬自愛。
【読み】
相別るること累年、區區たる企渴の深き、言意を盡くさず。部を按じて往來す。想うに勞止すること在らん。秦人瘡瘵[そうさい]未だ復せずして、此の旱暵[かんかん]に偶う。賢使者の措置に賴って、賜を何(徐本何を河に作る。)の涯に受けんや。儒者時に逢えるは、生靈の幸いなり。勉めて休功を成さんこと、乃ち願い望む所なり。頤員に此に備わり、夙夜に自ら竭くせども、未だ其の時の望みを補うことを見ず。賜書開諭逮ばず。與叔每に過從、至慰至幸なり。素を門牆に引いて、坐馳神爽なり。道わんと欲する所の者、面りに非ずんば盡くさず。惟千萬自愛せよ。

別紙見諭、持法爲要、其來已久矣。旣爲今日官、當於今日事中、圖所設施。舊法之拘、不得有爲者、舉世皆是也。以頤觀之、苟遷就於法中、所可爲者尙多。先兄明道之爲邑、及民之事多。衆人所謂法所拘者、然爲之未嘗大戾於法、衆亦不甚駭。謂之得伸其志則不可。求小補、則過今之爲政者遠矣。人雖異之、不至指爲狂也。至謂之狂、則大駭矣。盡誠爲之、不容而後去。又何嫌乎。鄙見如此。進伯以爲如何。
【読み】
別紙に諭さるる、持法を要と爲すこと、其の來ること已に久し。旣に今日の官と爲っては、當に今日の事の中に於て、設け施す所を圖るべし。舊法拘わるとして、すること有ることを得ざる者、世を舉げて皆是れなり、と。頤を以て之を觀るに、苟に遷って法中に就くに、す可き所の者尙多し。先兄明道の邑を爲むる、民の事に及ぶこと多し。衆人の所謂法に拘わらるるとする者、然も之を爲して未だ嘗て大いに法に戾らず、衆も亦甚だしくは駭がず。之を其の志を伸ぶることを得ると謂うときは則ち不可なり。小補を求むるときは、則ち今の政を爲むる者に過ぎたること遠し。人之を異[あや]しむと雖も、指して狂とするに至らず。之を狂と謂うに至れば、則ち大いに駭く。誠を盡くして之を爲して、容れられずして而して後に去る。又何ぞ嫌わんや。鄙見此の如し。進伯以て如何とかする。

荷公知遇之厚、輒有少見上補聰明、亦久懷憤鬱、無所控告。遇公而伸爾。王者父天母地。昭事之道、當極嚴恭。漢武遠祀地祗於汾雎、旣爲非禮。後世復建祠宇、其失已甚。因唐妖人作韋安道傳、遂爲塑像以配食、誣瀆天地。天下之妄、天下之惡、有大於此者乎。公爲使者、此而不正、將正何事。願以其像投之河流、愼勿先露。先露則傳駭觀聽矣。勿請勿議。必見沮矣。毋虞後患。典憲不能相及、亦可料也。願公勿疑。
【読み】
公の知遇の厚きを荷って、輒ち少しく上聰明を補うことを見ること有り、亦久懷憤鬱、控[つ]げ告ぐる所無し。公に遇って伸ぶるのみ。王者は天を父とし地を母とす。昭らかに事うるの道、當に嚴恭を極むべし。漢武遠く地祗を汾雎に祀るすら、旣に非禮とす。後世復祠宇を建つる、其の失已に甚だし。唐の妖人韋安道が傳を作るに因りて、遂に塑像を爲って以て配食せしめて、天地を誣瀆す。天下の妄、天下の惡、此より大なる者有らんや。公使者と爲って、此にして正さずんば、將に何事をか正さん。願わくは其の像を以て之を河流に投じて、愼んで先露すこと勿かれ。先露すときは則ち觀聽を駭かすことを傳えん。請うこと勿かれ議すること勿かれ。必ず沮[はば]まれん。後の患えを虞ること毋かれ。典憲相及ぶこと能わざること、亦料る可し。願わくは公疑うこと勿かれ。


與呂大臨論中書(此書其全不可復見。今只據呂氏所錄到者編之。)
【読み】
呂大臨中を論ずるに與うる書(此の書其の全き復見る可からず。今只呂氏錄し到る所の者に據って之を編す。)

大臨云、中者道之所由出。
【読み】
大臨が云く、中は道の由って出る所なり、と。

先生曰、中者道之所由出、此語有病。
【読み】
先生曰く、中は道の由って出る所という、此の語病有り、と。

大臨云、謂中者道之所由出、此語有病、已悉所諭。但論其所同、不容更有二名、別而言之、亦不可泥爲一事。如所謂天命之謂性、率性之謂道、又曰中者天下之大本、和者天下之達道、則性與道、大本與達道、豈有二乎。
【読み】
大臨が云く、謂ゆる中は道の由って出る所という、此の語病有りとすること、已に諭す所を悉[つ]くす。但其の同じき所を論ずれば、更に二つの名有る容からず、別けて之を言えば、亦泥んで一事とす可からず。所謂天の命之を性と謂い、性に率う之を道と謂う、又曰く、中は天下の大本、和は天下の達道というが如き、則ち性と道と、大本と達道と、豈二つ有らんや、と。

先生曰、中卽道也。若謂道出於中、則道在中外(徐本外作内。)、別爲一物矣。所謂論其所同、不容更有二名、別而言之、亦不可混爲一事、此語固無病。若謂性與道、大本與達道、可混而爲一、卽未安。在天曰命、在人曰性、循性曰道。性也、命也、道也、各有所當。大本言其體、達道言其用。體用自殊。安得不爲二乎。
【読み】
先生曰く、中は卽ち道なり。若し道中に出づと謂うときは、則ち道中の外(徐本外を内に作る。)に在って、別に一物とす。所謂其の同じき所を論ずれば、更に二つの名有る容からず、別けて之を言えば、亦混じて一事とす可からずという、此の語固より病無し。若し性と道と、大本と達道と、混じて一とす可しと謂わば、卽ち未ら安からず。天に在っては命と曰い、人に在っては性と曰い、性に循っては道と曰う。性や、命や、道や、各々當たる所有り。大本は其の體を言い、達道は其の用を言う。體用自づから殊なり。安んぞ二つとせざることを得んや、と。

大臨云、旣云率性之謂道、則循性而行莫非道。此非性中別有道也。中卽性也。在天爲命、在人爲性、由中而出者莫非道。所以言道之所由出也。與率性之謂道之義同。亦非道中別有中也。
【読み】
大臨が云く、旣に性に率う之を道と謂うと云うときは、則ち性に循って行えば道に非ずということ莫し。此れ性の中別に道有るに非ず。中は卽ち性なり。天に在っては命とし、人に在っては性とし、中由りして出る者道に非ずということ莫し。所以に道の由って出る所と言う。性に率う之を道と謂うの義と同じ。亦道の中別に中有るに非ず、と。

先生曰、中卽性也、此語極未安。中也者、所以狀性之體段(若謂性有體段亦不可。姑假此以明彼。)。如稱天圓地方。遂謂方圓卽天地可乎。方圓旣不可謂之天地、則萬物決非方圓之所出。如中旣不可謂之性、則道何從稱出於中。蓋中之爲義、自過不及而立名。若只以中爲性、則中與性不合。與率性之謂道其義自異。性道不可(一作可以。)合一而言。中止可言體、而不可與性同德。
【読み】
先生曰く、中は卽ち性なりという、此の語極めて未だ安からず。中なる者は、性を狀[かたど]る所以の體段なり(若し性に體段有りと謂わば亦不可なり。姑く此を假りて以て彼を明かす。)。天は圓く地は方と稱するが如し。遂に方圓は卽ち天地なりと謂わば可ならんや。方圓旣に之を天地と謂う可からざるときは、則ち萬物は決して方圓の出す所に非ず。如し中旣に之を性と謂う可からざるときは、則ち道何に從ってか中に出ると稱せん。蓋し中の義爲る、過不及自りして名を立つ。若し只中を以て性とせば、則ち中と性と合わず。性に率う之を道と謂うと其の義自づから異なり。性道は合一して言う可(一に可以に作る。)からず。中は止體を言う可くして、性と德を同じくす可からず、と。

○又曰、觀此義(一作語。)、謂不可與性同德字、亦未安。子居對以中者性之德。却爲近之。(子居、和叔之子。一云、義山之字。)
【読み】
○又曰く、此の義(一に語に作る。)を觀るに、謂ゆる性と德を同じくす可からずという字、亦未だ安からず。子居對うるに中は性の德というを以てす。却って之に近しとす、と。(子居は、和叔の子。一に云く、義山の字、と。)

○又曰、不偏之謂中。道無不中。故以中形道。若謂道出於中、則天圓地方、謂方圓者天地所自出、可乎。
【読み】
○又曰く、偏ならざる之を中と謂う。道中ならずということ無し。故に中を以て道を形る。若し道中に出づと謂わば、則ち天の圓く地の方なる、方圓は天地の自って出る所と謂わば、可ならんや、と。

大臨云、不倚之謂中、不雜之謂和。
【読み】
大臨が云く、倚ならざる之を中と謂い、雜じらざる之を和と謂う、と。

先生曰、不倚之謂中、甚善(語猶未瑩。)。不雜之謂和、未當。
【読み】
先生曰く、倚ならざる之を中と謂うは、甚だ善し(語猶未だ瑩[あき]らかならず。)。雜じらざる之を和と謂うは、未だ當たらず、と。

大臨云、喜怒哀樂之未發、則赤子之心。當其未發、此心至虛、無所偏倚。故謂之中。以此心應萬物之變、無往而非中矣。孟子曰、權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚。此心度物、所以甚於權衡之審者、正以至虛無所偏倚故也。有一物存乎其閒、則輕重長短皆失其中矣。又安得如權如度乎。故大人不失其赤子之心、乃所謂允執其中也。大臨始者有見於此、便指此心名爲中。故前言中者道之所由出也。今細思之、乃命名未當爾。此心之狀、可以言中。未可便指此心名之曰中。所謂以中形道、正此意也。率性之謂道者、循性而行、無往而非理義也。以此心應萬事之變、亦無往而非理義也。皆非指道體而言也。若論道體、又安可言由中而出乎。(先生以爲此言未是。)
【読み】
大臨が云く、喜怒哀樂の未だ發せざるは、則ち赤子の心なり。其の未だ發せざるに當たって、此の心至虛にして、偏倚する所無し。故に之を中と謂う。此の心を以て萬物の變に應ずれば、往くとして中に非ずということ無し。孟子曰く、權ありて然して後に輕重を知り、度ありて然して後に長短を知る。物皆然り。心を甚だしとす、と。此の心物を度ること、權衡の審らかなるより甚だしき所以の者は、正に至虛にして偏倚する所無きを以ての故なり。一物も其の閒に存すること有るときは、則ち輕重長短皆其の中を失す。又安んぞ權の如く度の如くなることを得んや。故に大人は其の赤子の心を失わず、乃ち所謂允に其の中を執るなり。大臨始めは此に見ること有って、便ち此の心を指して名づけて中とす。故に前に中は道の由って出る所と言えり。今細かに之を思うに、乃ち名を命ずること未だ當たらざるのみ。此の心の狀、以て中と言う可し。未だ便ち此の心を指して之を名づけて中と曰う可からず。所謂中を以て道を形るというは、正に此の意ならん。性に率う之を道と謂うは、性に循って行わば、往くとして理義に非ずということ無し。此の心を以て萬事の變に應ずれば、亦往くとして理義に非ずということ無し。皆道體を指して言うに非ず。若し道體を論ぜば、又安んぞ中由りして出づと言う可けんや、と。(先生以爲えらく、此の言未だ是ならず、と。)

先生曰、喜怒哀樂未發謂之中。赤子之心、發而未遠於中。若便謂之中、是不識大本也。
【読み】
先生曰く、喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂う。赤子の心は、發して未だ中に遠からざるなり。若し便ち之を中と謂わば、是れ大本を識らざるなり、と。

大臨云、聖人智周萬物、赤子全未有知、其心固有不同矣。然推孟子所云、豈非止取純一無僞、可與聖人同乎。非謂無毫髮之異也。大臨前日所云、亦取諸此而已。此義、大臨昔者旣聞先生。君子之敎、反求諸己。若有所自得、參之前言往行、將無所不合。由是而之焉。似得其所安。以是自信不疑、拳拳服膺、不敢失墜。今承敎、乃云已失大本。茫然不知所向。竊恐辭命不明、言不逮意、致高明或未深喩。輒露所見、求益左右。卒爲賜敎、指其迷謬、幸甚。
【読み】
大臨が云く、聖人は智萬物に周く、赤子は全く未だ知有らず、其の心固より同じからざること有り。然れども孟子の云う所を推すに、豈止純一に僞り無きこと、聖人と同じかる可きことを取るに非ずや。毫髮の異なり無しと謂うには非ず。大臨前日云う所、亦此を取るのみ。此の義、大臨昔旣に先生に聞けり。君子の敎は、反って己に求む。若し自得する所有れば、之を前言往行に參うるに、將に合わざる所無し、と。是に由って之く。其の安んずる所を得るに似れり。是を以て自ら信じて疑わず、拳拳として膺に服けて、敢えて失墜せず。今敎を承るに、乃ち已に大本を失すと云う。茫然として向かう所を知らず。竊かに恐れらくは辭命明らかならず、言意に逮ばずして、高明或は未だ深く喩さざることを致さんことを。輒ち所見を露して、益を左右に求む。卒に敎を賜うことを爲して、其の迷謬を指したまわば、幸甚ならん。

聖人之學、以中爲大本。雖堯・舜相授以天下、亦云允執其中。中者、無過不及之謂也。何所準則而知過不及乎。求之此心而已。此心之動、出入無時。何從而守之乎。求之於喜怒哀樂未發之際而已。當是時也、此心卽赤子之心(純一無僞。)、卽天地之心(神明不測。)、卽孔子之絕四(四者有一物存乎其閒、則不得其中。)、卽孟子所謂物皆然、心爲甚(心無偏倚、則至明至平、其察物甚於權度之審。)、卽易所謂寂然不動、感而遂通天下之故。此心所發、純是義理、與天下之所同然。安得不和。大臨前日敢指赤子之心爲中者、其說如此。
【読み】
聖人の學は、中を以て大本とす。堯・舜相授くるに天下を以てすと雖も、亦允に其の中を執れと云う。中は、過不及無きの謂なり。何の準則する所にしてか過不及を知らんや。之を此の心に求むるのみ。此の心の動く、出入時無し。何に從ってか之を守らんや。之を喜怒哀樂未發の際に求むるのみ。是の時に當たって、此の心は卽ち赤子の心なり(純一にして僞り無し。)、卽ち天地の心なり(神明にして測られず。)、卽ち孔子の絕四なり(四つの者一物も其の閒に存すること有れば、則ち其の中を得ず。)、卽ち孟子の所謂物皆然り、心を甚だしとするなり(心偏倚無きときは、則ち至明至平にして、其の物を察すること權度の審らかなるより甚だし。)、卽ち易に所謂寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ずるなり。此の心の發する所、純ら是れ義理にして、天下の同じく然る所に與る。安んぞ和せざることを得ん。大臨前日敢えて赤子の心を指して中とする者は、其の說此の如し。

來敎云、赤子之心可謂之和、不可謂之中。大臨思之、所謂和者、指已發而言之。今言赤子之心、乃論其未發之際。(一有竊謂字。)純一無僞、無所偏倚、可以言中。若謂已發、恐不可言心。
【読み】
來敎に云く、赤子の心は之を和と謂う可く、之を中と謂う可からず、と。大臨之を思うに、所謂和は、已發を指して之を言う。今赤子の心と言うは、乃ち其の未發の際を論ず。(一に竊かに謂えらくの字有り。)純一にして僞り無く、偏倚する所無きは、以て中と言う可し。若し已發を謂わば、恐らくは心と言う可からず。

來敎云、所謂循性而行、無往而非理義、言雖無病、而聖人氣味殊少。大臨反而思之、方覺辭氣迫窘、無沈浸醲厚之風。此則淺陋之罪、敢不承敎。大臨更不敢拜書先生左右。恐煩往答。只令義山持此請敎。蒙塞未達、不免再三浼瀆。惟望乘閒口諭義山、傳誨一二、幸甚、幸甚。
【読み】
來敎に云く、所謂性に循って行わば、往くとして理義に非ずということ無しという、言病無しと雖も、而れども聖人の氣味殊に少なし、と。大臨反って之を思うに、方に辭氣迫窘[はくきん]にして、沈浸醲厚の風無きことを覺う。此れ則ち淺陋の罪、敢えて敎を承けざらんや。大臨更に敢えて先生の左右に拜書せざらんや。恐れらくは往答を煩わさんことを。只義山をして此を持して敎を請わしむ。蒙塞未だ達せず、再三浼瀆することを免れず。惟望むらくは閒に乘じて口づから義山に諭して、一二を傳え誨えば、幸甚、幸甚、と。

先生曰、所云非謂無毫髮之異、是有異也。有異者得爲大本乎。推此一言、餘皆可見。
【読み】
先生曰く、云う所の毫髮の異なり無しと謂うには非ずという、是れ異なり有るなり。異なり有る者は大本とすることを得んや。此の一言を推して、餘は皆見る可し、と。

大臨云、大臨以赤子之心爲未發、先生以赤子之心爲已發。所謂大本之實、則先生與大臨之言、未有異也。但解赤子之心一句不同爾。大臨初謂赤子之心、止取純一無僞、與聖人同(一有處字。)。恐孟子之義亦然。更不曲折一一較其同異。故指以爲言。固未嘗以已發不同處爲大本也。先生謂凡言心者、皆指已發而言。然則未發之前、謂之無心可乎。竊謂未發之前、心體昭昭具在。已發乃心之用也。此所深疑未喩。又恐傳言者失指。切望指敎。
【読み】
大臨が云く、大臨は赤子の心を以て未發とし、先生は赤子の心を以て已發とす。所謂大本の實は、則ち先生と大臨の言と、未だ異なること有らず。但赤子の心を解する一句同じからざるのみ。大臨初め赤子の心を謂うは、止純一にして僞り無きは、聖人と同じき(一に處の字有り。)に取るのみ。恐らくは孟子の義も亦然らん。更に曲折に一一其の同異を較べず。故に指して以て言を爲す。固より未だ嘗て已發不同の處を以て大本とするにはあらず。先生凡そ心と言う者は、皆已發を指して言うと謂う。然らば則ち未發の前は、之を心無しと謂いて可ならんや。竊かに謂えらく、未發の前、心の體昭昭として具に在り。已發は乃ち心の用なり、と。此の所深く疑って未だ喩さず。又恐れらくは傳え言う者指を失せんことを。切に指敎を望む、と。

先生曰、所論意、雖以已發者爲未發、反(一作及。)求諸言、却是認已發者爲說。詞之未瑩、乃是擇之未精爾。凡言心者、指已發而言、此固未當。心一也。有指體而言者(寂然不動是也。)、有指用而言者(感而遂通天下之故是也。)、惟觀其所見如何耳。大抵論愈精微、言愈易差。所謂傳言者失指、及反覆觀之、雖曰有差、亦不失大意。又如前論中卽性也、已是分而爲二。不若謂之性中(性中語未甚瑩。)。以謂聖人氣味殊少、亦不須言聖人。第二書所答去者、極分明矣。
【読み】
先生曰く、論ずる所の意、已發の者を以て未發とすと雖も、反って(一に及に作る。)言に求むるに、却って是れ已發の者を認めて說を爲す。詞の未だ瑩らかなざるは、乃ち是れ擇ぶこと未だ精しからざるのみ。凡そ心は、已發を指して言うと言うは、此れ固に未だ當たらず。心は一なり。體を指して言う者有り(寂然として動かざる是れなり。)、用を指して言う者有り(感じて遂に天下の故に通ずる是れなり。)、惟其の見る所如何と觀るのみ。大抵論愈々精微にして、言愈々差い易し。所謂傳え言う者指を失すとも、反覆して之を觀るに及んでは、差い有りと曰うと雖も、亦大意を失せじ。又前論に中は卽ち性なりというが如き、已に是れ分かちて二つとす。之を性中と(性中という語未だ甚だ瑩らかならず。)謂うに若かず。以て聖人の氣味殊に少なしと謂うも、亦須く聖人と言うべからず。第二書に答え去る所の者、極めて分明なり、と。


答楊時論西銘書
【読み】
楊時西の銘を論ずるに答うる書

前所寄史論十篇、其意甚正。纔一觀、便爲人借去。俟更子細看。西銘之論、則未然。橫渠立言、誠有過者、乃在正蒙。西銘之爲書、推理以存義、擴前聖所未發、與孟子性善養氣之論同功(二者亦前聖所未發。)。豈墨氏之比哉。西銘明理一而分殊、墨氏則二本而無分(老幼及人、理一也。愛無差等、本二也。)。分殊之蔽、私勝而失仁、無分之罪、兼愛而無義。分立而推理一、以止私勝之流、仁之方也。無別而迷兼愛、至於無父之極、義之賊也。子比而同之、過矣。且謂、言體而不及用。彼欲使人推而行之。本爲用也。反謂不及、不亦異乎。
【読み】
前に寄する所の史論十篇、其の意甚だ正し。纔かに一たび觀て、便ち人の爲に借り去らる。更に子細に看ることを俟つ。西の銘の論は、則ち未だ然らず。橫渠言を立つること、誠に過まれる者有り、乃ち正蒙に在り。西の銘の書爲る、理を推して以て義を存して、前聖の未だ發せざる所を擴め、孟子性善養氣の論と功を同じくす(二つの者亦前聖の未だ發せざる所なり。)。豈墨氏の比ならんや。西の銘は理一にして分殊なることを明かし、墨氏は則ち本を二つにして分無し(老幼人に及ぼすは、理一なり。愛に差等無きは、本二つなり。)。分殊なるの蔽は、私勝って仁を失い、分無きの罪は、兼ね愛して義無し。分立ちて理一を推して、以て私勝つの流れを止むるは、仁の方なり。別無くして兼愛に迷い、父を無みするの極みに至るは、義の賊なり。子比して之を同じくするは、過れり。且つ謂う、體を言いて用に及ばず、と。彼人をして推して之を行わしめんと欲す。本用と爲さんとなり。反って及ばずと謂うは、亦異ならずや。


代人上宰相論鄭白渠書
【読み】
人に代わって宰相に上って鄭白渠を論ずる書

某聞天下之事、有甚難而易者、有甚易而難者、獨繫在上之人、爲與不爲而已。昔韓欲罷秦兵、使鄭國說、以鑿涇水漑田、注塡閼之水、漑瀉鹵之地、四萬頃畝收常一鍾、關中遂爲沃壤、無凶年、秦以富强。至漢白公復引涇水以漑田、民得其饒。歌之曰、田於何所、池陽谷口。鄭國在前、白渠起後。衣食關中億萬之口。此兩渠之功也。秦・漢而下、皆獲其利。熙寧中、神宗皇帝講求治功、興葺遺利。時先祖殿丞、建明鄭・白之利。神宗皇帝賜對便殿、大稱聖心、付以其事。興役踰年、功已有敍、而害能者巧爲沮止、不終厥功。陝右之人、至今爲恨。某每思神宗皇帝知其利而欲興之意、與先祖盡其力而被沮之恨、某未嘗不憤歎至於流涕也。閣下嘗尹長安矣。必聞其事。
【読み】
某聞く、天下の事、甚だ難くして易き者有り、甚だ易くして難き者有り、獨り上に在る人、するとせざるとに繫かるのみ、と。昔韓秦の兵を罷めんと欲して、鄭國をして說かしめて、以て涇水を鑿ちて田に漑[そそ]ぎ、塡閼の水を注いで、瀉鹵の地に漑いで、四萬頃の畝收むること常に一鍾、關中遂に沃壤と爲り、凶年無くして、秦以て富强なり。漢の白公に至って復涇水を引いて以て田に漑いで、民其の饒[ゆた]かなることを得。歌って曰く、何れの所にか田づくらん、池陽谷口。鄭國前に在り、白渠後に起こる、と。關中億萬の口を衣食するは、此れ兩渠の功なり。秦・漢よりして下、皆其の利を獲。熙寧中に、神宗皇帝治功を講求し、遺利を興葺せんとす。時に先祖殿丞、鄭・白の利を建明す。神宗皇帝便殿に對することを賜って、大いに聖心に稱って、付するに其の事を以てす。役を興すこと年を踰えて、功已に敍づること有れども、能を害する者巧みに沮止を爲して、厥の功を終えず。陝右の人、今に至るまで恨みとす。某每に神宗皇帝其の利を知って興さんと欲するの意と、先祖其の力を盡くして沮めらるるの恨みとを思うに、某未だ嘗て憤歎して涕を流すに至らずんばあらず。閣下は嘗て長安に尹たり。必ず其の事を聞かん。

今則又非昔年之比也。涇水低下、渠口高仰、灌漑之功、幾盡廢矣。民用困之、物斛踊貴、職此之由。今方外有不順之羌、師旅之興、儲偫爲急。誠使秦中歲增穀數百千萬斛、所濟豈不甚大。某關西陋儒也。自幼小稔知其事、人微處遠、無由自伸其憤鬱。幸遇僕射相公、以經緯之才、逢時得君、以天下事爲己任。某是以敢不避狂妄之誅、塵瀆鈞聽。倘蒙采錄、或致成功、不使先祖抱恨泉下、則某平生志願足矣。
【読み】
今は則ち又昔年の比に非ず。涇水低く下り、渠口高く仰いで、灌漑の功、幾ど盡く廢す。民用之に困しみ、物斛踊貴するは、此を職[もと]とするの由なり。今方外に不順の羌有り、師旅の興る、儲偫[ちょじ]を急とす。誠に秦中をして歲々穀數百千萬斛を增さしめば、濟う所豈甚大ならずや。某は關西の陋儒なり。幼小自り其の事を稔[う]み知れども、人微に處遠くして、自ら其の憤鬱を伸ぶるに由無し。幸いに僕射相公、經緯の才を以て、時に逢い君を得て、天下の事を以て己が任とするに遇う。某是を以て敢えて狂妄の誅を避けず、鈞聽を塵瀆す。倘し采錄を蒙って、或は成功を致して、先祖をして恨みを泉下に抱かしめずんば、則ち某平生の志願足りなん。


上謝帥師直書
【読み】
謝帥師直に上る書

頤皇恐上書(徐本書作訴。)于知府安撫寶文閣下。頤至愚學道幾五十年、惟是自信、行其所知、不敢爲世俗所移。知之罪之、則繫乎人焉。
【読み】
頤皇恐して書(徐本書を訴に作る。)を知府安撫寶文の閣下に上る。頤至愚にして道を學ぶこと幾ど五十年、惟是れ自ら信じて、其の知る所を行って、敢えて世俗の爲に移されず。之を知り之を罪することは、則ち人に繫かれり。

伏覩律節文、諸醫爲人合藥、誤不如本方殺人者、徒二年半。故不如本方殺傷人者、以故殺傷論。雖不傷人、杖六十。古人造律之意、非特矜死者之無辜、亦以警懼庸醫、使不敢輕妄、致害人命、則其爲益、豈不甚大。近世以來、律雖存而實不用。俗吏拘文、乃云律稱合藥誤不如本方。若用藥不如方論、雖日殺千人、法所不禁、官不當治也。遂使庸醫輩恣其盲妄、無所忌憚、殺人如麻。耳目所聞見、士大夫爲庸醫反陰陽、背方論而殺之者、不可勝數。況天下之大、民庶之衆、可勝言哉。獨嘉祐中、族兄太中嗣宗、知扶溝縣、嘗以醫者用藥過劑殺人、送府鞭其背。過劑乃用藥之失、非合藥誤也。當時衆論稱之、蓋他人未嘗用此律故也。
【読み】
伏して覩るに律の節文に、諸醫人の爲に合藥して、誤って本方の如くせずして人を殺す者は、徒すること二年半。故[ことさら]に本方の如くせずして人を殺傷する者は、故に殺傷するを以て論ず。人を傷つけずと雖も、杖すること六十、と。古人律を造るの意、特死者の辜無きを矜れむのみに非ず、亦以て庸醫を警懼せしめて、敢えて輕妄に、人の命を害することを致さざらしむるときは、則ち其の益爲ること、豈甚大ならずや。近世以來、律存すと雖も而れども實に用いられず。俗吏文に拘わって、乃ち云く、律合藥誤って本方の如くせざるを稱す。若し用藥方論の如くせざるは、日に千人を殺すと雖も、法の禁ぜざる所にして、官當に治むるべからず、と。遂に庸醫の輩をして其の盲妄を恣にして、忌み憚る所無くして、人を殺すこと麻の如くならしむ。耳目の聞見する所、士大夫庸醫の陰陽に反し、方論に背くが爲にして之を殺す者、勝げて數う可からず。況んや天下の大なる、民庶の衆き、勝げて言う可けんや。獨り嘉祐中、族兄太中嗣宗、知扶溝縣、嘗て醫者藥を用うるに劑を過って人を殺すを以て、府に送って其の背を鞭うつ。劑を過るは乃ち藥を用うるの失にして、合藥の誤りに非ず。當時衆論之を稱すは、蓋し他人未だ嘗て此の律を用いざる故なり。

今死者之家、莫肯與醫者辨者。其故有三。以當官者無愛人之心、苟欲省事、不肯爲之窮辨、一也。與醫者習熟、不忍訟之、二也。慮今而後、難復用醫(徐本醫作藥。)、三也。是皆以利害爲心、而不顧骨肉之義、知其冤死而不爲之辨、骨肉之義絕矣。旣不能辨、則爲之詞曰、彼無惡意。又曰、訟之無益矣。又曰、己之命也。此皆至愚、不知義理之言。
【読み】
今死者の家、肯えて醫者と辨ずる者莫し。其の故は三つ有り。當官の者人を愛するの心無きを以て、苟も事を省かんと欲して、肯えて之が爲に窮辨せざる、一なり。醫者と習熟して、之を訟うるに忍びざる、二なり。今よりして後、復醫(徐本醫を藥に作る。)を用い難からんことを慮る、三なり。是れ皆利害を以て心と爲して、骨肉の義を顧みず、其の冤死を知って之が爲に辨ぜず、骨肉の義絕う。旣に辨ずること能わずして、則ち之が詞を爲して曰く、彼惡意無し、と。又曰く、之を訟えて益無し、と。又曰く、己が命なり、と。此れ皆至愚にして、義理を知らざるの言なり。

彼有惡意、自當從故殺傷之法。此律正爲無故意者設也。辨之所以申骨肉之義。豈繫有益無益也。謂己之命、則爲人毆而殺之、亦可以不校矣。世之人、雖其父母本非死疾、爲醫所殺、隱忍而不辨者多矣。衆人觀之、亦不以爲非也。習俗之迷人也如是。今之士大夫、使馬醫治馬、誤殺馬而杖馬醫者、目所常見、耳所常聞、衆人不以爲非也。至以父母骨肉爲醫所殺而責醫者、則未嘗見。豈愛親不若愛馬乎。愚惑不思之甚也。
【読み】
彼惡意有らば、自づから當に故[もと]より殺傷するの法に從うべし。此の律は正に故意無き者の爲に設くるなり。之を辨ずるは骨肉の義を申ぶる所以なり。豈益有り益無きに繫からんや。己が命なりと謂わば、則ち人毆って之を殺すことをすれども、亦以て校[あらが]わざる可けんや。世の人、其の父母本死疾に非ずして、醫の爲に殺さると雖も、隱し忍んで辨ぜざる者多し。衆人之を觀て、亦以て非とせず。習俗の人を迷わすこと是の如し。今の士大夫、馬醫をして馬を治せしむるに、誤って馬を殺して馬醫を杖する者、目常に見る所、耳常に聞く所にして、衆人以て非とせず。父母骨肉を以て醫の爲に殺さるに至って醫を責むる者は、則ち未だ嘗て見ず。豈親を愛すること馬を愛するに若かざらんや。愚惑思わざるの甚だしきなり。

凡人之疾病、誤醫者多矣。若風疾與氣藥、肝病而攻脾之類、雖不中病、未能害人。其死乃病死。未得爲醫殺之也。若醫經明言下之則死、是不下則不死也。今下而殺之、與操刃而斷其喉何異。古人立法、原其意本不惡。故罪止於徒、恕之至也。若聽其妄殺人而不加治、豈爲政之道乎。
【読み】
凡そ人の疾病、誤り醫する者多し。風疾に氣藥を與え、肝病にして脾を攻むるの類の若き、病に中らずと雖も、未だ人を害すること能わず。其の死は乃ち病死なり。未だ醫之を殺すとすることを得ず。醫經に明らかに之を下せば則ち死すと言うが若きは、是れ下さずんば則ち死せず。今下して之を殺すは、刃を操って其の喉を斷つと何ぞ異ならん。古人の法を立つる、其の意を原ぬるに本惡からず。故に罪徒に止むるは、恕の至りなり。若し其の妄りに人を殺すを聽して治を加えずんば、豈政を爲むるの道ならんや。

姪子某爲令醴泉、病陰證傷寒。而邑之醫者乃大下之、又與洗心散、遂至冤死。今有狀披訴。伏惟明公居大帥之任、操勸懲之柄、經術政事聞於天下、高識遠見卓然絕俗。法之所無者、尙可權其宜而行之。況有法可依者乎。民之於令、其義最重。致令之死、而不加一毫之罪、於義得爲安乎。竊聞邑中憤嘆不平之聲、聞於道路。豈當任者獨不念之乎。重思閣下天下吏師。誠能行之、郡縣必多效之者。若使遠近傳之、庸醫之輩皆知戒懼、不敢輕視人命、則公及人之功、豈細也哉。匪惟先兄父子懷結草之報、當獲上天之祐、後昆享繁衍盛大之福。不勝哀懇、頤皇恐上訴。
【読み】
姪子某醴泉に令爲るとき、陰證の傷寒を病む。而るに邑の醫者乃ち大いに之を下し、又洗心散を與えて、遂に冤死に至る。今狀有って披訴す。伏して惟みるに明公大帥の任に居して、勸懲の柄を操り、經術政事天下に聞え、高識遠見卓然として俗に絕[す]ぐる。法の無き所の者も、尙其の宜しきを權って之を行う可し。況んや法の依る可き有る者をや。民の令に於る、其の義最も重し。令の死を致して、一毫の罪を加えずんば、義に於て安しとすることを得んや。竊かに聞く、邑中憤嘆不平の聲、道路に聞う、と。豈任に當たる者獨り之を念わざらんや。重ねて思うに閣下は天下の吏師なり。誠に能く之を行わば、郡縣必ず之に效う者多からん。若し遠近をして之を傳えしめば、庸醫の輩皆戒め懼るることを知って、敢えて輕々しく人命を視ざるときは、則ち公人に及ぼすの功、豈細ならんや。惟先兄父子草を結ぶの報を懷うのみに匪ず、當に上天の祐、後昆繁衍盛大の福を享くることを獲るべし。哀懇に勝えずして、頤皇恐して上訴す。


與金堂謝君書
【読み】
金堂謝君に與うる書

頤啓。前月末、吳齋郎送到書信、卽遞中奉報。計半月方達。冬寒、遠想雅履安和。僑居旋爲客次、日以延望。乃知止行、甚悒悒也。來春江水穩、善候有所授、能一訪甚佳。只云忠涪閒看親、人必不疑也。
【読み】
頤啓す。前月の末、吳齋郎送り到るの書信、卽ち遞中報を奉る。計るに半月にして方に達せん。冬寒、遠く想うに雅履安和ならん。僑居旋[やや]客次を爲して、日に以て延望す。乃ち知る、行を止めて、甚だ悒悒たることを。來春江水穩やかにして、善候授くる所有り、能く一たび訪わば甚だ佳ならん。只云う、忠涪の閒親を看れば、人必ず疑わじ、と。

頤偕小子甚安。來春本欲作春秋文字。以此無書故未能、却先了論・孟或禮記也。春秋大義數十、皎如日星。不容遺忘。只恐微細義例、老年精神有所漏落。且請推官用意尋究、後日見助。如往年所說、許止・蔡般書葬類是也。若欲治易、先尋繹令熟、只看王弼・胡先生・王介甫三家文字、令通貫。餘人易說無取。枉費功、年亦長矣。宜汲汲也。未相見閒、千百愼愛。十一月初九日、頤啓知縣推官。
【読み】
頤小子と偕[とも]に甚だ安し。來春本春秋の文字を作らんと欲す。此の書無きを以ての故に未だ能わず、却って先づ論・孟或は禮記を了えんとす。春秋の大義數十、皎たること日星の如し。遺忘す容からず。只恐れらくは微細の義例、老年の精神漏落する所有らんことを。且請う、推官意を用いて尋究せば、後日助を見ん。往年說く所の、許止・蔡般葬ると書す類の如き是れなり。若し易を治めんと欲せば、先づ尋繹して熟せしめ、只王弼・胡先生・王介甫三家の文字を看て、通貫せしめよ。餘人の易說は取るべき無し。枉げて功を費さば、年亦長ぜん。宜しく汲汲たるべし。未だ相見ざるの閒、千百愼愛せよ。十一月初九日、頤知縣推官に啓す。


答周孚先問(竝跋。)
【読み】
周孚先が問いに答う(竝びに跋。)

問、先生舊語門人云、天下至忙者、無如禪客。市井之人、雖曰營利、猶有休息時。禪客行住坐臥、無不在道、存無不在道之心。便是至忙。孚先竊謂、此語如孟子所謂必有事焉而勿正、心勿忘勿助長也。若正若助長、卽是忙也。或者謂、此語非爲學者設。謂以聖人方之禪客未嘗閑。若學者須是行住坐臥在道。
【読み】
問う、先生舊門人に語って云く、天下の至忙なる者は、禪客に如くは無し。市井の人は、利を營むと曰うと雖も、猶休息する時有り。禪客は行住坐臥、道に在らずということ無く、存して道の心在らずということ無し。便ち是れ至忙なり、と。孚先竊かに謂えらく、此の語孟子の所謂必ず事とすること有って正すること勿かれ、心忘るること勿かれ長ずることを助けしむること勿かれというが如し。若し正し若し長ずることを助けしめば、卽ち是れ忙なり。或るひと謂えらく、此の語は學者の爲に設くるに非ず。聖人を以て之を禪客に方べて未だ嘗て閑ならずと謂う。學者の若きは須く是れ行住坐臥道に在るべし、と。

存無不在道之心、便是助長。方其學也、固當有事、亦當知助長之非。
【読み】
存して道の心在らずということ無きは、便ち是れ長ずることを助けしむるなり。其の學に方べて、固より當に事とすること有るべく、亦當に長ずることを助けしむるの非を知るべし。

問、書曰、惟聖罔念作狂、惟狂克念作聖。孚先竊謂、聖者謂有聖人資質、一不念則流入於狂。狂者進取。曾晳之徒是也。借如顏子、不能拳拳服膺、亦必至於此。若是聖人、則從心所欲不踰矩。雖不念亦無害也。
【読み】
問う、書に曰く、惟れ聖も念うこと罔ければ狂と作る、惟れ狂も克く念えば聖と作る、と。孚先竊かに謂えらく、聖というは聖人の資質有れども、一たび念わざれば則ち流れて狂に入るを謂う。狂というは進み取るなり。曾晳の徒是れなり。借い顏子の如きも、拳拳として膺に服くこと能わずんば、亦必ず此に至る。若し是れ聖人は、則ち心の欲する所に從えども矩を踰えず。念わずと雖も亦害無けん、と。

六德、知仁聖義中和。聖、通明之稱。狂、狂愚之稱。
【読み】
六德は、知仁聖義中和。聖は、通明の稱。狂は、狂愚の稱。

問、孔子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。孚先竊謂、樂山樂水、狀仁知之體。動靜述仁知之用。樂與壽明仁知之效。知則能知之。能知之則務窮物理。務窮物理則運用不息、故樂水。水謂其周流也、故動。動謂其理之無窮也、故樂。樂謂其無疑也。仁則能體之。能體之則有得於所性。有得於所性則循理而行之、故樂山。山謂其安止也、故靜。靜謂其無待於外也、故壽。壽謂其達生理也。
【読み】
問う、孔子曰く、知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ。知者は動き、仁者は靜かなり。知者は樂しみ、仁者は壽し、と。孚先竊かに謂えらく、山を樂しみ水を樂しむとは、仁知の體を狀るなり。動靜は仁知の用を述ぶるなり。樂と壽とは仁知の效を明かすなり。知は則ち能く之を知る。能く之を知るときは則ち務めて物理を窮む。務めて物理を窮むるときは則ち運用息まず、故に水を樂しむ。水は其の周流するを謂う、故に動く。動は其の理の窮まること無きを謂う、故に樂しむ。樂は其の疑うこと無きを謂う。仁は則ち能く之を體す。能く之を體するときは則ち性とする所を得ること有り。性とする所を得ること有るときは則ち理に循って之を行う、故に山を樂しむ。山は其の安んじ止まるを謂う、故に靜かなり。靜は其の外に待つこと無きを謂う、故に壽し。壽は其の生理に達することを謂う、と。

言意未能體仁知。且宜潛思。
【読み】
言意未だ仁知を體すること能わず。且に宜しく潛思すべし。

問、孔子曰、知及之、仁不能守之、雖得之、必失之。知及之、仁能守之、不莊以涖之、則民不敬。知及之、仁能守之、莊以涖之、動之不以禮、未善也。孚先竊謂、此語是告學者。亦是入道之序。故知及之者、見得到也。仁能守之者、孳孳於此也。莊以涖之者、外設藩垣以遠暴慢也。動之以禮、觀時應用皆欲中節也。或者謂此是人君事。
【読み】
問う、孔子曰く、知之に及べども、仁之を守ること能わざれば、之を得ると雖も、必ず之を失う。知之に及び、仁能く之を守れども、莊にして以て之に涖まざれば、則ち民敬せず。知之に及び、仁能く之を守り、莊にして以て之に涖めども、之を動かすに禮を以てせざれば、未だ善ならざるなり、と。孚先竊かに謂えらく、此の語は是れ學者に告ぐるなり。亦是れ道に入るの序なり。故に知之に及ぶとは、見得して到るなり。仁能く之を守るとは、此に孳孳たるなり。莊にして以て之に涖むとは、外に藩垣を設けて以て暴慢を遠ざくるなり。之を動かすに禮を以てするは、時を觀用に應ずること皆節に中らんことを欲するなり。或るひと謂えらく、此は是れ人君の事、と。

臨政處己、莫不皆然。所謂仁能守之者、孳孳於此也、此言未能盡仁。且宜致思。仁則安矣。所以云守也。
【読み】
政に臨み己を處する、皆然らずということ莫し。所謂仁能く之を守るとは、此に孳孳たるなりという、此の言未だ仁を盡くすこと能わず。且に宜しく思いを致すべし。仁なれば則ち安し。守ると云う所以なり。

孚先舊講習太學。建中靖國庚辰冬、過洛陽、遊伊川先生之門、預羣弟子之列、親炙模範、時聞誨語。越明年暮春、歸省庭闈。期歲復入學、以所疑爲書、請質於先生。皆得親筆開諭。逮今幾四十年矣。以今日視前日、固知學之不博、問之不切。日月逝矣。功不加倍、祗益自歉。紹興丁巳冬、周孚先謹書。
【読み】
孚先舊太學に講習す。建中靖國庚辰の冬、洛陽に過って、伊川先生の門に遊んで、羣弟子の列に預り、模範に親炙して、時々誨語を聞く。越[ここ]において明年の暮春、庭闈に歸省す。期歲にして復學に入って、疑う所を以て書することを爲して、先生に請い質す。皆親筆して開諭することを得。今に逮んで幾ど四十年なり。今日を以て前日に視ぶるに、固より學の博からず、問いの切ならざることを知る。日月逝きぬ。功加倍せずして、祗に自ら歉らざることを益す。紹興丁巳の冬、周孚先謹んで書す。


答張閎中書
【読み】
張閎中に答うる書

易傳未傳、自量精力未衰、尙覬有少進爾。然亦不必直待身後、覺耄則傳矣。書雖未出、學未嘗不傳也。第患無受之者爾。
【読み】
易傳未だ傳えざるは、自ら量るに精力未だ衰えず、尙少しく進むこと有らんことを覬むのみ。然れども亦必ずしも直に身後を待つにあらず、耄を覺えば則ち傳えん。書未だ出さずと雖も、學未だ嘗て傳えずんばあらず。第之を受くる者無きを患うるのみ。

來書云、易之義本起於數。謂義起於數則非也。有理而後有象、有象而後有數。易因象以明理、由象而知數。得其義、則象數在其中矣。必欲窮象之隱微、盡數之毫忽、乃尋流逐末、術家之所尙、非儒者之所務也。管輅・郭璞之徒是也。
【読み】
來書に云く、易の義は本數に起こる、と。謂うに義數に起こるというは則ち非なり。理有って而して後に象有り、象有って而して後に數有り。易は象に因って以て理を明かし、象に由って數を知る。其の義を得れば、則ち象數其の中に在り。必ず象の隱微を窮め、數の毫忽を盡くさんと欲するは、乃ち流れを尋ね末を逐う、術家の尙ぶ所にして、儒者の務むる所に非ず。管輅・郭璞が徒是れなり。

理無形也。故因象以明理。理旣見乎辭矣、則可由辭以觀象。故曰、得其義、則象數在其中矣。
【読み】
理は形無し。故に象に因って以て理を明かす。理旣に辭に見るときは、則ち辭に由って以て象を觀る可し。故に曰く、其の義を得れば、則ち象數其の中に在り、と。


答楊時書
【読み】
楊時に答うる書

頤啓。相別多年、常深渴想。前日自伊川歸得、十一月十五日南康發來書、知赴新任。體況安佳、甚慰遠懷。頤如常。自去冬來、多在伊川。見謀居伊、力薄未能遽成耳。
【読み】
頤啓す。相別るること多年、常に深く渴想す。前日伊川自り歸り得て、十一月十五日南康にして來書を發して、新任に赴くことを知る。體況安佳、甚だ遠懷を慰す。頤常の如し。去冬自り來[このかた]、多くは伊川に在り。伊に居ることを謀ることを見れども、力薄くして未だ遽に成すこと能わざるのみ。

朝廷設敎官、蓋欲敎人修身齊家治國平天下之道。苟能修職、則不素餐兮、孰大於是。赴省試令子、不知其名、中第可喩及也。名迪者好學質美。當成遠器。應未有北來期兩小子(大者項城尉、小者鄢陵尉。)。承問故及之。此獨與諸孫處、歲計稔則自餘無足道。春暄、惟進學自愛。不宣。頤啓楊君敎授。(三月六日。)
【読み】
朝廷敎官を設くるは、蓋し人々身を修め家を齊え國を治め天下を平らかにするの道を敎えんと欲するなり。苟も能く職を修めば、則ち素[むな]しく餐[は]まざること、孰か是より大ならん。省試に赴く令子、其の名を知らず、第に中らば喩し及ぼす可し。迪[てき]と名づくる者學を好んで質美なり。當に遠器と成るべし。未だ北來兩小子(大は項城尉、小は鄢陵尉。)と期すること有らざる應し。問いを承くる故に之に及ぶ。此れ獨り諸孫に與うる處、歲計稔れば則ち自づから餘は道うに足ること無し。春暄[けん]、惟學に進んで自愛せよ。不宣。頤楊君敎授に啓す。(三月六日。)


答楊迪書
【読み】
楊迪に答うる書

相別累月、思渴。前承惠書。恐已出京。故不復奉答。近又收書、乃知未行。喜聞夏暑安佳。
【読み】
相別れて累月、思い渴す。前に書を惠まるることを承る。恐らくは已に京を出んことを。故に復奉答せず。近ごろ又書を收めて、乃ち未だ行かざることを知る。喜び聞く、夏暑安佳なることを。

前書所問心迹之說、固知未能無疑也。若以心迹有判、則象憂亦憂、乃僞矣。是宜精索。未易曉也。又云、有道、又有易、何如。此語全未是。更將傳序詳思、當自通矣(變易而後合道。易字與道字不相似也。)。大率所論辭、與意太多。孔・孟之門人、豈能盡與孔・孟同。唯其不敢信己而信其師之說。是以能思而卒同也。若紛然致疑、終亦必亡而已。勉之、勉之。盛暑在途、千百自愛。
【読み】
前書に問う所の心迹の說、固より未だ疑うこと無きこと能わざることを知る。若し心迹を以て判つこと有るときは、則ち象憂うれば亦憂うるも、乃ち僞りならん。是れ宜しく精索すべし。曉かし易からず。又云く、道有って、又易有るは、何如、と。此の語全く是ならず。更に傳の序を將って詳らかに思わば、當に自づから通ずべし(變易して而して後に道に合う。易の字と道の字とは相似ず。)。大率論ずる所の辭、意に與ること太だ多し。孔・孟の門人、豈能く盡く孔・孟と同じからんや。唯其れ敢えて己を信ぜずして其の師の說を信ず。是を以て能く思って卒に同じ。若し紛然として疑うことを致さば、終に亦必ず亡びんのみ。之を勉めよ、之を勉めよ。盛暑途に在り、千百自愛せよ。


答門人書
【読み】
門人に答うる書

前者奉答、適病倦不能詳。後來親知講論、幾盈箱矣。設端雖多、大率意不相遠。於大概尙弗識。況屈伸久速之際乎。平日不謂至如是。豈皆知不足以及之。蓋爲衆說漂喣、不能自立爾。此由見信不篤故也。孔・孟之門豈皆賢哲。固多衆人。以衆人觀聖賢、弗識者多矣。惟其不敢信己而信其師。是故求而後得。今諸君於頤、言纔不合則置不復思。所以終異也。不可便放下、更且思之。致知之方也。姑求自曉、無庸他恤。深尤不知者、甚無謂也。
【読み】
前に奉答する、適々病倦んで詳らかにすること能わず。後來親ら知る、講論、幾く箱に盈たんことを。端を設くること多しと雖も、大率意相遠からず。大概に於て尙識らず。況んや屈伸久速の際をや。平日謂わざりき、是の如くなるに至らんとは。豈皆知以て之に及ぶに足らざらんや。蓋し衆說漂喣[ひょうく]するが爲に、自ら立つこと能わざるのみ。此れ信を見ること篤からざるに由る故なり。孔・孟の門豈皆賢哲んらんや。固より衆人多し。衆人を以て聖賢を觀れば、識らざる者多し。惟其れ敢えて己を信ぜずして其の師を信ず。是の故に求めて而して後に得。今諸君の頤に於る、言纔かに合わざれば則ち置いて復思わず。終に異なる所以なり。便ち放下す可からず、更に且つ之を思え。知を致すの方なり。姑く自ら曉かすことを求めて、他の恤えを庸うること無かれ。深く不知を尤むる者は、甚だ謂うこと無し。


答鮑若雨書幷答問
【読み】
鮑若雨に答うる書幷びに答問

頤咨諸君處、常問知動止。忽領惠書、審已安康。其慰可知。頤如常不煩。見念示及所疑、百忙中謝君告行。不暇周悉。畧奉答。思之可也。袢(徐本袢作夏。)暑千百善愛。五月十日、頤咨鮑君秀才。
【読み】
頤諸君に咨[と]う處、常に動止を知ることを問う。忽ち書を惠まるることを領して、已に安康なることを審らかにす。其の慰知る可し。頤常の如くにして煩わしからず。疑わしき所を示し及ばるることを見念うに、百忙中謝君行を告ぐ。周悉なるに暇あらず。畧答えを奉る。之を思って可なり。袢(徐本袢を夏に作る。)暑千百善愛せよ。五月十日、頤鮑君秀才に咨う。

疑難六。謹寫拜呈。伏乞詳賜指諭。若雨拜覆。
【読み】
疑い難ずる六つ。謹んで寫して拜呈す。伏して乞う、詳らかに指諭を賜え。若雨拜覆す。

佛氏輸廻之說、凡爲善者死、則復生爲善人、爲惡者死、則變而爲禽獸之類、雖無此實應、竊恐有此理。何則、凡稟沖氣以生者、未始不同。聖人先得人之所同者而踐履之。故能保全太和、至死、其氣冥會於中和之所、造化之中、自然有復生爲人之理。愚者平居作惡、而沖氣已喪、至死、其氣則會於繆戾之所、造化之中、自然有爲禽獸之理。故曰、恐有此理也。
【読み】
佛氏輸廻の說、凡そ善を爲す者死するときは、則ち復生じて善人と爲り、惡を爲す者死するときは、則ち變じて禽獸と爲るの類、此の實應無しと雖も、竊かに恐らくは此の理有らん。何となれば則ち、凡そ沖氣を稟けて以て生ずる者は、未だ始めより同じからずんばあらず。聖人は先づ人の同じき所の者を得て之を踐み履む。故に能く太和を保全して、死に至るときは、其の氣中和の所、造化の中に冥會して、自然に復生じて人と爲るの理有り。愚者は平居惡を作して、沖氣已に喪んで、死に至るときは、其の氣則ち繆戾の所、造化の中に會して、自然に禽獸と爲るの理有り。故に曰く、恐らくは此の理有らん、と。

夫子曰、未知生、焉知死。知生則知死矣。能原始則能要終矣。
【読み】
夫子曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや、と。生を知るときは則ち死を知る。能く始めを原ぬるときは則ち能く終わりを要す。

易曰、陰陽不測之謂神。又曰、神妙萬物而爲言。觀此、則佛氏所謂鬼神者妄矣。然祖考來格、敬鬼神而遠之之說、則似乎有。佛氏所謂意者、氣類感應處、便是來格。但當致(徐本致作至。)誠、不當褻近。近得却有也。不知此說如何。
【読み】
易に曰く、陰陽測られざる之を神と謂う、と。又曰く、萬物に神妙にして言を爲す、と。此を觀れば、則ち佛氏が謂う所の鬼神は妄なり。然れども祖考來格、鬼神を敬して之に遠ざくるの說は、則ち有るに似れり。佛氏が謂う所の意は、氣類感應の處、便ち是れ來格なり。但當に誠を致す(徐本致を至に作る。)べく、當に褻し近づくべからず。近づき得れば却って有り、と。知らず、此の說如何。

潛心久當自明。
【読み】
心を潛めて久しくして當に自ら明らかなるべし。

孟子曰、其爲氣也、至大至剛。以直養而無害、則塞於天地之閒。嘗謂凡人氣量窄狹、只爲私心隔斷。苟以直養而無害、則無私心。苟無私心、則志氣自然廣大、充塞於天地之閒。氣象有(徐本有作自。)可以意會而莫能狀者、此所謂難言也。或謂塞於天地之閒、只是到處去得。此言似無氣味。
【読み】
孟子曰く、其の氣爲ること、至大至剛。直を以て養って害すること無きときは、則ち天地の閒に塞がる、と。嘗て謂えらく、凡そ人氣量窄狹にして、只私心の爲に隔斷せらる。苟も直を以て養って害すること無きときは、則ち私心無し。苟も私心無きときは、則ち志氣自然に廣大にして、天地の閒に充塞す。氣象意を以て會す可くして能く狀ること莫き者有り(徐本有を自に作る。)、此れ所謂言い難きなり、と。或るひと謂えらく、天地の閒に塞がるというは、只是れ到る處に去り得る、と。此の言氣味無きに似れり。

如是涵養。
【読み】
是の如く涵養せよ。

樂正子見孟子。孟子曰、子又來見我乎(云云。)。觀此一篇、都無聖人氣象。或謂樂正子從子敖。有激而云。不得不然。
【読み】
樂正子孟子に見[あ]う。孟子曰く、子又來りて我に見うか、と(云云。)。此の一篇を觀るに、都て聖人の氣象無し。或るひと謂えらく、樂正子子敖に從う。激すること有って云う。然らざることを得ず、と。

此無疑。眞孟子之言。
【読み】
此れ疑い無し。眞に孟子の言なり。

今之成人者何必然。見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以爲成人矣。此言是子路說耶、孔子說耶。
【読み】
今の成人は何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要にも平生の言を忘れざるを、亦以て成人と爲す可し、と。此の言は是れ子路の說か、孔子の說か。

仲尼言。
【読み】
仲尼の言なり。

孟子曰、不孝有三。無後爲大。所謂二不孝何如。說者謂陷父於不義、與家貧親老、不求祿仕。竊恐不然。
【読み】
孟子曰く、不孝に三つ有り。後無きを大なりとす、と。所謂二つの不孝は何如。說く者謂く、父を不義に陷ると、家貧しく親老いて、祿仕を求めざるとなり、と。竊かに恐らくは然らじ。

何以知不然。所謂祿仕、凡所以養皆同。
【読み】
何を以て然らざることを知る。所謂祿仕も、凡そ養う所以は皆同じ。


定親書
【読み】
親を定むる書

頤啓。伏以古重大婚、蓋將傳萬世之嗣。禮稱至敬、所以合二姓之歡。顧族望之非華、愧聲猷之弗競、不量非偶、妄意高門。以頤第幾男、雖已勝冠、未諧受室。恭承賢閤第幾小娘子、性質(一作資。)甚茂、德容有光。輒緣事契之家、敢有婚姻之願。豈期謙厚遽賜允從。穆卜良辰、恭伸言定。有少儀物、具如別箋。
【読み】
頤啓す。伏して以みるに古大婚を重んずるは、蓋し萬世の嗣を傳うるを將ってなり。禮に至敬を稱するは、二姓の歡を合する所以なり。族望の華に非ざることを顧み、聲猷の競わざることを愧ぢて、非偶を量らず、意を高門に妄りにす。以みるに頤が第幾くの男、已に冠するに勝うと雖も、未だ室を受くることを諧[かな]えず。恭しく承くるに賢閤第幾くの小娘子、性質(一に資に作る。)甚だ茂ん、德容光有り、と。輒ち事契の家に緣って、敢えて婚姻の願い有り。豈期せんや、謙厚遽に允從を賜わんとは。穆として良辰を卜して、恭しく言定まることを伸ぶ。少しき儀物有り、具うること別箋の如し。


又書

不量衰族、久慕高閎。輒憑咫尺之書、已諾婚姻之好。有少儀物、具如別箋。
【読み】
衰族を量らずして、久しく高閎を慕う。輒ち咫尺の書に憑[よ]って、已に婚姻の好を諾す。少しき儀物有り、具うること別箋の如し。


答求婚書
【読み】
婚を求むるに答うる書

頤啓。族望非高、聲猷弗競、猥蒙謙眷、屢致勤誠。爰稽合姓之文、將卜宜家之慶。伏承某人、性質挺立、器蘊夙成。以頤第幾女子、年已及筓。義當有適。特枉緘題之及、俾交秦・晉之歡。仰認深誠。敢言非偶。在姆師之訓、雖愧未閑、而箕帚之勤、願俾恭事。
【読み】
頤啓す。族望高きに非ず、聲猷競わず、猥りに謙眷を蒙り、屢々勤誠を致す。爰に姓を合するの文を稽え、將に家に宜しきの慶を卜せんとす。伏して承るに某人、性質挺立し、器蘊夙に成る、と。以みるに頤が第幾くの女子、年已に筓するに及ぶ。義當に適くこと有るべし。特に緘題[かんだい]の及ぶを枉げ、秦・晉の歡を交えしむ。仰いで深誠を認む。敢えて非偶を言わんや。姆師の訓に在って、未だ閑[なら]わざることを愧づと雖も、箕帚の勤め、願わくは事を恭しくせしめん。


二程全書卷之六十四  伊川先生文六



婚禮

納采
納采、謂婿氏爲女氏所采。故致禮以成其意。使辭曰、吾子有惠貺某室也。某
(婿父。)有先人之禮、使某也敢納采。
【読み】
納采は、婿氏女氏の爲に采する所を謂う。故に禮を致して以て其の意を成す。使辭して曰く、吾子某の室に惠み貺[たま]うこと有り。某(婿父。)先人の禮有り、某をして敢えて納采せしむ、と。

問名
問名、謂問所娶女子之名。若今之小名也。使者請辭曰、某旣受命、將加諸卜。敢請女爲誰氏。
【読み】
問名は、娶る所の女子の名を問うを謂う。今の小名の若し。使者請い辭して曰く、某旣に命を受けて、將に卜に加えんとす。敢えて請う女誰氏とかする、と。

納吉
納吉、謂婿氏旣得女名、以告神而卜之、得吉兆、又往告女氏。猶今之言定。使辭曰、吾子有貺命、某加諸卜占曰吉。使某也敢告。
【読み】
納吉は、婿氏旣に女の名を得て、以て神に告して之を卜して、吉兆を得、又往いて女氏に告ぐるを謂う。猶今の言定のごとし。使辭して曰く、吾子命を貺うこと有り、某卜占に加うるに吉なりと曰う。某をして敢えて告させしむ、と。

納徵
徵、證也、成也。用皮帛以證成娶婦之禮。使辭曰、吾子有命、貺室某也。某有先人之禮、某物使某也請納徵。
【読み】
徵は、證なり、成るなり。皮帛を用いて以て證して婦を娶るの禮を成すなり。使辭して曰く、吾子命有り、室を某に貺う。某先人の禮有り、某の物某をして請いて納徵せしむ、と。

請期
請期、實告婚期也。必先禮請以示謙。使辭曰、吾子有貺命。某旣申受命矣。惟是三族之不虞、使某也請吉日。女氏對曰、某旣前受命矣。惟命之從
(一作是聽。)。使又曰、某使某聽命于吾子。女氏固辭。使曰、某使某受命。吾子不許、某敢不告期曰某日。(日猶言甲乙之類。)
【読み】
請期は、實に婚の期を告ぐるなり。必ず先づ禮請して以て謙を示す。使辭して曰く、吾子命を貺うこと有り。某旣に申[かさ]ねて命を受く。惟是れ三族の不虞、某をして吉日を請わしむ、と。女氏對えて曰く、某旣に前に命を受く。惟命に從わん(一に是れ聽かんに作る。)、と。使又曰く、某某をして命を吾子に聽かしむ、と。女氏固辭す。使曰く、某某をして命を受けしむ。吾子許さずんば、某敢えて期某の日と曰うことを告げじ、と。(日は猶甲乙と言うの類のごとし。)

成婚
期日、婿氏告迎于廟。初婚
(禮雖云初婚、然當量居之遠近。)、婿受命于所尊(謂醮而受告戒之命。)、出乘前引婦車(受命而出、乘馬前引婦車、迎婦之車也。今或用擔子。)、執燭前馬(使徒役持火炬居前照道。今用燭四或二。)。賓將至(賓、婿也。)、女氏之擯、俟于大門之外、主人俟于門内。賓降(下車也。)、擯進揖請事。賓對(今以介對。)曰、某(稱婿父。)命某(婿名。)以茲初婚、將請承命。擯對曰、主人固以恭俟。擯揖入門、主人揖賓。及階主人揖升、介以賓升。介南面、贊賓就位(東面。)、再拜、贊卽席内告具。主人肅賓而先。賓從之見于廟(見女氏之先祖。)。至于中堂、見女之尊者、徧見女之黨於東序。贊者延賓出就位(贊者以女氏之子姪爲之。)。卒食、興辭(介以賓辭。)。主人請入戒女氏、奉女辭于廟、至于中堂。母南面于房外、女出于母左。父西面醮女而戒之、母施衿結帨(今謂之整冠飾。)、戒諸西階之上。擯者出、婿降立于庭中、北面。婦降自西階。婿揖前導、立于車前。旣升、而先俟於門外(先之者、導之也。門外、婿家大門外也。)。婦至。主人(婿也。)揖婦以入。及寢門、揖入。婿退就次。及期(期謂早暮之節。)、贊者引婿入(贊者婿氏之女相。)、立東席、西面、姆侍奉婦立西席、東面。贊揖婿再拜(男下女也。)、姆侍扶婦答拜。遂卽席、女之從者沃婿盥于南、婿之從者沃婦盥於北(沃盥、以水濯手也。於坐席之南北。)。婿搢笏舉婦蒙首(蓋頭也。)。復位、贊者進酌(用常爵。)、三爵、用巹。姆助婦舉、卒食。相者以婿婦興說服。女之從者受婿服、婿之從者受婦服。燭出(康成云、禮畢。)、女侍待呼于外。夙興、婦纚筓衣服以俟見。質明、贊見婦于舅姑、進拜、奠贄還又拜。見屬之尊者長者於東偏、南面東上。屬自爲別(是爲見已、不復特見。)。若異宮、則見諸父各就其寢。幼者賤者、皆見於堂下、西面北上。舅姑入于室、婦盥饋。舅姑饗婦于堂之西偏。卒食、婦降自阼階(饗禮謂嫡婦。)。翌日、婿拜于婦氏之門。
【読み】
期日、婿氏迎うることを廟に告す。初婚(禮に初婚と云うと雖も、然れども當に居の遠近を量るべし。)、婿命を所尊に受け(醮[しょう]して告戒の命を受くるを謂う。)、出て乘って前[すす]めて婦の車を引き(命を受けて出て、馬に乘って前めて婦の車を引くとは、婦の車を迎うるなり。今或は擔子を用う。)、燭を執って馬を前む(徒役をして火炬を持して前に居して道を照らさしむ。今燭四つ或は二つを用う。)。賓將に至らんとして(賓は、婿なり。)、女氏の擯[ひん]、大門の外に俟ち、主人門内に俟つ。賓降りて(車より下るなり。)、擯進み揖して事を請う。賓對えて(今介を以て對う。)曰く、某(婿の父を稱す。)(婿の名。)に命じて茲の初婚を以て、將に請いて命を承らしむ、と。擯對えて曰く、主人固より以て恭しく俟つ、と。擯揖して門に入り、主人賓を揖す。階に及んで主人揖して升り、介賓を以[い]て升る。介南面して、賓を贊けて位(東面。)に就いて、再拜せしめ、贊けて席内に卽かしめて具わることを告ぐ。主人賓を肅[すす]めて先だつ。賓之に從って廟に見ゆ(女氏の先祖に見ゆ。)。中堂に至って、女の尊者に見え、徧く女の黨を東序に見ゆ。贊くる者賓を延いて出て位に就かしむ(贊くる者は女氏の子姪を以て之を爲す。)。食を卒えて、興きて辭す(介賓を以て辭す。)。主人請い入って女氏を戒め、女の辭を廟に奉じて、中堂に至る。母房外に南面し、女母の左に出づ。父西面して女に醮して之を戒め、母衿を施し帨[せい]を結び(今之を整冠飾と謂う。)、西階の上に戒む。擯する者出て、婿降りて庭中に立って、北面す。婦西階自り降る。婿揖して前に導いて、車の前に立つ。旣に升って、先んじて門外に俟つ(之に先んずる者は、之を導けばなり。門外は、婿家の大門の外なり。)。婦至る。主人(婿なり。)婦を揖して以て入る。寢門に及んで、揖して入る。婿退いて次に就く。期に及んで(期は早暮の節を謂う。)、贊くる者婿を引いて入る(贊くる者は婿氏の女相。)、東席に立って、西面せしめ、姆侍婦を奉じて西席に立って、東面せしむ。贊婿を揖して再拜せしめ(男女に下るなり。)、姆侍婦を扶けて答拜せしむ。遂に席に卽いて、女の從者沃[そそ]いで婿南に盥[あら]い、婿の從者沃いで婦北に盥う(沃いで盥うとは、水を以て手を濯うなり。坐席の南北に於てす。)。婿笏を搢[はさ]んで婦の蒙首を舉ぐ(蓋頭なり。)。位に復って、贊くる者進酌し(常爵を用う。)、三爵して、卺[きん]を用う。姆婦を助けて舉げて、食を卒わらしむ。相者婿婦を以て興きて服を說[ぬ]がしむ。女の從者は婿の服を受け、婿の從者は婦の服を受く。燭出て(康成が云く、禮畢わる、と。)、女侍呼ぶことを外に待つ。夙に興きて、婦纚筓[りけい]衣服して以て見ゆることを俟つ。質明に、贊婦を舅姑に見えしめ、進み拜して、贄[し]を奠[お]き還って又拜す。屬の尊者長者を東偏に見え、南面東上す。屬自づから別を爲す(是れ已に見るが爲に、復特に見えず。)。若し異宮なれば、則ち諸父に見ゆるに各々其の寢に就く。幼者賤者は、皆堂下に見え、西面北上す。舅姑室に入れば、婦盥饋す。舅姑婦を堂の西偏に饗す。食を卒えれば、婦阼階自り降る(饗禮は嫡婦を謂う。)。翌日、婿婦氏の門に拜す。

奠菜
三月預祭祀、事舅姑。復三月然後奠菜。祝稱婦之姓曰某氏來婦、敢奠菜於舅某子、姑某氏。
(此段、義有未詳。)
【読み】
三月にして祭祀に預り、舅姑に事う。復三月にして然して後に奠菜す。祝婦の姓を稱して某氏の來婦、敢えて舅某子、姑某氏に奠菜すと曰う。(此の段、義未だ詳らかならざること有り。)


葬說(幷圖)
【読み】
葬說(幷びに圖)

卜其宅兆、卜其地之美惡也。非陰陽家所謂禍福者也。地之美者、則其神靈安、其子孫盛。若培壅其根而枝葉茂。理固然矣。地之惡者則反是。然則曷謂地之美者。土色之光潤(一作澤。)、草木(一作生物。)之茂盛、乃其驗也。父祖子孫同氣、彼安則此安、彼危則此危。亦其理也。而拘忌者惑以擇地之方位、決日之吉凶。不亦泥乎。甚者不以奉先爲計、而專以利後爲慮。尤非孝子安厝之用心也。惟五患者不得不愼、須使異日不爲道路、不爲城郭、不爲溝池、不爲貴勢所奪、不爲耕犁所及(一本所謂五患者、溝渠、道路、避村落、遠井窯。)。五患旣愼、則又鑿地必至四五丈、遇石必更穿之、防水潤也。旣葬、則以松脂塗棺槨、石灰封墓門。此其大略也。若夫精畫、則又在審思慮矣。其火葬(一作焚。)者、出不得已。後不可遷就同葬(一作焚。)矣。至於年祀浸遠、曾高不辨、亦在盡誠。各具棺槨葬之、不須假夢寐蓍龜而決也。葬之穴、尊者居中、左昭右穆、而次後則或東或西、亦左右相對而啓穴也。出母不合葬、亦不合祭。棄女還家、以殤穴葬之。
【読み】
其の宅兆を卜すること、其の地の美惡を卜するなり。陰陽家の所謂禍福という者に非ず。地の美なる者は、則ち其の神靈安く、其の子孫盛んなり。其の根を培壅して枝葉茂るが若し。理固に然り。地の惡しき者は則ち是に反す。然らば則ち曷をか地の美なる者と謂う。土色の光潤(一に澤に作る。)、草木(一に生物に作る。)の茂盛は、乃ち其の驗なり。父祖子孫氣を同じくして、彼安きときは則ち此れ安く、彼危うければ則ち此れ危うし。亦其の理なり。而るに拘忌の者惑わすに地の方位を擇び、日の吉凶を決することを以てす。亦泥まざるや。甚だしき者は先に奉ずるを以て計とせずして、專ら後を利するを以て慮りとす。尤も孝子安厝[あんそ]の用心に非ず。惟五患は愼まざることを得ず、須く異日道路と爲らず、城郭と爲らず、溝池と爲らず、貴勢の爲に奪われず、耕犂の爲に及ぼさざれしむべし(一本に所謂五患は、溝渠、道路、村落を避け、井窯を遠ざく。)。五患旣に愼んで、則ち又地を鑿ること必ず四五丈に至り、石に遇えば必ず更に之を穿って、水潤を防ぐ。旣に葬っては、則ち松脂を以て棺槨に塗り、石灰にて墓門を封ず。此れ其の大略なり。若し夫精畫するときは、則ち又審らかに思慮するに在り。其の火葬(一に焚に作る。)する者は、已むことを得ざるに出づ。後遷す可からずして就いて同じく葬る(一に焚に作る。)。年祀浸遠くして、曾高辨ぜざるに至るも、亦誠を盡くすに在り。各々棺槨を具えて之を葬るに、須く夢寐蓍龜を假りて決すべからず。葬の穴、尊者中に居し、昭を左にし穆を右にして、次後は則ち或は東或は西、亦左右相對して穴を啓く。出母は合葬せず、亦合祭せず。棄女家に還るは、殤の穴を以て之を葬る。




葬法決疑

古者聖人制卜葬之禮、蓋以市朝遷變、莫得預測、水泉交浸(一作侵。)、不可先知、所以定吉凶、決善惡也。後代陰陽家流、競爲詭誕之說、葬書一術、遂至百二十家。爲害之大、妄謬之甚、在分五姓。
【読み】
古聖人卜葬の禮を制するは、蓋し市朝遷變、預め測ることを得ること莫く、水泉交浸(一に侵に作る。)、先知す可からざるを以て、所以に吉凶を定め、善惡を決するなり。後代陰陽家の流、競って詭誕の說を爲して、葬書の一術、遂に百二十家に至る。害を爲すこと大に、妄謬の甚だしき、五姓を分かつに在り。

五姓之說、驗諸經典、本無證據。古陰陽書亦無此說。直是野俗相傳、竟無所出之處。惟堪輿經黃帝對天老、乃有五姓之言。且黃帝之時、只有姬・姜二三姓、其諸姓氏盡出後代。何得當時已有此語。固謬妄無稽之言。其所謂五姓者、宮・商・角・徵・羽是也。天下萬物、悉配屬之、行事吉凶、依此爲法。至如以張・王等爲商、武・庾等爲羽、是則同韻相求。及其以柳姓爲宮、以趙姓爲角、又非四聲相管。其閒亦有同是一(徐本一作二。)姓、分屬宮・商、複姓數字、徵・角不辨。都無憑據、只信其臆說爾。
【読み】
五姓の說、諸を經典に驗ぶるに、本證據無し。古の陰陽の書にも亦此の說無し。直に是れ野俗相傳えて、竟に出る所の處無し。惟堪輿經に黃帝天老に對うるに、乃ち五姓の言有り。且黃帝の時、只姬・姜の二三姓有って、其の諸々の姓氏は盡く後代に出づ。何ぞ當時已に此の語有ることを得ん。固に謬妄にして稽うること無きの言なり。其の所謂五姓は、宮・商・角・徵・羽是れなり。天下の萬物、悉く配して之に屬し、行事の吉凶、此に依って法を爲す。張・王等を以て商とし、武・庾等を羽とするが如きに至っては、是れ則ち同韻相求むるなり。其の柳姓を以て宮とし、趙姓を以て角とするに及んでは、又四聲相管するに非ず。其の閒亦同じく是れ一(徐本一を二に作る。)姓、分かちて宮・商に屬し、複姓の數字、徵・角辨ぜざる有り。都て憑據無く、只其の臆說を信ずるのみ。

夫姓之於人也、其始也亦如萬物之同形者、呼其白黑小大以爲別爾。後世聖人乃爲之制、因生賜姓、胙土命氏。其後子孫因邑因官、分枝布葉、而庶姓益廣。如管・蔡・郕・霍・魯・衛・毛・耼・郜・雍・曹・滕・畢・原・豐・郇、本皆姬姓、華・向・蕭・亳・皇甫、本皆子姓。其餘皆爾。不可勝舉。今若用其祖姓、則往往數經更易、難盡尋究。況復葬書不載古姓。若用今姓、則皆後代所受、乃是吉凶隨時變改也。人之分宗、譬如木之異枝。木之性、有所宜之地也。取其枝而散植之、其性所宜、寧有異乎。若一祖之裔、姓音不同、同葬一地、遂言彼凶而此吉、決無是理。設有人父本宮姓、子以功勳更賜商姓、則將如何用之。今二人同言、則必擇其賢者信之。葬禮聖人所(徐本所作新。)制、五姓俗人所說。何乃舍聖制而從俗說。不亦愚乎。
【読み】
夫れ姓の人に於る、其の始めは亦萬物の形を同じくする者、其の白黑小大を呼んで以て別を爲すが如きのみ。後世聖人乃ち之が制を爲して、生に因って姓を賜い、土に胙[むく]いて氏に命ず。其の後子孫邑に因り官に因り、枝を分かち葉を布いて、庶姓益々廣まる。管・蔡・郕[せい]・霍・魯・衛・毛・耼[たん]・郜[こう]・雍・曹・滕・畢・原・豐・郇[しゅん]の、本皆姬姓にして、華・向[しょう]・蕭・亳[はく]・皇甫の、本皆子姓なるが如し。其の餘も皆爾り。勝げて舉す可からず。今若し其の祖姓を用いば、則ち往往に數々更易を經て、盡くは尋究し難からん。況んや復葬書に古姓を載せざるをや。若し今の姓を用いば、則ち皆後代受くる所、乃ち是れ吉凶時に隨って變改せん。人の宗を分かつは、譬えば木の枝を異にするが如し。木の性、宜しき所の地有り。其の枝を取って之を散植せば、其の性の宜しき所、寧ろ異なること有らんや。一祖の裔、姓音同じからずして、同じく一地に葬るが若き、遂に彼凶にして此れ吉と言わば、決して是の理無し。設し人父は本宮姓、子功勳を以て更に商姓を賜うこと有らば、則ち將如何にか之を用いん。今二人同じく言わば、則ち必ず其の賢者を擇んで之を信ぜん。葬禮は聖人の制する所(徐本所を新に作る。)、五姓は俗人の說く所。何ぞ乃ち聖制を舍てて俗說に從わん。亦愚ならずや。

昔三代之時、天下諸侯之國、卿大夫之家、久者千餘歲、其下至數百歲不絕。此時葬者(徐本葬者作亦。)未有五姓也。古之時、庶人之年不可得而見矣。君卿大夫、史籍所可見者、往往八九十歲、百歲者不少矣。自唐而來、五姓葬法行於世矣。數世百歲之家鮮矣。人壽七八十歲者希矣。苟吉凶長短、不由於葬邪、則安用違聖人之制而從愚俗所尙。吉凶長短、果由於葬邪。是乃今之法、徒使人家不久長、壽命短促、大凶之道也。進退無取。何足言哉。
【読み】
昔三代の時、天下の諸侯の國、卿大夫の家、久しき者は千餘歲、其の下は數百歲に至って絕えず。此の時葬る者(徐本葬者を亦に作る。)未だ五姓有らず。古の時、庶人の年は得て見る可からず。君卿大夫、史籍に見る可き所の者、往往に八九十歲、百歲の者少なからず。唐自りして來[このかた]、五姓の葬法世に行わる。數世百歲の家鮮し。人壽七八十歲の者希なり。苟に吉凶長短、葬に由らざらんやとならば、則ち安んぞ聖人の制に違って愚俗の尙ぶ所に從うことを用いん。吉凶長短、果たして葬に由らんや。是れ乃ち今の法は、徒に人家久長ならず、壽命短促ならしめて、大凶の道なり。進退取るべき無し。何ぞ言うに足らんや。

夫葬者藏也。一藏之後、不可復改。必求其永安。故孝子慈孫、尤所愼重。欲地之安者、在乎水之利。水旣利、則終無虞矣。不止水一事、此大概也。而今之葬者謂、風水隨姓而異。此尤大害也。愚者執信、將求其吉、反獲其凶矣。
【読み】
夫れ葬は藏むるなり。一たび藏むるの後は、復改む可からず。必ず其の永安を求む。故に孝子慈孫、尤も愼み重んずべき所なり。地の安からんことを欲する者は、水の利に在り。水旣に利なれば、則ち終に虞り無し。止水の一事のみ、此れ大概なり。而るに今の葬る者謂く、風水は姓に隨って異なり、と。此れ尤も大なる害なり。愚者執信して、將に其の吉を求めんとして、反って其の凶を獲るなり。

至於卜選時日、亦多乖謬。按葬者逢日食則舍於道左、待明而行。是必須晴明、不可用昏黑也。而葬書用乾艮二時爲吉。此二時皆是夜半。如何用之。又曰、己亥日葬凶(徐本凶作大凶。)。今按春秋之中、此日葬者二十餘人、皆無其應。宜忌者不忌、而不宜忌者反忌之。顚倒虛妄之甚也。下穴之位、不分昭穆、易亂尊卑。死者如有知、居之其安乎。如此背謬者多矣。不欲盡斥、但當棄而勿用、自從正法耳。
【読み】
時日を卜選するに至って、亦乖謬多し。按ずるに葬る者日食に逢えば則ち道の左に舍して、明くるを待って行くといえり。是れ必ず晴明を須って、昏黑を用う可からず、と。而るに葬書に乾艮の二時を用うるを吉とす。此の二時は皆是れ夜半なり。如何ぞ之を用いん。又曰く、己亥の日葬れば凶(徐本凶を大凶に作る。)、と。今按ずるに春秋の中に、此の日葬る者二十餘人、皆其の應無し。宜しく忌むべき者忌まずして、宜しく忌むべからざる者反って之を忌む。顚倒虛妄の甚だしきなり。穴を下すの位、昭穆を分かたざれば、尊卑を亂り易し。死者如し知ること有らば、之に居して其れ安んぜんや。此の如き背謬の者多し。盡く斥[さ]すことを欲せず、但當に棄てて用うること勿くして、自ら正法に從うべきのみ。


記葬用柏棺事
【読み】
葬に柏棺を用うる事を記す

古人之葬、欲比化不使土親膚。今奇玩之物、尙保藏固密、以防損汚。況親之遺骨、當如何哉。世俗淺識、惟欲不見而已。又有求速化之說。是豈知必誠必信之義。且非欲其不化也。未化之閒、保藏當如是爾。
【読み】
古人の葬、化するが比[ため]に土をして膚に親づかしめざらんことを欲す。今奇玩の物すら、尙保藏固密にして、以て損汚を防ぐ。況んや親の遺骨、當に如何にすべきや。世俗の淺識、惟見ざらんことを欲するのみ。又速やかに化せんことを求むるの說有り。是れ豈必ず誠にし必ず信ずるの義を知らんや。且つ其の化せざらんことを欲するには非ず。未だ化せざるの閒、保藏當に是の如くすべきのみ。

吾自少時、謀葬曾祖虞部已下、積年累歲、精意思索、欲知何物能後骨而朽。後聞、咸陽原上有人發東漢時墓、柏棺尙在。又韓修王城圯、得古柏木。皆堅潤如新。諺有松千柏萬之說。於是知柏最可以久。然意猶未已。因觀雜書、有松脂入地、千年爲茯苓、萬年爲琥珀之說。疑物莫久於此、遂以柏爲棺、而塗以松脂。特出臆計、非有稽也。不數月、嵩山法王寺下郷民、穿地得古棺。裹以松脂。乃知古人已用之矣。
【読み】
吾れ少かりし時自り、曾祖虞部已下を葬らんことを謀って、年を積み歲を累ね、意を精しくして思索して、何物か能く骨に後れて朽ちることを知らんと欲す。後に聞く、咸陽原上に人東漢の時の墓を發く有り、柏棺尙在り、と。又韓王城の圯[い]を修して、古の柏木を得。皆堅潤にして新たなるが如し、と。諺に松千柏萬の說有り。是に於て柏最も以て久しかる可きことを知る。然れども意猶未だ已まず。因りて雜書を觀るに、松脂地に入って、千年にして茯苓と爲り、萬年にして琥珀と爲るという說有り。此より久しきこと莫からんことを疑って、遂に柏を以て棺と爲して、塗るに松脂を以てす。特に臆計に出て、稽うること有るに非ず。數月ならずして、嵩山法王寺下の郷民、地を穿ちて古棺を得。裹むに松脂を以てす。乃ち知る、古人已に之を用うることを。

自是三十四年、七經葬事。求安之道、思之至矣。地中之事、察之詳矣。地中之患有二、惟蟲與水而已。所謂毋使土親膚、不惟以土爲汚、有土則有蟲。蟲之侵骨、甚可畏也。世人墓中多置鐵以辟土獸。希有之物尙知備之。蟲爲必有。而不知備、何也。惟木堅縫完、則不能入。求堅莫如柏、求(徐本求作欲。)完莫如漆。然二物亦不可保。柏有入土數百年而不朽者、有數十年而朽者。人多以爲柏心不朽、而心之朽者、見亦多矣。(後闕。)
【読み】
是れ自り三十四年、七たび葬事を經る。安きを求むるの道、之を思うこと至れり。地中の事、之を察すること詳らかなり。地中の患え二つ有り、惟蟲と水とのみ。所謂土をして膚に親づかしむること毋かれというは、惟土を以て汚るとするのみならず、土有れば則ち蟲有り。蟲の骨を侵すこと、甚だ畏る可し。世人墓中に多く鐵を置いて以て土獸を辟く。希有の物すら尙之に備うることを知る。蟲は必ず有りとす。而るに備うることを知らざるは、何ぞや。惟木堅く縫完きときは、則ち入ること能わず。堅きを求むるは柏に如くは莫く、完きを求むるは(徐本求を欲に作る。)漆に如くは莫し。然れども二物も亦保つ可からず。柏土に入ること數百年にして朽ちざる者有り、數十年にして朽ちる者有り。人多く以て柏の心朽ちずとすれども、心の朽ちる者、見ること亦多し。(後闕く。)


作主式(用古尺。)
【読み】
主を作る式(古尺を用う。)

作主用栗、取法於時月日辰。趺方四寸、象歲之四時。高尺有二寸、象十二月。身博三十分、象月之日。厚十二分、象日之辰(身趺皆厚一寸二分。)。剡上五分爲圓首、寸之下勒前爲頷而判之。一居前、二居後(前四分、後八分。)。陷中以書爵姓名行(曰故某官、某公、諱某、字某、第幾神主。陷中長六寸、闊一寸。一本云長一尺。)、合之植於趺(身出趺上一尺八分、幷趺高一尺二寸。)。竅其旁以通中、如身厚三之一(謂圓徑四分。)、居二分之上(謂在七寸二分之上。)、粉塗其前、以書屬稱(屬謂高曾祖考、稱謂官或號行。如處士秀才幾郎幾翁。)、旁題主祀之名(曰孝子某奉祀。)。加贈易世、則筆滌而更之(水以灑廟牆。)。外改中不改。
【読み】
主を作るに栗を用い、法を時月日辰に取る。趺は方四寸、歲の四時に象る。高さ尺有二寸、十二月に象る。身の博さ三十分、月の日に象る。厚さ十二分、日の辰象る(身趺は皆厚さ一寸二分。)。上五分を剡[けづ]って圓首と爲し、寸の下前を勒して頷と爲して之を判つ。一は前に居き、二は後に居く(前は四分、後は八分。)。陷中には以て爵姓名行を書して(故の某の官、某の公、諱は某、字は某、第は幾く神主と曰う。陷中は長さ六寸、闊[ひろ]さ一寸。一本に云う、長さ一尺、と。)、之を合わせて趺に植[た]つ(身趺の上に出ること一尺八分、趺を幷せて高さ一尺二寸。)。其の旁らに竅して以て中を通し、身の厚さ三の一の如くにして(圓徑四分を謂う。)、二分の上に居き(七寸二分の上に在るを謂う。)、其の前に粉塗して、以て屬稱を書し(屬は高曾祖考を謂い、稱は官或は號行を謂う。處士秀才幾く郎幾く翁というが如し。)、旁らに祀に主たるの名を題す(孝子某奉祀と曰う。)。贈を加え世を易うるときは、則ち筆滌して之を更む(水以て廟牆に灑ぐ。)。外は改むれども中は改めず。






祭禮(羅氏本有此、諸本皆無之。恐未必先生所著。姑附於此。)
【読み】
祭禮(羅氏本に此れ有り、諸本に皆之れ無し。恐らくは必ずしも先生著する所にあらず。姑く此に附す。)

四時祭
凡祭、灑掃廳事、設几案於階下、設盥盆帨手巾。祭前一日、視滌濯、五更起、安排如法、具時果竝菜三飣或五飣、盞盤匙筯訖、次設香卓、次設盥盆茅縮。更祭服、焚香請曰、孝孫某、今以仲春之祭、共請太祖某官、高祖某官、曾祖某官、祖某官、考某官、降赴神位。奠酒焚香跪。執事者過酒、左手把盤、右手以酒澆酹
(徐本酹作酬。)於灌盆茅縮處、俛伏興、再拜、左避位、遂行獻。執事者注酒、下食二味、或一味、隨人家貧富。頃之再拜。亞獻如前、三獻如前。事畢、焚香曰、祭事已畢。揖執事者徹饌。祭祖妣亦如前式。
【読み】
凡そ祭には、廳事を灑掃して、几案を階下に設け、盥盆帨手巾を設く。祭の前一日、視て滌濯し、五更に起き、安排法の如くにして、時果竝びに菜三飣[てい]或は五飣、盞盤[さんばん]匙筯「しちょ」を具え訖わって、次に香卓を設け、次に盥盆茅縮を設く。祭服を更め、香を焚いて請いて曰く、孝孫某、今仲春の祭を以て、共[うやうや]しく太祖某の官、高祖某の官、曾祖某の官、祖某の官、考某の官に請いて、神位を降赴す、と。酒を奠り香を焚いて跪く。執事の者酒を過ぎ、左の手に盤を把り、右の手に酒を以て灌盆茅縮の處に澆酹[ぎょうらい](徐本酹を酬に作る。)し、俛[ふ]し伏し興きて、再拜して、左に位を避けて、遂に獻を行う。執事の者酒を注ぎ、食を下すこと二味、或は一味、人家の貧富に隨う。頃[しばら]くあって再拜す。亞獻も前の如くし、三獻も前の如くす。事畢わって、香を焚いて曰く、祭事已に畢われり、と。執事の者を揖して饌を徹す。祖妣を祭るも亦前式の如し。

始祖(冬至祭)
祭始祖、灑掃廳事、如時祭。只設一位、以妣配。祝執辭、出主人之左、東向讀之曰、維年月日、孝遠孫某、敢昭告於某氏之祖妣。今以陽至之始、追惟報本、禮不敢忘。謹備淸酌庶羞之奠。尙享
(徐本享作饗。)。三獻如前式。
【読み】
始祖を祭るには、廳事を灑掃すること、時祭の如くす。只一位を設けて、妣を以て配す。祝辭を執って、主人の左に出て、東向して之を讀んで曰く、維れ年月日、孝遠孫某、敢えて昭らかに某氏の祖妣に告す。今陽至るの始めを以て、本に報ずることを追い惟って、禮敢えて忘れず。謹んで淸酌庶羞の奠を備う。尙わくは享けたまえ(徐本享を饗に作る。)、と。三獻前式の如くす。

先祖(立春祭)
祭先祖者、自始祖而下、高祖而上、非一人也。故設二位曰、維年月日、孝遠孫某、今以生物之始、恭請先祖祖妣以下、降居神位。餘如前式。
【読み】
先祖を祭る者は、始祖自りして下、高祖よりして上、一人に非ず。故に二位を設けて曰く、維れ年月日、孝遠孫某、今生物の始めを以て、恭しく先祖祖妣以下に請いて、神位を降居せしむ、と。餘は前式の如し。

(季秋祭)
祭禰曰、孝子某、今以成物之始、恭請考君某官、妣某官某封某氏、降居神位。餘如前式。
【読み】
禰を祭るには曰く、孝子某、今成物の始めを以て、恭しく考君某の官、妣某の官某の封某の氏に請いて、神位を降居せしむ、と。餘は前式の如し。


二程全書卷之六十五  伊川先生文七

行狀 墓誌 祭文

明道先生行狀(見遺書附錄)

明道先生門人朋友敍述序(見遺書附錄)

明道先生墓表(見遺書附錄)


孝女程氏墓誌
【読み】
孝女程氏の墓誌

孝女程氏、其第二十九、有宋名臣諱羽之後、故宗正寺丞顥之女。幼而莊靜、不妄言笑、風格瀟灑、趣向高潔、發言慮事、遠出人意。終日安坐、儼然如齊。未嘗敎之讀書、而自通文義。舉族愛重之、擇配欲得稱者。其父名重於時、知聞遍天下。有識者皆願出其門。訪求七八年、未有可者、旣長矣。親族皆以爲憂、交舊咸以爲非。謂自古未聞以賢而不嫁者。不得已而下求。嘗有所議、不忍使之聞知。蓋度其不屑也。母亡、持喪盡哀。雖古篤孝之士、無以過也。遂以毀死。
【読み】
孝女程氏、其の第二十九は、有宋の名臣諱は羽の後、故の宗正寺丞顥の女なり。幼にして莊靜にして、妄りに言笑せず、風格瀟灑、趣向高潔にして、言を發し事を慮ること、遠く人意に出づ。終日安坐して、儼然として齊するが如し。未だ嘗て之に書を讀むことを敎えざれども、自ら文義に通ず。舉族之を愛重して、配を擇んで稱う者を得んことを欲す。其の父名時に重んぜられ、知聞天下に遍し。有識の者皆其の門に出ることを願う。訪い求むること七八年にして、未だ可なる者有らずして、旣に長ず。親族皆以て憂えと爲し、交舊咸く以て非ることをす。謂く、古自り未だ賢を以て嫁せざる者を聞かず、と。已むことを得ずして下り求む。嘗て議する所有れども、之をして聞知せしむるに忍びず。蓋し其の屑しとせざることを度ってなり。母亡くなって、喪を持すること哀を盡くす。古の篤孝の士と雖も、以て過ぐること無し。遂に毀を以て死す。

病旣革、頤念無以適其意、謂之曰、爾喜聞道義。吾爲爾言之。曰、何不素敎。我今且惛矣。我死無憾。獨以不勝喪爲恨爾。盡召兄弟舅甥姪、人人敎誡、幼者撫視、頃之而絕。嗚呼、是雖女子、亦天地中一異人也。如其高識卓行、使之享年、足以名世勵俗、竝前古賢婦、垂光簡册。不幸短命、何痛如之。
【読み】
病旣に革るとき、頤以て其の意に適うこと無きことを念って、之に謂いて曰く、爾道義を聞くことを喜ぶ。吾れ爾の爲に之を言わん、と。曰く、何ぞ素より敎えざる。我れ今且つ惛せり。我が死は憾み無し。獨り喪に勝えざるを以て恨みとするのみ、と。盡く兄弟舅甥姪を召して、人人敎誡し、幼き者撫視して、頃[しばら]くあって絕す。嗚呼、是れ女子と雖も、亦天地の中の一異人なり。其の高識卓行の如き、之をして年を享けしめば、以て世に名あり俗を勵ますに足りて、前古の賢婦に竝んで、光を簡册に垂れん。不幸短命、何の痛みか之に如かん。

衆人皆以未得所歸爲恨。頤獨不然。頤與其父以聖賢爲師、所爲尙(一作常。)恐不當其意。苟未遇賢者而以配世俗常人、是使之抱羞辱以沒世。頤恨其死、不恨其未嫁也。其生以嘉祐辛丑九月庚戌、其卒以元豐乙丑二月丙寅。葬於伊川先塋之東。是年十月乙酉也。叔父頤誌。
【読み】
衆人皆未だ歸する所を得ざるを以て恨みとす。頤獨り然らず。頤と其の父と聖賢を以て師とするすら、する所尙(一に常に作る。)其の意に當たらざらんことを恐る。苟も未だ賢者に遇わずして以て世俗の常人に配せば、是れ之をして羞辱を抱いて以て世を沒えしめん。頤其の死を恨んで、其の未だ嫁せざることを恨みず。其の生まるるは嘉祐辛丑九月庚戌を以てし、其の卒するは元豐乙丑二月丙寅を以てす。伊川先塋の東に葬る。是の年十月乙酉なり。叔父頤誌す。


爲家君祭司馬溫公文
【読み】
家君の爲に司馬溫公を祭る文

嗚呼、公乎、誠貫天地、行通神明。徇己者私、衆口爲容於異論。合聽則聖、百姓曾無於閒言。老始逢時、心期行道。致君澤物、雖有志而未終。救弊除煩、則爲功而已大。何天乎之不弔斯人也而遽亡。溥天興殄瘁之悲、明主失倚毗之望。如其可贖、人百其身。死生旣極於哀榮、名德永高於今古。藐茲羸老、夙被深知。撫柩慟哀、聊陳薄奠。
【読み】
嗚呼、公なるかな、誠天地を貫き、行い神明に通ず。己に徇う者は私し、衆口爲は異論を容る。合わせ聽けば則ち聖、百姓曾て閒言すること無し。老いて始めて時に逢って、心道を行うことを期す。君を致し物を澤すこと、志有りと雖も未だ終えず。弊を救い煩を除くことは、則ち功を爲して已に大なり。何ぞ天之に斯の人を弔わずして遽に亡ぼす。溥天殄瘁の悲しみを興し、明主倚毗[きひ]の望みを失う。如し其れ贖う可くんば、人其の身を百にせん。死生旣に哀榮を極め、名德永く今古に高し。藐たる茲の羸老、夙に深く知らる。柩を撫して慟哀して、聊か薄奠を陳ぶ。


爲家君祭韓康公文
【読み】
家君の爲に韓康公を祭る文

嗚呼、惟公天賦忠義、世推孝友。忠以事君、完始終之大節、孝施有政、作儀刑於四方。樂善本乎至誠、好學至於沒齒。故有識之士、無思不服。垂老之年、其猷益壯。位雖極於將相、志則歉於施爲、恢弘之度、若海瀆之難量、高邈之風、非世俗之可企、推賢獎善、惟日不足、周急樂施、室幾屢空。方逢時之尙年、遽奉身而勇退。如何不吊、奄及云亡。忠義之表、天不憖遺、孝友之規、世將安倣。寒族有姻家之契、二男蒙國士之知。感恩德而未酬、痛音容之遽隔。茲焉歸葬、復阻臨穴。恭陳薄奠、以寫哀誠。
【読み】
嗚呼、惟れ公天忠義を賦し、世孝友を推す。忠以て君に事えて、始終の大節を完くし、孝政有るに施して、儀刑を四方に作す。善を樂しむこと至誠に本づき、學を好んで齒を沒うるに至る。故に有識の士、思って服せずということ無し。垂老の年、其の猷益々壯なり。位將相を極むと雖も、志は則ち施爲に歉らず、恢弘の度、海瀆の量り難きが若く、高邈の風、世俗の企す可きに非ず、賢を推し善を獎めて、惟れ日を足らずとし、急を周[すく]い施すことを樂しんで、室幾ど屢々空し。時に逢うの尙年あるに方って、遽に身を奉じて勇退す。如何ぞ吊せずして、奄[たちま]ち云[ここ]に亡ぶるに及ぶ。忠義の表、天憖いに遺さず、孝友の規、世將に安くにか倣わんとす。寒族姻家の契り有り、二男國士の知を蒙る。恩德ありて未だ酬いざるに感じ、音容の遽に隔つることを痛む。茲に歸し葬るに、復穴に臨むことを阻[へだ]つ。恭しく薄奠を陳べて、以て哀誠を寫す。


爲家君祭呂申公文
【読み】
家君の爲に呂申公を祭る文

嗚呼、公稟則異、得天之粹。遘茲昌辰、出爲嘉瑞。生而富貴、處之無累。幼而聰明、充之能至。學旣知眞、仕則爲道。出入屢更、夷險一操。二聖臨御、人望是從。起藩入輔、命相册公。平日視公、靜密恂恂。國論所斷、一言萬鈞。謂公無位、位爲相臣。謂公得志、志存未伸。然公心如權衡。所以無閒言於率土。德如山嶽。所以致敬心於人主。從容語默之閒、人孰量其所補。胡上天之不弔、不一老之憖遺。淵水無涯。將孰求於攸濟。百身莫贖、爲有識之同悲。嗚呼哀哉、羸老餘生、辱知有素。二男論忘勢之交。不偶無酬知之路。阻臨穴以伸哀。姑托文而披露。想英靈兮如在。監丹誠而來顧。
【読み】
嗚呼、公の稟則ち異なって、天の粹を得る。茲の昌辰に遘って、出て嘉瑞を爲す。生まれて富貴なれども、之に處して累い無し。幼にして聰明なれども、之を充たして能く至る。學旣に眞を知り、仕えて則ち道を爲す。出入屢々更われども、夷險操を一にす。二聖臨御、人望是れ從う。藩より起ちて入って輔け、相に命ぜられ公に册[さづ]かる。平日公を視るに、靜密恂恂たり。國論斷ずる所、一言萬鈞なり。公位無しと謂わんや、位相臣爲り。公志を得んと謂わんや、志未だ伸べざることを存す。然れども公の心權衡の如し。所以に率土に閒言すること無し。德山嶽の如し。所以に敬心を人主に致す。從容語默の閒、人孰か其の補う所を量らん。胡ぞ上天弔せずして、一老を憖いに遺さざる。淵水涯無し。將孰か濟す攸を求めん。百身贖うこと莫く、有識同じく悲しむことを爲す。嗚呼哀しいかな、羸老の餘生、知ることを辱くすること素有り。二男勢を忘るの交わりを論ず。不偶知に酬ゆるの路無し。穴に臨んで以て哀を伸ぶることを阻つ。姑く文に托して披露す。想うに英靈在すが如し。丹誠を監て來り顧よ。


爲家君祭李屯田九縣君文
【読み】
家君の爲に李屯田九縣君を祭る文

嗚呼、夫婦不幸、皆終盛年。美才不克究其施、淑德不克久其芳。此親戚交舊知聞所共悲也。及茲歸葬。去故郷之沮洳、得水土之深厚。幽安顯慰、其善之報而幸之厚與。羸老不任遠之、莫由臨穴盡於一哀。聊爲薄奠。尙其來饗。
【読み】
嗚呼、夫婦不幸にして、皆盛年を終う。美才其の施しを究むること克わず、淑德其の芳しきを久しくすること克わず。此の親戚交舊知り聞いて共に悲しむ所なり。茲に及んで歸し葬る。故郷の沮洳を去って、水土の深厚を得る。幽安んじ顯慰むるは、其の善の報あって幸いの厚きか。羸老遠く之くに任えず、穴に臨んで一哀を盡くすに由莫し。聊か薄奠を爲す。尙わくは其れ來り饗けよ。


祭劉質夫文
【読み】
劉質夫を祭る文

嗚呼、聖學不傳久矣。吾生百世之後、志將明斯道、興斯文於旣絕。力小任重、而不懼其難者、蓋亦有冀矣。以謂苟能使知之者廣、則用力者衆、何難之不易也。遊吾門者衆矣。而信之篤、得之多、行之果、守之固、若子者幾希。方賴子致力以相輔、而不幸遽亡、使吾悲傳學之難、則所以惜子者、豈止遊從之情哉。茲焉歸葬。不克臨穴、姑因薄奠、以敍其哀。
【読み】
嗚呼、聖學傳わらざること久し。吾れ百世の後に生まれて、志將に斯の道を明らかにし、斯の文を旣に絕えたるに興さんとす。力小さく任重けれども、其の難きを懼れざる者は、蓋し亦冀うこと有ればなり。以謂えらく、苟も能く之を知る者廣からしめば、則ち力を用うる者衆くして、何の難きことか之れ易からざらん、と。吾が門に遊ぶ者衆し。而れども之を信ずること篤く、之を得ること多く、之を行うこと果し、之を守ること固きこと、子が若き者幾ど希なり。方に子が力を致して以て相輔けんことを賴むに、不幸にして遽に亡んで、吾をして學を傳うるの難きことを悲しましむるときは、則ち子を惜しむ所以の者、豈止遊び從うの情のみならんや。茲に歸し葬る。穴に臨むこと克わず、姑く薄奠に因って、以て其の哀を敍づ。


祭李端伯文
【読み】
李端伯を祭る文

嗚呼、自予兄弟倡明道學、世方驚疑、能使學者視效而信從、子與劉質夫爲有力矣。質夫於子、爲外兄弟。同邑而居、同門而學、才器相類、志尙如一。予謂、二子可以大受。期之遠到。而半年之閒、相繼以亡。使予憂事道者鮮、悲傳學之難。嗚呼、天於斯文、何其艱哉。官制有拘、不克臨穴。寄文爲奠、以敍其哀。
【読み】
嗚呼、予が兄弟道學を倡明せし自り、世方に驚疑して、能く學者をして視效べて信じ從わしむることは、子と劉質夫と力有りとす。質夫が子に於る、外兄弟爲り。同邑にして居し、同門にして學んで、才器相類し、志尙一の如し。予謂えらく、二子以て大いに受けしむ可し、と。之を遠到に期す。而るに半年の閒に、相繼いで以て亡ぶ。予をして道を事とする者鮮きことを憂え、學を傳うるの難きを悲しましむ。嗚呼、天の斯の文に於る、何ぞ其れ艱きや。官制拘ること有って、穴に臨むこと克わず。文を寄せて奠を爲して、以て其の哀を敍づ。


祭楊應之文
【読み】
楊應之を祭る文

嗚呼、昔予與君、邂逅相遇於大江之南。言契氣合、遂從予遊。歲將三紀、情均骨肉。忽聞來訃。何痛如之。嗚呼應之、誰謂君而止於此乎。高才偉度、絕出羣類、善志奇蘊、曾未得施。天胡爲厚其稟而嗇其年。人誰不死。君之死爲可恨也。奚止交舊之情、悲哀而已。管城之原、歸祔先兆。屬予衰年、憚於長道、不能臨穴一慟、以伸余情。姑致菲薄之奠。魂兮其來、歆此誠意。
【読み】
嗚呼、昔予と君と、邂逅に大江の南に相遇う。言契[あ]い氣合って、遂に予に從って遊ぶ。歲將に三紀ならんとして、情骨肉に均し。忽ち來訃を聞く。何の痛みか之に如かん。嗚呼應之、誰か君にして此に止まると謂わんや。高才偉度、羣類に絕出し、善志奇蘊、曾て未だ施すことを得ず。天胡爲れぞ其の稟を厚くして其の年を嗇[お]しむ。人誰か死せざらん。君の死恨む可しとす。奚んぞ止交舊の情、悲哀するのみならんや。管城の原、先兆に歸祔す。屬[このごろ]予衰年にして、長道に憚って、穴に臨んで一慟して、以て余が情を伸ぶること能わず。姑く菲薄の奠を致す。魂其れ來りて、此の誠意を歆[う]けよ。


祭朱公掞文
【読み】
朱公掞を祭る文

嗚呼、道旣不明、世罕信者。不信則不求、不求則何得。斯道之所以久不明也。自予兄弟倡學之初、衆方驚異。君時甚少、獨信不疑。非夫豪傑特立之士、能如是乎。篤學力行、至於沒齒。志不渝於金石、行可質於神明。在邦在家、臨民臨事、造次動靜、一由至誠。上論古人、豈易其比。蹇蹇王臣之節、凜凜循吏之風、著見事爲、皆可紀述。謂當大施於時、必得其壽。天胡難忱、遽止於此。嗚呼、哀哉、不幸七八年之閒、同志共學之人、相繼而逝(劉質夫・李端伯・呂與叔・範巽之・楊應之相繼而逝也。)。今君復往、使予踽踽於世、憂道學之寡助、則予之哭君、豈特交朋之情而已。邙山之陽、歸祔先宅。思平生之深契、痛音容之永隔、陳薄奠以將誠。庶英靈兮來格。
【読み】
嗚呼、道旣に明らかならずして、世信ずる者罕なり。信ぜざるときは則ち求めず、求めざるときは則ち何ぞ得ん。斯の道の久しく明らかならざる所以なり。予が兄弟學を倡うるの初め自り、衆方に驚異す。君時に甚だ少くして、獨り信じて疑わず。夫の豪傑特立の士に非ずんば、能く是の如くならんや。篤く學び力め行って、齒を沒うるに至る。志金石に渝[か]わらず、行い神明に質す可し。邦に在り家に在り、民に臨み事に臨み、造次動靜も、一に至誠に由る。上古人を論ずとも、豈其れ比し易からんや。蹇蹇たる王臣の節、凜凜たる循吏の風、事爲に著見せる、皆紀述す可し。謂えらく、當に大いに時に施して、必ず其の壽を得るべし、と。天胡ぞ忱とし難くして、遽に此に止めるや。嗚呼、哀しいかな、不幸にして七八年の閒、志を同じくし學を共にする人、相繼いで逝す(劉質夫・李端伯・呂與叔・範巽之・楊應之相繼いで逝す。)。今君復往いて、予をして世に踽踽[くく]として、道學の助け寡きことを憂えしむるときは、則ち予の君を哭する、豈特交朋の情のみならんや。邙山の陽、先宅に歸祔す。平生の深契を思って、音容の永く隔つるを痛み、薄奠を陳べて以て誠を將[すす]む。庶わくは英靈來り格れ。


二程全書卷之六十六  伊川先生文八

墓誌 家傳 祭文

書先公自撰墓誌後
【読み】
先公自ら撰する墓誌の後に書す

程姓、珦名、伯溫字、姓源世係、詳於家牒。故不復書。曾王父、尙書兵部侍郎、贈太子少師、諱羽。曾王母、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。王父、尙書虞部員外郎、諱希振。王母、高密縣君崔氏。考、贈司空、諱遹。妣、追封趙國太夫人張氏、冀國太夫人張氏。
【読み】
程は姓、珦は名、伯溫は字、姓は源世係、家牒に詳らかなり。故に復たび書せず。曾王父は、尙書兵部侍郎、贈太子の少師、諱は羽。曾王母は、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。王父は、尙書虞部員外郎、諱は希振。王母は、高密縣君崔氏。考は、贈司空、諱は遹。妣は、追封趙國太夫人張氏、冀國太夫人張氏。

予性質顓蒙、學術黯淺、不能自奮、以嗣先世。天聖中、仁宗皇帝念及祖宗舊臣、例錄子孫一人、補郊社齋郎。歷黃州黃陂、吉州廬陵二縣尉、潤州觀察支使、由按察官論薦、改大理寺丞、知虔州興國縣、龔[きょう]州、徐州沛縣。監在京西染院、知鳳・磁・漢三州事。熙寧中、厭於職事、丐就閑局、管勾西京嵩山崇福宮。歲滿再任。遂請致仕(徐本仕作任。)。官、自大理寺丞十三遷至大中大夫。勳、自騎都尉至上柱國。爵、永年縣伯。食邑、戶九百(徐本百作伯。)
【読み】
予性質顓蒙、學術黯淺にして、自ら奮って、以て先世に嗣ぐこと能わず。天聖中に、仁宗皇帝念い祖宗の舊臣に及んで、例して子孫一人を錄して、郊社齋郎に補せらる。黃州の黃陂、吉州の廬陵二縣の尉、潤州の觀察支使を歷、按察官由り論薦せられて、大理寺丞に改められ、虔州の興國縣、龔州、徐州沛縣に知たり。監として京西の染院に在って、鳳・磁・漢三州の事に知たり。熙寧中に、職事を厭いて、丐[こ]いて閑局に就き、西京嵩山の崇福宮に管勾たり。歲滿ちて再び任ず。遂に請いて致仕(徐本仕を任に作る。)す。官、大理寺丞自り十三遷して大中大夫に至る。勳、騎都尉自り上柱國に至る。爵、永年縣の伯。食邑、戶九百(徐本百を伯に作る。)

娶侯氏贈尙書比部員外郎道濟之長女。封壽安縣君。先三十八年卒。追封上谷郡君。男六人、長應昌、次天錫、皆幼亡。次顥、承議郎宗正寺丞。先卒。次頤、今爲通直郎。次韓奴、蠻奴、皆夭。女四人、長婆嬌、幼亡。次適奉禮郎席延年。次馮兒、幼亡。次適都官郎中李正臣。孫男五人、端懿、蔡州汝陽縣主簿、監西京酒。次端中、治進士業。次端輔、早亡。次端本、治進士業。次端彥、郊社齋郎。孫女八人、長適宣義郎李偲。次適假承務郎朱純之。次適安定席彥正。次未嫁而卒。次爲李偲繼室。次適淸河張敷。次幼亡。曾孫六人、昂、昪、昺、易、旻、曄。曾孫女一人。
【読み】
侯氏贈尙書比部員外郎道濟の長女を娶る。壽安縣君に封ぜらる。先だつこと三十八年にして卒す。上谷郡君に追封せらる。男六人、長は應昌、次は天錫、皆幼にして亡す。次は顥、承議郎宗正寺丞たり。先だって卒す。次は頤、今通直郎爲り。次は韓奴、蠻奴、皆夭す。女四人、長は婆嬌、幼にして亡す。次は奉禮郎席延年に適く。次は馮兒、幼にして亡す。次は都官郎中李正臣に適く。孫男五人、端懿は、蔡州汝陽縣の主簿として、西京の酒に監たり。次は端中、進士の業を治む。次は端輔、早く亡す。次は端本、進士の業を治む。次は端彥、郊社齋郎たり。孫女八人、長は宣義郎李偲に適く。次は假承務郎朱純之に適く。次は安定席彥正に適く。次は未だ嫁せずして卒す。次は李偲が繼室爲り。次は淸河の張敷に適く。次は幼にして亡す。曾孫六人、昂、昪、昺、易、旻、曄。曾孫女一人あり。

元祐五年庚午春正月十三日己卯、以疾終于正寢(先居暖室、旣得疾、命遷正寢。)、享年八十五。越三月孟夏庚戌望、葬于伊川先塋之次。上谷郡君祔焉。
【読み】
元祐五年庚午春正月十三日己卯、疾を以て正寢に終う(先づ暖室に居り、旣に疾を得て、命じて正寢に遷る。)、享年八十五。越[ここ]において三月孟夏庚戌望、伊川先塋の次に葬る。上谷郡君祔す。

予歷官十二任、享祿六十年。但知廉愼寬和、孜孜夙夜。無勳勞可以報國、無異政可以及民、始終得免瑕謫、爲幸多矣。葬日、切不用干求時賢製撰銘誌。旣無事實可紀、不免虛詞溢美、徒累不德爾。只用此文、刻于石、向壁安置。若或少違遺命、是不以爲有知也。
【読み】
予官を歷ること十二任、祿を享くること六十年。但廉愼寬和を知って、夙夜に孜孜たり。勳勞の以て國に報ず可き無く、異政の以て民に及ぶ可き無けれども、始終瑕謫を免るることを得て、幸多しとす。葬る日、切に時賢銘誌を製撰することを干め求むることを用いざれ。旣に事實の紀す可き無くんば、虛詞美を溢[み]たして、徒に不德を累わすことを免れざらんのみ。只此の文を用いて、石に刻んで、壁に向けて安置せよ。若し或は少しも遺命に違わば、是れ以て知ること有るとせざるなり。

先公太中年七十、則自爲墓誌、及書戒命於後。後十五年終壽。子孫奉命不敢違、惟就其闕處(事未至者、皆缺字、使後人加之。)、加所遷官爵、晩生諸孫及享年之數、終葬時日而已。醇德懿行、宜傳後世者、皆莫敢誌、著之家牒。孤頤泣血書。
【読み】
先公太中年七十にして、則ち自ら墓誌を爲り、及び戒命を後に書す。後十五年にして壽を終う。子孫命を奉じて敢えて違わず、惟其の闕く處に就いて(事未だ至らざる者は、皆字を缺いて、後人をして之を加えしむ。)、遷る所の官爵、晩生の諸孫及び享年の數、終わり葬る時日を加うるのみ。醇德懿行、宜しく後世に傳うべき者、皆敢えて誌すこと莫くして、之を家牒に著す。孤頤泣血して書す。


先公太中家傳
【読み】
先公太中の家傳

先公太中諱珦、字伯溫。舊名溫。(一有其字。)字君玉。旣登朝、改後名。景德三年丙午正月二十三日、生於京師泰寧坊賜第。
【読み】
先公太中諱は珦、字は伯溫。舊の名は溫。(一に其の字有り。)字は君玉。旣に朝に登って、後の名に改む。景德三年丙午正月二十三日、京師泰寧坊の賜第に生まる。

性仁孝溫厚、恪勤畏愼。開府事父兄謹敬過人、責子弟甚嚴。公纔十餘歲、則使治家事。事有小不稱意旨、公恐懼若無所容。自少爲族兄文簡公所器。
【読み】
性仁孝溫厚にして、恪勤畏れ愼む。開府父兄に事うること謹敬人に過ぎ、子弟を責むること甚だ嚴なり。公纔かに十餘歲にして、則ち家事を治めしむ。事小しく意旨に稱わざること有れば、公恐れ懼れて容るる所無きが若し。少かりし自り族兄文簡公の爲に器とせらる。

開府終於黃陂、公年始冠。諸父繼亡。聚屬甚衆、無田園可依。遂寓居黃陂、勞身苦志、奉養諸母、敎撫弟妹。時長弟璠七歲、從弟瑜六歲、餘皆孩幼。後數歲、朝廷錄舊臣之後、授公郊社齋郎、以口衆不能偕行、遂不赴調。文簡公義之、爲請於朝、就注黃陂縣尉。任滿、又不能調、閑居安貧、以待諸弟之長。至長弟與從弟皆得官娶婦、二妹旣嫁、乃復赴調、授吉州廬陵縣尉。時劉丞相沆已貴顯。其子弟有恃勢暴橫於郷里者、郡守以下皆爲之屈。公獨不與接。劉丞相聞而愧之、待公甚厚。
【読み】
開府黃陂に終うるとき、公年始めて冠す。諸父繼いで亡ぶ。聚屬甚だ衆くして、田園の依る可き無し。遂に黃陂に寓居して、身を勞し志を苦しめて、諸母を奉養し、弟妹を敎撫す。時に長弟璠七歲、從弟瑜六歲、餘は皆孩幼なり。後數歲にして、朝廷舊臣の後を錄して、公に郊社齋郎を授けども、口衆くして偕[とも]に行くこと能わざるを以て、遂に調に赴かず。文簡公之を義として、爲に朝に請いて、就いて黃陂縣の尉に注[つ]かしむ。任滿ちて、又調[えら]ばること能わず、閑居貧を安んじて、以て諸弟の長なるを待つ。長弟と從弟と皆官を得婦を娶り、二妹旣に嫁するに至って、乃ち復調に赴いて、吉州廬陵縣の尉を授かる。時に劉丞相沆已に貴顯なり。其の子弟勢を恃んで郷里に暴橫する者有り、郡守以下皆之が爲に屈す。公獨り與り接せず。劉丞相聞いて之を愧ぢて、公を待つこと甚だ厚し。

再調潤州觀察支使。有侍禁曹元哲者、挾權要勢、與人爭田。守畏逼、囑公右之。公弗爲撓。潤當途事煩劇、多賴公以濟、聲聞甚著。部使者至、無有不論薦者。
【読み】
再び潤州の觀察支使に調ばる。侍禁曹元哲という者有り、權を挾み勢を要して、人と田を爭う。守畏れ逼って、公に囑して之を右[たす]けしむ。公爲に撓[たわ]まず。潤の當途の事煩劇なれども、多くは公に賴って以て濟して、聲聞甚だ著る。部使者至るに、論薦せざる者有ること無し。

改大理寺丞、知虔州興國縣事。虔人素號難治。而邑之衣錦郷尤爲稱首。自昔治之與他郷異。前令欲以慘酷威之、盛冬使爭者對立於庭、以雪埋及膝、而人益不服。公善告諭之、與他郷一視、人遂信服。在邑幾二年、而獄空者歲餘。江西狡民善爲古券契、田訟最爲難辨。而虔尤甚。旁邑有爭、積十餘歲不能決、部使者以委公。根連證佐、囂然盈庭。公獨呼爭者前訊之、不十數語、盡得其情、遂皆服。事決於頃刻之閒、人以爲神。
【読み】
大理寺丞に改められ、虔州興國縣の事に知たり。虔人素より治め難しと號す。而して邑の衣錦郷尤も首と稱することをす。昔自り之を治むること他郷と異なり。前の令慘酷を以て之を威せんと欲して、盛冬に爭う者をして庭に對立せしめて、以て雪埋まって膝に及べども、人益々服せず。公善く之に告諭して、他郷と一視するに、人遂に信服す。邑に在ること幾ど二年にして、獄空しき者歲餘なり。江西の狡民善く古券契を爲して、田訟最も辨じ難しとす。而して虔尤も甚だし。旁邑爭うこと有って、十餘歲を積んで決すること能わず、部使者以て公に委す。根連證佐、囂然として庭に盈つ。公獨り爭う者を呼んで前にして之を訊ね、十數語ならずして、盡く其の情を得て、遂に皆服す。事頃刻の閒に決して、人以て神とす。

就移知龔州事。時宜州反獠歐希範旣誅郷人忽傳其降言。當爲我南海立祠。於是迎其神以往。自宜至龔、歷數州矣、莫之禁也。公使詰之。對曰、過潯州、守以爲妖、投奉神之具于江中、逆流而上。守懼、乃更致禮。公曰、試再投之。越人畏鬼、甚於畏官、皆莫敢前。公杖不奉命者。及投之、乃流去。人方信其爲妄。在州二歲、部使者未嘗入境。時潘師旦爲提點刑獄、最稱嚴察。一道愯畏。嘗過境上、以書謝公曰、旣聞淸治。不須至也。遷太子中舍。明堂覃恩、改殿中丞。代還在塗、而儂智高作亂、破州城。後守貸死羈置。人皆以公獲免爲積善之報。
【読み】
就いて移って龔州の事に知たり。時に宜州の反獠歐希範旣に郷人を誅して忽ち其の降言を傳う。當に我が爲に南海に祠を立つるべし、と。是に於て其の神を迎えて以て往く。宜自り龔に至るまで、數州を歷るに、之を禁ずること莫し。公之を詰らしむ。對えて曰く、潯州を過るとき、守以て妖と爲して、神を奉ずるの具を江中に投ぜしむるに、流れに逆って上る。守懼れて、乃ち更に禮を致す、と。公曰く、試みに再び之を投ぜよ、と。越人鬼を畏るること、官を畏るるより甚だしくして、皆敢えて前むこと莫し。公命を奉ぜざる者を杖す。之を投ずるに及んで、乃ち流れ去る。人方に其の妄爲ることを信ず。州に在ること二歲、部使者未だ嘗て境に入らず。時に潘師旦提點刑獄爲り、最も嚴察と稱す。一道愯畏[しょうく]す。嘗て境上を過るとき、書を以て公に謝して曰く、旣に淸治を聞く。須く至るべからず、と。太子中舍に遷さる。明堂覃恩[たんおん]、殿中丞に改む。代わり還って塗に在って、儂智高亂を作して、州城を破る。後の守死を貸して羈置せらる。人皆公免るることを獲るを以て積善の報とす。

授知徐州沛縣事。會久雨、平原出水、穀旣不登、晩種不入、民無卒歲具。公謂俟可耕而種、則時已過矣。乃募富家、得豆數千石以貸民、使布之水中。水未盡涸而甲已露矣。是年、遂不艱食。有丐於市者、自稱僧伽之弟。愚者相倡、爭遺金錢。公杖之而出諸境。
【読み】
授けられて徐州沛縣の事に知たり。會々久しく雨ふり、平原水を出して、穀旣に登らず、晩種入らず、民歲を卒うるの具無し。公謂えらく、耕して種うる可きを俟たんとすれば、則ち時已に過ぎたり、と。乃ち富家に募って、豆數千石を得て以て民に貸して、之を水中に布かしむ。水未だ盡く涸れずして甲已に露る。是の年、遂に食に艱まず。市に丐う者有り、自ら稱す、僧伽の弟、と。愚者相倡えて、爭って金錢を遺る。公之を杖して境を出す。

遷國子博士、賜緋魚袋、歸監在京西染院、遷尙書虞部員外郎、知鳳州事。鳳當川・蜀之衝、軺傳旁午、毀譽易得。爲守者相承、務豐厨傳、主吏多至破產。公裁減幾半曰、是足以爲禮、未爲薄也。會漢中不稔、饑民自褒斜山谷而出。公敎於路口爲糜粥以待之。所濟甚衆。
【読み】
國子博士、賜緋魚袋に遷され、歸って監として京西の染院に在り、尙書虞部員外郎に遷され、鳳州の事に知たり。鳳は川・蜀の衝に當たって、軺傳[しょうでん]旁午[ぼうご]して、毀譽得易し。守爲る者相承けて、厨傳を豐かにすることを務めて、主吏多くは產を破るに至る。公幾半を裁し減じて曰く、是れ以て禮を爲すに足れり、薄しとせず、と。會々漢中稔らず、饑民褒斜の山谷自りして出づ。公敎えて路口に於て糜粥を爲って以て之を待つ。濟う所甚だ衆し。

遷司門員外郎。丁崇國太夫人憂、服除、權判鴻臚寺。英宗嗣位、覃恩、遷庫部員外郎、知磁州事。磁城、趙簡子所築、東南隅水泉惡、灌濯亦不可用。居民安於久習、婦女晨出遠汲。不惟勞、且乏用、風俗以之弊。歷千餘歲、無爲慮者。公度城曲之地曰、此去濠水數步之近、漸漬旣久、地脈當變矣。穿二井、果美泉也。人甚賴之。時久雨、自河以北、城壘皆圮。公言於帥府、請發衆治之。帥不敢主、使聽命於朝。公請於朝者三、不報。蓋自北虜通好、未嘗發衆治城。時韓魏公秉政。使人諭公曰、城壞、州當自治。何以請爲。公曰、役大法不許擅興、且完舊、非創築。何害。乃得請後數月、始概命諸州治城。每歲春首、興役治河。民閒自秋成則爲之備、貧室尙患不及。是年、二役竝興、人甚苦之。獨磁先已畢工、民得復營河役之用、又築於未凍之前、城得堅固。遷水部郎中。神宗卽位、覃恩、遷司門郎中。是歲、城中瓦屋及濠水上、冰澌盤屈、成花卉之狀。奇怪駭目。郡官皆以爲嘉瑞、請以上聞。公曰、石晉之末嘗有此、朝廷豈不惡之。衆皆服。
【読み】
司門員外郎に遷さる。崇國太夫人の憂えに丁たり、服除いて、權判鴻臚寺たり。英宗位を嗣いで、覃恩、庫部員外郎に遷され、磁州の事に知たり。磁城は、趙簡子が築く所、東南の隅水泉惡しくして、灌濯も亦用う可からず。居民久習に安んじて、婦女晨に出て遠く汲む。惟勞して、且つ用に乏しきのみにあらず、風俗之を以て弊[やぶ]る。千餘歲を歷て、爲に慮る者無し。公城曲の地を度って曰く、此れ濠水を去ること數步の近き、漸漬旣に久しくして、地脈當に變ずべし、と。二井を穿つに、果たして美泉なり。人甚だ之に賴る。時に久しく雨ふって、河自り以北、城壘皆圮[やぶ]る。公帥府に言いて、衆を發して之を治めんと請う。帥敢えて主たらずして、命を朝に聽かしむ。公朝に請う者三たびまでに、報あらず。蓋し北虜好を通じて自り、未だ嘗て衆を發して城を治めざればなり。時に韓魏公政を秉る。人をして公を諭さしめて曰く、城壞るれば、州當に自ら治むべし。何を以て請うことをせん、と。公曰く、役は大法擅に興すことを許さざれども、且つ舊を完くするは、創めて築くに非ず。何ぞ害あらん、と。乃ち請うの後數月にして、始めて概[す]べて諸州に命じて城を治めしむることを得。每歲春首、役を興し河を治む。民閒秋成自りは則ち之が備えを爲して、貧室尙及ばざらんことを患う。是の年、二役竝び興って、人甚だ之を苦しむ。獨磁先に已に工を畢えて、民復河役の用を營むことを得、又未だ凍らざるの前に築いて、城堅固なることを得。水部郎中に遷さる。神宗位に卽いて、覃恩、司門郎中に遷さる。是の歲、城中の瓦屋及び濠水の上、冰澌[ひょうし]盤屈して、花卉の狀を成す。奇怪目を駭かす。郡官皆以て嘉瑞と爲して、請いて以て上聞せんとす。公曰く、石晉の末嘗て此れ有り、朝廷豈之を惡まざらんや、と。衆皆服す。

代還、知漢州事、遷庫部郎中。蜀俗輕浮、而公臨之以安靜。視事之翌日、上謝表、命園中取竹爲筩。衆吏持筩走白、殺靑而文見於中。曰、君王萬歲。公知其僞(徐本僞作爲。)、不應。吏懼而退。中元節宴開元寺。蓋盛遊也。酒方行、衆呼曰、佛光見。觀者相騰踏、不可禁。公安坐不動、頃之乃定。大興州學、親視敦勉、士人從化者甚衆。漢守有園圃公田之入、素稱優厚。至者無不厚藏而歸。公始被命、親舊以其素貧、皆爲之喜。公擇而取之、終任所獲布數百匹而已。
【読み】
代わり還って、漢州の事に知たり、庫部郎中に遷さる。蜀の俗輕浮にして、公之に臨むに安靜を以てす。事を視るの翌日、謝表を上げんとして、園中に命じて竹を取って筩を爲さしむ。衆吏筩を持して走り白す、殺靑するに文中に見る。曰く、君王萬歲、と。公其の僞りを(徐本僞を爲に作る。)知って、應ぜず。吏懼れて退く。中元の節開元寺に宴す。蓋し盛遊なり。酒方に行わるとき、衆呼に曰く、佛光見る、と。觀る者相騰踏して、禁ず可からず。公安坐して動かず、頃くあって乃ち定まる。大いに州學を興して、親しく視敦く勉めて、士人從い化する者甚だ衆し。漢の守園圃公田の入有って、素より優厚と稱す。至る者厚く藏めて歸らずということ無し。公始めて命を被るとき、親舊其の素より貧しきを以て、皆之が爲に喜ぶ。公擇んで之を取って、任を終うるまで獲る所の布數百匹のみ。

熙寧中、議行新法、州縣囂然、皆以爲不可。公未嘗深論也。及法出、爲守令者奉行惟恐後。成都一道、抗議指其有未便者、獨公一人。時李元瑜爲使者。挾朝廷勢、淩蔑州郡、沮公以爲妄議。公奏請不俟滿罷去、不報。乃移疾、乞授代、不復視事。
【読み】
熙寧中に、新法を行わんことを議して、州縣囂然として、皆以て不可なりとす。公未だ嘗て深く論ぜず。法出るに及んで、守令爲る者奉行して惟後れんことを恐る。成都の一道、抗議して其の未だ便ならざる有る者を指すは、獨り公一人なり。時に李元瑜使者爲り。朝廷の勢を挾んで、州郡を淩蔑して、公を沮んで以て妄議とす。公奏して滿つるを俟たずして罷め去らんことを請えども、報あらず。乃ち疾を移して、授け代わらんことを乞いて、復事を視ず。

歸朝、願就閑局。得管勾西京嵩山崇福宮。歲滿再任。遷司農少卿。南郊恩賜金紫。以年及七十、乞致仕。家貧口衆、仰祿以生、據禮引年、略不以生事爲慮。人皆服公勇決。兩經南郊恩以子敍、遷中散大夫中大夫。今上卽位、覃恩、遷太中大夫。累封永年縣開國伯。食邑九百戶、勳上柱國。
【読み】
朝に歸って、閑局に就かんことを願う。西京嵩山崇福宮に管勾たることを得。歲滿ちて再び任ぜらる。司農少卿に遷さる。南郊に恩金紫を賜う。年七十に及ぶを以て、仕を致[かえ]すことを乞う。家貧しく口衆くして、祿を仰いで以て生すれども、禮に據り年を引いて、略生事を以て慮りとせず。人皆公の勇決に服す。兩たび南郊を經て恩子を以て敍ぜられ、中散大夫中大夫に遷さる。今上位に卽いて、覃恩、太中大夫に遷さる。累りに永年縣開國の伯に封ぜらる。食邑九百戶、勳は上柱國。

元祐五年正月十三日、以疾終於西京國子監。公舍先居暖室。病革、命遷正寢。享年八十有五。太師文彥博、西京留守韓公縝、今左丞蘇公頌等九人、相繼以公淸節言於朝。詔賜帛二百匹、仍命有司供其葬事。以四月十五日、葬于伊川先塋之次。
【読み】
元祐五年正月十三日、疾を以て西京の國子監に終う。公の舍先には暖室に居す。病革るとき、命じて正寢に遷る。享年八十有五。太師文彥博、西京の留守韓公縝、今の左丞蘇公頌等九人、相繼いで公の淸節を以て朝に言す。詔して帛二百匹を賜って、仍って有司に命じて其の葬事に供せしむ。四月十五日を以て、伊川先塋の次に葬る。

始少師厭五代・河北之多亂、徒葬少監於京兆之興平、將謀居醴泉。及貴、賜第於泰寧坊、遂再世居京師。嘉祐初、公卜葬祖考於伊川、始居河南。
【読み】
始め少師五代・河北の多亂を厭いて、少監を京兆の興平に徒し葬って、將に醴泉に居せんことを謀る。貴に及んで、第を泰寧坊に賜って、遂に再世京師に居す。嘉祐の初め、公祖考を伊川に葬らんことを卜して、始めて河南に居す。

公娶侯氏。贈尙書比部員外郎道濟之女、封壽安縣君。先公三十八年終。追封上谷郡君。男六人、長曰應昌、次曰天錫。皆幼亡。次曰顥。任承議郎宗正寺丞。先公五年卒。次頤也。次韓奴、次蠻奴、皆幼亡。女四人、長幼亡。次適奉禮郎席延年。次幼亡。次適都官郎中李正臣。
【読み】
公侯氏を娶る。贈尙書比部員外郎道濟の女、壽安縣君に封ぜらる。公に先だつこと三十八年にして終う。上谷郡君に追封せらる。男六人、長を應昌と曰い、次を天錫と曰う。皆幼にして亡す。次を顥と曰う。承議郎宗正寺丞に任ぜらる。公に先だつこと五年にして卒す。次は頤なり。次は韓奴、次は蠻奴、皆幼にして亡す。女四人、長は幼にして亡す。次は奉禮郎席延年に適く。次は幼にして亡す。次は都官郎中李正臣に適く。

公孝於奉親、順於事長、慈於撫幼、寬於治民。二歲喪母。祖母崔夫人撫愛異於他孫。嘗以漆鉢貯錢與之。公終身保藏其鉢、命子孫寶之。開府再娶崇國太夫人。時方八歲、已能親順顏色。崇國愛之如己出。奉養五十年、崇國未嘗形慍色。開府喜飮酒。公平生遇美酒、未嘗不思親。頤自垂髫至白首、不記其曾偶忘也。遇人與開府同年而生者、士人也無賢愚高下必拜之、賤者亦待之加禮。開府嘗從趙炎者貸錢伍千、未償。公記其姓名、而不知其子孫郷里、終身訪求、以不獲爲恨。
【読み】
公親に奉ずるに孝に、長に事うるに順に、幼を撫するに慈に、民を治むるに寬なり。二歲にして母を喪う。祖母崔夫人撫愛すること他の孫に異なり。嘗て漆鉢を以て錢を貯めて之を與う。公身を終うるまで其の鉢を保藏して、子孫に命じて之を寶とせしむ。開府再び崇國太夫人を娶る。時に方に八歲、已に能く顏色に親順す。崇國之を愛すること己より出るが如くす。奉養五十年、崇國未だ嘗て慍れる色を形さず。開府喜んで酒を飮む。公平生美酒に遇えば、未だ嘗て親を思わずんばあらず。頤垂髫[すいちょう]自り白首に至るまで、其の曾て偶々忘るることを記せず。人に遇って開府と同年にして生まるる者は、士人は賢愚高下と無く必ず之を拜し、賤者も亦之を待するに禮を加う。開府嘗て趙炎という者に從って錢伍千を貸りて、未だ償わず。公其の姓名を記すれども、其の子孫郷里を知らず、身を終うるまで訪ね求めて、獲ざるを以て恨みとす。

始公撫育諸孤弟。其長二人仕登朝省、二十餘年閒皆亡。長弟之子九歲、從弟之子十一歲、公復撫養、至于成長、畢其婚宦。育二孤皆再世、亦異事也。前後五得任子、以均諸父子孫。嫁遣孤女、必盡其力、所得俸錢、分贍親戚之貧者。伯母劉氏寡居。公奉養甚至。其女之夫死。公迎從女兄以歸。敎養其子、均于子姪。旣而女兄之女又寡。公懼女兄之悲思、又取甥女以歸嫁之。時小官祿薄、克己爲義。人以爲難。後遇劉氏之族子於襄邑。偶詢其宗系、知姻家也。未幾劉生卒。其子立之纔七歲。公取歸敎養。今登進士第、爲宣德郎矣。
【読み】
始め公諸々の孤弟を撫育す。其の長二人仕えて朝省に登って、二十餘年の閒に皆亡す。長弟の子九歲、從弟の子十一歲、公復撫養して、成長するに至って、其の婚宦を畢う。二孤を育すること皆再世、亦異事なり。前後五たび任子を得て、以て諸父の子孫に均しくす。孤女を嫁遣するに、必ず其の力を盡くし、得る所の俸錢、分かちて親戚の貧しき者に贍[あた]う。伯母劉氏寡居す。公奉養すること甚だ至れり。其の女の夫死す。公從女兄を迎えて以て歸がしむ。其の子を敎養すること、子姪に均し。旣にして女兄の女又寡なり。公女兄の悲しみ思わんことを懼れて、又甥女を取って以て之に歸嫁せしむ。時に小官祿薄くして、己に克つを義とす。人以て難しとす。後劉氏の族子に襄邑に遇う。偶々其の宗系を詢いて、姻家なることを知る。未だ幾ならずして劉生卒す。其の子立之纔かに七歲なり。公取歸して敎養す。今進士の第に登って、宣德郎と爲る。

公慈恕而剛斷。平居與幼賤語、惟恐有傷其意。至於犯義理、則不假也。左右使令之人、無日不察其饑飽寒暖。與人接、淡而有常。不妄交遊、於所信愛、久而益篤。在虔時、常假倅南安軍、一獄掾周惇實、年甚少、不爲守所知。公視其氣貌非常人、與語、果爲學知道者。因與爲友。及爲郎官、故事當舉代、每遷授、輒一薦之。
【読み】
公慈恕にして剛斷なり。平居幼賤と語るにも、惟其の意を傷つくこと有らんことを恐る。義理を犯すに至っては、則ち假せず。左右使令の人、日に其の饑飽寒暖を察せずということ無し。人と接すること、淡にして常有り。妄りに交遊せず、信愛する所に於ては、久しくして益々篤し。虔に在る時、常に假すに南安軍に倅たるの、一獄掾周惇實、年甚だ少くして、守の爲に知られず。公其の氣貌常人に非ざることを視て、與に語るに、果たして學を爲し道を知る者なり。因りて與に友と爲る。郎官と爲るに及んで、故事當に舉代すべく、遷授する每に、輒ち一たび之を薦む。

聞人有慶樂事、喜之如在己。不爲皎皎之行、平生不親附權勢。而請謁常禮、亦不廢也。至於親舊之貴顯者、旣不與之加親、亦不示之疎遠。故賢者莫不敬愛、不賢者亦無敢慢。寓居黃陂時、主簿貪凶人也。常曰、諺云、明境爲醜婦之冤。君居此照我、何其不幸也。遂頗自斂。有歐陽乾曜者、以才華自負、多肆輕傲易。公年少、常以語侵公。公如不聞。後公官嶺下、乾曜適倦道路。公以人船濟之。乾曜曰、可謂汪汪如千頃之波也。南昌黃灝有高才、名動江表。然頗不羈、稠人廣坐、無所不狎侮。公時最少、獨見禮重。常目公曰、長者無笑我。自少時德度服人已如此。
【読み】
人の慶樂の事有るを聞けば、之を喜ぶこと己に在るが如くす。皎皎の行いをせず、平生權勢に親附せず。而れども請謁の常禮は、亦廢せず。親舊の貴顯なる者に至っても、旣に之と加々親しまず、亦之に疎遠を示さず。故に賢者敬愛せずということ莫く、不賢者も亦敢えて慢ること無し。黃陂に寓居する時、主簿貪凶の人なり。常に曰く、諺に云く、明境は醜婦の冤爲り、と。君此に居して我を照らす、何ぞ其れ不幸なるや、と。遂に頗る自ら斂む。歐陽乾曜という者有り、才華を以て自ら負って、多く肆輕傲易す。公年少かりしとき、常に語を以て公を侵す。公聞かざるが如くす。後公嶺下に官たるとき、乾曜適々道路に倦む。公人を以て船にて之を濟す。乾曜曰く、謂う可し、汪汪たること千頃の波の如し、と。南昌の黃灝高才有って、名江表を動かす。然れども頗る不羈にして、稠人廣坐にも、狎侮せざる所無し。公時に最も少くして、獨り禮重せらる。常に公を目して曰く、長者我を笑うこと無かれ、と。少かりし時自り德度人を服すること已に此の如し。

居官臨事、孜孜不倦。歷守四郡、溫恭待下、身率以淸愼。所至、寮屬無有敢貪縱者。自朝廷行考課法、無歲不居上。平生居官、不以私事笞扑人。公之親愛者、常有所怒、堅請杖之曰、吏卒小人、不加以威、是使之慢也。公曰、當官用刑、蓋假手耳。豈可用於私也。終不從。謙退不伐善、常欿然自以爲不足。所能者、雖曲藝小事、人莫知也。平生所爲詩甚多。自謂非工、卽棄去。退休後所作、方稍編錄、亦未嘗以示人也。
【読み】
官に居し事に臨んで、孜孜として倦まず。歷く四郡に守として、溫恭にして下を待し、身ら率いるに淸愼を以てす。至る所、寮屬敢えて貪縱する者有ること無し。朝廷考課の法を行いし自り、歲として上に居せざるは無し。平生官に居して、私事を以て人を笞扑せず。公の親愛する者、常に怒る所有れば、堅く請いて之を杖して曰く、吏卒小人、加うるに威を以てせざれば、是れ之をして慢らしむるなり、と。公曰く、官に當たって刑を用うるは、蓋し手を假るのみ。豈私を用う可けんや、と。終に從わず。謙退して善に伐らず、常に欿然として自ら以て足らずとす。能くする所の者、曲藝小事と雖も、人知ること莫し。平生爲る所の詩甚だ多し。自ら工に非ずと謂いて、卽ち棄て去る。退休の後に作る所、方に稍編錄すれども、亦未だ嘗て以て人に示さず。

自少師以來、家傳淸白、而公處己尤約。官至四品、奉養如寒士、縑素之衣、有二三十年不易者。終身非宴會不重肉。旣謝事、遂屛朝衣。賓客來者、無貴賤見之。雖公相亦不往謝。方仕宦時、每歎曰、我貧、未能舍祿仕。苟得早退、休閑十年、志願足矣。自領崇福、外無職事、内不問家有無者、蓋二十餘年。居常默坐。人問、靜坐旣久。寧無悶乎。公笑曰、吾無悶也。家人欲其怡悅、每勸之出遊。時往親戚之家、或園亭佛舍。然公之樂不在此也。嘗從二子遊壽安山、爲詩曰、藏拙歸來已十年、身心世事不相關。洛陽山水尋須遍、更有何人似我閑。顧謂二子曰、遊山之樂、猶不如靜坐。蓋亦非好也。晩與文潞公、席君從、司馬伯康爲同甲會。洛中圖畫、傳爲盛事。
【読み】
少師自り以來、家傳淸白にして、公己を處すること尤も約なり。官四品に至れども、奉養寒士の如くにして、縑素の衣、二三十年易えざる者有り。身を終うるまで宴會に非ざれば肉を重ねず。旣に事を謝しては、遂に朝衣を屛[しりぞ]く。賓客の來る者は、貴賤と無く之を見る。公相と雖も亦往謝せず。仕宦の時に方って、每に歎じて曰く、我れ貧しくして、未だ祿仕を舍つること能わず。苟も早く退くことを得て、休閑十年ならば、志願足りなん、と。崇福を領して自り、外職事無く、内家の有無を問わざる者、蓋し二十餘年なり。居するに常に默坐す。人問う、靜坐旣に久し。寧ろ悶えること無けんや、と。公笑って曰く、吾れ悶えること無し、と。家人其の怡悅せんことを欲して、每に之に出遊せんことを勸む。時に親戚の家、或は園亭佛舍に往く。然れども公の樂しみ此に在らず。嘗て二子に從って壽安山に遊んで、詩を爲って曰く、拙を藏めて歸り來ること已に十年、身心世事相關わらず。洛陽の山水尋ぬること須く遍かるべく、更に何人有ってか我が閑に似ん、と。顧みて二子に謂いて曰く、遊山の樂しみは、猶靜坐に如かず。蓋し亦好に非ず、と。晩に文潞公、席君從、司馬伯康と同甲の會を爲う。洛中圖畫して、傳えて盛事とす。

年八十、喪長子。親舊以其慈愛素厚、憂不能堪。公以理自處、無過哀也。頤時未仕、闔門皇皇、不知所以爲生。公不以爲憂也。及頤被召、叨備勸講、人皆慶之。公無甚喜也。嘗有疾、召醫眡脈。曰、無害。公笑曰、吾年至此矣。有害無害皆可也。雖疾病、服藥必加巾。年七十、則自爲墓誌、紀履歷始終。而已書其後以戒子孫曰、吾歷官十二任、享祿六十年、但知廉愼寬和、孜孜夙夜。無勳勞可以報國、無異政可以及民、始終得免瑕謫、爲幸多矣。葬日、切不用干求時賢製撰銘誌。旣無事實可紀、不免虛詞溢美、徒累不德。只用此文刻于石、向壁安置。若或少違遺命、是不以爲有知也。不肖孤奉命不敢違。于葬旣無銘述、家傳所記、不敢一辭溢美、取誣親之罪。承公志也。
【読み】
年八十にして、長子を喪う。親舊其の慈愛素より厚きを以て、憂え堪うること能わず。公理を以て自ら處して、哀に過ぐること無し。頤時に未だ仕えず、闔門皇皇として、生を爲す所以を知らず。公以て憂えとせず。頤召されて、叨[みだ]りに勸講に備うるに及んで、人皆之を慶す。公甚だしく喜ぶこと無し。嘗て疾有り、醫を召して脈を眡[み]せしむ。曰く、害無し、と。公笑って曰く、吾れ年此に至れり。害有るも害無きも皆可なり、と。疾病なりと雖も、藥を服するに必ず巾を加う。年七十にして、則ち自ら墓誌を爲って、履歷始終を紀す。而して已に其の後に書して以て子孫を戒めて曰く、吾れ官を歷ること十二任、祿を享くること六十年、但廉愼寬和を知って、夙夜に孜孜たり。勳勞の以て國に報ず可き無く、異政の以て民に及ぼす可き無けれども、始終瑕謫を免るることを得て、幸多しとす。葬る日、切に時賢銘誌を製撰することを干め求むることを用いざれ、旣に事實の紀す可き無くば、虛詞美を溢たして、徒に不德を累わすことを免れず。只此の文を用いて石に刻んで、壁に向けて安置せよ。若し或は少しも遺命に違わば、是れ以て知ること有るとせざるなり、と。不肖孤命を奉じて敢えて違わず。葬に于て旣に銘述無く、家傳の記する所、敢えて一辭も美を溢たして、親を誣うるの罪を取らず。公の志を承ければなり。


上谷郡君家傳

先妣夫人姓侯氏、太原孟縣人、行第二(一作一。)。世爲河東大姓。曾祖元、祖暠、當五代之亂、以武勇聞。劉氏偏據日、錫土於烏河川。以控寇盜、亡其爵位。父道濟、始以儒學中科第、爲潤州丹徒縣令、贈尙書比部員外郎。母福昌縣太君刁氏。
【読み】
先妣夫人姓は侯氏、太原孟縣の人、行第二(一に一に作る。)。世々河東の大姓爲り。曾祖元、祖暠、五代の亂當たって、武勇を以て聞う。劉氏偏に據るの日、土を烏河川に錫う。寇盜を控うを以て、其の爵位を亡う。父道濟、始めて儒學を以て科第に中り、潤州丹徒縣の令と爲り、尙書比部員外郎を贈らる。母は福昌縣太君刁[ちょう]氏。

夫人幼而聰悟過人、女功之事、無所不能。好讀書史、博知古今。丹徒君愛之過於子。每以政事問之、所言雅合其意。常嘆曰、恨汝非男子。七八歲時、常敎以古詩曰、女人不夜出、夜出秉明燭。自是日暮則不復出房閣。刁夫人素有風厥之疾、多夜作。不知人者久之。夫人涕泣扶侍、常連夕不寐。
【読み】
夫人幼にして聰悟人に過ぎ、女功の事、能くせずという所無し。好んで書史を讀み、博く古今を知る。丹徒君之を愛すること子に過ぐ。每に政事を以て之に問うに、言う所雅[もと]より其の意に合う。常に嘆じて曰く、恨むらくは汝男子に非ざることを、と。七八歲の時、常に敎うるに古詩を以てして曰く、女人夜出ず、夜出れば明燭を秉る、と。是れ自り日暮れれば則ち復房閣を出ず。刁夫人素より風厥の疾有り、多くは夜作る。人を知らざる者久し。夫人涕泣扶侍して、常に連夕寐ず。

年十九、歸于我公(徐本無公字。)。事舅姑以孝謹稱、與先公相待如賓客。德容之盛、内外親戚無不敬愛。衆人遊觀之所、往往捨所觀而觀夫人。先公賴其内助、禮敬尤至。而夫人謙順自牧、雖小事未嘗專、必稟而後行。
【読み】
年十九にして、我公(徐本公の字無し。)に歸ぐ。舅姑に事うるに孝謹を以て稱せられ、先公と相待すること賓客の如し。德容の盛んなる、内外親戚敬愛せずということ無し。衆人遊觀の所、往往に觀る所を捨てて夫人を觀る。先公其の内助に賴って、禮敬尤も至る。而れども夫人謙順にして自ら牧[やしな]って、小事と雖も未だ嘗て專らにせず、必ず稟[もう]して而して後に行う。

仁恕寬厚、撫愛諸庶、不異己出。從叔幼孤。夫人存視、常均己子。治家有法、不嚴而整。不喜笞扑奴婢、視小臧獲如兒女。諸子或加呵責、必戒之曰、貴賤雖殊、人則一也。汝如此大時、能爲此事否。道路遺棄小兒、屢收養之。有小商出未還而其妻死、兒女散逐人去。惟幼者始三歲、人所不取。夫人懼其必死、使抱以歸。時聚族甚衆。人皆有不欲之色。乃別糴以食之。其父歸、謝曰、幸蒙收養、得全其生。願以爲獻。夫人曰、我本以待汝歸。非欲之也。好爲藥餌、以濟病者。大寒、有負炭而繫者過門。家人欲呼之。夫人勸止曰、愼勿爲此勝。則貧者困矣。
【読み】
仁恕寬厚、諸庶を撫愛すること、己より出るに異ならず。從叔幼にして孤なり。夫人存視しすること、常に己が子に均しくす。家を治むること法有り、嚴ならずして整う。奴婢を笞扑することを喜ばず、小臧獲を視ること兒女の如くす。諸子或は呵責を加うれば、必ず之を戒めて曰く、貴賤殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝此の大いの時の如き、能く此の事をせんや否や、と。道路に遺棄の小兒あれば、屢々之を收め養う。小商出て未だ還らずして其の妻死する有り、兒女人に散逐せられ去る。惟幼き者始めて三歲、人の取らざる所なり。夫人其の必ず死せんことを懼れて、抱いて以て歸らしむ。時に族を聚むること甚だ衆し。人皆欲せざるの色有り。乃ち別に糴して以て之を食う。其の父歸り、謝して曰く、幸いに收め養うことを蒙って、其の生を全くすることを得。願わくは以て獻ずることをせん、と。夫人曰く、我れ本以て汝が歸るを待つ。之を欲するに非ざるなり、と。好んで藥餌を爲って、以て病者を濟う。大寒に、炭を負って繫ける者有って門を過る。家人之を呼ばんと欲す。夫人勸め止めて曰く、愼んで此の勝を爲すこと勿かれ。則ち貧者困しまん、と。

先公凡有所怒、必爲之寬解。唯諸兒有過則不掩也。常曰、子之所以不肖者、由母蔽其過而父不知也。夫人男子六人、所存惟二、其愛慈可謂至矣。然於敎之之道、不少假也。纔數歲、行而或踣、家人走前扶抱、恐其驚啼。夫人未嘗不呵責。曰、汝若安徐、寧至踣乎。飮食常置之坐側。嘗食絮羹、皆叱止之曰、幼求稱欲、長當如何。雖使令輩、不得以惡言罵之。故頤兄弟平生於飮食衣服無所擇。不能惡言罵人。非性然也、敎之使然也。與人爭忿、雖直不右曰、患其不能屈、不患其不能伸。及稍長、常使從善師友遊。雖居貧、或欲延客、則喜而爲之具。其敎女、常以曹大家女戒。
【読み】
先公凡そ怒る所有れば、必ず之が爲に寬解す。唯諸兒過ち有れば則ち掩わず。常に曰く、子が不肖なる所以は、母其の過ちを蔽って父知らざるに由る、と。夫人男子六人、存する所惟二り、其の愛慈至れりと謂う可し。然れども之を敎うるの道に於ては、少しも假せず。纔かに數歲にして、行って或は踣[たお]るれば、家人走り前んで扶抱して、其の驚啼せんことを恐る。夫人未だ嘗て呵責せずんばあらず。曰く、汝若し安徐ならば、寧ろ踣るるに至らんや、と。飮食常に之を坐側に置く。嘗て絮羹を食すれば、皆叱して之を止めて曰く、幼にして欲に稱うことを求めば、長じて當に如何にかすべき、と。使令の輩と雖も、惡言を以て之を罵ることを得ず。故に頤兄弟平生飮食衣服に於て擇ぶ所無し。惡言人を罵ること能わず。性然るに非ず、敎の然らしむるなり。人と爭忿すれば、直しと雖も右けずして曰く、其の屈すること能わざることを患えよ、其の伸ぶること能わざることを患えざれ、と。稍長ずるに及んで、常に善師に從わしめて友とし遊ばしむ。貧に居すと雖も、或は客を延かんと欲するときは、則ち喜んで之が具を爲す。其の女を敎うるには、常に曹大家の女戒を以てす。

居常敎告家人曰、見人善、則當如己善、必共成之。視他物、當如己物、必加愛之。先公罷尉廬陵、赴調、寓居歷陽。會叔父亦解掾毗陵、聚口甚衆、儲備不足。夫人經營轉易、得不困乏。先公歸問其所爲、歎曰、良轉運使才也。所居之處、鄰婦里姥皆願爲之用、雖勞不怨。始寓丹陽、僦葛氏舍以居。守舍王氏翁姥庸狡、前後居者無不苦之。夫人待之有道、遂反柔良。及遷去、王姥涕戀不已。
【読み】
居常[よのつね]家人に敎え告げて曰く、人の善を見ては、則ち當に己が善なるが如くにして、必ず共に之を成すべし。他の物を視ては、當に己が物の如くにして、必ず之を加愛すべし、と。先公廬陵に尉たることを罷めて、調に赴いて、歷陽に寓居す。會々叔父も亦毗陵に掾たることを解して、聚口甚だ衆くして、儲備足らず。夫人經營轉易して、困乏ならざることを得。先公歸って其の所爲を問いて、歎じて曰く、良に轉運使の才なり、と。居する所の處、鄰婦里姥皆之が爲に用いられんことを願って、勞すと雖も怨みず。始め丹陽に寓するとき、葛氏の舍を僦[やと]いて以て居す。守舍王氏翁姥庸狡にして、前後居る者之を苦しまずということ無し。夫人之に待すること道有り、遂に柔良に反る。遷り去るに及んで、王姥涕戀して已まず。

夫人安於貧約、服用儉素。觀親族閒紛華相尙、如無所見。少女方數歲、忽失所在。乳姥輩悲泣叫號。夫人罵止之曰、在當求得。苟亡失矣、汝如是、將何爲。在廬陵時、公宇多怪。家人告曰、物弄扇。夫人曰、熱爾。又曰、物擊鼓。夫人曰、有椎乎。可與之。後家人不敢復言怪、怪亦不復有、遂獲安居。
【読み】
夫人貧約に安んじて、服用儉素なり。親族の閒紛華相尙ぶを觀ては、見る所無きが如くす。少女方に數歲にして、忽ち所在を失す。乳姥の輩悲泣叫號す。夫人罵って之を止めて曰く、在らば當に求め得るべし。苟も亡失せば、汝是の如くするとも、將に何にかせんとす、と。廬陵に在る時、公の宇怪多し。家人告して曰く、物扇を弄す、と。夫人曰く、熱きのみ、と。又曰く、物鼓を擊つ、と。夫人曰く、椎有りや。之に與う可し、と。後家人敢えて復怪を言わず、怪も亦復有らずして、遂に安居することを獲。

夫人有知人之鑒。姜應明者、中神童第、人競觀之。夫人曰、非遠器也。後果以罪廢。頤兄弟幼時、夫人勉之讀書。因書綫貼上曰、我惜勤讀書兒。又竝書二行曰、殿前及第程延壽。先兄幼時名也。次曰、處士及先兄登第。頤以不才罷應科舉。方知夫人知之於童稚中矣。寶藏手澤、使後世子孫知夫人之精鑒。
【読み】
夫人人を知るの鑒有り。姜應明という者、神童の第に中って、人競って之を觀る。夫人曰く、遠器に非ず、と。後果たして罪を以て廢せらる。頤兄弟幼かりし時、夫人之に讀書を勉めしむ。因りて綫に書して上に貼して曰く、我れ惜しんで讀書の兒を勤めしむ、と。又二行を竝書して曰く、殿前及第す程延壽、と。先兄幼かりし時の名なり。次に曰く、處士は先兄の登第に及ばん。頤は以て不才科舉に應ずることを罷めよ、と。方に知る、夫人之を童稚の中に知ることを。手澤を寶とし藏めて、後世の子孫をして夫人の精鑒を知らしむ。

夫人好文、而不爲辭章。見世之婦女以文章筆札傳於人者、深以爲非。平生所爲詩、不過三二篇、皆不存。獨記、在歷陽時、先公覲親河朔。夜聞鳴雁、嘗爲詩曰、何處驚飛起、雝雝過草堂。早是愁無寐、忽聞意轉傷。良人沙塞外、羈妾守空房。欲寄廻文信、誰能付汝將。讀史、見姦邪逆亂之事、常掩卷憤歎。見忠孝節義之士、則欽慕不已。嘗稱唐太宗得禦戎之道、其識慮高遠、有英雄之氣。夫人之弟可世稱名儒。才智甚高。嘗自謂不如夫人。
【読み】
夫人文を好んで、辭章を爲らず。世の婦女文章筆札を以て人に傳うる者を見て、深く以て非とす。平生爲る所の詩、三二篇に過ぎず、皆存せず。獨り記す、歷陽に在る時、先公親に河朔に覲ゆ。夜鳴雁を聞いて、嘗て詩を爲って曰く、何れの處にか驚飛し起こる、雝雝[ようよう]として草堂を過ぐ。早是れ愁えて寐ること無し、忽ち聞いて意轉[うた]た傷む。良人沙塞の外、羈妾空房を守る。廻文の信を寄せんと欲せども、誰か能く汝に付いて將[おく]らん、と。史を讀んで、姦邪逆亂の事を見れば、常に卷を掩いて憤歎す。忠孝節義の士を見れば、則ち欽慕已まず。嘗て稱す、唐の太宗戎を禦ぐの道を得、其の識慮高遠にして、英雄の氣有り、と。夫人の弟可世名儒と稱す。才智甚だ高し。嘗て自ら謂う、夫人に如かず、と。

夫人自少多病、好方餌修養之術、甚得其效。從先公官嶺外、偶迎涼露寢、遂中瘴癘。及北歸、道中病革。召醫視脈。曰、可治。謂二子曰、紿爾也。未終前一日、命頤曰、今日百五、爲我祀父母。明年不復祀矣。夫人以景德元年甲辰十月十三(一作二十二。)日、生於太原。皇祐四年壬辰二月二十八日、終於江寧。享年四十九。始封壽安縣君、追封上谷郡君。
【読み】
夫人少かりし自り多病、方餌修養の術を好んで、甚だ其の效を得。先公嶺外に官たるに從って、偶々涼を迎え露寢して、遂に瘴癘に中る。北歸するに及んで、道中にして病革なり。醫を召して脈を視せしむ。曰く、治す可し、と。二子に謂いて曰く、爾を紿[あざむ]けるなり、と。未だ終わらざるの前一日、頤に命じて曰く、今日百五、我が爲に父母を祀れ。明年復祀らざれ、と。夫人景德元年甲辰十月十三(一に二十二に作る。)日を以て、太原に生まる。皇祐四年壬辰二月二十八日、江寧に終う。享年四十九。始め壽安縣君に封ぜられ、上谷郡君に追封せらる。


叔父朝奉墓誌銘

叔父名珫、字季聰、贈太子少師諱羽、淸河郡太君張氏、襄陵郡太君賈氏之曾孫、尙書虞部員外郎諱希振、高密縣君崔氏之孫、贈開府儀同三司諱遹、榮國太夫人張氏、崇國太夫人張氏之子、先公太中之季弟。其上世居深州之博野、累代聚居、以孝義稱。至少師顯於朝、賜第京師、始居開封。先君葬祖考於伊川、遂遷河南。
【読み】
叔父名は珫[しゅう]、字は季聰、贈太子の少師諱は羽、淸河郡太君張氏、襄陵郡太君賈氏の曾孫、尙書虞部員外郎諱は希振、高密縣君崔氏の孫、贈開府儀同三司諱は遹、榮國太夫人張氏、崇國太夫人張氏の子、先公太中の季弟なり。其の上世深州の博野に居し、累代聚居して、孝義を以て稱せらる。少師に至って朝に顯れて、第を京師に賜って、始めて開封に居す。先君祖考を伊川に葬って、遂に河南に遷る。

公天性孝友淳質、不事文飾。幼孤、事崇國能竭其力。於宗族篤恩義、愛幼穉如己生、事伯兄丘嫂如父母。與人接、傾盡心腑、信人如己、屢致欺而不變。人多笑之、而好德者重之。
【読み】
公天性孝友淳質にして、文飾を事とせず。幼くして孤にして、崇國に事えて能く其の力を竭くす。宗族に於て恩義を篤くし、幼穉を愛すること己が生めるが如くし、伯兄丘嫂に事うること父母の如くす。人と接するに、心腑を傾盡して、人を信ずること己が如くして、屢々欺かるることを致せども變ぜず。人多く之を笑えども、德を好む者之を重んず。

年四十五、始以伯兄太中恩補郊社齋郎、調懷州修武縣主簿。秩滿、受權澤州端氏縣令、閱歲卽眞用薦者。改大理寺丞、復四遷、至朝奉郎。積勳至上輕車都尉賜服銀緋。歷河中府龍門、汝州襄城縣事、權管勾西京國子監、遂致官事。公當官竭力、不擇難易、盡心於愛人。故所至民愛之。嘗捕蝗、徒步執篲、爲衆人先。其不愛力皆此類。喜求民利病、力可行者行之、不能者言之上官、雖沮却不恨。
【読み】
年四十五にして、始めて伯兄太中補郊社齋郎に恩せらるるを以て、懷州修武縣の主簿に調ばる。秩滿ちて、權に澤州端氏縣の令を受け、歲を閱して眞に用い薦むる者に卽く。大理寺丞に改められ、復四遷して、朝奉郎に至る。積勳上輕車都尉賜服銀緋に至る。河中府龍門、汝州襄城縣の事を歷、權に西京の國子監に管勾として、遂に官事を致[かえ]す。公官に當たって力を竭くして、難易を擇ばず、心を人を愛するに盡くす。故に至る所民之を愛す。嘗て蝗を捕るとき、徒步して篲[ほうき]を執って、衆人の爲に先だつ。其の力を愛しまざること皆此の類なり。喜んで民の利病を求めて、力行う可き者は之を行い、能わざる者は之を上官に言い、沮まると雖も却って恨みず。

年五十始有子、傷從兄無嗣、遂以繼之。先君六得任子恩、公與二子實居其三、則公之見愛於兄、與先君之厚於弟、可見矣。
【読み】
年五十にして始めて子有り、從兄嗣無きことを傷んで、遂に以て之を繼がしむ。先君六たび任子の恩を得て、公と二子と實に其の三に居するときは、則ち公の愛を兄に見すと、先君の弟に厚きと、見る可し。

娶賈氏。追封宜興縣君。繼室張氏、封壽光縣君。子二人、長曰頔。郊社齋郎、出繼從伯父後。次曰顒。太廟齋郎。女二人、長適承議郎劉立之。次適進士王霂。公生於天聖元年四月壬寅、終於紹聖四年六月乙酉。歷年七十有五。是年十月某日、葬於伊川、祔先塋。孤姪頤號泣而銘其穴曰、
【読み】
賈氏を娶る。宜興縣君に追封ぜらる。繼室張氏、壽光縣君に封ぜらる。子二人あり、長を頔[てき]と曰う。郊社齋郎たり、出て從伯父の後を繼ぐ。次を顒[ぎょう]と曰う。太廟の齋郎たり。女二人、長は承議郎劉立之に適く。次は進士王霂[ぼく]に適く。公天聖元年四月壬寅に生まれ、紹聖四年六月乙酉に終う。歷年七十有五。是の年十月某の日、伊川に葬って、先塋に祔す。孤姪頤號泣して其の穴に銘して曰く、

孝於事親、順於事兄、質直而好義、勤瘁以奉公。家無閒言、仕有善效。古之所謂躬行君子、公其是乎。歸全於斯。嗚呼、哀哉。
【読み】
親に事うるに孝に、兄に事うるに順に、質直にして義を好み、勤瘁して以て公に奉ず。家に閒言無く、仕えて善效有り。古の所謂躬に君子を行うというは、公其れ是れか。全きを斯に歸す。嗚呼、哀しいかな、と。


家世舊事

少師影帳畫侍婢二人。一曰鳳子、一曰宜子。頤幼時猶記伯祖母指其爲誰。今則無能識者。抱笏蒼頭曰福郎。家人傳曰、畫工呼使啜茶、視而寫之。福郎尋卒。人以爲畫殺。叔父七郎中影帳亦畫侍者二人。大者曰楚雲、小者曰僿(一作賽。)奴。未幾二人皆卒。由是家中益神其事。人壽短長有定數。豈畫能殺。蓋偶然爾。
【読み】
少師の影帳に侍婢二人を畫く。一りは鳳子と曰い、一りは宜子と曰う。頤幼かりし時猶伯祖母指して其の誰とすることを記す。今は則ち能く識る者無し。笏を抱く蒼頭を福郎と曰う。家人傳えて曰く、畫工呼んで茶を啜らしめて、視て之を寫す、と。福郎尋いで卒す。人以爲えらく、畫殺す、と。叔父七郎中の影帳にも亦侍者二人を畫く。大なる者は楚雲と曰い、小なる者は僿(一に賽に作る。)奴と曰う。未だ幾ならずして二人皆卒す。是に由って家中益々其の事を神とす。人壽の短長定數有り。豈畫いて能く殺さん。蓋し偶々然るのみ。

成都寺院皆無高門限。傳云少師脚短、當時皆去之。至今猶不復用。
【読み】
成都の寺院皆門限を高くすること無し。傳に云く、少師脚短くして、當時皆之を去る。今に至るまで猶復用いず、と。

少師卜居醴泉、第舍卑狹。頤少時嘗到、宛然如舊。諸房門皆題誰居。先公太中所記也。後十年再到、則已爲四翁(名逢堯。)房。子孫所賣。更易房室、不忍復觀矣。自少師貴顯、居京師、醴泉第宅、大評事諸孫居之。後遂分而賣之。先公未嘗問也。券契皆存。以其上有少師書字、故不忍毀去。然收藏甚密、家中子弟有未嘗見者。先公守鳳州時、四翁問、欲得宅否。先公答以叔有之與珦有之正同。當善守而已。又出一少師小印合示頤曰、祖物也。可收之。頤曰、翁能保之足矣。不敢受者、所以安其疑心也。又如(徐本如作知。)太宗皇帝御書及少監眞像皆在、亦未敢求見。不意纔數年、四翁卒。比再至醴泉、則散失盡矣。思之痛傷。後又二十年、頤到醴泉、改葬少師、始求得少監・段太君誥(徐本誥作告。)於三翁家、少師犀帶於長安太監簿家、少師綠玉枕於四翁女种家、鞍瓦於三翁家。
【読み】
少師醴泉に卜居するとき、第舍卑狹なり。頤少かりし時嘗て到るに、宛然として舊の如し。諸々の房門皆誰が居ということを題す。先公太中の記する所なり。後十年にして再び到るときは、則ち已に四翁(名は逢堯。)の房と爲る。子孫の賣る所なり。房室を更易して、復觀るに忍びず。少師貴顯にして、京師に居して自り、醴泉の第宅は、大評事の諸孫之に居す。後遂に分かちて之を賣る。先公未だ嘗て問わず。券契皆存す。其の上に少師の書字有るを以て、故に毀ち去るに忍びず。然して收藏甚だ密にして、家中の子弟未だ嘗て見ざる者有り。先公鳳州に守たる時、四翁問う、宅を得んことを欲するや否や、と。先公答うるに叔之を有すると珦之を有すると正に同じ。當に善く守るべきのみというを以てす。又一つの少師の小印合を出して頤に示して曰く、祖の物なり。之を收む可し、と。頤曰く、翁能く之を保たば足れり、と。敢えて受けざる者は、其の疑心を安んずる所以なり。又太宗皇帝の御書及び少監の眞像の如き(徐本如を知に作る。)皆在れども、亦未だ敢えて求め見ず。意わざりき、纔か數年にして、四翁卒せんとは。比[このごろ]再び醴泉に至るときは、則ち散失し盡く。之を思って痛み傷む。後又二十年にして、頤醴泉に到って、少師を改め葬るとき、始めて少監・段太君の誥(徐本誥を告に作る。)を三翁の家に、少師の犀帶を長安の太監簿が家に、少師の綠玉枕を四翁の女种家に、鞍瓦を三翁の家に求め得。

少師厭河北・五代兵戈、及宰醴泉、遂謀居焉。徙葬少監于縣城之西。旣顯、雖賜第居京師、囊橐至於御書誥勑皆多在醴泉。從高祖、太評事、四評事、治生事皆淳儉嚴整。太評事家人未嘗見笑、惟長孫始生(長安虞部也。)、一老嫗白曰、承旨(將軍也)新婦生男。微開顏曰、善視之。曾祖母崔夫人亦留醴泉、與從曾祖母雷氏(將軍之室。)奉事二叔舅姑晨夕敬畏、平居必曳之(徐本曳之作著。)長裾烹飪。少有失節則不食、拱手而起。二婦恐懼、不敢問所由。伺其食美、取所餘嘗之、然後知所嗜。太高祖母楊氏前卒、四高祖母李氏主内事。性尤嚴峻。二婦晝則供侍、夜復課以女工之事。雷氏不堪其勞、有閒則泣於後庭。崔夫人每勸勉之。竟得羸疾而終。崔夫人怡怡如也。叔舅姑遂加愛之。後外祖崔駕部過雍、見其艱苦之甚、屬少師取至京師。不撤帷帳、盡置囊篋云、暫往省覲。叔舅姑方聽其來。少師之待兄弟、崔夫人之事叔舅姑、後世所當法也。
【読み】
少師河北・五代兵戈を厭いて、醴泉に宰たるに及んで、遂に居せんことを謀る。少監を縣城の西に徙し葬る。旣に顯れて、第を賜って京師に居すと雖も、囊橐[のうたく]より御書誥勑に至るまで皆多くは醴泉に在り。從高祖、太評事、四評事、生事を治むること皆淳儉嚴整なり。太評事の家人未だ嘗て笑うことを見ず、惟長孫始めて生まるるとき(長安虞部なり。)、一老嫗白して曰く、承旨(將軍なり)の新婦男を生む、と。微しく顏を開いて曰く、善く之を視よ、と。曾祖母崔夫人亦醴泉に留まって、從曾祖母雷氏(將軍の室。)と二りの叔舅姑に奉事すること晨夕敬み畏れて、平居必ず之に長裾を曳[き]て(徐本曳之を著に作る。)烹飪す。少しも節を失すること有れば則ち食せずして、手を拱して起つ。二婦恐れ懼れて、敢えて所由を問わず。其の食すること美なるを伺うは、餘す所を取って之を嘗めて、然して後に嗜む所を知る。太高祖母楊氏前だって卒して、四高祖母李氏内事を主る。性尤も嚴峻なり。二婦晝は則ち供侍し、夜は復課するに女工の事を以てす。雷氏其の勞に堪えずして、閒有れば則ち後庭に泣く。崔夫人每に勸めて之を勉めしむ。竟に羸疾を得て終う。崔夫人怡怡如たり。叔舅姑遂に之を加愛す。後外祖崔駕部雍を過って、其の艱苦の甚だしきを見て、少師に屬して取って京師に至らしむ。帷帳を撤せずして、盡く囊篋を置いて云く、暫く往いて省覲せん、と。叔舅姑方に聽して其れ來る。少師の兄弟に待し、崔夫人の叔舅姑に事うる、後世當に法るべき所なり。

少師治醴泉、惠愛及人至深。其後諸房子弟旣多、不無侵損於邑人。而邑人敬愛之不衰。有爭忿者及門則止、俟過而復爭。小兒持盤賣果、爲族中羣兒奪取、啼而不敢較。嘉祐初、頤過邑、去少師時八十年矣。驢足病。呼醫治之。問知姓程、辭錢不受。昔時村婦多持香茶祈蠶於塚。因掐取其土以乞靈。後禁止之。
【読み】
少師醴泉を治むるとき、惠愛人に及ぶこと至って深し。其の後諸房子弟旣に多くして、邑人を侵し損すること無くんばあらず。而れども邑人之を敬愛すること衰えず。爭い忿る者有って門に及べば則ち止め、過ぐるを俟って復爭う。小兒盤を持して果を賣る、族中の羣兒の爲に奪い取らるれども、啼いて敢えて較[きそ]わず。嘉祐の初め、頤邑を過ぎ、去るとき少師時に八十年なり。驢足病む。醫を呼んで之を治さしむ。姓程なることを問い知って、錢を辭して受けず。昔時村婦多く香茶を持して蠶を塚に祈る。因りて其の土を掐[つま]み取って以て靈を乞う。後禁じて之を止む。

族父文簡公應舉來京師、館於廳旁書室。唯乘一驢、更無餘資。至則賣驢、得錢數千。伯祖殿直輕財好義、待族人甚厚。日責文簡公具酒肴(徐本肴作餚。)、欲觀其器度。文簡公訴曰、驢兒已喫至尾矣。
【読み】
族父文簡公舉に應じて京師に來て、廳旁の書室に館す。唯一驢に乘って、更に餘資無し。至るときは則ち驢を賣って、錢數千を得。伯祖殿直財を輕んじ義を好んで、族人に待すること甚だ厚し。日に文簡公の酒肴(徐本肴を餚に作る。)を具うることを責めて、其の器度を觀んと欲す。文簡公訴えて曰く、驢兒已に喫して尾に至る、と。

文簡公一夕夢紫衣持箱幞。其中若勑書。授(徐本授作受。)之曰壽州陳氏。不測所謂、以問伯祖殿直、亦莫能曉。後登科、有媒氏來告、有陳氏求婿、必欲得高第者(徐本第者作科名。)。問其郷里、乃壽州人。文簡公年少才高、欲婿名家、弗許。伯祖曰、爾夢如是。蓋默定矣。豈可違也。强之使就。後累年猶怏怏。陳夫人賢德宜家、夫婦偕老、享封大國、子孫相繼。豈偶然哉。
【読み】
文簡公一夕夢みらく、紫衣箱幞[そうほく]を持す。其の中勑書の若し。之を授けて(徐本授を受に作る。)壽州の陳氏と曰う。所謂を測らずして、以て伯祖殿直に問えども、亦能く曉すこと莫し。後科に登るとき、媒氏有りて來り告ぐ、陳氏婿を求むること有り、必ず高第の者(徐本第者を科名に作る。)を得んと欲す、と。其の郷里を問えば、乃ち壽州人なり。文簡公年少く才高くして、名家に婿たらんことを欲して、許されず。伯祖曰く、爾が夢是の如し。蓋し默定せり。豈違う可けんや、と。之を强いて就かしむ。後累年猶怏怏たり。陳夫人賢德家に宜しくして、夫婦偕に老い、封を大國に享けて、子孫相繼ぐ。豈偶然ならんや。

叔祖寺丞有知人之鑒、常謂文簡公公輔之器。文簡公爲著作佐郎時。賈文元尙少。一日侍叔祖坐曰、某昨夜夢坐此。有一人乘驢而來、索紙寫門狀、復乘驢而去。坐中有一人指之曰、此將來宰相也。頃之、文簡公乘驢而來、索紙寫門狀、復登驢而去(徐本去作出。)。正如所說之夢。賈文元曰、程六當爲宰相。歎羨不已。叔祖謂曰、爾無羨彼。爾作相當(徐本無當字。)在先。及文簡公爲兩制、賈方小官。及參大政、風望傾朝。衆謂、旦夕爰立。俄以事罷去。比三易藩郡、而賈已登庸、方拜使相。雖古之精於術者、無以過也。
【読み】
叔祖寺丞人を知るの鑒有り、常に文簡公は公輔の器なりと謂う。文簡公著作佐郎時爲り。賈文元尙少し。一日叔祖に侍して坐して曰く、某昨夜夢に此に坐す。一人有って驢に乘って來りて、紙を索めて門狀を寫し、復驢に乘って去る。坐中一人有って之を指して曰く、此れ將來の宰相なり、と。頃くあって、文簡公驢に乘って來りて、紙を索めて門狀を寫し、復驢に登って去る(徐本去を出に作る。)。正に說く所の夢の如し。賈文元曰く、程六當に宰相と爲るべし、と。歎羨すること已まず。叔祖謂いて曰く、爾彼を羨むこと無かれ。爾相と作ること當に(徐本當の字無し。)先に在るべし、と。文簡公兩制と爲るに及んで、賈方小官なり。大政に參するに及んで、風望朝を傾く。衆謂えらく、旦夕爰に立たん、と。俄に事を以て罷去せらる。三たび藩郡を易うるに比んで、賈已に登庸せられて、方に拜して相たらしむ。古の術に精しき者と雖も、以て過ぐること無し。

叔祖寺丞年四十、謂家人曰、吾明年死矣。居數月、又指堂前屋曰、吾去死、如隔此屋矣。又數月指室中牕曰、吾之死、止如隔此紙爾。未幾而卒。叔祖多才藝。與人會射、發矢能如其意。常從主人之後、主人中則亦中、主人遠則亦遠。不差尺寸。
【読み】
叔祖寺丞年四十、家人に謂いて曰く、吾れ明年死せん、と。居ること數月にして、又堂前の屋を指して曰く、吾れ死し去るは、此の屋を隔つるが如し、と。又數月にして室中の牕を指して曰く、吾が死は、止此の紙を隔つるが如きのみ、と。未だ幾ならずして卒す。叔祖才藝多し。人と會射するに、矢を發つこと能く其の意の如くす。常に主人の後に從って、主人中つれば則ち亦中つ、主人遠るれば則ち亦遠る。尺寸を差えず。

伯祖殿直喜施而與人周。一日苦寒、有儒生造門。卽持綿袴與之。其人大驚曰、何以知我無袴也。蓋於遊從閒(徐本閒作問。)、常察其不足也。至晩年、家資懸罄、而爲義不衰。有儒生以講說醵錢。時家無所有。偶伯祖母有珠子裝抹胸、賣得十三千、盡以與之。
【読み】
伯祖殿直施すことを喜んで人に與うること周し。一日苦寒、儒生有りて門に造る。卽ち綿袴を持して之を與う。其の人大いに驚いて曰く、何を以てか我が袴無きことを知る、と。蓋し遊從の閒に(徐本閒を問に作る。)於て、常に其の不足を察す。晩年に至って、家資懸罄[けんけい]なれども、義を爲して衰えず。儒生有りて講說を以て錢を醵[きょ]す。時に家有る所無し。偶々伯祖母珠子の胸に裝抹する有り、賣って十三千を得て、盡く以て之に與う。

明道先生宰晉城時、有富民張氏子、其父死。未幾、晨起、有老父立於門外。問之、曰、我汝父也。今來就汝居。具陳其由。張氏子驚疑莫測、相與詣縣、請辨之。老父曰、業醫遠出治疾。而妻生子。貧不能養、以與張氏。某年某月某日某人抱去。某人某人見之。先生謂曰、歲久矣。爾何記之詳也。老父曰、某歸而知之、則書於藥法策後。因懷中取策進之。其所記曰、某年月日、某人抱兒與張三翁家。先生問張氏子曰、爾年幾何。曰、三十六矣。爾父而在、年幾何。曰、七十六矣。謂老父曰、是子之生、其父年纔四十人。已謂之三翁乎。老父驚駭服罪。
【読み】
明道先生晉城に宰たる時、富民張氏が子有り、其の父死す。未だ幾ならずして、晨に起きれば、老父有りて門外に立つ。之を問えば、曰く、我が汝が父なり。今來りて汝が居に就く、と。具に其の由を陳ぶ。張氏が子驚き疑って測ること莫くして、相與に縣に詣って、之を辨ぜんことを請う。老父曰く、醫を業として遠く出て疾を治す。而して妻子を生む。貧しくして養うこと能わず、以て張氏に與う。某の年某の月某の日某の人抱き去る。某の人某の人之を見る、と。先生謂いて曰く、歲久し。爾何ぞ記するの詳らかなる、と。老父曰く、某歸って之を知って、則ち藥法の策の後に書す、と。因りて懷中より策を取って之を進む。其の所記に曰く、某の年月日、某の人兒を抱いて張三翁の家に與う、と。先生張氏が子に問いて曰く、爾年幾何ぞ、と。曰く、三十六なり、と。爾が父而も在らば、年幾何ぞ、と。曰く、七十六なり、と。老父に謂いて曰く、是の子の生まるるとき、其の父年纔かに四十の人なり。已に之を三翁と謂わんや、と。老父驚駭して罪に服す。

明道主簿上元時、謝師直爲江東轉運判官。師宰來省其兄。嘗從明道假公僕掘桑白皮。明道問之曰、漕司役卒甚多。何爲不使。曰、本草說、桑白皮出土見日者殺人。以伯淳所使人不欺、故假之爾。師宰之相信如此。謝師直尹洛時、嘗談經與鄙意不合。因曰、伯淳亦然。往在上元、某說春秋、猶時見取。至言易、則皆曰、非是。頤謂曰、二君皆通易者也。監司談經、而主簿乃曰、非是。監司不怒、主簿敢言。非通易能如是乎。
【読み】
明道上元に主簿たる時、謝師直江東の轉運判官爲り。師宰來りて其の兄を省る。嘗て明道に從って公の僕を假りて桑白皮を掘らしめんという。明道之を問いて曰く、漕司役卒甚だ多し。何爲れぞ使わざる、と。曰く、本草に說く、桑白皮土を出て日を見る者は人を殺す、と。伯淳の使う所の人欺かざらんことを以て、故に之を假るのみ、と。師宰の相信ずること此の如し。謝師直洛に尹たる時、嘗て經を談ずること鄙意と合わず。因りて曰く、伯淳も亦然り、と。往[さき]に上元に在るとき、某春秋を說けば、猶時に取ることを見る。易を言うに至っては、則ち皆曰く、是に非ず、と。頤謂いて曰く、二君は皆易に通ずる者なり。監司經を談じて、主簿乃ち曰く、是に非ず、と。監司怒らず、主簿敢えて言う。易に通ずるに非ずんば能く是の如くんらんや、と。


改葬告少監文
【読み】
改め葬るとき少監に告ぐるの文

維元祐六年辛未二月癸卯、玄孫右承議郎、權司管勾西京國子監、輕車都尉、賜緋魚袋珫、謹遣姪頤就墳所、以酒肴之具、祭告于高祖少監、高祖母京兆太君段氏之靈。秦人之俗、以開發塚墓爲事。近年以來、太評事、四評事墓繼遭盜劫。少師墓亦嘗有穴、固不知完否。苟不完矣、理當改厝。幸而尙完、異日之禍、不得不慮。今將改葬少師、而遷公丘封、使後人不知墓之所在、以圖永安。謹具昭告。伏惟鑒饗。
【読み】
維れ元祐六年辛未二月癸卯、玄孫右承議郎、權司管勾西京の國子監、輕車都尉、賜緋魚袋珫、謹んで姪頤をして墳所に就かしめて、酒肴の具を以て、祭って高祖少監、高祖母京兆太君段氏の靈に告す。秦人の俗、塚墓を開發するを以て事とす。近年以來、太評事、四評事の墓繼いで盜劫に遭う。少師の墓も亦嘗て穴有り、固より完きや否やというを知らず。苟も完からずんば、理改め厝[お]く當し。幸いにして尙完くとも、異日の禍、慮らざることを得ず。今將に少師を改め葬って、公の丘封を遷し、後人をして墓の所在を知らざらしめて、以て永安を圖らんとす。謹んで具[の]べて昭らかに告す。伏して惟鑒饗したまえ。


祭席仁叟文
【読み】
席仁叟を祭る文

年月日、河南程頤謹以香醪致奠于亡姊夫奉禮郎席仁叟之靈。自我未冠、與君爲姻。遊從嬉戲、不殊同隊之魚、情好恩義、無異一門之親。知吾心而丹誠相照、信吾道而白首逾新(仁叟晩年見信益篤。)。於聚散之閒、尙不勝於淒慘、況死生之隔、何以喩其悲辛。昔我姊之云亡、望君舍而來奔。悼彼中途之夭逝、各懷哀憤以難伸。表情誠之不替、遂婚姻之重論。於是君之女以女於吾姪、我之息復歸于君門。敦契義之如是。豈淺薄之所存。何其降年不永、訃音遽聞。相去千里、徒增勞於魂夢。逮茲三稔、始獲展於丘墳。宿草雖久、予哀未泯。挈甥女以將歸。敍中懷而告違。淸香一炷、芳醪一卮、君其饗之、當鑒我心之悲。
【読み】
年月日、河南の程頤謹んで香醪を以て亡姊の夫奉禮郎席仁叟の靈に致奠す。我が未だ冠せざる自り、君と姻爲り。遊從嬉戲、同隊の魚に殊ならず、情好恩義、一門の親に異なること無し。吾が心を知って丹誠相照らし、吾が道を信じて白首逾々新たなり(仁叟晩年信ぜらるること益々篤し。)。聚散の閒に於てすら、尙淒慘に勝えず、況んや死生の隔て、何を以てか其の悲辛を喩えん。昔我が姊の云[ここ]に亡ぶるとき、君の舍を望んで來り奔る。彼の中途の夭逝を悼んで、各々哀憤を懷いて以て伸べ難し。情誠の替わらざることを表して、婚姻の重論を遂ぐ。是に於て君の女以て吾が姪に女[めあわ]し、我が息も復君の門に歸がしむ。契義を敦くすること是の如し。豈淺薄の存する所ならんや。何ぞ其れ年を降すこと永からずして、訃音遽に聞うるや。相去ること千里、徒に增々魂夢を勞す。茲の三稔に逮んで、始めて丘墳を展ぶることを獲。宿草久しと雖も、予が哀しみ未だ泯[ほろ]びず。甥女を挈[たづさ]えて以て將に歸せんとす。中懷を敍べて違することを告ぐ。淸香一炷[しゅ]、芳醪一卮[し]、君其れ之を饗けて、當に我が心の悲しみを鑒るべし。


祭張子直文
【読み】
張子直を祭る文

妹夫故尙書虞部員外郎張君子直之靈、嗚呼、與君遊從、歲踰一終。情在睦姻、我於君而旣厚、心存樂善、君於我而彌隆。會則盡合簪之歡、別則有索居之歎。信吾道而白首益堅、知余心而中懷靡閒。君在洛南、我居畿甸。常爲命駕之約、方切離羣之戀。忽承置郵之書、重有婚姻之願。雖稚女之愛憐、感君心之勤眷。遽報諾音、曾未幾月、走介歘來、言君被疾。觀遣辭之甚遽、已驚皇而自失。走十舍之修途、冒如焚之赫日。始及近郊、已聞捐室。撫孤孀而長慟、痛死生之遂隔。
【読み】
妹の夫故の尙書虞部員外郎張君子直の靈、嗚呼、君と遊び從うこと、歲一終を踰う。情睦姻に在って、我れ君に於て旣に厚く、心善を樂しむに存して、君我に於て彌々隆んなり。會うときは則ち合簪の歡を盡くし、別るるときは則ち索居の歎有り。吾が道を信じて白首益々堅く、余が心を知って中懷閒靡し。君は洛南に在り、我は畿甸に居す。常に命駕の約を爲し、方に離羣の戀を切にす。忽ち置郵の書を承り、重ぬるに婚姻の願い有り。稚女の愛憐と雖も、君の心の勤眷を感ず。遽に諾音を報じて、曾て未だ幾月ならざるに、走介歘[たちま]ち來りて、君疾を被ると言う。遣辭の甚だ遽なるを觀て、已に驚皇して自失す。十舍の修途を走って、焚くが如き赫日を冒す。始めて近郊に及べば、已に室を捐[す]つることを聞く。孤孀を撫して長く慟じて、死生の遂に隔つることを痛む。

嗚呼子直、惟君之生、爲善是力。臨官政有慈惠幹濟之稱、居郷里推謹厚淳和之德。謂所享之宜長。胡降衷之莫測。祐薄命短、人之所悲。母老子幼。禍兮何極。雖道路以猶嗟。宜親朋之共惜。何君命之若斯、俾我心之重衋。羈旅之次、肴羞粗飾。惟君之靈、監斯誠而來格。
【読み】
嗚呼子直、惟君の生、善をすること是れ力む。官政に臨んで慈惠幹濟の稱有り、郷里に居して謹厚淳和の德を推す。享くる所宜しく長かるべしと謂えり。胡ぞ衷を降すこと測ること莫き。祐薄く命短きは、人の悲しむ所。母老い子幼し。禍何ぞ極まらん。道路と雖も以て猶嗟く。宜なるかな親朋の共に惜しめること。何ぞ君が命の斯の若くにして、我が心をして重く衋[いた]ましむる。羈旅の次、肴羞粗飾す。惟君の靈、斯の誠を監て來格せよ。


祭四十一郎文
【読み】
四十一郎を祭る文

叔父頤令昂具酒肴(徐本肴作餚。)致祭于姪四十一郎之靈。嗚呼、乃祖乃父、世積慶善、而汝兄弟姊妹皆不克壽。天造差忒、至如是乎。惟汝資稟善和修謹、無子弟之過期。汝有成、而遽死耶。吾方以罪戾、竄縶遠方。生不獲視汝疾、死不獲撫汝柩、冤痛之深、衷腸如割。吾知汝有未伸之志、抱無窮之恨。吾當(徐本當作得。)致力慰爾心於泉下、又汝婦盛年、自今當待之加厚。冀其安室。嗣子循良、今已可見。當敎誨之、期於成立、則汝爲有後矣。此外吾無以致其力矣。嗚呼、吾將七十。望汝收我、而我反哭汝。天乎、冤哉。
【読み】
叔父頤昂をして酒肴(徐本肴を餚に作る。)を具えて姪四十一郎の靈を祭ることを致さしむ。嗚呼、乃の祖乃の父、世々慶善を積んで、汝の兄弟姊妹皆克く壽からず。天差忒を造すこと、是の如くなるに至れるか。惟汝が資稟善く和して修め謹んで、子弟の期を過ぐる無し。汝成ること有って、遽に死せるか。吾れ方に罪戾を以て、遠方に竄縶[ざんちゅう]せらる。生きて汝の疾を視ることを獲ず、死して汝の柩を撫することを獲ず、冤痛の深き、衷腸割けるが如し。吾れ知んぬ、汝未だ伸べざるの志有って、無窮の恨みを抱かんことを。吾れ當に(徐本當を得に作る。)力を致して爾が心を泉下に慰するべく、又汝が婦盛年、今自り當に之に待すること加々厚くすべし。冀わくは其れ室を安んぜん。嗣ぐ子循良、今已に見る可し。之を敎誨して、成立を期するに當たっては、則ち汝後有りとす。此の外吾れ以て其の力を致すこと無し。嗚呼、吾れ將に七十にならんとす。汝我を收めんことを望んで、我れ反って汝を哭す。天なるかな、冤なるかな。


祭李邦直文
【読み】
李邦直を祭る文

嗚呼、惟公世推文章、位登丞輔。簡編見其才華、廊廟存其步武。固不待誄而後知也。自與公別于茲九年、旣升沉之異迹、望履舄以無緣。惟期與公掛冠之後、居洛之濱、葛巾藜杖、日以相親。何志願之未諧、遂音容之永隔。追念平昔、悲辛塡臆。嗚呼、哀哉、頤也少服公名、晩識公面。重以姻媾、始終異眷。感懷知(徐本知作如。)遇、丹誠莫見。一慟靈筵、聊伸薄奠。
【読み】
嗚呼、惟れ公世文章を推し、位丞輔に登る。簡編其の才華を見し、廊廟其の步武を存す。固に誄[るい]を待って而して後に知るにはあらず。公と別れて自り茲に九年、旣に升沉迹を異にして、履舄を望むに以て緣無し。惟期す、公と冠を掛けるの後、洛の濱に居して、葛巾藜杖、日に以て相親しまんことを。何ぞ志願未だ諧[かな]わずして、遂に音容の永く隔たる。平昔を追念して、悲辛臆に塡つ。嗚呼、哀しいかな、頤少くして公の名に服し、晩に公の面を識る。重ぬるに姻媾を以てして、始終眷[かえり]みること異なり。感懷知(徐本知を如に作る。)遇、丹誠見ること莫し。一たび靈筵に慟じて、聊か薄奠を伸ぶ。


祭李通直文(先生之婿。)
【読み】
李通直を祭る文(先生の婿。)

嗚呼、余周流天下、閱人多矣。求其忠孝仁厚如子者幾希。宜得其壽。而遽死耶。余老矣。有賴於子、而反哭於子。何其酷邪。薄奠致誠。尙其來享。
【読み】
嗚呼、余天下に周流して、人を閱ること多し。其の忠孝仁厚子の如き者を求むるに幾ど希なり。宜しく其の壽を得るべし。而るに遽に死するや。余老いたり。子に賴むこと有って、反って子を哭す。何ぞ其れ酷なるや。薄奠誠を致す。尙わくは其れ來り享けよ。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)