二程全書卷之二  遺書二先生語第二上

元豐己未呂與叔東見二先生語
【読み】
元豐己未、呂與叔東のかた二先生に見えしときの語

古不必驗。今之所患、止患不得爲、不患不能爲。正。
【読み】
古は必ずしも驗[ため]さず。今の患うる所は、止[ただ]爲すことを得ざることを患え、爲すこと能わざることを患えず。正。

居處恭、執事敬、與人忠、此是徹上徹下語。聖人元無二語。明。
【読み】
居處恭しく、事を執ること敬に、人と與にするに忠あるは、此れ是れ徹上徹下の語。聖人元二語無し。明。

一人之心卽天地之心(心一作體。)、一物之理卽萬物之理、一日之運卽一歲之運。正。
【読み】
一人の心は卽ち天地の心(心は一に體に作る。)、一物の理は卽ち萬物の理、一日の運は卽ち一歲の運。正。

志道懇切、固是誠意。若迫切不中理、則反爲不誠。蓋實理中自有緩急、不容如是之迫。觀天地之化乃可知。正。
【読み】
道に志すこと懇切なるは、固に是れ誠意なり。若し迫切にして理に中らざるときは、則ち反って誠あらずと爲す。蓋し實理の中自づから緩急有り、是の如く迫る容[べ]からず。天地の化を觀て乃ち知る可し。正。

聖人用意深處、全在繫辭、詩・書乃格言。明。
【読み】
聖人意を用うるの深き處は、全く繫辭に在り、詩・書は乃ち格言なり。明。

古之學者、皆有傳授。如聖人作經、本欲明道。今人若不先明義理、不可治經。蓋不得傳授之意云爾。如繫辭本欲明易。若不先求卦義、則看繫辭不得。
【読み】
古の學者は、皆傳授有り。聖人經を作るが如き、本道を明らかにせんと欲す。今人若し先づ義理を明らかにせずんば、經を治むる可からず。蓋し傳授の意を得ずと爾か云わん。繫辭の如き本易を明らかにせんと欲す。若し先づ卦の義を求めずんば、則ち繫辭を看ること得じ。

觀易須看時、然後觀逐爻之才。一爻之閒、常包涵數意。聖人常取其重者爲之辭。亦有易中言之已多、取其未嘗言者、亦不必重事。又有且言其時、不及其爻之才、皆臨時參考。須先看卦、乃看得繫辭。
【読み】
易を觀るは須く時を看るべく、然して後に逐爻の才を觀よ。一爻の閒、常に數意を包涵す。聖人常に其の重き者を取りて之が辭を爲[つく]る。亦易中之を言うこと已に多きこと有れば、其の未だ嘗て言わざる者を取りて、亦必ずしも事を重んぜず。又且つ其の時を言いて、其の爻の才に及ばざること有れば、皆時に臨みて參考せよ。須く先づ卦を看るべく、乃ち繫辭を看得ん。

有德者、得天理而用之。旣有諸己、所用莫非中理。知巧之士、雖不自得、然才知稍高、亦能窺測見其一二、得而用之、乃自謂泄天機。若平心用之、亦莫不中理。但不有諸己、須用知巧、亦有(元本無有字。)反失之。如蘇・張之類。
【読み】
有德の者は、天理を得て之を用う。旣に諸を己に有すれば、用うる所理に中るに非ざること莫し。知巧の士は、自得せずと雖も、然れども才知稍[やや]高ければ、亦能く窺い測りて其の一二を見て、得て之を用い、乃ち自ら天機を泄らすと謂う。若し平心に之を用いば、亦理に中らざること莫からん。但諸を己に有せざるときは、須く知巧を用いば、亦反って之を失すること有(元本有の字無し。)るべし。蘇・張が類の如し。

敎人之術、若童牛之牿。當其未能觸時、已先制之、善之大者。其次、則豶豕之牙。豕之有牙、旣已難制。以百方制之、終不能使之改。惟豶其勢、則性自調伏、雖有牙亦不能爲害。如有不率敎之人、却須置其檟楚。別以道格其心、則不須檟楚、將自化矣。
【読み】
人を敎うるの術は、童牛の牿[こく]の若し。其の未だ觸れること能わざるの時に當たりて、已に先づ之を制するは、善の大なる者なり。其の次は、則ち豕の牙を豶[ふん]す。豕の牙有るは、旣已に制し難し。百方を以て之を制すれども、終に之をして改めしむること能わず。惟其の勢を豶すれば、則ち性自づから調伏して、牙有りと雖も亦害を爲すこと能わず。如し敎に率わざるの人有らば、却って其の檟楚[かそ]を置くことを須[もち]う。別に道を以て其の心を格[ただ]すときは、則ち檟楚を須いずして、將に自ら化せんとす。

事君須體納約自牖之意。人君有過、以理開諭之、旣不肯聽、雖當救止、於此終不能囘。却須求人君開納處進說。牖乃開明處。如漢祖欲廢太子、叔孫通言嫡庶根本、彼皆知之、旣不肯聽矣、縱使能言、無以易此。惟張良知四皓素爲漢祖所敬、招之使事太子、漢祖知人心歸太子、乃無廢立意。及左師觸龍事、亦相類。
【読み】
君に事うるときは須く約を納るること牖[まど]自りするの意を體すべし。人君過有るに、理を以て之を開諭すれば、旣に肯えて聽かず、當に救止すべきと雖も、此に於て終に囘すること能わず。却って須く人君開き納るる處を求めて進み說くべし。牖は乃ち開明の處。漢祖太子を廢せんと欲するが如き、叔孫通嫡庶の根本を言えども、彼れ皆之を知りて、旣に肯えて聽かず、縱使[たと]い能く言うとも、以て此を易えること無し。惟張良のみ四皓[しこう]素より漢祖の爲に敬せらるるを知って、之を招いて太子に事えしむれば、漢祖人心の太子に歸することを知って、乃ち廢立の意無し。及び左師觸龍の事も、亦相類す。

天下善惡皆天理。謂之惡者非本惡。但或過或不及便如此。如楊・墨之類。明。
【読み】
天下の善惡皆天理。之を惡と謂う者は本惡に非ず。但或は過、或は不及、便ち此の如し。楊・墨が類の如し。明。

仁義禮智信五者、性也。仁者、全體。四者、四支。仁、體也。義、宜也。禮、別也。智、知也。信、實也。
【読み】
仁義禮智信の五つの者は、性なり。仁は、全體。四つの者は、四支。仁は、體なり。義は、宜なり。禮は、別なり。智は、知なり。信は、實なり。

學者全體此心、學雖未盡、若事物之來、不可不應。但隨分限應之、雖不中、不遠矣。
【読み】
學者全く此の心を體せば、學未だ盡くさずと雖も、事物の來の若きは、應ぜずんばある可からず。但分限に隨いて之に應ぜば、中らずと雖も、遠からじ。

學者須敬守此心、不可急迫。當栽培深厚、涵泳於其閒、然後可以自得。但急迫求之、只是私己。終不足以達道。
【読み】
學者須く此の心を敬守すべく、急迫にす可からず。當に栽培深厚にして、其の閒に涵泳すべく、然して後に以て自得す可し。但急迫に之を求むれば、只是れ私己なり。終に以て道に達するに足らず。

學者全要識時。若不識時、不足以言學。顏子陋巷自樂、以有孔子在焉。若孟子之時、世旣無人。安可不以道自任。
【読み】
學者全く時を識らんことを要す。若し時を識らずんば、以て學を言うに足らず。顏子陋巷にして自ら樂しむは、孔子焉に在すこと有るを以てなり。孟子の時の若きは、世旣に人無し。安んぞ道を以て自任せざる可けんや。

訂頑一篇、意極完備。乃仁之體也。學者其體此意、令有諸己、其地位已高。到此地位、自別有見處、不可窮高極遠。恐於道無補也。明。
【読み】
訂頑の一篇、意極めて完備す。乃ち仁の體なり。學者其れ此の意を體して、諸を己に有せしむれば、其の地位已に高からん。此の地位に到れば、自づから別に見處有り、高きを窮め遠きを極む可からず。恐らくは道に於て補い無けん。明。

醫書言手足痿痺爲不仁。此言最善名狀。仁者、以天地萬物爲一體、莫非己也。認得爲己、何所不至。若不有諸己、自不與己相干。如手足不仁、氣已不貫、皆不屬己。故博施濟衆、乃聖之功用。仁至難言。故止曰己欲立而立人、己欲達而達人、能近取譬、可謂仁之方也已。欲令如是觀仁、可以得仁之體。明。
【読み】
醫書に手足痿痺するを言いて不仁と爲す。此の言最も善く名狀す。仁者は、天地萬物を以て一體と爲し、己に非ざること莫し。認め得て己と爲らば、何ぞ至らざる所あらん。若し諸を己に有さざれば、自ら己と相干[かか]わらず。手足不仁なるが如きは、氣已に貫かず、皆己に屬せず。故に博く施して衆を濟うは、乃ち聖の功用なり。仁は至って言い難し。故に止[ただ]己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す、能く近く取り譬うるを、仁の方と謂う可きのみと曰う。是の如く仁を觀せしめて、以て仁の體を得可きことを欲す。明。

博施濟衆、云必也聖乎者、非謂仁不足以及此。言博施濟衆者乃功用也。明。
【読み】
博く施して衆を濟うは、必ず聖かと云う者は、仁は以て此に及ぶに足らずと謂うには非ず。博く施して衆を濟うは乃ち功用なることを言うなり。明。

嘗喩以心知天、猶居京師往長安、但知出西門便可到長安。此猶是言作兩處。若要誠實、只在京師、便是到長安。更不可別求長安。只心便是天。盡之便知性、知性便知天(一作性便是天。)。當處便認取、更不可外求。
【読み】
嘗て喩す、心を以て天を知るは、猶京師に居て長安に往くがごとく、但西門より出づれば便ち長安に到る可きことを知る、と。此れ猶是れ言いて兩處と作すがごとし。若し要するに誠實なれば、只京師に在りても、便ち是れ長安に到る。更に別に長安を求むる可からず。只心は便ち是れ天なり。之を盡くせば便ち性を知り、性を知れば便ち天を(一作に性は便ち是れ天なるを。)知る。當たる處便ち認取し、更に外に求むる可からず。

窮理盡性以至於命三事一事竝了。元無次序。不可將窮理作知之事。若實窮得理、卽性命亦可了。明。
【読み】
理を窮め性を盡くし以て命に至るの三事は一事に竝了す。元次序無し。理を窮むるを將[もっ]て知の事と作す可からず。若し實に理を窮め得ば、卽ち性命も亦了す可し。明。

學者識得仁體、實有諸己、只要義理栽培。如求經義、皆栽培之意。
【読み】
學者仁の體を識得して、實に諸を己に有せんとせば、只義理栽培せんことを要す。經義を求むるが如きは、皆栽培するの意なり。

世間有鬼神憑依言語者、蓋屡見之。未可全不信。此亦有理。莫見乎隱、莫顯乎微而已。嘗以所求語劉絢、其後以其思索相示。但言與不是、元未嘗告之。近來求得稍親。
【読み】
世間鬼神憑依して言語する者有り、蓋し屡々之を見る。未だ全くは信ぜずんばある可からず。此れ亦理有り。隱より見[あらわ]れたるは莫く、微より顯らかなるは莫きのみ。嘗て求むる所を以て劉絢[りゅうけん]に語りて、其の後其の思索を以て相示す。但言不是に與れば、元より未だ嘗て之に告げず。近來求め得ること稍親[ちか]し。

昔受學於周茂叔、每令尋顏子・仲尼樂處。所樂何事。
【読み】
昔學を周茂叔に受けしとき、每[つね]に顏子・仲尼の樂しむ處を尋ねしむ。樂しむ所は何事ぞ、と。

眞知與常知異。常見一田夫、曾被虎傷。有人說虎傷人、衆莫不驚、獨田夫色動異於衆。若虎能傷人、雖三尺童子莫不知之。然未嘗眞知。眞知須如田夫乃是。故人知不善而猶爲不善、是亦未嘗眞知。若眞知、決不爲矣。
【読み】
眞に知ると常に知ると異なり。常に見る、一りの田夫、曾て虎に傷らる。人有りて虎人を傷ると說けば、衆驚かずということ莫けれども、獨り田夫のみ色動くこと衆に異なることを。虎の能く人を傷るが若きは、三尺の童子と雖も之を知らざる莫し。然れども未だ嘗て眞に知らず。眞に知るは須く田夫の如くにして乃ち是なるべし。故に人不善を知りて而して猶不善をするは、是れ亦未だ嘗て眞に知らざるなり。眞に知るが若きは、決してせざるなり。

蒲人要盟事、知者所不爲。況聖人乎。果要之、止不之衛可也。盟而背之、若再遇蒲人、其將何辭以對。
【読み】
蒲人盟を要する事は、知者もせざる所。況んや聖人をや。果たして之を要せば、止衛に之[ゆ]かずして可なり。盟いて之に背かば、若し再び蒲人に遇うとき、其れ何の辭を將いて以て對せん。

嘗言鄭戩作縣、定民陳氏爲里正。旣暮、有姓陳人乞分居。戩立笞之曰、安有朝定里正、而夕乞分居。旣而察之、乞分居者、非定里正也。今夫赤子未能言、其志意嗜欲人所未知、其母必不能知之、然不至誤認其意者、何也。誠心愛敬而已。若使愛敬其民如其赤子、何錯繆之有。故心誠求之、雖不中、不遠矣。
【読み】
嘗て言う、鄭戩[ていせん]縣と作りて、民の陳氏を定めて里正と爲す。旣に暮れて、姓陳という人有りて分居を乞う。戩立[たちどころ]に之を笞うちて曰く、安んぞ朝に里正を定めて、夕に分居を乞うこと有らんや、と。旣にして之を察するに、分居を乞う者、定めし里正に非ず。今夫れ赤子未だ言うこと能わず、其の志意嗜欲人未だ知らざる所、其の母も必ず之を知ること能わず、然れども其の意を誤り認むるに至らざる者は、何ぞや。誠心に愛敬すればのみ。若し其の民を愛敬すること其の赤子の如くならしめば、何の錯繆することか之れ有らん。故に心に誠に之を求むれば、中らずと雖も、遠からじ、と。

欲知得與不得、於心氣上驗之。思慮有得、中心悅豫、沛然有裕者、實得也。思慮有得、心氣勞耗者、實未得也。强揣度耳。嘗有人言、比因學道、思慮心虛。曰、人之血氣、固有虛實、疾病之來、聖賢所不免。然未聞自古聖賢因學而致心疾者。
【読み】
得ると得ざるとを知らんと欲せば、心氣の上に於て之を驗せよ。思慮得ること有りて、中心悅豫して、沛然として裕かなること有る者は、實に得るなり。思慮得ること有りても、心氣勞耗する者は、實に未だ得ざるなり。强いて揣度[したく]するのみ。嘗て人有り言く、比[このごろ]道を學ぶに因り、思慮して心虛なり、と。曰く、人の血氣は、固より虛實有り、疾病の來るは、聖賢も免れざる所なり。然れども未だ古自り聖賢學に因りて心疾を致す者を聞かず、と。

學者須先識仁。仁者、渾然與物同體。義・禮・知・信皆仁也。識得此理、以誠敬存之而已。不須防檢、不須窮索。若心懈則有防、心苟不懈、何防之有。理有未得。故須窮索。存久自明、安待窮索。此道與物無對、大不足以名之。天地之用皆我之用。孟子言、萬物皆備於我。須反身而誠、乃爲大樂。若反身未誠、則猶是二物有對、以己合彼、終未有之、(一本下更有未有之三字。)又安得樂。訂頑意思、乃備言此體。以此意存之、更有何事。必有事焉、而勿正、心勿忘、勿助長。未嘗致纖毫之力、此其存之之道。若存得、便合有得。蓋良知良能元不喪失、以昔日習心未除、却須存習此心。久則可奪舊習。此理至約。惟患不能守。旣能體之而樂、亦不患不能守也。明。
【読み】
學者は須く先ず仁を識るべし。仁は、渾然として物と體を同じくす。義・禮・知・信も皆仁なり。此の理を識得して、誠敬を以て之を存するのみ。防檢することを須いず、窮索することを須いず。若し心懈るときは則ち防ぐこと有り、心苟も懈らずんば、何の防ぐことか之れ有らん。理未だ得ざること有り。故に窮索するこを須う。存すること久しくして自づから明らかならば、安んぞ窮索することを待たん。此れ道と物と對無くして、大いに以て之に名づくるに足らず。天地の用は皆我が用なり。孟子言く、萬物皆我に備わる、と。須く身に反りて誠ありて、乃ち大いに樂しむと爲すべし。若し身に反りて未だ誠あらざるときは、則ち猶是れ二物對有りて、己を以て彼に合すること、終に未だ之れ有らず、(一本に下に更に未有之の三字有り。)又安んぞ樂しむことを得ん。訂頑の意思、乃ち備に此の體を言う。此の意を以て之を存せば、更に何事か有らん。必ず事とすること有り、而して正[あてて]すること勿かれ、心に忘るること勿かれ、長ずるを助くること勿かれ、と。未だ嘗て纖毫の力を致さざるは、此れ其れ之を存するの道なり。若し存し得ば、便ち得ること有る合[べ]し。蓋し良知良能は元より喪失せず、昔日の習心を以て未だ除かず、却って須く此の心を存習すべし。久しきときは則ち舊習を奪う可し。此の理至って約なり。惟守ること能わざることを患う。旣に能く之を體して樂しめば、亦守ること能わざることを患えざるなり。明。

事有善有惡、皆天理也。天理中、物須有美惡。蓋物之不齊、物之情也。但當察之。不可自入於惡、流於一物。明。
【読み】
事に善有り惡有り、皆天理なり。天理の中、物須く美惡有るべし。蓋し物の齊しからざるは、物の情なり。但當に之を察すべし。自ら惡に入り、一物に流るる可からず。明。

昔見上稱介甫之學、對曰、王安石之學不是。上愕然問曰、何故。對曰、臣不敢遠引、止以近事明之。臣嘗讀詩、言周公之德云、公孫碩膚、赤舄几几。周公盛德、形容如是之盛。如王安石、其身猶不能自治、何足以及此。明。(○一本此下云、又嘗稱介甫。顥對曰、王安石博學多聞則有之。守約則未也。)
【読み】
昔上介甫が學を稱するを見て、對えて曰く、王安石が學は是[よ]からず、と。上愕然として問いて曰く、何の故ぞ、と。對えて曰く、臣敢えて遠く引かず、止近き事を以て之を明かさん。臣嘗て詩を讀みて、周公の德を言いて云う、公碩膚を孫[ゆづ]り、赤舄[せき]几几たり、と。周公の盛德、是の如く盛んなることを形容す。王安石が如きは、其の身すら猶自ら治むること能わず、何ぞ以て此に及ぶに足らん、と。明。(○一本に此の下に云う、又嘗て介甫を稱す。顥[こう]對えて曰く、王安石博學多聞は則ち之れ有り。約を守ることは則ち未だし、と。)

聖人卽天地也。天地中何物不有。天地豈嘗有心揀別善惡。一切涵容覆載。但處之有道爾。若善者親之、不善者遠之、則物不與者多矣。安得爲天地。故聖人之志、止欲老者安之、朋友信之、少者懷之。
【読み】
聖人は卽ち天地なり。天地の中何物か有せざらん。天地豈嘗て善惡を揀別[かんべつ]するに心有らんや。一切涵容覆載す。但之に處すること道有るのみ。若し善なる者は之を親しみ、不善なる者は之を遠ざけば、則ち物與せざる者多からん。安んぞ天地爲ることを得ん。故に聖人の志は、止老者をば之を安んじ、朋友をば之を信じ、少者をば之を懷けんと欲するのみ。

死生存亡皆知所從來、胸中瑩然無疑。止此理爾。孔子言、未知生、焉知死。蓋略言之。死之事卽生是也。更無別理。明。
【読み】
死生存亡皆從來する所を知らば、胸中瑩然[えいぜん]として疑無し。止此れ理のみ。孔子言う、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。蓋し略して之を言えり。死の事は卽ち生是れなり。更に別理無し。明。

言體天地之化、已剩一體字。只此便是天地之化、不可對此箇別有天地。明。
【読み】
天地の化を體すと言うは、已に一の體の字を剩[あま]す。只此れ便ち是れ天地の化は、此れ箇の別に天地有るに對す可からず。明。

胡安定在湖州置治道齋、學者有欲明治道者、講之於中。如治兵・治民・水利・算數之類。嘗言劉彝善治水利。後果爲政、皆興水利有功。
【読み】
胡安定湖州に在るとき治道齋を置き、學者治道を明らかにせんと欲する者有れば、之を中に講ず。兵を治め、民を治め、水利、算數の類の如し。嘗て言う、劉彝善く水利を治む、と。後果たして政を爲して、皆水利を興して功有り。

睟面盎背、皆積盛致然。四體不言而喩、惟有德者能之。
【読み】
面に睟[あらわ]れ背に盎[あふ]るるは、皆積盛にして然ることを致す。四體言わずして喩うは、惟有德の者のみ之を能くす。

大學乃孔氏遺書。須從此學則不差。明。
【読み】
大學は乃ち孔氏の遺書なり。須く此に從いて學ぶときは則ち差わざるべし。明。

孔子之列國、答聘而已。若有用我者則從之。
【読み】
孔子列國に之くは、聘に答うるのみ。若し我を用うる者有らば則ち之に從わん。

居今之時、不安今之法令、非義也。若論爲治、不爲則已。如復爲之、須於今之法度内處得其當、方爲合義。若須更改而後爲、則何義之有。
【読み】
今の時に居て、今の法令を安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を爲すことを論ぜば、爲さずんば則ち已まん。如し復之を爲さば、須く今の法度の内に於て其の當を處し得べく、方に義に合うと爲す。若し更改するを須[ま]ちて後に爲さば、則ち何の義ということか之れ有らん。

孟子言、養心莫善於寡欲。欲寡則心自誠。荀子言、養心莫善於誠。旣誠矣、又何養。此已不識誠、又不知所以養。
【読み】
孟子言く、心を養うは欲を寡くするより善きは莫し、と。欲寡きときは則ち心自づから誠なり。荀子が言く、心を養うは誠より善きは莫し、と。旣に誠ならば、又何をか養わん。此れ已に誠を識らず、又養う所以を知らず。

賢者惟知義而已。命在其中。中人以下、乃以命處義。如言求之有道、得之有命、是求無益於得、知命之不可求。故自處以不求。若賢者則求之以道、得之以義、不必言命。
【読み】
賢者は惟義を知るのみ。命其の中に在り。中人以下は、乃ち命を以て義に處す。之を求むるに道有り、之を得るに命有り、是れ求むるも得るに益無しと言うが如きは、命の求む可からざることを知る。故に自ら處するに求めざるを以てす。賢者の若きは則ち之を求むるに道を以てし、之を得るに義を以てして、必ずしも命を言わず。

克己則私心去、自然能復禮。雖不學文、而禮意已得。明。
【読み】
己に克つときは則ち私心去って、自然に能く禮に復る。文を學ばずと雖も、禮意已に得。明。

今之監司、多不與州縣一體。監司專欲伺察、州縣專欲掩蔽。不若推誠心與之共治。有所不逮。可敎者敎之、可督者督之、至於不聽、擇其甚者去一二、使足以警衆可也。
【読み】
今の監司、多くは州縣と一體ならず。監司は專ら伺察せんことを欲し、州縣は專ら掩蔽せんことを欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮ばざる所有らん。敎う可き者は之を敎え、督す可き者は之を督して、聽かざるに至って、其の甚だしき者を擇びて一二を去り、以て衆を警むるに足らしめば可なり。

詩・書載道之文、春秋聖人之用。(一本此下云、五經之有春秋、猶法律之有斷例也。律令惟言其法。至於斷例則始見其法之用也。)詩・書如藥方、春秋如用藥治疾。聖人之用全在此書。所謂不如載之行事深切著明者也。有重疊言者、如征伐盟會之類。蓋欲成書、勢須如此。不可事事各求異義。但一字有異、或上下文異、則義須別。
【読み】
詩・書は道を載する文にして、春秋は聖人の用なり。(一本に此の下に云う、五經の春秋有るは、猶法律の斷例有るがごとし。律令は惟其の法を言う。斷例に至っては則ち始めて其の法の用を見るなり。)詩・書は藥方の如く、春秋は藥を用いて疾を治むるが如し。聖人の用は全く此の書に在り。謂う所の之を行事に載することの深切著明なるには如かずという者なり。重疊して言う者有り、征伐盟會の類の如し。蓋し書を成さんと欲せば、勢い須く此の如くなるべし。事事各々異義を求む可からず。但一字異なること有り、或は上下の文異なるときは、則ち義須く別つべし。

君實修資治通鑑、至唐事。正叔問曰、敢與太宗・肅宗正簒名乎。曰、然。又曰、敢辯魏徵之罪乎。曰、何罪。魏徵事皇太子、太子死、遂忘戴天之讐而反事之、此王法所當誅。後世特以其後來立朝風節而掩其罪。有善有惡、安得相掩。曰、管仲不死子糾之難而事桓公。孔子稱其能不死、曰、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆而莫之知也。與徵何異。曰、管仲之事與徵異。齊侯死、公子皆出。小白長而當立、子糾少亦欲立。管仲奉子糾奔魯、小白入齊、旣立、仲納子糾以抗小白。以少犯長、又所不當立、義已不順。旣而小白殺子糾。管仲以所事言之則可死、以義言之則未可死。故春秋書齊小白入於齊。以國繫齊、明當立也。又書公伐齊納糾(二傳無子字。)。糾去子、明不當立也。至齊人取子糾殺之、此復繫子者、罪齊大夫旣盟而殺之也。與徵之事全異。
【読み】
君實資治通鑑を修するとき、唐の事に至る。正叔問いて曰く、敢えて太宗・肅宗と簒の名を正すや、と。曰く、然り、と。又曰く、敢えて魏徵が罪を辯ずるや、と。曰く、何の罪かある。魏徵皇太子に事え、太子死して、遂に戴天の讐を忘れて反って之に事うるは、此れ王法の當に誅すべき所なり。後世特[ただ]其の後來朝に立つの風節を以てして其の罪を掩う。善有り惡有り、安んぞ相掩うことを得ん、と。曰く、管仲子糾が難に死せずして桓公に事う。孔子其の能く死せざることを稱して、曰く、豈匹夫匹婦の諒をするや、自ら溝瀆に經[くび]れて之を知ること莫きが若くならんや、と。徵と何ぞ異なる、と。曰く、管仲が事は徵と異なり。齊侯死して、公子皆出づ。小白長にして當に立たんとし、子糾少にして亦立たんと欲す。管仲子糾を奉じて魯に奔り、小白齊に入りて、旣に立ち、仲子糾を納めて以て小白に抗す。少を以て長を犯すは、又當に立つべからざる所にて、義已に順ならず。旣にして小白子糾を殺す。管仲事うる所を以て之を言えば則ち死す可く、義を以て之を言えば則ち未だ死す可からず。故に春秋に齊の小白齊に入ると書す。國を以て齊に繫けるは、當に立つべきことを明らかにするなり。又公齊を伐ちて糾を納ると書す(二傳に子の字無し。)。糾子を去ることは、當に立つべからざることを明らかにするなり。齊人子糾を取[とら]えて之を殺すというに至りて、此れ復子を繫ける者は、齊の大夫旣に盟して之を殺すを罪するなり。徵が事と全く異なり、と。

知・仁・勇三者、天下之逹德、所以行之者一。一則誠也。止是誠實此三者。三者之外、更別無誠。
【読み】
知・仁・勇の三つの者は、天下の逹德、之を行う所以の者は一なり。一とは則ち誠なり。止是れ此の三つの者を誠實にす。三つの者の外に、更に別に誠無し。

孟子才高、學之無可依據。學者當學顏子。入聖人爲近、有用力處。明。
【読み】
孟子は才高くして、之を學ぶも依據す可き無し。學者は當に顏子を學ぶべし。聖人に入ること近しと爲し、力を用うる處有り。明。

若季氏則吾不能、以季・孟之閒待之、季氏强臣、君待之之禮極隆。然非所以待孔子。季・孟之閒、則待之之禮爲至矣。然復曰、吾老矣、不能用也。此孔子不繫待之輕重、特以不用而去。
【読み】
季氏が若きは則ち吾れ能わず、季・孟の閒を以て之を待せんというは、季氏は强臣にて、君之を待するの禮極めて隆[たっと]きなり。然れども孔子を待する所以に非ず。季・孟の閒は、則ち之を待するの禮至れりと爲す。然れども復曰う、吾れ老いたり、用うること能わず、と。此れ孔子待するの輕重に繫からず、特[ただ]用いずというを以て去るのみ。

談經論道則有之、少有及治體者。如有用我者、正心以正身、正身以正家、正家以正朝廷百官、至於天下。此其序也。其閒則又繫用之淺深、臨時裁酌而應之。難執一意。
【読み】
經を談じ道を論ずることは則ち之れ有り、治體に及ぶ者有ること少なし。如し我を用うる者有らば、心を正して以て身を正し、身を正して以て家を正し、家を正して以て朝廷百官を正し、天下に至るは、此れ其の序なり。其の閒は則ち又用うるの淺深に繫けて、時に臨みて裁酌して之に應ぜん。一意を執り難し。

天地之道、常垂象以示人。故曰、貞觀。日月常明而不息。故曰、貞明。
【読み】
天地の道、常に象を垂れて以て人に示す。故に曰く、貞觀、と。日月常に明にして息まず。故に曰く、貞明、と。

學者不必遠求、近取諸身。只明人理、敬而已矣。便是約處。易之乾卦言聖人之學、坤卦言賢人之學、惟言敬以直内、義以方外、敬義立而德不孤。至於聖人、亦止如是、更無別途。穿鑿繫累、自非道理。故有道有理、天人一也。更不分別。浩然之氣、乃吾氣也。養而不害、則塞乎天地。一爲私心所蔽、則欿然而餒、却甚小也。思無邪、無不敬、只此二句、循而行之、安得有差。有差者、皆由不敬不正也。明。
【読み】
學者は必ずしも遠く求めずして、近く身に取る。只人理を明らかにするは、敬のみ。便ち是れ約する處なり。易の乾の卦に聖人の學を言い、坤の卦に賢人の學を言い、惟敬以て内を直くし、義以て外を方にす、敬義立って德孤ならずと言う。聖人に至っても、亦止是の如きにして、更に別途無し。穿鑿繫累するは、自ら道理に非ず。故に道有り理有ることは、天人一なり。更に分別せず。浩然の氣は、乃ち吾が氣なり。養いて害せざるときは、則ち天地に塞[み]つ。一も私心の爲に蔽わるるときは、則ち欿然[かんぜん]として餒え、却って甚だ小さし。思い邪無く、敬せざること無き、只此の二句、循いて之を行わば、安んぞ差うこと有ることを得ん。差うこと有る者は、皆敬せず正しからざるに由る。明。

良能良知、皆無所由。乃出於天、不繫於人。
【読み】
良能良知は、皆由る所無し。乃ち天に出でて、人に繫からず。

德性謂天賦天資。才之美者也。
【読み】
德性は天賦天資を謂う。才の美なる者なり。

凡立言欲涵蓄意思。不使知德者厭、無德者惑。
【読み】
凡そ言を立つるには意思を涵蓄せんことを欲す。德を知る者厭い、德無き者惑わしめず。

且省外事、但明乎善、惟進誠心、其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功。明。
【読み】
且く外事を省いて、但善を明らかにし、惟誠心を進むれば、其の文章中らずと雖も遠からじ。守る所約ならざれば、泛濫して功無し。明。

學者須學文。知道者進德而已。有德則不習無不利。未有學養子而後嫁。蓋先得是道矣。學文之功、學得一事是一事、二事是二事、觸類至於百千、至於窮盡、亦只是學、不是德。有德者不如是。故此言可爲知道者言、不可爲學者言。如心得之、則施於四體、四體不言而喩。譬如學書、若未得者、須心手相須而學。苟得矣、下筆便能書、不必積學。
【読み】
學者は須く文を學ぶべし。道を知る者は德に進むのみ。德有るときは則ち習わざれども利あらざること無し。未だ子を養うことを學びて而して後に嫁ぐは有らず。蓋し先づ是の道を得ればなり。文を學ぶの功は、一事を學び得れば是れ一事、二事は是れ二事、類に觸れて百千に至り、窮め盡くすに至っても、亦只是れ學にして、是れ德ならず。德有る者は是の如くならず。故に此の言は道を知る者の爲に言う可くして、學者の爲に言う可からず。如し心に之を得ば、則ち四體に施して、四體言わずして喩る。譬えば書を學ぶが如き、若し未だ得ざる者は、心手相須[もち]うることを須[ま]って學ぶ。苟[まこと]に得れば、筆を下して便ち能く書して、必ずしも學を積まず。

有有德之言、有造道之言、有述事之言。有德者、止言己分事。造道之言、如顏子言孔子、孟子言堯・舜。止是造道之深、所見如是。
【読み】
德有りの言有り、道に造るの言有り、事を述ぶるの言有り。德有る者は、止己が分の事を言うのみ。道に造るの言は、顏子が孔子を言い、孟子が堯・舜を言うが如し。止是れ道に造ること深くして、見る所是の如し。

所見所期、不可不遠且大。然行之亦須量力有漸。志大心勞、力小任重、恐終敗事。
【読み】
見る所期する所、遠くして且つ大ならずんばある可からず。然れども之を行うには亦須く力を量り漸有るべし。志大に心勞し、力小に任重きは、恐らくは終に事を敗らん。

某接人多矣。不雜者三人。張子厚・邵堯夫・司馬君實。
【読み】
某人に接すること多し。雜ならざる者三人。張子厚・邵堯夫・司馬君實なり。

聖不可知、謂聖之至妙、人所不能測。
【読み】
聖にして知る可からずとは、聖の至妙、人の測ること能わざる所を謂う。

立宗非朝廷之所禁。但患人自不能行之。
【読み】
宗を立つるは朝廷の禁ずる所に非ず。但人自ら之を行うこと能わざることを患う。

立淸虛一大爲萬物之源。恐未安。須兼淸濁虛實乃可言神。道體物不遺、不應有方所。
【読み】
淸虛一大を立てて萬物の源と爲す。恐らくは未だ安からず。須く淸濁虛實を兼ねて乃ち神と言う可し。道は物に體して遺さず、方所有る應[べ]からず。

敎人未見意趣、必不樂學。欲且敎之歌舞。如古詩三百篇、皆古人作之。如關雎之類、正家之始。故用之郷人、用之邦國、日使人聞之。此等詩、其言簡奧、今人未易曉。別欲作詩、略言敎童子灑掃應對事長之節、令朝夕歌之。似當有助。
【読み】
人を敎うるに未だ意趣を見ざれば、必ず學ぶことを樂しまず。且く之に歌舞を敎えんと欲す。古詩三百篇の如きは、皆古人之を作る。關雎の類の如きは、家を正すの始め。故に之を郷人に用い、之を邦國に用いて、日に人をして之を聞かしむ。此れ等の詩は、其の言簡奧にして、今の人未だ曉かし易からず。別に詩を作りて、略[ほぼ]童子に敎うる灑掃應對長に事うるの節を言いて、朝夕之を歌わしめんと欲す。當に助有るべきに似たり。

致知在格物。格、至也。窮理而至於物、則物理盡。
【読み】
知を致むるは物に格るに在り。格は、至るなり。理を窮めて物に至るときは、則ち物理盡く。

今之學者、惟有義理以養其心。若威儀辭讓以養其體、文章物采以養其目、聲音以養其耳、舞蹈以養其血脉、皆所未備。
【読み】
今の學者は、惟義理以て其の心を養うのみ有り。威儀辭讓以て其の體を養い、文章物采以て其の目を養い、聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脉を養うが若きは、皆未だ備わらざる所なり。

孟子之於道、若溫淳淵懿、未有如顏子者、於聖人幾矣。後世謂之亞聖、容有取焉。如盍各言爾志、子路・顏子・孔子皆一意、但有小大之差。皆與物共者也。顏子不自私己。故無伐善。知同於人。故無施勞。若聖人、則如天地。如老者安之之類。(孟字疑誤。)
【読み】
孟子の道に於る、溫淳淵懿なるが若くなれども、未だ顏子の如き者有らず、聖人に於て幾[ちか]し。後世之を亞聖と謂うこと、取ること有る容し。盍ぞ各々爾が志を言わざるというが如き、子路・顏子・孔子皆一意にて、但小大の差有るのみ。皆物と共にする者なり。顏子は自ら己に私せず。故に善に伐[ほこ]ること無し。人に同じきことを知る。故に勞を施すこと無し。聖人の若きは、則ち天地の如し。老者をば之を安んぜんというの類の如し。(孟の字疑うらくは誤りならん。)

大學在明明德、先明此道。在新民者、使人用此道以自新。在止於至善者、見知所止。
【読み】
大學は明德を明らかにするに在りとは、先づ此の道を明らかにするなり。民を新たにするに在りとは、人をして此の道を用いて以て自ら新たにせしむるなり。至善に止まるに在りとは、止まる所を知ることを見すなり。

得而後動、與慮而後動異。得在己。如自使手舉物、無不從。慮則未在己。如手中持物以取物。知其不利。
【読み】
得て後に動くと、慮って後に動くとは異なり。得ることは己に在り。自ら手をして物を舉げしめて、從わざること無きが如し。慮ることは則ち未だ己に在らず。手の中に物を持ちて以て物を取るが如し。其の利あらざることを知る。

聖人於文章、不講而學。蓋講者有可否之疑、須問辨而後明。學者有所不知。問而知之、則可否自決、不待講論。如孔子之盛德、惟官名禮文有所未知。故問於郯子・老子。旣知則遂行而已。更不須講。
【読み】
聖人の文章に於るは、講ぜずして學ぶ。蓋し講ずるは可否の疑有り、須く問辨して後に明らかなるべし。學ぶは知らざる所有り。問いて之を知るときは、則ち可否自づから決して、講論を待たず。孔子の盛德の如き、惟官名禮文未だ知らざる所有り。故に郯子[たんし]・老子に問えり。旣に知るときは則ち遂に行うのみ。更に講ずることを須いず。

正叔言、不當以體會爲非心。以體會爲非心、故有心小性大之說。聖人之神、與天(一有地字。)爲一。安得有二。至於不勉而中、不思而得、莫不在此。此心卽與天地無異、不可小了佗、不可(一作若或。)將心滯在知識上。故反以心爲小。(時本注云、横渠云、心禦見聞、不弘於性。)
【読み】
正叔言く、當に體會を以て心に非ずと爲すべからず、と。體會を以て心に非ずと爲す、故に心小性大の說有り。聖人の神は、天(一に地の字有り。)と一爲り。安んぞ二有ることを得ん。勉めずして中り、思わずして得るに至りては、此に在らずということ莫し。此の心は卽ち天地と異なること無く、佗に小了す可からず、(一に若或に作る。)心を將[もっ]て知識の上に滯在す可からず。故に反って心を以て小と爲す。(時本の注に云う、横渠云う、心見聞を禦がば、性を弘めず、と。)

鼓舞萬物、不與聖人同憂。此天與人異處。聖人有不能爲天之所爲處。
【読み】
萬物を鼓舞して、聖人と憂いを同じくせず。此れ天と人と異なる處なり。聖人天の爲す所の處を爲すこと能わざること有り。

行禮不可全泥古。須當視時之風氣自不同。故所處不得不與古異。如今人面貌、自與古人不同。若全用古物、亦不相稱。雖聖人作、須有損益。
【読み】
禮を行うこと全く古に泥む可からず。須く當に時の風氣自づから同じからざることを視るべし。故に處する所古と異ならざることを得ず。今の人の面貌の如き、自づから古人と同じからず。若し全く古の物を用いば、亦相稱わじ。聖人作ると雖も、須く損益有るべし。

交神明之意、當在事生之後、則可以盡孝愛而得其饗。全用古事、恐神不享。
【読み】
神明に交わるの意は、當に生に事うるの後に在るときは、則ち以て孝愛を盡くして其の饗することを得可し。全く古の事を用いば、恐らくは神享けじ。

訂頑之言、極純無雜。秦・漢以來學者所未到。
【読み】
訂頑の言は、極めて純にして雜じり無し。秦・漢以來學者未だ到らざる所なり。

君與夫人當異廟。故自無配。明。
【読み】
君と夫人と當に廟を異にすべし。故に自づから配無し。明。

禘、王者之大祭。祫、諸侯之大祭。明。
【読み】
禘は、王者の大祭。祫[こう]は、諸侯の大祭。明。

伯淳言、學者須守下學上達之語。乃學之要。
【読み】
伯淳言く、學者は須く下學上達の語を守るべし。乃ち學の要なり。

嫂叔無服、先王之權。後聖有作、雖復制服可矣。
【読み】
嫂叔服無きは、先王の權なり。後聖作ること有りて、復服を制すと雖も可なり。

師不立服、不可立也。當以情之厚薄、事之大小處之。如顏・閔於孔子、雖斬衰三年可也。其成己之功、與君父竝。其次各有淺深、稱其情而已。下至曲藝、莫不有師。豈可一概制服。
【読み】
師服を立てざるは、立つ可からざればなり。當に情の厚薄、事の大小を以て之を處すべし。顏・閔の孔子に於るが如き、斬衰三年すと雖も可なり。其の己を成すの功は、君父と竝ぶ。其の次は各々淺深有り、其の情に稱うのみ。下も曲藝に至るまで、師有らざること莫し。豈一概に服を制す可けんや。

子厚以禮敎學者、最善。使學者先有所據守。
【読み】
子厚禮を以て學者を敎うること、最も善し。學者をして先づ據り守る所有らしむ。

斟酌去取古今、恐未易言。須尺度權衡在胸中無疑、乃可處之無差。
【読み】
古今を斟酌去取するは、恐らくは未だ言い易からず。尺度權衡胸中に在りて疑無きを須[ま]ちて、乃ち之に處して差無かる可し。

學禮者考文、必求先王之意、得意乃可以沿革。
【読み】
禮を學ぶ者文を考うるに、必ず先王の意を求め、意を得て乃ち以て沿革す可し。

凡學之雜者、終只是未有所止。内不自足也。譬之一物、懸在空中。苟無所倚著、則不之東則之西。故須著摸佗別道理。只爲自家不内足也。譬之家藏良金、不索外求。貧者見人說金、須借他底看。
【読み】
凡そ學の雜なる者は、終に只是れ未だ止まる所有らず。内自足せざればなり。之を一物、空中に懸在するに譬う。苟も倚著する所無きときは、則ち東に之かざれば則ち西に之く。故に須く佗の別の道理を著摸すべし。只自家内足らざるが爲なり。之を家に良金を藏めて、外に求むることを索[もと]めざるに譬う。貧者人の金を說くを見れば、須く他底の看を借るべし。

朋友講習、更莫如相觀而善工夫多。
【読み】
朋友の講習は、更に相觀て善く工夫すること多きに如くは莫し。

昨日之會、大率談禪、使人情思不樂。歸而悵恨者久之。此說天下已成風。其何能救。古亦有釋氏、盛時尙只是崇設像敎、其害至小。今日之風、便先言性命道德、先驅了知者、才愈高明、則陷溺愈深。在某、則才卑德薄、無可奈何佗。然據今日次第、便有數孟子、亦無如之何。只看孟子時、楊・墨之害能有甚。況之今日、殊不足言。此事蓋亦繫時之汚隆。淸談盛而晉室衰。然淸談爲害、却只是閒言談。又豈若今日之害道。今雖故人有一(初本無一字。)爲此學而陷溺其中者、則旣不可囘。今(初本無今字。)只有望於諸君爾。直須置而不論、更休曰且待嘗試。若嘗試、則已化而自爲之矣。要之、決無取。(初本無此上二十九字。)其術(初本作佛學。)、大概且是絕倫類。(初本卷末注云、昨日之會、大率談禪章内、一本云云、上下皆同、版本已定、不可增益、今附於此。異時有別鋟版者、則當以此爲正。今從之。)世上不容有此理。又其言待要出世、出那裏去。又其迹須要出家。然則家者、不過君臣・父子・夫婦・兄弟。處此等事、以爲寄寓。故其爲忠孝仁義者、皆以爲不得已爾。又要得脫世網。至愚迷者也。畢竟學之者、不過至似佛。佛者一黠胡爾、佗本是箇自私獨善、枯槁山林、自適而已。若只如是、亦不過世上少這一箇人。又却要周遍。謂旣得本、則不患不周遍。要之、決無此理(一本此下云、然爲其學者、詰之、理雖有屈時、又却亂說、卒不可憑。考之。)。今日所患者、患在引取了、中人以上者、其力有以自立。故不可囘。若只中人以下、自不至此、亦有甚執持。今彼言世網者、只爲些秉彝又殄滅不得、故當忠孝仁義之際、皆處於不得已、直欲和這些秉彝都消殺得盡、然後以爲至道也。然而畢竟消殺不得。如人之有耳目口鼻。旣有此氣、則須有此識。所見者色、所聞者聲、所食者味。人之有喜怒哀樂者、亦其性之自然。今强曰必盡絕、爲得天眞、是所謂喪天眞也。持國之爲此學者三十年矣。其所得者、儘說得知有這道理。然至於反身而誠、却竟無得處。佗有一箇覺之理、可以敬以直内矣。然無義以方外。其直内者、要之其本亦不是。譬之贊易。前後貫穿、都說得是有此道理。然須默而成之、不言而信、存乎德行(一再有德行字。)處、是所謂自得也。談禪者雖說得、蓋未之有得。其徒亦有肯道佛卒不可以治天下國家者。然又須道得本則可以周遍。
【読み】
昨日の會、大率禪を談じて、人をして情思樂しまざらしむ。歸りて悵恨する者久し。此の說天下已に風を成す。其れ何ぞ能く救わん。古も亦釋氏有れども、盛んなる時尙只是れ像敎を崇設するのみにして、其の害至って小さし。今日の風は、便ち先づ性命道德を言いて、先づ知者を驅了し、才愈々高明なるときは、則ち陷溺すること愈々深し。某に在っては、則ち才卑く德薄くして、佗を奈何ともす可きこと無し。然れども今日に據る次第は、便ち數々孟子に有り、亦之を如何ともすること無し。只孟子の時を看るに、楊・墨が害能く甚だしきこと有り。之を今日に況うれば、殊に言うに足らず。此の事は蓋し亦時の汚隆に繫かれり。淸談盛んにして晉室衰う。然れども淸談害を爲すは、却って只是れ閒言談なり。又豈今日の道を害するが若くならんや。今故人と雖も一たび(初本一の字無し。)此の學を爲して其の中に陷溺すること有る者は、則ち旣に囘る可からず。今(初本今の字無し。)只諸君に望むこと有るのみ。直ちに須く置いて論ぜざるべく、更に休曰且く待って嘗試[こころ]みん、と。若し嘗試みれば、則ち已に化して自ら之を爲さん。之を要するに、決して取ること無し。(初本此の上の二十九字無し。)其の術(初本佛學に作る。)、大概且是れ倫類を絕つ。(初本卷末の注に云う、昨日の會、大率禪を談じての章内、一本に云云、上下皆同じく、版本已に定まり、增益す可からず、今此に附す。異時別に鋟版[しんばん]する者有り、則ち當に此を以て正と爲すべし、と。今之に從う。)世上此の理有る容からず。又其の言は出世を待要するも、那裏に出で去らんや。又其の迹は出家を須要す。然るに則ち家は、君臣・父子・夫婦・兄弟に過ぎず。此れ等の事に處するを、皆以て寄寓と爲す。故に其の忠孝仁義を爲す者は、皆以て已むことを得ざると爲すのみ。又世網を脫することを得ることを要す。至って愚迷なる者なり。畢竟之を學ぶ者は、佛に似るに至るに過ぎず。佛は一黠胡のみ、佗は本是れ箇の自私し獨善して、枯槁山林、自適するのみ。若し只是の如くならば、亦世上這の一箇の人を少[か]くに過ぎず。又却って周遍なるを要す。旣に本を得たりと謂わば、則ち周遍ならざることを患えず。之を要するに、決して此の理無し(一本に此の下に云う、然して其の學者の爲に、之を詰れば、理屈する時有りと雖も、又却って亂說して、卒に憑[よ]る可からず。之を考えよ、と。)。今日の患うる所の者は、患い引取了わるに在あり、中人以上の者は、其の力以て自ら立つこと有り。故に囘る可からず。若し只中人以下は、自ら此に至らず、亦甚[なん]の執持することか有らん。今彼の世網と言う者は、只些[こ]の彝を秉り又殄滅し得ざるが爲に、故に忠孝仁義の際に當たりて、皆已むことを得ざるに處して、直に這の些の彝を秉るを和して都て消殺し得盡くして、然して後に以て至道と爲さんと欲す。然れども畢竟消殺し得ず。人の耳目口鼻有るが如し。旣に此の氣有れば、則ち須く此の識有るべし。見る所の者は色、聞く所の者は聲、食う所の者は味なり。人の喜怒哀樂有る者は、亦其の性の自然なり。今强いて必ず盡く絕ちて、天眞を得んことを爲すと曰わば、是れ所謂天眞を喪うなり。持國が此の學を爲す者三十年なり。其の得る所の者、儘說き得て這の道理有ることを知とす。然して身に反りて誠あるに至っては、却って竟に得る處無しとす。佗一箇の覺の理有りて、以て敬以て内を直くす可し。然れども義以て外を方にすること無し。其の内を直くする者も、之を要するや其の本も亦是ならず。之を易を贊するに譬う。前後貫穿して、都て說き得れば是れ此の道理有り。然れども須く默して之を成し、言わずして信ずること、德行に存すべしという(一に再び德行の字有り。)處、是れ所謂自得なり。禪を談ずる者說き得ると雖も、蓋し未だ之を得ること有らず。其の徒も亦肯えて佛卒に以て天下國家を治むる可からずと道う者有り。然も又須く道は本を得べくんば則ち以て周遍なる可し。

有問、若使天下盡爲佛、可乎。其徒言、爲其道則可。其迹則不可。伯淳言、若盡爲佛、則是無倫類。天下却都沒人去理。然自亦以天下國下爲不足治、要逃世網。其說至於不可窮處、佗又有一箇鬼神爲說。
【読み】
問える有り、若し天下をして盡く佛と爲らしめば、可ならんや、と。其の徒の言、其の道を爲すは則ち可なり。其の迹は則ち不可なり、と。伯淳言く、若し盡く佛と爲らば、則ち是れ倫類無し。天下却って都て人を沒し理を去らん。然も自ら亦天下國下を以て治むるに足らずと爲し、世網を逃れんと要す。其の說窮む可からざる處に至っては、佗又一箇の鬼神有りて說を爲す、と。

立人之道曰仁與義。據今日、合人道廢則是。今尙不廢者、猶只是有那些秉彝、卒殄滅不得。以此思之、天壤閒可謂孤立。其將誰告耶。
【読み】
人の道を立つるに仁と義と曰う。今日に據るに、人道を合わせて廢せば則ち是なり。今尙廢せざる者は、猶只是れ那の些の彝を秉ること有りて、卒に殄滅し得ざればなり。此を以て之を思うに、天壤の閒孤立すと謂う可し。其れ將誰にか告げんや。

今日卓然不爲此學者、惟范景仁與君實爾。然其所執理、有出於禪學之下者。一日做身主、不得爲人驅過去裏。
【読み】
今日卓然として此の學を爲さざる者は、惟范景仁と君實とのみ。然れども其の執る所の理は、禪學の下に出づる者有り。一日も身の主と做せば、人の過ちを駆り去る裏[ところ]と爲し得ず。

君實嘗患思慮紛亂、有時中夜而作、逹旦不寐、可謂良自苦。人都來多少血氣。若此、則幾何而不摧殘以盡也。其後告人曰、近得一術、常以中爲念。則又是爲中所亂。中又何形。如何念得佗。只是於名言之中、揀得一箇好字。與其爲中所亂、却不如與一串數珠。及與佗數珠、佗又不受。殊不知中之無益於治心、不如數珠之愈也。夜以安身、睡則合眼、不知苦苦思量箇甚、只是不與心爲主。三更常有人喚醒也。(諸本無此八字。)
【読み】
君實嘗て思慮紛亂するを患え、時に中夜にして作[お]きて、逹旦[よもすがら]寐ねざること有り、良[まこと]に自ら苦しむと謂う可し。人都て來[これ]多少の血氣あらん。此の若くならば、則ち幾何にしてか摧殘[さいざん]して以て盡きざらん。其の後人に告げて曰く、近ごろ一術を得たり、常に中を以て念と爲す、と。則ち又是れ中の爲に亂さるる。中も又何の形あらん。如何にして佗を念じ得るや。只是れ名言の中に於て、一箇の好き字を揀[えら]び得るのみ。其の中の爲に亂されん與[よ]りは、却って一串の數珠を與えんには如かず。佗に數珠を與うるに及びて、佗は又受けず。殊に知らず、中の心を治むるに益無きは、數珠の愈れるに如かざることを。夜は以て身を安んじ、睡るときは則ち眼を合わせて、苦苦思量すること箇の甚だしきを知らざるは、只是れ心主とするに與らざればなり。三更常に人有りて喚醒す。(諸本此の八字無し。)

學者於釋氏之說、直須如淫聲美色以遠之。不爾、則駸駸然入於其中矣。顏淵問爲邦。孔子旣告之以五帝・三王之事、而復戒以放鄭聲、遠佞人、曰、鄭聲淫、佞人殆。彼佞人者、是佗一邊佞耳。然而於己則危。只是能使人移。故危也。至於禹之言曰、何畏乎巧言令色。巧言令色直消言畏、只是須著如此戒愼、猶恐不免。釋氏之學、更不消言。常戒到自家自信後、便不能亂得。
【読み】
學者釋氏が說に於ては、直に須く淫聲美色の如くにして以て之を遠ざくべし。爾らずんば、則ち駸駸然として其の中に入らん。顏淵邦を爲むることを問う。孔子旣に之に告ぐるに五帝・三王の事を以てして、復戒むるに鄭聲を放ち、佞人を遠ざくることを以てして、曰く、鄭聲は淫なり、佞人は殆し、と。彼の佞人は、是れ佗の一邊の佞のみ。然れども己に於ては則ち危し。只是れ能く人をして移らしむ。故に危うきなり。禹の言に至っては曰く、何ぞ巧言令色を畏れん、と。巧言令色直に畏ると言うことを消[もち]いば、只是れ須く此の如く戒め愼むことを著くべくして、猶恐らくは免れず。釋氏が學は、更に言を消いず。常に戒め自家自ら信ずる後に到っては、便ち亂し得ること能わじ。

以書傳道、與口相傳、煞不相干。相見而言、因事發明、則幷意思一時傳了。書雖言多、其實不盡。
【読み】
書を以て道を傳うると、口から相傳うると、煞[はなは]だ相干[あづか]らず。相見て言い、事に因りて發明すれば、則ち意思を幷せて一時に傳え了わる。書は言多しと雖も、其の實は盡くさず。

觀秦中氣豔衰。邊事所困、累歲不稔。昨來餽邊喪亡、今日事未可知、大有可憂者。以至士人相繼淪喪、爲足妝點關中者、則遂化去。吁、可怪也。凡言王氣者、實有此理。生一物須有此氣、不論美惡、須有許大氣豔。故生是人。至如闕里、有許多氣豔。故此道之流、以至今日。昔横渠說出此道理、至此幾乎衰矣。只介父一箇、氣豔大小大。
【読み】
秦中を觀るに氣豔[きえん]衰う。邊事に困しめられて、累歲稔らず。昨來邊に餽[おく]りて喪亡し、今日の事未だ知る可からず、大いに憂う可き者有り。以て士人相繼いで淪喪するに至りて、關中に妝點[しょうてん]するに足れりとする者は、則ち遂に化し去る。吁、怪しむ可し。凡そ王氣を言う者は、實に此の理有り。一物を生ずれば須く此の氣有るべく、美惡を論ぜざれば、須く許大の氣豔有るべし。故に是の人を生ず。闕里の如きに至りては、許多の氣豔有り。故に此の道の流、以て今日に至る。昔横渠此の道理を說き出す、此に至りて衰うるに幾し。只介父一箇のみ、氣豔大小大なり。

伯淳嘗與子厚在興國寺曾講論終日、而曰、不知舊日曾有甚人於此處講此事。
【読み】
伯淳嘗て子厚と興國寺に在りて曾て講論終日にして、曰く、知らず、舊日曾て甚[いか]なる人有りてか此の處に於て此の事を講ぜしや、と。

與叔所問、今日宜不在有疑。今尙差池者、蓋爲昔亦有雜學。故今日疑所進有相似處、則遂疑養氣爲有助。便休信此說。蓋爲前日思慮紛擾、今要虛靜。故以爲有助。前日思慮紛擾、又非義理、又非事故。如是則只是狂妄人耳。懲此以爲病。故要得虛靜。其極、欲得如槁木死灰。又却不是。蓋人活物也。又安得爲槁木死灰。旣活、則須有動作、須有思慮。必欲爲槁木死灰、除是死也。忠信所以進德者何也。閑邪則誠自存、誠存斯爲忠信也。如何是閑邪。非禮而勿視聽言動、邪斯閑矣。以此言之、又幾時要身如槁木、心如死灰。又如絕四後、畢竟如何。又幾時須如槁木死灰。敬以直内、則須君則是君、臣則是臣、凡事如此、大小大直截也。
【読み】
與叔が問う所、今日宜しく疑有ること在らざるべし。今尙差池する者は、蓋し昔亦雜學すること有るが爲なり。故に今日疑うに、進む所相似る處有れば、則ち遂に養氣を疑いて助有りと爲す。便ち此の說を信ずることを休[や]めよ。蓋し前日思慮紛擾なるが爲に、今虛靜を要す。故に以て助有りと爲す。前日の思慮紛擾は、又義理に非ず、又事故に非ず。是の如くなるときは則ち只是れ狂妄の人のみ。此に懲りて以て病と爲す。故に虛靜を得んことを要す。其の極みは、槁木死灰の如くなることを得んことを欲す。又却って是ならず。蓋し人は活物なり。又安んぞ槁木死灰爲ることを得ん。旣に活するときは、則ち須く動作有るべく、須く思慮有るべし。必ず槁木死灰爲らんと欲せば、除[ただ]是れ死ぬのみ。忠信德に進む所以の者は何ぞや。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す、誠存する斯を忠信と爲す。如何にしてか是れ邪を閑がん。非禮なるを而も視聽言動すること勿くば、邪斯に閑ぐ。此を以て之を言えば、又幾時か身槁木の如く、心死灰の如くなることを要せん。又四つを絕つの後の如き、畢竟如何。又幾時か須く槁木死灰の如くなるべき。敬以て内を直くするときは、則ち須く君は則ち是れ君、臣は則ち是れ臣なるべく、凡そ事此の如くなれば、大小大に直截す。

有言養氣可以爲養心之助。曰、敬則只是敬、敬字上更添不得。譬之敬父矣。又豈須得道更將敬兄助之。又如今端坐附火、是敬於向火矣。又豈須道更將敬於水以助之。猶之有人曾到東京、又曾到西京、又曾到長安。若一處上心來、則他處不容參然在心。心裏著兩件物不得。
【読み】
氣を養いて以て心を養うの助と爲す可しと言える有り。曰く、敬は則ち只是れ敬、敬の字の上に更に添え得じ。之を父を敬するに譬う。又豈須く更に兄を敬するを將て之を助くと道うことを得べけんや。又今端坐して火に附くが如き、是れ火に向かうに敬するなり。又豈須く更に水に敬するを將て以て之を助くと道うべけんや。猶之れ人曾て東京に到り、又曾て西京に到り、又曾て長安に到ること有るがごとし。若し一處上の心より來るときは、則ち他の處參然として心に在る容からず。心の裏、兩件の物を著くることを得じ。

飮酒不可使醉。不及亂者、不獨不可亂志、只血氣亦不可使亂。但使浹洽而已可也。
【読み】
酒を飮みて醉わしむ可からず。亂に及ばざる者は、獨志を亂る可からざるのみにあらず、只血氣も亦亂れしむる可からず。但浹洽せしめて已に可なり。

邢和叔後來亦染禪學。其爲人明辯有才、後更曉練世事、其於學、亦日月至焉者也。(尹子曰、明辯有才而復染禪學、何所不爲也。)
【読み】
邢和叔後來亦禪學に染まる。其の爲人明辯にして才有り、後更に世事を曉練し、其の學に於るも、亦日月に至る者なり。(尹子曰く、明辯にして才有りて復禪學に染まれば、何のせざる所あらん、と。)

伯淳自謂、只得佗人待做惡人、敬而遠之。嘗有一朝士久不見、謂伯淳曰、以伯淳如此聰明、因何許多時終不肯囘頭來。伯淳答以蓋恐囘頭後錯也。
【読み】
伯淳自ら謂えらく、只佗人待して惡人と做ることを得れば、敬して之を遠ざく、と。嘗て一朝士久しく見えざること有り、伯淳に謂いて曰く、伯淳此の如く聰明なるを以て、何に因ってか許多の時終に肯えて囘頭し來らざる、と。伯淳答うるに蓋し恐れらくは囘頭して後錯えんというを以てす。

巽之凡相見須窒礙。蓋有先定之意。和叔(一作與叔。)據理却合滯礙、而不然者、只是佗至誠便相信心直篤信。
【読み】
巽之は凡そ相見るに須く窒礙すべし。蓋し先ず定むるの意有ればなり。和叔(一に與叔に作る。)理に據るに却って滯礙す合くして、而も然らざる者は、只是れ佗至誠にて便ち相信じて心直に篤信すればなり。

理則須窮、性則須盡、命則不可言窮與盡。只是至於命也。横渠昔嘗譬命是源、窮理與盡性如穿渠引源。然則渠與源是兩物、後來此議必改來。
【読み】
理は則ち須く窮むべく、性は則ち須く盡くすべく、命は則ち窮むると盡くすと言う可からず。只是れ命に至るのみ。横渠昔嘗て譬う、命は是れ源、理を窮むると性を盡くすとは渠を穿ちて源を引くが如し、と。然らば則ち渠と源とは是れ兩物、後來此の議必ず改められん。

今語道、則須待要寂滅湛靜、形便如槁木、心便如死灰。豈有直做牆壁木石而謂之道。所貴乎智周天地萬物而不遺、又幾時要如死灰。所貴乎動容周旋中禮、又幾時要如槁木。論心術、無如孟子。也只謂必有事焉(一本有而勿正心字。)。今旣如槁木死灰、則却於何處有事。
【読み】
今道を語るときは、則ち須く寂滅湛靜を待要して、形は便ち槁木の如く、心は便ち死灰の如くすべしとす。豈直に牆壁木石と做して之を道と謂うこと有らんや。智を貴ぶ所は天地萬物に周くして遺さず、又幾時か死灰の如くなることを要せん。動容周旋を貴ぶ所は禮に中る、又幾時か槁木の如くなることを要せん。心術を論ずること、孟子に如くは無し。也只必ず事とすること有り(一本に而して心に正[あてて]すること勿かれの字有り。)と謂う。今旣に槁木死灰の如くならば、則ち却って何れの處に於てか事とすること有らん。

君實之能忠孝誠實、只是天資、學則元不知學。堯夫之坦夷、無思慮紛擾之憂、亦只是天資自美爾。皆非學之功也。
【読み】
君實の能く忠孝誠實なるは、只是れ天資、學は則ち元學を知らず。堯夫の坦夷にて、思慮紛擾の憂い無きも、亦只是れ天資自ら美なるのみ。皆學の功には非ざるなり。

持國嘗論克己復禮、以謂克却不是道。伯淳言、克便是克之道。持國又言、道則不須克。伯淳言、道則不消克、却不是持國事。在聖人、則無事可克。今日持國、須克得己便然後復禮。
【読み】
持國嘗て己に克ちて禮に復るを論じて、以謂[おも]えらく、克は却って是れ道にあらず、と。伯淳言く、克は便ち是れ克つの道なり、と。持國又言く、道は則ち須く克つべからず、と。伯淳言く、道は則ち克つことを消いずというは、却って是れ持國が事にあらず。聖人に在っては、則ち事の克つ可き無し。今日持國は、須く己に克ち得べくして便ち然して後に禮に復らん。

游酢・楊時是學得靈利高才也。楊時於新學極精。今日一有所問、能盡知其短而持之。介父之學、大抵支離。伯淳嘗與楊時讀了數篇、其後盡能推類以通之。
【読み】
游酢・楊時は是れ學び得て靈利高才なり。楊時の新學に於るは極めて精し。今日一たび問う所有れば、能く盡く其の短を知りて之を持す。介父が學は、大抵支離なり。伯淳嘗て楊時と數篇を讀了し、其の後盡く能く類を推して以て之に通ず。

有問、詩三百、非一人之作、難以一法推之。伯淳曰、不然。三百、三千中所擇、不特合於雅・頌之音、亦是擇其合於敎化者取之。篇中亦有次第淺深者、亦有元無次序者。
【読み】
問えること有り、詩三百は、一人の作に非ず、一法を以て之を推し難し、と。伯淳曰く、然らず。三百は、三千の中より擇ぶ所、特[ただ]雅・頌の音に合うのみにあらず、亦是れ其の敎化に合う者を擇びて之を取れり。篇中亦次第淺深なる者有り、亦元より次序無き者有り。

新政之改、亦是吾黨爭之有太過、成就今日之事、塗炭天下、亦須兩分其罪可也。當時天下、岌岌乎殆哉。介父欲去數矣。其時介父直以數事上前卜去就、若靑苗之議不行、則決其去。伯淳於上前、與孫莘老同得上意、要了當此事。大抵上意不欲抑介父、要得人擔當了。而介父之意尙亦無必。伯淳嘗言、管仲猶能言、出令當如流水、以順人心。今参政須要做不順人心事、何故。介父之意只恐始爲人所沮、其後行不得。伯淳却道、但做順人心事、人誰不願從也。介父道、此則感賢誠意。却爲天祺其日於中書大悖、緣是介父大怒、遂以死力爭於上前。上爲之一以聽用、從此黨分矣。莘老受約束而不肯行、遂坐貶。而伯淳遂待罪。旣而除以京西提刑。伯淳復求對、遂見上。上言、有甚文字。伯淳云、今咫尺天顏、尙不能少囘天意、文字更復何用。欲去、而上問者數四。伯淳每以陛下不宜輕用兵爲言、朝廷羣臣無能任陛下事者。以今日之患觀之、猶是自家不善從容。至如靑苗、且放過、又且何妨。伯淳當言職、苦不曾使文字、大綱只是於上前說了、其他些小文字、只是備禮而已。大抵自仁祖朝優容諫臣、當言職者、必以詆訐而去爲賢、習以成風。惟恐人言不稱職以去、爲落便宜。昨來諸君、蓋未免此。苟如是爲、則是爲己、尙有私意在、却不在朝廷、不干事理。
【読み】
新政の改も、亦是れ吾が黨之を爭うこと太だ過ぎたる有り、今日の事を成就すると、天下を塗炭すると、亦須く兩つながら其の罪を分かちて可なるべきなり。當時の天下、岌岌乎[きゅうきゅうこ]として殆いかな。介父去らんと欲すること數々なり。其の時介父直に數事を以て上の前にして去就を卜し、若し靑苗の議行われずんば、則ち決して其れ去らんとす。伯淳上の前に於て、孫莘老と同じく上の意を得て、此の事を了當せんことを要す。大抵上の意介父を抑えんことを欲せず、人をして擔當し了することを得んことを要す。而して介父の意尙亦必とすること無し。伯淳嘗て言う、管仲猶能く言いて、令を出すこと當に流水の如くなるは、人心に順うを以てなり、と。今参政人心に順わざる事を做さんと須要するは、何が故ぞ、と。介父の意只恐れらくは、始め人の爲に沮[はば]まれて、其の後行い得ざらんことを。伯淳却って道う、但人心に順う事を做さば、人誰か從うことを願わざらん、と。介父道う、此れ則ち賢の誠意を感ず、と。却って天祺を爲さんとして其の日中書に於て大いに悖る。是に緣りて介父大いに怒り、遂に死を以て力めて上の前に爭う。上之が爲に一に以て聽き用い、此れ從り黨分かる。莘老約束を受けて肯えて行わず、遂に坐貶せらる。而して伯淳遂に罪を待つ。旣にして除するに京西の提刑を以てす。伯淳復對を求めて、遂に上に見ゆ。上言く、甚[なん]の文字か有る、と。伯淳云く、今咫尺[しせき]の天顏、尙少しく天意を囘らすこと能わず、文字更に復何ぞ用いん、と。去らんと欲して、上の問う者數四。伯淳每に陛下輕々しく兵を用う宜からざるを以て言を爲すも、朝廷の羣臣能く陛下の事に任ずる者無し。今日の患いを以て之を觀るに、猶是れ自家善く從容ならず。靑苗の如きに至っては、且つ放過すとも、又且つ何の妨げあらん。伯淳言職に當たり、苦[はなは]だしくは曾て文字を使わず、大綱を只是れ上の前に於て說了するのみにて、其の他些の小さき文字は、只是れ禮に備うるのみ。大抵仁祖の朝自り諫臣を優容し、言職に當たる者、必ず詆訐して去るを以て賢と爲し、習いて以て風と成す。惟恐れらくは人言う、職に稱わずして去るを以て、便宜に落つと爲さんことを。昨來の諸君、蓋し未だ此を免れず。苟も是の如きを爲さば、則ち是れ己が爲、尙私意在ること有り、却って朝廷に在らず、事理に干[あづか]らず。

今日朝廷所以特惡忌伯淳者、以其可理會事。只是理會學、這裏動、則於佗輩有(一作是。)所不便也。故特惡之深。
【読み】
今日朝廷特に伯淳を惡み忌む所以の者は、其の事を理會す可きを以てなり。只是れ學を理會して、這の裏に動くときは、則ち佗の輩に於て(一に是に作る。)便ならざる所有り。故に特に之を惡むこと深し。

以吾自處、猶是自家當初學未至、意未誠、其德尙薄、無以感動佗天意。此自思則如此。然據今日許大氣豔、當時欲一二人動之、誠如河濱之人捧土以塞孟津。復可笑也。據當時事勢、又至於今日、豈不是命。
【読み】
吾を以て自ら處するに、猶是れ自家當初の學未だ至らず、意未だ誠ならず、其の德尙薄く、以て佗の天意を感動すること無し。此れ自ら思うときは則ち此の如し。然れども今日許大の氣豔に據るに、當時一二人之を動かさんと欲するは、誠に河濱の人土を捧げて以て孟津を塞がんとするが如し。復笑う可きなり。當時の事勢に據るに、又今日に至るは、豈是れ命ならずや。

只著一箇私意、便是餒。便是缺了佗浩然之氣處。誠者物之終始、不誠無物。這裏缺了佗、則便這裏沒這物。浩然之氣又不待外至、是集義所生者。這一箇道理、不爲堯存、不爲桀亡。只是人不到佗這裏。知此便是明善。
【読み】
只一箇の私意を著くれば、便ち是れ餒う。便ち是れ佗の浩然の氣を缺了する處なり。誠は物の終始、誠あらずんば物無し。這の裏に佗を缺了するときは、則便ち這の裏に這の物沒[な]し。浩然の氣も又外より至ることを待たず、是れ集義の生る所の者。這の一箇の道理は、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。只是れ人佗の這の裏に到らざるなり。此を知るときは便ち是れ善を明らかにするなり。

生生之謂易。是天之所以爲道也。天只是以生爲道。繼此生理者、卽是善也。善便有一箇元底意思。元者善之長。萬物皆有春意、便是繼之者善也。成之者性也、成却待佗萬物自成其(一作甚。)性須得。
【読み】
生生を之れ易と謂う。是れ天の道を爲す所以なり。天は只是れ生を以て道と爲す。此の生理に繼ぐ者は、卽ち是れ善なり。善は便ち一箇の元底の意思有り。元は善の長なり。萬物皆春意有るは、便ち是れ之に繼ぐ者は善なればなり。之を成す者は性なりとは、成るは却って佗の萬物自ら成るを待って其の(一に甚に作る。)性須く得べし。

告子云生之謂性則可。凡天地所生之物、須是謂之性。皆謂之性則可、於中却須分別牛之性・馬之性。是他便只道一般、如釋氏說蠢動含靈、皆有佛性。如此則不可。天命之謂性、率性之謂道者、天降是於下、萬物流形、各正性命者、是所謂性也。循其性(一作各正性命。)而不失、是所謂道也。此亦通人物而言。循性者、馬則爲馬之性、又不做牛底性。牛則爲牛之性、又不爲馬底性。此所謂率性也。人在天地之閒、與萬物同流。天幾時分別出是人是物。脩道之謂敎、此則專在人事、以失其本性。故脩而求復之、則入於學。若元不失、則何脩之有。是由仁義行也。則是性已失。故脩之。成性存存、道義之門、亦是萬物各有成性存存、亦是生生不已之意。天只是以生爲道。
【読み】
告子生を之れ性と謂うと云うは則ち可なり。凡そ天地生ずる所の物は、須く是れ之を性と謂うべし。皆之を性と謂うは則ち可なれども、中に於て却って須く牛の性・馬の性を分別すべし。是れ他便ち只一般と道うは、釋氏蠢動含靈、皆佛性有りと說くが如し。此の如くなるは則ち不可なり。天の命之を性と謂い、性に率う之を道と謂うは、天是を下に降し、萬物流形して、各々性命を正す者は、是れ所謂性なり。其の性に循いて(一に各々性命を正してに作る。)失わざる、是れ所謂道なり。此れ亦人物に通じて言う。性に循うとは、馬は則ち馬の性を爲して、又牛底の性を做さず。牛は則ち牛の性を爲して、又馬底の性を爲さず。此れ所謂性に率うなり。人天地の閒に在りて、萬物と流を同じくす。天幾時か是の人是の物と分別し出さん。道を脩むる之を敎と謂うは、此れ則ち專ら人事に在りて、以て其の本性を失う。故に脩めて之に復ることを求むるときは、則ち學に入る。若し元より失わずんば、則ち何の脩むることか之れ有らん。是れ仁義に由りて行うなり。則ち是の性已に失う。故に之を脩む。性を成し存すべきを存するは、道義の門、亦是れ萬物各々性を成し存すべきを存する有り、亦是れ生生已まざるの意なり。天は只是れ生を以て道と爲す。

萬物皆只是一箇天理、己何與焉。至如言天討有罪、五刑五用哉。天命有德、五服五章哉、此都只是天理自然當如此。人幾時與。與則便是私意。有善有惡。善則理當喜。如五服自有一箇次第以章顯之。惡則理當惡(一作怒。)。彼自絕於理。故五刑五用。曷嘗容心喜怒於其閒哉。舜舉十六相、堯豈不知。只以佗善未著、故不自舉。舜誅四凶、堯豈不察。只爲佗惡未著、那誅得佗。舉與誅、曷嘗有毫髮厠於其閒哉。只有一箇義理、義之與比。
【読み】
萬物は皆只是れ一箇の天理、己何ぞ與らん。天有罪を討つ、五刑もて五つならが用いよや。天有德に命ず、五服もて五つながら章らかにせよやと言うが如きに至っては、此れ都て只是れ天理自然に當に此の如くなるべし。人幾時か與らん。與るときは則便ち是れ私意なり。善有り惡有り。善は則ち理として當に喜ぶべし。五服自ら一箇の次第有りて以て之を章顯するが如し。惡は則ち理として當に惡むべし(一に怒に作る。)。彼れ自ら理を絕つ。故に五刑もて五つながら用う。曷ぞ嘗て心其の閒に喜怒す容けんや。舜十六相を舉ぐるを、堯豈知らざらんや。只佗の善未だ著れざるを以て、故に自ら舉げざるなり。舜四凶を誅すを、堯豈察せざらんや。只佗の惡未だ著れざるが爲に、那ぞ佗を誅し得ん。舉と誅と、曷ぞ嘗て毫髮も其の閒に厠[まじ]うること有らんや。只一箇の義理有りて、義のみ之れ與に比[したが]う。

人能放這一箇身公共放在天地萬物中一般看、則有甚妨礙。雖萬身、曾何傷。乃知釋氏苦根塵者、皆是自私者也。
【読み】
人能く這の一箇の身を放れて公共に天地萬物の中に放在して一般に看るときは、則ち甚[なん]の妨礙か有らん。萬身と雖も、曾て何ぞ傷らん。乃ち知る、釋氏根塵に苦しむ者は、皆是れ自私なる者なることを。

要脩持佗這天理、則在德、須有不言而信者。言難爲形狀。養之則須直不愧屋漏與愼獨。這是箇持養底氣象也。
【読み】
佗這の天理を脩持せんと要せば、則ち德に在り、須く言わずして信ずる者有るべし。言は形狀を爲し難し。之を養うときは則ち須く直に屋漏に愧ぢずと獨を愼むとなるべし。這是箇の持養底の氣象なり。

知止則自定、萬物撓不動。非是別將箇定來助知止也。
【読み】
止まることを知るときは則ち自ら定まりて、萬物撓[みだ]せども動かず。是れ別に箇の定まれるを將[も]ち來りて止まることを知ることを助くるに非ざるなり。

詩・書中凡有箇主宰底意思者、皆言帝。有一箇包涵徧覆底意思、則言天。有一箇公共無私底意思、則言王。上下千百歲中、若合符契。
【読み】
詩・書中凡そ箇の主宰底の意思有る者は、皆帝と言う。一箇の包涵徧覆底の意思有るは、則ち天と言う。一箇の公共無私底の意思有るは、則ち王と言う。上下千百歲の中、符契を合わせたるが若し。

如天理底意思、誠只是誠此者也。敬只是敬此者也。非是別有一箇誠、更有一箇敬也。
【読み】
天理底の意思の如き、誠は只是れ此を誠にする者なり。敬は只是れ此を敬する者なり。是れ別に一箇の誠有り、更に一箇の敬有るに非ざるなり。

天理云者、這一箇道理、更有甚窮已。不爲堯存、不爲桀亡。人得之者。故大行不加、窮居不損。這上頭來、更怎生說得存亡加減。是佗元無少欠、百理具備。(胡本此下云、得這箇天理、是謂大人。以其道變通無窮、故謂之聖。不疾而速、不行而至、須默而識之處、故謂之神。)
【読み】
天理と云う者は、這の一箇の道理、更に甚の窮已することか有らん。堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。人々之を得る者なり。故に大いに行われても加えず、窮居しても損せず。這の上頭より來りしは、更に怎生[いかん]ぞ存亡加減を說き得ん。是れ佗元少しも欠けること無くして、百理具備するなり。(胡本此の下に云う、這箇の天理を得る、是を大人と謂う。其の道變通窮まり無きを以て、故に之を聖と謂う。疾からずして速やかに、行かずして至り、須く默して之を識るべき處、故に之を神と謂う、と。)

天地設位、而易行乎其中矣。乾坤毀、則無以見易。易不可見、則乾坤或幾乎息矣。易是箇甚。易又不只是這一部書、是易之道也。不要將易又是一箇事。卽事(一作唯、一作只是。)盡天理。便是易也。
【読み】
天地位を設けて、易其の中に行わる。乾坤毀つときは、則ち以て易を見ること無し。易見る可からざるときは、則ち乾坤或は息むに幾し。易は是れ箇[か]く甚だしきや。易は又只是れ這の一部の書にあらず、是れ易の道なり。易を將[ねが]うことを要せざるは又是れ一箇の事なればなり。卽ち事は(一に唯に作る、一に只是に作る。)天理を盡くすのみ。便ち是れ易なり。

天地之化、旣是二物。必動已不齊。譬之兩扇磨行、便其齒齊、不得齒齊。旣動、則物之出者、何可得齊。轉則齒更不復得齊。從此參差萬變、巧歷不能窮也。
【読み】
天地の化は、旣に是れ二物なり。必ず動いて已に齊しからず。之を兩扇磨行すれば、便ち其の齒齊しきは、齒齊しきを得ざるに譬う。旣に動かば、則ち物の出づる者、何ぞ齊しきを得可けん。轉ずれば則ち齒更に復齊しきことを得ず。此れ從り參差萬變して、巧歷窮むること能わざるなり。

天地之閒、有者只是有。譬之人之知識聞見。經歷數十年、一日念之、了然胸中。這一箇道理在那裏放著來。
【読み】
天地の閒、有は只是れ有。之を人の知識聞見に譬う。經歷數十年、一日之を念えば、胸中に了然たり。這の一箇の道理那の裏に在りて放著し來る。

養心者、且須是敎他寡欲、又差有功。
【読み】
心を養う者は、且須く是れ他をして欲を寡くせしむべくして、又差[やや]功有り。

中心斯須不和不樂、則鄙詐之心入之矣。此與敬以直内同理。謂敬爲和樂則不可。然敬須和樂。只是中心沒事也。
【読み】
中心斯に須くも和せず樂しまざるときは、則ち鄙詐の心之に入るなり。此れ敬以て内を直くすると同理なり。敬を謂いて和樂と爲すときは則ち不可なり。然れども敬は須く和樂すべし。只是れ中心事沒[な]ければなり。

大凡利害禍福、亦須致命。須得致之爲言、直如人以力自致之謂也。得之不得、命固已定。君子須知佗命方得。不知命無以爲君子。蓋命苟不知、無所不至。故君子於困窮之時、須致命便遂得志。其得禍得福、皆已自致。只要申其志而已。
【読み】
大凡利害禍福も、亦須く命を致すべし。須く得て致すべしの言爲るは、直に人力を以て自ら致すの謂の如し。之を得ると得ざると、命固に已に定まる。君子は須く佗の命を知って方に得べし。命を知らざれば以て君子爲ること無し。蓋し命苟も知らずんば、至らざる所無し。故に君子は困窮の時に於て、須く命を致して便ち遂に志を得べし。其禍を得福を得るは、皆已に自ら致す。只其の志を申べんことを要するのみ。

求之有道、得之有命、是求無益於得、言求得不濟事(元本無不字。)。此言猶只爲中人言之。若爲中人以上而言、却只道求之有道、非道則不求、更不消言命也。
【読み】
之を求むるに道有り、之を得るに命有るは、是れ求めて得るに益無きなりとは、求め得て事を濟さざること(元本不の字無し。)を言う。此の言猶只中人の爲に之を言えり。若し中人以上の爲にして言わば、却って只之を求むるに道有り、道に非ざれば則ち求めずと道いて、更に命を言うことを消[もち]いざるなり。

堯夫豪傑士、根本不帖帖地。伯淳嘗戲以亂世之姦雄中、道學之有所得者。然無禮不恭極甚。又嘗戒以不仁。己猶不認、以爲人不曾來學。伯淳言、堯夫自是悠悠。(自言、須如我與李之才、方得道。)
【読み】
堯夫は豪傑の士、根本帖帖地たらず。伯淳嘗て戲るに亂世の姦雄の中、道學の得る所有る者というを以てす。然も無禮不恭なること極めて甚だし。又嘗て戒むるに不仁を以てす。己猶認めずして、以爲えらく、人曾て來學せず、と。伯淳言く、堯夫は自ら是れ悠悠、と。(自ら言う、須く我と李之才との如き、方に道を得べし、と。)

天民之先覺、譬之皆睡。佗人未覺來、以我先覺。故搖擺其未覺者亦使之覺。及其覺也、元無少欠。蓋亦未嘗有所增加也、適一般爾。天民云者、蓋是全盡得天生斯民底事業。天之生斯民也、將以道覺斯民。蓋言天生此民、將以此道覺此民、則元無少欠、亦無增加。未嘗不足。逹可行於天下者、謂其全盡天之生民之理、其術亦足以治天下國家故也。
【読み】
天民の先覺、之を皆睡るに譬う。佗人未だ覺り來らざるに、我が先に覺るを以てす。故に其の未だ覺らざる者を搖擺して亦之をして覺らしむ。其の覺るに及んでは、元より少しく欠けることも無し。蓋し亦未だ嘗て增加する所有らず、適に一般なるのみ。天民と云う者は、蓋し是れ全く天斯の民を生ずる底の事業を盡くし得。天の斯の民を生ずるや、將に道を以て斯の民を覺さんとす。蓋し天の此の民を生ずる、將に此の道を以て此の民を覺さんとすと言うときは、則ち元より少しく欠けることも無く、亦增加することも無し。未だ嘗て足らずんばあらず。逹して天下に行わる可き者とは、謂えらく、其れ全く天の民を生ずるの理を盡くし、其の術も亦以て天下國家を治むるに足る故ならん。

可欲之謂善、便與元者善之長同理。
【読み】
欲す可き之を善と謂うは、便ち元は善の長というと同理。

禮樂不可斯須去身。
【読み】
禮樂は斯須[しばら]くも身を去る可からず。

不能反躬、天理滅矣。天理云者、百理具備、元無少欠。故反身而誠、只是言得已上、更不可道甚道。(元本道字屬下文。)
【読み】
躬に反ること能わざれば、天理滅ぶ。天理と云うは、百理具備して、元より少しも欠けること無し。故に身に反って誠あるは、只是れ已に得る上を言い、更に甚[なん]の道と道う可からず。(元本道の字下文に屬く。)

命之曰易、便有理。(一本無此七字。但云、道理皆自然。)若安排定、則更有甚理。天地陰陽之變、便如二扇磨。升降盈虧剛柔、初未嘗停息、陽常盈、陰常虧。故便不齊。譬如磨旣行、齒都不齊。旣不齊、便生出萬變。故物之不齊、物之情也。而莊周强要齊物。然而物終不齊也。堯夫有言、泥空終是著、齊物到頭爭。此其肅如秋、其和如春。如秋、便是義以方外也。如春、觀萬物皆有春意。堯夫有詩云、拍拍滿懷都是春。又曰、芙蓉月向懷中照、楊柳風來面上吹。(不止風月、言皆有理。)又曰、卷舒萬古興亡手、出入幾重雲水身。若莊周、大抵寓言、要入佗放蕩之場。堯夫却皆有理、萬事皆出於理。自以爲皆有理。故要得縱心妄行總不妨。(一本此下云、堯夫詩云、聖人喫緊些兒事。其言太急迫。此道理平鋪地放著裏、何必如此。)
【読み】
之を命じて易と曰うは、便ち理有り。(一本に此の七字無し。但云う、道理は皆自然なり、と。)若し安排し定めば、則ち更に甚の理有らん。天地陰陽の變は、便ち二扇磨するが如し。升降盈虧剛柔、初めより未だ嘗て停息せず、陽は常に盈ち、陰は常に虧く。故に便ち齊しからず。譬えば磨すること旣に行くが如き、齒都て齊しからず。旣に齊しからざれば、便ち生出萬變す。故に物の齊しからざるは、物の情なり。而るを莊周强いて物を齊しくせんと要す。然れども物終に齊しからざるなり。堯夫言えること有り、空に泥んで終に是れ著す、齊物到頭爭、と。此れ其の肅たること秋の如く、其の和すること春の如し。秋の如きは、便ち是れ義以て外を方にするなり。春の如きは、萬物を觀るに皆春意有るなり。堯夫詩有り云う、拍拍たる滿懷都て是れ春、と。又曰く、芙蓉の月懷中に向かって照らし、楊柳の風面上に來りて吹く、と。(止風月のみにあらず、言皆理有り。)又曰く、卷舒す萬古興亡の手、出入す幾重の雲水の身、と。莊周の若きは、大抵寓言、佗の放蕩の場に入らんことを要す。堯夫は却って皆理有り、萬事皆理より出づ。自ら以爲えらく、皆理有り、と。故に心を縱にして妄行して總て妨げざらんことを得んことを要す。(一本に此の下に云う、堯夫の詩に云う、聖人の喫緊些兒の事、と。其の言太だ急迫す。此の道理平鋪地に裏に放著せば、何ぞ必しも此の如くならん、と。)

觀天理、亦須放開意思、開闊得心胸、便可見、打揲了習心兩漏三漏子。今如此混然說做一體、猶二本。那堪更二本三本。今雖知可欲之爲善、亦須實有諸己、便可言誠。誠便合内外之道。今看得不一、只是心生。除了身只是理、便說合天人。合天人、已是爲不知者引而致之。天人無閒。夫不充塞則不能化育。言贊化育、已是離人而言之。
【読み】
天理を觀るには、亦須く意思を放開すべく、心胸を開闊し得ば、便ち見る可し、習心兩漏三漏子を打揲し了わることを。今此の如く混然として一體を說き做すも、猶本を二つにす。那ぞ更に本を二つにし本を三つにするに堪えん。今欲す可き之を善と爲すことを知ると雖も、亦實に諸を己に有するを須って、便ち誠と言う可し。誠は便ち内外を合するの道なり。今看得ること一ならざるは、只是れ心に生ず。身を除了すれば只是れ理、便ち天人を合すと說く。天人を合すとは、已に是れ知らざる者の爲に引いて之を致すなり。天人閒無し。夫れ充塞せざれば則ち化育すること能わず。化育を贊[たす]くと言うは、已に是れ人を離れて之を言うなり。

須是大其心使開闊。譬如爲九層之臺。須大做脚須得。
【読み】
須く是れ其の心を大にして開闊せしむべし。譬えば九層の臺を爲るが如し。大いに脚を做すことを須って須く得べし。

元亨者、只是始而亨者也、此通人物而言(通、元本作詠字。)。謂始初發生、大概一例亨通也。及到利貞、便是各正性命後、屬人而言也。利貞者分在性與情、只性爲本、情是性之動處。情又幾時惡。故者以利爲本、只是順利處爲性。若情則須是正也。
【読み】
元亨は、只是れ始めて亨る者なりとは、此れ人物を通じて言う(通は、元本詠の字に作る。)。始初の發生、大概一例に亨通するを謂うなり。利貞に到るに及んで、便ち是れ各々性命を正すの後は、人に屬いて言うなり。利貞は分かれて性と情とに在るも、只性を本と爲し、情は是れ性の動く處なり。情は又時に惡を幾[ねが]う。故は利を以て本と爲し、只是れ順利なる處を性と爲す。情の若きは則ち須く是れ正すべし。

醫家以不認痛癢謂之不仁。人以不知覺不認義理爲不仁、譬最近。
【読み】
醫家は痛癢を認めざるを以て之を不仁と謂う。人知覺せずして義理を認めざるを以て不仁と爲すは、譬え最も近し。

所以謂萬物一體者、皆有此理、只爲從那裏來。生生之謂易。生則一時生、皆完此理。人則能推、物則氣昏、推不得、不可道他物不與有也。人只爲自私、將自家軀殻上頭起意、故看得道理小了佗底。放這身來、都在萬物中一例看、大小大快活。釋氏以不知此、去佗身上起意思、奈何那身不得。故却厭惡、要得去盡根塵。爲心源不定、故要得如枯木死灰。然沒此理。要有此理、除是死也。釋氏其實是愛身、放不得。故說許多。譬如負販之蟲、已載不起、猶自更取物在身。又如抱石沉河、以其重愈沉、終不道放下石頭、惟嫌重也。
【読み】
萬物は一體なりと謂う所以の者は、皆此の理有りて、只那[か]の裏從り來ると爲せばなり。生生之を易と謂う。生まるるときは則ち一時に生まれ、皆此の理を完うす。人は則ち能く推し、物は則ち氣昏くして推し得ず、他物は與り有せずと道う可からず。人は只自私し、將に自家軀殻上頭に意を起さんとするが爲に、故に道理を看得て他底[かれ]を小とす。這の身を放ち來り、都て萬物の中に在りて一例に看ば、大小大に快活なり。釋氏は此を知らざるを以て、佗の身上に去[ゆ]いて意思を起こすも、那の身を奈何ともし得ず。故に卻って厭惡し、根塵を去り盡くすを得んと要す。心源定まらざるが爲に、故に枯木死灰の如くなるを得んと要す。然れども此の理沒[な]し。此の理有るを要せば、除[ただ]是れ死なり。釋氏は其の實は是れ身を愛して、放ち得ざるなり。故に說くこと許多なり。譬えば負版の蠱の如き、已に載せて起きざるに、猶自ら更に物を取りて身に在らしむ。又石を抱きて河に沉むが如き、其の重きを以て愈々沉めども、終に石頭を放下すと道わずして、惟重きを嫌えるのみ。

孟子論四端處、則欲擴而充之。說約處、則博學詳說而反說約。此内外交相養之道也。
【読み】
孟子四端を論ずる處は、則ち擴めて之を充てんことを欲す。約を說く處は、則ち博く學び詳らかに說いて反って約を說く。此れ内外交々相養うの道なり。

萬物皆備於我、不獨人爾、物皆然。都自這裏出去。只是物不能推、人則能推之。雖能推之、幾時添得一分。不能推之、幾時減得一分。百理具在、平鋪放著。幾時道堯盡君道、添得些君道多、舜盡子道、添得些孝道多。元來依舊。
【読み】
萬物皆我に備わるとは、獨り人のみにあらず、物皆然り。都て這の裏自り出で去る。只是れ物は推すこと能わず、人は則ち能く之を推す。能く之を推すと雖も、幾時か一分を添え得ん。之を推すこと能わざれども、幾時か一分を減じ得ん。百理具在して、平鋪放著す。幾時か堯君道を盡くして、些の君道を添え得ること多く、舜子道を盡くして、些の孝道を添え得ること多しと道わんや。元來舊きに依れり。

横渠敎人、本只是謂世學膠固、故說一箇淸虛一大。只圖得人稍損得沒去就道理來。然而人又更別處走。今日且只道敬。
【読み】
横渠人を敎うるに、本より只是れ世學膠固すと謂う、故に一箇の淸虛一大を說く。只人稍損し得て去就沒[な]きの道理を圖り得來る。然れども人又更に別處に走る。今日且只敬を道う。

聖人之德行、固不可得而名狀。若顏子底一箇氣象、吾曹亦心知之。欲學聖人、且須學顏子。(後來曾子・子夏、煞學得到上面也。)
【読み】
聖人の德行は、固より得て名狀す可からず。顏子底の一箇の氣象の若き、吾曹も亦心に之を知る。聖人を學ばんと欲せば、且須く顏子を學ぶべし。(後來曾子・子夏、煞だ學び得て上面に到るなり。)

今學者敬而不見得(元本有未字。)、又不安者、只是心生、亦是太以敬來做事得重。此恭而無禮則勞也。恭者私爲恭之恭也。禮者非體(一作禮。)之禮、是自然底道理也。只恭而不爲自然底道理。故不自在也。須是恭而安。今容貌必端、言語必正者、非是道獨善其身、要人道如何。只是天理合如此、本無私意。只是箇循理而已。
【読み】
今の學者敬して得ることを見ず(元本未の字有り。)、又安からざる者は、只是の心生ずれば、亦是れ太だ敬し來りて事を做すことの重きを得るを以てなり。此れ恭しくして禮無きときは則ち勞するなり。恭は私に恭を爲すの恭なり。禮は體(一に禮に作る。)の禮に非ず、是れ自然底の道理なり。只恭しくして自然底の道理を爲さず。故に自在ならざるなり。須く是れ恭しくして安かるべし。今容貌必ず端しく、言語必ず正しき者は、是れ獨り其の身を善くすと道うのみに非ず、人道如何と要す。只是れ天理此の如く、本私意無かる合し。只是れ箇の理に循うのみ。

堯夫解他山之石可以攻玉、玉者溫潤之物。若將兩塊玉來相磨、必磨不成。須是得佗箇粗礪底物方磨得出。譬如君子與小人處。爲小人侵陵、則脩省畏避、動心忍性、增益預防。如此便道理出來。
【読み】
堯夫他山の石は以て玉を攻[おさ]む可きを解く。玉は溫潤の物なり。若し兩塊の玉を將[も]ち來りて相磨さば、必ず磨すこと成らず。須く是れ佗箇の粗礪底の物を得べくして、方[はじ]めて磨し得出す。譬えば君子の小人と處るが如し。小人の侵陵するところと爲らば、則ち脩省畏避し、心を動かし性を忍び、預め防ぐことを增益せん。此の如くんば便ち道理出で來らん。

公掞昨在洛有書室、兩旁各一牖、牖各三十六隔、一書天道之要、一書仁義之道、中以一牓、書毋不敬、思無邪。中處之、此意亦好。
【読み】
公掞[こうえん]昨[さき]に洛に在るとき書室有り、兩旁各々一牖、牖各々三十六隔、一には天道の要を書し、一には仁義の道を書し、中一牓を以て、敬せざる毋かれ、思邪無しを書す。中に之を處するに、此の意亦好けん。

古人雖胎敎與保傅之敎、猶勝今日庠序郷黨之敎。古人自幼學、耳目游處、所見皆善、至長而不見異物。故易以成就。今人自少所見皆不善、才能言便習穢惡、日日消鑠。更有甚天理。須人理皆盡、然尙以些秉彝消鑠盡不得、故且恁過。一日之中、起多少巧僞、萠多少機穽。據此箇薰蒸、以氣動氣、宜乎聖賢之不生、和氣之不兆也。尋常閒或有些時和歲豐、亦出於幸也。不然、何以古者或同時或同家竝生聖人。及至後世、乃數千歲寂寥。
【読み】
古人胎敎は保傅の敎に與ると雖も、猶今日の庠序郷黨の敎に勝れり。古人幼自り學ぶに、耳目游ぶ處、見る所皆善く、長ずるに至って異物を見ず。故に以て成就し易し。今の人少き自り見る所皆不善、才かに能く言えば便ち穢惡に習いて、日日に消鑠す。更に甚[なん]の天理か有らん。須く人理皆盡くべく、然して尙些の彝を秉ること消鑠し盡くすこと得ざるを以て、故に且恁[かくのごと]く過ごす。一日の中、多少の巧僞を起こし、多少の機穽を萠す。此れ箇の薰蒸、氣を以て氣を動かすに據るにて、宜なるかな聖賢の生ぜざる、和氣の兆さざること。尋常の閒或は些の時和し歲豐かなること有るも、亦幸いに出づるなり。然らざるときは、何を以てか古者或は時を同じくし或は家を同じくして聖人を竝び生ぜん。後世に至るに及んで、乃ち數千歲寂寥たり。

人多言天地外。不知天地如何說内外、外面畢竟是箇甚。若言著外、則須似有箇規模。
【読み】
人多く天地の外と言う。知らず、天地如何ぞ内外を說かん、外面畢竟是れ箇の甚だしきをや。若し外を言著するときは、則ち須く箇の規模有るに似るべし。

凡言充塞云者、却似箇有規模底體面。將這氣充實之。然此只是指而示之近耳。氣則只是氣、更說甚充塞。如化育則只是化育、更說甚贊。贊與充塞、又早却是別一件事也。
【読み】
凡そ充塞と云うことを言う者は、却って箇の規模底の體面有るに似れり。將に這の氣之を充實せんとするなり。然れども此れ只是れ指して之に近きを示すのみ。氣は則ち只是れ氣、更に甚の充塞をか說かん。化育の如きは則ち只是れ化育、更に甚の贊をか說かん。贊と充塞とは、又早却って是れ別に一件の事なり。

理之盛衰之說、與釋氏初劫之言、如何到佗說便亂道、又却窺測得些。彼其言成住壞空。曰成壞則可。住與空則非也。如小兒旣生、亦日日長行、元不曾住。是佗本理只是一箇消長盈虧耳。更沒別事。
【読み】
理の盛衰の說と、釋氏初劫の言とは、如何ぞ佗の說は便ち道を亂るに到り、又却って窺い測り些を得ん。彼れ其れ成住壞空と言う。成壞と曰うは則ち可なり。住と空とは則ち非なり。小兒旣に生まれて、亦日日に長じ行くが如き、元より曾て住せず。是れ佗の本理は只是れ一箇の消長盈虧のみ。更に別事沒[な]し。

極爲天地中、是也。然論地中儘有說。據測景、以三萬里爲中、若有窮然。有至一邊已及一萬五千里、而天地之運蓋如初也。然則中者、亦時中耳。地形有高下、無適而不爲中。故其中不可定下。譬如楊氏爲我、墨氏兼愛、子莫於此二者以執其中、則中者適未足爲中也。故曰、執中無權、猶執一也。若是因地形高下、無適而不爲中、則天地之化不可窮也。若定下不易之中、則須有左有右、有前有後、四隅旣定、則各有遠近之限、便至百千萬億、亦猶是有數。蓋有數則終有盡處。不知如何爲盡也。
【読み】
極を天地の中と爲すは、是なり。然れども地の中を論ずるに儘說有り。景を測って、三萬里を以て中と爲すに據るに、窮まり有るが若く然り。一邊に至ること有るに已に一萬五千里に及んで、天地の運は蓋し初めの如し。然れば則ち中は、亦時中なるのみ。地形に高下有り、適くとして中と爲らざること無し。故に其の中は定め下す可からず。譬えば楊氏が我が爲にし、墨氏が兼愛し、子莫此の二者に於て以て其の中を執るが如きは、則ち中は適に未だ中と爲すに足らず。故に曰く、中を執りて權無きは、猶一を執るがごとし、と。若し是れ地形の高下に因りて、適くとして中と爲らざること無きときは、則ち天地の化窮まる可からず。若し不易の中を定め下さば、則ち須く左有り右有り、前有り後有るべく、四隅旣に定るときは、則ち各々遠近の限り有り、便ち百千萬億に至っても、亦猶是れ數有り。蓋し數有るときは則ち終に盡きる處有り。知らず、如何にしてか盡くすことを爲さん。

日之形、人莫不見、似輪似餅。其形若有限、則其光亦須有限。若只在三萬里中升降出沒、則須有光所不到處、又安有此理。今天之蒼蒼、豈是天之形。視下也亦須如是。日固陽精也。然不如舊說、周囘而行、中心是須彌山。日無適而不爲精也。地旣無適而不爲中、則日無適而不爲精也。氣行滿天地之中、然氣須有精處。故其見如輪如餅。譬之鋪一溜柴薪、從頭爇著、火到處、其光皆一般。非是有一塊物推著行將去。氣行到寅、則寅上有光、行到卯、則卯上有光。氣充塞、無所不到。若這上頭得箇意思、便知得生物之理。
【読み】
日の形は、人見ざること莫く、輪に似餅に似れり。其の形若し限り有らば、則ち其の光も亦須く限り有るべし。若し只三萬里の中に在りて升降出沒せば、則ち須く光到らざる所の處有るべく、又安んぞ此の理有らん。今天の蒼蒼たる、豈是れ天の形ならんや。下を視るも亦須く是の如くなるべし。日は固に陽精なり。然れども舊說の、周囘して行[めぐ]り、中心是れ須彌山というが如くならず。日は適くとして精爲らざること無し。地旣に適くとして中と爲らざること無きときは、則ち日も適くとして精爲らざること無きなり。氣行り天地の中に滿つる、然も氣も須く精の處有るべし。故に其の見ること輪の如く餅の如し。之を譬うるに一溜の柴薪を鋪いて、頭從り爇著[ねっちょ]すれば、火の到る處、其の光皆一般なり。是れ一塊の物有りて推著し行き將て去るに非ず。氣行りて寅に到るときは、則ち寅の上に光有り、行りて卯に到るときは、則ち卯の上に光有り。氣充塞して、到らざる所無し。若し這の上頭箇の意思を得ば、便ち生物の理を知得せん。

觀書者、亦須要知得隨文害義。如書曰湯旣勝夏、欲遷其社、不可、旣處湯爲聖人、聖人不容有妄舉。若湯始欲遷社、衆議以爲不可而不遷、則是湯先有妄舉也。不可者、湯不可之也。湯以爲國旣亡、則社自當遷。以爲遷之不若不遷之愈。故但屋之。屋之、則與遷之無以異。旣爲亡國之社、則自王城至國都皆有之、使爲戒也。故春秋書亳社災。然則魯有亳社、屋之。故有火災。此制、計之必始於湯也。
【読み】
書を觀る者は、亦須く文に隨い義を害することを知り得んことを要すべし。書に湯旣に夏に勝ちて、其の社を遷さんと欲して、不可とすと曰うが如き、旣に湯を處して聖人と爲せば、聖人は妄舉有る容からず。若し湯始め社を遷さんことを欲し、衆議以て不可と爲して遷さざるときは、則ち是れ湯先づ妄舉有るなり。不可は、湯之を不可とするなり。湯以爲えらく、國旣に亡ぶるときは、則ち社自ら當に遷すべし、と。以爲えらく、之を遷すは遷さざるの愈れるに若かず、と。故に但之を屋にす。之を屋にするときは、則ち之を遷すと以て異なること無し。旣に亡國の社を爲ることは、則ち王城自り國都に至るまで皆之れ有り、戒むることを爲さしむるなり。故に春秋に亳の社災ありと書す。然れば則ち魯に亳の社有り、之を屋にす。故に火災有り。此の制、之を計るに必ず湯より始まるならん。

長安西風而雨、終未曉此理。須是自東自北而風則雨、自南自西則不雨。何者。自東自北皆屬陽(坎卦本陽。)、陽唱而陰和。故雨。自西自南陰也。陰唱則陽不和。蝃蝀之詩曰、朝隮于西、崇朝其雨。是陽來唱也。故雨。蝃蝀在東、則是陰先唱也。莫之敢指者、非謂手指莫敢指陳也、猶言不可道也。易言、密雲不雨、自我西郊。言自西則是陰先唱也。故雲雖密而不雨。今西風而雨、恐是山勢使然。
【読み】
長安西風ありて雨ふるは、終に未だ此の理を曉さず。須く是れ東自りし北自りして風ふくときは則ち雨ふり、南自りし西自よりするときは則ち雨ふらず。何者ぞ。東自りし北自りするは皆陽に屬し(坎卦は本陽。)、陽唱えて陰和す。故に雨ふる。西自りし南自りするは陰なり。陰唱えるときは則ち陽和せず。蝃蝀[ていとう]の詩に曰く、朝に西に隮[せい]あれば、崇朝其れ雨ふる、と。是れ陽來り唱えればなり。故に雨ふる。蝃蝀東に在るときは、則ち是れ陰先づ唱えるなり。之を敢えて指すこと莫しというは、手指敢えて指陳すること莫しと謂うに非ず、猶道う可からずと言うがごとし。易に言く、密雲あれど雨ふらず、我が西郊よりす、と。言うこころは西自りするときは則ち是れ陰先づ唱えるなり。故に雲密なりと雖も雨ふらず。今西風ありて雨ふるは、恐らくは是れ山勢然らしむるならん。

學者用了許多工夫、下頭須落道了、是入異敎。只爲自家這下元未曾得箇安泊處、那下說得成熟。世人所惑者鬼神轉化、佗總有說、又費力說道理、又打入箇無底之壑。故一生出不得。今日須是自家這下照得理分明、則不走作。形而下形而上者、亦須更分明須得。雖則心有(一作存。)默識、有難名狀處、然須說盡心知性知天、亦須於此留意。(此章一無落道了是四字。)
【読み】
學者許多の工夫を了することを用うれども、下頭須く落道し了わるべく、是れ異敎に入るなり。只自家這の下元より未だ曾て箇の安んじ泊まる處を得ざるが爲に、那ぞ說を下すこと成熟することを得んや。世人惑う所の者は鬼神の轉化、佗總て說有りて、又力を費やし道理を說き、又箇の無底の壑に打入す。故に一生出で得ず。今日須く是れ自家這の下の理を照らし得ること分明なるときは、則ち走作せざるべし。形よりして下、形よりして上なる者も、亦更に分明なるを須って須く得べし。則ち心默識すること有(一に存に作る。)りと雖も、名狀し難き處有り、然も須く心を盡くし性を知り天を知ることを說くべく、亦須く此に於て意を留むべし。(此の章一に落道了是の四字無し。)

學則與佗窮理盡性以至於命、則不失。異敎之書、雖小道必有可觀者焉。然其流必乖。故不可以一事遂都取之。若楊・墨亦同是堯・舜、同非桀・紂。是非則可也。其就上所說、則是成就他說也。非桀是堯、是吾依本分事。就上過說、則是佗私意說箇。要之、只有箇理。
【読み】
學は則ち佗に與するに理を窮め性を盡くして以て命に至ることは、則ち失せず。異敎の書は、小道と雖も必ず觀る可き者有り。然れども其の流は必ず乖[そむ]く。故に一事を以て遂に都て之を取る可からず。楊・墨の若きも亦同じく堯・舜を是とし、同じく桀・紂を非とす。是非は則ち可なり。其の上に就いて說く所は、則ち是れ他の說を成就するなり。桀を非とし堯を是とするは、是れ吾が本分に依るの事。上に就いて過說するは、則ち是れ佗の私意の說箇。之を要するに、只箇の理有るのみ。

講學本不消得理會。然每與剔撥出。只是如今雜亂膠固、須著說破。
【読み】
講學は本理會することを得ることを消いず。然れども每に與に剔撥[てきはつ]し出せ。只是れ今の雜亂膠固の如きは、須く說を著け破るべし。

孟子論王道便實。徒善不足爲政、徒法不能自行、便先從養生(一作道。)上說將去。旣庶旣富、然後以飽食煖衣而無敎爲不可。故敎之也。孟子而後、却只有原道一篇。其閒語固多病、然要之大意儘近理。若西銘、則是原道之宗祖也。原道却只說到道、元未到得西銘意思。據子厚之文、醇然無出此文也、自孟子後、蓋未見此書。
【読み】
孟子王道を論ずることは便ち實なり。徒善は政をするに足らず、徒法は自ら行うこと能わずというは、便ち先養生(一に道に作る。)の上從り說き將て去る。旣に庶[おお]く旣に富みて、然して後に飽食煖衣して敎無きを以て不可と爲す。故に之を敎うるなり。孟子よりして後、却って只原道の一篇有るのみ。其の閒語固に病い多けれども、然れども之を要するに大意儘理に近し。西の銘の若きは、則ち是れ原道の宗祖なり。原道は却って只說いて道に到れども、元より未だ西の銘の意思に到り得ず。子厚の文に據るに、醇然たること此の文に出づること無きこと、孟子自り後、蓋し未だ此の書を見ず。

聖人之敎、以所貴率人、釋氏以所賤率人(初本無此十六字。卷末注云、又學佛者難吾言章、一本章首有云云、下同。餘見昨日之會章。)。學佛者難(去聲。)吾言、謂人皆可以爲堯・舜、則無僕隸。正叔言、人皆可以爲堯・舜、聖人所願也。其不爲堯・舜、是所可賤也。故以爲僕隸。
【読み】
聖人の敎は、貴き所を以て人を率い、釋氏は賤しくする所を以て人を率う(初本此の十六字無し。卷末の注云う、又學佛者難吾言の章、一本章の首めに云云有り、下に同じ。餘は昨日の會の章に見ゆ。)。佛を學ぶ者吾が言を難(去聲。)じて、人皆以て堯・舜爲る可きときは、則ち僕隸無けんと謂う。正叔言く、人皆以て堯・舜爲る可きは、聖人の願う所なり。其の堯・舜爲らざるは、是れ賤しくす可き所なり。故に以て僕隸と爲す、と。

游酢・楊時先知學禪、已知向裏沒安泊處。故來此、却恐不變也。暢大隱許多時學、乃方學禪、是於此蓋未有所得也。呂進伯可愛。老而好學、理會直是到底。天祺自然有德氣、似箇貴人氣象。只是却有氣短處、規規太以事爲重、傷於周至。却是氣局小。景庸則只是才敏。須是天祺與景庸相濟、乃爲得中也。
【読み】
游酢・楊時先に禪を學ぶことを知って、已に裏に向かいて安んじ泊まる處沒[な]きことを知る。故に此に來て、却って恐れらくは變ぜざらんことを。暢大隱許多の時に學び、乃ち方に禪を學ぶは、是れ此に於て蓋し未だ得る所有らざればなり。呂進伯は愛す可し。老いて學を好むこと、理會直に是れ到底なり。天祺は自然に德氣有りて、箇の貴人の氣象に似たり。只是れ却って氣短き處有りて、規規として太だ事を以て重しと爲し、周至に傷らる。却って是れ氣局小なればなり。景庸は則ち只是れ才敏なり。須く是れ天祺と景庸と相濟して、乃ち中を得たりと爲すべし。

子厚則高才、其學更先從雜博中過來。
【読み】
子厚は則ち高才、其の學は更に先づ雜博の中從り過ぎ來る。

理則天下只是一箇理。故推至四海而準。須是質諸天地、考諸三王不易之理。故敬則只是敬此者也、仁是仁此者也。信是信此者也。又曰、顚沛造次必於是。又言、吾斯之未能信。只是道得如此、更難爲名狀。
【読み】
理は則ち天下只是れ一箇の理。故に推して四海に至っても準なり。須く是れ諸を天地に質し、諸を三王に考えて易わらざるの理なるべし。故に敬は則ち只是れ此を敬する者なり、仁は是れ此を仁する者なり。信は是れ此を信ずる者なり。又曰く、顚沛造次も必ず是に於てす、と。又言く、吾れ斯を之れ未だ信ずること能わず、と。只是れ道い得ること此の如きは、更に名狀を爲し難ければなり。

今異敎之害、道家之說則更沒可闢。唯釋氏之說衍蔓迷溺至深。今日(今日一作自。)是釋氏盛而道家蕭索。方其盛時、天下之士往往自(一作又。)從其學、自難與之力爭。惟當自明吾理、吾理自立、則彼不必與爭。然在今日、釋氏却未消理會。大患者却是介甫之學。譬之盧從史在潞州。知朝廷將討之、當時便使一處逐其節度使。朝廷之議、要討逐節度者。而李文饒之意、要先討潞州、則不必治彼而自敗矣。如今日、却要先整頓介甫之學、壞了後生學者。
【読み】
今異敎の害、道家の說は則ち更に闢く可き沒[な]し。唯釋氏が說は衍蔓して迷溺すること至って深し。今日(今日は一に自に作る。)是れ釋氏盛んにして道家蕭索たり。其の盛んなる時に方りて、天下の士往往自ら(一に又に作る。)其の學に從って、自ら之と力めて爭い難し。惟當に自ら吾が理を明らかにすべく、吾が理自ら立つときは、則ち彼必ず與に爭わず。然れども今日に在りては、釋氏は却って未だ理會することを消いず。大いに患うる者は却って是れ介甫が學なり。之を盧從史の潞州に在るに譬う。朝廷將に之を討ぜんとするを知り、當時便ち一處をして其の節度使を逐わしむ。朝廷の議、節度の者を討逐せんことを要す。而るに李文饒が意、先づ潞州を討ぜんことを要せば、則ち必ずしも彼を治めずして自づから敗れん、と。今日の如きは、却って先づ介甫が學を整頓して、壞了して後學者を生さんことを要す。

異敎之說、其盛如此、其久又如是。亦須是有命。然吾輩不謂之命也。
【読み】
異敎の說、其の盛んなること此の如く、其の久しきこと又是の如し。亦須く是れ命有るべし。然れども吾輩は之を命と謂わざるなり。

人之於患難、只有一箇處置。盡人謀之後、却須泰然處之。有人遇一事、則心心念念不肯舍、畢竟何益。若不會處置了放下、便是無義無命也。
【読み】
人の患難に於る、只一箇の處置有り。人謀を盡くすの後、却って須く泰然として之を處すべし。人一事に遇うこと有れば、則ち心心念念肯えて舍てざるは、畢竟何の益あらん。若し處置し了わりて放下することを會せざれば、便ち是れ義無く命無きなり。

道之不明也、賢者過之、不肖者不及也、賢者則只過當、不肖又却都休。
【読み】
道の明らかならざる、賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばざるなりとは、賢者は則ち只過當、不肖は又却って都て休するなり。

冬至一陽生、却須斗寒、正如欲曉而反暗也。陰陽之際、亦不可截然不相接、厮侵過便是道理。天地之閒、如是者極多。艮之爲義、終萬物、始萬物。此理最妙。須玩索這箇理。
【読み】
冬至一陽生じて、却って須く斗寒なるべきは、正に曉ならんと欲して反って暗きが如きなり。陰陽の際も、亦截然として相接わらざる可からず、厮侵過は便ち是れ道理なり。天地の閒、是の如き者極めて多し。艮の義爲る、萬物を終え、萬物を始む。此の理最も妙なり。須く這箇の理を玩索すべし。

古言乾・坤退處不用之地、而用六子。若人、則便分君道無爲、臣道有爲。若天、則誰與佗安排。佗如是、須有道理。故如八卦之義、須要玩索。
【読み】
古に言う、乾・坤不用の地に退處して、六子を用う、と。人の若きは、則便ち君道の無爲、臣道の有爲を分かつ。天の若きは、則ち誰か佗と安排せん。佗是の如くば、須く道理有るべし。故に八卦の義の如き、須く玩索することを要すべし。

早梅冬至已前發、方一陽未生。然則發生者何也。其榮其枯、此萬物一箇陰陽升降大節也。然逐枝自有一箇榮枯、分限不齊。此各有一乾・坤也。各自有箇消長、只是箇消息。惟其消息、此所以不窮。至如松柏、亦不是不彫。只是後彫、彫得不覺、怎少得消息。方夏生長時、却有夏枯者、則冬寒之際有發生之物。何足怪也。
【読み】
早梅の冬至已前に發するは、一陽未だ生ぜざるに方る。然れば則ち發生する者は何ぞや。其の榮其の枯、此れ萬物一箇の陰陽升降の大節なり。然も逐枝に自づから一箇の榮枯有りて、分限齊しからず。此れ各々一乾・坤有ればなり。各々自づから箇の消長有るは、只是れ箇の消息。惟其の消息するは、此れ窮まらざる所以なり。松柏の如きに至っても、亦是れ彫まずんばあらず。只是れ彫むに後れて、彫み得ること覺らず、怎ぞ消息を少[か]き得ん。夏生長する時に方りて、却って夏枯する者有るときは、則ち冬寒の際にも發生の物有り。何ぞ怪しむに足らんや。

物理最好玩。
【読み】
物理最も玩[なら]うに好し。

陰陽於天地閒、雖無截然爲陰爲陽之理、須去參錯。然一箇升降生殺之分、不可無也。
【読み】
陰陽の天地の閒に於る、截然たる陰爲り陽爲るの理無しと雖も、須く參錯するを去るべし。然も一箇の升降生殺の分、無くんばある可からざるなり。

動植之分、有得天氣多者、有得地氣多者、本乎天者親上、本乎地者親下。然要之、雖木植亦兼有五行之性在其中、只是偏得土之氣。故重濁也。
【読み】
動植の分、天氣を得ること多き者有り、地氣を得ること多き者有り、天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。然して之を要すれば、木植と雖も亦五行の性を兼有して其の中に在り、只是れ偏に土の氣を得。故に重濁するなり。

伯淳言、西銘某得此意。只是須得佗子厚有如此筆力、佗人無緣做得。孟子以後、未有人及此。得此文字、省多少言語。且敎佗人讀書。要之仁孝之理備於此。須臾而不於此、則便不仁不孝也。
【読み】
伯淳言く、西の銘は某此の意を得。只是れ須く佗の子厚の此の如き筆力有るを得べく、佗人做し得るに緣無し。孟子以後、未だ人此に及ぶもの有らず。此の文字を得て、多少の言語を省る。且佗人をして讀書せしむる。之を要するに仁孝の理此に備わる。須臾も而も此に於てせずんば、則便ち不仁不孝なり。

詩前序必是當時人所傳、國史明乎得失之迹者是也。不得此、則何緣知得此篇是甚意思。大序則是仲尼所作。其餘則未必然。要之、皆得大意。只是後之觀詩者亦添入。
【読み】
詩の前序は必ず是れ當時の人の傳うる所、國史得失の迹を明らかにする者是れなり。此を得ざれば、則ち何に緣ってか此の篇は是れ甚[なん]の意思なることを知り得ん。大序は則ち是れ仲尼の作る所。其の餘は則ち未だ必ずしも然らず。之を要するに、皆大意を得。只是れ後の詩を觀る者亦添え入るならん。

詩有六體、須篇篇求之、或有兼備者、或有偏得一二者。今之解詩者、風則分付與國風矣、雅則分付與大・小雅矣、頌卽分付與頌矣。詩中且沒却這三般體、如何看得詩。風之爲言、便有風動之意。興便有一興喩之意。比則直比之而已。蛾眉瓠犀是也。賦則賦陳其事。如齊侯之子、衛侯之妻是也。雅則正言其事。頌則稱美之言也。如于嗟乎騶虞之類是也。
【読み】
詩に六體有り、須く篇篇に之を求むべく、或は兼ね備うる者有り、或は偏に一二を得る者有り。今の詩を解する者、風は則ち分かちて國風に付與し、雅は則ち分かちて大・小雅に付與し、頌は卽ち分かちて頌に付與す。詩中且這の三般の體を沒却せば、如何ぞ詩を看得ん。風の言爲る、便ち風動の意有り。興は便ち一興喩の意有り。比は則ち直に之に比するのみ。蛾眉瓠犀是れなり。賦は則ち其の事を賦陳す。齊侯の子、衛侯の妻というが如き是れなり。雅は則ち正しく其の事を言う。頌は則ち稱美の言なり。于嗟[ああ]騶虞[すうぐ]というの類の如き是れなり。

關雎之詩、如言樂得淑女、以配君子、憂在進賢、不淫其色、非后妃之事。明知此意是作詩者之意也。如此類推之。
【読み】
關雎の詩、淑女を得て、以て君子に配することを樂しむ、憂いは賢を進むるに在りて、其の色に淫せずと言うが如きは、后妃の事に非ず。明らかに此の意を知らば是れ詩を作る者の意なり。此の如きの類之を推せ。

詩言后妃夫人者、非必謂文王之妻也。特陳后妃夫人之事、如斯而已。然其後亦有當時詩附入之者、汝墳是也。且二南之詩、必是周公所作。佗人恐不及此。以其爲敎於衽席之上、閨門之内、上下貴賤之所同也。故用之郷人邦國而謂之國風也。化天下只是一箇風、至如鹿鳴之詩數篇、如燕羣臣、遣戍役、勞還率之類、皆是爲國之常政。其詩亦恐是周公所作。如後人之爲樂章是也。
【読み】
詩に后妃夫人と言う者は、必ずしも文王の妻を謂うに非ざるなり。特[ただ]后妃夫人の事を陳ぶること、斯の如きのみ。然も其の後も亦當時の詩之を附入する者有り、汝墳是れなり。且二南の詩は、必ず是れ周公の作る所ならん。佗人恐らくは此に及ばじ。其の敎を衽席の上、閨門の内に爲すを以て、上下貴賤の同じくする所なり。故に之を郷人邦國に用いて之を國風と謂うなり。天下を化するは只是れ一箇の風、鹿鳴の詩數篇の如きに至って、羣臣を燕し、戍役を遣し、還率を勞するが如きの類、皆是れ國の常政爲り。其の詩も亦恐らくは是れ周公の作る所ならん。後人の樂章を爲るが如き是れなり。

論語中言唐棣之蕐者、因權而言逸詩也。孔子刪詩、豈只取合於雅頌之音而已。亦是謂合此義理也。如皇矣・烝民・文王・大明之類、其義理、非人人學至於此、安能及此。作詩者又非一人、上下數千年若合符節、只爲合這一箇理。若不合義理、孔子必不取也。
【読み】
論語の中唐棣[とうてい]の蕐を言う者は、權に因りて言う逸詩なり。孔子詩を刪る、豈只雅頌に合う音のみを取らんや。亦是れ此の義理に合うを謂うなり。皇矣・烝民・文王・大明の類の如き、其の義理、人人學んで此に至るに非ずんば、安んぞ能く此に及ばん。詩を作る者も又一人に非ず、上下數千年符節を合わせたるが若きは、只這の一箇の理に合うが爲なり。若し義理に合わずんば、孔子必ず取らじ。

夫子言興於詩、觀其言、是興起人善意、汪洋浩大、皆是此意。如言秉心塞淵、騋牝三千。須是塞淵、然後騋牝三千(塞淵有義理。)。又如駉之詩、坰牧是賤事、其中却言思無邪。詩三百、一言以蔽之者在此一句。坰牧而必要思無邪者、蓋爲非此則不能坰牧。又如考槃之詩、解者謂賢人永誓不復告君、不復見君、又自誓不詐而實如此也。據此安得有賢者氣象。孟子之於齊、是甚君臣。然其去、未嘗不遲遲顧戀。今此君才不用、便躁忿如此、是不可磯也。乃知此詩、解者之誤。此詩是賢者退而窮處、心不忘君、怨慕之深者也。君臣猶父子。安得不怨。故直至於寤寐弗忘、永陳其不得見君與告君、又陳其此誠之不詐也。(此章注塞淵有義理、一作塞淵於義理。)
【読み】
夫子詩に興ると言うは、其の言を觀るに、是れ人をして善意を興起して、汪洋浩大ならしむ、皆是れ此の意なり。心を秉ること塞淵、騋牝[らいひん]三千と言うが如し。須く是れ塞淵して、然して後に騋牝三千なるべし(塞淵に義理有り。)。又駉[けい]の詩の如き、坰牧[けいぼく]は是れ賤事、其の中却って思い邪無しと言う。詩三百、一言以て之を蔽う者は此の一句に在り。坰牧にして必ず思い邪無きを要する者は、蓋し此に非ざれば則ち坰牧すること能わざるが爲なり。又考槃の詩の如き、解する者謂えらく、賢人永く復君に告げず、復君に見えざることを誓い、又自ら詐らずして實なることを誓うこと此の如けん、と。此に據るに安んぞ賢者の氣象有ることを得ん。孟子の齊に於る、是れ甚[なん]の君臣ぞ。然れども其の去ること、未だ嘗て遲遲として顧戀せずんばあらず。今此の君才かに用いずとして、便ち躁忿なること此の如くならば、是れ磯[き]す可からず。乃ち知る、此の詩は、解する者の誤りなることを。此の詩は是れ賢者退いて窮處して、心君を忘れず、怨慕することの深き者なり。君臣は猶父子のごとし。安んぞ怨みざることを得ん。故に直に寤寐忘れざるに至りて、永く其の君に見えると君に告げるとを得ざることを陳べ、又其の此の誠の詐らざることを陳ぶるなり。(此の章注の塞淵有義理は、一に塞淵於義理に作る。)

堯與舜更無優劣、及至湯・武便別。孟子言性之反之。自古無人如此說。只孟子分別出來。便知得堯・舜是生而知之、湯・武是學而能之。文王之德則似堯・舜、禹之德則似湯・武。要之皆是聖人。
【読み】
堯と舜とは更に優劣無く、湯・武に至るに及んで便ち別なり。孟子之を性のままにし之を反すと言う。古自り人此の如く說く無し。只孟子のみ分別し出し來る。便ち堯・舜は是れ生まれながらにして之を知り、湯・武は是れ學んで之を能くすることを知り得。文王の德は則ち堯・舜に似、禹の德は則ち湯・武に似たり。之を要すれば皆是れ聖人なり。

詩云、上天之載、無聲無臭、儀刑文王、萬邦作孚、上天又無聲臭之可聞、只看文王便萬邦取信也。又曰、維天之命、於穆不已、蓋曰天之所以爲天也。文王之德之純、蓋曰文王之所以爲文也。然則文王之德、直是似天。昊天曰明、及爾出王。昊天曰旦、及爾游衍、只爲常是這箇道理。此箇(一作理。)亦須待佗心熟、便自然別。
【読み】
詩に云う、上天の載は、聲も無く臭も無し、文王に儀[かたど]り刑[のっと]らば、萬邦作りて孚とせんとは、上天も又聲臭の聞く可き無く、只文王を看て便ち萬邦信を取るなり。又曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まずとは、蓋し天の天爲る所以を曰うなり。文王の德の純なるとは、蓋し文王の文爲る所以を曰うなり。然れば則ち文王の德は、直に是れ天に似れり。昊天曰[ここ]に明らかなり、爾と出で王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり、爾と游衍すとは、只常に是れ這箇の道理を爲す。此の箇(一に理に作る。)も亦須く佗の心熟するを待ちて、便ち自然に別なるべし。

樂則生、生則烏可已也、須是熟方能如此。苟爲不熟、不如稊稗。
【読み】
樂しむときは則ち生ず、生ずるときは則ち烏んぞ已む可けんとは、須く是れ熟して方に能く此の如くなるべし。苟も熟せざることを爲さば、稊稗にも如しかず。

是集義所生、非義襲而取之也。須集義。這上頭莫非義也。
【読み】
是れ集義の生す所、義襲[かさ]ねて之を取るに非ざるなり。須く集義すべし。這の上頭義に非ざる莫し。

仁義禮智根於心其生色、言四者、本於心而生色也。睟於面、盎於背、施於四體、四體不言而喩、孟子非自及此、焉能道得到此。
【読み】
仁義禮智は心に根ざして其れ色に生ずとは、言うこころは四つの者は、心に本づいて色に生ずるなり。面に睟[つや]やかに、背に盎[あふ]れ、四體に施し、四體言わずして喩るとは、孟子自ら此に及ぶに非ざれば、焉んぞ能く道い得ること此に到らん。

今志於義理而心不安樂者、何也。此則正是剩一箇助之長。雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚、便是必有事焉而正之也。亦須且恁去。如此者只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也。
【読み】
今義理に志して心安樂ならざる者は、何ぞや。此れ則ち正に是れ一箇の之を助けて長ぜしむることを剩[あま]すなり。則ち心之を操るときは則ち存し、之を舍つるときは則ち亡ぶと雖も、然れども之を持すること太甚だしければ、便ち是れ必ず事とすること有りて而して之を正[あてて]するなり。亦[それ]須く且に恁[かく]し去らんとす。此の如き者は只是れ德孤なり。德孤ならざれば、必ず鄰有り。德盛んなる後に到りて、自ら窒礙無く、左右其の原に逢うなり。

中庸言禮儀三百、威儀三千、方是說優優大哉。又却非如異敎之說、須得如枯木死灰以爲得也。
【読み】
中庸に言う禮儀三百、威儀三千は、方に是れ優優として大なるかなと說く。又却って異敎の說の、枯木死灰の如くなるを得ることを須って以て得たりと爲すが如きに非ざるなり。

得此義理在此、甚事不盡。更有甚事出得。視世之功名事業、甚譬如閑。視世之仁義者、甚煦煦孑孑、如匹夫匹婦之爲諒也。自視(一作是。)天來大事、處以此理、又曾何足論。若知得這箇義理、便有進處。若不知得、則何緣仰高鑽堅、在前在後也。竭吾才、則又見其卓爾。
【読み】
此の義理此に在ることを得ば、甚[なん]の事か盡くさざらん。更に甚の事有りてか出で得ん。世の功名事業に視るに、甚の譬うること閑あるが如けん。世の仁義の者に視るに、甚の煦煦[くく]孑孑[けつけつ]として、匹夫匹婦の諒を爲すが如けん。自ら天より來す大事を視(一に是に作る。)、處するに此の理を以てせば、又曾て何ぞ論ずるに足らん。若し這箇の義理を知り得ば、便ち進む處有らん。若し知り得ずんば、則ち何に緣りてか仰げば高く鑽れば堅く、前に在り後に在らん。吾が才を竭くせば、則ち又其の卓爾たるを見ん。

德者得也。須是實到這裏須得。
【読み】
德は得なり。須く是れ實に這の裏に到りて須く得べし。

言反身而誠、樂莫大焉、却是著人上說。
【読み】
身に反りて誠あれば、樂焉より大なるは莫しと言うは、却って是れ人上に著いて說く。

邵堯夫於物理上儘說得、亦大段漏洩佗天機。
【読み】
邵堯夫物理上に於て儘說き得、亦大段佗の天機を漏洩す。

人於天理昏者、是只爲嗜欲亂著佗。莊子言、其嗜欲深者、其天機淺、此言却最是。
【読み】
人天理に於て昏き者は、是れ只嗜欲佗を亂著するが爲なり。莊子が言う、其の嗜欲深き者は、其の天機淺し、と。此の言却って最も是なり。

這箇義理、仁者又看做仁了也、知者又看做知了也。百姓又日用而不知。此所以君子之道鮮矣。此箇亦不少、亦不剩、只是人看他不見。
【読み】
這箇の義理、仁者は又看て仁と做し了わり、知者は又看て知と做し了わる。百姓は又日に用うれども而も知らず。此れ君子の道鮮き所以なり。此れ箇も亦少なからず、亦剩[あま]らず、只是れ人他を看て見ざるなり。

今天下之士人、在朝者又不能言、退者遂忘之、亦不肯言。此非朝廷吉祥。雖未見從、又不曾有大橫見加、便豈可自絕也。君臣、父子也。父子之義不可絕。豈有身爲侍從、尙食其祿、視其危亡、曾不論列。君臣之義、固如此乎。
【読み】
今天下の士人、朝に在る者は又言うこと能わず、退く者は遂に之を忘れ、亦肯えて言わず、此れ朝廷の吉祥に非ず。未だ從うことを見ずと雖も、又曾て大橫見加えること有らざれば、便ち豈自ら絕つ可けんや。君臣は、父子なり。父子の義は絕つ可からず。豈身侍從と爲りて、尙其の祿を食し、其の危亡を視て、曾ぞ論列せざること有らんや。君臣の義は、固に此の如くならんや。

寂然不動、感而遂通者、天理具備、元無欠少、不爲堯存、不爲桀亡。父子君臣、常理不易、何曾動來。因不動、故言寂然。雖不動、感便通。感非自外也。
【読み】
寂然として動かず、感じて遂に通ずる者は、天理具備して、元より欠少無く、堯の爲に存せず、桀の爲に亡びず。父子君臣は、常理不易、何ぞ曾て動來せん。動かざるに因りて、故に寂然と言う。動かずと雖も、感ずれば便ち通ず。感ずること外自りするに非ざるなり。

若不一本、則安得先天而天不違、後天而奉天時。
【読み】
若し本を一にせずんば、則ち安んぞ天に先だちて天に違わず、天に後れて天の時を奉ずることを得ん。

所務於窮理者、非道須盡窮了天下萬物之理、又不道是窮得一理便到。只是要積累多後、自然見去。
【読み】
理を窮むることを務むる所の者は、須く盡く天下萬物の理を窮了すべきを道うに非ず、又是れ一理を窮め得ば便ち到ると道わず。只是れ積累多きことを要めて後、自然に見去る。

天地安有内外。言天地之外、便是不識天地也。人之在天地、如魚在水、不知有水、直待出水、方知動不得。
【読み】
天地安んぞ内外有らん。天地の外と言うは、便ち是れ天地を識らざるなり。人の天地に在るは、魚の水に在りて、水有ることを知らず、直に水を出づるを待って、方に動くこと得ざることを知るが如し。

禮一失則爲夷狄、再失則爲禽獸。聖人初恐人入於禽獸也。故於春秋之法極謹嚴(元本無故字。)。中國而用夷狄禮、則便夷狄之。韓愈言春秋謹嚴、深得其旨。韓愈道佗不知又不得。其言曰、易奇而法、詩正而葩、春秋謹嚴、左氏浮夸。其名理皆善。
【読み】
禮一たび失するときは則ち夷狄と爲り、再び失するときは則ち禽獸と爲らん。聖人初めて人の禽獸に入らんことを恐る。故に春秋の法に於て極めて謹嚴なり(元本故の字無し。)。中國なれども夷狄の禮を用うるときは、則便ち之を夷狄にす。韓愈春秋は謹嚴と言うは、深く其の旨を得たり。韓愈佗を道うこと知らずんば又得じ。其の言に曰く、易は奇にして法、詩は正にして葩[は]、春秋は謹嚴、左氏は浮夸、と。其の名理皆善し。

當春秋・戰國之際、天下小國介於大國、奔命不暇。然足以自維持數百年。此勢卻似稻塍、各有界分約束。後世遂有土崩之勢、道壞便一時壞(元本無此一壞字。)。陳涉一叛、天下遂不支梧。今日堂堂天下、只西方一敗、朝廷遂震、何也。蓋天下之勢、正如稻塍、各有限隔、則卒不能壞。今天下却似一箇萬頃陂。要起卒起不得。及一起則汹湧、遂奈何不得。以祖宗德澤仁厚、涵養百餘年閒、一時柔了人心。雖有豪傑、無箇端倪起得、便只要安靜、不宜使搖動。雖夷狄亦散兵却鬭、恃(一本無恃字。)此中國之福也(一本此字下有非字。)
【読み】
春秋・戰國の際に當たりて、天下の小國大國に介して、命に奔るに暇あらず。然れども以て自ら數百年を維持するに足れり。此の勢卻って稻塍[とうしょう]に似て、各々界分約束有り。後世遂に土のごとく崩るるの勢有れば、道壞れて便ち一時に壞る(元本此の一壞の字無し。)。陳涉一たび叛いて、天下遂に支梧せず。今日堂堂たる天下、只西方一たび敗れて、朝廷遂に震うは、何ぞや。蓋し天下の勢、正に稻塍の如くなるときは、各々限隔有れば、則ち卒に壞ること能わじ。今天下却って一箇萬頃の陂に似たり。起こさんと要めても卒に起こること得ず。一たび起こるに及べば則ち汹湧[きょうよう]し、遂に奈何ぞ得ざる。祖宗の德澤仁厚を以て、涵養すること百餘年の閒、一時に人心を柔了す。豪傑有りと雖も、箇の端倪起こし得ること無く、便ち只安靜ならんことを要して、宜しく搖動せしむべからずとす。夷狄亦散ずると雖も兵却って鬭うは、恃むらくは(一本に恃の字無し。)此れ中國の福なり(一本に此の字の下非の字有り。)

賈誼有五餌之說、當時笑其迂疏。今日朝廷正使著。故得許多時寧息。
【読み】
賈誼に五餌の說有り、當時其の迂疏なることを笑う。今日朝廷正に著さしむ。故に許多の時寧息することを得。

天地動靜之理、天圜則須轉、地方則須安靜。南北之位,豈可不定下。所以定南北者、在坎離也。坎離又不是人安排得來、莫非自然也。
【読み】
天地動靜の理、天圜なるときは則ち須く轉ずべく、地方なるときは則ち須く安靜なるべし。南北の位、豈定め下さざる可けんや。南北を定むる所以は、坎離に在るなり。坎離も又是れ人安排し得來るにあらず、自然に非ざること莫きなり。

論語爲書、傳道立言、深得聖人之學者矣。如郷黨形容聖人、不知者豈能及是。
【読み】
論語の書爲ること、道を傳え言を立つること、深く聖人の學を得る者なり。郷黨の聖人を形容するが如き、知らざる者豈能く是に及ばんや。

不愧屋漏、便是箇持養氣象。
【読み】
屋漏に愧ぢざるは、便ち是れ箇の持養の氣象なり。

孔・孟之分、只是要別箇聖人賢人。如孟子若爲孔子事業、則儘做得。只是難似聖人。譬如翦綵以爲花、花則無不似處。只是無他造化功。綏斯來、動斯和、此是不可及處。
【読み】
孔・孟の分は、只是れ箇の聖人賢人を別たんことを要す。孟子の如き若し孔子の事業を爲さば、則ち儘做し得ん。只是れ聖人に似難し。譬えば綵[さい]を翦って以て花を爲るが如き、花は則ち似ざる處無し。只是れ他の造化の功無し。綏[やす]んずれば斯に來り、動かせば斯に和すは、此れ是れ及ぶ可からざるの處なり。

只是這箇理、以上却難言也。如言吾斯之未能信、皆是古人此理已明故也。
【読み】
只是れ這箇の理、以上は却って言い難きなり。吾れ斯を未だ信ずること能わずと言うが如き、皆是れ古人此の理已に明らかなる故なり。

敬而無失、便是喜怒哀樂未發之謂中也。敬不可謂之中。但敬而無失、卽所以中也。
【読み】
敬して失すること無きは、便ち是れ喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うものなり。敬は之を中と謂う可からず。但敬して失すること無きは、卽ち中なる所以なり。

微仲之學雜、其愷悌嚴重寬大處多。惟心艱於取人、自以才高故爾。語近學、則不過入於禪談。不常議論、則以苟爲有詰難。亦不克易其言、不必信心、自以才高也。
【読み】
微仲が學は雜なれども、其の愷悌嚴重寬大なる處多し。惟心人を取ることを艱しとするは、自ら才を以て高ぶる故のみ。近學を語るときは、則ち禪談に入るに過ぎず。常に議論せざることは、則ち苟も詰難有らんとするを以てなり。亦其の言を易えること克わず、必ず心に信ぜざるは、自ら才を以て高ぶればなり。

和叔常言、及相見則不復有疑、旣相別則不能無疑。然亦未知果能終不疑。不知佗旣已不疑、而終復有疑、何故。伯淳言、何不問他。疑甚不如劇論。
【読み】
和叔常に言う、相見るに及んでは則ち復疑有らず、旣に相別れては則ち疑無きこと能わず。然も亦未だ果たして能く終に疑わざることを知らず。知らず、佗旣已に疑わずして、終に復疑有るは、何が故ぞ、と。伯淳言く、何ぞ他に問わざる。疑甚だしきときは劇論するに如かず、と。

和叔任道擔當。其風力甚勁。然深潛縝密、有所不逮於與叔。蔡州謝良佐雖時學中因議州舉學試得失、便不復計較。建州游酢、非昔日之游酢也。固是穎、然資質溫厚。南劍州楊時雖不逮酢、然煞穎悟。林大節雖差魯、然所問便能躬行。劉質夫久於其事、自小來便在此。李端伯相聚雖不久、未見佗操履。然才識穎悟、自是不能已也。
【読み】
和叔は道を任じて擔當す。其の風力甚だ勁[つよ]し。然れども深潛縝密なること、與叔に逮ばざる所有り。蔡州の謝良佐は時學の中と雖も州の舉學を議するに因りて得失を試すに、便ち復計較せず。建州の游酢は、昔日の游酢に非ざるなり。固に是れ穎[さと]く、然も資質溫厚なり。南劍州の楊時は酢に逮ばずと雖も、然れども煞だ穎悟なり。林大節は差[やや]魯なりと雖も、然れども問う所は便ち能く躬に行う。劉質夫は其の事に久しけれども、小自り來ること便ち此に在り。李端伯は相聚まること久しからずと雖も、未だ佗の操履を見ず。然れども才識穎悟にして、自ら是れ已むこと能わざるなり。

介甫當初、只是要行己志、恐天下有異同。故只去上心上把得定、佗人不能搖。以是拒絕言路、進用柔佞之人、使之奉行新法。今則是佗已去。不知今日卻留下害事。
【読み】
介甫當初、只是れ己が志を行わんことを要し、天下異同有らんことを恐る。故に只上の心上に把り得定め去らば、佗人搖るがすこと能わざらんとす。是を以て言路を拒み絕ちて、柔佞の人を進め用いて、之をして新法を奉行せしむ。今は則ち是れ佗已に去れり。知らず、今日卻って害を下す事を留めんや。

昨春邊事權罷、是皆李舜舉之力也。今不幸適喪此人、亦深足憐也。此等事皆是重不幸。
【読み】
昨春邊事權[かり]に罷むは、是れ皆李舜舉が力なり。今不幸にして適に此の人を喪うは、亦深く憐れむに足れり。此れ等の事は皆是れ重き不幸なり。

李憲本意、佗只是要固蘭會。恐覆其功、必不肯主這下事。(元豐四年取興・靈事。)
【読み】
李憲が本意は、佗只是れ蘭會を固めんことを要す。其の功を覆さんことを恐れ、必ずしも肯えて這の下の事を主とせず。(元豐四年興・靈を取る事。)

新進游・楊輩數人入太學、不惟議論須異、且動作亦必有異。故爲學中以異類待之。又皆學春秋、愈駭俗矣。
【読み】
新たに游・楊が輩數人を進めて太學に入るるは、惟議論異なることを須[もと]むるにあらず、且つ動作も亦必ず異なること有らんことを。故に學中異類を以て之を待つことを爲す。又皆春秋を學んで、愈々俗を駭[おどろ]かすなり。

堯夫之學、先從理上推意、言象數言天下之理、須出於四者。推到理處、曰(處曰添二字。)、我得此大者、則萬事由我、無有不定。然未必有術。要之亦難以治天下國家。其爲人則直是無禮不恭、惟是侮玩。雖天理(一作地。)亦爲之侮玩。如無名公傳言、問諸天地、天地不對、弄丸餘暇、時往時來之類。
【読み】
堯夫の學は、先づ理上從り意を推し、象數を言いて天下の理、須く四つの者に出づべしと言う。推して理の處に到りて、曰く(處曰は二字を添う。)、我れ此の大なる者を得るときは、則ち萬事我に由って、定まらざること有ること無し、と。然れども未だ必ずしも術有らず。之を要するに亦以て天下國家を治め難し。其の爲人は則ち直に是れ無禮不恭にして、惟是れ侮玩す。天理(一に地に作る。)と雖も亦之が侮玩することを爲す。無名公の傳に、諸を天地に問えば、天地對えず、弄丸の餘暇、時に往き時に來ると言う類の如し。

堯夫詩雪月風花未品題。佗便把這些事、便與堯・舜・三代一般。此等語、自孟子後、無人曾敢如此言來。直是無端。又如言文字呈上、堯夫皆不恭之甚。須信畫前元有易、自從刪後更無詩、這箇意思、古元未有人道來。
【読み】
堯夫の詩雪月風花未だ品題せず、と。佗便ち這の些事を把ること、便ち堯・舜・三代と一般なり。此れ等の語は、孟子自り後、人曾て敢えて此の如く言い來る無し。直に是れ端無し。又文字呈上すと言うが如き、堯夫皆不恭の甚だしきなり。須く信ずべし、畫前元より易有ることを、自ら刪りて後從り更に詩無しという、這箇の意思、古より元未だ人道い來る有らず。

行己須行誠盡處、正叔謂、意則善矣。然言誠盡、則誠之爲道、非能盡也。堯夫戲謂、且就平側。
【読み】
己を行うには須く誠盡きる處を行うべしというは、正叔謂えらく、意は則ち善し。然れども誠盡きると言うは、則ち誠の道爲る、能く盡くすべきに非ず。堯夫戲れに謂いて、且く平側に就くならん、と。

司馬子微嘗作坐忘論。是所謂坐馳也。(微一作綦。)
【読み】
司馬子微嘗て坐忘論を作る。是れ所謂坐馳なり。(微は一に綦[き]に作る。)

伯淳昔在長安倉中閑坐。後見長廊柱、以意數之。已尙不疑。再數之不合。不免令人一一聲言而數之。乃與初數者無差。則知越著心把捉越不定。
【読み】
伯淳昔長安の倉中に在りて閒坐す。後に長廊の柱を見、意を以て之を數う。已[お]えしとき尙疑わず。再び之を數えしに合わず。人をして一一聲言して之を數えしむるを免れず。乃ち初めに數えし者と差い無し。則ち越[いよいよ]心を著けて把捉すれば、越定まらざるを知る。

呂與叔以氣不足而養之、此猶只是自養求無疾。如道家脩養亦何傷。若須要存想飛昇、此則不可。
【読み】
呂與叔氣足らざるを以て之を養う、此れ猶只是れ自ら養って疾無きを求むるがごとし。道家脩養の如きは亦何ぞ傷らん。若し存想飛昇することを須要せば、此れ則ち不可なり。

徐禧奴才也。善兵者有二萬人未必死、彼雖十萬人、亦未必能勝二萬人。古者以少擊衆而取勝者多。蓋兵多亦不足恃。昔者袁紹以十萬阻官渡、而曹操只以萬卒取之。王莽百萬之衆、而光武昆陽之衆有八千、仍有在城中者。然則只是數千人取之。苻堅下淮百萬、而謝玄才二萬人、一麾而亂。以此觀之、兵衆則易老、適足以資敵人。一敗不支、則自相蹂踐。至如聞風聲鶴唳、皆以爲晉軍之至、則是自相殘也。譬之一人軀幹極大、一人輕捷、兩人相當、則擁腫者遲鈍、爲輕捷者出入左右之、則必困矣。自古師旅勝敗、不能無之。然今日邊事、至號疏曠前古未之聞也。其源在不任將帥、將帥不愼任人。閫外之事、將軍處之。一一中覆、皆受廟算、上下相徇、安得不如此。(元豐五年永樂城事。)
【読み】
徐禧は奴才なり。兵を善くする者二萬人有りて未だ必ずしも死せずんば、彼れ十萬人と雖も、亦未だ必ずしも能く二萬人に勝たじ。古は少なきを以て衆きを擊って勝を取る者多し。蓋し兵多きは亦恃むに足らず。昔袁紹十萬を以て官渡を阻みて、曹操只萬卒を以て之を取る。王莽百萬の衆にして、光武昆陽の衆八千有りて、仍[なお]城中に在る者有り。然れば則ち只是れ數千人にして之を取る。苻堅淮に下ること百萬にして、謝玄才かに二萬人、一麾して亂る。此を以て之を觀れば、兵衆きときは則ち老[つか]れ易くして、適に以て敵人を資るに足れり。一たび敗れて支えざるときは、則ち自ら相蹂踐す。風聲鶴唳を聞いて、皆以て晉軍の至るとするが如きに至っては、則ち是れ自ら相殘[そこな]うなり。之を譬うるに一人は軀幹極大、一人は輕捷、兩人相當たるときは、則ち擁腫なる者遲鈍にして、輕捷なる者の爲に之に出入左右せられ、則ち必ず困しむ。古自り師旅の勝敗は、之れ無きこと能わず。然れども今日の邊事、至って疏曠ありと號すこと前古より未だ之を聞かざるなり。其の源は將帥に任ぜず、將帥愼まずして人に任ずるに在り。閫外[こんがい]の事は、將軍之を處す。一一中覆して、皆廟算を受けて、上下相徇えば、安んぞ此の如くならざるを得ん。(元豐五年永樂城の事。)

楊定鬼神之說、只是道人心有感通。如有人平生不識一字、一日病作、却念得一部杜甫詩、却有此理。天地閒事、只是一箇有、一箇無、旣有卽有、無卽無。如杜甫詩者、是世界上實有杜甫詩。故人之心病及至精一有箇道理、自相感通。以至人心在此、託夢在彼、亦有是理、只是心之感通也。死者託夢、亦容有此理。有人過江、其妻墮水、意其爲必死矣。故過金山寺爲作佛事。方追薦次、忽其婢子通傳墮水之妻。意度在某處作甚事。是誠死也。及三二日、有漁人撐舟、以其妻還之、乃未嘗死也、蓋旋於急流中救活之。然則其婢子之通傳是何也。亦是心相感通。旣說心有感通、更說甚生死古今之別。
【読み】
楊定鬼神の說、只是れ人心感通すること有りと道う。人平生一字を識らざれども、一日病作って、却って一部の杜甫が詩を念得すること有るが如き、却って此の理有り。天地の閒の事は、只是れ一箇の有、一箇の無にて、旣に有なれば卽ち有、無なれば卽ち無なり。杜甫が詩の如きは、是れ世界上に實に杜甫が詩有り。故に人の心病精一に至るに及んで箇の道理有りて、自ら相感通す。以て人心此に在り、託夢彼に在るに至っても、亦是の理有り、只是れ心の感通するなり。死者夢に託するも、亦此の理有る容し。人江を過ぎること有り、其の妻水に墮ち、意うに其れ必死せりと爲す。故に金山寺に過ぎりて爲に佛事を作す。追薦の次に方りて、忽ち其の婢子墮水の妻を通傳す。意い度るらく、某の處に在り甚[なに]事をか作す。是れ誠に死せるなり、と。三二日に及んで、漁人舟を撐[さおさ]して、其の妻を以て之を還す有り、乃ち未だ嘗て死せざるなり、蓋し旋[ようや]く急流の中に於て之を救活すという。然れば則ち其の婢子の通傳するは是れ何ぞや。亦是れ心相感通ずるなり。旣に心感通すること有るを說かば、更に甚の生死古今の別をか說かん。

天祺自然有德氣、望之有貴人之象。只是氣局小、太規規於事爲重也。昔在司竹、常愛用一卒長。及將代、自見其人盜筍皮、遂治之無少貸。罪已正、待之復如初、略不介意。人觀其德量如此。
【読み】
天祺自然に德氣有り、之を望むに貴人の象有り。只是の氣局小にして、太だ事を重しとするに規規たり。昔司竹に在りしとき、常に一卒長を愛し用う。將に代わらんとするに及んで、自ら其の人筍皮を盜むを見、遂に之を治めて少しも貸すこと無し。罪已に正し、之を待すること復初めの如くしにして、略意に介せず。人其の德量を觀るに此の如し。

正叔謂子厚、越獄、以謂卿監已上不追攝之者、以其貴朝廷。有旨追攝、可也。又請枷項、非也。不已太辱矣。貴貴、以其近於君。子厚謂、若終不伏、卽將奈何。正叔謂、寧使公事勘不成則休。朝廷大義不可虧也。子厚以爲然。
【読み】
正叔子厚に謂う、越獄は、以謂えらく、卿監已上之を追攝せざる者は、其れ朝廷を貴ぶを以てなり。旨有らば追攝するも、可なり。又枷項を請うは、非なり。已に太だ辱めんとせざれ。貴を貴ぶは、其の君に近きを以てなり、と。子厚謂く、若し終に伏せずんば、卽ち將に奈何せんとする、と。正叔謂く、寧ろ公事をして勘[かんが]えしめて成らずんば則ち休む。朝廷の大義は虧く可からず、と。子厚以て然りと爲す。

俗人酷畏鬼神、久亦不復敬畏。
【読み】
俗人は酷[はなは]だ鬼神を畏れ、久しくして亦復敬畏せず。

冬至一陽生、而每遇至後則倍寒、何也。陰陽消長之際、無截然斷絕之理。故相攙掩過。如天將曉、復至陰黑、亦是理也。大抵終始萬物、莫盛乎艮。此儘神妙。須儘研窮此理。
【読み】
冬至に一陽生じて、至後に遇う每に則ち倍[ますます]寒きは、何ぞや。陰陽消長の際、截然として斷絕するの理無し。故に相攙掩[ざんえん]し過ぐ。天將に曉らかならんとして、復陰黑に至るが如き、亦是の理なり。大抵萬物を終始すること、艮より盛んなるは莫し。此れ儘く神妙なり。須く儘く此の理を研[きわ]め窮むべし。

今尺長於古尺。欲尺度權衡之正、須起於律。律取黃鍾。黃鍾之聲、亦不難定。世自有知音者、將上下聲考之、須(一作旣。)得其正、便將黍以實其管、看管實幾粒、然後推而定法可也。古法、律管當實千二百粒黍。今羊頭山黍不相應、則將數等驗之、看如何大小者、方應其數、然後爲正。昔胡先生定樂、取羊頭山黍、用三等篩子篩之、取中等者用之。此特未爲定也。此尺是器上所定、更有因人而制。如言深衣之袂一尺二寸、若古人身材只用一尺二寸、豈可運肘。卽知因人身而定。
【読み】
今の尺は古の尺より長し。尺度權衡の正を欲せば、須く律より起こすべし。律は黃鍾に取る。黃鍾の聲は、亦定め難からず。世々自ら音を知る者有り、上下の聲を將て之を考えて、須く(一に旣に作る。)其の正を得べく、便ち黍を將て以て其の管に實て、管幾粒を實つというを看て、然して後に推して法を定めて可なり。古法は、律管當に千二百粒の黍を實つべし。今羊頭山の黍相應ぜずんば、則ち數等を將て之を驗して、大小の者如何と看、方に其の數に應じて、然して後に正と爲すべし。昔胡先生樂を定むるに、羊頭山の黍を取って、三等の篩子を用いて之を篩い、中等の者を取って之を用う。此れ特に未だ定まれりと爲さず。此の尺は是れ器上に定むる所、更に人に因りて制する有り。深衣の袂一尺二寸と言うが如き、若し古人の身材只一尺二寸を用いば、豈肘を運らす可けんや。卽ち知る、人身に因りて定むることを。

旣是爲人後者、便須將所後者呼之以爲父、以爲母。不如是、則不正也、却當甚爲人後。後之立疑義者、只見禮不杖期内、有爲人後者爲其父母報、便道須是稱親。禮文蓋言出爲人後、則本父母反呼之以爲叔爲伯也。故須著道爲其父母以別之、非謂却將本父母亦稱父母也。
【読み】
旣に是れ人の後爲る者は、便ち須く後たる所の者を將て之を呼んで以て父と爲し、以て母と爲すべし。是の如くならずんば、則ち正しからず、却って當に甚ぞ人の後爲るべけん。之に後たるに疑義を立つる者は、只禮に不杖期の内に、人の後爲る者は其の父母の爲に報ずということ有るを見て、便ち須く是れ親と稱すべしと道うのみ。禮の文は蓋し出でて人の後爲るときは、則ち本父母を反って之を呼んで以て叔と爲し伯と爲すを言う。故に須く著道して其の父母の爲に以て之を別つべく、却って本父母を將て亦父母と稱すと謂うには非ざるなり。

哲廟取孟后詔云、孟元孫女。后孟在女也。而以孟元孫女詔者、伊川云、自古天子不娶小國。蓋孟元將校、曾隨文潞公貝州獲功、官至團練使。而在是時止是小使臣耳。(此一段非元豐時事。疑後人記。)
【読み】
哲廟孟后を取るの詔に云う、孟元が孫女、と。后孟女に在り。而るに孟元が孫女を以て詔する者は、伊川云う、古自り天子は小國に娶らず。蓋し孟元は將校として、曾て文潞公に貝州に隨いて功を獲、官は團練使に至る。而るに是の時に在りては止[ただ]是れ小使臣なるのみ、と。(此の一段は元豐の時の事に非ず。疑うらくは後人記すならん。)

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)