二程全書卷之十一  遺書二先生語第十

洛陽議論  蘇昞季明錄

子厚謂程卿、夙興幹事、良由人氣淸則勤、閑不得。正叔謂、不可。若此、則是專爲氣所使。子厚謂、此則自然也。伯淳言、雖自然、且欲凡事皆不恤以恬養則好。子厚謂、此則在學者也。
【読み】
子厚程卿に謂く、夙に興て事を幹す、良に由[なお]人氣淸むときは則ち勤め、閑なるときは得ざるがごとし、と。正叔謂く、不可なり。此の若きは、則ち是れ專ら氣の爲に使わるるなり、と。子厚謂く、此れ則ち自づから然り、と。伯淳言く、自づから然りと雖も、且凡ての事皆恤えずして以て恬養することを欲するときは則ち好し、と。子厚謂く、此れ則ち學ぶ者に在り、と。

伯淳謂、天下之士、亦有其志在朝廷而才不足、才可以爲而誠不足。今日正須才與至誠合一、方能有濟。子厚謂、才與誠、須二物只是一物。伯淳言、才而不誠、猶不是也。若非至誠、雖有忠義功業、亦出於事爲、浮氣幾何時而不盡也。(一本無只是一物四字。)
【読み】
伯淳謂く、天下の士、亦其の志朝廷に在れども才足らず、才以て爲す可けれども誠足らざる有り。今日正に須く才と至誠と合一にして、方に能く濟すこと有るべし、と。子厚謂く、才と誠とは、須く二物は只是れ一物なるべし、と。伯淳言く、才ありて誠あらざるは、猶不是なり。若し至誠非ずんば、忠義功業有りと雖も、亦事爲に出で、浮氣幾何の時にしてか盡きざらん、と。(一本に只是一物の四字無し。)

伯淳道、君實之語、自謂如人參甘草。病未甚時可用也、病甚則非所能及。觀其自處、必是有救之之術。
【読み】
伯淳道う、君實の語は、自ら謂えらく人參甘草の如し。病未だ甚だしからざる時は用う可く、病甚だしきときは則ち能く及ぶ所に非ず。其の自ら處するを觀るに、必ず是れ之を救うの術有らん、と。

正叔謂、某接人、治(一作談。)經論道者亦甚多。肯言及治體者、誠未有如子厚。
【読み】
正叔謂く、某人に接するに、經を治め(一に談に作る。)道を論ずる者は亦甚だ多し。肯えて言いて治體に及ぶ者は、誠に未だ子厚の如きは有らず、と。

二程謂、地形不必謂寬平可以畫方、只可用算法折計地畝以授民。子厚謂、必先正經界。經界不正、則法終不定。地有坳垤處不管、只觀四標竿中閒地、雖不平饒、與民無害。就一夫之閒、所爭亦不多。又側峻處、田亦不甚美。又經界必須正南北、假使地形有寬狹尖斜、經界則不避山河之曲。其田則就得井處爲井、不能就成處、或五七、或三四、或一夫、其實田數則在。又或就不成一夫處、亦可計百畝之數而授之、無不可行者。如此、則經界隨山隨河、皆不害於畫之也。苟如此畫定、雖便使暴君汙吏、亦數百年壞不得。經界之壞、亦非專在秦時、其來亦遠、漸有壞矣。正叔云、至如魯、二吾猶不足。如何得至十一也。子厚言、百畝而徹、言徹取之徹則無義。是透徹之徹。透徹而耕、則功力均、且相驅率、無一家得惰者。及已收穫、則計畝數裒分之。以裒分之數、取十一之數、亦可。或謂、井議不可輕示人。恐致笑及有議論。子厚謂、有笑有議論、則方有益也。若有人聞其說、取之以爲己功。先生云、如有能者、則己願受一廛而爲氓、亦幸也。伯淳言、井田今取民田使貧富均、則願者衆、不願者寡。正叔言、亦未可言民情怨怒、止論可不可爾。須使上下都無怨怒、方可行。正叔言、議法旣大備、却在所以行之之道。子厚言、豈敢某止欲成書。庶有取之者。正叔言、不行於當時、行於後世、一也。子厚曰、徒善不足以爲政、徒法不能以自行。須是行之之道。又雖有仁心仁聞、而政不行者、不由先王之道也。須是法先王。正叔言、孟子於此善爲言。只極目力、焉能盡方圓平直。須是要規矩。
【読み】
二程謂く、地形は必ずしも寬平以て方を畫す可しと謂わず、只算法を用いて地畝を折計して以て民に授く可し、と。子厚謂く、必ず先づ經界を正しくせん。經界正しからざれば、則ち法終に定まらず。地坳垤[おうてつ]の處管せざる有れば、只四標の竿を觀て中閒の地、平饒ならずと雖も、民に與えて害無し。一夫の閒に就いて、爭う所亦多からず。又側峻なる處は、田も亦甚だ美ならず。又經界必ず須く南北を正すべく、假使地形に寬狹尖斜有るとも、經界は則ち山河の曲を避けず。其の田は則ち井を得る處に就いて井を爲し、成す處に就くこと能わざれば、或は五七、或は三四、或は一夫、其の實田の數は則ち在り。又或は一夫を成さざる處に就いては、亦百畝の數を計りて之に授く可く、行う可からざる者無し。此の如くなるときは、則ち經界山に隨い河に隨い、皆之を畫するに害あらざるなり。苟も此の如く畫し定めば、便ち暴君汙吏をして、亦數百年ならしむと雖も壞ること得じ。經界の壞るるは、亦專ら秦の時に在るのみに非ず、其の來ること亦遠くして、漸く壞ること有り、と。正叔云く、魯の如きに至りて、二にして吾れ猶足らずというがごとし。如何ぞ十一に至ることを得ん、と。子厚言く、百畝にして徹するは、徹取の徹と言うときは則ち義無し。是れ透徹の徹なり。透徹して耕すときは、則ち功力均しく、且相驅率して、一家も惰ることを得る者無し。已に收穫するに及んでは、則ち畝數を計りて之を裒分[ほうぶん]す。裒分の數を以て、十一の數を取るも、亦可なり、と。或るひと謂く、井議は輕々しく人に示す可からず。恐らくは笑を致し及び議論有らん、と。子厚謂く、笑有り議論有らば、則ち方に益有らん。若し人其の說を聞くこと有らば、之を取りて以て己が功と爲さん、と。先生云く、如し能くする者有らば、則ち己願わくは一廛[てん]を受けて氓[ぼう]爲るも、亦幸いならん、と。伯淳言く、井田は今民の田を取りて貧富をして均しからしめば、則ち願う者衆く、願わざる者寡からん、と。正叔言く、亦未だ民情の怨怒を言う可からず、止可不可を論ぜんのみ。須く上下をして都て怨怒無からしむべくして、方に行わる可し、と。正叔言く、議法旣に大いに備り、却って之を行う所以の道在り、と。子厚言く、豈敢えて某止成書を欲せんや。之を取る者有らんことを庶う、と。正叔言く、當時に行われざるも、後世に行わるれば、一なり、と。子厚曰く、徒善は以て政をするに足らず、徒法は以て自ら行うこと能わず。須く是れ之を行うの道あるべし。又仁心仁聞有りと雖も、而れども政行われざる者は、先王の道に由らざればなり。須く是れ先王に法るべし、と。正叔言く、孟子此に於て善く言を爲す。只目力を極むるのみにて、焉んぞ能く方圓平直を盡くさんや。須く是れ規矩を要すべし、と。

二程問、官戶占田過制者如何。如文曾有田極多、只消與五十里釆地儘多。又問、其他如何。今之公卿、非如古之公卿。舊有田多者、與之釆地多。概與之、則無以別有田者無田者。
【読み】
二程問う、官戶田を占むること制に過ぎたる者は如何、と。文曾て田有ること極めて多くば、只五十里の釆地を與うるも儘多かる消[べ]きが如し。又問う、其の他は如何、と。今の公卿は、古の公卿の如きに非ず。舊より田多き者有り、之に釆地を與うること多し。概して之に與えば、則ち以て田有る者田無き者を別つこと無けん。

正叔說、堯夫對上之詞、言陛下富國强兵後待做甚。以爲非是。此言安足諭人主。如周禮、豈不是富國之術存焉。子厚言、堯夫抑上富强之說、正猶爲漢武帝言神仙之學、長年不足惜、言豈可入。聖賢之曉人、不如此之拙。如梁惠王問何以利國、則說利不可言之理、極言之以至不奪不饜。
【読み】
正叔說く、堯夫上に對するの詞に、言う、陛下國を富まし兵を强くして後甚[なに]を做すことを待たん、と。以て是に非ずと爲す。此の言安んぞ人主を諭すに足らんや。周禮の如き、豈是れ國を富ますの術存するにあらずや、と。子厚言く、堯夫上の富强を抑えるの說は、正に猶漢の武帝の爲に神仙の學、長年惜しむに足らずと言うがごとく、言豈入る可けんや。聖賢の人を曉すは、此の如く拙からず。梁の惠王何を以てか國を利せんと問うに、則ち利は言う可からざるの理を說いて、極めて之を言いて以て奪わずんば饜[あきた]らじというに至るが如し、と。

正叔言、人志於王道、是天下之公議、反以爲私說、何也。子厚言、只爲心不大。心大則做得大。正叔言、只是做一喜好之事爲之。不知只是合做。
【読み】
正叔言く、人王道に志すは、是れ天下の公議、反って以て私說とするは、何ぞや、と。子厚言く、只心大ならずとす。心大なるときは則ち大なることを做し得ん、と。正叔言く、只是れ一つの喜好の事と做して之を爲す。知らず、只是れ做す合きかを、と。

伯淳言、邵堯夫病革、且言試與觀化一遭。子厚言、觀化他人便觀得自家。自家又如何觀得化。嘗觀堯夫詩意、纔做得識道理、却於儒術未見所得。
【読み】
伯淳言く、邵堯夫病革るとき、且言く、試みに化を觀るに與り一たび遭う、と。子厚言く、他人を化することを觀るは便ち自家に得ることを觀ん。自家又如何ぞ化を得ることを觀ん。嘗て堯夫の詩の意を觀るに、纔かに道理を識ることを做し得ども、却って儒術に於ては未だ得る所を見ず、と。

正叔言、蜥蜴含水、隨雨雹起。子厚言、未必然。雹儘有大者、豈盡蜥蜴所致也。今以蜥蜴求雨、枉求他。他又何道致雨。正叔言、伯淳守官南方、長吏使往茅山請龍。辭之、謂祈請鬼神、當使信嚮者則有應。今先懷不信、便非義理。旣到茅山巖、勑使人於水中捕得二龍、持之歸。竝無他異。復爲小兒玩之致死。此只爲魚蝦之類。但形狀差異、如龍之狀爾。此蟲、廣南亦有之、其形狀同。只齧人有害、不如茅山不害人也。(有害、一作有毒。)
【読み】
正叔言く、蜥蜴[せきえき]水を含んで、雨に隨いて雹起こる、と。子厚言く、未だ必ずしも然らず。雹儘に大なる者有り、豈盡く蜥蜴の致す所ならんや。今蜥蜴を以て雨を求むるに、枉げて他に求めば、他又何の道ありてか雨を致さん、と。正叔言く、伯淳南方に守官たるとき、長吏に茅山に往いて龍を請わしむ。之を辭して、謂く、鬼神に祈請するは、當に信嚮する者にしむるときは則ち應有るべし。今先づ信ぜずして、便ち義理に非ずと懷えり、と。旣に茅山巖に到りて、勑して人をして水中に於て二龍を捕得せしめ、之を持して歸る。竝に他の異無し。復小兒之を玩ぶが爲に死することを致す。此れ只魚蝦の類と爲す。但形狀差異にして、龍の狀の如くなるのみ。此の蟲、廣南に亦之れ有り、其の形狀同じ。只人を齧[か]みて害すること有りて、茅山の人を害せざるが如くならず、と。(有害は、一に有毒に作る。)

正叔言、永叔詩、笑殺潁陰常處士、十年騎馬聽朝雞。夙興趨朝、非可笑之事。不必如此說。又言、常秩晩爲利昏、元來便有在。此郷黨莫之尊也。
【読み】
正叔言く、永叔が詩に、笑殺す潁陰の常處士、十年馬に騎りて朝雞を聽く、と。夙に興て朝に趨るは、笑う可きの事に非ず。必ずしも此の如く說かじ、と。又言く、常秩晩に利の爲に昏むこと、元來便ち在る有り。此れ郷黨之を尊ぶこと莫し、と。

正叔言、今責罪官吏、 殊無養士君子廉恥之道。必斷言徒流杖數、贖之以銅。便非養士君子之意。如古人責其罪、皆不深指斥其惡。如責以不廉、則曰俎豆不脩。
【読み】
正叔言く、今罪を責むる官吏は、 殊に士君子の廉恥の道を養うこと無し。必ず斷りて徒流杖の數、之を贖うに銅を以てすと言う。便ち士君子を養うの意に非ず。古人其の罪を責むるが如き、皆深く其の惡を指斥せず、責むるに不廉を以てするときは、則ち俎豆脩めずと曰うが如し、と。

有人言、今日士大夫未見賢者。正叔言、不可謂士大夫有不賢者。便爲朝廷之官人不用賢也。
【読み】
人有りて言く、今日の士大夫未だ賢者を見ず、と。正叔言く、士大夫に不賢なる者有りと謂う可からず。便ち朝廷の官人賢を用いずとすればなり、と。

彭汝礪懇辭臺職。正叔言、報上之效已了邪。上冒天下議論、顯拔致此。曾此爲報上之意已足。
【読み】
彭汝礪懇ろに臺職を辭す。正叔言く、上に報ずるの效已に了わるや。上天下の議論を冒して、顯拔して此を致す。曾ぞ此れ上に報ずるの意已に足れりとせんや、と。

正叔言、禮院者、天下之事無不關。此但得其人、則事儘可以考古立法。苟非其人、只是從俗而已。
【読み】
正叔言く、禮院は、天下の事關わらざること無し。此れ但其の人を得るときは、則ち事儘く以て古を考えて法を立つ可し。苟も其の人に非ざるときは、只是れ俗に從わんのみ、と。

正叔言、昏禮結髮無義。欲去久矣、不能言。結髮爲夫婦者、只是指其少小也。如言結髮事君、李廣言結髮事匈奴、只言初上頭時也。豈謂合髻子。子厚云、絕非禮義。便當去之。古人凡禮、講修已定、家家行之、皆得如此。今無定制、每家各定。此所謂家殊俗也。至如朝廷之禮、皆不中節。
【読み】
正叔言く、昏禮に髮を結うこと義無し。去らんと欲すること久しくして、言うこと能わず。髮を結いて夫婦と爲す者は、只是れ其の少小を指すなり。髮を結いて君に事うると言い、李廣髮を結いて匈奴に事うると言うが如き、只初めて頭に上ぐる時を言うなり。豈髻子を合するを謂わんや、と。子厚云く、絕[はなは]だ禮義に非ず。便ち當に之を去るべし。古人凡そ禮、講修して已に定まれば、家家に之を行いて、皆此の如くすることを得。今定制無くして、家每に各々定む。此れ所謂家俗を殊にするなり。朝廷の禮の如きに至りても、皆節に中らず、と。

正叔論安南事。當初邊上不便、令逐近點集、應急救援。其時、雖將帥革兵冒涉炎瘴。朝廷以赤子爲憂、亦有所不恤也。其時不救應、放令縱恣、戰殺至數萬。今旣後時、又不候至秋涼迄冬、一直趨寇、亦可以前食嶺北、食積於嶺南搬運。今乃正於七月過嶺、以瘴死者自數分。及過境、又糧不繼、深至賊巢、以栰渡五百人過江、且砍且焚、破其竹寨幾重、不能得、復棹其空栰、續以救兵、反爲賊兵會合禽殺、吾衆無救、或死或逃、遂不成功。所爭者二十五里耳。欲再往、又無舟可渡、無糧以戍。此謬算、未之有也。猶得賊辭差順、遂得有詞、且承當了。若使其言猶未順、如何處之。運糧者死八萬、戰兵瘴死十一萬、餘得二萬八千人生還、尙多病者、又先爲賊戮數萬、都不下三十萬口。其昏謬無謀、如此甚也。
【読み】
正叔安南の事を論ず。當初邊上便ならず、近きを逐って點集して、急に應じて救援す。其の時、將帥革兵と雖も炎瘴を冒し涉る。朝廷赤子を以て憂えと爲し、亦恤えざる所有り。其の時救應せず、放[ほしいまま]に縱恣[しょうし]せしめて、戰殺數萬に至る。今旣に時に後れて、又候あらず秋涼より冬に迄[およ]ぶに至り、一直に寇に趨かば、亦以前嶺北に食して、食嶺南に積むに搬運す可し、と。今乃ち正に七月に嶺を過りて、瘴を以て死する者自づから數分なり。境を過るに及んで、又糧繼がず、深く賊巢に至りて、栰[いかだ]を以て五百人を渡し江を過りて、且つ砍[き]られ且つ焚かれて、其の竹寨幾重を破りて、得ること能わず、復其の空栰に棹さし、續くに救兵を以てすれども、反って賊兵會合して禽殺することを爲し、吾が衆救うこと無く、或は死し或は逃げ、遂に功を成さず。爭う所の者は二十五里のみ。再び往かんと欲して、又舟の渡る可き無く、糧の以て戍[まも]ること無し。此の謬算、未だ之れ有らざるなり。猶賊の辭差[ほぼ]順うことを得て、遂に詞有ることを得て、且承當し了わる。若し其の言をして猶未だ順わざらしめば、如何にか之を處せん。糧を運ぶ者の死すること八萬、戰兵瘴死すること十一萬、餘は二萬八千人生きて還ることを得るも、尙病む者多く、又先に賊の爲に戮せらるること數萬、都て三十萬口に下らず。其の昏謬にして謀ること無きこと、此の如く甚だし、と。

有人言、郭璞以鳩鬭占吉凶。子厚言、此爲他誠實信之、所以就而占得吉凶。正叔言、但有意向此、便可以兆也。非鳩可以占吉凶耳。
【読み】
人有り言く、郭璞鳩を以て鬭わしめて吉凶を占う、と。子厚言く、此れ他誠實に之を信ずるが爲に、所以に就いて占って吉凶を得るなり、と。正叔言く、但意此に向かうこと有れば、便ち以て兆す可し。鳩以て吉凶を占う可きのみに非ず、と。

正叔言、郭逵新貴時、衆論喧然、未知其人如何。後聞人言、欲買韓王宅。更不問可知也。如韓王者、當代功臣、一宅己致而欲有之、大煞不識好惡。子厚言、昔年有人欲爲范希文買綠野堂。希文不肯。識道理自不然。在唐如晉公者、是可尊也。一旦取其物而有之、如何得安。在他人猶可。如王維莊之類。獨有晉公則不可。寧使耕壞、及他有力者致之、己則不可取。
【読み】
正叔言く、郭逵[かくき]新たに貴き時、衆論喧然として、未だ其の人如何ということを知らず。後に人の言を聞く、韓王の宅を買わんと欲す、と。更に問わずして知る可し。韓王の如きは、當代の功臣、一宅己に致して之を有せんと欲するは、大煞[はなは]だ好惡を識らず、と。子厚言く、昔年人有り范希文の爲に綠野堂を買わんと欲す。希文肯[き]かず。道理自づから然らざるを識ればなり。唐に在っては晉公の如き者、是れ尊ぶ可し。一旦其の物を取って之を有せば、如何ぞ安んずることを得ん。他人に在っては猶可なり。王維莊の類の如し。獨晉公に有っては則ち不可なり。寧ろ耕壞せしめ、及び他の力有る者をして之を致さしむるとも、己は則ち取る可からず、と。

正叔言、管轄人亦須有法、徒嚴不濟事。今帥千人、能使千人依時及節得飯喫、只如此者能有幾人。嘗謂軍中夜驚、亞夫堅臥不起。不起善矣。然猶夜驚何也。亦是未盡善。
【読み】
正叔言く、人を管轄すること亦須く法有るべく、徒に嚴なれば事を濟さず。今千人を帥いて、能く千人をして時に依り節に及んで飯喫せんことを得せしむるは、只此の如き者能く幾人か有らん。嘗て謂う、軍中夜驚けども、亞夫堅く臥して起きず、と。起きざるは善なり。然れども猶夜驚くは何ぞや。亦是れ未だ盡く善ならず、と。

正叔謂、今唱名、何不使伊儒冠徐步進見。何用二人把見趨走。得不使殿上大臣有愧色。子厚言、只先出榜、使之見其先後。何用旋開卷呼名。
【読み】
正叔謂く、今の名を唱える、何ぞ伊をして儒冠徐步して進み見えしめざる。何ぞ二人に把見し趨走せしむることを用うる。殿上の大臣をして愧色有らしめざることを得んや、と。子厚言く、只先づ榜を出して、之をして其の先後を見せしむ。何ぞ旋[やや]卷を開いて名を呼ぶことを用いんや、と。

正叔言、某見居位者百事不理會、只恁箇大肚皮。於子厚、却願奈煩處之。
【読み】
正叔言く、某位に居る者を見るに百事理會せず、只恁箇の大肚皮。子厚に於ては、却って願わくは煩わしきに奈[た]えて之に處らんことを、と。

子厚言、關中學者、用禮漸成俗。正叔言、自是關中人剛勁敢爲。子厚言、亦是自家規矩太寬。
【読み】
子厚言く、關中の學者、禮を用いて漸く俗を成す、と。正叔言く、自ら是れ關中の人剛勁にして敢えて爲す、と。子厚言く、亦是れ自家の規矩太だ寬し、と。

正叔言、某家治喪、不用浮圖。在洛、亦有一二人家化之、自不用釋氏。道場之用螺鈸、蓋胡人之樂也。今用之死者之側、是以其樂臨死者也。天竺之人重僧、見僧必飯之、因使作樂於前。今乃以爲之於死者之前、至如慶禱、亦雜用之。是甚義理。如此事、被他欺謾千百年、無一人理會者。
【読み】
正叔言く、某の家喪を治むるに、浮圖を用いず。洛に在りて、亦一二の人家之に化して、自ら釋氏を用いざる有り。道場の螺鈸を用うるは、蓋し胡人の樂ならん。今之を死者の側に用うるは、是れ其の樂を以て死者に臨むなり。天竺の人僧を重んじて、僧を見れば必ず之に飯せしめ、因りて樂を前に作さしむ。今乃ち以て之を死者の前に爲し、慶禱の如きに至っても、亦之を雜え用う。是れ甚[なん]の義理ぞ。此の如きの事、他に欺謾せられて千百年、一人も理會する者無し、と。

正叔謂、何以謂之君子、何以謂之小人。君子則所見者大、小人則所見者小且近。君子之志所慮者、豈止其一身。直慮及天下千萬世。小人之慮、一朝之忿、曾不遑恤其身。
【読み】
正叔謂く、何を以てか之を君子と謂い、何を以てか之を小人と謂わん。君子は則ち見る所の者大に、小人は則ち見る所の者小にして且つ近し。君子の志慮る所の者、豈止其の一身のみならんや。直に慮ることは天下千萬世に及ぶ。小人の慮るは、一朝の忿にして、曾て其の身を恤うるに遑あらず、と。

伯淳謂、才與誠一物、則周天下之治。子厚因謂、此何事於仁。必也聖乎。
【読み】
伯淳謂く、才と誠と一物なるときは、則ち天下に周き治なり、と。子厚因りて謂く、此れ何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か、と。

呂進伯老而好學、理會直是到底。正叔謂、老喜學者尤可愛。人少壯則自當勉、至於老矣、志力須倦、又慮學之不能及、又年數之不多。不曰、朝聞道夕死可矣乎。學不多、年數之不足、不猶愈於終不聞乎。
【読み】
呂進伯老いて學を好み、理會直に是れ到る。正叔謂く、老いて學を喜ぶ者は尤も愛す可し。人少壯なるときは則ち自ら當に勉むべく、老に至っては、志力須く倦むべく、又學の及ぶこと能わず、又年數の多からざることを慮る。曰わずや、朝に道を聞かば夕に死すとも可なり、と。學多からず、年數の足らざるは、猶終に聞かざるに愈らずや、と。

子厚言、十詩之作、止是欲驗天心於語默閒耳。正叔謂、若有他言語、又烏得已也。子厚言、十篇次敍、固自有先後。
【読み】
子厚言く、十詩の作は、止是れ天心を語默の閒に驗さんと欲するのみ、と。正叔謂く、若し他の言語有らば、又烏んぞ已むことを得ん、と。子厚言く、十篇の次敍、固に自づから先後有り、と。

正叔言、成周恐只是統名。雒邑是都也。成周猶今言西京也。雒邑猶今言河南府。孔安國以成周爲下邑、非也。豈有以師保治於下邑。白馬寺之所、恐是遷頑民之處。洛州有言中州・南州之名、恐是作邑分爲九州後始言。成周、恐是舊城壞而復城之、或是其始爲邑、不爲城牆、故後始城。
【読み】
正叔言く、成周とは恐らくは只是れ統名ならん。雒邑は是れ都なり。成周は猶今の西京と言うがごとし。雒邑は猶今の河南府と言うがごとし。孔安國成周を以て下邑と爲すは、非なり。豈師保を以て下邑を治むること有らんや。白馬寺の所は、恐らくは是れ頑民を遷せし處ならん。洛州に中州・南州と言う名有り、恐らくは是れ邑を作って分けて九州と爲して後に始めて言うならん。成周は、恐らくは是れ舊城壞れて復之を城[きづ]く、或は是れ其の始めに邑を爲るに、城牆を爲らず、故に後に始めて城とするならん、と。

二程解窮理盡性以至於命、只窮理便是至於命。子厚謂、亦是失於太快。此義儘有次序。須是窮理、便能盡得己之性、則推類又盡人之性。旣盡得人之性、須是并萬物之性一齊盡得。如此然後至於天道也。其閒煞有事、豈有當下理會了。學者須是窮理爲先。如此則方有學。今言知命與至於命、儘有近遠。豈可以知便謂之至也。
【読み】
二程理を窮め性を盡くして以て命に至るを解する、只理を窮むれば便ち是れ命に至るとす。子厚謂く、亦是れ太快に失す。此の義は儘く次序有り。是れ理を窮むるを須って、便ち能く己が性を盡くし得るときは、則ち類を推して又人の性を盡くす。旣に人の性を盡くし得るときは、須く是れ萬物の性を并せて一齊に盡くし得るべし。此の如くにして然して後に天道に至るなり。其の閒煞だ事有り、豈當下に理會し了わること有らんや。學者須く是れ理を窮むるを先とすべし。此の如きときは則ち方に學ぶこと有り。今命を知ると命に至ると言うは、儘く近遠有り。豈知を以て便ち之を至ると謂う可けんや、と。

正叔謂、洛俗恐難化於秦人。子厚謂、秦俗之化、亦先自和叔有力焉、亦是士人敦厚。東方亦恐難肯向風。
【読み】
正叔謂く、洛の俗恐らくは秦人より化し難からん、と。子厚謂く、秦の俗の化するは、亦先づ自づから和叔にして力有り、亦是れ士人敦厚なればなり。東方も亦恐らくは肯えて風に向くこと難からん、と。

正叔辨周都言、榖・洛鬭、毀王宮。今榖・洛相合處在七里店南。旣言毀王宮、則周室亦恐不遠於今之宮闕也。
【読み】
正叔周都を辨じて言く、榖・洛鬭いて、王宮を毀つ。今榖・洛相合う處は七里店の南に在り。旣に王宮を毀つと言うときは、則ち周室も亦恐らくは今の宮闕に遠からじ、と。

子厚謂、昔嘗謂伯淳優於正叔。今見之果然。其救世之志甚誠切、亦於今日天下之事儘記得熟。
【読み】
子厚謂く、昔嘗て謂えらく、伯淳は正叔に優れり、と。今之を見ること果たして然り。其の世を救うの志甚だ誠に切にして、亦今日天下の事に於て儘く記得し熟す、と。

子厚言、今日之往來、倶無益。不如閒居、與學者講論、資養後生、却成得事。正叔言、何必然。義當來則來、當往則往爾。
【読み】
子厚言く、今日の往來は、倶に益無し。閒居して、學者と講論して、後生を資養して、却って事を成し得んには如かず、と。正叔言く、何ぞ必ずしも然らん。義當に來るべきときは則ち來り、當に往くべきときは則ち往かんのみ、と。

二程言、人不易知。子厚言、人誠知之爲艱。然至於伎術能否、人情善惡、便可知。惟以(一作似。)秦武陽殺人於市、見秦始皇懼、此則不可知。
【読み】
二程言く、人知ること易からず、と。子厚言く、人誠に之を知るを艱しと爲す。然れども伎術の能否、人情の善惡に至っては、便ち知る可し。惟以て(一に似に作る。)秦武陽人を市に殺し、秦の始皇を見て懼るるは、此れ則ち知る可からず、と。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)