二程全書卷之十三  遺書明道先生語二

戌冬見伯淳先生洛中所聞  劉絢質夫錄
【読み】
戌冬伯淳先生に洛中に見えて聞く所  劉絢質夫錄

純亦不已、天德也。造次必於是、顚沛必於是、三月不違仁之氣象也。又其次、則日月至焉者矣。
【読み】
純も亦已まずとは、天の德なり。造次も必ず是に於てし、顚沛も必ず是に於てすとは、三月仁に違わざるの氣象なり。又其の次は、則ち日月至れる者なり。

一陰一陽之謂道、自然之道也。繼之者善也、出道則有用、元者善之長也。成之者却只是性、各正性命者也。故曰、仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知、故君子之道鮮矣。如此、則亦無始、亦無終、亦無因甚有、亦無因甚無、亦無有處有、亦無無處無。
【読み】
一陰一陽之を道と謂うは、自然の道なり。之に繼ぐ者は善なりとは、道を出すときは則ち用有り、元は善の長なり。之を成す者は却って只是れ性、各々性命を正しくする者なり。故に曰く、仁者は之を見て之を仁と謂い、知者は之を見て之を知と謂い、百姓は日に用いて知らず、故に君子の道鮮し、と。此の如くなるときは、則ち亦始め無く、亦終わり無く、亦甚[なに]に因りて有ること無く、亦甚に因りて無きこと無く、亦有有に處すること無く、亦無無に處すること無し。

民受天地之中以生、天命之謂性也。人之生也直、意亦如此。(若以生爲生養之生、却是修道之謂敎也。至下文始自云不能者敗以取禍、則乃是敎也。)
【読み】
民天地の中を受けて以て生ずとは、天命之を性と謂うというものなり。人の生まるるや直しも、意亦此の如し。(若し生を以て生養の生と爲さば、却って是れ道を修むる之を敎と謂うというものなり。下文に始めて自ら能わざる者は敗れて以て禍を取ると云うに至っては、則乃ち是れ敎なり。)

且喚做中、若以四方之中爲中、則四邊無中乎。若以中外之中爲中、則外面無中乎。如生生之謂易、天地設位而易行乎其中、豈可只以今之易書爲易乎。中者、且謂之中、不可捉一箇中來爲中。
【読み】
且つ中と喚び做す、若し四方の中を以て中と爲せば、則ち四邊中無けんや。若し中外の中を以て中と爲せば、則ち外面中無けんや。生生之を易と謂い、天地位を設けて易其の中に行わるというが如き、豈只今の易書を以て易と爲す可けんや。中なる者は、且つ之を中と謂い、一箇の中を捉え來りて中と爲す可からず。

顏子在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂。簞瓢陋巷非可樂、蓋自有其樂耳。其字當玩味。自有深意。
【読み】
顏子の陋巷に在る、人其の憂えに堪えられず、囘は其の樂しみを改めず。簞瓢陋巷は樂しむ可きに非ず、蓋し自ら其の樂しみ有るのみ。其の字當に玩味すべし。自づから深意有り。

大學之道、在明明德、明此理也。在止於至善、反己守約是也。
【読み】
大學の道は、明德を明らかにするに在りとは、此の理を明らかにするなり。至善に止まるに在りとは、己に反して約を守る、是れなり。

楊子出處、使人難說。孟子必不肯爲楊子事。
【読み】
楊子が出處、人をして說き難からしむ。孟子必ず肯えて楊子が事を爲さじ。

孔子與點、蓋與聖人之志同、便是堯・舜氣象也。誠異三子者之撰、特行有不揜焉者、眞所謂狂矣。子路等所見者小。子路只爲不達爲國以禮道理、所以爲夫子笑。若知爲國以禮之道、便却是這氣象也。
【読み】
孔子點に與するは、蓋し聖人の志と同じく、便ち是れ堯・舜氣象なればなり。誠に三子者の撰に異なり、特行い揜わざること有る者は、眞に所謂狂なり。子路等見る所の者小なり。子路は只國を爲むるに禮を以てするの道理に達せざるが爲に、所以に夫子をして笑わしむ。若し國を爲むるに禮を以てするの道を知らば、便ち却って是れ這の氣象なり。

人之學、當以大人爲標垜。然上面更有化爾。人當學顏子之學(一作事。)
【読み】
人の學は、當に大人を以て標垜[ひょうだ]と爲すべし。然も上面更に化すること有るのみ。人當に顏子の學(一に事に作る。)を學ぶべし。

窮理盡性矣。曰以至於命、則全無著力處。如成於樂、樂則生矣之意同。
【読み】
理を窮め性を盡くす。以て命に至ると曰うときは、則ち全く力を著くる處無し。樂に成るが如きは、樂しむときは則ち生ずの意と同じ。

子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性與天道、不可得而聞也。子貢蓋於是始有所得而歎之。以子貢之才、從夫子如此之久、方歎不可得而聞、亦可謂之鈍矣。觀其孔子沒、築室於場、六年然後歸、則子貢之志亦可見矣。他人如子貢之才、六年中待作多少事。豈肯如此。
【読み】
子貢曰く夫子の文章は、得て聞く可し、夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からざるなり、と。子貢蓋し是に於て始めて得る所有りて之を歎ず。子貢の才を以て、夫子に從うこと此の如く久しくして、方に得て聞く可からずと歎ずるは、亦之を鈍しと謂う可し。其の孔子沒して、室を場に築き、六年にして然して後に歸るを觀るときは、則ち子貢の志亦見る可し。他人子貢の才の如きは、六年中多少の事を待ち作さん。豈肯えて此の如くならんや。

生生之謂易。天地設位而易行乎其中。乾坤毀則無以見易。易不可見、乾坤或幾乎息矣。易畢竟是甚。又指而言曰、聖人以此洗心退藏於密。聖人示人之意至此深且明矣。終無人理會。易也、此也、密也、是甚物。人能至此深思、當自得之。
【読み】
生生之を易と謂う。天地位を設けて易其の中に行わる。乾坤毀るるときは則ち以て易を見ること無し。易見る可からざるときは、乾坤或は息むに幾し。易は畢竟是れ甚[なん]ぞ。又指して言いて曰く、聖人此を以て心を洗って退いて密に藏る、と。聖人人に示すの意此に至って深く且つ明らかなり。終に人理會すること無し。易や、此や、密や、是れ甚物ぞ。人能く此に至って深く思わば、當に之を自得すべし。

喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也、和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。致與位字、非聖人不能言。子思蓋特傳之耳。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う。發して皆節に中る、之を和と謂う。中なる者は、天下の大本なり、和なる者は、天下の達道なり。中和を致むれば、天地位し、萬物育わる。致と位の字は、聖人に非ずんば言うこと能わじ。子思蓋し特之を傳うるのみ。

顏子曰、仰之彌高、鑽之彌堅、則是深知道之無窮也。瞻之在前、忽焉在後、他人見孔子甚遠、顏子瞻之、只在前後、但只未在中閒爾。若孔子、乃在其中焉、此未達一閒者也。
【読み】
顏子曰く、之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しとは、則ち是れ深く道の窮まり無きことを知ればなり。之を瞻て前に在るかとすれば、忽焉として後に在りとは、他人孔子を見れば甚だ遠く、顏子之を瞻て、只前後に在り、但只未だ中閒に在らざるのみ。孔子の若きは、乃ち其の中に在り、此れ未だ達せざること一閒なる者なり。

成性存存、便是道義之門。
【読み】
性を成し存すべきを存するは、便ち是れ道義の門。

凡人才學、便須知著力處。旣學、便須知得力處。
【読み】
凡そ人才かに學ぶときは、便ち須く力を著くる處を知るべし。旣に學ぶときは、便ち須く力を得る處を知るべし。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)