二程全書卷之十四  遺書明道先生語三

亥八月見先生於洛所聞  劉絢質夫錄
【読み】
亥の八月先生に洛に見えて聞く所  劉絢質夫錄

公族有罪、磬于甸人。如其倫之喪、無服。明無罪者有服也。
【読み】
公族罪有れば、甸人[でんじん]に磬[くび]らしむ。其の倫[たぐい]の喪の如くして、服無し。明らかなり、罪無き者は服有ること。

楊・墨之害、甚於申・韓。佛・老(一無老字。)之害、甚於楊・墨。楊氏爲我、疑於仁。墨氏兼愛、疑於義。申・韓則淺陋易見。故孟子只闢楊・墨、爲其惑世之甚也。佛・老(一作氏字。)其言近理、又非楊・墨之比。此所以害尤甚。楊・墨之害、亦經孟子闢之。所以廓如也。
【読み】
楊・墨の害は、申・韓よりも甚だし。佛・老(一に老の字無し。)の害は、楊・墨よりも甚だし。楊氏の爲我は、義に疑わしく、墨氏の兼愛は、仁に疑わし。申・韓は則ち淺陋にして見易し。故に孟子只楊・墨のみを闢くは、其の世を惑わすこと甚だしきが爲なり。佛・老(一に氏の字に作る。)は其の言理に近く、又楊・墨の比に非ず。此れ害尤も甚だしき所以なり。楊・墨の害、亦孟子之を闢くことを經たり。所以に廓如たり。

禮云惟祭天地社稷爲越紼而行事、似亦太早。雖不以卑廢尊、若旣葬而行之、宜亦可也。蓋未葬時、哀戚方甚。人有所不能祭爾。
【読み】
禮に惟れ天地社稷を祭るに紼を越えて事を行うことを爲すと云うは、亦太だ早きに似たり。卑きを以て尊きを廢せずと雖も、若し旣に葬りて之を行わば、宜しく亦可なるべし。蓋し未だ葬らざる時、哀戚方に甚だし。人祭ること能わざる所有るのみ。

艮其止、止其所也。八元有善而舉之、四凶有罪而誅之、各止其所也。釋氏只曰止。安知止乎。(吳本罪作惡、誅作去。)
【読み】
其の止に艮まるとは、其の所に止まるなり。八元善有りて之を舉げ、四凶罪有りて之を誅すは、各々其の所に止まるなり。釋氏只止と曰う。安んぞ止まることを知らんや。(吳本罪を惡に作り、誅を去に作る。)

釋氏無實。
【読み】
釋氏は實無し。

釋氏說道、譬之以管窺天。只務直上去、惟見一偏、不見四旁。故皆不能處事。聖人之道、則如在平野之中、四方莫不見也。
【読み】
釋氏道を說くは、之を管を以て天を窺うに譬う。只直上に務め去り、惟一偏を見て、四旁を見ず。故に皆事に處すること能わず。聖人の道は、則ち平野の中に在って、四方見ざること莫きが如し。

釋氏本怖死生爲利。豈是公道。唯務上達而無下學。然則其上達處、豈有是也。元不相連屬、但有閒斷、非道也。孟子曰、盡其心者、知其性也。彼所謂識心見性是也。若存心養性一段事則無矣。彼固曰出家獨善。便於道體自不足(一作已非矣。)。或曰、釋氏地獄之類、皆是爲下根之人設此怖、令爲善。先生曰、至誠貫天地、人尙有不化。豈有立僞敎而人可化乎。
【読み】
釋氏は本より死生を怖れて利の爲にす。豈是れ公道ならんや。唯上達を務むるのみにして下學無し。然らば則ち其の上達する處は、豈是れ有らんや。元相連屬せず、但閒斷有れば、道に非ざるなり。孟子曰く、其の心を盡くす者は、其の性を知る、と。彼の謂う所の心を識り性を見ること是れなり。心を存し性を養う一段の事の若きは則ち無し。彼固より家を出て獨り善くすと曰う。便ち道體に於て自ら足らず(一に已に非なりに作る。)。或るひと曰く、釋氏地獄の類は、皆是れ下根の人の爲に此の怖れを設けて、善を爲さしむ、と。先生曰く、至誠天地を貫くすら、人尙化せざる有り。豈僞敎を立てて人の化す可きこと有らんや、と。

曾子易簀之意、心是理、理是心、聲爲律、身爲度也。
【読み】
曾子簀を易えるの意、心是れ理、理是れ心、聲律と爲り、身度と爲るなり。

灑埽應對便是形而上者、理無大小故也。故君子只在愼獨。
【読み】
灑埽應對は便ち是れ形よりして上なる者、理に大小無き故なり。故に君子は只獨りを愼むに在り。

知之明、信之篤、行之果、知仁勇也。若孔子所謂成人、亦不出此三者。臧武仲知也、孟公綽仁也、卞莊子勇也。
【読み】
之を知ること明らかに、之を信ずること篤く、之を行うこと果なれば、知仁勇なり。孔子の所謂成人の若きも、亦此の三つの者を出でず。臧武仲は知なり、孟公綽は仁なり、卞莊子は勇なり。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)