二程全書卷之十七  遺書伊川先生語第二

己巳冬所聞

問、孔子稱伯夷・叔齊曰、不念舊惡、怨是用希。何也。曰、以夷・齊之隘、若念舊惡、將不能處世矣。
【読み】
問う、孔子伯夷・叔齊を稱して曰く、舊惡を念わず、怨み是を用[もっ]て希[すくな]し、と。何ぞや、と。曰く、夷・齊の隘を以て、若し舊惡を念わば、將に世に處すること能わじ、と。

問、子貢曰、博施於民而能濟衆、可謂仁乎。子曰、何事於仁、必也聖乎。仁聖何以相別。曰、此子貢未識仁。故測度而設問也。惟聖人爲能盡仁。然仁在事、不可以爲聖。又問、堯・舜其猶病諸。果乎。曰、誠然也。聖人惟恐所及不遠不廣。四海之治也、孰若兼四海之外亦治乎。是嘗以爲病也。博施濟衆事大。故仁不足以名之。
【読み】
問う、子貢曰く、博く民に施して能く衆を濟うを、仁と謂う可きや、と。子曰く、何ぞ仁のみを事とせん、必ずや聖か、と。仁聖何を以てか相別たん、と。曰く、此れ子貢未だ仁を識らず。故に測り度りて問いを設けり。惟聖人のみ能く仁を盡くすことをす。然れども仁は事に在って、以て聖とす可からず、と。又問う、堯・舜も其れ猶病めり、と。果たせるや、と。曰く、誠に然り。聖人は惟及ぶ所遠からず廣からざるを恐る。四海を治むる、四海の外を兼ねて亦治むるに孰若[いずれ]ぞや。是れ嘗て以て病とするなり。博く施して衆を濟うは事大なり。故に仁は以て之を名づくるに足らず、と。

趙景平問、子罕言利與命與仁。所謂利者何利。曰、不獨財利之利、凡有利心、便不可。如作一事、須尋自家穩便處、皆利心也。聖人以義爲利。義安處便爲利。如釋氏之學、皆本於利。故便不是。
【読み】
趙景平問う、子罕[まれ]に利と命と仁とを言う。謂う所の利とは何の利ぞ、と。曰く、獨財利の利のみならず、凡そ利心有れば、便ち不可なり。一事を作すが如き、須く自家穩便なる處を尋ぬるは、皆利心なるべし。聖人は義を以て利とす。義安んずる處は便ち利とす。釋氏が學の如きは、皆利に本づく。故に便ち是ならず。

趙景平問、未見蹈仁而死者。何謂蹈仁而死。曰、赴水火而死者有矣。殺身成仁者、未之有也。
【読み】
趙景平問う、未だ仁を蹈んで死する者を見ず、と。何ぞ仁を蹈んで死すと謂う、と。曰く、水火に赴いて死する者有り。身を殺して仁を成す者は、未だ之れ有らず、と。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)