二程全書卷之十八  遺書伊川先生語第三

三王之法、各是一王之法。故三代損益文質、隨時之宜。若孔子所立之法、乃通萬世不易之法。孔子於他處亦不見說、獨答顏囘云、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞。此是於四代中舉這一箇法式、其詳細雖不可見、而孔子但示其大法、使後人就上修之。二千年來、亦無一人識者。
【読み】
三王の法は、各々是れ一王の法。故に三代文質を損益して、時の宜しきに隨う。孔子立つる所の法の若きは、乃ち萬世に通じて不易の法なり。孔子他處に於て亦說くことを見ず、獨り顏囘に答えて云く、夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞をす、と。此は是れ四代の中に於て這の一箇の法式を舉ぐ、其の詳細なること見る可からずと雖も、而れども孔子但其の大法を示して、後人をして上に就いて之を修めしむるのみ。二千年來、亦一人も識る者無し。

義之精者、須是自求得之。如此則善求義也。
【読み】
義の精なる者は、須く是れ自ら求めて之を得るべし。此の如くなるときは則ち善く義を求むるなり。

善讀中庸者、只得此一卷書、終身用不盡也。
【読み】
善く中庸を讀む者は、只此の一卷の書を得て、身を終うるまで用うるも盡きず。

睽之上九、離也。離之爲德、在諸卦莫不以爲明。獨於睽便變爲惡。以陽在上則爲亢、以剛在上則爲很(呂本很作狠。下很字同。)、以明在上變而爲察。以很以察、所以爲睽之極也。故曰、見豕負塗、載鬼一車。皆自任己察之所致。然往而遇雨則吉、遇雨者、睽解也。睽解有二義。一是物極則必反。故睽極則必通。若睽極不通、却終於睽而已。二是所以能解睽者、却是用明之功也。
【読み】
睽[けい]の上九は、離なり。離の德爲る、卦に在りて以て明と爲らざること莫し。獨り睽に於ては便ち變じて惡と爲る。陽を以て上に在るときは則ち亢[おお]うことを爲し、剛を以て上に在るときは則ち很[もと]ることを(呂本很を狠に作る。下の很の字も同。)爲し、明を以て上に在るときは變じて察することを爲す。以て很り以て察するは、睽の極爲る所以なり。故に曰く、豕の塗を負うを見、鬼を一車に載す、と。皆自ら己が察するに任ずるの致す所なり。然れども往いて雨に遇うときは則ち吉なりとは、雨に遇えば、睽解なり。睽解に二義有り。一つは是れ物極まるときは則ち必ず反る。故に睽極まるときは則ち必ず通ず。若し睽極まって通ぜざれば、却って睽に終うるのみ。二つは是れ能く睽を解く所以の者は、却って是れ明を用うるの功なり。

大抵卦爻始立、義旣具。卽聖人別起義以錯綜之。如春秋以前、旣已立例、到近後來、書得全別。一般事便書得別有意思。若依前例觀之、殊失之也。
【読み】
大抵卦爻始めて立って、義旣に具わる。卽ち聖人別に義を起こして以て之を錯綜す。春秋以前の如き、旣已に例を立て、後來に近きに到りて、書し得るに全く別なり。一般の事は便ち書し得て別に意思有り。若し前例に依りて之を觀ば、殊に之を失せん。

先生嘗說、某於易傳、今却已自成書、但逐旋修改、期以七十、其書可出。韓退之稱、聰明不及於前時、道德日負於初心。然某於易傳、後來所改者無幾。不知如何。故且更期之以十年之功、看如何。春秋之書、待劉絢文字到。却用功亦不多也。今人解詩、全無意思。此却待出些文字。中庸書却已成。今農夫祁寒暑雨、深耕易耨、播種五榖。吾得而食之。今百工技藝作爲器用。吾得而用之。甲冑之士披堅執銳以守土宇。吾得而安之。却如此閒過了日月、卽是天地閒一蠹也。功澤又不及民、別事又做不得、惟有補緝聖人遺書、庶幾有補爾。(陳長方見尹子於姑蘇、問中庸解。尹子云、先生自以爲不滿意、焚之矣。)
【読み】
先生嘗て說けり、某易傳に於て、今却って已に自ら書を成し、但逐って旋[やや]修改し、期するに七十を以てして、其の書出す可し。韓退之稱すらく、聰明前時に及ばず、道德日に初心に負く、と。然るに某易傳に於て、後來改むる所の者幾[いくばく]も無し。知らず、如何。故に且更に之を期するに十年の功を以てして、如何と看る。春秋の書は、劉絢を待って文字到る。却って功を用うること亦多からず。今の人詩を解するに、全く意思無し。此れ却って些かの文字を待出す。中庸の書は却って已に成る。今農夫祁寒暑雨に、深く耕し易[おさ]め耨[くさぎ]りて、五榖を播種す。吾れ得て之を食う。今百工技藝器用を作爲す。吾れ得て之を用う。甲冑の士堅を披[こうむ]り銳を執りて以て土宇を守る。吾れ得て之を安んず。却って此の如く日月を閒過し了うるは、卽ち是れ天地の閒の一蠹[と]なり。功澤又民に及ばず、別事又做し得ず、惟聖人の遺書を補緝すること有らば、庶幾わくは補い有らんのみ、と。(陳長方尹子に姑蘇に見ゆるとき、中庸解を問う。尹子云く、先生自ら以て意を滿たさずと爲して、之を焚けり、と。)

致知在格物。格物之理、不若察之於身、其得尤切。
【読み】
知を致むるは物に格るに在り。物の理に格るは、之を身に察して、其の得ること尤も切なるに若かず。

酒者、古人養老祭祀之所用、今官有搉酤、民有買撲、無故輒令人聚飮、亦大爲民食之蠹也。損民食、惰民業、招刑聚冠、皆出於此。如損節得酒課、民食亦爲小充分明。民食却釀爲水後、令人飮之、又不當飢飽。若未能絕得買撲、若且只諸縣都鄙爲之、亦利不細。
【読み】
酒は、古人養老祭祀の用うる所、今官に搉酤[かくこ]有り、民に買撲有り、故無くして輒[かって]に人をして聚飮せしむるは、亦大いに民食の蠹[と]と爲すなり。民食を損し、民業を惰り、刑を招き冠を聚むるは、皆此に出づ。如し酒課を損節し得ば、民食も亦小しく充てることを爲さんこと分明ならん。民食するに却って釀して水と爲して後、人をして之を飮ましめば、又飢に當たって飽かじ。若し未だ買撲を絕ち得ること能わざるときは、若し且只諸縣都鄙之を爲さば、亦利細ならじ。

人要明理。若止一物上明之、亦未濟事。須是集衆理、然後脫然自有悟處。然於物上理會也得、不理會也得。(且須於學上格物。不可不詣理也。)
【読み】
人は理を明らかにせんことを要す。若止一物上に之を明かさば、亦未だ事を濟さず。須く是れ衆理を集めて、然して後に脫然として自づから悟る處有り。然も物上に於て理會するも也[また]得、理會せざるも也得。(且須く學の上に於て物に格るべし。理に詣[いた]らざずんばある可からず。)

常見伯淳所在臨政、便上下響應到了、人衆後便成風。成風則有所鼓動。天地閒、只是一箇風以動之也。
【読み】
常に伯淳在す所にして政に臨むを見るに、便ち上下響應し到り了わって、人衆も後に便ち風を成す。風を成すときは則ち鼓動する所有り。天地の閒は、只是れ一箇の風以て之を動かす。

大凡儒者、未敢望深造於道、且只得所存正、分別善惡、識廉恥。如此等人、多亦須漸好。
【読み】
大凡儒者、未だ敢えて深く道に造ることを望まず、且只存する所正しきことを得れば、善惡を分別し、廉恥を識る。此れ等の人の如き、多くは亦須く漸く好かるべし。

或問、古之道如是之明、後世之道如是不明、其故何也。曰、此無他。知道者多卽道明、知者少卽道不明也。知者多少、亦由乎敎也。以魯國言之、止及今之一大州。然一時閒所出大賢十餘人、豈不是有敎以致然也。蓋是聖人旣出。故有許多賢者。以後世天下之大、經二千年閒、求如一顏・閔者、不可得也。
【読み】
或るひと問う、古の道は是の如く明らかに、後世の道は是の如く明らかならず、其の故は何ぞや、と。曰く、此れ他無し。道を知る者多ければ卽ち道明らかに、知る者少なければ卽ち道明らかならざるなり。知る者の多少は、亦敎に由る。魯國を以て之を言うに、止今の一大州に及ぶのみ。然れども一時の閒出る所の大賢十餘人、豈是れ敎有って以て然ることを致すにあらずや。蓋し是れ聖人旣に出づ。故に許多の賢者有り。後世天下の大なるを以て、二千年を經る閒、一りの顏・閔の如くなる者を求むるに、得可からざるなり、と。

大抵儒者潛心正道、不容有差。其始甚微、其終則不可救。如師也過、商也不及、於聖人中道、師只是過於厚些、商只是不及些。然而厚則漸至於兼愛、不及則便至於爲我。其過不及同出於儒者、其末遂至楊・墨。至如楊・墨、亦未至於無父無君、孟子推之、便至於此。蓋其差必至於是也。
【読み】
大抵儒者心を潛めて道を正せば、差い有る容からず。其の始めは甚だ微にして、其の終わりは則ち救う可からず。師は過ぎたり、商は及ばずというが如き、聖人の中道に於て、師は只是れ厚に過ぎること些か、商は只是れ及ばざること些かなり。然れども厚きときは則ち漸く兼ね愛するに至り、及ばざるときは則便ち我が爲にするに至る。其の過不及は同じく儒者に出て、其の末は遂に楊・墨に至る。楊・墨が如きに至っても、亦未だ父を無みし君を無みするに至らざれども、孟子之を推して、便ち此に至るとす。蓋し其の差えること必ず是に至らんとなり。

孟子辨舜・跖之分、只在義利之閒。言閒者、謂相去不甚遠、所爭毫末爾。義與利、只是箇公與私也。纔出義、便以利言也。只那計較、便是爲有利害。若無利害、何用計較。利害者、天下之常情也。人皆知趨利而避害。聖人則更不論利害、惟看義當爲與不當爲。便是命在其中也。
【読み】
孟子舜・跖の分を辨じて、只義利の閒に在り、と。閒と言う者は、相去ること甚だ遠からず、爭う所毫末なるを謂うのみ。義と利とは、只是れ箇の公と私となり。纔かに義を出れば、便ち利を以て言うなり。只那[かれ]計較するは、便ち是れ利害有りとすればなり。若し利害無きときは、何ぞ計較することを用いん。利害は、天下の常情なり。人皆利に趨って害を避くることを知る。聖人は則更ち利害を論ぜず、惟義として當にすべきと當にすべからざるとを看るのみ。便ち是れ命其の中に在ればなり。

傳經爲難。如聖人之後纔百年、傳之已差。聖人之學、若非子思・孟子、則幾乎息矣。道何嘗息。只是人不由之。道非亡也。幽・厲不由也。
【読み】
經を傳うるを難しと爲す。聖人の後の如き纔かに百年にして、之を傳うること已に差えり。聖人の學は、若し子思・孟子に非ずんば、則ち息むに幾からん。道は何ぞ嘗て息まん。只是れ人之に由らざるのみ。道亡びるには非ず。幽・厲に由らざるなり。

人或勸先生以加禮近貴。先生曰、何不見責以盡禮、而責之以加禮。禮盡則已。豈有加也。
【読み】
人或は先生に勸むるに禮を近貴に加うることを以てす。先生曰く、何ぞ責むるに禮を盡くすことを以てせられずして、之を責むるに禮を加うることを以てするや。禮盡くすときは則ち已む。豈に加うること有らんや、と。

聖人之語、因人而變化。語雖有淺近處、卽却無包含不盡處。如樊遲於聖門、最是學之淺者。及其問仁、曰愛人、問知、曰知人。且看此語有甚包含不盡處。他人之語、語近則遺遠、語遠則不知近。惟聖人之言、則遠近皆盡。
【読み】
聖人の語は、人に因って變化す。語淺近なる處有りと雖も、卽ち却って包含し盡くさざる處無からんや。樊遲の聖門に於るが如き、最も是れ學の淺き者なり。其の仁を問うに及んで、人を愛すと曰い、知を問うに、人を知ると曰う。且つ此の語を看るに甚の包含し盡くさざる處有らん。他人の語は、近きを語るときは則ち遠きを遺し、遠きを語るときは則ち近きを知らず。惟聖人の言のみは、則ち遠近皆盡くせり。

今之爲學者、如登山麓。方其迤邐、莫不闊步。及到峻處、便逡巡。(一本云、或以峻而遂止、或以難而稍緩。苟能遇難而益堅、聞過則改、何遠弗至也。)
【読み】
今の學を爲す者は、山麓を登るが如し。其の迤邐[いり]なるに方[あた]りては、闊歩せざる莫し。峻處に到るに及び、便ち逡巡す。(一本に云う、或は峻[たか]きを以て遂に止み、或は難きを以て稍[やや]緩む。苟も能く難に遇って益々堅く、過ちを聞けば則ち改むれば、何の遠きところか至らざらんや、と。)

先代帝王陵寢下、多有閒田。推其後、每處只消與田十頃、與一閒官世守之。至如唐狄仁傑・顏杲卿之後、朝廷與官一人、死則却絕。不若亦如此處之、亦與田五七頃。
【読み】
先代帝王の陵寢の下、多くは閒田有り。其の後を推して、每處只田十頃を與うることを消い、一閒官に與えて世々之を守らしむ。唐の狄仁傑・顏杲卿の後の如きに至って、朝廷官一人に與えて、死するときは則ち却って絕つ。若かじ、亦此の如く之を處するよりは、亦田五七頃を與えんには。

後世骨肉之閒、多至仇怨忿爭。其實爲爭財。使之均布、立之宗法、官爲法則無所爭。
【読み】
後世骨肉の閒、多くは仇怨忿爭に至る。其の實は財を爭うが爲なり。之をして均しく布かしめ、之が宗法を立て、官法を爲すときは則ち爭う所無けん。

後世人理全廢。小失則入於夷狄、大失則入於禽獸。(人理、一作禮。)
【読み】
後世人理全く廢す。小しく失するときは則ち夷狄に入り、大いに失するときは則ち禽獸に入る。(人理は、一に禮に作る。)

大凡禮、必須有義。禮之所尊、尊其義也。失其義、陳其數、祝史之事也。
【読み】
大凡禮は、必ず須く義有るべし。禮の尊ぶ所は、其の義を尊ぶなり。其の義を失い、其の數を陳ぶるは、祝史の事なり。

益長裕而不設、謂固有此理就上充長之。設是撰造也。撰造則爲僞也。
【読み】
益は長裕して設けずとは、固より此の理有って上に就いて之を充たし長ずるを謂う。設けるとは是れ撰び造るなり。撰び造るときは則ち僞とす。

人或以禮官爲閒官。某謂、禮官之責最大。朝廷一有違禮、皆禮官任其責。豈得爲閒官。
【読み】
人或は禮官を以て閒官と爲す。某謂えらく、禮官の責は最も大なり。朝廷一も禮に違うこと有れば、皆禮官其の責に任ず。豈閒官と爲すことを得んや、と。

陳平雖不知道、亦知學。如對文帝以宰相之職、非知學、安能如此。
【読み】
陳平は道を知らずと雖も、亦學を知れり。文帝に對うるに宰相の職を以てするが如き、學を知るに非ざれば、安んぞ能く此の如くならんや。

曹參去齊、以獄市爲託。後之爲政者、留意於獄者則有之矣。未聞有治市者。
【読み】
曹參齊を去るに、獄市を以て託することを爲す。後の政を爲むる者、意を獄に留むる者は則ち之れ有り。未だ市を治むる者有ることを聞かず。

學莫大於致知。養心莫大於禮義。古人所養處多。若聲音以養其耳、舞蹈以養其血脈。今人都無。只有箇義理之養、人又不知求。
【読み】
學は知を致むるより大なるは莫し。心を養うは禮義より大なるは莫し。古人養う所の處多し。聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脈を養うが若し。今の人は都て無し。只箇の義理の養有れども、人又求むることを知らず。

或謂、人莫不知和柔寬緩。然臨事則反至於暴厲。曰、只是志不勝氣、氣反動其心也。
【読み】
或るひと謂く、人和柔寬緩を知らざること莫し。然れども事に臨んでは則ち反って暴厲に至る、と。曰く、只是れ志氣に勝たず、氣反って其の心を動かせばなり、と。

學者所貴聞道、執經而問、但廣聞見而已。然求學者、不必在同人中。非同人、又却無學者。
【読み】
學者の貴ぶ所の道を聞くに、經を執りて問うは、但聞見を廣むるのみ。然も學者を求むるに、必ずしも同人の中に在らず。同人に非ざれば、又却って學者無きなり。

孟子言、聖而不可知之謂神。非是聖上別有一等神人、神卽聖而不可知。(又曰、謂聖之至妙、人所不能測。)
【読み】
孟子言く、聖にして知る可からざる之を神と謂う、と。是れ聖の上に別に一等の神人有るに非ず、神は卽ち聖にして知る可からざるなり。(又曰く、聖の至妙にして、人の測ること能わざる所を謂えり、と。)

儒行之篇、此書全無義理。如後世遊說之士所爲誇大之說。觀孔子平日語言、有如是者否。
【読み】
儒行の篇、此の書全く義理無し。後世遊說の士のする所の誇大の說の如し。孔子平日の語言を觀るに、是の如き者有りや否や。

陳司敗問、昭公知禮乎。孔子對曰、知禮。彼國人來問君知禮否、不成說不知禮也。如陳司敗數昭公失禮之事而問之、則有所不答、顧左右而言他。及巫馬期來告、正合不答、然孔子答之者、以陳司敗必俟其反命、故須至答也。
【読み】
陳司敗問う、昭公禮を知れりや、と。孔子對えて曰く、禮を知れり、と。彼の國人來りて君禮を知れりや否やと問うに、禮を知らずと說くことを成さず。如し陳司敗昭公禮を失するの事を數えて之を問わば、則ち答えざる所有りて、左右を顧みて他を言わん。巫馬期來り告ぐるに及んで、正に答えざる合きに、然も孔子之を答うる者は、陳司敗必ず其の反命を俟つを以て、故に須く答うるに至るべし。

或問、如何學可謂之有得。曰、大凡學問、聞之知之、皆不爲得。得者、須默識心通。學者欲有所得、須是篤、誠意燭理。上知、則穎悟自別。其次、須以義理涵養而得之。
【読み】
或るひと問う、如何にか學之を得ること有りと謂う可き、と。曰く、大凡學問いて、之を聞いて之を知るは、皆得たりと爲さず。得るとは、須く默して識して心通ずべし。學者得る所有らんと欲せば、須く是れ篤く、誠意もて理を燭すべし。上知は、則ち穎悟にして自づから別なり。其の次は、須く義理を以て涵養して之を得るべし。

古有敎、今無敎。以其無敎、直壞得人質如此不美。今人比之古人、如將一至惡物、比一至美物。
【読み】
古は敎有り、今は敎無し。其の敎無きを以て、直に人質を壞り得て此の如く美ならず。今の人之を古人に比すれば、一の至惡物を將って、一の至美物に比するが如し。

造道深後、雖聞常人語言淺近事、莫非義理。
【読み】
道に造ること深くして後、常人語言淺近の事を聞くと雖も、義理に非ざること莫し。

古者家有塾、黨有庠。故人未有不入學者。三老坐於里門、出入察其長幼揖讓之序。如今所傳之詩、人人諷誦、莫非止於禮義之言。今人雖白首、未嘗知有詩、至於里俗之言、盡不可聞。皆繫其習也。以古所習、安得不善。以今所習、安得不惡。
【読み】
古は家に塾有り、黨に庠有り。故に人未だ學に入らざる者有らず。三老里門に坐して、出入其の長幼揖讓の序を察す。今傳わる所の詩、人人諷誦するが如き、禮義に止まるの言に非ざること莫し。今の人は白首と雖も、未だ嘗て詩有ることを知らず、里俗の言に至っては、盡く聞く可からず。皆其の習に繫ればなり。古の習う所を以てせば、安んぞ善ならざることを得ん。今習う所を以てせば、安んぞ惡ならざることを得ん。

唐太宗、後人只知是英主。元不曾有人識其惡、至如殺兄取位。若以功業言、不過只做得箇功臣、豈可奪元良之位。至如肅宗卽位靈武、分明是簒也。
【読み】
唐の太宗、後人只是れ英主ならんことを知る。元曾て人其の惡、兄を殺し位を取るが如きに至ることを識ること有らず。若し功業を以て言えば、只箇の功臣と做し得るに過ぎず、豈元良の位を奪う可けんや。肅宗靈武に卽位するが如きに至っては、分明に是れ簒えるなり。

革言水火相息。息止息也。旣有止息之理、亦有生息之理。睽卦不見四德。蓋不容著四德。繇言小事吉者、止是方睽之時、猶足以致小事之吉。不成終睽而已。須有濟睽之道。(一本、睽卦以下、別爲一章。)
【読み】
革に水火相息すと言う。息は止息なり。旣に止息の理有れば、亦生息の理有り。睽の卦に四德を見ず。蓋し四德を著く容からず。繇[ちゅう]に小事に吉なりと言う者は、止是れ睽の時に方って、猶以て小事の吉を致すに足れり。睽に終うること成らざるのみ。須く睽を濟すの道有るべし。(一本に、睽卦以下、別に一章と爲す。)

文中子言、古之學者聚道。不知道如何聚得。
【読み】
文中子言く、古の學ぶ者は道を聚む、と。道を知らずんば如何ぞ聚め得ん。

凡爲政、須立善法。後人有所變易、則無可奈何。雖周公、亦知立法而已。後人變之、則無可奈何也。
【読み】
凡そ政を爲むるには、須く善法を立つるべし。後人變易する所有るときは、則ち奈何ともす可きこと無し。周公と雖も、亦法を立つることを知るのみ。後人之を變ずるときは、則ち奈何ともす可きこと無し。

臨言八月有凶、謂至八月是遯也。當其剛浸長之時、便戒以陰長之意。
【読み】
臨に八月に凶有りと言うは、謂ゆる八月に至れば是れ遯なればなり。其の剛浸[ようや]く長ずるの時に當たりて、便ち戒むるに陰長ずるの意を以てす。

紀侯大去其國。大去責在紀也。非齊之罪也。齊侯・陳侯・鄭伯遇於埀、方謀伐之、紀侯遂去其國。齊師未加而已去。故非齊之罪也。
【読み】
紀侯大いに其の國を去る。大いに去るとは責め紀に在るなり。齊の罪に非ざるなり。齊侯・陳侯・鄭伯埀に遇い、方に之を伐たんことを謀るに、紀侯遂に其の國を去る。齊の師未だ加わらずして已に去る。故に齊の罪に非ざるなり。

春秋之文、莫不一一意在示人。如土功之事、無小大莫不書之。其意止欲人君重民之力也。
【読み】
春秋の文は、一一意人に示すに在らざること莫し。土功の事の如き、小大と無く之を書せざること莫し。其の意は止人君民の力を重んぜんことを欲してなり。

書大雩、雩及上帝。以見魯不當爲。與書郊者同義。
【読み】
大いに雩[う]すと書するは、上帝に雩するなり。以て魯の當にすべからざることを見す。郊を書す者と義を同じくす。

書公伐齊納糾、糾不當立。故不言子糾。若書子糾、則正了他當得立也。
【読み】
公齊を伐って糾を納ると書するは、糾は當に立つべからず。故に子糾と言わず。若し子糾と書せば、則ち正に他當に立つことを得るべし。

凡易卦、有就卦才而得其義者、亦有舉兩體便得其義者。隨、剛來而下柔、動而說隨、此是就卦才而得隨之義。澤中有雷隨、此是就象上得隨之義也。
【読み】
凡そ易の卦は、卦の才に就いて其の義を得る者有り、亦兩體を舉げて便ち其の義を得る者有り。隨は、剛來りて柔に下る、動いて說ぶは隨なりというは、此は是れ卦の才に就いて隨の義を得。澤中に雷有るは隨なりというは、此は是れ象の上に就いて隨の義を得るなり。

宗子之法不立、則朝廷無世臣。宗法須是一二巨公之家立法。宗法立、則人人各知來處。
【読み】
宗子の法立たざるときは、則ち朝廷に世臣無し。宗法は須く是れ一二の巨公の家法を立つるべし。宗法立つときは、則ち人人各々來る處を知る。

宗子者、謂宗主祭祀也。
【読み】
宗子は、祭祀に宗主たるを謂うなり。

禮、長子不得爲人後。若無兄弟、又繼祖之宗絕、亦當繼祖。禮雖不言、可以義起。
【読み】
禮に、長子は人の後爲ることを得ず、と。若し兄弟無く、又祖に繼ぐの宗絕えば、亦當に祖に繼ぐべし。禮に言わずと雖も、義を以て起こす可し。

凡大宗與小宗、皆不在廟數。
【読み】
凡そ大宗と小宗とは、皆廟數に在らず。

收族之義、止爲相與爲服、祭祀相及。
【読み】
族を收むるの義は、止相與に服を爲し、祭祀相及ぼすと爲すのみ。

所謂宗者、以己之旁親兄弟來宗於己。所以得宗之名、非己宗於人也。
【読み】
所謂宗とは、己が旁親兄弟來りて己を宗とするを以てなり。宗の名を得る所以は、己人を宗とするに非ざればなり。

凡小宗以五世爲法。親盡則族散。若高祖之子尚存、欲祭其父、則見爲宗子者。雖是六世七世、亦(一作必。)須計會今日之宗子、然後祭其父。宗子有君道。
【読み】
凡そ小宗は五世を以て法と爲す。親盡くるときは則ち族散ず。若し高祖の子尚存して、其の父を祭らんと欲するときは、則ち宗子爲る者を見る。是れ六世七世と雖も、亦(一に必に作る。)須く今日の宗子を計會して、然して後に其の父を祭るべし。宗子は君の道有り。

祭祀須別男女之分。生旣不可雜坐、祭豈可雜坐。
【読み】
祭祀は須く男女の分を別つべし。生まれては旣に雜じり坐わる可からず、祭るに豈雜じり坐わる可けんや。

祭、非主則無依、非尸則無享。
【読み】
祭は、主に非ざれば則ち依ること無く、尸に非ざれば則ち享ること無し。

今行冠禮、若制古服而冠、冠了又不常著。却是僞也。必須用時之服。
【読み】
今冠禮を行うに、若し古服を制して冠せば、冠し了わりて又常に著けじ。却って是れ僞なり。必ず須く時の服を用うべし。

喪須三年而祔。若卒哭而祔、則三年却都無事。禮卒哭猶存朝夕哭。若無主在寢(一作祭於殯。)、哭於何處。
【読み】
喪は須く三年にして祔[ふ]すべし。若し卒哭して祔するときは、則ち三年却って都て事無し。禮に卒哭は猶朝夕の哭を存す、と。若し主寢に在ること(一に殯に祭ることに作る。)無くんば、何れの處に哭せん。

物有自得天理者。如蜂蟻知衛其君、豺獺知祭。禮亦出於人情而已。
【読み】
物に自ら天理を得る者有り。蜂蟻其の君を衛ることを知り、豺獺祭を知るが如し。禮も亦人情に出るのみ。

祭先之禮、不可得而推者、無可奈何。其可知者、無遠近多少、須(呂本・徐本須作猶。)當盡祭之祖。又豈可不報。又豈可厭多。蓋根本在彼、雖遠、豈得無報。
【読み】
先を祭るの禮、得て推す可からざる者は、奈何ともす可きこと無し。其の知る可き者は、遠近多少と無く、須(呂本・徐本須を猶に作る。)當に盡く之を祖に祭るべし。又豈報ぜざる可けんや。又豈多きを厭う可けんや。蓋し根本彼に在り、遠しと雖も、豈報ずること無きことを得んや。

宗子雖七十、無無主婦。此謂承祭祀也。然亦不當道七十、只道雖老無無主婦便得。
【読み】
宗子は七十と雖も、主婦無きこと無し。此れ祭祀を承くるを謂うなり。然れども亦當に七十と道うべからず、只老いたりと雖も主婦無きこと無しと道いて便ち得ん。

禮云、宗子如(一作不。)爲殤。宗子有君之道、豈有殤之理。
【読み】
禮に云う、宗子は殤爲るが如し(一に不に作る。)、と。宗子は君の道有り、豈殤の理有らんや。

喜怒哀樂未發謂之中、只是言一箇中(一作本。)體。旣是喜怒哀樂未發、那裏有箇甚麼。只可謂之中。如乾體便是健、及分在諸處、不可皆名健、然在其中矣。天下事事物物皆有中。發而皆中節謂之和、非是謂之和便不中也。言和則中在其中矣。中便是含喜怒哀樂在其中矣。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂うは、只是れ一箇の中の(一に本に作る。)體を言う。旣に是れ喜怒哀樂未だ發せずんば、那の裏に箇の甚麼[なに]か有らん。只之を中と謂う可し。乾の體は便ち是れ健、諸處に分在するに及んで、皆健と名づく可からざれども、然れども其の中に在るが如し。天下の事事物物に皆中有り。發して皆節に中る之を和と謂うは、是れ之を和と謂いて便ち中ならずとするに非ざるなり。和を言うときは則ち中は其の中に在り。中は便ち是れ喜怒哀樂を含んで其の中に在り。

如眼前諸人、要特立獨行。煞不難得。只是要一箇知見。難人只被這箇知見不通透。人謂要力行。亦只是淺近語。人旣能(一作有。)知見、豈有不能行。一切事皆所當爲、不必待著意做。纔著意做、便是有箇私心。這一點意氣、能得幾時了。
【読み】
眼前の諸人の如き、特立獨行せんことを要す。煞だ得難からず。只是れ一箇の知見を要す。人只這の箇の知見通透せざることあらしむと難ず。人力行を要すと謂う。亦只是れ淺近の語なり。人旣に能く(一に有に作る。)知見せば、豈行うこと能わざること有らんや。一切の事皆當にすべき所は、必ずしも意を著け做すことを待たず。纔かに意を著け做すときは、便ち是れ箇の私心有り。這の一點の意氣、能く幾時をか得了えんや。

今人欲致知、須要格物。物不必謂事物然後謂之物也。自一身之中、至萬物之理、但理會得多、相次自然豁然有覺處。
【読み】
今の人知を致めんことを欲せば、須く物に格ることを要す。物は必ずしも事物のみを謂いて然して後に之を物と謂うにあらず。一身の中自り、萬物の理に至るまで、但理會し得ること多く、相次げば自然に豁然として覺る處有り。

楊子拔一毛不爲、墨子又摩頂放踵爲之。此皆是不得中。至如子莫執中、欲執此二者之中。不知怎麼執得。識得則事事物物上皆天然有箇中在那上、不待人安排也。安排著、則不中矣。
【読み】
楊子一毛を拔いてもせず、墨子は又頂を摩して踵に放[いた]るまで之をす。此れ皆是れ中を得ず。子莫の中を執るが如きに至っては、此の二つの者の中を執らんと欲す。知らず、怎麼[いかん]ぞ執り得ん。識得するときは則ち事事物物の上皆天然に箇の中那の上に在ること有って、人の安排することを待たず。安排し著くときは、則ち中ならず。

知之必好之、好之必求之、求之必得之。古人此箇學是終身事。果能顚沛造次必於是、豈有不得道理。
【読み】
之を知れば必ず之を好み、之を好めば必ず之を求め、之を求むれば必ず之を得。古人此れ箇の學是れ身を終うるまで事とす。果たして能く顚沛造次も必ず是に於てせば、豈道理を得ざること有らんや。

立則見其參於前。所見者何事。
【読み】
立つときは則ち其の前に參わるを見る。見る所の者は何事ぞ。

顏淵問仁、而孔子告之以禮。仁與禮果異乎。
【読み】
顏淵仁を問いて、孔子之に告ぐるに禮を以てす。仁と禮とは果たして異なるや。

說先於樂者、樂由說而後得。然非樂則亦未足以語君子。
【読み】
說ぶは樂しむより先なる者、樂しむは說ぶに由りて而して後に得。然れども樂しむに非ざれば則ち亦未だ以て君子を語るに足らず。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)