二程全書卷之十九  遺書伊川先生語第四

劉元承手編

問仁。曰、此在諸公自思之。將聖賢所言仁處、類聚觀之、體認出來。孟子曰、惻隱之心、仁也。後人遂以愛爲仁。惻隱固是愛也。愛自是情、仁自是性。豈可專以愛爲仁。孟子言惻隱爲仁、蓋爲前已言惻隱之心、仁之端也。旣曰仁之端、則不可便謂之仁。退之言博愛之謂仁、非也。仁者固博愛。然便以博愛爲仁、則不可。
【読み】
仁を問う。曰く、此れ諸公自ら之を思うに在り。聖賢の仁を言う所の處を將って、類聚して之を觀れば、體認し出來らん。孟子曰く、惻隱の心は、仁なり、と。後人遂に愛を以て仁と爲す。惻隱は固より是れ愛なり。愛は自づから是れ情にして、仁は自づから是れ性なり。豈專ら愛を以て仁とす可けんや。孟子惻隱を言いて仁とするは、蓋し前に已に惻隱の心は、仁の端なりと言うが爲なり。旣に仁の端と曰うときは、則ち便ち之を仁と謂う可からず。退之博く愛する之を仁と謂うと言うは、非なり。仁者は固より博く愛す。然れども便ち博く愛するを以て仁とするは、則ち不可なり、と。

又問、仁與聖何以異。曰、人只見孔子言何事於仁、必也聖乎、便謂、仁小而聖大。殊不知此言是孔子見子貢問博施濟衆、問得來事大。故曰何止於仁、必也聖乎。蓋仁可以通上下言之。聖則其極也。聖人、人倫之至。倫、理也。旣通人理之極、更不可以有加。若今人或一事是仁、亦可謂之仁。至於盡仁道、亦謂之仁。此通上下言之也。如曰若聖與仁、則吾豈敢、此又却仁與聖倶大也。大抵盡仁道者、卽是聖人。非聖人則不能盡得仁道。問曰、人有言、盡人道謂之仁、盡天道謂之聖。此語何如。曰、此語固無病。然措意未是。安有知人道而不知天道者乎。道一也。豈人道自是人道、天道自是天道。中庸言、盡己之性、則能盡人之性。能盡人之性、則能盡物之性。能盡物之性、則可以贊天地之化育。此言可見矣。楊子曰、通天地人曰儒、通天地而不通人曰伎。此亦不知道之言。豈有通天地而不通人者哉。如此云通天之文與地之理、雖不能此、何害於儒。天地人只一道也。纔通其一、則餘皆通。如後人解易、言乾天道也、坤地道也、便是亂說。論其體、則天尊地卑。如論其道、豈有異哉。
【読み】
又問う、仁と聖と何を以てか異なる、と。曰く、人只孔子の何ぞ仁を事とせん、必ずや聖かと言うを見て、便ち謂く、仁は小にして聖は大なり、と。殊に知らず、此の言は是れ孔子子貢博く施して衆を濟うことを問えるを見て、問い得來りて事大なるを。故に何ぞ仁に止まらん、必ずや聖かと曰えり。蓋し仁は以て上下に通じて之を言う可し。聖は則ち其の極みなり。聖人は、人倫の至りなり。倫は、理なり。旣に人理の極みに通じては、更に以て加うること有る可からず。今の人或は一事是れ仁なるが若きも、亦之を仁と謂う可し。仁道を盡くすに至っても、亦之を仁と謂う。此れ上下を通じて之を言うなり。聖と仁との若きは、則ち吾れ豈敢えてせんやと曰うが如きは、此れ又却って仁と聖と倶に大なり。大抵仁道を盡くす者は、卽ち是れ聖人なり。聖人に非ずんば則ち仁道を盡くし得ること能わず、と。問いて曰く、人言えること有り、人道を盡くす之を仁と謂い、天道を盡くす之を聖と謂う、と。此の語何如、と。曰く、此の語固に病無し。然れども意を措くこと未だ是ならず。安んぞ人道を知って天道を知らざる者有らんや。道は一なり。豈人道は自づから是れ人道、天道は自づから是れ天道ならんや。中庸に言く、己が性を盡くすときは、則ち能く人の性を盡くす。能く人の性を盡くすときは、則ち能く物の性を盡くす。能く物の性を盡くすときは、則ち以て天地の化育を贊く可し、と。此の言見る可し。楊子が曰く、天地人に通ずるを儒と曰い、天地に通じて人に通ぜざるを伎と曰う、と。此れ亦道を知らざるの言なり。豈天地に通じて人に通ぜざる者有らんや。如し止天の文と地の理とに通ずと云わば、此を能くせずと雖も、何ぞ儒に害あらん。天地人は只一道なり。纔かに其の一に通ずれば、則ち餘は皆通ず。後人易を解して、乾は天道なり、坤は地道なりと言うが如きは、便ち是れ亂說なり。其の體を論ずるときは、則ち天は尊く地は卑し。如し其の道を論ぜば、豈異なること有らんや、と。

問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非也。謂行仁自孝弟始。蓋孝弟是仁之一事、謂之行仁之本則可。謂之是仁之本則不可。蓋仁是性(一作本。)也。孝弟是用也。性中只有仁義禮智四者、幾曾有孝弟來(趙本作幾曾有許多般數來。)。仁主於愛。愛莫大於愛親。故曰孝弟也者、其爲仁之本歟。
【読み】
問う、孝弟は仁を爲[おこな]うの本とは、此は是れ孝弟に由って以て仁に至る可きや否や、と。曰く、非なり。仁を行うことは孝弟自り始まることを謂う。蓋し孝弟は是れ仁の一事、之を仁を行うの本と謂うときは則ち可なり。之を是れ仁の本と謂うときは則ち不可なり。蓋し仁は是れ性(一に本に作る。)なり。孝弟は是れ用なり。性中には只仁義禮智の四つの者有り、幾[いくばく]か曾て孝弟有らん(趙本幾か曾て許多般の數有らんに作る。)。仁は愛を主とす。愛は親を愛するより大なるは莫し。故に孝弟は、其れ仁を爲うの本かと曰う、と。

孔子未嘗許人以仁。或曰、稱管仲如其仁、何也。曰、此聖人闡幽明微之道。只爲子路以子糾之死、管仲不死爲未仁、此甚小却管仲、故孔子言其有仁之功。此聖人言語抑揚處、當自理會得。
【読み】
孔子未だ嘗て人に許すに仁を以てせず。或るひと曰く、管仲を稱して其の仁に如かんやというは、何ぞや、と。曰く、此れ聖人幽を闡[ひら]き微を明らかにするの道なり。只子路子糾が死し、管仲が死せざるを以て未だ仁あらずと爲して、此れ甚だ管仲を小却するが爲に、故に孔子其の仁の功有ることを言えり。此れ聖人の言語抑揚の處、當に自ら理會し得るべし、と。

問克伐怨欲不行、可以爲仁。曰、人無克伐怨欲四者、便是仁也。只爲原憲著一箇不行、不免有此心、但不行也。故孔子謂可以爲難。此孔子著意告原憲處、欲他有所啓發。他承當不得、不能再發問也。孔門如子貢者、便能曉得聖人意。且如曰、女以予爲多學而識之歟。對曰、然。便復問曰、非歟。孔子告之曰、非也。予一以貫之。原憲則不能也。
【読み】
克伐怨欲行われざるを、以て仁とす可しということを問う。曰く、人克伐怨欲の四つの者無きは、便ち是れ仁なり。只原憲一箇の行われざることを著くが爲に、此の心有ることを免れず、但行われざるのみ。故に孔子以て難しとす可しと謂えり。此れ孔子意を著けて原憲に告げし處、他啓發する所有らんことを欲す。他承當し得ずして、再び問いを發すること能わず。孔門子貢の如きは、便ち能く聖人の意を曉し得。且女予を以て多く學んで之を識すとするか。對えて曰く、然り。便ち復問いて曰く、非なるか。孔子之に告げて曰く、非なり。予は一以て之を貫くと曰うが如し。原憲は則ち能わざるなり、と。

問、仁與心何異。曰、心是所主處、仁是就事言。曰、若是、則仁是心之用否。曰、固是。若說仁者心之用、則不可。心譬如身、四端如四支。四支固是身所用、只可謂身之四支。如(呂本・徐本無如字。)四端固具於心。然亦未可便謂之心之用。或曰、譬如五榖之種、必待陽氣而生。曰、非是。陽氣發處、却是情也。心譬如榖種、生之性便是仁也。
【読み】
問う、仁と心と何ぞ異なる、と。曰く、心は是れ主る所の處、仁は是れ事に就いて言う、と。曰く、是の若くなるときは、則ち仁は是れ心の用なるや否や、と。曰く、固に是なり。若し仁は心の用と說くときは、則ち不可なり。心は譬えば身の如く、四端は四支の如し。四支は固に是れ身の用うる所、只身の四支と謂う可きのみ。四端の如きは(呂本・徐本如の字無し。)固に心に具わる。然れども亦未だ便ち之を心の用と謂う可からず、と。或るひと曰く、譬えば五榖の種の、必ず陽氣を待って生ずるが如し、と。曰く、是に非ず。陽氣發する處は、却って是れ情なり。心は譬えば榖の種の如く、生ずるの性便ち是れ仁なり、と。

問、四端不及信、何也。曰、性中只有四端、却無信。爲有不信、故有信字。且如今東者自東、西者自西、何用信字。只爲有不信、故有信字。又問、莫在四端之閒。曰、不如此說。若如此說時、只說一箇義字亦得。
【読み】
問う、四端信に及ばざるは、何ぞや、と。曰く、性中只四端有りて、却って信無し。信ならざること有るが爲に、故に信の字有り。且つ今東する者は東自りし、西する者は西自りするが如くならば、何ぞ信の字を用いん。只信ならざること有るが爲に、故に信の字有り、と。又問う、四端の閒に在ること莫きや、と。曰く、此の如ぐ說かざれ。若し此の如く說く時は、只一箇の義の字を說いて亦得たり、と。

問、忠恕可貫道否。曰、忠恕固可以貫道。但子思恐人難曉。故復於中庸降一等言之、曰、忠恕違道不遠。忠恕只是體用、須要理會得。又問、恕字、學者可用功否。曰、恕字甚大。然恕不可獨用、須得忠以爲體。不忠、何以能恕。看忠恕兩字、自見相爲用處。孔子曰、君子之道四、丘未能一焉。恕字甚難。孔子曰、有一言可以終身行之者。其恕乎。
【読み】
問う、忠恕は道を貫く可きや否や、と。曰く、忠恕は固に以て道を貫く可し。但子思人の曉し難からんことを恐る。故に復中庸に於て一等を降して之を言いて、曰く、忠恕は道を違[さ]ること遠からじ、と。忠恕は只是れ體用、須く理會し得んことを要すべし、と。又問う、恕の字は、學者功を用う可きや否や、と。曰く、恕の字は甚だ大なり。然れども恕は獨り用う可からず、須く忠を得て以て體とすべし。忠あらずんば、何を以て能く恕ならん。忠恕の兩字を看るに、自づから用を相爲す處を見る。孔子曰く、君子の道四つ、丘未だ一つをも能くせず、と。恕の字甚だ難し。孔子曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行う可き者有りや。其れ恕か、と。

問、人有以君子敬而無失與人爲一句、是否。曰、不可。敬是持己、恭是接人。與人恭而有禮、言接人當如此也。近世淡薄、以相懽狎爲相與、以無圭角爲相懽愛。如此者安能久。若要久、須是恭敬。君臣朋友、皆當以敬爲主也。比之上六曰、比之无首、凶。象曰、比之无首、无所終也。比之有首、尙懼无終。旣无首、安得有終。故曰无所終也。比之道、須當有首。或曰、君子淡以成、小人甘以壞。曰、是也。豈有甘而不壞者。
【読み】
問う、人君子敬して人と與にするに失すること無しということを以て一句とすること有り、是なるや否や、と。曰く、不可なり。敬は是れ己を持し、恭は是れ人に接す。人と與にすること恭しくして禮有るとは、言うこころは、人に接すること當に此の如くすべしとなり。近世淡薄にして、相懽狎[かんこう]するを以て相與にすとし、圭角無きを以て相懽愛すとす。此の如き者は安んぞ能く久しからん。若し久しからんことを要せば、須く是れ恭敬すべし。君臣朋友、皆當に敬を以て主とすべし。比の上六に曰く、之に比すに首无し、凶なり、と。象に曰く、之に比すに首无しとは、終わる所无きなり、と。之を比すに首有るすら、尙終わり无からんことを懼る。旣に首无きときは、安んぞ終わり有ることを得んや。故に終わる所无しと曰う。比の道は、須く當に首有べし。或るひと曰く、君子は淡くして以て成り、小人は甘くして以て壞る、と。曰く、是なり。豈甘くして壞れざる者有らんや、と。

問、出門如見大賓、使民如承大祭。方其未出門、未使民時、如何。曰、此儼若思之時也。當出門時、其敬如此。未出門時可知也。且見乎外者、出乎中者也。使民出門者、事也。非因是事上方有此敬、蓋素敬也。如人接物以誠、人皆曰誠人。蓋是素來誠、非因接物而始有此誠也。儼然正其衣冠、尊其瞻視、其中自有箇敬處。雖曰無狀、敬自可見。
【読み】
問う、門を出ては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くす、と。其の未だ門を出ず、未だ民を使わざる時に方っては、如何、と。曰く、此れ儼として思うが若くする時なり。門を出る時に當たって、其の敬此の如し。未だ門を出ざる時も知る可し。且外に見る者は、中より出る者なり。民を使い門を出るは、事なり。是の事上に因って方に此の敬有るに非ず、蓋し素より敬するなり。人物に接するに誠を以てするが如き、人皆誠ある人と曰う。蓋し是れ素來より誠あり、物に接するに因りて始めて此の誠有るに非ざるなり。儼然として其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くするは、其の中自づから箇の敬する處有ればなり。狀無しと曰うと雖も、敬自づから見る可し、と。

問、人有專務敬以直内、不務方外、何如。曰、有諸中者、必形諸外。惟恐不直内。内直則外必方。
【読み】
問う、人專ら敬以て内を直くすることを務めて、外を方にすることを務めざること有るは、何如、と。曰く、中に有る者は、必ず外に形る。惟恐れらくは内を直くせざることを。内直ければ則ち外は必ず方なり、と。

敬是閑邪之道。閑邪存其誠、雖是兩事、然亦只是一事。閑邪則誠自存矣。天下有一箇善、一箇惡。去善卽是惡、去惡卽是善。譬如門。不出便入。豈出入外更別有一事也。
【読み】
敬は是れ邪を閑ぐの道なり。邪を閑ぎ其の誠を存するは、是れ兩事なりと雖も、然れども亦只是れ一事なり。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す。天下に一箇の善、一箇の惡有り。善を去れば卽ち是れ惡、惡を去れば卽ち是れ善なり。譬えば門の如し。出ざれば便ち入る。豈出入の外更に別に一事有らんや。

義還因事而見否。曰、非也。性中自有。或曰、無狀可見。曰、說有便是見。但人自不見。昭昭然在天地之中也。且如性、何須待有物方指爲性。性自在也。賢所言見者事、某所言見者理。(如曰不見而彰是也。)
【読み】
義は還って事に因りて見るや否や、と。曰く、非なり。性中自づから有り、と。或るひと曰く、狀の見る可き無し、と。曰く、有りと說けば便ち是れ見るなり。但人自づから見ざるのみ。昭昭然として天地の中に在り。且性の如き、何ぞ須く物有ることを待って方に指して性とすべけんや。性自づから在り。賢の見ると言う所の者は事、某の見ると言う所の者は理なり、と。(見[しめ]さずして彰[あらわ]ると曰うが如き是れなり。)

人多說某不敎人習舉業。某何嘗不敎人習舉業也。人若不習舉業而望及第、却是責天理而不修人事。但舉業、旣可以及第卽已。若更去上面盡力求必得之道、是惑也。
【読み】
人多く某人をして擧業を習わしめずと說く。某何ぞ嘗て人をして擧業を習わしめざらん。人若し擧業を習わずして及第するを望まば、却って是れ天理を責めて人事を修めざるなり。但擧業は、旣に以て及第して卽ち已む可し。若し更に上面に力を盡くし去って必得の道を求めば、是れ惑えるなり。

人注擬差遣、欲就主簿者。問其故、則曰、責輕於尉。某曰、却是尉責輕。尉只是捕盜、不能使民不爲盜。簿佐令以治一邑、使民不爲盜。簿之責也、豈得爲輕。或問、簿佐令者也。簿所欲爲、令或不從、奈何。曰、當以誠意動之。今令與簿不和、只是爭私意。令是邑之長。若能以事父兄之道事之、過則歸己、善則惟恐不歸於令、積此誠意、豈有不動得人。問、授司理、如何。曰、甚善。若能充其職、可使一郡無冤民也。幙官言事不合、如之何。曰、必不得已、有去而已。須權量事之大小。事大於去、則當去、事小於去、亦不須去也。事大於爭、則當爭、事小於爭、則不須爭也。今人只被以官爲業。如何去得。
【読み】
人差遣を注擬して、主簿に就かんと欲する者あり。其の故を問えば、則ち曰く、責尉より輕し、と。某曰く、却って是れ尉の責輕し。尉は只是れ盜を捕えて、民をして盜をせざらしむること能わず。簿は令を佐けて以て一邑を治め、民をして盜をせざらしむ。簿の責や、豈輕しとすることを得んや、と。或るひと問う、簿は令を佐くる者なり。簿のせんと欲する所、令或は從わざれば、奈何、と。曰く、當に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を爭えばなり。令は是れ邑の長なり。若し能く父兄に事うるの道を以て之に事え、過ちは則ち己に歸し、善は則ち惟令に歸せざらんことを恐れ、此の誠意を積まば、豈人を動かし得ざること有らんや、と。問う、司理を授くること、如何、と。曰く、甚だ善し。若し能く其の職を充てば、一郡をして冤民を無からしむる可し、と。幙官事を言うこと合わずんば、之を如何、と。曰く、必ず已むことを得ずんば、去ること有らんのみ。須く事の大小を權量すべし。事去るに大ならば、則ち當に去るべく、事去るに小ならば、亦須く去るべからず。事爭うに大ならば、則ち當に爭うべく、事爭うに小ならば、則ち須く爭うべからず。今の人は只官を以て業とせらる。如何ぞ去り得ん、と。

人有實無學而氣蓋人者。其氣(一作稟。)有剛柔也。故强猛者當抑之、畏縮者當充養之。古人佩韋弦之戒、正爲此耳。然剛者易抑。如子路、初雖聖人亦被他陵。後來旣知學、便却移其剛來克己甚易。畏縮者氣本柔。須索勉强也。
【読み】
人實に學無くして氣人を蓋う者有り。其の氣(一に稟に作る。)に剛柔有り。故に强猛なる者は當に之を抑うべく、畏縮なる者は當に之を充養すべし。古人韋弦を佩びるの戒め、正に此が爲なるのみ。然るに剛なる者は抑え易し。子路の如き、初めは聖人と雖も亦他に陵がる。後來旣に學を知って、便ち却って其の剛を移し來りて己に克つこと甚だ易し。畏縮なる者は氣本柔なり。須く勉强を索むるべし。

藻鑑人物、自是人才有通悟處、學不得也。張子厚善鑑裁其弟天祺學之便錯。
【読み】
人物を藻鑑するは、自づから是れ人才通悟する處有り、學んで得ざるなり。張子厚は善く其の弟天祺が學の便ち錯れることを鑑裁す。

問、學何以有至覺悟處。曰、莫先致知。能致知、則思一日愈明一日、久而後有覺也。學而無覺、則何益矣、又奚學爲。思曰睿、睿作聖。纔思便睿、以至作聖。亦是一箇思。故曰、勉强學問、則聞見博而智益明。又問、莫致知與力行兼否。曰、爲常人言纔知得非禮不可爲、須用勉强。至於知穿窬不可爲、則不待勉强。是知亦有深淺也。古人言樂循理之謂君子。若勉强、只是知循理、非是樂也。纔到樂時、便是循理爲樂、不循理爲不樂。何苦而不循理。自不須勉强也。若夫聖人不勉而中、不思而得、此又上一等事。
【読み】
問う、學は何を以て覺悟する處に至ること有らんや、と。曰く、知を致むるより先なるは莫し。能く知を致むれば、則ち思うこと一日愈々一日より明らかにして、久しくして而して後に覺ること有り。學んで覺ること無くんば、則ち何の益あらん、又奚んぞ學ぶことをせん。思には睿と曰う、睿は聖と作る。纔かに思えば便ち睿にして、以て聖と作るに至る。亦是れ一箇の思なり。故に曰く、勉强して學問するときは、則ち聞見博くして智益々明らかなり、と。又問う、致知と力行と兼ぬること莫しや否や、と。曰く、常人の爲に言わば纔かに非禮のす可からざることを知り得れば、須く勉强を用うべし。穿窬のす可からざるを知るに至っては、則ち勉强を待たず。是れ知に亦深淺有ればなり。古人理に循うを樂しむ之を君子と謂うと言う。若し勉强して、只是れ理に循うことを知るのみなるは、是れ樂しむに非ざるなり。纔かに樂しむに到る時は、便ち是れ理に循うを樂しむとし、理に循わざるを樂しまずとす。何を苦しんでか理に循わざらん。自づから勉强を須いざるなり。夫の聖人勉めずして中り、思わずして得るが若きは、此れ又上一等の事なり、と。

問、張旭學草書、見擔夫與公主爭道、及公孫大娘舞劍、而後悟筆法。莫是心常思念至此而感發否。曰、然。須是思方有感悟處。若不思、怎生得如此。然可惜張旭留心於書。若移此心於道、何所不至。
【読み】
問う、張旭草書を學んで、擔夫と公主と道を爭い、及び公孫大娘劍を舞するを見て、而して後に筆法を悟る。是の心常に思い念いて此に至って感發すること莫しや否や、と。曰く、然り。須く是れ思って方に感悟する處有るべし。若し思わずんば、怎生[いかん]ぞ此の如くなることを得ん。然れども惜しむ可し、張旭が心を書に留むることを。若し此の心を道に移さば、何の至らざる所あらん、と。

思曰睿、思慮久後、睿自然生。若於一事上思未得、且別換一事思之。不可專守著這一事。蓋人之知識、於這裏蔽著、雖强思亦不通也。(一本此下云、或問、思一事、或泛及佗事、莫是心不專否。曰、心若專、怎生解及別事。)
【読み】
思には睿と曰うとは、思慮すること久しくして後に、睿自然に生ずるなり。若し一事上に於て思って未だ得ずんば、且く別に一事を換えて之を思え。專ら這の一事に守著す可からず。蓋し人の知識、這の裏に於て蔽著すれば、强く思うと雖も亦通ぜざるなり。(一本に此の下に云う、或るひと問う、一事を思って、或は泛く佗事に及ぶは、是の心專らならざること莫しや否や、と。曰く、心若し專らならば、怎生[いかん]ぞ解[よ]く別事に及ばん、と。)

與學者語、正如扶醉人。東邊扶起却倒向西邊、西邊扶起却倒向東邊、終不能得佗卓立中途。
【読み】
學者と語るは、正に醉人を扶くるが如し。東邊扶け起こせば却って倒れて西邊に向かい、西邊扶け起こせば却って倒れて東邊に向かい、終に佗中途に卓立することを得ること能わず。

古之學者一、今之學者三、異端不與焉。一曰文章之學、二曰訓詁之學、三曰儒者之學。欲趨道、舍儒者之學不可。
【読み】
古の學者は一、今の學者は三、異端は與らず。一に文章の學と曰い、二に訓詁の學と曰い、三に儒者の學と曰う。道に趨かんと欲せば、儒者の學を舍くは不可なり。

今之學者有三弊。一溺於文章、二牽於訓詁、三惑於異端。苟無此三者、則將何歸。必趨於道矣。
【読み】
今の學者は三つの弊有り。一は文章に溺れ、二は訓詁に牽かれ、三は異端に惑う。苟も此の三つの者無きときは、則ち將[はた]何にか歸せん。必ずや道に趨かん。

或曰、人問某以學者當先識道之大本。道之大本如何求。某告之以君臣父子夫婦兄弟朋友、於此五者上行樂處便是。曰、此固是。然怎生地樂。勉强樂不得。須是知得了、方能樂得。故人力行、先須要知。非特行難、知亦難也。書曰、知之非艱、行之惟艱。此固是也。然知之亦自艱。譬如人欲往京師、必知是出那門、行那路、然後可往。如不知、雖有欲往之心、其將何之。自古非無美材能力行者。然鮮能明道。以此見知之亦難也。
【読み】
或るひと曰く、人問う、某學者は當に先づ道の大本を識るべしということを以てす。道の大本は如何にか求めん、と。某之に告ぐるに君臣父子夫婦兄弟朋友、此の五つの者の上に於て行い樂しむ處便ち是なりというを以てす、と。曰く、此れ固に是なり。然れども怎生地[いづれ]にか樂しまん。勉强すれば樂しみ得ず。須く是れ知り得了わりて、方に能く樂しみ得るべし。故に人の力行は、先づ須く知ることを要すべし。特行うこと難きのみに非ず、知ることも亦難し。書に曰く、之を知ること艱きに非ず、之を行うこと惟れ艱し、と。此れ固に是なり。然れども之を知ることも亦自づから艱し。譬えば人京師に往かんと欲するが如き、必ず是れ那[いづれ]の門を出、那の路を行くということを知って、然して後に往く可し。如し知らずんば、往かんと欲するの心有りと雖も、其れ將何[いづく]にか之かん。古自り美材にして能く力行する者無きに非ず。然れども能く道を明らかにすること鮮し。此を以て知ることの亦難きことを見るなり、と。

問、忠信進德之事、固可勉强。然致知甚難。曰、子以誠敬爲可勉强。且恁地說。到底、須是知了方行得。若不知、只是覷却堯學他行事。無堯許多聰明睿知、怎生得如他動容周旋中禮。有諸中、必形諸外。德容安可妄學。如子所言、是篤信而固守之。非固有之也。且如中庸九經、修身也、尊賢也、親親也、堯典克明峻德、以親九族、親親本合在尊賢上。何故却在下。須是知所以親親之道方得。未致知、便欲誠意、是躐等也。學者固當勉强。然不致知、怎生行得。勉强行者、安能持久。除非燭理明、自然樂循理。性本善。循理而行是順理事、本亦不難。但爲人不知、旋安排著、便道難也。知有多少般數、煞有深淺。向親見一人、曾爲虎所傷。因言及虎、神色便變。傍有數人、見佗說虎、非不知虎之猛可畏。然不如佗說了有畏懼之色。蓋眞知虎者也。學者深知亦如此。且如膾炙、貴公子與野人莫不皆知其美。然貴人聞著便有欲嗜膾炙之色、野人則不然。學者須是眞知。纔知得是、便泰然行將去也。某年二十時、解釋經義、與今無異。然思今日、覺得意味與少時自別。
【読み】
問う、忠信もて德に進む事は、固より勉强す可し。然れども知を致むることは甚だ難し、と。曰く、子は誠敬を以て勉强す可しとす。且恁地[かくのごと]く說かんや。到底[つまり]は、是れ知り了わるを須[ま]って方に行い得。若し知らずんば、只是れ堯を覷却[しょきゃく]して他の行事を學ぶのみ。堯の許多の聰明睿智無くんば、怎生[いかん]ぞ他の如く動容周旋禮に中ることを得ん。中に有れば、必ず外に形る。德容安んぞ妄りに學ぶ可きや。子の言う所の如きは、是れ篤く信じて固く之を守るなり。固より之を有するに非ず。且つ中庸の九經の、身を修め、賢を尊び、親を親しみ、堯典の克く峻德を明らかにして、以て九族を親しむが如き、親を親しむは本より合に賢を尊ぶの上に在るべし。何が故ぞ却って下に在るは。是れ親を親しむ所以の道を知るを須って方に得。未だ知を致めざるに、便ち意を誠にせんと欲するは、是れ等を躐ゆるなり。學者は固に當に勉强すべし。然れども知を致めずんば、怎生ぞ行い得んや。勉强して行う者、安んぞ能く持すること久しからん。除非[ただ]理を燭[て]らすこと明らかなれば、自然に理に循うことを樂しむのみ。性は本より善なり。理に循いて行うは、是れ理に順う事なれば、本より亦難からず。但人知らず、旋[うたた]安排著するが爲に、便ち難しと道うなり。知に多少の般の數有り、煞[はなは]だ深淺有り。向[さき]に親ら一人、曾て虎の爲に傷[そこな]わるるを見る。因りて言虎に及べば、神色便ち變ず。傍に數人有り、佗の虎を說くを見て、虎の猛きこと畏る可きことを知らざるに非ず。然れども佗の說き了わって畏懼の色有るに如かず。蓋し眞に虎を知る者なればなり。學者の深く知るも亦此の如し。且膾炙の如き、貴公子と野人と皆其の美なるを知らざること莫し。然れども貴人聞著すれば便ち膾炙を欲嗜するの色有れども、野人は則ち然らず。學者は須く是れ眞に知るべし。纔かに是を知り得れば、便ち泰然として行い將[も]て去[ゆ]け。某年二十の時、經義を解釋するに、今と異なること無し。然れども思うに今日、意味を覺り得ること少き時と自ら別なり、と。

信有二般、有信人者、有自信者。如七十子於仲尼、得佗言語(呂本・徐本語作說。)、便終身守之。然未必知道這箇怎生是、怎生非也。此信於人者也。學者須要自信。旣自信、怎生奪亦不得。
【読み】
信に二般有り、人を信ずる者有り、自ら信ずる者有り。七十子の仲尼に於るが如き、佗の言語(呂本・徐本語を說に作る。)を得れば、便ち身を終うるまで之を守らんとす。然れども未だ必ずしも這箇の怎生[いづれ]か是、怎生か非なることを知道せず。此れ人を信ずる者なり。學者は須く自ら信ずることを要すべし。旣に自ら信ぜば、怎生か奪うとも亦得じ。

或問、進修之術何先。曰、莫先於正心誠意。誠意在致知。致知在格物。格、至也。如祖考來格之格。凡一物上有一理、須是窮致其理。窮理亦多端。或讀書、講明義理、或論古今人物、別其是非、或應接事物而處其當、皆窮理也。或問、格物須物物格之。還只格一物而萬理皆知。曰、怎生便會該通。若只格一物便通衆理、雖顏子亦不敢如此道。須是今日格一件、明日又格一件、積習旣多、然後脫然自有貫通處。
【読み】
或るひと問う、進修の術何れか先んぜん、と。曰く、心を正しくし意を誠にするより先なるは莫し。意を誠にするは知を致むるに在り。知を致むるは物に格るに在り。格は、至るなり。祖考來格の格の如し。凡そ一物の上には一理有り、須く是れ其の理を窮め致むべし。理を窮むるも亦多端なり。或は書を讀みて、義理を講明し、或は古今の人物を論じて、其の是非を別ち、或は事物に應接して其の當たるに處するは、皆理を窮むることなり。或るひと問う、物に格るは須く物物に之に格るべきや。還[また]は只一物に格るのみにして萬理皆知らるるや、と。曰く、怎生ぞ便ち會[たまたま]該通せん。只一物に格るのみにして便ち衆理に通ずるが若きは、顏子と雖も亦敢えて此の如く道わじ。須く是れ今日一件に格り、明日又一件に格り、積習すること旣に多くして、然して後に脫然として自ら貫通する處有るべし、と。

涵養須用敬。進學則在致知。
【読み】
涵養は須く敬を用うべし。學に進むは則ち知を致むるに在り。

問、人有志於學、然智識蔽固、力量不至、則如之何。曰、只是致知。若致知、則智識當自漸明、不曾見人有一件事終思不到也。智識明、則力量自進。問曰、何以致知。曰、在明理、或多識前言往行。識之多則理明。然人全在勉强也。
【読み】
問う、人に學に志すこと有れども、然れども智識蔽固し、力量至らずんば、則ち之を如何にせん、と。曰く、只是れ知を致めよ。若し知を致むれば、則ち智識當に自づから漸く明らかなるべく、曾て人一件の事有りて終に思って到らざることを見ざるなり。智識明らかなれば、則ち力量自づから進まん、と。問いて曰く、何を以て知を致めん、と。曰く、理を明らかにするに在り、或は多く前言往行を識れ。之を識ること多ければ則ち理明らかなり。然れども人全く勉强するに在り、と。

士之於學也、猶農夫之耕。農夫不耕則無所食。無所食則不得生。士之於學也、其可一日舍哉。
【読み】
士の學に於るや、猶農夫の耕すがごとし。農夫耕さざれば則ち食する所無し。食する所無ければ則ち生きることを得ず。士の學に於るや、其れ一日も舍く可けんや。

學者言入乎耳、必須著乎心、見乎行事。如只聽佗人言、却似說他人事、己無所與也。
【読み】
學者は言耳に入っては、必ず須く心に著けて、行事に見すべし。如し只佗人の言を聽いて、却って他人の事を說くが似[ごと]きは、己與る所無し。

問、學者須志於大、如何。曰、志無大小。且莫說道、將第一等讓與別人、且做第二等。才如此說、便是自棄。雖與不能居仁由義者差等不同、其自小一也。言學便以道爲志、言人便以聖爲志。自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。
【読み】
問う、學者は須く大に志すべし、如何、と。曰く、志すこと大小無し。且つ說き道うこと莫し、第一等を將って別人に讓與し、且つ第二等を做す、と。才かに此の如く說くときは、便ち是れ自ら棄つるなり。仁に居り義に由ること能わざる者と差等同じからずと雖も、其の自ら小にするは一なり。學を言えば便ち道を以て志と爲し、人を言いえば便ち聖を以て志と爲す。自ら能わずと謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり、と。

或問、人有恥不能之心、如何。曰、人恥其不能而爲之、可也。恥其不能而揜藏之、不可也。問、技藝之事、恥己之不能、如何。曰、技藝不能、安足恥。爲士者、當知道。己不知道、可恥也。爲士者當博學。己不博學(一本無知道已下至此十九字。但云、博學守約己不能之則。)、可恥也。恥之如何。亦曰、勉之而已。又安可嫉人之能而諱己之不能也。
【読み】
或るひと問う、人不能を恥づるの心有らば、如何、と。曰く、人其の不能を恥ぢて之を爲さば、可なり。其の不能を恥ぢて之を揜い藏さば、不可なり、と。問う、技藝の事、己が不能を恥づるは、如何、と。曰く、技藝の不能は、安んぞ恥づるに足らん。士爲る者は、當に道を知るべし。己道を知らずんば、恥づ可し。士爲る者は當に博く學ぶべし。己博く學ばずんば(一本に知道已下此に至るまでの十九字無し。但云う、博く學び約を守ること己之を能くせざれば則ち。)、恥づ可し、と。之を恥づるは如何にせん、と。亦曰く、之を勉むるのみ。又安んぞ人の能を嫉んで己が不能を諱む可けん、と。

學欲速不得。然亦不可怠。纔有欲速之心、便不是學。學是至廣大的事。豈可以迫切之心爲之。
【読み】
學は速やかならんことを欲すとも得ず。然れども亦怠る可からず。纔かに速やかならんと欲するの心有れば、便ち是れ學にあらず。學は是れ至って廣大的の事なり。豈迫切の心を以て之をす可けんや。

問、敬還用意否。曰、其始安得不用意。若能(一無此字。)不用意、却是都無事了。又問、敬莫是靜否。曰、纔說靜、便入於釋氏之說也。不用靜字、只用敬字。纔說著靜字、便是忘也。孟子曰、必有事焉而勿正、心勿忘、勿助長也。必有事焉、便是心勿忘、勿正、便是勿助長。
【読み】
問う、敬は還って意を用うるや否や、と。曰く、其の始めは安んぞ意を用いざることを得ん。若し能く(一に此の字無し。)意を用いざれば、却って是れ都て無事了わる、と。又問う、敬は是れ靜なること莫しや否や、と。曰く、纔かに靜と說けば、便ち釋氏が說に入るなり。靜の字を用いず、只敬の字を用う。纔かに靜の字を說著すれば、便ち是れ忘るるなり。孟子曰く、必ず事とすること有りて正[あてて]すること勿かれ、心に忘るること勿かれ、助けて長ぜしむること勿かれ、と。必ず事とすること有れば、便ち是れ心に忘るること勿く、正すること勿ければ、便ち是れ助けて長ぜしむること勿し、と。

問、至誠可以蹈水火。有此理否。曰、有之。曰、列子言商丘開之事、有乎。曰、此是聖人之道不明後、莊・列之徒各以私智探測至理而言也。曰、巫師亦能如此、誠邪、欺邪。曰、此輩往往有術、常懷一箇欺人之心。更那裏得誠來。
【読み】
問う、至誠は以て水火を蹈む可し、と。此の理有りや否や、と。曰く、之れ有り、と。曰く、列子商丘開の事を言う、有りや、と。曰く、此は是れ聖人の道明らかならずして後、莊・列の徒各々私智を以て至理を探り測って言えるなり、と。曰く、巫師も亦能く此の如し、誠なるか、欺けるか、と。曰く、此の輩は往往に術有りて、常に一箇の人を欺くの心を懷く。更に那の裏にか誠を得來らん、と。

或問、獨處一室、或行闇中、多有驚懼、何也。曰、只是燭理不明。若能燭理、則知所懼者妄。又何懼焉。有人雖知此、然不免懼心者、只是氣不充。須是涵養久、則氣充、自然物動不得。然有懼心、亦是敬不足。
【読み】
或るひと問う、一室に獨處し、或は闇中に行きて、多く驚懼すること有るは、何ぞや、と。曰く、只是れ理を燭[て]らすこと明らかならざればなり。若し能く理を燭らさば、則ち懼るる所の者は妄なることを知らん。又何ぞ懼れん。人此を知ると雖も、然れども懼るる心を免れざる者有るは、只是れ氣充たざればなり。須く是れ涵養すること久しきときは、則ち氣充ちて、自然に物動かすことを得ざるべし。然るに懼るる心有るは、亦是れ敬足らざればなり、と。

問、世言鬼神之事、雖知其無、然不能無疑懼、何也。曰、此只是自疑爾。曰、如何可以曉悟其理。曰、理會得精氣爲物、遊魂爲變、與原始要終之說、便能知也。須是於原字上用工夫。或曰、遊魂爲變、是變化之變否。曰、旣是變、則存者亡、堅者腐、更無物也。鬼神之道、只恁說與賢、雖會得亦信不過。須是自得也。或曰、何以得無恐懼。曰、須是氣定、自然不惑。氣未充、要强不得。(因說與長老游山事。)
【読み】
問う、世に鬼神の事を言う、其の無きことを知ると雖も、然れども疑い懼るること無きこと能わざるは、何ぞや、と。曰く、此は只是れ自ら疑うのみ、と。曰く、如何にしてか以て其の理を曉悟す可きや、と。曰く、精氣物と爲り、遊魂變を爲すと、始めを原[たづ]ねて終わりを要するの說を理會し得ば、便ち能く知らん。須く是れ原の字の上に於て工夫を用うべし、と。或るひと曰く、遊魂變を爲すとは、是れ變化の變なりや否や、と。曰く、旣に是れ變ずるときは、則ち存する者亡び、堅き者腐って、更に物無し。鬼神の道、只恁[かくのごと]く賢に說與せば、會得すと雖も亦信に過ぎず。須く是れ自得すべし、と。或るひと曰く、何を以て恐懼すること無きことを得ん、と。曰く、須く是れ氣定まって、自然に惑わざるべし。氣未だ充たずんば、强いんと要すとも得じ、と。(因りて長老游山の事を說與す。)

人語言緊急、莫是氣不定否。曰、此亦當習。習到言語自然緩時、便是氣質變也。學至氣質變、方是有功。人只是一箇習。今觀儒臣自有一般氣象、武臣自有一般氣象、貴戚自有一般氣象。不成生來便如此。只是習也。某舊嘗進說於主上及太母、欲令上於一日之中親賢士大夫之時多、親宦官宮人之時少、所以涵養氣質、薰陶德性。
【読み】
人の語言の緊急なるは、是れ氣の定まらざること莫きや否や。曰く、此れ亦當に習うべし。習いて言語自然に緩きに到る時、便ち是れ氣質變ずるなり。學は氣質變ずるに至れば、方に是れ功有り。人は只是れ一箇の習いなり。今觀るに儒臣は自づから一般の氣象有り、武臣は自づから一般の氣象有り、貴戚は自づから一般の氣象有り。生來便ち此の如くなることを成さず。只是れ習いなり。某舊[もと]嘗て說を主上及び太母に進めて、上をして一日の中に於て賢士大夫に親しむ時は多く、宦官宮人に親しむ時は少なからしめんと欲するは、氣質を涵養し、德性を薰陶する所以なり、と。

或問、人或倦怠、豈志不立乎。曰、若是氣體、勞後須倦。若是志、怎生倦得。人只爲氣勝志、故多爲氣所使。如人少而勇、老而怯、少而廉、老而貪、此爲氣所使者也。若是志勝氣時、志旣一定、更不可易。如曾子易簀之際、其氣之微可知。只爲他志已定、故雖死生許大事、亦動他不得。蓋有一絲髮氣在、則志猶在也。
【読み】
或るひと問う、人或は倦怠するは、豈志立たざるか、と。曰く、是の氣體の若きは、勞して後須く倦むべし。是の志の若きは、怎生[いかん]ぞ倦むことを得ん。人只氣志に勝つが爲に、故に多くは氣に使わるることをす。人少くして勇み、老いて怯え、少くして廉に、老いて貪るが如き、此れ氣に使わるることをする者なり。若し是れ志氣に勝つ時は、志旣に一定して、更に易う可からず。曾子簀を易うるの際の如き、其の氣の微なること知る可し。只他の志已に定まるが爲に、故に死生は許大の事と雖も、亦他を動かすことを得ず。蓋一絲髮の氣在ること有るときは、則ち志も猶在るなり。

問、人之燕居、形體怠惰、心不慢、可否。曰、安有箕踞而心人不慢者。昔呂與叔六月中來緱氏。閒居中、某嘗窺之、必見其儼然危坐。可謂敎篤矣。學者須恭敬。但不可令拘迫、拘迫則難久矣。(尹子曰、嘗親聞此、乃謂劉質夫也。)
【読み】
問う、人の燕居するとき、形體怠惰するとも、心慢らずんば、可なりや否や、と。曰く、安んぞ箕踞[ききょ]して心の慢らざる者有らん。昔呂與叔六月の中に緱氏に來る。閒居の中に、某嘗て之を窺うに、必ず其の儼然として危坐するを見たり。敦篤なりと謂う可し。學者は須く恭敬すべし。但し拘迫ならしむ可からず。拘迫なれば則ち久しくし難し、と。(尹子曰く、嘗て親ら此を聞き、乃ち劉質夫に謂えり、と。)

昔呂與叔嘗問爲思慮紛擾。某答以但爲心無主。若主於敬、則自然不紛擾。譬如以一壼水投於水中、壼中旣實、雖江湖之水、不能入矣。曰、若思慮果出於正、亦無害否。曰、且如在宗廟則主敬、朝廷主莊、軍旅主嚴、此是也。如發不以時、紛然無度、雖正亦邪。
【読み】
昔呂與叔嘗て思慮紛擾をすることを問う。某答うるに但心主無きが爲というを以てす。若し敬を主とせば、則ち自然に紛擾ならず。譬えば一壼の水を以て水中に投ずるが如き、壼中旣に實つれば、江湖の水と雖も、入ること能わざるなり。曰く、若し思慮果たして正しきに出でば、亦害無けんや否や、と。曰く、且宗廟に在っては則ち敬を主とし、朝廷には莊を主とし、軍旅には嚴を主とするが如き、此れ是なり。如し發すること時を以てせず、紛然として度無くんば、正しきと雖も亦邪なり、と。

問、游宣德云、人能戒愼恐懼於不睹不聞之時、則無聲無臭之道可以馴致。此說如何。曰、馴致漸進也。然此亦大綱說、固是自小以致大、自修身可以至於盡性至命。然其閒有多少般數、其所以至之之道當如何。荀子曰、始乎爲士、終乎爲聖人。今人學者須讀書、纔讀書便望爲聖賢。然中閒至之之方、更有多少。荀子雖能如此說、却以禮義爲僞、性爲不善。佗自情性尙理會不得。怎生到得聖人。大抵以堯所行者欲力行之。以多聞多見取之、其所學者皆外也。
【読み】
問う、游宣德の云う、人能く睹ざる聞かざるの時に戒愼恐懼するときは、則ち聲も無く臭も無きの道以て馴致す可し、と。此の說や如何、と。曰く、馴致とは漸く進むなり。然に此れ亦大綱の說、固に是れ小自りして以て大を致し、身を修むる自りして以て性を盡くし命に至るに至る可し。然るに其の閒多少般の數有り、其の之に至る所以の道は當に如何にすべけん。荀子曰く、士と爲るに始まり、聖人と爲るに終う、と。今の人學者は須く書を讀むべく、纔かに書を讀めば便ち聖賢爲らんことを望む。然れども中閒之に至るの方、更に多少有り。荀子能く此の如く說くと雖も、却って禮義を以て僞りとし、性を善ならずとす。佗自づから情性すら尙理會することを得ず。怎生ぞ聖人に到り得ん。大抵堯の行う所の者を以て之を力行せんと欲せよ。多聞多見を以て之を取らば、其の學ぶ所者は皆外なり、と。

問、人有日誦萬言、或妙絕技藝。此可學否。曰、不可。大凡所受之才、雖加勉强、止可少進、而鈍者不可使利也。惟理可進。除是積學旣久、能變得氣質、則愚必明、柔必强。蓋大賢以下卽論才、大賢以上更不論才。聖人與天地合德、日月合明、六尺之軀、能有多少技藝。人有身、須用才。聖人忘己。更不論才也。
【読み】
問う、人日に萬言を誦し、或は技藝に妙絕なる有り。此れ學ぶ可きや否や、と。曰く、不可なり。大凡受くる所の才は、勉强を加うと雖も、止少しく進む可くして、鈍き者は利ならしむ可からず。惟理は進む可し。除[ただ]是れ學を積むこと旣に久しくして、能く氣質を變じ得れば、則ち愚も必ず明に、柔も必ず强なり。蓋し大賢以下は卽ち才を論じ、大賢以上は更に才を論ぜず。聖人は天地と德を合わせ、日月と明を合わせて、六尺之軀、能く多少の技藝有り。人身有れば、須ち才を用うべし。聖人は己を忘る。更に才を論ぜざるなり、と。

問、人於議論、多欲已直、無含容之氣。是氣不平否。曰、固是氣不平。亦是量狹。人量隨識長、亦有人識高而量不長者。是識實未至也。大凡別事人都强得。惟識量不可强。今人有斗筲之量、有釜斛之量、有鍾鼎之量、有江河之量。江河之量亦大矣。然有涯。有涯亦有時而滿。惟天地之量則無滿。故聖人者、天地之量也。聖人之量、道也。常人之有量者、天資也。天資有量者、須有限。大抵六尺之軀、力量只如此。雖欲不滿、不可得。且如人有得一薦而滿者、有得一官而滿者、有改京官而滿者、有入兩府而滿者、滿雖有先後、然卒不免。譬如器盛物、初滿時尙可以蔽護。更滿則必出。此天資之量、非知道者也。昔王隨甚有器量、仁廟賜飛白書曰、王隨德行、李淑文章。當時以德行稱、名望甚重。及爲相、有一人求作三路轉運使、王薄之、出鄙言。當時人皆驚怪。到這裏、位高後便動了。人之量只如此。古人亦有如此者多。如鄧艾位三公、年七十、處得甚好。及因下蜀有功、便動了。言姜維云云。謝安聞謝玄破苻堅、對客圍棋。報至不喜。及歸折屐齒。强終不得也。更如人大醉後益恭謹者、只益恭便是動了。雖與放肆者不同、其爲酒所動一也。又如貴公子位益高、益卑謙、只卑謙便是動了。雖與驕傲者不同、其爲位所動一也。然惟知道者、量自然宏大、不勉强而成。今人有所見卑下者、無佗、亦是識量不足也。
【読み】
問う、人の議論に於る、多くは己が直からんことを欲して、含容の氣無し。是れ氣の平らかならざるや否や、と。曰く、固に是れ氣の平らかならざるなり。亦是れ量狹し。人の量は識に隨いて長ずるも、亦人の識高くして量長ぜざる者有り。是れ識實に未だ至らざればなり。大凡別の事は人都て强い得。惟識量は强う可からず。今人には斗筲[とそう]の量有り、釜斛[ふこく]の量有り、鐘鼎の量有り、江河の量有り。江河の量は亦大なり。然れども涯有り。涯有れば亦時として滿つること有り。惟天地の量は則ち滿つること無し。故に聖人は、天地の量なり。聖人の量は、道なり。常人の量有るは、天資なり。天資に量有れば、須く限り有るべし。大抵六尺の軀、力量只此の如し。滿たざらんと欲すと雖も、得可からざるなり。且人一薦を得て滿つる者有り、一官を得て滿つる者有り、京官に改められて滿つる者有り、兩府に入りて滿つる者有るが如きは、滿つること先後有りと雖も、然れども卒に免れず。譬えば器に物を盛るが如き、初め滿つる時は尙以て蔽護す可し。更に滿つるときは則ち必ず出づ。此れ天資の量、道を知る者に非ず。昔王隨甚だ器量有り、仁廟飛白書を賜いて曰く、王隨は德行、李淑は文章、と。當時德行を以て稱せられて、名望甚だ重し。相と爲るに及んで、一人三路の轉運使と作らんことを求むる有り、王之を薄[かろ]んじて、鄙言を出す。當時の人皆驚き怪しむ。這の裏、位高くして後便ち動ずるに到る。人の量は只此の如し。古人も亦此の如くなること有る者多し。鄧艾の如き三公に位せしは、年七十にして、處し得て甚だ好し。蜀を下すに因りて功有るに及び、便ち動ぜり。姜維に言いて云云。謝安謝玄が苻堅を破ると聞きしとき、客に對して棋を圍む。報至れども喜ばず。歸るに及び屐齒[げきし]を折る。强うること終に得ざりしなり。更に人大いに醉って後益々恭謹なる者の如き、只益々恭なるは、便ち是れ動けるなり。放肆なる者と同じからずと雖も、其の酒に動かさるることをするは一なり。又貴公子の位益々高ければ、益々卑謙なるが如き、只卑謙なるは便ち是れ動けるなり。驕傲なる者と同じからずと雖も、其の位に動かさるることをするは一なり。然るに惟道を知る者のみ、量は自然に宏大にして、勉强せずして成る。今の人見る所卑下なる者有るは、佗無し、亦是れ識量足らざればなり、と。

人纔有意於爲公、便是私心。昔有人典選。其子弟係磨勘、皆不爲理。此乃是私心。人多言古時用直不避嫌得、後世用此不得。自是無人。豈是無時。(因言少師典舉、明道薦才事。)
【読み】
人纔かに公を爲すに意有らば、便ち是れ私心なり。昔人選を典[つかさど]る有り。其の子弟磨勘に係りしとき、皆理[おさ]むることをせず。此れ乃ち是れ私心なり。人多く古時は直を用[もっ]て嫌を避けずして得、後世は此を用て得ずと言う。自づから是れ人無きなり。豈是れ時無けんや。(因りて少師擧を典り、明道才を薦むる事を言えり。)

聖人作事甚宏裕。今人不知義理者、更不須說。纔知義理便迫窄。若聖人、則綽綽有餘裕。
【読み】
聖人の事を作すこと甚だ宏裕なり。今の人義理を知らざる者は、更に說くことを須たず。纔かに義理を知れば便ち迫窄す。聖人の若きは、則ち綽綽として餘裕有り。

問、觀物察己、還因見物、反求諸身否。曰、不必如此說。物我一理、纔明彼卽曉此。合内外之道也。語其大、至天地之高厚、語其小、至一物之所以然、學者皆當理會。又問、致知、先求之四端、如何。曰、求之性情、固是切於身。然一草一木皆有理。須是察。
【読み】
問う、物を觀て己を察すとは、還[また]物を見るに因りて反って身に求むるや否や、と。曰く、必ずしも此の如く說かず。物我は一理にして、纔かに彼を明らかにすれば卽ち此を曉る。内外を合するの道なり。其の大を語れば、天地の高厚に至り、其の小を語れば、一物の然る所以に至るまで、學者皆當に理會すべし、と。又問う、知を致むるは、先づ之を四端に求むるは、如何、と。曰く、之を情性に求むれば、固に是れ身に切なり。然れども一草一木皆理有り。須く是れ察すべし、と。

觀物理以察己、旣能燭理、則無往而不識。
【読み】
物理を觀て以て己を察して、旣に能く理を燭らすときは、則ち往くとして識らざること無し。

天下物皆可以理照。有物必有則。一物須有一理。
【読み】
天下の物皆理を以て照らす可し。物有れば必ず則有り。一物には須く一理有るべし。

窮理盡性至命、只是一事。纔窮理便盡性、纔盡性便至命。
【読み】
理を窮め性を盡くし命に至るは、只是れ一事なり。纔かに理を窮むれば便ち性を盡くし、纔かに性を盡くせば便ち命に至る。

聲色臭味四字、虛實一般。凡物有形必有此四者。意言象數亦然。
【読み】
聲色臭味の四字は、虛實一般なり。凡そ物形有れば必ず此の四つの者有り。意うに象數を言うも亦然り。

爲人處世閒、得見事無可疑處、多少快活。
【読み】
人と爲りて世閒に處して、事を見て疑う可き處無きことを得ば、多少快活なり。

問、學者不必同。如仁義忠信之類、只於一字上求之、可否。曰、且如六經、則各自有箇蹊轍、及其造道、一也。仁義忠信只是一體事。若於一事上得之、其佗皆通也。然仁是本。
【読み】
問う、學者は必ずしも同じからず。仁義忠信の類の如き、只一字上に於て之を求めば、可ならんや否や、と。曰く、且六經の如きは、則ち各自に箇の蹊轍有れども、其の道に造るに及んでは、一なり。仁義忠信は只是れ一體の事。若し一事上に於て之を得ば、其の佗は皆通ぜん。然れども仁は是れ本なり、と。

問、人之學、有覺其難而有退志、則如之何。曰、有兩般。有思慮苦而志氣倦怠者、有憚其難而止者。向嘗爲之說。今人之學、如登山麓。方其易處、莫不闊步。及到難處便止。人情是如此。山高難登、是有定形、實難登也。聖人之道、不可形象。非實難然也。人弗爲耳。顏子言仰之彌高、鑽之彌堅、此非是言聖人高遠實不可及、堅固實不可入也。此只是譬喩、却無事。大意却是在瞻之在前、忽焉在後上。又問、人少有得而遂安者、如何。曰、此實無所得也。譬如以管窺天、乍見星斗粲爛、便謂有所見、喜不自勝、此終無所得。若有大志者、不以管見爲得也。
【読み】
問う、人の學、其の難きを覺ること有りて退く志有らば、則ち之を如何にせん、と。曰く、兩般有り。思慮苦しみて志氣倦怠する者有り、其の難きを憚りて止む者有り。向[さき]に嘗て之が說を爲せり。今の人の學は、山麓に登るが如し。其の易き處に方っては、闊步せざること莫し。難き處に到るに及んでは便ち止む。人情も是れ此の如し。山高くして登り難きは、是れ定形有って、實に登り難し。聖人の道は、形象す可からず。實に難きこと然るに非ず。人せざるのみ。顏子之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しと言うは、此は是れ聖人の高遠なること實に及ぶ可からず、堅固なること實に入る可からずと言うに非ず。此は只是れ譬喩にして、却って事無きなり。大意は却って是れ之を瞻るに前に在るかとすれば、忽焉として後に在りというの上に在り、と。又問う、人少しく得ること有りて遂に安んずる者は、如何、と。曰く、此れ實に得る所無きなり。譬えば管を以て天を窺って、乍ち星斗の粲爛たるを見て、便ち見る所有りと謂って、喜ぶこと自ら勝えざるが如き、此れ終に得る所無し。若し大志有る者は、管見を以て得たりとせざるなり、と。

問、家貧親老、應舉求仕、不免有得失之累。何修可以免此。曰、此只是志不勝氣。若志勝、自無此累。家貧親老、須用祿仕。然得之不得爲有命。曰、在己固可。爲親奈何。曰、爲己爲親、也只是一事。若不得、其如命何。孔子曰、不知命無以爲君子。人苟不知命、見患難必避、遇得喪必動、見利必趨。其何以爲君子。然聖人言命、蓋爲中人以上者設。非爲上知者言也。中人以上、於得喪之際、不能不惑。故有命之說、然後能安。若上智之人、更不言命、惟安於義。借使求則得之、然非義則不求。此樂天者之事也。上智之人安於義、中人以上安於命。乃若聞命而不能安之者、又其每下者也。(孟子曰、求之有道、得之有命。求之雖(呂本雖作須。)有道、奈何得之須有命。)
【読み】
問う、家貧しく親老いて、舉に應じて仕を求むれば、得失の累い有ることを免れず。何を修めてか以て此を免る可き、と。曰く、此は只是れ志氣に勝たざるなり。若し志勝たば、自づから此の累い無からん。家貧しく親老えば、須く用って祿仕すべし。然るに之を得ると得ざるとは命有りとす、と。曰く、己に在っては固に可なり。親の爲にせば奈何、と。曰く、己の爲にし親の爲にするは、也只是れ一事なり。若し得ずんば、其れ命を如何。孔子曰く、命を知らずんば以て君子とすること無し、と。人苟も命を知らずんば、患難を見て必ず避け、得喪に遇っては必ず動き、利を見ては必ず趨る。其れ何を以て君子とせん。然るに聖人命を言うは、蓋し中人以上の者の爲に設く。上知の者の爲に言うに非ざるなり。中人以上は、得喪の際に於て、惑わざること能わず。故に命の說有って、然して後に能く安んず。上智の人の若きは、更に命を言わず、惟義に安んず。借使[たと]い求むれば則ち之を得るとも、然れども義に非ざれば則ち求めず。此れ天を樂しむ者の事なり。上智の人は義に安んじ、中人以上は命に安んず。乃ち若し命を聞いて之を安んずること能わざる者は、又其の每下なる者なり。(孟子曰く、之を求むるに道有り、之を得るに命有り、と。之を求むるに道有りと雖も(呂本雖を須に作る。)、奈何ぞ之を得るに須く命有るべし。)

問、前世所謂隱者、或守一節、或惇一行。然不知有知道否。曰、若知道、則不肯守一節一行也。如此等人、鮮明理、多取古人一節事專行之。孟子曰、服堯之服、行堯之行。古人有殺一不義、雖得天下不爲、則我亦殺一不義、雖得天下不爲。古人有高尙隱逸不肯就仕、則我亦高尙隱逸不仕。如此等、則放傚前人所爲耳。於道鮮自得也。是以東漢尙名節、有雖殺身不悔者。只爲不知道也。
【読み】
問う、前世の所謂隱者、或は一節を守り、或は一行を惇くす。然も知らず、道を知ること有りや否や、と。曰く、若し道を知らば、則ち肯えて一節一行を守らじ。此れ等の人の如きは、理を明らかにすること鮮くして、多くは古人の一節の事を取りて專ら之を行うなり。孟子曰く、堯の服を服し、堯の行うを行う、と。古人一りの不義を殺して、天下を得ると雖もせざること有れば、則ち我も亦一りの不義を殺して、天下を得ると雖もせじ、と。古人高尙隱逸して肯えて仕に就かざること有れば、則ち我も亦高尙隱逸して仕えじ、と。此れ等の如きは、則ち前人のする所に放傚するのみ。道に於ては自得すること鮮し。是を以て東漢に名節を尙んで、身を殺すと雖も悔いざる者有り。只道を知らざるが爲なり、と。

問、方外之士有人來看、他能先知者、有諸。(因問王子眞事。陳本注云、伊川一日入嵩山、王佺已候於松下。問何以知之。曰、去年已有消息來矣。蓋先生前一年嘗欲往、以事而止。)曰、有之。向見嵩山董五經能如此。問、何以能爾。曰、只是心靜。靜而後能照。又問、聖人肯爲否。曰、何必聖賢。使釋氏稍近道理者、便不肯爲。(釋氏常言菴中坐、却見菴外事。莫是野狐精。)釋子猶不肯爲、況聖人乎。
【読み】
問う、方外の士人來り看ること有れば、他能く先知する者、有りや、と。(因りて王子眞が事を問う。陳本の注に云う、伊川一日嵩山に入るとき、王佺已に松下に候す。問う、何を以てか之を知る、と。曰く、去年已に消息有り來る、と。蓋し先生前一年嘗て往かんと欲して、事を以て止む、と。)曰く、之れ有り。向[さき]に嵩山の董五經能く此の如くなるを見る、と。問う、何を以て能く爾る、と。曰く、只是れ心靜かなり。靜かにして後能く照らす、と。又問う、聖人肯えてせんや否や、と。曰く、何ぞ必ずしも聖賢のみならん。使[も]し釋氏の稍道理に近き者も、便ち肯えてせじ。(釋氏常に言う、菴中に坐して、却って菴外の事を見る、と。是れ野狐精なること莫からんや。)釋子すら猶肯えてせじ、況んや聖人をや、と。

問、神仙之說有諸。曰、不知如何。若說白日飛昇之類則無。若言居山林閒、保形錬氣以延年益壽、則有之。譬如一爐火、置之風中則易過、置之密室則難過。有此理也。又問、楊子言、聖人不師仙。厥術異也。聖人能爲此等事否。曰、此是天地閒一賊。若非竊造化之機、安能延年。使聖人肯爲、周孔爲之久矣。
【読み】
問う、神仙の說有りや、と。曰く、如何というを知らず。白日飛昇の類を說くが若きは則ち無し。山林の閒に居して、形を保ち氣を錬って以て年を延べ壽を益すと言うが若きは、則ち之れ有り。譬えば一爐火の如き、之を風中に置けば則ち過ぎ易く、之を密室に置けば則ち過ぎ難し。此の理有るなり、と。又問う、楊子が言く、聖人は仙を師とせず。厥の術異なればなり、と。聖人は能く此れ等の事をせんや否や、と。曰く、此は是れ天地閒の一賊なり。若し造化の機を竊むに非ずんば、安んぞ能く年を延べん。聖人をして肯えて爲さしめば、周孔之をすること久しからん、と。

問、惡外物、如何。曰、是不知道者也。物安可惡。釋氏之學便如此。釋氏要屛事不問、這事是合有邪、合無邪。若是合有、又安可屛。若是合無、自然無了。更屛什麼。彼方外者苟且務靜、乃遠迹山林之閒。蓋非明理者也。世方以爲高、惑矣。
【読み】
問う、外物を惡まば、如何、と。曰く、是れ道を知らざる者なり。物は安んぞ惡む可けん。釋氏の學は便ち此の如し。釋氏事を屛[しりぞ]けんことを要して、這の事は是れ有る合きか、無かる合きかということを問わず。若し是れ有る合くんば、又安んぞ屛く可けん。若し是れ無かる合くんば、自然に無し。更に什麼[いづれ]をか屛けん。彼の方外の者は苟且に靜を務めて、乃ち迹を山林の閒に遠ざく。蓋し理明らかなる者に非ざるなり。世方に以て高しとするは、惑えるかな、と。

釋氏有出家出世之說。家本不可出、却爲他不父其父、不母其母、自逃去固可也。至於世、則怎生出得。旣道出世、除是不戴皇天、不履后土始得。然又却渴飮而飢食、戴天而履地。
【読み】
釋氏に出家出世の說有り。家は本出る可からざれども、却って他其の父を父とせず、其の母を母とせずして、自ら逃れ去るが爲に固に可なり。世に至っては、則ち怎生ぞ出で得ん。旣に出世と道わば、除[ただ]是れ皇天を戴かず、后土を履まずして始めて得ん。然れども又却って渴して飮んで飢えて食い、天を戴いて地を履むなり。

問、某嘗讀華嚴經、第一眞空絕相觀、第二事理無礙觀、第三事事無礙觀、譬如鏡燈之類、包含萬象、無有窮盡。此理如何。曰、只爲釋氏要周遮、一言以蔽之、不過曰萬理歸於一理也。又問、未知所以破佗處。曰、亦未得道他不是。百家諸子箇箇談仁談義。只爲他歸宿處不是、只是箇自私。爲輪囘生死、却爲釋氏之辭善遁。纔窮著他、便道我不爲這箇。到了寫在冊子上、怎生遁得。且指他淺近處、只燒一文香、便道我有無窮福利。懷却這箇心、怎生事神明。
【読み】
問う、某嘗て華嚴經を讀むに、第一眞空絕相觀、第二事理無礙觀、第三事事無礙觀、譬えば鏡燈の類如き、萬象を包含して、窮まり盡くること有ること無し。此の理如何、と。曰く、只釋氏周く遮って、一言以て之を蔽わんことを要せんが爲に、萬理一理に歸すと曰うに過ぎざるなり、と。又問う、未だ佗を破る所以の處を知らず、と。曰く、亦未だ他は不是なりと道うことを得ず。百家諸子は箇箇に仁を談じ義を談ず。只他歸宿する處不是なるが爲に、只是の箇自ら私す。輪囘生死と爲すは、却って釋氏が辭を爲して善く遁る。纔かに他を窮著すれば、便ち道う、我れ這箇に爲さず、と。寫して冊子の上に在るに到らば、怎生ぞ遁れ得ん。且他の淺近なる處を指せば、只一文香を燒いて、便ち道う、我れ無窮の福利有り、と。這箇の心を懷却せば、怎生ぞ神明に事えん、と。

釋氏言成住壞空、便是不知道。只有成壞、無住空。且如草木初生旣成、生盡便枯壞也。他以謂如木之生、生長旣足却自住、然後却漸漸毀壞。天下之物、無有住者。嬰兒一生、長一日便是減一日。何嘗得住。然而氣體日漸長大、長的自長、減的自減、自不相干也。
【読み】
釋氏成住壞空と言うは、便ち是れ道を知らざるなり。只成壞有って、住空無し。且つ草木の初めて生じ旣に成るが如き、生じ盡きれば便ち枯壞す。他以謂えらく、木の生ずるが如き、生長旣に足りて却って自づから住して、然して後に却って漸漸に毀壞す、と。天下の物は、住する者有ること無し。嬰兒一たび生まれて、長ずれば一日は便ち是れ一日より減ず。何ぞ嘗て住することを得ん。然して氣體日に漸く長大なれば、長的は自づから長じ、減的は自づから減じて、自づから相干さざるなり。

問釋氏理障之說。曰、釋氏有此說。謂旣明此理、而又執持是理。故爲障。此錯看了理字也。天下只有一箇理。旣明此理、夫復何障。若以理爲障、則是己與理爲二。
【読み】
釋氏理障の說を問う。曰く、釋氏に此の說有り。謂えらく、旣に此の理を明らかにして、又是の理を執持す。故に障りとす、と。此れ理の字を錯看するなり。天下には只一箇の理有り。旣に此の理を明らかにせば、夫れ復何ぞ障らん。若し理を以て障りとせば、則ち是れ己と理と二にするなり、と。

今之學禪者、平居高談性命之際、至於世事、往往直有都不曉者。此只是實無所得也。
【読み】
今の禪を學ぶ者は、平居には高く性命の際を談じて、世事に至っては、往往に直に都て曉らざる者有り。此は只是れ實に得る所無ければなり。

問、釋氏有一宿覺言下覺之說、如何。曰、何必浮圖。孟子嘗言覺字矣。曰以先知覺後知、以先覺覺後覺。知是知此事、覺是覺此理。古人云、共君一夜話、勝讀十年書。若於言下卽悟、何啻讀十年書。
【読み】
問う、釋氏に一宿覺言下覺の說有り、如何、と。曰、何ぞ必ずしも浮圖のみならん。孟子嘗て覺の字を言えり。先知を以て後知を覺し、先覺を以て後覺を覺すと曰う。知は是れ此の事を知り、覺は是れ此の理を覺るなり。古人云く、君と共にする一夜の話は、十年の書を讀むに勝れり、と。若し言下に於て卽悟らば、何ぞ啻[ただ]に十年の書を讀むのみならんや、と。

問、明道先生云、昔之惑人也、乘其迷暗、今之入人也、因其高明。旣曰高明、又何惑乎。曰、今之學釋氏者、往往皆高明之人。所謂知者過之也。然所謂高明、非中庸所謂極高明。如知者過之。若是聖人之知、豈更有過。
【読み】
問う、明道先生云く、昔の人を惑わすは、其の迷暗に乘り、今の人に入るは、其の高明に因る、と。旣に高明と曰わば、又何ぞ惑わんや、と。曰く、今の釋氏を學ぶ者は、往往に皆高明の人なり。所謂知者は之に過ぐるなり。然れども謂う所の高明とは、中庸に謂う所の高明を極むるには非ず。知者は之に過ぐというが如し。若し是れ聖人の知ならば、豈更に過ること有らんや、と。

問、世之學者多入於禪、何也。曰、今人不學則已。如學焉、未有不歸於禪也。却爲佗求道未有所得、思索旣窮、乍見寬廣處、其心便安於此。 曰、是可反否。曰、深固者難反。
【読み】
問う、世の學者多くは禪に入るは、何ぞや、と。曰く、今の人學びざれば則ち已む。如し學べば、未だ禪に歸せざるは有らず。却って佗道を求めて未だ得る所有らず、思索旣に窮まるが爲に、乍ち寬廣なる處を見て、其の心便ち此に安んず、と。 曰く、是れ反る可しや否や、と。曰く、深く固なる者は反り難し、と。

問、西銘何如。曰、此橫渠文之粹者也。曰、充得盡時如何。曰、聖人也。橫渠能充盡否。曰、言有多端、有有德之言、有造道之言。有德之言說自己事。如聖人言聖人事也。造道之言則知足以知此。如賢人說聖人事也。橫渠道儘高、言儘醇。自孟子後儒者、都無佗見識。
【読み】
問う、西銘は何如、と。曰く、此れ橫渠の文の粹なる者なり、と。曰く、充ち得て盡くす時は如何、と。曰く、聖人なり、と。橫渠能く充ち盡くすや否や、と。曰く、言に多端有り、德有るの言有り、道に造るの言有り。德有るの言は自己の事を說く。聖人の聖人の事を言うが如し。道に造るの言は則ち知以て此を知るに足れり。賢人の聖人の事を說くが如し。橫渠は道儘く高く、言儘く醇なり。孟子自り後の儒者、都て佗の見識無し、と。

問、橫渠之書、有迫切處否。曰、子厚謹嚴。纔謹嚴、便有迫切氣象、無寬舒之氣。孟子却寬舒。只是中閒有些英氣。纔有英氣、便有圭角。英氣甚害事。如顏子便渾厚不同。顏子去聖人、只毫髮之閒。孟子大賢、亞聖之次也。或問、英氣於甚處見。曰、但以孔子之言比之、便見。如冰與水精非不光。比之玉、自是有溫潤含蓄氣象、無許多光耀也。
【読み】
問う、橫渠の書は、迫切なる處有りや否や、と。曰く、子厚は謹嚴なり。纔かに謹嚴なれば、便ち迫切の氣象有って、寬舒の氣無し。孟子は却って寬舒なり。只是の中閒に些かの英氣有り。纔か英氣有れば、便ち圭角有り。英氣甚だしきときは事を害す。顏子の如きは便ち渾厚にして同じからず。顏子は聖人を去ること、只毫髮の閒のみ。孟子は大賢、亞聖の次なり、と。或るひと問う、英氣は甚の處に見る、と。曰く、但孔子の言を以て之に比すれば、便ち見る。冰と水精との如きは光らざるには非ず。之を玉に比すれば、自づから是れ溫潤含蓄の氣象有りて、許多の光耀無し、と。

問、邵堯夫能推數、見物壽長短始終。有此理否。曰、固有之。又問、或言、人壽但得一百二十數。是否。曰、固是。此亦是大綱數、不必如此。馬牛得六十(按皇極經世、當作三十。)、貓犬得十二、燕雀得六年之類、蓋亦有過不及。又問、還察形色。還以生下日數推考。 曰、形色亦可察。須精方驗。
【読み】
問う、邵堯夫は能く數を推して、物の壽長短始終を見る。此の理有りや否や、と。曰く、固に之れ有り、と。又問う、或るひと言く、人の壽は但一百二十數を得、と。是なるや否や、と。曰く、固に是なり。此は亦是れ大綱の數にて、必ずしも此の如くならず。馬牛は六十(皇極經世を按ずるに、當に三十に作るべし。)を得、貓犬は十二を得、燕雀は六年を得るの類、蓋し亦過不及有らん、と。又問う、還って形色を察するか。還って生下の日數を以て推し考うるか、と。 曰く、形色も亦察す可し。須く精しくして方に驗すべし、と。

邵堯夫數法出於李挺之、至堯夫推數方及理。
【読み】
邵堯夫の數法は李挺之に出て、堯夫に至りて數を推して方に理に及ぶ。

邵堯夫臨終時、只是諧謔、須臾而去。以聖人觀之、則亦未是、蓋猶有意也。比之常人、甚懸絕矣。他疾甚革、某往視之。因警之曰、堯夫平生所學、今日無事否。他氣微不能答。次日見之、却有聲如絲髮來、大答云、你道生薑樹上生。我亦只得依你說。是時、諸公都在廳上議後事、各欲遷葬城中(堯夫已自爲塋。)。佗在房閒便聞得、令人喚大郎來云、不得遷葬。衆議始定。又諸公恐喧他、盡出外說話、佗皆聞得(一人云、有新報云云。堯夫問有甚事。曰有某事。堯夫曰、我將爲收却幽州也。)。以他人觀之、便以爲怪。此只是心虛而明。故聽得。問曰、堯夫未病時不如此、何也。曰、此只是病後氣將絕、心無念慮、不昏、便如此。又問、釋氏臨終、亦先知死、何也。曰、只是一箇不動心。釋氏平生只學這箇事、將這箇做一件大事。學者不必學他。但燭理明、自能之。只如邵堯夫事、佗自如此。亦豈嘗學也。孔子曰、未知生、焉知死。人多言孔子不告子路。此乃深告之也。又曰、原始要終、故知死生之說。人能原始、知得生理(一作所以生。)。便能要終、知得死理(一作所以死。)。若不明得、便雖千萬般安排著、亦不濟事。
【読み】
邵堯夫臨終の時、只是れ諧謔して、須臾にして去る。聖人を以て之を觀れば、則ち亦未だ是ならず、蓋し猶意有るならん。之を常人に比せば、甚だ懸絕せり。他の疾甚だ革るとき、某往いて之を視る。因りて之を警めて曰く、堯夫平生の學ぶ所、今日無事なりや否や、と。他氣微にして答うること能わず。次の日之を見るに、却って聲絲髮の如き有り、大いに答えて云く、你生薑樹上に生ると道う。我も亦只你に依りて說くことを得、と。是の時、諸公都て廳上に在りて後事を議して、各々城中(堯夫已に自ら塋[えい]を爲る。)に遷し葬らんと欲す。佗房閒に在りて便ち聞き得て、人をして大郎を喚び來らしめて云く、遷し葬ることを得じ、と。衆議始めて定まる。又諸公他を喧[かまびす]しくせんことを恐れて、盡く外に出て說話するも、佗皆聞き得たり(一人云う、新たに報ずる有り云云、と。堯夫甚事か有ると問う。某の事有りと曰う。堯夫曰く、我れ將に幽州に收却せんとす、と。)。他人を以て之を觀れば、便ち以て怪しきと爲す。此は只是れ心虛にして明なればなり。故に聽き得、と。問いて曰く、堯夫未だ病まざる時此の如くならざるは、何ぞや、と。曰く、此は只是れ病後氣將に絕せんとして、心に念慮無くして、昏まざること、便ち此の如し、と。又問う、釋氏臨終に、亦死を先知するは、何ぞや、と。曰く、只是れ一箇の不動心なり。釋氏は平生只這箇の事を學び、這箇を將って一件の大事と做す。學者必ずしも他を學ばざれ。但理を燭らすこと明らかなれば、自づから之を能くす。只邵堯夫の事の如きは、佗自づから此の如し。亦豈嘗て學ばんや。孔子曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。人多く孔子は子路に告げずと言う。此れ乃ち深く之に告ぐるなり、と。又曰く、始を原[たづ]ねて終わりを要す、故に死生の說を知る、と。人能く始めを原ねば、生の理(一に生の所以に作る。)を知り得ん。便ち終わりを要せば、死の理(一に死の所以に作る。)を知り得ん。若し明かし得ずんば、便ち千萬般安排著すと雖も、亦事を濟さじ、と。

張子厚罷禮官、歸過洛陽相見。某問云、在禮院、有甚職事。曰、多爲禮房檢正所奪、只定得數箇諡、幷龍女衣冠。問、如何定龍女衣冠。曰、請依品秩。曰、若使某當是事、必不如此處置。曰、如之何。曰、某當辨云、大河之塞、天地之靈、宗廟之祐、社稷之福、與吏士之力。不當歸功水獸。龍、獸也。不可衣人衣冠。子厚以爲然。
【読み】
張子厚禮官を罷め、歸りて洛陽を過りて相見ゆ。某問いて云く、禮院に在りて、甚の職事有りし、と。曰く、多く禮房檢正に奪わるることを爲して、只數箇の諡、幷びに龍女の衣冠を定め得るのみ、と。問う、如何にか龍女の衣冠を定めし、と。曰く、請いて品秩に依る、と。曰く、若し某をして是の事に當たらしめば、必ず此の如く處置せじ、と。曰く、之を如何にせん、と。曰く、某當に辨じ云うべし、大河の塞がるは、天地の靈、宗廟の祐、社稷の福と、吏士の力となり。當に功を水獸に歸すべからず。龍は、獸なり。人の衣冠を衣す可からず、と。子厚以て然りと爲す。

問、荆公可謂得君乎。曰、後世謂之得君可也。然荆公之智識、亦自能知得。如表云忠不足以信上、故事必待於自明、智不足以破姦、故人與之爲敵、智不破姦、此則未然。若君臣深相知、何待事事使之辨明也。舉此一事便可見。曰、荆公勿使上知之語、信乎。曰、須看他當時因甚事說此話。且如作此事當如何、更須詳審、未要令上知之、又如說一事、未甚切當、更須如何商量體察、今且勿令上知、若此類、不成是欺君也。凡事未見始末、更切子細、反復推究方可。
【読み】
問う、荆公は君を得と謂う可しや、と。曰く、後世之を君を得と謂うも可なり。然れども荆公が智識も、亦自ら能く知り得。表に忠は以て上に信ぜらるるに足らず、故に事必ず自ら明らかにするを待つ、智は以て姦を破るに足らず、故に人之と敵を爲すと云うが如き、智は姦を破らずというは、此れ則ち未だ然らず。若し君臣深く相知らば、何ぞ事事之をして辨明せしむることを待たん。此の一事を舉げて便ち見る可し、と。曰く、荆公上をして知らしむること勿かれというの語は、信なりや、と。曰く、須く他當時甚の事に因りて此の話を說くということを看るべし。且此の事を作すは當に如何すべき、更に須く詳審にすべく、未だ上をして之を知らしむことを要せずというが如き、又一事を說くに、未だ甚だ切當ならず、更に須く如何にか商量體察すべく、今且く上をして知らしむること勿かれというが如き、此の若きの類は、是れ君を欺くと成さず。凡そ事未だ始末を見ざれば、更に子細を切にして、反復推し究めて方に可なり、と。

人之有寤寐、猶天之有晝夜。陰陽動靜、開闔之理也。如寤寐、須順陰陽始得。問、人之寐何也。曰、人寐時、血氣皆聚於内。如血歸肝之類。(今人不睡者多損肝。)
【読み】
人の寤寐有るは、猶天の晝夜有るがごとし。陰陽動靜は、開闔の理なり。寤寐の如きは、須く陰陽に順いて始めて得。問う、人の寐るは何ぞや、と。曰く、人寐る時、血氣皆内に聚まる。血肝に歸すというの類の如し、と。(今の人睡らざる者多く肝を損なう。)

問、魂魄何也。曰、魂只是陽、魄只是陰。魂氣歸於天、體魄歸於地是也。如道家三魂七魄之說、妄爾。
【読み】
問う、魂魄は何ぞや、と。曰く、魂は只是れ陽、魄は只是れ陰。魂氣は天に歸し、體魄は地に歸すというは是なり。道家の三魂七魄の說の如きは、妄なるのみ。

或曰、傳記有言、太古之時、人有牛首蛇身者。莫無此理否。曰、固是。旣謂之人、安有此等事。但有人形似鳥喙、或牛首者耳。苟子中自說。問、太古之時、人還與物同生否。曰、同。莫是純氣爲人、繁氣爲蟲否。曰、然。人乃五行之秀氣、此是天地淸明純粹氣所生也。或曰、人初生時、還以氣化否。曰、此必燭理、當徐論之。且如海上忽露出一沙島、便有草木生。有土而生草木、不足怪。旣有草木、自然禽獸生焉。或曰、先生語錄中云、焉知海島上無氣化之人。如何。曰、是。近人處固無。須是極遠處有、亦不可知。曰、今天下未有無父母之人。古有氣化、今無氣化、何也。曰、有兩般。有全是氣化而生者。若腐草爲螢是也。旣是氣化。到合化時自化。有氣化生之後而種生者。且如人身上著新衣服、過幾日、便有蟣蝨生其閒。此氣化也。氣旣化後、更不化、便以種生去。此理甚明。或問、宋齊丘化書云、有無情而化爲有情者、有有情而化爲無情者。無情而化爲有情者、若楓樹化爲老人是也。有情而化爲無情者、如望夫化爲石是也。此語如何。曰、莫無此理。楓木爲老人、形如老人也。豈便變爲老人。川中有蟬化爲花、蚯蚓化爲百合(如石蟹・石燕・石人之類有之。)、固有此理。某在南中時、聞有採石人、因採石石陷、遂在石中、幸不死、飢甚、只取石膏食之。不知幾年後、因別人復來採石、見此人在石中、引之出、漸覺身硬。纔出、風便化爲石。此無可怪。蓋有此理也。若望夫石、只是臨江山有石如人形者。今天下凡江邊有石立者、皆呼爲望夫石(如呼馬鞍牛頭之類、天下同之。)
【読み】
或るひと曰く、傳記に言えること有り、太古の時、人牛首蛇身の者有り、と。此の理無きこと莫しや否や、と。曰く、固に是なり。旣に之を人と謂わば、安んぞ此れ等の事有らん。但人の形有りて鳥喙、或は牛首に似れる者のみ。苟子の中に自ら說けり、と。問う、太古の時、人還って物と同じく生ずるや否や、と。曰く、同じ、と。是れ純氣人と爲り、繁氣蟲と爲ること莫きや否や、と。曰く、然り。人は乃ち五行の秀氣、此は是れ天地淸明純粹にして氣の生ずる所なり、と。或るひと曰く、人初めて生ずる時、還って氣を以て化するや否や、と。曰く、此れ必ず理を燭らして、當に徐[しづ]かに之を論ずべし。且海上忽ち一沙島を露出するが如き、便ち草木有りて生ず。土有りて草木を生ずるは、怪しむに足りず。旣に草木有れば、自然に禽獸生ず、と。或るひと曰く、先生語錄の中に云う、焉んぞ海島上に氣化の人無きことを知らん、と。如何、と。曰く、是なり。人に近き處は固に無し。須く是れ極めて遠き處有るも、亦知る可からざるべし、と。曰く、今天下未だ父母無きの人有らず。古は氣化有りて、今は氣化無きは、何ぞや、と。曰く、兩般有り。全く是れ氣化して生ずる者有り。腐草螢と爲るが若き是れなり。旣に是れ氣化す。化す合き時に到りて自づから化す。氣化して生ずるの後にして種生する者有り。且如人身上に新しき衣服を著け、過ぐること幾日にして、便ち蟣蝨其の閒に生ずる有り。此れ氣化するなり。氣旣に化して後は、更に化せず、便ち種を以て生じ去る。此の理甚だ明らかなり、と。或るひと問う、宋齊丘が化書に云う、無情にして化して有情と爲る者有り、有情にして化して無情と爲る者有り。無情にして化して有情と爲る者は、楓樹化して老人と爲るが若き是れなり。有情にして化して無情と爲る者は、望夫化して石と爲るが如き是れなり、と。此の語如何、と。曰く、此の理無きこと莫し。楓木老人と爲るというは、形老人の如くなるなり。豈便ち變じて老人と爲らんや。川中蟬化して花と爲り、蚯蚓化して百合と爲ること有るは(石蟹・石燕・石人の類の如き之れ有り。)、固に此の理有り。某南中に在る時、石を採る人有り、石を採るに因りて石陷りて、遂に石中に在り、幸いに死せずして、飢うること甚だしく、只石膏を取りて之を食う。幾年ということを知らざるの後、別人復來りて石を採るに因りて、此の人石中に在るを見て、之を引き出し、漸く身硬きことを覺う。纔かに出れば、風に便ち化して石と爲ると聞く。此れ怪しむ可きこと無し。蓋し此の理有らん。望夫石の若きは、只是れ臨江山に石の人の形の如くなる者有り。今天下凡そ江邊に石有りて立つる者、皆呼びて望夫石と爲す、と(馬鞍牛頭と呼ぶの類の如き、天下之に同じ。)

問、上古人多壽、後世不及古、何也。莫是氣否。曰、氣便是命也。曰、今人不若古人壽、是盛衰之理歟。曰、盛衰之運、卒難理會。且以歷代言之、二帝・三王爲盛、後世爲衰。一代言之、文・武・成・康爲盛、幽・厲・平・桓爲衰。以一君言之、開元爲盛、天寶爲衰。以一歲、則春夏爲盛、秋冬爲衰。以一月、則上旬爲盛、下旬爲衰。以一日、則寅卯爲盛、戌亥爲衰。一時亦然。如人生百年、五十以前爲盛、五十以後爲衰。然有衰而復盛者、有衰而不復反者。若舉大運而言、則三王不如五帝之盛、兩漢不如三王之盛、又其下不如漢之盛。至其中閒、又有多少盛衰。如三代衰而漢盛、漢衰而魏盛、此是衰而復盛之理。譬如月旣晦則再生、四時往復來也。若論天地之大運、舉其大體而言、則有日衰削之理。如人生百年、雖赤子才生、一日便是減一日也。形體日自長、而數日自減、不相害也。
【読み】
問う、上古の人多く壽[いのちなが]くして、後世古に及ばざるは、何ぞや。是れ氣なること莫きや否や、と。曰く、氣は便ち是れ命なり、と。曰く、今の人古人の壽きに若かざるは、是れ盛衰の理か、と。曰く、盛衰の運は、卒に理會し難し。且歷代を以て之を言えば、二帝・三王を盛んと爲し、後世を衰えと爲す。一代にして之を言えば、文・武・成・康を盛んと爲し、幽・厲・平・桓を衰えと爲す。一君を以て之を言えば、開元を盛んと爲し、天寶を衰えと爲す。一歲を以てすれば、則ち春夏を盛んと爲し、秋冬を衰えと爲す。一月を以てすれば、則ち上旬を盛んと爲し、下旬を衰えと爲す。一日を以てすれば、則ち寅卯を盛んと爲し、戌亥を衰えと爲す。一時も亦然り。人生百年の如きは、五十以前を盛んと爲し、五十以後を衰えと爲す。然も衰えて復盛んなる者有り、衰えて復反らざる者有り。若し大運を舉げて言うときは、則ち三王は五帝の盛んなるに如かず、兩漢は三王の盛んなるに如かず、又其の下は漢の盛んなるに如かず。其の中閒に至って、又多少の盛衰有り。三代衰えて漢盛んに、漢衰えて魏盛んなるが如きは、此は是れ衰えて復盛んなるの理なり。譬えば月旣に晦なれば則ち再び生じ、四時往いて復來るが如し。若し天地の大運を論じて、其の大體を舉げて言うときは、則ち日に衰削するの理有り。人生百年の如き、赤子才かに生ずと雖も、一日は便ち是れ一日より減ず。形體日に自づから長じて、數日自づから減ずれども、相害せざるなり、と。

天下有多少才、只爲道不明於天下、故不得有所成就。且古者興於詩、立於禮、成於樂。如今人怎生會得。古人於詩、如今人歌曲一般、雖閭里童稚、皆習聞其說而曉其義。故能興起於詩。後世、老師宿儒尙不能曉其義。怎生責得學者。是不得興於詩也。古禮旣廢、人倫不明、以至治家皆無法度。是不得立於禮也。古人有歌詠以養其性情、聲音以養其耳、舞蹈以養其血脈。今皆無之。是不得成於樂也。古之成材也易、今之成材也難。
【読み】
天下に多少の才有れども、只道天下に明らかならざるが爲に、故に成就する所有ることを得ず。且古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今の人の如きは怎生ぞ會得せん。古人の詩に於るは、今の人の歌曲の如く一般に、閭里の童稚と雖も、皆其の說を習い聞きて其の義を曉る。故に能く詩に興起す。後世、老師宿儒も尙其の義を曉ること能わず。怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興ることを得ざるなり。古禮旣に廢して、人倫明らかならず、以て家を治むるに至っても皆法度無し。是れ禮に立つることを得ざるなり。古人歌詠以て其の性情を養い、聲音以て其の耳を養い、舞蹈以て其の血脈を養うこと有り。今皆之れ無し。是れ樂に成ることを得ざるなり。古の材を成すことは易く、今の材を成すことは難し。

今習俗如此不美、然人却不至大故薄惡者、只是爲善在人心者不可忘也。魏鄭公言、使民澆漓、不復返朴、今當爲鬼爲魅。此言甚是。只爲秉彝在人、雖俗甚惡、亦滅不得。
【読み】
今習俗此の如く美ならず、然れども人の却って大故薄惡に至らざる者は、只是れ善人心に在る者忘る可からざるが爲なり。魏鄭公言く、民をして澆漓にして、復朴に返らざらしめば、今當に鬼と爲り魅と爲るべし、と。此の言甚だ是なり。只彝を秉ること人に在るが爲に、俗甚だ惡しと雖も、亦滅することを得ず。

蘇季明問、中之道與喜怒哀樂未發謂之中、同否。曰、非也。喜怒哀樂未發是言在中之義。只一箇中字、但用不同。或曰、喜怒哀樂未發之前求中、可否。曰、不可。旣思於喜怒哀樂未發之前求之、又却是思也。旣思卽是已發(思與喜怒哀樂一般。)。纔發便謂之和。不可謂之中也。又問、呂學士言、當求於喜怒哀樂未發之前。信斯言也。恐無著摸。如之何而可。曰、看此語如何地下。若言存養於喜怒哀樂未發之時、則可。若言求中於喜怒哀樂未發之前、則不可。又問、學者於喜怒哀樂發時固當勉强裁抑。於未發之前當如何用功。曰、於喜怒哀樂未發之前、更怎生求。只平日涵養便是。涵養久、則喜怒哀樂發自中節。或曰、有未發之中、有旣發之中。曰、非也。旣發時、便是和矣。發而中節、固是得中(時中之類。)。只爲將中和來分說。便是和也。
【読み】
蘇季明問う、中の道と喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うと、同じきや否や、と。曰く、非なり。喜怒哀樂未だ發せざるは是れ中に在るの義を言えり。只一箇の中の字、但用うること同じからず、と。或るひと曰く、喜怒哀樂未だ發せざるの前に中を求めば、可なりや否や、と。曰く、不可なり。旣に喜怒哀樂未だ發せざるの前に之を求めんことを思うは、又却って是れ思うなり。旣に思えば卽ち是れ已に發す(思うと喜怒哀樂と一般なり。)。纔かに發すれば便ち之を和と謂う。之を中と謂う可からざるなり、と。又問う、呂學士言く、當に喜怒哀樂未だ發せざるの前に求むべし、と。信に斯の言ならん。恐らくは著摸無けん。之を如何にして可ならん、と。曰く、此の語如何なる地にか下すということを看よ。若し喜怒哀樂未だ發せざるの時に存養すと言わば、則ち可なり。若し中を喜怒哀樂未だ發せざるの前に求むと言わば、則ち不可なり、と。又問う、學者喜怒哀樂發する時に於ては固に當に勉强裁抑すべし。未だ發せざるの前に於ては當に如何にか功を用うべきや、と。曰く、喜怒哀樂未だ發せざるの前に於ては、更に怎生[なに]をか求めん。只平日涵養して便ち是なり。涵養久しきときは、則ち喜怒哀樂發して自づから節に中る、と。或るひと曰く、未だ發せざるの中有り、旣に發するの中有り、と。曰く、非なり。旣に發する時は、便ち是れ和なり。發して節に中るは、固に是れ中を得るなり(時中の類。)。只中和を將ち來るが爲に分かち說く。便ち是れ和なり、と。

季明問、先生說喜怒哀樂未發謂之中是在中之義、不識何意。曰、只喜怒哀樂不發、便是中也。曰、中莫無形體。只是箇言道之題目否。曰、非也。中有甚形體。然旣謂之中、也須有箇形象。曰、當中之時、耳無聞、目無見否。曰、雖耳無聞、目無見、然見聞之理在始得。曰、中是有時而中否。曰、何時而不中。以事言之、則有時而中。以道言之、何時而不中。曰、固是所爲皆中。然而觀於四者未發之時、靜時自有一般氣象、及至接事時又自別、何也。曰、善觀者不如此。却於喜怒哀樂已發之際觀之。賢且說、靜時如何。曰、謂之無物則不可。然自有知覺處。曰、旣有知覺、却是動也。怎生言靜。人說復其見天地之心、皆以謂至靜能見天地之心。非也。復之卦下面一畫、便是動也。安得謂之靜。自古儒者皆言靜見天地之心。唯某言動而見天地之心。或曰、莫是於動上求靜否。曰、固是。然最難。釋氏多言定、聖人便言止。且如物之好、須道是好。物之惡、須道是惡。物自好惡。關我這裏甚事。若說道我只是定、更無所爲。然物之好惡、亦自在裏。故聖人只言止。所謂止、如人君止於仁、人臣止於敬之類是也。易之艮言止之義曰、艮其止、止其所也。言隨其所止而止之。人多不能止。蓋人萬物皆備。遇事時各因其心之所重者、更互而出。纔見得這事重、便有這事出。若能物各付物、便自不出來也。或曰、先生於喜怒哀樂未發之前下動字、下靜字。曰、謂之靜則可。然靜中須有物始得。這裏便(一作最。)是難處。學者莫若且先理會得敬。能敬則自知此矣。或曰、敬何以用功。曰、莫若主一。季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、佗事如麻又生。如何。曰、不可。此不誠之本也。須是習。習能專一時便好。不拘思慮與應事、皆要求一。或曰、當靜坐時、物之過乎前者、還見不見。曰、看事如何。若是大事、如祭祀、前旒蔽明、黈纊充耳。凡物之過者、不見不聞也。若無事時、目須見、耳須聞。或曰、當敬時、雖見聞莫過焉而不留否。曰、不說道非禮勿視勿聽。勿者禁止之辭。纔說弗字便不得也。問、雜說中以赤子之心爲已發、是否。曰、已發而去道未遠也。曰、大人不失赤子之心、若何。曰、取其純一近道也。曰、赤子之心與聖人之心若何。曰、聖人之心、如鏡、如止水。
【読み】
季明問う、先生喜怒哀樂未だ發せざる之を中と謂うは是れ中に在るの義と說くは、識らず何の意ぞ、と。曰く、只喜怒哀樂發せざるは、便ち是れ中なるのみ、と。曰く、中は形體無きこと莫し。只是れ箇の道の題目を言うや否や、と。曰く、非なり。中は甚の形體有らん。然れども旣に之を中と謂えば、也須く箇の形象有るべし、と。曰く、中の時に當たりて、耳聞くこと無く、目見ること無きや否や、と。曰く、耳聞くこと無く、目見ること無しと雖も、然れども見聞の理在りて始めて得、と。曰く、中は是れ時として中なること有りや否や、と。曰く、何の時にして中ならざらん。事を以て之を言えば、則ち時として中なること有り。道を以て之を言えば、何の時にして中ならざらん、と。曰く、固に是れ爲す所皆中なり。然れども四つの者未だ發せざるの時を觀るに、靜なる時は自づから一般の氣象有り、事に接する時に至るに及んで又自づから別なるは、何ぞや、と。曰く、善く觀る者は此の如くならず。却って喜怒哀樂已に發するの際に於て之を觀る。賢且つ說け、靜なる時如何、と。曰く、之を物無しと謂えば則ち不可なり。然も自づから知覺する處有り、と。曰く、旣に知覺すること有れば、却って是れ動なり。怎生ぞ靜と言わん。人復は其れ天地の心を見るというを說いて、皆以謂えらく、至靜能く天地の心を見ると。非なり。復の卦の下面の一畫は、便ち是れ動なり。安んぞ之を靜と謂うを得ん。古自り儒者皆靜にして天地の心を見ると言う。唯某のみ動にして天地の心を見ると言う、と。或るひと曰く、是れ動上に於て靜を求むること莫きや否や、と。曰く、固に是なり。然れども最も難し。釋氏は多くは定むと言い、聖人は便ち止まると言えり。且物の好きが如きは、須く是れ好しと道うべし。物の惡しきは、須く是れ惡しと道うべし。物は自づから好惡あり。我が這の裏に關るは甚事ぞ。若し說いて我は只是れ定むと道わば、更に爲す所無し。然も物の好惡も、亦自づから裏に在り。故に聖人は只止まると言えり。所謂止まるとは、人君は仁に止まり、人臣は敬に止まるの類の如き是れなり。易の艮に止の義を言いて曰く、其の止に艮まるというは、其の所に止まるなり、と。言うこころは、其の止まるべき所に隨いて之に止まるなり。人多くは止まること能わず。蓋し人は萬物皆備わる。事に遇う時各々其の心の重き所の者に因りて、更互して出づ。纔かに這の事の重きことを見得れば、便ち這の事有りて出づ。若し能く物各々物に付すれば、便ち自づから出來せざるなり、と。或るひと曰く、先生喜怒哀樂未だ發せざるの前に於て動の字を下さんか、靜の字を下さんか、と。曰く、之を靜と謂えば則ち可なり。然れども靜中に須く物有りて始めて得るべし。這の裏は便ち(一に最もに作る。)是れ難き處。學者且く先づ敬を理會し得るに若くは莫し。能く敬すれば則ち自づから此を知る、と。或るひと曰く、敬は何を以て功を用いん、と。曰く、一を主とするに若くは莫し、と。季明曰く、昞[へい]嘗て思慮定まらざることを患う。或は一事を思いて未だ了わらざるに、佗事麻の如くにして又生ず。如何、と。曰く、不可なり。此れ誠あらざるの本なり。須く是れ習うべし。習うこと能く專一なる時は便ち好し。思慮と事に應ずるとに拘わらず、皆一を求めんことを要せよ、と。或るひと曰く、靜坐の時に當たりて、物の前に過る者は、還って見るとも見ず、と。曰く、事を看ば如何。若し是れ大事は、祭祀の如く、前旒[りゅう]明を蔽い、黈纊[とうこう]耳を充[ふさ]ぐ。凡そ物の過る者は、見ず聞かざるなり。若し事無き時は、目須く見るべく、耳須く聞くべし、と。或るひと曰く、敬の時に當たりて、見聞過ること莫しと雖も而も留まらざらんや否や、と。曰く、道は禮に非ずんば視ること勿かれ聽くこと勿かれと說かずや。勿とは禁止の辭なり。纔かに弗の字を說けば便ち得ざるなり、と。問う、雜說の中赤子の心を以て已に發すと爲すは、是なりや否や、と。曰く、已に發して道を去ること遠からざるなり、と。曰く、大人赤子の心を失わざるは、若何、と。曰く、其の純一にして道に近きを取るなり、と。曰く、赤子の心と聖人の心と若何、と。曰く、聖人の心は、鏡の如く、止水の如し、と。

問、日中所不欲爲之事、夜多見於夢、此何故也。曰、只是心不定。今人所夢見事、豈特一日之閒所有之事。亦有數十年前之事。夢見之者、只爲心中舊有此事、平日忽有事與此事相感、或氣相感、然後發出來。故雖白日所憎惡者、亦有時見於夢也。譬如水爲風激而成浪、風旣息、浪猶洶湧未已也。若存養久底人、自不如此。聖賢則無這箇夢。只有朕兆、便形於夢也。人有氣淸無夢者、亦有氣昏無夢者。聖人無夢、氣淸也。若人困甚時、更無夢。只是昏氣蔽隔、夢不得也。若孔子夢周公之事、與常人夢別。人於夢寐閒、亦可以卜自家所學之淺深。如夢寐顚倒、卽是心志不定、操存不固。(如揚子江宿浪。)
【読み】
問う、日中爲さんと欲せざる所の事を、夜多く夢に見るは、此れ何の故ぞ、と。曰く、只是れ心定まらざればなり。今の人夢に見る所の事、豈特一日の閒に有る所の事のみならんや。亦數十年前の事有り。夢に之を見る者は、只心中舊此の事有るが爲に、平日忽ち事有れば此の事と相感じ、或は氣相感じて、然して後に發出し來る。故に白日憎惡する所の者と雖も、亦時に夢に見ること有り。譬えば水風の爲に激して浪を成し、風旣に息むとも、浪猶洶湧して未だ已まざるが如し。若し存養久しき底の人は、自づから此の如くならず。聖賢は則ち這箇の夢無し。只朕兆有れば、便ち夢に形るなり。人氣淸んで夢無き者有り、亦氣昏くして夢無き者有り。聖人の夢無きは、氣淸めばなり。若し人困すること甚だしき時は、更に夢無し。只是れ昏氣蔽隔して、夢に得ざるなり。孔子周公を夢みるの事の若きは、常人の夢と別なり。人夢寐の閒に於て、亦以て自家學ぶ所の淺深を卜す可し。夢寐顚倒するが如きは、卽ち是の心志定まらず、操存固からざればなり、と。(揚子江浪を宿すが如し。)

問、人心所繫著之事、則夜見於夢。所著事善、夜夢見之者、莫不害否。曰、雖是善事、心亦是動。凡事有朕兆入夢者、却無害。捨此皆是妄動。或曰、孔子嘗夢見周公、當如何。曰、此聖人存誠處也。聖人欲行周公之道。故雖一夢寐、不忘周公。及旣衰、知道之不可行。故不復夢見。然所謂夢見周公、豈是夜夜與周公語也。人心須要定。使佗思時方思乃是。今人都由心。曰、心誰使之。曰、以心使心則可。人心自由便放去也。
【読み】
問う、人心繫著する所の事は、則ち夜夢に見る。著す所の事善ならば、夜夢に之を見る者、害あらざること莫きや否や、と。曰く、是れ善事と雖も、心亦是れ動く。凡そ事朕兆有りて夢に入る者は、却って害無し。此を捨[お]けば皆是れ妄動なり、と。或るひと曰く、孔子嘗て夢に周公を見るは、當に如何、と。曰く、此れ聖人誠を存する處なり。聖人周公の道を行わんと欲す。故に一夢寐と雖も、周公を忘れず。旣に衰うるに及んで、道の行わる可からざるを知る。故に復夢に見ず。然れども所謂夢に周公を見るは、豈是れ夜夜周公と語らんや。人心は須く定まることを要すべし。佗をして思う時方に思わしめば乃ち是なり。今の人は都て心に由る、と。曰く、心は誰か之を使う、と。曰く、心を以て心を使えば則ち可なり。人心自由なれば便ち放ち去るなり、と。

政也者蒲盧也、言化之易也。螟蛉與果嬴、自是二物、但氣類相似。然祝之久、便能肖。政之化人、宜甚於蒲盧矣。然蒲盧二物、形質不同、尙祝之可化。人與聖人、形質無異。豈學之不可至耶。
【読み】
政は蒲盧なりとは、化することの易きを言うなり。螟蛉[めいれい]と果嬴[から]とは、自づから是れ二物、但氣類相似れり。然るに之を祝すること久しければ、便ち能く肖[に]る。政の人を化す、宜しく蒲盧より甚だしかるべし。然るに蒲盧の二物は、形質同じからざれども、尙之を祝すれば化す可し。人と聖人と、形質異なること無し。豈之を學んで至る可からざらんや。

誠者自成、如至誠事親則成人子、至誠事君則成人臣。不誠無物、誠者物之終始、猶俗說徹頭徹尾不誠、更有甚物也。其次致曲、曲、偏曲之謂、非大道也。曲能有誠、就一事中用志不分、亦能有誠。且如技藝上可見、養由基射之類是也。誠則形、誠後便有物。如立則見其參於前、在輿則見其倚於衡、如有所立卓爾、皆若有物、方見。其(徐本其作如。)無形、是見何物也。形則著、又著見也。著則明、是有光輝之時也。明則動、誠能動人也。君子所過者化、豈非動乎。或曰、變與化何別。曰、變如物方變而未化。化則更無舊迹。自然之謂也。莊子言變大於化、非也。
【読み】
誠は自ら成るとは、至誠にて親に事うれば則ち人の子と成り、至誠にて君に事うれば則ち人の臣と成るが如し。誠あらざれば物無し、誠は物の終始とは、猶俗に徹頭徹尾誠あらざれば、更に甚物か有らんと說くがごとし。其の次は曲を致むとは、曲は、偏曲の謂、大道には非ず。曲は能く誠有りとは、一事の中に就いて志を用うること分かたざれば、亦能く誠有り。且技藝の上に見る可きが如きは、養由基が射の類是れなり。誠あれば則ち形るとは、誠ありて後に便ち物有り。立てるときは則ち其の前に參[まじ]わるを見、輿[くるま]に在るときは則ち其の衡[くびき]に倚るを見る、立てる所有りて卓爾たるが如しというが如き、皆物有りて、方に見るが若し。其れ(徐本其を如に作る。)形無くんば、是れ何物をか見ん。形あれば則ち著るとは、又著見するなり。著るれば則ち明らかなりとは、是れ光輝有るの時なり。明らかなれば則ち動くとは、誠能く人を動かすなり。君子過ぎる所の者は化するは、豈動かすに非ざらんや。或るひと曰く、變と化と何ぞ別なる、と。曰く、變は物方に變じて未だ化せざるが如し。化は則ち更に舊迹無し。自然の謂なり。莊子變は化より大なりと言うは、非なり、と。

問、命與遇何異(張橫渠云、行同報異、猶難語命。語遇可也。)。先生曰、人遇不遇、卽是命也。曰、長平之戰、四十萬人死。豈命一乎。曰、是亦命也。只遇著白起、便是命當如此。又況趙卒皆一國之人。使是五湖四海之人、同時而死、亦是常事。又問、或當刑而王、或爲相而餓死、或先貴後賤、或先賤後貴、此之類皆命乎。曰、莫非命也。旣曰命、便有此不同。不足怪也。
【読み】
問う、命と遇と何ぞ異なる、と(張橫渠云く、行い同じく報い異なるは、猶命と語り難し。遇と語りて可なり、と。)。先生曰く、人の遇不遇は、卽ち是れ命なり、と。曰く、長平の戰に、四十萬人死す。豈命一ならんや、と。曰く、是も亦命なり。只白起に遇著する、便ち是れ命當に此の如くなるべし。又況んや趙の卒は皆一國の人なるをや。是の五湖四海の人をして、同時にして死せしむとも、亦是れ常事なり、と。又問う、或は刑に當たりて王に、或は相と爲りて餓死し、或は先に貴くして後に賤しく、或は先に賤しくして後に貴き、此の類は皆命なるか、と。曰く、命に非ずということ莫し。旣に命と曰えば、便ち此の不同有り。怪しむに足りず、と。

問、人之形體有限量。心有限量否。曰、論心之形、則安得無限量。又問、心之妙用有限量否。曰、自是人有限量。以有限之形、有限之氣、苟不通(一作用。)之以道、安得無限量。孟子曰、盡其心、知其性。心卽性也。在天爲命、在人爲性。論其所主爲心、其實只是一箇道。苟能通之以道、又豈有限量。天下更無性外之物。若云有限量、除是性外有物始得。
【読み】
問う、人の形體は限量有り。心は限量有りや否や、と。曰く、心の形を論ずるときは、則ち安んぞ限量無きことを得ん、と。又問う、心の妙用は限量有りや否や、と。曰く、自づから是れ人は限量有り。限り有るの形、限り有るの氣を以て、苟も之を通ずるに(一に用に作る。)道を以てせずんば、安んぞ限量無きことを得ん。孟子曰く、其の心を盡くせば、其の性を知る、と。心は卽ち性なり。天に在っては命と爲し、人に在っては性と爲す。其の主たる所を論ずれば心と爲すも、其の實は只是れ一箇の道なり。苟も能く之を通ずるに道を以てせば、又豈限量有らんや。天下更に性外の物無し。若し限量有りと云わば、除[ただ]是れ性外に物有りて始めて得ん、と。

問、心有善惡否。曰、在天爲命、在義爲理、在人爲性、主於身爲心、其實一也。心本善、發於思慮、則有善有不善。若旣發、則可謂之情、不可謂之心。譬如水只謂之水、至於流而爲派、或行於東、或行於西、却謂之流也。(在義爲理、疑是在物爲理。)
【読み】
問う、心に善惡有りや否や、と。曰く、天に在っては命と爲し、義に在っては理と爲し、人に在っては性と爲し、身に主たるを心と爲すも、其の實は一なり。心は本善、思慮に發すれば、則ち善有り不善有り。若し旣に發せば、則ち之を情と謂う可く、之を心と謂う可からず。譬えば水只之を水と謂うが如き、流れて派と爲りて、或は東に行き、或は西に行くに至っては、却って之を流と謂うなり、と。(在義爲理は、疑うらくは是れ在物爲理ならん。)

問、喜怒出於性否。曰、固是。纔有生識、便有性。有性便有情。無性安得情。又問、喜怒出於外、如何。曰、非出於外。感於外而發於中也。問、性之有喜怒、猶水之有波否。曰、然。湛然平靜如鏡者、水之性也。及遇沙石、或地勢不平、便有湍激。或風行其上、便爲波濤洶湧。此豈水之性也哉。人性中只有四端。又豈有許多不善底事。然無水安得波浪、無性安得情也。
【読み】
問う、喜怒は性に出づるや否や、と。曰く、固に是なり。纔かに生識有れば、便ち性有り。性有れば便ち情有り。性無くんば安んぞ情を得ん、と。又問う、喜怒外に出づるは、如何、と。曰く、外に出づるに非ず。外に感じて中に發するなり、と。問う、性の喜怒有るは、猶水の波有るがごときや否や、と。曰く、然り。湛然として平靜にして鏡の如くなる者は、水の性なり。沙石、或は地勢平らかならざるに遇うに及んで、便ち湍激有り。或は風其の上に行けば、便ち波濤洶湧を爲す。此れ豈水の性ならんや。人の性中は只四端有るのみ。又豈許多の不善底の事有らんや。然も水無くんば安んぞ波浪を得ん、性無くんば安んぞ情を得ん、と。

問、人性本明。因何有蔽。曰、此須索理會也。孟子言人性善是也。雖荀・楊亦不知性。孟子所以獨出諸儒者、以能明性也。性無不善。而有不善者才也。性卽是理。理則自堯・舜至於塗人、一也。才稟於氣。氣有淸濁。稟其淸者爲賢、稟其濁者爲愚。又問、愚可變否。曰、可。孔子謂、上智與下愚不移。然亦有可移之理。惟自暴自棄者則不移也。曰、下愚所以自暴棄者、才乎。曰、固是也。然却道佗不可移不得。性只一般。豈不可移。却被他自暴自棄、不肯去學。故移不得。使肯學時、亦有可移之理。
【読み】
問う、人の性は本明なり。何に因ってか蔽わるること有る、と。曰く、此れ須索[かなら]ず理會すべし。孟子人の性は善なりと言うは是なり。荀・楊と雖も亦性を知らず。孟子諸儒に獨出する所以の者は、能く性を明らかにするを以てなり。性は不善無し。而して不善有る者は才なり。性は卽ち是れ理なり。理は則ち堯・舜自り塗人に至るまで、一なり。才は氣に稟く。氣は淸濁有り。其の淸める者を稟ければ賢と爲り、其の濁れる者を稟ければ愚と爲る、と。又問う、愚は變ず可きや否や、と。曰く、可なり。孔子謂く、上智と下愚とは移らず、と。然れども亦移る可きの理有り。惟自暴自棄の者のみは則ち移らず、と。曰く、下愚の自ら暴棄する所以の者は、才か、と。曰く、固に是なり。然れども却って佗移る可からずと道うことを得ず。性は只一般なり。豈移る可からざらんや。却って他自暴自棄せられて、肯えて學び去[ゆ]かず。故に移ることを得ず。肯えて學ばしむる時は、亦移る可きの理有り、と。

凡解文字、但易其心、自見理。理只是人理、甚分明、如一條平坦底道路。詩曰、周道如砥、其直如矢。此之謂也。且如隨卦言君子嚮晦入宴息、解者多作遵養時晦之晦。或問、作甚晦字。曰、此只是隨時之大者、嚮晦則宴息也。更別有甚義。或曰、聖人之言、恐不可以淺近看佗。曰、聖人之言、自有近處、自有深遠處。如近處、怎生强要鑿敎深遠得。楊子曰、聖人之言遠如天、賢人之言近如地。某與改之曰、聖人之言、其遠如天、其近如地。
【読み】
凡そ文字を解するは、但其の心を易[やす]らかにすれば、自づから理を見る。理は只是れ人理のみ、甚だ分明にして、一條平坦底の道路の如し。詩に曰く、周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、と。此れ之の謂なり。且隨の卦に君子は晦に嚮[む]かいて入りて宴息すと言うが如き、解する者多くは遵養時晦の晦と作す、と。或るひと問う、甚の晦の字と作す、と。曰く、此は只是れ時に隨うの大なる者、晦に嚮かえば則ち宴息するのみ。更に別に甚の義か有らん、と。或ひと曰く、聖人の言は、恐らくは淺近を以て佗を看る可からず、と。曰く、聖人の言は、自づから近き處有り、自づから深遠なる處有り。近き處の如きは、怎生ぞ强いて鑿して深遠ならしむることを要することを得ん。楊子曰く、聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し、と。某與に之を改めて曰く、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し、と。

學者不泥文義者、又全背却遠去、理會文義者、又滯泥不通。如子濯孺子爲將之事、孟子只取其不背師之意。人須就上面理會事君之道如何也。又如萬章問舜完廩浚井事、孟子只答佗大意。人須要理會浚井如何出得來、完廩又怎生下得來。若此之學、徒費心力。
【読み】
學者文義に泥まざる者は、又全く背却して遠く去り、文義を理會する者は、又滯泥して通ぜず。子濯孺子將と爲るの事の如き、孟子只其の師に背かざるの意を取るのみ。人須く上面に就いて君に事うるの道如何と理會すべし。又萬章舜廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くするの事を問うが如き、孟子只佗の大意を答うるのみ。人須く井を浚くするに如何にしてか出で得來る、廩を完むるに又怎生にしてか下り得來ると理會することを要すべし。此の若きの學は、徒に心力を費すのみ。

問、聖人之經旨、如何能窮得。曰、以理義去推索可也。學者先須讀論・孟。窮得論・孟、自有箇要約處。以此觀他經、甚省力。論・孟如丈尺權衡相似。以此去量度事物、自然見得長短輕重。某嘗語學者、必先看論語・孟子。今人雖善問、未必如當時人。借使問如當時人、聖人所答、不過如此。今人看論・孟之書、亦如見孔・孟。何異。
【読み】
問う、聖人の經旨、如何にか能く窮め得ん、と。曰く、理義を以て推索し去って可なり。學者先づ須く論・孟を讀むべし。論・孟を窮め得ば、自づから箇の要約なる處有らん。此を以て他の經を觀ば、甚だ力を省かん。論・孟は丈尺權衡の如く相似れり。此を以て事物を量度し去れば、自然に長短輕重を見得ん。某嘗て學者に語るに、必ず先づ論語・孟子を看よ、と。今の人善く問うと雖も、未だ必ずしも當時の人の如くならず。借使[たと]い問うこと當時の人の如くなるとも、聖人の答うる所、此の如くなるに過ぎず。今の人論・孟の書を看るには、亦孔・孟に見ゆるが如くせよ。何ぞ異ならん、と。

孟子養氣一篇、諸君宜潛心玩索。須是實識得方可。勿忘勿助長、只是養氣之法、如不識、怎生養。有物始言養。無物又養箇甚麼。浩然之氣、須見是一箇物。如顏子言如有所立卓爾、孟子言躍如也、卓爾躍如、分明見得方可。
【読み】
孟子氣を養うの一篇、諸君宜しく心を潛めて玩索すべし。須く是れ實に識得して方に可なるべし。忘るること勿かれ助長せしむること勿かれというは、只是れ氣を養うの法、如し識らずんば、怎生ぞ養わん。物有りて始めて養うと言う。物無くんば又箇の甚麼[なに]をか養わん。浩然の氣は、須く是の一箇の物を見るべし。顏子立てる所有りて卓爾たるが如しと言い、孟子躍如たりと言うが如き、卓爾躍如、分明に見得して方に可なり。

不得於言、勿求於心、不可、此觀人之法。心之精微、言有不得者。不可便謂不知。此告子淺近處。
【読み】
言に得ざれば、心に求むること勿かれというは、不可なりとは、此れ人を觀るの法なり。心の精微は、言得ざる者有り。不可は便ち知らざるを謂う。此れ告子の淺近なる處なり。

持其志、無暴其氣、内外交相養也。
【読み】
其の志を持[たも]ち、其の氣を暴[そこな]うこと無かれとは、内外交々相養うなり。

配義與道、謂以義理養成此氣、合義與道。方其未養、則氣自是氣、義自是義。及其養成浩然之氣、則氣與義合矣。本不可言合、爲未養時言也。如言道、則是一箇道都了。若以人而言、則人自是人、道自是道、須是以人行道始得。(言義又言道。道、體也。義、用也。就事上便言義。)
【読み】
義と道とに配すとは、義理を以て此の氣を養い成して、義と道とに合するを謂う。其の未だ養わざるに方っては、則ち氣は自づから是れ氣、義は自づから是れ義。其の浩然の氣を養い成すに及んでは、則ち氣と義と合するなり。本合すと言う可からざるは、未だ養わざる時の言爲ればなり。道と言うが如きは、則ち是れ一箇の道都て了わる。若し人を以て言うときは、則ち人は自づから是れ人、道は自づから是れ道、須く是れ人を以て道を行いて始めて得るべし。(義と言い又道と言う。道は、體なり。義は、用なり。事上に就くときは便ち義と言う。)

北宮黝之勇必行、孟施舍無懼。子夏之勇本不可知、却因北宮黝而可見。子夏是篤信聖人而力行、曾子是明理。
【読み】
北宮黝が勇は必ず行い、孟施舍は懼るること無し。子夏の勇は本知る可からず、却って北宮黝に因りて見る可し。子夏は是れ篤く聖人を信じて力行し、曾子は是れ理を明らかにす。

問、必有事焉、當用敬否。曰、敬只是涵養一事。必有事焉、須當集義。只知用敬、不知集義、却是都無事也。又問、義莫是中理否。曰、中理在事、義在心内。苟不主義、浩然之氣從何而生。理只是發而見於外者。且如恭敬、幣之未將也、恭敬、雖因幣帛威儀而後發見於外、然須心有此恭敬、然後著見。若心無恭敬、何以能爾。所謂德者得也。須是得於己、然後謂之德也(幣之未將之時、已有恭敬。非因幣帛而後有恭敬也。)。問、敬義何別。曰、敬只是持己之道、義便知有是有非、順理而行。是爲義也。若只守一箇敬、不知集義、却是都無事也。且如欲爲孝、不成只守著一箇孝字。須是知所以爲孝之道、所以侍奉當如何、溫淸當如何、然後能盡孝道也。又問、義只在事上、如何。曰、内外一理、豈特事上求合義也。
【読み】
問う、必ず事有らば、當に敬を用うべきや否や、と。曰く、敬は只是れ涵養の一事。必ず事有らば、須く當に義を集むべし。只敬を用うることを知って、義を集むることを知らざれば、却って是れ都て事無きなり、と。又問う、義は是れ理に中ること莫きや否や、と。曰く、理に中るは事に在り、義は心の内に在り。苟も義を主とせざれば、浩然の氣は何[いづ]く從りして生ぜん。理は只是れ發して外に見る者。且恭敬は、幣の未だ將[たてまつ]らざるなりというが如き、恭敬は、幣帛威儀に因りて而して後に外に發見すと雖も、然れども須く心に此の恭敬有りて、然して後に著見すべし。若し心に恭敬無くんば、何を以てか能く爾らん。所謂德は得なり。須く是れ己に得て、然して後に之を德と謂うべし、と(幣の未だ將らざるの時、已に恭敬有り。幣帛に因りて而して後に恭敬有るに非ざるなり。)。問う、敬義何ぞ別たん、と。曰く、敬は只是れ己を持するの道、義は便ち是有り非有ることを知って、理に順いて行う。是を義と爲すなり。若し只一箇の敬を守って、義を集むることを知らずんば、却って是れ都て事無きなり。且孝を爲さんと欲するが如き、成らずんば只一箇の孝の字を守著するのみならんや。須く是れ孝を爲す所以の道、侍奉する所以は當に如何にすべく、溫淸は當に如何にすべきということを知るべく、然して後に能く孝の道を盡くさん、と。又問う、義は只事上に在るのみ、如何にかせん、と。曰く、内外は一理、豈特に事上に義に合うことを求めんや、と。

問、人敬以直内、氣便能充塞天地否。曰、氣須是養、集義所生。積集旣久、方能生浩然氣象。人但看所養如何。養得一分、便有一分、養得二分、便有二分。只將敬、安能便到充塞天地處。且氣自是氣、體所充、自是一件事、敬自是敬、怎生便合得。如曰其爲氣、配義與道、若說氣與義時自別。怎生便能使氣與義合。
【読み】
問う、人敬以て内を直くせば、氣便ち能く天地に充塞せんや否や、と。曰く、氣は須く是れ養うべく、集義の生ずる所なり。積集旣に久しければ、方に能く浩然の氣象を生ず。人但養う所如何と看よ。一分を養い得れば、便ち一分有り、二分を養い得れば、便ち二分有り。只敬を將って、安んぞ能く便ち天地に充塞する處に到らん。且氣は自づから是れ氣、體の充つる所は、自づから是れ一件の事、敬は自づから是れ敬、怎生ぞ便ち合し得ん。其の氣爲る、義と道とに配すと曰うが如き、若し氣と義とを說く時は自づから別なり。怎生ぞ便ち能く氣と義とを合わしめん、と。

性相近也、習相遠也、性一也、何以言相近。曰、此只是言性(一作氣。)質之性。如俗言性急性緩之類、性安有緩急。此言性者、生之謂性也。又問、上智下愚不移是性否。曰、此是才。須理會得性與才所以分處。又問、中人以上可以語上、中人以下不可以語上、是才否。曰、固是。然此只是大綱說。言中人以上可以與之說近上話、中人以下不可以與說近上話也。生之謂性。凡言性處、須看他立意如何。且如言人性善、性之本也。生之謂性、論其所稟也。孔子言性相近。若論其本、豈可言相近。只論其所稟也。告子所云固是。爲孟子問佗、他說、便不是也。
【読み】
性は相近し、習って相遠しとは、性は一なり、何を以て相近しと言う、と。曰く、此は只是れ性(一に氣に作る。)質の性を言うのみ。俗に性急性緩と言うの類の如き、性は安んぞ緩急有らん。此に性と言うは、生まれしまま之を性と謂うなり、と。又問う、上智と下愚と移らざるは是れ性なりや否や、と。曰く、此は是れ才なり。須く性と才と分かつ所以の處を理會し得るべし、と。又問う、中人以上には以て上を語る可く、中人以下には以て上を語る可からずとは、是れ才なりや否や、と。曰く、固に是なり。然れども此は只是れ大綱の說なるのみ。言うこころは、中人以上には以て之と與に上に近き話を說く可く、中人以下には以て與に上に近き話を說く可からざるなり、と。生まれしまま之を性と謂う。凡そ性を言う處は、須く他の意を立つること如何と看るべし。且人の性は善なりと言うが如きは、性の本なり。生まれしまま之を性と謂うは、其の稟くる所を論ずるなり。孔子性は相近しと言う。若し其の本を論ぜば、豈相近しと言う可けんや。只其の稟くる所を論ずるのみ。告子云う所は固に是なり。孟子佗に問うが爲に、他の說、便ち是ならざるなり、と。

乃若其情、則可以爲善、若夫爲不善、非才之罪、此言人陷溺其心者、非關才事。才猶言材料。曲可以爲輪、直可以爲梁棟。若是毀鑿壞了、豈關才事。下面不是說人皆有四者之心。或曰、人才有美惡。豈可言非才之罪。曰、才有美惡者、是舉天下之言也。若說一人之才、如因富歲而賴、因凶歲而暴、豈才質之本然邪。
【読み】
乃ち其の情の若きは、則ち以て善と爲す可し、夫の不善を爲すが若きは、才の罪に非ずとは、此れ言うこころは、人其の心を陷溺する者は、才の事に關わるに非ずとなり。才は猶材料と言うがごとし。曲は以て輪と爲す可く、直は以て梁棟と爲す可し。若し是れ毀鑿壞了せば、豈才の事に關わらんや。下面に是れ人皆四つの者の心有りと說かざらんや。或るひと曰く、人の才は美惡有り。豈才の罪に非ずと言う可けんや、と。曰く、才に美惡有りとは、是れ天下を舉ぐるの言なり。若し一人の才を說くに、富歲に因りて賴み、凶歲に因りて暴なるが如き、豈才質の本然ならんや、と。

問、舍則亡。心有亡、何也。曰、否。此只是說心無形體。纔主著事時、(先生以目視地。)便在這裏、纔過了便不見。如出入無時、莫知其郷、此句亦須要人理會。心豈有出入。亦以操舍而言也。放心、謂心本善、而流於不善。是放也。
【読み】
問う、舍つるときは則ち亡ぶ、と。心亡ぶること有るは、何ぞや、と。曰く、否らず。此は只是れ心は形體無きことを說くのみ。纔かに事に主著する時、(先生以て地を目視す。)便ち這の裏に在りて、纔かに過了すれば便ち見えず。出入時無く、其の郷[ところ]を知ること莫しというが如き、此の句も亦須く人理會せんことを要すべし。心は豈出入有らんや。亦操舍を以て言うなり。放心は、謂ゆる心は本善にして、不善に流る。是れ放つなり、と。

問、盡己之謂忠、莫是盡誠否。旣盡己、安有不誠。盡己則無所不盡。如孟子所謂盡心。曰、盡心莫是我有惻隱羞惡、如此之心、能盡得、便能知性否。曰、何必如此數。只是盡心便了。纔數著、便不盡(如數一百、少却一便爲不盡也。)。大抵稟於天曰性、而所主在心。纔盡心卽是知性。知性卽是知天矣。(羅本以爲呂與叔問。)
【読み】
問う、己を盡くす之を忠と謂うは、是れ誠を盡くすこと莫きや否や、と。旣に己を盡くさば、安んぞ誠ならざること有らん。己を盡くすときは則ち盡くさざる所無し。孟子所謂心を盡くすというが如し、と。曰く、心を盡くすとは是れ我れ惻隱羞惡有ること莫き、此の如きの心、能く盡くし得れば、便ち能く性を知るや否や、と。曰く、何ぞ必ずしも此の如く數えん。只是れ心を盡くすこと便ち了せよ。纔かに數え著すれば、便ち盡くさず(一百を數えるが如き、一を少却すれば便ち盡くさずと爲す。)。大抵天に稟くるを性と曰い、而して主る所は心に在り。纔かに心を盡くせば卽ち是れ性を知る。性を知れば卽ち是れ天を知るなり、と。(羅本に以て呂與叔の問いと爲す。)

問、出辭氣、莫是於言語上用工夫否。曰、須是養乎中、自然言語順理。今人熟底事、說得便分明。若是生事、便說得蹇澁。須是涵養久、便得自然。若是愼言語不妄發、此却可著力。
【読み】
問う、辭氣を出すは、是れ言語の上に於て工夫を用うること莫きや否や、と。曰く、須く是れ中を養うべく、自然に言語理に順う。今の人熟する底の事は、說き得ること便ち分明なり。若し是れ生しき事は、便ち說き得ること蹇澁す。須く是れ涵養久しくして、便ち自づから然ることを得るべし。若し是れ言語を愼み妄りに發せざれば、此れ却って力を著く可し、と。

孔子敎人、不憤不啓、不悱不發。蓋不待憤悱而發、則知之不固、待憤悱而後發、則沛然矣。學者須深思之。思而不得、然後爲佗說、便好。初學者、須是且爲佗說。不然、非獨佗不曉、亦止人好問之心也。
【読み】
孔子の人を敎うる、憤せざれば啓せず、悱せざれば發せず。蓋し憤悱を待たずして發するときは、則ち之を知ること固からず、憤悱を待って而して後に發するときは、則ち沛然たり。學者須く深く之を思うべし。思いて得ず、然して後に佗の爲に說けば、便ち好し。初學の者は、須く是れ且佗の爲に說くべし。然らずんば、獨り佗曉らざるのみに非ず、亦人問うことを好むの心を止む。

孔子旣知宋桓魋不能害己、又却微服過宋。舜旣見象之將殺己、而又象憂亦憂、象喜亦喜。國祚長短、自有命數。人君何用汲汲求治。禹・稷救飢溺者、過門不入。非不知飢溺而死者自有命、又却救之如此其急。數者之事、何故如此。須思量。到道竝行而不相悖處可也。(今且說聖人非不知命、然於人事不得不盡。此說未是。)
【読み】
孔子旣に宋の桓魋己を害すること能わざることを知れども、又却って微服して宋を過る。舜旣に象が將に己を殺さんとするを見て、而も又象憂うれば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ。國祚の長短、自づから命數有り。人君何を用てか汲汲として治を求めん。禹・稷飢溺の者を救いて、門を過りて入らず。飢溺して死する者自づから命有ることを知らざるには非ず、又却って之を救うこと此の如く其れ急なり。數者の事、何の故にか此の如くなる。須く思量すべし。道竝び行いて相悖らざる處に到って可なり。(今且聖人を命を知らざるには非ず、然れども人事に於て盡くさざることを得ずと說く。此の說未だ是ならず。)

問、聖人與天道何異。曰、無異。聖人可殺否。曰、聖人智足以周身。安可殺也。只如今有智慮人、已害他不得、況於聖人。曰、昔瞽瞍使舜完廩浚井。舜知其欲殺己而逃之乎。曰、本無此事。此是萬章所傳聞。孟子更不能理會這下事、只且說舜心也。如下文言琴朕、干戈朕、二嫂使治朕棲、堯爲天子。安有是事。
【読み】
問う、聖人と天道と何ぞ異なる、と。曰く、異なること無し、と。聖人も殺す可しや否や、と。曰く、聖人は智以て身を周くするに足れり。安んぞ殺す可きや。只如今智慮有る人すら、已に他を害することを得ず、況んや聖人に於てをや、と。曰く、昔瞽瞍舜をして廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くせしむ。舜其の己を殺さんと欲することを知りて之を逃るるか、と。曰く、本此の事無し。此は是れ萬章の傳聞する所なり。孟子更に這の下の事を理會すること能わず、只且舜の心を說くのみ。下の文に琴は朕、干戈は朕、二嫂は朕が棲[ゆか]を治めしめんと言うが如き、堯は天子爲り。安んぞ是の事有らん、と。

問、加我數年、五十以學易、可以無大過矣、不知聖人何以因學易後始能無過。曰、先儒謂、孔子學易後可以無大過。此大段失却文意。聖人何嘗有過。如待學易後無大過、却是未學易前、嘗有大過也。此聖人如未嘗學易、何以知其可以無過。蓋孔子時學易者支離、易道不明。仲尼旣修佗經、惟易未嘗發明。故謂弟子曰、加我數年、五十以學易。期之五十、然後贊易、則學易者可以無大過差。若所謂贊易道而黜八索是也。(前此學易者甚衆、其說多過。聖人使弟子俟其贊而後學之、其過鮮也。)
【読み】
問う、我に數年を加して、五十にして以て易を學べば、以て大なる過ち無かる可しというは、知らず、聖人何を以て易を學ぶ後に因りて始めて能く過ち無けん、と。曰く、先儒謂えらく、孔子易を學ぶの後は以て大なる過ち無かる可し、と。此れ大段文意を失却す。聖人は何ぞ嘗て過ち有らん。如し易を學ぶ後を待って大なる過ち無くんば、却って是れ未だ易を學ばざるの前に、嘗て大なる過ち有らんや。此れ聖人如し未だ嘗て易を學ばずんば、何を以て其の以て過ち無かる可きことを知らん。蓋し孔子の時易を學ぶ者支離にして、易道明らかならず。仲尼旣に佗の經を修めて、惟り易未だ嘗て發明せず。故に弟子に謂いて曰く、我に數年を加して、五十にして以て易を學ぶ、と。之を五十に期して、然して後に易を贊せば、則ち易を學ぶ者以て大なる過差無かる可し、と。所謂易道を贊して八索を黜[しりぞ]けるが若き是れなり。(此より前に易を學ぶ者甚だ衆く、其の說多く過る。聖人弟子をして其の贊するを俟って後に之を學ばしめば、其の過ち鮮し。)

問、博我以文、約我以禮。曰、此是顏子稱聖人最切當處。聖人敎人、只是如此。旣博之以文、而後約之以禮。所謂博學而詳說之、將以反說約也。博與約相對。聖人敎人、只此兩字。博是博學多識、多聞多見之謂。約只是使之知要也。又問、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、與此同乎。曰、這箇只是淺近說。言多聞見而約束以禮、雖未能知道、庶幾可以弗畔於道。此言善人君子多識前言往行而能不犯非禮者爾。非顏子所以學於孔子之謂也。又問、此莫是小成否。曰、亦未是小成。去知道甚遠。如曰多聞、擇其善者而從之、多見而識之、知之次也。聞見與知之甚異。此只是聞之者也。又曰、聖人之道、知之莫甚難。曰、聖人之道、安可以難易言。聖人未嘗言易、以驕人之志、亦未嘗言難、以阻人之進。仲尼但曰、未之思也。夫何遠之有。此言極有涵畜意思。孟子言、夫道若大路然。豈難知哉。只下這一箇豈字、便露筋骨。聖人之言不如此。如下面說人病不求耳、子歸而求之有餘師、這數句却說得好。孔・孟言有異處、亦須自識得。
【読み】
問う、我を博むるに文を以てし、我を約[つづま]やかにするに禮を以てす、と。曰く、此は是れ顏子聖人最も切當なる處を稱す。聖人の人を敎うる、只是れ此の如し。旣に之を博むるに文を以てし、而して後に之を約やかにするに禮を以てす。所謂博く學んで詳らかに之を說くは、將に以て反って約を說かんとするものなり。博と約とは相對す。聖人の人を敎うる、只此の兩字のみ。博は是れ博學多識、多聞多見の謂なり。約は只是れ之をして要を知らしむるのみ、と。又問う、君子は博く文を學んで、之を約やかにするに禮を以てせば、亦以て畔かざる可しというは、此と同じきか、と。曰く、這箇は只是れ淺近の說なり。言うこころは、多く聞見して約束するに禮を以てせば、未だ道を知ること能わずと雖も、庶幾わくは以て道に畔かざる可し、と。此れ善人君子多く前言往行を識して能く非禮を犯さざる者を言うのみ。顏子孔子に學ぶ所以の謂に非ざるなり、と。又問う、此は是れ小成なること莫きや否や、と。曰く、亦未だ是れ小成ならず。道を知り去ること甚だ遠し。多く聞いて、其の善き者を擇んで之に從う、多く見て之を識すは、之を知るが次なりと曰うが如し。聞き見ると之を知るとは甚だ異なり。此は只是れ之を聞く者なり、と。又曰く、聖人の道は、之を知ること甚だ難きこと莫きか、と。曰く、聖人の道は、安んぞ難易を以て言う可けん。聖人は未だ嘗て易しと言いて、以て人の志を驕らしめず、亦未だ嘗て難しと言いて、以て人の進むを阻まず。仲尼但曰く、未だ之を思わざるなり。夫れ何の遠きことか之れ有らん、と。此の言極めて涵畜の意思有り。孟子言く、夫れ道は大路の若く然り。豈知り難からんや、と。只這の一箇の豈の字を下して、便ち筋骨を露す。聖人の言は此の如くならず。下面に人求めざるを病[うれ]うるのみ、子歸って之を求めば餘師有らんと說くが如き、這の數句却って說き得て好し。孔・孟の言に異なる處有ること、亦須く自ら識得すべし、と。

或問、子畏於匡。顏淵後。子曰、吾以女爲死矣。曰、子在、囘何敢死。然設使孔子遇難、顏淵有可死之理否。曰、無可死之理。除非是鬭死。然鬭死非顏子之事。若云遇害、又不當言敢不敢也。又問、使孔子遇害、顏子死之否乎。曰、豈特顏子之於孔子也。若二人同行遇難、固可相死也。又問、親在則如之何。曰、且譬如二人捕虎、一人力盡、一人須當同去用力。如執干戈衛社稷、到急處、便遁逃去之、言我有親、是大不義也。當此時、豈問有親無親。但當預先謂吾有親、不可行則止。豈到臨時却自規避也。且如常人爲不可獨行也。須結伴而出。至于親在、爲親圖養、須出去、亦須結伴同去。便有患難相死之道。昔有二人、同在嵩山、同出就店飮酒。一人大醉、臥在地上、夜深歸不得。一人又無力扶持。尋常曠野中有虎豹盜賊。此人遂只在傍、直守到曉。不成不顧了自歸也。此義理所當然者也。禮言親在不許友以死者、此言亦在人用得。蓋有親在可許友以死者、有親不在不可許友以死者。可許友以死、如二人同行之類是也。不可許友以死、如戰國游俠、爲親不在、乃爲人復讐。甚非理也。
【読み】
或るひと問う、子匡に畏る。顏淵後れたり。子曰く、吾れ女を以て死せりと爲す、と。曰く、子在す、囘何ぞ敢えて死せん、と。然るに設[も]し孔子をしをして難に遇わしめば、顏淵死す可きの理有りや否や、と。曰く、死す可きの理無し。除非[ただ]是れ鬭死せんのみ。然れども鬭死は顏子の事に非ず。若し害に遇うと云わば、又當に敢えて敢えてせずと言うべからざるなり、と。又問う、孔子をして害に遇わしめば、顏子之に死せんや否や、と。曰く、豈特に顏子の孔子に於るのみならんや。若し二人同じく行きて難に遇うとも、固に相死す可し、と。又問う、親在せば則ち之を如何、と。曰く、且譬えば二人虎を捕うるが如き、一人力盡きれば、一人須く當に同じく力を用い去るべし。干戈を執りて社稷を衛るが如き、急なる處に到りて、便ち遁逃して之を去りて、我れ親有りと言わば、是れ大なる不義なり。此の時に當たりて、豈親有り親無きを問わんや。但當に預め先づ吾れ親有りと謂いて、行く可からずんば則ち止むべし。豈臨時に到りて却って自ら規避せんや。且常人の如きは獨り行く可からずと爲す。須く伴を結んで出づべし。親在し、親の爲に養を圖るに至っては、須く出で去るべく、亦須く伴を結んで同じく去るべし。便ち患難相死するの道有り。昔二人、同じく嵩山に在る有り、同じく出でて店に就いて酒を飮む。一人大いに醉いて、臥して地上に在り、夜深くて歸ることを得ず。一人又力の扶持する無し。尋常曠野の中に虎豹盜賊有り。此の人遂に只傍に在りて、直ちに守りて曉に到る。顧みざることを成さずして了[つい]に自ら歸る。此れ義理の當に然るべき所の者なり。禮に親在すときは友に許すに死を以てせずと言う者は、此の言も亦人用い得るに在り。蓋し親在せども友に許すに死を以てす可き者有り、親在さざるに友に許すに死を以てす可からざる者有り。友に許すに死を以てす可きは、二人同じく行くが如きの類是れなり。友に許すに死を以てす可からずというは、戰國の游俠、親在さずと爲して、乃ち人の爲に讐を復するが如し。甚だ理に非ざるなり、と。

問、不遷怒、不貳過、何也。語錄有怒甲不遷乙之說、是否。曰、是。曰、若此則甚易。何待顏氏而後能。曰、只被說得粗了。諸君便道易。此莫是最難。須是理會得、因何不遷怒。如舜之誅四凶、怒在四凶、舜何與焉。蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。譬如明鏡。好物來時、便見是好、惡物來時、便見是惡。鏡何嘗有好惡也。世之人固有怒於室而色於市。且如怒一人、對那人說話、能無怒色否。有能怒一人而不怒別人者、能忍得如此、已是煞知義理。若聖人、因物而未嘗有怒。此莫是甚難。君子役物、小人役於物。今人見有可喜可怒之事、自家著一分陪奉他。此亦勞矣。聖人心如止水。
【読み】
問う、怒りを遷さず、過ちを貳びせずとは、何ぞや。語錄に甲に怒りて乙に遷さざるの說有り、是なりや否や、と。曰く、是なり、と。曰く、此の若きは則ち甚だ易し。何ぞ顏氏を待ちて而して後に能くせん、と。曰く、只說き得て粗了なることを被るのみ。諸君は便ち易しと道う。此は是れ最も難きこと莫きや。須く是れ何に因りて怒りを遷さざるということを理會し得るべし。舜の四凶を誅するが如き、怒りは四凶に在り、舜何ぞ與らん。蓋し是の人怒る可きの事有るに因りて之を怒る。聖人の心は本怒り無し。譬えば明鏡の如し。好物來る時は、便ち是れ好を見し、惡物來る時は、便ち是れ惡を見す。鏡何ぞ嘗て好惡有らん。世の人固に室に怒ること有りて市に色す。且一人に怒るが如き、那の人に對して說話するも、能く怒色無きや否や。能く一人に怒って別人に怒らざること有る者は、能く忍び得ること此の如くにして、已に是れ煞[はなは]だ義理を知るなり。聖人の若きは、物に因りて未だ嘗て怒り有らず。此は是れ甚だ難きこと莫きや。君子は物を役し、小人は物に役せらる。今の人喜ぶ可く怒る可きの事有るを見ては、自家一分に他を陪奉することを著す。此れ亦勞せり。聖人の心は止水の如し、と。

問、顏子勇乎。曰、孰勇於顏子。觀其言曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。孰勇於顏子。如有若無、實若虛、犯而不校之類、抑可謂大勇者矣。
【読み】
問う、顏子は勇なりや、と。曰く、孰か顏子より勇ならん。其の言を觀るに曰く、舜は何人ぞや。予は何人ぞや。すること有る者は亦是の若し、と。孰か顏子より勇ならん。有れども無きが若く、實[み]てれども虛[な]きが若く、犯せども而も校[はか]らずという類の如き、抑々大勇なる者と謂う可し、と。

曾子傳聖人道(一作學。)、只是一箇誠篤。語曰、參也魯。如聖人之門、子游・子夏之言語、子貢・子張之才辨、聰明者甚多、卒傳聖人之道者、乃質魯之人。人只要一箇誠實。聖人說忠信處甚多。曾子、孔子在時甚少。後來所學不可測。且易簀之事、非大賢以上作不得。曾子之後有子思、便可見。
【読み】
曾子の聖人の道(一に學に作る。)を傳うるは、只是れ一箇の誠篤なり。語に曰く、參や魯なり、と。聖人の門、子游・子夏の言語、子貢・子張の才辨の如き、聰明なる者甚だ多けれども、卒に聖人の道を傳うる者は、乃ち質魯の人なり。人は只一箇の誠實を要するのみ。聖人忠信を說く處甚だ多し。曾子は、孔子在す時甚だ少[わか]し。後來學ぶ所測る可からず。且簀を易うるの事、大賢以上に非ずんば作すことを得じ。曾子の後に子思有ること、便ち見る可し。

曾子執親之喪、水漿不入口者七日、不合禮、何也。曰、曾子者、過於厚者也。聖人大中之道、賢者必俯而就、不肖者必跂而及。若曾子之過、過於厚者也。若衆人、必當就禮法。自大賢以上、則看佗如何。不可以禮法拘也。且守社稷者、國君之職也。太王則委而去之。守宗廟者、天子之職也。堯・舜則以天下與人。如三聖賢則無害。佗人便不可。然聖人所以敎人之道、大抵使之循禮法而已。
【読み】
曾子親の喪を執りて、水漿口に入れざる者七日、禮に合わざるは、何ぞや、と。曰く、曾子は、厚に過ぎたる者なり。聖人大中の道、賢者は必ず俯して就き、不肖者は必ず跂[つまだ]ちて及ぼす。曾子の過ぐるが若きは、厚に過ぎたる者なり。衆人の若きは、必ず當に禮法に就くべし。大賢自り以上は、則ち佗如何と看よ。禮法を以て拘わる可からず。且社稷を守るは、國君の職なり。太王は則ち委[す]てて之を去る。宗廟を守るは、天子の職なり。堯・舜は則ち天下を以て人に與う。三聖賢の如きは則ち害無し。佗人は便ち不可なり。然るに聖人の人を敎うる所以の道は、大抵之をして禮法に循わしむるのみ、と。

金聲而玉振之、此孟子爲學者言終始之義也。樂之作、始以金奏、而以玉聲終之。詩曰依我磬聲是也。始於致知、智之事也。行所知而至其極、聖之事也。易曰知至至之、知終終之、是也。
【読み】
金聲[な]らして玉之を振[おさ]むとは、此れ孟子學者の爲に終始の義を言えり。樂を作すに、始むるに金を以て奏して、玉聲を以て之を終う。詩に我が磬の聲に依れりと曰うは是れなり。知を致むるに始まるは、智の事なり。知る所を行いて其の極に至るは、聖の事なり。易に至るを知って之に至り、終わるを知って之に終うと曰うは、是れなり。

惟聖人然後踐形、言聖人盡得人道也。人得天地之正氣而生、與萬物不同。旣爲人、須盡得人理。衆人有之而不知、賢人踐之而未盡、能踐形者、唯聖人也。
【読み】
惟聖人にして然して後に形を踐むとは、言うこころは、聖人は人道を盡くし得るとなり。人は天地の正氣を得て生まれ、萬物と同じからず。旣に人と爲りては、須く人の理を盡くし得るべし。衆人は之を有して知らず、賢人は之を踐んで未だ盡くさず、能く形を踐む者は、唯聖人のみ。

佚道使民、謂本欲佚之也。故雖勞而不怨。生道殺民、謂本欲生之也。且如救水火、是求所以生之也。或有焚溺而死者、却雖死不怨。
【読み】
佚道民を使うとは、本之を佚せんと欲するを謂う。故に勞すと雖も怨みず。生道民を殺すとは、本之を生かさんと欲するを謂う。且水火を救うが如き、是れ之を生かす所以を求むるなり。或は焚溺して死する者有り、却って死すと雖も怨みず。

仁言、謂以仁厚之言加於民。仁聲如仁聞。謂風聲足以感動人也。此尤見仁德之昭著也。
【読み】
仁言は、仁厚の言を以て民に加うるを謂う。仁聲は仁聞の如し。風聲以て人を感動するに足るを謂う。此れ尤も仁德の昭著なるを見す。

問行之而不著、習矣而不察。曰、此言大道如此、而人由之不知也。行之而不著、謂人行之而不明曉也。習矣而不察、謂人習之而不省察也。曰、先生有言、雖孔門弟子亦有此病、何也。曰、在衆人習而不察者、只是饑食喝飮之類、由之而不自知也。如孔門弟子、却是聞聖人之化、入於善而不自知也。衆者、言衆多也。
【読み】
之を行いて著らかならず、習いて察せずというを問う。曰く、此れ大道此の如くにして、人之に由りて知らざることを言う。之を行いて著らかならずとは、人之を行いて明かし曉らざることを謂う。習いて察せずとは、人之を習いて省察せざることを謂う、と。曰く、先生言えること有り、孔門の弟子と雖も亦此の病有りとは、何ぞや、と。曰く、衆人に在りて習いて察せざる者は、只是れ饑えて食し喝して飮むの類、之に由りて自ら知らざるなり。孔門の弟子の如きは、却って是れ聖人の化を聞いて、善に入りて自ら知らざるなり。衆は、衆多を言うなり、と。

問、可以取、可以無取、天下有兩可之事乎。曰、有之。如朋友之饋、是可取也。然己自可足、是不可取也。纔取之、便傷廉矣。曰、取傷廉、固不可。然與傷惠何害。曰、是有害於惠也。可以與。然却可以不與。若與之時、財或不贍、却於合當與者無可與之。且博施濟衆、固聖人所欲。然却五十者方衣帛、七十者方食肉、如使四十者衣帛、五十者食肉、豈不更好。然力不可以給、合當衣帛食肉者便不足也。此所以傷惠。
【読み】
問う、以て取る可く、以て取ること無かる可しとは、天下に兩ながら可なるの事有りや、と。曰く、之れ有り。朋友の饋の如きは、是れ取る可し。然れども己自ら足る可くんば、是れ取る可からず。纔かに之を取れば、便ち廉を傷[そこな]うなり、と。曰く、取りて廉を傷うは、固に不可なり。然れども與えて惠むを傷うは何の害あらん、と。曰く、是れ惠むに害有るなり。以て與う可し。然れども却って以て與えざる可し。若し與うるの時、財或は贍[た]らざれば、却って當に與う合き者に於て之を與う可き無し。且博く施して衆を濟うは、固より聖人の欲する所。然れども却って五十の者方に帛を衣、七十の者方に肉を食うに、如し四十の者をして帛を衣、五十の者をして肉を食わしめば、豈更に好からざらんや。然れども力以て給す可からずして、當に帛を衣肉を食う合き者便ち足らざるなり。此れ惠むを傷う所以なり、と。

問人有不爲、然後可以有爲。曰、此只是有所擇之人能擇其可爲不可爲也。纔有所不爲、便可以有爲也。若無所不爲、豈能有爲邪。
【読み】
人せざること有りて、然して後に以てすること有る可しというを問う。曰く、此は只是れ擇ぶ所の人有りて能く其のす可くす可からざるを擇ぶなり。纔かにせざる所有れば、便ち以てすること有る可し。若しせざる所無くんば、豈能くすること有らんや、と。

問、非禮之禮、非義之義、何謂也。曰、恭本爲禮。過恭是非禮之禮也。以物與人爲義。過與是非義之義也。曰、此事何止大人不爲。曰、過恭過與是細人之事、猶言婦人之仁也。只爲佗小了。大人豈肯如此。
【読み】
問う、非禮の禮、非義の義とは、何の謂ぞや、と。曰く、恭は本より禮爲り。恭しきを過ぎれば是れ非禮の禮なり。物を以て人に與うるは義爲り。過ぎて與うるは是れ非義の義なり、と。曰く、此の事何ぞ止大人のみせざる、と。曰く、恭しきを過ぎると過ぎて與うるは是れ細人の事、猶婦人の仁と言うがごとし。只佗の小と爲し了わる。大人豈肯えて此の如くならんや、と。

問、天民・天吏・大人、何以別。曰、順天行道者、天民也。順天爲政者、天吏也。大人者、又在二者之上。孟子曰、充實而有光輝之謂大。聖人豈不爲天民・天吏。如文王・伊尹是也。大而化之之謂聖、聖而不可知之之謂神。非是聖人上別有一等神人。但聖人有不可知處便是神也。化與變化之化同。若到聖人、更無差等也。或曰、堯・舜・禹・湯・文・武如何。曰、孔子嘗論堯・舜矣。如曰惟天爲大、惟堯則之、如此等事甚大。惟堯・舜可稱也。若湯・武、雖是事不同、不知是聖人不是聖人。或曰、可以湯・武之心求之否。曰、觀其心、如行一不義、殺一不辜、雖得天下不爲、此等事、大賢以上人方(一作皆。)爲得。若非聖人、亦是亞聖一等人也。若文王、則分明是大聖人也。禹又分明如湯・武。觀舜稱其不矜不伐、與孔子言無閒然之事、又却別有一箇氣象。大抵生而知之、與學而知之、及其成功一也。
【読み】
問う、天民・天吏・大人は、何を以て別たん、と。曰く、天に順いて道を行う者は、天民なり。天に順いて政を爲むる者は、天吏なり。大人は、又二者の上に在り。孟子曰く、充實して光輝有る之を大と謂う、と。聖人豈天民・天吏爲らざらんや。文王・伊尹の如き是れなり。大にして之を化する之を聖と謂い、聖にして之を知る可からず之を神と謂う。是れ聖人の上に別に一等の神人有るに非ず。但聖人にして知る可からざる處有るは便ち是れ神なり。化は變化の化と同じ。聖人に到るが若きは、更に差等無し、と。或るひと曰く、堯・舜・禹・湯・文・武は如何、と。曰く、孔子嘗て堯・舜を論ぜり。惟天を大なりとす、惟り堯のみ之に則ると曰うが如き、此れ等の事の如き甚だ大なり。惟堯・舜のみ稱す可し。湯・武の若きは、是の事同じからずと雖も、是れ聖人か是れ聖人ならざるかを知らず、と。或るひと曰く、湯・武の心を以て之を求む可きや否や、と。曰く、其の心を觀るに、一つの不義を行い、一つの辜あらざるを殺して、天下を得ると雖もせずというが如き、此れ等の事は、大賢以上の人方に(一に皆に作る。)得たりとす。若し聖人に非ずんば、亦是れ亞聖一等の人なり。文王の若きは、則ち分明に是れ大聖人なり。禹も又分明に湯・武の如し。舜の其の矜[ほこ]らず伐[ほこ]らざるを稱すると、孔子閒然すること無しと言うとの事を觀るに、又却って別に一箇の氣象有り。大抵生まれながらにして之を知ると、學んで之を知ると、其の成功に及んでは一なり、と。

蘇季明問、舜執其兩端、注以爲過不及之兩端、是乎。曰、是。曰、旣過不及、又何執乎。曰、執猶今之所謂執持使不得行也。舜執持過不及、使民不得行、而用其中使民行之也。又問、此執與湯執中如何。曰、執只是一箇執。舜執兩端、是執持而不用。湯執中而不失、將以用之也。若子莫執中、却是子莫見楊・墨過不及、遂於過不及二者之閒執之。却不知有當摩頂放踵利天下時、有當拔一毛利天下不爲時。執中而不通變、與執一無異。
【読み】
蘇季明問う、舜其の兩端を執る、注に以て過不及の兩端と爲すとは、是なりや、と。曰く、是なり、と。曰く、旣に過不及なれば、又何ぞ執らんや、と。曰く、執るとは猶今の所謂執持して行うことを得ざらしむというがごとし。舜過不及を執持して、民をして行うことを得ざらしめて、其の中を用いて民をして之を行わしむるなり、と。又問う、此の執と湯中を執ると如何、と。曰く、執は只是れ一箇の執。舜兩端を執るは、是れ執持して用いず。湯中を執りて失わざるは、將に以て之を用いんとするなり。子莫が中を執るが若きは、却って是れ子莫楊・墨の過不及を見て、遂に過不及の二つの者の閒に於て之を執る。却って當に頂を摩して踵に放[いた]るまで天下を利すべき時有り、當に一毛を拔いて天下を利すともせざるべき時有ることを知らず。中を執って變に通ぜざるは、一を執ると異なること無し、と。

季明問、君子時中、莫是隨時否。曰、是也。中字最難識。須是默識心通。且試言一廳則中央爲中、一家則廳中非中而堂爲中。言一國則堂非中而國之中爲中。推此類可見矣。且如初寒時、則薄裘爲中、如在盛寒而用初寒之裘、則非中也。更如三過其門不入、在禹・稷之世爲中、若居陋巷、則不中矣。居陋巷、在顏子之時爲中、若三過其門不入、則非中也。或曰、男女不授受之類皆然。曰、是也。男女不授受中也。在喪祭則不如此矣。
【読み】
季明問う、君子時に中すとは、是れ時に隨うこと莫きや否や、と。曰く、是なり。中の字最も識り難し。須く是れ默識心通すべし。且試みに一廳を言えば則ち中央を中と爲し、一家は則ち廳中は中に非ずして堂を中と爲す。一國を言えば則ち堂は中に非ずして國の中を中と爲す。此の類を推して見る可し。且初寒の時の如きは、則ち薄裘を中と爲し、如し盛寒に在って初寒の裘を用いば、則ち中に非ざるなり。更に三たび其の門を過れども入らざるが如き、禹・稷の世に在っては中と爲し、陋巷に居るが若きは、則ち中ならず。陋巷に居るは、顏子の時に在っては中と爲し、三たび其の門を過れども入らざるが若きは、則ち中に非ざるなり、と。或るひと曰く、男女授受せざるの類も皆然るか、と。曰く、是なり。男女授受せざるは中なり。喪祭に在っては則ち此の如くならず、と。

問、堯・舜・湯・武事迹雖不同、其心德有閒否。曰、無閒。曰、孟子言、堯・舜性之、湯・武身之。湯・武豈不性之邪。曰、堯・舜生知、湯・武學而知之。及其成功一也。身之、言履之也。反之、言歸於正也。
【読み】
問う、堯・舜・湯・武の事迹同じからずと雖も、其の心德閒有りや否や、と。曰く、閒無し、と。曰く、孟子言う、堯・舜は之を性のままにし、湯・武は之を身よりす、と。湯・武は豈之を性のままにせざるか、と。曰く、堯・舜は生まれながらに知り、湯・武は學んで之を知る。其の成功に及んでは一なり。之を身よりすとは、之を履むを言う。之に反るとは、正に歸るを言う、と。

或問、夫子賢於堯・舜、信諸。曰、堯・舜豈可賢也。但門人推尊夫子之道、以謂仲尼垂法萬世。故云爾。然三子之論聖人、皆非善稱聖人者。如顏子、便不如此道、但言仰之彌高、鑽之彌堅而已。後來惟曾子善形容聖人氣象。曰、子溫而厲、威而不猛、恭而安。又郷黨一篇、形容得聖人動容注措甚好。使學者宛如見聖人。
【読み】
或るひと問う、夫子は堯・舜に賢れり、と、信なりや、と。曰く、堯・舜に豈賢る可けんや。但門人夫子の道を推尊して、以謂えらく、仲尼法を萬世に垂る、と。故に爾か云う。然れども三子の聖人を論ずる、皆善く聖人を稱する者に非ず。顏子の如きは、便ち此の如く道わず、但之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅しと言うのみ。後來惟曾子のみ善く聖人の氣象を形容す。曰く、子溫[おだ]やかにして厲[おごそ]かなり、威ありて猛からず、恭にして安し、と。又郷黨の一篇、聖人の動容を形容し得て注措甚だ好し。學者をして宛[あたか]も聖人を見るが如くならしむ、と。

觀水有術、必觀其瀾、瀾湍急處、於此便見源之無窮。今人以波對瀾、非也。下文日月有明、容光必照、以言其容光無不照、故知日月之明無窮也。
【読み】
水を觀るに術有り、必ず其の瀾[せ]を觀るとは、瀾は湍[せ]の急なる處、此に於て便ち源の窮まり無きことを見る。今の人波を以て瀾に對するは、非なり。下の文に日月明有り、容光必ず照らすというは、其の容光照らさざること無きことを言うを以て、故に日月の明窮まり無きことを知るなり。

問、孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。且人與禽獸甚懸絕矣。孟子言此者、莫是只在去之、存之上有不同處。曰、固是。人只有箇天理。却不能存得、更做甚人也。泰山孫明復有詩云、人亦天地一物耳。飢食渴飮無休時。若非道義充其腹、何異鳥獸安鬚眉。上面說人與萬物皆生於天地意思、下面二句如此。或曰、退之雜說有云、人有貌如牛首蛇形鳥喙而心不同焉、可謂之非人乎。卽有顏如渥丹者、其貌則人、其心則禽獸、又惡可謂之人也。此意如何。曰、某不盡記其文、然人只要存一箇天理。
【読み】
問う、孟子曰く、人の禽獸と異なる所以の者は幾[いくばく]も希[な]し。庶民は之を去り、君子は之を存す、と。且人と禽獸と甚だ懸絕す。孟子此を言う者は、是れ只之を去り、之を存するの上に在って同じからざる處有ること莫きや、と。曰く、固に是なり。人は只箇の天理を有するのみ。却って存し得ること能わざれば、更に甚人とか做らん。泰山の孫明復詩有り云う、人も亦天地の一物なるのみ。飢えて食し渴して飮んで休む時無し。若し道義其の腹に充つるに非ずんば、何ぞ鳥獸の鬚眉を安んずるに異ならん、と。上面は人と萬物と皆天地に生ずる意思を說き、下面の二句は此の如し、と。或るひと曰く、退之が雜說に云えること有り、人貌牛首蛇形鳥喙の如くにして心同じからざる有り、之を人に非ずと謂う可けんや。卽ち顏渥丹の如くなる者有りて、其の貌は則ち人、其の心は則ち禽獸、又惡んぞ之を人と謂う可き、と。此の意如何、と。曰く、某盡くは其の文を記せず、然れども人は只一箇の天理を存せんことを要すのみ、と。

問、守身如何。曰、守身、守之本。旣不能守身、更說其道義。曰、人說命者、多不守身、何也。曰、便是不知命。孟子曰、知命者不立巖牆之下。或曰、不說命者又不敢有爲。曰、非特不敢爲、又有多少畏恐。然二者皆不知命也。
【読み】
問う、身を守ること如何、と。曰く、身を守るは、守るの本なり。旣に身を守ること能わずんば、更に甚の道義を說かん、と。曰く、人命を說く者、多くは身を守らざるは、何ぞや、と。曰く、便ち是れ命を知らざるなり。孟子曰く、命を知る者は巖牆の下に立たず、と。或るひと曰く、命を說かざる者も又敢えてすること有らざらんや、と。曰く、特敢えてせざるのみに非ず、又多少畏れ恐るること有り。然れども二つの者は皆命を知らざるなり、と。

莫之爲而爲、莫之致而致、便是天理。司馬遷以私意妄窺天道、而論伯夷曰、天道無親、常與善人。若伯夷者、可謂善人非邪。天道甚大。安可以一人之故、妄意窺測。如曰顏何爲而殀、跖何爲而壽、皆指一人計較天理。非知天也。
【読み】
之をすること莫くしてし、之を致すこと莫くして致すは、便ち是れ天理。司馬遷私意を以て妄りに天道を窺いて、伯夷を論じて曰く、天道親しみ無し、常に善人に與す。伯夷の若き者は、善人と謂う可きや非ずや、と。天道は甚だ大なり。安んぞ一人の故を以て、妄意に窺い測る可けん。顏何の爲にして殀し、跖何の爲にして壽なると曰うが如きも、皆一人を指して天理を計較す。天を知るに非ざるなり。

問、桎梏而死者、非正命也。然亦是命否。曰、聖人只敎人順受其正、不說命。或曰、桎梏死者非命乎。曰、孟子自說了、莫非命也。然聖人却不說是命。
【読み】
問う、桎梏して死する者は、正命に非ず。然れども亦是れ命なりや否や、と。曰く、聖人は只人順いて其の正を受くることを敎えて、命を說かず、と。或るひと曰く、桎梏して死する者は命に非ざるや、と。曰く、孟子自ら說き了わる、命に非ざること莫し、と。然れども聖人は却って是れ命と說かず、と。

故者以利爲本。故是本如此也。纔不利便害性。利只是順。天下只是一箇利、孟子與周易所言一般。只爲後人趨著利便有弊、故孟子拔本塞源、不肯言利。其不信孟子者、却道不合非利。李遘是也。其信者、又直道不得近利。人無利、直是生不得。安得無利。且譬如倚子。人坐此便安、是利也。如求安不已、又要褥子、以求溫暖、無所不爲、然後奪之於君、奪之於父。此是趨利之弊也。利只是一箇利、只爲人用得別。
【読み】
故は利を以て本と爲す。故は是れ本此の如し。纔かに利せざれば便ち性を害す。利は只是れ順うなり。天下は只是れ一箇の利、孟子と周易に言う所とは一般なり。只後人利便に趨著して弊有るが爲に、故に孟子本を拔き源を塞いで、肯えて利を言わず。其の孟子を信ぜざる者は、却って利に非ざる合からずと道う。李遘是れなり。其の信ずる者は、又道を直くして利に近づくことを得ず。人利無ければ、直に是れ生ずることを得ず。安んぞ利無きことを得ん。且譬えば倚子の如し。人此に坐して便ち安んずるは、是れ利なり。如し安んぜんことを求めて已まずして、又褥子を要して、以て溫暖を求めて、せざるという所無く、然して後に之を君に奪い、之を父に奪う。此は是れ利に趨るの弊なり。利は只是れ一箇の利、只人用い得て別なることを爲す。

博弈小數、不專心致志、猶不可得。況學道而悠悠、安可得也。仲尼言、吾嘗終日不食、終夜不寢、以思。無益。不如學也。又曰、朝聞道、夕死可矣。不知聖人有甚事來、追切了底死地如此。文意不難會。須是求其所以如此何故、始得。聖人固是生知、猶如此說、所以敎人也。學如不及、猶恐失之。纔說姑待來日、便不可也。
【読み】
博弈は小數なれども、心を專らにし志を致さざれば、猶得可からず。況んや道を學んで悠悠たらば、安んぞ得可けん。仲尼言く、吾れ嘗て終日食わず、終夜寢ねず、以て思う。益無し。學ぶには如かず、と。又曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり、と。知らず、聖人甚事か有り來りて、追切して死地に底[いた]ること此の如きを。文意會し難からず。須く是れ其の此の如くなる所以は何が故ぞと求めて、始めて得るべし。聖人は固より是れ生知なれども、猶此の如く說くは、人を敎うる所以なり。學は及ばざるが如くす、猶之を失わんことを恐る。纔かに姑く來日を待つと說かば、便ち不可なり。

子之燕居、申申夭夭、如何。曰、申申是和樂中有中正氣象、夭夭是舒泰氣象、此皆弟子善形容聖人處也。爲申申字說不盡、故更著夭夭字。今人不怠惰放肆、必太嚴厲。嚴厲時則著此四字不得、放肆時亦著此四字不得。除非是聖人、便自有中和之氣。
【読み】
子の燕居は、申申夭夭たりとは、如何、と。曰く、申申は是れ和樂の中に中正の氣象有り、夭夭は是れ舒泰の氣象、此れ皆弟子善く聖人を形容する處なり。申申の字說き盡くさざるが爲に、故に更に夭夭の字を著く。今の人怠惰放肆ならざれば、必ず太だ嚴厲なり。嚴厲なる時は則ち此の四字を著くることを得ず、放肆なる時も亦此の四字を著くることを得ず。除非[ただ]是れ聖人は、便ち自づから中和の氣有るのみ、と。

問、務民之義、敬鬼神而遠之、何以爲知。曰、只此兩句、說知亦盡。且人多敬鬼神者、只是惑、遠者又不能敬、能敬能遠、可謂知矣。又問、莫是知鬼神之道、然後能敬能遠否。曰、亦未說到如此深遠處。且大綱說、當敬不惑也。問、今人奉佛、莫是惑否。曰、是也。敬佛者必惑、不敬者只是孟浪不信。又問、佛當敬否。曰、佛亦是胡人之賢智者、安可慢也。至如陰陽卜筮擇日之事、今人信者必惑、不信者亦是孟浪不信。如出行忌太白之類、太白在西、不可西行。有人在東方居、不成都不得西行。又却初行日忌、次日便不忌。次日不成不衝太白也。如使太白爲一人爲之、則鬼神亦勞矣(如行遇風雨之類、則凡在行者皆遇之也。)。大抵人多記其偶中耳。
【読み】
問う、民の義を務めて、鬼神を敬して之を遠ざくとは、何を以て知とする、と。曰く、只此の兩句、知を說くこと亦盡くせり。且人多く鬼神を敬する者は、只是れ惑い、遠ざくる者は又敬すること能わず、能く敬し能く遠ざくるは、知と謂う可し、と。又問う、是れ鬼神の道を知ること莫くして、然して後に能く敬し能く遠ざくるや否や、と。曰く、亦未だ此の如く深遠なる處に說き到らず。且つ大綱に說く、當に敬して惑わざるべし、と。問う、今の人の佛に奉ずるは、是れ惑うこと莫きや否や、と。曰く、是なり。佛を敬する者は必ず惑い、敬せざる者は只是れ孟浪にして信ぜず、と。又問う、佛は當に敬すべきや否や、と。曰く、佛も亦是れ胡人の賢智なる者、安んぞ慢る可けん。陰陽卜筮日を擇ぶの事の如きに至っても、今の人信ずる者は必ず惑い、信ぜざる者は亦是れ孟浪にして信ぜず。出行に太白を忌むの類の如き、太白西に在れば、西に行く可からず。人有り東方に在りて居すれば、都て西に行くことを得ずと成さざらんや。又却って初行の日忌みて、次の日は便ち忌まず。次の日は太白を衝かずと成さざらんや。如し太白をして一人の爲に之を爲さしめば、則ち鬼神も亦勞せん(行くとき風雨に遇うの類の如き、則ち凡そ行に在る者皆之に遇わん。)。大抵人多く其の偶々中るを記するのみ、と。

問、伯夷不念舊惡、何也。曰、此淸者之量。伯夷之淸、若推其所爲、須不容於世、必負石赴河乃已。然却爲他不念舊惡、氣象甚宏裕。此聖人深知伯夷處。問、伯夷叩馬諫武王、義不食周粟。有諸。曰、叩馬則不可知。非武王誠有之也。只此便是佗隘處。君尊臣卑、天下之常理也。伯夷知守常理、而不知聖人之變、故隘。不食周粟、只是不食其祿。非餓而不食也。至如史記所載諫詞、皆非也。武王伐商卽位、已十一(一作三。)年矣。安得父死不葬之語。
【読み】
問う、伯夷舊惡を念わざるは、何ぞや、と。曰く、此れ淸なる者の量なり。伯夷の淸、若し其のする所を推さば、須く世に容れられざるべく、必ず石を負い河に赴いて乃ち已まん。然れども却って他の舊惡を念わざることをするは、氣象甚だ宏裕なればなり。此れ聖人深く伯夷を知る處なり、と。問う、伯夷馬を叩いて武王を諫め、義として周の粟を食せず。有りや、と。曰く、馬を叩くことは則ち知る可からず。武王誠に之れ有るに非ず。只此は便ち是れ佗の隘き處なり。君は尊く臣は卑きは、天下の常理なり。伯夷常理を守ることを知って、聖人の變を知らず、故に隘し。周の粟を食せざるは、只是れ其の祿を食せざるなり。餓えて食せざるには非ざるなり。史記に載する所の諫詞の如きに至っては、皆非なり。武王商を伐って位に卽くこと、已に十一(一に三に作る。)年なり。安んぞ父死して葬らざるの語を得ん、と。

問、伐國不問仁人、如何。曰、不知怎生地伐國。如武王伐紂、都是仁人。如柳下惠之時則不可。當時諸候、以土地之故、糜爛其民。皆不義之伐。宜仁人不忍言也。
【読み】
問う、國を伐つに仁人に問わざるは、如何、と。曰く、怎生[いづれ]の地にか國を伐つということを知らず。武王の紂を伐つが如きは、都れ是れ仁人なり。柳下惠の時の如きは則ち不可なり。當時の諸候、土地の故を以て、其の民を糜爛す。皆不義の伐なり。宜なり、仁人言うに忍びざること、と。

問、宋襄公不鼓不成列、如何。曰、此愚也。旣與他戰、又却不鼓不成列、必待佗成列、圖箇甚。
【読み】
問う、宋の襄公列を成さざれば鼓うたざるは、如何、と。曰く、此れ愚なり。旣に他と戰いて、又却って列を成さざれば鼓うたざれば、必ず佗列を成すを待って、箇の甚をか圖らん、と。

問、羊祜・陸抗之事如何。曰、如送絹償禾之事、甚好。至抗飮祜藥、則不可。羊祜雖不是酖人底人、然兩軍相向、其所餉藥、自不當飮。
【読み】
問う、羊祜[ようこ]・陸抗の事如何、と。曰く、絹を送りて禾を償うの事の如きは、甚だ好し。抗が祜の藥を飮むに至っては、則ち不可なり。羊祜は是れ人を酖する底の人にあらずと雖も、然れども兩軍相向かうとき、其の餉[おく]る所の藥は、自ら當に飮むべからず、と。

問、用兵、掩其不備、出其不意之事、使王者之師、當如此否。曰、固是。用兵須要勝、不成要敗。旣要勝、須求所以勝之之道。但湯・武之兵、自不煩如此。罔有敵于我師、自可見。然湯亦嘗升自陑。陑亦閒道。且如兩軍相向、必擇地可攻處攻之。右實則攻左、左實則攻右、不成道我不用計也。且如漢・楚旣約分鴻溝、乃復還襲之、此則不可。如韓信囊沙壅水之類、何害。他師衆非我敵。決水、使他一半不得渡。自合如此。有甚不得處。又問、閒諜之事如何。曰、這箇不可也。
【読み】
問う、兵を用うるに、其の備わざるを掩いて、其の不意に出る事、王者の師をして、當に此の如くすべからしめんや否や、と。曰く、固に是なり。兵を用いば須く勝つことを要すべく、敗るることを要することを成さず。旣に勝つことを要せば、須く之に勝つ所以の道を求むべし。但湯・武の兵は、自づから煩わしく此の如くならず。我が師に敵うこと有ること罔しというを、自づから見る可し。然れども湯も亦嘗て陑[じ]自より升れり。陑も亦閒道なり。且つ兩軍相向かうが如き、必ず地の攻む可き處を擇んで之を攻む。右實するときは則ち左を攻め、左實するときは則ち右を攻め、我れ計を用いずと道うを成さず。且つ漢・楚旣に約して鴻溝を分かち、乃ち復還って之を襲うが如き、此れ則ち不可なり。韓信囊沙もて水を壅ぐの類の如きは、何の害あらん。他の師衆我に敵するに非ず。水を決[きっ]て、他の一半をして渡ることを得ざらしむ。自づから合に此の如くすべし。甚の得ざる處有らん、と。又問う、閒諜の事如何、と。曰く、這箇は不可なり、と。

問、冉子爲子華請粟。而與之少。原思爲之宰、則與之多。其意如何。曰、原思爲宰、宰必受祿。祿自有常數。故不得而辭。子華使於齊。師使弟子、不當有所請。冉子請之、自不是。故聖人與之少。佗理會不得、又請益。再與之亦少。聖人寬容、不欲直拒佗。冉子終不喩也。
【読み】
問う、冉子子華の爲に粟を請えり。而して之に與うること少なし。原思之が宰爲るとき、則ち之に與うること多し。其の意如何、と。曰く、原思の宰爲る、宰は必ず祿を受く。祿自づから常數有り。故に得て辭せしめず。子華齊に使いす。師の弟子を使うは、當に請う所有るべからず。冉子之を請えるは、自づから是ならず。故に聖人之に與うること少なし。佗理會し得ずして、又益さんことを請う。再び之に與うること亦少なし。聖人は寬容にして、直に佗を拒むことを欲せず。冉子終に喩らざるなり、と。

問、子使漆離開仕。對曰、吾斯之未能信。漆雕開未可仕、孔子使之仕、何也。曰、據佗說這一句言語、自是仕有餘、兼孔子道可以仕、必是實也。如由也志欲爲千乘之國、孔子止曰可使治其賦、求也欲爲小邦、孔子止曰可使爲之宰之類、由・求之徒、豈止如此。聖人如此言、便是優爲之也。
【読み】
問う、子漆離開をして仕えしめんとす。對えて曰く、吾れ斯れ之を未だ信ずること能わず、と。漆雕開未だ仕う可からざるに、孔子之を仕えしむるは、何ぞや、と。曰く、佗の這の一句の言語を說くに據るに、自づから是れ仕えて餘り有り、兼ねて孔子以て仕う可しと道うは、必ず是れ實ならん。由は志千乘の國を爲めんことを欲するに、孔子止其の賦を治めしむ可しと曰い、求は小邦を爲めんことを欲するに、孔子止之が宰と爲さしむ可しと曰うの類の如き、由・求の徒、豈止此の如きのみならんや。聖人此の如く言うは、便ち是れ優[ゆた]かに之をすればなり、と。

問、丘也幸。苟有過、人必知之。注言諱君之惡、是否。曰、是。何以歸過於己。曰、非是歸過於己。此事却是陳司敗欲使巫馬期以娶同姓之事去問是知禮不知禮、却須要囘報言語也。聖人只有一箇不言而已。若說道我爲諱君之惡、不可也。又不成却以娶同姓爲禮、亦不可也。只可道丘也幸、苟有過、人必知之。
【読み】
問う、丘は幸いあり。苟も過ち有れば、人必ず之を知る、と。注に君の惡を諱むと言うは、是なりや否や、と。曰く、是なり。何を以て過ちを己に歸する、と。曰く、是れ過ちを己に歸するに非ず。此の事却って是れ陳司敗巫馬期をして同姓を娶るの事を以て是れ禮を知るか禮を知らざるかを去き問いしめんと欲し、却って須く囘[かえ]って言語を報ぜんことを要すべければなり。聖人只一箇の不言有りて而して已む。若し說いて我れ君の惡を諱むことを爲すと道わば、不可なり。又却って同姓を娶るを以て禮と爲すと成さざるも、亦不可なり。只丘は幸いあり、苟も過ち有れば、人必ず之を知ると道う可きのみ、と。

問、行不由徑。徑是小路否。曰、只是不正當處、如履田疇之類。不必不由小路。昔有一人因送葬囘、不覺被僕者引自他道歸。行數里、方覺不是、却須要囘就大路上。若此非中理。若使小路便於往來、由之何害。
【読み】
問う、行くこと徑に由らず、と。徑は是れ小路なりや否や、と。曰く、只是れ正當ならざる處、田疇を履むの類の如し。必ずしも小路に由らざるにあらず。昔一人有り送葬に因りて囘るとき、覺えずして僕者に引かれて他の道自り歸る。行くこと數里にして、方に是ならざることを覺えて、却って囘って大路上に就かんことを須要す。此の若きは理に中るに非ず。若し小路をして往來に便ならしめば、之に由るも何の害あらん、と。

問、古者何以不修墓。曰、所以不修墓者、欲初爲墓時、必使至堅固。故須必誠必敬。若不誠敬、安能至久。曰、孔子爲墓、何以速崩如此邪。曰、非孔子也。孔子先反修虞事、使弟子治之。弟子誠敬不至、纔雨而墓崩。其爲之不堅固可知。然修之亦何害。聖人言不修者、所以深責弟子也。
【読み】
問う、古は何を以て墓を修せざる、と。曰く、墓を修せざる所以は、初めて墓を爲る時は、必ず至って堅固ならしめんことを欲す。故に須く必ず誠に必ず敬すべし。若し誠敬ならずんば、安んぞ能く久しきに至らん、と。曰く、孔子の墓を爲る、何を以て速やかに崩るること此の如きや、と。曰く、孔子に非ざるなり。孔子先づ反って虞の事を修めて、弟子をして之を治めしむ。弟子誠敬至らず、纔かに雨ふりて墓崩る。其の之を爲ること堅固ならざること知る可し。然れども之を修するも亦何の害あらん。聖人修せざれと言う者は、深く弟子を責むる所以なり、と。

問、先進於禮樂、野人也、後進於禮樂、君子也。孔子何以不從君子而從野人。曰、請諸君細思之。曰、先儒有變文從質之說、是否。曰、固是。然君子野人者、據當時謂之君子野人也。當時謂之野人、是言文質相稱者也。當時謂之君子、則過乎文者也。是以不從後進而從先進也。蓋當時文弊已甚。故仲尼欲救之云爾。
【読み】
問う、先進の禮樂に於るは、野人なり、後進の禮樂に於るは、君子なり、と。孔子何を以て君子に從わずして野人に從うや、と。曰く、請う諸君細に之を思え、と。曰く、先儒文を變じて質に從うの說有り、是なりや否や、と。曰く、固に是なり。然るに君子野人は、當時に據りて之を君子野人と謂うなり。當時之を野人と謂うは、是れ文質相稱う者を言うなり。當時之を君子と謂うは、則ち文に過ぎたる者なり。是を以て後進に從わずして先進に從うなり。蓋し當時文の弊已に甚だし。故に仲尼之を救わんと欲して爾か云えり、と。

我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。中庸曰施諸己而不願、亦勿施於人、正解此兩句。然此兩句甚難行。故孔子曰、賜也、非爾所及也。
【読み】
我れ人の我に加うることを欲せざれば、吾も亦人に加うること無きことを欲す、と。中庸に己に施して願わずんば、亦人に施すこと勿かれと曰うは、正に此の兩句を解せり。然れども此の兩句は甚だ行い難し。故に孔子曰く、賜、爾の及ぶ所に非ず、と。

問、質直而好義、察言而觀色、慮以下人、何以爲達。曰、此正是達也。只好義與下人、已是達了。人所以不下人者、只爲不達。達則只是明達。察言而觀色、非明達而何。又問、子張之問達、如何。曰、子張之意、以人知爲達。纔達則人自知矣。此更不須理會。子張之意、專在人知。故孔子痛抑之、又曰夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑也。學者須是務實、不要近名、方是。有意近名、則大本已失。更學何事。爲名而學、則是僞也。今之學者、大抵爲名。爲名與爲利、淸濁雖不同、然其利心則一也。今市井閭巷之人、却不爲名。爲名而學者、志於名而足矣。然其心猶恐人之不知。韓退之直是會道言語曰、内不足者急於人知。沛然有餘、厥聞四馳。大抵爲名者、只是内不足。内足者、自是無意於名。如孔子言疾沒世而名不稱、此一句人多錯理會。此只是言君子惟患無善之可稱、當汲汲爲善。非是使人求名也。
【読み】
問う、質直にして義を好み、言を察して色を觀、慮って以て人に下る、何を以て達すと爲す、と。曰く、此は正に是れ達するなり。只義を好むと人に下ると、已に是れ達了す。人の人に下らざる所以は、只達せざるが爲なり。達するときは則ち只是れ明達なり。言を察して色を觀るは、明達に非ずして何ぞ、と。又問う、子張の達するを問えるは、如何、と。曰く、子張の意は、人の知るを以て達すとす。纔かに達すれば則ち人自づから知る。此れ更に理會するを須たず。子張の意は、專ら人の知るに在り。故に孔子痛く之を抑え、又夫れ聞くとは、色には仁を取りて行いは違[そむ]き、之に居て疑わしとせずと曰う。學者須く是れ實を務むべく、名に近づくことを要めずして、方に是なり。名に近づくに意有れば、則ち大本已に失す。更に何事をか學ばん。名の爲にして學ぶは、則ち是れ僞りなり。今の學者、大抵名の爲にす。名の爲にすると利の爲にするとは、淸濁同じからずと雖も、然れども其の利心は則ち一なり。今市井閭巷の人すら、却って名の爲にせず。名の爲にして學ぶ者は、名に志して足れりとす。然れども其の心は猶人の知らざることを恐る。韓退之直に是れ道を會する言語に曰く、内足らざる者は人の知らんことを急にす。沛然として餘有れば、厥の聞え四[よも]に馳す、と。大抵名の爲にする者は、只是れ内足らざればなり。内足る者は、自づから是れ名に意無し。孔子世を沒するまで名の稱せられざるを疾[にく]むと言うが如き、此の一句人多く理會し錯[たが]えり。此は只是れ君子は惟善の稱せらる可き無きことを患えて、當に汲汲として善を爲すべきことを言うなり。是れ人をして名を求めしむるには非ず、と。

問、在邦無怨、在家無怨。不知怨在己、在人。曰、在己。曰、旣在己、舜何以有怨。曰、怨只是一箇怨、但其用處不同。舜自是怨。如舜不怨、却不是也。學須是通、不得如此執泥。如言仁者不憂、又却言、作易者其有憂患。須要知用處各別也。天下只有一箇憂字、一箇怨字。旣有此二字、聖人安得無之。如王通之言甚好。但爲後人附會亂却。如魏徵問、聖人有憂乎。曰、天下皆憂、吾獨得不憂。問疑。曰、天下皆疑、吾獨得不疑。謂董常曰、樂天知命、吾何憂。窮理盡性、吾何疑、如此自不相害、說得極好。至下面數句言心迹之判、便不是。此皆後人附會、適所以爲贅也。
【読み】
問う、邦に在っても怨み無く、家に在っても怨み無し、と。知らず、怨みは己に在るか、人に在るか、と。曰く、己に在り、と。曰く、旣に己に在らば、舜何を以て怨み有る、と。曰く、怨みは只是れ一箇の怨み、但其の用うる處同じからず。舜は自ら是れ怨む。如し舜怨みずんば、却って是ならず。學は須く是れ通ずべく、此の如く執泥することを得じ。仁者は憂えずと言うが如きは、又却って言う、易を作る者は其れ憂患有り、と。須く用うる處各々別なることを知ることを要すべし。天下に只一箇の憂の字、一箇の怨の字有り。旣に此の二字有らば、聖人安んぞ之れ無きことを得ん。王通の言の如きは甚だ好し。但後人附會して亂却することを爲す。魏徵問う、聖人に憂い有りや、と。曰く、天下皆憂う、吾れ獨り憂えざることを得んや、と。疑を問う。曰く、天下皆疑う、吾れ獨り疑わざらんことを得んや、と。董常に謂いて曰く、天を樂しみ命を知る、吾れ何をか憂えん。理を窮め性を盡くす、吾れ何をか疑わんというが如き、此の如くなれば自づから相害せず、說き得て極めて好し。下面の數句心迹の判を言うに至っては、便ち是ならず。此れ皆後人附會して、適に贅を爲す所以なり、と。

問、民可使由之、不可使知之、是聖人不使之知耶。是民自不可知也。曰、聖人非不欲民知之也。蓋聖人設敎、非不欲家喩戶曉、比屋皆可封也。蓋聖人但能使天下由之耳。安能使人人盡知之。此是聖人不能。故曰、不可使知之。若曰聖人不使民知、豈聖人之心。是後世朝三暮四之術也。某嘗與謝景溫說此一句。他爭道、朝三暮四之術亦不可無、聖人亦時有之。此大故無義理。說聖人順人情處亦有之。豈有爲朝三暮四之術哉。(謝景溫、一作趙景平。)
【読み】
問う、民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可からずとは、是れ聖人之をして知らしめざるか。是れ民自ら知る可からざるか、と。曰く、聖人民の之を知ることを欲せざるに非ず。蓋し聖人の敎を設くる、家々に喩し戶々に曉して、比の屋皆封ず可きことを欲せざるに非ず。蓋し聖人但能く天下をして之に由らしむるのみ。安んぞ能く人人をして盡く之を知らしめん。此は是れ聖人も能わず。故に曰く、之を知らしむ可からず、と。若し聖人民をして知らしめずと曰わば、豈聖人の心ならんや。是れ後世朝三暮四の術なり。某嘗て謝景溫と此の一句を說けり。他爭い道う、朝三暮四の術も亦無くんばある可からず、聖人も亦時に之れ有り、と。此れ大いに故義理無し。聖人人情に順うを說く處は亦之れ有り。豈朝三暮四の術を爲すこと有らんや、と。(謝景溫は、一に趙景平に作る。)

問爲政遲速。曰、仲尼嘗言之矣、苟有用我者、期月而已可也、三年有成。仲尼言有成者、蓋欲立致治之功業、如堯・舜之時。夫是之謂有成。此聖人之事、佗人不可及。某嘗言、後世之論治者、皆不中理。漢公孫丞相言、三年而化、臣弘尙竊遲之。唐李石謂、十年責治太迫。此二者、皆率爾而言。聖人之言自有次序。所謂期月而已可也者、謂紀綱布也。三年有成、治功成也。聖人之事、後世雖不敢望如此、然二帝之治、惟聖人能之。二王以下事業、大賢可爲也。又問、孔子言用我者、三年有成、言王者、則曰必世而後仁、何也。曰、所謂仁者、風移俗易、民歸於仁。天下變化之時、此非積久、何以能致。其曰必世、理之然也。有成、謂法度紀綱有成而化行也。如欲民仁、非必世安可。
【読み】
政を爲むる遲速を問う。曰く、仲尼嘗て之を言えり、苟も我を用うる者有らば、期月にして已に可ならん、三年にして成ること有らん、と。仲尼成ること有らんと言う者は、蓋し治を致すの功業を立つること、堯・舜の時の如くせんことを欲するなり。夫れ是を之れ成ること有りと謂う。此れ聖人の事、佗人は及ぶ可からず。某嘗て言う、後世の治を論ずる者、皆理に中らず、と。漢の公孫丞相が言く、三年にして化することは、臣弘尙竊かに之を遲しとす、と。唐の李石が謂く、十年治を責めて太だ迫る、と。此の二つの者は、皆率爾にして言う。聖人の言は自づから次序有り。所謂期月にして已に可ならんとは、紀綱布くを謂う。三年にして成ること有らんとは、治功成るなり。聖人の事は、後世敢えて此の如くなることを望まずと雖も、然れども二帝の治は、惟聖人のみ之を能くす。二王以下の事業は、大賢爲す可し、と。又問う、孔子我を用うる者あらば、三年にして成ること有らんと言い、王者を言うときは、則ち必世にして後仁ならんと曰うは、何ぞや、と。曰く、所謂仁とは、風移り俗易わって、民仁に歸す。天下變化の時、此れ積むこと久しきに非ずんば、何を以て能く致さん。其の必世と曰うは、理の然るなり。成ること有らんとは、法度紀綱成ること有りて化行わるるを謂うなり。如し民の仁ならんことを欲せば、必世に非ずんば安んぞ可ならん、と。

問、大則不驕、化則不吝。此語何如。曰、若以大而化之解此、則未是。然大則不驕、此句却有意思、只爲小便驕也。化則不吝、化煞高、不吝未足以言之。驕與吝兩字正相對。驕是氣盈、吝是氣歉。曰、吝何如則是。曰、吝是吝嗇也。且於嗇上看、便見得吝嗇止是一事。且人若吝時、於財上亦不足、於事上亦不足、凡百事皆不足、必有歉歉之色也。曰、有周公之才之美、使驕且吝、其餘不足觀也已。此莫是甚言驕吝之不可否。曰、是也。若言周公之德、則不可下驕吝字。此言雖才如周公、驕吝亦不可也。
【読み】
問う、大なれば則ち驕らず、化すれば則ち吝ならず、と。此の語何如、と。曰く、若し大にして之を化すというを以て此を解すれば、則ち未だ是ならず。然るに大なれば則ち驕らずとは、此の句却って意思有り、只小なれば便ち驕ると爲すのみ。化すれば則ち吝ならずとは、化は煞だ高くして、吝ならざること未だ以て之を言うに足らず。驕と吝と兩字正に相對す。驕は是れ氣盈ち、吝は是れ氣歉[あきた]らず、と。曰く、吝は何如にしてか則ち是ならん、と。曰く、吝は是れ吝嗇なり。且つ嗇の上に於て看ば、便ち吝嗇は止是れ一事なることを見得ん。且つ人若し吝なる時は、財の上に於ても亦足らず、事の上に於ても亦足らず、凡そ百事皆足らず、必ず歉歉の色有り、と。曰く、周公の才の美有りとも、驕り且つ吝ならしめば、其の餘は觀るに足らざるのみ、と。此は是れ甚だ驕吝の不可なることを言うこと莫しや否や、と。曰く、是なり。若し周公の德と言わば、則ち驕吝の字を下す可からず。此れ才周公の如しと雖も、驕り吝なるは亦不可なりと言うなり、と。

仲尼當周衰、轍環天下。顏子何以不仕。曰、此仲尼之任也。使孔子得行其道、顏子不仕可矣。然孔子旣當此任、則顏子足可閉戶爲學也。
【読み】
仲尼周の衰えたるに當たり、轍天下を環る。顏子何を以て仕えざる、と。曰く、此れ仲尼の任なればなり。孔子をして其の道を行うことを得せしめば、顏子仕えずして可なり。然して孔子旣に此の任に當たるときは、則ち顏子戶を閉ぢて學を爲むる可きに足れり、と。

孟子有功於聖門不可言。如仲尼只說一箇仁義(呂本・徐本義作字。)(立人之道曰仁與義。)。孟子開口便說仁義、仲尼只說一箇志。孟子便說許多養氣出來。只此二字、其功甚多。
【読み】
孟子聖門に功有ること言う可からず。仲尼の如きは只一箇の仁義(呂本・徐本義を字に作る。)を說けり(人の道を立つるを仁と義と曰う。)。孟子口を開けば便ち仁義を說き、仲尼は只一箇の志を說けり。孟子は便ち許多の養氣を說き出し來る。只此の二字は、其の功甚だ多し、と。

未知道者如醉人。方其醉時、無所不至。及其醒也、莫不愧恥。人之未知學者、自視以爲無缺。及旣知學、反思前曰所爲、則駭且懼矣。
【読み】
未だ道を知らざる者は醉える人の如し。其の醉う時に方りて、至らざる所無し。其の醒めるに及んでや、愧恥せざること莫し。人の未だ學を知らざる者は、自ら視て以て缺くること無しとす。旣に學を知るに及んでや、反って前曰のする所を思えば、則ち駭き且つ懼る。

聖人六經、皆不得已而作。如耒耜陶冶、一不制、則生人之用熄。後世之言、無之不爲缺、有之徒爲贅。雖多何益也。聖人言雖約、無有包含不盡處。
【読み】
聖人の六經は、皆已むことを得ずして作れり。耒耜[らいし]陶冶、一つも制せざれば、則ち生人の用熄[や]むが如し。後世の言は、之れ無くとも缺くるとせず、之れ有るとも徒に贅とす。多しと雖も何の益あらん。聖人の言は約なりと雖も、包含し盡くさざる處有ること無し。

言貴簡。言愈多、於道未必明。杜元凱却有此語云、言高則旨遠、辭約則義微。大率言語須是含蓄而有餘意。所謂書不盡言、言不盡意也。
【読み】
言は簡を貴ぶ。言愈々多ければ、道に於て未だ必ずしも明ならず。杜元凱却って此の語有りて云く、言高ければ則ち旨遠く、辭約なれば則ち義微なり、と。大率言語は須く是れ含蓄して餘意有るべし。謂う所の書は言を盡くさず、言は意を盡くさずなり。

中庸之書、其味無窮。極索玩味。
【読み】
中庸の書は、其の味窮まり無し。極め索[もと]めて玩味せよ。

問、坎之六四、樽酒簋貳用缶、納約自牖、何義也。曰、坎、險之時也。此是聖人論大臣處險難之法。樽酒簋貳用缶、謂當險難之時、更用甚得。無非是用至誠也。納約自牖、言欲納約於君、當自明處。牖者、開明之處也。欲開悟於君、若於君所蔽處、何由入得。如漢高帝欲易太子、他人皆爭以嫡庶之分。夫嫡庶之分、高祖豈不知得分明。直知不是了犯之。此正是高祖所蔽處、更豈能曉之。獨留侯招致四皓。此正高祖所明處。蓋高祖自匹夫有天下、皆豪傑之力、故憚之。留侯以四皓輔太子、高祖知天下豪傑歸心於惠帝、故更不易也。昔秦伐魏、欲以長安君爲質、太后不可。左師觸龍請見、云云。遂以長安君爲質焉。夫太后只知愛子、更不察利害。故左師以愛子之利害開悟之也。
【読み】
問う、坎の六四に、樽酒簋[き]あり貳[ま]すに缶[ほとぎ]を用う、約を納るること牖自りすとは、何の義ぞや、と。曰く、坎は、險の時なり。此は是れ聖人大臣險難に處するの法を論ず。樽酒簋あり貳すに缶を用うとは、謂ゆる險難の時に當たりて、更に甚をか用い得ん。是れ至誠を用うるに非ざること無しとなり。約を納るること牖自りすとは、言うこころは、約を君に納れんと欲せば、當に明なる處自りすべし。牖は、開明の處なり。君を開悟せんと欲するに、若し君の蔽わるる處に於てせば、何に由ってか入り得ん。漢の高帝太子を易えんと欲するが如き、他人は皆爭うに嫡庶の分を以てす。夫れ嫡庶の分、高祖豈知り得ること分明ならざらんや。直に不是なるを知って了[つい]に之を犯す。此れ正に是れ高祖の蔽わるる處、更に豈能く之を曉さんや。獨り留侯四皓を招き致す。此れ正に高祖の明なる所の處。蓋し高祖匹夫自り天下を有つは、皆豪傑の力、故に之を憚る。留侯四皓を以て太子を輔け、高祖天下の豪傑心を惠帝に歸することを知る、故に更に易えざるなり。昔秦魏を伐つに、長安君を以て質とせんと欲して、太后可[き]かず。左師觸龍請い見えて、云云。遂に長安君を以て質とす。夫れ太后は只子を愛することを知って、更に利害を察せず。故に左師子を愛するの利害を以て之を開悟するなり、と。

易八卦之位、元不曾有人說。先儒以爲乾位西北、坤位西南。言乾・坤任六子、而自處於無爲之地。此大故無義理。風雷山澤之類、便是天地之用。豈天地外別有六子。如人生六子、則有各任以事、而父母自閑。風雷之類於天地閒、如人身之有耳目手足。便是人之用也。豈可謂手足耳目皆用、而身無爲乎。因見賣兔者、曰、聖人見河圖・洛書而畫八卦。然何必圖・書。只看此兔、亦可作八卦、數便此中可起。古聖人只取神物之至著者耳。只如樹木、亦可見數。兔何以無尾、有血無脂。只是爲陰物。大抵陽物尾長、陽盛者尾愈長。如雉是盛陽之物、故尾極長、又其身文明。今之行車者、多植尾於車上、以候雨晴。如天將雨、則尾先垂向下、纔晴便直立。
【読み】
易八卦の位は、元曾て人の說有らず。先儒以爲えらく、乾は西北に位し、坤は西南に位す、と。乾・坤六子に任じて、自ら無爲の地に處すと言う。此れ大いに故義理無し。風雷山澤の類は、便ち是れ天地の用。豈天地の外別に六子有らんや。人六子を生ずるが如き、則ち各々任ずるに事を以てして、父母自づから閑なること有らんや。風雷の類の天地の閒に於るは、人身の耳目手足有るが如し。便ち是れ人の用なり。豈手足耳目皆用いて、身すること無しと謂う可けんや。因りて兔を賣る者を見るに、曰く、聖人河圖・洛書を見て八卦を畫す、と。然れども何ぞ必ずしも圖・書のみならん。只此の兔を看ても、亦八卦を作る可く、數は便ち此の中より起こす可し。古の聖人は只神物の至著なる者を取るのみ。只樹木の如きも、亦數を見る可し。兔何を以て尾無く、血有りて脂無き。只是れ陰物爲ればなり。大抵陽物は尾長く、陽盛んなる者は尾愈々長し。雉の如きは是れ盛陽の物、故に尾極めて長く、又其の身文明なり。今の車を行[や]る者、多く尾を車上に植えて、以て雨晴を候う。如し天將に雨ふらんとするときは、則ち尾先づ垂れて下に向き、纔かに晴れれば便ち直に立つ。

或問、劉牧言、上經言形器以上事、下經言形器以下事。曰、非也。上經言雲雷屯。雲雷豈無形耶。曰、牧又謂、上經是天地生萬物、下經是男女生萬物。曰、天地中只是一箇生。人之生於男女、卽是天地之生。安得爲異。曰、牧又謂、乾・坤與坎・離男女同生。曰、非也。譬如父母生男女、豈男女與父母同生。旣有乾・坤、方三索而得六子。若曰乾・坤生時、六子生理同有、則有此理。謂乾・坤・坎・離同生、豈有此事。旣是同生、則何言六子耶。
【読み】
或るひと問う、劉牧言く、上經は形器以上の事を言い、下經は形器以下の事を言う、と。曰く、非なり。上經に雲雷屯を言う。雲雷豈形無けんや、と。曰く、牧又謂く、上經は是れ天地萬物を生じ、下經は是れ男女萬物を生ず、と。曰く、天地の中は只是れ一箇の生。人の男女を生ずるも、卽ち是れ天地の生。安んぞ異と爲すことを得ん、と。曰く、牧又謂く、乾・坤と坎・離と男女同じく生ず、と。曰く、非なり。譬えば父母男女を生ずるが如き、豈男女と父母と同じく生ぜんや。旣に乾・坤有りて、方に三索して六子を得る。若し乾・坤生ずる時、六子生ずる理同じく有りと曰わば、則ち此の理有り。乾・坤・坎・離同じく生ずと謂わば、豈此の事有らんや。旣に是れ同じく生ぜば、則ち何ぞ六子を言わんや、と。

或曰、凡物之生、各隨氣勝處化。曰、何以見。曰、如木之生、根旣長大、根却無處去。曰、克也。曰、旣克、則是土化爲木矣。曰、不是化、只是克。五行、只古人說迭王字說盡了。只是箇盛衰自然之理也。人多言、五行無土不得、木得土方能生火、火得土能生金、故土寄王於四時。某以爲不然。木生火、火生土、土生金、金生水、水生木、只是迭盛也。
【読み】
或るひと曰く、凡そ物の生ずる、各々氣の勝つ處に隨いて化す、と。曰く、何を以て見る、と。曰く、木の生ずるが如き、根旣に長大なれば、根却って處し去ること無し、と。曰く、克てばなり、と。曰く、旣に克てば、則ち是れ土化して木と爲らん、と。曰く、是れ化せず、只是れ克つなり。五行は、只古人迭[たが]いに王するの字を說いて說き盡くし了わる。只是れ箇の盛衰は自然の理なり。人多く言う、五行土無ければ得ず、木土を得て方に能く火を生じ、火土を得て能く金を生ず、故に土は四時に寄王す、と。某以爲えらく、然らず、と。木火を生じ、火土を生じ、土金を生じ、金水を生じ、水木を生ずるは、只是れ迭いに盛んなるのみ、と。

問、劉牧以坎・離得正性、艮・巽得偏性。如何。曰、非也。佗據方位如此說。如居中位便言得中氣、其餘豈不得中氣也。或曰、五行是一氣。曰、人以爲一物、某道是五物。旣謂之五行、豈不是五物也。五物備然後能生。且如五常、誰不知是一箇道。旣謂之五常、安得混而爲一也。
【読み】
問う、劉牧坎・離は正性を得、艮・巽は偏性を得るということを以てす。如何、と。曰く、非なり。佗方位に據って此の如く說く。如し中位に居して便ち中氣を得ると言わば、其の餘は豈中氣を得ざらんや、と。或るひと曰く、五行は是れ一氣、と。曰く、人は以て一物と爲し、某は是を五物と道う。旣に之を五行と謂わば、豈是れ五物にあらずや。五物備わって然して後に能く生ず。且五常の如き、誰か是れ一箇の道なることを知らざらん。旣に之を五常と謂わば、安んぞ混じて一とすることを得ん、と。

問、劉牧以下經四卦相交。如何。曰、怎生地交。若論相交、豈特四卦。如屯・蒙・師・比皆是相交(一顚一倒。)。卦之序皆有義理、有相反者、有相生者、爻變則義變也。(下來却以(呂本・徐本以作似。)義起。然亦是以爻也。爻變則義變。)劉牧言、兩卦相比。上經二陰二陽相交、下經四陰四陽相交。是否。曰、八卦已相交了、及重卦。只取二象相交爲義。豈又於卦畫相交也。易須是默識心通。只如此窮文義、徒費力。
【読み】
問う、劉牧下經四卦相交わるというを以てす。如何、と。曰く、怎生[いづれ]の地にか交わらん。若し相交わると論ぜば、豈特に四卦のみならんや。屯・蒙・師・比の如き皆是れ相交わる(一顚一倒。)。卦の序は皆義理有り、相反する者有り、相生ずる者有り、爻變ずれば則ち義變ずるなり、と。(下來却って義起こるを以てす(呂本・徐本以を似に作る。)。然れども亦是れ爻を以てなり。爻變ずれば則ち義變ず。)劉牧言く、兩卦相比す。上經は二陰二陽相交わり、下經は四陰四陽相交わる、と。是なりや否や、と。曰く、八卦已に相交わり了わって、重卦に及ぶ。只二象相交わるを取って義と爲す。豈又卦畫に於て相交わるとせんや。易は須く是れ默識心通すべし。只此の如く文義を窮めば、徒に力を費すのみ、と。

問、莫見乎隱、莫顯乎微、何也。曰、人只以耳目所見聞者爲顯見、所不見聞者爲隱微。然不知理却甚顯也。且如昔人彈琴、見螳蜋捕蟬、而聞者以爲有殺聲、殺在心、而人聞其琴而知之。豈非顯乎。人有不善、自謂人不知之。然天地之理甚著、不可欺也。曰、如楊震四知、然否。曰、亦是。然而若說人與我、固分得。若說天地、只是一箇知也。且如水旱、亦有所致、如暴虐之政所感、此人所共見者、固是也。然人有不善之心積之多者、亦足以動天地之氣。如疾疫之氣亦如此。不可道事至目前可見、然後爲見也。更如堯・舜之民、何故仁壽、桀・紂之民、何故鄙夭。纔仁便壽、纔鄙便夭。壽夭乃是善惡之氣所致。仁則善氣也。所感者亦善。善氣所生、安得不壽。鄙則惡氣也。所感者亦惡。惡氣所生、安得不夭。
【読み】
問う、隱れたるよりも見[あらわ]れたるは莫く、微[すこ]しきよりも顯[あき]らかなるは莫しとは、何ぞや、と。曰く、人只耳目の見聞する所の者を以て顯見と爲して、見聞せざる所の者を隱微と爲す。然も理は却って甚だ顯らかなることを知らず。且昔人琴を彈じて、螳蜋蟬を捕うるを見る、而るに聞く者以て殺聲有りと爲すが如き、殺心に在れども、而も人其の琴を聞きて之を知る。豈顯らかなるに非ずや。人の不善有る、自ら人之を知らずと謂う。然れども天地の理甚だ著れて、欺く可からず、と。曰く、楊震が四知の如き、然るや否や、と。曰く、亦是なり。然れども人と我と說くが若き、固に分わかち得。若し天地と說かば、只是れ一箇の知のみ。且水旱の、亦致す所有るが如き、暴虐の政の感ずる所の如き、此れ人の共に見る所の者、固に是なり。然るに人不善の心有りて之を積むこと多き者は、亦以て天地の氣を動かすに足れり。疾疫の氣の如きも亦此の如し。事目前に至りて見る可くして、然して後に見ると爲すと道う可からず。更に堯・舜が民の如き、何の故に仁壽、桀・紂が民、何の故に鄙夭なる。纔かに仁なれば便ち壽、纔かに鄙なれば便ち夭なり。壽夭は乃ち是れ善惡の氣の致す所。仁は則ち善氣なり。感ずる所の者も亦善なり。善氣の生ずる所、安んぞ壽ならざることを得ん。鄙は則ち惡氣なり。感ずる所の者も亦惡なり。惡氣生ずる所、安んぞ夭ならざることを得ん、と。

問、天地明察、神明彰矣。曰、事天地之義、事天地之誠、旣明察昭著、則神明自彰矣。問、神明感格否。曰、感格固在其中矣。孝弟之至、通於神明。神明孝弟、不是兩般事、只孝弟便是神明之理。又問、王祥孝感事、是通神明否。曰、此亦是通神明一事。此感格便王祥誠中來、非王祥孝於此而物來於彼也。
【読み】
問う、天地明察にして、神明彰[あらわ]る、と。曰く、天地に事うるの義、天地に事うるの誠、旣に明察昭著なれば、則ち神明自づから彰る、と。問う、神明感格するや否や、と。曰く、感格固に其の中に在り。孝弟の至りは、神明に通ず。神明孝弟は、是れ兩般の事にあらず、只孝弟は便ち是れ神明の理なり、と。又問う、王祥孝感の事は、是れ神明に通ずるや否や、と。曰く、此も亦是れ神明に通ずる一事。此の感格は便ち王祥の誠の中より來る、王祥此に孝ありて物彼より來るに非ず、と。

問、行狀云、盡性至命、必本於孝弟。不識孝弟何以能盡性至命也。曰、後人便將性命別作一般事說了。性命孝弟只是一統底事、就孝弟中便可盡性至命。至如洒埽應對與盡性至命、亦是一統底事、無有本未、無有精粗。却被後來人言性命者別作一般高遠說。故舉孝弟、是於人切近者言之。然今時非無孝弟之人。而不能盡性至命者、由之而不知也。
【読み】
問う、行狀に云う、性を盡くし命に至るは、必ず孝弟に本づく、と。識らず、孝弟何を以てか能く性を盡くし命に至るや、と。曰く、後人便ち性命を將って別に一般の事と作して說き了わる。性命孝弟は只是れ一統底の事、孝弟の中に就いて便ち性を盡くし命に至る可し。洒埽應對の如きに至っても性を盡くし命に至ると、亦是れ一統底の事、本未有ること無く、精粗有ること無し。却って後來人性命を言うを被る者別に一般高遠の說を作す。故に孝弟を舉ぐるは、是れ人の切近なる者に於て之を言う。然れども今時孝弟の人無きに非ず。而して性を盡くし命に至ること能わざる者は、之に由って知らざればなり、と。

問、窮神知化、由通於禮樂、何也。曰、此句須自家體認(一作玩索。)。人往往見禮壞樂崩、便謂禮樂亡。然不知禮樂未嘗亡也。如國家一曰存時、尙有一曰之禮樂、蓋由有上下尊卑之分也。除是禮樂亡盡、然後國家始亡。雖盜賊至所爲不道者、然亦有禮樂。蓋必有總屬、必相聽順、乃能爲盜。不然則叛亂無統、不能一曰相聚而爲盜也。禮樂無處無之。學者要須識得。問、明則有禮樂、幽則有鬼神、何也。曰、鬼神只是一箇造化。天尊地卑、乾・坤定矣。鼓之以雷霆、潤之以風雨、是也。
【読み】
問う、神を窮め化を知るは、禮樂に通ずるに由るとは、何ぞや、と。曰く、此の句須く自家體認(一に玩索に作る。)すべし。人往往に禮壞れ樂崩るるを見て、便ち禮樂亡ぶと謂う。然れども禮樂未だ嘗て亡びざることを知らず。國家一曰存する時は、尙一曰の禮樂有るが如き、蓋し上下尊卑の分有るに由れり。除[ただ]是れ禮樂亡び盡きて、然して後に國家始めて亡ぶ。盜賊の所爲不道に至る者と雖も、然も亦禮樂有り。蓋し必ず總屬有りて、必ず相聽順して、乃ち能く盜を爲す。然らずんば則ち叛亂して統無くして、一曰も相聚まって盜を爲すこと能わず。禮樂は處として之れ無きは無し。學者須く識得すべきことを要す、と。問う、明には則ち禮樂有り、幽には則ち鬼神有りとは、何ぞや、と。曰く、鬼神は只是れ一箇の造化。天尊く地卑くして、乾・坤定まる。之を鼓するに雷霆を以てし、之を潤すに風雨を以てするは、是れなり、と。

禮云禮云、玉帛云乎哉。樂云樂云、鍾鼓云乎哉。此固有禮樂、不在玉帛鍾鼓。先儒解者、多引安上治民莫善於禮、移風易俗莫善於樂。此固是禮樂之大用也。然推本而言、禮只是一箇序、樂只是一箇和。只此兩字、含畜多少義理。又問、禮莫是天地之序。樂莫是天地之和。曰、固是。天下無一物無禮樂。且置兩隻倚(呂本・徐本倚作椅)子、纔不正便是無序。無序便乖。乖便不和。又問、如此、則禮樂却只是一事。曰、不然。如天地陰陽、其勢高下甚相背。然必相須而爲用也。有陰便有陽、有陽便有陰。有一便有二。纔有一二、便有一二之閒、便是三。已往更無窮。老子亦曰、三生萬物。此是生生之謂易。理自然如此。維天之命、於穆不已、自是理自相續不已、非是人爲之。如使可爲、雖使百萬般安排、也須有息時。只爲無爲、故不息。中庸言、不見而彰、不動而變、無爲而成。天地之道可一言而盡也。使釋氏千章萬句、說得許大無限說話、亦不能逃此三句。只爲聖人說得要、故包含無盡。釋氏空周遮說爾。只是許多。
【読み】
禮と云い禮と云う、玉帛をも云わんや。樂と云い樂と云う、鍾鼓をも云わんや、と。此れ固に禮樂に有りて、玉帛鍾鼓に在らず。先儒解する者、多く上を安んじ民を治むるは禮より善きは莫く、風を移し俗を易うるは樂より善きは莫しというを引く。此は固に是れ禮樂の大用なり。然れども本を推して言えば、禮は只是れ一箇の序、樂は只是れ一箇の和。只此の兩字、多少の義理を含畜す、と。又問う、禮は是れ天地の序なること莫きや。樂は是れ天地の和なること莫きや、と。曰く、固に是なり。天下一物として禮樂無きは無し。且つ兩隻の倚(呂本・徐本倚を椅に作る)子を置くに、纔かに正しからざれば便ち是れ序無し。序無ければ便ち乖[そむ]く。乖けば便ち和せず、と。又問う、此の如くならば、則ち禮樂は却って只是れ一事なるや、と。曰く、然らず。天地陰陽の如き、其の勢高下甚だ相背く。然れども必ず相須[もっ]て用を爲す。陰有れば便ち陽有り、陽有れば便ち陰有り。一有れば便ち二有り。纔かに一二有れば、便ち一二の閒有り、便ち是れ三なり。已往は更に窮まり無し。老子亦曰く、三萬物を生ず、と。此は是れ生生之を易と謂うなり。理として自然に此の如し。維れ天の命、於[ああ]穆として已まず、自づから是れ理自づから相續いで已まず、是れ人之をするに非ず。如しす可からしめば、百萬般安排せしむと雖も、也須く息む時有るべし。只すること無きが爲に、故に息まず。中庸に言く、見[しめ]さずして彰れ、動かずして變じ、すること無くして成る。天地の道一言にして盡くす可し、と。釋氏をして千章萬句、許大にして限り無き說話を說き得せしむとも、亦此の三句を逃るること能わず。只聖人要を說き得ることを爲す、故に包含して盡きること無し。釋氏は空しく周遮して說くのみ。只是れ許多なるのみ、と。

問、及其至也、聖人有所不能不知、聖人亦何有不能不知也。曰、天下之理、聖人豈有不盡者。蓋於事有所不徧知、不徧能也。至纖悉委曲處、如農圃百工之事、孔子亦豈能知哉。或曰、至之言極也。何以言事。曰、固是。極至之至、如至微至細。上文言夫婦之愚、可以與知。愚、無知者也。猶且能知。乃若細微之事、豈可責聖人盡能。聖人固有所不能也。
【読み】
問う、其の至れるに及んでは、聖人も能くせず知らざる所有りとは、聖人も亦何ぞ能くせず知らざること有らん、と。曰く、天下の理、聖人豈盡くさざる者有らんや。蓋し事に於ては徧く知らず、徧く能くせざる所有り。纖悉委曲の處、農圃百工の事の如きに至るまで、孔子亦豈能く知らんや、と。或るひと曰く、至るの言は極なり。何を以て事と言う、と。曰く、固に是なり。極至の至も、至微至細の如し。上文に夫婦の愚も、以て與に知る可しと言う。愚は、無知なる者なり。猶且つ能く知る。乃ち細微の事の若き、豈聖人盡く能くせんことを責むる可けんや。聖人も固より能くせざる所有り、と。

君子之道費而隱。費、日用處。
【読み】
君子の道は費にして隱、と。費は、日用の處。

時措之宜、言隨時之義。若溥博淵泉而時出之。
【読み】
時に之を措いて宜しとは、時に隨うの義を言う。溥博淵泉にして時に之を出すが若し。

王天下有三重、言三王所重之事。上焉者、三王以上、三皇已遠之事、故無證。下焉者、非三王之道、如諸侯霸者之事。故民不尊。
【読み】
天下に王たるに三重有りとは、三王重んずる所の事を言う。上なる者とは、三王以上、三皇已に遠きの事、故に證無し。下なる者とは、三王の道に非ず、諸侯霸者の事の如し。故に民尊ばず。

思曰睿、睿作聖。致思如掘井。初有渾水、久後稍引動得淸者出來。人思慮、始皆溷濁、久自明快。
【読み】
思うに睿と曰い、睿は聖を作す、と。思いを致すは井を掘るが如し。初め渾水有れども、久しくして後に稍引動して淸き者出で來ることを得。人の思慮、始めは皆溷濁なれども、久しくして自づから明快なり。

問、召公何以疑周公。曰、召公何嘗疑周公。曰、書稱召公不說、何也。請觀君奭一篇。周公曾道召公疑他來否。古今人不知書之甚。書中分明說、召公爲保、周公爲師、相成王爲左右。召公不說、周公作君奭。此已上是孔子說也。且召公初升爲太保、與周公竝列、其心不安。故不說爾。但看此一篇、盡是周公留召公之意、豈有召公之賢而不知周公者乎。詩中言周大夫刺朝廷之不知。豈特周大夫。當時之人、雖甚愚者、亦知周公。刺朝廷之不知者、爲成王爾。成王煞是中才、如天大雷電以風、而啓金縢之書、成王無事而啓金縢之書作甚。蓋二公道之如此、欲成王悟周公爾。近人亦錯看却。其詩云荀子書猶非孟子、召公心未說周公、甚非也。
【読み】
問う、召公何を以て周公を疑う、と。曰く、召公何ぞ嘗て周公を疑わん、と。曰く、書に召公說ばずと稱するは、何ぞや、と。請う君奭の一篇を觀よ。周公曾て召公他を疑うことを道い來るや否や。古今の人書を知らざること之れ甚だし。書中分明に說く、召公保と爲り、周公師と爲りて、成王を相けて左右と爲る。召公說ばず、周公君奭を作る、と。此より已上は是れ孔子の說なり。且つ召公初めて升りて太保と爲りて、周公と竝び列して、其の心安んぜず。故に說ばざるのみ。但此の一篇を看るに、盡く是れ周公召公を留むるの意、豈召公の賢にして周公を知らざる者有らんや。詩中周の大夫朝廷の知らざることを刺[そし]ると言う。豈特周の大夫のみならんや。當時の人、甚だ愚なる者と雖も、亦周公を知る。朝廷の知らざることを刺るとは、成王の爲にするのみ。成王は煞だ是れ中才、天大いに雷電し以て風ふいて、金縢の書を啓くが如き、成王事無くして金縢の書を啓いて甚をか作さん。蓋し二公之を道くこと此の如きは、成王周公を悟らんことを欲するのみ。近人亦錯えて看却す。其の詩に荀子の書猶孟子を非る、召公の心未だ周公を說ばずと云うは、甚だ非なり、と。

又問、金縢之書、非周公欲以悟成王乎。何旣禱之後、藏其文於金縢也。曰、近世祝文、或焚或埋。必是古人未有焚埋之禮。欲敬其事。故藏之金縢也。然則周公不知命乎。曰、周公誠心、只是欲代其兄。豈更問命耶。
【読み】
又問う、金縢の書は、周公以て成王を悟さんと欲するに非ずや。何ぞ旣に禱るの後、其の文を金縢に藏むる、と。曰く、近世の祝文は、或は焚き或は埋む。必ず是れ古人は未だ焚き埋むの禮有らず。其の事を敬まんことを欲す。故に之を金縢に藏むるなり、と。然らば則ち周公は命を知らざるか、と。曰く、周公の誠心、只是れ其の兄に代わらんことを欲するのみ。豈更に命を問わんや、と。

或問、人有謂、周公營洛、則成王旣遷矣。或言平王東遷、非也。周公雖聖、其能逆知數百載下有犬戎之禍乎。是說然否。曰、詩中自言王居鎬京。將不能以自樂。何更疑也。周公只是爲犬戎與鎬京相逼、知其後必有患、故營洛也。
【読み】
或るひと問う、人謂えること有り、周公洛を營ずるときは、則ち成王旣に遷れり。或は平王東遷すと言うは、非なり。周公聖なりと雖も、其れ能く逆[あらかじ]め數百載の下犬戎の禍い有ることを知らんや、と。是の說然るや否や、と。曰く、詩中自づから王鎬京に居すと言う。將に以て自ら樂しむこと能わずとす。何ぞ更に疑わん。周公只れ是れ犬戎と鎬京と相逼るが爲に、其の後必ず患え有らんことを知る、故に洛を營ずるなり、と。

問、高宗得傅說於夢、文王得太公於卜。古之聖賢相遇多矣。何不盡形於夢卜乎。曰、此是得賢之一事。豈必盡然。蓋高宗至誠、思得賢相、寤寐不忘。故朕兆先見於夢。如常人夢寐閒事有先見者多矣。亦不足怪。至於卜筮亦然。今有人懷誠心求卜、有禱輒應。此理之常然。又問、高宗夢往求傅說耶、傅說來入高宗夢耶。曰、高宗只是思得賢人。如有賢人、自然應他感。亦非此往、亦非彼來。譬如懸鏡於此、有物必照。非鏡往照物、亦非物來入鏡也。大抵人心虛明、善則必先知之、不善必先知之。有所感必有所應。自然之理也。又問、或言、高宗於傳說、文王於太公、蓋已素知之矣。恐群臣未信。故託夢卜以神之。曰、此僞也。聖人豈僞乎。
【読み】
問う、高宗は傅說を夢に得、文王は太公を卜に得。古の聖賢相遇うこと多し。何ぞ盡く夢卜に形れざるや、と。曰く、此は是れ賢を得るの一事。豈必ずしも盡く然らんや。蓋し高宗至誠にして、賢相を得んことを思いて、寤寐に忘れず。故に朕兆先づ夢に見る。常人夢寐の閒に事先づ見ること有る者多きが如し。亦怪しむに足りず。卜筮に至っても亦然り。今人誠心を懷いて卜を求むること有りて、禱ること有らば輒ち應ぜん。此れ理の常然なり、と。又問う、高宗の夢に往いて傅說を求むるか、傅說來りて高宗の夢に入るか、と。曰く、高宗は只是れ賢人を得んことを思う。如し賢人有らば、自然に他の感に應ぜん。亦此れ往くにも非ず、亦彼來るにも非ず。譬えば鏡を此に懸けるが如き、物有れば必ず照らす。鏡往いて物を照らすに非ず、亦物來りて鏡に入るに非ず。大抵人の心虛明なれば、善は則ち必ず先づ之を知り、不善は必ず先づ之を知る。感ずる所有れば必ず應ずる所有り。自然の理なり、と。又問う、或るひと言く、高宗の傳說に於る、文王の太公に於る、蓋し已に素より之を知れり。恐らくは群臣未だ信ぜざらんことを。故に夢卜に託して以て之を神にす、と。曰く、此れ僞りなり。聖人豈僞らんや、と。

問、舜能化瞽・象、使不格姦。何爲不能化商均。曰、所謂不格姦者、但能使之不害己與不至大惡。若商均則不然。舜以天下授人、欲得如己者。商均非能如己爾。亦未嘗有大惡。大抵五帝官天下。故擇一人賢於天下者而授之。三王家天下、遂以與子。論其至理、治天下者、當得天下最賢者一人、加諸衆人之上、則是至公之法。後世旣難得人而爭奪興。故以與子。與子雖是私、亦天下之公法。但守法者有私心耳。
【読み】
問う、舜能く瞽・象を化して、姦に格らざらしむ。何爲れぞ商均を化すること能わざる、と。曰く、所謂姦に格らずとは、但能く之をして己を害せざらしむると大惡に至らしめざるとなり。商均の若きは則ち然らず。舜天下を以て人に授けて、己が如き者を得んことを欲す。商均は能く己が如きに非ざるのみ。亦未だ嘗て大惡有らず。大抵五帝は天下を官とす。故に一人天下に賢なる者を擇んで之を授く。三王は天下を家として、遂に以て子に與う。其の至理を論ずれば、天下を治むる者は、當に天下の最も賢なる者一人を得て、諸を衆人の上に加うべく、則ち是れ至公の法なり。後世旣に人を得難くして爭奪興る。故に以て子に與う。子に與うるは是れ私と雖も、亦天下の公法。但法を守る者は私心有るのみ、と。

問、四凶堯不誅、而舜誅之、何也。曰、四凶皆大才也。在堯之時、未嘗爲惡。堯安得而誅之。及舉舜加其上、然後始有不平之心而肆其惡。故舜誅之耳。曰、堯不知四凶乎。曰、惟堯知之。知其惡而不去、何也。曰、在堯之時、非特不爲惡、亦賴以爲用。
【読み】
問う、四凶堯誅せずして、舜之を誅するは、何ぞや、と。曰く、四凶は皆大才なり。堯の時に在っては、未だ嘗て惡をせず。堯安んぞ得て之を誅せん。舜を舉げて其の上に加うるに及んで、然して後に始めて不平の心有りて其の惡を肆にす。故に舜之を誅するのみ、と。曰く、堯は四凶を知らざるか、と。曰く、惟れ堯之を知れり。其の惡を知って去らざるは、何ぞや、と。曰く、堯の時に在っては、特惡をせざるのみに非ず、亦賴りて以て用を爲すなり、と。

納於大麓、麓、足也。百物所聚、故麓有大錄萬幾之意。若司馬遷謂納舜于山麓、豈有試人而納於山麓耶。此只是歷試舜也。
【読み】
大麓に納るとは、麓は、足なり。百物聚まる所、故に麓に大いに萬幾を錄するの意有り。司馬遷舜を山麓に納ると謂うが若き、豈人を試して山麓に納るること有らんや。此は只是れ舜を歷試するなり。

放勳非堯號。蓋史稱堯之道也。謂三皇而上、以神道設敎、不言而化。至堯方見於事功也。後人以放勳爲堯號。故記孟子者、遂以堯曰爲放勳曰也。若以堯號放勳、則皐陶當號允迪。禹曰文命、下言敷於四海有甚義。
【読み】
放勳は堯の號に非ず。蓋し史堯の道を稱するならん。謂えらく、三皇より上は、神道を以て敎を設けて、言わずして化す。堯に至りて方に事功を見る、と。後人放勳を以て堯の號とす。故に孟子を記す者、遂に堯曰くを以て放勳曰くとす。若し堯を以て放勳と號せば、則ち皐陶は當に允迪と號すべし。禹を文命と曰わば、下に四海に敷くと言うは甚の義有らん。

問、詩如何學。曰、只在大序中求。詩之大序、分明是聖人作此以敎學者。後人往往不知是聖人作。自仲尼後(一作漢以來。)、更無人理會得詩。如言后妃之德、皆以爲文王之后妃。文王、諸候也。豈有后妃。又如樂得淑女以配君子、憂在進賢、不淫其色、以爲后妃之德如此。配惟后妃可稱。后妃自是配了。更何別求淑女以爲配。淫其色、乃男子事。后妃怎生會淫其色。此不難曉。但將大序看數遍、則可見矣。或曰、關雎是后妃之德當如此否。樂得淑女之類、是作關雎詩人之意否。曰、是也。大序言、是以關雎樂得淑女以配君子、憂在進賢、不淫其色、哀窈窈、思賢才、而無傷善之心焉。是關雎之義也。只著箇是以字、便自有意思。曰、如言又當輔佐君子、則可以歸安父母、言能逮下之類、皆爲其德當如此否。曰、是也。問、詩小序何人作。曰、但看大序卽可見矣。曰、莫是國史作否。曰、序中分明言、國史明乎得失之迹。蓋國史得詩於採詩之官。故知其得失之迹。如非國史、則何以知其所美所刺之人。使當時無小序、雖聖人亦辨不得。曰、聖人刪詩時、曾刪改小序否。曰、有害義理處、也須刪改。今之詩序、却煞錯亂。有後人附之者。曰、關雎之詩、是何人所作。曰、周公作。周公作此以風敎天下。故曰、用之郷人焉、用之邦國焉、上以風化下、下以風刺上。蓋自天子至於庶人、正家之道當如此也。二南之詩、多是周公所作。如小雅六月所序之詩、亦是周公作。後人多言二南爲文王之詩。蓋其中有文王事也。曰、非也。附文王詩於中者、猶言古人有行之者、文王是也。
【読み】
問う、詩は如何にか學ばん、と。曰く、只大序の中に在って求めよ。詩の大序は、分明に是れ聖人此を作りて以て學者に敎う。後人往往に是れ聖人の作なることを知らず。仲尼自り後(一に漢以來に作る。)、更に人詩を理會し得ること無し。后妃の德を言うが如き、皆以て文王の后妃とす。文王は、諸候なり。豈后妃有らんや。又淑女を得て以て君子に配することを樂しみ、憂え賢を進むるに在りて、其の色に淫せずというが如き、以て后妃の德此の如しとす。配は惟后妃のみ稱う可し。后妃自づから是れ配し了わる。更に何ぞ別に淑女を求めて以て配とせん。其の色に淫するは、乃ち男子の事なり。后妃怎生ぞ會て其の色に淫せん。此れ曉し難からず。但大序を將て看ること數遍ならば、則ち見る可し、と。或るひと曰く、關雎は是れ后妃の德當に此の如くなるべしや否や。淑女を得ることを樂しむというの類は、是れ關雎を作る詩人の意なるや否や、と。曰く、是なり。大序に言く、是を以て關雎淑女を得て以て君子に配することを樂しみ、憂え賢を進むるに在りて、其の色に淫せず、哀しんで窈窕[ようちょう]として、賢才を思えども、而も善を傷るの心無し。是れ關雎の義なり、と。只箇の是を以ての字を著くること、便ち自づから意思有り、と。曰く、又當に君子を輔佐すべく、則ち以て父母を安んずるに歸す可し、言能く下に逮ぶと言う類の如き、皆其の德當に此の如くなるべしとするや否や、と。曰く、是なり、と。問う、詩の小序は何人の作れるぞ、と。曰く、但大序を看れば卽ち見る可し、と。曰く、是れ國史作れること莫きや否や、と。曰く、序中に分明に言う、國史得失の迹を明らかにす、と。蓋し國史詩を詩を採るの官に得。故に其の得失の迹を知る。如し國史に非ずんば、則ち何を以て其の美[ほ]むる所刺[そし]る所の人を知らん。當時小序無からしめば、聖人と雖も亦辨ずることを得じ、と。曰く、聖人詩を刪る時、曾て小序を刪り改むるや否や、と。曰く、義理を害する處有れば、也須く刪り改むべし。今の詩序は、却って煞だ錯亂す。後人之を附する者有り、と。曰く、關雎の詩は、是れ何人の作れる所なるや、と。曰く、周公の作なり。周公此を作って以て天下を風敎す。故に曰く、之を郷人に用い、之を邦國に用い、上は以て下を風化し、下は以て上を風刺す、と。蓋し天子自り庶人に至るまで、家を正すの道當に此の如くすべし。二南の詩、多くは是れ周公の作れる所。小雅六月に序づる所の詩の如きも、亦是れ周公の作なり、と。後人多く二南を言いて文王の詩とす。蓋し其の中に文王の事有ればなり、と。曰く、非なり。文王の詩を中に附する者は、猶古人之を行う者有り、文王是れなりと言うがごとし、と。

問、關雎樂而不淫、哀而不傷、何謂也。曰、大凡樂必失之淫、哀必失之傷。淫傷則入於邪矣。若關雎、則止乎禮義。故如哀窈窕、思賢才、言哀之則思之甚切。以常人言之、直入於邪始得。然關雎却止乎禮義。故不至乎傷、則其思也、其亦異乎常人之思也矣。
【読み】
問、關雎は樂しんで淫せず、哀しんで傷らずとは、何の謂ぞや、と。曰く、大凡樂しめば必ず之を淫するに失し、哀しめば必ず之を傷るに失す。淫し傷るときは則ち邪に入る。關雎の若きは、則ち禮義に止まる。故に哀しんで窈窕として、賢才を思うというが如き、之を哀しむと言うときは則ち思うことの甚だ切なるなり。常人を以て之を言うときは、直に邪に入りて始めて得ん。然るに關雎は却って禮義に止まる。故に傷るに至らざるときは、則ち其の思うこと、其れ亦常人の思うことに異なるなり、と。

唐棣乃今郁李。看此、便可以見詩人興兄弟之意。
【読み】
唐棣[とうてい]は乃ち今の郁李。此を看て、便ち以て詩人兄弟を興すの意を見る可し。

執柯伐柯、其則不遠。人猶以爲遠。君子之道、本諸身、發諸心。豈遠乎哉。
【読み】
柯を執って柯を伐[き]る、其の則遠からず。人猶以て遠しと爲す。君子の道は、身に本づけ、心に發す。豈遠からんや。

問、周禮有復讐事、何也。曰、此非治世事。然人情有不免者。如親被人殺、其子見之、不及告官、遂逐殺之、此復讐而義者、可以無罪。其親旣被人殺、不自訴官、而他自謀殺之、此則正其專殺之罪可也。問、避讐之法如何。曰、此因赦罪而獲免、便使避之也。
【読み】
問う、周禮に讐を復する事有るは、何ぞや、と。曰く、此れ治世の事に非ず。然れども人情免れざる者有り。親人に殺さるるが如き、其の子之を見て、官に告ぐるの及ばず、遂に逐って之を殺すは、此れ讐を復して義ある者、以て罪無かる可し。其の親旣に人に殺さるるに、自ら官に訴えずして、他自ら謀りて之を殺さば、此れ則ち其の殺すことを專らにするの罪を正して可なり、と。問う、讐を避くるの法は如何、と。曰く、此れ赦罪に因りて免るることを獲れば、便ち之を避けしむるなり、と。

問、周禮之書有訛缺否。曰、甚多。周公致治之大法、亦在其中。須知道者觀之、可決是非也。又問、司盟有詛萬民之不信者、治世亦有此乎。曰、盛治之世、固無此事。然人情亦有此事。爲政者因人情而用之。
【読み】
問う、周禮の書に訛缺有りや否や、と。曰く、甚だ多し。周公治を致すの大法も、亦其の中に在り。須く道を知る者之を觀るべくば、是非を決す可し、と。又問う、司盟萬民の信ぜざる者を詛うこと有るは、治世にも亦此れ有るか、と。曰、盛治の世には、固より此の事無し。然れども人情亦此の事有り。政を爲むる者は人情に因りて之を用う、と。

問、嚴父配天、稱周公其人。何不稱武王。曰、大抵周家制作、皆周公爲之。故言禮者必歸之周公焉。
【読み】
問う、嚴父天に配する、周公其の人と稱す。何ぞ武王を稱せざる、と。曰く、大抵周家の制作は、皆周公之を爲れり。故に禮を言う者は必ず之を周公に歸す、と。

趙盾弑君之事、聖人不書趙穿、何也。曰、此春秋大義也。趙穿手弑其君、人誰不知。若盾之罪、非春秋書之、更無人知也。仲尼曰、惜哉、越境乃免。此語要人會得。若出境而反、又不討賊也、則不免。除出境遂不反、乃可免也。
【読み】
趙盾君を弑するの事、聖人趙穿を書さざるは、何ぞや、と。曰く、此れ春秋の大義なり。趙穿が手づから其の君を弑すは、人誰か知らざらん。盾の罪の若きは、春秋に之を書すに非ずんば、更に人知ること無し。仲尼曰く、惜しいかな、境を越えば乃ち免れん、と。此の語人の會得せんことを要す。若し境を出て反すとも、又賊を討せずんば、則ち免れじ。除境を出て遂に反せずんば、乃ち免る可し、と。

紀侯大去其國、如梁亡、鄭棄其師、齊師殲于遂、郭亡之類。郭事實不明。如上四者、是一類事也。國君守社稷雖死守之可也。齊侯・衛侯方遇於垂、紀侯遂去其國、豈齊之罪哉。故聖人不言齊滅之者、罪紀侯輕去社稷也。(紀侯大名也。)
【読み】
紀侯其の國を大去すとは、梁亡ぶ、鄭其の師を棄つ、齊の師遂に殲[つ]く、郭亡ぶというの類の如し。郭の事實は明らかならず。上の四つの者の如きは、是れ一類の事なり。國君の社稷を守るは死すと雖も之を守って可なり。齊侯・衛侯方に垂に遇い、紀侯遂に其の國を去るは、豈齊の罪ならんや。故に聖人齊之を滅ぼすと言わざる者は、紀侯輕々しく社稷を去ることを罪してなり。(紀侯は大名なり。)

問王通。曰、隱德君子也。當時有些言語、後來被人傅會、不可謂全書。若論其粹處、殆非荀・楊所及也。若續經之類、皆非其作。
【読み】
王通を問う。曰く、隱德の君子なり。當時些かの言語有れども、後來人に傅會せられて、全書と謂う可からず。若し其の粹なる處を論ずれば、殆ど荀・楊の及ぶ所に非ざるなり。經を續ぐの類の若きは、皆其の作に非ず、と。

楊雄去就不足觀。如言明哲煌煌、旁燭無疆、此甚悔恨不能先知。遜于不虞、以保天命、則是只欲全身也。若聖人先知、必不至於此。必不可奈何、天命亦何足保耶。問、太玄之作如何。曰、是亦贅矣。必欲撰玄、不如明易。邵堯夫之數、似玄而不同。數只是一般(一作數無窮。)、但看人如何用之。雖作十玄亦可。況一玄乎。
【読み】
楊雄が去就は觀るに足りず。明哲煌煌として、旁[あまね]く無疆を燭らすと言うが如き、此れ甚だ先知すること能わざることを悔い恨む。不虞に遜きて、以て天命を保つというは、則ち是れ只身を全くせんと欲するなり。聖人の先知するが若きは、必ず此に至らず。必ず奈何ともす可からずんば、天命亦何ぞ保つに足らんや、と。問う、太玄の作如何、と。曰く、是れ亦贅なり。必ず玄を撰せんと欲せば、易を明らかにするに如かず。邵堯夫の數は、玄に似て同じからず。數は只是れ一般(一に數は窮まり無しに作る。)、但人如何にか之を用うというを看るのみ。十玄を作ると雖も亦可なり。況んや一玄をや、と。

荀卿才高、其過多。楊雄才短、其過少。韓子稱其大醇、非也。若二子、可謂大駮矣。然韓子責人甚恕。
【読み】
荀卿は才高けれども、其の過ち多し。楊雄は才短けれども、其の過ち少なし。韓子其の大醇と稱するは、非なり。二子の若きは、大駮と謂う可し。然れども韓子は人を責むること甚だ恕なり。

韓退之頌伯夷、甚好。然只說得伯夷介處。要知伯夷之心、須是聖人。語曰、不念舊惡、怨是用希。此甚說得伯夷心也。
【読み】
韓退之伯夷を頌すること、甚だ好し。然れども只伯夷の介なる處を說き得るのみ。伯夷の心を知らんと要せば、是れ聖人を須[ま]たん。語に曰く、舊惡を念わず、怨み是を用[もっ]て希[すく]なし、と。此れ甚だ伯夷の心を說き得。

問、退之讀墨篇如何。曰、此篇意亦甚好。但言不謹嚴、便有不是處。且孟子言墨子愛其兄之子猶鄰之子、墨子書中何嘗有如此等言。但孟子拔本塞源、知其流必至於此。大凡儒者學道、差之毫釐、繆以千里。楊朱本是學義、墨子本是學仁。但所學者稍偏。故其流遂至於無父無君。孟子欲正其本。故推至此。退之樂取人善之心、可謂忠恕。然持敎不知謹嚴。故失之。至若言孔子尙同兼愛、與墨子同、則甚不可也。後之學者、又不及楊・墨。楊・墨本學仁義。後人乃不學仁義。但楊・墨之過、被孟子指出。後人無人指出。故不見其過也。
【読み】
問う、退之が讀墨篇は如何、と。曰く、此の篇の意も亦甚だ好し。但言謹嚴ならずして、便ち是ならざる處有り。且つ孟子墨子其の兄の子を愛すること猶鄰の子のごとくすと言う、墨子が書中何ぞ嘗て此の如き等の言有らん。但孟子本を拔き源を塞いで、其の流必ず此に至らんことを知るのみ。大凡儒者の道を學ぶ、之を毫釐に差えば、繆るに千里を以てす。楊朱は本是れ義を學び、墨子は本是れ仁を學べり。但學ぶ所の者稍偏なり。故に其の流遂に父を無みし君を無みするに至る。孟子其の本を正さんと欲す。故に推して此に至る。退之人の善を取ることを樂しむの心、忠恕なりと謂う可し。然れども敎を持すること謹嚴なることを知らず。故に之を失す。孔子尙同兼愛すること、墨子と同じと言うが若きに至っては、則ち甚だ不可なり。後の學者、又楊・墨に及ばず。楊・墨は本仁義を學ぶ。後人は乃ち仁義を學ばず。但楊・墨の過ちは、孟子に指し出さる。後人は人の指し出すこと無し。故に其の過ちを見ず、と。

韓退之作羑里操云、臣罪當誅兮。天王聖明。道得文王心出來。此文王至德處也。
【読み】
韓退之羑里操を作りて云く、臣の罪當に誅せらるべし。天王聖明、と。文王の心を道い得出で來る。此れ文王至德の處なり。

退之晚年爲文、所得處甚多。學本是修德。有德然後有言。退之却倒學了。因學文日求所未至、遂有所得。如曰軻之死不得其傳、似此言語、非是蹈襲前人。又非鑿空撰得出、必有所見。若無所見、不知言所傳者何事。(原性等文皆少時作。)
【読み】
退之晚年文を爲る、得る所の處甚だ多し。學は本是れ德を修む。德有りて然して後に言有り。退之は却って倒[さかしま]に學び了わる。文を學ぶに因りて日々に未だ至らざる所を求めて、遂に得る所有り。軻の死して其の傳を得ずと曰うが如き、此の言語、是れ前人を蹈み襲うに非ざるに似れり。又鑿空して撰し得出だすに非ず、必ず見る所有らん。若し見る所無くんば、傳うる所の者何事と言うことを知らず。(原性等の文は皆少き時作れり。)

退之正在好名中。
【読み】
退之は正に名を好む中に在り。

退之言、漢儒補綴千瘡百孔。漢儒所壞者不少。安能補也。
【読み】
退之言う、漢儒千瘡百孔を補綴す、と。漢儒壞る所の者少なからず。安んぞ能く補わん。

凡讀史、不徒要記事跡。須要識治亂安危興廢存亡之理。且如讀高帝一紀、便須識得漢家四百年終始治亂當如何。是亦學也。
【読み】
凡そ史を讀む、徒に事跡を記すことを要せざれ。須く治亂安危興廢存亡の理を識ることを要すべし。且高帝の一紀を讀むが如き、便ち須く漢家の四百年終始の治亂當に如何にかすべきというを識得すべし。是も亦學なり。

問、漢儒至有白首不能通一經者、何也。曰、漢之經術安用。只是以章句訓詁爲事。且如解堯典二字、至三萬餘言。是不知要也。東漢則又不足道也。東漢士人尙名節、只爲不明理。若使明理、却皆是大賢也。自漢以來、惟有三人近儒者氣象。大毛公・董仲舒・楊雄。本朝經術最盛、只近二三十年來議論專一、使人更不致思。
【読み】
問う、漢儒白首まで一經に通ずること能わざる者有るに至るは、何ぞや、と。曰く、漢は經術安んぞ用いん。只是れ章句訓詁を以て事と爲すのみ。且堯典の二字を解するが如き、三萬餘言に至る。是れ要を知らざればなり。東漢は則ち又道うに足らず。東漢の士人名節を尙ぶは、只理に明らかならざるが爲なり。若し理に明らかならしめば、却って皆是れ大賢ならん。漢自り以來、惟三人儒者の氣象に近き有り。大毛公・董仲舒・楊雄なり。本朝は經術最も盛んにして、只近ごろ二三十年來議論專一にして、人をして更に思いを致さざらしむ、と。

問、陳平當王諸呂時、何不極諫。曰、王陵爭之不從、乃引去。如陳平復諍、未必不激呂氏之怒矣。且高祖與群臣、只是以力相勝、力强者居上。非至誠樂願爲之臣也。如王諸呂時、責他死節、他豈肯死。
【読み】
問う、陳平諸呂を王とする時に當たりて、何ぞ極めて諫めざる、と。曰く、王陵爭えども之れ從わずして、乃ち引き去る。如し陳平復諍[いさ]めば、未だ必ずしも呂氏の怒りを激せずんばあらず。且つ高祖と群臣とは、只是れ力を以て相勝って、力强き者上に居すのみ。至誠にして樂しんで之が臣と爲ることを願うに非ず。如し諸呂を王とする時、他節に死することを責むるとも、他豈肯えて死せんや、と。

周勃入北軍、問曰、爲劉氏左袒、爲呂氏右袒。旣知爲劉氏、又何必問。若不知而問、設或右袒當如之何。己爲將、乃問士卒。豈不謬哉。當誅諸呂時、非陳平爲之謀、亦不克成。及迎文帝至霸橋、曰願請閒。此豈請閒時邪。至於罷相就國、每河東守行縣至絳、必令家人被甲執兵而見。此欲何爲。可謂至無能之人矣。
【読み】
周勃北軍に入りて、問いて曰く、劉氏の爲にせば左を袒[かたぬ]げ、呂氏の爲にせば右を袒げ、と。旣に劉氏の爲にすることを知らば、又何ぞ必ずしも問わん。若し知らずして問わば、設[も]し或は右を袒がば當に之を如何にかすべき。己將と爲りて、乃ち士卒に問う。豈謬らざらんや。諸呂を誅する時に當たって、陳平之が謀を爲すに非ずんば、亦成ること克[あた]わじ。及び文帝霸橋に至るを迎えて、願わくは閒を請わんと曰う。此れ豈閒を請う時ならんや。相を罷め國に就くに至って、河東の守縣を行りて絳に至る每に、必ず家人をして甲を被り兵を執って見えしむ。此れ何を爲さんと欲するや。至って無能の人なりと謂う可し。

王介甫詠張良詩、最好。曰、漢業存亡俯仰中、留侯當此每從容。人言高祖用張良、非也。張良用高祖爾。秦滅韓、張良爲韓報仇。故送高祖入關。旣滅秦矣、故辭去。及高祖興義師、誅項王、則高祖之勢可以平天下。故張良助之。良豈願爲高祖臣哉。無其勢也。及天下旣平、乃從赤松子遊。是不願爲其臣可知矣。張良才識儘高。若鴻溝旣分、而勸漢王背約追之、則無行也。或問、張良欲以鐵槌擊殺秦王。其計不已疎乎。曰、欲報君仇之急、使當時若得以鐵槌擊殺之、亦足矣。何暇自爲謀耶。
【読み】
王介甫張良を詠ずる詩、最も好し。曰く、漢業存亡俯仰の中、留侯此に當たりて每に從容たり、と。人高祖張良を用うと言うは、非なり。張良高祖を用うるのみ。秦韓を滅ぼして、張良韓の爲に仇を報ゆ。故に高祖を送りて關に入る。旣に秦を滅す、故に辭し去る。高祖義師を興して、項王を誅するに及んでは、則ち高祖の勢以て天下を平らかにす可し。故に張良之を助く。良豈高祖臣爲ることを願わんや。其の勢無ければなり。天下旣に平らかなるに及んで、乃ち赤松子に從いて遊ぶ。是れ其の臣爲ることを願わざること知る可し。張良が才識儘く高し。鴻溝旣に分かれて、漢王に勸めて約に背きて之を追わしむるが若きは、則ち行わるること無きなり。或るひと問う、張良鐵槌を以て秦王を擊殺せんと欲す。其の計已に疎ならざるや、と。曰く、君の仇を報ぜんと欲するの急、當時若し鐵槌を以て之を擊殺することを得せしめば、亦足れり。何の暇ありて自ら謀をせんや、と。

王通言、諸葛無死、禮樂其有興。信乎。曰、諸葛近王佐才。禮樂興不興則未可知。問曰、亮果王佐才、何爲僻守一蜀、而不能有爲於天下。曰、孔明固言、明年欲取魏。幾年定天下。其不及而死、則命也。某嘗謂孫覺曰、諸葛武候有儒者氣象。孫覺曰、不然。聖賢行一不義、殺一不辜、雖得天下不爲。武侯區區保完一國、不知殺了多少人耶。某謂之曰、行一不義、殺一不辜、以利一己、則不可。若以天下之力、誅天下之賊、殺戮雖多、亦何害。陳恆弑君。孔子請討。孔子豈保得討陳恆時不殺一人邪。蓋誅天下之賊、則有所不得顧爾。曰、三國之興、孰爲正。曰、蜀志在興復漢室、則正也。
【読み】
王通言く、諸葛死ぬること無くんば、禮樂其れ興ること有らん、と。信なりや、と。曰く、諸葛は王佐の才に近し。禮樂興り興らざるは則ち知る可からず、と。問いて曰く、亮果たして王佐の才ならば、何爲れぞ一蜀に僻守して、天下を爲むること有ること能わざる、と。曰く、孔明固より言う、明年魏を取らんと欲す。幾年にして天下定まらん、と。其の及ばずして死するは、則ち命なり。某嘗て孫覺に謂いて曰く、諸葛武候は儒者の氣象有り、と。孫覺が曰く、然らず。聖賢は一つの不義を行い、一つの辜あらざるを殺しては、天下を得ると雖もせず。武侯區區として一國を保ち完うせんとして、多少の人を殺了することを知らざるや、と。某之に謂いて曰く、一つの不義を行い、一つの辜あらざるを殺して、以て一己を利するときは、則ち不可なり。若し天下の力を以て、天下の賊を誅せば、殺戮多しと雖も、亦何の害あらん。陳恆君を弑す。孔子討せんことを請う。孔子豈陳恆を討する時一人も殺さざることを保ち得んや。蓋し天下の賊を誅するときは、則ち顧みることを得ざる所有るのみ、と。曰く、三國の興、孰をか正とする、と。曰く、蜀の志漢室を興復するに在りて、則ち正なり、と。

漢文帝殺薄昭。李德裕以爲殺之不當。溫公以爲殺之當。說皆未是。據史、不見他所以殺之之故。須是權事勢輕重論之。不知當時薄昭有罪、漢使人治之、因殺漢使也、還是薄昭與漢使飮酒、因忿怒而致殺之也。漢文帝殺薄昭、而太后不安、奈何。旣殺之、太后不食而死、奈何。若漢治其罪而殺漢使、太后雖不食、不可免也。須權佗那箇輕、那箇重、然後論他殺得當與不當也。論事須著用權。古今多錯用權字。纔說權、便是變詐或權術。不知權只是經所不及者、權量輕重、使之合義。纔合義、便是經也。今人說權不是經。便是經也。權只是稱錘、稱量輕重。孔子曰、可與立、未可與權。
【読み】
漢の文帝薄昭を殺せり。李德裕以爲えらく、之を殺すこと當たらず、と。溫公以爲えらく、之を殺すこと當たれり、と。說皆未だ是ならず。史に據るに、他之を殺す所以の故を見ず。須く是れ事勢の輕重を權りて之を論ずべし。知らず、當時薄昭罪有って、漢人を使わして之を治むるに、因りて漢の使を殺せるか、還[また]是れ薄昭と漢の使と酒を飮んで、忿怒に因りて之を殺すことを致せるか。漢の文帝薄昭を殺して、太后安んぜずんば、奈何にせん。旣に之を殺して、太后食せずして死なば、奈何にせん。若し漢其の罪を治めて而して漢の使を殺さば、太后食せずと雖も、免る可からざるなり。須く佗那箇が輕く、那箇が重きというを權りて、然して後に他殺すこと當たることを得ると當たらざるとを論ずべし。事を論ずるときは須く權を用うることを著[もち]うべし。古今多く權の字を錯え用う。纔かに權を說いては、便ち是れ變詐或は權術とす。知らず、權は只是れ經の及ばざる所の者、輕重を權り量って、之をして義に合わせしむ。纔かに義に合えば、便ち是れ經なり。今の人權を說けば是れ經ならずとす。便ち是れ經なり。權は只是れ稱錘の、輕重を稱り量るのみ。孔子曰く、與に立つ可し、未だ與に權る可からず、と。

問、第五倫視其子之疾、與兄子之疾不同、自謂之私、如何。曰、不特安寢與不安寢、只不起與十起、便是私也。父子之愛本是公。才著些心做、便是私也。又問、視己子與兄子有閒否。曰、聖人立法曰、兄弟之子猶子也。是欲視之猶子也。又問、天性自有輕重。疑若有閒然。曰、只爲今人以私心看了。孔子曰、父子之道天性也。此只就孝上說、故言父子天性。若君臣兄弟賓主朋友之類、亦豈不是天性。只爲今人小看、却不推其本所由來故爾。己之子與兄之子、所爭幾何。是同出於父者也。只爲兄弟異形、故以兄弟爲手足。人多以異形故、親己之子、異於兄弟之子、甚不是也。又問、孔子以公冶長不及南容、故以兄之子妻南容、以己之子妻公冶長、何也。曰、此亦以己之私心看聖人也。凡人避嫌者、皆内不足也。聖人自是至公。何更避嫌。凡嫁女、各量其才而求配。或兄之子不甚美、必擇其相稱者爲之配、己之子美、必擇其才美者爲之配。豈更避嫌耶。若孔子事、或是年不相若、或時有先後、皆不可知。以孔子爲避嫌、則大不是。如避嫌事、雖賢者且不爲。況聖人乎。
【読み】
問う、第五倫其の子の疾を視ること、兄の子の疾と同じからず、自ら之を私と謂うは、如何、と。曰く、特寢を安んずると寢を安んぜざるとのみにあらず、只起きざると十たび起きるとは、便ち是れ私なり。父子の愛は本是れ公。才かに些かの心を著け做すは、便ち是れ私なり、と。又問う、己が子を視ると兄の子と閒有りや否や、と。曰く、聖人法を立てて曰く、兄弟の子は猶子のごとくす、と。是れ之を視ること猶子のごとくせんことを欲してなり、と。又問う、天性自づから輕重有り。疑うらくは閒有るが若く然り、と。曰く、只今の人私心を以て看るが爲なり。孔子曰く、父子の道は天性なり、と。此は只孝上に就いて說く、故に父子は天性なりと言う。君臣兄弟賓主朋友の類の若きも、亦豈是れ天性にあらざらんや。只今の人小しく看て、却って其の本の由って來る所を推さざるが爲の故のみ。己が子と兄の子と、爭う所幾何[いくばく]ぞ。是れ同じく父より出る者なり。只兄弟形を異にするが爲に、故に兄弟を以て手足とす。人多く形を異にするを以ての故に、己が子を親しむこと、兄弟の子に異なるは、甚だ不是なり、と。又問う、孔子公冶長が南容に及ばざるを以て、故に兄の子を以て南容に妻し、己が子を以て公冶長に妻するは、何ぞや、と。曰く、此れ亦己が私心を以て聖人を看るなり。凡そ人嫌を避くる者は、皆内足らざればなり。聖人は自づから是れ至公。何ぞ更に嫌を避けん。凡そ女を嫁すには、各々其の才を量りて配を求む。或は兄の子甚だ美ならずんば、必ず其の相稱う者を擇びて之が配とし、己が子美ならば、必ず其の才の美なる者を擇びて之が配とせん。豈更に嫌を避けんや。孔子の事の若き、或は是れ年相若かず、或は時先後有ること、皆知る可からず。孔子を以て嫌を避くとするは、則ち大いに不是なり。嫌を避くる事の如きは、賢者と雖も且せず。況んや聖人をや、と。

素問書出於戰國之末。氣象可見。若是三皇五帝典墳、文章自別。其氣運處絕淺近、如將二十四氣移換名目、便做千百樣亦得。
【読み】
素問の書は戰國の末に出づ。氣象見る可し。若し是れ三皇五帝の典墳は、文章自づから別なり。其の氣運の處絕[はなは]だ淺近にして、二十四氣を將って名目を移し換えるが如き、便ち千百樣を做さば亦得ん。

陰符經、非商末則周末人爲之。若是先王之時、聖道旣明、人不敢爲異說。及周室下衰、道不明於天下、才智之士甚衆、旣不知道所趨向、故各自以私智窺測天地、盜竊天地之機。分明是大盜、故用此以簧鼓天下。故云、天有五賊、見之者昌云云。豈非盜天地乎。
【読み】
陰符經は、商の末に非ずんば則ち周の末の人之を爲るならん。若し是れ先王の時は、聖道旣に明らかにして、人敢えて異說を爲さず。周室下り衰えて、道天下に明らかならざるに及んで、才智の士甚だ衆けれども、旣に道の趨き向かう所を知らざる、故に各自に私智を以て天地を窺い測りて、天地の機を盜竊す。分明に是れ大盜なる、故に此を用いて以て天下を簧鼓[こうこ]す。故に云く、天に五賊有り、之を見る者は昌[さか]うと云云。豈天地を盜むに非ずや。

問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
【読み】
問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙なる處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(菴中に入るに說いて之を出さしむが如し。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。

問、世傳成王幼、周公攝政。荀卿亦曰、履天下之籍、聽天下之斷。周公果踐天子之位、行天子之事乎。曰、非也。周公位冢宰、百官總己以聽之而已。安得踐天子之位。又問、君薨、百官聽於冢宰者三年爾。周公至於七年、何也。曰、三年、謂嗣王居憂之時也。七年、爲成王幼故也。又問、賜周公以天子之禮樂、當否。曰、始亂周公之法度者、是賜也。人臣安得用天子之禮樂哉。成王之賜、伯禽之受、皆不能無過(一作罪。)。記曰、魯郊非禮也。其周公之衰乎。聖人嘗譏之矣。說者乃云、周公有人臣不能爲之功業、因賜以人臣所不得用之禮樂、則妄也。人臣豈有不能爲之功業哉。借使功業有大於周公、亦是人臣所當爲爾。人臣而不當爲、其誰爲之。豈不見孟子言事親若曾子可也。曾子之孝亦大矣。孟子纔言可也。蓋曰、子之事父、其孝雖過於曾子、畢竟是以父母之身做出來。豈是分外事。若曾子者、僅可以免責爾。臣之於君、猶子之於父也。臣之能立功業者、以君之人民也、以君之勢位也。假如功業大於周公、亦是以君之人民勢位做出來。而謂人臣所不能爲可乎。使人臣恃功而懷怏怏之心者、必此言矣。若唐高祖賜平陽公主葬以鼓吹則可。蓋征戰之事、實非婦人之所能爲也。故賜以婦人所不得用之禮樂。若太宗却不知此。太宗佐父平天下。論其功不過做得一功臣。豈可奪元良之位。太子之與功臣、自不相干。唐之紀綱、自太宗亂之。終唐之世無三綱者、自太宗始也。李光弼・郭子儀之徒、議者謂有人臣不能爲之功、非也。
【読み】
問う、世傳う成王幼にして、周公政を攝す、と。荀卿も亦曰く、天下の籍を履み、天下の斷を聽く、と。周公果たして天子の位を踐み、天子の事を行うか、と。曰く、非なり。周公冢宰に位して、百官己を總べて以て之を聽くのみ。安んぞ天子の位を踐むことを得ん、と。又問う、君薨じては、百官冢宰に聽く者三年のみ。周公七年に至るは、何ぞや、と。曰く、三年というは、嗣王憂いに居るの時を謂う。七年とは、成王幼なるが爲の故なり、と。又問う、周公に賜うに天子の禮樂を以てすること、當たれりや否や、と。曰く、始めて周公の法度を亂る者は、是れ賜なり。人臣安んぞ天子の禮樂を用うることを得んや。成王の賜うも、伯禽の受くるも、皆過ち(一に罪に作る。)無きこと能わず。記に曰く、魯の郊は禮に非ず。其れ周公の衰えたるかな、と。聖人嘗て之を譏る。說く者乃ち云う、周公は人臣すること能わざるの功業有り、因りて賜うに人臣用うることを得ざる所の禮樂を以てすとは、則ち妄なり。人臣豈すること能わざるの功業有らんや。借使[たと]い功業周公より大なること有るとも、亦是れ人臣の當にすべき所なるのみ。人臣にして當にすべからずんば、其れ誰か之をせん。豈見ざるや、孟子言く、親に事うること曾子の若くせば可なり、と。曾子の孝も亦大なり。孟子纔かに可なりと言う。蓋し曰く、子の父に事うる、其の孝曾子より過ぐると雖も、畢竟是れ父母の身を以て做し出し來る。豈是れ分外の事ならんや。曾子の若くする者は、僅かに以て責めを免る可きのみ。臣の君に於る、猶子の父に於るがごとし。臣の能く功業を立つる者は、君の人民を以てなり、君の勢位を以てなり。假如[たと]い功業周公より大なりとも、亦是れ君の人民勢位を以て做し出し來る。而るを人臣すること能わざる所と謂いて可ならんや。人臣をして功を恃んで怏怏の心を懷かしむる者は、必ず此の言ならん。唐の高祖平陽公主葬るに鼓吹を以てすることを賜うが若きは則ち可なり。蓋し征戰の事は、實に婦人の能くする所に非ず。故に賜うに婦人用うることを得ざる所の禮樂以てす。太宗の若きは却って此を知らず。太宗父を佐けて天下を平らぐ。其の功を論ずれば一功臣と做し得るに過ぎず。豈元良の位を奪う可けんや。太子と之れ功臣とは、自づから相干わらず。唐の紀綱、太宗自り之を亂る。唐の世を終うるまで三綱無き者は、太宗自り始まれり。李光弼・郭子儀が徒、議する者人臣すること能わざるの功有りと謂うは、非なり、と。

秦以暴虐、焚詩・書而亡。漢興、鑑其弊、必尙寬德崇經術之士。故儒者多。儒者多、雖未知聖人之學、然宗經師古、識義理者衆。故王莽之亂、多守節之士。世祖繼起、不得不襃尙名節。故東漢之士多名節。知名節而不知節之以禮、遂至於苦節。故當時名節之士、有視死如歸者。苦節旣極。故魏・晉之士變而爲曠蕩、尙浮虛而亡禮法。禮法旣亡、與夷狄無異。故五胡亂華。夷狄之亂已甚、必有英雄出而平之。故隋・唐混一天下。隋不可謂有天下、第能驅除爾。唐有天下、如貞觀・開元閒、雖號治平、然亦有夷狄之風、三綱不正、無父子君臣夫婦。其原始於太宗也。故其後世子弟、皆不可使。玄宗纔使肅宗、便簒。肅宗纔使永王璘、便反。君不君、臣不臣。故藩鎭不賓、權臣跋扈、陵夷有五代之亂。漢之治過於唐。漢大綱正、唐萬目舉。本朝大綱甚正、然萬目亦未盡舉。(因問十世可知、遂推此數端。)
【読み】
秦は暴虐を以て、詩・書を焚いて亡ぶ。漢興りて、其の弊を鑑みて、必ず寬德を尙んで經術の士を崇ぶ。故に儒者多し。儒者多くば、未だ聖人の學を知らずと雖も、然れども經を宗とし古を師として、義理を識る者衆し。故に王莽の亂に、節を守るの士多し。世祖繼ぎ起こりて、名節を襃尙せざることを得ず。故に東漢の士名節多し。名節を知れども而れども之を節するに禮を以てすることを知らずして、遂に苦節に至る。故に當時名節の士、死を視ること歸するが如き者有り。苦節旣に極まる。故に魏・晉の士變じて曠蕩を爲して、浮虛を尙んで禮法を亡ぼす。禮法旣に亡んで、夷狄と異なること無し。故に五胡華を亂る。夷狄の亂已に甚だしくして、必ず英雄出て之を平らにする有り。故に隋・唐天下を混一す。隋天下を有つと謂う可からず、第[ただ]能く驅除するのみ。唐の天下を有てる、貞觀・開元の閒の如き、治平を號すと雖も、然れども亦夷狄の風有りて、三綱正しからず、父子君臣夫婦無し。其の原は太宗より始まれり。故に其の後世の子弟、皆使う可からず。玄宗纔かに肅宗を使わば、便ち簒わる。肅宗纔かに永王璘を使わば、便ち反す。君君たらず、臣臣たらず。故に藩鎭賓せず、權臣跋扈し、陵夷して五代の亂有り。漢の治は唐より過ぐ。漢は大綱正しく、唐は萬目舉ぐ。本朝は大綱甚だ正しくして、然も萬目亦未だ盡くは舉げず、と。(十世知る可しを問うに因りて、遂に此の數端を推せり。)

洪水滔天。堯時亦無許多大洪水、宜更思之。漢武帝問、禹・湯水旱、厥咎何由。公孫弘對、堯遭洪水、使禹治之。不聞禹之有水也。更不答其所由。公孫弘大是姦人。
【読み】
洪水天に滔[はびこ]る。堯の時も亦許多の大洪水無きこと、宜しく更に之を思え。漢の武帝問う、禹・湯の水旱、厥の咎何にか由る、と。公孫弘對う、堯洪水に遭いて、禹をして之を治めしむ。禹の水有ることを聞かず、と。更に其の由る所を答えず。公孫弘は大いに是れ姦人なり。

問、東海殺孝婦而旱、豈國人冤之所致邪。曰、國人冤固是。然一人之意、自足以感動得天地。不可道殺孝婦不能致旱也。或曰、殺姑而雨、是衆人怨釋否。曰、固是衆人冤釋。然孝婦冤亦釋也。其人雖亡、然冤之之意自在、不可道殺姑不能釋婦冤而致雨也。
【読み】
問う、東海孝婦を殺して旱するは、豈國人の冤[うら]みの致す所ならんや、と。曰く、國人の冤み固に是なり。然も一人の意、自づから以て天地を感動し得るに足れり。孝婦を殺して旱を致すこと能わずと道う可からず、と。或るひと曰く、姑を殺して雨ふるは、是れ衆人の怨み釋けるや否や、と。曰く、固に是れ衆人の冤み釋ければなり。然も孝婦の冤みも亦釋けり。其の人亡ぶと雖も、然れども之を冤むの意自づから在り、姑を殺して婦の冤みを釋いて雨を致すこと能わずと道う可からず、と。

問、人有不善、霹靂震死。莫是人懷不善之心、聞霹靂震懼而死否。曰、不然。是雷震之也。如是雷震之、還有使之者否。曰、不然。人之作惡、有惡氣、與天地之惡氣相擊搏、遂以震死。霹靂、天地之怒氣也。如人之怒、固自有正。然怒時必爲之作惡。是怒亦惡氣也。怒氣與惡氣相感故爾。且如今人種蕎麥、自有畦隴、霜降時殺麥、或隔一畦麥有不殺者。豈是此處無霜。蓋氣就相合處去也。曰、雷所擊處必有火、何也。曰、雷自有火、如鑽木取火。如使木中有火、豈不燒了木。蓋是動極則陽生、自然之理。不必木、只如兩石相戛、亦有火出。惟鐵無火。然戛之久必熱。此亦是陽生也。
【読み】
問う、人不善有り、霹靂震死す。是の人不善の心を懷き、霹靂を聞いて震い懼れて死すること莫きや否や、と。曰く、然らず。是れ雷之を震するなり、と。如し是れ雷之を震せば、還って之をせしむる者有りや否や、と。曰く、然らず。人の惡を作して、惡氣有る、天地の惡氣と相擊搏して、遂に以て震死す。霹靂は、天地の怒氣なり。人の怒りが如き、固に自づから正有り。然れども怒る時必ず之を爲すに惡を作す。是れ怒りも亦惡氣なり。怒氣と惡氣と相感ずる故のみ。且今の人の蕎麥を種えるが如き、自づから畦隴有り、霜降る時麥を殺[か]らすに、或は一畦を隔てて麥殺らさざる者有り。豈是れ此の處霜無けんや。蓋し氣相合する處に就き去ればなり、と。曰く、雷擊する所の處必ず火有るは、何ぞや、と。曰く、雷自づから火有るは、木を鑽[き]りて火を取るが如し。如し木中をして火有らしめば、豈木を燒了せざらんや。蓋し是れ動極むるときは則ち陽生ずるは、自然の理なり。必ずしも木のみにあらず、只兩石相戛[う]つが如きも、亦火有りて出づ。惟り鐵のみ火無し。然れども之を戛つこと久しければ必ず熱す。此も亦是れ陽生ずるなり、と。

鑽木取火、人謂火生於木、非也。兩木相戛、用力極則陽生。今以石相軋、便有火出。非特木也。蓋天地閒無一物無陰陽。
【読み】
木を鑽[き]りて火を取る、人火木に生ずと謂うは、非なり。兩木相戛ち、力を用うること極むるときは則ち陽生づ。今石を以て相軋[きし]るときは、便ち火有りて出づ。特り木のみに非ず。蓋し天地の閒一物として陰陽無きは無し。

雨木冰、上溫而下冷。隕霜不殺草、上冷而下溫。
【読み】
雨ふりて木冰るは、上溫かにして下冷たければなり。隕つる霜草を殺[か]らさざるは、上冷たくして下溫かなればなり。

天火曰災、人火曰火。人火爲害者亦曰災。
【読み】
天火を災と曰い、人火を火と曰う。人火害を爲す者も亦災と曰う。

問、日月有定形、還自氣散、別自聚否。曰、此理甚難曉。究其極、則此二說歸於一也。問、月有定魄、而日遠於月、月受日光、以人所見爲有盈虧、然否。曰、日月一也。豈有日高於月之理。月若無盈虧、何以成歲。蓋月一分光則是魄虧一分也。
【読み】
問う、日月定形有りや、還[また]自ら氣散じ、別に自ら聚まるや否や、と。曰く、此の理甚だ曉り難し。其の極を究むるときは、則ち此の二說一に歸するなり、と。問う、月定魄有りて、日は月より遠く、月は日の光を受けて、人の見る所を以て盈虧有りとするは、然りや否や、と。曰く、日月は一なり。豈日月より高きの理有らんや。月若し盈虧無くんば、何を以て歲を成さん。蓋し月一分光るときは則ち是れ魄一分を虧くならん、と。

霜與露不同。霜、金氣、星月之氣。露亦星月之氣。看感得甚氣卽爲露、甚氣卽爲霜。如言露結爲霜、非也。
【読み】
霜と露とは同じからず。霜は、金氣、星月の氣なり。露も亦星月の氣なり。甚の氣に感じ得て卽ち露と爲り、甚の氣卽ち霜と爲るということを看よ。露結んで霜と爲ると言うが如きは、非なり。

雹是陰陽相搏之氣、乃是沴氣。聖人在上無雹。雖有不爲災。雖不爲災、沴氣自在。
【読み】
雹は是れ陰陽相搏[う]つの氣、乃ち是れ沴氣なり。聖人上に在すときは雹無し。有りと雖も災を爲さず。災を爲さずと雖も、沴氣自づから在り。

問、鳳鳥不至、河不出圖。不知符瑞之事果有之否。曰、有之。國家將興、必有禎祥。人有喜事、氣見面目。聖人不貴祥瑞者、蓋因災異而修德則無損、因祥瑞而自恃則有害也。問、五代多祥瑞、何也。曰、亦有此理。譬如盛冬時發出一朶花、相似和氣致祥、乖氣致異。此常理也。然出不以時、則是異也。如麟是太平和氣所生。然後世有以麟駕車者、却是怪也。譬如水中物生於陸、陸中物生於水、豈非異乎。又問、漢文多災異、漢宣多祥瑞、何也。曰、且譬如小人多行不義、人却不說、至君子未有一事、便生議論、此是一理也。至白者易汙、此是一理也。詩中、幽王大惡爲小惡、宣王小惡爲大惡、此是一理也。又問、日食有常數。何治世少而亂世多。豈人事乎。曰、理會此到極處、煞燭理明也。天人之際甚微。宜更思索。曰、莫是天數人事看那邊勝否。曰、似之。然未易言也。又問、魚躍于王舟、火覆於王屋、流爲鳥、有之否。曰、魚與火則不可知。若兆朕之先應、亦有之。
【読み】
問う、鳳鳥至らず、河圖を出さず、と。知らず、符瑞の事果たして之れ有りや否や、と。曰く、之れ有り。國家將に興らんとするときは、必ず禎祥有り。人喜事有れば、氣面目に見る。聖人祥瑞を貴ばざる者は、蓋し災異に因りて德を修むれば則ち損なうこと無く、祥瑞に因りて自ら恃めば則ち害有ればなり、と。問う、五代祥瑞多きは、何ぞや、と。曰く、亦此の理有り。譬えば盛冬の時一朶の花を發出するが如き、和氣祥を致し、乖氣異を致すに相似れり。此れ常理なり。然れども出ること時を以てせざるは、則ち是れ異なり。麟の如きは是れ太平和氣の生ずる所。然れども後世麟を以て車に駕する者有り、却って是れ怪しきなり。譬えば水中の物陸に生じ、陸中の物水に生ずるが如き、豈異に非ずや、と。又問う、漢文災異多く、漢宣祥瑞多きは、何ぞや、と。曰く、且譬えば小人多く不義を行うも、人却って說かず、君子に至って未だ一事有らざるに、便ち議論を生ずるが如き、此は是れ一理なり。至白なる者汙れ易きも、此は是れ一理なり。詩中、幽王の大惡を小惡とし、宣王の小惡を大惡とするも、此は是れ一理なり、と。又問う、日食に常數有り。何ぞ治世に少なくして亂世に多き。豈人事なるか、と。曰く、此を理會して極處に到れば、煞だ理を燭らすこと明らかなり。天人の際は甚だ微なり。宜しく更に思索すべし、と。曰く、是れ天數人事那邊勝ると看ること莫きや否や、と。曰く、之に似れり。然れども未だ言い易からず、と。又問う、魚王の舟に躍り、火王の屋を覆いて、流れて鳥と爲ること、之れ有りや否や、と。曰く、魚と火とは則ち知る可からず。兆朕の先づ應ずるが若きは、亦之れ有り、と。

問、十月何以謂之陽月。曰、十月謂之陽月者、陽盡、恐疑於無陽也。故謂之陽月也。然何時無陽。如日有光之類。蓋陰陽之氣有常存而不移者、有消長而無窮者。
【読み】
問う、十月は何を以て之を陽月と謂う、と。曰く、十月之を陽月と謂う者は、陽盡き、恐らくは陽無きことを疑わん。故に之を陽月と謂うなり。然れども何れの時にか陽無けん。日に光有るの類の如し。蓋し陰陽の氣常に存して移らざる者有り、消長して窮まり無き者有り、と。

問、作文害道否。曰、害也。凡爲文、不專意則不工、若專意則志局於此。又安能與天地同其大也。書曰、玩物喪志。爲文亦玩物也。呂與叔有詩云、學如元凱方成癖。文似相如始類俳。獨立孔門無一事。只輸(一作惟傳。)顏氏得心齋。此詩甚好。古之學者、惟務養情性、其佗則不學。今爲文者、專務章句、悅人耳目。旣務悅人、非俳優而何。曰、古者學爲文否。曰、人見六經、便以謂(呂本・徐本謂作爲。)聖人亦作文。不知聖人亦(一作只。)攄發胸中所蘊、自成文耳(一作章。)。所謂有德者必有言也。曰、游・夏稱文學、何也。曰、游・夏亦何嘗秉筆學爲詞章也。且如觀乎天文以察時變、觀乎人文以化成天下、此豈詞章之文也。
【読み】
問う、文を作るは道に害ありや否や、と。曰く、害あるなり。凡そ文を爲る、意を專らにせざれば則ち工[たくみ]ならず、若し意を專らにすれば則ち志此に局す。又安んぞ能く天地と其の大を同じくせん。書に曰く、物を玩べば志を喪う、と。文を爲るも亦物を玩ぶなり。呂與叔詩有り云く、學は元凱の如きも方に癖を成す。文は相如に似るも始めて俳に類す。獨孔門に立ちて一事無し。只輸[ま]く(一に惟傳に作る。)、顏氏の心齋を得たることを、と。此の詩甚だ好し。古の學者は、惟情性を養うことを務むるのみにして、其の佗は則ち學ばず。今の文を爲る者は、專ら章句を務めて、人の耳目を悅ばしむ。旣に務めて人を悅ばしめば、俳優に非ずして何ぞ、と。曰く、古は文を爲ることを學べるや否や、と。曰く、人六經を見て、便ち以謂えらく(呂本・徐本謂を爲に作る。)聖人も亦文を作れり、と。知らず、聖人は亦(一に只に作る。)胸中の蘊[つ]む所を攄發して、自づから文を成すのみ(一に章に作る。)なるを。所謂德有る者は必ず言有るなり、と。曰く、游・夏文學を稱するは、何ぞや、と。曰く、游・夏も亦何ぞ嘗て筆を秉りて詞章を爲ることを學ばん。且つ天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成するが如き、此れ豈詞章の文ならんや、と。

或問、詩可學否。曰、旣學時、須是用功、方合詩人格。旣用功、甚妨事。古人詩云、吟成五箇字、用破一生心。又謂、可惜一生心、用在五字上。此言甚當。先生嘗說、王子眞曾寄藥來。某無以答他。某素不作詩、亦非是禁止不作。但不欲爲此閑言語。且如今言能詩無如杜甫。如云穿花蛺蝶深深見、點水蜻蜓款款欵飛、如此閑言語、道出做甚。某所以不常作詩。今寄謝王子眞詩云、至誠通化藥通神。遠寄衰翁濟病身。我亦有丹君信否。用時還解壽斯民。子眞所學、只是獨善。雖至誠潔行、然大抵只是爲長生久視之術、止濟一身。因有是句。
【読み】
或るひと問う、詩は學ぶ可きや否や、と。曰く、旣に學ぶ時は、須く是れ功を用いて、方に詩人の格に合う。旣に功を用うれば、甚だ事に妨げあり。古人の詩に云く、五箇の字を吟じ成して、一生の心を用い破る、と。又謂く、惜しむ可し一生の心、用いて五字の上に在り、と。此の言甚だ當たれり。先生嘗て說けり、王子眞曾て藥を寄せ來る。某以て他に答うること無し。某素より詩を作らざるも、亦是れ禁止して作らざるに非ず。但此の閑言語を爲らんことを欲せず。且つ今詩を能くすと言うが如きは杜甫に如くは無し。花を穿つ蛺蝶[きょうちょう]深深として見え、水に點する蜻蜓[せいてい]款款として飛ぶと云うが如き、此の如き閑言語、道い出して甚をか做さん。某所以に常に詩を作らず。今王子眞に寄せ謝する詩に云く、至誠化に通じ藥神に通ず。遠く衰翁に寄せて病身を濟う。我も亦丹有り君信ずるや否や。用うる時還って斯の民を壽[いのちなが]くすることを解す、と。子眞が學ぶ所は、只是れ獨り善くす。至誠潔行と雖も、然れども大抵只是れ長生久視の術を爲して、一身を濟うに止まる。因りて是の句有り、と。

問、先生曾定六禮。今已成未。曰、舊日作此、已及七分、後來被召入朝。旣在朝廷、則當行之朝廷、不當爲私書。旣而遭憂、又疾病數年、今始無事、更一二年可成也。曰、聞有五經解。已成否。曰、惟易須親撰。諸經則關中諸公分去、以某說撰成之。禮之名數、陝西諸公刪定、已送與呂與叔。與叔今死矣。不知其書安在也。然所定只禮之名數。若禮之文亦非親作不可也。禮記之文、亦刪定未了。蓋其中有聖人格言、亦有俗儒乖謬之說。乖謬之說、本不能混格言、只爲學者不能辨別、如珠玉之在泥沙。泥沙豈能混珠玉。只爲無人識、則不知孰爲泥沙、孰爲珠玉也。聖人文章、自然與學爲文者不同。如繫辭之文、後人決學不得、譬之化工生物。且如生出一枝花、或有剪裁爲之者、或有繪畫爲之者、看時雖似相類、然終不若化工所生、自有一般生意。
【読み】
問う、先生曾て六禮を定む。今已に成るや未だしや、と。曰く、舊日此を作ること、已に七分に及び、後來召されて朝に入る。旣に朝廷に在りては、則ち當に之を朝廷に行うべく、當に私書を爲るべからず。旣にして憂えに遭い、又疾病數年、今始めて無事なれば、更に一二年にして成る可し、と。曰く、五經の解有りと聞く。已に成れるや否や、と。曰く、惟易は須く親ら撰すべし。諸經は則ち關中の諸公分かち去りて、某が說を以て之を撰成す。禮の名數は、陝西の諸公刪定して、已に呂與叔に送與す。與叔今死せり。其の書安くにか在ることを知らず。然れども定むる所は只禮の名數のみ。禮の文の若きは亦親ら作るに非ずんば不可ならん。禮記の文も、亦刪定すること未だ了わらず。蓋し其の中に聖人の格言有りて、亦俗儒乖謬の說有り。乖謬の說は、本より格言に混ずること能わず、只學者辨別すること能わざるが爲に、珠玉の泥沙に在るが如し。泥沙豈能く珠玉に混ぜんや。只人識ること無きが爲に、則ち孰れか泥沙と爲し、孰れか珠玉と爲すかを知らず。聖人の文章は、自然に文を爲ることを學ぶ者と同じからず。繫辭の文の如き、後人決して學ぶことを得ず、之を化工の物を生ずるに譬う。且つ一枝の花を生出するが如き、或は剪裁して之を爲る者有り、或は繪畫して之を爲る者有り、看る時相類するに似れりと雖も、然れども終に化工の生ずる所、自づから一般の生意有るが若くならず、と。

冠昏喪祭、禮之大者、今人都不以爲事。某舊曾修六禮(冠・昏・喪・祭・郷・相見。)。將就後、被召遂罷。今更一二年可成。 家閒多戀河北舊俗、未能遽更易。然大率漸使知義理。一二年書成、可皆如法(禮從宜、事從俗。有大故害義理者、須當去。)。每月朔必薦新(如仲春薦含桃之類。)、四時祭用仲月(用仲見(呂本・徐本見作月。)物成也。古者天子諸侯於孟月者、爲首時也。)。時祭之外、更有三祭。冬至祭始祖(厥初生民之祖。)、立春祭先祖、季秋祭禰。他則不祭。冬至、陽之始也。立春者、生物之始(一作初。)也。季秋者、成物之始(一作時。)也。祭始祖、無主用祝、以妣配於廟中正位享之(祭只一位者、夫婦同享也。)。祭先祖、亦無主。先祖者、自始祖而下、高祖而上、非一人也。故設二位(祖妣異坐。一云二位。異所者、舅婦不同享也。)。常祭止於高祖而下(自父而推、至於三而止者、緣人情也。)。旁親有後者自爲祭、無後者祭之別位(爲叔伯父之後也。如殤、亦各祭。)。凡配、止以正妻一人。如諸侯用元妃是也。或奉祀之人是再娶所生者、卽以所生母配(如葬、亦惟元妃同穴。後世或再娶皆同穴而葬、甚瀆禮經。但於左右祔葬可也。)。忌日、必遷主、出祭於正寢(今正廳正堂也。)。蓋廟中尊者所據、又同室難以獨享也(於正寢、可以盡思慕之意。)。家必有廟(古者庶人祭於寢、士大夫祭於廟。庶人無廟。可立影堂。)、廟中異位(祖居中、左右以昭穆次序。皆夫婦自相配爲位。舅婦不同坐也。)。廟必有主(旣祧、當埋於所葬處。如奉祀人之高祖而上、卽當祧也。)。其大略如此。且如豺獺皆知報本。今士大夫家多忽此。厚於奉養而薄於祖先、甚不可也。凡事死之禮、當厚於奉生者。至於嘗新必薦、享後方食(呂本・徐本食作可。)(薦數則瀆。必因告朔而薦乃合宜。)。人家能存得此等事數件、雖幼者漸可使知禮義。凡物、知母而不知父、走獸是也。知父而不知祖、飛鳥是也。惟人則能知祖。若不嚴於祭祀、殆與鳥獸無異矣。
【読み】
冠昏喪祭は、禮の大なる者、今の人は都て以て事とせず。某舊曾て六禮を修む(冠・昏・喪・祭・郷・相見。)。將に就かんとして後、召されて遂に罷む。今一二年を更[へ]れば成る可し。 家閒多く河北の舊俗を戀すれども、未だ遽に更易すること能わず。然れども大率漸く義理を知らしむ。一二年にして書成らば、皆法の如くす可し(禮は宜に從い、事は俗に從う。大故義理を害する者有らば、須く當に去るべし。)。月朔每に必ず新を薦め(仲春に含桃を薦むるの類の如し。)、四時の祭に仲月を用う(仲を用うるは物成るを見すなり(呂本・徐本見を月に作る。)。古天子諸侯孟月に於る者は、首[はじめ]の時なるが爲なり。)。時祭の外、更に三祭有り。冬至には始祖(厥の初めて民を生ずるの祖。)を祭り、立春には先祖を祭り、季秋には禰[でい]を祭る。他は則ち祭らず。冬至は、陽の始めなり。立春は、物を生ずるの始め(一に初に作る。)なり。季秋は、物を成すの始め(一に時に作る。)なり。始祖を祭るに、主無ければ祝を用いて、妣を以て廟中の正位に配して之を享す(祭只一位なる者は、夫婦同じく享すればなり。)。先祖を祭るも、亦主無し。先祖は、始祖自りして下、高祖よりして上、一人に非ざるなり。故に二位を設く(祖妣は坐を異にす。一に二位と云う。所を異にする者は、舅婦同じく享せざればなり。)。常の祭は高祖より下に止まる(父自りして推して、三に至りて止む者は、人情に緣ればなり。)。旁親後有る者は自ら祭を爲し、後無き者は之を別位に祭る(叔伯父の後と爲す。殤の如きは、亦各々祭る。)。凡そ配は、止正妻一人を以てす。諸侯は元妃を用うるが如き是れなり。或は奉祀の人は是れ再娶して生ずる所の者ならば、卽ち生ずる所の母を以て配す(如し葬るに、亦惟り元妃のみ穴を同じくす。後世或は再娶して皆穴を同じくして葬るは、甚だ禮經を瀆す。但左右に於て祔葬して可なり。)。忌日には、必ず主を遷して、出して正寢に祭る(今の正廳は正堂なり。)。蓋し廟中は尊き者の據る所、又同室以て獨り享し難ければなり(正寢に於て、以て思慕の意を盡くす可し。)。家に必ず廟有り(古は庶人は寢に祭り、士大夫は廟に祭る。庶人は廟無し。影堂を立つる可し。)、廟中位を異にす(祖中に居り、左右昭穆を以て次序す。皆夫婦自ら相配して位を爲す。舅婦は同坐せず。)。廟に必ず主有り(旣に祧しては、當に葬る所の處に埋むべし。奉祀の人の高祖よりして上の如きは、卽ち當に祧すべし。)。其の大略此の如し。且つ豺獺[さいだつ]の如きすら皆本に報ずることを知る。今士大夫の家多く此を忽にす。奉養に厚くして祖先に薄きは、甚だ不可なり。凡そ死に事うるの禮は、當に生に奉ずるより厚くすべき者なり。新しきを嘗めて必ず薦むるに至っては、享して後に方に食す(呂本・徐本食を可に作る。)(薦むること數々すれば則ち瀆る。必ず告朔に因りて薦むれば乃ち宜に合う。)。人家能く此れ等の事數件を存し得れば、幼者と雖も漸く禮義を知らしむ可し。凡そ物、母を知って父を知らざるは、走獸是れなり。父を知って祖を知らざるは、飛鳥是れなり。惟人のみ則ち能く祖を知る。若し祭祀に嚴ならずんば、殆ど鳥獸と異なること無けん。

問、祭酒用幾奠。曰、家中尋常用三奠。祭法中却用九奠(以禮有九獻、樂有九奏也。)。又問、旣奠之酒、何以置之。曰、古者灌以降神。故以茅縮酌。謂求神於陰陽有無之閒、故酒必灌於地。若謂奠酒、則安置在此。今人以澆在地上、甚非也。旣獻、則徹去可也(傾在他器。)
【読み】
問う、祭酒幾奠をか用うる、と。曰く、家中尋常三奠を用う。祭法の中に却って九奠を用う、と(禮に九獻有り、樂に九奏有るを以てなり。)。又問う、旣に奠[まつ]るの酒、何を以て之を置く、と。曰く、古は灌いで以て神を降す。故に茅を以て縮酌す。謂ゆる神を陰陽有無の閒に求む、故に酒必ず地に灌ぐ。謂ゆる酒を奠るが若きは、則ち安置して此に在り。今の人以て澆[そそ]いで地上に在るは、甚だ非なり。旣に獻じては、則ち徹し去って可なり、と(傾けて他の器に在り。)

或問、今拜埽之禮何據。曰、此禮古無。但緣習俗。然不害義理。古人直是誠質(專一也。)。葬只是藏體魄、而神則必歸於廟。旣葬則設木主、旣除几筵則木主安於廟。故古人惟專精祀於廟。今亦用拜埽之禮、但簡於四時之祭也。
【読み】
或るひと問う、今の拜埽の禮は何にか據れる、と。曰く、此の禮古は無し。但習俗に緣る。然れども義理を害せず。古人は直に是れ誠質なり(專一なり。)。葬は只是れ體魄を藏めて、神は則ち必ず廟に歸す。旣に葬りては則ち木主を設け、旣に几筵を除[さ]っては則ち木主を廟に安んず。故に古人惟專ら廟に祀ることを精しくす。今亦拜埽の禮を用うるは、但四時の祭に簡なればなり、と。

木主必以栗、何也。曰、周用栗。土所產之木、取其堅也。今用栗、從周制也。若四方無栗、亦不必用。但取其木之堅者可也。
【読み】
木主必ず栗を以てするは、何ぞや、と。曰く、周は栗を用う。土產する所の木、其の堅きを取るなり。今栗を用うるは、周の制に從うなり。若し四方栗無くんば、必ずしも用いじ。但其の木の堅き者を取って可なり、と。

凡祭必致齊。齊之日、思其居處、思其笑語、此孝子平日思親之心、非齊也。齊不容有思、有思則非齊。齊三日、必見其所爲齊者、此非聖人之語。齊者湛然純一、方能與鬼神接。然能事鬼神、已是上一等人。
【読み】
凡そ祭は必ず致齊す。齊するの日は、其の居處を思い、其の笑語を思うは、此れ孝子平日親を思うの心にして、齊に非ず。齊は思うこと有る容からず、思うこと有れば則ち齊に非ず。齊すること三日にして、必ず其の爲に齊する所の者を見るというは、此れ聖人の語に非ず。齊は湛然純一にして、方に能く鬼神と接す。然るに能く鬼神に事うるは、已に是れ上一等の人なり。

古者男爲男尸、女爲女尸。自周以來、女無可以爲尸者。故無女尸。後世遂無尸。能爲尸者亦非尋常人。
【読み】
古は男は男尸と爲り、女は女尸と爲る。周自り以來、女以て尸と爲る可き者無し。故に女尸無し。後世遂に尸無し。能く尸爲る者は亦尋常の人に非ず。

今無宗子法。故朝廷無世臣。若立宗子法、則人知尊祖重本。人旣重本、則朝廷之勢自尊。古者子弟從父兄、今父兄從子弟(子弟爲强。)、由不知本也。且如漢高祖欲下沛時、只是以帛書與沛父老、其父老便能率子弟從之。又如相如使蜀、亦移書責父老、然後子弟皆聽其命而從之。只有一箇尊卑上下之分、然後順從而不亂也。若無法以聯屬之、安可。且立宗子法、亦是天理。譬如木、必從根直上一榦(如大宗。)、亦必有旁枝。又如水、雖遠、必有正源、亦必有分派處、自然之勢也。然又有旁枝達而爲榦者。故曰、古者天子建國、諸侯奪宗云。
【読み】
今宗子の法無し。故に朝廷に世臣無し。若し宗子の法を立てなば、則ち人祖を尊び本を重んずることを知らん。人旣に本を重んぜば、則ち朝廷の勢自づから尊からん。古は子弟父兄に從うに、今は父兄子弟に從うは(子弟を强きと爲す。)、本を知らざるに由ってなり。且つ漢の高祖沛に下らんと欲する時の如き、只是れ帛書を以て沛の父老に與えるのみなるに、其の父老便ち能く子弟を率いて之に從えり。又如相蜀に使いするが如き、亦書を移[あた]えて父老を責め、然して後に子弟皆其の命を聽きて之に從う。只一箇の尊卑上下の分有りて、然して後に順い從いて亂れざるなり。若し法無くして以て之を聯屬せんとせば、安んぞ可ならん。且つ宗子の法を立つるは、亦是れ天理なり。譬えば木の如き、必ず根從り直に一榦を上すれば(大宗の如し。)、亦必ず旁枝有り。又水の如き、遠しと雖も、必ず正源有れば、亦必ず分派する處有るは、自然の勢なり。然るに又旁枝達して榦と爲る者有り。故に曰く、古天子國を建つるに、諸侯宗を奪うと云う。

凡言宗者、以祭祀爲主。言人宗於此而祭祀也。別子爲祖、上不敢宗諸侯。故不祭。下亦無人宗之。此無宗亦莫之宗也。別子之嫡子、卽繼祖爲大宗。此有大宗無小宗也。別子之諸子、祭其別子。別子雖是祖、然是諸子之禰。繼禰者爲小宗。此有小宗而無大宗也。有小宗而無大宗、此句極難理會。蓋本是大宗之祖、別子之諸子稱之、却是禰也。
【読み】
凡そ宗者と言うは、祭祀に主とするを以てなり。言うこころは、人此を宗として祭祀するなり。別子祖とするは、上敢えて諸侯を宗とせず。故に祭らず。下も亦人之を宗とすること無し。此れ宗無く亦之を宗とすること莫し。別子の嫡子は、卽ち祖を繼いで大宗と爲る。此れ大宗有りて小宗無し。別子の諸子は、其の別子を祭る。別子是れ祖なりと雖も、然れども是れ諸子の禰なり。禰に繼ぐ者を小宗とす。此れ小宗有りて大宗無し。小宗有りて大宗無しという、此の句極めて理會し難し。蓋本是れ大宗の祖、別子の諸子之を稱するは、却って是れ禰なり。

今人多不知兄弟之愛。且如閭閻小人、得一食、必先以食父母、夫何故。以父母之口重於己之口也。得一衣、必先以衣父母、夫何故。以父母之體重於己之體也。至於犬馬亦然。待父母之犬馬、必異乎己之犬馬也。獨愛父母之子、却輕於己之子。甚者至若仇敵。舉世皆如此。惑之甚矣。
【読み】
今の人多く兄弟の愛を知らず。且つ閭閻の小人の如きすら、一食を得れば、必ず先づ以て父母に食せるは、夫れ何の故ぞ。父母之口は己の口より重きを以てなり。一衣を得れば、必ず先づ以て父母に衣するは、夫れ何の故ぞ。父母の體は己の體より重きを以てなり。犬馬に至るまで亦然り。父母の犬馬を待すること、必ず己の犬馬に異にす。獨り父母の子を愛することは、却って己の子より輕くす。甚だしき者は仇敵の若きに至る。世を舉げて皆此の如し。惑えるの甚だしきなり。

伯叔父之兄弟、伯是長、叔是少。今人乃呼伯父叔父爲伯叔、大無義理。呼爲伯父叔父者、言事之之禮、與父同也。
【読み】
伯叔父の兄弟、伯は是れ長じ、叔は是れ少し。今の人乃ち伯父叔父を呼んで伯叔とすること、大いに義理無し。呼んで伯父叔父とする者は、言うこころは、之に事うるの禮、父と同じければなり。

或曰、事兄盡禮、不得兄之懽心、奈何。曰、但當起敬起孝、盡至誠、不求伸己可也。曰、接弟之道如何。曰、盡友愛之道而已。
【読み】
或るひと曰く、兄に事えて禮を盡くせども、兄の懽心を得ずんば、奈何、と。曰く、但當に敬を起こし孝を起こすべく、至誠を盡くして、己を伸ぶることを求めずして可なり、と。曰く、弟に接するの道如何、と。曰く、友愛の道を盡くすのみ、と。

問、妻可出乎。曰、妻不賢、出之何害。如子思亦嘗出妻。今世俗乃以出妻爲醜行、遂不敢爲。古人不如此。妻有不善、便當出也。只爲今人將此作一件大事、隱忍不敢發、或有隱惡、爲其陰持之、以至縱恣、養成不善。豈不害事。人修身刑家最急。纔修身便到刑家上也。又問、古人出妻、有以對姑叱狗、棃蒸不熟者、亦無甚惡而遽出之、何也。曰、此古人忠厚之道也。古之人絕交不出惡聲。君子不忍以大惡出其妻、而以微罪去之。以此見其忠厚之至也。且如叱狗於親前者、亦有甚大故不是處。只爲他平日有故、因此一事出之爾。或曰、彼以此細故見逐、安能無辭。兼他人不知是與不是、則如之何。曰、彼必自知其罪。但自己理直可矣。何必更求他人知。然有識者、當自知之也。如必待彰暴其妻之不善、使他人知之、是亦淺丈夫而已。君子不如此。大凡人說話、多欲令彼曲我直。若君子、自有一箇含容意思。或曰、古語有之、出妻令其可嫁、絕友令其可交。乃此意否。曰、是也。
【読み】
問う、妻出す可けんや、と。曰く、妻不賢ならば、之を出すとも何の害あらん。子思の如きすら亦嘗て妻を出せり。今の世俗は乃ち妻を出すを以て醜行と爲して、遂に敢えてせず。古人は此の如くならず。妻不善有れば、便ち當に出すべし。只今の人此を將て一件の大事と作すが爲に、隱し忍んで敢えて發せず、或は隱惡有れば、其が爲に陰[ひそ]かに之を持して、以て縱恣して、不善を養成するに至る。豈事を害せざらんや。人身を修むれば刑家最も急なり。纔かに身を修むれば便ち刑家上に到る、と。又問う、古人妻を出すに、姑に對して狗を叱し、棃蒸して熟せざるを以てする者有り、亦甚だしき惡無けれども而も遽に之を出すは、何ぞや、と。曰く、此れ古人忠厚の道なり。古の人交わりを絕つとも惡聲を出さず。君子大惡を以て其の妻を出すに忍びずして、微罪を以て之を去る。此を以て其の忠厚の至りを見ん。且つ狗を親の前に叱するが如き者、亦甚の大故不是なる處有らん。只他平日故有るが爲に、此の一事に因りて之を出すのみ、と。或るひと曰く、彼此の細故を以て逐わるれば、安んぞ能く辭すこと無からん。兼ねて他人是と不是とを知らざるときは、則ち之を如何、と。曰く、彼必ず自ら其の罪を知らん。但自己理直くして可なり。何ぞ必ず更に他人の知らんことを求めん。然も識る者有れば、當に自づから之を知るべし。如し必ず其の妻の不善を彰暴して、他人をして之を知らしむることを待つは、是れ亦淺丈夫なるのみ。君子は此の如くならず。大凡人の說話、多くは彼をして曲り我をして直からしめんことを欲す。君子の若きは、自づから一箇の含容の意思有り、と。或るひと曰く、古語に之れ有り、妻を出しては其をして嫁す可からしめ、友を絕っては其をして交る可からしむ、と。乃ち此の意なるや否や、と。曰く、是なり、と。

問、士未仕而昏、用命服、禮乎。曰、昏姻重禮。重其禮者、當盛其服。況古亦有是(士乘墨車之類。)。今律亦許假借。曰、無此服而服之、恐僞。曰、不然。今之命服、乃古之下士之服。古者有其德則仕。士未仕者、也服之。其宜也。若農商則不可。非其類也。或曰、不必用可否。曰、不得不可以爲悅。今得用而用之、何害。過期非也。
【読み】
問う、士未だ仕えずして昏するに、命服を用うるは、禮か、と。曰く、昏姻は重禮なり。其の禮を重んずる者は、當に其の服を盛んにす。況んや古亦是れ有るをや(士墨車に乘るの類。)。今律にも亦假借するを許す、と。曰く、此の服無くして之を服せば、恐らくは僞りならん、と。曰く、然らず。今の命服は、乃ち古の下士の服なり。古は其の德有れば則ち仕う。士未だ仕えざる者も、也[また]之を服す。其の宜しきなり。農商の若きは則ち不可なり。其の類に非ざればなり、と。或るひと曰く、必ずしも用いずんば可ならんや否や、と。曰く、得ずんば以て悅びを爲す可からず。今用うることを得て之を用う、何の害あらん。期に過ぐるは非なり、と。

昏禮不用樂、幽陰之義。此說非是。昏禮豈是幽陰。但古人重此大禮、嚴肅其事、不用樂也。昏禮不賀、人之序也。此說却是。婦質明而見舅姑、成婦也。三日而後宴樂、禮畢也。宴不以夜、禮也。
【読み】
昏禮に樂を用いざるは、幽陰の義、と。此の說是に非ず。昏禮豈是れ幽陰ならんや。但古人此の大禮を重んじて、其の事を嚴肅にして、樂を用いざるなり。昏禮賀せざるは、人の序なればなり、と。此の說却って是なり。婦質明にして舅姑に見えて、婦と成る。三日にして後宴樂するは、禮畢ればなり。宴夜を以てせざるは、禮なり、と。

問、臣拜君、必於堂下。子拜父母、如之何。對曰、君臣以義合、有貴賤。故拜於堂下。父子主恩、有尊卑、無貴賤。故拜於堂上。若婦於舅姑、亦是義合、有貴賤。故拜於堂下、禮也。
【読み】
問う、臣君を拜するに、必ず堂下に於てす。子父母を拜すること、之を如何にせん、と。對えて曰く、君臣は義を以て合い、貴賤有り。故に堂下に拜す。父子は恩を主として、尊卑有りて、貴賤無し。故に堂上に拜す。婦の舅姑に於るが若きも、亦是れ義をもって合い、貴賤有り。故に堂下に拜するは、禮なり、と。

問、嫂叔古無服。今有之、何也。曰、禮記曰、推而遠之也。此說不是嫂與叔、且遠嫌。姑與嫂、何嫌之有。古之所以無服者、只爲無屬(其夫屬乎父道者、妻皆母道也。其夫屬乎子道者、妻皆婦道也。)。今上有父有母、下有子有婦。叔父叔伯、父之屬也。故叔母伯母之服、與叔父叔伯同。兄弟之子、子之屬也。故兄弟之子之婦服、與兄弟之子同。若兄弟、則己之屬也。難以妻道屬其妻。此古者所以無服(以義理推不行也。)。今之有服亦是。豈有同居之親而無服者。又問、旣是同居之親、古却無服。豈有兄弟之妻死、而己恝然無事乎。曰、古者雖無服、若哀戚之心自在。且如鄰里之喪、尙舂不相不巷歌、匍匐救之。況至親乎。
【読み】
問う、嫂叔は古服無し。今之れ有るは、何ぞや、と。曰く、禮記に曰く、推して之を遠ざくる、と。此の說は是れ嫂と叔と、且つ遠嫌するにあらず。姑と嫂と、何ぞ嫌うこと之れ有らん。古の服無き所以の者は、只屬無きが爲なり(其の夫父の道に屬する者は、妻皆母の道なり。其の夫子の道に屬する者は、妻皆婦の道なり。)。今上に父有り母有り、下に子有り婦有り。叔父叔伯は、父の屬なり。故に叔母伯母の服と、叔父叔伯とは同じ。兄弟の子は、子の屬なり。故に兄弟の子の婦の服と、兄弟の子とは同じ。兄弟の若きは、則ち己の屬なり。妻の道を以て其の妻に屬し難し。此れ古服無き所以なり(義理を以て推して行わず。)。今の服有るは亦是なり。豈同じく居するの親ありて服無き者有らんや、と。又問う、旣に是れ同じく居するの親あり、古は却って服無し。豈兄弟の妻死して、己恝然[かつぜん]として事無きこと有らんや、と。曰く、古は服無しと雖も、哀戚の心の若きは自づから在り。且鄰里の喪も如きすら、尙舂[つ]くに相せず巷に歌わず、匍匐して之を救う。況んや至親をや、と。

服有正、有義、有從、有報。古者婦喪舅姑以期。今以三年、於義亦可。但名未正、此可(呂本・徐本可作亦。)謂之從服(從夫也。蓋與夫同奉几筵、而己不可獨無服。)。報服、若姑之子爲舅之子服是也。異性之服、只推得一重。若爲母而推、則及舅而止。若爲姑而推、則可以及其子。故舅之子無服。却爲旣與姑之子爲服、姑之子須當報之也。故姑之子、舅之子、其服同。
【読み】
服に正有り、義有り、從有り、報有り。古は婦舅姑に喪するに期を以てす。今は三年を以てするも、義に於て亦可なり。但名未だ正しからず、此れ之を從服と謂う可し(呂本・徐本可を亦に作る。)(夫に從うなり。蓋し夫と同じく几筵に奉じて、己獨り服無かる可からず。)。報服は、姑の子舅の子の爲に服するが若き是れなり。異性の服は、只一重を推し得。若し母の爲にして推すときは、則ち舅に及ぼして止む。若し姑の爲にして推すときは、則ち以て其の子に及ぼす可し。故に舅の子は服無し。却って旣に姑の子の與[ため]に服を爲すことをすれば、姑の子須く當に之を報ずべし。故に姑の子、舅の子、其の服同じ。

八歲爲下殤、十四爲中殤、十九爲上殤、七歲以下爲無服之殤。無服之殤、更不祭。下殤之祭、父母主之、終父母之身。中殤之祭、兄弟主之、終兄弟之身。上殤之祭、兄弟之子主之、終兄弟之子之身。若成人而無後者、兄弟之孫主之、亦終其身。凡此、皆以義起也。
【読み】
八歲を下殤とし、十四を中殤とし、十九を上殤とし、七歲以下は無服の殤とす。無服の殤は、更に祭らず。下殤の祭は、父母之を主りて、父母の身に終う。中殤の祭は、兄弟之を主りて、兄弟に身に終う。上殤の祭は、兄弟の子之を主りて、兄弟の子の身に終う。若し成人にして後無き者は、兄弟の孫之を主りて、亦其の身に終う。凡そ此れ、皆義を以て起こすなり。

問、女旣嫁而爲父母服三年、可乎。曰、不可。旣歸夫家、事佗舅姑。安得伸己之私。
【読み】
問う、女旣に嫁して父母の爲に服三年せば、可ならんや、と。曰く、不可なり。旣に夫の家に歸しては、佗の舅姑に事う。安んぞ己が私を伸ぶることを得ん、と。

問、人子事親學醫、如何。曰、最是大事。今有璞玉於此、必使玉人彫琢之。蓋百工之事、不可使一人兼之。故使玉人彫琢之也。若更有珍寶物、須是自看却、必不肯任其自爲也。今人視父母疾、乃一任醫者之手。豈不害事。必須識醫藥之道理、別病是如何、藥當如何、故可任醫者也。或曰、己未能盡醫者之術、或偏見不到、適足害事。奈何。曰、且如識圖畫人、未必畫得如畫工、然他却識別得工拙。如自己曾學、令醫者說道理、便自見得。或己有所見、亦可說與他商量。(陳本止此。以下八段、別本所增。)
【読み】
問う、人の子親に事うるに醫を學ぶは、如何、と。曰く、最も是れ大事なり。今此に璞玉有れば、必ず玉人をして之を彫琢せしむ。蓋し百工の事は、一人をして之を兼ねせしむる可からず。故に玉人をして之を彫琢せしむ。若し更に珍寶の物有らば、須く是れ自ら看却すべく、必ず肯えて其の自ら爲すことを任ぜざらん。今の人父母の疾を視て、乃ち一[もっぱ]ら醫者の手に任ず。豈事を害せざらんや。必ず須く醫藥の道理を識るべく、病は是れ如何、藥當に如何にすべしと別ちて、故[ことさら]に醫者に任ず可し、と。或るひと曰く、己未だ醫者の術を盡くすこと能わず、或は偏見到らずんば、適に事を害するに足らん。奈何、と。曰く、且圖畫を識る人、未だ必ずしも畫き得ること畫工の如くならざれども、然れども他却って工拙を識別し得るが如し。如し自己曾て學んで、醫者をして道理を說かしめば、便ち自ら見得ん。或は己所見有らば、亦說いて他と商量す可し、と。(陳本此に止む。以下の八段は、別本增す所。)

上古之時、自伏羲・堯・舜、歷夏・商以至周、或文或質、因襲損益、其變旣極、其法旣詳。於是孔子參酌其宜、以爲百王法度之中制。此其所以春秋作也。孫明復主以無王而作、亦非是。但顏淵問爲邦、聖人對之以行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、則是大抵聖人以道不得用、故考古驗今、參取百王之中制、斷之以義也。
【読み】
上古の時、伏羲・堯・舜自り、夏・商を歷て以て周に至るまで、或は文或は質、因襲損益して、其の變旣に極まり、其の法旣に詳らかなり。是に於て孔子其の宜を參酌して、以て百王法度の中制を爲る。此れ其の春秋の作れる所以なり。孫明復以て王無くして作ると主とするは、亦是に非ず。但顏淵邦を爲むることを問うに、聖人之に對うるに夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞をせよを以てするときは、則ち是れ大抵聖人道の用うることを得ざるを以て、故に古を考え今を驗して、百王の中制を參取し、之を斷ずるに義を以てするなり。

禘者、魯僭天子之大祭也。灌者、祭之始也。以其僭上之祭、故自灌以往、不欲觀之。
【読み】
禘は、魯天子の大祭を僭するなり。灌は、祭の始めなり。其の上を僭するの祭を以て、故に灌して自り以往、之を觀ることを欲せず。

凡觀書、不可以相類泥其義。不爾則字字相梗。當觀其文勢上下之意。如充實之謂美、與詩之美不同。
【読み】
凡そ書を觀るには、相類することを以て其の義に泥む可からず。爾らずんば則ち字字相梗[ふさ]がる。當に其れ文勢上下の意を觀るべし。充實之を美と謂うが如き、詩の美と同じからず。

學者後來多耽莊子。若謹禮者不透、則是佗須看莊子、爲佗極有膠固纏縛、則須求一放曠之說以自適。譬之有人於此、久困纏縛、則須覓一箇出身處。如東漢之末尙節行、尙節行太甚、須有東晉放曠、其勢必然。
【読み】
學者後來多くは莊子に耽る。若し禮を謹む者透らずんば、則ち是れ佗須く莊子を看るべく、佗極めて膠固有るが爲に纏縛し、則ち須く一放曠の說を求めて以て自適すべし。之を譬うるに人此に有り、久しく纏縛に困しむときは、則ち須く一箇の出身する處を覓[もと]むべし。東漢の末節行を尙ぶが如き、節行を尙ぶこと太甚だしければ、須く東晉の放曠有るべく、其の勢必ず然り。

冬至書雲、亦有此理、如周禮觀祲之義。古太史旣有此職、必有此事。又如太史書、不知周公一一曾與不曾看過、但甚害義理、則必去之矣。如今靈臺之書、須十去八九、乃可行也。今厤法甚好。其佗禁忌之書、如葬埋昏嫁之類、極有害。
【読み】
冬至に雲を書すこと、亦此の理有り、周禮觀祲[しん]の義の如し。古太史旣に此の職有れば、必ず此の事有り。又太史の書の如き、周公一一曾てすると曾て看過せざるとを知らず、但甚だ義理を害せば、則ち必ず之を去る。今の靈臺の書如き、須く十に八九を去って、乃ち行わる可し。今の厤法甚だ好し。其の佗の禁忌の書、葬埋昏嫁の類の如きは、極めて害有り。

論語問同而答異者至多。或因人材性、或觀人之所問意思、而言及所到地位。
【読み】
論語問うこと同じくして答うること異なる者至って多し。或は人の材性に因り、或は人の問う所の意思を觀て、而して言到る所の地位に及ぶ。

極高明、道中庸、所以爲民極。極之爲物、中而能高者也。
【読み】
高明を極めて、中庸に道[よ]るは、民の極を爲す所以なり。極の物爲る、中にして能く高き者なり。

君子不成章不達。易曰、美在其中、暢於四支。成章之謂也。
【読み】
君子章[あや]を成さざれば達せず、と。易に曰く、美其の中に在り、四支に暢[の]ぶ、と。章を成すの謂なり。

予官吉之永豐簿、沿檄至臨川、見劉元承之子縣丞諴、問其父所錄伊川先生語。蒙示以元承手編。伏讀歎仰。因乞傳以歸。建炎元年十月晦日、庵山陳淵謹書。
【読み】
予吉の永豐の簿に官たるとき、檄に沿って臨川に至り、劉元承の子縣丞諴に見えて、其の父錄する所の伊川先生の語を問う。示さるるに元承の手編を以てす。伏し讀みて歎仰す。因りて乞い傳えて以て歸る。建炎元年十月晦日、庵山の陳淵謹んで書す。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)