二程全書卷之二十  遺書伊川先生語五

楊遵道錄

問、格物是外物、是性分中物。曰、不拘。凡眼前無非是物。物物皆有理。如火之所以熱、水之所以寒、至於君臣父子閒皆是理。又問、只窮一物、見此一物、還便見得諸理否。曰、須是徧求。雖顏子亦只能聞一知十。若到後來達理了、雖億萬亦可通。又問、如荆公窮物、一部字解、多是推五行生成。如今窮理、亦只如此著工夫、如何。曰、荆公舊年說話煞得。後來却自以爲不是、晩年盡支離了。
【読み】
問う、物に格るというは是れ外物か、是れ性分中の物か、と。曰く、拘わらざれ。凡そ眼前是れ物に非ずということ無し。物物皆理有り。火の熱き所以、水の寒[ひ]える所以の如き、君臣父子の閒に至るまで皆是れ理なり、と。又問う、只一物を窮めて、此の一物を見れば、還って便ち諸の理を見得せんや否や、と。曰く、須く是れ徧く求むべし。顏子と雖も亦只能く一を聞いて十を知るのみ。若し後來理に達し了わるに到っては、億萬と雖も亦通ず可し、と。又問う、荆公が物を窮むるが如き、一部の字解、多くは是れ五行の生成を推す。今の理を窮むるが如きも、亦只此の如く工夫を著けば、如何、と。曰く、荆公舊年の說話煞だ得たり。後來却って自ら以て不是と爲し、晩年は盡く支離し了わる、と。

問、古之學者爲己。不知初設心時、是要爲己、是要爲人。曰、須先爲己、方能及人。初學只是爲己。鄭宏中云、學者先須要仁。仁所以愛人。正是顚倒說却。
【読み】
問う、古の學者は己が爲にす、と。知らず、初めて心を設くる時、是れ己が爲にすることを要するか、是れ人の爲にすることを要するか、と。曰く、須く先づ己が爲にして、方に能く人に及ぼすべし。初學は只是れ己が爲にす。鄭宏中が云く、學者は先づ須く仁を要すべし。仁は人を愛する所以なり、と。正に是れ顚倒して說却す、と。

新民、以明德新民。
【読み】
民を新たにするは、明德を以て民を新たにするなり。

問、日新有進意、抑只是無敝意。曰、有進意。學者求有益、須是日新。
【読み】
問う、日に新たなるは進むこと有るの意か、抑々只是れ敝[やぶ]るること無きの意か、と。曰く、進むこと有るの意なり。學者益有らんことを求めば、須く是れ日に新たにすべし、と。

問、有所忿懥・恐懼・憂患、心不得其正。是要無此數者、心乃正乎。曰、非是謂無。只是不以此動(一本作累。)其心。學者未到不動處、須是執持其志。
【読み】
問う、忿懥・恐懼・憂患する所有れば、心其の正しきことを得ず、と。是れ此の數者無きことを要せば、心は乃ち正しからんか、と。曰く、是れ無しと謂うには非ず。只是れ此を以て其の心を動かさざるなり(一本に累に作る。)。學者未だ動かざる處に到らざれば、須く是れ其の志を執持すべし、と。

師出以律、否臧凶。律有二義、有出師不以義者、有行師而無號令節制者、皆失律也。師出當以律。不然、雖臧亦凶。今人用師、惟務勝而已。
【読み】
師出るに律を以てす、否らざれば臧[よ]きとも凶なり、と。律に二義有り、師を出すに義を以てせざる者有り、師を行って號令節制無き者有り、皆律を失うなり。師出るには當に律を以てすべし。然らざれば、臧しと雖も亦凶なり。今の人師を用うるは、惟勝たんことを務むるのみ。

弟子輿尸、貞凶。帥師以長子。今以弟子衆主之。亦是失律。故雖貞亦凶也。
【読み】
弟子尸を輿[の]す、貞なれども凶なり、と。師を帥いるは長子を以[もち]う。今弟子を以て衆之を主とす。亦是れ律を失う。故に貞なりと雖も亦凶なり。

豶豕之牙。豕牙最能嚙害人。只制其牙、如何制得。今人爲惡、却只就他惡禁之、便無由禁止。此見聖人機會處。
【読み】
豕の牙を豶す、と。豕の牙は最も能く嚙んで人を害す。只其の牙を制せば、如何ぞ制し得ん。今の人惡を爲すに、却って只他の惡に就いて之を禁ぜば、便ち禁止するに由無し。此れ聖人機會の處を見すなり。

喪羊于易。羊羣行而觸物。大壯衆陽竝進。六五以陰居位。惟和易然後可以喪羊。易非難易之易、乃和易樂易之易。
【読み】
羊を易に喪う、と。羊羣行して物に觸れる。大壯は衆陽竝び進む。六五は陰を以て位に居る。惟和易にして然して後に以て羊を喪う可し。易は難易の易に非ず、乃ち和易樂易の易なり。

易有百餘家、難爲徧觀。如素未讀、不曉文義。且須看王弼・胡先生・荆公三家。理會得文義。且要熟讀。然後却有用心處。
【読み】
易に百餘家有って、徧く觀ることを爲し難し。如し素より未だ讀まずんば、文義を曉らじ。且須く王弼・胡先生・荆公の三家を看るべし。文義を理會し得ん。且熟讀せんことを要す。然して後に却って心を用うる處有らん。

讀易須先識卦體。如乾有元亨利貞四德、缺却一箇、便不是乾、須要認得。
【読み】
易を讀むには須く先づ卦の體を識るべし。乾に元亨利貞の四德有るが如き、一箇を缺却すれば、便ち是れ乾にあらざること、須く認得せんことを要すべし。

反復道也、言終日乾乾往來、皆由於道也。三位在二體之中、可進而上、可退而下。故言反復。知至至之、如今學者且先知有至處、便從此至之、是可與幾也。非知幾者、安能先識至處。知終終之、知學之終處而終之、然後可與守義。王荆公云、九三知九五之位可至而至之。大煞害事。使人臣常懷此心、大亂之道。亦自不識湯・武。知至至之、只是至其道也。
【読み】
反復の道なりとは、言うこころは、終日乾乾として往來、皆道に由るなり。三位二體の中に在って、進んで上る可く、退いて下る可し。故に反復と言う。至ることを知って之に至るとは、如今の學者且に先づ至る處有ることを知って、便ち此に從いて之に至らば、是れ與に幾す可し。幾を知る者に非ずんば、安んぞ能く先づ至る處を識らん。終わることを知って之を終うとは、學の終わる處を知って之を終え、然して後に與に義を守る可し。王荆公が云く、九三九五の位至る可きことを知って之に至る、と。大いに煞だ事を害す。人臣をして常に此の心を懷かしめば、大亂の道なり。亦自づから湯・武を識らず。至ることを知って之に至るは、只是れ其の道に至るなり。

荆公言用九只在上九一爻、非也。六爻皆用九。故曰、見羣龍无首吉。用九便是行健處。天德不可爲首、言乾以至剛健、又安可更爲物先。爲物先則有禍。所謂不敢爲天下先。乾順時而動、不過處、便是不爲首。六爻皆同。
【読み】
荆公用九は只上九の一爻に在りと言うは、非なり。六爻は皆用九なり。故に曰く、羣龍を見るに首无くして吉なり、と。用九は便ち是れ行健の處なり。天德は首と爲る可からずとは、言うこころは、乾は至って剛健なるを以て、又安んぞ更に物の先と爲る可けんや、と。物の先と爲るときは則ち禍い有り。所謂敢えて天下の先と爲らざるなり。乾時に順って動いて、過たざる處、便ち是れ首と爲らざるなり。六爻皆同じ。

問、胡先生解九四作太子。恐不是卦義。先生云、亦不妨。只看如何用。當儲貳、則做儲貳。使九四近君、便作儲貳亦不害、但不要拘一。若執一事、則三百八十四爻只作得三百八十四件事便休也。
【読み】
問う、胡先生九四を解して太子と作す。恐らくは是れ卦の義にあらじ、と。先生云く、亦妨げず。只如何にか用うということを看よ。儲貳[ちょじ]に當たっては、則ち儲貳と做せ。九四をして君に近づけしめば、便ち儲貳と作すも亦害あらず、但一に拘わることを要せざれ。若し一事に執せば、則ち三百八十四爻は只三百八十四件の事と作し得て便ち休まん、と。

看易、且要知時。凡六爻、人人有用。聖人自有聖人用、賢人自有賢人用、衆人自有衆人用、學者自有學者用。君有君用、臣有臣用、無所不通。因問、坤卦是臣之事、人君有用處否。先生曰、是何無用。如厚德載物、人君安可不用。
【読み】
易を看るは、且に時を知らんことを要すべし。凡そ六爻、人人用有り。聖人は自づから聖人の用有り、賢人は自づから賢人の用有り、衆人は自づから衆人の用有り、學者は自づから學者の用有り。君は君の用有り、臣は臣の用有り、通ぜずという所無し。因りて問う、坤の卦は是れ臣の事、人君用うる處有るや否や、と。先生曰く、是れ何ぞ用うること無からんや。厚德にて物を載するが如き、人君安んぞ用いざる可けん、と。

陰爲小人、利爲不善、不可一概論。夫陰助陽以成物者君子也。其害陽者小人也。夫利和義者善也。其害義者不善也。
【読み】
陰を小人と爲し、利を不善と爲して、一概に論ずる可からず。夫れ陰陽を助けて以て物を成す者は君子なり。其の陽を害する者は小人なり。夫れ利義を和する者は善なり。其の義を害する者は不善なり。

利貞者性情也、言利貞便是乾之性情。因問、利與以利爲本之利同否。先生曰、凡字只有一箇、用有不同、只看如何用。凡順理無害處便是利。君子未嘗不欲利。然孟子言何必曰利者、蓋只以利爲心則有害。如上下交征利而國危、便是有害。未有仁而遺其親、未有義而後其君。不遺其親、不後其君、便是利。仁義未嘗不利。
【読み】
利貞は性情なりとは、言うこころは、利貞は便ち是れ乾の性情なり。因りて問う、利は利を以て本と爲すの利と同じきや否や、と。先生曰く、凡そ字只一箇有りて、用同じからざること有り、只如何にか用うということを看よ。凡そ理に順って害無き處は便ち是れ利なり。君子は未だ嘗て利を欲せずんばあらず。然るに孟子何ぞ必ずしも利と曰わんと言う者は、蓋し只利を以て心と爲すときは則ち害有ればなり。上下交々利を征[と]って國危きが如きは、便ち是れ害有るなり。未だ仁あって其の親を遺[わす]るることは有らず、未だ義ありて其の君を後にすることは有らず、と。其の親を遺れず、其の君を後にせざるは、便ち是れ利なり。仁義未だ嘗て利あらずんばあらず、と。

謝師直爲長安漕、明道爲鄠縣簿、論易及春秋。明道云、運使、春秋猶有所長、易則全理會不得。師直一日說與先生。先生答曰、據某所見、二公皆深知易者。師直曰、何故。先生曰、以運使能屈節問一主簿、以一主簿敢言運使不知易。非深知易道者不能。
【読み】
謝師直長安の漕爲り、明道鄠縣の簿爲るとき、易及び春秋を論ず。明道云く、運使、春秋は猶長ずる所有らん、易は則ち全く理會し得ず、と。師直一日先生に說與す。先生答えて曰く、某が所見に據るに、二公は皆深く易を知る者なり、と。師直曰く、何の故ぞ、と。先生曰く、運使を以て能く節を屈して一主簿に問い、一主簿を以て敢えて運使易を知らずと言わしむ。深く易道を知る者に非ずんば能わず、と。

雲行雨施、是乾之亨處。
【読み】
雲行き雨施すは、是れ乾の亨る處。

乾六爻、如欲見聖人曾履處、當以舜可見。在側陋便是潛、陶漁時便是見、升聞時便是乾乾、納于大麓時便是躍。
【読み】
乾の六爻、如し聖人曾て履む處を見んと欲せば、當に舜を以て見る可し。側陋に在るときは便ち是れ潛、陶漁する時は便ち是れ見、升聞する時は便ち是れ乾乾、大麓に納るる時は便ち是れ躍なり。

介甫以武王觀兵爲九四、大無義理。兼觀兵之說亦自無此事。如今日天命絕、則今日便是獨夫、豈容更留之三年。今日天命未絕、便是君也。爲人臣子、豈可以兵脅其君。安有此義。又紂鷙很(呂本・徐本很作狠。)若此。大史公謂、有七十萬衆。未知是否。然書亦自云、紂之衆若林。三年之中、豈肯容武王如此便休得也。只是太誓一篇前序云、十有一年。後面正經便說、惟十有三年。先儒誤妄、遂轉爲觀兵之說。先王無觀兵之事。不是前序一字錯却、便是後面正經三字錯却。
【読み】
介甫武王兵を觀るを以て九四と爲すは、大いに義理無し。兼ねて兵を觀るの說も亦自づから此の事無し。如し今日天命絕するときは、則ち今日便ち是れ獨夫、豈更に留むること三年なる容けんや。今日天命未だ絕せずんば、便ち是れ君なり。人の臣子爲る、豈兵を以て其の君を脅す可けんや。安んぞ此の義有らん。又紂の鷙很[しこん](呂本・徐本很を狠に作る。)此の若し、と。大史公謂く、七十萬の衆有り、と。未だ是否を知らず。然も書に亦自ら云う、紂の衆林の若し、と。三年の中、豈肯えて武王此の如く便ち休み得る容けんや。只是れ太誓の一篇の前序に云う、十有一年、と。後面の正經に便ち說く、惟れ十有三年、と。先儒の誤妄、遂に轉じて兵を觀るの說を爲す。先王兵を觀るの事無し。是れ前序の一の字錯却せずんば、便ち是れ後面の正經の三の字を錯却せん。

先儒以六爲老陰、八爲少陰、固不是。介甫以爲進君子而退小人、則是聖人旋安排義理也。此且定陰陽之數、豈便說得義理。九六只是取純陰純陽。惟六爲純陰。只取河圖數見之、過六則一陽生。至八便不是純陰。
【読み】
先儒六を以て老陰と爲し、八を少陰と爲すは、固より是ならず。介甫以爲えらく、君子を進めて小人を退くときは、則ち是れ聖人旋[やや]義理を安排す、と。此れ且に陰陽の數を定むべく、豈便ち義理を說き得んや。九六は只是れ純陰純陽に取る。惟六を純陰と爲す。只河圖の數を取って之を見るに、六を過ぎれば則ち一陽生ず。八に至っても便ち是れ純陰ならず。

或以小畜爲臣畜君、以大畜爲君畜臣。先生云、不必如此。大畜只是所畜者大、小畜只是所畜者小、不必指定一件事、便是君畜臣、臣畜君。皆是這箇道理、隨大小用。
【読み】
或るひと小畜を以て臣君を畜うと爲し、大畜を以て君臣を畜うと爲す。先生云く、必ずしも此の如くならず。大畜は只是れ畜わるる者大、小畜は只是れ畜わるる者小、必ずしも指して一件の事と定めて、便ち是れ君臣を畜い、臣君を畜うとせず。皆是れ這箇の道理、大小に隨いて用う、と。

陳瑩中答吳國華書、天在山中說云、便是芥子納須彌之義。先生謂、正南北說、却須彌無體、芥子無量。
【読み】
陳瑩中が吳國華に答うる書、天山中に在るの說に云う、便ち是れ芥子に須彌を納るるの義、と。先生謂く、南北を正して說くに、却って須彌は體無く、芥子は量無し、と。

問、瑩中嘗愛文中子、或問學易、子曰、終日乾乾可也。此語最盡。文王所以聖、亦只是箇不已。先生曰、凡說經義、如只管節節推上去、可知是盡。夫終日乾乾、未盡得易。據此一句、只做得九三使。若謂乾乾是不已、不已又是道、漸漸推去、則自然是盡。只是理不如此。
【読み】
問う、瑩中嘗て文中子の、或るひと易を學ぶことを問う、子曰く、日を終うるまで乾乾として可なりというを愛す、と。此の語最も盡くせり。文王の聖なる所以も、亦只是れ箇の已まざるなり、と。先生曰く、凡そ經義を說くに、如し只管に節節として推し上げ去らば、是れ盡くせることを知る可し。夫れ日を終うるまで乾乾すというは、未だ易を盡くし得ず。此の一句に據るに、只九三せしむるを做し得るのみ。若し乾乾は是れ已まざるなりと謂わば、已まざるも又是れ道、漸漸に推し去らば、則ち自然に是れ盡きん。只是れ理は此の如くならず、と。

子在川上曰、逝者如斯夫、言道之體(一作往。)如此。這裏須是自見得。張繹曰、此便是無窮。先生曰、固是道無窮。然怎生一箇無窮便了得他(一作便道了却他。)
【読み】
子川の上に在りて曰く、逝く者は斯の如きかとは、言うこころは、道の體(一に往に作る。)は此の如し。這の裏に須く是れ自づから見得すべし、と。張繹曰く、此は便ち是れ窮まり無し、と。先生曰く、固に是れ道窮まり無し。然れども怎生ぞ一箇の窮まり無き便ち他を了得せん、と(一に便ち道他を了却せんに作る。)

問、括囊事還做得在位使否。先生曰、六四位是在上。然坤之六四却是重陰、故云賢人隱。便做不得在位。又問、恐後人緣此、謂有朝隱者。先生曰、安有此理。向林希嘗有此說、謂楊雄爲祿隱。楊雄後人只爲見他著書、便須要做他是。怎生做得是。因問、如劇秦文、莫不當作。先生云、或云非是美之、乃譏之也。然王莽將來族誅之。亦未足道、又何足譏。譏之濟得甚事。或云且以免死。然已自不知明哲煌煌之義、何足以保身。作太玄本要明易、却尤晦知易。其實無益。眞屋下架屋、牀上疊牀。他只是於易中得一數爲之。於厤法雖有合、只是無益。今更於易中推出來、做一百般太玄、亦得要尤難明、亦得只是不濟事。
【読み】
問う、括囊の事は還って位に在りてせしむと做し得るや否や、と。先生曰く、六四は位是れ上に在り。然れども坤の六四は却って是れ重陰、故に賢人隱ると云う。便ち位に在ると做し得ず、と。又問う、恐らくは後人此に緣って、朝に有りて隱るる者と謂わん、と。先生曰く、安んぞ此の理有らん。向林希嘗て此の說有りて、楊雄を謂いて祿隱と爲す。楊雄は後人只他の著書を見るが爲に、便ち他を是と做すことを須要す。怎生ぞ是と做し得ん、と。因りて問う、劇秦の文の如き、當に作るべからざること莫しや、と。先生云く、或るひと是れ之を美むるに非ず、乃ち之を譏るなりと云う。然も王莽將來之を族誅す。亦未だ道うに足らず、又何ぞ譏るに足らん。之を譏って甚の事を濟し得る、と。或るひと且に以て死を免ると云う。然れども已に自ら明哲煌煌の義を知らず、何ぞ以て身を保つに足らん。太玄を作れるは本易を明かさんことを要するに、却って尤も易を知るに晦し。其の實は益無し。眞に屋下に屋を架し、牀上に牀を疊[かさ]ぬるなり。他只是れ易中に於て一數を得て之を爲るのみ。厤法に於て合すること有りと雖も、只是れ益無し。今更に易中に於て推し出し來りて、一百般の太玄を做すとも、亦要尤も明かし難きことを得るとも、亦只是れ事を濟さざることを得るのみ、と。

大明終始、人能大明乾之終始、便知六位時成、却時乘六龍以當天事。
【読み】
大いに終始を明らかにすとは、人能く大いに乾の終始を明らかにすれば、便ち六位時に成り、却って時に六龍に乘じて以て天の事に當たることを知る。

先迷後得是一句、主利是一句、蓋坤道惟是主利。文言後得主而有常處、脫却一利字。
【読み】
先んずるときは迷い後るるときは得るという是の一句、利を主とすという是の一句、蓋し坤道は惟是れ利を主とす。文言に後るるときは得て主として常有りという處、一つの利の字を脫却す。

介甫解直方大云、因物之性而生之、直也。成物之形而不可易、方也。人見似好、只是不識理。如此、是物先有箇性、坤因而生之。是甚義理。全不識也。
【読み】
介甫直方大を解して云く、物の性に因りて之を生ずるは、直なり。物の形を成して易う可からざるは、方なり、と。人見て好きに似れども、只是れ理を識らず。此の如くならば、是れ物先づ箇の性有りて、坤因りて之を生ずとす。是れ甚の義理あらん。全く識らざるなり。

至大・至剛・以直、此三者不可闕一。闕一便不是浩然之氣。如坤所謂直方大是也。但坤卦不可言剛。言剛則害坤體。然孔子於文言又曰、坤至柔而動也剛。方卽剛也。因問、見李籲錄明道語中、却與先生說別。解至剛處云、剛則不屈。則是於至剛已帶却直意。又曰、以直道順理而養之。則是以直字連下句。在學者著工夫處說却。先生曰、先兄無此言。便不講論到此。舊嘗令學者不要如此編錄。纔聽得、轉動便別。舊曾看、只有李籲一本無錯編者。他人多只依說時、不敢改動、或脫忘一兩字、便大別。李籲却得其意、不拘言語、往往錄得都是。不知尚有此語。只剛則不屈、亦未穩當。
【読み】
至大・至剛・以直、此の三つの者は一つも闕く可からず。一つを闕けば便ち是れ浩然の氣にあらず。坤の所謂直方大の如き是れなり。但坤の卦は剛を言う可からず。剛を言えば則ち坤の體を害す。然れども孔子文言に於て又曰く、坤は至柔にして動くこと剛なり、と。方は卽ち剛なり。因りて問う、李籲が錄せる明道の語の中を見るに、却って先生の說と別なり。至剛の處を解して云く、剛は則ち屈せず、と。則ち是れ至剛に於て已に直なる意を帶却す。又曰く、直道を以て理に順いて之を養う、と。則ち是れ直の字を以て下の句に連ぬ。學者工夫を著くる處に在って說却す、と。先生曰く、先兄に此の言無けん。便ち講論此に到らじ。舊嘗て學者をして此の如く編錄することを要せしめじ。纔かに聽き得れば、轉動して便ち別なり。舊曾て看るに、只李籲が一本錯編無き者有り。他人多くは只說く時に依りて、敢えて改動せず、或は一兩字を脫忘して、便ち大いに別なり。李籲は却って其の意を得て、言語に拘わらず、往往に錄し得ること都て是なり。尚此の語有ることを知らず。只剛は則ち屈せずというは、亦未だ穩當ならず、と。

孔子敎人、各因其材。有以政事入者、有以言語入者、有以德行入者。
【読み】
孔子の人を敎うる、各々其の材に因る。政事を以て入る者有り、言語を以て入る者有り、德行を以て入る者有り。

性出於天、才出於氣。氣淸則才淸、氣濁則才濁。譬猶木焉。曲直者性也。可以爲棟梁、可以爲榱桷者才也。才則有善與不善、性則無不善。惟上智與下愚不移、非謂不可移也。而有不移之理。所以不移者、只有兩般。爲自暴自棄、不肯學也。使其肯學、不自暴自棄、安不可移哉。
【読み】
性は天に出で、才は氣に出づ。氣淸めるときは則ち才淸み、氣濁れるときは則ち才濁る。譬えば猶木のごとし。曲直は性なり。以て棟梁と爲す可く、以て榱桷[すいかく]と爲す可き者は才なり。才は則ち善と不善と有り、性は則ち不善無し。惟上智と下愚とは移らずとは、移る可からずと謂うには非ず。而れども移らざるの理有り。移らざる所以の者は、只兩般有り。自ら暴ない自ら棄つることを爲して、肯えて學ばざるなり。其をして肯えて學んで、自ら暴ない自ら棄てずんば、安んぞ移る可からざらんや。

楊雄・韓愈說性、正說著才也。
【読み】
楊雄・韓愈が性を說くは、正に才を說著するなり。

韓退之說、叔向之母聞楊食我之生、知其必滅宗。此無足怪。其始便稟得惡氣、便有滅宗之理。所以聞其聲而知之也。使其能學、以勝其氣、復其性、可無此患。
【読み】
韓退之說く、叔向が母楊食我が生まるるを聞いて、其の必ず宗を滅ぼさんことを知る、と。此れ怪しむに足ること無し。其の始め便ち惡氣を稟け得て、便ち宗を滅ぼすの理有り。所以に其の聲を聞いて之を知れるなり。其をして能く學んで、以て其の氣に勝って、其の性に復らしめば、此の患え無かる可し。

性相近也、此言所稟之性。不是言性之本。孟子所言、便正言性之本。
【読み】
性は相近しとは、此れ稟くる所の性を言う。是れ性の本を言うにあらず。孟子の言う所は、便ち正しく性の本を言う。

問、先生云、性無不善、才有善不善、楊雄・韓愈皆說著才。然觀孟子意、却似才亦無有不善。及言所以不善處、只是云舍則失之、不肯言初稟時有不善之才。如云非天之降才爾殊、是不善不在才、但以遇凶歲陷溺之耳。又觀牛山之木、人見其濯濯也、以爲未嘗有材焉。此豈山之性、是山之性未嘗無材、只爲斧斤牛羊害之耳。又云、人見其禽獸也、以爲未嘗有才焉。是豈人之情也哉。所以無才者、只爲旦晝之所爲有梏亡之耳。又云、乃若其情則可以爲善矣。乃所謂善。若夫爲不善、非才之罪也。則是以情觀之、而才未嘗不善。觀此數處、切疑才是一箇爲善之資。譬如作一器械、須是有器械材料、方可爲也。如云側隱之心仁也云云、故曰、求則得之、舍則失之、或相倍蓰而無算者、不能盡其才也、則四端者便是爲善之才、所以不善者、以不能盡此四端之才也。觀孟子意、似言性情才三者皆無不善。亦不肯於所稟處說不善。今謂才有善不善、何也。或云、善之地便是性。欲爲善便是情。能爲善便是才。如何。先生云、上智下愚便是才。以堯爲君而有象、以瞽瞍爲父而有舜、亦是才。然孟子只云非才之罪者、蓋公都子正問性善、孟子且答他正意、不暇一一辨之、又恐失其本意。如萬章問象殺舜事、夫堯已妻之二女、迭爲賓主。當是時、已自近君。豈復有完廩浚井之事。象欲使二嫂治棲。當是時、堯在上。象還自度得道殺却舜後、取其二女、堯便了得否。必無此事。然孟子未暇與辨、且答這下意。
【読み】
問う、先生云く、性は不善無く、才は善不善有り、楊雄・韓愈は皆才を說著す、と。然れども孟子の意を觀るに、却って才も亦不善有ること無きに似れり。不善なる所以の處を言うに及んで、只是れ舍つるときは則ち之を失うと云って、肯えて初めに稟くる時不善の才有りと言わず。天の才を降すこと爾[しか]く殊なるに非ずと云うが如き、是れ不善才に在らず、但凶歲に遇って之を陷溺するを以てなるのみ。又牛山の木、人其の濯濯たるを見て、以爲えらく、未だ嘗て材有らず、と。此れ豈山の性ならんやというを觀るに、是れ山の性未だ嘗て材無くんばあらず、只斧斤牛羊之を害するが爲なるのみ。又云く、人其の禽獸なるを見て、以爲えらく、未だ嘗て才有らず、と。是れ豈人の情ならんや、と。才無き所以は、只旦晝のする所有[また]之を梏亡するが爲なるのみ。又云く、乃ち其の情の若きは則ち以て善を爲す可し。乃ち所謂善なり。夫の不善を爲すが若きは、才の罪に非ざるなり、と。則ち是れ情を以て之を觀て、才未だ嘗て善ならずんばあらず。此の數處を觀て、切に疑う、才は是れ一箇善を爲すの資か、と。譬えば一つの器械を作るが如き、須く是れ器械の材料有りて、方に爲る可し。惻隱の心は仁なり云云、故に曰く、求むるときは則ち之を得、舍つるときは則ち之を失う、或は相倍蓰[ばいし]して算[かず]無き者は、其の才を盡くすこと能わざるなりと云うが如き、則ち四端は便ち是れ善を爲すの才、不善なる所以の者は、此の四端の才を盡くすこと能わざるを以てなり。孟子の意を觀るに、性情才の三つの者は皆不善無しと言うに似れり。亦肯えて稟くる所の處に於て不善を說かず。今才に善不善有りと謂うは、何ぞや。或るひと云く、善の地は便ち是れ性なり。善を爲さんと欲するは便ち是れ情なり。能く善を爲すは便ち是れ才なり、と。如何、と。先生云く、上智下愚は便ち是れ才なり。堯を以て君と爲して象有り、瞽瞍を以て父と爲して舜有るも、亦是れ才なり。然るに孟子只才の罪に非ずと云う者は、蓋し公都子正に性善を問い、孟子且に他に正意を答えて、一一之を辨ずるに暇あらず、又其の本意を失わんことを恐れてなり。萬章象が舜を殺す事を問うが如き、夫れ堯已に之に二女を妻して、迭[たが]いに賓主と爲す。是の時に當たって、已に自ら君に近し。豈復廩を完[おさ]め井を浚[ふか]くするの事有らんや。象二嫂をして棲[ゆか]を治めしめんと欲す。是の時に當たりて、堯上に在す。象還って自ら道を度り得て舜を殺却して後、其の二女を取るとも、堯便ち了[つい]に得せしめんや否や。必ず此の事無けん。然るに孟子未だ與に辨ずるに暇あらず、且這の下意を答う、と。

生而知之、學而知之、亦是才。問、生而知之要學否。先生曰、生而知之固不待學。然聖人必須學。
【読み】
生まれながらにして之を知るも、學んで之を知るも、亦是れ才なり。問う、生まれながらにして之を知るも學を要するや否や、と。先生曰く、生まれながらにして之を知るは固より學を待たず。然れども聖人は必ず學を須[もち]う、と。

先生每與司馬君實說話、不曾放過。如范堯夫、十件事只爭得三四件便已。先生曰、君實只爲能受盡言。儘人忤逆終不怒。便是好處。
【読み】
先生每に司馬君實と說話するに、曾て放過せず。范堯夫の如きは、十件の事只三四件を爭い得て便ち已む。先生曰く、君實は只能く言を受け盡くすことを爲す。儘く人忤[さか]い逆えども終に怒らず。便ち是れ好き處なり、と。

君實嘗問先生云、欲除一人給事中。誰可爲者。願爲光說一人。先生曰、相公何爲若此言也。如當初泛論人才却可。今旣如此。某雖有其人、何可言。君實曰、出於公口、入於光耳。又何害。先生終不言。(一本云、先生曰、某斷不說。)
【読み】
君實嘗て先生に問いて云く、一人の給事中を除せんと欲す。誰か爲す可き者ぞ。願わくは光が爲に一人を說け、と。先生曰く、相公何爲れぞ此の若く言うや。當初泛く人才を論ずるが如きは却って可なり。今旣に此の如し。某其の人有りと雖も、何ぞ言う可けん、と。君實曰く、公の口より出て、光の耳に入る。又何の害あらん、と。先生終に言わず。(一本に云う、先生曰く、某斷じて說かず、と。)

先進・後進、如今人說前輩後輩。先進於禮樂、謂舊事前輩之人於禮樂、在今觀之以爲朴野。後進於禮樂、謂今晩進之人於禮樂、在今觀之以爲君子。君子者、文質彬彬之名。蓋周末文盛。故以前人爲野、而自以當時爲君子。不知其過於文也。故孔子曰、則吾從先進。
【読み】
先進・後進は、今の人前輩後輩と說くが如し。先進の禮樂に於るとは、謂ゆる舊事前輩の人の禮樂に於る、今に在って之を觀るときは以て朴野なりと爲す。後進の禮樂に於るとは、謂ゆる今晩進の人の禮樂に於る、今に在って之を觀るときは以て君子と爲すなり。君子とは、文質彬彬たるの名。蓋し周の末文盛んなり。故に前人を以て野と爲して、而して自ら當時を以て君子と爲す。其の文に過ぐることを知らず。故に孔子曰く、則ち吾は先進に從わん、と。

孔子弟子善問、直窮到底。如問郷人皆好之何如、曰、未可也。便又問、郷人皆惡之何如。又說足食足兵、民信之矣、便問、必不得已而去、於斯三者何先。纔說去兵、便問、不得已而去、於斯二者何先。自非聖人不能答。便云、去食、自古皆有死、民無信不立。不是孔子弟子不能如此問。不是聖人不能如此答。
【読み】
孔子の弟子は善く問いて、直に窮め到る底なり。郷人皆之を好んぜば何如と問うが如き、曰く、未だ可ならず、と。便ち又問う、郷人皆之を惡まば何如、と。又食を足し兵を足し、民之を信ずと說くとき、便ち問う、必ず已むことを得ずして去[す]てば、斯の三つの者に於て何れをか先んぜん、と。纔かに兵を去てんと說くときは、便ち問う、已むことを得ずして去てば、斯の二つの者に於て何れをか先んぜん、と。聖人に非ざる自り答うること能わず。便ち云く、食を去てん、古自り皆死有り、民信無くんば立たじ、と。是れ孔子の弟子にあらずんば此の如く問うこと能わじ。是れ聖人にあらずんば此の如く答うること能わじ。

禮記儒行・經解、全不是。因舉呂與叔解亦云、儒行夸大之語、非孔子之言。然亦不害義理。先生曰、煞害義理。恰限易、便只潔靜精微了却、詩、便只溫柔敦厚了却、皆不是也。
【読み】
禮記の儒行・經解は、全く不是なり。因りて呂與叔の解を舉げて亦云う、儒行夸大の語、孔子の言に非ず。然れども亦義理を害せず、と。先生曰く、煞だ義理を害す。恰限[まさ]に易は、便ち只潔靜精微了却し、詩は、便ち只溫柔敦厚了却すとは、皆是ならず、と。

祭法如夏后氏郊鯀一片、皆未可據。
【読み】
祭法に夏后氏鯀を郊にすというが如き一片、皆未だ據る可からず。

問、聖人有爲貧而仕者否。曰、孔子爲乘田委吏是也。又問、或云乘田委吏非爲貧、爲之兆也。先生曰、乘田委吏却不是爲兆、爲魯司寇便是爲兆(一本此下有十六字云、有人云、先生除國子監之命不受、是固也。)。先生因言、近煞有人以此相勉。某答云、待飢餓不能出門戶時、當別相度。
【読み】
問う、聖人貧しきが爲にして仕うる者有りや否や、と。曰く、孔子乘田委吏と爲ること是れなり。又問う、或るひと乘田委吏は貧しきが爲に非ず、之が兆を爲すと云えり、と。先生曰く、乘田委吏は却って是れ兆を爲すにあらず、魯の司寇と爲りて便ち是れ兆を爲す、と(一本に此の下に十六字有りて云く、人り有云く、先生國子監に除せらるるの命受けざること、是れ固し、と。)。先生因りて言う、近ごろ煞だ人有りて此を以て相勉む。某答えて云く、飢餓して門戶を出ること能わざる時を待っ

て、當に別に相度るべし、と。

荀・楊性已不識。更說甚道。
【読み】
荀・楊は性已に識らず。更に甚の道を說かん。

鄧文孚問、孟子還可爲聖人否。曰、未敢便道他是聖人。然學已到至處。又問、孟子書中有不是處否。曰、只是門人錄時、錯一兩字。如說大人則藐之、夫君子毋不敬、如有心去藐他人、便不是也。更說夷・惠處云皆古聖人、須錯字。若以夷・惠爲聖之淸、聖之和則可。便以爲聖人則不可。看孟子意、必不以夷・惠爲聖人。如伊尹又別。初在畎畝、湯使人問之曰、我何以湯之聘幣爲哉。是不肯仕也。及湯盡禮、然後翻然而從之。亦是聖之時。如五就湯、五就桀、自是後來事。蓋已出了、則當以湯之心爲心。所以五就桀、不得不如此。
【読み】
鄧文孚問う、孟子は還って聖人と爲す可きや否や、と。曰く、未だ敢えて便ち他は是れ聖人と道わず。然れども學は已に至處に到る、と。又問う、孟子の書中に是ならざる處有りや否や、と。曰く、只是れ門人錄する時、一兩字を錯る。大人に說くときは則ち之を藐[かろん]ずというが如き、夫れ君子は敬せずということ毋く、如し他人を藐んじ去るに心有らば、便ち是ならず。更に夷・惠を說く處に皆古の聖人と云うは、須く錯字なるべし。夷・惠を以て聖の淸、聖之和と爲すが若きは則ち可なり。便ち以て聖人と爲すは則ち不可なり。孟子の意を看るに、必ず夷・惠を以て聖人とせじ。伊尹の如きは又別なり。初め畎畝に在るとき、湯人をして之を問わしめて曰く、我れ何ぞ湯の聘幣を以てすることをせんや、と。是れ肯えて仕えざるなり。湯禮を盡くすに及んで、然して後に翻然として之に從う。亦是れ聖の時なるなり。五たび湯に就き、五たび桀に就くが如きは、是れ自り後來の事。蓋し已に出了せば、則ち當に湯の心を以て心と爲すべし。所以に五たび桀に就いて、此の如くならざることを得ず、と。

荆公嘗與明道論事不合、因謂明道曰、公之學如上壁。言難行也。明道曰、參政之學如捉風。及後來逐不附己者、獨不怨明道。且曰、此人雖未知道、亦忠信人也。
【読み】
荆公嘗て明道と事を論ずるに合わず、因りて明道に謂いて曰く、公の學は壁に上るが如し、と。言うこころは、行い難しとなり。明道曰く、參政の學は風を捉うるが如し、と。後來己に附かざる者を逐うに及んで、獨り明道を怨みず。且曰く、此の人未だ道を知らずと雖も、亦忠信の人なり、と。

張戩嘗於政事堂與介甫爭辨事。因舉經語引證。介甫乃曰、安石却不會讀書。賢却會讀書。戩不能答。先生因云、却不向道、只這箇便是不會讀書。
【読み】
張戩[ちょうせん]嘗て政事堂に於て介甫と爭いて事を辨ず。因りて經語を舉げて引證す。介甫乃ち曰く、安石却って書を讀むことを會さず。賢却って書を讀むことを會す、と。戩答うること能わず。先生因りて云く、却って道に向かわず、只這箇は便ち是れ書を讀むことを會せず、と。

佛家有印證之說、極好笑。豈有我曉得這箇道理後、因他人道是了方是、他人道不是便不是。又五祖令六祖三更時來傳法。如期去便傳得。安有此理。
【読み】
佛家に印證の說有り、極めて好笑す。豈我れ這箇の道理を曉り得て後、因りて他人是了と道えば方に是、他人不是と道えば便ち不是なること有らんや。又五祖六祖をして三更の時來りて傳法せしむ。期の如く去って便ち傳え得る、と。安んぞ此の理有らん。

謝良佐與張繹說。某到山林中靜處、便有喜意、覺著此不是。先生曰、人每至神廟佛殿處便敬、何也。只是每常不敬、見彼乃敬。若還常敬、則到佛殿廟宇、亦只如此。不知在鬧處時、此物安在。直到靜處乃覺。繹言、伊云、只有這些子已覺。先生曰、這囘比舊時煞長進。這些子已覺固是。若謂只有這些子、却未敢信。(胡本注云、朱子權親見謝先生云、某未嘗如此說。恐傳錄之誤也。)
【読み】
謝良佐張繹と說く。某山林の中靜かなる處に到れば、便ち喜意有り、覺著すること此れ不是なるか、と。先生曰く、人神廟佛殿の處に至る每に便ち敬するは、何ぞや。只是れ每常に不敬なれども、彼を見て乃ち敬するなり。若し還って常に敬せば、則ち佛殿廟宇に到っても、亦只此の如くならん。知らず、鬧がしき處に在る時、此の物安くにか在るを。直に靜かなる處に到って乃ち覺う、と。繹言く、伊云く、只這の些子有りて已に覺う、と。先生曰く、這の囘舊時に比ぶるに煞だ長じ進む。這の些子已に覺うというは固に是なり。若し只這の些子有りと謂わば、却って未だ敢えて信ぜず、と。(胡本の注に云く、朱子權親ら謝先生に見えて云く、某未だ嘗て此の如く說かず。恐らくは傳錄の誤りならん、と。)

屢空兼兩意。惟其能虛中。所以能屢空。貨殖便生計較。纔計較便是不受命。不受命者、不能順受正命也。呂與叔解作如貨殖。先生云、傳記中言子貢貨殖處亦多。此子貢始時事。
【読み】
屢々空しとは兩意を兼ぬ。惟其れ能く中を虛しくす。所以に能く屢々空し。貨殖は便ち計較を生ず。纔かに計較すれば便ち是れ命を受けず。命を受けずとは、正命を順い受くること能わざるなり。呂與叔解して貨殖するが如しと作す。先生云く、傳記の中に子貢の貨殖を言う處亦多し。此れ子貢始めの時の事なり、と。

萬物皆有良能、如每常禽鳥中、做得窠子、極有巧妙處、是他良能、不待學也。人初生、只有喫乳一事不是學、其他皆是學。人只爲智多害之也。
【読み】
萬物は皆良能有り、每常禽鳥の中、窠子を做し得て、極めて巧妙なる處有るが如き、是れ他の良能、學ぶことを待たざるなり。人初めて生まれて、只乳を喫[の]むの一事是れ學ばざること有り、其の他は皆是れ學ぶ。人は只智多きが爲に之を害するなり。

人心、私欲也。道心、正心也。危言不安、微言精微。惟其如此。所以要精一。惟精惟一者、專要精一之也。精之一之、始能允執厥中。中是極至處。或云、介甫說、以一守、以中行。只爲要事事分作兩處。
【読み】
人心は、私欲なり。道心は、正心なり。危うしとは安からざるを言い、微かとは精微を言う。惟は其れ此の如し。所以に精一を要す。惟れ精惟れ一とは、專ら之を精一にせんことを要するなり。之を精しくし之を一にして、始めて能く允に厥の中を執る。中は是れ極至の處なり。或るひと云く、介甫說く、一を以て守り、中を以て行う、と。只事事分かちて兩處と作さんと要するが爲なり、と。

詩小序便是當時國史作。如當時不作、雖孔子亦不能知。況子夏乎。如大序、則非聖人不能作。
【読み】
詩の小序は便ち是れ當時の國史の作なり。如し當時作らずんば、孔子と雖も亦知ること能わざらん。況んや子夏をや。大序の如きは、則ち聖人に非ずんば作ること能わじ。

用之郷人焉、用之邦國焉、如二南之詩及大雅・小雅、是當時通上下皆用底詩。蓋是修身治家底事。
【読み】
之を郷人に用い、之を邦國に用うとは、二南の詩及び大雅・小雅の如きは、是れ當時上下に通じて皆用うる底の詩なり。蓋し是れ身を修め家を治むる底の事なり。

關雎樂得淑女以配君子。淑女卽后妃也。故言配、荇菜以興后妃之柔順。左右流之、左右者隨水之貌。左右采之者、順水而采之。左右芼之者、順水而芼之。皆是言荇菜柔順之貌、以興后妃之德。琴瑟友之、鍾鼓樂之、言后妃之配君子、和樂如此也。
【読み】
關雎は淑女を得て以て君子に配することを樂しむ。淑女は卽ち后妃なり。故に配すと言い、荇菜[こうさい]以て后妃の柔順を興す。左右之を流れにとるとは、左右は水に隨うの貌。左右に之を采るとは、水に順いて之を采るなり。左右に之を芼[すす]むとは、水に順いて之を芼むるなり。皆是れ荇菜柔順の貌を言いて、以て后妃の德を興す。琴瑟之を友とし、鍾鼓之を樂しむとは、后妃の君子に配して、和樂なること此の如くなることを言うなり。

憂在進賢、不淫其色、哀窈窕、思賢才、而無傷善之心焉、自是關雎之義如此。非謂后妃也。此一行甚分明、人自錯解却。
【読み】
憂え賢を進むるに在りて、其の色に淫せず、哀しみて窈窕として、賢才を思って、善を傷るの心無しとは、自づから是れ關雎の義此の如し。后妃を謂うには非ざるなり。此の一行甚だ分明、人自づから錯えて解却す。

口目耳鼻四支之欲、性也。然有分焉、不可謂我須要得、是有命也。仁義禮智、天道在人、賦於命有厚薄、是命也。然有性焉、可以學。故君子不謂命。
【読み】
口目耳鼻四支の欲は、性なり。然れども分有り、我れ須く得んことを要すべしと謂う可からず、是れ命有るなり。仁義禮智は、天道人に在り、命を賦すること厚薄有り、是れ命なり。然れども性有り、以て學ぶ可し。故に君子は命を謂わず。

則以學文、便是讀書。人生便知有父子兄弟、須是先盡得孝弟、然後讀書。非謂已前不可讀書。
【読み】
則ち以て文を學ぶとは、便ち是れ書を讀むなり。人生まれて便ち父子兄弟有ることを知らば、須く是れ先づ孝弟を盡くし得て、然して後に書を讀むべし。已前書を讀む可からずと謂うには非ず。

禮勝則離。故禮之用和爲貴。先王之道斯爲美、小大由之。樂勝則流。故有所不行。知和而和、不以禮節之、亦不可行。禮以和爲貴。故先王之道以此爲美、而小大由之。然却有所不行者、以知和而和、不以禮節之、故亦不可行也。
【読み】
禮勝つときは則ち離る。故に禮の用は和を貴しと爲す。先王の道斯を美と爲して、小大之に由る。樂勝つときは則ち流る。故に行われざる所有り。和を知って和すれども、禮を以て之を節せざれば、亦行わる可からず。禮は和を以て貴しと爲す。故に先王の道此を以て美と爲して、小大之に由る。然れども却って行われざる所有る者は、和を知って和すれども、禮を以て之を節せざるを以て、故に亦行わる可からざるなり。

望道而未之見、言文王視民如傷、以紂在上、望天下有道而未之見。湯執中、武王不泄邇、非謂武王不能執中、湯却泄邇、蓋各因一件事言之。人謂各舉其最盛者非也。聖人亦無不盛。
【読み】
道を望めども未だ之を見ずとは、言うこころは、文王民を視ること傷めるが如くなれども、紂上に在るを以て、天下道有ることを望めども未だ之を見ざるなり。湯中を執り、武王邇[ちか]きに泄[な]れずとは、武王中を執ること能わず、湯却って邇きに泄るると謂うには非ず、蓋し各々一件の事に因りて之を言うなり。人各々其の最も盛んなる者を舉げて謂うは非なり。聖人は亦盛んならずということ無し。

魯得用天子禮樂。使周公在、必不肯受。故孔子曰、周公之衰乎。孔子以此爲周公之衰、是成王之失也。介甫謂、周公有人臣不能爲之功。故得用人臣所不得用之禮、非也。臣子身上、沒分外過當底事。凡言舜言曾子爲孝、不可謂曾子・舜過於孝也。
【読み】
魯天子の禮樂を用うることを得。周公をして在らしめば、必ず肯えて受けじ。故に孔子曰く、周公の衰えたるかな、と。孔子此を以て周公の衰えとするは、是れ成王の失なり。介甫謂えらく、周公は人臣すること能わざるの功有り。故に人臣用うることを得ざる所の禮を用うることを得とは、非なり。臣子の身上、分外過當底の事沒[な]し。凡そ舜を言い曾子を言いて孝とするも、曾子・舜は孝に過ぎたりと謂う可からず。

克明峻德、只是說能明峻德之人。凡爲天下國家有九經、曰修身也、尊賢也、親親也。蓋先尊賢、然後能親親。夫親親固所當先。然不先尊賢、則不能知親親之道。禮記言克明峻德、顧諟天之明命、皆自明也者、皆由於明也。
【読み】
克く峻德を明らかにすとは、只是れ能く峻德を明らかにするの人を說く。凡そ天下國家を爲むるに九經有り、曰く身を修むるなり、賢を尊ぶなり、親を親とするなり。蓋し先づ賢を尊んで、然して後に能く親を親とするなり。夫れ親を親とするは固に當に先んずべき所なり。然れども先づ賢を尊ばざれば、則ち親を親とするの道を知ること能わず。禮記に克く峻德を明らかにし、諟[こ]の天の明命を顧みる、皆自ら明らかにするなりと言う者は、皆明らかにするに由るとなり。

平章百姓、百姓只是民。凡言百姓處皆只是民。百官族姓已前無此說。
【読み】
百姓を平章すという、百姓は只是れ民なり。凡そ百姓と言う處は皆只是れ民なり。百官の族姓已前に此の說無し。

陳平只是幸而成功。當時順却諸呂、亦只是畏死。漢之君臣、當恁時、豈有樸實頭爲社稷者。使後來少主在、事變却時、他也則隨却。如令周勃先入北軍、陳平亦不是推功讓能底人、只是占便宜、令周勃先試難也。其謀甚拙。其後成功亦幸。如人臣之義、當以王陵爲正。
【読み】
陳平は只是れ幸いにして功を成すなり。當時諸呂を却るに順うも、亦只是れ死を畏れてなり。漢の君臣、恁時[かくのごと]きに當たって、豈樸實頭に社稷の爲にする者有らんや。後來少主在り、事變却せしむる時、他も也[また]則ち隨却す。周勃をして先づ北軍に入らしむるが如き、陳平亦是れ功を推して能を讓る底の人にあらず、只是れ便宜を占って、周勃をして先づ難を試さしむ。其の謀甚だ拙し。其の後功を成すも亦幸いなり。人臣の義の如きは、當に王陵を以て正しきと爲すべし。

周勃當時初入北軍、亦甚拙。何事令左袒則甚忽然。當時皆右袒、後還如何。當時已料得必左袒、又何必更號令。如未料得、豈不生變。只合驅之以義、管它從與不從。
【読み】
周勃當時初めて北軍に入るも、亦甚だ拙し。何事ぞ左に袒[かたぬ]げと令すること則ち甚だ忽然たる。當時皆右に袒がば、後還って如何にせん。當時已に必ず左に袒がんことを料り得ば、又何ぞ必ずしも更に號令せん。如し未だ料り得ざれば、豈變を生ぜざらんや。只合に之を驅るに義を以てして、它從うと從わざると管すべし。

韓信初亡、蕭何追之。高祖如失左右手。却兩日不追。及蕭何反、問之曰、何亡也。曰、臣非亡、乃追亡者也。當時高祖豈不知此二人、乃肯放與項羽、兩日不追邪。乃是蕭何與高帝二人商量做來、欲致韓信之死爾。當時史官已被高祖瞞過、後人又被史官瞞。
【読み】
韓信初めて亡[に]ぐるとき、蕭何之を追う。高祖左右の手を失するが如し。却って兩日まで追わず。蕭何反るに及んで、之に問いて曰く、何ぞ亡げたるや、と。曰く、臣亡ぐるに非ず、乃ち亡ぐる者を追うなり、と。當時高祖豈此の二人、乃ち肯えて項羽に放與せんことを知らずして、兩日まで追わざるや。乃ち是れ蕭何と高帝と二人商量し做し來りて、韓信が死を致さんことを欲するのみ。當時史官已に高祖に瞞過せられ、後人も又史官に瞞[だま]さるるなり。

惜乎、韓信與項羽、諸葛亮與司馬仲達、不曾合戰。更得這兩箇戰、得幾陣不妨有可觀。
【読み】
惜しいかな、韓信と項羽と、諸葛亮と司馬仲達と、曾て合戰わず。更に這の兩箇の戰を得ば、幾陣妨げざるを得て觀る可きこと有らん。

先生每讀史到一半、便掩卷思量、料其成敗、然後却看有不合處、又更精思。其閒多有幸而成、不幸而敗。今人只見成者便以爲是、敗者便以爲非。不知成者煞有不是、敗者有是底。
【読み】
先生史を讀む每に一半に到って、便ち卷を掩いて思量して、其の成敗を料って、然して後に却って看て合わざる處有れば、又更に精しく思う。其の閒多くは幸いにして成り、不幸にして敗るる有り。今の人只成る者を見ては便ち以て是と爲し、敗るる者をば便ち以て非と爲す。成る者煞だ不是なる有り、敗るる者是なる有る底を知らず。

讀史須見聖賢所存治亂之機、賢人君子出處進退。便是格物。今人只將他見成底事便做是使。不知煞有誤人處。
【読み】
史を讀まば須く聖賢存する所の治亂の機、賢人君子の出處進退を見るべし。便ち是れ物に格るなり。今の人只他の見成底の事を將って便ち是と做さしむ。煞だ人を誤つ處有ることを知らず。

先生在講筳、嘗典錢使。諸公因問、必是俸給大段不足。後乃知到任不曾請俸。諸公遂牒戶部、問不支俸錢。戶部索前任厤子。先生云、某起自草萊、無前任厤子(舊例、初入京官時、用下狀出給料錢厤。其意謂朝廷起我、便當廩人繼粟、庖人繼肉也。)。遂令戶部自爲出券厤。戶部只欲與折支。諸公又理會、館閣尚請見錢。豈有經筳官只請折支。又檢例、已無崇政殿說書多時。戶部遂定已前未請者只與折支、自後來爲始支見錢。先生後自涪陵歸、復官半年、不曾請俸。糧料院吏人忽來索請券狀子。先生云、自來不會寫狀子。受事人不去。只令子弟錄與受官月日。
【読み】
先生講筳に在るとき、嘗て錢使を典る。諸公因りて問う、必ず是れ俸給大段足らず、と。後乃ち任に到って曾て俸を請わざることを知る。諸公遂に戶部に牒して、俸錢を支せざることを問う。戶部前任の厤子を索む。先生云く、某草萊自り起こりて、前任の厤子無し、と(舊例、初めて京官に入る時、狀を下して給料錢を出す厤を用う。其の意謂えらく朝廷我を起こせば、便ち當に廩人粟を繼ぎ、庖人肉を繼ぐべし、と。)。遂に戶部をして自ら券厤を出すことを爲す。戶部只折支を與えんと欲す。諸公又理會して、館閣に尚見錢を請う。豈經筳官は只折支を請うこと有るのみならんや。又例を檢[しら]ぶるに、已に崇政殿說書無きこと多時なり。戶部遂に已前未だ請わざる者を定めて只折支を與え、後來自り始めて見錢を支することを爲す。先生後に涪陵自り歸って、官に復して半年にして、曾て俸を請わず。糧料院の吏人忽ち來りて券を請う狀子を索む。先生云く、自來狀子を寫することを會せず、と。事を受くる人去らず。只子弟をして官を受くる月日を錄し與えしむ。

先生在經筳時、與趙侍郎・范純甫同在後省。行見曉示至節、令命婦進表、賀太皇及太后太妃。趙・范更問備辦。因問先生。先生云、某家無命婦。二公愕然問、何不敍封。先生曰、某當時起自草萊、三辭然後受命。豈有今日乃爲妻求封之理(其夫人至今無封號。)。問、今人陳乞恩例、義當然否。人皆以爲本分者不(一作不以。)爲害。先生曰、只爲而今士大夫道得箇乞字慣却。動不動又是乞也。因問、陳乞封父祖、如何。先生曰、此事體又別。再三請益。但云、其說甚長。待別時說。
【読み】
先生經筳に在る時、趙侍郎・范純甫と同じく後省に在り。行々曉示せられ節に至らば、命婦をして表を進めて、太皇及び太后太妃を賀せしめよ、と。趙・范更[たが]いに備辦せんことを問う。因りて先生に問う。先生云く、某が家に命婦無し、と。二公愕然として問う、何ぞ敍封せざる、と。先生曰く、某當時草萊自り起こりて、三たび辭して然して後に命を受く。豈今日乃ち妻の爲に封を求むるの理有らんや、と(其の夫人今に至るまで封號無し。)。問う、今の人恩を乞う例を陳ぶるは、義當に然るべきや否や。人皆以爲えらく、本分の者は害とせず、と(一に不以に作る。)。先生曰く、只而今の士大夫は箇の乞の字を道い得て慣却するが爲なり。動不動も又是れ乞うなり、と。因りて問う、父祖を封ぜんことを乞うことを陳ぶるは、如何、と。先生曰く、此の事體は又別なり、と。再三益を請う。但云く、其の說甚だ長し。別の時を待って說かん、と。

范堯夫爲蜀漕、成都帥死。堯夫權府。是時、先生隨侍過成都。堯夫出送。先生已行二里、急遣人追及之、囘至門頭僧寺相見。堯夫因問、先生在此、有何所聞。先生曰、聞公嘗言、當使三軍之士知事帥君如事父母。不知有此語否。堯夫愕然、疑其言非是。先生曰、公果有此語、一國之福也。堯夫方喜。先生却云、恐公未能使人如此。堯夫再三問之。先生曰、只如前日公權府、前帥方死、便使他臣子張樂大排、此事當時莫可罷。堯夫云、便是純仁當時不就席、只令通判伴坐。先生曰、此尤不是。堯夫驚愕、卽應聲曰、悔當初只合打散便是。先生曰、又更不是。夫小人心中、只得些物事時便喜、不得便不足。他旣不得物事、却歸去思量、因甚不得此物。元來是爲帥君。小人須是切己、乃知思量。若只與他物事、他自歸去。豈更知有思量。堯夫乃嗟歎曰、今日不出、安得聞此言。
【読み】
范堯夫蜀の漕爲るとき、成都の帥死す。堯夫府に權たり。是の時、先生隨い侍して成都を過る。堯夫出て送る。先生已に行くこと二里、急に人をして之を追及せしめて、囘りて門頭の僧寺に至って相見ゆ。堯夫因りて問う、先生此に在りて、何の所聞か有る、と。先生曰く、聞く、公嘗て言う、當に三軍の士をして帥君に事うること父母に事うるが如きことを知らしむべし、と。知らず、此の語有りや否や、と。堯夫愕然として、其の言は是に非ざるかと疑う。先生曰く、公に果たして此の語有らば、一國の福なり、と。堯夫方に喜ぶ。先生却って云く、恐れらくは公未だ人をして此の如くならしむること能わざらんことを、と。堯夫再三之を問う。先生曰く、只前日公府に權たるが如き、前帥方に死するに、便ち他の臣子をして樂を張ること大いに排[お]さしめて、此の事當時罷む可き莫し、と。堯夫云く、便ち是れ純仁當時席に就かず、只通判をして伴い坐せしむ、と。先生曰く、此れ尤も是ならず、と。堯夫驚愕して、卽聲に應じて曰く、悔ゆるは當初只合に打散せば便ち是なるべし、と。先生曰く、又更に是ならず。夫れ小人の心中は、只些かの物事を得る時便ち喜び、得ざるときは便ち足らず。他旣に物事を得ずんば、却って歸り去って、甚に因ってか此の物を得ざると思量せん。元來是れ帥君の爲にす。小人は須く是れ己を切にして、乃ち思量することを知る。若し只他に物事を與えば、他自づから歸り去らん。豈更に思量有ることを知らんや、と。堯夫乃ち嗟歎して曰く、今日出ずんば、安んぞ此の言を聞くことを得ん、と。

先生云、韓持國服義最不可得。一日某與持國・范夷叟泛舟于潁昌西湖。須臾客將云、有一官員上書、謁見大資。某將謂有甚急切公事。乃是求知己。某云、大資居位、却不求人、乃使人倒來求己。是甚道理。夷叟云、只爲正叔(一作姨夫。)太執。求薦章、常事也。某云、不然。只爲曾有不求者不與、來求者與之、遂致人如此。持國便服。
【読み】
先生云く、韓持國義に服すること最も得可からず。一日某持國・范夷叟と舟を潁昌の西湖に泛[うか]べぬ。須臾にして客將に云く、一官員有り上書して、大資に謁見せんとす、と。某將に謂く、甚の急切の公事有るや、と。乃ち是れ己を知らんことを求むるなり。某云く、大資位に居て、却って人を求めず、乃ち人をして倒[かえ]って來り己を求めしむ。是れ甚の道理ぞ、と。夷叟云く、只正叔(一に姨夫に作る。)の爲に太だ執れり。薦章を求むるは、常事なり、と。某云く、然らず。只曾て求めざる者には與えず、來り求むる者には之を與うること有るが爲に、遂に人此の如きことを致す、と。持國便ち服す。

先生初受命、便在假、欲迤邐尋醫、旣而供職。門人尹焞深難之、謂供職非是。先生曰、新君卽位、首蒙大恩、自二千里放囘。亦無道理不受。某在先朝、則知某者也、當時執政大臣皆相知。故不當如此受。今則皆無相知。朝廷之意只是憐其貧、不使飢餓於我土地。某須領他朝廷厚意、與受一月料錢。然官則某必做不得。旣已受他誥、却不供職、是與不受同。且略與供職數日、承順他朝廷善意了、然後惟吾所欲。
【読み】
先生初めて命を受くるとき、便ち假[いとま]在りて、迤邐[いり]たらんことを欲して醫を尋ね、旣にして職に供す。門人尹焞深く之を難じて、職に供すること是に非ずと謂えり。先生曰く、新君位に卽いて、首めて大恩を蒙り、二千里自り放し囘さる。亦道理の受けざる無し。某先朝に在りては、則ち某を知る者、當時の執政大臣皆相知れり。故に當に此の如く受けざるべし。今は則ち皆相知ること無し。朝廷の意は只是れ其の貧しきを憐れんで、我が土地に飢餓せしめざらんとするなり。某須く他の朝廷の厚意と、一月の料錢を受くるとを領すべし。然れども官は則ち某必ず做し得ず。旣已に他の誥を受けて、却って職に供せずんば、是れ受けざると同じ。且略職に供するに與ること數日にして、他の朝廷の善意に承け順い了わって、然して後は惟吾が欲する所のままならん、と。

先生因言、今日供職、只第一件便做他底不得。吏人押申轉運司狀、某不曾簽。國子監自繫臺省、臺省繫朝廷官。外司有事、合行申狀。豈有臺省倒申外司之理。只爲從前人只計較利害、不計較事體、直得恁地。須看聖人欲正名處見得。道名不正時、便至禮樂不興、自然住不得。夫禮樂、豈玉帛之交錯、鍾鼓之鏗鏘哉。今日第一件便如此。人不知、一似好做作只這些子。某便做他官不得。若久做他底時、須一一與理會。
【読み】
先生因りて言く、今日職に供して、只第一件便ち他底を做し得ず。吏人轉運司の狀を押申すれども、某曾て簽[せん]せず。國子監は自づから臺省に繫り、臺省は朝廷の官に繫る。外司事有れば、合に申狀を行うべし。豈臺省倒[さかしま]に外司に申すの理有らんや。只從前の人只利害を計較して、事體を計較せざるが爲に、直に恁地[かくのごと]きことを得。須く聖人名を正しくせんと欲する處を看て見得すべし。道の名正しからざる時、便ち禮樂興らざるに至ること、自然に住[や]んで得ず。夫れ禮樂は、豈玉帛の交錯、鍾鼓の鏗鏘のみならんや。今日第一件便ち此の如し。人知らず、一に好く只這の些子を做し作すに似ることを。某便ち他の官を做し得ず。若し久しく他の底を做す時は、須く一一與に理會すべし。

謝某曾問、涪州之行、知其由來、乃族子與故人耳(族子謂程公孫、故人謂邢恕。)。先生答云、族子至愚、不足責。故人至(一作情。)厚、不敢疑。孟子旣知(一作繫之。)天、安用尤臧氏。因問、邢七雖爲惡、然必不到更傾先生也。先生曰、然。邢七亦有書到某云、屢於權宰處言之。不知身爲言官、却說此話。未知傾與不傾、只合救與不救、便在其閒。又問、邢七久從先生、想都無知識。後來極狼狽。先生曰、謂之全無知則不可。只是義理不能勝利欲之心、便至如此也。
【読み】
謝某曾て問う、涪州の行、其の由來を知んぬ、乃ち族子と故人とのみ、と(族子は程公孫を謂い、故人は邢恕を謂う。)。先生答えて云く、族子の至愚、責むるに足らず。故人の至(一に情に作る。)厚、敢えて疑わず。孟子旣に天を知る(一に繫之に作る。)、安んぞ臧氏を尤むることを用いん、と。因りて問う、邢七惡を爲すと雖も、然れども必ず更に先生を傾けるに到らず、と。先生曰く、然り。邢七亦書有り某に到って云う、屢々權宰の處に於て之を言えり、と。知らず、身言官と爲りて、却って此の話を說くこと。未だ知らず、傾けると傾けざるとは、只合に救うと救わざると、便ち其の閒に在るべきを、と。又問う、邢七久しく先生に從えども、想うに都て知識無し。後來極めて狼狽たり、と。先生曰く、之を全く無知と謂うときは則ち不可なり。只是れ義理利欲の心に勝つこと能わず、便ち此の如くなるに至るなり、と。

先生云、某自十七八讀論語、當時已曉文義。讀之愈久、但覺意味深長。論語、有讀了後全無事者、有讀了後其中得一兩句喜者、有讀了後知好之者、有讀了後不知手之舞之足之蹈之者。
【読み】
先生云く、某十七八自り論語を讀み、當時已に文義を曉る。之を讀むこと愈々久しくして、但意味の深長なることを覺う。論語は、讀み了わりて後全く事とすること無き者有り、讀み了わりて後其の中一兩句を得て喜ぶ者有り、讀み了わりて後之を好むことを知る者有り、讀み了わりて後手の之を舞い足の之を蹈むことを知らざる者有り、と。

今人不會讀書。如誦詩三百、授之以政、不達。使於四方、不能專對。雖多、亦奚以爲。須是未讀詩時、授以政不達、使四方不能專對。旣讀詩後、便達於政、能專對四方、始是讀詩。人而爲周南・召南、其猶正牆面而立。須是未讀周南・召南、一似面牆。到讀了後、便不面牆、方是有驗。大抵讀書、只此便是法。如讀論語、舊時未讀是這箇人、及讀了後又只是這箇人、便是不曾讀也。
【読み】
今の人は書を讀むことを會さず。詩三百を誦するが如き、之を授くるに政を以てすれども、達せず。四方に使いして、專り對うること能わず。多しと雖も、亦奚ぞ以てせん、と。須く是れ未だ詩を讀まざる時、授くるに政を以てすれども達せず、四方に使いして專り對うること能わず。旣に詩を讀んで後、便ち政に達し、能く專り四方に對えて、始めて是れ詩を讀むなるべし。人として周南・召南を爲[まな]びずんば、其れ猶正に牆に面[む]かって立つがごとし、と。須く是れ未だ周南・召南を讀まざれば、一[ひとえ]に牆に面かうに似たり。讀み了わって後に到っては、便ち牆に面かわざるに、方に是れ驗有り。大抵書を讀むには、只此れ便ち是れ法あり。論語を讀むが如き、舊時未だ讀まざるも是れ這箇の人、讀み了わって後に及んでも又只是れ這箇の人なるは、便ち是れ曾て讀まざるなり。

大率上一爻皆是師保之任、足以當此爻(呂本・徐本爻上有一字。)也。
【読み】
大率上の一爻は皆是れ師保の任、以て此の爻(呂本・徐本爻の上に一の字有り。)に當たるに足れり。

若要不學佛、須是見得他小。便自然不學。
【読み】
若し佛を學ばざらんことを要せば、須く是れ他の小なることを見得すべし。便ち自然に學ばざらん。

文中子本是一隱君子。世人往往得其議論、附會成書。其閒極有格言、荀・楊道不到處。又有一件事、半截好、半截不好。如魏徵問聖人有憂乎、曰、天下皆憂、吾獨得不憂。問疑、曰、天下皆疑、吾獨得不疑。徵退。謂董常曰、樂天知命、吾何憂。窮理盡性、吾何疑。此言極好。下半截却云、徵所問者迹也。吾告汝者心也。心迹之判久矣。便亂道。
【読み】
文中子は本是れ一りの隱君子なり。世人往往に其の議論を得て、附會して書を成す。其の閒極めて格言の、荀・楊道い到らざる處有り。又一件の事、半截好く、半截好からざる有り。魏徵聖人憂え有りやと問うが如き、曰く、天下皆憂う、吾れ獨り憂えざることを得んや、と。疑を問う、曰く、天下皆疑う、吾れ獨り疑わざることを得んや、と。徵退く。董常に謂いて曰く、天を樂しみ命を知る、吾れ何をか憂えん。理を窮め性を盡くす、吾れ何をか疑わん、と。此の言極めて好し。下の半截に却って云う、徵問う所の者は迹なり。吾れ汝に告ぐる者は心なり。心迹の判久し、と。便ち亂りに道えるなり。

文中子言、封禪之費、非古也。其秦・漢之侈心乎。此言極好。古者封禪、非謂誇治平、乃依本分祭天地。後世便把來做一件矜誇底事。如周頌告成功、乃是陳先王功德、非謂誇自己功德。
【読み】
文中子言く、封禪の費えは、古には非ず。其れ秦・漢の侈れる心か、と。此の言極めて好し。古の封禪は、治平に誇ることを謂うに非ず、乃ち本分に依りて天地を祭る。後世は便ち把り來りて一件の矜誇底の事を做す。周頌に成功を告ぐるが如きは、乃ち是れ先王の功德を陳べて、自己の功德を誇ることを謂うに非ず。

文中子續經甚謬、恐無此。如續書始於漢。自漢已來制詔、又何足記。續詩之備六代、如晉・宋・後魏・北齊・後周・隋之詩、又何足釆。
【読み】
文中子經を續ぐこと甚だ謬れりとは、恐らくは此れ無けん。書を續ぐが如きは漢より始まる。漢自り已來の制詔、又何ぞ記すに足らん。詩を續ぐの六代を備うる、晉・宋・後魏・北齊・後周・隋の詩の如き、又何ぞ釆るに足らん。

韓退之言、孟子醇乎醇。此言極好。非見得孟子意、亦道不到。其言荀・楊大醇小疵、則非也。荀子極偏駮、只一句性惡、大本已失。楊子雖少過、然已自不識性、更說甚道。
【読み】
韓退之が言く、孟子醇乎として醇なり、と。此の言極めて好し。孟子の意を見得するに非ずんば、亦道い到らじ。其の荀・楊は大醇小疵と言うは、則ち非なり。荀子は極めて偏駮、只一句の性惡といい、大本已に失す。楊子は少過なりと雖も、然れども已に自ら性を識らず、更に甚の道をか說かん。

韓退之言、博愛之謂仁、行而宜之之謂義、由是而之焉之謂道、足乎己無待於外之謂德。此言却好。只云仁與義爲定名、道與德爲虛位、便亂說。只如原道一篇極好。退之每有一兩處、直是搏得親切、直似知道。然却只是博也。
【読み】
韓退之が言く、博く愛する之を仁と謂う、行いて之を宜しくする之を義と謂う、是に由ってく之を之道と謂う、己に足りて外に待つこと無き之を德と謂う、と。此の言却って好し。只仁と義とは定名を爲し、道と德とは虛位を爲すと云うは、便ち亂說なり。只原道の一篇の如き極めて好し。退之每に一兩處、直に是れ搏[と]り得ること親切にして、直に道を知るに似ること有り。然れども却って只是れ博きのみ。

問、文中子謂、諸葛亮無死、禮樂其有興乎。諸葛亮可以當此否。先生曰、禮樂則未敢望他。只是諸葛已近王佐。又問、如取劉璋事、如何。先生曰、只有這一事大不是、便是計較利害。當時只爲不得此、則無以爲資。然豈有人特地出迎他、却於坐上執之。大段害事、只是箇爲利。君子則不然。只一箇義不可便休。豈可苟爲。又問、如湯兼弱攻昧、如何。先生曰、弱者兼之、非謂幷兼取他。只爲助他、與之相兼也。昧者乃攻、亂者乃取、亡者乃侮。
【読み】
問う、文中子が謂く、諸葛亮死すること無くんば、禮樂其れ興ること有らんか、と。諸葛亮は以て此に當る可きや否や、と。先生曰く、禮樂は則ち未だ敢えて他を望まず。只是れ諸葛は已に王佐に近し、と。又問う、劉璋を取る事の如きは、如何、と。先生曰く、只這の一事大いに是ならざる有り、便ち是れ利害を計較す。當時只此を得ずんば、則ち以て資を爲すこと無けんとす。然れども豈人特地[かくのごと]く他を出迎えて、却って坐上に於て之を執うること有らんや。大段事に害あるは、只是れ箇の利の爲なり。君子は則ち然らず。只一箇の義便ち休む可からず。豈苟もす可けんや、と。又問う、湯弱きを兼ね昧[くら]きを攻むるが如きは、如何、と。先生曰く、弱き者は之を兼ぬとは、幷せ兼ねて他を取ると謂うには非ず。只他を助けて、之と相兼ぬることを爲すなり。昧き者は乃ち攻め、亂れたる者は乃ち取り、亡びたる者は乃ち侮[やぶ]る、と。

張良亦是箇儒者、進退閒極有道理。人道漢高祖能用張良。却不知是張良能用高祖。良計謀不妄發、發必中。如後來立太子事、皆是能使高祖必從、使之左便左、使之右便右。豈不是良用高祖乎。良本不事高祖、常言爲韓王送沛公。觀良心、只是爲天下。且與成就却事、後來與赤松子遊。只是箇不肯事高祖如此。
【読み】
張良も亦是れ箇の儒者、進退の閒極めて道理有り。人漢の高祖能く張良を用うと道う。却って是れ張良能く高祖を用うることを知らず。良が計謀妄りに發せず、發すれば必ず中る。後來太子を立つる事の如き、皆是れ能く高祖をして必ず從わしめて、之をして左せしむれば便ち左し、之をして右せしむれば便ち右す。豈是れ良高祖を用うるにあらざらんや。良本より高祖に事えず、常に言く、韓王の爲に沛公を送る、と。良が心を觀るに、只是れ天下の爲にするなり。且つ與に事を成就して、後來赤松子と遊ぶ。只是れ箇の肯えて高祖に事えざること此の如し。

五德之運、却有這道理。凡事皆有此五般、自小至大、不可勝數。一日言之、便自有一日陰陽、一時言之、便自有一時陰陽、一歲言之、便自有一歲陰陽、一紀言之、便自有一紀陰陽、氣運不息。如王者一代、又是一箇大陰陽也。唐是土德、便少河患。本朝火德、多水(一作火。)災。蓋亦有此理。只是須於這上有道理。如關朗卜百年事最好。其閒須言如此處之則吉、不如此處之則凶。每事如此。蓋雖是天命、可以人奪也。如仙家養形、以奪旣衰之年、聖人有道、以延已衰之命、只爲有這道理。
【読み】
五德の運、却って這の道理有り。凡そ事皆此の五般有り、小自り大に至るまで、勝[あ]げて數う可からず。一日之を言えば、便ち自づから一日の陰陽有り、一時之を言えば、便ち自づから一時の陰陽有り、一歲之を言えば、便ち自づから一歲の陰陽有り、一紀之を言えば、便ち自づから一紀の陰陽有りて、氣運息まず。王者一たび代わるが如きも、又是れ一箇の大陰陽なり。唐は是れ土德にして、便ち河の患え少なし。本朝は火德にして、水(一に火に作る。)災多し。蓋し亦此の理有り。只是れ須く這の上に於て道理有るべし。關朗百年の事を卜するが如き最も好し。其の閒須く此の如く之に處すれば則ち吉、此の如く之に處せざれば則ち凶と言うべし。每事此の如し。蓋し是れ天命と雖も、人を以て奪う可し。仙家形を養いて、以て旣に衰うるの年を奪い、聖人道有りて、以て已に衰うるの命を延ぶるが如き、只這の道理有るが爲なり。

或云、尋常觀人出辭氣、便可知人。先生曰、亦安可盡。昔橫渠嘗以此觀人、未嘗不中。然某不與他如此。後來其弟戩亦學他如此、觀人皆不中。此安可學。
【読み】
或るひと云う、尋常人辭氣を出すを觀て、便ち人を知る可し、と。先生曰く、亦安んぞ盡くす可けん。昔橫渠嘗て此を以て人を觀て、未だ嘗て中らずんばあらず。然れども某他此の如くするに與せず。後來其の弟戩も亦他此の如くするを學んで、人を觀るに皆中らず。此れ安んぞ學ぶ可けん、と。

觀素問文字氣象、只是戰國時人作。謂之三墳書、則非也。道理却總是。想當時亦須有來歷、其閒只是氣運使不得。錯不錯未說、就使其法不錯、亦用不得。除是堯・舜時、十日一風、五日一雨、始用得。且如說潦旱、今年氣運當潦、然有河北潦、江南旱時。此且做各有方氣不同。又却有一州一縣之中潦旱不同者、怎生定得。
【読み】
素問の文字氣象を觀るに、只是れ戰國の時の人の作ならん。之を三墳の書と謂うは、則ち非なり。道理は却って總て是なり。想うに當時亦須く來歷有るべく、其の閒只是れ氣運使うことを得じ。錯り錯らざること未だ說かれず、就使[たと]い其の法錯らざれども、亦用い得じ。除[ただ]是れ堯・舜の時、十日一風、五日一雨ならば、始めて用い得ん。且潦旱を說くが如き、今年氣運潦に當たるも、然れども河北潦し、江南旱する時有り。此れ且各々方氣有りて同じからざることを做す。又却って一州一縣の中に潦旱同じからざる者有り、怎生ぞ定め得ん。

學佛者多要忘是非。是非安可忘得。自有許多道理、何事忘爲。夫事外無心、心外無事。世人只被爲物所役、便覺苦事多。若物各付物、便役物也。世人只爲一齊在那昏惑迷暗海中、拘滯執泥坑裏、便事事轉動不得、沒著身處。
【読み】
佛を學ぶ者は多く是非を忘れんことを要す。是非安んぞ忘れ得可けん。自づから許多の道理有り、何事か忘るることをせん。夫れ事外に心無く、心外に事無し。世人只物の爲に役せらるることを被って、便ち事多きに苦しむことを覺う。若し物各々物に付せば、便ち物を役せん。世人只一齊に那に在るが爲に海中に昏惑迷暗し、坑裏に拘滯執泥して、便ち事事轉動し得ずして、身に著くる處沒[な]し。

莊子齊物。夫物本齊。安俟汝齊。凡物如此多般。若要齊時、別去甚處下脚手。不過得推一箇理一也。物未嘗不齊。只是你自家不齊。不干物不齊也。
【読み】
莊子物を齊しくせんとす。夫れ物は本齊し。安んぞ汝が齊しくするを俟たん。凡そ物は此の如く多般なり。若し齊しくせんと要する時、別に甚[いづ]れの處に去って脚手を下さん。一箇の理一を推すことを得るに過ぎざるなり。物は未だ嘗て齊しからずんばあらず。只是れ你自家齊しからず。物齊しからざるに干わらざるなり。

先生在經筵、聞禁中下後苑作坊取金水桶貳隻。因見潞公問之。潞公言、無。彥博曾入禁中、見只是朱紅。無金爲者。某遂令取文字示潞公。潞公始驚怪。某當時便令問、欲理會、却聞得長樂宮遂已。當時恐是皇帝閣中。某須理會。
【読み】
先生經筵に在るとき、禁中の下の後苑に坊を作りて金水桶貳隻を取ることを聞く。因りて潞公に見えて之を問う。潞公言く、無し。彥博曾て禁中に入るに、見ること只是れ朱紅のみ。金にて爲る者無し、と。某遂に文字を取らしめて潞公に示す。潞公始めて驚怪す。某當時便ち問わしめて、理會せんことを欲するに、却って長樂宮と聞き得て遂に已む。當時恐らくは是れ皇帝の閣中ならん。某須[つい]に理會す。

先生舊在講筵、說論語、南容三復白圭處、内臣貼却容字。因問之。内臣云、是上舊名。先生講罷、因說、適來臣講書、見内臣貼却容字。夫人主處天下之尊、居億兆之上。只嫌怕人尊奉過當、便生驕心。皆是左右近習之人養成之也。嘗觀仁宗時、宮嬪謂正月爲初月、蒸餅爲炊餅。皆此類。請自後、只諱正名、不諱嫌名及舊名。纔說了、次日孫莘老講論語、讀子畏於匡爲正。先生云、且著箇地名也得。子畏於正、是甚義理。又講君祭先飯處。因說、古人飮食必祭。食穀必思始耕者、食菜必思始圃者。先王無德不報如此。夫爲人臣者、居其位、食其祿、必思何所得。爵祿來處、乃得於君也。必思所以報其君。凡勤勤盡忠者、爲報君也。如人主所以有崇高之位者、蓋得之於天、與天下之人共戴也。必思所以報民。古之人君視民如傷、若保赤子、皆是報民也。每講一處、有以開導人主之心處便說。始初内臣宮嬪門皆攜筆在後抄錄。後來見說著佞人之類、皆惡之。呂微仲使人言今後且刻可傷觸人。范堯夫云、但不道著名字、儘說不妨。(又講君祭以下、莆田本添。)
【読み】
先生舊講筵に在って、論語を說くとき、南容三たび白圭を復すという處、内臣容の字を貼却す。因りて之を問う。内臣云く、是れ上の舊名、と。先生講罷めて、因りて說く、適々來臣書を講ずるに、内臣容の字を貼却するを見る。夫れ人主は天下の尊きに處し、億兆の上に居する。只嫌い怕る、人尊奉過當して、便ち驕心を生ぜんことを。皆是れ左右近習の人之を養成すればなり。嘗て觀る、仁宗の時、宮嬪正月を謂いて初月と爲し、蒸餅を炊餅と爲すを。皆此の類なり。請う自後、只正名を諱みて、嫌名及び舊名を諱まざらんことを、と。纔かに說き了わりて、次の日孫莘老論語を講ずるに、子匡に畏るというを讀んで正と爲す。先生云く、且箇の地の名を著さば得ん。子正に畏るというは、是れ甚の義理ぞ、と。又君祭るときは先づ飯すという處を講ず。因りて說く、古人飮食するに必ず祭る。穀を食しては必ず始めて耕す者を思い、菜を食しては必ず始めて圃する者を思う。先王德を報ぜずということ無きこと此の如し。夫れ人臣爲る者は、其の位に居し、其の祿を食せば、必ず何れの得る所というを思え。爵祿の來る處は、乃ち君に得るなり。必ず其の君に報ずる所以を思え。凡そ勤勤として忠を盡くす者は、君に報ずることを爲す。人主崇高の位有る所以の如きは、蓋し之を天に得て、天下の人と共に戴けばなり。必ず民に報ずる所以を思いたまえ。古の人君は民を視ること傷[いた]めるが如く、赤子を保んずるが若きも、皆是れ民に報ずるなり、と。一處を講ずる每に、以て人主の心を開導する處有りて便ち說けり。始初内臣宮嬪門皆筆を攜えて後に在って抄錄す。後來說著するを見て佞人の類、皆之を惡む。呂微仲人をして今より後且刻せば人を傷觸す可しと言わしむ。范堯夫云く、但名字を道著せずんば、儘[まま]說くとも妨げざらん、と。(又講君祭以下は、莆田本に添う。)

或問、橫渠言、聖人無知。因問、有知。先生曰、纔說無知、便不堪是聖人。當人不問時、只與木石同也。
【読み】
或るひと問う、橫渠言く、聖人は知ること無し、と。因りて問う、知ること有るか、と。先生曰く、纔かに知ること無しと說かば、便ち是れ聖人というに堪えず。人問わざる時に當たっては、只木石と同じきのみ、と。

先生云、呂與叔守橫渠學甚固。每橫渠無說處皆相從。纔有說了、便不肯囘。
【読み】
先生云く、呂與叔橫渠の學を守ること甚だ固し。每に橫渠說くこと無き處は皆相從う。纔かに說き了わること有れば、便ち肯えて囘さず、と。

蘇昞錄橫渠語云、和叔言香聲。橫渠云、香與聲猶是有形、隨風往來、可以斷續、猶爲粗耳。不如淸水。今以淸冷水置之銀器中、隔外便見水珠、曾何漏隙之可通。此至淸之神也。先生云、此亦見不盡。却不說此是水之淸、銀之淸。若云是水、因甚置甆椀中不如此。
【読み】
蘇昞橫渠の語を錄して云く、和叔香聲を言う。橫渠云く、香と聲とは猶是れ形有り、風に隨って往來して、以て斷續す可きも、猶粗と爲るのみ。淸水には如かじ。今淸冷水を以て之を銀器の中に置き、外を隔てて便ち水珠を見るに、曾て何の漏隙か之れ通ず可けん。此れ至淸の神なり、と。先生云く、此れ亦見ること盡くさず。却って此は是れ水の淸、銀の淸と說かざれ。若し是れ水と云わば、甚に因ってか甆椀の中に置くに此の如くならざる、と。

参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)