二程全書卷之二十三  遺書伊川先生語第七下

附師說後
【読み】
師說の後に附す

幽王失道、始則萬物不得其性、而後恩衰於諸侯以及其九族。其甚也、至於視民如禽獸。(魚藻之什、其序如此。)
【読み】
幽王の道を失う、始めは則ち萬物其の性を得ずして、後に恩諸侯に衰え以て其の九族に及ぶ。其の甚だしきや、民を視ること禽獸の如きに至る。(魚藻の什、其の序此の如し。)

孔子之時、諸侯甚强大、然皆周所封建也。周之典禮雖甚廢壞、然未泯絕也。故齊・晉之霸、非挾尊王之義、則不能自立。至孟子時則異矣。天下之大國七、非周所命者四、先王之政絕而澤竭矣。夫王者、天下之義主也。民以爲王、則謂之天王天子、民不以爲王、則獨夫而已矣。二周之君、雖無大惡見絕於天下、然獨夫也。故孟子勉齊・梁以王者、與孔子之所以告諸侯不同。君子之救世、時行而已矣。
【読み】
孔子の時、諸侯甚だ强大なれども、然れども皆周の封建する所なり。周の典禮甚だ廢壞すと雖も、然れども未だ泯絕せざるなり。故に齊・晉の霸、王を尊ぶの義を挾むに非ずんば、則ち自ら立つこと能わず。孟子の時に至っては則ち異なり。天下の大國七つ、周の命ずる所に非ざる者四つ、先王の政絕えて澤竭く。夫れ王は、天下の義主なり。民以て王とするときは、則ち之を天王天子と謂い、民以て王とせざるときは、則ち獨夫なるのみ。二周の君、大惡無しと雖も天下に絕たるるは、然も獨夫なればなり。故に孟子齊・梁に勉めしむるに王を以てする者、孔子の諸侯に告ぐる所以と同じからず。君子の世を救う、時に行うのみ。

不動心有二、有造道而不動者、有以義制心而不動者。此義也、此不義也、義吾所當取、不義吾所當捨、此以義制心者也。義在我、由而行之、從容自中、非有所制也。此不動之異。
【読み】
心を動かさざるに二つ有り、道に造って動かさざる者有り、義を以て心を制して動かさざる者有り。此の義や、此の不義や、義は吾が當に取るべき所、不義は吾が當に捨つべき所、此れ義を以て心を制する者なり。義我に在り、由って之を行い、從容として自づから中るは、制する所有るに非ざるなり。此れ動かさざると之れ異なり。

凡有血氣之類、皆具五常。但不知充而已矣。
【読み】
凡そ血氣有るの類は、皆五常を具う。但充つることを知らざるのみ。

勇者所以敵彼者也。苟爲造道而心不動焉、則所以敵物者、不賴勇而裕如矣。
【読み】
勇は彼に敵する所以の者なり。苟も道に造って心動かさざることを爲すときは、則ち物に敵する所以の者、勇に賴らずして裕如たるなり。

理也、性也、命也、三者未嘗有異。窮理則盡性、盡性則知天命矣。天命猶天道也。以其用而言之則謂之命。命者造化之謂也。
【読み】
理や、性や、命や、三つの者未だ嘗て異なることを有らず。理を窮むるときは則ち性を盡くし、性を盡くすときは則ち天命を知る。天命は猶天道のごとし。其の用を以て之を言えば則ち之を命と謂う。命とは造化の謂なり。

書言天敍・天秩。天有是理、聖人循而行之。所謂道也。聖人本天、釋氏本心。
【読み】
書に天敍・天秩を言う。天に是の理有り、聖人循って之を行う。所謂道なり。聖人は天に本づき、釋氏は心に本づく。

忠者、無妄之謂也。忠、天道也。恕、人事也。忠爲體、恕爲用。忠恕違道不遠、非一以貫之之忠恕也。
【読み】
忠は、無妄の謂なり。忠は、天道なり。恕は、人事なり。忠を體と爲し、恕を用と爲す。忠恕は道を違ること遠からずとは、一以て之を貫くの忠恕に非ざるなり。

眞近誠。誠者無妄之謂。
【読み】
眞は誠に近し。誠は無妄の謂なり。

氣有善不善、性則無不善也。人之所以不知善者、氣昏而塞之耳。孟子所以養氣者、養之至則淸明純全、而昏塞之患去矣。或曰養心、或曰養氣、何也。曰、養心則勿害而已。養氣則在有所帥也。
【読み】
氣に善不善有り、性には則ち不善無し。人の善を知らざる所以の者は、氣昏くして之を塞ぐのみ。孟子氣を養う所以の者は、養うこと之れ至れば則ち淸明純全にして、昏塞の患え去るなり。或は心を養うと曰い、或は氣を養うと曰うは、何ぞや。曰く、心を養うときは則ち害すること勿きのみ。氣を養うときは則ち帥いる所有ること在り。

賤妾得進御於君、是其僭恣可行、而分限得踰之時也。乃能謹於抱衾與裯、而知命之不猶、則敎化至矣。
【読み】
賤妾君に進御することを得るは、是れ其の僭恣行わる可くして、分限踰ゆることを得るの時なり。乃ち能く衾[きん]と裯[ちょう]とを抱くに謹んで、命の猶[おな]じからざることを知るときは、則ち敎化至れり。

心生道也。有是心、斯具是形以生。惻隱之心、人之生道也。雖桀・跖不能無是以生。但戕賊之以滅天耳。始則不知愛物、俄而至於忍。安之以至於殺、充之以至於好殺、豈人理也哉。
【読み】
心は生道なり。是の心有れば、斯に是の形を具えて以て生ず。惻隱の心は、人の生道なり。桀・跖と雖も是れ無くして以て生ずること能わず。但之を戕賊[しょうぞく]して以て天を滅ぼすのみ。始めは則ち物を愛することを知らず、俄にして忍ぶに至る。之を安んじて以て殺すに至り、之を充たして以て殺すことを好むに至るは、豈人の理ならんや。

有欲亂之人、而無與亂者、則雖有强力、弗能爲也。今有劫人以殺人者、則先治劫者、而殺者次之。將以垂訓於後世、則先殺者而後劫者。春秋書鄭公子歸生弑其君夷是也。
【読み】
亂せんと欲するの人有れども、與に亂する者無きときは、則ち强力有りと雖も、すること能わず。今人を劫して以て人を殺す者有るときは、則ち先づ劫す者を治めて、殺す者之に次ぐ。將に以て訓を後世に垂れんとせば、則ち殺す者を先にして劫す者を後にす。春秋に鄭の公子歸生其の君夷を弑すと書すは是れなり。

諸葛瑾使蜀、其弟亮、與瑾非公會不覿。亮之處瑾爲得矣。使吳之知瑾、如備之遇亮、復何嫌而不得悉兄弟之懽也。
【読み】
諸葛瑾蜀に使いするとき、其の弟亮、瑾と公會に非ずんば覿[あ]わず。亮の瑾に處すること得たりとす。吳をして之れ瑾を知らしむること、備が亮を遇するが如くならば、復何ぞ嫌って兄弟の懽[よしみ]を悉くすことを得ざらん。

春秋喪昏無譏。蓋日月自見、不必譏也。唯哀姜以禫中納幣、則重疊譏之曰逆婦、曰夫人至。恐後世不以爲非也。他皆曰逆女。此獨云婦、而又不曰夫人、蓋已納幣則爲婦、違禮而昏則不可謂之夫人。
【読み】
春秋に喪昏譏ること無し。蓋し日月自づから見れば、必ずしも譏らざるなり。唯哀姜禫[たん]中を以て幣を納るるときは、則ち重疊に之を譏りて婦を逆[むか]うと曰い、夫人至ると曰う。恐れらくは後世以て非とせざらんことを。他は皆女を逆うと曰う。此に獨り婦と云いて、又夫人と曰わざるは、蓋し已に幣を納るるときは則ち婦と爲し、禮に違いて昏するときは則ち之を夫人と謂う可からず。

貞而不諒、猶大信不約也。
【読み】
貞にして諒ならざるは、猶大いに信約ならざるがごとし。

智出於人之性。人之爲智、或入於巧僞、而老・莊之徒遂欲棄智。是豈性之罪也哉。善乎孟子之言、所惡於智者、爲其鑿也。
【読み】
智は人の性に出づ。人の智爲る、或は巧僞に入るとして、老・莊の徒遂に智を棄てんと欲す。是れ豈性の罪ならんや。善いかな孟子の言、智に惡む所の者は、其の鑿てるが爲なり、と。

孔子之時、道雖不明、而異端之害未甚。故其論伯夷也以德。孟子之時、道益不明、異端之害滋深。故其論伯夷也以學。道未盡乎聖人、則推而行之、必有害矣。故孟子推其學術而言之也。夫闢邪說以明先王之道、非拔本塞源不能也。
【読み】
孔子の時、道明らかならずと雖も、而して異端の害未だ甚だしからず。故に其の伯夷を論ずるや德を以てす。孟子の時、道益々明らかならず、異端の害滋々深し。故に其の伯夷を論ずるや學を以てす。道未だ聖人を盡くさざるときは、則ち推して之を行うに、必ず害有り。故に孟子其の學術を推して之を言えり。夫れ邪說を闢いて以て先王の道を明らかにするは、本を拔き源を塞ぐに非ずんば能わず。

靑蠅詩言樊・棘・榛、言二人・四國。自樊而觀之、則樊爲近而棘・榛爲遠。自二人而觀之、則二人爲小而四國爲大。讒人之情、常欲汙白以爲黑也。而其言不可以直達。故必營營往來、或自近而至於遠、或自小而至於大、然後其說得行矣。
【読み】
靑蠅の詩に樊・棘・榛と言い、二人・四國と言う。樊自りして之を觀れば、則ち樊を近きと爲して棘・榛を遠きと爲す。二人自りして之を觀れば、則ち二人を小と爲して四國を大と爲す。讒人の情は、常に白を汙して以て黑にせんと欲す。而も其の言以て直に達す可からず。故に必ず營營として往來し、或は近き自りして遠きに至り、或は小自りして大に至りて、然して後に其の說行わるることを得るなり。

文王之德、正與天合。明明於下者、乃赫赫於上者也。
【読み】
文王の德は、正に天と合す。下に明明たる者は、乃ち上に赫赫たる者なり。

孟子曰、强恕而行、求仁莫近焉。有忠矣、而行之以恕、則以無我爲體、以恕爲用。所謂强恕而行者、知以己之所好惡處人而已。未至於無我也。故己欲立而立人、己欲達而達人、所以爲仁之方也。
【読み】
孟子曰く、强め恕[おもんばか]って行う、仁を求むること焉より近きは莫し、と。忠有りて、而して之を行うに恕を以てするときは、則ち我れ無きを以て體とし、恕を以て用とす。所謂强め恕って行う者は、己が好惡する所を以て人を處することを知るのみ。未だ我れ無きに至らず。故に己立たんと欲して人と立て、己達せんと欲して人を達するは、仁をする所以の方なり。

富文忠公辭疾歸第、以其俸券還府。府受之。先生曰、受其納券者固無足議。然納者亦未爲得也。留之而無請可矣。
【読み】
富文忠公疾を辭して第に歸るとき、其の俸券を以て府に還す。府之を受く。先生曰く、其の券を納るるを受くるは固に議するに足ること無し。然も納るる者も亦未だ得んとせず。之を留めて請うこと無くして可なり、と。

名分正則天下定。
【読み】
名分正しきときは則ち天下定まる。

人心惟危、道心惟微。心、道之所在。微、道之體也。心與道、渾然一也。對放其良心者言之、則謂之道心、放其良心則危矣。惟精惟一、所以行道也。
【読み】
人心惟れ危うく、道心惟れ微かなり、と。心は、道の在る所。微は、道の體なり。心と道とは、渾然として一なり。其の良心を放つ者に對して之を言えば、則ち之を道心と謂い、其の良心を放つときは則ち危うし。惟れ精惟れ一は、道を行う所以なり。

伊川先生病革、門人郭忠孝往視之、子瞑目而臥。忠孝曰、夫子平生所學、正要此時用。子曰、道著用便不是。忠孝未出寢門而子卒。(一本作或人仍載尹子之言曰、非忠孝也。忠孝自黨事起、不與先生往來。先生卒、亦不致奠。)
【読み】
伊川先生病革なるとき、門人郭忠孝往いて之を視るに、子目を瞑[と]ぢて臥す。忠孝曰く、夫子平生の學ぶ所、正に此の時用いんことを要す、と。子曰く、用に道著すれば便ち是ならず、と。忠孝未だ寢門を出ざるに子卒す。(一本に作る、或る人仍[よ]りて尹子の言を載せて曰く、忠孝に非ず。忠孝黨の事起こりて自り、先生と往來せず。先生卒するときも、亦奠を致さず、と。)


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)