二程全書卷之二十四  遺書伊川先生語第八上

伊川雜錄  宜興唐棣彥思編

棣初見先生、問初學如何。曰、入德之門、無如大學。今之學者、賴有此一篇書存。其他莫如論・孟。
【読み】
棣初めて先生に見えて、初學如何と問う。曰く、德に入るの門は、大學に如くは無し。今の學者、此の一篇の書存すること有るに賴る。其の他は論・孟に如くは莫し、と。

先生曰、古人有聲音以養其耳、采色以養其目、舞蹈以養其血脈、威儀以養其四體。今之人只有理義以養心、又不知求。
【読み】
先生曰く、古人は聲音以て其の耳を養い、采色以て其の目を養い、舞蹈以て其の血脈を養い、威儀以て其の四體を養うこと有り。今の人は只理義以て心を養うこと有れども、又求むることを知らず、と。

又問、如何是格物。先生曰、格、至也。言窮至物理也。又問、如何可以格物。曰、但立誠意去格物。其遲速却在人明暗也。明者格物速、暗者格物遲。
【読み】
又問う、如何なるか是れ格物とは、と。先生曰く、格は、至るなり。言うこころは、物理に窮め至るなり、と。又問う、如何にしてか以て物に格る可き、と。曰く、但誠意を立てて物に格り去るのみ。其の遲速は却って人の明暗に在り。明なる者は物に格ること速やかに、暗き者は物に格ること遲し、と。

先生曰、孔子弟子、顏子而下、有子貢。伯溫問、子貢、後人多以貨殖短之。曰、子頁之貨殖、非若後世之豐財、但此心未去耳。(周恭先字伯溫。)
【読み】
先生曰く、孔子の弟子、顏子より下、子貢有り、と。伯溫問う、子貢は、後人多く貨殖を以て之を短[そし]る、と。曰く、子頁の貨殖は、後世の財を豐かにするが若きに非ず、但此の心未だ去らざるのみ、と。(周恭先の字は伯溫。)

潘子文問、由之瑟奚爲於丘之門、如何。曰、此爲子路於聖人之門有不和處。伯溫問、子路旣於聖人之門有不和處、何故學能至於升堂。曰、子路未見聖人時、乃暴悍之人。雖學至於升堂、終有不和處。(潘旻字子文。)
【読み】
潘子文問う、由が瑟奚爲[なんす]れぞ丘が門に於てするとは、如何、と。曰く、此れ子路聖人の門に於て和せざる處有るが爲なり、と。伯溫問う、子路旣に聖人の門に於て和せざる處有らば、何故に學能く堂に升るに至らんや、と。曰く、子路未だ聖人に見えざる時は、乃ち暴悍の人なり。學堂に升るに至ると雖も、終に和せざる處有り、と。(潘旻の字は子文。)

先生曰、古人有言曰、共君一夜話、勝讀十年書。若一日有所得、何止勝讀十年書也。嘗見李初平問周茂叔云、某欲讀書、如何。茂叔曰、公老矣。無及也。待某只說與公。初平遂聽說話、二年乃覺悟。
【読み】
先生曰く、古人言えること有りて曰く、君と共にする一夜の話は、十年の書を讀むに勝れり、と。若し一日も得る所有らば、何ぞ止十年の書を讀むに勝るのみならん。嘗て李初平周茂叔に問うを見るに云く、某書を讀まんと欲す、如何、と。茂叔曰く、公老いたり。及ぶこと無けん。某只公に說與するを待て、と。初平遂に說話を聽くこと、二年にして乃ち覺悟す、と。

先生語子良曰、納拜之禮、不可容易。非己所尊敬、有德義服人者不可。余平生只拜二人。其一呂申公、其一張景觀奉議也。昔有數人同坐、說一人短。其閒有二人不說。問其故、其一日、某曾拜他。其一日、某曾受他拜。王拱辰君貺初見周茂叔、爲與茂叔世契、便受拜。及坐上、大風起、說大畜卦(一作說風天小畜卦。)、君貺乃起曰、某適來、不知受却公拜。今某却當納拜。茂叔走避。君貺此一事亦過人。謝用休問、當受拜、不當受拜。曰、分已定。不受乃是。(謝天申字用休、溫州人。)
【読み】
先生子良に語りて曰く、拜を納るるの禮は、容易にす可からず。己が尊敬する所、德義人を服すること有る者に非ずんば不可なり。余平生只二人を拜するのみ。其の一りは呂申公、其の一りは張景觀奉議なり。昔數人有り同坐して、一人の短を說く。其の閒二人說かざる有り。其の故を問うに、其の一り日く、某曾て他を拜す、と。其の一り日く、某曾て他の拜を受く、と。王拱辰君貺初めて周茂叔に見えて、茂叔と世契を爲し、便ち拜を受く。坐上、大風起こりて、大畜の卦を說く(一に天に風ふき小畜の卦を說くに作る。)に及んで、君貺乃ち起きて曰く、某適々來て、知らずして公の拜を受却す。今某却って當に拜を納るるべし、と。茂叔走り避く。君貺の此の一事亦人に過ぎたり、と。謝用休問う、當に拜を受くべきか、當に拜を受くべからざらんか、と。曰く、分已に定まれり。受けずして乃ち是なり、と。(謝天申の字は用休、溫州の人。)

先生曰、曾見韓持國說、有一僧、甚有所得。遂招來相見。語甚可愛。一日謁之、其僧出。暫憇其室、見一老行。遂問其徒曰、爲誰。曰、乃僧之父、今則師孫也。因問、僧如何待之。曰、待之甚厚。凡晩參時、必曰此人老也、休來。以此遂更不見之。父子之分、尙已顚倒矣。
【読み】
先生曰く、曾て韓持國の說を見るに、一僧有り、甚だ得る所有りという。遂に招き來して相見ゆ。語甚だ愛す可し。一日之に謁するに、其の僧出づ。暫く其の室に憇うに、一老の行くを見る。遂に其の徒に問いて曰く、誰とかする、と。曰く、乃ち僧の父なり、今は則ち師の孫なり、と。因りて問う、僧如何にか之を待する、と。曰く、之を待すること甚だ厚し。凡そ晩參の時は、必ず此の人老いたり、休んじ來れと曰う、と。此を以て遂に更に之に見えず。父子の分すら、尙已に顚倒せり、と。

先生曰、祭祀之禮、難盡如古制。但以義起之可也。富公問配享。先生曰、合葬用元妃、配享用宗子之所出。又問、祭用三獻、何如。曰、公是上公之家。三獻太薄。古之樂九變、乃是九獻。曰、兄弟可爲昭穆否。曰、國家弟繼兄、則是繼位。故可爲昭穆。士大夫則不可。
【読み】
先生曰く、祭祀の禮は、盡くは古制の如くし難し。但義を以て之を起こして可なり、と。富公配享を問う。先生曰く、合葬には元妃を用い、配享には宗子の出る所を用う、と。又問う、祭三獻を用いば、何如、と。曰く、公は是れ上公の家なり。三獻は太だ薄し。古の樂九變するは、乃ち是れ九獻なり、と。曰く、兄弟は昭穆を爲す可きや否や、と。曰く、國家弟兄に繼ぐときは、則ち是れ位を繼ぐ。故に昭穆を爲す可し。士大夫は則ち可ならず、と。

棣問、禮記言、有忿懥・憂患・恐懼・好樂、則心不得其正。如何得無此數端。曰、非言無。只言有此數端則不能以正心矣。又問、聖人之言可踐否。曰、苟不可踐、何足以垂敎萬世。
【読み】
棣問う、禮記に言う、忿懥・憂患・恐懼・好樂有るときは、則ち心其の正しきことを得ず、と。如何にしてか此の數端無きことを得ん、と。曰く、無しと言うには非ず。只此の數端有るときは則ち以て心を正しくすること能わずと言うなり、と。又問う、聖人の言は踐む可きや否や、と。曰く、苟も踐む可からずんば、何ぞ以て敎を萬世に垂るに足らんや、と。

伯溫問、學者如何可以有所得。曰、但將聖人言語玩味久、則自有所得。當深求於論語。將諸弟子問處便作已問、將聖人答處便作今日耳聞、自然有得。孔・孟復生、不過以此敎人耳。若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成甚生氣質。
【読み】
伯溫問う、學者如何にしてか以て得る所有る可きや、と。曰く、但聖人の言語を將って玩味すること久しきときは、則ち自づから得る所有らん。當に深く論語に求むべし。弟子の問う處を將って便ち已が問いと作し、聖人の答うる處を將て便ち今日の耳聞と作さば、自然に得ること有らん。孔・孟復生ずるとも、此を以て人に敎うるに過ぎざるのみ。若し能く論・孟の中に於て深く求めて玩味せば、將來甚生の氣質を涵養し成さん、と。

又問、顏子如何學孔子到此深邃。曰、顏子所以大過人者、只是得一善則拳拳服膺、與能屢空耳。棣問、去驕吝、可以爲屢空否。曰、然。驕吝最是不善之總名。驕、只爲有己。吝、如不能改過、亦是吝。
【読み】
又問う、顏子如何にか孔子を學んで此の深邃[しんすい]に到るや、と。曰く、顏子大いに人に過ぐる所以の者は、只是れ一善を得るときは則ち拳拳として服膺すると、能く屢々空しきとのみ、と。棣問う、驕吝を去らば、以て屢々空しと爲す可きや否や、と。曰く、然り。驕吝は最も是れ不善なるの總名なり。驕は、只己を有するが爲なり。吝は、過ちを改むること能わざるが如きも、亦是れ吝なり、と。

伯溫又問、心術最難。如何執持。曰、敬。
【読み】
伯溫又問う、心術最も難し。如何にしてか執持せん、と。曰く、敬せよ、と。

棣問、看春秋如何看。先生曰、某年二十時看春秋。黃贅隅問某如何看。某答曰、以傳考經之事迹、以經別傳之眞僞。
【読み】
棣問う、春秋を看ること如何にか看ん、と。先生曰く、某年二十の時春秋を看る、と。黃贅隅某如何にか看ると問う。某答えて曰く、傳を以て經の事迹を考え、經を以て傳の眞僞を別つ、と。

先生曰、史記載宰予被殺、孔子羞之。嘗疑田氏不敗、無緣被殺。若爲齊君而死、是乃忠義。孔子何羞之有。及觀左氏、乃是闞止爲陳恆所殺。亦字子我。謬誤如此。
【読み】
先生曰く、史記に宰予殺されて、孔子之を羞づということを載す。嘗て疑う、田氏敗れずんば、殺さるるに緣無し。若し齊の君の爲にして死せば、是れ乃ち忠義なり。孔子何の羞づることか之れ有らん、と。左氏を觀るに及んで、乃ち是れ闞止陳恆に殺さるることをす。亦字は子我とす。謬誤此の如し、と。

用休問、夫子賢於堯・舜、如何。子曰、此是說功。堯・舜治天下、孔子又推堯・舜之道而垂敎萬世。門人推尊、不得不然。伯溫又問、堯・舜、非孔子、其道能傳後世否。曰、無孔子、有甚憑據處。
【読み】
用休問う、夫子は堯・舜に賢れりということ、如何、と。子曰く、此は是れ功を說く。堯・舜は天下を治め、孔子は又堯・舜の道を推して敎を萬世に垂る。門人推し尊ぶこと、然らざることを得ず、と。伯溫又問う、堯・舜は、孔子に非ずとも、其の道能く後世に傳えんや否や、と。曰く、孔子無くんば、甚の憑[よ]り據る處有らんや、と。

子文問、師也過、商也不及。如論交、可見否。曰、氣象閒亦可見。又曰、子夏・子張皆論交。子張所言是成人之交、子夏是小子之交。又問、主忠信、毋友不如己者、如何。曰、毋友不忠信之人。
【読み】
子文問う、師は過ぎたり、商は及ばず、と。交わりを論ずるが如き、見る可きや否や、と。曰く、氣象閒[まま]亦見る可し、と。又曰く、子夏・子張は皆交わりを論ず。子張言う所は是れ成人の交わり、子夏は是れ小子の交わりなり、と。又問う、忠信を主として、己に如かざる者を友とすること毋かれというは、如何、と。曰く、忠信ならざるの人を友とすること毋かれとなり、と。

棣問、使孔・孟同時、將與孔子竝駕其說於天下邪、將學孔子邪。曰、安能竝駕。雖顏子亦未達一閒耳。顏・孟雖無大優劣、觀其立言、孟子終未及顏子。昔孫莘老嘗問顏・孟優劣。答之曰、不必問。但看其立言如何。凡學者讀其言便可以知其人。若不知其人、是不知言也。
【読み】
棣問う、孔・孟をして時を同じくせめば、將に孔子と其の說を天下に竝び駕せんとするか、將に孔子を學ばんとするか、と。曰く、安んぞ能く竝び駕せん。顏子と雖も亦未だ一閒を達せざるのみ。顏・孟大なる優劣無しと雖も、其の立言を觀るに、孟子終に未だ顏子に及ばず。昔孫莘老嘗て顏・孟の優劣を問えり。之に答えて曰く、必ずしも問わざれ。但其の立言如何と看よ。凡そ學者其の言を讀んで便ち以て其の人を知る可し。若し其の人を知らずんば、是れ言を知らざるなり、と。

又問、大學知本、止說聽訟吾猶人也、必也使無訟乎。無情者不得盡其辭、大畏民志、何也。曰、且舉此一事、其他皆要知本。聽訟則必使無訟是本也。
【読み】
又問う、大學本を知るに、止訟を聽くこと吾れ猶人のごとし、必ずや訟無からしめんか、と。情無き者は其の辭を盡くすことを得ず、大いに民の志を畏れしむと說くは、何ぞや、と。曰く、且此の一事を舉げて、其の他皆本を知らんことを要す。訟を聽くには則ち必ず訟無からしむること是れ本なり、と。

李嘉仲問、裁成天地之道、輔相天地之宜、如何。曰、天地之道、不能自成、須聖人裁成輔相之。如歲有四時、聖人春則敎民播種、秋則敎民收獲。是裁成也。敎民鋤耘灌漑、是輔相也。又問、以左右民、如何。古之盛時、未嘗不敎民。故立之君師、設官以治之。周公師保萬民、與此(呂本・徐本此作泰。)卦言左右民、皆是也。後世未嘗敎民、任其自生自育、只治其鬭而已。(李處遯字嘉仲。)
【読み】
李嘉仲問う、天地の道を裁成し、天地の宜を輔相すとは、如何、と。曰く、天地の道は、自成すること能わず、聖人之を裁成輔相するを須つ。歲に四時有るが如き、聖人春は則ち民に播種を敎え、秋は則ち民に收獲を敎う。是れ裁成するなり。民に鋤耘灌漑を敎うるは、是れ輔相するなり、と。又問う、以て民を左右[たす]くとは、如何、と。古の盛んなりし時、未だ嘗て民を敎えずんばあらず。故に之が君師を立て、官を設けて以て之を治む。周公は萬民の師保たりと、此(呂本・徐本此を泰に作る。)の卦に民を左右くと言うとは、皆是れなり。後世未だ嘗て民に敎えず、其の自生し自育するに任じて、只其の鬭を治むるのみ、と。(李處遯の字は嘉仲。)

張思叔問、賢賢易色、如何。曰、見賢卽變易顏色、愈加恭敬。
【読み】
張思叔問う、賢を賢として色を易うとは、如何、と。曰く、賢を見ては卽顏色を變易して、愈々恭敬を加うるなり、と。

棣問、春秋書王如何。曰、聖人以王道作經、故書王。范文甫問、杜預以謂周王、如何。曰、聖人假周王以見意。棣又問、漢儒以謂王加正月上、是正朔出於天子、如何。曰、此乃自然之理。不書春王正月、將如何書。此漢儒之惑也。
【読み】
棣問う、春秋に王と書するは如何、と。曰く、聖人王道を以て經を作る、故に王と書す、と。范文甫問う、杜預以謂えらく、周の王とは、如何、と。曰く、聖人周王を假りて以て意を見す、と。棣又問う、漢儒以謂えらく、王正月の上に加うるは、是れ正朔天子より出づればなり、と、如何、と。曰く、此れ乃ち自然の理なり。春王正月と書せずんば、將に如何にか書せんとする。此れ漢儒の惑えるなり、と。

先生將傷寒藥與兵士。因曰、在墳所與莊上、常合藥與人、有時自笑。以此濟人、何其狹也。然只做得這箇事。
【読み】
先生傷寒の藥を將って兵士に與う。因りて曰く、墳所と莊上とに在りて、常に合藥して人に與えて、時有りて自ら笑う。此を以て人を濟う、何ぞ其れ狹きや。然れども只這箇の事を做し得るのみ、と。

思叔告先生曰、前日見敎授夏侯旄、甚歎服。曰、前時來相見、問後極說與他來。旣問、却不管他好惡。須與盡說與之。學之久、染習深、不是盡說、力抵(呂本・徐本抵作詆。)介甫、無緣得他覺悟。亦曾說介甫不知事君道理。觀他意思、只是要樂子之無知。如上表言秋水旣至、因知海若之無窮、大明旣升、豈宜爝火之不息、皆是意思常要己在人主上。自古主聖臣賢、乃常理。何至如此。又觀其說魯用天子禮樂云、周公有人臣所不能爲之功、故得用人臣所不得用之禮樂。此乃大段不知事君。大凡人臣身上、豈有過分之事。凡有所爲、皆是臣職所當爲之事也。介甫平居事親最孝。觀其言如此、其事親之際、想亦洋洋自得、以爲孝有餘也。臣子身上皆無過分事。惟是孟子知之。如說曾子、只言事親若曾子可矣。不言有餘、只言可矣。唐子方作一事、後無聞焉、亦自以爲報君足矣。當時所爲、蓋不誠意。嘉仲曰、陳瓘亦可謂難得矣。先生曰、陳瓘却未見其已。(夏侯旄字節夫。)
【読み】
思叔先生に告げて曰く、前日夏侯旄に敎授するを見るに、甚だ歎服す、と。曰く、前時來りて相見え、問いて後極めて他に說與す。旣に問うとも、却って他の好惡を管せず。須く與に盡く之を說與すべし。之を學ぶこと久しくして、染習深きときは、是れ盡く說かず、力めて介甫を抵[たた]いて(呂本・徐本抵を詆に作る。)、他の覺悟を得るに緣無し。亦曾て介甫君に事うるの道理を知らざることを說く。他の意思を觀るに、只是れ要するに子[し]が知ること無きことを樂しむなり。上表に秋水旣に至って、因りて海若の窮まり無きことを知り、大明旣に升って、豈宜しく爝火の息まざるべけんやと言うが如き、皆是れ意思常に己人主の上に在らんことを要す。古自り主聖に臣賢なるは、乃ち常理なり。何ぞ此の如くなるに至らん。又其の魯天子の禮樂を用うることを說くを觀るに云く、周公は人臣すること能わざる所の功有り、故に人臣用うることを得ざる所の禮樂を用うることを得、と。此れ乃ち大段君に事うることを知らず。大凡人臣の身上、豈分に過ぎるの事有らんや。凡そする所有るは、皆是れ臣の職の當にすべき所の事なり。介甫平居親に事うること最も孝あり。其の言を觀るに此の如くなるときは、其の親に事うるの際も、想うに亦洋洋として自得して、以て孝餘有りとせん。臣子の身上皆分に過ぎる事無し。惟是れ孟子之を知る。曾子を說くが如き、只親に事うること曾子の若くにせば可なりと言う。餘有りと言わずして、只可なりと言う。唐子方一事を作して、後に聞くこと無く、亦自ら以爲えらく、君に報ずること足れり、と。當時する所、蓋し誠意ならず、と。嘉仲曰く、陳瓘も亦得難しと謂う可きや、と。先生曰く、陳瓘は却って未だ其の已むことを見ず、と。(夏侯旄の字は節夫。)

伯溫問、西狩獲麟已後、又有二年經。不知如何。曰、是孔門弟子所續。當時以謂必能盡得聖人作經之意。及再三考究、極有失作經意處。
【読み】
伯溫問く、西のかた狩して麟を獲るより已後、又二年の經有り。知らず、如何、と。曰く、是れ孔門弟子の續ぐ所。當時以謂えらく、必ず能く聖人經を作るの意を盡くし得る、と。再三考え究むるに及んで、極めて經を作る意を失する處有り、と。

亨仲問、表記言仁右也、道左也、仁者人也、道者義也、如何。曰、本不可如此分別。然亦有些子意思。又問、莫是有輕重否。曰、却是有陰陽也。此却是儒者說話。如經解、只是弄文墨之士爲之。
【読み】
亨仲問う、表記に仁は右なり、道は左なり、仁は人なり、道は義なりと言うは、如何、と。曰く、本此の如く分別す可からず。然れども亦些子の意思有り、と。又問う、是れ輕重有ること莫しや否や、と。曰く、却って是れ陰陽有り。此れ却って是れ儒者の說話ならんや。經解の如きは、只是れ文墨を弄するの士之を爲すのみ、と。

又問、如臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之藝、文之以禮樂、亦可以爲成人矣。曰、須是合四人之能、又文之以禮樂、亦可以爲成人矣。然而論大成、則不止此。如今之成人、則又其次也。
【読み】
又問う、臧武仲が知、公綽が不欲、卞莊子が勇、冉求が藝の如き、之を文[かざ]るに禮樂を以てせば、亦以て成人と爲す可し、と。曰く、須く是れ四人の能を合わせて、又之を文るに禮樂を以てすべく、亦以て成人と爲す可し。然れども大成を論ずるときは、則ち此に止まらず。今の成人の如きは、則ち又其の次なり、と。

又問、介甫言堯行天道以治人、舜行人道以事天、如何。曰、介甫自不識道字。道未始有天人之別。但在天則爲天道、在地則爲地道、在人則爲人道。如言堯典、於舜・丹朱・共工・驩兜之事皆論之、未及乎升黜之政、至舜典、然後禪舜以位、四罪而天下服之類、皆堯所以在天下、舜所以治、是何義理。四凶在堯時、亦皆高才、職事皆修。堯如何誅之。然堯已知其惡。非堯亦不能知也。及堯一旦舉舜於側微、使四凶北面而臣之、四凶不能堪、遂逆命。鯀功又不成、故舜然後遠放之。如呂刑言遏絕苗民亦只是舜。孔安國誤以爲堯。
【読み】
又問う、介甫堯は天道を行って以て人を治め、舜は人道を行って以て天に事うと言うは、如何、と。曰く、介甫は自ら道の字を識らず。道は未だ始めより天人の別有らず。但天に在るときは則ち天道と爲し、地に在るときは則ち地道と爲し、人に在るときは則ち人道と爲すのみ。堯典に、舜・丹朱・共工・驩兜の事に於て皆之を論じ、未だ升黜の政に及ばず、舜典に至って、然して後に舜に禪るに位を以てし、四罪して天下之に服するの類、皆堯天下に在す所以、舜治むる所以と言うが如き、是れ何の義理かあらん。四凶堯の時に在りて、亦皆高才にして、職事皆修む。堯如何ぞ之を誅せん。然れども堯已に其の惡を知る。堯亦知ること能わざるに非ざるなり。堯一旦舜を側微に舉げて、四凶をして北面して之に臣たらしむるに及んで、四凶堪うること能わずして、遂に命に逆う。鯀が功も又成らず、故に舜然して後に遠く之を放つ。呂刑に苗民を遏[た]ち絕つと言うが如きも亦只是れ舜なり。孔安國誤りて以て堯とす、と。

又問、伯夷・叔齊逃、是否。曰、讓不立則可。何必逃父邪。叔齊承父命、尤不可逃也。又問、中子之立、是否。曰、安得是。只合招叔(一作夷。)齊歸立則善。伯溫曰、孔子稱之曰仁、何也。曰、如讓國亦是淸節、故稱之曰仁。如與季札是也。札讓不立、又不爲立賢而去、卒有殺僚之亂。故聖人於其來聘、書曰、吳子使札來聘。去其公子、言其不得爲公子也。
【読み】
又問う、伯夷・叔齊逃ぐるとは、是なりや否や、と。曰く、讓りて立たざることは則ち可なり。何ぞ必ずしも父を逃げんや。叔齊父の命を承くれば、尤も逃ぐる可からざるなり、と。又問う、中子が立つは、是なりや否や、と。曰く、安んぞ是なることを得ん。只合に叔(一に夷に作る。)齊を招いて歸り立たしむれば則ち善なるべし、と。伯溫曰く、孔子之を稱して仁と曰うは、何ぞや、と。曰く、國を讓るが如き亦是れ淸節なり、故に之を稱して仁と曰えり。季札に與うるが如き是れなり。札讓りて立たず、又賢を立てて去ることをせず、卒に僚を殺すの亂有り。故に聖人其の來聘に於て、書して曰く、吳子札をして來聘せしむ、と。其の公子を去るは、言うこころは、其の公子爲ることを得ざればなり、と。

嘉仲問否之匪人。曰、泰之時、天地交泰而萬物生。凡生於天地之閒者、皆人道也。至否之時、天地不交、萬物不生、無人道矣。故曰、否之匪人。
【読み】
嘉仲否は之れ人に匪ずというを問う。曰く、泰の時、天地交々泰して萬物生ず。凡そ天地の閒に生ずる者は、皆人道なり。否の時に至って、天地交わらず、萬物生ぜずして、人道無し。故に曰く、否は之れ人に匪ず、と。

亨仲問、自反而縮、如何。曰、縮只是直。又問曰、北宮黝似子夏、孟施舍似曾子、如何。曰、北宮黝之養勇也、必爲而已。未若舍之能無懼也。無懼則能守約也。子夏之學雖博、然不若曾子之守禮爲約。故以黝爲似子夏、舍似曾子也。
【読み】
亨仲問う、自ら反って縮しというは、如何、と。曰く、縮は只是れ直なり、と。又問いて曰く、北宮黝は子夏に似、孟施舍は曾子に似るというは、如何、と。曰く、北宮黝が勇を養うは、必ずするのみ。未だ舍が能く懼るること無きに若かず。懼るること無きときは則ち能く守ること約なるなり。子夏の學博しと雖も、然れども曾子の禮を守り約をするに若かず。故に黝を以て子夏に似、舍を曾子に似れりとするなり、と。

棣問、考仲子之宮、非與。曰、聖人之意又在下句、見其初獻六羽也。言初獻、則見前此八羽也。春秋之書、百王不易之法。三王以後、相因旣備。周道衰、而聖人慮後世聖人不作、大道遂墜、故作此一書。此義、門人皆不得聞、惟顏子得聞。嘗語之曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞是也。此書乃文質之中、寬猛之宜、是非之公也。
【読み】
棣問う、仲子の宮を考[な]すは、非なるか、と。曰く、聖人の意は又下の句に在り、其の初めて六羽を獻ずることを見すなり。初めて獻ずと言うは、則ち此より前は八羽なることを見すなり。春秋の書は、百王不易の法なり。三王以後、相因ること旣に備わる。周道衰えて、聖人後世聖人作らずして、大道遂に墜ちんことを慮る、故に此の一書を作れり。此の義、門人皆聞くことを得ず、惟顏子のみ聞くことを得たり。嘗て之に語りて曰く、夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服し、樂は則ち韶舞すとは是れなり。此の書は乃ち文質の中、寬猛の宜、是非の公なり、と。

范季平問、博學而篤志、切問而近思、仁在其中、如何。曰、仁卽道也、百善之首也。苟能學道、則仁在其中矣。享仲問、如何是近思。曰、以類而推。
【読み】
范季平問う、博く學んで篤く志し、切に問いて近く思えば、仁其の中に在りとは、如何、と。曰く、仁は卽ち道なり、百善の首なり。苟に能く道を學ぶときは、則ち仁其の中に在り、と。享仲問う、如何にしてか是れ近く思わん、と。曰く、類を以て推せ、と。

嘉仲問、吾與女弗如也之與、比吾與點也之與、如何。曰、與字則一般。用處不同。孔子以爲吾與女弗如者(呂本者作也。)、勉進學者之言。使子貢喩聖人之言、則知勉進己也。不喩其言、則以爲聖人尙不可及。不能勉進、則謬矣。
【読み】
嘉仲問う、吾れ女が如かざることを與[ゆる]すの與は、吾れ點に與せんの與に比するに、如何、と。曰く、與の字は則ち一般なり。用うる處同じからず。孔子以て吾れ女が如かざることを與すと爲す者は(呂本者を也に作る。)、學者を勉め進めしむるの言なり。子貢をして聖人の言を喩らしめば、則ち勉め進むことを知らんのみ。其の言を喩らざるときは、則ち以て聖人尙及ぶ可からずと爲す。勉め進むこと能わざるときは、則ち謬らん、と。

棣問、紀裂繻爲君逆女、如何。曰、逆夫人是國之重事、使卿逆亦無妨。先儒說親逆甚可笑。且如秦君娶於楚、豈可越國親迎耶。所謂親迎者、迎於館耳。文王迎於渭、亦不是出疆遠迎、周國自在渭傍。先儒以此、遂泥於親迎之說、直至謂天子須親迎。況文王親迎之時、乃爲公子。未爲君也。
【読み】
棣問う、紀の裂繻君の爲に女を逆[むか]うるは、如何、と。曰く、夫人を逆うるは是れ國の重事、卿をして逆えしむるも亦妨ぐること無し。先儒親ら逆うと說くは甚だ笑す可し。且秦の君楚に娶るが如き、豈國を越えて親迎す可けんや。所謂親迎とは、館に迎うるのみ。文王渭に迎うるも、亦是れ疆を出て遠く迎うるにあらず、周の國は自づから渭の傍に在り。先儒此を以て、遂に親迎の說に泥んで、直に天子は須く親迎すべしと謂うに至る。況んや文王親迎の時は、乃ち公子爲り。未だ君爲らず、と。

貴一問、齊王謂時子欲養弟子以萬鍾、而使國人有所矜式。孟子何故拒之。曰、王之意非尊孟子、乃欲賂之爾。故拒之。
【読み】
貴一問う、齊王時子に謂いて弟子を養うに萬鍾を以てして、國人をして矜[つつし]み式[のっと]る所有らしめんと欲す、と。孟子何故に之を拒むや、と。曰く、王の意は孟子を尊ぶに非ず、乃ち之に賂わんと欲するのみ。故に之を拒む、と。

用休問、溫故而知新、如何可以爲師。曰、不然。只此一事可師。如此等處、學者極要理會得。若只指認溫故知新便可爲人師、則窄狹却氣象也。凡看文字、非只是要理會語言、要識得聖賢氣象。如孔子曰、盍各言爾志。而由曰、願車馬、衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾。顏子曰、願無伐善、無施勞。孔子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之、觀此數句、便見聖賢氣象大段不同。若讀此不見得聖賢氣象、他處也難見。學者須要理會得聖賢氣象。
【読み】
用休問う、故きを溫ねて新しきを知る、如何にか以て師爲る可き、と。曰く、然らず。只此の一事師たる可し。此れ等の處の如き、學者極めて理會し得んことを要す。若し只指して故きを溫ねて新しきを知るを認めて便ち人の師爲る可しとするときは、則ち氣象を窄狹却す。凡そ文字を看るに、非只是れ語言を理會することを要するに、聖賢の氣象を識得せんことを要す。孔子曰く、盍ぞ各々爾の志を言わざる、と。而して由曰く、願わくは車馬、輕裘を衣ること、朋友と共にし、之を敝[やぶ]るとも憾むこと無けん、と。顏子曰く、願わくは善に伐ること無く、勞を施[おお]いにすること無けん、と。孔子曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懷けんというが如き、此の數句を觀て、便ち聖賢の氣象を見るに大段同じからず。若し此を讀んで聖賢の氣象を見得せずんば、他處も也[また]見ること難からん。學者須く聖賢の氣象を理會し得んことを要す、と。

嘉仲問韶盡美矣、又盡善也。先生曰、非是言武王之樂未盡善。言當時傳舜之樂則盡善盡美。傳武王之樂則未盡善耳。
【読み】
嘉仲韶の美を盡くし、又善を盡くすことを問う。先生曰く、是れ武王の樂未だ善を盡くさずと言うに非ず。當時舜の樂を傳うるときは則ち善を盡くし美を盡くせり。武王の樂を傳うるときは則ち未だ善を盡くさざることを言うのみ、と。

先生曰、子在齊聞韶、三月不知肉味、非是三月。本是音字。
【読み】
先生曰く、子齊に在して韶を聞く、三月肉の味を知らずとは、是れ三月に非ず。本是れ音の字なり、と。

文勝質則史。史乃周官府史胥徒之史。史、管文籍之官。故曰、史掌官書以贊治。文雖多而不知其意、文勝正如此也。
【読み】
文質に勝つときは則ち史なり、と。史は乃ち周官府史胥徒の史。史は、文籍を管[つかさど]るの官。故に曰く、史は官書を掌りて以て治を贊く、と。文多しと雖も其の意を知らざれば、文勝つこと正に此の如し。

又曰、學者須要知言。
【読み】
又曰く、學者須く言を知らんことを要す、と。

(呂本・徐本同作周。)伯溫問、囘也三月不違仁、如何。曰、不違處、只是無纖毫私意(一作欲、下同。)。有少私意、便是不仁。又問、博施濟衆、何故仁不足以盡之。曰、旣謂之博施濟衆、則無盡也。堯之治、非不欲四海之外皆被其澤、遠近有閒、勢或不能及。以此觀之、能博施濟衆、則是聖也。又問、孔子稱管仲如其仁、何也。曰、但稱其有仁之功也。管仲其初事子糾、所事非正。春秋書公伐齊納糾。稱糾而不稱子糾、不當立者也。不當立而事之、失於初也。及其敗也、可以死、亦可以無死。與人同事而死之、理也。知始事之爲非而改之、義也。召忽之死、正也。管仲之不死、權其宜可以無死也。故仲尼稱之曰、如其仁。謂其有仁之功也。使管仲所事子糾正而不死、後雖有大功、聖人豈復稱之耶。若以爲聖人不觀其死不死之是非、而止稱其後來之是非、則甚害義理也。又問、如何是仁。曰、只是一箇公字。學者問仁、則常敎他將公字思量。
【読み】
(呂本・徐本同を周に作る。)伯溫問う、囘は三月仁に違わずというは、如何、と。曰く、違わざる處は、只是れ纖毫の私意(一に欲に作る、下も同じ。)無きのみ。少しも私意有れば、便ち是れ不仁なり、と。又問う、博く施して衆を濟うは、何故にか仁以て之を盡くすに足らざる、と。曰く、旣に之を博く施して衆を濟うと謂うときは、則ち盡きること無し。堯の治むる、四海の外皆其の澤を被ることを欲せざるに非ず、遠近閒有りて、勢或は及ぶこと能わざるなり。此を以て之を觀れば、能く博く施して衆を濟うは、則ち是れ聖なり、と。又問う、孔子管仲を稱して其の仁に如かんやというは、何ぞや、と。曰く、但其の仁の功有るを稱するなり。管仲其の初め子糾に事うれば、事うる所正しきに非ず。春秋に公齊を伐って糾を納ると書す。糾と稱して子糾と稱せざるは、當に立つべからざる者なればなり。當に立つべからずして之に事うるは、初めに失するなり。其の敗るるに及んで、以て死す可く、亦以て死すること無かる可し。人と事を同じくして之に死するは、理なり。始め事うるの非爲ることを知って之を改むるは、義なり。召忽が死するは、正しきなり。管仲が死せざるは、其の宜を權って以て死すること無かる可きなり。故に仲尼之を稱して曰く、其の仁に如かんや、と。其の仁の功有るを謂うなり。管仲をして子糾に事うる所正しくして死せずんば、後に大功有りと雖も、聖人豈復之を稱せんや。若し以て聖人其の死不死の是非を觀ずして、止其の後來の是非を稱すと爲せば、則ち甚だ義理を害す、と。又問う、如何なるか是れ仁、と。曰く、只是れ一箇の公の字。學者仁を問えば、則ち常に他をして公の字を將って思量せしむ、と。

又問鄭人來渝平。曰、更成也。國君而輕變其平。反復可罪。又問、終隱之世、何以不相侵伐。曰、不相侵伐固足稱。然輕欲變平、是甚國君之道。
【読み】
又鄭人來て渝[か]えて平らぐというを問う。曰く、更めて成[たい]らぐなり。國君にして輕々しく變えて其れ平らぐ。反復して罪す可し、と。又問う、隱の世を終うるまで、何を以て相侵伐せざる、と。曰く、相侵伐せざるは固より稱するに足れり。然れども輕々しく變えて平らげんと欲するは、是れ甚の國君の道ならん、と。

又問、宋穆公立與夷、是否。曰、大不是。左氏之言甚非。穆公却是知人。但不立公子馮、是其知人處。若以其子享之爲知人、則非也。後來卒致宋亂、宣公行私惠之過也(一作罪。)
【読み】
又問う、宋の穆公與夷を立つるは、是なりや否や、と。曰く、大いに是ならず。左氏が言は甚だ非なり。穆公は却って是れ人を知る。但公子馮を立てざるは、是れ其の人を知る處なるのみ。若し其の子之を享くるを以て人を知るとせば、則ち非なり。後來卒に宋の亂を致すは、宣公私惠を行うの過ち(一に罪に作る。)なり、と。

先生曰、凡看語・孟、且須熟玩味、將聖人之言語切己、不可只作一場話說。人只看得此二書切己、終身儘多也。
【読み】
先生曰く、凡そ語・孟を看るは、且須く熟々玩味すべく、聖人の言語を將って己に切ならしめ、只一場の話說と作す可からず。人只此の二書を看得て己に切ならしめば、身を終うるまで儘[きわ]めて多からん、と。

棣問、退而省其私、亦足以發、如何。曰、孔子退省其心中、亦足以開發也。又問、豈非顏子見聖人之道無疑歟。曰、然也。孔子曰、一以貫之。曾子便理會得、遂曰、唯。其他門人便須辯問也。
【読み】
棣問う、退いて其の私を省るに、亦以て發するに足れりというは、如何、と。曰く、孔子退いて其の心中を省るに、亦以て開發するに足るなり、と。又問う、豈顏子聖人の道を見て疑うこと無きに非ざるや、と。曰く、然り。孔子曰く、一以て之を貫く、と。曾子便ち理會得て、遂に曰く、唯、と。其の他の門人は便ち須く辯じ問うべし、と。

又問祭如在、祭神如神在。曰、祭如在、言祭祖宗。祭神如神在、則言祭神也。祭先、主於孝。祭神、主於恭敬。
【読み】
又祭ること在すが如く、神を祭ること神在すが如くすというを問う。曰く、祭ること在すが如くすとは、祖宗を祭るを言う。神を祭ること神在すが如くすとは、則ち神を祭るを言う。先を祭るには、孝を主とす。神を祭るには、恭敬を主とす、と。

又問、祭起於聖人制作以敎人否。曰、非也。祭先本天性。如豺有祭、獺有祭、鷹有祭、皆是天性。豈有人而不如物(呂本物作鳥。)乎。聖人因而裁成禮法以敎人耳。又問、今人不祭高祖、如何。曰、高祖自有服、不祭甚非。某家却祭高祖。又問、天子七廟、諸侯五、大夫三、士二、如何。曰、此亦只是禮家如此說。又問、今士庶家不可立廟、當如何也。庶人祭於寢。今之正廳是也。凡禮、以義起之可也。如富家及士、置一影堂亦可。但祭時不可用影。又問、用主如何。曰、白屋之家不可用。只用牌子可矣。如某家主式、是殺諸侯之制也。大凡影不可用祭。若用影祭、須無一毫差方可。若多一莖鬚、便是別人。
【読み】
又問う、祭は聖人の制作に起こりて以て人に敎うるや否や、と。曰く、非なり。先を祭るは天性に本づく。豺祭ること有り、獺祭ること有り、鷹祭ること有るが如きは、皆是れ天性なり。豈人にして物(呂本物を鳥に作る。)に如かざること有らんや。聖人因りて禮法を裁成して以て人に敎うるのみ、と。又問う、今の人高祖を祭らざるは、如何、と。曰く、高祖自づから服有り、祭らざるは甚だ非なり。某が家却って高祖を祭る、と。又問う、天子は七廟、諸侯は五、大夫は三、士は二とは、如何、と。曰く、此は亦只是れ禮家此の如く說けり、と。又問う、今士庶の家廟を立つる可からず、當に如何にかすべき、と。庶人は寢に祭る。今の正廳是れなり。凡そ禮は、義を以て之を起こして可なり。如し富家及び士は、一影堂を置くとも亦可なり。但祭る時は影を用う可からず、と。又問う、主を用うるは如何、と。曰く、白屋の家は用う可からず。只牌子を用いて可なり。某が家の主式の如き、是れ諸侯の制を殺[そ]ぐ。大凡影は祭に用う可からず。若し影を用いて祭らば、須く一毫の差うこと無くして方に可なるべし。若し一莖鬚多ければ、便ち是れ別人なり、と。

棣又問、克己復禮、如何是仁。曰、非禮處便是私意。旣是私意、如何得仁。凡人須是克盡己私後、只有禮、始是仁處。
【読み】
棣又問う、己に克ちて禮に復る、如何にか是れ仁なる、と。曰く、非禮なる處は便ち是れ私意。旣に是れ私意ならば、如何ぞ仁を得ん。凡そ人須く是れ己私を克ち盡くして後、只禮有るべく、始めて是れ仁の處なり、と。

謝用休問入太廟、每事問。曰、雖知亦問、敬謹之至。又問、旅祭之名如何。曰、古之祭名皆有義、如旅亦不可得而知。
【読み】
謝用休太廟に入りては、事每に問うことを問う。曰く、知ると雖も亦問うは、敬謹の至りなり、と。又問う、旅祭の名如何、と。曰く、古の祭の名は皆義有り、旅の如きは亦得て知る可からず、と。

棣問、如儀禮中禮制、可考而信否。曰、信其可信。如言昏禮云、問名、納吉、納幣、皆須卜、豈有問名了而又卜。苟卜不吉、事可已邪。若此等處難信也。又嘗疑卜郊亦非。不知果如何。曰、春秋却有卜郊、但卜上辛不吉、則當卜中辛、中辛又不吉、則當便用下辛、不可更卜也。如魯郊三卜、四卜、五卜、而至不郊、非禮。又問、三年一郊、與古制如何。曰、古者一年之閒、祭天甚多。春則因民播種而祈穀、夏則恐旱暵而大雩、以至秋則明堂、冬則圓丘。皆人君爲民之心也。凡人子不可一日不見父母、國君不可一歲不祭天。豈有三年一親郊之理。
【読み】
棣問う、儀禮の中の禮制の如きは、考[う]って信ず可きや否や、と。曰く、其の信ず可きを信ず。昏禮に云う、名を問い、吉を納れ、幣を納れ、皆須く卜すべしと言うが如き、豈名を問い了わりて又卜すること有らんや。苟も卜吉ならずんば、事已む可けんや。此れ等の處の若きは信じ難し、と。又嘗て疑う、郊を卜することも亦非ならん、と。知らず、果たして如何、と。曰く、春秋に却って郊を卜すること有り、但上辛を卜して吉ならざるときは、則ち當に中辛を卜すべく、中辛も又吉ならずんば、則ち當に便ち下辛を用うべく、更に卜す可からず。魯の郊三卜、四卜、五卜して、郊せざるに至るが如きは、禮に非ざるなり、と。又問う、三年に一たび郊すると、古制と如何、と。曰く、古は一年の閒、天を祭ること甚だ多し。春は則ち民の播種に因りて穀を祈り、夏は則ち旱暵[かんかん]を恐れて大いに雩[う]し、以て秋は則ち明堂、冬は則ち圓丘に至る。皆人君民の爲にするの心なり。凡そ人の子は一日も父母に見えずんばある可からず、國君は一歲も天を祭らずんばある可からず。豈三年に一たび親ら郊するの理有らんや、と。

用休問北郊之禮。曰、北郊不可廢。元祐時朝廷議行。只爲五月閒天子不可服大裘、皆以爲難行。不知郊天郊地、禮制自不同。天是資始。故凡用物皆尙純。藉用藁秸、器用陶匏、服用大裘、是也。地則資生。安可亦用大裘。當時諸公知大裘不可服、不知別用一服。向日宣仁山陵、呂汲公作大使、某與坐說話次、呂相責云、先生不可如此。聖人當時不曾如此。今先生敎朝廷怎生則是。答曰、相公見聖人不如此處怎生。聖人固不可跂及。然學聖人者、不可輕易看了聖人。只如今朝廷、一北郊禮不能行得、又無一人道西京有程某、復問一句也。呂公及其壻王某等便問、北郊之禮當如何。答曰、朝廷不曾來問、今日豈當對諸公說邪。是時蘇子瞻便據昊天有成命之詩、謂郊祀同。文潞公便謂、譬如祭父母、作一處何害。曰、此詩冬至夏至皆歌。豈不可邪。郊天地又與共祭父母不同也。此是報本之祭、須各以類祭。豈得同時邪。
【読み】
用休北郊の禮を問う。曰く、北郊は廢す可からず。元祐の時朝廷議して行う。只五月の閒天子大裘を服す可からざるが爲に、皆以爲えらく、行い難し、と。知らず、天を郊し地を郊すること、禮制自づから同じからざることを。天は是れ資って始まる。故に凡そ物を用うるに皆純を尙ぶ。藉[し]くに藁秸を用い、器に陶匏を用い、服に大裘を用うるは、是れなり。地は則ち資って生ずる。安んぞ亦大裘を用う可けん。當時諸公大裘の服す可からざることを知って、別に一服を用うることを知らず。向[さき]の日宣仁の山陵、呂汲公大使と作り、某と坐して說話するの次、呂相責めて云う、先生此の如くす可からず。聖人も當時曾て此の如くならず。今先生朝廷に敎うること怎生ぞ則ち是なる、と。答えて曰く、相公聖人此の如くならざる處を見ること怎生。聖人固に跂々として及ぶ可からず。然れども聖人を學ぶ者は、輕易に聖人を看了す可からず。只今の朝廷の如き、一たび北郊するの禮行い得ること能わず、又一人も西京に程某有りと道いて、復一句を問うこと無し、と。呂公及び其の壻王某等便ち問う、北郊の禮當に如何にかすべし、と。答えて曰く、朝廷曾て來り問わず、今日豈當に諸公に對して說くべけんや、と。是の時蘇子瞻便ち昊天有成命の詩に據りて、郊祀同じと謂う。文潞公便ち謂く、譬えば父母を祭るが如き、一處と作すも何の害あらん、と。曰く、此の詩冬至夏至に皆歌う。豈可ならざらんや。天地に郊するは又共に父母を祭ると同じからず。此は是れ本に報ずるの祭、須く各々類を以て祭るべし。豈時を同じくすることを得んや、と。

又問六天之說。曰、此起於讖書。鄭玄之徒從而廣之甚可笑也。帝者、氣之主也。東則謂之青帝、南則謂之赤帝、西則謂之白帝、西則謂之黑帝、中則謂之黃帝。豈有上帝而別有五帝之理。此因周禮言祀昊天上帝、而後又言祀五帝亦如之、故諸儒附此說。又問、周禮之說果如何。曰、周禮中說祭祀、更不可考證。六天之說、正與今人說六子是乾・坤退居不用之時同也。不知乾・坤外、甚底是六子。譬如人之四肢。只是一體耳。學者大惑也。
【読み】
又六天の說を問う。曰く、此れ讖書より起こる。鄭玄が徒從りて之を廣むるは甚だ笑す可し。帝は、氣の主なり。東は則ち之を青帝と謂い、南は則ち之を赤帝と謂い、西は則ち之を白帝と謂い、西は則ち之を黑帝と謂い、中は則ち之を黃帝と謂う。豈上帝にして別に五帝有るの理有らんや。此れ周禮に昊天上帝を祀ると言いて、而して後に又五帝を祀るに亦之の如くすと言うに因りて、故に諸儒此の說を附す、と。又問う、周禮の說果たして如何、と。曰く、周禮の中祭祀を說く、更に考證す可からず。六天の說は、正に今人六子は是れ乾・坤退居して用いざるの時と說くと同じ。知らず、乾・坤の外、甚底[なに]か是れ六子ならん。譬えば人の四肢の如し。只是れ一體なるのみ。學者大いに惑えるなり、と。

又問、郊天冬至當卜邪。曰、冬至祭天、夏至祭地。此何待卜邪。又曰、天與上帝之說如何。曰、以形體言之謂之天、以主宰言之謂之帝、以功用言之謂之鬼神、以妙用言之謂之神、以性情言之謂之乾。
【読み】
又問う、天を郊すること冬至に當に卜すべきや、と。曰く、冬至に天を祭り、夏至に地を祭る。此れ何ぞ卜することを待たんや、と。又曰く、天と上帝との說如何、と。曰く、形體を以て之を言うときは之を天と謂い、主宰を以て之を言うときは之を帝と謂い、功用を以て之を言うときは之を鬼神と謂い、妙用を以て之を謂うときは之を神と言い、性情を以て之を言うときは之を乾と謂う、と。

又問、易言知鬼神之情狀、果有情狀否。曰、有之。又問、旣有情狀、必有鬼神矣。曰、易說鬼神、便是造化也。又問、名山大川能興雲致雨、何也。曰、氣之蒸成耳。又問、旣有祭、則莫須有神否。曰、只氣便是神也。今人不知此理、纔有水旱、便去廟中祈禱。不知雨露是甚物、從何處出、復於廟中求耶。名山大川能興雲致雨、却都不說著、却只於山川外木土人身上討雨露。木土人身上有雨露耶。又問、莫是人自興妖。曰、只妖亦無。皆人心興之也。世人只因祈禱而有雨、遂指爲靈驗耳。豈知適然。某嘗至泗州、恰値大聖見。及問人曰、如何形狀。一人曰如此。一人曰如彼。只此可驗其妄。興妖之人皆若此也。昔有朱定、亦嘗來問學。但非信道篤者。曾在泗州守官、値城中火。定遂使兵士舁僧伽避火。某後語定曰、何不舁僧伽在火中。若爲火所焚、卽是無靈驗、遂可解天下之惑。若火遂滅、因使天下人尊敬可也。此時不做事、待何時邪。惜乎定識不至此。
【読み】
又問う、易に鬼神の情狀を知ると言う、果たして情狀有りや否や、と。曰く、之れ有り、と。又問う、旣に情狀有らば、必ず鬼神有らん、と。曰く、易に鬼神を說くは、便ち是れ造化なり、と。又問う、名山大川能く雲を興し雨を致すは、何ぞや、と。曰く、氣が蒸成するのみ、と。又問う、旣に祭ること有れば、則ち須く神有るべきこと莫しや否や、と。曰く、只氣便ち是れ神なり。今の人此の理を知らず、纔かに水旱有れば、便ち廟中に祈禱し去る。知らず、雨露は是れ甚物にして、何れの處從り出るとして、復廟中に於て求むるや。名山大川能く雲を興し雨を致すこと、却って都て說著せずして、却って只山川の外木土人の身上に於て雨露を討[たづ]ぬ。木土人の身上に雨露有らんや、と。又問う、是れ人自ら妖を興すこと莫きや、と。曰く、只妖は亦無し。皆人心之を興す。世人只祈禱して雨有るに因りて、遂に指して靈驗とするのみ。豈適に然ることを知らんや。某嘗て泗州に至り、恰も大聖見るに値[あ]えり。人に問うに及んで曰く、如何なる形狀ぞ、と。一人曰く此の如し、と。一人曰く彼の如し、と。只此れ其の妄を驗す可し。妖を興すの人は皆此の若し。昔朱定というもの有りて、亦嘗て來りて問い學ぶ。但道を信ずること篤き者に非ず。曾て泗州の守官に在るとき、城中火[や]くるに値う。定遂に兵士をして僧伽を舁[か]いて火を避けしむ。某後に定に語りて曰く、何ぞ僧伽を舁いて火中に在らしめざる。若し火に焚かるることをせば、卽ち是れ靈驗無くして、遂に天下の惑いを解く可し。若し火遂に滅[き]えば、因りて天下の人をして尊敬せしめて可なり。此の時事を做さずんば、何れの時をか待たんや、と。惜しいかな定が識此に至らざること、と。

貴一問日月有明、容光必照。曰、日月之明有本、故凡容光必照。君子之道有本、故無不及也。
【読み】
貴一日月明有り、容光必ず照らすということを問う。曰く、日月の明本有り、故に凡そ容光必ず照らす。君子の道本有り、故に及ばずということ無し、と。

用休問老者安之、少者懷之、朋友信之。曰、此數句最好。先觀子路・顏淵之言、後觀聖人之言、分明聖人是天地氣象。
【読み】
用休老者は之を安んじ、少者は之を懷け、朋友は之を信ずということを問う。曰く、此の數句最も好し。先づ子路・顏淵の言を觀て、後に聖人の言を觀るに、分明に聖人は是れ天地氣象なり、と。

孟敦夫問、莊子齊物論如何。曰、莊子之意欲齊物理耶。物理從來齊。何待莊子而後齊。若齊物形、物形從來不齊、如何齊得。此意是莊子見道淺。不奈胸中所得何、遂著此論也。
【読み】
孟敦夫問う、莊子が齊物論如何、と。曰く、莊子が意物理を齊しくせんと欲するか。物理は從來齊し。何ぞ莊子を待って而して後に齊しからん。若し物形を齊しくせんとせば、物形從來齊しからず、如何ぞ齊しくし得ん。此の意是れ莊子道を見ること淺し。胸中の得る所を奈何ともせずして、遂に此の論を著すや、と。

伯溫問、祭用祝文否。曰、某家自來相承不用、今待用也。又問、有五祀否。曰、否。祭此全無義理。釋氏與道家說鬼神甚可笑。道家狂妄尤甚、以至說人身上耳目口鼻皆有神。
【読み】
伯溫問う、祭に祝文を用うるや否や、と。曰く、某が家自來相承けて用いず、今用うることを待つ、と。又問う、五祀有りや否や、と。曰く、否。此を祭ること全く義理無し。釋氏と道家と鬼神を說くと甚だ笑す可し。道家の狂妄尤も甚だしくして、以て人身上耳目口鼻皆神有りと說くに至る、と。

(呂本同作周。)伯溫見、問、至大、至剛、以直、以此三者養氣否。曰、不然。是氣之體如此。又問、養氣以義否。曰、然。又問、配義與道、如何。曰、配道言其體、配義言其用。又問、我知言、我善養吾浩然之氣、如何。曰、知言然後可以養氣。蓋不知言無以知道也。此是答公孫丑夫子烏乎長之問、不欲言我知道、故以知言養氣答之。又問、夜氣如何。曰、此只是言休息時氣淸耳。至平旦之氣、未與事接、亦淸。只如小兒讀書、早晨便記得也。又問、孔子言血氣、如何。曰、此只是大凡言血氣、如禮記說南方之强是也。南方人柔弱、所謂强者、是義理之强、故君子居之。北方人强悍、所謂强者、是血氣之强、故小人居之。凡人血氣、須要理義勝之。
【読み】
(呂本同を周に作る。)伯溫見えて、問う、至大、至剛、以直、此の三つの者を以て氣を養うや否や、と。曰く、然らず。是れ氣の體此の如し、と。又問う、氣を養うに義を以てするや否や、と。曰く、然り、と。又問う、義と道とに配するは、如何、と。曰く、道に配するは其の體を言い、義に配するは其の用を言う、と。又問う、我れ言を知る、我れ善く吾が浩然の氣を養うとは、如何、と。曰く、言を知って然して後に以て氣を養う可し。蓋し言を知らずんば以て道を知ること無し。此は是れ公孫丑夫子烏くにか長ぜるという問いに答うるに、我れ道を知ると言うことを欲せず、故に言を知り氣を養うことを以て之に答う、と。又問う、夜氣は如何、と。曰く、此は只是れ休息の時氣淸むことを言うのみ。平旦の氣、未だ事と接せざるに至っても、亦淸む。只小兒の讀書、早晨に便ち記得するが如し、と。又問う、孔子血氣と言うは、如何、と。曰く、此は只是れ大凡血氣を言う、禮記南方の强を說くが如き是れなり。南方の人は柔弱、所謂强は、是れ義理の强、故に君子之に居す。北方の人は强悍、所謂强は、是れ血氣の强、故に小人之に居す。凡そ人の血氣は、須く理義之に勝たんことを要すべし、と。

又問、吾不復夢見周公、如何。曰、孔子初欲行周公之道、至於夢寐不忘。及晩年不遇、哲人將萎之時、自謂不復夢見周公矣。因此說夢便可致思。思聖人與衆人之夢如何、夢是何物。高宗夢得說、如何。曰、此是誠意所感、故形於夢。
【読み】
又問う、吾れ復夢に周公を見ずとは、如何、と。曰く、孔子初め周公の道を行わんと欲して、夢寐忘れざるに至る。晩年遇せず、哲人將に萎[や]めんとするの時に及んで、自ら復夢に周公を見ずと謂えり。此に因りて夢を說くこと便ち思いを致す可し。聖人と衆人との夢を思うこと如何、夢は是れ何物ぞ、と。高宗夢に說を得ること、如何、と。曰く、此は是れ誠意の感ずる所、故に夢に形る、と。

又問、金縢、周公欲代武王死、如何。曰、此只是周公之意。又問、有此理否。曰、不問有此理無此理。只是周公人臣之意、其辭則不可信。只是本有此事、後人自作文足此一篇。此事與舜喜象意一般。須詳看舜・周公用心處。尙書文顚倒處多。如金縢尤不可信。
【読み】
又問う、金縢に、周公武王の死に代わらんと欲するは、如何、と。曰く、此は只是れ周公の意なり、と。又問う、此の理有りや否や、と。曰く、此の理有り此の理無きことを問わざれ。只是れ周公人臣の意、其の辭は則ち信ずる可からず。只是れ本此の事有り、後人自ら文を作りて此の一篇を足す。此の事舜象を喜ぶ意と一般なり。須く詳らかに舜・周公心を用うる處を看るべし。尙書の文顚倒する處多し。金縢の如き尤も信ずる可からず、と。

高宗好賢之意、與易姤卦同。九五以杞包瓜、含章、有隕自天。杞生於最高處、瓜美物生低處。以杞包瓜、則至尊逮下之意也。旣能如此、自然有賢者出。故有隕自天也。後人遂有天祐生賢佐之說。
【読み】
高宗賢を好むの意、易の姤の卦と同じ。九五杞を以て瓜を包む、章[あや]を含む、隕[お]つること有り天自りす、と。杞は最も高き處に生じ、瓜は美物にして低き處に生ず。杞を以て瓜を包むは、則ち至尊下に逮ぶの意なり。旣に能く此の如くなれば、自然に賢者出ること有り。故に隕つること有り天自りすという。後人遂に天祐[たす]けて賢佐を生ずというの說有り。

棣問、福善禍淫如何。曰、此自然之理、善則有福、淫則有禍。又問、天道如何。曰、只是理。理便是天道也。且如說皇天震怒、終不是有人在上震怒。只是理如此。又問、今人善惡之報如何。曰、幸不幸也。
【読み】
棣問う、善に福[さいわ]いし淫に禍すとは如何、と。曰く、此れ自然の理、善なれば則ち福い有り、淫なれば則ち禍い有り、と。又問う、天道如何、と。曰く、只是れ理なり。理は便ち是れ天道なり。且皇天震怒すと說くが如き、終に是れ人上に在りて震怒すること有らず。只是れ理此の如し、と。又問う、今の人善惡の報は如何、と。曰く、幸不幸なり、と。

知者樂水、仁者樂山、言其體動靜如此。知者樂、所(一作凡。)運用處皆樂。仁者壽、以靜而壽。仁可兼知、而知不可兼仁。如人之身、統而言之、則只謂之身、別而言之、則有四支。
【読み】
知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむとは、言うこころは、其の體の動靜此の如し、と。知者樂しむは、運用する所(一に凡に作る。)の處皆樂しむ。仁者壽[いのちなが]きは、靜なるを以てして壽し。仁は知を兼ぬ可くして、知は仁を兼ぬ可からず。人の身の如き、統べて之を言えば、則ち只之を身と謂い、別けて之を言えば、則ち四支有り。

世閒術數多。惟地理之書最無義理。祖父葬時、亦用地理人、尊長皆信。惟先兄與某不然。後來只用昭穆法。或問、憑何文字擇地。曰、只昭穆(兩字一作眼。)便是書(呂本・徐本書上有地理二字。)也。但風順(呂本・徐本順作調。)地厚處足矣。某用昭穆法葬一穴。旣而尊長召地理人到葬處、曰、此是商音絕處、何故如此下穴。某應之曰、固知是絕處、且試看如何。某家至今、人已數倍之矣。
【読み】
世閒術數多し。惟地理の書は最も義理無し。祖父葬る時、亦地理の人を用いて、尊長皆信ず。惟先兄と某とは然らず。後來只昭穆の法を用うるのみ。或るひと問う、何の文字に憑[よ]ってか地を擇ぶ、と。曰く、只昭穆(兩字一に眼に作る。)のみ便ち是れ書(呂本・徐本書の上に地理の二字有り。)なり。但風順[めぐ]り(呂本・徐本順を調に作る。)地厚き處にて足れり。某昭穆の法を用いて一穴に葬る。旣にして尊長地理の人を召して葬る處に到って、曰く、此は是れ商音の絕ゆる處、何故にか此の如く穴を下す、と。某之に應えて曰く、固に是れ絕ゆる處なることを知らば、且如何と試み看よ、と。某が家今に至るまで、人已に之に數倍せり。

在講筵時、曾說與溫公云、更得范純夫在筵中尤好。溫公彼時一言亦失、却道他見修史自有門路。某應之曰、不問有無門路、但筵中須得他。溫公問、何故。某曰、自度少溫潤之氣。純夫色溫而氣和。尤可以開陳是非、道人主之意。後來遂除侍講。
【読み】
講筵に在る時、曾て溫公に說與して云く、更に范純夫筵中に在ることを得ば尤も好し、と。溫公彼の時一言亦失して、却って他史を修するを見るに自づから門路有りと道う。某之に應えて曰く、門路有る無しを問わず、但筵中須く他を得るべしとす、と。溫公問う、何故ぞ、と。某曰く、自ら度るに溫潤の氣少なし。純夫色溫にして氣和す。尤も以て是非を開陳して、人主の意を道く可し、と。後來遂に侍講に除せらる。

用休問、井田今可行否。曰、豈有古可行而今不可行者。或謂今人多地少、不然。譬諸草木、山上著得許多、便生許多。天地生物常相稱。豈有人多地少之理。
【読み】
用休問う、井田は今行う可しや否や、と。曰く、豈古行う可くして今行う可からざる者有らんや。或るひと今人多く地少なしと謂うは、然らず。諸を草木に譬うるに、山上に著き得ること許多なれば、便ち生ずること許多なり。天地の物を生ずるは常に相稱う。豈人多く地少なきの理有らんや、と。

嘉仲問、卦建可行否。曰、卦建之法、本出於不得已。柳子厚有論、亦窺測得分數。秦法固不善、亦有不可變者。罷侯置守是也。
【読み】
嘉仲問う、卦建は行う可しや否や、と。曰く、卦建の法は、本已むことを得ざるに出づ。柳子厚論有り、亦分數を窺い測り得たり。秦の法は固に善ならざれども、亦變ず可からざる者有り。侯を罷めて守を置くこと是れなり、と。

伯溫問夢帝與我九齡。曰、與齡之說不可信。安有壽數而與人移易之理。棣問、孔子夢坐奠於兩楹之閒、如何。曰、於理有之。
【読み】
伯溫帝我に九齡を與うることを夢むということを問う。曰く、齡を與うるの說は信ずる可からず。安んぞ壽數而も人に與えて移し易うるの理有らんや、と。棣問う、孔子夢に坐して兩楹[えい]の閒に奠[まつ]るというは、如何、と。曰く、理に於て之れ有り、と。

陳貴一問、人之壽數可以力移否。曰、蓋有之。棣問、如今人有養形者、是否。曰、然。但甚難。世閒有三件事至難、可以奪造化之力。爲國而至於祈天永命、養形而至於長生、學而至於聖人。此三事、功夫一般分明、人力可以勝造化。自是人不爲耳。故關朗有周能過厤、秦止二世之說、誠有此理。
【読み】
陳貴一問う、人の壽數力を以て移す可しや否や、と。曰く、蓋し之れ有り、と。棣問う、今の人形を養うこと有るが如き者、是なりや否や、と。曰く、然り。但甚だ難し。世閒に三件の事至って難き有り、以て造化の力を奪う可し。國を爲めて天の永命を祈るに至り、形を養って長生に至り、學んで聖人に至る。此の三事、功夫一般分明に、人力以て造化に勝つ可し。自ら是れ人せざるのみ。故に關朗周能く厤に過ぎ、秦二世に止まるの說有り、誠に此の理有り、と。

棣問、孔・孟言性不同、如何。曰、孟子言性之善、是性之本。孔子言性相近、謂其稟受處不相遠也。人性皆善、所以善者、於四端之情可見。故孟子曰、是豈人之情也哉。至於不能順其情而悖天理、則流而至於惡。故曰、乃若其情、則可以爲善矣。若、順也。又問、才出於氣否。曰、氣淸則才善、氣濁則才惡。稟得至淸之氣生者爲聖人、稟得至濁之氣生者爲愚(呂本・徐本愚作惡。)人。如韓愈所言、公都子所問之人是也。然此論生知之聖人。若夫學而知之、氣無淸濁、皆可至於善而復性之本。所謂堯・舜性之、是生知也。湯・武反之、是學而知之也。孔子所言上知下愚不移、亦無不移之理。所以不移、只有二、自暴自棄是也。又問、如何是才。曰、如材植是也。譬如木、曲直者性也。可以爲輪轅、可以爲梁棟、可以爲榱桷者才也。今人說有才、乃是言才之美者也。才乃人之資質、循性修之、雖至惡可勝而爲善。又問、性如何。曰、性卽理也、所謂理、性是也。天下之理、原其所自、未有不善。喜怒哀樂未發、何嘗不善。發而中節、則無往而不善。凡言善惡、皆先善而後惡、言吉凶、皆先吉而後凶、言是非、皆先是而後非。又問、佛說性如何。曰、佛亦是說本善。只不合將才做緣習。又問、說生死如何。曰、譬如水漚、亦有些意思。又問、佛言生死輪囘、果否。曰、此事說有說無皆難。須自見得。聖人只一句盡斷了。故對子路曰、未知生、焉知死。佛亦是西方賢者、方外山林之士、但爲愛脅持人說利害、其實爲利耳。其學譬如以管窺天。謂他不見天不得、只是不廣大。
【読み】
棣問う、孔・孟性を言うこと同じからざるか、如何、と。曰く、孟子性の善を言うは、是れ性の本なり。孔子性相近しと言うは、其の稟受する處相遠からざるを謂うなり。人の性は皆善、善なる所以の者は、四端の情に於て見る可し。故に孟子曰く、是れ豈人の情ならんや、と。其の情に順うこと能わずして天理に悖るに至っては、則ち流れて惡に至る。故に曰く、乃ち其の情に若[したが]うときは、則ち以て善を爲す可し、と。若は、順うなり、と。又問う、才は氣に出るや否や、と。曰く、氣淸むときは則ち才善、氣濁るときは則ち才惡。至淸の氣を稟け得て生ずる者は聖人と爲り、至濁の氣を稟け得て生ずる者は愚(呂本・徐本愚を惡に作る。)人と爲る。韓愈が言う所の如きは、公都子問う所の人是れなり。然れども此れ生知の聖人を論ず。夫の學んで之を知るが若きは、氣に淸濁と無く、皆善に至って性の本に復る可し。所謂堯・舜は之を性のままにすとは、是れ生知なり。湯・武之に反るとは、是れ學んで之を知るなり。孔子言う所の上知と下愚とは移らざるも、亦移らざるの理無し。移らざる所以は、只二つ有り、自暴自棄是れなり、と。又問う、如何なるか是れ才、と。曰く、材植の如き是れなり。譬えば木の如き、曲直なる者は性なり。以て輪轅に爲る可く、以て梁棟に爲る可く、以て榱桷に爲る可き者は才なり。今の人才有りと說くは、乃ち是れ才の美なる者を言うなり。才は乃ち人の資質、性に循って之を修むれば、至惡と雖も勝[た]えて善と爲る可し、と。又問う、性は如何、と。曰く、性は卽ち理なり、所謂理は、性是れなり。天下の理、其の自る所を原[たづ]ぬるに、未だ不善有らず。喜怒哀樂の未だ發せざる、何ぞ嘗て不善ならん。發して節に中るときは、則ち往くとして不善なること無し。凡そ善惡を言うに、皆善を先にして惡を後にし、吉凶を言うに、皆吉を先にして凶を後にし、是非を言うに、皆是を先にして非を後にす、と。又問う、佛性を說くこと如何、と。曰く、佛も亦是れ本善と說く。只合に才を將って緣習と做すべからず、と。又問う、生死を說くこと如何、と。曰く、譬えば水漚の如きも、亦些かの意思有り、と。又問う、佛生死輪囘を言う、果たすや否や、と。曰く、此の事有りと說き無しと說くも皆難し。須く自ら見得すべし。聖人は只一句に盡く斷了す。故に子路に對えて曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。佛も亦是れ西方の賢者、方外山林の士、但愛して人を脅持して利害を說くことを爲すも、其の實は利を爲すのみ。其の學は譬えば管を以て天を窺くが如し。他天を見ずと謂うことを得ず、只是れ廣大ならざるなり、と。

問、喪止於三年、何義。曰、歲一周則天道一變、人心亦隨以變。惟人子孝於親、至此猶未忘。故必至於再變、猶未忘、又繼之以一時。
【読み】
問う、喪三年に止むるは、何の義ぞ、と。曰く、歲一周するときは則ち天道一變し、人心も亦隨いて以て變ず。惟人の子の親に孝ある、此に至って猶未だ忘れず。故に必ず再變に至り、猶未だ忘れずして、又之に繼ぐに一時を以てす、と。

伯溫問、盡其心則知其性、知其性則知天矣、如何。曰、盡其心者、我自盡其心。能盡心、則自然知性知天矣。如言窮理盡性以至於命、以序言之、不得不然、其實、只能窮理、便盡性至命也。又問事天。曰、奉順之(一本無之字。)而已。
【読み】
伯溫問う、其の心を盡くすときは則ち其の性を知り、其の性を知るときは則ち天を知るとは、如何、と。曰く、其の心を盡くす者は、我れ自ら其の心を盡くす。能く心を盡くすときは、則ち自然に性を知り天を知る。理を窮め性を盡くして以て命に至ると言うが如き、序を以て之を言えば、然らざることを得ずして、其の實は、只能く理を窮むれば、便ち性を盡くし命に至るなり、と。又天に事うることを問う。曰く、之(一本に之の字無し。)に奉順するのみ、と。

富公嘗語先生曰、先生最天下閑人。曰、某做不得天下閑人。相公將誰作天下最忙人。曰、先生試爲我言之。曰、禪伯是也。曰、禪伯行住坐臥無不在道。何謂最忙。曰、相公所言乃忙也。今市井賈販人、至夜亦息。若禪伯之心、何時休息。
【読み】
富公嘗て先生に語りて曰く、先生は最も天下の閑人なり、と。曰く、某は天下の閑人と做し得ず。相公誰を將って天下の最も忙しき人と作す、と。曰く、先生試みに我が爲に之を言え、と。曰く、禪伯是れなり、と。曰く、禪伯行住坐臥道に在らずということ無し。何ぞ最も忙しきと謂う、と。曰く、相公の言う所は乃ち忙しきなり。今市井賈販の人は、夜に至って亦息う。禪伯の心の若きは、何れの時か休息せん、と。

先生嘗與一官員一僧同會。一官員說條貫、旣退。先生問僧曰、曉之否邪。僧曰、吾釋子不知條貫。曰、賢將竟(一作作。)三界外事邪。天下豈有二理。
【読み】
先生嘗て一官員一僧と同じく會す。一官員條貫を說いて、旣に退く。先生僧に問いて曰く、之を曉[もう]すや否や、と。僧曰く、吾は釋子條貫を知らず、と。曰く、賢將に三界の外の事を竟[きわ]めん(一に作に作る。)とするか。天下豈二理有らんや、と。

貴一問、與於詩、如何。曰、古人自小諷誦、如今人謳唱。自然善心生而興起。今人不同、雖老師宿儒、不知詩也。人而不爲周南・召南、此乃爲伯魚而言。蓋恐其未能盡治家之道爾。欲治國治天下、須先從修身齊家來。不然、則猶正牆面而立。
【読み】
貴一問う、詩に與るとは、如何、と。曰く、古人小き自り諷誦すること、今の人謳唱するが如し。自然に善心生じて興起す。今の人は同じからず、老師宿儒と雖も、詩を知らざるなり。人として周南・召南を爲[まな]びずんばとは、此れ乃ち伯魚の爲にして言えり。蓋し其の未だ家を治むるの道を盡くすこと能わざるを恐るるのみ。國を治め天下を治めんと欲せば、須く先づ身を修め家を齊うる從り來るべし。然らずんば、則ち猶正に牆に面[む]かって立つがごとし、と。

或問、伯夷・叔齊不念舊惡、如何。曰、觀其淸處、其衣冠不正、便望望然去之、可謂隘矣。疑若有惡矣。然却能不念舊惡、故孔子特發明其情。武王伐紂。伯夷只知君臣之分不可、不知武王順天命誅獨夫也。問、武王果殺紂否。曰、武王不曾殺紂。人只見洪範有殺紂字爾。武王伐紂而紂自殺。亦須言殺紂也。向使紂曾殺帝乙、則武王却須殺紂也。石曼卿有詩、言伯夷耻居湯・武干戈地、來死唐・虞揖讓墟。亦有是理。首陽乃在河中府虞郷也。問、不食周粟如何。曰、不食祿耳。
【読み】
或るひと問う、伯夷・叔齊舊惡を念わずとは、如何、と。曰く、其の淸き處を觀るに、其の衣冠正しからざれば、便ち望望然として之を去るは、隘しと謂う可し。疑うらくは惡むこと有るが若し。然れども却って能く舊惡を念わざる、故に孔子特に其の情を發明す。武王紂を伐つ。伯夷は只君臣の分可ならざることを知って、武王の天命に順いて獨夫を誅することを知らざるなり、と。問う、武王は果たして紂を殺すや否や、と。曰く、武王曾て紂を殺さず。人只洪範に紂を殺すの字有るを見るのみ。武王紂を伐って紂自殺す。亦須く紂を殺すと言うべし。向[さき]に紂をして曾て帝乙を殺さしめば、則ち武王却って須く紂を殺すべし。石曼卿詩有り、伯夷を言うに湯・武干戈の地に居することを耻ぢて、來りて唐・虞揖讓の墟に死す、と。亦是の理有り。首陽は乃ち河中府虞郷に在り、と。問う、周の粟を食わずとは如何、と。曰く、祿を食まざるのみ、と。

用休問、陳文子之淸、令尹子文之忠、使聖人爲之、則是仁否。曰、不然。聖人爲之、亦只是淸忠。
【読み】
用休問う、陳文子が淸、令尹子文が忠、聖人をして之を爲さしめば、則ち是れ仁ならんや否や、と。曰く、然らず。聖人之を爲すとも、亦只是れ淸忠なるのみ、と。

郷黨分明畫出一箇聖人。出降一等、是自堂而出降階。當此時、放氣不屛、故逞顏色。復其位、復班位之序。過位、是過君之虛位。享禮有容色、此享燕賓客之時、有容色者。蓋一在於莊、則情不通也。私覿、則又和悅矣。皆孔子爲大夫出入起居之節。緇衣羔裘、素衣麑裘、黃衣狐裘、各有用。不必云緇衣是朝服、素衣是喪服、黃衣是蜡服。麑是鹿兒。齊必有明衣布、欲其潔。明衣如今涼衫之類。緇衣明衣、皆惡其文之著而爲之也。非帷裳必殺之、帷裳固不殺矣、其他衣裳亦殺也。吉月必朝服而朝者、子在魯致仕時月朔朝也。郷人儺、古人以驅厲氣。亦有此理。天地有厲氣、而至誠作威嚴以驅之。式凶服・負版、蓋在車中。
【読み】
郷黨は分明に一箇の聖人を畫き出す。出て一等を降るというは、是れ堂自りして出て階を降るなり。此の時に當たりて、氣を放ちて屛[おさ]めず、故に顏色を逞[はな]つ。其の位に復るというは、班位の序に復るなり。位を過るというは、是れ君の虛位を過るなり。享禮には容色有りというは、此れ賓客を享燕するの時、容色有る者なり。蓋し一に莊に在るときは、則ち情通ぜざればなり。私覿[してき]するときは、則ち又和悅す。皆孔子大夫爲るとき出入起居の節なり。緇衣羔裘、素衣麑裘、黃衣狐裘、各々用うること有り。必ずしも緇衣は是れ朝服、素衣は是れ喪服、黃衣は是れ蜡服と云わず。麑は是れ鹿の兒なり。齊するときは必ず明衣有り布をすというは、其の潔きを欲すればなり。明衣は今の涼衫の類の如し。緇衣明衣は、皆其の文の著なるを惡んで之を爲すなり。帷裳に非ずんば必ず之を殺[そ]ぐというは、帷裳は固より殺がず、其の他の衣裳は亦殺ぐなり。吉月には必ず朝服して朝する者は、子魯に在して仕を致す時月朔に朝するなり。郷人儺[おにやらい]するは、古人以て厲氣を驅る。亦此の理有り。天地に厲氣有りて、至誠威嚴を作して以て之を驅る。凶服・負版に式するは、蓋し車中に在ればなり。

居敬則自然簡。居簡而行簡、則似乎簡矣。然乃所以不簡。蓋先有心於簡、則多却一簡矣。居敬則心中無物。是乃簡也。
【読み】
敬に居るときは則ち自然に簡なり。簡に居て簡を行うときは、則ち簡に似れり。然れども乃ち簡ならざる所以なり。蓋し先づ簡に心有るときは、則ち一簡を多却す。敬に居るときは則ち心中物無し。是れ乃ち簡なり。

仁者先難而後獲、何如。曰、有爲而作、皆先獲也。如利仁是也。古人惟知爲仁而已。今人皆先獲也。
【読み】
仁者は難きを先にして獲ることを後にすというは、何如、と。曰く、爲にすること有りて作すは、皆獲ることを先にするなり。仁を利するが如き是れなり。古人は惟仁を爲すことを知るのみ。今の人は皆獲ることを先にするなり、と。

又問、述而不作、如何。曰、此聖人不得位、止能述而已。
【読み】
又問う、述べて作らずというは、如何、と。曰く、此れ聖人位を得ず、止能く述ぶるのみ、と。

公山弗擾・佛肸召。子欲往者、聖人以天下無不可與有爲之人、亦無不可改過之人、故欲往。然終不往者、知其必不能改也。子路遂引親於其身爲不善爲問、孔子以堅白匏瓜爲對。繫而不食者、匏瓜繫而不爲用之物、不食、不用之義也。匏瓜亦不食之物、故因此取義也。
【読み】
公山弗擾・佛肸召す。子往かんと欲する者は、聖人天下に與にすること有る可からざるの人無く、亦過ちを改む可からざるの人無きを以て、故に往かんと欲す。然れども終に往かざる者は、其の必ず改むること能わざらんことを知ればなり。子路遂に親ら其の身に於て不善を爲すというを引いて問いを爲して、孔子堅白匏瓜を以て對うることを爲す。繫かりて食われざるとは、匏瓜は繫かりて用を爲さざるの物、食われざるは、用いられざるの義なり。匏瓜も亦食われざるの物、故に此に因りて義を取るなり。

唐棣之華乃千葉郁李、本不偏反、喩如兄弟。今乃偏反、則喩兄弟相失也。兄弟相失。豈不爾思。但居處相遠耳。孔子曰、未之思也、夫何遠之有、蓋言權。實不相遠耳。權之爲義、猶稱錘也。能用權乃知道。亦不可言權便是道也。自漢以下、更無人識權字。
【読み】
唐棣の華は乃ち千葉の郁李、本偏反せざれば、兄弟の如くなるに喩う。今乃ち偏反するときは、則ち兄弟相失するに喩う。兄弟相失す。豈爾を思わざらんや。但居處相遠きのみ。孔子曰く、未だ之を思わざるなり、夫れ何ぞ遠きことか之れ有らんとは、蓋し權を言う。實に相遠からざるのみ。權の義爲る、猶稱錘のごとし。能く權を用うるは乃ち道を知るなり。亦權は便ち是れ道なりと言う可からず。漢自り以下、更に人權の字を識ること無し。

我不欲人之加諸我、吾亦欲無加諸人、正中庸所謂施諸己而不願、亦勿施於人。
【読み】
我れ人の諸を我に加えんことを欲せざれば、吾も亦諸を人に加うること無きことを欲すというは、正に中庸に所謂諸を己に施して願わずんば、亦人に施すこと勿かれなり。

蓋有不知而作之者、凡人作事皆不知。惟聖人作事無有不知。
【読み】
蓋し知らずして之を作す者有らんというは、凡そ人事を作すこと皆知らず。惟聖人は事を作すに知らざること有ること無し。

或問善人之爲邦、如何可勝殘去殺。曰、只是能使人不爲不善。善人、不踐迹亦不入於室之人也。不踐迹是不踐己前爲惡之迹。然未入道也。
【読み】
或るひと善人の邦を爲むる、如何にしてか殘に勝ち殺を去る可しというを問う。曰く、只是れ能く人をして不善を爲さざらしむ。善人は、迹をも踐まず亦室にも入らざるの人なり。迹を踐まずとは是れ己前に惡を爲すの迹を踐まざるなり。然れども未だ道に入らざるなり、と。

又問、王者必世而後仁、何如。曰、三十曰壯、有室之時。父子相繼爲一世。王者之效則速矣。又問善人敎民七年、亦可以卽戎矣。曰、敎民戰至七年、則可以卽戎矣。凡看文字、如七年一世百年之事、皆當思其如何作爲。乃有益。
【読み】
又問う、王者必世にして而して後に仁ならんというは、何如、と。曰く、三十を壯と曰い、室有るの時なり。父子相繼ぐを一世と爲す。王者の效は則ち速やかなり、と。又善人の民に敎うること七年、亦以て戎に卽く可しというを問う。曰く、民に戰を敎うること七年に至るときは、則ち以て戎に卽く可し。凡そ文字を看るに、七年一世百年の事の如き、皆當に其の如何にか作爲すということを思うべし。乃ち益有らん、と。

問小畜。曰、小畜是所畜小。及所畜雖大而少、皆小畜也。不必專言君畜臣、臣畜君。
【読み】
小畜を問う。曰く、小畜は是れ畜[とど]むる所小なり。及び畜むる所大なりと雖も而も少なるは、皆小畜なり。必ずしも專ら言君臣を畜め、臣君を畜むとせず、と。

問大德不踰閑、小德出入可也。曰、大德是大處、小德是小處。出入如可以取可以無取之類是也。又問、言不必信、行不必果、是出入之事否。曰、亦是也。然不信乃所以爲信、不果乃所以爲果。
【読み】
大德閑[おり]を踰えざれば、小德は出入するとも可なりというを問う。曰く、大德は是れ大なる處、小德は是れ小なる處。出入は以て取る可く以て取ること無かる可しというの類の如き是れなり、と。又問う、言信を必とせず、行果たすことを必とせずとは、是れ出入の事なりや否や、と。曰く、亦是なり。然れども信あらざるは乃ち信を爲す所以、果たさざるは乃ち果たすことを爲す所以なり、と。

范文甫將赴河淸尉、問、到官三日、例須謁廟、如何。曰、正者謁之。如社稷及先聖是也。其他古先賢哲、亦當謁之。又問、城隍當謁否。曰、城隍不典。土地之神、社稷而已。何得更有土地邪。又問、只恐駭衆爾。曰、唐狄仁傑廢江・浙閒淫祠千七百處。所存惟吳太伯、伍子胥二廟爾。今人做不得、以謂時不同。是誠不然。只是無狄仁傑耳。當時子胥廟存之亦無謂。
【読み】
范文甫將に河淸の尉に赴かんとして、問う、官に到って三日、例須く廟に謁すべきや、如何、と。曰く、正者は之に謁す。社稷及び先聖の如き是れなり。其の他の古先賢哲も、亦當に之に謁すべし、と。又問う、城隍當に謁すべしや否や、と。曰く、城隍は典あらず。土地の神は、社稷のみ。何ぞ更に土地有ることを得んや、と。又問う、只衆を駭[おどろ]かさんことを恐るるのみ、と。曰く、唐の狄仁傑江・浙の閒の淫祠千七百處を廢す。存する所は惟吳の太伯、伍子胥の二廟のみ。今の人做し得ずして、以謂えらく、時同じからず、と。是れ誠に然らず。只是れ狄仁傑無きのみ。當時子胥の廟之を存するも亦謂[いわれ]無し、と。

暢中伯問密雲不雨、自我西郊。曰、西郊陰所、凡雨須陽倡乃成、陰倡則不成矣。今雲過西則雨、過東則否、是其義也。所謂尙往者、陰自西而往、不待陽矣。
【読み】
暢中伯密雲して雨ふらず、我が西郊自りすというを問う。曰く、西郊は陰所、凡そ雨は須く陽倡えて乃ち成るべく、陰倡うるときは則ち成らざるなり。今雲西に過るときは則ち雨ふり、東に過るときは則ち否らざるは、是れ其の義なり。所謂尙往くとは、陰西自りして往いて、陽を待たざるなり、と。

凡看文字、先須曉其文義、然後可求其意。未有文義不曉而見意者也。學者看一部論語、見聖人所以與弟子許多議論而無所得、是不易得也。讀書雖多、亦奚以爲。
【読み】
凡そ文字を看るには、先づ須く其の文義を曉かすべく、然して後に其の意を求む可し。未だ文義曉かさずして意を見る者は有らず。學者一部の論語を看るに、聖人の弟子と許多の議論する所以を見て得る所無きときは、是れ得ること易からず。讀書多しと雖も、亦奚を以てかせん。

子文問民可使由之、不可使知之。曰、不可使知之者、非民不足與知也、不能使知之爾。
【読み】
子文民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可からずというを問う。曰く、之を知らしむ可からずとは、民與に知るに足らずとするに非ず、之を知らしむること能わざるのみ、と。

或問、諸葛孔明亦無足取。大凡殺一不辜而得天下、則君子不爲。亮殺戮甚多也。先生曰、不然。所謂殺一不辜、非此之謂。亮以天子之命、誅天下之賊。雖多何害。
【読み】
或るひと問う、諸葛孔明も亦取るに足ること無し。大凡一りの辜あらざるを殺して天下を得ることは、則ち君子はせず。亮殺戮すること甚だ多し、と。先生曰く、然らず。所謂一りの辜あらざるを殺すというは、此の謂に非ず。亮天子の命を以て、天下の賊を誅す。多しと雖も何の害あらん、と。

(呂本同作周。)伯溫見先生。先生曰、從來覺有所得否。學者要自得。六經浩渺、乍來難盡曉。且見得路逕後、各自立得一箇門庭、歸而求之可矣。伯溫問、如何可以自得。曰、思。思曰睿、睿作聖。須是於思慮閒得之。大抵只是一箇明理。棣問、學者見得這道理後、篤信力行時、亦有見否。曰、見亦不一、果有所見後、和信也不要矣。又問、莫是旣見道理、皆是當然否。曰、然。凡理之所在、東便是東、西便是西、何待信。凡言信、只是爲彼不信、故見此是信爾。孟子於四端不言信、亦可見矣。
【読み】
(呂本同を周に作る。)伯溫先生に見ゆ。先生曰く、從來覺ること得る所有りや否や。學者は自得せんことを要す。六經の浩渺[こうびょう]、乍來[すぐ]には盡く曉かし難し。且路逕を見得て後、各々自ら一箇の門庭を立ち得、歸りて之を求めて可なり、と。伯溫問う、如何にして以て自得す可き、と。曰く、思うなり。思うには睿と曰い、睿は聖を作す、と。須く是れ思慮の閒に於て之を得るべし。大抵只是れ一箇の理を明らかにするなり、と。棣問う、學者這の道理を見得して後、篤信し力め行う時、亦見有りや否や、と。曰く、見も亦一ならず、果たして所見有るの後は、和信也[また]要せざるなり、と。又問う、是れ旣に道理を見ること、皆是れ當然なること莫しや否や、と。曰く、然り。凡そ理の在る所、東は便ち是れ東、西は便ち是れ西、何ぞ信ずることを待たん。凡そ信を言うは、只是れ彼信ぜざるが爲に、故に此れ是の信を見すのみ。孟子四端に於て信を言わざること、亦見る可し、と。

伯溫又問、孟子言心・性・天、只是一理否。曰、然。自理言之謂之天、自稟受言之謂之性、自存諸人言之謂之心。又問、凡運用處是心否。曰、是意也。棣問、意是心之所發否。曰、有心而後有意。又問、孟子言心出入無時、如何。曰、心本無出入。孟子只是據操舍言之。伯溫又問、人有逐物、是心逐之否。曰、心則無出入矣。逐物是欲。
【読み】
伯溫又問う、孟子心・性・天を言うは、只是れ一理なるや否や、と。曰く、然り。理自り之を言えば之を天と謂い、稟受自り之を言えば之を性と謂い、人に存する自り之を言えば之を心と謂う、と。又問う、凡そ運用する處は是れ心なりや否や、と。曰く、是れ意なり、と。棣問う、意は是れ心の發する所りや否や、と。曰く、心有りて而して後に意有り、と。又問う、孟子心は出入時無しと言うは、如何、と。曰く、心は本出入無し。孟子只是れ操舍に據りて之を言えり、と。伯溫又問う、人物を逐うこと有るは、是れ心之を逐うや否や、と。曰く、心は則ち出入無し。物を逐うは是れ欲なり、と。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)