二程全書卷之二十五  遺書伊川先生語第八下

附雜錄後
【読み】
雜錄の後に附す

問、鄭伯以璧假許田。左氏以謂易祊田。黎淳以隱十一年入許之事破左氏、謂許田是許之田。如何。曰、左氏說是也。旣是許之田、如何却假之於魯。十一年雖入許、許未嘗滅。許叔已奉祀也。
【読み】
問う、鄭伯璧を以て許の田を假る。左氏以謂えらく、祊[ほう]の田を易う、と。黎淳隱の十一年許に入るの事を以て左氏を破して、許の田は是れ許の田なりと謂う。如何、と。曰く、左氏の說是なり。旣に是れ許の田ならば、如何ぞ却って之を魯に假らん。十一年許に入ると雖も、許未だ嘗て滅びず。許叔已に奉祀するなり、と。

問、桓四年無秋冬、如何。曰、聖人作經備四時也。如桓不道、背逆天理。故不書秋冬。春秋只有兩處如此。皆言其無天理也。
【読み】
問う、桓の四年に秋冬無きは、如何、と。曰く、聖人經を作るに四時を備う。桓の不道なるが如きは、天理に背逆す。故に秋冬を書せず。春秋に只兩處此の如くなる有り。皆其の天理無きを言うなり、と。

用休問哀公問社於宰我之事。曰、社字本是主字、文誤也。宰我不合道使民戰慄。故仲尼有後來言語。
【読み】
用休哀公社を宰我に問うの事を問う。曰く、社の字は本是れ主の字、文誤れり。宰我合に民をして戰慄ならしむと道うべからず。故に仲尼後來の言語有り、と。

先生曰、誠不以富、亦祇以異、本不在是惑也之後。乃在齊景公有馬千駟之上。文誤也。
【読み】
先生曰く、誠に富を以てせず、亦祇[まさ]に異なることを以てすとは、本是れ惑えるなりというの後に在らず。乃ち齊の景公馬千駟有りの上に在り。文誤れり、と。

問、揖讓而升、下而飮、是下堂飮否。曰、古之制罰爵皆在堂下。又問、唯不勝下飮否。曰、恐皆下堂。但勝者飮不勝者也。
【読み】
問う、揖讓[ゆうじょう] して升り、下りて飮ましむとは、是れ堂を下りて飮むや否や、と。曰く、古の制罰爵は皆堂下に在り、と。又問う、唯勝たざれば下りて飮むや否や、と。曰く、恐らくは皆堂を下らん。但勝者をして勝たざる者に飮ましむるなり、と。

思叔問、荀彧如何。曰、彧才高識不足。孟純問、何顒嘗稱其有王佐才。曰、不是王佐才。嘉仲問、如霍光・蕭・曹之徒如何。曰、此可爲漢時王佐才。棣問、史稱董仲舒是王佐才、如何。曰、仲舒是言其學術。若論至王佐才、須是伊・周、其次莫如張良・諸葛亮・陸宣公。
【読み】
思叔問う、荀彧は如何、と。曰く、彧は才高くして識足らず、と。孟純問う、何顒[かぎょう]嘗て其れ王佐の才有りと稱す、と。曰く、是れ王佐の才にあらず、と。嘉仲問う、霍光・蕭・曹の徒の如きは如何、と。曰く、此れ漢の時の王佐の才と爲す可し、と。棣問う、史に董仲舒は是れ王佐の才と稱すは、如何、と。曰く、仲舒は是れ其の學術を言う。若し論じて王佐の才に至らば、須く是れ伊・周なるべく、其の次は張良・諸葛亮・陸宣公に如くは莫し、と。

問、夏、逆婦姜於齊。何故、便書婦。曰、此是文公在喪服將滿之時納幣。故聖人於其逆時、便成之爲婦。罪其居喪而取也。春秋微顯闡幽、乃在如此處。凡事分明可見者、聖人更不微文以見意、只直書而已。如桓三年及宣元年逆女、皆分明在喪服中成昏。故只書逆女也。文公則但在喪服納幣、至逆女却在四年、聖人欲顯其居喪納幣之罪。故書婦姜、便成之爲婦也。其意言雖至四年方逆女、其實與喪昏同也。
【読み】
問う、夏、婦姜を齊に逆[むか]う、と。何故に、便ち婦と書する、と。曰く、此は是れ文公喪服將に滿てんとするの時に在りて幣を納る。故に聖人其の逆うる時に於て、便ち之が婦とすることを成す。其の喪に居りて取[めと]ることを罪するなり。春秋の微顯闡幽、乃ち此の如き處に在り。凡そ事分明に見る可き者は、聖人更に微文以て意を見さず、只直に書するのみ。桓の三年及び宣の元年に女を逆うというが如き、皆分明に喪服の中に在りて昏を成す。故に只女を逆うと書するのみ。文公は則ち但喪服に在りて幣を納れ、女を逆うるに至っては却って四年に在るも、聖人其の喪に居て幣を納るるの罪を顯らかにせんと欲す。故に婦姜と書して、便ち之が婦とすることを成すなり。其の意は四年に至って方に女を逆うと雖も、其の實は喪昏と同じきことを言うなり、と。

先生日、周公之於兄、舜之於弟、皆一類。觀其用心爲如何哉。推此心以待人、亦只如此。然有差等矣。
【読み】
先生日く、周公の兄に於る、舜の弟に於る、皆一類なり。其の心を用うることを觀るに如何にかせんや。此の心を推して以て人を待つこと、亦只此の如し。然れども差等有り、と。

問、春秋書日食、如何。曰、日食有定數。聖人必書者、蓋欲人君因此恐懼修省。如治世而有此變、則不能爲災、亂世則爲災矣。人氣血盛、雖遇寒暑邪穢、不能爲害。其氣血衰、則爲害必矣。
【読み】
問う、春秋日食を書するは、如何、と。曰く、日食に定數有り。聖人必ず書する者は、蓋し人君此に因りて恐懼修省せんことを欲す。如し治世にして此の變有れば、則ち災と爲ること能わず、亂世には則ち災と爲る。人氣血盛んなれば、寒暑邪穢に遇うと雖も、害を爲すこと能わず。其の氣血衰うるときは、則ち害を爲すこと必せり、と。

問、熒惑退舍、果然否。曰、觀宋景公、不能至是。問、反風如何。曰、亦未必然。成王一中才之主、聖人爲之臣、尚幾不能保。金縢書、成王亦安知。只是二公知之、因此以示王。弭變、非有動天之德、不能至也。
【読み】
問う、熒惑退舍すること、果たして然りや否や、と。曰く、宋の景公を觀るに、是に至ること能わじ、と。問う、風を反すこと如何、と。曰く、亦未だ必ずしも然らず。成王は一中才の主、聖人之が臣爲れども、尚幾ど保つこと能わず。金縢の書、成王亦安んぞ知らん。只是れ二公之を知って、此に因りて以て王に示せり。變を弭[や]むは、天を動かすの德有るに非ずんば、至ること能わじ、と。

問、四岳一人否。曰、然。以二十二人數考之、固然。觀對堯言衆則日僉、四岳則曰岳、亦可見也。
【読み】
問う、四岳は一人なりや否や、と。曰く、然り。二十二人の數を以て之を考うるに、固に然り。堯の言に對うるを觀るに衆は則ち僉[みな]と日い、四岳は則ち岳と曰うこと、亦見る可し、と。

晉侯之執曹伯、是否。曰、曹伯有弑逆之罪、卽執之是也。晉與之同盟而後執之。故書曹伯而不去其爵。晉侯不奪爵、未至於奪爵也。歸自京師、則言若無罪、而歸罪天王不能行爵賞也。凡言歸者、易辭。歸之者、强歸之辭。
【読み】
晉侯の曹伯を執うるは、是なりや否や、と。曰く、曹伯は弑逆の罪有り、卽ち之を執うること是なり。晉之と同じく盟って而して後に之を執う。故に曹伯と書して其の爵を去らず。晉侯爵を奪わざることは、未だ爵を奪うに至らざればなり。京師自り歸るときは、則ち若し罪無くして、罪を歸せば天王爵賞を行うこと能わじと言う。凡そ歸と言うは、易の辭なり。之を歸すというは、强歸の辭なり、と。

問、龍能有能無、如何。曰、安能無。但能隱見耳。所以能隱見者、爲能屈伸爾。非特龍、凡小物甚有能屈伸者。
【読み】
問う、龍能く有り能く無きは、如何、と。曰く、安んぞ能く無からん。但能く隱見するのみ。能く隱見する所以の者は、能く屈伸するが爲なるのみ。特龍のみに非ず、凡そ小物も甚だ能く屈伸する者有り、と。

問、書至、如何。曰、告廟而書、亦有不緣告廟而書者。又問還復。曰、還只是歸、復如今所謂倒迴。又問隱皆不書至。曰、告廟之禮不行。
【読み】
問う、至ると書するは、如何、と。曰く、廟に告げて書す、亦廟に告ぐるに緣らずして書する者有り、と。又還復を問う。曰く、還は只是れ歸る、復は今の所謂倒迴というが如し、と。又隱皆至ると書せざることを問う。曰く、廟に告ぐるの禮行わざればなり、と。

先生指庭下羣雀示諸弟子曰、地上元有物、則羣雀集而食之。人故與之、則不卽來食、須是久乃集。蓋人有意在爾。若負粟者過、適遺下、則便集而食矣。
【読み】
先生庭下の羣雀を指して弟子に示して曰く、地上元物有るときは、則ち羣雀集まって之を食む。人故[ことさら]に之を與うるときは、則ち卽來り食まず、須く是れ久しくして乃ち集まるべし。蓋し人意在ること有りて爾り。若し粟を負う者過り、適々遺[わす]れ下すときは、則便ち集まって食む、と。

問、禘於太廟用致夫人、是哀姜否。曰、文姜也。文姜與桓公如齊、終啓弑桓之惡。其罪大矣。故聖人於其遜於齊、致於廟、皆止曰夫人、而去其姜氏、以見大義與國人已絕矣。然弑桓之惡、文姜實不知、但緣文姜而啓爾。莊公母子之情則不絕。故書夫人焉。文姜遜齊、止稱夫人、此禘致於廟、亦只稱夫人、則是文姜明矣。此最是聖人用法致嚴處、可以見大義、又以見子母之義。本朝太祖皇帝立法、極合春秋之意(呂本・徐本意作義。)。法中有夫因婦而被殺者、以婦爲首、正與此合。
【読み】
問う、太廟に禘す用って夫人を致すというは、是れ哀姜なりや否や、と。曰く、文姜なり。文姜桓公と與に齊に如きて、終に桓を弑するの惡を啓く。其の罪大なり。故に聖人其の齊に遜れ、廟に致すに於て、皆止夫人と曰いて、其の姜氏を去って、以て大義と國人已に絕てしことを見す。然れども桓を弑するの惡は、文姜實に知らず、但文姜に緣りて啓くのみ。莊公母子の情は則ち絕たず。故に夫人と書す。文姜齊に遜るるに、止夫人と稱し、此の禘廟を致すも、亦只夫人と稱するときは、則ち是れ文姜なること明らかなり。此れ最も是れ聖人法を用いて嚴を致す處、以て大義を見る可く、又以て子母の義を見るべし。本朝太祖皇帝の立法、極めて春秋の意(呂本・徐本意を義に作る。)に合す。法中夫婦に因りて殺さるること有る者は、婦を以て首とすというは、正に此と合す、と。

問、禘是如何。曰、禘是天子之祭。五年一禘、祭其祖之所自出也。又問祫。曰、祫、合祭也。諸侯亦祭祫。只是祠禴嘗烝之祭、爲廟禮煩、故每年於四祭中、三祭合食於祖廟。惟春則徧祭諸廟也。
【読み】
問う、禘は是れ如何、と。曰く、禘は是れ天子の祭。五年に一たび禘して、其の祖の自りて出づる所を祭るなり。又祫[こう]を問う。曰く、祫は、合祭なり。諸侯も亦祫を祭る。只是れ祠禴[やく]嘗烝の祭、廟禮煩わしきが爲に、故に每年四祭の中に於て、三祭は祖廟に合食せしむ。惟春は則ち徧く諸廟を祭るなり、と。

問、祧廟如何。曰、祖有功、宗有德、文・武之廟永不祧也。所祧者、文・武以下廟。曰、兄弟相繼、如何。曰、此皆自立廟。然如吳太伯兄弟四人相繼、若上更有二廟不祧、則遂不祭祖矣。故廟雖多、亦不妨祧。只祧得服絕者。以義起之可也。如本朝太祖・太宗皆萬世不祧之廟。河東・閩・浙諸處皆太宗取之、無可祧之理。
【読み】
問う、廟に祧[ちょう]するは如何、と。曰く、祖に功有り、宗に德有り、文・武の廟永く祧せざるなり。祧する所の者は、文・武以下の廟なり、と。曰く、兄弟相繼ぐこと、如何、と。曰く、此れ皆自ら廟を立つ。然るに吳の太伯兄弟四人相繼ぐが如きは、若し上に更に二廟有りて祧せざるときは、則ち遂に祖を祭らず。故に廟多しと雖も、亦祧することを妨げず。只服絕ゆる者に祧し得。義を以て之を起こして可なり。本朝太祖・太宗の如きは皆萬世祧せざるの廟なり。河東・閩[びん]・浙の諸處皆太宗之を取るは、祧す可きの理無し、と。

問、孀婦於理似不可取、如何。曰、然。凡取、以配身也。若取失節者以配身、是己失節也。又問、或有孤孀貧窮無託者、可再嫁否。曰、只是後世怕寒餓死、故有是說。然餓死事極小、失節事極大。
【読み】
問う、孀婦[そうふ]は理に於て取[めと]る可からざるに似れり、如何、と。曰く、然り。凡そ取るは、以て身に配するなり。若し節を失う者を取って以て身に配せば、是れ己も節を失うなり、と。又問う、或るひと孤孀貧窮にして託すること無き者有らば、再び嫁す可きや否や、と。曰く、只是れ後世寒餓の死を怕る、故に是の說有り。然るに餓死の事は極めて小にして、節を失う事は極めて大なり、と。

或問、漢高祖可比太祖否。曰、漢高祖安能比太祖。太祖仁愛、能保全諸節度使、極有術。天下旣定、皆召歸京師、節度使竭土地而還、所畜不貲、多財、亦可患也。太祖逐人賜地一方。蓋第所費皆數萬。又嘗賜宴、酒酣、乃宣各人子弟一人扶歸。太祖送至殿門、謂其子弟曰、汝父各許朝廷十萬緡矣。諸節度使醒、問所以歸、不失禮於上前否。子弟各以緡事對。翌日、各以表進如數。此皆英雄御臣之術。
【読み】
或るひと問う、漢の高祖は太祖に比す可しや否や、と。曰く、漢の高祖安んぞ能く太祖に比せん。太祖の仁愛、能く諸々の節度使を保全して、極めて術有り。天下旣に定まりて、皆召して京師に歸らしむるに、節度使土地を竭くして還るに、畜う所貲[し]あらず、多財も、亦患う可しとす。太祖人を逐って地一方を賜う。蓋し第[ただ]費す所皆數萬なり。又嘗て宴を賜いて、酒酣[たけなわ]なるとき、乃ち各人の子弟一人扶し歸れと宣す。太祖送りて殿門に至りて、其の子弟に謂いて曰く、汝が父各々朝廷の十萬緡を許す、と。諸々の節度使醒めて、歸る所以を問う、禮を上の前に失するや否や、と。子弟各々緡の事を以て對う。翌日、各々表を以て進むること數の如し。此れ皆英雄臣を御するの術なり、と。

宣仁山陵時、會呂汲公於陵下。公曰、國家養兵乃良策。凡四方有警、百姓皆不知。先生曰、相公豈不見景德中事耶。驅良民刺面、以至及士人。蓋有限之兵、忽損三五千人。將何自而補。要知兵須是出於民可也。
【読み】
宣仁山陵の時、呂汲公に陵下に會す。公曰く、國家兵を養うは乃ち良策なり。凡そ四方警有れども、百姓皆知らず、と。先生曰く、相公豈景德中の事を見ざるや。良民を驅るには面を刺して、以て士人に及ぶに至る。蓋し限り有るの兵、忽ち三五千人を損す。將に何に自ってか補わんとす。要するに知る、兵は須く是れ民に出して可なるべし、と。

太祖初有天下、士卒人許賞二百緡。及卽位、以無錢久不賜、士卒至有題詩於後苑。太祖一日遊後苑見詩、乃曰、好詩。遂索筆和之。以故、每於郊時、各賜賞給、至今因以爲例、不能去。或問、今欲新兵不給郊賞。數十年後可革否。曰、新兵本無此望、不與可也。不數十年可革。
【読み】
太祖初めて天下を有って、士卒人ごとに二百緡を賞することを許す。位に卽くに及んで、錢無きを以て久しく賜わず、士卒詩を後苑に題すること有るに至る。太祖一日後苑に遊びて詩を見て、乃ち曰く、好き詩なり、と。遂に筆を索[もと]めて之を和す。故を以て、每に郊する時に於て、各々賞給を賜い、今に至るまで因りて以て例と爲して、去ること能わず。或るひと問う、今新兵郊賞を給わざることを欲す。數十年の後革む可きや否や、と。曰く、新兵本此の望み無くば、與えずして可なり。數十年ならずして革む可し、と。

思叔問、孟子言善推其所爲、是歟。曰、聖人則不待推。
【読み】
思叔問う、孟子言う、善く其のする所を推すとは、是なるか、と。曰く、聖人は則ち推すことを待たず、と。

霍光廢昌邑、其始乃光之罪。當時不合立之、只被見是武帝孫、擔當不過、須立之也。此又與伊尹立太甲不同也。伊尹知太甲必能思庸、故放之桐三年。當時湯旣崩、太丁未立而死。外丙方二歲、仲壬方四歲、故須立太甲也。太甲又有思庸之資。若無是質、伊尹亦不立也。史記以孟子二年四年之言、遂言湯崩六年之後、太甲方立。不知年只是歲字。頃呂望之曾問及此。亦曾說與他。後來又看禮、見王巡狩、問百年者、益知書傳亦稱歲爲年。二年四年之說、縱別無可證、理亦必然。且看尚書、分明說成湯旣沒、太甲元年。又看王徂桐宮、居憂三年、終能思庸。伊尹以冕服奉嗣王。可知凡文字理。是後不必引證。
【読み】
霍光が昌邑を廢する、其の始は乃ち光が罪なり。當時之を立つる合からず、只是れ武帝の孫なることを見られ、擔當し過たずして、須く之を立つるべし。此れ又伊尹太甲を立つると同じからず。伊尹太甲必ず能く庸[つね]を思わんことを知る、故に之を桐に放つこと三年なり。當時湯旣に崩じて、太丁未だ立たずして死す。外丙方に二歲、仲壬方に四歲、故に須く太甲を立つるべきなり。太甲又庸を思うの資有り。若し是の質無くんば、伊尹も亦立てじ。史記孟子二年四年の言を以て、遂に言う、湯崩じて六年の後、太甲方に立つ、と。知らず、年は只是れ歲の字なることを。頃[このごろ]呂望之曾て問い、此に及べり。亦曾て他に說與せり。後來又禮を看るに、王巡狩して、百年の者に問うということを見るに、益々知る、書傳も亦歲を稱して年とすることを。二年四年の說、縱[たと]い別に證す可き無くとも、理亦必ず然らん。且尚書を看るに、分明に說く、成湯旣に沒して、太甲元年、と。又看る、王桐宮に徂[ゆ]いて、憂えに居ること三年、終に能く庸を思う。伊尹冕服を以て嗣王を奉[むか]う、と。凡そ文字の理を知る可し。是より後は必ずしも引證せざれ。

問、東向西向、以南方爲上、南向北向、以西方爲上。如何。曰、此言坐位、非祭祀昭穆之位。昭穆之位、太祖面東、左昭右穆、自内以及外。古之坐位、皆以右爲尊。范文甫問、韓信得廣武君、使東向坐、而西面師事之。是否。曰、今則以左爲尊。是或一道也。
【読み】
問う、東向西向は、南方を以て上とし、南向北向は、西方を以て上とす、と。如何、と。曰く、此は坐位を言い、祭祀昭穆の位に非ず。昭穆の位は、太祖は東に面し、左昭右穆、内自りして以て外に及ぶ。古の坐位は、皆右を以て尊しとす、と。范文甫問う、韓信廣武君を得て、東向に坐せしめて、西面して之に師とし事う、と。是なりや否や、と。曰く、今は則ち左を以て尊しとす。是れ或は一つの道ならん、と。

問、僑如以夫人姜氏至。書以、如何。曰、當然。此却言公子能主其事、以夫人至也。如書公與夫人如齊、只書與而不書及却有意。蓋言及則主在公也。言與則公不能制明矣。
【読み】
問う、僑如夫人姜氏を以[い]て至る、と。以と書するは、如何、と。曰く、當に然るべし。此れ却って公子能く其の事を主りて、夫人を以て至ることを言うなり。公と夫人と齊に如くと書するが如きは、只與と書して及びと書せざるは却って意有り。蓋し及びと言うときは則ち主とすること公に在り。與と言うときは則ち公制すること能わざること明らかなり、と。

孔子願乘桴浮於海、居九夷、皆以天下無一賢君、道不行、故言及此爾。子路不知其意、便謂聖人行矣。無所取材、言其不能斟酌也。
【読み】
孔子桴[いかだ]に乘って海に浮び、九夷に居らんことを願うは、皆天下に一賢君無くして、道行われざるを以て、故に言此に及ぶのみ。子路其の意を知らずして、便ち聖人行くと謂えり。取り材[はか]る所無しとは、言うこころは、其れ斟酌すること能わざるなり、と。

問、肆大眚、如何。曰、大眚而肆之、其失可知。書言眚災肆赦者、言眚則肆之、眚是自作之罪也。災則赦之、災是過失之事故也。凡赦何嘗及得善人。諸葛亮在蜀、十年不赦、審此爾。
【読み】
問う、大眚[たいせい]を肆[ゆる]すは、如何、と。曰く、大眚にして之を肆すは、其の失知る可し。書に眚災は肆赦すと言う者は、言うこころは、眚は則ち之を肆すとは、眚は是れ自ら作るの罪なればなり。災は則ち之を赦すとは、災は是れ過失の事なる故なり、と。凡そ赦すは何ぞ嘗て善人を得るに及ばん。諸葛亮蜀に在ること、十年まで赦さず、此を審らかにするのみ、と。

兵强弱亦有時。往時陳・許號勁兵、今陳・許最近畿、亦不聞勁。今河東最盛。
【読み】
兵の强弱も亦時有り。往時陳・許勁兵[けいへい]と號す。今陳・許最も畿に近くして、亦勁[つよ]きことを聞かず。今河東最も盛んなり。

學者不可不通世務。天下事譬如一家。非我爲則彼爲、非甲爲則乙爲。
【読み】
學者は世務に通ぜずんばある可からず。天下の事は譬えば一家の如し。我れ爲すに非ずんば則ち彼爲し、甲爲すに非ずんば則ち乙爲す。

子路片言可以折獄。故魯願與小邾・射盟、而射止願得季路一言、乃其證也。
【読み】
子路片言以て獄[うったえ]を折[さだ]む可し、と。故に魯小邾・射と盟わんことを願って、射止季路の一言を得んことを願うは、乃ち其の證なり。

曰、予欲無言、蓋爲子貢多言、故告之以此。
【読み】
曰く、予言うこと無からんことを欲すというは、蓋し子貢多言なるが爲に、故に之に告ぐるに此を以てす。

問務民之義。曰、如項梁立義帝、謂從民望者是也。
【読み】
民の義を務むることを問う。曰く、項梁義帝を立つるが如き、謂ゆる民の望みに從う者是れなり、と。

棣問、天王使宰咺來歸惠公仲子之賵、如何。答曰、書天王者、以春秋之始周、方書此一件事。且存天王之號以正名分。非謂此事當理而書也。故書宰之名以示貶。仲子是惠公再娶之夫人。諸侯無再娶理。故只書惠公仲子、不稱夫人也。又問、左氏以爲未薨、預凶事、非禮也。曰、不然。豈有此理。夫人子氏自是隱公之妻、不干仲子事。
【読み】
棣問う、天王宰咺[けん]をして來りて惠公仲子の賵[ぼう]を歸[おく]らしむとは、如何、と。答えて曰く、天王と書する者は、春秋の周に始むるを以て、方に此の一件の事を書す。且天王の號を存して以て名分を正す。此の事理に當たりて書すと謂うには非ず。故に宰の名を書して以て貶することを示す。仲子は是れ惠公再び娶るの夫人。諸侯再び娶るの理無し。故に只惠公仲子と書して、夫人と稱せざるなり、と。又問う、左氏以爲えらく、未だ薨せざるに、凶事を預めするは、禮に非ざるなり、と。曰く、然らず。豈此の理有らんや。夫人子氏は自づから是れ隱公の妻、仲子の事に干わらず、と。

又問、再娶皆不合禮否。曰、大夫以上無再娶禮。凡人爲夫婦時、豈有一人先死、一再娶、一人再嫁之約。只約終身夫婦也。但自大夫以下、有不得已再娶者。蓋緣奉公姑、或主内事爾。如大夫以上、至諸侯天子、自有嬪妃可以供祀禮。所以不許再娶也。
【読み】
又問う、再び娶るは皆禮に合せざるや否や、と。曰く、大夫以上は再び娶るの禮無し。凡そ人夫婦爲る時、豈一人先に死せば、一再び娶り、一人再び嫁するの約有らんや。只身を終うるまで夫婦たることを約すのみ。但大夫自り以下は、已むことを得ずして再び娶る者有り。蓋し公姑に奉じ、或は内事を主るに緣ってのみ。大夫以上より、諸侯天子に至るが如きは、自づから嬪妃有りて以て祀禮に供す可し。再び娶ることを許さざる所以なり、と。

春秋書盟、如何。先王之時有盟否。或疑周官司盟者。曰、先王之時所以有盟者、亦因民而爲之。未可非司盟也。但春秋時信義皆亡、日以盟詛爲事、上不遵周王之命。春秋書、皆貶也。唯胥命之事稍爲近正。故終齊・衛二君之世不相侵伐。亦可喜也。
【読み】
春秋盟を書するは、如何。先王の時盟有りや否や。或は周官司盟の者を疑う、と。曰く、先王の時盟有る所以の者は、亦民に因りて之を爲す。未だ司盟非ずんばある可からず。但春秋の時は信義皆亡びて、日に盟詛を以て事と爲して、上周王の命に遵わず。春秋に書するは、皆貶するなり。唯胥命の事は稍正しきに近きとす。故に齊・衛二君の世を終うるまで相侵伐せず。亦喜ぶ可し、と。

紀子伯・莒子盟于密、此是伯上脫一字也。必是三人同盟。若不是脫字、別無義理。
【読み】
紀子伯・莒[きょ]子密に盟うとは、此は是れ伯の上に一字を脫するなり。必ず是れ三人同じく盟うならん。若し是れ脫字ならずんば、別に義理無し。

齊高固來逆叔姬。公・穀有子字。如何。曰、子者言是公女。其他則姊妹之類也。
【読み】
齊の高固來りて叔姬を逆う、と。公・穀に子の字有り。如何、と。曰く、子は言うこころは是れ公女なり。其の他は則ち姊妹の類なり、と。

又問、丁丑、夫人姜氏入。何故獨書曰入。曰、此娶仇女、故書入。言宗廟不受也。
【読み】
又問う、丁丑、夫人姜氏入る、と。何故に獨り書して入ると曰う、と。曰く、此れ仇の女を娶る、故に入ると書す。言うこころは、宗廟受けざればなり、と。

又問公子結媵陳人之婦于鄄、遂及齊侯・宋公盟。曰、此是本去媵婦、却遂及諸侯盟。聖人罪之之意、在遂事也。
【読み】
又公子結陳人の婦に媵[よう]して鄄[けん]に于[ゆ]きて、遂に齊侯・宋公と盟うことを問う。曰く、此は是れ本婦を媵に去[ゆ]きて、却って遂に諸侯と盟う。聖人之を罪するの意は、遂事に在り、と。

又問、祭公來、遂逆王后于紀、如何。曰、此祭公受命逆后、却因過魯、遂行朝會之禮。聖人深罪之。故先書其來使。若以朝魯爲主、而逆后爲遂也。曰、或說逆王后、亦使魯爲主。如何。曰、築王姬之館、單伯送王姬之類、皆是魯爲主。蓋只是王姬下嫁、則同姓諸侯爲主。如逆王后、無使諸侯爲主之理。
【読み】
又問う、祭公來りて、遂に王后を紀に逆うるは、如何、と。曰く、此れ祭公命を受けて后を逆うるに、却って魯を過るに因りて、遂に朝會の禮を行う。聖人深く之を罪す。故に先づ其の來り使いすることを書す。魯を朝するを以て主と爲して、后を逆うるを遂と爲すが若し、と。曰く、或るひと說く、王后を逆うるに、亦魯に使いせば主と爲る、と。如何、と。曰く、王姬の館を築き、單伯王姬を送るの類は、皆是れ魯主と爲る。蓋し只是れ王姬下り嫁ぐときは、則ち同姓の諸侯主と爲る。王后を逆うるが如きは、諸侯に使いして主と爲るの理無けん、と。

問、獨宋共姬書首尾最詳、何故。曰、賢伯姬、故詳錄之。昔胡先生常說伯姬是婦人中伯夷。爲其不下堂而死也。曰、如成八年、九年、十年、三書來媵、皆以伯姬之故書否。曰、然。媵之禮如何。曰、古有之。
【読み】
問う、獨り宋の共姬首尾を書すること最も詳らかなるは、何故ぞ、と。曰く、賢伯姬、故に詳らかに之を錄せり。昔胡先生常に說く、伯姬は是れ婦人中の伯夷、と。其の堂より下らずして死するが爲なり、と。曰く、成の八年、九年、十年に、三たび來り媵すと書するが如き、皆伯姬の故を以て書するや否や、と。曰く、然り。媵の禮如何、と。曰く、古之れ有り、と。

又問、漢儒談春秋災異、如何。曰、自漢以來、無人知此。董仲舒說天人相與之際、亦略見些模様。只被漢儒推得太過。亦何必說某事有某應。
【読み】
又問う、漢儒春秋の災異を談ずること、如何、と。曰く、漢自り以來、人此を知ること無し。董仲舒說く、天人相與するの際も、亦略些かの模様を見る、と。只漢儒に推し得らるること太だ過てり。亦何ぞ必ずしも某の事某の應有りと說かん、と。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)