二程全書卷之二十八  遺書伊川先生語十一

暢潛道錄(胡氏注云、識者疑其閒多非先生語。)
【読み】
暢潛道の錄(胡氏の注に云く、識者其の閒多くは先生の語に非ざることを疑う、と。)

大學曰、物有本末、事有終始、知所先後、則近道矣。人之學莫大於知本末終始。致知在格物、則所謂本也、始也、治天下國家、則所謂末也、終也。治天下國家、必本諸身。其身不正而能治天下國家者無之。格猶窮也。物猶理也。猶曰窮其理而已也。窮其理、然後足以致之。不窮則不能致也。格物者適道之始、欲思格物、則固已近道矣。是何也。以收其心而不放也。
【読み】
大學に曰く、物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知るときは、則ち道に近し、と。人の學は本末終始を知るより大なるは莫し。知を致[きわ]むるは物を格[きわ]むるに在りというは、則ち所謂本なり、始めなり、天下國家を治むというは、則ち所謂末なり、終わりなり。天下國家を治むることは、必ず身に本づく。其の身正しからずして能く天下國家を治むる者は之れ無し。格は猶窮むるのごとし。物は猶理のごとし。猶其の理を窮むと曰うがごときのみ。其の理を窮めて、然して後に以て之を致むるに足れり。窮めざれば則ち致むること能わず。物を格むるは道に適くの始め、物を格むることを思うことを欲するときは、則ち固に已に道に近し。是れ何ぞや。其の心を收めて放たざるを以てなり。

知者吾之所固有、然不致則不能得之。而致知必有道。故曰致知在格物。
【読み】
知は吾が固有する所、然れども致めざるときは則ち之を得ること能わず。而して知を致むるに必ず道有り。故に知を致むるは物を格むるに在りと曰う。

大學論意誠以下、皆窮其意而明之。獨格物則曰物格而後知至。蓋可以意得而不可以言傳也。自格物而充之、然後可以至聖人。不知格物而先欲意誠心正身修者、未有能中於理者。
【読み】
大學意誠を論ずるより以下は、皆其の意を窮めて之を明らかにす。獨り物を格むるは則ち物格まって而して後に知至ると曰う。蓋し意を以て得る可くして言を以て傳う可からず。物を格むる自りして之を充て、然して後に以て聖人に至る可し。物を格むることを知らずして先づ意誠に心正しく身修むることを欲する者は、未だ能く理に中る者は有らず。

致知在格物、非由外鑠我也、我固有之也。因物有遷、迷而不知、則天理滅矣。故聖人欲格之。
【読み】
知を致むるは物を格むるに在りとは、外由り我を鑠[しゃく]するに非ず、我れ固より之を有するなり。物に因りて遷ること有りて、迷って知らざるときは、則ち天理滅ぶ。故に聖人之を格むることを欲す。

隨事觀理、而天下之理得矣。天下之理得、然後可以至於聖人。君子之學、將以反躬而已矣。反躬在致知。致知在格物。
【読み】
事に隨いて理を觀て、天下の理得。天下の理得て、然して後に以て聖人に至る可し。君子の學は、將に以て躬に反らんとするのみ。躬に反るは知を致むるに在り。知を致むるは物を格むるに在り。

學莫貴於自得。得非外也。故曰自得。
【読み】
學は自得するより貴きは莫し。得るは外に非ず。故に自得と曰う。

學莫大於平心。平莫大於正。正莫大於誠。
【読み】
學は心を平らかにするより大なるは莫し。平らかにするは正しくするより大なるは莫し。正しくするは誠にするより大なるは莫し。

君子之學、在於意必固我旣亡之後、而復於喜怒哀樂未發之前、則學之至也。
【読み】
君子の學は、意必固我旣に亡ぶるの後に在りて、喜怒哀樂未だ發せざるの前に復るときは、則ち學之れ至るなり。

心至重、雞犬至輕。雞犬放則知求之、心放則不知求。豈愛其至輕而忘至其重哉。弗思而已矣。今世之人、樂其所不當樂、不樂其所當樂、慕其所不當慕、不慕其所當慕、皆由不思輕重之分也。
【読み】
心は至って重く、雞犬は至って輕し。雞犬放つときは則ち之を求むることを知り、心放つときは則ち求むることを知らず。豈其の至って輕きを愛して至って其の重きを忘れんや。思わざるのみ。今の世の人、其の當に樂しむべからざる所を樂しんで、其の當に樂しむべき所を樂しまず、其の當に慕うべからざる所を慕って、其の當に慕うべき所を慕わざるは、皆輕重の分を思わざるに由ってなり。

顏淵歎孔子曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能、旣竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已。此顏子所以善學孔子而深知孔子者也。
【読み】
顏淵孔子を歎じて曰く、之を仰げば彌々高く、之を鑽れば彌々堅し。之を瞻るに前に在りとすれば、忽焉として後に在り。夫子循循然として善く人を誘[みちび]く。我を博むるに文を以てし、我を約にするに禮を以てす。罷めんと欲すれども能わず、旣に吾が才を竭くす。立つ所有りて卓爾たるが如し。之に從わんと欲すと雖も、由末[な]きのみ、と。此れ顏子善く孔子を學んで深く孔子を知る所以の者なり。

有學不至而言至者、循其言亦可以入道。苟子曰、眞積力久則入。杜預曰、優而柔之、使自求之。厭而飫之。使自趨之。管子曰、思之思之、又重思之、思之而不通、鬼神將通之、非鬼神之力也。精神之極也。此三者、循其言皆可以入道。而苟子・管子・杜預初不能及此。
【読み】
學至らずして言至る者有り、其の言に循わば亦以て道に入る可し。苟子曰く、眞に力を積むこと久しきときは則ち入る、と。杜預曰く、優にして之を柔[ゆたか]にし、自ら之を求めしむ。厭きるまでにして之を飫[あ]く。自ら之に趨かしむ、と。管子曰く、之を思い之を思って、又重ねて之を思う、之を思って通ぜざれば、鬼神將に之を通ぜんとすとは、鬼神の力には非ず。精神の極みなり、と。此の三者の、其の言に循わば皆以て道に入る可し。而れども苟子・管子・杜預初めより此に及ぶこと能わず。

自其外者學之、而得於内者、謂之明。自其内者得之、而兼於外者、謂之誠。誠與明一也。
【読み】
其の外なる者自り之を學んで、内なる者を得る、之を明と謂う。其の内なる者自り之を得て、外なる者を兼ぬ、之を誠と謂う。誠と明とは一なり。

聞見之知、非德性之知。物交物則知之非内也。今之所謂博物多能者是也。德性之知、不假聞見。
【読み】
聞見の知は、德性の知に非ず。物が物に交わるは則ち知ることの内に非ざるなり。今の所謂博物多能なる者是れなり。德性の知は、聞見を假りず。

君子不以天下爲重而身爲輕、亦不以身爲重而天下爲輕。凡盡其所當爲者、如可以仕則仕、入則孝之類是也。此孔子之道也。蔽焉而有執者、楊・墨之道也。
【読み】
君子は天下を以て重しとし而して身を輕しとせず、亦身を以て重しとし而して天下を輕しとせず。凡そ其の當にすべき所の者を盡くすこと、以て仕う可きときは則ち仕え、入りては則ち孝の類の如き是れなり。此れ孔子の道なり。蔽いて執ること有る者は、楊・墨の道なり。

能盡飮食言語之道、則可以盡去就之道。能盡去就之道、則可以盡死生之道。飮食言語、去就死生、小大之勢一也。故君子之學、自微而顯、自小而章。易曰、閑邪存其誠。閑邪則誠自存。而閑其邪者、乃在於言語飮食進退與人交接之際而已矣。
【読み】
能く飮食言語の道を盡くすときは、則ち以て去就の道を盡くす可し。能く去就の道を盡くすときは、則ち以て死生の道を盡くす可し。飮食言語、去就死生、小大の勢は一なり。故に君子の學は、微かなる自りして顯らかに、小自りして章らかなり。易に曰く、邪を閑[ふせ]ぎて其の誠を存す、と。邪を閑ぐときは則ち誠自づから存す。而して其の邪を閑ぐは、乃ち言語飮食進退と人と交接するの際に在るのみ。

人皆可以至聖人。而君子之學必至於聖人而後已。不至於聖人而後已者、皆自棄也。孝其所當孝、弟其所當弟、自是而推之、則亦聖人而已矣。
【読み】
人皆以て聖人に至る可し。而して君子の學は必ず聖人に至って而して後に已む。聖人に至らずして而して後に已む者は、皆自ら棄つるなり。其の當に孝すべき所に孝し、其の當に弟すべき所に弟して、是れ自りして之を推すときは、則ち亦聖人なるのみ。

多權者害誠、好功者害義、取名者賊心。
【読み】
權多き者は誠を害し、功を好む者は義を害し、名を取る者は心を賊う。

君貴明、不貴察。臣貴正、不貴權。
【読み】
君は明を貴んで、察を貴ばず。臣は正を貴んで、權を貴ばず。

稱性之善謂之道。道與性一也。以性之善如此、故謂之性善。性之本謂之命、性之自然者謂之天、自性之有形者謂之心、自性之有動者謂之情。凡此數者皆一也。聖人因事以制名。故不同若此。而後之學者、隨文析義、求奇異之說、而去聖人之意遠矣。
【読み】
性の善を稱して之を道と謂う。道と性とは一なり。性の善此の如きを以て、故に之を性善と謂う。性の本之を命と謂い、性の自然なる者之を天と謂い、性の形有る者自り之を心と謂い、性の動くこと有る者自り之を情と謂う。凡そ此の數者は皆一なり。聖人事に因りて以て名を制す。故に同じからざること此の若し。而して後の學者、文に隨って義を析[わか]ち、奇異の說を求めて、聖人の意を去ること遠し。

自性而行、皆善也。聖人因其善也、則爲仁義禮智信以名之、以其施之不同也、故爲五者以別之。合而言之皆道、別而言之亦皆道也。舍此而行、是悖其性也、是悖其道也。而世人皆言性也、道也、與五者異。其亦弗學歟、其亦未體其性也歟、其亦不知道之所存歟。
【読み】
性自りして行えば、皆善なり。聖人其の善に因りて、則ち仁義禮智信と爲して以て之を名づけ、其の施すこと同じからざるを以て、故に五つの者と爲して以て之を別つ。合わせて之を言えば皆道なり、別ちて之を言うも亦皆道なり。此を舍いて行うは、是れ其の性に悖るなり、是れ其の道に悖るなり。而れども世人皆性や、道やを言うこと、五つの者と異なり。其れ亦學ばざるか、其れ亦未だ其の性に體せざるか、其れ亦道の存する所を知らざるか。

道孰爲大。性爲大。千里之遠、數千歲之日、其所動靜起居、隨若亡矣。然時而思之、則千里之遠在於目前、數千歲之久無異數日之近。人之性則亦大矣。噫、人之自小者、亦可哀也已。人之性一也。而世之人皆曰、吾何能爲聖人。是不自信也。其亦不察乎。
【読み】
道は孰れか大なりとす。性を大なりとす。千里の遠き、數千歲の日は、其の動靜起居する所、隨いて亡ぶるが若し。然れども時にして之を思えば、則ち千里の遠きも目前に在り、數千歲の久しきも數日の近きに異なること無し。人の性は則ち亦大なり。噫、人の自ら小にする者、亦哀しむ可きのみ。人の性は一なり。而れども世の人皆曰く、吾れ何ぞ能く聖人爲らん、と。是れ自ら信ぜざるなり。其れ亦察せざるか。

自得者所守固、而自信者所行不疑。
【読み】
自得する者は守る所固くして、自ら信ずる者は行う所疑わず。

學貴信。信在誠。誠則信矣、信則誠矣。不信不立、不誠不行。
【読み】
學は信を貴ぶ。信は誠に在り。誠なれば則ち信なり、信なれば則ち誠なり。信ならざれば立たず、誠ならざれば行われず。

或問、周公勳業、人不可爲也已。曰、不然。聖人之所爲、人所當爲也。盡其所當爲、則吾之勳業、亦周公之勳業也。凡人之弗能爲者、聖人弗爲。
【読み】
或るひと問う、周公の勳業は、人す可からざるのみ、と。曰く、然らず。聖人のする所は、人の當にすべき所なり。其の當にすべき所を盡くすときは、則ち吾が勳業も、亦周公の勳業なり。凡そ人の能くせざる者は、聖人せず、と。

君子之學、要其所歸而已矣。
【読み】
君子の學は、其の歸する所を要するのみ。

民可明也、不可愚也。民可敎也、不可威也。民可順也、不可强也。民可使也、不可欺也。
【読み】
民は明にす可し、愚にす可からず。民は敎う可し、威[おど]す可からず。民は順わす可し、强う可からず。民は使う可し、欺く可からず。

孔子曰、棖也慾、焉得剛。甚矣慾之害人也。人之爲不善、欲誘之也。誘之而弗知、則至於天理滅而不知反。故目則欲色、耳則欲聲、以至鼻則欲香、口則欲味、體則欲安。此皆有以使之也。然則何以窒其欲。曰思而已矣。學莫貴於思。唯思爲能窒欲。曾子之三省、窒欲之道也。
【読み】
孔子曰く、棖[とう]は慾あり、焉んぞ剛なることを得ん、と。甚だしいかな慾の人を害すること。人の不善を爲すは、欲之を誘えばなり。之を誘って知らざるときは、則ち天理滅んで反ることを知らざるに至る。故に目は則ち色を欲し、耳は則ち聲を欲するより、以て鼻は則ち香を欲し、口は則ち味を欲し、體は則ち安きを欲するに至る。此れ皆以て之を使[し]むること有ればなり。然らば則ち何を以て其の欲を窒がん。曰く、思うのみ。學は思うより貴きは莫し。唯思うことのみ能く欲を窒ぐことを爲す。曾子の三省は、欲を窒ぐの道なり。

好勝者滅理、肆欲者亂常。
【読み】
勝つことを好む者は理を滅ぼし、欲を肆にする者は常を亂る。

可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、此皆時也。未嘗不合中。故曰君子而時中。
【読み】
以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て久しかる可きときは則ち久しく、以て速やかなる可きときは則ち速やかにするは、此れ皆時なり。未だ嘗て中に合わずんばあらず。故に君子にして時に中すと曰う。

喜怒哀樂之未發謂之中。中也者、言寂然不動者也。故曰天下之大本。發而皆中節謂之和。和也者、言感而遂通者也。故曰天下之達道。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂う。中とは、寂然として動かざる者を言う。故に天下の大本と曰う。發して皆節に中る之を和と謂う。和とは、感じて遂に通ずる者を言う。故に天下の達道と曰う。

學也者、使人求於内也。不求於内而求於外、非聖人之學也。何謂不求於内而求於外。以文爲主者是也。學也者、使人求於本也。不求於本而求於末、非聖人之學也。何謂不求於本而求於末。考詳略、採同異者是也。是二者皆無益於身。君子弗學。
【読み】
學は、人をして内に求めしむるなり。内に求めずして外に求むるは、聖人の學に非ざるなり。何を内に求めずして外に求むと謂う。文を以て主とする者是れなり。學は、人をして本に求めしむるなり。本に求めずして末に求むるは、聖人の學に非ざるなり。何を本に求めずして末に求むと謂う。詳略を考え、同異を採る者是れなり。是の二つの者は皆身に益無し。君子は學ばず。

墨子之德至矣。而君子弗學也。以其舍正道而之他也。相如・太史遷之才至矣。而君子弗貴也。以所謂學者非學也。
【読み】
墨子の德至れり。而れども君子は學ばず。其の正道を舍てて他に之くを以てなり。相如・太史遷の才至れり。而れども君子は貴ばず。謂う所の學は學に非ざるを以てなり。

莊子、叛聖人者也。而世之人皆曰、矯時之弊。矯時之弊、固若是乎。伯夷・柳下惠、矯時之弊者也。其有異於聖人乎、抑無異乎。莊周・老聃、其與伯夷・柳下惠類乎、不類乎。子夏曰、雖小道、必有可觀者焉。致遠恐泥。子曰、攻乎異端、斯害也已。此言異端有可取、而非道之正也。
【読み】
莊子は、聖人を叛く者なり。而れども世の人皆曰く、時の弊を矯む、と。時の弊を矯むること、固に是の若くならんや。伯夷・柳下惠は、時の弊を矯むる者なり。其れ聖人に異なること有りや、抑々異なること無きや。莊周・老聃は、其れ伯夷・柳下惠と類するか、類せざるか。子夏曰く、小道と雖も、必ず觀る可き者有らん。遠きに致さば泥まんことを恐る、と。子曰く、異端を攻[おさ]むるは、斯れ害あらんのみ、と。此れ言うこころは、異端は取る可きこと有れども、而して道の正しきに非ず、と。

君子以識爲本、行次之。今有人焉、力能行之、而識不足以知之、則有異端者出、彼將流宕而不知反。内不知好惡、外不知是非、雖有尾生之信、曾參之孝、吾弗貴矣。
【読み】
君子は識を以て本と爲し、行之に次ぐ。今人有り、力は能く之を行うとも、而れども識以て之を知るに足らざるときは、則ち異端者出づること有れば、彼將に流宕して反ることを知らざらんとす。内好惡を知らず、外是非を知らずんば、尾生の信、曾參の孝有りと雖も、吾れ貴ばず。

學莫貴於知言、道莫貴於識時、事莫貴於知要。所聞者所見者外也。不可以動吾心。
【読み】
學は言を知るより貴きは莫く、道は時を識るより貴きは莫く、事は要を知るより貴きは莫し。聞く所の者見る所の者は外なり。以て吾が心を動かす可からず。

孟子曰、其爲氣也、至大至剛、以直養而無害。此蓋言浩然之氣至大至剛且直也、能養之則無害矣。
【読み】
孟子曰く、其の氣爲る、至大至剛にして、直きを以て養いて而も害無し、と。此れ蓋し浩然の氣は至大至剛にして且つ直きなり、能く之を養うときは則ち害無きことを言うならん。

伊尹之耕於有莘、傅說之築於傅巖、天下之事、非一一而學之、天下之賢才、非一一而知之。明其在己而已矣。
【読み】
伊尹の有莘に耕し、傅說の傅巖に築く、天下の事は、一一にして之を學ぶに非ず、天下の賢才は、一一にして之を知るに非ず。其の己に在るを明らかにするのみ。

君子不欲才過德、不欲名過實、不欲文過質。才過德者不祥、名過實者有殃、文過質者莫之與長。
【読み】
君子は才德に過ぐることを欲せず、名實に過ぐることを欲せず、文質に過ぐることを欲せず。才德に過ぐる者は不祥なり、名實に過ぐる者は殃[わざわ]い有り、文質に過ぐる者は之と與に長ずること莫し。

或問、顏子在陋巷而不改其樂、與貧賤而在陋巷者、何以異乎。曰、貧賤而在陋巷者、處富貴則失乎本心。顏子在陋巷猶是、處富貴猶是。
【読み】
或るひと問う、顏子陋巷に在りて其の樂しみを改めざると、貧賤にして陋巷に在る者と、何を以て異なるや、と。曰く、貧賤にして陋巷に在る者は、富貴に處るときは則ち本心を失う。顏子は陋巷に在っても猶是のごとく、富貴に處っても猶是のごとし、と。

通乎晝夜之道、而知晝夜・死生之道也。
【読み】
晝夜の道に通じて、晝夜・死生の道を知るなり。

知生之道、則知死之道。盡事人之道、則盡事鬼之道。死生人鬼、一而二、二而一者也。
【読み】
生の道を知るときは、則ち死の道を知る。人に事うるの道を盡くすときは、則ち鬼に事うるの道を盡くす。死生人鬼は、一にして二、二にして一なる者なり。

孔子曰、有德者必有言。何也。和順積於中、英華發於外也。故言則成文、動則成章。
【読み】
孔子曰く、德有る者は必ず言有り、と。何ぞや。和順中に積んで、英華外に發するなり。故に言うときは則ち文を成し、動くときは則ち章を成す。

學不貴博、貴於正而已矣。言不貴多、貴於當而已矣。政不貴詳、貴於順而已矣。
【読み】
學は博きを貴ばず、正しきを貴ぶのみ。言は多きを貴ばず、當たるを貴ぶのみ。政は詳らかなるを貴ばず、順わするを貴ぶのみ。

意必固我旣亡之後、必有事焉。此學者所宜盡心也。夜氣之所存者良知也、良能也。苟擴而充之、化旦晝之所害爲夜氣之所存、然後可以至於聖人。
【読み】
意必固我旣に亡ぶるの後、必ず事とすること有り。此れ學者宜しく心を盡くすべき所なり。夜氣の存する所の者は良知なり、良能なり。苟も擴めて之を充つるときは、旦晝の害する所を化して夜氣の存する所と爲し、然して後に以て聖人に至る可し。

孟子曰、盡其心者知其性也、知其性則知天矣。心也、性也、天也、非有異也。
【読み】
孟子曰く、其の心を盡くす者は其の性を知る、其の性を知るときは則ち天を知る、と。心や、性や、天や、異なること有るに非ざるなり。

人皆有是道、唯君子爲能體而用之。不能體而用之者、皆自棄也。故孟子曰、苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。夫充與不充、皆在我而已。
【読み】
人皆是の道有り、唯君子のみ能く體して之を用うることをす。能く體して之を用いざる者は、皆自ら棄つるなり。故に孟子曰く、苟も能く之を充つれば、以て四海を保んずるに足れり。苟も之を充てざれば、以て父母に事うるに足らず、と。夫れ充つると充てざるとは、皆我に在るのみ。

德盛者、物不能擾而形不能病。形不能病、以物不能擾也。故善學者、臨死生而色不變、疾痛慘切而心不動。由養之有素也。非一朝一夕之力也。
【読み】
德盛んなる者は、物擾[みだ]すこと能わずして形病むこと能わず。形病むこと能わざるは、物擾すこと能わざるを以てなり。故に善く學ぶ者は、死生に臨んで色變ぜず、疾痛慘切しても心動かず。養うことの素有るに由ってなり。一朝一夕の力に非ざるなり。

心之躁者、不熱而煩、不寒而慄、無所惡而怒、無所悅而喜、無所取而起。君子莫大於正其氣。欲正其氣、莫若正其志。其志旣正、則雖熱不煩、雖寒不慄、無所怒、無所喜、無所取。去就猶是、死生猶是。夫是之謂不動心。
【読み】
心の躁がしき者は、熱せずして煩し、寒せずして慄し、惡む所無くして怒り、悅ぶ所無くして喜び、取る所無くして起つ。君子は其の氣を正しくするより大なるは莫し。其の氣を正しくせんと欲せば、其の志を正しくするに若くは莫し。其の志旣に正しきときは、則ち熱すと雖も煩せず、寒すと雖も慄せず、怒る所無く、喜ぶ所無く、取る所無し。去就猶是のごとく、死生猶是のごとし。夫れ是れ之を心を動かさずと謂う。

志順者氣不逆、氣順志將自正。志順而氣正、浩然之氣也。然則養浩然之氣也、乃在於持其志無暴其氣耳。
【読み】
志順う者は氣逆わず、氣順えば志將に自づから正しからんとす。志順いて氣正しきは、浩然の氣なり。然らば則ち浩然の氣を養うは、乃ち其の志を持し其の氣を暴すること無きに在るのみ。

中庸曰、道不可須臾離也、可離非道也。又曰、道不遠人。此特聖人爲始學者言之耳。論其極、豈有可離與不可離而遠與近之說哉。
【読み】
中庸に曰く、道は須臾も離る可からず、離る可きは道に非ず、と。又曰く、道は人に遠からず、と。此れ特聖人始學の者の爲に之を言うのみ。其の極を論ぜば、豈離る可きと離る可からざると而して遠きと近きとの說有らんや。

學爲易、知之爲難。知之非難也。體而得之爲難。
【読み】
學は易しと爲す、之を知るを難しと爲す。之を知るは難きに非ず。體して之を得るを難しと爲す。

致曲者、就其曲而致之也。
【読み】
曲を致むとは、其の曲に就いて之を致むるなり。

人人有貴於己者、此其所以人皆可以爲堯・舜。
【読み】
人人己に貴き者有り、此れ其の人皆以て堯・舜爲る可き所以なり。

學者當以論語・孟子爲本。論語・孟子旣治、則六經可不治而明矣。讀書者、當觀聖人所以作經之意、與聖人所以用心、與聖人所以至聖人、而吾之所以未至者、所以未得者、句句而求之。晝誦而味之、中夜而思之、平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意見矣。
【読み】
學者は當に論語・孟子を以て本とすべし。論語・孟子旣に治むるときは、則ち六經治めずして明らかなる可し。書を讀む者は、當に聖人經を作る所以の意と、聖人心を用うる所以と、聖人の聖人に至る所以、而して吾が未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者とを觀て、句句にして之を求むべし。晝誦して之を味わい、中夜にして之を思い、其の心を平らかにし、其の氣を易[おさ]め、其の疑いを闕くときは、則ち聖人の意見ゆ。

人之生也、小則好馳騁弋獵、大則好建立功名。此皆血氣之盛使之然耳。故其衰也、則有不足之色、其病也、則有可憐之言。夫人之性至大矣。而爲形氣之所役使而不自知。哀哉。
【読み】
人の生や、小なるときは則ち馳騁弋獵[よくりょう]を好み、大なるときは則ち功名を建立することを好む。此れ皆血氣の盛ん之をして然らしむるのみ。故に其の衰うるときは、則ち足らざるの色有り、其の病むときは、則ち憐れむ可きの言有り。夫れ人の性は至って大なり。而れども形氣の爲に役使せられて自ら知らず。哀しいかな。

吾未見嗇於財而能爲善者也、吾未見不誠而能爲善者也。
【読み】
吾れ未だ財を嗇[むさぼ]りて能く善を爲す者を見ず、吾れ未だ誠あらずして能く善を爲す者を見ず。

君子之學也、使先知覺後知、使先覺覺後覺。而老子以爲、非以明民、將以愚之。其亦自賊其性歟(呂本・徐本歟作矣。)
【読み】
君子の學は、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。而るに老子以爲えらく、以て民を明にせんとするに非ず、將に以て之を愚にせんとす、と。其れ亦自ら其の性を賊うなり(呂本・徐本歟を矣に作る。)

有求爲聖人之志、然後可與共學。學而善思、然後可與適道。思而有所得、則可與立。立而化之、則可與權。
【読み】
聖人爲らんことを求むるの志有りて、然して後に與に共に學ぶ可し。學んで善く思って、然して後に與に道に適く可し。思って得る所有るときは、則ち與に立つ可し。立ちて之を化するときは、則ち與に權る可し。

非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。視聽言動一於禮之謂仁。仁之與禮非有異也。孔子告仲弓曰、出門如見大賓、使民如承大祭、己所不欲、勿施於人。夫君子能如是用心、能如是存心、則惡有不仁者乎。而其本可以一言而蔽之。曰、思無邪。
【読み】
禮に非ずんば視ること勿かれ、禮に非ずんば聽くこと勿かれ、禮に非ずんば言うこと勿かれ、禮に非ずんば動くこと勿かれ、と。視聽言動禮に一なる之を仁と謂う。仁と禮とは異なること有るに非ず。孔子仲弓に告げて曰く、門を出ては大賓を見るが如く、民を使うことは大祭を承るが如くす、己が欲せざる所は、人に施すこと勿かれ、と。夫れ君子能く是の如く心を用い、能く是の如く心を存するときは、則ち惡んぞ不仁なる者有らんや。而して其の本は以て一言にして之を蔽う可し。曰く、思い邪無し、と。

無好學之志、則雖有聖人復出、亦無益矣。然聖人在上而民多善者、以涵泳其敎化深且遠也。習聞之久也。
【読み】
學を好むの志無きときは、則ち聖人復出ること有りと雖も、亦益無し。然るに聖人上に在りて民善なる者多きは、其の敎化に涵泳すること深くして且つ遠きを以てなり。習聞の久しければなり。

禮記除中庸・大學、唯樂記爲最近道。學者深思自求之。禮記之表記、其亦近道矣乎。其言正。
【読み】
禮記は中庸・大學を除いて、唯樂記のみ最も道に近しとす。學者深く思いて自ら之を求めよ。禮記の表記、其れ亦道に近からんか。其の言正し。

學者必求其師。記問文章不足以爲人師。以所學者外也。故求師不可不愼。所謂師者何也。曰理也、義也。
【読み】
學者は必ず其の師を求めよ。記問文章は以て人の師とするに足らず。學ぶ所の者外なるを以てなり。故に師を求むること愼まずんばある可からず。所謂師とは何ぞや。曰く理なり、義なり。

少成若天性、習慣成自然。雖聖人復出、不易此言。孔子曰、性相近也、習相遠也、唯上智與下愚不移。下愚非性也、不能盡其才也。
【読み】
少成は天性の若し、習い慣るれば自然と成る、と。聖人復出ると雖も、此の言を易えず。孔子曰く、性は相近し、習って相遠し、唯上智と下愚とは移らず、と。下愚は性に非ず、其の才を盡くすこと能わざるなり。

君子所以異於禽獸者、以有仁義之性也。苟縱其心而不知反、則亦禽獸而已。
【読み】
君子の禽獸に異なる所以の者は、仁義の性有るを以てなり。苟も其の心を縱にして反ることを知らざるときは、則ち亦禽獸なるのみ。

形易則性易。性非易也、氣使之然也。
【読み】
形易わるときは則ち性易わる。性易わるに非ず、氣之をして然らしむるなり。

禮儀三百、威儀三千。非絕民之欲而强人以不能也。所以防其欲、戒其侈、而使之入道也。
【読み】
禮儀三百、威儀三千、と。民の欲を絕ちて人に强うるに能わざることを以てするに非ず。其の欲を防ぎ、其の侈を戒めて、之をして道に入らしむる所以なり。

多識於鳥獸草木之名、所以明理也。
【読み】
多く鳥獸草木の名を識るは、理を明らかにする所以なり。

至顯者莫如事、至微者莫如理。而事理一致、微顯一源。古之君子所謂善學者、以其能通於此而已。
【読み】
至顯なる者は事に如くは莫く、至微なる者は理に如くは莫し。而して事理一致、微顯一源なり。古の君子の謂う所の善く學ぶという者は、其の能く此に通ずるを以てのみ。

君子之學貴乎一。一則明、明則有功。
【読み】
君子の學は一を貴ぶ。一なれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち功有り。

德盛者言傳、文盛者言亦傳。
【読み】
德盛の者は言傳わり、文盛んなる者も言亦傳わる。

名數之學、君子學之而不以爲本也。言語有序、君子知之而不以爲始也。
【読み】
名數の學は、君子之を學んで以て本とせず。言語に序有り、君子之を知って以て始めとせず。

孔子之道、發而爲行。如郷黨之所載者、自誠而明也。由郷黨之所載而學之、以至於孔子者、自明而誠也。及其至焉、一也。
【読み】
孔子の道は、發して行うことを爲す。郷黨の載する所の者の如きは、誠自りして明らかなるなり。郷黨の載する所に由りて之を學んで、以て孔子に至る者は、明らかなる自りして誠なるなり。其の至るに及んでは、一なり。

聞善言則拜、禹所以爲聖人也。以能問不能、以多問寡、顏子所以爲大賢也。後之學者有一善而自足。哀哉。
【読み】
善言を聞いて則ち拜するは、禹の聖人爲る所以なり。能を以て不能に問い、多を以て寡に問うは、顏子の大賢爲る所以なり。後の學者は一善有って自ら足れり。哀しいかな。

爲學之道、必本於思。思則得之、不思則不得也。故書曰、思曰睿、睿作聖。思所以睿、睿所以聖也。
【読み】
學を爲むるの道は、必ず思うに本づく。思うときは則ち之を得、思わざるときは則ち得ず。故に書に曰く、思うに睿と曰う、睿は聖を作す、と。思うは睿なる所以、睿は聖なる所以なり。

學以知爲本、取友次之、行次之、言次之。
【読み】
學が知を以て本と爲し、友を取ること之に次ぎ、行之に次ぎ、言之に次ぐ。

信不足以盡誠、猶愛不足以盡仁。
【読み】
信以て誠を盡くすに足らざるは、猶愛以て仁を盡くすに足らざるがごとし。

董仲舒曰、正其誼、不謀其利、明其道、不計其功。此董子所以度越諸子。
【読み】
董仲舒曰く、其の誼を正しくして、其の利を謀らず、其の道を明らかにして、其の功を計らず、と。此れ董子が諸子に度越する所以なり。

堯・舜之爲善、與桀・跖之爲惡、其自信一也。
【読み】
堯・舜の善を爲すと、桀・跖の惡を爲すと、其の自ら信ずることは一なり。

老子曰、失道而後德、失德而後仁、失仁而後義、失義而後禮。則道德仁義禮、分而爲五也。
【読み】
老子曰く、道を失って後に德あり、德を失って後に仁あり、仁を失って後に義あり、義を失って後に禮あり、と。則ち道德仁義禮、分かちて五と爲すなり。

聖人無憂劣。堯・舜之讓、禹之功、湯・武之征伐、伯夷之淸、柳下惠之和、伊尹之任、周公在上而道行、孔子在下而道不行、其道一也。
【読み】
聖人に憂劣無し。堯・舜の讓、禹の功、湯・武の征伐、伯夷の淸、柳下惠の和、伊尹の任、周公上に在りて道行われ、孔子下に在りて道行わざる、其の道は一なり。

不深思則不能造於道。不深思而得者、其得易失。然而學者有無思無慮而得者、何也。曰、以無思無慮而得者、乃所以深思而得之也。以無思無慮爲不思而自以爲得者、未之有也。
【読み】
深く思わざるときは則ち道に造ること能わず。深く思わずして得る者は、其の得ること失い易し。然れども學者思うこと無く慮ること無くして得る者有るは、何ぞや、と。曰く、思うこと無く慮ること無きを以て得る者は、乃ち深く思って之を得る所以なり。思うこと無く慮ること無きを以て思わずと爲して自ら以て得たりとする者は、未れ之れ有らず、と。

原始則足以知其終、反終則足以知其始。死生之說、如是而已矣。故以春爲始而原之、其必有冬、以冬爲終而反之、其必有春。死生者、其與是類也。
【読み】
始めを原[たづ]ぬるときは則ち以て其の終わりを知るに足り、終わりに反るときは則ち以て其の始めを知るに足る。死生の說は、是の如きのみ。故に春を以て始めと爲して之を原ぬれば、其れ必ず冬有り、冬を以て終わりと爲して之に反れば、其れ必ず春有り。死生は、其れ是と類せり。

其次致曲者、學而後知之也。而其成也、與生而知之者不異焉。故君子莫大於學、莫害於畫、莫病於自足、莫罪於自棄。學而不止、此湯・武所以聖也。
【読み】
其の次は曲を致むとは、學んで後に之を知るなり。而して其の成ることは、生まれながらにして之を知る者と異ならず。故に君子は學ぶより大なるは莫し、畫るより害あるは莫し、自ら足るとするより病ましきは莫し、自ら棄つるより罪あるは莫し。學んで止まざる、此れ湯・武の聖なる所以なり。

古之學者爲己。其終至於成物。今之學者爲物。其終至於喪己。
【読み】
古の學者は己の爲にす。其の終わりは物を成すに至る。今の學者は物の爲にす。其の終わりは己を喪うに至る。

杞柳、荀子之說也。湍水、楊子之說也。
【読み】
杞柳は、荀子の說なり。湍水は、楊子の說なり。

聖人所知、宜無不至也、聖人所行、宜無不盡也。然而書稱堯・舜、不曰刑必當罪、賞必當功、而曰罪疑惟輕、功疑惟重、與其殺不辜、寧失不經。異乎後世刻核之論矣。
【読み】
聖人の知る所は、宜しく至らずということ無かるべく、聖人の行う所は、宜しく盡くさずということ無かるべし。然れども書に堯・舜を稱して、刑は必ず罪に當たり、賞は必ず功に當たると曰わずして、罪の疑わしきは惟輕くし、功の疑わしきは惟重くす、其の辜あらざるを殺さん與[よ]りは、寧ろ不經に失せよと曰う。後世刻核の論に異なり。

自夸者近刑、自喜者不進、自大者去道遠。
【読み】
自ら夸[ほこ]る者は刑に近く、自ら喜ぶ者は進まず、自ら大とする者は道を去ること遠し。

君子之學必日新。日新者日進也。不日新者必日退。未有不進而不退者。唯聖人之道無所進退、以其所造者極也。
【読み】
君子の學は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進むなり。日に新たならざる者は必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者は有らず。唯聖人の道進退する所無きは、其の造る所の者極まれるを以てなり。

事上之道莫若忠、待下之道莫若恕。
【読み】
上に事うるの道は忠に若くは莫し、下を待するの道は恕に若くは莫し。

中庸之書、學者之至也。而其始則曰、戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。蓋言學者始於誠也。
【読み】
中庸の書は、學者の至りなり。而るに其の始めは則ち曰く、其の睹ざる所に戒愼し、其の聞かざる所に恐懼す、と。蓋し言うこころは、學は誠より始まればなり。

楊子、無自得者也。故其言蔓衍而不斷、優游而不決。其論性則曰、人之性也善惡混、修其善則爲善人、修其惡則爲惡人。荀子、悖聖人者也。故列孟子於十二子、而謂人之性惡。性果惡邪。聖人何能反其性以至於斯耶。
【読み】
楊子は、自得すること無き者なり。故に其の言蔓衍にして斷ぜず、優游にして決せず。其の性を論ずるときは則ち曰く、人の性は善惡混ず、其の善を修むるときは則ち善人と爲り、其の惡を修むるときは則ち惡人と爲る、と。荀子は、聖人に悖る者なり。故に孟子を十二子に列ねて、人の性は惡と謂う。性は果たして惡ならんや。聖人何ぞ能く其の性に反って以て斯に至らんや。

聖人之言遠如天、近如地。其遠也若不可得而及、其近也亦可得而行。楊子曰、聖人之言遠如天、賢人之言近如地、非也。
【読み】
聖人の言は遠きこと天の如く、近きこと地の如し。其の遠きや得て及ぶ可からざるが若く、其の近きや亦得て行う可し。楊子が曰く、聖人の言は遠きこと天の如し、賢人の言は近きこと地の如しというは、非なり。

或問賈誼。曰、誼之言曰、非有孔子・墨翟之賢。孔與墨一言之、其識末矣。其亦不善學矣。
【読み】
或るひと賈誼を問う。曰く、誼が言に曰く、孔子・墨翟の賢有るに非ず、と。孔と墨と一に之を言うは、其の識末なり。其れ亦善く學ばざればなり。

必井田、必封建、必肉刑、非聖人之道也。善治者、放井田而行之而民不病、放封建而使之而民不勞、放肉刑而用之而民不怨。故善學者、得聖人之意而不取其迹也。迹也者聖人因一時之利而制之也。
【読み】
井田を必とし、封建を必とし、肉刑を必とするは、聖人の道に非ざるなり。善く治むる者は、井田を放ちて之を行えども民病まず、封建を放ちて之を使えども民勞せず、肉刑を放ちて之を用うれども民怨まず。故に善く學ぶ者は、聖人の意を得て其の迹を取らざるなり。迹は聖人一時の利に因って之を制すればなり。

夫人幼而學之、將欲成之也。旣成矣、將以行之也。學而不能成其學、成而不能行其學、則烏足貴哉。
【読み】
夫れ人幼くして之を學べば、將に之を成らんことを欲す。旣に成れば、將に以て之を行わんとす。學んで其の學を成ること能わず、成りて其の學を行うこと能わずんば、則ち烏んぞ貴ぶに足らんや。

待人有道、不疑而已。使夫人有心害我邪。雖疑不足以化其心。使夫人無心害我邪。疑則己德内損、人怨外生。故不疑則兩得之矣、疑則兩失之矣。未有多疑能爲君子者也。
【読み】
人を待つに道有り、疑わざるのみ。夫の人をして我を害するに心有らしめんか。疑うと雖も以て其の心を化するに足らず。夫の人をして我を害するに心無からしめんか。疑うときは則ち己が德内に損し、人の怨み外より生ず。故に疑わざるときは則ち兩つながら之を得、疑うときは則ち兩つながら之を失う。未だ多く疑って能く君子爲る者は有らざるなり。

昔者聖人立人之道曰仁曰義。孔子曰、仁者人也、親親爲大。義者宜也、尊賢爲大。唯能親親、故老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼。唯能尊賢、故賢者在位、能者在職。唯仁與義、盡人之道。盡人之道、則謂之聖人。
【読み】
昔聖人人の道を立つるに仁と曰い義と曰う。孔子曰く、仁は人なり、親を親しくするを大なりとす。義は宜なり、賢を尊ぶを大なりとす、と。唯能く親を親しむ、故に吾が老を老として以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として以て人の幼に及ぼす。唯能く賢を尊ぶ、故に賢者位に在り、能者職に在り。唯仁と義と、人の道を盡くす。人の道を盡くすときは、則ち之を聖人と謂う。

學者不可以不誠。不誠無以爲善、不誠無以爲君子。修學不以誠、則學雜。爲事不以誠、則事敗。自謀不以誠、則是欺其心而自棄其忠(呂本・徐本忠作志。)。與人不以誠、則是喪其德而增人之怨。今小道異端、亦必誠而後得。而況欲爲君子者乎。故曰、學者不可以不誠。雖然、誠者在知道本而誠之耳。
【読み】
學は以て誠ならずんばある可からず。誠ならざれば以て善爲ること無く、誠ならざれば以て君子爲ること無し。學を修むるに誠を以てせざるときは、則ち學雜じる。事を爲すに誠を以てせざるときは、則ち事敗る。自ら謀るに誠を以てせざるときは、則ち是れ其の心を欺いて自ら其の忠を(呂本・徐本忠を志に作る。)棄つ。人と與にするに誠を以てせざるときは、則ち是れ其の德を喪って人の怨みを增す。今小道異端すら、亦必ず誠にして後に得。而るを況んや君子爲らんことを欲する者をや。故に曰く、學は以て誠ならずんばある可からず、と。然りと雖も、誠は道の本を知って之を誠にするに在るのみ。

古者卜筮、將以決疑也。今之卜筮則不然。計其命之窮通、校其身之達否而已矣。噫、亦惑矣。
【読み】
古卜筮するは、將に以て疑いを決せんとするなり。今の卜筮は則ち然らず。其の命の窮通を計り、其の身の達否を校[くら]ぶるのみ。噫、亦惑えるかな。

不思故有惑。不求故無得。不問故不知。
【読み】
思わざる故に惑い有り。求めざる故に得ること無し。問わざる故に知らず。

世之服食欲壽者、其亦大愚矣。夫命者、受之於天。不可增損加益、而欲服食而壽。悲哉。
【読み】
世の服食して壽[いのちなが]きを欲する者、其れ亦大いに愚なり。夫れ命は、之を天に受く。增損加益す可からずして、服食して壽からんことを欲す。悲しいかな。

見攝生者而問長生、謂之大愚。見卜者而問吉凶、謂之大惑。
【読み】
攝生者を見て長生を問う、之を大愚と謂う。卜者を見て吉凶を問う、之を大惑と謂う。

或問性。曰、順之則吉、逆之則凶。
【読み】
或るひと性を問う。曰く、之に順えば則ち吉、之に逆えば則ち凶、と。

孔子沒、曾子之道日益光大。孔子沒、傳孔子之道者、曾子而已。曾子傳之子思、子思傳之孟子。孟子死、不得其傳。至孟子而聖人之道益尊。
【読み】
孔子沒して、曾子の道日に益々光大なり。孔子沒して、孔子の道を傳うる者は、曾子のみ。曾子は之を子思に傳え、子思は之を孟子に傳う。孟子死して、其の傳を得ず。孟子に至って聖人の道益々尊し。

孟子曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也。孔子、聖之時者也。故知易者、莫若孟子。孟子曰、王者之迹熄而詩亡。詩亡然後春秋作。春秋無義戰。彼善於此則有之矣。征者上伐下也。敵國不相征也。故知春秋者、莫若孟子。
【読み】
孟子曰く、以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て久しかる可きときは則ち久しく、以て速やかなる可きときは則ち速やかなるは、孔子なり。孔子は、聖の時なる者なり、と。故に易を知る者は、孟子に若くは莫し。孟子曰く、王者の迹熄[き]えて詩亡ぶ。詩亡んで然して後に春秋作る。春秋に義戰無し。彼此より善なるときは則ち之れ有り。征とは上下を伐つなり。敵國相征せざるなり、と。故に春秋を知る者は、孟子に若くは莫し。

禮之本、出於民之情。聖人因而道之耳。禮之器、出於民之俗。聖人因而節文之耳。聖人復出、必因今之衣服器用而爲之節文。其所謂貴本而親用者、亦在時王斟酌損益之耳。
【読み】
禮の本は、民の情に出づ。聖人因りて之を道[みちび]くのみ。禮の器は、民の俗に出づ。聖人因りて之を節文するのみ。聖人復出るとも、必ず今の衣服器用に因りて之が節文を爲さん。其の所謂本を貴んで親しく用うる者は、亦時王の斟酌して之を損益するに在るのみ。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)