二程全書卷之二十九  遺書附錄

明道先生行狀  伊川先生

曾祖希振、任尙書虞部員外郎。妣、高密縣君崔氏。祖遹、贈開府儀同三司吏部尙書。妣、孝感縣太君張氏、長安縣太君張氏。父珦、見任太中大夫、致仕。母、壽安縣君侯氏。先生名顥、字伯淳、姓程氏。其先曰喬伯、爲周大司馬、封於程、後遂以爲氏。先生五世而上、居中山之博野。高祖贈太子少師。諱羽、太宗朝以輔翊功顯。賜第於京師。居再世。曾祖而下、葬河南。今爲河南人。
【読み】
曾祖は希振、尙書虞部員外郎に任ず。妣は、高密縣君崔氏。祖遹[いつ]は、開府儀同三司吏部尙書を贈らる。妣は、孝感縣の太君張氏、長安縣の太君張氏。父珦[きょう]は、太中大夫に任ぜられて、致仕す。母は、壽安縣の君侯氏なり。先生名は顥、字は伯淳、姓は程氏。其の先を喬伯と曰い、周の大司馬と爲り、程に封ぜられ、後に遂に以て氏とす。先生五世よりして上は、中山の博野に居れり。高祖太子の少師を贈らる。諱は羽、太宗の朝に輔翊の功を以て顯る。第を京師に賜わる。居ること再世なり。曾祖よりして下は、河南に葬る。今河南の人爲り。

先生生而神氣秀爽、異於常兒。未能言、叔祖母任氏太君抱之行。不覺釵墜。後數日方求之。先生以手指示。隨其所指而往、果得釵。人皆驚異。數歲、誦詩書、强記過人。十歲能爲詩賦。十二三時、羣居庠序中、如老成人。見者無不愛重。故戶部侍郎彭公思永謝客到學舍、一見異之、許妻以女。
【読み】
先生生まれながらにして神氣秀爽、常兒に異なり。未だ言うこと能わざるとき、叔祖母任氏太君之を抱えて行く。覺えず釵[かんざし]墜つ。後數日にして方に之を求む。先生手を以て指示す。其の指す所に隨って往くに、果たして釵を得。人皆驚き異[あや]しむ。數歲にして、詩書を誦し、强記人に過ぐ。十歲にして能く詩賦を爲る。十二三の時、庠序の中に羣居するに、老成人の如し。見る者愛重せずということ無し。故の戶部侍郎彭公思永客を謝して學舍に到り、一たび見て之を異なりとして、妻すに女を以てすることを許す。

踰冠、中進士第、調京兆府鄠縣主簿。令以其年少、未知之。民有借其兄宅以居者、發地中藏錢。兄之子訴曰、父所藏也。令曰、此無證佐、何以決之。先生曰、此易辨爾。問兄之子曰、爾父藏錢幾何時矣。曰、四十年矣。彼借宅居幾何時矣。曰、二十年矣。卽遣吏取錢十千視之、謂借宅者曰、今官所鑄錢、不五六年卽徧天下。此錢皆爾未居前數十年所鑄、何也。其人遂服。令大奇之。
【読み】
冠を踰えて、進士第に中り、京兆府鄠縣の主簿に調[うつ]る。令其の年少を以て、未だ之を知らず。民其の兄の宅を借りて以て居る者、地中の藏錢を發する有り。兄の子訴えて曰く、父の藏す所なり、と。令曰く、此れ證佐無し、何を以て之を決せん、と。先生曰く、此れ辨じ易きのみ、と。兄の子に問いて曰く、爾の父錢を藏すこと幾何の時ぞ、と。曰く、四十年なり、と。彼宅を借りて居ること幾何の時ぞ、と。曰く、二十年なり、と。卽ち吏を遣わして錢十千を取って之を視て、宅を借りる者に謂いて曰く、今官鑄る所の錢は、五六年ならずして卽ち天下に徧し。此の錢は皆爾が未だ居らざる前數十年に鑄る所なるは、何ぞや、と。其の人遂に服す。令大いに之を奇なりとす。

南山僧舍有石佛、歲傳其首放光。遠近男女聚觀、晝夜雜處。爲政者畏其神、莫敢禁止。先生始至、詰其僧曰、吾聞石佛歲現光。有諸。曰、然。戒曰、俟復見、必先白吾。職事不能往、當取其首就觀之。自是不復有光矣。府境水害、倉卒興役、諸邑率皆狼狽。惟先生所部、飮食茇舍無不安便。時盛暑泄利大行、死亡甚衆、獨鄠人無死者。所至治役、人不勞而事集。嘗謂人曰、吾之董役、乃治軍法也。
【読み】
南山の僧舍に石佛有り、歲々其の首光を放つと傳う。遠近の男女聚まり觀て、晝夜雜處す。政を爲むる者其の神を畏れて、敢えて禁止すること莫し。先生始めて至って、其の僧に詰[と]うて曰く、吾れ石佛歲々光を現すと聞く。有りや、と。曰く、然り、と。戒めて曰く、復見んことを俟って、必ず先づ吾に白[もう]せ。職事往くこと能わずんば、當に其の首を取って就[よ]く之を觀るべし、と。是れ自り復光ること有らず。府境に水害あり、倉卒に役を興して、諸邑率[ことごと]く皆狼狽す。惟先生の所部のみ、飮食茇舍[はっしゃ]安便ならずということ無し。時盛暑にして泄利大いに行われ、死亡甚だ衆けれども、獨り鄠人死する者無し。至る所の治役、人勞せずして事集[な]る。嘗て人に謂いて曰く、吾が役を董[ただ]すは、乃ち軍を治むる法なり、と。

當路者欲薦之、多問所欲。先生曰、薦士當以才之所堪、不當問所欲。再期、以避親罷。再調江寧府上元縣主簿。田稅不均、比他邑尤甚。蓋近府美田、爲貴家富室以厚價薄其稅而買之、小民苟一時之利、久則不勝其弊。先生爲令畫法。民不知擾、而一邑大均。其始富者不便、多爲浮論、欲搖止其事。旣而無一人敢不服者。後諸路行均稅法、邑官不足、益以他官。經歲歷時、文案山積、而尙有訴不均者、計其力比上元不啻千百矣。
【読み】
當路の者之を薦めんと欲して、多く欲する所を問う。先生曰く、士を薦むるは當に才の堪うる所を以てすべく、當に欲する所を問うべからず、と。再期にして、親を避くるを以て罷む。再び江寧府上元縣の主簿に調る。田稅均しからざること、他邑に比するに尤も甚だし。蓋し府に近き美田、貴家富室厚價を以て其の稅を薄くして之を買うが爲に、小民一時の利を苟もして、久しくして則ち其の弊に勝えず。先生令と爲りて法を畫す。民擾[みだ]るることを知らずして、一邑大いに均し。其の始め富者便ならず、多く浮論を爲して、其の事を搖止せんと欲す。旣にして一人も敢えて服せざる者無し。後諸路均稅の法を行う。邑官足らず、益すに他官を以てす。歲を經時を歷て、文案山のごとく積んで、尙均しからざるを訴うる者有り、其の力を計るに上元に比するに啻[ただ]千百のみにあらず。

會令罷去、先生攝邑事。上元劇邑、訴訟日不下二百。爲政者疲於省覽。奚暇及治道。先生處之有方、不閱月、民訟遂簡。江南稻田、賴陂塘以漑。盛夏堤塘大決。計非千夫不可塞。法當言之府、府稟於漕司、然後計功調役、非月餘不能興作。先生曰、比如是、苗槁久矣。民將何食。救民獲罪、所不辭也。遂發民塞之。歲則大熟。
【読み】
會[たま]々令罷め去り、先生邑の事を攝す。上元劇邑、訴訟日に二百を下らず。政を爲むる者省覽に疲る。奚[なん]の暇ありてか治道に及ばん。先生之を處すること方有り、閱月ならずして、民訟遂に簡なり。江南の稻田、陂塘に賴りて以て漑[そそ]ぐ。盛夏堤塘大いに決[き]る。計るに千夫に非ずんば塞ぐ可からず。法當に之を府に言[もう]し、府漕司に稟[もう]して、然して後に功を計り役を調すべく、月餘に非ずんば興作すること能わず。先生曰く、是の如きに比[およ]べば、苗槁るること久しからん。民將何を食せん。民を救って罪を獲るは、辭せざる所なり、と。遂に民を發して之を塞ぐ。歲則ち大いに熟せり。

江寧當水運之衝。舟卒病者、則留之爲營以處。曰小營子。歲不下數百人、至者輒死。先生察其由、蓋旣留然後請於府給券乃得食。比有司文具、則困於飢已數日矣。先生白漕司、給米貯營中、至者與之食。自是生全者大半。措置於纖微之閒、而人已受賜。如此之比、所至多矣。先生常云、一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟。
【読み】
江寧は水運の衝に當たる。舟卒の病む者は、則ち之を留めて營を爲して以て處らしむ。小營子と曰う。歲々數百人に下らず、至る者輒ち死す。先生其の由を察するに、蓋し旣に留めて然して後に府の給券を請いて乃ち食を得。有司文具うるに比んでは、則ち飢えに困しむこと已に數日なり。先生漕司に白す、給米營中に貯めて、至る者に之を與えて食わしむ、と。是れ自り生全くする者大半なり。纖微の閒に措置して、人已に賜を受く。此の如きの比[たぐい]、至る所多し。先生常に云う、一命の士、苟も心を物を愛するに存せば、人に於て必ず濟す所有らん、と。

仁宗登遐。遺制官吏成服、三日而除。三日之朝、府尹率羣官將釋服。先生進曰、三日除服、遺詔所命、莫敢違也。請盡今日。若朝而除之、所服止二日爾。尹怒不從。先生曰、公自除之。某非至夜不敢釋也。一府相視、無敢除者。
【読み】
仁宗登遐す。遺制に官吏服を成すこと、三日にして除く、と。三日の朝、府尹羣官を率いて將に服を釋かんとす。先生進んで曰く、三日にして服を除くは、遺詔の命ずる所、敢えて違うこと莫かれ。請う今日を盡くさん。若し朝にして之を除かば、服する所は止二日のみ、と。尹怒って從わず。先生曰く、公は自ら之を除け。某夜に至るに非ずんば敢えて釋かず、と。一府相視て、敢えて除く者無し。

茅山有龍池、其龍如蜴蜥而五色。祥符中、中使取二龍。至中途、中使奏一龍飛空而去。自昔嚴奉以爲神物。先生嘗捕而脯之、使人不惑。其始至邑、見人持竿道旁、以黏飛鳥、取其竿折之、敎之使勿爲。及罷官、艤舟郊外。有數人共語。自主簿折黏竿、郷民子弟不敢畜禽鳥。不嚴而令行、大率如此。
【読み】
茅山に龍池有り、其の龍蜴蜥の如くにして五色なり。祥符の中に、中使二龍を取る。中途に至って、中使一龍空に飛んで去ると奏す。昔自り嚴しく奉じて以て神物と爲す。先生嘗て捕えて之を脯にして、人をして惑わざらしむ。其の始めて邑に至るとき、人の竿を道の旁に持って、以て飛鳥を黏するを見て、其の竿を取って之を折り、之を敎えてすること勿からしむ。官を罷むるに及んで、舟を郊外に艤[ぎ]す。數人有りて共に語る。主簿黏竿を折って自り、郷民の子弟敢えて禽鳥を畜わず。嚴ならずして令行わるること、大率此の如し。

再期、就移澤州晉城令。澤人淳厚、尤服先生敎命。民以事至邑者、必告之以孝弟忠信、入所以事父兄、出所以事長上。度郷村遠近爲伍保、使之力役相助、患難相恤、而姦僞無所容。凡孤煢殘廢者、責之親戚郷黨、使無失所。行旅出於其塗者、疾病皆有所養。諸郷皆有校。暇時親至、召父老而與之語。兒童所讀書、親爲正句讀。敎者不善、則爲易置。俗始甚野、不知爲學。先生擇子弟之秀者、聚而敎之。去邑纔十餘年、而服儒服者蓋數百人矣。
【読み】
再期にして、就いて澤州晉城の令に移る。澤人淳厚にして、尤も先生の敎命に服す。民事を以て邑に至る者は、必ず之に告ぐるに孝弟忠信、入りては父兄に事うる所以、出ては長上に事うる所以を以てす。郷村の遠近を度って伍保を爲し、之をして力役相助け、患難相恤えて、姦僞容るる所無からしむ。凡そ孤煢[けい]殘廢の者は、之を親戚郷黨に責めて、所を失うこと無からしむ。行旅其の塗に出る者、疾病皆養う所有り。諸郷皆校有り。暇ある時は親ら至って、父老を召して之と與に語る。兒童の讀む所の書は、親ら爲に句讀を正す。敎うる者善からずんば、則ち爲に易え置く。俗始め甚だ野にして、學を爲むることを知らず。先生子弟の秀でたる者を擇んで、聚めて之を敎う。邑を去ること纔かに十餘年にして、儒服を服する者蓋し數百人なり。

郷民爲社會、爲立科條、旌別善惡、使有勸有恥。邑幾萬室。三年之閒、無强盜及鬭死者。秩滿、代者且至、吏夜叩門、稱有殺人者。先生曰、吾邑安有此。誠有之、必某村某人也。問之果然。家人驚異、問何以知之。曰、吾常疑此人惡少之弗革者也。
【読み】
郷民社會を爲り、爲に科條を立て、善惡を旌別して、勸むること有り恥づること有らしむ。邑萬室に幾し。三年の閒、强盜及び鬭死する者無し。秩滿ちて、代わる者且に至らんとするとき、吏夜門を叩いて、人を殺す者有りと稱す。先生曰く、吾が邑安んぞ此れ有らん。誠に之れ有れば、必ず某の村の某人ならん、と。之を問うに果たして然り。家人驚き異しんで、何を以て之を知ると問う。曰く、吾れ常に疑う、此の人惡少の革めざる者ならん、と。

河東財賦窘迫、官所科買、歲爲民患。雖至賤之物、至官取之、則其價翔踴、多者至數十倍。先生常度所需、使富家預儲、定其價而出之。富室不失倍息、而郷民所費、比常歲十不過二三。民稅常移近邊。載往則道遠、就糴則價高。先生擇富民之可任者、預使購粟邊郡。所費大省、民力用紓。縣庫有雜納錢數百千、常借以補助民力。部使者至、則告之曰、此錢令自用而不敢私。請一切不問。使者屢更、無不從者。先時民憚差役、役及則互相糾訴、郷鄰遂爲仇讐。先生盡知民産厚薄、第其先後、按籍而命之。無有辭者。
【読み】
河東の財賦窘迫[きんぱく]せられて、官所の科買、歲々民の患えを爲す。至賤の物と雖も、官之を取るに至っては、則ち其の價翔踴[しょうよう]して、多き者は數十倍に至る。先生常に需むる所を度りて、富家をして預め儲[たくわ]えせしめ、其の價を定めて之を出さしむ。富室倍息を失わずして、郷民費やす所、常歲に比するに十に二三に過ぎず。民稅常に近邊に移す。載せ往くときは則ち道遠く、就き糴[か]うときは則ち價高し。先生富民の任う可き者を擇んで、預め粟を邊郡に購わしむ。費やす所大いに省いて、民力用て紓[ゆる]し。縣庫に雜納錢數百千有り、常に借して以て民力を補助す。部の使者至るときは、則ち之に告げて曰く、此の錢は令自ら用いて敢えて私せず。請う一切に問わざれ、と。使者屢々更わって、從わざる者無し。先時民差役を憚りて、役及ぶときは則ち互いに相糾訴して、郷鄰遂に仇讐と爲る。先生盡く民産の厚薄を知って、其の先後を第[つい]で、籍を按じて之に命ず。辭する者有ること無し。

河東義勇、農隙則敎以武事。然應文備數而已。先生至、晉城之民遂爲精兵。晉俗尙焚屍、雖孝子慈孫、習以爲安。先生敎諭禁止、民始信之。而先生去後、郡官有母死者、憚於遠致、以投烈火。愚俗視效、先生之敎遂廢。識者恨之。先生爲令、視民如子。欲辨事者、或不持牒、徑至庭下、陳其所以。先生從容告語、諄諄不倦。在邑三年、百姓愛之如父母。去之日、哭聲振野。
【読み】
河東の義勇、農隙には則ち敎うるに武事を以てす。然れども文に應じ數に備うるのみ。先生至って、晉城の民遂に精兵と爲る。晉の俗屍を焚くことを尙び、孝子慈孫と雖も、習いて以て安しとす。先生敎諭して禁止し、民始めて之を信ず。而して先生去りて後、郡官母死する者有り、遠く致すことを憚りて、以て烈火に投ず。愚俗視效って、先生の敎遂に廢す。識る者之を恨む。先生令と爲りて、民を視ること子の如くす。事を辨ぜんと欲する者、或は牒を持たずして、徑[ただ]ちに庭下に至りて、其の所以を陳ぶ。先生從容として告語し、諄諄として倦まず。邑に在ること三年、百姓之を愛すること父母の如くす。之を去る日、哭聲野に振う。

用薦者、改著作佐郎。尋以御史中丞呂公公著薦、授太子中允・權監察御史裏行。神宗素知先生名。召對之日、從容咨訪。比二三見、遂期以大用。每將退、必曰、頻求對來、欲常相見爾。一日、論議甚久、日官報午正、先生遽求退。庭中中人相謂曰、御史不知上未食邪。前後進說甚多。大要以正心窒欲、求賢育材爲先。先生不飾辭辨、獨以誠意感動人主。神宗嘗使推擇人才。先生所薦者數十人、而以父表弟張載曁弟頤爲首。所上章疏、子姪不得窺其藁。嘗言、人主當防未萌之欲。神宗俯身拱手曰、當爲卿戒之。及因論人才曰、陛下奈何輕天下士。神宗曰、朕何敢如是。言之至于再三。
【読み】
薦を用うる者、著作佐郎に改む。尋[つ]いで御史中丞呂公公著の薦を以て、太子中允・權監察御史裏行を授かる。神宗素より先生の名を知る。召對の日、從容として咨訪す。二三見に比んで、遂に期するに大用を以てす。將に退かんとする每に、必ず曰く、頻りに對を求め來るは、常に相見えんと欲するのみ、と。一日、論議甚だ久しく、日官午正を報じて、先生遽に退かんことを求む。庭中の中人相謂いて曰く、御史上未だ食せざるを知らざるや、と。前後說を進むること甚だ多し。大要は心を正しくし欲を窒ぎ、賢を求め材を育[やしな]うを以て先とす。先生辭辨を飾らず、獨誠意を以て人主を感動す。神宗嘗て人才を推擇せしむ。先生薦むる所の者數十人、而して父の表弟張載曁[およ]び弟頤を以て首とす。上[たてまつ]る所の章疏は、子姪も其の藁を窺うことを得ず。嘗て言く、人主は當に未だ萌さざるの欲を防ぐべし、と。神宗身を俯し手を拱いて曰く、當に卿が爲に之を戒むべし、と。因りて人才を論ずるに及んで曰く、陛下天下の士を輕々しくすることを奈何にせん、と。神宗曰く、朕何ぞ敢えて是の如くならん、と。之を言うこと再三に至る。

時王荆公安石日益信用。先生每進見、必爲神宗陳君道以至誠仁愛爲本、未嘗及功利。神宗始疑其迂。而禮貌不衰。嘗極陳治道。神宗曰、此堯・舜之事。朕何敢當。先生愀然曰、陛下此言、非天下之福也。荆公浸行其說、先生意多不合、事出必論列。數月之閒、章數十上。尤極論者、輔臣不同心、小臣與大計、公論不行、靑苗取息、賣祠部牒、差提舉官多非其人及不經封駁、京東轉運司剝民希寵不加黜責、興利之臣日進、尙德之風浸衰等十餘事。荆公與先生雖道不同、而嘗謂先生忠信。先生每與論事、心平氣和。荆公多爲之動。而言路好直者、必欲力攻取勝。由是與言者爲敵矣。
【読み】
時に王荆公安石日に益々信用せらる。先生進見する每に、必ず神宗の爲に君道は至誠仁愛を以て本と爲し、未だ嘗て功利に及ばずということを陳ぶ。神宗始めて其の迂なることを疑う。而れども禮貌衰えず。嘗て極めて治道を陳ぶ。神宗曰く、此れ堯・舜の事なり。朕何ぞ敢えて當たらん、と。先生愀然として曰く、陛下の此の言は、天下の福に非ず、と。荆公浸[ようや]く其の說を行うも、先生の意多く合わず、事出れば必ず論列す。數月の閒、章數十上る。尤も極めて論ずる者は、輔臣心を同じくせず、小臣大計に與り、公論行われず、靑苗取息、賣祠部牒、差提舉官多く其の人に非ず及び封駁を經ず、京東轉運司民を剝し寵を希えども黜責を加えず、利を興すの臣日に進み、德を尙うの風浸く衰う等の十餘事なり。荆公と先生と道同じからずと雖も、而れども嘗て先生忠信なりと謂う。先生與に事を論ずる每に、心平らかに氣和す。荆公は多く之が爲に動く。而して言路直を好む者は、必ず力め攻めて勝つことを取らんと欲す。是に由りて言う者と敵を爲す。

先生言旣不行、懇求外補。神宗猶重其去。上章及面請至十數、不許、遂闔門待罪。神宗將黜諸言者。命執政除先生監司差權發遣京西路提點刑獄。復上章曰、臣言是願行之。如其妄言、當賜顯責。請罪而獲遷、刑賞混矣。累請得罷。旣而神宗手批、暴白同列之罪。獨於先生無責。改差簽書鎭寧軍節度判官事。
【読み】
先生の言旣に行われず、外補を懇求す。神宗猶其の去らんことを重[はばか]る。上章して面請すること十數に至るに及んで、許されず、遂に門を闔ぢて罪を待つ。神宗將に諸々の言う者を黜んとす。執政に命じて先生を監司差權發遣京西路提點刑獄に除す。復上章して曰く、臣の言是ならば願わくは之を行いたまえ。如し其れ妄言ならば、當に顯責を賜うべし。罪を請いて遷ることを獲れば、刑賞混ぜん、と。累[しき]りに罷むることを得んことを請う。旣にして神宗手批して、同列の罪を暴き白す。獨り先生に於て責むること無し。簽書[せんしょ]鎭寧軍節度判官事に改差す。

爲守者嚴刻多忌、通判而下、莫敢與辨事。始意先生嘗任臺憲、必不盡力職事。而又慮其慢己。旣而先生事之甚恭、雖筦庫細務、無不盡心。事小未安、必與之辨。遂無不從者、相與甚歡。屢平反重獄、得不死者前後蓋十數。
【読み】
守を爲す者嚴刻多忌にして、通判よりして下、敢えて與に事を辨ずること莫し。始めて意う、先生嘗て臺憲に任ずるに、必ず力を職事に盡くさざらん、と。而して又其の己を慢らんことを慮る。旣にして先生之に事うること甚だ恭しくして、筦庫[かんこ]の細務と雖も、心を盡くさずということ無し。事小なれども未だ安んぜず、必ず之と與に辨ず。遂に從わざる者無く、相與に甚だ歡ぶ。屢々重獄を平反して、死せざることを得る者前後蓋し十數なり。

河淸卒於法不他役。時中人程昉爲外都水丞、怙勢、蔑視州郡、欲盡取諸埽兵治二股河。先生以法拒之。昉請於朝、命以八百人與之。天方大寒。昉肆其虐、衆逃而歸。州官晨集城門。吏報河淸兵潰歸、將入城。衆官相視、畏昉欲弗納。先生曰、此逃死自歸。弗納必爲亂。昉有言、某自當之。卽親往、開門撫諭、約歸休三日復役。衆歡呼而入。具以事上聞、得不復遣。後昉奏事過州、見先生言甘而氣懾。旣而揚言於衆曰、澶卒之潰、乃程中允誘之。吾必訴於上。同列以告。先生笑曰、彼方憚我。何能爾也。果不敢言。
【読み】
河淸の卒は法に於て他に役せず。時に中人程昉[ほう]外都水丞と爲り、勢を怙み、州郡を蔑視して、盡く諸々の埽兵を取って二股河を治めんと欲す。先生法を以て之を拒む。昉朝に請いて、命じて八百人を以て之に與う。天方に大いに寒す。昉其の虐を肆にして、衆逃れて歸る。州官晨に城門に集まる。吏河淸の兵潰えて歸って、將に城に入らんとすと報ず。衆官相視て、昉を畏れて納れざらんことを欲す。先生曰く、此れ死を逃れて自ら歸る。納れずんば必ず亂を爲さん。昉言有れば、某自ら之に當たらん、と。卽ち親ら往いて、門を開けて撫諭して、歸休三日にして復役することを約す。衆歡呼して入る。具[とも]に事を以て上聞して、復遣らざることを得。後に昉事を奏して州を過り、先生の言甘くして氣懾[おそ]るるを見る。旣にして衆に揚言して曰く、澶卒の潰ゆるは、乃ち程中允之を誘く。吾れ必ず上に訴えん、と。同列以て告ぐ。先生笑って曰く、彼方に我を憚る。何ぞ能く爾らん、と。果たして敢えて言わず。

會曹村埽決。時先生方救護小吳、相去百里。州帥劉公渙以事急告。先生一夜馳至。帥俟於河橋。先生謂帥曰、曹村決、京城可虞。臣子之分、身可塞亦爲之。請盡以廂兵見付。事或不集、公當親率禁兵以繼之。帥義烈士、遂以本鎭印授先生曰、君自用之。先生得印、不暇入城省、親徑走決堤、諭士卒曰、朝廷養爾輩、正爲緩急爾。爾知曹村決則注京城乎。吾與爾曹以身捍之。衆皆感激自效。論者皆以爲勢不可塞、徒勞人爾。先生命善泅者銜細繩以渡決口。水方奔注、達者百一、卒能引大索以濟衆。兩岸竝進、晝夜不息、數日而合。其將合也、有大木自中流而下。先生顧謂衆曰、得彼巨木橫流入口、則吾事濟矣。語纔已、木遂橫。衆以爲至誠所致。其後曹村之下復決、遂久不塞、數路困擾、大爲朝廷憂。人以爲、使先生在職、安有是也。
【読み】
會々曹村の埽決る。時に先生方に小吳を救護して、相去ること百里なり。州帥劉公渙事急なるを以て告ぐ。先生一夜に馳せ至る。帥河橋に俟つ。先生帥に謂いて曰く、曹村決れば、京城虞る可し。臣子の分、身をして塞ぐ可くも亦之を爲さん。請う盡く廂兵を以て付せられよ。事或は集[な]らずんば、公當に親ら禁兵を率いて以て之を繼ぐべし、と。帥義烈の士にして、遂に本鎭の印を以て先生に授けて曰く、君自ら之を用いよ、と。先生印を得て、城省に入るに暇あらず、親ら徑[ただ]ちに決堤に走って、士卒に諭して曰く、朝廷爾が輩を養うは、正に緩急の爲なるのみ。爾曹村決るるときは則ち京城に注ぐことを知らんや。吾れ爾曹と身を以て之を捍がん、と。衆皆感激して自ら效す。論者皆以爲えらく、勢塞ぐ可からず、徒人を勞せんのみ、と。先生善く泅[およ]ぐ者に命じて細繩を銜[くわ]えて以て決口に渡らしむ。水方に奔注して、達する者百に一、卒に能く大索を引いて以て衆を濟す。兩岸竝び進んで、晝夜息まず、數日にして合す。其の將に合せんとするや、大木有り中流自りして下る。先生顧みて衆に謂いて曰く、彼の巨木橫に流れて口に入ることを得ば、則ち吾が事濟らん、と。語纔かに已めば、木遂に橫たわる。衆以爲えらく、至誠の致す所、と。其の後曹村の下復決れて、遂に久しく塞がれず、數路困擾して、大いに朝廷の憂えを爲す。人以爲えらく、先生をして職に在らしめば、安んぞ是れ有らん、と。

郊祀霈恩。先生曰、吾罪滌矣。可以去矣。遂求監局、以便親養、得罷歸。自是醜正者競揚避新法之說。歲餘、得監西京洛河竹木務。薦者言其未嘗敍年勞、丐遷秩。特改太常丞。神宗猶念先生。會修三經義、嘗語執政曰、程某可用。執政不對。又嘗有登對者自洛至。問曰、程某在彼否。連言佳士。其後彗見翼軫閒。詔求直言。先生應詔論朝政極切。還朝、執政屢進擬、神宗皆不許、旣而手批與府界知縣、差知扶溝縣事。先生詣執政、復求監當。執政諭以上意不可改也。數月、右府同薦、除判武學。新進者言其新法之初、首爲異論、罷復舊任。
【読み】
郊祀恩を霈[はい]す。先生曰く、吾が罪滌[そそ]ぐ。以て去る可し、と。遂に監局を求めて、親の養に便するを以て、罷め歸ることを得。是れ自り正を醜[にく]む者競って新法を避くるの說を揚ぐ。歲餘にして、西京洛河の竹木務を監することを得。薦むる者言く、其れ未だ嘗て年勞を敍せず、丐[こ]う秩を遷さん、と。特に太常丞に改む。神宗猶先生を念う。三經義を會修するに、嘗て執政に語って曰く、程某用う可し、と。執政對えず。又嘗て登對する者有りて洛自り至る。問いて曰く、程某彼に在りや否や、と。連[しき]りに佳士と言う。其の後彗翼軫の閒に見る。詔して直言を求む。先生詔に應じて朝政を論ずること極めて切なり。朝に還りて、執政屢々進擬す。神宗皆許さず、旣にして手批して府界知縣、差して知扶溝縣事を與う。先生執政に詣して、復監當を求む。執政諭すに上意改む可からざることを以てす。數月にして、右府同じく薦め、除して武學に判たらしむ。新進の者言く、其の新法の初め、首めて異論を爲し、罷めて舊任に復る、と。

先生爲治、專尙寬厚、以敎化爲先。雖若甚迂、而民實風動。扶溝素多盜、雖樂歲、强盜不減十餘發。先生在官、無强盜者幾一年。廣濟蔡河出縣境。河に瀕不逞之民、不復治生業、專以脅取舟人物爲事、歲必焚舟十數以立威。先生始至、捕得一人、使引其類、得數十人。不復根治舊惡、分地而處之、使以挽舟爲業、且察爲惡者。自是邑境無焚舟之患。
【読み】
先生治を爲すこと、專ら寬厚なるを尙び、敎化を以て先と爲す。甚だ迂なるが若しと雖も、民實に風動す。扶溝素より盜多く、樂歲と雖も、强盜十餘發に減ぜず。先生官に在りて、强盜の者無きこと幾ど一年なり。廣濟蔡河縣の境より出づ。河に瀕[せま]り逞しからざるの民、復生業を治めず、專ら舟人の物を脅取するを以て事と爲し、歲々必ず舟を焚くこと十數以て威を立つ。先生始めて至って、一人を捕え得、其の類を引かしめて、數十人を得。復舊惡を根治せず、地を分けて之に處して、舟を挽くを以て業と爲し、且つ惡を爲す者を察せしむ。是れ自り邑境舟を焚くの患え無し。

畿邑田稅重。朝廷歲常蠲除以爲惠澤。然而良善之民憚督責而先輸。逋負獲除者皆頑民也。先生爲約、前料獲免者、今必如期而足。於是惠澤始均。司農建言。天下輸役錢、達戶四等、而畿内獨止第三。請亦及第四。先生力陳不可。司農奏其議、謂必獲罪。而神宗是之。畿邑皆得免。
【読み】
畿邑の田稅重し。朝廷歲々常に蠲除[けんじょ]して以て惠澤と爲す。然れども良善の民は督責を憚って先に輸[いた]す。逋負して除くことを獲る者は皆頑民なり。先生約を爲し、前料免るることを獲る者は、今必ず期の如くにして足す。是に於て惠澤始めて均し。司農言を建つ。天下の輸役錢、達戶四等にして、畿内獨り第三に止まる。請う亦第四に及ばん、と。先生力めて不可なることを陳ぶ。司農其の議を奏して、謂えらく、必ず罪を獲ん、と。而しかして神宗之を是とす。畿邑皆免るることを得。

先生爲政、常權穀價、不使至甚貴甚賤。會大旱、麥苗且枯。先生敎人掘井以漑。一井不過數工、而所灌數畝。闔境賴焉。水災民飢。先生請發粟貸之。鄰邑亦請。司農怒、遣使閱實。使至鄰邑、而令遽自陳穀且登、無貸可也。使至、謂先生盍亦自陳。先生不肯。使者遂言不當貸。先生力言民飢、請貸不已、遂得穀六千石、飢者用濟。而司農益怒、視貸籍戶同等而所貸不等、檄縣杖主吏。先生言、濟飢當以口之衆寡、不當以戶之高下。且令實爲之。非吏罪。乃得已。
【読み】
先生の政を爲むること、常に穀の價を權って、甚だ貴く甚だ賤[やす]きに至らしめず。會々大いに旱して、麥苗且に枯れんとす。先生人をして井を掘って以て漑がしむ。一井數工に過ぎずして、灌ぐ所數畝なり。闔境[こうきょう]焉に賴れり。水災ありて民飢ゆ。先生粟を發いて之を貸さんことを請う。鄰邑も亦請う。司農怒って、使を遣わして實を閱せしむ。使鄰邑に至りて、令遽に自ら陳ず、穀且登[みの]る、貸すこと無くして可なり、と。使至り、謂く、先生盍ぞ亦自ら陳ぜざる、と。先生肯ぜず。使者遂に言う、當に貸すべからず、と。先生力めて民の飢うることを言いて、貸すことを請いて已まず、遂に穀六千石を得、飢うる者用て濟う。而して司農益々怒って、貸籍戶同等にして貸す所等しからざるを視て、縣に檄して主吏を杖[う]たしむ。先生言く、飢えを濟うは當に口の衆寡を以てすべく、當に戶の高下を以てすべからず。且つ令實に之を爲す。吏の罪に非ず、と。乃ち已むことを得。

内侍都知王中正巡閱保甲。權寵至盛、所至淩慢縣官。諸邑供帳、競務華鮮、以悅奉之。主吏以請。先生曰、吾邑貧、安能效他邑。且取於民、法所禁也。今有故靑帳、可用之。先生在邑歲餘、中正往來境上、卒不入。鄰邑有冤訴府。願得先生決之者、前後五六。有犯小盜者、先生謂曰、汝能改行、吾薄汝罪。盜叩首願自新。後數月、復穿窬。捕吏及門。盜告其妻曰、我與大丞約、不復爲盜。今何面目見之邪。遂自經。
【読み】
内侍都知王中正保甲を巡閱す。權寵至盛にして、至る所縣官を淩慢す。諸邑供帳して、競って華鮮を務めて、悅びを以て之に奉ず。主吏以て請う。先生曰く、吾が邑貧し、安んぞ能く他の邑に效[なら]わん。且つ民に取るは、法の禁ずる所なり。今故靑帳有り、之を用う可し、と。先生邑に在ること歲餘、中正境上に往來して、卒に入らず。鄰邑冤[えん]有り府に訴う。先生の之を決せんことを得んことを願う者、前後五六なり。小盜を犯す者有り、先生謂いて曰く、汝能く行いを改むれば、吾れ汝が罪を薄くせん、と。盜叩首して自ら新たにせんことを願う。後數月にして、復穿窬[せんゆ]す。捕吏門に及ぶ。盜其の妻に告げて曰く、我れ大丞と約す、復盜をせず、と。今何の面目ありて之に見えんや、と。遂に自ら經[くび]る。

官制改、除奉議郎。朝廷遣官括牧地。民田當沒者千頃。往往持累世契券以自明、皆弗用。諸邑已定、而扶溝民獨不服。遂有朝旨、改稅作租、不復加益、及聽賣易如私田。民旣倦於追呼、又得不加賦、乃皆服。先生以爲不可。括地官至、謂先生曰、民願服而君不許、何也。先生曰、民徒知今日不加賦、而不知後日增租奪田、則失業無以生矣。因爲言仁厚之道。其人感動、謝曰、寧受責、不敢違公。遂去之他邑。
【読み】
官制改まりて、奉議郎に除せらる。朝廷官を遣わして牧地を括る。民の田當に沒すべき者千頃なり。往往に累世の契券を持して以て自ら明らかにすれども、皆用いられず。諸邑已に定まりて、扶溝の民獨り服せず。遂に朝旨有りて、稅を改めて租と作し、復加益せず、及び賣易を聽[ゆる]して私田の如くせしむ。民旣に追呼に倦み、又賦を加えざることを得て、乃ち皆服す。先生以爲えらく、不可なり、と。括地官至って、先生に謂いて曰く、民服することを願って君許さざるは、何ぞや、と。先生曰く、民徒に今日賦を加えざることを知って、後日租を增し田を奪うときは、則ち業を失して以て生きること無きことを知らず、と。因りて爲に仁厚の道を言えり。其の人感動して、謝して曰く、寧ろ責めを受くとも、敢えて公に違わざらん、と。遂に去って他の邑に之けり。

不踰月、先生罷去。其人復至、謂攝令者曰、程奉議去矣。爾復何恃稽違朝旨。督責甚急。數日而事集。鄰邑民犯盜、繫縣獄而逸。旣又遇赦。先生坐是以特旨罷。邑人知先生且罷、詣府及司農丐留者千數。去之日、不使人知、老穉數百、追及境上、攀挽號泣、遣之不去。
【読み】
月を踰えずして、先生罷め去る。其の人復至りて、攝令の者に謂いて曰く、程奉議去りぬ。爾復何を恃んで朝旨に稽違せん、と。督責甚だ急なり。數日にして事集[な]る。鄰邑の民盜を犯し、縣獄に繫りて逸す。旣にして又赦に遇う。先生是に坐せられて特旨を以て罷[しりぞ]けらる。邑人先生且に罷けられんとすることを知って、府及び司農に詣って留むることを丐[こ]う者千數なり。去る日、人をして知らしめざれども、老穉數百、追って境上に及び、攀挽[はんばん]號泣して、之をして去らざらしめんとす。

以親老求近郷監局、得監汝州酒稅。今上嗣位、覃恩、改承議郎。先生雖小官、賢士大夫視其進退、以卜興衰。聖政方新、賢德登進。先生特爲時望所屬、召爲宗正寺丞。未行、以疾終。元豐八年六月十五日也。享年五十有四。士大夫識與不識、莫不哀傷、爲朝廷生民恨惜。
【読み】
親老いたるを以て近郷の監局を求めて、汝州の酒稅を監することを得。今上位を嗣いで、覃恩[たんおん]ありて、承議郎に改む。先生小官なりと雖も、賢士大夫其の進退を視て、以て興衰を卜す。聖政方に新たにして、賢德登り進む。先生特に時望の爲に屬せられ、召されて宗正寺丞と爲る。未だ行かざるに、疾を以て終う。元豐八年六月十五日なり。享年五十有四。士大夫識ると識らざると、哀傷して、朝廷生民の爲に恨惜せずということ莫し。

先生資稟旣異、而充養有道。純粹如精金、溫潤如良玉。寬而有制、和而不流。忠誠貫於金石、孝弟通於鬼神。視其色、其接物也、如春陽之溫、聽其言、其入人也、如時雨之潤。胸懷洞然、徹視無閒。測其蘊、則浩乎若滄溟之無際、極其德、美言蓋不足以形容。
【読み】
先生資稟旣に異にして、充養道有り。純粹なること精金の如く、溫潤なること良玉の如し。寬にして制有り、和して流れず。忠誠金石を貫き、孝弟鬼神に通ず。其の色を視るに、其の物に接すること、春陽の溫やかなるが如く、其の言を聽くに、其の人に入ること、時雨の潤すが如し。胸懷洞然として、徹視閒無し。其の蘊を測るときは、則ち浩乎として滄溟の際[かぎ]り無きが若く、其の德を極むるときは、美言蓋し以て形容するに足らず。

先生行己、内主於敬、而行之以恕。見善若出於己、不欲勿施於人。居廣居而行大道、言有物而動有常。
【読み】
先生己を行うこと、内敬を主として、之を行うに恕を以てす。善を見ては己より出るが若くし、欲せざるをば人に施すこと勿し。廣居に居りて大道を行い、言物[のり]有りて動くに常有り。

先生爲學、自十五六時、聞汝南周茂叔論道、遂厭科舉之業、慨然有求道之志。未知其要、泛濫於諸家、出入於老・釋者幾十年、返求諸六經而後得之。明於庶物、察於人倫。知盡性至命、必本於孝悌、窮神知化、由通於禮樂。辨異端似是之非、開百代未明之惑。秦・漢而下、未有臻斯理也。
【読み】
先生の學を爲むる、十五六の時自り、汝南の周茂叔道を論ずるを聞いて、遂に科舉の業を厭いて、慨然として道を求むるの志有り。未だ其の要を知らず、諸家に泛濫し、老・釋に出入する者幾ど十年、返って六經に求めて而して後に之を得。庶物に明らかにして、人倫を察す。性を盡くし命に至ることは、必ず孝悌に本づき、神を窮め化を知ることは、禮樂に通ずるに由ることを知る。異端是に似たるの非を辨じ、百代未だ明らかならざるの惑いを開く。秦・漢より下、未だ斯の理に臻[いた]ること有らざるなり。

謂孟子沒而聖學不傳、以興起斯文爲己任。其言曰、道之不明、異端害之也。昔之害近而易知、今之害深而難辨。昔之惑人也、乘其迷暗、今之入人也、因其高明。自謂之窮神知化、而不足以開物成務。言爲無不周徧、實則外於倫理。窮深極微、而不可以入堯・舜之道。天下之學、非淺陋固滯、則必入於此。自道之不明也、邪誕妖異之說競起、塗生民之耳目、溺天下於汙濁。雖高才明智、膠於見聞、醉生夢死、不自覺也。是皆正路之蓁蕪、聖門之蔽塞、闢之而後可以入道。
【読み】
謂えらく、孟子沒して聖學傳わらず、斯の文を興起するを以て己が任とす。其の言に曰く、道の明らかならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして辨じ難し。昔の人を惑わすは、其の迷暗に乘り、今の人に入るは、其の高明に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂えども、而れども以て物を開き務めを成すに足らず。言爲周徧ならずということ無けれども、實は則ち倫理に外るるなり。深きを窮め微を極むれども、而れども以て堯・舜の道に入る可からず。天下の學、淺陋固滯に非ざるときは、則ち必ず此に入る。道の明らかならざるに自りて、邪誕妖異の說競い起こりて、生民の耳目を塗り、天下を汙濁に溺す。高才明智と雖も、見聞に膠し、醉生夢死して、自ら覺らざるなり。是れ皆正路の蓁蕪、聖門の蔽塞、之を闢いて而して後に以て道に入る可し、と。

先生進將覺斯人、退將明之書。不幸早世、皆未及也。其辨析精微、稍見於世者、學者之所傳爾。先生之門、學者多矣。先生之言、平易易知、賢愚皆獲其益、如羣飮於河、各充其量。
【読み】
先生進んでは將に斯の人を覺さんとし、退いては將に之を書に明かさんとす。不幸にして早世して、皆未だ及ばざるなり。其の精微を辨析すること、稍世に見る者は、學者の傳うる所のみ。先生の門、學者多し。先生の言、平易にして知り易く、賢愚皆其の益を獲ること、河に羣飮して、各々其の量を充てるが如し。

先生敎人、自致知至於知止、誠意至於平天下、灑掃應對至於窮理盡性、循循有序。病世之學者捨近而趨遠、處下而窺高。所以輕自大而卒無得也。
【読み】
先生の人を敎うる、知を致むる自り止まることを知るに至り、意を誠にするより天下を平らかにするに至り、灑掃應對より理を窮め性を盡くすに至って、循循として序有り。世の學者近きを捨てて遠きに趨り、下に處りて高きを窺うことを病[うれ]う。輕々しく自ら大なりとして卒に得ること無きが所以なり。

先生接物、辨而不閒、感而能通。敎人而人易從、怒人而人不怨、賢愚善惡咸得其心、狡僞者獻其誠、暴慢者致其恭。聞風者誠服、覿德者心醉。雖小人以趨向之異、顧於利害、時見排斥、退而省其私、未有不以先生爲君子也。
【読み】
先生の物に接わること、辨じて閒てず、感じて能く通ず。人を敎えて人從い易く、人を怒って人怨まず、賢愚善惡咸其の心を得、狡僞なる者も其の誠を獻じ、暴慢なる者も其の恭を致す。風を聞く者は誠に服し、德を覿[み]る者は心醉う。小人趨向の異なるを以て、利害を顧み、時に排斥せらると雖も、退いて其の私を省て、未だ先生を以て君子とせざるは有らず。

先生爲政、治惡以寬、處煩而裕。當法令繁密之際、未嘗從衆、爲應文逃責之事。人皆病於拘礙。而先生處之綽然。衆憂以爲甚難。而先生爲之沛然。雖當倉卒、不動聲色。方監司競爲嚴急之時、其待先生、率皆寬厚、設施之際、有所賴焉。先生所爲綱條法度、人可效而爲也。至其道之而從、動之而和、不求物而物應、未施信而民信、則人不可及也。
【読み】
先生の政を爲むること、惡を治むるに寬を以てし、煩わしきに處して裕なり。法令繁密の際に當たりて、未れ嘗て衆に從って、文に應じて責めを逃るるの事を爲さず。人皆拘礙を病う。而れども先生之を處すること綽然[しゃくぜん]たり。衆憂えて以て甚だ難しと爲す。而れども先生之を爲すこと沛然たり。倉卒に當たると雖も、聲色を動かさず。監司競って嚴急を爲すの時に方りて、其の先生を待すること、率ね皆寬厚に、設施の際は、賴る所有り。先生爲す所の綱條法度は、人效って爲す可し。其の之を道いて從い、之を動かして和し、物を求めずして物應じ、未だ信を施さずして民信ずるに至っては、則ち人及ぶ可からざるなり。

彭夫人封仁和縣君。嚴正有禮。事舅以孝稱。善睦其族、先一年卒。(一有五字。)(一有三早卒字。)曰端懿、蔡州汝陽縣主簿。曰端本、治進士業。(一有四字。)(一有三夭二字。)適假承務郎朱純之。卜以今年十月乙酉、葬于伊川先塋。謹書家世行業及歷官行事之大概、以求誌於作者、謹狀。元豐八年八月日弟頤狀。
【読み】
彭夫人仁和縣君に封ぜらる。嚴正にして禮有り。舅に事うるに孝を以て稱せらる。善く其の族を睦し、先だつこと一年にして卒す。(一に五の字有り。)(一に三たり早く卒するの字有り。)曰く端懿は、蔡州汝陽縣の主簿たり。曰く端本は、進士の業を治む。(一に四の字有り。)(一に三たり夭するの二字有り。)假承務郎朱純之に適く。卜して今年十月乙酉を以て、伊川の先塋[せんえい]に葬る。謹んで家世行業及び歷官行事の大概を書して、以て誌を作者に求めて、謹んで狀す。元豐八年八月日弟頤狀す。


明道先生門人朋友敍述序  伊川先生

先兄明道之葬、頤狀其行、以求誌銘、且備異日史氏採錄。旣而門人朋友爲文以敍其事迹、述其道學者甚衆。其所以推尊稱美之意、人各用其所知、蓋不同也。而以爲孟子之後、傳聖人之道者、一人而已、是則同。文多不能盡取。取其有補於行狀之不及者數篇、附于行狀之後。
【読み】
先兄明道の葬、頤其の行いを狀して、以て誌銘を求め、且つ異日史氏の採錄に備う。旣にして門人朋友文を爲りて以て其の事迹を敍し、其の道學を述ぶる者甚だ衆し。其の推尊稱美する所以の意、人各々其の知る所を用て、蓋し同じからず。而して以爲えらく、孟子の後、聖人の道を傳うる者は、一人のみというは、是れ則ち同じ。文多くして盡く取ること能わず。其の行狀の及ばざるに補い有る者數篇を取って、行狀の後に附す。


明道先生門人朋友敍述

河閒劉立之日、先生幼(集有而字。)有奇(一作異。)質、明慧驚人。年數歲、卽有成人之度。嘗賦酌貪泉詩曰、中心如自固、外物豈能遷。當世先達許其志操。及長、豪勇自奮、不溺於流俗。從汝南周茂叔問學。窮性命之理、率性會道、體道成德。出處孔・孟、從容不勉。踰冠、應書京師。聲望藹然、老儒宿學、皆自以爲不及。莫不造門願交。
【読み】
河閒の劉立之が日く、先生幼にして(集に而の字有り。)(一に異に作る。)質有り、明慧人を驚かす。年數歲にして、卽ち成人の度有り。嘗て貪泉を酌む詩を賦して曰く、中心如し自ら固くんば、外物豈能く遷さん、と。當世の先達其の志操を許す。長となるに及んで、豪勇自ら奮って、流俗に溺れず。汝南の周茂叔に從って問學す。性命の理を窮め、性に率って道を會し、道を體して德を成す。孔・孟に出處して、從容として勉めず。冠を踰えて、書に京師に應ず。聲望藹然として、老儒宿學、皆自ら以爲えらく、及ばず、と。門に造って交わりを願わずということ莫し。

釋褐、主永興軍鄠縣簿、永興師府。其出守皆禁密。大臣待先生莫不盡禮。爲令晉城、其俗朴陋、民不知學、中閒幾百年、無登科者。先生擇其秀異、爲置學舍糧具、聚而敎之。朝夕督厲誘進。學者風靡日盛。熙寧元豐閒、應書者至數百、登科者十餘人。先生爲政(集無爲政二字。)、條敎精密、而主之以誠心。晉城之民、被服先生之化、暴桀子弟至有恥不犯。迄先生去三年閒、編戶數萬衆、罪入極典者纔一人。然郷閭猶以不遵敎令(集無令字。)爲深恥。熙寧七年、立之得官晉城、距先生去已十餘年、見民有聚口衆而不析異者、問其所以、云守程公之化(集有者字。)也。其誠心感人如此。
【読み】
褐を釋き、永興軍鄠縣の簿、永興の師府を主る。其の出て守ること皆禁密なり。大臣先生を待すること禮を盡くさずということ莫し。晉城に令と爲りしとき、其の俗朴陋にして、民學を知らず、中閒幾ど百年、登科する者無し。先生其の秀異を擇んで、爲に學舍糧具を置き、聚めて之を敎う。朝夕督厲誘進す。學ぶ者風のごとく靡いて日に盛んなり。熙寧元豐の閒、書に應ずる者數百に至り、登科の者十餘人なり。先生政を爲むること(集に爲政の二字無し。)、條敎精密にして、之を主とするに誠心を以てす。晉城の民、先生の化に服すことを被り、暴桀の子弟恥づること有りて犯さざるに至る。先生去って三年の閒に迄[およ]んで、編戶數萬の衆、罪極典に入る者纔かに一人のみ。然れども郷閭猶敎令(集に令の字無し。)に遵わざるを以て深く恥づることと爲す。熙寧七年、立之官を晉城に得て、先生の去るを距つこと已に十餘年、民聚口衆くして析異せざる者有るを見て、其の所以を問うに、云く、守程公の化(集に者の字有り。)なり、と。其の誠心人を感ぜしむること此の如し。

薦爲御史。神宗召對、問所以爲御史。對曰、使臣拾遺補闕、裨贊朝廷、則可。使臣掇拾臣下短長、以沽直名、則不能。神宗歎賞、以爲得御史體。神宗厲精求治。王荆公執政、議法改令。言者攻之甚力、至有發憤肆罵、無所不至者。先生獨以至誠、開納君相。疏入輒削藁、不以示子姪。常曰、揚己矜衆、吾所不爲。嘗被旨赴中堂議事。荆公方怒言者、厲色待之。先生徐曰、天下之事、非一家私議、願公平氣以聽。荆公爲之愧屈善談。
【読み】
薦められて御史と爲る。神宗召對して、御史と爲る所以を問う。對えて曰く、臣をして遺を拾い闕を補って、朝廷を裨贊せしめば、則ち可なり。臣をして臣下の短長を掇拾して、以て直名を沽[う]らしめば、則ち能わじ、と。神宗歎賞して、以爲えらく、御史の體を得たり、と。神宗精を厲して治を求む。王荆公政を執って、法を議し令を改む。言者之を攻むること甚だ力めて、憤を發し肆に罵って、至らずという所無き者有るに至る。先生獨り至誠を以て、君相を開納す。疏入るれば輒ち藁を削って、以て子姪に示さず。常に曰く、己を揚げ衆に矜[ほこ]ることは、吾がせざる所なり、と。嘗て旨を被って中堂に赴いて事を議せり。荆公方に言者を怒って、色を厲して之を待す。先生徐[おもむろ]にして曰く、天下の事は、一家の私議に非ず、願わくは公氣を平らかにして以て聽け、と。荆公之が爲に愧屈して善く談ず。

太中公得請領崇福、先生求折資監當以便養。歸洛、從容親庭、日以讀書勸學爲事。先經術通明、義理精微、樂告不倦。士大夫從之講學者、日夕盈門。虛往實歸、人得所欲。
【読み】
太中公請いて崇福を領することを得、先生監當を折資せんことを求むるに養に便なるを以てす。洛に歸り、親庭に從容として、日に讀書勸學を以て事とす。先經術通明にして、義理精微、告ぐることを樂しんで倦まず。士大夫之に從って講學する者、日夕門に盈つ。虛往實歸、人欲する所を得。

先生在御史、有南士遊執政門者、方自南還、未至(集無未至二字。)而附會之說先布都下。且其人素議虧闕。先生奏言其行。後先生被命判武學。其人已位通顯。懼先生復進、乃抗章言、先生新法之初(集作行。)、首爲異論。先生笑曰、是豈誣我邪。復以便親乞汝州監局。先生高才遠業、淪屈卑冗。人爲先生歎息。而先生處之恪勤匪懈。曰、執事安得不謹。
【読み】
先生御史に在るとき、南士執政の門に遊ぶ者有り、南自り還るに方たり、未だ至らずして(集に未至の二字無し。)附會の說先づ都下に布く。且つ其の人素より虧闕を議せり。先生奏して其の行いを言う。後に先生命を被って武學に判たり。其の人已に通顯に位す。先生復進まんことを懼れて、乃ち章を抗[あ]げて言う、先生の新法の初め(集に行に作る。)、首めて異論を爲す、と。先生笑って曰く、是れ豈我を誣いんや、と。復親に便なるを以て汝州の監局を乞う。先生高才遠業にして、卑冗に淪屈す。人先生の爲に歎息す。而れども先生之に處すること恪勤して懈るに匪ず。曰く、事を執って安んぞ謹まざることを得ん、と。

今皇帝卽位、以宗正丞召。朝廷方且用之。未赴闕、得疾以終。先生有天下重望、士民以其出處、卜時隆汚。聞訃之日、識與不識、莫不隕涕。
【読み】
今皇帝位に卽き、宗正丞を以て召す。朝廷方に且つ之を用いんとす。未だ闕に赴かず、疾を得て以て終う。先生天下の重望有り、士民其の出處を以て、時の隆汚を卜す。訃を聞くの日、識ると識らざると、涕を隕とさずということ莫し。

自孟軻沒、聖學失傳、學者穿鑿妄作、不知入德。先生傑然自立於千載之後、芟闢榛穢、開示本原。聖人之庭戶曉然可入、學士大夫始知所向。然高才世希(集作希世。)、能(集作得。)造其藩閾(集作閫。)者蓋(集無蓋字。)鮮。況堂奧乎。
【読み】
孟軻沒して自り、聖學傳を失い、學者穿鑿妄作して、德に入ることを知らず。先生傑然として千載の後に自立して、榛穢を芟闢[さんへき]し、本原を開示す。聖人の庭戶曉然として入る可く、學士大夫始めて向かう所を知る。然れども高才世希にして(集に希世に作る。)、能く(集に得に作る。)其の藩閾(集に閫に作る。)に造る者蓋し(集に蓋の字無し。)鮮し。況んや堂奧をや。

先生德性充完、粹和之氣盎於面背。樂易多恕、終日怡悅。立之從先生三十年、未嘗見其(一有有字。)忿厲之容。接人溫然、無賢不肖、皆使之(集無之字。)款曲自盡。聞人一善、咨嗟獎勞、惟恐其不篤。人有不及、開導誘掖、惟恐其不至。故雖桀傲不恭、見先生、莫不感悅而化服。風格高邁、不事標飾、而自有畦畛。望其容色、聽其言敎、則放心邪氣不復萌於胸中。
【読み】
先生德性充完して、粹和の氣面背に盎る。樂易多恕、終日怡悅す。立之先生に從うこと三十年、未だ嘗て其の忿厲の容(一に有の字有り。)を見ず。人に接わること溫然として、賢不肖と無く、皆之をして(集に之の字無し。)款曲自ら盡くさしむ。人の一善を聞いては、咨嗟獎勞して、惟其の篤からざることを恐る。人及ばざること有れば、開導誘掖して、惟其の至らざらんことを恐る。故に桀傲不恭なりと雖も、先生を見て、感悅して化服せずということ莫し。風格高邁にして、標飾を事とせず、而して自づから畦畛有り。其の容色を望み、其の言敎を聽くときは、則ち放心邪氣復胸中に萌さず。

太中公告老而歸。家素淸窶、僦居洛城。先生以祿養。族大食衆、菽粟僅足。而老幼各盡其歡。中外幼孤窮無託者、皆收養之、撫育誨導、期於成人。嫁女娶婦、皆先孤遺而後及己子。食無重肉、衣無兼副。女長過期、至無貲以遣。
【読み】
太中公老を告げて歸る。家素より淸窶にして、洛城に僦居[しゅうきょ]す。先生祿を以て養う。族大に食すること衆くして、菽粟僅かに足る。而れども老幼各々其の歡を盡くす。中外の幼孤窮して託すること無き者は、皆之を收養し、撫育誨導して、成人を期す。女を嫁し婦を娶ること、皆孤遺を先にして而して後に己が子に及ぼす。食に重肉無く、衣に兼副無し。女長じて期に過ぎれども、貲[たから]の以て遣ること無きに至る。

先生達於從政、以仁愛爲本。故所至、民載之如父母。立之嘗問先生以臨民。曰、使民(集作人。)各得輸其情。(集有又嘗二字。)問御吏。曰、正己以(集無以字。)格物。雖愚不肖、佩服先生之訓、不敢忘怠(集作忽。)
【読み】
先生政に從うに達して、仁愛を以て本とす。故に至る所、民之を載くこと父母の如し。立之嘗て先生に以て民に臨むことを問う。曰く、民(集に人に作る。)をして各々其の情を輸[いた]すことを得せしむ、と。(集に又嘗の二字有り。)吏を御することを問う。曰く、己を正しくして以て(集に以の字無し。)物に格る、と。愚不肖と雖も、先生の訓を佩服して、敢えて忘怠(集に忽に作る。)せず。

先生抱經濟大器、有開物成務之才。雖不用於時、然至誠在天下、惟恐一物不得其所、見民疾苦、如在諸己。聞朝廷興作小失、則憂形顏色。嘗論所以致君堯・舜、措俗成康之意。其言感激動人。千五百年、一生斯人。時命不會如此。美志不行、利澤不施。惜哉。
【読み】
先生經濟の大器を抱き、物を開き務めを成すの才有り。時に用いられずと雖も、然れども至誠天下に在り、惟一物も其の所を得ざることを恐れ、民の疾苦を見ること、己に在るが如し。朝廷興作の小失を聞くときは、則ち憂え顏色に形る。嘗て君を堯・舜に致し、俗を成康に措く所以の意を論ず。其の言感激して人を動かす。千五百年にして、一たび斯の人を生す。時命會せざること此の如し。美志行われず、利澤施されず。惜しいかな。

立之家(集無家字。)與先生有累世之舊、先人高爽有奇操(集無此上五字。)、與先生(集有情字。)好尤密。先人早世、立之方數歲、先生兄弟取以歸。敎養視子姪。卒立其門戶。末世俗薄、朋友道衰。聞先生之風、宜有愧恥。(集無此上四十三字。)
【読み】
立之が家と(集に家の字無し。)先生と累世の舊有り、先人高爽にして奇操有り(集に此の上の五字無し。)、先生と(集に情の字有り。)好尤も密なり。先人早世して、立之方に數歲、先生兄弟取って以[い]て歸る。敎養すること子姪に視[なら]う。卒に其の門戶を立つ。末世俗薄く、朋友道衰う。先生の風を聞いて、宜し愧ぢ恥づること有るべし。(集に此の上の四十三字無し。)

立之從先生最久、聞先生敎最多、得先生行事爲最(集無此最字。)詳。先生終、繫官朔陲、不得與於行服之列、哭泣之哀、承訃悲號、摧裂肝膈(集無此上二十七字。)。先生大節高誼、天下莫不聞。至於(集作乎。)委曲纖細(集作悉。)、一言一行、足以垂法來世、而人所不及知者。大懼堙沒不傳、以爲門人羞。輒書所知、以備採摭。
【読み】
立之先生に從うこと最も久しく、先生の敎を聞くこと最も多く、先生の行事を得ること最も(集に此の最の字無し。)詳らかなりとす。先生終うるとき、官に朔陲[さくすい]に繫りて、行服の列、哭泣の哀に與ることを得ず、訃を承けて悲號して、肝膈を摧裂す(集に此の上の二十七字無し。)。先生の大節高誼、天下聞かざるということ莫し。委曲纖細(集に悉に作る。)、一言一行、以て法を來世に垂るに足るに至っては、而も人知るに及ばざる所の者あり。大いに堙沒[いんぼつ]して傳わらずして、以て門人の羞を爲さんことを懼る。輒ち知る所を書して、以て採摭に備う。


沛國朱光庭曰、嗚呼、道之不明不行也久矣。自子思筆之於書、其後孟軻倡之。軻死而不得其傳。退之之言信矣。大抵先生之學、以誠爲本。仰觀乎天、淸明穹窿、日月之運行、陰陽之變化、所以然者、誠而已。俯察乎地、廣博持載、山川之融結、草木之蕃殖、所以然者、誠而已。人居天地之中、參合無閒、純亦不已者、其在茲乎。蓋誠者天德也。聖人自誠而明。其靜也淵停、其動也神速。天地之所以位、萬物之所以育、何莫由斯道也。
【読み】
沛國の朱光庭が曰く、嗚呼、道の明らかならず行われざることや久し。子思之を書に筆して自り、其の後孟軻之を倡[とな]う。軻死して其の傳を得ず。退之が言信なるかな。大抵先生の學は、誠を以て本とす。仰いで天を觀るに、淸明穹窿[きゅうりゅう]、日月の運行、陰陽の變化、然る所以の者は、誠なるのみ。俯して地を察するに、廣博持載、山川の融結、草木の蕃殖、然る所以の者は、誠なるのみ。人天地の中に居て、參合閒無く、純も亦已まざる者は、其れ茲に在るか。蓋し誠は天の德なり。聖人誠自りして明らかなり。其の靜なるや淵停に、其の動なるや神速なり。天地の位する所以、萬物の育する所以は、何ぞ斯の道に由ること莫からんや。

先生得聖人之誠者也。自始學至於成德、雖天資穎徹、絕出等夷、然卓約之見、一主於誠。故推而事親則誠孝、事君則誠忠、友於兄弟則綽綽有裕、信於朋友則久要不忘、修身愼行則不愧於(集無於字。)屋漏、臨政愛民則如保乎(集無乎字。)赤子。非得夫聖人之誠、孰能與於斯。才周萬物而不自以爲高、學際三才而不自以爲足、行貫神明而不自以爲異、識照古今而不自以爲得。至於六經之奧義、百家之異說、研窮搜抉、判然胸中。天下之事雖萬變交於前、而燭之不失毫釐、權之不失輕重。凡貧賤富貴死生、皆不足以動其心。眞可謂大丈夫者(集有與字。)。非所得之深、所養之厚、能至於是歟。
【読み】
先生は聖人の誠を得る者なり。始學自り成德に至るまで、天資穎徹、等夷に絕出すと雖も、然れども卓約の見、一に誠を主とす。故に推して親に事うれば則ち誠に孝に、君に事うれば則ち誠に忠に、兄弟に友にしては則ち綽綽として裕有り、朋友に信にしては則ち久要忘れず、身を修め行いを愼んでは則ち屋漏に愧ぢず、政に臨み民を愛しては則ち赤子を保んずるが如し。夫の聖人の誠を得るに非ずんば、孰れか能く斯に與らん。才萬物に周けれども自ら以て高しとせず、學三才を際めども自ら以て足れりとせず、行い神明を貫けども自ら以て異なりとせず、識古今を照らせども自ら以て得たりとせず。六經の奧義、百家の異說に至るまで、研窮搜抉して、胸中に判然たり。天下の事萬變前に交わると雖も、之を燭らして毫釐を失せず、之を權って輕重を失せず。凡そ貧賤富貴死生、皆以て其の心を動かすに足らず。眞に大丈夫と謂う可き者なり(集に與の字有り。)。得る所の深く、養う所の厚きに非ずんば、能く是に至らんや。

嗚呼、天之生斯人、使之平治天下、功德豈小補哉。方當聖政日新、賢者彙進、殆將以斯道覺斯民。而天奪之速、可謂不幸之甚矣。孔子曰、朝聞道、夕死可矣。自孟軻以來、千有餘歲、先王大道得先生而後傳。其補助天地之功、可謂盛矣。雖不得高位以澤天下、然而以斯道倡之於人、亦已較著。其閒見而知之、尙能似之、先生爲不亡矣。
【読み】
嗚呼、天の斯の人を生して、之をして天下を平治せしむる、功德豈小補ならんや。方に聖政日に新たに、賢者彙[あつ]まり進むに當たりて、殆ど將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす。而るに天之を奪うこと速やかなるは、不幸の甚だしきと謂う可し。孔子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり、と。孟軻自り以來、千有餘歲、先王の大道先生を得て而して後に傳わる。其の天地を補助するの功、盛んなりと謂う可し。高位を得て以て天下を澤[うるお]さずと雖も、然れども斯の道を以て之を人に倡うること、亦已に較著す。其の閒見て之を知ること、尙能く之の似[ごと]くなれば、先生亡びずとせん。


河閒邢氏恕曰、先生德性絕人。外和内剛、眉目淸峻、語聲鏗然。恕早從先生之弟學、初見先生於磁州。其氣貌、淸明夷粹、其接人、和以有容、其斷義、剛而不犯、其思索、(集有微字。)妙造精義、其言近、而測之益遠。恕蓋始恍然自失、而知天下有成德君子。所謂完人者、若先生是已。
【読み】
河閒の邢氏恕が曰く、先生の德性人に絕す。外和に内剛にして、眉目淸峻、語聲鏗然たり。恕早[つと]に先生の弟に從いて學び、初めて先生に磁州に見ゆ。其の氣貌、淸明夷粹、其の人に接わる、和にして以て容有り、其の義を斷ずる、剛にして犯さず、其の思索、(集に微の字有り。)妙に精義に造り、其の言近くして、之を測れば益々遠し。恕蓋し始めて恍然として自失して、知る、天下に成德の君子有ることを。所謂完人なる者、先生の若き是れのみ。

先生爲澶州幕官、歲餘罷歸。恕後過澶州。問村民、莫不稱先生、咨嗟難息。蓋先生之從政、其視民如子、憂公如家。其誠心感人。雖爲郡僚佐、又止歲餘而去、至使田父野人皆知其姓名、又稱歎其賢。使先生爲一郡、又如何哉。使先生行乎天下、又如何哉。
【読み】
先生澶州の幕官と爲り、歲餘にして罷め歸る。恕後澶州に過る。村民に問うに、先生を稱して、咨嗟難息せずということ莫し。蓋し先生の政に從う、其の民を視ること子の如く、公を憂うること家の如し。其の誠心人を感ず。郡の僚佐と爲りて、又止まること歲餘にして去ると雖も、田父野人をして皆其の姓名を知って、又其の賢を稱歎せしむるに至る。先生をして一郡を爲[おさ]めしめば、又如何ぞや。先生をして天下に行わしめば、又如何ぞや。

旣不用於朝廷、而以奉親之故、祿仕於筦庫以爲養。居洛幾十年、玩心於道德性命之際、有以自養其渾浩沖融、而(集無而字。)必合(集作由。)乎規矩準繩。蓋眞顏氏之流。黃憲・劉迅之徒不足道也。洛實別都。乃士人之區藪。在仕者皆慕化之、從之質疑解惑。閭里士大夫皆高仰之、樂從之。游學士皆宗師之。講道勸義。行李之往來過洛者、苟知名有識、必造其門。虛而往、實而歸。莫不心醉斂袵而誠服。於是先生身益退、位益卑、而名益高於天下。
【読み】
旣に朝廷に用いられずして、親に奉ずるの故を以て、筦庫に祿仕して以て養を爲す。洛に居ること幾ど十年、心を道德性命の際に玩び、以て自ら養うこと其れ渾浩沖融にして、而して(集に而の字無し。)必ず規矩準繩に合すること(集に由に作る。)有り。蓋し眞の顏氏の流なり。黃憲・劉迅が徒道うに足りず。洛は實に別都なり。乃ち士人の區藪なり。仕に在る者皆慕って之に化し、之に從って疑いを質し惑いを解く。閭里の士大夫皆高く之を仰いで、樂しんで之に從う。游學の士皆之を宗師とす。道を講じ義を勸む。行李の往來洛を過る者、苟も名を知れば識ること有るとも、必ず其の門に造る。虛にして往き、實にして歸る。心醉して袵を斂めて誠に服せずということ莫し。是に於て先生の身益々退き、位益々卑くして、名益々天下に高し。

今皇帝卽位、太皇太后同聽斷。凡(集無凡字。)政事之利者存、害者去。復起司馬公君實以爲門下侍郎、用呂公晦叔爲尙書左丞、而先生亦以宗正丞召。執政日須其來、將大(集作白。)用之。訃至京師、諸公人人歎嗟、爲朝廷惜。士大夫下至布衣諸生聞之、莫不相弔。以爲哲人云亡也。
【読み】
今皇帝位に卽き、太皇太后同じく斷を聽く。凡そ(集に凡の字無し。)政事の利ある者は存し、害ある者は去る。復司馬公君實を起こして以て門下侍郎とし、呂公晦叔を用いて尙書左丞として、先生も亦宗正丞を以て召さる。執政日に其の來るを須って、將に大いに(集に白に作る。)之を用いんとす。訃京師に至り、諸公人人歎嗟して、朝廷の爲に惜しむ。士大夫より下布衣諸生に至るまで之を聞いて、相弔せずということ莫し。哲人云[ここ]に亡ぶと以爲えり。

嗚呼、惟先生以直道言事不合、去國十有七年。今太母制政下令。不出房闥、天下固已晏然。方大講求政事之得失、救偏矯枉、資人材以成治功之時、如先生之材、大小左右内外、用之無不宜。蓋其所知、上極堯・舜・三代帝王之治、其所以包涵博大、悠遠纖悉、上下與天地同流。其化之如時雨者、先生固已默而識之。至於興造禮樂、制度文爲、下至行師用兵、戰陣之法、無所不講。皆造其極。外之夷狄情狀、山川道路之險易、邊鄙防戍城寨斥堠控帶之要、靡不究知。其吏事操決文法簿書、又皆精密詳練。若先生、可謂通儒全才矣。而所有不試其萬一、又不究於高年、此有志之士所以慟哭而流涕也。
【読み】
嗚呼、惟れ先生直道を以て事を言って合わずして、國を去ること十有七年。今太母政を制し令を下す。房闥を出ずして、天下固に已に晏然たり。大いに政事の得失を講求して、偏を救い枉を矯め、人材を資って以て治功を成すの時に方りて、先生の材の如き、大小左右内外、之を用いて宜しからずということ無し。蓋し其の知る所、上堯・舜・三代帝王の治を極め、其の包涵する所以博大、悠遠纖悉、上下天地と流を同じくす。其の之に化すること時雨の如き者、先生固より已に默して之を識す。禮樂を興造し、制度文爲より、下師を行[や]り兵を用うる、戰陣の法に至るまで、講ぜざる所無きに至る。皆其の極に造る。外にしては夷狄の情狀、山川道路の險易、邊鄙防戍城寨斥堠控帶の要、究知せずということ靡し。其の吏事操決文法簿書も、又皆精密詳練なり。先生の若き、通儒全才なりと謂う可し。而して有する所其の萬一を試みず、又高年を究めざるは、此れ志有るの士慟哭して涕を流す所以なり。


成都范祖禹曰、先生爲人淸明端潔、内直外方。其學、本於誠意正心、以聖賢之道(呂本・徐本道作學。)可以必至、勇於力行、不爲空文。其在朝廷、與道行止。主於忠信、不崇虛名。其爲政、視民如子、慘怛敎愛、出於至誠、建利除害、所欲必得。故先生所至、民賴之如父母、去久(集無久字。)而思之不忘。先生嘗言、縣之政可達於天下。一邑者天下之式也。
【読み】
成都の范祖禹が曰く、先生の人と爲り淸明端潔、内直く外方なり。其の學は、誠意正心に本づき、聖賢の道(呂本・徐本道を學に作る。)を以て以て必ず至る可しとし、力行に勇んで、空文をせず。其の朝廷に在る、道と與に行止す。忠信を主として、虛名を崇ばず。其の政を爲むる、民を視ること子の如く、慘怛敎愛、至誠に出、利を建て害を除いて、欲する所必ず得。故に先生の至る所、民之に賴ること父母の如く、去ること久しくして(集に久の字無し。)之を思って忘れず。先生嘗て言く、縣の政は天下に達す可し。一邑は天下の式[のり]なり、と。

先生以親老、求爲閒官。居洛陽殆十餘(集無餘字。)年、與弟伊川先生講學於家。化行郷黨。家貧、疏食或不繼、而事親務養其志。賙贍族人必盡其力。士之從學者不絕於館、有不遠千里而至者。先生於經不務解析爲技詞。要其用在己而明於知天。其敎人曰、非孔子之道、不可學也。蓋自孟子沒而中庸之學不傳、後世之士不循其本而用心於末。故不可與入堯・舜之道。先生以獨智自得、去聖人千有餘歲、發其關鍵、直睹堂奧、一天地之理、盡事物之變。故其貌肅而氣和、志定而言厲。望之可畏、卽之可親。叩之者無窮、從容以應之、其出愈新。眞學者之師也。成就人才、於時爲多。雖久去朝廷、而人常以其出處爲時之通塞。旣除宗正丞。天下日望先生入朝、以爲且大用。及聞其亡、上自公卿、下至閭巷士民、莫不哀之。曰時不幸也、其命矣夫。
【読み】
先生親老いたるを以て、求めて閒官と爲る。洛陽に居ること殆ど十餘(集に餘の字無し。)年、弟伊川先生と家に講學す。化郷黨に行わる。家貧しくして、疏食或は繼がざれども、親に事うること務めて其の志を養う。族人を賙贍[しゅうせん]すること必ず其の力を盡くす。士の從い學ぶ者館に絕えず、千里を遠しとせずして至る者有り。先生經に於て解析して技詞を爲すことを務めず。要するに其の用は己に在りて天を知るに明らかなり。其れ人に敎えて曰く、孔子の道に非ずんば、學ぶ可からざるなり、と。蓋し孟子沒して自り中庸の學傳わらず、後世の士其の本に循わずして心を末に用う。故に與に堯・舜の道に入る可からず。先生獨智自得を以て、聖人を去ること千有餘歲にして、其の關鍵を發し、直に堂奧を睹、天地の理を一にし、事物の變を盡くす。故に其の貌肅[おごそ]かにして氣和し、志定まりて言厲し。之を望んで畏る可く、之に卽いて親しむ可し。之を叩く者窮まり無くして、從容として以て之に應じ、其の出ること愈々新たなり。眞に學者の師なり。人才を成就すること、時に於て多しとす。久しく朝廷を去ると雖も、人常に其の出處を以て時の通塞とす。旣に宗正丞に除せらる。天下日に先生朝に入りて、以て且大いに用うることをせんと望む。其の亡ぶるを聞くに及んで、上公卿自り、下閭巷の士民に至るまで、之を哀しまずということ莫し。曰く、時の不幸なり、其れ命なるかな、と。


書行狀後  游酢
【読み】
行狀の後に書す  游酢

建安游酢曰、先生道德之高致、經綸之遠圖、進退之大節、伊川季先生與門人高第旣論其實矣。酢復何言。謹拾其遺事、備採錄云。
【読み】
建安の游酢が曰く、先生道德の高致、經綸の遠圖、進退の大節は、伊川季先生と門人高第と旣に其の實を論ず。酢復何をか言わん。謹んで其の遺事を拾って、採錄に備うと云う。

先生生而有妙質、聞道甚早。年逾冠、明誠夫子張子厚友而師之。子厚少時自喜其才謂、提騎卒數萬、可橫行匈奴。視叛羌爲易與耳。故從之游者、多能道邊事。旣而得聞先生論議、乃歸謝其徒、盡棄其舊學、以從事於道。其視先生雖外兄弟之子、而虛心求益之意、懇懇如不及。逮先生之官、猶以書抵扈、以定性未能不動致問。先生爲破其疑、使内外動靜、道通爲一。讀其書可考而知也。其後子厚學成德尊。識者謂與孟子比。然猶秘其學、不多爲人講之。其意若曰、雖復多聞、不務畜德、徒善口耳而已。故不屑與之言。先生謂之曰、道之不明於天下久矣。人善其所習、自謂至足。必欲如孔門不憤不啓、不悱不發、則師資勢隔、而先王之道或幾乎熄矣。趣今之時、且當隨其資而誘之。雖識有明暗、志有淺深、亦各有得焉、而堯・舜之道庶可馴致。子厚用其言。故關中學者躬行之多、與洛人竝。推其所自、先生發之也。擢爲御史。睿眷甚渥、亟承德音。所獻納必據經術、事常辨於早而戒於漸。一日、神宗縱言及於辭命。先生曰、人主之學、唯當務爲急。辭命非所先也。神宗爲之動顏。會同天節宮嬪爭獻奇巧、爲天子壽。先生旣言於朝、又顧謂執政戒之。執政曰、宮嬪實爲、非上意也。庸何傷。先生曰、作淫巧以蕩上心。所傷多矣。公之言非是。執政辭遂屈。是時有同在臺列者、志未必同、然心慕其爲人。嘗語人曰、他人之賢者、猶可得而議也。乃若伯淳、則如美玉然。反復視之、表裏洞徹、莫見疵瑕。
【読み】
先生生まれて妙質有り、道を聞くこと甚だ早し。年冠を逾えて、明誠夫子張子厚友とし之を師とす。子厚少かりし時自ら其の才を喜んで謂えらく、騎卒數萬を提[ひきつ]れて、匈奴に橫行す可し、と。叛羌を視て與し易しとするのみ。故に之に從って游ぶ者、多くは能く邊事を道う。旣にして先生の論議を聞くことを得て、乃ち歸りて其の徒を謝して、盡く其の舊學を棄てて、以て道に從事す。其の先生を視ること外兄弟の子と雖も、心を虛にして益を求むるの意、懇懇として及ばざるが如し。先生官に之くに逮んで、猶書を以て抵扈[ていこ]して、性を定むるに未だ動かざること能わずというを以て問うことを致す。先生爲に其の疑いを破って、内外動靜、道通じて一爲らしむ。其の書を讀んで考えて知る可し。其の後子厚學成り德尊し。識者謂いて孟子と比す。然れども猶其の學を秘して、多く人の爲に之を講ぜず。其の意若く曰く、復多聞なりと雖も、德を畜うることを務めずんば、徒に口耳を善くするのみ、と。故に之を與[もっ]て言うことを屑しとせず。先生之に謂いて曰く、道の天下に明らかならざること久し。人其の習う所を善くすれば、自ら至れり足れりと謂う。必ず孔門憤せずんば啓せず、悱せずんば發せざるが如くせんことを欲せば、則ち師資勢隔ちて、先王の道或は熄[や]むに幾からん。今の時に趣かば、且當に其の資に隨いて之を誘くべし。識に明暗有り、志に淺深有りと雖も、亦各々得ること有りて、堯・舜の道庶わくは馴致す可し、と。子厚其の言を用う。故に關中の學者躬に之を行うこと多く、洛人と竝ぶ。其の自る所を推すに、先生之を發すればなり。擢[あ]げられて御史と爲る。睿眷[えいけん]甚だ渥[あつ]く、亟[しば]々德音を承く。獻納する所は必ず經術に據り、事常に早きに辨じて漸に戒む。一日、神宗縱言して辭命に及ぶ。先生曰く、人主の學は、唯當に務むべきを急とす。辭命は先んずる所に非ず、と。神宗之が爲に顏を動かす。會同天節に宮嬪爭って奇巧を獻じ、天子の壽きを爲す。先生旣に朝に言[もう]し、又顧みて執政に謂いて之を戒む。執政曰く、宮嬪實に爲して、上意に非ず。何を庸って傷らん、と。先生曰く、淫巧を作して以て上の心を蕩[うご]かす。傷る所多し。公の言は是に非ず、と。執政辭して遂に屈す。是の時同じく臺列に在る者有り、志未だ必ずしも同じからざれども、然れども心に其の人と爲りを慕う。嘗て人に語りて曰く、他人の賢者は、猶得て議す可し。乃ち伯淳の若きは、則ち美玉の如く然り。反復して之を視るに、表裏洞徹して、疵瑕を見ること莫し、と。

先生平生與人交、無隱情、雖僮僕必託以忠信。故人亦不忍欺之。嘗自澶淵遣奴持金詣京師貿用物。計金之數可當二百千。奴無父母妻子。同列聞之、莫不駭且誚。旣而奴持物如期而歸。衆始歎服。蓋誠心發於中、暢於四支。見之者信慕、事之者革心、大抵類此。
【読み】
先生平生人と交わるに、隱情無く、僮僕と雖も必ず託するに忠信を以[もち]う。故に人も亦之を欺くに忍びず。嘗て澶淵自り奴をして金を持して京師に詣って用物を貿[あきな]わしむ。金の數を計るに二百千に當たる可し。奴に父母妻子無し。同列之を聞いて、駭[おどろ]き且つ誚[そし]らずということ莫し。旣にして奴物を持して期の如くにして歸る。衆始めて歎服す。蓋し誠心中に發して、四支に暢[の]ぶ。之を見る者は信に慕い、之に事うる者は心を革むること、大抵此に類す。

先生少長親闈、視之如傷。又氣象淸越、灑然如在塵外、宜不能勞苦。及遇事、則每與賤者同起居飮食。人不堪其難。而先生處之裕如也。嘗董役。雖祁寒烈日、不擁裘、不御蓋、時所巡行、衆莫測其至。故人自致力、常先期畢事。異時夫伍中夜多譁。一夫或怖、萬夫競起。姦人乘虛爲盜者、不可勝數。先生以師律處之。遂訖去無譁者。及役罷夫散、部伍猶肅整如常。
【読み】
先生少より親闈[しんい]に長じて、之を視れば傷つくが如し。又氣象淸越、灑然として塵外に在るが如く、宜しく勞苦すること能わざるべし。事に遇うに及べば、則ち每に賤者と起居飮食を同じくす。人其の難きに堪えず。而るに先生は之に處して裕如たり。嘗て役を董[おさ]む。祁寒烈日と雖も、裘を擁せず、蓋を御せず、時々巡行する所、衆其の至りを測ること莫し。故に人自ら力を致すこと、常に期に先んじて事を畢う。異時夫伍中夜多く譁[かまびす]し。一夫怖るること或れば、萬夫競い起つ。姦人虛に乘じて盜を爲す者、勝[あ]げて數う可からず。先生師律を以て之を處す。遂に去るに訖[いた]るまで譁しき者無し。役罷めて夫散ずるに及んで、部伍猶肅整なること常の如し。

初至鄠、有監酒稅者、以賄播聞。然怙力文身、自號能殺人。衆皆憚之。雖監司州將未敢發。先生至、將與之同事。其人心不自安、輒爲言曰、外人謂某自盜官錢。新主簿將發之。某勢窮、必殺人。言未訖、先生笑曰、人之爲言、一至於此。足下食君之祿。詎肯爲盜。萬一有之、將救死不暇。安能殺人。其人默不敢言。後亦私償其所盜、卒以善去州。從事有旣孤而遭祖母喪者。身爲嫡孫、未果承重。先生爲推典法意、告之甚悉。其人從之。至今遂爲定令、而天下搢紳始習爲常。蓋先生御小人使不麗於法、助君子使必成其美、又大抵類此。
【読み】
初めて鄠に至るとき、酒稅を監する者有り、賄を以て播聞す。然も力を怙んで身を文して、自ら能く人を殺すと號す。衆皆之を憚る。監司州將と雖も未だ敢えて發せず。先生至って、將に之と事を同じくせんとす。其の人心自ら安んぜず、輒ち言を爲して曰く、外人謂う、某自ら官錢を盜む、と。新主簿將に之を發せんとするか。某勢窮せば、必ず人を殺さん、と。言未だ訖[お]わらざるに、先生笑って曰く、人の言を爲す、一に此に至るや。足下は君の祿を食す。詎[なん]ぞ肯えて盜をせん。萬一之れ有らば、將に死を救って暇あらざらん。安んぞ能く人を殺さん、と。其の人默して敢えて言わず。後亦私かに其の盜む所を償って、卒に善を以て州を去る。從事旣に孤にして祖母の喪に遭う者有り。身嫡孫と爲りて、未て重を承くることを果たさず。先生爲に典法の意を推して、之に告ぐること甚だ悉[つ]くせり。其の人之に從う。今に至るまで遂に定令と爲して、天下の搢紳[しんしん]始めて習って常とす。蓋し先生小人を御しては法に麗[か]からざらしめ、君子を助けては必ず其の美を成さしむること、又大抵此に類す。

先生雖不用、而未嘗一日忘朝廷。然久幽之操、確乎如石、胸中之氣沖如也。所至、士大夫多棄官從之學。朝見而夕歸、飮其和、茹其實。旣久而不能去。其徒有貧者、以單衣御冬、累年而志不變、身不屈。蓋先生之敎、要出於爲己。而士之游其門者、所學皆心到自得、無求於外。以故甚貧者忘飢寒、已仕者忘爵祿、魯重者敏、謹細者裕、强者無拂理、懦者有立志。可以修身、可以齊家、可以治國平天下。非若世之士、妄意空無、追詠昔人之糟粕、而身不與焉、及措之事業、則倀然無據而已也。
【読み】
先生用いられずと雖も、而れども未だ嘗て一日も朝廷を忘れず。然して久幽の操、確乎として石の如く、胸中の氣沖如たり。至る所、士大夫多く官を棄てて之に從いて學ぶ。朝に見えて夕に歸り、其の和を飮み、其の實を茹[く]らう。旣に久しくして去ること能わず。其の徒に貧しき者有り、單衣を以て冬を御せども、年を累ねて志變ぜず、身屈せず。蓋し先生の敎、要は己の爲にするに出づ。而して士の其の門に游ぶ者、學ぶ所皆心到り自得して、外に求むること無し。故を以て甚だ貧しき者も飢寒を忘れ、已に仕うる者も爵祿を忘れ、魯重なる者敏に、謹細なる者裕に、强なる者も理に拂[もと]ること無く、懦なる者も志を立つること有り。以て身を修む可く、以て家を齊う可く、以て國を治め天下を平らかにす可し。世の士、意を空無に妄りにして、昔人の糟粕を追詠して、身與らず、之を事業に措くに及んでは、則ち倀然[ちょうぜん]として據ること無きが若くなるのみに非ざるなり。

方朝廷圖任眞儒、以惠天下、天下有識者謂、先生行且大用矣。不幸而先生卒。鳴呼、道之行與廢、果非人力所能爲也。悲夫、哭而爲之贊曰、天地之心、其太一之體歟、天地之化、其太和之運歟。確然高明、萬物覆焉。隤然博厚、萬物載焉。非以其一歟。陽自此舒、陰自此凝。消息滿虛、莫見其形。非以其和歟。夫子之德、其融心滌慮、默契於此歟。不然、何穆穆不已、渾渾無涯、而能言之士、莫足以頌其美歟。嗟乎、孰謂此道未施、此民未覺、而先覺者逝歟。百世之下、有想見夫子而不可得者、亦能觀諸天地之際歟。
【読み】
朝廷圖って眞儒に任じ、以て天下を惠むに方りて、天下有識の者謂えらく、先生行かば且つ大いに用いられん、と。不幸にして先生卒せり。鳴呼、道の行わるると廢るると、果たして人力の能くする所に非ず。悲夫、哭して之が贊を爲して曰く、天地の心は、其れ太一の體か、天地の化は、其れ太和の運か。確然たる高明、萬物覆わる。隤然[たいぜん]たる博厚、萬物載す。其の一を以てするに非ずや。陽此れ自り舒[の]び、陰此れ自り凝る。消息滿虛、其の形を見ること莫し。其の和を以てするに非ずや。夫子の德、其れ心を融[と]かし慮を滌[はら]って、此に默契するか。然らずんば、何ぞ穆穆として已まず、渾渾として涯[かぎ]り無くして、能言の士も、以て其の美を頌するに足ること莫きや。嗟乎、孰か謂わん、此の道未だ施さず、此の民未だ覺さずして、先覺の者逝するや、と。百世の下、夫子を想い見ること有りて得可からざる者は、亦能く諸を天地の際に觀んか、と。


哀詞  呂大臨

嗚呼、去聖遠矣、斯文喪矣。先王之流風善政、泯沒而不可見。明師賢弟子傳授之學、斷絕而不得聞。以章句訓詁爲能窮遺經、以儀章度數爲能盡儒術、使聖人之道玩於腐儒諷誦之餘、隱於百姓日用之末。反求諸己、則罔然無得、施之於天下、則若不可行。異端爭衡、猶不與此。
【読み】
嗚呼、聖を去ること遠くして、斯の文喪ぶ。先王の流風善政、泯沒して見る可からず。明師賢弟子傳授の學、斷絕して聞くことを得ず。章句訓詁を以て能く遺經を窮むと爲し、儀章度數を以て能く儒術を盡くすと爲し、聖人の道をして腐儒諷誦の餘に玩び、百姓日用の末に隱れしむ。己に反し求むるときは、則ち罔然として得ること無く、之を天下に施すときは、則ち行わる可からざるが若し。異端の衡を爭うは、猶此に與らず。

先生負特立之才、知大學之要。博文强識、躬行力究、察倫明物、極其所止。渙然心釋、洞見道體。其造於約也、雖事變之感不一、知應以是心而不窮、雖天下之理至衆、知反之吾身而自足。其致於一也、異端竝立而不能移、聖人復起而不與易。其養之成也、和氣充浹、見於聲容。然望之崇深、不可慢也。遇事優爲、從容不迫、然誠心懇惻、弗之措也。其自任之重也、寧學聖人而未至、不欲以一善成名、寧以一物不被澤爲己病。不欲以一時之利爲己功。其自信之篤也、吾志可行、不苟潔其去就。吾義所安、雖小官有所不屑。
【読み】
先生特立の才を負い、大學の要を知る。博文强識、躬に行い力め究めて、倫を察らかにし物を明らかにして、其の止まる所を極む。渙然として心釋けて、洞[あき]らかに道體を見る。其の約に造るや、事變の感一ならずと雖も、應ずるに是の心を以てして窮まらざるを知り、天下の理至って衆しと雖も、之を吾が身に反して自ら足ることを知る。其の一を致すや、異端竝び立つとも移すこと能わず、聖人復起こるとも與に易えず。其の養うことの成るや、和氣充浹して、聲容に見る。然れども之を望めば崇深にして、慢る可からず。事に遇って優[ゆた]かに爲して、從容として迫らず、然れども誠心懇惻して、之を措かず。其の自ら任ずることの重き、寧ろ聖人を學んで未だ至らざれども、一善を以て名を成すことを欲せず、寧ろ一物澤を被らざるを以て己が病と爲す。一時の利を以て己が功と爲すことを欲せず。其の自ら信ずることの篤き、吾が志行う可きときは、苟も其の去就を潔しとせず。吾が義の安んずる所は、小官と雖も屑しとせざる所有り。

夫位天地、育萬物者、道也。傳斯道者、斯文也。振已墜之文、達未行之道者、先生也。使學不卒傳、志不卒行、至於此極者、天也。先生之德、可形容者、猶可道也。其獨智自得、合乎天、契乎先聖者、不可得而道也。元豐八年六月、明道先生卒。門人學者皆以所自得者名先生之德。先生之德未易名也、亦各伸其志爾。汲郡呂大臨書。
【読み】
夫れ天地を位し、萬物を育する者は、道なり。斯の道を傳うる者は、斯の文なり。已に墜ちたる文を振[すく]って、未だ行われざる道を達する者は、先生なり。學をして卒に傳わらず、志をして卒に行われず、此の極に至らしむる者は、天なり。先生の德、形容す可き者は、猶道う可し。其の獨智自得、天に合い、先聖に契[あ]う者は、得て道う可からず。元豐八年六月、明道先生卒す。門人學者皆自得する所の者を以て先生の德を名づく。先生の德未だ名づけ易からず、亦各々其の志を伸ぶるのみ。汲郡の呂大臨書す。


明道先生墓表  伊川先生

  大宋明道先生程君伯淳之墓
   宋太師致仕潞國公文彥博題

先生名顥、字伯淳、葬於伊川。潞國太師題其墓曰、明道先生。弟頤序其所以而刻之石曰、周公沒、聖人之道不行、孟軻死、聖人之學不傳。道不行、百世無善治、學不傳、千載無眞儒。無善治、士猶得以明夫善治之道、以淑諸人、以傳諸後。無眞儒、天下貿貿焉莫知所之、人欲肆而天理滅矣。先生生千四百年之後、得不傳之學於遺經、志將以斯道覺斯民。天不憖遺、哲人早世。郷人士大夫相與議曰、道之不明也久矣。先生出、倡(徐本・呂本倡作掲。)聖學以示人、辨異端、闢邪說、開歷古之沈迷。聖人之道得先生而後(徐本・呂本後作復。)明。爲功大矣。於是帝師采衆議而爲之稱以表其墓。學者之於道、知所嚮、然後見斯人之爲功、知所至、然後見斯名之稱情。山可夷、谷可湮、明道之名亘萬世而長存。勒石墓傍、以詔後人。元豐乙丑十月戊子書。
【読み】
先生名は顥、字は伯淳、伊川に葬る。潞國太師其の墓に題して曰く、明道先生、と。弟頤其の所以を序して之を石に刻んで曰く、周公沒して、聖人の道行われず、孟軻死して、聖人の學傳わらず。道行われずして、百世善治無く、學傳わらずして、千載眞儒無し。善治無きときは、士猶以て夫の善治の道を明らかにして、以て諸を人に淑くして、以て諸を後に傳うることを得。眞儒無きときは、天下貿貿焉として之く所を知ること莫く、人欲肆にして天理滅ぶ。先生千四百年の後に生まれて、不傳の學を遺經に得、志將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす。天憖[なまじ]いに遺さずして、哲人早世す。郷人士大夫相與に議して曰く、道の明らかならざるや久し。先生出て、聖學を倡えて(徐本・呂本倡を掲に作る。)以て人に示し、異端を辨じ、邪說を闢いて、歷古の沈迷を開く。聖人の道先生を得て後(徐本・呂本後を復に作る。)明らかなり。功を爲すこと大なり。是に於て帝師衆議を采りて之が爲に稱して以て其の墓に表す。學者の道に於る、嚮かう所を知って、然して後に斯の人の功爲ることを見、至る所を知って、然して後に斯の名の情に稱うことを見ん。山は夷[たいら]かなる可く、谷は湮[ふさ]がる可くとも、明道の名は萬世に亘って長く存せん。石墓の傍に勒して、以て後人に詔[つ]ぐ。元豐乙丑十月戊子に書す。


伊川先生年譜  晦翁

先生名頤、字正叔、明道先生之弟也(明道生於明道元年壬申、伊川生於明道二年癸酉。)。幼有高識、非禮不動(見語錄。)。年十四五、與明道同受學於春陵周茂叔先生(見哲宗・徽宗實錄。)。皇祐二年、年十八、上書闕下、勸仁宗以王道爲心、生靈爲念、黜世俗之論、期非常之功。且乞召對、面陳所學。不報、閒游太學。時海陵胡翼之先生方主敎導。嘗以顏子所好何學論試諸生。得先生所試、大驚、卽延見、處以學職(見文集。)。呂希哲原明與先生鄰齋。首以師禮事焉。旣而四方之士、從游者日益衆(見呂氏童蒙訓。)。舉進士。嘉祐四年廷試報罷、遂不復試。太中公屢當得任子恩、輒推與族人(見涪陵記善錄。)。治平・熙寧閒、近臣屢薦。自以爲學不足、不願仕也(見文集。又按呂申公家傳云、公判太學、命衆博士卽先生之居、敦請爲太學正。先生固辭。公卽命駕過之。又雜記、治平三年九月、公知蔡州、將行。言曰、伏見南省進士程頤、年三十四、有特立之操、出羣之資。嘉祐四年、已與殿試。自後絕意進取、往來太學。諸生願得以爲師。臣方領國子監、親往敦請、卒不能屈。臣嘗與之語、洞明經術、通古今治亂之要、實有經世濟物之才、非同拘士曲儒、徒有偏長。使在朝廷、必爲國器。伏望特以不次旌用。明道行狀云、神宗嘗使推擇人材。先生所薦數十人、以父表弟張載曁弟頤爲稱首。)
【読み】
先生名は頤、字は正叔、明道先生の弟なり(明道は明道元年壬申に生まれ、伊川は明道二年癸酉に生まる。)。幼より高識有り、非禮には動かず(語錄に見る。)。年十四五にして、明道と同じく學を春陵の周茂叔先生に受く(哲宗・徽宗實錄に見る。)。皇祐二年、年十八、闕下に上書して、仁宗を勸むるに王道を心と爲し、生靈を念と爲し、世俗の論を黜[しりぞ]け、非常の功を期することを以てす。且召對を乞いて、面[まのあた]りに學ぶ所を陳ぶ。報あらず、閒[しばら]く太學に游ぶ。時に海陵の胡翼之先生方に敎導を主る。嘗て顏子好む所何の學というの論を以て諸生を試む。先生の試みる所を得て、大いに驚き、卽ち延見して、處するに學職を以てす(文集に見る。)。呂希哲原明と先生と鄰齋たり。首めて師の禮を以て事う。旣にして四方の士、從い游ぶ者日に益々衆し(呂氏童蒙訓に見る。)。進士に舉げらる。嘉祐四年廷試報罷めて、遂に復試みず。太中公屢々任子の恩を得るに當たって、輒ち族人を推與す(涪陵記善錄に見る。)。治平・熙寧の閒、近臣屢々薦む。自ら學を爲むること足らずというを以て、仕うることを願わず(文集に見る。又按ずるに呂申公の家傳に云く、公太學に判たるとき、衆くの博士に命じて先生の居に卽いて、敦く太學正爲らんことを請う。先生固く辭す。公卽ち駕を命じて之に過る、と。又雜記に、治平三年九月、公蔡州に知たるとき、將に行かんとす。言いて曰く、伏して見るに南省の進士程頤、年三十四、特立の操、出羣の資有り。嘉祐四年、已に殿試に與る。自後意を進取に絕ちて、太學に往來す。諸生以て師爲ることを得んことを願う。臣方に國子監を領して、親ら往いて敦く請いて、卒に屈すること能わず。臣嘗て之と語るに、洞らかに經術を明らかにし、古今治亂の要に通じ、實に經世濟物の才有り、拘士曲儒の、徒に偏長有るに同じきに非ず。朝廷に在らしめば、必ず國器爲らん。伏して望むらくは特に不次を以て旌し用いよ、と。明道の行狀に云く、神宗嘗て人材を推擇せしむ。先生薦むる所數十人、父の表弟張載曁び弟頤を以て稱首とす、と。)

元豐八年、哲宗嗣位。門下侍郎司馬公光、尙書左丞呂公公著、及西京留守韓公絳、上其行義於朝(見哲宗・徽宗實錄。按溫公集與呂申公同薦箚子曰、臣等竊見河南處士程頤、力學好古、安貧守節、言必忠信、動遵禮義。年逾五十、不求仕進。眞儒者之高蹈、聖世之逸民。伏望特加召命、擢以不次。足以矜式士類、裨益風化。又按胡文定公文集云、是時諫官朱光庭又言、頤道德純備、學問淵博、材資勁正、有中立不倚之風。識慮明徹、至知幾其神之妙。言行相顧而無擇、仁義在躬而不矜。若用斯人、俾當勸講、必能輔養聖德、啓道天聰、一正君心、爲天下福。又謂、頤究先生之蘊、達當世之務。乃天民之先覺、聖代之眞儒。俾之日侍經筵、足以發揚聖訓。兼掌學校、足以丕變斯文。又論、祖宗時起陳搏・种放、高風素節、聞於天下。揆頤之賢、搏・放未必能過之。頤之道、則有搏・放所不及知者。觀其所學、眞得聖人之傳、致思力行、非一日之積、有經天緯地之才、有制禮作樂之具。乞訪問其至言正論、所以平治天下之道。又謂、頤、以言乎道、則貫徹三才而無一毫之或閒。以言乎德、則幷包衆美而無一善之或遺。以言乎學、則博通古今而無一物之不知。以言乎才、則開物成務而無一理之不總。是以聖人之道、至此而傳。況當天子進學之初、若俾眞儒得專經席、豈不盛哉。)。十一月丁巳、授汝州團練推官、西京國子監敎援(見實錄。)。先生再辭。尋召赴闕。
【読み】
元豐八年、哲宗位を嗣ぐ。門下侍郎司馬公光、尙書左丞呂公公著、及び西京の留守韓公絳、其の行義を朝に上[たてまつ]る(哲宗・徽宗實錄に見る。溫公集を按ずるに呂申公と與に同じく薦むる箚子に曰く、臣等竊かに見るに河南の處士程頤、學を力め古を好み、貧に安んじ節を守り、言必ず忠信あり、動くこと禮義に遵う。年五十を逾えて、仕進を求めず。眞儒者の高蹈、聖世の逸民なり。伏して望むらくは特に召命を加え、擢[あ]ぐるに不次を以てせんことを。以て士類を矜式して、風化を裨益するに足らん、と。又胡文定公文集を按ずるに云く、是の時諫官朱光庭又言く、頤道德純ら備わり、學問淵博、材資勁正、中立して倚らざるの風有り。識慮明徹、幾を知って其れ神なるの妙に至る。言行相顧みて擇ぶこと無く、仁義躬に在りて矜らず。若し斯の人を用いて、勸講に當たらしめば、必ず能く聖德を輔養し、天聰を啓道して、一に君の心を正して、天下の福と爲らん、と。又謂く、頤先生の蘊を究め、當世の務めに達す。乃ち天民の先覺、聖代の眞儒なり。之をして日に經筵に侍らしめば、以て聖訓を發揚するに足らん。兼ぬるに學校を掌らしめば、以て丕[おお]いに斯の文を變ずるに足らん、と。又論ず、祖宗の時陳搏・种放を起こして、高風素節、天下に聞こゆ。頤の賢を揆[はか]るに、搏・放未だ必ずしも能く之に過ぎず。頤の道は、則ち搏・放知ること及ばざる所の者有り。其の學ぶ所を觀るに、眞に聖人の傳を得、思を致めて力め行うこと、一日の積に非ず、天を經にし地を緯にするの才有り、禮を制し樂を作るの具有り。乞う其の至言正論、天下を平治する所以の道を訪ね問え、と。又謂く、頤、以て道を言うときは、則ち三才を貫徹して一毫の閒或ること無し。以て德を言うときは、則ち衆美を幷包して一善の遺すこと或ること無し。以て學を言うときは、則ち博く古今に通じて一物の知らざること無し。以て才を言うときは、則ち物を開き務めを成して一理の總べざること無し。是を以て聖人の道、此に至って傳う。況んや天子學を進むの初めに當たって、若し眞儒をして經席を專らにすることを得せしめば、豈盛んならずや、と。)。十一月丁巳、汝州の團練推官、西京の國子監敎援を授く(實錄に見る。)。先生再辭す。尋[つ]いで召されて闕に赴く。

元祐元年三月、至京師(王嚴叟奏云、伏見程頤、學極聖人之精微、行全君子之純粹。早與其兄顥、倶以德名顯於時。陛下復起頤而用之。頤趣召以來、待詔闕下。四方俊乂、莫不翹首向風、以觀朝廷所以待之者如何、處之者當否、而將議焉。則陛下此舉、繫天下之心。臣願陛下加所以待之之禮、擇所以處之之方、而使高賢得爲陛下盡其用、則所得不獨頤一人而已、四海潛光隱德之士、皆將相招而爲朝廷出矣。)。除宣德郎、秘書省校書郎。先生辭曰、祖宗(呂本・徐本祖宗作神宗。)時、布衣被召、自有故事。今臣未得入見、未敢袛命(王嚴叟奏云、臣伏聞、聖恩特除程頤京官、仍與校書郎。足以見陛下優禮高賢、而使天下之人歸心於盛德也。然臣區區之誠、尙有以爲陛下言者。願陛下一召見之、試以一言、問爲國之要、陛下至明、遂可自觀其人。臣以、頤抱道養德之日久、而潛神積慮之功深、靜而閱天下之義理者多。必有嘉言以新聖聽。此臣所以區區而進頤。然非爲頤也。欲成陛下之美耳。陛下一見而後命之以官、則頤當之而無愧、陛下與之而不悔。授受之閒、兩得之矣。)。於是召對。太皇太后面喩、將以爲崇政殿說書。先生辭不獲、始受西監之命。且上奏、論經筵三事。其一、以上富於春秋、輔養爲急、宜選賢德、以備講官、因使陪侍宿直、陳說道義。所以涵養氣質、薰陶德性。其二、請上左右内侍宮人、皆選老成厚重之人、不使侈靡之物、淺俗之言、接於耳目、仍置經筵袛應内臣十人、使伺上在宮中動息、以語講官、其或小有違失、得以隨事規諫。其三、請令講官坐講、以養人主尊儒重道之心、寅畏袛懼之德。而曰若言可行、敢不就職。如不可用、願聽其辭(箚子三道、見文集。又按劉忠肅公文集有章疏、論先生辭卑居尊、未被命而先論事爲非。是蓋不知先生出處語默之際、其義固已精矣。)。旣而命下、以通直郎充崇政殿說書(見實錄。)。先生再辭而後受命。
【読み】
元祐元年三月、京師に至る(王嚴叟奏して云く、伏して見るに程頤、學聖人の精微を極め、行君子の純粹を全うす。早に其の兄顥と、倶に德名を以て時に顯る。陛下復頤を起こして之を用う。頤召に趣いて以て來りて、詔を闕下に待す。四方の俊乂、首を翹げて風に向かわずということ莫くして、以て朝廷之を待する所以の者如何、之を處する者の當否を觀て、將に議せんとす。則ち陛下の此の舉は、天下の心に繫る。臣願わくは陛下之を待する所以の禮を加え、之を處する所以の方を擇んで、高賢をして陛下の爲に其の用を盡くすことを得せしめば、則ち得る所獨り頤一人のみにあらず、四海光を潛め德を隱すの士、皆將に相招いて朝廷の爲に出んとす、と。)。宣德郎、秘書省校書郎に除せらる。先生辭して曰く、祖宗(呂本・徐本祖宗を神宗に作る。)の時、布衣にして召さるること、自づから故事有り。今臣未だ入り見ることを得ず、未だ敢えて命を袛[つつし]まず、と(王嚴叟奏して云く、臣伏して聞く、聖恩特に程頤を京官に除し、仍りに校書郎を與う、と。以て陛下高賢に優禮して、天下の人をして心を盛德に歸せしむるを見るに足れり。然れども臣區區の誠、尙以て陛下の爲に言える者有り。願わくは陛下一たび召して之を見、試みるに一言を以てして、國を爲むるの要を問わば、陛下の至明、遂に自ら其の人を觀る可し。臣以えらく、頤道を抱き德を養うの日久しくして、神を潛め慮を積むの功深く、靜かにして天下の義理を閱る者多し。必ず嘉言の以て聖聽を新たにすること有らん。此れ臣が區區として頤を進むる所以なり。然れども頤の爲には非ず。陛下の美を成さんと欲するのみ。陛下一たび見て而して後に之に命ずるに官を以てせば、則ち頤之に當たって愧づること無く、陛下之に與えて悔いず。授受の閒、兩ながら之を得ん、と。)。是に於て召對す。太皇太后面喩して、將に以て崇政殿の說書とせんとす。先生辭することを獲ず、始めて西監の命を受く。且つ上奏して、經筵三事を論ず。其の一に、上春秋に富み、輔養を急とせんことを以て、宜しく賢德を選んで、以て講官に備え、因りて陪侍宿直して、道義を陳說せしむべし。氣質を涵養し、德性を薰陶する所以なり。其の二に、請う、上の左右の内侍宮人、皆老成厚重の人を選んで、侈靡の物、淺俗の言をして、耳目に接わらしめず、仍りて經筵に袛み應ずる内臣十人を置いて、上の宮中に在る動息を伺って、以て講官に語げしめて、其れ或は小しも違失有れば、以て事に隨いて規[ただ]し諫むることを得んことを。其の三に、請う、講官をして坐講して、以て人主儒を尊び道を重んずるの心、寅[つつし]み畏れ袛み懼るるの德を養わしめんことを。而して若し言行う可しと曰わば、敢えて職に就かざらんや。如し用う可からざれば、願わくは其の辭を聽せ、と(箚子三道、文集に見る。又按ずるに劉忠肅公文集に章疏有り、先生辭卑しくして尊きに居り、未だ命を被らずして先づ事を論ずることを論じて非とす。是れ蓋し先生の出處語默の際、其の義固に已に精しきことを知らざればなり。)。旣にして命下りて、通直郎を以て崇政殿の說書に充つ(實錄に見る。)。先生再辭して而して後に命を受く。

四月、例以暑熱罷講。先生奏言、輔導少主、不宜疏略如此。乞令講官以六參日上殿問起居、因得從容納誨、以輔上德(見文集。)。五月、差同孫覺・顧臨及國子監長貳、看詳國子監條制(見實錄。)。先生所定、大概以爲學校禮義相先之地。而月使之爭、殊非敎養之道。請改試爲課。有所未至、則學官召而敎之、更不考定高下。制尊賢堂、以延天下道德之士、鐫解額、以去利誘、省繁文、以專委任、勵行檢、以厚風敎。及置待賓吏師齋、立觀光法。如是者亦數十條(見文集。舊實錄云、禮部尙書胡宗愈謂、先帝聚士以學、敎人以經。三舍科條固已精密。宜一切仍舊。因是深詆先謂不宜使在朝廷。)
【読み】
四月、例として暑熱を以て講を罷む。先生奏言すらく、少主を輔導すること、宜しく疏略なること此の如くすべからず。乞う講官をして六參日を以て上殿して起居を問わしめ、因りて從容として誨を納れて、以て上の德を輔くることを得ん、と(文集に見る。)。五月、同孫覺・顧臨及び國子監長貳を差して、國子監の條制を看詳せしむ(實錄に見る。)。先生の定むる所、大概以爲えらく、學校は禮義相先んずるの地なり。而るに月々之をして爭わしむるは、殊に敎養の道に非ず。請う試を改めて課と爲せ。未だ至らざる所有らば、則ち學官召して之に敎えて、更に高下を考定せざれ。尊賢堂を制して、以て天下道德の士を延[ひ]き、解額を鐫[え]って、以て利誘を去り、繁文を省いて、以て委任を專らにし、行檢を勵して、以て風敎を厚くせよ。及び待賓吏師の齋を置いて、觀光の法を立てよ、と。是の如き者亦數十條なり(文集に見る。舊實錄に云く、禮部尙書胡宗愈謂えらく、先帝士を聚むるに學を以てし、人を敎うるに經を以てす。三舍の科條固に已に精密なり。宜しく一切に舊に仍るべし、と。是に因りて深く先生を詆[そし]って宜しく朝廷に在らしむべからずと謂えり、と。)

六月、上疏太皇太后言、今日至大至急、爲宗社生靈長久之計、惟是輔養上德。而輔養之道、非徒涉書史、覽古今而已、要使跬步不離正人、乃可以涵養薰陶、成就聖德。今閒日一講、解釋數行、爲益旣少。又自四月罷講、直至中秋、不接儒臣、殆非古人旦夕承弼之意。請俟初秋、卽令講官輪日入侍、陳說義理。仍選臣僚家十一二歲子弟三人、侍上習業。且以邇英迫隘暑熱、恐於上體非宜、而講日宰臣史官皆入、使上不得舒泰悅懌。請自今、一月再講於崇政殿、然後宰臣史官入侍。餘日講於延和殿、則後楹垂簾、而太皇太后時一臨之。不惟省察主上進業、其於后德、未必無補。且使講官欲有所言易以上達。所繫尤大。又講讀官例兼他職。請亦罷之、使得積誠意以感上心。皆不報。
【読み】
六月、太皇太后に上疏して言く、今日至大至急に、宗社生靈長久の計を爲すことは、惟是れ上の德を輔養するなり。而れども輔養の道は、徒に書史に涉り、古今を覽るのみに非ず、跬步[きほ]も正人を離れず、乃ち以て涵養薰陶して、聖德を成就す可からしめんことを要す。今日を閒てて一たび講じて、數行を解釋するは、益々旣に少なしとす。又四月自り講を罷めて、直に中秋に至るまで、儒臣に接せざるは、殆ど古人旦夕承弼するの意に非ず。請う初秋を俟って、卽ち講官をして輪日入侍して、義理を陳說せしめよ。仍りて臣僚の家十一二の歲の子弟三人を選んで、上に侍して業を習わしむ。且邇英の迫隘暑熱なるを以て、恐らくは上の體に於て宜しきに非ずして、講ずる日宰臣史官皆入らば、上をして舒泰悅懌[えつえき]することを得ざらしめん。請う今自り、一月再び崇政殿に講じ、然して後に宰臣史官入侍せよ。餘日延和殿に講ずるときは、則ち後楹に簾を垂らして、太皇太后時に一たび之に臨まん。惟主上の進業を省察するのみにあらず、其れ后の德に於て、未だ必ずしも補い無くんばあらず。且講官の言う所有らんと欲するをして以て上達し易からしめん。繫る所尤も大なり。又講讀の官は例として他職を兼ぬ。請う亦之を罷めて、誠意を積むことを得て以て上の心を感ぜしめよ、と。皆報あらず。

八月、差兼判登聞鼓院。先生引前說、且言入談道德、出領訴訟、非用人之體。再辭不受(見文集。楊時曰、事道與祿仕不同。常夷甫以布衣入朝。神宗欲優其祿、令兼數局。如鼓院染院之類、夷甫一切受之。及伊川先生爲講官、朝廷亦欲使兼他職、則固辭。蓋前日所以不仕者爲道也、則今日之仕、須其官足以行道乃可受、不然是苟祿也。然後世道學不明、君子辭受取舍、人鮮知之。故常公之受、人不以爲非、而先生之辭、人亦不以爲是也。)
【読み】
八月、差して登聞鼓院に兼判たらしむ。先生前說を引いて、且言く、入りては道德を談じ、出ては訴訟を領するは、人を用うるの體に非ず。再辭して受けず(文集に見る。楊時が曰く、道を事とすると祿仕するとは同じからず。常夷甫布衣を以て入朝す。神宗其の祿を優[ゆた]かにせんと欲して、數局を兼ねしむ。鼓院染院の類の如き、夷甫一切に之を受く。伊川先生講官と爲るに及んで、朝廷亦他職を兼ねしめんと欲して、則ち固辭す。蓋し前日仕えざる所以の者は道の爲なれば、則ち今日仕うることは、其の官以て道を行うに足るを須って乃ち受く可く、然らずんば是れ苟も祿するなり。然して後世道學明らかならず、君子の辭受取舍、人之を知ること鮮し。故に常公の受くるは、人以て非とせずして、先生の辭するは、人亦以て是とせざるなり、と。)

二年、又上疏論延和講讀垂簾事。且乞時召講官至簾前、問上進學次第。又奏邇英暑熱、乞就崇政・延和殿、或他寬涼處講讀。給事中顧臨以殿上講讀爲不可、有旨修展邇英閣。先生復上疏以爲、修展邇英、則臣所請遂矣。然祖宗以來、竝是殿上坐講。自仁宗始就邇英、而講官立侍。蓋從一時之便耳。非若臨之意也。今臨之意、不過以尊君爲說、而不知尊君之道。若以其言爲是、則誤主上知見。臣職當輔導、不得不辨。
【読み】
二年、又上疏して延和講讀垂簾の事を論ず。且時に講官を召して簾前に至って、上の學に進む次第を問わんことを乞う。又奏す、邇英暑熱、乞う崇政・延和殿、或は他の寬涼の處に就いて講讀せん、と。給事中顧臨殿上の講讀を不可とするを以て、旨有りて邇英閣を修展す。先生復上疏して以爲えらく、邇英を修展するときは、則ち臣が請う所遂ぐ。然れども祖宗より以來、竝に是れ殿上に坐講す。仁宗自り始めて邇英に就いて、講官立侍す。蓋し一時の便に從うのみ。臨が意の若きに非ず。今臨が意、君を尊ぶを以て說を爲すに過ぎずして、君を尊ぶの道を知らず。若し其の言を以て是と爲さば、則ち主上の知見を誤らん。臣が職輔導に當たって、辨ぜざることを得ず、と。

先生在經筵、每當進講、必宿齋豫戒、潛思存誠、冀以感動上意(見文集。)。而其爲說、常於文義之外、反復推明、歸之人主。一日當講顏子不改其樂章、門人或疑、此章非有人君事也、將何以爲說。及講旣畢文義、乃復言曰、陋巷之士、仁義在躬、忘其貧賤。人主崇高、奉養備極。苟不知學、安能不爲富貴所移。且顏子、王佐之才也。而簞食瓢飮。季氏、魯國之蠹也。而富於周公。魯君用捨如此。非後世之監乎。聞者歎服(見胡氏論語詳說。)。而哲宗亦嘗首肯之(見文集。)。不知者或誚其委曲已甚。先生曰、不於此盡心竭力、而於何所乎。上或服藥。卽日就醫官問起居(見語錄。)。然入侍之際、容貌極莊。時文潞公以太師平章重事。或侍立終日不懈。上雖喩以少休、不去也。人或以問先生曰、君之嚴、視潞公之恭、孰爲得失。先生曰、潞公四朝大臣、事幼主、不得不恭。吾以布衣職輔導。亦不敢不自重也(見邵氏見聞錄。)。嘗聞上在宮中起行漱水、必避螻蟻。因請之曰、有是乎。上曰、然。誠恐傷之爾。先生曰、願陛下推此心以及四海、則天下幸甚(見語錄。)
【読み】
先生經筵に在りて、每に進講するに當たって、必ず宿齋豫戒し、思いを潛め誠を存して、以て上の意を感動せんことを冀う(文集に見る。)。而して其の說を爲すこと、常に文義の外に於て、反復推明して、之を人主に歸す。一日顏子其の樂しみを改めざるの章を講ずるに當たって、門人或は疑う、此の章人君の事有るに非ず、將何を以て說を爲す、と。講旣に文義を畢えるに及んで、乃ち復言いて曰く、陋巷の士、仁義躬に在りて、其の貧賤を忘る。人主崇高、奉養備わり極む。苟も學を知らずんば、安んぞ能く富貴の爲に移されざらん。且つ顏子は、王佐の才なり。而れども簞食瓢飮す。季氏は、魯國の蠹[と]なり。而れども周公より富めり。魯君の用捨此の如し。後世の監に非ずや、と。聞く者歎服す(胡氏の論語詳說に見る。)。而して哲宗も亦嘗て之を首肯す(文集に見る。)。知らざる者は或は其の委曲已甚だしきことを誚[そし]る。先生曰く、此に於て心を盡くし力を竭くさずして、何の所に於てせんや、と。上或るとき藥を服す。卽日に醫官に就いて起居を問う(語錄に見る。)。然して入侍するの際、容貌極めて莊なり。時に文潞公太師を以て重事を平章す。或は侍立して日を終うれども懈らず。上喩すに少し休することを以てすと雖も、去らず。人或は以て先生に問いて曰く、君の嚴、潞公の恭に視[くら]ぶるに、孰れか得失とする、と。先生曰く、潞公は四朝の大臣、幼主に事えて、恭ならざることを得ず。吾れ布衣を以て輔導を職[つかさど]る。亦敢えて自重せずんばあらず、と(邵氏見聞錄に見る。)。嘗て上宮中に在りて起行漱水、必ず螻蟻を避くと聞く。因りて之を請いて曰く、是れ有りや、と。上曰く、然り。誠に之を傷つけんことを恐るるのみ、と。先生曰く、願わくは陛下此の心を推して以て四海に及ぼさば、則ち天下の幸甚ならん、と(語錄に見る。)

一日、講罷未退、上忽起憑檻、戲折柳枝。先生進曰、方春發生、不可無故摧折。上不悅(見馬永卿所編劉諫議語錄。且云、溫公聞之亦不悅。或云、恐無此事。)。所講書有容字、中人以黃覆之曰、上藩邸嫌名也。先生講罷、進言曰、人主之勢、不患不尊、患臣下尊之過甚而驕心生爾。此皆近習輩養成之。不可以不戒。請自今舊名嫌名皆勿復避(見語錄。)。時神宗之喪未除、而百官以冬至表賀。先生言、節序變遷時、思方切。請改賀爲慰。及除喪、有司又將以開樂致宴。先生又奏請罷宴曰、除喪而用吉禮、則因事用樂可矣。今特設宴、是喜之也(見文集。)。嘗聞後苑以金製水桶、問之。曰、崇慶宮物也。先生曰、若上所御、則吾不敢不諫。在職累月、不言祿、吏亦弗致。旣而諸公知之、俾戶部特給焉。又不爲妻求邑封。或問之。先生曰、某起於草萊、三辭不獲而後受命。今日乃爲妻求封乎(見語錄。)。經筵承受張茂則嘗招諸講官啜茶觀畫。先生曰、吾平生不啜茶、亦不識畫。竟不往(見龜山語錄。或云、恐無此事。)。文潞公嘗與呂・范諸公入侍經筵。聞先生講說、退相與歎曰、眞侍講也。一時人士歸其門者甚盛。而先生亦以天下自任、論議褒貶、無所顧避。由是、同朝之士有以文章名世者、疾之如讐。與其黨類巧爲謗詆(見龜山語錄、王公繫年錄、呂申公家傳及先生之子端中所撰集序。又按蘇軾奏狀、亦自云、臣素疾程某之姦。未嘗假以辭色。又按、侍御史呂陶言、明堂降赦、臣僚稱賀訖、而兩省官欲往奠司馬光。是時、程頤言曰、子於是日哭則不歌。豈可賀赦才了。却往弔喪。坐客有難之曰、子於是日哭則不歌。卽不言歌則不哭。今已賀赦了、却往弔喪、於禮無害。蘇軾遂以鄙語戲程頤。衆皆大笑。結怨之端、蓋自此始。又語錄云、國忌行香、伊川令供素饌。子瞻詰之曰、正叔不好佛、胡爲食素。先生曰、禮、居喪不飮酒、不食肉。忌日、喪之餘也。子瞻令具肉食曰、爲劉氏者左袒。於是范醇夫輩食素、秦・黃輩食肉。又鮮于綽傳信錄云、舊例、行香齋筵、兩制以上及臺諫官竝設蔬饌。然以粗糲、遂輪爲食會、皆用肉食矣。元祐初、崇政殿說書程正叔以食肉爲非是、議爲素食。衆多不從。一日、門人范醇夫當排食、遂具蔬饌。内翰蘇子瞻因以鄙語戲正叔。正叔門人朱公掞輩銜之、遂立敵矣。是後蔬饌亦不行。又語錄云、時呂申公爲相、凡事有疑、必質於伊川。進退人才、二蘇疑伊川有力。故極詆之。又曰、朝廷欲以游酢爲某官、蘇右丞沮止、毀及伊川。宰相蘇子容曰、公未可如此、頌觀過其門者、無不肅也。又按劉諫議盡言集、亦有異論。劉非蘇黨。蓋不相知耳。)
【読み】
一日、講罷めて未だ退かず、上忽ち起ちて檻に憑[よ]って、戲れに柳枝を折る。先生進んで曰く、春の發生に方って、故無くして摧折す可からず、と。上悅ばず(馬永卿が編する所の劉諫議の語錄に見る。且云く、溫公之を聞いて亦悅ばず、と。或るひと云く、恐らくは此の事無けん、と。)。講ずる所の書に容の字有れば、中人黃を以て之を覆[くつがえ]して曰く、上藩邸の嫌名なり、と。先生講罷めて、進言して曰く、人主の勢、尊ばざることを患えず、臣下之を尊ぶこと過甚にして驕心生ぜんことを患うるのみ。此れ皆近習の輩之を養成す。以て戒めずんばある可からず。請う今自り舊名嫌名皆復避ること勿かれ、と(語錄に見る。)。時に神宗の喪未だ除かずして、百官冬至を以て表賀す。先生言く、節序變遷の時、思うこと方に切なり。請う賀を改めて慰とせん、と。喪を除くに及んで、有司又將に以て樂を開き宴を致さんとす。先生又奏して宴を罷めんことを請いて曰く、喪を除いて吉禮を用うるときは、則ち事に因りて樂を用いて可なり。今特に宴を設くるは、是れ之を喜ぶなり、と(文集に見る。)。嘗て後苑金を以て水桶を製すと聞いて、之を問う。曰く、崇慶宮の物なり、と。先生曰く、上の御する所の若きは、則ち吾れ敢えて諫めずんばあらず、と。職に在ること累月、祿を言わず、吏も亦致さず。旣にして諸公之を知って、戶部をして特に給せしむ。又妻の爲に邑封を求めず。或るひと之を問う。先生曰く、某草萊より起こりて、三たび辭して獲ずして而して後に命を受く。今日乃ち妻に爲に封を求めんや、と(語錄に見る。)。經筵承受張茂則嘗て諸々の講官を招いて茶を啜り畫を觀せしむ。先生曰く、吾れ平生茶を啜らず、亦畫を識らず、と。竟に往かず(龜山語錄に見る。或るひと云く、恐らくは此の事無し、と。)。文潞公嘗て呂・范の諸公と經筵に入侍す。先生の講說を聞いて、退いて相與に歎じて曰く、眞の侍講なり、と。一時の人士其の門に歸する者甚だ盛んなり。而して先生も亦天下を以て自ら任じて、論議褒貶、顧避する所無し。是に由りて、同朝の士文章を以て世に名あること有る者、之を疾[にく]むこと讐の如し。其の黨類と巧みに謗詆を爲す(龜山語錄、王公繫年錄、呂申公家傳及び先生の子端中撰する所の集の序に見る。又蘇軾が奏狀を按ずるに、亦自ら云く、臣素より程某が姦を疾む。未だ嘗て假すに辭色を以てせず、と。又按ずるに、侍御史呂陶が言く、明堂の降赦、臣僚稱賀し訖わって、兩省官往いて司馬光を奠[まつ]らんと欲す。是の時、程頤の言に曰く、子是の日に於て哭するときは則ち歌わず。豈赦を賀すること才かに了わって、却って往いて喪を弔う可けんや、と。坐客之を難ずること有りて曰く、子是の日に於て哭するときは則ち歌わず、と。卽ち歌うときは則ち哭せずと言わず。今已に赦を賀し了わる。却って往いて喪を弔うこと、禮に於て害無し、と。蘇軾遂に鄙語を以て程頤に戲る。衆皆大いに笑えり。怨みを結ぶの端、蓋し此れ自り始まる。又語錄に云く、國忌行香に、伊川素饌を供せしむ。子瞻之を詰って曰く、正叔佛を好まず、胡爲れぞ素を食する、と。先生曰く、禮に、喪に居りては酒を飮まず、肉を食せず、と。忌日は、喪の餘なり、と。子瞻肉食を具えしめて曰く、劉氏が爲にせん者は左袒せよ、と。是に於て范醇夫の輩は素を食し、秦・黃の輩は肉を食す、と。又鮮于綽が傳信錄に云く、舊例に、行香の齋筵、兩制以上及び臺諫官竝に蔬饌を設く。然して粗糲を以て、遂に輪して食會を爲し、皆肉食を用う。元祐の初め、崇政殿の說書程正叔肉を食するを以て是に非ずと爲して、議して素食を爲す。衆多く從わず。一日、門人范醇夫排食に當たって、遂に蔬饌を具う。内翰蘇子瞻因りて鄙語を以て正叔に戲る。正叔の門人朱公掞が輩之を銜[ふく]み、遂に敵を立つ。是より後蔬饌亦行われず、と。又語錄に云く、時に呂申公相と爲り、凡そ事疑い有れば、必ず伊川に質す。人才を進退するに、二蘇伊川力有ることを疑う。故に極めて之を詆る、と。又曰く、朝廷游酢を以て某の官とせんと欲するに、蘇右丞沮[はば]み止めて、毀[そし]り伊川に及ぶ。宰相蘇子容が曰く、公未だ此の如くなる可からず、頌其の門を過る者を觀るに、肅まずということ無し、と。又劉諫議が盡言集を按ずるに、亦異論有り。劉は蘇が黨に非ず。蓋し相知らざるのみ。)

一日赴講。會上瘡疹、不坐已累日。先生退詣宰臣問、上不御殿、知否。曰、不知。先生曰、二聖臨朝、上不御殿、太皇太后不當獨坐。且人主有疾、而大臣不知、可乎。翌日、宰臣以先生言、奏請問疾。由是大臣亦多不悅。而諫議大夫孔文仲因奏、先生汙下憸巧、素無郷行、經筵陳說、僭橫忘分、遍謁貴臣、歷造臺諫、騰口閒亂、以償恩讐。致市井目爲五鬼之魁。請放還田里、以示典刑。
【読み】
一日講に赴く。會々上瘡疹ありて、坐せざること已に累日なり。先生退いて宰臣に詣って問う、上殿に御せざる、知るや否や、と。曰く、知らず、と。先生曰く、二聖の朝に臨む、上殿に御せざれば、太皇太后當に獨坐すべからず。且人主疾有り、而るを大臣知らずして、可ならんや、と。翌日、宰臣先生の言を以て、奏請して疾を問う。是に由って大臣亦多く悅ばず。而して諫議大夫孔文仲因りて奏す、先生汙下憸巧にして、素より郷行無く、經筵の陳說、僭橫して分を忘れ、遍く貴臣に謁し、歷[あまね]く臺諫に造って、口を騰げて閒亂して、以て恩讐を償う。市井目づけて五鬼の魁と爲すことを致す。請う田里に放還して、以て典刑を示せ、と。

八月、差官勾西京國子監(見舊實錄。又文仲傳載呂申公之言曰、文仲爲蘇軾所誘脅、其論事皆用軾意。又呂申公家傳亦載其與呂大防・劉摯・王存同駁文仲所論朱光庭事。語甚激切。且云、文仲本以伉直稱。然惷不曉事、爲浮薄輩所使、以害忠良。晩乃自知爲小人所紿、憤鬱嘔血而死。按、舊錄固多妄。然此類亦不爲無據。新錄皆刪之、失其實矣。又范太史家傳云、元祐九年、奏曰、臣伏見元祐之初、陛下召程頤對便殿、自布衣除崇政殿說書。天下之士、皆謂得人。實爲希闊之美事。而纔及歲餘、卽以人言罷之。頤之經術行誼、天下共知。司馬光・呂公著皆與頤相知二十餘年、然後舉之。此二人者、非爲欺罔以誤聖聰也。頤在經筵、切於皇帝陛下進學。故其講說語常繁多。草茅之人、一旦入朝、與人相接、不爲關防、未習朝廷事體、而言者謂頤大佞大邪、貪黷請求、奔走交結。又謂頤欲以故舊傾大臣、以意氣役臺諫。其言皆誣罔非實也。蓋當時臺諫官王巖叟・朱光庭・賈易皆素推服頤之經行。故不知者指以爲頤黨。陛下愼擇經筵之官、如頤之賢、乃足以輔導聖學。至如臣輩、叨備講職、實非敢望頤也。臣久欲爲頤一言、懷之累年、猶豫不果、使頤受誣罔之謗於公正之朝。臣每思之、不無愧也。今臣已乞去職。若復召頤勸講、必有補於聖明。臣雖終老在外、無所憾矣。)。先生旣就職、再上奏乞歸田里曰、臣本布衣、因說書得朝官。今以罪罷、則所授官不當得。三年又請。皆不報。乃乞致仕至再、又不報。五年正月、丁太中公憂去官。
【読み】
八月、差して西京の國子監に官勾たり(舊實錄に見る。又文仲が傳に呂申公の言を載せて曰く、文仲蘇軾が爲に誘脅せられて、其の事を論ずること皆軾が意を用う、と。又呂申公が家傳に亦載其の呂大防・劉摯・王存と同じく文仲が論ずる所の朱光庭が事を駁す。語甚だ激切なり。且云く、文仲本伉直を以て稱せらる。然れども惷にして事に曉らかならず、浮薄の輩の爲に使われて、以て忠良を害す。晩に乃ち自ら小人の爲に紿[あざむ]かるることを知って、憤鬱して血を嘔[は]いて死す、と。按ずるに、舊錄固に妄多し。然れども此の類亦據ること無しとせず。新錄皆之を刪り、其の實を失う。又范太史が家傳に云く、元祐九年、奏して曰く、臣伏して見るに元祐の初め、陛下程頤を召して便殿に對し、布衣自り崇政殿の說書に除せらる。天下の士、皆謂う、人を得たり、と。實に希闊の美事とす。而れども纔かに歲餘に及んで、卽ち人言を以て之を罷む。頤が經術行誼、天下共に知る。司馬光・呂公著皆頤と相知ること二十餘年、然して後に之を舉ぐ。此の二人の者は、欺罔を爲して以て聖聰を誤つに非ず。頤經筵に在るとき、皇帝陛下の學に進むに切なり。故に其の講說語常に繁多なり。草茅の人、一旦入朝して、人と相接して、關防を爲さず、未だ朝廷の事體を習わずして、言者謂えらく、頤は大佞大邪、貪黷[どんとく]にして請求、奔走して交結、と。又謂く、頤故舊を以て大臣を傾け、意氣を以て臺諫を役せんと欲す、と。其の言皆誣罔にして實に非ず。蓋し當時臺諫の官王巖叟・朱光庭・賈易皆素より頤が經行に推服す。故に知らざる者指して以て頤が黨と爲す。陛下愼んで經筵の官、頤が如きの賢を擇べば、乃ち以て聖學を輔導するに足らん。臣が輩の如きに至っては、叨[みだ]りに講職に備うる、實に敢えて頤を望むに非ず。臣久しく頤の爲に一たび言わんと欲して、之を懷くこと累年、猶豫して果たさず、頤をして誣罔の謗りを公正の朝に受けしむ。臣之を思う每に、愧づること無くんばあらず。今臣已に職を去らんことを乞う。若し復頤を召して勸講せしめば、必ず聖明に補い有らん。臣老を終うるまで外に在ると雖も、憾[うら]む所無けん、と。)。先生旣に職に就いて、再び上奏して田里に歸らんことを乞いて曰く、臣本布衣にして、說書に因りて朝官を得。今罪を以て罷むるときは、則ち授かる所の官當に得るべからず、と。三年にして又請う。皆報あらず。乃ち致仕を乞うこと再に至れども、又報あらず。五年正月、太中公の憂に丁[あ]たって官を去る。

七年服除、除直秘閣、判西京國子監(王公繫年錄云、元祐七年三月四日、延和奏事、三省進呈。程頤服除、欲與館職判檢院。簾中以其不靖、令只與西監、遂除直秘閣、判西京國子監。初頤在經筵、歸其門者甚盛。而蘇軾在翰林、亦多附之者。遂有洛黨蜀黨之論。二黨道不同、互相非毀。頤竟爲蜀黨所擠。今又適軾弟轍執政、纔進稟便云、但恐不肯靖。簾中入其說。故頤不復得召。)。先生再辭、極論儒者進退之道(見文集。)。而監察御史董敦逸奏、以爲有怨望輕躁語。五月、改授管勾崇福宮(見舊錄。)。未拜、以疾尋醫。
【読み】
七年服除いて、直秘閣、判西京の國子監に除せらる(王公繫年錄に云く、元祐七年三月四日、延和の奏事、三省進呈す。程頤服除いて、館職を與えて檢院に判たらしめんと欲す。簾中其の靖んぜざるを以て、令して只西監を與え、遂に直秘閣、判西京の國子監に除せらる。初め頤經筵に在るとき、其の門に歸する者甚だ盛んなり。而して蘇軾が翰林に在るも、亦之に附く者多し。遂に洛黨蜀黨の論有り。二黨道同じからず、互いに相非り毀る。頤竟に蜀黨の爲に擠[お]さるる。今又適々軾が弟轍政を執り、纔かに進稟して便ち云く、但恐れらくは肯えて靖んぜざることを、と。簾中其の說を入る。故に頤復召さるることを得ず、と。)。先生再び辭して、極めて儒者進退の道を論ず(文集に見る。)。而して監察御史董敦逸奏して、以て怨望輕躁の語有りとす。五月、改めて管勾崇福宮を授く(舊錄に見る。)。未だ拜せずして、疾を以て醫を尋ぬ。

元祐九年、哲宗初親政、申秘閣西監之命。先生再辭不就(見文集。)。紹聖閒、以黨論放歸田里。
【読み】
元祐九年、哲宗初めて政を親らして、秘閣西監の命を申す。先生再辭して就かず(文集に見る。)。紹聖の閒、黨論を以て放たれて田里に歸る。

四年十一月、送涪州編管(見實錄。)。門人謝良佐曰、是行也、良佐知之。乃族子公孫與邢恕之爲爾。先生曰、族子至愚不足責。故人情厚。不敢疑。孟子旣知天、焉用尤臧氏(見語錄。)
【読み】
四年十一月、涪州の編管に送らる(實錄に見る。)。門人謝良佐が曰く、是の行や、良佐之を知れり。乃ち族子公孫と邢恕とが爲[しわざ]なるのみ、と。先生曰く、族子至愚にして責むるに足らず。故人情厚し。敢えて疑わざれ。孟子旣に天を知る、焉んぞ臧氏を尤むることを用いん、と(見語錄。)

元符二年正月、易傳成而序之。三年正月、徽宗卽位、移峽州。四月、以赦復宣德郎、任便居住(制見曲阜集。)、還洛(記善錄云、先生歸自涪州、氣貌容色髭髮、皆勝平昔。)。十月、復通直郎、權判西京國子監。先生旣受命、卽謁告、欲遷延爲尋醫計。旣而供職。門人尹焞深疑之。先生曰、上初卽位、首被大恩。不如是、則何以仰承德意。然吾之不能仕、蓋已決矣。受一月之俸焉、然後唯吾所欲爾(見文集・語錄。又劉忠肅公家私記云、此除乃李邦直・范彝叟之意。)。建中靖國二年五月、追所復官、依舊致仕(前此未嘗致仕。而云依舊致仕。疑西監供職不久、卽嘗致仕也。未詳。)
【読み】
元符二年正月、易傳成って之に序す。三年正月、徽宗位に卽いて、峽州に移る。四月、赦を以て宣德郎に復して、便に任じて居住して(制は曲阜集に見る。)、洛に還る(記善錄に云く、先生涪州自り歸って、氣貌容色髭髮、皆平昔に勝る、と。)。十月、通直郎、權判西京の國子監に復す。先生旣に命を受け、卽ち謁告して、遷延して醫を尋ぬる計を爲さんと欲す。旣にして職に供す。門人尹焞深く之を疑う。先生曰く、上初めて位に卽いて、首めて大恩を被る。是の如くならずんば、則ち何を以て德意を仰承せん。然れども吾が仕うること能わざること、蓋し已に決せり。一月の俸を受けて、然して後に唯吾が欲する所のままなるのみ、と(文集・語錄に見る。又劉忠肅公家私記に云く、此の除は乃ち李邦直・范彝叟が意なり、と。)。建中靖國二年五月、復する所の官を追って、舊に依りて致仕す(此より前未だ嘗て致仕せず。而るに舊に依りて致仕すと云う。疑うらくは西監の供職久しからずして、卽ち嘗て致仕するならん。未だ詳らかならず。)

崇寧二年四月、言者論、其本因姦黨論薦得官、雖嘗明正罪罰、而敍復過優(已追所復官、又云敍復過優、亦未詳。)。今復著書、非毀朝政。於是有旨追毀出身以來文字、其所著書、令監司覺察(語錄云、范致虛言、程某以邪說詖行、惑亂衆聽。而尹焞・張繹爲之羽翼。事下河南府體究、盡逐學徒、復隸黨籍。)。先生於是遷居龍門之南、止四方學者曰、尊所聞、行所知可矣。不必及吾門也(見語錄。)
【読み】
崇寧二年四月、言者論ず、其の本姦黨の論薦に因りて官を得、嘗て罪罰を明かし正すと雖も、而れども敍復過優す(已に復する所の官を追って、又敍復過優すと云うは、亦未だ詳らかならず。)。今復書を著して、朝政を非毀す。是に於て旨有りて出身以來の文字を追毀して、其の著す所の書、監司をして覺察せしめん、と(語錄に云く、范致虛が言く、程某邪說詖行を以て、衆聽を惑亂す。而して尹焞・張繹之が羽翼爲り、と。事河南府に下りて體究して、盡く學徒を逐い、復黨籍を隸す、と。)。先生是に於て龍門の南に遷居して、四方の學者を止めて曰く、聞く所を尊び、知る所を行って可なり。必ずしも吾が門に及ばざれ、と(語錄に見る。)

五年、復宣義郎、致仕(見實錄。)。時易傳成書已久、學者莫得傳授。或以爲請。先生曰、自量精力未衰、尙覬有少進耳。其後寢疾。始以授尹焞・張繹(尹焞曰、先生踐履盡易。其作傳只是因而寫成。熟讀玩味、卽可見矣。又云、先生平生用意、惟在易傳。求先生之學者、觀此足矣。語錄之類、出於學者所記。所見有淺深。故所記有工拙。蓋未能無失也。見語錄。)
【読み】
五年、宣義郎に復して、致仕す(實錄に見る。)。時に易傳書を成すこと已に久しけれども、學者傳授を得ること莫し。或るひと以て請うことをす。先生曰く、自ら量るに精力未だ衰えず、尙少しく進むこと有らんことを覬[ねが]うのみ、と。其の後疾に寢ぬ。始めて以て尹焞・張繹に授く(尹焞曰く、先生の踐履盡く易なり。其の傳を作るは只是れ因りて寫成す。熟讀玩味して、卽ち見る可し、と。又云く、先生平生意を用うること、惟易傳に在るのみ。先生の學を求むる者、此を觀て足れり。語錄の類は、學者の記す所に出たり。見る所に淺深有り。故に記す所に工拙有り。蓋し未だ失無きこと能わざらん、と。語錄に見る。)

大觀元年九月庚午、卒於家。年七十有五(見實錄。)。於疾革、門人進曰、先生平日所學、正今日要用。先生力疾微視曰、道著用便不是。某人未出寢門而先生沒(見語錄。一作門人郭忠孝。尹子云、非也。忠孝自黨事起、不與先生往來。及卒、亦不致奠。)
【読み】
大觀元年九月庚午、家に卒す。年七十有五なり(實錄に見る。)。疾革なるときに於て、門人進んで曰く、先生平日學ぶ所、正に今日用いんことを要す、と。先生疾を力めて微かに視て曰く、用に道著するは便ち是ならず、と。某の人未だ寢門を出ずして先生沒す(語錄に見る。一に門人を郭忠孝に作る。尹子云く、非なり。忠孝黨事起こりて自り、先生と往來せず。卒するに及んで、亦奠を致さず、と。)

初、明道先生嘗謂先生曰、異日能使人尊嚴師道者、吾弟也。若接引後學、隨人材而成就之、則予不得讓焉(見語錄。侯仲良曰、朱公掞見明道於汝州。踰月而歸、語人曰、光庭在春風中坐了一月。游定夫・楊中立來見伊川。一日先生坐而瞑目。二子立侍、不敢去。久之、先生乃顧曰、二子猶在此乎。日暮矣。姑就舍。二子者退。則門外雪深尺餘矣。其嚴厲如此。晩年接學者、乃更平易。蓋其學已到至處、但於聖人氣象差少從容爾。明道則已從容。惜其早死、不及用也。使及用於元祐閒、則不至有今日事矣。)。先生旣沒。昔之門人高第、多已先亡、無有能形容其德美者。然先生嘗謂張繹曰、我昔狀明道先生之行。我之道蓋與明道同。異時欲知我者、求之於此文可也(見集序。尹焞曰、先生之學、本於至誠、其見於言動事爲之閒、處中有常、疏通簡易、不爲矯異、不爲狷介、寬猛合宜、莊重有體。或說匍匐以弔喪、誦孝經以追薦。皆無此事。衣雖紬素、冠襟必整、食雖簡儉、蔬飯必潔。太中年老、左右致養無違、以家事自任、悉力營辦、細事必親。贍給内外親族八十餘口。又曰、先生於書無所不讀、於事無所不能。謝良佐曰、伊川才大。以之處大事、必不動聲色、指顧而集矣。或曰、人謂伊川守正則盡。通變不足。子之言若是、何也。謝子曰、陜右錢以鐵、舊矣。有議更以銅者、已而會所鑄子不踰母、謂無利也。遂止。伊川聞之曰、此乃國家之大利也。利多費省、私鑄者衆。費多利少、盜鑄者息。民不敢盜鑄、則權歸公上。非國家之大利乎。又有議增解鹽之直者。伊川曰、價平則鹽易洩、人人得食、無積而不售者、歲入必倍矣。增價則反是。已而果然。司馬公旣相、薦伊川而起之。伊川曰、將累人矣。使韓・富當國時、吾猶可以有行也。及司馬公大變熙・豐、復祖宗之舊、伊川曰、役法當討論、未可輕改也。公不然之。旣而數年紛紛不能定。由是觀之、亦可以見其梗概矣。)
【読み】
初め、明道先生嘗て先生に謂いて曰く、異日能く人をして師道を尊嚴せしむる者は、吾が弟なり。後學を接引し、人材に隨って之を成就するが若きは、則ち予れ讓ることを得ず、と(語錄に見る。侯仲良が曰く、朱公掞明道に汝州に見ゆ。月を踰えて歸りて、人に語って曰く、光庭春風の中に在って坐了すること一月、と。游定夫・楊中立來りて伊川に見ゆ。一日先生坐して目を瞑す。二子立侍して、敢えて去らず。久しくして、先生乃ち顧みて曰く、二子猶此に在るや。日暮れたり。姑し舍に就け、と。二子者退く。則ち門外雪深きこと尺餘なり。其の嚴厲なること此の如し。晩年學者に接わるに、乃ち平易に更む。蓋し其の學已に至處に到りて、但聖人の氣象に於て差[やや]從容たること少なきのみ。明道は則ち已に從容たり。惜しむらくは其の早死して、用に及ばざることを。元祐の閒に用うるに及ばしめば、則ち今日の事有るに至らじ、と。)。先生旣に沒す。昔の門人高第、多くは已に先んじて亡び、能く其の德の美を形容する者有ること無し。然も先生嘗て張繹に謂いて曰く、我れ昔明道先生の行を狀す。我が道は蓋し明道と同じ。異時我を知らんと欲する者は、之を此の文に求めて可なり、と(集の序に見る。尹焞が曰く、先生の學は、至誠に本づき、其の言動事爲の閒に見る、中に處するに常に有り、疏通簡易、矯異をせず、狷介をせず、寬猛宜しきに合い、莊重體有り。或るひと說く、匍匐して以て喪を弔い、孝經を誦して以て追薦す、と。皆此の事無し。衣紬素なりと雖も、冠襟必ず整え、食簡儉なりと雖も、蔬飯必ず潔す。太中年老いて、左右に養を致して違うこと無く、家事を以て自ら任じて、力を悉くして營辦して、細事も必ず親らす。内外の親族八十餘口を贍給す、と。又曰く、先生書に於て讀まざる所無く、事に於て能くせざる所無し、と。謝良佐が曰く、伊川才大なり。之を以て大事に處せしめば、必ず聲色を動かさずして、指顧して集らん、と。或るひと曰く、人謂う、伊川正を守ることは則ち盡くす。變に通ずることは足らず、と。子が言是の若きは、何ぞや、と。謝子が曰く、陜右錢鐵を以てすること、舊し。議して更めて銅を以てする者有り、已にして會々鑄る所子母に踰えず、利無しと謂う。遂に止む。伊川之を聞いて曰く、此れ乃ち國家の大利なり。利多く費省くときは、私に鑄る者衆し。費多く利少なきときは、盜み鑄る者息む。民敢えて盜鑄せざるときは、則ち權公上に歸す。國家の大利に非ずや、と。又議して解鹽の直[あたい]を增さんという者有り。伊川曰く、價平らかなるときは則ち鹽洩れ易く、人人食うことを得て、積んで售らざる者無く、歲入必ず倍せん。價を增すときは則ち是に反す、と。已にして果たして然り。司馬公旣に相として、伊川を薦めて之を起こす。伊川曰く、將に人を累わせんとす。使[も]し韓・富國に當たる時ならば、吾れ猶以て行うこと有る可し、と。司馬公大いに熙・豐を變じて、祖宗の舊に復するに及んで、伊川曰く、役法は當に討論すべし、未だ輕々しく改む可からず、と。公之を然りとせず。旣にして數年紛紛として定むること能わず。是に由って之を觀れば、亦以て其の梗概を見る可し、と。)


祭文  張繹

鳴呼、利害生於身、禮義根於心。伊此心喪於利害、而禮義以爲虛也。故先生踽踽獨行斯世(一作於世。)。而衆乃以爲迂也。惟尙德者以爲卓絕之行、而忠信者以爲孚也。立義者以爲不可犯、而達權者以爲不可拘也。在吾先生、曾何有意。心與道合(一作道會。)。泯然無際。無欲可以繫羈兮、自克者知其難也。不立意以爲言兮、知言者識其要也。德輶如毛。毛猶有倫。無聲無臭。夫何可親。鳴呼、先生之道、不可得而名也(一作某等不得而名也。)。伊言者反以爲病兮、此心終不得而形也。惟泰山(惟、一作維。)以爲高兮、日月以爲明也。春風以爲和兮、嚴霜以爲淸也。
【読み】
鳴呼、利害は身に生じ、禮義は心に根ざす。伊[こ]れ此の心利害に喪って、禮義以て虛と爲す。故に先生踽踽[くく]として獨り斯の世(一に於世に作る。)に行う。而して衆は乃ち以て迂なりと爲す。惟德を尙ぶ者は以て卓絕の行と爲して、忠信の者は以て孚なりと爲す。義を立つる者は以て犯す可からずと爲して、權に達する者は以て拘わる可からずと爲す。吾が先生に在っては、曾て何ぞ意有らん。心と道と合す(一に道と會すに作る。)。泯然として際まり無し。欲の以て繫羈す可き無く、自ら克つ者は其の難きことを知る。意を立てず以て言を爲す、言を知る者は其の要を識る。德の輶[かろ]きこと毛の如し。毛は猶倫有り。聲も無く臭も無し。夫れ何ぞ親しむ可き。鳴呼、先生の道、得て名づく可からず(一に某等得て名づけられずに作る。)。伊れ言う者反って以て病と爲し、此の心終に得て形られず。惟れ泰山(惟は、一に維に作る。)以て高しと爲し、日月以て明と爲す。春風以て和と爲し、嚴霜以て淸と爲す。

在昔諸儒、各行其志。或得於數、或觀於禮。學者趣之(一作趨之。)、世濟其美。獨吾先生、淡乎無味、得味之眞、死其乃已。
【読み】
在昔諸儒、各々其の志を行う。或は數を得、或は禮を觀る。學者之に趣き(一に之に趨くに作る。)、世は其の美を濟す。獨り吾が先生、淡乎として味無く、味の眞を得て、死して其れ乃ち已む。

自某之見(一作某等受敎。)、七年於茲、含孕化育、以蕃以滋。天地其容我兮、父母其生之、君親其臨我兮、夫子其成之。欲報之心、何日忘之。先生有言(一本上有昔字。)、見於文字者有七分之心、繪於丹靑者有七分之儀。七分之儀、固不可益、七分之心、猶或可推。而今而後、將築室於伊・雒之濱、望先生之墓、以畢吾此生也(一無吾字。)
【読み】
某が見えて(一に某等敎を受けてに作る。)自り、茲に七年、含孕化育、以て蕃[しげ]く以て滋し。天地其れ我を容れ、父母其れ之を生み、君親其れ我に臨み、夫子其れ之を成す。報ぜんと欲するの心、何れの日にか之を忘れんや。先生言えること有り(一本に上に昔の字有り。)、文字に見る者は七分の心有り、丹靑に繪く者は七分の儀有り。七分の儀は、固より益す可からず、七分の心は、猶或は推す可し、と。而今よりして而して後、將に室を伊・雒の濱に築き、先生の墓を望んで、以て吾が此の生を(一に吾の字無し。)畢えんとす。

鳴呼、夫子沒而微言絕、則固不可得而聞也(一本上有某等字。)。然天不言而四時行、地不言而百物生。惟與二三子(一本無此五字、有益當字。)、洗心去智、格物去意、期默契斯道、在先生爲未亡也。鳴呼、二三子之志(一作某等之志。)、不待物而後見、先生之行、不待誄而後徵。然而山頹梁壞。何以寄情。凄風一奠、敬祖(呂本・徐本祖作祀。)於庭。百年之恨、倂此以傾。
【読み】
鳴呼、夫子沒して微言絕ゆるときは、則ち固より得て聞く可からず(一本に上に某等の字有り。)。然れども天言わずして四時行われ、地言わずして百物生る。惟二三子と(一本に此の五字無く、益當の字有り。)、心を洗って智を去り、物に格りて意を去り、斯の道に默契することを期せば、先生に在って未だ亡びずと爲すなり。鳴呼、二三子の志(一に某等の志に作る。)、物を待たずして而して後に見れ、先生の行、誄[るい]を待たずして而して後に徵る。然れども山頹[くず]れ梁壞る。何を以て情を寄せん。凄風一奠、祖(呂本・徐本祖を祀に作る。)を庭に敬す。百年の恨み、倂せて此に以て傾く。

尹子曰、先生之葬、洛人畏入黨、無敢送者。故祭文惟張繹・范域・孟厚及焞四人。乙夜、有素衣白馬至者、視之、邵溥也。乃附名焉。蓋溥亦有所畏而薄暮出城、是以後。又按語錄云、先生以易傳授門人曰、只說得七分、學者更須自體究。故祭文有七分之語云。
【読み】
尹子が曰く、先生の葬、洛人黨に入らんことを畏れて、敢えて送る者無し。故に祭文は惟張繹・范域・孟厚及び焞の四人のみ。乙夜、素衣白馬にして至る者有り、之を視れば、邵溥なり。乃ち名を附す。蓋し溥も亦畏るる所有りて薄暮に城を出、是を以て後る。又語錄を按ずるに云く、先生易傳を以て門人に授けて曰く、只七分を說き得、學者更に須く自ら體究すべし、と。故に祭文に七分の語有りと云う、と。


奏狀(節略)  胡安國

伏見元祐之初、宰臣司馬光・呂公著秉政當國、急於得人。首薦河南處士程頤、乞加召命、擢以不次。遂起韋布、超居講筵。自司勸講、不爲辨辭、解釋文義、所以積其誠意、感通聖心者、固不可得而聞也。及當官而行、舉動必由乎禮、奉身而去、進退必合乎義。其修身行法、規矩準繩、獨出諸儒之表。門人高第、莫獲繼焉。雖崇・寧閒曲加防禁、學者向之、私相傳習、不可遏也。其後頤之門人、如楊時・劉安節・許景衡・馬伸・吳給等、稍稍進用。於是士大夫爭相淬厲。而其閒志於利祿者、託其說以自售。學者莫能別其眞僞、而河・洛之學幾絕矣。
【読み】
伏して見るに元祐の初め、宰臣司馬光・呂公著政を秉り國に當たって、人を得ることを急にす。首めて河南の處士程頤を薦めて、召命を加えて、擢[あ]ぐるに不次を以てせんことを乞う。遂に韋布より起こりて、講筵に超居す。勸講を司りし自り、辨辭を爲して、文義を解釋せず、其の誠意を積んで、聖心を感通する所以の者、固より得て聞く可からず。官に當たって行うに及んでは、舉動必ず禮に由り、身を奉じて去るときは、進退必ず義に合う。其の身を修め法を行う、規矩準繩、獨り諸儒の表に出づ。門人高第、繼ぐことを獲ること莫し。崇・寧閒曲げて防禁を加うと雖も、學者之に向かって、私かに相傳習して、遏[とど]む可からず。其の後頤の門人、楊時・劉安節・許景衡・馬伸・吳給等が如き、稍稍として進用せらる。是に於て士大夫爭って相淬厲[さいれい]す。而して其の閒利祿に志す者は、其の說を託して以て自ら售る。學者能く其の眞僞を別つこと莫くして、河・洛の學幾ど絕えぬ。

壬子年、臣嘗至行闕、有仲幷者言伊川之學、近日盛行。臣語之曰、伊川之學、不絕如綫。可謂孤立。而以爲盛行、何也。豈以其說滿門、人人傳寫、耳納口出、而以爲盛乎。自是服儒冠者、以伊川門人妄自標榜、無以屈服士人之心。故衆論洶洶、深加詆誚。夫有爲伊・洛之學者、皆欲屛絕其徒、而乃上及於伊川。臣竊以爲過矣。
【読み】
壬子の年、臣嘗て行闕に至るとき、仲幷という者有りて伊川の學、近日盛んに行わるることを言う。臣之に語げて曰く、伊川の學、絕えざること綫[せん]の如し。孤立すと謂う可し。而るに以て盛んに行わるとするは、何ぞや。豈其の說門に滿ちて、人人傳寫して、耳に納れ口より出すを以て、而して以て盛んなりとするか、と。是れ自り儒冠を服する者、伊川の門人を以て妄りに自ら標榜して、以て士人の心に屈服すること無し。故に衆論洶洶として、深く詆誚を加う。夫れ伊・洛の學を爲むる者有れば、皆其の徒を屛絕せんと欲して、乃ち上伊川に及ぶ。臣竊かに以爲えらく、過てり、と。

夫聖人之道、所以垂訓萬世、無非中庸、非有甚高難行之說。此誠不可易之至論也。然中庸之義、不明久矣。自頤兄弟始發明之、然後其義可思而得。不然、則或謂高明所以處己、中庸所以接物、本末上下、析爲二途、而其義愈不明矣。士大夫之學、宜以孔・孟爲師、庶幾言行相稱、可濟時用。此亦不可易之至論也。然孔・孟之道不傳久矣。自頤兄弟始發明之、而後其道可學而至也。不然、則或以六經・語・孟之書資口耳、取世資、而干利祿、愈不得其門而入矣。今欲使學者蹈中庸、師孔・孟、而禁使不得從頤之學、是入室而不由戶也。不亦誤乎。
【読み】
夫れ聖人の道、訓を萬世に垂る所以は、中庸に非ずということ無く、甚だ高くして行い難きの說有るに非ず。此れ誠に易う可からざるの至論なり。然れども中庸の義、明らかならざること久し。頤兄弟始めて之を發明して自り、然して後其の義思って得る可し。然らずんば、則ち或は高明は己を處する所以、中庸は物に接わる所以と謂いて、本末上下、析[さ]きて二途と爲して、其の義愈々明らかならず。士大夫の學は、宜しく孔・孟を以て師と爲すべく、庶幾わくは言行相稱って、時用を濟す可し。此れ亦易う可からざるの至論なり。然れども孔・孟の道傳わらざること久し。頤兄弟始めて之を發明して自り、而して後其の道學んで至る可し。然らずんば、則ち或は六經・語・孟の書を以て口耳を資[たす]け、世資を取って、利祿を干[もと]めて、愈々其の門を得て入らず。今學者をして中庸を蹈み、孔・孟を師とせしめんと欲して、禁じて頤の學に從うことを得ざらしめば、是れ室に入らんとして戶に由らざるなり。亦誤らざらんや。

夫頤之文、於易、則因理以明象、而知體用之一原、於春秋、則見諸行事、而知聖人之大用、於諸經・語・孟、則發其微旨、而知求仁之方、入德之序。然則狂言怪語、淫說鄙喩、豈其文也哉。頤之行、其行己接物、則忠誠動於州里、其事親從兄、則孝弟顯於家庭。其辭受取舍、非其道義、則一介不以取與諸人、雖祿之千鐘、有必不顧也。其餘則亦與人同爾。然則幅巾大袖、高視闊步、豈其行也哉。
【読み】
夫れ頤の文、易に於ては、則ち理に因りて以て象を明らかにして、體用の一原を知り、春秋に於ては、則ち諸を行事に見して、聖人の大用を知り、諸經・語・孟に於ては、則ち其の微旨を發して、仁を求むるの方、德に入るの序を知る。然らば則ち狂言怪語、淫說鄙喩は、豈其の文ならんや。頤の行う、其の己を行い物に接わるときは、則ち忠誠州里を動かし、其の親に事え兄に從うときは、則ち孝弟家庭に顯る。其の辭受取舍、其の道義に非ざるときは、則ち一介も以て人に取與せず、之に祿するに千鐘なりと雖も、必ず顧みざること有り。其の餘は則ち亦人と同じきのみ。然らば則ち幅巾大袖、高視闊步は、豈其の行いならんや。

昔者伯夷・柳下惠之賢、微仲尼、則西山之餓夫、東國之黜臣爾。本朝自嘉祐以來、西都有邵雍・程顥及弟頤、關中有張載。此四人者、皆道學德行、名於當世。會王安石當路、重以蔡京得政、曲加排抑。故有西山・東國之阨。其道不行、深可惜也。
【読み】
昔伯夷・柳下惠の賢、仲尼微かりせば、則ち西山の餓夫、東國の黜臣なるのみ。本朝嘉祐自り以來、西都に邵雍・程顥及び弟頤有り、關中に張載有り。此の四人は、皆道學德行、當世に名あり。會々王安石路に當たり、重ねて蔡京政を得るを以て、曲げて排抑を加う。故に西山・東國の阨[わざわい]有り。其の道行われざること、深く惜しむ可し。

今雍所著有皇極經世書、載有正蒙書、頤有易・春秋傳。顥雖未及著述、而門弟子質疑請益答問之語、存於世者甚多。又有書疏銘詩、竝行於世。而傳者多失其眞。臣愚伏望陛下、特降指揮、下禮官討論故事、以此四人加之封號、載在祀典、以見聖世雖當禁暴誅亂、奉詞伐罪之時、猶有崇儒重道、尊德樂義之意。仍詔館閣裒集四人之遺書、委官校正、取旨施行、便於學者傳習。羽翼六經、以推尊仲尼・孟子之道、使邪說者不得乘閒而作、而天下之道術定、豈曰小補之哉。
【読み】
今雍が著す所に皇極經世の書有り、載に正蒙の書有り、頤に易・春秋傳有り。顥未だ著述に及ばずと雖も、而れども門弟子疑いを質し益を請い答問するの語、世に存する者甚だ多し。又書疏銘詩有りて、竝に世に行わる。而れども傳うる者多く其の眞を失う。臣愚伏して陛下に望むらくは、特に指揮を降して、禮官に下して故事を討論して、此の四人を以て之が封號を加え、載せて祀典に在らしめば、以て聖世暴を禁じ亂を誅して、詞を奉じ罪を伐つの時に當たると雖も、猶儒を崇び道を重んじ、德を尊び義を樂しむの意有ることを見ん。仍りて館閣に詔して四人の遺書を裒集[ほうしゅう]して、官に委ねて校正し、旨を取りて施し行わば、學者の傳習に便なり。六經を羽翼として、以て仲尼・孟子の道を推し尊び、邪說の者をして閒に乘じて作ることを得ずして、天下の道術定まらしめば、豈小しく之を補うと曰わんや。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)