二程全書卷之三十二  外書第三

陳氏本拾遺

朝聞道、夕死可矣、死得是也。
【読み】
朝に道を聞かば、夕に死すとも可なりとは、死して是を得ればなり。

三月不違仁、言其久。過此、則從心不踰矩聖人也。聖人則渾然無閒斷。故不言三月。此孔子所以惜其未止也。
【読み】
三月仁に違わずとは、其の久しきを言う。此を過ぎるときは、則ち心に從えども矩を踰えざるの聖人なり。聖人は則ち渾然として閒斷無し。故に三月と言わず。此れ孔子其の未だ止まらざるを惜しむ所以なり。

聖人、天地之用也。
【読み】
聖人は、天地の用なり。

養心莫善於寡欲。多欲皆自外來。公欲亦寡矣。
【読み】
心を養うは寡欲より善きは莫し、と。多欲は皆外自り來る。公欲は亦寡なり。

興於詩者、吟詠性情、涵暢道德之中而歆動之。有吾與點之氣象。
【読み】
詩に興るとは、吟詠性情、道德の中に涵暢して之を歆動[きんどう]す。吾れ點に與すの氣象有り。

老者安之、朋友信之、少者懷之、乃天道也。
【読み】
老者をば之を安んじ、朋友をば之を信じ、少者をば之を懷くるは、乃ち天道なり。

由孟子可以觀易。
【読み】
孟子に由って以て易を觀る可し。

復其見天地之心。一言以蔽之。天地以生物爲心。
【読み】
復は其れ天地の心を見るか、と。一言以て之を蔽う。天地は生物を以て心とす。

聖人無一事不順天時。故至日閉關。
【読み】
聖人は一事として天の時に順わずということ無し。故に至日に關を閉づ。

人之一肢病、不知痛癢、謂之不仁。人之不仁、亦猶是也。蓋不知仁道之在己也。知仁道之在己而由之、乃仁也。
【読み】
人の一肢病んで、痛癢を知らざる、之を不仁と謂う。人の不仁も、亦是の猶し。蓋し仁道の己に在ることを知らざればなり。仁道の己に在ることを知って之に由るは、乃ち仁なり。

克者、勝也。難勝莫如己。勝己之私則能有諸己。是反身而誠者也。凡言仁者、能有諸己也(一作凡言克者、未能有諸己也。)。必誠之在己、然後爲克己。禮亦理也。有諸己則無不中於理。君子愼獨、敬以直内、義以方外、所以爲克己復禮也。克己復禮則事事皆仁。故曰天下歸仁。人之視最先、非禮而視、則所謂開目便錯了。次聽、次言、次動、有先後之序。人能克己(一作克仁。)、則心廣體胖、仰不愧、俯不怍、其樂可知。有息則餒矣。
【読み】
克は、勝つなり。勝ち難きは己に如くは莫し。己が私に勝つときは則ち能く諸を己に有す。是れ身に反して誠ある者なり。凡そ仁を言う者は、能く諸を己に有するなり(一に凡そ克つと言う者は、未だ諸を己に有すること能わざるなりに作る。)。必ず誠己に在りて、然して後己に克つとす。禮は亦理なり。諸を己に有すれば則ち理に中らずということ無し。君子は獨りを愼んで、敬以て内を直くし、義以て外を方にするは、己に克って禮に復るとする所以なり。己に克って禮に復るときは則ち事事皆仁。故に天下仁に歸すと曰う。人の視は最も先、非禮にして視るときは、則ち所謂目を開けば便ち錯り了わる。次に聽、次に言、次に動、先後の序有り。人能く己に克つ(一に克く仁なるに作る。)ときは、則ち心廣く體胖かにして、仰いで愧ぢず、俯して怍[は]ぢず、其の樂しみ知る可し。息むこと有るときは則ち餒[う]ゆ。

一言可以興邦、公也。一言可以喪邦、私也。公生明。
【読み】
一言にして以て邦を興す可きは、公なり。一言にして以て邦を喪ぼす可きは、私なり。公は明を生ず。

極高明而道中庸、非二事。中庸、天理也。天理固高明。不極乎高明、不足以道中庸。中庸乃高明之極。伯淳。
【読み】
高明を極めて中庸に道[よ]るとは、二事に非ず。中庸は、天理なり。天理は固より高明なり。高明を極めざれば、以て中庸に道るに足らず。中庸は乃ち高明の極なり。伯淳。

君子有義有命。求則得之、舍則失之、是求有益於得也、求在我者也、此言義也。求之有道、得之有命、是求無益於得也、求在外者也、此言命也。至於聖人、則惟有義而無命。行一不義、殺一不辜、而得天下、不爲也。此言義不言命也。
【読み】
君子に義有り命有り。求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失うは、是れ求めて得るに益有り、我に在る者を求むればなりとは、此れ義を言うなり。之を求むるに道有り、之を得るに命有り、是れ求めて得るに益無し、外に在る者を求むればなりとは、此れ命を言うなり。聖人に至っては、則ち惟義有って命無し。一つの義あらざるを行い、一つの辜あらざるを殺して、天下を得るとも、せず、と。此れ義を言って命を言わざるなり。

人心惟危、人欲也。道心惟微、天理也。
【読み】
人心惟れ危きは、人欲なり。道心惟れ微かなるは、天理なり。

爲惡之人未嘗知有思。有思則爲善矣。思至於再則已審。三則惑矣。
【読み】
惡をする人は未だ嘗て思うこと有ることを知らず。思うこと有れば則ち善をせん。思うこと再びに至れば則ち已に審らかなり。三たびすれば則ち惑う。

艮其背、止欲於無見。若欲見於彼而止之、所施各異。若艮其止、止其所也、止各當其所也。聖人所以應萬變而不窮(一作勞。)者、事各止當其所也。若鑑在此、而物之妍姸媸自見於彼也。聖人不與焉。時止則止、時行則行。時行對時止而言。亦止其所也。
【読み】
其の背に艮[とど]まるとは、止まること見ること無からんことを欲す。若し彼を見て之に止まらんと欲せば、施す所各々異なり。其の止に艮まるは、其の所に止まるなりというが若きは、止まること各々其の所に當たるなり。聖人萬變に應じて窮(一に勞に作る。)まらざる所以の者は、事各々止まること其の所に當たればなり。鑑此に在って、物の姸媸[けんし]自づから彼に見るが若し。聖人は與らず。時に止まるときは則ち止まり、時に行くときは則ち行く。時に行くは時に止まるに對して言う。亦其の所に止まるなり。

艮、思不出其位、乃止其所也。動靜不失其時、皆止其所也。艮其背、乃止也。背無欲無私也。故可止。
【読み】
艮は、思うこと其の位を出ずとは、乃ち其の所に止まるなり。動靜其の時を失わずというも、皆其の所に止まるなり。其の背に艮まるとは、乃ち止まるなり。背は欲無く私無し。故に止まる可し。

加我數年、五十以學易、時年未五十也。孔子未發明易道之時、如八索之類、不能無謬亂。旣贊易道、黜八索、則易之道可以無過謬。言學與大、皆謙也。
【読み】
我に數年を加うれば、五十にして以て易を學ばんとは、時に年未だ五十ならず。孔子未だ易道を發明せざるの時、八索の類の如き、謬亂無きこと能わず。旣に易道を贊して、八索を黜くときは、則ち易の道以て過謬無かる可し。學と大とを言うは、皆謙なり。

子貢善形容孔子德美。溫以接物、良乃善心、恭則不侮、儉則無欲、讓則不好勝。至於是邦、宜必聞政。
【読み】
子貢善く孔子の德の美なるを形容す。溫は以て物に接し、良は乃ち善き心、恭は則ち侮らず、儉は則ち欲無く、讓は則ち勝つことを好まず。是の邦に至れば、宜しく必ず政を聞くべし。

孔子、生而知之者也。自十五以下、事皆學而知之者、所以敎人也。三十有所立、四十能不惑、五十知天命而未至命、六十聞一以知百、耳順心通也。凡人聞一言則滯於一言、一事則滯於一事、不能貫通。耳順者、聞言則喩、無所不通。七十從心、然後至於命。
【読み】
孔子は、生まれながらにして之を知る者なり。十五自り以下、事皆學んで之を知るという者は、人を敎うる所以なり。三十にして立つ所有り、四十にして能く惑わず、五十にして天命を知って未だ命に至らず、六十にして一を聞いて以て百を知り、耳順い心通ずるなり。凡そ人一言を聞くときは則ち一言に滯り、一事は則ち一事に滯って、貫通すること能わず。耳順うとは、言を聞けば則ち喩って、通ぜずという所無きなり。七十にして心に從いて、然して後命に至る。

願無伐善、則不私矣。無施勞、則仁矣。顏子之志、則可謂大而無以加矣。然以孔子之言觀之、則顏子之言出於有心也。至於老者安之、朋友信之、少者懷之、猶天地之化、付與萬物、而己不勞焉。此聖人之所爲也。今夫羈靮以御馬、而不以制牛。人皆知羈靮之制在乎人、而不知羈靮之生由於馬。聖人之化、亦由是也。
【読み】
願わくは善を伐[ほこ]ること無しとは、則ち私あらざるなり。勞を施すこと無しとは、則ち仁なり。顏子の志は、則ち大にして以て加うること無しと謂う可し。然れども孔子の言を以て之を觀れば、則ち顏子の言は心有るに出るなり。老者をば之を安んじ、朋友をば之を信じ、少者をば之を懷くるに至っては、猶天地の化、萬物に付與して、己勞せざるがごとし。此れ聖人のする所なり。今夫れ羈靮[きてき]は以て馬を御して、以て牛を制せず。人皆羈靮の制の人に在ることを知って、羈靮の生の馬に由ることを知らず。聖人の化も、亦是に由るなり。

孔子之見南子、禮當見之也。南子之欲見孔子、亦其善心也。聖人豈得而拒之。子路不悅。故夫子陳之曰、予所否塞者天厭之。言使我至此者天命也。
【読み】
孔子の南子に見ゆる、禮として當に之に見ゆるべし。南子の孔子に見えんと欲するも、亦其れ善心なり。聖人豈得て之を拒まんや。子路悅びず。故に夫子之を陳べて曰く、予が否塞する所の者は天之を厭う、と。言うこころは、我をして此に至らしむる者は天命なり、と。

孔子曰、二三子以吾爲隱乎。吾無隱乎爾。無知之謂也。聖人之敎人、俯就之若此。猶恐衆人以爲高遠而不親也。聖人之言、必降而自卑。不如此則人不親。賢人之言、必引而自高。不如此則道不尊。觀孔子・孟子則可見矣。
【読み】
孔子曰く、二三子吾を以て隱すとするか。吾れ爾に隱すこと無し、と。知ること無きの謂なり。聖人の人を敎うる、俯して之に就くこと此の若し。猶衆人以て高遠と爲して親しまざらんことを恐る。聖人の言は、必ず降りて自ら卑くす。此の如くならずんば則ち人親しまず。賢人の言は、必ず引いて自ら高くす。此の如くせずんば則ち道尊からず。孔子・孟子を觀て則ち見る可し。

叩其兩端者、如樊遲問仁、子曰愛人。問知、子曰知人、舉其近者、衆人之所知、極其遠者、雖聖人亦如是矣。其與人莫不皆然、終始兩端、皆竭盡矣。
【読み】
其の兩端を叩くとは、樊遲仁を問い、子曰く、人を愛す、と。知を問い、子曰く、人を知るというが如き、其の近き者を舉ぐるは、衆人の知る所、其の遠き者を極むるは、聖人と雖も亦是の如し。其の人に與すること皆然らずということ莫くして、終始兩端、皆竭くし盡くす。

聖人愈自卑而道已高。賢人不高則道不尊。聖賢之分也。不爲酒困是也。
【読み】
聖人は愈々自卑して道已に高し。賢人高からざれば則ち道尊からず。聖賢の分なり。酒の困[みだれ]をせずというは是れなり。

子路・冉有・公西華皆欲得國而治之。故孔子不取。曾點狂者也。未必能爲聖人之事、而能知孔子之志。故曰浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。言樂而得其所也。孔子之志在於老者安之、朋友信之、少者懷之、使萬物莫不遂其性。曾點知之。故孔子喟然歎曰、吾與點也。
【読み】
子路・冉有・公西華皆國を得て之を治めんことを欲す。故に孔子取らず。曾點は狂者なり。未だ必ずしも能く聖人の事をせざれども、而れども能く孔子の志を知る。故に沂に浴し、舞雩に風して、詠じて歸らんと曰う。樂しんで其の所を得ることを言うなり。孔子の志は老者をば之を安んじ、朋友をば之を信じ、少者をば之を懷けて、萬物をして其の性を遂げずということ莫からしむるに在り。曾點之を知れり。故に孔子喟然として歎じて曰く、吾れ點に與せん、と。

仲尼三年有成。因周之舊。
【読み】
仲尼三年にして成すこと有らん、と。周の舊に因るなり。

喜怒在事、則理之當喜怒也。不在血氣、則不遷。
【読み】
喜怒事に在るは、則ち理の當に喜怒すべきなり。血氣に在らざれば、則ち遷らず。

於義理無害、雖貧亦樂、有害則慊慊(一有則字。)不樂。
【読み】
義理に於て害無くば、貧しきと雖も亦樂しみ、害有れば則ち慊慊として(一に則の字有り。)樂しまず。

桀溺言、天下衰亂、無道者滔滔皆是也。孔子雖欲行其敎、而誰可以化而易之。孔子言、如使天下有道、我則無所治、不與易之也。今所以周流四方、爲時無道故也。聖人不敢有忘天下之心、知其不可而猶爲之。故其言如此。
【読み】
桀溺が言うこころは、天下衰亂して、道無き者滔滔として皆是れなり。孔子其の敎を行わんと欲すと雖も、誰か以て化して之を易う可き、と。孔子言うこころは、如し天下をして道有らしめば、我れ則ち治むる所無くして、與に之を易えじ。今四方を周流する所以は、時の道無きが爲の故なり、と。聖人敢えて天下を忘るること有らざるの心、其の不可なることを知って猶之をす。故に其の言此の如し。

二帝・三王之道、後世無以加焉、孔子之所常言、故弟子聚而記之。夫子得邦家、亦猶是也。(堯曰篇。)
【読み】
二帝・三王の道、後世以て加うること無しとは、孔子の常に言う所、故に弟子聚まって之を記す。夫子邦家を得ても、亦猶是のごとし。(堯曰篇。)

語之而敬、故不惰。言其好學也。
【読み】
之に語れば敬す、故に惰らず。其の學を好むことを言うなり。

瞻之在前、過者。忽然在後、不及也。如有所立卓爾、聖人之中也。
【読み】
之を瞻るに前に在るは、過ぐる者なり。忽然として後に在るは、及ばざるなり。立つ所有りて卓爾たるが如きは、聖人の中なり。

子在、囘何敢死、死當爲先死、非囘之所當爲。所當爲者、上告天子、下告方伯、以討其罪爾。
【読み】
子在す、囘何ぞ敢えて死せんとは、死は當に先だち死すと爲すべく、囘の當に爲すべき所に非ず。當に爲すべき所の者は、上天子に告[もう]し、下方伯に告して、以て其の罪を討ぜんのみ。

舉前代之善者、準此以損益之、此成法也。鄭聲使人淫溺、佞人使人危殆。放遠之、然後可守成法。
【読み】
前代の善なる者を舉げて、此を準として以て之を損益す、此れ成法なり。鄭聲は人をして淫溺せしめ、佞人は人をして危殆ならしむ。之を放ち遠ざけて、然して後に成法を守る可し。

不踰閑者、不踰矩也。小德、出入於法度之中。大德如孔子。小德如顏子、有一不善、是亦出入也。
【読み】
閑を踰えずとは、矩を踰えざるなり。小德は、法度の中に出入す。大德は孔子の如し。小德は顏子の如く、一つの不善有るも、是れ亦出入するなり。

聖人之敎、未嘗私厚其子。學詩學禮、止可告之若此。學必待其自肯。
【読み】
聖人の敎は、未だ嘗て私に其の子に厚くせず。詩を學び禮を學ぶに、止之に告ぐること此の若くなる可し。學は必ず其の自ら肯ずるを待つ。

孔子與惡人言、故以遜辭免禍。言不必信、行不必果、惟義所在、此之謂也。然而孔子未嘗不欲仕、但仕於陽虎之時則不可。吾將仕矣、未爲非信也。
【読み】
孔子惡人と言うには、故[ことさら]に遜辭を以て禍いを免る。言信を必とせず、行果たすことを必とせず、惟義の在る所のままにすとは、此れ之の謂なり。然れども孔子未だ嘗て仕うることを欲せずんばあらず、但陽虎に仕うるの時は則ち不可なり。吾れ將に仕えんとすというは、未だ信に非ずとせず。

公山召我、而豈徒哉、是孔子意。他雖叛而召我、其心不徒然、往而敎之遷善、使不叛則已。此則於義直有可往之理。而孔子亦有實知其不能改而不往者。佛肸召亦然。
【読み】
公山我を召[よ]ぶ、豈徒[ただごと]ならんやとは、是れ孔子の意なり。他叛くと雖も我を召ぶ、其の心徒然ならず、往いて之を敎えて善に遷して、叛かざらしむるときは則ち已まん、と。此れ則ち義に於て直に往く可きの理有り。而も孔子亦實に其の改むること能わざることを知って往かざる者有り。佛肸が召ぶも亦然り。

禘自旣灌而往、皆不足觀、從首至末皆非也。知孔子不欲觀之說、則於天下知萬事各正其名。則其治如示諸掌。
【読み】
禘旣に灌して自り往[のち]は、皆觀るに足らずとは、首め從り末に至るまで皆非なればなり。孔子觀ることを欲せざるの說を知るときは、則ち天下に於て萬事各々其の名を正すことを知る。則ち其の治むること掌を示すが如し。

獲罪於天、時無所祈禱。何爲媚奧。何爲媚竈。奧、尊者所居、喩貴臣。竈、一家所切、喩當權。
【読み】
罪を天に獲れば、時として祈禱する所無し。何爲れぞ奧に媚びん。何爲れぞ竈に媚びん。奧は、尊者の居る所、貴臣に喩う。竈は、一家の切なる所、當權に喩う。

孔門弟子、自孔子沒後、各自離散。只有曾子便別。如子夏・子張欲以所事孔子事有若。獨曾子便道不可。自子貢以上、必皆不肯。某自涪陵歸、見門人皆已支離。不知他日身後又何如也。但得箇信時、便自有長進處。孔子弟子甚多、亦不能皆合於孔子。如子路言子之迂也、又曰末之也已、及其退思、終合於孔子。只爲他信、便自然思量到也。(此一段莆田本。)
【読み】
孔門の弟子、孔子沒して自り後、各々自ら離散す。只曾子のみ有りて便ち別なり。子夏・子張の如きは孔子に事うる所を以て有若に事えんと欲す。獨り曾子のみ便ち不可なりと道う。子貢自り以上は、必ず皆肯ぜじ。某涪陵自り歸って、門人皆已に支離なるを見る。知らず、他日身後又何如、と。但箇の信を得る時、便ち自づから長く進む處有り。孔子の弟子甚だ多くして、亦皆孔子に合すること能わず。子路子の迂なるやと言い、又之くこと末[な]からんのみと曰うが如き、其の退思に及んで、終に孔子に合す。只他信ずるが爲に、便ち自然に思量し到るなり。(此の一段は莆田が本。)

皆不及門、今不在焉。
【読み】
皆門に及ばずとは、今焉に在らざるなり。

德不孤、必有鄰、一德立而百善從之。
【読み】
德は孤ならず、必ず鄰有りとは、一德立って百善之に從うなり。

棠棣之華、偏其反而。豈不爾思。室是遠而、只取不遠之意。
【読み】
棠棣の華、偏として其れ反たり。豈爾を思わざらんや。室是れ遠ければなりとは、只遠からざるの意を取る。

山梁雌雉、時哉時哉、此聖人嘆雉在山梁得其時、而民不得其時也。子路不察、乃共之、三嗅而作。使子路知我意不在是也。
【読み】
山梁の雌雉、時なるかな時なるかなとは、此れ聖人雉山梁に在りて其の時を得て、民其の時を得ざることを嘆ず。子路察せずして、乃ち之を共えて、三たび嗅いで作[た]つ。子路をして我が意是に在らざることを知らしむるなり。

毋意、毋非禁止之辭。聖人絕此四者、何用禁止。毋意與毋我相近、毋固與毋必相近。須要分別不同。意與志別。志是所存處、意是發動處。如先意承志、自別也。意發而當、卽是理也。非意也。發而不當、是私意也。又問、聖人莫是任理而不任意否。曰、是。
【読み】
意毋しとは、毋は禁止の辭に非ず。聖人此の四つの者を絕てば、何ぞ禁止することを用いん。意毋しと我毋しとは相近く、固毋しと必毋しとは相近し。須く分別することの不同なるを要すべし。意と志とは別なり。志は是れ存する所の處、意は是れ發動する處。意に先だって志を承くというが如き、自づから別なり。意發して當たるは、卽ち是れ理なり。意に非ざるなり。發して當たらざるは、是れ私意なり。又問う、聖人は是れ理に任じて意に任ぜざること莫しや否や、と。曰く、是なり、と。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)