二程全書卷之三十五  外書第七

胡氏本拾遺

明道曰、維天之命、於穆不已、不其忠乎。天地變化草木蕃、不其恕乎。
【読み】
明道曰く、維れ天の命、於[ああ]穆として已まざるは、其れ忠ならずや。天地變化して草木蕃[しげ]るは、其れ恕ならずや、と。

伊川曰、維天之命、於穆不已、忠也。乾道變化、各正性命、恕也。
【読み】
伊川曰く、維れ天の命、於穆として已まざるは、忠なり。乾道變化して、各々性命を正しくするは、恕なり、と。

心敬則内自直。
【読み】
心敬すれば則ち内自づから直し。

匹夫悍卒見難而能死者、有之。惟情慾之牽、妻孥之愛、斷而不惑者鮮矣。
【読み】
匹夫悍卒も難を見て能く死する者は、之れ有り。惟情慾の牽、妻孥の愛、斷じて惑わざる者は鮮し。

思慮、不得至於苦。
【読み】
思慮は、苦に至ることを得じ。

合天人、通義命、此大賢以上事。
【読み】
天人に合し、義命に通ずるは、此れ大賢以上の事。

人之多聞識、却似藥物。須要博識。是所切用也。
【読み】
人の聞識多きは、却って藥物に似れり。須く博く識ることを要すべし。是れ切に用うる所なり。

爲天下、安可求近效?才計較著利害、便不是。
【読み】
天下を爲むるに、安んぞ近效を求むる可けんや。才かに計較して利害を著するは、便ち是ならず。

程子與侯仲良語及牛・李事。因言溫公在朝、欲盡去元豐閒人。程子曰、作新人才難、變化人才易。今諸人之才皆可用。且人豈肯甘爲小人。在君相變化如何耳。若宰相用之爲君子、孰不爲君子。此等事敎他們自做、未必不勝如吾曹。仲良曰、若然、則無紹聖閒事也。(尹子親注云、此一段可疑。)
【読み】
程子侯仲良と語って牛・李が事に及ぶ。因りて言う、溫公朝に在るとき、盡く元豐の閒の人を去らんと欲す。程子曰く、人才を新たにすることを作すことは難く、人才を變化することは易し。今諸人の才皆用う可し。且つ人豈肯えて小人爲ることを甘んぜんや。君相變化すること如何とするに在るのみ。若し宰相之を用いて君子とせば、孰か君子と爲らざらん。此れ等の事他們[ら]をして自ら做さしめば、未だ必ずしも吾曹の如きに勝えずんばあらず、と。仲良曰く、若し然らば、則ち紹聖の閒の事無からん、と。(尹子親注に云く、此の一段疑う可し、と。)

世事與我了不相關。明道。
【読み】
世事我と了[つい]に相關らず。明道。

勇一也。而用不同。有勇於氣者、有勇於義者。君子勇於義、小人勇於氣。
【読み】
勇は一なり。而して用うること同じからず。氣に勇なる者有り、義に勇なる者有り。君子は義に勇にして、小人は氣に勇なり。

伊川在經筵、已聞、上盥漱噴水避蟻。他日先生進曰、願陛下推此心以及天下。
【読み】
伊川經筵に在るとき、已に聞く、上盥漱の水を噴くに蟻を避く、と。他日先生進んで曰く、願わくは陛下此の心を推して以て天下に及せ、と。

程子葬父、使周恭叔主客。客欲酒。恭叔以告。先生曰、勿陷人於惡。
【読み】
程子父を葬るとき、周恭叔をして客に主たらしむ。客酒を欲す。恭叔以て告す。先生曰く、人を惡に陷ること勿かれ、と。

風竹便是感應無心。如人怒我、勿留胸中。須如風動竹。
【読み】
風竹は便ち是れ感應無心なり。人我に怒るが如き、胸中に留むること勿かれ。須く風竹を動かすが如くなるべし。

或謂伊川曰、先生於上前委曲已甚。不亦過乎。曰、不於此致力盡心、而於何所。
【読み】
或るひと伊川に謂いて曰く、先生上の前に於て委曲已甚だし。亦過ぎざらんや、と。曰く、此に於て力を致し心を盡くさずして、何れの所に於てせん、と。

聖人之責人也常緩。便見只欲事正、無顯人過惡之意。
【読み】
聖人の人を責むるや常に緩し。便ち見る、只事正しからんことを欲して、人の過惡を顯すの意無きことを。

聖人、凡一言便全體用。
【読み】
聖人は、凡そ一言便ち體用を全くす。

聖人、責己感也處多。責人應也處少。
【読み】
聖人、己を責むるは感多きに處す。人を責むるは應少なきに處す。

有人疑祖殺其父、則告之、其罪如何。律、孫告祖當死。此不可告、明矣。然則父殺其子如何。律、徒一年。以理考之、當徒二年。雖是子、亦天子之民也。不當殺而專殺之、是違制也。違制徒二年。
【読み】
人有り疑う、祖其の父を殺して、則ち之を告ぐれば、其の罪如何、と。律に、孫告ぐれば祖死に當たる、と。此れ告ぐ可からざること、明らかなり、と。然らば則ち父其の子を殺さば如何、と。律に、徒一年、と。理を以て之を考うるに、當に徒二年なるべし。是れ子と雖も、亦天子の民なり。當に殺すべからずして專ら之を殺すは、是れ制に違うなり。制に違うは徒二年なり。

吾嘗見一貴人。吾進退以禮、而彼巍巍。其自視也惟恐不中節。豈不勞哉。
【読み】
吾れ嘗て一りの貴人を見る。吾れ進退禮を以てして、彼巍巍たり。其の自ら視ること惟恐れらくは節に中らざらんことを。豈勞せざらんや。

君子而時中、謂卽時而中。如禹・稷當顏子之時、不爲顏子所爲、非中也。顏子亦然。
【読み】
君子にして時に中すとは、時に卽いて中することを謂う。如し禹・稷顏子の時に當たって、顏子のする所をせずんば、中に非ざるなり。顏子も亦然り。

自信、則無所疑而不動心。公孫丑不知孟子、故問不動心有道。如數子者、皆中有主、便心不動。
【読み】
自ら信ずるときは、則ち疑う所無くして心を動かさず。公孫丑孟子を知らず、故に心を動かさざるに道有りやと問う。數子の如きは、皆中に主有りて、便ち心動かさず。

性無不善。其所以不善者才也。受於天之謂性、稟於氣之謂才。才之善不善由氣之有偏正也。乃若其性、則無不善矣。今夫木之曲直、其性也。或以爲車、或可以爲輪、其才也。然而才之不善、亦可以變之。在養其氣以復其善爾。故能持其志、養其氣、亦可以爲善。故孟子曰、人皆可以爲堯・舜。惟自棄自暴、則不可以爲善。
【読み】
性は不善無し。其の不善なる所以の者は才なり。天に受くる之を性と謂い、氣に稟くる之を才と謂う。才の善不善は氣の偏正有るに由る。乃ち其の性の若きは、則ち不善無し。今夫れ木の曲直は、其の性なり。或は以て車と爲し、或は以て輪と爲す可きは、其の才なり。然れども才の不善は、亦以て之を變ず可し。其の氣を養って以て其の善に復るに在るのみ。故に能く其の志を持ち、其の氣を養わば、亦以て善を爲す可し。故に孟子曰く、人皆以て堯・舜爲る可し、と。惟自ら棄て自ら暴うときは、則ち以て善を爲す可からず。

凡聲皆陽聲。大鳴則大震、小鳴則小震。
【読み】
凡そ聲は皆陽聲なり。大いに鳴るときは則ち大いに震し、小しく鳴るときは則ち小しく震す。

或問、維摩詰云、火中生蓮花、是可謂希有。在欲而行禪、希有亦如是。此豈非儒者事。子曰、此所以與儒者異也。人倫者、天理也。彼將其妻子當作何等物看、望望然以爲累者。文王不如是也。有生者、必有死。有始者、必有終。此所以爲常也。爲釋氏者、以成壞爲無常。是獨不知無常乃所以爲常也。今夫人生百年者常也。一有百年而不死者、非所謂常也。釋氏推其私智所及而言之、至以天地爲妄。何其陋也。張子厚尤所切齒者此耳。
【読み】
或るひと問う、維摩詰が云く、火中蓮花を生ず、是れ希有と謂う可し。欲在りて禪を行わば、希有亦是の如し、と。此れ豈儒者の事に非ずや、と。子曰く、此れ儒者と異なる所以なり。人倫は、天理なり。彼其の妻子を將て當に何等の物と作して看て、望望然として以て累いとする者ぞ。文王は是の如くならざるなり。生有る者は、必ず死有り。始め有る者は、必ず終わり有り。此れ常爲る所以なり。釋氏爲る者は、成壞を以て無常とす。是れ獨り無常は乃ち常爲る所以なるを知らざるなり。今夫れ人生百年は常なり。一りも百年にして死せざる者有れば、所謂常に非ざるなり。釋氏其の私智の及ぶ所を推して之を言って、天地を以て妄とするに至る。何ぞ其れ陋[せま]きや。張子厚尤も齒を切[くいしば]る所の者は此れのみ、と。

問、張子曰、陰陽之精、互藏其宅。然乎。曰、此言甚有味、由人如何看。水離物不得、故水有離之象。火能入物、故火有坎之象。
【読み】
問う、張子曰く、陰陽の精、互いに其の宅を藏む、と。然るか、と。曰く、此の言甚だ味有り、人如何と看るに由る。水は物を離るることを得ず、故に水に離の象有り。火は能く物に入る、故に火に坎の象有り。

作易自天地幽明至於昆蟲草木微物無不合。
【読み】
易を作るは天地幽明自り昆蟲草木に至るまで微物も合わずということ無し。

春秋有三傳及三本正經、共是六本。書子糾事、五處皆言糾。獨左氏言子糾。且糾與小白皆公子、非當立。而小白長則當立也。今糾爭立。故皆不言子、及殺之、然後言子糾。蓋謂旣已立之矣。故須以未踰年君稱之。以此校之、則管仲之去糾事小白、皆非正、去就輕也。非如建成旣爲太子、而秦王奪之、魏徵去建成而事秦王。不義之大也。
【読み】
春秋に三傳及び三本の正經有り、共に是れ六本なり。子糾が事を書すに、五處皆糾と言う。獨り左氏子糾と言う。且つ糾と小白とは皆公子、當に立つべきに非ず。而して小白長なるときは則ち當に立つべし。今糾爭い立つ。故に皆子と言わず、之を殺すに及んで、然して後子糾と言う。蓋し謂う、旣已に之を立つ。故に須く未だ踰年ならざる君を以て之を稱すべし、と。此を以て之を校ぶれば、則ち管仲が糾を去って小白に事うるは、皆正しきに非ず、去就輕きなり。建成旣に太子と爲り、而るに秦王之を奪い、魏徵建成を去って秦王に事うるが如きは非なり。不義の大なるなり。

學而時習之。所以學者、將以行之也。時習之、則所學者在我。故說。習如禽之習飛。
【読み】
學んで時に之を習う、と。學ぶ所以の者は、將に以て之を行わんとするなり。時に之を習うときは、則ち學ぶ所の者我に在り。故に說ぶ。習うとは禽の習飛するが如し。

孝弟也者、其爲仁之本與、非謂孝弟卽是仁之本。蓋謂爲仁之本當以孝弟。猶忠恕之爲道也。
【読み】
孝弟は、其れ仁を爲[おこな]うの本かとは、孝弟は卽ち是れ仁の本と謂うには非ず。蓋し仁を爲うの本は當に孝弟を以てすべきことを謂う。猶忠恕の道爲るがごとし。

飾過則失實、故寧儉。喪主於哀戚。
【読み】
飾り過ぐるは則ち實を失う、故に寧ろ儉せよ。喪は哀戚を主とせよ。

我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人、恕也。近於仁。故曰賜也、非爾所及也。然未至於仁也、以其有欲字爾。
【読み】
我れ人の諸を我に加うることを欲せざれば、吾も亦諸を人に加うること無からんことを欲するは、恕なり。仁に近し。故に賜や、爾が及ぶ所に非ずと曰う。然れども未だ仁に至らざるは、其の欲の字有るを以てのみ。

邦無道、則能沈晦以免禍。故曰不可及也。亦有不當愚者、比干是也。
【読み】
邦道無きときは、則ち能く沈晦して以て禍いを免る。故に及ぶ可からずと曰う。亦當に愚なるべからざる者有り、比干是れなり。

仁之方、方術也。
【読み】
仁の方とは、方は術なり。

三月不違仁。三月言其久。天道小變之節、蓋言顏子經天道之變、而爲仁如此。其能久於仁也。
【読み】
三月仁に違わず、と。三月は其の久しきを言う。天道小變の節、蓋し言う、顏子天道の變を經て、仁を爲うこと此の如し。其れ能く仁に久しき、と。

鮮于侁問伊川曰、顏子何以能不改其樂。正叔曰、顏子所樂者何事。侁對曰、樂道而已。伊川曰、使顏子而樂道、不爲顏子矣。侁未達、以告鄒浩。浩曰、夫人所造如是之深。吾今日始識伊川面。(胡文定公集記此事云、安國嘗見鄒至完、論近世人物。因問、程明道如何。至完曰、此人得志、使萬物各得其所。又問、伊川如何。曰、却不得比明道。又問、何以不得比。曰、爲有不通處。又問侍郎、先生言伊川不通處、必有言行可證。願聞之。至完色動、徐曰、有一二事、恐門人或失其傳。後來在長沙、再論河南二先生學術。至完却曰、伊川見處極高。因問、何以言之。曰、昔鮮于侁曾問、顏子在陋巷、不改其樂、不知所樂者何事。伊川却問曰、尋常說顏子所樂者何。侁曰、不過是說顏子所樂者道。伊川曰、若說有道可樂、便不是顏子。以此見伊川見處極高。又曰、浩昔在穎昌、有趙均國者、自洛中來。浩問、曾見先生、有何語。均國曰、先生語學者曰、除却神祠廟宇、人始知爲善。古人觀象作服便是爲善之具。又震澤語錄云、伊川問學者、顏子所樂者何事。或曰、樂道。伊川曰、若說顏子樂道、孤負顏子。鄒至完曰、吾雖未識伊川面、已識伊川心。何其所造之深也。)
【読み】
鮮于侁伊川に問いて曰く、顏子何を以て能く其の樂しみを改めざる、と。正叔曰く、顏子樂しむ所の者は何事ぞ、と。侁對えて曰く、道を樂しむのみ、と。伊川曰く、顏子にして道を樂しましめば、顏子爲らず、と。侁未だ達せず、以て鄒浩に告ぐ。浩曰く、夫の人の造る所是の如く之れ深し。吾れ今日始めて伊川の面を識る、と。(胡文定公の集に此の事を記して云く、安國嘗て鄒至完に見えて、近世の人物を論ず。因りて問う、程明道は如何、と。至完曰く、此の人志を得ば、萬物をして各々其の所を得せしめん、と。又問う、伊川は如何、と。曰く、却って明道に比することを得ず、と。又問う、何を以て比することを得ざる、と。曰く、通ぜざる處有るが爲なり、と。又侍郎に問う、先生言く、伊川通ぜざる處とは、必ず言行の證す可き有らん。願わくは之を聞かん、と。至完色動いて、徐[おもむろ]にして曰く、一二の事有り、恐らくは門人或は其の傳を失えり、と。後來長沙に在りて、再び河南二先生の學術を論ず。至完却って曰く、伊川の見處極めて高し、と。因りて問う、何を以て之を言う、と。曰く、昔鮮于侁曾て問う、顏子陋巷に在って、其の樂しみを改めず、知らず、樂しむ所の者は何事ぞ、と。伊川却って問いて曰く、尋常說く顏子樂しむ所の者は何ぞ、と。侁曰く、是れ顏子樂しむ所の者は道と說くに過ぎず、と。伊川曰く、若し道の樂しむ可き有りと說かば、便ち是れ顏子にあらず、と。此を以て伊川の見處極めて高きことを見る、と。又曰く、浩昔穎昌に在るとき、趙均國という者有り、洛中自り來る。浩問う、曾て先生に見えて、何の語有る、と。均國曰く、先生學者に語って曰く、神祠廟宇を除却して、人始めて善を爲すことを知らん。古人象を觀服を作るは便ち是れ善を爲すの具なり、と。又震澤語錄に云く、伊川學者に問う、顏子樂しむ所の者は何事ぞ、と。或るひと曰く、道を樂しむ、と。伊川曰く、若し顏子道を樂しむと說かば、顏子に孤負せん、と。鄒至完曰く、吾れ未だ伊川の面を識らずと雖も、已に伊川の心を識る。何ぞ其れ造る所之れ深きかな、と。)

樂山樂水、氣類相合。
【読み】
山を樂しみ水を樂しむは、氣類相合すればなり。

文莫吾猶人也、文皆欲勝人。至躬行則未嘗得也。
【読み】
文は吾れ人の猶くなること莫からんやとは、文は皆人に勝たんと欲す。躬に行うに至っては則ち未だ嘗て得ず。

古之學者、必先學詩。學詩則誦讀其善惡是非勸戒、有以起發其意。故曰興。人無禮以爲規矩、則身無所處。故曰立。此禮之文也。中心斯須不和不樂、則鄙詐之心入之。不和樂則無所自得。故曰成。此樂之本也。古者玉不去身、無故不徹琴瑟。自成童入學、四十而出仕、所以敎養之者備矣。理義以養其心、禮樂(一作舞蹈。)以養其血氣。故其才高者爲聖賢、下者亦爲吉士。由養之至也。
【読み】
古の學者は、必ず先づ詩を學ぶ。詩を學ぶときは則ち其の善惡是非を誦讀して勸め戒め、以て其の意を起發すること有り。故に興ると曰う。人禮以て規矩を爲すこと無ければ、則ち身處する所無し。故に立つと曰う。此れ禮の文なり。中心斯須[しばら]くも和せず樂しまざれば、則ち鄙詐の心之に入る。和樂せざれば則ち自得する所無し。故に成ると曰う。此れ樂の本なり。古は玉身を去らず、故無くば琴瑟を徹せず。成童自り學に入り、四十にして出て仕うるは、之を敎養する所以の者備われり。理義以て其の心を養い、禮樂(一に舞蹈に作る。)以て其の血氣を養う。故に其の才高き者は聖賢と爲り、下き者も亦吉士と爲る。養いの至るに由ってなり。

所謂利者一而已。財利之利與利害之利、實無二義。以其可利、故謂之利。聖人於利、不能全不較論、但不至妨義耳。乃若惟利是辨、則忘義矣。故罕言。
【読み】
所謂利は一なるのみ。財利の利と利害の利とは、實は二義無し。其の利す可きを以て、故に之を利と謂う。聖人の利に於る、全く較論せざること能わず、但義を妨ぐるに至らざるのみ。乃ち若し惟利のみ是れ辨ずれば、則ち義を忘る。故に罕に言う。

色斯舉矣、知幾莫如聖人。翔而後集、不止擇君、凡事必詳審也。
【読み】
色のままに斯に舉がるとは、幾を知るは聖人に如くは莫し。翔[ふるま]って後に集[い]るとは、止君を擇ぶのみにあらず、凡そ事必ず詳審するなり。

兼四人之所長、而又文之以禮樂、亦可以爲成人矣、成人之難也。武仲之智非正也。若文之以禮樂、則無不正者。今之成人者、見利思義、見危授命、謂忠也。久要不忘平生之言、信也。有忠信而不及禮樂、亦可以爲成人、又其次也。
【読み】
四人の長ずる所を兼ねて、又之を文[あや]どるに禮樂を以てせば、亦以て成人とす可しとは、成人の難ければなり。武仲が智は正しきに非ず。若し之を文どるに禮樂を以てせば、則ち正しからざる者無けん。今の成人は、利を見て義を思い、危きを見て命を授くとは、謂ゆる忠なり。久要にも平生の言を忘れずとは、信なり。忠信有りて禮樂に及ばざるも、亦以て成人とす可きこと、又其の次なり。

伊川先生將屬纊時、顧謂端中曰、立子。蓋指其適子端彥也。語絕而沒。旣除喪、明道之長孫昂、自以當立。侯師聖不可。昂曰、明道不得入廟耶。師聖曰、我不敢容私。明道先太中而卒。繼太中主祭者伊川也。今繼伊川、非端彥而何。議始定。或謂師聖曰、明道旣死。其長子不當立乎。曰、立廟自伊川始。又明道長子死已久。況古者有諸侯奪宗、庶姓奪嫡之說。可以義起矣。況立廟自伊川始乎。(尹子親注云、此一段差誤。)
【読み】
伊川先生將に纊を屬[つ]けんとする時、顧みて端中に謂いて曰く、子を立てよ、と。蓋し其の適子端彥を指せり。語絕えて沒せり。旣に喪を除いて、明道の長孫昂、自ら以て當に立つべしとす。侯師聖可[き]かず。昂曰く、明道廟に入ることを得ざらんや、と。師聖曰く、我れ敢えて私を容れじ。明道は太中に先だって卒す。太中を繼いで祭に主たる者は伊川なり。今伊川に繼ぐは、端彥に非ずして何ぞ、と。議始めて定まる。或るひと師聖に謂いて曰く、明道旣に死す。其の長子當に立つべからざるか、と。曰く、廟を立つること伊川自り始まる。又明道の長子死すること已に久し。況んや古諸侯宗を奪い、庶姓嫡を奪うの說有り。義を以て起こす可し。況んや廟を立つること伊川自り始まるをや、と。(尹子親注に云く、此の一段差誤あり、と。)

學者必知所以入德。不知所以入德、未見其能進也。故孟子曰、不明乎善、不誠其身。易曰、知至至之。
【読み】
學者は必ず德に入る所以を知れ。德に入る所以を知らざれば、未だ其の能く進むことを見ず。故に孟子曰く、善に明らかならざれば、其の身に誠あらず、と。易に曰く、至るを知って之に至る、と。

別本拾遺

明道見神宗論人材。上曰、朕未之見也。明道曰、陛下奈何輕天下士。上聳然曰、朕不敢、朕不敢。(此段見行狀。無上曰朕未之見也一句。)
【読み】
明道神宗に見えて人材を論ず。上曰く、朕未だ之を見ず、と。明道曰く、陛下奈何ぞ天下の士を輕んずる、と。上聳然として曰く、朕敢えてせず、朕敢えてせず、と。(此の段行狀に見る。上曰く朕未だ之を見ずという一句無し。)

子曰、遊酢得西銘誦之、卽渙然不逆於心。曰、此中庸之理也。能求於語言之外者也。(此一條已見於大全集。然頗有缺誤。故複出此。)
【読み】
子曰く、遊酢西の銘を得て之を誦して、卽ち渙然として心に逆わず。曰く、此れ中庸の理なり。能く語言の外に求むる者なり、と。(此の一條已に大全集に見る。然れども頗る缺誤有り。故に複此に出す。)

崇慶黨禁方嚴。子徙居龍門之南、止南方學者曰、苟能尊所聞、力行所知、則可矣。不必及門也。
【読み】
崇慶の黨禁方に嚴なり。子龍門の南に徙居して、南方の學者を止めて曰く、苟も能く聞く所を尊び、力めて知る所を行わば、則ち可なり。必ずしも門に及ばざれ、と。

或問范祖禹曰、或謂、夫子有言曰、人有篤志力行而不知道者。信乎。祖禹曰、吾嘗聞之。夫子有所指而言之也。(時范公在溫公通鑑局中。)
【読み】
或るひと范祖禹に問いて曰く、或るひと謂う、夫子言えること有り曰く、人篤く志し力め行いて道を知らざる者有り、と。信なりや、と。祖禹曰く、吾れ嘗て之を聞けり。夫子指す所有りて之を言えり、と。(時に范公溫公通鑑の局中に在り。)


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)