二程全書卷之三十八  外書第十一

時氏本拾遺

或問、老子言天地不仁、聖人不仁、如何。曰、謂天地不仁、以萬物爲芻狗、是也。謂聖人不仁、以百姓爲芻狗、非也。聖人豈有不仁。所患者不仁也。天地何意於仁。鼓舞萬物而不與聖人同憂。聖人則仁。此其爲能弘道也。
【読み】
或るひと問う、老子が天地不仁、聖人不仁と言うは、如何、と。曰く、天地不仁、萬物を以て芻狗とすと謂うは、是なり。聖人不仁、百姓を以て芻狗とすと謂うは、非なり。聖人豈不仁有らんや。患うる所の者は不仁なり。天地何ぞ仁に意あらんや。萬物を鼓舞して聖人と憂えを同じくせず。聖人は則ち仁なり。此れ其の能く道を弘むるが爲なり、と。

或問、記曰、康誥曰、若保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。先生曰、今母保養赤子、其始何嘗學來。當保養之時、自然中所欲。若推此心保民、設不中其所欲、亦不遠。因說昔楊軾爲宣州簽判。一日差王某爲杖直。當日晩、有同姓名者來陳狀、乞分產。軾疑其杖直、便決替了。赤子不能言、尙能中其欲。民能言。却不知其情、大抵只是少察。
【読み】
或るひと問う、記に曰く、康誥に曰く、赤子を保んずるが若し、と。心誠に之を求めば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを學んで而る後に嫁ぐ者は有ず、と。先生曰く、今母赤子を保養する、其の始め何ぞ嘗て學び來らん。保養する時に當たって、自然に欲する所に中る。若し此の心を推して民を保んぜば、設[たと]い其の欲する所に中らずとも、亦遠からじ、と。因りて說く、昔楊軾宣州の簽判[せんはん]爲り。一日王某を差して杖直とす。日晩るるに當たって、同じ姓名の者來ること有りて陳狀して、分產を乞う。軾其の杖直を疑って、便ち決替し了わる。赤子の言うこと能わざるすら、尙能く其の欲するに中る。民は能く言う。却って其の情を知らざるは、大抵只是れ察すること少なければなり、と。

學者今日無可添、唯有可減。減盡便無事。
【読み】
學者今日添う可き無くして、唯減ず可き有り。減じ盡くさば便ち無事ならん。

大學舉而不能先、命也、命當作怠。字之誤也。
【読み】
大學に舉げて先んずること能わざるは、命なりというは、命は當に怠に作るべし。字の誤りなり。

窮理、盡性、至命、一事也。纔窮理便盡性、盡性便至命。因指柱曰、此木可以爲柱、理也。其曲直者、性也。其所以曲直者、命也。理、性、命、一而已。
【読み】
理を窮め、性を盡くし、命に至るは、一事なり。纔かに理を窮むれば便ち性を盡くし、性を盡くせば便ち命に至る。因りて柱を指して曰く、此の木以て柱とす可きは、理なり。其の曲直なる者は、性なり。其の曲直なる所以の者は、命なり。理、性、命は、一なるのみ、と。

或問忠恕之別。曰、猶形影也。無忠則不能爲恕矣。
【読み】
或るひと忠恕の別を問う。曰く、猶形影のごとし。忠無ければ則ち恕を爲すこと能わず、と。

尹子曰、伊川先生嘗言、中庸乃孔門傳授心法。
【読み】
尹子曰く、伊川先生嘗て言えり、中庸は乃ち孔門傳授の心法、と。

郭忠孝議易傳序曰、易卽道也。又何從道。或以問伊川。伊川曰、人隨時變易爲何。爲從道也。
【読み】
郭忠孝易傳の序を議して曰く、易は卽ち道なり。又何ぞ道に從わん、と。或るひと以て伊川に問う。伊川曰く、人時に隨って變易するは何の爲ぞ。道に從う爲なり、と。

范文甫問四象。子曰、左右前後。楊中立問四象。子言、四方。
【読み】
范文甫四象を問う。子曰く、左右前後、と。楊中立四象を問う。子言く、四方、と。

雋不疑說春秋則非。處事應機則不異於古人。董仲舒論事先引春秋。論事則是。引春秋則非。
【読み】
雋不疑[しゅんふぎ]春秋を說くことは則ち非なり。事に處し機に應ずることは則ち古人に異ならず。董仲舒事を論ずるに先づ春秋を引く。事を論ずることは則ち是なり。春秋を引くことは則ち非なり。

王道與儒道同。皆通貫天地。學純則純王純儒也。
【読み】
王道は儒道と同じ。皆天地に通貫す。學純なれば則ち純王純儒なり。

或問劉蕡曰、浚恆之凶、始求深也。曰、然則宜如何。曰、尺蠖之屈、以求伸也。疏遠小臣、一旦欲以新閒舊、難矣。
【読み】
或るひと劉蕡[りゅうふん]に問いて曰く、恆を浚[ふか]くするの凶とは、始めに求むること深ければなり、と。曰く、然らば則ち如何にす宜き、と。曰く、尺蠖[せきかく]の屈するは、以て伸びんことを求むるなり。疏遠の小臣、一旦新を以て舊を閒てんと欲せば、難からん、と。

或問、貞觀之治、不幾三代之盛乎。曰、關雎・麟趾之意安在。
【読み】
或るひと問う、貞觀の治は、三代の盛んなるに幾からずや、と。曰く、關雎・麟趾の意安くに在る、と。

德至於無我者、雖善言美行、無非所過之化也。
【読み】
德我無きに至る者は、善言美行と雖も、過ぐる所の化に非ずということ無し。

敎人者、養其善心而惡自消。治民者、導之敬讓而爭自息。
【読み】
人を敎うる者は、其の善心を養って惡自づから消す。民を治むる者は、之に敬讓を導いて爭い自づから息む。

天地之化、一息不留、疑其速也。然寒暑之變甚漸。
【読み】
天地の化、一息も留まらざること、其の速やかなることを疑う。然れども寒暑の變は甚だ漸なり。

世之人務窮天地萬物之理、不知反之一身、五臟六腑毛髮筋骨之所存、鮮或知之。善學者、取諸身而已。自一身以觀天地。
【読み】
世の人務めて天地萬物の理を窮むれども、之を一身に反すことを知らず、五臟六腑毛髮筋骨の存する所、之を知ること或ること鮮し。善く學ぶ者は、諸を身に取るのみ。一身自りして以て天地を觀る。

李朴(字先之。)請敎。先生曰、當養浩然之氣。又問。曰、觀張子厚所作西銘、能養浩然之氣者也。
【読み】
李朴(字は先之。)敎を請う。先生曰く、當に浩然の氣を養うべし、と。又問う。曰く、張子厚が作れる所の西の銘を觀るに、能く浩然の氣を養う者なり、と。

子謂、尹焞魯、張繹俊。俊、恐他日過之。魯者終有守也。
【読み】
子謂く尹焞は魯なり、張繹は俊なり。俊は、恐らくは他日過たん。魯なる者は終に守ること有らん。

尹子・張子見。先生曰、二子於某言如何。尹子對曰、聞先生之言、言下領意、焞不如繹。能終守先生之學、繹亦不如焞。先生欣然曰、各中其病。
【読み】
尹子・張子見ゆ。先生曰く、二子の某が言に於るは如何、と。尹子對えて曰く、先生の言を聞き、言下に意を領することは、焞繹に如かず。能く終に先生の學を守ることは、繹亦焞に如かず、と。先生欣然として曰く、各々其の病に中れり、と。

王信伯問學於伊川曰、願聞一言。先生曰、勿信吾言。但信取理。
【読み】
王信伯學を伊川に問いて曰く、願わくは一言を聞かん、と。先生曰く、吾が言を信ずること勿かれ。但理を取ることを信ぜよ、と。

先生過成都、坐於所館之堂讀易。有造桶者前視之、指未濟卦問。先生曰、何也。曰、三陽皆失位。先生異之、問其姓與居、則失之矣。易傳曰、聞之成都隱者。(酉室所聞云田夫釋耒者、誤。)
【読み】
先生成都を過り、館する所の堂に坐して易を讀む。桶を造る者有りて前より之を視て、未濟の卦を指して問う。先生曰く、何ぞや、と。曰く、三陽皆位を失う、と。先生之を異として、其の姓と居とを問えば、則ち之を失す。易傳に曰く、之を成都の隱者に聞けり、と。(酉室所聞に田夫耒を釋[す]つる者と云うは、誤りなり。)

朝廷議授遊定夫以正言。蘇右丞沮止、毀及伊川。宰相蘇子容曰、公未可如此。頌觀過其門者無不肅也。
【読み】
朝廷議して遊定夫に授くるに正言を以てす。蘇右丞沮止して、毀[そし]り伊川に及ぶ。宰相蘇子容曰く、公未だ此の如くす可からず。頌其の門を過ぐる者を觀るに肅[つつし]まずということ無し、と。

朱公掞以諫官召。過洛見伊川。顯道在坐、公掞不語。伊川指顯道謂之曰、此人爲切問近思之學。
【読み】
朱公掞諫官を以て召さる。洛を過りて伊川に見ゆ。顯道坐に在り、公掞語らず。伊川顯道を指して之に謂いて曰く、此の人切に問い近く思うの學をす、と。

張思叔請問、其論或太高。伊川不答、良久曰、累高必自下。
【読み】
張思叔請い問うに、其の論或は太だ高し。伊川答えず、良[やや]久しくして曰く、高きを累[かさ]ぬることは必ず下き自りす、と。

尹子問范淳夫之爲人。子曰、其人如玉。
【読み】
尹子范淳夫の人と爲りを問う。子曰く、其の人や玉の如し、と。

有死而復蘇者。故禮三日而斂。然趙簡子七日猶蘇。雖蛆食其舌鼻猶不害。唯伏地甚者、遂致幷腹腫背冷。故未三日而斂、皆有殺之之理。
【読み】
死して復蘇る者有り。故に禮に三日にして斂す、と。然れども趙簡子七日にして猶蘇る。蛆其の舌鼻を食むと雖も猶害あらず。唯地に伏すこと甚だしき者は、遂に幷びに腹腫背冷を致す。故に未だ三日ならずして斂するは、皆之を殺すの理有り。

知德斯知言。故言使不動。孟子知武王。故不信漂杵之說。
【読み】
德を知れば斯に言を知る。故に言動かざらしむ。孟子武王を知る。故に杵を漂わすの說を信ぜず。

學者要先會疑。
【読み】
學者先づ疑いを會せんことを要す。

邵堯夫詩曰、梧桐月向懷中照、楊柳風來面上吹。明道曰、眞風流人豪。
【読み】
邵堯夫の詩に曰く、梧桐の月は懷中に向かいて照らし、楊柳の風は面上に來りて吹く、と。明道曰く、眞に風流の人豪なり、と。

伊川曰、邵堯夫在急流中、被渠安然取十年快樂。
【読み】
伊川曰く、邵堯夫急流の中に在りて、渠[かれ]安然として十年の快樂を取らる、と。

石曼卿詩云、樂意相關禽對語、生香不斷樹交花。明道曰、此語形容得浩然之氣。(龜山語錄潘千之云、張師雍曾問伊川云、昔明道嘗與學者論浩然之氣。因舉古詩云云如何。伊川沈吟、看師雍曰、好。)
【読み】
石曼卿の詩に云く、樂意相關りて禽[とり]對語し、香を生じて斷えず樹花に交わる、と。明道曰く、此の語浩然の氣を形容し得たり、と。(龜山語錄に潘千之云く、張師雍曾て伊川に問いて云く、昔明道嘗て學者と浩然の氣を論ず。因りて古詩を舉げて云云とは如何、と。伊川沈吟して、師雍を看て曰く、好し、と。)

或問、孝、天之經、何也。曰、本乎天者親上。輕淸者是也。本乎地者親下。重濁者是也。天地之常、莫不反本。人之孝、亦反本之謂也。
【読み】
或るひと問う、孝は、天の經とは、何ぞや、と。曰く、天に本づく者は上を親しむ。輕淸なる者是れなり。地に本づく者は下を親しむ。重濁なる者是れなり。天地の常、本に反らずということ莫し。人の孝も、亦本に反るの謂なり、と。

元經、天子之史也。書帝正月、非也。
【読み】
元經は、天子の史なり。帝正月と書すは、非なり。

章氏之子與明道之子、王氏婿也。明道子死、章納其婦。先生曰、豈有生爲親友、死娶其婦者。他日、王氏來餽送。一皆謝遣。章來欲見其子。先生曰、母子無絕道。然君乃其父之罪人也。
【読み】
章氏の子と明道の子とは、王氏の婿なり。明道の子死して、章其の婦を納る。先生曰く、豈生きて親友と爲りて、死して其の婦を娶る者有らんや、と。他日、王氏來りて餽送す。一[ひとえ]に皆謝遣す。章來りて其の子を見んと欲す。先生曰く、母子道を絕つこと無し。然れども君は乃ち其の父の罪人なり、と。

范堯夫經筵坐睡。先生語人曰、堯夫胸中無事如此。有朝士入朝、倒執手板。先生曰、此人胸中不是無事。
【読み】
范堯夫經筵に坐して睡る。先生人に語りて曰く、堯夫の胸中事無きこと此の如し、と。朝士朝に入りて、倒るるに手板を執る有り。先生曰く、此の人の胸中是れ事無きにあらず、と。

陳經正問曰、據貴一所見、盈天地閒皆我之性、更不復知我身之爲我。伊川笑曰、他人食飽、公無餒乎。
【読み】
陳經正問いて曰く、貴一が所見に據るに、天地の閒に盈つるは皆我が性、更に復我が身の我れ爲ることを知らず、と。伊川笑って曰く、他人食飽くとも、公餒うること無けんや、と。

不能克己、則爲楊氏爲我。不能復禮、則爲墨氏兼愛。故曰親親而仁民、仁民而愛物、此之謂也。
【読み】
己に克つこと能わざるときは、則ち楊氏の爲我と爲る。禮に復ること能わざるときは、則ち墨氏の兼愛と爲る。故に親を親しんで民を仁し、民を仁して物を愛すと曰うは、此れ之の謂なり。

或問涵養。曰、若造得到、更說甚涵養。
【読み】
或るひと涵養を問う。曰く、若し造り得到らば、更に甚の涵養を說かん、と。

易无妄曰、天下雷行物與无妄。動以天理故也。其大略如此。又須研究之、則自有得處。
【読み】
易の无妄に曰く、天の下に雷行き物ごとに无妄を與う、と。動くに天理を以てするの故なり。其の大略此の如し。又須く之を研究せば、則ち自づから得る處有るべし。

三代忠質文、其因時之尙然也。夏近古、人多忠誠。故爲忠。忠弊。故捄之以質。質弊。故捄之以文。非道有弊也。後世不守。故浸而成弊。雖不可以一二事觀之、大概可知。如堯・舜・禹之相繼、其文章氣象亦自小異也。
【読み】
三代の忠質文は、其の時の尙ぶに因りて然り。夏は古に近くして、人多くは忠誠。故に忠とす。忠に弊あり。故に之を捄[すく]うに質を以てす。質に弊あり。故に之を捄うに文を以てす。道弊有るには非ず。後世守らず。故に浸[ようや]くにして弊を成す。一二の事を以て之を觀る可からずと雖も、大概知る可し。堯・舜・禹の相繼ぐが如き、其の文章氣象も亦自づから小しく異なり。

心定者其言重以舒。不定者其言輕以疾。
【読み】
心定まる者は其の言重くして以て舒[ゆる]やかなり。定まらざる者は其の言輕くして以て疾し。

立宗必有奪宗法。如卑幼爲大臣、以今之法、自合立廟、不可使從宗子以祭。
【読み】
宗を立つるに必ず宗を奪うの法有り。卑幼大臣と爲るが如き、今の法を以て、自ら合に廟を立つるべく、宗子に從りて以て祭らしむ可からず。

楊子曰、觀乎天地、則見聖人。伊川曰、不然。觀乎聖人、則見天地。
【読み】
楊子曰く、天地を觀るときは、則ち聖人を見る、と。伊川曰く、然らず。聖人を觀るときは、則ち天地を見る、と。

朱公掞爲禦史、端笏正立、嚴毅不可犯、班列肅然。蘇子瞻語人曰、何時打破這敬字。
【読み】
朱公掞禦史爲るとき、笏を端[ただ]しくして正しく立って、嚴毅犯す可からず、班列肅然たり。蘇子瞻人に語って曰く、何れの時に這の敬の字を打破せん、と。

尹子曰、馮理自號東皐居士。曰、二十年聞先生敎誨、今有一奇特事。先生曰、何如。理曰、夜閒宴坐、室中有光。先生曰、頤亦有奇特事。理請聞之。先生曰、每食必飽。
【読み】
尹子曰く、馮理自ら東皐居士と號す。曰く、二十年先生の敎誨を聞き、今一つの奇特の事有り、と。先生曰く、何如、と。理曰く、夜閒宴坐するに、室中に光有り、と。先生曰く、頤も亦奇特の事有り、と。理之を聞かんことを請う。先生曰く、食する每に必ず飽く、と。

崇寧初、范致虛言、程頤以邪說詖行、惑亂衆聽。尹焞・張繹爲之羽翼。遂下河南府體究。學者往別。因言世故。先生曰、三代之治、不可復也。有賢君作、能致小康、則有之。
【読み】
崇寧の初め、范致虛が言く、程頤邪說詖行を以て、衆聽を惑亂す。尹焞・張繹之が羽翼を爲す、と。遂に河南府に下して體究す。學者往き別る。因りて世故を言う。先生曰く、三代の治は、復す可からず。賢君作ること有らば、能く小康を致すことは、則ち之れ有らん、と。

尹子曰、邵堯夫家以墓誌屬明道、許之。太中・伊川不欲。因步月於庭。明道曰、顥已得堯夫墓誌矣。堯夫之學、可謂安且成。太中乃許。
【読み】
尹子曰く、邵堯夫の家墓誌を以て明道に屬して、之を許す。太中・伊川欲せず。因りて月に庭に步く。明道曰く、顥已に堯夫の墓誌を得たり。堯夫の學、安んじて且つ成れりと謂う可し、と。太中乃ち許す。

呂與叔作橫渠行狀、有見二程盡棄其學之語。尹子言之。先生曰、表叔平生議論、謂頤兄弟有同處則可。若謂學於頤兄弟則無是事。頃年屬與叔刪去。不謂尙存斯言。幾於無忌憚。(按行狀今有兩本。一本云、盡棄其學而學焉。一本云、於是盡棄異學、淳如也。恐是後來所改。)
【読み】
呂與叔橫渠の行狀を作るに、二程に見えて盡く其の學を棄つという語有り。尹子之を言う。先生曰く、表叔平生の議論、頤兄弟同じき處有りと謂わば則ち可なり。若し頤兄弟に學ぶと謂わば則ち是の事無し。頃年與叔に屬して刪り去らしむ。謂[おも]わざりき、尙斯の言を存せんとは。忌み憚ること無きに幾し、と。(按ずるに行狀に今兩本有り。一本に云う、盡く其の學を棄てて學ぶ、と。一本に云う、是に於て盡く異學を棄てて、淳如たり、と。恐らくは是れ後來改むる所ならん。)

酉室所聞云、聖人氣數順、無橫逆死。學入聖域、其數亦隨氣斡轉。先生曰、學而至聖、爲奪造化者、以此。
【読み】
酉室所聞に云く、聖人氣數順にして、橫逆の死無し。學聖域に入れば、其の數も亦氣に隨いて斡轉す、と。先生曰く、學んで聖に至るを、造化を奪う者とするは、此を以てなり、と。

又問、聰明如何磨去。曰、使之則有、不使則亡(一作無。)
【読み】
又問う、聰明如何にして磨し去らん、と。曰く、之をしむるときは則ち有り、しめざるときは則ち亡し(一に無に作る。)、と。

崇寧閒、言者范致虛攻先生爲元祐邪說、朝廷下河南府盡逐學徒。後數月、馬伸(時舉。)及門求見。先生辭之。伸欲先棄官而來。先生曰、近日盡逐學徒、恐非公仕進所利。公能棄官、則官不必棄也。建炎閒、伸爲御史論事。公論與之。
【読み】
崇寧の閒、言者范致虛先生を攻めて元祐の邪說と爲し、朝廷河南府に下して盡く學徒を逐う。後數月にして、馬伸(時舉。)門に及んで見えんことを求む。先生之を辭す。伸先づ官を棄てて來らんことを欲す。先生曰く、近日盡く學徒を逐うは、恐らくは公仕進の利なる所に非ず。公能く官を棄てんとならば、則ち官必ずしも棄てざるなり、と。建炎の閒、伸御史と爲りて事を論ず。公論之に與す。

范淳夫之女讀孟子出入無時、莫知其郷、惟心之謂與、語人曰、孟子不識心。心豈有出入。先生聞之曰、此女雖不識孟子、却能識心。(後嫁耿氏而卒。)
【読み】
范淳夫の女孟子の出入時無く、其の郷[ところ]を知ること莫きは、惟れ心を謂うかというを讀んで、人に語って曰く、孟子は心を識らず。心豈出入有らんや、と。先生之を聞いて曰く、此の女孟子を識らずと雖も、却って能く心を識れり、と。(後に耿氏に嫁いで卒す。)

或謂、孔子尊周、孟子欲齊王行王政、何也。先生曰、譬如一樹、有可栽培之理則栽培之、不然須別種。賢聖何心。視天命之改與未改爾。
【読み】
或るひと謂く、孔子周を尊び、孟子齊王の王政を行わんことを欲するは、何ぞや、と。先生曰く、譬えば一樹の如き、栽培す可きの理有らば則ち之を栽培し、然らずんば須く別に種[う]うべし。賢聖何の心ぞや。天命の改むると未だ改めざるとを視るのみ、と。

有患心疾、見物皆獅子。伊川敎之、以見卽直前捕執之、無物也。久之疑疾遂愈。
【読み】
心疾を患うるもの有り、物を見るに皆獅子なり。伊川之に敎うるに、見るときは卽ち直に前んじて之を捕え執えよ、物無からんというを以てす。久しくして疑疾遂に愈ゆ。

或問、世傳有人化虎。理有之乎。曰、有之。昔在涪、見村民爪甲漸變如虎、毛班班然通身。夜開關延虎、食其牢中之豕。化雖未成、而氣類相感、其情已通矣。
【読み】
或るひと問う、世に傳う、人虎に化する有り、と。理之れ有りや、と。曰く、之れ有り。昔涪に在るとき、村民爪甲漸く變じて虎の如く、毛班班然として通身なるを見る。夜關を開きて虎を延[ひ]きて、其の牢中の豕を食う。化未だ成らずと雖も、而れども氣類相感じて、其の情已に通ずるなり、と。

溫公薨。朝廷命伊川先生主其喪事。是日也、祀明堂禮成、而二蘇往哭溫公。道遇朱公掞、問之。公掞曰、往哭溫公。而程先生以爲慶吊不同日。二蘇悵然而反曰、鏖糟陂裏叔孫通也(言其山野。)。自是時時謔伊川。他日國忌、禱於相國寺。伊川令供素饌。子瞻詰之曰、正叔不好佛、胡爲食素。正叔曰、禮、居喪不飮酒食肉。忌日、喪之餘也。子瞻令具肉食曰、爲劉氏者左袒。於是范淳夫輩食素、秦・黃輩食肉。呂申公爲相。凡事有疑、必質於伊川。進退人才。二蘇疑伊川有力。故極口詆之云。
【読み】
溫公薨ず。朝廷伊川先生に命じて其の喪事を主らしむ。是の日、明堂に祀る禮成って、二蘇往いて溫公を哭せんとす。道にして朱公掞に遇って、之を問う。公掞曰く、往いて溫公を哭す、と。而るに程先生以て慶弔日を同じくせずとす、と。二蘇悵然として反って曰く、鏖糟陂裏の叔孫通なり、と(其の山野なるを言う。)。是れ自り時時伊川に謔[たわむ]る。他日國忌に、相國寺に禱る。伊川素饌を供せしむ。子瞻之を詰って曰く、正叔佛を好まず、胡爲[なんす]れぞ素を食せる、と。正叔曰く、禮に、喪に居りては酒を飮み肉を食わず、と。忌日は、喪の餘りなり、と。子瞻肉食を具えしめて曰く、劉氏の爲にせん者は左袒[かたぬ]げ、と。是に於て范淳夫の輩は素を食い、秦・黃の輩は肉を食う。呂申公相爲り。凡そ事疑い有れば、必ず伊川に質す。人才を進退す。二蘇伊川力有ることを疑う。故に口を極めて之を詆ると云う。

伊川主溫公喪事。子瞻周視無闕禮。乃曰、正叔喪禮何其熟也。又曰、軾聞居喪未葬讀喪禮。太中康寧、何爲讀喪禮乎。伊川不答。鄒至完聞之曰、伊川之母先亡。獨不可以治喪禮乎。
【読み】
伊川溫公の喪事を主る。子瞻周視するに闕禮無し。乃ち曰く、正叔の喪禮何ぞ其れ熟せるや、と。又曰く、軾聞く、喪に居りて未だ葬らざれば喪禮を讀む、と。太中康寧、何爲れぞ喪禮を讀むや、と。伊川答えず。鄒至完之を聞いて曰く、伊川の母先だって亡ぶ。獨以て喪禮を治むる可からざらんや、と。

范淳夫嘗與伊川論唐事。及爲唐鑑、盡用先生之論。先生謂門人曰、淳夫乃能相信如此。
【読み】
范淳夫嘗て伊川と唐の事を論ず。唐鑑を爲るに及んで、盡く先生の論を用う。先生門人に謂いて曰く、淳夫乃ち能く相信ずること此の如し、と。

或謂科舉事業奪人之功、是不然。且一月之中、以十日爲舉業、餘日足可爲學。然人不志此、必志於彼。故科舉之事、不患妨功、惟患奪志。
【読み】
或るひと科舉の事業は人の功を奪うと謂うは、是れ然らず。且一月の中、十日を以て舉業を爲さば、餘日は學を爲す可きに足れり。然れども人此に志さずして、必ず彼に志す。故に科舉の事、功を妨ぐことを患えず、惟志を奪うことを患う。

或謂、漢史天子建中和之極、學者甚病中與極之語。曰、此亦有理。中和猶木材也。極猶屋之極。有中和斯有極。如有木材斯可建屋之極。學者須識此氣象。(此一段、溫州傳錄。)
【読み】
或るひと謂く、漢史に天子中和の極を建つという、學者甚だ中と極との語を病む、と。曰く、此れ亦理有り。中和は猶木材のごとし。極は猶屋の極のごとし。中和有れば斯に極有り。木材有れば斯に屋の極を建つる可きが如し。學者須く此の氣象を識るべし、と。(此の一段は、溫州傳錄なり。)

程氏自先生兄弟、所葬以昭穆定穴、不用墓師、以五色帛埋旬日、視色明暗、卜地氣善否。
【読み】
程氏先生兄弟自り、葬る所昭穆を以て穴を定め、墓師を用いず、五色の帛を以て埋むること旬日、色の明暗を視て、地氣の善否を卜す。

官婢行酒。暢大隱力拒之。先生聞而不善之也。(暢字潛道。)
【読み】
官婢酒を行う。暢大隱力めて之を拒む。先生聞いて之を善しとせず。(暢の字は潛道。)

明道先生每與門人講論、有不合者、則曰更有商量。伊川則直曰不然。
【読み】
明道先生門人と講論する每に、合わざる者有れば、則ち更に商量有りと曰う。伊川は則ち直に然らずと曰う。

謝顯道崇寧閒上殿不稱旨。先生聞之喜。已而就監門之職。陳貴一問、謝顯道如何人。先生曰、由・求之徒。(或云、建中閒。)
【読み】
謝顯道崇寧の閒上殿旨に稱わず。先生之を聞いて喜ぶ。已にして監門の職に就く。陳貴一問う、謝顯道は如何なる人なるや、と。先生曰く、由・求の徒なり、と。(或るひと云う、建中の閒、と。)

尹子曰、先生謂侯師聖議論、只好隔壁聽。
【読み】
尹子曰く、先生謂く、侯師聖の議論は、只壁を隔てて聽くと好し、と。

尹子曰、先生年七十四、得風痺疾、服大承氣湯則小愈。是年九月、服之輒利。醫者語家人曰、侍講病不比常時。時大觀元年九月也。十六日入視、先生以白夾被被體、坐竹牀、舉手相揖。焞喜、以爲疾去。先生曰、疾去而氣復者安候也。頤愈覺羸劣。焞旣還。十七日有叩門者、報先生傾殂。
【読み】
尹子曰く、先生年七十四、風痺の疾を得て、大承氣湯を服するときは則ち小しく愈ゆ。是の年九月、之を服して輒ち利す。醫者家人に語って曰く、侍講の病常時に比せず、と。時に大觀元年九月なり。十六日入りて視るに、先生白夾被を以て體に被り、竹牀に坐し、手を舉げて相揖す。焞喜んで、以爲えり、疾去れり、と。先生曰く、疾去って氣復る者は安候なり。頤は愈々羸劣を覺う、と。焞旣に還る。十七日に門を叩く者有り、先生傾殂[けいそ]すと報[つ]げり、と。

司馬溫公辭副樞、名冠一時。天下無賢不肖、浩然歸重。呂申公亦以論新法不合、罷歸。熙寧末、申公起知河陽。明道以詩送行、復爲詩與溫公。蓋恐其以不出爲高也。及申公自河陽乞在京宮祠、神宗大喜、召登樞府。人以二公出處爲優劣。二先生曰、呂公世臣、不得不歸見上。司馬公諍臣、不得不退處。
【読み】
司馬溫公副樞を辭して、名一時に冠たり。天下賢不肖と無く、浩然として歸重す。呂申公も亦以て新法を論じて合わず、罷めて歸る。熙寧の末、申公起こりて河陽に知たり。明道詩を以て行を送り、復詩を爲って溫公に與う。蓋し其の出ざるを以て高しとせんことを恐れてなり。申公河陽自り乞いて京宮祠に在るに及んで、神宗大いに喜んで、召して樞府に登らしむ。人二公の出處を以て優劣を爲す。二先生曰く、呂公は世臣なり、歸りて上に見えざることを得ず。司馬公は諍臣なり、退處せざることを得ず、と。

酉室所聞云、顏子得淳和之氣、何故夭。曰、衰周天地和氣有限。養得仲尼已是多也。(聖賢以和氣生。須和氣養。常人之生、亦藉外養也。)
【読み】
酉室所聞に云く、顏子は淳和の氣を得るに、何故に夭せる、と。曰く、衰周天地の和氣に限り有り。仲尼を養い得ること已に是れ多ければなり、と。(聖賢は和氣を以て生ず。須く和氣養うべし。常人の生は、亦外の養に藉[か]るなり。)

問踧踖如也、與與如也。曰、恭而安。與與、容與之貌、有雍容氣象。(又王信伯語云、問踧踖如也。曰、恭而安。王信伯問伊川。又曰、與與容與之貌。又問、孔子言舜之韶盡善、武王之武未盡善、何也。曰、此聖人之心有所未足。)
【読み】
踧踖[しゅくせき]如たり、與與如たりというを問う。曰く、恭しくして安し。與與は、容與の貌、雍容の氣象有り、と。(又王信伯が語に云く、踧踖如たることを問う。曰く、恭しくして安し、と。王信伯伊川に問う。又曰く、與與は容與の貌、と。又問う、孔子舜の韶は善を盡くし、武王の武は未だ善を盡くさずと言うは、何ぞや、と。曰く、此れ聖人の心未だ足れりとせざる所有り、と。)

伊川以易傳示門人曰、只說得七分。後人更須自體究。
【読み】
伊川易傳を以て門人に示して曰く、只七分を說き得。後人更に須く自ら體究すべし、と。

釋氏談道、非不上下一貫。觀其用處、便作兩截。
【読み】
釋氏の道を談ずる、上下一貫せざるには非ず。其の用うる處を觀るに、便ち兩截と作す。

問、呂與叔云、不倚之謂中、先生謂近之、而詞未瑩、如何。曰、無倚著處。
【読み】
問う、呂與叔云く、倚らざる之を中と謂うは、先生之に近しと謂うは、詞未だ瑩[あき]らかならず、如何、と。曰く、倚著する處無きなり、と。

陳經邦問、詩說言、唐・魏已變先代之風。又言、先聖流風遺俗盡、故次以陳。兩意似不異。何以分先後。先生曰、聖人之都、風化所厚。聖人之國、典法所存。唐・魏、聖人之都、其風雖變、而典法尙在。陳、舜之後。聖人之國、亦被夷狄之風、則典法隨而亡矣。三代之後、有志之士、欲復先王之治而不能者、皆由典法不備。故典法尙存、有人舉而行之、無難矣。
【読み】
陳經邦問う、詩の說に言く、唐・魏已に先代の風を變ず、と。又言く、先聖の流風遺俗盡く、故に次ぐに陳を以てす、と。兩意異ならざるに似れり。何を以て先後を分かつ、と。先生曰く、聖人の都は、風化の厚き所。聖人の國は、典法の存する所。唐・魏は、聖人の都、其の風變ずと雖も、典法尙在り。陳は、舜の後。聖人の國も、亦夷狄の風を被るときは、則ち典法隨いて亡ぶ。三代の後、志有るの士、先王の治を復せんと欲すれども而れども能わざる者は、皆典法備わらざるに由る。故に典法尙存せば、人舉げて之を行うこと有らんこと、難きこと無し、と。

張思叔作商稅院題名記。先生以爲得體。李邦直卒。委思叔作祭文。多溢美。先生顧思叔曰、商稅院題名記、是公所爲乎。思叔唯唯。他日別製祭文用之曰、世推文章、位登丞輔。編簡見其才華、廊廟存其步武。
【読み】
張思叔商稅院題名の記を作る。先生以爲えらく、體を得たり、と。李邦直卒す。思叔に委ねて祭文を作らしむ。多く美に溢る。先生思叔を顧みて曰く、商稅院題名の記は、是れ公の爲る所か、と。思叔唯唯す。他日別に祭文を製して之を用て曰く、世文章を推し、位丞輔に登る。編簡其の才華を見、廊廟其の步武を存す、と。

范溫譏張思叔曰、買取錦屛三畝地、蒲輪未至且躬耕。先生聞之曰、於張繹有何加損也。
【読み】
范溫張思叔を譏って曰く、錦屛三畝の地を買い取り、蒲輪未だ至らず且躬ら耕す、と。先生之を聞いて曰く、張繹に於て何の加損か有らん、と。

范淳夫之葬、先生爲之經理。掘地深數丈、不置一物。葬之日、招左近父老犒以酒食示之。其後發塚者相繼、而淳夫墓獨完。
【読み】
范淳夫の葬、先生之が爲に經理す。地を掘ること深さ數丈、一物を置かず。葬る日、左近の父老を招いて犒[ねぎら]うに酒食を以てして之を示す。其の後塚を發く者相繼げども、而れども淳夫の墓獨り完し。

橫渠學堂雙牖、右書訂頑、左書砭愚。伊川曰、是起爭端。改之曰東銘・西銘。
【読み】
橫渠學堂の雙牖、右には訂頑と書し、左には砭愚と書す。伊川曰く、是れ爭端を起こす、と。之を改めて東の銘・西の銘と曰う。

内直則其氣浩然、養之則爲大人。
【読み】
内直ければ則ち其の氣浩然、之を養えば則ち大人と爲る。

孟子知言、卽知道也。詖淫邪遁是觀人之言而知之。亦可以考其書。然本意唯爲觀人之言也。
【読み】
孟子の言を知るは、卽ち道を知るなり。詖淫邪遁は是れ人の言を觀て之を知るなり。亦以て其の書を考う可し。然れども本意は唯人の言を觀るとす。

或問、旱乾水溢、則變置社稷。社稷土地之神、如何變置。曰、勾龍配食於社、棄配食於稷。諸侯之國、亦各以其有功水土者爲配。旱乾水溢、則變置所配之人。曰、所配者果能致力於水旱乎。曰、古之人作事、唯實而已。始以其有功水土、故祀之、今以其水旱、故易之。
【読み】
或るひと問う、旱乾水溢すれば、則ち社稷を變え置く、と。社稷は土地の神、如何ぞ變え置かん、と。曰く、勾龍社に配食せしめ、棄稷に配食せしむ。諸侯の國も、亦各々其の水土に功有る者を以て配とす。旱乾水溢すれば、則ち配する所の人を變え置く、と。曰く、配する所の者果たして能く力を水旱に致すや、と。曰く、古の人事を作すこと、唯實のみ。始め其の水土に功有るを以て、故に之を祀り、今其の水旱を以て、故に之を易うるなり、と。

精一便是執中底道理。
【読み】
精一は便ち是れ中を執る底の道理。

或問、孔子何譏大閱。曰、講武必於農隙。魯之八月、夏之六月也。盛夏閱兵、妨農害人、其失甚矣。有警而爲之、則無及也。無事而爲之、則妄動也。
【読み】
或るひと問う、孔子何ぞ大いに閱するを譏る、と。曰く、武を講ずることは必ず農隙に於てす。魯の八月は、夏の六月なり。盛夏に兵を閱すれば、農を妨げ人を害して、其の失甚だし。警め有りて之をするときは、則ち及ぶこと無し。事無くして之をするときは、則ち妄りに動くなり。

子言左傳非丘明作。虞不臘矣、幷庶長、皆秦官秦語。
【読み】
子左傳は丘明の作に非ずと言う。虞は臘せざらん、幷びに庶長は、皆秦の官秦の語なり。

子謂事親舍藥物可也、是非君子之言。
【読み】
子親に事うるに藥物を舍てて可なりと謂うは、是れ君子の言に非ず。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)