二程全書卷之三十九  外書第十二

傳聞雜記

可以死、可以無死、死傷勇、夫人之於死也、何以知可不可哉。蓋視義爲去就耳。予嘗曰、死生之際、惟義所在、則義所以對死者也。程伯淳聞而謂予曰、義無對。
【読み】
以て死す可し、以て死すること無かる可しといって、死するときは勇を傷うとは、夫れ人の死に於るや、何を以て可不可を知らんや。蓋し義を視て去就を爲すのみ。予嘗て曰く、死生の際、惟義の在る所は、則ち義は死に對する所以の者なり、と。程伯淳聞いて予に謂いて曰く、義に對無し、と。

禦史俸薄。故臺中有聚廳向火、分廳喫飯之語。熙寧初、程伯淳入臺爲裏行、則反之、遂聚廳喫食、分廳向火。伯淳爲予言。
【読み】
禦史俸薄し。故に臺中に廳に聚まりて火に向かい、廳を分かちて飯を喫するの語有り。熙寧の初め、程伯淳臺に入りて裏行を爲すときは、則ち之に反して、遂に廳に聚まりて食を喫し、廳を分かちて火に向かう。伯淳予が爲に言えり。

右二事見王氏麈史。(王得臣字彥輔。)
【読み】
右の二事王氏麈[しゅ]史に見る。(王得臣字は彥輔。)

程正叔先生曰、樞密院乃虛設、大事三省同議。其他乃有司之事、兵部尙書之職。然藝祖用此以分宰相之權。神宗改官製、亦循此意。
【読み】
程正叔先生曰く、樞密院は乃ち虛しく設けて、大事は三省同議す。其の他は乃ち有司の事、兵部尙書の職なり。然れども藝祖此を用て以て宰相の權を分かつ。神宗官製を改むるも、亦此の意に循う、と。

治平中、見正叔先生。云、今之守令、唯制民之產一事不得爲、其他在法度中、甚有可爲者。患人不爲耳。
【読み】
治平中に、正叔先生に見ゆ。云く、今の守令は、唯民の產を制して一事もすることを得ず、其の他は法度の中に在り、甚のす可き者有らん。人せざることを患うるのみ、と。

右二事見呂氏家塾記。(呂希哲字原明。)
【読み】
右の二事呂氏家塾記に見る。(呂希哲字は原明。)

二程之學、以聖人爲必可學而至而已。必欲學而至於聖人。
【読み】
二程の學は、聖人を以て必ず學んで至る可しとするのみ。必ず學んで聖人に至らんと欲するなり。

溫公薨。門人或欲遺表中入規諫語。程正叔云、是公平生未嘗欺人。可死後欺君乎。
【読み】
溫公薨す。門人或は遺表の中に規諫の語を入れんと欲す。程正叔云く、是の公平生未だ嘗て人を欺かず。死後君を欺く可けんや、と。

右二事見呂氏發明義理。(同上。)
【読み】
右の二事呂氏發明義理に見る。(上に同じ。)

程正叔言、同姓相見、當致親親之意、而不可敍齒以拜。蓋昭穆高下、未可知也。
【読み】
程正叔言く、同姓相見ゆるには、當に親を親しくするの意を致すべくして、齒を敍で以て拜する可からず。蓋し昭穆高下、未だ知る可からざればなり、と。

右一事見呂氏酬酢事變。(同上。)
【読み】
右の一事呂氏酬酢事變に見る。(上に同じ。)

元祐二年正月二十五日戊寅、内侍至資善傳旨、權罷講一日。二十七日庚辰、資善吏報馮(徐本・呂本馮作馬。)宗道云、上前日微傷食物、曾取動藥。恐未能久坐、令講讀少進說。是日、正叔略講畢、奏云、臣等前日臨赴講筵、忽傳聖旨權罷講。臣等甚驚。聖躬別無事否。上曰、別無事。自初御邇英至是、始發德音。
【読み】
元祐二年正月二十五日戊寅、内侍資善に至りて旨を傳えて、權[かり]に講を罷むること一日。二十七日庚辰、資善の吏馮(徐本・呂本馮を馬に作る。)宗道に報じて云く、上前日微しく食物に傷られ、曾ち藥を動することを取る。恐らくは未だ久しく坐して、講讀せしめて少しく說を進むること能わじ、と。是の日、正叔略[ほぼ]講じ畢わって、奏して云く、臣等前日講筵に臨み赴くに、忽ち聖旨を傳えて權に講を罷ましむ。臣等甚だ驚く。聖の躬別に事無きや否や、と。上曰く、別に事無し、と。初め邇英に御して自り是に至るまで、始めて德音を發す。

二月十五日戊戌、正叔講一言可終身行之、其恕乎。因言、人君當推己欲惡、知小民饑寒稼穡艱難。明宗年六十餘卽位。猶書田家詩二首於殿壁。其詩(云云。)、進說甚多。
【読み】
二月十五日戊戌、正叔一言にして身を終うるまで之を行う可きは、其れ恕かというを講ず。因りて言う、人君は當に己が欲惡を推して、小民の饑寒稼穡の艱難を知るべし、と。明宗年六十餘にして位に卽く。猶田家の詩二首を殿壁に書す。其の詩に(云云。)、說を進むること甚だ多し。

三月二十六日戊寅、正叔獨奏、乞自四月就寬涼處講讀。二十八日、移講讀就延和。
【読み】
三月二十六日戊寅、正叔獨り奏して、四月自り寬涼處に就いて講讀せんことを乞う。二十八日、講讀を移して延和に就く。

四月六日丁亥、講讀依舊邇英閣。顧子敦封駁、以爲延和執政、得一賜坐啜茶、已爲至榮。豈可使講讀小臣坐殿上。違咸造勿褻之義。持國・微仲進呈。令修邇英閣、多置軒窗。已得旨、而呂公方入、令修延義閣。簾内云、此待別有擘畫。未知何所也。
【読み】
四月六日丁亥、講讀舊に邇英閣に依る。顧子敦封駁して、以爲えらく、延和は執政、一たび坐して茶を啜ることを賜うことを得るすら、已に至榮とす。豈講讀の小臣をして殿上に坐せしむ可けんや。咸[みな]造り褻[な]るること勿しの義に違う、と。持國・微仲進呈す。邇英閣を修せしめて、多く軒窗を置く。已に旨を得て、呂公方に入りて、延義閣を修せしむ。簾内にして云く、此別に擘畫[はっかく]有るを待つ、と。未だ何れの所なることを知らず。

十五日丙申、邇英進講。文公以下預焉。邇英新修展御坐。比舊近後數尺、門南北皆朱漆、釣窗前簾設靑幕障日、殊寬涼矣。
【読み】
十五日丙申、邇英に講を進む。文公以下預かる。邇英新たに御坐を修展す。舊に比するに近後數尺、門の南北は皆朱漆、窗前の簾を釣り靑幕を設けて日を障って、殊に寬涼なり。

右范太史日記。(范祖禹字淳夫。)
【読み】
右范太史の日記。(范祖禹字は淳夫。)

先生離京、曾面言、令光庭說與淳夫。爲資善堂見畜小魚。恐近冬難畜、託淳夫取來、投之河中。數次朝中不遇、故因循至此、專奉手啓、幸便爲之。
【読み】
先生京を離るるとき、曾て面[まのあた]りに言いて、光庭をして淳夫に說與せしむ。資善堂を爲りて小魚を畜うを見る。近冬畜うこと難からんことを恐れて、淳夫に託して取り來りて、之を河中に投ぜしむることを。數次朝中不遇、故に因循して此に至り、專ら手啓を奉じて、幸いに便ち之を爲す。

右朱給事與范太史帖。(朱光庭字公掞。)
【読み】
右朱給事范太史に與えし帖。(朱光庭字は公掞。)

元符末、徽宗卽位、皇太后垂簾聽政。有旨、復哲宗元祐皇后孟氏位號。時有論其不可者曰、上於元祐后、叔嫂也。叔無復嫂之禮。伊川先生謂邵伯溫曰、元祐后之賢固也。論者之言、亦未爲無理。伯溫曰、子甚宜其妻、父母不悅出。子不宜其妻、父母曰是善事我、子行夫婦之禮焉。太后於哲廟、母也。於元祐后、姑也。母之命、姑之命、何爲不可。非上以叔復嫂也。先生喜曰、子之言得之矣。
【読み】
元符の末、徽宗位に卽き、皇太后簾を垂れて政を聽く。旨有りて、哲宗元祐の皇后孟氏の位號を復せんとす。時に其の不可なることを論ずる者有りて曰く、上の元祐后に於るは、叔嫂なり。叔嫂に復するの禮無し、と。伊川先生邵伯溫に謂いて曰く、元祐后の賢固し。論者の言も、亦未だ理無しとせず、と。伯溫曰く、子甚だ其の妻を宜しくすれども、父母悅ばざれば出す。子其の妻を宜しくせざれども、父母是れ善く我に事うると曰えば、子夫婦の禮を行う、と。太后の哲廟に於るは、母なり。元祐后に於るは、姑なり。母の命、姑の命、何爲れぞ不可ならん。上叔を以て嫂に復するに非ず、と。先生喜んで曰く、子の言之を得たり、と。

元豐八年、神宗升遐、遺詔至洛。程宗丞伯淳爲汝州酒官。以檄來舉哀、府治旣罷。謂留守韓康公之子宗師兵部曰、顥以言新法不便、忤大臣。同列皆謫官。顥獨除監司。顥不敢當念先帝見知之恩。終無以報。已而泣。兵部問、今日朝廷之事如何。宗丞曰、司馬君實・呂晦叔作相矣。兵部曰、二公果作相、當何如。宗丞曰、當與元豐大臣同。若先分黨與、他日可憂。兵部曰、何憂。宗丞曰、元豐大臣皆嗜利者。若使自變其已甚害民之法則善矣。不然、衣冠之禍未艾也。君實忠直、難與議。晦叔解事、恐力不足耳。旣而皆驗。宗丞論此時、范醇夫・朱公掞・杜孝錫・伯溫同聞之。
【読み】
元豐八年、神宗升遐し、遺詔洛に至る。程宗丞伯淳汝州の酒官爲り。檄來りて哀を舉ぐるを以て、府治旣に罷む。留守韓康公の子宗師兵部に謂いて曰く、顥新法の便ならざることを言うを以て、大臣に忤[さか]う。同列皆謫官たり。顥獨り監司に除せらる。顥敢えて當に先帝見知の恩を念わざらんや。終に以て報ずること無し、と。已にして泣く。兵部問う、今日朝廷の事如何、と。宗丞曰く、司馬君實・呂晦叔相と作らん、と。兵部曰く、二公果たして相と作らば、當に何如にかすべき、と。宗丞曰く、當に元豐の大臣と同じかるべし。若し先づ黨與を分かたば、他日憂う可し、と。兵部曰く、何を憂えん、と。宗丞曰く、元豐の大臣は皆利を嗜む者なり。若し自ら其の已甚だ民を害するの法を變ぜしめば則ち善ならん。然らずんば、衣冠の禍い未だ艾[おさ]まらず。君實は忠直にして、與に議り難からん。晦叔は事を解すること、恐らくは力足らざらんのみ、と。旣にして皆驗あり。宗丞此を論ずる時、范醇夫・朱公掞・杜孝錫・伯溫同じく之を聞けり。

荆公置條例司、用程伯淳爲屬。一日盛暑、荆公與伯淳對語。公子雱囚首跣足、携婦人冠以出、問荆公曰、所言何事。荆公曰、新法數爲人沮、與程君議。雱箕踞以坐、大言曰、梟韓琦・富弼之首於市、則新法行矣。荆公遽曰、兒誤矣。伯淳正色曰、方與參政論國事、子弟不可預。姑退。雱不樂去。伯淳自此與荆公不合。
【読み】
荆公條例司を置き、程伯淳を用いて屬とす。一日盛暑、荆公伯淳と對語す。公子雱[ほう]首を囚し足を跣[はだし]にし、婦人の冠を携えて以て出て、荆公に問いて曰く、言う所は何事ぞ、と。荆公曰く、新法數々人の爲に沮[やぶ]られて、程君と議す、と。雱箕踞して以て坐して、大言して曰く、韓琦・富弼の首を市に梟[さら]せば、則ち新法行われん、と。荆公遽に曰く、兒誤てり、と。伯淳色を正して曰く、方に參政と國事を論ずるに、子弟預る可からず。姑く退け、と。雱樂しまずして去る。伯淳此れ自り荆公と合わず。

元祐初、文潞公以太師平章軍國重事。召程正叔爲崇政殿說書。正叔以師道自居、侍上講色甚莊、以諷諫。上畏之。潞公對上甚恭、進士唱名、侍立終日。上屢曰、大師少休。頓首謝立不去。時年八十矣。或謂正叔曰、君之倨視潞公之恭、議者以爲未盡。正叔曰、潞公三朝大臣、事幼主、不得不恭。吾以布衣爲上師傅。其敢不自重。吾與潞公所以不同也。識者服其言。
【読み】
元祐の初め、文潞公太師を以て軍國の重事を平章す。程正叔を召して崇政殿の說書とす。正叔師道を以て自ら居して、上に侍して講色甚だ莊かにして、以て諷諫す。上之を畏る。潞公上に對して甚だ恭しくして、進士名を唱えて、侍立して日を終う。上屢々曰く、大師少しく休せよ、と。頓首して謝して立って去らず。時に年八十なり。或るひと正叔に謂いて曰く、君の倨は潞公の恭に視[くら]ぶるに、議する者未だ盡くさずと以爲えり、と。正叔曰く、潞公は三朝の大臣、幼主に事えて、恭しからざることを得ず。吾は布衣を以て上の師傅と爲る。其れ敢えて自重せざらんや。吾と潞公と同じからざる所以なり、と。識者其の言に服す。

伯淳先生嘗曰、熙寧初、王介甫行新法、竝用君子小人。君子正直不合。介甫以爲俗學不通世務、斥去。小人苟容諂佞。介甫以爲有才知變通、適用之。君子如司馬君實不拜副樞以去、范堯夫辭修注得罪、張天祺以御史面折介甫被責。介甫性狠愎、衆人以爲不可、則執之愈堅。君子旣去、所用小人爭爲刻薄。故害天下益深、使衆君子未與之敵。俟其勢久自緩、委曲平章、尙有聽從之理、則小人無隙可乘、其害不至如此之甚也。
【読み】
伯淳先生嘗て曰く、熙寧の初め、王介甫新法を行って、君子小人を竝び用う。君子は正直にして合わず。介甫以て俗學は世務に通ぜずと爲して、斥け去る。小人は苟も諂佞を容る。介甫以て才知變通有りと爲して、適に之を用う。君子司馬君實の如きは副樞を拜せずして以て去り、范堯夫は修注を辭して罪を得、張天祺は御史を以て介甫を面折して責めらる。介甫性狠愎[こんひょく]にして、衆人以て不可とすれば、則ち之を執ること愈々堅し。君子旣に去って、用うる所の小人爭って刻薄を爲す。故に天下を害すること益々深くして、衆君子をして未だ之と敵せざらしむ。其の勢久しくして自づから緩きを俟って、委曲平章して、尙聽從の理有らば、則ち小人隙の乘ず可きこと無くして、其の害此の如く甚だしきに至らじ、と。

伊川先生貶涪州、渡漢江。中流船幾覆。舟中人皆號哭。伊川獨正襟安坐如常。已而及岸。同舟有老父問曰、當船危時、君正坐色甚莊、何也。伊川曰、心存誠敬耳。老父曰、心存誠敬固善。然不若無心。伊川欲與之言、而老父徑去。
【読み】
伊川先生涪州に貶せらるるとき、漢江を渡る。中流にして船幾ど覆らんとす。舟中の人皆號哭す。伊川獨り襟を正して安坐すること常の如し。已にして岸に及ぶ。同舟に老父有り問いて曰く、船危うき時に當たりて、君正しく坐して色甚だ莊かなるは、何ぞや、と。伊川曰く、心誠敬を存するのみ、と。老父曰く、心誠敬を存するは固に善し。然れども心無きには若かず、と。伊川之と言わんと欲すれども、老父徑に去る。

宗丞先生謂伯溫曰、人之爲學、忌先立標準。若循循不已、自有所至矣。先人敝廬、廳後無門、由旁舍委曲以出。先人旣沒、伯溫鑿壁爲門。侍講先生見之曰、先生規畫必有理。不可改作。伯溫亟塞之。伯溫初入仕。侍講曰、凡所部公吏、雖有罪、亦當立案而後決。或出於私怒。比具案、怒亦散、不至倉卒傷人。每決人未經杖責者、宜愼之。恐其或有立也。
【読み】
宗丞先生伯溫に謂いて曰く、人の學を爲むる、先づ標準を立つることを忌む。若し循循として已まずんば、自づから至る所有らん、と。先人の敝廬、廳後に門無く、旁舍に由り委曲にして以て出づ。先人旣に沒して、伯溫壁を鑿ちて門を爲る。侍講先生之を見て曰く、先生の規畫必ず理有らん。改め作る可からず、と。伯溫亟[すみ]やかに之を塞ぐ。伯溫初めて入りて仕う。侍講曰く、凡そ所部の公吏、罪有りと雖も、亦當に案を立てて後に決すべし。或は私の怒りに出ん。案を具うるに比[およ]んでは、怒りも亦散じて、倉卒に人を傷るに至らじ。每に人未だ杖責を經ざる者を決するは、宜しく之を愼むべし。恐らくは其れ或は立つること有らん、と。

右七事見邵氏聞見錄。(邵伯溫字子文、康節先生之子。)
【読み】
右の七事邵氏聞見錄に見る。(邵伯溫字は子文、康節先生の子。)

孔子曰、天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也。天之未喪斯文也、匡人其如予何。於天之將喪斯文下、便言後死者不得與於斯文、則是文之興喪在孔子與天爲一矣。蓋聖人德盛、與天爲一。出此等語、自不覺耳。孟子地位未能到此。故曰、天未欲平治天下也。如欲平治天下、當今之世、舍我其誰。聽天所命、未能合一。(明道云。)
【読み】
孔子曰く、天の將に斯の文を喪ぼさんとせば、後に死する者斯の文に與ることを得じ。天の未だ斯の文を喪ぼさざるに、匡人其れ予を如何、と。天の將に斯の文を喪さんとすというの下に於て、便ち後に死する者斯の文に與ることを得じと言うは、則ち是の文の興喪は孔子と天とに在りて一爲り。蓋し聖人德盛んにして、天と一爲り。此れ等の語を出すこと、自ら覺えざるのみ。孟子は地位未だ此に到ること能わず。故に曰く、天未だ天下を平治せんことを欲せず。如し天下を平治せんことを欲せば、今の世に當たりて、我を舍いて其れ誰ぞや、と。天の命ずる所を聽いて、未だ一に合すること能わず。(明道云う。)

或問明道先生、如何斯可謂之恕。先生曰、充擴得去則爲恕。心如何是充擴得去底氣象。曰、天地變化草木蕃。充擴不去時如何。曰、天地閉、賢人隱。
【読み】
或るひと明道先生に問う、如何なる斯れ之を恕と謂う可き、と。先生曰く、充擴し得去るときは則ち恕と爲す、と。心如何にしてか是れ充擴し得去る底の氣象ぞ。曰く、天地變化して草木蕃る、と。充擴し去らざる時は如何。曰く、天地閉ぢて、賢人隱る、と。

敢問、何謂浩然之氣。孟子曰、難言也。明道先生云、只他道箇難言也、便知這漢肚裏有爾許大事。若是不理會得底、便撐拄胡說將去。
【読み】
敢えて問う、何を浩然の氣と謂う。孟子曰く、言い難し、と。明道先生云く、只他箇の言い難しと道えるは、便ち這の漢肚裏に爾[しか]く許大の事有ることを知るのみ。若し是れ理會し得ざる底は、便ち胡說を撐拄[とうちゅう]し將ち去らん、と。

橫渠嘗言、吾十五年學箇恭而安不成。明道曰、可知是學不成。有多少病在。
【読み】
橫渠嘗て言う、吾れ十五年箇の恭しくして安しというを學べども成らず、と。明道曰く、知る可し、是れ學成らざることを。多少の病在る有り。

明道嘗曰、吾學雖有所受、天理二字却是自家體貼出來。
【読み】
明道嘗て曰く、吾が學受くる所有りと雖も、天理の二字は却って是れ自家體貼し出し來る、と。

陝西曾有議欲罷鑄銅錢者。以謂官中費一貫鑄得一貫爲無利。伊川曰、此便是公家之利。利多費省、私鑄者衆。費多利薄、盜鑄者息。盜鑄者息、權歸公上。非利而何。又曾有議解鹽鈔欲高其價者、增六千爲八千。伊川曰、若增鈔價、賣數須減。鹽出旣衆、低價易之、人人食鹽、鹽不停積、歲入必敷。已而增鈔價、歲額果虧。減之而歲入溢。溫公初起時、欲用伊川。伊川曰、帶累人去裏。使韓・富在時、吾猶可以成事。後來溫公欲變法。伊川使人語之曰、切未可動著役法。動著卽三五年不能得定疊去。未幾變之。果紛紛不能定。
【読み】
陝西曾て議して銅錢を鑄ることを罷めんと欲する者有り。以謂えらく、官中一貫を費やして一貫を鑄り得ば利無しとせん、と。伊川曰く、此れ便ち是れ公家の利なり。利多く費え省けば、私に鑄る者衆からん。費え多く利薄ければ、盜み鑄る者息まん。盜み鑄る者息まば、權公上に歸せん。利に非ずして何ぞ、と。又曾て議して鹽鈔を解して其の價を高くせんと欲する者有り、六千を增して八千とす。伊川曰く、若し鈔價を增さば、賣數須く減ずべし。鹽出ること旣に衆くして、價を低くして之を易えば、人人鹽を食って、鹽停積せずして、歲入必ず敷[た]りん、と。已にして鈔價を增して、歲額果たして虧く。之を減じて歲入溢る。溫公初めて起こる時、伊川を用いんと欲す。伊川曰く、人を帶累し去らん。使[も]し韓・富在る時ならば、吾れ猶以て事を成す可し、と。後來溫公法を變ぜんと欲す。伊川人をして之に語らしめて曰く、切に未だ役法を動著す可からず。動著せば卽ち三五年にして定疊し去ることを得ること能わじ、と。未だ幾ならずして之を變ず。果たして紛紛として定むること能わず。

溫公作中庸解。不曉處闕之。或語明道。明道曰、闕甚處。曰、如强哉矯之類。明道笑曰、由自得裏、將謂從天命之謂性處便闕却。
【読み】
溫公中庸の解を作る。曉かさざる處は之を闕く。或るひと明道に語る。明道曰く、甚れの處を闕く、と。曰く、强なるかな矯たりというの類の如し、と。明道笑って曰く、自得裏に由って、將謂うに天の命之を性と謂う處從り便ち闕却せん、と。

明道嘗論呂微仲曰、宰相、呂微仲須做。只是這漢俗。
【読み】
明道嘗て呂微仲を論じて曰く、宰相は、呂微仲須く做すべし。只是れ這の漢俗なるのみ、と。

明道先生善言詩。佗又渾不曾章解句釋、但優游玩味、吟哦上下、便使人有得處。瞻彼日月、悠悠我思。道之云遠、曷云能來。思之切矣。終曰百爾君子、不知德行、不忮不求、何用不臧、歸於正也。
【読み】
明道先生善く詩を言う。佗又渾[すべ]て曾て章解句釋せず、但優游玩味して、上下を吟哦して、便ち人をして得る處有らしむるのみ。彼の日月を瞻れば、悠悠として我れ思いあり。道の云[ここ]に遠き、曷ぞ云に能く來らん、と。思いの切なるなり。終わりに百[およ]そ爾君子、德行を知らざらんや、忮[そこな]わず求[むさぼ]らず、何を用ってか臧[よ]からざらんと曰うは、正しきに歸するなり。

孟子曰、養心莫善於寡欲。此一句如何。謝子曰、吾昔亦曾問。伊川先生曰、此一句淺近、不如理義之悅我心、猶芻豢之悅我口、最親切有滋味。然須是體察得、理義之悅我心、眞箇猶芻豢始得。明道先生曰、操則存、舍則亡、出入無時、非聖人之言也。心安得有出入乎。
【読み】
孟子曰く、心を養うは欲を寡くするより善きは莫し、と。此の一句如何。謝子曰く、吾れ昔亦曾て問う。伊川先生曰く、此の一句淺近にして、理義の我が心を悅ばしむること、猶芻豢の我が口を悅ばしむるがごとしというの、最も親切にして滋味有るに如かず。然れども須く是れ體察し得るべく、理義の我が心を悅ばしむること、眞に箇の猶芻豢のごとくにして始めて得ん、と。明道先生曰く、操るときは則ち存し、舍つるときは則ち亡す、出入時無しとは、聖人の言に非ず。心安んぞ出入有ることを得んや、と。

問、莊周與佛如何。伊川曰、周安得比他佛。佛說直有高妙處。莊周氣象大、故淺近。如人睡初覺時、乍見上下東西、指天說地。怎消得恁地。只是家常茶飯、誇逞箇甚底。
【読み】
問う、莊周と佛と如何、と。伊川曰く、周安んぞ他の佛に比することを得ん。佛說は直に高妙なる處有り。莊周は氣象大なり、故に淺近なり。人睡り初めて覺る時、乍[たちま]ち上下東西を見て、天を指し地を說くが如し。怎[いか]んぞ恁地[かくのごと]きことを消[もち]い得ん。只是れ家常に茶飯、誇逞なるは箇の甚の底ぞ、と。

吾曾歷舉佛說與吾儒同處問。伊川先生曰、恁地同處雖多、只是本領不是。一齊差却。
【読み】
吾れ曾て歷[あまね]く佛說と吾儒と同じき處を舉げて問う。伊川先生曰く、恁地く同じき處多しと雖も、只是れ本領是ならず。一齊に差却せり、と。

謝子與伊川別一年、往見之。伊川曰、相別又一年、做得甚工夫。謝曰、也只去箇矜字。曰、何故。曰、子細檢點得來、病痛盡在這裏。若按伏得這箇罪過、方有向進處。伊川點頭。因語在坐同志者曰、此人爲學、切問近思者也。
【読み】
謝子と伊川と別るること一年、往いて之に見ゆ。伊川曰く、相別るること又一年ならば、甚の工夫を做し得る、と。謝曰く、也只箇の矜の字を去るのみ、と。曰く、何の故ぞ、と。曰く、子細に檢點し得來るに、病痛盡く這の裏に在り。若し這箇の罪過を按伏し得ば、方に向かい進む處有らん、と。伊川點頭す。因りて坐に在る同志の者に語りて曰く、此の人の學を爲むる、切に問い近く思う者なり、と。

問有鬼神否。明道先生曰、待向你道無來、你怎生信得及。待向你道有來、你且去尋討看。
【読み】
問う、鬼神有りや否や、と。明道先生曰く、你に向かって無しと道い來るを待たば、你怎生[いかん]ぞ信ずること得及ぼする。你に向かって有りと道い來るを待たば、你且つ尋討し去って看ん、と。

謝子曰、吾嘗習忘以養生。明道曰、施之養生則可、於道則有害。習忘可以養生者、以其不留情也。學道則異於是。必有事焉而勿正、何謂乎。且出入起居、寧無事者。正心待之、則先事而迎。忘則涉乎去念、助則近於留情。故聖人心如鑑。孟子所以異於釋氏、此也。
【読み】
謝子曰く、吾れ嘗て忘るることを習って以て生を養う、と。明道曰く、之を生を養うに施さば則ち可なり、道に於ては則ち害有り。忘るることを習って以て生を養う可き者は、其の情に留めざるを以てなり。道を學ぶことは則ち是に異なり。必ず事有って正[あてて]すること勿かれとは、何の謂ぞや。且つ出入起居、寧んぞ事とすること無き者あらんや。心に正して之を待つときは、則ち事に先だって迎う。忘るるときは則ち念を去るに涉り、助くるときは則ち情に留むるに近し。故に聖人の心は鑑の如し。孟子の釋氏に異なる所以は、此れなり、と。

苗履見伊川、語及一武帥。苗曰、此人舊日宣力至多。今官高而自愛、不肯向前。伊川曰、何自待之輕乎。位愈高則當愈思所以報國者。饑則爲用、飽則揚去、是以鷹犬自期也。
【読み】
苗履伊川に見えて、語一武帥に及ぶ。苗曰く、此の人舊日力を宣ぶること至って多し。今官高くして自愛して、肯えて前に向かわず、と。伊川曰く、何ぞ自ら待つことの輕きや。位愈々高きときは則し當に愈々國に報ずる所以の者を思うべし。饑うれば則ち爲に用いられ、飽けば則ち揚がり去るは、是れ鷹犬を以て自ら期するなり、と。

二十年前往見伊川(一本作伯淳。)。伊川曰、近日事如何。某對曰、天下何思何慮。伊川曰、是則是有此理、賢却發得太早在。伊川直是會鍛錬得人。說了又恰道、恰好著工夫也。
【読み】
二十年前往いて伊川(一本に伯淳に作る。)に見ゆ。伊川曰く、近日事如何、と。某對えて曰く、天下何をか思い何をか慮らん、と。伊川曰く、是れ則ち是れ此の理有れども、賢は却って發得すること太だ早し、と。伊川は直[ただ]是れ人を鍛錬し得るを會す。說き了わって又恰道、恰好なるは工夫を著ければなり。

明道初見謝、語人曰、此秀才展托得開、將來可望。
【読み】
明道初めて謝を見て、人に語って曰く、此の秀才展托して開くことを得ば、將來望む可し、と。

每進語相契。伯淳必曰、更須勉力。
【読み】
進み語る每に相契[あ]う。伯淳必ず曰く、更に須く勉め力むべし、と。

昔伯淳敎誨、只管著他言語。伯淳曰、與賢說話、却如扶醉漢。救得一邊、倒了一邊。只怕人執著一邊。
【読み】
昔伯淳敎誨するに、只管他の言語に著す。伯淳曰く、賢と說話するは、却って醉漢を扶くるが如し。一邊を救い得れば、一邊に倒れ了わる。只怕[おそ]れらくは人一邊に執著せんことを、と。

明道先生坐如泥塑人。接人則渾是一團和氣。
【読み】
明道先生坐しては泥塑人の如し。人に接するときは則ち渾[すべ]て是れ一團の和氣なり。

正叔視伯淳墳、嘗侍行、問佛儒之辨。正叔指牆圍曰、吾儒從裏面做。豈有不見。佛氏只從牆外見了。却不肯入來做。不可謂佛氏無見處。
【読み】
正叔伯淳の墳を視るとき、嘗て侍行して、佛儒の辨を問う。正叔牆圍を指して曰く、吾が儒は裏面從り做す。豈見ざること有らんや。佛氏は只牆外從り見了わる。却って肯えて入り來らずして做す。佛氏は見處無しと謂う可からず、と。

學者先學文、鮮有能至道。至如博觀泛覽、亦自爲害。故明道先生敎余嘗曰、賢讀書、愼不要尋行數墨。
【読み】
學者先づ文を學ぶは、能く道に至ること有ること鮮し。博く觀泛く覽るが如きに至って、亦自ら害を爲す。故に明道先生余に敎えて嘗て曰く、賢が書を讀む、愼んで行いを尋[つ]ぎ墨を數うることを要せざれ、と。

謝子見河南夫子、辭而歸、尹子送焉、問曰、何以敎我。謝子曰、吾徒朝夕從先生、見行則學、聞言則識。譬如有人服烏頭者。方其服也、顏色悅澤、筋力强盛。一旦烏頭力去、將如之何。尹子反以告夫子。夫子曰、可謂益友矣。
【読み】
謝子河南の夫子に見え、辭して歸るとき、尹子送って、問いて曰く、何を以て我に敎うる、と。謝子曰く、吾れ徒に朝夕先生に從いて、行いを見れば則ち學び、言を聞けば則ち識す。譬えば人烏頭を服する者有るが如し。其の服するに方っては、顏色悅澤し、筋力强盛なり。一旦烏頭の力去らば、將之を如何にせん、と。尹子反って以て夫子に告す。夫子曰く、益友と謂う可し、と。

昔錄五經語作一冊。伯醇見謂曰、玩物喪志。
【読み】
昔五經の語を錄して一冊と作す。伯醇見て謂いて曰く、物を玩べば志を喪う、と。

明道見謝子記問甚博、曰、賢却記得許多。謝子不覺身汗面赤。先生曰、只此便是惻隱之心。(惻然有隱於心。)
【読み】
明道謝子の記問甚だ博きを見て、曰く、賢却って記し得ること許多なり、と。謝子覺えず身汗し面赤し。先生曰く、只此れ便ち是れ惻隱の心なり、と。(惻然として心に隱[いた]むこと有り。)

伯醇謂正叔曰、異日能尊師道、是二哥。若接引後學、隨人才成就之、則不敢讓。
【読み】
伯醇正叔に謂いて曰く、異日能く師道を尊ぶは、是れ二哥ならん。後學を接引して、人才に隨って之を成就するが若きは、則ち敢えて讓らじ、と。

伯醇常談詩、竝不下一字訓詁、有時只轉却一兩字、點(平聲。)掇地念過、便敎人省悟。又曰、古人所以貴親炙之也。
【読み】
伯醇常に詩を談ずるに、竝びに一字の訓詁を下さず、時有りて只一兩字を轉却して、點(平聲。)掇地[てつち]に念じ過ぎ、便ち人をして省悟せしむ。又曰く、古人の之に親炙することを貴ぶ所以なり、と。

邢七云、一日三點檢。伯醇曰、可哀也哉。其餘時多、會甚事。蓋倣三省之說錯了。可見不曾用功。又多逐人面上說一般話。伯醇責之。邢曰、無可說。伯醇曰、無可說、便不得不說。
【読み】
邢七云く、一日に三たび點檢す、と。伯醇曰く、哀しむ可きかな。其の餘は時多し、甚事を會する、と。蓋し三省の說に倣いて錯り了わる。見る可し曾て功を用いざることを。又多く人を逐って面上に一般の話を說く。伯醇之を責む。邢曰く、說く可き無し、と。伯醇曰く、說く可き無くんば、便ち說かざることを得ざらんや、と。

張橫渠著正蒙時、處處置筆硯、得意卽書。伯醇云、子厚却如此不熟。
【読み】
張橫渠正蒙を著す時、處處に筆硯を置いて、意を得れば卽ち書す。伯醇云く、子厚は却って此の如く熟せず、と。

或舉伯醇語云、人有四百四病、皆不由自家。則是心須敎由自家。
【読み】
或るひと伯醇の語を舉げて云く、人には四百四病有りて、皆自家に由らず。則ち是れ心は須く自家に由らしむべし、と。

伊川與君實語、終日無一句相合。明道與語、直是道得下。
【読み】
伊川君實と語るに、日を終うるまで一句も相合えること無し。明道與に語れば、直に是れ道い得下す。

堯夫易數甚精。自來推長曆者、至久必差。惟堯夫不然。指一二近事、當面可驗。明道云、待要傳與某兄弟。某兄弟那得工夫。要學、須是二十年功夫。明道聞說甚熟。一日因監試無事、以其說推算之、皆合。出謂堯夫曰、堯夫之數、只是加一倍法。以此知太玄都不濟事。堯夫驚撫其背曰、大哥你恁聰明。伊川謂堯夫、知易數爲知天、知易理爲知天。堯夫云、須還知易理爲知天。因說、今年雷起甚處。伊川云、堯夫怎知某便知。又問、甚處起。伊川云、起處起。堯夫愕然。他日、伊川問明道曰、加倍之數如何。曰、都忘之矣。因歎其心無偏繫如此。
【読み】
堯夫易の數甚だ精し。自來長曆を推す者、久しきに至って必ず差う。惟堯夫のみ然らず。一二の近事を指すに、當面に驗す可し。明道云く、某兄弟に傳與せんことを待要す。某兄弟那[なん]ぞ工夫を得ん。學ばんことを要せば、須く是れ二十年の功夫なるべし、と。明道說を聞くこと甚だ熟せり。一日監試事無きに因りて、其の說を以て之を推し算[はか]るに、皆合えり。出て堯夫に謂いて曰く、堯夫の數は、只是れ一倍を加うる法なり。此を以て太玄を知るも都て事を濟さず、と。堯夫驚いて其の背を撫でて曰く、大哥你恁[か]く聰明なり、と。伊川堯夫に謂えらく、易の數を知るを天を知るとするか、易の理を知るを天を知るとするか、と。堯夫云く、須く還って易の理を知るを天を知るとするべし、と。因りて說く、今年雷起こるは甚[いづ]れの處ぞ、と。伊川云く、堯夫怎[いか]んぞ知らん、某は便ち知る、と。又問う、甚れの處に起こる、と。伊川云く、起こる處に起こる、と。堯夫愕然たり。他日、伊川明道に問いて曰く、加倍の數は如何、と。曰く、都て之を忘れり、と。因りて歎ず、其の心偏繫無きこと此の如くなることを。

舉明道云、忠恕兩字、要除一箇除不得。
【読み】
舉す、明道云く、忠恕の兩字、一箇を除かんと要すとも除くこと得じ、と。

明道語云、病臥於牀、委之庸醫、比於不慈不孝。事親者、亦不可不知醫。
【読み】
明道の語に云く、病みて牀に臥するに、之を庸醫に委ぬるは、不慈不孝に比す。親に事うる者は、亦醫を知らずんばある可からず、と。

伯醇先生云、別人喫飯從脊皮上過。我喫飯從肚裏去。
【読み】
伯醇先生云く、別人飯を喫すれば脊皮上從り過ぐ。我れ飯を喫すれば肚裏從り去る、と。

范夷叟欲同二程去看劚地黃。明道率先生。先生以前輩爲辭。明道云、又何妨。一般是人。
【読み】
范夷叟二程と同じく去って地黃を劚[ほ]るを看んと欲す。明道先生を率う。先生前輩を以て辭を爲す。明道云く、又何ぞ妨げん。一般是れ人、と。

右三十七條見上蔡語錄。(謝良佐字顯道、二先生門人。)
【読み】
右の三十七條上蔡語錄に見る。(謝良佐字は顯道、二先生の門人なり。)

明道云、必有關雎・麟趾之意、然後可行周公法度。
【読み】
明道云く、必ず關雎・麟趾の意有って、然して後に周公の法度を行う可し、と。

先生曰、明道嘗言、學者不可以不看詩。看詩便使人長一格價。
【読み】
先生曰く、明道嘗て言く、學者は以て詩を看ずんばある可からず。詩を看れば便ち人をして一格の價を長ぜしむ、と。

明道在穎昌、先生尋醫、調官京師。因往穎昌從學。明道甚喜、每言曰、楊君最會得容易。及歸、送之出門、謂坐客曰、吾道南矣。先是、建安林志寧出入潞公門下求敎。潞公云、某此中無相益。有二程先生者、可往從之。因使人送明道處。志寧乃語定夫及先生。先生謂、不可不一見也。於是同行。時謝顯道亦在。謝爲人誠實、但聰悟不及先生。故明道每言、楊君聰明。謝君如水投石。然亦未嘗不稱其善。伊川自涪歸、見學者凋落、多從佛學。獨先生與謝丈不變。因歎曰、學者皆流於夷狄矣。唯有楊・謝二君長進。
【読み】
明道穎昌に在るとき、先生醫を尋ねて、官に京師に調[うつ]る。因りて穎昌に往いて從い學ぶ。明道甚だ喜んで、每に言いて曰く、楊君は最も會し得ること容易なり、と。歸るに及んで、之を送って門を出て、坐客に謂いて曰く、吾が道南す、と。是れより先、建安の林志寧潞公の門下に出入して敎を求む。潞公云く、某此の中相益する無し。二程先生という者有り、往いて之に從う可し、と。因りて人をして明道の處に送らしむ。志寧乃ち定夫及び先生に語る。先生謂く、一見せずんばある可からざるなり、と。是に於て同じく行く。時に謝顯道亦在り。謝の人と爲り誠實、但聰悟先生に及ばず。故に明道每に言う、楊君は聰明なり。謝君は水に石を投ずるが如し。然れども亦未だ嘗て其の善を稱せずんばあらず、と。伊川涪自り歸って、學者凋落して、多くは佛學に從うを見る。獨り先生と謝丈と變ぜず。因りて歎じて曰く、學者皆夷狄に流る。唯楊・謝二君のみ有って長く進む、と。

明道先生作縣、凡坐處皆書視民如傷四字。常曰、顥常愧此四字。
【読み】
明道先生縣と作るとき、凡そ坐する處に皆民を視ること傷めるが如しという四字を書す。常に曰く、顥常に此の四字を愧づ、と。

伊川二十四五時、呂原明首師事之。
【読み】
伊川二十四五の時、呂原明首めて之に師とし事う。

右四條見龜山語錄。(楊時字中立、二先生門人也。)
【読み】
右の四條龜山語錄に見る。(楊時字は中立、二先生の門人なり。)

扶溝地卑、歲有水旱。明道先生經畫溝洫之法以治之。未及興工而先生去官。先生曰、以扶溝之地盡爲溝洫、必數年乃成。吾爲經畫十里之閒、以開其端。後之人知其利、必有繼之者矣。夫爲令之職、必使境内之民、凶年饑歲免於死亡、飽食逸居有禮義之訓、然後爲盡。故吾於扶溝、興設學校、聚邑人子弟敎之。亦幾成而廢。夫百里之施至狹也。而道之興廢繫焉。是數事者、皆未及成。豈不有命與。然知而不爲、而責命之興廢、則非矣。此吾所以不敢不盡心也。
【読み】
扶溝は地卑くして、歲ごとに水旱有り。明道先生溝洫の法を經畫して以て之を治めんとす。未だ工を興すに及ばずして先生官を去る。先生曰く、扶溝の地を以て盡く溝洫を爲さば、必ず數年にして乃ち成らん。吾れ十里の閒を經畫することを爲して、以て其の端を開く。後の人其の利を知らば、必ず之を繼ぐ者有らん。夫れ令の職爲る、必ず境内の民をして、凶年饑歲に死亡に免れ、飽食逸居して禮義の訓有らしめて、然して後に盡くせりとす。故に吾れ扶溝に於て、學校を興し設けて、邑人の子弟を聚めて之を敎う。亦幾ど成らんとして廢せり。夫れ百里の施は至って狹し。而れども道の興廢は焉に繫れり。是の數事の者、皆未だ成るに及ばず。豈命有らざらんや。然れども知って爲さずして、命の興廢を責むるは、則ち非なり。此れ吾が敢えて心を盡くさずんばあらざる所以なり、と。

右一事見庭聞藁錄。(楊公之子迥所記。)
【読み】
右の一事庭聞藁錄に見る。(楊公の子迥が記する所。)

朱公掞來見明道於汝。歸謂人曰、光庭在春風中坐了一箇月。遊・楊初見伊川、伊川瞑目而坐。二子侍立。旣覺、顧謂曰、賢輩尙在此乎。日旣晩、且休矣。及出門、門外之雪深一尺。
【読み】
朱公掞來りて明道に汝に見ゆ。歸りて人に謂いて曰く、光庭春風の中に在って坐了すること一箇月、と。遊・楊初めて伊川に見ゆるとき、伊川目を瞑して坐す。二子侍立せり。旣に覺めて、顧みて謂いて曰く、賢が輩尙此に在るや。日旣に晩れぬ、且つ休せよ、と。門を出るに及んで、門外の雪深きこと一尺なり。

伊川先生在經筵、每進講、必博引廣喩以曉悟人主。講退、范堯夫曰、先生怎生記得許多。先生曰、只爲不記、故有許多。若還記、却無許多也。
【読み】
伊川先生經筵に在るとき、進講する每に、必ず博く引き廣く喩して以て人主を曉悟せしむ。講じ退くとき、范堯夫曰く、先生怎生ぞ記し得ること許多なる、と。先生曰く、只記せざるが爲に、故に許多なること有り。若し還って記せば、却って許多なること無からん、と。

明道先生謂、謝子雖少魯直、是誠篤。理會事有不透、其顙有泚。其憤悱如此。
【読み】
明道先生謂く、謝子は少しく魯直なりと雖も、是れ誠篤なり。事を理會するに透らざること有れば、其の顙に泚[せい]すること有り。其の憤悱此の如し、と。

右三事見侯子雅言。(侯仲良字師聖、二先生之内弟。)
【読み】
右の三事侯子雅言に見る。(侯仲良字は師聖、二先生の内弟なり。)

和靖嘗以易傳序請問曰、至微者理也、至著者象也、體用一源、顯微無閒、莫太洩露天機否。伊川曰、如此分明說破、猶自人不解悟。(祁寬錄云、伊川曰、汝看得如此甚善。呂堅中錄云、伊川曰、亦不得已言之耳。)
【読み】
和靖嘗て易傳の序を以て請問して曰く、至微なる者は理なり、至著なる者は象なり、體用一源、顯微閒無しとは、太だ天機を洩露すること莫しや否や、と。伊川曰く、此の如く分明に說破するとも、猶自づから人解悟せざらん、と。(祁寬が錄に云く、伊川曰く、汝看得ること此の如く甚だ善し、と。呂堅中が錄に云く、伊川曰く、亦已むことを得ずして之を言うのみ、と。)

和靖嘗請曰、某今日解得心廣體胖之義。伊川正色曰、如何。和靖曰、莫只是樂否。伊川曰、樂亦沒處著。
【読み】
和靖嘗て請いて曰く、某今日心廣く體胖[ゆた]かなるの義を解し得たり、と。伊川色を正して曰く、如何、と。和靖曰く、只是れ樂しむこと莫しや否や、と。伊川曰く、樂しむは亦著くるに處沒[な]し、と。

和靖偶學虞書。伊川曰、賢那得許多工夫。
【読み】
和靖偶々虞書を學ぶ。伊川曰く、賢那[なん]ぞ許多の工夫を得る、と。

思叔詬詈僕夫。伊川曰、何不動心忍性。思叔慙謝。
【読み】
思叔僕夫を詬詈[こうり]す。伊川曰く、何ぞ心を動かし性を忍びざる、と。思叔慙ぢ謝す。

暇日靜坐、和靖・孟敦夫(名厚、潁川人。)・張思叔侍。伊川指面前水盆語曰、淸靜中一物不可著。才著物便搖動。
【読み】
暇日靜坐するに、和靖・孟敦夫(名は厚、潁川の人。)・張思叔侍せり。伊川面前の水盆を指して語って曰く、淸靜の中一物も著く可からず。才かに物を著くれば便ち搖動す、と。

一日置酒。伊川曰、飮酒不妨、但不可過。惟酒無量、不及亂。聖人豈有作亂者事。但恐亂其氣血致疾、或語言錯顚、容貌傾側。皆亂也。
【読み】
一日置酒す。伊川曰く、酒を飮むことは妨げず、但過ごす可からず。惟酒は量り無し、亂るるに及ばず、と。聖人豈亂を作す者事有らんや。但恐れらくは其の氣血を亂して疾を致し、或は語言錯顚し、容貌傾側せんことを。皆亂るるなり、と。

伊川歸自涪州、氣貌容色髭髮皆勝平昔。門人問、何以得此。先生曰、學之力也。大凡學者學處患難貧賤。若富貴榮達、卽不須學也。
【読み】
伊川涪州自り歸って、氣貌容色髭髮皆平昔に勝れり。門人問う、何を以て此を得る、と。先生曰く、學の力なり。大凡學者は患難貧賤に處することを學ぶ。富貴榮達の若きは、卽ち學ぶことを須いず、と。

鮑若雨・劉安世・劉安節數人自太學謁告來洛、見伊川問、堯・舜之道、孝弟而已矣。堯・舜之道、何故止於孝弟。伊川曰、曾見尹焞否。曰、未也。請、往問之。諸公遂來見和靖、以此爲問。和靖曰、堯・舜之道、止於孝弟、孝弟非堯・舜不能盡。自冬溫夏淸、昏定晨省、以至聽於無聲、視於無形。又如事父孝、故事天明、事母孝、故事地察、天地明察、神明彰矣、直至通於神明、光於四海。非堯・舜大聖人、不能盡此。復以此語白伊川。伊川曰、極是。縱使某說、亦不過此。
【読み】
鮑若雨・劉安世・劉安節の數人太學に謁告して自り洛に來りて、伊川に見えて問う、堯・舜の道は、孝弟なるのみ、と。堯・舜の道は、何故に孝弟に止まる、と。伊川曰く、曾て尹焞を見るや否や、と。曰く、未だし、と。請う、往いて之を問え。諸公遂に來りて和靖を見て、此を以て問うことを爲す。和靖曰く、堯・舜の道、孝弟に止まるは、孝弟は堯・舜に非ざれば盡くすこと能わず。冬は溫め夏は淸[すず]しくし、昏は定めて晨は省みる自りして、以て聲無きに聽き、形無きに視るに至る。又父に事うること孝なり、故に天に事うること明らかなり、母に事うること孝なり、故に地に事うること察らかなり、天地明察にして、神明彰らかなりというが如き、直に神明に通じ、四海に光るに至る。堯・舜の大聖人に非ずんば、此を盡くすこと能わじ、と。復此の語を以て伊川に白[もう]す。伊川曰く、極めて是なり。縱使[たと]い某說くとも、亦此に過ぎじ、と。

右八事涪陵記善錄。(馮忠恕所記尹公語。尹名焞、字彥明、伊川先生門人。)
【読み】
右の八事涪陵記善錄。(馮忠恕が記する所の尹公の語。尹名は焞、字は彥明、伊川先生の門人。)

遊定夫酢問伊川曰、戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞、便可馴致於無聲無臭否。伊川曰、固是。後謝顯道(良佐。)問伊川、如定夫之問。伊川曰、雖卽有此理、然其閒有多少般數。謝曰、旣云可馴致、更有何般數。伊川曰、如荀子謂始乎爲士、終乎爲聖人、此語有何不可。亦是馴致之道。然他却以性爲惡、桀・紂性也、堯・舜僞也。似此馴致、便不錯了。
【読み】
遊定夫酢伊川に問いて曰く、其の睹ざる所に戒愼し、其の聞かざる所に恐懼せば、便ち聲も無く臭も無きを馴致す可きや否や、と。伊川曰く、固に是なり、と。後に謝顯道(良佐。)伊川に問うこと、定夫の問いの如し。伊川曰く、卽ち此の理有りと雖も、然れども其の閒多少般の數有り、と。謝曰く、旣に馴致す可しと云わば、更に何般の數有らん、と。伊川曰く、荀子士と爲るに始まり、聖人と爲るに終わると謂うが如き、此の語何の不可なること有らん。亦是れ馴致するの道なり。然れども他却って性を以て惡と爲して、桀・紂を性とし、堯・舜を僞りとす。此れ似[よ]り馴致せば、便ち錯り了わらざらんや、と。

楊子安侍郎學禪、不信伊川、每力攻其徒。又使其親戚王元致問難於和靖先生曰、六經蓋藥也。無病安所用乎。先生曰、固是。只爲開眼卽是病。王屈服以歸。伊川自涪陵歸。過襄陽、子安在焉。子安問、易從甚處起。時方揮扇。伊川以扇柄畫地一下曰、從這裏起。子安無語。後至洛中、子安舉以告和靖先生。且曰、某當時悔不更問此畫從甚處起。和靖以告伊川。伊川曰、待他問時、只與嘿然得似箇子安更喜懽也。先生舉示子安。子安由此遂服。
【読み】
楊子安侍郎禪を學んで、伊川を信ぜず、每に力めて其の徒を攻む。又其の親戚王元致をして和靖先生に問難せしめて曰く、六經は蓋し藥なり。病無くんば安んぞ用うる所あらんや、と。先生曰く、固に是なり。只眼を開くことをすれば卽ち是れ病む、と。王屈服して以て歸る。伊川涪陵自り歸る。襄陽を過るとき、子安焉に在り。子安問う、易は甚れの處從り起こる、と。時に方に扇を揮う。伊川扇の柄を以て地に畫して一下して曰く、這の裏從り起こる、と。子安語無し。後に洛中に至りて、子安舉げて以て和靖先生に告ぐ。且つ曰く、某當時更に此の畫は甚れの處從り起こると問わざることを悔ゆ、と。和靖以て伊川に告す。伊川曰く、他問う時を待って、只與に嘿然[もくぜん]たらば箇の子安更に喜び懽[よろこ]ぶに似ることを得ん、と。先生子安に舉示す。子安此に由って遂に服す。

伊川與和靖論義命。和靖曰、命爲中人以下說。若聖人只有箇義。伊川曰、何謂也。和靖曰、行一不義、殺一不辜而得天下、皆不爲也。奚以命爲。伊川大賞之。又論動靜之際、聞寺僧撞鍾。和靖曰、說著靜、便多一箇動字。說動亦然。伊川頷之。和靖每曰、動靜只是一理、陰陽死生亦然。
【読み】
伊川と和靖と義命を論ず。和靖曰く、命は中人以下の爲に說く。聖人の若きは只箇の義有るのみ、と。伊川曰く、何の謂ぞや、と。和靖曰く、一つの不義を行い、一つの辜あらざるを殺して天下を得るとも、皆せざるなり、と。奚んぞ命を以てすることをせん、と。伊川大いに之を賞す。又動靜の際を論ずるに、寺僧鍾を撞くを聞く。和靖曰く、靜と說著すれば、便ち一箇の動の字多し。動と說くも亦然り、と。伊川之に頷く。和靖每に曰く、動靜は只是れ一理、陰陽死生も亦然り、と。

謝顯道習舉業、已知名。往扶溝見明道先生受學、志甚篤。明道一日謂之曰、爾輩在此相從、只是學某言語。故其學心口不相應。盍若行之。請問焉。曰、且靜坐。伊川每見人靜坐、便歎其善學。
【読み】
謝顯道舉業を習って、已に名を知らる。扶溝に往いて明道先生に見えて學を受けて、志甚だ篤し。明道一日之に謂いて曰く、爾が輩此に在りて相從うに、只是れ某が言語を學ぶのみ。故に其の學は心口相應ぜず。盍[なん]ぞ若[かくのごと]く之を行わざる、と。請い問う。曰く、且く靜坐せよ、と。伊川人の靜坐するを見る每に、便ち其の善く學ぶことを歎ず。

先生曰、伊川常愛衣皁、或塼褐紬襖。其袖亦如常人。所戴紗巾、背後望之如鍾形。其製乃似今道士謂之仙桃巾者。然不曾傳得樣。不知今人謂之習伊川學者、大袖方頂何謂。(先生在洛中、常裹昌黎巾。)
【読み】
先生曰く、伊川常に衣の皁[そう]、或は塼褐[せんかつ]紬襖[ちゅうおう]を愛す。其の袖も亦常人の如し。戴[おお]う所の紗巾、背後より之を望めば鍾の形の如し。其の製は乃ち今の道士之を仙桃巾と謂う者に似れり。然れども曾て樣を傳え得ず。知らず、今人之を伊川に習う學者は大袖方頂すと謂うは何の謂ぞや、と。(先生洛中に在るとき、常に昌黎巾を裹[くる]む。)

先生嘗問伊川、鳶飛戾天、魚躍于淵、莫是上下一理否。伊川曰、到這裏只得點頭。
【読み】
先生嘗て伊川に問う、鳶飛んで天に戾[いた]り、魚淵に躍るとは、是れ上下一理なること莫しや否や、と。伊川曰く、這の裏に到れば只點頭を得るのみ、と。

郭忠孝每見伊川問論語。伊川皆不答。一日、伊川語之曰、子從事於此多少時、所問皆大。且須切問而近思。
【読み】
郭忠孝伊川に見ゆる每に論語を問う。伊川皆答えず。一日、伊川之に語りて曰く、子事に此に從うこと多少の時、問う所皆大なり。且須く切に問いて近く思うべし、と。

先生曰、張思叔一日於伊川坐上理會盡心、知性、知天事天。伊川曰、釋氏只令人到知天處休了、更無存心養性事天也。思叔曰、知天便了、莫更省事否。伊川曰、子何似顏子。顏子猶視聽言動、不敢非禮、乃所以事天也。子何似顏子。
【読み】
先生曰く、張思叔一日伊川の坐上に於て心を盡くし、性を知り、天を知り天に事うることを理會す。伊川曰く、釋氏は只人をして天を知る處に到って休了せしめて、更に心を存し性を養い天に事うること無し、と。思叔曰く、天を知って便了せば、更に事を省ること莫しや否や、と。伊川曰く、子何ぞ顏子に似[し]かん。顏子すら猶視聽言動、敢えて非禮せざるは、乃ち天に事うる所以なり。子何ぞ顏子に似かん、と。

先生嘗問於伊川、如何是道。伊川曰、行處是。
【読み】
先生嘗て伊川に問う、如何なるか是れ道、と。伊川曰く、行う處是れなり、と。

先生曰、有人問明道先生、如何是道。明道先生曰、於君臣父子兄弟朋友夫婦上求。
【読み】
先生曰く、人有り明道先生に問う、如何なるか是れ道、と。明道先生曰く、君臣父子兄弟朋友夫婦の上に於て求めよ、と。

昔劉質夫作春秋傳、未成。每有人問伊川、必對曰、已令劉絢作之。自不須某費工夫也。劉傳旣成、來呈伊川。門人請觀。伊川曰、却須著某親作。竟不以劉傳示人。伊川沒後、方得見今世傳解至閔公者。昔又有蜀人謝湜提學字持正、解春秋成。來呈伊川。伊川曰、更二十年後、子方可作。謝久從伊川學、其傳竟不曾敢出。
【読み】
昔劉質夫春秋傳を作って、未だ成らず。人伊川に問うこと有る每に、必ず對えて曰く、已に劉絢をして之を作らしむ。自ら某工夫を費やすことを須いず、と。劉が傳旣に成って、來りて伊川に呈す。門人觀んことを請う。伊川曰く、却って須く某が親作を著すべし、と。竟に劉が傳を以て人に示さず。伊川沒して後、方に今の世傳の解閔公に至る者を見ることを得。昔又蜀人謝湜提學字は持正というもの有り、春秋を解し成す。來りて伊川に呈す。伊川曰く、更に二十年の後、子方に作る可し、と。謝久しく伊川に從って學んで、其の傳竟に曾て敢えて出さず。

張思叔三十歲方見伊川、後伊川一年卒。初以文聞於郷曲、自見伊川後、作文字甚少。伊川每云、張繹朴茂。
【読み】
張思叔三十歲にして方に伊川に見え、伊川に後るること一年にして卒す。初め文を以て郷曲に聞こえ、伊川に見えて自り後は、文字を作ること甚だ少なし。伊川每に云う、張繹は朴茂なり、と。

先生曰、初見伊川時、敎某看敬字。某請益。伊川曰、主一則是敬。當時雖領此語、然不若近時看得更親切。寬問、如何是主一。願先生善喩。先生曰、敬有甚形影。只收斂身心便是主一。且如人到神祠中致敬時、其心收斂、更著不得毫髮事、非主一而何。又曰、昔有趙承議從伊川學。其人性不甚利、伊川亦令看敬字。趙請益。伊川整衣冠、齊容貌而已。趙舉示先生。先生於趙言下有箇省覺處。
【読み】
先生曰く、初めて伊川に見えし時、某をして敬の字を看せしむ。某益を請う。伊川曰く、一を主とすれば則ち是れ敬なり、と。當時此の語を領すと雖も、然れども近時看得すること更に親切なるに若かず、と。寬問う、如何にしてか是れ一を主とする。願わくは先生善く喩せ、と。先生曰く、敬に甚の形影有らん。只身心を收斂すれば便ち是れ一を主とするなり。且人神祠の中に到って敬を致す時の如き、其の心收斂して、更に毫髮の事を著くること得ざること、一を主とするに非ずして何ぞ、と。又曰く、昔趙承議というもの有りて伊川に從いて學ぶ。其の人性甚だ利ならず、伊川亦敬の字を看せしむ。趙益を請う。伊川衣冠を整え、容貌を齊うるのみ。趙先生に舉示す。先生趙が言下に於て箇の省覺する處有り、と。

謝收問學於伊川。答曰、學之大無如仁。汝謂仁是如何。謝久之無入處。一日再問曰、愛人是仁否。伊川曰、愛人乃仁之端、非仁也。謝收去。先生曰、某謂仁者公而已。伊川曰、何謂也。先生曰、能好人、能惡人。伊川曰、善涵養。
【読み】
謝收學を伊川に問う。答えて曰く、學の大なるは仁に如くは無し。汝謂え、仁は是れ如何、と。謝久しくして入る處無し。一日再び問いて曰く、人を愛するは是れ仁なるや否や、と。伊川曰く、人を愛するは乃ち仁の端、仁には非ず、と。謝收去る。先生曰く、某謂えらく仁は公なるのみ、と。伊川曰く、何の謂ぞや、と。先生曰く、能く人を好し、能く人を惡む、と。伊川曰く、善く涵養せよ、と。

先生曰、司馬溫公平生用心甚苦、每患無著心處。明道・伊川常歎其未止。一日、溫公謂明道、某近日有箇著心處甚安。明道曰、何謂也。溫公曰、只有一箇中字、著心於中、甚覺安樂。明道舉似伊川。伊川曰、司馬端明、却只是揀得一箇好字。却不如只敎他常把一串念珠、却似省力。試說與時、他必不受也。又曰、著心、只那著的是何。
【読み】
先生曰く、司馬溫公平生心を用うること甚だ苦しみ、每に心を著くる處無きことを患う。明道・伊川常に其の未だ止まざることを歎ず。一日、溫公明道に謂えらく、某近日箇の心を著くる處甚だ安きこと有り、と。明道曰く、何の謂ぞや、と。溫公曰く、只一箇の中の字有り、心を中に著くれば、甚だ安樂なるを覺う、と。明道伊川に舉似す。伊川曰く、司馬端明、却って只是れ一箇の好の字を揀得す。却って只他をして常に一串の念珠を把らしめて、却って力を省くに似るに如かず。試みに說與せん時、他必ず受けじ、と。又曰く、心を著くるとは、只那の著的か是れ何ぞ、と。

謝顯道久住太學、告行於伊川云、將還蔡州取解、且欲改經禮記。伊川問其故。對曰、太學多士所萃、未易得之。不若郷中可必取也。伊川曰、不意子不受命如此。子貢不受命而貨殖、蓋如是也。顯道復還、次年獲國學解。
【読み】
謝顯道久しく太學に住して、行を伊川に告げて云く、將に蔡州に還って解を取り、且禮記を改經せんと欲す、と。伊川其の故を問う。對えて曰く、太學は多士の萃[あつ]まる所にて、未だ之を得易からず。郷中必ず取る可きに若かず、と。伊川曰く、意わざりき子命を受けざること此の如くならんとは。子貢命を受けずして貨殖すること、蓋し是の如し、と。顯道復還って、次の年國學の解を獲たり。

韓持國與伊川善。韓在穎昌、欲屈致伊川・明道、預戒諸子姪、使置一室、至於修治窗戶、皆使親爲之。其誠敬如此。二先生到暇日、與持國同遊西湖。命諸子侍行。行次、有言貌不莊敬者。伊川囘視、厲聲叱之曰、汝輩從長者行、敢笑語如此、韓氏孝謹之風衰矣。持國遂皆逐去之。(先生聞於持國之子彬叔、名宗質。)
【読み】
韓持國と伊川と善し。韓穎昌に在るとき、伊川・明道を屈致せんと欲して、預め諸々の子姪を戒め、一室を置かしめ、窗戶を修治するに至るまで、皆親ら之を爲さしむ。其の誠敬此の如し。二先生暇日に到って、持國と同じく西湖に遊ぶ。諸子に命じて侍行せしむ。行次、言貌莊敬ならざる者有り。伊川囘視して、聲を厲して之を叱して曰く、汝が輩長者に從って行くに、敢えて笑語すること此の如くならば、韓氏孝謹の風衰えん、と。持國遂に皆之を逐去す。(先生持國の子彬叔、名は宗質に聞けり。)

王介甫爲舍人時、有雜說行於時。其粹處有曰、莫大之惡、成於斯須不忍。又曰、道義重、不輕王公、志意足、不驕富貴、有何不可。伊川嘗曰、若使介甫只做到給事中、誰看得破。
【読み】
王介甫舍人と爲る時、雜說有りて時に行わる。其の粹處に曰えること有り、莫大の惡も、斯須忍びざるに成らん、と。又曰く、道義重くして、王公を輕んせず、志意足りて、富貴に驕らずんば、何の不可なること有らん、と。伊川嘗て曰く、若し介甫をして只給事中に到ることを做さしめば、誰か看得し破せん、と。

伊川歸自涪陵。謝顯道自蔡州來洛中、再親炙焉。久之、伊川謂先生及張思叔繹曰、可去同見謝良佐問之、此囘見吾、有何所得。尹・張如所戒。謝曰、此來方會得先生說話也。張以告伊川。伊川然之。
【読み】
伊川涪陵自り歸る。謝顯道蔡州自り洛中に來りて、再び親炙す。久しくして、伊川先生及び張思叔繹に謂いて曰く、去って同じく謝良佐に見えて之を問う可し、此囘[このたび]吾に見えて、何の得る所か有る、と。尹・張戒むる所の如くす。謝曰く、此來方に先生の說話を會得せり、と。張以て伊川に告す。伊川之を然りとす。

周恭叔(行己。)自太學早年登科。未三十、見伊川。持身嚴苦、塊坐一室、未嘗窺牖。幼議母黨之女。登科後其女雙瞽。遂娶焉、愛過常人。伊川曰、某未三十時、亦做不得此事。然其進銳者其退速。每歎惜之。周以官事求來洛中、監水南糴場、以就伊川。會伊川有涪陵行。後數年、周以酒席有所屬意、旣而密告人曰、勿令尹彥明知。又曰、知又何妨、此不害義理。伊川歸洛、先生以是告之。伊川曰、此禽獸不若也。豈得不害義理。(又曰、以父母遺體偶倡賤、其可乎。)
【読み】
周恭叔(行己。)太學自り早年に登科す。未だ三十ならずして、伊川に見ゆ。身を持すること嚴苦、一室に塊坐して、未だ嘗て牖を窺わず。幼なりしとき母黨の女を議す。登科の後其の女雙瞽す。遂に娶って、愛常人に過ぐ。伊川曰く、某未だ三十ならざる時、亦此の事を做し得ず。然れども其の進むこと銳き者は其の退くこと速やかなり。每に之を歎惜す。周官事を以て洛中に來らんことを求め、水南の糴場[てきじょう]に監として、以て伊川に就く。會々伊川涪陵の行有り。後數年、周酒席を以て意を屬する所有り、旣にして密かに人に告げて曰く、尹彥明をして知らしむること勿かれ、と。又曰く、知るとも又何の妨げあらん、此れ義理を害せず、と。伊川洛に歸るとき、先生是を以て之に告ぐ。伊川曰く、此れ禽獸にも若かず。豈義理を害せざることを得んや、と。(又曰く、父母の遺體を以て賤に偶倡す、其れ可ならんや、と。)

溫州鮑若雨(商霖。)與郷人十輩、久從伊川。一日、伊川遣之見先生。鮑來見、且問、堯・舜之道孝弟而已矣、如何。先生曰、賢懣、只爲將堯・舜做天道、孝弟做人道、便見得堯・舜道大、孝弟不能盡也。孟子下箇而已字、豈欺我哉。孝經事父孝、故事天明、事母孝、故事地察。只爲天地父母只一箇道理。諸公尙疑焉。先生曰、曲禮視於無形、聽於無聲、亦是此意也。諸公釋然、歸以告伊川。伊川曰、敎某說、不過如是。次日、先生見伊川。伊川曰、諸人謂子靳學、不以敎渠果否。先生曰、某以諸公遠來依先生之門受學。某豈敢輒爲他說。萬一有少差、便不誤他一生。伊川頷之。
【読み】
溫州の鮑若雨(商霖。)郷人十輩と、久しく伊川に從う。一日、伊川之をして先生に見えしむ。鮑來り見え、且つ問う、堯・舜の道は孝弟なるのみとは、如何、と。先生曰く、賢懣[もん]して、只堯・舜を將て天道と做し、孝弟を人道と做して、便ち堯・舜の道の大なるを見得して、孝弟は盡くすこと能わざらんとす。孟子箇の而已の字を下す、豈我を欺かんや。孝經に父に事うること孝なり、故に天に事うること明らかなり、母に事うること孝なり、故に地に事うること察らかなり、と。只天地父母は只一箇の道理なるが爲なり、と。諸公尙疑う。先生曰く、曲禮に形無きに視、聲無きに聽くというも、亦是れ此の意なり、と。諸公釋然として、歸って以て伊川に告す。伊川曰く、某をして說かしむるとも、是の如くなるに過ぎじ、と。次の日、先生伊川に見ゆ。伊川曰く、諸人子に靳[かた]く學ばんと謂う、以て渠[かれ]をして果たさしめざらんや否や、と。先生曰く、某以えらく、諸公遠く來りて先生の門に依りて學を受く。某豈敢えて輒[たやす]く他の爲に說かんや。萬一少しく差うこと有らば、便ち他の一生を誤らざらんや、と。伊川之を頷く。

王介甫與曾子固鞏善。役法之變、皆曾參酌之。晩年亦相暌。伊川常言、今日之禍、亦是元祐做成。以子瞻定役法。凡曰元豐者、皆用意更改。當時若使子固定、必無損益者。又是他黨中、自可杜絕後人議也。因其暌、必能變之。況又元經他手、當知所裁度也。此坐元祐術故也。伊川每曰、靑苗決不可行。舊役法大弊、須量宜損益。(此段可疑。)
【読み】
王介甫曾子固鞏と善し。役法の變、皆曾之を參酌す。晩年亦相暌[そむ]く。伊川常に言う、今日の禍いも、亦是れ元祐做し成す。子瞻役法を定むるを以てなり。凡そ元豐と曰う者は、皆意を用いて更に改む。當時若し子固をして定めしめば、必ず損益する者無けん。又是れ他の黨中、自づから後人の議を杜絕す可し。其の暌くに因りて、必ず能く之を變ぜん。況んや又元他の手を經ば、當に裁度する所を知るべし。此れ元祐の術を坐する故なり、と。伊川每に曰く、靑苗は決して行わる可からず。舊役法の大弊、須く量って宜しく損益すべし、と。(此の段疑う可し。)

伊川論國朝名相、必曰李文靖。
【読み】
伊川國朝の名相を論ずるときは、必ず李文靖を曰う。

伊川與韓持國善。嘗約、候韓年八十一往見之。□□閒、正月一日、因弟子賀正、乃曰、某今年有一債未還、春中須當暫往穎昌見韓持國。蓋韓八十也。春中往造焉。久留穎昌。韓早晩伴食、體貌加敬。一日、韓密謂子彬叔曰、先生遠來、無以爲意。我有黃金藥楪一、重二十兩、似可爲先生壽。然未敢遽言。我當以他事使子侍食。因從容道吾意。彬叔侍食、如所戒、試啓之。先生曰、某與乃翁道義交。故不遠而來。奚以是爲。詰朝遂歸。韓謂彬叔曰、我不敢面言、政謂此爾。再三謝過而別。
【読み】
伊川と韓持國と善し。嘗て約す、韓の年八十一なるを候[ま]って往いて之を見ん、と。□□の閒、正月一日、弟子正を賀するに因りて、乃ち曰く、某今年一債有りて未だ還さず、春中須く當に暫く穎昌に往いて韓持國に見ゆべし。蓋し韓八十ならん、と。春中に往き造る。久しく穎昌に留まる。韓早晩食に伴って、體貌敬を加う。一日、韓密かに子彬叔に謂いて曰く、先生遠く來る、以て意を爲すこと無し。我れ黃金の藥楪一つ、重さ二十兩なる有り、先生の爲に壽くす可きに似れり。然れども未だ敢えて遽に言わず。我れ當に他事を以て子をして侍食せしむべし。因りて從容にして吾が意を道え、と。彬叔侍食して、戒むる所の如く、試みに之を啓[もう]す。先生曰く、某と乃が翁とは道義の交わりなり。故に遠しとせずして來る。奚ぞ是れを以てすることをせん、と。詰朝遂に歸る。韓彬叔に謂いて曰く、我れ敢えて面りに言わざるは、政に此を謂わんとするのみ、と。再三過ちを謝して別る。

王子眞(佺期。)來洛中、居於劉壽臣園亭中。一日、出謂園丁曰、或人來尋、愼勿言我所向。是日、富韓公來見焉。不遇而還。子眞晩歸。又一日、忽戒灑掃、又於劉丐茶二杯、炷香以待。是日、伊川來、款語終日。蓋初未嘗夙告也。劉詰之。子眞曰、正叔欲來、信息甚大。又嵩山前有董五經隱者也。伊川聞其名、謂其爲窮經之士。特往造焉。董平日未嘗出庵。是日不値。還至中途、遇一老人負茶果以歸。且曰、君非程先生乎。伊川異之。曰、先生欲來、信息甚大。某特入城置少茶果、將以奉待也。伊川以其誠意、復與之同至其舍。語甚款、亦無大過人者。但久不與物接、心靜而明也。先生問於伊川。伊川曰、靜則自明也。
【読み】
王子眞(佺期。)洛中に來りて、劉壽臣が園亭の中に居す。一日、出るとき園丁に謂いて曰く、或は人來り尋ぬるとも、愼んで我が向かう所を言うこと勿かれ、と。是の日、富韓公來り見る。遇わずして還る。子眞晩に歸る。又一日、忽ち灑掃を戒め、又劉に茶二杯を丐[こ]い、炷香[しゅこう]以て待つ。是の日、伊川來りて、款語して日を終う。蓋し初めより未だ嘗て夙に告げず。劉之を詰る。子眞曰く、正叔來らんと欲するは、信息甚だ大なり、と。又嵩山の前に董五經という隱者有り。伊川其の名を聞いて、謂えらく、其れ經を窮むる士爲らん、と。特り往いて造る。董平日未だ嘗て庵を出ず。是の日値[あ]わず。還って中途に至りて、一老人茶果を負って以て歸るに遇う。且つ曰く、君は程先生に非ずや、と。伊川之を異[あや]しむ。曰く、先生來らんと欲するは、信息甚だ大なり。某特に城に入りて少しく茶果を置いて、將に以て奉待せんとす、と。伊川其の誠意を以て、復之と同じく其の舍に至る。語甚だ款[うちと]け、亦大いに人に過ぎたる者無し。但久しく物と接せず、心靜かにして明らかなり。先生伊川に問う。伊川曰く、靜かなれば則ち自づから明らかなり、と。

先生嘗問伊川春秋解。伊川每曰、已令劉絢去編集、俟其來。一日、劉集成、呈於伊川。先生復請之。伊川曰、當須自做也。自涪陵歸、方下筆、竟不能成書。劉集終亦不出。
【読み】
先生嘗て伊川の春秋の解を問う。伊川每に曰く、已に劉絢をして編集し去らしむ、其の來るを俟つ、と。一日、劉が集成って、伊川に呈す。先生復之を請う。伊川曰く、當に須く自ら做すべし、と。涪陵自り歸って、方に筆を下せども、竟に書を成すこと能わず。劉が集終に亦出さず。

孟敦夫(厚。)來伊川、又從王氏、而舉業特精、獨處一室糞穢不治。嘗獻書於伊川。伊川曰、孟厚初時說得也似。其後須沒事生事。一日、語之曰、子胡不見尹焞・張繹。朋友閒最好講學。然三公皆同齒也。敦夫來見先生曰、先生令某來見二公。若彥明則某所願見。如思叔莫不消見否。先生曰、只不消見思叔之心、便是不消見某之心也。伊川嘗謂學者曰、孟厚不治一室、竟亦何益。學不在此。假使埽灑得潔淨、莫更快人意否。
【読み】
孟敦夫(厚。)伊川に來り、又王氏に從って、舉業特に精しく、一室に獨處して糞穢も治めず。嘗て書を伊川に獻ず。伊川曰く、孟厚初めの時說得ること也似れり。其の後須く事を沒し事を生すべし、と。一日、之に語って曰く、子胡ぞ尹焞・張繹を見ざる。朋友の閒最も講學を好す。然も三公は皆同齒なり、と。敦夫來りて先生に見えて曰く、先生某をして來りて二公を見せしむ。彥明の若きは則ち某見ることを願う所なり。思叔の如きは見ることを消いざること莫けんや否や、と。先生曰く、只思叔を見ることを消いざるの心は、便ち是れ某を見ることを消いざるの心なり、と。伊川嘗て學者に謂いて曰く、孟厚一室を治めずして、竟に亦何の益かある。學此に在らず。假使[も]し埽灑して潔淨を得ば、更に人意を快くすること莫しや否や、と。

寬因問伊川、謂永叔如何。先生曰、前輩不言人短。每見人論前輩、則曰、汝輩且取他長處。
【読み】
寬因りて伊川に問う、永叔は如何と謂える、と。先生曰く、前輩人の短を言わず、と。人の前輩を論ずるを見る每に、則ち曰く、汝が輩且つ他の長ずる處を取れ、と。

横渠昔在京師、坐虎皮、說周易。聽從甚衆。一夕、二程先生至、論易。次日、横渠撤去虎皮曰、吾平日爲諸公說者、皆亂道。有二程近到。深明易道。吾所弗及。汝輩可師之。(逐日虎皮出、是日更不出虎皮也。)横渠乃歸陝西。
【読み】
横渠昔京師に在りしとき、虎皮に坐し、周易を說く。聽從するもの甚だ衆し。一夕、二程先生至って、易を論ず。次の日、横渠虎皮を撤去して曰く、吾れ平日諸公の爲に說く者は、皆道を亂る。二程近ごろ到る有り。深く易道に明らかなり。吾れ及ばざる所なり。汝が輩之を師とす可し、と。(逐日虎皮出し、是の日更に虎皮を出さず。)横渠乃ち陝西に歸る。

先生曰、昔與范元長同見伊川。偶有幹、先起下階。伊川謂范曰、君看尹彥明。他時必有用於世。
【読み】
先生曰く、昔范元長と同じく伊川に見ゆ。偶々幹有り、先づ起ちて階を下る。伊川范に謂いて曰く、君尹彥明を看よ。他時必ず世に用いらるること有らん、と。

明道說、仁宗一日問、折米折幾分。曰、折六分。怪其太甚也、有旨、只令折五分。次供進偶覺。藏府曰、習使然也。却令如舊。又禁中進膳、飯中有砂石、含以密示嬪御曰、切勿語人。朕曾食之、此死罪也。又一日思生荔枝。有司言已供盡。近侍曰、市有鬻者、請買之。上曰、不可令買之。來歲必增上供之數、流禍百姓無窮。又一日、夜中甚饑、思燒羊頭。近侍乞宣取。上曰、不可。今次取之、後必常備。日殺三羊、暴殄無窮。竟夕不食。
【読み】
明道說く、仁宗一日問う、米を折[へ]ぐに幾分を折ぐ、と。曰く、六分を折ぐ、と。其の太甚だしきを怪しんで、旨有りて、只五分を折がしむ。次の供進のとき偶覺る。藏府曰く、習いて然らしめん、と。却って令すること舊の如し。又禁中膳を進むるに、飯中に砂石有り、含んで以て密かに嬪御に示して曰く、切に人に語ること勿かれ。朕曾て之を食せば、此れ死罪なり、と。又一日生荔枝[れいし]を思う。有司已に供し盡くすと言す。近侍曰く、市に鬻[ひさ]ぐ者有り、請う之を買わん、と。上曰く、之を買わしむ可からず。來歲必ず上供の數を增さば、禍いを百姓に流すこと窮まり無し、と。又一日、夜中甚だ饑えて、燒羊頭を思う。近侍宣べ取らんと乞う。上曰く、不可なり。今次之を取らば、後必ず常に備えん。日に三羊を殺さば、暴殄[ぼうてん]窮まり無し、と。夕を竟うるまで食せず。

先生曰、楊中立答伊川論西銘書云云。尾說、渠判然無疑。伊川曰、楊時也未判然。
【読み】
先生曰く、楊中立伊川西の銘を論ずるに答うる書に云云。尾に說く、渠判然として疑い無し、と。伊川曰く、楊時也未だ判然たらじ、と。

先生曰、某纔十七八歲、見蘇季明敎授。時某亦習舉業。蘇曰、子修舉業、得狀元及第便是了也。先生曰、不敢望此。蘇曰、子謂狀元及第便是了否。唯復這學更有裏。先生疑之、日去見。蘇乃指先生見伊川。後半年、方得大學・西銘看。
【読み】
先生曰く、某纔かに十七八歲のとき、蘇季明に見えて敎授せらる。時に某亦舉業を習う。蘇曰く、子舉業を修めて、狀元及第を得ば便ち是れ了わるなり、と。先生曰く、敢えて此を望まず、と。蘇曰く、子狀元及第は便ち是れ了わると謂うや否や。唯復這の學更に裏有らんや、と。先生之を疑って、日に見え去る。蘇乃ち先生を指して伊川に見えしむ。後半年、方に大學・西の銘を得て看る。

先生與思叔共學之久。一日、伊川問二子、尋常見處同否。爲我言之。先生曰、某不逮思叔。如凡有請問未逹、必三四請益、尙有未得處、久之乃得。如思叔、則先生才說、便點頭會意、往往造妙。只是某雖愚鈍、自保守得。若思叔、則某未敢保他。伊川笑曰、也是、也是。自後每同請益退、伊川必謂諸郎曰、張秀才如此不待、尹秀才肯待。
【読み】
先生と思叔と共に之を學ぶこと久し。一日、伊川二子に問う、尋常見る處同じきや否や。我が爲に之を言え、と。先生曰く、某思叔に逮ばず。凡そ請い問うこと有りて未だ逹せざるが如き、必ず三四益を請えども、尙未だ得ざる處有り、之を久しくして乃ち得。思叔の如きは、則ち先生才かに說けば、便ち點頭會意して、往往に妙に造る。只是れ某は愚鈍なりと雖も、自ら保ち守り得。思叔の若きは、則ち某未だ敢えて他を保たず、と。伊川笑って曰く、也是なり、也是なり、と。自後同じく益を請いて退く每に、伊川必ず諸郎に謂いて曰く、張秀才は此の如く待たず、尹秀才は肯えて待つ、と。

南方學者從伊川旣久、有歸者。或問曰、學者久從學於門。誰最是有得者。伊川曰、豈便敢道他有得處。且只是指與得箇岐徑、令他尋將去不錯了、已是忒大曬。若夫自得、尤難其人。謂之得者、便是己有也。豈不難哉。若論隨力量而有見處、則不無其人也。
【読み】
南方の學者伊川に從うこと旣に久しくして、歸る者有り。或るひと問いて曰く、學者久しく門に從い學ぶ。誰か最も是れ得ること有る者ぞ、と。伊川曰く、豈便ち敢えて他得る處有りと道わんや。且つ只是れ箇を得る岐徑を指與して、他をして尋ね將ち去って錯り了わらざらしめば、已に是れ忒[はなは]だ大いに曬[さつ]なり。夫の自得するが若きは、尤も其の人に難し。之を得ると謂う者は、便ち是れ己が有するなり。豈難からざらんや。若し力量に隨って見處有るを論ぜば、則ち其の人に無くんばあらず、と。

司馬溫公修通鑑。伊川一日問、修至何代。溫公曰、唐初也。伊川曰、太宗・肅宗端的如何。溫公曰、皆簒也。伊川曰、此復何疑。伊川曰、魏徵如何。溫公曰、管仲、孔子與之。某於魏徵亦然。伊川曰、管仲知非而反正、忍死以成功業。此聖人所取其反正也。魏徵只是事讐。何所取耶。然溫公竟如舊說。(管仲雖初有過、善補者也。魏徵初實無過者也。功業雖多、何足法乎。)
【読み】
司馬溫公通鑑を修す。伊川一日問う、修すること何れの代に至れる、と。溫公曰く、唐の初めなり、と。伊川曰く、太宗・肅宗は端的如何、と。溫公曰く、皆簒えるなり、と。伊川曰く、此れ復何ぞ疑わん、と。伊川曰く、魏徵は如何、と。溫公曰く、管仲は、孔子之に與す。某魏徵に於るも亦然り、と。伊川曰く、管仲は非を知って正しきに反り、死を忍んで以て功業を成す。此れ聖人其の正しきに反るを取る所なり。魏徵は只是れ讐に事うるのみ。何ぞ取る所あらんや、と。然れども溫公竟に舊說の如し。(管仲は初め過ち有りと雖も、善く補う者なり。魏徵は初めより實に過ち無き者なり。功業多しと雖も、何ぞ法るに足らんや。)

與叔問伊川曰、某見孟子亦有疑處。舜爲法於後世。我猶未免爲郷人。憂之如何。如舜而已。伊川曰、聖人憂則有之。疑則無。夫何故。人所當憂、不得不憂。如孔子是吾憂也。若疑則無之矣。
【読み】
與叔伊川に問いて曰く、某孟子も亦疑う處有ることを見る。舜法を後世に爲す。我れ猶未だ郷人爲ることを免れず。之を憂えば如何。舜の如くせんのみ、と。伊川曰く、聖人憂うることは則ち之れ有り。疑うことは則ち無し。夫れ何故ぞ。人の當に憂うべき所は、憂えざることを得ず。孔子の是れ吾が憂えなりというが如し。疑うが若きは則ち之れ無し、と。

先生曰、近有人說伊川自比孔・孟。先生曰、某不識明道。每見伊川說學問、某豈敢比先兄。由是推之、決無此語也。
【読み】
先生曰く、近ごろ人有り伊川自ら孔・孟に比すと說く、と。先生曰く、某明道を識らず。每に伊川學問を說くを見るに、某豈敢えて先兄に比せんという。是に由って之を推せば、決して此の語無けん、と。

先生曰、悟則句句皆是這箇道理。道理已明後、無不是此事也。如孔子謂六十而耳順、聞無不通、然後可至不踰矩也。明道作洛河竹木務時、過一寺。門牆上有人題要不悶、守本分。時田明之隨行。明道每過、必曰好語。一日明之問之。明道曰、只被人守本分也。後先生聞此語、復問伊川。伊川曰、只爲人不能盡分。先生謂寬曰、看伊川此語、豈不是悟則句句是。凡一言一句便推到極處。看盡分字是大小氣象。又謂寬曰、才說盡分、便不消說悶也。
【読み】
先生曰く、悟るときは則ち句句皆是れ這箇の道理なり。道理已に明らかなるの後、是れ此の事にあらずということ無し。孔子六十にして耳順うと謂うが如き、聞いて通ぜずということ無くして、然して後に矩を踰えざるに至る可し。明道洛河竹木務と作る時に、一寺を過る。門牆の上に人の題する、悶えざらんことを要す、本分を守れという有り。時に田明之隨い行く。明道過る每に、必ず好語を曰う。一日明之之を問う。明道曰く、只人本分を守らざることを被る、と。後に先生此の語を聞いて、復伊川に問う。伊川曰く、只人分を盡くすこと能わざるが爲なり、と。先生寬に謂いて曰く、伊川の此の語を看るに、豈是れ悟るときは則ち句句是なるにあらずや。凡そ一言一句便ち推して極處に到る。分を盡くすの字を看るに是れ大小の氣象なり、と。又寬に謂いて曰く、才かに分を盡くすと說かば、便ち悶うることを說くことを消いず、と。

先生曰、伊川易序旣成。其中有曰、體用一源、顯微無閒。先生告伊川曰、似太洩漏天機。伊川曰、汝看得如此甚善。伊川作詩序二篇。昔人傳之不眞。先生一日請問、曾作否。伊川曰、有之。但不欲示人。再三請、乃得之。曰、爲子出此二篇。今傳之者是也。
【読み】
先生曰く、伊川の易の序旣に成る。其の中に曰える有り、體用源を一にし、顯微閒無し、と。先生伊川に告げて曰く、太だ天機を洩漏するに似れり、と。伊川曰く、汝看得すること此の如く甚だ善し、と。伊川詩の序二篇を作る。昔人之を傳えて眞ならずとす。先生一日請い問う、曾て作れるや否や、と。伊川曰く、之れ有り。但人に示すことを欲せず、と。再三請いて、乃ち之を得。曰く、子が爲に此の二篇を出す、と。今之を傳うる者是れなり。

先生一日看大學有所得、欲舉似伊川。伊川問之。先生曰、心廣體胖只是自樂。伊川曰、到這裏、和樂字也著不得。
【読み】
先生一日大學を看て得る所有り、伊川に舉似せんと欲す。伊川之を問う。先生曰く、心廣く體胖かなるは只是れ自ら樂しむなり、と。伊川曰く、這の裏に到らば、和樂の字も也著くること得ず、と。

右四十一條見祁寬所記尹和靖語。(寬字居之。)
【読み】
右の四十一條祁寬記す所の尹和靖の語に見る。(寬字は居之。)

先生云、初見伊川先生、一日有江南人鮑某、守官西京、見伊川問仁曰、仁者愛人便是仁乎。伊川曰、愛人、仁之事耳。先生時侍坐。歸、因取論語中說仁事致思久之忽有所得、遂見伊川請益曰、某以仁惟公可盡之。伊川沈思久之曰、思而至此、學者所難及也。天心所以至仁者、惟公爾。人能至公、便是仁。
【読み】
先生云く、初めて伊川先生に見えしとき、一日江南の人鮑某というもの有り、西京に守官たり、伊川に見えて仁を問いて曰く、仁者は人を愛すというは便ち是れ仁か、と。伊川曰く、人を愛するは、仁の事のみ、と。先生時に侍坐せり。歸って、因りて論語の中仁の事を說くを取って思いを致すこと久しくして忽ち得る所有り、遂に伊川に見えて益を請いて曰く、某以[おも]うに、仁は惟公之を盡くす可し、と。伊川沈思すること久しくして曰く、思って此に至る、學者の及び難き所なり。天心至仁なる所以の者は、惟公のみ。人能く至公ならば、便ち是れ仁なり、と。

伊川使人抄范純夫唐鑑。先生問曰、此書如何。伊川曰、足以垂世。唐鑑議論、多與伊川同。(如中宗在房陵事之類。)
【読み】
伊川人をして范純夫の唐鑑を抄せしむ。先生問いて曰く、此の書如何、と。伊川曰く、以て世に垂るに足れり、と。唐鑑の議論、多く伊川と同じ。(中宗房陵に在るときの事の如きの類。)

伊川自涪陵歸、易傳已成、未嘗示人。門弟子請益、有及易書者、方命小奴取書篋以出、身自發之、以示門弟子。非所請不敢多閱。一日出易傳序示門弟子。先生受之歸、伏讀數日後、見伊川。伊川問所見。先生曰、某固欲有所問。然不敢發。伊川曰、何事也。先生曰、至微者理也、至著者象也。體用一源、顯微無閒、似太露天機也。伊川歎美曰、近日學者何嘗及此。某亦不得已而言焉耳。
【読み】
伊川涪陵自り歸って、易傳已に成り、未だ嘗て人に示さず。門弟子益を請いて、易の書に及ぶ者有れば、方に小奴に命じて書篋を取って以て出さしめ、身自ら之を發いて、以て門弟子に示す。請う所に非ざれば敢えて多くは閱せしめず。一日易傳の序を出して門弟子に示す。先生之を受けて歸って、伏讀すること數日にして後、伊川に見ゆ。伊川見る所を問う。先生曰く、某固に問う所有らんことを欲す。然れども敢えて發せず、と。伊川曰く、何事ぞ、と。先生曰く、至微なる者は理なり、至著なる者は象なり。體用源を一にし、顯微閒無しというは、太だ天機を露すに似れり、と。伊川歎美して曰く、近日學者何ぞ嘗て此に及ばん。某亦已むことを得ずして言うのみ、と。

明道嘗謂人曰、天下事只是感與應耳。先生初聞之、以問伊川。曰、此事甚大。人當自識之。先生曰、綏之斯來、動之斯和、是亦感與應乎。曰、然。
【読み】
明道嘗て人に謂いて曰く、天下の事は只是れ感と應とのみ、と。先生初めて之を聞いて、以て伊川に問う。曰く、此の事甚だ大なり。人當に自ら之を識るべし、と。先生曰く、之を綏[やす]んずれば斯に來り、之を動かせば斯に和らぐとは、是れ亦感と應とか、と。曰く、然り、と。

門弟子請問易傳事、雖有一字之疑、伊川必再三喩之。蓋其潛心甚久、未嘗容易下一字也。
【読み】
門弟子易傳の事を請い問えば、一字の疑い有りと雖も、伊川必ず再三之を喩す。蓋し其の心を潛むること甚だ久しくして、未だ嘗て容易に一字を下さざればなり。

先生又云、見王信伯云、昔時問鼓萬物而不與聖人同憂之意於張思叔。思叔對曰、堯・舜其猶病諸。後因侍伊川、伊川問鼓萬物而不與聖人同憂、如何說、則對以思叔之語。伊川曰、不然。天地以無心、故不憂。聖人致有爲之事、故憂。
【読み】
先生又云く、王信伯を見て云う、昔萬物を鼓して聖人と憂えを同じくせずの意を張思叔に問う。思叔對えて曰く、堯・舜も其れ猶病めり、と。後伊川に侍するに因りて、伊川萬物を鼓して聖人と憂えを同じくせずというは、如何に說かんと問うに、則ち對うるに思叔の語を以てす。伊川曰く、然らず。天地は無心を以て、故に憂えず。聖人はすること有る事を致す、故に憂う、と。

游定夫問伊川、戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞、及其至也、至於無聲無臭乎。伊川曰、馴此可以至矣。後先生與周恭叔以此語問伊川。伊川曰、然。其閒亦豈無事。恭叔請問。伊川曰、如荀子云學者始乎爲士、終乎爲聖人、可以明之。
【読み】
游定夫伊川に問う、其の睹ざる所に戒愼し、其の聞かざる所に恐懼すとは、其の至れるに及ぶや、聲も無く臭も無きに至るや、と。伊川曰く、此に馴るれば以て至る可し、と。後先生周恭叔と此の語を以て伊川に問う。伊川曰く、然り。其の閒に亦豈事無からんや、と。恭叔請い問う。伊川曰く、荀子學は士に爲るに始まり、聖人に爲るに終うと云うが如き、以て之を明かす可し、と。

昔嘗請益於伊川曰、某謂動靜一理。伊川曰、試喩之。適聞寺鐘聲。某曰、譬如此寺鐘、方其未撞時、聲固在也。伊川喜曰、且更涵養。
【読み】
昔嘗て伊川に益を請いて曰く、某謂うに動靜一理、と。伊川曰く、試みに之を喩せ、と。適々寺鐘の聲を聞く。某曰く、譬えば此の寺鐘の如き、其の未だ撞かざる時に方って、聲固より在り、と。伊川喜んで曰く、且更に涵養せよ、と。

有人說無心。伊川曰、無心便不是。只當云無私心。
【読み】
人無心を說く有り。伊川曰く、無心とは便ち是ならず。只當に私心無しと云うべし、と。

游定夫忽自太學歸蔡、過扶溝見伊川。伊川問、試有期、何以歸也。定夫曰、某讀禮太學、以是應試者多、而郷舉者實少。伊川笑之。定夫請問。伊川曰、是未知學也。豈無義無命乎。定夫卽復歸太學、是歲登第。(定夫字誤。當作顯道。)
【読み】
游定夫忽ち太學自り蔡に歸るに、扶溝を過って伊川に見ゆ。伊川問う、試に期有り、何を以て歸る、と。定夫曰く、某禮を太學に讀む、是を以て試に應ずる者多くして、郷舉の者實に少なし、と。伊川之を笑う。定夫請い問う。伊川曰く、是れ未だ學を知らざるなり。豈義無く命無からんや、と。定夫卽復太學に歸って、是の歲登第す。(定夫の字誤れり。當に顯道に作るべし。)

昔見伊川問、易乾・坤二卦斯可矣。伊川曰、聖人設六十四卦、三百八十四爻、後世尙不能了。乾・坤二卦、豈能盡也。旣坐、伊川復曰、子以爲何人分上事。對曰、聖人分上事。曰、若聖人分上事、則乾・坤二卦亦不須。況六十四乎。
【読み】
昔伊川に見えて問う、易は乾・坤の二卦にして斯れ可ならん、と。伊川曰く、聖人六十四卦、三百八十四爻を設けれども、後世尙了すること能わず。乾・坤の二卦、豈能く盡くさんや、と。旣に坐して、伊川復曰く、子以て何人分上の事とする、と。對えて曰く、聖人分上の事なり、と。曰く、聖人分上の事の若きは、則ち乾・坤二卦も亦須いず。況んや六十四をや、と。

伊川所戴帽、桶八寸、簷七分四直。
【読み】
伊川戴く所の帽、桶八寸、簷[えん]七分四直。

鮑若雨與同志數人見伊川問、堯・舜之道、孝弟而已矣。恐孝弟不足以盡堯・舜之道。伊川令與和靖商量。諸人見和靖。和靖對曰、此何所疑。孝以事親、弟以事長、能盡孝弟之道者、惟堯・舜能之。諸人未喩。和靖曰、且如孝子視於無形、聽於無聲、孝弟之至、通於神明、且道此箇道理如何。鮑復見伊川。伊川曰、某亦不過如此說。鮑又曰、尹秀才直是秘此道、不肯容易說。伊川後問之。和靖曰、此道衆所公共。某何敢秘其說。但恐一語有差、則有累學者。伊川曰、某思慮不及。
【読み】
鮑若雨同志數人と伊川に見えて問う、堯・舜の道は、孝弟なるのみ、と。恐らくは孝弟は以て堯・舜の道を盡くすに足らじ、と。伊川和靖と商量せしむ。諸人和靖に見ゆ。和靖對えて曰く、此れ何ぞ疑う所あらん。孝以て親に事え、弟以て長に事えて、能く孝弟の道を盡くす者は、惟堯・舜のみ之を能くす、と。諸人未だ喩さず。和靖曰く、且つ孝子形無きに視、聲無きに聽く、孝弟の至り、神明に通ずるが如き、且つ道え、此れ箇の道理如何、と。鮑復伊川に見ゆ。伊川曰く、某も亦此の如く說くに過ぎず、と。鮑又曰く、尹秀才直に是れ此の道を秘して、肯えて容易に說かず、と。伊川後に之を問う。和靖曰く、此の道衆く公共にする所なり。某何ぞ敢えて其の說を秘せん。但恐れらくは一語も差うこと有らば、則ち學者を累わすこと有らんことを、と。伊川曰く、某思慮及ばず、と。

張思叔與和靖侍伊川。伊川問曰、賢輩尋常商量事、有疑處否。對曰、張某所說、某不疑。某所說、張某不疑。張某聰明、道頭知尾。某必待再三問然後曉然。但恐張某守不定如某。伊川喜。
【読み】
張思叔と和靖と伊川に侍す。伊川問いて曰く、賢輩尋常商量の事、疑う處有りや否や、と。對えて曰く、張某が說く所、某疑わず。某が說く所、張某疑わず。張某は聰明にして、頭を道えば尾を知る。某は必ず再三問うことを待って然して後に曉然たり。但恐れらくは張某が守るは、定むること某が如くならざらんことを、と。伊川喜ぶ。

右十四條見呂堅中所記尹和靖語。(堅中字景實。)
【読み】
右の十四條呂堅中記す所の尹和靖の語に見る。(堅中字は景實。)

問、將孔・孟之言切要處思索如何。曰、須是熟看語・孟、玩味咀嚼。伊川云、若熟看語錄、亦自得者此也。當時門人、有問且將語・孟緊要處看如何。伊川曰、固是好。若有得、終不浹洽。蓋吾道非如釋氏一見了便從空寂去。
【読み】
問う、孔・孟の言切要なる處を將て思索せば如何、と。曰く、須く是れ語・孟を熟看して、玩味咀嚼すべし。伊川云く、語錄を熟看して、亦自得する者の若き此れなり、と。當時門人、問うこと有れば且つ語・孟の緊要なる處を將て看せしむるは如何、と。伊川曰く、固に是れ好し。若し得ること有るとも、終に浹洽せず。蓋し吾が道は釋氏の一見了して便ち空寂に從い去るが如きには非ず、と。

問、伊川說、人之生也直、是天命之謂性。謝顯道云、順理之謂直。竊謂順理是率性之事、天命之性無待於順理也。二說異同。曰、伊川說上一截、顯道說下一截。
【読み】
問う、伊川說く、人の生まるるや直しとは、是れ天の命之を性と謂うなり、と。謝顯道云く、理に順う之を直しと謂う、と。竊かに謂うに理に順うは是れ性に率うの事、天命の性は理に順うことを待つこと無からん。二說異なるや同じきや、と。曰く、伊川は上の一截を說き、顯道は下の一截を說く、と。

先生曰、明道猶有謔語。若伊川則全無。問、如何謔語。曰、明道聞司馬溫公解中庸、至人莫不飮食、鮮能知味、有疑遂止、笑曰、我將謂、從天命之謂性便疑了。伊川直是謹嚴、坐閒無問尊卑長幼、莫不肅然。
【読み】
先生曰く、明道は猶謔語有り。伊川の若きは則ち全く無し、と。問う、如何なるか謔語とは、と。曰く、明道司馬溫公の中庸を解するに、人飮食せずということ莫し、能く味を知ること鮮しというに至って、疑うこと有りて遂に止むを聞いて、笑って曰く、我れ將に謂う、天の命之を性と謂う從り便ち疑い了わるならん、と。伊川は直に是れ謹嚴にして、坐閒問うこと無ければ尊卑長幼、肅然とせずということ莫し、と。

一日、偶見秦少游問、天若知也和天痩、是公詞否。少游意、伊川稱賞之。拱手遜謝。伊川云、上穹尊嚴、安得易而侮之。少游面色騂然。
【読み】
一日、偶々秦少游を見て問う、天若知也和天痩とは、是れ公の詞なりや否や、と。少游意えらく、伊川之を稱賞せん、と。手を拱して遜謝す。伊川云く、上穹の尊嚴、安んぞ易[あなど]って之を侮ることを得ん、と。少游面色騂然[せいぜん]たり。

先生曰、伊川年四十以後、記性愈進。今人年長則健忘。豈可不知其故哉。
【読み】
先生曰く、伊川年四十以後、記性愈々進む。今の人年長ずれば則ち健忘す。豈其の故を知らざる可けんや、と。

伊川涪陵之行、過灔澦、波濤洶湧。舟中之人皆驚愕失措。獨伊川凝然不動。岸上有樵者、厲聲問曰、舍去如斯、達去如斯。欲答之而舟已行。
【読み】
伊川涪陵の行、灔澦を過るとき、波濤洶湧す。舟中の人皆驚愕して措くことを失う。獨り伊川凝然として動かず。岸上に樵者有り、聲を厲して問いて曰く、舍て去るも斯の如く、達し去るも斯の如きか、と。之に答えんと欲すれども舟已に行く。

右五條見震澤語錄。(王蘋信伯門人信州周憲所記。)
【読み】
右の五條震澤語錄に見る。(王蘋信伯の門人信州の周憲が記す所。)

說之見伊川先生論曾子易簀事。先生曰、是禮也。君子所以貴乎禮者、爲其以之而生、以之而死。如此其明也。說之曰、是禮、古人孰不然。蓋曾子獨有傳焉爾。後世之士自賤其身而絕於禮、此事始廢。或者似有得於此、而蔽於浮屠老子虛誕之說、乃不謂之禮而謂之達。安知吾道之所以貴哉。先生曰、然。
【読み】
說之伊川先生に見えて曾子簀を易うるの事を論ず。先生曰く、是れ禮なり。君子禮を貴ぶ所以の者は、其の之を以て而して生まれ、之を以て而して死するが爲なり。此の如く其れ明らかなり、と。說之曰く、是の禮、古人孰か然らざらん。蓋し曾子獨り傳有るのみ。後世の士自ら其の身を賤しくして禮を絕ちて、此の事始めて廢る。或は此に得ること有るに似れども、浮屠老子虛誕の說に蔽われて、乃ち之を禮と謂わずして之を達と謂う。安んぞ吾が道の貴き所以を知らんや、と。先生曰く、然り、と。

右一事見晁詹事文集。(說之以道。)
【読み】
右の一事晁詹事文集に見る。(說之は以道。)

神宗問明道以張載・邢恕之學。奏云、張載臣所畏、邢恕從臣游。
【読み】
神宗明道に問うに張載・邢恕の學を以てす。奏して云く、張載は臣が畏るる所、邢恕は臣に從って游ぶ、と。

伊川謂明道曰、吾兄弟近日說話太多。明道曰、使見呂晦叔、則不得不少。見司馬君實、則不得不多。
【読み】
伊川明道に謂いて曰く、吾が兄弟近日說話太だ多し、と。明道曰く、使し呂晦叔を見れば、則ち少なからざることを得ず。司馬君實を見れば、則ち多からざることを得ず、と。

張子正蒙云、氷之融釋、海不得而與焉。伊川改與爲有。
【読み】
張子正蒙に云く、氷の融釋、海得て與らず、と。伊川與を改めて有とす。

游定夫問伊川陰陽不測之謂神。伊川曰、賢是疑了問。是揀難底問。
【読み】
游定夫伊川に陰陽測られざる之を神と謂うことを問う。伊川曰く、賢是れ疑い了わって問うか。是れ揀難底の問いか、と。

元祐中、客有見伊川者。几案閒無他書、惟印行唐鑑一部。先生曰、近方見此書、三代以後無此議論。
【読み】
元祐中に、客伊川に見ゆる者有り。几案の閒他の書無く、惟印行の唐鑑一部なり。先生曰く、近ごろ方に此の書を見るに、三代以後此の議論無し、と。

右五條見晁氏客語。(不知何人所錄。)
【読み】
右の五條晁氏客語に見る。(何人の錄する所なるかを知らず。)

正獻公旣薦常秩、後差改節。嘗對伯淳有悔薦之意。伯淳曰、願侍郎寧百受人欺、不可使好賢之心少替。公敬納焉。
【読み】
正獻公旣に常秩を薦めて、後差[やや]節を改む。嘗て伯淳に對して薦を悔ゆるの意有り。伯淳曰く、願わくは侍郎寧ろ百[もも]人の欺きを受くるも、賢を好むの心をして少しも替えしむ可からず、と。公敬して納る。

伊川嘗言、今僧家讀一卷經、便要一卷經中道理受用。儒者讀書、却只閒了、都無用處。
【読み】
伊川嘗て言く、今僧家一卷の經を讀めば、便ち一卷の經中の道理受用することを要す。儒者書を讀むときは、却って只閒了にして、都て用うる處無し、と。

伊川先生言、人有三不幸。年少登高科、一不幸。席父兄之勢爲美官、二不幸。有高才能文章、三不幸也。
【読み】
伊川先生言く、人に三つの不幸有り。年少にして高科に登る、一の不幸なり。父兄の勢いに席[よ]って美官と爲る、二の不幸なり。高才有りて文章を能くす、三の不幸なり、と。

明道先生嘗至禪寺。方飯、見趨進揖遜之盛、歎曰、三代威儀、盡在是矣。
【読み】
明道先生嘗て禪寺に至る。飯するに方って、趨進揖遜の盛んなるを見て、歎じて曰く、三代の威儀、盡く是に在り、と。

右四條見呂氏童蒙訓。(呂本中字居仁、原明侍講之孫。)
【読み】
右の四條呂氏童蒙訓に見る。(呂本中字は居仁、原明侍講の孫なり。)

有言鬼物於伊川先生者。先生云、君曾親見邪。伊川以爲、若是人傳、必不足信。若是親見、容是眼病。
【読み】
鬼物を伊川先生に言う者有り。先生云く、君曾て親ら見るや。伊川以爲えらく、若し是れ人傳えば、必ず信ずるに足らず。若し是れ親ら見ば、容に是れ眼病なるべし、と。

尹彥明與思叔同時師事伊川先生。思叔以高識、彥明以篤行、倶爲先生所稱。先生沒、思叔亦病死。彥明窮居敎學、未嘗少自貶屈。常以先生敎人、專以敬以直内爲本。彥明獨能力行之。
【読み】
尹彥明と思叔と同時に伊川先生に師とし事う。思叔は高識を以てし、彥明は篤行を以てして、倶に先生の爲に稱せらる。先生沒して、思叔も亦病死す。彥明窮居敎學、未だ嘗て少しも自ら貶屈せず。常に先生人を敎うるに、專ら敬以て内を直くするを以て本とすることを以てす。彥明獨り能く力めて之を行う。

彥明嘗言、先生敎人、只是專令用敬以直内。若用此理、則百事不敢輕爲、不敢妄作、不愧屋漏矣。習之旣久、自然有所得也。因說、往年先生歸自涪陵、日日見之。一日、因讀易至敬以直内處、因問先生、不習無不利時、則更無睹當、更無計較也耶。先生深以爲然。且曰、不易見得如此。且更涵養。不要輕說。
【読み】
彥明嘗て言く、先生人に敎うる、只是れ專ら敬以て内を直くするを用いしむ。若し此の理を用うれば、則ち百事敢えて輕々しくせず、敢えて妄りに作さず、屋漏にも愧じざらん。習うこと旣に久しければ、自然に得る所有らん。因りて說く、往年先生涪陵自り歸るとき、日日之に見ゆ。一日、易を讀むに因りて敬以て内を直くすという處に至って、因りて先生に問う、習わざれども利あらざる時無きときは、則ち更に睹當すること無く、更に計較すること無けんや、と。先生深く以て然りとす。且つ曰く、見得し易からざること此の如し。且つ更に涵養せよ。輕々しく說くことを要せざれ、と。

晁以道常說、頃嘗以書問伊川先生云、某平生所願學者、康節先生也。康節先生沒、不可見。康節之友惟先生在。願因先生問康節之學。伊川答書云、某與堯夫同里巷居三十年餘、世閒事無所不論。惟未嘗一字及數耳。
【読み】
晁以道常に說く、頃[このごろ]嘗て書を以て伊川先生に問いて云く、某平生學ばんことを願う所の者は、康節先生なり。康節先生沒して、見る可からず。康節の友は惟先生のみ在す。願わくは先生に因りて康節の學を問わん、と。伊川答うる書に云く、某と堯夫と里巷を同じくして居ること三十年餘、世閒の事論ぜざる所無し。惟未だ嘗て一字も數に及ばざるのみ、と。

崇寧初、家叔舜從、以黨人子弟補外官、知河南府鞏縣。請見伊川先生、問當今新法初行、當如何做。先生云、只有義命兩字。當行不當行者義也。得失禍福命也。君子所處、只說義如何耳。
【読み】
崇寧の初め、家叔舜從、黨人の子弟を以て外官に補せられて、河南府鞏縣に知たり。伊川先生に請い見えて、當今新法初めて行わる、當に如何にか做すべしということを問う。先生云く、只義命の兩字有るのみ。當に行うべく當に行うべからざる者は義なり。得失禍福は命なり。君子處する所は、只義如何と說くのみ、と。

以道見伊川先生、論難反復。以道曰、如此、是先生亦欲人同己也。先生不答。門人云、先生所欲同者、非同己也、正欲道之同耳。
【読み】
以道伊川先生に見えて、論難反復す。以道曰く、此の如きは、是れ先生も亦人己に同じからんことを欲するなり、と。先生答えず。門人云く、先生同じからんことを欲する所の者は、己に同じからんとには非ず、正に道の同じからんことを欲するのみ、と。

崇寧元年、叔父舜從至洛中、請見伊川先生。先生召食。食五品、亦甚豐潔。坐閒問事甚衆。先生一一酬答。臨行、又請敎。語甚詳。旣而微笑云、只被公家學佛。
【読み】
崇寧元年、叔父舜從洛中に至りて、伊川先生に請い見ゆ。先生召し食せしむ。食五品も、亦甚だ豐潔なり。坐閒事を問うこと甚だ衆し。先生一一酬答す。行くに臨んで、又敎を請う。語ること甚だ詳らかなり。旣にして微笑して云く、只公が家佛を學ぶことを被る、と。

伊川先生甚愛表記中說君子莊敬日强、安肆日偸。蓋常人之情才放肆則日就曠蕩、自檢束則日就規矩。
【読み】
伊川先生甚だ表記の中に君子莊敬なれば日に强く、安肆なれば日に偸[おこた]ると說くを愛す。蓋し常人の情才かに放肆なるときは則ち日に曠蕩に就き、自ら檢束するときは則ち日に規矩に就く。

右八事呂氏雜志。(同上。)
【読み】
右の八事呂氏雜志。(上に同じ。)

伊川先生自涪州順流而歸、峽江峻急、風作浪湧。舟人皆失色、而先生端坐不動。岸旁有問者云、達後如此、舍後如此。先生意其非凡人也、欲起揖之、而舟去遠矣。(親見呂舍人十一丈說。按此段已見邵氏聞見錄及震澤語錄。恐當以邵氏所記爲正。)
【読み】
伊川先生涪州自り流れに順って歸るとき、峽江峻急にして、風作り浪湧く。舟人皆色を失すれども、先生端坐して動ぜず。岸の旁らに問う者有りて云く、達して後此の如くするか、舍てて後此の如くするか、と。先生其の凡人に非ざることを意って、起ちて之を揖せんと欲すれども、舟去ること遠し。(親しく呂舍人十一丈に見る說。按ずるに此の段已に邵氏聞見錄及び震澤語錄に見る。恐らくは當に邵氏が記する所を以て正とすべし。)

伊川先生自涪州歸、過襄州、楊畏爲守、待之甚厚。先生曰、某罪戾之餘、安敢當此。畏曰、今時事已變。先生曰、時事雖變、某安敢變。(此乃劉子駒處見其祖所錄。今省記此。)
【読み】
伊川先生涪州自り歸って、襄州を過るとき、楊畏守と爲して、之を待すること甚だ厚し。先生曰く、某罪戾の餘、安んぞ敢えて此に當たらん、と。畏曰く、今の時事已に變ぜり、と。先生曰く、時事變ずと雖も、某安んぞ敢えて變ぜん、と。(此れ乃ち劉子駒其の祖の錄する所を見る處。今省いて此を記す。)

右二事汪端明記。
【読み】
右の二事汪端明が記。

左諫議大夫孔文仲言、謹按通直郎崇政殿說書程頤、人物纖汙、天資憸巧、貪黷請求、元無郷曲之行、奔走交結、常在公卿之門、不獨交口褒美、又至連章論奏。一見而除朝籍、再見而升經筵。臣頃任起居舍人、屢侍講席、觀頤陳說、凡經義所在、全無發明、必因藉一事、汎濫援引、借無根之語、以搖撼聖聽、推難考之迹、以眩惑淵慮。上德未有嗜好、而常啓以無近酒色、上意未有信向、而常開以勿用小人。豈惟勸導以所不爲。實亦矯欺以所無有。每至講罷、必曲爲卑佞附合之語。借如曰雖使孔子復生、爲陛下陳說、不過如此、又如曰伏望陛下燕閒之餘、深思臣之說、無忘臣之論、又如曰臣不敢子細敷奏、慮煩聖聽、恐有所疑、伏乞、非時特賜宣問、容臣一一開陳、當陛下三年不言之際、頤無日無此語以感切上聽。陛下亦必黽勉爲之應答。又如陛下因咳嗽罷講、及御邇英、學士以下侍講讀者六七人、頤官最小、乃越次獨候問聖體。橫僭過甚。竝無職分、如唐之王伾・王叔文・李訓・鄭注是也。
【読み】
左諫議大夫孔文仲が言く、謹んで按ずるに通直郎崇政殿の說書程頤は、人物纖汙、天資憸巧[せんこう]、貪黷[たんとく]して請い求めて、元郷曲の行い無く、奔走して交わり結んで、常に公卿の門に在り、獨り口を交わして褒美するのみにあらず、又連章論奏するに至る。一たび見えて朝籍に除せられ、再び見えて經筵に升らる。臣頃起居舍人に任じて、屢々講席に侍して、頤が陳說を觀るに、凡そ經義の在る所は、全く發明すること無くして、必ず一事に因藉して、汎濫援引して、根無きの語を借りて、以て聖聽を搖撼し、考え難きの迹を推して、以て淵慮を眩惑す。上の德未だ嗜み好むこと有らざれども、常に啓くに酒色に近づくこと無しというを以てし、上の意だ未だ信向すること有らざれども、常に開くに小人を用うること勿かれというを以てす。豈惟勸め導くにせざる所を以てするならんや。實に亦矯[いつわ]り欺くに有ること無き所を以てす。講罷むに至る每に、必ず曲げて卑佞附合の語を爲す。借[たと]い孔子をして復生じて、陛下の爲に陳說せしむと雖も、此の如きに過ぎずと曰うが如き、又伏して望むらくは陛下燕閒の餘、深く臣の說を思い、臣の論を忘るること無かれと曰うが如き、又臣敢えて子細に敷奏せず、聖聽を煩わせんことを慮る、恐らくは疑う所有らんことを、伏して乞うらくは、非時特に宣問を賜い、臣を容れて一一に開陳せしめよと曰うが如き、陛下三年言わざるの際に當たって、頤日として此の語以て上聽を感切すること無きは無し。陛下も亦必ず黽勉[びんべん]として之が爲に應答す。又陛下咳嗽に因りて講を罷め、及び邇英に御するが如き、學士以下講讀に侍する者六七人、頤の官最小にして、乃ち次を越えて獨り聖體を候問す。橫僭すること過ぎて甚だし。竝びに職分無きこと、唐の王伾[おうひ]・王叔文・李訓・鄭注が如き是れなり、と。

右孔文仲章疏。(按文仲所言、雖極其誣詆、然所載經筵進說、尤見先生所以愛君之心、有門弟子不及聞者、故今特附于此。呂申公家傳云、文仲本以伉直稱。然惷不曉事、爲浮薄輩所使、以害善良。晩乃自知爲小人所紿、憤鬱嘔血而死。然則此疏、不掩防微納忠之善言、乃其伉直所發、而凡醜詆無根之語、則爲浮薄輩所使、而晩乃悔之者也。)
【読み】
右孔文仲章疏。(按ずるに文仲が言う所、其の誣詆を極むと雖も、然れども載する所の經筵の進說、尤も先生君を愛する所以の心を見て、門弟子聞くに及ばざる者有り、故に今特に此に附す。呂申公家傳に云く、文仲本伉直を以て稱せらる。然れども惷[おろ]かにして事に曉らかならず、浮薄の輩の爲に使われて、以て善良を害す。晩に乃ち自ら小人の爲に紿[あざむ]かるることを知って、憤鬱して血を嘔いて死す、と。然れば則ち此の疏、微を防ぎ忠を納るるの善言を掩わざるは、乃ち其の伉直の發する所、而して凡そ無根の語を醜詆するは、則ち浮薄の輩の爲に使われて、晩に乃ち之を悔ゆる者なり。)


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)