二程全書卷之四十七  伊川經說第二

書解

孔序、伏羲・神農・黃帝之書謂之三墳。言大道也。少昊・顓頊・高辛・唐・虞之書謂之五典。言常道也。又曰、孔子討論墳典、斷自唐・虞以下。以二典之言簡邃如此。其上可知。所謂大道、雖性與天道之說、固聖人所不可得而去也。如言陰陽四時七政五行之道、亦必至之要語、非後代之繁衍末術也。固亦常道、聖人所不去也。使誠有所謂羲・農之書、乃後世稱述當時之事、失其義理。如許行所謂神農之言、及陰陽醫方稱黃帝之說耳。此聖人所以去之也。或疑、陰符之類是、甚非也。此出戰國權變之術、竊窺機要、以爲變詐之用。豈上古至淳之道邪。又五典旣皆常道、去其三、何也。蓋古雖已有文字、而制立法度、爲治有迹、得以紀載、有史官之職以志其事、自堯始。其八卦之說、謂之八索、前世說易之書也。易本八卦、故以八名。夫子贊易道以黜去是書。所謂加我數年、五十以學易、可以無大過矣。舊書之過可見也。芟夷繁亂、翦截浮辭、舉其宏綱、撮其機要。人或疑、前代之書、聖人必無所刪改。此亦不然。若上古聖人之世、史官固當其人、其辭必盡善。若後世之史、未必盡當、其辭未必盡善。設如其書足以垂範、不可去之、而其或有害義、聖人不得不有芟除更易也。其不可更易者、其事耳。未必須曾刪改。但辭苟有害、有可刪改之理耳。或疑、血流漂杵之辭何不改。此乃非害義理之辭也。堯典爲虞書、蓋虞史所修。舜典已下、皆當爲夏書。故左氏傳引大禹・皐陶謨・益稷等、皆謂之夏書也。若以其虞時事當爲虞書、則堯典當爲唐書也。大抵皆是後世史所修。典、典則也。上古時淳朴、因時爲治、未立法度典制。至堯而始著治迹、立政有綱、制事有法。故其治可紀。所以有書而稱典也。揚子曰、法始乎伏羲、成乎堯。蓋伏羲始畫卦、造書契、開其端矣。至堯而與世立則、著其典常、成其治道、故云成也。書序、夫子所爲、逐篇序其作之之意也。
【読み】
孔が序に、伏羲・神農・黃帝の書之を三墳と謂う。言うこころは大道なればなり。少昊・顓頊・高辛・唐・虞の書之を五典と謂う。言うこころは常道なればなり、と。又曰く、孔子墳典を討論して、唐・虞自り以下を斷ずる、と。二典の言を以てするに簡邃[かんすい]なること此の如し。其の上は知る可し。所謂大道は、性と天道との說と雖も、固に聖人得て去る可からざる所なり。陰陽四時七政五行の道を言うが如き、亦必ず至る要語、後代の繁衍末術に非ず。固に亦常道も、聖人の去らざる所なり。使[たと]い誠に所謂羲・農の書有りとも、乃ち後世當時の事を稱述して、其の義理を失するのみ。許行が所謂神農の言、及び陰陽醫方に黃帝の說と稱するが如きのみ。此れ聖人の之を去る所以なり。或るひと疑う、陰符の類是なりとは、甚だ非なり。此れ戰國權變の術に出、竊かに機要を窺って、以て變詐の用とす。豈上古至淳の道ならんや。又五典は旣に皆常道なるに、其の三を去るは、何ぞや。蓋し古已に文字有りと雖も、而れども法度を制立して、治を爲すこと迹有りて、以て紀載することを得、史官の職有りて以て其の事を志すことは、堯自り始まればなり。其の八卦の說、之を八索と謂うというは、前世易を說くの書なればなり。易は八卦に本づく、故に八を以て名づく。夫子易道を贊して以て是の書を黜け去る。所謂我に數年を加して、五十にして以て易を學べば、以て大なる過ち無かる可し、と。舊書の過ち見る可し。繁亂を芟[か]り夷[たい]らげ、浮辭を翦り截ち、其の宏綱を舉げ、其の機要を撮るという。人或は疑う、前代の書、聖人必ず刪り改むる所無し、と。此れ亦然らず。上古聖人の世の若きは、史官固に其の人に當たり、其の辭必ず盡く善なり。後世の史の若きは、未だ必ずしも盡く當たらず、其の辭未だ必ずしも盡く善ならず。設如[も]し其の書以て範を垂るに足るときは、之を去る可からざれども、其の或は義を害すること有るときは、聖人芟り除き更め易うること有らざることを得ず。其の更め易う可からざる者は、其の事のみ。未だ必ずしも曾て刪り改むることを須いず。但辭苟も害有れば、刪り改む可きの理有るのみ。或るひと疑う、血流れて杵を漂わすという辭は何ぞ改めざる、と。此れ乃ち義理を害するの辭に非ざればなり。堯典を虞書とするは、蓋し虞史修むる所なればなり。舜典已下は、皆當に夏書とすべし。故に左氏傳に大禹・皐陶謨・益稷等を引いて、皆之を夏書と謂う。若し其の虞の時の事を以て當に虞書とすべくんば、則ち堯典は當に唐書とすべし。大抵皆是れ後世の史の修むる所なり。典は、典則なり。上古の時は淳朴、時に因って治を爲して、未だ法度典制を立てず。堯に至って始めて治迹を著して、政を立つること綱有り、事を制すること法有り。故に其の治紀す可し。書有りて典と稱する所以なり。揚子曰く、法は伏羲に始まりて、堯に成る、と。蓋し伏羲始めて卦を畫し、書契を造って、其の端を開く。堯に至って世の與[ため]に則を立て、其の典常を著し、其の治道を成す、故に成ると云う。書の序は、夫子のする所、逐篇は其の之を作るの意を序づるなり。

昔在帝堯、聰明文思、光宅天下、將遜於位、讓于虞舜。作堯典。
昔在、文連下文光宅天下己下。若與上文相連、則文勢當云在昔也。聽廣曰聰、視遠曰明。堯之神智所知所照、洞徹無不流通。故謂之聰明。文、文章也。謂倫理明順成文也。思、謀慮意思也。謂其含蓄。言堯之神智聰明、而其動作施爲、有條理文章、其發謀措事、意思深遠。以此聰明文思、臨治天下。故其道光顯。故云光宅。光顯居天下也。旣老而將遜避帝位。因禪讓於虞舜。故史官作此堯典之書、以載其事。此夫子之序。舉一篇所紀之大要也。
【読み】
昔在[むかし]帝堯、聰明文思、天下に光[あらわ]れ宅[い]たまい、將に位を遜らんとして虞舜に讓りたまう。堯典を作る。
昔在というは、文下の文天下に光れ宅たまいという己下に連なる。若し上の文と相連なるときは、則ち文勢當に在昔と云うべし。聽くこと廣きを聰と曰い、視ること遠きを明と曰う。堯の神智知る所照らす所、洞徹して流通せずということ無し。故に之を聰明と謂う。文は、文章なり。倫理明らかに順って文を成すを謂う。思は、謀慮の意思なり。其の含蓄を謂う。言うこころは、堯の神智聰明にして、其の動作施爲、條理文章有って、其の謀を發し事を措くこと、意思深遠なり。此の聰明文思を以て、天下を臨み治む。故に其の道光れ顯る。故に光れ宅たまうと云う。光れ顯れて天下に居たまうなり。旣に老いて將に帝位を遜き避けんとす。因りて虞舜に禪讓す。故に史官此の堯典の書を作って、以て其の事を載す。此れ夫子の序なり。一篇紀す所の大要を舉ぐ。

堯典(此題書之目也。)。曰若稽古帝堯。
史氏追紀前世之事。若考古之帝堯、其事云放勲以下是也。堯典字爲題。下加曰者、謂堯典之辭曰也。若、發語辭。如書中王若曰之類也。古史之體如此。下若稽古帝舜・大禹・皐陶、皆謂考古之某人、其事如此也。
【読み】
堯典(此れ書に題する目なり。)。曰若[ここ]に古の帝堯を稽[かんが]うるに。
史氏前世の事を追紀す。若[ここ]に古の帝堯を考うるに、其の事に云く放[よ]れる勲[いさおし]という以下是れなり。堯典の字を題とす。下に曰を加うる者は、堯典の辭に曰くと謂うなり。若は、發語の辭。書中に王若[か]く曰くというの類の如し。古史の體此の如し。下に若に古の帝舜・大禹・皐陶を稽うるにというも、皆古の某人を考うるに、其の事此の如しと謂うなり。

曰放勲、功迹之著也。放、依也。上古淳朴、隨事爲治、未立法度。至堯始明治道、因事立法、著爲典常。其施政制事、皆依循法則、著見功迹、可爲典常也。不惟聖人隨事之宜、亦憂患後世而有作也。放勲上更加曰字者、稽古之帝堯、其事曰如此也。古史之體、發論之辭也。前儒見云放勲、遂以爲堯之名。因而又以重華・文命爲舜・禹之名。若以其文同、則亦當以允迪爲皐陶之名。而獨不謂之名者。故或稱堯、或稱放勲、互稱之、如孟子曰堯事、而傳錄誤作放勲。亦如傳記中言仲尼、或作夫子、或作孔子之類、但舉其人耳。誤不足怪也。
【読み】
曰く放れる勲というは、功迹の著るなり。放は、依るなり。上古淳朴、事に隨って治を爲して、未だ法度を立てず。堯に至って始めて治道を明らかにして、事に因りて法を立て、著して典常とす。其の政を施し事を制すること、皆法則に依り循って、功迹を著し見して、典常とす可し。惟聖人事の宜しきに隨うのみならず、亦後世を憂え患えて作せること有り。放れる勲といって上に更に曰の字を加うる者は、古の帝堯を稽うるに、其の事に曰く此の如しとなり。古史の體、發論の辭なり。前儒放れる勲と云うを見て、遂に以て堯の名とす。因りて又重華・文命を以て舜・禹の名とす。若し其の文同じきを以てせば、則ち亦當に允迪を以て皐陶の名とすべし。而れども獨之を名と謂う者にあらず。故に或は堯と稱し、或は放勲と稱して、互いに之を稱すること、孟子堯の事を曰いて、傳錄に誤って放勲と作すが如し。亦傳記の中に仲尼を言いて、或は夫子と作し、或は孔子と作すの類の如き、但其の人を舉ぐるのみ。誤れること怪しむに足らず。

欽明文思安安、以此四德行放勲之事。欽、敬愼。明、聰明。文、文章。思、謀慮。有此四者、故其所爲、能得義理之至當。上安、其所處也。下安、得其理也。謂其所爲放勲之事、皆安於義理之安。(王介甫云、理之所可安者、聖人安而行之。)
【読み】
欽明文思にして安きに安んずとは、此の四德を以て放れる勲の事を行うなり。欽は、敬愼。明は、聰明。文は、文章。思は、謀慮。此の四つの者有り、故に其のする所、能く義理の至當を得。上の安は、其の處する所なり。下の安は、其の理を得るなり。謂ゆる其のする所の放れる勲の事は、皆義理の安きに安んずるなり。(王介甫云く、理の安んず可き所の者は、聖人安んじて之を行う、と。)

序言堯德、故云聰明文思。此言其立事、故云欽明文思。施各有所宜也。立事則欽愼爲大、舉德則聰明爲先。各因其宜。單言明則包聰。
【読み】
序には堯の德を言う、故に聰明文思と云う。此には其の事を立つることを言う、故に欽明文思と云う。施すこと各々宜しき所有り。事を立つるときは則ち欽愼を大なりとし、德を舉ぐるときは則ち聰明を先とす。各々其の宜しきに因る。單に明を言うときは則ち聰を包ぬ。

允恭克讓。光被四表格於上下。旣言其有欽明文思之德、故所以能立事成勲、安於義理之安。又言其允恭克讓、所以光被四表格於上下。允、當也。前儒訓信。信然乃當也。其實一義。恭謂欽愼。克、能也。禹曰朕德罔克是也。讓謂謙讓。不有其功之謂也。言堯其所爲至當、而能欽愼、其才至能、而不自有其能。夫常人之情、自處旣當、則無所顧慮、有能則自居其功。惟聖人至公無我。故雖功高天下而不自有、無所累於心。蓋一介存於心、乃私心也。則有矜滿之氣矣。故舜稱禹功能、天下莫與爭而不矜伐。乃聖人之心也。故堯・舜允而恭、克而讓。夫雖允雖克、足以立事成功而已。未足以光被四表而格上下也。必事當於彼、而欽愼於此、能高於己而讓弗自有。此天下所以感悅信服也。孟子曰、以善服人者、未有能服人者也。聖人與常人異。人知允當不可矜也、則爲恭巽、知能之不可眩也、則是謙讓。必悅而誠服也。然作爲於中而假之於外、欲常其德且難矣。況足以感人乎。孟子曰、不誠未有能動者也。聖人之公心、如天地之造化、生養萬物、而孰尸其功。故應物而允於彼、復何存於此也。故不害欽愼之神能。亦由乎理而已。故無居有之私。天下見其至當而恭、能高而讓。所以中心悅而誠服也。蓋一出於公誠而己。惟其志至誠。故能光顯及於四遠。先儒訓光作充。光輝照耀乃充塞也。其實一義。天下咸服其德、則是其德充塞、至於天地也。
【読み】
允[あ]たって恭[つつし]み克くして讓る。四表に光[あらわ]れ被[およ]び上下に格れり。旣に其の欽明文思の德有ることを言う、故に能く事を立て勲を成し、義理の安きに安んずる所以なり。又其の允たって恭み克くして讓ることを言うは、四表に光れ被び上下に格る所以なり。允は、當たるなり。前儒信と訓ず。信然として乃ち當たるなり。其の實は一義なり。恭は欽愼を謂う。克は、能なり。禹曰く朕が德克くすること罔しという是れなり。讓は謙讓を謂う。其の功を有せざるの謂なり。言うこころは、堯其のする所至當にして、能く欽み愼み、其の才至能にして、自ら其の能を有せざるなり。夫れ常人の情、自ら處すること旣に當たれば、則ち顧み慮る所無く、能有れば則ち自ら其の功に居す。惟聖人のみ至公にして我れ無し。故に功天下に高しと雖も自ら有せず、心に累わす所無し。蓋し一介も心に存すれば、乃ち私心なり。則ち矜滿の氣有り。故に舜禹の功能を稱して、天下與に爭うこと莫けれども而れども矜[ほこ]り伐[ほこ]らず。乃ち聖人の心なり。故に堯・舜允たって恭み、克くして讓る。夫れ允たると雖も克くすと雖も、以て事を立て功を成すに足れるのみ。未だ以て四表に光れ被ぼして上下に格るに足らず。必ず事彼に當たって、此に欽み愼み、能く己に高くして讓って自ら有せず。此れ天下感悅し信服する所以なり。孟子曰く、善を以て人を服する者は、未だ能く人を服する者有らず、と。聖人は常人と異なり。人允當を知れども矜る可からずとして、則ち恭巽を爲し、之を能くすることを知れども眩わす可からずとして、則ち是れ謙讓す。必ず悅んで誠に服すなり。然れども中に作爲して之を外に假れば、其の德を常にせんと欲すとも且難し。況んや以て人を感ずるに足らんや。孟子曰く、誠あらざれば未だ能く動かす者有らず、と。聖人の公心は、天地の造化、萬物を生養して、孰か其の功を尸[つかさど]れるが如し。故に物に應じて彼に允たれども、復何か此に存せん。故に欽愼の神能を害せず。亦理に由るのみ。故に居し有するの私無し。天下其の至當にして恭しく、能く高くして讓るを見る。所以に中心悅んで誠に服するなり。蓋し一に公誠に出るのみ。惟其の志至誠。故に能く光れ顯れて四遠に及ぶなり。先儒光を訓じて充つると作す。光輝照耀して乃ち充塞するなり。其の實は一義なり。天下咸[ことごと]く其の德に服するときは、則ち是れ其の德充塞して、天地に至るなり。

克明俊德、以親九族。九族旣睦、平章百姓。百姓昭明、協和萬邦。黎明於變時雍。前言堯之德、此言堯之治。其事有次序、始於明俊德。俊德、俊賢之德也。堯能辨明而擇任之也。帝王之道也。以擇任賢俊爲本。得人而後與之同治天下。天下之治、由身及家而治。故始於以睦九族也。
注云、或疑、親睦九族、豈待任俊德乎。蓋言得賢俊而爲治。治之始、自睦九族爲先。故以次序言之也。以王者親睦九族之道、豈不賴賢俊之謀乎。
【読み】
克く俊德を明らかにして、以て九族を親しむ。九族旣に睦まじくして、百姓を平章す。百姓昭明にして、萬邦を協和す。黎明於[ああ]變わり時[こ]れ雍[やわ]らげり。前には堯の德を言い、此には堯の治を言う。其の事次序有りて、俊德を明らかにするに始まる。俊德は、俊賢の德なり。堯能く辨じ明らかにして擇んで之に任ずるなり。帝王の道なり。賢俊を擇任するを以て本とす。人を得て而して後に之と同じく天下を治む。天下の治、身及び家由りして治む。故に以て九族を睦むに始まる。
注に云く、或るひと疑う、九族を親睦すること、豈俊德に任ずるを待たんや、と。蓋し言うこころは、賢俊を得て治を爲す。治の始めは、九族を睦む自り先とす。故に次序を以て之を言うなり。王者九族を親睦するの道を以てすること、豈賢俊の謀に賴らざらんや、と。

九族旣已親睦、以至於平治章明百姓庶民也。前云明俊德。旣明而用之、則任之之道包在其中矣。故便及庶民。王國百姓旣已昭明倫理而順治矣。則至於四方萬國、皆協同和從、天下黎庶於是變惡從善、化成善俗而時雍。
【読み】
九族旣已に親しみ睦まじくして、以て百姓庶民を平治章明するに至る。前に俊德を明らかにすと云う。旣に明らかにして之を用うるときは、則ち之を任ずるの道其の中に包在す。故に便ち庶民に及ぶ。王國の百姓旣已に昭明なれば倫理あって順治なり。則ち四方萬國に至るまで、皆協同和從し、天下の黎庶是に於て惡を變じて善に從い、化して善俗と成りて時れ雍らげり。

乃命羲・和、欽若昊天、曆象日月星辰、敬授人時。前言堯之治始於明俊德、而後由睦九族以至和萬邦變時雍。此復言其立政綱紀、分正百官之職、以成庶績。而事之最大最先、在推測天道、明曆象、欽若時令以授人也。天下萬事無不本於此。故最先詳載其事。聖人治天下之道、惟此二端而已。治身齊家以至平天下者、治之道也。建立治綱、分正百職、順天時以制事、至於創制立度、盡天下之事者、治之法也。作典者述堯之治、盡於此矣。自堯曰疇咨已下、皆紀其事、以明堯之聖耳。
【読み】
乃ち羲・和に命じて、欽んで昊天に若[したが]い、日月星辰を曆象して、敬んで人に時を授けしむ。前には堯の治俊德を明らかにするに始まりて、而して後に九族を睦まじくする由りして以て萬邦を和し變わり時れ雍らげるに至ることを言う。此には復其の政を立つるの綱紀、百官の職を分かち正して、以て庶績を成すことを言う。而して事の最大最先は、天道を推し測りて、曆象を明らかにし、欽んで時令に若って以て人に授くるに在り。天下の萬事此に本づかずということ無し。故に最も先に詳らかに其の事を載す。聖人天下を治むるの道、惟此の二端のみ。身を治め家を齊えて以て天下を平らかにするに至る者は、治の道なり。治綱を建立し、百職を分かち正して、天の時に順って以て事を制して、制を創り度を立てて、天下の事を盡くすに至る者は、治の法なり。典を作る者堯の治を述ぶること、此に盡くせり。堯曰く疇[だれ]か咨[と]わんという自り已下は、皆其の事を紀して、以て堯の聖を明かすのみ。

自上古之時、固已迎日推策矣。堯復考星以正四時。其法明而易準。乃命羲・和、使敬順天時曆、以象日月星辰之行次。疏云、逓中之星、日月所會之辰、定四時節候、以班隨時之政、授人時也。又分命羲・和二氏仲叔各主一時。分命羲仲居東方之官、主春時之政。嵎夷、東方之名。東方、陽之所生出、歲所起也。故云暘谷。主敬導出日之政、猶春氣之生、舉歲首之事、平均次序東作耕播之事。又察晝夜之中、鳥宿之見、以正仲春之候、使無差天時。當是時、民析散處田野耕作、鳥獸則交接孕育。上方察正其時、舉其時政。又言民物皆隨天時而然也。
【読み】
上古の時自り、固に已に日を迎え策を推せり。堯復星を考えて以て四時を正す。其の法明らかにして準[はか]り易し。乃ち羲・和に命じて、敬んで天の時曆に順って、以て日月星辰の行次を象らしむ。疏に云く、逓[たが]いに中[ひと]しき星は、日月會する所の辰、四時の節候を定めて、以て時に隨うの政を班ちて、人に時を授く、と。又羲・和二氏の仲叔に分かち命じて各々一時を主らしむ。分かちて羲仲に命じて東方の官に居らしめ、春の時の政を主らしむ。嵎夷[ぐうい]は、東方の名。東方は、陽の生出する所、歲の起こる所なり。故に暘谷[ようこく]と云う。敬んで出る日を導くの政を主らしむるは、猶春氣の生じて、歲首の事を舉げて、東作耕播の事を平均し次序するがごとし。又晝夜の中しく、鳥宿の見るを察して、以て仲春の候を正して、天の時に差うこと無からしむ。是の時に當たって、民析[わか]れ散じて田野に處して耕作し、鳥獸は則ち交接孕育す。上方に其の時を察し正して、其の時の政を舉す。又民物皆天の時に隨って然ることを言うなり。

羲氏主二時。又重命羲叔居南方之官、主夏時之政敎。孔云、訛、化也。釋文言、平序南方化育之事。凡順夏時所施政敎也。厥民因、謂春時播種在田、民因就居於野、收斂而後耕播也。
【読み】
羲氏二時を主る。又重ねて羲叔に命じて南方の官に居らしめ、夏の時の政敎を主らしむ。孔が云く、訛は、化するなり、と。釋文に言う、南方化育の事を平序す、と。凡そ夏の時施す所の政敎に順うなり。厥の民因れりとは、謂ゆる春の時播種して田に在り、民因りて野に就き居りて、收斂して而して後に耕播するなり。

寅餞納日。西、日入之方。秋、收成之時。敬隨時變、終歲之事。夷、平也。秋稼將熟、歲功將畢。民獲卒歲之食、心力平夷安舒也。毨、澤好也。
【読み】
寅[つつし]んで納る日を餞す。西は、日入るの方。秋は、收成の時。敬んで時の變に隨って、歲の事を終うるなり。夷は、平らぐなり。秋稼將に熟せんとし、歲功將に畢わらんとす。民歲を卒うるの食を獲て、心力平夷安舒なるなり。毨[もう]は、澤[うるお]い好きなり。

北方曰朔方者、朔、初也。陽生於子。謂陽初始生之方也。幽都、幽陰之處也。上云朔方、止言北方也。故須復云曰幽都。居北方之官、主順隆陰之候、布冬時之政也。平、均也。在、察也。平察終卒而反始所當更易之事也。冬一歲之事旣終、則平察改歲當更之事也。旣成今歲之終、又慮來歲之始、如彼北方、終其陰而復始其陽。故云朔易。或以爲、朔初也。平在其來歲初始變易之事耳。如此則不能包見其冬今歲之初也。或又以爲、來歲更易之事、自是春官所職。此亦不然。古者功作之事、皆於冬月閒隙之際。如修完室廬墻垣之類、非今歲之用、皆爲來歲計耳。皆是一歲之事旣終、則復慮其始也。若畜種實、修耒耜、備器用、不可俟來春農事旣興、而春官遽爲之也。
【読み】
北方を朔方と曰うは、朔は、初めなり。陽は子に生ず。陽初めて始まり生ずるの方を謂うなり。幽都は、幽陰の處なり。上に朔方と云うは、止北方を言うのみ。故に須く復幽都と曰うと云うべし。北方の官に居らしめ、隆陰の候に順って、冬の時の政を布くことを主らしむ。平は、均しきなり。在は、察らかにするなり。終え卒わって始めに反って當に更易すべき所の事を平しく察らかにするなり。冬一歲の事旣に終わるときは、則ち改歲當に更むべきの事を平しく察らかにするなり。旣に今歲の終わりを成すときは、又來歲の始まりを慮ること、彼の北方の、其の陰を終えて復其の陽を始むるが如し。故に朔易と云う。或るひと以爲えらく、朔は初めなり。其の來歲初始變易の事を平しく在らかにするのみ、と。此の如くならば則ち其の冬今歲の初めなることを包ね見ること能わざるなり。或るひと又以爲えらく、來歲更易の事は、自づから是れ春官の職[つかさど]る所、と。此も亦然らず。古は功作の事、皆冬月閒隙の際に於てす。室廬墻垣を修め完くするの類の如き、今歲の用には非ず、皆來歲の爲に計るのみ。皆是れ一歲の事旣に終われば、則ち復其の始めを慮る。種實を畜え、耒耜を修め、器用を備うるが若き、來春農事旣に興って、春官遽に之をすることを俟つ可からざればなり。

咨、釋詁云、嗟也。告與語之辭。
【読み】
咨は、釋詁に云う、嗟なり。告げて與に語るの辭なり。

以閏月定四時成歲。其法至堯而精密詳具。故舉其法以勑羲・和使職之。古之時分職、主察天運以正四時、遂居其方之官、主其時之政。在堯謂之四岳、於周乃卿之任、統天下之治者也。後世學其法者、不知其道。故以星曆爲工技之事、而與政分矣。
【読み】
閏月を以て四時を定めて歲を成す。其の法堯に至って精密にして詳らかに具わる。故に其の法を舉げて以て羲・和に勑して之を職らしむ。古の時職を分けて、天運を察して以て四時を正すことを主らしめ、遂に其の方の官に居らしめて、其の時の政を主らしむ。堯に在っては之を四岳と謂い、周に於ては乃ち卿の任、天下の治を統ぶる者なり。後世其の法を學ぶ者、其の道を知らず。故に星曆を以て工技の事と爲して、政と分かつなり。

允釐百工、庶績咸煕。自乃命羲・和以下、言堯設官分職、立正綱紀、以成天下之務。首舉其大者。是察天道、正四時、順時行政、使人遂其生養之道。此大本也。萬事無不本於此。天下之事無不順天時法陰陽者。律度量衡皆出於此。故首舉而詳載之。其他庶事、無不備言。故統云允釐百工。言百工之職各分命之也。各授其任、使行其治。是信使治也。允釐、信治也。百工各信治其職。故庶工皆和。史載堯治天下之治、盡於此矣。庶績咸煕、治之成也。自放勲至格于上下、堯之德也。自克明俊德至於變時雍、堯治天下之道也。自乃命羲・和至庶績咸煕、堯立治之法也。自帝曰疇咨已下至篇終、言堯之聖明能知人也。
【読み】
允[まこと]に百工を釐[おさ]めて、庶績咸[みな]煕[ひろ]まる。乃ち羲・和に命ずという自り以下は、堯官を設け職を分かち、綱紀を立て正して、以て天下の務めを成すことを言う。首めには其の大なる者を舉ぐ。是れ天道を察し、四時を正し、時に順って政を行って、人をして其の生養の道を遂げしむ。此れ大本なり。萬事此に本づかずということ無し。天下の事天の時に順い陰陽に法らざる者無し。律度量衡皆此より出づ。故に首めに舉げて詳らかに之を載す。其の他の庶事も、備え言わずということ無し。故に統べて允に百工を釐むと云う。言うこころは、百工の職各々之を分かち命ずるなり。各々其の任を授けて、其の治を行わしむ。是れ信に治めしむるなり。允に釐むとは、信に治むるなり。百工各々信に其の職を治む。故に庶工皆和せり。史堯天下を治むるの治を載すること、此に盡くせり。庶績咸煕まるは、治の成るなり。放れる勲という自り上下に格るというに至るまでは、堯の德なり。克く俊德を明らかにすという自り於變わり時れ雍らげりというに至るまでは、堯天下を治むるの道なり。乃ち羲・和に命ずという自り庶績咸煕まるというに至るまでは、堯治を立つるの法なり。帝曰く疇か咨わんという自り已下篇の終わりに至るまでは、堯の聖明能く人を知ることを言うなり。

帝曰疇咨若時登庸。咨、嗟。告與語之發辭。問、誰乎能順於是者、將登庸之。順是、謂順我之治也。辭不與前相連。此堯老將遜帝位、博求賢聖之意。故放齊對以胤子朱啓明。朱本不害。故云、明發而明通矣。又訪問、誰能若順我事。此又別一時、求人之事也。方鳩僝功、言方集其功。靜言庸違、王介甫云、靜則能言、用則違其言。象恭滔天、言其外貌恭而中心懷藏姦僞、滔天莫測。○蕩蕩乎、平漫之狀。懷山襄陵、故蕩蕩然也。
【読み】
帝曰く疇[だれ]か時[これ]に若[したが]わんものを咨[と]いて登[あ]げ庸[もち]いん。咨は、嗟。告げて與に語るの發する辭。問う、誰か能く是に順う者、將に之を登げ庸いん、と。是に順うとは、我が治に順うを謂う。辭前と相連ならず。此れ堯老いて將に帝位を遜らんとして、博く賢聖を求むるの意なり。故に放齊對うるに胤子朱啓け明けしというを以てす。朱本害あらず。故に云く、明發して明通ず、と。又訪ね問う、誰か能く我が事に若い順わん、と。此れ又別の一時、人を求むるの事なり。方に鳩[あつ]めて功を僝[あらわ]すとは、言うこころは、方に其の功を集むるなり。靜かなれば言い庸うれば違うとは、王介甫が云う、靜かなれば則ち能く言い、用うれば則ち其の言に違うなり。象[かたち]は恭しけれども天に滔[はびこ]るとは、言うこころは、其の外貌恭しけれども中心姦僞を懷藏して、天に滔って測ること莫きなり。○蕩蕩は、平漫の狀。山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]る、故に蕩蕩然たるなり。

吁、疑歎之辭。方、不順也。命、正理也。謂其不循順正理、而毀圮族類。傾陷忌克之人也。汝能庸命、遜朕位、汝能用命、由正理也。其順行帝位之事。
【読み】
吁[ああ]は、疑歎の辭。方は、順わざるなり。命は、正理なり。其の正理に循い順わずして、族類を毀[やぶ]り圮[やぶ]ることを謂う。傾陷忌克の人なり。汝能く命を庸う、朕が位に遜えとは、汝能く命を用いて、正理に由る。其れ帝位の事を順い行えとなり。

明明揚側陋、使顯揚側陋之賢。
【読み】
明らかなるをも明らかにし側陋をも揚げよとは、側陋の賢を顯揚せしむるなり。

四岳、堯之輔臣、固賢者也。堯將禪帝位、固宜先。四岳不能當、復使之明揚在下之可當者。宜其得聖人也。後世多疑以爲、岳可授、則盍授之。不可授、則何命之也。夫將以天下之公器授人。堯其宜獨爲之乎。故先命之大臣百官、以至天下。有聖過於己者、必見推矣。逓相推讓、卒當得最賢者矣。事之次序、理自當然。
【読み】
四岳は、堯の輔臣、固に賢なる者なり。堯將に帝位を禪らんとするに、固に宜しく先にすべし。四岳當たること能わずして、復之をして下に在るの當たる可き者を明らかにし揚げしむ。宜なるかな其の聖人を得ること。後世多く疑って以爲えらく、岳授く可くんば、則ち盍ぞ之に授けざる。授く可からずんば、則ち何ぞ之に命ずる、と。夫れ將に天下の公器を以て人に授けんとす。堯其れ宜しく獨り之を爲すべきや。故に先づ之を大臣百官に命じて、以て天下に至る。聖己に過ぐる者有らば、必ず推されん。逓いに相推し讓らば、卒に當に最も賢なる者を得るべし。事の次序、理自づから當に然るべし。

瞽子、父頑、岳曰。所謂瞽叟之子也。其父頑、母嚚、象傲。烝、進也。釋詁云、蒸蒸、勉益漸進之義。其愚惡難化。故漸益進之使治、不至於姦凶之罪。自帝曰疇咨若時登庸己下、載帝堯求人之事。所以明其聖能知人也。親愛之至莫如朱。知其惡而弗授。共工之能言象恭、鯀之才智、天下之大姦佞也。能隱其惡而任其職、充朝之賢如四岳、且弗能辨而稱其才。況百官諸侯下民乎。是舉世莫不賢之也。堯獨聞舉而吁。旣而共工卒以惡誅、鯀績弗成。舜居微陋、其德始升聞。師舉則兪其言、遂授之位。非大聖獨見、其能然乎。其曰我其試哉、將試觀其聖德、暴之天下也。故女之以二女、命之尊位、使之愼徽五典、時敍百揆。固非未能信而試之也。或曰、共工・鯀之徒、堯旣知其惡矣。何不去也。曰、彼所謂大姦者、知惡之不可行也、則能隱其惡、立堯之朝、以助堯之治。何因而去之也。及將舉而進之、則堯知其不可。蓋用過其分則其惡必見。如王莽・司馬懿、若使終身居卿大夫之位、必不起簒逆之謀、而終身爲才能之臣矣。鯀居堯朝、雖藏方命圮族之心、飾善以取容。故舉朝莫知其惡。是其惡未嘗行也。及居治水之任、則其惡自顯矣。蓋治水、天下之大任也。非其至公之心、能舍己從人、盡天下之議、則不能成其功。豈方命圮族者所能乎。故其惡顯、而舜得以誅之矣。共工・驩兜之徒、皆凶惡之人也。及舜登庸之始、側陋之人顧居其上、又將使之臣之。此凶亂之人所以不能堪也。故其惡顯、而舜得以誅之。如管・蔡、在武王之世、何由作亂。當成王少、周公攝政、乘其事會有以發其凶慝之心也。或曰、堯知鯀不可大任、何爲使之。曰、舜・禹未顯。舜登庸時、始三十矣。禹幼可知。當時之人、才智無出其右者。是以四岳舉之也。雖九年而功不成、然其所治、固非他人所及也。惟其功有敍。故其自任益强、咈戻圮類益甚、公議隔而人心離矣。是以惡益顯而功卒不可成也。故誅之。當其大臣舉之、天下賢之、又其才力實過於人。堯安得不任也。若其時朝廷大臣才智有過鯀者、則堯亦不任之矣。
【読み】
瞽の子、父頑にとは、岳曰う。所謂瞽叟の子なり。其の父頑に、母嚚、象傲れり。烝は、進むるなり。釋詁に云く、蒸蒸は、勉益し漸進するの義、と。其の愚惡化し難し。故に漸益し進めて治めしめて、姦凶の罪に至らざらしむ。帝曰く疇か時に若わんものを咨いて登げ庸いんという自り己下は、帝堯人を求むるの事を載す。其の聖能く人を知ることを明かす所以なり。親愛の至り朱に如くは莫し。其の惡を知って授けず。共工の能く言い象恭しき、鯀の才智は、天下の大姦佞なり。能く其の惡を隱して其の職を任じて、朝に充たる賢四岳が如きも、且辨ずること能わずして其の才を稱す。況んや百官諸侯下民をや。是れ世を舉げて之を賢とせざるは莫し。堯獨り舉げよというを聞いて吁[なげ]く。旣にして共工は卒に惡を以て誅せられ、鯀は績成らず。舜微陋に居して、其の德始めて升り聞こゆ。師[もろもろ]舉ぐるときは則ち其の言を兪[しか]りとして、遂に之に位を授く。大聖の獨見に非ずんば、其れ能く然らんや。其の我れ其れ試みんやと曰うは、將に其の聖德を試み觀て、之を天下に暴さんとするなり。故に女[めあ]わすに二女を以てし、之に尊位を命じて、之をして愼んで五典を徽[よ]くせしめ、時に百揆を敍でしむ。固に未だ能く信ぜずして之を試みるには非ず。或るひと曰く、共工・鯀の徒、堯旣に其の惡を知らん。何ぞ去らざるや、と。曰く、彼の所謂大姦なる者は、惡の行わる可からざることを知って、則ち能く其の惡を隱して、堯の朝に立ち、以て堯の治を助く。何に因ってか之を去らん。將に舉げて之を進めんとするに及んでは、則ち堯其の不可なることを知る。蓋し用其の分に過ぐるときは則ち其の惡必ず見るればなり。王莽・司馬懿が如き、若し身を終うるまで卿大夫の位に居らしめば、必ず簒逆の謀を起こさずして、身を終うるまで才能の臣爲らん。鯀が堯の朝に居る、命に方[たが]い族を圮るの心を藏すと雖も、善を飾って以て容るることを取る。故に朝を舉げて其の惡を知ること莫し。是れ其の惡未だ嘗て行われざるなり。水を治むるの任に居するに及んでは、則ち其の惡自づから顯る。蓋し水を治むるは、天下の大任なり。其の至公の心、能く己を舍てて人に從って、天下の議を盡くすに非ずんば、則ち其の功を成すこと能わず。豈命に方い族を圮る者の能くする所ならんや。故に其の惡顯れて、舜以て之を誅することを得。共工・驩兜の徒は、皆凶惡の人なり。舜登げ庸うるの始めに及んで、側陋の人其の上に居るを顧みて、又將に之を使い之を臣とせんとす。此れ凶亂の人て堪うること能わざる所以なり。故に其の惡顯れて、舜以て之を誅することを得。管・蔡が如き、武王の世に在っては、何に由て亂を作さん。成王少く、周公政を攝するに當たって、其の事に乘じて會々以て其の凶慝の心を發すること有り。或るひと曰く、堯鯀の大任に可ならざることを知らば、何爲れぞ之をせしむる、と。曰く、舜・禹未だ顯れず。舜登げ庸うるの時、始めて三十なり。禹幼きこと知る可し。當時の人、才智其の右に出る者無し。是を以て四岳之を舉ぐ。九年までにして功成らずと雖も、然れども其の治むる所、固に他人の及ぶ所に非ず。惟其の功敍有り。故に其の自ら任ずること益々强くして、咈戻して類を圮ること益々甚だしく、公議隔たりて人心離る。是を以て惡益々顯れて功卒に成る可からず。故に之を誅す。其の大臣之を舉ぐるに當たっては、天下之を賢とし、又其の才力實に人に過ぐ。堯安んぞ任ぜざることを得んや。若し其の時朝廷の大臣才智鯀に過ぎたる者有らば、則ち堯も亦之に任ぜじ、と。

舜典

舜典、夏時所作。篇末載舜死。夏時所作可知。故史爲追紀之辭。與堯典同。
【読み】
舜典は、夏の時に作する所。篇末に舜の死を載す。夏の時に作する所知る可し。故に史追紀するの辭とす。堯典と同じ。

虞舜側微(側陋微賤。)、重華協于帝。盛德光華、與堯相襲、協宜于帝位。言以聖繼聖、宜於天下也。故云重華協于帝。此句總言舜事、曰若考古之帝舜、重華協于帝。自濬哲文明己下、重敍其德也。如堯典統言欽明文思安安、己復云允恭克讓以下事、重敍其德也。
【読み】
虞舜側微にして(側陋微賤。)、重ねし華[ひかり]は帝に協[かな]えり。盛德の光華、堯と相襲[かさ]なって、帝位に協い宜し。言うこころは、聖を以て聖に繼いで、天下に宜しとなり。故に重ねし華は帝に協えりと云う。此の句總て舜の事を言って、曰若[ここ]に古の帝舜を考うるに、重ねし華は帝に協えりといえり。濬哲文明という自り己下は、重ねて其の德を敍づるなり。堯典に統べて欽明文思にして安きに安んずと言って、己に復允たって恭み克くして讓るという以下の事を云って、重ねて其の德を敍づるが如し。

濬・哲・文・明・溫・恭・允・塞八事、濬、淵弘。哲、睿智。文、文章。明、聰明。溫、粹和。恭、恭敬。允、信當(去聲。)。塞、充實。八者以形容其聖德。凡稱聖人、取其德美之煥發者而稱之。繫其人所取、不必同也。如稱堯則曰欽明文思安安、稱仲尼則曰溫良恭儉讓。要之皆聖人之德美、稱之足以見其聖人耳。譬夫言玉之美者、或美其色之溫潤、或稱其聲之淸越、或取其堅貞、或美其精粹。要之舉一則足以知其寳矣。隨人之所稱、足以見其美則可也。
【読み】
濬[しゅん]・哲・文・明・溫・恭・允・塞の八事、濬は、淵弘。哲は、睿智。文は、文章。明は、聰明。溫は、粹和。恭は、恭敬。允は、信當(去聲。)。塞は、充實。八つの者は以て其の聖德を形容す。凡そ聖人を稱する、其の德の美の煥發する者を取って之を稱す。其の人に繫って取る所、必ずしも同じからず。堯を稱しては則ち欽明文思にして安きに安んずと曰い、仲尼を稱しては則ち溫良恭儉讓と曰うが如し。之を要するに皆聖人の德の美、之を稱して以て其の聖人を見るに足れるのみ。譬えば夫れ玉の美を言う者、或は其の色の溫潤を美とし、或は其の聲の淸越を稱し、或は其の堅貞を取り、或は其の精粹を美とす。之を要するに一を舉ぐるときは則ち以て其の寳を知るに足れり。人の稱する所に隨って、以て其の美を見すに足るときは則ち可なり。

玄德升聞。玄、幽遠之稱(穹玄是也。)。舜潛德幽遠之中。又其德深遠、故云玄德也。
【読み】
玄德升り聞こゆ。玄は、幽遠の稱(穹玄、是れなり。)。舜德を幽遠の中に潛む。又其の德深遠、故に玄德と云う。

愼徽五典、五典克從。堯旣命之以位、而舜敬美其五常之敎。五典謂父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信也。五者人倫也。言長幼則兄弟尊卑備矣。言朋友則郷黨賓客備矣。孔氏謂、父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、烏能盡人倫哉。夫婦人倫之本。夫婦正而後父子親。而遺之可乎。孟子云、堯使契爲司徒。敎以人倫。五者人倫大典、豈舜有以易之乎。五典克從、則左氏所謂無違敎也。
【読み】
愼んで五典を徽[よ]くせば、五典克く從う。堯旣に之に命ずるに位を以てして、舜敬んで其の五常の敎を美とす。五典は父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有るを謂うなり。五つの者は人倫なり。長幼を言うときは則ち兄弟尊卑備わる。朋友を言うときは則ち郷黨賓客備わる。孔氏謂く、父義、母慈、兄友、弟恭、子孝という、烏んぞ能く人倫を盡くさんや。夫婦は人倫の本。夫婦正しくして而して後に父子親しむ。而るを之を遺てて可ならんや。孟子云く、堯契をして司徒爲らしむ。敎うるに人倫を以てす、と。五つの者は人倫の大典、豈舜以て之を易うること有らんや。五典克く從うとは、則ち左氏が所謂敎に違うこと無きなり。

納于百揆。謂進置之於揆度百事之任。而其所揆(裁處也。)皆時敍(順成也。)
【読み】
百揆に納る。進めて之を百事を揆り度るの任に置くを謂う。而して其の揆る所(裁く處なり。)皆時に敍づ(順い成るなり。)

賓于四門、四門穆穆。賓、禮接也。門、内外之限也。京師爲内、則四方皆外也。中國爲内、則夷狄爲外也。穆穆、和正之貌。舜禮待四方、而諸侯協和、四夷懷來、皆從其綏化也。
【読み】
四門に賓すれば、四門穆穆たり。賓は、禮接なり。門は、内外の限りなり。京師内とするときは、則ち四方は皆外なり。中國内とするときは、則ち夷狄は外とす。穆穆は、和正の貌。舜四方を禮待して、諸侯協和し、四夷懷き來りて、皆其の綏[やす]んじ化するに從うなり。

納于大麓、烈風雷雨弗迷。進置之大麓之任。謂總領庶政也。麓、山阜。草木百物所聚也。訓猶聚也。故孔氏云、錄也(錄亦總聚之義。)。前云納于百揆、又云納于大麓、何也。曰、百揆、揆度百事謀議之任也。大麓、總錄庶政、統領百職事之任也。非是歷遷數職也。各舉其事言耳。云使之敬美五典則克從、使之揆事則時敍、使之賓懷四方則穆穆、使之總庶政則陰陽和。或曰、序云、歷試諸難。安知非居數職也。曰、謂歷試如上諸難事耳。非歷居數官也。堯得舜則置之上位。自五典而下、皆非一司之事也。大麓者、總錄庶政之稱。故極其全功而言。不可止舉一事也。
【読み】
大麓に納るれば、烈風雷雨にも迷わず。進めて之を大麓の任に置く。庶政を總領するを謂うなり。麓は、山阜。草木百物の聚まる所なり。訓じて猶聚のごとし。故に孔氏が云く、錄なり、と(錄も亦總べ聚むるの義。)。前に百揆に納ると云い、又大麓に納ると云うは、何ぞや。曰く、百揆は、百事を揆り度って謀議するの任なり。大麓は、庶政を總錄して、百の職事を統べ領するの任なり。是れ數職を歷遷するに非ず。各々其の事を舉げて言うのみ。云[こ]れ之をして敬んで五典を美くせしむれば則ち克く從い、之をして事を揆らしむれば則ち時に敍で、之をして四方を賓懷せしむれば則ち穆穆たり、之をして庶政を總べしむれば則ち陰陽和す。或るひと曰く、序に云く、諸難を歷試す、と。安んぞ數職に居るに非ざることを知らん、と。曰く、歷試と謂うは上の諸々の難事の如きのみ。數官に歷居するには非ず。堯舜を得ては則ち之を上位に置く。五典自りして下は、皆一司の事に非ず。大麓は、庶政を總錄するの稱。故に其の全功を極めて言う。止一事を舉ぐる可からず。

庶績咸煕、黎民雍和、陰陽順序、風雨時若、無烈風雷雨之愆錯逆亂也。或曰、不止言風雨弗迷、而云烈風、何也。旣曰烈風矣、又曰弗迷、辭似不順。曰、謂無烈風雷雨之迷錯也。風、無時之物。故必言烈、乃見迷。若雷雨必順時。若當暘而降、冬發夏不震、則不必迅暴然後爲迷。所以獨風言烈也。
【読み】
庶績咸煕[ひろ]まり、黎民雍らぎ和らぎ、陰陽序に順い、風雨時に若いて、烈風雷雨の愆錯逆亂無し。或るひと曰く、止風雨迷わずと言わずして、烈風と云うは、何ぞや。旣に烈風と曰い、又迷わずと曰うは、辭順ならざるに似れり、と。曰く、烈風雷雨の迷錯無きを謂うなり。風は、時無きの物。故に必ず烈と言いて、乃ち迷うことを見す。雷雨の若きは必ず時に順う。若し暘に當たって降り、冬發して夏震せざれば、則ち必ずしも迅暴ならずして然して後に迷うとす。獨り風を烈と言う所以なり。

詢事考言、乃言底可績。詢謀汝所行之事、以考汝之前言、皆可致功實也。聞其言、則堯知其聖矣。見於事、至於三年、而後天下知其聖也。
【読み】
事を詢[はか]り言を考うるに、乃の言績とす可きことを底[いた]す。汝が行う所の事を詢り謀って、以て汝が前言を考うるに、皆功實を致す可し。其の言を聞かば、則ち堯其の聖を知らん。事を見ること、三年に至って、而して後に天下其の聖を知る。

在璿璣玉衡、以齊七政。在、察也。旣受終、則察七政之度不愆忒否、以觀天意。蓋聖人欽若昊天之道也。天意旣順。於是遂類上帝、禋六宗、望山川、徧羣神、告其受命攝治也。六宗、三昭三穆也。先己受終文祖矣。故止禋六廟也。堯之六廟。或曰、舜旣受終、始占天意、何也。如七政有愆、則如之何。曰、未受終、則天意何緣而有順逆。理必受而後有察也。如其有變、則天時不順、遜避而己。何疑焉。人苟誠焉、則感於天地、通於神明。豈有二聖授受之際、而有天意不順者乎。注云、或以爲、旣受終、則欽若昊天、乃所當先。故考齊七政。非謂察己之意合天否也。此則不然。自堯之欽若命官、乃舜納於大麓。其見之政久矣。旣受命而君。固宜察天意也。
【読み】
璿璣[せんき]玉衡を在[あき]らかにして、以て七政を齊う。在は、察らかにするなり。旣に終わりを受けては、則ち七政の度愆忒[けんとく]あらざるや否やということを察らかにして、以て天意を觀る。蓋し聖人欽んで昊天に若うの道なり。天意旣に順う。是に於て遂に上帝に類し、六宗に禋[いん]し、山川を望し、羣神に徧くして、其の命を受け治を攝することを告ぐ。六宗は、三昭三穆なり。先に己に終わりを文祖に受く。故に止六廟に禋するなり。堯の六廟なり。或るひと曰く、舜旣に終わりを受けて、始めて天意を占うは、何ぞや。如し七政愆[たが]うこと有らば、則ち之を如何、と。曰く、未だ終わりを受けざれば、則ち天意何に緣って順逆有らん。理必ず受けて而して後に察すること有り。如し其れ變有らば、則ち天の時順ならず、遜き避けんのみ。何ぞ疑わん。人苟も誠あれば、則ち天地を感ぜしめ、神明に通ず。豈二聖授受の際にして、天意順ならざる者有ること有らんや。注に云く、或るひと以爲えらく、旣に終わりを受くるときは、則ち欽んで昊天に若うこと、乃ち當に先んずべき所なり。故に七政を考え齊う。己の意天に合わんや否やということを察するを謂うに非ず、と。此れ則ち然らず。堯の欽んで若って官に命じて自り、乃ち舜大麓に納る。其の之を政に見すこと久し。旣に命を受けて君たり。固に宜しく天意を察すべし。

肆類于上帝。肆、遂也。猶後之屬文者言於是也。
【読み】
肆[つい]に上帝に類す。肆は、遂になり。猶後の文を屬[つづ]る者是に於てと言うがごとし。

自上日受終、而類上帝、禋六宗、至徧羣神、輯斂五瑞、徴五等諸侯也。至月終則四方諸侯至矣。遠近不同、來有先後。故曰日見之。不如他朝會之同期於一日也。蓋欲以少接之、則得盡其詢察禮意也。旣見、則頒還其瑞玉。自歲二月己下、言巡狩之事。非是當年二月便往、亦非一歲之中、徧歷五岳也。所至協正時日、同其度量、正五等諸侯之秩序、制度之等差。是修五禮也。五等之制、古有之矣。防其亂、故巡狩所至、必修明也。正其五等制度、幷其君臣所執珪幣、皆使合理也。
【読み】
上日終わりを受けて、上帝に類し、六宗に禋して自り、羣神に徧くするに至って、五瑞を輯[あつ]め斂むるは、五等の諸侯を徴するなり。月の終わりに至っては則ち四方の諸侯至る。遠近同じからず、來るに先後有り。故に日々に之を見ゆと曰う。他の朝會の同じく一日に期するが如くならず。蓋し少なきを以て之に接するときは、則ち其の詢察の禮意を盡くすことを得ることを欲す。旣に見ゆるときは、則ち其の瑞玉を頒還す。歲二月という自り己下は、巡狩の事を言う。是れ當年二月便ち往くに非ず、亦一歲の中、徧く五岳を歷るに非ず。至る所時日を協え正し、其の度量を同じくし、五等の諸侯の秩序、制度の等差を正す。是れ五禮を修むるなり。五等の制は、古之れ有り。其の亂れを防ぐ、故に巡狩して至る所、必ず修め明らかにす。其の五等の制度、幷びに其の君臣執る所の珪幣を正して、皆理に合わしむ。

如五器卒乃復者、諸侯尊而贄重。故已覲則復還其玉。餘則否。所以禮答列辟也。五器卽五瑞、以其物言則玉、以其寶言則瑞、以成形言則器。
【読み】
五器の如きは卒えて乃ち復すとは、諸侯は尊くして贄重し。故に已に覲えては則ち其の玉を復還す。餘は則ち否[しか]せず。列辟に禮答する所以なり。五器は卽ち五瑞、其の物を以て言うときは則ち玉、其の寶を以て言うときは則ち瑞、成形を以て言うときは則ち器なり。

歸格於藝祖、用特。歸格告至於祖廟也。此記禮也。止言祖廟舉尊耳。實皆告也。如告朔太廟、亦不止告祖也。四時之祭、則各有牲。如告朔告至之類、非祭也、共用一牲而已。故云用特。若受終而禋、則是祭也。雖古禮不可詳知、恐薦新之類、亦止就廟耳。惟時祭設主、則各就其室。非祭不必設主也。
【読み】
歸りて藝祖に格りて、特を用ゆ。歸り格りて至ることを祖廟に告ぐるなり。此れ禮を記するなり。止祖廟を言うは尊を舉ぐるのみ。實は皆告ぐるなり。朔を太廟に告ぐるが如きも、亦止祖に告ぐるのみにあらず。四時の祭は、則ち各々牲有り。朔を告げ至を告ぐるの類の如きは、祭に非ず、共に一牲を用うるのみ。故に特を用ゆと云う。終わりを受けて禋するが若きは、則ち是れ祭なり。古禮詳らかに知る可からずと雖も、恐らくは新を薦むるの類も、亦止廟に就かんのみ。惟時祭主を設くるときは、則ち各々其の室に就く。祭に非ざれば必ずしも主を設けず。

每五載一巡狩、則一方之諸侯朝于岳下。故云四朝。敷奏以言、明試以功、車服以庸。巡狩、非能徧至諸國也。至方岳、則覲見一方之君、使各進陳其爲治之說。其言之善者則從之、而明考其功。有其功則賜車服以旌其功也。
注曰、民功曰庸。其言善則考而褒之。其言不善則固有以告飭之矣。
【読み】
五載に一たび巡狩する每に、則ち一方の諸侯岳下に朝す。故に四朝すと云う。敷[の]べ奏[すす]むるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。巡狩は、能く徧く諸國に至るに非ず。方岳に至れば、則ち一方の君を覲見して、各々其の治を爲すの說を進め陳べしむ。其の言の善なる者は則ち之に從って、明らかに其の功を考う。其の功有れば則ち車服を賜って以て其の功を旌す。
注に曰く、民功を庸と曰う。其の言善なれば則ち考えて之を褒む。其の言不善なれば則ち固に以て之に告げ飭[いまし]むること有り。

肇十有二州。上古九州、治水之後、禹別正其九州之封界。舜始分爲十二州。在洪水旣平之後。此歷敍舜事。故肇十二州在四罪之前、言殛鯀在說用刑之中。非是先分十二州而後殛鯀也。禹貢云、別九州者、洪水治平而定九州之域。在後始分十二州。
【読み】
十有二州を肇む。上古九州、水を治むるの後、禹其の九州の封界を別ち正す。舜始めて分かちて十二州とす。洪水旣に平らぐの後に在り。此れ歷く舜の事を敍づ。故に十二州を肇むること四罪の前に在りて、鯀を殛[きょく]すと言うは刑を用うることを說くの中に在り。是れ先づ十二州を分かちて而して後に鯀を殛するには非ず。禹貢に云く、九州を別つことは、洪水治平にして九州の域を定む、と。後に在って始めて十二州を分かつなり。

封十有二山。孔傳云、封、大也。必非以人力增大其山使大也。蓋表其山爲一州之鎭耳。
【読み】
十有二山を封ず。孔傳に云く、封は、大なり、と。必ず人力を以て其の山を增大にして大ならしむるには非ず。蓋し其の山を表して一州の鎭とするのみ。

象以典刑。象罪之輕重、立爲常刑。鞭作官刑。治官之刑也。小過不用正刑。扑作敎刑。凡敎皆用。不必指在學校。流宥五刑。情之有宜矜貸、則流於遠以寬宥其刑。五刑分其遠近。眚災肆赦、怙終賊刑。眚、過也。謂過失入于罪者。災、害也。謂非人所致而至者。肆、緩也。今語有縱肆寬緩之義。赦、除釋之也。眚者肆之、災者赦之也。雖罪非固犯、失由於人。故必致法、矜其情而緩之耳。災非由人。宜加恤也。故直赦之。怙恃其惡、與終固其非者、凶惡之民也。故殘害之以刑、使不得爲人害也。是賊刑也。上云皆舜之制刑立法如此。欽哉欽哉、惟刑之恤哉。史官旣載舜制刑之法、而重明舜意云、舜之於刑欽哉欽哉、惟刑之爲憂恤哉。言其敬愼哀矜之至也。
注云、說者皆以爲、舜語、非也。
【読み】
象るに典刑を以てす。罪の輕重を象って、立てて常刑を爲すなり。鞭もて官刑を作す。治官の刑なり。小過は正刑を用いず。扑[ぼく]もて敎刑を作す。凡そ敎うるに皆用ゆ。必ずしも學校に在るを指さず。流もて五刑を宥[ゆる]む。情の宜しく矜貸すべきこと有れば、則ち遠くに流して以て其の刑を寬[ゆる]め宥むるなり。五刑もて其の遠近を分かつ。眚災[せいさい]は肆赦し、怙終は賊刑す。眚は、過ちなり。過失して罪に入る者を謂う。災は、害なり。人の致す所に非ずして至る者を謂う。肆は、緩むなり。今の語に縱肆寬緩の義有り。赦は、之を除釋するなり。眚[あやま]ちは之を肆[ゆる]め、災いは之を赦すなり。罪固に犯すに非ずと雖も、失人に由る。故に必ず法を致すに、其の情を矜れんで之を緩むるのみ。災いは人に由るに非ず。宜しく恤えを加うべし。故に直に之を赦す。其の惡を怙恃すると、終に其の非を固くする者は、凶惡の民なり。故に之を殘害するに刑を以てして、人の害を爲すことを得ざらしむ。是れ賊刑なり。上に云うは皆舜の刑を制し法を立つること此の如しとなり。欽めるかな欽めるかな、惟れ刑を恤えるかな。史官旣に舜刑を制するの法を載せて、重ねて舜の意を明らかにして云く、舜の刑に於る欽めるかな欽めるかな、惟れ刑之憂恤を爲すかな、と。其の敬愼哀矜の至れるを言うなり。
注に云く、說く者皆以爲えらく、舜の語とは、非なり。

流共工於幽州、放驩兜於崇山、竄三苗於三危、殛鯀於羽山。四罪而天下咸服。史官載述舜之制刑。因敍其所用刑也。四罪蓋肇十有二州之前。大抵流放統謂之流。故曰流宥五刑。而於流之中有輕重之稱。流者、去遠之也。如水流去。放者、屛斥之。竄者、投置之。以罪之輕重、地之善惡遠邇爲差。殛則誅死之也。四者、自輕及重而言。殛鯀必於羽山者非。時適在彼、則惡之彰著。或敗功害事於彼耳。
【読み】
共工を幽州に流し、驩兜[かんとう]を崇山に放ち、三苗を三危に竄[ざん]し、鯀を羽山に殛[きょく]す。四罪して天下咸服す。史官舜の刑を制することを載せ述ぶ。因りて其の用うる所の刑を敍づ。四罪は蓋し十有二州を肇むるの前なり。大抵流放統べて之を流と謂う。故に流もて五刑を宥むと曰う。而れども流の中に於て輕重の稱有り。流は、之を去り遠くるなり。水の流れ去るが如し。放は、之を屛[しりぞ]け斥くなり。竄は、之を投置するなり。罪の輕重を以て、地の善惡遠邇を差とす。殛は則ち之を誅死するなり。四つの者、輕き自り重きに及ぼして言う。鯀を殛すること必ず羽山に於てするとする者は非なり。時に適々彼に在って、則ち惡の彰れ著るならん。或は功を敗り事を害すること彼に於てするならんのみ。

百姓如喪考妣。百姓、庶民也。言庶民則君子可知矣。正月元日、舜格于文祖、三年喪畢、而朝廷公卿天下諸侯皆請舜正位。故復至文祖之廟、以告見焉。孟子云其避丹朱之事、蓋喪畢而不自有之、畏避也。朝廷諸侯請之、是天下從之也。推其事而言耳。故史官不載其事。或曰、舜往避於南河之南、迹之顯者。書不云、何也。曰、書之紀事、不如後史之繁悉也。若五載一巡狩、則舜之在位、其所往多矣。皆不記也。
【読み】
百姓考妣に喪するが如し。百姓は、庶民なり。庶民を言うときは則ち君子知る可し。正月元日、舜文祖に格り、三年の喪畢わって、朝廷の公卿天下の諸侯皆舜の正位を請う。故に復文祖の廟に至って、以て告げ見ゆ。孟子に云ゆる其の丹朱に避くるの事は、蓋し喪畢わって自ら之を有せずして、畏れ避くるなり。朝廷諸侯之を請うは、是れ天下之に從うなり。其の事を推して言うのみ。故に史官其の事を載せず。或るひと曰く、舜往いて南河の南に避くるは、迹の顯らかなる者なり。書に云わざるは、何ぞや、と。曰く、書の事を紀す、後史の繁悉なるが如くならず。若し五載に一たび巡狩せば、則ち舜の位に在り、其の往く所多からん。皆記さざるなり。

改正武成

武王伐殷、往歸獸、識其政事、作武成。武成。惟一月壬辰、旁死魄、越翼日癸巳、王朝步自周、于征伐商、底商之罪、告于皇天后土、所過名山大川曰、惟有道曾孫周王發、將有大正于商。今商王受無道、暴殄天物、害虐烝民、爲天下逋逃主。萃淵藪。予小子、旣獲仁人。敢祗承上帝、以遏亂略。華夏蠻貊、罔不率俾、恭天成命。惟爾有神、尙克相予、以濟兆民、無作神羞。旣戊午、師逾孟津。癸亥、陳于商郊、俟天休命。甲子昧爽、受率其旅若林、會于牧野。罔有敵于我師。前徒倒戈、攻于後以北。血流漂杵。一戎衣、天下大定。釋箕子囚、封比干墓、式商容閭、散鹿臺之財、發鉅橋之粟、大賚于四海、而萬姓悅服。厥四月哉生明、王來自商、至于豐。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野、示天下弗(徐本弗作咸。)服。丁未、祀于周廟。邦・甸・侯・衛、駿奔走執豆籩。越三日庚戌、柴望大告武成。旣生魄、庶邦冢君、曁百工、受命于周。王若曰、嗚呼羣后、惟先王建邦啓土、公劉克篤前烈、至于太王、肇基王迹、王季其勤王家。我文考文王、克成厥勲、誕膺天命、以撫方夏、大邦畏其力、小邦懷其德。惟九年大統未集。予小子、其承厥志。肆予東征、綏厥士女。惟其士女篚厥玄黃、昭我周王。天休震動、用附我大邑周。乃反商政、政由舊。列爵惟五、分土惟三。建官惟賢、位事惟能。重民五敎。惟食・喪・祭、惇信明義、崇德報功、垂拱而天下治。
【読み】
武王殷を伐ちて、往いて歸獸して、其の政事を識して、武成を作る。武成。惟れ一月壬辰、旁死魄、越[ここ]において翼日の癸巳、王朝[つと]に周自り步し、于[ゆ]いて商を征伐し、商の罪を底[いた]して、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告して曰く、惟れ有道の曾孫周王發、將に大いに商に正すこと有らんとす。今商王受無道にして、天物を暴[し]い殄[た]ち、烝民を害い虐[やぶ]り、天下の逋逃の主爲り。淵藪に萃[あつ]まる。予れ小子、旣に仁人を獲たり。敢えて祗んで上帝に承けて、以て亂略を遏[た]つ。華夏蠻貊まで、率い俾[したが]って、天の成命を恭まざるは罔し。惟れ爾有神、尙わくは克く予を相け、以て兆民を濟い、神の羞を作すこと無けん、と。旣に戊午、師孟津を逾[こ]ゆ。癸亥、商郊に陳し、天の休命を俟つ。甲子の昧爽に、受其の旅を率い林の若くにして、牧野に會す。我が師に敵すること有ること罔し。前徒戈を倒[さかしま]にし、後を攻めて以て北[に]ぐ。血流れて杵を漂わす。一たび戎衣して、天下大いに定まれり。箕子の囚を釋[ゆる]し、比干の墓を封じ、商容の閭に式し、鹿臺の財を散じ、鉅橋の粟を發し、大いに四海に賚[たまもの]して、萬姓悅服せり。厥の四月の哉[さい]生明、王商自り來りて、豐に至る。乃ち武を偃せ文を修めて、馬を華山の陽[みなみ]に歸し、牛を桃林の野に放ち、天下に服[もち]いざる(徐本弗を咸に作る。)ことを示す。丁未、周の廟を祀る。邦・甸・侯・衛、駿[すみ]やかに奔り走りて豆籩を執る。越において三日庚戌、柴望して大いに武くして成れるを告す。旣に生魄、庶邦の冢君、曁[およ]び百工、命を周に受く。王若[か]く曰く、嗚呼羣后、惟れ先王邦を建て土を啓き、公劉克く前烈を篤くし、太王に至り、肇めて王迹を基し、王季其れ王家を勤めり。我が文考文王、克く厥の勲を成し、誕[おお]いに天命に膺[あた]り、以て方夏を撫して、大邦は其の力に畏れ、小邦は其の德に懷けり。惟れ九年まで大統未だ集[な]らず。予れ小子、其れ厥の志を承げり。肆[つい]に予れ東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女厥の玄黃を篚にし、我が周王を昭らかにす。天の休震い動いて、用て我が大邑周に附せり、と。乃ち商の政を反し、政舊に由る。列ぬる爵は惟れ五、分かてる土は惟れ三。建てる官は惟れ賢をし、位の事は惟れ能をす。民に五敎を重んぜしむ。惟れ食・喪・祭までに、信を惇くし義を明らかにし、德を崇び功を報ゆれば、垂拱して天下治まる。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)