二程全書卷之五十  二先生經說五

明道先生改正大學

大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。康誥曰、克明德。大甲曰、顧諟天之明命。帝典曰、克明峻德。皆自明也。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。康誥曰、作新民。詩曰、周雖舊邦、其命維新。是故君子無所不用其極。詩云、邦畿千里、惟民所止。詩云、緍蠻黃鳥、止于丘隅。子曰、於止知其所止、可以人而不如鳥乎。詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。爲人君止於仁、爲人臣止於敬、爲人子止於孝、爲人父止於慈、與國人交止於信。古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。其本亂而末治者、否矣。其所厚者薄而其所薄者厚、未之有也。此謂知本、此謂知之至也。
【読み】
大學の道は、明德を明らかにするに在り、民を親にするに在り、至善に止まるに在り。止まることを知って后に定まること有り。定まりて后に能く靜かなり。靜かにして后に能く安し。安くして后に能く慮る。慮りて后に能く得。物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知るときは、則ち道に近し。康誥に曰く、克く德を明らかにす、と。大甲に曰く、諟[こ]の天の明命を顧みる、と。帝典に曰く、克く峻德を明らかにす、と。皆自ら明らかにするなり。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たなり、日日に新たにし、又日に新たにす、と。康誥に曰く、新たなる民を作す、と。詩に曰く、周は舊邦なりと雖も、其の命維れ新たなり、と。是の故に君子は其の極を用いざる所無し。詩に云く、邦畿千里は、惟民の止[お]る所、と。詩に云く、緍蠻[めんばん]たる黃鳥、丘隅に止[い]る、と。子曰く、止まるに於て其の止まる所を知る、以て人にして鳥にだも如かざる可けんや、と。詩に云く、穆穆たる文王、於[ああ]緝煕[しゅうき]にして敬して止る、と。人の君と爲っては仁に止まり、人の臣と爲っては敬に止まり、人の子と爲っては孝に止まり、人の父と爲っては慈に止まり、國人と交わっては信に止まる。古の明德を天下に明らかにせんと欲する者は、先づ其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先づ其の家を齊う。其の家を齊えんと欲する者は、先づ其の身を脩む。其の身を脩めんと欲する者は、先づ其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知を致す。知を致すことは物に格るに在り。物格って后に知至る。知至って后に意誠なり。意誠にして后に心正し。心正しくして后に身脩まる。身脩まって后に家齊う。家齊って后に國治まる。國治まって后に天下平らかなり。天子自り以て庶人に至るまで、壹是[いっし]に皆身を脩むるを以て本とす。其の本亂れて末治まる者は、否[な]し。其の厚くする所の者薄くして其の薄くする所の者厚きことは、未だ之れ有らず。此を本を知ると謂い、此を知ること之れ至ると謂うなり。

所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙。故君子必愼其獨也。小人閒居爲不善、無所不至。見君子而后厭然、揜其不善而著其善。人之視己、如見其肺肝。然則何益矣。此謂誠於中、形於外。故君子必愼其獨也。曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意。
【読み】
所謂其の意を誠にすとは、自ら欺くこと毋からんとなり。惡臭を惡むが如く、好色を好むが如き、此れ之を自ら謙[あきた]ると謂う。故に君子は必ず其の獨りを愼む。小人閒居して不善を爲すこと、至らざる所無し。君子を見て后に厭然として、其の不善を揜[おお]いて其の善を著す。人の己を視ること、其の肺肝を見るが如し。然らば則ち何の益かあらん。此を中に誠あれば、外に形ると謂う。故に君子は必ず其の獨りを愼む。曾子曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ嚴なるかな、と。富は屋を潤し、德は身を潤す。心廣く體胖かなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。

所謂脩身在正其心者、身有所忿懥則不得其正、有所恐懼則不得其正、有所好樂則不得其正、有所憂患則不得其正。心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。此謂脩身在正其心。
【読み】
所謂身を脩むることは其の心を正しくするに在りとは、身忿懥[ふんち]する所有れば則ち其の正しきことを得ず、恐懼する所有れば則ち其の正しきことを得ず、好樂する所有れば則ち其の正しきことを得ず、憂患する所有れば則ち其の正しきことを得ず。心焉に在らざれば、視れども見えず、聽けども聞えず、食すれども其の味を知らず。此を身を脩むることは其の心を正しくするに在りと謂う。

所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉、之其所賤惡而辟焉、之其所畏敬而辟焉、之其所哀矜而辟焉、之其所敖惰而辟焉。故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。此謂身不脩不可以齊其家。
【読み】
所謂其の家を齊うることは其の身を脩むるに在りとは、人其の親愛する所に之[ゆ]きて辟し、其の賤惡する所に之きて辟し、其の畏敬する所に之きて辟し、其の哀矜する所に之きて辟し、其の敖惰する所に之きて辟す。故に好すれども其の惡しきことを知り、惡めども其の美を知る者は、天下鮮し。故に諺に之れ有り曰く、人其の子の惡しきことを知ること莫し、其の苗の碩[おお]いなるを知ること莫し、と。此を身脩まらずんば以て其の家を齊う可からずと謂う。

所謂治國必先齊其家者、其家不可敎、而能敎人者無之。故君子不出家而成敎於國。孝者所以事君也、弟者所以事長也、慈者所以使衆也。康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而后嫁者也。一家仁、一國興仁。一家讓、一國興讓。一人貪戾、一國作亂。其機如此。此謂一言僨事、一人定國。堯・舜率天下以仁而民從之、桀・紂率天下以暴而民從之。其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸己而后求諸人、無諸己而后非諸人。所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也。故治國在齊其家。詩云、桃之夭夭、其葉蓁蓁、之子于歸、宜其家人。宜其家人、而后可以敎國人。詩云、宜兄宜弟。宜兄宜弟、而后可以敎國人。詩云、其儀不忒、正是四國。其爲父子兄弟足法、而后民法之也。此謂治國在齊其家。
【読み】
所謂國を治むることは必ず先づ其の家を齊うとは、其の家敎う可からずして、能く人を敎うる者は之れ無し。故に君子は家を出ずして敎を國に成す。孝は君に事うる所以、弟は長に事うる所以、慈は衆を使う所以なり。康誥に曰く、赤子を保んずるが如し、と。心に誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを學んで而して后に嫁する者は有らず。一家仁あれば、一國仁を興す。一家讓あれば、一國讓を興す。一人貪戾なれば、一國亂を作す。其の機此の如し。此を一言事を僨[やぶ]り、一人國を定むと謂う。堯・舜天下を率いるに仁を以てして民之に從い、桀・紂天下を率いるに暴を以てして民之に從う。其の令する所其の好む所に反すれば、民從わず。是の故に君子は己に有って而して后に人に求め、己に無くして而して后に人を非る。身に藏むる所恕ならずして、能く人を喩す者は、未だ之れ有らず。故に國を治むることは其の家を齊うるに在り。詩に云く、桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁[しんしん]たり、之[こ]の子于[ここ]に歸[とつ]ぐ、其の家人に宜し、と。其の家人に宜しくして、而して后に以て國人を敎う可し。詩に云く、兄に宜しく弟に宜し、と。兄に宜しく弟に宜しくして、而して后に以て國人に敎う可し。詩に云く、其の儀忒[たが]わず、是の四國を正す、と。其の父子兄弟爲ること法るに足りて、而して后に民之に法るなり。此を國を治むることは其の家を齊うるに在りと謂う。

所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道。詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。詩云、節彼南山、維石巖巖、赫赫師尹、民具爾瞻。有國者不可以不愼。辟則爲天下僇矣。詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僴兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自脩也。瑟兮僴兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。詩云、於戲、前王不忘。君子賢其賢而親其親、小人樂其樂而利其利。此以沒世不忘也。子曰、聽訟吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監于殷。峻命不易。道得衆則得國、失衆則失國。
【読み】
所謂天下を平らかにすることは其の國を治むるに在りとは、上老を老として民孝を興し、上長を長として民弟を興し、上孤を恤えて民倍[そむ]かず。是を以て君子は絜矩[けっく]の道有り。上に惡む所を、以て下に使うこと毋かれ。下に惡む所を、以て上に事ること毋かれ。前に惡む所を、以て後に先んずること毋かれ。後に惡む所を、以て前に從うこと毋かれ。右に惡む所を、以て左に交わること毋かれ。左に惡む所を、以て右に交わること毋かれ。此れ之を絜矩の道と謂う。詩に云く、樂しき君子は、民の父母、と。民の好む所は之を好み、民の惡む所は之を惡む。此れ之を民の父母と謂う。詩に云く、節たる彼の南山、維れ石巖巖たり、赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る、と。國を有つ者は以て愼まずんばある可からず。辟なれば則ち天下の僇[りく]と爲る。詩に云く、彼の淇[き]の澳[いく]を瞻れば、菉[りょく]竹猗猗[いい]たり。斐たる君子有り、切るが如く磋するが如く、琢[うが]つが如く磨くが如し。瑟[しつ]たり僴[かん]たり、赫[かく]たり喧[けん]たり。斐たる君子有り、終に諠[わす]る可からず、と。切るが如く磋するが如しとは、學を道うなり。琢つが如く磨くが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄[じゅんりつ]なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。斐たる君子有り、終に諠る可からずとは、盛德至善、民の忘るること能わざるを道う。詩に云く、於戲[ああ]、前王忘られず、と。君子は其の賢を賢として其の親を親とし、小人は其の樂しみを樂しみとして其の利を利とす。此を以て世を沒するまで忘られず。子曰く、訟を聽くこと吾れ猶人のごとし。必ずや訟無からしめんか、と。情無き者は其の辭を盡くすことを得ず、大いに民の志を畏れしむ。此を本を知ると謂う。詩に云く、殷の未だ師を喪わざるとき、克く上帝に配[かな]えり。儀[よろ]しく殷に監みるべし。峻命易からず、と。衆を得れば則ち國を得、衆を失えば則ち國を失うを道う。

是故君子先愼乎德。有德此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。德者本也。財者末也。外本内末、争民施奪。是故財聚則民散。財散則民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。楚書曰、楚國無以爲寳。惟善以爲寳。舅犯曰、亡人無以爲寳。仁親以爲寳。秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。人之有技、若己有之、人之彥聖、其心好之。不啻若自其口出、寔能容之、以能保我子孫。黎民尙亦有利哉。人之有技、媢疾以惡之、人之彥聖、而違之俾不通。寔不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉。唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國。此謂唯仁人爲能愛人、能惡人。見賢而不能舉、舉而不能先、命也。見不善而不能退、退而不能遠、過也。好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。菑必逮夫身。
【読み】
是の故に君子は先づ德を愼む。德有れば此れ人有り、人有れば此れ土有り、土有れば此れ財有り、財有れば此れ用有り。德は本なり。財は末なり。本を外にし末を内にすれば、民を争わして奪うことを施す。是の故に財聚まれば則ち民散ず。財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言悖って出る者は、亦悖って入る。貨悖って入る者は、亦悖って出づ。康誥に曰く、惟れ命常に于[おい]てせず、と。善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うことを道う。楚書に曰く、楚國は以て寳とすること無し。惟善以て寳とす、と。舅犯に曰く、亡人は以て寳とすること無し。親を仁するを以て寳とす、と。秦誓に曰く、若し一个[いっか]の臣有らん、斷斷として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るること有るが如し。人の技有る、己之れ有るが若くし、人の彥聖なる、其の心に之を好す。啻に其の口自り出すが若くなるのみならず、寔に能く之を容れて、以て能く我が子孫を保つ。黎民も亦利有ることを尙わんかな。人の技有る、媢[い]み疾[にく]みて以て之を惡み、人の彥聖なる、而も之に違いて通ぜざらしむ。寔に容るること能わず、以て我が子孫黎民を保つこと能わず、亦曰[ここ]に殆[あやう]いかな、と。唯仁人のみ之を放流して、諸を四夷に迸[しりぞ]けて、與に中國を同じくせず。此を唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を惡むことをすと謂う。賢なるを見て舉ぐること能わず、舉げて先んずること能わざるは、命たり。不善を見て退くこと能わず、退いて遠ざくること能わざるは、過ちなり。人の惡む所を好み、人の好む所を惡む、是を人の性に拂[もと]ると謂う。菑[わざわい]必ず夫の身に逮ぶ。

是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。生財有大道。生之者衆、食之者寡、爲之者疾、用之者舒、則財恆足矣。仁者以財發身、不仁者以身發財。未有上好仁、而下不好義者也。未有好義、其事不終者也。未有府庫財、非其財者也。孟獻子曰、畜馬乘不察於雞豚。伐冰之家不畜牛羊。百乘之家不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣、寧有盗臣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。長國家而務財用者、必自小人矣。彼爲善之。小人之使爲國家、菑害竝至。雖有善者、亦無如之何矣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。
【読み】
是の故に君子に大道有り。必ず忠信以て之を得、驕泰以て之を失う。財を生ずるに大道有り。之を生ずる者衆く、之を食する者寡く、之を爲る者疾く、之を用うる者舒[ゆる]やかなるときは、則ち財恆に足る。仁者は財を以て身を發[おこ]し、不仁者は身を以て財を發す。未だ上仁を好んで、下義を好まざる者は有らざるなり。未だ義を好んで、其の事終わらざる者は有らざるなり。未だ府庫の財、其の財に非ざる者は有らざるなり。孟獻子曰く、馬乘を畜っては雞豚を察せず。伐冰の家は牛羊を畜わず。百乘の家は聚斂の臣を畜わず。其の聚斂の臣有らん與[よ]りは、寧ろ盗臣有れ、と。此を國は利を以て利とせず、義を以て利とすと謂う。國家に長として財用を務むる者は、必ず小人に自る。彼之を善しとす。小人をして國家を爲めしめば、菑害[さいがい]竝び至る。善者有りと雖も、亦之を如何ともすること無し。此を國は利を以て利とせず、義を以て利とすと謂うなり。

伊川先生改正大學

大學之道在明明德、在親(當作新。)民、在止於至善。知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。其本亂而末治者、否矣。其所厚者薄而其所薄者厚、未之有也。
【読み】
大學の道は明德を明らかにするに在り、民を親(當に新に作るべし。)たにするに在り、至善に止まるに在り。止まることを知って后に定まること有り。定まって后に能く靜かなり。靜かにして后に能く安し。安くして后に能く慮る。慮って后に能く得。物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知るときは、則ち道に近し。古の明德を天下に明らかにせんと欲する者は、先づ其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先づ其の家を齊う。其の家を齊えんと欲する者は、先づ其の身を脩む。其の身を脩めんと欲する者は、先づ其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知を致[きわ]む。知を致むることは物に格るに在り。物格りて后に知至る。知至って后に意誠なり。意誠にして后に心正し。心正しくして后に身脩まる。身脩まって后に家齊う。家齊って后に國治まる。國治まって后に天下平らかなり。天子自り以て庶人に至るまで、壹是に皆身を脩むるを以て本とす。其の本亂れて末治まる者は、否し。其の厚くする所の者薄くして其の薄くする所の者厚きことは、未だ之れ有らず。

子曰、聽訟吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。(四字衍)。此謂知本、此謂知之至也。康誥曰、克明德。太甲曰、顧諟天之明命。帝典曰、克明峻德。皆自明也。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。康誥曰、作新民。詩曰、周雖舊邦、其命惟新。是故君子無所不用其極。詩曰、邦畿千里、惟民所止。詩云、緡蠻黃鳥、止於丘隅。子曰、於止知其所止、可以人而不如鳥乎。詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。爲人君止於仁、爲人臣止於敬、爲人子止於孝、爲人父止於慈、與國人交止於信。
【読み】
子曰く、訟を聽くこと吾れ猶人のごとし。必ずや訟無からしめんか、と。情無き者は其の辭を盡くすことを得ず、大いに民の志を畏れしむ。此を本を知ると謂う。(四字衍なり)。此を本を知ると謂い、此を知ること之れ至ると謂うなり。康誥に曰く、克く德を明らかにす、と。大甲に曰く、諟の天の明命を顧みる、と。帝典に曰く、克く峻德を明らかにす、と。皆自ら明らかにするなり。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たなり、日日に新たにし、又日に新たにす、と。康誥に曰く、新たなる民を作す、と。詩に曰く、周は舊邦なりと雖も、其の命維れ新たなり、と。是の故に君子は其の極を用いざる所無し。詩に云く、邦畿千里は、惟民の止る所、と。詩に云く、緍蠻たる黃鳥、丘隅に止る、と。子曰く、止まるに於て其の止まる所を知る、以て人にして鳥にだも如かざる可けんや、と。詩に云く、穆穆たる文王、於緝煕にして敬して止る、と。人の君と爲っては仁に止まり、人の臣と爲っては敬に止まり、人の子と爲っては孝に止まり、人の父と爲っては慈に止まり、國人と交わっては信に止まる。

所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙。故君子必愼其獨也。小人閒居爲不善、無所不至。見君子而后厭然、揜其不善而著其善。人之視己、如見其肺肝。然則何益矣。此謂誠於中、形於外。故君子必愼其獨也。曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意。
【読み】
所謂其の意を誠にすとは、自ら欺くこと毋からんとなり。惡臭を惡むが如く、好色を好むが如き、此れ之を自ら謙ると謂う。故に君子は必ず其の獨りを愼む。小人閒居して不善を爲すこと、至らざる所無し。君子を見て后に厭然として、其の不善を揜いて其の善を著す。人の己を視ること、其の肺肝を見るが如し。然らば則ち何の益かあらん。此を中に誠あれば、外に形ると謂う。故に君子は必ず其の獨りを愼む。曾子曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ嚴なるかな、と。富は屋を潤し、德は身を潤す。心廣く體胖かなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。

所謂脩身在正其心者、身(當作心。)有所忿懥則不得其正、有所恐懼則不得其正、有所好樂則不得其正、有所憂患則不得其正。心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。此謂脩身在正其心。
【読み】
所謂身を脩むることは其の心を正しくするに在りとは、身(當に心に作るべし。)忿懥する所有れば則ち其の正しきことを得ず、恐懼する所有れば則ち其の正しきことを得ず、好樂する所有れば則ち其の正しきことを得ず、憂患する所有れば則ち其の正しきことを得ず。心焉に在らざれば、視れども見えず、聽けども聞えず、食すれども其の味を知らず。此を身を脩むることは其の心を正しくするに在りと謂う。

所謂齊其(其字衍。)家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉、之其所賤惡而辟焉、之其所畏敬而辟焉、之其所哀矜而辟焉、之其所敖惰而辟焉。故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。此謂身不脩不可以齊其家。
【読み】
所謂其の(其の字衍なり。)家を齊うることは其の身を脩むるに在りとは、人其の親愛する所に之きて辟し、其の賤惡する所に之きて辟し、其の畏敬する所に之きて辟し、其の哀矜する所に之きて辟し、其の敖惰する所に之きて辟す。故に好すれども其の惡しきことを知り、惡めども其の美を知る者は、天下鮮し。故に諺に之れ有り曰く、人其の子の惡しきことを知ること莫し、其の苗の碩いなるを知ること莫し、と。此を身脩まらずんば以て其の家を齊う可からずと謂う。

所謂治國必先齊其家者、其家不可敎、而能敎人者無之。故君子不出家而成敎於國。孝者所以事君也、弟者所以事長也、慈者所以使衆也。康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而后嫁者也。一家仁、一國興仁。一家讓、一國興讓。一人貪戾、一國作亂。其機如此。此謂一言僨事、一人定國。堯・舜率天下以仁而民從之、桀・紂率天下以暴而民從之。其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸已而后求諸人、無諸已而后非諸人。所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也。故治國在齊其家。詩云、桃之夭夭、其葉蓁蓁、之子于歸、宜其家人。宜其家人、而后可以敎國人。詩云、宜兄宜弟。宜兄宜弟、而后可以敎國人。詩云、其儀不忒、正是四國。其爲父子兄弟足法、而后民法之也。此謂治國在齊其家。
【読み】
所謂國を治むることは必ず先づ其の家を齊うとは、其の家敎う可からずして、能く人を敎うる者は之れ無し。故に君子は家を出ずして敎を國に成す。孝は君に事うる所以、弟は長に事うる所以、慈は衆を使う所以なり。康誥に曰く、赤子を保んずるが如し、と。心に誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを學んで而して后に嫁する者は有らず。一家仁あれば、一國仁を興す。一家讓あれば、一國讓を興す。一人貪戾なれば、一國亂を作す。其の機此の如し。此を一言事を僨り、一人國を定むと謂う。堯・舜天下を率いるに仁を以てして民之に從い、桀・紂天下を率いるに暴を以てして民之に從う。其の令する所其の好む所に反すれば、民從わず。是の故に君子は己に有って而して后に人に求め、己に無くして而して后に人を非る。身に藏むる所恕ならずして、能く人を喩す者は、未だ之れ有らず。故に國を治むることは其の家を齊うるに在り。詩に云く、桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁たり、之の子于に歸ぐ、其の家人に宜し、と。其の家人に宜しくして、而して后に以て國人を敎う可し。詩に云く、兄に宜しく弟に宜し、と。兄に宜しく弟に宜しくして、而して后に以て國人に敎う可し。詩に云く、其の儀忒わず、是の四國を正す、と。其の父子兄弟爲ること法るに足りて、而して后に民之に法るなり。此を國を治むることは其の家を齊うるに在りと謂う。

所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道。詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。詩云、節彼南山、維石巖巖、赫赫師尹、民具爾瞻。有國者不可以不愼。辟則爲天下僇矣。詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僴兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自脩也。瑟兮僴兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。詩云、於戯、前王不忘。君子賢其賢而親其親、小人樂其樂而利其利。此以沒世不忘也。康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。楚書曰、楚國無以爲寳。惟善以爲寳。舅犯曰、亡人無以爲寳。仁親以爲寳。秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。人之有技、若己有之、人之彥聖、其心好之。不啻若自其口出、寔能容之、以能保我子孫黎民。尙亦有利哉。人之有技、媢疾以惡之、人之彥聖、而違之俾不通。寔不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉。唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國。此謂唯仁人爲能愛人、能惡人。見賢而不能舉、舉而不能先、命也(作怠之誤也。)。見不善而不能退、退而不能遠、過也。好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。菑必逮夫身。
【読み】
所謂天下を平らかにすることは其の國を治むるに在りとは、上老を老として民孝を興し、上長を長として民弟を興し、上孤を恤えて民倍かず。是を以て君子は絜矩の道有り。上に惡む所を、以て下に使うこと毋かれ。下に惡む所を、以て上に事ること毋かれ。前に惡む所を、以て後に先んずること毋かれ。後に惡む所を、以て前に從うこと毋かれ。右に惡む所を、以て左に交わること毋かれ。左に惡む所を、以て右に交わること毋かれ。此れ之を絜矩の道と謂う。詩に云く、樂しき君子は、民の父母、と。民の好む所は之を好み、民の惡む所は之を惡む。此れ之を民の父母と謂う。詩に云く、節たる彼の南山、維れ石巖巖たり、赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る、と。國を有つ者は以て愼まずんばある可からず。辟なれば則ち天下の僇と爲る。詩に云く、彼の淇の澳を瞻れば、菉竹猗猗たり。斐たる君子有り、切るが如く磋するが如く、琢つが如く磨くが如し。瑟たり僴たり、赫たり喧たり。斐たる君子有り、終に諠る可からず、と。切るが如く磋するが如しとは、學を道うなり。琢つが如く磨くが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。斐たる君子有り、終に諠る可からずとは、盛德至善、民の忘るること能わざるを道う。詩に云く、於戲、前王忘られず、と。君子は其の賢を賢として其の親を親とし、小人は其の樂しみを樂しみとして其の利を利とす。此を以て世を沒するまで忘られず。康誥に曰く、惟れ命常に于てせず、と。善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うことを道う。楚書に曰く、楚國は以て寳とすること無し。惟善以て寳とす、と。舅犯に曰く、亡人は以て寳とすること無し。親を仁するを以て寳とす、と。秦誓に曰く、若し一个の臣有らん、斷斷として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るること有るが如し。人の技有る、己之れ有るが若くし、人の彥聖なる、其の心に之を好す。啻に其の口自り出すが若くなるのみならず、寔に能く之を容れて、以て能く我が子孫を保つ。黎民も亦利有ることを尙わんかな。人の技有る、媢み疾みて以て之を惡み、人の彥聖なる、而も之に違いて通ぜざらしむ。寔に容るること能わず、以て我が子孫黎民を保つこと能わず、亦曰に殆いかな、と。唯仁人のみ之を放流して、諸を四夷に迸けて、與に中國を同じくせず。此を唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を惡むことをすと謂う。賢なるを見て舉ぐること能わず、舉げて先んずること能わざるは、命たり(怠之に作るは誤りなり。)。不善を見て退くこと能わず、退いて遠ざくること能わざるは、過ちなり。人の惡む所を好み、人の好む所を惡む、是を人の性に拂ると謂う。菑必ず夫の身に逮ぶ。

是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監於殷。峻命不易。道得衆則得、國失衆則失國。是故君子先愼乎德。有德此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。德者本也。財者末也。外本内末、爭民施奪。是故財聚則民散。財散則民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。
【読み】
是の故に君子に大道有り。必ず忠信以て之を得、驕泰以て之を失う。詩に云く、殷の未だ師を喪わざるとき、克く上帝に配えり。儀しく殷に監みるべし。峻命易からず、と。衆を得れば則ち國を得、衆を失えば則ち國を失うを道う。是の故に君子は先づ德を愼む。德有れば此れ人有り、人有れば此れ土有り、土有れば此れ財有り、財有れば此れ用有り。德は本なり。財は末なり。本を外にし末を内にすれば、民を争わして奪うことを施す。是の故に財聚まれば則ち民散ず。財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言悖って出る者は、亦悖って入る。貨悖って入る者は、亦悖って出づ。

生財有大道。生之者衆、食之者寡、爲之者疾、用之者舒、則財恆足矣。仁者以財發身、不仁者以身發財。未有上好仁、而下不好義者也。未有好義、其事不終者也。未有府庫財、非其財者也。孟獻子曰、畜馬乘不察於雞豚。伐冰之家不畜牛羊。百乘之家不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣、寧有盜臣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。長國家而務財用者、必自小人矣。彼爲善之。小人之使爲國家。菑害竝至。雖有善者、亦無如之何矣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。(一本云、彼爲不善之小人、使之爲國家)。
【読み】
財を生ずるに大道有り。之を生ずる者衆く、之を食する者寡く、之を爲る者疾く、之を用うる者舒やかなるときは、則ち財恆に足る。仁者は財を以て身を發し、不仁者は身を以て財を發す。未だ上仁を好んで、下義を好まざる者は有らざるなり。未だ義を好んで、其の事終わらざる者は有らざるなり。未だ府庫の財、其の財に非ざる者は有らざるなり。孟獻子曰く、馬乘を畜っては雞豚を察せず。伐冰の家は牛羊を畜わず。百乘の家は聚斂の臣を畜わず。其の聚斂の臣有らん與りは、寧ろ盗臣有れ、と。此を國は利を以て利とせず、義を以て利とすと謂う。國家に長として財用を務むる者は、必ず小人に自る。彼之を善しとす。小人をして國家を爲めしめば、菑害竝び至る。善者有りと雖も、亦之を如何ともすること無し。此を國は利を以て利とせず、義を以て利とすと謂うなり。(一本に云く、彼の不善をする小人、之をして國家を爲めしむ、と)。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)