二程全書卷之五十三  經說八

中庸解

天命之謂性。率性之謂道。修道之謂敎。
此章先明性道敎三者。所以名性與天道一也。天道降而在人、故謂之性。性者、生生之所固有也。循是而之焉。莫非道也。道之在人、有時與位之不同。必欲爲法於後、不可不修。
【読み】
天の命之を性と謂う。性に率う之を道と謂う。道を修むる之を敎と謂う。
此の章は先づ性道敎の三つの者を明かす。性と天道と一なるを名づくる所以なり。天道降って人に在り、故に之を性と謂う。性は、生生の固有する所なり。是に循って之く。道に非ずということ莫し。道の人に在る、時と位との不同有り。必ず法を後に爲さんと欲せば、修めずんばある可からず。

道也者不可須臾離也、故君子必愼其獨也。
此章明道之要、不可不誠。道之在我、猶飮食居處之不可去。可去皆外物也。誠以爲己。故不欺其心。人心至靈、一萌于思、善與不善、莫不知之。他人雖明、有所不與也。故愼其獨者、知爲己而已。
【読み】
道は須臾も離る可からざるなりより、故に君子は必ず其の獨りを愼むに止[いた]る。
此の章は道の要、誠あらずんばある可からざることを明かす。道の我に在るは、猶飮食居處の去る可からざるがごとし。去る可きは皆外物なり。誠は以て己が爲にす。故に其の心を欺かず。人心の至靈、一たび思いを萌せば、善と不善と、之を知らずということ莫し。他人は明なりと雖も、與らざる所有り。故に其の獨りを愼む者は、己が爲にすることを知るのみ。

喜怒哀樂之未發謂之中、萬物育焉。
此章明中和及言其效。情之未發、乃其本心。本心元無過與不及。所謂物皆然、心爲甚。所取準則以爲中者、本心而已。由是而出、無有不合。故謂之和。非中不立、非和不行。所出所由、未嘗離此。大本根也。逹道、衆所出入之道。極吾中以盡天地之中、極吾和以盡天地之和。天地以此立、化育亦以此行。
【読み】
喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂うより、萬物育すに止る。
此の章は中和を明かして其の效を言うに及ぶ。情の未だ發せざるは、乃ち其の本心なり。本心は元過と不及と無し。所謂物皆然り、心を甚だしとするなり。準則を取って以て中とする所の者は、本心のみ。是に由って出れば、合わざること有ること無し。故に之を和と謂う。中に非ざれば立たず、和に非ざれば行われず。出る所由る所、未だ嘗て此を離れず。大本根なり。逹道は、衆出入する所の道。吾が中を極めて以て天地の中を盡くし、吾が和を極めて以て天地の和を盡くす。天地此を以て立ち、化育も亦此を以て行わる。

仲尼曰、君子中庸、小人而無忌憚也。
此章言中庸之用時中者、當其可而已。猶冬飮湯、夏飮水而已。之謂無忌憚、以無所取則也。不中不常、妄行而已。
【読み】
仲尼曰く、君子は中庸なりより、小人にして忌み憚ること無しに止る。
此の章は中庸の時に中することを用うる者は、其の可に當たることを言うのみ。猶冬に湯を飮み、夏に水を飮むがごときのみ。之を忌み憚ること無しと謂うは、則を取る所無きを以てなり。中ならず常ならざるは、妄行なるのみ。

子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣。
人莫不中庸。鮮能久而已。久則爲賢人、不息則爲聖人。
【読み】
子曰く、中庸は其れ至れるかな。民能く久しきこと鮮し。
人中庸ならずということ莫し。能く久しきこと鮮きのみ。久しきときは則ち賢人と爲り、息まざるときは則ち聖人と爲る。

子曰、道之不行也、我知之矣、道其不行矣夫。
此章言失中之害。必知所以然、然後道行、必可常行、然後道明。知之過、無徵而不適用、不及、則卑陋不足爲。是取不行之道也。行之過、不與衆共、不及、則無以異於衆。是不明之因也。行之不著、習矣不察、是皆飮食而不知味者。如此而望道之行、難矣夫。
【読み】
子曰く、道の行われざること、我れ之を知れりより、道其れ行われざらんかに止る。
此の章は中を失するの害を言う。必ず然る所以を知って、然して後に道行われ、必ず常に行う可くして、然して後に道明らかなり。之を知ること過ぐれば、徵無くして用に適わず、及ばざれば、則ち卑陋にしてするに足らず。是れ行われざるの道に取るなり。之を行うこと過ぐれば、衆と共ならず、及ばざれば、則ち以て衆に異なること無し。是れ明らかならざるの因なり。之を行って著らかならず、習って察せざるは、是れ皆飮食して味を知らざる者なり。此の如くにして道の行われんことを望むとも、難きかな。

子曰、舜其大知也與、其斯以爲舜乎。
此章言舜所以用中。舜之知所以爲大者、樂取諸人以爲善而已。好問而好察邇言、隱惡而揚善。皆樂取諸人者也。兩端、過與不及也。執其兩端、乃所以用其時中。猶持權衡而稱物輕重、皆得其平。故舜之所以爲舜、樂取諸人、用諸民、皆以能執兩端而不失中也。
【読み】
子曰く、舜は其れ大知なるかより、其れ斯を以て舜爲るかに止る。
此の章は舜中を用うる所以を言う。舜の知大爲る所以の者は、人に取って以て善をすることを樂しむのみ。問うことを好んで好んで邇言を察し、惡を隱して善を揚ぐ。皆人に取ることを樂しむ者なり。兩端は、過と不及となり。其の兩端を執るは、乃ち其の時に中することを用うる所以なり。猶權衡を持して物の輕重を稱って、皆其の平らかなることを得るがごとし。故に舜の舜爲る所以は、人に取ることを樂しんで、民に用うる、皆能く兩端を執って中を失わざらしむを以てなり。

子曰、人皆曰、予知、則拳拳服膺而弗失之矣。
此章辨惑。陷阱之可避、中庸之可守、人莫不知之、鮮能蹈之。烏在其爲知也歟。惟顏子擇中庸而守之。此所以爲顏子也。衆人之不能期月守、聞見之知、非心知也。顏子服膺而弗失、心知而已。此所以與衆人異。
【読み】
子曰く、人皆曰く、予れ知あり、とより、則ち拳拳として膺[むね]に服[つ]けて之を失わずに止る。
此の章は惑いを辨ず。陷阱の避く可く、中庸の守る可き、人之を知らずということ莫くして、能く之を蹈むこと鮮し。烏んぞ其の知爲るに在らんや。惟り顏子のみ中庸を擇んで之を守る。此れ顏子爲る所以なり。衆人の期月も守ること能わざるは、聞見の知にして、心知に非ざればなり。顏子膺に服けて失わざるは、心知なるのみ。此れ衆人と異なる所以なり。

子曰、天下國家可均也、中庸不可能也。
此章言中庸之難能。均、平治也。一事之能、一節之廉、一朝之勇、有志者皆能之。久於中庸、惟聖者能之。
【読み】
子曰く、天下國家をも均[おさ]む可しより、中庸は能くす可からずに止る。
此の章は中庸の能くし難きことを言う。均は、平治なり。一事の能、一節の廉、一朝の勇は、志有る者皆之を能くす。中庸に久しきは、惟聖者のみ之を能くす。

子路問强、至死不變、强哉矯。
此章言强之中。南方之强、不及强者也。北方之强、過强者也。南方、中國也。雖不及强、然犯而不校、未害爲君子。北方任力。故止爲强者。能矯以就中、乃得君子之强。自和而不流以下、皆君子自矯其强者也。塞、未通也。不變未達之所守。所謂富貴不能淫也。
【読み】
子路强を問うより、死に至るまで變ぜず、强なるかな矯たりに止る。
此の章は强の中を言う。南方の强は、强に及ばざる者なり。北方の强は、强に過ぐる者なり。南方は、中國なり。强に及ばずと雖も、然れども犯せども校[はか]らずして、未だ君子爲ることを害せず。北方は力に任す。故に止强者爲り。能く矯以て中に就けば、乃ち君子の强を得。和して流れず自り以下は、皆君子自ら其の强を矯とする者なり。塞は、未だ通ぜざるなり。未達の守る所を變ぜず。所謂富貴も淫すること能わざるなり。

子曰、素隱行怪、惟聖者能之。
此章言行之中。素隱行怪、未當行而行。行之過者也。半塗而廢、當行而不行。行之不及者也。惟君子依乎中庸、自信不悔。聖人之事也。
【読み】
子曰く、隱れたるを素[もと]めて怪しきを行うより、惟聖者のみ之を能くすに止る。
此の章は行の中を言う。隱れたるを素めて怪しきを行うは、未だ當に行うべからずして行う。行の過ぎたる者なり。半塗にして廢つるは、當に行うべくして行わず。行の及ばざる者なり。惟君子は中庸に依って、自ら信じて悔いず。聖人の事なり。

君子之道費而隱、及其至也察乎天地。
此已上論中、此已下論庸。此章言常道之終始。費、用之廣也。隱、微密也。聖人有所不知不能、所謂隱也。費則常道、隱則至道。惟能盡常道、乃所以爲至道。天地之大、亦有所不能。故人猶有憾。況聖人乎。天地之大猶有憾、語大者也。有憾於天地、則大於天地矣。此所以天下莫能載。愚不肖之夫婦所常行、語小者也。愚不肖所常行、雖聖人亦有不可廢、此所謂天下莫能破。上至乎天地所不能、下至於愚不肖之所能、則至道備矣。自夫婦之能、至察乎天地、則常道盡矣。
【読み】
君子の道は費にして隱より、其の至れるに及んでは天地に察らかなりに止る。
此より已上は中を論じ、此より已下は庸を論ず。此の章は常道の終始を言う。費は、用の廣きなり。隱は、微密なり。聖人も知らず能くせざる所有るは、所謂隱なり。費は則ち常道、隱は則ち至道。惟能く常道を盡くす、乃ち至道爲る所以なり。天地の大なるも、亦能くせざる所有り。故に人猶憾むること有り。況んや聖人をや。天地の大なるも猶憾むること有るは、大を語る者なり。天地に憾むること有るときは、則ち天地より大なり。此れ天下能く載すること莫き所以なり。愚不肖の夫婦常に行う所は、小を語る者なり。愚不肖の常に行う所、聖人と雖も亦廢つる可からざること有り、此れ所謂天下能く破ること莫きなり。上天地の能くせざる所に至り、下愚不肖の能くする所に至るときは、則ち至道備われり。夫婦の能くする自り、天地に察らかなるに至るときは、則ち常道盡くせり。

子曰、道不遠人、君子胡不慥慥爾。
言治人治己之常道。苟非其人、道不虛行。人能弘道、非道弘人。故道而遠人、是爲外物。一人之身、而具有天地之道、遠而古今、大而天下、同之。是理無毫釐之差。故君子之治人、治其不及人者使及人而已。將欲治人、必先治己。故以忠恕自治。責子之孝、而自知乎未能事父。責臣、責弟、責朋友、皆然。故惟安常守中務實、是乃治己之務。
【読み】
子曰く、道は人に遠からずより、君子胡ぞ慥慥爾ならざらんやに止る。
人を治め己を治むるの常道を言う。苟も其の人に非ざれば、道虛しく行われず。人能く道を弘む、道人を弘むるに非ず。故に道にして人に遠ざかるは、是れ外物爲り。一人の身にして、天地の道を具有するは、遠くして古今、大にして天下、之に同じ。是の理毫釐の差無ければなり。故に君子の人を治むる、其の人に及ばざる者を治めて人に及ぼさしむるのみ。將に人を治めんと欲せば、必ず先づ己を治む。故に忠恕を以て自ら治む。子の孝を責めて、自ら未だ父に事うること能わざることを知る。臣を責め、弟を責め、朋友を責むるも、皆然り。故に惟常を安んじ中を守り實を務むる、是れ乃ち己を治むるの務めなり。

君子素其位而行、子曰、父母其順矣乎。
此章言安土順命。乃所以守常。素其位、不援上、不陵下、不怨天、不尤人、居易俟命、自邇自卑、皆安土順命之道。
【読み】
君子は其の位に素して行うより、子曰く、父母は其れ順ならんかなに止る。
此の章は土を安んじ命に順うことを言う。乃ち常を守る所以なり。其の位に素して、上を援[ひ]かず、下を陵がず、天をも怨みず、人をも尤めず、易きに居て命を俟ち、邇き自りし卑き自りするは、皆土を安んじ命に順うの道なり。

子曰、鬼神之爲德、其盛矣乎、誠之不可揜、如此夫。
此章論誠之本。惟誠所以能中庸。神以知來、知
(徐本知作鬼。)以藏往。往者屈也。來者伸也。所屈者不亡、所伸者無息。雖無形聲可求、而物物皆體。弗聞弗見、可謂微矣。然體物弗遺。此之謂顯。不亡不息、可謂誠矣。因感必見。此之謂不可揜。
【読み】
子曰く、鬼神の德爲る、其れ盛んなるかなより、誠の揜う可かざること、此の如きかなに止る。
此の章は誠の本を論ず。惟誠のみ中庸を能くする所以なり。神は以て來を知り、知(徐本知を鬼に作る。)は以て往を藏む。往は屈するなり。來は伸ぶるなり。屈する所の者亡びず、伸ぶる所の者息むこと無し。形聲の求む可き無しと雖も、物物皆體す。聞かず見ず、微なりと謂う可し。然れども物に體して遺さず。此れ之を顯と謂う。亡びず息まず、誠なりと謂う可し。感に因りて必ず見る。此れ之を揜う可からずと謂う。

子曰、舜其大孝也與、故大德者必受命。
中庸之行、孝弟而已。如舜之德位、皆極流澤之遠、始可盡其孝。故祿位名壽之皆得、非大德其孰能致之。故夫婦之不肖、可以能焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。
【読み】
子曰く、舜は其れ大孝なるかより、故に大德は必ず命を受くるに止る。
中庸の行は、孝弟のみ。舜の德位の如き、皆流澤の遠きを極めて、始めて其の孝を盡くす可し。故に祿位名壽の皆得ること、大德に非ずんば其れ孰か能く之を致さん。故に夫婦の不肖なるも、以て能くす可し。其の至れるに及んでは、聖人と雖も亦能くせざる所有り。

子曰、無憂者其惟文王乎、治國其如示諸掌乎。
此章亦言庸行本於孝。文・武・周公皆盡孝者也。所以父作子述而無憂者、文王之所致、猶舜之德爲聖人、尊爲天子、武王之孝、能不失顯名、而尊爲天子、周公則逹孝於天下。是皆盡孝者也。武王・周公蓋善繼文王之志、善述文王之事。故修其祖廟、所以繼文王事親之志。序爵序事所以述文王事親之事也。追王之禮、下逹於士庶人、繼志述事、上逹乎祖。此之謂逹孝。
【読み】
子曰く、憂え無き者は其れ惟文王かより、國を治むること其れ掌を示[み]るが如きかに止る。
此の章も亦庸行は孝に本づくことを言う。文・武・周公は皆孝を盡くす者なり。父作し子述べて憂え無き所以の者は、文王の致す所、猶舜の德聖人爲り、尊きこと天子爲り、武王の孝、能く顯名を失わずして、尊きこと天子爲り、周公は則ち天下に逹孝するがごとし。是れ皆孝を盡くす者なり。武王・周公蓋し善く文王の志を繼ぎ、善く文王の事を述ぶ。故に其の祖廟を修むるは、文王親に事うるの志を繼ぐ所以なり。爵を序で事を序づるは文王親に事うるの事を述ぶる所以なり。追王の禮は、下士庶人に逹し、志を繼ぎ事を述べて、上祖に逹す。此れ之を逹孝と謂う。

哀公問政、思知人、不可以不知天。
此章言爲政、蓋本於庸行也。盡修身之行、至於以道以仁、行之至也。思修身、至於事親、知人知天、知之至也。
【読み】
哀公政を問うより、人を知らんことを思わば、以て天を知らずんばある可からずに止る。
此の章は政を爲むること、蓋し庸行に本づくことを言う。身を修むるの行を盡くして、道を以てし仁を以てするに至るは、行の至りなり。身を修めんことを思って、親に事え、人を知り天を知るに至るは、知の至りなり。

天下之達道五、則知所以治天下國家矣。
天下古今之所共由、謂之逹道。所謂逹道者、天下古今之所共行。所謂逹德者、天下古今之所共有。雖有共行之道、必知之、體之、勉之、然後可行。雖知之、體之、勉之、不一於誠、則有時而息。求之有三、知之則一。行之有三、成功則一。所入之塗、則不能不異、所至之域、則不可不同。故君子論其所至、則生知與困知、安行與勉行、未始有異也。旣不有異、是乃所以爲中庸。若乃企生知安行之資爲不可幾及、輕困知勉行爲不能有成、此道之所以不明不行、中庸之所以難久也。愚者自是不求、自私者以天下非吾事、懦者甘爲人下而不辭。有是三者、欲修之身、未之有也。故好學非知、然足以破愚。力行非仁、然足以忘私。知恥非勇、然足以起懦。知是三者、未有不能修身者也、天下之理、一而已。小以成小、大以成大、無異事也。舉斯心以加諸彼、遠而推之四海而準、久而推之萬世而準。故一修身而知所以治人、知所以治人而知所以治天下國家、皆出乎此也。此者何。中庸而已。
【読み】
天下の達道五つより、則ち天下國家を治むる所以を知るに止る。
天下古今の共に由る所、之を逹道と謂う。所謂逹道は、天下古今の共に行う所。所謂逹德は、天下古今の共に有する所なり。共に行うの道有りと雖も、必ず之を知り、之を體し、之を勉めて、然して後に行う可し。之を知り、之を體し、之を勉むると雖も、誠に一ならざるときは、則ち時として息むこと有り。之を求むるに三つ有り、之を知るときは則ち一なり。之を行うに三つ有り、功を成すときは則ち一なり。入る所の塗は、則ち異ならざること能わざれども、至る所の域は、則ち同じからずんばある可からず。故に君子其の至る所を論ずるときは、則ち生知と困知と、安行と勉行と、未だ始めより異なること有らず。旣に異なること有らざるは、是れ乃ち中庸爲る所以なり。若し乃ち生知安行の資を企てて幾ど及ぶ可からずとし、困知勉行を輕んじて成ること有ること能わずとするは、此れ道の明らかならず行われざる所以、中庸の久しくし難き所以なり。愚なる者は自ら是として求めず、自私する者は天下を以て吾が事に非ずとし、懦なる者は人の下爲ることを甘んじて辭せず。是の三つの者有れば、之が身を修めんと欲すとも、未だ之れ有らず。故に學を好むは知に非ざれども、然れども以て愚を破るに足れり。行いを力むるは仁に非ざれども、然れども以て私を忘るるに足れり。恥を知るは勇に非ざれども、然れども以て懦を起こすに足れり。是の三つの者を知れば、未だ身を修むること能わざること有らざる者は、天下の理、一なるのみなればなり。小以て小を成し、大以て大を成すは、異事無し。斯の心を舉げて以て彼に加え、遠くして之を四海に推して準り、久しくして之を萬世に推して準る。故に一たび身を修めて人を治むる所以を知り、人を治むる所以を知って天下國家を治むる所以を知ること、皆此より出づ。此とは何ぞ。中庸のみ。

凡爲天下國家有九經、凡爲天下國家有九經。所以行之者一也。
此章言庸行至于九經盡矣。自知天至於九經、無精粗之別必備。乃所以爲常道。經者、百世所不變也。九經之用、皆本於德懷。無一物不在所撫、而刑有不與焉。修身、九經之本。必親友、然後修身之道進。故次之以尊賢。道之所進、莫先其家。故次之以親親。由親親以及朝廷。故敬大臣、體羣臣。由朝廷以及其國。故子庶民、來百工。由其國以及天下。故柔遠人、懷諸侯。此九經之序。視羣臣猶吾四體、視庶民猶吾子、此視臣視民之別。禮義由賢者出。尊賢則不爲異端所惑。大臣、人所瞻仰、所以取法。非其人、黜之可也。在其位、不可不敬。不敬則民眩、不知所從。讒・色・貨、皆害德。舍是三者、惟德之貴、則人勸而爲賢。尊之欲其貴、愛之欲其富。所欲與之聚之、所惡勿施爾。而不責以善。此所以諸父兄弟相勸而親。官盛任使、如注說。注云、大臣皆有屬官所任使、不親小事也。待之以忠信、養之以厚祿、士無有不勸者也。遠人惟可以柔道馭之。送往迎來、嘉善而矜不能者、柔道也。厚往薄來、不爲歸己者厚也。一說、謂燕賜厚而納貢薄。一以貫九者誠也。故其下論誠。
【読み】
凡そ天下國家を爲むるに九經有りより、凡そ天下國家を爲むるに九經有り。之を行う所以の者は一なりに止る。
此の章は庸行九經に至って盡くせることを言う。天を知る自り九經に至って、精粗の別無くして必ず備わる。乃ち常道とする所以なり。經は、百世變ぜざる所なり。九經の用は、皆德懷に本づく。一物として撫する所に在らずということ無くして、刑與らざること有り。身を修むるは、九經の本。必ず友を親しくして、然して後に身を修むるの道進む。故に之に次ぐに賢を尊ぶを以てす。道の進む所、其の家より先なるは莫し。故に之に次ぐに親を親しむを以てす。親を親しむ由りして以て朝廷に及ぼす。故に大臣を敬し、羣臣を體す。朝廷由りして以て其の國に及ぼす。故に庶民を子のごとくし、百工を來す。其の國由りして以て天下に及ぼす。故に遠人を柔[やす]んじ、諸侯を懷く。此れ九經の序なり。羣臣を視ること猶吾が四體のごとくし、庶民を視ること猶吾が子のごとくするは、此れ臣を視民を視るの別なり。禮義は賢者由り出づ。賢を尊ぶときは則ち異端の爲に惑わされず。大臣は、人の瞻仰する所にして、法を取る所以なり。其の人に非ずんば、之を黜けて可なり。其の位に在れば、敬せずんばある可からず。敬せざれば則ち民眩[まど]いて、從う所を知らず。讒・色・貨は、皆德を害す。是の三つの者を舍てて、惟德のみ之れ貴ぶときは、則ち人勸めて賢と爲る。之を尊んで其の貴からんことを欲し、之を愛して其の富まんことを欲す。欲する所は之を與え之を聚め、惡む所は施すこと勿きのみ。而して責むるに善を以てせず。此れ諸父兄弟相勸めて親しむ所以なり。官盛んに任使するは、注に說くが如し。注に云く、大臣は皆屬官の任使する所有りて、小事を親らせざるなり。之を待つに忠信を以てし、之を養うに厚祿を以てすれば、士勸めざる者有ること無し、と。遠人は惟柔道を以て之を馭[おさ]む可し。往を送り來を迎え、善を嘉して不能を矜れむ者は、柔道なり。往に厚くし來に薄くすとは、己に歸する者厚きことをせざるなり。一說に、燕賜厚くして納貢薄きを謂う。一以て九を貫く者は誠なり。故に其の下に誠を論ず。

凡事豫則立、道前定則不窮。
豫、謂成己素定也。成而素定、非誠而何。有諸己之謂信。無信不立、有信不廢。如誠有之、何往而不可。苟無其實、幾何不窮。言前定、如宰我・子貢以說辭成。事前定、如冉有・季路以政事成。行前定、如顏淵・仲弓以德成。道前定、如孔子之集大成。此章論在事之誠。
【読み】
凡そ事豫めするときは則ち立つより、道前に定まるときは則ち窮まらざるに止る。
豫は、己に成して素より定まるを謂う。成して素より定まるは、誠に非ずして何ぞ。己に有する之を信と謂う。信無ければ立たず、信有れば廢れず。如し誠之れ有れば、何くに往くとして不可ならん。苟も其の實無きときは、幾何か窮まらざらん。言前に定まるとは、宰我・子貢說辭を以て成るが如し。事前に定まるとは、冉有・季路政事を以て成るが如し。行前に定まるとは、顏淵・仲弓德を以て成るが如し。道前に定まるとは、孔子の集めて大成するが如し。此の章は事に在る誠を論ず。

在下位不獲乎上、不誠乎身矣。
自治民而造約、必至於明善而後已。明善者、能明其善而已。如明仁義、則知凡在我者、以何爲仁、以何爲義、能明其情狀、而知所從來、則在我者、非徒說之而已。在吾身誠有是善。故所以能誠其身。此章論在身之誠。
【読み】
下位に在って上に獲ざるより、身に誠あらずに止る。
民を治むる自りして約に造って、必ず善を明らかにするに至って而して後に已む。善を明らかにするは、能く其の善を明らかにするのみ。仁義を明らかにするが如きは、則ち凡そ我に在る者、何を以て仁とし、何を以て義とすることを知って、能く其の情狀を明らかにして、從來する所を知るときは、則ち我に在る者、徒之を說くに非ざるのみ。吾が身誠に是の善有る在り。故に能く其の身に誠ある所以なり。此の章は身に在る誠を論ず。

誠者天之道也、雖柔必强。
誠者、理之實然、致一而不可易者也。天下萬古、人心物理、皆所同然、有一無二。雖前聖後聖、若合符節。是乃所謂誠。誠卽天道也。天道無勉無思、然其中其得、自然而已。聖人誠一於天。天卽聖人、聖人卽天。由仁義行。何思勉之有。故從容中道而不迫。誠之者、以人求天者也。思誠而復之。故明有未窮、於善必擇、誠有未至、所執必固。善不擇、道不精、執不固、德將去。學問思辨、所以求之也。行、所以至之也。至之、非人一己百、人十己千、不足以化氣質。
【読み】
誠は天の道なりより、柔なりと雖も必ず强なりに止る。
誠は、理の實然、一を致して易う可からざる者なり。天下萬古、人心物理、皆同じく然る所にして、一有りて二無し。前聖後聖と雖も、符節を合わせたるが若し。是れ乃ち所謂誠なり。誠は卽ち天道なり。天道は勉むること無く思うこと無くして、然して其の中り其の得ること、自然なるのみ。聖人は天に誠一なり。天は卽ち聖人、聖人は卽ち天。仁義に由って行う。何の思い勉むることか有らん。故に從容として道に中って迫らず。之を誠にするは、人を以て天を求むる者なり。誠を思って之に復る。故に明未だ窮まらざること有れば、善に於て必ず擇び、誠未だ至らざること有れば、執る所必ず固くす。善擇ばざれば、道精しからず、執ること固からざれば、德將に去らんとす。學問思辨は、之を求むる所以なり。行は、之に至る所以なり。之に至るは、人一たびすれば己百たびし、人十たびすれば己千たびするに非ずんば、以て氣質を化するに足らず。

自誠明謂之性、明則誠矣。
謂之性者、生之所固有以得之。謂之敎者、由學以復之。理之實然者、至簡至易。旣已至之、則天下之理、如開目睹萬象、不假思慮而後知。此之謂誠則明。致知以窮天下之理、則天下之理皆得、卒亦至于簡易實然之地、而行其所無事。此之謂明則誠。
【読み】
誠に自って明らかなる之を性と謂うより、明らかなれば則ち誠なりに止る。
之を性と謂う者は、生の固有する所にして以て之を得るなり。之を敎と謂う者は、學に由って以て之に復るなり。理の實然なる者は、至簡至易。旣已に之に至るときは、則ち天下の理、目を開けて萬象を睹、思慮を假らずして後に知るが如し。此れ之を誠なれば則ち明らかなりと謂う。知を致して以て天下の理を窮むるときは、則ち天下の理皆得て、卒に亦簡易實然の地に至って、其の事無き所に行わる。此れ之を明らかなれば則ち誠なりと謂う。

唯天下至誠、爲能盡其性、則可以與天地參矣。
至于實理之極、則吾生之所固有者、不越乎是。吾生所有、旣一於理、則理之所有、皆吾性也。人受天地之中。其生也、具有天地之德。柔强昏明之質雖異、其心之所同者皆然。特蔽有淺深。故別而爲昏明。稟有多寡。故分而爲强柔。至於理之所同然、雖聖愚有所不異。盡己之性、則天下之性皆然。故能盡人之性。蔽有淺深。故爲昏明。蔽有開塞。故爲人物。稟有多寡。故爲强柔。稟有偏正。故爲人物。故物之性與人異者幾希。惟塞而不開。故知不若人之明。偏而不正。故才不若人之美。然人有近物之性者、物有近人之性者、亦係於此。於人之性、開塞偏正、無所不盡、則物之性、未有不能盡也。己也、人也、物也、莫不盡其性、則天地之化幾矣。故行其無事、順以養之而已。是所謂贊天地之化育。天地之化育、猶有所不及、必人贊之而後備、則天地非人不立。故人與天地竝立爲三才。此之謂天地參。
【読み】
唯天下の至誠のみ、能く其の性を盡くすことをするより、則ち以て天地と參となる可しに止る。
實理の極に至るときは、則ち吾が生の固有する所の者、是に越えず。吾が生の有する所、旣に理に一なるときは、則ち理の有する所は、皆吾が性なり。人は天地の中を受く。其の生まるるや、天地の德を具有す。柔强昏明の質異なりと雖も、其の心の同じき所の者は皆然り。特り蔽わるるに淺深有り。故に別れて昏明と爲る。稟くるに多寡有り。故に分かれて强柔と爲る。理の同じく然る所に至っては、聖愚と雖も異ならざる所有り。己が性を盡くすときは、則ち天下の性皆然り。故に能く人の性を盡くす。蔽わるるに淺深有り。故に昏明と爲る。蔽わるるに開塞有り。故に人物と爲る。稟くるに多寡有り。故に强柔と爲る。稟くるに偏正有り。故に人物と爲る。故に物の性と人と異なる者幾も希[な]し。惟塞がれて開かず。故に知人の明なるに若かず。偏って正しからず。故に才人の美なるに若かず。然して人物の性に近き者有り、物人の性に近き者有ること、亦此に係る。人の性に於て、開塞偏正、盡くさざる所無きときは、則ち物の性、未だ盡くすこと能わざること有らず。己、人、物、其の性を盡くさざること莫きときは、則ち天地の化幾[つ]きぬ。故に其の事無きに行って、順って以て之を養うのみ。是れ所謂天地の化育を贊くるなり。天地の化育、猶及ばざる所有って、必ず人之を贊けて而して後に備わるときは、則ち天地も人に非ざれば立たず。故に人と天地と竝び立って三才と爲る。此れ之を天地と參となると謂う。

其次致曲、惟天下至誠爲能化。
人具有天地之德。自當徧覆包含、無所不盡。然而稟於天、不能無少偏曲、則其所存所發、在偏曲處必多。此謂致曲。雖曰致曲、如專壹於是、未有不成德之成矣、未有不見乎文章。致曲至於成章、無以加矣。無以加、則必能知類通逹、見其所不盡。幾者、動之微也。知至而不能至之、不可與幾。故知至、未有不動者也。君子豹變、其文蔚也。大人虎變、其文炳也。有心乎動、動而不息。雖文有大小、未有不變者也。變者、復之初。復于故、則一於理、不知其所以變。故惟至誠爲能化。
【読み】
其の次は曲を致すより、惟天下の至誠のみ能く化することをするに止る。
人は天地の德を具有す。自づから當に徧覆包含して、盡くさざる所無かるべし。然れども天に稟くること、少しも偏曲なること無きこと能わざるときは、則ち其の存する所發する所、偏曲する處在ること必ず多し。此を曲を致すと謂う。曲を致すと曰うと雖も、如し是に專壹なれば、未だ德の成るを成さざること有らず、未だ文章を見さざること有らず。曲を致して章を成すに至れば、以て加うること無し。以て加うること無きときは、則ち必ず能く類を知って通逹して、其の盡くさざる所を見る。幾は、動の微なり。至ることを知って之に至ること能わざれば、幾を與にす可からず。故に至ることを知れば、未だ動かざる者は有らず。君子豹變するは、其の文蔚たればなり。大人虎變するは、其の文炳たればなり。動に心有り、動いて息まず。文に大小有りと雖も、未だ變ぜざる者は有らず。變は、復の初め。故に復るときは、則ち理に一にして、其の變ずる所以を知らず。故に惟至誠のみ能く化することをす。

至誠之道、可以前知、故至誠如神。
誠一於理、無所閒雜、則天地人物、古今後世、融徹洞逹、一體而已。興亡之兆、今之有思慮、如有萌焉、無不前知。蓋有方所、則有彼此先後之別。旣無方所、彼卽我也、先卽後也。未嘗分別隔礙。自將逹乎神明、非特
(徐本特作時。)前知而已。
【読み】
至誠の道は、以て前知す可しより、故に至誠は神の如しに止る。
理に誠一にして、閒雜する所無きときは、則ち天地人物、古今後世、融徹洞逹して、一體なるのみ。興亡の兆し、今の思慮有って、如し萌すこと有れば、前知せずということ無し。蓋し方所有るときは、則ち彼此先後の別有り。旣に方所無ければ、彼も卽ち我なり、先も卽ち後なり。未だ嘗て分別隔礙せず。自ら將に神明に逹せんとすれば、特(徐本特を時に作る。)に前知するのみに非ず。

誠者自成也、故時措之宜也。
誠不爲己、卽誠爲外物。道不自道、而其道虛行。旣曰誠矣。苟不自成就、如何致力。旣曰道矣。非己所自行、將誰與行乎。實有是理、乃有是物。有所從來、有以致之、物之始也。有所從亡、有以喪之、物之終也。皆無是理、雖有物象接於耳目、耳目猶不可信。謂之非物可也。天大無外、造化發育、皆在其閒、不有内外生焉。性生内外之別。故與天地不相似。若性命之德、自合乎内外。故具仁與知、無己無物、誠一以貫之、合大德而施化育。故能時措之宜也。理義者、人心之所同然者也。吾信乎此、則吾德實矣。故曰誠者自成也。吾用乎此、則吾道行矣。故曰道自道也。夫誠者、實而已矣。實有是理。故實有是物。實有是物。故實有是用。實有是用
(徐本用作理。)。故實有是心。實有是心。故實有是事。是皆原始要終而言也。箕不可以簸揚、則箕非箕矣。斗不可以挹酒漿、則斗非斗矣。種禾於此、則禾之實可收也。種麥於此、則麥之實可收也。如未嘗種而望其收、雖荑稗且不可得。況禾麥乎。是所謂誠者物之終始、不誠無物也。故君子必明乎善、知至意誠矣。旣有惻怛之誠意、乃能竭不倦之强力、然後有可見之成功。苟不如是、雖博聞多見、舉歸於虛而已。是則誠之爲貴也。誠雖自成也、道雖自道也、非有我之得私也、與天下同之而已。故思成己、必思所以成物。乃謂仁知之具也。性之所固有、合内外而無閒者也。夫天大無外、造化發育、皆在其閒、自無内外之別。人有是形、而爲形所梏。故有内外生焉。内外一生、則物自物、己自己、與天地不相似矣。反乎性之德、則安有物我之異、内外之別哉。故時措之宜者、凡以反乎性之德、而得乎喜怒哀樂未發之中、發而皆中節者也。
【読み】
誠は自ら成すなりより、故に時に措くことの宜しきなりに止る。
誠己の爲にせざるときは、卽ち誠は外物爲り。道自ら道[みちび]かずして、其の道虛しく行われんや。旣に誠と曰う。苟も自ら成就せずんば、如何ぞ力を致さん。旣に道と曰う。己が自ら行う所に非ずんば、將に誰と與に行わんや。實に是の理有って、乃ち是の物有り。從って來る所有って、以て之を致すこと有るは、物の始めなり。從って亡ぶる所有って、以て之を喪ぼすこと有るは、物の終わりなり。皆是の理無きときは、物象耳目に接すること有りと雖も、耳目猶信ずる可からず。之を物に非ずと謂って可なり。天は大にして外無く、造化發育、皆其の閒に在って、内外生ずること有らず。性は内外の別を生ず。故に天地と相似ず。性命の德の若きは、自づから内外を合す。故に仁と知とを具えて、己無く物無く、誠一にして以て之を貫き、大德を合わせて化育を施す。故に能く時に措くの宜しきなり。理義は、人心の同じく然る所の者なり。吾れ此を信ずるときは、則ち吾が德實なり。故に誠は自ら成すと曰う。吾れ此を用うるときは、則ち吾が道行わる。故に道は自ら道くと曰う。夫れ誠は、實なるのみ。實に是の理有り。故に實に是の物有り。實に是の物有り。故に實に是の用有り。實に是の用(徐本用を理に作る。)有り。故に實に是の心有り。實に是の心有り。故に實に是の事有り。是れ皆始めを原[たづ]ね終わりを要して言うなり。箕以て簸揚[はよう]す可からずんば、則ち箕は箕に非ず。斗以て酒漿を挹[く]む可からずんば、則ち斗は斗に非ず。禾を此に種うるときは、則ち禾の實收む可し。麥を此に種うるときは、則ち麥の實收む可し。如し未だ嘗て種えずして其の收むることを望まば、荑稗[ていはい]と雖も且つ得る可からず。況んや禾麥をや。是れ所謂誠は物の終始、誠あらざれば物無きなり。故に君子は必ず善を明らかにして、知至り意誠あり。旣に惻怛の誠意有って、乃ち能く倦まざるの强力を竭して、然して後に見る可きの成功有り。苟も是の如くならずんば、博聞多見と雖も、舉[ことごと]く虛に歸するのみ。是れ則ち誠の貴き爲るなり。誠は自ら成すなりと雖も、道は自ら道くなりと雖も、我が得て私すること有るに非ず、天下と之を同じくするのみ。故に己を成すことを思えば、必ず物を成す所以を思う。乃ち謂ゆる仁知の具われるなり。性の固有する所、内外を合わせて閒無き者なり。夫れ天は大にして外無く、造化發育、皆其の閒に在って、自づから内外の別無し。人は是の形有って、形の爲に梏せらる。故に内外有って生ず。内外一たび生ずれば、則ち物は自づから物、己は自づから己にして、天地と相似ず。性の德に反るときは、則ち安んぞ物我の異なり、内外の別有らんや。故に時に措くの宜しき者は、凡そ以て性の德に反って、喜怒哀樂未發の中を得、發して皆節に中る者なり。

故至誠無息、故曰、苟不至德、至道不凝焉。
此章言至約之理、惟至誠而已。盡天地之道、亦不越此。窮盡實理、得之有之、其勢自能至於悠久・博厚・高明。但積之而已。蓋實理不二、則其體無雜。其體無雜、則其行無閒。故至誠無息、非使之也。機自動爾。乃乾坤之所以開闔。如使之非實、則有時而息矣。久、堪任也。徵、驗也。悠久、長也。凡物用之不窮者、其才堪任是用也。如有所窮、則其用必息。故誠之所以久者、不息而已。不能堪任、廢敝必矣。又安所效驗於外哉。不息至於有徵、則傳之百世、亦猶是也。能傳百世而不已、則其積必多、博者能積衆狹、厚者能積衆卑。有如是廣博、其勢不得不高。有如是深厚、其積不得不明。是皆積之之效也。所以覆物、載物、成物者、其能也。所以章、所以變、所以成者、其功也。能非力之所任、非用而後有、其勢自然、不得不爾。是乃天地之道也。天地所以生物不測者、止於至誠而已。天地之所以神者、積之無疆而已。如使無天地爲物不貳、則必有已。積之有已、則其積不多。昭昭撮土之微、不同乎衆物、又烏有博厚・高明・悠久之功能哉。天之爲天、不已其命而已。聖人之爲聖人、不已其德而已。其爲天人德命則異、其所以不已則一。故聖人之道、可以配天者、如此而已。禮儀威儀、道也。所以行之者、德也。小德可以任大道、至德可以守至道。故道不虛行、必待人而後行。故必有人而行、然後可名之道也。
【読み】
故に至誠は息むこと無しより、故に曰く、苟も至德ならずんば、至道凝[な]らずに止る。
此の章言うこころは、至約の理は、惟至誠のみ。天地の道を盡くすも、亦此に越えず。實理を窮め盡くして、之を得之を有すれば、其の勢自づから能く悠久・博厚・高明に至る。但之を積むのみ。蓋し實理二ならざるときは、則ち其の體雜じること無し。其の體雜じること無きときは、則ち其の行閒無し。故に至誠息むこと無きは、之をせしむるに非ず。機自づから動くのみ。乃ち乾坤の開闔する所以なり。如し之をせしめて實に非ずんば、則ち時として息むこと有らん。久は、堪え任[た]うるなり。徵は、驗なり。悠久、長きなり。凡そ物之を用いて窮まらざる者は、其の才是の用に堪え任うるなり。如し窮まる所有らば、則ち其の用必ず息まん。故に誠の久しき所以の者は、息まざるのみ。堪え任うること能わざれば、廢敝必せり。又安んぞ外に效驗する所あらんや。息まずして徵有るに至るときは、則ち之を百世に傳えても、亦猶是のごとし。能く百世に傳えて已まざるときは、則ち其の積むこと必ず多くして、博き者能く衆狹を積み、厚き者能く衆卑を積む。是の如く廣博なること有れば、其の勢高からざることを得ず。是の如く深厚なること有れば、其の積むこと明らかならざることを得ず。是れ皆之を積むの效なり。物を覆い、物を載せ、物を成す所以の者は、其の能なり。章らかなる所以、變ずる所以、成す所以の者は、其の功なり。能く力の任うる所に非ず、用いて而して後に有するに非ず、其の勢自然に、爾らざることを得ず。是れ乃ち天地の道なり。天地物を生ずること測られざる所以の者は、至誠に止まるのみ。天地の神なる所以の者は、之を積むこと疆り無きのみ。如し天地の物を爲ること貳あらざること無からしめば、則ち必ず已むこと有らん。之を積むこと已むこと有らば、則ち其の積むこと多からず。昭昭撮土の微、衆物に同じからざれば、又烏んぞ博厚・高明・悠久の功能有らんや。天の天爲るは、其の命を已まざればのみ。聖人の聖人爲るは、其の德を已まざればのみ。其の天人の德命爲ることは則ち異なれども、其の已まざる所以は則ち一なり。故に聖人の道、以て天に配す可き者は、此の如きのみ。禮儀威儀は、道なり。之を行う所以の者は、德なり。小德は以て大道を任ず可く、至德は以て至道を守る可し。故に道虛しく行われず、必ず人を待って而して後に行わる。故に必ず人有りて行われて、然して後に之を道と名づく可し。

故君子尊德性而道問學、敦厚以崇禮。
德性・廣大・高明、皆至德。問學・精微・中庸、皆至道。惟至德所以凝至道也。雖有問學、不尊吾自德之性、則問學失其道矣。雖有精微之理、不致廣大以自求、則精微不足以自信矣。雖有中庸之理、不極高明以行之、則同汚合俗矣。雖知所未知、不溫故以存之、則德不可積。雖有崇禮之志、不敦厚以持之、則其行不久。此皆合德與道而言、然後可以有成矣。
【読み】
故に君子は德性を尊んで問學に道[よ]るより、敦厚にして以て禮を崇くすに止る。
德性・廣大・高明は、皆至德なり。問學・精微・中庸は、皆至道なり。惟至德は至道を凝す所以なり。問學有りと雖も、吾が自德の性を尊ばざれば、則ち問學其の道を失う。精微の理有りと雖も、廣大を致して以て自ら求めざれば、則ち精微以て自ら信ずるに足らず。中庸の理有りと雖も、高明を極めて以て之を行わざれば、則ち汚に同じく俗に合す。未だ知らざる所を知ると雖も、故きを溫ねて以て之を存せざれば、則ち德積む可からず。禮を崇くするの志有りと雖も、敦厚にして以て之を持せざれば、則ち其の行い久しからず。此れ皆德と道とを合わせて言い、然して後に以て成ること有る可し。

是故居上不驕、其此之謂與。
居上不驕、知上而不知下。爲下不倍、知下而不知上。國有道、不知言之足興、國無道、知藏而不知行。
【読み】
是の故に上に居て驕らずより、其れ此の謂かに止る。
上に居て驕らざれば、上を知って下を知らず。下と爲して倍[そむ]かざれば、下を知って上を知らず。國道有れば、言の興すに足ることを知らず、國道無ければ、藏るることを知って行うことを知らず。

子曰、愚而好自用、其寡過矣乎。
無德爲愚、無位爲賤。有位無德、而作禮樂、所謂愚而好自用。有德無位、而作禮樂、所謂賤而好自專。生周之世、而從夏・殷之禮、所謂生今世、反古之道。三者有一焉、取烖之道也。故王天下者、有三重焉。議禮所以制行。故行必同倫。制度所以爲法。故車必同軌。考文所以合俗。故書必同文。惟王天下者行之、諸侯有所不與。故國無異政、家不殊俗。蓋有以一之也。如此則寡過矣。
【読み】
子曰く、愚にして自ら用うることを好むより、其れ過ち寡いかなに止る。
德無きを愚とし、位無きを賤とす。位有り德無くして、禮樂を作るは、所謂愚にして自ら用うることを好むなり。德有り位無くして、禮樂を作るは、所謂賤しくして自ら專[ほしいまま]にすることを好むなり。周の世に生まれて、夏・殷の禮に從うは、所謂今の世に生まれて、古の道に反るなり。三つの者一つも有れば、烖[わざわい]を取るの道なり。故に天下に王たる者、三重有り。禮を議するは行いを制する所以。故に行いは必ず倫を同じくす。度を制するは法を爲す所以。故に車は必ず軌を同じくす。文を考うるは俗に合する所以。故に書は必ず文を同じくす。惟天下に王たる者のみ之を行って、諸侯與らざる所有り。故に國政を異にすること無く、家俗を殊にせず。蓋し以て之を一にすること有るなり。此の如くなるときは則ち過ち寡し。

仲尼祖述堯・舜、此天地之所以爲大也。
祖述堯・舜、善有所尊。憲章文・武、善有所徵。上律天時、如祖述堯・舜。下襲水土、如憲章文・武。蓋稱堯・舜者、以道言之。天時者道之所由出也。稱文・武者、以政事言之。水土者人之所有事也。律之言法。襲之言服也。此言仲尼之中庸、如是之大、如是之備。故譬言天地之大也。其博厚、足以任天下、其高明、足以冒天下、其化循環而無窮、逹消息之理也。其用照鑒而不已、逹晝夜之道也。尊賢容衆、嘉善而矜不能、竝育不相害之理也。貴貴尊賢、賞功罰罪、各當其理、竝行不相悖之義也。禮儀三百、威儀三千、此小德所以川流。洋洋乎發育、峻極于天、此大德所以敦化也。
【読み】
仲尼堯・舜を祖述すより、此れ天地の大なりとする所以なりに止る。
堯・舜を祖述するは、善く尊ぶ所有るなり。文・武を憲章するは、善く徵[もと]むる所有るなり。上天時に律[のっと]るは、堯・舜を祖述するが如し。下水土に襲するは、文・武を憲章するが如し。蓋し堯・舜を稱する者は、道を以て之を言う。天時は道の由って出る所なり。文・武を稱する者は、政事を以て之を言う。水土は人の事とすること有る所なり。律の言は法るなり。襲の言は服すなり。此れ仲尼の中庸、是の如く之れ大に、是の如く之れ備われることを言う。故に譬えて天地の大なるを言う。其の博厚、以て天下を任ずるに足り、其の高明、以て天下を冒[おお]うに足り、其の化循環して窮まり無きは、消息の理に逹すればなり。其の用照鑒して已まざるは、晝夜の道に逹すればなり。賢を尊び衆を容れ、善を嘉して不能を矜れむは、竝び育われて相害せざるの理なり。貴を貴び賢を尊び、功あるを賞し罪あるを罰して、各々其の理に當たるは、竝び行われて相悖らざるの義なり。禮儀三百、威儀三千は、此れ小德の川流する所以なり。洋洋乎として發育し、峻く天を極むるは、此れ大德の敦化する所以なり。

惟天下至聖、爲能聰明睿知、故曰配天。
此章言聖人成德之用、其效如此。聖人成德、非萬物皆備、足以應物而已。其停蓄充盛、至深至大、出之以時、人莫不敬信悅服、至於血氣之類、莫不尊親。惟天德爲能配。
【読み】
惟天下の至聖のみ、能く聰明睿知なることをすより、故に天に配すと曰うに止る。
此の章は聖人の成德の用、其の效此の如くなることを言う。聖人の成德、萬物皆備わるに非ざれども、以て物に應ずるに足れるのみ。其の停蓄充盛、至深至大、之を出すに時を以てして、人敬信し悅服せずということ莫く、血氣の類に至っては、尊親せずということ莫し。惟天の德能く配することをす。

惟天下至誠、爲能經綸天下之大經、其孰能知之。
大經、庸也。大本、中也。化育、化也。莫非經也。親親、長長、貴貴、尊賢、其大經歟。莫非本也。致公平、極廣大、不偏倚、不係累、其大本歟。莫非化也。陰陽、合散、屈伸、其化育歟。誠者、實有是理
(徐本是理作理是。)也。反而求之、理之所固有而不可易者、是謂庸。體其所固有之義、則經綸至矣。理之所自出而不可易者、是謂之中。尊其所自出、則立之至矣。理之所不得已者、是謂化育。明其所不得已之機、則知之至矣。至誠而至於此、則至誠之事盡矣。天德全矣。夫天德無所不覆者、不越不倚於物而已。有倚於物、則覆物也有數矣。由不倚、然後積而至(徐本有於至字。)厚。厚則深、深則大。厚也、深也、大也、不至於天則不已。卒所以浩浩者、天而已。故非逹天德、不足以知之。
【読み】
惟天下の至誠のみ、能く天下の大經を經綸することをすより、其れ孰か能く之を知らんに止る。
大經は、庸なり。大本は、中なり。化育は、化するなり。經に非ずということ莫し。親を親とし、長を長とし、貴を貴び、賢を尊ぶは、其の大經か。本に非ずということ莫し。公平を致し、廣大を極め、偏倚ならず、係累せざるは、其の大本か。化に非ずということ莫し。陰陽、合散、屈伸は、其の化育か。誠は、實に是の理(徐本是理を理是に作る。)有るなり。反って之を求むるに、理の固有する所にして易う可からざる者、是を庸と謂う。其の固有する所の義を體するときは、則ち經綸至れり。理の自って出る所にして易う可からざる者、是れ之を中と謂う。其の自って出る所を尊ぶときは、則ち立つるの至りなり。理の已むことを得ざる所の者、是を化育と謂う。其の已むことを得ざる所の機を明らかにするときは、則ち知るの至りなり。至誠にして此に至るときは、則ち至誠の事盡くせり。天德全し。夫れ天德覆わずという所無き者は、物に倚らざるに越えざるのみ。物に倚ること有るときは、則ち物を覆うこと數有り。倚らざるに由って、然して後に積んで(徐本に至の字有り。)厚に至る。厚きときは則ち深く、深きときは則ち大なり。厚き、深き、大なる、天に至らざれば則ち已まず。卒に浩浩たる所以の者は、天のみ。故に天德に逹するに非ざれば、以て之を知るに足らず。

詩曰、衣錦尙絅。惡其文之著也、無聲無臭、至矣。
自此至終篇、言德成反本。自内省至於不動而敬、不言而信、自不動不言至於不大聲色、自不大聲色至於無聲無臭。聲臭微矣。有物而不可見、猶曰無之、則誠一於天可知。闇然而日章、中有本也。的然而日亡、暴於外而無實以繼之也。故君子貴乎反本。君子之道、深厚悠遠而有本。故淡而不厭、簡而文、溫而理。本我心之所固有也。習矣而不察、日用而不知、非失之也、不自知其在我爾。故君子之學、將以求其本心。本心之微、非聲色臭味之可得、此不可得而致力焉。惟循本以趣之、是乃入德之要。推末流之大小、則至於本源之淺深。其知遠之近歟。以見聞之廣、動作之利、推所從來、莫非心之所出。其知風之自歟。心之精微、至隱至妙、無聲無臭。然其理明逹暴著、若懸日月。其知微之顯歟。凡德之本、不越是矣。如此、則入德其幾矣。反本之要、吾心誠然而已。心誠然之、豈係乎人之見與不見。惟内省不疚可矣。其中有本、不待言動、而人敬信。天何言哉。四時行焉、百物生焉。不必賞罰、而人知勸沮。其盛德之盛、足以使人愛敬。愛之則樂從。故不待勸。敬之則不敢慢。故不待懲。其斯之謂歟。君子之於天下、正己斯可矣。正己、則物孰與不正。篤恭而天下平、正己而已。自明之德、若日月有明、容光必照。何聲色之用乎。德之端、夫婦之愚可以與知、其不肖也、可以能行。其輕而易舉、豈特毛之比乎。故毛輶有倫。如誠一於天、則無聲無臭之閒、得其實理、斯盡之矣。
【読み】
詩に曰く、錦を衣て絅を尙[くわ]う。其の文の著[あらわ]なることを惡んでなりより、聲も無く臭も無しというは、至れりに止る。
此れ自り終篇に至るまで、德成って本に反ることを言う。内に省みる自り動かずして敬あり、言わずして信あるに至り、動かず言わざる自り聲色を大にせざるに至り、聲色を大にせざる自り聲も無く臭も無きに至る。聲臭は微なり。物として見る可からざること有り、猶之れ無しと曰うときは、則ち天に誠一なること知る可し。闇然として日に章らかなるは、中に本有るなり。的然として日に亡ぶるは、外に暴[あらわ]れて實以て之に繼ぐこと無きなり。故に君子は本に反ることを貴ぶ。君子の道は、深厚悠遠にして本有り。故に淡にして厭わず、簡にして文に、溫にして理なり。本は我が心の固有する所なり。習って察せず、日に用いて知らざるは、之を失するに非ず、自ら其の我に在ることを知らざるのみ。故に君子の學は、將に以て其の本心を求めんとす。本心の微、聲色臭味の得る可きに非ず、此れ得て力を致す可からず。惟本に循って以て之に趣く、是れ乃ち德に入るの要なり。末流の大小を推すときは、則ち本源の淺深に至る。其の遠きが近きを知るか。見聞の廣き、動作の利を以て、從來する所を推すに、心の出る所に非ずということ莫し。其の風の自ることを知るか。心の精微、至隱至妙にして、聲も無く臭も無し。然れども其の理明逹暴著すること、日月を懸くるが若し。其の微の顯らかなることを知るか。凡そ德の本、是に越えず。此の如くなるときは、則ち德に入ること其れ幾し。本に反るの要は、吾が心の誠然のみ。心之を誠然にせば、豈乎人の見ると見ざるとに係らんや。惟内に省みて疚しからずして可なり。其の中本有れば、言動を待たずして、人敬信す。天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。必ずしも賞罰せざれども、人勸み沮むことを知る。其の盛德の盛んなる、以て人をして愛敬せしむるに足れり。之を愛するときは則ち樂しみ從う。故に勸むることを待たず。之を敬するときは則ち敢えて慢らず。故に懲らすことを待たず。其れ斯の謂か。君子の天下に於る、己を正しくして斯れ可なり。己を正しくすれば、則ち物孰と與にか正しからざらん。篤恭にして天下平らかなるは、己を正しくするのみ。自ら明らかなるの德は、日月明有り、容光必ず照らすが若し。何の聲色をか之れ用いんや。德の端は、夫婦の愚も以て與り知る可く、其の不肖も、以て能く行う可し。其の輕くして舉げ易きこと、豈特毛の比ならんや。故に毛の輶[かろ]きは倫[たぐい]有り。如し天に誠一なるときは、則ち聲も無く臭も無きの閒に、其の實理を得て、斯れ之を盡くせり。

按晁昭德讀書志、有明道中庸解一卷、伊川大全集亦載此卷。竊(徐本竊作切。)嘗考之、中庸、明道不及爲書。伊川雖言已成中庸之書、自以不滿其意、已火之矣。反復此解、其卽朱子所辨藍田呂氏講堂之初本・改本無疑矣。用仍其舊、以備參考。
【読み】
按ずるに晁昭德の讀書志に、明道の中庸の解一卷有り、伊川大全集にも亦此の卷を載す。竊かに(徐本竊を切に作る。)嘗て之を考うるに、中庸は、明道書を爲るに及ばじ。伊川已に中庸の書を成すと言うと雖も、自ら以て其の意に滿たずとして、已に之を火く。此の解を反復するに、其れ卽ち朱子辨ずる所の藍田呂氏の講堂の初本・改本なること疑い無し。用て其の舊に仍りて、以て參考に備う。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)